中銀カプセルタワービル見学【6/8】浜離宮・芝離宮・世界貿易センタービル・浜離宮建設産業ビル・朝日新聞社本社・築地本願寺・聖路加病院。舌やノドがヒリヒリする料理は高級料理ではなく化学調味料使い過ぎの可能性有。縁がなかった朝日新聞社。「あんたに世話になることは絶対にないんやからな」と言ってすぐに「息子の結婚式に出てくれ」と頼んでくるスポーツマン。「(株)一条工務店の遠州人」はロシア連邦の「はう国境線」みたいなもの。浜松での研修にひとりだけ遅刻してきて大きな顔して着席する浜松営業。

[第920回]
  中銀カプセルタワービル(東京都中央区)(解体工事中)見学の6回目です。今回は、中銀カプセルタワービルの周囲について述べます。
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   中銀カプセルタワービル の前の都道316号(海岸通り)を南に行くと、銀座郵便局があり、住友不動産汐留浜離宮ビル(ベルサール汐留)があります。ここまでが住居表示としては「中央区銀座8丁目」です。
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( ↑ 銀座郵便局 )
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(↑ 住友不動産汐留浜離宮ビル「ベルサール汐留」

  住友不動産汐留浜離宮ビル「ベルサール汐留」の南、道路と「築地川」を隔てた南にあるのが「浜離宮庭園」
「浜離宮庭園」というと名前から考えてJR「浜松町」駅の前にありそうな感じがしますが、「浜松町」駅のすぐ海側にあるのは「芝離宮庭園」です。「浜離宮庭園」と「芝離宮庭園」は近い場所にあって間違えやすいのですが、でっかい方が「浜離宮庭園」で、「浜松町」駅のすぐ海側にあって「浜離宮庭園」よりも小さいのが「芝離宮庭園」です。

( ↑ 浜離宮庭園。)

( ↑ 芝離宮庭園。)
  特に、芝離宮庭園は駅のすぐ前にありますから簡単に行けそうで、逆に「いつでも行ける」と思っているとなかなか行かなくて、ふと気づくと何十年間、行けずにいます。

  1970年代前半、上の姉が東京の人と結婚しました。我が家は大阪の家庭であり、もしも、恋愛で「この人が好きやあ」と本人が言うのであれば、東京の人間だから結婚してはいかんなんて言うのはかわいそうでしょうけれども、お見合いをするのに何も大阪の家庭の娘を東京の人とお見合いさせる必要はないはずだ、と今なら私は思います。又、今の私が弟としていたならば両親に一言はそう言ったでしょう。しかし、上の姉がお見合いをしたのは私が中学校1年になっていたかなっていなかったかという頃でした。だから、そんなことわからなかったのです。私が父親だったなら、そのあたりを対処できたと思いますが、うちの父親はそういう対応力がない人でした。
  私が中学校2年の初め、東京駅の近くのホテルで結婚式をあげました。その時、少し時間があったのですが、「東京でどこか行きたい所ないか」と言われて、隅田川下りの船に乗りたいと言ったのです。なぜ、隅田川下りの船を思いついたのか、今となってはよくわかりません。浅草から芝埠頭までだったか隅田川を降る船に乗れば東京のそのあたりを一望できると思ったのかもしれませんが、見えたのは川の水と橋ばっかりで、最後、浜離宮の外側と水門が見えたくらいでした。うちの父親と一緒に浅草から乗って降りたのは浜離宮庭園の横を入って「浜松町」駅の近くでした。今は隅田川の船はジェット船みたいなかっこいいのが走っていますが、その頃は「普通の船」で乗っているすぐ横に隅田川の川の水が見えました。幸いなことに少なくとも「知床遊覧船」よりは良心的な船だったようで転覆とかはしませんでした。もっとも、私が父親ならば、実際に特にやることがあってもなくても、父親は娘の結婚式の直前は娘の近くにいてやるものではないかと思いますし、私ならそうしますが、あのおっさんの場合は言うと怒るでしょうけれども「かえっていない方がいい」人だったかもしれません。
  その時から、浜離宮という所に一度、行ってみたい・・と思ってきましたが、比較的便利がいい場所のように思えたので、そう思うとかえって後回しになったりして今日に至るまで行けていません。 芝離宮庭園は「浜松町」駅のすぐ横のようですから浜離宮よりさらに行きやすそうですが、そうなるとさらに後回しになるみたいで、これも今日に至るまで行けていません。 新宿御苑は1980年に千駄ヶ谷駅近くに行く用事があった時に千駄ヶ谷で少し時間があったので入ってみたことがあります。カラスがいっぱいいて気持ち悪かったのを覚えています。

