「小腸イレウス」で入院しましたが「子供」を大義名分に私に世話になった女と夫と子供はなぜ私のために尽力しないのか。すき間を走るオバサン自転車には対処できない。歩道を走る自転車の恐怖。
[第968回]
2022年10月、千葉県から大阪府まで自家用車で行き、中1日で帰ってきたのですが、千葉県から東京都を通って大阪府まで往復するからには途中で1か所くらいどこか寄りたい・・という誘惑にかられて、かつ、途中で「気分転換」になるか、もしくは途中で「区切り」になることで、それまでとそれ以降とで2つに分かれることで運転しやすくなるのならいいのですが、途中とはいえあまりにも遠方まで行くことで負担が増すのは良くないと考えて、それで今回、どこに行ったかというと、豊田ジャンクションから草津ジャンクションまでの間、「伊勢湾岸道+新名神」と名神ならば「伊勢湾岸道+新名神」の方が距離は短く、一般に所要時間も短いはずだったのですが、一度、名神経由で走ってみようと考えて、そして、滋賀県の名神高速道路「多賀」サービスエリアから多賀大社まではそう遠くないと思い、「多賀」サービスエリアから多賀大社まで歩いて往復したのはいいが、地図で見ると近そうに見えても実際に歩いて往復するとけっこうあった。

( 滋賀県犬神郡多賀町 名神高速道路「多賀」サービスエリア。)
又、行きは快調に走っていっても、中1日で戻るというのはけっこうきついようで、「多賀」サービスエリアから西に走り出してから、どうも、腹痛がしだして、そのうちおさまるだろうと思ってもおさまらず、「関ケ原」インターチェンジの東の「養老」サービスエリアで休憩を取った後、名古屋市の「守山」パーキングエリアでトイレに行って激痛にこらえ、その後、クルマの中で一晩、就寝を取った。

( ↑ 名古屋市守山区 名神高速道路「守山」パーキングエリア。)
朝になっていくらか楽になって走りだしたものの、やはり、体調がおかしい。「長篠設楽原」パーキングエリアの後、「駿河湾沼津」サービスエリアまで来ると、そこからは、パーキングエリア・サービスエリアをほとんど1区間ずつ走って休憩を取るという走り方で「守山」パーキングエリアから一日かけて千葉県船橋市まで戻ってきた。帰宅後、自宅で休養をとると治るだろうと思っても3日ほど経っても治らないことから医院に行き紹介状を書いてもらって病院に入院することになった。病名は「小腸イレウス」、俗に言う「腸閉塞」だった。医師の話によると厳密には「小腸イレウス」と「腸閉塞」はまったく同じではないらしいが、一般に知られている病名としては「腸閉塞」だ。
結局、5日間、入院して整腸剤と漢方薬を飲み、全快したわけではないが退院し、その後、約1週間後に外来で診察を受けた結果、ほぼ問題ないくらいに回復してきたようだった・・が、「小腸イレウス」俗に言う「腸閉塞」というのは軽い病気ではないので、「一応、治った」としても快調になったわけでもない。
ところで、2011年4月に千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に「倒産」)・ジャムズグローバルスクエア(株)〔不明業〕に社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だということで縁故入社した滝口 恵(女。当時、30代前半)は「子供があるから」という文句を大義名分にして、滝口恵が報酬を受け取っている滝口恵が担当の仕事を残して定時に退社し、そのために、私は自分が担当ではない滝口が担当の仕事を労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でずいぶんとやってあげたものだったし、又、滝口恵は「子供があるから」という文句を大義名分にして担当外の従業員に積極的に滝口が担当の仕事を押しつけてきたものだった。私はずいぶんと滝口が担当の仕事をしてあげたし、又、社長の長谷川新二は「滝口さんは子供があるんだから何でも子供がない人間にやってもらうのが当然じゃないかあ。子供がない人間は子供がある者のために尽くすのが当たり前じゃないかあ」などと暴言をはき、結果として私は自分が担当でない滝口が担当で滝口が報酬を盗っていた仕事をずいぶんとさせられることになってしまった。かつ、滝口恵は「すいません」も「ありがとうございます」も「申し訳ありません」も一言として口にしたことがなかった。自分が人に迷惑をかけたり人に世話になったりした時には「すいません」「ありがとうございます」「申し訳ありません」といったことを言うのは人間として社会人として常識であるはずで、「子供があるんだから当たり前じゃないかあ」という言い草はこれは人間としておかしいし、社会人としておかしい。頭、おかしいのじゃないか という暴言である。

( ↑ 千葉市中央区鵜の森町・・。 かつて、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)があった場所だが、今は競売に出されて買い取られ、まったく別の団体が入居している。)
滝口恵もそうであるが、滝口恵の夫もまたおかしい。又、滝口恵の子供はそれから10年以上経っているのだから、まだ成人はしていないとしても「手のかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっているはずであるから、それを考えるならば自分が小さい頃に大変世話になった私が「小腸イレウス」「腸閉塞」になって苦しんでいるのだから、少しは恩人のために役に立とうという姿勢を示してよいはずであるが、まったく何もしない。
よく「子供がある者は、将来、社会に役立つ人間を育てているのだから」などと言って、だから「子供がある者」は、まだ、「ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる人間」に会社や営業所全体の仕事を押しつけて「子供がある者」はさっさと先に帰って、その上で「家族手当」として「子供がない者」よりも高い給料を盗る権利があり、なおかつ、税金においては扶養控除を受けて、さらに公明党が主張した「子供手当」とか民主党が主張した「地域振興券」とかを強奪する権利があると言い張る人がいるのだが、それならば、だ。滝口恵とその夫の間の子供というのは、「子供があるんだから」という大義名分をかかげて、滝口が担当の仕事で滝口がその仕事に対しての報酬を盗っていた仕事残してを滝口は「子供」を大義名分にして定時に退社して、それを担当外の私に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせたのであるから、滝口恵の「子供」が「手のかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっている今、「小腸イレウス」で苦しんだ私のために「社会に貢献」して「当然じゃないかあ」というはずであるが、その「社会に貢献する子供」とかいうのは「小腸イレウス」で苦しんでいた私のために何一つとして「社会に貢献」しないのだが、これはいったいどういうことなの??? 《「社会に貢献する子供」を育てている》のじゃなかったのか???
「子供」を大義名分にかかげれば何やってもいい、「子供」を大義名分にかかげれば何やっても通じるという滝口恵とその夫の思考というのは、それはあまりにも勝手すぎるであろう。その「子供」はいったい何やっているんだ。
「親の恩は天より高く、海より深し」とか言って「親に感謝、親に感謝」とか言いたがる人というのがいるが、滝口恵のその「子供」というのは「親に感謝」すべきであって、相当世話になった私にはまったく「感謝」しなくていいと言いたいのか?!? そういう「親に感謝」主義者というのは、物事の考え方を根本的に間違えているのではないか?!?
又、新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕には「社長の嫁の縁故入社従業員」は滝口恵1人ではなく、もう1人、大竹加代子(女。当時、40代前半)がいて大竹加代子は会計関係の大学学部を卒業しているわけでもなく、簿記・会計関係の資格を持っているわけでもなく、過去に経理関係の職種で相当の実績があったわけでもないにもかかわらず、縁故入社であるということから私の倍以上の給料を盗っていて、なおかつ、時間外賃金の計算を大竹加代子が担当していたのだが私が時間外労働をした場合は「サービス残業」としておきながら、大竹加代子が時間外労働をした時にはきっちりと「時間外労働」として計算して受給していた。
その大竹加代子は私に「滝口さんは子供があるんだから、子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのは当たり前でしょおおおお! 滝口さんは子供があるんだから、子供がある滝口さんは子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのが当然でしょおおおお!」という暴言を何度も何度も吐いたのだったが、大竹は実質、幹部社員の扱いを受けていたのだったから、「実質、幹部社員」の大竹が滝口のために時間外に働けと言った以上はその時間外労働に対して新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は時間外賃金を支払わないといけないはずであったが、まったく支払わなかった。労働基準法違反は犯罪であり、新華ハウジング(有)の経営者は労働基準法違反の犯罪を犯した犯罪者であるはずであるが、千葉労働基準監督署https://jsite.mhlw.go.jp/chiba-roudoukyoku/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html の労働基準監督官の佐野(男。当時、30代くらい?)は私が何度も訴えたにもかかわらず、「この問題はとりあげないことにしました」などと言い、「どうしてですか。どうして取り上げないのですか。どうして、あなたにそんなことをする権利があるのですか」と私が言っても、「ですから、とりあげないことに決めました」などと勝手なことを言ったのだった。

