岡村天満宮(横浜市)[2/7]鳥居から石段、””ゆず””の「壁画」、梅の花がきれい。「日露戦捷紀念」鳥居とチムニー(株)の「日露戦争戦勝百周年」には抵抗を感じる。チムニー(株)のスキルが不足している人たち。西方の見晴らし。

[第905回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第63念-2
  神奈川県横浜市磯子区岡村 の岡村天満宮 参拝の2回目です。
北の横浜市南区蒔田(まいた)付近から 「天神道路」を南下してきますと正面に鳥居が見え、鳥居の右に磯子警察署 岡村交番、交差点の右手前にセブンイレブン があります。
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↑ 「岡村天満宮前」交差点と書かれていますが、この交差点の目の前に岡村天満宮があるわけではなく、正面の坂を登っていくと左側に石段があり、その石段を登っていって左に曲がると正面に社殿があります。
↑ 今回は自家用車で行きましたが、地図を見ると、バスで行く場合は↑ の交差点の左のあたり(西のあたり)にバス停があるようです。
  岡村天満宮に登る石段が左にある所を過ぎて右側(西側)に岡村公園 第二駐車場、さらに登って左側(東側)に第一駐車場があり、どちらも時間パーキングで有料です。
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( ↑ 岡村公園 第二駐車場から見た、その南側の「少年用多目的広場」。)
  岡村公園には ↑ の「少年用多目的広場」と別に、東側にテニスコートと野球場があり、少年用多目的広場の南側に梅園があります。
  今回、訪問時、小学校高学年くらいの子供が野球を(投手は上から投げていましたから、ソフトボールではなく野球でしょう)やっていましたが、丘のもう少し上の東側の野球場に比べるとホームベースから西側の外野の外までの距離が少し短く、全体の形が必ずしも野球場の形状ではなくて、サッカーとか他の球技にも使えそうな形をしています。
  私は今回はこの「少年用多目的広場」の北側の第二駐車場に駐車して岡村天満宮へ向かいました。

  今は岡村公園と岡村天満宮は別の敷地になっていますが、岡村天満宮が最初に作られたころは南側の丘の中腹に天満宮が作られたようで、鎌倉時代に最初に設立されたらしいが、その頃はどこまでが神社の敷地とはっきりと決まっていたわけでもないのでしょう。

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↑ 天神道路から東に登る岡村天満宮への参道と鳥居
  鳥居の中央にかかっている額は「天満宮」と書かれているのか「天神宮」と書かれているのか、どちらか判断が難しい。 ↓
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  気になったのは、この鳥居の右側の柱に「日露戦争 戦捷紀念」掘られている点です。↓
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  2005年前半のことです。居酒屋の「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」などのチェーン店を経営するチムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ に勤めていた時のことですが、京浜急行電鉄「横須賀中央」駅から海側に歩いた所に新しくオープンした「はなの舞」の「横須賀店」だったか「横須賀中央店」だったかで、こういった居酒屋の内装工事が完了して店がオープンする前日、予行演習みたいなことをやるのですが、そこで女性店員が「今年は日露戦争、戦勝百周年の年です」などと言い出したので、これはいかんなあ、経営者は、そういった言う必要がないことを言うのはやめるべきだと注意しないといけない、特に社長の和泉さん(男性。当時、50くらい? 関西大法学部卒らしい)はそういうものに注意できないのか? 注意できないようなら和泉さんは社長として問題があるのではないか・・と思ったものでした。「個人的な話の中でならともかく、店のオープン記念の際の案内でマイクでそういうことを言うのはやめてください」と社長なら言わないといけないし、言えないといけない。
  ・・もしかして、なぜ、言うべきではないかわからない人、おられますか?  どこの国とであれ、もしも、日本とどこかの国との間で「友好〇周年」とか「国交回復〇周年」とかならば、いくら言ってもいい。しかし、「戦勝〇周年」というようなことは、うかつに言うべきではない。  今や、外国人の来場客もあるのに、「戦勝〇周年」などと言って、居酒屋にプラスになるものはないはずだ。
  勝った国があれば負けた国があるわけであり、負けた国の人間がどう思っているか、どう思うかということも考えないといけない。 日本とロシア・ソ連との間においては、スターリンは日本のことを「騙し討ち国家だ」と言っていたらしく、「日本には日露戦争以来の貸しがある」と言っていたといい、その「日本には日露戦争以来の貸しがある」というスターリンの認識が、それがシベリア抑留などにつながったのではないか。
  「貸しがある」とかそういう思考は、そもそも、社会主義の考え方に反するものであるはずで、そのあたりのスターリンの思考は「ソ連社会帝国主義」の性質を含んでいるのではないかと思われるのですが、しかし、「日露戦争戦勝〇周年」なんてことは、うかつに口にするべき文句ではない。 チムニー(株)の従業員で横須賀店だったか横須賀中央店だったかがオープンの「オーナー」さんなどを招いての「予行演習」の時に「本年は日露戦争戦勝百周年の年です」とか、わざわざ、マイクで口にした女性店員は、まがりなりにも飲食店の店員ならば、今、日本にはその負けた国の人もいて、「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」・・の店に来店することはあり、店としては日本人にも来店してほしいが外国人にも来店してもらいたいし、ロシア人にも来店してもらいたいという立場であり、そういう文句は店内放送で言うべきことではない・・という、そのくらいのことすらもわからんのか!?!・・と思ったのだ。