  浜松町駅の陸側に世界貿易センタービルというその時点では日本一の高さだった高層ビルがありました。

( ↑ 世界貿易センタービル。)
その上の方の階にあった中華料理屋で食事をしました。窓から下を見ると、東京モノレールの線路が見えて、モノレールって線路の切り替えができるんだ・・と見ていてわかりました。山手線・京浜東北線が走っているのが上から見えたのですが、大阪では大阪環状線が国電型車両で橙色の電車が各停で走っていたのですが、その少し前に阪和線の快速に青色の電車が走るようになり、大阪では環状線の橙色と阪和線快速の青色の2色だったのが、東京では世界貿易センタービルの上の方から見下ろすと、中央線快速の橙色・京浜東北線各停の青色に、さらに山手線は緑色の電車が走っていて、なんだ、そんなに何色もあるのかと思ったのを覚えています。
  その中華料理屋のメニューを見ても、知っている料理なんてひとつもなかったのです。「あんた、欲しいもの、頼みなさい」とうちの父親が言うので、中華料理で知っている名前として「餃子」と言うと、「アホか、こんな店に餃子みたいな安もんの料理なんかあるかい。もっとまともなものを頼みなさい」と言うので、「焼売(しゅうまい)」と言うと、「アホ! 何言うとんねん。焼売(しゅうまい)みたいなもん、こんな店にあるもんか」と言うのです。それならと思い、「焼き飯」(中国語で言うと「チャーハン」のようです)と言ったのですが、「焼き飯」もないらしかった。それ以上、私の知っている中華料理の名前はなかったので頼みようがありませんでした。今から考えてみると、もうひとつ、「酢豚」というのもあったのですが、その時点では「酢豚」というのは洋食だとばっかり思っていて中華料理だとは知りませんでした。
「頼まんかい、おまえ」とおっさんは言うのですが、頼もうと思っても、メニューに書いてあるものが宇宙人の言葉みたいで頼みようがなく困りました。今から考えてみると不親切な店だったと思います。
  うちの父親が「こういうええ店ではなあ、焼売だの餃子だの焼き飯だのなんて、そんなものはないんじゃ。わかったか」と言うのでしたが、なんとも不便な店です。焼売とか餃子とか焼き飯とかがある店に入りたかったものです。ちなみに、千代田区神田神保町「スイートポーヅ」という餃子専門の店があって、大学生になった時、「スイートポーヅ」に入って食べた時、そこに書いてあった説明書きによると「餃子」というのはうちの父親がその時に言ったような「安もんの料理」ではなく、「普段の料理ではなく特別な時のごちそう」だそうでした。
  世界貿易センタービルの中華料理屋では、結局、うちの父親が何だか頼んだのですが、出てきた料理は無茶苦茶ヒリヒリしておいしくなくて、喉の奥に流し込むのに苦労して苦痛を感じるものでした。「おまえ、こういう高級料理を食べさせてもらっておるのに、喜ばんかあ」とおっさんは言うのでしたが、ちっともおいしいと思えませんでした。無茶苦茶ヒリヒリする味で、それで「お茶が欲しい」と言うと、出てきたのは日本の緑茶ではなく麦茶でもなくほうじ茶でもなく、わけのわからん気色の悪い液体で、これも気持ちの悪い味でした。「普通のお茶が欲しい」と言ったのですが、「アホか、おまえはあ。ええかげんにせえよ。こういう店に『普通のお茶』みたいなもん、あるかあ」と言うのでしたが、しかし、あまりにもヒリヒリしてのどや舌が痛くて、お茶でも飲まなきゃ苦痛に耐えられないので、それで「お茶が欲しい」「普通のお茶が欲しい」と言ったのですが、ところが「お茶がほしい」と言うと、さらに気色の悪い気味の悪い変な味の液体を持ってこられてしまったのです。「それを飲まんかあ」とおっさんは言うのですが、変な味で飲めません。それで「水が欲しい」と言ったのですが、「ええかげんにせええ。水みたいなもん、あるかあ」とおっさんが言うのです。それで、「それじゃ、ちょっとトイレに行ってきます。トイレの水を飲んできます」と言ったところ、「あかん! トイレになんか行かすかあ~あ!」とおっさんは言うのです。「のどがものすごく痛いんです」と訴えたのですが、「アホか。それが高級料理の味ちゅうもんじゃ。ありがたく食わんかあ」と言うのですが、ヒリヒリひりひりしてものすごくつらいのです。あの時、「お茶」だと言われて出されたのはいったい何だったのでしょうか。その頃はまだ「烏龍茶」というのは世間に出回っていなくて、「杜仲茶」も知られておらず、「ジャスミン茶」は知っている人は知っていたでしょうけれども「普通の人間」にとってはそれほど馴染みがあるものではなかったと思います。
  1990年代の終わり、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に勤めていた時、栃木県佐野市の営業所に勤務していた時、忘年会だったかで佐野市内のあるスナックの向かいにある「スナック的居酒屋」に行った時のことでした。「スナック的居酒屋」とは何かというと、酒と料理がでて居酒屋なのだけれども、おねーちゃんが横につくのです。おねーちゃんが横につくということは、それはスナックなのかというと、スナックならたいした料理は普通はでませんから、だから、居酒屋みたなものなのですが、そういう店です。ところが、「水割り」というのを、そのおねーちゃんに作ってもらうと無茶苦茶濃いのを作りよるのです。せっかく入れてもらったから飲もうと思っても、いくらなんでも濃すぎるぞ、これはあ・・・と思ってほとんど残したのでしたが、今から考えてみると、あれは、店から客に飲ませる「水割り」は売り上げを伸ばすために濃いめに作れと指示されていたのではないかと思うのですが、スナックのねーちゃんというのは自分は飲まないで烏龍茶ばっかりビール飲んでるみたいなふりして飲んで、客の男にだけ酒を飲ます下戸の女がいて、そういうねーちゃんというのは「水割り」作っても自分は飲まないものだから、「濃いめ」と言ってもどのくらいの「濃いめ」なら飲めて、どのくらいになったら「飲めたもんじゃない」かなんてわからないものだから、だから、客に出す「水割り」は濃いめに作れと店から指示されると「こんなもの、飲めるかあ」というくらいの無茶苦茶濃いのを作りよったのではないか・・・という気がしています。・・それで、私が中学校2年の初め、世界貿易センタービルの上の方の階の中華料理屋で出された無茶苦茶気持ちの悪い液体ですが、うちの父親は「これがこういう高級な中華料理屋のお茶ちゅうもんじゃ」とか言っていたのですが、今から考えてみると、あれは、もしかして、ジャスミン茶もしくはその類のものを「こんなもの飲めるかあ」というくらい無茶苦茶濃い作り方をしたものだったのではないか。ジャスミン茶を、今、日本のコンビニで紙パックに入って売られているくらいの濃度で作ってあったなら飲めたでしょうけれども、そうではなく無茶苦茶濃い濃度で作ったことから「飲めたもんじゃねえ」て液体になっていたのではないか。おっさんはそういうことを知らないから、なにしろ、「特別な日のごちそう」らしい「餃子」を「安もんの料理」とか言っていたおっさんでしたから、ともかく「高級料理店ぶりっこ」している店が出すものならありがたがらないといけないと思って、無茶苦茶ヒリヒリしておいしくない料理を「食わんかあ」と言い、気色悪くて「飲めたもんじゃない」液体を「飲めえ。飲まんかあ」と私に言ったのではなかったかな・・・と今は思っています。そういうおっさんやったなあ・・と思います。私が父親だったなら、「すいませんが、水もらえませんか」と店員に言うところですけれどもね。「こういう店では水はないんです」ともしも店員が言うならば、「そんなこと言われても、無茶苦茶ヒリヒリして食えたもんじゃないんですけれどもね」と言ってやりますね。実際、「食えたもんじゃない」味だったのですから。
  花登 筺(はなと こばこ)『銭の花』に「糸商のだんさん」(「糸商の御隠居」)が加代が嫁入りした伊豆熱川の山水館に泊まりにきた時の話があります。熱川で大きい旅館は福原屋と大西館の2軒で、山水館は馴染みの湯治客だけを扱う小さい旅館だったけれども、加代は母を安心させようと思って「熱川でも中の上くらいの旅館で」と実際よりもいいように書いて手紙を送ったところ、母がかつての「南地楼」で知っていた「糸商」という糸問屋のだんさんに話をして、それを聞いた糸商のだんさんが「家族みんなで泊まりに行く」と言って、息子は仕事中であるとして、息子の嫁と孫を何人も連れて熱川まで来たというものでした。大阪から長く電車に揺られて熱海で伊東線に乗って伊東からバスで熱川まで来て、バス停から旅館まで来ると、孫娘どもは「何、これえ。木賃宿やないのお。こんな所に泊まるのん、嫌やあ」と言い出した。・・しかし、加代が用意した山水館の部屋の中では一番いい2階の部屋に通しても、それでも「帰ろう。こんな木賃宿になんか泊まるのん、嫌やあ」と文句を言う嫁や孫に対して、糸商のだんさんは激怒した。「おまえら、ええかげんにせえ! わてが小さい頃の糸商はこの宿屋よりもっと小さいもっと貧相な建物の店やった。それを先代が努力して苦労して大きいしはったんや。その先代が贅沢すると言われるのなら、わては何にも文句は言わん。そやけども、おまえら、糸商を大きいするためにいったい何をやった?!? おまえら何ひとつやっておらんだろうが。丁稚よりもえろうないおまえらが贅沢すると言うのなら、わしは許さんぞお。この旅館が気に入らんと言うのなら、わしひとりで泊まるから、かまわんから、おまえら今すぐとっとと帰れえ!」と。階段の下で聞いていた加代の義妹の春江が「お義姉さん、わたし、あのお爺さん、好き」と加代に言う。嫁や孫に福原屋の内湯に行ってもらった後、加代が部屋に行って「申し訳ございません」と言うと、糸商のだんさんは「加代ちゃん、あんた、いったい何を謝ってるんや」と糸商のだんさんは言う。「さっきからこの部屋を見ているけれども、この部屋、ちりひとつ落ちてない。きれいに掃除してあって磨かれている。どんなに立派な部屋でも掃除がいきとどかんと埃だらけの部屋に泊められたらそれは失礼や。そやけど、あんた、この部屋をきれいに掃除してできる限りのことをしておるんやないか。何を謝ることがあるんや」と言う。
  その「糸商のだんさん」の若い頃の話というのが『銭の花』に出ていたのだが、「糸商のだんさん」が若い頃、大阪の宗右衛門町でも名店と言われる料理屋に行って食事をした時、「糸商のだんさん」は「なんや、うもうないな」と口にした。それを女将が耳にして「うちは味が自慢の◇◇だす。うもうないと言われるのなら若旦さんの舌がおかしいんだす」と言った。「糸商の若旦さん」はそう言われてカチンときた。それから3年間、「糸商の若旦さん」は板前に弟子入りして腕を磨き、そして、その店に行って「わての舌にあう料理はなあ」と言って作らせた。そこまでされては女将も引き下がるしかなかった・・・という話。
  うちの父親というのは、その「糸商の旦さん」とは正反対で、「高級料理店ぶりっこ」している店が出すものなら、ヒリヒリして「食えたもんじゃねえ」ものでも「おいしいと言わんか」と言い、「飲めたもんじゃねえ」という「お茶」でも「飲まんか。高級茶じゃろうが」と言って子供に強制する・・というおっさんやった。
  うちの上のお姉さんが結婚した後、「仲人さん」の家に両方の家の両親が一緒にお礼に訪ねた時、旦那のお母さんが「ちょっとおトイレをお借りしたいんですけど」と言い出したところ、旦那のお父さんが「すいません。☆☆さん、ちょっとトイレを貸してやっていただけませんか」と頼んでくれたというのを見て、うちの母親は「あそこのお父さんはうちのお父さんとは全然違うわ」と言ったのだ。「うちのお父さんなら、私がトイレを借りたいなんて言ったらものすごい怒りはるところや。『我慢せえ』言うて怒りはるところや。全然違うわ」と言って驚いていたのだった。男性の場合は極端な話、立小便でもできるが女性はそうはいかない。だから、一緒に行った男性はそのあたりも考慮してあげるべきだと思う・・・のだが、ところが、「なんで、わしがそんなもん、考えてやらんといかんねん。ええかげんにせえよ」というのが、それがうちの父親だった。私が父親ならば、ヒリヒリして「食えたもんじゃねえ」て料理を出されたら、「すいません。これはちょっとヒリヒリしすぎということはありませんか」とでも店員に行ってみるし、「飲めたもんじゃねえ」て液体を「お茶」だと称して出されたなら、「すいませんが、お水をいただけませんか」と言うだろう。そんなところで店員に「ええかっこしい」やってもしかたがない。たとえ、「高級料理」であっても私にとっては「食えたもんじゃねえ」のだからしかたがないではないか。私にとっておいしい料理を食べたいのであり、特別な味覚の人間にとっておいしくても私にとって「食えたものじゃねえ」ものを出すんじゃねえ!・・てものだ。

