岡村天満宮(横浜市)[1/7]蒔田駅付近から岡村天満宮前へ。国営裏口入学「副検事」「かんぱん」は嫌い。東京もんのアンチ大阪は醜い。「京のぶぶづけ」を大阪のことだと主張する思考が硬い「慶應タイプ」を「思考が柔軟」「自我が確立されている」と言う「心理学」。裏口八百長医者屋族は独善的特権階級。自分の息子をいいようにギャースカ言わなきゃおれないバカ女症候群とその息子。小此木啓吾は小学校に行ったのは余計! 南区の大岡川の両側。よく吟味すると公衆便所と交番には違いがある。

[第904回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第63念-1
  2月後半というと・・・⇒ 確定申告・・とともに、梅の花が咲く季節  ということで、神奈川県横浜市磯子区岡村2丁目 の 岡村天満宮に参拝してきました。梅の花を見るのに最もいい時期はいつだろうか・・、「3月はひな祭り、酒が飲めるぞ♪」とかいう歌(?)があり、3月のひな祭りの時期が梅の季節か? ・・なんて思って3月前半に行くと、もう梅の花はほぼ散った後だったりすることがあります。 梅にも種類があるようで、梅の種類によっても咲く時期に微妙な違いがあるみたいですが、梅の花を見るには、少なくとも東京圏においては3月頭ではなく2月下旬くらいに行くようにした方が良さそう・・・ということで、2月23日、梅の花を見るためには「急ごう」ということで横浜市の「いそご」区(磯子区)の岡村天満宮に行きました。
  日の丸の旗が立っているのですが、2月の旗日というと建国記念日?・・しかし、建国記念日は2月11日にすませたはず・・で、2月23日は浩宮さんの誕生日だったのです。我らがなるちゃんの誕生日です。 前の天皇さんは12月23日が誕生日でしたが浩宮さんも23日が誕生日だったみたいですね。
  ・・「浩宮さん」とか「なるちゃん」とか言うと右翼の人たちに怒られないかと怖いのですが、私は同年代の者として同じ時代を生きて来た者として親しみをこめてこの表現をしてるのですがね。

  それで、岡村天満宮に行くには、公共交通機関を利用して行く場合は、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』〔 1994.12.20.(株)鎌倉新書 〕には 
 《岡村天満宮にお参りするには、京浜東北線の磯子駅から、バスかタクシーを利用すればよい。・・バスなら天神前で下りるとすぐ石鳥居が見え、その坂道を上ると岡村天満宮の石段がある。》と書かれていますが、
わかりやすい天神信仰―学問の神さま
わかりやすい天神信仰―学問の神さま
  岡村天満宮HP の アクセス http://okamura-tenmangu.com/access/ によると、JR京浜東北線「磯子」駅からだけではなく、
JR根岸線「磯子」駅より市営バス9・78系統「天神前」から徒歩5分 
市営地下鉄「弘明寺」駅より市営バス9系統「天神前」から徒歩5分
京急「屏風ヶ浦」駅 または 「井土ヶ谷」駅より
屏風ヶ浦:市営バス78系統 天神前下車 5分
井土ヶ谷:市営バス9系統 天神前下車 5分
・・・と出ており、JR根岸線「磯子」のほか、市営地下鉄ブルーライン「弘明寺」、京浜急行 本線「屛風ヶ浦」「井土ヶ谷」からバスが出ているようです・・・が、今回はコロナウイルスどうこうと世間で言われているおり、自家用車で行きました。
  区の名前は磯子区でJRの路線名は磯子線ではなく根岸線とはこれいかに・・と思ったのだが、JR「根岸」駅は磯子区にあるが磯子区東町(ひがしちょう)・西町(にしちょう)にまたがってあり、根岸町1~3丁目・根岸台・根岸旭台は磯子区ではなく中区にあって磯子区ではなく、JR「根岸」駅がある東町・西町は磯子区では東の端だということから「根岸区」ではなく「磯子区」なのだろうが、それなら「磯子線」ではなく「根岸線」というのはな~んでだ? ・・というと、最初は横浜から根岸まで開通して「根岸線」になって、その後、根岸駅から西が延伸したからかあ? ・・と思ったらそうではなくて、《横浜駅 - 桜木町駅間は、1872年に開業した日本の鉄道の発祥区間である新橋駅 - 横浜駅(桜木町駅が当時の横浜駅)間の一部で、東海道本線に属していたが、日本鉄道建設公団により仮称桜大線(おうだいせん、ランクは主要幹線〈C線〉)として建設されていた桜木町 - 磯子 - 大船間のうち、桜木町駅 - 磯子駅間が開業した1964年に横浜駅を境に根岸線とされた。 》( 《ウィキペディアー根岸線》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E5%B2%B8%E7%B7%9A )ということで、むしろ「磯子」駅まで開通したという時期があったらしい。「いそご(急ご)線」では、なんだか、乗客が駅の階段を駆け上って駆け下りてしそうで、運転士もまた大急ぎで運転して事故起こしそうで、それでは困るということから「磯子(いそご)」駅のひとつ手前の「根岸」駅を駅名にしたか? ・・てありそうな気もせんでもない。

  高速道路の湾岸線を西に進んで、本牧ジャンクションで狩場線に移り、「花の木」インターチェンジで降りて左折し、「宮元町1丁目」交差点で右折して鎌倉街道(県道21号)〔地下を横浜市地下鉄ブルーラインが走っている道〕を西に行き、「宮元町3丁目」交差点(地下鉄「蒔田(まいた)」駅の東のあたり)で左折してちょっと行ったあたりを右折すると、そこからの道はどこからなのかわからないが「天神道路」と名前がついた道になり、南に進んだその左側(東側)に岡村天満宮があるようなので、初回の訪問はその「天神道路」を南下するルートで行こうと考えて狩場線「花の木」インターチェンジで降りようと考えたのでした・・・・が、ところが、本牧ジャンクションでとっちに行くのか迷って進んだら狩場線に曲がり損ねた。・・それで、当初は帰りに利用するつもりだった「磯子」インターチェンジで降りて、すぐの所を右折すると(陸側に進むと)環状2号線(県道17号)で、その環状2号線(県道17号)が高架から地べたにおりてすぐ左にローソンがあったのでクルマを停めて、そんでもって、今は昔、1970年代前半、永井豪の『デビルマン』て漫画に
「床屋のおっさんが」
「おい、こことこや~?」
て合言葉が載っていたのだが、そんな感じで「おい、ここどこや~?」と『県別マップル 神奈川県道路地図』(2019年 6版 昭文社)を広げて考えたのでした。

  その少し西で、環状2号(県道17号)が県道22号が交わる交差点があり、そこを左折してすぐの「バーミヤン」で食事をして、さてどの道を行くか考えたのですが、
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( ↑ バーミヤン・夢庵 横浜笹下店https://store-info.skylark.co.jp/bamiyan/map/171291 。 1階ばバーミヤンで、2階が夢庵らしい。 バーミヤンと夢庵はどちらも すかいらーくグループに属する店らしい。 右の道は県道22号。南向きに見たもの。)
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( ↑ バーミヤン 横浜笹下店の前から県道22号 北方向を見たもの。)
  やっぱり、初回は「天神道路」を直進するルートで行きたいと考えた。
  ともかく、何が嫌いと言うて裏口入学ほど嫌いなものはない(裏口入学は人間のすることやおまへん!)ので、裏口からは入りたくない。だから、王道か正道かわからんが、2回目以降はどこから入ってもいいが、初回はできる限り、正門から・正面から入りたい。
【裏口入学例 その1】  ほんと、1970年代後半、うちの父親の「親友」の医者屋で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで息子を私立金権関西医大に裏口入学させたというのを自慢しまくっていた M川(男。当時、50台前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい)がいまして、裏口入学て自慢するもんかあ? 裏口入学なんてものは、たとえやるにしても、「恥ずかしそうに」「こそっと」やるものではないのか~あ?・・と私は思ったのですが、M川は「わしなんかは、なにしろ、思考が柔軟なもんじゃから、だから、うちの息子は裏口入学なんじゃあ! どうじゃ、わかったかあ!」と言って自慢しまくっていたのです。「思考が柔軟なもんじゃから裏口入学なんじゃ」とその医者屋M川は言うのでしたが、そんなに「思考が柔軟」ならば、その柔軟な思考力を活かして狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でも実力で現役で合格して行けば良さそうなものだと思ったのですが、その医者屋の「M川先生」によると「思考が柔軟なもんじゃから裏口入学なんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」ということでした。なんや、ようわからんかったけれども、それでも無理矢理、「わかりました」と言わそうとするのです。そのあたりが「大人ちゅうもんなんじゃ」と言うのですが、大人ならば裏口入学なんてやらずに堂々と入試に合格して正門から入学すれば・入学させれば良さそうなものではないのか・・とガチンコ族としては思うのですが裏口八百長医者屋族としてはそうではないらしいです。 そういう人間て好きじゃないんですよね。だいたい、私なんか、裏口で入れてもらおうなんて、たとえ考えてもそんなコネなんてありませんしね。 ガチンコ民族としては裏口八百長医者屋野郎てのは好きになれんのですよ。
【裏口入学例 その2】  それから、検察官てのは司法試験に合格してなるものだと思っていたら、「副検事」という司法試験に合格していないにもかかわらず検察官になっている国営裏口入学みたいなやつ てのがいるようなのです。 なんじゃ、あれは!?!  ・・警察官の場合は勉強あんまりせんかったが体力はあるてやつがなってるとしても裁判官とか検察官とかいうのは旧帝大系国立大学などを卒業して司法試験という法律についての難しい試験に通った人がなっているものだろうなんて思って検察庁に行くと、どう見てもそんな顔してないてやつが「検察官」と称しているので、あれええ~え? ・・と思うと、そういうやつてのは、たいてい「副検事」で、そいつらは司法試験に通ってないし、「旧帝大系国立大学なんて絶対に出てません」と顔に書いてある。簡易裁判所の判事も「かんぱん」と言って司法試験に合格していないのに裁判官やってる者がなっているという話ですね。 きらいなんだよ、そういうズルするやつて。・・だから、神社・寺の参拝は2回目以降の訪問はどこから入ってもいいし、どこから行ってもいいとして、初回は正面から・正門からというのを原則として考えているので、それで、遠回りになっても「天神道路」を直進するルートを取りたいと考え、バーミヤンから県道22号を北に進み、「関ノ下」という交差点で鎌倉街道(県道21号)に入って北上、地下を横浜市地下鉄ブルーラインが走ってるなんてのはクルマで上を走っていてもわからないが、そこを北に行き、京急「上大岡」駅の西、地下鉄「弘明寺」駅の上を通り、北西に行く県道84号と別れる「通町1丁目」交差点を過ぎて、「宮元町3丁目」交差点を右折して、上記の最初の予定のルートで「天神道路」を南下して進みました。

【裏口入学例 その3】  大阪府知事だった時の橋下徹の友人だということから、大阪府立和泉高校の「校長」に高校教諭の教員免許も取得しておらず、高校教諭の経験もないにもかかわらず、又、大阪府の出身でもなく、大阪府立高校の出身でもない人間で公立高校に行った経験もない人間でありながら、縁故入社で「校長」になった中原徹なんてやつも、あれも縁故入社裏口入学みたいなものですね。本人、自覚あるのでしょうか、「裏口入学みたいなもの」をやっているということに。

