岡村天満宮(横浜市)[5/7]筆塚・神輿庫・神楽殿。幻の新社殿計画、テニスコート側から見た景観とランドマークタワー。「ヒゲはやせば建築家」みたいな「ヒゲはやせば日本画家」。タマ美みたいなもん、行くヤツ、大学行くな!
[第908回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第63念-5
横浜市磯子区岡村2丁目 の岡村天満宮 参拝の5回目です。

↑ の拝殿の右手前に、↓

↑ 筆塚。
筆塚の右側(南側)に、↓


↑ 神輿庫。

↑ 神輿庫 の西側に、「杉山天満宮」と称していた時代の額と思われるものが立て懸けられています。
その西に(拝殿に向って手前に) ↓

↑ 神楽殿。

↑ 神楽殿 の 天井画。
神楽殿は新しそうですが、《タウンニュース 金沢区・磯子区版》2021年9月2日号 《岡村天満宮 神楽殿が装い新たに》https://www.townnews.co.jp/0110/2021/09/02/589804.html には、
《磯子区岡村の岡村天満宮(杉原紳元宮司)で、(2021年)8月24日と25日に例大祭が開催された。建て替え工事が進められていた神楽殿が工事後初めて使用され、岡村囃子一友會が囃子を披露。緊急事態宣言下で近隣住民らを招いたお披露目は叶わなかったが、境内に笛と太鼓の音色が響き渡った。 》
と書かれている。
天井画がきれいだと思ったが、
《 新たな神楽殿は宮大工が制作した檜造り。天井画などは日本画家の朝倉隆文氏が揮毫、扁額文字彫刻は彫刻家の下山直紀氏が制作した。》というものだそうだ。
「日本画家の朝倉隆文氏」て誰やねん?・・インターネットで検索すると、《ウィキペディアー朝倉隆文》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89%E9%9A%86%E6%96%87 によると、
《 朝倉 隆文(あさくら たかふみ、1978年(昭和53年)- )は、神奈川県出身の現代日本画家、公益社団法人日展の正会員。》
《 1978年、横浜に生まれる
2000年、多摩美術大学絵画日本画科卒業。
2002年に多摩美術大学大学院修士課程修了。大学院卒業後、
日展や日春展に連続して入選。・・》だそうだ。
《泰明画廊 朝倉隆文個展》https://taimei-g.com/exhibit/asakura/2018/asakura2018.html には、
《 朝 倉 隆 文
プロフィール
1978 横浜に生まれる
2000 多摩美術大学絵画日本画科卒業(美術学部)
2002 多摩美術大学大学院修士課程修了(博士課程前期) 日展初入選
2003 日春展初入選
2012 第44回日展 特選受賞
2014 第46回日展 特選受賞
2015 改組 新 第2回日展審査員
公益社団法人 日展 正会員 》
と出ているのだが、一緒に掲載されている顔写真を見ると‥( 一一)
なんや、「建築家」みたいやな。「ヒゲはやせば建築家」みたいに思ってる「バカでも入れる私大の建築学科卒」のおっさんとそっくり、「ヒゲはやせば日本画家」とでも思うとるのかいなあ。
相沢いくえ『モディリアーニにお願い』という漫画が、「ビッグコミック」(小学館)に掲載されていて、舞台は東北地方の「バカでも入れる美大」で、登場人物はその「バカでも入れる美大」の学生たち。
※ 《ウィキペディアーモディリアーニにお願い》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%AB%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84
この「バカでも入れる美大」の話を読んで、俺とはずいぶんと身分が違うもんやな・・と思った。小学校の頃、『世界の偉人伝 ベートーベン』なんて本を読まされた。ウィーダ『フランダースの犬』なんて小説も読まされた。そういう本を読ませるということは、そういう人間になったらうちの親は喜んでくれるのだろうと思ったのだが、違った。小学校低学年の時、小学生に絵を教えている方がおられて、毎週、日曜日にそこのお宅に通って、絵を1枚ずつ、描き続けた。うちの親は「うまく描けるようになった」と言うのだったが、前半は自分で描いても、最後の仕上げはその先生が描いてくれてきれいに完成してくれていたので、先生が描いてくれた部分がきれいに描けていたのであって私が描いた部分はたいしたことなかったので、ほめられても、あんまり自信はなかったが、毎週、それでも一生懸命描き続けたので上達したようで、小学校の低学年の時に行った小学校は5段階相対評価で、1年の1学期だけは2・3・4だけあって1と5の評価はなしだったが、「図画工作」の評価は1年の1学期は2だったのが、あっという間に5になった。 小学校の4年の時に転校したのだが、転校先の4年の時の担任の教諭(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)は、元陸上部だそうで、音楽はできないが美術は好きだったらしく、デッサン帳を用意させて、毎日、何か1つ、写生してくるように言い、私は、椅子だとかストーブだとかトースターだとか、今から考えてみるとあほくさいようなものを毎日毎日描き続けた。クラスの生徒でも真面目にやらない生徒もいたようだが私は毎日毎日描き続けた。 転校先の小学校は科目ごとではなく項目ごとでの3段階絶対評価だったが「図画工作」の成績は悪くなかったし、小学校5年の時には、彫刻の作品をクラスで2人、優秀作として選ばれた。中学校の「美術」も高校進学の際の内申書は10段階相対評価で「10」だった。「主要5科目」よりも音楽と美術の方が得意なくらいだった。それをうちの母親は「親が絵の先生の所に行かせてやったからできたのであって、あんたが努力したからとは違うんや」と言い、うちの父親は「すべて、わしがエライえらいエライえらいからであって、おまえが努力したものは何ひとつとしてないんやからな。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロ。チャンコロが努力したものは何ひとつとしてないねんぞ、なにひと~つ、なにひと~つ、なにひと~つ! おまえは何一つ努力しとらんねんぞ」と毎日毎日言うのだったが、しかし、小学校3年の時に「図画工作」の時間に描いた絵を小学校から1作品、先生が選んで大阪府の大会に出して、結局、大阪府の大会では入選しなかったのだが、それに選ばれたのは私一人だけだ。同じ絵の先生の所に通っていた者はクラスに何人もいたけれども、私一人だけだ。もしも、「親がお金を出して絵の先生の所に行かせてやってやってやったからであって、あんたが努力したものは何一つとしてないんや」ということならば、そこの絵の先生の所に行った生徒は誰もが選ばれたはずだが、大阪府の大会に提出する作品として選んでもらったのは私一人だけだ。小学校4年の時にも、転校先で、同じように大阪府の大会に提出する作品として選んでもらったけれども、それも学年で私一人だけだった。もしも、「親が絵の先生の所に行かせてやってやったからであって、おまえが努力したものは何ひとつとしてないんやからな」と言われるのなら、そんな努力なんかしなければよかった・・と思ったものだった。
大学に進学する際に、もしも、絵画や音楽で身をたてたいと考えたとして、画家になるにはどうすればいいか、東京芸大の美術学部か京都市立芸大の美術学部に行ったらなれるか。東京芸大の美術学部や京都市立芸大の美術学部に行っても「世界的画家」というものになれるとは限らないかもしれないが、中学校か高校の「美術の先生」にならなれるのではないか・・といったことを考えた。ともかく、食べていくためには、中学校か高校の「美術の先生」になることができれば、その上で絵を描き続けることができるのではないか・・と。しかし、我が家はそうはいかない家庭だった。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにじゃわしにじゃ、わしにわしに。すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。犠牲になる、犠牲になる、犠牲にする、犠牲にする、すべてをすべてをわしのために犠牲にする! てってこっこてっててって、らったらったらったら♪ てってこっこてっててって、らったらったらったら♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉! 欲しがりません、勝つまでは! 贅沢は敵だあ~あ! とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。会社のために死ぬほど働く、会社のために死んでも働く、とってちってたあ~あ! 木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ! 撃ちてしやまん、一億火の玉、ロスケどもをやっつけてや~る。とってちってたあ~あ!」という家庭でしたので、努力の成果はすべて奪われました。東京芸大の美術学部はなかなかの難関という話ですから(音楽学部も)、もしも受けたとしても通らない可能性はあるわけでしたが、旧帝大系国立大学に行ける可能性があるという成績は取れていたのですから、どこかの旧帝大系国立大学の文学部美術学部に行って、そういう方面の研究者になって自分も絵を描いて、認められなくてもそういう人生を送るということはできたのではないかと思いましたが、我が家にはそういう選択肢はありませんでした。もうひとつは、大阪府立北野高校は行きたいと思って行った高校でしたから合格発表の時はうれしかったのですが、しかし、実際に行って卒業して何十年か経ってみると、どう考えてもいい学校ではなかったなあ・・と思うようになりました。特に、2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。北野高校卒⇒神戸大学文学部卒)は私に「あなたはブンケー(経済学部)よ」と決めつけて、私が「たとえ、首をもがれてもそこだけは行かされたくない」と思っていた学部に行かそう行かそうと必死になりました。今から考えると、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思いますが、高校生の時には気づいていなかったのですが、私はあの女にあまり好かれていなかったということと、もうひとつは、高校の教諭というものは生徒のために働く仕事だと思っていたし、特に20代くらいの教諭というのは年齢として兄・姉くらいの年齢ですから、高校生と意識の上でも共通するものがあり、高校生の気持ちを考えて協力してくれていいはず・・と思ったのでしたが、あの女はそうではなく、親の味方をして生徒を攻撃するのが高校教諭としての処世術と考えていたようでした。そのあたりを見抜けなかった高校生の時および高校卒業してしばらくの私は愚かでした。私は、ドブに捨てさせられるための努力を必死になってやっていたようでした。
