岡村天満宮(横浜市)[6/7]白笹稲荷社と梅・牛の像2体・手水舎・針塚。神社にベンチは必需品。千木の先端と鰹木の本数。達筆が悪いことはないが読める方がなおいい。

[第909回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第63念-6
  横浜市磯子区岡村2丁目 の 岡村天満宮 参拝の6回目です。
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↑ 岡村天満宮 拝殿。
  日の丸の旗が掲げられているのは、なるちゃん、浩宮さんの誕生日だからみたいです。

  第5回では、社殿の右側(南側)に並ぶ 神輿庫・神楽殿・幼稚園と、神輿庫と神楽殿の間を南に行き、階段を登った上のテニスコートとその南の野球場、かつて社殿を移転させようという話が出たが実現しなかった場所について述べました。 今回は、拝殿の左手前側の方を述べます。
  拝殿の左側に授与所があり、御朱印はそちらでいただけます。

  その手前に、↓
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↑ 梅の花が咲いており、その他の花があり、ベンチがあります。
  神社というものは、単に拝殿の前に行って賽銭を入れて2礼2拍手1礼(2拝2拍手1拝)した後、授与所で何かを購入したらさっさと帰る・・というのが「正常」というものではなく、その境内でしばらく時間を過ごし、そこで何かを考えて、思うものを心において整理して帰途に就くというものではないかと思います。ですから神社の境内に食堂があったり甘酒やお汁粉とかを出す店がある神社がありますが、それはあっていいと思います。しかし、そういう店はある程度以上大きくて、季節によらずに参拝者がある神社であってこそ成り立つもので、そこまでの来場者はない神社だと難しいかもしれない。それならば、せめて、ベンチと清涼飲料水の自動販売機くらいあればと思うのですが、この岡村天満宮では社殿の右側(南側)に清涼飲料水の自動販売機があり(神社色の自販機が)、拝殿の左手前にベンチがあり、そして、神楽殿の後ろに簡易トイレがあります。
  大阪府高槻市の上宮(じょうぐう)天満宮では1970年代終わり頃はベンチがあったのですが、2019年に再訪したところ、その間に、社殿の賽銭箱から賽銭を泥棒しようとした中学生だったか高校生だったかが賽銭箱に火をつけたところ社殿に燃え移って社殿そのものが焼失してしまったということがあり、その後、新たな神社の「経営者」は、神社を「正常化」しようとして、賽銭箱の数を増やし、ベンチやトイレは撤去して、それまでなかった摂社末社とその賽銭箱と授与所を新設し、「順路」を設けて参拝が終わればさっさと帰るような雰囲気にして、そして監視カメラを各所に設置した・・・ようでした。新たな「経営者」はそれを「正常化」と考えたらしいのですが、そういうのを「正常化」と言うのでしょうか。東日本大震災の後、プロ野球選手の誰だったかが「自分たちの仕事というのは普通の仕事とは違って、なければないで世の中は成り立つ仕事なので、他の一般の仕事の人たちの立場を考えてやらないといけない」と話していたことがあったが、その選手はそのあたりについて理解ができている人なんだなと思いました。 神社というのも、こういう言い方がいいかどうかはさておいて、実際のところ「なければないで生活できるもの」なのです。ハレ のものかケ のものかというと神社というのはプロ野球と同じで ハレ のものなのです。〔 プロ野球と一緒にしちゃいかんと言う人もあるかもしれないし、神社はないと生きていけないものだと言う人もあるかもしれないけれども、それならば、阪神ファンのおっさんにとっては阪神タイガースこそこの世で一番大事なものであって、阪神タイガースがなくなったら生きていけない・・ておっさんがいる・・かもしれん・・〕 ですから、賽銭箱と授与所を増やし、もともとはなかった摂社・末社を作ってそれぞれの前に賽銭箱を置いて、ベンチとトイレは撤去して、「順路」を設けてひと回り廻ったらさっさと帰ってちょうだいという雰囲気にして、そして、監視カメラまで設置して、それで「正常化しました」と言われるならば〔監視カメラについては、賽銭を泥棒しようとした中学生だったか高校生だったかが賽銭箱に火をつけたところ、社殿にまで火が移って社殿を焼失したということがあった、という事情はあるとしても〕・・⇒別にそんな「神社」にわざわざ行って監視カメラで監視される必要ないのじゃないか。 監視カメラで監視されに行ってカネ払う為に行く必要ないのじゃないか・・ということになる・・と思うのです。人によって感じ方は違うかもしれませんが、私はそう感じたのです。上宮天満宮は思い入れのある神社でしたが、もう行くことはないなあ・・と思ったのです。
  岡村天満宮のベンチはなくならないでほしいと思います。それは神社というものにおいて必要なものだと思うからです。