  『買ってはいけない』〔(株)週刊金曜日〕には、化学調味料の問題が述べられている。ヒリヒリして、大量に犬に食べさせると犬が気絶すると言った話もあるらしい。しかし、他方で化学調味料というのは、そのもの自体に毒性があるわけではないという説もあるらしい。雁屋哲は『美味しんぼ』などで、化学調味料を少量使うということまで否定しないが、「これでもかあ」というくらい大量に化学調味料をぶち込むという使い方は同意できないということを述べていたと思う。『美味しんぼ』では化学調味料を相当使ったらしい食品を「ヒリヒリする」と嫌がる登場人物が出ている。今から考えてみて、1970年代前半、世界貿易センタービルの上の方の階の「中華料理店」で出された無茶苦茶ヒリヒリして舌とかのどとかが苦しくなる料理というのは、あれは、もしかして「化学調味料の使い過ぎ」だったのではないのか? ・・と思うのだ。断定はできないが、可能性のひとつとして、うちの父親は「上等の料理屋の味なんじゃあ」とか言って「食わんかあ」と言って無理矢理食べさせようとしたけれども、結論として、あれは「上等の料理」だからというような問題ではなく「化学調味料の使い過ぎ」だったということはないのか、その可能性は可能性としてありそうと私は思っている。あの「食えたもんじゃない料理」と「飲めたもんじゃない飲み物」を無理矢理、「食わんか」「飲まんか」と強要されるというのは、あれはなんとも苦痛であり拷問だった。「もう、いいです。もう、要りません」と言っても、「食わんかあ。せっかく、上等の店で食べさせてやってやってやってるのにからに、こいつはあ」と言われて無理矢理食わされるというのは、本当に苦痛だった。
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  食品添加物による化学物質過敏症は、古くからよく知られている。30年ほど前、アメリカ・ボストン近郊の中華料理店で食事を摂った人たちが、10~20分後に、首から腕にかけてしびれと熱感を持ち、それは胸にまで広がり、全身の倦怠感や緊縛感に襲われた。原因調査で、ワンタンスープに使われていた調味料のLーグルタミン酸ナトリウム(「味の素」の主成分)が疑われた。200mlのスープに約3gも添加されていたからだ。過敏体質の人は、空腹時に3~5g接種すると、前記のような症状が現れるとされる。Lーグルタミン酸ナトリウムは、調味料(アミノ酸)という表示で、非常に多くの食品に添加され「ラ王」にも使われている。・・・
 ( 「週刊金曜日」編『買ってはいけない』1999.5.(株)週刊金曜日
渡辺雄二「アレルギーをよぶ添加物いっぱいのラーメン 日清ラ王 しょうゆ」)
  諸外国で「味の素」すなわちグルタミン酸ソーダ(MSG)の毒性、有害性を指摘する学術論文が多いことに、驚かされる。「生後10~12日目のマウスに体重1㎏当たりMSGを0.5g経口投与すると、その52%に、1g投与で100%に、神経細胞の損傷や破壊が起こった」(’70年、ワシントン大学オルニー博士)。「味の素」が「脳細胞を破壊する」という衝撃的報告だ。脳生理学の分野ではMSGを「神経興奮毒物」(ニューロ・トクシン)と呼ぶ。
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  ・・・人間はとりわけグルタミン酸塩の影響を受けやすい。経口投与実験でも、血中グルタミン酸濃度は人間幼児はサルに比べて約20倍、大人でも15倍ほどはねあがる。
  化学調味料入りのワンタンメンなどを食べるとしびれ、頭痛、圧迫感などを感じる場合がある。「中華料理店症候群」と呼ばれる急性中毒症状だ。フィリピンなど東南アジアでは、野犬を捕獲するときに缶詰の魚にアジノモトを振りかけて広場に置く。野犬がガツガツ食べると、そのうち足がふらつきはじめ、昏倒する。そこを捕らえる。日本でも”暴力バー”のホステスが酒に「味の素」を振りかけ、酔客を前後不覚にさせ金品を奪う事件も起こっている。「味の素」の急性神経毒症は、一般人もとっくにご存じなのだ。・・・
(「週刊金曜日」編『買ってはいけない』1999.5.(株)週刊金曜日
船瀬俊介「世界の食文化を侵す”白いインベーダー” 味の素」)
買ってはいけない (『週刊金曜日』ブックレット) - 『週刊金曜日』編集部
買ってはいけない (『週刊金曜日』ブックレット) - 『週刊金曜日』編集部
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  石ノ森章太郎『ホテル』で、プラトンホテルのレストランに毎月、1日だけ顔をだす素敵な女性がいる・・ということで、その女性を見るだけでも見たいと思ってその日に必ず来る男性がいた。しかし、ある日、その女性が支払いをしようとしたところ、その月から少々値上がりがしたようで、払おうとしたお金が足らなかった。金持ちの令嬢だろう、自分には手が届かない女性だろうと思っていた男性は不思議に思ってみていたが、レストランの店員は「お支払いはカードでもできますが」と言うが、「カードは持ってないのです」とその女性は言う。そして、「ごめんなさい。私はこんな所に来ていい人間ではないのです。1か月に一度くらい、こんな所で食事をする人間になった気持ちになってみたいと思って、それでお金を貯めてぎりぎりのお金を用意して食べに来ていたのです。皿洗いでも何でもやりますから、そして、もう二度と来ませんからどうか許してください」と言う。それを聞いて、近くにいたその男性が「もし、さしつかえがなかったら、その不足分を私に払わせていただけませんか」と言う。「私こそ、こんな所に来ていい人間ではないのです。なんて素敵な女性なんだと思って、それで、こんなことは良くないのかもしれないけれども、あなたの姿をひと目見たいと思って私は毎月来ていたのです。その不足分をぜひ私に払わせてください。私こそ、こんな所に来ていい人間ではないのです。私こそ、もう二度と来ませんから」と言う。それを聞いて、東郷ゼネラルマネージャーが「お二人とも、そのようなことを言われずに、今後ともぜひともプラトンホテルとそのレストランをご利用いただきますようお願いいたします。プラトンホテルは決して特別な人だけのホテルではありません。プラトンホテルの利用代金を支払ってくださる方である限り、どのような方に対しても変わらずおもてなしさせていただきたいと思います」と語る・・・という話・・だった。
  そういえば、私が20歳の時、うちの父親が大阪の宗右衛門町にある「高級料亭」に連れていってやると言うので、「行きたくありません」と何度も何度も断ったのだが、あまりにも執拗で断り切れずに言ったところ、「この店はなあ、おまえなんぞが入ってはならない店やねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ!」と私に言うのだった。だから、行きたくないと言うたやろうが、行きたくないと、と思ったのだが、それではすまなかった。「この店はなあ、このわしのようなエッライえっらいエッライえっらいエッライえっらい人間だけが入ることを許されておる店やねんぞ。おまえなんか、入ったらいかんねんぞ、おまえなんか」と何度も何度も言うのだった。だから、入りたくない、行きたくないと何度も何度も言うたやろうが・・と思ったのだが、「入ってはならない店」というものに連れていってそういうことを言いたかったらしい。「おまえなんぞが食事しようとしてこの店に入ろうなどとしようものならば『出ていってちょうだいんか』と言われて、つまみ出されるぞお~お」と言うのだった。食いたくねえよ、そんな店でなんか( 一一) ・・と思ったのだったが、そういう店だったようだ。大阪の宗右衛門町というのは、最近、本で読んだものによると、かつてはそういう「高級料亭」が並ぶ街だったが、最近では風俗店街に変わったという。なるほど、そんなこと言って得意がっているおっさんと、そういう商売やっている人間の店の街というのは、結果として衰退して風俗店街に変わるということか・・と思った。
  「船場吉兆」という「高級料亭」で賞味期限切れを出していた、という新聞記事が出たが、「船場吉兆」は別に悪いことはしていないと思うのだ。もとより、「高級料亭」に来る客みたいなもん、食事をしに来ているのではなくて、「この店はなあ、このわしみたいなエッライえっらいエッライえっらいエッライえっらいドイツ人しか入ってはならない店やねんぞ。おまえなんか、入ったらいかんねんぞ。おまえなんかは。おまえみたいなチャンコロは入ってはいかんねんぞ、チャンコロは」と言って喜ぶおっさんのニーズを満たすための店であり、そういうニーズを満たすことができれば、実際に出す料理なんてものは賞味期限切れであれ段ボールであれ犬の肉でもミミズでもなんでもいいのだ。「高級料亭」なんぞというものはそういうものなのだ。だから、「船場吉兆」はそういうおっさんどものニーズを満たしていたのだから、だから、今さら賞味期限切れがいいだ悪いだ言う方が間違っているはずだ。
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
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サラリーマン―ワイマル共和国の黄昏 (りぶらりあ選書) - ジークフリート・クラカウアー, 神崎 巌
サラリーマン―ワイマル共和国の黄昏 (りぶらりあ選書) - ジークフリート・クラカウアー, 神崎 巌
  「高級店」だとか「専門家」だとかのふりをする者・店は存在する。うちの父親というのはなにかと「せ~んも~んかあ~あ」と言って、実際にはその分野について特に理解しているわけでもない者の言うことを信奉しようとするところがあるおっさん、いわばT=W=アドルノらの『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)で 権威主義的パーソナリティー≒サドマゾ人格≒ファシズム的傾向 と指摘されているような人間だった。 息子がそれに気づいて指摘して教えても、「預言者故郷に入れられず」といったもので息子の言うことは絶対にきかない、というおっさんやった( 一一) 下の姉がお見合いをした相手についても、「相手は関西大学やぞ。おまえは短大しか出とらんじゃないか。どっちが上かあ下かあ」などと下の姉に何度も言っていたが、その「上かあ下かあ」という一直線上に並べる序列主義的思考というのもまた、権威主義的パーソナリティー≒サドマゾ人格≒ファシズム的傾向 に連なるものだと私は思っている。

  だから、世界貿易センタービルの上の方の階にあった中華料理屋というのも「食えたもんじゃねえ」料理と「飲めたもんじゃねえ」液体を出しても「高級料理屋ぶりっこ」やっておれば、うちの父親みたいなおっさんは大喜びするというそういうタイプの店だったのではないか・・・と思う・・が、私はそういう店は好きではない。
  最近、ロシア連邦軍のウクライナ侵攻以来、ロシアとロシア人に対する評価が下がりっぱなしであるが、私はロシア民謡というのが好きで、又、イメージとして「おフランス」よりもロシアのイメージの方が好きだったのだ。どこがかというと、日本ではフランスという国に対してだけは丁寧語の「お」がつく。女性で大学のフランス文学科に行きたがる人間にとっての「文学」なんて文学なんてものじゃねえ。ジャン=ポール=サルトルが『(鼎談)反逆は正しい』(人文書院)の中でフランソワーズ=サガン『ブラームスはお好き』とかそんな小説なんか読んでも読書のうちに入らないと指摘していたが、日本の女子大生で《「女性版俗物4種の神器」の1つとしてのフランス文学科》に行きたがる人間の「文学」なんて、そんなものはサルトルが指摘している「そんなものを読んでも読書したことにならない」というエセ文学であり、そんなフランス文学科などというものは実質的に文学ではないと私は思っている。
「女性版俗物4種の神器」とは、フランス文学科・茶道・華道・着付け の4つを言う。私が指摘しても、何がいかんねんと思う人もいるようで、さらには、こういった指摘をすると「受験勉強の悪影響ですね」と「独立自尊の精神があったらそういうことは言わないところですね」とか「自我が確立されておればそういうことは言わないということですね」とか言いだす「慶應タイプ」「慶應心理学」も存在する。「なんでやねん!」と言っても、そういう人たちはきかない。「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを足で踏みつけにして、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろうから」というイエスの言葉が『新約聖書』「福音書」には書かれているが、まさにその言葉が該当する。「女性版俗物4種の神器」なんてものは福沢諭吉が「実学」と「虚学」と言ったものの「虚学」に該当するものと考えていいはずだが、ところが「慶應タイプ」はそうではなく、そんなエセ文化をありがたがる姿勢のことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか叫びまくるのだ。〕
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
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反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
  それに対して、ロシア文学というのは、トルストイなんて男はよくもまあ、これだけカスみたいなものを書きまくったものだとあきれるが、ツルゲーネフ『はつ恋』『父と子』とかゴーリキー『どん底』とかはすばらしい作品だと思っている。ロシア革命の時にロシアを出てアメリカ合衆国に渡った指揮者のセルゲイ=ジャーロフとドン=コサック合唱団のレコードを持っていたのだが、そのレコードジャケットにセルゲイ=ジャーロフの話が載っていて、セルゲイ=ジャーロフが「ああ、ロシアに帰りたいなあ。ロシアの居酒屋で一杯やりたいなあ。アメリカ(合衆国)の金ぴかの御殿みたいなホテルにはあきあきしたよ」と語ったという話が出ていた。だいたい、日本では「ワ~イン」とかいうとかっこつけて「慶應タイプ」みたいなやつが飲むものという印象があるのに対して、ウオッカというと「大衆の酒」というイメージがある。なんでも、ナポレオンがロシアに攻めてきた時、ロシアの人間は「ナポレオンがどんなに強くったって、俺達にはウオッカがあるぜ」とか言っていたとかいう話があるのだが、そのあたりの話を聞くと、ウオッカというのは「ワ~イン」なんかと違って「人民大衆の酒」みたいに思えてくるのだが、実際にはウオッカというのはアルコール濃度が高くて「うかつに飲むと四日酔いする」(「二日酔い」ではなく「四日酔い」)と言われるらしい・・から、うかつに飲めない。しかし、それにしても「ワ~イン」というと自称「建築家」のおっさんがワイングラスのステムの部分を持てば良さそうなのにボウルの部分をぐわっと鷲掴みにして飲むというイメージがあって好印象を持たない。そもそも、ワイングラスというのは、なぜ、ああいう形をしているのかというと、ワインというのは高温と振動に弱いので、それで、手の温度がワインに伝わらないようにということで、ボウルの部分にワインを注ぎ、ステムの部分を持って飲むように作られているのであり、まがりなりにも建築に携わる者ならばワインというのはそういう性質のものだということくらいは理解しておくべきだと私は思うし、又、まがりなりにも建築に携わる者ならばワイングラスというのはステムの部分を持つべきものであってボウルの部分をグワッと鷲掴みにするものではない! ・・ということくらいは理解しておくべきものだと思うのだが、ところがどっこい「建築家」と称するおっさんというのはワイングラスのボウルの部分をグワッと鷲掴みにして「建築家」と得意がったりするという特徴があるのだが、それならワイングラスなんて使わなくても「普通のコップ」かマグカップでええことやんけ・・てものだが、そのあたりが「さすが、建築家♪」てものは私なんかとは違うようだった。それが「ワ~イン」てものだ。そもそも、国の名前に丁寧語の「お」がつくのはフランスだけだ。フランス文学科・お茶(「お~い、お茶」の方のお茶ではなく、「けっこうなお点前ですこと、おほほ」の方のお茶)・お花(「華道」の方のお花)・着付けという4つが「女性版俗物4種の神器」とでもいったものだろう。「慶應タイプ」が好みそうだ。そんなものは文学ではなく哲学でもない。福沢諭吉は「実学」と「虚学」ということを言ったが、福沢諭吉が言うところの「虚学」である。
  ・・・で、なんというのか、うちの父親というのは、そういうおっさんやった。そういう「高級中華料理店」が世界貿易センタービルの上の方の階にあったのだ。なんで、上の方の階に行ったのかというと、世界貿易センタービルというのはどういうことで知られていた建築物だったかというと、その時点で日本で一番高い建物だったからで、「日本一(背が)高い建物」に行ったからには高層階の展望室に行かなきゃ意味がないからだった・・が、あんな「食えたもんじゃねえ」「飲めたもんじゃねえ」””高級料理店”” なんてもうけっこうだ。