労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一

労働法〈2〉労働者保護法 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中

労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
私が「それなら検察審査会に訴えますよ」と佐野に言ったところ、佐野は「検察審査会というのは送検されたものを起訴しない場合に訴えることができるのであって、これは送検してませんから検察審査会に訴えることはできませえ~ん♪」とうれしそうに言ったのだったが、けしからんなあ・・と思ったが、後から気づいたのだが、労働問題については労働基準監督署に何が何でも訴えないといけないというものではなく、一般の警察署に訴えてもいいという制度であり、又、労働基準監督署と一般の警察署のどちらかに訴えないといけないというものでもなく、直接、検察庁に訴えてもいいという制度であり、労働基準監督官の佐野が「検察審査会というのは送検されたものを起訴しない場合に訴えることができるのであって、これは送検してませんから検察審査会に訴えることはできませえ~ん♪」などと言って不良企業と不良企業の不良経営者を守ろうと尽力するのであるならば、それならば直接、検察庁に訴えれば良かったのであり、「労働者の敵」労働基準監督署と労働基準監督官が「この問題はとりあげないことにしました」などと勝手なことを言うのであれば検察庁に直接訴えてもよかったのであり、検察庁に訴えてもそれでも起訴しないという場合には、その時にこそ検察審査会に訴えるというようにすればよかったのだった。
労働基準監督署と労働基準監督官という連中というのは、彼らは国民の税金から給料を盗りながら、労働基準法違反を取り締まっているふりをしながら実際には取り締まらないでおくように必死になって頑張っており、彼らこそ労働基準法の敵であり、彼らは法の敵であり、労働者の敵である。彼ら、労働基準監督署と労働基準監督官こそ反社会的勢力と言うべきであろう。
「滝口さんは子供があるんだから、子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのは当たり前でしょおおおお! 滝口さんは子供があるんだから、子供がある滝口さんは子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのが当然でしょおおおお!」などという暴言を吐いた、かつ、今日に至るまでそういう暴言を吐いたことについて、一言として謝罪の言葉がない大竹加代子は、そういう文句を口にしながら、滝口恵とその夫と子供に私が病気になって苦しんでいる時に、世話になった・世話をかけた私のために何なりとするべきだと言うべきはずであるが何も言わないようだ。又、大竹加代子もまた、そういう口をきいたからには私が病気になって苦しんでいる時には何なりとやっていいはずだが、何もしない。いくらなんでも、おかしいではないか。
千葉県船橋市の自宅に戻ってきた後、医者にかかるまでの間、「守山」パーキングエリアで休憩していた時は本当に苦しかったが、船橋市に戻ってきた後は体調が普段並みに回復はしなかったが、まったく動けない状態ではなくなり、食事も少しは食べられるようになったので、近所の「丸亀製麺」に自家用車を運転して行ったのだったが、その際だ・・・。
自転車というのは車道を走るべきものか歩道を走るべきものか。私が小学校停学年の頃、1960年代前半においては自動車の交通量がそれほど多くなく、自転車に乗って走る時、国道・都道府県道など自動車が多く通る道は気をつけないといけないし、基本的にはそういう道の車道を自転車で走るというのは非常識だと小学生は考えていました。
それに対して、その頃、私が住んでいた大阪市東住吉区の家の前の道は、片側は歩行者・自転車以外は通ることはまずない道で、もう片方は自動車が通ることもあったけれどもそう頻繁に通るわけではないという道でしたので、その2つの道のような道を自転車で走る時は走るようにしていました。
私が小学校4年の途中で大阪府の北摂地区に転居したのですが、我が家の近所の道には歩道はなく、自動車はそれなりに通っていましたが、そんなに頻繁ではないので自転車でも走れました。
ところが、最近は自動車の量が多くなり、現在、居住している千葉県船橋市の家の近所でも自転車で走る人がある場合、けっこう、自動車との兼ね合いが問題になります。又、歩道があって車道は自動車の通行量がけっこう多い道があり、そういう所を自転車が走る場合、車道を走るべきなのか歩道を走るべきなのか、という問題が出てきます。又、「人は右、クルマは左」と小学校の先生から教えられたのですが、自動車は左側を走行するとして、バイク・原付も左側を走行するとして、自転車はどうなのか、という問題があります。
特に、私が小学生だった頃に自転車に乗っていた時というのは遊びに行くか、買い物に行くのに自転車に乗るかであって、通勤・通学に自転車に乗ることはなかったので、できるだけ自転車が走りやすい道を走る、自転車が走行するのに適さない道しかない場合は自転車以外の手段で行くということができたのですが、ところが、最近では高校生が自転車で通学したりしており、その場合、通学のために自転車に乗るとなると自転車が走行しやすい道があるかないかにかかわらず自転車で走行しないといけないことになってきます。
自分が普通自動車を運転していて、自転車を運転している人を見て思ったのは、
(1) 特に高校生、日没後、無灯火の自転車で走るのはやめてくれ! おまえら、死ぬぞ!!!・・ということ。
これは私も小学生くらいの時、乾電池を入れてつける自転車用ライトと自転車の車輪に接する輪があって車輪の回転に合わせて輪がまわって灯火するライトと両方ためしたことがあるのですが、どちらもあまり明るくないのです。 自転車の車輪に接する輪があって車輪の回転に合わせて輪がまわって点灯するライトの場合は、それをつけることでペダルをこぐ力が余計にかかりますし、余計に力が必要になるわりに明るくなくて、自転車用ライトをつけていてもつけていなくても見えるものにたいして違いがないのです。
だから、自転車用ライトなんてつけても意味がないのか・・・というと、決してそうではない、ということを自転車通学の高校生はぜひ認識してほしい。ライトというものは運転している人間が見やすいようにするために点灯する場合もあるけれども、そうではなくて、自動車の運転者に自分がここにいるぞ、自転車がここを走っているぞと知らせるために点灯している、という意味もあるのです。世の中には、自転車で走っている人間がいると「殺してやる」とか思う運転者というのも1万人に1人か2万人に1人かいるかもしれませんが、少なくとも過半数の運転者は自転車で走っている人間がいるということがわかれば、自転車の運転者をひかないように・はねないように配慮します。それが、わからなければ、ひいてしまう・はねてしまう危険が出てきます。 1万人に1人か2万人に1人、「殺してやる」とか思い出す人がいたとしても、大部分の運転者はそんなこと思いませんから、だから、自転車を運転して走る人は自転車のライトなんてつけてもよく見えないから意味がないと考えないで、自動車の運転者に自転車で走っている人間がいるということを伝えるためには自転車の灯火は有効なのだということを認識して、日没後に自転車を運転する場合には必ず、自転車用のライトを点灯して走るようにしてほしいと思います。
(2) 「人は右、クルマは左を走りましょう」と小学校の低学年の時、学校の先生に教えられたように思います。幼稚園の先生にも教えられたような気がします。それはわかったのですが、バイクはというとバイクも「クルマ」でしょうから左でしょう。原付というのは「原動機付き自転車」の略ですが、現実にはバイクとたいして変わりませんから左でしょう。・・で、「原動機付き自転車」でない自転車はどうなのか?
普通自動車第一種免許の場合は、免許を取得するために、たいてい、自動車学校に通って学科教習と実技教習を受講するので、その学科教習で一通りは交通ルールを学びますし、原付(原動機付き自転車)の場合は教習所には行かないとしても学科試験を受けて免許を取得しますから、そこで一通りのことは学ぶはずなのです。ところが、自転車には運転免許というものはなく、三輪車を誰が運転してもいいのと同じく自転車も誰でも運転できる。それを自宅の近くのたいしてクルマが通らない道を子供が楽しみで運転する分はまだいいのですが、移動手段として自転車を使う人の場合は、学科教習も受けず運転免許の試験も受けていない人間が移動手段としての車両を運転することになるわけで、そこで問題が出てくるように思います。
ここしばらく私は自転車に乗ったことはないのですが、今現在、自転車は左のはずです。しかし、自動車を運転していると、自転車に乗っている人というのは、自転車は左だと思って乗っている人と、自転車は右だと思って乗っている人と両方あるのです。そうなると、自動車を運転している時、左右両方から自転車が来ることがある。せめて、どちらか片方にしてほしい・・と思うのですが、自転車は左だと思っている人と自転車は右だと思っている人がいて、どちらも自分が正しいと思って運転しているので、そこが難儀です。
(3) そして、自転車は歩道を走るものか車道を走るものかという問題があります。自転車の走るスペースというものを車道の歩道よりに設けてある道があり、そういう道はそこを自転車は走ってくれということでしょう。そういうスペースがない場合はどうするのか。
基本的には自転車は車道を走るものらしいが、しかし、実際問題として自動車が相当高速で走っているような道は車道を走りたくない場合がありそうですし、又、歩道を通行している人がほとんどないという場合には人がいない限りは歩道を走っても特に問題はないかもしれません。
私自身が歩行者だった時に困ったことがあります。2014年の8月、埼玉県の川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ という三流企業の埼玉県朝霞市でのマンション工事現場にアーキマインド(株)という会社から「施工管理」という名目で仕事に行った時のことですが、右足の甲を骨折しました。 骨折した直接の原因は転んだことによるもので、普通のズック靴とか革靴とかを履いていたなら特にどうということはなかったのですが、安全靴を履いていたことから、安全靴というのはその上に何かを落としたとかいう場合には怪我を防げるのですが、転んだことで足先をねじると逆に靴が固定されていることから骨折につながったようです。
直接の原因は特別のものではなかったのですが、その後のこの川口土木建築工業(株)の現場の工事監督やこの会社の対応は極めて誠意に欠けるものであり、又、本来、施工管理として行っていた者に雑役労務者の仕事をさせていたのであり、なぜ、そのようなことをさせていたかというと、建設業では施工管理だけが派遣を認められており、雑役労務者は下請けは認められても派遣は認められていないことから、それでこの川口土木建築工業(株)という三流企業は「施工管理」だと偽って雑役労務者を派遣で雇い、かつ、アーキマインド(株)という会社をダミーとして使っていたのです。建設業では施工管理だけが派遣を認められていたことから、実際には施工管理の仕事はアーキマインド(株)からの派遣の従業員にさせずに、川口土木建築工業(株)が直接採用した従業員に施工管理の仕事はさせて、アーキマインド(株)が「施工管理」だと騙して採用して川口土木建築工業(株)に派遣させた従業員には雑役労務者の仕事をさせていたのです。明らかに脱法行為であり違法行為です。「住友」「三菱」のマンションというのはそういう脱法行為・違法行為をやっている建設会社が建てているのです。
どういう会社のマンションを建てていたかというと、住友不動産(株)・三菱地所レジデンス(株)・大京(株)といった会社のマンションを建てていたのですが、「住友」「三菱」という会社のマンションというと安心できるのではないかと思い込んでいる人がいますが、そういう会社のマンションというのは住友建設(株)・三菱建設(株)といった財閥系ゼネコンとか竹中・大林・大成・鹿島・清水といったゼネコン大手五社か戸田建設とかいった”中堅”ゼネコンとかが建てているのではないかと思っている人が多いのではないかと思うのですが、「三菱のマンション」というのは「三菱ってのが作ったんだぜ♪」〔⇒《YouTube-三菱ミラージュ 清志郎出演CM①,②》https://www.youtube.com/watch?v=qwJaCUwzrfQ 〕て感じで三菱建設(株)とかが造っていたかというとそうではなくて、実は川口土木建築工業(株)などといういいかげんな会社が建てているのです。工事部長は「高卒のおっさん」です。アーキマインド(株)の社長の鈴木さんが「加賀美さんはたたき上げの人だから」などと言っていたのだが、「物は言いよう」であり、住友不動産(株)とかのマンションを建てているような会社の工事部長をこんな「見るからに高卒」て感じのおっさんがやっているのかあ・・と思っていたら、「たたき上げ」という表現になるらしい。要するに「たたき上げ」というのは「高卒だ」ということの美称です。「十大国立大学(旧帝大系国立大学+東京工大・一橋大・神戸大)および早慶」卒で相当一線の経験を積んでも「たたき上げ」にはならないのに対して、高卒の人は一線の経験なんてたいしてなくても「たたき上げ」なのです。ちっぽけな「たたき上げ」です。
その問題はまた別のところで述べることにして、結局、右足の下の方を石膏で固めて、3か月余、松葉づえでの生活をしました。今から考えると入院させてもらえば良かったかとも思いますが、入院中、家の用事をしてくれる人がおればいいのですが、自分でやらないといけない者は入院も長期のものは簡単ではありません。
松葉づえでの生活はけっこう大変です。足を痛めていても松葉づえをついていなければ健常者と同じように見られるのに対して、松葉杖をついていると、配慮しなければならない人だと思って気をつかってくれる人がありますが、その時の私の場合、そこまで気をつかってもらわなくても、松葉づえなしでも、骨折している足で歩いてしまうと骨折した箇所がずれてしまうおそれがあるので骨折した足で歩かない方がいいのですが、その気になれば立てないこともない状態でしたし、転んでも、そこにクルマが来てひかれるとかいったことがなければ自分で起き上がることだってできたのです。難しいのは買い物です。スーパーとかコンビニの通路というのはそれほど広くないので松葉杖をつきながら歩くのは、歩けないとまでいうことはないけれども歩きにくい。又、最近はセルフサービス方式の店が多く、店の買い物かごに自分で商品を入れることになりますが、松葉づえを両手で持ちながらさらに買い物かごを持つというのはけっこう難しく、片方の手に買い物かごと松葉づえの片方を持ち、その上で商品を棚から取って籠に入れるというのも難しい。新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人の滝口恵は私にあれだけ世話になったのですから、私が骨折して買い物に支障をきたしているという時には、3か月余、松葉づえでの生活をしたのですから、恩人が困っている時に最低でも1回くらいはかわりに買い物に行ってくるくらいのことはするべきではないのか、と思われますが、滝口恵とその夫と子供というのは世話になるのが専門、ひとに世話かけること専門で、恩人が困っている時に少しだけでも役に立とうということはしない人間です。そういう人間のことを「『社会に貢献する人間』を育てている」と言うようです。
又、労災の手続きとか病院の手続きとか、郵便で送らないといけないものとかもあり、郵便局は我が家の近くにはなく、又、過去に痛風になって左足の親指が激痛を起こしたことが何度かあったのですが、左足が使えなくてもオートマの自動車というのは運転できるのですが、右足を骨折するとオートマの自動車でも運転できません。郵便局まで行くには遠いけれども、我が家からそれほど遠くない場所にヤマト運輸の店があったので、そこから書類を送ったことがありました。その時のことです。
歩道を松葉杖をつきながら移動していると、私が進もうとしていた方から若いにーちゃんが自転車で相当のスピードで走ってきたのです。交通ルールとしては自転車は歩道ではなく車道を走ることになっているとしても、歩道を誰も人がいない時とかであれば実害はないでしょうし、又、自転車で歩道を走るのならば、ゆっくりと走り、歩行者がいるとわかれば、歩行者がいる付近だけは車道を走るようにするか、歩行者がいる手前で自転車を降りて自転車を押して進むかするべきです。
ところが、その自転車のにーちゃんは車道に移動しようという姿勢もなく、又、私が移動している手前で自転車を降りようとする素振りもありません。 又、「歩道」といってもパリのシャンゼリゼ通りの「歩道」とかのように相当広い「歩道」ならば自転車が走ってきても歩行者も松葉づえでの移動者もそれほど実害は受けないかもしれませんが、我が家の近くのヤマト運輸の付近の歩道というのは幅も少ししかない歩道です。実際問題として、こちらが松葉杖をついていない状態ならば、それでも体を横向きにしてよけるということだってできたでしょう。しかし、「クルマは急に止まれない」なんて標語がありますが、松葉づえをついている人間が体を横にして狭い歩道の端によって自転車を通そうと思っても、松葉杖をついている者はそう速くに体の向きを変えることはできないのです。

