新幹線で東京に来た人間の眼に入る位置のモニュメント建築「静岡新聞静岡放送東京支社ビル」・銀座の手前に駅を設けた旧新橋停車場・日本では厳しそうなフーターズ。銀座か新橋かで自転車買ってどうすんだろ。「うち」と「よそ」しか2社しか住宅建築業の会社がない「一条オリジナル」の世界観。戸建住宅建築は敷地が道路と高低差がある場合は門の位置・アプローチの取り方を考え、車庫はあらかじめ設けておいた方がいい場合はアドバイスするのが専門家ではないのか―中銀カプセルタワービル【7/8】

[第921回]
  中央区銀座8丁目 の中銀カプセルタワービル の前の道を北上し、「蓬莱橋」交差点の歩道橋に登って南西を見ると、↓
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↑ 「旧 新橋停車場」が見えます。
  日本で最初に鉄道が開通したのは「新橋(現 汐留)ー横浜(現 桜木町)間」と中学校の「歴史」の教科書とかに出ていたと思いますが、その「新橋(現 汐留)」が ↑です。
  今現在、「汐留(しおどめ)」という名前の鉄道の駅は都営大江戸線と「ゆりかもめ」にありますが、ここより少し南に位置しています。 「旧 新橋停車場」は現在の住居表示では「港区東新橋1丁目」です。なぜ、学校の教科書には「新橋(現 汐留)」と書いていたのかというと、最初はこの場所を「新橋」駅として鉄道が開業したけれども、1914年(大正3年)に東京駅が開業して「新橋」駅は内陸側に移転し、この場所の駅はその時から旅客は扱わずに「汐留」駅と改称して貨物専用駅になったことから、「現 新橋駅」ではなく「現 汐留(貨物)駅)」という表記になったということでしょう。たしか、この付近に貨物駅があったような気がしたのですが今は見当たりません。《ウィキペディアー汐留駅(国鉄)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%90%E7%95%99%E9%A7%85_(%E5%9B%BD%E9%89%84) によると、1986年(昭和61年)11月に汐留貨物駅も廃止されたようです。《築地市場への貨物輸送は1987年(昭和62年)1月31日まで行われた》らしいが、線路の形状に合わせたような形になっていた築地卸売り市場も移転してしまい、汐留貨物駅の跡地はいくつものビルが建っているようです。
  片方の「横浜(現 桜木町)」の方はというと『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR NO.1  東海道本線』によると、初代の横浜駅は現在の桜木町駅の場所に設けられたが、その後、東海道本線として西に延伸する為には、桜木町駅が横浜駅だと桜木町付近に用事がある人はいいとしても、それより西に行く人にとっては遠回りになるということで、2代目横浜駅を高島町駅付近に作り、3代目横浜駅を現在の横浜駅に作って、そこから東海道本線を西に伸ばしたようです。
週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR NO.1  東海道本線 - 作成者
週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR NO.1  東海道本線 - 作成者
  1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で同じ営業所にいた自称””鉄道に詳しい””「木南さん」(仮名)(男。当時、40代)が「東海道本線は東京と神戸を結ぶための鉄道であって、東京と大阪を結ぶ鉄道ではないんですよ。大阪の人間はバカなものですから東京と大阪を結ぶ鉄道みたいに言いますけれども、東海道本線は東京と神戸を結ぶことを目的に作られた鉄道であって大阪なんて寄る必要ないんですよ。大阪なんて立ち寄るものだから東海道本線は遠回りになってしまっているんですよ。大阪は余計なんですよ」などと言っていたのだが、「東京もんのおっさん」は相手が大阪人だと思うと余計に必死になってそういうことを言うのですが、それは「木南さん」(仮名)の認識が間違っています。
  日本で最初に開通した鉄道は、新橋駅(「旧新橋停車場」、旧汐留貨物駅)と横浜駅(現 桜木町駅)を結ぶ鉄道でしたが、2番目に開通したのは大阪駅と神戸駅との間の鉄道でした。その時の大阪駅は今の大阪駅より少し西の位置だったらしい。大阪ー神戸間の翌年に大阪ー京都間の鉄道が開通しました。この時点では、東京圏では新橋(旧汐留貨物駅)ー横浜(現 桜木町駅)、関西圏では 神戸ー大阪ー京都 の鉄道が敷設されたのであり、東海道本線として計画して作られたのではなかったのです。その後、東京と関西を結ぶ鉄道を敷設しようという考えが出てきて、最初は旧東海道ルートではなく旧中山道ルートで敷設する計画で、西の方では京都から現在の奈良線の北の部分を通って京都の東山の南を迂回して滋賀県の膳所に至り、膳所から浜大津まで行き、浜大津から船で琵琶湖を渡り、長浜から関ケ原のあたりを通って東に進む鉄道が敷設されていったらしい。東の方は現 高崎線がその路線として敷設されたけれども、ところが、その時代の技術では碓氷峠を鉄道で超えることができなかったらしく、それで、やむなく 旧 中山道ルートはあきらめて、旧東海道ルートで横浜から西に鉄道を敷設していって、東海道本線ができたというものらしい。だから、東海道新幹線の場合は、最初の ひかり号の停車駅、東京ー名古屋ー京都ー新大阪 をできるだけ短距離で結び、途中の各都道府県に「こだま」の停車駅をいくつか作るということでルートが決められたのとは違って、東海道本線の場合は、先に、汐留ー桜木町 と、京都ー大阪ー神戸 ができていて、その2つを結ぼうということで進められたもので、だから、東海道新幹線と山陽新幹線の境目は新大阪駅であるのに対して、東海道本線と山陽本線の境目は大阪駅ではなく神戸駅になっているのです。「木南さん」(仮名)は「乗り物に詳しい」だけあって無茶苦茶言うとるのです。
  「東京もんのおっさん」というのは関西嫌い・大阪嫌い・アンチ阪神のおっさんが多くて、そういうおっさんというのは「木南さん」(仮名)みたいに「東海道本線は東京と神戸を結ぶための鉄道であって、東京と大阪を結ぶ鉄道ではないんですよ。大阪の人間はバカなものですから東京と大阪を結ぶ鉄道みたいに言いますけれども、東海道本線は東京と神戸を結ぶことを目的に作られた鉄道であって大阪なんて寄る必要ないんですよ。大阪なんて立ち寄るものだから東海道本線は遠回りになってしまっているんですよ。大阪は余計なんですよ」などと必死になって言いたがる、特に相手が関西人・大阪人だと思うと余計に必死になって言おうとするのですが、そういう事実に反することを必死になって叫ばないとおれない症候群というのはどうかと思いますね・・・・。

  そういえば、飛行機が着陸する時、車輪が空港の地面に最初に接する時、比較的静かに接地する時と「ドンッ」という感じで少々衝撃を受けながら接地する時がありますが、””乗り物に詳しい「木南さん」(仮名)””の説では「ドンッ」という感じで少々衝撃を受けながら接地する着陸のしかたの方が安全な着陸のしかたなのだということで、静かに衝撃を受けることなく設置する方がしろうとはいいと思っているけれども違うのだという話でしたが、インターネット上に出ていた話によると、その話は間違いで、「ドンッ」という感じで少々衝撃を受けながら接地した時にキャビンアテンダントから苦情を言われたパイロットが言い訳として言った話が広まったものであって、実際は、飛行機が着陸する際に比較的静かに接地するよりも「ドンッ」と少々衝撃を受けながら接地する方が安全ということはないらしい
  又、””乗り物に詳しい「木南さん」(仮名)””は「外国では日本とは違いまして、道路ではそれぞれのクルマが自分が走りたいスピードの車線を走るようになっているんですよ」と言うので、「外国って、どこの国のことを言っているのですか」と言うと、「外国ったら外国~う」と言うので、この人の頭の中では世界の国は「日本」という国と「外国」という名前の仮想の国の2か国しかないらしいとわかったということがありました。「一条オリジナル」みたいな思考・「(株)一条工務店の遠州人」みたいな思考の人だなと思いました。
  さらに言えば、「木南さん」(仮名)は「外国に行きますと国によって料理の内容が違いますから、食堂に行っても何を注文していいかわからなくて困るのですが、そういう時に便利なのがマクドナルドでして、マクドナルドなら世界中にあって、どこに行っても同じメニューがあるので、とりあえず何か食べるという場合に便利なんですね。フィレオフィッシュがあるのは日本だけですけれどもね」と言うので、「フィレオフィッシュバーガーて日本だけしかないのですか?」と言うと、「そうなんですよ♪ フィレオフィッシュは日本以外のマクドナルドにはありません」と教えてくださったのです。それで、私はミラノでもサンレモでもパリでもロンドンでもマクドナルドに行って「木南さん」(仮名)が「日本にしかありません」と言うところのフィレオフィッシュバーガーを注文してみたところ・・あったんだわ、ミラノでもサンレモでもパリでもロンドンでもマクドナルドにフィレオフィッシュバーガーはあったんだわ( 一一)  「物知りおじさん」の話なんて、そんなもの・・だったのかもしれないけれども、「一条オリジナル」の言うこともまた「そんなもの」のようだ( 一一)
  「(株)一条工務店の遠州人」は「浜松こそ世界の中心」と考えており、そういう人の頭の中では浜松が世界の陸地の7割くらいを占めていて、残りは1割がその他の静岡県と愛知県で、2割がフィリピンというそういう世界になっているのです。そういう「アタマが浜松」の人に「『空の広さの一部分は浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは間違っている」と言うと怒りよるのです。ですから、(株)一条工務店において遠州人≒「一条オリジナル」から「浜松のまわりを太陽・月・星といった天体がまわっている。それが常識だ」と言われたら、決して逆らってはいけないのです・・と思ってもそれでも時として「それでも地球はまわっている」と言いたい気持ちになったりしますが・・同社にいる限り、それは言ってはいけません。 同社をやめたら、その分、言いまくってもかまいませんけどね(^○^) 「浜松のまわりを太陽・月・星といった天体がまわっているのではない」と。「『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しいが、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは間違っている」と。 (株)一条工務店の「研修」では「『よそ』は・・・だけれども一条工務店では・・・」といった話を聞かされることが多いのですが、そう言われると「よそ」ってどこなんだ? なんて思いませんか? 疑問に思うと質問したくなりませんか? ところが質問するといけないのです。この会社では。「木南さん」(仮名)は(株)一条工務店ではベテランの方の従業員でしたので、それを「木南さん」(仮名)に話したこともあったのです。「一条工務店の研修では『よそでは・・』と教えられますけれども、『よそ』ていったいどこのことを言っているのでしょうね」と。そうすると、「外国ったら外国~う」と言うのと同じく「『よそ』ったら『よそ』~」と言われてしまいました。「一条オリジナル」タイプの従業員の頭の中では戸建住宅建築業の会社というのは(株)一条工務店と「よそ」という仮想の会社の2社しかないみたいなのです。
  (株)一条工務店の一族経営者とその取り巻きのオリジナル従業員は同業他社に在籍したことがある従業員を敵視しており、たとえ、同業他社に在籍したことがある従業員といえども今は(株)一条工務店の従業員であって他社の従業員ではないのに、なぜ敵視するんだ・・と何度も思ったものでしたが、ひとつには同業他社にいたことがある従業員は(株)一条工務店が研修で教えている内容の嘘に気づいてしまうからということがあるようで、嘘を教えている者としてはそれがおもしろくないということがあるようです。〔本来、悪いのは嘘に気づく人間の方ではなく、嘘ついている人間の方であるはずですけれどもね。〕 その逆が1992年に新卒入社して浜松の営業所に配属されて契約棟数ゼロ棟で8月に東京展示場に本人の希望で転勤してきた小野田くん(男。当時、20代)でした。1992年に新卒入社して浜松の営業所にいて通算契約棟数ゼロ棟で8月に本人の希望で東京展示場に転勤してきた小野田くんは「よそではね・・」としばしば客に言う男で、「よそ」ていったいどこのことを言ってるんだ、そんなことやってる会社、あんまりないと思うがなあ・・と思ったものでしたが、小野田くんは浜松の営業がお客様に話している嘘を物真似していたようでした。「嘘を話させられるのは嫌だなあ」と私などは思うのですが、小野田くんはそういうことは一切思わない性格の男だったようで、(株)一条工務店の一族経営者やオリジナル従業員はそういう人間が好きなようでした。『新約聖書』の「福音書」ではイエスがエルサレムの街にいると「眼しい」(盲目の人)がやってきて「主よ、憐れみを」と言い、イエスが「どうしてほしいのか」と尋ねると「見えるようになりたい」と言ったので、イエスはその人の眼に手をやって見えるようにしてあげたという話がありますが、小野田くんなどはその逆、「見えないようになりたい」と思うタイプの人間だったようで、(株)一条工務店の一族経営者や「一条オリジナル」の遠州人はそういう人間が好きだったようです。