   「上大岡」駅には20代の時、慶應大学に在学中、塾の講師のアルバイトの募集を「アルバイトニュース」だったか「アルバイト情報」でだったか慶應大学の共済部の募集で見たかどれかで見て(どれを見てだったかもう忘れてしまった)、応募して面接に、横浜駅から京浜急行だったか横浜市地下鉄だったかどっちかに乗って上大岡駅で下車してバスに乗って行った所、丘の上みたいな場所に行ったことがありました。
   こんな丘の上まで横浜市なんだなあ、これだけ広い範囲が横浜市なら、そりぁ、横浜市は「街中だけが大阪市の大阪市」よりも人口が多くなるわなあと思った・・ということがありました。大阪市ならば周囲の隣接する市、豊中市・吹田市・池田市・箕面市・茨木市・高槻市・枚方市あたりまでも、周囲の市をひとまわり全部、もしくは二回りほどくっつけたみたいのが横浜市ですから、「人口」として見れば横浜市の方が多くなるわけです。「東京もんのおっさん」にはアンチ大阪・アンチ阪神のおっさんが多く、1990年代、(株)一条工務店にいた時に同じ営業所にいた「木南さん」(仮名)(男。当時、40代)なんかも「大阪の人間はバカですから大阪が二番目の大都市だとか言いますが、日本で二番目の大都市は横浜であって大阪なんて三番目でしかないんですよ。大阪の人間というのはほんとにバカですね。大阪なんて横浜より下のイナカなんですよ、大阪はイナカ!」とかこちらが大阪出身の人間だと思うと余計にそういうことを意地になって言うのでしたが、大阪市の場合は「スプロール化」と言って街中はオフィスビルばっかりになって昼間人口は多くても夜間人口は減って、その結果、「人口」は夜間人口で見るので人口減少になり、大阪市は人口が減った地域が多くの部分を占めたのに対して、「東京の補完都市の横浜」は人口が増える部分が大部分であり、横浜市が大阪市の人口を抜いて東京都23区に次いで2番目の人口の年になった1960年代後半というのは、たしか、横浜市が周囲の町村をいっぱい併合した時であり、なんか、まるで裏口入学の医者屋みたいなことしやがった・・というのか、「巨人みたいや」「長嶋みたいや」て感じのやり口やな・・て感じがする。
⇒《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA
  最近は大阪市は埋め立て地をいっぱい作って差が小さくなったけれども、その頃は横浜市の面積は大阪市の面積の3倍ほどもあったのだから、いくらなんでも面積が3倍もあったら人口も多くなるわ( 一一) ・・て思ったものでした。1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所にいた時、いわき市の住民に「いわき市て東北地方では仙台に次いで人口が多い、福島県では一番人口が多い市なんですよね」と話すと、いわき市生まれの住民は「人口で見るとね。いわき市はいっぱい合併したから人口で見ると東北地方では仙台の次に多くて福島県では一番多いことになるけれども、実際は大都市なんてものじゃないよ。福島県でも郡山の方がむしろ大きな街だよ」とか言うのでしたが、ところが「東京もんのおっさん」はそうは言わないのです。「日本で2番目の大都市は横浜であって、大阪はイナカなんですよ。大阪はバカしかいない街ですよ、バカの住む所ですよ」と相手が大阪の出身だと思うと必死になって言うのです。さらに(株)一条工務店で茅ケ崎・いわき・上越などの営業所にいた「木南さん」(仮名)は「大阪はチョーセンジンの住む街ですよ。大阪なんてチョーセンンしかいない街でしょ、大阪に住んでる人間は全員がチョーセンジンだ、チョーセンン!」と言うのです。
〔戦後、中華人民共和国と中華民国の両方が日本政府に対して「支那(シナ)」「支那人(シナ人)」と呼ばないでもらいたいと申し入れ、日本政府はそれを承諾しましたが、語源から考えるならば、「支那(シナ)」という言葉は中国にあった王朝の秦・晋・清の名前、特に万里の長城を築いた始皇帝の秦(しん)からきている言葉ではないかと言われ、英語のChina(チャイナ)、イタリア語の cina(チーナ)とともにかつての王朝の秦(シン)という名前から来ている言葉で、語源から考えるならば差別用語でもなく蔑称でもないはずで、又、比較的高齢の人には、昔から「シナ」と言ってきたからそう言うけれども蔑称で言っているつもりは特にないという人もいるし、「支那そば」なんてのは、中国からラーメンが伝わって来た頃のタイプのラーメンだということで言っているのであって差別なんてするつもりもないし蔑称で言っているつもりもないという人もいるだろう〔それで「中華そば」と言っている店もある〕。中国・中華人民共和国というのは現在の国名で「支那(シナ)」というのはその地域の名称だとして、国名とは別に地域の名称として「支那(シナ)」という言葉を使う人もあり、又、最近では「中国」とは自分の所を世界の中心の国だと呼べとはあつかましい・・と思って「中国」とは呼びたくないという人もいるようですが、日本人で「支那(シナ)」「支那人(シナ人)」という言葉を使う人は誰もが蔑称として使っているわけではないけれども、しかし、蔑称のニュアンスを込めて使う人も現実に今でもあるでしょう。  それに対して、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の人間で「朝鮮(ちょうせん)」「朝鮮人(ちょうせんじん)」と言うなと言う人はあまりないが、韓国というのは大韓民国の略称だが「北朝鮮」は地域名だからということで、朝鮮民主主義人民共和国では略称としては「北朝鮮」と言わずに「共和国」と言ってくれと言っているらしいけれども「合衆国」ならアメリカ合衆国とメキシコ合衆国くらいしかないが「共和国」は世界にいくつもあるから「共和国」では朝鮮民主主義人民共和国のことかどうか日本人にはわからないので、それで、朝鮮民主主義人民共和国の略称は「北朝鮮」と呼んでいる。むしろ、キムタルシュ(金 達寿)『朝鮮』(岩波新書)によると、「韓」というのはソウルとその周辺地域の部族の名称であり朝鮮半島全域を指す言葉ではなく、ある一部分の部族の名前を国名とするのは好ましくないという意見があるらしく、「朝鮮」の方が朝鮮半島全体を指す言葉だと大韓民国の人間でもキムタルシュ(金 達寿)などは考えていたらしい・・が、普通に「ちょうせんじん」と発音する場合は蔑称ではなく普通の言葉なのだが、「チョーセン」「チョーセンジン」と終わりのあたりにアクセントをつけて発音すると、これは蔑称としての言葉になる。「東京もんのおっさん」の「木南さん」(仮名)は「大阪なんてチョーセンジンの住む所だ」とか「大阪の人間は全員がチョーセンジンだ」とか、最後の部分にアクセントをつけて蔑称の意味あいでの「チョーセンジン」という発音をするのだったが、これもまた「東京もんのおっさん」に多い傾向がある。「木南さん」(仮名)は名前からして大楠公さん・小楠公さんで右翼結社の人かいなあと思いそうになる名前だが、「ドイツ人は日本人が好きで、ドイツに行ったら、こちらが日本人だと知ってドイツ人から『今度はイタリア抜きでやろうぜ』と言われましたよ♪」とか言っていたのだが(ヒトラーは日本人のことを「猿真似民族だ」と言っていたという話もあるのだが)、あんた、ドイツでどこに行ったんだよ、ネオナチの集会にでも行ってきたのか? ・・て人だったが、だから、「木南さん」(仮名)はそういう傾向が比較的強い人だったかもしれないが、それにしても、「東京もんのおっさん」にはそういう人間が多い、そういう傾向の人が多いというのは事実だ。〕
ナチスの時代―ドイツ現代史 (岩波新書 青版 419) - H.マウ, H.クラウスニック, 内山 敏
ナチスの時代―ドイツ現代史 (岩波新書 青版 419) - H.マウ, H.クラウスニック, 内山 敏
よくまあ、そういうことを言うなあと思いますし、在日韓国人が住んでいる地域なんて全国にあるのに、それを知らずにそういうことを言うのです、「東京もんのおっさん」は。 いわき市の生まれの人間は「いわき市はいっぱい合併したから人口で見ると福島県で一番人口が多い市で東北地方では仙台の次に人口が多い市ということになったけれども、いっぱい合併したからそうなるだけで大都市なんかじゃないよ」と言うのですが、「東京もんのおっさん」は「いっぱい合併して大阪市の人口を抜いた横浜市」をもって「日本で2番目の大都市は横浜であって、大阪なんて3番目でしかないんですよ。大阪なんてイナカなんですよ、大阪はイナカもイナカなんですよ」と相手が大阪出身の人間だと知ると必死になって言いまくるのです。「東京もんのおっさん」てのは、どう考えても福島県人よりもイナカモノですね。「精神面がイナカモノ」。かつて、福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎の出身とかいう意味での『いなかもの』というのは、それは別に悪くない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これは良くない」と語ったというのですが、「東京もんのおっさん」には「精神面がイナカモノ」が大変多い。・・それにしても「東京もんのおっさん」てのは大阪と関西と阪神の悪口を言うのが大好き♪・・ておっさんが実に多い。

   1980年代前半、慶應大学でステューデントカウンセラーズというサークルに入っていた時があったのですが、その時、日野高校出身の西だったか、西高校出身の日野だったかそんな名前の男(当時、20代前半)がいて、「関西とか大阪は『ぶぶづけでもどないだす』としつこく勧められるから、そこまで勧められるのならと思ってごちそうになろうとすると『あつかましい』と思われるという、そういうのが大阪は嫌いなんだ」と私が大阪出身だと知ると言い出したので、「こいつ、頭悪いなあ」「こいつ、勉強してないなあ」と心の底から思った、又、「思考が硬いなあ」とも思ったということがありました。その話は「京のぶぶづけ」という話であり、あくまでも京都の話であって大阪の話とは違うのです。勝手に「関西とか大阪」の話に変えてしまって「大阪の人間」に文句言うのでしたが、そんなもん、大阪の人間に「京のぶぶづけ」の話の文句を言われても知らんがな・・てものですが、そういう発言をするような人間のことを「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「慶應心理学」では言うようでした。
  「京のぶぶづけ」の話はあくまでも京都の話であって大阪の話ではないし、関西でも京都と大阪では違いがあるし、神戸も奈良も和歌山も違うのに、それを全部一緒にしてしまって「関西の人間というのは」と決めつけるというあたりが「慶應ボーイらしい思考の柔軟さ」とか「自我が確立されている」とかいうやつらしいのです・・・が、アホちゃうか・・と私などは思うのですが、それを言うと「思考が硬い」とか「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」とか「未成熟だと思います」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響だと思います」とか、「慶應心理学」から何やらかにやらぐじゃぐじゃごじゃごじゃ「診断」されることになります。「診断」されると次に「治療」される危険がありますからもう、怖い・こわい・怖い・こわい!!!
  私なんか、大阪の生まれで京都には何度も行ったことはありますし、京都市在住の親戚や知人もいますが「ぶぶづけでもどないだすう」なんて、一度言われてみたいもんだと思っても誰も一度も言ってくれません。 日野高校卒の西だったか西高校卒の日野だったかは、実際に京都で「ぶぶづけでもどないだすう」なんて言ってもらった経験があるのか? ・・・というと、「慶應ボーイ」だけあって実際に言われた経験もないのに、それなのにそういうことを言いまくっていたということでしょう。いかにも「慶應タイプ」て感じがします。そういう反実証的・反科学的な態度のことを「自我が確立されている」とか「思考が柔軟」とか「独立自尊」とか「福沢精神」とか「慶應心理学」は言うみたいです。「日野高校卒の西だったか西高校卒の日野だったか」は、なんか山本七平=イザヤベンダさんみたいですね。バッカじゃなかろかルンバ!
にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫) - 浅見 定雄
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殺す側の論理 (朝日文庫) - 本多 勝一
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ペンの陰謀―あるいはペテンの論理を分析する - 本多勝一
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  だいたい、「京のぶぶづけ」の意味わかっていて言ってるのか・・というと、「日野高校卒の西だか西高校卒の日野だか」はわからずに言っていたと思うのです。そういった反実証的態度・反科学的態度というのは、まがりなりにもある程度以上の大学に行った者としては慎まないといけない態度であろうと思ったのですが、慶應大学というのは「ある程度以上の大学」ではないのか、それとも慶應大学は「ある程度以上の大学」ではあるが「日野高校卒の西だったか、西高校卒の日野だったか」が「ある程度以上の大学」に行っていても「ある程度以上の大学」の大学生の条件を満たしていない人間だったのか。どっちかだったのでしょう。
  私などは「ぶぶづけでもどないだすう」・・なんて京都人から言ってもらったことなんて一度もないが、慶應大学の「英語(1)」という科目は高校の「サイドリーダー」みたいなもの、英語の文章を読んでいくというものでしたが、なぜか、くだらん内容のものをテキストに選ぶ教授・助教授が多かったが(今、ふりかえって考えてみると、慶應の内部進学の教授・助教授に「英語(1)」の英文のテキストを選ばせると、その人の思想・世界観から選ぶので山本七平=イザヤベンダサンか竹村健一みたいな胡散臭いのをテキストに選ぶことが多くなるらしかった・・てことだろうと思う。その人の知能程度に合わせたテキストが使われていたのだ。「外書購読」のテキストもまた、私が履修したM助教授のテキストはそうではなかったが、こんなの「外書購読」ではなく「害書購読」ではないのかみたいなテキストを使う教授・助教授が多かったようだ。)のテキストで日本論について述べたものが使用されて、そこに「京のぶぶづけ」の話が日本語でコラムとして書かれていて、京都人の特徴として、「ぶぶづけでもどないだすう」と実に熱心に勧められるので、そこまで言われるならとごちそうになろうかとすると「あつかましい」と言われる。いったいどうすればいいのかと思うが、それが京都人の特徴だ・・といったことが書かれていて、それを読んだ時、なんで「ぶぶづけ」なんだろうか? と思ったのだ。「ぶぶづけ」というのは「お茶漬け」のことだろうから、もしも、食事していってくださいと言うのならば、何もお茶漬けではなく、もうちょっと何かいいものを勧めたらどうかと思ったのだが、比較的最近になってインターネットで見て意味がわかった。「ぶぶづけでもどないだすう」というのは、それは「どうぞ、うちで食事していってください」と勧めているのではなく、「きょうは、もういいかげんにお帰りになったらどないだすう」という意味、「もう、いいかげん、帰ってちょうだい」という催促なのだ。「ぶぶづけでもどないだすう」というのは「こんなに長居してからに、よその家の迷惑も考えずに、うちの家の貧相なお茶漬けでも食べていきますかあ。まさか、そこまであつかましくはありませんでしょ」という意味の強烈な皮肉なのだ。そこまでの皮肉を言われても、まだわからずに「それなら、ごちそうになっていこうか」などと言うやつというのは、ウルトラのバカ、超ド級にあつかましい人間ということになるらしい。だから、ごちそうするにふさわしいような料理ではなく「ぶぶづけ」なのだ。そう考えると、「ぶぶづけでもどないだすう」という言葉は、「いくらなんでも、きょうはもうお帰りになったらどないだすう」と言っているのだから、それを強烈な皮肉で言われているのに「そうですか。それならお宅の貧相なお茶漬けをごちそうになりましょうか」と言うやつというのは、言う方がおかしいということになるのだ。「日野高校卒の西だったか、西高校卒の日野だったか」は、そのあたりの意味もわからずに「大阪とか関西は『ぶぶづけでもどないだすう』と言われて、それならごちそうになろうかと思ったら『あつかましい』と言われるという、そういうところが嫌いなんだ」などと言うのだったが、そもそも、大阪は京都ではないし。
  「京のぶぶづけ」というのは長居してなかなか帰らない来客に「きょうはもうお帰りになったらどうですか」という意味で言う言葉だが、それでもやっぱり、京都の人間には勧めているのかどうなのかわかりにくいところがあるというのは、それは大阪の人間も言うことで、「たしかに京都の人間にはそんなところがあるなあ」と言ってそういうところはいいと思わないと言う大阪人もいるのだが、ところが「日野高校卒の西だったか、西高校卒の日野だったか」は「京都の人間」も「大阪の人間」も一緒にして《「京のぶぶづけ」及び「大阪のぶぶづけ」》にしてしまうのだ。なんで、こんなやつが大学に行くんだろうなあ・・と思った。こんなやつ、義務教育であろうがなかろうが中学校行ったのは余計であろうが。ましてや、こんなやつ、西高校だったか日野高校だったかなんて行ったのは絶対に余計であって犯罪的行為であろう。罪の意識を持てえ!