小学校の1年から2年にかけて、ヤマハのオルガンを中心とした音楽教室というものに通わされた、ところが、ある日、突然、私が毎日、練習して、練習後は布で磨いていたオルガンを「オルガンをもらいにきました」と言ってやってきた人が持っていってしまった。「なんで、オルガン、持って行くのお」「そのオルガンで、ぼく、毎日、練習してるんやでえ」「オルガン、持って行かれたら、ぼく、あしたから、どうやってオルガンの練習すんのお」と言ったのだが、うむを言わさず、私が毎日練習していたオルガンは持ち去られた。うちの父親が「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と思って、それで、オルガンが欲しいと言う人に「あげた」らしいのだ。しかし、それなら、私はその後、いったい、どうやってオルガンの練習をすればいいのか。そのオルガンを持ち去った人は誰だったのか。最初、「会社の人」だと思っていたのだが、しかし、「会社の人」でもうちの家にも来たことがある人とか、しばしば、電話してくるような人とかではなく母も知らない人だったらしく、「会社の人じゃないのじゃないか」と最近になって母は言う。もしかすると、うちの父親がたまたま、入った喫茶店の隣のテーブルに「オルガンがあったら、うちの娘(もしくは息子)にオルガン習わせるんやけど、オルガン、けっこうするからなあ」とか話している人がいたとかではないか。それが聞こえて、それで「そうでっかあ。そしたら、うちにオルガンありまっさかいに、オルガンあげまっさあ」とか言って「ええかっこしい」やりよったのではないか。うちの父親というのはそういうことをよくする人間だった。「家までクルマで取りに来てもらったら、オルガンあげまっさあ」とでも言いよったのではないか。そうやって、私は毎日練習して、練習後は布で磨き上げていたオルガンを奪われた。もらった人からは「なんや、キリストみたいな人やったなあ」とか、うちの父親は言われたのではないか。私が20歳になる年あたりから、うちの父親は「わしはキリストやね~ん」とか言うておったから、そんなところだろう。「わしは実はキリストやってんで。知っておったか」と言うのだったが・・知らんかった。ちっとも知らんかった。だから、「さあ~あ」と言うと、「知らんかったか。実はわしはキリストやってん。今後は認識を改めて、わしのことをキリストやと思えよ」と言うのだった。たしかに、たまたま、喫茶店で隣のテーブルにいた人から「オルガンあげまっさあ」と言ってもらったら、そりぁ「キリストみたいな人」になるだろう。そんなところと違うかなと思う。「あしたから、どうやってオルガンの練習したらいいの」と言うと、母は「うちはピアノがありますから、ピアノでオルガンの練習やったらいいでしょう。ピアノの方がオルガンよりも上でしょ」と言い、それからはピアノでオルガンの練習をやったが、しかし、ピアノとオルガンは鍵盤を見ると似ているように見えるが、しかし、ピアノとオルガンは音色も違えば鍵盤をたたいた時の感触も違った。そして、ヤマハの音楽教室は小学校1年から2年までの2年間だったが、半年ごとに学費を払うことになっていたことから、最後の半年は「もう、行かなくてよろしい」と言われてやめさせられて、近所の高校の音楽の先生が自宅でピアノを教えておられた所にピアノを習いにかされた。その先生にピアノを習うのはいいが、しかし、ヤマハの音楽教室は2年間のものだったので、同じことなら最後まで行きたかったが本人の意志は無視された。我が家はそうやって子供の本人の意志を無視する家庭、本人の考えをきかない家庭だった。その先生の所に2年間ほど通った後、自宅を引越したことからそこには通えなくなり、その先生の妹さんが自宅でピアノの指導を専門にして教えておられたので、そこに通い、その後、そこまでは遠いということから引越した自宅から近い場所でピアノを教えておられた方の所に通うようになった。その際、うちの母親から「女の子になんか負けてはいけません」と言われ、「先生の息子になんか負けてはいけません」と言われたのだ。「女の子になんか負けてはいけません」と言うのは、それはピアノを習いに行っていた子供というのは男よりも「女の子」の方が圧倒的に多かったのだが、「女の子」というのは「ピアノを習っています」ということになった方が結婚する際にいいということで「ピアノを習わせていた」というもので、男だった私は、そんな意味でピアノをやっているのではないのだから、そんな「嫁入り道具」にピアノを習っているようなやつに「負けてはいけません」という意味だと理解した。「先生の息子になんか負けてはいけません」というのは、結局、3人の先生の所にピアノを習いに行ったのだが、2番目の先生の息子が私より1歳年上だったかで、その「先生の息子になんか負けてはいけません」という意味だったのだが、「先生の息子」というのはピアノを教えていた人の息子だけに音楽関係の仕事に将来はつきたいと考えていた人間だったから、そんなやつに「先生の息子」でも負けてはいけませんという意味だと理解した。だから、将来、音楽の仕事につきたいと考えている男に「負けてはいけません」と言ったからには、私も音楽の仕事につきたいと言えば、うちの親は喜んでくれるものだとばっかり思い込んでいた。小学校低学年の時には『世界の偉人伝 ベートーベン』なんて本を読まされたので、そういう人を「偉人」と言うのかと思っていた。だから、ベートーベンみたいな人間になったら、うちの親は喜んでくれると勘違いしていた。しかし、大阪府では一番の進学校の北野高校に進学すると、さすがにその地域で一番の進学校では全体のレベルが高いのか、うちみたいに「そのへんのピアノの先生」にではなく「ピアニスト」にピアノを習ってきた人とか、「声楽家」から声楽を習ってきた人とか、小学生の時からバイオリンを習ってきた人とかもいた。しかし・・だ。そういう相手にこそ「負けてはいけません」と思ったものだ。日陰の月見草としては、そんな「長嶋みたいなやつ」になんか、負けてなるものか。〔⇒《YouTube-松山で流れるくたばれ読売(東京音頭)ヤクルトラッキー7 20190416》https://www.youtube.com/watch?v=8qAPp3RbB7s 〕むしろ、そういう相手にこそ「負けてはなるものかあ」と。大洋ホエールズの平松は巨人のスカウトから「きみをドラフト会議で1位で指名するから巨人でがんばってほしい」と言われてその気になっていたら巨人が1位で指名したのは槌田だった。巨人のスカウトからは「来年こそ、きみを1位で指名するから」と言われたが、ふざけんな! と思って大洋ホエールズに入団して、そして、巨人戦になると「この相手にだけは絶対に負けてなるものかあ」と思って投げたという。平松がYouTube で「野村さんが『怨念のパワーは人間に1.5倍の能力を発揮させる』と言っていたが、まさにそれです」と言っていたが、その通りだ。しかし、北野高校の音楽のN川先生は「女の子ならば、芸大とかに行っていいと思いますが、私は男の子には芸大とか音大とかに行くというのは勧めません。ここの学校の生徒は京大とか阪大とかに行ける人ですから、そういう人を芸大とかに行かせたとしても、それが良心的とは思いません」と言うのだった・・が、それはおかしいのではないかと思ったのだ。「勉強できないから芸大とか音大とかに行く」というのはおかしい、そうではなく「高校についてはその地域で一番の高校に行ったのだから、大学は行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたいことをやらせてもらっていいのではないのか」と思ったのだ。そう考えたのだ。苦労して努力して大阪府では一番の高校に行ったのに、だから、「てってこっこテッテテッテらったらったらったら、テッテコッコてっててってラッタラッタらったら♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ。会社のために、会社の為に、ててここテテココててここテテココ。いらいらいらいらいらいらいらいら。朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしの為に、わしの為に、わしの為に、わしの為に、すべてをすべてをわしの為に。とってちってたあ~あ♪ 会社の為に滅私奉公、わしの為に死ぬほど尽くす、わしの為に死んでも尽くす、とってちってたあ~あ! 会社の為に、わしの為に、会社の為に、わしの為に。どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃあ~ああん♪〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0〕」という大学学部(経済学部)に行かされるというのなら、大阪府で一番の高校に行ったら「ここの学校の生徒は京大や阪大に行ける人ですから、芸大とか音大とかに行くというのは勧めません」と言われるのならば、それなら北野高校になんか行かなきゃよかった・・ということになる。それはおかしいと思ったのだ。「ここの学校の生徒は京大でも阪大でも行ける人ですから」という理由で「とってちってたあ~あ」に行かされなければならないというのならば、「犠牲になる、犠牲になる、いつでもいつでも犠牲になる。何でも何でも犠牲になる。会社の為に犠牲になる、わしの為に犠牲になる。犠牲の精神、犠牲の精神♪ 犠牲になる、犠牲になる。会社の為に犠牲になる、わしの為に犠牲になる♪ 犠牲にする、犠牲にする、わしの為に犠牲にする♪」と言われまくって「会社の為に・『わし』のために犠牲になる」「会社の為に・『わし』の為に犠牲にする」ための大学学部に行かされて、「犠牲になる」ための就職をさせられて一生「犠牲になる」人生を送らされるというのはおかしい。それなら、何のために大阪府で一番の高校に行けるように頑張ったのか努力してきたのかわからないことになる。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子が全面的に親に加担して生徒が行きたいと思う大学学部に行かせないように必死になった。「あなたはブンケー(経済学部)よ」と何度も何度も私に言って私が首をもがれても行かされたくないと思い続けてきた所に無理矢理行かそうとした。あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思う。高校の教諭っていない方がいいのではないかと今は思う。あいつら、いない方がいいのではないのか。小学校の時から「(ピアノの)先生の息子になんか絶対に負けてはいけません」と何度も何度も言われてきた。だから、音楽の世界で生きていこうとする「先生の息子」に「絶対に負けてはいけません」と言われて努力したからにはそういう方面に進みたいと努力すればうちの親は喜んでくれるのだろうと思い込んでいたら、ところが、私が小学生の時には私にそう言ったうちの母親は私が高校生になったら、「いっらいらしてきたあ、いっらいらしてきたあ」と毎日叫びまくっているうちの父親に私を売り渡した。「てってこっこ、テッテテッテ、らったらったらったら。イライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた、してきた、してきたきたきた♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは。会社のために、会社のために、会社のために、わしの為に、わしの為に、わしの為に。親コッコッコ、親こっこっこ、親コッコッコ、親こっこっこ、すべてをすべてをわしの為に、すべてをすべての為に。ささげ尽くす、ささげ尽くす、会社の為にささげ尽くす、わしの為にささげ尽くす! 犠牲の精神、犠牲の精神、すべてをすべてを会社の為に犠牲になる、犠牲になる、会社の為に犠牲になる。わしの為に犠牲になる、わしの為に犠牲になる。すべてをすべてを会社の為に、すべてをすべてをわしの為に! テッテコッコてっててってラッタラッタらったら。イライラしてきたイライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた! してきて、してきた、してきたきたきた、イライラいらいらいらコッコ~お! いらいらイライラいらコッコー! コッコー、こっこー、いらコッコー! わりの為に、親こっこっこ、親コッコッコ、親コッコッコ、コッコー、こっこー、親コッコー! すべてをすべてを会社の為に、すべてをすべてをわしの為に。わしの為に、わしの為に、わしの為に、ために! ために! ために! ために! すべてをすべてをわしのために! とってちってたあ~あ! 甘ったれとってはいかんぞチャンコロろすけイタコ! すべてをすべてをすべてをすべてを、わしの為に、わしの為に、わしの為に、ために、ために! すべてをすべてをわしの為に、とってちってたあ~あ♪」に私を売り渡した。それに北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が全面的に加担した。あの女だけは絶対に許せん! あの「両親が離婚した」というのを最大の自慢にしていた女。そして、抵抗むなしく、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に暴力と強制と脅迫で行かされた。そうやって努力の果実はすべて奪われた。「惜しみなく親は奪う」。

