転職した場合「その会社では先輩」社員にどこまで遠慮すべきか。同僚が困っているところを女を助手席に乗せて見物に来る男。警察がやるなということを自分はやらずに従業員にやれと言う店長。男性に雪かきさせて自分は部屋中に入って座ってコーヒー飲む女症候群。男性が掃除と準備をした所に遅刻してやって来て下駄箱の上をひと撫でして「私がここまでやった」と宣言する女。ほか・・
[第903回]
その業界の会社である程度以上、勤めてきた者が勤め先を変わった場合、その業界での勤務は自分の方が長くても転職した会社においては自分よりも前からいるという人に対して、たとえ、その業界としては自分の方が長く在籍して、それなりのものを身に着けてきたとしても、転職した会社においては新しく入った人間だという場合、その会社においては自分よりも古いという人は尊重した方がいいと私は思ってそうしてきたのだが、片方でそうやって尊重してもらうとズに乗るような人というのもいた。又、後から考えると、たててあげたのは間違っていたかと思うケースが多かった。
先に、世間で話題になったケースなどを3つあげてみる。
《1》 北尾 と ジョン=テンタ
大相撲で、ともかく横綱に「ならせてもらった」ものの、親方などともめて「廃業」した北尾(双羽黒)はプロレスに転向したものの、プロレス界でもうまくいかなかったらしい。 週刊誌で呼んだものでは、デビュー戦ではクラッシャー=バンバン=ビガロ という演技がものすごくうまくて「ホウキを相手にしてでもプロレスをできる」と言われた外国人レスラーと組ませてもらって「勝利」させてもらったが(YouTube に入っていた話では、ビガロは相当のカネをもらったが、後から「いくらカネをもらっても、あんなものはやりたくない」とカネもらってあほくさい引き立て役なんんかやりたくなかったと言ったとか)、演技上手のビガロが相手だからなんとかなったと言われたらしく、その後も、プロレスラーの間で評判が悪かったのは、プロレスというのはバラエティーショーと似ていて、バラエティショーで出演者が順番にその特色・持ち味を発揮するのと同じく、プロレスでも自分がいいところを発揮させてもらえば、次は相手にいいところを発揮させて、その次にまた自分がいいところを見せて、さらにその次には相手にいいところを見せさせてあげて・・とやって成り立つものなのに、北尾は自分ばっかりいいところを見せようとする・・と。
そして、特に、ジョン=テンタとの試合で北尾は反則のめつぶしをやろうとして、さらに制止しようとしたレフェリーを突き飛ばして反則負けになった後、マイクをつかんで「この八百長野郎」と叫び、そして控室に戻っても暴れて危険な状態になり解雇された・・らしい。
※ 《YouTube-谷津嘉章・最終章「義足の青春」―【不穏試合】あの日、試合会場で谷津が見たことを全て語ります!北尾光司vsジョン・テンタ:神戸ワールド記念ホール【谷津嘉章】https://www.youtube.com/watch?v=aIh2fhyo7_w
※ 《YouTube-北尾vs.テンタ戦は八百長発言より『うるせえババア!』の方が問題です(船木誠勝)》https://www.youtube.com/watch?v=VwXTxQxAupo
谷津嘉章や船木誠勝(まさかつ)の話を聞くと、北尾は相撲界をやめても自分は「元横綱」ではなく「横綱」だという意識が抜けず、特に相撲界を幕下でやめてプロレス界に入ったジョン=テンタに対して、自分は横綱で相手は幕下という意識が抜けなかったような感じですね。たとえ、相撲界は幕下でやめてもプロレスの世界では相手の方が先輩であり、相撲は幕下でやめてもプロレス界で努力して地位を築いた人に対しても、幕下でしかないやつがという意識があったのか。
《2》 貴闘力ちゃんねるでは、藤島部屋⇒二子山部屋 で貴闘力の先輩力士の 元 新花山(千葉さん)と貴闘力・維新力との鼎談が出ていて、そこでは、元 新花山に貴闘力が幕内力士になっても「千葉さん、千葉さん」と言ってくれたという話が出ています。
※《YouTube-【豪快】初代貴ノ花が恐る男!貴闘力の伝説の親父!》https://www.youtube.com/watch?v=YH-Iz3ZxaD8
「横綱が先輩を『おい』とあごで使うなんてことはなかった」(維新力)
「千葉さん、千葉さんて言ってくれるから」(新花山)
・・・ 昔、私が産まれるより前だったのではないかと思うのだが、うちの父親の勤め先の取引先の社長でタニマチやっていた人がいて、その人がタニマチやっていた部屋にうちの父親が連れていってもらった時、相撲取りの世界では「半枚違えば虫けら同然」と言うと聞いていたので、入門が先の力士でも幕下以下の力士には幕内力士は「虫けら同然」みたいな口のきき方をするのかと思って見ていたらそうではなく、入門が先の先輩力士でも幕下以下の力士は、自分より後から入門した力士でも幕内力士に対しては「関取」と呼んでいたが、その関取は自分より前に入門した力士でも自分より番付が下の力士に対して「虫けら同然」みたいな口のきき方をするのかというとそうではなくて、関取の方は幕下以下の先輩力士に対しては「先輩」と呼んでいたらしく、そういう言い方があるのかと思ったと話していました。先輩の幕下以下の力士は後輩の幕内力士に「関取」と呼び、後輩の幕内力士は先輩の幕下以下の力士に「先輩」と呼んでいたらしい。
《3》 小堀住研(株)の「銀行、銀行、ぎんこうの男~♪ パヤッパ~」
1980年代後半、小堀住研(株)に入社した時、同社には「銀行出身の役員」が矢鱈多かった。有価証券報告書や商業登記簿に掲載されている取締役の半分・監査役の半分が銀行出身で、入社式の後の立食パーティーで太陽神戸銀行からその年に来ていきなり常務取締役・西部営業本部長になった大野が「小堀住研は無借金経営です。借金があるから銀行から人が来ているのではないんです。人材が不足しているから銀行から人が来ているんです」と私に言ったのだが、「そうかあ?」という感じがした。入社してみると、たしかに「人材が不足してるなあ」とは思ったが、だからといって「銀行から来た人」がそんなに優秀とは思えなかったし、そもそも、銀行の仕事と戸建住宅建築業の仕事は仕事の内容が違うはずであり、たとえ銀行で「優秀な人材」だった人でも戸建住宅建築業の仕事についてわかっているわけでもなく、銀行で「優秀な人材」が戸建住宅建築業の会社でも「優秀な人材」かどうかは別の問題のはずだったし、なにより、銀行てそんなに「優秀な人材」が余ってるのか? そうではあるまい。もしも、銀行に「優秀な人材」がいたならば自分の所で使わないか? 又、もしも、銀行にそんなに「優秀な人材」が余っているのなら、なんで、つぶれる銀行がいっぱい出てくるんだあ? 言うことが矛盾しとるわな。 「無借金経営」といっても、会計上の処理の仕方で借金があまりないように見せるということもできるかもしれないし、銀行が「融資」ではなく「出資」したならば、株を銀行が買えば銀行からカネが入ったとしても株というのは他人資本ではなく自己資本であるから「無借金経営」ということになる。そして、『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)や『有価証券報告書』を見ると、その頃の小堀住研(株)の上位大株主というと、個人では二代目社長の中島昭午の名前があるほかは銀行の名前がいくつも並んでいた。銀行に株を持たれてしまった結果、「何にもわかってないやつ」に取締役を何人も送り込まれることになってしまっていたのだ。その取締役の一人が自分は実力があるから呼ばれたのではなく銀行が株を持ってるから取締役に来ているのだとうことを認めたくないから「小堀住研は無借金経営です。借金があるから銀行から人が来ているのではないんです。人材が不足しているから銀行から人が来ているんです」などと言ったということだろう。
1980年代末、小堀住研(株)では、「副社長派」と「社長派」があって、実際にはほとんどの従業員が「副社長派」だという話を聞いた。え? そうなの? なんで「初代社長の甥っ子」ということになっているが実際は「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかいう社長よりも初代社長の親戚でもない副社長の方にみんなついてるの? ・・と思ったら、そういう意味ではなく、「最初から小堀住研(株)に入社した従業員」の代表が副社長だったようで、「メカケの子」の社長と「株もってる銀行から来た人」が資本家のバカ息子みたいに取締役になってる人がいたので、「最初から小堀住研(株)に入社した人間」の代表者は副社長しかいないという状況だったみたいだ。考えてみると、大阪市で創業して本社も大阪市北区のJR「大阪」駅の目の前に持っていた会社なのに、副社長は大阪にいて社長は東京都府中市に住んでいて社長の中島昭午の普段の出勤先は大阪市の本社ではなく新宿のセンタービル内の東京支店の本社機能部署だった・・て、それからして変だった。「会社が割れる」状況になりそうな状態だったのではないか。副社長のKさんは「役職を尊重する人」と言われていたのだが、それは自分が社長にとってかわろうという気持なんてないという意志表示だったのではないか。しかし、「メカケの子」としては初代社長から副社長に任命されて創業の頃からいて従業員の支持は自分よりもある副社長というのが「けむたかった」のか、1990年に会社名から初代の苗字の「小堀」を取り除いた後、それほど経たないうちに副社長のKさんは追い出されたようで、「最初から小堀住研(株)に入社して苦労・努力した人間」の代表者がいなくなった後、「メカケの子」と「銀行から来た、株主のバカ息子みたいなの」とで会社を運営しようとして、そして、あっという間に倒産したようだ。「メカケの子」と「銀行から来た、株主のバカ息子」で会社を運営しようとしても無理だろう。
富士銀行で2年ほどどこかの支店の支店長をやっただけの増田和二という男が、1998年に小堀住研(株)に来たが、もちろん、小堀住研(株)においては「新入社員」であり「新人」だったが、増田和二が自分自身で求人募集に応募して入社したならば「中途入社新人」の扱いだが、「銀行のバカ息子」として出向してきたので最初から「常務取締役」で「東部営業本部長」だった。「ま~た、銀行から来た何もわからない人間が役員になるのか」と従業員の間で言われていたし、増田和二については「アタマ、ぼけてる」とも言われていたが、それでも、私は、小堀住研(株)は実際に「人材が不足」していたと思っていたし、特に「小堀住研は昔から大卒しか取らない会社です」と言いまくっていながら入社してみると高卒の人間がけっこういて、特に支店長とか部長とかに高卒の人間が多くて、あれ? これはいったい何だあ?・・と思ったものだった。「人間の値打ちは学歴で決まるのではない」と言いたがる人がけっこう多いが、しかし、小堀住研(株)の部長とか支店長とかにならせてもらっていた人を見ると、「やっぱり、高卒だけあって、あかんなあ」という人が多かった。増田和二はともかくも「東北大学法学部卒」で富士銀行という大きな会社に勤めてきた人だったから、だから、私は増田和二には旧帝大系国立大学の法学部卒の人の持つ能力と大規模な会社、「財閥系」「有名」「大企業」なら備わっているが小堀住研(株)のような会社には備わっていないものを経験してきた人としての能力を期待した・・・が完全に期待外れだった。 東北大学というのは旧帝大系国立大学ではあっても「東大・京大・阪大の仲間」ではなく「岩手大・山形大・福島大の仲間」みたいなところがある国立大学で、かつ、地方国立大学卒の人には「地方国立大学卒であっても旧帝大系国立大学卒の人に準ずるような能力」を期待できる人と、そうではなく「地方国立大学といえども国立大学のはずなのに、私立底辺大学卒の人と変わらんやんけ」という人とがおり、増田和二は「東大・京大・阪大の仲間」の方の東北大卒ではなく「岩手大・山形大・福島大の仲間」の方の東北大卒の人間で、かつ、「岩手大・山形大・福島大の仲間」でも「地方国立大学卒であっても旧帝大系国立大学卒の人に準ずるような能力を期待できる人」の方ではなく「地方国立大学といえども国立大学のはずなのに、私立底辺大学卒の人と変わらんやんけ」の方の「岩手大・山形大・福島大の仲間」の人間だった。「高卒のおっさん」と変わらん東北大法学部卒だった。又、法学者の末広厳太郎は『法学入門』(日本評論社)で、法学は「パンのための学問」と言われるが、大学の法学部で学んだものは裁判官・検察官・弁護士など「法律そのもの」を仕事とする職業ではない仕事、一般の会社に勤めたような場合に役に立つのかというと、「大学で学んだものなんて忘れてしまった頃になって役に立つ」と言われ、それはどういうことかというと、大学の法学部で学んでいるものは法令の解釈だが、法律はたびたび改正もされ、新しい法律もできれば判例もでるので大学で学んだものをそのまま覚えていても役に立たなくなる時があるが、それをかえって「大学で学んだものなんて忘れてしまったころになって役に立つ」というのは、会社という所において役立つのは法令や判例についての知識そのものではなく「法学的な考え方」であると述べていたのだが、・・・

(新装版)法学入門 - 末弘 厳太郎
・・それで、私は東北大法学部卒だという増田和二にはそれを期待した・・のだが完全に期待は裏切られた。アホそのものでしかなかった。又、まがりなりにも「旧帝大系国立大学+早慶」くらいの大学の出身者であれば、法学部卒でも経済学部・商学部で扱っているような内容についてもある程度は認識があっていいはず、経済学部・商学部卒でも法学部で扱っているような内容についてある程度は認識があっていいはず・・と私は思っていたし、そうでないといけないと心がけていたのだが、ところがどっこい、東北大法学部卒だという増田和二にはそういうものはまったくなかった。「高卒のおっさん」とちっとも変わらんかった。慶應大学商学部の「商業学総論」という科目で教授が講義の中で言われたのだが、東北大卒で国家公務員をやっている人から「慶應大学の出身の人は公務員よりも民間企業に勤める人が多いけれども、もっと慶應大学卒の人に国家公務員になってもらいたい」と言われたそうで、その東北大卒で国家公務員になっていた人は「東大を中心とした国立大学卒の人間ばかりでやっていると、どうしても思考が画一化してしまう」と言い、「特に慶應大の人に来てもらいたい」と言われたというのだ。その人が「旧帝大系国立大学卒の人でも優秀な人はいるでしょう」と話したところ、「それが、旧帝大系国立大学卒の人には、中に『伸びきったパンツのゴムみたいな人』がいるんですよ。大学に合格した時点でもう伸びきった状態でそれ以上伸びないという人が。その点、慶應大卒の人は実によく伸びる」とそう言われたとその先生は話された。「慶應大学の私に話されたことだから、多少はお上手もあるかもしれないけれどもね」とその先生は言われたのだが、その話を聞いて私は「そうかなあ・・?」と慶應大のろくでもない学生を見ているから思ったし、「伸びきったパンツのゴムみたいな人」というと、たしかに北野高校の漢文の教諭だったF尾(男。1970年代後半当時、40代)は「自分は東大卒だというのを何かにかこつけて言いたい症候群」のビョーキがある男で、私が高校生だった時は気づかなかったが卒業して何十年か経って考えてみると、あの男、「初日に勝ったことで2日目から千秋楽までの14日間も勝ったみたいな気になった相撲取り」みたいな人間 てところがあったなあ・・と気づいた・・が、そういう人は東大卒で高校の先生とか「大学卒業までに学んできたものそのままが役立つ仕事」についた人にはいるようだが、しかし、慶應大の人間を見て、そういうことを慶應大の人間は「東大の人間は・・」と「東大の人間」に対する悪口として言うが「東大の人間」に対する悪口として慶應大の人間が言うことというのは、その多くが慶應大の人間の方により当てはまるものが多い、慶應の人間の方がそういう人間は多いという事実を見ていたので、そうかなあ? と思ったのだったが、増田和二を見て、その「東北大卒で国家公務員をやっている人」の言われたことがわかった。「この人、本当に国立大学卒なのお?」て感じがした。〔思ったのは私だけではなかったようで、「本部長(東部営業本部長)、アタマ、ぼけてる」と従業員の間で言われていた。〕だから、富士銀行(現 みずほ銀行)は自分の所では要らんと判断して小堀住研(株)に送りつけてきたということだろう。要するに、小堀住研(株)はいくつもの銀行からゴミ箱にされていたのだ。
そういう「銀行から来た人」というのは、「銀行では優秀だった人」でも「銀行では要らんわと思われた人」でも、どちらであっても、戸建住宅建築業の業界においては新人であるわけだし、まるまる新卒新人と同じという扱いにしなくてもいいけれども、その業界においては新人であるし、その会社においては新人なんだという意識もまた持つ必要があるのではないか・・と思うのだが、持てないようだった。そうではなく自分たちを「銀行から来た特権階級」と認識していたようだ。 そういう「銀行から来た特権階級」というのは取締役の半分・監査役の半分だけかと最初、思っていたら、そうではなく、小堀住研(株)にはその他にも「銀行から来た役立たず」がいっぱいいたのだ。しかも、それらの人たちというのは「その人が銀行から出向できたのではなく最初から小堀住研(株)に入社した場合についていたであろう役職」よりもずっと高い役職、「その人が小堀住研(株)に出向してくるのではなく、そのまま銀行に勤めていたならばついていたであろう役職」よりもずっと高い役職につけてもらっていたのだ。そういう連中が自分たちは銀行から来た「特権階級」だという意識を持っていた・・⇒ということは、そういう状態になった会社というのは、「おまえは、もう死んでいる」状態の会社だった・・と考えるべきか。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
「メカケ」は「奥さん」と違ってだんなと一緒に会社をよくしようというような意識はない。「メカケ」はだんなに取り入ることでその会社から甘い汁を吸うのがメカケ業というものだ。メカケはだんなに取り入るのが仕事であって、だんなに取り入ることで、メカケはだんなの会社と会社の従業員を支配する権利を得る・・とメカケは考えている。「メカケの子」というのもその類だ。小堀住研(株)の二代目社長の中島昭午もその意識でいたようだ。 「出資」した銀行から小堀住研(株)に出向して来た人間というのは「資本家のバカ息子」と一緒だ。 「メカケの子」と「資本家のバカ息子」が高い役職について、役職だけをふりかざして「最初から小堀住研(株)に入社して苦労して努力して働く者」を支配する会社というのは、「おまえは、もう、死んでいる」状態の会社だったということ・・かな。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
だいたい、東北大しか行けないようなやつなんて大学行くな!
私は大学4年の時、慶應大学の就職部に行って話を聞いた際に、「日立◇◇、東芝☆☆、NEC▽▽ といった名前の会社というのは、たとえ子亀でも、日立・東芝・NECだから悪くないかと思って勤めると、そこでせっかく一生懸命努力して、ある程度の役職についても、親亀の会社に就職した人間で自分よりも年下で自分より後から大学を卒業した人間がやってきて自分より上の役職についてしまう、ということがある」という話を聞いたのだが、その点、小堀住研(株)は「財閥系」ではないが自分の所が親亀の会社だからそういうことはないだろう・・と思ったのだったが、ところが、小堀住研(株)の場合は日立◇◇・東芝☆☆・NEC▽▽に親亀会社の日立製作所・東芝・NECから人がやってきて自分より上の役職についてしまうということはなくても、小堀住研(株)の場合は「銀行から来た人間」が小堀住研(株)では何の努力もせず何の貢献もせずどうしようもないアホのくせに上の役職についてしまう! ということになった( 一一)
そういう人たち、その会社において努力して成果を出したわけでもない者どもが「特権階級」になっている状態の会社というのは・・いくらかなりともそれに近い会社はあるのかもしれないが・・というより、しょーもない会社はいっぱいあるみたいだ。
※ 「銀行、銀行、ぎんこうの男~、パヤッパ♪」⇒《YouTube-シャインズ 「私の彼はサラリーマン」》https://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I
私は戸建住宅建築業の会社で苦労して努力して、誰にも負けないだけ働いて成果をだし、能力を身に着けた。 だから、↑ の「銀行の男」なんかとは全然違う。 しかし、それでも、別の会社に勤めた時には、自分よりもその業界においては下だろうと思われる人にでも、新たに勤めた会社においてはその人の方が前からいる場合にはそれは尊重した方がいいと認識して尊重してきた。
しかし、尊重しすぎたか・・と思われたケースがけっこうあった。それは今から考えてみると大量にあったのだが、すべてを述べるのは簡単ではないので、ここではいくつかの例のみを述べる。
【1】 東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ 〔本社:千葉県八千代市。 建築業もおこなっているが「売買の不動産業」が中心。千葉県・栃木県・福島県にて営業。「東海住宅」という会社名でも創業者の会長は山形県出身だそうで、東海地方出身ではなく、静岡県・愛知県では営業しておらず、茨城県の東海村でも営業していない。
ハウジングエージェンシーから出版されていた 三島俊介著『全国安心工務店一覧 首都圏版―地域に密着した住宅会社選び 』2001.8.1.に掲載されていたが(実際は広告料を払って掲載してもらっていたもよう)、「嘘ばかりというわけではないが、あまりにもヨイショが過ぎて本当とは言い難い」内容。同書は、せっかく価値がある本も出版しているハウジングエージェンシーの三島俊介会長の値打ちを下げるおそれがある本。「安心工務店」という本のタイトルは不適切と思われる。同書は、東海住宅(株)が実状と乖離してどれだけヨイショされているかを知るために見るならともかく、安心して頼める工務店を見つけるためということなら役に立たない。広告大全集であり、カネ出して買う値打ちがある本ではない・・と東海住宅(株)に置いてあったこの本を見て思った。
似た名前の会社があるが、チャッカマン作っている(株)東海https://www.vesta-tokai.co.jp/ とは別。 又、静岡市に本社があるLPガス屋の(株)TOKAI https://www.tokai.jp/ とも別。千葉県船橋市習志野台 に本社がある東海(株)https://www.k-tohkai.co.jp/ という不動産屋もあって紛らわしいがそれとも別。もちろん、JR東海https://jr-central.co.jp/ とも別で何の関係もない。静岡県・愛知県には店はなく、茨城県の東海村にも店はなく、創業者の会長は東海地方ではなく山形県の出身なのに「東海住宅(株)」とはこれいかに。もしかして、創業者の会長というのが東海大学卒だったのかあ?・・なんて思ったが、そうかどうかはわからん。 〕
東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川ショールームは千葉県八千代市と千葉市花見川区の境目付近の花見川区にあり、鉄道の最寄駅は八千代市にある形成本線「八千代台」駅で、「八千代台」駅から花見川ショールームまで来る途中に本社と本店(八千代台店)があり、その為、花見川ショールームに所属していた私が付近にポスティングをしても、私がポスティングをしたものを見て本店(八千代台店)に行く人もいたようで、割の合わない店だった。
東海住宅(株)は「建築業もやっている不動産業の会社」であったが、「不動産の方が主」で、不動産業でも「賃貸も扱わないことはないが売買の不動産業が中心」という会社で、建築業については「建売、もしくは建築条件付き土地を購入してもらった人に建てる、あるいは建築条件がない土地を仲介した時に建物も建ててもらう、土地付き建物を仲介した人が建て替える時に頼んでもらう、といった『土地がらみ』が中心」という会社だった。見ていると、同社の営業というのは「建物も扱っているとはいえ、不動産業の営業」だった。だから、戸建住宅建築業の会社で経験を積んできた私にとっては、戸建住宅の建築の部分に関しては私よりも下の人ばかりだったし、営業についてだけではなく、設計のおっさんもまた、「アホちゃうか」て感じやった。
そうだとしても、不動産業の部分に関しては私は宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格は持っていたとはいえ、かつ、東海住宅(株)程度の会社においては宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格を持って不動産業をやっている人と持たずに不動産業をやっている人とでは持たずに不動産業をやっている人の方がずっと多かったが、それでも私は不動産業については初心者であり、不動産業の部分については初心者だということとともに、それまで戸建住宅建築業の仕事に長く従事してきたとはいえ、その会社においては新人だということで、「建物の住宅、及び、不動産の住宅」の仕事としては私よりもずっと経験が浅い人に対しても下手に出てきた。
しかし、それは間違いだったのではないかと思う。
(1) まず、最初に入社した時に花見川店の店長だった大友優子(女。当時、50代なかば)は、土曜・日曜になると「女は土日祝日は遅刻してきていいと会長が認めている」と言って40分程度遅れてくる。 これは大変ずるいと思うのだ。土日祝日にオープンハウスを分譲地の建売住宅で開催すると、男性だからという理由で遅刻は認められていない私は始業時刻の午前10時00分より前、土日祝日については30分少々前くらいに出勤しています。大友優子は40分ほど始業時刻から遅れてきますが私は30分ほど始業時刻より前に出勤していますから大友優子は私が出勤した時刻から考えると40分ではなく1時間少々後に出勤したことになります。要するに男性従業員が掃除と準備をし終えた頃に出てくるということなのです。大友優子が減らすのは自分の接客時間ではなく掃除と準備の時間なのです。
オープンハウズ会場に行き、建物の換気をして掃除をして、前の道の掃除をして、万国旗を張り、玄関前に看板を出し、幟を立て、石油ストーブに灯油を入れて点火し、前の道に「オープンハウス」と書いたポスターをくくりつけたパイロンを置き、ダイニングキッチンのテーブル上にカタログやアンケート用紙を並べ、駐車場に使用している建物の前の分譲地に伸びてクルマを駐車するのに邪魔になるような雑草を抜き・・といったことを一通りして、さあ、この状態までやったら来客があっても対応できる・・という状態まで持っていった、ひとりでそれだけやらなきゃならないというのはけっこう大変だがやった・・・というところに「大友ゆうこりん」は当たり前みたいにやってくるわけです。そして、「あ、ここ、ほこり、残ってる」とか言って玄関の下駄箱の上をひとふき・・・して、そして言うのです。「私がここまでやった」と。
はあ~あ? あんたがやったのは、下駄箱の上をひと拭きしただけやろうが。 それ以外、やったのはみんな俺やろうが。何を馬鹿なこと言ってんだ・・・と思うのだが、「大友ゆうこりん」は、「そういうことをやったことが一度あった」というのではなく毎回それをやるのだ。冗談にしては面白くもない冗談だがいったい何のつもりだ。このスーパーオバタリアン2号、ええかげんにせえよ・・と思うのだが、「会長が認めている」と言うのだ。 そのころの東海住宅(株)では80代の会長(男性)が創業者でオーナーらしく、社長は雇われであって社長よりも会長が権限を持っていたようだが、80代の会長からすると50代の下品なおばさんたちというのが「女」に見えるらしく、おばさんたちを優遇してあげたい♪ て気持ちになるらしかった・・・が、それをやりたいのならば会長が負担をしてやればいいことだ。そのしわよせを男性社員がかぶるというのは理不尽だ。そうでしょ、違いますか? おばさんを優遇してあげたいのならば、そのしわよせは会長が被るべきであり、しわよせを毎度被らされてきた私が「女性は土日祝日は遅刻してきて、男性社員が準備したところにやってきて接客していい」と認めたわけではないのに自分では負担を被らない会長が認める権利はないはずだ。
(2) そして、「大友ゆうこりん」は店長だからといって自分はオープンハウスの準備や掃除はしないで、準備や掃除が終わったというところにやってきて、そして、自分は店長だからと1番目の来場客の接客を当たり前みたいな顔してやるのだ。・・おばさんだけあって、ええ根性してる。・・実際、世の中、何が強いといって「おばさん」ほど強いものはない。
「おばさん 通れば道理引っ込む」
「そこのけ、そこのけ、おばさん通る」
「泣く子もおばさんには勝てない」
ということわざがあるように、おばさんは最強だ。
かつて、中国の毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派はハリコの虎である。ヒトラーはハリコの虎ではなかったか。日本軍国主義はハリコの虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という怖ろしい武器を持っているがこれもまたハリコの虎であって、やがて打倒される」と語ったのだが、ところが、オバサン帝国主義 という帝国主義だけは、これだけはハリコの虎ではなく、牙をもった怖ろしい本物の虎であって、永遠に不滅である。原子爆弾も人民義勇軍もオバサンには歯が立たない。男なんて勝てるわけがない。
1番目の来場客を「準備と掃除をしない大友ゆうこりん」が接客している時、こちらは来場客の子供の相手をしたり何なりして協力するのだが、ところが「ゆうこりん」は自分が1件、接客すると、「それじゃ、私、出かけてくるからね」と言って出かける。建売住宅のオープンハウスなんて、そんなもの、1日に何軒も来場客があるわけないのだ。1件だけの日もあれば2件の日もあるというくらいのものだ。3件ある時なんてめったにないのだ。だから、「大友ゆうこりん」は自分が1件目を接客するとさっさと出かけるのだ。これは反則であろう。普通、オープンハウスといったものはみんなで運営するべきものであり、準備と掃除もみんなでやるもので、準備と掃除をやらない人間が一番に接客するというのはおかしいし、自分が接客している間には私に子供の相手とかしてもらっておきながら、1件目の来場客を接客したなら即座に出かけて行って、もしも2件目が来場した時には「ゆうこりん」は私の接客に協力しないという、そういう「やらずぶったくり」のやり口というのは、それは営業の世界では通じないことであろう。もしも、1回だけ、そういうことがあったというのならともかく、「ゆうこりん」は毎度毎度、それをやるのだ。
(3) そして、「大友ゆうこりん」は土日祝日に出勤時に遅刻してくるだけではない。帰りも早いのだ。夕方になったら私の携帯電話に電話してきて、「それじゃ、私は先に帰るから、後片付け、やっといてよお」とか言って帰ってしまうのだ。まだ、就業時間中やろうが・・と思うのだが、オバサンにとっては就業時間中でも自分には関係ないらしいのだ。 ええかげんにせえよ!
! てものだ。 佐倉市の東海住宅(株)の分譲地でオープンハウスをやった時などは、花見川ショールームから持参したものも多く、ひとりで片づけるのは大変な量であるとともに、ひとりで自分のクルマに積んで持ち帰れるような量ではなかった・・ということくらいは「ゆうこりん」もわかっていたはずだが、それを平気で先に帰ってしまうのだ。その頃の東海住宅(株)の会長というのは間違いなくアホだ! 50代なかばの下品なおばさんが「女」に見えるらしく、おばさんの機嫌を取る為に男性社員を犠牲にしたいらしかったが、それでは会長としての役割を果たしていることにならない。
「大友ゆうこりん」は、土日祝日は「女性は遅刻してきていいと会長が認めているから」と言ってふんぞりかえって遅刻してくるのだが、普通の会社においては、「ゆうこりん」のように掃除と準備はしないで人が掃除と準備をした所に後からやってきて接客だけして、夕方になるとまたもや、後片付けは人に押しつけて先に帰ってしまう・・というそういう女には接客する権利はない!・・と考えるべきであり、私の認識ではそれが戸建住宅建築業の業界においては常識だと思うのだ。これは「建築の住宅」の営業の世界においてだけでなく、「不動産の住宅」の営業においてもそうではないのだろうか。「大友ゆうこりん」のやっていることは、それは「建築の住宅」であれ「不動産の住宅」であれ、住宅の営業に許されることではないと思うのだ。
そして、80代の会長は、なにゆえ、50代なかばの下品なおばさんに「女性は土日祝日は遅刻してきて早退していい」と認めていたのかというと、どうも理由がよくわからない。「大友ゆうこりん」は「女が働くのは大変なんだからねえ」と言うのだが、そんなに「大変」なら、別に無理に働いてもらわんでもええんやけどなあ・・・。 そう思いませんか?
もしも、「ゆうこりん」が働いて、その給料で私が食べさせてもらっていたというのならば、「女が働くのは大変なんだからねえ」と言ってもいいだろうし、「えらいすんまへんなあ」くらい、こちらは言うべきだっただろう。しかし、何も私は「ゆうこりん」に食べさせてもらっていたのではないのだ。むしろ、私が準備と掃除した所に「ゆうこりん」がやってきて接客して、そして片付けせずに「ゆうこりん」は帰宅して、その後、大変な思いをして、難儀して片づけて帰ったのだが、普通、店長というのは「ゆうこりん」みたいなことをする女もしくは男がいたならば、「そういうことは困ります」と言うべきであるし、言えないといけない。
会長が「女性は土日祝日は遅刻してきていい」と言ったというのは、推測すると、オット・子供持ちの女性の場合でオットが同様の仕事をしていて土日祝日出勤で水曜休みとかではなく、平日出勤で土日祝日は休みという仕事の場合、土日祝日の朝は他の家族、オットと子供との時間を取りたい、もしくはオットと子供の起床時刻が平日よりも遅いことからそれに合わせていい・・ということにしたのではないかと思う。しかし、「ゆうこりん」の場合、「子供がある」と言っても、その「子供」というのは育てるのに手がかかる子供ではなく「すでに結婚してすでに子供がある子供」であり子供と言っても「いい大人」なのである。そういう「子供」があるからというのを大義名分にして土日祝日のオープンハウスの準備と掃除はすべて私にさせて、それが終わったころにやってくる。片付けもすべて私にさせて、自分は片付けには手をふれずにさっさと帰ってしまう。それを「会長が認めてるから」と言うのだったが、会長にそういうものを「認める」権利はないはずなのだ。
ふざけんな!!!
結婚してそれほど経たない女性で子供があるという人が働きたいと言って働いている場合に、土日祝日の朝は少しくらい遅刻してもいいと認めるというのはわからないこともないが、それならば、そういう女性ばかり集めた店にするべきで、男性にそれを認めないのでは公平性に欠けることになる。男性に同じ条件を認めないのであれば、その条件を認められる女性を集めた支店・営業所とその条件を認められない男性を集めた支店・営業所に分けるべきだ。 男性社員に自分の身勝手のしわよせをしていいと決めつけるというのは、それはおかしい。又、会長が「女性は土日祝日は遅刻してきていいと認めている」というのは変な話で、「大友ゆうこりん」の場合、手がかかる子供があるわけでもなく、手がかかる子供を持っている女性で平日は保育園か託児所かに子供を預けているが土日祝日はダンナが見ることになっているからというような人の事情に配慮してのことならば、「ゆうこりん」はその対象にはあたらない。「手がかかる子供」なんてどこにもいないのだ。「手がかかる子供」なんてどこにもいないのに、それなのに「女性は土日祝日は遅刻してきていいことになっている」と主張して、男性社員が掃除と準備を終えた頃に登場するのだ。東海住宅(株)の会長、アタマ、おかしいのじゃないのか?!?
私は東海住宅(株)では新人なのだからと思って我慢もしてきたけれども、「建築の住宅の営業」の経験の部分については私の方が「ゆうこりん」よりも上であり、こちらが下手に出ておれば「会長が言ってる」というのを「錦の御旗」にしてやりたい放題やってくれるが、そういうのは「戸建住宅建築業の営業」の世界では認められないもの、認めてはならないものだと思うのだ。違うか?
この会社では私の方が後から入った人間なのだからと思って我慢もしてきたが、やっぱり、「ゆうこりん」がやっていたような横暴は営業の経験者として認めてはならないものだと思うし、又、会長はそんなものを認めてはならないはずなのだ。
今からでも「トラブルバスター」やったろか・・ほんま!
※ 「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
(4) 2008年の1~3月の間にも千葉県でもけっこう雪が降って積もったことが複数回あったのですが、そうすると、大友優子は毎度、私に「雪かきしてちょうだい。雪かきは男のやる仕事でしょ」と言うのです。私は腰痛があって整形外科の医師から腰に負担がかかるようなことはできるだけやらないようにと言われていたのですが、職場において、そうもいかないのでやってきましたが、しかし、東海住宅(株)では女性といえども男性と比べて給料が安いわけではないのです。男性より安い給料で働いているなら大変な仕事は男性にやってもらってということもあるかもしれませんが、女性でも男性と同等もしくはそれ以上の給料をもらっているからには女性でもそれなりに働くべきではありませんか? 「雪かきは男の仕事でしょ。当たり前でしょお」と大友は言うのでしたが、そうですか? 「当たり前」ですか?
東海住宅(株)に勤めて、「この会社はやっぱり不動産屋だなあ」と思ったことがあります。そのひとつが、女性は建築現場で働かないという点です。建築屋の場合は、基本的な物の考え方として、お客さんではなく従業員ならば、女性であれ何であれそこにいるなら何なりと働け!・・てことですよ。ところが、「不動産屋の東海住宅(株)」ではそうではない。しかし、それでいいのか?
力がいる仕事の場合は、女性は男性と同等にまではできないとしても、それはしかたがない。それはしかたがないとしても、男性が雪かきをせっせとやったら女性も何かやったらどうなんだ? 違いますか? 大友優子は私が雪かきすると自分は何するかというと、自分は部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲むのです。毎度。よくやるよなあ~あ・・・( 一一)
そして、大友優子は言うのです。「オットが小堀住研で設計課長やってましたから」と。小堀住研(株)の設計課長てのは、人が雪かきやると、おのれは部屋中に入って座ってコーヒー入れて飲むのかあ? ・・・少なくとも、私が知っている小堀住研(株)の設計課長はそうではなかったな。そのオットは嫁に、男性に雪かきさせて、おのれは部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲めと教えたのですか? もしも、そうならば、ろくなオットじゃねえな。ろくな設計課長じゃねえな。法隆寺宮大工棟梁の西岡常一さんの本に載っていたものに、宮大工の教えとして、自分自身が手を動かして働かない者は建築について語ってはならない、というものがあったと思います。その元設計課長、建築の仕事につくのはやめた方がいいのじゃないか・・・といっても、2008年の時点では「ゆうこりん」のオットはすでに仕事を引退していたらしいのだが、建築の仕事につくべきではなかった人ではないか。
””「男性に雪かきさせて、おのれは部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲む女」症候群”” の話を、アーキマインド(株)の社長のSさんに話したことがあったのですが、私の話を聞いて「いる、いる~う。そんな女、いる~う」とSさんは言うのでした。いるんですよ、最近、女性で「建築の仕事をしたい」と言って設計とか営業とかの仕事につく女性で、そういうことをする人が。(そして、そういうのを「女性の社会進出」とか言うのですが、「女性の社会進出」ではなく「オバハンの職場侵略」と言うべきではないか。「進出」ではなく「侵略」と表記するべきではないのか? )〔 設計の場合は男でも「設計は建築現場に行って他の従業員がひいひい言って重い物を運んでいても設計はシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはならない」という戒律もってる男がけっこういますけれどもね。「バカでも入れる私大の建築学科」とか「試験なんて最初からない建築専門学校」卒とかいうのにそういう人間が多い。建築専門学校というのは意図的にそういう人間を育成しているのかもしれません。私は日本の「建築専門学校」というのは全部ぶっつぶした方が世の為だと思っています。〕そういう””「男性に雪かきさせて、おのれは部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲む女」症候群””の「患者」には ””「精神安定剤」の大量投与によってメロメロにする療法”” とか、電気ショック療法 とか、なんかそういうものでもやれば「治る」というのなら、「治療」受けてもらいたい気がします。

