多賀大社参拝[1/9]「多賀」サービスエリア・敏満寺遺跡・東京ー大阪間の自動車の経路について。「Sは新幹線に乗るぞ我らは夜行バスに」の多賀サービスエリア+「千葉工大は新幹線に乗るぞ我らは大垣行普通に」。私立バカ大学の工学部に下宿して行かせてもらう人と国立大学でも工学部には行かせてもらえない者。
[第959回]
滋賀県犬神郡多賀町 の 多賀大社に参拝してきました。 多賀大社は彦根市? ・・と思ったのですが、彦根市と犬神郡多賀町(たがちょう)の境目に近い場所ですが多賀町、犬神郡多賀町と犬神郡甲良町(こうらちょう)との境目とも遠くない場所ですが滋賀県犬神郡多賀町にあります。
交通手段としては、「鉄道派」にとってはぜひとも乗ってみたいという気持になる近江鉄道、それも、「高宮」駅から分岐する多賀線の終点「多賀大社前」駅が最寄駅です。
多賀大社に訪問するのは私は2回目です。小学校4年の時、うちの母親と下の姉と3人で来ました。1960年代の終わり頃、上の姉の勤め先の保養所が滋賀県の今は長浜市になりましたが、その頃は「びわ村」だった所にあって、そこに2泊させてもらい、3日目に彦根駅から観光バスに乗って、多賀大社・醒ヶ井養鱒場・彦根城とめぐりました。観光バスに乗ると、何か所か効率よくまわれるという利点はあるのですが、鉄道ならどこを走っているのかわかるのですが、バスの場合、それも路線バスではなく観光バスの場合、窓から外を見ていても、いったいどこを走っているのかわからないという短所があります。又、神社や寺の参拝の場合、どこからどこまでが参拝なのかというと、自宅の玄関を出て目的の寺社を訪ねて、そして自宅の玄関に戻ってくるまでが参拝だと考えるならば、往復の経路もできるだけ公共交通機関を使うべきで、自動車でも自分で自家用車を運転して行く場合は往復の経路も参拝になりますが、観光バスに乗ってしまうと、目的地にいる間だけが参拝になってしまうようなところがあります。今、90代のうちの母親にそれを話すと「そうや」と言うのですが、今から考えてみると、そのわりに、うちの母親は観光バスで行くのが好きだったように思えます。ひとつには、最近の人と違って、戦前生まれの人の場合、女性が電車や路線バスで観光地に行くということがあまりなかったからかもしれません。90代になったうちの母親は「息子が勉強する子だったから、息子と一緒にずいぶんといろいろな所に行けた」と言ってその点については喜んでいます。たしかに、うちの母親と一緒に行った所はけっこうあります。京都の広隆寺・仁和寺・妙心寺・等持院・北野天満宮・鹿苑寺・慈照寺・東本願寺・清水寺・三十三間堂、大阪府の四天王寺・大阪城・萩の寺、和歌山県の高野山、奈良県の壷阪寺・長谷寺、兵庫県の姫路城・書写山円教寺、滋賀県のこの多賀大社や彦根城・竹生島・・他、私が小学生の時、けっこういろいろな所に行きました。
多賀大社の場合、特に近江鉄道多賀線というのに乗っていきたい♪・・というのが「鉄道派」の願望です。多賀線は「高宮」という駅で本線から分岐して「多賀大社前」駅まで行きます。時刻表を見ると、米原から直通の電車・彦根から直通の電車があり、直通ではないけれども米原・彦根からの本線の電車と「高宮」駅で連絡している電車があるようです。「鉄道派」(念のため、お断りしておきますが、「鉄道派」というのは、自動車(マイカー)でも鉄道・路線バスでも行けるという所に行く場合、鉄道の方が好きという人間のことで、人の迷惑を考えない「鉄オタ」「撮り鉄」のことではありません)にとってはぜひとも乗りたい~いという気持になる鉄道です。近江鉄道はいつまで走っているのか、今では近江鉄道は西武の系列になってしまったらしく、1980年代においては白ライオンのマークを車体につけた電車が走っていたとかいいますが、今回、見た電車は後で公開しますが、「お~い、お茶」のマークをつけていました。
それで、1回目は彦根駅から観光バスに乗って多賀大社に来たのですが、今度こそ近江鉄道多賀線に乗りたい・・という気持があったのですが、地図を見ると、名神高速道路「多賀」サービスエリアから、そう遠くない場所にありそうに見えます。「多賀」サービスエリアというと、これは私にとっては思い入れのあるサービスエリアです。1980年代、大学生だった時、同じ小学校・同じ中学校・同じ高校から何の因果か同じ大学に行ったS本彰 という「なまたまご」を「なまなまこ」と発音する、なんというのか「中年オヤジ」みたいなキャラの男がいたのですが、慶應大学に「経済新人会」というまさに「中年オヤジの交友会」みたいなサークルがあって、S本もその「中年オヤジ友の会」に入っておったのですが、そういえば、あの男は小学生の頃から「中年オヤジ」みたいなキャラの男でした。ちょうど似合いの所に行ったのかもしれません。そいつは私よりもひと回りというのか二回りというのか多い金額の仕送りを親から送金してもらっていて、最初は横浜市港北区の日吉台学生ハイツという所に住んでいましたが、後に私が転居したアパートの何倍もの家賃がする借家の転居したという男で、食うものも私より高いものを食っていました。そいつは東京と大阪を行き来する時には常に新幹線を使っていましたが、それに対して私は夜行バスの国鉄バス「ドリーム号」に乗るか、東京駅を夜11時半くらいに出た大垣行の「普通」というのか「快速」と言うのかに乗り、早朝に大垣駅で西明石行の「普通」というのか「快速」というのかに乗りかえるという方法をとることが多かった。「ええなあ、うらやましいなあ、阪本は。ええなあ、ほんまにええなあ」と思ったものでした。「わしぁ貧乏やからな。わしぁ日陰の月見草や~あ」と思ったものでした。
国鉄の夜行バス「ドリーム号」に東京駅の八重洲口から乗ろうとした時、待合室に「男には男の夢がある」という文字が書かれて『あしたのジョー』の絵が描かれた「ドリーム号」のポスターが貼られていたのを覚えています。その隣あたりには、当時、近鉄の監督だった西本幸雄の顔写真が掲載されて「投げたらいかん」という文句が書かれた覚せい剤防止のポスターが貼られていました。西本幸男に続いて鈴木啓示が同じ覚せい剤防止のポスターに登場したと思ったら、自分で「投げたらいかん」と思ったのか鈴木は引退しました。S本が新幹線に乗っている時に私が国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」に乗っていても「なにくそお」と思い、「投げたらいかん」と思って努力しましたが、あほくさいだけだったような気がします。
※ 《YouTube-美しき狼たち - おぼたけし》https://www.youtube.com/watch?v=0LhCBMarAjs
その「ドリーム号」は途中、箱根・三ヶ日・多賀の3カ所のサービスエリアで休憩をとったと思いましたが、3カ所とも真夜中なので周囲は何も見えませんでしたが、私にとっては思い入れのある場所でした。ドイツ民謡の「モミの木」の歌に歌詞をつけた「赤旗の歌」というものがあり、その「赤旗の歌」の替え歌というものもあるようで、「民衆の旗、赤旗は~♪」という部分を「民衆の足、国鉄は~♪」として、それに続いて「金持ちは~飛行機に~乗るぞ、我らは国鉄に~♪」とするものがあったようですが、私にとっては「阪本は~新幹線に乗るぞ、われらは夜行バスドリーム号に♪」というものでした。「多賀」サービスエリアは、その時、真夜中に降りたサービスエリアで「阪本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バス『ドリーム号』に~♪」という実感を持って降りた場所でした。今、道路地図を見ると東名高速道路には「三ケ日」インターチェンジはあっても「三ケ日」サービスエリアは見当たりません。もしかすると今の「浜名湖」サービスエリアがそれでしょうか。「箱根」サービスエリアも見当たりませんが、これも御殿場付近の「足柄」サービスエリアかもしれません。
昼間のバスは、その頃、東京ー大阪間のものはなく、大阪⇒名古屋 と 名古屋⇒東京 の昼間のバスを乗り継いで乗ったことが一度ありましたが、夜行バスは直通ですが、昼間のバスは途中で何か所もバス停に停車しましたし、又、東名高速道路の箱根付近から東がものすごく混雑して進まなかったのを記憶しています。なんで、俺だけこんなことしなきゃならないんだ、と思ったものでした。
1980年代後半、小堀住研(株)に入社した時、新卒社員研修はJR「大阪」駅のすぐ南、大阪市地下鉄谷町線「東梅田」駅の真上にあった本社でおこなわれましたが、会社は従業員に公平でなければならないはずですが、小堀住研(株)は千葉工大のやつには新幹線代を出したにもかかわらず私には東海道本線の普通運賃しか出してくれませんでした。私は夜行普通に乗って行きましたが、千葉工大のやつは当たり前みたいに新幹線に乗っていました。私は東京駅を夜の11時半くらいに出た大垣行「普通」というのか「快速」というのかに乗り、大垣駅で西明石行に乗り換えて行きましたが、3月の下旬、ものすごい混んでいて、荷物を持って吊皮もない電車に通勤ラッシュ並みに混んでいる状態で一晩立ちっぱなしで行きました。「千葉工大は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行普通に~♪」というものでした。「ええなあ、千葉工大のやつは。千葉工大みたいなもんしか行かれへんやつやのに。小学校から高校までちっとも勉強してきてないやつやのにからに、私立の工学部なんて学費の高い所に行かせてもろうてからに、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ。それでもって、東京から大阪まで行くのも、わしは通勤ラッシュ並みに混んでる夜行の普通に荷物持って立ちっぱなしで行ったのに、千葉工大のやつは新幹線に乗って座って楽して行ってからに。ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」と思いました。「わしぁ日陰の月見草や」てものでした。
※ 《YouTube-【和訳付き】もみの木(ドイツ民謡) "O Tannenbaum" - カタカナルビ付き》https://www.youtube.com/watch?v=JhrQm1wD4LU
《YouTube-「赤旗の歌」》https://www.youtube.com/watch?v=jMf-qLljzNg
比較的最近では、岐阜県高山市の高山バスターミナルから大阪行の濃尾バスに乗った時、やはり、3か所で休憩を取りましたが、「養老」サービスエリアと「多賀」サービスエリアと岐阜県内のどこかだったように思います。私は、1970年代前半、中学校1年の時、友達と一緒に大阪から急行「たかやま」号という高山行きの急行に「岐阜」駅まで乗ったことがありますが、いつしか、急行「たかやま」号はなくなり、かわりに、特急「ワイドビュー飛騨」号が多くは名古屋から出ているのですが大阪発高山行きの電車も1日に1本走るようになりました。大阪から高山、高山から大阪に行く場合、特急「ワイドビュー高山」号は1日に1本なので時間がちょうど合えばいいのですが、そうでない場合は高山から乗る場合なら名古屋行きの「ワイドビュー飛騨」に乗って「岐阜」駅で大垣行に乗り換えて、大垣で米原行きに乗り換えて、米原で新快速に乗るか新幹線に乗るか、社長さんなら新幹線に乗るでしょうけれども、新快速はけっこう速いので私のような「日陰の月見草」は新快速に乗りますが、岐阜・大垣・米原と3か所乗り換えなければならないなら、濃尾バスの大阪行に乗れば直通で行けるのでバスの方がいいかと思ったのでしたが、バスに乗っても3か所ほど「休憩」でサービスエリアに停車し、そのたびに周囲の人が降りたり乗ったりしますし、それなら自分も降りてトイレくらい行くかと思って降りますから、それなら岐阜・大垣・米原と3回、乗り換えるのも同じようなもので、電車の座席の方がバスの座席よりも前との間隔が広くて快適なので、特急「ワイドビュー飛騨」名古屋行きに高山から岐阜まで乗り、岐阜で浜松・豊橋方面から来たJR
JR東海の快速で岐阜から大垣までは各停になるけれども乗り、大垣から米原行きの各停に乗って、米原で長浜のあたりから来た新快速に乗るという方が快適ではないか・・と思ったりしました。
私にとっては「多賀」サービスエリアは「S本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスに~♪」の場所なのです。「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」という場所です。
大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』(1964.12.21.岩波新書)には、
《 先ごろ、アメリカの大統領ケネディはアメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろうという話をデッチあげたが、あれは完全なウソである。マルクスは自分が貧乏をしたから革命論を作ったのではない。マルクスは原稿料をアメリカからもらったからリンカーンをほめたのではない。そういうことを考えるのは思い上がった小人である。・・・》
と述べられている・・・が、マルクスは人間できてるから《アメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろう》ということはなかったかもしれないが、私なんかはマルクスほど人間できてないから・・、だから、S本が新幹線に乗っている時に私が国鉄夜行バス「ドリーム号」に乗り、千葉工大のやつが新幹線に乗っている時に私が東海道本線「普通」に立って乗っていたということは、関係ないということないかもしれない。マルクスほど人間できてないからなあ・・・。

