渉成園(京都市)訪問【5/9】代笠席・印月池・侵雪橋・五松塢・回棹廊・丹楓渓と渉成園の桜。+【付録】『ゴルゴ13』で学ぶウクライナ。

[第928回]
  渉成園(京都市下京区)訪問の5回目です。
  臨池亭・滴翠軒と池がある区域の東側に、
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↑ 代笠席(たいりつせき)〔1888年(明治21年)再建。〕 ですが、↑ は渉成園の中央部の側、南側から見たものですが、北側から見ると、↓
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茶室で、入口は北側ということか・・・。
 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)を見ると、
《 庭園の北部に生垣をめぐらせ、南面して建てられた煎茶席です。》とあり、
《 前面は間口が三間あり、深き半間の土間と小縁が設けられ、内部は四畳半二室が東西に並んでいます。》と書かれていて、南側の雨戸が開けられた状態の写真が掲載されていて、屋内の土間があって、その内側に縁があって部屋があるという写真が出ていますので、それを見てみると、入口は北側にあっても、この部屋は南に面して存在する部屋なのだとわかります。
《 ・・・「代笠席」とは、人里離れた地を訪れた旅人が「笠代り」に雨宿りする席という意味だと考えられます。》ということらしい。

  《「煎茶三席」の「茶店」として位置づけられ、東側には今も茶畑が設けられています。》という茶畑が ↓
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「チャノキ」

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↑ 小川と桜。 撮影は2022年4月3日、桜の開花はこのくらいの時期が一番きれいなようです。

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↑ 印月池(いんげつち) 北大島五松塢(ごしょうう)侵雪橋(しんせつきょう)
代笠席(たいりつせき)や傍花閣(ぼうかかく)の方から回棹廊(かいとうろう)へ向かう途中より南を見て。
  印月池(いんげつち)は渉成園の南東側にある広い池で、
《 渉成園の東南にあり、いわゆる「池泉回遊式庭園」である渉成園の中心となる広い園池です。東山から上る月影を水面に映して美しいことから、この名が付けられました。広さは約1,700坪あり、園全体の約6分の1を占めています。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)
「約6分の1」というと、滋賀県において琵琶湖が占める面積が約6分の1だから、けっこうな割合だ。
印月池は「頼山陽が選んだ渉成園の十三景の三」に選ばれているらしい。
   頼 山陽(らい さんよう)とはどうい人だったかというと、《ウィキペディアー頼 山陽(らい さんよう)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%BC%E5%B1%B1%E9%99%BD によると、
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生れの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎ひさたろう、名は襄のぼる、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。・・》
という人らしい。

  右向こうに見える橋が「侵雪橋」で、橋の左側の島が「北大島」で、橋の左のあたりを「五松塢(ごしょうう)」 と言うようです。
  「侵雪橋(しんせつきょう)」〔1892年(明治25年)再建〕〕は、 
《 印月池の西北岸から縮遠亭(しゅくえんてい)のある島(北大島)へ渡る木造の反橋(そりはし)です。 頼 山陽は『渉成園記』のなかで雪の積もった橋のありさまを玉龍にたとえて表現しています。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。 )
侵雪橋は「頼 山陽が選んだ渉成園の十三景の六」とされているらしい。