  1970年代後半、私が高校3年の時、うちの母親は「こいつ、大学に現役で通ったら思いあがった人間になって女を泣かすことになるから、な~にがなんでもこいつを落としてやらんといかん。落ちろ~お! こいつう~う! 落ちろお~お! こいつめえ~え!」と言って、毎日毎日、夜、自宅で宅習していると、後ろからホウキでボコボコ殴りつけ、服の襟などをつかんで椅子を背後にひっくり返し、さらには私が使用していた部屋の電気を洗面所にあった分電盤のブレーカーを落として照明がつかないようにして学習できないようにして、そんな家に帰りたくないと思って高校の図書室で学習して帰ると、インタホンのプラグを抜いてインタホンが鳴らないようにして雨戸もすべて閉めて入れないようにした上で高校に電話して「息子が帰ってきませんねえ~ん」と言うという、そういったことを繰り返した。うちの母親は「わたしは心臓が・・」「わたしは血圧が・・」とか言いまくっていて、弱弱しそうに見える時があったようだが、「こいつめえ。絶対に落したる~う」と言ってそういうことをする時というのは相当力強かった。何よりも、息子というのはどんなにボコボコにやっつけてもやっつけ返されるという心配がないので安心してやっつけることができる。母親にとってはそこが息子のいいところだった。・・最近、インターネットで犬の飼育員みたいな方が、飼っている犬に「しつけ」と称して暴力をふるう人がいるが、そういう人は一度考えてほしい、その犬は、もしも、その気になれば、一撃であなたに相当のダメージを与えることができる牙を持っているのですよ、それでもその犬はあなたに攻撃しないでいるのですよ、と書いていたのだが、息子はいっくらやっつけてもやっつけ返される心配がないから「こいつ、やっつけたるねえ~ん」「落ちろ~お」「落ちろお~お」「落~ちろお~お」と言ってやっつける母親というのも、一度、そういうことを考えてみてほしいと思ったものだった。
  私は高校1年に入学した時に野球部に入ったのだが、進学校の生徒であり、もちろん野球選手になりたいとか思っていたわけではなく、中学校の運動部の人間というのは、たいてい、運動部の練習が終わった後でもそのスポーツをやっている者が多かったが、北野高校の運動部の人間というのは野球部員もそうだが練習が終われば大急ぎで道具を片付けて着替えて、食堂で自動販売機のアイスコーヒーを一杯飲んだらすぐに帰宅し、電車に乗ったら野球のことではなく高校の勉強のことを考えていた。内村鑑三の息子の内村祐之(ゆうし)は《 獨逸学協会学校中等部から第一高等学校、東京帝国大学に進む。学生野球界では特に一高時代に、早稲田・慶應義塾を久しぶりに撃破するなど名だたる左腕投手として名を馳せた。1918年には15年ぶりの全国制覇を果たした。》、弁護士であって企業に勤めて企業経営に携わった日本では珍しい例としてあげられる岸清一は《 松江雑賀小学校、島根県第一中学校(現在の島根県立松江北高等学校)、大学予備門を経て東京帝国大学法科大学英法科に進学。・・岸はまた、日本スポーツ界発展に尽くした人物として知られる。岸は東京帝国大学在学中には漕艇選手として活躍した。》、岸記念体育館の「岸」とは岸信介のことだと思っている人がいるが、そうではなく岸清一のことだ。私が行った前後の頃の北野高校では片方で野球部やサッカー部・ラグビー部に在籍して、それで京大や東大に現役で進学する人はいくらでもいた。さすがにプロの選手になるような人が行くスポーツ専門高校みたいな所に勝つのは簡単ではなかったかもしれないが、負けないといけない義務があるわけではないし、橋下徹が北野高校にいてラグビー部にいた時には北野高校のラグビー部は全国大会に出て全国大会で2つ勝ち、3つめの試合でラグビーの名門の伏見工業高校に善戦したものの敗れたが、北野高校だけでなく公立の「文武両道」高校というのは、決して弱くなかったのだ。ところが、うちの父親は「そんなもん、野球部とかラグビー部とかサッカー部とかにいて京大に行ったとか東大に行ったとかいう人間というのは全部、浪人です。」と言い、私が「そんなことはない。北野高校の場合は野球部やサッカー部やラグビー部にいて京大や東大に現役で通った人はいくらでもある」と言ったのだがうちの親というのは私が言うことは耳に入らなかった。1年の時の担任のO教諭が「北野高校の場合は運動部にいた生徒とそうでない生徒では進学成績は変わらない」と話されたし、又、うちの父親の知り合いの人の息子さんは北野高校のラグビー部にいて大阪大学の医学部に現役で通られた。戦後のどさくさに紛れて野球部が選抜大会で全国優勝したなどというそこまで昔までさかのぼらなくても、私より1つ上の学年の人でラグビーを3年の11月までやって京大の医学部に現役で通ったという人もいた。ところが、うちの父親というのは「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃわしにじゃわしにじゃわしにい! んが、んが、んがァ~あ!」という父親で、自分の言うことをきかすということをしないと気がすまないという人間で、「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」の男で、「そこだけはやめて!」「そこだけはいや!」なんて言おうものならスイッチが入ってしまって何が何でも・・という気持になるというそういう男だった。精神構造が脆弱だからそうなるのだと思う。その為、「野球部の監督にどなりつけたる」とか言いだして、そんなことされたらかなわんと思って、やむなくやめたのだ。なんで、我が家だけが・・と思った。
※ ウィキペディアー内村祐之(うちむら ゆうし) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%9D%91%E7%A5%90%E4%B9%8B
 ウィキペディアー岸清一 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E6%B8%85%E4%B8%80
  ・・ところが、3年になると「京大に行く為とか東大に行く為とかに浪人するというのはわかるし、浪人は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんけれども、そんなもん、アホ大学に行くのに浪人するなんて、そんなもん、浪人なんてすることあらへん。法政やたら専修やたら明治やたら青山やたらポン大やたら東洋大やたらそんなもんに行くのに浪人みたいなもんすることあらへん。だいたい、そんなアホ大学に行くやつが大学に行くというのが間違ってる。法政やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらに行くようなやつなんて大学行かんでもええ。そんな大学に行くようなやつなんて大学行かずに自衛隊に入れるべきや、自衛隊に。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては」と言うのだったが、「自衛隊に入れろ」というのは戦中世代の発想、学徒動員で軍隊に入れられた経験のあるおっさんの発想だが、他は私もそんなものだろうと思っていたし、うちの親はそう考えているのだからその前提で考えればいいと思ったのだったが、しかし、「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言い出したのだ。はあ~あ? はあ~あ? あんた、私が1年の初めに「北野高校の野球部やラグビー部やサッカー部で京大や東大に通ったという人間というのは、それは全部、浪人です。うちは浪人みたいなもん、させるつもりはありません」と言うたやろうが。それを何とか現役で大学に行きたいと思って努力している者に向って「あんた、浪人しなさい」とは、それはいったい何だ!?! どうも、うちの父親の勤め先の会社の部下で「1浪人で国士舘大学卒」という人がいて、その人がうちの父親のお気に入りだったらしく、そこから「浪人した人間の方が会社で役に立つ」⇒「浪人した人間の方が社会で役に立つ」⇒「あんた、浪人しなさい」ということになったらしいのだ。北野高校の野球部・サッカー部・ラグビー部にいて京大や東大に進学した人間というのは現役で進学した人もおれば1浪して行った人もおり、中には2浪以上した人もいたが、運動部に入っていなかった人でも現役で行った人もおれば1浪で行った人もいて2浪以上した人もいたのだが、私が高校1年に入った時には「北野高校の運動部にいて京大や東大に行った人間は全員が浪人です」と言い、「そんなことないようですよ」と私がどんなに言ってもきかず、「北野高校の野球部の監督をどなりつけたる」とか言って本当にやりそうだったのに、私が3年になると「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」となんとか現役で大学に入学したいと努力している者に向って言う( 一一)・・・というのは、この人はいったいどういう人なんだ・・と思った。 北野高校のコーラス部のOBで1年浪人して大阪大工学部に行ったS本という男(大阪市立歌島中学校卒)がクラブの練習に来て、自分が京大に行きたかったけれども行けずに阪大に行った、自分は現役で大学に行けずに浪人して阪大に行ったということから、京大に行ける可能性がある高校生を阪大に行かせてやろう・現役で合格できる可能性がある者を浪人させてやろうとして、自分は京大に行きたがっていたくせに「京大よりも阪大の方がええぞお」と言いまくり、「1年の浪人はええぞお~お」とか「現役で大学に行ったやつは甘ったれてるから浪人した方がええぞお」とか、そういったことを言いまくりするのを見て、嫌なやつだなあ、一般には卒業してからでもクラブの練習に顔だしてもかまわないけれども、しかし、そんなことを言いに来るのなら来るなよ、こいつう! おまえは来るな! と思ったものだったが、 自分の息子には現役で合格できるものなら現役で大学に合格させてやろうとして、よその息子には「浪人した人間の方が社会で役に立つから、あんた、浪人しなさい」なんてそんなことを言う男というのは時々いるのだが、うちの父親の場合は自分の息子にそういうことを言うのだった( 一一) 今から考えてみると、その程度の男だったということなのだろう・・と思う。
  高校3年の時、うちの母親は離婚すると言い出したのだ。そして、「こいつ、お父さんの血が入ってるから、こいつ、女を泣かせよる。こいつの血を全部抜いて、血を入れ替えてやらんといかん」とか言ったのだ。うちの母親は私が嫌いでよその息子が好きだったのだ。「血を全部抜いて入れ替える」よりも、私と縁を切ってよその息子を養子にもらった方が合理的だったのではないかとその時も思ったし今も思う。
  離婚するならしてもらってもいいのだが、ところが離婚するだけですむ話ではなく、「息子の所有権は母親にあると裁判所は判例をだしてる」とうちの母親は言うのだった。「所有権」というものが母親にあるらしいのだ。日本の裁判所はそういう反例を出しているらしいのだ。そして、「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かすようになるから、何が何でも落としてやらんといかん。何が何でもこいつ、浪人させたらんといかん」と言って、↑ のように種々様々な妨害行為をおこなったのだった。なんで、そんなことするかなあ・・と思ったが、「母親というものはそういうもの」だと言う人もいたが、どう考えても、北野高校の同級生の母親とか中学校の同級生の母親とかが誰もがそういうことをやっていたようには思えなかった。そんなことやらない母親の方が多いように思えた。
  そして、結局、高校を卒業する年、東大を受けて落ちてしまった。そうすると、今度はうちの父親も母親も私が高校3年の時に言っていたことと正反対のことを言いだしたのだ。我が家から駅と逆側に住んでいた中学校の同級生で府立箕面高校に行ったRが現役で名古屋の中京大学に下宿して行ったらしいのだが、Rは大阪の家にいる時は駅のあたりに行く時には我が家の前を通るのだが、さっさと行けよおと思ったのだが、毎度、うちの家の前で立ちどまってうちの母親と長話をしていくのだ。なんで、こいつ、毎度、うちの前で立ちどまってうちの母親と話し込んで行くんだ、こいつ。さっさと行け、さっさと・・と毎度思ったものだった。「Rは現役で大学に行ったのに、なんでおまえは浪人してるんやあ」と言って怒るのだが、Rが「現役で行った」という「大学」て中京大学やろうがあ・・・と思ったのだが、東京の「御茶ノ水界隈では駿台予備校の生徒と明治大学の生徒では駿台予備校の生徒の方がえらそうにしている」という記事を1980年代、「朝日ジャーナル」で見たが、実際そうだと思うが、駿台予備校の東大受験クラスに行っている人間からすれば「明治大みたいなもん」と思っているだろうし、浪人したと言っても東大に行くために浪人したのであって明治大に行くために浪人したのとちゃうわ!・・と思っているだろうが、同様に、中京大みたいなもんに行くために浪人したのとちゃうわ・・と私は思っていたのだが、ところがうちの母親はそれでも「Rは現役で大学に行ったのに、なんでおまえは浪人してるんやあ」と言って怒るのだった。高校3年の1月、高校卒業時は国立大学1校だけを受けるという話にしていたはずだったが、ところが、高校3年の1月になると、うちの父親が突然、「練習に関関同立のどこか、受けたらどうや」と言い出して、「練習なんか要りません。今は少しでも学習時間が欲しいから行きもしない大学を受けるのに時間を費やすのは時間がもったいないし、マイナスになります」と言ったのだが、言っても言っても「練習のために受けなさい」とうちの父親が言ってきかないので、根負けして立命館大学の産業社会学部というのを受けたのだが、受けに行くと「コンビニ前う〇こ座り」みたいなカッコした、見るからにヤンキーて感じの怖そうなのが受けにきていて、「これまで、くじけそうになることもあったがくじけずに勉強してきて、その結果としてあんなのと一緒の学校に行かなくてすむことになってよかった」と思ったのだが、「立命みたいなもん落ちたら眼かんで死なんとあかんわ」と思ったけれども口には出して言ったりはしなかったが、心の中ではそんなこと思っていたら、受けてみたら思っていたよりも問題は難しかったので・・もしかして、落ちたか?・・なんて思ったが結果は通っていた。だから、落ち着いて考えてみたら、「Rは現役で大学に行ったのになんでおまえは浪人してるんや」とか「Rは現役で大学に行ったのに、なんでおまえは落ちたんや」とうちの母親は言うのだったが、たしかに東大の試験には落ちたけれども、Rが行った中京大学よりは世間一般には評価が高い立命館大学の試験には通ったのだから、何も中京大学に行ったやつに引け目感じる必要なんてないはず・・だったのだが、うちの親としてはそうはいかん! ・・かったようだ。あくまでも「Rは現役で(中京)大学に行ったのに、なんでおまえは(東京)大学に落ちたんや」ということになるらしかった。・・中京大学みたいなもんに行くやつなんて、大学行くな!
  又、同じ「▽▽◇丁目」の住人で同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に行ったK村哲二という男がいて〔インターネットで見ると、今では神戸大学法科大学院大学の先生様になっていらっしゃるらしい。女性は私なんかと結婚するのではなくこういう男と結婚すると「女の幸せ」というものがつかめるのではないか(笑)〕、この男のお母さんというのは「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」とラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて近所中に言ってまわるのだったが、もしも「京大でも通る」のならば実際に京大を受けて通って行けばいいことだろうが! なんで、京大を受けずに阪大を受けて阪大に行ったんや? 念のため、誤解のないように断っとくけども、わし、K村哲二に「お願いですから京大は受けんとってください」なんて頼んだことなんて一遍もないでえ。「京大でも通る」のなら京大を受けて京大に通って京大に行けばよかったんやろうが。京大を受けずに阪大を受けて阪大に行ったのは自分やろうが! だいたい、「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」て、普通、「北野高校の先生」はそんなこと言えへんでえ。「北野高校の先生」で3年の担任持っていた人にも体育の先生とかもおったわけやから、自分は京大・阪大・東大などを受けた経験のない人が3年の担任やっていた場合もあるわけで、大学入試についてよくわかってない人が担任でそんなことを言ったという可能性もないとは言えんかもしれんが、もしも、わしが「北野高校の先生」やったら「阪大なら絶対に通ります」やなんて、たとえ模擬試験などでどんなにええ成績を取っていた生徒に対してでも、そんなことは絶対に言えへんでえ。阪大はそんなに無茶苦茶易しい大学やないで~え。たとえ、「京大でも合格できる可能性は十分ありそう」と思える生徒でも、「阪大やったら絶対に通ります」なんてそんなことないでえ~え。あくまでも「京大と阪大なら、同じ学部なら阪大の方がいくらか通りやすいか」というくらいのものであって、阪大は「阪大なら絶対に通ります」やなんて言えるほどそこまで無茶苦茶入りやすいてことなんてないでえ~え。又、「絶対に通る」やなんて勝手なこと、思ってたら、その意識は「落ちる方の要素」だと私は思うそうではなく「最後の最後まで何があるかわからない」と認識するべきで、「最後の最後まで何があるかわからない」と思っていたならば、その意識は「通る方の要素」だと思うのだ。しょーもないことをギャースカぎゃーすかギャースカ言いまくるおばはんやなあ・・と思ったが、最初は「お母さんというのは自分の息子のことをいいように言いたいということなんだな」と思っただけだったが、そのうち、ええかげんうるさいなあ、このおばはんはあ! と腹立ってきた。そして、うちの親が私が最初に思ったのと同じように「お母さんというのは自分の息子のことをいいように言いたいということなんだな」と思ってすませておける親ならまだよかったのだが、うちの親はそうではないのだ。「川村は現役で通ったのに、おまえは何で浪人してますのお!」と言って怒るのだ。何か月か前には「現役で大学に通ると思いあがった人間になって女を泣かす男になるから、こいつ、絶対に落したんねん、こいつう。落ちろ、落ちろ、落ちろ、落ちろ! 落ちろ、こいつう~う!」とやった張本人が「川村は現役で通ったのに、おまえは何で浪人してますのお!」と言って怒るのだった。