  なお、スターリンが日本を「騙し討ち国家だ」と言ったというのは、太平洋戦争開戦の際、真珠湾攻撃よりもアメリカ合衆国への宣戦布告が後になってしまった・・というのはなぜなのか・・なんてよく言われるのですが、実は、日本軍は日清戦争の時も日露戦争の時も似たようなことをやっていたみたい。 日露戦争の時には、旅順港に停泊していたロシア軍の艦隊の多くを宣戦布告よりも前に空爆して沈めてしまって、それから宣戦布告した・・・みたい。 だから、「日本は騙し討ち国家だ」とスターリンは言うようになった・・みたい。
  よく、日露戦争〔「ロシアに行くを知ってか(1904)兵隊さん」1904年~1905年〕の勝因として、日本海海戦で東郷平八郎元帥が対馬海峡を北上してくるロシアのバルチック艦隊を迎え撃つために、日本の戦艦を、あらかじめ横向きに配置しておき、横向きに配置すれば、すべての艦砲を相手の船の方に向けることができるので有利になるが、その手法で勝利した・・とかいう話が語られるのですが、しかし、考えてみたことありませんか?  ロシア⇒ソ連という国はもともとは内陸部の国で接している海は東の日本海(ソ連・ロシアでは「太平洋」と言っているらしいが)・南西の黒海・西のバルト海・北西の北海の4つに分かれていて、第二次世界大戦後のソ連においては日本海に面したウラジオストク・国会に面したオデッサ・バルト海に面したレニングラード(サンクトペテルブルク)・北海に面したムルマンスクという4大軍港があると言われてきたのですが、なんで、バルト海の艦隊であるバルチック艦隊がはるばる喜望峰をまわってやってきたのか?・・なんて考えたことないですか?
〔 現在では、かつての「ソ連の4大軍港」のうち、国会に面したオデッサはウクライナ共和国の領土になっている・・というあたりも、もしかすると、ロシア共和国としてウクライナを支配したくなる原因のひとつ・・かな? 〕
  どうも、旅順港にロシアの艦隊が停泊していたが、宣戦布告よりも前に日本の空軍が急襲してボカンボカンボカンと撃沈してしまい、そこから宣戦布告して戦闘やったことから、ロシアさんとしてはバルト海の艦隊をはるばる引っ張って来なければならなかった・・みたいです。その結果、「日露戦争戦勝」なんて言っても実際は「勝訴的和解」みたいなものですが、ロシアは負けた・・となると、「日本は騙し討ち国家だ」とか「日本には日露戦争以来の貸しがある」とか言いたくなる人が出てきても、考えられないことではない。もちろん、そうであっても、スターリンが社会主義者であったなら、「社会主義に国境はない」という認識を本当に思っていたならば、社会主義者には「◇◇には貸しがある」などといった発想・思考はおかしい! ・・と考えるべきだったはずですが、ともかく、「騙し討ち」みたいなことやって「勝訴的和解」に持ち込みやがってからに・・と思うと「なんか、チョーむかつくんですけどお」とか思っても不思議はない・・わけです。それを「今年は日露戦争戦勝百周年の年です♪」なんてアナウンスされたのでは・・( 一一)
シベリア抑留―いま問われるもの (ユーラシア・ブックレット) - 堀江 則雄
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  「今年は日露戦争戦勝百周年の年です」なんて、そんな文句をわざわざ口にして「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」にとって何か得しますか? しないでしょうよ。それなのに、なんで、そんなことをわざわざマイクで言うの? バッカじゃなかろかルンバ♪・・て感じがします。〔⇒《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕 社長の和泉さんは関西大学法学部卒だそうだったが、このくらいのことすらもわからんのか! このくらいのことすらもわからんようなら、社長としてのスキルが明らかに不足している! と言わざるをえない。それで「大卒」か?!? おもろい「大卒」もあったもんやなあ( 一一)  バッカじゃなかろかルンバ♪ 和泉さん、面白い対応すんね! メカケの言うことなら聞いても、この程度の判断すらもできんのか( 一一) チムニー(株)は意外性の対応( 一一)

  この鳥居も、今現在、見ると、「日ロ戦捷紀念」と彫られているのは、どうも気になります。どうも、抵抗を感じます・・が、日露戦争(1904年~1905年)の後くらいにこの鳥居は設けられたということでしょうか。
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↑ 左側の柱には、「明治三十九年五月二十五日◇」と彫られています。明治39年というと、1906年、日露戦争(1904年~1905年)の直後です。
その時代においては違和感はなかったのでしょう。それから百年以上経ち、世界情勢も変わった今では、こういった文句が鳥居に入っているというのは、あんまりいいことないなあ~あ・・と思います・・が、今から埋めるというのは、技術的にできないこともないのかもしれないが、百年以上前に設けられたものに手を加えるのがいいのかどうか・・ということもあり、難しい問題なのかもしれません。
  「今年は日露戦争戦勝百周年の年です」なんて居酒屋のオープンの「予行演習」の際にマイクで店内放送で言ったりしない・・というのは難しくも何ともないはずですけれどもね。

西暦⇔昭和 は、5をたすか、引くか、
西暦⇔平成 西暦⇔令和 は2をたすと平成・令和、2を引くと西暦。
明治はというと、「岩波(1873年)ほど大きくない明六社(明治6年 設立)」で、
3をたすと明治、3を引くと西暦・・ということで、明治39年は1906年。

  鳥居の右側の柱に「奉」、左側の柱に「献」と、合わせて「奉献」と書かれています。
こういった所に書かれる文句は「奉献」の場合と「奉納」の場合がありますが、ここでは「奉献」。
  岡村天満宮前交差点の所の鳥居の場合は、左右それぞれの柱に「奉納」と書かれています。↓
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  1980年代後半、小堀住研(株)で最初の契約客のお宅の地鎮祭に日本酒の一升瓶を持参したのですが、その際、営業課長のUさんから「奉献 小堀住研(株)」と酒屋で書いてもらえと言われ、「『奉納』ではなく『奉献』なのですか」と尋ねたことがありましたが、地鎮祭の日本酒には「奉納」で悪いということもないのでしょうけれども「奉献」と書くことの方が多いように思います。