マルクス・エンゲルス小伝 (岩波新書) - 大内 兵衛
「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ・・・。わしぁ日陰の月見草やあ」
最近、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアには高速道路利用者だけではなく、付近の住人もしくは一般道利用者も利用できるように高速道路の外側にも駐車場が設けられて外からも入れるようになっている所がけっこうあります。高速道路の中側からも外側からも出入りできるということは、高速道路利用者がサービスエリア・パーキングエリアにクルマを停めた上で外側に出て、「へ~え、ここはこんな所なのかあ」と5分から10分程度付近を散策して戻ってまた運転を再開する・・ということをしてもいいのだろう・・と私は思っていたのですが、ところが、東名高速道路の「中井」パーキングエリア・新東名高速道路「浜松」サービスエリアでは、出入口に「ここは付近の住人の方の出入口です。高速道路利用の方はここから出ないでください」などという看板が立っています。「え、出たらいかんの?」と思っても、実際の所、そこを歩いている人間が付近の住人なのか高速道路利用者なのか顔に書いてあるわけでもないので出てもわからないでしょうし、又、マナーとしてサービスエリア・パーキングエリアの駐車場が相当混んでいる時には、外に出てあまりにも長い時間をサービスエリア・パーキングエリアに自動車を駐車させておくというのは好ましくないとは思いますが、新東名高速道路の「浜松」サービスエリアなんて、いつ行ってもすいていて駐車台数に余裕があるのに、なんでそんなこと言うの? 「遠州人」は他県人に自分たちの領域に入って来られたくないのかあ? それなら遠州地域にインターチェンジ作るなよ。遠州地域に新幹線の駅を作るなよ・・てことになるが、そうであるのかないのかわからんが、そんなに嫌なら別にええわ・・・と思ったりもします。片方で、2011年の福島第一原発事故の直後、静岡県産茶葉の放射線量検査を拒否して静岡県産農産物は安全性に不安がありますよおとアピールした静岡県知事の川勝平太が静岡駅に「のぞみ」号を停めろとかアホなこと言うとるようだが、「浜松と静岡と三島」か「浜松と静岡と熱海」に停まる「ひかり」が1時間に1本走ってるのだからそれでいいじゃないかと思うのだが、「私が静岡駅に『のぞみ号』を停めましたあ」とでも言いたいのかなんか知らんが、片方でそんなこと言って他方で他県人に入ってこられたくないのか、何なんだろうな。
名神高速道路「多賀」サービスエリアはどうなのかというと、「多賀」サービスエリアは東行きと西行きに分かれていますが、その西行きの方に、↓

↑ 「胡宮神社 350m」 なんて書いた案内板が貼られています。これ、サービスエリアの高速道路側です。
《ニッポン旅マガジン 胡宮神社》https://tabi-mag.jp/sg0186/ ・《滋賀・びわ湖観光情報 胡宮(このみや)神社》https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/344/ など見ると、祭神は多賀大社と同じく伊弉諾(いざなぎ)・伊邪那美(イザナミ)だそうで駐車場もあるらしい。
胡宮(このみや)神社の祭神は《ニッポン旅マガジン 胡宮神社》https://tabi-mag.jp/sg0186/ ・《滋賀・びわ湖観光情報 胡宮(このみや)神社》https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/344/ などには伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)と記載されているようだが、滋賀県歴史散歩編集委員会編『滋賀県の歴史散歩 (下)彦根・湖東・湖北・湖西』(2008.5.25.山川出版社)には、《 多賀大社前駅から名神高速道路沿いに南へ1㎞ほど行くと、敏満寺山(青竜山 せいりゅうざん)麓に胡宮神社(祭神 伊邪那伎〔いざなぎ〕命、伊邪那美〔いざなみ〕命・事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命)がある。祭神からもわかるように、多賀大社とのつながりも深く、大社の別宮とされていた。・・》と書かれており、伊邪那岐・伊邪那美を祭神とする多賀大社とは異なるところとして、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命も祀っているという点だ。
事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命とは、あまり聞かない名前だが・・と思ったが、『古事記』では「塩椎の神(しおつちのかみ)」の名前で登場する神で、山幸彦(後の神武天皇のお父ちゃん)と海幸彦の兄弟が道具を取り替えて普段は山で狩猟をしている山幸彦が海幸彦が使っている漁業の道具を借りて釣りをしたところ、釣り針を無くしてしまい、海幸彦から無くした釣り針を返せと迫られて困り切っていたところに現れて助言して助ける神だ。 海の潮路を掌る神とされ、又、宮城県塩釜市の塩釜神社では製塩を教えた神とされ、兵庫県西宮市山口町の公智神社の摂社の塩津神社では竹籠など竹を使う産業を守護する神とされている神さんらしい。今回は胡宮神社に寄ることはできなかったが多賀大社に行った帰りに胡宮神社の前を通ったので、胡宮神社と事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命・塩椎の神(しおつちのかみ)については、[第966回]《多賀大社参拝[8/ ]多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアまで。「S本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスに~い♪」の思いの「多賀」サービスエリア。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_8.html で述べた。

( ↑ 胡宮(このみや)神社。)
こういう案内板がサービスエリアの中と外との出入口のある付近の中側にあるということは、出てもいいということなのだろう・・と思う。
なおかつ、西行きのサービスエリアの外側に出た正面には、↓

↑ 写真はクリックすると大きくなるので拡大して見てください。
「多賀大社(1.5km)
絵馬通り
多賀大社前駅(1㎞)
← 」
「多賀大社
(1.2km)
↑ 」
という案内板も出ています。こちらの方は高速道路利用者が外に出てきた時用なのか、自動車で一般道から来た人向けなのか、どちらかわかりませんが、サービスエリアから出た正面にこの看板があります。但し、右の方は少々わかりにくい。この案内図だと、目の前の階段を降りていくと多賀大社まで1.2kmなのか? と思いそうになりますがそうではなく、この名神高速道路と並行して走っている一般道を右(南)に行って、次の大きな交差点で左折して(北に進んで)行くと左側に多賀大社参拝者用の大駐車場があり、そこを過ぎてその次の交差点を左に曲がった右手に多賀大社があります、という意味です。
今回、左ルート、多賀大社前駅に1㎞歩いていって、そこから多賀大社まで歩いて行き(県道225号 多賀停車場線)、帰りは右ルート、国道307号を南下して戻りましたが、けっこうあったわ。疲れた。自家用車で名神高速道路を走ってきて、多賀大社にクルマで行こうとするならば、多賀大社の周囲には無料駐車場や有料駐車場があり、「多賀」サービスエリアの南側には「湖東三山」パーキングエリアと「湖東三山」スマートインターチェンジがあり、北側に「彦根」インターチェンジがあるので、西から東に行く時は「湖東三山」スマートインターチェンジで降りて国道307号を北上して行き、帰りは国道306号を北上して「彦根」インターチェンジから乗る、東から西に行く時は「彦根」インターチェンジでおりて国道306号を南下して行き、帰りは「湖東三山」パーキングエリアから乗るというようにした方が良さそうです。
西行きの「多賀」サービスエリアから外に出てすぐの場所に、↓


↑ このあたりが「敏満寺(びんまんじ)遺跡」ですという案内板が立っている場所があります。
《 「敏満寺(びんまんじ)遺跡」は、名神高速道路の多賀サービスエリア一帯に分布し、青龍山(333m)を御神体として12~15世紀頃に繫栄した寺院の遺跡です。当時は比叡山を凌ぐとも言われた大きな寺院で、その勢力ゆえに、戦国時代の混乱の中で小谷城主・浅井長政や織田信長に攻められて焼失し、その後も再建されることなく現在に至っています。》
《 この先一帯には、[坊跡]・[鍛冶跡]・[井戸跡]等が試掘調査で確認されています。
現在は保存のために土で埋め戻されています。
中日本高速道路(株)名古屋支社 彦根保全サービスセンター ・・・・》
と書かれた看板が立っている場所があります。「青龍山(333m)を御神体として」ということなら寺ではなく神社か? とも思えます。寺なら山を御神体とするというのは不自然です。
滋賀県とか多賀町とか教育委員会とかではなく「中日本高速道路(株)名古屋支社 彦根保全サービスセンター」がこの看板を立てているということは、「多賀」サービスエリアの場合はサービスエリア外に出てもかまわんということなのでしょう・・と思う。
但し、この「敏満寺遺跡」という付近や、それから、西行き「多賀」サービスエリアの東側の名神高速道路と並行して南北に走る一般道を少し北に行ったあたりの東側に高宮池というきれいな池がありますが、そのあたりまでなら、サービスエリアを出て行ってみてもいいかと思いますが、多賀大社まで歩いて行って帰ってくるのはけっこう大変だった。
※ 多賀大社HP http://www.tagataisya.or.jp/

