歌舞伎座ビル・銀座三越・晴海通り。大阪出店に際しての三越の傲慢。銀座通りと昭和通りの違い。銀座ピアスビルー中銀カプセルタワービル見学【8/8】

[第922回]
  今回、中銀カプセルタワービル を見学に行くに際して、都営浅草線に「浅草橋」駅から乗り、「東銀座」駅で降りて行きました。
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( ↑ 都営浅草線「東銀座」駅。 )
「東銀座」駅は都営浅草線と東京メトロ日比谷線が交差し接続している駅で、地上に上がると交差点の名称は「三原橋」という名前がついています。
  「三原橋」交差点で、南西から北東の通りが都道316号(昭和通り)・北西から南東の通りが都道304号(晴海通り)です。晴海通りを南東に進むと、勝鬨橋(かちどきばし)。勝鬨橋というと、船が通る時には橋が真ん中から割れて上に上がって船を通す橋・・として知られていましたが、《 日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)であるが、1980年に機械部への送電を取り止めており、可動部もロックされ、跳開することはない。近年、再び跳開させようとの市民運動や都・一部都議の動きはあるものの、機械部等の復旧に莫大な費用(東京都の試算では約10億円)がかかることや多数の道路交通量があることから、実現の目途は立っていない。》ということで、私も動くのを見たことはありません。この通りの交通量はけっこう多いので、橋を上げたり下げたりすることで交通を遮断するメリットは今ではあまりないのではないでしょうか。
  昭和通り(都道316号)を南西に行くと、複雑な歩道橋がかかる交差点が2つ続きますが、最初の方の交差点を南東に行く道の下を今は都営大江戸線が通っています。〔『県別マップル 東京都道路地図』(2020.3. 5版。昭文社)によると「銀座東7」交差点と言うようです。〕 複雑な歩道橋がかかる次の交差点が「蓬莱橋」交差点でここから南東側への道は昭和通りと同じ都道316号ですが通りの名前は海岸通りになり、蓬莱橋の歩道橋から南東を見ると 解体工事に入った中銀カプセルタワービルが見えました。
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( ↑ 途中、左側の網がかかっているビルが解体工事中の中銀カプセルタワービル。 正面の黒いでっかいビルは住友不動産汐留浜離宮ビル「ベルサール汐留」。右の高架は「東京高速道路」で、高架上の構造物は「汐留料金所」。)
  「蓬莱橋」交差点は五差路のようになっていますが、そこを西の方向に行くと、途中から通りの名称が都道405号(外堀通り)と名前を変え、JR東海道本線・東海道新幹線・山手線・京浜東北線の高架をくぐりますが、JRの高架の右手前に 静岡新聞静岡放送東京支社ビル があります。↓
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  「三原橋」交差点の東側のカドにあるのが歌舞伎座。↓
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( ↑ 東京都中央区銀座4-12-15 歌舞伎座。)
↑ はて、「歌舞伎座」の建物というのは手前の由緒ありげな建物の方なのか、それとも後ろの高層ビルなのか? 私が1992年に(株)一条工務店の江東区潮見にあった東京営業所(展示場)に通った頃は手前の建物だけがあって、後ろの高層ビルはなく、この由緒ありげな建物は何だろうか・・と前を通る時に思っていたら、歌舞伎座だったのですが、今はというと、《ウィキペディアー歌舞伎座》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E5%BA%A7%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC には、
《 歌舞伎座タワー(かぶきざタワー)は、東京都中央区銀座に位置する複合施設であるGINZA KABUKIZAにおけるオフィスタワー歌舞伎座の建て替え事業として建設された。第55回BCS賞、2014年度日本鋼構造協会業績表彰 業績賞、2014年度照明普及賞、第24回AACA賞特別賞を受賞。》
と書かれているということは、手前の建物は1992年当時も建っていた前からの建物で、その後ろに新しく高層ビルが作られたかのように見えるけれども、手前の建物も後ろの高層ビルが新築される時に同時に建て替えられたということなのか?
しかし、
《 松竹は1990年代、老朽化が深刻化した第四期歌舞伎座(1950年竣工)の建て替えの検討を始め、一時は劇場をビルの中に入れ込む案も検討されたが、2005年に設置された「歌舞伎座再生委員会」(座長伊藤滋)は、「建て替え+超高層オフィス棟」という草案を導き出した。それに基づき、設計を担うことになった三菱地所設計・隈研吾建築都市設計事務所は、第四期歌舞伎座のイメージやホール音響の良さを継承しつつ劇場機能を向上させることと、背後に高機能なオフィスタワーを併設するという与えられた命題を解決すべく、第四期歌舞伎座の正面前庭から大間を経て客席・舞台に至る空間構成を踏襲しつつ、舞台上部にタワーを重ねるという土木的スケールのメガストラクチャーを採用することによって、劇場の各エリアを拡張し機能性を高めるという整備手法を編み出し、建て替え工事に入り、2013年4月2日に歌舞伎座タワーと歌舞伎座からなる複合施設「GINZA KABUKIZA」が開業した。》
とある・・ということは、手前の建物は外観は1992年頃にあった建物と同じに見えるけれども、それも一緒に建て替えて背後の高層ビルと合わせた・・ということでしょうか。
※ 歌舞伎座HP https://kabuki-za.co.jp/
 松竹HP 歌舞伎座タワー https://www.shochiku.co.jp/play/theater/kabukiza/ginza-kabukiza/office-tower/
 《ウィキペディアー歌舞伎座タワー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E5%BA%A7%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC

  《ウィキペディアー隅研吾》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%88%E7%A0%94%E5%90%BE を見ると、「建築作品」として
《 2013年(平成25年)
GINZA KABUKIZA
当年2月28日竣工(歌舞伎座は2月26日竣工、4月2日開館)。歌舞伎専用劇場「歌舞伎座」とオフィスビル「歌舞伎座タワー」で構成された複合ビル。東京都中央区銀座4-12-15に所在。設計:三菱地所設計、共同設計:(意匠)隈研吾建築都市設計事務所。施工:清水建設。 》
と書かれている。