  ↑ のベンチと梅の木の手前に手水舎があり、その手前に牛の像があります。
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↑ 手水舎。
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↑ 牛の像。

  そして、牛の像の手前に、白笹稲荷社。↓
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白笹稲荷社 の右手前に紅梅がきれいです。↓
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  参道を登ってきて境内に入ってすぐ左の位置に 白笹稲荷社 があるのですが、順番として白笹稲荷社を取りあげるのが後になりましたが、参拝の順番として「入口に近い場所から」ではなく、まず、御本社に参拝して、摂社・末社はその後でという順番に進むと、たとえ入口に近い場所に位置していても参拝の順番は後になりますから、私はそれでいいと思っているのです。
  「白笹」稲荷社という名前は、どこからついたのか? ・・というと、
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↑ 白笹稲荷社の鳥居をくぐったあたりに白い笹が植わっているのです。そこからではないでしょうか。

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 ↓ ↓ ↓ ↓
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  岡村天満宮 御本社 の本殿の屋根では、↓
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(1)千木の先端は地面と平行。
(2)千木に穴が開いている。
(3)鰹木は5本で奇数。
・・と、(1)は女の神さん、(2)(3)は男の神さんの仕様でしたが、
白笹稲荷社の社はというと、
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(1)千木の先端は地面と垂直。
(2)千木に穴は開いていない。
(3)鰹木の数は4本で偶数。
・・と、御本社の本殿とは逆で、(1)は男の神さん仕様、(2)(3)は女の神さん仕様になっています。
男の神さん仕様・女の神さん仕様といっても、それは絶対ということではなく、そんなお話もあるというくらいのものらしいので、それにあてはまっていなくてもかまわないらしいですが。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
宮大工と歩く千年の古寺―ここだけは見ておきたい古建築の美と技 (祥伝社黄金文庫) - 松浦 昭次
宮大工と歩く千年の古寺―ここだけは見ておきたい古建築の美と技 (祥伝社黄金文庫) - 松浦 昭次
  ところで、御上神社の本殿の屋根の上には、苗村神社や大笹原神社にはないものがあります。堅魚木(かつおぎ)(読みは同じで勝男木とか鰹木とも書きます)と千木(ちぎ)です。どれも神社にだけあるものです。
  堅魚木というのは棟の上にあって、棟と直角になるように載せる部材です。御上神社の本殿の棟には三本の堅魚木(かつおぎ)が載っています。
  堅魚木というのは棟の上にあって、棟と直角になるように載せる部材です。御上神社の本殿の棟には三本の堅魚木が載っています。また、千木というのは棟の両端に左右から交差するように載せた部材です。
  この千木の上のほうの先端断面が地面と垂直になっていたら、その神社が祀っている神様は男の神様地面と水平になっていたら女の神様とも言われています
  また、男の神様の千木は、側面に穴が開けてあるとも言われます。さらに、堅魚木についても同じようなことが言われていて、奇数なら男の神様偶数なら女の神様ということです。御上神社の本殿の堅魚木は三本、千木の先端は地面と垂直になっていますから、男の神様を祀っているということになります。
  しかし、他の神社はどうかと言うと、堅魚木の偶数奇数や千木の先端の切り方で、男の神様か女の神様か必ず見分けがつくということもないようで、お話の種というぐらいに思っておいたほうがいいかもしれません。
( 松浦昭次『宮大工と歩く千年の古寺』2007.9.5.祥伝社 黄金文庫 「4章 湖東三山と山寺を歩く」 )
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  千木の先端については、男の神様か女の神様かということと別に、先端を地面と水平にすると木口面が上を向くことになり、先端を地面と垂直にして木口面が横を向いている場合と比べて、木口面に上から雨がかかりやすいことになり、傷みやすくなると考えられ、地面と垂直の施工にした方がいくらかなりとも傷みにくいのではないか、とも考えられるのではないでしょうか。
  又、この岡村天満宮の場合は、御本社の鰹木の本数が5本で、摂社の白笹稲荷社の鰹木の本数が4本と、御本社の本数よりも摂社の本数は1本少なくした、ということも考えられるのではないでしょうか。