( ↑ 多賀大社。)
千葉県から大阪府、大阪府から千葉県まで高速道路を自家用車で走るというのを何度かやりました。一度目はその夜は寝ていて頭がぐるぐるまわっていましたが、何度か走っているうちに慣れてきたのか、それほど大変でもなくなってきました。最短で行こうとすると、東京から名古屋付近までは、御殿場ジャンクションで東名高速道路と新東名高速道路に分かれた後、愛知県豊田市の「豊田」ジャンクションで合流するまでは新東名高速道路の方がいくらか距離が短いらしいのですが、普通乗用車で東名・新東名高速道路を走った時、特に夜間は箱型トラックが多く、箱型トラックの後を走ると前が本当に見えなくて走りにくいのですが、昼間は箱型トラックも走っていますが普通乗用車も走っておれば箱型でないトラックも走っているのですが、何回か走った経験からいうと、どちらかというとですが、東名の方が新東名に比べて箱型トラックの割合が小さいような気もします・・が、昼間に走る場合はどちらでも走りにくいということはないので、どちらかといえば新東名の方が距離が少しだけでも短い分だけ速く行けそうな感じがします。それと豊田ジャンクションで新東名高速道路ならばそのまま直進すれば伊勢湾岸道に行けるのに対して、東名高速道路なら直進すると名神高速道路の方に行くので、伊勢湾岸道に行くつもりならば新東名を走ってきた方がわかりやすいということがあります。
名古屋付近から京都・大阪までですが、豊田ジャンクションから伊勢湾岸道~新名神高速道路で滋賀県の草津ジャンクションまで行くのと、豊田ジャンクションから東名・名神経由で草津ジャンクションまで行くルートではどうか、これまで伊勢湾岸道~新名神ルートを通ってきたので、今回、一度、名神~東名ルートで行ってみようとして、その途中で「多賀」サービスエリアに停まり、多賀大社まで行ってきたのでしたが、東側の御殿場ジャンクションから豊田ジャンクションまでは、東名ルートと新東名ルートでは「どちらかと言えば新東名ルートの方が距離は短いらしい」という程度のもので東名ルートでもそれほど距離が長いという感じはしませんが、それに対して、豊田ジャンクションから草津ジャンクションまでの間は「伊勢湾岸道+新名神」ルートと「東名+名神」ルートでは距離が相当違うという印象を受けました。東名と新東名では、新東名は東名よりも内陸部を通っているものの、基本的に通っているルートはそれほど変わらないのに対して、「東名+名神」と「伊勢湾岸道+新名神」は別の場所を通っていますから、距離の差も大きいのかもしれません。ただでさえ、千葉県から大阪府まで走るのは大変なのですから、少しでも距離は短くすべきで、それを考えると豊田ジャンクションから西は「伊勢湾岸道+新名神」ルートの方が良さそうです。
伊勢湾岸道は、最初、地図で見て、こんな海に近い場所を走って津波とか来たら大丈夫だろうか、津波でなくても大潮の時に台風まで行かなくても強風の時には大丈夫かなんて思いましたが、静岡県の由比のあたりは海がきれいですが高速道路は高くない場所を走っているので強風の時は波が高速道路の方に来るおそれもあるかもしれませんが、伊勢湾岸道の場合は相当高い場所を走るように作られていますし、今の技術でけっこう頑丈に作られているようですから、おそらくかなりの津波とかが来ても伊勢湾岸道の上におれば大丈夫ではないか、むしろ、伊勢湾岸道のインターチェンジの下あたりにいる人は津波が来たというような時は大急ぎでインターチェンジから伊勢湾岸道に駆け上がれば命は助かるのではないか、という感じがします。長嶋パーキングエリアは足湯があったりするのですが伊勢湾岸道より低い場所にあるので津波が来ることがあったら本線の方に行った方が良さそうです。伊勢湾岸道は津波に対しては大丈夫そうですが、相当高い場所を走るように作られているので風がけっこう強い。両側は川・・と言っても海みたいな川ですから、落ちたらどないしよ・・、その時は「海ゆかば水漬く屍(かばね)」を歌いながら死んでいくのか・・と思い、できるだけ「真ん中」レーンを走るようにしていたのですが、幸いなことに今まで落ちたことはありません。東京の荒川を渡る橋も「落ちそうで怖い」のですが、幸い、今までに落ちたことはありません。
新東名高速道路は特に夜間は箱型トラックが多いのですが、新名神高速道路はそれほどではないような気がします。もしかするとですが、名古屋圏と関西圏の間では、工場や倉庫が滋賀県あたりにけっこう多いということはないか。だから、東名と新東名は同じようなルートを走っているのに対して、名神と新名神は別のルートを走っていて名神のルートの方が新名神のルートよりも工場や倉庫が多いということがあるのかもしれない・・と思ったりもしましたが、あくまでも仮説です。
草津ジャンクションより西、「瀬田東」ジャンクションから「大山崎」ジャンクションまでの間は、これまで北側のルートを通ることが多かったのですが、北側のルートと南側の京滋バイパスルートはどちらを通ってもそう変わらない気がします。 又、その西、大阪府北東部で「右ルート」「左ルート」に分かれますが、これもどちらを通ってもたいして変わらないように思いますが、「高槻」ジャンクションで新名神高速道路に進む場合は「高槻」ジャンクションは左右のルートが合流してすぐなので「左ルート」をあらかじめ走っておいた方がいいようです。「高槻」ジャンクションから名神を進むか新名神を進むかどちらがいいかは行先によります。
神奈川県と静岡県の境目付近、「中井」パーキングエリアの西から「足柄」サービスエリアの東の間にも「右ルート」「左ルート」がありますが、これもどちらを進んでもそう変わらないように思います。
千葉県と大阪府の間を高速道路を通って走ると、これだけの距離をガソリン代と高速道路代を使って走るのだから途中でどこか1カ所くらい寄ってみたいと思いがちです。又、途中で1か所立ち寄ると、気持ちの上で、自動車の運転が半分半分か3対2くらいに分かれるという場合もあります。しかし、半分半分か3対2に分かれるのならいいのですが、そうではなくて、ただでさえ距離があるのに、余計に時間をとってしまうということになる場合もあります。その点、サービスエリア・パーキングエリアから歩いていける所ならばクルマの運転距離は長くならないのだからいいだろう・・・なんて思って「多賀」サービスエリアから多賀神社まで行ってきたのですが、歩いて往復するのもけっこう大変でした。道路地図で見て近そうに見えても実際に歩いてみるとけっこうあった。『県別マップル 滋賀県道路地図』(2020年4月 3版 昭文社)の地図を見て行ったのですが、3万分の1 の地図を見て近そうに見えても、都市部の1万分の1 とか 5千分の1とかの地図で見て近いのとは意味が違う・・と理屈ではわかっていても、実際に歩いてみたら遠かった。
それで・・・、今回は西から東に行くのに「多賀」サービスエリアに立ち寄って行ったのですが、

↑ 「多賀」サービスエリア (東行き)から南方を見たもの。この写真の山は、胡宮(このみや)神社やその背後の青龍山(333.3m)でしょうか。
「多賀」サービスエリアは東行きの方が西側・琵琶湖側にありますから彦根市街や琵琶湖の方は東行きのサービスエリアからの方がよく見えます。↓

↑ 「多賀」サービスエリア(東行き)から見た琵琶湖方面。向こうに見える山は琵琶湖の対岸の山かと思われる。
これまでに行ったサービスエリア・パーキングエリアでは、新名神の「土山」サービスエリアとか新東名の「岡崎」サービスエリアとかは商業施設が間にあって両側の駐車スペースがその両側にありますが、それぞれの方向に駐車スペースと商業施設の建物が別にあって、なおかつ、その両方を行き来できるように陸橋があるというサービスエリアは、ここ「多賀」サービスエリアで始めて見ました。↓

( ↑ 「多賀」サービスエリア(東行き)から見た サービスエリアの「東行き」と「西行き」のサービスエリアを結ぶ陸橋。)

↑ 「多賀」サービスエリアの「東行き」と「西行き」を結ぶ陸橋上。 中央に何か埋まってるみたいです。
陸橋を降りると、先ほどの胡宮(このみや)神社はあっちですよという案内板が陸橋の足に貼られているのが見えます。↓

その指示に従ってサービスエリアから外に出ると、やはり、先ほど掲載した「敏満寺(びんまんじ)遺跡」のあたりに出ます。

そこから東に歩くと、名神高速道路と南北に並行して走る一般道に出ます。↓

多賀大社に行くには、この一般道を北に進んで行くルートと南に進んで行くルートがあり、距離としては南まわりの方が少し短いようですが、今回は「鉄道派」として近江鉄道「多賀大社前」駅を経由して行きたいと思ったので、北まわりのルートで行きました。

↑ 名神高速道路と南北に並行して走る一般道を北に見たものです。左側の高くなっている所が名神高速道路のはずです。
多賀大社とはどういう神社なのか。『マニマニ 滋賀 琵琶湖 長浜 近江八幡』(2019.1.1.改訂2版。JTBパブリッシング)には、
《 「お多賀さん」の愛称で親しまれる滋賀県屈指の古社。伊邪那岐大神(いざなぎおおかみ)・伊邪那美大神(いざなみおおかみ)の2柱を祀ることから、延命長寿や縁結びの神様として信仰されてきた。》
《 古社の風格の漂う拝殿、武田信玄や豊臣秀吉ら、戦国武将も参拝したという。》
と出ています。

滋賀 琵琶湖 長浜 近江八幡 (マニマニ)
同書には「おかいもの」として、「どら焼 虎てつ(こてつ)」の「ひこにゃん」が描かれたどら焼き 、
《 保存料を配合せず、手作りの美味しさにこだわって作る和菓子を販売。看板商品は、厳選した北海道小豆を炊き上げた自家製小倉あんのどら焼き「ひこどら」。 ハチミツを加えてふんわり仕上げた生地が上品な印象。》
《 ひこにゃんの焼印が入った「ひこどら」は1個168円。おみやげにぴったり。》
が掲載されています。彦根市立花1-2 彦根駅から徒歩10分で駐車場もあるらしいが、「多賀」サービスエリアの売店でも売っていたが、今回は買わなかったので、食べてない以上はおいしいかどうかはわからない。
※ どら焼 虎てつHP https://ichien.jp/kotetsu/
今回はこのあたりまでにして、次回は、近江鉄道「多賀大社前」駅から多賀大社へ進みます。
慶應大学でステューデントカウンセラーズというサークルにいた時、「来談者」で経済学部だったか商学部だったかに入学した人で「自分は小学校から高校まで真面目に努力して勉強してきたつもりだが、経済学部とか商学部とかそういった学部に行ってしまったらそれが無駄になってしまう」と話した人がいました。これは私も同様のことを思っていたことでした。