車道に自動車が来ていなければ車道に移って歩道を走る自転車をよけるということもできるかもしれませんが、この道は車道はけっこう自動車が通る道で車道に移動して自転車をよけるということはできません。
せめて、松葉杖をついている人間がいるとわかったならば、自転車で歩道を走行している人は速度を落としてゆっくりと通るというくらいしても良さそうでしたが、そのにーちゃんは松葉づえをついて歩道を移動している人間がいるとわかっても、まったくおかまいなしに歩道を相当の速さでこちらに向かって突き進んできたのでした。「さっさとよけろよ」という感じで。
さっさと動けたらいいのですが松葉づえをついている人間というのは、さっさと動けないのですよ。それでもおかまいなしに、こちらの身体の方めがけて自転車で突き進んでこられたので、あの時は怖かった。あやうく、衝突はまぬがれたけれども、どうすれば良かったかといっても、どうすれば良かったかわかりません。
自転車で歩道を走る人は、せめて、歩行者がいる時には自転車を降りて押すか、それも嫌なら減速してほしい。それも嫌である場合でも、せめて、松葉づえをついている人間がいる時に松葉づえをついている人間めがけて自転車で突っ込むというのは、できるだけ避けてほしい。「さっさとよけろよお」と思ったのかもしれませんが、松葉づえをついている人間というのはさっさとよけるということはできないのです。どうか、それをわかってほしいと思います。
その点、自転車で歩道ではなく車道を走る人は問題ないかというと、そうでもないのです。 自転車専用レーンがある車道でも、自転車用のレーンの幅というのはそう広くありません。 それでも自転車専用レーンがある場合はまだいいのです。
自転車専用レーンがない車道を自転車が走る場合でも、ある程度、道路がすいている場合ならば、↓ のように走ることになります。

↑ のように、自動車と自動車の間を自転車が走るようになれば、自転車の後ろを走る自動車は自転車の速度に合わせて走るので、自転車が走っていない場合よりも遅い速度で走らざるをえないことになります。「追い越しのためのはみだし通行禁止」でない場所ならば、対向車が来ていない時を見計らって追い抜くことになるでしょうし、自転車に乗っている人も自動車に「負けるもんかあ」なんて気を起こして一生懸命走っても勝てませんから、さっさと追い抜かれた方がいいでしょう。
まっすぐな道の図と曲がった道の図にしているのは、説明のためなら両方ともまっすぐな道にして書いてもいいのですが、実際に我が家の近くにこのような道があるので、それを図にしました。
ところが、自動車がけっこう混んでいて、自動車が停止した状態で何台も続いているか、もしくは動いてはいるけれども、とろとろと徐行している状態の時、自転車はそれに合わせて走ってくれればいいのですが、ところがそうはいかないのが、””オバサン”” です( 一一)

↑ この図では車道の自動車が走っている所と歩道との間を自転車が走っていますが、自転車が走っている所は自転車専用レーンではありません。自動車が現実にいる場所と歩道との間というのか、すき間というのかを自転車でおばさんが走っているのです。
たしかに、自転車というのは、こういうすき間を走ろうと思えば走れないことはないわけで、こういう状況においては自転車というのは歩道を歩く歩行者よりも速く進めるだけでなく、車道をトロトロ進んでいる自動車よりも速く進めることになります。
・・・しかし、こういう走り方は危険であり、おばさんはそれでいいと思っているかもしれませんが、そこは自動車が歩道をこすらないように、歩道を通行中の人がよろけてきたような場合でも大怪我にならないように車道を走る自動車と歩道との間のすき間として設けられている場所のはずで、本来、自転車が走る所ではないはずなのです。
でも、「おばさん」というのはそんなこと考えません。そこが「おばさん」です。かつて、毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派はハリコの虎である。見かけは恐ろしいがその実力はたかが知れている」とおっしゃった、「ヒトラーはハリコの虎ではなかったか、日本軍国主義はハリコの虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という恐ろしい武器を持っているが、これもまたハリコの虎であって、やがて打倒される」とおっしゃったのですが、ところが唯一、「おばさん帝国主義」という帝国主義だけは、これはハリコの虎ではなくて牙を持った恐ろしい本物の虎であり、永遠に不滅です。「おばさん帝国主義」には原子爆弾も人民義勇軍も歯が立ちません。「おばさん帝国主義は永遠に不滅です」てものです( 一一) 又、世の中、《「体だけ元気な年寄」のじいさん》と「おばさん帝国主義」には何を言っても通じません。ほんと・・( 一一)

毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
で、こういう走り方を自転車ですると、どうなると思いますか? ↑ の図でおばさんが自転車で走っている所というのは「自転車道」とか「自転車専用レーン」ではなくて、「車道の自動車と歩道との間のすき間」ですからね。
自転車のサドルの右端を私のクルマにゴツンとあてて・・・・、そしてどうしたかというと・・、おばさんのやることというと、もうわかりますよね。
・・そのまま、行ってしまったのです。
マア、私の乗っているクルマというのはベンツではないし、ロールスロイスでもないし、BMW でもないですけれども、それでも私にとっては大事なクルマなんですけれどもね。リーズナブルなクルマだからと言ってぶつけていいというものではないのですけれどもね。おばさんはそのまま行ってしまいました。後を追いかけようなんて、たとえ思ったとしても、前にも後ろにもクルマは走っていますし、走っているクルマの速度は自転車速度よりずっと遅い速度ですから追いつきません。・・なんか、滝口みたいな女だなあ・・・と思いました。
滝口 恵は新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)で滝口が担当で滝口がその仕事に対しての報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員にさせておいて、おのれは「子供」を大義名分に定時に帰り、担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働をさせて、そうやって空けた時間に子供の千葉市の幕張の小学校の「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないかなと思いました」などと新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)とリンクしたブログに書いて公開しました。当然、両社の従業員はそれを見ます。おのれの仕事を担当外の従業員に時間外に無賃労働でさせておいて、おのれは定時に帰ってそうやって空けた時間に「PTA役員やってます♪ PTA役員も悪くないかなと思いました♪」て、はあ? はあ~あ? はああ~あ???
この人は頭、おかしいのではないかあ! 普通、おのれが担当でおのれがその仕事に対しての報酬をもらっている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせておいて、おのれは定時に帰っておいて「PTA役員やってます♪」だあ?!? おまえ、しまいに殺されるぞお、しまいに!!! 「PTA役員も悪くないなと思いました♪」だとお!?! 海浜幕張沖にでも叩きこまれるぞお、この異常女!!!
そして、さらに、担当外の「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」に、「私は子供があるんですからねえ」と言って、おのれが担当でおのれがその仕事に対しての報酬をもらっている仕事を押しつけて、おのれは定時に退社して、ひとに夕食時間以降に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で滝口の仕事をさせておいて、まさにその時間にオットと「妊活」(性交)やって3人目を孕んで出産した。よくやってくれるのお、この鬼畜女!
特にその3人目の子供は、「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」が滝口が担当の仕事を押しつけられなかったならば、もしかするとできていたかもしれない子供を食い殺して産まれた鬼畜の子供であり、その3人目の子供は産まれる時点からして呪われた子供であり、その3人目の子供は決して幸せになってはならない子供としてこの世に産まれてきた子供である。その3人目の子供は「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」に産まれていたかもしれない子供を食い殺すことで産まれた祝福されない子供であり、その子供が幸せになるようなことがあったならば、「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」に産まれていたかもしれないのにこの世に産まれることができなくされた子供が、あまりにもかわいそう過ぎる。そうであろう。
・・で、その3人目の子供にしても、年数を計算すると、もうそろそろ、「手のかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になってきているはずなのだが、私に世話をかけて産まれた子供であるはずだが、その子供は私が「小腸イレウス」になって苦しんでいても何ひとつしないのだが、これはどういうことなのだろうか?!? 「『社会に貢献する子供』を育てている」のではなかったのか?!? ちっとも「社会に貢献」しないではないか!!!! なんだ、これは。詐欺か!!!
「滝口さんは子供があるんだから、〇〇さんは子供がないんだから子供がない人間は子供がある人のために尽くすのが当たり前でしょおおおお!」と発言した大竹加代子は、当然のことながら滝口恵とその夫と子供に「そうやって世話になった人が体調を崩して苦しんでいるのなら、世話になった恩に報いるために尽くすのが当たり前でしょおおおおおお!!!」と言わないといけないはずであり、言わないとおかしいはずである。大竹加代子はなぜ言わない?!? 滝口恵を縁故入社で新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)に入社させた「社長の嫁」の河野利華はなぜ「滝口さんは〇〇さんに相当世話になったのだから、世話になった人が体調を崩して苦しんでいるのならば、世話になった人のために尽くすのが当たり前でしょおおおお!!!!!」と滝口恵とその夫と子供に言うのが当然であるはずで、社長の長谷川新二も嫁の河野利華もその2人の子供2人も今はそれなりに「役に立っておかしくないはずの年齢の子供」になっているはずなのだから、子供にもまた「滝口さんのために力になってくれた人が体調を崩して苦しんでいるのなら、滝口さんの為に力になってくれた人のために尽くすのが当たり前でしょおおおおおお!!!!!」と言わないとおかしいであろう。なぜ、滝口恵とその夫だけではなく大竹加代子も河野利華もまた、小腸イレウスで苦しんだ私のために何一つしないのだろうか。「どう考えてもおかしいでしょおおおおおおおお!!!!!!!」というものだ。
こういうものは決して忘れはしない。「殴った者は忘れても、殴られた者は決して忘れはしない」という言葉があるが、「子供がいるんだから」と勝手なことした人間はさっさと忘れているかもしれないが、勝手なことされた側の人間は忘れることはない。
なお、「小腸イレウス」の「イレウス」とは、《ウィキペディアーイレウス》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B9 によると、
《 イレウス(ileus)とは、腸管内容物の肛門側への移動が障害される病態で、腸蠕動が一時的に停止した状態である。腸閉塞(ちょうへいそく、intestinal obstruction)を含むより広い概念。・・》だそうで、
《 JST科学技術用語日英対訳辞書での「ileus」の意味
ileus イレウス; 腸閉塞; 腸閉塞症 》
《 日本語WordNet(英和)での「ileus」の意味
ileus 名詞 1 腸の内容物が腸の下部に移動できなくなる、腸(特に回腸)の閉塞 》
《 Weblio専門用語対訳辞書での「ileus」の意味
ileus 腸閉塞症;イレウス
カテゴリ 医療用語 》
( 《Weblio 英和辞典・和英辞典 ileus 》https://ejje.weblio.jp/content/ileus )
と、結局、腸閉塞・腸閉塞症しか日本語は出てこないようだった。
世の中には、「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ親に孝に親に孝に親に孝に、親に感謝、親に感謝、親に感謝、感謝、感謝・・」とか言いたがる人というのがいますが、あれは間違いです。勝手なこと言うんじゃない! 滝口の子供は「親に感謝」するのではなく私に感謝しなさい。私や新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパンん(株)の滝口以外の従業員に感謝しなさい! 滝口の子供は親にではなく私に孝行しなさい! 滝口の子供は親にではなく私や新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の滝口以外の従業員に孝行しなさい!!! 「親に孝に親に孝に、親に感謝、親に感謝・・」とか言いたがる人というのは実態を理解できていない。滝口の子供は私などに世話になったおかげで成長することができたのであり、特に3番目の子供は私などに迷惑をかけたおかげで産まれることができたのであって、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の他の従業員に迷惑をかけて「妊活」(性交)やって孕んで産んだ女と孕ませた男のおかげで産まれることができたのではない。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ親に孝に親に感謝、感謝、感謝・・」などと言いたがる人というのは孝行するべき相手・感謝するべき相手を根本的に間違えている。
そういえば、1970年代の終わり、うちの父親の親友の医者屋M川(男。当時、50代前半)が勤めていた「病院」(大阪府豊中市)の「看護婦」で、たしか、その時、30歳だったと聞いたが、子供を3人も産んでいて、それを「病院」が設けた保育所にあずけて働いていた女性N原がいました。勤務場所と保育所が同じ場所なので出勤するのと子供を保育所に連れていくのと同じ移動でできたので便利といえば便利だったが、「病院」の経営者にすべて管理されているような感じで、又、もしも、転職して他の場所に勤めるとなると子供を預けている保育所はどうなるのかという問題もあったでしょう。
その「看護婦」の N原さんを見て、うちの父親は「子供を3人もあずけて働いて大変やなな。子供を3人も産んで育てて大変やなあ」と言うので、この人も変なこと言う人やなあ、と思ったものでした。まず第一に、その子供というのが私が孕ませて産ませた子供ならば、私が孕ませた子供をその女が働いて育てているということならば「大変やなあ」と言うのはわかります。孕ませるだけ孕ませて働いて生活費を稼ぐのも育てるのも女にさせて「えらい、申し訳ありませんなあ」とでも言えばいいでしょうけれども、俺が孕ませた子供と違うだろうが。俺が孕ませた子供でもないのに、そんなもん、知るか!
「3人も子供を育ててからに、大変やなあ」などとうちの父親は言うのでしたが、そんなに大変なら3人ではなく2人にしておけばいいだろうが。誤解せんといてほしいねんけども、私が3人産んでくれと頼んだのではないやろうが。その女と夫が子供を3人作ったのであって、私が孕ませて産ませたわけではないし、私が3人産んでくれと頼んだわけでもないのであり、3人育てるのが大変ならば、1人か2人にしておけばいいことだろう。3人産んだのは産んだ者が3人産むことにしたのだろうが。違うのか?
このうちの父親が言った文句というのは、うちの母親が聞いたなら怒ったと思うのだ。私が産まれる前、子供は2人だったわけだが、うちの父親は「わしは働いてやってやってやってやったっとんねんぞお~お」と言い、「子供は女が育てるものやねんぞお」と言って、すべて、うちの母親にさせていたというのだ。あのおっさんは、そうだろうなあと思う。私が産まれた日にはうちの父親はゴルフに行っていたという。うちの母親が病院で出産した後、家に帰るのに、うちの母親の母(祖母)が来てくれて産まれたばかりの私を家に連れて帰ったら、家では「おばあさん」(うちの父親の母、祖母)がストーブもつけずに、寒い部屋でひとり火鉢にあたっていたそうで、病院から連れてかえってきた赤ん坊を寒い家の中に入れたら途端に赤ん坊の顔色が変色したといい、うちの母親はどうしたらいいかとひやっとしたが、祖母(母の母)が近所の馴染みの開業医の所に行って「お願いします。すぐに来てください」と頼んで来てもらったところ、部屋を暖めれば回復したそうで、それで私は今も生きているが、そういう時でもうちの父親はゴルフに行って家にいなかった・・というのだが、自分の妻が子供を出産した時には、せめて赤ん坊を家に連れ帰ってくる日くらいは病院に迎えに行くか、せめて家にいてストーブをつけて部屋を暖めておくか、そのくらいしても良さそうなものだがしないそのおっさんが、よその女には「3人も育てて大変やなあ」などと言って「聖人」「英雄」「思いやり深い人」を演じようとするのだった。そうやって「ええかっこしい」やらなきゃおれない男だったのだ。うちの父親というのは、そういう発言をして「わしは聖人やねん」「わしは英雄やねん」「わしは特別に思いやり深い人間やねん」とか言いたい言いたい症候群 の人間で、かつ自分がそういう人間だということについて「病識がない」人間でした。
それから、その「看護婦」の女性だが、「3人も子供を育てて大変やなあ」「3人も子供を育ててえらいなあ」とうちの父親は言うのだったが、たとえ「大変」であったとしても、私が孕ませた子供ではないし、私が産んでくれと頼んで産んでもらった子供でもないし、自分が選んで3人産んだのであって、自分がたとえ大変でも3人産みたいと思って産んだのであるから、たとえ大変でもその大変なことをやっていこうと決めたのはその人なのだから、他人がどうこう言う必要はないことでしょう。それでも大変かもしれないが、「えらい」かどうかというと、別に私のために産んで育ててくれているわけでもないのだから、「えらい」とか言う必要はないでしょう。そもそも、その女性が「看護婦」と称して勤めている「病院」ですが、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしてカネを得ている「病院」であり、そういう所から分け前を「院長」が一番多く盗り、「医者」はそれに次いで多く盗り、M川はそのカネでドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたのであり、それを自慢にしていたのであり、「看護婦」はそれよりは少ない額を「給料」と称して盗っていたのであり、そうやって3人も子供を育てていたのであり、「えらい」とか言うのは不適切であったはずなのだ。 大阪府豊中市のその「病院」の「院長」の息子は慶應大医学部に行ったと聞いたのだが、関西に国公立の大学の医学部はいくつもあり、私立の医大・医学部もあり、社会科学系学部卒で民間企業に勤める場合とは違って医学部を卒業して医者として病院に勤める場合には関西の病院は京大医学部・阪大医学部の系列下にあり、東京圏では千葉県限定で千葉大医学部の系列の病院があるが千葉県以外の東京圏の病院は東大医学部と慶應大医学部の系列下にあるとされ、関西で勤務するならば医者の場合は東大医学部・慶應大医学部よりも関西の大学の医学部卒の方が都合がいいことが多いと言われるにもかかわらずわざわざ慶應大の医学部に行ったというのだが、慶應大学は私立大学だが裏口入学の難易度はけっこう高いらしいが、もしかして「裏」か・・、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りなどして得たカネによる「裏」かという気がしないでもない。そういう「院長」や「医者」よりは少ない額を「看護婦」もまた分け前としてその「病院」から「給料」と称して受け取っていたのであり、その分け前として受け取ったカネで3人もの子供を育てていたのであり、3人もの子供を育てることができるカネを「給料」と称して受け取ることと保育所施設有の条件とからその女は「病院」の悪行に加担していたのであり、その3人の子供というのは「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りで苦しめられたことによって産まれ・育てられた子供だったのである。それを「エライなあ」などと言っていたおっさんというのは・・・「アホやなあ」と言うべきか。言っても理解しなかったであろうけれども。
慶應は小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」と聞くが大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学で「早稲田大と慶應大なら同じ学部なら慶應大の方が安い」という学費の大学だが、それはあくまでも経済学部・商学部・法学部法律学科・法学部政治学科・文学部についての話であり、国立大学の場合はどの学部でも学費は同じだが、私立大学である慶應大は工学部は経・商・法・政・文より5割ほど高かったはずで、医学部になると経・商・法・政・文の倍くらいの金額の学費で、かつ、経・商・法・政・文は4年間であるものが医学部は6年行く必要があった。慶應大の医学部はM川がドバカ息子を行かせた私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ のような多額の寄付金は払わなくても正規入学の場合は規定の学費を払えば入学できるようだが、正規の学費の場合でも経・商・法・政・文の倍ほどの学費で、かつ1.5倍の期間行く必要があり〔ということは、2×1.5=3 学費だけで経・商・法・政・文の3倍の費用が必要ということで〕、医者屋の息子の場合は私などとは違って相当いい所に住んでいたであろうから住居費もそれなりにかかったであろうから、たとえ裏口ではなく正規に入学していたとしても、けっこう費用はかかったと思われる。実際、私なども慶應大医学部は、もしも受けたならどうなったかにかかわらず、「検討対象外」だった。 あの「病院」の「院長」は「医は仁術」とかなんとかかんとか言い、「『患者』ではなく『病客』」などと言って「ええかっこしい」やりながら、実際には薬漬け・検査漬け・毒盛りやって得たカネで息子を慶應大の医学部に行かせていたのであり、それに準ずるカネを得ていたのが「医者」で、そのさらに小型が「看護婦」で子供を3人も産んで育てるカネになっていたのだった。こういう構造を理解しない人間、こういう構図に気づかない人間というのは、「心理学」は「自我が確立されている」とか言ってほめてくれるかもしれないが、「アホちゃうか」という人間である。「わしは世の中のことは何でも何でも知ってる人間やねん」などとうちの父親は言っていたのだが、そのわりに何もわかっていない。何もわかっていない人間だからM川から「お父さんは世の中のことは何でも何でも知っておられるお方」などと言われて「そうや♪ その通りや♪」などと言って舞い上がるということだったのだろう。私なら「何でも何でも知っておられるお方」などと誰かから言われたなら、「はあ?」と思うだろう。何を言うとんねん・・と思うだろう。そこを「この人は何を考えて、そんなこと言っているんだあ?」と疑問を感じることなく舞い上がるというのは、やっぱりあのおっさんは「アホちゃうか」というおっさんだった、ということか。