  RとK村哲二は、なんだかんだ言っても「現役で大学に行った」のだが、又、K村のお母さんは「京大でも通りますと北野高校の先生が言われました」と叫ぶのだったが、本当にそんなこと言ったのか言わないのにお母さんが言いまくっていたのかどっちか知らんんが、どっちであっても実際に受けていないからには本当に受けていたとした場合に通ったか落ちたかは受けていない以上はわからない((ほんまかどうか知らんが)「通ると言われました」だの「受けたら通ったと思う」だのと「実際に受けて通った」とには雲泥の違いがある)・・が、ともかく「現役で大学に通った」「高校卒業時に大学に通って行った」というのはたしかだ。 それに対して「落ちたくせしてからに、なんだかんだ叫びまくるお母さん」というのもいたのだ。同じ中学校から同じ北野高校に行って高校卒業時は神戸大の医学部を受けて落ちたらしいN口 要 というシェイクハンドラケットみたいなぺったんこの顔した男がいて、この男のお母さんというのは「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」とか言いまわるのだった。「一発勝負に弱い」から落ちたのであって本当は通ったんだと言いたいらしかったが、本当は通ったのかというと実際には落ちたんやろうが、実際には!  しょーもないこと言うおばはんやな・・と思うのだが、それですませることができないのがうちの親だったのだ。そして、N口 要の母親というのが「うちの子は本当にしっかりしてますわわ」「うちの子は大人ですわあ」と言いまわるのだ。そんなに「しっかりしてます」のなら、なんで落ちたんだよ?!? そんなに「しっかりしてます」のなら通ったらどうなんだよ!?! なんやもう、しょーもないこと言いまくるおばはんやった( 一一)  「敗軍の将は兵を語らず」という言葉もあるように、落ちた者はしばらくはおとなしくしてるものだ、「N口くん」の母親みたいに落ちたくせしてなんだかんだ言う者はブサイクだ・・と思うのだが、ところが、「ああ、そうですか」と思ってすませておけばよさそうなものだったのだが、ところが、うちの親はそれではすまなかったのだ。「野口はしっかりしていて大人やのにからに、なんで、あんたはしっかりしてませんのお~ん!」と言ってうちの母親は怒るのだ。うちの母親はその「野口くん」てのが好きだったのだ、ぺったんこの顔のやつが。そして、私が嫌いだったのだ。そんなに嫌いな息子なら産まなきゃいいのに。・・それで、その「野口くん」が「しっかりしている」という論拠な何かというと2つあったのだが、1つは「野口くん」の母親が「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」とラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて叫びまくるという親で、その点、うちの親とは正反対で、それを聞いて「野口くんはしっかりしてる」「野口くんは大人や」とうちの親は思うようになったらしいのだ。もうひとつの論拠はYMCA予備校高槻校の「主事」の藤井という男(1970年代後半当時、40代後半くらい?)が「野口はしっかりしている」と推奨していたのだ。なんで、そんなこと言うかなあ・・と思ったのだが、その理由は2つあって、ひとつは野口と藤井は似ていたという点があった。禁中並びに公家諸法度というのを江戸時代の初めに徳川幕府は出したのだが、そこに「天皇・皇室ならびに公家の皆さんがやるべきことはお勉強ですよお」というくだりがあるのだが、藤井という男は学問というものはそういうものだと主張する男であり、社会を少しでも変革することにつながるような学問はけしからんと主張する男で、革命理論のようなものでなくても、比較的保守的なものでも少しでも現実の社会と「緊張関係」を発生させようとするようなものは許せんと言う男だったのだが、「野口くん」の学問観と藤井の学問観は共通していたのだ。 「これまで哲学者は世界をただ様々に解釈してきた。しかし、大事なのはそれを変えることである」とカール=マルクスは『フォイエルバッハに関するテーゼ』( エンゲルス『フォイエルバッハ論』大月書店 国民文庫 所収)の結末に書いたが、ロンドンのハイゲート墓地にある「マルクスの墓」にはこの文句が刻まれているのだが、藤井と「野口くん」の思想はその正反対という点で共通していたのだ。そういうのを「しっかりしてますわあ」と「野口くん」の母親は叫びまくり自慢しまくるのだった・・・が、そういうのって、自慢するものなのかあ?
職業としての政治/職業としての学問 (日経BPクラシックス) - マックス・ウェーバー, 中山 元
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フォイエルバッハ論 (岩波文庫 白 128-9) - フリードリッヒ・エンゲルス, 松村 一人
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そして、私などは比較的正直な人間だったので大学入試について藤井が言うおかしなことについては、正直に「それは違うと思います」と言ったのだが、ところが私からすれば予備校で京大東大文系クラスといった名前のコースに行っている人間というのは高校卒業時にある程度の大学を受けた経験がある人間であり、その経験を踏まえて言っているのであり、そんな経験もなくデマカセを言う藤井としては経験を踏まえて論理的・科学的に指摘する者というのは「上司に逆らう人間」とか言うのだったが、いつから藤井は私の「上司」になったんだ、YMCA予備校のカネを払ってるのは受講生の側であってYMCA予備校の職員が受講生にカネ払ってるのじゃないだろうが!・・と思ったのだが、「野口くん」てやつはそういうところで藤井が気に入らないと思う発言はしないでうまく立ち回るという特技を持っていたようで、そこから「野口はしっかりしている」と言ってもらえたらしかった。
  中日⇒西武⇒阪神 の田尾がYouTubeで「田尾チャンネル」https://www.youtube.com/channel/UCujKx9MOD0zja02WXkDAwwA を開設しているが、田尾は「黙っていても3割打つ外野手」として西武から求められて移籍し、次いで阪神から求められて移籍したのだろうと思っていたら、実は中日で選手会長やっていてオーナーに選手の要望を伝えたらオーナーから嫌われてしまって、それで西武から大島を欲しいという話があった時に「大島はやらん。田尾ならあげる」て感じで西武に行かされたそうで、西武では森監督から「(三塁を守っていた)秋山を外野に変えて、清原に三塁を守らせたらどうかと思うのだけれども、どう思う?」と言われて、秋山を三塁手から外野手に変えて、清原を一塁手から三塁手に変えて、外野を守っていた田尾に一塁を守らせようと森監督は考えていたらしいが、「そのようにしたいと思う」と言ってくれれば監督の指示に従ったのだけれども「どう思う?」と尋ねられたから、意見をきかれたからには自分の意見を言うべきなのだろうと思って「秋山の三塁の守備は他チームの三塁手と比較しても相当いいし、清原は高校野球では実績を残してもプロではこれからだから守ったことがない三塁を守らせるのではなく一塁手としてやった方がいいのではないですか」と言ったら、どうも気に入らなかったみたいで扱いが変ったことからトレードに出してほしいと自分から言って阪神に行ったらしい。そして、阪神で村山が2回目の監督になった時、オープン戦で阪神が負けまくった後、村山が選手の前で「思うことを言ってほしい」と言ってベテランの選手に、掛布・柏原・田尾とあてて発言をうながしたところで、掛布は「監督が考えていることが選手に伝わっていない。新聞を見て監督が考えていることを知るといった感じだから、新聞よりも先に選手に監督の考えを伝えてほしい」と言い、柏原は「若手の選手だけでなくベテランにも遠慮せずに叱ってほしい」と発言した後、田尾が「若手を使う采配ではなく、もっと勝てる采配をやってほしい」と言ったところ、村山の顔色が変わり、「もう、いい!」と言って部屋を出て行った・・田尾としては「若手に経験を積ます采配」が絶対に悪いとまでは言わないが「『若手に経験をつます采配』よりも『勝てる采配』をするようにしてほしい」と言ったつもりだったらしいが、村山はその言葉に頭にきたらしい・・・前半部分「若手に経験を積ます采配ではなく」の部分は宇宙の彼方まで飛んでいって「もっと勝てる采配をしてほしい」の部分だけを聞いて、「あんたの采配では勝てんわ」と言われたような気になったか? ・・で、それから使われなくなってしまった・・・らしいが、それも「思うことを言ってほしい」と言うから、しかも、指名して言えと言うから言ったのだったが・・という話だった・・が、そういうところで何も言わないか、それとも相手が気に入るようなことを考えて言うような言い方をする者がいいのか? そういう者が「しっかりしてますわあ」なのか、そういう者が「大人ですわあ」なのか?  そういうのを「大人ですわあ」と考える会社というのは発展する会社なのか?  田尾って、穏やかそうな顔つきしていて、静かな話し方で、そのわりにけっこう言うこと言うとるがな・・と思うが、穏やかそうな顔で静かな話し方で厳しいこと言われると、言われた側は余計にぐさあっと突き刺さるのかも(^○^) ・・・しれんが、それなら、「どう思うか?」と言われても、まともなことは言わないようにする人間の方がいいのか?
  「野口くん」みたいなああいう男をいいと思う人間はいるらしいが、そう思わない人間もいるのだが、うちの親というのは「野口くん」の母親とかYMCA予備校の藤井とかに「野口くんはしっかりしている」とか言われると「野口くんはしっかりしてるのに、なんで、あんたはしっかりしませんのおん!」と言って怒るのだった。それにしても「野口くん」て男はなんともはた迷惑な男だった( 一一)  それにしても、「野口くん」の母親というのは「うちの子はしっかりしてますわあ」とか「うちの子は大人ですわあ」とか叫びまくるのだった〔⇒「野口くんのテーマ」(ショスタコービチ「交響曲第5番」第4楽章 )《YouTubeーショスタコーヴィチ 交響曲第5番「革命」第4楽章》https://www.youtube.com/watch?v=d_ZLitfxmqA て感じで叫びまくるのだった〕が、うちの母親とは逆で自分の息子のことをいいようにいいように思える母親というのは、考えようによっては「しあわせな女やなあ」てところではあったが(アホがめでたいのお・・ともとれるが)、しかし、「ええかげん、うるさいなあ、このおばはんはあ!」という女だった。そして、自分の母親から「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」と言われて、それで自分でそんな気持ちになっていた「野口くん」てのは、結果として1浪したものの京大法学部に合格して行ったようだが、「たとえ京大に行っても、あんまり賢くないなあ」と私などは思うし「あんまり大人じゃないなあ」とも思うのだが、ついでに弟が警察官になったと聞いたのだが、兄の方も京大でてもノンキャリアの警察官と「たいして変わらん」人間であり、「あんまり賢くないなあ」て感じがした、「京大に行ってもそんなもんなのか」と思った・・のだが、それでも「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」とか本当に思っているのなら、そう思える母親というのは「しあわせな女」やなあ( 一一)・・ともいえるのだが、しかし、いいかげんうるさい女!! やった。 K村哲二と「野口くん」ともうひとり、同じ北野高校から一橋大経済学部に行ったK野という男の3人がワンセットで、慶應大経済学部に行ったS本 彰という男がその3人のパシリで、私なら「なんで、パシリにされなきゃならんのだ」と思うところをS本彰はその3人のパシリになるのを喜んでいた。そういうのを喜ばない人間というのはその点において独立自尊の精神を持っているのであり、そんなものを喜ぶ男というのは、その点において独立自尊の精神に欠けると考えていいのではないか・・と私は思ったのだが「慶應心理学」はそれを逆に「診断」するようだった。 その頃は気づかなかったがK村哲二の母親と「野口くん」の母親というのは似ている( 一一) テーマ曲もショスタコービチ「交響曲第5番」第4楽章 を共通して使っていいかもしれない。私は小学校4年の時に転校して大阪府のM市に移り住んだので最初はわからなかったのだが、どうも、N口 要とK村哲二とK野らによって「人間山脈」みたいな閥が形成されていたようで、そういうものに気づかなかったという点で私は愚かだったのかもしれないが、そんな「閥」のパシリになりたがるS本(パチモンのビスコみたいな顔した男)みたいになりたい人というのも世の中にはいるのかもしれないが、私はそんな「閥」のパシリになんて、なりたいとは思わんなあ( 一一)
※ 「人間山脈」アンドレ=ザ=ジャイアント⇒《YouTube-アンドレVSホーガン》https://www.youtube.com/watch?v=7k5GdUQTuE8
   そして、2浪してしまった時のことだが、1970年代末、うちの父親の親友で医者屋のM川という男は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大に裏口入学させたというのを自慢にしていた。 裏口入学なんてのは、たとえやるにしても、恥ずかしそうに・こそっとやるものと違うのか・・と私などガチンコ族は思うのだが、ところ裏口八百長医者屋族としては「裏口入学こそ王道」と考えているようで、自慢しておったのだ。 その医者屋のM川(男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際は息子と同じく「私立金権関西医大裏口入学卒」か、そうでなくても「かわいいキンタマ」(崎医大+知医大+沢医大+埼医大=「かわいいキンタマ」 くらい卒ではないか。そんなとこだろ。「陸士(陸軍士官学校)と海兵(海軍兵学校)の両方とも通った」とも言っていたようだが、内田康夫『江田島殺人事件』でも広島県の江田島にあった海軍兵学校は「終戦」「敗戦」の1945年よりも前に募集をやめていたという話が載っているが、落ち着いて年齢と年代を比較してみると、戦中に大学生だったうちの父親より5歳程度年下だったM川が大学を受ける年においては陸軍兵学校・海軍士官学校はもう募集していなかったはずであり、募集していない所に「両方とも通った」というのはおかしい。「柔道三段・剣道三段」とも言っていたがこれも嘘くさい。剣道やっていた人に聞いた話では剣道は初段までは比較的取りやすいが二段から上は難しいそうで、又、学校という所に行っていると「お勉強」は仕事に近い性質のものだが、いったん仕事につくと「お勉強」はその仕事に役立つ「お勉強」は仕事に近い性質のものだが仕事と関係のないお勉強は遊びに近いものになり、仕事と関係のない資格の勉強をするというのはなかなか難しいが、小堀住研(株)にいた時に警察官の人に契約してもらったことがあり、その際に「警察官の人って剣道とか柔道とか強いのでしょ」と言ってみたところ、「国体とかに出るような人は強いですけれども私なんかは強くないです。一応、剣道と柔道の初段は持ってますけれども、けっこう仕事が忙しくて剣道や柔道の練習する時間を取れないんですよ」と言われたことがあったのだが、それから考えても、医者屋に剣道や柔道は仕事に関係ないはずで、仕事に関係のない剣道や柔道で、それぞれ「剣道三段」「柔道三段」だと言えば自慢になるとM川は思っていたらしいが、そうではなく、比較的、剣道や柔道が仕事と関係ありそうな仕事である警察官やっている人でも「なかなか剣道や柔道の練習する時間を取れない」らしいのに、なんで、医者屋が剣道三段・柔道三段なんて取れるくらいに剣道や柔道の練習する時間を取れたんだ? ・・ということになる。医者屋の仕事そっちのけで剣道・柔道の練習しとったんかい・・てことになるだけのことで、そんなものは自慢になるものではない。)の同僚の女のK田(当時、40代後半か50代前半くらい?)から私は「あんたなんか、高校に行ったのが間違ってるんや」と言われたのだ。なんで?
   私は公立の高校で大阪府で一番の高校に行ったのだ。なんで、私立の高校に行ってバカ大学を2つも行った息子の親にそんなことを言われなければならんのだ? ・・と思ったのだが、ところが医者屋民族の考え方はそうではないらしかった。うちの父親は言うのだった。「M川先生とかK田先生とかは医者やねんぞ。わかっとるのか。医者というのは普通の人間とは違うねんぞ。医者というのは普通の人間とは違う特別にエライ人たちやねんぞ。おまえなんかとは違うねんぞ、おまえなんかとは。おまえなんかとは違って、医者というのは特別にエライ階級の方やねんぞ、医者というのは」と言うのだった。だから、「特別にエライ階級のお方」である医者の息子・娘というのは小学校から高校までちっとも勉強せんでも私立医大に裏口入学する権利と義務があるらしかった。「おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と言うのだ。「チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは」と言うのだった。
