渉成園訪問【6/9】回棹廊・紫藤岸・傍花閣と桜。北大島の縮遠亭。源融ゆかりの塔・臥龍堂(南大島)・漱枕居・閬風亭。

[第929回]
  渉成園(京都市下京区)訪問の6回目です。「渉成園見学」にしようか「渉成園訪問」にしようか・・と迷ったのですが、「見学」だと、ここは何でここは何と見て回るという印象があり、「知識を確認する」作業よりも、むしろ実際にその場にいって「感じる」ことの方が重要という考え方から「訪問」にしました。小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』(文春新書)では、東大寺で修学旅行に来たと思われる生徒を見ていると、なんだか、やんちゃな感じのがやってきて、東大寺の大仏殿の太い柱に感動して抱きついた・・というのを見て、そういう感覚の方が、これが運慶だ快慶だといった知識を学んできて現地でそれを確認するということよりも大事なのだということを述べられていたが、たしかに、「知識を確認する」ということが悪いということではないとしても、実際にその場にいった時に自分がどう感じるかの方がより大事でしょう。
  又、神社の場合は本殿が見えない神社がけっこうあるのですが、そういう神社では「雰囲気を味わう」ものだと書いてあった案内書があったと思うのだが、神社の場合は拝殿から拝むようになっていて本殿は良く見えない神社があるが、建築探偵団としては見たいものだが、見えないように作られているものはしかたがない。そこでは「雰囲気を味わう」ことにするしかない。
  だから、渉成園でも「見学」ではなく「訪問」とすることにしました。
宮大工と歩く奈良の古寺 (文春新書) - 小川 三夫, 米松, 塩野
宮大工と歩く奈良の古寺 (文春新書) - 小川 三夫, 米松, 塩野

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↑ 回棹廊(かいとうろう)〔1884年(明治17年)頃再建。〕
「十三景の十二」
 《 北大島と丹楓渓(たんぷうけい)とを結ぶ木橋です。安政の大火(1858年)における焼失以前は、朱塗りの欄干を持つ反橋だったと伝えられていますが、現在は檜皮葺の屋根をもつ橋となっています。中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客の折り、金燈籠を吊って火を灯しました。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)

  回棹廊を渡る手前(北側)から東側を見ると、↓
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「紫藤岸(しとうがん)」
「十三景の八」

《 回棹廊の東岸、印月池にせり出すように藤棚があります。当初この藤は、野生であったと伝えられていますが、現在は棚が設けられています。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)
というものだそうですが、やっぱり、藤の花が咲く季節にならないと醍醐味は感じられないように思います。ここは一回ではなく季節を変えて何度か訪ねるといい場所なのかもしれません。

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↑ 北大島から見た 印月池(いんげつち)傍花閣(ぼうかかく)と桜。
撮影は2022年4月3日。

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↑ 北大島の「縮遠亭(しゅくえんてい)」(茶室)〔1884年(明治17年)頃再建。〕
「十三景の七」
《 印月池のに浮かぶ北大島に建てられた茶室です。・・・
その名のとおり、かつては上段の間から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ケ峰の遠景が縮図のごとく見張らせたといいますが、残念ながら江戸時代後期にはすでに樹木が繁して茂見得なくなっていました。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)

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↑ 北大島から見た 印月池(いんげつち)と 左側の小島に建つのが「源 融(みなもとのとおる)ゆかりの塔」
右側の小島の名前は・・わからん。
《 ・・・この塔は源融(みなもとのとおる)の供養塔といわれている九重の石塔で、塔身には四方仏が刻まれ、基礎の格狭間(こうぎま)と呼ばれる部分には蓮華が彫刻されています。
 製作年代は鎌倉時代中期と推定されていますが、九重目の本来の笠は失われ、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の笠で代用されています。
 渉成園が築造される以前から、このあたりに建っていたと伝えられています。また、築庭にあたって、宇治にある塔の島の景色を写したともいわれています。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)

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↑ 左手前の島が南大島で、《印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍堂(がりゅうどう)とも称しています。 元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指しました。この堂は二階建・瓦葺の建物で、かつては漱枕居に集まった客人に、縮遠亭へと船で向かう刻限を告げる鐘を鳴らしていました。安政の大火(1858年)による焼失以降、再建されておらず、現在は礎石を残すのみとなっています。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)
「臥龍堂(南大島)」として「十三景の四」となっているらしい。

  南大島(臥龍堂)の右後ろに見える建物が「漱枕居(そうちんきょ)」「十三景の十一」
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↑ 印月池と「漱枕居(そうちんきょ)」〔1865年(慶應1年)頃再建。〕
《 印月池(いんげつち)の西南に位置し、水上にのりだすように建てられています。・・・
 「漱枕居」の名は、旅路にあることを意味する「漱流枕石(そうりゅうちんせき)」の語から採られています。また、縮遠亭(飯店)・代笠席(茶店)とともに「煎茶三席」の「酒店」として用いられたようで、園内に三席が完存する珍しい例となっています。》
( 『名勝 渉成園ー枳殻邸』(2011.3.3.第二版。真宗大谷本廟宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所 発行。)

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↑ 印月池と「閬風亭(ろうふうてい)」〔1865年(慶應1年)頃再建。〕〔明治維新の1868年の3年前頃。「嫌でごわす(1858)とムラビヨフ」、1858年、愛琿(アイグン)条約の7年後頃。1860年、桜田門外の変の5年後頃。〕
《 殿舎の南端の大広間。軒を深くさし出し、規模の大きな建物ながら、穏やかな姿を見せています。・・・・
 「閬風(ろうふう)」とは、中国・崑崙(こんろん)山脈の丁部にあるといわれる山の名前で、仙人が住むとされており、賓客をお迎えする大書院にふさわしい名前がつけられています。》