  「東京もんのおっさん」にはアンチ関西・アンチ大阪・アンチ阪神の人間が多く、上記の「木南さん」(仮名)みたいに「東海道本線は東京と神戸を結ぶための鉄道であって、東京と大阪を結ぶ鉄道ではないんですよ。大阪の人間はバカなものですから東京と大阪を結ぶ鉄道みたいに言いますけれども、東海道本線は東京と神戸を結ぶことを目的に作られた鉄道であって大阪なんて寄る必要ないんですよ。大阪なんて立ち寄るものだから東海道本線は遠回りになってしまっているんですよ。大阪は余計なんですよ」とか言いたがる、特に相手が大阪出身の人間だと思うと必死になって言おうとするという人が大変多い。なんで、そんなこと言いたがるかなあ・・と思うのだが言いたがる。そのあたりは、要するに「東京もんのおっさん」というのはイナカモノなんだと思います。
  東京に来て、そういうイナカモノの「東京もんのおっさん」から「東海道本線は東京と神戸を結ぶための鉄道であって、東京と大阪を結ぶ鉄道ではないんですよ。大阪の人間はバカなものですから東京と大阪を結ぶ鉄道みたいに言いますけれども、東海道本線は東京と神戸を結ぶことを目的に作られた鉄道であって大阪なんて寄る必要ないんですよ。大阪なんて立ち寄るものだから東海道本線は遠回りになってしまっているんですよ。大阪は余計なんですよ」とかそういうことを必死になって言われて気分を害する関西人はけっこういるようで、その結果として、ある日、突如として「愛国心」に目覚めて、そして⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
⇒《YouTube-大阪タイガースの歌 【六甲颪】》https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4
  大阪にいた時にはそれほど阪神ファンでもなかったのに、「東京もんのおっさん」に対する不快感から「愛国心」が湧きおこる。

  今年のように阪神タイガースが低迷すると、阪神ファン・関西人同士で「阪神は困ったもんだなあ」と言い合いする分はいいのですが、「東京もんのおっさん」が阪神の悪口を言って喜ぶのを見ると、まさに「愛国心」が心の底から湧きおこるのだ。阪神が低迷すればするほど「愛国心」はさらに強固になるのだ。・・だから、そのタイプの「阪神ファン」にとっては、阪神が勝たなければ阪神ファンをやめるなどということはなく、阪神が負ければ負けるほど「東京もんのおっさん」は喜ぶので、ますます「阪神ファン」になるし、そういう「阪神ファン」にとっては阪神が勝つことはそれほど重要ではなくて、大事なのは「東京もんのおっさん」が好きな巨人が負けること、「巨人が負けるとせいせいする♪」・・ということになる。
  1980年代から1990年代、阪神タイガースがCクラスを低迷していた時、中山ラマダという漫画家が書いていた漫画で、プロ野球、終盤になって「今年の優勝チームはどこでしょうか」とアナウンサーが「今年の優勝チームはどこになると思いますか」と質問すると、ズバリ一言、「阪神!」と。 東京もんのアナウンサーはうれしそうに言う。「はあ? 阪神は今、最下位ですよお~お。残り、全勝したって5割にも達しませんよお~お。どうして、阪神が優勝なんですかあ~あ。どうしてですかあ~あ?」と執拗に言う。それに対し、阪神ファンは答える。「じゃかましいわあ! 阪神はなあ、阪神は最下位でも優勝するんじゃあ、ボケえ! 阪神はなあ、阪神は、たとえ、全敗したって、それでも阪神は優勝するんじゃあ、このボケえ!」と。・・まさに、そんな感じ(^○^)

  最初に東京と横浜を結ぶ鉄道を敷設した時に、この旧新橋停車場の場所が決められたのは、おそらく、その時代の東京側の繁華街で中心地であった銀座のすぐ南側という場所で設けられたのではないでしょうか。そして、その後、皇居の東側にあたる現在の東京駅まで延伸するにおいては、そのまま北に伸ばして銀座の街中を突っ切るのではなく、銀座の北側を通るようにして東京駅まで行くルートにするために、その為に「新橋駅」を現在の場所に移した、ということではないか。

  ↑ の写真の左側のビルが パナソニック 東京汐留ビル で、このビルの中にパナソニック汐留美術館https://panasonic.co.jp/ew/museum/ があり、私はミケランジェロ展を見にいったことがあります。現在は2022年6月19日まで「イスラエル美術館所蔵 ピカソ/ひらめきの原点」という展示がおこなわれているようです。ピカソというのは小学生の頃から「上手い」のか「無茶苦茶書いてるだけ」なのか、どうも、よくわからない・・と思ったのだけれども、今もってどっちなのかよくわからない。「世界の丹下健三」も「芸術」やりたいならピカソの絵くらいの大きさのものにしておけば、たとえ、あまり評価できないものであっても「害は少ない」ようにも思うのですが、な~んかこう、””「ゼネコンの能力を使った巨大な彫刻」やらなきゃ気がすまない症候群”” みたいな設計をやりますよね・・・
  新宿のコクーンタワー なんて、あれをいいと言う人がいるけれども・・いいと思いますか、あんなん。私は無神経で傍若無人で悪趣味だと思うのですけれどもね・・。そもそも、丹下健三と丹下健三都市建築設計事務所というのは、なんで、いついかなる時も「自己顕示欲の塊建築」「自分の建物が一番目立たないとおれない強迫観念にとらわれた建築」「いついかなる時も自分の建物が周囲の景観に合わせるのではなく、周囲が自分の建物に合わせろ建築」ばっかり作らなきゃ気がすまないのでしょうか・・なんて、あなた、こういうこと、考えたことない~い?
  ・・だいたい、「バカでも入れる私大の建築学科」出ましたあ・・ということで自称「建築家」になったようなにーちゃん・ねーちゃん・おっさん・おばはんには ””「『世界の丹下健三』のエピゴウネン」になりたいなりたいシンドローム”” が多すぎるのです。「バッカじゃなかろかルンバ♪」というのか、一度、顔あらってこい!・・とでも言ってやりたい・・というのか、頭冷やしてこい・・と言ってやりたいのが多すぎる。なんで、 ””「『世界の丹下健三』のエピゴウネン」になりたいなりたいシンドローム”” みたいなものになりたがるのかというと、それは精神面が貧困だから・・だと思いますよ。ロマン=ロラン『ジャン・クリストフ』では若き頃のジャン・クリストフに叔父のゴットフリートが音楽とは何かといったことを語る場面があり、秋の夜に鳴いている虫の音を神さまの音楽と言い、音楽というものは作ったものではなく元からあるものだといった話をしますが、そういうロマン=ロラン『ジャン・クリストフ』のような芸術とは何かといった問題を扱っている文学作品でも読む方が「世界の丹下健三」とかの悪趣味建築の「真似し」やろうやろうという強い強い意志で ””「建築家」ぶりっこ”” やるよりもよっぽどいいのではないか・・と思うのだが、あるいはカール=ベーム指揮のものなどでベートーベン『交響曲 第6番「田園」』でも聴いてみるとかした方がいいのではないか・・と思うのだが、「バカでも入れる私大の建築学科」出ましたあ、なおかつ、建築士の試験には一級建築士も二級建築士も通りませえ~ん、ゆえに⇒「設計士(さま)」ですう~う・・と言いたい言いたい症候群のやつ〔日本には一級建築士・二級建築士・木造建築士・一級建築施工管理技士・二級建築施工管理技士という国家資格はあっても「設計士(さま)」なんて資格は国家資格でも民間資格でも存在しません。存在しないにもかかわらず、ありもしない資格もどきを名乗りたがるというのはなぜかというと、それは資格試験に通らないにもかかわらず、「いっきゅうけんちくしい」と言えば人は言うことをきく・・というあさはかな観念の持主であって、「いっきゅうけんちくしい~い」と言うことで「言うことをきかせる」ということをやりたいやりたいという強い意志を持っているけれども試験に通らないものだから、それで「設計士(さま)」などとありもしない資格もどきを名乗って「言うことをきかせる」ということをやろうとするのです。詐欺師みたいなものです。フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ などにはその類がいっぱいいました( 一一) 私が同社の経営者ならば、その類の人間に「しょーもない真似はやめろ」と注意してあげるところですが、同社の経営者は注意する能力がないのでしょうか。〕・・に言ってやってもきかない( 一一)  せめて、顧客はそういうアホを評価しないようにしてほしいと思う。アホの設計した建物なんて、ろくなもんじゃねえ・・というのは事実ですからね。精神面が貧困なやつの設計したものなんて、その貧困な精神面・未熟な精神面がそこに実現されるだけですからね。
  『味いちもんめ』という板前を扱った漫画で京都に修行に行った伊橋くんが、京都の紅殻(ベンガラ)格子の建物が並ぶ街の一角にロケットみたいな建物が建てられているのを見て、これはないだろう・・と嘆く場面がありましたが、伝統的な街並みの一角にロケットみたいな建物を作って得意がるというのが「建築家」と称している人たちがやっていることであり、その代表格が「世界の丹下健三」なのです。
  「東京計画1960」なんて、まさに自然環境破壊計画そのものであり、恥知らず丹下健三を奉っている人たち は今もそんなものをありがたがっているようですが、「世界の丹下健三」に対する日本の国土の魂の嘆き・恨みが聞こえるような気がします。