  但し、誤解のないように断っておく必要がありそうだが、「フランス」に丁寧語の「お」をつけるのは日本と日本人だけであって、フランス人は別に自分で丁寧語の「お」なんてつけないはずであり、「おフランス」なんて言っているのは日本人だけなので、その「日本人」のフランス観はあまり尊重しない方がいいのではないかと思う。又、「フランス文学」もまた「女性版俗物4種の神器」のひとつとしての「フランス文学」だけがフランス文学ではなく、「実学」としてのフランス文学もまた存在するはずなのだ。だから、「女性版俗物4種の神器」のひとつとしての「フランス文学科」とか、「慶應タイプ」が好む「フランス文学」とかのようなくっだらないものがフランス文学ではないということは認識すべきだと思う。又、「シャンソン」なんて言うと、日本ではきざったらしい「慶應タイプ」みたいな感じ悪いやつが、カッコつけて・・というイメージがあるが、フランスでは普通の歌であり、「パリの空、セーヌは流れる」の歌はフランス映画『パリの空、セーヌは流れる』ではフランス人の労働者がストライキ中にみんなで歌っているという歌であり、何かと気取らないとおれない「日本的シャンソン」、「慶應タイプ」が好きそうなシャンソンとは相当違う
※ 《YouTube-Line Renaud 映画「巴里の空の下セーヌは流れる」 パリの空の下 SOUS LE CIEL DE PARIS COULE LA SEINE》https://www.youtube.com/watch?v=z1pVHaNALoI

  中銀カプセルタワービルを見学してきたすぐ後、インターネットで見たのだが、その世界貿易センタービルもまた、解体工事に入ったというのだ。なんで、解体すんの? ・・と思うが、解体工事に入ったと出ていた。

  1992年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に在籍して江東区潮見のウッディランド東京 にあった展示場に勤務していた時、東京展示場では「工場見学会」として静岡県浜松市(南区)倉松町 にあった浜松工場まで新幹線で見込客・契約客を案内していました。「工場見学に行きませんか」と見込客に誘うと、「どこに工場あるのですか」ときかれ、「浜松です」と答えると「浜松町なんて所に工場あるのですか」なんて言われたものでした。
  「浜松町ではなく静岡県の浜松市です」と言うと、「ええ~え、静岡県の浜松ぅ~う」なんて言われたものです。(株)一条工務店はその頃、中途入社の新入社員研修を入社して1か月以内に2泊3日で1回、その1か月後くらいに2泊3日で1回、実施していたのですが、東京から行くのもけっこう大変でしたが、東京よりさらに遠くから出席していた人も何人もいました。研修の時、私の右側は栃木県の営業所の人で、その右は福島県郡山市の営業所の人でした。私の左側は浜松市の展示場に勤務していた秋元という男(当時、30代)でしたが、この男ひとりだけが地元からの出席で、この男ひとりだけが宿泊せずに自宅から研修に参加していました・・・が、ところが、この男ひとりだけが2回とも遅刻してきました。
  普通、全国、相当遠い所から大変な思いをしてやってきて出席している人が何人もいるのに、地元の人間がひとりだけ遅刻してくる、それも2回とも遅刻してくるというのは、それはいくらなんでも失礼であろう・・と、たいていの人間は思うと思うし、私も思いました・・が、秋元としては「浜松はエライ」「浜松はお殿様」という「(株)一条工務店の遠州人」特有の意識を持っており、「浜松の人間は遅刻してもいい」と思っていたようでした。
  そういう認識はいかんのではないか・・と私は思ったのですが、ところがどっこい、(株)一条工務店という会社は「浜松中心主義」の会社であり、「そこのけ、そこのけ、浜松通る」という会社でした。
  そして、その遅刻してきた男が私に言うのでした。「東京の営業所の人間は工場見学会に新幹線を使っているそうですが、なんでそんなことするのですか。それで契約あがっているのですか」と文句言ってきたのです。はあ? はあ? 何、こいつ???
  静岡県中西部・愛知県の営業は「地元の会社」という「売り」があり、静岡県中西部・愛知県のみテレビ広告をドカンと一発やりまくっていたのであり、東京で「一条工務店」なんて言っても誰も知らない時代に浜松では浜松駅でタクシーに乗って「一条工務店」と言えば行先の説明なんてまったくしなくても行ってくれるという会社だったのです。浜松市ではJR「天竜川」駅の南側の総合住宅展示場内にきれいな展示場を3棟建てていたのに対して、東京の展示場というとウッディランド東京という林野庁が「国産材の利用促進のための展示施設」として設けた施設の中に、そういう趣旨のものだから「幟・看板は立ててはだめ」という条件をつけられて、一般の総合住宅展示場のような新聞折込チラシなんか入れてくれない施設であり、そんな中に出展していて、東京展示場は古くて、外壁には黒い筋がはいっていて来場客から「普通、展示場というものはきれいなものを見せるものと違うのですか。なんで、ここの展示場、汚れているのですか」と言われたものでした。建物の内部ならそこに勤務している人間が掃除すればいいかもしれないけれども、外壁にシミがいっているなんてのはそこに勤務している人間がなんとかできるものではありません。東京展示場の2階のホールは端から端まで床鳴りがする展示場で、来場客から「あら、これ、何の音かしら。ほら、ここも音がする。ほら、ここも音がするわ。何の音かしら。これ、何かしら」と言われる(「何の音かしら」て、床鳴りの音に決まっとるだろうが!)という展示場でした。「一条工務店さんは床の根太が一般の木造住宅より厚いものを使っていて、根太の間隔が狭いから床鳴りがしないのですよね。それじゃ、この音は何の音かしら。ほら、ここも音がする。ほら、ここも。いったい何の音なのかしら。ほら、ここも音がする」とか言われまくっていたのです。それに対して浜松の3展示場はどれもが新しくて、どこもが床鳴りなんてまったくしなかったのです。かつ、東京展示場の建物に比べて浜松の3展示場は3つとも豪華で見栄えがしました。かつ、間取りの取り方は浜松の展示場は「遠州好み」、遠州人が好むような間取りで作られていたのに対して、東京展示場は東京圏の住人の好みに合わせたものではなく東京展示場もまた「遠州好み」、遠州人が遠州地方で建てる場合に好む間取で作られていました。来場客からは「ほほお、『浜松の家』というのはこんな感じでできておるんですかあ」と、まるで登呂遺跡でも見学に来た人みたいに言われました。それだけ、(株)一条工務店という会社は静岡県中西部・愛知県の営業社員に有利になるように、東京展示場の営業が不利になるようにしていたのです。そして、「セゾン275S1」という商品を(株)一条工務店が延べ床面積より広めになるように設定した(「坪あたり」にすると金額が低めになるように設定した)「施工面積」で浜松・掛川では「坪48万円」でダンピング販売していたのに対して、東京都・神奈川県では「坪55万円」で売らされていたのです。なおかつ、東京都では束石は「ピンコロ」と言われる小さい束石で施工していたのに対して、浜松・掛川・名古屋では「でっかいマンホールの蓋みたいな束石」を勝手にサービスしていたのです。そういう勝手なことしまくりだった「浜松の営業」が、相当遠方から浜松まで来て研修に出席していた人もいる研修に、東京から参加した私だって浜松の研修に参加するために相当早い時刻に出て浜松まで行っているのに、自分ひとりだけ遅刻してきて、なおかつ、研修に遅刻してきたのなら、まず、講師役の人の所に行って「遅れました。すいません」という一言くらい言ってから着席するものではないかと思うのだが、何も言わずに当たり前みたいに入ってきて着席して、そして、「東京の営業はなんで新幹線なんて使ってるんですか。勝手じゃないですか。どうなんですか」などと私に言ってきたのです。こいつ、アホか?!? と思いましたが、世の中、変な人はいっぱいいますから、そんなおかしな人間に反論してもしかたがないと思って我慢して黙っていたのでしたが、それにしても、講師役の従業員はそういう男に一言くらい注意するべきものではないのか・・と思ったが何も言わず、逆に「秋元さん、秋元さん」とへこへこ機嫌とっていたのです。アホちゃうかと思いましたが、遠州人がやることというのはそういうものでした。
  もしも、「浜松の営業」が、「東京の営業」が工場見学会に新幹線を使用するのが気に入らないということならば、それならば、浜松工場を即刻廃止して、東京圏に工場を設ければいいことです。東京から千葉にかけての臨海地帯、東京から横浜にかけての臨海地帯に工場を設けて、かわりに浜松市の工場は即刻廃止して、そして、浜松・掛川・名古屋の殿様営業は工場見学会に東京工場までバスで見込客を連れてくればいいのです。そうすれば東京の営業は新幹線を使う必要はなくなります。・・ただし、その頃は私はまだ、クルマの運転にそれほど慣れていなかったので、東京から浜松まで自動車で移動するなんて相当大変と思っていたのですが、ある程度、クルマの運転に慣れれば東京から浜松までというのは運転できる距離です。バス会社に頼んで浜松まで往復してもらうということは可能でしょう。実際、東京発で浜松に行く高速バスも運行されていますし。しかし、そういう問題ではなくて、自分たちの所にばっかり、きれいな新しい展示場をいくつも作り、「見せるための工場」も浜松に作り、テレビ広告も浜松・掛川・名古屋にだけドカンと一発やり、浜松・掛川・名古屋には東京都よりもずっと安い値段でダンピング販売をしてきている、そういう地域の営業が「いつも、すいません。東京よりもずっと安い値段で売らせてもらって」「いつも、すいません。静岡県中西部・愛知県だけテレビ広告させてもらって」とか言って謝るのならともかく、おのれだけ遅刻してきた男が「なんで、東京の営業は工場見学会に浜松まで新幹線なんて使っているのですか」などと文句を言ってくるというあたりは、「頭おかしい」と判断するしかありません。そういう「遠州人が他の地域の人間よりも得することなら、どんなことでも『やらまいか』(やってみよう)」という遠州人の精神のことを「やらまいか精神」と言うのですが、それにしても、あの男、よく言うと思いました。その時は、世の中には変な人はいるわけですから、そういう「ちょっとおかしな男」とはあまり関わらないようにした方がいいのかもしれないと思って、我慢していたのですが、「(株)一条工務店の遠州人」に我慢なんてしたあかつきには、その我慢をさらに拡大再生産してくることになります。又、会社でそういった不当な態度を取る人間がいたならば、上役に話して対処してもらうべきだという考え方がありますが、(株)一条工務店の場合はそうはいかず、「遠州人の横暴」に対しては(株)一条工務店の経営者はそれに常に加担する人たちですから、秋元みたいな人間が不当な文句を言ってきた時には、そういう時には我慢してはだめで、「何を言ってるんだ、何を!」と言って、「どうして、浜松・掛川では東京都で55万円/坪で売らされているものを坪48万円でダンピング販売しているのですか。どうして、名古屋の営業は東京都で坪55万円で売らされているものを坪49万5千円でダンピング販売しているのですか」「東京展示場は古くて汚いのに、どうして浜松の展示場はどれもが新しくてきれいで豪華なのですか」「どうして、浜松では、東京都では小さいピンコロと言われる束石で施工しているのに、浜松ではでっかいマンホールの蓋みたいな束石で施工しているのですか」「どうして、耐火性能実験は東京でやらずに浜松でやったのですか」「どうして耐震実験は東京でやらずに浜松でやったのですか」「どうして、インテリア館は東京に作らずに浜松と名古屋に作っているのですか」と秋元にきっちりと質問して答えさせるべきでした。秋元が答えないのならば、秋元の上役がいる展示場まで行ってきっちりと答えさせるべきでした。又、その時の研修の講師には、「すいません。私達は遠方から参加するために、けっこう早時刻に出てきつい思いをして遅刻しないように参加しているのですが、どうして、浜松の営業だけが遅刻してくるのでしょうか。なぜ、(株)一条工務店は浜松の営業に対してだけ、そのようなことを認めているのでしょうか」と、きっちりと言うべきでした。失敗した。 だいたい、新幹線代なんて、そんなもの、東京の営業は浜松よりも坪7万円も高い値段で売らされているのですから、たとえば、「施工面積」40坪の家ならば、7万円/坪×40坪=280万円 も浜松・掛川よりも高い値段で売らされているのですから、新幹線に東京ー浜松間を10往復しようが20往復しようが30往復しようが、ま~だまだ、浜松の営業と比べれば費用をかけていない、浜松の営業の方がカネ使っていることになります。遠州人というのはそういう理解をできない人たちのようです。ロシア連邦のウクライナ侵攻に際して、YouTube を見ていたところ、ジョージア(グルジア・サカルトヴェロ)の在日本大使が「ロシア連邦との間の国境線というものは『はう国境線』と言うのです。『はう』というのは赤ん坊がこっちに向ってはってくるように、相手がロシア連邦である場合には国境線は一度、取り決めても、それから日に日にこちらに向かってはってくるのです」と話していました。ロシア連邦のウクライナ侵攻の後、日本の評論家で「日本の場合は、ロシア連邦との間は、こちらが北方領土を返還してもらえるかどうかだけで、ロシア連邦がこちらに要求してくるものはないから」などと言っていたところ、そのうち、ロシア連邦の政治家が「ロシアは日本の北海道に対して権利がある」などと言い出しました。まさに「はう国境線」です。ロシア連邦の側が強奪した位置に国境線があっても、そこからさらに強奪しようと国境線がこちらに向かって「はってくる」のです。「(株)一条工務店の遠州人」はそれと似ています。静岡県中西部・愛知県の営業が得するためにはどんなことでも「やらまいか」という姿勢で会社を運営しまくっているにもかかわらず、「いくらなんでも、これでは不公平が過ぎるではないか」と思っていると、その得しまくりの浜松・掛川・名古屋の人間がさらに要求してくるのです。まさに「はう国境線」みたいなものが(株)一条工務店の静岡県中西部・愛知県の営業、浜松・掛川・名古屋の営業の態度・姿勢でした。あいつらには遠慮してはいけません。彼らは少しでも他地域の従業員の権利を奪おうとしますが、他地域の営業は逆に彼ら遠州人の横暴に対してはどのような権利でも奪われないように闘わないといけません。