  白笹稲荷社の鳥居をくぐってすぐ左の位置に、もう一体、牛の像が座っておられる。↓
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↑ 時節柄、プッシュ式の消毒液 も配備されているようです。岡村天満宮HP の「境内案内」http://okamura-tenmangu.com/guide/ には《 「撫でれば患部の苦痛が除かれる」という石の牛像》とは書かれているのですが、コロナウイルスがどうこう言っているさなか、撫でなくてもいいと思いますよ。気持ちの問題ですから、撫でたいと思う人は心の中で撫でておけばいいことだと思います。

  参道から御本社の拝殿の方を向いて白笹稲荷社とは逆側(右側・南側)に ↓
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↑ 「◇塚」という「塚」の方はわかるのですが、何の塚でしょうか。 筆塚は拝殿の右手前にありましたし、『南総里見八犬伝』ではないから犬塚ではないでしょう。 岡村天満宮HP の「境内案内」http://okamura-tenmangu.com/guide/ を見ると、「針塚」だそうです。
  写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。達筆すぎて読めないけれども( 東京の浅草のアサヒビールの屋上のオブジェ、たいていの人間は「う〇こ みたい」と言うやつですが、「ビールの泡」をモチーフとしたものだと聞かされると「ビールの泡」にも見える・・のと同じく)「針」だと言われれば、針と書いてあるのかいなあ・・と思えてきます。

  「浅草のアサヒビール屋上のオブジェ」は何なのか? ・・・「クイズ百人にききました」だと、たぶん、少なくとも90人以上は「う〇こ」と答えると思うのですが、十何年か前でしたでしょうか。アサヒビールの建物の前まで行ったところ、あれは「ビールの泡」をモチーフとしたものだと説明書きに書かれていたので、なるほど、そりぁいくらなんでも、自分の会社のビルの屋上に「う〇こ」のっけたりはしないよなあ(^○^)・・と思ったものでした。
  ところが、今回、インターネットで検索してみると、アサヒビールのHPの「お客さま相談室 Q 浅草のアサヒビール本社ビルのとなりにある金色のオブジェは何を表わしているの?」https://www.asahibeer.co.jp/customer/post-5.html  を見ると、
《 A.「聖火台の炎」です。
金色の炎は「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心」を表わしています。設計者は世界的に有名なデザイナーである、フランス人のフィリップ・スタルク(PHILIPPE STARCK)氏です。
アサヒビール100周年の記念事業の一環として、1989年10月に竣工いたしました。》
なんて書いてあるのです。あれえ~え? 「ビールの泡」だというのは、アサヒビールが説明書きに書いていたものなんだよお~お。「う〇こ」は世間の多くの人間が言っていることであって、アサヒビールが言っていることじゃないけれども、「ビールの泡」をモチーフにしたというのは、間違いなく、アサヒビールのビルの前に説明書きとして書いてあったもんなんだよお~お。
・・で、まあ、いいか。
「クイズ百人にききました。浅草のアサヒビールのビルの屋上にのっかっているオブジェは、あれは何だと思いますか?  答えは3つ」
’「う〇こ」
あるあるあるあるあるある・・・
ピンポンピンポ~ン♪
「98人がそう答えました。やりましたねえ~え」
「さて、次の答えは?
「ビールの泡」
あるあるあるあるあるある・・
ピンポンピンポ~ン♪
「正解。1人がビールの泡と答えました」
「さて、もうひとつの答えは? これは難しいぞお~お♪」
「聖火台の火」
あるあるあるあるあるある・・
ピンポンピンポ~ン♪
「正解。お見事。1人が聖火台の火と答えました。
よくわかりましたねえ~え」
・・・て、そんな感じのもんだ(^○^)
だから、「ビールの泡」か「聖火台の火」かなんてのは、「う〇こ」に比べたら少数意見なのだ(^○^)