  又、うちの父親から「M川先生の息子さんはおまえとは違って裏口入学やねんぞ。高校はわたくり立やぞお。おまえみたいに公立の高校なんか行っとらんねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ。おまえは甘ったれとってのぼせあがっておってつけあがっておって根性ねじくれ曲がっておるから、そやから公立の北野高校に言ってんぞ。M川先生の息子さんは高校も私立やし大学は関西医大裏口入学やねんぞお。裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい」と言われたのだが、私立の高校に行った人間が「甘ったれておる」で公立の高校に行った人間が「甘ったれてない」のならまだわかるが、なんで公立の高校に行った人間が「甘ったれておるから公立の北野高校に行ってんぞお」で私立の高校(おそらく裏口)に行った人間が「おまえみたいに甘ったれておらんから私立の学校にお行きになってんぞお」になるのか、どうもようわからんかった
   K田が言うには「高校は義務教育とは違うんやから、あんたは小学校と中学校は行かせてあげんとしかたないけれども、高校は義務教育ではないんやから、あんたなんか高校には行ったらいかんのにからに、そやのにからに北野高校に行ったというのは、それはあんたが甘ったれていて思いあがっていて、つけあがっているから北野高校に行ったんや」と言うのだ。なんでやねん・・と思ったのだが、それは無産市民のガチンコ族の思想であり、医者屋民族の思想ではそうではないらしかった。無産市民である私は義務教育でないからには「高校には行ってはいかんはずや」と言うのだ。私が親ならば、よその親からそんなことを言われたら怒る。誰に怒るかというと言った人間に怒る。「おたくのバカ息子はアホ大学を2つも行って、なんでうちの息子にそんなことを言われなっきゃならんのだ」と。ところが、うちの父親というのは、そういうことを言われると喜ぶのだ。「そうや、その通りや。おまえは高校には行ってはならない人間やねんぞ。わかっとんのか、この浪商!」と。
  最近、YouTube で公開されている「丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー」https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%A3%8F%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC で網走刑務所の元刑務官という人が登場して「入所者には『上から目線』で接するように心がけてください」と教えられたと話していたのだが、M川やK田も「患者」や一般国民に対して「医者というものは普通の人間よりもエライのだ」「一般国民は医者というものを崇拝しないといけないのだ」というような「上から目線」で接しようとしていた。人間のあり方としてそういう態度って良くないと私などは思うのだが、医者というのはそういうことを考える「民族で階級」のようだ。「精神科医」の斎藤茂太が『精神科医と患者の世界』(中公文庫)という本を出しているがその「あとがき」だったと思うが、「精神科医」業界で斎藤茂太の下の立場らしい加賀乙彦という「作家で精神科医」が「モタさんの本だからリラックスして寝転がって読んでよろしい。シゲタ先生の本だからかしこまって襟を正して読まないといけません」だったか書いていたが(同書は我が家のどこかにあると思うのだが、値打ちのある内容を書いてある本ではないのでどこに収納したか、捜すのがめんどくさいので「原文の通り」ではない)、片方で「モタさん」と言って「このお方は誰にも親しみある態度で接せられるお方なんです」と称賛しろと要求し、他方で「エライ先生」だからかしこまって拝聴しなさいと要求するという、一番厚かましい思いあがった傲慢な態度であり、それを要求してヨイショする加賀乙彦という男はろくな人間じゃないな・・とわかった。齋藤茂太は小説書いているわけではないが「一般向け」の本を出しているから「作家で精神科医」に属するのかもしれないが、「一般向け」の本を発行している者を「作家」とするならば、やはり「作家で精神科医」の なだ いなだ が『不眠症諸君!』(文春文庫)で「作家で精神科医 なんて、ろくなのいませんよ」と書いていたが、「ろくなのいない」という「作家で精神科医」というのは、齋藤茂太・加賀乙彦・小此木啓吾、そして北杜夫・・といった連中のことを頭に描いて言っているのではないかな。そいつらは基本的には齋藤茂太と一緒で、常に「上から目線」であり、片方で「先生」として奉れと読者に要求し、他方において「読者に親しみある態度をとっておられるお方」として称賛しろと要求するという態度、即ち、一番傲慢な態度を取っている。そういうちっぽけな野郎どもだ。「精神科医」に比べれば「身体科医」は軽症だが「身体科医」にも「精神科医」に近いビョーキを持っている者はおり、「病識がない」者もいる。
不眠症諸君! (文春文庫 (113‐4)) - なだ いなだ
不眠症諸君! (文春文庫 (113‐4)) - なだ いなだ
  うちの父親は言うのだ。「おまえはなあ、おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、実はおまえはほんまは浪商やねんぞ、浪商。おまえは産まれてきた時点において、『天の神さま』というお方から『この人間は浪商』と決められてこの世に産まれてきた人間やねんぞ。おまえは浪商。わかっとんのか、浪商。わかっとんのか、この浪商めが。産まれてこなかったら良かったのに産まれてきおってからに、浪商めがこの浪商チャンコロ! 浪商は高校行くな、浪商! 浪商の分際で高校に行くなちゅうんじゃ、この浪商めが。浪商のくせしやがってからに北野高校に行くな、この浪商めがあ! こいつめえ!」と言うのだった。
  それならば、うちの父親はどうだったのか? うちの父親は「わしは天高(天王寺高校)やぞお」と叫びまくっていたのだが、そのわりに明星高校から同窓会の案内状が来ていたので、なんでだろうなあ・・と長く不思議に思っていたのだが、実際に卒業した高校は明星高校で「ほんまは天高」のようだった。そのうち、「わしは慶應やぞお、わしは慶應。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえは浪商じゃ、浪商。浪商のくせしやがってからに慶應のわしと一緒やなんぞと思うたらいかんぞ、この浪商めが、産まれてこなかったら良かったのに産まれやがってからにこの浪商めがあ! わしは慶應やぞお」と言うようになったのだが、たしか、おっさんは「わしは同志社大学という立派な立派な大学をでてます」と言うておったはずだがと思ったが、途中から宗旨替えをして「ほんまは慶應」になったらしかった。だから、うちの父親は「ほんまは天高(天王寺高校)で、ほんまは慶應」だったのであり、私は「ほんまは浪商」らしかった。「浪商めが、よくも産まれてきやがったな、この浪商、チャンコロめがあ!」「浪商の分際で、よくも北野高校に行きやがったなあ、このチャンコロ、この浪商めがあ!」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきた。「ほんまは天高で、ほんまは慶應」のおっさんから。
  私は「義務教育ではないからには高校には行ってはいかんのに、北野高校に行ったというのは、それは思いあがっているからでのぼせあがっているからで、つけあがっているからで、根性ねじくれまがっているからだ」と言うのならば、K田のバカ息子は私立高校から私立アホ大学に行って、さらに別の学部に行ったというのだが、それはいいのか?  M川の息子は私立高校(おそらくそれも裏口)から私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで裏口入学したのだが、それはいいのか? ・・というといいらしいのだ。K田はこう言ったのだ。「高校・大学は義務教育やないのに、うちの息子なんかは大学を2つも行ってるんやから、だから、一生懸命、勉強せんといかんいうことや」と。それなら私も一生懸命勉強したらいかんのか・・というとそうではなく、「あんたは、義務教育やないんやから高校には行ってはいかんのにからに、そやのにからに北野高校に行ったというのはそれは行くべきではない余計なものを行ったんや」と言うのだ。そして「ましてや、あんたは大学なんて絶対に行ってはいかんのや」と言うのだ。「義務教育は小学校と中学校だけで高校・大学は義務教育ではない」という最初の前提は一緒でもおのれのバカ息子と私とで結論は正反対の所に持って行くというのは、そのあたりが医者屋裏口八百長民族の特徴のようだった。そして、うちの父親の親友のM川は言うのだった。「そうや。K田先生はええこと言いはるわ。K田先生の息子さんは大学を2つも行ってはるのやから、それだけ一生懸命勉強せんといかんし一生懸命勉強させてあげんといかんいうことや。わしの息子なんかは裏口入学して大学に入ったもんやから、それだけ一生懸命勉強せんといかんし一生懸命勉強させてやらんといかんいうことや。それに対して、きみなんか、高校に行ったのが間違っておるのであって、ましてや、きみなんか絶対に大学には行ってはいかんのじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」と言うのだった。そのあたりの思考が医者屋八百長裏口民族の思考のようだ。「医者は敵だ!」という認識を一般国民はきっちりと持つべきだろう。
医学部・金、権力の腐蝕構造―大学の有名病院支配図 (1985年) - 和田 努
医学部・金、権力の腐蝕構造―大学の有名病院支配図 (1985年) - 和田 努
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
  「きみなんか、大学に行ってもろくな成果だせん人間じゃ。きみなんか大学行くことないんじゃ」と私は「裏口のM川」と「バカ大学2つのK田」からずいぶんと言われたものだった・・・のだが、ところが、慶應大学では「日野高校卒の西だったか、西高校卒の日野だったか」みたいに、京都と大阪の区別もつかない、「京のぶぶづけ」の本当の意味も知らない調べようともしない、実際に京都の人間が「ぶぶづけでもどないだすう」なんて言っているかどうかも知らないで、それでいて「大阪とか関西の人間というのは『ぶぶづけでもどないだすう』と言って熱心に勧めるから、だから、それならごちそうになろうと思ったら『あつかましい』と言われるという、そういうところが大阪の人間は嫌いなんだ」とか大きな声でふんぞり返って言いまくる・・・て、そんなアホ、大学に行くな、大学に。「日野高校卒の西だったか、西高校卒の日野だったか」なんぞ、大学どころが、義務教育であろうがなかろうが中学校行くな、中学校に!!!
   今から考えてみると、無産市民の息子は医者とはできるだけつきあわないようにした方がいいと思った。うちの父親は「医者というのは特別の階級のお方やねんぞ、特別の階級のお方。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。浪商とは違うねんぞ、浪商とは。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは」と言うのだったが、そういう自分たちは特権階級であり、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネで私立医大に裏口入学させる権利と義務があり、無産市民の息子は「あんたなんかは、小学校と中学校は義務教育だから行かせてあげんとしかたがないけれども、高校は義務教育じゃないんやから行ったらいかんのやで。あんたなんか」と主張するそういう「民族」で「階級」の人間どもだったのだ。「敵によって反対されるのはいいことであって悪いことではない」と毛沢東は述べている。それから考えると医者屋八百長裏口民族から「あんたなんか高校には行ってはいけない人間やのにからに。ましてや大学には絶対に行ったらいかんのや」と言われたならば、むしろ、逆に行ってやるべきだった・・と考えるべきだったかもしれない・・・が、日野だったか西だったかいうやつなんか、そのあたりから考えると、あんなやつ、大学には行ってはいけないだけでなく、義務教育であろうがなかろうが中学校に行ったのは余計であり、中学校に行くべきではない人間だった・・と思う。慶應大学にはその類の学生が多かった。又、慶應の教授にも義務教育であろうがなかろうが中学校に行ったのは余計じゃという人間がけっこういた。ましてや、小此木啓吾なんてのは「幼稚舎から慶應」らしく、小学校:慶應、中学校:慶應、高校:慶應、大学:慶應、勤め先:慶應・・というまさに「サラブレッド的慶應」というのか「ほとんどビョーキ」というのかであり、「小学校・中学校は義務教育やから、あんたでも行かせてあげんとしかたないけれども、高校は義務教育ではないんやから、あんたなんか、高校には行ったらいかんねんで」という医者屋のK田が私に言った文句を基準として考えるならば、義務教育の小学校・中学校というのは、あくまでも公立の小学校・中学校のことであって、慶應幼稚舎だの慶應中等部・慶應普通部だのなんてのは義務教育ではないのだから、それから考えるならば、「小此木啓吾なんてのは小学校に行ったのは余計であり、小此木啓吾が小学校に行ったというのは、それは甘ったれているからでつけあがっているからでのぼせあがっているからで根性ねじくれまがっているからだ」ということになるはずだ。「幼稚舎から慶應」小此木啓吾なんぞ、小学校に行ったのは余計だ!
  慶應という大学はそういう「小学校に行ったのは余計だ」という人間が大変多い大学だった。「大学は高校までの勉強をしてきた者が行く所」と私は考えていたのだが、その基準から考えると日野だか西だかなんて男は大学には行くべきではない人間だったはずだが、それをふんぞりかえって行っていた。
  「京のぶぶづけ」という話は、長居してなかなか帰らない来客に「もういいかげん、帰られたらどうですか、それとも、うちの家の貧相なぶぶづけでも食べていきますか。いくらなんでも、そこまであつかましくはありませんでしょ」と言う意味で「ぶぶづけでもどないだすう」と皮肉を言っているのであり、そこまで言われたらいくらなんでも「それじゃ、きょうはおいとまいたしましょうか」となるはずのところを、それを言ってもまだ「それなら、その『ぶぶづけ』をごちそうになろうか」などと言うやつというのは、「なんて糞どあつかましい!」ということになる、という理屈も知らず、もしも、ごちそうしましょうという意味ならば、なんで「ぶぶづけ」なんだ? と私が考えたようなことも考えず、京都も大阪も一緒くたにしてしまって「関西とか大阪の人間というのは『ぶぶづけでもどないだす』と勧めるからごちそうになろうとしたら『あつかましい』と言うという、そういうところが嫌いなんだ」と実際に経験したわけでもないのに決めつけるという、大阪と京都は違うということすらも理解しない、そういう反学問的・反科学的・反論理的思考をして、なおかつ、そんな思考態度のことを「自我が確立されている」とか「思考が柔軟」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか言う・・そんなやつ、大学に行くことないと思うぞ! 心の底から思うぞ!
  1960年代後半、私が小学生だった時、うちの母親と一緒に京都に行って京都の市電に乗った時、なかなか発車しないなあ・・と思ったら、うちの母親が言うには「昔から、大阪の市電は走って乗らないと乗せてもらえない、京都の市電は待ってくれると言われたもんや」と言い、「待ってくれる」と待ってもらって乗せてもらった大阪人は「京都の人って親切だなあ」とその時は喜ぶのだが、ところが「待ってもらえる」のは自分だけではないので、京都の市電はな~かなか目的地に着かない、それで大阪の人間はいらいらする・・というお話があったのだ。私が子供の頃の「大阪の市電」は市電の路線の上を自動車が走ってしまって市電は動けず、「大阪の市電」はちっとも早く目的地に着かなかったのだが、京都で電車から降りようと出入口付近まで行って待っていようとすると、「なんや、おまえはあ。みんな、降りるんやないか。何やっとんねん、おまえはあ」と怒られるのだ。それに対して大阪では駅に着くより前に出入口付近まで行って待っていないと出してもらえない危険がある・・というくらい京都と大阪では違ったのだ。そして、1989年のことだが、新快速に乗って山科駅で下車しようと駅に着く前に出入口付近に行こうとしたところ、「なんやねん、おまえはあ。みんな、降りるんやないか。何をしとんねん、おまえはあ」と、おっさんに怒られたのだが、それで、気づいた。「そうだ、ここは京都だった」と。山科(やましな)は京都駅と大津駅の真ん中にあるが京都市であり京都の
エリアなのだった。しかし、京福電鉄とか叡山電鉄とかでならともかく、JRの新快速で「京都式」やるかあ~あ・・とも思ったが、そのおっさんにとっては「京都式」が常識だったのだ。大阪で「京都式」やったら降ろしてもらえない危険がある・・けども。「はんなり」して「みやび」な感じ・・かどうか知らんが、「京都式」と「大阪式」はけっこう違うのだが、日野だか西だかは大阪も京都の中に入れてしまって(京都市大阪区とかいうのがあるとでも思っていたのか)「大阪は『ぶぶづけでもどないだすう』と勧めるから、それならごちそうになろうとしたら『あつかましい』と言われると、そういうところが大阪は嫌いなんだ」とか言うが、アホか、大阪の人間で「ぶぶづけでもどないだすう」なんて言う人間なんて、おるわけないやろうが!・・と思ったのだが、そういう「アホか、大阪の人間で『ぶぶづけでもどないだすう』なんて言う人間なんておるわけないやろうが」ということを言うのが「慶應ボーイ」とか「独立自尊」とか「思考が柔軟」とか「スマートな慶大生」とか「福沢精神」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「ギャルにもてもて」とかいう連中なのだ。そんな「ギャル」とかいうのになんてもてたいとは思わんと私は思ったし今も思っているけれども。