スタンガン
( ↑ 電気ショック療法。 )
(5) 八千代市大和田新田 の今はハードオフ 八千代店 https://www.hardoff.co.jp/shop/detail/?p=101086 になっている所の東側の4区画の分譲地の1つに建売住宅を建てた所で、オープンハウスを実施するとして新聞折込に入れたものの、当日、ものすごい積雪で、私なども花見川ショールームまで自宅からクルマで行くだけで大変だったという日がありました。大友優子は「こんな雪なら、大和田新田の建売になんて誰も来るわけないわねえ」と言って行こうとしないのです。
たしかに、ものすごい積雪でしたので、そんな日に来場する人はない可能性が大きいでしょう。しかし、もしも、あったらどうでしょう。営業会社においては、客商売においては、お客さんが、見込客が折込チラシでオープンハウスをやってるというから行ってみようと思って行ったらやってなかった、「〇日の▽時から・・をやります」と言うから行ったのにやってなかった、というのは、それはマイナスの印象になるのです。わざわざ、相当の積雪の日に来てくれた人というのは「変な人」なのか《「雨ニモ負ケス、雪ニモ負ケス」来る熱心な人》なのか、そのどちらであっても、客商売の会社は「〇日の▽時から・・をやります」と言ったら基本的には万難を排してやらなきゃならんのではないか。そういう認識が「大友ゆうこりん」には欠落していた。
私はそう思ったが、「大友ゆうこりん」は積雪の日に寒い中、行くのは大変だし、行っても、どうせ来場客はないだろうから無駄足になるだろうから行っても仕方がないと決めて、当たり前みたいに行きません。それで、この人に言ってもしかたがない、この人はそういう人なんだ、積雪の中で来てくれる人はない可能性が大きいけれども、もしもあった場合のことを考えて従業員はそこに行っておくべきだという認識を教えてあげようと思っても無理な人なんだと思って、それで「私、大和田新田の所に行って、いるようにしますわ」と言って出かけようとしたのです。ともかく、そこに東海住宅(株)の従業員がおれば、もしも、雪の中、やってくる人があった場合でも、「こんな雪の中、来ていただいてどうもすいません」「いえ、こんな雪の中なら来てもだめかと思ったのですが、いてもらって助かりました」ということになるだろうと思って、来場した人が契約になるかならないかにかかわらず、ともかくも、新聞折込でオープンハウスをこの日にやりますと言ったからには、その日その時間にその場所に従業員がいないといけないと思ったが、「ゆうこりん」が雪の中、行くわけないので私が行くと言ったのです。
ところが。 よく言うなあ・・とあきれた。大友優子は私が負担をかぶって積雪の中、オープンハウスの店番やりに行くと言ったら、こう言ったのです。「あんた、オープンハウスに行くのなら、前の土地と道の雪かきやってちょうだいよ。いいわねえ」と。ええかげんにせえよ、このオバタリアン。 おのれは行かないのでしょ。大雪の中、寒い中、ともかくも行って店番やるのは私なのです。花見川ショールームの暖房の入った屋内にいてコーヒー飲んでるオバハンが言うことではないだろうが! ええかげんにせえよ。 「小堀住研で設計課長やってました」というオットもそういうことをやってたのかあ? もしも、小堀住研(株)の設計課で設計課長だけがそういうことをやっていたならば、まわりの従業員はいいように思わないでしょうし、それは通じないと思うのです。こういうオバタリアンというのは、一回、雪中に埋めてやった方が本人のためではないか。一度、「厳寒のシベリア送り」にでもしてやると、ちょっとは真人間になるかもしれん。

シベリアの歴史 新装版 - 加藤 九祚
「自分はやらない大友優子」にオープンハウスの前の雪かきしろと言われても、だから、やらなきゃならない筋合いはないのですが、それでも、現地に行って番をしていても、誰も着ませんが、そこにいるのだからと雪かきやりましたよ。大友優子の態度を考えるとやらない方が良かったかもしれませんが。
そして、寒い中、石油ストーブひとつしかない建物の中とか、その前とかでふるえながらオープンハウスの番をして花見川ショールームに帰ると、「一日部屋中にいた大友優子」がこう言ったのです。「ここの駐車場(大友優子が大友のクルマを駐車させてる駐車場)にも雪、積もってるから、大急ぎで雪かきしてちょうだい。男がやるのが当たり前でしょ」と。普通、そういうこと言うかあ~あ。 大友も同じ店の営業なんですよ。それを私が一人で「厳寒の大和田新田」で一日ふるえながら番してきたのです。そこの雪かきも相当大変な思いをしてやってきたのです。大友は一日暖房のきいた部屋中にいたのです。普通、そういうこと言うかあ( 一一)
「男がやるのが当たり前でしょ」と大友優子は言うのですが、当たり前かあ? 私は椎間板ヘルニアの持病があって整形外科の医者から腰に負担がかかるようなことはできるだけやらないようにと言われている者なのです。そういう者がやるのが「当たり前」なのか? 大友優子はひとに雪かきさせて、その間、おのれは部屋中で座ってコーヒー飲むのが「当たり前」なのか?
・・こういう女って、一回、八甲田山にでも埋めてやった方が世の為・人の為、何より本人の為ではないか
( 一一)
※ 《 八甲田山 [1977] Soundtrack》https://www.youtube.com/watch?v=B4HQH0Cx9mQ

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫) - 次郎, 新田
私はその時点で戸建住宅建築業の会社で10年超え勤めてきた経験者であり、「請負の戸建住宅の建築」の部分については大友よりもずっと経験も実績も実力もある者でした。〔 大友優子は「オットが小堀住研で設計課長やってましたから」と言うのですが、それは「オットが」であって大友優子がではありません。大友優子自身は小堀住研(株)には設計課でも営業課でも勤務経験はなく、小堀住研(株)のいいところで身に着けたものはまったくありません。その「オットが・・」というのを聞くと「オットがヤクルトスワローズの監督やってました」とか「オットがインドネシアの大統領やってました」とか言ってテレビに出ていたおばさんを思い浮かべます。その二人と似ているような感じもします。〕しかし、東海住宅(株)という会社では私の方が後から入った人間であり、大友優子が店長でしたから、この人が店長なのだからと思って尊重してきました。しかし、「人が雪かきやったらおのれは部屋中に入って座ってコーヒー飲む女」というのは、これは認めるべきなのか? まず第一に、「その会社においては新しく入った人間」に言わせるのではなくて、前からその会社にいる人間が大友に「あなた、その態度はないでしょう」と注意しなきゃならないのではないか。 建設部担当の取締役の大澤はそのくらいのことも言えないのか? 大澤は「ぼくは力あるから」などと言っていたが、その「力ある人間」というのは、そのくらいのことすらも言えない男なのか? ・・というと、「ヤクザ顔の大澤」は言えない男だったようです。
何より、「会長が認めている」らしいのですが、東海住宅(株)の80代の会長にとっては「50代の下品なおばはん」というのが「女」に見えるらしくて、その「女」の機嫌をとりたいらしく、その為に男性従業員を犠牲にするのが東海住宅(株)の会長の方針だったらしいのですが、そういうことをやっているとどうなるか? ・・⇒どうなると思いますか?
東海住宅(株)は「男性従業員が次から次へと辞めていく会社」でした。そりぁそうなるでしょう。あほくさいですからね。80代の会長が「不動産業には女性がいい♪」と言って「50代なかばの下品なおばはん」を優遇するから、そうなると、何も男性従業員はそんなあほくさい所にいなくても、どこか他に勤め先があったら他に行った方がいいでしょう。””オバタリアン帝国主義”” と闘って労力を費やすよりも別の所で頑張った方がいいと思います。
だから、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ は女性社員の割合が大きくなり、「レディース営業の店」なんてのも出現しました。店の外装からしてピンクで「レディース営業の店」と大きく書いてあるんです。そういうのを見ると、来場客には素敵なおねえさまが何かピンクサービスとかあるのかな・・とか、今、契約したら、あんなこととかこんなこととか素敵なおねえさまがサービスしてくれるのやないかしらん♪・・なんて思いませんか? ・・違いますからね(笑)。店員全員がおばさんだてことですからね。ピンクサービスなんて絶対ないから誤解してはいけませんよ。やったげると言われても「要らんわい!」と思うかもしれんけど( 一一)
「レディース営業の店」はまだいいと思うのです。似た条件の人がそこに集まるのですから「お互いさま」でしょう。しかし、男性従業員と「レディース営業」が混ざった店になると、男性従業員は「女性は土日祝日は遅刻してきていいと会長が認めている」と言って、毎度毎度、土日祝日になると男性従業員が掃除して準備して用意した所に出勤してきて、掃除・準備作業をまったくやらない女が下駄箱の上をひとふきしただけで「私がここまでやった」と宣言して、そりぁいったい何の冗談や? はあ~あ? と思っていると、自分が店長だからと先に接客して、接客中は私に客の子供の相手してもらったり、補助的な作業をしてもらい、自分の接客がすんだら、次は他の営業の補助役をやるのが営業というものだろうと思うのだがそうではなく、自分の接客がすんだら「そしたら私は出かけてくるからね」と出かけるのですが、そういう態度・そういう勤務状態を「会長が認めている」そうなのですが、その会長、一回、ロボトミーでもやって「治療」してやった方がいいのではないか。ちょっとはマシになるかもしれん。
・・「レディース営業の店」ならば同じような条件の人間が集まるわけですから「お互いさま」になるでしょうけれども、男性従業員はオバサンが来る前に掃除と準備とさせられて自分が掃除と準備をしたところにオバサンがやってきて先に接客して、オバサンの接客を補助するとオバサンはでかけていって、夕方になると「後、片付けといてよお」と言ってオバサンはまだ就業時間中なのに帰ってしまい、オバサンが接客した会場の後かたづけをさせられるというのでは、男性従業員はウルトラあほくさいということになり、結果として女性ばっかり残る・・ということになったのでしょう。そういう「男なら殴られるぞ」ということを女はやっても殴られない「女性の権利」があるとオバサンは信じているのです・・がそんな「女性の権利」なんてないと思いますよ。
ふざけんなよ、東海住宅(株)のくそ会長! じいさん、一回、パイルドライバーでもお見舞いしたろか。ちょっとはマシになるかもしれん。
※《YouTube-パイルドライバー集.1》https://www.youtube.com/watch?v=YGfyukFFeQY
(6) 東海住宅(株)の花見川店には、井上という女性の事務職員(女。当時、40代)がいたのだが、この女は変わった女で、オット持ちの女のくせに、佐倉市の自宅の近所に住んでいた福田というリフォームの係の50代の男と毎日、一緒に帰っていたのだ。
たまたま、同じ時間帯に同じ方向に帰ることになったという時に一緒に帰ったというのなら別に悪くもないが、毎日、毎日、井上は自分の仕事が終わっても、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」とか気色悪いこと言って福田を待っているのだ。 福田という男も、ちょっとどうかしているのではないか・・・と普通は思うと思うのだ。
私が福田の立場ならば、時として、帰る時間帯が一緒になって方向も同じなら一緒に帰ることもあっていいと思うが、しかし、毎日毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」などと言われて、妻持ちのええおっさんとオット持ちのええおばはんが一緒に帰っている・・というのは、なんとも奇妙な光景だった。
・・それだけなら、「変な男と変な女やなあ」ですんだかもしれないが、それだけではないのだ。↑ に述べた、佐倉市志津 の 京成本線「志津」駅の南の方の分譲地でオープンハウスをおこなった際、「大友ゆうこりん」は自分が最初の来場客を接客し終わったら「私、出かけてくるからね」と言って離れてしまい、そして、夕方に私の携帯電話にかけてきて「私は先に帰るから、後、片付けといてよお」などと言い、「相当の量があって一人でどうこうできるものではないのですけれども、どうしたらいいのですか」と言うと、「そう。それじゃあ、なんとかしといてねえ。私は先に帰るから」と、まだ就業時間中であるにもかかわらず、片付けをせずに先に帰ってしまったのだ。
「会長が認めている」と「ゆうこりん」は言うのだったが、会長はそういうものを認めてはいけないはずだ。むしろ、会長もしくは、建築部担当の取締役だった「人相と眼つきの悪い大澤」は「ゆうこりん」のようなことをする人に「そういうことは困ります」と注意しないといけないはずであり、注意できないのならば会長や取締役としての役割を果たせていない、職務怠慢ということになります。
一人でどうこうできるような状態ではなく、佐倉の営業所から来ていた某さんも、「大丈夫ですかあ?」と気の毒がって、佐倉の営業所が用意したものではなく花見川店が用意したものについても少しだけ片付けを手伝ってくれたりもしたのですが、某さんが帰った後、これ、いったい、どうしたらいいの? ・・と途方にくれていたところ、そこにバンのクルマがやってきた。運転しているのは花見川店に勤務しているリフォーム部の福田だったので、さすがに見かねて手伝いにきたのかと思ったらそうではなかった。あきれた。福田は見物にきたのだ。それも、隣の助手席に女を乗せて、一人でどうもならないようなものを押しつけられて途方に暮れている同僚を見物に来たのだ。隣の助手席に乗っていた女は、毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って待ってるにょお♪」と気色悪い声だして福田を待ってる事務員の井上だった。
福田と井上のこの異常行動はもはや精神病理学上の問題だ。

( ↑ 東海住宅(株) の花見川店にいた福田がクルマの助手席に女を乗せて見物に来た 佐倉市上志津 の分譲地 だったところ。)
建設部担当の取締役(で後に社長になった)大澤は建設部担当の取締役ならば、福田がこういった異常な行動をおこなっていることに対して注意しないといけないのではないか。それが「建設部担当の取締役」の仕事ではないのか。ところが「ぼくは力あるから」とか言っていた大澤は「福田は仕事ができる男なんだから」などと、「バカ言ってんじゃないわ♪」( ⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g )てことを言っていた( 一一) 「バカ言ってんじゃないよ!」
アタマ、おかしいのじゃないのか、「この二人+取締役の大澤」は
私はリフォーム部の所属でなくても、福田が担当の仕事でも同じ場所に勤務する者として手伝ったりもしている。それに対して、福田もまた、「相互主義の原則」として私が困っている時にはいくらかなりとも協力していいはずであるし、井上もまた花見川店の事務員であり、事務員とはいえ、パートタイマーではなく「正社員」としての処遇で採用されていた女だったのだから、同僚が困っているのであれば少しくらい協力しても、バチ当たらんであろうはずだ。
ところが、もはや、この二人は「精神病理学上の問題」であろう。福田が運転するクルマの助手席に井上は乗って、二人で途方に暮れている同僚をわざわざ見物に来て、そして、見物しただけで帰っていったのだ。
私は長く、「話は穏やかに」するべきものであり、又、あくまでも話してわかってもらうようにするべきもので決して手を上げるようなことはするべきではないと考えてきたのだが、しかし、現実に会社という所に勤めると「口で話してもわからない人間」というものが現実に存在する。福田と井上もそれだ。そうなると、女を殴るわけにはいかないから、女の分も含めて2人分、福田に「ハンマーパンチの嵐」でもお見舞いするべきだった・・ということになるだろうか。「また、つまらぬ者を殴ってしまった」〔⇒《YouTubeーまたつまらぬものを》 https://www.youtube.com/watch?v=auWUCyFnU88 〕などとなってもあほくさいので、又、こういった者には会社として注意するのが筋であるはずであるから、会社としてこの連中に注意するのを待ったが、建設部担当の取締役の「人相の悪い大澤」にしてもアホグループの構成員だったようだ。
東海住宅(株)の「アホの会長」は、いくらアホでも、この福田と井上の2人、注意しなきゃいかんだろう。 注意できないのならば会長と言う値打ちはないであろう。また、「建築部担当の取締役」という「人相と眼つきが悪い大澤」は、人相が悪いのはそう簡単に治らないとしても、福田と井上の2人に注意するくらいはできないと、それくらいできないようなら取締役の値打ちがない、取締役と言うに値しないことになる・・・のだが、大澤はそうではなく「福田は仕事ができるんだから」と実際には仕事できていない福田を持ち上げていた。超ド級のアホだな、この男は・・と思った。どうしようもないな、「人相の悪い大澤」は。アホだから人相も悪くなるのかな・・・( 一一)
大澤という男は、まったくどうしようもない
《「ウルトラの母」ならぬ「ウルトラのバカ」》、
もしくは
《「スーパーマン」ならぬ「スーパー パーマン」》だな。
(7) それだけではないのだ。
2008年、千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市。〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川ショールームにいた時のことだ。
会社のゴミは市がやっている一般市民のゴミ回収に出すことはできない。実際にはこそっと出していた会社というのが私が勤めてきた会社においても複数あったのだが、本来はだめです。事業用のゴミというのは、市役所がおこなっている一般家庭のゴミの収集に出してはいけません。私が勤めてきた会社では、それをこそっと出していた会社もありました。2010年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも2013年11月に正式に倒産)では、市役所の人間が「ゴミはどのようにされていますか」と問い合わせに来た時、社長の長谷川は「茨城県の土浦の方にうちの工場があって、そこでゴミの回収業者に来てもらってるのに一緒に出してます」と言っていましたが実際には千葉市中央区鵜の森町 の「本社」で出たごみは市役所の一般家庭のゴミ回収に出していました。2006年、千葉県などでのリフォームの建築業 (株)ウッディホーム でも千葉市稲毛区の本社には回収業者が来ていましたが船橋店のゴミは市役所の一般家庭のゴミ回収に出していた。「中小企業の経営者」というのは詐欺師とあんまり変わらん・・というのか、結論として「詐欺師と一緒」ではないでしょうか。
東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ は京成本線「八千代台」駅から東にまっすぐ歩いた北側に本社ビルがあり、その1階に「本店」(八千代台店)があったのですが、本店(八千代台店)には回収業者が来ていたのですが、花見川店には来てもらうように手配していなかったのです。なんで?

( 2008年前後頃、東海住宅(株) 本店(八千代台店)があった場所。 今は、八千代台店は道路をはさんだ向かいの場所に移ったようです。)

( 2008年前後頃、東海住宅(株) 花見川ショールーム があった場所。 今は道路を隔てた向かい、かつては、たしか、ラーメン屋と不二家があった場所に「東海住宅アルパプラザ」と称して移ったようです。 )
それで、花見川ショールーム・花見川店で出たゴミ、業務において出たゴミ、および、昼食に買ってきたお弁当を食べた弁当ガラなどを「燃えるゴミ」として袋に入れて、それを毎回、私が本店(花見川店)のゴミ置き場に運んでいたのです。 他の会社で経験があっても東海住宅(株)では「新人」ですから私がやってもいいと思いました・・が、毎回、一人の人間にさせるのではなく、従業員が何人かいたら交替でやるべきものではありませんか。
又、花見川店の人間だけがそういう作業をさせられるというのは、それは不公平というものではありませんか。 本店(八千代台店)で出たゴミと花見川ショールームで出たゴミとを本店(八千代台店)のゴミ置き場に持って行ってそれをゴミ回収業者に持って行ってもらうということならば、花見川店に勤務していた従業員だけが運ぶ労力と運ぶのに要する自家用車の提供をするというのは公平ではありませんね。 本社・本店の従業員も公平に負担すべきではありませんか。
こう言うと、大友優子は「本店のゴミ置き場に捨てさせてもらってるんだから、こっちが持っていかなきゃいけないでしょ」と言うのです。それならば、
〈1〉それなら私に運ばせないで、あんたが運んだらどうなの?
その文句はあんたが運ばないで私が運んでいるから言うことでしょ。
〈2〉「本店のゴミ置き場に捨てさせてもらってるんだから」と言っても、本店の従業員がゴミ回収業者にカネ払っているわけではなく会社が払っているわけだから、もしも「本店のゴミ置き場に捨てさせてもらってるんだから」と言うのならば、本店のゴミ置き場に回収に来てもらうのではなく花見川ショールームに回収に来てもらうようにして、本店の従業員に花見川ショールームまで運んでもらうようにすればいいでしょう。
私は戸建住宅建築業の会社においては実績を残してきた経験者でしたし、「請負の住宅の建築」においては店長の大友なんかよりもずっと経験と実力がある者でしたが東海住宅(株)という会社では「新人」でしたから、もしも、ゴミを運ぶ必要があるならば、「新人」がそうでない人よりも多めの回数運んでもいいとは思っていたのです・・が、毎回毎回、私に運ばせるというのは、それは筋が通らないのではないか。リフォーム部の福田(男。当時、50代)は私が入社する前に運んでいたようでしたが、福田はかつて(株)一条工務店にいたことがあるらしかったが、(株)一条工務店では私の方が上だったが東海住宅(株)では福田の方が先に入社していたというのはわかった。北尾みたいに、プロレスに転向してから、元幕下力士のジョン=テンタがプロレスにおいては自分よりも「先輩」だとしても、俺は横綱だといつまでもそういう意識を持っているというのはいいとは思いませんよ。しかし、上とか下とかいうことよりも、そこに勤務して仕事している従業員同士ならば、毎回、おのれの弁当ガラも含めて「燃えるゴミ」を人に運ばせるというのはいかがなものか・・と思いませんか? 「今回は俺が運ぶわ」とか時には言ってもいいと思いませんか?
事務員の井上(女。当時、40代)は、毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」と言って、オット持ちの40女が嫁持ちの50男の福田を待って二人で一緒に帰っていたのだが、「建築営業」の私と大友とリフォーム部の福田は自家用車持込で仕事をしていたのに対して井上は京成本線「八千代台」駅から歩いて来ていたので、ゴミを運ぶのは自家用車で来ている者が運んでもいいとは思いましたよ。しかし、それならそれで、おのれの弁当ガラも運んでもらってる女は「すいません」「いつも、申し訳ありません」という一言くらい言ってもいいと思いませんか? 井上は、なんか、おのれの弁当ガラをゴミ置き場まで捨てに運んでもらって当たり前みたいな顔していましたが、この女、どういう親の教育うけてきたのかな( 一一) この女の親というのは、どういう顔してるのかな・・なんて言っても実物を見せられてもしかたがないのだけれども、しかし、「親の顔が見たい」と思いました。
「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がありますが、実物見せられてもしかたありませんからね。どうせ似たような顔してるのでしょう。どうせ似たような性格しているのでしょうが、この女の親というのは娘にどういう教育してきたのでしょうかね( 一一)
時々、さっさと子供作った人間には「少子高齢化対策に貢献してるんだ」とか言う人がいますが、そういう人を見ると「あんたのクローンみたいな人間を拡大再生産されても迷惑なだけ!」という人が多いように思います。こういうバカ女症候群を拡大再生産されても迷惑です。