  もしも、私が設計したとすると、「なんだ、この う〇こ みたいの」とほとんどの人間から思われるものが、《設計者は世界的に有名なデザイナー》で、フランス人のスカンクさんだと言われると「おお~っ、名建築♪」とか感心するテアイが「建築家」とか「デザイナー」とか称するアホどもにはけっこういる。 2005年、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部にいた時、チムニー(株)の店舗の内装設計をやっていた「デザイナー」の男性(30代後半?)に「日吉の慶應大学の新図書館にしましても・・」と、「建築家 槇文彦設計」ということになっているけれども、図書館としてそんなにいいとは思わなかった、むしろ、図書館としては「普通の人」が設計した図書館の方が利用する者には使いやすい図書館が少なくないように思う、「有名建築家」というのは、はたして価値があるのだろうかと疑問に思う・・ということを言おうとして言いかけたところ、チムニー(株)で居酒屋の内装設計をやっていた「デザイナー」のおっさんは、「ああ~あ、槙文彦設計の慶應大学日吉図書館ですねええ~え」と普段とは異なる声を出して言いだしたので、なんじゃ、こいつ( 一一) ・・と思ったということがあった。私ならば、「槙文彦設計の慶應大学日吉新図書館」というのは、利用者の立場から考えて、慶應大学日吉キャンパスの他の建物と比較してどうかとか、他の図書館、麻布の東京都立図書館とか東京都立日比谷図書館とか国会図書館とか、あるいは神奈川県立図書館とか神奈川県立川崎図書館とか、川崎市立幸図書館とか、高校の図書室とか、そういうものと比較して使いやすいものかどうか・・といった視点から考えるし、日吉に「普通の人」が設計した建物でいいものがあれば、「普通の人」の設計のものでも、いいものはいい・・と判断するのに対して、「デザイナー」のおっさんの思考というのはそうではなく、先に《「有名建築家」の建物》というもの、「有名建築家」「世界的建築家」というものが頭にインプットされていて、「有名建築家」「世界的建築家」が設計したということになっているものであれば・・・実際には無名なその「お弟子さん」が設計していても、「ああ~あ、槙文彦設計の慶應大学日吉図書館ですねええ~え」と感嘆の声をあげないといけない・・という戒律を持っているのだった。なんか、あほくさいことやっとるなあ・・て感じがした。そういう人間のことを「デザイナー」とか「建築家」とか言うようだ。もしくは「設計士さま」とか言ったりするようだ。なんか、ちっぽけな野郎どもだなあ・・て感じがする。
  少し前に千葉県習志野市谷津 に「津田沼 ザ・タワー」というその場所には不似合いなバカでかい人工の岩山が造られてしまったが、それを正当化するために、「千葉工業大学 建築学科教授(⇒名誉教授) 山本明」なる男が「選考委員長」という御輿になって権威づけをおこなった。人間、そんなところで権威づけに協力・加担するようになったら「学者」としてはおしまいだわなあ・・と思った。 権威主義的態度によって「人に言うことをきかす」という山本明氏がとっている態度というのは傲慢であり、それは民主主義に敵対する態度だ。千葉工業大学 教授(⇒名誉教授)山本明さんのHPを見ると、「嫌いなもの 権威主義」なんて書いてあったので、びっくりした。あんた やろうが、権威主義は。あんたこそ、「◇◇大学建築学科教授 山本明」という名前を貸して、その北側の住人の意見なんてききもしないで、巾着切りみたいに、コソ泥みたいに、やったもん勝ちみたいに進めた計画を「権威づけ」している男だろうが。あんたこそ「権威主義者」だろうが・・とあきれた。
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( ↑ 千葉県習志野市谷津 「津田沼 ザ・タワー」 )
  「山本明研究室」「人物紹介」https://www.cit-ylab.com/about-me に掲載している写真も、ま~たまた、掲載している写真も「建築家」みたいなポーズとってからに( 一一) こういうことやらなきゃおれないというのは「建築家ぶりっこぶりっこ」の職業病なのか?  野村のじいさんが「長髪・茶髪・ヒゲはいかん」と言うておったように、《「建築家」と称したがりぶりっこ》もまた「ヒゲ」と「建築家ぶりっこ のポーズ」はいかん!・・と言うてやった方がえと思うのだがなあ( 一一)  ・・というよりも、まがりなりにも大学教授(⇒名誉教授)ならば、まがりなりにも「教育者」ならば、自分で自分に言えよ! 《「ヒゲ生やしたら建築家」とか「””建築家ポーズ”” とったら建築家」とかいう発想はやめろ! 》と。
  そういうちっぽけな野郎が世の中、いっぱいいるみたいだ・・( 一一)
  「第1種低層住居専用地域」というのは都市計画法第9条 1 で、
《 第一種低層住居専用地域は、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。》