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康

医学部・金、権力の腐蝕構造―大学の有名病院支配図 (1985年) - 和田 努
子供が欲しいと思ってもできずにいる夫婦もおれば、産まれるとしても3人も育てることは困難と考えて2人までにしている夫婦もあり、1人できたがそれ以上は産まずにいる夫婦だっているわけだ。ふさわしい相手と巡り合うことができずにいる男女だっているわけだ。なんで、結婚できて子供もできた人間が「大変」で「えらい」のか? 思考がおかしい。
その「看護婦」やっていた人の場合は、まだしも、自分が働きながら子供を保育所にあずけて育てていたのであるが、それに対して、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)にいた滝口恵の場合は、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の担当外の従業員に負担をかけ迷惑をかけることで2人の子供を育て、すでに2人でも人に迷惑を相当かけていたにもかかわらず、さらに3人目を孕んで出産したのであり、その態度というのは「人の迷惑というものをまったく考えていない」という態度であったのだ。又、滝口恵の夫という男もまた社会人として明らかに非常識な人間であり、自分の嫁が子供を産んだなら夫は生活費を稼ぐことと育てることとに協力しておこなう義務があるはずであり、それができないならば2人も子供を産ませるべきではなく、すでに2人の子供のために嫁が勤めた新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員に相当の迷惑をかけていたのであるのに、さらにまた、滝口恵が滝口が担当で滝口が報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰り、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で時間外に働かせて、そして、まさにその時間にさっさと帰宅した滝口とその夫は「妊活」(性交)やってさらに3人目を孕んで出産したのである。いくらなんでも、滝口とその夫はよくやるとあきれる。特に滝口の夫、おまえ、しまいに殴られるぞ! それも1発や2発殴られてすむ問題じゃないぞ。最近、日本の社会が「後先考えずに性交やって子供を産む人間」を優遇する社会になってきてしまったが、本来、子供というものは産んで育てていけるかどうか考えて産むものであり、産むだけ産んで、「私は子供があるんですからねえ」と他人に自分の世話をするように強要するというのは、それは親になるような人間の態度ではない。そういう人間が「少子高齢化対策に貢献している」とか主張するのだが、そういう身勝手・我儘な人間のクローンを拡大再生産されても、そんなものは決して「お国のため」になんかならないので、そんな子供は産まないでもらいたいのだ。そんな子供とそんな子供が成人した大人を増やされたのでは迷惑なのだ。
又、最近、巨人の坂本勇人・広島の中村将成が女性に孕ませておきながら人工中絶するように強要したということについて、一生懸命、それを擁護する人が出てきているが理解に苦しむ。まず、人工中絶で女性の胎の中の子供を殺しても、刑法上は胎の中の子供は「人」という扱いになっていないので殺人罪は適用されないから、だから人工中絶は問題ないのだと同様のことをした相撲取りの竜電が言っていたというのだが、その認識がおかしい。刑法上、どう扱うかという問題で胎児は「人」としては扱っていないというだけのことで、だから胎児は殺しても問題ないという思考はおかしな思考である。又、女性の胎内の子供が独立した人ではないとするならば、女性の身体の一部分だということになるわけだから、本人が承諾していない人工中絶を強要するというのは、胎児は「人」ではないから殺人罪にならないというのなら傷害罪に該当する可能性が考えられる。妊娠中の女性が承諾しているのだからかまわないのだ、というのは、それは刑法上、傷害罪にはならないということであって、「かまわない」という認識はおかしい。自分の意思を表明することができない胎児は殺してもいいという認識もおかしい。《ウィキペディアー竜電剛至》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%9B%BB%E5%89%9B%E8%87%B3 を見ると、《柔道での高校進学の誘いもあったが、親方の「男の中の男になれ」という言葉に胸を打たれ、中学3年の夏に入門を決意した。》などと書かれているが、それが「男の中の男」の態度かどうか、よく考えてみた方がいいだろう。
芥川龍之介『河童』では、河童の出産は人間よりも合理的で、河童の雌の子宮に向って「おまえは産まれたいか」と尋ねて、子供が産まれたいと言えば産み、産まれたくないと言えば産まないようにするというものだ。「河童」は胎児に産まれたいか産まれたくないか問うて、本人の意思で出産するか人工中絶するか決めていたのだが、人間には「河童」よりも野蛮で残酷な者がいて「産まれたくない」と意思表示をしていない者を平気で殺しておいて、そして、「巨人軍ファン感謝デー」とかにいけしゃあしゃあと出ている男というのがいるのだ。

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫) - 芥川 龍之介
まず、刑法上は胎児を殺しても殺人罪にはならないとしても、それは法律家がそういう扱いにしているというだけのことで、胎児を殺すという行為は決して倫理的にかまわないというわけではないのだ。それを、「愛し合っていない二人が性欲から性交して妊娠した場合には産まない方が倫理的だ」とか屁理屈をこねて擁護しようというような人が最近いるようだが、孕んだ時に産んで育てるつもりがないなら性交するな! という話だ。 そういう「だらしない」人間が増えるのは日本の社会にとっても好ましいことではない。
まず、基本的には性交というのは結婚してからするものだ。但し、結婚式というものは必ず実施しないといけないものではないし、婚姻したという届を役所にだして夫婦になったということにしておいた方が日本の国においては様々な点で有利であるから婚姻届けは出した方がいいであろうけれども、何らかの理由で婚姻届けを出したくないという人がいるならば、内縁関係で出産してもそれはその人の事情というものだろう。しかし、結婚する前に性交するならば、孕んだ時には出産して結婚するのか、出産前に結婚して出産するのか、結婚せずに出産するのか、どうするのか考えた上でやることだ。それを考えることができないような大人と言えないに生殖機能だけ発達した子供が性交しているのが間違っているのだ。そんな人間を擁護する発言をする者というのは、おのれの非常識を恥じるべきだ。
滝口の場合は人工中絶せずに3人も子供を大量生産したわけだが、人工中絶せずに産んだからエライなどというものではない。子供を産むなら自分たち夫婦で育てていくことを覚悟して産むべきであり、最初から他人に迷惑かけることを前提に産むなら、そんな子供なら産むな!!! 最初から他人に迷惑かけることを前提にして産むのが当たり前みたいな認識のバカ女症候群とその夫の非常識人間シンドロームは、まず、そのビョーキの「治療」を受けることが子供を作ることよりも先だ。 滝口恵の夫からは迷惑かけてきた私など新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員に対して今日に至るまで謝罪の言葉がまったくないのだが、精神的に異常者ではないか。
それ以上に「滝口さんは子供があるんだから、子供がない人に何でもやってもらうのが当たり前でしょおおおおおお!!!」などと暴言を吐いた大竹加代子、「滝口さんは子供があるんだから、子供がない人間は滝口さんのために何でも尽くすのが当然じゃないかあ!!!」と暴言を吐いた長谷川新二、及び、そういう発言をしておきながら「滝口さんのために何でも尽くす」と自分はやらずに私などにさせようとした長谷川新二の発言・態度というものは、これは反社会的であり、大竹加代子・長谷川新二は反社会的勢力と言わざるをえない。
性交は基本的には結婚してからするものであり、孕んだ時に産む意思もない者が結婚前に性交するな! 自分達で育てることができるかどうか考えてから子供は産め! 最初から人に迷惑かける前提で産む子供なら産むな! 考えようによっては、最初から人に迷惑かけることを前提に子供を産んでいる滝口恵とその夫の方が、人工中絶で胎児を殺している者より悪質かもしれない。
日本国民はこういったことをよく考えてみるべきです。後先考えずに性交やって孕んで産めば、周囲の人間、特に「ふさわしい結婚相手と巡り合えずにいる男女」「結婚はできたが子供はできずにいる男女」に迷惑かけるのが「当たり前でしょおおおおおおお!!!」などという主張をぬけしゃあしゃあとする反社会的勢力 の主張を支持するようなことは決してしてはいけない。
(2022.11.22.)
[第965回]多賀大社 摂社 天満神社参拝ー多賀大社[7/9] 近江の地の「学者商人」の神か。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html