  地鎮祭に用意する日本酒というと何がいいのか?  酒屋に行っても日本酒とされるものはいくつも売られていてどれがいいのか困ってしまう。小堀住研(株)にいた時、松戸市和名ヶ谷にあった松戸展示場から近い場所にあった酒屋ではおかみさんが「地鎮祭なら松竹梅がいいかと思います」と言われたので、そうかいなあ・・と思って松竹梅の一升瓶を購入して茂原市まで行ったのだが、酒屋のおかみさんは松竹梅の会社からリベートもらっていたとかではなく、地鎮祭というのは、これから家を建てるというおめでたい時なので「おめでたい名前のお酒」がいいのではないかと考えると、「松竹梅」というのはいかにもめでたい名前・・と考えたらしかった。
  しかし、その後、戸建住宅建築業の会社に長く勤めて地鎮祭や上棟式に何度も出てきた者としては、「おめでたい名前」というのもひとつの判断基準だろうけれども、それよりも、お酒をある程度飲む人ならば、自分がおいしいと思うお酒を用意された方がいいと思う。又、特別に縁起が悪い名前の日本酒というのはあんまりないと思うのだ。
  小堀住研(株)は最初は在来木造の会社でしたが、1980年代後半においては東京都と関西では在来木造でも建てていたものの、それ以外の地域では木質パネル構法の方に重心が移り、木質パネル構法の場合は枠組壁工法(ツーバイフォー工法)と同じく、「上棟」というものがなく、上棟式をおこなうということはなかった。 それに対して、(株)一条工務店 は在来木造の会社でしたから上棟式をおこなう施主が多かった。上棟式の際には祭壇にお酒をささげるのですが、福島県あたりになると来客とともに建築会社の従業員にも日本酒を勧められることがあった。
  福島県双葉郡のあるお宅の上棟の時には、御施主様が「会津ほまれ 甘口」を用意され、「これ、おいしいな」と私は思ったのだ。それまで、日本酒でおいしいと思ったことはなかったのだが、おいしいと思った・・が、私は、あまり酒を飲めない体質だし、あまり好きではない方の人間なのだが、「地方」というのか田舎というのかに行くと、けっこう飲む人が多くて地元の住人は飲まないわけにいかないらしいが、あんまり酒が好きでない人にとっては苦痛らしいのだが、そういう際に酒があまり飲めない人間にも飲みやすい酒というのが「会津ほまれ 甘口」だったようで、そこのお施主様はあまり酒は多く飲む方の人ではなかったらしく、酒が得意ではない人間にも飲める酒として「会津ほまれ 甘口」を用意されたようだった。
  そういえば、名張毒葡萄酒事件では女性ばかりが被害者になったのだが、なぜ女性ばかりが被害者になったかというと、その地域の集まりの際に、男性は日本酒を飲むが、女性用にも飲みやすいものとして葡萄酒を用意したが、その葡萄酒に毒が入れられたという事件だったらしい。
名張毒ブドウ酒殺人事件――六人目の犠牲者 (岩波現代文庫) - 江川 紹子
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   2005年にチムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部に入社した際のことだが、「人材開発部」の友常(男。当時、50くらい?)が入社するまでに、できたらチムニー(株)の「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」という居酒屋・「ファーストグルメ」という食堂 の店を、入社より前に何店舗か行って見て来てもらいたいと言うので、同社のホームページを見て、「はなの舞」八重洲店・「チムニー」千葉西口店・「ファーストグルメ」平井店 ともうひとつどこだったか・・に行って実際に飲食してきたのだが、ところが、友常は「私が習志野店(だったか)を見てきてくださいと言ったでしょ。社会人としてこれからは気をつけてください」などと言うのだったが友常はそんなことは言っていない。たしかに、習志野店があるということは友常は電話で話したが、あくまで私の住居の比較的近くでは習志野店とどこそこがありますと紹介しただけのことで、そこを見てきてくれとは言わなかった。だから、私は自分自身で同社のホームページを見て調べて、異なったタイプの店を何店舗か見てきたのだ。友常こそ、自分が特定の店を見てきてもらいたいというのならば、自分がそのように言うべきであったはずで、友常こそ社会人として気をつけた方がいいだろう。そのあたりの対応は友常は「人材部」担当者としてスキルが不足していたようだ。
  その際だが、JR「千葉駅」に西口というのがあるのだが、JR「千葉」駅はけっこう大きな駅だが改札口については大きな改札口があるのは東口で、西口はごく小さなもので、そこを出てすぐの場所に「チムニー」の千葉西口店(という店舗名だったか)はあった。 「チムニー」というのは店舗の内部に飾りの料理用煙突(チムニー)(あくまで飾りのもので、実際にそこで料理するわけではない)が設置してあるというのを特徴とした「洋風居酒屋」で、居酒屋というと和風のものという意識を多くの人間は思っているが、それをあえて「洋風居酒屋」としたという店だが、(株)チムニー でも、「洋風居酒屋」の「チムニー」よりも「和風居酒屋」の「はなの舞」「花の舞」「炎」などの方がうまくいっている場合が多いようだった。「チムニー」千葉駅西口店は「『日本酒ソムリエ』がいる店」というのが「売り」だったので、私は「酒があまり得意ではない者でもおいしく飲める甘口の酒で、かつ、できれば、醸造アルコールを添加しない、米・米麹のみで作られた酒、純米酒(純米酒・純米吟醸酒・純米大吟醸酒・特別純米酒)でお勧めのものはありますか」と言ってみたのだ。そう言うとどういうものを出してくるか、どういう返答が返ってくるか・・と思って言ってみたのだが、ところが「日本酒ソムリエがいます」と言うわりに、適切なものも妥当なものも出てこず、むしろ、こちらの言うことを理解してもらえない様子だった。「どこが『日本酒ソムリエ』やねん」と思った。「チムニー」の千葉西口店の「日本酒ソムリエ」は「日本酒ソムリエ」と称するにはスキルが不足していたようだ。チムニー(株)の「洋風居酒屋」の「チムニー」なんて「そんなもの」みたいだ。
※ 日本酒の分類【一覧表】https://zatugaku.net/nihonshunobunrui/
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  さらに、チムニー(株)の社内報に船橋店の店長が「ノレソレって知ってますか? うなぎの稚魚なんですよ」なんて書いていたのだが、『築地魚河岸三代目』という漫画に出ていた話によると、「ノレソレ」は「うなぎの稚魚」ではなく「あなごの稚魚」のことだそうだ。かつては「あなごの稚魚」の「ノレソレ」は採らなかったらしいが、最近、「ノレソレ」を採って食べるようになったことから、あなごの漁獲量が減っているという問題が『築地魚河岸三代目』に掲載されていたのだが、「はなの舞」船橋店の店長の女性は知りよれへんかったみたいや( 一一) 「はなの舞」の店長なんて「そんなもの」のようだ。
  さらには、チムニー(株)の店というのは多くが雑居ビルのフロアの一部分を借りて、内装工事をチムニー(株)の建設部が手配して営業できる状態に仕上げて開店していたのだが、「営業部」という部署があって、これは居酒屋に来る客に営業するのではなく、ビルを持っている人とかに居酒屋のチェーン店に出資しませんかと「営業」する部署だったようなのだが、ある店の内装工事において、その「営業課長」の若いにーちゃんが「天井、貼らなくてもいいと思うんだ」などと言うので、はあ~あ? ・・と思ったことがあった。
  戸建て住宅で意図的に「吹き抜け」にするということはある。それならいいと思う。吹き抜けにする場合、床と平行な天井は貼らないが、屋根の内側をそのままにするのではなく仕上げ工事はする。しかし、雑居ビルのフロアーを借りるというのは、骨組みだけのものを借りるわけだ。チムニー(株)に在籍した時に実際に骨組みだけのビルを見に行ったこともあるのだが、吹きつけられているアスベスト(石綿)が垂れ下がり、飛散している状態のビルというのもあるわけだそれを借りて内装工事をして飲食店をやろうとした時、その飛散しているアスベスト(石綿)を飛散しないように固着させるのか撤去させるのかは誰がやるのか? 誰が費用をだすのか? ビルオーナーは費用は出さない。そういう費用を出さなくても、条件がいい場所のビルならば借り手はある。しかし、躯体についての工事を借家人が費用をかけてやるのか? 借家人は躯体には手をつけないものだ。 ・・そういう場合に、次善の策として、躯体の状態がどうなっているかにかかわらず、それより内側に内装工事で壁・天井を設置することで店舗内にはアスベスト(石綿)などの侵入はできるだけ少なくする・・ということはできるはずだった・・・にもかかわらず、「天井、貼らなくていいと思うんだ」て、はあ~あ? このにーちゃん、いったい何言ってんのお?  そんなアホなこと言う男が課長なのお? 飲食店の設営という仕事において、この若造、どう考えてもスキルが不足しているのではないのか?・・というより、明らかにスキルが不足していた。
  チムニー(株)の従業員なんて、そんなのが多いみたいだった( 一一) 