惜しみなく愛は奪う (角川文庫) - 有島武郎

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
・・だから、タマ美しか行かれへんくせしやがってからに、「画家」だの「日本画家」だのにならせてもらっているやつ・・というのは、虫唾が走る。心の底からむかつく。地獄へ落ちろ!・・という気がする。
1980年頃、テレビで漫才師が「男性の下半身が魅力的な大学て知ってますか?」「え、そんな大学、ありまんのん?」「タマ美♪」・・なんて言っていました。 「多摩美術大学絵画日本画科卒業(美術学部)」なんて聞くと、「ああ、あの『男性の下半身が魅力的な大学』か・・」と思いだします・・・とともに、東京芸大の美術学部か京都市立芸大の美術学部ならともかく、「バカでも入れる美大」みたいなもん、行くなよ! 甘ったれるなあ! ・・と思いますね。ましてや、「2002 多摩美術大学大学院修士課程修了(博士課程前期)」だなんて聞くと、よっぽど金持ちの息子だったのかあ? 慶應内部進学みたいな家庭のやつだったのかあ~あ? ・・て感じがします。 「うちは大学院になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と私はうちの父親から毎日毎日言われ続けてきた。「大学院に行きたいなどと言う人間というのは、働くのを嫌がるモラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。治療せんといけませんん。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってる」と、うちの父親は毎日言っていました。朝倉隆文という、この「ヒゲはやせば建築家」の同類の「ヒゲはやせば日本画家」という男、この男も「働くのを嫌がるモラトリアム人間病」という「病気にかかっている人間」だということになります。「慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生」がそうおっしゃってるそうなのです。この朝倉隆文という男、なんで、こいつ、こんな所で絵なんて描いてるのでしょうね。「モラトリアム人間病」の「治療」として「電気ショック療法」とか「ロボトミー」とかやってやる必要があるのではないのでしょうか。

スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」。)
「バカでも入れる美大」みたいなもんに行くようなやつなんて、大学行くな! 甘ったれるな!!!
とりあえず、ヒゲ、剃れえ!
神楽殿のさらに手前に、↓

↑ 岡村幼稚園。http://okamura-kids.com/
フォークデュオ「ゆず」の片方、岩沢厚治(いわさわ こうじ)がこの幼稚園の出身らしい。
↑ 一瞬、アンパンマンかと思ったが、ピカチュウだった。良かった。 アンパンマンは嫌いなんだよ、アンパンマン独善主義は。
2000年前後頃、(株)一条工務店 https://www.ichijo.co.jp/ で栃木県佐野市浅沼町にあった総合住宅展示場内の展示場に勤務していたのだが、総合住宅展示場でキャンペーンとしてキャラクターショーとしてアンパンマンを呼んだ時があったのだが、どんなことをやっているのかと思って観客の後ろから見ていたら、司会者がマイクで「子供のやることに間違いはないのだあ!」とか叫んだので、何を勝手なこと言うとるか・・と思ったことがあった。そんなことあるかいな。「子供のやることに間違いは」あるよ。いくらでもあるよ。勝手なこと言うんじゃないよ!・・と思うのだが、うかつにそう言うと「バイキンマンをやっつけろお~お!」とか言ってやっつけられそうで怖い。
そういう身勝手な「アンパンマン」帝国主義 とでも言うべきか、「子供のやることに間違いはないのだあ」などという身勝手な主張をする 「子供」帝国主義、および、「子供」を大義名分にかかげれば何やってもまかり通ると思い込んでいる おばはん帝国主義 および、そういうのは女性にあるのであって男にそういうのはさすがにおらんだろう・・なんて思っていたらそうでもなくて、男のくせして「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると身勝手な主張をするおっさん帝国主義 というものが世間にはびこっている。 公明党の「子供手当」とか、かつての民主党がやった「子供がある人間に渡す地域振興券」とかいうのもそうだ。 1999年だったか、栃木県佐野市の展示場にいた、いずれも妻帯者子持ちのK岡(男。当時、40代前半)にS藤(男。当時、30代なかば)が「地域振興券て子供のための物を買う?」と訊くと、K岡が「アホか。子供の為の物なんて、そんなもの、買うわけねえだろが。俺の物を買うに決まってるだろうが」と言うのだった。 要するに、K岡やS藤がもらった「子供がいる親がもらう地域振興券」というのは子供がない者が払った税金から支給されていたのであり、普段から職場においては「子供」を大義名分にして、営業所全体の仕事を「子供があるから」と言って先に帰って子供がない者にさせておいて、そして、「家族手当」として特に優秀な仕事をしたわけでもないのに子供がない者よりも高い給料を盗っておいて、そして税金の控除も受けて、その上でさらに、子供がない者が払った税金から「子供がある者がもらう地域振興券」なんてものまで盗る。 まさに「子供」帝国主義 とでもいったものである。「後先考えずに性交やって子供産むのん大好き女」帝国主義 による職場侵略 の被害にあってきた者としては、その象徴とでもいった存在であるアンパンマン は見ただけでも虫唾が走る。
神輿庫と神楽殿の間を南に進むと階段があります。↓