  「銀座」は三原橋交差点までが限界で歌舞伎座の場所は築地か? ・・と思ったら住居表示では「銀座4丁目」、歌舞伎座の少し南側の「万年橋」交差点が「銀座4丁目」と「築地1丁目」の境目で、「万年橋」交差点の南側にできた 「銀座松竹スクエア」は「銀座」を名乗っていますが、それは少々無理がある印象があります。「銀座松竹スクエア」は住居表示では、中央区築地1-13-1 。「築地1丁目」です。
※ 銀座松竹スクエア https://www.shochiku.co.jp/city/estate/ginza-shochikusquare/

 『県別マップル 東京都道路地図』(2020.3. 5版。昭文社)の「1:4000」の「銀座」の地図を見ると、「GINZA KABUKIZA 歌舞伎座」として一体の建物として描かれていますから、手前の「昔ながらの歌舞伎座」と背後の高層ビルとは一体として建て替えられた建物ということでしょうか。

  「三原橋」交差点から都道304号(晴海通り)を北西方向に見ると、↓
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  ↑ 右向こうのビルの屋上には、〇 の中に「越」の字が書かれています。三越 銀座店https://www.mistore.jp/store/ginza/ginza.html ですね。

( ↑ 銀座三越。)
  三越と伊勢丹て合併したんじゃなかったのか? ・・インターネットで検索すると、会社としては、株式会社三越伊勢丹ホールディングス https://www.imhds.co.jp/ja/company/information.html という会社ができたけれども、店舗としては「三越」という店舗と「伊勢丹」という店舗が今も存在しているということらしい。

  ところで、三越伊勢丹 のホームページをどんなに見ても、JR「大阪」駅の所にできた三越伊勢丹 大阪店というのが見当たらんのだが・・。
  「リアルライブ 屈辱! わずか4年で店名消滅… JR大阪・三越伊勢丹の因果応報」https://npn.co.jp/article/detail/77501228/ によると、JR「大阪」駅の所にできた三越伊勢丹は今では『ルクア1100(イーレ)』に店舗名を変更し、三越でも伊勢丹でもなくなったらしい
  JR「大阪」駅周辺の百貨店としては、前々から阪急・阪神があったが、そこに大丸まで出展して3店舗・・でも多いのではないかと思ったが、阪急と阪神が阪急阪神ホールディングス として一緒の会社になった後も、電鉄も百貨店も阪急と阪神にはそれぞれのカラーがあるから、別の店として運営していたが、実際、百貨店も行ってみると、阪急と阪神にはそれぞれ、カラーの違いのようなものがあって、どちらがいいとかいちがいに言えるものではない。大丸というと大阪では「心斎橋の大丸」というイメージがあったが、百貨店には「呉服店系の百貨店」と「電鉄系の百貨店」があり、阪急・阪神は「電鉄系の百貨店」であるのに対して大丸は「呉服店系の百貨店」で、大丸は阪急・阪神とは「毛色が違う」ところがあるので、3店舗併存は可能かもしれない・・とも思ったが、そこにさらに三越伊勢丹まで出展して、4店舗で成り立つのか?・・と疑問に思ったら、三越伊勢丹は店舗規模を縮小して店名変更して「三越」でも「伊勢丹」でもなくなったらしい。
  なぜ、三越伊勢丹の大阪梅田店はうまくいかなかったのか? 
《 実はこの店舗、JR西が6割、三越伊勢丹HDが4割出資するジェイアール西日本伊勢丹(京都市)が運営する。》という店舗だったらしいが、
《 大阪・梅田のこの店舗はもともと三越が2005年に閉店した旧大阪店の後継店舗として出店を決めていた。それが伊勢丹と経営統合したことで主導権が伊勢丹に移った経緯がある。ウオッチャーが続ける。
 「若年層や婦人層をターゲットにする“ファッションの伊勢丹”が全面に出たことで旧三越大阪店のメーン顧客だった60歳前後のシニア層が敬遠した。消費不況の中、大丸、阪急などライバルとの生存競争が激化したことも響いた上、三越サイドには伊勢丹流を押し付けられたことへの反発もある。一方、プライド高い伊勢丹には『われわれの手法が悪いわけはない』の意識がある。その結末が屈辱この上ない、デパートの看板返上だったのです」》
というが、そんなことよりも、三越の人間も伊勢丹の人間も「大阪と大阪人をなめとる」というのが一番の失敗ではないのか・・と私は思う。
  そもそも、「三越」ブランドが大阪から撤退するのはこれが初めてではなく2回目だ。1960年代、私が子供の頃、三越は大阪市の北浜のあたりだったかにあったと思う。 心斎橋には向かい合わせに大丸と そごう があり、大丸と そごう がある心斎橋から心斎橋筋を南下して道頓堀を渡ると 難波に高島屋があって、その「ミナミ」に「呉服店系の百貨店」が3店舗あった。梅田には阪急と阪神の「電鉄系の百貨店」が向かい合わせに2店舗あった。「電鉄系の百貨店」としては阿倍野と上六(大阪上本町)に近鉄があった。その他に、三越と松阪屋があったが、「ええ~っと、どこにあったっけ?」て感じで、「今一つぱっとしなかった」印象を私は受けている。特に、三越は「くら~い感じ」がした。東京の日本橋の三越も由緒ある建物かもしれないが人によっては内部の印象について「くら~い感じ」を受けるのではないかと思うが、「東京の三越」は「東京人」にはブランドイメージを持ってもらえているから、それがプラスの印象になる面が大きいかと思うが、大阪では三越は東京におけるようなブランドとしてのイメージは持ってもらえていないから、「くら~い感じ」の建物はマイナスの印象になることの方が大きかったのではないかと思う。
  北浜あたり・・ではなく梅田という大阪では一番の場所に出展すれば、三越は「売れる」だろう・・と思ったかもしれないが、そこには「見通しの甘さ」と「傲慢さ」があったと私は思うぞ。