   医者をやっている人間というのは、こういうことを言うと相手は傷つくというものを知っていて、意図的に口にするということがあるようだ。池見酉次郎『心療内科』(1963.12.18.中公新書)には、
《 三年前の秋、私どもの心療内科に骨と皮ばかりにやせ細った婦人患者が訪れた。
 彼女はこの二ヵ月ぐらい、一日に牛乳1本とリンゴ1個しかとっておらず、それ以上無理に食べようとすると胃部が苦しくなり、ひどく不安になるということがある。症状からいうと神経性食欲不振といわれる状態で、顔のニキビを治そうとして減食しているうち次第に本当に食欲がなくなりかけていたのである。
  ある国立病院の診断では、
「レントゲン検査によると胃が骨盤の中まで下っている。この病気は一生治らない」
といわれた。
もともとひどく神経質な彼女は、この医師のことばに非常なショックを受け、食物に過度に神経質になった。
そして食品に関する書物を買ってきて、各食品が胃の中を通過する時間をいちいち計算した上で食物をとるといった状態になった。そのため食欲はさらに急速に減って、45キロあった体重も34キロに低下し、骨と皮ばかりというありさまになってしまったわけである。
  写真18は、私どものところに入院した当時の胃のレントゲン写真で、なるほど下垂している。そこで「胃下垂恐怖症」の診断のもとに、よく説明して徐々に食物の増量をさせたところ、約五ヵ月で体重はもとの45キロにかえった。この時、もう一度胃のレントゲン写真をとってみると、胃の高さはまったく変わっていない。すなわち胃の位置とは関係なしに彼女の症状はまったく消失して、もとの健康体になったのである。
・・・・・
  「胃下垂は病気であるか」という点については、今日なお、学界でもはっきり結論が出るところまではいっていないようである。
  しかし、普通に胃下垂症と診断される患者の多くは、胃炎、胆嚢炎、低血圧、血の道、偏頭痛、大腸機能異常、脳下垂体からくるやせ症その他であるか、感情のもつれからきた食欲不振や胃のもたれ感などにたいして、医者から「胃下垂のためだ」と診断されておこった神経症(ノイローゼ)状態であるかのどちらかである。その証拠に、医者から「胃下垂だ」といわれてから急にいろいろな症状を出している人が少なくない。・・・ 》
といったものが出ている。
心療内科 (中公新書 (29)) - 池見 酉次郎
心療内科 (中公新書 (29)) - 池見 酉次郎
  医者屋やってる人間というのは、こういう文句を言うと相手の心にぐさあ~っと突き刺さるというのをある程度以上知っていて、それで、「この病気は一生治らない」とかいった言葉を意図的に言って人の心を傷つけようとするようだ。私もK田やM川から言われた文句は心に突き刺さってその傷はそれこそ「このキズは一生治らない」状態になっている・・し、そういったキズをつけたやつのことは一生忘れない。