この階段を登ると、岡村公園のテニスコートに出る。↓

テニスコートの南東側から見ると、


この付近は風致地区に指定されているらしい。↓

そして、このテニスコートのさらに南側、テニスコートよりさらに高い場所に野球場があります。↓ 西側の少し低くなった場所にある「少年用多目的広場」も「少年用野球場」と書かれているものもあるようですが、「少年用多目的広場」よりも「野球場」の方が少し広いようです。↓

※ 岡村公園HP 園内マップ https://www.kanagawaparks.com/okamura/facility.html
岡村天満宮 ホームページの「幻の神殿」http://okamura-tenmangu.com/maboroshi/ によると、1937年(昭和12年)〔 「いくさ長引く(1937)日中戦争」、盧溝橋事件、日中戦争開始の年〕に、岡村天満宮の社殿を今の場所よりも高い丘側(南側)に遷座する計画があったらしい。
但し、移転先の場所については、《ウィキペディアー岡村天満宮》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE では、
《 1930年(昭和5年)、名称が「岡村天満宮」に改められた。これを機に、現在岡村公園のテニスコートになっている付近に新たな社殿を建て、鶴岡八幡宮に匹敵する大きな神社にする計画が建てられたが、不景気や満州事変・支那事変による社会情勢による社会情勢の変化で立ち消えになった。・・》
と書かれており、《現在岡村公園のテニスコートになっている付近》というのは『磯子の史話』が出典らしいのだが、岡村天満宮HP の「幻の神殿」http://okamura-tenmangu.com/maboroshi/ には、
《 昭和12年(1937年)「天満宮遷座」の計画がありました。
社殿老朽化のため新築し、一段高い丘の最高部(今の野球場のあたり)に新社殿を遷座する計画でした。》
と書かれており、ウィキペディアでは《岡村公園のテニスコートになっている付近》、岡村天満宮HPでは《一段高い丘の最高部(今の野球場のあたり)》と、微妙に場所が違います。
岡村天満宮HP の「幻の神殿」http://okamura-tenmangu.com/maboroshi/ によると、地固め神事 として、東京大相撲が奉納されたものの、日中戦争が始まり、《遷座のために山積みされていた資材はすべて軍用資材として戦争に振り向けられました。せっかくみんなで聖地した広い新社殿用地はそのまま放置され雑草の伸びるに任せられ》ることになったらしい。
その後、太平洋戦争が始まると、その場所は高射砲部隊が駐屯するようになり、戦後は米軍に接収され、その後、陸上自衛隊の高射砲部隊陣地になったそうで、1958年(昭和33年)に市民の所に戻ってきて、今は岡村公園になっているらしい。
テニスコートの北側の位置から岡村天満宮の境内を見ると、↓

↑ (左)神楽殿、(右手前)神輿庫 で、その後ろに、拝殿・幣殿・本殿があるのですが、
神楽殿と拝殿の間、遠方に横浜市街が見えるのですが、その中の背の高い高層ビルですが、撮影時には気づかなかったのですが、写真を拡大して見ると、形状から考えて、横浜ランドマークタワー ( 1993年竣工)のようですね。
※ 超高層ビルとパソコンの歴史 横浜ランドマークタワー https://www.eonet.ne.jp/~building-pc/yokohama/yokohama296.htm
横浜ランドマークタワー HP https://www.yokohama-landmark.jp/

( ↑ 横浜ランドマークタワー。 )
横浜ランドマークタワーが見えるということは、そのあたりが桜木町の付近ということです。
人それぞれ、感じ方は違うかもしれませんが、この位置から見た景観としては、あんなのない方がいいと思いますけれどもね。

↑ テニスコートの手前(北側)から見た社殿。
手前が神輿庫。 向こう側の左が拝殿、その右に幣殿・本殿。
神楽殿の後ろに岡村天満宮のトイレが設置されているようですが、簡易トイレであり、岡村公園のトイレの方が広いので、岡村公園の時間パーキングに駐車した場合は岡村公園のトイレを利用した方が使いやすそうです。

※ 岡村天満宮HP http://okamura-tenmangu.com/
( ↑ 横浜市磯子区岡村2丁目13-11 岡村天満宮。 )
ウィキペディアー岡村天満宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
横浜市HP 見どころ紹介 岡村天満宮 https://www.city.yokohama.lg.jp/isogo/shokai/midokoro/isogomidokoro/tenmangu.html
岡村公園HP https://www.kanagawaparks.com/okamura/about.html
次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html 、針塚・白笹稲荷社ほか、さらに境内を巡ります。
(2022.3.3.ひなまつりの日)
● ウクライナとロシアの2回目の停戦交渉が決裂した・・というが、そもそも、ウクライナを事実上、ロシア共和国の一部分にしようとしているロシアと、侵略者は自国から出ていってもらいたいというウクライナとの間で妥協点などというものが見つかるものなのか。停戦交渉をおこなうのであれば交渉期間中は攻撃は控えるものであろうものを攻撃を続けながら交渉に応じろというのは、言うこときかないならさらに攻撃するぞという脅しに従うのかどうか、という話ではないのか。私がロシア連邦に行った時に出会ったロシア人はそんな傲慢な人たちではなく、もっと誠実な人たちだったと思ったのだが。(2022.3.4.)

多民族連邦国家ロシアの行方 (ユーラシア・ブックレット) - 兵頭 慎治
中華人民共和国の国歌「起来(チーライ)」は、
《 起て、奴隷となるな、わが人民。
われらの血肉で築こう
新たなる万里の長城を
お叫びあげて、いざ闘わん。
起て、起て、起て。 》
というものだが、中華人民共和国はロシアのウクライナ侵攻を支持しているらしいが、むしろ、ウクライナ人の立場にとって、この「起来」という歌の歌詞がふさわしいもので、「起来」の歌の趣旨と毛沢東思想に反する行為を中華人民共和国の政府がおこなうのは理解に苦しむ。
今回のロシアのウクライナ侵攻は「歴史の歯車を力で逆に回そうとするもの」であり、それは毛沢東が言うところの「帝国主義と反動派」がやる行為であり、「長い目で見るならばハリコの虎」と言われる行為のはずだ。
「歴史の歯車を力で逆にまわそうとする」行為というのは「長い目で見るならばハリコの虎」であって、「長い目で見るならばその実力はたかがしれている」というのは、機関車が列車を引っ張るように社会が移り変わるというマルクスらの考えと共通するものであり、プーチンや今の中国の政治家がそのあたりを理解できていないというのは、かつての社会主義国の「指導者」だった者として考えるならば、おかしい。
(2022.3.4.)
☆ 岡村天満宮(横浜市磯子区岡村2丁目)参拝
1.蒔田(まいた)駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り、「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。岡村天満宮とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。〔今回〕
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。〔今回〕
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