  そもそも、「世界の丹下健三」というのはどういう存在か・・、そこを考えてみる必要があるのではないか。「世界的建築家」「有名建築家」とかなんとかかんとか名乗ることによって、その計画を権威づけしようとする存在であり、「世界的建築家 何野誰太郎の計画による」とかいったフレーズをつけることによって国民・市民が反対しにくくしてやろう・・というそういう為に生み出されたものであり、その者の存在が「権威主義」であって民主主義に反するものなのです。
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36) - なだ いなだ
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  ・・だいたい、その「バカでも入れる私大の建築学科」とか「最初から試験なんてない建築専門学校」とかの講師というのは、そいつらがまず思考がおかしいのではないか。バカが教えているから、だから、バカが二乗されたような卒業生が出てくるのではないか・・。
ジャン・クリストフ 1 (岩波文庫 赤 555-1) - ロマン・ロラン, 豊島 与志雄
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ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」&第8番 - ベーム(カール), ベートーヴェン, ベーム(カール)
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」&第8番 - ベーム(カール), ベートーヴェン, ベーム(カール)
※ 《YouTube-ベーム ウィーンフィルの「田園」ライヴ 1975年》https://www.youtube.com/watch?v=WW-a9-pq1Vo
  私が高校生の時、クラブのOBで京都大学の教育学部に進学した人がいて、京大の他の学部に進学した人たちが「教育学部というのは、教育する人間が行く所ではなくて、教育される必要がある人間が行く所なんだ」と冗談で言っていたことがありました。それはあくまでも、冗談で言っていたのですが、「建築専門学校」というものの講師やっている人というのは「冗談で」ではなく、人を教育するのではなく、その前におのれが教育された方がいいのではないかと思われる人が多いのではないかと思います。「教育される必要がある人」が教育しているから、だから、自称「建築専門学校卒」の人というのはおかしいのではないか。私は日本の「建築専門学校」というのは全部、ぶっつぶした方が社会の為だと思っています。

  中銀カプセルタワービルの前の都道316号(海岸通り)の中央を高架で首都高速道路の「東京高速道路」という路線が通っているようです。「蓬莱橋」交差点を「対岸」に歩道橋で渡ったあたりにその「新橋」出入口があります。「新橋」出入口の真ん中あたり、高架の下に「ドン・キホーテ 銀座本館」https://www.navitime.co.jp/poi?spot=06051-92 があります。↓
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↑ 「ドン・キホーテ」で自転車、売ってるんですね。
  小学校の4年の時、同級生で10段切り替えだったか20段切り替えだったかのサイクリング用自転車を買ってもらって乗っていた男がいて、そいつと一緒に出かけることがよくあったのですが、我が家はそんなサイクリング用自転車なんて買ってもらえませんから、家庭用の「ママチャリ」しかなく、いつも、私はそれに乗って一緒に出かけていました。そいつのサイクリング用自転車を見て「いいなあ」と思ったことはありましたが、我が家はそんなもの買ってもらえる可能性はありませんでした。かつ、そいつが住んでいた所は特に急な坂がある所ではありませんでしたが、我が家は山の中腹のような場所にあってけっこう急な坂があり、駅があるあたりや小学校があるあたりからは坂を相当登らないと行けない場所で、小学生が自転車をこいで登るのはきつい場所でしたし、大人だって自転車ではきつい場所でしたが小学校4年の時の私はそこを「ママチャリ」で登っていました。そのうち、うちの父親は「この坂を登るのはきつい」と言って自分用に原付を買って乗るようになりましたが、自分はそう言って原付に乗りながら小学校4年生には平気で「ママチャリ」に乗せていました。
  又、うちの父親が原付に乗るようになると、その原付は門のすぐ内側に置いていましたが、私が「ママチャリ」に乗っていた時には「そんなもん、門の内側になんて置いていたらみっともない」とか言って、1階分ほどある階段を自転車を持って小学校4年生に持って上まで上がらせていました。今、住んでいる船橋市の家の近所で建売住宅を購入した人が、たかだか4段ほどしかない階段の上まで自転車を持って上がるのが高校生の子供にとって大変だと言ってその部分を作り変えた人がありましたが、私が小学校4年の時のことを考えると、親にもいろいろあるんだなあ・・・という気持になりました。
  かつ、1960年代後半にうちの親が小堀住研(株)で建てた在来木造の家というのは、その頃の小堀住研(株)は「高級住宅の小堀」という評価を得て、関西では「小堀で家を建てた」というのが中の上くらいのサラリーマンにとってはひとつのステータスのようになっていて、「設計の小堀、デザインの小堀」とか言っていたのですが〔「言っていた」というのは誰が言っていたかというと自分で「言っていた」のだと思いますが、それでも「嘘でも百回言えば真実」みたいなところもあり、「言っていた」ものを聞いてその客層の人が契約してくれて建ててくれることで、その方向に進むという面はあります。〕、たしかに、設計に凝っている部分もありましたが、未熟で配慮すべきものを配慮できていなかった面もある家だったと、後に自分自身が住宅建築業の仕事に携わるようになって思うようになりました。プランニングの際、私などもうちの親に言ったのです。
(1)家族5人が住むので、朝はトイレが取り合いになるから、トイレは1階と2階の2か所に設けてほしい。
(2)堀込車庫を設けてほしい。
(3)道路からの高さがある敷地で、間知石が下部に積まれていたので、そのまま延長すると道路との境界よりかなり内側に入った部分しか使えなくなるので、道路との境界上から上の部分を使えるように外構工事をしてほしい。
それらは、すべて無視されました。
(1)それより前に住んでいた家のトイレは大便用と男子小便用があったのに、洋式共用のトイレが1か所設けられただけで、プラン決定する時に、「なんで、トイレを2か所作ってほしいと言ったのに1か所になったの?」と言うと、「水回りは上に上げたらいかんそうや」とうちの父親が言うのです。「それなら1階に2つ作ることはできないの?」と言うと、「階段を降りてきてすぐの場所やから1か所でええやろ」と言うのです。
(2)堀込車庫については、うちの父親は「クルマちゅうもんは後ろに乗るもんであって、前に乗るもんと違うんや」と言っていたのですが、しかし、自家用車を自分の家で持っていなくても、堀込車庫があれば自動車で来る人があった時に停めてもらう場所に使うこともできますし、自動車でなく、自転車を入れておくこともできます。うちの親が大好きだった「野口くん」という小学校の時の同級生の家では、そこの家は全面道路とほとんど高低差がない立地でしたがそれでもコンクリートで囲まれた車庫があって、自家用車は持っていなかったけれども、コンクリートで囲われた車庫があったので、そこに卓球台を置いて、私などもそこで卓球させてもらったことがありました。だから、我が家だって、その時点で自家用車を持っていなかったとしても、道路と高低差がある敷地で、後から車庫を設けるのは簡単ではない立地なのだから、最初に家を建てり時点で堀込車庫を設けておけば、たとえ、自動車を置かなくても、卓球台を置いてもいいし、物置として使ってもいいし、自転車を置いても良かったのです・・・が、その時の小堀住研(株)の営業は「ここらは道が広いですから車庫なんて作らなくても道にクルマを停めはったらよろしいねん」などと言いよったそうで、我が家は門から階段を何段も登った上にまで自転車を持ち上げて入れないといけませんでした。小学校4年生にとってはそれは大変な作業でしたが、うちの親は当たり前のようにさせていました。
(3)間知石の擁壁の方が見た目がいいと思う人もいるようですが、道路と高低差が大きい所では使える敷地が狭くなってしまいます。できるだけ敷地を有効に使えるようにと思って小学校3年の時の私が言ったのに、できあがったものは、道路から敷地地盤面までの中間までを間知石として、そこから上は、いったん敷地の中に入ってそこからまた間知石の上の位置くらいまで前に出すというもので、何を物好きにそんなことするのかという方法で、入居後は近所の子供の遊び場になりました。「ちっとも前に出てないじゃないの」と私が言っても、「けっこう出てるやろ」とうちの父親は言ったのですが、カネかけただけで間知石の勾配の上の位置からちっとも前に出ていませんでした。
(4)さらには、それまで住んでいた家には仏壇・神棚がありましたが、小堀住研(株)の営業は「きょうび、仏壇のない家が多いですでえ」と言って仏壇は設けなかったが、それから十年弱経つと、うちの父親は勤め先の取引先の容器屋のおっさんからプラスチックの箱をもらってきて、金沢の拝み屋さんからもらったらしい祭具をそこに入れて、「まんまんまんまんまんまん。わしに親孝行せえよお、わしに親孝行せえよお。わしに親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ。まんまんまんまんまんまん。ち~ん。アーメン」とかいう呪いの儀式を毎日やるようになりました。そんなもの、置くくらいなら、最初から仏壇の配置場所を確保して設置しておけば良さそうなものでしたが、そのあたりが「設計の小堀」だったのかもしれません。それだって、プランニングの時には私は「え? 仏壇ないの?」と一言はうちの父親に言ったはずでしたが、小堀住研(株)の営業から「きょうびの家では仏壇なんてない家が多いですでえ」と言われたらしく、「専門家の言うこと♪」とか言っていました。
この(2)ですが、道路と高低差がある敷地だったのですから、堀込車庫を作っておいてくれれば自転車置き場にできたのでしたが、「クルマなんて道に置きはったらよろしいねん」と小堀住研(株)の営業が言ったそうで我が家には堀込車庫はなく、それならそれで、道路との段差が1段だけだった門の内側に自転車を置かせてくれればと思ったのですが、「甘ったれなさんな。持ってあがりなさい」とうちの母親は言い、うちの父親は「そんなみっともないことできるかあ」と言うのでした。
  私が20歳になった時、うちの父親が「あんたには、小さい頃から、どんなもんでも、欲しいと言うものは何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、ええもんばっかし、買ってやってやってやってやってやってあげてやってきたから♪」などと言うので驚き、「そんなことない! 絶対にそんなことない!」と言ったのですが、そうすると、うちの父親は「はあん。こいつ、こんなこと言いよるわ。これは、こいつ、病気やねんわ。病気がこいつにこういう口をきかせよるんや。これは治療してやらんといかん。薬飲ませて治療したらんといかん。それもちびっとではいかん。相当大量に飲ませてやらんといかん。薬のませ、薬のませ。いや、薬ではいかん。こいつにロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん! 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」と言うのでした。
[1] 同級生で10段切り替えだったか20段切り替えだったか、ものすごいサイクリング用自転車を買ってもらって乗っていた男がいたけれども私はそれを見て「いいなあ」とは思ったけれども、我が家はそういうのを欲しいと言っても絶対に買ってもらえるわけがないと思っていたから「欲しいと言うものは」どころか「欲しい」とは一言も言わなかったのですが、「子供の頃から」「欲しい」とも言わなかったら「あんたには、小さい頃から、どんなもんでも、欲しいと言うものは何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、ええもんばっかし、買ってやってやってやってやってやってあげてやってきたから♪」と20歳になったら言われるようになったのです。「電気ショックやったらんといかん、こいつに。電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」と言われるようになったのです。「電気ショックやロボトミーやってこいつにわからせてやらんといかん」と。世の中にはみずぼらしい家に住んでいても金持ちの人はいますし、住んでいる家を見ると裕福そうに見えてもそうでもない人もありますから、住んでいる家だけで判断はできませんが、その時、同級生で10段切り替えだったか20段切り替えだったかのサイクリング用自転車に乗っていた男というのは安い府営住宅に住んでいた人の息子で、住んでいる家から判断すると我が家の方が裕福そうに見えたのではないか・・というより、うちの母親はその男のお母さんから「うちの子供なんかと一緒に遊んでいいんですか」などと言われたらしかったが、そういう府営住宅の住人の子供の方が我が家では買ってもらえないようなサイクリング用自転車を買ってもらっていたのでした・・・が、我が家はそうではなくそういうものは買ってもらうことはできないだけでなく「欲しい」と口にすること自体が許されない家庭であり、その上で「あんたには、小さい頃から、どんなもんでも、欲しいと言うものは何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、ええもんばっかし、買ってやってやってやってやってやってあげてやってきたから♪」と言われ、「はあん。こいつ、こんなこと言いよるわ。これは、こいつ、病気やねんわ。病気がこいつにこういう口をきかせよるんや。これは治療してやらんといかん。薬飲ませて治療したらんといかん。それもちびっとではいかん。相当大量に飲ませてやらんといかん。薬のませ、薬のませ。いや、薬ではいかん。こいつにロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん! 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」と言われるというそういう家庭でした。うちの父親は「世の中にはわしほどエライ人間はおらんねんぞ、わしほど。わしを神さまとして奉りなさい」とか言っておったけれども、「神様」とはそういう人間のことを言うらしい。
[2] 「野口くん」の家は前面道路とほとんど高低差がない立地でしたがそれでもコンクリートで囲まれた車庫があって、自転車だってそこに入れることができたのですが、我が家は道路と1階分ほども高低差がある敷地でしたが、自転車に乗った時には毎回、その高低差の階段を小学校4年生が自転車を持って上がっていました。前々からそういう家に住んでいたのならともかく、新しく家を建てるのに、何もそんな家に作らなくてもいいのではないか・・と自分が住宅建築業の仕事について思うようになりましたが、うちの父親というのはそういう男でした。北隣の家には私より1つ年上と1つ年下の息子がいましたが、北隣の家は道路から2段か3段、階段を上がるだけで敷地地盤面まで行けるように設計して家が建てられていて、道路からその2段か3段だけ階段を上がれば、そこからは平地を自転車を押して奥の自転車置き場まで行けるようになっていました。又、隣家は我が家みたいに納屋の中に苦労して自転車を入れるのではなく屋根付きの自転車を置く場所というものがあらかじめ設けられていました。「野口くん」の家とか北隣の家とかはその点でいいなあと何度も思ったものでした。今から考えると、我が家は2面道路の角地だったのだけれども、一番高低差が小さい所に入口を作らずに、あえて高低差が大きい所から出入りするように小堀住研(株)が設計して、うちの親はその言いなりになって建てたことから、道路からの高低差が必要以上に大きい、必要以上に多い段数の階段を登らないといけない家になってしまっていたのです。親ならば、小学生の子供だっているのだから、小学生の子供のことも考えて家を建てたらどうかと思うのですが、うちの父親というのはそんなもの考える親ではありませんでした。うちの母親もその家造りについては「(うちの父親は)家族の言うことは全然きかずに小堀住研(株)の人間の言うことばっかりきく」と言っていたのですが、実際、そうだったでしょう。その上で「あんたには、小さい頃から、どんなもんでも、欲しいと言うものは何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、ええもんばっかし、買ってやってやってやってやってやってあげてやってきたから♪」と言うのでしたが、私の立場からすれば「野口くん」の家みたいに前面道路とそれほど高低差がなくてもコンクリート製の車庫を設けて自転車もそこに置けるようにした家とか、北側の隣家のように道路からそれほど何段も階段を登らなくても敷地地盤面に上がれるように設計して屋根付きの自転車置き場をあらかじめ設けた家とかに住ませてもらっていた子供がうらやましかったし、そういう子供の方が他の部分についてどうかはさておきその部分については間違いなく恵まれていたのではないかと思ったのですが、こういうことを言うと、電気ショックとかロボトミーとかされる危険がありますから、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖い怖い怖い
現代の医療被害 (1978年)
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告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
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  うちの父親は「専門家の言うこと、専門家の言うこと。せ~んも~んかあ~あ♪」とか言っていたように思いますが、
(A)専門家というのは、道路と高低差がある敷地の場合には、後から車庫を作るというのは大変だから、建築時に自動車を持っていなくても、いずれ持つようになるかもしれないし、持たなかったら、その場合は物置にしてもいいし、自転車置き場にしてもいいし、卓球台を置いて卓球やったっていいのだから、高低差がある敷地の場合には車庫はあらかじめ設けておいた方がいいですよ・・とアドバイスできるのが戸建住宅建築業の専門家と違うのか、又、
(B)坂の中腹にある2面道路の土地ならば、どこに出入口を設ければ道路からの出入りに際してそれほど階段を上り下りしなくても出入りできるかといったことを考えて門の位置やアプローチを考えるものと違うのか、デタラメやるのが専門家ではないのではないか
・・と思うようになったのですが〔私が営業担当か設計担当かをやっていたならば、もっと住みやすい家に作ることができたと思う〕、その時の小堀住研(株)の営業担当者はそうではない方の「専門家」だったようです。
自転車屋とかホームセンターとかでサイクリング用の自転車を見かけるたびに、このことを思い出します。・・で、自宅に帰ってからこの写真を見て思ったのですが、この場所は、東京都中央区銀座8-10 銀座ナイン3号館( https://www.navitime.co.jp/poi?spot=06051-92 )と「ドン・キホーテ」では言っているようですが、地図を見ると「東京高速道路」までが「中央区銀座」でそれより西側が「千代田区東新橋」になるようですが、一般的な感覚としては「銀座」というより「新橋」ですね。それで、こういう所で自転車を売っていても、ここで自転車を買ったとして・・・どこで乗るのだろうか? 
そう思いませんか? もっと「郊外」のような場所でなら自転車を買って乗るのはわかりますが、「銀座」であれ「新橋」であれ、そういう所で自転車を買って・・「どこで乗るの?」
「ドン・キホーテ」の店頭に何台も置いてあるからには需要があるのかもしれませんが・・・、どこで乗るんだろうな・・・。