  その少し後、名古屋南展示場の所長の近藤ローオという男もまた、秋元と似た態度をとってきました。本来、会社はそういう人には注意しないといけないはずですが、(株)一条工務店の経営者というのは「浜松・掛川・名古屋のしもべ」で、東京営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫もまた「浜松・掛川・名古屋のまわしもの」でした。
  最初に近藤ローオを見た時、この会社はこんな程度の低い人を営業所長にならせているのか、と驚いたのですが、それが(株)一条工務店という会社だったようです。

  住友不動産汐留浜離宮ビル「ベルサール汐留」の南東側に「浜離宮建設プラザ 」https://birusaku.jp/detail/detail.php/71581192/というビルがある。その1階に「建設産業図書館」https://www.ejcs.co.jp/library/ がある。東日本建設業保証株式会社https://www.ejcs.co.jp/  という会社がやっているらしい。
  2010年代、愛知産業大学の通信課程の建築学科に行っていた時、スクーリングの際に、建築図書館 を利用するといいという話を聞かせてもらったのだが、建築図書館 https://www.aij.or.jp/library.html というのは港区三田、JR「田町」・都営浅草線「三田」駅から慶應大学の方に行こうとした入口のあたりにある 日本建築学会https://www.aij.or.jp/ の建物の地階にある。「へえ~え、こんな所にあったのか」と思って行ってみたが、利用には「紹介者」が必要ということだったが、愛知産業大学の建築学科の先生に建築図書館を教えてもらいはしたものの「紹介者」になってもらったわけではなかったので、その通り、正直に話したところ、「なければいいです」と言って「紹介者」がなくても利用させてもらえた。建築図書館は一般社団法人 日本建築学会 が運営しているものらしい。
  その際、インターネットで検索すると、似た名称で「建設産業図書館」というものが中央区築地にあると出ていたので、これも建築学徒であるからには一度は行ってみるべきだと考えて行ってみたのだが、けっこう駅から遠くてあまり便利な場所ではなかった。

( ↑ 東京都港区芝5―26―20  日本建築学会、建築図書館。)

( ↑ 東京都中央区築地5-5-12  浜離宮建設産業ビル、建設産業図書館。)

  この浜離宮建設産業ビル の後ろあたりに 朝日新聞社の本社ビルがある。↓

( ↑ 朝日新聞社 本社。 )
  朝日新聞社 本社 には一度、行ったことがあります。何をしに行ったかというと、1980年代、応募書類を持参して行ったのです。筆記試験があって筆記試験の合格者に対して面接がおこなわれるということで、筆記試験は別の場所、大田区平和島の東京モノレール「流通センター」駅の近くのばかでかい倉庫みたいな建物、周囲も倉庫ばっかり立っている場所の建物で行われました。今は朝日新聞 本社のすぐそばに都営大江戸線「築地市場」駅ができているようですが、その頃は、大江戸線は通っておらず、朝日新聞本社ビル には「新橋」駅から歩いて行きましたが、ずいぶん遠い便利の悪い場所にあるなあ・・という印象を受けました。筆記試験を受けにいった東京モノレール「流通センター」駅のそばの会場もまた便利の悪い場所で、東京モノレールに浜松町から羽田空港まで乗った時に、途中の駅で乗降する人なんてあるのだろうか・・と思っていたら、その途中の駅の「流通センター」駅の近くに行くことになったのですが、ここにはJR「大森」駅からバスに乗って行ったと思いますが、ここもまた便利の悪い場所でした。同じ様に毎日新聞社にも応募したのですが、毎日新聞社の筆記試験は御茶ノ水の明治大学で実施されましたが、御茶ノ水は「普通の場所」でしたが、朝日新聞社の筆記試験がおこなわれた「流通センター」駅付近というのはまわりは倉庫ばっかりの所で、なんで、こんな便利の悪い場所でやるのだろう・・と思ったりもしたのですが、朝日新聞社の筆記試験というのは受験者は相当多く、なおかつ、私立大学の入学試験なら受験料を取って実施するのに対して会社の採用試験というのは受験料を取って実施するわけではないので、あまり高い場所を借りるわけにはいかなかったのかもしれません。
  その頃、川崎市幸区に住んでいたのですが、近所のサークルKでお弁当を買って行ったのですが、試験会場で、昼休みにお弁当を食べようとすると割り箸が入ってない。近くにスーパーなりコンビニなりホームセンターなりあれば、割り箸なり普通のお箸なりを購入するということもできたかもしれませんが、まわりは倉庫以外何にもない所で、バスに乗ってJR「大森」駅付近とか京浜急行「平和島」駅付近とかまで行って帰ってくる時間はないので、しかたなしに手でつかんで食べましたが、情けなかった。