( WIKI BOOKS 都市計画法第9条 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%A8%88%E7%94%BB%E6%B3%95%E7%AC%AC9%E6%9D%A1
と定められている地域だ。そのすぐ南側に ↑ のような巨大な岩山を人工的に作るというのは「低層住宅に関わる良好な住居の環境を」破壊する行為であり、まがりなりにも大学の建築学科の教授⇒名誉教授 がそのあたりの認識が欠けているというのでは、それでは「名誉教授」ではなく「不名誉教授」であろう。
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36) - なだ いなだ
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権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
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現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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自由からの逃走 新版 - エーリッヒ・フロム, 日高 六郎
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  参道を降りる際に見える景色は登る際に見えたものとは別のものです。↓
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  階段を降りきって、「岡村天満宮前」交差点の方を見ると、↓
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( ↑ 横浜市磯子区岡村2丁目13-11 岡村天満宮。)
※ 岡村天満宮HP http://okamura-tenmangu.com/
ウィキペディアー岡村天満宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
横浜市HP 見どころ 岡村天満宮 https://www.city.yokohama.lg.jp/isogo/shokai/midokoro/isogomidokoro/tenmangu.html

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html   は、岡村天満宮の南側・西側に隣接する岡村公園の梅林について。

  (2022.3.5.)