  五松塢(ごしょうう) とは、
《 侵雪橋を縮遠亭の建つ島(北大島)へ渡ったところの北側あたりを指し、本来は五株の松あるいは一幹五枝の松が植えられていたことから名づけられました。「塢(う)」とは小さい土手をいいます。
  この五松塢(ごしょうう)がある島(北大島)と南大島(臥龍堂)は、その位置と高さ、古図面に見える高瀬川の旧流路などから、豊臣秀吉が築かせた「御土居(おどい)」の跡であるという説が、現在では有力になっています。》
《 広大な印月池には、南北二つの大島(北大島・南大島)があります。これらの島はほぼ同じ高さで、回棹廊 北側の築山も含め、園の北東から南西方向へ一直線上に並んでいます。この標高と位置関係から、二つの大島と北側の築山は、豊臣秀吉が天下統一の象徴として京都の都市改造を目指して築かせた「御土居(おどい)」の跡であるといわれてきました。
  近年の古地図研究によると、秀吉の御土居はまさにこのラインを通っており、徳川家光から周辺の土地を寄進された直後の1643(寛永20)年頃、渉成園の造営を想定して御土居とその外側を流れる高瀬川の流路を東側(現在の下京区土手町通あたり)に変更していたkとおが判明しました。
  ただし、現在の園内にある築山は発掘の結果、御土居の築造方法とは異なっており、「御土居」の跡という確証は得られていません。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)
という。 五松塢(ごしょうう)は「頼 山陽が選んだ渉成園の十三景の五」らしい。
 
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↑ 北大島 の 「縮遠亭(しゅくえんてい)」〔 1884年(明治17年)(「明治14年の政変」の1881年の3年後)(「一躍、清(1894)を攻撃する」日清戦争の1894年の10年前)頃再建。〕
 《 印月池のに浮かぶ北大島に建てられた茶室です。・・・
その名のとおり、かつては上段の間から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ケ峰の遠景が縮図のごとく見張らせたといいますが、残念ながら江戸時代後期にはすでに樹木が繁して茂見得なくなっていました。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)
「十三景の七」らしい。

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↑ 印月池と「回棹廊(かいとうろう」〔1884年(明治17年)再建。〕
回棹廊 の右側は北大島。
 《 北大島と丹楓渓(たんぷうけい)とを結ぶ木橋です。安政の大火(1858年)における焼失以前は、朱塗りの欄干を持つ反橋だったと伝えられていますが現在は檜皮葺の屋根をもつ橋となっています。中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客の折り、金燈籠を吊って火を灯しました。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)
「十三景の十二」

  印月池の北岸に沿って東に進むと、
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↑ 「丹楓渓(たんぷうけい)」
《 回棹廊(かいとうろう)の北端から印月池 北岸沿いの園路の両側にが植えられ、秋には見事な紅葉を見せてくれます。「丹」とは朱色を表す語で、紅葉の美しい渓谷を模した一帯です。》 
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)
「十三景の十三」・・というが、この付近については、秋に来た方が良さそうだ。

  そして、
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↑ 「獅子吼(ししく)」
 《 印月池 北東岸に入り込んだ、入り江の奥にある築山の石組みの下部に注水口が穿たれており、獅子吼(ししく)と名づけられています。印月池の水源の一つで、古くは高瀬川の水が引かれていましたが、現在は地下水を汲み上げ、流れとしています。通常みられるような滝の石組みではなく、山腹から湧き出す泉のような形式に造られている点が、渉成園の中でもたいへん珍しい景物となっています。》
  水が湧き出ている部分が獅子の顔のように石組みがされていて、獅子の口から水が湧き出るようになっている・・てことは、マーライオンみたいな感じ・・てこと・・かな・・。

  そこを過ぎると、
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「回棹廊(かいとうろう」〔1884年(明治17年)再建。〕
「十三景の十二」。
この橋で印月池を渡った向こう側は北大島。

  今回、取り上げた「十三景」は、
十三景の三、印月池(いんげつち)
十三景の五、五松塢(ごしょうう)
十三景の六、侵雪橋(しんせつきょう)
十三景の七、縮遠亭(しゅくえんてい)
十三景の十二、回棹廊(かいとうろう)
十三景の十三、丹楓渓(たんぷうけい)



( ↑ 渉成園。 京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町 )
※ 真宗大谷派 東本願寺HP 渉成園 https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/shoseien/
ウィキペディアー渉成園 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%89%E6%88%90%E5%9C%92

  次回、回棹廊・紫藤岸(しとうがん)から北大島へ。

 (2022.6.5.)