  「東京高速道路」の北側を西に進むと、JR東海道本線・東海道新幹線・山手線・京浜東北線の高架があり、その右手前にあるのが、「世界の丹下健三」設計の「静岡新聞・静岡放送ビル」です。↓
DSC00774.JPG
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( ↑ 静岡新聞静岡放送東京支社ビル。)
要するに、「丹下健三型ひょっとこビル」です。
※ 《ウィキペディアー静岡新聞静岡放送ビル》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%83%BB%E9%9D%99%E5%B2%A1%E6%94%BE%E9%80%81%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%94%AF%E7%A4%BE%E3%83%93%E3%83%AB
  1967年10月、東京オリンピックの1964年の3年後、大阪万博の1970年の3年前、東京オリンピックと大阪万博の中間時に竣工した建物らしい。

  平尾和洋・末包伸吾編『テキスト 建築意匠』(2006.12.10.学芸出版社)の末包伸吾(すえかね しんご)「第2章 現代の建築」に、
《 ● 構造表現主義の建築
 19C末には、鉄筋コンクリート構造の技術が開発されるなど、鉄やコンクリートなどの材料に関する分析が進み、ラーメン構造やトラス構造といった架構形式においても、様々な形式が開発され現在にいたります。
  1960年代には、シェル構造や折板構造・吊り構造などの構造形式の採用により、新しい建築形態を創出していこうとする、構造表現主義と称される傾向がありましたその代表的なものとしては、シェル構造によるエーロ・サーリネンのTWA空港ターミナル(1962.)や同時期の丹下健三の作品があります。バックミンスター・フラーはジオデシックドーム(1961.)で、巨大な空気膜のドームによって、マンハッタンの気候を理想的な状態に保とうとする計画案を提出しています。・・》
と出ています。
※ TWA空港ターミナル は、ニューヨーク市のジョン=F=ケネディ国際空港 第5ターミナルのビルらしい。
《ウィキペディアーTWAフライトセンター》https://ja.wikipedia.org/wiki/TWA%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

  1960年代の丹下健三設計の建物というと、《ウィキペディアー丹下健三》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E4%B8%8B%E5%81%A5%E4%B8%89 を見ると、
1964年 香川県立体育館
 〃    東京カテドラル聖マリア大聖堂
 〃    国立代々木競技場 第1・第2体育館
1966年 山梨文化会館
 〃    戦没学徒祈念館
1967年 静岡新聞・静岡放送東京支社ビル
 〃    電通旧本社ビル
・・などがあるようですが、新しい構造形式を取り入れたものらしい国立代々木競技場 体育館・東京カテドラル聖マリア大聖堂とかとは違って、静岡新聞・静岡放送東京支社ビル の場合は、そういった特別の構造を使ったものではないのではないか。

