岡村天満宮[4/7]拝殿・幣殿・本殿。梅鉢の紋の釘隠し。神社色ゆえ周囲に溶け込む自販機。本殿裏の梅の木。「天満宮」の額。本殿東側の道。
[第907回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第63念-4
横浜市磯子区岡村2丁目 の岡村天満宮 参拝の4回目です。

↑ 拝殿。左手前に牛の像。その向こう側に手水舎がある。

↑ 拝殿。

↑ 拝殿にかかる「岡村天満宮」の額。

↑ 拝殿・幣殿・本殿とその前にかかる絵馬。
こういう絵馬に書いた願いごとというのは、実際問題として他の人も見ることになり、これまでに訪問した天神社では、どこそこの大学に合格させてください・・なんて書いてあるものを見ることがあったのだが、自分だけが思っているのならいいが、他の人も実際問題として見ることになるものに大学の固有名詞を記入して掲げるというのはどうなのだろうなあ・・と思ってきたのだったが、この岡村天満宮では、今回、見た限り、固有名詞はあまり見かけなかった。
今は昔、大学入試の模擬試験で、成績の順番にどこそこの大学の何学部を受けた場合として、A・B・C・D の4段階か、A・B・C・D・Eの五段階の表示がされることがあり、それに加えて、「合格可能性十分」「合格圏に突入」とかいった文句が書かれていたことがあったのだが、4段階ならD、5段階ならEの場合に「人事を尽くして天命を待て」なんて文句があったのだが、あれはいったい、どういう意味なんだろ? ・・実際のところ、ああいう文句はこれから受けようという者にとってプラスになるものはないと私は思うのだ。あんまり、意味ないと思う。さらに、「合格可能性◇%」なんて書いていたものもあったように思うのだが、それはもっと良くない。その「◇%」と言う論拠はどこにあるのか?・・というと、ないと思うのだ。1970年代の終わり、河合塾の東大オープンという模擬試験では、前年、A判定を受けた人は何人で、追跡調査をしたところ、そのうち、実際に受けた人は何人で、通った人は何人、落ちた人は何人、それをパーセントで表示すると☆パーセントでした。B判定の人は何人で実際に受けた人は何人、通った人は何人、落ちた人は何人、それをパーセントで表示すると▽パーセントでした。C判定の人は・・・、D判定の人は・・・、という書き方をしており、こういう「何パーセント」というのは、ある程度以上、参考になるでしょう。河合塾が良心的だったのは、実際以上に自分の所の模擬試験が本番の試験との相関関係が大きいというような主張はせず、A判定を受けた人でも全員が合格したわけではなく、D判定だった人でも通った人もあったということは事実を事実として認めて表記していた点です。その点が1970年代後半に私が行ったYMCA予備校高槻校 京大東大文系クラス よりも、はるかに良心的でした。YMCA予備校では「主事」というよくわからん役職の藤井という男(当時、50くらい? 「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低3度は言わないとおれないという男で、それを聞くたびに早稲田大学というのはくだらん大学なんだなあと思ったものでしたが、今から考えると、あれは学歴詐称だと思う。いくらなんでも、あんな早稲田ないって( 一一) 私は高校を卒業した頃は、学歴詐称する人というのはいることはいても、そんなにいっぱいそのへんにいるというものではないと思い込んでいたし、予備校とはいえ学校という所においてはいないだろうと思っていたのだが、そんなことはない。学歴詐称する人なんて、そのへんにいっぱいいるのだ。ゴマンといるのだ。)が、「YMCA予備校の模擬試験は全国のすべての大学のすべての学部に絶対的に相関関係がある。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取っていたら絶対に通る。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかったら絶対に通らない」などと言うので、私は「そんなことは絶対にない。大学入試の模擬試験というものは相関関係が大きい大学学部と、それほど大きくない大学学部とがある。又、模擬試験で相当いい成績を取っていても落ちるということもある」と話したのだが、そうするとYMCA予備校の藤井は「いや、そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はどの大学のどの学部にも絶対的な相関関係があって、YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取ったものは絶対に通る。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかった者は絶対に落ちる」と言い、さらに「YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取っていたのに落ちたやつは人間性に問題がある人間だから落ちたんだ」などと言うのだった。なんだ、こいつ! と思ったのだが、藤井はさらに私に向って「きみのように、そんなふうに上司に逆らう人間は会社員としては絶対にやっていけないから、だから、きみは絶対に経済学部は受けてはいかん」と言うのだった。私は経済学部にだけは行きたくないと思っていたので、むしろ、そう言ってもらえるのならうれしかったのだが、しかし、その前に、YMCA予備校と受講生とではカネを払っているのは受講生の側であってYMCA予備校の職員が受講生にカネを払っているのではなく、YMCA予備校の職員というのは受講生の「上司」ではないのであり、藤井その他のYMCA予備校の職員は自分自身は京大も東大も受けたことなんてない人間であり、高校の教諭の資格も持っていない人間であり、単にYMCA予備校で職員に採用してもらったというだけの人間で、なぜ採用してもらえたかというと「洗礼うけてる」ということを理由として採用してもらったというだけの男である藤井になんだかんだえらそうな口きかれる筋合いはないし、なによりも、こちらが雇われてカネを受け取る側であれば、少々のことは我慢もして講釈も聞いてやることも時にはいたしかたないことかもしれないが、YMCA予備校の職員から受講生は雇われているのではないにもかかわらず、YMCA予備校の職員、および職員の藤井はそのあたりを徹底的に勘違いしていたのだった。いつから、藤井は私の「上司」になったんだ? 早稲田の学歴詐称が何をカネもらってえらそうな口をきいてやがる! 私は高校卒業時にすでに一度は大学受験を経験して、その経験の上で、大学入試の模擬試験というものは、受けたいと考える大学学部によって相関関係が大きい模擬試験とあまり大きくない模擬試験がある、その模擬試験が相関関係が大きい大学学部とそれほど大きくない大学学部があるということを認識して、その上で言っていたのだ。又、模擬試験の成績が相当良くても、その大学学部に対して「判定」が相当良くても落ちるということはある・・・ということも実際に自分自身も経験して、又、周囲にいた人間で相当いい「判定」をもらっていたけれども落ちたという人間もいたということを見た上で言っていたのだ。私はそういう経験の上で言っていたのに対して、YMCA予備校高槻校 京大東大文系クラスの「主事」という藤井はそうではなく、論拠もなくデマカセばっかり言い、それに対して、事実に基づいて間違いを指摘してあげると、「きみのように上司に逆らう人間は絶対に会社員としてはやっていけないから経済学部は受けてはいかん」とか、さらには「きみも人間性に問題があるから大学入試には失敗する」とかなんたらかんたらと呪いの言葉を浴びせるのだった。模擬試験を受けるのであれば、自分が受けようと思う大学学部との相関関係が大きい模擬試験を受けるようにするべきで、その点でYMCA予備校の模擬試験というのは大学入試の模擬試験としては価値が小さいものだったのは事実だ。そういう模擬試験に時間を費やすということは、本来、受けておくべき模擬試験を受ける時間を奪われるということになった。キリスト教の教会で「洗礼うけてるから」ということでその仕事については無能な人間であるにもかかわらず採用されていたYMCA予備校はどうなったかというと、1970年代後半の時点では大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校、横浜市に菊名と関内に2校あったのが、大阪に駿台・河合塾・代ゼミが進出してくると、あっという間に淘汰されて、今では1校もなくなった。質が悪い企業は淘汰されるということだ。自分が間違ったことを言っているのに、それについて事実に基づいて批判されると「きみのように上司に逆らう人間は会社員としてはやっていけないから経済学部には絶対に言ってはいかん」などと言ったり、「きみも人間性が悪いから大学入試には失敗する」とか「きみも文学的素養がないから文学部はだめだ」とか悪口雑言罵詈讒謗を、よくもまあ、そこまで言えたもんだと言いまくる・・というそういう男が「会社員として適性がある」のか・・・というと、違うと思うぞお。もしも、そういう人間が「会社員に向いている」のならば、そういう男を「会社員」として採用していたYMCA予備校は栄えたはずだが、そうではなく、あっという間に淘汰されて壊滅したではないか。 ああいうアホは受験生のそばにいては害があるので、予備校で採用しないでほしいもんだ。
・・で、同じ小学校・同じ中学校から同じ北野高校に行って、1浪で京大の法学部に行ったN口 要というぺったんこの顔した男がいたのだが、そのN口 要は私とは逆で藤井が称賛する受験生だったのだ。どうも、この男は小学生の時から親子そろって学校関係者に取り入るのが得意な親子だったようなのだが、
(1)学校関係者に取り入るのが得意な親子だったということ、
(2)お母さんがスピーカーなので、気に入られようとする教諭その他がいたらしいこと、
・・というのがあったようだが、それだけではなく、
(3)藤井とN口 要の学問観は似ていた。学問というものは、何も革命理論のようなものでなくても、比較的保守的なものであっても、学問を突き詰めていくとその時代の社会との間に「緊張関係」といったものが生じてくるのは当然のことなのだが、ところが、江戸時代初期に禁中並びに公家諸法度というものを徳川幕府が作り、天皇・皇室および公家がなさることはお勉強ですよお、只管、お勉強をなさって社会を変えようとか、政治に口出そうとかいうことはすべきではないですよお~お・・と言ったのだが、藤井と野口の学問観というのはそれだったのだ。だから、藤井が「野口はしっかりしてるわあ」などと言って私に向って言いまくるのだったが、「えらい悪かったなあ」てものだったが、要するに野口と藤井は学問観が非常に似ていた。人間として似た者同士だったところがあったのだ。 職場にもいるでしょ、みんなの為を思って発言すると、ひとに言わせて自分は言わないやつとか。そういうのを「しっかりしてますわあ」とか「大人ですわあ」とか言って称賛すべきなのか? N口要という男は、なんか、そんな感じのやつなんだわ。
(4)そして、私などは正直なところがあって、↑ のように、違うものは違うと正直に言って指摘したのだが、ところがどうも、野口という男はそういう時に言わないみたいなのだ。・・しかし、YMCA予備校は私に悪口雑言を浴びせることはできても、だからと言って事実が変るわけではない。YMCA予備校の「主事」の藤井は、たとえば、「前にいた女子生徒で、模擬試験では相当にいい成績を取っていたにもかかわらず、京大の文学部を3年続けて落ちたという生徒がいたのだが、なぜ、落ちたかというと人間性が悪くて文学的素養がないから落ちたんだ。人間性が悪い者は大学入試には失敗するようにできてるんだ」と、そんなことを言うのだったが、それも一度言ったことがあるというような程度ではなく、何度も何度も繰り返し繰り返し言い、教室で全体に言うだけではなく、個人に1対1の場でも言いまくるというそういう男で、その人がどんな人だったのか知らないが、何もそんなこと言わなくてもいいじゃないか、まがりなりにもYMCA予備校にカネ払って来てくれたお客さんに対して、その言い草はいったいなんだ! それが優秀な会社員の態度か?!? ・・と思ったし、藤井がそう言うのを聞いて、こいつ、来年か再来年になったら俺のことをそんな感じで言いまくるということか・・・? とも思ったのだったが、ところが、人間にはいろいろな人間がいて、私ならば、この野郎、来年になったら俺のことをそんな感じで言うということなのか?・・と思うところをそうではなく、言われているやつは問題がある人間だから言われるのであって、自分は問題がない人間性がいい人間だから藤井からそんなことを言われることは絶対にない・・とか勝手に思い込むやつというのもいたようだったのだ。逆に、藤井という男は片方で無能なくせしてからに、片方で相手がどう思っているか察知する能力にはたけていたようで、「言われているやつは問題がある人間だから言われるのであって、自分は問題がない人間性がいい人間だから藤井からそんなことを言われることは絶対にない・・とか勝手に思い込むやつ」とかについては「人間性がいいから大学入試もきっとうまくいく」とか何とか言うみたいだった。そういう「ちっぽけな野郎」だった。そういう「ちっぽけな野郎」のことをキリスト教会は洗礼と特別献金により「敬虔なクリスチャン」と認定するようだ。金持ちが神の国に入るのは簡単だ。特別献金払って洗礼さえ受ければ「敬虔なクリスチャン」てものだ( 一一)