消された政治家・菅原道真 (文春新書) - 平田 耿二
● 長く、BIGLOBEブログにて公開してまいりましたが、2023年1月31日にてBIGLOBEブログが閉鎖されることになったようですので、これまでに公開したものをSeeSaaブログに移行した上で、今後はSeeSaaブログにて公開を続けたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。 (2023.1.31.)
2022年10月、千葉県から大阪府まで自家用車で行き、中1日で帰ってきたのですが、千葉県から東京都を通って大阪府まで往復するからには途中で1か所くらいどこか寄りたい・・という誘惑にかられて、かつ、途中で「気分転換」になるか、もしくは途中で「区切り」になることで、それまでとそれ以降とで2つに分かれることで運転しやすくなるのならいいのですが、途中とはいえあまりにも遠方まで行くことで負担が増すのは良くないと考えて、それで今回、どこに行ったかというと、豊田ジャンクションから草津ジャンクションまでの間、「伊勢湾岸道+新名神」と名神ならば「伊勢湾岸道+新名神」の方が距離は短く、一般に所要時間も短いはずだったのですが、一度、名神経由で走ってみようと考えて、そして、滋賀県の名神高速道路「多賀」サービスエリアから多賀大社まではそう遠くないと思い、「多賀」サービスエリアから多賀大社まで歩いて往復したのはいいが、地図で見ると近そうに見えても実際に歩いて往復するとけっこうあった。
( 滋賀県犬神郡多賀町 名神高速道路「多賀」サービスエリア。)
又、行きは快調に走っていっても、中1日で戻るというのはけっこうきついようで、「多賀」サービスエリアから西に走り出してから、どうも、腹痛がしだして、そのうちおさまるだろうと思ってもおさまらず、「関ケ原」インターチェンジの東の「養老」サービスエリアで休憩を取った後、名古屋市の「守山」パーキングエリアでトイレに行って激痛にこらえ、その後、クルマの中で一晩、就寝を取った。
( ↑ 名古屋市守山区 名神高速道路「守山」パーキングエリア。)
朝になっていくらか楽になって走りだしたものの、やはり、体調がおかしい。「長篠設楽原」パーキングエリアの後、「駿河湾沼津」サービスエリアまで来ると、そこからは、パーキングエリア・サービスエリアをほとんど1区間ずつ走って休憩を取るという走り方で「守山」パーキングエリアから一日かけて千葉県船橋市まで戻ってきた。帰宅後、自宅で休養をとると治るだろうと思っても3日ほど経っても治らないことから医院に行き紹介状を書いてもらって病院に入院することになった。病名は「小腸イレウス」、俗に言う「腸閉塞」だった。医師の話によると厳密には「小腸イレウス」と「腸閉塞」はまったく同じではないらしいが、一般に知られている病名としては「腸閉塞」だ。
結局、5日間、入院して整腸剤と漢方薬を飲み、全快したわけではないが退院し、その後、約1週間後に外来で診察を受けた結果、ほぼ問題ないくらいに回復してきたようだった・・が、「小腸イレウス」俗に言う「腸閉塞」というのは軽い病気ではないので、「一応、治った」としても快調になったわけでもない。
ところで、2011年4月に千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に「倒産」)・ジャムズグローバルスクエア(株)〔不明業〕に社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)の嫁の河野利華(女。当時、40代前半)の友人だということで縁故入社した滝口 恵(女。当時、30代前半)は「子供があるから」という文句を大義名分にして、滝口恵が報酬を受け取っている滝口恵が担当の仕事を残して定時に退社し、そのために、私は自分が担当ではない滝口が担当の仕事を労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でずいぶんとやってあげたものだったし、又、滝口恵は「子供があるから」という文句を大義名分にして担当外の従業員に積極的に滝口が担当の仕事を押しつけてきたものだった。私はずいぶんと滝口が担当の仕事をしてあげたし、又、社長の長谷川新二は「滝口さんは子供があるんだから何でも子供がない人間にやってもらうのが当然じゃないかあ。子供がない人間は子供がある者のために尽くすのが当たり前じゃないかあ」などと暴言をはき、結果として私は自分が担当でない滝口が担当で滝口が報酬を盗っていた仕事をずいぶんとさせられることになってしまった。かつ、滝口恵は「すいません」も「ありがとうございます」も「申し訳ありません」も一言として口にしたことがなかった。自分が人に迷惑をかけたり人に世話になったりした時には「すいません」「ありがとうございます」「申し訳ありません」といったことを言うのは人間として社会人として常識であるはずで、「子供があるんだから当たり前じゃないかあ」という言い草はこれは人間としておかしいし、社会人としておかしい。頭、おかしいのじゃないか という暴言である。
( ↑ 千葉市中央区鵜の森町・・。 かつて、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)があった場所だが、今は競売に出されて買い取られ、まったく別の団体が入居している。)
滝口恵もそうであるが、滝口恵の夫もまたおかしい。又、滝口恵の子供はそれから10年以上経っているのだから、まだ成人はしていないとしても「手のかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっているはずであるから、それを考えるならば自分が小さい頃に大変世話になった私が「小腸イレウス」「腸閉塞」になって苦しんでいるのだから、少しは恩人のために役に立とうという姿勢を示してよいはずであるが、まったく何もしない。
よく「子供がある者は、将来、社会に役立つ人間を育てているのだから」などと言って、だから「子供がある者」は、まだ、「ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながらできずにいる人間」に会社や営業所全体の仕事を押しつけて「子供がある者」はさっさと先に帰って、その上で「家族手当」として「子供がない者」よりも高い給料を盗る権利があり、なおかつ、税金においては扶養控除を受けて、さらに公明党が主張した「子供手当」とか民主党が主張した「地域振興券」とかを強奪する権利があると言い張る人がいるのだが、それならば、だ。滝口恵とその夫の間の子供というのは、「子供があるんだから」という大義名分をかかげて、滝口が担当の仕事で滝口がその仕事に対しての報酬を盗っていた仕事残してを滝口は「子供」を大義名分にして定時に退社して、それを担当外の私に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせたのであるから、滝口恵の「子供」が「手のかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になっている今、「小腸イレウス」で苦しんだ私のために「社会に貢献」して「当然じゃないかあ」というはずであるが、その「社会に貢献する子供」とかいうのは「小腸イレウス」で苦しんでいた私のために何一つとして「社会に貢献」しないのだが、これはいったいどういうことなの??? 《「社会に貢献する子供」を育てている》のじゃなかったのか???
「子供」を大義名分にかかげれば何やってもいい、「子供」を大義名分にかかげれば何やっても通じるという滝口恵とその夫の思考というのは、それはあまりにも勝手すぎるであろう。その「子供」はいったい何やっているんだ。
「親の恩は天より高く、海より深し」とか言って「親に感謝、親に感謝」とか言いたがる人というのがいるが、滝口恵のその「子供」というのは「親に感謝」すべきであって、相当世話になった私にはまったく「感謝」しなくていいと言いたいのか?!? そういう「親に感謝」主義者というのは、物事の考え方を根本的に間違えているのではないか?!?
又、新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕には「社長の嫁の縁故入社従業員」は滝口恵1人ではなく、もう1人、大竹加代子(女。当時、40代前半)がいて大竹加代子は会計関係の大学学部を卒業しているわけでもなく、簿記・会計関係の資格を持っているわけでもなく、過去に経理関係の職種で相当の実績があったわけでもないにもかかわらず、縁故入社であるということから私の倍以上の給料を盗っていて、なおかつ、時間外賃金の計算を大竹加代子が担当していたのだが私が時間外労働をした場合は「サービス残業」としておきながら、大竹加代子が時間外労働をした時にはきっちりと「時間外労働」として計算して受給していた。
その大竹加代子は私に「滝口さんは子供があるんだから、子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのは当たり前でしょおおおお! 滝口さんは子供があるんだから、子供がある滝口さんは子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのが当然でしょおおおお!」という暴言を何度も何度も吐いたのだったが、大竹は実質、幹部社員の扱いを受けていたのだったから、「実質、幹部社員」の大竹が滝口のために時間外に働けと言った以上はその時間外労働に対して新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は時間外賃金を支払わないといけないはずであったが、まったく支払わなかった。労働基準法違反は犯罪であり、新華ハウジング(有)の経営者は労働基準法違反の犯罪を犯した犯罪者であるはずであるが、千葉労働基準監督署https://jsite.mhlw.go.jp/chiba-roudoukyoku/kantoku/kantokusyo/kantokusyo01.html の労働基準監督官の佐野(男。当時、30代くらい?)は私が何度も訴えたにもかかわらず、「この問題はとりあげないことにしました」などと言い、「どうしてですか。どうして取り上げないのですか。どうして、あなたにそんなことをする権利があるのですか」と私が言っても、「ですから、とりあげないことに決めました」などと勝手なことを言ったのだった。