  「世界の丹下健三」の「目立ちたがり建築」「自己顕示欲の塊建築」「傍若無人建築」「自分の建物が自然や先住建物に合わせるのではなくいついかなる時も周囲が自分の建物に合わせろ建築」「構造は構造屋が考えろ建築」というものにはもう、うんざり、「うんこまみれのザリガニ」でうんざりしているのですが、この静岡新聞静岡放送ビルについては絶対的にだめとは私は思っていません。
  どこが悪くはないかというと、
(1)港区三田のクウェート大使館(1970年)は見に行ってみると、「世界の丹下健三型ひょっとこ建築」の特徴として構造に無理があるものですから、外壁にあちらこちらにクラックが入ってそれを補修した跡が見られるのに対し、新橋の静岡新聞静岡放送ビルの場合はそういうものが見られない・・・ということは、クウェート大使館に比べれば「構造上の無理」は少ないのではないか、と思われる点です。
(2)「丹下健三型自己顕示欲の塊建築」というのは、うんざりすることが多いのですが、いついかなる時も絶対的にだめということではなく、モニュメント的な建物の場合にはもとよりそれを求めてのものですから悪くはないのです。前川国男設計の建物をいくつか見てまわりましたが、前川国男という人は「建築家」には珍しく、その場所の自然環境や先住建物などとの調和を考え、その場所の歴史的背景などを考慮して設計する人であり、そのあたりは「世界の丹下健三」とは正反対の人ですが、しかし、いくつも見て回ると、逆に、「大人しすぎる」ということはないかな・・と思うものも感じる時があったのです。ですから、人間は誰しも何でもかんでもできるわけではありませんから、「世界の丹下健三」とかいうような「目立ちたがり建築」「自己顕示欲の塊建築」「自分の建物が一番目立たなきゃ気がすまない建築」「常に周囲が自分に合わせろ建築」が得意で、そうでないものを作れと言われても絶対できない人の場合には「モニュメント建築」を担当してもらうのが向いているのかもしれないと思うのです。
  それで、この静岡新聞静岡放送ビルの場所は、東海道新幹線の高架のすぐ脇で、浜松・静岡・三島・熱海から新幹線に乗って東京駅に向かった人間が東京駅に電車が到着する直前、品川あたりから速度が遅くなって周囲の風景が窓からよく見えるようになってきた頃、静岡県の人間が故郷を離れて東京にやってきて、人によっては少々心細さを感じ、それでももう東京駅に着くのだからやっていくしかない・・なんて気持ちになってきたころ、まさにその時、窓のすぐ外に目立つ建物があり、それがなつかしい静岡新聞・静岡放送の建物だ・・・となると、静岡県から東京に出てきた人間にとっては「ほっとする」ような気持になるのではないか。実際、上部の「静岡新聞」「静岡放送」と書かれた文字ですが、南側、静岡県からやってきた人の方を向いていますでしょ。
  それを考えて、この位置に意図的に目立つ「建築物」(「建物」というより「建築構造物」)を作った・・ということなら、これはけっこうよくできたモニュメント建築ではないかと思うのです。
  大丸が東京駅の八重洲口にあります。阪急は有楽町にあります。関西人が東京に来た時に新幹線で東京駅に降りるとすぐそばに、懐かしい大丸がある、新幹線の電車が東京駅につく直前の有楽町に阪急がある・・というのは関西人には何か頼もしいような気持になるようなところがあるのではないか。大丸はなぜ東京駅八重洲口にあるのか。阪急はなぜ有楽町にあるのか。 他にも理由はあるかもしれないけれども、関西人が新幹線で東京に来た時に、東京駅を降りてすぐの場所、東京駅に着く直前の場所に、大丸がある、阪急がある・・というのは、それに心強さを感じるからではないか。その逆に、最近、大阪駅のそばに伊勢丹三越ができました。横浜市地下鉄ブルーラインの新横浜から「あざみ野」までと「あざみ野」で乗り換えられる東急田園都市線沿線は在東京圏関西人にけっこう人気があるとも言われるらしく、ブルーラインで「新横浜」まで行って「新横浜」から「のぞみ」に乗れば京都・新大阪まで比較的速くに帰ることができる場所であるのですが、そのブルーラインの「センター北」駅の前にも阪急があり、「センター北」駅の駅前の阪急には大阪梅田の阪急ファイブの屋上にある観覧車と同じような観覧車がある。横浜市の上永谷天満宮は菅原道真の息子の誰やらが流された場所だそうで、そこの山に登って西の方、京都の方をいつも見ていたというお話があるらしいのですが、「センター北」駅の駅前の阪急屋上の観覧車に乗っても京都や大阪まではさすがに見えない・・としても、見えたらいいなあという気持で観覧車に乗る人間がいるかもしれない。見えなくても、そこに大阪梅田駅前の阪急ファイブにある観覧車と同じものがある・・というのは在東京圏関西人には、なにか心強いというのか懐かしいというのか、そういうものを感じさせるところがある。
  新幹線が東京駅に着く直前、在来線の駅なら「新橋」と「有楽町」の中間の地点の線路のすぐそばに静岡新聞・静岡放送のビルがそこにある・・というのは静岡県人にとっては心強いような懐かしいような気持になるのではないか。そういうものを狙って、それで意図的に「モニュメント建築」をそこに造った・・・ということなら、これは成功ではないのか・・と思うのです。
(3)そして、筒状の部分をはさんで両側に建物がついているのですが、「まったく使えない建物」でもないのではないか。
  筒状の部分があって、その右側に普通のビルのような部分がついていて、それ以外に左側に2つ、右側、普通のビルの上に1つ、3つ枝のように部屋がくっついています・・・が、外から見ると、その「普通のビル」の部分は照明がついて人がそこで活動しているのがわかるのですが、それ以外の3つの部分には照明がついていなくて、利用されていないか、もしくは積極的に使用されていないのではないのか・・という感じがします。 筒状の部分は何かというと、たぶん、エレベーターではないかと思います。
  静岡新聞・静岡放送東京支社ビルは外観は公道から自由に見せてもらうとして、内部は公開されていませんが、筒状の部分を別にすれば内部は普通のオフィスビルのような感じがします。 筒状の部分ですが、似たものとして、千代田区の竹橋にある毎日新聞社本社ビルが似た感じで、これより一回り大きい筒状のものが2つあり、毎日新聞本社ビルの場合は地階には誰でも出入りできるので、筒状の部分はエレベーターとエレベーターホールだということがわかります。毎日新聞本社ビルにも1980年代に応募書類を持参した時だったか書式をもらいに行ったのかで一度だけ中に入らせてもらったことがあります。御茶ノ水の明治大学で筆記試験がありましたが、アルバイト漬けの生活を送らされてきた私は当然のように筆記試験で落ちました。静岡新聞・静岡放送東京支社ビルの場合、毎日新聞社本社ビルとは違って静岡新聞・静岡放送の従業員だけが使用する建物ではないかと思われ、それゆえに、毎日新聞社本社ビルの円筒と比べると大きさがひと回り小さいのではないかと思います。
  これは ↑の写真で右下の「普通のビル」の部分が実際に使用する際にはメインの部分で、左側の2つ・右側の「普通のビル」部分の上の1つの3つの枝のような部分は基本的には飾りであり、飾りだけれども、物置くらいには使えないことはない・・という程度のものとして作られているのみたいな感じです。この右下の「普通のビル」の部分だけ見ると、特にへんてこりんでもない建物ですから、その部分は「普通」に使えるのではないでしょうか。 だから、「普通のビル」部分を普通に使いながら、他の3パートは基本的には装飾の為の物と割り切って考えるならば、外観としてモニュメント建築の役割を果たしながら、新聞社・放送局の建物として使用もできる・・というように作られているように思えます。その点で、「丹下健三設計の建物にしては使い勝手を考えた建物」と言えると思います。

  「普通のビル」のような部分以外の3つのパート、特に左側の下は空いている2つの枝の部分の部屋ですが、千葉県の鋸南町と富津市との境目にある鋸山の「地獄のぞき」と似ているように思いませんか?
※ 《スリル満点!崖の上から地獄を覗く、鋸山「地獄のぞき」へGO!》https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1056/
  鋸山の「地獄のぞき」の上の所に私は行ったことがありますが、上の位置にいる時は自分がいる所の下がどうなっているかなんてわかりません。だから、そこにいる時は特別どうと思わないのですが、横の位置から見た時に「ええ~え?」なんて思うわけです。丹下健三設計「静岡新聞・静岡放送東京支社ビル」もまた、左側に枝のようについている2つの部分も部屋の中にはいると自分がいる所がどうなっているかわからないのではないかと思いますが、もしも、大地震が発生した時に地上にいて見たならば、あの部屋の中にいる人間、どうなるんだろ・・・なんて思うのではないでしょうか。静岡新聞静岡放送の従業員は外観も知っているので、だから、その枝みたいになった部分の部屋にはあまり入りたくないのか、いつ見ても、↑ の写真の右下の「普通のビル」のような部分には照明がついていて、枝のように筒にくっついている部分には照明が点灯されていないことが多いように思えます。

(1964年 東京オリンピック。 東海道新幹線開通。)
1967年 静岡新聞静岡放送東京支社ビル(丹下健三)
(1970年 大阪万博)
1970年 クウェート大使館(丹下健三)
1972年 中銀カプセルタワービル(黒川紀章)
・・という順番で、静岡新聞静岡放送ビルは東海道新幹線が開通して3年後にできた建物ですから、新幹線がこの付近に来るとスピードを落としてゆっくりと走るようになるということもわかった上で、新幹線の窓から見える位置に「ちょっと変わった建物」で浜松・静岡・熱海から来ると正面に「静岡新聞」「静岡放送」と書かれているのが見えてくる・・というように作られた・・・のかな・・。

  静岡新聞静岡放送東京支社ビルの少し手前、「東京高速道路」の高架のしたに「フーターズ 銀座店」http://www.hooters.co.jp/shop/ginza/ があります。↓
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( ↑ フーターズ 銀座店。 上は「東京高速道路」。)
  1996年、(株)一条工務店 で福島県いわき市の営業所に勤務していた時、全国の営業所でその期間に営業成績が比較的良かった営業所の人間に海外旅行に行かせるというものがあって、いわき市に4つあったうちの私が勤務していた営業所(展示場)と原町市(現 南相馬市)にあった営業所(展示場)の者と何人かでハワイに行ったことがあったのですが、その際、ハワイの観光案内書を見ていたら「フーターズ」のことが載っていて、「なんじゃ、こりぁ」と思ったことがありました。
  ・・で、「フーターズ」というのはハンバーガー屋なのか、それとも「お水」「お風」の店なのか? ・・・それが、ハワイにおいてであれば「お水」「お風」の店ではなくハンバーガー屋なのですよ、と言って通じるらしいのだけれども、日本でならそうはいかないのでないかと思っていたら、日本にも銀座に「フーターズ」ができるというニュース記事をインターネットで見て、え? 日本にできるの? 日本であの形式がやっていけるの? ・・と思ったのだが、それが ↑ のようでした。銀座店と言っていますが、「中央区銀座8丁目」と「港区新橋1丁目」の境目であり、最寄駅もJR東海道本線・横須賀線・京浜東北線・山手線・東京メトロ銀座線「新橋」ですし、一般的な感覚としては「新橋」です。
  ハンバーガー屋にしては「お水」「お風」に近い印象のある店ですが、しかし、ハンバーガー屋であって「銀座」にあるからといって1回、1人10万円も取られるとかいうわけではありません。マクドナルドとどこが違うのかというと、
(1)頼んでから出てくるまでが相当遅い。マクドナルドより手造り感覚がある分、時間がかかってもしかたがないとは思っていても、それでもハンバーガーだから普通の飯屋よりは早く出てくるかなどと思っていたら、「おいおい、俺の頼んだの、覚えてるかあ」、どんなけ待たせるんだよ・・て感じ。
(2)ハンバーガー屋として、マクドナルドみたいなものと思っていると、マクドナルドよりずっと高いだけでなく、ハンバーガーだから一般の飯屋の料理より高いということはないだろうなどと思っていたら、そうではない。『ラーメン才遊記』でも芹沢の禿げオヤジが「千円の壁」と言って、1食千円を超えるとなかなか受け入れられないということを述べているが、ところが、「フーターズ」というのはハンバーガー屋でありながら平気で千円を簡単に超える。場所が「ぎりぎり銀座」と新橋の境目であり、新橋と言うと比較的「庶民的」な印象があるのに対し、「銀座」と言うと高そうな印象の地名で「銀座店」の方を名乗っているということはあっても、周囲の「普通の飯屋」と比較しても高い。
(3)ウエイトレスにしては露出の多い服装の女性が勤務している・・ということになっているけれども、結論として「だから、何なんだ」て感じ。普通の飯屋より高い分というのは、その女性の費用だと考えるならば、それなりに何らかのサービスがあって良さそうなものだが、ない。単にウエイトレスが「フーターズガール」の格好しているというだけのこと。「普通の飯屋」より高い分、「フーターズガール」が何かサービスしてくれるわけでもない。そういう女性が目的ならフィリピンパブにでも行った方がいいのではないか。
(4)ノンアルコール飲料もあるけれども、ハンバーガーとアルコール飲料を注文する方が普通みたいなメニューで、実際のところ、ハワイとかそういう所においてはともかく、日本においては中途半端。
だから、今回は昼間に入ったが、夜、行くとまた状況は違うのかもしれないが、日本においてはこれ以上広まることはないのではないか・・と思った。
  ・・で、あんた、なんで、一人でそんな店に入って「ハンバーガーにしては高いハンバーガー」食ってきたのか・・と言うと、それは、なんだかんだ言っても「商学士」ですからね。慶應大学の「商業学総論」という講義で教授が「先日、私の家の近くで新しくパン屋がオープンしたのでオープン初日に行ってみた。パン屋の親爺に『売れてるか』ときいたら『売れてない』と言う。客があんまり来てない。なぜ、客が来ないのか。それで、そこに並んでいるパンをすべて1つずつ売ってくれと言って買った上でそれを持ち帰り、ゼミの者と『なぜ、売れてないのか』議論した。そうすると、パン屋の親父が言ったのが『あんた、何者や』と」という話をされたことがあるが、そういう講義を聞いてきた者ですから、自分がパン屋でなくてもパン屋が新しくできたとなると、この店ははやるだろうか、もし、売れていないなら、どこが悪いのだろうか・・とかそういった視点で見ます。それで、私は大学生だった時、そういう視点、そういう思考というのは特別なものではないと思っていたのです。「商業学総論」という講義に出席して話を聞いたとして、あるいはその教授の推薦の本を読んだとして、それで得るものはあったとしても、ゼロが百になるというものではなく、もしも、その講義を聞かなかったとしても・その本を読まなかったとしてもゼロということではないし、その講義を聞いたとしても・その本を読んだとしても百になるというものでもなく、あくまでも40が50になるとか、50が60になるとかそういうものだろうと思っていたのです。ところが、会社という所に勤めてみると、「ゼロみたいな人」というのがいっぱいいるのです。「何、この人?」て人がいるのです。いっぱい。
  それから考えると、慶應の商学部の学生なんてバカばっかりみたい・・な感じがして、そうでもなかった・・のかもしれませんし、私を雇った会社というのは、もうちょっとまともな使い方をしてくれれば、その会社にとっては相当役に立ったと思うのですが、(株)一条工務店の場合は「人の使い方を知らない会社だなあ~あ」と従業員の間で言われていた会社であるとともに、同社の伝統としての頑固な「中卒高卒優先主義」「遠州人独善主義」「遠州人優遇主義」があって、それはちょっとやそっとのことでは改まらない・・ので、そうなると、そんな所で努力して苦労して会社に尽くして自分を犠牲にして勤めた・・というのは「アホなだけ」やったのかもしれません。
  2~3年前、富山県のある会社が人を採用する時に、あえて富山県人でない人を採用しようとして批判を浴びたことがありましたが、その会社の経営者がどういうつもりで富山県人を採用したくないと考えたのかが問題で、富山県人がだめだとは私は思っていないけれども、もしも、ある県でだけ営業している会社であっても、その県で生まれ育った人ばっかりで運営したのでは思考が画一化するおそれがあるので、意図的に他県出身者にも入社してもらうようにした方が他県出身の人から見えるものはその県にずっといる人間が感じるものと異なるものがあって、会社が活性化すると考えて、それで意図的に他の都道府県出身者を採用しようと考えたということなら、それは決して悪いことではないと思うのです。むしろ、(株)一条工務店の一族経営者などは見習うべきでしょう。「浜松は常に正しい」という思考を「遠州人」〔厳密には「(株)一条工務店の遠州人」〕に改めさせるのは簡単ではないでしょう。最近、調子いいみたいですが、あの会社の体質がそう簡単に変わるとは思えません。