  建設部の大木さん(男。当時、50代?)と亀戸店だったかに行った際、亀戸店では客席脇の木の部分にけずって書き込んだものがあった。居酒屋の客というのは、「居酒屋の備品は壊してもいい」「居酒屋は落書きしていい」と考えているヨッパラーがけっこう多いのだが、チムニー(株)では逆に「どうしたら壊されないか」ということを考えていた。 社長で建設部担当の取締役でもあった和泉さんは建設部の会議の時に「頑丈に作るしかないということだ」と発言したことがあったが、その「しかない」という表現が私は気になった。私は「頑丈に作る」ということの他に、少なくとももう2つ、対策を知っている。「しかない」ことはない、他の手段もある・・にもかかわらず、「しかない」と言う社長て何だろうか。
  ひとつは、「この店は酒を出す店であっても『壊していい店』『落書きしていい店』ではない」という雰囲気を作ることだ。その為には、もしも、落書きする人があったならば、その落書きは早急に消す、削る・刻むようにされた場合は早急に補修して、この店は「落書きしていい店」ではない、ということを来客に示す。 店の雰囲気を見て、客の対応は変わるはずだ。そして、新店舗の内装工事は「きっちりと・丁寧に作る」ということ。最初からいいかげんな造りにされていると、「こんなにいいかげんな工事で作られている店なんだから、壊してもいい」とヨッパラーは考えてしまう。それに対して、「名建築」を思わせる造りになっておれば、来客の方でも「この店は『壊していい店』とは違うタイプの店なんだ」と思い、壊さない・落書きしない・・方向に進む・・はずだ。ところが、柏店の内装工事が完了した時、テーブルの仕上げがあまりにも雑で大きく食い違っていた。私は「業者」に直接言っていいかどうかと思い、建設部長の大木さん(男。当時、50台前半くらい?)にそれを指摘したのだが、ところが大木さんは「居酒屋の場合はいいかげんな仕上げでいいんだ」と言うのだった。「居酒屋の場合はいいかげんな仕上げでいいんだ」と建設部長が言うということは「この店は『壊していいタイプ』の居酒屋なんだ」と言っているということだ。それならば、社長の和泉さんは何も「どうしたら壊されないですむかなあ」なんて思案して、建設部の従業員に言う必要はなかったはずなのだ。
  もうひとつ、施工の内容が良くないという場合には、「業者」に対して、気を悪くされないように、かつ、言うべきことは言うようにしないといけないのだが、ところが、建設部長の大木さんはそれを言えないみたいなのだ。
  2番目。 これは横須賀中央店の店長から聞いた話だが、「個室化すればするほど客室が落ちる」というのだ。だから、あんまり、「個室化」してほしくないと言うのだ。 ところが、チムニー(株)のベテランの「デザイナー」さまは、テーブルの手前に「建築家」ぶって木製のついたてを設置したのだ。「こういうの、設けられるとテーブルに料理や酒を出す時に出しにくくて困るんですよねえ」と店長は言うのだ。そうだろうと思う。 テーブルと通路の間についたてとして木の板を立てられると、料理や酒を出しにくいとともに、通路との間についたてを設けることで「個室化」することになり、「個室化」するとともに来客の「客室が落ちる」ようだ。私はすぐにわかった。ところが、「建築家」とか「デザイナー」とか名乗りだすと、そういうおっさんどもはわからなくなるらしい。これは「建築家」「デザイナー」の職業病みたいなものだ。酒を出す店の場合、「個室化」すると「連れ込み宿」「連れ込み料亭」みたいになり、「客室が悪くなる」のだ。
  1980年代、「慶應大学 プロレス研究会」は「庄屋」など完全な個室がある居酒屋を利用して、女子大生を騙して来させて、そこで強制猥褻行為をはたらいていた。そういうことをする男のことを「慶應心理学者」(たいていが内部進学)は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「診断」するのだ。おかしいじゃないか、「自我が確立されている」人間ならば、「独立自尊の精神がある」人間ならば、たとえ、他の者どもが強制猥褻行為をはたらいても、俺はそういうことはやらないんだという態度を取るはずであり、取るべきであるはずだ・・と思うのだが、こう言うと「慶應心理学」「慶應心理学者」(多くは内部進学)から「自我が確立されていないから、だからそういうことを言うということですね」「独立自尊の精神があればそんなことは言わないはずです」とか「未成熟だからそういうことを言うのです」とか「大人になれていないから、そういったことを言うということですね」とか、「受験勉強の悪影響だと思います」とか「診断」されることになる。怖いわあ~あ、「診断」されると次に「治療」される危険がある。電気ショック療法 ↓
スタンガン
スタンガン
( ↑ 電気ショック療法。)
とか、ロボトミーとか、あるいは「心理療法」「カウンセリング」(=言いくるめ。精神支配・マインドコントロール・洗脳)とか「作業療法」(=強制労働・労働搾取)とか、「薬物療法」(=薬漬け・毒盛り・化学的ロボトミー)とか、あるいは「入院療法」(=逮捕監禁)される危険がある。怖い・こわい・怖い・こわい・・・、「心理学」は本当に恐ろしい
私の母親は、そういった女子大生を騙して呼んで「庄屋」の個室で強制猥褻はたらく「慶應タイプ」の男が大好きらしかったが、私は嫌いなのだ。小学校の1年から同級生が遊んでいる時もずっと勉強してきたのは、そんなことをするためではないし、又、そんなやつらの大学みたいなもんに行かされるためではなかったはずだ・・と思うのだが、慶應の内部進学の人間とか、高校卒業時には行ける大学なんてろくな所がない人間だった男が「1浪で慶應の経済」もしくは「1浪で慶應の文学部」目指して、見事、目標達成した♪ というタイプの場合は、もとから私みたいに「小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに」なんてことはしていないし、そういうのが「思考が柔軟」とか思っている人間であるし、最初から「思考が柔軟な慶應ボーイ」と称して強制猥褻やるために大学に入学した連中だし、高校卒業の頃の私みたいに「知恵を売ってはならない。むしろ、知恵と教訓と教えを買え」という『旧約聖書』「箴言」の言葉のように、学問というものは「買うもの」であって「売るもの」ではないなどという意識はみじんも持っていない人間であり、自分よりも弱い者は踏みつけるのが当然だと思っている連中であり、自分が学んできたもののために人生をかけて闘う・・なんて考えるわけない連中であり、そういうのが「福沢精神」で「思考が柔軟」で「自我が確立されている」で「大人や」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか心から思っている連中であり、慶應内部進学というのは公立高校出身者というのは植民地のドジンだと思っており、彼ら慶應内部進学の人間というのは、ドジンの女には白人支配者である自分たち慶應内部進学は強姦でも何でもやっていいのは当然・常識だと信念もっている。そして、慶應女子高卒女・慶應女子高女というのはそういう男の裏返しである。慶應女子高女などというのは性別が女だからといって「女性の味方」などということはない。そうではなく、あいつらはあくまでも「内部進学の味方」である。そういう連中が強制猥褻やるのに庄屋の個室はちょうどよかったようだ。そのうち、就職情報誌「リクルート」に「慶應大学プロレス研究会の占野(しめの)くん」と言って、その強制猥褻グループの主要メンバーの一人が写真と名前入りで掲載された。なんだ、これは! (株)リクルートという会社はなんて非常識なのだ・・と思ったのだが、(株)リクルートは「慶應大学 プロレス研究会」が日常的にそういったことをやっている反社会的勢力だということを知って「慶應大学プロレス研究会の占野くん」を掲載したか、それとも、そういうことをやっている連中だということを知らなかったから掲載したのか、どちらか断定はできないと考えて、それで私は(株)リクルートの本社まで行って、「リクルート」に女子大生を騙して庄屋の個室に連れ込んで強制猥褻行為をはたらいている「慶應大学プロレス研究会」の主要メンバーの1人である経済学部生だった占野という男の写真と名前を掲載していたが、これは(株)リクルートはその男とその男が所属していた団体がそういう人間・そういう団体だということを承知の上で、そういう人間だから掲載したのか、それとも、そういう人間・そういう団体だということを知らなかったから掲載したのか、どちらですか? と質問した。(株)リクルートの担当者の返答は、そういう団体・そういう人だから掲載したのではありません、そういう団体・そういう人だということを知らなかったから掲載したのです、ということだった。「庄屋の個室」というのは、「慶應大学プロレス研究会」のようなその類の強制猥褻団体が利用するにはちょうどいい場所だったようだ。そんなやつ、いわゆる「思考が柔軟な慶大生」タイプの人間・「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神をもってる」とか「慶應心理学」が「診断」するような人間どもは居酒屋というものを「そんなもの」としか考えていない。そういう客の割合が大きくなると、コワシマン・デストロイヤー( destroyer )も増えるだろう。
