大雪の日の深夜、高齢の母を入院させて帰宅できなかった話。「子供」を大義名分に世話になった相手に恩返しをしない女とその子供。独居老人で犬を飼いたがる人を見捨てるポチパパの限界。労基署・労働基準監督官が不良企業の不良経営者を守る場合は直接、検察庁に告訴状を持参すべし。
[第911回]
今まで勤めてきた会社において、「子供」を大義名分にすると何やっても通じる・・という会社が複数あった。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では1993年、千葉県松戸市の展示場(松戸市岩瀬 ハウジングギャラリー松戸内。今はその場所にはない)で、進藤(男。当時、20代後半の後半)が子供が産まれてすぐの時期に「子供」を理由に掲げて昼過ぎに出勤してきたが、(株)一条工務店はそれでも始業時刻から勤務した扱いにした。又、1992年、東京展示場(江東区潮見。ウッディランド東京内。今はウッディランド東京はない。)にて、服部(男。当時、20代後半)が嫁がどうとかいう口実で昼過ぎに出勤したところ、(株)一条工務店はそれでも始業時刻から出勤したという扱いににした。それに対して、私が朝、出かけようとすると、高齢の母がむずがってでかけられず、「もう、行かなきゃ遅刻してしまうから」と言っても「なんでやねん。私がいるのにあんたは出かけるのか」と言ってきかず、出かけることができず、やっと家を出ることができて大急ぎで走って行って5分未満遅刻すると減給された。
(’1)会社は従業員に対して公平でないといけないはずで、これは「公平性の欠如」といったものであり、会社使用者・経営者はこういった対応ではいけない。
(2)又、もしも、始業時刻に遅れたから減給というのであれば、終業時刻をはるかに超えて時間外労働をしていたのだから、それに対して、当然のことながら時間外賃金を支払わないといけなかったはずである。時間外賃金未払いの会社が、母親がむずがって家を出ることができずに5分未満の遅刻をしたということで減給するというのは不当であろう。(株)一条工務店といいう会社はそういう会社であった。
子供というものは作ろうと思って作るのに対して親はそうではない。子供は親がその子供を育てたのであり、もしも、気に入らない子供ができたなら親にも責任はあるはずだが、配偶者はその人と結婚しようと思って結婚したはずだが親はこういう親が欲しいと思ってその親を持ったのではないが現実にその親があるのだ。よその親を見て「いいなあ」と思っても、よその親はよその親であり自分の親ではないのだ。親というのは高齢になって若い頃よりは扱いやすくなる面もあるとしても、扱いにくくなる面もある。うちの母親が、なぜ、私が朝、出勤しようとすると「なんで出かけるのや。もうちょっといたらいいだろう」と言うのかというと帰宅が遅いからだ。(株)一条工務店では終業時刻は午後7時00分ということになっていたが、1993年に松戸展示場に勤務していた頃は、毎日、夜2時過ぎての帰宅になることが続いた。だから、帰ってきたらこれを話そう、帰ってきたら・・と思っていた母親は、何も話せず、何もできないままに、帰ったばかりなのにまたすぐに出かけるということになっていたから、だから、「まだ、いいじゃないか」と言って家を出してくれなかったのだ。実際のところ、1993年頃の(株)一条工務店で私がさせられていた勤務状態というのは、あれは人権侵害だ。
本来、営業所長というものは従業員の勤務状況を把握して、そのあたりを配慮しないといけない。松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫は、なぜ、従業員に人権侵害としか思えない勤務を強制したのか・・というと、それは「自分自身が営業しない営業所長」だったからだ。私などが、夜、契約につながるかつながらないかにかかわらず、深夜まで客宅に訪問して話をして、展示場に戻るのは夜中に12時を過ぎて、それから帰宅していたというまさにその時、私などがへとへとになって働いていたまさにその時、おっさんはフィリピン人女性ネイティブスピーカーからマンツーマンでアルコール付きタガログ語講座を受講しておったのだから、私みたいに会社の上役の言うことは聞かなきゃいかんのだろうと思ってそういうおっさんの言うことに従っていると体を壊すような勤務を強いられることになるわけだった。
〔語学の学習というものは、なんちゅうてもネイティブスピーカーから直接指導を受けるのが習得の早道・・というのは、あのおっさんを見て思った( 一一)
日本においては「英語が話せる」「フランス語が話せる」「イタリア語が話せる」というのは、その能力を評価されるだけでなく、人間としての評価も高くなるようなところが現実にあるが、「タガログ語が話せる」というのだけはマイナスの評価になるし、マイナスの評価とするべきであろうと、これも、あのおっさんを見て思った( 一一) 〕
時間外手当というものは会社は当然、支払わないといけないものだ。それを支払わずに貯め込んだカネで浜松市に「防潮堤の費用」と称して300億円の「寄付」をおこない、「初代社長」という奇妙な肩書で大澄賢次郎がでてきて「大澄賢次郎は男でござる」などとインターネット上に書かれているのだが(誰がそんな文句を公開したのか、自分で入れて公開したのか、バッカじゃなかろかルンバ♪・・て感じだが)、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友・静岡県知事の川勝平太、あっせんしたという(株)スズキの相談役で勲二等を受賞しているらしい中央大学しか出とれへん「上級国民の鈴木修」らは、なんだか大澄賢次郎からもらったみたいに思っているようだが、そうではない。それは(株)一条工務店の従業員・元従業員に支払っておかなければならなかったカネを削り取って貯め込んだカネであり、又、本来ならかけておかなければならなかった安全対策費用をかけずに貯め込んだカネの一部分を出したものである。
それから、たとえば、1993年前半、私が千葉県松戸市の展示場に勤務していた時、若夫婦の世帯が千葉県柏市に住んでいて、奥さんの両親が横浜市に住まれていて、奥さんの親が住んでいる家を建て替えて、旭化成などが主唱していたような「二世帯住宅」にして住んだらどうかといったことを考えていた方があり、その方は、都市型「二世帯住宅」を提案していた旭化成・戸建住宅業界1位の施工棟数で旭化成ほどではないが「二世帯住宅」にも関心を払っていた積水ハウス・親の方は木造志向ではないかと思われたことから在来木造の施工棟数1位の住友林業・和風ではなく洋風外観でということから和風のイメージがあった住友林業とは逆に洋風のイメージが強かった三井ハウスの4軒の展示場を見に行って、その4軒の中からどこかに頼もうと考えていた方で(株)一条工務店は「問題外」「検討対象外」かつ「相手にしてはだめな会社」という評価でしたが、ハウジングギャラリー松戸 で(株)一条工務店の展示場の向かいにあった住友林業(株)の展示場を出てこられた後、小学校低学年くらいの息子さんが順番に展示場に入って見ていくものかと思って(株)一条工務店の展示場に飛び込んできて、そして、子供の母親はどうされたかというと、(株)一条工務店の展示場の入口から「これえ、◇◇。ここは入らないのお。ここは入っちゃだめえ! 早く出てきなさい。ここは入っちゃだめな所なのよお! 早く、出なさ~い!」と中に向って大声で叫ばれたのでした・・が、私が「まあ、そう言わずにここまで来られたことですから、中に入って見ていってくださいよ」と話して入場してもらったという方でした。そこから、なんとか、相手にしてもらえるようにはなったのですが、しかし、旭化成などが提唱していたような都市型・新タイプの「二世帯住宅」を考えていた人に、「二世帯住宅」というと「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住める家」という「昔ながらの農家型三世代同居住宅」のものだと信念もっている(株)一条工務店で対応するのは難しい、すでに4社を候補としてあげておられて、本命でなく対抗馬でもなくダークホースでもなく穴馬ですらなく大穴ですらなかった会社がなんとか挽回して・・と思っても簡単ではなかった。それでも、柏市に若夫婦の世帯が住まれていて、横浜市に親世帯が住まれていたということで、両方にアプローチした方がいいと思って横浜市の両親の方にも訪問させてもらったところ、夜遅くまで話を聞いてもらうことができました・・・が、横浜市というのは広くて、東京都の隣の川崎市のすぐ隣あたりの横浜市ではなく「きっちり横浜市」で午後11時過ぎまで話をさせてもらい、そこから松戸展示場まで戻った時には、もう午前1時半くらいで、それから自宅に帰ると午前2時半を過ぎていました。それから風呂に入って寝ても始業時刻の午前10時より前に出勤しようとすると、就寝できる時間はわずかです。そういう場合については、結果として契約になってもならなくても、実際のところ、翌日の午前は少々遅く出勤したとして、それがいったい何だ! ・・という気もしますし、それで遅刻したとしても、だから給料を引くというのならば、それならば、千葉県の松戸展示場から「きっちり横浜市」まで行って夜の11時過ぎまで話をして、もとより(株)一条工務店なんて検討対象外だった人になんとかこちらに気持ちを向けてもらう方法はないだろうか・・などと考えて奮闘なんてしない方がいいということになります。
そういう場合ですが、1992年8月に浜松市の展示場から東京展示場に転勤してきた小野田くん(男。当時、20代前半)が言うには、浜松の展示場の所長で「通算契約棟数全国2位」だった平松さんなどは、そういう場合には、あらかじめ、ホワイトボートの自分の名前の所に、翌日の日付を入れて「☆☆邸直行」と書いて帰るらしい。そして、実際は「☆☆邸」に行くのではなく自宅で昼頃まで就寝して出勤するようにすればいい・・という方法で、これは全国の(株)一条工務店の営業所で実際にやっていた人がけっこういたようです。私は松戸展示場に勤務していた時は入社2年目でそういうことをよく知らなかったし、又、会社の為に(株)一条工務店が弱い地域で契約いただこうと必死に奮闘しているのだから、会社・使用者は当然のことながら、そういった勤務をしている人間の勤務態度について理解しているはずであると思い込んでいたし、それを理解できない経営者・使用者ならば経営者・使用者としておかしいと思っていたのでした・・・が、(株)一条工務店の経営者というのは実際に「おかしい」経営者だったようでした。「さぼっている」のなら良くないでしょうけれども、松戸から「東京に近い場所の横浜市」ではなく「きっちり横浜市」「どっぷり横浜市」まで行って〔横浜市というのは無茶苦茶、面積が広いですからね。「空の広さは浜松の広さと同じだ」と心の底から信じている「一条オリジナル遠州人」には決して理解できないことですが、日吉とか鶴見とか多摩プラーザとかいうような「東京に近い横浜市」ならまだしも、「どっぷり横浜市」まで行って帰るにはけっこう時間かかりますからね。〕夜の11時半まで話し込んで、それから、「本社」が「直帰するな」と言ってきたものだから松戸展示場までいったん戻った上で、そこから船橋市の自宅まで帰ったのですが、そうすると家に着いたのは午前2時半くらいだったと思うのですが、契約になってもならなくても、真夜中までそれだけ働いている者に対しては、会社はそれに対しての配慮というものがあっていいはずでしたが、(株)一条工務店の経営者にはありませんでした。
1990年代、福島県いわき市の営業所にいた・営業本部長の天野隆夫と親しい・本人の話によると暴力団関係者らしい馬上(もうえ)(男。当時、20代後半)は、午前10時00分が就業規則上の始業時刻の会社において午前中に出勤することが月に5日以上あった月はほとんどなかった。いくらなんでも、それで減給されないのか?・・というと、営業所の他の従業員がいない頃にやってきてタイムカードを操作して午前10時より前に出勤したように押していたようで、いくらなんでも、それはいかんのではないかと私は思ったが(株)一条工務店は馬上が営業本部長の天野隆夫と懇意な従業員だからかそれを認めていた( 一一)
私は、前日に比較的遠方の客宅に行って夜中の1時まで話をして、そこから1時間以上かけて営業所(展示場)まで帰ってきたとか、そういった勤務をした翌日については、「◇◇邸 直行」とホワイトボードに書いておいた上で昼過ぎに出社するとか、そういったことについては寛容であっていいと思っていますし、厳しくしない方がいいと思っていましたし、今も思っています。
1992年に(株)一条工務店に入社した時、本社からの「通達」として「たとえ、特に用事がない時でも夜9時までは必ずいること」「タイムカードは午後9時を過ぎてから押すこと」と記載されていて、それでは労働基準法違反であろうが・・と思ったものでしたし、東京営業所(東京都江東区潮見)では夜の8時台に何人もが何もしないで9時になるのを待っている・・という変な状態が続いていて、馬鹿なことやってるなあと思ったものでした。本当に精力的に働かないといけない時の為に、休養とれる時にはさっさと帰って休養とるようにした方がよっぽど成果がでるだろうに、馬鹿じゃないか・・と思ったし、それ以上に労働基準法違反の証拠を残せと「本社」が活字にして各営業所に送付してきている(株)一条工務店という会社というのも困った会社だなあと思いました。
しかし、他方において、たとえば、2001年に栃木県佐野市の営業所(展示場)に入社した久保(男。当時、30代後半)などは入社してから契約ゼロであったにもかかわらず、ほとんど毎日、定時過ぎた頃に退社しており、朝は人より先に出社してひとりで展示場の掃除をしたりしていたようですが、私や「高木のおっさん」のような継続的に一定以上の契約をあげてきた者が、毎夜、終業時刻後に見込客宅を訪ね、訪問に適さないが電話なら可かと思われる時刻には電話したりしていたのですが、入社して契約ゼロの男がほとんど毎日、定時過ぎに退社して家族団らんしているというのは、それでいいのか? ・・とも思えました。ある程度、継続的に契約をあげることができるようになった人ならば、その人のペースで営業活動をやっていいと思いますが、久保さんのように入社してまだ契約が1つももらえていないという人の場合は、特に用事がある時とかは定時に帰ってもかまわないと思いますが、そうでない時には毎日でなくてもいいから、自分自身の仕事がたとえなくても展示場に午後9時頃まではいるようにすれば、先輩社員が終業時刻後にどういう動きをしているか見える・見れることがある・・のに、それを、久保さんのように、ほとんど毎日、定時過ぎに退社していたのでは、それでは先輩社員がどういう動き方をしているかなんてわからないはずでした。ですから、久保さんのようなそういう人は、毎日でなくてもいいから、たとえ自分自身の仕事が特になくても午後9時過ぎ頃までは展示場の事務所にいるようにすれば、私や「高木のおっさん」が何時頃に外から帰ってくるかとか、事務所で電話かけたりしているかとか、そういったものを見ることができたはず・・なのに、久保さんは自分自身に営業の実力があるわけでもないのに定時過ぎにほとんど毎日、帰っていた。労働基準法と就業規則とから考えるならば定時に退社しても悪いということはないのだけれども、しかし、片方で、ある程度以上、継続的に一定以上の契約をあげてきた者が毎夜、客宅に訪問して契約につなげようと努力しているのに、入社してまったく実績があがっていない人が「これではなあ」・・と思った。
ある程度以上、継続的に一定以上の契約をあげた者は、別に「特に用事がなくても午後9時過ぎるまでは展示場にいること」なんてしなくていいと思います。むしろ、仕事がなければさっさと帰って休養とっていいと思うし、その人のペースで動けばいいと思います。落合が中日の監督になった時に「すべての選手に『オレ流』を発揮してもらいたい」と発言したのと同じく、ある程度以上、継続的に契約をあげてきた人は「オレ流」でやっていいと思いますが、しかし、入社したばかりで契約ゼロの人というのは、毎日でなくてもいいから、夜9時過ぎまでは展示場の事務所にいるようにすれば、先輩社員が訪問から帰ってくるのを見たりできて、そこから先輩社員の動き方を見て学べるものがあったはずで、その意味で「午後9時までは特に用事がなくても展示場にいること」と言うのなら間違いではないと私は思います。
私は、前日の夜、比較的遠方の客宅で深夜まで話し込んだというような場合、その見込客が契約になってもならなくても、そういうような場合に、ホワイトボードに「◇◇邸直行」と書いておいて翌日は昼過ぎに出勤するとか、そういうものには寛容であっていいと思っています。もしも、それがだめだと厳しく言うのであれば、それならば、佐野展示場にいた久保さんみたいに契約が出ていないにもかかわらず、毎日、朝は始業時刻よりも早くに人より早くに出勤して自分だけででも掃除してくれるけれども、帰る方も早くてほとんど毎日定時過ぎに退社して家族団らんしている・・というそういうのがいいのか? そうした方がいいと言いたいのか? ・・ということになります。仕事の性質上、そうではないはずなのです。ですから、前日の夜、比較的遠方の客宅に行って深夜まで話し込んだとかそういうような場合には翌日の朝の出勤については、あまり厳しく言わない方がいいし、厳しく言うべきではないと思いましたし今も思っています。
それで・・・、馬上さんの場合はどうだったのかというと、別に前日の夜に深夜まで客宅で話し込んだとかではないのです。ひとつにはM上さんは いわき市平 田町(たいら たまち)のクラブのホステスのTさんと同棲していたので《「生活のリズムが世間一般の仕事よりも夜型の住宅営業」よりもまだ夜型であるクラブのホステスに合わせた生活リズム》であったことから、午前10時の始業時刻までに出勤するのは相当きつかったのではないか・・ということもあるかもしれないけれども、そんなことよりも、始業時刻までに出てこようという気が本人にないということが原因で、M上さんはまったく出勤しない日の方が圧倒的に多かったけれども、出勤するにしても午後になってからということが多く、クラブのホステスの生活リズムに合わせた生活をしていたから午前中に出勤するのはきつかったのならばパチンコ屋のオープンの日も午前中にパチンコ屋に行くのはきついはずだが、ところがパチンコ屋の新装オープンの日になると「急がなきゃ♪」とか言って午前10時より前に来て走っていく・・ということができる( 一一) ・・ということは、それは午前10時までに出勤する気になれば出勤できたが、始業時刻までに出勤する気がないからだったということでしょう。新装オープンのパチンコ屋に出勤する日にはきっちりと午前10時より前に行けたのですから( 一一)
M上正一(まさかず)さんは、そうやって、午前中に出勤することなんて月に5日未満・・というよりも、3日以下の月がほとんどだったはずで、それも、前日に深夜まで客宅で話し込んだからとかそういった事情からではないのであり、それは誰もが知っていたことであり、いくらなんでも、それはいかんだろう・・・と思ったのでしたが、(株)一条工務店という会社は「本人の話によると暴力団関係者らしいM上」にはそれを認めていたのです。
M上は最後、退職する直前、いわき市の営業所から福島市の営業所に転勤していったS藤K一(男。当時、20代後半)に「K一、俺、もうこの会社で俺の味方はおめえしかいなくなっちまったよ」と言って味方につけようとして、S藤K一はそれに対して「え」と言って「俺を巻き添えにするな」みたいな態度をとっていたのだが、実際には馬上の味方は営業本部長(で初代社長の大澄賢次郎の義理の弟)の天野隆夫・福島県中通り地区の所長で「大澄(初代)社長の腰巾着」の片山の2人、それに総務部長の天野雅弘の計3人がいたはずで、それらに頼れば「暴力団関係者らしい馬上」は(株)一条工務店という会社おいてはは””怖いものなし””だったはずで本人もそう思ってそのような態度でふるまっていたはずだった。
(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所においては、営業所全体の仕事を「俺はうちの子供の用事があるから」と言って子供がない者にさせて先に帰るという人がいた。「子供がない者」はそういう所で「子供がある者」よりも多く働いていたはずだった・・にもかかわらず、(株)一条工務店は「家族手当」の割合が大きく(子供がある者の給料が高いのではなく、子供がない者の給料が安かった)、「俺は子供があるから」と言って営業所全体の仕事を「子供がない者」に押しつけて先に帰る人に「子供がない」という理由で営業所全体の仕事を押しつけられてさせられていた者よりも相当多い給料を支払っていた。かつ、税金を支払う時になると「子供がある者」は扶養控除を受けることができた。そこまでならまだしも、そのうち、公明党が「子供手当」などというものを支給しだし、さらには民主党は「子供がある人」に「地域振興券」などというものを配布した。
1998年、栃木県佐野市の展示場で、S藤(男。当時、30代なかば。小学校に行くかどうかくらいの子供あり)が上岡(男。当時、40代。高校生の娘だったか、子供あり)に「(子供がある親に支給される)地域振興券て、あれ、子供の為の物を買う?」と言うと、上岡が「バカか。そんなもの買うわけないだろうが。俺の物を買うに決まってるだろうが!」と言うのだった。無神経な連中である。税金から「子供がある親」に「子供手当」だの「地域振興券」だのを支給するということは、「まだふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる者」「結婚はできたが子供が欲しいと思いながらもできずにいる者」から取り立てたカネから「結婚できて子供もできた者」にカネを渡すということであり、そうやって受け取ったカネを「子供の為になんか使うわけないだろうが。俺の物を買うに決まってるだろうが!」と言うのだった、要するに公明党の「子供手当」とか民主党の「地域振興券」というのは私から奪い取ったカネを上岡が上岡の物を買うように上岡にくれてやる、という制度だったのだ。公明党は反社会的勢力と言うべきであろう!
母親が90代まで生きてくれたおかげで、歳をいくと人間はどう変化するのか身をもって知ることができた。 駅で電車に乗る場合やスーパーで買い物をする場合でも、最初はエレベーターでもエスカレーターでもよくて、下りよりも上りの時にエレベーターかエスカレーターを欲しがった。そのうち、階段を降りるのが怖いと言って上りよりも下りの時にエレベーターかエスカレーターを欲しがった。 そして、エレベーターとエスカレーターならば、エレベーターはかつては「エレベーターガール」だか「エレベーターおばさん」だかがいたが最近は自分で操作する方が普通になってきているのだが、ところが、おばあさんはエレベーターの操作ができるかどうか不安なので、それで、エレベーターではなくエスカレーターの方がいいと言い出した。ところが、さらに歳をいくと、今度はエスカレーターに乗る時、エスカレーターから降りる時が不安で、その為、エスカレーターに乗れなくなってしまい、エスカレーターではなくエレベーターでないと乗れないようになってしまった。
さらにそのうち、車椅子に乗らないと移動できなくなってしまった。車椅子というのは、折りたたんでもけっこう重い。自家用車に乗せてレストランに連れていき、トランクから車椅子を降ろして車椅子に乗せて押してレストランなどに連れていき、又、車椅子で自家用車まで戻り、自家用車のトランクに車椅子を収納するという作業をすると、車椅子を降ろしたり載せたりするのはけっこう大変だ。こちらもそう若くなくなった者としては、年齢をいって体重が軽くなったお婆さんをおぶってレストランの席まで連れていくのと車椅子をトランクに収納して、又、トランクから降ろしてするよりも、おばあさんをおぶって連れていく方が楽だと思われるのだが、ところが、歳をいったおばあさんというのは、おぶられるのを嫌がるのだ。・・だから、大阪府箕面市の阪急「箕面」駅から箕面大滝へ行く「滝道」の脇に、笹川良一がお母さんをおぶった像というのが立っていて、「どうじゃ、このわしはこんなに親孝行やねんぞお。わしいみたいに親孝行せえよお、親孝行。親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ、まんまんまんまんまんまん・・」と笹川良一が言いたいらしいのだが、よくまあ、あんな趣味の悪い像を作ると思う。 笹川良一はお母さんをダシにして「わしはこんなに親孝行やねんぞお」という像なんてものを、その費用は競艇ですって母親を泣かせた男のカネで作ったのだ。 実際に高齢の母親の世話をしてみるとわかると思うのだが、笹川良一という親不孝ものは実際に母親の世話をしていないのだろう。だから、わからんのだろう。お母さんをダシにして「わしは親孝行やねんぞお」の像なんて作る親不孝者が笹川良一である。 お母さんからすると、おぶられたくないと思うよ。
それで、千葉県から東京都にかけてでも、年に1度か2度、雪が積もる時がある。2022年2月10日の夜、11時頃になると雪が積もっていた。 1994年、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、会津若松市で建てたいという人に土地を捜して購入してもらって建ててもらったことがあったが〔その方が(株)一条工務店が会津若松市で建てた1棟目だった〕、その際に言われたのが「いわき ならば、たいして雪は降らないから坂がある山地でもいいのだけれども、会津の方は雪が降るから山地は嫌なんです。雪か坂かどちらか片方ならまだいいのだけれども、会津の場合は両方になる可能性があるんです」と。 我が家も坂の中腹のような場所にあるので、会津みたいに雪は降らないけれども、年に1度でも雪が積もると「雪と坂の両方がある」状態になる。坂がなければ、たとえ、雪が積もった場所をノーマルタイヤで走行しようとしても、走れるか走れないかだけだが、「雪と坂の両方がある」状態でノーマルタイヤで走るのは危険だ。
その2022年2月10日(木)、母が膝痛ということで病院に行った。コロナウイルスの問題から対応してもらえる病院を捜して、やっと見てもらえるという病院が見つかって行ったのだが、消化器内科が担当だという当直医に診察してもらい、入院の上で翌日に整形外科医に診察してもらって「偽痛風」という診察を受けた。「偽痛風」というのは「痛風のふりをしている仮病」みたいな病名だが仮病を装っているわけではなく、正式な病名が「偽痛風」と言う。
※ 《ウィキペディアー偽痛風》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E7%97%9B%E9%A2%A8
実際のところ、こちらも若くなくなってきた今日、おばあさんの対応もけっこう疲れる。 うちの母は「あんたが30代で産まれたから迷惑やった」と言いまくっていたのだが、30代で産まれた息子がいるから、だから、まだしも、100歳近い年齢になっても、まだ、「世話する側」の息子がいるわけで、もしも、20代で産んでいた息子なら、母親が100歳近い年齢になったら息子も80歳に近い年齢の息子になっている。 うちの父親は、毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして「産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに」と叫び続けてきたが、その「産まれなければよかった」息子がいるから、まだしも、100歳近い年齢のおばあさんの入院に対応するのだ。
私が中学生の時、うちの母親は「あんたのおかげで私は血圧が高いんや」と言って、そして、わざわざ、よりによって私の中学校の同級生の父親がやっている内科医院にかかりに行った。そして、「息子のおかげで血圧が高いんですわ」と言ったらしいのだが、その医師は比較的良心的な人だったようで、そう言われてどうしたかというと、「それじゃあ、血圧を測ってみましょう」と言って測定して、そして、こう言ったらしい。「別に高くないですけれどもねえ」と。
ところが、「私は息子のおかげで血圧が高いんですわ」と言って、医院に行く前から「悪いやつ」を決めて診察を受けに行った人に、「別に血圧は高くないですけれどもねえ」と言うと、「患者」はおもろないわけだ。「そんなはず、あれしません」と言うのだ。なにしろ、「悪いやつ」まで、すでに本人が自分で「診断」して用意しあ上で医者屋の所に行っているのだから、医者屋としては、その「悪いやつ」が悪の根源だと「診断」する必要がある!・・と患者は思っておるわけだ。
しかし、それでも、その内科医の人はけっこう良心的だったようで、「◇◇さんの場合は、気持ちの問題でしょうかねえ」と言われたそうだ。「気持ちの問題」というのは、実際に血圧が高いのではなく「私は血圧が高い」と思い込んでいるという「気持ちの問題」という意味だが、うちの母親は「息子のおかげでわたしは血圧が高いんや」という「気持ちの問題」だと自己診断をした。そして、私は予定通り「悪いやつ」とされた。・・・それから45年少々経ち、今ではその息子の方が「血圧が高い」と医者から言われるようになった。3年前に胆嚢炎の手術をした時には、手術前には血圧が200を超えていた。それは、おそらく、痛いのを我慢すると血圧が上がるということだったのだろうと思う。手術後はさすがに200を超えることはなくなったが、今も140以上ある。 福太郎で血圧計を購入したのだが、母がどこそこが悪いと言って、しょっちゅう呼び出されると、さらには姉も悪い所があると言って救急車を呼んだりして、そして、姪が来てほしいと夜中に電話してきて言い、しかたがないから行くと、救急隊員から「娘さんにばっかりさせないで、あなたももっとやってあげないと」などと説教された・・が、母親だけでも大変で私からすれば息子ではなく娘でも孫でも母親や祖父のために少しくらい貢献してくれてもと思うところだったが、自分自身の体が手術してまだたいして経っていなくて自分の体が万全ではないのに、そういうことを言われるのはきつかった。
身内に体が悪いという人間が2人もいると、自分自身が血圧が高いとか心臓がどうとか言われても、もう、自分の体なんかどうでもいいよ・・となる。「この子は老後の対策のために産んだ子やから、老後の対策に役立ったら、その後はどうなってもええ子やねん」と、うちの母親は言っていたのだが、私はそういう子らしい。 私が中学生の時、内科医なんて何軒もあるのに、わざわざ私の中学校の同級生の父親の所に行って「息子のおかげで私は血圧が高いんですわ」と言い、血圧を測定して「別に高くないですけれどもねえ」と言われても、「いい~や、そんなことありません。高いはずです。息子のおかげで私は血圧が上がってるんです」と主張してきかなかったうちの母親は、100歳近くなった今現在は特に血圧は高くないらしい。息子の方が「血圧が高い」と診断されている。・・「そんなもの」なのだろう。なにしろ、「この子は老後の対策の為に産んだ子やから、老後の対策に役立ったら、その後はどうなってもええ子やから」というそういう人間なのだから。
2022年2月22日(木)、なんとか、入院させてもらえる病院が見つかったのだが、翌日は「国民の祝日」で、翌々日は土曜日、その次は日曜日で、整形外科医が来るかどうかわからないと言われた。 2月11日て何の日かというと「建国記念日」だ。 週休日が平日の会社に長く勤めてきたら、「国民の祝日」というものがたいして気にならなくなってしまったが、医者というのは基本的には「国民の祝日」は休みらしい。私だって「ともかく国立大学で」というくらいの条件ならば医学部で合格できそうな所はあったと思ったのだが、慶應大学に在学した時、ステューデントカウンセラーズというサークルにいた時のことだが、「自分は小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、経済学部とか商学部とかいった学部に行ってしまうと、せっかく勉強してきたことが無駄になってしまう」と言った人があったのだが、それは私が思ったことと同じだった。経済学部・商学部といった学部を卒業して会社という所に勤めてしまうと高卒の人と一緒の扱いにされてしまう。それに対して、医学部を卒業して病院に勤めると最初から「医師」としての扱いを受ける。文学部・理学部を卒業して教員免許を取得して学校という所に勤めると、最初から「教諭」として扱われる。用務員とか「給食のおばさん」として入社した人と競争させられるとかいうことはない。 工学部を卒業して会社の研究室のような所に勤めると、最初からその大学の工学部卒の人として扱われる。どう考えても、経済学部・商学部卒は損だ。
2022年2月10日(木)は午前中は晴れていたと思うのだが、夕方から雨か雪か微妙というものが降り出した。母が世話になっている老人ホームから連絡があって病院に連れていくからということで、私も自家用車で病院まで行ったのだが、ところが、コロナウイルスの問題と関係があるのかないのか、緊急診療での順番待ちをしていると5時間ほど待つことになったか、入院できたのは午後11時30分頃だった。その時点では道路には雪が相当積もっていた。 病院た建っている場所は平地だが、我が家の近所は坂道がある。 平地であっても普通に走れるという保証はない。
ノーマルタイヤで走るのは危険であるから、タイヤチェーンを巻く作業を始めたのだ・・・が、積雪地に住んでいるわけではないのでチェーンを巻く作業に慣れていない。1時間ほど悪戦苦闘したが巻けず、あきらめた。 もう、午前0時30分を過ぎており、電車は終電が出た後だが、駅の付近まで行くとタクシーがあるだろう・・・と思ったのが甘かった。
今回、入院した病院は駅の前にあるような病院ではなく、通常時で駅から徒歩15分ほどの場所で、積雪時にはそれ以上かかったのではないかと思う。 15分以上も雪道を歩くと靴の中に水がしみこんでくる。 そして、なんとか、やっと京成電鉄の駅にたどりついたものの、タクシー乗り場にはタクシーなんて停まっていない。 昔は公衆電話ボックスというものが駅前あたりにはあったものだが今は携帯電話を使う人が増えたことから公衆電話の数が本当に少なく、公衆電話ボックスというものではなく、公衆電話があっても、そこには「タウンページ」電話帳というものが備えられてういない。 タクシー会社に電話して来てもらおうとしても公衆電話に「タウンページ」が備えられていない。
2014年に川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ 埼玉県の工事現場で右足の甲を骨折した時にタクシーを利用せざるをえず、その際に利用したタクシー会社の電話番号が携帯電話に登録されていたので、それにかけてみた・・のだが、廃業したらしいタクシー会社が1軒、そして、他に2,3軒かけたのだが、いずれも、電話に出てもらえなかった。 雪が積もった日の午前1時となると、もう、タクシー会社の従業員も帰宅した後のようだった。
困った。雪が積もっていなければ、えっちらおっちらと2時間でも3時間でもかけて歩いて帰るという選択肢もあるが、道はおよそ長時間歩けるような状態ではなかった。 付近に24時間営業のファミリーレストランでもあればそこで過ごすか、もしくは漫画喫茶とか、もしくは24時間営業の吉野家・すき家・松屋などがあれば、どうせ、客はそれほどいないだろうから朝までおらせてもらうということができるのではないかと考えたが、ファミリーレストランも吉野家・すき家も1軒もなかった。コンビニでそこで飲食するためのコーナーが設けられている店というのも、それもなかった。
1994年のこと、慶應大学商学部の村田昭治という内部進学らしい教授先生が「商業学総論」という講義の中で、「国鉄は商売気がなかったが、最近、やっと出てきた」と、商売気の方を重視した発言をなさるので、その時点ではJRではなく国鉄で、国鉄の「分割民営化」はまだ決まっていなかった時点において、「民営化」して商売気を出してやっていくべきだというそちらばかりを主張なさるので、この人はどんなものだろうなあ・・と思ったことがあった。「村田昭治先生は、毎朝、家を出る時に嫁さんに三つ指ついてお見送りさせる」という話が慶應大学の学生の間で知られていた。あくまでも「聞いた話」なので、その通りなのかどうかはわからない。 私はそれを聞いてびっくりした。まがりなりにも大学教授ともあろう者がそんな野蛮なことを妻にさせるとは・・とあきれた・・が、村田昭治教授は内部進学だそうだったから、内部進学の専門バカ教授なら、そんなものだったのかもしれない。