( ↑ 「コミック乱ツインズ」2022.3月号 2.14.発売 リイド社 所収
山口 正人『小平田の刃(やいば)』「人生、意気に感ず」の巻 )
大学生だった時、1980年代、箱根の保養所で泊りがけの「雑務」のアルバイトをやったことがあるのですが、その際、誰がどういう分担をするかという話をした時、パートタイマーで来ていたおばさんが「男の子にトイレの掃除させるのなんて嫌だよ」と言うので、それまで、そういうことをあまり真剣に考えていなかったのですが、男性が使用するトイレを女性が掃除してもいいけれども、女性が使用するトイレを男性に掃除されるのは嫌だとおばさんが言うのを聞いて、なるほど・・と思ったのです。たしかに、男性が男性用トイレの掃除をしてもいいし、女性が女性用トイレの掃除をしてもいいし、女性が男性用トイレの掃除をしてもいいけれども、男性が女性用トイレの掃除をするというのは良くないのではないか。 女性は女性用トイレの生理用品用ゴミ箱を男性にかたずけさせたいか? 但し、その後、女性の口から「平等に男にもトイレの掃除をしてもらわないと」と言う言葉をきくことがあり、男性に自分が使用するトイレの掃除をさせたがるこの女って女なのかな・・と思ったことがありました。
同様に、おのれが食べた弁当ガラを男にかたづけさせようとする事務員の女って、女なのかな?・・と思ったりもしたのです。「燃えるゴミ」の袋までは自分で入れてるのですよ。しかし、それにしても、おのれが食った弁当の弁当ガラを入れたゴミの袋を毎回、男性社員に運ばせて、「すいません」の一言も言わない、言えない女というのは、その女というのは女なのかな? ・・そう思いませんか?
最初、井上は電車で京成「八千代台」駅まで来て八千代台駅から歩いて来ていたのですが、そのうち、井上は自家用車で通勤してくるようになったのです。私や大友や福田は自家用車を仕事で使うからということで「自動車持込」で勤めていたのですが、井上は事務員だから仕事で自家用車を使うことはなく、あくまでも通勤用に自家用車に乗ってきたのですが、「地方」ならマイカー通勤を認めて駐車場を用意している会社はありますが、東京圏では駐車場の用意が大変なので仕事で自家用車を使用する場合はマイカー通勤は当然として、仕事で自家用車を使わない従業員はマイカー通勤は不可能な場所とかでない限り認められない場合が多いのですが、井上は自家用車で通勤して花見川ショールームの来客用駐車場にとめるようになりました・・が、自家用車で通勤するようになっても、それでも相変わらず、毎度、おのれが食った弁当ガラも入っているゴミ袋を私に運ばせていました。そして、相変わらず「どうも、すいません」「申し訳ありません」という一言を口にしませんでした。(素朴な疑問として、こういう「事務員」て、要らない・・てことないか?) この女の頭の中はいったいどうなっているのか。CTスキャンやって検査してやった方が本人の為かもしれません。
私は戸建住宅建築業の会社では経験者であり、店長の大友みたいなもんよりもよっぽど経験と実力がありました。しかし、不動産業の部分については宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格は持っていたけれども、「賃貸の不動産」は(株)エイブルに少しだけいましたが「売買の不動産」は建築業の会社の側から不動産屋と接することはあっても自分がその仕事についたのは東海住宅(株)が初めてでしたし、東海住宅(株)という会社においては「新人」でしたよ。だから、その会社においては「新人」がそれ以外の従業員よりも、ゴミを運んだりするのは多めでもかまわないとは思っていましたよ。しかし、毎回毎回、私だけが運んでいて、それに対して「すいません」「申し訳ありません」の一言も言わない、言えない人間というのは、それはおかしくないか?
そして、「女性用トイレの掃除を男性にさせたがる女」というのは女なのか? ・・というのと似ていることですが、毎度毎度、おのれの弁当ガラの入ったゴミ袋を男性社員に運ばせて平気な女というのは、その女は女なのか?
私は東海住宅(株)では「新人」だと思ったから、自分より前からいる従業員よりもゴミを運んだりするのがいくらか多めでもかまわないとは思いましたよ。 慶應大学の「社会保障論」「労働問題」という講義の時だったと思うのですが、教授が「日本の会社では転職すると、前の会社の役職の8割くらいしか認めてもらえないことが多い」と話されたことがあるのですが、又、最初に正社員型で勤めたコンピュータ関連のT社の人事総務部に中途入社してきた30代の男性は最初から課長でしたし、小堀住研(株)では役職はヒラで入っても職能級位で配慮していたようですが、請負の戸建住宅建築業の営業や不動産の営業の場合は、8割ではなくて誰もがゼロからという会社がけっこう多いようで東海住宅(株)でもそうだったのですが、そのかわり、「建築の住宅の営業」でも「不動産の住宅の営業」でも、入社時は「ゼロから」でも、そのかわり、入社後に成果を出せば比較的簡単に上がるというようにしている所が多いのではないでしょうか。 私は東海住宅(株)では「ゼロから」入ったけれども、それまでの実績がなかった人間ではないのです。 それまでの実績としては東海住宅(株)の最低でも過半数の者よりも上なんです。でも、この会社においてでは私は「新人」なのだからと思って、それで「新人」としてゴミを運ぶとかいった作業は他の従業員よりも多めでもいいかとは思ったのです。しかし、毎度毎度やってもらうばかりのオバサンというのは、そういうのはいかがなものでしょうか。
まず第一に、毎度毎度、おのれの弁当ガラを男性に運んでもらって平気でいる女というのは、その女は女ではないのではないのか?
それから、花見川ショールーム で 他店舗勤務の営業が建築のプラン打合せをおこなっていたのだが、そうやって花見川店を利用していたからには、打ち合わせをする日は早めに来て花見川店の掃除を一緒にやるとか、あるいは担当客が帰った後、花見川ショールームの周囲の清掃をするとか雑草を抜くとか、帰りに花見川店のゴミ袋を本社のゴミ置き場に運ぶなり自店に持ち帰って自店で業者に出すとか、何らかのことをやっても良さそうなものだったが、花見川店で打ち合わせをおこなった者でそういったことをやる人間というのは一人もなかった。 ハウスメーカーで自分が追客中のお客様が他展示場を見に行ったとか、契約客が他展示場を見に行ったとかいうのは基本的には「お互い様」だが、花見川店を利用して打ち合わせをおこなっていた他店の従業員というのは、これは花見川店はショールームであって花見川店を訪ねて新規の来場客はないという場所であり、花見川店は利用されるだけであって他店はショールームでもモデルハウスでもなく「普通の不動産屋の店」であり「お互い様」ではないのだから、時には早めに来て花見川店の掃除をやるとか、担当客が帰った後に花見川店のゴミ袋を運ぶとか何なりやってもバチ当たらんだろう・・と思ったが誰ひとりとしてやる人間はなかった。そのあたりに気づく、そのあたりについて気を配るのが営業というものではないのか・・と私なら考えるのだが、その基準から考えると東海住宅(株)の営業というのは営業ではないということになる。 不動産屋てそんなものなのか? それならば、花見川店勤務の従業員だった私も「相互主義の原則」をとっても良かったということになるが。
さらには、普段は本社にいる「設計」担当者が花見川ショールームで打ち合わせをおこなっている最中に電話してきて、「今、打ち合わせ中です」と言っても、「急ぎですからかわってください」と要求する者がおり、それならと打合せ中の設計担当者にそのように言うと、設計担当者は「今、打ち合わせ中だから電話に出れないから」と言い、これもそのように伝えると「今すぐ、話したいから打ち合わせ中でも電話に出てもらってください」と言うということが何度もあった。 電話を取り次ぐのは取り次いでいいが、花見川店の従業員というのは電話番ではないのに自分の仕事が他にあるのに取り次いであげているのであり、「設計担当が他の客と打合せ中でも電話に出て対応する」のでも「打合せ中は電話に出れないから打ち合わせが終わってからにしてくれ」でもどっちでもいいから、両方で取り次ぎ役をやっているだけの人間に両立しないことを要求するのはやめてもらいたいものだった・・・が、東海住宅(株)の他店の営業とへぼ設計担当者は話し合ってどっちか決めてもらいたいものだったが話し合わず、両方が譲らず花見川店の従業員を困らせるのだった。もしも、へぼ設計担当者と他店営業とで話し合ってどちらか決めるという作業をしないならば、花見川店としては他店の従業員からの電話の取り次ぎは一切おこなわないということにするしかないのではないかと思ったのだが、大友優子(女。当時、50代なかば)にしても、その後、店長になった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)にしても、設計担当と他店 店長とにそれを通告するのが花見川店店長の仕事のはずだが、花見川店店長としてやるべきことをやらなかった。 大友も田中も一応店長とはいえ、「その程度の店長」「一般的な管理者としての能力がない店長」だったのだ。
(8) 2008年、東海住宅(株)の花見川ショールームにて、事務員の井上(女。当時、40代)が周囲の掃除をしていたところ、道に面した縁側(濡れ縁)の下に猫の遺体が見つかった。それで、私と福田とで東海住宅(株)の駐車場〔所有していたのか借りていたのかはわからない〕の隅に穴を掘ってその猫の遺体を埋めたのだ。私が6割・福田が4割くらいの労力での作業をした。
ところが、《 毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」などと気色悪い文句を言って福田と一緒に福田のクルマで帰宅する井上》 は、それ以来、花見川店に来る人間に片っ端から「そこの縁側の下に猫が死んでたんですよお。それを福田しゃんが埋めてくれたんですう」と言いまくるのだ。何、それ? 福田も労力を提供したけれども、6割は私がやったんだよ。それを「福田しゃんが埋めてくれたにょお♪」て、この女、一度、強制収容所にでも入れて強制労働につかせて真人間になるように教育してやった方がいいてことないか? この女、一度、強制収容所に入れて「作業療法」させて「治療」した方がいいてことないか?
又、福田という男は(株)一条工務店にいた時は営業やっていたと言うのだが、まがりなりにも営業の仕事の経験者だと言うのならば・・というよりもそうでなくても、「俺ひとりで埋めたんじゃないよ。〇〇さんと二人でやったんだよ」と言うものだろうが! それを井上に「福田しゃんが埋めてくれたにょお♪」などと言ってもらってそんな顔をしている。こんな営業があるかあ? ・・だから、(株)一条工務店では売れなかったからやめたのかもしれないが、「俺ひとりで埋めたんじゃないよ。〇〇さんと二人でやったんだよ」とそのくらいのことは言えるのが営業というものではないのか? その程度のことも言えないような男を「営業やってた」と言うのか? その程度のことも言えないような男を「営業の経験がある」なんて言うのかあ?
そんなのを「営業の経験がある」とは普通は言わんのじゃないかあ?
その場所が東海住宅(株)の所有地だったのか借りていたのかわからないが、私は心をこめてその猫を埋葬した。私が在籍していた間はどこに埋めたか記憶していたが、今、東海住宅の花見川店にいる人間はそんなこと知らないだろう。だから、知らずに土を掘り起こして動物の骨がでてきたとかいったことがあったらびっくりするだろう。・・びっくりするだろうけれども、私が心をこめて埋葬した猫は祟ったりはしない・・けれども、心をこめて埋葬したから祟ったりはしないが、粗末にするようなやつがいた時にはどうかは知らない。
井上が「福田しゃんが埋めてくれたにょお♪」などと井上がアホなことを言いまくっているのを、その時点の店長だった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)は聞いていたのだが、店長ならば、普通なら「井上さん、そんな言い方はないだろう。〇〇さんと福田さんと二人で埋葬したのに『福田しゃんが埋めてくれたにょお』とは、そんな言い方ないだろう」と注意するものだと思ったのだが、田中は何も言わなかったが、そういう時にきっちりと言える人間と言えない人間とで店長としての値打ちが変るが、田中の態度を見る限り田中は値打ちがない方の店長だったということになる。
(9) 「女の機嫌をとりたがる男」というのは世の中にけっこういる。 「相手が女である場合には相手が男である場合よりもいくらか優しくなる男」「相手が女である場合に、相手が男である場合に比べていくらか防禦が緩くなってしまう男」というのなら、それは人間というのは男性というのはそういうものだから、かまわないと思うし私だったそんなところはある。むしろ、 「相手が女である場合には相手が男である場合よりもいくらか優しくなる」という男性なら不思議はないところにつけこむ女がいたなら、そういうものにつけこむ者の方がけしからん・・と思う。
しかし、「こいつ、アホちゃうか」て男というのがいるのだ。例はいくらでもあるが、たとえば、1970年代初め、私が小学校6年だった時、大阪府M市の市立N小学校の教諭の「はな〇さ」て男(当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)だが、教育実習に大阪教育大4年在学中の女性が来た時のことだ。当時、私が行っていた小学校の6年生は4クラスあって40代の「はな〇さ」が学年主任で、他の3人はそれより若くて、3人のうち1人が女性で他の2人は男性だったが、その男性の1人、「今井のしんちゃん」という男と、その教育実習にきた女性とが一緒にどこかに行きよったらしいのだ。「つきあう」というところまでいったのかどうかまでは知らん。「今井のしんちゃん」なんて、あんまりええことないと思うがなあ・・と私は思った。「今井のしんちゃん」とその教育実習にきた女性ならその女性の方がずっといいと思ったのだが、ともかく、一緒にどこかに行きよったらしいのだ。
ところが、その女性が教育実習のクラスとしてきていた我がクラスの担任だった学年主任の「はな〇さ」が「しんちゃんには若い女の子をあんまり遅い時間までひっぱりまわしたらいかんと言ってやってるんだけどな」などとその女性に言うのだ。はあ?
はあ? なんで、あんたがそんなこと言うのお? はあ?
父親ならわかる。兄とか叔父とかでも言って悪いてことはないだろう。〔 そういえば、何年か前、うちの姪が娘の運動会を見にいかないかと言うので「そんなもん、父親でもないのに女子校の運動会なんて見に行ったら変態やがな」と言ってお断わりしたが、うちの父親なら、あのおっさんやったら行くかもしれん。〕 父親とかが心配して言うのならわかる。しかし、「はな〇さ」は単に教育実習にその女性が行った先のクラスの担任であってそれ以外の何でもなく、それ以上の何でもないではないか。ハタチを過ぎた男とハタチを過ぎた女が一緒にどこにどういう時間に行こうが当人の勝手だろうが。余計なこと、余計な口出しというものだろう。まあ、俺やったら、もしも何か言うなら、そういうことを言うのではなく、「今井のしんちゃんなんてええことないと思うでえ~え。なんで、あんなん、ええと思うんやあ。やめといたらどうやあ。あんなん、くさいでえ~え♪」と言ってやりたい・・気もしないことないが〔 「はな〇さ」が授業している時、その教育実習生のおねえさんは私の左あたりに座っていたのだが、今から考えると「『今井のしんちゃん』なんてええことないと思うでえ~え。あんな~ん。やめた方がええと思うでえ~え、あんな~ん」と言うたったらよかったかな(^^)/ と思わんこともない(^^♪ 〕、どっちにしても、その女性からすれば「大きなお世話」てものだろう・・・が、そういうことを口出して、それで「ええ役やった」つもりのおっさんてのがいるのだ。 「バッカじゃなかろかルンバ♪」て行動をとるおっさんが。
「はな〇さ」については同様の言動が他にもあった。
そういえば、うちの父親もそんなところがあった。うちの父親の勤め先は化粧品会社で、化粧品会社というのは美容部員さんの若い女性がいるわけだが、その一人が男性とつきあっているというのを聞いて「それは、遊ばれてるのと違うかあ」とか言って心配してやっていたのだが、あんたが心配することと違うんやないのかあ・・・と思ったのだ。だいたいやなあ、男と女の関係というのは「あんなん、やめといた方がええのとちゃうかあ~あ」とはたから見ていて思っても、その男にとってはその女がいいのかもしれないし、その女にとってはその男がいいのかもしれない。だから、特にはっきりとどう思うか意見をきかれたのならば「私は・・と思う」と自分が思ったことを言っても悪いということはないかもしれないが、きかれもしないのになんだかんだ口出す必要も理由もないと思うのだ。ところが、「おっさん」てのは「若い女性」に親切のつもりで、あるいは「ええかっこしい」やってるつもりで口出したがる男というのがいるのだ。バッカじゃなかろかルンバ♪・・と私は思うがな。 ・・特に、うちの父親のように ””自分の娘の為にならまったく世話しようとしない、まったくめんどうみようとしない男が、よその娘のためになら「ええかっこしい」やりたがる人間シンドローム"" というのを見ると、バッカじゃなかろかルンバ♪ と思い、””ほとんどビョーキ! ”” て感じがしてしまう。「精神安定剤の大量投与によるメロメロ療法」でもやれば治るか? いや、そんなことでは治らんやろ。「このビョーキは一生治らない」と考えた方がいいのではないか。
「自分の娘のめんどうは見ないくせに、よその娘のめんどうみたがるおっさん」てのはけっこういるようだが、なんで、そんなことするのかと思うのだが、「自分の娘のめんどうみる」というのは責任もでてくるし、めんどうみようと思ってもできる場合とできない場合がある。それに対して「よその娘のめんどうみる」というのは「ええかっこしい」やりたいだけであり、どうも、「よその娘のめんどうみる」というのは、そういう「しょーもないおっさん」にとっては楽しいみたいだ( 一一) ちっぽけな野郎だなあ( 一一)・・・と思う。
そういう「自分の娘のめんどうは見ないでよその娘のめんどうみたがるおっさんシンドローム」の「患者」はけっこう多い。 男性がそうならない為にはどうすればいいか、文学・哲学・宗教学の古典と言われるような書物を読んで自らを省みるというのは、いくらかなりとも役に立つかもしれん・・が、それより何よりも、「自分自身が痛い目にあってみる」というのが一番役に立つのではないかと思う。 私は23歳の時に普通自動車運転免許を取得したが、その後、原付はけっこう運転したが普通自動車の運転は免許を取得してからけっこう経ってから、30歳になってからだった。運転免許を取得して7年目に運転しようとして「ペーパードライバーの講習」に松戸東自動車学校に何回か行ったのだが、その際、隣に乗ってくれた指導員の人が「教習所のクルマなんて何回乗っても運転はうまくならないですよ。自分で路上を運転して、ひやっとする経験を積まないと運転はうまくならないですよ」と言ってくれたのだが、しかし、「ひやっとする経験」ならいいが、人を死なせてしまうか自分が死んでしまうことになっては困るから、だから「教習所のクルマ」に乗せてもらっていたのだった・・が、しかし、その人の言うことは間違いということではない。実際に自分で自分のクルマを公道で運転して「ひやっとする経験」をすると、その次から同じような状況になった時に、これはいかんと思うようになるし、さらには(人を死なすか自分が死ぬかというほどではない)物損事故をやると、同じような状況になると無意識のうちに自然と減速していたりする。だから、その教習所の指導員の人の言ったことは間違いということはないと思う。 それと似たところがあると思うのだ。男性にとって、女性に関してアホなことしないようになるためには、「実際に痛い目に合って見ること」というのが、これが一番身につくのではないか・・・という気がする・・のだけれども、世の中にはそれなりに人生を生きていているのではないかという年齢になっても「ちっとも学習しない人」「ちょっとは学習しろよな」て男というのもいるのだ。『ルパン三世』は毎度毎度、峰不二子に痛い目に合わされて、五右衛門と次元から「ちょっとは学習しろよな」と言われまくるのだが、しかし、ルパン三世の場合は毎度毎度、峰不二子に痛い目に合わされながらも、最後の最後は切り抜けるので、ルパン三世はアホのように見せて実はそんなにアホでもないのかもしれない(^○^) それに対して、本当に ””「ちょっとは学習しろよな」ておっさん症候群”” というのがけっこういるのだ。
何年か前に、「男を遊び相手とするのが大好きな女子」座談会 なんてのが何だったか週刊誌に載っていたのだが、そこでは、遊び相手にした男が本気になってうるさくなった時に便利なのが「総務の無能なおっさん」だという発言が出ていた。そういうおっさんに「かわいい女」として泣きつけば、うるさくなってきた男を追い払ってくれるから便利♪・・・だそうだ。 そのタイプの女にとって使いでがある「アホな総務のおっさん」てのは日本の会社にはけっこういる。うちの父親の勤め先の社長が「アホはアホなりに使えばいいやろ」と言ったという話をうちの父親から聞いたのだが、その手の「アホな総務のおっさん」はいても、その「アホな総務のおっさん」でも「アホはアホなりに使ってやる」能力がある上役というのがいない会社というのもけっこうある。
1989年、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)〕で、7月1日より千葉支店の支店長になるという辞令が出た渡邊士直は7月の終わりになってやっと千葉支店に来た。いくらなんでも遅いのではないかと思われたのだが、その渡邊が各展示場に「営業補助」として勤務していた女性社員に、それまで支払っていなかった時間外手当を出すようにした・・・が、「ああ、『底辺の高校卒の男』を支店長にならせるとこういうことをやるんだなあ」と思った。あ~あ・・( 一一)
展示場勤務の女性社員であれ誰であれ、勤務時間外に働かせたならば時間外手当は支払わないといけないのです。しかし、小堀住研(株)では営業職の男性社員にも時間外手当は支払っていなかったのです。払わなきゃいかんのですよ、労働基準法と小堀住研(株)の就業規則に従えば。ところが、営業職の男性社員には払わずに、展示場勤務の「営業補助」の女性社員にだけ、時間外手当を支払うことにしたのです、渡邊士直は。 どこがおかしいかというと、営業職の場合は「基本給+歩合給」という給与形態になっていて歩合給が支払われるから時間外手当は支払わなくていいと渡邊士直は思ったかもしれませんが、営業職なら時間外手当を支払わずに時間外労働をさせていいというものではないし、歩合給を払うならば時間外手当を払わなくていいというものではないのです。展示場勤務の「営業補助」の女性社員というのは男性の営業の補助をする役割でしたから自分自身で契約を取るということはしないので歩合給はつきません、あえて言えば自分が所属している展示場の営業成績が上がれば賞与は多めになるかもしれないというくらいでしょう。しかし、元々、展示場勤務の「営業補助」の女性社員というのは時間外労働はしないという前提での仕事だったのです。時間外労働はしないという前提での仕事の人が時間外労働をしていたということの方が問題があるのです。展示場勤務の「営業補助」の女性社員にだけ時間外手当を出して、男性の営業職の社員や設計課・工事課・工務課の男性社員には時間外労働をしても時間外手当を払わないというのは、そっちの方がおかしいでしょ。そうではなく、支店長ならばやるべきことは、とりあえず、本来、展示場に来場客があった時にお茶出しをしたり子供の相手をしたり電話番をしたり、男性の営業社員全員が出かけた時のお留守番をしたりという仕事であって時間外労働はないという人が、なぜ時間外労働をしていたのかということを調べて、そして各展示場の営業課長に「時間外労働はない」という前提の職種の人に時間外労働はさせないでくださいと言うべきだったはずなのです。
しかし、そういった管理の仕事というのは、それは本来は《「旧帝大系国立大学か早慶」あたりの大学の社会科学系学部卒の人間の仕事》であり、底辺の高校卒の渡邊士直さんがやる仕事ではないのです。本来、渡邊さんがやる仕事ではない支店長という役職に渡邊さんがついていたのが間違っているのです。そういう、本来、その役職につくべきではない人がその役職につくとどういうことをやると思いますか?
渡邊士直は、営業の就業時間は午前10時00分から午後6時00分だったにもかかわらず、毎週、木曜日に午前9時00分に千葉支店に来いと言い出したのですが、これは当然のことながら労働基準法違反であり、渡邊士直は「支店長の業務命令」と言いますが、それは渡邊士直の個人的な「命令」であって業務の都合による命令ではないし、業務命令であってもなくても1日8時間、1週あたりは40時間ではなく、その頃の規定は44時間くらいでしたか、ともかく、労働基準法上の労働時間制限を超えた早出残業の要求で違法であり、そのような「命令」は最初から無効です。なおかつ、たとえ歩合給を支払っていても、歩合給といういのは営業活動に対する報酬であり、渡邊士直の要求に従うための報酬ではありませんから、営業活動と関係のない早出残業の要求に対してはもちろんのこと時間外手当を支払わないといけないのですが、払わずに早出残業しろと要求してきたのです。労働基準法には罰則規定がありますが、刑法の場合は実体規定と罰則規定が同じ条文にありますが労働基準法では実体規定と罰則規定が別の条文に規定されており、これは実体規定については守らないといけないのは使用者と労働者・従業員の両方であり、労働基準法の罰則規定の対象になるのは使用者の側だけであって労働者・従業員は罰則規定は適用されませんが、労働者・従業員もまた実体規定に規定されているものは守らないといけないのです。従業員としては労働基準法違反の命令には従ってはならないのです。但し、実際には業務の都合上、労働基準法上の労働時間制限を超えての労働によってその会社の業務が成り立っていて、労基法上の時間外労働をするな・させるなと言われてもどうしようもないという場合はあるようです・・が、渡邊士直さんの個人的な都合での早出残業については当然のことながら従業員は従ってはなりません。営業職の従業員に歩合給を支払っているからといって時間外労働に対して時間外手当を支払わなくていいということにはなりませんが、現実に営業社員は歩合給を払われるのだからと思って我慢している場合があります・・が、渡邊士直さんの都合で午前9時に普段の勤務場所が松戸だったり柏だったり船橋・市川だったりする従業員に就業規則上の始業時刻よりも1時間早い時刻に千葉まで来いという要求に対しては、日本国民として従うべきではありません。労基法違反であっても、普段の始業時刻よりも1時間早い時刻に出勤させたならば、その分に対しての時間外手当を支払わないといけない。ところが小堀住研(株)は払わない。もし、私が支店長だったならば、そういう問題が発生しますから、不必要に就業規則上の始業時刻よりも1時間の早出残業で出勤してこいなどとは必要もないのに言いません・・・が、それを言うのが「底辺の高校卒の渡邊士直」だったのです。だから、やっぱり、渡邊士直のような「底辺の高校卒」の人に支店長は無理なのです。
そして、各展示場勤務の女性社員は始業時刻は午前9時からでしたが、松戸・柏・船橋・市川の展示場に勤務の人の場合、自宅から普段の勤務場所までの通勤時間が同程度の所に出勤する場合には普段と違う場所に来てくれと言うことはできるでしょうけれども、千葉駅前にあった千葉支店まで行くには普段の勤務場所に通勤するよりも長い通勤時間が必要になります。普段よりも遠い場所に出勤するという場合でも、普段の勤務場所の後ろにある建物とかで通勤時間が5分多くかかるという程度ならば特に問題はないとしても、千葉支店に行くには普段の勤務場所に通勤するよりも明らかに長時間必要になりますから、多くかかる部分について時間外手当の支払いが必要になります。・・ですから、もし、私が支店長ならば各展示場に勤務の「営業補助」の女性社員にまで毎週木曜日に午前9時に千葉支店に来いなどということは言いません。自分が労働者・従業員の側の立場の時と自分が使用者・会社の側の立場の時とでも違いはありますが、自分が支店長であれば、即ち会社の側であるならば、各展示場に勤務の女性社員に普段の勤務場所に通勤するよりも明らかに長時間の通勤時間を要する場所である千葉支店まで来いと言うと、余計にかかる通勤時間の分だけ時間外労働をさせたということになりますから、その分だけ時間外手当を支払わないといけないということになるのです。だから、もし、私が支店長ならば、そのあたりを考えて、展示場勤務の「営業補助」の女性社員に普段の勤務場所よりも通勤時間を長く要する場所である千葉支店に朝に来いとは言いません。展示場勤務の「営業補助」の女性社員というのは「お留守番」という役割もあったのですが、展示場勤務の「営業補助」の女性社員まで千葉支店に呼びつけたのでは「お留守番」の役をする人間がいなくなるということもあります。もしも、千葉支店と千葉支店に属する各展示場に勤務する従業員全員が集まる必要があるならば、たとえば、午後1時からその会合を開くとか、そういうことを考えます。そういったことを考えるのが支店長の仕事であり、それはやっぱり「旧帝大系国立大学か早慶」あたりの大学の社会科学系学部卒の人の仕事なのです。もしも、高卒でもそういった思考ができる人がいたならば支店長になって悪いということはありませんが、渡邊士直さんは「昔から一貫して大卒しか採らない会社」であるはずの小堀住研(株)のなぜかいる高卒の従業員の中でも、そういったことを理解できない方の人であり、「高卒だけれども管理者としての能力がある人」ではないというのは明らかでした。「『わたしはやります、絶対やります、私はやります、絶対やります♪』と、こうやって、ぶっわああ~あっとなってやるんじゃあ!」とか叫ぶくらいしか能がない渡邊さんを見ると、「ああ、やっぱり底辺の高校卒の人に支店長は無理だわなあ」と実感しました。実感させられました。だいたい、その「ぶっわあ~っ」て、それいったい何なんだよ、それいったい!
片方で、普段の勤務場所よりも通勤時間が明らかに多く要する場所に出勤しろと要求した場合には多く要する通勤時間の分だけ早出残業をさせたことになるので、その分の時間外手当を払わないといけないのに、それを払わずに、それまで展示場勤務の女性社員は千葉支店で「朝礼」をおこなう場合でも各展示場で「お留守番」をしてもらっていたものを渡邊の独断で千葉支店に早出残業の部分を無賃労働で来させるようにして、片方で、本来、時間外労働はしないという前提の「営業補助」の女性社員が終業時刻を過ぎても展示場にいて働いたというものに対して時間外手当を払うようにして「ええかっこしい」やったろと考えたというのは、そのあたりは「やっぱり、高卒のおっさんやなあ」という印象を受けます・・・が、単に、渡邊士直に労働法などについての認識が欠落しているからというだけではなく、渡邊士直が「女にええかっこしいしたがるおっさん症候群」だということもあります。アホだなあ・・・とあきれます。なおかつ「ええかっこしい」やるにしても「スマートでない」。その程度の人なのです。「その程度の人」を支店長にした小堀住研(株)が間違っているのです。
展示場勤務の「営業補助」の女性社員に時間外手当を支払うべきなのか。2つの時間外労働が問題となっています。
〈1〉 小堀住研(株)では支店・展示場にタイムカードがなく、これはダグラス=マグレガーの「Y理論に基づく経営」かと思ったらそうではなく労基法違反の労働時間オーバーを隠蔽する為、時間外労働の証拠を残さない為のものだったのですが、展示場勤務の「営業補助」の女性社員の労働時間については自己申告していたはずです。申告内容は特に事実に反するようなものが申告されていたわけではないでしょうけれども。
使用者は時間外手当を支払う必要があるのかどうか。
[ア]もしも、上役がはっきりと時間外労働をしてくれと発言してさせた場合には時間外手当は支払わないといけません。
[イ]上役がはっきりと時間外労働をしてくれと発言しなかった場合でも、その仕事の性質から考えて時間外労働をせざるをえない状況にあっておこなったという場合は支払うべきです。
[ウ]終業時刻を過ぎて、上役が「どうぞ、お帰りください」と言ったけれども、同僚がまだ仕事をしていて、同僚と一緒に帰りたいからとそこで待っていたというような場合は、単に「そこにいただけ」ですから、冬場、寒い屋外で待たせることもないでしょうし、夏場、暑い屋外で待たせることもないでしょうから、そこにいてもいいでしょうけれども、「いただけ」の人に時間外手当を払う必要はないでしょう。
[エ]問題となるのは、上役がはっきりと時間外労働をしてくれと発言はしておらず、又、必ずしも時間外労働をしてやる緊急性もない仕事を時間外におこなったという場合ですが、これは使用者が時間外労働をしてくれと求めたわけではないのにおこなったのですから時間外賃金は払う必要はないと考えるべきなのか。たとえ、その時に緊急性はなかったとしても現実にその仕事について貢献しているからには支払うべきなのか。緊急性があったかなかったかの判断というのも難しいでしょうし、[イ]と[ウ]の中間のようなケースというのがあるのです。この場合はケースバイケースで考える必要があるでしょう。
小堀住研(株)の住宅展示場に勤務の「営業補助」の女性社員が終業時刻を過ぎて働いたという場合ですが、会社としては基本的には展示場勤務の「営業補助」の女性社員には残業はしてもらわないという前提にしていたはずですから、支店長は終業時刻後に働いたというものについては、まず、各展示場の営業課長に対して、なぜ、終業時刻後に働いてもらうことはないという前提に会社がしている人が終業時刻後に働いたことになっているのかという点を確認するべきです。
[オ]小堀住研(株)の場合、「QCサークル」と称して時間外労働をさせていたのですが、「この時間外労働はQCサークルです」と一言言えば時間外手当を支払わなくていいというものではないはずなのです。又、この時、1989年の時点においては女性の深夜労働禁止という規定がありましたから、女性従業員には深夜労働はさせてはならないことになっていたはずで、柏営業所の犀川というおっさんが女性社員にもQCサークルの為に夜遅い時刻にまで残るように求めていましたが、あれは労基法違反の犯罪であったはずなのです。「この時間外労働はQCサークルです」と言っても、それでも時間外労働であるからには時間外手当は支払わないといけないはずです。
〈2〉 普段の勤務先よりも遠い場所に出勤してくれと言った場合、普段よりも長くかかる通勤時間について時間外手当を支払う必要があります。 但し、「普段の勤務先よりも遠い場所」というのはどのくらい遠い場所なのかという問題が出てきます。ある程度広い敷地の入口に近い建物に普段勤務している人が、奥の方の建物に出勤してくれという程度ならば、これは時間外手当の支払い対象ではないと考えるべきではないか。 しかし、明らかに普段の通勤時間よりも長くかかる場合、松戸展示場に勤務している人・柏展示場に勤務している人が千葉駅の前の千葉支店に来てくれという場合は、千葉県の場合、特に常磐線沿線と総武線沿線との間の行き来には相当の時間を要しますから、これは時間外手当を支払う必要がありますし、労働基準法上の労働時間制限の対象にもなると考えるべきです。
この〈1〉 〈2〉といったことを考えて支店長といった役職についた人は運営する必要があります。私が支店長ならば、この〈1〉 〈2〉 を考えてやります。まず、〈2〉を考えると、各展示場に勤務している「営業補助」の女性社員に千葉支店での朝礼に千葉支店の始業時刻に来いということは言いません。 渡邊士直がなぜそういった要求を従業員にしたかというと、こういった私が支店長なら当然考慮することを考える頭がないからです。
この場合、渡邊士直は〈2〉の方については時間外手当を支払わないと行けないのに支払わなかった。〈1〉については支払う必要があったものなのか支払わなくてもいいケースだったのか、それを調べもしないで支払ったのです。要するに、支店長としてやるべきではにことをやっており、支店長としてやる必要があることをやらなかったのです。実際のところ、渡邊士直さんには支店長は無理であり、もともと、営業課長の仕事をできるかできないかという程度の人ですし、もとより、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」という方針でやってきた会社であるのに、「進学校の高校を卒業して東大に行ったが中退した」とかいうようなそういう「大卒でない人」を採用したというのならともかく、底辺の高校卒の渡邊士直さんを採用しているというところがおかしいのであり、ましてや、その人が支店長になっているというのがおかしいのです。
各展示場勤務の「営業」の男性社員の場合は始業時刻が午前10時00分で、千葉支店勤務の工事課・工務課・設計課・アフターサービス課の従業員と支店長の始業時刻は午前9時00分だったので、もしも、千葉支店勤務の支店長の始業時刻に合わせて午前9時00分よりも前に千葉支店に来させようとすると、各展示場の「営業」の男性社員は自宅から普段の勤務場所に行くまでの所要時間よりも千葉支店に行くまでの所要時間が多くかかる分にプラスして1時間の早出残業を求められたことになる。私の場合であれば松戸展示場までの所要時間よりも千葉支店まで行く所要時間はたしか1時間半ほど多くかかったと記憶しているので、2時間半の早出残業を求められたということになるが、そのようなものを求められても、当時の小堀住研(株)の就業規則で定められた労働時間はその時点での労働基準法上の労働時間制限ぎりぎりの数字が規定されていたので、当然のことながら2時間半の早出残業というのは労基法違反であり、そのようなものを求めてもきく必要はないし、その前に、そのような早出残業を要求するのが渡邊士直は「業務命令じゃ」と言っていたが、それは業務上の必要からきたものではなく「底辺の高校卒の人」を支店長にならせた場合によくやることだが、底辺の高校卒の渡邊士直が、あえて従業員が働きにくいようにして嫌がらせをすることで「俺が支店長様なんじゃあ」というところを見せたいとうところからきたものであり業務命令ではなく、たとえ業務命令であっても労基法違反の業務命令というものは最初から無効であり、ないのと同じだった。無効であり「ないのと同じ」だが、それでも、させたからにはそれに対して時間外手当を支払わないといけないはずだったが支払われなかった。各展示場勤務の「営業補助」の女性社員がわずかな時間を終業時刻を過ぎても働きましたと自己申告したとして、はたしてそれが時間外手当を支払うべき内容なのかどうか、調べもしないでそれまで支払っていなかったものを払うようにして「女にええかっこしいやる」ということをやった、というあたりは渡邊さんらしいなあ・・と思ったが、もしも、時間外手当で支払うべきものなのに支払っていないものを支払うようにするというのであれば、「営業」の男性社員は時間外労働を相当やっていたにもかかわらず支払われていなかったのであり、それも終業時刻より後のものについては見込客・契約客が帰宅後の時間帯に訪問して商談をするというのは業務上の必要性があったもので、それに対して歩合給が支払われていたとしても「個人事業主」ではなく労働者・従業員である以上は時間外手当は支払わないといけないはずだが、それでも歩合給部分において報酬は支払われていたという面はあったとしても、渡邊さんの為に早出残業を2時間半やるというのは、これは業務上の必要性からくるものではないので、時間外手当は支払わないといけないものであった・・にもかかわらず支払われなかった。男性社員には支払わないといけない時間外手当を支払わずに片方で「女にええかっこしいやりたがるおっさん症候群」というのは底辺の高校卒のおっさんを支店長・営業所長といったものにならせてしまった場合によく起こる現象だ。「大卒しか採らない会社」でたしか「採用実績校:神戸大学:新潟大学:同志社大学:関西大学:甲南大学」だったかいうように会社案内にだったと思のだが記載されていた会社で、なぜ、そういう人が支店長になっているのか。それから、「人事権は会社にある」と言う使用者がいるのだが、しかし、その人がその役職につくことにより労働者・従業員の勤務環境に大きく影響を及ぼす場合には労働者・従業員の側は使用者に対してその人事について意見を言うことはできるはずであり、小堀住研(株)の二代目社長で「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午や銀行が出資したことから戸建住宅建築業についての能力があるわけでもないのに銀行からきて本来より高い役職につかせてもらっていた「銀行の男」というのは理解できていなかったようだった。「メカケの子」は「しょせん、そんなもの」なのか( 一一) 長浜北高校の応援部のホームページだかフェイスブックだかのコメント欄に「会社をつぶしたアホの二代目」の中島昭午のことを「錚々たるメンバー」などと書いていた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「錚々たるメンバー」とは笑止である。
慶應大学の先生で「東大・京大や慶応大・早稲田大あたりの大学の出身者ばっかりという会社に勤めてそういう人間同士で競争させられるよりも、慶應あたりの大学の卒業生をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあり活躍する場もあっていいという面がある」と言われた方があったのですが、しかし、もしも、「東大・京大や慶応大・早稲田大あたりの大学の出身者ばっかりという会社」に入社してそういう人間同士での競争に勝っても負けても、負けた場合でも自分が競争に負けたのだからしかたがないとして、「慶應あたりの大学の卒業生をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあり活躍する場もあっていい」なんて言われてそんな会社に勤めて「高卒のおっさん」に負けたらどうしてくれるんだよ・・と思ったのでしたが、それをうちの父親に話したところ、「そんなもの、絶対にありえない。天地がひっくり返っても、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者が高卒のおっさんとの競争に負けるなんてことはありえない」と言うのでしたが、ほんまかいやあ・・と思ったものでしたが、渡邊士直さんを見て、確かにそうだと思いました。こんな人との競争に負けるなんてことは天地がひっくり返っても絶対にありえないわなあ・・と思いました。一線の営業の仕事ならばわかりませんが、支店長といった職種の仕事ならば、私ならば、こういうことをすると労働基準法違反になるから避けようかとか考えてやるのに対して、「底辺の高校卒の渡邊士直さん」には最初からそういう発想が完全に欠落している。〔 YouTube を見ていたら、オウム真理教と幸福の科学とは似ているところがあるが、幸福の科学はオウム真理教のようにサリンを散布したりとか殺人事件をおこしたりといったことはおこなわず今も存在しているが、その違いは何か・・という点について、大川隆法の長男が「大川隆法はなんだかんだ言っても東大でてるので、『これ以上はやったらまずい』とか、そういう思考ができたのだと思う」と話していたが、それと似たものがあります。渡邊さんには支店長は無理です。 〕こういう人と勝負して負けるということは、うちの父親が言っていたように「絶対にありえない」とわかりました。しろうとが幕内力士と相撲とったとして、「わざと負けてあげる」というのでなければ幕内力士が負けるということはまずない・・というのと同じです。但し、オーナー経営者がそういう人が好きだというような場合だと別の問題も出てきます・・が、小堀住研(株)は「昔から大卒しか採らない会社」だったはずですし、「採用実績校」はというと「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか会社案内に書かれていたはずでしたので、そもそも「底辺の高校卒の渡邊士直さん」がそこにいるというのが間違っていたのです。
「大卒しか採らない会社」に「底辺の高校卒」の人を採用した場合、もうひとつの問題として「進学校の高校卒で大学には行かなかった」という高卒の人ならば、もしも「高卒と大卒を同じ扱いにする」ならば高卒5年目と大卒1年目を同じ扱いとするのが「高卒と大卒を同じ扱いにする」という意味だと考えるのですが、ところが「底辺の方の高校卒」の人は高卒1年目と大卒1年目を同じ扱いにするのが「高卒と大卒を同じ扱いにする」という意味だと主張するようなのです。そうなると「大卒しか採らない会社」と聞いて応募して入社した者としては、ふざけんな!
!・・ということになるのです。実際、小堀住研(株)に大学新卒で入社した者は怒っていたのです。
ともかく、渡邊さんの場合、《「旧帝大系国立大学か早慶」の社会科学系学部卒の人間》が支店長になっておれば、今現在の会社の状況はこうで労働基準法の規定はこうで、それを考えると、こういうことをするとまずいな、こういうことをすると話がややこしくなるな、こういうことは言ってはいかんな・・といったことを考えてやるところを、何にも考えてない。何にも考えずに・・ならまだましなのですが、この後、(株)一条工務店でも「高卒の営業所長」を見て感じたのですが、むしろ、「高卒の営業所長」というのは私ならば「いかにして働きやすい環境を整えるか」が支店長・営業所長の仕事と考えるところを、逆に「支店長の命令」「所長の命令」として従業員が働きにくいように嫌がらせをして、渡邊が口にしたように「俺は支店長様なんじゃあ」とか言いたがるのです。それが「底辺の高校卒」の人を支店長・営業所長にならせた場合に起こる特徴です。そういう人にわからせるには、労基法違反で取り締まって刑事罰を受けてもらうしかないのではないかと思うのですが、ところが、日本の労働基準監督署と労働基準監督官というのは、労基法違反を取り締まっているふりをしながら、実際は不良企業の不良経営者による労働基準法違反を守るのが仕事みたいに認識している連中なので、口頭で訴えても告訴状を作成して持参しても、なっかなか動かないのですよ。さらには「その分の手当てを欲しいのか、処罰してほしいのかどちらですか」とか労働基準監督官は言ったりしますが、泥棒に入られて財産を奪われた者に対して「泥棒から盗られた物を返してもらいたいのか、それとも泥棒を処罰してもらいたいのかどっちですか」なんて警察官が言いますか? ところが労働基準監督官は「手当を払ってもらいたいのか、取り締まって処罰してもらいたいのかどっちですか」などと奇妙なことを言うのです。
それで、小堀住研(株)は、わざわざ、そういう「底辺の高校卒の人」を支店長にならせて従業員を困らせた結果、どうなったかというと⇒つぶれたのですが、「秋の日はつるべ落とし」と言うように、一時はけっこう威勢が良かった小堀住研(株)もつぶれる時はあっという間でした。
東海住宅(株)の花見川店の店長に大友ゆうこりん に次いでなった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳。自称「佐倉高校卒。明治大学中退」だったが、私は「明治大学中退」なんて、そんなもの、詐称しても誰もそんなもの高く評価する人間なんてないと思っていたので、詐称してもしかたがない内容と思って、そんなものかと思っていたのだが、「ええ~え? あんなやつが、佐倉高校だの明治大学だのなんて行ってるわけないだろ~お」と言う人がいて、それを聞いて、そうかもしれんな・・・と思った。たぶん、違うでしょう。東大とか早稲田大・慶應大あたりを詐称すると「嘘でしょ」と思われるところを、明治大学あたりにしておけば信じてもらえる可能性があって、「卒業」と言うと卒業証明書を出してくれと言われたり、大卒なら受けることができる資格試験とか講習とかを受けてくれと言われて実際は行っていないから受けられないという事態になる可能性があるから、だから「中退」として・・て、そんな感じ・・かな・・? 世の中、けっこうそういう人はいるわ。私も中学生・高校生くらいの時には学歴を詐称する人というのはいてもちびっとだろうと思っていたが、会社という所に勤めてみて、そうではなく世の中には学歴詐称する人なんてゴマンといる・・ということを知った。)(「俺は宅建主任〔宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士〕は受けさえすれば通るんだけど、取っても仕方がないから取らないんだ」と称していたが、そういうこと言う人って、世の中、いっぱいいるのです。取りたくなければ無理に取らなくてもいいけれども、「受けさせすれば通る」のなら受けて合格して登録すればいいではありませんか。 ・・わし、受けて通らんといてなんて頼んだこといっぺんもないでえ。・・私が浪人中、同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に現役で通った比較的近所に住んでいたK村哲二という男(今は、神戸大学法科大学院大学の先生様におなりあそばしたようですが)のお母さんが「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」と近所中にラッパを吹き鳴らし太鼓を叩きながらふれまわり、最初は「お母さんというのは自分の息子のことをいいように言いたいんだなあ」と思っていたのですが、そのうち、「ええかげん、うるさいなあ。このおばはんは」と思うようになったのですが、「京大でも通りました」ということなら実際に京大を受けて行けばいいだろうが。京大を受けずに阪大を受けて行ったのは自分だろうが
誤解せんといてほしいねんけども、わし、K村に「お願いですから京大は受けんといてください」なんて一遍として頼んだことなんてないでえ。頼むから誤解せんといてやあ。京大でも通ったと言うのなら、実際に京大を受けて通って行けばいいだろうが。ギャースカぎゃーすかギャースカぎゃーすか、しょーもないこと叫びまくるんじゃねえ、クソババ! それと一緒で「俺は宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)は受けさえすれば間違いなく通るんだけど」と言うのなら実際に受けて通って登録すればいいだろうが。・・そして、私自身の大学受験の経験を踏まえて考えても、「受ければ通るだろう」なんて思っていても、実際に受けたら落ちたなんてことは「あること」ですし、「通ると思う」と「実際に受けて通った」とは雲泥の違いがあるのです。)が小堀住研(株)の千葉支店長の渡邊士直と似たことをやったのです( 一一)
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東海住宅(株)の花見川店の店長になった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)は、事務員の井上にだけ、終業時刻ちょうどに退社できるようにと、私とリフォーム部の福田とに終業時刻に花見川ショールームに戻ってくるようにと言ったのです。たしかに、時間外手当を支払わないからには時間外に働かせてはいけません。 しかし、井上は時間外手当を支払われずに時間外に働いていたということはたいしてないのです。時間外に少々、仕事をしていたとしても、「私、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って福田しゃんを待ってるにょお」などと言って福田を待っている時間に仕事していたというくらいだったのです。それを、定時に仕事を終えられるようにと私と福田に外で仕事をしていてもそれをやめて終業時刻に花見川ショールームに戻ってくるようにと言ったのです。結論として、””「女」に機嫌とりたいおっさんシンドローム”” ですね。
しかし、時間外に働いているにもかかわらず時間外手当を支払われていないのは井上はちびっとで、むしろ、私や福田も時間外にも働いていたにもかかわらず時間外手当を支払われていなかったのです。井上(女。当時、40代)はちびっとでも時間外手当なしで時間外に働かせてはいけないが私なら時間外手当なしで時間外に働かせてもいいというのはそれはおかしい・・が、おかしいのが「ヤクザ顔の田中」でしたし、””「女」の機嫌とりたいおっさんシンドローム”” の「患者」にとっては「女」の機嫌とるためには男に犠牲を払わせるというのは常套手段です。
それで、私は外で営業の仕事をしていて、もう少し、そこでやりたいことがあったけれども、井上に終業時刻ぴったりに帰らせてあげないといけないと田中が言うので、それで外でやっていた仕事を中途半端なところで中断して花見川ショールームに戻ったのです。
ところが、井上(女。40代。だんな・子供持ち)は私と福田が仕事を中断して花見川ショールームに戻ったにもかかわらず、帰らないのです。「私は福田しゃんと一緒に帰ろうと思ってるにょお」と言って。
それで、私は井上に言ったのですよ。「井上さん、帰らないのですか」と。私が外でやっていた仕事があるのに大急ぎで井上の為に戻って来たのじゃないですか。井上が定時に帰るためにと私に大急ぎで花見川ショールームに戻ってこさせておいて、それでいて、終業時刻を過ぎても「私、福田しゃんを待ってるにょお」などと言って帰らないというのは、それはいくらなんでも失礼でしょう。違いますか。
それで、福田にも言ったのです。「福田さん。井上さん、帰らないみたいですけれども、どうなってるんでしょうねえ」と。そう言われたら、さすがに「井上さん、私を待ってる必要ないですよ。どうぞ、帰ってください」と言うものではないかと思いませんか。ところが、福田(男。当時、50代)は自分を待ってる40女のひとの嫁はんと一緒に帰りたいのか、「おう」と言うだけでそれ以上、返事をしないのです。この男、社会人として・会社員としておかしいのではないか。
おまえら、ええかげんにせえよ、ほんま
。
それだけではないのです。その後、花見川ショールームに戻ってきた店長の田中に井上は「福田しゃんが終業時刻に戻ってきてくれたんです」などと言うのだが、終業時刻に戻ってきたのは福田だけではなく私も戻ってきたのです。その時、外でやっていた仕事があったにもかかわらず、それを中途半端なところで中断させて戻ってきたのです。この女の口のきき方というのはいったい何なんだ?
それで、店長の田中に言ったのです。(私に、井上さんを定時で帰らせてあげるために井上さんの終業時刻にショールームに戻ってこいと言うから私はやっていた仕事を途中で中断させてもどってきたのに)「井上さんはなぜ帰らないのでしょうか」と。 田中が「井上さんに終業時刻に帰らせてあげるために、おまえが終業時刻に戻ってこい」と私に言ったから私は終業時刻に大急ぎで戻ってきたのです。その時、外でやっていた仕事があったにもかかわらず、それを中途半端なところで中断させて。「私、井上さんが終業時刻に帰れるようにと言われて、それで大急ぎで戻ってきたんですよ」と田中に言ったのです。営業の職種の社員に井上の為に大急ぎで花見川ショールームに戻ってこさせておいて、それでいて「福田しゃんと一緒に帰ろうと思って待ってるにょお」て、それはいくらなんでも失礼でしょということを言ったのですが、ところが、田中は「それがどうした」と言うのです。「それがどうした」とは何だ、それは。喧嘩売ってるのかあ? ヤクザ顔をちらつかせたら人は言うこときくとでも思ってるのかあ?
それにしても、私が6割・福田が4割くらいの割で労力を払って猫の遺体を埋めたのに、「福田しゃんが埋めてくれたにょお」などと言い、福田と私が同じくらいの時刻に戻ってきたにもかかわらず、「福田しゃんが終業時刻に戻ってきてくれたにょお」などと言うというのは、この井上というおばさん、ちょっとその態度はいかがなものでしょうか。 そう思いませんか? このおばはん、ちょっと、どうかしているのではないか・・・というよりも、まず第一に、オット・子持ちの40代の女が「私、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って福田しゃんを待ってるにょお」などと気色の悪いこと言って毎日、嫁持ちの男と一緒にその男のクルマの助手席に乗って帰る女・・て、それ自体、気色悪いと思いませんか( 一一)
(株)一条工務店では構造現場見学に契約前に必ず、ダンナと嫁さんとの両方に見に行ってもらうようにと言っていたのです・・が、しかし、ダンナと嫁さんの両方が働いていて、しかも、休日が異なるという場合があるのです。実際に私が契約してもらった人でもそういう人がありました。(株)一条工務店では、そういう場合はダンナと嫁さんと別々に必ず両方に構造現場見学に連れて行けと言っていたのです。 しかし、年配の夫婦ならまだなんですが、30くらいの夫婦でけっこうきれいな嫁さんだったりすると、ダンナは1対1で連れていっていいでしょうけれども、まだ若い嫁さんを1対1で連れていっていいものかどうか・・て思いませんか。 具体的にそういうケースがあったのです。これ、どうしたものだろうなあ・・・と思ったのですが、ダンナはたいして気にしないで「行ってきたら」「案内してもらってきたら」と言うのですが、嫁さんは嫌がりました。私が嫌がられたということではないと思います。そうではなくて、「壁に耳あり、障子に眼あり、人の顔には口がある」と言いまして、もしも、そのお宅まで迎えにいって嫁さんひとりだけをクルマに乗せて案内して戻ってきたとしますでしょ。「◇◇さん、あの男の人、だれ~え?」て、口にだして言ってくれたらまだいいのです。当人には言わずに、当人以外に、ぶうわああ~あっと話が広められる・・なんてこと、いかにもありそうと思いませんか? 私が大学生の時、女性が多い工場にアルバイトに行った時、ある女性社員の人から「女の子が多い職場って、うるさいよお~お」と言って教えてもらったことがあったのですが、「もし、私とあんたが帰り道で一緒になって駅まででも一緒に帰ったとするでしょ。あくる日になったらもう、ぶうわああ~あっと話が広まってるんだからねえ」と。 そうみたいです。そして、そのおねえさんは「女の子の多い職場ってうるさいよお~お」と言うのでしたが、しかし、実際、「うるさい」のは「女の子」とは限らないわけで、女も「うるさい」でしょうけれども、男もけっこう「うるさい」のです。元外務省の佐藤優がモデルの『憂国のラスプーチン』(小学館)という漫画で佐藤優がモデルの憂木護(ゆうき まもる)という男性が、憂木の話を聞いた女性弁護士から「男性の嫉妬てすごいですねえ」と言われ、「そうですよ。昔から『女の腐ったの』は男にしかいませんから」と言う場面がありましたが、私もそう思います。「女の腐ったの」は女にいるのではなく男にいるのです。