 (株)一条工務店で二代目の影武者社長になった山本庄一さんが2000年代初めだったと思うが、社員大会で「いいお客さんを一条工務店で取ろう。良くないお客さんはよそで建ててもらおう」という方針を話していたことがあったのだが、それは「どうせ、自分の所で全部は取れない」のだから、それならば「客室のいいお客さん」に自分の所で契約してもらうようにして、「あまり客室が良くないお客さん」はよその会社で契約して建ててもらうようにしよう・・というのはひとつの作戦だ居酒屋の場合も「どうせ、全部は取れないのだから」と考えれば、「どうすれば壊されないようにできるか」というと、「客室のいいお客さん」に自分の所の店に来てもらえるようにしよう、「客室の良くないお客さん」はよその店に行ってもらうようにしよう・・・というようにすれば、かなり「壊されないように」できるはずなのだ。 ヨッパラーにも、「デストロイヤー(destroyer)であるヨッパラー」と、「デストロイヤー(destroyer)ではないヨッパラー」がいるのだ。「どうせ、全部は自分の所で取れないのだから」⇒「デストロイヤー(destroyer)ではないヨッパラー」に自分の所の店に来てもらうようにして、「デストロイヤー(destroyer)であるヨッパラー」はよその店に行ってもらおう、居酒屋を強制猥褻のための場所だと考えている「慶應大学プロレス研究会」はよそに行ってもらおう・・と持って行くということは工夫すればある程度以上できるはずなのだ。
※ destroyer (名詞)破壊者、破棄者;撲滅者;駆逐艦(torpedo-boat destroyer )
(岩崎民平・小稲義男監修『新英和中辞典 第三版』研究社 )
ところが、建設部長の大木さんはそういうことがまったくわからない。そのあたりについて、建設部長の大木さんは明らかにスキルが不足していた。
  さらに、柏店だったかどこの店舗だったか、内装工事が終わり、開店する直前に見に行くと、「民家風」に仕上げるためにチムニー(株)の「はなの舞」「花の舞」「炎」の店では古材を買ってきて内装工事に使用していたのだが、明らかに梁桁材として使用されていたのがわかる継手・仕口の加工がついている丸太梁を柱のように縦にして設置していたので、「デザイナー」に「これは、ちょっと変ですね。このように曲がった木は梁桁材には使用しても柱には使いませんね」と言ったのだ。当然、「そうですね。これは変ですね」という答えが返ってくると思って言ったのだ・・が、ところが、「デザイナーの先生」はこうおっしゃったのだ。「この曲がってるのがいいんですよお~お♪」と。・・はあ~あ?  なに、それ? はあ~あ?
  もともと、梁桁材として使用していた丸太材を柱のように縦にして設置したなら、何か面白いか? それが何か「風情がある」か? 「デザイナーの先生」てのは、何やらおかしな思想もっとるなあ・・( 一一)
  ・・その「デザイナーの先生」の発言というのは、要するに木造建築についてわかっていない人間が言うことだ。木構造についてある程度以上学んだ人間なら、そんなことは言わないと思う。もしくは、「古民家」なんて言い方をするけれども「地方」に行ったら今もその「古民家」に住んでいる人はいくらでもいるわけで、そういった家の住人が来場したならば、「なんだべえ、これえ?」と変に思う、もしくは、馬鹿にされることになるだろう。「建築家」とか「デザイナー」とか、もしくは「いっきゅうけんちくしい~い」とか「なんとかアーキテクト」とか名乗りだすと(「いっきゅうけんちくしい~い」と名のれば「人は言うことをきく」とか勝手に思い込んでいる「バカでも入れる私大の建築学科」卒のおっさん・最初から無試験の「建築専門学校卒」のおっさんで「いっきゅうけんちくしい~い」と名のって「人に言うことをきかす」ということをやりたいやりたいやりたい症候群のビョーキにかかっているが、そういう人には試験に通らない人というのが多くて、そういうおっさんが「設計士(さま)」とか、もとよりありもしない資格名を名乗ってみたり、「なんちゃらアーキテクト」とか舌かみそうなカタカナ称号を創作して名乗ってみたりして「人に言うことをきかす」ようにしようとするのだが、内容がないやつだからそういうことをするのだ・・と思う。ちっぽけな野郎どもだ。)そういう「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことをやりくなるみたいだ。
「バッカじゃなかろかルンバ♪」
地震と木造住宅 - 杉山 英男
地震と木造住宅 - 杉山 英男
  「花の舞」八重洲店 はある場所はわかったが、道から店に行こうとすると、どこから入っていいのかわかりにくい。昼時、それでも、客は入っていたが、しかし、「勝ちに不思議の価値あり、負けに不思議の負けなし」と野村じいさんも言うておったが、その時点で来客があるからいいというものではないはずなのだ。場所がら、付近のオフィスに勤める会社員が昼食を食べにくるリピーターが多いことから入口がわかりにくくても、それでも人は来てくれていた・・のだが、だからと言って、入口がわかりにくい・・という状態を放置していていいというものではない・・と私は思ったが、しかし、チムニー(株)の経営者はわからなかったようだ。
  花登筺(はなと こばこ)『銭の花』(テレビドラマとしては、1970年、関西の読売テレビ・東京圏の日本テレビで放映の『細腕繁盛記』)で、伊豆熱川の小さな旅館 山水館に嫁に行った加代が大阪の母親に安心させようと「熱川でも中の上くらいの旅館です」と実際よりもはるかにいいように書いた手紙を送ったところ、大阪の糸問屋の隠居で食通の「糸商の旦那さん」に加代の母は話したようで、「糸商の旦那さん」は、それならと家族を連れて伊豆熱川まで泊まりに行くことになった。しかし、山水館につくと、糸商の嫁や孫は「何、これえ。木賃宿やないのお。こんな所、泊まるのん、嫌やあ」と誰もが言いだした。ところが、それを聞いて「糸商のだんさん」は激怒した。「ええかげんにせんかあ!」と。「うちのお父さん、糸商の先代さんが糸商を始めた時は、ここよりももっと小さい店やった。それを先代さんが苦労して大きいしはって今の糸商になったんや。その先代さんが贅沢すると言われるのなら、いくらでもしはったらええ。わては何にも文句は言わん。そやけども、おまえら、糸商を大きいするために、いったい何やった。何もやっとらんだろうが。デッチよりもえろうないおまえらが、えらそうな口をきいて贅沢すると言うのなら、わしは許さんぞお! ここに泊まるのが嫌やと言うなら、わし一人で泊まるから、おまえら今すぐとっとと帰れ!」と。 山水館には内湯がなく熱川には混浴の露天風呂しかなかったが、糸商の来客の為に、熱川では大きな旅館である福原屋にお願いして女性だけでも福原屋の男女別の内湯に入らせてもらえるように頼み、糸商の家族が福原屋に入浴に出かけた後、加代は「糸商のだんさん」の部屋に行って「申し訳ございません」と謝る。糸商のご家族に来て宿泊していただけるような宿屋ではないのに来てもらって「申し訳ございません」と加代は謝ったつもりだったが、「糸商のだんさん」は「あんた、いったい何を謝ってるんや」と言う。「あんた、何も悪いことしてないやないか」と。「たとえ、どんなに立派な建物でどんなに立派な部屋であっても、埃がたまっているような部屋に客を泊めるのは失礼や。それに対して、この部屋、さっきから見せてもろうとるけれども、端から端まで掃除が行き届いとる。塵も埃もまったく見当たらん。あんたは、それだけ、客に気を使って仕事しとるんやないか。あんたは何も悪いことやっとらんやろ」と。・・「花の舞」八重洲店はその山水館の加代さんと逆のことをやっていた。飲食店でありながら、客席のテーブルの脇には機能上、まったく必要がない横桟が設けられていて、その横桟の上に埃がたまりにたまっていた。不衛生なことこの上ない。
※ 《YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館》https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U
  但し、それは「花の舞」八重洲店の従業員がすべて悪いということではない。こういった飲食店は「店長ともうひとり」くらいが正社員で他の店員はアルバイトかパートタイマーという場合が多い。かつ、店員の数は十分に多いとは言い難い。チムニー(株)では居酒屋の店員に「ひとつの動作でふたつやる」とかそういうことを教えていたように、人員の節約を相当やっていたはずだ。だから、掃除はしやすい造りにしておくべきだったはずだ。チムニー(株)の「はなの舞」「花の舞」「炎」といった店は「古民家風」で、それも岐阜県の高山を頭に描いたものらしかったのだが、私は実際に高山市に何度も足を運んで見学してきたが、高山の「民家」で「花の舞」八重洲店みたいな横桟が窓に設けられた建物なんて、ほとんどない。窓に格子が設けられている場合はたいていが縦桟だ。縦桟と横桟とでは、横桟なら雨がかかった場合に桟にたまって傷むのに対して、縦桟ならば雨に濡れても雨が桟にたまりにくく傷みにくいし、横桟には埃がたまりやすいのに対して縦桟には埃はたまりにくい。だから、たいてい、縦桟で施工するのだ・・が、チムニー(株)の「デザイナーの先生」はわざわざ一般と違うことをやろうとするビョーキがあるので、わざわざ、埃がたまりやすい横桟を機能の上ではまったく必要ないのに飲食店のテーブルの脇に設ける。「バッカじゃなかろかルンバ♪」 飲食店の内装の設計というものは、私がここで述べたようなことを考えた上でやるものではないのか? ・・と思うのだが、そういうものをまったく考えないのが、それが「デザイナー」で「建築家」で「いっきゅうけんちくしい~い」で「なんとかアーキテクト」とか思っているような人というのがけっこう多いのだ。「バッカじゃなかろかルンバ♪」
  こういう話はまだまだある・・が、列挙しようとするときりがないので、今回はここまでに留める。チムニー(株)という会社は、そういう「バッカじゃなかろかルンバ♪」が多い会社、スキルが不足している人が多い会社だった。しょせん、メカケの言うことならきく男が社長になってる会社だから、「そんなもの」か( 一一)