もしも起訴されたら99.9%有罪になる―無実でも有罪になる「密室裁判」というシステム (日文新書) - 薫, 井上

狂った裁判官 (幻冬舎新書) - 薫, 井上

痴漢冤罪の恐怖―「疑わしきは有罪」なのか? (生活人新書) - 薫, 井上

ニッポンの裁判 (講談社現代新書) - 瀬木 比呂志

絶望の裁判所 (講談社現代新書) - 瀬木 比呂志

裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書) - 秋山 賢三
横浜市磯子区岡村2丁目 の岡村天満宮 参拝の5回目です。

↑ の拝殿の右手前に、↓

↑ 筆塚。
筆塚の右側(南側)に、↓


↑ 神輿庫。

↑ 神輿庫 の西側に、「杉山天満宮」と称していた時代の額と思われるものが立て懸けられています。
その西に(拝殿に向って手前に) ↓

↑ 神楽殿。

↑ 神楽殿 の 天井画。
神楽殿は新しそうですが、《タウンニュース 金沢区・磯子区版》2021年9月2日号 《岡村天満宮 神楽殿が装い新たに》https://www.townnews.co.jp/0110/2021/09/02/589804.html には、
《磯子区岡村の岡村天満宮(杉原紳元宮司)で、(2021年)8月24日と25日に例大祭が開催された。建て替え工事が進められていた神楽殿が工事後初めて使用され、岡村囃子一友會が囃子を披露。緊急事態宣言下で近隣住民らを招いたお披露目は叶わなかったが、境内に笛と太鼓の音色が響き渡った。 》
と書かれている。
天井画がきれいだと思ったが、
《 新たな神楽殿は宮大工が制作した檜造り。天井画などは日本画家の朝倉隆文氏が揮毫、扁額文字彫刻は彫刻家の下山直紀氏が制作した。》というものだそうだ。
「日本画家の朝倉隆文氏」て誰やねん?・・インターネットで検索すると、《ウィキペディアー朝倉隆文》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89%E9%9A%86%E6%96%87 によると、
《 朝倉 隆文(あさくら たかふみ、1978年(昭和53年)- )は、神奈川県出身の現代日本画家、公益社団法人日展の正会員。》
《 1978年、横浜に生まれる
2000年、多摩美術大学絵画日本画科卒業。
2002年に多摩美術大学大学院修士課程修了。大学院卒業後、
日展や日春展に連続して入選。・・》だそうだ。
《泰明画廊 朝倉隆文個展》https://taimei-g.com/exhibit/asakura/2018/asakura2018.html には、
《 朝 倉 隆 文
プロフィール
1978 横浜に生まれる
2000 多摩美術大学絵画日本画科卒業(美術学部)
2002 多摩美術大学大学院修士課程修了(博士課程前期) 日展初入選
2003 日春展初入選
2012 第44回日展 特選受賞
2014 第46回日展 特選受賞
2015 改組 新 第2回日展審査員
公益社団法人 日展 正会員 》
と出ているのだが、一緒に掲載されている顔写真を見ると‥( 一一)
なんや、「建築家」みたいやな。「ヒゲはやせば建築家」みたいに思ってる「バカでも入れる私大の建築学科卒」のおっさんとそっくり、「ヒゲはやせば日本画家」とでも思うとるのかいなあ。
相沢いくえ『モディリアーニにお願い』という漫画が、「ビッグコミック」(小学館)に掲載されていて、舞台は東北地方の「バカでも入れる美大」で、登場人物はその「バカでも入れる美大」の学生たち。
※ 《ウィキペディアーモディリアーニにお願い》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%AB%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84
この「バカでも入れる美大」の話を読んで、俺とはずいぶんと身分が違うもんやな・・と思った。小学校の頃、『世界の偉人伝 ベートーベン』なんて本を読まされた。ウィーダ『フランダースの犬』なんて小説も読まされた。そういう本を読ませるということは、そういう人間になったらうちの親は喜んでくれるのだろうと思ったのだが、違った。小学校低学年の時、小学生に絵を教えている方がおられて、毎週、日曜日にそこのお宅に通って、絵を1枚ずつ、描き続けた。うちの親は「うまく描けるようになった」と言うのだったが、前半は自分で描いても、最後の仕上げはその先生が描いてくれてきれいに完成してくれていたので、先生が描いてくれた部分がきれいに描けていたのであって私が描いた部分はたいしたことなかったので、ほめられても、あんまり自信はなかったが、毎週、それでも一生懸命描き続けたので上達したようで、小学校の低学年の時に行った小学校は5段階相対評価で、1年の1学期だけは2・3・4だけあって1と5の評価はなしだったが、「図画工作」の評価は1年の1学期は2だったのが、あっという間に5になった。 小学校の4年の時に転校したのだが、転校先の4年の時の担任の教諭(男。当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)は、元陸上部だそうで、音楽はできないが美術は好きだったらしく、デッサン帳を用意させて、毎日、何か1つ、写生してくるように言い、私は、椅子だとかストーブだとかトースターだとか、今から考えてみるとあほくさいようなものを毎日毎日描き続けた。クラスの生徒でも真面目にやらない生徒もいたようだが私は毎日毎日描き続けた。 転校先の小学校は科目ごとではなく項目ごとでの3段階絶対評価だったが「図画工作」の成績は悪くなかったし、小学校5年の時には、彫刻の作品をクラスで2人、優秀作として選ばれた。中学校の「美術」も高校進学の際の内申書は10段階相対評価で「10」だった。「主要5科目」よりも音楽と美術の方が得意なくらいだった。それをうちの母親は「親が絵の先生の所に行かせてやったからできたのであって、あんたが努力したからとは違うんや」と言い、うちの父親は「すべて、わしがエライえらいエライえらいからであって、おまえが努力したものは何ひとつとしてないんやからな。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロ。チャンコロが努力したものは何ひとつとしてないねんぞ、なにひと~つ、なにひと~つ、なにひと~つ! おまえは何一つ努力しとらんねんぞ」と毎日毎日言うのだったが、しかし、小学校3年の時に「図画工作」の時間に描いた絵を小学校から1作品、先生が選んで大阪府の大会に出して、結局、大阪府の大会では入選しなかったのだが、それに選ばれたのは私一人だけだ。同じ絵の先生の所に通っていた者はクラスに何人もいたけれども、私一人だけだ。もしも、「親がお金を出して絵の先生の所に行かせてやってやってやったからであって、あんたが努力したものは何一つとしてないんや」ということならば、そこの絵の先生の所に行った生徒は誰もが選ばれたはずだが、大阪府の大会に提出する作品として選んでもらったのは私一人だけだ。小学校4年の時にも、転校先で、同じように大阪府の大会に提出する作品として選んでもらったけれども、それも学年で私一人だけだった。もしも、「親が絵の先生の所に行かせてやってやったからであって、おまえが努力したものは何ひとつとしてないんやからな」と言われるのなら、そんな努力なんかしなければよかった・・と思ったものだった。
大学に進学する際に、もしも、絵画や音楽で身をたてたいと考えたとして、画家になるにはどうすればいいか、東京芸大の美術学部か京都市立芸大の美術学部に行ったらなれるか。東京芸大の美術学部や京都市立芸大の美術学部に行っても「世界的画家」というものになれるとは限らないかもしれないが、中学校か高校の「美術の先生」にならなれるのではないか・・といったことを考えた。ともかく、食べていくためには、中学校か高校の「美術の先生」になることができれば、その上で絵を描き続けることができるのではないか・・と。しかし、我が家はそうはいかない家庭だった。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにじゃわしにじゃ、わしにわしに。すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。犠牲になる、犠牲になる、犠牲にする、犠牲にする、すべてをすべてをわしのために犠牲にする! てってこっこてっててって、らったらったらったら♪ てってこっこてっててって、らったらったらったら♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉! 欲しがりません、勝つまでは! 贅沢は敵だあ~あ! とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。会社のために死ぬほど働く、会社のために死んでも働く、とってちってたあ~あ! 木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ! 撃ちてしやまん、一億火の玉、ロスケどもをやっつけてや~る。とってちってたあ~あ!」という家庭でしたので、努力の成果はすべて奪われました。東京芸大の美術学部はなかなかの難関という話ですから(音楽学部も)、もしも受けたとしても通らない可能性はあるわけでしたが、旧帝大系国立大学に行ける可能性があるという成績は取れていたのですから、どこかの旧帝大系国立大学の文学部美術学部に行って、そういう方面の研究者になって自分も絵を描いて、認められなくてもそういう人生を送るということはできたのではないかと思いましたが、我が家にはそういう選択肢はありませんでした。もうひとつは、大阪府立北野高校は行きたいと思って行った高校でしたから合格発表の時はうれしかったのですが、しかし、実際に行って卒業して何十年か経ってみると、どう考えてもいい学校ではなかったなあ・・と思うようになりました。特に、2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。北野高校卒⇒神戸大学文学部卒)は私に「あなたはブンケー(経済学部)よ」と決めつけて、私が「たとえ、首をもがれてもそこだけは行かされたくない」と思っていた学部に行かそう行かそうと必死になりました。今から考えると、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思いますが、高校生の時には気づいていなかったのですが、私はあの女にあまり好かれていなかったということと、もうひとつは、高校の教諭というものは生徒のために働く仕事だと思っていたし、特に20代くらいの教諭というのは年齢として兄・姉くらいの年齢ですから、高校生と意識の上でも共通するものがあり、高校生の気持ちを考えて協力してくれていいはず・・と思ったのでしたが、あの女はそうではなく、親の味方をして生徒を攻撃するのが高校教諭としての処世術と考えていたようでした。そのあたりを見抜けなかった高校生の時および高校卒業してしばらくの私は愚かでした。私は、ドブに捨てさせられるための努力を必死になってやっていたようでした。