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ですから、もしも、見込客の若い嫁さんを私が1対1でクルマに乗せて案内したとしても、ダンナに断ってダンナが「行ってきたら」と言った上で案内するのですから、別に何か悪いことをするわけではないのです・・・・が、当事者はそうであっても、「壁に耳あり、障子に眼あり、人の顔には口がある」てもので、ぶううわあああ~あっと話を広められてしまう・・ということは十分考えられるし、それも事実を事実として広めるのならともかく、世の中にはスピーカーがいるだけでなくアンプみたいな人もいますしね。 現実に私自身、過去に勤めていた会社から悪質な誹謗中傷を受けているようですし。
※ 《ウィキペディアーアンプ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%97
《 アンプは、アンプリファイヤあるいはアンプリファイア(英: amplifier)の短縮形であり、漢字表現では増幅器のことであり、(電圧や電流の波で表現されることが一般的な)信号を増幅するもののこと。⇒ 基本的に増幅器を参照のこと。
(電気工学、電子工学)電気信号を増幅するための回路。⇒増幅回路
(オーディオ機器、オーディオ観賞)オーディオ機器群の中の増幅器ユニット⇒アンプ (音響機器)
・・・ 》
それで、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ ではダンナと嫁さんと両方を建築現場見学に連れて行けと営業に言っていたのですが、ダンナと嫁さんの両方が働いていてダンナと嫁さんとの休日が異なる場合に、ダンナはともかく嫁さんを1対1でクルマに乗せて連れて行くわけにはいかんのではないか・・と思ったのです。
これは私だけが思ったわけではなく、栃木県地域の営業所長だった五十嵐さんも、「若い嫁さんを一人だけ、クルマに乗せて建築現場見学に連れて行くというのは、それは嫁さんがかわいそうだよ」と佐野展示場の営業会議に来た時に言ったのですが、五十嵐さんはその点についてはわかっていたようです。
どうしたものだろうな・・と思ったのですが、ひとつの方法として、嫁さんに妹か姉があるか、なければダンナの妹でも姉でもいいのですが、それもなければ嫁さんの女性の友人で今すぐでなくても、将来、家を建てたいと考えている人というのが一人くらいはいるのではないかと思うので、そういう人を誘ってもらって一緒に見学に来てもらうようにすれば、そうすれば、1対1でクルマで案内したということではなく、2人を案内したことになりますから、そして、クルマに乗る時には必ず、2人に後部座席に乗ってもらうというようにすれば、特に問題はないのではないか・・・と考えました・・が、マア、世の中、何かとうるさい! ほんと! 夏目漱石『草枕』の冒頭にもありますでしょ。「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と。 ほんと、「うるさい」やつは世の中、いっぱいいるのです。
マア、そんなものだと思のです・・・が、ところが、東海住宅(株)の花見川ショールームの事務員の井上(オット持ちの井上)は「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って福田しゃんを待ってるにょお」と言って、毎日、福田を待って福田のクルマの助手席に乗って帰るのですが、なんか変な女やなあ( 一一) て、思いませんか? 変な女。また、福田という男も変な男( 一一)
田中は、田中が私に井上が終業時刻ちょうどに帰れるようにその時刻に花見川ショールームに戻ってきてあげてくれと言うから、だから、私は外でやっていた仕事があったのに、それを中途で中断して戻ってきたのです。ところが、井上は私と福田が戻ってきたにもかかわらず、「福田しゃんが終業時刻に戻ってきてくれたにょおお」などと言ったのです。その上で、私が井上の終業時刻に自分の仕事の予定を曲げて戻って来たにもかかわらず、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って待ってるにょお」と言って帰らない・・というのですから、店長の田中は私に「申し訳ない」の一言くらい言うべきではありませんか。
そこで「申し訳なかった」の一言すら言えないようでは田中は営業とは言えないのではありませんか?
それを言えないのが東海住宅(株)の花見川店の店長の田中(男。当時、60歳)でした。田中がもしも営業だと主張するのならば、なんとも程度の低い営業ですね。
就業時間外に時間外手当を支払わないのに働かせたくないということならば、事務員の井上だけでなく「建築の営業」として入社した私だって就業時間外にも働いていたにもかかわらず時間外手当を支払われていなかったし、何よりも、根源的な問題として、井上は花見川ショールームの鍵を持っていたのですから、井上の終業時刻が来て帰りたいと思ったが他の従業員は外出しているという場合には、私が外でおこなっていた仕事を中断して花見川ショールームの戻ってこなくても、井上は花見川ショールームの戸締りして鍵をかけて帰ればよかっただけのことなのです。それを私に負担をかけて《「女」にええかっこしいやりたがるおっさんシンドローム》を田中はやったのです。
労働基準法上の労働時間制限というのは事務員さんだけに適用されるわけではなく営業の仕事に従事している人間にも適用されるのですが、田中はなんで営業の仕事についていた私には就業時間を短縮できるように配慮しないで井上にだけ配慮しようとするのでしょうね。・・⇒結論として ””「女」にええかっこしいやりたがるおっさんシンドローム”” てことでしょうね( 一一)
そういうおっさんて、けっこういるのです。あほくさいおっさんが・・( 一一)
(10) 二色刷りの原稿をカラーで井上と一緒に作成するアホなおっさん。
東海住宅(株)では各店舗と花見川ショールームにはカラー印刷のできるコピー機を備えていて、それと別に習志野市東習志野5丁目 の旧ショールームの建物内に1色刷りか2色刷りができる輪転機を持っていて、新聞折込やポスティングをするための印刷はその輪転機でおこなっていました。
そのための原稿の作成を、花見川店の店長の田中(男。当時、60歳)は「建築の営業」の職種で戸建住宅建築業の経験が長く、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリストなどの資格を持ち慶應大学商学部卒で商業学・マーケティングなどを学んできた人間である私と相談して作成しようとはせず、むしろ、田中が「電柱の案内版を見て来場ください」などと印刷するので、「それはまずいでしょう。電柱にポスターをくくりつけると軽犯罪法違反だとして、私、この間、佐倉警察署の警察官から検挙されたばっかりなんですよ。こっそり、1枚・2枚つけるというくらいならまだしも、新聞折込で入れるポスターにそこまで書いて印刷して入れるというのは、それはまずいでしょう」と言ったのですが、ところが田中は私がそう言っても、「うるせえ。この野郎!」と言ってきかなかったのです。何が「うるせえ」だあ?
店長の田中は佐倉警察署の警察官に、私と一緒にポスターをつけていた新人の営業がポスターを電柱につけていたことについて「うちの従業員が申し訳ないことをいたしました。よく指導するようにいたします」とか言いに行ったのだが、「バカ言ってんじゃないわ♪」、田中が電柱につけろと指示してつけさせたんじゃないか。どうも、警察というのは言われてしかたなしにいやいやつけさせられた者を「軽犯罪法違反」だと言って検挙するのだが、なんで、指示してつけさせた者を取り締まらないのか? その警察の対応は不適切ではないのか。
それで、店長の田中は《「建築の営業」の職種で戸建住宅建築業の経験が長く、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリストなどの資格を持ち慶應大学商学部卒で商業学・マーケティングなどを学んできた人間である私》には相談しないだけでなく、「うるせえ。この野郎」などと言い、そして、誰と相談して作ったかというと、同社の「不動産の営業」の仕事をやったこともなければ「建築の営業」の仕事をやったこともない事務員の井上(女。当時、40代)と一緒に作ったのだ。「ちょっと、井上さん、意見きかせてえ♪」とか言って。
どうも、じいさんは「女」と一緒に作りたいようでした( 一一) ・・なんか、アホなじいさんが世の中にはいるもんだ( 一一)
しかも、「カラー刷りにするチラシの原稿をカラー刷りで作る」か「2色刷りにするチラシの原稿を2色刷りで作る」かならわかるのですが、「2色刷りで印刷するチラシの原稿をカラー刷りで作成する」ので、私は「うちの輪転機はカラー刷りはできませんから、2色刷りで輪転機で印刷するからには現行もカラーで作成するのではなく、2色で作成するようにするべきと違いますか」と私が横から言っても、「うるせえんだ、おめえは」と言ってきかない。
井上は事務員ならば「パソコンが十分に使えない田中」に、「印刷する時に2色刷りで印刷するのならば、原稿をカラーで作るのではなくて原稿も2色で作るべきです」と言うべきです・・・が、ところが井上は言わない。事務員ならばそのくらい言えよ・・と思ったのだが言わない。
そして、田中はどうしたかというと、2色で印刷するチラシの原稿をカラーで作って、そして、それを私に渡して「これを(旧ショールームに)持って行って、輪転機で印刷してこい」と言うのでした。 「ですから、2色で印刷するのなら原稿も2色のものにしていただけませんか」と言ったのですが、田中は「うるせえと言ってるだろうが、この野郎」と言うのです。「これを持って行って2色で印刷してこいと言ってるだろう。この野郎、そのくらいのこともできねえのか」と言うのです。
そこまで言うから、しかたなしに旧ショールームに持って行って、旧ショールームに置いてある輪転機で2色刷りの「ためし」の印刷をしてみましたが、カラー刷りで作った原稿を2色刷りにするとおかしなものになるのは最初からわかっていることで、まともなものはできません。
それで、私は花見川ショールームに電話して、田中に「やっぱり、カラー刷りの原稿を2色刷りにするのは無理です。これからショールームに戻りますから、ショールームで原稿を2色のものに作り変えましょう」と話したのです。ところが、田中はきかないのです。
「なんだと、この野郎! おめえはそんなことすらもできねえのか。いいかげんにしろお!」と言うのです・・・が、そう言われても、輪転機には「濃いめ」にするか「薄め」にするかという機能はあっても、濃い部分を薄くして薄い部分を濃くするような機能は輪転機にありませんし、カラーで作った原稿を2色の原稿に帰る能力なんて輪転機にはないのです。
「ですから、やはり、2色で印刷するためのものをカラーで作ってもだめですから、2色の原稿に作り変えないとだめです。だから、これからショールームに戻って私が2色の原稿にパソコンで作り変えますので」と言うと、「だから、輪転機でやれと言ってるだろうが。おめえはそのくらいのこともできんのかあ。この野郎、いいかげんにしろお!」と言うのです。「だから、輪転機ではカラーのものを2色刷り用に帰るということはできませんから、パソコンで2色用に作り変えないとやりようがないですから」と言っても、「だから、パソコンでやらずに輪転機でやれと言ってるだろう。そのくらいのことすらもおめえはできねえのか、この野郎!」と言うので、「ですから、頭悪いのでできないんですよ。田中さんができると言われるのならやってください。私、頭が悪いもんでできないんですよ」と言ったのです。そうすると、「なんだと、この野郎。その口のきき方はあ」と言うので、「それなら、どう言えばいいのか教えていただけませんか」と言ったのです。
そして、結局、田中は旧ショールームに田中が来て、田中ならばカラー刷りの原稿で2色刷りに輪転機でできたのかというと田中がやっても、やっぱり、輪転機にそんな機能がないからにはできなかったのです。 カラーの原稿を2色刷りように変換する機能なんて輪転機にはないのですから、誰がやってもできないのは当然です。
「だめだな。これは」とか言って何度かやり直して、結局、2色刷り用にできていない原稿で2色刷りにするので変な見た目のものしかできない状態で、それを「うん。これでいい」とか田中は言って、それを輪転機で私に印刷させたのでした。なにが「うん。これでいい」なんでしょうね。ちっとも「いい」状態になっていないのに。
「なんだと、この野郎! おめえはそんなことすらもできねえのか。いいかげんにしろお!」とか何とかかんとか叫びまくって、結局、田中がやってもできなかったのですから〔できなくて当然なのですが〕、社会人ならば・会社員ならば「申し訳なかった」という一言くらい口にするべきではないのかと思ったのですが田中の口からは一言として謝罪の言葉がなかった。私が我慢していたことから、どうも、私は何を言っても我慢する人間だと思われてしまったようでした。人間、ひとに申し訳ないことをしたならば、「ごめん」でも「すいません」でも「申し訳ない」でも言い方は何でもいいから一言は謝る必要があるのではないかと思うのですが、「ヤクザ顔の田中」は「うるせえ、この野郎!」とすごめば相手は言うことをきくと思っていたようでした。
私は今現在は、パソコンに関する資格としては、
サーティファイ ワード検定3級・2級、
サーティファイ エクセル検定3級、
建築CAD検定(建築CAD連盟) 3級・2級
に合格・取得しましたので、世間全体から考えると、そう悪くない方ではないかと思います。
「パソコン学校の講師」とかそういう仕事に応募するのならば、もっとできないといけないでしょうけれども、建築業・不動産業の営業とか事務とかの仕事であれば、世間一般と比べて悪くない方でしょう。
しかし、私はパソコンとインターネットというものが出かけくらいの時期、(株)一条工務店にいましたが、同社では同業他社と比べてパソコンを使い始めるのが遅かったということがあり、又、住宅建築関係の会社においてはパソコンが出かけの頃においては、「たいした内容でもないものをもったいつけてパソコンで見せると値打ちがでるみたいに思っている人」というのがいて、それに対して、「いいかげんな紙にボールペンか鉛筆でちょろちょろと書いても内容があるもの」「建築現場で転がっている段ボールか木切れに鉛筆で書いても内容が伝わる」というものを書く人というのもいたのです。そういう人たちを見て、「パソコンを使う人間」というのは「内容ないくせに、パソコンで見せることでたいしたことないものを値打ちがあるように見せようとする人間」という印象があって、最初の頃、パソコンというものを重視したくなかったのです。 又、ワードのテキストを見ると「汚い字で書いたものは上司は読んでくれません」なんて書かれていましたが、私はボールペンで手書きで書いた字で「読みやすい字」を書く自信がありましたし、それは最初からではなく相当の努力をして「読みやすい字」を書けるようにしたものでしたので、「汚い字」しか書けない人と一緒にされたくないなあという気持もありました。 しかし、そのうち、そうも言ってられない世の中になってきましたので、それで一生懸命、パソコンについても学習したのです。 しかし、それでも、基本的な物の考え方として、パソコンというのは、なんだかんだ言っても文房具であり、文房具を使えるかどうかということを最重視して人を見るというのは適切ではないと思ってきました。今でも「最重視」すべきものとは思っていません。
しかし、片方で「パソコンを人並みに使えない人」というのは困りものです。2004年だったと思うのですが厚生労働省委託・東京リーガルマインド実施「求職支援セミナー」というのを受けた時、講師の女性が「今の時代は就職したいと思ったらパソコンは最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできない」と発言したのです。これはえらいこっちゃな・・と思った。その少し後、ある人材紹介会社の人と会った時、私が作成した履歴書・職務経歴書に「パソコンは得意な方ではありませんが、只今、学習中です」と記載していたところ、その人材紹介会社の人が「『パソコンは得意ではありませんが』と書いてあるけれども、それでも、ワードでこの履歴書を作って、エクセルでこの職務経歴書を作ったのでしょ。これだけ、できるのに、なんで『パソコンは得意な方ではありません』と書くのですか」と言われたのです。「今の時代はワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできないと就職支援セミナーの講師の方が言われたのですが、ワード・エクセルもまだまだ使えない機能がいっぱいですから」と言うと、「あんた、本当に正直で真面目な人だねえ。パソコン学校の講師とかそういう仕事に応募するのなら、『ワード・エクセルくらいは完璧に使えないと』ということもあるかもしれないけれども、普通の会社の営業とか事務とかの仕事に応募するのなら、これだけできれば『できます』でよろしい、『できます』で。だいたい、ワードでもエクセルでも『完璧に』使える人なんてほとんどいませんよ」と言われたのです。
結論としてその厚生労働省委託・東京リーガルマインド実施の「就職支援セミナー」の講師の方の言い方は適切とは言い難いものだったのではないかと思います。「パソコン学校の講師とかそういう仕事に応募するのなら、『ワード・エクセルくらいは完璧に使えないと』ということもあるかもしれないけれども、普通の会社の営業とか事務とかの仕事に応募するのなら、これだけできれば『できます』でよろしい、『できます』で。だいたい、ワードでもエクセルでも『完璧に』使える人なんてほとんどいませんよ」という見解が妥当なところでしょう。但し、それ以上に使えたならば、その方がよりいいということは言えるでしょう。
「パソコン学校とかでもない普通の会社での営業とか事務とかの仕事」の場合は、無茶苦茶優秀でなくても、ともかく、一応、パソコンが使えるというくらいでも採用してもらえるでしょうし、「完璧に使える」のでなかったら採用しないなんて言っていたら、採用する側に立てば、いつまで経っても採用できないことになるでしょう。
パソコンに関するお話として、石ノ森章太郎『ホテル』という漫画で、ベテランのホテルマンの松田さんがパソコンが使えなくて、もう俺はだめだあ・・という気持になりかけた際、たとえ、パソコンが使えなくても松田さんにはこれまでに努力して身に着けてきたものがあるとして、そして、「パソコンは結局のところ、文房具ですから」と言って、文房具をうまく使えないからといってそれまでそこで努力してきた人をだめな従業員だと言うのは適切ではない、文房具なのだから少しずつでもできるようになっていけばいいのだという話が出ていました。そういう面はあると思います。
又、森川英正『日本経営史』(日経文庫)には、慶應義塾出身の村井保固さんという人が森村組に応募した際に「語学と簿記は不得手の方です」と言って不採用になり、福沢諭吉から「実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と怒られ、村井さんが「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論したという話が出ています。
《 三菱会社と三井物産に次いでは、明治11年(1878年)暮に慶應義塾を卒業した村井保固を、翌年(1879年)5月に森村組が採用し、ただちにニューヨークに派遣したのが早い事例です。森村組は、森村市左衛門が、明治9年(1876年)、特産工芸品の直輸出を目的として設立した商社です。森村は、福沢諭吉に慶應義塾卒業生の推薦を依頼し、福沢は村井を送り込んだのです。
森村組の条件は、「第一健康、第二英語の達者なこと、第三簿記が出来ること」の三つでした。村井は、「語学と簿記は不得手の方です」と言って、福沢から「馬鹿野郎、実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と大喝され、悄然とします。当時、慶應義塾、商業講習所、三菱商業学校は企業からの求人を争う関係にあり、村井が条件にあてはまらぬとなると、せっかくの求人を他校卒業生に奪われます。福沢は、それが残念で叱ったのでしょう。
村井は、あらためて福沢を訪ね、「森村さんは偉い人と聞くが、英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論します。福沢も村井の意気込みを評価し、あらためて森村と交渉した結果、村井の森村組入社が決まったのでした。・・・ 》
( 森川英正『日本経営史』1981.1.13.日経文庫 ↓)


日本経営史 (1981年) (日経文庫―経営学入門シリーズ) - 森川 英正
パソコンについても、パソコンは使えた方がいいとしても、「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と村井保固さんが言ったのと同じく、パソコンを第一に人の評価を決めるというのはおかしい・・とは私も思うのです。しかし・・・、今の時代、これでは・・・というケースというのも現実にあると東海住宅(株)の田中を見て思ったのです。
東海住宅(株)では従業員1人に1台のパソコンを用意しなかったので、花見川ショールームでも何人かで同じパソコンを使用していたのですが、ところが、難儀なことに田中は「最小化」したものを「元に戻す」ということができなかったのです( 一一)
田中は自分がパソコンで何かをやりかけた時、途中でそのままにして席を離れて別のことをするのです。別のことをするのならば、自分がやりかけたものを「保存」した上で離れてもらいたいのですが、そのままにして他のことを始めます。私が「田中さん、これは保存していいのですか」と尋ねても答えません。保存した方がいいのか保存しない方がいいのかわからないので、とりあえず、「最小化」した状態にしてパソコンを使用すると、その後、田中が戻ってきて「おい、いったい、どこにやったんだ。この野郎! 何しやがった。こいつ、いったいどうしてくれるんだ! なんてことしやがるんだ。この野郎!」と言って怒るのです。
私は今もパソコンの能力を第一に人を評価するというのがいいとは思いませんが、ワードにしてもエクセルにしても「完璧に」まで使える人というのは多くない、「完璧に」まで使えなくてもいい・・としても、「最小化」を「元に戻す」ということくらいもできない人というのは・・困ったものです。
往生しまっせえ、ほんま( 一一)
そして、「事務員」の井上ですが、田中が井上と一緒に折込チラシの原稿を作りたがった時、井上は「事務員」なのですから、「2色刷りで印刷するチラシなら、原稿もカラーでではなく2色刷りで作るべきです」と言うべきですし、言えないのならば「事務員」と違うと思うのです・・・が井上は言わない、言えないのです。なんでしょうね、この女は。「福田しゃん」と「一緒に帰る」ために会社に来ているのでしょうか。
「パソコンの能力はあった方がいいがパソコンの能力を第一に人を評価するべきではない」と私は思っていたし今も思っているのですが、それは基本論・一般論で、職種によっても違いはあります。営業の職種の人の場合、パソコンの能力が相当ある人もあれば、パソコンの能力についてはあまり優秀ではない方の人も現実にいます。東海住宅(株)の場合は、そういったことも踏まえて、事務員さんにはパソコンがある程度以上使える人に事務員さんになってもらって、営業でパソコンがあまり使えない人がいても何とかやっていけるようにという趣旨があったはずなのです。ですから、「パソコンを人並みに使えない(店長の)田中」かつ「本来なら折込チラシを作成するのならば、花見川店の営業は田中と私との2人でやっていたからには私と相談して作成するべきものであるはずであるにもかかわらず私には相談せず、私が言ってもきかず、『女』と一緒に原稿を作りたがる田中」が事務員の井上(女。当時、40代)と一緒に新聞折込チラシの原稿を作りたがったならば、当然のことながら事務員の井上は田中に「印刷する時に2色刷りで印刷するのならば、原稿もカラーで原稿を作るのではなくて2色刷りで原稿を作るべきです」と言わないといけないし、言えないといけない。言えないのならば、井上は何のために事務員としてそこにいるのか・・ということにもなります。「40代のおばさんが『女』に見えるおっさん症候群」の相手するのが事務員の仕事ではないのです。そして、2色刷りで印刷するものをカラーで原稿を作成したならば、それをいったいどうすれば2色刷りにできるのか、「田中と一緒にカラーで原稿を作った井上」はちょっとは考えたらどうかと思うのです。私は「カラーで印刷するものの原稿ならカラーで作成していいでしょうけれども、2色刷りで印刷するものの原稿なら2色刷りで作らないと、印刷する時にカラーで印刷するわけでもないものをカラーで原稿を作って『いいものができた』とか言って喜んでも自己満足でしかないですよ。2色刷りで印刷するなら2色刷りで原稿も作るようにしないと」と田中に言ったのですが、田中は私がせっかくそう言っても「うるせえれ!」と言って井上と一緒にカラーで原稿を作って、それを私に「これを輪転機で2色刷りで印刷してこい」と言い、私が「輪転機にはカラーの原稿を2色刷りに変換するような機能はありませんから、パソコンで2色刷りの原稿に作り変えないとどうもできません」と言っても、「なんだと、そのくらいのこともおまえはできねえのか、この野郎!」と何度も怒鳴りつけたのです。そして、結局、田中が輪転機をいじってもやっぱりできなかったのです。田中と井上が仲睦まじく一緒に長時間かけてカラーの原稿を作って「うん。いいものができた♪」とか言って喜んでいたのは、結局、「勤務時間中に長時間かけて遊んでいたのと一緒」です。井上はいったい何のためにそこにいたのか? 何のために事務員やっているのか、ということです。むしろ、井上がいたために、私は田中からカラーで作成した原稿を「輪転機で何とかしろ、この野郎!」とか言われて、迷惑しているのです。井上は私にこの件について一言くらいは謝罪する必要があったはずですが、今日に至るまで謝罪の言葉がありません。
花見川ショールームではその時、田中と私とが「建築の営業」として勤務していたのに、なんで、田中は私と相談してチラシを作ろうとしないでおばさんと一緒にチラシを作りたがるのか?
けったいな男です( 一一)
そして、田中はその折込チラシに「県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください」などという文面を入れて作成したので、私は「いくらなんでも、それはまずいのではありませんか。近くの電柱に1枚、2枚とりつけるというくらいならともかく、県道から現地までけっこうあるのに、その間の電柱に片っ端からつけたのでは」と私は言ったところ、「うるせえ、この野郎」と言ってきかなかったのです。そして、私が言ってもきかずに、その文面を入れて折込チラシを作成して新聞折込で大量に入れると、「完成現場見学会」の当日になると、「おい。この間、折込チラシに『県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください』と書いたから、そのように県道から現地まですべての電柱に矢印の書いたポスターをくくりつけてこい」と言うので、「ですから、それはまずいでしょと私は言いましたよね」と言ったのですが、田中は「うるせえ、この野郎! さっさとくくりつけてこい」と言うので、「チラシを作る時に、それはまずいでしょと私は言いましたでしょ。特に、私はこの間、田中さんが電柱にポスターをつけろと言われるから店長がつけろと言われるからにはつけていいのだろうと思ってつけたら警察から検挙されたのですよ。警察に検挙されてからまだ1か月も経たないんですよ。私は警察から検挙されてから1か月も経たないので、困るのですよ」と言ったのです・・が、田中は「うるせえんだよ、この野郎! はりつけて来いつってんだよ、この野郎!」と言うのです。それで、「どうして、田中さんは自分がつけないのですか。どうして自分で電柱にポスターをくくりつけないで私につけさせようとするのですか」と言ったのです・・が、田中は「おれは忙しいんだよ」と言うので、「私も忙しいんですよ。私が暇人だと言いたいのですか。私、暇じゃないですよ」と言ったのです。そして、「自分でつけないのなら、なぜ、折込チラシに『県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください』という文面を入れたのですか」と言うと、「だから、さっさとつけてこいっつってるだろ。この野郎!」と言うので、「ですから、なんで、田中さんはつけに行かないのですか。チラシの印刷もすべて私がやりましたよね。なんで、田中さんは私にそういった業務をすべてさせて自分はやらないのですか。自分が『県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください』という文面を入れてチラシを作って折込に入れたからには自分でその矢印のポスターもつけてきたらどうなのですか」と言っても、「だから、俺は忙しいんだつってるだろうが、この野郎!」と言うので、「ですから、先ほどから言ってますように、私も忙しいんですよ。私はちっとも暇じゃないんですよ」と言ったのです。田中は「この野郎。いいかげんにしろお!」と言うので、「いいかげんにしないといけないのはどちらですか」と言ったのです。
「いいから、さっさとつけてこい、この野郎! 店長がやれと言うことがきけないのか」と言うので「警察がやるなと言うことはできないのです」と言っても、「うるせえ。さっさとつけてこい」と言うので、「ですから、なんで、田中さんは警察がやるなと言うことを自分ではやらずに私にさせようとするのですか。どうしてなのですか」と言ったのです・・・が、答えず、「どうして答えていただけないのですか」と言っても、田中は「うるせえ。この野郎!」と言うばかりでした。はてしなく、この繰り返し・・・
※ 電柱にポスターをくくりつけるというのは、それを警察が検挙する論拠としては、軽犯罪法第1条 というものが出されるようです。
軽犯罪法
第1条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
・・・
三十三 みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし、若しくは他人の看板、禁札その他の標示物を取り除き、又はこれらの工作物若しくは標示物を汚した者
第2条 前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。
第3条 第1条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。
第4条 この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
( 法令リード 軽犯罪法 https://hourei.net/law/323AC0000000039 )
第4条には《この法律の適用にあたっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない。》には書かれているのですが、はたして、それがこの第1条 第33号 の場合にはどれが「国民の権利を不当に侵害」するもので、どれは「国民の権利を不当に侵害」しないのかという判断はけっこう難しいように思います。
不動産屋が電柱にポスターをくくりつけると軽犯罪法違反だと警察は言うのですが、しかし、それならば、自宅で葬式やる人が「◇◇家 ⇒」なんて書かれたものを電柱にくくりつけたり、あるいは「飼っていた猫の☆☆がいなくなりました。気づかれた方は連絡ください」なんて書いたものを貼りつける人がおり、「犬に電柱に小便をされると臭います。小便をさせないでください」なんて書いたものを貼りつける人もいます。それらも軽犯罪法第1条違反として検挙すべきなのか。
そういえば、1980年代前半頃、東京都内では防共挺身隊の高田がん というおっさんが電柱に「パンダは要らない」「中共はパンダ百匹ただでよこせ」なんて書かれたポスターを貼りつけていたのを見て・・
・・笑った(^○^) のを覚えていますが、ああいうのはいいのか悪いのか。
「パンダは要らない」「パンダ百匹ただでよこせ」なんて書かれると、ははははは・・は(笑)
自分がくくりつける側の立場ではなく付近の住人という立場ですと、不動産屋の人間だって、なんとかお客さんに来てもらって契約に結びつけたいのだから、あんまり厳しく言ってやらなくてもいいのじゃないのお・・と思う時もあるのですが、片方で、いくらなんでも、やりすぎじゃないのかあ・・と思えるケースもあります。
東海住宅(株)の花見川店 店長の田中がずるいのは、私に「つけてこい、こらあ」とか言うけれども、自分はつけにいかないという点です。軽犯罪法というのは名前からして「軽犯罪」とついているように、罰則も《これを拘留又は科料に処する。》と比較的軽く、実際には警察官に検挙されても、「すいません」と言えば「これからは気をつけてね」ですませてもらえる場合が多いようなのですが、しかし、一度目はそうだとしても、 ↑ に述べたように「特に、私はこの間、田中さんが電柱にポスターをつけろと言われるから店長がつけろと言われるからにはつけていいのだろうと思ってつけたら警察から検挙されたのですよ。警察に検挙されてからまだ1か月も経たないんですよ。私は警察から検挙されてから1か月も経たないので、困るのですよ」と私が田中に言ったように、警察に検挙されてからまだ1か月も経たないうちに再度検挙されるということに、もしもなったならば、《 第2条 前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。》とあるように、「情状により」、反省の色がないと評価されてしまうと、拘留という結果になる可能性だってないとは言えないのです。田中は自分ではやらずに私にやらせれば、処罰されるとしても私であって田中は処罰されないと思っていたようですが〔きたないでしょ。相当きたないでしょ〕、《 第3条 第1条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。》という条文があるように、「つけてこい。こらあ。店長の命令がきけないのか。この野郎」と言ってつけさせたという場合は、田中自身がつけなくても命令した田中もまた「正犯に準ずる」ことになるはずです。 怖い会社だなあと思いました。
たとえ、「拘留又は科料」であったとしても、会社の上役が指示して、日本国の法律によって処罰される可能性が考えられるということを、店長は自分ではやらずに従業員にやらせるという会社というのは、怖い会社だなあ・・と思いました。法令の解釈としては、店長の田中は自分ではつけないから、もしも田中が「つけてこ~い」と言ってつけさせられて従業員が検挙された場合は命令した田中もまた《 第1条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。》に該当するはずなのですが、おそらく、その時には「申し訳ありません。私はだめだと言ったのですが、こいつがつけたんです」とか田中は言うのではないかと予想されます。建設部担当の取締役の大澤もまたその同類でしょう。そういうことを考えると、店長が自分はやらないで従業員に「警察がやるなと言っていること」をやらそうとする会社・・というのは、それは要注意な会社と考えざるをえないですね。
営業の職種の人には「営業力」はあっても事務的能力は優秀ではなくてパソコンはあまり得意ではないという人もいます。しかし、井上は「事務員」なのですから、「事務員」であれば田中が2色刷りで印刷するチラシの原稿を2色でではなくわざわざカラーで作成しようとしていたのならば、「2色刷りで印刷するものの原稿なら、原稿も2色で作成するべきで、2色刷りで印刷するものの原稿をカラーで作ったらうまくいかないでしょう」と言うべきですし、言わないなら・言えないならば事務員としての役割を果たしているとは言えません。ところが、井上は言わないで田中と一緒に長々と時間をかけて、役に立たないカラーでの原稿を2人で仲良く作っていたのでした。実際のところ、井上はいなくてもよかったのではないのか。井上がいなければ田中ももう少し私の言うことをきいたかもしれない。 少なくとも、2色刷りで印刷するものの原稿を無駄に長い時間をかけて2人でねちねち作ることはなかったはずなのです。
2色刷りで印刷するものの原稿を田中と井上の2人がカラーで作るから、だから私はそれの扱いに苦労させられたし、そのために本来なら費やさなくていい時間を費やされたのです。井上は「すいませんでした」の一言くらい言うべきもののはずです・・・が、言わない言えないのがバカ女症候群の「患者」というものでした。 「座敷牢」にでも入れて「入院療法」でも受けさせれば、そうすれば花見川店の従業員として井上の被害に合わなくていくらかなりとも助かったのではないかと思われます。
(11)
さらには、井上は花見川ショールームで事務員が対処していいと思われるような仕事を見つけると私の所に来て、「〇〇さん、・・・をやってください」と言いにくるようになったのですが、それは井上の仕事だろうが・・ということを私に「やってください」と言いにいくるのです。変な女だなあ・・と思いながらも、「韓信の股くぐり」なんて言葉もありますが、しょーもないやつを相手に争ってもしかたがないと思い、「そうですか」と言って井上が言うことをやってきたのでしたが、この女も変わった女やなあ・・・と思ったものでした。店長の田中は井上のそういった態度を井上に注意しないといけないはずでしたが注意しませんでした。
「事務員」というのは花見川ショールームで事務員が対処するような仕事を見つけて事務員ではない私の所に来て「やってください」と言いに行くという仕事ではないのです。井上がやっていたような勤務態度であれば、井上はそこにいる必要はなかった、ということになります。
私は「住宅の営業」の仕事は長くやってきた経験者でしたが東海住宅(株)という会社においては「新人」なのだからとは思っていたのですが、しかし、東海住宅(株)では「新人」といっても新卒新人ではないですよ。隣接業界での経験者として入社した者ですよ。井上は事務員なのに、事務員がやる仕事をやらずに、事務員がやる仕事を見つけてきて、「経験者として入社した者」の所に「やってください」と言ってきたのですが、最初は「変な女だなあ」と思いながら、そんな変なやつと争ってもしかたがない、「韓信の股くぐり」という思考をしていたのですが、そのうち、こいつ、いったい何なんだ・・と思うようになったのです。
こういう「新人類」もしくは「異星人」の女には店長は注意しないといけないのではないか、と思ったが店長の田中は注意しなかった。