  三越や伊勢丹の人間というのは、特に三越の人間というのは「名門の三越」と自分たちを思っているのではないか?  たしかに、東京では「名門の三越」かもしれないし、昔から、同じ物を持参しても三越の包装紙に包まれた物とスーパーの包み紙に包まれた物では値打ちが違うなどと言われた。三越の人間というのは日本全国どこでもそれが通じるとか思ってないか?
  日本の百貨店というのは全国それぞれに「名門の百貨店」があったのだ。福島県いわき市にだって「大黒屋」という いわき市にも倒産してしまったけれども「名門」の百貨店があった。元々は百貨店だったが地方では百貨店ではうまくいかないからスーパーマーケットに変わったような店もあるのではないかと思う。三越と伊勢丹の人間、特に三越の人間というのは自分たちの店は東京では名門であるだけでなく、地方に行っても名門だとか思っていないか? なおかつ、「東京もんのおっさん」というのは東京のものが「地方」にやってきたら「地方」の人間ははいつくばって大喜びするとか思ってないか?
  なおかつ、「関西に比べたら東京みたいなもん、いなかや」という意識がある関西の人間に対しても、「東京の名門である三越が出展したら、イナカの人間は大喜びするだろう」なんて思っていたのではないか? その認識は甘すぎるとともに、大阪の人間を馬鹿にし過ぎている。プライドが高い関西の人間に対して、その姿勢で臨んでうまくいくだろうか? うまくいくと思うか?
  まず第一に、「名門の百貨店」というと、「東京もんのおっさん」は第一に三越、第二に伊勢丹・・とか思っているだろうけれども、関西人はそんなこと思っていない。大阪では「名門の百貨店」というと大丸だ。三越なんて「三流百貨店」である。むしろ、大阪人の意識としては阪急より格下だ。1960年代、私が子供の頃、「三越」なんて ””大丸より下で、そごう よりも下で、高島屋より下で、阪急よりも下の「ぱっとしない」「くら~いイメージ」の三流百貨店”” だった。今でもその頃以来のそういうイメージを持っている人はいるはずだ。「なにお~お!」と怒るだろうけれども、怒るのなら東京でだけ商売やってればいい。大阪では「三流百貨店」としてしか認識されていない「三越」と「どこの馬の骨やらわからん」程度もしくは「東京にあるらしいなあ」程度にしか思われていない「伊勢丹」がミックスした店が大阪駅前にできたとして、今では人の行き来が昔より多いので、関西人で東京圏に住んでいる人もあれば東京人で関西圏に転勤で住んでいる人もあるはずなので、在関西圏東京人を中心として運営して関西人にも来てもらえるようにとすればやっていけたかもしれないと思うのだが、どう~も、そうではなく、東京の「名門」である「三越」「伊勢丹」が出店すれば「いなか」の人間は喜ぶだろう・・なんて思ったのではないか。私が慶應大学に在学中、「東京もん」の学生から「大阪のいなか には帰るの?」などと言われたことがあり、「いなか じゃないよ」と言うと、「いなかじゃん。大阪のいなかじゃん」と言ってきかなかったテアイがいたのだが、「三越」「伊勢丹」の人間もそんなこと思っていたのではないのか。
  そういえば、今は昔、生命保険のセールスのねーちゃんから「私、出身は埼玉なんだけど、大阪のいなかの言葉、けっこう好きなのお。ちょっと話してみてえ」などと言われて、こいつ、何を言ってやがると思ったことがあった。埼玉県人には「大阪のいなか」とか言って大阪人を侮辱することに喜びを感じる人間というのがいる。埼玉県は東京の隣だから、東京都の下の神奈川県よりは下だけれども、千葉県とは同格で大阪よりはずっと東京に近いから埼玉県の方が大阪より上だ・・とか思っているわけです。その意識がそういう発言につながっているのです。
  阪急ブレーブスが身売りして、オリックスが買収してオリックス ブルーウェーブ になった後、元阪急の監督・コーチを排斥して東京の元巨人の土井・元西武の石毛と東京系の人間を監督にして、東京オリックス大阪営業所 みたいなチームにしてしまい、元阪急ファンや関西の野球ファンから嫌われたことがあった。阪急阪神ホールディングスの株主総会では、阪神電鉄でオレンジ色・巨人色の電車を阪神で走らせてそれに乗せられるのは不愉快だと抗議した人もあった。三越・伊勢丹の人間というのは大阪駅前に「巨人みたい」な百貨店を作ったら関西人は大喜びするだろう・・みたいな意識で出店したのではないか? その発想がおかしい・・とわからんかなあ・・と思うが、アホはわからんのだろう。