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私は小学校の1年から同級生が遊んでいる時も努力して勉強してきたつもりでしたが、経済学部・商学部・経営学部なんて所に行ってしまうと、日本には「学歴によって人を差別してはいかんだろうが」という考え方があって、工学部卒の人間を殿様扱いするのはいいが高卒の人間・中卒の人間と「経済学部・商学部・経営学部や法学部卒の人間で弁護士などの資格を取ったわけではなく国家公務員・地方公務員の試験に合格したわけでもない人間」とを「差別」してはいけないという主張がまかり通っています。 私が勤めた会社では、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では ””「バカでも入れる私大の建築学科」卒は新卒入社したその日からお殿様”” であるのに対して、社会科学系学部卒で入社すると「高卒・中卒より下の扱い」にされました。総務部長の天野雅弘からだったか他の誰かからだったか記憶がはっきりしなくなりましたが、「おまえは慶應でマーケッティングとかやって遊んでたんだろう」などと言われたこともありました。まず、「マーケティング」は「マーケティング」であって「マーケッティング」ではありません。アクセントは頭にあり、小さい「ッ」は入りません。慶應大学の商学部の「日本産業論」だったかの講義で教授が「『マーケティング』は『マーケッティング』ではありませんからね。慶應義塾の卒業生が卒業してから『マーケッティング』なんて言ったら恥ですからね。覚えておいてくださいよ」と言われたものでしたが、ところが、こういうことを会社という所で言うと「『マーケティング』とか言いやがってからに腹立つなあ、おまえはあ。『マーケッティング』と言え」と言って怒られます。又、「マーケティング」というものを学ぶというのは「遊んでる」のではないと思うのですが、(株)一条工務店あたりの高卒や中卒の人にとっては「マーケッティングとかやって遊んどったんだろう」ということにしたいようでした。
小堀住研(株)でも千葉工大卒のやつには新幹線代を出して私には東海道本線の普通運賃しか払ってくれなかったのです。「千葉工大は~新幹線に~乗るぞ、我らは大垣行夜行普通に~♪」という節で「赤旗の歌」でも歌いたくなります。 北野高校は行きたいと思って行った学校でしたので合格発表の時はうれしかったのですが、卒業して十年以上経って冷静に考えることができるようになると、あんまりいい学校ではなかったなあと認識するようになりました。特に、2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は私に何度も何度も「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言って私がそこだけは行きたくないと小学校1年の時から一貫して思ってきた所に何が何でも行かそうとしましたが、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思います。慶應の内部進学の人は経済学部に行きたがる人が多いのですが、そういう人はオーナー企業の社長の息子か大企業の役員の息子かそういう人ですから、ハク漬けに「慶應大学経済学部卒」という肩書が欲しいだけで大学に行っている人です。我が家なんかは親はオーナー企業の社長でもないのに、なんで経済学部・商学部・経営学部みたいなもんに行かされなければならないのか。特に、本人が「そこだけは嫌だ」と一貫して思ってきたのに、なぜ、北野高校の教諭というのは本人が嫌がっている所に行かそうとするのか。
うちの母親は私が小学校高学年から中学校の時には「親というものは息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやってつきたい仕事につけるようにと思えばこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言い、私はその話を本気にしてしまったのでしたが、それは最初から騙してやろうとしての発言でした。うちの父親は「わしのっために、わしのっために。すべてをすべてをわしのっために。捧げ尽くす、捧げ尽くす、すべてをすべてをわしのっために!」と叫び続けました。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしにじゃ、わしになんじゃイライラ~あ! いっらいっらイッライッラしてきたしてきた、してきたしてきた♪」と叫びまくっていました。しまった、はめられた・・と気づいた時は遅かった。
「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」とうちの父親は言うのでしたが、だからこそ、国立大学に行けるように努力してきたのではありませんか。「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずです」と私は言ったのだ。ところが、私がそう言うとうちの母親は「国立大学なら学費は何学部でも一緒でも、絶対に百パーセント国立大学に通ると決まってませんでしょ。たとえ、0.1%でも0.01%でも落ちる可能性があったら国立大学でも工学部なんか受けてはいかんでしょうがあ」と言うのでした。その結果、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学校1年の時から思い続けてきた大学学部に無理矢理行かされてしまいました。それに対して、千葉工大のやつというのは小学校から高校までちっとも勉強してきていないにもかかわらず、国立大学よりも学費が高い私立大学の中でも学費が高い工学部になんか行かせてもらっているのです。なおかつ、うちの父親は「東大に行くというなら東京で下宿してでも行くべきやし、下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應大学か早稲田大学に行くなら東京で下宿してでも行く値打ちはあるけれども、そんなもん、明治やたら法政やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらそんなアホ大学に行くのに東京で下宿までして行くことあらへん。アホ大学は大阪にもあるんやからアホ大学に行くやつは行くにしても家から通える地元の大学に行くべきや。そもそも、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらそういう大学に行くやつが大学に行くのが間違っている。そんなアホ大学に行くようなやつは自衛隊に入れたるべきや。アホ大学のやつは全員、自衛隊に入れ、自衛隊に!」と言っていたものでしたが、(株)一条工務店などではその「アホ大学」の建築学科卒の人間が「新卒入社したその日からお殿様」であり、そういう扱いにする会社でした。小堀住研(株)は千葉工大のやつには新幹線代を払い、私には東海道本線の普通運賃しか払ってくれませんでした。「千葉工大は~ア新幹線に~い乗るぞ、我らは夜行普通に~い♪」てものでした。そもそも、うちの父親が言った基準からすれば千葉工大みたいなもんに行くやつが「大学」という所に行くのが間違っているはずですし、「自衛隊に入れ、自衛隊に~い!」というもののはずでしたが、そんな大学に行くやつなんて、もうちょっと申し訳なさそうにしろと思ったものでしたが、小堀住研(株)に入社した千葉工大のやつはちっとも申し訳なさそうにはしていませんでした。
それから、(株)エイブルhttps://www.able.co.jp/ の海浜幕張の店にいた時、千葉工大の近所に住んでいる人が母親と千葉工大に入学したという息子を連れて息子が一人で住むというアパートを捜しにきたことがありましたが、なんで実家のすぐ近所の私立大学に行くのにアパートを捜してアパート住まいをするんだ・・と思ったものでしたが、千葉工大に入学したバカ息子が一人暮らしをしたいと言うから、その為のアパートを捜してあげようと母親が思って息子と一緒に来たようでした。(株)エイブルの勝田台の店にいた時には付近の私立バカ大学に入学した女子学生が一人で住みたいと言うというので父親が娘と一緒に来たということもありました。こいつら、いったい何なんだ・・と思いました。どちらも、あんまり裕福そうな親には見えませんでしたが、息子・娘が一人暮らしをしたいと言えば、私立バカ大学に行ったようなやつでもそのためのアパートを捜してやろうなどと親がしていたようでした。私などは国立大学に行こうと思えば行けたし、学費と生活費は自分で稼いで行きますから出して要りませんと言っても、それでも「だ~れが工学部みたいなもん、行かすかあ~あ」と親から言われ、「おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきやがったために、これまでおまえを育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。そやから、これからおまえに働いてそのカネをまどてもらわんといかんのじゃ、このチャンコロめがあ!」と言われた、「そんなもん、誰が工学部みたいなもん、行かすかあ~あ」と言われたものでした。
「ええなあ、うらやましいなあ、千葉工大のやつは。ほんまにええなあ。小学校から高校までちっとも勉強してきてないのにからに、千葉工大やなあんてカネのかかる私立の大学の中でも学費の高い工学部になんか行かせてもろうてからに。ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」と思ったものでした。私にとっては千葉工大のやつとか東洋大の工学部建築学科卒のやつとか明治大工学部建築学科卒のやつとかいうのは、福沢諭吉が『福翁自伝』(岩波文庫)で中津藩で奥平壱岐という家老の息子はできが悪いくせして長崎に遊学に行かせてもろおうて、自分の方がよっぽど勉強ができるのに行かせてもらえなかった、「ええなあ、うらやましいなあ。わしぁ日陰の月見草やあ」と書いていたその奥平壱岐のと同様の相手でした。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
違いはというと、奥平壱岐は家老の息子で福沢諭吉は下級武士の息子だったのとは違って、千葉工大みたいなもんに息子を行かせている親というのは必ずしも年収が多いというわけでもないらしいのです。 我が家は麻生さんとか鳩山さんとかのような裕福な家庭ではないが千葉工大に息子を行かせた親と比べたら特別に貧乏な親でもなかったのではないかと思える点です。うちの父親の部下にあたる工場長の仕事をしていた課長のMさんは息子を京都の立命館大学の工学部だったかに行かせて京都で私の5倍ほどする家賃の所に住んでいましたし、うちの父親の部下になる人で息子を東京で下宿までさせて大東文化大なんて行かせた人があり、大阪経大に裏口入学させようとした人もいましたが、うちの父親が言うには「うちの会社は常務は給料安いねん。課長のMさんよりわしの方が給料安いねん。うちの会社は常務は課長よりも給料安いし、モリテツ(大阪経大にドバカ息子を裏口入学させようとした男)よりもわしの方が給料安いねん。うちの会社にボイラーマンやってる何何さんておるやろ。うちの会社は常務の給料はボイラーマンの何何さんよりも安いねんでえ」と言うのでした・・が、今から考えてみると、どうも騙されたような気がしてなりません。そもそも、うちの父親の給料が高くても安くても、私は「大学の学費と生活費は出して要りません。私が自分で働いて大学には行きますから、だから、自由にしてください。私が自分で働いて大学に行きますから自分が行きたいと思う所に行かせてください」と言ったのでしたが、それでも「誰がそんなもん、させるかあ、このチャンコロめがこのチャンコロろすけイタコ!」と言うのでした。「おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきやがったために、これまでおまえを育てるカネがかかってわしは迷惑しとるんじゃ。そやからやなあ、そやから、これからはおまえに只管わしのために、せっせせっせえ、せっせせっせえと働いてもらわんといかんのじゃ、このチャンコロめがこのチャンコロろすけ!!!」と言うのでした。千葉工大のやつて本当にええなあ、本当にうらやましいなあ・・と思ったものでした。 1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた設計部の春田靖(男。当時、20代)は静岡県の人間なのに東洋大学工学部建築学科なんてそんな所に行くのに東京で下宿までして行かせてもらっていた。父親はよっぽど金持ちなのか・・と思ったら、父親の職業はというと「中学校の校長先生」だというのです。「中学校の校長先生」て給料高すぎるのではないだろうか。なんで、東洋大みたいなもんしか行かれへんようなやつがカネのかかる私立大学でも学費が高い工学部になんか行くのか。東洋大みたいなもんしか行かれへんようなやつなんて、大学に行くことないやろ、自衛隊に入れてやったらいいのに、自衛隊に。
それにしても、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)という女は、あの女、なんで私に本人が一番嫌がっている「ブンケー(経済学部・商学部・経営学部のこと)」に行かそうとしたのか、あの女にどういうメリットがあったのか・・と思いますが、あの女はどんなに生徒が嫌がっていても親の側に加担することで自分を「ええ先生やでえ、あの先生はあ。作野先生はほんまに良心的でええ人やでえ」と親から言ってもらうというのが目的だったようです。けしからん女です。おのれは神戸大の文学部みたいなもんに行っておきながら、生徒にはそういうことをするのです。その根性が顔にも影響するのか、今から考えてみると、あの女、根性が顔に出たようなブスだったなあ・・と思います。そういう良心的でない女が教諭になっていた高校というのは、卒業して10年以上経って冷静に考えることができるようになって考えてみると、どう考えてもいい学校ではありませんでした。
(2022.11.12.)
☆ 多賀大社(滋賀県犬神郡多賀町多賀)参拝。
1.名神高速道路「多賀」サービスエリア。〔今回〕
2.「多賀」S. A.より近江鉄道「多賀」駅へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_2.html
3.「多賀大社前」駅から絵馬通りを経て多賀大社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
4.鳥居・太鼓橋・愛宕神社・秋葉神社・御神門(表門)・手水舎・神馬舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
5.拝殿・本殿。旧中山道から多賀道に入る場所に一の鳥居があるらしい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_5.html
6.神輿庫・鐘楼・日向神社。「美人薄命」と「スーパー高耐久性何何」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_6.html
7.天満神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html
8.多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアへhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_8.html
9.刈谷P.A.・足柄S.A.・東京料金所P.A.? 「国民を」でなく「国家を守る公務員」自衛隊。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_9.html