  うちの父親は、私が夏休みに大阪の家に帰ると、「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに決めてきたっ♪」と私に無断で決めてくる人でした。へ? ・・・と驚いていると、「わしはものごっつい寛容で人格者なもんやから、もしも、何やったら明日からやのうて明後日からにしてもらうように頼んでやってやってやってやったらんこともないで」とか言って、私が工場労働者のアルバイトに行くことに私に無断で「決めてきたっ♪」ということをやる人でした。そうやって工場にアルバイトに行くことにされて、そして、その工場から帰ってきた途中、阪急「石橋」駅(現「石橋 阪大前」駅)で乗り換える時、同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に行ったK村哲二という男と顔を合わせたのですが、K村が「どこ行ってきたん?」ときくので、うちの父親の勤め先の化粧品会社の工場のアルバイトに行ってきたと正直に話したところ、K村から「へえ~え。そんなもん、やってんのん」と馬鹿にしたように言われたのを覚えています。K村がそう言うので同じように「どこ、行ってきたん?」ときくと、「阪大の図書館に行って法律の本を読んできた」と言うのでした。それだけの違いがありました。同じような場所に同じくらいの大きさの家に住んでいて、同じ中学校から同じ高校に行って、それほど評価が変わらないくらいの大学に行っても、K村と私とはそれだけ生活が違ったのです。夏休みに冷房のきいた図書館で座って机に向かって法律の本を読んでいる人間と、冷房なんてきかない暑い工場で乳液とかクリームとか作らされていた者とでは条件が全然違います。山本有三『路傍の石』(新潮文庫)では、吾一が東京の印刷工場に勤めていた時に、かつての小学校の時の先生と出会い、その先生が勤めている夜間の商業高校なら行けるようにしてあげると言ってもらい、昼間、印刷工場に勤めて夜間、商業高校に通っていた時、その先生を訪ねて、小学校の時に同級生だった東京の学校に行っていた大店の娘がやってきた時、吾一は同じく「学校に行っている」と言っても条件が全然違うと思ったという話が出ていましたが、同じことを思いました。なんで、私だけ、こんなことさせられなければならないんだと思いました。夏目漱石『門』では、親の残した資金が尽き、学校をやめなければならないのではないかということになった小六が兄の家のふすま紙を取り替える作業をしながら、昔はやってもけっこう面白かったそういう作業すらも、なんで、俺だけがと思うと、手が進まなくなるという話が出ていましたが同じ気持ちがしました。
路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
門 (新潮文庫) - 漱石, 夏目
門 (新潮文庫) - 漱石, 夏目
我が家は特別に金持ちではなかったと思うけれども、特別に貧乏ということでもなかったと思ったのですが、うちの父親は「大学という所は勉強する所とは違うねんぞ、チャンコロ。ぼけっとしとってもしかたないぞ。アルバイト、あるばいと、アルバイト、あるばいと」と言ってアルバイト漬けにされました。いくらなんでも、条件が違い過ぎます。その後、夏休みに箱根の保養所で泊まり込みの「雑務」のアルバイトを1か月半ほどやった後、夏休み明けにある少人数の授業で助教授から夏休みは何をやっていたかときかれて「箱根の保養所で雑務のアルバイトをやっていました」と言うと、助教授から「きみ、そんなものやっていたら勉強できんだろう」と言われたのですが、実際、そうでした。なんで、俺だけがと何度も何度も思いました。私が化粧品屋の工場で冷房なんてきかない暑い所で汗だくになって乳液とかクリームとか安い時給で作らされていた時に阪大の図書館で冷房の効いた部屋で椅子に座って法律の本を読んでいた男は大学に入学して5年目に司法試験に合格して弁護士になりました。その男が冷房のきいた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた時に、化粧品屋の工場で冷房なんてきかない暑い所で汗だくになって乳液やらクリームやらを作るアルバイトを安い時給でさせた男は、たしか「大阪新聞」に司法試験合格者の氏名が掲載されていたところに川村哲二の氏名が掲載されていたのを見て、それを切り抜いて私の所に送りつけてきて「川村くんの爪の垢を飲みなさい」と書いてきました。その上で電話してきて「新聞の切り抜き送ったん読んだかあ~あ」と言い、「川村くんの爪の垢を飲めよお、チャンコロ」と言うのでした。「川村くんの家に訪ねて行って『申し訳ありませんが、爪の垢を分けてください』と言ってきなさい。そんで、それを飲みなさい」と言うのでした。私も川村哲二の爪の垢を飲みたかった。あの男の爪の垢を飲みさえすれば、あの男みたいなけっこうな生活を送らせてもらえるものなら、爪の垢でもち〇ぽの垢でも大喜びで飲んだと思います。うちの父親は私には「アルバイトを嫌がる人間というのはモラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いエライえら~いという先生がそうおっしゃってる」と言って私に断りなく「あんた、あしたからアルバイトに行くことに決めてきたっ♪」と決めてくるのです。「日本の労働基準法では親が未成年の子供の労働契約を代わりに結ぶのは禁じられている」と私は言ったのですが、そうするとうちの母親は「それは未成年の子供の場合でしょうが。あんたは20歳になったのだから、親に決める権利があるはずや。親には息子に対しては所有権という権利があるんやからなあ」と言うのでした。「なにくそお」と思って努力しても、いくら頑張っても、私が化粧品屋の工場で暑い所で汗だくになって乳液やらクリームやら作らされている時に、冷房のきいた涼しい図書館で椅子に座ってゆうゆうと法律の本を読んで勉強していたやつには勝ち目はありませんでした。将棋でも「飛車角落ち」とか「飛車角桂馬香車落ち」とかなら工夫して努力して苦労して頑張れば勝てる可能性だってあるかもしれませんが、「王さん1枚で戦え」言われても勝てません。今から考えれば「王さん1枚で」よくあれだけ頑張ったなあと思います。同じような場所に住んでいて同じような大きさの家に住んでいて、同じ中学校を出て同じ高校を出て同じくらいの評価の大学に行っても、私が化粧品屋の工場で汗だくになって乳液やクリームやら作らされている時間に冷房のきいた図書館で椅子に座ってゆうゆうと法律の本を読んでいた男は司法試験に通ります。逆の側の男は通りませんから「(冷房のきいた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた人の)爪の垢を飲みなさい」と命令されます。「か~んしゃあ~あ、か~んしゃあ♪ 朝にも感謝、昼にも感謝、か~んしゃあ~あ、か~んしゃあ♪ 夜にもかん~しゃあ~あ♪ わしに感謝、わしに感謝、わしに感謝、感謝、感謝。わしに感謝せえよお、感謝せんとバチあたるぞバチあたるぞバチあたるぞ、まんまんまんまんまん。アーメン。わしにわしにわしにい~い。いらいらいらいらイライライライラいらいらいらいらイライライライラ」とうちの父親は毎日四六時中言っていました。私が汗だくになって乳液やらクリームやらを安い時給で作らされていた時に冷房のきいた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた男の爪の垢でもち〇ぽの垢でも飲みさえすれば、あのけっこうな生活させてもらっていた男と同様の生活をさせてもらえたのなら、爪の垢でもち〇ぽの垢でもぜひとも飲みたいものだと思います。そうすれば、あの男みたいなけっこうな待遇に過去に遡ってしてもらえるのであれば、です。インターネットで見ていたら、私が汗だくになって安い時給で乳液やらクリームやら作らされていた時に、冷房のきいた図書館で椅子にすわって法律の本を読んでいた男は今では神戸大学法科大学院大学の先生様におなりあそばしておられるようです。うちの父親は「天の神さまというお方は、すべての人間を産まれる時点において分けてお造りになっておるのでR。おまえはチャンコロでロスケでイタコで浪商の民族で階級と神さまはお決めになってこの世に産まれてきた人間でR。浪商は浪商らしくしろ、浪商。浪商の民族は浪商の民族らしくしろ、浪商」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けてきましたが、今もその文句が耳元でわんわん唸っていますが、その言葉の通り、川村哲二なんかは同じ中学校に行っていた時、同じ高校に行っていた時には同じような立場だと勘違いしていたけれども、実際には私と川村哲二とは生まれた時点において民族と階級が違ったのだなあ、と心の底から思います。
※ 《YouTube-Gesang der Wolgaschiffer (Song of the Volga Boatmen)》https://www.youtube.com/watch?v=O1OY1PF4O8A
  朝日新聞社の筆記試験を受けに行った時に出題された問題はその多くが高校卒業時に大学入試において出るような出題範囲のものだったように記憶しています。私は2浪もしてしまって東大の試験に落ちてしまいましたが、しかし、2年浪人したということは、仮に高校卒業時と2浪後とで同じ成績であった場合でも、成績が横ばいであった場合でも、それだけ長くその成績を維持したということはそれだけ知識は定着していると考えることもできます。又、高校で扱っている内容全般について出題されたのであれば、「慶應タイプ」みたいに、たとえば、「愛塾」奨励空手会という慶應義塾の「空手使いの右翼団体」にいた千葉クロマティ高校卒の富永という男などは、高校卒業時においては通る大学なんてろくな所がなかったと本人も正直に言っていたように、そういう人間であり、「1浪で慶應の経済」か「1浪で慶應の文学部」かどっちか通ることができたら御の字ということで浪人して学習して、「1浪で慶應の経済」は落ちたけれども「1浪で慶應の文学部」は通ったという男であり、そういう男というのは「1浪で慶應の経済」「1浪で慶應の文学部」の試験科目だった数学1・2Bと英語以外はまったく学習していませんから、全般的に広い範囲で出題されるような試験にはなかなか通りませんが、私の場合は富永なんかとは違って小学校から高校卒業まで、大学入試と別に勉強してきた人間であり、高校まででやっている内容全般について学習してきた者ですから、私のようなものは比較的対応しやすいはずでした。ですから、その上で高校や大学入試での出題とは別に新聞社が筆記試験で出題するようなものの学習をするようにしておけば、筆記試験には十分に対応できた可能性は小さくありません・・・が、いくらなんでも、あれだけ「あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ」とさせられたのでは、それでは話になりません。私の場合は大学入学時よりもそういった問題に答えるための学力はずっと低下していたのです。そして、朝日新聞社の試験には筆記試験で落ちました。毎日新聞社の試験にも筆記試験で落ちました。たしか、合格者の番号を貼りだすとともに、合格者には郵便で通知するということだったような気がするのですが、受けた後、落ちたと自分でわかりましたので、合格発表も見にいきませんでした。あほくさいなあと思いました。小学校の時も中学校の時も高校の時も私より成績が悪かったやつが通っているはずです。なんで、そいつらはアルバイトなんてしないで勉強していて、それで「モラトリアム人間病にかかっているから働くのを嫌がっているんだ」ではなく、そいつらよりは努力して学習してきてそいつらよりは成績だって良かったはずの私が「あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ」と安い時給のアルバイトばっかりさせられなければならないのかと思いました。小此木啓吾こそ、内部進学小此木啓吾が慶應大学医学部の学生の時に私みたいに「あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ」なんてやっていたわけないのであり、ひとにだけ勝手なこと言いまくって、あの男だけは許せんと思いましたし今も思っています。
  高校卒業した後、うちの父親が「マスコミに勤めるのなら産経新聞がええ~え。朝日はアカやから勤めてはいか~ん。毎日もアカやからいか~ん」と言うので、私は「マスコミに勤めるのなら朝日新聞がええ~え。産経はアホやからいか~ん」と言ってやったことがあったのですが、言っても我が家では通じませんでした。「マスコミに勤めるのなら産経新聞がええ~え。朝日はアカやから勤めてはいか~ん。毎日もアカやからいか~ん」と毎日毎日言いまくって、そして、「わし、今まであんたに、どこどこに勤めたらいかんとか、どこどこに勤めなさいとかなんて、一言として言うたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と言うのでした・・・が、はあ? はあ~あ? はああ~あ? ・・あんた、今、言うたやろうが。あんた、まさに今、「マスコミに勤めるのなら産経新聞がええ~え。朝日はアカやから勤めてはいか~ん。毎日もアカやからいか~ん」と言いまくっておったやろうが、と思ったものでしたが、本人は本当に「言うたことは一度もない」と思って言っていたのか、そうではなく、自分でもまさに今、「マスコミに勤めるのなら産経新聞がええ~え。朝日はアカやから勤めてはいか~ん。毎日もアカやからいか~ん」と言いまくったばかりと承知の上で「わし、今まであんたに、どこどこに勤めたらいかんとか、どこどこに勤めなさいとかなんて、一言として言うたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と言っていたのか、今もってどちらなのかわかりません。どっちにしても、うちの母親は私が小学生や中学生の時には「親というものは、息子が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思うから、そやから、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていて、私は愚かにもそんな話を信じてしまったのでしたが、それは嘘だったと骨身にしみて実感させられました。私が化粧品屋の工場で汗だくになって乳液やらクリームやら安い時給で作らされていたまさにその時、阪大の図書館で冷房のきいた快適な図書館で椅子に座って机に向かって法律の本を読んでいた男は司法試験に通り、今では神戸大学法科大学院大学の先生様におなりあそばしているのです。どっちがいいか・・というと、冷房のきいたへやで椅子に座って法律の本を読んでいらっしゃったお殿様の方がいいに決まっています。そういうお方の「爪の垢」でもち〇ぽの垢でも飲みさえすれば、同じような生活をさせてもらえたのならば、爪の垢でもち〇ぽの垢でも大喜びで飲んだでしょう。・・・ちなみに、川村哲二のお母さんというのはスピーカーで「司法試験も現役で通りました」と近所中に言いまくっていたようでしたが、しかし、他の仕事ならば「現役で通りました」かどうかはなかなかわかりにくいのですが、弁護士というのは全国の大規模図書館に行くと弁護士名簿というものがあって、そこには弁護士の卒業した大学と卒業年、それに司法試験の合格年が記載されており、それを見ると、川村哲二が合格したのは大阪大学法学部に入学して4年目ではなく5年目であることが明記されており、な~にが「現役で通りました」じゃ、「現役で」なんて通ってないやんけ! おばはん、何をしょーもないこと言うとんねん・・と誰もにわかるのでした。息子もまた、そこまで自慢の息子ならば、自分の母親に「しょーもないこと言わないで」と一言くらい言うべきではないのかと思いますが、言わない言えない息子だったようです。さすがは神戸大学法科大学院大学の先生様は違いますね。
モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))
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懲戒除名―“非行”弁護士を撃て - 内田 雅敏
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  「弁護士は役に立たない・・のはなぜか」というと、ひとつには「同じような場所の同じくらいの家に住んでいて同じ中学校を卒業して同じ高校に行って同程度の評価の大学に行った人間が冷房のきいた図書館で椅子に座って悠然と法律の本を読んでいた時に冷房なんてきかない暑い所で汗だくになって乳液やらクリームやら安い時給で作らされていた人間」の方が弁護士になっているのではなく、「同じような場所の同じくらいの家に住んでいて同じ中学校を卒業して同じ高校に行って同程度の評価の大学に行った人間が冷房なんてきかない暑い所で汗だくになって乳液やらクリームやら安い時給で作らされていた時に冷房のきいた図書館で椅子に座って悠然と法律の本を読んでいた時に人間」の方が弁護士になっているから、という点があると私は思っている。「ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ」と思われる側の人間が弁護士になっているのである。