  上大岡の学習塾の講師の募集に応募した時は川崎市幸区に住んでいたが、近くではないが通える範囲とその時は思って応募したのだったが、今、考えてみるとけっこう遠い。 平日の講義を受講した後、はるばる行ったのだが、面接で会った男性は、なんだか「右翼のおっさん」みたいな人間だった。せっかく、はるばる行ったが不採用にされた。それが「上大岡(かみおおおか)」であり、私にとってはその思いがある場所だ。

  「上大岡」は京浜急行の駅を出てすぐ前の道の地下に横浜市地下鉄ブルーライン(1号線)の「上大岡」駅があるが、その北の弘明寺(ぐみょうじ)は京浜急行「弘明寺」駅のすぐ西に弘明寺があるが、横浜市地下鉄ブルーライン(1号線)の「弘明寺」駅は京浜急行「弘明寺」駅から弘明寺と逆側にある商店街をしばらく歩いた先の県道の地下にある。 弘明寺に行った際に、その商店街を歩いたことがある。岡村天満宮に行くバスは地下鉄の方の「弘明寺」駅に近い所から出るらしい。


  地下鉄ブルーラインの「弘明寺」の北側の駅が「蒔田」と書いて「まいた」と読むらしい。そのさらに横浜駅よりが「吉野町」・「阪東橋」。 1980年後半だったか1981年初めだったか、『二百三高地』という映画、「愛は死にますか~♪」てやつ〔⇒《YouTubeー映画「二百三高地」劇場予告》https://www.youtube.com/watch?v=UdTze_0gXb4 〕を見たいと思い、「ぴあ」という雑誌で上映している映画館を捜したら、上映時期を過ぎていたらしく、「阪東橋(ばんどうばし)」駅近くの映画館で特攻隊を扱った映画と2本セットで上映しているらしかったので阪東橋まで行って見たことがある。 なんだか、あんまり、横浜みたいじゃない所だな・・と思ったのだが、後から考えてみると、阪東橋というのは、そのすぐ北を西から東に流れる大岡川のすぐ北側に京浜急行「黄金町(こがねちょう)」駅がある所で、黄金町(こがねちょう)というと、かつては東京の山谷(さんや)・大阪の釜ヶ崎と並ぶ横浜の黄金町(こがねちょう)と言われた所で、その後も東南アジア系の女性による売春婦がいる街だった所であり(今は変わったらしいが)、だから、桜木町・関内・石川町・・といったあたりの「横浜」とは少々違う場所だったようだ。
  『二百三高地』というのは日露戦争の時の旅順要塞の攻防を描いた映画だが、うちの父親は「わしは軍隊で鍛えられた」「わしは満洲で苦労した」と始終言っていたおっさんだったので、若い頃の私は、うちの父親というのは映画『二百三高地』に出てくる旅順要塞の攻防みたいなことを満洲でやっとったのかと誤解していた。ところが、実は落ち着いて考えてみると、うちの父親が満洲に行っていた時というのは日露戦争(1904~1905年)の時ではなく、日露戦争の時点ではうちの父親はまだ産まれておらず、逆に、ちばてつや みたいに「終戦」だか「敗戦」だかの時に満洲に残っていた人は日本に帰るのに大変だったらしいが、うちの父親はそれよりも前に日本に帰ってきていたのであり、「満州で苦労した」と言われると、「愛は死にますか~♪」みたいにやっとったのかと誤解しそうになるが違ったのだ。↑ の「木南さん」(仮名)のお父さんも満州に行っていたらしいが、「木南さん」(仮名)のお父さんはうちの父親なんかよりも正直で「満州で苦労した」なんて言わずに「楽しかった♪」と息子におっしゃったそうで、どこが「楽しかった♪」かというと、海外旅行なんて簡単に行けない時代に国の費用で海外に行かせてもらって、満州に軍隊として行ったといってもその時点ではそこでどこかと戦争しているわけでもなく、広い所で戦車をゴーカートみたいに走らせてるだけだった・・ということで「楽しかった」らしい。野坂昭如が2000年代初めにテレビで「終戦記念日」に話していたのだが、かつて、「満州は日本の生命線だ」と言って、満州に行った人というのは日本国内にいた人間よりも優遇されていたらしいのだ。それが、戦争が敗色濃厚になるとともに、かつては「強いものと言うと関東軍」「無茶苦茶やる者というと関東軍」「鬼より強い関東軍」「鬼より怖い関東軍」と言われた関東軍の精鋭を沖縄に持って行き、満州には「関東軍の精鋭」はもはやいなかったのだが、それを軍人は知っていたが民間人は知らなかったので、ソ連が満洲に攻め込んだと聞いても「関東軍がいるから何とかしてくれるのではないか」と期待したが、その時点ではすでに「関東軍の精鋭」は満洲にはおらず、満州にいた民間人は大変な思いをして日本に帰ってきたらしい・・・が、それよりも前に満洲にいて、「終戦」時点には日本国内にいたおっさんが言う「満州で苦労した」という文句は・・・なんか嘘くさいなあ・・と気づくようになったのだ。満州の冬の寒さは半端ではなく「立小便なんかしたら地面につく前に凍った」そうで、そういう点では「満州で苦労した」だろうけれども、決して、あのおっさんは「二百三高地の攻防」みたいなことをやっていたのではなかったのだ。

  京浜急行電鉄「黄金町」駅の東の「日ノ出町」駅で出て北側にある野毛山公園の脇に横浜市中央図書館https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/  がある。「日の出」駅の北東、JR「桜木町」駅の北西のあたりに神奈川県立図書館がある。 大学生だった時は図書館というのが好きだった、そこで何を読むかというよりも図書館というもの自体が好きだったので、わざわざ、時間をかけて行ったりしたのだが、そのどっちだかに行ってなかなかいい図書館だなと思った図書館だったのだが、後に建築業の仕事に就くようになり、前川国男という建築家を知り、そして、神奈川県立図書館https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/yokohama/ ( 《ウィキペディアー神奈川県立図書館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8 )はその前川国男設計によるものと知った。前川国男の設計による建物というのは、なかなかの工夫を凝らしていて、なおかつ目立ち過ぎず、そして、「建築家」と称する人たちの設計による建物というのはデザインばっかり凝って「使えねえ」建物が多いのだが前川国男は建築家であるにもかかわらず「使える建物」が多い建築家であり、江戸東京たてもの園に移築された前川国男自邸にしても「住める建物」で自分が住むとしたなら住んでみたい建物かというと「住んでみたいという気持になる建物」で、東京都美術館にしても熊本県立美術館にしても、紀伊国屋書店本店にしても「使える建物」でよく考えて作られている建物で、たしか、私が大学生だった時に言った神奈川県立図書館も「世界の丹下健三」なんかの設計による建物とは違って利用者のことを考えた「使える図書館」だと思ったのだったが、今、地図を見ると、神奈川県立図書館と横浜市中央図書館が比較的近い場所にあり、はて、私が行ったのはどっちだったか、たしか神奈川県立図書館の方で、その頃は「桜木町」駅まで走っていた東急東横線の「桜木町」駅から帰ったと思うのだが、なんだか自信がなくなってきてしまった。
  東急東横線に乗って帰ったのは覚えている。車内で近くにいた高校生の女の子2人づれが「◇◇ちゃんのお兄ちゃんてさあ、『日吉の慶應大学で模擬試験うけたことある』なんて言ってたんだよお。『通らなかったけど大学を受けた』と言うのならまだしも、『慶應大学を受けた』のじゃなくて『慶應大学で模擬試験を受けた』だよお~お。よくそんなこと言うよねえ」なんて話していたのが聞こえたのを覚えている。

  狩場線の「花の木」インターチェンジは東側から来て出る出口と、東向きに乗る入口とがあって、東側から来て出る出口は横浜市地下鉄ブルーライン「蒔田(まいた)」駅と京浜急行電鉄「南太田」駅の中間あたり、南北の道に接続するのだが、東向きに入る入口は別の場所で、出口よりも来た、大岡川よりも北側、県道218号(弥生台桜木町線)から南に入る。
  「花の木」インターチェンジの東向きに進む入口の方は、京浜急行電鉄「南太田」駅のすぐ南側、横浜商業高校(「Y校」)のすぐ東にある。京浜急行電鉄「南太田」駅のすぐ北に常照寺という寺があり、おのれの子だけを大事にしてひとの子や親を食い殺す鬼畜女とそのオットと子をこらしめる神さま 鬼子母神を祀っているので参拝に行ったことがある。

  書名を忘れてしまったが、大岡川の両側というのは特殊な地域であって、大岡川に沿った地域は治外法権のようなものが認められている・・ということでの話を描いた漫画があったのだ。 漫画だからそのまま本当の話ということではないのだろうけれども、しかし、大岡川の両側、北側の京浜急行「日の出」「黄金町」「南太田」、大岡川の南側の横浜市地下鉄ブルーライン」「阪東橋」「吉野町」「蒔田(まいた)」・・といったあたりというのは、その漫画そのままではないとしても、少々異質な雰囲気を持っている。
  かつて、そういったことを知らずに『二百三高地』の映画を見に阪東橋に行ったし、さらにその後、1992年、(株)一条工務店に勤めていた時のことだが、「花の木」インターチェンジから高速道路に乗って東京に帰ろうとした際、トラブルに遭遇する経験をした。その話はここでではなく別稿できっちりと述べるようにしたい。 私はその頃まで日本の警察というものはもっとまともなものだと思っていたが、違った。ここでついでみたいに述べられる程度のものではないので、それは別稿にする。