● 
《 今日(初版が発行された1974年、第5版 が発行された1978年)では、すべて社会主義国にぞくしている東ヨーロッパは、歴史をさかのぼると、民族的にも宗教的にもかなり複雑である。しかし民族の主体はスラブ人であるといってよい。スラブ人は紀元前後、カルパチア山脈の北方を原住地とし、イラン系遊牧民のスキタイやサルマト、ゲルマンのゴート族の文化的影響を受けた。 4世紀以後、周囲に広がり、東スラブ、西スラブ、南スラブに分かれだし、東スラブはやがてロシア人となる。 西スラブはポーランド人、チェコ人、スロワク人となり、ドイツ人とふかいかかわりをもつ。 南スラブは、北方ユーラシアの騎馬民族の攻撃を波状的に受けた。フン、アバールに続いて、ブルガール、マジャール、ベチェネグなどがそれで、ブルガール人は南スラブと混血し、今日のブルガリアの祖先となる。マジャール人はスラブ人に吸収されず、ハンガリーをつくる。南スラブのセルビア人は、12世紀ごろバルカンで国をつくった。》
《 (第5版が発行された1978年)ソビエト社会主義共和国連邦の面積は、2,240万平方キロで、世界陸地のやく6分の1をしめ、世界第1。 そこには、15の民族共和国、20の自治共和国、8の自治州、10の民族管区がふくまれる。
  人口は約2億4500万人で世界第3。民族は主要なものだけで50余、少数のものもかぞえると200をこえる。全人口のうち、スラブ族がやく75%、大ロシア人が60%近くをしめる
多数の民族の歴史は複雑だが、・・・
  ロシアという名は、後述のキエフ公国の地域についていわれた「ルス」に紀元がある。 ・・》
〔 学習資料「世界史」編集委員会 『学習資料 世界史』1974.初版。 1978.4.1.5版。 (株)ほるぷ総連合 〕
 「スラブ人」は東スラブ・西スラブ・南スラブに分かれ、そのうちの「東スラブ」が「ロシア人」で、旧ソビエト連邦ではスラブ人が75%を占めて、「大ロシア人」が60%を占めるという。
  《広い意味の「ロシア人」》が「大ロシア人」(狭い意味の「ロシア人」)と「大ロシア人」以外とに分かれるらしく、「大ロシア人」というのが普通に「ロシア人」と言っている人たちで、「大ロシア人」以外の広い意味の「ロシア人」にはどういう民族が属するのかというと、どうも、それが、ウクライナ人とベラルーシ人のようだ。
  私が小学生の頃、1970年の大阪万博の頃、国連にはソビエト連邦と別に「白ロシア」と「ウクライナ」が加盟していて、もしも、「白ロシア」と「ウクライナ」が加盟するのならば、ソビエト連邦は加盟するべきではなくロシア社会主義共和国が加盟するべきではないのか、ソビエト連邦が加盟するのなら「白ロシア」と「ウクライナ」が加盟しているというのはおかしいのではないか、まるで、「日本国」と「大阪府」と「愛知県」が加盟しているみたいな感じだった。ソビエト連邦を構成する15の連邦共和国のうち、ロシア社会主義共和国を別とすると、ウクライナと白ロシアの2国だけが国連に加盟していたということは、その2国はロシア社会主義共和国以外の14の共和国の中では有力な国なのか? ・・と思ったが、それでも、ロシア共和国と比べると大きな差があったようだ。
  「白ロシア」とはどういう意味なのだろう。「白ロシア」と単なる「ロシア」があるのか。「白ロシア」の人というのは色が白いのか? ・・なんて思っても、もともと、単なる「ロシア人」も日本人なんかよりずっと白い。1991年のソビエト連邦解体と15の共和国の誕生の後、一般には「ベラルーシ」と言うようになって「白ロシア」とはあまり言わなくなったが、それは1917年(「人、悔いなし(1917)」ロシア革命)の際に、ロシア革命に賛成したロシア人を「赤いロシア人」と言い、ロシア革命に反対・抵抗して国外に脱出もしくは逃亡したロシア人を「白いロシア人」と言う言い方があることから、その意味での「白いロシア人」との混同をさけて「白ロシア」と言わずに「ベラルーシ」と言うようになったらしい。
  単なる「ロシア人」を「大ロシア人」と言うらしいが、それなら「小ロシア人」はいるのかというと、ウクライナ人のことを「小ロシア人」とも言うらしい。「大」と「小」とはどういうところからきた言葉だろうか。背の高さが「大ロシア人」の方が高いのだろうか。「大ロシア人」の方が人口は多そうだが、そこからだろうか。 《ウィキペディアー小ロシア》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2 には
小ロシア(しょうロシア)あるいは小ルーシ(しょうルーシ、ギリシャ語: Μικρά Ρωσία)は、東欧の地名で、ルーシ人の本土を指す用語で、ウクライナの旧称の一つである。14世紀にギリシャ正教会の行政概念として登場したものの、17世紀以降にロシア帝国の政治概念に変貌していった。20世紀初頭よりウクライナの蔑称として用いられる。》
本来の「小ロシア」は「ルーシの本土」を意味していたが、18世紀末以降ロシア帝国の辺境地としてウクライナの地方性を強調する「小さなロシア」という意味に変わった20世紀初頭に「小ロシア」はウクライナの知識人によって蔑称として認識されるようになり、マスコミ・文学・学問・政治などにおいて「ウクライナ」に改変された。
20世紀に存在したウクライナ人民共和国ならびにウクライナ・ソビエト社会主義共和国において「小ロシア」は否定的な意味を持つ用語として公式な使用から削除された。現在のウクライナでも「小ロシア」は否定語の色合いを維持している。しかし、ロシア連邦の政府関係者、右派的マスコミと研究では現在のウクライナに対し「小ロシア」の用語は用いられることがある。 》
とある。
 「白ロシア」がロシア革命に賛成した「赤いロシア人」に対して、ロシア革命に反対したロシア人を「白いロシア人」と言うのと混同しないように「白ロシア」と言わずに「ベラルーシ」と言う方が一般的になってきたが、「小ロシア」はもともとは「ルーシの本土」を意味していた言葉だったが、20世紀以降においては蔑称の意味あいと考えられるようになり、「ウクライナ人」という言い方をして「小ロシア」「小ロシア人」とは言わないようになったらしい。