  「三越の包装紙に包まれている贈答品は他の店の包装紙に包まれている物とは違う」という話は東京では通じても大阪では通じない。大阪では三越よりも大丸の方がはるかに「名門」であり、大阪では三越は阪急よりも格下ではないか。「なにお~お!」と三越の人間は怒るかもしれないが、怒る方が間違っている。その傲慢さが大いに問題である。
  大阪駅の周囲に百貨店が4店舗ある。大阪駅で改札口を出た人間が百貨店に行こうとした時、どこに行くか? 「三越」であれ「伊勢丹」であれ、まず4番目であろう。4店舗の中で最下位であろう。その程度のブランド力しかない店なのだ。「なんだとお!」と三越や伊勢丹の人間は怒るであろうけれども、怒るのなら大阪に出店するなという話だ。
  その地域の住人の神経を踏みつけにしたならば売れると思っているのなら、あまりにも商売人として情けない・・が、それが「三越」で「伊勢丹」ということではないか。いわば「士族の商法」みたいなものだ。
  大阪府北部に摂稜高校という私立高校があって、早稲田大学と業務提携して「早稲田摂稜高校」を今は名乗っている。業務提携して「早稲田」を名乗るようになった時、「上位3割に入っていたら早稲田大学に内部進学で行ける」という条件だったが、入学説明会ではけっこう批判的な発言があったと週刊誌に出ていた。「上位3割に入ったら早稲田大学に内部進学で行ける」ということは、「上位3割」に入らなかったらどうしてくれるんだ? ・・という話になる。関西人の感覚からすれば「上位3割に入ったら早稲田大学に内部進学で行ける」よりも「ほぼ全員が一般入試で関関同立に行ける」の方がありがたい・・のではないか。その時、「週刊ポスト」だったか「週刊現代」だったかの記者が書いていたのは、「早稲田大学の人間というのは、自分の所を『東大の次の大学』とか思っているのではないか。しかし、関西の人間はそんなこと、ちっとも思ってない。関西の人間の感覚では早稲田大学なんてのは『関関同立と同じくらいか、もしかすると早稲田の方がほんのちょっとだけ上かもしれん』くらいにしか思っていない。それを早稲田の人間は理解できていない・・・と。
  その点、慶應の場合は、昔から「関西慶應義塾高校を作ろうではないか」なんて言いだす人がいても、いつまで経っても作らないで、神奈川県の藤沢市に作った。「関西慶應義塾高校なんて、そんなもの作っていったい誰が行くんだ」と関西出身の慶應大学の学生は誰もが言っていたが、「東京もん」で慶應の内部進学の人にうかつにそういうことを言うと激怒して殴りかかられる・・から身の安全を守る為には言わない方がいいが、怒られたって、実際、そうだからしかたがない・・というよりも、実は昔、京都の堀川高校の隣だったかに「関西慶應義塾高校」だったかがあって、競争に完敗して関西から撤退したという話を慶應義塾の本で読んだ。大阪にもあったが撤退したか、ともかく、慶應は過去に京都・大阪に内部進学の高校を作ったけれども公立進学校との競争に完敗して撤退した過去があって、その過去を振りかえって考えてみると、うかつに「関西慶應義塾高校」なんて作っても、「また、あかんようになる」と知っているのではないか。もしも、慶應が関西に内部進学の学校を作るのなら高校だけ作ってもだめだ。小学校から高校まで作って「上位3割に入ったら」とかではなく「基本的には全員が内部進学で慶應大学に進学できる」ならば、関西にも「揺り籠から墓場まで慶應」やりたい人もいくらかいるはずだから、それなら可能性はあるかもしれないが、それでも、東京における評価と関西における評価の違いを考え、又、慶應大学の教授は「大阪は商人の街なんだから、官立の学校よりも、もっと民間の学校の私学を大事にするべきなのに、大阪の人間は高校でも大学でも国公立がいいみたいに思って、まったく大阪の人間というのは何を考えてるのか」と馬鹿にするのだけれども、それは「東京もんの発想」であり、「大阪の人間」はそうではなく「商人の街だから」こそ「なんで、一生懸命、勉強したもんがカネのかかる私立の学校に行かなあきまへんねん。勉強したもんがカネのかからん国公立の学校に行かせてもらうのは当たり前でっしゃろ。勉強せえへんかったもんがカネのかかる私立の学校に行くというのは、それは勉強せえへんかったんやからしかたないやろ」という考え方なのだ。その考え方を「東京もんのおっさん」は絶対に理解しないし、この話を慶應の内部進学の教授になんてうかつに話したなら激怒しまくる・・から、そういう「ほとんぼビョーキ」の人には言わない方がいい。
  だいたい、「名門の三越」なんて大部分の大阪の人間は思っていない。大阪で「名門」の百貨店は大丸だ。大阪駅の周囲に大丸と三越があったら、大阪の人間がどっちを名門と考えるかというと大丸の方だろう。阪急と阪神と大丸とはそれぞれ「毛色が違う」「特色が違う」から共存は可能かもしれないが、「『名門の三越』が出店すればイナカの人間は大喜びするだろう」とプライドが高い関西人を「イナカ者」呼ばわりして出店したような店というのは、出店した時点から毛嫌いされる危険があったが、自分たちの店は「名門の三越」という強固な観念を持っている人間はそういう思考が最初から欠落していたのではないか。
※ 《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
  三越・伊勢丹の人間というのは、朝、通勤に電車に乗ろうとしたら ””巨人色””した電車がきやがった ということに不快感を覚える関西人の気持ちというのがわからんだろう。大阪駅前に「巨人みたいや」「長嶋みたいや」て百貨店作りやがってからに・・・と思われたら負けだ・・ということくらい理解しろよ・・と思うが「東京もん」が経営する百貨店の人間はまず理解できないだろう。だから、だめなんだよ。 私が子供の頃、1960年代なかばから後半、大阪の人間でも巨人ファンはいたが、アンチ巨人は多かった。「東京もんのおっさん」は「長嶋はいいに決まってる」とか言う者がいるのだが、関西人はそんなこと思っていなかった。「まったく、長嶋ちゅうやつは、チャンスで打席がまわると頭に血が昇ってカッカして内野ゴロゲッツーばっかし打ちやがってからに、アホや」とかうちの父親でも言っていた・・のだが、王については関西人の間でも評価は低くなかったのだ。長嶋は「東京もん」には人気があっても関西人には評価は低かったのに対し、王は関西人にもけっこう人気があった・・というのは、なぜか? そのあたりも、もしも、「東京もんの百貨店」が関西に出展しようとするならば考えてみるといいかもしれない・・・が、「東京が標準じゃん」という意識が強固で譲らない人間はそういうことはまず考えないであろう。だいたい、東京人は「・・じゃねえかよお」とか「かったるい」とかいった東京圏でしか通じない言葉を「標準語」だと言って譲らない。だから、だめなんだよ。関西人は日本全国でどこでも通じる言葉を「標準語」と言うべきで、東京圏でしか通じない言葉は「東京弁」でしょと思っているのだが、それを「東京もん」にわからせてあげようと思っても無理! だから、三越・伊勢丹はこれにこりたら、もう関西に出店しようとは考えない方がいいのではないか。
※ 《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA
  関西の読売新聞のスポーツ欄は東京圏の読売新聞に比べると「巨人びいき 控え目」てことを三越・伊勢丹の経営者は知らんのか? ・・て、たぶん、知らんのだろう。東京圏の食堂で食事が来るまでに客に読んでもらうために新聞を用意している場合、たいてい、読売であるのに対して、関西では朝日だ・・てことも知らんのだろう。ともかく、「東京もん」のやることを関西でやれば関西の人間は喜ぶだろうみたいに思っているのではないか。早稲田の人間が自分の所は「東大の次の大学」みたいに勝手に思っているが関西の人間はそんなことちっとも思ってない・・ということを理解させてあげようと思っても簡単には理解しない理解できない・・のと同じく、三越・伊勢丹の人間は自分の所は「名門」だから関西の人間は喜ぶだろうとか勝手なこと思い込んでいたのではないのか? 大阪の人間からすれば、三越なんて「名門」ではないし、伊勢丹なんて「東京にあるらしいなあ」くらいの評価しかしてない・・と理解しようなんて頭はないだろう。