労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一

労働法〈2〉労働者保護法 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中

労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
私が「それなら検察審査会に訴えますよ」と佐野に言ったところ、佐野は「検察審査会というのは送検されたものを起訴しない場合に訴えることができるのであって、これは送検してませんから検察審査会に訴えることはできませえ~ん♪」とうれしそうに言ったのだったが、けしからんなあ・・と思ったが、後から気づいたのだが、労働問題については労働基準監督署に何が何でも訴えないといけないというものではなく、一般の警察署に訴えてもいいという制度であり、又、労働基準監督署と一般の警察署のどちらかに訴えないといけないというものでもなく、直接、検察庁に訴えてもいいという制度であり、労働基準監督官の佐野が「検察審査会というのは送検されたものを起訴しない場合に訴えることができるのであって、これは送検してませんから検察審査会に訴えることはできませえ~ん♪」などと言って不良企業と不良企業の不良経営者を守ろうと尽力するのであるならば、それならば直接、検察庁に訴えれば良かったのであり、「労働者の敵」労働基準監督署と労働基準監督官が「この問題はとりあげないことにしました」などと勝手なことを言うのであれば検察庁に直接訴えてもよかったのであり、検察庁に訴えてもそれでも起訴しないという場合には、その時にこそ検察審査会に訴えるというようにすればよかったのだった。
労働基準監督署と労働基準監督官という連中というのは、彼らは国民の税金から給料を盗りながら、労働基準法違反を取り締まっているふりをしながら実際には取り締まらないでおくように必死になって頑張っており、彼らこそ労働基準法の敵であり、彼らは法の敵であり、労働者の敵である。彼ら、労働基準監督署と労働基準監督官こそ反社会的勢力と言うべきであろう。
「滝口さんは子供があるんだから、子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのは当たり前でしょおおおお! 滝口さんは子供があるんだから、子供がある滝口さんは子供がない〇〇さんに何でもやってもらうのが当然でしょおおおお!」などという暴言を吐いた、かつ、今日に至るまでそういう暴言を吐いたことについて、一言として謝罪の言葉がない大竹加代子は、そういう文句を口にしながら、滝口恵とその夫と子供に私が病気になって苦しんでいる時に、世話になった・世話をかけた私のために何なりとするべきだと言うべきはずであるが何も言わないようだ。又、大竹加代子もまた、そういう口をきいたからには私が病気になって苦しんでいる時には何なりとやっていいはずだが、何もしない。いくらなんでも、おかしいではないか。
千葉県船橋市の自宅に戻ってきた後、医者にかかるまでの間、「守山」パーキングエリアで休憩していた時は本当に苦しかったが、船橋市に戻ってきた後は体調が普段並みに回復はしなかったが、まったく動けない状態ではなくなり、食事も少しは食べられるようになったので、近所の「丸亀製麺」に自家用車を運転して行ったのだったが、その際だ・・・。
自転車というのは車道を走るべきものか歩道を走るべきものか。私が小学校停学年の頃、1960年代前半においては自動車の交通量がそれほど多くなく、自転車に乗って走る時、国道・都道府県道など自動車が多く通る道は気をつけないといけないし、基本的にはそういう道の車道を自転車で走るというのは非常識だと小学生は考えていました。
それに対して、その頃、私が住んでいた大阪市東住吉区の家の前の道は、片側は歩行者・自転車以外は通ることはまずない道で、もう片方は自動車が通ることもあったけれどもそう頻繁に通るわけではないという道でしたので、その2つの道のような道を自転車で走る時は走るようにしていました。
私が小学校4年の途中で大阪府の北摂地区に転居したのですが、我が家の近所の道には歩道はなく、自動車はそれなりに通っていましたが、そんなに頻繁ではないので自転車でも走れました。
ところが、最近は自動車の量が多くなり、現在、居住している千葉県船橋市の家の近所でも自転車で走る人がある場合、けっこう、自動車との兼ね合いが問題になります。又、歩道があって車道は自動車の通行量がけっこう多い道があり、そういう所を自転車が走る場合、車道を走るべきなのか歩道を走るべきなのか、という問題が出てきます。又、「人は右、クルマは左」と小学校の先生から教えられたのですが、自動車は左側を走行するとして、バイク・原付も左側を走行するとして、自転車はどうなのか、という問題があります。
特に、私が小学生だった頃に自転車に乗っていた時というのは遊びに行くか、買い物に行くのに自転車に乗るかであって、通勤・通学に自転車に乗ることはなかったので、できるだけ自転車が走りやすい道を走る、自転車が走行するのに適さない道しかない場合は自転車以外の手段で行くということができたのですが、ところが、最近では高校生が自転車で通学したりしており、その場合、通学のために自転車に乗るとなると自転車が走行しやすい道があるかないかにかかわらず自転車で走行しないといけないことになってきます。
自分が普通自動車を運転していて、自転車を運転している人を見て思ったのは、
(1) 特に高校生、日没後、無灯火の自転車で走るのはやめてくれ! おまえら、死ぬぞ!!!・・ということ。
これは私も小学生くらいの時、乾電池を入れてつける自転車用ライトと自転車の車輪に接する輪があって車輪の回転に合わせて輪がまわって灯火するライトと両方ためしたことがあるのですが、どちらもあまり明るくないのです。 自転車の車輪に接する輪があって車輪の回転に合わせて輪がまわって点灯するライトの場合は、それをつけることでペダルをこぐ力が余計にかかりますし、余計に力が必要になるわりに明るくなくて、自転車用ライトをつけていてもつけていなくても見えるものにたいして違いがないのです。
だから、自転車用ライトなんてつけても意味がないのか・・・というと、決してそうではない、ということを自転車通学の高校生はぜひ認識してほしい。ライトというものは運転している人間が見やすいようにするために点灯する場合もあるけれども、そうではなくて、自動車の運転者に自分がここにいるぞ、自転車がここを走っているぞと知らせるために点灯している、という意味もあるのです。世の中には、自転車で走っている人間がいると「殺してやる」とか思う運転者というのも1万人に1人か2万人に1人かいるかもしれませんが、少なくとも過半数の運転者は自転車で走っている人間がいるということがわかれば、自転車の運転者をひかないように・はねないように配慮します。それが、わからなければ、ひいてしまう・はねてしまう危険が出てきます。 1万人に1人か2万人に1人、「殺してやる」とか思い出す人がいたとしても、大部分の運転者はそんなこと思いませんから、だから、自転車を運転して走る人は自転車のライトなんてつけてもよく見えないから意味がないと考えないで、自動車の運転者に自転車で走っている人間がいるということを伝えるためには自転車の灯火は有効なのだということを認識して、日没後に自転車を運転する場合には必ず、自転車用のライトを点灯して走るようにしてほしいと思います。
(2) 「人は右、クルマは左を走りましょう」と小学校の低学年の時、学校の先生に教えられたように思います。幼稚園の先生にも教えられたような気がします。それはわかったのですが、バイクはというとバイクも「クルマ」でしょうから左でしょう。原付というのは「原動機付き自転車」の略ですが、現実にはバイクとたいして変わりませんから左でしょう。・・で、「原動機付き自転車」でない自転車はどうなのか?
普通自動車第一種免許の場合は、免許を取得するために、たいてい、自動車学校に通って学科教習と実技教習を受講するので、その学科教習で一通りは交通ルールを学びますし、原付(原動機付き自転車)の場合は教習所には行かないとしても学科試験を受けて免許を取得しますから、そこで一通りのことは学ぶはずなのです。ところが、自転車には運転免許というものはなく、三輪車を誰が運転してもいいのと同じく自転車も誰でも運転できる。それを自宅の近くのたいしてクルマが通らない道を子供が楽しみで運転する分はまだいいのですが、移動手段として自転車を使う人の場合は、学科教習も受けず運転免許の試験も受けていない人間が移動手段としての車両を運転することになるわけで、そこで問題が出てくるように思います。
ここしばらく私は自転車に乗ったことはないのですが、今現在、自転車は左のはずです。しかし、自動車を運転していると、自転車に乗っている人というのは、自転車は左だと思って乗っている人と、自転車は右だと思って乗っている人と両方あるのです。そうなると、自動車を運転している時、左右両方から自転車が来ることがある。せめて、どちらか片方にしてほしい・・と思うのですが、自転車は左だと思っている人と自転車は右だと思っている人がいて、どちらも自分が正しいと思って運転しているので、そこが難儀です。
(3) そして、自転車は歩道を走るものか車道を走るものかという問題があります。自転車の走るスペースというものを車道の歩道よりに設けてある道があり、そういう道はそこを自転車は走ってくれということでしょう。そういうスペースがない場合はどうするのか。
基本的には自転車は車道を走るものらしいが、しかし、実際問題として自動車が相当高速で走っているような道は車道を走りたくない場合がありそうですし、又、歩道を通行している人がほとんどないという場合には人がいない限りは歩道を走っても特に問題はないかもしれません。
私自身が歩行者だった時に困ったことがあります。2014年の8月、埼玉県の川口土木建築工業(株)https://www.kawado.co.jp/ という三流企業の埼玉県朝霞市でのマンション工事現場にアーキマインド(株)という会社から「施工管理」という名目で仕事に行った時のことですが、右足の甲を骨折しました。 骨折した直接の原因は転んだことによるもので、普通のズック靴とか革靴とかを履いていたなら特にどうということはなかったのですが、安全靴を履いていたことから、安全靴というのはその上に何かを落としたとかいう場合には怪我を防げるのですが、転んだことで足先をねじると逆に靴が固定されていることから骨折につながったようです。
直接の原因は特別のものではなかったのですが、その後のこの川口土木建築工業(株)の現場の工事監督やこの会社の対応は極めて誠意に欠けるものであり、又、本来、施工管理として行っていた者に雑役労務者の仕事をさせていたのであり、なぜ、そのようなことをさせていたかというと、建設業では施工管理だけが派遣を認められており、雑役労務者は下請けは認められても派遣は認められていないことから、それでこの川口土木建築工業(株)という三流企業は「施工管理」だと偽って雑役労務者を派遣で雇い、かつ、アーキマインド(株)という会社をダミーとして使っていたのです。建設業では施工管理だけが派遣を認められていたことから、実際には施工管理の仕事はアーキマインド(株)からの派遣の従業員にさせずに、川口土木建築工業(株)が直接採用した従業員に施工管理の仕事はさせて、アーキマインド(株)が「施工管理」だと騙して採用して川口土木建築工業(株)に派遣させた従業員には雑役労務者の仕事をさせていたのです。明らかに脱法行為であり違法行為です。「住友」「三菱」のマンションというのはそういう脱法行為・違法行為をやっている建設会社が建てているのです。
どういう会社のマンションを建てていたかというと、住友不動産(株)・三菱地所レジデンス(株)・大京(株)といった会社のマンションを建てていたのですが、「住友」「三菱」という会社のマンションというと安心できるのではないかと思い込んでいる人がいますが、そういう会社のマンションというのは住友建設(株)・三菱建設(株)といった財閥系ゼネコンとか竹中・大林・大成・鹿島・清水といったゼネコン大手五社か戸田建設とかいった”中堅”ゼネコンとかが建てているのではないかと思っている人が多いのではないかと思うのですが、「三菱のマンション」というのは「三菱ってのが作ったんだぜ♪」〔⇒《YouTube-三菱ミラージュ 清志郎出演CM①,②》https://www.youtube.com/watch?v=qwJaCUwzrfQ 〕て感じで三菱建設(株)とかが造っていたかというとそうではなくて、実は川口土木建築工業(株)などといういいかげんな会社が建てているのです。工事部長は「高卒のおっさん」です。アーキマインド(株)の社長の鈴木さんが「加賀美さんはたたき上げの人だから」などと言っていたのだが、「物は言いよう」であり、住友不動産(株)とかのマンションを建てているような会社の工事部長をこんな「見るからに高卒」て感じのおっさんがやっているのかあ・・と思っていたら、「たたき上げ」という表現になるらしい。要するに「たたき上げ」というのは「高卒だ」ということの美称です。「十大国立大学(旧帝大系国立大学+東京工大・一橋大・神戸大)および早慶」卒で相当一線の経験を積んでも「たたき上げ」にはならないのに対して、高卒の人は一線の経験なんてたいしてなくても「たたき上げ」なのです。ちっぽけな「たたき上げ」です。
その問題はまた別のところで述べることにして、結局、右足の下の方を石膏で固めて、3か月余、松葉づえでの生活をしました。今から考えると入院させてもらえば良かったかとも思いますが、入院中、家の用事をしてくれる人がおればいいのですが、自分でやらないといけない者は入院も長期のものは簡単ではありません。
松葉づえでの生活はけっこう大変です。足を痛めていても松葉づえをついていなければ健常者と同じように見られるのに対して、松葉杖をついていると、配慮しなければならない人だと思って気をつかってくれる人がありますが、その時の私の場合、そこまで気をつかってもらわなくても、松葉づえなしでも、骨折している足で歩いてしまうと骨折した箇所がずれてしまうおそれがあるので骨折した足で歩かない方がいいのですが、その気になれば立てないこともない状態でしたし、転んでも、そこにクルマが来てひかれるとかいったことがなければ自分で起き上がることだってできたのです。難しいのは買い物です。スーパーとかコンビニの通路というのはそれほど広くないので松葉杖をつきながら歩くのは、歩けないとまでいうことはないけれども歩きにくい。又、最近はセルフサービス方式の店が多く、店の買い物かごに自分で商品を入れることになりますが、松葉づえを両手で持ちながらさらに買い物かごを持つというのはけっこう難しく、片方の手に買い物かごと松葉づえの片方を持ち、その上で商品を棚から取って籠に入れるというのも難しい。新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人の滝口恵は私にあれだけ世話になったのですから、私が骨折して買い物に支障をきたしているという時には、3か月余、松葉づえでの生活をしたのですから、恩人が困っている時に最低でも1回くらいはかわりに買い物に行ってくるくらいのことはするべきではないのか、と思われますが、滝口恵とその夫と子供というのは世話になるのが専門、ひとに世話かけること専門で、恩人が困っている時に少しだけでも役に立とうということはしない人間です。そういう人間のことを「『社会に貢献する人間』を育てている」と言うようです。
又、労災の手続きとか病院の手続きとか、郵便で送らないといけないものとかもあり、郵便局は我が家の近くにはなく、又、過去に痛風になって左足の親指が激痛を起こしたことが何度かあったのですが、左足が使えなくてもオートマの自動車というのは運転できるのですが、右足を骨折するとオートマの自動車でも運転できません。郵便局まで行くには遠いけれども、我が家からそれほど遠くない場所にヤマト運輸の店があったので、そこから書類を送ったことがありました。その時のことです。
歩道を松葉杖をつきながら移動していると、私が進もうとしていた方から若いにーちゃんが自転車で相当のスピードで走ってきたのです。交通ルールとしては自転車は歩道ではなく車道を走ることになっているとしても、歩道を誰も人がいない時とかであれば実害はないでしょうし、又、自転車で歩道を走るのならば、ゆっくりと走り、歩行者がいるとわかれば、歩行者がいる付近だけは車道を走るようにするか、歩行者がいる手前で自転車を降りて自転車を押して進むかするべきです。
ところが、その自転車のにーちゃんは車道に移動しようという姿勢もなく、又、私が移動している手前で自転車を降りようとする素振りもありません。 又、「歩道」といってもパリのシャンゼリゼ通りの「歩道」とかのように相当広い「歩道」ならば自転車が走ってきても歩行者も松葉づえでの移動者もそれほど実害は受けないかもしれませんが、我が家の近くのヤマト運輸の付近の歩道というのは幅も少ししかない歩道です。実際問題として、こちらが松葉杖をついていない状態ならば、それでも体を横向きにしてよけるということだってできたでしょう。しかし、「クルマは急に止まれない」なんて標語がありますが、松葉づえをついている人間が体を横にして狭い歩道の端によって自転車を通そうと思っても、松葉杖をついている者はそう速くに体の向きを変えることはできないのです。