↑ 右側(北側)から見た (左)拝殿・(中)幣殿 (右)本殿。
岡村天満宮の拝殿の左手前にベンチがある。

大阪府高槻市の上宮天満宮にも、1970年代後半にはベンチがあって、予備校の近くにあったので立ち寄ったことがあって、そのベンチで休息をとらせてもらったこともあったのだが、2020年に上宮天満宮に訪問したところ、ベンチはすべて取り払われていて、かわりに監視カメラが設置されていて、それを「正常化した」と書かれていた・・のを見て、もう、この神社に来るのは最後だろうなあと思ったことがあった。やっぱり、神社というものは、参拝者がそこでしばらく時間を過ごして、そこで何かを考えて、そこで何かを思って帰るという場所ではないかと思うのだ。上宮天満宮にはかつては「順路」なんて札はなかったが今は貼られるようになり、順番に廻ってお賽銭入れてください・・て感じになり、かつてはなかった授与所ができて、何か買って行ってくださいみたいになってしまった。上宮天満宮にはもう行くことはないと思う。上宮天満宮では「不良高校生」が賽銭泥棒をしようとして火をつけたところから社殿に火がまわって焼けてしまったということがあったことから、「正常化」しようとして監視カメラを設置して、「順路」を設けて順路の通りまわったらカネはらってさっさと帰ってちょうだいというように、ベンチも取り払ったようだったが、そうすると放火とか賽銭泥棒とかはなくなる可能性が大きいかもしれないが、もはや、神社ではなくなるのではないか・・と思ったのだが、そういうのを「正常化」と思う人もあるようだ。
岡村天満宮の場合は、社殿の右側に清涼飲料水の自動販売機があり、社殿の左手前にベンチがあり、参拝者がそこで休息をとり時間を過ごすことができる。
そこで、社殿の方を見ていて思ったのだが、2年ほど前だったか、九州の方のどこだったか忘れてしまったが、ある神社で60歳くらいの男性が棒の先に糊だかをつけて賽銭箱の中に突っ込んで、封筒に入れられた2千円ほどだったかの賽銭を盗もうとして宮司さんに見つかり、警察に引き渡されたという記事をインターネットで見たのだが、その際、その神社の宮司さんは「『すいません』と言って返してもらえば、そのまま帰ってもらおうと思っていたのですが、逃げられたので追いかけてつかまえることになってしまいました。この方は前々から賽銭箱の前で不審な動きをされることがあった人でしたが、盗られる前に話しかければよかった。悲しい結果になってしまいました」と話しておられた。何らかの思いがあって神社に来た人を警察に突き出すというのは、宗教を職業とする人にとっては避けたいことで、その宮司さんはそういう意識を持った人だったようだ。
さらにその後、YouTube で見たが、どこのお寺だったか、賽銭泥棒の被害が絶えなかったが、住職は賽銭箱というものに鍵をかけたくない・・と考えて、鍵はかけずに、後ろから開けてすぐのところに、封筒に2千円だったか入れて「賽銭泥棒の方へ。このお金は、あなたに出世払いでお貸ししますから、賽銭箱の中のお金には手を着けないようお願いします」と書いて入れておいたらしい。しかし、それでもだめだったらしく、やむなく、賽銭箱に鍵をかけて監視カメラも設置したらしい。やむをえなかったようだが、悲しいことだと思う。
上記の賽銭泥棒を捕まえた神社の宮司さんが「悲しい結果になってしまいました」「盗られる前に声をかけるべきでした」と話され、寺の住職が「賽銭箱というものに鍵をかけたくない」と言われて、「このお金は、あなたに出世払いでお貸ししますから、賽銭箱の中のお金には手を着けないようお願いします」と書いて封筒に2千円だったか入れて置いておかれたというのは宗教を職業とする人として良心的なもののように思います。
1980年代、東京都大田区の日本基督教団 田園調布教会の牧師の高橋泰二さんからうかがった話ですが、教会でバザーを開こうとしていた前日、2階の方からイビキが聞こえてくるので、こそおっと会談を登っていったら、2階の和室の押し入れからイビキが聞こえる。こそおっと押し入れの戸を開けてみると、男がそこで寝ていたというのだ。それで牧師さんは・・・、「ちょっと、ちょっと、お父さん。そんな所で寝てもらったら困りますがな」とでも言ったのか、それとも、この人は人生と生活に疲れて教会にやってきて、そして、体も疲れているのでここで休息を取っているのだから休ませておいてあげようと、そのまま、眠らせておき、起きた時に、静かに「どうされましたか」と話しかけて、そこに来られた経緯をうかがった・・のか・・・というとそうではなく、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」と、そうおっしゃったのだ。当たり前のように。
少なくとも、ヴィクトル=ユーゴー『レ=ミゼラブル』に登場する司教ならばそんな対応はしないであろう。まあ、『レ=ミゼラブル』に出てくる司教と同じことまではしなくてもいいとは思うが、しかし、それにしても、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」と言い、私が「その人はそこで何をやっていたのですか」と尋ねたところ、高橋さんは「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」と何らためらいなくおっしゃったのだったが、そんな言い方ってどうなのだろうか・・と疑問に思ったのだった。曲がりなりにも牧師さんがそういう言い方というのは、どうなのだろうか・・と。実際のところ、その人は何をしていたのかというと、「押し入れの中で寝ていた」というだけなのだ。「ともかくも、教会という所に入って来られた方を警察に引き渡すというのはいかがなものかとも考えたのですが、バザーの日の前日でもあり、皆さんからお預かりしたものも教会にあることでしたので、ずいぶんと考えたのですが、それがいいかどうかわかりませんが110番通報させていただきました」とでも言うのならともかく、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」と得意げに、何が悪いかという調子で言われたのだった( 一一) 高橋泰二さんは、田園調布教会での説教は「アントニオ猪木みたい」だった。「アントニオ猪木みたい」というのは身振り手振りよろしく、声の抑揚を特別の牧師調というのか普通ではない話し方で、それをいいと思うおばさんもいたようだったが、私から見ると「ショーマンシップの塊」であって内容がない、「アントニオ猪木みたい」に「ショーマンシップに燃える男」であってそれだけでしかない男・・という印象を受けた。
〔⇒《YouTube-Tp077 炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~アントニオ猪木》https://www.youtube.com/watch?v=D4QCckVj9Pw
あんなしょーもない牧師屋の「説教」なんか聞くくらいなら、テレビでプロレスでも見てる方がよっぽど気がきいてる。〕
時々、昔からの檀家なのか「大口(おおぐち)のお客さん」なのか「太客(ふときゃく)」なのかのお婆さんが久しぶりに来場すると、遠くから見ただけで駆け出していき、「あああ~あ、☆☆すあああ~ああん♪」と声を裏返らせて叫んで飛んでいく。黒い牧師服の裾を黄金バットかスーパーマンのマントみたいにひらめかせて風をまいて飛んでいく。 私なんかそんなことしてもらったことなんて一度もない。 この人、相手によって態度が違うなあ・・と思ったものだった。ある時、しばらくぶりに教会の礼拝だったか夕拝だったかに行った時、牧師の高橋泰二さんが目の前にいたので「こんにちわ」とこちらから挨拶したところ、「ああ、〇〇さん、お久しぶりです。元気にしてましたか」くらい言うかと思ったら、「あ・・」と一言、口にしてあごを下から上へ1センチか5ミリか上げた・・というだけ。そんなけ( 一一) 私はその時、大学生だったので、礼拝に出ても献金は100円しか献金箱に入れなかったが、しかし、月に4回出たならば400円と、たいした金額ではないとしても、教会堂の机を運んだりとか、バザーの準備をしたりとか、そういった労力は田園調布教会に相当払ってきたはずだし、私自身は教会員ではなかったが、うちの親も田園調布教会の教会員ではなかったとはいえ、同じ日本基督教団の教会の教会員として、他の教会にとはいえ日本基督教会の教会に月定献金も特別献金も払ってきていたはずだったのだが、ところが、こちらから挨拶しても、それでも、「あ・・」でおしまい( 一一) 「ああ、〇〇さん、久しぶりですね。元気にしてましたか」と、それだけ言うのに、いくらカネかかるよ? 牧師ならそのくらい言ってもバチあたらんと思うのだがなあ~あ・・と思ったのだが、高橋さんというおっさんはそういうおっさんだったのだ。今から考えると、「わかりやすいおっさんやなあ」という感じがする。「昔からの檀家」なのか「太客(ふときゃく)」か「大口(おおぐち)のお客さん」なのかの婆さんが来ると、相手は何も言っていなくても遠くから見ただけで高速で走って行って挨拶する。「ああ~あ、☆☆すあああ~ああん♪」と牧師服を黄金バットかスーパーマンかタイガーマスクかのマントみたいにひるがえして高速で走って行く。よくやるよなあかあ~あ・・( 一一) 『新約聖書』の「福音書」に「放蕩息子の帰還」という話があって、父から遺産を分けてもらうと遠くに行って飲み暮らし、いかがわしい女と過ごしてカネを使い果たして、父の所に帰って「どうか、私を使用人の一人として使ってください」と言おうと思って家に向った息子の姿を遠くから見た父は、まだ遠くにいるのに走って行った。「この息子はいなくなっていたのに生き返ったのだ。これを祝わずにおれようか」と言ったというが、あの話の父親の走り方というのはそんな感じだったか? ・・て感じで猛烈な勢いで走っていくのだ。 そして、私だったら、こちらから挨拶しても「あ・・」でおしまい。 そして、どこの誰かわからんおっさんが和室の押し入れの中で寝ていたならば、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」・・と、3段階の区別があったのだ。「わかりやすいおっさんやなあ~あ」。
刑務所を出たジャン=バルジャンが司教が住む街にやってきて、どこかに泊めてもらおうと思っても刑務所を出たばかりの男だということでどこも泊めてもらえず、会堂の前の石の台の上で寝ていたところ、年配の婦人から「あなたはそこで何をしているのですか」ときかれ、「私はどこでも泊めてもらうことができないので、石の上で寝るのです」と話したところ、司教の家を教えられ、司教の家を訪ねたところ、司教はジャン=バルジャンが誰かも尋ねずに招き入れ、ジャン=バルジャンが「あなたは私が誰か知っていて入れてくれたのですか」ときくと、司教は「よく知っております。あなたの御名前も知っております」と言い、ジャン=バルジャンが「私の名前を御存じなのですか」ときくと、「はい。あなたの名前は『私の兄弟』という名前です」と答える。そうやって世話になっておきながら、司教が持っていた唯一の金目のものであった銀の燭台を夜中に盗んで去り、警察官にさっそく捕まって連れられてくると、司教は「あなたにはその燭台だけではなく銀の皿も差し上げたのに、どうして持っていかなかったのですか」と言い、「いいですか。これは、あなたがまっとうに生きるために差し上げるのですよ」と言って渡す。その後、司教が亡くなった時、司教の家の外には地面に跪いて手を合わせるジャン=バルジャンの姿があった・・・というのだが、それと同じことまでやらなくてもいいとは思うが、しかし、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」と当たり前みたいにおっしゃる・・というのを聞くと、この人、何を職業にしている方なんだろうなあ~あ・・とか思ったものだった。