マーケティング用語辞典 (日経文庫) - 昭治, 村田
村田昭治教授の「商業学総論」は、会社という所に勤めてみると、そこで聞いた話や村田教授の推薦書などは役に立つものが多く、それゆえ、「売れっ子ゼミ」と言われていたが、しかし、「毎朝、妻に三つ指ついてお見送りさせる」というような野蛮人の男は評価できない。しょせんは内部進学の専門バカ教授だったのだろう。
村田昭治教授は国鉄が「やっと、最近は商売気が出てきた」と、そちらをプラスに評価するのだったが、国鉄を民営化すべきか否かについては、民営化のプラスの面ばかり考えるのではなくマイナスの面もまた考える必要があると思ったのだが、うかつにそういったことを口にすると「ハスに構えているやつ」とか言われそうだった。村田昭治教授が「商業学総論」の講義の時に「ハスに構えているやつというのがいるでしょう。もうだめですね、そういうやつは」と、特に前後の脈絡と関係なしに発言なさったことがあったのだ。「斜に構える」を内部進学の専門バカは「ハスに構える」と読むそうだったが、「斜に構える」は剣道から出た言葉で「シャに構える」と読む。「ハスに構える」は間違いだ。それで、その頃、慶應大学の塾長だった内部進学石川忠雄先生のお友達の中曽根康弘が国鉄の「民営化」を推し進めようとしていたのだったが、私は国鉄を「民営化」した場合と「国鉄」としての運営を続けた場合とどちらがいいのか、国民が自ら考えてみるべきだと思っていたのだったが、ところが村田昭治教授は「民営化」はもう決まったものとした上で、民営化した場合の長所・短所はどうで、国鉄のままでの運営を続けた場合の長所・短所はどうでといったことを国民ひとりひとりが考えて検討して・・といった思考をする人間とかは、そういう人間を「ハスに構えているやつ」と断定して、その上で「そういうやつは、もうだめですね、そんなやつは」と講義の最中に発言したのだった。中曽根康弘が推し進めようとしていた「分割民営化」に対して翼賛する人間というのが、そういう人間が「自我が確立されている」で「独立自尊の精神を持っている」人間で、そういう思考はおかしいのではないかと口にしようものなら「ハスに構えているやつ」と悪口雑言を浴びせるというそういう人だったようだ。「商業学総論」での話はもっともなものもあったが、そうのあたりの内部進学独善主義については、この人は死ぬまでこの精神態度は変わらない、この人のこの病的な精神構造は死ぬまで治らないだろうなあ・・と思い、もしも、商業学系のゼミに応募するにしても、この人とつきあわないといけないというのはきついと思われたので、たとえ、商業学系のゼミに応募するにしても村田昭治せんせいのゼミ以外のゼミにしたいと思うようになった。
※ 斜(しゃ)に構える 剣道で、刀を斜めに構える。転じて、身構える。改まった態度をする。
(新村 出 編『広辞苑 第二版』1969.第二版 岩波書店 )
斜(しゃ) 水平でも垂直でもない方向。または面。ななめ。
「斜(しゃ)に構える」(刀を斜めにして構えをとる。転じて、ある事に対し身構えをする)
(西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編『岩波 国語辞典 第三版』1979.第三版。岩波書店。)
もう一回、言うが「斜に構える」は剣道からきた言葉で「シャにかまえる」と読みます。「ハスにかまえる」ではありません。内部進学の教授・助教授は「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」とおっしゃるでしょうけれども、私は「少なくとも、害はない」と思いますけれどもね。こういうことを言うと「ハスにかまえてるやつ」とか罵られそうで怖い
「マーケティング」は「マーケティング」と頭にアクセントがあり、決して「マーケッティング」と「ケッ」にアクセントがあるわけではなく小さい「ッ」は入らないというくらいのことは「まがりなりにも慶應義塾の商学部の卒業生が理解していないようでは恥ずかしいですよ」と他の商業学系の先生が話されたことがあるが、それと同様に「シャにかまえる」のことを「ハスにかまえる」などと言うのは、それは、まがりなりにも「大学の先生」として恥ずかしいことだと思いますよ・・・なんて言うと「ハスに構えているやつ」とか罵られて「だめですね、そういうやつは、もう」とか言われそうで怖い。慶應という学校では内部進学には逆らってはいかんのだ。あほくさいと思うが、そういう学校なのだ、慶應という学校は。
それで、どうせ、私なんかは慶應の内部進学の教授や学生からは「ハスに構えてるやつ」とか言われ、「慶應心理学」からは「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「診断」されることでしょうから、一生懸命、彼ら内部進学の教授だの学生だのの機嫌なんか取ってもどうもなりませんから、ですから正直に言わせていただきますが、国鉄は「民営化」した方がいい面というのもあるかもしれませんが、「民営化」しない方がいい面というのもあると私は思っています。実際には両方の面があると思うのです。こういうことを言うと内部進学の村田昭治教授とそのシンパの学生から「ハスに構えてるやつ」とか罵られそうで、又、「慶應心理学」からは「自我が確立されていないから、わざわざ、逆らっているということですね」と「ほとんどビョーキ」もしくは「ビョーキ」と「診断」され、電気ショック療法とか「ロボトミー」「精神外科」療法とかされそうで、もう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい!!! そして、中曽根がやることに翼賛する人間が「自我が確立されている」で「独立自尊の精神がある」で「福沢精神」で「アイデンティティーを持っている」で「企業はそういう人間を喜ぶ」で「ギャルにもてもて」とか「診断」するでしょう。「商業学・マーケティング」が専門の村田昭治せんせいが「診断」すると「ハスにかまえてるやつ」という表現になりますが、内部進学小此木啓吾とかが「診断」すると「なんとか人間症候群」「なんだかんだシンドローム」「なんじゃかんじゃ病」と「病気」という「診断」になり、「病気」と「診断」されると次に「治療」されることになりますから、ほんともう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい!!!
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昭和の不思議101 2022年 陽春号 (ミリオンムック 30)
《 いわゆる「ロボトミー殺人事件」が起きたのは1979年だから、もう40年余り前になる。売れっ子のスポーツライターだった男が脳に「ロボトミー」と呼ばれる手術を施され、後遺症に苦しんだ末に担当医の家族を殺害するに至った幽明な事件だ。・・》
( 「別冊裏歴史 昭和の不思議101」2022.4.20.(株)大洋図書。ミリオンムック30 所収、
片岡 健「ロボトミー手術殺人事件」)
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スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」。 )