  鳥居をくぐると、右に赤い手摺のある階段、左に手摺のない階段がある。右の赤い手摺のある階段の方が急だが、ところどころに踊り場があるのに対し、左の手摺のない階段の方が勾配が緩やかだが踊り場はない。↓
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  右側の方が新しそうに見える。

  この階段を登っていくと左右に梅の木が植わっており花が咲いている。↓
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  西に登る階段を登りきると右手に大きな絵がある。↓
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これはいったい何なのか?
岡村天満宮HP の 「境内案内」http://okamura-tenmangu.com/guide/ によると、《 2008年に横浜松坂屋より移築された「ゆずの壁画」》らしい・・・が、
(1) なんで、「横浜松坂屋より移築」されたのか?
(2)「ゆず」て何?
《ウィキペディアー岡村天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE によると、
《 岡村は、フォークデュオのゆずのメンバーの出身地で知られる。伊勢佐木町の横浜松坂屋の屋上にあったゆずの壁画は、2008年に同百貨店が閉店になったのち地元有志が設置場所2を探したところ、岡村天満宮の宮司がこれを快諾。境内に移設されている。ゆずの岩沢厚治は、境内にある岡村幼児園の出身である。 》と書かれている。
  「フォークデュオ」とは何かというと、《 フォークデュオは、主にアコースティックギターを演奏しながらフォーク・ソングなどの楽曲を歌う二人組のことである。1960年代からのフォークソングブームに端を発する。路上ライブ経験を持つものも多い。》(《ウィキペディアーフォクデュオ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%AA )というものらしい。「ゆず」というのは、その「フォークデュオ」で《 ストリートミュージシャン出身のフォークデュオのパイオニア的存在で、1997年頃から始まった第2次路上ライブムーブメントの先駆けとされる。路上時代は主に神奈川県横浜市中区伊勢佐木町の横浜松坂屋前で路上ライブを行っていた。1996年3月結成。結成後すぐにオリジナル曲を作る。最初は客はほとんどいなかったが、1年ぐらいしたときに初めてリクエストしてくる客が現れた。路上の最終日(1998年8月30日)は、台風直撃にもかかわらず、約7,500人が集まった。》
( 《ウィキペディアーゆず》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%9A_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97) )