  もうひとつ、「三越はなぜだめか?」⇒慶應大学卒の人間の割合が大きすぎるからだ・・という説が昔からあった。霞が関の官庁というのは東大法学部卒の人間が多いらしく、又、裁判官は上級審に行けば行くほど東大法学部卒の人間の割合が大きくなる・・というのだが、はたしてそれがいいのか。 潮見敏隆『法律家』(岩波新書)では、裁判官の場合は上級審に行けば行くほど東大法学部卒の人間の割合が大きくなるというが、それは「学閥」によるものではなく東大法学部卒の人に優秀な人が多いからだという人もあるというのだが、実際のところ、「学閥」によるものなのか、そうではなく、その大学学部卒の人に優秀な人が多いことからそうなったのか、というのは判断は難しい。しかし、仮に東大法学部卒の人に優秀な人が多かったとしても、国民全体のことを考える裁判所というものにおいて、あまりにも特定の大学学部出身者が占める割合が大きいというのは、それは国民の為にならないということはないか・・といったことが同書では述べられている。そして、三越の場合、あまりにも慶應大卒の人間の割合が大きい・・というのが、これが何よりいかんのと違うか・・・と1980年代、慶應大学の学生の間でよく言われていた(^○^)  それはその大学がいい大学かろくでもない大学かということと別の問題として、あまりにも特定の大学出身者の割合が大きいというのは良くないのではないか・・・と。
  ちなみに、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の場合は商業登記簿に記載されている役員というのは〔最近は銀行から来た人というのがいるようだが〕、1990年代から2000年代の初めにかけては、あまりにも高卒中卒の人の割合が大きかった( 一一)  それは「実力主義」とかいうものではなく、「学識者の能力を活かす姿勢が欠落している」というものだ。一族経営者はわかっていてそうしていたのか、自覚なかったのか。
  又、(株)一条工務店は「遠州人優先主義」が強すぎる会社であり、他地域の営業所長にそれぞれの地域で努力した従業員をならせるべきものを、そうではなく静岡県・愛知県にいた人間を他地域の営業所長に赴任させるということをやっていた。これは考え方が逆であろう。2~3年前に富山県のある会社で、あえて富山県出身でない人を採用したいという方針を社長がとったところ非難を浴びたという会社があったが、私は富山県人がだめだとは思っていないが、ある県だけで営業している会社であっても、その県で生まれ育った人ばっかりで運営していたのでは思考が画一化してしまうことが考えられるので、あえて、他県出身の人を何人かは採用することで、様々な思考を持つ従業員によって構成して会社を活性化させようということであるならば、それは間違った考え方ではないと思う。その逆が(株)一条工務店だった。静岡県愛知県出身の人間を優遇するために様々な卑劣な細工がなされていた。《静岡県愛知県の人間が他の地域の人間より得することならどんなことでも「やらまいか」(やってみよう)》という「やらまいか精神」というものが強固に実行されていた。全国企業になっていけば少しずつ変わっていくかと思ったが、それは甘かった。「遠州人」の””既得権””を守ろうという断固たる態度を改めさせるというのは決して簡単なことではなかった。
  外資系の会社に勤めた場合の問題点として、せっかく一生懸命努力して成果をだしても、本国から人がやってきて自分たちの上の役職についてしまうということがある・・と言われます。又、日立◇◇・東芝☆☆・NEC△△といった名前の会社、日立・東芝・NECなどの子亀会社に勤めると、日立だからいいだろうなどと思っていても、そこで努力して実績を残しても、そのうち、親亀会社から自分より年下で自分より後から入社した人間が自分よりも上の役職をもらってやってくるということがある・・と私は慶應大学の就職部の方から聞いたことがありました。(株)一条工務店なんて会社は外資系であるわけないし、子亀会社ではないから、本国から人がやってきて自分より上の役職につくとか、親亀会社から人がやってきて自分より上の役職につくということもないだろう・・と甘い観測をしていたのでしたが、そうではなかった。(株)一条工務店という会社にとっては静岡県中西部・愛知県というものが「本国」であり、箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西の地域で入社した従業員というのは外国での従業員みたいなもので、せっかく苦労して努力して成果を出しても、静岡県中西部・愛知県にいた人間がやってきて自分より上の役職についてしまう。しかも、一般に外資系企業というのはそういうこともあるということから、一般に給料は高めに設定されていることが多いのですが、それはあくまでも西ヨーロッパかアメリカ合衆国の外資系企業の場合のことであり、「後進国の外資系企業」では日本の企業より給料が高いなどということはなく、むしろ、本国の給与水準に引っ張られて安めに給与は設定されることがある・・と慶應大学卒のある外資系企業の人から聞いたことがあったのですが、その点から考えると(株)一条工務店という会社は「静岡県中西部・愛知県を本国とする後進国の外資系企業」であり箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西の地域で入社した人間にはあほくさい会社であり、かつ、浜松の給与水準で給与は決められているので東京圏・関西圏で入社する者というのは「あほまるだし」でしかない。又、日立◇◇・東芝☆☆・NEC△△のような子亀会社ではないとしても、静岡県中西部・愛知県地域の従業員というのが親亀会社の従業員であり、箱根の関より東、不破の関・鈴鹿の関より西の地域で入社した従業員というのは子亀会社の従業員みたいなもので、せっかく苦労して苦心して努力して成果を出しても、いずれは静岡県中西部・愛知県の人間(「一条オリジナル」)がやってきて自分より上の役職についてしまう( 一一) ・・というそういう会社だった。・・そういうあほくさい会社で、よくまあ、あれだけ報われない努力をしたものだ・・とあきれる。エライかアホか・・というと、アホちゅうか・・て感じがするが、それでもまあ、そんな会社でよくまあ、あれだけ努力して頑張ったものだ・・と思う。
法律家 (岩波新書 青版 751) - 潮見 俊隆
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  それで・・、三越というと日本橋にある三越本店と銀座の三越とが両輪みたいな印象だが、下山事件に登場する日本橋の三越本店とは違う方が ↑ の写真に見える銀座の三越だ。
下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3) - 柴田 哲孝
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下山事件 暗殺者たちの夏 (祥伝社文庫) - 柴田哲孝
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  この歌舞伎座がある「東銀座」というのか「三原橋」というのかのあたりというのは、「銀座」でないことはないのだろうけれども、私の感覚では歌舞伎座というと「築地」みたいな感覚がある。
  「銀座」というと、↑ の写真に見える銀座三越 https://www.mistore.jp/store/ginza/ginza.html やその北側の松屋 銀座店とか、銀座三越の道路を隔てた向こう側の 和光、その北の山野楽器、その少し北の教文館とかがあるあたり。あるいは、その南北の通り、国道15号(銀座通り)にそったもう少し南の ヤマハ銀座店・ヤマハホールがあるあたりとか、