  1991年、法務省の警備員の仕事をアルバイトでやっていたことがありました。法務省の役人が定年退職した後、「二度のお勤め」で天下りとして勤めるために作られたという警備・清掃・受付の業務を派遣でおこなっている会社が雇って、何か所かに派遣していたのですが、そういう経緯から法務省の警備・清掃の業務はほぼ無競争でその会社が請けていたらしい。その会社は他にも最高裁判所・池袋サンシャインといった官庁関係の警備・清掃・受付の業務に出向させて勤務させていたようでしたが、民間企業では朝日新聞本社の警備もやっていたらしく、過去に朝日新聞本社に勤めていたというおじさんもいました。
  聞いた話によると、朝日新聞本社の警備ですと・・・、どこが嫌かというと、「和服着て日の丸の鉢巻き巻いて日本刀さしてやってくるおっさん」が時々来る・・・というのが嫌だった・・そうです。そういうおっさんが時々来たそうです。それならば、法務省には「月光仮面」がやってきたことがありましたが、あの方がまだいいかもしれませんね。「月光仮面」は何しにきたかというと、何かの陳情に来たみたいでしたが、帰りはバイクに乗って帰るのかと思ったらタクシーに乗って帰ったみたいでした。
※ 《YouTube-月光仮面 主題歌》https://www.youtube.com/watch?v=oHpN4QuGc-U

  中銀カプセルタワービルから住友不動産汐留浜離宮ビル「ベルサール汐留」までは、感覚として「銀座」という感じではあまりないのですが住居表示としては「ぎりぎり銀座」のようでしたが、さすがに建設産業ビルや朝日新聞社https://www.asahi.com/corporate/ の本社ビルになると、もう「銀座」では通じません。そこは「築地(つきじ)」です。朝日新聞社 本社がある場所は住居表示では「築地5丁目」になるそうです。
  今から考えてみると、「親というものは息子が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をして、つきたい仕事につけるようにと思って、それで無理にでも勉強させようとするものなんや」とうちの母親から言われたことが嘘っぱちで、その嘘を見抜くことができなかった私が愚かだったようだ。朝日新聞社は私にとっては最初から縁がなかったのかもしれない。
事実とは何か (朝日文庫 ほ 1-12) - 本多 勝一
事実とは何か (朝日文庫 ほ 1-12) - 本多 勝一

  朝日新聞社 本社ビルの海側、都道50号(新大橋通り)を隔てた向かいに築地中央卸売市場 がありましたが、豊洲に移転するのがいいのか悪いのか、ずいぶんと議論されましたが、とうとう移転したようですね。豊洲の移転先は東京ガスの跡地で有害物質が地中に相当あると言われ、食品を扱う卸売市場の場所として適さないのではないかと言われたけれども、
(1)築地中央卸売市場では手狭である、(2)他に広い土地で、なおかつ築地中央卸売市場から遠くない場所でという条件を満たす所がない
・・ということから東京ガスの跡地しかないと主張された・・けれども、「ないことなかった」と思いますよ。とりあえず、移転した江東区豊洲6丁目の南側の有明とか、新しい埋め立て地はいくらでもあるはずですし、「他に適切な場所がない」なんて嘘だと思いますよ

  朝日新聞本社 のあたりまで行くには、今となっては30年以上前に私が朝日新聞社本社まで行った頃は、JR「新橋」か東京メトロ日比谷線・都営浅草線「東銀座」か日比谷線「築地」駅が最寄駅で、応募書類を持って「新橋」駅から歩いて訪問した時には「遠いあなあ~あ」と思ったものでしたが、今では朝日新聞社 本社ビルのすぐ横に都営大江戸線「築地市場」という駅ができました。 「つきじいちば」と読むのが妥当だろうと思うのですが大江戸線に乗ると「つきじしじょう」なんて車内アナウンスで言っています。一般に「市場」を「しじょう」と読むのは、その物の値段が世間で上がったり下がったりという問題を論じる時に「しじょう」と読み、実際に物を売り買いする場所を言う場合は「いちば」と読むものではないか・・と思うのですが、なぜか「つきじしじょう」とよくわからん読み方を都営大江戸線の駅名ではしています
  築地中央卸売市場が移転した豊洲の方の市場の近くには「ゆりかもめ」に「市場前」という駅ができたようです・・が、どこまで行くかというと、「有明」~りんかい線「国際展示場前」 か、「豊洲」~東京メトロ有楽町線「豊洲」ですから、必ずしも便利ではありません。地図を見ると、「ゆりかもめ」は「豊洲」から先にちょろっと出ているようですから、もしかすると、もう少し、JR京葉線「潮見」か「越中島」あたりまで延伸することも可能性のひとつとして考えているのかもしれませんね。

( ↑ 豊洲中央卸売市場。)

  朝日新聞社 本社ビルと旧築地中央卸売市場 の間の道、都道50号(新大橋通り)を北東に行くと海側に 築地本願寺 があります。

「建築家 伊藤忠太の設計による」というフレーズがついていますが、浄土真宗のお寺の建物としては私は違和感を覚えます。京都の西本願寺の建物のようなものの方が私は好きです。「伊藤忠太 設計」の建物というと東大の本郷キャンパスの「正門」(赤門ではない方)がありますが、あれも、私は赤門の方が好きです。
  築地本願寺の近くには東京メトロ日比谷線「築地」駅があります。

  東京メトロ日比谷線「築地」駅のさらに北に東京メトロ有楽町線「新富町」駅があり、この2つの駅から南東側に聖路加国際大学聖路加国際病院があります。1980年代、私が大学生だった時、うちの下の姉が何の病気だったかの手術を受けるということで聖路加国際病院に入院したことがあり、うちの親は2人とも大阪に住んでいましたので私がかわりに菓子折り持って見舞いに行ったことがありました。