会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
・・なんだか変な女が東海住宅(株)の花見川ショールームにはいました。
(12)
[第901回]《 ひとのせいにする営業、せいにされた時、どうしたものか。勝手に転んで嘘泣きする子供に「申し訳なかったねえ」と言う店長。施主に原因があるものを担当営業を悪者にする男。契約客を放置して解約したいと言われた営業ではなく引き継いだ者が悪いと言う所長。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202201article_9.html 【3】
※ 東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ については、ほかに、
[第619回]《平塚神社社殿の裏の岡。猫の死骸をかわいそうと思うか気持悪いと考えるか―平塚神社と浅見光彦【7/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
でも述べました。御覧ください。
★ トラブルバスターやったろか。
「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
「いくらなんでも、ひどすぎるでござる」
「ギョエエ~エでござるよ」(ミドリコ)
「ぜってえ許さん!
トラブルバスターだあ!」
【2】以降、東海住宅(株)の他の会社でも、その業界での仕事については私の方が経験があっても、その会社においては「新人」なのだからと思って下手に出たが、下手に出るべきではなかったのではないか・・という例をいくつか、別稿で述べたいと考えています。
( 2022.2.17.)
その業界の会社である程度以上、勤めてきた者が勤め先を変わった場合、その業界での勤務は自分の方が長くても転職した会社においては自分よりも前からいるという人に対して、たとえ、その業界としては自分の方が長く在籍して、それなりのものを身に着けてきたとしても、転職した会社においては新しく入った人間だという場合、その会社においては自分よりも古いという人は尊重した方がいいと私は思ってそうしてきたのだが、片方でそうやって尊重してもらうとズに乗るような人というのもいた。又、後から考えると、たててあげたのは間違っていたかと思うケースが多かった。
先に、世間で話題になったケースなどを3つあげてみる。
《1》 北尾 と ジョン=テンタ
大相撲で、ともかく横綱に「ならせてもらった」ものの、親方などともめて「廃業」した北尾(双羽黒)はプロレスに転向したものの、プロレス界でもうまくいかなかったらしい。 週刊誌で呼んだものでは、デビュー戦ではクラッシャー=バンバン=ビガロ という演技がものすごくうまくて「ホウキを相手にしてでもプロレスをできる」と言われた外国人レスラーと組ませてもらって「勝利」させてもらったが(YouTube に入っていた話では、ビガロは相当のカネをもらったが、後から「いくらカネをもらっても、あんなものはやりたくない」とカネもらってあほくさい引き立て役なんんかやりたくなかったと言ったとか)、演技上手のビガロが相手だからなんとかなったと言われたらしく、その後も、プロレスラーの間で評判が悪かったのは、プロレスというのはバラエティーショーと似ていて、バラエティショーで出演者が順番にその特色・持ち味を発揮するのと同じく、プロレスでも自分がいいところを発揮させてもらえば、次は相手にいいところを発揮させて、その次にまた自分がいいところを見せて、さらにその次には相手にいいところを見せさせてあげて・・とやって成り立つものなのに、北尾は自分ばっかりいいところを見せようとする・・と。
そして、特に、ジョン=テンタとの試合で北尾は反則のめつぶしをやろうとして、さらに制止しようとしたレフェリーを突き飛ばして反則負けになった後、マイクをつかんで「この八百長野郎」と叫び、そして控室に戻っても暴れて危険な状態になり解雇された・・らしい。
※ 《YouTube-谷津嘉章・最終章「義足の青春」―【不穏試合】あの日、試合会場で谷津が見たことを全て語ります!北尾光司vsジョン・テンタ:神戸ワールド記念ホール【谷津嘉章】https://www.youtube.com/watch?v=aIh2fhyo7_w
※ 《YouTube-北尾vs.テンタ戦は八百長発言より『うるせえババア!』の方が問題です(船木誠勝)》https://www.youtube.com/watch?v=VwXTxQxAupo
谷津嘉章や船木誠勝(まさかつ)の話を聞くと、北尾は相撲界をやめても自分は「元横綱」ではなく「横綱」だという意識が抜けず、特に相撲界を幕下でやめてプロレス界に入ったジョン=テンタに対して、自分は横綱で相手は幕下という意識が抜けなかったような感じですね。たとえ、相撲界は幕下でやめてもプロレスの世界では相手の方が先輩であり、相撲は幕下でやめてもプロレス界で努力して地位を築いた人に対しても、幕下でしかないやつがという意識があったのか。
《2》 貴闘力ちゃんねるでは、藤島部屋⇒二子山部屋 で貴闘力の先輩力士の 元 新花山(千葉さん)と貴闘力・維新力との鼎談が出ていて、そこでは、元 新花山に貴闘力が幕内力士になっても「千葉さん、千葉さん」と言ってくれたという話が出ています。
※《YouTube-【豪快】初代貴ノ花が恐る男!貴闘力の伝説の親父!》https://www.youtube.com/watch?v=YH-Iz3ZxaD8
「横綱が先輩を『おい』とあごで使うなんてことはなかった」(維新力)
「千葉さん、千葉さんて言ってくれるから」(新花山)
・・・ 昔、私が産まれるより前だったのではないかと思うのだが、うちの父親の勤め先の取引先の社長でタニマチやっていた人がいて、その人がタニマチやっていた部屋にうちの父親が連れていってもらった時、相撲取りの世界では「半枚違えば虫けら同然」と言うと聞いていたので、入門が先の力士でも幕下以下の力士には幕内力士は「虫けら同然」みたいな口のきき方をするのかと思って見ていたらそうではなく、入門が先の先輩力士でも幕下以下の力士は、自分より後から入門した力士でも幕内力士に対しては「関取」と呼んでいたが、その関取は自分より前に入門した力士でも自分より番付が下の力士に対して「虫けら同然」みたいな口のきき方をするのかというとそうではなくて、関取の方は幕下以下の先輩力士に対しては「先輩」と呼んでいたらしく、そういう言い方があるのかと思ったと話していました。先輩の幕下以下の力士は後輩の幕内力士に「関取」と呼び、後輩の幕内力士は先輩の幕下以下の力士に「先輩」と呼んでいたらしい。
《3》 小堀住研(株)の「銀行、銀行、ぎんこうの男~♪ パヤッパ~」
1980年代後半、小堀住研(株)に入社した時、同社には「銀行出身の役員」が矢鱈多かった。有価証券報告書や商業登記簿に掲載されている取締役の半分・監査役の半分が銀行出身で、入社式の後の立食パーティーで太陽神戸銀行からその年に来ていきなり常務取締役・西部営業本部長になった大野が「小堀住研は無借金経営です。借金があるから銀行から人が来ているのではないんです。人材が不足しているから銀行から人が来ているんです」と私に言ったのだが、「そうかあ?」という感じがした。入社してみると、たしかに「人材が不足してるなあ」とは思ったが、だからといって「銀行から来た人」がそんなに優秀とは思えなかったし、そもそも、銀行の仕事と戸建住宅建築業の仕事は仕事の内容が違うはずであり、たとえ銀行で「優秀な人材」だった人でも戸建住宅建築業の仕事についてわかっているわけでもなく、銀行で「優秀な人材」が戸建住宅建築業の会社でも「優秀な人材」かどうかは別の問題のはずだったし、なにより、銀行てそんなに「優秀な人材」が余ってるのか? そうではあるまい。もしも、銀行に「優秀な人材」がいたならば自分の所で使わないか? 又、もしも、銀行にそんなに「優秀な人材」が余っているのなら、なんで、つぶれる銀行がいっぱい出てくるんだあ? 言うことが矛盾しとるわな。 「無借金経営」といっても、会計上の処理の仕方で借金があまりないように見せるということもできるかもしれないし、銀行が「融資」ではなく「出資」したならば、株を銀行が買えば銀行からカネが入ったとしても株というのは他人資本ではなく自己資本であるから「無借金経営」ということになる。そして、『会社四季報』(東洋経済新報社)・『会社情報』(日本経済新聞社)や『有価証券報告書』を見ると、その頃の小堀住研(株)の上位大株主というと、個人では二代目社長の中島昭午の名前があるほかは銀行の名前がいくつも並んでいた。銀行に株を持たれてしまった結果、「何にもわかってないやつ」に取締役を何人も送り込まれることになってしまっていたのだ。その取締役の一人が自分は実力があるから呼ばれたのではなく銀行が株を持ってるから取締役に来ているのだとうことを認めたくないから「小堀住研は無借金経営です。借金があるから銀行から人が来ているのではないんです。人材が不足しているから銀行から人が来ているんです」などと言ったということだろう。
1980年代末、小堀住研(株)では、「副社長派」と「社長派」があって、実際にはほとんどの従業員が「副社長派」だという話を聞いた。え? そうなの? なんで「初代社長の甥っ子」ということになっているが実際は「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかいう社長よりも初代社長の親戚でもない副社長の方にみんなついてるの? ・・と思ったら、そういう意味ではなく、「最初から小堀住研(株)に入社した従業員」の代表が副社長だったようで、「メカケの子」の社長と「株もってる銀行から来た人」が資本家のバカ息子みたいに取締役になってる人がいたので、「最初から小堀住研(株)に入社した人間」の代表者は副社長しかいないという状況だったみたいだ。考えてみると、大阪市で創業して本社も大阪市北区のJR「大阪」駅の目の前に持っていた会社なのに、副社長は大阪にいて社長は東京都府中市に住んでいて社長の中島昭午の普段の出勤先は大阪市の本社ではなく新宿のセンタービル内の東京支店の本社機能部署だった・・て、それからして変だった。「会社が割れる」状況になりそうな状態だったのではないか。副社長のKさんは「役職を尊重する人」と言われていたのだが、それは自分が社長にとってかわろうという気持なんてないという意志表示だったのではないか。しかし、「メカケの子」としては初代社長から副社長に任命されて創業の頃からいて従業員の支持は自分よりもある副社長というのが「けむたかった」のか、1990年に会社名から初代の苗字の「小堀」を取り除いた後、それほど経たないうちに副社長のKさんは追い出されたようで、「最初から小堀住研(株)に入社して苦労・努力した人間」の代表者がいなくなった後、「メカケの子」と「銀行から来た、株主のバカ息子みたいなの」とで会社を運営しようとして、そして、あっという間に倒産したようだ。「メカケの子」と「銀行から来た、株主のバカ息子」で会社を運営しようとしても無理だろう。
富士銀行で2年ほどどこかの支店の支店長をやっただけの増田和二という男が、1998年に小堀住研(株)に来たが、もちろん、小堀住研(株)においては「新入社員」であり「新人」だったが、増田和二が自分自身で求人募集に応募して入社したならば「中途入社新人」の扱いだが、「銀行のバカ息子」として出向してきたので最初から「常務取締役」で「東部営業本部長」だった。「ま~た、銀行から来た何もわからない人間が役員になるのか」と従業員の間で言われていたし、増田和二については「アタマ、ぼけてる」とも言われていたが、それでも、私は、小堀住研(株)は実際に「人材が不足」していたと思っていたし、特に「小堀住研は昔から大卒しか取らない会社です」と言いまくっていながら入社してみると高卒の人間がけっこういて、特に支店長とか部長とかに高卒の人間が多くて、あれ? これはいったい何だあ?・・と思ったものだった。「人間の値打ちは学歴で決まるのではない」と言いたがる人がけっこう多いが、しかし、小堀住研(株)の部長とか支店長とかにならせてもらっていた人を見ると、「やっぱり、高卒だけあって、あかんなあ」という人が多かった。増田和二はともかくも「東北大学法学部卒」で富士銀行という大きな会社に勤めてきた人だったから、だから、私は増田和二には旧帝大系国立大学の法学部卒の人の持つ能力と大規模な会社、「財閥系」「有名」「大企業」なら備わっているが小堀住研(株)のような会社には備わっていないものを経験してきた人としての能力を期待した・・・が完全に期待外れだった。 東北大学というのは旧帝大系国立大学ではあっても「東大・京大・阪大の仲間」ではなく「岩手大・山形大・福島大の仲間」みたいなところがある国立大学で、かつ、地方国立大学卒の人には「地方国立大学卒であっても旧帝大系国立大学卒の人に準ずるような能力」を期待できる人と、そうではなく「地方国立大学といえども国立大学のはずなのに、私立底辺大学卒の人と変わらんやんけ」という人とがおり、増田和二は「東大・京大・阪大の仲間」の方の東北大卒ではなく「岩手大・山形大・福島大の仲間」の方の東北大卒の人間で、かつ、「岩手大・山形大・福島大の仲間」でも「地方国立大学卒であっても旧帝大系国立大学卒の人に準ずるような能力を期待できる人」の方ではなく「地方国立大学といえども国立大学のはずなのに、私立底辺大学卒の人と変わらんやんけ」の方の「岩手大・山形大・福島大の仲間」の人間だった。「高卒のおっさん」と変わらん東北大法学部卒だった。又、法学者の末広厳太郎は『法学入門』(日本評論社)で、法学は「パンのための学問」と言われるが、大学の法学部で学んだものは裁判官・検察官・弁護士など「法律そのもの」を仕事とする職業ではない仕事、一般の会社に勤めたような場合に役に立つのかというと、「大学で学んだものなんて忘れてしまった頃になって役に立つ」と言われ、それはどういうことかというと、大学の法学部で学んでいるものは法令の解釈だが、法律はたびたび改正もされ、新しい法律もできれば判例もでるので大学で学んだものをそのまま覚えていても役に立たなくなる時があるが、それをかえって「大学で学んだものなんて忘れてしまったころになって役に立つ」というのは、会社という所において役立つのは法令や判例についての知識そのものではなく「法学的な考え方」であると述べていたのだが、・・・

(新装版)法学入門 - 末弘 厳太郎
・・それで、私は東北大法学部卒だという増田和二にはそれを期待した・・のだが完全に期待は裏切られた。アホそのものでしかなかった。又、まがりなりにも「旧帝大系国立大学+早慶」くらいの大学の出身者であれば、法学部卒でも経済学部・商学部で扱っているような内容についてもある程度は認識があっていいはず、経済学部・商学部卒でも法学部で扱っているような内容についてある程度は認識があっていいはず・・と私は思っていたし、そうでないといけないと心がけていたのだが、ところがどっこい、東北大法学部卒だという増田和二にはそういうものはまったくなかった。「高卒のおっさん」とちっとも変わらんかった。慶應大学商学部の「商業学総論」という科目で教授が講義の中で言われたのだが、東北大卒で国家公務員をやっている人から「慶應大学の出身の人は公務員よりも民間企業に勤める人が多いけれども、もっと慶應大学卒の人に国家公務員になってもらいたい」と言われたそうで、その東北大卒で国家公務員になっていた人は「東大を中心とした国立大学卒の人間ばかりでやっていると、どうしても思考が画一化してしまう」と言い、「特に慶應大の人に来てもらいたい」と言われたというのだ。その人が「旧帝大系国立大学卒の人でも優秀な人はいるでしょう」と話したところ、「それが、旧帝大系国立大学卒の人には、中に『伸びきったパンツのゴムみたいな人』がいるんですよ。大学に合格した時点でもう伸びきった状態でそれ以上伸びないという人が。その点、慶應大卒の人は実によく伸びる」とそう言われたとその先生は話された。「慶應大学の私に話されたことだから、多少はお上手もあるかもしれないけれどもね」とその先生は言われたのだが、その話を聞いて私は「そうかなあ・・?」と慶應大のろくでもない学生を見ているから思ったし、「伸びきったパンツのゴムみたいな人」というと、たしかに北野高校の漢文の教諭だったF尾(男。1970年代後半当時、40代)は「自分は東大卒だというのを何かにかこつけて言いたい症候群」のビョーキがある男で、私が高校生だった時は気づかなかったが卒業して何十年か経って考えてみると、あの男、「初日に勝ったことで2日目から千秋楽までの14日間も勝ったみたいな気になった相撲取り」みたいな人間 てところがあったなあ・・と気づいた・・が、そういう人は東大卒で高校の先生とか「大学卒業までに学んできたものそのままが役立つ仕事」についた人にはいるようだが、しかし、慶應大の人間を見て、そういうことを慶應大の人間は「東大の人間は・・」と「東大の人間」に対する悪口として言うが「東大の人間」に対する悪口として慶應大の人間が言うことというのは、その多くが慶應大の人間の方により当てはまるものが多い、慶應の人間の方がそういう人間は多いという事実を見ていたので、そうかなあ? と思ったのだったが、増田和二を見て、その「東北大卒で国家公務員をやっている人」の言われたことがわかった。「この人、本当に国立大学卒なのお?」て感じがした。〔思ったのは私だけではなかったようで、「本部長(東部営業本部長)、アタマ、ぼけてる」と従業員の間で言われていた。〕だから、富士銀行(現 みずほ銀行)は自分の所では要らんと判断して小堀住研(株)に送りつけてきたということだろう。要するに、小堀住研(株)はいくつもの銀行からゴミ箱にされていたのだ。
そういう「銀行から来た人」というのは、「銀行では優秀だった人」でも「銀行では要らんわと思われた人」でも、どちらであっても、戸建住宅建築業の業界においては新人であるわけだし、まるまる新卒新人と同じという扱いにしなくてもいいけれども、その業界においては新人であるし、その会社においては新人なんだという意識もまた持つ必要があるのではないか・・と思うのだが、持てないようだった。そうではなく自分たちを「銀行から来た特権階級」と認識していたようだ。 そういう「銀行から来た特権階級」というのは取締役の半分・監査役の半分だけかと最初、思っていたら、そうではなく、小堀住研(株)にはその他にも「銀行から来た役立たず」がいっぱいいたのだ。しかも、それらの人たちというのは「その人が銀行から出向できたのではなく最初から小堀住研(株)に入社した場合についていたであろう役職」よりもずっと高い役職、「その人が小堀住研(株)に出向してくるのではなく、そのまま銀行に勤めていたならばついていたであろう役職」よりもずっと高い役職につけてもらっていたのだ。そういう連中が自分たちは銀行から来た「特権階級」だという意識を持っていた・・⇒ということは、そういう状態になった会社というのは、「おまえは、もう死んでいる」状態の会社だった・・と考えるべきか。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
「メカケ」は「奥さん」と違ってだんなと一緒に会社をよくしようというような意識はない。「メカケ」はだんなに取り入ることでその会社から甘い汁を吸うのがメカケ業というものだ。メカケはだんなに取り入るのが仕事であって、だんなに取り入ることで、メカケはだんなの会社と会社の従業員を支配する権利を得る・・とメカケは考えている。「メカケの子」というのもその類だ。小堀住研(株)の二代目社長の中島昭午もその意識でいたようだ。 「出資」した銀行から小堀住研(株)に出向して来た人間というのは「資本家のバカ息子」と一緒だ。 「メカケの子」と「資本家のバカ息子」が高い役職について、役職だけをふりかざして「最初から小堀住研(株)に入社して苦労して努力して働く者」を支配する会社というのは、「おまえは、もう、死んでいる」状態の会社だったということ・・かな。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
だいたい、東北大しか行けないようなやつなんて大学行くな!
私は大学4年の時、慶應大学の就職部に行って話を聞いた際に、「日立◇◇、東芝☆☆、NEC▽▽ といった名前の会社というのは、たとえ子亀でも、日立・東芝・NECだから悪くないかと思って勤めると、そこでせっかく一生懸命努力して、ある程度の役職についても、親亀の会社に就職した人間で自分よりも年下で自分より後から大学を卒業した人間がやってきて自分より上の役職についてしまう、ということがある」という話を聞いたのだが、その点、小堀住研(株)は「財閥系」ではないが自分の所が親亀の会社だからそういうことはないだろう・・と思ったのだったが、ところが、小堀住研(株)の場合は日立◇◇・東芝☆☆・NEC▽▽に親亀会社の日立製作所・東芝・NECから人がやってきて自分より上の役職についてしまうということはなくても、小堀住研(株)の場合は「銀行から来た人間」が小堀住研(株)では何の努力もせず何の貢献もせずどうしようもないアホのくせに上の役職についてしまう! ということになった( 一一)
そういう人たち、その会社において努力して成果を出したわけでもない者どもが「特権階級」になっている状態の会社というのは・・いくらかなりともそれに近い会社はあるのかもしれないが・・というより、しょーもない会社はいっぱいあるみたいだ。
※ 「銀行、銀行、ぎんこうの男~、パヤッパ♪」⇒《YouTube-シャインズ 「私の彼はサラリーマン」》https://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I
私は戸建住宅建築業の会社で苦労して努力して、誰にも負けないだけ働いて成果をだし、能力を身に着けた。 だから、↑ の「銀行の男」なんかとは全然違う。 しかし、それでも、別の会社に勤めた時には、自分よりもその業界においては下だろうと思われる人にでも、新たに勤めた会社においてはその人の方が前からいる場合にはそれは尊重した方がいいと認識して尊重してきた。
しかし、尊重しすぎたか・・と思われたケースがけっこうあった。それは今から考えてみると大量にあったのだが、すべてを述べるのは簡単ではないので、ここではいくつかの例のみを述べる。
【1】 東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ 〔本社:千葉県八千代市。 建築業もおこなっているが「売買の不動産業」が中心。千葉県・栃木県・福島県にて営業。「東海住宅」という会社名でも創業者の会長は山形県出身だそうで、東海地方出身ではなく、静岡県・愛知県では営業しておらず、茨城県の東海村でも営業していない。
ハウジングエージェンシーから出版されていた 三島俊介著『全国安心工務店一覧 首都圏版―地域に密着した住宅会社選び 』2001.8.1.に掲載されていたが(実際は広告料を払って掲載してもらっていたもよう)、「嘘ばかりというわけではないが、あまりにもヨイショが過ぎて本当とは言い難い」内容。同書は、せっかく価値がある本も出版しているハウジングエージェンシーの三島俊介会長の値打ちを下げるおそれがある本。「安心工務店」という本のタイトルは不適切と思われる。同書は、東海住宅(株)が実状と乖離してどれだけヨイショされているかを知るために見るならともかく、安心して頼める工務店を見つけるためということなら役に立たない。広告大全集であり、カネ出して買う値打ちがある本ではない・・と東海住宅(株)に置いてあったこの本を見て思った。
似た名前の会社があるが、チャッカマン作っている(株)東海https://www.vesta-tokai.co.jp/ とは別。 又、静岡市に本社があるLPガス屋の(株)TOKAI https://www.tokai.jp/ とも別。千葉県船橋市習志野台 に本社がある東海(株)https://www.k-tohkai.co.jp/ という不動産屋もあって紛らわしいがそれとも別。もちろん、JR東海https://jr-central.co.jp/ とも別で何の関係もない。静岡県・愛知県には店はなく、茨城県の東海村にも店はなく、創業者の会長は東海地方ではなく山形県の出身なのに「東海住宅(株)」とはこれいかに。もしかして、創業者の会長というのが東海大学卒だったのかあ?・・なんて思ったが、そうかどうかはわからん。 〕
東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川ショールームは千葉県八千代市と千葉市花見川区の境目付近の花見川区にあり、鉄道の最寄駅は八千代市にある形成本線「八千代台」駅で、「八千代台」駅から花見川ショールームまで来る途中に本社と本店(八千代台店)があり、その為、花見川ショールームに所属していた私が付近にポスティングをしても、私がポスティングをしたものを見て本店(八千代台店)に行く人もいたようで、割の合わない店だった。
東海住宅(株)は「建築業もやっている不動産業の会社」であったが、「不動産の方が主」で、不動産業でも「賃貸も扱わないことはないが売買の不動産業が中心」という会社で、建築業については「建売、もしくは建築条件付き土地を購入してもらった人に建てる、あるいは建築条件がない土地を仲介した時に建物も建ててもらう、土地付き建物を仲介した人が建て替える時に頼んでもらう、といった『土地がらみ』が中心」という会社だった。見ていると、同社の営業というのは「建物も扱っているとはいえ、不動産業の営業」だった。だから、戸建住宅建築業の会社で経験を積んできた私にとっては、戸建住宅の建築の部分に関しては私よりも下の人ばかりだったし、営業についてだけではなく、設計のおっさんもまた、「アホちゃうか」て感じやった。
そうだとしても、不動産業の部分に関しては私は宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格は持っていたとはいえ、かつ、東海住宅(株)程度の会社においては宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格を持って不動産業をやっている人と持たずに不動産業をやっている人とでは持たずに不動産業をやっている人の方がずっと多かったが、それでも私は不動産業については初心者であり、不動産業の部分については初心者だということとともに、それまで戸建住宅建築業の仕事に長く従事してきたとはいえ、その会社においては新人だということで、「建物の住宅、及び、不動産の住宅」の仕事としては私よりもずっと経験が浅い人に対しても下手に出てきた。
しかし、それは間違いだったのではないかと思う。
(1) まず、最初に入社した時に花見川店の店長だった大友優子(女。当時、50代なかば)は、土曜・日曜になると「女は土日祝日は遅刻してきていいと会長が認めている」と言って40分程度遅れてくる。 これは大変ずるいと思うのだ。土日祝日にオープンハウスを分譲地の建売住宅で開催すると、男性だからという理由で遅刻は認められていない私は始業時刻の午前10時00分より前、土日祝日については30分少々前くらいに出勤しています。大友優子は40分ほど始業時刻から遅れてきますが私は30分ほど始業時刻より前に出勤していますから大友優子は私が出勤した時刻から考えると40分ではなく1時間少々後に出勤したことになります。要するに男性従業員が掃除と準備をし終えた頃に出てくるということなのです。大友優子が減らすのは自分の接客時間ではなく掃除と準備の時間なのです。
オープンハウズ会場に行き、建物の換気をして掃除をして、前の道の掃除をして、万国旗を張り、玄関前に看板を出し、幟を立て、石油ストーブに灯油を入れて点火し、前の道に「オープンハウス」と書いたポスターをくくりつけたパイロンを置き、ダイニングキッチンのテーブル上にカタログやアンケート用紙を並べ、駐車場に使用している建物の前の分譲地に伸びてクルマを駐車するのに邪魔になるような雑草を抜き・・といったことを一通りして、さあ、この状態までやったら来客があっても対応できる・・という状態まで持っていった、ひとりでそれだけやらなきゃならないというのはけっこう大変だがやった・・・というところに「大友ゆうこりん」は当たり前みたいにやってくるわけです。そして、「あ、ここ、ほこり、残ってる」とか言って玄関の下駄箱の上をひとふき・・・して、そして言うのです。「私がここまでやった」と。
はあ~あ? あんたがやったのは、下駄箱の上をひと拭きしただけやろうが。 それ以外、やったのはみんな俺やろうが。何を馬鹿なこと言ってんだ・・・と思うのだが、「大友ゆうこりん」は、「そういうことをやったことが一度あった」というのではなく毎回それをやるのだ。冗談にしては面白くもない冗談だがいったい何のつもりだ。このスーパーオバタリアン2号、ええかげんにせえよ・・と思うのだが、「会長が認めている」と言うのだ。 そのころの東海住宅(株)では80代の会長(男性)が創業者でオーナーらしく、社長は雇われであって社長よりも会長が権限を持っていたようだが、80代の会長からすると50代の下品なおばさんたちというのが「女」に見えるらしく、おばさんたちを優遇してあげたい♪ て気持ちになるらしかった・・・が、それをやりたいのならば会長が負担をしてやればいいことだ。そのしわよせを男性社員がかぶるというのは理不尽だ。そうでしょ、違いますか? おばさんを優遇してあげたいのならば、そのしわよせは会長が被るべきであり、しわよせを毎度被らされてきた私が「女性は土日祝日は遅刻してきて、男性社員が準備したところにやってきて接客していい」と認めたわけではないのに自分では負担を被らない会長が認める権利はないはずだ。
(2) そして、「大友ゆうこりん」は店長だからといって自分はオープンハウスの準備や掃除はしないで、準備や掃除が終わったというところにやってきて、そして、自分は店長だからと1番目の来場客の接客を当たり前みたいな顔してやるのだ。・・おばさんだけあって、ええ根性してる。・・実際、世の中、何が強いといって「おばさん」ほど強いものはない。
「おばさん 通れば道理引っ込む」
「そこのけ、そこのけ、おばさん通る」
「泣く子もおばさんには勝てない」
ということわざがあるように、おばさんは最強だ。
かつて、中国の毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派はハリコの虎である。ヒトラーはハリコの虎ではなかったか。日本軍国主義はハリコの虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という怖ろしい武器を持っているがこれもまたハリコの虎であって、やがて打倒される」と語ったのだが、ところが、オバサン帝国主義 という帝国主義だけは、これだけはハリコの虎ではなく、牙をもった怖ろしい本物の虎であって、永遠に不滅である。原子爆弾も人民義勇軍もオバサンには歯が立たない。男なんて勝てるわけがない。
1番目の来場客を「準備と掃除をしない大友ゆうこりん」が接客している時、こちらは来場客の子供の相手をしたり何なりして協力するのだが、ところが「ゆうこりん」は自分が1件、接客すると、「それじゃ、私、出かけてくるからね」と言って出かける。建売住宅のオープンハウスなんて、そんなもの、1日に何軒も来場客があるわけないのだ。1件だけの日もあれば2件の日もあるというくらいのものだ。3件ある時なんてめったにないのだ。だから、「大友ゆうこりん」は自分が1件目を接客するとさっさと出かけるのだ。これは反則であろう。普通、オープンハウスといったものはみんなで運営するべきものであり、準備と掃除もみんなでやるもので、準備と掃除をやらない人間が一番に接客するというのはおかしいし、自分が接客している間には私に子供の相手とかしてもらっておきながら、1件目の来場客を接客したなら即座に出かけて行って、もしも2件目が来場した時には「ゆうこりん」は私の接客に協力しないという、そういう「やらずぶったくり」のやり口というのは、それは営業の世界では通じないことであろう。もしも、1回だけ、そういうことがあったというのならともかく、「ゆうこりん」は毎度毎度、それをやるのだ。
(3) そして、「大友ゆうこりん」は土日祝日に出勤時に遅刻してくるだけではない。帰りも早いのだ。夕方になったら私の携帯電話に電話してきて、「それじゃ、私は先に帰るから、後片付け、やっといてよお」とか言って帰ってしまうのだ。まだ、就業時間中やろうが・・と思うのだが、オバサンにとっては就業時間中でも自分には関係ないらしいのだ。 ええかげんにせえよ!

「大友ゆうこりん」は、土日祝日は「女性は遅刻してきていいと会長が認めているから」と言ってふんぞりかえって遅刻してくるのだが、普通の会社においては、「ゆうこりん」のように掃除と準備はしないで人が掃除と準備をした所に後からやってきて接客だけして、夕方になるとまたもや、後片付けは人に押しつけて先に帰ってしまう・・というそういう女には接客する権利はない!・・と考えるべきであり、私の認識ではそれが戸建住宅建築業の業界においては常識だと思うのだ。これは「建築の住宅」の営業の世界においてだけでなく、「不動産の住宅」の営業においてもそうではないのだろうか。「大友ゆうこりん」のやっていることは、それは「建築の住宅」であれ「不動産の住宅」であれ、住宅の営業に許されることではないと思うのだ。
そして、80代の会長は、なにゆえ、50代なかばの下品なおばさんに「女性は土日祝日は遅刻してきて早退していい」と認めていたのかというと、どうも理由がよくわからない。「大友ゆうこりん」は「女が働くのは大変なんだからねえ」と言うのだが、そんなに「大変」なら、別に無理に働いてもらわんでもええんやけどなあ・・・。 そう思いませんか?
もしも、「ゆうこりん」が働いて、その給料で私が食べさせてもらっていたというのならば、「女が働くのは大変なんだからねえ」と言ってもいいだろうし、「えらいすんまへんなあ」くらい、こちらは言うべきだっただろう。しかし、何も私は「ゆうこりん」に食べさせてもらっていたのではないのだ。むしろ、私が準備と掃除した所に「ゆうこりん」がやってきて接客して、そして片付けせずに「ゆうこりん」は帰宅して、その後、大変な思いをして、難儀して片づけて帰ったのだが、普通、店長というのは「ゆうこりん」みたいなことをする女もしくは男がいたならば、「そういうことは困ります」と言うべきであるし、言えないといけない。
会長が「女性は土日祝日は遅刻してきていい」と言ったというのは、推測すると、オット・子供持ちの女性の場合でオットが同様の仕事をしていて土日祝日出勤で水曜休みとかではなく、平日出勤で土日祝日は休みという仕事の場合、土日祝日の朝は他の家族、オットと子供との時間を取りたい、もしくはオットと子供の起床時刻が平日よりも遅いことからそれに合わせていい・・ということにしたのではないかと思う。しかし、「ゆうこりん」の場合、「子供がある」と言っても、その「子供」というのは育てるのに手がかかる子供ではなく「すでに結婚してすでに子供がある子供」であり子供と言っても「いい大人」なのである。そういう「子供」があるからというのを大義名分にして土日祝日のオープンハウスの準備と掃除はすべて私にさせて、それが終わったころにやってくる。片付けもすべて私にさせて、自分は片付けには手をふれずにさっさと帰ってしまう。それを「会長が認めてるから」と言うのだったが、会長にそういうものを「認める」権利はないはずなのだ。
ふざけんな!!!
結婚してそれほど経たない女性で子供があるという人が働きたいと言って働いている場合に、土日祝日の朝は少しくらい遅刻してもいいと認めるというのはわからないこともないが、それならば、そういう女性ばかり集めた店にするべきで、男性にそれを認めないのでは公平性に欠けることになる。男性に同じ条件を認めないのであれば、その条件を認められる女性を集めた支店・営業所とその条件を認められない男性を集めた支店・営業所に分けるべきだ。 男性社員に自分の身勝手のしわよせをしていいと決めつけるというのは、それはおかしい。又、会長が「女性は土日祝日は遅刻してきていいと認めている」というのは変な話で、「大友ゆうこりん」の場合、手がかかる子供があるわけでもなく、手がかかる子供を持っている女性で平日は保育園か託児所かに子供を預けているが土日祝日はダンナが見ることになっているからというような人の事情に配慮してのことならば、「ゆうこりん」はその対象にはあたらない。「手がかかる子供」なんてどこにもいないのだ。「手がかかる子供」なんてどこにもいないのに、それなのに「女性は土日祝日は遅刻してきていいことになっている」と主張して、男性社員が掃除と準備を終えた頃に登場するのだ。東海住宅(株)の会長、アタマ、おかしいのじゃないのか?!?
私は東海住宅(株)では新人なのだからと思って我慢もしてきたけれども、「建築の住宅の営業」の経験の部分については私の方が「ゆうこりん」よりも上であり、こちらが下手に出ておれば「会長が言ってる」というのを「錦の御旗」にしてやりたい放題やってくれるが、そういうのは「戸建住宅建築業の営業」の世界では認められないもの、認めてはならないものだと思うのだ。違うか?
この会社では私の方が後から入った人間なのだからと思って我慢もしてきたが、やっぱり、「ゆうこりん」がやっていたような横暴は営業の経験者として認めてはならないものだと思うし、又、会長はそんなものを認めてはならないはずなのだ。
今からでも「トラブルバスター」やったろか・・ほんま!
※ 「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
(4) 2008年の1~3月の間にも千葉県でもけっこう雪が降って積もったことが複数回あったのですが、そうすると、大友優子は毎度、私に「雪かきしてちょうだい。雪かきは男のやる仕事でしょ」と言うのです。私は腰痛があって整形外科の医師から腰に負担がかかるようなことはできるだけやらないようにと言われていたのですが、職場において、そうもいかないのでやってきましたが、しかし、東海住宅(株)では女性といえども男性と比べて給料が安いわけではないのです。男性より安い給料で働いているなら大変な仕事は男性にやってもらってということもあるかもしれませんが、女性でも男性と同等もしくはそれ以上の給料をもらっているからには女性でもそれなりに働くべきではありませんか? 「雪かきは男の仕事でしょ。当たり前でしょお」と大友は言うのでしたが、そうですか? 「当たり前」ですか?
東海住宅(株)に勤めて、「この会社はやっぱり不動産屋だなあ」と思ったことがあります。そのひとつが、女性は建築現場で働かないという点です。建築屋の場合は、基本的な物の考え方として、お客さんではなく従業員ならば、女性であれ何であれそこにいるなら何なりと働け!・・てことですよ。ところが、「不動産屋の東海住宅(株)」ではそうではない。しかし、それでいいのか?
力がいる仕事の場合は、女性は男性と同等にまではできないとしても、それはしかたがない。それはしかたがないとしても、男性が雪かきをせっせとやったら女性も何かやったらどうなんだ? 違いますか? 大友優子は私が雪かきすると自分は何するかというと、自分は部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲むのです。毎度。よくやるよなあ~あ・・・( 一一)
そして、大友優子は言うのです。「オットが小堀住研で設計課長やってましたから」と。小堀住研(株)の設計課長てのは、人が雪かきやると、おのれは部屋中に入って座ってコーヒー入れて飲むのかあ? ・・・少なくとも、私が知っている小堀住研(株)の設計課長はそうではなかったな。そのオットは嫁に、男性に雪かきさせて、おのれは部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲めと教えたのですか? もしも、そうならば、ろくなオットじゃねえな。ろくな設計課長じゃねえな。法隆寺宮大工棟梁の西岡常一さんの本に載っていたものに、宮大工の教えとして、自分自身が手を動かして働かない者は建築について語ってはならない、というものがあったと思います。その元設計課長、建築の仕事につくのはやめた方がいいのじゃないか・・・といっても、2008年の時点では「ゆうこりん」のオットはすでに仕事を引退していたらしいのだが、建築の仕事につくべきではなかった人ではないか。
””「男性に雪かきさせて、おのれは部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲む女」症候群”” の話を、アーキマインド(株)の社長のSさんに話したことがあったのですが、私の話を聞いて「いる、いる~う。そんな女、いる~う」とSさんは言うのでした。いるんですよ、最近、女性で「建築の仕事をしたい」と言って設計とか営業とかの仕事につく女性で、そういうことをする人が。(そして、そういうのを「女性の社会進出」とか言うのですが、「女性の社会進出」ではなく「オバハンの職場侵略」と言うべきではないか。「進出」ではなく「侵略」と表記するべきではないのか? )〔 設計の場合は男でも「設計は建築現場に行って他の従業員がひいひい言って重い物を運んでいても設計はシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはならない」という戒律もってる男がけっこういますけれどもね。「バカでも入れる私大の建築学科」とか「試験なんて最初からない建築専門学校」卒とかいうのにそういう人間が多い。建築専門学校というのは意図的にそういう人間を育成しているのかもしれません。私は日本の「建築専門学校」というのは全部ぶっつぶした方が世の為だと思っています。〕そういう””「男性に雪かきさせて、おのれは部屋中に入って椅子に座ってコーヒー入れて飲む女」症候群””の「患者」には ””「精神安定剤」の大量投与によってメロメロにする療法”” とか、電気ショック療法 とか、なんかそういうものでもやれば「治る」というのなら、「治療」受けてもらいたい気がします。