県別マップル 滋賀県 道路地図 (ドライブ 地図 | マップル) - 昭文社 地図 編集部

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滋賀県犬神郡多賀町 の 多賀大社に参拝してきました。 多賀大社は彦根市? ・・と思ったのですが、彦根市と犬神郡多賀町(たがちょう)の境目に近い場所ですが多賀町、犬神郡多賀町と犬神郡甲良町(こうらちょう)との境目とも遠くない場所ですが滋賀県犬神郡多賀町にあります。
交通手段としては、「鉄道派」にとってはぜひとも乗ってみたいという気持になる近江鉄道、それも、「高宮」駅から分岐する多賀線の終点「多賀大社前」駅が最寄駅です。
多賀大社に訪問するのは私は2回目です。小学校4年の時、うちの母親と下の姉と3人で来ました。1960年代の終わり頃、上の姉の勤め先の保養所が滋賀県の今は長浜市になりましたが、その頃は「びわ村」だった所にあって、そこに2泊させてもらい、3日目に彦根駅から観光バスに乗って、多賀大社・醒ヶ井養鱒場・彦根城とめぐりました。観光バスに乗ると、何か所か効率よくまわれるという利点はあるのですが、鉄道ならどこを走っているのかわかるのですが、バスの場合、それも路線バスではなく観光バスの場合、窓から外を見ていても、いったいどこを走っているのかわからないという短所があります。又、神社や寺の参拝の場合、どこからどこまでが参拝なのかというと、自宅の玄関を出て目的の寺社を訪ねて、そして自宅の玄関に戻ってくるまでが参拝だと考えるならば、往復の経路もできるだけ公共交通機関を使うべきで、自動車でも自分で自家用車を運転して行く場合は往復の経路も参拝になりますが、観光バスに乗ってしまうと、目的地にいる間だけが参拝になってしまうようなところがあります。今、90代のうちの母親にそれを話すと「そうや」と言うのですが、今から考えてみると、そのわりに、うちの母親は観光バスで行くのが好きだったように思えます。ひとつには、最近の人と違って、戦前生まれの人の場合、女性が電車や路線バスで観光地に行くということがあまりなかったからかもしれません。90代になったうちの母親は「息子が勉強する子だったから、息子と一緒にずいぶんといろいろな所に行けた」と言ってその点については喜んでいます。たしかに、うちの母親と一緒に行った所はけっこうあります。京都の広隆寺・仁和寺・妙心寺・等持院・北野天満宮・鹿苑寺・慈照寺・東本願寺・清水寺・三十三間堂、大阪府の四天王寺・大阪城・萩の寺、和歌山県の高野山、奈良県の壷阪寺・長谷寺、兵庫県の姫路城・書写山円教寺、滋賀県のこの多賀大社や彦根城・竹生島・・他、私が小学生の時、けっこういろいろな所に行きました。
多賀大社の場合、特に近江鉄道多賀線というのに乗っていきたい♪・・というのが「鉄道派」の願望です。多賀線は「高宮」という駅で本線から分岐して「多賀大社前」駅まで行きます。時刻表を見ると、米原から直通の電車・彦根から直通の電車があり、直通ではないけれども米原・彦根からの本線の電車と「高宮」駅で連絡している電車があるようです。「鉄道派」(念のため、お断りしておきますが、「鉄道派」というのは、自動車(マイカー)でも鉄道・路線バスでも行けるという所に行く場合、鉄道の方が好きという人間のことで、人の迷惑を考えない「鉄オタ」「撮り鉄」のことではありません)にとってはぜひとも乗りたい~いという気持になる鉄道です。近江鉄道はいつまで走っているのか、今では近江鉄道は西武の系列になってしまったらしく、1980年代においては白ライオンのマークを車体につけた電車が走っていたとかいいますが、今回、見た電車は後で公開しますが、「お~い、お茶」のマークをつけていました。
それで、1回目は彦根駅から観光バスに乗って多賀大社に来たのですが、今度こそ近江鉄道多賀線に乗りたい・・という気持があったのですが、地図を見ると、名神高速道路「多賀」サービスエリアから、そう遠くない場所にありそうに見えます。「多賀」サービスエリアというと、これは私にとっては思い入れのあるサービスエリアです。1980年代、大学生だった時、同じ小学校・同じ中学校・同じ高校から何の因果か同じ大学に行ったS本彰 という「なまたまご」を「なまなまこ」と発音する、なんというのか「中年オヤジ」みたいなキャラの男がいたのですが、慶應大学に「経済新人会」というまさに「中年オヤジの交友会」みたいなサークルがあって、S本もその「中年オヤジ友の会」に入っておったのですが、そういえば、あの男は小学生の頃から「中年オヤジ」みたいなキャラの男でした。ちょうど似合いの所に行ったのかもしれません。そいつは私よりもひと回りというのか二回りというのか多い金額の仕送りを親から送金してもらっていて、最初は横浜市港北区の日吉台学生ハイツという所に住んでいましたが、後に私が転居したアパートの何倍もの家賃がする借家の転居したという男で、食うものも私より高いものを食っていました。そいつは東京と大阪を行き来する時には常に新幹線を使っていましたが、それに対して私は夜行バスの国鉄バス「ドリーム号」に乗るか、東京駅を夜11時半くらいに出た大垣行の「普通」というのか「快速」と言うのかに乗り、早朝に大垣駅で西明石行の「普通」というのか「快速」というのかに乗りかえるという方法をとることが多かった。「ええなあ、うらやましいなあ、阪本は。ええなあ、ほんまにええなあ」と思ったものでした。「わしぁ貧乏やからな。わしぁ日陰の月見草や~あ」と思ったものでした。
国鉄の夜行バス「ドリーム号」に東京駅の八重洲口から乗ろうとした時、待合室に「男には男の夢がある」という文字が書かれて『あしたのジョー』の絵が描かれた「ドリーム号」のポスターが貼られていたのを覚えています。その隣あたりには、当時、近鉄の監督だった西本幸雄の顔写真が掲載されて「投げたらいかん」という文句が書かれた覚せい剤防止のポスターが貼られていました。西本幸男に続いて鈴木啓示が同じ覚せい剤防止のポスターに登場したと思ったら、自分で「投げたらいかん」と思ったのか鈴木は引退しました。S本が新幹線に乗っている時に私が国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」に乗っていても「なにくそお」と思い、「投げたらいかん」と思って努力しましたが、あほくさいだけだったような気がします。
※ 《YouTube-美しき狼たち - おぼたけし》https://www.youtube.com/watch?v=0LhCBMarAjs
その「ドリーム号」は途中、箱根・三ヶ日・多賀の3カ所のサービスエリアで休憩をとったと思いましたが、3カ所とも真夜中なので周囲は何も見えませんでしたが、私にとっては思い入れのある場所でした。ドイツ民謡の「モミの木」の歌に歌詞をつけた「赤旗の歌」というものがあり、その「赤旗の歌」の替え歌というものもあるようで、「民衆の旗、赤旗は~♪」という部分を「民衆の足、国鉄は~♪」として、それに続いて「金持ちは~飛行機に~乗るぞ、我らは国鉄に~♪」とするものがあったようですが、私にとっては「阪本は~新幹線に乗るぞ、われらは夜行バスドリーム号に♪」というものでした。「多賀」サービスエリアは、その時、真夜中に降りたサービスエリアで「阪本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バス『ドリーム号』に~♪」という実感を持って降りた場所でした。今、道路地図を見ると東名高速道路には「三ケ日」インターチェンジはあっても「三ケ日」サービスエリアは見当たりません。もしかすると今の「浜名湖」サービスエリアがそれでしょうか。「箱根」サービスエリアも見当たりませんが、これも御殿場付近の「足柄」サービスエリアかもしれません。
昼間のバスは、その頃、東京ー大阪間のものはなく、大阪⇒名古屋 と 名古屋⇒東京 の昼間のバスを乗り継いで乗ったことが一度ありましたが、夜行バスは直通ですが、昼間のバスは途中で何か所もバス停に停車しましたし、又、東名高速道路の箱根付近から東がものすごく混雑して進まなかったのを記憶しています。なんで、俺だけこんなことしなきゃならないんだ、と思ったものでした。
1980年代後半、小堀住研(株)に入社した時、新卒社員研修はJR「大阪」駅のすぐ南、大阪市地下鉄谷町線「東梅田」駅の真上にあった本社でおこなわれましたが、会社は従業員に公平でなければならないはずですが、小堀住研(株)は千葉工大のやつには新幹線代を出したにもかかわらず私には東海道本線の普通運賃しか出してくれませんでした。私は夜行普通に乗って行きましたが、千葉工大のやつは当たり前みたいに新幹線に乗っていました。私は東京駅を夜の11時半くらいに出た大垣行「普通」というのか「快速」というのかに乗り、大垣駅で西明石行に乗り換えて行きましたが、3月の下旬、ものすごい混んでいて、荷物を持って吊皮もない電車に通勤ラッシュ並みに混んでいる状態で一晩立ちっぱなしで行きました。「千葉工大は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行普通に~♪」というものでした。「ええなあ、千葉工大のやつは。千葉工大みたいなもんしか行かれへんやつやのに。小学校から高校までちっとも勉強してきてないやつやのにからに、私立の工学部なんて学費の高い所に行かせてもろうてからに、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ。それでもって、東京から大阪まで行くのも、わしは通勤ラッシュ並みに混んでる夜行の普通に荷物持って立ちっぱなしで行ったのに、千葉工大のやつは新幹線に乗って座って楽して行ってからに。ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」と思いました。「わしぁ日陰の月見草や」てものでした。
※ 《YouTube-【和訳付き】もみの木(ドイツ民謡) "O Tannenbaum" - カタカナルビ付き》https://www.youtube.com/watch?v=JhrQm1wD4LU
《YouTube-「赤旗の歌」》https://www.youtube.com/watch?v=jMf-qLljzNg
比較的最近では、岐阜県高山市の高山バスターミナルから大阪行の濃尾バスに乗った時、やはり、3か所で休憩を取りましたが、「養老」サービスエリアと「多賀」サービスエリアと岐阜県内のどこかだったように思います。私は、1970年代前半、中学校1年の時、友達と一緒に大阪から急行「たかやま」号という高山行きの急行に「岐阜」駅まで乗ったことがありますが、いつしか、急行「たかやま」号はなくなり、かわりに、特急「ワイドビュー飛騨」号が多くは名古屋から出ているのですが大阪発高山行きの電車も1日に1本走るようになりました。大阪から高山、高山から大阪に行く場合、特急「ワイドビュー高山」号は1日に1本なので時間がちょうど合えばいいのですが、そうでない場合は高山から乗る場合なら名古屋行きの「ワイドビュー飛騨」に乗って「岐阜」駅で大垣行に乗り換えて、大垣で米原行きに乗り換えて、米原で新快速に乗るか新幹線に乗るか、社長さんなら新幹線に乗るでしょうけれども、新快速はけっこう速いので私のような「日陰の月見草」は新快速に乗りますが、岐阜・大垣・米原と3か所乗り換えなければならないなら、濃尾バスの大阪行に乗れば直通で行けるのでバスの方がいいかと思ったのでしたが、バスに乗っても3か所ほど「休憩」でサービスエリアに停車し、そのたびに周囲の人が降りたり乗ったりしますし、それなら自分も降りてトイレくらい行くかと思って降りますから、それなら岐阜・大垣・米原と3回、乗り換えるのも同じようなもので、電車の座席の方がバスの座席よりも前との間隔が広くて快適なので、特急「ワイドビュー飛騨」名古屋行きに高山から岐阜まで乗り、岐阜で浜松・豊橋方面から来たJR
JR東海の快速で岐阜から大垣までは各停になるけれども乗り、大垣から米原行きの各停に乗って、米原で長浜のあたりから来た新快速に乗るという方が快適ではないか・・と思ったりしました。
私にとっては「多賀」サービスエリアは「S本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスに~♪」の場所なのです。「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」という場所です。
大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』(1964.12.21.岩波新書)には、
《 先ごろ、アメリカの大統領ケネディはアメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろうという話をデッチあげたが、あれは完全なウソである。マルクスは自分が貧乏をしたから革命論を作ったのではない。マルクスは原稿料をアメリカからもらったからリンカーンをほめたのではない。そういうことを考えるのは思い上がった小人である。・・・》
と述べられている・・・が、マルクスは人間できてるから《アメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろう》ということはなかったかもしれないが、私なんかはマルクスほど人間できてないから・・、だから、S本が新幹線に乗っている時に私が国鉄夜行バス「ドリーム号」に乗り、千葉工大のやつが新幹線に乗っている時に私が東海道本線「普通」に立って乗っていたということは、関係ないということないかもしれない。マルクスほど人間できてないからなあ・・・。