( ↑ ヤマハ 銀座店・ヤマハホール。)
そのはす向かいの資生堂とか、そういうあたりを「銀座」と言うという印象があり、「東銀座」「三原橋」付近は「東銀座」と「東」がつくように「準 銀座」みたいな印象だ。
  楽譜を手に入れたいと思ったら、大阪では何と言っても大阪駅前第二ビルの2階https://osaka-ekimae2biru.jimdofree.com/s2f/#fmap のササヤ書店である。これは「知る人ぞ知る」店であり、大阪ではブランド中のブランドである。「東京もんのおっさん」は知らんだろうが、大阪では「ササヤ書店を知らざる者、音楽を語るべからず」と言われている・・かどうかは知らんが、そういう店だ。・・それに対して、東京にはササヤ書店がない。それで、東京で楽譜を手に入れたいと思ったら・・・、それはやっぱり、銀座のヤマハ 銀座店 だろう。・・だから、ヤマハ銀座店には何度も来た。
  CDを手に入れたいと思ったら、ヤマハ 銀座店・・もしくは、銀座通りを北上して、和光の北側にある山野楽器。 その2店だ。異論ある人がいてもかまわないが、私の感覚ではそうだ。
  地図を見ていると、ヤマハ 銀座店のはす向かいあたりに、一般の羊羹よりもひと回りサイズがでかい桐箱入りの羊羹 を売っている「とらや」があるみたいだ。1991年、法務省で警備員の仕事をアルバイトでやっていた時、「元田中角栄の秘書」というこわもてのおっさんが「とらやの羊羹」を持ってしばしば法務省に来ていたのだが、「あの羊羹に1万円札がくっついているのと違うか」・・なんて警備員のおっさんは面白がって言っていたが、実際にくっついていたのかどうかはわからない。羊羹なら「とらや」でなくても鶴屋八幡でもいいてことはないのか? ・・なぜ、「とらや」の羊羹なのか? けっこう疑問に思ったのだが、「とらや」のホームページ を見てわかった。「とらや」には一般の羊羹より一回り大きいサイズの羊羹(「大型羊羹」https://www.toraya-group.co.jp/toraya/products/yokan/yokan-extra_large/ )が売られており、かつ、「桐箱入り」という商品もあったのだ。「普通の羊羹」だと1万円札を貼り付けると1万円札の方が大きくて折らなきゃならないのに対して、「とらや」ではまさに1万円札を貼り付けるのがちょうどいいみたいなサイズの商品があり、さらには、いったん購入した後で、中の羊羹をひっこぬいて、かわりに帯封つきの百万円でも入れて蓋して包装紙を包みなおせば羊羹に見えるのではないかという感じの「桐箱」も売っているのだ。だから、「元田中角栄の秘書」のこわそうなおっさんが「とらや」の羊羹の底に1万円札を貼り付けて法務省の誰やらに持参していたのか、貼り付けるのではなく1万円札百枚帯封付きを桐箱の中に入れて法務省の誰やらに持参していたのか・・どうかは、知らん! 
知らんけれども、「とらや」にはそういう商品があるのだ。だから、なんか、いかにも1万円札が底に張り付いているか、桐箱の中に入っているか・・・しそうな感じ・・がしないでもない。違うかもしれないが、そんな雰囲気がある。それが ””「とらや」の羊羹”” というものだ。私なんかには縁ないけども。
  御殿場に「旧岸邸」があって公開されているが、岸信介の別邸を管理しているのは「とらや」だというから、だから、やっぱり、和菓子屋は和菓子屋でも政治家とつながりがある店・・なのかな・・。
※ 旧 岸邸(御殿場市)https://kyu-kishitei.jp/