レ・ミゼラブル 1 (岩波文庫) - ヴィクトル ユーゴー, 与志雄, 豊島
「牧師ってそんなもんや」と言う人もいるのだが、「そんなもん」なのかあ?
日本基督教団 田園調布教会 の牧師だった高橋泰二 さんの息子は私より2つほど年上だったが、慶應義塾高校から慶應大学医学部に進学していた。慶應大学でも内部進学の人の割合が大きい学部とそれほどではない学部があって、経済学部は3人に1人は内部進学らしく、商学部は経済学部と内容が近く、進級のノルマが経済学部よりも商学部の方が厳しいらしいことと、「慶應の経済」と「慶應の商学部」ならば「慶應の経済」の方が「聞こえがいい」ことから内部進学の人は「名前で選ぶ」人が多く、そういう態度のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」と「慶應心理学」では言うのだが、又、慶應の内部進学の人には「何かと群れる」「何かとまとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造があり、そういう精神構造のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか言うそうで、「ええ~え? それって逆とちゃうのお~ん?」なんて言うと「自我が確立されていないからそんなことを言うのですね」とか「独立自尊の精神があれば、そんなことは言わないはずです」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか「未成熟だからそういうことを言うのですよ」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「慶應心理学」から「診断」されることになるのですが、ともかく、慶應の内部進学の人間というのは「まとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造があるので、社会科学系学部では内部進学の人間が多い経済学部に行きたがるという傾向があったのだが、医学部もまた内部進学の人の割合が大きい学部で、少し前に雑誌の慶應と早稲田の特集で見たものでは、医学部の場合は最初から全体の4割を内部進学と決められているらしい。「4割も内部進学やて、ぞっとする
」と思う人もいると思うが、内部進学の人からすれば、それでもまだまだ少ない、もっと内部進学が多くなってほしいと、たぶん、思っていることだろう・・と思う。おそらく、その「4割」というのは「そんなに内部進学ばっかりなら、大学から行ってもしかたがない」と大学から受ける人間が思って大学から受ける人間がなくなるというようなことはない・・というぎりぎりの数字であり、同時に内部進学が主導権を握ることができるというぎりぎりの数字・・ということではないのかいなあ・・という気がする。たぶん、そんなところだろう。その医学部に慶應義塾高校から内部進学で行きよった。慶應義塾高校から慶應大学には基本的には全員が行けるみたいで、たとえば、大阪府の北摂地区にあった摂稜高校という私立高校が早稲田大学と提携して早稲田摂稜高校になったが「上位3割に入れば早稲田大学に内部進学で行ける」というものらしいのに対して、慶應義塾高校から慶應大学には基本的には全員が行けるようなのだが、他の学部は希望が通る場合が多いらしいが医学部だけは行きたい人が多くて、中には医学部に行くために留年したりしている人もいたという話も聞く。その医学部に行ったというのだから、大学から慶應大医学部に通るよりは内部進学で医学部に行く方が行きやすかったとしても、それでも、内部進学で行く人の中ではけっこういい成績だったのかもしれない・・・が、田園調布教会には「慶應の先生」も何人か信者として来ておられたらしいから、「塾風教徒キリスト派」みたいな人が来ておられたのだろうから、もしかして、いくらか「口添え」とか「忖度」とかが「神の思し召し」としてなされたか?・・なんてことがあったのかないのかは、それは知らん。
それで、慶應という学校は「ブルジョワの学校」みたいなイメージがあるが、大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学であり、「早稲田大学と慶應大学なら、同じ学部なら慶應大学の方が安い。かなり」という大学だった・・が、国立大学はどの学部でも学費は一緒だが慶應は私立なので、法学部・経済学部・商学部・文学部は「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学だったが、工学部⇒理工学部 は法学部・経済学部・商学部・文学部よりも五割増し以上高かったように思うし、医学部になると法学部・経済学部・商学部・文学部の倍ほどして、かつ、法学部・経済学部・商学部・文学部は4年であるのに対して医学部は6年行く必要があった。そして、世間では「慶應は高い」と思っている人がいるらしいが、大学については「(法学部・経済学部・商学部・文学部については)国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学で、「慶應大と早稲田大なら慶應大の方が安い」という大学だったけれども、小学校・中学校・高校の場合はそうではなくて「私立の学校の中でも高い方」だといった話を聞く(私は小学校・中学校・高校には行っていないので、よく知らないが、そういう話を聞く。) 慶應義塾高校というのは金持ちのバカ息子が行く学校か、カネさえあれば入れる入試難易度は易しい高校かと思っていたら、東京都・神奈川県の人間に聞くとそうではなくて、慶應義塾高校というのは神奈川県の私立高校の中では1,2の難関校らしい。「入る時には1,2の難関校でありながら、あそこに3年いると、あんなになってしまうんだから、考えようによっては恐ろしい学校だ」と言う人もいたが、ともかく、慶應義塾高校というのは入試難易度も神奈川県の高校の中ではけっこう難しい方だそうで、かつ、学費も私立の学校の中でも高い方らしい。そして、大学はというと、法学部・経済学部・商学部・文学部については慶應大学は「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学だったが、医学部はその倍ほどしたので、私立金権裏口医大みたいな多額の寄付金は払わなくても入れてもらえるらしいのでサラリーマンの息子でも検討対象になる可能性も考えられたが、それでも、「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の慶應大の法学部・経済学部・商学部・文学部の倍ほどしたということは安くはないわけで、医者屋で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして荒稼ぎしている人の息子ならば「カネみたいなもん、あり余ってる」だろうから平気だろうけれども、「普通のサラリーマン」ならば「多額の寄付金」は払わなくても入試の成績が良ければ入れてもらえる・・としても、それでも、けっこうきつい学費だったのではないか。その慶應義塾高校と慶應大医学部に日本基督教団田園調布教会の牧師の高橋泰二さんの息子は行きよったのだった。牧師て金持ちだったのか? 私なら、そんなもん、絶対に行かせてもらえないような所に平気で行くということは、牧師て金持ちだったのか?
日本基督教団 田園調布教会は東急東横線・目黒線「田園調布」駅の西側、「この漫才で田園調布に家が建つ」と言われる地域にある・・けれども、田園調布教会に来ている人は誰もが田園調布の住人ではないし、誰もが金持ちというわけではない。何より、私だって行ってたんだから。田園調布駅は東急東横線と、かつては目蒲線が通っていた駅でけっこう便利がいい場所であり、田園調布以外からも来ていた人はけっこうあったのだ。 その人たちには、慶應義塾高校なんて息子を行かせたいと・・私なんかは思わんが、行かせたいと思っても、そんな高い学校には行かせられないという人もあったはずなのだ。そういうことを考えた時、牧師の息子が慶應義塾高校なんて、行っていいのかあ?
『レ=ミゼラブル』の司教は「牧師が金持ちというのはおかしい」と言うのだが、そう思わない人もいるのかもしれない。片方で『新約聖書』の「福音書」には「はたらき人がその生活の糧を得るのは当たり前ではないか」と「職業としての宗教」に携わる者がその「生活の糧」を得るのは当たり前のことだというイエスの言葉が載っている。「職業としての宗教」に誠実に従事している者が「生活の糧」を得るのは何ら悪いことではない、「生活の糧」を得ていいだろう・・けれども、片方で慶應義塾高校なんて行かせるカネなんてないよ・・て人から献金してもらった教会の会計から給料もらっている牧師の息子が、その教会に来ている人で慶應義塾高校なんて息子を行かせることなんてできない人もいっぱいいたはずなのに、平気で牧師の息子が慶應義塾高校になんて行っていいのか? 牧師の息子が慶應義塾高校になんて行くのは間違っていないか? ・・と私は思ったのだが、高橋泰二さんはそんなこと考えなかったみたいだ。
牧師の息子というのは公立の高校に行くか、そうでなければキリスト教系の高校に行くか、どちらかではないのだろうか。もしかすると、高橋泰二さんは金持ちの息子であって、牧師の給料からではなく他の資産から息子が慶應義塾高校とか慶應大医学部とかに行く費用が出ていたのかもしれないが、そうであっても、金持ちでない人だって来ていたはずの教会の牧師という職業についていた者の息子が、慶應義塾高校だの慶應大医学部だのに平気で行っていた・・というのは、どうなのだろうか。 もちろん、牧師になっていた父親と息子とは別の人格だということはあるだろうけれども、そうであっても、やっぱり、その教会に献金払っていた人で慶應義塾高校になんて息子を行かせるカネなんてない人はいたはずだから、それを何とも思わない牧師というのは、それは牧師なのか? ・・・と私なんかは思うなあ。
・・で、結論として、その牧師さんというのは「その程度の人」だった、ということかもしれない。「アントニオ猪木みたい」で「ショーマンシップに燃える男」で、「牧師説教」となると身ぶり手振りを加えて、普通の話し方ではない、裏返った声とか、特別な口調とかを駆使して、そういう話し方で話されると、「牧師先生のありがたいお話」と思えて、そういう「牧師先生のありがたいお話」を日曜ごとに聞きに教会にやってきて献金払うのが「敬虔なクリスチャン」であって、「『聖書』なんて、あんなもの、絶対に読んではいかん」「『聖書』みたいなもん、いいことなんて何一つとして書いてないんだから、あんなもお~ん!」「ましてや、『聖書』に書いてあることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん」とYMCA予備校高槻校の「主事」の藤井みたいに叫びまくる人のことを洗礼と特別献金によって「敬虔なクリスチャン」と認定するのが牧師屋さんの仕事♪・・・て、「そんなもん」か( 一一)
そういう牧師屋さんから考えると、賽銭泥棒を捕まえた後、「悲しい結果になってしまいました」「盗まれる前に声をかけるべきでした」と話された宮司さんや、賽銭箱に鍵はかけたくないとして、賽銭箱の出す方の引出しの上に「賽銭泥棒の方へ。このお金は出世払いであなたにお貸しいたします。そのかわり、賽銭箱の中のお金には手をつけないでください」と書いて2千円だったか置いておかれた住職とかは良心的な感じがします。最近、田園調布教会は教会堂を建てかえたようですが、その入口には「セコム」のシールが貼られていた。セコムに入ってはいかんということはないのだけれども、しかし、そのシールを見た時、はたして、自分はその「セコム」によって守られる側なのかそうではない側なのか、どっちなのだろうか・・と考えた時、「ああ~あ、☆☆すああ~あん♪」と高橋泰二さんが声を裏返らせて叫んで牧師服をマントのようにひるがえして風をまいて飛んで行った「太客(ふときゃく)」「大口のお客さん」が「セコム」に守られる側であって、押し入れで寝ていたおっさんは「セコム」から通報される側の人間で、私なんかはその中間・・・よりは「酔っ払いのおっさん」の側に近い人間ということ・・かな、という感じがした。「塾風教徒キリスト派」みたいな人にとっては「いい教会」なのかもしれないが、「なにしろ、わしぁ貧乏やからな」「わしは日陰の月見草や」という者にとっては、あんまり縁がない教会だったのかもしれない。なにしろ、私なんか、行きたいなんて思ったことはないが、行きたいとたとえ思っても行かせてもらえる可能性なんてなかった慶應義塾高校みたいなもんに息子を平気で行かせる人が牧師屋やっていた教会だったのだから。牧師て、そんなに儲かるんやろかなあ。ええなあ、うらやましいなあ。・・わしぁ日陰の月見草や。
拝殿の長押には「釘隠し」・・ということでもないのかもしれないが、「釘隠し」のように梅鉢の紋 が入っている。↓