政治と精神医学―ソヴェトの場合 - S.ブロック, P.レダウェイ, 秋元 波留夫

告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
・・で、もう一度、普通に考えてみてくださいよ。 鉄道は民営の方がいいのか、それとも国営なり都道府県衛なり市町村営なりの方がいいのか? いちがいにどっちとは決まってないと思うのです。両方の面があると思うのです。こういうことを言うと中曽根康弘とか村田昭治は怒るでしょうけれども。むしろ、実際には両方の面があるのに、自分が民営化したいものだから、それに反対する人間とか、もしくは反対しているわけではなく両方の面があるから、両方の面について国民ひとりひとりが自ら考えてみるべきだと言うような人間を「ハスに構えてるやつ」とか罵るというそういう人間の方こそ「シャに構えてる」やつではないでしょうか。
私が子供の頃、電車(及び、気動車)というのは国営もしくは公営が普通だった。私が小学校の4年の途中まで住んでいた所では、一番最寄りの電車というと国鉄で、次に近い場所の電車というと大阪市交通局の地下鉄だった。駅というのは市役所みたいなもので、駅では入場券というのは販売されていたけれども、それでも、駅のトイレを借りるというのは市役所でトイレを借りるのと似たような感じで、駅員さんに「すいませ~ん。トイレ使わせてくださ~い」と言うと、「どうぞお」と言って入らせてもらって使わせてもらえるということが多かった。又、来客を見送りに行った時なども、入場券を買わなくても、駅員さんに「すいません。ちょっと見送りに入らせてくださ~い」と言うと「はい」と言って入らせてもらえることが多かった。 国鉄の駅員や大阪市交通局の地下鉄の駅員というのは市役所職員・府庁職員と似たようなもの、「役人気質」とか「親方日の丸」とか言って否定的に言われることもあったが、「普通の会社の従業員」とは違ってたとえ、民営の電車でも、国営もしくは公営の電車が多かったことから、私鉄の駅員さんでも、電車というのは国営もしくは公営の電車が多かったことから国営・公営の鉄道の駅員に近い存在、公務員に近い感じだった。私が子供の頃、ひとつにはその頃の国鉄は今よりも駅員の数が多かったということもあるとは思うが、母親が何かしたい時に駅員さんに「駅員さん、すいません。この子、ちょっと見ててもらえませんか」とお願いすると、駅員さんは見てくれたものだ。その場合、「駅員さん」というのは市役所職員と一緒で特別に有能かどうかはさておき、決してそんなに悪いことする人ではないという信頼感みたいなものがあった。
最近、YouTube の動画を見ていたら、年寄が駅のトイレを貸してくれと駅員に言ったら、駅員だ「だめだって言ってるでしょ」とつっぱね、「なんで、いかんのだ」と食い下がる年寄にさらにつっぱねるなんて動画が出ていて、コメント欄には「こういう頭のおかしなやつは通報すべきだ」とかなんとかコメント入れている人が大量にいた。鉄道もまた営利事業だと仮定するのならば、「駅のトイレ」というのは「ファミリーレストランのトイレ」と同じで、お金を払ってそこを利用した人のためのもので、お金を払っていない人に使わせることはできない、「駅のトイレ」を使いたいなら入場券を買って入って使ってくれと若い駅員は言うようだった・・が、それは間違いということではないのだろうけれども、しかし、子供の頃、「駅のトイレ」というのは入場券なんて買わなくても駅員さんにお願いすれば使わせてもらった経験がある者からすると、なんとも、せちがらい世の中になったもんだ・・という感じがして、なんだか悲しい。
昔、「赤旗の歌」というのがあり、歌の節回しはドイツ民謡の「モミの木の歌」の節を使ったものだが、「民衆の旗、赤旗は・・」「卑怯者、去らば去れ、我らは赤旗守る・・」というものなのだが、インターネットで見るとその替え歌というのがあったらしく、「民衆の足、国鉄は・・」というのがあり、「民衆の足、国鉄は」「金持ちは、飛行機に、乗るぞ。 我らは国鉄に」という歌詞があったようだ(ちなみに「民衆の女、パンパンは」なんてのもあったらしい)。 国鉄というのはその替え歌の歌詞のように「民衆の足」だったのだ。 市道を通行するのは、金持ちでなくても通行させてもらえる。いっぱい税金払ってる人でもちびっとしか払っていない人間でも市道を通行させてもらうことができるのと似たように、国鉄というのは無料で乗車できりわけではないとしても、特別に高い金額を払わなくても、比較的安めの金額で乗車させてもらえる「民衆の足」だったのだ。「親方日の丸」とか言う人がいても、それでも「民衆の足」は誰でも高くない運賃で乗車させてもらえるものだったのだ。ところが、国鉄がJRになったら、村田昭治慶應大学商学部教授がおっしゃるように「商売気」は出てきて、「マーケティング戦略」を考えた経営をするようになったかもしれないが、かつては、お金を持ってない子供でも「駅員さん、トイレ使わせてください」と言うと、「はい、どうぞ」と言って使わせてくれたのに、今では入場券買わないと使わせてもらえないのが普通みたいになってしまった。村田昭治や中曽根康弘が目指した「国鉄の分割民営化」はそれだったのか。いかにも「慶應タイプ」て感じの発想だ。
国鉄に続いて、郵便局。そして、職安も民営化させようと 小泉ええかっこしい内閣 が企てたが、職安については、もしも「民営化」したならば、「すべての国民が職業にありつけるように」という職業安定所の趣旨は否定され、「企業が求める人材を見つけるヘッドハンター」の会社になるのではないか、立場が弱い人を切り捨てて、求職市場において立場が強い人のための会社になってしまうのではないか、それでは良くないのでは・・と思ったのだが、しかし、職安(職業安定所)の場合は、すでに「すべての国民が職業にありつけるように」という機関ではなくなっている。 職安の職員といいうのは、「失業者というのは犯罪者なんだ」、「解雇された人間というのは、その人間に問題があるんだ、反省しなさい」という態度である。失業者というのは会社の為に自分を犠牲にして滅私奉公してきたのにアホ経営者から不当な扱いを受けた人間ではなく、悪いやつだから解雇されたのだという意識でいる連中の巣窟である。 職安というのは「失業者というのは、政府の政策が不十分だから失業しているのではなく、その人間に問題があるから失業しているのだ」ということにするために存在している。かつ、民間の人材紹介会社とか就職情報サイトならば、求人側と求職側の両方のためを考えて運営するのに対して、職安は完全に企業側・採用側である。かつ、民間の人材紹介会社や就職情報サイトならばこういう求人を出していいかどうか判断して受け付けるのに対して、職安はそうではなく、不良企業でも労基法違反でも無茶苦茶な扱いにする会社でも求人を受け付けるというのがそれが職安だ。職安の情報は職安以外の情報に比べて質が悪い。かつ、失業保険について受給できるものかできないものか尋ねると、それだけで不正受給しようとしている人間だろうという眼で人を見る。職安職員の給料の方こそよっぽど不正な受給であろうが! そういった実状を考えると、職安(職業安定所)こそ、民営化して、あいつら職安職員をあんないいかげんな勤務態度では食えなくしてやるべきだ・・と思う。
それで、私が子供の頃、駅には待合室というものがある場合が多かった。待合室がない駅でも、かつ、夜間は電車の発着がない駅でも、駅の改札口の外側には入らせてもらえるもので、駅舎の中というのは雪に閉ざされて帰るに帰れないという者にはシェルターというのか避難小屋というのかの役割を果たしてくれる場所だった・・と思ったのだ。
ところが、それは今は昔のこと。 京成電鉄の習志野市の某駅では終電が出た後はシャッターが閉められて駅車内への立ち入りができないようにされていたのだ。〔「公営企業」でなくても「公共企業」であるのだから、雪で帰るに帰れなくなった人間の為に、駅舎を一晩はシャッターを閉めずに屋根の下に入れるようにしておく・・というくらいやっても悪くないのではないかとも思うのだが、そのあたりは「労働組合が強い京成電鉄」では、そんなことやるわけないだろうが・・というものかもしれない。〕
国鉄が存在して、都道府県衛・市町村営の交通機関が多かった時代では、駅舎というのは避難小屋・シェルターの意味あいも持っていた。しかし、今では終電が出た後の京成電鉄の駅舎はシャッターが閉められて始発が出る直前までは屋根の下に入れてもらうことができない。「慶應タイプ」村田昭治がやりたかったのはこれか?
駅の周囲にファミリーレストランでもあれば、そこで一晩過ごしたいところだったがそれもない。あるのはというと⇒交番があった。もしも、内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦ならば、「一晩、泊めてもらえませんか」とか言って留置場に泊めてもらうとかするのかもしれないが、浅見光彦の場合は「兄上が警察庁刑事局長」という「水戸黄門の印籠みたいの」があるから出たい時はいつでも出れるとして、一般庶民がうかつにそういう所に泊めてもらった場合、出たい時に出れるという保証があるとは思えないので、それから考えると「すいませ~ん。一晩、泊めてもらえませんかあ」なんて言うわけにはいかなかった。・・しかし、実際問題として、急な積雪で帰るに帰れなくなるということは「あること」であり、交番の警察官というのは、そういう問題に対しても力になろうと考えても悪くはないのではないか、と思う・・が、それにしても、警察に「一晩、泊めてもらえませんかあ」なんて言って、「いいですよお」なんて留置所に泊められた・・なんてのは、それはやっぱり避けたい・・と思う。浅見光彦と違って「兄上が警察庁刑事局長」ではないし。
それで、京成電鉄の線路をくぐる地下道がありまして、地下道の中には雪が吹きこまないし、雪が積もることもなかったので、地下道の中で一晩を過ごしました。一睡もせず。 近くのセブンイレブンに行って、暖かい方の缶コーヒーを購入し、使い捨てカイロを購入し、雪に濡れてずぶぬれになった靴下を履き替えるために靴下を購入して履き替えました。首を突っ込むと首のまわりが温まる円形の首巻を売っていましたのでそれも購入して巻きましたが気休めにしかなりませんでした。
朝、5時くらいになって、京成電鉄のシャッターが開きました。スイカで改札口を入っても電車はしばらく来ませんが、ともかく、これで生きて帰れそうということになりました。
京成「津田沼」から新京成電鉄に乗っても新京成電鉄「新津田沼」駅からJR「津田沼」駅まで歩道を歩くと雪の中に足を突っ込むことになりますから、京成「船橋」からJR「船橋」駅に行き、JR「船橋」駅の北側のロータリーから出る船橋新京成バスに乗って自宅近くのバス停まで行ってそこから歩くという方法を考えました。
しかし、始発で京成「船橋」駅まで乗って着いた時刻から船橋新京成バスの始発が出るまでにはまだまだ時間がありました。
それで、JR「船橋」からJR「東船橋」駅までJR総武線に乗り、「東船橋」から新京成バスに乗ることにしましたが、ところが、コロナウイルスの関係で船橋新京成バスの本数はずいぶんと少なくなっていて、「東船橋」駅から出る新京成バスも始発のバスの時刻までまだまだあります。そこで、駅の南側のなか卯に入り、朝食にかつ丼だったか何だったかを食べて、食べ終わった頃・・、アホみたいですが始発のバスが出た後でした。 ところが、かつて、船橋グリーンバスと言って、船橋市緑台に行くバスが運営されていたのが今は船橋新京成バスになっているのがあり、それが停車していましたので、それに乗って帰りました。
それにしても、一晩、地下道で立ちっぱなしで寒い中を震えながら起きていて、本当に疲れました。翌日、母に持って行かないといけない入院者の備品、石けん・シャンプーにマスクにウェットティッシュになんだかんだがあったのですが、午前中は疲れてしまって午後の途中まで寝ていました。夕方になってやっと起きることができて、買いにいかなくても手元にあるものは手元にあるものにして、コンビニで帰るものはコンビニで買えるものですませてなんとか持っていきました。
2022年2月11日になると雪はやみ、夕方になると道路上も溶けてクルマもノーマルタイヤで走れるようになっていましたが・・本当に疲れました。 母親が百歳近い年齢になると息子だってそう若くはありません。「あんたは若いんやから無理がきく」と何度も何度も言われてきましたが、もう若くなくなってしまいました。「不可能を可能にしなさい!」と、うちの母親に何度も何度も言われてきたものですが、「不可能というのは可能にできないから不可能と言うんです」と言っても、「甘ったれなさんな。あんたは若いんやから不可能を可能にできるはずや」と言うのでしたが、そんなことばっかり言われて過ごしてきましたが、「無理をきかせなさい。あんたは若いんやから」と言われ続けてきましたが、「無理なものは無理です」と言っても「何を言ってますのん。あんたは若いんやから無理がきく」と言われてきたけれども、実際のところ、かつてならば、一晩、外で立ちっぱなしにしていても、翌日も、もう1日くらいなら無理をきかせてなんとか動いたところだったかもしれませんが、もう無理です。
上の姉も体調を悪くして動けない状態で、下の姉は「うちも歳だから」と言うのですが、私だけ若いと思っているらしいようでしたが、そうではないのです。
母親が入院した時に息子が困るのは下着の準備です。 スーパーで買ってきて・・と思っても男性が女性の下着を購入するというのは大変なのです。せめて、そのくらいは娘がやってくれたらと思っても、あるいは女性の肌着の洗濯は娘がやってくれても・・と思っても「パンツの洗濯は〇〇の仕事でしょうがあ!」とその娘に言われます。姉が言うには「パンツの洗濯」は私の仕事だと決まっているそうなのです。
高橋由伸が巨人の監督をやった年に巨人が十何連敗した時、野村じいさんが「十連敗以上すると3年は影響する」と話していたことがありましたが、なんか似ているように思いました。雪が積もった後、一晩、屋外で一睡もせずに過ごすということをやると、その影響は一週間は続くように思います。10代・20代なら別かもしれませんが、百歳近いおばあさんの息子ですから息子といっても若くありません。こっちがめんどうみてほしいくらいです。「これから育てる息子」ではなく「こちらの面倒を見てくれる息子」と「雪かきくらいできる孫」でも欲しいところです。
ところで、2011年4月に千葉市中央区鵜の森町1-3 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産。)に社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だということで縁故入社してきた滝口恵(女。当時、30代前半)は、すでに子供を2人持っていて、「子供があるから」ということを大義名分にして滝口恵が担当で滝口恵がその仕事に対しての報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰り、その仕事を担当外の従業員に時間外に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でずいぶんとさせた、ずいぶんとしてもらったはずで、自分が担当の仕事で自分がそれに対して報酬をもらっている仕事を担当外の従業員に時間外に無賃労働でやってもらったならばそれに対して、普通の人間ならば「どうも、すいませんでした」とか「どうも、ありがとうございました」といったことを言うもので、そのくらいのことも言えないようでは社会人として問題がありますし、会社人として非常識ですし、何よりも、その程度のことも言えない人間が営業の仕事をしようというのは、それは考え違いも甚だしいというものであったはずですが、一言として「ありがとうございました」も「すいませんでした」も口にすることはありませんでした。この女の親というのは、いったいどういう親なんだ?!?・・と思いましたが、「親の顔が見たい」と何度も思ったものですが、「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がありますが、実物を見せられてもどうしようもない。どうせ、似たような顔しているのでしょうし、似たような根性しているのでしょう。又、オットも社会人としておかしい。自分の嫁が勤め先で迷惑をかけていることについて、何とも思わない男というのは、そのオットもまた社会人としておかしい。 滝口恵は滝口が担当の仕事で滝口がその仕事に対しての報酬を受け取っているものを残して定時に退社して帰宅し、残った仕事を担当外の従業員にさせて、そして、担当外の従業員が労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で滝口の仕事をさせられていたまさにその時間に、定時に退社して帰宅した滝口恵はオットと「妊活」(=性交)やって3人目を孕んで産んだのでした( 一一) よくやると思います。ええ根性してます。念のため、解説しますと、ここで「ええ根性してます」というのは決してほめているのではありません。ええ心臓してます。プロ野球ならば9回の裏、1点差のリードでノーアウト満塁とかいう場面でリリーフに出てくる投手・・というのに向いているのではないでしょうか。リリーフに適性あり! ・・てタイプでしょう・・というのも、これも決してほめているわけではありません。誤解なきように。

( ↑ 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)・ジャムズグローバルスクエア(株) があった場所。
千葉銀行が抵当権を設定していて競売にかけられて、今は関係ない団体が所有しています。)
特に、2011年6月、私は90代の母が待っていたけれども、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)から帰ろうとすると、床の上に「有効期限」が翌日だったか翌々日だったかに迫っていた印刷屋に依頼して印刷したカラー刷りのチラシが床の上に大量に積み上げられており、担当の滝口恵 は平気で定時に退社しており、もうひとりの担当の飯島は社長の長谷川新二が倫理研究所(=倫理法人会)の研修会だか会合だかにつれて行っていませんでした。会社の費用をかけて印刷屋に依頼してカラー印刷したチラシが床の上に何千枚と積み上げられていて、もうすぐに「有効期限」が過ぎてしまうというのに、ひとりの担当者 滝口は平気で定時に退社してオットと「妊活」やってる、もうひとりの担当者の飯村は社長が倫理研究所(=倫理法人会)に連れていっていない・・て、そりぁいったい何だあ?!? と思いませんか。その二人って、営業なのか? 床の上に「有効期限」が迫っているカラーチラシが何千枚と積み上げられているのに、それを放置して平気でいる担当従業員というのは、それは営業なのか? そんな従業員を営業と言うのかあ? 費用をかけて印刷屋に依頼して印刷したカラーチラシが床の上に何千枚と積み上げられていて「有効期限」が迫っているのに、わざわざ、そういう時に担当従業員を倫理研究所の集会に連れて行く社長というのは、その男というのは社長なのか? 倫理研究所(=倫理法人会)にはまった経営者というのはそういうことをやりだす人が多いようだが、そういうことをする人というのを社長と言うのか? そういうことを勧めるような倫理に欠ける団体が「倫理研究所」などという名称を名乗っているというのはおかしいと思わないか? そんなリンリでマンマが食えるか?・・というと食えないから倒産した・・のかもしれんが、そんなおかしな倫理があるか?
今はもう母は自分で電話を取ることができなくなってしまいましたが、その頃は自分で電話を取るくらいはできたので電話をして、きょうは遅くなるからと断り、私の担当でもない仕事だけれども、「有効期限」が迫っているけっこうカネかけたと思われるカラー印刷したチラシを紙くずにしてしまうというのは営業の仕事を長くやってきた者として許せないと感じ、無理をして夜遅くまでそのチラシをポスティングしました・・・が、そういうことをすると、その夜、何時に戻ると言っていたのに帰ってこないとなるとお婆さんは急激に弱るのです。ああ、もう、こんなことはしてはいけない・・と思いましたが、滝口恵は「すいませんでした」の一言すらも言いませんでした。言えない人間でした。
私だけではなく、担当外の従業員に滝口恵が担当で滝口恵がその仕事に対して報酬を受け取っている仕事を毎度毎度やってもらって本人は平気で定時に帰り、「すいませんでした」の一言も言わない、「ありがとうございました」の一言も言えない。親の育て方がおかしいのであろうし、オットの態度もおかしいし、前職での社員教育もおかしいのではないか。
新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)には滝口恵の他にもう一人、社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だとして縁故入社していた従業員として事務員の大竹加代子がいました。大竹加代子は会計系の大学学部を卒業したわけでもなく、会計系の資格を何か持っているわけでもなく、そういった職歴があるわけでもなかったにもかかわらず、縁故入社だということで私の倍以上の給料を盗っていました。
それだけではなく、賃金の計算をする係だった大竹加代子は私が時間外労働をした場合には、すべてサービス残業にしておきながら、大竹加代子が時間外労働をした場合、休日出勤した場合には時間外賃金・休日出勤手当をつけていました。
※ 《岡野タケシ弁護士【アトム法律事務所】 Q:サービス残業は犯罪ですか?#Shorts》https://www.youtube.com/watch?v=a3VXq7VqnXI
私は新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の時間外賃金不払い・労働時間制限違反について、自分自身のタイムカードのコピーを持参して千葉労働基準監督署https://jsite.mhlw.go.jp/chiba-roudoukyoku/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html に訴えました・・・が、ところが、千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野(男。2013年当時、30代くらい?)は「その問題は取りあげません」などと言うので、「どうしてですか」と言ったところ、「証拠がありませんから」と言うので「ここに証拠がありますでしょ。私自身のタイムカードが証拠であり、私が証人ですよ。証拠もあり証人もいますでしょ」と言ったのですが、ところが労働基準監督官の佐野は「社長の居場所もわかりませんから」と言うので「それを調べるのが捜査機関の仕事と違うのですか」と言ったのですが、それでも「その問題は取り上げませんから」と言うのでした。「どうしてですか。取り上げてもらわないと困るのです」と言ったが、佐野は「取り上げませんから」と言ってきかないのです。たしかに、長谷川は千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の「本社」・本店にも顔を出さず、郵便箱には倫理研究所推薦の田沼たかしとかいう議員からの郵便とか(おそらく、従業員には給料払わない長谷川が倫理研究所にはカネ払い、推薦議員にもカネやったから郵便だしてきたのではないか?)が詰まっており、海浜幕張の自宅マンションに行ってもインタホンを何度押してもでず、管理事務所のマンション管理人に尋ねても「何人もの人が訪ねてくるけれども住人の姿はしばらく見ていない。管理人もどこにいるのか知らない」ということで、さらには千葉市中央区宮崎台 の 長谷川の嫁の河野利華の母親が住んでいる家に行って婿の長谷川新二と実の娘でビルダーズジャパン(株)の代表取締役になっていた河野利華の居場所を尋ねてもすっとぼけて「知らない」と言い張るというありさまでしたが、実の娘の居場所母親が「知らない」で警察に操作願いも出さないではすまないはずで、それを「知らない」ですっとぼけて居直るということは実際には知っているが知らないと言い張っていたということであろうと思われますが、労働基準監督署および労働基準監督官の佐野は捜査機関なのだから、私などが調べるのとは違ってどこにいるのか捜査して逮捕すればいいはずだったのに、それを拒否したのでした。
そのうち、2013年11月、新華ハウジング(有)の代表取締役でビルダーズジャパン(株)の元代表取締役の長谷川新二は、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の倒産と自分自身の破産申請をおこない、東京地方裁判所にて債権者会議が開催されたのでしたが、その際に長谷川新二が東京地方裁判所に来ましたから、その直後、私は千葉労働基準監督署に電話をして労働基準監督官の佐野に「今、ここに犯人の長谷川が来ていますから」と言ったのだが佐野は「ですから、その問題はとりあげないと言いましたでしょ」と言うので、「そんなわけにはいきませんでしょ。とりあげてもらわないと困ります。佐野さんが『社長の居所がわからないから対処できない』と言われたから、だから、今、この東京地方裁判所に来てますからと連絡しているのじゃないですか」と言ったのだが、それでも千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野は「だから、それは取り上げないと言ったでしょうがああ~あ!」と言うので、こいつはだめだと思い、そして、労働基準法違反というのは犯罪であり、労働基準法違反は労働基準監督と労働基準監督官でなくても通常の警察署と警察官でも対応していいことになっているはずなので、それで私は110番通報をおこない、労働基準法違反の犯人が来ましたから確保してくださいと依頼しました。しかし、ここで私がミスをしたのは、こちらも緊張していたことから、場所を「東京地方裁判所」と言ってしまったのが失敗で、東京地方裁判所でも倒産・破産の債権者会議をおこなう場所は東京都千代田区霞が関でも、東京地方裁判所・東京高等裁判所の大部分の部署が入っている裁判所棟ではなく、法務省と検察庁が入っている合同庁舎6号館A棟の南のB棟のさらに南の合同庁舎6号館C棟だったのを「東京地方裁判所」と言ってしまったことから、丸の内警察署の警察官2人は一度、裁判所棟の方に行ってしまい、そこから合同庁舎6号館C棟に来たことから時間がかかり、その間に長谷川は帰ってしまい、犯人を取り逃がしてしまったのでした。
この時に電話した際の千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野の態度も横柄であるとともに真面目さがなく、私は千葉労働基準監督署に行き、「佐野さんが『社長の居場所がわからないから対処できない』と言われたから、だから、私が『今、東京地方裁判所に来ているから』と言って電話したのに、どうして対処してくれないのですか」と言ったのだが、ところが、それでも千葉労働基準監督署の不良労働基準監督官佐野は「だから、その問題は取り上げないと言ったでしょうがあ! わからないんですか!」と言うのです。「わかりませんよ。被害者が訴えているのに、『その問題は取り上げないと決めた』とは、いったい何ですか、それは」と言ったのだ。そして、「取り上げないのならば、検察審査会に訴えますよ」とも言ったのだが、そうすると千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野は「検察審査会というのは送検されたものを検察が起訴しなかった場合に訴えるものですから、今回は送検してませんから検察審査会に訴えたいと思ってもできませえ~えん! 残念でしたあ~あ!」などと言って私を馬鹿にするのでした。労働基準監督署と労働基準監督官は労働者の敵です!
・・・それで、後から気づいたのだが、
(1)労働基準法違反については、一般の警察署に言うと「それは労働基準監督署に行って」と言われることが多く、又、実際問題として労働基準法については一般の警察官よりも労働基準監督官の方が詳しい場合が多いから、労働基準監督署に言った方がいい場合はあるかとは思いますが、しかし、労働基準法違反を労働基準監督署ではなく一般の警察署に訴えて悪いわけではないのです。
(2)告訴は警察署・警察官にしてもいいけれども、検察庁・検察官におこなってもいいのです。ですから、千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野が「その問題はとりあげませ~ええん! ざ~んねんでしたあ~あ! (べ~ろべろべ~え)」と言うのならば、そんな役立たず・無能・反社会的勢力の千葉労働基準監督署と労働基準監督官の佐野みたいなもの飛ばして千葉検察庁に告訴状を突き付けてやればよかったのであり、それでも千葉地方検察庁が起訴してくれないのならば、その時に検察審査会に訴えればよかったのでした。
そもそも、労働基準監督官の佐野に労働基準法違反と違反・不良経営者を守るべく、訴えを阻止する権利なんてものはないはずですし、そんな不良労働基準監督官に給料払う必要ないのではないかと市民の立場からは思えます。
それにしても、会社がかなりの費用をかけて印刷屋に依頼して作製したけっこういい紙にカラー印刷のチラシが床の上に何千枚と積みあがっていて「有効期限」が迫っているのに、担当社員(この場合、飯島)を倫理研究所(=倫理法人会)の集会に連れて行く社長というのは、それは社長なのか? それは社長のやることなのか? そんなことする人間を社長と言うべきなのか?
私は社長の長谷川に「倫理研究所がいいか悪いかということとは別の問題として、有効期限が迫っているチラシが床の上に何千枚と積みあがっているのに、何もわざわざ、そういう時に倫理研究所の集会に担当者を連れていかなくてもいいでしょう。たとえ、倫理研究所の集会に連れていくにしても他の時にすればいいのと違うのですか」と言ったのです・・・・が、そうすると長谷川は何と言ったかというと、「そんなの、言ってもらわなきゃわからないじゃねえかよお!」と、そう言ったのです( 一一)
「言ってもらわないとわからない」そうです。社長が。社長ともあろうものが、その程度のことを「言ってもらわないとわからない」そうなのです( 一一) その人って、社長なのですかあ???
そして、縁故入社で私の倍以上の給料を盗っていた大竹加代子(女。当時、40代)は私に「滝口さんは子供があるんだから、子供がある人は子供がない人に何でもやってもらうのが当たり前でしょおおおお~お!」などと言ったのです。そして、私に「〇〇さんは子供がないんだから、子供がない〇〇さんは子供がある滝口さんの為に何でもやってあげるのが当たり前でしょおおおお~お!」と何度も何度も言ったのです。この女、許しがたいですね。この女、反社会的勢力ですね。
社長の長谷川新二にも、滝口恵が毎度毎度、自分が担当の仕事を残し定時に帰り、それを担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせていることを指摘しました。ところが、社長の長谷川新二は「何を言ってるんですか、何をお! 滝口さんは子供があるんじゃないか。滝口さんは子供があるんだから、子供がある者は子供がない人間に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ。子供がない〇〇さんが悪いんだろうがあ! 子供がない〇〇さんは子供がある滝口さんのために尽くすのは当然だろうがあ!」と暴言をはきまくったのです。
もしも、私が年収1千万円以上、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)からもらっていたのならば、また話は違いますが、そうではないのです。人間ひとり分、食べていけるだけの給料すらも受け取っていなかったのです。だから、私はこの会社にこれ以上いるわけにはいかないな・・と考えていたのです。その状況で「時間外手当なしで滝口恵のために尽くすのが当たり前じゃないかあ」と言われたら、「ふざけんな!」と言うしかないですね。
日本国の刑法では自救行為は禁じられていますから、だから、私はそういう手段には出ませんでしたが、しかし、日本の警察・検察・裁判所というものが、まったく役に立たないというこの現状を考えると、長谷川新二のようなこういう反社会的発言を繰り返す男というのは、自救行為でとっつかまえてとっちめてやるしかないのではないか・・という感じがしてきます。なにしろ、警察・検察・裁判所は有害無益ですから。
アイダ設計(株)https://www.aidagroup.co.jp/ の場合は、応募時に「エントリーシート」というものを応募者に書かせ、そこに「子供がある女性の場合」として「子供が熱を出したという場合はどうしますか。子供の世話をしてくれる人がありますか」という質問事項があったのです。・・これは「やり過ぎ」ではないかと私は思いました。まだ小さい子供がある女性が職場にいた時に、職場の他の従業員が助けてあげてもいいと私は思っていたのです。しかし、滝口恵タイプの女性の場合は「子供があるんですからねえ」と言って自分が担当の仕事を他の担当外の従業員に押しつけてやってもらいながら、立場が逆の場合には「私の仕事とは違いますから。当たり前でしょお」と言って定時に帰るでしょう。それでは「やらず、ぶったくり」です。やっぱり、職場というものは「助け合い」「お互い様」の関係にならないといけません。滝口恵のように「『やってもらうだけ』が当然」という思想・信条を持っている人というのは、それは私が経営者もしくは採用担当者ならば、そういう人は採用しません。そういう人を職場に入れるわけにはいきません。そういう人は職場の秩序を乱すことになります。問題は、小さい子供があるかないかよりも、小さい子供があって、普段は勤務ができても、「子供が熱をだした」という場合にはどうするのか、常に職場の担当外の従業員に自分の担当の仕事を押しつけて「当たり前でしょお」と言うのか? 長谷川新二のように「子供がある者は、何でも子供がない人間にやってもらうのが当然じゃないかあ!」と言うのか?
アイダ設計(株)の「子供が熱を出したという場合にはどうしますか」という質問というのは、それは「やり過ぎ」ではないかと私は思ったのですが、しかし、実際に「子供が熱を出した」時に職場の他の従業員に助けてもらうかわりに、職場の他の従業員が何か他の理由で困った時に今度は自分が負担をかぶるということならば、それも悪くはないと思うのですが、滝口恵や長谷川新二・大竹加代子の発言のような「滝口さんは子供があるんだから、子供がある者は何でも子供がない人間にやってもらうのが当然じゃないかあ」だの「子供がない人間が悪いんじゃないか。子供がない人間は子供のある人間のために何でも尽くすのが当然だろうがあ!」などと暴言をはくような不心得者・反社会的勢力は会社に入れるべきではない。実際のところ、「子供ができた」ということから、「子供」を大義名分に掲げれば何でもまかり通る、まさに「子供」というのは水戸黄門の印籠みたいなものだと思い込んでいるバカ女症候群というのが実に多いのです。

バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
そして、「子供が熱をだした」と言えば休むのも遅刻するのも早退するのも自由だと知ると、実際には「子供が熱をだした」わけではないのに「子供が熱をだしました」と言って自分の都合を押し通して職場の他の従業員に負担をかぶせる・・という女性が出てくるのは明らかです・・から、それを考えると、最初から「子供が熱を出した場合には」その時には誰誰に見てもらいます・・というのがはっきりとある人でなければ採用したくない・・と考える経営者・採用担当者の気持ちはわかります。
ところで、今回もそうですが、うちの母親が体の具合が悪いと言って入院した時、滝口恵が「子供」を大義名分にして滝口恵が担当の仕事で滝口恵がそれに対しての報酬を受け取っていた仕事を相当やってあげた私に対して、滝口恵は何もしないのですが、これはどうしたことでしょうか。滝口恵のオットも何ひとつしませんが、どういうことでしょうか。「子供がある者は子供がない人間に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ」などと暴言を吐いた長谷川新二もその妻の河野利華も、同様の暴言をはきまくった大竹加代子も私が困っている時に何一つしませんし、私の高齢の母の為にも何ひとつしませんが、これはいったいどういうこと?
私にずいぶんと世話になった滝口恵の子供3人は、すでに「手がかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっているはずだが、ずいぶんと世話になった私のために何ひとつやらないのだが、いったいどういうこと? 滝口恵の恩知らずの子供どもというのは、なぜ、私のために恩返しをしないのだ? なぜ私の母に恩返しをしないのだ?
・・・
大阪府富田林市で「保護犬たちの楽園」を運営している「ポチパパ」北村さんという方がYouTube に動画https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9D%E3%83%81%E3%83%91%E3%83%91 を公開されていて、犬というものを理解するのに役立つ話が毎回でており、又、北村さんの犬を理解するための努力というものには頭が下がる思いがすることがあります・・が。
しかし、もしかすると、北村さんはわかっていないのか・・と思われる点もあります。
もしも、北村さんが「ドッグトレーナー」とか、飼い犬が暴れる・噛みつくなどで困っているという飼主から報酬をもらって、その「症状」を治す仕事というものをしている人であったなら、「たいしたもんだなあ」と思うし、仕事に対する姿勢には「頭が下がる思い」がするのですが、報酬をもらって飼い犬を「治す」仕事もされているらしいので、その場合は問題はないのですが、片方で、報酬関係なしに「命を救いたい」として、野良犬・野犬を助けようということもされているのですが、そちらについては、たしかに「命を救いたい」という気持はわかるのですが、そうはいっても、肉食の動物の命を助けるということは、片方でその犬に食べられる「エゾシカジャーキー」の原料である「エゾシカ」は殺しているわけであり、「命を助けている」ことになるのかどうか、よくわからないところもあるのです。犬の命は助けるべきだがエゾシカは殺していいということなのか? それでも、本来なら飼主に飼ってもらってかわいがってもらえたはずなのに捨てられて野犬とか野良犬とか(北村さんは山に住むのを「野犬」、街中に住むのを「野良犬」と呼び分けているようです)が殺されようとしているのを助けたいという気持はわかるのですが、そうはいっても、やっぱり、肉食の動物を助けるということは片方で別の動物を殺しているという面もあるので、はたして「命を助けている」ことになるのか・・という問題もあるのです。
そして、もうひとつ。こちらが今回の問題です。「よく、歳いって子供が出て行ったから寂しいからと犬を飼う人がいますけれども、やめてください。犬というのは10年は生きますから(インターネットで見ると、大型犬より小型犬の方が長生きらしいが、寿命が短い犬でも10年、長い犬だと20年近く生きるらしい)、犬よりも先に人間が死んで犬を世話する人がいなくなるというのは犬がかわいそうですから、40までの人(だったか、45までの人だったか)が飼うようにしてください。高齢の人は犬を飼うのはやめてください」と言われるのだったが、そうなると、
(1)「ふさわしい相手とめぐりあうことができずに独身のまま高齢になってしまった」という人間や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながらも子供ができずに高齢になってしまった」という人で、せめて、子供のかわりにと犬を飼って子供のようにかわいがる人というのがいるのですが、「もし、自分が先に死んでしまったら、その時はごめんね」と思って犬を飼う人というのがいるのですが、そういう人は飼わないでくださいと言っていることになります。
「高齢の人が飼うのならば、子供がいて、もしも高齢者が犬の世話をできなくなってもかわりに世話できる人がいる人だけが飼うようにしてください」と北村さんは言われるのだったが、そうなると、子供ができなかったから、せめて、犬を飼って子供のように大事にしてあげたいと思う人は飼うな、結婚相手にも恵まれて子供にも恵まれた人間が犬も飼え・・と言っているのと同じになるのです。
(2) 又、若い頃は「滅私奉公」で働いて働いてさせられて、「まだまだ仕事が残ってござるぞ。仕事、しごと、仕事、しごと!」と仕事ばっかりさせられて、年齢がいって、もう働かなくていい年齢になったから、もしくは働きたくても雇ってもらえない年齢になったから、飼えたらなあと思いながらもあきらめていた犬をこの際、飼おうかと思ったら、「あなたはもう、年齢をいっているから飼わないでください。犬を飼うのはもっと若い人が飼うようにしてください」と言われていることになるのです。
そう考えると、「ポチパパ」北村さんは犬には優しくても人間には必ずしも優しくない。 まるまる間違ったことを言っているわけではないとしても、北村さんの言うことを聞いていると、結局、犬というのは若い時に、たいして働いていないのに高給とっている人間で子供にも恵まれた人間が飼うものです、歳いったが子供がないから犬を飼って子供のようにかわいがってあげたいと思う人は飼わないでください、若い頃は仕事、しごと、仕事、しごとと忙しくて犬なんか飼えなかったけれども、もう若い頃ほどは働かなくていいから犬を飼いたいという人も飼わないでくださいと言っているのと同じなのです。
そうなると、犬を飼っていい人間というのは、たいして働いてないくせして高給とってる比較的若い人間ということになり、そんな動物なんていない方がいいなあ・・ということにもなる。結局、北村さんがやっていることは自己満足でしかないことになる。
『聖書』には「持つものはさらに与えられ、持たざる者はさらに奪い取られるであろう」と書かれているが、まさにその言葉のようなもので、犬という動物もまた「持つ者」が「さらに与えられる」ように飼う権利が付与される・・と言っているようなものなのです。
そういうことを思うと、「ポチパパ」北村さんのYouTube のチャンネル も「チャンネル登録」しましたけれども、あまり見る気もなくなってきたのです。
私が自分自身で母の世話をしていたのでは仕事に出れないので、それで施設に入ってもらっていると、うちの母親は施設で世話してもらうものだと思って、それで、うちの母親よりは元気な親がいる人が自分で世話しないで、そういう親の世話をしてもらおうとする人というのがいます。2000年代、船橋新京成バスに乗っていたところ、明らかにうちの母親よりは元気で足が不自由だといううちの母親よりは若い高齢女性がバスに一人で乗ろうとしてきました。運転手は車椅子で乗れるように用意されている金属製の板を入口に渡して乗せようとしたのですが手間がかかって時間がかかりました。そうすると、入口に一番近い場所にいた元気そうなおばさんが「運転手さんだけではだめよお。誰か助けなきゃあ」と言うのです。そう言って自分は助けないのです。・・そして、あれ、もしかして、あのおばさん、俺の方を向いて言っているのか?・・と思ったのでしたが、これは絶対に協力してはいけないと認識しました。なぜなら、私にはその時のお婆さんよりも、もっと体力が弱っていて、そのお婆さんよりも年齢が上の母親がいるのに、私がずっと世話していたのでは仕事につけないから施設に入ってもらっているのです。自分の母親の世話をしないでよその親の世話をするわけにはいかないし、なによりも、その時にバスに乗ろうとしていた女性の息子て何やってるのですか? よその人間に自分の母親の世話させようとしているのですか? そして、その時、私は何の為に船橋新京成バスに乗っていたかというと、(株)一条工務店で長時間にわたって何十キロもある者を運ばされるということをさせられて、意図的に怪我させられたことによる腰痛の治療のために整形外科に通うためにバスに乗っていたのです。整形外科医からは重い物を持ってはいけないと指示されていたのです。その時、新京成バスの入口付近にいて「誰か、協力しなきゃだめよお。誰か、早く協力してえ」などと自分は指1本動かさずに言いまくっていたおばさんの方が私なんかよりよっぽど元気だったはずです。昼間の船橋新京成バスに乗ると、そういう事態が起こるようなので、それで、それまでは私は自家用車で移動するのとバスに乗って移動するのなら、バス停までくらいは歩くようにした方が健康にいいという点とできるだけ燃料消費を少なくすることが地球環境の為にいいだろうと考えたことから少しくらい自家用車の方が便利でもバスを利用するようにしていたのですが、その後、昼間の船橋新京成バス・習志野新京成バスには乗らないことにしました。
近所の人でも似たような事例はあります。親―子ー孫 の三世帯で住んでいる人の「親」というのか爺さんで、息子や嫁に相手になってもらおうとしないで近所の現役世代の人間に相手になってもらおうとする人がいるのです。又、デイケアセンターに親を行かせるとカネを払わないといけないが自治会に行かせると自治会費だけでいいということで親だけ自治会に参加させて現役世代の人間は断固として顔を出さないという人がいます。そうやって、よその現役世代の人間に自分の親の世話をさせようとするのです。極めて卑怯です。我が家の近所でも「〇〇さんがいいんだ」と言ってからみついてくる老人がいるので、「何何さん、息子さんがおられるでしょ」と言うと、「あんなやつ、だめだ。〇〇さんがいい♪」などと言うので「やめてください」と言ったのですが、理解できないようでした。その息子と顔を合わせることもあるのですが、「いつも、すいません」の一言くらいあっていいと思うのですが、私より少し年上か年下かというくらいの年齢の息子ですが一言としてそういう言葉がありません。
新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二は「滝口さんは子供があるんだから、子供のがある人間は子供がない人間になんでもやってもらうのが当然の権利じゃないかあ」などと暴言をはきまくったのですが、そんな「権利」みたいなものありません。それならば、高齢の母親の世話しないといけない私の為に、その「滝口さん」は何をやってくれるのかというと「子供があるんですからねえ」と言って、「子供がある」人間というのは人に世話になるだけというのが当然という態度を一貫して取りまくります。それでは通じないでしょう。「子供がある」から働けないのなら働いてもらわなくてもいいし、私はずっと母親の世話していたのでは私が仕事につけないし、仕事以外にも何もできなくなってしまうから施設に入ってもらっているのですから滝口恵も「子供があるから」まともに働けないのならば、働かないでも生活できるようにオットにきっちりと3人の子供と嫁と自分が生活できるだけ稼いでもらうか、そうでなければ子供を施設に入れるべきです。滝口恵と滝口恵のオットのような自分の子供と自分たちのために、ひとの子とひとの親とを食い殺すような鬼畜は反社会的勢力です。
それにしても、滝口恵の子供は今は「手がかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっているはずなのに、なんで、世話になった私や私の母の為に何ひとつつしないのでしょうね・・・。
そういう態度のことを「将来、社会に貢献する子供を育てているのだから」と言うということでしょうか・・・( 一一) いずれまた、公明党はそういう親に「子供手当」をくれてやろうと提案しだすことでしょう。
(2022.3.10.)
☆ 「アトム法律事務所 岡野武志弁護士のYouTube動画との関連で」シリーズ
[第868回]試食品を大量に食べるのは犯罪ですか。公園の水道・コンビニの水道から水をペットボトルに入れて家1軒建てるのは犯罪ですか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202108article_5.html
⇒「Q:試食品を食べすぎると犯罪になりますか?#Shorts」https://www.youtube.com/watch?v=JKxCrEwff1U
「結論。窃盗罪になる場合がある。」「お店の意思に反して食品を奪い取ったということで刑法235条の窃盗罪になる場合がある。」「相手の意思に反して物を奪うのは絶対にだめ」
[第869回]「口答えすんなあ」と言う会社にどう対処すべきか。長時間遅刻してきて早弁する女に謝らないといけないのか? 土曜昼間、住宅展示場を空にする営業課長は「大変優秀な営業課長」なのか? 「日本国憲法で言論その他、表現の自由は認められてますう」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_1.html
⇒ 《 岡野タケシ弁護士【アトム法律事務所】 Q:口答えするなって言われた時の対応教えてください。A:結論・・・》
https://www.youtube.com/watch?v=eAHh-fAhohU
「日本国憲法で、言論その他一切の表現の自由が認められてますう~う!」
[第877回]曹渓山 清源院と天満天神宮【3/4】水子・子育観世音菩薩。「子供」を大義名分にかかげて人の親や子を食い殺す女と男、その子供。「子供のない者は子供のある者に年玉よこせえ」と叫んで職場で追いかけてくるストーカーおやじ。「子供」帝国主義女と男に水子にされた、産まれてていたかもしれない子供を追悼する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_5.html
電磁波は健康に被害をもたらすもので、感じない人もいるかもしれないが電子レンジの場合は大容量であり私は感じるので、電子レンジを作動させるのはやめてもらいたいと私がはっきりと言っているにもかかわらず、わざわざ、そう言っている者のすぐ横で電子レンジを作動させたの行為は傷害罪・暴行罪に該当すると考えるべきであろう。
⇒《YouTube-アトム法律事務所 Q:人の唐揚げに勝手にレモンをかけたら犯罪ですか?》https://www.youtube.com/watch?v=kWxFKHf-9GE
[第882回]人の家の郵便箱から郵便物を盗み出す、間違えて配送された郵便物を開封し中を見るのは犯罪。犯罪者を増長させる営業所長と会社。虚偽告訴罪に該当する行為をおこなう従業員とそういう従業員が好きな所長と経営者。警察は反社会的勢力。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202111article_1.html
⇒YouTube-「バカなことをしたかった」レターパック盗み71歳の男を逮捕!#Shorts https://www.youtube.com/watch?v=NFkaCnHEazg
「ひとの郵便物を盗るのは窃盗罪。懲役は最大で10年。」
「ひとのレターバックを開封するのは郵便法違反。・・懲役は最大で3年。」
[第911回]「子供」を大義名分に世話になった相手に恩返しをしない女とその子供。労基署・労働基準監督官が不良企業の不良経営者を守る場合は直接、検察庁に告訴状を持参すべし。〔今回〕
⇒サービス残業は犯罪ですか。結論:犯罪。https://www.youtube.com/shorts/a3VXq7VqnXI