  大岡川に沿った両側は特殊な地域だという漫画の話だが、《ウィキペディアー大岡川》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E5%B7%9D_(%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C) には、
《 戦後には、米国の進駐軍が接収対象の地域となった。アメリカ軍兵士の娯楽施設として、川沿いには売春宿が存在した。パンパンガールとも呼ばれた日本人女性のなかには当時は英語が得意な者も多く、口紅などをつけて日本のファッションリーダーのような存在であった。その後売春防止法に伴い摘発された。
  下流では滞留するヘドロにより悪臭が漂うことがあるが、近年では清掃活動なども行われており綺麗になってきている。・・》
とあるが、今も独特の雰囲気が感じられるところがあり、漫画の話はすべて事実ではないとしても、まったくの創作ということでもなさそうな感じがする。
《  横浜市磯子区氷取沢町(氷取沢市民の森)に源を発し、上流域の名称を笹下川として北へ流れる。港南区港南中央通付近で同区南部を流れる日野川を合わせ、名称を笹下川から大岡川へと変える。》
《  大岡湾(蒔田湾)部分を除いた上流部では本来の大岡川の名称では呼ばれず、旧久良岐郡松本村の小字で関之下と呼ばれた地域の日野川と笹下川の合流地点より下流の名称として大岡川と呼ばれる。》
とあり、独特な雰囲気を持つのは「大岡川」という名前で呼ばれる区域で、別の名前で呼ばれる上流になるとそうでもなくなってくる。京浜急行・横浜市地下鉄ブルーラインの「弘明寺」駅と「上大岡」駅の中間までが南区で、そこから上流は港南区になる。天神道路も蒔田町と岡村天満宮前交差点の中間付近で南区から磯子区に変る。阪東橋・黄金町駅の東が中区で、野毛山公園付近から丘側(北側)が西区だ。大岡川の両側の南区・・というのが、どうも、横浜市でも他とは違った雰囲気を持っている。日吉に住んで1年未満の時に阪東橋の映画館に行った時にも、「なんか変な雰囲気の地域だな」と感じ、「桜木町・関内・石川町のような港の横浜という感じではないし、田園都市線沿線の『中の上くらい』の新興住宅地とも違うし、日吉あたりとも違う」とも思ったのだが、「花の木」インターチェンジ東行き・入口付近でアクシデントにあった際も、そのあたりについて十分にわからずに接したのは油断だった。今もちょっと変わった地域だと思うよ、実際に。数年前、「蒔田(まいた)」駅から地下鉄に西向きに乗ったところ、車内にいたにーちゃんが携帯電話で「きのう、警察に泊められてよお」とか話していたのだが、たしか、携帯電話でだったと思ったのだが、そういう会話が自然と耳に聞こえてくる地域みたいなのだ。だから、1992年も、その地域に用事がないあったわけではならば、高速道路に乗るのでも他のインターチェンジから乗り降りした方が良かったのかもしれない。行くのなら、そういう場所だと思って行く必要があるのかもしれない。今回は過去に少しは経験があったので、自動車で通り過ぎただけだがそれでも、ある程度は用心しながら通行した。・・こう言うと、その地域に住んでる人には気を悪くする人もあるかもしれないが、しかし、怒られるのなら申し訳ないが、しかし、そういう所だと思う。 西区(横浜駅から平沼橋・西横浜にかけて)・中区(桜木町・関内・石川町、馬車道・元町中華街から三渓園)・磯子区(根岸駅・磯子駅・岡村天満宮)・港南区(上大岡以南・永谷天満宮)と南区(黄金町・南太田・・、阪東橋・吉野町・蒔田〈まいた〉・・)では街の雰囲気も人の雰囲気も違うのは事実なのだ。「きのう、警察に泊められてよお」なんて電車中で話してるにーちゃんて、阪急宝塚線沿線とか東急東横線・田園都市線沿線ではそのへんにいるかあ? おらんだろう・・と思うのだ。1992年頃は、そのあたりに不用心だったにもかかわらず、その地域に行ったわけでもないのにその地域のインターチェンジから高速に乗ろうとしたのは無思慮だった・・と思う。

  今回は、県道21号(鎌倉街道)を北上して、「通町1丁目」交差点を過ぎてすぐ、「宮元町3丁目」という交差点で右折した(東に行った)のだが、右折がうまく行けるかと思ったが行ってみると右折レーンがあり、信号で緑の最後の方、対向車線は赤になって右折できるようになっており右折に困ることはなかった。
  その後、「天神道路」に曲がる所を間違えないかが問題だが、左側(北側)に神奈川銀行 蒔田店https://www.kanagawabank.co.jp/public/211.html  がある所を南に行く。 南に曲がってすぐ左側に「100円ローソン」があり、右側(西側)に「駐車場がないセブンイレブン」があるが、このセブンイレブンは曲がる所では見えないので目印にはならない。最初、少しだけの区間、南向きの一方通行だがすぐに両方向の道になる。
  坂を下って行き、また登るようになる。登って行くと鳥居 ↓が正面に見える。右手前にセブンイレブン 横浜岡村4丁目店 があり、道向こう側に交番(磯子警察署 岡村交番)がある。地図によると、「天神前」バス停はこの交差点の西にあるようだ。
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( ↑ マーカーは岡村交番。 )
  この交差点の名称を『マップル 神奈川県道路地図』(2019年 6版。昭文社)では「岡村交番前」と記載しているが、現地には「岡村天満宮前」と記載されている。
  今は昔、1980年代、少しだが東京都内の新聞販売店で新聞配達の仕事をやってことがあるのだが、その際、新聞の配達をやっていてトイレを使いたいと思った時にどうするかという話題が出て、今はコンビニでトイレを使わせてくれる店が多くなったが、その頃はコンビニはトイレは使わせてくれない店の方が多く、特に朝刊の配達の時間帯においてはトイレが設置されている店でもたいていはまだ閉まっているので、どこでトイレをするか困るという話が出て、その際、「交番は24時間、開いているけれども、トイレは貸してくれない」と言う人がおり、それに対して「なんで、交番がトイレを貸してくれないか、わかる?」と言う男性がいて、「なんで、交番はトイレを貸してくれないか。だって、公衆便所じゃないもん。よく似てるけど」と言ったので、それを聞いて、「交番と公衆便所て、似てたかなあ」と思い、それ以来、交番を見ると、公衆便所と似てるかどうか考えるようになった。
  たしかに言われてみると、公衆便所と似ている交番というのはある。 しかし、さらによく見て吟味検討すると、似ていると言えば似ていないこともないが、違いはある。
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↑ の磯子警察署 岡村交番にしても、公衆便所でもおかしくないようなデザインではあるが、しかし、交番と公衆便所は違いとして、
(1)公衆便所はたいてい平屋建てだが、交番は多くが2階建て。
(2)公衆便所は窓が人の眼の位置よりも上の方に横長のものがついていることが多いのに対して、交番はそうではなく、普通に窓がついている。
(3)一般に、襲撃された場合を想定してか、交番の方が頑丈な造りの建物が多い。
(4)公衆便所は出入口が男女別になっていて2か所あるが、交番は1か所。
・・など、違いはある。
(5)もうひとつ、公衆便所にいるおっさんと目を合わせても特に問題はないが、交番にいるおっさんとは眼を合わさない方がいい。交番にいるおっさんの方を矢鱈と見るとか、眼をそむけるとかすると「不審者」と疑われて「職務質問」とかされる危険もあるから、だから、交番の前を通る時には「さりげなく」が原則で、「(猿と一緒で)眼を合わさないように」というのが鉄則だ。 もしも、「眼をつけられる」と、何か犯罪があった場合、「謎はすべて解けた。犯人はこの中にいる」とか言いだしよった時に「この中」にいると、「犯人はあんただよお」とか言われて「ええ~え!」なんてことになる・・という危険がないとは言えないから、ともかく「この中」にいないようにした方がいい・・と思う。

  岡村天満宮はこの道を正面に直進して、途中左に登る石の階段があるので、それを登って行くと左側にある。 その上側(南側)が岡村公園になっていて、野球場・少年用多目的広場・テニス場と梅園があり、有料時間駐車場もある。有料時間駐車場はこの坂を登っていった右側に第二駐車場、もう少し登った左側に第一駐車場があり、それぞれのそばにトイレがある。 トイレは岡村天満宮の敷地内にも神楽殿の後ろのあたりにあるが、岡村公園のトイレの方が広くて使いやすそうだから、トイレを利用する必要がある人は駐車場にクルマを停めたら岡村公園の駐車場の近くのトイレを使った方がいいかと思う。岡村天満宮の本殿の後ろにも駐車場らしきものがあるが「月極駐車場」と書かれていたので、岡村天満宮が月極駐車場として貸しているものかと思われるので、参拝者は岡村公園の時間パーキングを利用するのが良さそうだ。

  ↑ の鳥居の向こうの道を直進した突き当りの位置に岡村天満宮があるわけではなく、途中で左に登る石段を登っていった左にあるので、↑の鳥居は、おそらく、岡村天満宮が出来た頃からのものではなく比較的新しいのではないかと思う。


( ↑ 横浜市磯子区岡村2丁目13ー11 岡村天満宮。 )

※ 岡村天満宮HP http://okamura-tenmangu.com/
ウィキペディアー岡村天満宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
横浜市HP 見どころ紹介 岡村天満宮 https://www.city.yokohama.lg.jp/isogo/shokai/midokoro/isogomidokoro/tenmangu.html
岡村公園 公園について https://www.kanagawaparks.com/okamura/about.htm

 次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html 、二の鳥居から「ゆず」壁画を経て境内へ。

  (2022.2.25.)

☆ 岡村天満宮(横浜市磯子区岡村2丁目)参拝
1.蒔田(まいた)駅付近から岡村天満宮前 〔今回〕
2.鳥居から石段を登り「壁画」前。梅の花https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像、梅の花、社殿。岡村天満宮の由緒 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。梅鉢の釘隠し。神社色の自販機。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html 

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。「大阪は二番目の大都市じゃないですよ」と言いたがる「東京もんのおっさん」。「ヒョウ柄のおばはん」なんて大阪にいないのに事実に反する風評被害を広めようとする「東京もんのおっさん・おばはん」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社? 拝殿の梅鉢の紋。千木・鰹木がある本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑。職場のウーパールーパーをなんとかしてくれ。職場での女性によるセクシュアルハラスメント行為を助長する(株)一条工務店。女は加害者でも被害者の立場になれると信じているバカ女症候群をどう治療できるか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)参拝。拝殿・幣殿・本殿の3部形式の社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html

神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田(まいた)駅付近から岡村天満宮前 〔今回〕
2.鳥居から石段を登り「壁画」前。梅の花https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像、梅の花、社殿。岡村天満宮の由緒 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。梅鉢の釘隠し。神社色の自販機。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html 
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html

静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html

(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
〔最寄りの高速道路インターチェンジ:新東名「遠州森町」スマートインターチェンジ、
最寄りの鉄道の駅:天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅。〕
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社。心底むかつく(株)一条工務店の掛川営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html 

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビル。「西院」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html

高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 


● ロシア軍がウクライナに攻撃を開始したようだが、プーチンは元KGBらしいが、「ロシアの都合」「ソ連の都合」を「社会主義国全体のため」におきかえるソ連社会帝国主義の時代の強権主義が復活したかのようだ。旧ソ連・ロシアはペレストロイカ以来の柔軟路線と決別したということなのか? 
・・コロナウイルスだけでも大変なのに、そんな中で戦争するのはやめてほしいところなのだが・・・。
  日本に在日米軍がいるということは独立国として不適切のようにも思えるが、しかし、もしも、日本が自衛隊をもっと拡充してかわりに安保条約は撤廃して在日米軍が日本からいなくなったなら、「アメリカ合衆国軍を相手には戦争しない可能性が高そうなロシア」は在日米軍が日本からいなくなったなら、いつ、日本に攻撃してくるかわからん・・と思うと、ロシアと接している国としては在日米軍はいた方が今現在の状況としてはいいということになるのだろうか・・・。
  私はロシア文学やロシアの音楽が好きな人間で、ロシアの風土も好きだが、又、ロシア人も嫌いではないが、今回のウクライナへの「侵攻」もしくは「侵略」は認めがたい。当分の間、「ロシア産」のものとそうでないものがある場合、できるだけ、「ロシア産」でないものを購入するようにしたい。
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( ↑ 「東京新聞」(中日新聞東京本社)2022.2.25.〈朝刊〉 )
  「浜松市」は、本来、行政が取り締まるべき対象の「労基法違反の(株)一条工務店」から「防潮堤の費用」と称して「寄付」を受け取った。浜松市長で慶應大法学部卒の鈴木康友は、本来ならば行政が取り締まるべき企業から寄付を受け取るということについて、何ら抵抗を示さないだけでなく、大喜び・大絶賛したが理解に苦しむ。本来ならば従業員・元従業員のカネであるものを「浜松市」が横取りした。浜松に本店がある会社の商品はできるだけ買わない、できる限り浜松市の施設は利用しないというようにしたい。
ぜひ、協力をお願いしたい。
  又、静岡県知事の川勝平太は2011年、福島第一原発事故の後、静岡県産茶葉の放射線量検査を拒否した。放射線量検査を受け入れた都道府県もあるわけであり、放射線量検査を受け入れた都道府県の農産物に対して静岡県の農産物というのは、その点において「不誠実な商品」だということになる。放射線量検査を拒否した静岡県産の農産物と静岡県以外の都道府県産の農産物であれば、できるだけ静岡県以外の都道府県の農産物を食べるようにしたい、購入するようにしたい。
  (2022.2.25.)

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