小学校の1年から2年にかけて、ヤマハのオルガンを中心とした音楽教室というものに通わされた、ところが、ある日、突然、私が毎日、練習して、練習後は布で磨いていたオルガンを「オルガンをもらいにきました」と言ってやってきた人が持っていってしまった。「なんで、オルガン、持って行くのお」「そのオルガンで、ぼく、毎日、練習してるんやでえ」「オルガン、持って行かれたら、ぼく、あしたから、どうやってオルガンの練習すんのお」と言ったのだが、うむを言わさず、私が毎日練習していたオルガンは持ち去られた。うちの父親が「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と思って、それで、オルガンが欲しいと言う人に「あげた」らしいのだ。しかし、それなら、私はその後、いったい、どうやってオルガンの練習をすればいいのか。そのオルガンを持ち去った人は誰だったのか。最初、「会社の人」だと思っていたのだが、しかし、「会社の人」でもうちの家にも来たことがある人とか、しばしば、電話してくるような人とかではなく母も知らない人だったらしく、「会社の人じゃないのじゃないか」と最近になって母は言う。もしかすると、うちの父親がたまたま、入った喫茶店の隣のテーブルに「オルガンがあったら、うちの娘(もしくは息子)にオルガン習わせるんやけど、オルガン、けっこうするからなあ」とか話している人がいたとかではないか。それが聞こえて、それで「そうでっかあ。そしたら、うちにオルガンありまっさかいに、オルガンあげまっさあ」とか言って「ええかっこしい」やりよったのではないか。うちの父親というのはそういうことをよくする人間だった。「家までクルマで取りに来てもらったら、オルガンあげまっさあ」とでも言いよったのではないか。そうやって、私は毎日練習して、練習後は布で磨き上げていたオルガンを奪われた。もらった人からは「なんや、キリストみたいな人やったなあ」とか、うちの父親は言われたのではないか。私が20歳になる年あたりから、うちの父親は「わしはキリストやね~ん」とか言うておったから、そんなところだろう。「わしは実はキリストやってんで。知っておったか」と言うのだったが・・知らんかった。ちっとも知らんかった。だから、「さあ~あ」と言うと、「知らんかったか。実はわしはキリストやってん。今後は認識を改めて、わしのことをキリストやと思えよ」と言うのだった。たしかに、たまたま、喫茶店で隣のテーブルにいた人から「オルガンあげまっさあ」と言ってもらったら、そりぁ「キリストみたいな人」になるだろう。そんなところと違うかなと思う。「あしたから、どうやってオルガンの練習したらいいの」と言うと、母は「うちはピアノがありますから、ピアノでオルガンの練習やったらいいでしょう。ピアノの方がオルガンよりも上でしょ」と言い、それからはピアノでオルガンの練習をやったが、しかし、ピアノとオルガンは鍵盤を見ると似ているように見えるが、しかし、ピアノとオルガンは音色も違えば鍵盤をたたいた時の感触も違った。そして、ヤマハの音楽教室は小学校1年から2年までの2年間だったが、半年ごとに学費を払うことになっていたことから、最後の半年は「もう、行かなくてよろしい」と言われてやめさせられて、近所の高校の音楽の先生が自宅でピアノを教えておられた所にピアノを習いにかされた。その先生にピアノを習うのはいいが、しかし、ヤマハの音楽教室は2年間のものだったので、同じことなら最後まで行きたかったが本人の意志は無視された。我が家はそうやって子供の本人の意志を無視する家庭、本人の考えをきかない家庭だった。その先生の所に2年間ほど通った後、自宅を引越したことからそこには通えなくなり、その先生の妹さんが自宅でピアノの指導を専門にして教えておられたので、そこに通い、その後、そこまでは遠いということから引越した自宅から近い場所でピアノを教えておられた方の所に通うようになった。その際、うちの母親から「女の子になんか負けてはいけません」と言われ、「先生の息子になんか負けてはいけません」と言われたのだ。「女の子になんか負けてはいけません」と言うのは、それはピアノを習いに行っていた子供というのは男よりも「女の子」の方が圧倒的に多かったのだが、「女の子」というのは「ピアノを習っています」ということになった方が結婚する際にいいということで「ピアノを習わせていた」というもので、男だった私は、そんな意味でピアノをやっているのではないのだから、そんな「嫁入り道具」にピアノを習っているようなやつに「負けてはいけません」という意味だと理解した。「先生の息子になんか負けてはいけません」というのは、結局、3人の先生の所にピアノを習いに行ったのだが、2番目の先生の息子が私より1歳年上だったかで、その「先生の息子になんか負けてはいけません」という意味だったのだが、「先生の息子」というのはピアノを教えていた人の息子だけに音楽関係の仕事に将来はつきたいと考えていた人間だったから、そんなやつに「先生の息子」でも負けてはいけませんという意味だと理解した。だから、将来、音楽の仕事につきたいと考えている男に「負けてはいけません」と言ったからには、私も音楽の仕事につきたいと言えば、うちの親は喜んでくれるものだとばっかり思い込んでいた。小学校低学年の時には『世界の偉人伝 ベートーベン』なんて本を読まされたので、そういう人を「偉人」と言うのかと思っていた。だから、ベートーベンみたいな人間になったら、うちの親は喜んでくれると勘違いしていた。しかし、大阪府では一番の進学校の北野高校に進学すると、さすがにその地域で一番の進学校では全体のレベルが高いのか、うちみたいに「そのへんのピアノの先生」にではなく「ピアニスト」にピアノを習ってきた人とか、「声楽家」から声楽を習ってきた人とか、小学生の時からバイオリンを習ってきた人とかもいた。しかし・・だ。そういう相手にこそ「負けてはいけません」と思ったものだ。日陰の月見草としては、そんな「長嶋みたいなやつ」になんか、負けてなるものか。〔⇒《YouTube-松山で流れるくたばれ読売(東京音頭)ヤクルトラッキー7 20190416》https://www.youtube.com/watch?v=8qAPp3RbB7s 〕むしろ、そういう相手にこそ「負けてはなるものかあ」と。大洋ホエールズの平松は巨人のスカウトから「きみをドラフト会議で1位で指名するから巨人でがんばってほしい」と言われてその気になっていたら巨人が1位で指名したのは槌田だった。巨人のスカウトからは「来年こそ、きみを1位で指名するから」と言われたが、ふざけんな! と思って大洋ホエールズに入団して、そして、巨人戦になると「この相手にだけは絶対に負けてなるものかあ」と思って投げたという。平松がYouTube で「野村さんが『怨念のパワーは人間に1.5倍の能力を発揮させる』と言っていたが、まさにそれです」と言っていたが、その通りだ。しかし、北野高校の音楽のN川先生は「女の子ならば、芸大とかに行っていいと思いますが、私は男の子には芸大とか音大とかに行くというのは勧めません。ここの学校の生徒は京大とか阪大とかに行ける人ですから、そういう人を芸大とかに行かせたとしても、それが良心的とは思いません」と言うのだった・・が、それはおかしいのではないかと思ったのだ。「勉強できないから芸大とか音大とかに行く」というのはおかしい、そうではなく「高校についてはその地域で一番の高校に行ったのだから、大学は行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたいことをやらせてもらっていいのではないのか」と思ったのだ。そう考えたのだ。苦労して努力して大阪府では一番の高校に行ったのに、だから、「てってこっこテッテテッテらったらったらったら、テッテコッコてっててってラッタラッタらったら♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ。会社のために、会社の為に、ててここテテココててここテテココ。いらいらいらいらいらいらいらいら。朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしの為に、わしの為に、わしの為に、わしの為に、すべてをすべてをわしの為に。とってちってたあ~あ♪ 会社の為に滅私奉公、わしの為に死ぬほど尽くす、わしの為に死んでも尽くす、とってちってたあ~あ! 会社の為に、わしの為に、会社の為に、わしの為に。どんがんどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃあ~ああん♪〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0〕」という大学学部(経済学部)に行かされるというのなら、大阪府で一番の高校に行ったら「ここの学校の生徒は京大や阪大に行ける人ですから、芸大とか音大とかに行くというのは勧めません」と言われるのならば、それなら北野高校になんか行かなきゃよかった・・ということになる。それはおかしいと思ったのだ。「ここの学校の生徒は京大でも阪大でも行ける人ですから」という理由で「とってちってたあ~あ」に行かされなければならないというのならば、「犠牲になる、犠牲になる、いつでもいつでも犠牲になる。何でも何でも犠牲になる。会社の為に犠牲になる、わしの為に犠牲になる。犠牲の精神、犠牲の精神♪ 犠牲になる、犠牲になる。会社の為に犠牲になる、わしの為に犠牲になる♪ 犠牲にする、犠牲にする、わしの為に犠牲にする♪」と言われまくって「会社の為に・『わし』のために犠牲になる」「会社の為に・『わし』の為に犠牲にする」ための大学学部に行かされて、「犠牲になる」ための就職をさせられて一生「犠牲になる」人生を送らされるというのはおかしい。それなら、何のために大阪府で一番の高校に行けるように頑張ったのか努力してきたのかわからないことになる。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子が全面的に親に加担して生徒が行きたいと思う大学学部に行かせないように必死になった。「あなたはブンケー(経済学部)よ」と何度も何度も私に言って私が首をもがれても行かされたくないと思い続けてきた所に無理矢理行かそうとした。あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思う。高校の教諭っていない方がいいのではないかと今は思う。あいつら、いない方がいいのではないのか。小学校の時から「(ピアノの)先生の息子になんか絶対に負けてはいけません」と何度も何度も言われてきた。だから、音楽の世界で生きていこうとする「先生の息子」に「絶対に負けてはいけません」と言われて努力したからにはそういう方面に進みたいと努力すればうちの親は喜んでくれるのだろうと思い込んでいたら、ところが、私が小学生の時には私にそう言ったうちの母親は私が高校生になったら、「いっらいらしてきたあ、いっらいらしてきたあ」と毎日叫びまくっているうちの父親に私を売り渡した。「てってこっこ、テッテテッテ、らったらったらったら。イライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた、してきた、してきたきたきた♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは。会社のために、会社のために、会社のために、わしの為に、わしの為に、わしの為に。親コッコッコ、親こっこっこ、親コッコッコ、親こっこっこ、すべてをすべてをわしの為に、すべてをすべての為に。ささげ尽くす、ささげ尽くす、会社の為にささげ尽くす、わしの為にささげ尽くす! 犠牲の精神、犠牲の精神、すべてをすべてを会社の為に犠牲になる、犠牲になる、会社の為に犠牲になる。わしの為に犠牲になる、わしの為に犠牲になる。すべてをすべてを会社の為に、すべてをすべてをわしの為に! テッテコッコてっててってラッタラッタらったら。イライラしてきたイライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた! してきて、してきた、してきたきたきた、イライラいらいらいらコッコ~お! いらいらイライラいらコッコー! コッコー、こっこー、いらコッコー! わりの為に、親こっこっこ、親コッコッコ、親コッコッコ、コッコー、こっこー、親コッコー! すべてをすべてを会社の為に、すべてをすべてをわしの為に。わしの為に、わしの為に、わしの為に、ために! ために! ために! ために! すべてをすべてをわしのために! とってちってたあ~あ! 甘ったれとってはいかんぞチャンコロろすけイタコ! すべてをすべてをすべてをすべてを、わしの為に、わしの為に、わしの為に、ために、ために! すべてをすべてをわしの為に、とってちってたあ~あ♪」に私を売り渡した。それに北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が全面的に加担した。あの女だけは絶対に許せん! あの「両親が離婚した」というのを最大の自慢にしていた女。そして、抵抗むなしく、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に暴力と強制と脅迫で行かされた。そうやって努力の果実はすべて奪われた。「惜しみなく親は奪う」。