北川悠仁(きたがわ ゆうじん)と岩沢厚治(いわさわこうじ)の2人でやっているが、2人とも岡村天満宮がある 横浜市磯子区岡村 の出身、同じ小学校・中学校で《岩沢厚治は、境内にある岡村幼児園の出身である》ということがあり、《伊勢佐木町の横浜松坂屋の屋上にあったゆずの壁画は、2008年に同百貨店が閉店になったのち地元有志が設置場所を探したところ、岡村天満宮の宮司がこれを快諾。境内に移設されている。》( 《ウィキペディアー岡村天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE )というのがこれらしい。
※ 岡村幼稚園 http://okamura-kids.com/
  神社・天満宮には必ずしも似合わないようにも思うが、もとから神社に設営することを考えて描かれたものではなく、横浜松坂屋の屋上にあったものを百貨店が閉店になった後、設置する場所としてこの場所に移されたという経緯があることから、その場所に必ずしも似合わないようなところもあるのはいたしかたないのかもしれない。

  この「壁画」の前で左を向くと、その正面に社殿が見える。 ↓
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  「壁画」の前で、今、登ってきた石段の方をふりかえると、↓
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  西側が低くなっていて、見晴らしがいい。
  神社は、どちらかというと、南から北に登って社殿は南を向いているという場合が多く、寺もまた南から入って北を向いて拝み、本堂は南を向いているという場合が多く、そうでなければ東から西に入って本堂は東を向いているという場合が多いが、岡村天満宮は西から東に(厳密には南西に)石段を登り、社殿は西を向いている。 岡村天満宮の祭神は菅原道真=天神 と、比較的最近になって杉山神社など2社を合祀した際に祀られた市杵島姫命とアマテラスだが、菅原道真にとっては京都が懐かしいということで西の方を社殿は向いているのか? もっとも、同じ横浜市の天満宮でも、永谷天満宮の場合は菅原道真の息子がそこに流されて京都を懐かしんで山に登って西の方を見たという話があるらしいが、岡村天満宮の場合は菅原道真の子孫がこの付近に流されたということで設けられたものではなく、鎌倉時代に源頼朝の家臣で鎌倉の荏柄天神社を崇敬していた者が京都の北野天満宮から勧請して設営したというものらしいので、京都を懐かしんで西の方を見たといった話はここにはないらしい。 だから、そういうことではなく、この場所の地形によるものか。