  それから、御殿場市の旧 岸邸の「岸」は岸信介のことだが、代々木公園の南のあたりにかつてあったらしい岸記念体育館の「岸」も岸信介のことだと思っている人がいるが、岸記念体育館の「岸」は岸信介ではなく岸清一の「岸」である
※ 《ウィキペディアー岸記念体育館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%BD%93%E8%82%B2%E4%BC%9A%E9%A4%A8
アメリカ合衆国では弁護士の資格は取得しやすいが取ったからといって食っていけるというものではないらしく、「アンビュランス チェイサー(救急車の後を追いかける者)」などと言い、救急車が走っていたら後を追いかけて行って、怪我した原因となった者を訴えて賠償金を取ってやりましょうと持ちかける者というように言われるらしい。日本の弁護士は弁護士になるまでの司法試験の難易度は高いが、いったんなったら殿様商売というのとは逆のようで、どちらがいいかはいちがいに言えない、両方の面があるのではないか。
  アメリカ合衆国の弁護士はそのように比較的資格を取得するのはしやすく〔小室なんとかさんが何度も落ちているのはそれみたいですね〕、そういうこともあってか弁護士の資格を持った上で企業に勤めて経営者になる者もけっこういるらしいが、日本では大学の法学部を卒業して「法学士」として企業に勤めて経営の仕事に携わる者はいても、弁護士の資格を持った上で企業に勤めて経営に携わる者は少ない・・が、その希少な例として岸清一があげられる・・ということが森川英正『日本経営史』(日経文庫)に出ていた・・が、岸記念体育館の「岸」はその岸清一の「岸」である。《ウィキペディアー岸記念体育館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%BD%93%E8%82%B2%E4%BC%9A%E9%A4%A8 によると、《設計者は「岸田日出刀設計顧問、前川國男建築設計事務所設計監理」となっているが、実際に設計を担当したのは丹下健三である》ということだが、《 1964年東京オリンピック開催時に現在地に移転。建物前に岸清一の銅像が設置されていた。》 《2016年2月には、新宿区霞ヶ丘町地区の東京都所有地に新ビル(地上14階/地下1階)を建てて移転する計画を発表した。新たなビルの名は2018年11月8日に行われた日本スポーツ協会の理事会で「JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE」に決定し、2019年4月に完成した。2019年5月より順次各競技団体が新施設のJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREへの移転を実施し、完了した後の8月1日から建物の解体が始まった。解体後更地となったあとは代々木公園の一部として整備される予定である。》らしい。
日本経営史 (1981年) (日経文庫―経営学入門シリーズ) - 森川 英正
日本経営史 (1981年) (日経文庫―経営学入門シリーズ) - 森川 英正

  福島県郡山市に「ミルクたっぷりママの味」の「ままどーる」http://www.sanmangoku.co.jp/Goods/mamadoru.html の株式会社三万石 という菓子店があり、たしか、銀座にも店を出していて、福島県では「郡山 三万石」と言っていたのを、東京では「銀座 三万石」と言って売っていたのだが、今、株式会社三万石の店舗一覧を見ても銀座店は見つからない。「シティぶりっこ」が多い東京では「郡山 三万石」では売りにくいということで銀座に店を持って「銀座 三万石」として郡山と同じものを売っていたようだが、やっぱり、「銀座 三万石」てガラでもなかったか?

  ↑ の写真、銀座三越の手前のビルはあれは何だろうか?
DSC00710.JPG

「銀座ピアスビル」http://www.gpb.co.jp/ らしい。

  資生堂・ヤマハ 銀座店・とらや・銀座三越・和光・山野楽器・教文館・松屋銀座店が両側にある通り、国道15号を「銀座通り」と言うらしく、たしかに「銀座」て感じがする。特に、和光の建物はいかにも銀座て感じである・・が、
※ 銀座 和光 https://www.wako.co.jp/
セイコー https://www.seiko.co.jp/news/holdings/2021/202112161400.html
それに対して、その東の都道316号「昭和通り」の方はそれほど距離が離れているわけではないが、「東銀座」なんて駅名がついているように「準 銀座」みたいな印象がある。
  その道の地下を走っている地下鉄も銀座通りの下を走っているのが昔からの東京メトロ「銀座線」で、昭和通りの下を走っているのは比較的新しくできた都営「浅草線」。「蓬莱橋」「三原橋」と交差点の名称に「◇◇橋」という名前がついているということは、かつては「川」か「堀」だったのだろうか。

  「和光」とセイコー・服部時計店はどういう関係なんだ? ・・というと、
《 今現在、私たちが目にしている時計塔、実は2代目なんです。1代目の時計塔は1894年に完成しました。その時この場所にあり、時計塔を完成させたのは「服部時計店」という、まさに時計屋さんでした。そしてこの服部時計店こそ、SEIKOの前身なのです。
服部時計店(現:セイコーホールディングス株式会社)は1881年に服部金太郎氏によって創業されました。
現在はSEIKOの関連会社としてWAKO本店が鎮座するこの場所ですが、登記上のSEIKO本店は現在も変わらずこの場所にあります。》
( 「GINZA TOPGEAR 時計の雑学」https://ginza-topgear.com/column/wako-seiko/ )
「和光」はセイコーの関連会社らしい。

  2000年代、松屋 銀座店で「小堀遠州展」が開催された時に見に行ったことがある。そのはす向かいに「仏壇のはせがわ」の店があって、「仏壇のはせがわ」が豊臣秀吉が作ったという「金の茶室」に対して「銀の茶室」を作ってみようと試みたが、金という素材は見た目が美しいとともに伸ばして金箔にすることができるのに対して、銀の場合は銀箔にして延ばすことが難しいらしく、あきらめて「プラチナ(白金)の茶室」を作ってみた・・というものが銀座通りに面してあった「仏壇のはせがわ」の店舗内に展示されていたのを見学させてもらったことがあった・・・が、今、「仏壇のはせがわ」のホームページを見ると、同社の東京支店は文京区後楽園、小石川後楽園の南側、駅で言えばJR「水道橋」と「飯田橋」の間あたりにあるらしく、松屋銀座店のはす向かいあたり の店というのは見当たらない。
  1970年頃、京都の慈照寺に参拝したことがあったのだが、「銀閣」を見た時、小学生だった私の最初の感想は「あれ? 銀を貼ってないじゃない」というものだった。それから25年以上経ち、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/  に在籍していた時、この時は「銀閣」よりも書院造の代表と言われる「東求堂(とうぐどう)」を見学に訪れたのだが、参拝入口を入ってすぐ右手に「なんや、みすぼらしい・汚らしい掘立小屋みたいな建物」があって、「なんや、これ」・・と思って見ると、それが「銀閣」だった。しかし、その「なんや、みすぼらしい・汚らしい掘立小屋みたいな建物」がよくよく見ると、なかなか風情があっていいのだ。その時に思った。この建物は銀箔なんて貼らない方がいい、もし、銀箔なんて貼ったら、それこそ「蛇足」というものだろう・・と。鹿苑寺の「金閣」は金箔が貼られているのに、慈照寺の「銀閣」は銀箔が貼られていないというのは「室町時代でも足利義政の時代になると室町幕府と足利氏の力も衰えて銀箔を貼ることができなかったのだ」なんて話を私が小学生の時に聞いたことがあったのだが、1996年の末だったか慈照寺を訪れて見て、それは違うのではないか、財政的に銀箔を貼ることができなかったから貼ることができなかったのではなく、銀箔なんて貼らない方がいい建物だから貼らなかったのではないか、と。
  そして、2000年代、「仏壇のはせがわ」が現代の技術で「銀の茶室」を作ろうと試みたところ、銀は金とは違って金箔のように薄く延ばすことが難しいということから断念してプラチナ(白金)の茶室を作ることにした・・というのだから、「銀閣」は技術的にも銀箔を貼るということはできなかったのではないだろうか。