惜しみなく愛は奪う (角川文庫) - 有島武郎

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
・・だから、タマ美しか行かれへんくせしやがってからに、「画家」だの「日本画家」だのにならせてもらっているやつ・・というのは、虫唾が走る。心の底からむかつく。地獄へ落ちろ!・・という気がする。
1980年頃、テレビで漫才師が「男性の下半身が魅力的な大学て知ってますか?」「え、そんな大学、ありまんのん?」「タマ美♪」・・なんて言っていました。 「多摩美術大学絵画日本画科卒業(美術学部)」なんて聞くと、「ああ、あの『男性の下半身が魅力的な大学』か・・」と思いだします・・・とともに、東京芸大の美術学部か京都市立芸大の美術学部ならともかく、「バカでも入れる美大」みたいなもん、行くなよ! 甘ったれるなあ! ・・と思いますね。ましてや、「2002 多摩美術大学大学院修士課程修了(博士課程前期)」だなんて聞くと、よっぽど金持ちの息子だったのかあ? 慶應内部進学みたいな家庭のやつだったのかあ~あ? ・・て感じがします。 「うちは大学院になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と私はうちの父親から毎日毎日言われ続けてきた。「大学院に行きたいなどと言う人間というのは、働くのを嫌がるモラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。治療せんといけませんん。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってる」と、うちの父親は毎日言っていました。朝倉隆文という、この「ヒゲはやせば建築家」の同類の「ヒゲはやせば日本画家」という男、この男も「働くのを嫌がるモラトリアム人間病」という「病気にかかっている人間」だということになります。「慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生」がそうおっしゃってるそうなのです。この朝倉隆文という男、なんで、こいつ、こんな所で絵なんて描いてるのでしょうね。「モラトリアム人間病」の「治療」として「電気ショック療法」とか「ロボトミー」とかやってやる必要があるのではないのでしょうか。

スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」。)
「バカでも入れる美大」みたいなもんに行くようなやつなんて、大学行くな! 甘ったれるな!!!
とりあえず、ヒゲ、剃れえ!
神楽殿のさらに手前に、↓