  (株)一条工務店でハワイに何人かで行った時にしても、一緒に行った人は全員が高卒の人だったのですが、外から帰ってくると部屋の電気が利用できなくなっていて、フロントに言って直してもらおうとしたのですが、「おい、おまえ、言ってくれ」と言われるのだけれども、言ってもいいけれども私が言うのが「当たり前」ではないので、それはわかってもらわないといけないはず・・でしたが、「当たり前」と思われていたようでした。
  何の本で見たか忘れてしまったが、もしも、英語圏の国でホテルの部屋の電気なり水道なりで不具合があった場合には、
be destroyed では相当本格的に破壊されたことを言うので、そうではなく、
be out of order くらいがいい、と書かれたものを見ていた記憶がありましたので、それで、フロントに行って、
" Excuse me, my room number is ◇◇◇. The electric system in my room is out of order."
と言ってみましたところ、通じたようで、すぐに直してくれました。
  大学受験の際、駿台予備校の東大模試だったか河合塾の東大オープンだったかを受けた時に思ったのですが、東大の受験生の中には英語の試験などでバケモノみたいな点数を取る人というのが時としているのです。私だってそれなりに学習したはずなのですが、「なんじゃ、このバケモノは」みたいな点数を取る人が中にいて、そして、そういうのを見て私はどう考えたかというと・・「バケモノが何点取ろうが俺には何の関係もない。勝負する相手は合格最低点のみ」と思ったのでしたが、それは「2年も浪人してしまって身についた認識」です。こう言うと、そんなもの、当たり前だと思う人もあるかもしれませんが、当たり前ではないですからね。理屈でわかっても、実感としてわかるかどうかは別の問題ですからね。1970年代、「朝日新聞」の「声」欄に「2浪の功と罰」なんてことを書いていた、2浪で大学に入学したという人が書いていたものを読んだことがありますが、私にとってはこの認識を理屈でではなく実感として身に着けた、というのは「2浪の功」の方だったかもしれません。
  1992年に(株)一条工務店に入社してすぐの時、営業本部長の天野隆夫が「〇〇くんが応募してきた時にはびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるんだあと驚いた」と言うので、歴史が浅い会社で・従業員数千人未満の会社で・未上場の会社で・資本金額も小さい会社で・浜松の地方会社で・その時点で東京圏や関西圏ではまったく無名の会社ではあったけれどもそこまで喜んでもらえるのなら悪くないかもしれないと思い、そこまで喜んでくれる会社と採用を決めてくれた人の為に尽力したいと思ったものでしたが、しかし、私は大学卒業するまでに「労務管理論」「労働法」「労働経済学」などを履修して、「心理学」「カウンセリング」などを学習してきた者であり、前職で人事総務部に勤務したこともある人間であり、(株)一条工務店は1992年の時点では「総務部の責任者」は初代社長の大澄賢次郎の義理の弟の天野隆夫の嫁の天野順子さんが「ヒラ」だけれども総務部の責任者だということで、総務部には他にどういう人間がいたかというと、縁故社員らしい山本というヌケタの男が「主任」という肩書をもらっていた他は「高卒の女性」ばっかりという会社であり、「浜松の工務店」ならそれでよくても、これから全国企業になっていこうという会社においては、それではだめであって、私のように「旧帝大系国立大学か早慶」くらいの社会科学系学部卒で「労務管理論」「労働法」「労働経済学」などを学んできたような人間を一人は配置して運営するようにしないといけないはずでしたし、「総務の山本」なんてのは使い物にならん! というのはこれは最初からわかっていたことで、私のような人間を人事総務に配属した上でそういう人も使ってあげるというようにしないといけないはず・・と思ったのだけれども、又、戸建住宅建築業の会社の人事総務となると営業の仕事も少しは経験ある人間の方がいいはずですから、私などは貴重なはずでしたが、どうも、この会社は私を人事総務関係で使いたくないらしいと感じたので、それに対して、営業本部長の天野隆夫がインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと私に言い、又、「慶應大学の出身の人ですから他の人とは違っていろいろな場所を経験してもらおうと思いまして」と言って福島県の営業所に勤務もしたし、だからこそ、私は少々というよりかなり条件が悪い方の展示場に勤務しても、それも経験と思って勤務してきたので、「慶應大学商学部卒の者としての商業学・マーケティング的発想+インテリアコーディネーター資格取得者としての知識認識+県民性が異なる複数地域における実際の営業経験」を活かして、商品開発なり新規出店計画なりの仕事を担当させようということかと思ったが、いつまで経っても一線の営業ばかりさせる。又、1992年に入社時において、(株)一条工務店は(株)一条ヨーロッパという会社をスペインのバルセロナに持っていて、イタリア製・スペイン製のタイルとかヨーロッパ製の家具とかを直輸入しているとか、アメリカ合衆国のオレゴン州ポートランドに(株)一条U.S.A.という会社を持っていて、アメリカ合衆国で現地でダグラスファー(米松)を購入して現地で加工して日本に運んでいるとか言っていたけれども、実際には「(株)一条ヨーロッパ」などという会社は実在しておらず、「(株)一条U.S.A.」という会社というのはアメリカ合衆国で第2位の材木会社のエビソンランバー社の社屋内に机1個あるのかどうかというものらしかったが、それにしても、外国から輸入するものだってあるわけですし、そのうち、フィリピンに本当に工場を作るようになったのですが、それならば、私は東大あたりに行った人間で「バケモノみたいなやつ」と比較すればバケモノにはかなわなかったとしても、「(株)一条工務店の高卒のおっさんども」との比較ならば私の方が英語力だって相当上のはずですし、そういう仕事につかせてもらえば英語力は向上するし向上させることができるはずだったのです・・・・が、ところが「高卒中卒優先主義の(株)一条工務店」では、そういう仕事は必ず中卒か高卒の人にまわすのでした( 一一)  『江川になれなかった男たち』(三一書房)によると、1970年頃、プロ野球の世界に「黒い霧事件」といって八百長を疑われて解雇された選手が何人か出た時、西鉄ライオンズに高卒で入団したばかりだった東尾は「野球は投手なしではできないのだから、これだけ、一線級投手が何人もやめた以上は俺達二線級の出番だ」と思い「チャンスだ」と思ったそうで、稲尾監督は東尾に先発投手として投げさせてくれたけれども、二線級投手が先発させてもらっても勝てず、投げては打たれ、投げては打たれして、東尾はプロ野球年間敗戦数ワースト記録を残したが、そういう経験を積むことでそのうち少しずつ勝てるようになり、一線級投手の仲間入りを果たすことができた・・ということだったが、ところが、同様に「東大・京大や早慶卒の人間がいっぱいいる一流企業」に勤めたならば、そういう能力のある人間は他にもいるからなかなかそういう仕事はまわってこないけれども、「東大・京大や早慶あたりの卒業生なんてほとんどいない会社」においては、会社内に他にライバルはいないのだから、そういう仕事がまわってくる可能性は大きく、西鉄ライオンズに入団した頃の東尾のように「経験を積む機会」も「実力を発揮する機会」もあるはず・・でしたが、(株)一条工務店の経営者というのは「そうはさせてなるものかあ!」と思っていたようで、それこそ、「一線級投手」がいないならば便所掃除として入社した人にでも投げさせようというようなそんな会社でした。そんな人、できるわけないだろうが、最初からできるわけないとわかってるだろうが・・という人にさせたがる会社でした。それから考えると、「東大・京大や慶応・早稲田など卒の人がいっぱいいる会社」でそういう相手と競争する方がよっぽどいい・・・みたいだなあと(株)一条工務店に10年超も勤めて思うようになりました。そんな会社によくあれだけ勤めたなあ・・とも思い、そんな会社の為に、よくまあ、あそこまで自分を犠牲にして滅私奉公を続けたものだなあ・・と感心します。エライかアホかというと・・・「アホちゃうか」という気がしないでもありませんが、それでも「よく、頑張ったなあ」と自分をほめてやりたいような気持がする部分もあります。本当に報われない会社の為によく尽くしたと思います。
江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 - 岡邦行
江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 - 岡邦行