  次回は北大島から侵雪橋を渡って西側へ。

 今回、「十三景」で述べたものは、

十三景の二 傍花閣(ぼうかかく)
十三景の三 印月池(いんげつち)
十三景の四 臥龍堂(がりゅうどう)(南大島)
十三景の七 縮遠亭(しゅくえんてい)
十三景の八 紫藤岸(しとうがん)
十三景の十一 漱枕居(そうちんきょ)
十三景の十二 回棹廊(かいとうろう)


( ↑ 京都市下京区 渉成園。)
※ 東本願寺HP 渉成園 https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/shoseien/

  (2022.6.6.)

☆ 渉成園(京都市下京区)訪問。
1.建築の見学後、早めに文章にしないと記憶と印象が薄れる。「吐き出す物」がある人間は吸収しにくい。差別政策としての知能指数。遠山『競争原理を越えて』は実状を見ないで書かれた本、賛成できかねる部分がある。数学科・史学科は価値があって社会科学系学部卒は高卒と同じ扱いにしろという主張は横暴で不適切。「高卒のおっさん」偏重が公平ではない。本を読む際に自分を省みる為でなく人を攻撃する道具を仕入れる為に読む人がいる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_3.html
2.京都駅から真宗本廟を経て渉成園西門。「エイブル看板」は街並と調和を考えた色にできないか。パンタグラフの変遷。「昭和」を江戸時代みたいに言うな、「戦前の昭和」と「戦後の昭和」を一緒にするな。東海道本線は「東京と神戸を結ぶ為の鉄道」として作られたのではない。「東京もん」の悪質な大阪嫌い。仏旗と一条三色旗の意味。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202205article_5.html
3.入園口から高石垣を見て庭園北口へ。渉成園の桜。松花堂は弁当屋ではない、ティファニーは軽食屋ではない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_1.html
4.臨池亭・滴翠軒・檜垣の灯籠。桜と本来は楼門らしい傍花閣と園林堂。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_2.html
5.代笠席・印月池・侵雪橋・五松塢・回棹廊・丹楓渓と渉成園の桜。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_3.html
6.回棹廊・紫藤岸・傍花閣と桜。北大島の縮遠亭。源融ゆかりの塔・臥龍堂(南大島)・漱枕居・閬風亭。〔今回〕
7.「渉成園4名橋」侵雪橋・北大島の石橋・西岸の小川の石橋・棹回廊。盧菴・閬風亭・漱枕居。「宗教は毒薬」とはマルクスは言っていないのに誤解して人に教える「医者」階級・「医者」民族。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_5.html
8.庭園南口・双梅檐・大玄関・馬繋ぎ。南側の門。「裏口入学した・させた」なんて自慢することと違うやろ!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_6.html
9.東側・河原町通り・北側の通り・西側の仏願寺。京都駅。そして真宗本廟(東本願寺)の「ええ?」・・・https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202206article_7.html 

☆ 真宗本廟(東本願寺)参拝
1.京都駅から北に歩けば、真宗本廟(東本願寺)。京都駅から程よい距離。東本願寺の前の道はトラックの休憩所ではない。使用者はトラック運転手の休憩場所・待機場所をきっちりと確保せよ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_7.html
2.阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂、鐘楼、手水屋形。正門はどちらか・・。裏口入学する者は正規に入試に合格しようとする者を妨げる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_8.html 
3.境内から阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂。「法話」。「しんらん交流センター」。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_9.html
4.大寝殿・菊門・玄関門。「ギャラリー」。 街の景観との調和は悪くはないが、交番は交番とわかりやすい意匠にする必要はないか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202010article_10.html 
新版 法然と親鸞の信仰 (講談社学術文庫) - 倉田百三
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出家とその弟子 (岩波文庫) - 倉田 百三
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愛と認識との出発 (岩波文庫) - 倉田 百三
愛と認識との出発 (岩波文庫) - 倉田 百三
《 哲学者は淋しい甲蟲(かぶとむし)である。
 故ゼームス博士はこうおっしゃった。心憎くもいじらしき言葉ではないか。・・・
*(注釈) ゼームス博士 William James 1842年-1910年 アメリカ(合衆国)の哲学者、心理学者。その根本的経験論、プラグマティズムの立場は現代アメリカ哲学の源流となっている。 》
( 倉田百三『愛と認識との出発』角川文庫 )

《 生命と認識と恋と善とに驚き、求め悩むのは青春の特質でなくてはならぬ。社会性と処世との配慮はやや後れて(おくれて)くるべきものであり、それが青春の夢を食い尽くすことは惜しむべきである。・・》
( 倉田百三『愛と認識との出発』角川文庫 )
↑ 小此木啓吾はこのような認識の人間のことを「モラトリアム人間病」と「診断」するのであるが、受け取り方は人それぞれであろうとは思うが、内部進学小此木啓吾独善主義はあまりにも決めつけすぎではないであろうか・・と思うが、うかつにこういうことを口にすると小此木啓吾独善主義とその信奉者から「モラトリアム人間病」とかその他なんたらかんたらと「診断」されて「レッテル」貼られそうで怖いこわい怖い怖い。「治療」と称して「電気ショック療法」とか「ロボトミー」とかされる危険があるからうかつなことを口にできない。
小此木啓吾独善主義は本当に恐ろしい 

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