労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一

労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中

労働法〈2〉労働者保護法 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
今まで勤めてきた会社において、「子供」を大義名分にすると何やっても通じる・・という会社が複数あった。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では1993年、千葉県松戸市の展示場(松戸市岩瀬 ハウジングギャラリー松戸内。今はその場所にはない)で、進藤(男。当時、20代後半の後半)が子供が産まれてすぐの時期に「子供」を理由に掲げて昼過ぎに出勤してきたが、(株)一条工務店はそれでも始業時刻から勤務した扱いにした。又、1992年、東京展示場(江東区潮見。ウッディランド東京内。今はウッディランド東京はない。)にて、服部(男。当時、20代後半)が嫁がどうとかいう口実で昼過ぎに出勤したところ、(株)一条工務店はそれでも始業時刻から出勤したという扱いににした。それに対して、私が朝、出かけようとすると、高齢の母がむずがってでかけられず、「もう、行かなきゃ遅刻してしまうから」と言っても「なんでやねん。私がいるのにあんたは出かけるのか」と言ってきかず、出かけることができず、やっと家を出ることができて大急ぎで走って行って5分未満遅刻すると減給された。
(’1)会社は従業員に対して公平でないといけないはずで、これは「公平性の欠如」といったものであり、会社使用者・経営者はこういった対応ではいけない。
(2)又、もしも、始業時刻に遅れたから減給というのであれば、終業時刻をはるかに超えて時間外労働をしていたのだから、それに対して、当然のことながら時間外賃金を支払わないといけなかったはずである。時間外賃金未払いの会社が、母親がむずがって家を出ることができずに5分未満の遅刻をしたということで減給するというのは不当であろう。(株)一条工務店といいう会社はそういう会社であった。
子供というものは作ろうと思って作るのに対して親はそうではない。子供は親がその子供を育てたのであり、もしも、気に入らない子供ができたなら親にも責任はあるはずだが、配偶者はその人と結婚しようと思って結婚したはずだが親はこういう親が欲しいと思ってその親を持ったのではないが現実にその親があるのだ。よその親を見て「いいなあ」と思っても、よその親はよその親であり自分の親ではないのだ。親というのは高齢になって若い頃よりは扱いやすくなる面もあるとしても、扱いにくくなる面もある。うちの母親が、なぜ、私が朝、出勤しようとすると「なんで出かけるのや。もうちょっといたらいいだろう」と言うのかというと帰宅が遅いからだ。(株)一条工務店では終業時刻は午後7時00分ということになっていたが、1993年に松戸展示場に勤務していた頃は、毎日、夜2時過ぎての帰宅になることが続いた。だから、帰ってきたらこれを話そう、帰ってきたら・・と思っていた母親は、何も話せず、何もできないままに、帰ったばかりなのにまたすぐに出かけるということになっていたから、だから、「まだ、いいじゃないか」と言って家を出してくれなかったのだ。実際のところ、1993年頃の(株)一条工務店で私がさせられていた勤務状態というのは、あれは人権侵害だ。
本来、営業所長というものは従業員の勤務状況を把握して、そのあたりを配慮しないといけない。松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫は、なぜ、従業員に人権侵害としか思えない勤務を強制したのか・・というと、それは「自分自身が営業しない営業所長」だったからだ。私などが、夜、契約につながるかつながらないかにかかわらず、深夜まで客宅に訪問して話をして、展示場に戻るのは夜中に12時を過ぎて、それから帰宅していたというまさにその時、私などがへとへとになって働いていたまさにその時、おっさんはフィリピン人女性ネイティブスピーカーからマンツーマンでアルコール付きタガログ語講座を受講しておったのだから、私みたいに会社の上役の言うことは聞かなきゃいかんのだろうと思ってそういうおっさんの言うことに従っていると体を壊すような勤務を強いられることになるわけだった。
〔語学の学習というものは、なんちゅうてもネイティブスピーカーから直接指導を受けるのが習得の早道・・というのは、あのおっさんを見て思った( 一一)
日本においては「英語が話せる」「フランス語が話せる」「イタリア語が話せる」というのは、その能力を評価されるだけでなく、人間としての評価も高くなるようなところが現実にあるが、「タガログ語が話せる」というのだけはマイナスの評価になるし、マイナスの評価とするべきであろうと、これも、あのおっさんを見て思った( 一一) 〕
時間外手当というものは会社は当然、支払わないといけないものだ。それを支払わずに貯め込んだカネで浜松市に「防潮堤の費用」と称して300億円の「寄付」をおこない、「初代社長」という奇妙な肩書で大澄賢次郎がでてきて「大澄賢次郎は男でござる」などとインターネット上に書かれているのだが(誰がそんな文句を公開したのか、自分で入れて公開したのか、バッカじゃなかろかルンバ♪・・て感じだが)、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友・静岡県知事の川勝平太、あっせんしたという(株)スズキの相談役で勲二等を受賞しているらしい中央大学しか出とれへん「上級国民の鈴木修」らは、なんだか大澄賢次郎からもらったみたいに思っているようだが、そうではない。それは(株)一条工務店の従業員・元従業員に支払っておかなければならなかったカネを削り取って貯め込んだカネであり、又、本来ならかけておかなければならなかった安全対策費用をかけずに貯め込んだカネの一部分を出したものである。
それから、たとえば、1993年前半、私が千葉県松戸市の展示場に勤務していた時、若夫婦の世帯が千葉県柏市に住んでいて、奥さんの両親が横浜市に住まれていて、奥さんの親が住んでいる家を建て替えて、旭化成などが主唱していたような「二世帯住宅」にして住んだらどうかといったことを考えていた方があり、その方は、都市型「二世帯住宅」を提案していた旭化成・戸建住宅業界1位の施工棟数で旭化成ほどではないが「二世帯住宅」にも関心を払っていた積水ハウス・親の方は木造志向ではないかと思われたことから在来木造の施工棟数1位の住友林業・和風ではなく洋風外観でということから和風のイメージがあった住友林業とは逆に洋風のイメージが強かった三井ハウスの4軒の展示場を見に行って、その4軒の中からどこかに頼もうと考えていた方で(株)一条工務店は「問題外」「検討対象外」かつ「相手にしてはだめな会社」という評価でしたが、ハウジングギャラリー松戸 で(株)一条工務店の展示場の向かいにあった住友林業(株)の展示場を出てこられた後、小学校低学年くらいの息子さんが順番に展示場に入って見ていくものかと思って(株)一条工務店の展示場に飛び込んできて、そして、子供の母親はどうされたかというと、(株)一条工務店の展示場の入口から「これえ、◇◇。ここは入らないのお。ここは入っちゃだめえ! 早く出てきなさい。ここは入っちゃだめな所なのよお! 早く、出なさ~い!」と中に向って大声で叫ばれたのでした・・が、私が「まあ、そう言わずにここまで来られたことですから、中に入って見ていってくださいよ」と話して入場してもらったという方でした。そこから、なんとか、相手にしてもらえるようにはなったのですが、しかし、旭化成などが提唱していたような都市型・新タイプの「二世帯住宅」を考えていた人に、「二世帯住宅」というと「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住める家」という「昔ながらの農家型三世代同居住宅」のものだと信念もっている(株)一条工務店で対応するのは難しい、すでに4社を候補としてあげておられて、本命でなく対抗馬でもなくダークホースでもなく穴馬ですらなく大穴ですらなかった会社がなんとか挽回して・・と思っても簡単ではなかった。それでも、柏市に若夫婦の世帯が住まれていて、横浜市に親世帯が住まれていたということで、両方にアプローチした方がいいと思って横浜市の両親の方にも訪問させてもらったところ、夜遅くまで話を聞いてもらうことができました・・・が、横浜市というのは広くて、東京都の隣の川崎市のすぐ隣あたりの横浜市ではなく「きっちり横浜市」で午後11時過ぎまで話をさせてもらい、そこから松戸展示場まで戻った時には、もう午前1時半くらいで、それから自宅に帰ると午前2時半を過ぎていました。それから風呂に入って寝ても始業時刻の午前10時より前に出勤しようとすると、就寝できる時間はわずかです。そういう場合については、結果として契約になってもならなくても、実際のところ、翌日の午前は少々遅く出勤したとして、それがいったい何だ! ・・という気もしますし、それで遅刻したとしても、だから給料を引くというのならば、それならば、千葉県の松戸展示場から「きっちり横浜市」まで行って夜の11時過ぎまで話をして、もとより(株)一条工務店なんて検討対象外だった人になんとかこちらに気持ちを向けてもらう方法はないだろうか・・などと考えて奮闘なんてしない方がいいということになります。
そういう場合ですが、1992年8月に浜松市の展示場から東京展示場に転勤してきた小野田くん(男。当時、20代前半)が言うには、浜松の展示場の所長で「通算契約棟数全国2位」だった平松さんなどは、そういう場合には、あらかじめ、ホワイトボートの自分の名前の所に、翌日の日付を入れて「☆☆邸直行」と書いて帰るらしい。そして、実際は「☆☆邸」に行くのではなく自宅で昼頃まで就寝して出勤するようにすればいい・・という方法で、これは全国の(株)一条工務店の営業所で実際にやっていた人がけっこういたようです。私は松戸展示場に勤務していた時は入社2年目でそういうことをよく知らなかったし、又、会社の為に(株)一条工務店が弱い地域で契約いただこうと必死に奮闘しているのだから、会社・使用者は当然のことながら、そういった勤務をしている人間の勤務態度について理解しているはずであると思い込んでいたし、それを理解できない経営者・使用者ならば経営者・使用者としておかしいと思っていたのでした・・・が、(株)一条工務店の経営者というのは実際に「おかしい」経営者だったようでした。「さぼっている」のなら良くないでしょうけれども、松戸から「東京に近い場所の横浜市」ではなく「きっちり横浜市」「どっぷり横浜市」まで行って〔横浜市というのは無茶苦茶、面積が広いですからね。「空の広さは浜松の広さと同じだ」と心の底から信じている「一条オリジナル遠州人」には決して理解できないことですが、日吉とか鶴見とか多摩プラーザとかいうような「東京に近い横浜市」ならまだしも、「どっぷり横浜市」まで行って帰るにはけっこう時間かかりますからね。〕夜の11時半まで話し込んで、それから、「本社」が「直帰するな」と言ってきたものだから松戸展示場までいったん戻った上で、そこから船橋市の自宅まで帰ったのですが、そうすると家に着いたのは午前2時半くらいだったと思うのですが、契約になってもならなくても、真夜中までそれだけ働いている者に対しては、会社はそれに対しての配慮というものがあっていいはずでしたが、(株)一条工務店の経営者にはありませんでした。
1990年代、福島県いわき市の営業所にいた・営業本部長の天野隆夫と親しい・本人の話によると暴力団関係者らしい馬上(もうえ)(男。当時、20代後半)は、午前10時00分が就業規則上の始業時刻の会社において午前中に出勤することが月に5日以上あった月はほとんどなかった。いくらなんでも、それで減給されないのか?・・というと、営業所の他の従業員がいない頃にやってきてタイムカードを操作して午前10時より前に出勤したように押していたようで、いくらなんでも、それはいかんのではないかと私は思ったが(株)一条工務店は馬上が営業本部長の天野隆夫と懇意な従業員だからかそれを認めていた( 一一)
私は、前日に比較的遠方の客宅に行って夜中の1時まで話をして、そこから1時間以上かけて営業所(展示場)まで帰ってきたとか、そういった勤務をした翌日については、「◇◇邸 直行」とホワイトボードに書いておいた上で昼過ぎに出社するとか、そういったことについては寛容であっていいと思っていますし、厳しくしない方がいいと思っていましたし、今も思っています。
1992年に(株)一条工務店に入社した時、本社からの「通達」として「たとえ、特に用事がない時でも夜9時までは必ずいること」「タイムカードは午後9時を過ぎてから押すこと」と記載されていて、それでは労働基準法違反であろうが・・と思ったものでしたし、東京営業所(東京都江東区潮見)では夜の8時台に何人もが何もしないで9時になるのを待っている・・という変な状態が続いていて、馬鹿なことやってるなあと思ったものでした。本当に精力的に働かないといけない時の為に、休養とれる時にはさっさと帰って休養とるようにした方がよっぽど成果がでるだろうに、馬鹿じゃないか・・と思ったし、それ以上に労働基準法違反の証拠を残せと「本社」が活字にして各営業所に送付してきている(株)一条工務店という会社というのも困った会社だなあと思いました。
しかし、他方において、たとえば、2001年に栃木県佐野市の営業所(展示場)に入社した久保(男。当時、30代後半)などは入社してから契約ゼロであったにもかかわらず、ほとんど毎日、定時過ぎた頃に退社しており、朝は人より先に出社してひとりで展示場の掃除をしたりしていたようですが、私や「高木のおっさん」のような継続的に一定以上の契約をあげてきた者が、毎夜、終業時刻後に見込客宅を訪ね、訪問に適さないが電話なら可かと思われる時刻には電話したりしていたのですが、入社して契約ゼロの男がほとんど毎日、定時過ぎに退社して家族団らんしているというのは、それでいいのか? ・・とも思えました。ある程度、継続的に契約をあげることができるようになった人ならば、その人のペースで営業活動をやっていいと思いますが、久保さんのように入社してまだ契約が1つももらえていないという人の場合は、特に用事がある時とかは定時に帰ってもかまわないと思いますが、そうでない時には毎日でなくてもいいから、自分自身の仕事がたとえなくても展示場に午後9時頃まではいるようにすれば、先輩社員が終業時刻後にどういう動きをしているか見える・見れることがある・・のに、それを、久保さんのように、ほとんど毎日、定時過ぎに退社していたのでは、それでは先輩社員がどういう動き方をしているかなんてわからないはずでした。ですから、久保さんのようなそういう人は、毎日でなくてもいいから、たとえ自分自身の仕事が特になくても午後9時過ぎ頃までは展示場の事務所にいるようにすれば、私や「高木のおっさん」が何時頃に外から帰ってくるかとか、事務所で電話かけたりしているかとか、そういったものを見ることができたはず・・なのに、久保さんは自分自身に営業の実力があるわけでもないのに定時過ぎにほとんど毎日、帰っていた。労働基準法と就業規則とから考えるならば定時に退社しても悪いということはないのだけれども、しかし、片方で、ある程度以上、継続的に一定以上の契約をあげてきた者が毎夜、客宅に訪問して契約につなげようと努力しているのに、入社してまったく実績があがっていない人が「これではなあ」・・と思った。
ある程度以上、継続的に一定以上の契約をあげた者は、別に「特に用事がなくても午後9時過ぎるまでは展示場にいること」なんてしなくていいと思います。むしろ、仕事がなければさっさと帰って休養とっていいと思うし、その人のペースで動けばいいと思います。落合が中日の監督になった時に「すべての選手に『オレ流』を発揮してもらいたい」と発言したのと同じく、ある程度以上、継続的に契約をあげてきた人は「オレ流」でやっていいと思いますが、しかし、入社したばかりで契約ゼロの人というのは、毎日でなくてもいいから、夜9時過ぎまでは展示場の事務所にいるようにすれば、先輩社員が訪問から帰ってくるのを見たりできて、そこから先輩社員の動き方を見て学べるものがあったはずで、その意味で「午後9時までは特に用事がなくても展示場にいること」と言うのなら間違いではないと私は思います。
私は、前日の夜、比較的遠方の客宅で深夜まで話し込んだというような場合、その見込客が契約になってもならなくても、そういうような場合に、ホワイトボードに「◇◇邸直行」と書いておいて翌日は昼過ぎに出勤するとか、そういうものには寛容であっていいと思っています。もしも、それがだめだと厳しく言うのであれば、それならば、佐野展示場にいた久保さんみたいに契約が出ていないにもかかわらず、毎日、朝は始業時刻よりも早くに人より早くに出勤して自分だけででも掃除してくれるけれども、帰る方も早くてほとんど毎日定時過ぎに退社して家族団らんしている・・というそういうのがいいのか? そうした方がいいと言いたいのか? ・・ということになります。仕事の性質上、そうではないはずなのです。ですから、前日の夜、比較的遠方の客宅に行って深夜まで話し込んだとかそういうような場合には翌日の朝の出勤については、あまり厳しく言わない方がいいし、厳しく言うべきではないと思いましたし今も思っています。
それで・・・、馬上さんの場合はどうだったのかというと、別に前日の夜に深夜まで客宅で話し込んだとかではないのです。ひとつにはM上さんは いわき市平 田町(たいら たまち)のクラブのホステスのTさんと同棲していたので《「生活のリズムが世間一般の仕事よりも夜型の住宅営業」よりもまだ夜型であるクラブのホステスに合わせた生活リズム》であったことから、午前10時の始業時刻までに出勤するのは相当きつかったのではないか・・ということもあるかもしれないけれども、そんなことよりも、始業時刻までに出てこようという気が本人にないということが原因で、M上さんはまったく出勤しない日の方が圧倒的に多かったけれども、出勤するにしても午後になってからということが多く、クラブのホステスの生活リズムに合わせた生活をしていたから午前中に出勤するのはきつかったのならばパチンコ屋のオープンの日も午前中にパチンコ屋に行くのはきついはずだが、ところがパチンコ屋の新装オープンの日になると「急がなきゃ♪」とか言って午前10時より前に来て走っていく・・ということができる( 一一) ・・ということは、それは午前10時までに出勤する気になれば出勤できたが、始業時刻までに出勤する気がないからだったということでしょう。新装オープンのパチンコ屋に出勤する日にはきっちりと午前10時より前に行けたのですから( 一一)
M上正一(まさかず)さんは、そうやって、午前中に出勤することなんて月に5日未満・・というよりも、3日以下の月がほとんどだったはずで、それも、前日に深夜まで客宅で話し込んだからとかそういった事情からではないのであり、それは誰もが知っていたことであり、いくらなんでも、それはいかんだろう・・・と思ったのでしたが、(株)一条工務店という会社は「本人の話によると暴力団関係者らしいM上」にはそれを認めていたのです。
M上は最後、退職する直前、いわき市の営業所から福島市の営業所に転勤していったS藤K一(男。当時、20代後半)に「K一、俺、もうこの会社で俺の味方はおめえしかいなくなっちまったよ」と言って味方につけようとして、S藤K一はそれに対して「え」と言って「俺を巻き添えにするな」みたいな態度をとっていたのだが、実際には馬上の味方は営業本部長(で初代社長の大澄賢次郎の義理の弟)の天野隆夫・福島県中通り地区の所長で「大澄(初代)社長の腰巾着」の片山の2人、それに総務部長の天野雅弘の計3人がいたはずで、それらに頼れば「暴力団関係者らしい馬上」は(株)一条工務店という会社おいてはは””怖いものなし””だったはずで本人もそう思ってそのような態度でふるまっていたはずだった。
(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所においては、営業所全体の仕事を「俺はうちの子供の用事があるから」と言って子供がない者にさせて先に帰るという人がいた。「子供がない者」はそういう所で「子供がある者」よりも多く働いていたはずだった・・にもかかわらず、(株)一条工務店は「家族手当」の割合が大きく(子供がある者の給料が高いのではなく、子供がない者の給料が安かった)、「俺は子供があるから」と言って営業所全体の仕事を「子供がない者」に押しつけて先に帰る人に「子供がない」という理由で営業所全体の仕事を押しつけられてさせられていた者よりも相当多い給料を支払っていた。かつ、税金を支払う時になると「子供がある者」は扶養控除を受けることができた。そこまでならまだしも、そのうち、公明党が「子供手当」などというものを支給しだし、さらには民主党は「子供がある人」に「地域振興券」などというものを配布した。
1998年、栃木県佐野市の展示場で、S藤(男。当時、30代なかば。小学校に行くかどうかくらいの子供あり)が上岡(男。当時、40代。高校生の娘だったか、子供あり)に「(子供がある親に支給される)地域振興券て、あれ、子供の為の物を買う?」と言うと、上岡が「バカか。そんなもの買うわけないだろうが。俺の物を買うに決まってるだろうが!」と言うのだった。無神経な連中である。税金から「子供がある親」に「子供手当」だの「地域振興券」だのを支給するということは、「まだふさわしい結婚相手とめぐりあうことができずにいる者」「結婚はできたが子供が欲しいと思いながらもできずにいる者」から取り立てたカネから「結婚できて子供もできた者」にカネを渡すということであり、そうやって受け取ったカネを「子供の為になんか使うわけないだろうが。俺の物を買うに決まってるだろうが!」と言うのだった、要するに公明党の「子供手当」とか民主党の「地域振興券」というのは私から奪い取ったカネを上岡が上岡の物を買うように上岡にくれてやる、という制度だったのだ。公明党は反社会的勢力と言うべきであろう!
母親が90代まで生きてくれたおかげで、歳をいくと人間はどう変化するのか身をもって知ることができた。 駅で電車に乗る場合やスーパーで買い物をする場合でも、最初はエレベーターでもエスカレーターでもよくて、下りよりも上りの時にエレベーターかエスカレーターを欲しがった。そのうち、階段を降りるのが怖いと言って上りよりも下りの時にエレベーターかエスカレーターを欲しがった。 そして、エレベーターとエスカレーターならば、エレベーターはかつては「エレベーターガール」だか「エレベーターおばさん」だかがいたが最近は自分で操作する方が普通になってきているのだが、ところが、おばあさんはエレベーターの操作ができるかどうか不安なので、それで、エレベーターではなくエスカレーターの方がいいと言い出した。ところが、さらに歳をいくと、今度はエスカレーターに乗る時、エスカレーターから降りる時が不安で、その為、エスカレーターに乗れなくなってしまい、エスカレーターではなくエレベーターでないと乗れないようになってしまった。
さらにそのうち、車椅子に乗らないと移動できなくなってしまった。車椅子というのは、折りたたんでもけっこう重い。自家用車に乗せてレストランに連れていき、トランクから車椅子を降ろして車椅子に乗せて押してレストランなどに連れていき、又、車椅子で自家用車まで戻り、自家用車のトランクに車椅子を収納するという作業をすると、車椅子を降ろしたり載せたりするのはけっこう大変だ。こちらもそう若くなくなった者としては、年齢をいって体重が軽くなったお婆さんをおぶってレストランの席まで連れていくのと車椅子をトランクに収納して、又、トランクから降ろしてするよりも、おばあさんをおぶって連れていく方が楽だと思われるのだが、ところが、歳をいったおばあさんというのは、おぶられるのを嫌がるのだ。・・だから、大阪府箕面市の阪急「箕面」駅から箕面大滝へ行く「滝道」の脇に、笹川良一がお母さんをおぶった像というのが立っていて、「どうじゃ、このわしはこんなに親孝行やねんぞお。わしいみたいに親孝行せえよお、親孝行。親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ、まんまんまんまんまんまん・・」と笹川良一が言いたいらしいのだが、よくまあ、あんな趣味の悪い像を作ると思う。 笹川良一はお母さんをダシにして「わしはこんなに親孝行やねんぞお」という像なんてものを、その費用は競艇ですって母親を泣かせた男のカネで作ったのだ。 実際に高齢の母親の世話をしてみるとわかると思うのだが、笹川良一という親不孝ものは実際に母親の世話をしていないのだろう。だから、わからんのだろう。お母さんをダシにして「わしは親孝行やねんぞお」の像なんて作る親不孝者が笹川良一である。 お母さんからすると、おぶられたくないと思うよ。
それで、千葉県から東京都にかけてでも、年に1度か2度、雪が積もる時がある。2022年2月10日の夜、11時頃になると雪が積もっていた。 1994年、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、会津若松市で建てたいという人に土地を捜して購入してもらって建ててもらったことがあったが〔その方が(株)一条工務店が会津若松市で建てた1棟目だった〕、その際に言われたのが「いわき ならば、たいして雪は降らないから坂がある山地でもいいのだけれども、会津の方は雪が降るから山地は嫌なんです。雪か坂かどちらか片方ならまだいいのだけれども、会津の場合は両方になる可能性があるんです」と。 我が家も坂の中腹のような場所にあるので、会津みたいに雪は降らないけれども、年に1度でも雪が積もると「雪と坂の両方がある」状態になる。坂がなければ、たとえ、雪が積もった場所をノーマルタイヤで走行しようとしても、走れるか走れないかだけだが、「雪と坂の両方がある」状態でノーマルタイヤで走るのは危険だ。
その2022年2月10日(木)、母が膝痛ということで病院に行った。コロナウイルスの問題から対応してもらえる病院を捜して、やっと見てもらえるという病院が見つかって行ったのだが、消化器内科が担当だという当直医に診察してもらい、入院の上で翌日に整形外科医に診察してもらって「偽痛風」という診察を受けた。「偽痛風」というのは「痛風のふりをしている仮病」みたいな病名だが仮病を装っているわけではなく、正式な病名が「偽痛風」と言う。
※ 《ウィキペディアー偽痛風》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E7%97%9B%E9%A2%A8
実際のところ、こちらも若くなくなってきた今日、おばあさんの対応もけっこう疲れる。 うちの母は「あんたが30代で産まれたから迷惑やった」と言いまくっていたのだが、30代で産まれた息子がいるから、だから、まだしも、100歳近い年齢になっても、まだ、「世話する側」の息子がいるわけで、もしも、20代で産んでいた息子なら、母親が100歳近い年齢になったら息子も80歳に近い年齢の息子になっている。 うちの父親は、毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして「産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに」と叫び続けてきたが、その「産まれなければよかった」息子がいるから、まだしも、100歳近い年齢のおばあさんの入院に対応するのだ。
私が中学生の時、うちの母親は「あんたのおかげで私は血圧が高いんや」と言って、そして、わざわざ、よりによって私の中学校の同級生の父親がやっている内科医院にかかりに行った。そして、「息子のおかげで血圧が高いんですわ」と言ったらしいのだが、その医師は比較的良心的な人だったようで、そう言われてどうしたかというと、「それじゃあ、血圧を測ってみましょう」と言って測定して、そして、こう言ったらしい。「別に高くないですけれどもねえ」と。
ところが、「私は息子のおかげで血圧が高いんですわ」と言って、医院に行く前から「悪いやつ」を決めて診察を受けに行った人に、「別に血圧は高くないですけれどもねえ」と言うと、「患者」はおもろないわけだ。「そんなはず、あれしません」と言うのだ。なにしろ、「悪いやつ」まで、すでに本人が自分で「診断」して用意しあ上で医者屋の所に行っているのだから、医者屋としては、その「悪いやつ」が悪の根源だと「診断」する必要がある!・・と患者は思っておるわけだ。
しかし、それでも、その内科医の人はけっこう良心的だったようで、「◇◇さんの場合は、気持ちの問題でしょうかねえ」と言われたそうだ。「気持ちの問題」というのは、実際に血圧が高いのではなく「私は血圧が高い」と思い込んでいるという「気持ちの問題」という意味だが、うちの母親は「息子のおかげでわたしは血圧が高いんや」という「気持ちの問題」だと自己診断をした。そして、私は予定通り「悪いやつ」とされた。・・・それから45年少々経ち、今ではその息子の方が「血圧が高い」と医者から言われるようになった。3年前に胆嚢炎の手術をした時には、手術前には血圧が200を超えていた。それは、おそらく、痛いのを我慢すると血圧が上がるということだったのだろうと思う。手術後はさすがに200を超えることはなくなったが、今も140以上ある。 福太郎で血圧計を購入したのだが、母がどこそこが悪いと言って、しょっちゅう呼び出されると、さらには姉も悪い所があると言って救急車を呼んだりして、そして、姪が来てほしいと夜中に電話してきて言い、しかたがないから行くと、救急隊員から「娘さんにばっかりさせないで、あなたももっとやってあげないと」などと説教された・・が、母親だけでも大変で私からすれば息子ではなく娘でも孫でも母親や祖父のために少しくらい貢献してくれてもと思うところだったが、自分自身の体が手術してまだたいして経っていなくて自分の体が万全ではないのに、そういうことを言われるのはきつかった。
身内に体が悪いという人間が2人もいると、自分自身が血圧が高いとか心臓がどうとか言われても、もう、自分の体なんかどうでもいいよ・・となる。「この子は老後の対策のために産んだ子やから、老後の対策に役立ったら、その後はどうなってもええ子やねん」と、うちの母親は言っていたのだが、私はそういう子らしい。 私が中学生の時、内科医なんて何軒もあるのに、わざわざ私の中学校の同級生の父親の所に行って「息子のおかげで私は血圧が高いんですわ」と言い、血圧を測定して「別に高くないですけれどもねえ」と言われても、「いい~や、そんなことありません。高いはずです。息子のおかげで私は血圧が上がってるんです」と主張してきかなかったうちの母親は、100歳近くなった今現在は特に血圧は高くないらしい。息子の方が「血圧が高い」と診断されている。・・「そんなもの」なのだろう。なにしろ、「この子は老後の対策の為に産んだ子やから、老後の対策に役立ったら、その後はどうなってもええ子やから」というそういう人間なのだから。
2022年2月22日(木)、なんとか、入院させてもらえる病院が見つかったのだが、翌日は「国民の祝日」で、翌々日は土曜日、その次は日曜日で、整形外科医が来るかどうかわからないと言われた。 2月11日て何の日かというと「建国記念日」だ。 週休日が平日の会社に長く勤めてきたら、「国民の祝日」というものがたいして気にならなくなってしまったが、医者というのは基本的には「国民の祝日」は休みらしい。私だって「ともかく国立大学で」というくらいの条件ならば医学部で合格できそうな所はあったと思ったのだが、慶應大学に在学した時、ステューデントカウンセラーズというサークルにいた時のことだが、「自分は小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、経済学部とか商学部とかいった学部に行ってしまうと、せっかく勉強してきたことが無駄になってしまう」と言った人があったのだが、それは私が思ったことと同じだった。経済学部・商学部といった学部を卒業して会社という所に勤めてしまうと高卒の人と一緒の扱いにされてしまう。それに対して、医学部を卒業して病院に勤めると最初から「医師」としての扱いを受ける。文学部・理学部を卒業して教員免許を取得して学校という所に勤めると、最初から「教諭」として扱われる。用務員とか「給食のおばさん」として入社した人と競争させられるとかいうことはない。 工学部を卒業して会社の研究室のような所に勤めると、最初からその大学の工学部卒の人として扱われる。どう考えても、経済学部・商学部卒は損だ。
2022年2月10日(木)は午前中は晴れていたと思うのだが、夕方から雨か雪か微妙というものが降り出した。母が世話になっている老人ホームから連絡があって病院に連れていくからということで、私も自家用車で病院まで行ったのだが、ところが、コロナウイルスの問題と関係があるのかないのか、緊急診療での順番待ちをしていると5時間ほど待つことになったか、入院できたのは午後11時30分頃だった。その時点では道路には雪が相当積もっていた。 病院た建っている場所は平地だが、我が家の近所は坂道がある。 平地であっても普通に走れるという保証はない。
ノーマルタイヤで走るのは危険であるから、タイヤチェーンを巻く作業を始めたのだ・・・が、積雪地に住んでいるわけではないのでチェーンを巻く作業に慣れていない。1時間ほど悪戦苦闘したが巻けず、あきらめた。 もう、午前0時30分を過ぎており、電車は終電が出た後だが、駅の付近まで行くとタクシーがあるだろう・・・と思ったのが甘かった。
今回、入院した病院は駅の前にあるような病院ではなく、通常時で駅から徒歩15分ほどの場所で、積雪時にはそれ以上かかったのではないかと思う。 15分以上も雪道を歩くと靴の中に水がしみこんでくる。 そして、なんとか、やっと京成電鉄の駅にたどりついたものの、タクシー乗り場にはタクシーなんて停まっていない。 昔は公衆電話ボックスというものが駅前あたりにはあったものだが今は携帯電話を使う人が増えたことから公衆電話の数が本当に少なく、公衆電話ボックスというものではなく、公衆電話があっても、そこには「タウンページ」電話帳というものが備えられてういない。 タクシー会社に電話して来てもらおうとしても公衆電話に「タウンページ」が備えられていない。
2014年に川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ 埼玉県の工事現場で右足の甲を骨折した時にタクシーを利用せざるをえず、その際に利用したタクシー会社の電話番号が携帯電話に登録されていたので、それにかけてみた・・のだが、廃業したらしいタクシー会社が1軒、そして、他に2,3軒かけたのだが、いずれも、電話に出てもらえなかった。 雪が積もった日の午前1時となると、もう、タクシー会社の従業員も帰宅した後のようだった。
困った。雪が積もっていなければ、えっちらおっちらと2時間でも3時間でもかけて歩いて帰るという選択肢もあるが、道はおよそ長時間歩けるような状態ではなかった。 付近に24時間営業のファミリーレストランでもあればそこで過ごすか、もしくは漫画喫茶とか、もしくは24時間営業の吉野家・すき家・松屋などがあれば、どうせ、客はそれほどいないだろうから朝までおらせてもらうということができるのではないかと考えたが、ファミリーレストランも吉野家・すき家も1軒もなかった。コンビニでそこで飲食するためのコーナーが設けられている店というのも、それもなかった。
1994年のこと、慶應大学商学部の村田昭治という内部進学らしい教授先生が「商業学総論」という講義の中で、「国鉄は商売気がなかったが、最近、やっと出てきた」と、商売気の方を重視した発言をなさるので、その時点ではJRではなく国鉄で、国鉄の「分割民営化」はまだ決まっていなかった時点において、「民営化」して商売気を出してやっていくべきだというそちらばかりを主張なさるので、この人はどんなものだろうなあ・・と思ったことがあった。「村田昭治先生は、毎朝、家を出る時に嫁さんに三つ指ついてお見送りさせる」という話が慶應大学の学生の間で知られていた。あくまでも「聞いた話」なので、その通りなのかどうかはわからない。 私はそれを聞いてびっくりした。まがりなりにも大学教授ともあろう者がそんな野蛮なことを妻にさせるとは・・とあきれた・・が、村田昭治教授は内部進学だそうだったから、内部進学の専門バカ教授なら、そんなものだったのかもしれない。