本殿を背後から(東側から)見ると、 ↓

本殿の屋根には、↓

(1)千木(ちぎ)の先端は地面と平行。
(2)千木に穴が開いている。
(3)鰹木(かつおぎ)の本数は5本と奇数。
(1)は女の神さん、(2)(3)は男の神さん の社の特徴という説があり、この岡村天満宮の祭神の菅原道真は実在した人物で男であり、市杵島姫(いちきしまひめ)は女の神さんで、男の神さんと女の神さんの両方を祀っている岡村天満宮の本殿では千木と鰹木の特徴も男女混同・・てことか。

宮大工と歩く千年の古寺―ここだけは見ておきたい古建築の美と技 (祥伝社黄金文庫) - 松浦 昭次

↑ 社殿の右側(南側)の清涼飲料水 自動販売機も「神社色」の赤と白。 赤と白というのは、他の場所ならば目立つ色合いなのですが、ここでは背後の社殿が赤と白なので、むしろ、その色合いが周囲に溶け込む色使いになっています。

↑ 本殿の背後にも梅の花が咲いている。

↑ 本殿の背面(東面)。 神社の背後にはまわってみるべきなのか、背後にはまわるべきではないのか。それは、その神社にもよるようだ。 奈良県の大神(おおみわ)神社などは拝殿はあっても本殿はなくて、背後の三輪山が御神体だから、後ろというと三輪山の向こう側ということになる。 大阪市の今宮戎神社では祭神の「えべっさん」というのは大変庶民的な神さんで、「えべっさんは耳が遠い」とか「えべっさんは、しょっちゅう昼寝してはる」という話があって、正面から拝んだだけでは「えべっさん」がよく聞いていないことがあるから、後ろからも「えべっさん、よろしゅうお願いしまっせ」と言って念を押してお願いする・・とかいう話があるらしい。 天神・天満・北野・菅原系の神社では後ろにまわってはいけないという考え方はない神社が多いようで、京都市の北野天満宮・大阪市の大阪天満宮では背面からも拝むようにできている。大阪府豊中市の服部天神宮では、東側に池田街道(能勢街道)が南北に通り、本来は東から入って来るのが正門側だったのではないかと思われるが、今は西側に阪急宝塚線「服部天神宮」駅があり、電車で来た人は西から入る人が多いと思われるが西側にも拝む場所が設けられている。
岡村天満宮の場合は、背後から拝むようにはなっていないが、そもそも、本殿の後ろ、東側にも戸建住宅が何軒も建っており、背後にまわるなと言うわけにもいかない。

↑ 本殿の東側にも、北側に丘を降りる道がある・・というのか、「岡村天満宮前」交差点の少し東から丘を登る道があって、そこを登ってくると、↑ のように本殿の後ろ(東側)に来るみたいだ。
本殿の東側(後ろ側)に駐車場らしきものがあるが、「月極駐車場」と書かれているので、参拝者が停めるように用意されているものではないようなので、参拝者は岡村公園の時間パーキングを利用した方が良さそうだ。
社殿の南側(丘側)に、


↑ 「天満宮」と書かれた額が立て懸けられているが、かつて、使われていたものなのだろうか。

↑ 《 此処の土地 約300坪は永年に亘って神社が賃借致しておりましたが、平成4年(1992年)7月に、左記の方々の御協賛を得まして岡村天満宮の境内地として買い上げることができました。・・・・
平成4年(1992年)9月吉日
岡村天満宮々司 杉原 敏之
奉賛会会長 田邊 貫太郎 》
と書かれています。
昔からある神社とか寺の敷地というのは、どこからどこまでなのか・・というのは、これはなかなか難しいところがある。 山のふもととか、山の中腹とかに建てられたとして、はたして、その山はどこまでが敷地なのか。 借景として背後の山は神社の一部分のように見える場合もあるが、そうではなく、山の一部に作られたのであって山そのものが神社というわけではない場合も多い。 過去の政治との結びつきで、権力と結びついた寺社は敷地を広く確保してもらえて、そうでない場合はひっそりと・・ということは少なくないように思える。
過去の争乱の時にどっちについたかで、勝つ側についた寺社は広く敷地を確保された・・なんてことはけっこうあるみたい。比較的最近だと、明治維新の際に勝った側に加担したか、負けた側についたか・・によって、勝った側についた寺社は広く敷地を認められ、負けた側についた寺社は狭い敷地しか認められなかった・・・みたいなところもあるようだ。
又、最近、近所の財界からの支援を得られた寺社は、もともとはたいした寺社でもなかったのに、ずいぶんと広い敷地を占拠しているケースもある。静岡県浜松市北区 の深奥山方広寺 などは、静岡県から愛知県にかけての財界と結びついて、それで、もともとは山の中の小さい庵だった寺が南禅寺派から独立して「方広寺派」なるものを名乗り「本山」を名乗り、広い敷地になんじゃらかんじゃら作って伽藍ばっかりできているが、『正法眼蔵隋聞記』では京都の建仁寺が鴨川に近い場所にあることから、洪水などの被害にあった場合のことを心配する者に対して、栄西が、伽藍はいつかは滅びるであろうが、そんなことはたいした問題ではなく、大事なのは禅の心だと語る場面が述べられているが、浜松市北区 の深奥山方広寺の堕落ボーズどもは臨済宗だと名乗りながら栄西の教えとは正反対のことをやっている。深奥山方広寺は寺としては質が悪い寺だと判断せざるをえません。

正法眼蔵随聞記 (ワイド版 岩波文庫) - 懐奘, 哲郎, 和辻
岡村天満宮の場合は、《ウィキペディアー岡村天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、
《 天満宮へは磯子や大岡、堀ノ内町などから道が通じているが、堀割川ができると関内方面からの参詣者は天神橋付近からの道をよく利用するようになった。川沿いに横浜市電が開通すると、天神祭の日には天神橋と根岸橋の間に仮停留所が開設された。1886年(明治19年)、花街を中心とした天神講が作られ、華やかな女性が多く参拝に訪れるようになった。やがて、誰からともなく「色天神」と呼ばれるようになった。》と出ており、
現地の説明書きに、
《 大正期には元町薬師、野毛山不動とともに三大縁日としてにぎわいました。》
と書かれており、鎌倉時代に最初に設けられた時はそれほど大きな神社でもなかったのではないかと思われるが、明治以降、けっこう広い範囲から参拝者が来るようになって大きくなったというものではないか。
その流れで、南の少し高い位置、今は岡村公園のテニスコートになっている場所に社殿を移す計画なども出たのでしょう。
その地域の財界と結託して伽藍ばっかり増やした深奥山方広寺とは違って、地域の人たちから支持されて大きくなったようなので、深奥山方広寺などよりもずっと値打ちがある・・のではないか。