( ↑ 「聖路加国際病院」 )
  うちの父親は「わしがあんたにやってやってやったものはこれまでもいっぱいあるし、今後もあるけれども、わしがあんたに何かやってもらったというものは、これまでに何ひとつとしてないし、今後も絶対に何一つとしてないんやからな。覚えておけよ」と言うのでしたが、結婚した娘が入院したなら、父親なら一度くらい見舞いに行っても良さそうなものでしたが、行かないおっさんでしたから、私がかわりに行ったようなものでしたが、病院に見舞いに行くくらい行っていいと思いますが、「あんたが何かやったというものは何一つとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ!」と言われるのは、あんまりうれしいものではありませんでした。
  「聖路加」てどういう意味なんだろう・・と思ったのですが、「路加」は『新約聖書』の「ルカによる福音書」の「ルカ」で「聖なるルカの病院」というくらいの意味みたいですね。
  うちの母親が話していたものによると、うちの父親が他界する前、病院に入院した時、「前に(大阪市北区の)回生病院に入院した時には〇〇がいたから着替えとか持っていってくれたけれども、今は東京にいるからそうはいかないから」と話したところ、「そんなもん、回生病院に持ってきてもらったことなんて一度もない~い」と、おっさんは言いよったらしい。「なんでやのん。何回も持って行ってくれたじゃないの」とうちの母親が言っても、「知ら~ん。そんなもん、たったの一回として持ってきてもろうたことなんてない~い」と言ってきかなかった・・というのですが、あのおっさんらしいなあ~あ・・と思いました。
  うちの母親の弟(私からすると叔父)は日体大を出てラグビー選手を経て私立大学のラグビーの先生になっていて「大学教授」と書いた名刺をまき散らすのが趣味の男でしたが、うちの父親とは大変仲が良く、それでいて私が嫌いだったという人でした。なんで、このおっさんにそこまで嫌われなきゃならんのかと思いましたが、人間というのは嫌われるようなことをやったから嫌われるというものではなく、特に嫌われるようなことをやっていなくても嫌われることはあります。
  その叔父もまた、うちの父親の葬式の日、私に向って「これからは、あんたはうちには頭は上がらんのやからそう思えよ。あんたは兄弟はねーちゃんばっかりで男の兄弟は一人もおらんのやから、どこかに勤めようと思っても保証人に頼めるのはうちしかおらんのやからな。その点、うちはあんたに頼まんでも、うちの子供は男が2人おるからお互いに保証人になりあいすればええことやから、あんたに頼むということは絶対にないんやから。そやから、今後はうちはあんたに何か頼むということは絶対にないんやから、忘れるなよ。ええか、覚えておけよお」と人の親の葬式の日にそう言いよった。さすがに「大学教授」というのはやることが違いまんなあ・・と思う。
  そして、「今後はあんたがうちに何か頼むことはあっても、うちがあんたに何か頼むということは絶対にないんやからなあ。覚えておけよお」と人の親の葬式の日に大声で言ったおっさんは、それからたいして経たないうちに、「息子の結婚式に出てくれ」と頼んできよった。はあ? はあ~あ? あんた、「うちは今後、あんたに何か頼むということは絶対にないんやから覚えておけよお」と言うたのやなかったのか?  「覚えておけよ」とおっしゃるから、そりぁ忘れてはいかんなあと覚えていたのだが、忘れた方が良かったのか? しかも、うちの上のお姉さんの結婚式にその叔父に東京まで来てもらった時には、うちの父親は新幹線の往復の切符を渡して来てもらったはずだったが、福島県に住んでいた私は大阪までの往復の飛行機代を私が出してイトコの結婚式に出席した。 こういうことは「覚えておけよお」と言われなくても覚えている。決して忘れはしない。そういう態度・そういう姿勢のことを「体育会系の礼儀作法」とか「さわやかスポーツマンシップ」とかいうようだ。 さすがはスポーツマンだ( 一一) それにしても、うちの父親と仲が良かっただけに、あの叔父もうちの父親とよく似ているもんだ・・と思った。
  なおかつ、「あんたは会社に勤める場合でも保証人を頼もうと思ったら頼む相手はうちしかないんやからなあ」と大きな口ききまくって、結局、一度も保証人になることなく他界しおった。さすがはスポーツマンだけあって「口だけの人間」だったようだ( 一一) さすがは大学教授だけのことあるなあ・・( 一一)
  うちの父親は私に「わしがおまえにやってやってやってやったったことはこれまでにもいっぱいあるし、今後もあるけれども、あんたがわしのためにやったことはこれまでにも何ひとつとしてないし、今後もわしがあんたに世話になることは絶対に何一つとしてないんやから、覚えておけよお」とあのラグビー屋の叔父とそっくりのことを言っていた。娘を東京の人間に嫁がせたために、娘が体調を悪くして東京の病院に入院したとしても親として見舞いに行けない時があり、代わりに見舞いに行ってくれと言うから聖路加病院まで行ったのだが、見舞に行くのは行っていいけれども、そうやって「親の代わり」として見舞いに行っているのに、「あんたがわしのためにやったことはこれまでにも何ひとつとしてないし」と言われたのでは、あんまりうれしくないなあ・・と思ったが、そういうおっさんやった。
  「あんたがわしのためにやったことはこれまでにも何ひとつとしてないし」と自称「聖人でキリストで釈迦で孔子で孟子で聖徳太子のお父さん」はおっしゃるのでしたが、子供の頃の私は小学校に行く前から家の掃除とかを手伝う子供であり、小学校に行く前、我が家の南側、トイレに行く途中の廊下兼広縁の拭き掃除も私がしばしばやっていて、おっさんはその廊下を通ってトイレに行ったはずだったのだが、「あんたがわしのためにやったことはこれまでにも何ひとつとしてないし」と大きな声でふんぞり返って何回も何回もおっさんは言うのだったが、そんなこと言うなら う〇こすんなや!・・て感じがした。
  うちの父親が他界した後、うちの父親が入っているお墓の掃除は誰がするかというと私がやらないと誰もやらないので私がやってきた。隣のお墓はいつ行っても草がぼうぼうだったが、我が家のお墓は私が定期的に行っていたので、しばらくすると雑草が生えたりはしていたが「草ぼうぼう」という状態になることはなかった。しかし、「今後もわしがあんたに世話になることは絶対に何一つとしてないんやから、覚えておけよお」とうちの父親はあのラグビー屋のおっさんとそっくりなことを私に言ったのだから、それから考えると、あのおっさんが入っている墓の掃除なんかしてはならないのだろうか。そんなわけにもいかないと思うから定期的に掃除してきたが、しかし、やっぱり、あのおっさんは「今後もわしがあんたに世話になることは絶対に何一つとしてないんやから、覚えておけよお」と何度も何度も私に言いよったのだが、そう言われたからには忘れちゃいかんと思って覚えているのだが、どう考えたものだろうなあ・・・・。

  次回は、中銀カプセルタワービル から北西側について。

  (2022.5.11.)

☆ 中銀カプセルタワービル(黒川紀章設計)見学。
1.解体工事は始まったが4/21現在、中銀タワーの姿は見えた。あいみ互いの「コシノ某と安藤忠雄」。黒川紀章はなぜ女優と結婚したか、若尾文子はなぜ黒川紀章と結婚したか。「すかした」の意味はわからないであろう「建築家のつくる家」を得意とする自称「建築家」の東京人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_4.html
2.北側の道からはカプセルタワーが見えた。警備員に劣る警察官の立哨。警備員を自分達の小使いと勘違いしている法務省職員。建築・解体現場の高所作業なんて自分はやらない「名建築家」。「名建築」は本当に名建築なのか、それとも権威主義による幻覚なのか。工事現場監督の仕事をしていない(株)フジタ工業の「工事監督」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_5.html
3.北側から見て。道路側に窓、隣接ビル側は壁。補修用梯子、階と階の間の充填。50年で解体はひょっとこ建築の宿命か。真っ黒ビルは街を暗くする。「マンション住民に戸建住宅の設計させるとマンションみたいな戸建の家にする」説。未熟で基本を理解していない設計を「世界でただひとつの家」と勘違いしている人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_6.html
4.道路を隔てた向かいから見て。屋上の「塔」に隠された貯水槽など。住居表示では「銀座」でも「汐留浜離宮ビル」とする会社と山梨県なのに「西東京工場」とする会社の違い。建築の基本を理解していないことを「世界でただひとつの家」などという詭弁。エアコン室外機・灯油タンク・ダクト・樋は隠すかデザイン化する必要はあるか。「リフォームのナカヤマ」の押売り的営業。東京地裁の裁判官と「地方」の裁判所の裁判官はどちらがいいか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_8.html
[別稿]ロシア軍ウクライナ侵攻により採用取消された在日ロシア人と「リフォームのナカヤマ」に採用取消された何年か前の私の話。後の就職席にまで誹謗中傷を加える卑劣な者。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_9.html
5.南面・西面。隣室のプライバシー配慮の為の覆い? 「解体中」だからこそ遠慮なく見学可。「建築家」建物は長持ちしないか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_1.html
6.浜離宮・芝離宮・世界貿易センタービル・浜離宮建設産業ビル・朝日新聞社本社・築地本願寺・聖路加病院。舌やノドがヒリヒリする料理は高級料理ではなく化学調味料使い過ぎの可能性有。縁がなかった朝日新聞社。「あんたに世話になることは絶対にないんやからな」と言ってすぐに「息子の結婚式に出てくれ」と頼んでくるスポーツマン。「(株)一条工務店の遠州人」はロシア連邦の「はう国境線」みたいなもの。浜松での研修にひとりだけ遅刻してきて大きな顔して着席する浜松営業。〔今回〕
7.新幹線で東京に来た人間の眼に入る位置のモニュメント建築「静岡新聞静岡放送東京支社ビル」・銀座の手前に駅を設けた旧新橋停車場・日本では厳しそうなフーターズ。銀座か新橋かで自転車買ってどうすんだろ。「うち」と「よそ」しか2社しか住宅建築業の会社がない「一条オリジナル」の世界観。戸建住宅建築は敷地が道路と高低差がある場合は門の位置・アプローチの取り方を考え、車庫はあらかじめ設けておいた方がいい場合はアドバイスするのが専門家ではないのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_3.html
8.歌舞伎座ビル・銀座三越・晴海通り。大阪出店に際しての三越の傲慢。銀座通りと昭和通りの違い。銀座ピアスビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_4.html

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