マルクス・エンゲルス小伝 (岩波新書) - 大内 兵衛
「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ・・・。わしぁ日陰の月見草やあ」
最近、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアには高速道路利用者だけではなく、付近の住人もしくは一般道利用者も利用できるように高速道路の外側にも駐車場が設けられて外からも入れるようになっている所がけっこうあります。高速道路の中側からも外側からも出入りできるということは、高速道路利用者がサービスエリア・パーキングエリアにクルマを停めた上で外側に出て、「へ~え、ここはこんな所なのかあ」と5分から10分程度付近を散策して戻ってまた運転を再開する・・ということをしてもいいのだろう・・と私は思っていたのですが、ところが、東名高速道路の「中井」パーキングエリア・新東名高速道路「浜松」サービスエリアでは、出入口に「ここは付近の住人の方の出入口です。高速道路利用の方はここから出ないでください」などという看板が立っています。「え、出たらいかんの?」と思っても、実際の所、そこを歩いている人間が付近の住人なのか高速道路利用者なのか顔に書いてあるわけでもないので出てもわからないでしょうし、又、マナーとしてサービスエリア・パーキングエリアの駐車場が相当混んでいる時には、外に出てあまりにも長い時間をサービスエリア・パーキングエリアに自動車を駐車させておくというのは好ましくないとは思いますが、新東名高速道路の「浜松」サービスエリアなんて、いつ行ってもすいていて駐車台数に余裕があるのに、なんでそんなこと言うの? 「遠州人」は他県人に自分たちの領域に入って来られたくないのかあ? それなら遠州地域にインターチェンジ作るなよ。遠州地域に新幹線の駅を作るなよ・・てことになるが、そうであるのかないのかわからんが、そんなに嫌なら別にええわ・・・と思ったりもします。片方で、2011年の福島第一原発事故の直後、静岡県産茶葉の放射線量検査を拒否して静岡県産農産物は安全性に不安がありますよおとアピールした静岡県知事の川勝平太が静岡駅に「のぞみ」号を停めろとかアホなこと言うとるようだが、「浜松と静岡と三島」か「浜松と静岡と熱海」に停まる「ひかり」が1時間に1本走ってるのだからそれでいいじゃないかと思うのだが、「私が静岡駅に『のぞみ号』を停めましたあ」とでも言いたいのかなんか知らんが、片方でそんなこと言って他方で他県人に入ってこられたくないのか、何なんだろうな。
名神高速道路「多賀」サービスエリアはどうなのかというと、「多賀」サービスエリアは東行きと西行きに分かれていますが、その西行きの方に、↓

↑ 「胡宮神社 350m」 なんて書いた案内板が貼られています。これ、サービスエリアの高速道路側です。
《ニッポン旅マガジン 胡宮神社》https://tabi-mag.jp/sg0186/ ・《滋賀・びわ湖観光情報 胡宮(このみや)神社》https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/344/ など見ると、祭神は多賀大社と同じく伊弉諾(いざなぎ)・伊邪那美(イザナミ)だそうで駐車場もあるらしい。
胡宮(このみや)神社の祭神は《ニッポン旅マガジン 胡宮神社》https://tabi-mag.jp/sg0186/ ・《滋賀・びわ湖観光情報 胡宮(このみや)神社》https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/344/ などには伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)と記載されているようだが、滋賀県歴史散歩編集委員会編『滋賀県の歴史散歩 (下)彦根・湖東・湖北・湖西』(2008.5.25.山川出版社)には、《 多賀大社前駅から名神高速道路沿いに南へ1㎞ほど行くと、敏満寺山(青竜山 せいりゅうざん)麓に胡宮神社(祭神 伊邪那伎〔いざなぎ〕命、伊邪那美〔いざなみ〕命・事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命)がある。祭神からもわかるように、多賀大社とのつながりも深く、大社の別宮とされていた。・・》と書かれており、伊邪那岐・伊邪那美を祭神とする多賀大社とは異なるところとして、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命も祀っているという点だ。
事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命とは、あまり聞かない名前だが・・と思ったが、『古事記』では「塩椎の神(しおつちのかみ)」の名前で登場する神で、山幸彦(後の神武天皇のお父ちゃん)と海幸彦の兄弟が道具を取り替えて普段は山で狩猟をしている山幸彦が海幸彦が使っている漁業の道具を借りて釣りをしたところ、釣り針を無くしてしまい、海幸彦から無くした釣り針を返せと迫られて困り切っていたところに現れて助言して助ける神だ。 海の潮路を掌る神とされ、又、宮城県塩釜市の塩釜神社では製塩を教えた神とされ、兵庫県西宮市山口町の公智神社の摂社の塩津神社では竹籠など竹を使う産業を守護する神とされている神さんらしい。今回は胡宮神社に寄ることはできなかったが多賀大社に行った帰りに胡宮神社の前を通ったので、胡宮神社と事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)命・塩椎の神(しおつちのかみ)については、[第966回]《多賀大社参拝[8/ ]多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアまで。「S本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスに~い♪」の思いの「多賀」サービスエリア。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_8.html で述べた。
( ↑ 胡宮(このみや)神社。)
こういう案内板がサービスエリアの中と外との出入口のある付近の中側にあるということは、出てもいいということなのだろう・・と思う。
なおかつ、西行きのサービスエリアの外側に出た正面には、↓

↑ 写真はクリックすると大きくなるので拡大して見てください。
「多賀大社(1.5km)
絵馬通り
多賀大社前駅(1㎞)
← 」
「多賀大社
(1.2km)
↑ 」
という案内板も出ています。こちらの方は高速道路利用者が外に出てきた時用なのか、自動車で一般道から来た人向けなのか、どちらかわかりませんが、サービスエリアから出た正面にこの看板があります。但し、右の方は少々わかりにくい。この案内図だと、目の前の階段を降りていくと多賀大社まで1.2kmなのか? と思いそうになりますがそうではなく、この名神高速道路と並行して走っている一般道を右(南)に行って、次の大きな交差点で左折して(北に進んで)行くと左側に多賀大社参拝者用の大駐車場があり、そこを過ぎてその次の交差点を左に曲がった右手に多賀大社があります、という意味です。
今回、左ルート、多賀大社前駅に1㎞歩いていって、そこから多賀大社まで歩いて行き(県道225号 多賀停車場線)、帰りは右ルート、国道307号を南下して戻りましたが、けっこうあったわ。疲れた。自家用車で名神高速道路を走ってきて、多賀大社にクルマで行こうとするならば、多賀大社の周囲には無料駐車場や有料駐車場があり、「多賀」サービスエリアの南側には「湖東三山」パーキングエリアと「湖東三山」スマートインターチェンジがあり、北側に「彦根」インターチェンジがあるので、西から東に行く時は「湖東三山」スマートインターチェンジで降りて国道307号を北上して行き、帰りは国道306号を北上して「彦根」インターチェンジから乗る、東から西に行く時は「彦根」インターチェンジでおりて国道306号を南下して行き、帰りは「湖東三山」パーキングエリアから乗るというようにした方が良さそうです。
西行きの「多賀」サービスエリアから外に出てすぐの場所に、↓