マーケティング用語辞典 (日経文庫) - 昭治, 村田
村田昭治教授の「商業学総論」は、会社という所に勤めてみると、そこで聞いた話や村田教授の推薦書などは役に立つものが多く、それゆえ、「売れっ子ゼミ」と言われていたが、しかし、「毎朝、妻に三つ指ついてお見送りさせる」というような野蛮人の男は評価できない。しょせんは内部進学の専門バカ教授だったのだろう。
村田昭治教授は国鉄が「やっと、最近は商売気が出てきた」と、そちらをプラスに評価するのだったが、国鉄を民営化すべきか否かについては、民営化のプラスの面ばかり考えるのではなくマイナスの面もまた考える必要があると思ったのだが、うかつにそういったことを口にすると「ハスに構えているやつ」とか言われそうだった。村田昭治教授が「商業学総論」の講義の時に「ハスに構えているやつというのがいるでしょう。もうだめですね、そういうやつは」と、特に前後の脈絡と関係なしに発言なさったことがあったのだ。「斜に構える」を内部進学の専門バカは「ハスに構える」と読むそうだったが、「斜に構える」は剣道から出た言葉で「シャに構える」と読む。「ハスに構える」は間違いだ。それで、その頃、慶應大学の塾長だった内部進学石川忠雄先生のお友達の中曽根康弘が国鉄の「民営化」を推し進めようとしていたのだったが、私は国鉄を「民営化」した場合と「国鉄」としての運営を続けた場合とどちらがいいのか、国民が自ら考えてみるべきだと思っていたのだったが、ところが村田昭治教授は「民営化」はもう決まったものとした上で、民営化した場合の長所・短所はどうで、国鉄のままでの運営を続けた場合の長所・短所はどうでといったことを国民ひとりひとりが考えて検討して・・といった思考をする人間とかは、そういう人間を「ハスに構えているやつ」と断定して、その上で「そういうやつは、もうだめですね、そんなやつは」と講義の最中に発言したのだった。中曽根康弘が推し進めようとしていた「分割民営化」に対して翼賛する人間というのが、そういう人間が「自我が確立されている」で「独立自尊の精神を持っている」人間で、そういう思考はおかしいのではないかと口にしようものなら「ハスに構えているやつ」と悪口雑言を浴びせるというそういう人だったようだ。「商業学総論」での話はもっともなものもあったが、そうのあたりの内部進学独善主義については、この人は死ぬまでこの精神態度は変わらない、この人のこの病的な精神構造は死ぬまで治らないだろうなあ・・と思い、もしも、商業学系のゼミに応募するにしても、この人とつきあわないといけないというのはきついと思われたので、たとえ、商業学系のゼミに応募するにしても村田昭治せんせいのゼミ以外のゼミにしたいと思うようになった。
※ 斜(しゃ)に構える 剣道で、刀を斜めに構える。転じて、身構える。改まった態度をする。
(新村 出 編『広辞苑 第二版』1969.第二版 岩波書店 )
斜(しゃ) 水平でも垂直でもない方向。または面。ななめ。
「斜(しゃ)に構える」(刀を斜めにして構えをとる。転じて、ある事に対し身構えをする)
(西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編『岩波 国語辞典 第三版』1979.第三版。岩波書店。)
もう一回、言うが「斜に構える」は剣道からきた言葉で「シャにかまえる」と読みます。「ハスにかまえる」ではありません。内部進学の教授・助教授は「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」とおっしゃるでしょうけれども、私は「少なくとも、害はない」と思いますけれどもね。こういうことを言うと「ハスにかまえてるやつ」とか罵られそうで怖い

それで、どうせ、私なんかは慶應の内部進学の教授や学生からは「ハスに構えてるやつ」とか言われ、「慶應心理学」からは「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「診断」されることでしょうから、一生懸命、彼ら内部進学の教授だの学生だのの機嫌なんか取ってもどうもなりませんから、ですから正直に言わせていただきますが、国鉄は「民営化」した方がいい面というのもあるかもしれませんが、「民営化」しない方がいい面というのもあると私は思っています。実際には両方の面があると思うのです。こういうことを言うと内部進学の村田昭治教授とそのシンパの学生から「ハスに構えてるやつ」とか罵られそうで、又、「慶應心理学」からは「自我が確立されていないから、わざわざ、逆らっているということですね」と「ほとんどビョーキ」もしくは「ビョーキ」と「診断」され、電気ショック療法とか「ロボトミー」「精神外科」療法とかされそうで、もう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい!!! そして、中曽根がやることに翼賛する人間が「自我が確立されている」で「独立自尊の精神がある」で「福沢精神」で「アイデンティティーを持っている」で「企業はそういう人間を喜ぶ」で「ギャルにもてもて」とか「診断」するでしょう。「商業学・マーケティング」が専門の村田昭治せんせいが「診断」すると「ハスにかまえてるやつ」という表現になりますが、内部進学小此木啓吾とかが「診断」すると「なんとか人間症候群」「なんだかんだシンドローム」「なんじゃかんじゃ病」と「病気」という「診断」になり、「病気」と「診断」されると次に「治療」されることになりますから、ほんともう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい!!!
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昭和の不思議101 2022年 陽春号 (ミリオンムック 30)
《 いわゆる「ロボトミー殺人事件」が起きたのは1979年だから、もう40年余り前になる。売れっ子のスポーツライターだった男が脳に「ロボトミー」と呼ばれる手術を施され、後遺症に苦しんだ末に担当医の家族を殺害するに至った幽明な事件だ。・・》
( 「別冊裏歴史 昭和の不思議101」2022.4.20.(株)大洋図書。ミリオンムック30 所収、
片岡 健「ロボトミー手術殺人事件」)
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スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」。 )