  (株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫がインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言うものだから、片方で過酷な営業の仕事をこなしながら、大変な思いをして努力して苦労して工夫して合格・登録しました。ところが、合格・登録すると総務部長の天野雅弘から「おまえはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)も簡単に通る。俺らはどんなにしても通らないのに、おまえは簡単に通る。ズルイ!」などと言われたのです。特に、インテリアコーディネーターは私は自分では取得する予定にしていなかった資格ですが、(株)一条工務店の営業本部長が取ってくれと言うものだから、だから、入社までに学んできたものから考えると自分の得意領域外の資格でしたが、それでも取らないといけないと思って相当の努力と苦労・苦心をして工夫をして合格したのじゃないですか。営業本部長が取ってくれと言うから努力して苦労して苦心して工夫して合格して取得した資格を、総務部長が「通りやがってからに、ズルイ!」などと言うとはそれはいったいどういうことですか!?!  それは総務部長という役職にある人間はとってはならない態度ではありませんか。
  むしろ、(株)一条工務店という会社は顧客から「一条工務店の設計担当者は客の仕事よりも建築士の勉強の方に熱心で不愉快だ」と苦情を言われていた会社で、(株)一条工務店のオーナー経営者一族は「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが趣味♪ という人間たちで、たとえば、1990年代前半、福島県いわき市の営業所に「第一設計部」として勤務していた(「第一設計部」と言われると「第二設計部」とか「第三設計部」とかあるのか? と思いそうだが「第一設計部」しかない)春田靖(男。東洋大工学部建築学科卒)は営業の職種の人間が夜遅くまで客宅に行って営業活動をやっていても、春田靖はさっさと帰宅して日建学院に通って一級建築士の試験に合格し、又、190年代半ば過ぎ、長谷川恭子(女。日本女子大家政学部卒)(「ポン女」の家政学部なんてのは、家政婦さん養成所みたいなものかと思っていたら、家政学部住居学科卒なら二級建築士の受験資格を取得できるらしい)は入社した年は同じように新卒入社して営業や工務課(工事)の職種に配属された者と違って、入社して9か月ほどの間は何も仕事しないで二級建築士の勉強だけさせてもらって二級建築士に合格したが、なんともけっこうな待遇であり、春田靖や長谷川恭子のことを「ズルイ!」というのなら実際そうだと言えるであろうけれども、私は春田靖や長谷川恭子みたいなけっこうな待遇で試験勉強させてもらったのではなく、片方で住宅の営業の過酷な仕事をこなしながら、なんとか学習時間をひねり出して工夫をして学習してなんとか合格したのであり、私の場合はちっともずるくない。むしろ、春田靖や長谷川恭子に「ズルイ!」と言うべきはずだ。それを言わずに、ちっともずるくない私に「ズルイ!」などと言う総務部長の天野雅弘こそ「超ド級にズルイ!」人間だと言わざるをえない。天野雅弘はよくそういう口をきくものだと思う。今日に至るまで天野雅弘から自分の暴言について私に謝罪の言葉がないが、そういう人柄の人間なのだろう。

  私が大学を受験する時には、うちの父親は「うちは工学部なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うので、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と私は言ったのです。子供の頃から「遊ぶものにカネ使ったらいかん」と言われ、よその子が買ってもらえているものでも私は買ってもらえないことが多く、それでも一貫して我慢してきたのですから、大学に進学する時には行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をしてつきたいと思う仕事につかせてもらっていいのではないか、その為に子供の頃から努力して勉強してきたわけですし、よその子が買ってもらっているものでも我が家では買ってもらえないということを受け入れてきたのですから。しかし、大学に進学する時になると、その時はその時で、どう考えても我が家より金持ちとは思えない家庭の息子・娘が工学部とか受けさせてもらっているのに、なぜ、我が家はそんなこと言われなければならないのかと納得できませんでした。うちの母親は「国立大学なら工学部でも学費は一緒でも百パーセント絶対に国立大学に通るとは決まってないでしょうが。落ちる可能性がたとえ0.1%でもあるなら国立大学でも工学部は受けてはいかんでしょうが」と言うのでした。叔父(うちの父親の弟)は私が小学校低学年の時に脳卒中をわずらって働けなくなってしまい、けっこう大変だったようですが、1歳年下のイトコ(男)は京都工芸繊維大学の工学部しか行けないくせしやがってからに、それでも工学部に行かせてもらっていました。「なんで、あいつは工学部に行かせてもらえるの?」と言うと、うちの母親は「あの子は親が働けなくなって、それで小さい頃から苦労してきているから、だから、工学部に行かせてもらえるんや」などと言うのでした。うちの父親はそういう文句を言った上で、「てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ♪ てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉あ、とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしの為に、わしの為に、わしの為に為に為に!」と言うのでした。イトコは私よりも苦労してきたのか? 違うと思うのだ。私が幼稚園の年長組の時だったと思うが、クリスマスに幼稚園から「数字合わせゲーム」という 4マス×4マス の正方形の所に1~15の数字が書かれた小さい正方形が入っていて、空いている1マスを利用してそれを並べ替えるというゲームを「幼稚園から皆さんへのクリスマスプレゼント」としてもらったのだ。ところが、正月になると、うちの父親の弟(叔父)の夫婦が子供2人(イトコ)を連れてやってけいたのだが、1歳年上の女と1歳年下の男の2人は帰り際、「それ、もらって帰る」と私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの「数字合わせゲーム」をもらって帰ると言い出した。
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もしも、私がよその家に行った時にそんなこと言おうものなら、うちの親はかんかんに怒ったもので、だから、私はよその家に行った時に私が持っていないものをよその子が持っていることがあっても、そんなことは絶対に言わなかった。ところが、驚いたことにイトコがそういうことを言いだすと、うちの親は「あの子らにそれをあげなさい」と言ったのだ。はあ~あ? 私は信じられなかった。幼稚園児の子供がクリスマスに「幼稚園から皆さんへのプレゼント」としてもらってきて1週間経つか経たないかのものを「それをあの子にあげなさい」などと言う親がいったいどこにあるか? ・・どこにあるか? というと我が家にいたのだが、信じられなかった。私は3人兄弟の一番下で、上の姉も同じようなものを幼稚園で「クリスマスのプレゼント」としてもらっていたようだった。下の姉はもらっていなかったようだ。「2つあるから、片方をあげなさい」とうちの母親は言うのだが、私がもらったものが2つあるのではない。上の姉がもらったものが1つあり、私がもらったものが1つあって、下の姉がもらったものはなかったのだ。うちの母親は「どっちをあげるか。こっちをあげるか」と言って上の姉がもらったものを指して言うので「それはお姉ちゃんのや。だから、それはお姉ちゃんにきいて」と言ったのだ。それまで、私が買ってもらったものでもないものを私がよその子に「あげる」なんて言おうものなら、うちの親はかんかんに怒ったはずだった。それを「こっちをあげるか」と言って上の姉がもらってきたものを指して言うというのは信じられなかった。「だから、それはお姉ちゃんのやて。お姉ちゃんにきいて」と言ったのだが、そうすると、うちの母親は「そしたら、こっちをあげるということやな」と言って私が1週間前のクリスマスに幼稚園でもらってきたばっかりの物をイトコにやれと言うのだった。そうして、結局、うちの母親は上の姉が幼稚園でもらった物の方をイトコに渡してしまったのだが、「こっちをあげるのか」「こっちにするのか」と言って上の姉がもらったものを私が1週間前に幼稚園でもらったばかりのものとの2つを前に出してどちらか選べと要求したのであるから、それはうちの親としては、幼稚園児だった私が幼稚園で「クリスマスのプレゼント」としてもらったばかりの物をイトコにやれと言ったのとともに、自分の物でもないものをよその子にあげますと言えと言ったのと、両方を言ったことになる。私としては、自分の物でもない物をイトコに「あげる」と言いなさいと命令されたのであり、同時に自分が幼稚園でクリスマスに「幼稚園から皆さんへのクリスマスプレゼントがあります」と幼稚園の先生が言ってもらったばかりのものをイトコに奪われたということでもあった。そうやって私からクリスマスに幼稚園からもらったばかりの物を強奪して帰ったのはイトコの方であって、幼稚園からクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりの物を強奪されたのは私であってイトコではなかったはずである。「あの子らはあんたと違って小さい頃から苦労してきたから、だから、工学部に行かせてもらえるんやわ」などというのは事実に反する大嘘だ。イトコだって幼稚園に行かせてもらっていたのだから、イトコは私が幼稚園でもらった「数字合わせゲーム」は「クリスマスのプレゼント」としてもらわなかったかもしれないが、他の何かをもらっているはずだ。もしも、私が「幼稚園から皆さんへのクリスマスのプレゼント」としてもらったものを強奪して持ち帰るのであれば「相互主義の原則」としてイトコが「幼稚園からクリスマスのプレゼントとして」もらったものを私に渡すべきである。そうしないで、私が幼稚園でもらったばかりの物だけを「それ、もらって帰る」と言って持ち帰ったやつらというのは、まさに「人の物は自分のもの、自分の物は自分のもの」という主張をする横暴者であり、いわば「巨人みたいや」てやつである。(もしくは「ロシア連邦みたいや」と言うべきか。)そういうことを「小さい頃から」やってきた者は工学部に行かせてもらって、そういうことを「小さい頃から」されてきた者は「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われ「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」といくら言っても「百パーセント絶対に通ると決まっているわけではないでしょうが。たとえ、0.1%でも落ちる可能性があったら国立大学でも工学部は受けてはいかんでしょうが」と言われることになった。『新約聖書』の「福音書」には「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪われるであろう」というイエスの言葉が書かれているが、「子供の頃から」私が幼稚園でもらったばかりの物を強奪した者は大学進学の時にも京都工芸繊維大しか行けないくせしやがってからに工学部に行かせてもらい、私はそれより上の大学に合格できる可能性があっても「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」などと言われて、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学校の1年から思っていた学部に暴力と強制と脅迫で行かされてしまった。
  (株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に「設計」として勤務していた春田靖は静岡県出身であるにもかかわらず、東洋大学なんて私立大学に東京で下宿してまで行かせてもらい、東洋大学なんて私立大学しか行けないのに私立大学の工学部に胸張って行って卒業していた。世の中、そういう金持ちもいるんだなあ・・と思ったが、私とは家庭がまったく違う家庭の生まれの人なんだなあと思って見ていたが、いったいどういう金持ちの職業についている親の息子なんだろうと思ったら、父親は中学校の校長先生だと聞いた。「中学校の校長先生」というのは相当給料高いらしい。又、私は大学に進学する頃、うちの父親の親友で医者屋のM川(男。当時、50代)とその同僚のK田(女。当時、40代後半か50代前半くらい?)から「小学校と中学校は義務教育やから、あんたでも行かせてあげんといかんけれども、高校は義務教育ではないんやから、あんたなんか高校には行ってはいかんはずや」と言われた。K田のドバカ息子はバカ私立大学を2つも行っていた。M川のドバカ息子はM川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネから寄付金を払って私立金権関西医大に裏口入学していた。K田のドバカ息子は私立バカ大学に2つも行ってよくて、M川のドバカ息子は私立金権医学部に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネを寄附して裏口入学して私立金権医大に行ってよくて、旧帝大系国立大学に合格できる可能性が十分にあった私はなんで高校に行ってはいけないのか? もしも、私が親ならよその親がそんなことを言ったなら、「なんで、あんたにそんなこと言われなきゃならんのだ」と怒るのだが、ところがうちの親はよその親とは違って、そういうことを言われると喜ぶのだ。「そうや♪ その通りや♪ ええ~えこと言いはる。小学校と中学校は義務教育やから行かせてやってやってやらんとしかたがないけれども、高校は義務教育ではないんやから、そやからおまえが北野高校に行ったのはそれは甘ったれておるから行ったのであり、のぼせあがっておるから行ったのであり、つけあがっておるから行ったのであり、根性ねじくれまがっておるから北野高校に行ってんぞ。おまえが北野高校に行ったのは余計やねんぞ。わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロ!」と何度も何度も耳鳴りがするくらいに言われ続けたものだった。
  1997年に新卒入社して(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に「設計」として配属されたにもかかわらず9か月ほど何も仕事をしないで二級建築士の試験勉強だけやって合格した長谷川恭子(女。当時、20代)は日本女子大の家政学部なんて卒業していたが、「ポン女」の家政学部なんて家政婦さん養成所みたいなものか、もしくは「家庭の主婦」養成所みたいなものかと思っていたら、家政学部住居学科を卒業すると(「建築学科」という名称の学科でなくても)二級建築士の受験資格を得ることができるらしかった。
  私は中学校の時の数学・理科・技術家庭・美術の成績も高校の時の数学・物理・化学・生物・日本史・世界史の成績も春田靖や長谷川恭子みたいなもんよりずっといい成績を取っていたはずだが、ところが慶應大学商学部卒では二級建築士の受験資格を得ることができないのだ。弁護士の場合は法学部卒でなくても何学部でもともかく4年制大学の2年を修了すると1次試験免除で2次試験から受けることができたのだが、二級建築士の試験は「バカでも入れる私大の建築学科」でも卒業すると同時に二級建築士の受験資格を得ることができ、卒業後2年の実務経験により二級建築士試験に通っていなくても一級建築士試験を受けることができる。それに対し、東大でても京大でても建築学科卒でないと受験資格がなく「学歴なし」の評価にされてしまい、「学歴なし」で二級建築士を受けようとすると7年の実務経験が必要になり、その「実務経験」も設計・工事管理などでないと「実務経験」とは評価されない。かつ、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者は二級建築士の試験に通らなくても卒業後2年の実務経験で一級建築士試験を受けることができるのに対して、「学歴なし」と評価された者は「7年の実務経験」で二級建築士の受験資格を得ることができるが、「7年の実務経験」で二級建築士の試験に合格・登録しても、その後さらに2年の実務経験を経ないと一級建築士の受験資格を得ることはできない「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者は二級建築士の試験に通らなくても2年の実務経験で一級建築士試験を受けることができるのに対して、東大卒でも京大卒でも卒業した学科が建築学科・土木学科でないことから「学歴なし」と評価された者は「9年の実務経験」で一級建築士を受けることはできず、「7年の実務経験」でいったん二級建築士試験に通った上でさらに2年の実務経験を経ないと一級建築士の受験資格を得ることができないのだ。これはどう考えても不合理だ。これこそ「ズルイ!」・「どう考えてもズルイ!」と言うべきであろう。
  私は愛知産業大学の通信課程の建築学科に入学させてもらい、結局、卒業できなかったが、愛知産業大学の建築学科は「造形学部にある建築学科」で、日本の大学の建築学科は「工学部・理工学部系の建築学科」と「芸術学部・美術学部系の建築学科」があり、愛知産業大学の造形学部の建築学科は「芸術学部・美術学部系の建築学科」の方に属するものだったが、たとえば、「構造力学1」といった科目があったのだが、この科目のテキストは工業高校の建築学科で使用されていたものと同じものだったが、そこでは「力のモーメント」なんてものも扱ったのだが、「力のモーメント」は「芸術学部・美術学部系の大学の建築学科」でも工業高校の建築学科でも「構造力学1」で扱うのだが、私が卒業したような普通科の高校では扱わないのかというとそうではなくて「物理2」で「力のモーメント」は扱っていた。私は「物理」はけっこう好きで成績は決して悪くなかった。なんで、その地域で一番の高校の普通科で「物理2」で「力のモーメント」を学んだら二級建築士の受験資格にならなくて、受けさえすればヤンキーでも通る工業高校の建築学科の「構造力学1」で学んだら二級建築士の受験資格になるのか、摩訶不思議であるし不合理だと思うし不公平だと思うし、何よりも「ズルイ!」と思う。どう考えても間違いなく「ズルイ!」。
  春田靖や長谷川恭子が二級建築士の受験資格を得られる大学学部を卒業したなどというものは、そんなものは、いわば「カネで買った学歴」みたいなものだ。「ズルイ!」と(株)一条工務店の総務部長の天野雅弘は春田靖と長谷川恭子に言うべきであり、東洋大学工学部建築学科と日本女子大家政学部住居学科の教授に「ズルイ!」と言ってやる必要があるはずだ。その東洋大学工学部建築学科の教授・助教授や日本女子大家政学部住居学科の教授・助教授やっているやつこそ、小学校の時も中学校の時も高校の時も私よりずっと成績が悪いやつだったはずだ。そいつら卑怯者に「ズルイ!」と言ってやる必要がある。長谷川恭子の親もまた、「ポン女」みたなもんしか行かれへん娘を東京で下宿してまで大学に行かせるとは、ものすごい大金持ちだったということなのだろう。「カネで買った学歴」であり「カネで買った建築士の受験資格」であり、まさにウルトラ「ズルイ!」人間である。
  私などは東洋大学工学部なんて、そんなもの行きたいなどと思ったことも受けたいと思ったことも一度もないし、行かせてやると言われても「いらんわい!」と思ったであろうが、そうではなくて京都大学の工学部建築学科に通ったか、東大の理科一類に通ったかということなら、それはわからないが、ともかく国立大学の建築学科でというくらいなら、どこか通る所はあったはずだが、それでも「うちは工学部なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われて受けさせてもらえなかった。日本女子大なんてそんな「大学」があるとは私は大阪にいた時には知らなかった。東京に来てから「ある」ということを知ったが、男が女子大を受けることはできないから、たとえば「全国総合模試」とかいった名称の模擬試験を受けて、「合格判定」とかの欄に「◇◇女子大」なんて書いたとして、「合格確実」なんて「判定」が出たとしても受けることができないから行けないのだけれども、日本女子大やなんてそんなもの、もしも自分が女だった場合でも、行きたいなんて思うことはないし受けたいと思うこともなかったであろうけれども、もしも、行きたいと言ったとしても、国立大学でも「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」という家庭だったから、そんなもの、絶対に受けさせてもらえるということはありえなかった。但し、うちのお姉さんは家政学部を受けていたと思うので、女性の場合は「工学部」とか「建築学科」とか「住居学科」とかなら受けさせてもらえないが「家政学部」なら受けさせてもらえたかもしれない。しかし、それにしても、東洋大学工学部だの日本女子大だのなんて、そんな「大学」しか行けないような者が、よく、東京で下宿してまで行かせてもらえるもんだ。あきれる。
  1993年に東京営業所に「設計」として入社してきた堤(男。当時、20代なかば)は明治大学工学部建築学科卒だったが、私の感覚からすれば、明治大学やなんてそんなもの、行くようなやつ、大学に行くことないのと違うのか・・という感じがするし、実際、うちの父親は私が高校3年の時にそう言っていた。「東大に行くというのなら東京で下宿してでも行っていいし、行くべきであって、下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言ってはいかんし、東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行く値打ちはあるけれども、そんなもん、明治やたら法政やたら専修やたらポン大やたら東洋大やたら何やらに行くようなやつなんて、下宿してまで大学に行く必要あらへん。そもそも、明治やたら法政やたら専修やたらポン大やたら東洋大やたら何やらに行くようなやつなんて大学に行くというのが間違ってる。そんなやつ、自衛隊に入れるべきや、自衛隊に。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては」と言っていた。私もそんな感じで思っていた。なんで、東洋大やたらポン女やたら明治やたらそんな大学に行くようなやつが「大学」に行くんだ? 大学に行きたかったら、せめて、「国立大学か早慶」くらいには通って行くべきだろう・・と思っていた。ところが、(株)一条工務店ではそんな「大学」の建築学科卒とか住居学科卒とかいう人間が「学校でてますから」とか言って、「新卒入社したその日からお殿様」という態度を取りまくる。かつ、営業本部長の天野隆夫がそれを全面的に応援し推進する。「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが(株)一条工務店の一族経営者にとっての””趣味””である。趣味を持つのなら、もうちょっとええ趣味もったらどうかと思うのだが、変な””趣味””もっとる( 一一)