↑ このあたりが「敏満寺(びんまんじ)遺跡」ですという案内板が立っている場所があります。
《 「敏満寺(びんまんじ)遺跡」は、名神高速道路の多賀サービスエリア一帯に分布し、青龍山(333m)を御神体として12~15世紀頃に繫栄した寺院の遺跡です。当時は比叡山を凌ぐとも言われた大きな寺院で、その勢力ゆえに、戦国時代の混乱の中で小谷城主・浅井長政や織田信長に攻められて焼失し、その後も再建されることなく現在に至っています。》
《 この先一帯には、[坊跡]・[鍛冶跡]・[井戸跡]等が試掘調査で確認されています。
現在は保存のために土で埋め戻されています。
中日本高速道路(株)名古屋支社 彦根保全サービスセンター ・・・・》
と書かれた看板が立っている場所があります。「青龍山(333m)を御神体として」ということなら寺ではなく神社か? とも思えます。寺なら山を御神体とするというのは不自然です。
滋賀県とか多賀町とか教育委員会とかではなく「中日本高速道路(株)名古屋支社 彦根保全サービスセンター」がこの看板を立てているということは、「多賀」サービスエリアの場合はサービスエリア外に出てもかまわんということなのでしょう・・と思う。
但し、この「敏満寺遺跡」という付近や、それから、西行き「多賀」サービスエリアの東側の名神高速道路と並行して南北に走る一般道を少し北に行ったあたりの東側に高宮池というきれいな池がありますが、そのあたりまでなら、サービスエリアを出て行ってみてもいいかと思いますが、多賀大社まで歩いて行って帰ってくるのはけっこう大変だった。
※ 多賀大社HP http://www.tagataisya.or.jp/
( ↑ 多賀大社。)
千葉県から大阪府、大阪府から千葉県まで高速道路を自家用車で走るというのを何度かやりました。一度目はその夜は寝ていて頭がぐるぐるまわっていましたが、何度か走っているうちに慣れてきたのか、それほど大変でもなくなってきました。最短で行こうとすると、東京から名古屋付近までは、御殿場ジャンクションで東名高速道路と新東名高速道路に分かれた後、愛知県豊田市の「豊田」ジャンクションで合流するまでは新東名高速道路の方がいくらか距離が短いらしいのですが、普通乗用車で東名・新東名高速道路を走った時、特に夜間は箱型トラックが多く、箱型トラックの後を走ると前が本当に見えなくて走りにくいのですが、昼間は箱型トラックも走っていますが普通乗用車も走っておれば箱型でないトラックも走っているのですが、何回か走った経験からいうと、どちらかというとですが、東名の方が新東名に比べて箱型トラックの割合が小さいような気もします・・が、昼間に走る場合はどちらでも走りにくいということはないので、どちらかといえば新東名の方が距離が少しだけでも短い分だけ速く行けそうな感じがします。それと豊田ジャンクションで新東名高速道路ならばそのまま直進すれば伊勢湾岸道に行けるのに対して、東名高速道路なら直進すると名神高速道路の方に行くので、伊勢湾岸道に行くつもりならば新東名を走ってきた方がわかりやすいということがあります。
名古屋付近から京都・大阪までですが、豊田ジャンクションから伊勢湾岸道~新名神高速道路で滋賀県の草津ジャンクションまで行くのと、豊田ジャンクションから東名・名神経由で草津ジャンクションまで行くルートではどうか、これまで伊勢湾岸道~新名神ルートを通ってきたので、今回、一度、名神~東名ルートで行ってみようとして、その途中で「多賀」サービスエリアに停まり、多賀大社まで行ってきたのでしたが、東側の御殿場ジャンクションから豊田ジャンクションまでは、東名ルートと新東名ルートでは「どちらかと言えば新東名ルートの方が距離は短いらしい」という程度のもので東名ルートでもそれほど距離が長いという感じはしませんが、それに対して、豊田ジャンクションから草津ジャンクションまでの間は「伊勢湾岸道+新名神」ルートと「東名+名神」ルートでは距離が相当違うという印象を受けました。東名と新東名では、新東名は東名よりも内陸部を通っているものの、基本的に通っているルートはそれほど変わらないのに対して、「東名+名神」と「伊勢湾岸道+新名神」は別の場所を通っていますから、距離の差も大きいのかもしれません。ただでさえ、千葉県から大阪府まで走るのは大変なのですから、少しでも距離は短くすべきで、それを考えると豊田ジャンクションから西は「伊勢湾岸道+新名神」ルートの方が良さそうです。
伊勢湾岸道は、最初、地図で見て、こんな海に近い場所を走って津波とか来たら大丈夫だろうか、津波でなくても大潮の時に台風まで行かなくても強風の時には大丈夫かなんて思いましたが、静岡県の由比のあたりは海がきれいですが高速道路は高くない場所を走っているので強風の時は波が高速道路の方に来るおそれもあるかもしれませんが、伊勢湾岸道の場合は相当高い場所を走るように作られていますし、今の技術でけっこう頑丈に作られているようですから、おそらくかなりの津波とかが来ても伊勢湾岸道の上におれば大丈夫ではないか、むしろ、伊勢湾岸道のインターチェンジの下あたりにいる人は津波が来たというような時は大急ぎでインターチェンジから伊勢湾岸道に駆け上がれば命は助かるのではないか、という感じがします。長嶋パーキングエリアは足湯があったりするのですが伊勢湾岸道より低い場所にあるので津波が来ることがあったら本線の方に行った方が良さそうです。伊勢湾岸道は津波に対しては大丈夫そうですが、相当高い場所を走るように作られているので風がけっこう強い。両側は川・・と言っても海みたいな川ですから、落ちたらどないしよ・・、その時は「海ゆかば水漬く屍(かばね)」を歌いながら死んでいくのか・・と思い、できるだけ「真ん中」レーンを走るようにしていたのですが、幸いなことに今まで落ちたことはありません。東京の荒川を渡る橋も「落ちそうで怖い」のですが、幸い、今までに落ちたことはありません。
新東名高速道路は特に夜間は箱型トラックが多いのですが、新名神高速道路はそれほどではないような気がします。もしかするとですが、名古屋圏と関西圏の間では、工場や倉庫が滋賀県あたりにけっこう多いということはないか。だから、東名と新東名は同じようなルートを走っているのに対して、名神と新名神は別のルートを走っていて名神のルートの方が新名神のルートよりも工場や倉庫が多いということがあるのかもしれない・・と思ったりもしましたが、あくまでも仮説です。
草津ジャンクションより西、「瀬田東」ジャンクションから「大山崎」ジャンクションまでの間は、これまで北側のルートを通ることが多かったのですが、北側のルートと南側の京滋バイパスルートはどちらを通ってもそう変わらない気がします。 又、その西、大阪府北東部で「右ルート」「左ルート」に分かれますが、これもどちらを通ってもたいして変わらないように思いますが、「高槻」ジャンクションで新名神高速道路に進む場合は「高槻」ジャンクションは左右のルートが合流してすぐなので「左ルート」をあらかじめ走っておいた方がいいようです。「高槻」ジャンクションから名神を進むか新名神を進むかどちらがいいかは行先によります。
神奈川県と静岡県の境目付近、「中井」パーキングエリアの西から「足柄」サービスエリアの東の間にも「右ルート」「左ルート」がありますが、これもどちらを進んでもそう変わらないように思います。
千葉県と大阪府の間を高速道路を通って走ると、これだけの距離をガソリン代と高速道路代を使って走るのだから途中でどこか1カ所くらい寄ってみたいと思いがちです。又、途中で1か所立ち寄ると、気持ちの上で、自動車の運転が半分半分か3対2くらいに分かれるという場合もあります。しかし、半分半分か3対2に分かれるのならいいのですが、そうではなくて、ただでさえ距離があるのに、余計に時間をとってしまうということになる場合もあります。その点、サービスエリア・パーキングエリアから歩いていける所ならばクルマの運転距離は長くならないのだからいいだろう・・・なんて思って「多賀」サービスエリアから多賀神社まで行ってきたのですが、歩いて往復するのもけっこう大変でした。道路地図で見て近そうに見えても実際に歩いてみるとけっこうあった。『県別マップル 滋賀県道路地図』(2020年4月 3版 昭文社)の地図を見て行ったのですが、3万分の1 の地図を見て近そうに見えても、都市部の1万分の1 とか 5千分の1とかの地図で見て近いのとは意味が違う・・と理屈ではわかっていても、実際に歩いてみたら遠かった。
それで・・・、今回は西から東に行くのに「多賀」サービスエリアに立ち寄って行ったのですが、

↑ 「多賀」サービスエリア (東行き)から南方を見たもの。この写真の山は、胡宮(このみや)神社やその背後の青龍山(333.3m)でしょうか。
「多賀」サービスエリアは東行きの方が西側・琵琶湖側にありますから彦根市街や琵琶湖の方は東行きのサービスエリアからの方がよく見えます。↓

↑ 「多賀」サービスエリア(東行き)から見た琵琶湖方面。向こうに見える山は琵琶湖の対岸の山かと思われる。
これまでに行ったサービスエリア・パーキングエリアでは、新名神の「土山」サービスエリアとか新東名の「岡崎」サービスエリアとかは商業施設が間にあって両側の駐車スペースがその両側にありますが、それぞれの方向に駐車スペースと商業施設の建物が別にあって、なおかつ、その両方を行き来できるように陸橋があるというサービスエリアは、ここ「多賀」サービスエリアで始めて見ました。↓

( ↑ 「多賀」サービスエリア(東行き)から見た サービスエリアの「東行き」と「西行き」のサービスエリアを結ぶ陸橋。)

↑ 「多賀」サービスエリアの「東行き」と「西行き」を結ぶ陸橋上。 中央に何か埋まってるみたいです。
陸橋を降りると、先ほどの胡宮(このみや)神社はあっちですよという案内板が陸橋の足に貼られているのが見えます。↓

その指示に従ってサービスエリアから外に出ると、やはり、先ほど掲載した「敏満寺(びんまんじ)遺跡」のあたりに出ます。

そこから東に歩くと、名神高速道路と南北に並行して走る一般道に出ます。↓

多賀大社に行くには、この一般道を北に進んで行くルートと南に進んで行くルートがあり、距離としては南まわりの方が少し短いようですが、今回は「鉄道派」として近江鉄道「多賀大社前」駅を経由して行きたいと思ったので、北まわりのルートで行きました。

↑ 名神高速道路と南北に並行して走る一般道を北に見たものです。左側の高くなっている所が名神高速道路のはずです。
多賀大社とはどういう神社なのか。『マニマニ 滋賀 琵琶湖 長浜 近江八幡』(2019.1.1.改訂2版。JTBパブリッシング)には、
《 「お多賀さん」の愛称で親しまれる滋賀県屈指の古社。伊邪那岐大神(いざなぎおおかみ)・伊邪那美大神(いざなみおおかみ)の2柱を祀ることから、延命長寿や縁結びの神様として信仰されてきた。》
《 古社の風格の漂う拝殿、武田信玄や豊臣秀吉ら、戦国武将も参拝したという。》
と出ています。

滋賀 琵琶湖 長浜 近江八幡 (マニマニ)
同書には「おかいもの」として、「どら焼 虎てつ(こてつ)」の「ひこにゃん」が描かれたどら焼き 、
《 保存料を配合せず、手作りの美味しさにこだわって作る和菓子を販売。看板商品は、厳選した北海道小豆を炊き上げた自家製小倉あんのどら焼き「ひこどら」。 ハチミツを加えてふんわり仕上げた生地が上品な印象。》
《 ひこにゃんの焼印が入った「ひこどら」は1個168円。おみやげにぴったり。》
が掲載されています。彦根市立花1-2 彦根駅から徒歩10分で駐車場もあるらしいが、「多賀」サービスエリアの売店でも売っていたが、今回は買わなかったので、食べてない以上はおいしいかどうかはわからない。
※ どら焼 虎てつHP https://ichien.jp/kotetsu/
今回はこのあたりまでにして、次回は、近江鉄道「多賀大社前」駅から多賀大社へ進みます。
慶應大学でステューデントカウンセラーズというサークルにいた時、「来談者」で経済学部だったか商学部だったかに入学した人で「自分は小学校から高校まで真面目に努力して勉強してきたつもりだが、経済学部とか商学部とかそういった学部に行ってしまったらそれが無駄になってしまう」と話した人がいました。これは私も同様のことを思っていたことでした。