スタンガン
( ↑ 電気ショック療法。 )
(5) 八千代市大和田新田 の今はハードオフ 八千代店 https://www.hardoff.co.jp/shop/detail/?p=101086 になっている所の東側の4区画の分譲地の1つに建売住宅を建てた所で、オープンハウスを実施するとして新聞折込に入れたものの、当日、ものすごい積雪で、私なども花見川ショールームまで自宅からクルマで行くだけで大変だったという日がありました。大友優子は「こんな雪なら、大和田新田の建売になんて誰も来るわけないわねえ」と言って行こうとしないのです。
たしかに、ものすごい積雪でしたので、そんな日に来場する人はない可能性が大きいでしょう。しかし、もしも、あったらどうでしょう。営業会社においては、客商売においては、お客さんが、見込客が折込チラシでオープンハウスをやってるというから行ってみようと思って行ったらやってなかった、「〇日の▽時から・・をやります」と言うから行ったのにやってなかった、というのは、それはマイナスの印象になるのです。わざわざ、相当の積雪の日に来てくれた人というのは「変な人」なのか《「雨ニモ負ケス、雪ニモ負ケス」来る熱心な人》なのか、そのどちらであっても、客商売の会社は「〇日の▽時から・・をやります」と言ったら基本的には万難を排してやらなきゃならんのではないか。そういう認識が「大友ゆうこりん」には欠落していた。
私はそう思ったが、「大友ゆうこりん」は積雪の日に寒い中、行くのは大変だし、行っても、どうせ来場客はないだろうから無駄足になるだろうから行っても仕方がないと決めて、当たり前みたいに行きません。それで、この人に言ってもしかたがない、この人はそういう人なんだ、積雪の中で来てくれる人はない可能性が大きいけれども、もしもあった場合のことを考えて従業員はそこに行っておくべきだという認識を教えてあげようと思っても無理な人なんだと思って、それで「私、大和田新田の所に行って、いるようにしますわ」と言って出かけようとしたのです。ともかく、そこに東海住宅(株)の従業員がおれば、もしも、雪の中、やってくる人があった場合でも、「こんな雪の中、来ていただいてどうもすいません」「いえ、こんな雪の中なら来てもだめかと思ったのですが、いてもらって助かりました」ということになるだろうと思って、来場した人が契約になるかならないかにかかわらず、ともかくも、新聞折込でオープンハウスをこの日にやりますと言ったからには、その日その時間にその場所に従業員がいないといけないと思ったが、「ゆうこりん」が雪の中、行くわけないので私が行くと言ったのです。
ところが。 よく言うなあ・・とあきれた。大友優子は私が負担をかぶって積雪の中、オープンハウスの店番やりに行くと言ったら、こう言ったのです。「あんた、オープンハウスに行くのなら、前の土地と道の雪かきやってちょうだいよ。いいわねえ」と。ええかげんにせえよ、このオバタリアン。 おのれは行かないのでしょ。大雪の中、寒い中、ともかくも行って店番やるのは私なのです。花見川ショールームの暖房の入った屋内にいてコーヒー飲んでるオバハンが言うことではないだろうが! ええかげんにせえよ。 「小堀住研で設計課長やってました」というオットもそういうことをやってたのかあ? もしも、小堀住研(株)の設計課で設計課長だけがそういうことをやっていたならば、まわりの従業員はいいように思わないでしょうし、それは通じないと思うのです。こういうオバタリアンというのは、一回、雪中に埋めてやった方が本人のためではないか。一度、「厳寒のシベリア送り」にでもしてやると、ちょっとは真人間になるかもしれん。

シベリアの歴史 新装版 - 加藤 九祚
「自分はやらない大友優子」にオープンハウスの前の雪かきしろと言われても、だから、やらなきゃならない筋合いはないのですが、それでも、現地に行って番をしていても、誰も着ませんが、そこにいるのだからと雪かきやりましたよ。大友優子の態度を考えるとやらない方が良かったかもしれませんが。
そして、寒い中、石油ストーブひとつしかない建物の中とか、その前とかでふるえながらオープンハウスの番をして花見川ショールームに帰ると、「一日部屋中にいた大友優子」がこう言ったのです。「ここの駐車場(大友優子が大友のクルマを駐車させてる駐車場)にも雪、積もってるから、大急ぎで雪かきしてちょうだい。男がやるのが当たり前でしょ」と。普通、そういうこと言うかあ~あ。 大友も同じ店の営業なんですよ。それを私が一人で「厳寒の大和田新田」で一日ふるえながら番してきたのです。そこの雪かきも相当大変な思いをしてやってきたのです。大友は一日暖房のきいた部屋中にいたのです。普通、そういうこと言うかあ( 一一)
「男がやるのが当たり前でしょ」と大友優子は言うのですが、当たり前かあ? 私は椎間板ヘルニアの持病があって整形外科の医者から腰に負担がかかるようなことはできるだけやらないようにと言われている者なのです。そういう者がやるのが「当たり前」なのか? 大友優子はひとに雪かきさせて、その間、おのれは部屋中で座ってコーヒー飲むのが「当たり前」なのか?
・・こういう女って、一回、八甲田山にでも埋めてやった方が世の為・人の為、何より本人の為ではないか
( 一一)
※ 《 八甲田山 [1977] Soundtrack》https://www.youtube.com/watch?v=B4HQH0Cx9mQ

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫) - 次郎, 新田
私はその時点で戸建住宅建築業の会社で10年超え勤めてきた経験者であり、「請負の戸建住宅の建築」の部分については大友よりもずっと経験も実績も実力もある者でした。〔 大友優子は「オットが小堀住研で設計課長やってましたから」と言うのですが、それは「オットが」であって大友優子がではありません。大友優子自身は小堀住研(株)には設計課でも営業課でも勤務経験はなく、小堀住研(株)のいいところで身に着けたものはまったくありません。その「オットが・・」というのを聞くと「オットがヤクルトスワローズの監督やってました」とか「オットがインドネシアの大統領やってました」とか言ってテレビに出ていたおばさんを思い浮かべます。その二人と似ているような感じもします。〕しかし、東海住宅(株)という会社では私の方が後から入った人間であり、大友優子が店長でしたから、この人が店長なのだからと思って尊重してきました。しかし、「人が雪かきやったらおのれは部屋中に入って座ってコーヒー飲む女」というのは、これは認めるべきなのか? まず第一に、「その会社においては新しく入った人間」に言わせるのではなくて、前からその会社にいる人間が大友に「あなた、その態度はないでしょう」と注意しなきゃならないのではないか。 建設部担当の取締役の大澤はそのくらいのことも言えないのか? 大澤は「ぼくは力あるから」などと言っていたが、その「力ある人間」というのは、そのくらいのことすらも言えない男なのか? ・・というと、「ヤクザ顔の大澤」は言えない男だったようです。
何より、「会長が認めている」らしいのですが、東海住宅(株)の80代の会長にとっては「50代の下品なおばはん」というのが「女」に見えるらしくて、その「女」の機嫌をとりたいらしく、その為に男性従業員を犠牲にするのが東海住宅(株)の会長の方針だったらしいのですが、そういうことをやっているとどうなるか? ・・⇒どうなると思いますか?
東海住宅(株)は「男性従業員が次から次へと辞めていく会社」でした。そりぁそうなるでしょう。あほくさいですからね。80代の会長が「不動産業には女性がいい♪」と言って「50代なかばの下品なおばはん」を優遇するから、そうなると、何も男性従業員はそんなあほくさい所にいなくても、どこか他に勤め先があったら他に行った方がいいでしょう。””オバタリアン帝国主義”” と闘って労力を費やすよりも別の所で頑張った方がいいと思います。
だから、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ は女性社員の割合が大きくなり、「レディース営業の店」なんてのも出現しました。店の外装からしてピンクで「レディース営業の店」と大きく書いてあるんです。そういうのを見ると、来場客には素敵なおねえさまが何かピンクサービスとかあるのかな・・とか、今、契約したら、あんなこととかこんなこととか素敵なおねえさまがサービスしてくれるのやないかしらん♪・・なんて思いませんか? ・・違いますからね(笑)。店員全員がおばさんだてことですからね。ピンクサービスなんて絶対ないから誤解してはいけませんよ。やったげると言われても「要らんわい!」と思うかもしれんけど( 一一)
「レディース営業の店」はまだいいと思うのです。似た条件の人がそこに集まるのですから「お互いさま」でしょう。しかし、男性従業員と「レディース営業」が混ざった店になると、男性従業員は「女性は土日祝日は遅刻してきていいと会長が認めている」と言って、毎度毎度、土日祝日になると男性従業員が掃除して準備して用意した所に出勤してきて、掃除・準備作業をまったくやらない女が下駄箱の上をひとふきしただけで「私がここまでやった」と宣言して、そりぁいったい何の冗談や? はあ~あ? と思っていると、自分が店長だからと先に接客して、接客中は私に客の子供の相手してもらったり、補助的な作業をしてもらい、自分の接客がすんだら、次は他の営業の補助役をやるのが営業というものだろうと思うのだがそうではなく、自分の接客がすんだら「そしたら私は出かけてくるからね」と出かけるのですが、そういう態度・そういう勤務状態を「会長が認めている」そうなのですが、その会長、一回、ロボトミーでもやって「治療」してやった方がいいのではないか。ちょっとはマシになるかもしれん。
・・「レディース営業の店」ならば同じような条件の人間が集まるわけですから「お互いさま」になるでしょうけれども、男性従業員はオバサンが来る前に掃除と準備とさせられて自分が掃除と準備をしたところにオバサンがやってきて先に接客して、オバサンの接客を補助するとオバサンはでかけていって、夕方になると「後、片付けといてよお」と言ってオバサンはまだ就業時間中なのに帰ってしまい、オバサンが接客した会場の後かたづけをさせられるというのでは、男性従業員はウルトラあほくさいということになり、結果として女性ばっかり残る・・ということになったのでしょう。そういう「男なら殴られるぞ」ということを女はやっても殴られない「女性の権利」があるとオバサンは信じているのです・・がそんな「女性の権利」なんてないと思いますよ。
ふざけんなよ、東海住宅(株)のくそ会長! じいさん、一回、パイルドライバーでもお見舞いしたろか。ちょっとはマシになるかもしれん。
※《YouTube-パイルドライバー集.1》https://www.youtube.com/watch?v=YGfyukFFeQY
(6) 東海住宅(株)の花見川店には、井上という女性の事務職員(女。当時、40代)がいたのだが、この女は変わった女で、オット持ちの女のくせに、佐倉市の自宅の近所に住んでいた福田というリフォームの係の50代の男と毎日、一緒に帰っていたのだ。
たまたま、同じ時間帯に同じ方向に帰ることになったという時に一緒に帰ったというのなら別に悪くもないが、毎日、毎日、井上は自分の仕事が終わっても、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」とか気色悪いこと言って福田を待っているのだ。 福田という男も、ちょっとどうかしているのではないか・・・と普通は思うと思うのだ。
私が福田の立場ならば、時として、帰る時間帯が一緒になって方向も同じなら一緒に帰ることもあっていいと思うが、しかし、毎日毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」などと言われて、妻持ちのええおっさんとオット持ちのええおばはんが一緒に帰っている・・というのは、なんとも奇妙な光景だった。
・・それだけなら、「変な男と変な女やなあ」ですんだかもしれないが、それだけではないのだ。↑ に述べた、佐倉市志津 の 京成本線「志津」駅の南の方の分譲地でオープンハウスをおこなった際、「大友ゆうこりん」は自分が最初の来場客を接客し終わったら「私、出かけてくるからね」と言って離れてしまい、そして、夕方に私の携帯電話にかけてきて「私は先に帰るから、後、片付けといてよお」などと言い、「相当の量があって一人でどうこうできるものではないのですけれども、どうしたらいいのですか」と言うと、「そう。それじゃあ、なんとかしといてねえ。私は先に帰るから」と、まだ就業時間中であるにもかかわらず、片付けをせずに先に帰ってしまったのだ。
「会長が認めている」と「ゆうこりん」は言うのだったが、会長はそういうものを認めてはいけないはずだ。むしろ、会長もしくは、建築部担当の取締役だった「人相と眼つきの悪い大澤」は「ゆうこりん」のようなことをする人に「そういうことは困ります」と注意しないといけないはずであり、注意できないのならば会長や取締役としての役割を果たせていない、職務怠慢ということになります。
一人でどうこうできるような状態ではなく、佐倉の営業所から来ていた某さんも、「大丈夫ですかあ?」と気の毒がって、佐倉の営業所が用意したものではなく花見川店が用意したものについても少しだけ片付けを手伝ってくれたりもしたのですが、某さんが帰った後、これ、いったい、どうしたらいいの? ・・と途方にくれていたところ、そこにバンのクルマがやってきた。運転しているのは花見川店に勤務しているリフォーム部の福田だったので、さすがに見かねて手伝いにきたのかと思ったらそうではなかった。あきれた。福田は見物にきたのだ。それも、隣の助手席に女を乗せて、一人でどうもならないようなものを押しつけられて途方に暮れている同僚を見物に来たのだ。隣の助手席に乗っていた女は、毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って待ってるにょお♪」と気色悪い声だして福田を待ってる事務員の井上だった。
福田と井上のこの異常行動はもはや精神病理学上の問題だ。
( ↑ 東海住宅(株) の花見川店にいた福田がクルマの助手席に女を乗せて見物に来た 佐倉市上志津 の分譲地 だったところ。)
建設部担当の取締役(で後に社長になった)大澤は建設部担当の取締役ならば、福田がこういった異常な行動をおこなっていることに対して注意しないといけないのではないか。それが「建設部担当の取締役」の仕事ではないのか。ところが「ぼくは力あるから」とか言っていた大澤は「福田は仕事ができる男なんだから」などと、「バカ言ってんじゃないわ♪」( ⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g )てことを言っていた( 一一) 「バカ言ってんじゃないよ!」
アタマ、おかしいのじゃないのか、「この二人+取締役の大澤」は

私はリフォーム部の所属でなくても、福田が担当の仕事でも同じ場所に勤務する者として手伝ったりもしている。それに対して、福田もまた、「相互主義の原則」として私が困っている時にはいくらかなりとも協力していいはずであるし、井上もまた花見川店の事務員であり、事務員とはいえ、パートタイマーではなく「正社員」としての処遇で採用されていた女だったのだから、同僚が困っているのであれば少しくらい協力しても、バチ当たらんであろうはずだ。
ところが、もはや、この二人は「精神病理学上の問題」であろう。福田が運転するクルマの助手席に井上は乗って、二人で途方に暮れている同僚をわざわざ見物に来て、そして、見物しただけで帰っていったのだ。
私は長く、「話は穏やかに」するべきものであり、又、あくまでも話してわかってもらうようにするべきもので決して手を上げるようなことはするべきではないと考えてきたのだが、しかし、現実に会社という所に勤めると「口で話してもわからない人間」というものが現実に存在する。福田と井上もそれだ。そうなると、女を殴るわけにはいかないから、女の分も含めて2人分、福田に「ハンマーパンチの嵐」でもお見舞いするべきだった・・ということになるだろうか。「また、つまらぬ者を殴ってしまった」〔⇒《YouTubeーまたつまらぬものを》 https://www.youtube.com/watch?v=auWUCyFnU88 〕などとなってもあほくさいので、又、こういった者には会社として注意するのが筋であるはずであるから、会社としてこの連中に注意するのを待ったが、建設部担当の取締役の「人相の悪い大澤」にしてもアホグループの構成員だったようだ。
東海住宅(株)の「アホの会長」は、いくらアホでも、この福田と井上の2人、注意しなきゃいかんだろう。 注意できないのならば会長と言う値打ちはないであろう。また、「建築部担当の取締役」という「人相と眼つきが悪い大澤」は、人相が悪いのはそう簡単に治らないとしても、福田と井上の2人に注意するくらいはできないと、それくらいできないようなら取締役の値打ちがない、取締役と言うに値しないことになる・・・のだが、大澤はそうではなく「福田は仕事ができるんだから」と実際には仕事できていない福田を持ち上げていた。超ド級のアホだな、この男は・・と思った。どうしようもないな、「人相の悪い大澤」は。アホだから人相も悪くなるのかな・・・( 一一)
大澤という男は、まったくどうしようもない
《「ウルトラの母」ならぬ「ウルトラのバカ」》、
もしくは
《「スーパーマン」ならぬ「スーパー パーマン」》だな。
(7) それだけではないのだ。
2008年、千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市。〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川ショールームにいた時のことだ。
会社のゴミは市がやっている一般市民のゴミ回収に出すことはできない。実際にはこそっと出していた会社というのが私が勤めてきた会社においても複数あったのだが、本来はだめです。事業用のゴミというのは、市役所がおこなっている一般家庭のゴミの収集に出してはいけません。私が勤めてきた会社では、それをこそっと出していた会社もありました。2010年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも2013年11月に正式に倒産)では、市役所の人間が「ゴミはどのようにされていますか」と問い合わせに来た時、社長の長谷川は「茨城県の土浦の方にうちの工場があって、そこでゴミの回収業者に来てもらってるのに一緒に出してます」と言っていましたが実際には千葉市中央区鵜の森町 の「本社」で出たごみは市役所の一般家庭のゴミ回収に出していました。2006年、千葉県などでのリフォームの建築業 (株)ウッディホーム でも千葉市稲毛区の本社には回収業者が来ていましたが船橋店のゴミは市役所の一般家庭のゴミ回収に出していた。「中小企業の経営者」というのは詐欺師とあんまり変わらん・・というのか、結論として「詐欺師と一緒」ではないでしょうか。
東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ は京成本線「八千代台」駅から東にまっすぐ歩いた北側に本社ビルがあり、その1階に「本店」(八千代台店)があったのですが、本店(八千代台店)には回収業者が来ていたのですが、花見川店には来てもらうように手配していなかったのです。なんで?
( 2008年前後頃、東海住宅(株) 本店(八千代台店)があった場所。 今は、八千代台店は道路をはさんだ向かいの場所に移ったようです。)
( 2008年前後頃、東海住宅(株) 花見川ショールーム があった場所。 今は道路を隔てた向かい、かつては、たしか、ラーメン屋と不二家があった場所に「東海住宅アルパプラザ」と称して移ったようです。 )
それで、花見川ショールーム・花見川店で出たゴミ、業務において出たゴミ、および、昼食に買ってきたお弁当を食べた弁当ガラなどを「燃えるゴミ」として袋に入れて、それを毎回、私が本店(花見川店)のゴミ置き場に運んでいたのです。 他の会社で経験があっても東海住宅(株)では「新人」ですから私がやってもいいと思いました・・が、毎回、一人の人間にさせるのではなく、従業員が何人かいたら交替でやるべきものではありませんか。
又、花見川店の人間だけがそういう作業をさせられるというのは、それは不公平というものではありませんか。 本店(八千代台店)で出たゴミと花見川ショールームで出たゴミとを本店(八千代台店)のゴミ置き場に持って行ってそれをゴミ回収業者に持って行ってもらうということならば、花見川店に勤務していた従業員だけが運ぶ労力と運ぶのに要する自家用車の提供をするというのは公平ではありませんね。 本社・本店の従業員も公平に負担すべきではありませんか。
こう言うと、大友優子は「本店のゴミ置き場に捨てさせてもらってるんだから、こっちが持っていかなきゃいけないでしょ」と言うのです。それならば、
〈1〉それなら私に運ばせないで、あんたが運んだらどうなの?
その文句はあんたが運ばないで私が運んでいるから言うことでしょ。
〈2〉「本店のゴミ置き場に捨てさせてもらってるんだから」と言っても、本店の従業員がゴミ回収業者にカネ払っているわけではなく会社が払っているわけだから、もしも「本店のゴミ置き場に捨てさせてもらってるんだから」と言うのならば、本店のゴミ置き場に回収に来てもらうのではなく花見川ショールームに回収に来てもらうようにして、本店の従業員に花見川ショールームまで運んでもらうようにすればいいでしょう。
私は戸建住宅建築業の会社においては実績を残してきた経験者でしたし、「請負の住宅の建築」においては店長の大友なんかよりもずっと経験と実力がある者でしたが東海住宅(株)という会社では「新人」でしたから、もしも、ゴミを運ぶ必要があるならば、「新人」がそうでない人よりも多めの回数運んでもいいとは思っていたのです・・が、毎回毎回、私に運ばせるというのは、それは筋が通らないのではないか。リフォーム部の福田(男。当時、50代)は私が入社する前に運んでいたようでしたが、福田はかつて(株)一条工務店にいたことがあるらしかったが、(株)一条工務店では私の方が上だったが東海住宅(株)では福田の方が先に入社していたというのはわかった。北尾みたいに、プロレスに転向してから、元幕下力士のジョン=テンタがプロレスにおいては自分よりも「先輩」だとしても、俺は横綱だといつまでもそういう意識を持っているというのはいいとは思いませんよ。しかし、上とか下とかいうことよりも、そこに勤務して仕事している従業員同士ならば、毎回、おのれの弁当ガラも含めて「燃えるゴミ」を人に運ばせるというのはいかがなものか・・と思いませんか? 「今回は俺が運ぶわ」とか時には言ってもいいと思いませんか?
事務員の井上(女。当時、40代)は、毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」と言って、オット持ちの40女が嫁持ちの50男の福田を待って二人で一緒に帰っていたのだが、「建築営業」の私と大友とリフォーム部の福田は自家用車持込で仕事をしていたのに対して井上は京成本線「八千代台」駅から歩いて来ていたので、ゴミを運ぶのは自家用車で来ている者が運んでもいいとは思いましたよ。しかし、それならそれで、おのれの弁当ガラも運んでもらってる女は「すいません」「いつも、申し訳ありません」という一言くらい言ってもいいと思いませんか? 井上は、なんか、おのれの弁当ガラをゴミ置き場まで捨てに運んでもらって当たり前みたいな顔していましたが、この女、どういう親の教育うけてきたのかな( 一一) この女の親というのは、どういう顔してるのかな・・なんて言っても実物を見せられてもしかたがないのだけれども、しかし、「親の顔が見たい」と思いました。
「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がありますが、実物見せられてもしかたありませんからね。どうせ似たような顔してるのでしょう。どうせ似たような性格しているのでしょうが、この女の親というのは娘にどういう教育してきたのでしょうかね( 一一)
時々、さっさと子供作った人間には「少子高齢化対策に貢献してるんだ」とか言う人がいますが、そういう人を見ると「あんたのクローンみたいな人間を拡大再生産されても迷惑なだけ!」という人が多いように思います。こういうバカ女症候群を拡大再生産されても迷惑です。