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次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html 、境内を巡ります。
(2022.3.2.)
● 食材を購入する際、原材料名を見ないで買う人もいるらしいが私は見た上で買っている。ロシア軍のウクライナ「侵攻」か「侵略」かを見ると、当分の間、「(ロシア産)」のものは購入できない。(2022.3.2.)
☆ 岡村天満宮(横浜市磯子区岡村2丁目)参拝
1.蒔田(まいた)駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り、「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。岡村天満宮とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。〔今回〕
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。〔今回〕
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html
横浜市磯子区岡村2丁目 の岡村天満宮 参拝の4回目です。

↑ 拝殿。左手前に牛の像。その向こう側に手水舎がある。

↑ 拝殿。

↑ 拝殿にかかる「岡村天満宮」の額。

↑ 拝殿・幣殿・本殿とその前にかかる絵馬。
こういう絵馬に書いた願いごとというのは、実際問題として他の人も見ることになり、これまでに訪問した天神社では、どこそこの大学に合格させてください・・なんて書いてあるものを見ることがあったのだが、自分だけが思っているのならいいが、他の人も実際問題として見ることになるものに大学の固有名詞を記入して掲げるというのはどうなのだろうなあ・・と思ってきたのだったが、この岡村天満宮では、今回、見た限り、固有名詞はあまり見かけなかった。
今は昔、大学入試の模擬試験で、成績の順番にどこそこの大学の何学部を受けた場合として、A・B・C・D の4段階か、A・B・C・D・Eの五段階の表示がされることがあり、それに加えて、「合格可能性十分」「合格圏に突入」とかいった文句が書かれていたことがあったのだが、4段階ならD、5段階ならEの場合に「人事を尽くして天命を待て」なんて文句があったのだが、あれはいったい、どういう意味なんだろ? ・・実際のところ、ああいう文句はこれから受けようという者にとってプラスになるものはないと私は思うのだ。あんまり、意味ないと思う。さらに、「合格可能性◇%」なんて書いていたものもあったように思うのだが、それはもっと良くない。その「◇%」と言う論拠はどこにあるのか?・・というと、ないと思うのだ。1970年代の終わり、河合塾の東大オープンという模擬試験では、前年、A判定を受けた人は何人で、追跡調査をしたところ、そのうち、実際に受けた人は何人で、通った人は何人、落ちた人は何人、それをパーセントで表示すると☆パーセントでした。B判定の人は何人で実際に受けた人は何人、通った人は何人、落ちた人は何人、それをパーセントで表示すると▽パーセントでした。C判定の人は・・・、D判定の人は・・・、という書き方をしており、こういう「何パーセント」というのは、ある程度以上、参考になるでしょう。河合塾が良心的だったのは、実際以上に自分の所の模擬試験が本番の試験との相関関係が大きいというような主張はせず、A判定を受けた人でも全員が合格したわけではなく、D判定だった人でも通った人もあったということは事実を事実として認めて表記していた点です。その点が1970年代後半に私が行ったYMCA予備校高槻校 京大東大文系クラス よりも、はるかに良心的でした。YMCA予備校では「主事」というよくわからん役職の藤井という男(当時、50くらい? 「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低3度は言わないとおれないという男で、それを聞くたびに早稲田大学というのはくだらん大学なんだなあと思ったものでしたが、今から考えると、あれは学歴詐称だと思う。いくらなんでも、あんな早稲田ないって( 一一) 私は高校を卒業した頃は、学歴詐称する人というのはいることはいても、そんなにいっぱいそのへんにいるというものではないと思い込んでいたし、予備校とはいえ学校という所においてはいないだろうと思っていたのだが、そんなことはない。学歴詐称する人なんて、そのへんにいっぱいいるのだ。ゴマンといるのだ。)が、「YMCA予備校の模擬試験は全国のすべての大学のすべての学部に絶対的に相関関係がある。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取っていたら絶対に通る。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかったら絶対に通らない」などと言うので、私は「そんなことは絶対にない。大学入試の模擬試験というものは相関関係が大きい大学学部と、それほど大きくない大学学部とがある。又、模擬試験で相当いい成績を取っていても落ちるということもある」と話したのだが、そうするとYMCA予備校の藤井は「いや、そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はどの大学のどの学部にも絶対的な相関関係があって、YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取ったものは絶対に通る。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかった者は絶対に落ちる」と言い、さらに「YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取っていたのに落ちたやつは人間性に問題がある人間だから落ちたんだ」などと言うのだった。なんだ、こいつ! と思ったのだが、藤井はさらに私に向って「きみのように、そんなふうに上司に逆らう人間は会社員としては絶対にやっていけないから、だから、きみは絶対に経済学部は受けてはいかん」と言うのだった。私は経済学部にだけは行きたくないと思っていたので、むしろ、そう言ってもらえるのならうれしかったのだが、しかし、その前に、YMCA予備校と受講生とではカネを払っているのは受講生の側であってYMCA予備校の職員が受講生にカネを払っているのではなく、YMCA予備校の職員というのは受講生の「上司」ではないのであり、藤井その他のYMCA予備校の職員は自分自身は京大も東大も受けたことなんてない人間であり、高校の教諭の資格も持っていない人間であり、単にYMCA予備校で職員に採用してもらったというだけの人間で、なぜ採用してもらえたかというと「洗礼うけてる」ということを理由として採用してもらったというだけの男である藤井になんだかんだえらそうな口きかれる筋合いはないし、なによりも、こちらが雇われてカネを受け取る側であれば、少々のことは我慢もして講釈も聞いてやることも時にはいたしかたないことかもしれないが、YMCA予備校の職員から受講生は雇われているのではないにもかかわらず、YMCA予備校の職員、および職員の藤井はそのあたりを徹底的に勘違いしていたのだった。いつから、藤井は私の「上司」になったんだ? 早稲田の学歴詐称が何をカネもらってえらそうな口をきいてやがる! 私は高校卒業時にすでに一度は大学受験を経験して、その経験の上で、大学入試の模擬試験というものは、受けたいと考える大学学部によって相関関係が大きい模擬試験とあまり大きくない模擬試験がある、その模擬試験が相関関係が大きい大学学部とそれほど大きくない大学学部があるということを認識して、その上で言っていたのだ。又、模擬試験の成績が相当良くても、その大学学部に対して「判定」が相当良くても落ちるということはある・・・ということも実際に自分自身も経験して、又、周囲にいた人間で相当いい「判定」をもらっていたけれども落ちたという人間もいたということを見た上で言っていたのだ。私はそういう経験の上で言っていたのに対して、YMCA予備校高槻校 京大東大文系クラスの「主事」という藤井はそうではなく、論拠もなくデマカセばっかり言い、それに対して、事実に基づいて間違いを指摘してあげると、「きみのように上司に逆らう人間は絶対に会社員としてはやっていけないから経済学部は受けてはいかん」とか、さらには「きみも人間性に問題があるから大学入試には失敗する」とかなんたらかんたらと呪いの言葉を浴びせるのだった。模擬試験を受けるのであれば、自分が受けようと思う大学学部との相関関係が大きい模擬試験を受けるようにするべきで、その点でYMCA予備校の模擬試験というのは大学入試の模擬試験としては価値が小さいものだったのは事実だ。そういう模擬試験に時間を費やすということは、本来、受けておくべき模擬試験を受ける時間を奪われるということになった。キリスト教の教会で「洗礼うけてるから」ということでその仕事については無能な人間であるにもかかわらず採用されていたYMCA予備校はどうなったかというと、1970年代後半の時点では大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校、横浜市に菊名と関内に2校あったのが、大阪に駿台・河合塾・代ゼミが進出してくると、あっという間に淘汰されて、今では1校もなくなった。質が悪い企業は淘汰されるということだ。自分が間違ったことを言っているのに、それについて事実に基づいて批判されると「きみのように上司に逆らう人間は会社員としてはやっていけないから経済学部には絶対に言ってはいかん」などと言ったり、「きみも人間性が悪いから大学入試には失敗する」とか「きみも文学的素養がないから文学部はだめだ」とか悪口雑言罵詈讒謗を、よくもまあ、そこまで言えたもんだと言いまくる・・というそういう男が「会社員として適性がある」のか・・・というと、違うと思うぞお。もしも、そういう人間が「会社員に向いている」のならば、そういう男を「会社員」として採用していたYMCA予備校は栄えたはずだが、そうではなく、あっという間に淘汰されて壊滅したではないか。 ああいうアホは受験生のそばにいては害があるので、予備校で採用しないでほしいもんだ。
・・で、同じ小学校・同じ中学校から同じ北野高校に行って、1浪で京大の法学部に行ったN口 要というぺったんこの顔した男がいたのだが、そのN口 要は私とは逆で藤井が称賛する受験生だったのだ。どうも、この男は小学生の時から親子そろって学校関係者に取り入るのが得意な親子だったようなのだが、
(1)学校関係者に取り入るのが得意な親子だったということ、
(2)お母さんがスピーカーなので、気に入られようとする教諭その他がいたらしいこと、
・・というのがあったようだが、それだけではなく、
(3)藤井とN口 要の学問観は似ていた。学問というものは、何も革命理論のようなものでなくても、比較的保守的なものであっても、学問を突き詰めていくとその時代の社会との間に「緊張関係」といったものが生じてくるのは当然のことなのだが、ところが、江戸時代初期に禁中並びに公家諸法度というものを徳川幕府が作り、天皇・皇室および公家がなさることはお勉強ですよお、只管、お勉強をなさって社会を変えようとか、政治に口出そうとかいうことはすべきではないですよお~お・・と言ったのだが、藤井と野口の学問観というのはそれだったのだ。だから、藤井が「野口はしっかりしてるわあ」などと言って私に向って言いまくるのだったが、「えらい悪かったなあ」てものだったが、要するに野口と藤井は学問観が非常に似ていた。人間として似た者同士だったところがあったのだ。 職場にもいるでしょ、みんなの為を思って発言すると、ひとに言わせて自分は言わないやつとか。そういうのを「しっかりしてますわあ」とか「大人ですわあ」とか言って称賛すべきなのか? N口要という男は、なんか、そんな感じのやつなんだわ。
(4)そして、私などは正直なところがあって、↑ のように、違うものは違うと正直に言って指摘したのだが、ところがどうも、野口という男はそういう時に言わないみたいなのだ。・・しかし、YMCA予備校は私に悪口雑言を浴びせることはできても、だからと言って事実が変るわけではない。YMCA予備校の「主事」の藤井は、たとえば、「前にいた女子生徒で、模擬試験では相当にいい成績を取っていたにもかかわらず、京大の文学部を3年続けて落ちたという生徒がいたのだが、なぜ、落ちたかというと人間性が悪くて文学的素養がないから落ちたんだ。人間性が悪い者は大学入試には失敗するようにできてるんだ」と、そんなことを言うのだったが、それも一度言ったことがあるというような程度ではなく、何度も何度も繰り返し繰り返し言い、教室で全体に言うだけではなく、個人に1対1の場でも言いまくるというそういう男で、その人がどんな人だったのか知らないが、何もそんなこと言わなくてもいいじゃないか、まがりなりにもYMCA予備校にカネ払って来てくれたお客さんに対して、その言い草はいったいなんだ! それが優秀な会社員の態度か?!? ・・と思ったし、藤井がそう言うのを聞いて、こいつ、来年か再来年になったら俺のことをそんな感じで言いまくるということか・・・? とも思ったのだったが、ところが、人間にはいろいろな人間がいて、私ならば、この野郎、来年になったら俺のことをそんな感じで言うということなのか?・・と思うところをそうではなく、言われているやつは問題がある人間だから言われるのであって、自分は問題がない人間性がいい人間だから藤井からそんなことを言われることは絶対にない・・とか勝手に思い込むやつというのもいたようだったのだ。逆に、藤井という男は片方で無能なくせしてからに、片方で相手がどう思っているか察知する能力にはたけていたようで、「言われているやつは問題がある人間だから言われるのであって、自分は問題がない人間性がいい人間だから藤井からそんなことを言われることは絶対にない・・とか勝手に思い込むやつ」とかについては「人間性がいいから大学入試もきっとうまくいく」とか何とか言うみたいだった。そういう「ちっぽけな野郎」だった。そういう「ちっぽけな野郎」のことをキリスト教会は洗礼と特別献金により「敬虔なクリスチャン」と認定するようだ。金持ちが神の国に入るのは簡単だ。特別献金払って洗礼さえ受ければ「敬虔なクリスチャン」てものだ( 一一)