政治と精神医学―ソヴェトの場合 - S.ブロック, P.レダウェイ, 秋元 波留夫

告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
・・で、もう一度、普通に考えてみてくださいよ。 鉄道は民営の方がいいのか、それとも国営なり都道府県衛なり市町村営なりの方がいいのか? いちがいにどっちとは決まってないと思うのです。両方の面があると思うのです。こういうことを言うと中曽根康弘とか村田昭治は怒るでしょうけれども。むしろ、実際には両方の面があるのに、自分が民営化したいものだから、それに反対する人間とか、もしくは反対しているわけではなく両方の面があるから、両方の面について国民ひとりひとりが自ら考えてみるべきだと言うような人間を「ハスに構えてるやつ」とか罵るというそういう人間の方こそ「シャに構えてる」やつではないでしょうか。
私が子供の頃、電車(及び、気動車)というのは国営もしくは公営が普通だった。私が小学校の4年の途中まで住んでいた所では、一番最寄りの電車というと国鉄で、次に近い場所の電車というと大阪市交通局の地下鉄だった。駅というのは市役所みたいなもので、駅では入場券というのは販売されていたけれども、それでも、駅のトイレを借りるというのは市役所でトイレを借りるのと似たような感じで、駅員さんに「すいませ~ん。トイレ使わせてくださ~い」と言うと、「どうぞお」と言って入らせてもらって使わせてもらえるということが多かった。又、来客を見送りに行った時なども、入場券を買わなくても、駅員さんに「すいません。ちょっと見送りに入らせてくださ~い」と言うと「はい」と言って入らせてもらえることが多かった。 国鉄の駅員や大阪市交通局の地下鉄の駅員というのは市役所職員・府庁職員と似たようなもの、「役人気質」とか「親方日の丸」とか言って否定的に言われることもあったが、「普通の会社の従業員」とは違ってたとえ、民営の電車でも、国営もしくは公営の電車が多かったことから、私鉄の駅員さんでも、電車というのは国営もしくは公営の電車が多かったことから国営・公営の鉄道の駅員に近い存在、公務員に近い感じだった。私が子供の頃、ひとつにはその頃の国鉄は今よりも駅員の数が多かったということもあるとは思うが、母親が何かしたい時に駅員さんに「駅員さん、すいません。この子、ちょっと見ててもらえませんか」とお願いすると、駅員さんは見てくれたものだ。その場合、「駅員さん」というのは市役所職員と一緒で特別に有能かどうかはさておき、決してそんなに悪いことする人ではないという信頼感みたいなものがあった。
最近、YouTube の動画を見ていたら、年寄が駅のトイレを貸してくれと駅員に言ったら、駅員だ「だめだって言ってるでしょ」とつっぱね、「なんで、いかんのだ」と食い下がる年寄にさらにつっぱねるなんて動画が出ていて、コメント欄には「こういう頭のおかしなやつは通報すべきだ」とかなんとかコメント入れている人が大量にいた。鉄道もまた営利事業だと仮定するのならば、「駅のトイレ」というのは「ファミリーレストランのトイレ」と同じで、お金を払ってそこを利用した人のためのもので、お金を払っていない人に使わせることはできない、「駅のトイレ」を使いたいなら入場券を買って入って使ってくれと若い駅員は言うようだった・・が、それは間違いということではないのだろうけれども、しかし、子供の頃、「駅のトイレ」というのは入場券なんて買わなくても駅員さんにお願いすれば使わせてもらった経験がある者からすると、なんとも、せちがらい世の中になったもんだ・・という感じがして、なんだか悲しい。
昔、「赤旗の歌」というのがあり、歌の節回しはドイツ民謡の「モミの木の歌」の節を使ったものだが、「民衆の旗、赤旗は・・」「卑怯者、去らば去れ、我らは赤旗守る・・」というものなのだが、インターネットで見るとその替え歌というのがあったらしく、「民衆の足、国鉄は・・」というのがあり、「民衆の足、国鉄は」「金持ちは、飛行機に、乗るぞ。 我らは国鉄に」という歌詞があったようだ(ちなみに「民衆の女、パンパンは」なんてのもあったらしい)。 国鉄というのはその替え歌の歌詞のように「民衆の足」だったのだ。 市道を通行するのは、金持ちでなくても通行させてもらえる。いっぱい税金払ってる人でもちびっとしか払っていない人間でも市道を通行させてもらうことができるのと似たように、国鉄というのは無料で乗車できりわけではないとしても、特別に高い金額を払わなくても、比較的安めの金額で乗車させてもらえる「民衆の足」だったのだ。「親方日の丸」とか言う人がいても、それでも「民衆の足」は誰でも高くない運賃で乗車させてもらえるものだったのだ。ところが、国鉄がJRになったら、村田昭治慶應大学商学部教授がおっしゃるように「商売気」は出てきて、「マーケティング戦略」を考えた経営をするようになったかもしれないが、かつては、お金を持ってない子供でも「駅員さん、トイレ使わせてください」と言うと、「はい、どうぞ」と言って使わせてくれたのに、今では入場券買わないと使わせてもらえないのが普通みたいになってしまった。村田昭治や中曽根康弘が目指した「国鉄の分割民営化」はそれだったのか。いかにも「慶應タイプ」て感じの発想だ。
国鉄に続いて、郵便局。そして、職安も民営化させようと 小泉ええかっこしい内閣 が企てたが、職安については、もしも「民営化」したならば、「すべての国民が職業にありつけるように」という職業安定所の趣旨は否定され、「企業が求める人材を見つけるヘッドハンター」の会社になるのではないか、立場が弱い人を切り捨てて、求職市場において立場が強い人のための会社になってしまうのではないか、それでは良くないのでは・・と思ったのだが、しかし、職安(職業安定所)の場合は、すでに「すべての国民が職業にありつけるように」という機関ではなくなっている。 職安の職員といいうのは、「失業者というのは犯罪者なんだ」、「解雇された人間というのは、その人間に問題があるんだ、反省しなさい」という態度である。失業者というのは会社の為に自分を犠牲にして滅私奉公してきたのにアホ経営者から不当な扱いを受けた人間ではなく、悪いやつだから解雇されたのだという意識でいる連中の巣窟である。 職安というのは「失業者というのは、政府の政策が不十分だから失業しているのではなく、その人間に問題があるから失業しているのだ」ということにするために存在している。かつ、民間の人材紹介会社とか就職情報サイトならば、求人側と求職側の両方のためを考えて運営するのに対して、職安は完全に企業側・採用側である。かつ、民間の人材紹介会社や就職情報サイトならばこういう求人を出していいかどうか判断して受け付けるのに対して、職安はそうではなく、不良企業でも労基法違反でも無茶苦茶な扱いにする会社でも求人を受け付けるというのがそれが職安だ。職安の情報は職安以外の情報に比べて質が悪い。かつ、失業保険について受給できるものかできないものか尋ねると、それだけで不正受給しようとしている人間だろうという眼で人を見る。職安職員の給料の方こそよっぽど不正な受給であろうが! そういった実状を考えると、職安(職業安定所)こそ、民営化して、あいつら職安職員をあんないいかげんな勤務態度では食えなくしてやるべきだ・・と思う。
それで、私が子供の頃、駅には待合室というものがある場合が多かった。待合室がない駅でも、かつ、夜間は電車の発着がない駅でも、駅の改札口の外側には入らせてもらえるもので、駅舎の中というのは雪に閉ざされて帰るに帰れないという者にはシェルターというのか避難小屋というのかの役割を果たしてくれる場所だった・・と思ったのだ。
ところが、それは今は昔のこと。 京成電鉄の習志野市の某駅では終電が出た後はシャッターが閉められて駅車内への立ち入りができないようにされていたのだ。〔「公営企業」でなくても「公共企業」であるのだから、雪で帰るに帰れなくなった人間の為に、駅舎を一晩はシャッターを閉めずに屋根の下に入れるようにしておく・・というくらいやっても悪くないのではないかとも思うのだが、そのあたりは「労働組合が強い京成電鉄」では、そんなことやるわけないだろうが・・というものかもしれない。〕
国鉄が存在して、都道府県衛・市町村営の交通機関が多かった時代では、駅舎というのは避難小屋・シェルターの意味あいも持っていた。しかし、今では終電が出た後の京成電鉄の駅舎はシャッターが閉められて始発が出る直前までは屋根の下に入れてもらうことができない。「慶應タイプ」村田昭治がやりたかったのはこれか?
駅の周囲にファミリーレストランでもあれば、そこで一晩過ごしたいところだったがそれもない。あるのはというと⇒交番があった。もしも、内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦ならば、「一晩、泊めてもらえませんか」とか言って留置場に泊めてもらうとかするのかもしれないが、浅見光彦の場合は「兄上が警察庁刑事局長」という「水戸黄門の印籠みたいの」があるから出たい時はいつでも出れるとして、一般庶民がうかつにそういう所に泊めてもらった場合、出たい時に出れるという保証があるとは思えないので、それから考えると「すいませ~ん。一晩、泊めてもらえませんかあ」なんて言うわけにはいかなかった。・・しかし、実際問題として、急な積雪で帰るに帰れなくなるということは「あること」であり、交番の警察官というのは、そういう問題に対しても力になろうと考えても悪くはないのではないか、と思う・・が、それにしても、警察に「一晩、泊めてもらえませんかあ」なんて言って、「いいですよお」なんて留置所に泊められた・・なんてのは、それはやっぱり避けたい・・と思う。浅見光彦と違って「兄上が警察庁刑事局長」ではないし。
それで、京成電鉄の線路をくぐる地下道がありまして、地下道の中には雪が吹きこまないし、雪が積もることもなかったので、地下道の中で一晩を過ごしました。一睡もせず。 近くのセブンイレブンに行って、暖かい方の缶コーヒーを購入し、使い捨てカイロを購入し、雪に濡れてずぶぬれになった靴下を履き替えるために靴下を購入して履き替えました。首を突っ込むと首のまわりが温まる円形の首巻を売っていましたのでそれも購入して巻きましたが気休めにしかなりませんでした。
朝、5時くらいになって、京成電鉄のシャッターが開きました。スイカで改札口を入っても電車はしばらく来ませんが、ともかく、これで生きて帰れそうということになりました。
京成「津田沼」から新京成電鉄に乗っても新京成電鉄「新津田沼」駅からJR「津田沼」駅まで歩道を歩くと雪の中に足を突っ込むことになりますから、京成「船橋」からJR「船橋」駅に行き、JR「船橋」駅の北側のロータリーから出る船橋新京成バスに乗って自宅近くのバス停まで行ってそこから歩くという方法を考えました。
しかし、始発で京成「船橋」駅まで乗って着いた時刻から船橋新京成バスの始発が出るまでにはまだまだ時間がありました。
それで、JR「船橋」からJR「東船橋」駅までJR総武線に乗り、「東船橋」から新京成バスに乗ることにしましたが、ところが、コロナウイルスの関係で船橋新京成バスの本数はずいぶんと少なくなっていて、「東船橋」駅から出る新京成バスも始発のバスの時刻までまだまだあります。そこで、駅の南側のなか卯に入り、朝食にかつ丼だったか何だったかを食べて、食べ終わった頃・・、アホみたいですが始発のバスが出た後でした。 ところが、かつて、船橋グリーンバスと言って、船橋市緑台に行くバスが運営されていたのが今は船橋新京成バスになっているのがあり、それが停車していましたので、それに乗って帰りました。
それにしても、一晩、地下道で立ちっぱなしで寒い中を震えながら起きていて、本当に疲れました。翌日、母に持って行かないといけない入院者の備品、石けん・シャンプーにマスクにウェットティッシュになんだかんだがあったのですが、午前中は疲れてしまって午後の途中まで寝ていました。夕方になってやっと起きることができて、買いにいかなくても手元にあるものは手元にあるものにして、コンビニで帰るものはコンビニで買えるものですませてなんとか持っていきました。
2022年2月11日になると雪はやみ、夕方になると道路上も溶けてクルマもノーマルタイヤで走れるようになっていましたが・・本当に疲れました。 母親が百歳近い年齢になると息子だってそう若くはありません。「あんたは若いんやから無理がきく」と何度も何度も言われてきましたが、もう若くなくなってしまいました。「不可能を可能にしなさい!」と、うちの母親に何度も何度も言われてきたものですが、「不可能というのは可能にできないから不可能と言うんです」と言っても、「甘ったれなさんな。あんたは若いんやから不可能を可能にできるはずや」と言うのでしたが、そんなことばっかり言われて過ごしてきましたが、「無理をきかせなさい。あんたは若いんやから」と言われ続けてきましたが、「無理なものは無理です」と言っても「何を言ってますのん。あんたは若いんやから無理がきく」と言われてきたけれども、実際のところ、かつてならば、一晩、外で立ちっぱなしにしていても、翌日も、もう1日くらいなら無理をきかせてなんとか動いたところだったかもしれませんが、もう無理です。
上の姉も体調を悪くして動けない状態で、下の姉は「うちも歳だから」と言うのですが、私だけ若いと思っているらしいようでしたが、そうではないのです。
母親が入院した時に息子が困るのは下着の準備です。 スーパーで買ってきて・・と思っても男性が女性の下着を購入するというのは大変なのです。せめて、そのくらいは娘がやってくれたらと思っても、あるいは女性の肌着の洗濯は娘がやってくれても・・と思っても「パンツの洗濯は〇〇の仕事でしょうがあ!」とその娘に言われます。姉が言うには「パンツの洗濯」は私の仕事だと決まっているそうなのです。
高橋由伸が巨人の監督をやった年に巨人が十何連敗した時、野村じいさんが「十連敗以上すると3年は影響する」と話していたことがありましたが、なんか似ているように思いました。雪が積もった後、一晩、屋外で一睡もせずに過ごすということをやると、その影響は一週間は続くように思います。10代・20代なら別かもしれませんが、百歳近いおばあさんの息子ですから息子といっても若くありません。こっちがめんどうみてほしいくらいです。「これから育てる息子」ではなく「こちらの面倒を見てくれる息子」と「雪かきくらいできる孫」でも欲しいところです。
ところで、2011年4月に千葉市中央区鵜の森町1-3 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産。)に社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だということで縁故入社してきた滝口恵(女。当時、30代前半)は、すでに子供を2人持っていて、「子供があるから」ということを大義名分にして滝口恵が担当で滝口恵がその仕事に対しての報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰り、その仕事を担当外の従業員に時間外に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でずいぶんとさせた、ずいぶんとしてもらったはずで、自分が担当の仕事で自分がそれに対して報酬をもらっている仕事を担当外の従業員に時間外に無賃労働でやってもらったならばそれに対して、普通の人間ならば「どうも、すいませんでした」とか「どうも、ありがとうございました」といったことを言うもので、そのくらいのことも言えないようでは社会人として問題がありますし、会社人として非常識ですし、何よりも、その程度のことも言えない人間が営業の仕事をしようというのは、それは考え違いも甚だしいというものであったはずですが、一言として「ありがとうございました」も「すいませんでした」も口にすることはありませんでした。この女の親というのは、いったいどういう親なんだ?!?・・と思いましたが、「親の顔が見たい」と何度も思ったものですが、「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がありますが、実物を見せられてもどうしようもない。どうせ、似たような顔しているのでしょうし、似たような根性しているのでしょう。又、オットも社会人としておかしい。自分の嫁が勤め先で迷惑をかけていることについて、何とも思わない男というのは、そのオットもまた社会人としておかしい。 滝口恵は滝口が担当の仕事で滝口がその仕事に対しての報酬を受け取っているものを残して定時に退社して帰宅し、残った仕事を担当外の従業員にさせて、そして、担当外の従業員が労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で滝口の仕事をさせられていたまさにその時間に、定時に退社して帰宅した滝口恵はオットと「妊活」(=性交)やって3人目を孕んで産んだのでした( 一一) よくやると思います。ええ根性してます。念のため、解説しますと、ここで「ええ根性してます」というのは決してほめているのではありません。ええ心臓してます。プロ野球ならば9回の裏、1点差のリードでノーアウト満塁とかいう場面でリリーフに出てくる投手・・というのに向いているのではないでしょうか。リリーフに適性あり! ・・てタイプでしょう・・というのも、これも決してほめているわけではありません。誤解なきように。
( ↑ 新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)・ジャムズグローバルスクエア(株) があった場所。
千葉銀行が抵当権を設定していて競売にかけられて、今は関係ない団体が所有しています。)
特に、2011年6月、私は90代の母が待っていたけれども、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)から帰ろうとすると、床の上に「有効期限」が翌日だったか翌々日だったかに迫っていた印刷屋に依頼して印刷したカラー刷りのチラシが床の上に大量に積み上げられており、担当の滝口恵 は平気で定時に退社しており、もうひとりの担当の飯島は社長の長谷川新二が倫理研究所(=倫理法人会)の研修会だか会合だかにつれて行っていませんでした。会社の費用をかけて印刷屋に依頼してカラー印刷したチラシが床の上に何千枚と積み上げられていて、もうすぐに「有効期限」が過ぎてしまうというのに、ひとりの担当者 滝口は平気で定時に退社してオットと「妊活」やってる、もうひとりの担当者の飯村は社長が倫理研究所(=倫理法人会)に連れていっていない・・て、そりぁいったい何だあ?!? と思いませんか。その二人って、営業なのか? 床の上に「有効期限」が迫っているカラーチラシが何千枚と積み上げられているのに、それを放置して平気でいる担当従業員というのは、それは営業なのか? そんな従業員を営業と言うのかあ? 費用をかけて印刷屋に依頼して印刷したカラーチラシが床の上に何千枚と積み上げられていて「有効期限」が迫っているのに、わざわざ、そういう時に担当従業員を倫理研究所の集会に連れて行く社長というのは、その男というのは社長なのか? 倫理研究所(=倫理法人会)にはまった経営者というのはそういうことをやりだす人が多いようだが、そういうことをする人というのを社長と言うのか? そういうことを勧めるような倫理に欠ける団体が「倫理研究所」などという名称を名乗っているというのはおかしいと思わないか? そんなリンリでマンマが食えるか?・・というと食えないから倒産した・・のかもしれんが、そんなおかしな倫理があるか?
今はもう母は自分で電話を取ることができなくなってしまいましたが、その頃は自分で電話を取るくらいはできたので電話をして、きょうは遅くなるからと断り、私の担当でもない仕事だけれども、「有効期限」が迫っているけっこうカネかけたと思われるカラー印刷したチラシを紙くずにしてしまうというのは営業の仕事を長くやってきた者として許せないと感じ、無理をして夜遅くまでそのチラシをポスティングしました・・・が、そういうことをすると、その夜、何時に戻ると言っていたのに帰ってこないとなるとお婆さんは急激に弱るのです。ああ、もう、こんなことはしてはいけない・・と思いましたが、滝口恵は「すいませんでした」の一言すらも言いませんでした。言えない人間でした。
私だけではなく、担当外の従業員に滝口恵が担当で滝口恵がその仕事に対して報酬を受け取っている仕事を毎度毎度やってもらって本人は平気で定時に帰り、「すいませんでした」の一言も言わない、「ありがとうございました」の一言も言えない。親の育て方がおかしいのであろうし、オットの態度もおかしいし、前職での社員教育もおかしいのではないか。
新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)には滝口恵の他にもう一人、社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だとして縁故入社していた従業員として事務員の大竹加代子がいました。大竹加代子は会計系の大学学部を卒業したわけでもなく、会計系の資格を何か持っているわけでもなく、そういった職歴があるわけでもなかったにもかかわらず、縁故入社だということで私の倍以上の給料を盗っていました。
それだけではなく、賃金の計算をする係だった大竹加代子は私が時間外労働をした場合には、すべてサービス残業にしておきながら、大竹加代子が時間外労働をした場合、休日出勤した場合には時間外賃金・休日出勤手当をつけていました。
※ 《岡野タケシ弁護士【アトム法律事務所】 Q:サービス残業は犯罪ですか?#Shorts》https://www.youtube.com/watch?v=a3VXq7VqnXI
私は新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の時間外賃金不払い・労働時間制限違反について、自分自身のタイムカードのコピーを持参して千葉労働基準監督署https://jsite.mhlw.go.jp/chiba-roudoukyoku/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html に訴えました・・・が、ところが、千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野(男。2013年当時、30代くらい?)は「その問題は取りあげません」などと言うので、「どうしてですか」と言ったところ、「証拠がありませんから」と言うので「ここに証拠がありますでしょ。私自身のタイムカードが証拠であり、私が証人ですよ。証拠もあり証人もいますでしょ」と言ったのですが、ところが労働基準監督官の佐野は「社長の居場所もわかりませんから」と言うので「それを調べるのが捜査機関の仕事と違うのですか」と言ったのですが、それでも「その問題は取り上げませんから」と言うのでした。「どうしてですか。取り上げてもらわないと困るのです」と言ったが、佐野は「取り上げませんから」と言ってきかないのです。たしかに、長谷川は千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の「本社」・本店にも顔を出さず、郵便箱には倫理研究所推薦の田沼たかしとかいう議員からの郵便とか(おそらく、従業員には給料払わない長谷川が倫理研究所にはカネ払い、推薦議員にもカネやったから郵便だしてきたのではないか?)が詰まっており、海浜幕張の自宅マンションに行ってもインタホンを何度押してもでず、管理事務所のマンション管理人に尋ねても「何人もの人が訪ねてくるけれども住人の姿はしばらく見ていない。管理人もどこにいるのか知らない」ということで、さらには千葉市中央区宮崎台 の 長谷川の嫁の河野利華の母親が住んでいる家に行って婿の長谷川新二と実の娘でビルダーズジャパン(株)の代表取締役になっていた河野利華の居場所を尋ねてもすっとぼけて「知らない」と言い張るというありさまでしたが、実の娘の居場所母親が「知らない」で警察に操作願いも出さないではすまないはずで、それを「知らない」ですっとぼけて居直るということは実際には知っているが知らないと言い張っていたということであろうと思われますが、労働基準監督署および労働基準監督官の佐野は捜査機関なのだから、私などが調べるのとは違ってどこにいるのか捜査して逮捕すればいいはずだったのに、それを拒否したのでした。
そのうち、2013年11月、新華ハウジング(有)の代表取締役でビルダーズジャパン(株)の元代表取締役の長谷川新二は、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の倒産と自分自身の破産申請をおこない、東京地方裁判所にて債権者会議が開催されたのでしたが、その際に長谷川新二が東京地方裁判所に来ましたから、その直後、私は千葉労働基準監督署に電話をして労働基準監督官の佐野に「今、ここに犯人の長谷川が来ていますから」と言ったのだが佐野は「ですから、その問題はとりあげないと言いましたでしょ」と言うので、「そんなわけにはいきませんでしょ。とりあげてもらわないと困ります。佐野さんが『社長の居所がわからないから対処できない』と言われたから、だから、今、この東京地方裁判所に来てますからと連絡しているのじゃないですか」と言ったのだが、それでも千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野は「だから、それは取り上げないと言ったでしょうがああ~あ!」と言うので、こいつはだめだと思い、そして、労働基準法違反というのは犯罪であり、労働基準法違反は労働基準監督と労働基準監督官でなくても通常の警察署と警察官でも対応していいことになっているはずなので、それで私は110番通報をおこない、労働基準法違反の犯人が来ましたから確保してくださいと依頼しました。しかし、ここで私がミスをしたのは、こちらも緊張していたことから、場所を「東京地方裁判所」と言ってしまったのが失敗で、東京地方裁判所でも倒産・破産の債権者会議をおこなう場所は東京都千代田区霞が関でも、東京地方裁判所・東京高等裁判所の大部分の部署が入っている裁判所棟ではなく、法務省と検察庁が入っている合同庁舎6号館A棟の南のB棟のさらに南の合同庁舎6号館C棟だったのを「東京地方裁判所」と言ってしまったことから、丸の内警察署の警察官2人は一度、裁判所棟の方に行ってしまい、そこから合同庁舎6号館C棟に来たことから時間がかかり、その間に長谷川は帰ってしまい、犯人を取り逃がしてしまったのでした。
この時に電話した際の千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野の態度も横柄であるとともに真面目さがなく、私は千葉労働基準監督署に行き、「佐野さんが『社長の居場所がわからないから対処できない』と言われたから、だから、私が『今、東京地方裁判所に来ているから』と言って電話したのに、どうして対処してくれないのですか」と言ったのだが、ところが、それでも千葉労働基準監督署の不良労働基準監督官佐野は「だから、その問題は取り上げないと言ったでしょうがあ! わからないんですか!」と言うのです。「わかりませんよ。被害者が訴えているのに、『その問題は取り上げないと決めた』とは、いったい何ですか、それは」と言ったのだ。そして、「取り上げないのならば、検察審査会に訴えますよ」とも言ったのだが、そうすると千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野は「検察審査会というのは送検されたものを検察が起訴しなかった場合に訴えるものですから、今回は送検してませんから検察審査会に訴えたいと思ってもできませえ~えん! 残念でしたあ~あ!」などと言って私を馬鹿にするのでした。労働基準監督署と労働基準監督官は労働者の敵です!
・・・それで、後から気づいたのだが、
(1)労働基準法違反については、一般の警察署に言うと「それは労働基準監督署に行って」と言われることが多く、又、実際問題として労働基準法については一般の警察官よりも労働基準監督官の方が詳しい場合が多いから、労働基準監督署に言った方がいい場合はあるかとは思いますが、しかし、労働基準法違反を労働基準監督署ではなく一般の警察署に訴えて悪いわけではないのです。
(2)告訴は警察署・警察官にしてもいいけれども、検察庁・検察官におこなってもいいのです。ですから、千葉労働基準監督署の労働基準監督官の佐野が「その問題はとりあげませ~ええん! ざ~んねんでしたあ~あ! (べ~ろべろべ~え)」と言うのならば、そんな役立たず・無能・反社会的勢力の千葉労働基準監督署と労働基準監督官の佐野みたいなもの飛ばして千葉検察庁に告訴状を突き付けてやればよかったのであり、それでも千葉地方検察庁が起訴してくれないのならば、その時に検察審査会に訴えればよかったのでした。
そもそも、労働基準監督官の佐野に労働基準法違反と違反・不良経営者を守るべく、訴えを阻止する権利なんてものはないはずですし、そんな不良労働基準監督官に給料払う必要ないのではないかと市民の立場からは思えます。
それにしても、会社がかなりの費用をかけて印刷屋に依頼して作製したけっこういい紙にカラー印刷のチラシが床の上に何千枚と積みあがっていて「有効期限」が迫っているのに、担当社員(この場合、飯島)を倫理研究所(=倫理法人会)の集会に連れて行く社長というのは、それは社長なのか? それは社長のやることなのか? そんなことする人間を社長と言うべきなのか?
私は社長の長谷川に「倫理研究所がいいか悪いかということとは別の問題として、有効期限が迫っているチラシが床の上に何千枚と積みあがっているのに、何もわざわざ、そういう時に倫理研究所の集会に担当者を連れていかなくてもいいでしょう。たとえ、倫理研究所の集会に連れていくにしても他の時にすればいいのと違うのですか」と言ったのです・・・・が、そうすると長谷川は何と言ったかというと、「そんなの、言ってもらわなきゃわからないじゃねえかよお!」と、そう言ったのです( 一一)
「言ってもらわないとわからない」そうです。社長が。社長ともあろうものが、その程度のことを「言ってもらわないとわからない」そうなのです( 一一) その人って、社長なのですかあ???
そして、縁故入社で私の倍以上の給料を盗っていた大竹加代子(女。当時、40代)は私に「滝口さんは子供があるんだから、子供がある人は子供がない人に何でもやってもらうのが当たり前でしょおおおお~お!」などと言ったのです。そして、私に「〇〇さんは子供がないんだから、子供がない〇〇さんは子供がある滝口さんの為に何でもやってあげるのが当たり前でしょおおおお~お!」と何度も何度も言ったのです。この女、許しがたいですね。この女、反社会的勢力ですね。
社長の長谷川新二にも、滝口恵が毎度毎度、自分が担当の仕事を残し定時に帰り、それを担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせていることを指摘しました。ところが、社長の長谷川新二は「何を言ってるんですか、何をお! 滝口さんは子供があるんじゃないか。滝口さんは子供があるんだから、子供がある者は子供がない人間に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ。子供がない〇〇さんが悪いんだろうがあ! 子供がない〇〇さんは子供がある滝口さんのために尽くすのは当然だろうがあ!」と暴言をはきまくったのです。
もしも、私が年収1千万円以上、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)からもらっていたのならば、また話は違いますが、そうではないのです。人間ひとり分、食べていけるだけの給料すらも受け取っていなかったのです。だから、私はこの会社にこれ以上いるわけにはいかないな・・と考えていたのです。その状況で「時間外手当なしで滝口恵のために尽くすのが当たり前じゃないかあ」と言われたら、「ふざけんな!」と言うしかないですね。
日本国の刑法では自救行為は禁じられていますから、だから、私はそういう手段には出ませんでしたが、しかし、日本の警察・検察・裁判所というものが、まったく役に立たないというこの現状を考えると、長谷川新二のようなこういう反社会的発言を繰り返す男というのは、自救行為でとっつかまえてとっちめてやるしかないのではないか・・という感じがしてきます。なにしろ、警察・検察・裁判所は有害無益ですから。
アイダ設計(株)https://www.aidagroup.co.jp/ の場合は、応募時に「エントリーシート」というものを応募者に書かせ、そこに「子供がある女性の場合」として「子供が熱を出したという場合はどうしますか。子供の世話をしてくれる人がありますか」という質問事項があったのです。・・これは「やり過ぎ」ではないかと私は思いました。まだ小さい子供がある女性が職場にいた時に、職場の他の従業員が助けてあげてもいいと私は思っていたのです。しかし、滝口恵タイプの女性の場合は「子供があるんですからねえ」と言って自分が担当の仕事を他の担当外の従業員に押しつけてやってもらいながら、立場が逆の場合には「私の仕事とは違いますから。当たり前でしょお」と言って定時に帰るでしょう。それでは「やらず、ぶったくり」です。やっぱり、職場というものは「助け合い」「お互い様」の関係にならないといけません。滝口恵のように「『やってもらうだけ』が当然」という思想・信条を持っている人というのは、それは私が経営者もしくは採用担当者ならば、そういう人は採用しません。そういう人を職場に入れるわけにはいきません。そういう人は職場の秩序を乱すことになります。問題は、小さい子供があるかないかよりも、小さい子供があって、普段は勤務ができても、「子供が熱をだした」という場合にはどうするのか、常に職場の担当外の従業員に自分の担当の仕事を押しつけて「当たり前でしょお」と言うのか? 長谷川新二のように「子供がある者は、何でも子供がない人間にやってもらうのが当然じゃないかあ!」と言うのか?
アイダ設計(株)の「子供が熱を出したという場合にはどうしますか」という質問というのは、それは「やり過ぎ」ではないかと私は思ったのですが、しかし、実際に「子供が熱を出した」時に職場の他の従業員に助けてもらうかわりに、職場の他の従業員が何か他の理由で困った時に今度は自分が負担をかぶるということならば、それも悪くはないと思うのですが、滝口恵や長谷川新二・大竹加代子の発言のような「滝口さんは子供があるんだから、子供がある者は何でも子供がない人間にやってもらうのが当然じゃないかあ」だの「子供がない人間が悪いんじゃないか。子供がない人間は子供のある人間のために何でも尽くすのが当然だろうがあ!」などと暴言をはくような不心得者・反社会的勢力は会社に入れるべきではない。実際のところ、「子供ができた」ということから、「子供」を大義名分に掲げれば何でもまかり通る、まさに「子供」というのは水戸黄門の印籠みたいなものだと思い込んでいるバカ女症候群というのが実に多いのです。

バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
そして、「子供が熱をだした」と言えば休むのも遅刻するのも早退するのも自由だと知ると、実際には「子供が熱をだした」わけではないのに「子供が熱をだしました」と言って自分の都合を押し通して職場の他の従業員に負担をかぶせる・・という女性が出てくるのは明らかです・・から、それを考えると、最初から「子供が熱を出した場合には」その時には誰誰に見てもらいます・・というのがはっきりとある人でなければ採用したくない・・と考える経営者・採用担当者の気持ちはわかります。
ところで、今回もそうですが、うちの母親が体の具合が悪いと言って入院した時、滝口恵が「子供」を大義名分にして滝口恵が担当の仕事で滝口恵がそれに対しての報酬を受け取っていた仕事を相当やってあげた私に対して、滝口恵は何もしないのですが、これはどうしたことでしょうか。滝口恵のオットも何ひとつしませんが、どういうことでしょうか。「子供がある者は子供がない人間に何でもやってもらうのが当然じゃないかあ」などと暴言を吐いた長谷川新二もその妻の河野利華も、同様の暴言をはきまくった大竹加代子も私が困っている時に何一つしませんし、私の高齢の母の為にも何ひとつしませんが、これはいったいどういうこと?
私にずいぶんと世話になった滝口恵の子供3人は、すでに「手がかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっているはずだが、ずいぶんと世話になった私のために何ひとつやらないのだが、いったいどういうこと? 滝口恵の恩知らずの子供どもというのは、なぜ、私のために恩返しをしないのだ? なぜ私の母に恩返しをしないのだ?
・・・
大阪府富田林市で「保護犬たちの楽園」を運営している「ポチパパ」北村さんという方がYouTube に動画https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9D%E3%83%81%E3%83%91%E3%83%91 を公開されていて、犬というものを理解するのに役立つ話が毎回でており、又、北村さんの犬を理解するための努力というものには頭が下がる思いがすることがあります・・が。
しかし、もしかすると、北村さんはわかっていないのか・・と思われる点もあります。
もしも、北村さんが「ドッグトレーナー」とか、飼い犬が暴れる・噛みつくなどで困っているという飼主から報酬をもらって、その「症状」を治す仕事というものをしている人であったなら、「たいしたもんだなあ」と思うし、仕事に対する姿勢には「頭が下がる思い」がするのですが、報酬をもらって飼い犬を「治す」仕事もされているらしいので、その場合は問題はないのですが、片方で、報酬関係なしに「命を救いたい」として、野良犬・野犬を助けようということもされているのですが、そちらについては、たしかに「命を救いたい」という気持はわかるのですが、そうはいっても、肉食の動物の命を助けるということは、片方でその犬に食べられる「エゾシカジャーキー」の原料である「エゾシカ」は殺しているわけであり、「命を助けている」ことになるのかどうか、よくわからないところもあるのです。犬の命は助けるべきだがエゾシカは殺していいということなのか? それでも、本来なら飼主に飼ってもらってかわいがってもらえたはずなのに捨てられて野犬とか野良犬とか(北村さんは山に住むのを「野犬」、街中に住むのを「野良犬」と呼び分けているようです)が殺されようとしているのを助けたいという気持はわかるのですが、そうはいっても、やっぱり、肉食の動物を助けるということは片方で別の動物を殺しているという面もあるので、はたして「命を助けている」ことになるのか・・という問題もあるのです。
そして、もうひとつ。こちらが今回の問題です。「よく、歳いって子供が出て行ったから寂しいからと犬を飼う人がいますけれども、やめてください。犬というのは10年は生きますから(インターネットで見ると、大型犬より小型犬の方が長生きらしいが、寿命が短い犬でも10年、長い犬だと20年近く生きるらしい)、犬よりも先に人間が死んで犬を世話する人がいなくなるというのは犬がかわいそうですから、40までの人(だったか、45までの人だったか)が飼うようにしてください。高齢の人は犬を飼うのはやめてください」と言われるのだったが、そうなると、
(1)「ふさわしい相手とめぐりあうことができずに独身のまま高齢になってしまった」という人間や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながらも子供ができずに高齢になってしまった」という人で、せめて、子供のかわりにと犬を飼って子供のようにかわいがる人というのがいるのですが、「もし、自分が先に死んでしまったら、その時はごめんね」と思って犬を飼う人というのがいるのですが、そういう人は飼わないでくださいと言っていることになります。
「高齢の人が飼うのならば、子供がいて、もしも高齢者が犬の世話をできなくなってもかわりに世話できる人がいる人だけが飼うようにしてください」と北村さんは言われるのだったが、そうなると、子供ができなかったから、せめて、犬を飼って子供のように大事にしてあげたいと思う人は飼うな、結婚相手にも恵まれて子供にも恵まれた人間が犬も飼え・・と言っているのと同じになるのです。
(2) 又、若い頃は「滅私奉公」で働いて働いてさせられて、「まだまだ仕事が残ってござるぞ。仕事、しごと、仕事、しごと!」と仕事ばっかりさせられて、年齢がいって、もう働かなくていい年齢になったから、もしくは働きたくても雇ってもらえない年齢になったから、飼えたらなあと思いながらもあきらめていた犬をこの際、飼おうかと思ったら、「あなたはもう、年齢をいっているから飼わないでください。犬を飼うのはもっと若い人が飼うようにしてください」と言われていることになるのです。
そう考えると、「ポチパパ」北村さんは犬には優しくても人間には必ずしも優しくない。 まるまる間違ったことを言っているわけではないとしても、北村さんの言うことを聞いていると、結局、犬というのは若い時に、たいして働いていないのに高給とっている人間で子供にも恵まれた人間が飼うものです、歳いったが子供がないから犬を飼って子供のようにかわいがってあげたいと思う人は飼わないでください、若い頃は仕事、しごと、仕事、しごとと忙しくて犬なんか飼えなかったけれども、もう若い頃ほどは働かなくていいから犬を飼いたいという人も飼わないでくださいと言っているのと同じなのです。
そうなると、犬を飼っていい人間というのは、たいして働いてないくせして高給とってる比較的若い人間ということになり、そんな動物なんていない方がいいなあ・・ということにもなる。結局、北村さんがやっていることは自己満足でしかないことになる。
『聖書』には「持つものはさらに与えられ、持たざる者はさらに奪い取られるであろう」と書かれているが、まさにその言葉のようなもので、犬という動物もまた「持つ者」が「さらに与えられる」ように飼う権利が付与される・・と言っているようなものなのです。
そういうことを思うと、「ポチパパ」北村さんのYouTube のチャンネル も「チャンネル登録」しましたけれども、あまり見る気もなくなってきたのです。
私が自分自身で母の世話をしていたのでは仕事に出れないので、それで施設に入ってもらっていると、うちの母親は施設で世話してもらうものだと思って、それで、うちの母親よりは元気な親がいる人が自分で世話しないで、そういう親の世話をしてもらおうとする人というのがいます。2000年代、船橋新京成バスに乗っていたところ、明らかにうちの母親よりは元気で足が不自由だといううちの母親よりは若い高齢女性がバスに一人で乗ろうとしてきました。運転手は車椅子で乗れるように用意されている金属製の板を入口に渡して乗せようとしたのですが手間がかかって時間がかかりました。そうすると、入口に一番近い場所にいた元気そうなおばさんが「運転手さんだけではだめよお。誰か助けなきゃあ」と言うのです。そう言って自分は助けないのです。・・そして、あれ、もしかして、あのおばさん、俺の方を向いて言っているのか?・・と思ったのでしたが、これは絶対に協力してはいけないと認識しました。なぜなら、私にはその時のお婆さんよりも、もっと体力が弱っていて、そのお婆さんよりも年齢が上の母親がいるのに、私がずっと世話していたのでは仕事につけないから施設に入ってもらっているのです。自分の母親の世話をしないでよその親の世話をするわけにはいかないし、なによりも、その時にバスに乗ろうとしていた女性の息子て何やってるのですか? よその人間に自分の母親の世話させようとしているのですか? そして、その時、私は何の為に船橋新京成バスに乗っていたかというと、(株)一条工務店で長時間にわたって何十キロもある者を運ばされるということをさせられて、意図的に怪我させられたことによる腰痛の治療のために整形外科に通うためにバスに乗っていたのです。整形外科医からは重い物を持ってはいけないと指示されていたのです。その時、新京成バスの入口付近にいて「誰か、協力しなきゃだめよお。誰か、早く協力してえ」などと自分は指1本動かさずに言いまくっていたおばさんの方が私なんかよりよっぽど元気だったはずです。昼間の船橋新京成バスに乗ると、そういう事態が起こるようなので、それで、それまでは私は自家用車で移動するのとバスに乗って移動するのなら、バス停までくらいは歩くようにした方が健康にいいという点とできるだけ燃料消費を少なくすることが地球環境の為にいいだろうと考えたことから少しくらい自家用車の方が便利でもバスを利用するようにしていたのですが、その後、昼間の船橋新京成バス・習志野新京成バスには乗らないことにしました。
近所の人でも似たような事例はあります。親―子ー孫 の三世帯で住んでいる人の「親」というのか爺さんで、息子や嫁に相手になってもらおうとしないで近所の現役世代の人間に相手になってもらおうとする人がいるのです。又、デイケアセンターに親を行かせるとカネを払わないといけないが自治会に行かせると自治会費だけでいいということで親だけ自治会に参加させて現役世代の人間は断固として顔を出さないという人がいます。そうやって、よその現役世代の人間に自分の親の世話をさせようとするのです。極めて卑怯です。我が家の近所でも「〇〇さんがいいんだ」と言ってからみついてくる老人がいるので、「何何さん、息子さんがおられるでしょ」と言うと、「あんなやつ、だめだ。〇〇さんがいい♪」などと言うので「やめてください」と言ったのですが、理解できないようでした。その息子と顔を合わせることもあるのですが、「いつも、すいません」の一言くらいあっていいと思うのですが、私より少し年上か年下かというくらいの年齢の息子ですが一言としてそういう言葉がありません。
新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二は「滝口さんは子供があるんだから、子供のがある人間は子供がない人間になんでもやってもらうのが当然の権利じゃないかあ」などと暴言をはきまくったのですが、そんな「権利」みたいなものありません。それならば、高齢の母親の世話しないといけない私の為に、その「滝口さん」は何をやってくれるのかというと「子供があるんですからねえ」と言って、「子供がある」人間というのは人に世話になるだけというのが当然という態度を一貫して取りまくります。それでは通じないでしょう。「子供がある」から働けないのなら働いてもらわなくてもいいし、私はずっと母親の世話していたのでは私が仕事につけないし、仕事以外にも何もできなくなってしまうから施設に入ってもらっているのですから滝口恵も「子供があるから」まともに働けないのならば、働かないでも生活できるようにオットにきっちりと3人の子供と嫁と自分が生活できるだけ稼いでもらうか、そうでなければ子供を施設に入れるべきです。滝口恵と滝口恵のオットのような自分の子供と自分たちのために、ひとの子とひとの親とを食い殺すような鬼畜は反社会的勢力です。
それにしても、滝口恵の子供は今は「手がかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっているはずなのに、なんで、世話になった私や私の母の為に何ひとつつしないのでしょうね・・・。
そういう態度のことを「将来、社会に貢献する子供を育てているのだから」と言うということでしょうか・・・( 一一) いずれまた、公明党はそういう親に「子供手当」をくれてやろうと提案しだすことでしょう。
(2022.3.10.)
☆ 「アトム法律事務所 岡野武志弁護士のYouTube動画との関連で」シリーズ
[第868回]試食品を大量に食べるのは犯罪ですか。公園の水道・コンビニの水道から水をペットボトルに入れて家1軒建てるのは犯罪ですか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202108article_5.html
⇒「Q:試食品を食べすぎると犯罪になりますか?#Shorts」https://www.youtube.com/watch?v=JKxCrEwff1U
「結論。窃盗罪になる場合がある。」「お店の意思に反して食品を奪い取ったということで刑法235条の窃盗罪になる場合がある。」「相手の意思に反して物を奪うのは絶対にだめ」
[第869回]「口答えすんなあ」と言う会社にどう対処すべきか。長時間遅刻してきて早弁する女に謝らないといけないのか? 土曜昼間、住宅展示場を空にする営業課長は「大変優秀な営業課長」なのか? 「日本国憲法で言論その他、表現の自由は認められてますう」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202109article_1.html
⇒ 《 岡野タケシ弁護士【アトム法律事務所】 Q:口答えするなって言われた時の対応教えてください。A:結論・・・》
https://www.youtube.com/watch?v=eAHh-fAhohU
「日本国憲法で、言論その他一切の表現の自由が認められてますう~う!」
[第877回]曹渓山 清源院と天満天神宮【3/4】水子・子育観世音菩薩。「子供」を大義名分にかかげて人の親や子を食い殺す女と男、その子供。「子供のない者は子供のある者に年玉よこせえ」と叫んで職場で追いかけてくるストーカーおやじ。「子供」帝国主義女と男に水子にされた、産まれてていたかもしれない子供を追悼する。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_5.html
電磁波は健康に被害をもたらすもので、感じない人もいるかもしれないが電子レンジの場合は大容量であり私は感じるので、電子レンジを作動させるのはやめてもらいたいと私がはっきりと言っているにもかかわらず、わざわざ、そう言っている者のすぐ横で電子レンジを作動させたの行為は傷害罪・暴行罪に該当すると考えるべきであろう。
⇒《YouTube-アトム法律事務所 Q:人の唐揚げに勝手にレモンをかけたら犯罪ですか?》https://www.youtube.com/watch?v=kWxFKHf-9GE
[第882回]人の家の郵便箱から郵便物を盗み出す、間違えて配送された郵便物を開封し中を見るのは犯罪。犯罪者を増長させる営業所長と会社。虚偽告訴罪に該当する行為をおこなう従業員とそういう従業員が好きな所長と経営者。警察は反社会的勢力。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202111article_1.html
⇒YouTube-「バカなことをしたかった」レターパック盗み71歳の男を逮捕!#Shorts https://www.youtube.com/watch?v=NFkaCnHEazg
「ひとの郵便物を盗るのは窃盗罪。懲役は最大で10年。」
「ひとのレターバックを開封するのは郵便法違反。・・懲役は最大で3年。」
[第911回]「子供」を大義名分に世話になった相手に恩返しをしない女とその子供。労基署・労働基準監督官が不良企業の不良経営者を守る場合は直接、検察庁に告訴状を持参すべし。〔今回〕
⇒サービス残業は犯罪ですか。結論:犯罪。https://www.youtube.com/shorts/a3VXq7VqnXI

労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一

労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中

労働法〈2〉労働者保護法 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
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