( ↑ 「コミック乱ツインズ」2022.3月号 2.14.発売 リイド社 所収
山口 正人『小平田の刃(やいば)』「人生、意気に感ず」の巻 )
大学生だった時、1980年代、箱根の保養所で泊りがけの「雑務」のアルバイトをやったことがあるのですが、その際、誰がどういう分担をするかという話をした時、パートタイマーで来ていたおばさんが「男の子にトイレの掃除させるのなんて嫌だよ」と言うので、それまで、そういうことをあまり真剣に考えていなかったのですが、男性が使用するトイレを女性が掃除してもいいけれども、女性が使用するトイレを男性に掃除されるのは嫌だとおばさんが言うのを聞いて、なるほど・・と思ったのです。たしかに、男性が男性用トイレの掃除をしてもいいし、女性が女性用トイレの掃除をしてもいいし、女性が男性用トイレの掃除をしてもいいけれども、男性が女性用トイレの掃除をするというのは良くないのではないか。 女性は女性用トイレの生理用品用ゴミ箱を男性にかたずけさせたいか? 但し、その後、女性の口から「平等に男にもトイレの掃除をしてもらわないと」と言う言葉をきくことがあり、男性に自分が使用するトイレの掃除をさせたがるこの女って女なのかな・・と思ったことがありました。
同様に、おのれが食べた弁当ガラを男にかたづけさせようとする事務員の女って、女なのかな?・・と思ったりもしたのです。「燃えるゴミ」の袋までは自分で入れてるのですよ。しかし、それにしても、おのれが食った弁当の弁当ガラを入れたゴミの袋を毎回、男性社員に運ばせて、「すいません」の一言も言わない、言えない女というのは、その女というのは女なのかな? ・・そう思いませんか?
最初、井上は電車で京成「八千代台」駅まで来て八千代台駅から歩いて来ていたのですが、そのうち、井上は自家用車で通勤してくるようになったのです。私や大友や福田は自家用車を仕事で使うからということで「自動車持込」で勤めていたのですが、井上は事務員だから仕事で自家用車を使うことはなく、あくまでも通勤用に自家用車に乗ってきたのですが、「地方」ならマイカー通勤を認めて駐車場を用意している会社はありますが、東京圏では駐車場の用意が大変なので仕事で自家用車を使用する場合はマイカー通勤は当然として、仕事で自家用車を使わない従業員はマイカー通勤は不可能な場所とかでない限り認められない場合が多いのですが、井上は自家用車で通勤して花見川ショールームの来客用駐車場にとめるようになりました・・が、自家用車で通勤するようになっても、それでも相変わらず、毎度、おのれが食った弁当ガラも入っているゴミ袋を私に運ばせていました。そして、相変わらず「どうも、すいません」「申し訳ありません」という一言を口にしませんでした。(素朴な疑問として、こういう「事務員」て、要らない・・てことないか?) この女の頭の中はいったいどうなっているのか。CTスキャンやって検査してやった方が本人の為かもしれません。
私は戸建住宅建築業の会社では経験者であり、店長の大友みたいなもんよりもよっぽど経験と実力がありました。しかし、不動産業の部分については宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の資格は持っていたけれども、「賃貸の不動産」は(株)エイブルに少しだけいましたが「売買の不動産」は建築業の会社の側から不動産屋と接することはあっても自分がその仕事についたのは東海住宅(株)が初めてでしたし、東海住宅(株)という会社においては「新人」でしたよ。だから、その会社においては「新人」がそれ以外の従業員よりも、ゴミを運んだりするのは多めでもかまわないとは思っていましたよ。しかし、毎回毎回、私だけが運んでいて、それに対して「すいません」「申し訳ありません」の一言も言わない、言えない人間というのは、それはおかしくないか?
そして、「女性用トイレの掃除を男性にさせたがる女」というのは女なのか? ・・というのと似ていることですが、毎度毎度、おのれの弁当ガラの入ったゴミ袋を男性社員に運ばせて平気な女というのは、その女は女なのか?
私は東海住宅(株)では「新人」だと思ったから、自分より前からいる従業員よりもゴミを運んだりするのがいくらか多めでもかまわないとは思いましたよ。 慶應大学の「社会保障論」「労働問題」という講義の時だったと思うのですが、教授が「日本の会社では転職すると、前の会社の役職の8割くらいしか認めてもらえないことが多い」と話されたことがあるのですが、又、最初に正社員型で勤めたコンピュータ関連のT社の人事総務部に中途入社してきた30代の男性は最初から課長でしたし、小堀住研(株)では役職はヒラで入っても職能級位で配慮していたようですが、請負の戸建住宅建築業の営業や不動産の営業の場合は、8割ではなくて誰もがゼロからという会社がけっこう多いようで東海住宅(株)でもそうだったのですが、そのかわり、「建築の住宅の営業」でも「不動産の住宅の営業」でも、入社時は「ゼロから」でも、そのかわり、入社後に成果を出せば比較的簡単に上がるというようにしている所が多いのではないでしょうか。 私は東海住宅(株)では「ゼロから」入ったけれども、それまでの実績がなかった人間ではないのです。 それまでの実績としては東海住宅(株)の最低でも過半数の者よりも上なんです。でも、この会社においてでは私は「新人」なのだからと思って、それで「新人」としてゴミを運ぶとかいった作業は他の従業員よりも多めでもいいかとは思ったのです。しかし、毎度毎度やってもらうばかりのオバサンというのは、そういうのはいかがなものでしょうか。
まず第一に、毎度毎度、おのれの弁当ガラを男性に運んでもらって平気でいる女というのは、その女は女ではないのではないのか?
それから、花見川ショールーム で 他店舗勤務の営業が建築のプラン打合せをおこなっていたのだが、そうやって花見川店を利用していたからには、打ち合わせをする日は早めに来て花見川店の掃除を一緒にやるとか、あるいは担当客が帰った後、花見川ショールームの周囲の清掃をするとか雑草を抜くとか、帰りに花見川店のゴミ袋を本社のゴミ置き場に運ぶなり自店に持ち帰って自店で業者に出すとか、何らかのことをやっても良さそうなものだったが、花見川店で打ち合わせをおこなった者でそういったことをやる人間というのは一人もなかった。 ハウスメーカーで自分が追客中のお客様が他展示場を見に行ったとか、契約客が他展示場を見に行ったとかいうのは基本的には「お互い様」だが、花見川店を利用して打ち合わせをおこなっていた他店の従業員というのは、これは花見川店はショールームであって花見川店を訪ねて新規の来場客はないという場所であり、花見川店は利用されるだけであって他店はショールームでもモデルハウスでもなく「普通の不動産屋の店」であり「お互い様」ではないのだから、時には早めに来て花見川店の掃除をやるとか、担当客が帰った後に花見川店のゴミ袋を運ぶとか何なりやってもバチ当たらんだろう・・と思ったが誰ひとりとしてやる人間はなかった。そのあたりに気づく、そのあたりについて気を配るのが営業というものではないのか・・と私なら考えるのだが、その基準から考えると東海住宅(株)の営業というのは営業ではないということになる。 不動産屋てそんなものなのか? それならば、花見川店勤務の従業員だった私も「相互主義の原則」をとっても良かったということになるが。
さらには、普段は本社にいる「設計」担当者が花見川ショールームで打ち合わせをおこなっている最中に電話してきて、「今、打ち合わせ中です」と言っても、「急ぎですからかわってください」と要求する者がおり、それならと打合せ中の設計担当者にそのように言うと、設計担当者は「今、打ち合わせ中だから電話に出れないから」と言い、これもそのように伝えると「今すぐ、話したいから打ち合わせ中でも電話に出てもらってください」と言うということが何度もあった。 電話を取り次ぐのは取り次いでいいが、花見川店の従業員というのは電話番ではないのに自分の仕事が他にあるのに取り次いであげているのであり、「設計担当が他の客と打合せ中でも電話に出て対応する」のでも「打合せ中は電話に出れないから打ち合わせが終わってからにしてくれ」でもどっちでもいいから、両方で取り次ぎ役をやっているだけの人間に両立しないことを要求するのはやめてもらいたいものだった・・・が、東海住宅(株)の他店の営業とへぼ設計担当者は話し合ってどっちか決めてもらいたいものだったが話し合わず、両方が譲らず花見川店の従業員を困らせるのだった。もしも、へぼ設計担当者と他店営業とで話し合ってどちらか決めるという作業をしないならば、花見川店としては他店の従業員からの電話の取り次ぎは一切おこなわないということにするしかないのではないかと思ったのだが、大友優子(女。当時、50代なかば)にしても、その後、店長になった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)にしても、設計担当と他店 店長とにそれを通告するのが花見川店店長の仕事のはずだが、花見川店店長としてやるべきことをやらなかった。 大友も田中も一応店長とはいえ、「その程度の店長」「一般的な管理者としての能力がない店長」だったのだ。
(8) 2008年、東海住宅(株)の花見川ショールームにて、事務員の井上(女。当時、40代)が周囲の掃除をしていたところ、道に面した縁側(濡れ縁)の下に猫の遺体が見つかった。それで、私と福田とで東海住宅(株)の駐車場〔所有していたのか借りていたのかはわからない〕の隅に穴を掘ってその猫の遺体を埋めたのだ。私が6割・福田が4割くらいの労力での作業をした。
ところが、《 毎日、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って、福田しゃんを待ってるにょお♪」などと気色悪い文句を言って福田と一緒に福田のクルマで帰宅する井上》 は、それ以来、花見川店に来る人間に片っ端から「そこの縁側の下に猫が死んでたんですよお。それを福田しゃんが埋めてくれたんですう」と言いまくるのだ。何、それ? 福田も労力を提供したけれども、6割は私がやったんだよ。それを「福田しゃんが埋めてくれたにょお♪」て、この女、一度、強制収容所にでも入れて強制労働につかせて真人間になるように教育してやった方がいいてことないか? この女、一度、強制収容所に入れて「作業療法」させて「治療」した方がいいてことないか?
又、福田という男は(株)一条工務店にいた時は営業やっていたと言うのだが、まがりなりにも営業の仕事の経験者だと言うのならば・・というよりもそうでなくても、「俺ひとりで埋めたんじゃないよ。〇〇さんと二人でやったんだよ」と言うものだろうが! それを井上に「福田しゃんが埋めてくれたにょお♪」などと言ってもらってそんな顔をしている。こんな営業があるかあ? ・・だから、(株)一条工務店では売れなかったからやめたのかもしれないが、「俺ひとりで埋めたんじゃないよ。〇〇さんと二人でやったんだよ」とそのくらいのことは言えるのが営業というものではないのか? その程度のことも言えないような男を「営業やってた」と言うのか? その程度のことも言えないような男を「営業の経験がある」なんて言うのかあ?
そんなのを「営業の経験がある」とは普通は言わんのじゃないかあ?
その場所が東海住宅(株)の所有地だったのか借りていたのかわからないが、私は心をこめてその猫を埋葬した。私が在籍していた間はどこに埋めたか記憶していたが、今、東海住宅の花見川店にいる人間はそんなこと知らないだろう。だから、知らずに土を掘り起こして動物の骨がでてきたとかいったことがあったらびっくりするだろう。・・びっくりするだろうけれども、私が心をこめて埋葬した猫は祟ったりはしない・・けれども、心をこめて埋葬したから祟ったりはしないが、粗末にするようなやつがいた時にはどうかは知らない。
井上が「福田しゃんが埋めてくれたにょお♪」などと井上がアホなことを言いまくっているのを、その時点の店長だった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)は聞いていたのだが、店長ならば、普通なら「井上さん、そんな言い方はないだろう。〇〇さんと福田さんと二人で埋葬したのに『福田しゃんが埋めてくれたにょお』とは、そんな言い方ないだろう」と注意するものだと思ったのだが、田中は何も言わなかったが、そういう時にきっちりと言える人間と言えない人間とで店長としての値打ちが変るが、田中の態度を見る限り田中は値打ちがない方の店長だったということになる。
(9) 「女の機嫌をとりたがる男」というのは世の中にけっこういる。 「相手が女である場合には相手が男である場合よりもいくらか優しくなる男」「相手が女である場合に、相手が男である場合に比べていくらか防禦が緩くなってしまう男」というのなら、それは人間というのは男性というのはそういうものだから、かまわないと思うし私だったそんなところはある。むしろ、 「相手が女である場合には相手が男である場合よりもいくらか優しくなる」という男性なら不思議はないところにつけこむ女がいたなら、そういうものにつけこむ者の方がけしからん・・と思う。
しかし、「こいつ、アホちゃうか」て男というのがいるのだ。例はいくらでもあるが、たとえば、1970年代初め、私が小学校6年だった時、大阪府M市の市立N小学校の教諭の「はな〇さ」て男(当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)だが、教育実習に大阪教育大4年在学中の女性が来た時のことだ。当時、私が行っていた小学校の6年生は4クラスあって40代の「はな〇さ」が学年主任で、他の3人はそれより若くて、3人のうち1人が女性で他の2人は男性だったが、その男性の1人、「今井のしんちゃん」という男と、その教育実習にきた女性とが一緒にどこかに行きよったらしいのだ。「つきあう」というところまでいったのかどうかまでは知らん。「今井のしんちゃん」なんて、あんまりええことないと思うがなあ・・と私は思った。「今井のしんちゃん」とその教育実習にきた女性ならその女性の方がずっといいと思ったのだが、ともかく、一緒にどこかに行きよったらしいのだ。
ところが、その女性が教育実習のクラスとしてきていた我がクラスの担任だった学年主任の「はな〇さ」が「しんちゃんには若い女の子をあんまり遅い時間までひっぱりまわしたらいかんと言ってやってるんだけどな」などとその女性に言うのだ。はあ?
はあ? なんで、あんたがそんなこと言うのお? はあ?
父親ならわかる。兄とか叔父とかでも言って悪いてことはないだろう。〔 そういえば、何年か前、うちの姪が娘の運動会を見にいかないかと言うので「そんなもん、父親でもないのに女子校の運動会なんて見に行ったら変態やがな」と言ってお断わりしたが、うちの父親なら、あのおっさんやったら行くかもしれん。〕 父親とかが心配して言うのならわかる。しかし、「はな〇さ」は単に教育実習にその女性が行った先のクラスの担任であってそれ以外の何でもなく、それ以上の何でもないではないか。ハタチを過ぎた男とハタチを過ぎた女が一緒にどこにどういう時間に行こうが当人の勝手だろうが。余計なこと、余計な口出しというものだろう。まあ、俺やったら、もしも何か言うなら、そういうことを言うのではなく、「今井のしんちゃんなんてええことないと思うでえ~え。なんで、あんなん、ええと思うんやあ。やめといたらどうやあ。あんなん、くさいでえ~え♪」と言ってやりたい・・気もしないことないが〔 「はな〇さ」が授業している時、その教育実習生のおねえさんは私の左あたりに座っていたのだが、今から考えると「『今井のしんちゃん』なんてええことないと思うでえ~え。あんな~ん。やめた方がええと思うでえ~え、あんな~ん」と言うたったらよかったかな(^^)/ と思わんこともない(^^♪ 〕、どっちにしても、その女性からすれば「大きなお世話」てものだろう・・・が、そういうことを口出して、それで「ええ役やった」つもりのおっさんてのがいるのだ。 「バッカじゃなかろかルンバ♪」て行動をとるおっさんが。
「はな〇さ」については同様の言動が他にもあった。
そういえば、うちの父親もそんなところがあった。うちの父親の勤め先は化粧品会社で、化粧品会社というのは美容部員さんの若い女性がいるわけだが、その一人が男性とつきあっているというのを聞いて「それは、遊ばれてるのと違うかあ」とか言って心配してやっていたのだが、あんたが心配することと違うんやないのかあ・・・と思ったのだ。だいたいやなあ、男と女の関係というのは「あんなん、やめといた方がええのとちゃうかあ~あ」とはたから見ていて思っても、その男にとってはその女がいいのかもしれないし、その女にとってはその男がいいのかもしれない。だから、特にはっきりとどう思うか意見をきかれたのならば「私は・・と思う」と自分が思ったことを言っても悪いということはないかもしれないが、きかれもしないのになんだかんだ口出す必要も理由もないと思うのだ。ところが、「おっさん」てのは「若い女性」に親切のつもりで、あるいは「ええかっこしい」やってるつもりで口出したがる男というのがいるのだ。バッカじゃなかろかルンバ♪・・と私は思うがな。 ・・特に、うちの父親のように ””自分の娘の為にならまったく世話しようとしない、まったくめんどうみようとしない男が、よその娘のためになら「ええかっこしい」やりたがる人間シンドローム"" というのを見ると、バッカじゃなかろかルンバ♪ と思い、””ほとんどビョーキ! ”” て感じがしてしまう。「精神安定剤の大量投与によるメロメロ療法」でもやれば治るか? いや、そんなことでは治らんやろ。「このビョーキは一生治らない」と考えた方がいいのではないか。
「自分の娘のめんどうは見ないくせに、よその娘のめんどうみたがるおっさん」てのはけっこういるようだが、なんで、そんなことするのかと思うのだが、「自分の娘のめんどうみる」というのは責任もでてくるし、めんどうみようと思ってもできる場合とできない場合がある。それに対して「よその娘のめんどうみる」というのは「ええかっこしい」やりたいだけであり、どうも、「よその娘のめんどうみる」というのは、そういう「しょーもないおっさん」にとっては楽しいみたいだ( 一一) ちっぽけな野郎だなあ( 一一)・・・と思う。
そういう「自分の娘のめんどうは見ないでよその娘のめんどうみたがるおっさんシンドローム」の「患者」はけっこう多い。 男性がそうならない為にはどうすればいいか、文学・哲学・宗教学の古典と言われるような書物を読んで自らを省みるというのは、いくらかなりとも役に立つかもしれん・・が、それより何よりも、「自分自身が痛い目にあってみる」というのが一番役に立つのではないかと思う。 私は23歳の時に普通自動車運転免許を取得したが、その後、原付はけっこう運転したが普通自動車の運転は免許を取得してからけっこう経ってから、30歳になってからだった。運転免許を取得して7年目に運転しようとして「ペーパードライバーの講習」に松戸東自動車学校に何回か行ったのだが、その際、隣に乗ってくれた指導員の人が「教習所のクルマなんて何回乗っても運転はうまくならないですよ。自分で路上を運転して、ひやっとする経験を積まないと運転はうまくならないですよ」と言ってくれたのだが、しかし、「ひやっとする経験」ならいいが、人を死なせてしまうか自分が死んでしまうことになっては困るから、だから「教習所のクルマ」に乗せてもらっていたのだった・・が、しかし、その人の言うことは間違いということではない。実際に自分で自分のクルマを公道で運転して「ひやっとする経験」をすると、その次から同じような状況になった時に、これはいかんと思うようになるし、さらには(人を死なすか自分が死ぬかというほどではない)物損事故をやると、同じような状況になると無意識のうちに自然と減速していたりする。だから、その教習所の指導員の人の言ったことは間違いということはないと思う。 それと似たところがあると思うのだ。男性にとって、女性に関してアホなことしないようになるためには、「実際に痛い目に合って見ること」というのが、これが一番身につくのではないか・・・という気がする・・のだけれども、世の中にはそれなりに人生を生きていているのではないかという年齢になっても「ちっとも学習しない人」「ちょっとは学習しろよな」て男というのもいるのだ。『ルパン三世』は毎度毎度、峰不二子に痛い目に合わされて、五右衛門と次元から「ちょっとは学習しろよな」と言われまくるのだが、しかし、ルパン三世の場合は毎度毎度、峰不二子に痛い目に合わされながらも、最後の最後は切り抜けるので、ルパン三世はアホのように見せて実はそんなにアホでもないのかもしれない(^○^) それに対して、本当に ””「ちょっとは学習しろよな」ておっさん症候群”” というのがけっこういるのだ。
何年か前に、「男を遊び相手とするのが大好きな女子」座談会 なんてのが何だったか週刊誌に載っていたのだが、そこでは、遊び相手にした男が本気になってうるさくなった時に便利なのが「総務の無能なおっさん」だという発言が出ていた。そういうおっさんに「かわいい女」として泣きつけば、うるさくなってきた男を追い払ってくれるから便利♪・・・だそうだ。 そのタイプの女にとって使いでがある「アホな総務のおっさん」てのは日本の会社にはけっこういる。うちの父親の勤め先の社長が「アホはアホなりに使えばいいやろ」と言ったという話をうちの父親から聞いたのだが、その手の「アホな総務のおっさん」はいても、その「アホな総務のおっさん」でも「アホはアホなりに使ってやる」能力がある上役というのがいない会社というのもけっこうある。
1989年、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)〕で、7月1日より千葉支店の支店長になるという辞令が出た渡邊士直は7月の終わりになってやっと千葉支店に来た。いくらなんでも遅いのではないかと思われたのだが、その渡邊が各展示場に「営業補助」として勤務していた女性社員に、それまで支払っていなかった時間外手当を出すようにした・・・が、「ああ、『底辺の高校卒の男』を支店長にならせるとこういうことをやるんだなあ」と思った。あ~あ・・( 一一)
展示場勤務の女性社員であれ誰であれ、勤務時間外に働かせたならば時間外手当は支払わないといけないのです。しかし、小堀住研(株)では営業職の男性社員にも時間外手当は支払っていなかったのです。払わなきゃいかんのですよ、労働基準法と小堀住研(株)の就業規則に従えば。ところが、営業職の男性社員には払わずに、展示場勤務の「営業補助」の女性社員にだけ、時間外手当を支払うことにしたのです、渡邊士直は。 どこがおかしいかというと、営業職の場合は「基本給+歩合給」という給与形態になっていて歩合給が支払われるから時間外手当は支払わなくていいと渡邊士直は思ったかもしれませんが、営業職なら時間外手当を支払わずに時間外労働をさせていいというものではないし、歩合給を払うならば時間外手当を払わなくていいというものではないのです。展示場勤務の「営業補助」の女性社員というのは男性の営業の補助をする役割でしたから自分自身で契約を取るということはしないので歩合給はつきません、あえて言えば自分が所属している展示場の営業成績が上がれば賞与は多めになるかもしれないというくらいでしょう。しかし、元々、展示場勤務の「営業補助」の女性社員というのは時間外労働はしないという前提での仕事だったのです。時間外労働はしないという前提での仕事の人が時間外労働をしていたということの方が問題があるのです。展示場勤務の「営業補助」の女性社員にだけ時間外手当を出して、男性の営業職の社員や設計課・工事課・工務課の男性社員には時間外労働をしても時間外手当を払わないというのは、そっちの方がおかしいでしょ。そうではなく、支店長ならばやるべきことは、とりあえず、本来、展示場に来場客があった時にお茶出しをしたり子供の相手をしたり電話番をしたり、男性の営業社員全員が出かけた時のお留守番をしたりという仕事であって時間外労働はないという人が、なぜ時間外労働をしていたのかということを調べて、そして各展示場の営業課長に「時間外労働はない」という前提の職種の人に時間外労働はさせないでくださいと言うべきだったはずなのです。
しかし、そういった管理の仕事というのは、それは本来は《「旧帝大系国立大学か早慶」あたりの大学の社会科学系学部卒の人間の仕事》であり、底辺の高校卒の渡邊士直さんがやる仕事ではないのです。本来、渡邊さんがやる仕事ではない支店長という役職に渡邊さんがついていたのが間違っているのです。そういう、本来、その役職につくべきではない人がその役職につくとどういうことをやると思いますか?
渡邊士直は、営業の就業時間は午前10時00分から午後6時00分だったにもかかわらず、毎週、木曜日に午前9時00分に千葉支店に来いと言い出したのですが、これは当然のことながら労働基準法違反であり、渡邊士直は「支店長の業務命令」と言いますが、それは渡邊士直の個人的な「命令」であって業務の都合による命令ではないし、業務命令であってもなくても1日8時間、1週あたりは40時間ではなく、その頃の規定は44時間くらいでしたか、ともかく、労働基準法上の労働時間制限を超えた早出残業の要求で違法であり、そのような「命令」は最初から無効です。なおかつ、たとえ歩合給を支払っていても、歩合給といういのは営業活動に対する報酬であり、渡邊士直の要求に従うための報酬ではありませんから、営業活動と関係のない早出残業の要求に対してはもちろんのこと時間外手当を支払わないといけないのですが、払わずに早出残業しろと要求してきたのです。労働基準法には罰則規定がありますが、刑法の場合は実体規定と罰則規定が同じ条文にありますが労働基準法では実体規定と罰則規定が別の条文に規定されており、これは実体規定については守らないといけないのは使用者と労働者・従業員の両方であり、労働基準法の罰則規定の対象になるのは使用者の側だけであって労働者・従業員は罰則規定は適用されませんが、労働者・従業員もまた実体規定に規定されているものは守らないといけないのです。従業員としては労働基準法違反の命令には従ってはならないのです。但し、実際には業務の都合上、労働基準法上の労働時間制限を超えての労働によってその会社の業務が成り立っていて、労基法上の時間外労働をするな・させるなと言われてもどうしようもないという場合はあるようです・・が、渡邊士直さんの個人的な都合での早出残業については当然のことながら従業員は従ってはなりません。営業職の従業員に歩合給を支払っているからといって時間外労働に対して時間外手当を支払わなくていいということにはなりませんが、現実に営業社員は歩合給を払われるのだからと思って我慢している場合があります・・が、渡邊士直さんの都合で午前9時に普段の勤務場所が松戸だったり柏だったり船橋・市川だったりする従業員に就業規則上の始業時刻よりも1時間早い時刻に千葉まで来いという要求に対しては、日本国民として従うべきではありません。労基法違反であっても、普段の始業時刻よりも1時間早い時刻に出勤させたならば、その分に対しての時間外手当を支払わないといけない。ところが小堀住研(株)は払わない。もし、私が支店長だったならば、そういう問題が発生しますから、不必要に就業規則上の始業時刻よりも1時間の早出残業で出勤してこいなどとは必要もないのに言いません・・・が、それを言うのが「底辺の高校卒の渡邊士直」だったのです。だから、やっぱり、渡邊士直のような「底辺の高校卒」の人に支店長は無理なのです。
そして、各展示場勤務の女性社員は始業時刻は午前9時からでしたが、松戸・柏・船橋・市川の展示場に勤務の人の場合、自宅から普段の勤務場所までの通勤時間が同程度の所に出勤する場合には普段と違う場所に来てくれと言うことはできるでしょうけれども、千葉駅前にあった千葉支店まで行くには普段の勤務場所に通勤するよりも長い通勤時間が必要になります。普段よりも遠い場所に出勤するという場合でも、普段の勤務場所の後ろにある建物とかで通勤時間が5分多くかかるという程度ならば特に問題はないとしても、千葉支店に行くには普段の勤務場所に通勤するよりも明らかに長時間必要になりますから、多くかかる部分について時間外手当の支払いが必要になります。・・ですから、もし、私が支店長ならば各展示場に勤務の「営業補助」の女性社員にまで毎週木曜日に午前9時に千葉支店に来いなどということは言いません。自分が労働者・従業員の側の立場の時と自分が使用者・会社の側の立場の時とでも違いはありますが、自分が支店長であれば、即ち会社の側であるならば、各展示場に勤務の女性社員に普段の勤務場所に通勤するよりも明らかに長時間の通勤時間を要する場所である千葉支店まで来いと言うと、余計にかかる通勤時間の分だけ時間外労働をさせたということになりますから、その分だけ時間外手当を支払わないといけないということになるのです。だから、もし、私が支店長ならば、そのあたりを考えて、展示場勤務の「営業補助」の女性社員に普段の勤務場所よりも通勤時間を長く要する場所である千葉支店に朝に来いとは言いません。展示場勤務の「営業補助」の女性社員というのは「お留守番」という役割もあったのですが、展示場勤務の「営業補助」の女性社員まで千葉支店に呼びつけたのでは「お留守番」の役をする人間がいなくなるということもあります。もしも、千葉支店と千葉支店に属する各展示場に勤務する従業員全員が集まる必要があるならば、たとえば、午後1時からその会合を開くとか、そういうことを考えます。そういったことを考えるのが支店長の仕事であり、それはやっぱり「旧帝大系国立大学か早慶」あたりの大学の社会科学系学部卒の人の仕事なのです。もしも、高卒でもそういった思考ができる人がいたならば支店長になって悪いということはありませんが、渡邊士直さんは「昔から一貫して大卒しか採らない会社」であるはずの小堀住研(株)のなぜかいる高卒の従業員の中でも、そういったことを理解できない方の人であり、「高卒だけれども管理者としての能力がある人」ではないというのは明らかでした。「『わたしはやります、絶対やります、私はやります、絶対やります♪』と、こうやって、ぶっわああ~あっとなってやるんじゃあ!」とか叫ぶくらいしか能がない渡邊さんを見ると、「ああ、やっぱり底辺の高校卒の人に支店長は無理だわなあ」と実感しました。実感させられました。だいたい、その「ぶっわあ~っ」て、それいったい何なんだよ、それいったい!
片方で、普段の勤務場所よりも通勤時間が明らかに多く要する場所に出勤しろと要求した場合には多く要する通勤時間の分だけ早出残業をさせたことになるので、その分の時間外手当を払わないといけないのに、それを払わずに、それまで展示場勤務の女性社員は千葉支店で「朝礼」をおこなう場合でも各展示場で「お留守番」をしてもらっていたものを渡邊の独断で千葉支店に早出残業の部分を無賃労働で来させるようにして、片方で、本来、時間外労働はしないという前提の「営業補助」の女性社員が終業時刻を過ぎても展示場にいて働いたというものに対して時間外手当を払うようにして「ええかっこしい」やったろと考えたというのは、そのあたりは「やっぱり、高卒のおっさんやなあ」という印象を受けます・・・が、単に、渡邊士直に労働法などについての認識が欠落しているからというだけではなく、渡邊士直が「女にええかっこしいしたがるおっさん症候群」だということもあります。アホだなあ・・・とあきれます。なおかつ「ええかっこしい」やるにしても「スマートでない」。その程度の人なのです。「その程度の人」を支店長にした小堀住研(株)が間違っているのです。
展示場勤務の「営業補助」の女性社員に時間外手当を支払うべきなのか。2つの時間外労働が問題となっています。
〈1〉 小堀住研(株)では支店・展示場にタイムカードがなく、これはダグラス=マグレガーの「Y理論に基づく経営」かと思ったらそうではなく労基法違反の労働時間オーバーを隠蔽する為、時間外労働の証拠を残さない為のものだったのですが、展示場勤務の「営業補助」の女性社員の労働時間については自己申告していたはずです。申告内容は特に事実に反するようなものが申告されていたわけではないでしょうけれども。
使用者は時間外手当を支払う必要があるのかどうか。
[ア]もしも、上役がはっきりと時間外労働をしてくれと発言してさせた場合には時間外手当は支払わないといけません。
[イ]上役がはっきりと時間外労働をしてくれと発言しなかった場合でも、その仕事の性質から考えて時間外労働をせざるをえない状況にあっておこなったという場合は支払うべきです。
[ウ]終業時刻を過ぎて、上役が「どうぞ、お帰りください」と言ったけれども、同僚がまだ仕事をしていて、同僚と一緒に帰りたいからとそこで待っていたというような場合は、単に「そこにいただけ」ですから、冬場、寒い屋外で待たせることもないでしょうし、夏場、暑い屋外で待たせることもないでしょうから、そこにいてもいいでしょうけれども、「いただけ」の人に時間外手当を払う必要はないでしょう。
[エ]問題となるのは、上役がはっきりと時間外労働をしてくれと発言はしておらず、又、必ずしも時間外労働をしてやる緊急性もない仕事を時間外におこなったという場合ですが、これは使用者が時間外労働をしてくれと求めたわけではないのにおこなったのですから時間外賃金は払う必要はないと考えるべきなのか。たとえ、その時に緊急性はなかったとしても現実にその仕事について貢献しているからには支払うべきなのか。緊急性があったかなかったかの判断というのも難しいでしょうし、[イ]と[ウ]の中間のようなケースというのがあるのです。この場合はケースバイケースで考える必要があるでしょう。
小堀住研(株)の住宅展示場に勤務の「営業補助」の女性社員が終業時刻を過ぎて働いたという場合ですが、会社としては基本的には展示場勤務の「営業補助」の女性社員には残業はしてもらわないという前提にしていたはずですから、支店長は終業時刻後に働いたというものについては、まず、各展示場の営業課長に対して、なぜ、終業時刻後に働いてもらうことはないという前提に会社がしている人が終業時刻後に働いたことになっているのかという点を確認するべきです。
[オ]小堀住研(株)の場合、「QCサークル」と称して時間外労働をさせていたのですが、「この時間外労働はQCサークルです」と一言言えば時間外手当を支払わなくていいというものではないはずなのです。又、この時、1989年の時点においては女性の深夜労働禁止という規定がありましたから、女性従業員には深夜労働はさせてはならないことになっていたはずで、柏営業所の犀川というおっさんが女性社員にもQCサークルの為に夜遅い時刻にまで残るように求めていましたが、あれは労基法違反の犯罪であったはずなのです。「この時間外労働はQCサークルです」と言っても、それでも時間外労働であるからには時間外手当は支払わないといけないはずです。
〈2〉 普段の勤務先よりも遠い場所に出勤してくれと言った場合、普段よりも長くかかる通勤時間について時間外手当を支払う必要があります。 但し、「普段の勤務先よりも遠い場所」というのはどのくらい遠い場所なのかという問題が出てきます。ある程度広い敷地の入口に近い建物に普段勤務している人が、奥の方の建物に出勤してくれという程度ならば、これは時間外手当の支払い対象ではないと考えるべきではないか。 しかし、明らかに普段の通勤時間よりも長くかかる場合、松戸展示場に勤務している人・柏展示場に勤務している人が千葉駅の前の千葉支店に来てくれという場合は、千葉県の場合、特に常磐線沿線と総武線沿線との間の行き来には相当の時間を要しますから、これは時間外手当を支払う必要がありますし、労働基準法上の労働時間制限の対象にもなると考えるべきです。
この〈1〉 〈2〉といったことを考えて支店長といった役職についた人は運営する必要があります。私が支店長ならば、この〈1〉 〈2〉 を考えてやります。まず、〈2〉を考えると、各展示場に勤務している「営業補助」の女性社員に千葉支店での朝礼に千葉支店の始業時刻に来いということは言いません。 渡邊士直がなぜそういった要求を従業員にしたかというと、こういった私が支店長なら当然考慮することを考える頭がないからです。
この場合、渡邊士直は〈2〉の方については時間外手当を支払わないと行けないのに支払わなかった。〈1〉については支払う必要があったものなのか支払わなくてもいいケースだったのか、それを調べもしないで支払ったのです。要するに、支店長としてやるべきではにことをやっており、支店長としてやる必要があることをやらなかったのです。実際のところ、渡邊士直さんには支店長は無理であり、もともと、営業課長の仕事をできるかできないかという程度の人ですし、もとより、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」という方針でやってきた会社であるのに、「進学校の高校を卒業して東大に行ったが中退した」とかいうようなそういう「大卒でない人」を採用したというのならともかく、底辺の高校卒の渡邊士直さんを採用しているというところがおかしいのであり、ましてや、その人が支店長になっているというのがおかしいのです。
各展示場勤務の「営業」の男性社員の場合は始業時刻が午前10時00分で、千葉支店勤務の工事課・工務課・設計課・アフターサービス課の従業員と支店長の始業時刻は午前9時00分だったので、もしも、千葉支店勤務の支店長の始業時刻に合わせて午前9時00分よりも前に千葉支店に来させようとすると、各展示場の「営業」の男性社員は自宅から普段の勤務場所に行くまでの所要時間よりも千葉支店に行くまでの所要時間が多くかかる分にプラスして1時間の早出残業を求められたことになる。私の場合であれば松戸展示場までの所要時間よりも千葉支店まで行く所要時間はたしか1時間半ほど多くかかったと記憶しているので、2時間半の早出残業を求められたということになるが、そのようなものを求められても、当時の小堀住研(株)の就業規則で定められた労働時間はその時点での労働基準法上の労働時間制限ぎりぎりの数字が規定されていたので、当然のことながら2時間半の早出残業というのは労基法違反であり、そのようなものを求めてもきく必要はないし、その前に、そのような早出残業を要求するのが渡邊士直は「業務命令じゃ」と言っていたが、それは業務上の必要からきたものではなく「底辺の高校卒の人」を支店長にならせた場合によくやることだが、底辺の高校卒の渡邊士直が、あえて従業員が働きにくいようにして嫌がらせをすることで「俺が支店長様なんじゃあ」というところを見せたいとうところからきたものであり業務命令ではなく、たとえ業務命令であっても労基法違反の業務命令というものは最初から無効であり、ないのと同じだった。無効であり「ないのと同じ」だが、それでも、させたからにはそれに対して時間外手当を支払わないといけないはずだったが支払われなかった。各展示場勤務の「営業補助」の女性社員がわずかな時間を終業時刻を過ぎても働きましたと自己申告したとして、はたしてそれが時間外手当を支払うべき内容なのかどうか、調べもしないでそれまで支払っていなかったものを払うようにして「女にええかっこしいやる」ということをやった、というあたりは渡邊さんらしいなあ・・と思ったが、もしも、時間外手当で支払うべきものなのに支払っていないものを支払うようにするというのであれば、「営業」の男性社員は時間外労働を相当やっていたにもかかわらず支払われていなかったのであり、それも終業時刻より後のものについては見込客・契約客が帰宅後の時間帯に訪問して商談をするというのは業務上の必要性があったもので、それに対して歩合給が支払われていたとしても「個人事業主」ではなく労働者・従業員である以上は時間外手当は支払わないといけないはずだが、それでも歩合給部分において報酬は支払われていたという面はあったとしても、渡邊さんの為に早出残業を2時間半やるというのは、これは業務上の必要性からくるものではないので、時間外手当は支払わないといけないものであった・・にもかかわらず支払われなかった。男性社員には支払わないといけない時間外手当を支払わずに片方で「女にええかっこしいやりたがるおっさん症候群」というのは底辺の高校卒のおっさんを支店長・営業所長といったものにならせてしまった場合によく起こる現象だ。「大卒しか採らない会社」でたしか「採用実績校:神戸大学:新潟大学:同志社大学:関西大学:甲南大学」だったかいうように会社案内にだったと思のだが記載されていた会社で、なぜ、そういう人が支店長になっているのか。それから、「人事権は会社にある」と言う使用者がいるのだが、しかし、その人がその役職につくことにより労働者・従業員の勤務環境に大きく影響を及ぼす場合には労働者・従業員の側は使用者に対してその人事について意見を言うことはできるはずであり、小堀住研(株)の二代目社長で「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午や銀行が出資したことから戸建住宅建築業についての能力があるわけでもないのに銀行からきて本来より高い役職につかせてもらっていた「銀行の男」というのは理解できていなかったようだった。「メカケの子」は「しょせん、そんなもの」なのか( 一一) 長浜北高校の応援部のホームページだかフェイスブックだかのコメント欄に「会社をつぶしたアホの二代目」の中島昭午のことを「錚々たるメンバー」などと書いていた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「錚々たるメンバー」とは笑止である。
慶應大学の先生で「東大・京大や慶応大・早稲田大あたりの大学の出身者ばっかりという会社に勤めてそういう人間同士で競争させられるよりも、慶應あたりの大学の卒業生をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあり活躍する場もあっていいという面がある」と言われた方があったのですが、しかし、もしも、「東大・京大や慶応大・早稲田大あたりの大学の出身者ばっかりという会社」に入社してそういう人間同士での競争に勝っても負けても、負けた場合でも自分が競争に負けたのだからしかたがないとして、「慶應あたりの大学の卒業生をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあり活躍する場もあっていい」なんて言われてそんな会社に勤めて「高卒のおっさん」に負けたらどうしてくれるんだよ・・と思ったのでしたが、それをうちの父親に話したところ、「そんなもの、絶対にありえない。天地がひっくり返っても、東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者が高卒のおっさんとの競争に負けるなんてことはありえない」と言うのでしたが、ほんまかいやあ・・と思ったものでしたが、渡邊士直さんを見て、確かにそうだと思いました。こんな人との競争に負けるなんてことは天地がひっくり返っても絶対にありえないわなあ・・と思いました。一線の営業の仕事ならばわかりませんが、支店長といった職種の仕事ならば、私ならば、こういうことをすると労働基準法違反になるから避けようかとか考えてやるのに対して、「底辺の高校卒の渡邊士直さん」には最初からそういう発想が完全に欠落している。〔 YouTube を見ていたら、オウム真理教と幸福の科学とは似ているところがあるが、幸福の科学はオウム真理教のようにサリンを散布したりとか殺人事件をおこしたりといったことはおこなわず今も存在しているが、その違いは何か・・という点について、大川隆法の長男が「大川隆法はなんだかんだ言っても東大でてるので、『これ以上はやったらまずい』とか、そういう思考ができたのだと思う」と話していたが、それと似たものがあります。渡邊さんには支店長は無理です。 〕こういう人と勝負して負けるということは、うちの父親が言っていたように「絶対にありえない」とわかりました。しろうとが幕内力士と相撲とったとして、「わざと負けてあげる」というのでなければ幕内力士が負けるということはまずない・・というのと同じです。但し、オーナー経営者がそういう人が好きだというような場合だと別の問題も出てきます・・が、小堀住研(株)は「昔から大卒しか採らない会社」だったはずですし、「採用実績校」はというと「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか会社案内に書かれていたはずでしたので、そもそも「底辺の高校卒の渡邊士直さん」がそこにいるというのが間違っていたのです。
「大卒しか採らない会社」に「底辺の高校卒」の人を採用した場合、もうひとつの問題として「進学校の高校卒で大学には行かなかった」という高卒の人ならば、もしも「高卒と大卒を同じ扱いにする」ならば高卒5年目と大卒1年目を同じ扱いとするのが「高卒と大卒を同じ扱いにする」という意味だと考えるのですが、ところが「底辺の方の高校卒」の人は高卒1年目と大卒1年目を同じ扱いにするのが「高卒と大卒を同じ扱いにする」という意味だと主張するようなのです。そうなると「大卒しか採らない会社」と聞いて応募して入社した者としては、ふざけんな!

ともかく、渡邊さんの場合、《「旧帝大系国立大学か早慶」の社会科学系学部卒の人間》が支店長になっておれば、今現在の会社の状況はこうで労働基準法の規定はこうで、それを考えると、こういうことをするとまずいな、こういうことをすると話がややこしくなるな、こういうことは言ってはいかんな・・といったことを考えてやるところを、何にも考えてない。何にも考えずに・・ならまだましなのですが、この後、(株)一条工務店でも「高卒の営業所長」を見て感じたのですが、むしろ、「高卒の営業所長」というのは私ならば「いかにして働きやすい環境を整えるか」が支店長・営業所長の仕事と考えるところを、逆に「支店長の命令」「所長の命令」として従業員が働きにくいように嫌がらせをして、渡邊が口にしたように「俺は支店長様なんじゃあ」とか言いたがるのです。それが「底辺の高校卒」の人を支店長・営業所長にならせた場合に起こる特徴です。そういう人にわからせるには、労基法違反で取り締まって刑事罰を受けてもらうしかないのではないかと思うのですが、ところが、日本の労働基準監督署と労働基準監督官というのは、労基法違反を取り締まっているふりをしながら、実際は不良企業の不良経営者による労働基準法違反を守るのが仕事みたいに認識している連中なので、口頭で訴えても告訴状を作成して持参しても、なっかなか動かないのですよ。さらには「その分の手当てを欲しいのか、処罰してほしいのかどちらですか」とか労働基準監督官は言ったりしますが、泥棒に入られて財産を奪われた者に対して「泥棒から盗られた物を返してもらいたいのか、それとも泥棒を処罰してもらいたいのかどっちですか」なんて警察官が言いますか? ところが労働基準監督官は「手当を払ってもらいたいのか、取り締まって処罰してもらいたいのかどっちですか」などと奇妙なことを言うのです。
それで、小堀住研(株)は、わざわざ、そういう「底辺の高校卒の人」を支店長にならせて従業員を困らせた結果、どうなったかというと⇒つぶれたのですが、「秋の日はつるべ落とし」と言うように、一時はけっこう威勢が良かった小堀住研(株)もつぶれる時はあっという間でした。
東海住宅(株)の花見川店の店長に大友ゆうこりん に次いでなった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳。自称「佐倉高校卒。明治大学中退」だったが、私は「明治大学中退」なんて、そんなもの、詐称しても誰もそんなもの高く評価する人間なんてないと思っていたので、詐称してもしかたがない内容と思って、そんなものかと思っていたのだが、「ええ~え? あんなやつが、佐倉高校だの明治大学だのなんて行ってるわけないだろ~お」と言う人がいて、それを聞いて、そうかもしれんな・・・と思った。たぶん、違うでしょう。東大とか早稲田大・慶應大あたりを詐称すると「嘘でしょ」と思われるところを、明治大学あたりにしておけば信じてもらえる可能性があって、「卒業」と言うと卒業証明書を出してくれと言われたり、大卒なら受けることができる資格試験とか講習とかを受けてくれと言われて実際は行っていないから受けられないという事態になる可能性があるから、だから「中退」として・・て、そんな感じ・・かな・・? 世の中、けっこうそういう人はいるわ。私も中学生・高校生くらいの時には学歴を詐称する人というのはいてもちびっとだろうと思っていたが、会社という所に勤めてみて、そうではなく世の中には学歴詐称する人なんてゴマンといる・・ということを知った。)(「俺は宅建主任〔宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士〕は受けさえすれば通るんだけど、取っても仕方がないから取らないんだ」と称していたが、そういうこと言う人って、世の中、いっぱいいるのです。取りたくなければ無理に取らなくてもいいけれども、「受けさせすれば通る」のなら受けて合格して登録すればいいではありませんか。 ・・わし、受けて通らんといてなんて頼んだこといっぺんもないでえ。・・私が浪人中、同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に現役で通った比較的近所に住んでいたK村哲二という男(今は、神戸大学法科大学院大学の先生様におなりあそばしたようですが)のお母さんが「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」と近所中にラッパを吹き鳴らし太鼓を叩きながらふれまわり、最初は「お母さんというのは自分の息子のことをいいように言いたいんだなあ」と思っていたのですが、そのうち、「ええかげん、うるさいなあ。このおばはんは」と思うようになったのですが、「京大でも通りました」ということなら実際に京大を受けて行けばいいだろうが。京大を受けずに阪大を受けて行ったのは自分だろうが

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東海住宅(株)の花見川店の店長になった「ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)は、事務員の井上にだけ、終業時刻ちょうどに退社できるようにと、私とリフォーム部の福田とに終業時刻に花見川ショールームに戻ってくるようにと言ったのです。たしかに、時間外手当を支払わないからには時間外に働かせてはいけません。 しかし、井上は時間外手当を支払われずに時間外に働いていたということはたいしてないのです。時間外に少々、仕事をしていたとしても、「私、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って福田しゃんを待ってるにょお」などと言って福田を待っている時間に仕事していたというくらいだったのです。それを、定時に仕事を終えられるようにと私と福田に外で仕事をしていてもそれをやめて終業時刻に花見川ショールームに戻ってくるようにと言ったのです。結論として、””「女」に機嫌とりたいおっさんシンドローム”” ですね。
しかし、時間外に働いているにもかかわらず時間外手当を支払われていないのは井上はちびっとで、むしろ、私や福田も時間外にも働いていたにもかかわらず時間外手当を支払われていなかったのです。井上(女。当時、40代)はちびっとでも時間外手当なしで時間外に働かせてはいけないが私なら時間外手当なしで時間外に働かせてもいいというのはそれはおかしい・・が、おかしいのが「ヤクザ顔の田中」でしたし、””「女」の機嫌とりたいおっさんシンドローム”” の「患者」にとっては「女」の機嫌とるためには男に犠牲を払わせるというのは常套手段です。
それで、私は外で営業の仕事をしていて、もう少し、そこでやりたいことがあったけれども、井上に終業時刻ぴったりに帰らせてあげないといけないと田中が言うので、それで外でやっていた仕事を中途半端なところで中断して花見川ショールームに戻ったのです。
ところが、井上(女。40代。だんな・子供持ち)は私と福田が仕事を中断して花見川ショールームに戻ったにもかかわらず、帰らないのです。「私は福田しゃんと一緒に帰ろうと思ってるにょお」と言って。
それで、私は井上に言ったのですよ。「井上さん、帰らないのですか」と。私が外でやっていた仕事があるのに大急ぎで井上の為に戻って来たのじゃないですか。井上が定時に帰るためにと私に大急ぎで花見川ショールームに戻ってこさせておいて、それでいて、終業時刻を過ぎても「私、福田しゃんを待ってるにょお」などと言って帰らないというのは、それはいくらなんでも失礼でしょう。違いますか。
それで、福田にも言ったのです。「福田さん。井上さん、帰らないみたいですけれども、どうなってるんでしょうねえ」と。そう言われたら、さすがに「井上さん、私を待ってる必要ないですよ。どうぞ、帰ってください」と言うものではないかと思いませんか。ところが、福田(男。当時、50代)は自分を待ってる40女のひとの嫁はんと一緒に帰りたいのか、「おう」と言うだけでそれ以上、返事をしないのです。この男、社会人として・会社員としておかしいのではないか。
おまえら、ええかげんにせえよ、ほんま

それだけではないのです。その後、花見川ショールームに戻ってきた店長の田中に井上は「福田しゃんが終業時刻に戻ってきてくれたんです」などと言うのだが、終業時刻に戻ってきたのは福田だけではなく私も戻ってきたのです。その時、外でやっていた仕事があったにもかかわらず、それを中途半端なところで中断させて戻ってきたのです。この女の口のきき方というのはいったい何なんだ?
それで、店長の田中に言ったのです。(私に、井上さんを定時で帰らせてあげるために井上さんの終業時刻にショールームに戻ってこいと言うから私はやっていた仕事を途中で中断させてもどってきたのに)「井上さんはなぜ帰らないのでしょうか」と。 田中が「井上さんに終業時刻に帰らせてあげるために、おまえが終業時刻に戻ってこい」と私に言ったから私は終業時刻に大急ぎで戻ってきたのです。その時、外でやっていた仕事があったにもかかわらず、それを中途半端なところで中断させて。「私、井上さんが終業時刻に帰れるようにと言われて、それで大急ぎで戻ってきたんですよ」と田中に言ったのです。営業の職種の社員に井上の為に大急ぎで花見川ショールームに戻ってこさせておいて、それでいて「福田しゃんと一緒に帰ろうと思って待ってるにょお」て、それはいくらなんでも失礼でしょということを言ったのですが、ところが、田中は「それがどうした」と言うのです。「それがどうした」とは何だ、それは。喧嘩売ってるのかあ? ヤクザ顔をちらつかせたら人は言うこときくとでも思ってるのかあ?
それにしても、私が6割・福田が4割くらいの割で労力を払って猫の遺体を埋めたのに、「福田しゃんが埋めてくれたにょお」などと言い、福田と私が同じくらいの時刻に戻ってきたにもかかわらず、「福田しゃんが終業時刻に戻ってきてくれたにょお」などと言うというのは、この井上というおばさん、ちょっとその態度はいかがなものでしょうか。 そう思いませんか? このおばはん、ちょっと、どうかしているのではないか・・・というよりも、まず第一に、オット・子持ちの40代の女が「私、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って福田しゃんを待ってるにょお」などと気色の悪いこと言って毎日、嫁持ちの男と一緒にその男のクルマの助手席に乗って帰る女・・て、それ自体、気色悪いと思いませんか( 一一)
(株)一条工務店では構造現場見学に契約前に必ず、ダンナと嫁さんとの両方に見に行ってもらうようにと言っていたのです・・が、しかし、ダンナと嫁さんの両方が働いていて、しかも、休日が異なるという場合があるのです。実際に私が契約してもらった人でもそういう人がありました。(株)一条工務店では、そういう場合はダンナと嫁さんと別々に必ず両方に構造現場見学に連れて行けと言っていたのです。 しかし、年配の夫婦ならまだなんですが、30くらいの夫婦でけっこうきれいな嫁さんだったりすると、ダンナは1対1で連れていっていいでしょうけれども、まだ若い嫁さんを1対1で連れていっていいものかどうか・・て思いませんか。 具体的にそういうケースがあったのです。これ、どうしたものだろうなあ・・・と思ったのですが、ダンナはたいして気にしないで「行ってきたら」「案内してもらってきたら」と言うのですが、嫁さんは嫌がりました。私が嫌がられたということではないと思います。そうではなくて、「壁に耳あり、障子に眼あり、人の顔には口がある」と言いまして、もしも、そのお宅まで迎えにいって嫁さんひとりだけをクルマに乗せて案内して戻ってきたとしますでしょ。「◇◇さん、あの男の人、だれ~え?」て、口にだして言ってくれたらまだいいのです。当人には言わずに、当人以外に、ぶうわああ~あっと話が広められる・・なんてこと、いかにもありそうと思いませんか? 私が大学生の時、女性が多い工場にアルバイトに行った時、ある女性社員の人から「女の子が多い職場って、うるさいよお~お」と言って教えてもらったことがあったのですが、「もし、私とあんたが帰り道で一緒になって駅まででも一緒に帰ったとするでしょ。あくる日になったらもう、ぶうわああ~あっと話が広まってるんだからねえ」と。 そうみたいです。そして、そのおねえさんは「女の子の多い職場ってうるさいよお~お」と言うのでしたが、しかし、実際、「うるさい」のは「女の子」とは限らないわけで、女も「うるさい」でしょうけれども、男もけっこう「うるさい」のです。元外務省の佐藤優がモデルの『憂国のラスプーチン』(小学館)という漫画で佐藤優がモデルの憂木護(ゆうき まもる)という男性が、憂木の話を聞いた女性弁護士から「男性の嫉妬てすごいですねえ」と言われ、「そうですよ。昔から『女の腐ったの』は男にしかいませんから」と言う場面がありましたが、私もそう思います。「女の腐ったの」は女にいるのではなく男にいるのです。