↑ 右側(北側)から見た (左)拝殿・(中)幣殿 (右)本殿。
岡村天満宮の拝殿の左手前にベンチがある。

大阪府高槻市の上宮天満宮にも、1970年代後半にはベンチがあって、予備校の近くにあったので立ち寄ったことがあって、そのベンチで休息をとらせてもらったこともあったのだが、2020年に上宮天満宮に訪問したところ、ベンチはすべて取り払われていて、かわりに監視カメラが設置されていて、それを「正常化した」と書かれていた・・のを見て、もう、この神社に来るのは最後だろうなあと思ったことがあった。やっぱり、神社というものは、参拝者がそこでしばらく時間を過ごして、そこで何かを考えて、そこで何かを思って帰るという場所ではないかと思うのだ。上宮天満宮にはかつては「順路」なんて札はなかったが今は貼られるようになり、順番に廻ってお賽銭入れてください・・て感じになり、かつてはなかった授与所ができて、何か買って行ってくださいみたいになってしまった。上宮天満宮にはもう行くことはないと思う。上宮天満宮では「不良高校生」が賽銭泥棒をしようとして火をつけたところから社殿に火がまわって焼けてしまったということがあったことから、「正常化」しようとして監視カメラを設置して、「順路」を設けて順路の通りまわったらカネはらってさっさと帰ってちょうだいというように、ベンチも取り払ったようだったが、そうすると放火とか賽銭泥棒とかはなくなる可能性が大きいかもしれないが、もはや、神社ではなくなるのではないか・・と思ったのだが、そういうのを「正常化」と思う人もあるようだ。
岡村天満宮の場合は、社殿の右側に清涼飲料水の自動販売機があり、社殿の左手前にベンチがあり、参拝者がそこで休息をとり時間を過ごすことができる。
そこで、社殿の方を見ていて思ったのだが、2年ほど前だったか、九州の方のどこだったか忘れてしまったが、ある神社で60歳くらいの男性が棒の先に糊だかをつけて賽銭箱の中に突っ込んで、封筒に入れられた2千円ほどだったかの賽銭を盗もうとして宮司さんに見つかり、警察に引き渡されたという記事をインターネットで見たのだが、その際、その神社の宮司さんは「『すいません』と言って返してもらえば、そのまま帰ってもらおうと思っていたのですが、逃げられたので追いかけてつかまえることになってしまいました。この方は前々から賽銭箱の前で不審な動きをされることがあった人でしたが、盗られる前に話しかければよかった。悲しい結果になってしまいました」と話しておられた。何らかの思いがあって神社に来た人を警察に突き出すというのは、宗教を職業とする人にとっては避けたいことで、その宮司さんはそういう意識を持った人だったようだ。
さらにその後、YouTube で見たが、どこのお寺だったか、賽銭泥棒の被害が絶えなかったが、住職は賽銭箱というものに鍵をかけたくない・・と考えて、鍵はかけずに、後ろから開けてすぐのところに、封筒に2千円だったか入れて「賽銭泥棒の方へ。このお金は、あなたに出世払いでお貸ししますから、賽銭箱の中のお金には手を着けないようお願いします」と書いて入れておいたらしい。しかし、それでもだめだったらしく、やむなく、賽銭箱に鍵をかけて監視カメラも設置したらしい。やむをえなかったようだが、悲しいことだと思う。
上記の賽銭泥棒を捕まえた神社の宮司さんが「悲しい結果になってしまいました」「盗られる前に声をかけるべきでした」と話され、寺の住職が「賽銭箱というものに鍵をかけたくない」と言われて、「このお金は、あなたに出世払いでお貸ししますから、賽銭箱の中のお金には手を着けないようお願いします」と書いて封筒に2千円だったか入れて置いておかれたというのは宗教を職業とする人として良心的なもののように思います。
1980年代、東京都大田区の日本基督教団 田園調布教会の牧師の高橋泰二さんからうかがった話ですが、教会でバザーを開こうとしていた前日、2階の方からイビキが聞こえてくるので、こそおっと会談を登っていったら、2階の和室の押し入れからイビキが聞こえる。こそおっと押し入れの戸を開けてみると、男がそこで寝ていたというのだ。それで牧師さんは・・・、「ちょっと、ちょっと、お父さん。そんな所で寝てもらったら困りますがな」とでも言ったのか、それとも、この人は人生と生活に疲れて教会にやってきて、そして、体も疲れているのでここで休息を取っているのだから休ませておいてあげようと、そのまま、眠らせておき、起きた時に、静かに「どうされましたか」と話しかけて、そこに来られた経緯をうかがった・・のか・・・というとそうではなく、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」と、そうおっしゃったのだ。当たり前のように。
少なくとも、ヴィクトル=ユーゴー『レ=ミゼラブル』に登場する司教ならばそんな対応はしないであろう。まあ、『レ=ミゼラブル』に出てくる司教と同じことまではしなくてもいいとは思うが、しかし、それにしても、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」と言い、私が「その人はそこで何をやっていたのですか」と尋ねたところ、高橋さんは「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」と何らためらいなくおっしゃったのだったが、そんな言い方ってどうなのだろうか・・と疑問に思ったのだった。曲がりなりにも牧師さんがそういう言い方というのは、どうなのだろうか・・と。実際のところ、その人は何をしていたのかというと、「押し入れの中で寝ていた」というだけなのだ。「ともかくも、教会という所に入って来られた方を警察に引き渡すというのはいかがなものかとも考えたのですが、バザーの日の前日でもあり、皆さんからお預かりしたものも教会にあることでしたので、ずいぶんと考えたのですが、それがいいかどうかわかりませんが110番通報させていただきました」とでも言うのならともかく、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」と得意げに、何が悪いかという調子で言われたのだった( 一一) 高橋泰二さんは、田園調布教会での説教は「アントニオ猪木みたい」だった。「アントニオ猪木みたい」というのは身振り手振りよろしく、声の抑揚を特別の牧師調というのか普通ではない話し方で、それをいいと思うおばさんもいたようだったが、私から見ると「ショーマンシップの塊」であって内容がない、「アントニオ猪木みたい」に「ショーマンシップに燃える男」であってそれだけでしかない男・・という印象を受けた。
〔⇒《YouTube-Tp077 炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~アントニオ猪木》https://www.youtube.com/watch?v=D4QCckVj9Pw
あんなしょーもない牧師屋の「説教」なんか聞くくらいなら、テレビでプロレスでも見てる方がよっぽど気がきいてる。〕
時々、昔からの檀家なのか「大口(おおぐち)のお客さん」なのか「太客(ふときゃく)」なのかのお婆さんが久しぶりに来場すると、遠くから見ただけで駆け出していき、「あああ~あ、☆☆すあああ~ああん♪」と声を裏返らせて叫んで飛んでいく。黒い牧師服の裾を黄金バットかスーパーマンのマントみたいにひらめかせて風をまいて飛んでいく。 私なんかそんなことしてもらったことなんて一度もない。 この人、相手によって態度が違うなあ・・と思ったものだった。ある時、しばらくぶりに教会の礼拝だったか夕拝だったかに行った時、牧師の高橋泰二さんが目の前にいたので「こんにちわ」とこちらから挨拶したところ、「ああ、〇〇さん、お久しぶりです。元気にしてましたか」くらい言うかと思ったら、「あ・・」と一言、口にしてあごを下から上へ1センチか5ミリか上げた・・というだけ。そんなけ( 一一) 私はその時、大学生だったので、礼拝に出ても献金は100円しか献金箱に入れなかったが、しかし、月に4回出たならば400円と、たいした金額ではないとしても、教会堂の机を運んだりとか、バザーの準備をしたりとか、そういった労力は田園調布教会に相当払ってきたはずだし、私自身は教会員ではなかったが、うちの親も田園調布教会の教会員ではなかったとはいえ、同じ日本基督教団の教会の教会員として、他の教会にとはいえ日本基督教会の教会に月定献金も特別献金も払ってきていたはずだったのだが、ところが、こちらから挨拶しても、それでも、「あ・・」でおしまい( 一一) 「ああ、〇〇さん、久しぶりですね。元気にしてましたか」と、それだけ言うのに、いくらカネかかるよ? 牧師ならそのくらい言ってもバチあたらんと思うのだがなあ~あ・・と思ったのだが、高橋さんというおっさんはそういうおっさんだったのだ。今から考えると、「わかりやすいおっさんやなあ」という感じがする。「昔からの檀家」なのか「太客(ふときゃく)」か「大口(おおぐち)のお客さん」なのかの婆さんが来ると、相手は何も言っていなくても遠くから見ただけで高速で走って行って挨拶する。「ああ~あ、☆☆すあああ~ああん♪」と牧師服を黄金バットかスーパーマンかタイガーマスクかのマントみたいにひるがえして高速で走って行く。よくやるよなあかあ~あ・・( 一一) 『新約聖書』の「福音書」に「放蕩息子の帰還」という話があって、父から遺産を分けてもらうと遠くに行って飲み暮らし、いかがわしい女と過ごしてカネを使い果たして、父の所に帰って「どうか、私を使用人の一人として使ってください」と言おうと思って家に向った息子の姿を遠くから見た父は、まだ遠くにいるのに走って行った。「この息子はいなくなっていたのに生き返ったのだ。これを祝わずにおれようか」と言ったというが、あの話の父親の走り方というのはそんな感じだったか? ・・て感じで猛烈な勢いで走っていくのだ。 そして、私だったら、こちらから挨拶しても「あ・・」でおしまい。 そして、どこの誰かわからんおっさんが和室の押し入れの中で寝ていたならば、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」・・と、3段階の区別があったのだ。「わかりやすいおっさんやなあ~あ」。
刑務所を出たジャン=バルジャンが司教が住む街にやってきて、どこかに泊めてもらおうと思っても刑務所を出たばかりの男だということでどこも泊めてもらえず、会堂の前の石の台の上で寝ていたところ、年配の婦人から「あなたはそこで何をしているのですか」ときかれ、「私はどこでも泊めてもらうことができないので、石の上で寝るのです」と話したところ、司教の家を教えられ、司教の家を訪ねたところ、司教はジャン=バルジャンが誰かも尋ねずに招き入れ、ジャン=バルジャンが「あなたは私が誰か知っていて入れてくれたのですか」ときくと、司教は「よく知っております。あなたの御名前も知っております」と言い、ジャン=バルジャンが「私の名前を御存じなのですか」ときくと、「はい。あなたの名前は『私の兄弟』という名前です」と答える。そうやって世話になっておきながら、司教が持っていた唯一の金目のものであった銀の燭台を夜中に盗んで去り、警察官にさっそく捕まって連れられてくると、司教は「あなたにはその燭台だけではなく銀の皿も差し上げたのに、どうして持っていかなかったのですか」と言い、「いいですか。これは、あなたがまっとうに生きるために差し上げるのですよ」と言って渡す。その後、司教が亡くなった時、司教の家の外には地面に跪いて手を合わせるジャン=バルジャンの姿があった・・・というのだが、それと同じことまでやらなくてもいいとは思うが、しかし、「わたくしは、静かに押し入れの戸を閉めますと、抜き足・さし足・忍び足と、音を立てないように気をつけて階段を降りまして・・・、そして、電話で110番通報を、したんですねええ~え」「酔っぱらっとったんですよ。酔っ払いですよ!」と当たり前みたいにおっしゃる・・というのを聞くと、この人、何を職業にしている方なんだろうなあ~あ・・とか思ったものだった。