☆ 渉成園(京都市下京区)訪問。
1.建築の見学後、早めに文章にしないと記憶と印象が薄れる。「吐き出す物」がある人間は吸収しにくい。差別政策としての知能指数。遠山『競争原理を越えて』は実状を見ないで書かれた本、賛成できかねる部分がある。数学科・史学科は価値があって社会科学系学部卒は高卒と同じ扱いにしろという主張は横暴で不適切。「高卒のおっさん」偏重が公平ではない。本を読む際に自分を省みる為でなく人を攻撃する道具を仕入れる為に読む人がいる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_3.html
2.京都駅から真宗本廟を経て渉成園西門。「エイブル看板」は街並と調和を考えた色にできないか。パンタグラフの変遷。「昭和」を江戸時代みたいに言うな、「戦前の昭和」と「戦後の昭和」を一緒にするな。東海道本線は「東京と神戸を結ぶ為の鉄道」として作られたのではない。「東京もん」の悪質な大阪嫌い。仏旗と一条三色旗の意味。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_5.html
3.入園口から高石垣を見て庭園北口へ。渉成園の桜。松花堂は弁当屋ではない、ティファニーは軽食屋ではない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_1.html
4.臨池亭・滴翠軒・檜垣の灯籠。桜と本来は楼門らしい傍花閣と園林堂。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_2.html
5.代笠席・印月池・侵雪橋・五松塢・回棹廊・丹楓渓と渉成園の桜。〔今回〕
6.回棹廊・紫藤岸・傍花閣と桜。北大島の縮遠亭。源融ゆかりの塔・臥龍堂(南大島)・漱枕居・閬風亭。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_4.html
7.「渉成園4名橋」侵雪橋・北大島の石橋・西岸の小川の石橋・棹回廊。盧菴・閬風亭・漱枕居。「宗教は毒薬」とはマルクスは言っていないのに誤解して人に教える「医者」階級・「医者」民族。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_5.html
8.庭園南口・双梅檐・大玄関・馬繋ぎ。南側の門。「裏口入学した・させた」なんて自慢することと違うやろ!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_6.html
9.東側・河原町通り・北側の通り・西側の仏願寺。京都駅。そして真宗本廟(東本願寺)の「ええ?」・・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_7.html 

☆ 真宗本廟(東本願寺)参拝
1.京都駅から北に歩けば、真宗本廟(東本願寺)。京都駅から程よい距離。東本願寺の前の道はトラックの休憩所ではない。使用者はトラック運転手の休憩場所・待機場所をきっちりと確保せよ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_7.html
2.阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂、鐘楼、手水屋形。正門はどちらか・・。裏口入学する者は正規に入試に合格しようとする者を妨げる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_8.html 
3.境内から阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂。「法話」。「しんらん交流センター」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_9.html
4.大寝殿・菊門・玄関門。「ギャラリー」。 街の景観との調和は悪くはないが、交番は交番とわかりやすい意匠にする必要はないか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_10.html 
日本の仏教 (岩波新書) - 渡辺 照宏
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日本文化史 第2版 (岩波新書) - 家永 三郎
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【付録】『ゴルゴ13』で学ぶウクライナ
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「ウクライナは二十世紀に六回も独立宣言を行い、五回の挫折を味わった!」
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「二十世紀に入り、ウクライナは独立への試みを重ね、
1918年「ウクライナ国民共和国」
 同年 「西ウクライナ国民共和国」
1919年 西ウクライナ政府とディレクトリア政府が合併した「ウクライナ国民共和国」
1939年「カルパト・ウクライナ共和国」 さらに
1941年には OUN(ウクライナ民族主義者組織)による独立宣言がなされたが、
いずれも永続することはなかった。」
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「例えば1991年12月の三者会談での出来事が、いい例だ・・・」
「・・・ソ連が崩壊し始め、各共和国が独立を表明するさなか、
ロシアのエリツィン、ウクライナのクラフチューク、ベラルーシのシュンケビッチの三首脳が、ベラルーシに集まった会談だな・・・・」
「あの会談は、ロシアとベラルーシによって画策されたものだった・・・」
「うむ・・・」
「各共和国の独立でポストソ連体制が無力化する事を恐れ、ロシアを枢軸とした新たな国家連合を構築しようとした。
その際、ロシアはウクライナに、どうしても加盟を、してもらう必要があったが、
ウクライナには反発感があった・・・
そこでロシアはベラルーシをホスト国にし、政治とは無関係の保養地ベロヴェーシにウクライナを誘い込んで、ようやく会議の席につかせた・・・
そして、たったの一晩で合意にこぎつけたのが ”独立国家共同題(CIS)” の、結成だった。」
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「ああ、だが・・・
注目すべきは、共同体の名称が、当初 ”民主国家共同体” だった事だ。
その原案にウクライナのクラフチュークは、異議を申し立てた。
『この宣言書において ”独立” を絶対条件としている事を明言しなければ、
同意することは出来ない!
”独立”なき国家は真の国家ではない!
したがって ”民主国家共同体” を改め、
”独立国家共同体” とすべきだ!』