  プーチンなどからすると、「大ロシア人」とともに「ベラルーシ」も「ウクライナ」も《広い意味の「ロシア人」》(「東スラブ」)に属する民族だという意識があるのかもしれないが、「ウクライナ人」からすると民族的に近い位置にあっても別の民族だという認識で、ウクライナ人としてはウクライナはウクライナ人の領土でウクライナの政治はウクライナ人が決めることだと認識しているのに対して、プーチンなどの意識としてはベラルーシもウクライナも「ロシア」の一部で、ロシア連邦に「取り返したい」という意識がある・・ということだろうか。
  クリミア半島については、かつて、ソビエト連邦で最初はロシア社会主義共和国に属していたものを、フルシチョフの時代にウクライナ社会主義共和国に移管したという経緯があって、ロシア連邦の側からすると、そこはウクライナではなくロシアの側の領土だという意識があった・・のかもしれないが、今回のロシア軍のウクライナ侵攻は、ウクライナは「ロシア」の一部分だということにしようとするもの、「ウクライナ共和国」と「ウクライナ人」というものの存在を否定しようとしての動きではないか。そうなると、民族としての存在を否定しようとする側と否定されるわけにはいかない側とでは簡単に妥協できるものではないのかもしれない・・が、近い位置にある民族である者が両者が納得の上で「連邦」を構成するのなら、それは悪いことではないであろうけれども、一緒にはなりません、一緒にはなりたくありません・・と言っている相手を無理矢理一緒にしようとするというのなら、それは「社会帝国主義」から「社会」を取り除いたもの⇒「帝国主義」でしかないことになる・・と思う。
  プーチンはウクライナに対して「非武装」と「中立」を求めているというが、ロシア軍に支配された状態での「非武装」「中立」というのは「事実上、ロシアの属国」を意味するのではないかもしも、ウクライナがそれを受け入れて「非武装」=武装解除 したならば、「中立」というのは事実上「ロシアの属国」という意味であり、次の段階でウクライナという独立国ではなく、ロシア連邦に所属する「自治共和国」か「自治州」か「民族管区」にされて、さらにその次には「民族管区」も廃止されてロシア連邦内のロシア共和国の一部分にされてしまうという可能性が小さくないのではないか。『キツネの裁判』というお話があったが、ずるいキツネに狼が決闘を申し込むが、キツネはその前に狼を陥れて狼の牙と爪を抜いてしまい、「牙と爪を失った狼」なんてどうってことないと勝負する・・というが、「非武装」と称して武装解除などして後から「しまった」と思っても「牙と爪を抜かれた狼みたいなもの」になるだろう。
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( ↑ 「朝日新聞」2022.3.5.<朝刊> )

  ところで、ここ何日間か、私のブログで、[第164回]《G(ゴルゴ13)に依頼する方法 「讃美歌13番」とはいかなるものか》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_7.html の閲覧者数が多く、私のブログの稿の中で一番多い閲覧者数を連日続けているのだが・・・、もしかして「プーチンを暗殺してもらいたい」とゴルゴさんに依頼したい・・なんて考えている人がいるのかあ?
  (2022.3.5.)


☆ 岡村天満宮(横浜市磯子区岡村2丁目)参拝
1.蒔田(まいた)駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り、「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。岡村天満宮とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 〔今回〕
7.岡村公園の梅園。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html 

★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚他 〔今回〕
7.岡村公園の梅園。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html 
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html

東京都 
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html 
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html

埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html

千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 
新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html

静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html

(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html 

京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ、一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html

高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html  

絶望の裁判所 (講談社現代新書) - 瀬木 比呂志
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