↑ 岡村幼稚園。http://okamura-kids.com/
フォークデュオ「ゆず」の片方、岩沢厚治(いわさわ こうじ)がこの幼稚園の出身らしい。
↑ 一瞬、アンパンマンかと思ったが、ピカチュウだった。良かった。 アンパンマンは嫌いなんだよ、アンパンマン独善主義は。
2000年前後頃、(株)一条工務店 https://www.ichijo.co.jp/ で栃木県佐野市浅沼町にあった総合住宅展示場内の展示場に勤務していたのだが、総合住宅展示場でキャンペーンとしてキャラクターショーとしてアンパンマンを呼んだ時があったのだが、どんなことをやっているのかと思って観客の後ろから見ていたら、司会者がマイクで「子供のやることに間違いはないのだあ!」とか叫んだので、何を勝手なこと言うとるか・・と思ったことがあった。そんなことあるかいな。「子供のやることに間違いは」あるよ。いくらでもあるよ。勝手なこと言うんじゃないよ!・・と思うのだが、うかつにそう言うと「バイキンマンをやっつけろお~お!」とか言ってやっつけられそうで怖い。
そういう身勝手な「アンパンマン」帝国主義 とでも言うべきか、「子供のやることに間違いはないのだあ」などという身勝手な主張をする 「子供」帝国主義、および、「子供」を大義名分にかかげれば何やってもまかり通ると思い込んでいる おばはん帝国主義 および、そういうのは女性にあるのであって男にそういうのはさすがにおらんだろう・・なんて思っていたらそうでもなくて、男のくせして「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると身勝手な主張をするおっさん帝国主義 というものが世間にはびこっている。 公明党の「子供手当」とか、かつての民主党がやった「子供がある人間に渡す地域振興券」とかいうのもそうだ。 1999年だったか、栃木県佐野市の展示場にいた、いずれも妻帯者子持ちのK岡(男。当時、40代前半)にS藤(男。当時、30代なかば)が「地域振興券て子供のための物を買う?」と訊くと、K岡が「アホか。子供の為の物なんて、そんなもの、買うわけねえだろが。俺の物を買うに決まってるだろうが」と言うのだった。 要するに、K岡やS藤がもらった「子供がいる親がもらう地域振興券」というのは子供がない者が払った税金から支給されていたのであり、普段から職場においては「子供」を大義名分にして、営業所全体の仕事を「子供があるから」と言って先に帰って子供がない者にさせておいて、そして、「家族手当」として特に優秀な仕事をしたわけでもないのに子供がない者よりも高い給料を盗っておいて、そして税金の控除も受けて、その上でさらに、子供がない者が払った税金から「子供がある者がもらう地域振興券」なんてものまで盗る。 まさに「子供」帝国主義 とでもいったものである。「後先考えずに性交やって子供産むのん大好き女」帝国主義 による職場侵略 の被害にあってきた者としては、その象徴とでもいった存在であるアンパンマン は見ただけでも虫唾が走る。
神輿庫と神楽殿の間を南に進むと階段があります。↓

この階段を登ると、岡村公園のテニスコートに出る。↓

テニスコートの南東側から見ると、


この付近は風致地区に指定されているらしい。↓

そして、このテニスコートのさらに南側、テニスコートよりさらに高い場所に野球場があります。↓ 西側の少し低くなった場所にある「少年用多目的広場」も「少年用野球場」と書かれているものもあるようですが、「少年用多目的広場」よりも「野球場」の方が少し広いようです。↓

※ 岡村公園HP 園内マップ https://www.kanagawaparks.com/okamura/facility.html
岡村天満宮 ホームページの「幻の神殿」http://okamura-tenmangu.com/maboroshi/ によると、1937年(昭和12年)〔 「いくさ長引く(1937)日中戦争」、盧溝橋事件、日中戦争開始の年〕に、岡村天満宮の社殿を今の場所よりも高い丘側(南側)に遷座する計画があったらしい。
但し、移転先の場所については、《ウィキペディアー岡村天満宮》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE では、
《 1930年(昭和5年)、名称が「岡村天満宮」に改められた。これを機に、現在岡村公園のテニスコートになっている付近に新たな社殿を建て、鶴岡八幡宮に匹敵する大きな神社にする計画が建てられたが、不景気や満州事変・支那事変による社会情勢による社会情勢の変化で立ち消えになった。・・》
と書かれており、《現在岡村公園のテニスコートになっている付近》というのは『磯子の史話』が出典らしいのだが、岡村天満宮HP の「幻の神殿」http://okamura-tenmangu.com/maboroshi/ には、
《 昭和12年(1937年)「天満宮遷座」の計画がありました。
社殿老朽化のため新築し、一段高い丘の最高部(今の野球場のあたり)に新社殿を遷座する計画でした。》
と書かれており、ウィキペディアでは《岡村公園のテニスコートになっている付近》、岡村天満宮HPでは《一段高い丘の最高部(今の野球場のあたり)》と、微妙に場所が違います。
岡村天満宮HP の「幻の神殿」http://okamura-tenmangu.com/maboroshi/ によると、地固め神事 として、東京大相撲が奉納されたものの、日中戦争が始まり、《遷座のために山積みされていた資材はすべて軍用資材として戦争に振り向けられました。せっかくみんなで聖地した広い新社殿用地はそのまま放置され雑草の伸びるに任せられ》ることになったらしい。
その後、太平洋戦争が始まると、その場所は高射砲部隊が駐屯するようになり、戦後は米軍に接収され、その後、陸上自衛隊の高射砲部隊陣地になったそうで、1958年(昭和33年)に市民の所に戻ってきて、今は岡村公園になっているらしい。
テニスコートの北側の位置から岡村天満宮の境内を見ると、↓

↑ (左)神楽殿、(右手前)神輿庫 で、その後ろに、拝殿・幣殿・本殿があるのですが、
神楽殿と拝殿の間、遠方に横浜市街が見えるのですが、その中の背の高い高層ビルですが、撮影時には気づかなかったのですが、写真を拡大して見ると、形状から考えて、横浜ランドマークタワー ( 1993年竣工)のようですね。
※ 超高層ビルとパソコンの歴史 横浜ランドマークタワー https://www.eonet.ne.jp/~building-pc/yokohama/yokohama296.htm
横浜ランドマークタワー HP https://www.yokohama-landmark.jp/
( ↑ 横浜ランドマークタワー。 )
横浜ランドマークタワーが見えるということは、そのあたりが桜木町の付近ということです。
人それぞれ、感じ方は違うかもしれませんが、この位置から見た景観としては、あんなのない方がいいと思いますけれどもね。

↑ テニスコートの手前(北側)から見た社殿。
手前が神輿庫。 向こう側の左が拝殿、その右に幣殿・本殿。
神楽殿の後ろに岡村天満宮のトイレが設置されているようですが、簡易トイレであり、岡村公園のトイレの方が広いので、岡村公園の時間パーキングに駐車した場合は岡村公園のトイレを利用した方が使いやすそうです。
※ 岡村天満宮HP http://okamura-tenmangu.com/
( ↑ 横浜市磯子区岡村2丁目13-11 岡村天満宮。 )
ウィキペディアー岡村天満宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
横浜市HP 見どころ紹介 岡村天満宮 https://www.city.yokohama.lg.jp/isogo/shokai/midokoro/isogomidokoro/tenmangu.html
岡村公園HP https://www.kanagawaparks.com/okamura/about.html
次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html 、針塚・白笹稲荷社ほか、さらに境内を巡ります。
(2022.3.3.ひなまつりの日)
● ウクライナとロシアの2回目の停戦交渉が決裂した・・というが、そもそも、ウクライナを事実上、ロシア共和国の一部分にしようとしているロシアと、侵略者は自国から出ていってもらいたいというウクライナとの間で妥協点などというものが見つかるものなのか。停戦交渉をおこなうのであれば交渉期間中は攻撃は控えるものであろうものを攻撃を続けながら交渉に応じろというのは、言うこときかないならさらに攻撃するぞという脅しに従うのかどうか、という話ではないのか。私がロシア連邦に行った時に出会ったロシア人はそんな傲慢な人たちではなく、もっと誠実な人たちだったと思ったのだが。(2022.3.4.)

多民族連邦国家ロシアの行方 (ユーラシア・ブックレット) - 兵頭 慎治
中華人民共和国の国歌「起来(チーライ)」は、
《 起て、奴隷となるな、わが人民。
われらの血肉で築こう
新たなる万里の長城を
お叫びあげて、いざ闘わん。
起て、起て、起て。 》
というものだが、中華人民共和国はロシアのウクライナ侵攻を支持しているらしいが、むしろ、ウクライナ人の立場にとって、この「起来」という歌の歌詞がふさわしいもので、「起来」の歌の趣旨と毛沢東思想に反する行為を中華人民共和国の政府がおこなうのは理解に苦しむ。
今回のロシアのウクライナ侵攻は「歴史の歯車を力で逆に回そうとするもの」であり、それは毛沢東が言うところの「帝国主義と反動派」がやる行為であり、「長い目で見るならばハリコの虎」と言われる行為のはずだ。
「歴史の歯車を力で逆にまわそうとする」行為というのは「長い目で見るならばハリコの虎」であって、「長い目で見るならばその実力はたかがしれている」というのは、機関車が列車を引っ張るように社会が移り変わるというマルクスらの考えと共通するものであり、プーチンや今の中国の政治家がそのあたりを理解できていないというのは、かつての社会主義国の「指導者」だった者として考えるならば、おかしい。
(2022.3.4.)
☆ 岡村天満宮(横浜市磯子区岡村2丁目)参拝
1.蒔田(まいた)駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り、「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。岡村天満宮とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。〔今回〕
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。〔今回〕
6.白笹稲荷社・針塚他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園の梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html
岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html
石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html

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