「クラフチューク大統領の断固たる主張によって
”独立国家共同体” (CIS)はその名と共に誕生した。
ウクライナ人が ”独立” に込める思いはそれほどまでに強固なものだ!」
・・・
( さいとう たかを・さいとうプロ『ゴルゴ13』
「アナライズ・ウクライナ」
「ビッグコミック」2007年21・22・23号に掲載。
『ゴルゴ13 EAST WEST COLD WAR~冷戦~』2022.6.8.小学館 My First BIG 所収。)
ゴルゴ13 197 EAST WEST COLD WAR~冷戦~: マイファーストビッグ (My First BIG) - さいとう たかを, さいとう プロ
ゴルゴ13 197 EAST WEST COLD WAR~冷戦~: マイファーストビッグ (My First BIG) - さいとう たかを, さいとう プロ
  今となっては十数年前、麻生太郎が総理大臣になった時、「『ゴルゴ13』で現代史を学んでいる」と発言したとかで・・・、「おっさん、総理大臣がそんなこと言ってどうすんだよ」と思ったものだった。 中学生や高校生が「『ゴルゴ13』で現代史を学んでいる」のなら、たしかに『ゴルゴ13』は「本当みたいな嘘八百を書き連ねている」お話かもしれないが、よく調べて書かれており、たしかに「現代史を学ぶ」のに役立つ・・としても、現職の総理大臣が「『ゴルゴ13』で現代史を学んでいる」て、「おいおい、おっさ~ん( 一一)」と思ったものだった・・・が、しかし、『ゴルゴ13』はなかなかよく調べて書かれてあり、「現代史を学ぶ」のに役立つものはたしかにあるのではないか・・と思う(^○^)
物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 (中公新書) - 黒川祐次
物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 (中公新書) - 黒川祐次
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(読売新聞オンライン)
プーチン氏「新たな標的を攻撃、手段はいくらでもある」…米のロケット砲供与で威嚇https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E6%B0%8F-%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AA%E6%A8%99%E7%9A%84%E3%82%92%E6%94%BB%E6%92%83-%E6%89%8B%E6%AE%B5%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B-%E7%B1%B3%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E7%A0%B2%E4%BE%9B%E4%B8%8E%E3%81%A7%E5%A8%81%E5%9A%87/ar-AAY6A74?ocid=msedgntp&cvid=c213c5ed1754410e906ac1253319b9cd
 タス通信によると、ロシアのプーチン大統領は、5日に放映された露国営テレビのインタビューで、「長距離ロケットがウクライナに供与されれば、まだ攻撃していない標的を攻撃するだろう。手段はいくらでもある」と述べた。高機動ロケット砲システムの供与を発表した米国やウクライナを威嚇した。
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なんだか、まるで暴力団みたいな国だなあ・・( 一一)
  (2022.6.6.)

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