ロジャーズ クライエント中心療法 新版 --カウンセリングの核心を学ぶ - 佐治 守夫, 飯長 喜一郎

カウンセリングのすすめ方―あなたもカウンセラー (有斐閣新書) - 中西 信男
私は小学校の1年から同級生が遊んでいる時も努力して勉強してきたつもりでしたが、経済学部・商学部・経営学部なんて所に行ってしまうと、日本には「学歴によって人を差別してはいかんだろうが」という考え方があって、工学部卒の人間を殿様扱いするのはいいが高卒の人間・中卒の人間と「経済学部・商学部・経営学部や法学部卒の人間で弁護士などの資格を取ったわけではなく国家公務員・地方公務員の試験に合格したわけでもない人間」とを「差別」してはいけないという主張がまかり通っています。 私が勤めた会社では、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では ””「バカでも入れる私大の建築学科」卒は新卒入社したその日からお殿様”” であるのに対して、社会科学系学部卒で入社すると「高卒・中卒より下の扱い」にされました。総務部長の天野雅弘からだったか他の誰かからだったか記憶がはっきりしなくなりましたが、「おまえは慶應でマーケッティングとかやって遊んでたんだろう」などと言われたこともありました。まず、「マーケティング」は「マーケティング」であって「マーケッティング」ではありません。アクセントは頭にあり、小さい「ッ」は入りません。慶應大学の商学部の「日本産業論」だったかの講義で教授が「『マーケティング』は『マーケッティング』ではありませんからね。慶應義塾の卒業生が卒業してから『マーケッティング』なんて言ったら恥ですからね。覚えておいてくださいよ」と言われたものでしたが、ところが、こういうことを会社という所で言うと「『マーケティング』とか言いやがってからに腹立つなあ、おまえはあ。『マーケッティング』と言え」と言って怒られます。又、「マーケティング」というものを学ぶというのは「遊んでる」のではないと思うのですが、(株)一条工務店あたりの高卒や中卒の人にとっては「マーケッティングとかやって遊んどったんだろう」ということにしたいようでした。
小堀住研(株)でも千葉工大卒のやつには新幹線代を出して私には東海道本線の普通運賃しか払ってくれなかったのです。「千葉工大は~新幹線に~乗るぞ、我らは大垣行夜行普通に~♪」という節で「赤旗の歌」でも歌いたくなります。 北野高校は行きたいと思って行った学校でしたので合格発表の時はうれしかったのですが、卒業して十年以上経って冷静に考えることができるようになると、あんまりいい学校ではなかったなあと認識するようになりました。特に、2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は私に何度も何度も「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言って私がそこだけは行きたくないと小学校1年の時から一貫して思ってきた所に何が何でも行かそうとしましたが、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思います。慶應の内部進学の人は経済学部に行きたがる人が多いのですが、そういう人はオーナー企業の社長の息子か大企業の役員の息子かそういう人ですから、ハク漬けに「慶應大学経済学部卒」という肩書が欲しいだけで大学に行っている人です。我が家なんかは親はオーナー企業の社長でもないのに、なんで経済学部・商学部・経営学部みたいなもんに行かされなければならないのか。特に、本人が「そこだけは嫌だ」と一貫して思ってきたのに、なぜ、北野高校の教諭というのは本人が嫌がっている所に行かそうとするのか。
うちの母親は私が小学校高学年から中学校の時には「親というものは息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやってつきたい仕事につけるようにと思えばこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言い、私はその話を本気にしてしまったのでしたが、それは最初から騙してやろうとしての発言でした。うちの父親は「わしのっために、わしのっために。すべてをすべてをわしのっために。捧げ尽くす、捧げ尽くす、すべてをすべてをわしのっために!」と叫び続けました。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしにじゃ、わしになんじゃイライラ~あ! いっらいっらイッライッラしてきたしてきた、してきたしてきた♪」と叫びまくっていました。しまった、はめられた・・と気づいた時は遅かった。
「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」とうちの父親は言うのでしたが、だからこそ、国立大学に行けるように努力してきたのではありませんか。「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずです」と私は言ったのだ。ところが、私がそう言うとうちの母親は「国立大学なら学費は何学部でも一緒でも、絶対に百パーセント国立大学に通ると決まってませんでしょ。たとえ、0.1%でも0.01%でも落ちる可能性があったら国立大学でも工学部なんか受けてはいかんでしょうがあ」と言うのでした。その結果、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学校1年の時から思い続けてきた大学学部に無理矢理行かされてしまいました。それに対して、千葉工大のやつというのは小学校から高校までちっとも勉強してきていないにもかかわらず、国立大学よりも学費が高い私立大学の中でも学費が高い工学部になんか行かせてもらっているのです。なおかつ、うちの父親は「東大に行くというなら東京で下宿してでも行くべきやし、下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應大学か早稲田大学に行くなら東京で下宿してでも行く値打ちはあるけれども、そんなもん、明治やたら法政やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらそんなアホ大学に行くのに東京で下宿までして行くことあらへん。アホ大学は大阪にもあるんやからアホ大学に行くやつは行くにしても家から通える地元の大学に行くべきや。そもそも、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらそういう大学に行くやつが大学に行くのが間違っている。そんなアホ大学に行くようなやつは自衛隊に入れたるべきや。アホ大学のやつは全員、自衛隊に入れ、自衛隊に!」と言っていたものでしたが、(株)一条工務店などではその「アホ大学」の建築学科卒の人間が「新卒入社したその日からお殿様」であり、そういう扱いにする会社でした。小堀住研(株)は千葉工大のやつには新幹線代を払い、私には東海道本線の普通運賃しか払ってくれませんでした。「千葉工大は~ア新幹線に~い乗るぞ、我らは夜行普通に~い♪」てものでした。そもそも、うちの父親が言った基準からすれば千葉工大みたいなもんに行くやつが「大学」という所に行くのが間違っているはずですし、「自衛隊に入れ、自衛隊に~い!」というもののはずでしたが、そんな大学に行くやつなんて、もうちょっと申し訳なさそうにしろと思ったものでしたが、小堀住研(株)に入社した千葉工大のやつはちっとも申し訳なさそうにはしていませんでした。
それから、(株)エイブルhttps://www.able.co.jp/ の海浜幕張の店にいた時、千葉工大の近所に住んでいる人が母親と千葉工大に入学したという息子を連れて息子が一人で住むというアパートを捜しにきたことがありましたが、なんで実家のすぐ近所の私立大学に行くのにアパートを捜してアパート住まいをするんだ・・と思ったものでしたが、千葉工大に入学したバカ息子が一人暮らしをしたいと言うから、その為のアパートを捜してあげようと母親が思って息子と一緒に来たようでした。(株)エイブルの勝田台の店にいた時には付近の私立バカ大学に入学した女子学生が一人で住みたいと言うというので父親が娘と一緒に来たということもありました。こいつら、いったい何なんだ・・と思いました。どちらも、あんまり裕福そうな親には見えませんでしたが、息子・娘が一人暮らしをしたいと言えば、私立バカ大学に行ったようなやつでもそのためのアパートを捜してやろうなどと親がしていたようでした。私などは国立大学に行こうと思えば行けたし、学費と生活費は自分で稼いで行きますから出して要りませんと言っても、それでも「だ~れが工学部みたいなもん、行かすかあ~あ」と親から言われ、「おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきやがったために、これまでおまえを育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。そやから、これからおまえに働いてそのカネをまどてもらわんといかんのじゃ、このチャンコロめがあ!」と言われた、「そんなもん、誰が工学部みたいなもん、行かすかあ~あ」と言われたものでした。
「ええなあ、うらやましいなあ、千葉工大のやつは。ほんまにええなあ。小学校から高校までちっとも勉強してきてないのにからに、千葉工大やなあんてカネのかかる私立の大学の中でも学費の高い工学部になんか行かせてもろうてからに。ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」と思ったものでした。私にとっては千葉工大のやつとか東洋大の工学部建築学科卒のやつとか明治大工学部建築学科卒のやつとかいうのは、福沢諭吉が『福翁自伝』(岩波文庫)で中津藩で奥平壱岐という家老の息子はできが悪いくせして長崎に遊学に行かせてもろおうて、自分の方がよっぽど勉強ができるのに行かせてもらえなかった、「ええなあ、うらやましいなあ。わしぁ日陰の月見草やあ」と書いていたその奥平壱岐のと同様の相手でした。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
違いはというと、奥平壱岐は家老の息子で福沢諭吉は下級武士の息子だったのとは違って、千葉工大みたいなもんに息子を行かせている親というのは必ずしも年収が多いというわけでもないらしいのです。 我が家は麻生さんとか鳩山さんとかのような裕福な家庭ではないが千葉工大に息子を行かせた親と比べたら特別に貧乏な親でもなかったのではないかと思える点です。うちの父親の部下にあたる工場長の仕事をしていた課長のMさんは息子を京都の立命館大学の工学部だったかに行かせて京都で私の5倍ほどする家賃の所に住んでいましたし、うちの父親の部下になる人で息子を東京で下宿までさせて大東文化大なんて行かせた人があり、大阪経大に裏口入学させようとした人もいましたが、うちの父親が言うには「うちの会社は常務は給料安いねん。課長のMさんよりわしの方が給料安いねん。うちの会社は常務は課長よりも給料安いし、モリテツ(大阪経大にドバカ息子を裏口入学させようとした男)よりもわしの方が給料安いねん。うちの会社にボイラーマンやってる何何さんておるやろ。うちの会社は常務の給料はボイラーマンの何何さんよりも安いねんでえ」と言うのでした・・が、今から考えてみると、どうも騙されたような気がしてなりません。そもそも、うちの父親の給料が高くても安くても、私は「大学の学費と生活費は出して要りません。私が自分で働いて大学には行きますから、だから、自由にしてください。私が自分で働いて大学に行きますから自分が行きたいと思う所に行かせてください」と言ったのでしたが、それでも「誰がそんなもん、させるかあ、このチャンコロめがこのチャンコロろすけイタコ!」と言うのでした。「おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきやがったために、これまでおまえを育てるカネがかかってわしは迷惑しとるんじゃ。そやからやなあ、そやから、これからはおまえに只管わしのために、せっせせっせえ、せっせせっせえと働いてもらわんといかんのじゃ、このチャンコロめがこのチャンコロろすけ!!!」と言うのでした。千葉工大のやつて本当にええなあ、本当にうらやましいなあ・・と思ったものでした。 1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた設計部の春田靖(男。当時、20代)は静岡県の人間なのに東洋大学工学部建築学科なんてそんな所に行くのに東京で下宿までして行かせてもらっていた。父親はよっぽど金持ちなのか・・と思ったら、父親の職業はというと「中学校の校長先生」だというのです。「中学校の校長先生」て給料高すぎるのではないだろうか。なんで、東洋大みたいなもんしか行かれへんようなやつがカネのかかる私立大学でも学費が高い工学部になんか行くのか。東洋大みたいなもんしか行かれへんようなやつなんて、大学に行くことないやろ、自衛隊に入れてやったらいいのに、自衛隊に。
それにしても、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)という女は、あの女、なんで私に本人が一番嫌がっている「ブンケー(経済学部・商学部・経営学部のこと)」に行かそうとしたのか、あの女にどういうメリットがあったのか・・と思いますが、あの女はどんなに生徒が嫌がっていても親の側に加担することで自分を「ええ先生やでえ、あの先生はあ。作野先生はほんまに良心的でええ人やでえ」と親から言ってもらうというのが目的だったようです。けしからん女です。おのれは神戸大の文学部みたいなもんに行っておきながら、生徒にはそういうことをするのです。その根性が顔にも影響するのか、今から考えてみると、あの女、根性が顔に出たようなブスだったなあ・・と思います。そういう良心的でない女が教諭になっていた高校というのは、卒業して10年以上経って冷静に考えることができるようになって考えてみると、どう考えてもいい学校ではありませんでした。
(2022.11.12.)
☆ 多賀大社(滋賀県犬神郡多賀町多賀)参拝。
1.名神高速道路「多賀」サービスエリア。〔今回〕
2.「多賀」S. A.より近江鉄道「多賀」駅へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_2.html
3.「多賀大社前」駅から絵馬通りを経て多賀大社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
4.鳥居・太鼓橋・愛宕神社・秋葉神社・御神門(表門)・手水舎・神馬舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
5.拝殿・本殿。旧中山道から多賀道に入る場所に一の鳥居があるらしい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_5.html
6.神輿庫・鐘楼・日向神社。「美人薄命」と「スーパー高耐久性何何」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_6.html
7.天満神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html
8.多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアへhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_8.html
9.刈谷P.A.・足柄S.A.・東京料金所P.A.? 「国民を」でなく「国家を守る公務員」自衛隊。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_9.html

県別マップル 滋賀県 道路地図 (ドライブ 地図 | マップル) - 昭文社 地図 編集部

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