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html 、社殿の方に行きます。

  (2022.2.28.)

☆ 岡村天満宮(横浜市磯子区岡村2丁目)参拝
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り、「壁画」前まで。梅の花〔今回〕
3.牛の像、梅の花、社殿。岡村天満宮の由緒 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。梅鉢の釘隠し。神社色の自販機。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。「大阪は二番目の大都市じゃないですよ」と言いたがる「東京もんのおっさん」。「ヒョウ柄のおばはん」なんて大阪にいないのに事実に反する風評被害を広めようとする「東京もんのおっさん・おばはん」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社? 拝殿の梅鉢の紋。千木・鰹木がある本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑。職場のウーパールーパーをなんとかしてくれ。職場での女性によるセクシュアルハラスメント行為を助長する(株)一条工務店。女は加害者でも被害者の立場になれると信じているバカ女症候群をどう治療できるか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)参拝。拝殿・幣殿・本殿の3部形式の社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。「やほ」と「やぼ」。「面白い地名」とは? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏。会社にいる『水滸伝』登場人物 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社(市登録有形建造物)、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚。ひとに「親孝行せえよお」と言ってストレス解消する教育勅語主義者https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社。建築は構造・機能・デザイン・経済性をともに満たしてこそ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html

神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社。気分の悪い古市場交番も健在。「両親が離婚した」者は常に不利ではない、ということも理解できないバカ女。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅。出入の厳重そうな東芝小向工場と管理不十分な(株)一条工務店・(株)日本産業の「いいかげんそう」工場 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。役立たず教師・予備校。医者屋族は特権民族なのか? 子猫を助けられなかった思い出。「武蔵小杉」のマンション山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り、「壁画」前まで。梅の花〔今回〕
3.牛の像、梅の花、社殿。岡村天満宮の由緒 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。梅鉢の釘隠し。神社色の自販機。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html 
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html

静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html

(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
〔最寄りの高速道路インターチェンジ:新東名「遠州森町」スマートインターチェンジ、
最寄りの鉄道の駅:天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅。〕
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社。心底むかつく(株)一条工務店の掛川営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html 

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビル。「西院」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html

高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所)他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅から。電柱看板の是非。卑怯者不動産屋店長https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へ。「他力」とは https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 

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