レ・ミゼラブル 1 (岩波文庫) - ヴィクトル ユーゴー, 与志雄, 豊島
「牧師ってそんなもんや」と言う人もいるのだが、「そんなもん」なのかあ?
日本基督教団 田園調布教会 の牧師だった高橋泰二 さんの息子は私より2つほど年上だったが、慶應義塾高校から慶應大学医学部に進学していた。慶應大学でも内部進学の人の割合が大きい学部とそれほどではない学部があって、経済学部は3人に1人は内部進学らしく、商学部は経済学部と内容が近く、進級のノルマが経済学部よりも商学部の方が厳しいらしいことと、「慶應の経済」と「慶應の商学部」ならば「慶應の経済」の方が「聞こえがいい」ことから内部進学の人は「名前で選ぶ」人が多く、そういう態度のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」と「慶應心理学」では言うのだが、又、慶應の内部進学の人には「何かと群れる」「何かとまとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造があり、そういう精神構造のことを「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか言うそうで、「ええ~え? それって逆とちゃうのお~ん?」なんて言うと「自我が確立されていないからそんなことを言うのですね」とか「独立自尊の精神があれば、そんなことは言わないはずです」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか「未成熟だからそういうことを言うのですよ」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「慶應心理学」から「診断」されることになるのですが、ともかく、慶應の内部進学の人間というのは「まとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造があるので、社会科学系学部では内部進学の人間が多い経済学部に行きたがるという傾向があったのだが、医学部もまた内部進学の人の割合が大きい学部で、少し前に雑誌の慶應と早稲田の特集で見たものでは、医学部の場合は最初から全体の4割を内部進学と決められているらしい。「4割も内部進学やて、ぞっとする

それで、慶應という学校は「ブルジョワの学校」みたいなイメージがあるが、大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学であり、「早稲田大学と慶應大学なら、同じ学部なら慶應大学の方が安い。かなり」という大学だった・・が、国立大学はどの学部でも学費は一緒だが慶應は私立なので、法学部・経済学部・商学部・文学部は「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学だったが、工学部⇒理工学部 は法学部・経済学部・商学部・文学部よりも五割増し以上高かったように思うし、医学部になると法学部・経済学部・商学部・文学部の倍ほどして、かつ、法学部・経済学部・商学部・文学部は4年であるのに対して医学部は6年行く必要があった。そして、世間では「慶應は高い」と思っている人がいるらしいが、大学については「(法学部・経済学部・商学部・文学部については)国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学で、「慶應大と早稲田大なら慶應大の方が安い」という大学だったけれども、小学校・中学校・高校の場合はそうではなくて「私立の学校の中でも高い方」だといった話を聞く(私は小学校・中学校・高校には行っていないので、よく知らないが、そういう話を聞く。) 慶應義塾高校というのは金持ちのバカ息子が行く学校か、カネさえあれば入れる入試難易度は易しい高校かと思っていたら、東京都・神奈川県の人間に聞くとそうではなくて、慶應義塾高校というのは神奈川県の私立高校の中では1,2の難関校らしい。「入る時には1,2の難関校でありながら、あそこに3年いると、あんなになってしまうんだから、考えようによっては恐ろしい学校だ」と言う人もいたが、ともかく、慶應義塾高校というのは入試難易度も神奈川県の高校の中ではけっこう難しい方だそうで、かつ、学費も私立の学校の中でも高い方らしい。そして、大学はというと、法学部・経済学部・商学部・文学部については慶應大学は「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学だったが、医学部はその倍ほどしたので、私立金権裏口医大みたいな多額の寄付金は払わなくても入れてもらえるらしいのでサラリーマンの息子でも検討対象になる可能性も考えられたが、それでも、「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の慶應大の法学部・経済学部・商学部・文学部の倍ほどしたということは安くはないわけで、医者屋で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして荒稼ぎしている人の息子ならば「カネみたいなもん、あり余ってる」だろうから平気だろうけれども、「普通のサラリーマン」ならば「多額の寄付金」は払わなくても入試の成績が良ければ入れてもらえる・・としても、それでも、けっこうきつい学費だったのではないか。その慶應義塾高校と慶應大医学部に日本基督教団田園調布教会の牧師の高橋泰二さんの息子は行きよったのだった。牧師て金持ちだったのか? 私なら、そんなもん、絶対に行かせてもらえないような所に平気で行くということは、牧師て金持ちだったのか?
日本基督教団 田園調布教会は東急東横線・目黒線「田園調布」駅の西側、「この漫才で田園調布に家が建つ」と言われる地域にある・・けれども、田園調布教会に来ている人は誰もが田園調布の住人ではないし、誰もが金持ちというわけではない。何より、私だって行ってたんだから。田園調布駅は東急東横線と、かつては目蒲線が通っていた駅でけっこう便利がいい場所であり、田園調布以外からも来ていた人はけっこうあったのだ。 その人たちには、慶應義塾高校なんて息子を行かせたいと・・私なんかは思わんが、行かせたいと思っても、そんな高い学校には行かせられないという人もあったはずなのだ。そういうことを考えた時、牧師の息子が慶應義塾高校なんて、行っていいのかあ?
『レ=ミゼラブル』の司教は「牧師が金持ちというのはおかしい」と言うのだが、そう思わない人もいるのかもしれない。片方で『新約聖書』の「福音書」には「はたらき人がその生活の糧を得るのは当たり前ではないか」と「職業としての宗教」に携わる者がその「生活の糧」を得るのは当たり前のことだというイエスの言葉が載っている。「職業としての宗教」に誠実に従事している者が「生活の糧」を得るのは何ら悪いことではない、「生活の糧」を得ていいだろう・・けれども、片方で慶應義塾高校なんて行かせるカネなんてないよ・・て人から献金してもらった教会の会計から給料もらっている牧師の息子が、その教会に来ている人で慶應義塾高校なんて息子を行かせることなんてできない人もいっぱいいたはずなのに、平気で牧師の息子が慶應義塾高校になんて行っていいのか? 牧師の息子が慶應義塾高校になんて行くのは間違っていないか? ・・と私は思ったのだが、高橋泰二さんはそんなこと考えなかったみたいだ。
牧師の息子というのは公立の高校に行くか、そうでなければキリスト教系の高校に行くか、どちらかではないのだろうか。もしかすると、高橋泰二さんは金持ちの息子であって、牧師の給料からではなく他の資産から息子が慶應義塾高校とか慶應大医学部とかに行く費用が出ていたのかもしれないが、そうであっても、金持ちでない人だって来ていたはずの教会の牧師という職業についていた者の息子が、慶應義塾高校だの慶應大医学部だのに平気で行っていた・・というのは、どうなのだろうか。 もちろん、牧師になっていた父親と息子とは別の人格だということはあるだろうけれども、そうであっても、やっぱり、その教会に献金払っていた人で慶應義塾高校になんて息子を行かせるカネなんてない人はいたはずだから、それを何とも思わない牧師というのは、それは牧師なのか? ・・・と私なんかは思うなあ。
・・で、結論として、その牧師さんというのは「その程度の人」だった、ということかもしれない。「アントニオ猪木みたい」で「ショーマンシップに燃える男」で、「牧師説教」となると身ぶり手振りを加えて、普通の話し方ではない、裏返った声とか、特別な口調とかを駆使して、そういう話し方で話されると、「牧師先生のありがたいお話」と思えて、そういう「牧師先生のありがたいお話」を日曜ごとに聞きに教会にやってきて献金払うのが「敬虔なクリスチャン」であって、「『聖書』なんて、あんなもの、絶対に読んではいかん」「『聖書』みたいなもん、いいことなんて何一つとして書いてないんだから、あんなもお~ん!」「ましてや、『聖書』に書いてあることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん」とYMCA予備校高槻校の「主事」の藤井みたいに叫びまくる人のことを洗礼と特別献金によって「敬虔なクリスチャン」と認定するのが牧師屋さんの仕事♪・・・て、「そんなもん」か( 一一)
そういう牧師屋さんから考えると、賽銭泥棒を捕まえた後、「悲しい結果になってしまいました」「盗まれる前に声をかけるべきでした」と話された宮司さんや、賽銭箱に鍵はかけたくないとして、賽銭箱の出す方の引出しの上に「賽銭泥棒の方へ。このお金は出世払いであなたにお貸しいたします。そのかわり、賽銭箱の中のお金には手をつけないでください」と書いて2千円だったか置いておかれた住職とかは良心的な感じがします。最近、田園調布教会は教会堂を建てかえたようですが、その入口には「セコム」のシールが貼られていた。セコムに入ってはいかんということはないのだけれども、しかし、そのシールを見た時、はたして、自分はその「セコム」によって守られる側なのかそうではない側なのか、どっちなのだろうか・・と考えた時、「ああ~あ、☆☆すああ~あん♪」と高橋泰二さんが声を裏返らせて叫んで牧師服をマントのようにひるがえして風をまいて飛んで行った「太客(ふときゃく)」「大口のお客さん」が「セコム」に守られる側であって、押し入れで寝ていたおっさんは「セコム」から通報される側の人間で、私なんかはその中間・・・よりは「酔っ払いのおっさん」の側に近い人間ということ・・かな、という感じがした。「塾風教徒キリスト派」みたいな人にとっては「いい教会」なのかもしれないが、「なにしろ、わしぁ貧乏やからな」「わしは日陰の月見草や」という者にとっては、あんまり縁がない教会だったのかもしれない。なにしろ、私なんか、行きたいなんて思ったことはないが、行きたいとたとえ思っても行かせてもらえる可能性なんてなかった慶應義塾高校みたいなもんに息子を平気で行かせる人が牧師屋やっていた教会だったのだから。牧師て、そんなに儲かるんやろかなあ。ええなあ、うらやましいなあ。・・わしぁ日陰の月見草や。
拝殿の長押には「釘隠し」・・ということでもないのかもしれないが、「釘隠し」のように梅鉢の紋 が入っている。↓