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 ↑ 「日本テレビタワー」。 最近、汐留地区にこういった建物が増えてきたと思ったが、要するに汐留貨物駅の跡地の地域にこういった建物ができてきた・・ということか。

  次回は、都営浅草線・東京メトロ日比谷線「東銀座」駅付近と歌舞伎座、晴海通り(都道304号)と「保護義務違反の(株)一条工務店」について述べます。

  (2022.5.14.)

☆ 中銀カプセルタワービル(黒川紀章設計)見学。
1.解体工事は始まったが4/21現在、中銀タワーの姿は見えた。あいみ互いの「コシノ某と安藤忠雄」。黒川紀章はなぜ女優と結婚したか、若尾文子はなぜ黒川紀章と結婚したか。「すかした」の意味はわからないであろう「建築家のつくる家」を得意とする自称「建築家」の東京人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_4.html
2.北側の道からはカプセルタワーが見えた。警備員に劣る警察官の立哨。警備員を自分達の小使いと勘違いしている法務省職員。建築・解体現場の高所作業なんて自分はやらない「名建築家」。「名建築」は本当に名建築なのか、それとも権威主義による幻覚なのか。工事現場監督の仕事をしていない(株)フジタ工業の「工事監督」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_5.html
3.北側から見て。道路側に窓、隣接ビル側は壁。補修用梯子、階と階の間の充填。50年で解体はひょっとこ建築の宿命か。真っ黒ビルは街を暗くする。「マンション住民に戸建住宅の設計させるとマンションみたいな戸建の家にする」説。未熟で基本を理解していない設計を「世界でただひとつの家」と勘違いしている人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_6.html
4.道路を隔てた向かいから見て。屋上の「塔」に隠された貯水槽など。住居表示では「銀座」でも「汐留浜離宮ビル」とする会社と山梨県なのに「西東京工場」とする会社の違い。建築の基本を理解していないことを「世界でただひとつの家」などという詭弁。エアコン室外機・灯油タンク・ダクト・樋は隠すかデザイン化する必要はあるか。「リフォームのナカヤマ」の押売り的営業。東京地裁の裁判官と「地方」の裁判所の裁判官はどちらがいいか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_8.html
[別稿]ロシア軍ウクライナ侵攻により採用取消された在日ロシア人と「リフォームのナカヤマ」に採用取消された何年か前の私の話。後の就職席にまで誹謗中傷を加える卑劣な者。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_9.html
5.南面・西面。隣室のプライバシー配慮の為の覆い? 「解体中」だからこそ遠慮なく見学可。「建築家」建物は長持ちしないか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_1.html
6.浜離宮・芝離宮・世界貿易センタービル・浜離宮建設産業ビル・朝日新聞社本社・築地本願寺・聖路加病院。舌やノドがヒリヒリする料理は高級料理ではなく化学調味料使い過ぎの可能性有。縁がなかった朝日新聞社。「あんたに世話になることは絶対にないんやからな」と言ってすぐに「息子の結婚式に出てくれ」と頼んでくるスポーツマン。「(株)一条工務店の遠州人」はロシア連邦の「はう国境線」みたいなもの。浜松での研修にひとりだけ遅刻してきて大きな顔して着席する浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_2.html
7.新幹線で東京に来た人間の眼に入る位置のモニュメント建築「静岡新聞静岡放送東京支社ビル」・銀座の手前に駅を設けた旧新橋停車場・日本では厳しそうなフーターズ。銀座か新橋かで自転車買ってどうすんだろ。「うち」と「よそ」しか2社しか住宅建築業の会社がない「一条オリジナル」の世界観。戸建住宅建築は敷地が道路と高低差がある場合は門の位置・アプローチの取り方を考え、車庫はあらかじめ設けておいた方がいい場合はアドバイスするのが専門家ではないのか。〔今回〕
8.歌舞伎座ビル・銀座三越・晴海通り。大阪出店に際しての三越の傲慢。銀座通りと昭和通りの違い。銀座ピアスビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_4.html
 

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