  ついでに、松屋 銀座店で開催された「小堀遠州展」では「遠州好み」のものが展示されていたと記憶している。「遠州好み」とはこの場合、「古田織部が好んだ」という「織部好み(おりべごのみ)」、「千利休が好んだ」という「利休好み(りきゅうごのみ)」のデザインと並び、「小堀遠州が好んだ」というものを「遠州好み(えんしゅうごのみ)」と言ったのだが、1990年代の(株)一条工務店の建物・デザインもまた「遠州好み」だったが、(株)一条工務店の「遠州好み」というのはこれは「小堀遠州が好んだ」という意味ではなく「全国どこにでも『遠州人の好み』を押しつけないとおれない」という意味である
  (株)一条工務店の遠州人に「遠州地方には遠州人の好みがあり、他の地域の人間には他の地域の人間の好みというものがある」という事実を理解させるというのは、それは、山に命じて空を飛んで海に飛び込めと言って山に空を飛んで海に飛び込ませることよりも難しい。
小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本) - 小堀 宗実, 熊倉 功夫, 磯崎 新
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ペンブックス5 茶の湯デザイン (Pen BOOKS) - ペン編集部, 木村宗慎, ペン編集部, 木村宗慎
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  次回は、東銀座(三原橋)を通る晴海通りを自動車で通勤した時の話を述べたいと思う。

  (2022.5.15.)

☆ 中銀カプセルタワービル(黒川紀章設計)見学。
1.解体工事は始まったが4/21現在、中銀タワーの姿は見えた。あいみ互いの「コシノ某と安藤忠雄」。黒川紀章はなぜ女優と結婚したか、若尾文子はなぜ黒川紀章と結婚したか。「すかした」の意味はわからないであろう「建築家のつくる家」を得意とする自称「建築家」の東京人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_4.html
2.北側の道からはカプセルタワーが見えた。警備員に劣る警察官の立哨。警備員を自分達の小使いと勘違いしている法務省職員。建築・解体現場の高所作業なんて自分はやらない「名建築家」。「名建築」は本当に名建築なのか、それとも権威主義による幻覚なのか。工事現場監督の仕事をしていない(株)フジタ工業の「工事監督」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_5.html
3.北側から見て。道路側に窓、隣接ビル側は壁。補修用梯子、階と階の間の充填。50年で解体はひょっとこ建築の宿命か。真っ黒ビルは街を暗くする。「マンション住民に戸建住宅の設計させるとマンションみたいな戸建の家にする」説。未熟で基本を理解していない設計を「世界でただひとつの家」と勘違いしている人。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_6.html
4.道路を隔てた向かいから見て。屋上の「塔」に隠された貯水槽など。住居表示では「銀座」でも「汐留浜離宮ビル」とする会社と山梨県なのに「西東京工場」とする会社の違い。建築の基本を理解していないことを「世界でただひとつの家」などという詭弁。エアコン室外機・灯油タンク・ダクト・樋は隠すかデザイン化する必要はあるか。「リフォームのナカヤマ」の押売り的営業。東京地裁の裁判官と「地方」の裁判所の裁判官はどちらがいいか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_8.html
[別稿]ロシア軍ウクライナ侵攻により採用取消された在日ロシア人と「リフォームのナカヤマ」に採用取消された何年か前の私の話。後の就職席にまで誹謗中傷を加える卑劣な者。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_9.html
5.南面・西面。隣室のプライバシー配慮の為の覆い? 「解体中」だからこそ遠慮なく見学可。「建築家」建物は長持ちしないか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_1.html
6.浜離宮・芝離宮・世界貿易センタービル・浜離宮建設産業ビル・朝日新聞社本社・築地本願寺・聖路加病院。舌やノドがヒリヒリする料理は高級料理ではなく化学調味料使い過ぎの可能性有。縁がなかった朝日新聞社。「あんたに世話になることは絶対にないんやからな」と言ってすぐに「息子の結婚式に出てくれ」と頼んでくるスポーツマン。「(株)一条工務店の遠州人」はロシア連邦の「はう国境線」みたいなもの。浜松での研修にひとりだけ遅刻してきて大きな顔して着席する浜松営業。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_2.html
7.新幹線で東京に来た人間の眼に入る位置のモニュメント建築「静岡新聞静岡放送東京支社ビル」・銀座の手前に駅を設けた旧新橋停車場・日本では厳しそうなフーターズ。銀座か新橋かで自転車買ってどうすんだろ。「うち」と「よそ」しか2社しか住宅建築業の会社がない「一条オリジナル」の世界観。戸建住宅建築は敷地が道路と高低差がある場合は門の位置・アプローチの取り方を考え、車庫はあらかじめ設けておいた方がいい場合はアドバイスするのが専門家ではないのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_3.html
8.歌舞伎座ビル・銀座三越・晴海通り。大阪出店に際しての三越の傲慢。銀座通りと昭和通りの違い。銀座ピアスビル。 〔今回〕

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