本殿を背後から(東側から)見ると、 ↓

本殿の屋根には、↓

(1)千木(ちぎ)の先端は地面と平行。
(2)千木に穴が開いている。
(3)鰹木(かつおぎ)の本数は5本と奇数。
(1)は女の神さん、(2)(3)は男の神さん の社の特徴という説があり、この岡村天満宮の祭神の菅原道真は実在した人物で男であり、市杵島姫(いちきしまひめ)は女の神さんで、男の神さんと女の神さんの両方を祀っている岡村天満宮の本殿では千木と鰹木の特徴も男女混同・・てことか。

宮大工と歩く千年の古寺―ここだけは見ておきたい古建築の美と技 (祥伝社黄金文庫) - 松浦 昭次

↑ 社殿の右側(南側)の清涼飲料水 自動販売機も「神社色」の赤と白。 赤と白というのは、他の場所ならば目立つ色合いなのですが、ここでは背後の社殿が赤と白なので、むしろ、その色合いが周囲に溶け込む色使いになっています。

↑ 本殿の背後にも梅の花が咲いている。

↑ 本殿の背面(東面)。 神社の背後にはまわってみるべきなのか、背後にはまわるべきではないのか。それは、その神社にもよるようだ。 奈良県の大神(おおみわ)神社などは拝殿はあっても本殿はなくて、背後の三輪山が御神体だから、後ろというと三輪山の向こう側ということになる。 大阪市の今宮戎神社では祭神の「えべっさん」というのは大変庶民的な神さんで、「えべっさんは耳が遠い」とか「えべっさんは、しょっちゅう昼寝してはる」という話があって、正面から拝んだだけでは「えべっさん」がよく聞いていないことがあるから、後ろからも「えべっさん、よろしゅうお願いしまっせ」と言って念を押してお願いする・・とかいう話があるらしい。 天神・天満・北野・菅原系の神社では後ろにまわってはいけないという考え方はない神社が多いようで、京都市の北野天満宮・大阪市の大阪天満宮では背面からも拝むようにできている。大阪府豊中市の服部天神宮では、東側に池田街道(能勢街道)が南北に通り、本来は東から入って来るのが正門側だったのではないかと思われるが、今は西側に阪急宝塚線「服部天神宮」駅があり、電車で来た人は西から入る人が多いと思われるが西側にも拝む場所が設けられている。
岡村天満宮の場合は、背後から拝むようにはなっていないが、そもそも、本殿の後ろ、東側にも戸建住宅が何軒も建っており、背後にまわるなと言うわけにもいかない。

↑ 本殿の東側にも、北側に丘を降りる道がある・・というのか、「岡村天満宮前」交差点の少し東から丘を登る道があって、そこを登ってくると、↑ のように本殿の後ろ(東側)に来るみたいだ。
本殿の東側(後ろ側)に駐車場らしきものがあるが、「月極駐車場」と書かれているので、参拝者が停めるように用意されているものではないようなので、参拝者は岡村公園の時間パーキングを利用した方が良さそうだ。
社殿の南側(丘側)に、


↑ 「天満宮」と書かれた額が立て懸けられているが、かつて、使われていたものなのだろうか。

↑ 《 此処の土地 約300坪は永年に亘って神社が賃借致しておりましたが、平成4年(1992年)7月に、左記の方々の御協賛を得まして岡村天満宮の境内地として買い上げることができました。・・・・
平成4年(1992年)9月吉日
岡村天満宮々司 杉原 敏之
奉賛会会長 田邊 貫太郎 》
と書かれています。
昔からある神社とか寺の敷地というのは、どこからどこまでなのか・・というのは、これはなかなか難しいところがある。 山のふもととか、山の中腹とかに建てられたとして、はたして、その山はどこまでが敷地なのか。 借景として背後の山は神社の一部分のように見える場合もあるが、そうではなく、山の一部に作られたのであって山そのものが神社というわけではない場合も多い。 過去の政治との結びつきで、権力と結びついた寺社は敷地を広く確保してもらえて、そうでない場合はひっそりと・・ということは少なくないように思える。
過去の争乱の時にどっちについたかで、勝つ側についた寺社は広く敷地を確保された・・なんてことはけっこうあるみたい。比較的最近だと、明治維新の際に勝った側に加担したか、負けた側についたか・・によって、勝った側についた寺社は広く敷地を認められ、負けた側についた寺社は狭い敷地しか認められなかった・・・みたいなところもあるようだ。
又、最近、近所の財界からの支援を得られた寺社は、もともとはたいした寺社でもなかったのに、ずいぶんと広い敷地を占拠しているケースもある。静岡県浜松市北区 の深奥山方広寺 などは、静岡県から愛知県にかけての財界と結びついて、それで、もともとは山の中の小さい庵だった寺が南禅寺派から独立して「方広寺派」なるものを名乗り「本山」を名乗り、広い敷地になんじゃらかんじゃら作って伽藍ばっかりできているが、『正法眼蔵隋聞記』では京都の建仁寺が鴨川に近い場所にあることから、洪水などの被害にあった場合のことを心配する者に対して、栄西が、伽藍はいつかは滅びるであろうが、そんなことはたいした問題ではなく、大事なのは禅の心だと語る場面が述べられているが、浜松市北区 の深奥山方広寺の堕落ボーズどもは臨済宗だと名乗りながら栄西の教えとは正反対のことをやっている。深奥山方広寺は寺としては質が悪い寺だと判断せざるをえません。

正法眼蔵随聞記 (ワイド版 岩波文庫) - 懐奘, 哲郎, 和辻
岡村天満宮の場合は、《ウィキペディアー岡村天満宮》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、
《 天満宮へは磯子や大岡、堀ノ内町などから道が通じているが、堀割川ができると関内方面からの参詣者は天神橋付近からの道をよく利用するようになった。川沿いに横浜市電が開通すると、天神祭の日には天神橋と根岸橋の間に仮停留所が開設された。1886年(明治19年)、花街を中心とした天神講が作られ、華やかな女性が多く参拝に訪れるようになった。やがて、誰からともなく「色天神」と呼ばれるようになった。》と出ており、
現地の説明書きに、
《 大正期には元町薬師、野毛山不動とともに三大縁日としてにぎわいました。》
と書かれており、鎌倉時代に最初に設けられた時はそれほど大きな神社でもなかったのではないかと思われるが、明治以降、けっこう広い範囲から参拝者が来るようになって大きくなったというものではないか。
その流れで、南の少し高い位置、今は岡村公園のテニスコートになっている場所に社殿を移す計画なども出たのでしょう。
その地域の財界と結託して伽藍ばっかり増やした深奥山方広寺とは違って、地域の人たちから支持されて大きくなったようなので、深奥山方広寺などよりもずっと値打ちがある・・のではないか。

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次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html 、境内を巡ります。
(2022.3.2.)
● 食材を購入する際、原材料名を見ないで買う人もいるらしいが私は見た上で買っている。ロシア軍のウクライナ「侵攻」か「侵略」かを見ると、当分の間、「(ロシア産)」のものは購入できない。(2022.3.2.)
☆ 岡村天満宮(横浜市磯子区岡村2丁目)参拝
1.蒔田(まいた)駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り、「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。岡村天満宮とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。〔今回〕
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。〔今回〕
5.筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html
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