憂国のラスプーチン 全6巻完結セット (ビッグ コミックス) - 佐藤 優
ですから、もしも、見込客の若い嫁さんを私が1対1でクルマに乗せて案内したとしても、ダンナに断ってダンナが「行ってきたら」と言った上で案内するのですから、別に何か悪いことをするわけではないのです・・・・が、当事者はそうであっても、「壁に耳あり、障子に眼あり、人の顔には口がある」てもので、ぶううわあああ~あっと話を広められてしまう・・ということは十分考えられるし、それも事実を事実として広めるのならともかく、世の中にはスピーカーがいるだけでなくアンプみたいな人もいますしね。 現実に私自身、過去に勤めていた会社から悪質な誹謗中傷を受けているようですし。
※ 《ウィキペディアーアンプ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%97
《 アンプは、アンプリファイヤあるいはアンプリファイア(英: amplifier)の短縮形であり、漢字表現では増幅器のことであり、(電圧や電流の波で表現されることが一般的な)信号を増幅するもののこと。⇒ 基本的に増幅器を参照のこと。
(電気工学、電子工学)電気信号を増幅するための回路。⇒増幅回路
(オーディオ機器、オーディオ観賞)オーディオ機器群の中の増幅器ユニット⇒アンプ (音響機器)
・・・ 》
それで、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ ではダンナと嫁さんと両方を建築現場見学に連れて行けと営業に言っていたのですが、ダンナと嫁さんの両方が働いていてダンナと嫁さんとの休日が異なる場合に、ダンナはともかく嫁さんを1対1でクルマに乗せて連れて行くわけにはいかんのではないか・・と思ったのです。
これは私だけが思ったわけではなく、栃木県地域の営業所長だった五十嵐さんも、「若い嫁さんを一人だけ、クルマに乗せて建築現場見学に連れて行くというのは、それは嫁さんがかわいそうだよ」と佐野展示場の営業会議に来た時に言ったのですが、五十嵐さんはその点についてはわかっていたようです。
どうしたものだろうな・・と思ったのですが、ひとつの方法として、嫁さんに妹か姉があるか、なければダンナの妹でも姉でもいいのですが、それもなければ嫁さんの女性の友人で今すぐでなくても、将来、家を建てたいと考えている人というのが一人くらいはいるのではないかと思うので、そういう人を誘ってもらって一緒に見学に来てもらうようにすれば、そうすれば、1対1でクルマで案内したということではなく、2人を案内したことになりますから、そして、クルマに乗る時には必ず、2人に後部座席に乗ってもらうというようにすれば、特に問題はないのではないか・・・と考えました・・が、マア、世の中、何かとうるさい! ほんと! 夏目漱石『草枕』の冒頭にもありますでしょ。「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と。 ほんと、「うるさい」やつは世の中、いっぱいいるのです。
マア、そんなものだと思のです・・・が、ところが、東海住宅(株)の花見川ショールームの事務員の井上(オット持ちの井上)は「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って福田しゃんを待ってるにょお」と言って、毎日、福田を待って福田のクルマの助手席に乗って帰るのですが、なんか変な女やなあ( 一一) て、思いませんか? 変な女。また、福田という男も変な男( 一一)
田中は、田中が私に井上が終業時刻ちょうどに帰れるようにその時刻に花見川ショールームに戻ってきてあげてくれと言うから、だから、私は外でやっていた仕事があったのに、それを中途で中断して戻ってきたのです。ところが、井上は私と福田が戻ってきたにもかかわらず、「福田しゃんが終業時刻に戻ってきてくれたにょおお」などと言ったのです。その上で、私が井上の終業時刻に自分の仕事の予定を曲げて戻って来たにもかかわらず、「わたし、福田しゃんと一緒に帰ろうと思って待ってるにょお」と言って帰らない・・というのですから、店長の田中は私に「申し訳ない」の一言くらい言うべきではありませんか。
そこで「申し訳なかった」の一言すら言えないようでは田中は営業とは言えないのではありませんか?
それを言えないのが東海住宅(株)の花見川店の店長の田中(男。当時、60歳)でした。田中がもしも営業だと主張するのならば、なんとも程度の低い営業ですね。
就業時間外に時間外手当を支払わないのに働かせたくないということならば、事務員の井上だけでなく「建築の営業」として入社した私だって就業時間外にも働いていたにもかかわらず時間外手当を支払われていなかったし、何よりも、根源的な問題として、井上は花見川ショールームの鍵を持っていたのですから、井上の終業時刻が来て帰りたいと思ったが他の従業員は外出しているという場合には、私が外でおこなっていた仕事を中断して花見川ショールームの戻ってこなくても、井上は花見川ショールームの戸締りして鍵をかけて帰ればよかっただけのことなのです。それを私に負担をかけて《「女」にええかっこしいやりたがるおっさんシンドローム》を田中はやったのです。
労働基準法上の労働時間制限というのは事務員さんだけに適用されるわけではなく営業の仕事に従事している人間にも適用されるのですが、田中はなんで営業の仕事についていた私には就業時間を短縮できるように配慮しないで井上にだけ配慮しようとするのでしょうね。・・⇒結論として ””「女」にええかっこしいやりたがるおっさんシンドローム”” てことでしょうね( 一一)
そういうおっさんて、けっこういるのです。あほくさいおっさんが・・( 一一)
(10) 二色刷りの原稿をカラーで井上と一緒に作成するアホなおっさん。
東海住宅(株)では各店舗と花見川ショールームにはカラー印刷のできるコピー機を備えていて、それと別に習志野市東習志野5丁目 の旧ショールームの建物内に1色刷りか2色刷りができる輪転機を持っていて、新聞折込やポスティングをするための印刷はその輪転機でおこなっていました。
そのための原稿の作成を、花見川店の店長の田中(男。当時、60歳)は「建築の営業」の職種で戸建住宅建築業の経験が長く、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリストなどの資格を持ち慶應大学商学部卒で商業学・マーケティングなどを学んできた人間である私と相談して作成しようとはせず、むしろ、田中が「電柱の案内版を見て来場ください」などと印刷するので、「それはまずいでしょう。電柱にポスターをくくりつけると軽犯罪法違反だとして、私、この間、佐倉警察署の警察官から検挙されたばっかりなんですよ。こっそり、1枚・2枚つけるというくらいならまだしも、新聞折込で入れるポスターにそこまで書いて印刷して入れるというのは、それはまずいでしょう」と言ったのですが、ところが田中は私がそう言っても、「うるせえ。この野郎!」と言ってきかなかったのです。何が「うるせえ」だあ?
店長の田中は佐倉警察署の警察官に、私と一緒にポスターをつけていた新人の営業がポスターを電柱につけていたことについて「うちの従業員が申し訳ないことをいたしました。よく指導するようにいたします」とか言いに行ったのだが、「バカ言ってんじゃないわ♪」、田中が電柱につけろと指示してつけさせたんじゃないか。どうも、警察というのは言われてしかたなしにいやいやつけさせられた者を「軽犯罪法違反」だと言って検挙するのだが、なんで、指示してつけさせた者を取り締まらないのか? その警察の対応は不適切ではないのか。
それで、店長の田中は《「建築の営業」の職種で戸建住宅建築業の経験が長く、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリストなどの資格を持ち慶應大学商学部卒で商業学・マーケティングなどを学んできた人間である私》には相談しないだけでなく、「うるせえ。この野郎」などと言い、そして、誰と相談して作ったかというと、同社の「不動産の営業」の仕事をやったこともなければ「建築の営業」の仕事をやったこともない事務員の井上(女。当時、40代)と一緒に作ったのだ。「ちょっと、井上さん、意見きかせてえ♪」とか言って。
どうも、じいさんは「女」と一緒に作りたいようでした( 一一) ・・なんか、アホなじいさんが世の中にはいるもんだ( 一一)
しかも、「カラー刷りにするチラシの原稿をカラー刷りで作る」か「2色刷りにするチラシの原稿を2色刷りで作る」かならわかるのですが、「2色刷りで印刷するチラシの原稿をカラー刷りで作成する」ので、私は「うちの輪転機はカラー刷りはできませんから、2色刷りで輪転機で印刷するからには現行もカラーで作成するのではなく、2色で作成するようにするべきと違いますか」と私が横から言っても、「うるせえんだ、おめえは」と言ってきかない。
井上は事務員ならば「パソコンが十分に使えない田中」に、「印刷する時に2色刷りで印刷するのならば、原稿をカラーで作るのではなくて原稿も2色で作るべきです」と言うべきです・・・が、ところが井上は言わない。事務員ならばそのくらい言えよ・・と思ったのだが言わない。
そして、田中はどうしたかというと、2色で印刷するチラシの原稿をカラーで作って、そして、それを私に渡して「これを(旧ショールームに)持って行って、輪転機で印刷してこい」と言うのでした。 「ですから、2色で印刷するのなら原稿も2色のものにしていただけませんか」と言ったのですが、田中は「うるせえと言ってるだろうが、この野郎」と言うのです。「これを持って行って2色で印刷してこいと言ってるだろう。この野郎、そのくらいのこともできねえのか」と言うのです。
そこまで言うから、しかたなしに旧ショールームに持って行って、旧ショールームに置いてある輪転機で2色刷りの「ためし」の印刷をしてみましたが、カラー刷りで作った原稿を2色刷りにするとおかしなものになるのは最初からわかっていることで、まともなものはできません。
それで、私は花見川ショールームに電話して、田中に「やっぱり、カラー刷りの原稿を2色刷りにするのは無理です。これからショールームに戻りますから、ショールームで原稿を2色のものに作り変えましょう」と話したのです。ところが、田中はきかないのです。
「なんだと、この野郎! おめえはそんなことすらもできねえのか。いいかげんにしろお!」と言うのです・・・が、そう言われても、輪転機には「濃いめ」にするか「薄め」にするかという機能はあっても、濃い部分を薄くして薄い部分を濃くするような機能は輪転機にありませんし、カラーで作った原稿を2色の原稿に帰る能力なんて輪転機にはないのです。
「ですから、やはり、2色で印刷するためのものをカラーで作ってもだめですから、2色の原稿に作り変えないとだめです。だから、これからショールームに戻って私が2色の原稿にパソコンで作り変えますので」と言うと、「だから、輪転機でやれと言ってるだろうが。おめえはそのくらいのこともできんのかあ。この野郎、いいかげんにしろお!」と言うのです。「だから、輪転機ではカラーのものを2色刷り用に帰るということはできませんから、パソコンで2色用に作り変えないとやりようがないですから」と言っても、「だから、パソコンでやらずに輪転機でやれと言ってるだろう。そのくらいのことすらもおめえはできねえのか、この野郎!」と言うので、「ですから、頭悪いのでできないんですよ。田中さんができると言われるのならやってください。私、頭が悪いもんでできないんですよ」と言ったのです。そうすると、「なんだと、この野郎。その口のきき方はあ」と言うので、「それなら、どう言えばいいのか教えていただけませんか」と言ったのです。
そして、結局、田中は旧ショールームに田中が来て、田中ならばカラー刷りの原稿で2色刷りに輪転機でできたのかというと田中がやっても、やっぱり、輪転機にそんな機能がないからにはできなかったのです。 カラーの原稿を2色刷りように変換する機能なんて輪転機にはないのですから、誰がやってもできないのは当然です。
「だめだな。これは」とか言って何度かやり直して、結局、2色刷り用にできていない原稿で2色刷りにするので変な見た目のものしかできない状態で、それを「うん。これでいい」とか田中は言って、それを輪転機で私に印刷させたのでした。なにが「うん。これでいい」なんでしょうね。ちっとも「いい」状態になっていないのに。
「なんだと、この野郎! おめえはそんなことすらもできねえのか。いいかげんにしろお!」とか何とかかんとか叫びまくって、結局、田中がやってもできなかったのですから〔できなくて当然なのですが〕、社会人ならば・会社員ならば「申し訳なかった」という一言くらい口にするべきではないのかと思ったのですが田中の口からは一言として謝罪の言葉がなかった。私が我慢していたことから、どうも、私は何を言っても我慢する人間だと思われてしまったようでした。人間、ひとに申し訳ないことをしたならば、「ごめん」でも「すいません」でも「申し訳ない」でも言い方は何でもいいから一言は謝る必要があるのではないかと思うのですが、「ヤクザ顔の田中」は「うるせえ、この野郎!」とすごめば相手は言うことをきくと思っていたようでした。
私は今現在は、パソコンに関する資格としては、
サーティファイ ワード検定3級・2級、
サーティファイ エクセル検定3級、
建築CAD検定(建築CAD連盟) 3級・2級
に合格・取得しましたので、世間全体から考えると、そう悪くない方ではないかと思います。
「パソコン学校の講師」とかそういう仕事に応募するのならば、もっとできないといけないでしょうけれども、建築業・不動産業の営業とか事務とかの仕事であれば、世間一般と比べて悪くない方でしょう。
しかし、私はパソコンとインターネットというものが出かけくらいの時期、(株)一条工務店にいましたが、同社では同業他社と比べてパソコンを使い始めるのが遅かったということがあり、又、住宅建築関係の会社においてはパソコンが出かけの頃においては、「たいした内容でもないものをもったいつけてパソコンで見せると値打ちがでるみたいに思っている人」というのがいて、それに対して、「いいかげんな紙にボールペンか鉛筆でちょろちょろと書いても内容があるもの」「建築現場で転がっている段ボールか木切れに鉛筆で書いても内容が伝わる」というものを書く人というのもいたのです。そういう人たちを見て、「パソコンを使う人間」というのは「内容ないくせに、パソコンで見せることでたいしたことないものを値打ちがあるように見せようとする人間」という印象があって、最初の頃、パソコンというものを重視したくなかったのです。 又、ワードのテキストを見ると「汚い字で書いたものは上司は読んでくれません」なんて書かれていましたが、私はボールペンで手書きで書いた字で「読みやすい字」を書く自信がありましたし、それは最初からではなく相当の努力をして「読みやすい字」を書けるようにしたものでしたので、「汚い字」しか書けない人と一緒にされたくないなあという気持もありました。 しかし、そのうち、そうも言ってられない世の中になってきましたので、それで一生懸命、パソコンについても学習したのです。 しかし、それでも、基本的な物の考え方として、パソコンというのは、なんだかんだ言っても文房具であり、文房具を使えるかどうかということを最重視して人を見るというのは適切ではないと思ってきました。今でも「最重視」すべきものとは思っていません。
しかし、片方で「パソコンを人並みに使えない人」というのは困りものです。2004年だったと思うのですが厚生労働省委託・東京リーガルマインド実施「求職支援セミナー」というのを受けた時、講師の女性が「今の時代は就職したいと思ったらパソコンは最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできない」と発言したのです。これはえらいこっちゃな・・と思った。その少し後、ある人材紹介会社の人と会った時、私が作成した履歴書・職務経歴書に「パソコンは得意な方ではありませんが、只今、学習中です」と記載していたところ、その人材紹介会社の人が「『パソコンは得意ではありませんが』と書いてあるけれども、それでも、ワードでこの履歴書を作って、エクセルでこの職務経歴書を作ったのでしょ。これだけ、できるのに、なんで『パソコンは得意な方ではありません』と書くのですか」と言われたのです。「今の時代はワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできないと就職支援セミナーの講師の方が言われたのですが、ワード・エクセルもまだまだ使えない機能がいっぱいですから」と言うと、「あんた、本当に正直で真面目な人だねえ。パソコン学校の講師とかそういう仕事に応募するのなら、『ワード・エクセルくらいは完璧に使えないと』ということもあるかもしれないけれども、普通の会社の営業とか事務とかの仕事に応募するのなら、これだけできれば『できます』でよろしい、『できます』で。だいたい、ワードでもエクセルでも『完璧に』使える人なんてほとんどいませんよ」と言われたのです。
結論としてその厚生労働省委託・東京リーガルマインド実施の「就職支援セミナー」の講師の方の言い方は適切とは言い難いものだったのではないかと思います。「パソコン学校の講師とかそういう仕事に応募するのなら、『ワード・エクセルくらいは完璧に使えないと』ということもあるかもしれないけれども、普通の会社の営業とか事務とかの仕事に応募するのなら、これだけできれば『できます』でよろしい、『できます』で。だいたい、ワードでもエクセルでも『完璧に』使える人なんてほとんどいませんよ」という見解が妥当なところでしょう。但し、それ以上に使えたならば、その方がよりいいということは言えるでしょう。
「パソコン学校とかでもない普通の会社での営業とか事務とかの仕事」の場合は、無茶苦茶優秀でなくても、ともかく、一応、パソコンが使えるというくらいでも採用してもらえるでしょうし、「完璧に使える」のでなかったら採用しないなんて言っていたら、採用する側に立てば、いつまで経っても採用できないことになるでしょう。
パソコンに関するお話として、石ノ森章太郎『ホテル』という漫画で、ベテランのホテルマンの松田さんがパソコンが使えなくて、もう俺はだめだあ・・という気持になりかけた際、たとえ、パソコンが使えなくても松田さんにはこれまでに努力して身に着けてきたものがあるとして、そして、「パソコンは結局のところ、文房具ですから」と言って、文房具をうまく使えないからといってそれまでそこで努力してきた人をだめな従業員だと言うのは適切ではない、文房具なのだから少しずつでもできるようになっていけばいいのだという話が出ていました。そういう面はあると思います。
又、森川英正『日本経営史』(日経文庫)には、慶應義塾出身の村井保固さんという人が森村組に応募した際に「語学と簿記は不得手の方です」と言って不採用になり、福沢諭吉から「実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と怒られ、村井さんが「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論したという話が出ています。
《 三菱会社と三井物産に次いでは、明治11年(1878年)暮に慶應義塾を卒業した村井保固を、翌年(1879年)5月に森村組が採用し、ただちにニューヨークに派遣したのが早い事例です。森村組は、森村市左衛門が、明治9年(1876年)、特産工芸品の直輸出を目的として設立した商社です。森村は、福沢諭吉に慶應義塾卒業生の推薦を依頼し、福沢は村井を送り込んだのです。
森村組の条件は、「第一健康、第二英語の達者なこと、第三簿記が出来ること」の三つでした。村井は、「語学と簿記は不得手の方です」と言って、福沢から「馬鹿野郎、実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と大喝され、悄然とします。当時、慶應義塾、商業講習所、三菱商業学校は企業からの求人を争う関係にあり、村井が条件にあてはまらぬとなると、せっかくの求人を他校卒業生に奪われます。福沢は、それが残念で叱ったのでしょう。
村井は、あらためて福沢を訪ね、「森村さんは偉い人と聞くが、英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論します。福沢も村井の意気込みを評価し、あらためて森村と交渉した結果、村井の森村組入社が決まったのでした。・・・ 》
( 森川英正『日本経営史』1981.1.13.日経文庫 ↓)


日本経営史 (1981年) (日経文庫―経営学入門シリーズ) - 森川 英正
パソコンについても、パソコンは使えた方がいいとしても、「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と村井保固さんが言ったのと同じく、パソコンを第一に人の評価を決めるというのはおかしい・・とは私も思うのです。しかし・・・、今の時代、これでは・・・というケースというのも現実にあると東海住宅(株)の田中を見て思ったのです。
東海住宅(株)では従業員1人に1台のパソコンを用意しなかったので、花見川ショールームでも何人かで同じパソコンを使用していたのですが、ところが、難儀なことに田中は「最小化」したものを「元に戻す」ということができなかったのです( 一一)
田中は自分がパソコンで何かをやりかけた時、途中でそのままにして席を離れて別のことをするのです。別のことをするのならば、自分がやりかけたものを「保存」した上で離れてもらいたいのですが、そのままにして他のことを始めます。私が「田中さん、これは保存していいのですか」と尋ねても答えません。保存した方がいいのか保存しない方がいいのかわからないので、とりあえず、「最小化」した状態にしてパソコンを使用すると、その後、田中が戻ってきて「おい、いったい、どこにやったんだ。この野郎! 何しやがった。こいつ、いったいどうしてくれるんだ! なんてことしやがるんだ。この野郎!」と言って怒るのです。
私は今もパソコンの能力を第一に人を評価するというのがいいとは思いませんが、ワードにしてもエクセルにしても「完璧に」まで使える人というのは多くない、「完璧に」まで使えなくてもいい・・としても、「最小化」を「元に戻す」ということくらいもできない人というのは・・困ったものです。
往生しまっせえ、ほんま( 一一)
そして、「事務員」の井上ですが、田中が井上と一緒に折込チラシの原稿を作りたがった時、井上は「事務員」なのですから、「2色刷りで印刷するチラシなら、原稿もカラーでではなく2色刷りで作るべきです」と言うべきですし、言えないのならば「事務員」と違うと思うのです・・・が井上は言わない、言えないのです。なんでしょうね、この女は。「福田しゃん」と「一緒に帰る」ために会社に来ているのでしょうか。
「パソコンの能力はあった方がいいがパソコンの能力を第一に人を評価するべきではない」と私は思っていたし今も思っているのですが、それは基本論・一般論で、職種によっても違いはあります。営業の職種の人の場合、パソコンの能力が相当ある人もあれば、パソコンの能力についてはあまり優秀ではない方の人も現実にいます。東海住宅(株)の場合は、そういったことも踏まえて、事務員さんにはパソコンがある程度以上使える人に事務員さんになってもらって、営業でパソコンがあまり使えない人がいても何とかやっていけるようにという趣旨があったはずなのです。ですから、「パソコンを人並みに使えない(店長の)田中」かつ「本来なら折込チラシを作成するのならば、花見川店の営業は田中と私との2人でやっていたからには私と相談して作成するべきものであるはずであるにもかかわらず私には相談せず、私が言ってもきかず、『女』と一緒に原稿を作りたがる田中」が事務員の井上(女。当時、40代)と一緒に新聞折込チラシの原稿を作りたがったならば、当然のことながら事務員の井上は田中に「印刷する時に2色刷りで印刷するのならば、原稿もカラーで原稿を作るのではなくて2色刷りで原稿を作るべきです」と言わないといけないし、言えないといけない。言えないのならば、井上は何のために事務員としてそこにいるのか・・ということにもなります。「40代のおばさんが『女』に見えるおっさん症候群」の相手するのが事務員の仕事ではないのです。そして、2色刷りで印刷するものをカラーで原稿を作成したならば、それをいったいどうすれば2色刷りにできるのか、「田中と一緒にカラーで原稿を作った井上」はちょっとは考えたらどうかと思うのです。私は「カラーで印刷するものの原稿ならカラーで作成していいでしょうけれども、2色刷りで印刷するものの原稿なら2色刷りで作らないと、印刷する時にカラーで印刷するわけでもないものをカラーで原稿を作って『いいものができた』とか言って喜んでも自己満足でしかないですよ。2色刷りで印刷するなら2色刷りで原稿も作るようにしないと」と田中に言ったのですが、田中は私がせっかくそう言っても「うるせえれ!」と言って井上と一緒にカラーで原稿を作って、それを私に「これを輪転機で2色刷りで印刷してこい」と言い、私が「輪転機にはカラーの原稿を2色刷りに変換するような機能はありませんから、パソコンで2色刷りの原稿に作り変えないとどうもできません」と言っても、「なんだと、そのくらいのこともおまえはできねえのか、この野郎!」と何度も怒鳴りつけたのです。そして、結局、田中が輪転機をいじってもやっぱりできなかったのです。田中と井上が仲睦まじく一緒に長時間かけてカラーの原稿を作って「うん。いいものができた♪」とか言って喜んでいたのは、結局、「勤務時間中に長時間かけて遊んでいたのと一緒」です。井上はいったい何のためにそこにいたのか? 何のために事務員やっているのか、ということです。むしろ、井上がいたために、私は田中からカラーで作成した原稿を「輪転機で何とかしろ、この野郎!」とか言われて、迷惑しているのです。井上は私にこの件について一言くらいは謝罪する必要があったはずですが、今日に至るまで謝罪の言葉がありません。
花見川ショールームではその時、田中と私とが「建築の営業」として勤務していたのに、なんで、田中は私と相談してチラシを作ろうとしないでおばさんと一緒にチラシを作りたがるのか?
けったいな男です( 一一)
そして、田中はその折込チラシに「県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください」などという文面を入れて作成したので、私は「いくらなんでも、それはまずいのではありませんか。近くの電柱に1枚、2枚とりつけるというくらいならともかく、県道から現地までけっこうあるのに、その間の電柱に片っ端からつけたのでは」と私は言ったところ、「うるせえ、この野郎」と言ってきかなかったのです。そして、私が言ってもきかずに、その文面を入れて折込チラシを作成して新聞折込で大量に入れると、「完成現場見学会」の当日になると、「おい。この間、折込チラシに『県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください』と書いたから、そのように県道から現地まですべての電柱に矢印の書いたポスターをくくりつけてこい」と言うので、「ですから、それはまずいでしょと私は言いましたよね」と言ったのですが、田中は「うるせえ、この野郎! さっさとくくりつけてこい」と言うので、「チラシを作る時に、それはまずいでしょと私は言いましたでしょ。特に、私はこの間、田中さんが電柱にポスターをつけろと言われるから店長がつけろと言われるからにはつけていいのだろうと思ってつけたら警察から検挙されたのですよ。警察に検挙されてからまだ1か月も経たないんですよ。私は警察から検挙されてから1か月も経たないので、困るのですよ」と言ったのです・・が、田中は「うるせえんだよ、この野郎! はりつけて来いつってんだよ、この野郎!」と言うのです。それで、「どうして、田中さんは自分がつけないのですか。どうして自分で電柱にポスターをくくりつけないで私につけさせようとするのですか」と言ったのです・・が、田中は「おれは忙しいんだよ」と言うので、「私も忙しいんですよ。私が暇人だと言いたいのですか。私、暇じゃないですよ」と言ったのです。そして、「自分でつけないのなら、なぜ、折込チラシに『県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください』という文面を入れたのですか」と言うと、「だから、さっさとつけてこいっつってるだろ。この野郎!」と言うので、「ですから、なんで、田中さんはつけに行かないのですか。チラシの印刷もすべて私がやりましたよね。なんで、田中さんは私にそういった業務をすべてさせて自分はやらないのですか。自分が『県道から電柱に貼ってある案内に従って現地まで来てください』という文面を入れてチラシを作って折込に入れたからには自分でその矢印のポスターもつけてきたらどうなのですか」と言っても、「だから、俺は忙しいんだつってるだろうが、この野郎!」と言うので、「ですから、先ほどから言ってますように、私も忙しいんですよ。私はちっとも暇じゃないんですよ」と言ったのです。田中は「この野郎。いいかげんにしろお!」と言うので、「いいかげんにしないといけないのはどちらですか」と言ったのです。
「いいから、さっさとつけてこい、この野郎! 店長がやれと言うことがきけないのか」と言うので「警察がやるなと言うことはできないのです」と言っても、「うるせえ。さっさとつけてこい」と言うので、「ですから、なんで、田中さんは警察がやるなと言うことを自分ではやらずに私にさせようとするのですか。どうしてなのですか」と言ったのです・・・が、答えず、「どうして答えていただけないのですか」と言っても、田中は「うるせえ。この野郎!」と言うばかりでした。はてしなく、この繰り返し・・・
※ 電柱にポスターをくくりつけるというのは、それを警察が検挙する論拠としては、軽犯罪法第1条 というものが出されるようです。
軽犯罪法
第1条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
・・・
三十三 みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし、若しくは他人の看板、禁札その他の標示物を取り除き、又はこれらの工作物若しくは標示物を汚した者
第2条 前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。
第3条 第1条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。
第4条 この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
( 法令リード 軽犯罪法 https://hourei.net/law/323AC0000000039 )
第4条には《この法律の適用にあたっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない。》には書かれているのですが、はたして、それがこの第1条 第33号 の場合にはどれが「国民の権利を不当に侵害」するもので、どれは「国民の権利を不当に侵害」しないのかという判断はけっこう難しいように思います。
不動産屋が電柱にポスターをくくりつけると軽犯罪法違反だと警察は言うのですが、しかし、それならば、自宅で葬式やる人が「◇◇家 ⇒」なんて書かれたものを電柱にくくりつけたり、あるいは「飼っていた猫の☆☆がいなくなりました。気づかれた方は連絡ください」なんて書いたものを貼りつける人がおり、「犬に電柱に小便をされると臭います。小便をさせないでください」なんて書いたものを貼りつける人もいます。それらも軽犯罪法第1条違反として検挙すべきなのか。
そういえば、1980年代前半頃、東京都内では防共挺身隊の高田がん というおっさんが電柱に「パンダは要らない」「中共はパンダ百匹ただでよこせ」なんて書かれたポスターを貼りつけていたのを見て・・
・・笑った(^○^) のを覚えていますが、ああいうのはいいのか悪いのか。
「パンダは要らない」「パンダ百匹ただでよこせ」なんて書かれると、ははははは・・は(笑)
自分がくくりつける側の立場ではなく付近の住人という立場ですと、不動産屋の人間だって、なんとかお客さんに来てもらって契約に結びつけたいのだから、あんまり厳しく言ってやらなくてもいいのじゃないのお・・と思う時もあるのですが、片方で、いくらなんでも、やりすぎじゃないのかあ・・と思えるケースもあります。
東海住宅(株)の花見川店 店長の田中がずるいのは、私に「つけてこい、こらあ」とか言うけれども、自分はつけにいかないという点です。軽犯罪法というのは名前からして「軽犯罪」とついているように、罰則も《これを拘留又は科料に処する。》と比較的軽く、実際には警察官に検挙されても、「すいません」と言えば「これからは気をつけてね」ですませてもらえる場合が多いようなのですが、しかし、一度目はそうだとしても、 ↑ に述べたように「特に、私はこの間、田中さんが電柱にポスターをつけろと言われるから店長がつけろと言われるからにはつけていいのだろうと思ってつけたら警察から検挙されたのですよ。警察に検挙されてからまだ1か月も経たないんですよ。私は警察から検挙されてから1か月も経たないので、困るのですよ」と私が田中に言ったように、警察に検挙されてからまだ1か月も経たないうちに再度検挙されるということに、もしもなったならば、《 第2条 前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。》とあるように、「情状により」、反省の色がないと評価されてしまうと、拘留という結果になる可能性だってないとは言えないのです。田中は自分ではやらずに私にやらせれば、処罰されるとしても私であって田中は処罰されないと思っていたようですが〔きたないでしょ。相当きたないでしょ〕、《 第3条 第1条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。》という条文があるように、「つけてこい。こらあ。店長の命令がきけないのか。この野郎」と言ってつけさせたという場合は、田中自身がつけなくても命令した田中もまた「正犯に準ずる」ことになるはずです。 怖い会社だなあと思いました。
たとえ、「拘留又は科料」であったとしても、会社の上役が指示して、日本国の法律によって処罰される可能性が考えられるということを、店長は自分ではやらずに従業員にやらせるという会社というのは、怖い会社だなあ・・と思いました。法令の解釈としては、店長の田中は自分ではつけないから、もしも田中が「つけてこ~い」と言ってつけさせられて従業員が検挙された場合は命令した田中もまた《 第1条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。》に該当するはずなのですが、おそらく、その時には「申し訳ありません。私はだめだと言ったのですが、こいつがつけたんです」とか田中は言うのではないかと予想されます。建設部担当の取締役の大澤もまたその同類でしょう。そういうことを考えると、店長が自分はやらないで従業員に「警察がやるなと言っていること」をやらそうとする会社・・というのは、それは要注意な会社と考えざるをえないですね。
営業の職種の人には「営業力」はあっても事務的能力は優秀ではなくてパソコンはあまり得意ではないという人もいます。しかし、井上は「事務員」なのですから、「事務員」であれば田中が2色刷りで印刷するチラシの原稿を2色でではなくわざわざカラーで作成しようとしていたのならば、「2色刷りで印刷するものの原稿なら、原稿も2色で作成するべきで、2色刷りで印刷するものの原稿をカラーで作ったらうまくいかないでしょう」と言うべきですし、言わないなら・言えないならば事務員としての役割を果たしているとは言えません。ところが、井上は言わないで田中と一緒に長々と時間をかけて、役に立たないカラーでの原稿を2人で仲良く作っていたのでした。実際のところ、井上はいなくてもよかったのではないのか。井上がいなければ田中ももう少し私の言うことをきいたかもしれない。 少なくとも、2色刷りで印刷するものの原稿を無駄に長い時間をかけて2人でねちねち作ることはなかったはずなのです。
2色刷りで印刷するものの原稿を田中と井上の2人がカラーで作るから、だから私はそれの扱いに苦労させられたし、そのために本来なら費やさなくていい時間を費やされたのです。井上は「すいませんでした」の一言くらい言うべきもののはずです・・・が、言わない言えないのがバカ女症候群の「患者」というものでした。 「座敷牢」にでも入れて「入院療法」でも受けさせれば、そうすれば花見川店の従業員として井上の被害に合わなくていくらかなりとも助かったのではないかと思われます。
(11)
さらには、井上は花見川ショールームで事務員が対処していいと思われるような仕事を見つけると私の所に来て、「〇〇さん、・・・をやってください」と言いにくるようになったのですが、それは井上の仕事だろうが・・ということを私に「やってください」と言いにいくるのです。変な女だなあ・・と思いながらも、「韓信の股くぐり」なんて言葉もありますが、しょーもないやつを相手に争ってもしかたがないと思い、「そうですか」と言って井上が言うことをやってきたのでしたが、この女も変わった女やなあ・・・と思ったものでした。店長の田中は井上のそういった態度を井上に注意しないといけないはずでしたが注意しませんでした。
「事務員」というのは花見川ショールームで事務員が対処するような仕事を見つけて事務員ではない私の所に来て「やってください」と言いに行くという仕事ではないのです。井上がやっていたような勤務態度であれば、井上はそこにいる必要はなかった、ということになります。
私は「住宅の営業」の仕事は長くやってきた経験者でしたが東海住宅(株)という会社においては「新人」なのだからとは思っていたのですが、しかし、東海住宅(株)では「新人」といっても新卒新人ではないですよ。隣接業界での経験者として入社した者ですよ。井上は事務員なのに、事務員がやる仕事をやらずに、事務員がやる仕事を見つけてきて、「経験者として入社した者」の所に「やってください」と言ってきたのですが、最初は「変な女だなあ」と思いながら、そんな変なやつと争ってもしかたがない、「韓信の股くぐり」という思考をしていたのですが、そのうち、こいつ、いったい何なんだ・・と思うようになったのです。
こういう「新人類」もしくは「異星人」の女には店長は注意しないといけないのではないか、と思ったが店長の田中は注意しなかった。

会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
・・なんだか変な女が東海住宅(株)の花見川ショールームにはいました。
(12)
[第901回]《 ひとのせいにする営業、せいにされた時、どうしたものか。勝手に転んで嘘泣きする子供に「申し訳なかったねえ」と言う店長。施主に原因があるものを担当営業を悪者にする男。契約客を放置して解約したいと言われた営業ではなく引き継いだ者が悪いと言う所長。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202201article_9.html 【3】
※ 東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ については、ほかに、
[第619回]《平塚神社社殿の裏の岡。猫の死骸をかわいそうと思うか気持悪いと考えるか―平塚神社と浅見光彦【7/15】》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_9.html
でも述べました。御覧ください。
★ トラブルバスターやったろか。
「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
「いくらなんでも、ひどすぎるでござる」
「ギョエエ~エでござるよ」(ミドリコ)
「ぜってえ許さん!
トラブルバスターだあ!」
【2】以降、東海住宅(株)の他の会社でも、その業界での仕事については私の方が経験があっても、その会社においては「新人」なのだからと思って下手に出たが、下手に出るべきではなかったのではないか・・という例をいくつか、別稿で述べたいと考えています。
( 2022.2.17.)
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