車道に自動車が来ていなければ車道に移って歩道を走る自転車をよけるということもできるかもしれませんが、この道は車道はけっこう自動車が通る道で車道に移動して自転車をよけるということはできません。
せめて、松葉杖をついている人間がいるとわかったならば、自転車で歩道を走行している人は速度を落としてゆっくりと通るというくらいしても良さそうでしたが、そのにーちゃんは松葉づえをついて歩道を移動している人間がいるとわかっても、まったくおかまいなしに歩道を相当の速さでこちらに向かって突き進んできたのでした。「さっさとよけろよ」という感じで。
さっさと動けたらいいのですが松葉づえをついている人間というのは、さっさと動けないのですよ。それでもおかまいなしに、こちらの身体の方めがけて自転車で突き進んでこられたので、あの時は怖かった。あやうく、衝突はまぬがれたけれども、どうすれば良かったかといっても、どうすれば良かったかわかりません。
自転車で歩道を走る人は、せめて、歩行者がいる時には自転車を降りて押すか、それも嫌なら減速してほしい。それも嫌である場合でも、せめて、松葉づえをついている人間がいる時に松葉づえをついている人間めがけて自転車で突っ込むというのは、できるだけ避けてほしい。「さっさとよけろよお」と思ったのかもしれませんが、松葉づえをついている人間というのはさっさとよけるということはできないのです。どうか、それをわかってほしいと思います。
その点、自転車で歩道ではなく車道を走る人は問題ないかというと、そうでもないのです。 自転車専用レーンがある車道でも、自転車用のレーンの幅というのはそう広くありません。 それでも自転車専用レーンがある場合はまだいいのです。
自転車専用レーンがない車道を自転車が走る場合でも、ある程度、道路がすいている場合ならば、↓ のように走ることになります。

↑ のように、自動車と自動車の間を自転車が走るようになれば、自転車の後ろを走る自動車は自転車の速度に合わせて走るので、自転車が走っていない場合よりも遅い速度で走らざるをえないことになります。「追い越しのためのはみだし通行禁止」でない場所ならば、対向車が来ていない時を見計らって追い抜くことになるでしょうし、自転車に乗っている人も自動車に「負けるもんかあ」なんて気を起こして一生懸命走っても勝てませんから、さっさと追い抜かれた方がいいでしょう。
まっすぐな道の図と曲がった道の図にしているのは、説明のためなら両方ともまっすぐな道にして書いてもいいのですが、実際に我が家の近くにこのような道があるので、それを図にしました。
ところが、自動車がけっこう混んでいて、自動車が停止した状態で何台も続いているか、もしくは動いてはいるけれども、とろとろと徐行している状態の時、自転車はそれに合わせて走ってくれればいいのですが、ところがそうはいかないのが、””オバサン”” です( 一一)

↑ この図では車道の自動車が走っている所と歩道との間を自転車が走っていますが、自転車が走っている所は自転車専用レーンではありません。自動車が現実にいる場所と歩道との間というのか、すき間というのかを自転車でおばさんが走っているのです。
たしかに、自転車というのは、こういうすき間を走ろうと思えば走れないことはないわけで、こういう状況においては自転車というのは歩道を歩く歩行者よりも速く進めるだけでなく、車道をトロトロ進んでいる自動車よりも速く進めることになります。
・・・しかし、こういう走り方は危険であり、おばさんはそれでいいと思っているかもしれませんが、そこは自動車が歩道をこすらないように、歩道を通行中の人がよろけてきたような場合でも大怪我にならないように車道を走る自動車と歩道との間のすき間として設けられている場所のはずで、本来、自転車が走る所ではないはずなのです。
でも、「おばさん」というのはそんなこと考えません。そこが「おばさん」です。かつて、毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派はハリコの虎である。見かけは恐ろしいがその実力はたかが知れている」とおっしゃった、「ヒトラーはハリコの虎ではなかったか、日本軍国主義はハリコの虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という恐ろしい武器を持っているが、これもまたハリコの虎であって、やがて打倒される」とおっしゃったのですが、ところが唯一、「おばさん帝国主義」という帝国主義だけは、これはハリコの虎ではなくて牙を持った恐ろしい本物の虎であり、永遠に不滅です。「おばさん帝国主義」には原子爆弾も人民義勇軍も歯が立ちません。「おばさん帝国主義は永遠に不滅です」てものです( 一一) 又、世の中、《「体だけ元気な年寄」のじいさん》と「おばさん帝国主義」には何を言っても通じません。ほんと・・( 一一)

毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 実, 竹内
で、こういう走り方を自転車ですると、どうなると思いますか? ↑ の図でおばさんが自転車で走っている所というのは「自転車道」とか「自転車専用レーン」ではなくて、「車道の自動車と歩道との間のすき間」ですからね。
自転車のサドルの右端を私のクルマにゴツンとあてて・・・・、そしてどうしたかというと・・、おばさんのやることというと、もうわかりますよね。
・・そのまま、行ってしまったのです。
マア、私の乗っているクルマというのはベンツではないし、ロールスロイスでもないし、BMW でもないですけれども、それでも私にとっては大事なクルマなんですけれどもね。リーズナブルなクルマだからと言ってぶつけていいというものではないのですけれどもね。おばさんはそのまま行ってしまいました。後を追いかけようなんて、たとえ思ったとしても、前にも後ろにもクルマは走っていますし、走っているクルマの速度は自転車速度よりずっと遅い速度ですから追いつきません。・・なんか、滝口みたいな女だなあ・・・と思いました。
滝口 恵は新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)で滝口が担当で滝口がその仕事に対しての報酬を受け取っている仕事を担当外の従業員にさせておいて、おのれは「子供」を大義名分に定時に帰り、担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・無賃労働をさせて、そうやって空けた時間に子供の千葉市の幕張の小学校の「PTA役員やってます。PTA役員も悪くないかなと思いました」などと新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)とリンクしたブログに書いて公開しました。当然、両社の従業員はそれを見ます。おのれの仕事を担当外の従業員に時間外に無賃労働でさせておいて、おのれは定時に帰ってそうやって空けた時間に「PTA役員やってます♪ PTA役員も悪くないかなと思いました♪」て、はあ? はあ~あ? はああ~あ???
この人は頭、おかしいのではないかあ! 普通、おのれが担当でおのれがその仕事に対しての報酬をもらっている仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせておいて、おのれは定時に帰っておいて「PTA役員やってます♪」だあ?!? おまえ、しまいに殺されるぞお、しまいに!!! 「PTA役員も悪くないなと思いました♪」だとお!?! 海浜幕張沖にでも叩きこまれるぞお、この異常女!!!
そして、さらに、担当外の「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」に、「私は子供があるんですからねえ」と言って、おのれが担当でおのれがその仕事に対しての報酬をもらっている仕事を押しつけて、おのれは定時に退社して、ひとに夕食時間以降に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で滝口の仕事をさせておいて、まさにその時間にオットと「妊活」(性交)やって3人目を孕んで出産した。よくやってくれるのお、この鬼畜女!
特にその3人目の子供は、「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」が滝口が担当の仕事を押しつけられなかったならば、もしかするとできていたかもしれない子供を食い殺して産まれた鬼畜の子供であり、その3人目の子供は産まれる時点からして呪われた子供であり、その3人目の子供は決して幸せになってはならない子供としてこの世に産まれてきた子供である。その3人目の子供は「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」に産まれていたかもしれない子供を食い殺すことで産まれた祝福されない子供であり、その子供が幸せになるようなことがあったならば、「まだ、ふさわしい結婚相手と巡り合うことができずにいる人間」や「結婚はできたが子供が欲しいと思いながら子供ができずにいる人間」に産まれていたかもしれないのにこの世に産まれることができなくされた子供が、あまりにもかわいそう過ぎる。そうであろう。
・・で、その3人目の子供にしても、年数を計算すると、もうそろそろ、「手のかかる子供」ではなく「役に立つ子供」の年齢になってきているはずなのだが、私に世話をかけて産まれた子供であるはずだが、その子供は私が「小腸イレウス」になって苦しんでいても何ひとつしないのだが、これはどういうことなのだろうか?!? 「『社会に貢献する子供』を育てている」のではなかったのか?!? ちっとも「社会に貢献」しないではないか!!!! なんだ、これは。詐欺か!!!
「滝口さんは子供があるんだから、〇〇さんは子供がないんだから子供がない人間は子供がある人のために尽くすのが当たり前でしょおおおお!」と発言した大竹加代子は、当然のことながら滝口恵とその夫と子供に「そうやって世話になった人が体調を崩して苦しんでいるのなら、世話になった恩に報いるために尽くすのが当たり前でしょおおおおおお!!!」と言わないといけないはずであり、言わないとおかしいはずである。大竹加代子はなぜ言わない?!? 滝口恵を縁故入社で新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)に入社させた「社長の嫁」の河野利華はなぜ「滝口さんは〇〇さんに相当世話になったのだから、世話になった人が体調を崩して苦しんでいるのならば、世話になった人のために尽くすのが当たり前でしょおおおお!!!!!」と滝口恵とその夫と子供に言うのが当然であるはずで、社長の長谷川新二も嫁の河野利華もその2人の子供2人も今はそれなりに「役に立っておかしくないはずの年齢の子供」になっているはずなのだから、子供にもまた「滝口さんのために力になってくれた人が体調を崩して苦しんでいるのなら、滝口さんの為に力になってくれた人のために尽くすのが当たり前でしょおおおおおお!!!!!」と言わないとおかしいであろう。なぜ、滝口恵とその夫だけではなく大竹加代子も河野利華もまた、小腸イレウスで苦しんだ私のために何一つしないのだろうか。「どう考えてもおかしいでしょおおおおおおおお!!!!!!!」というものだ。
こういうものは決して忘れはしない。「殴った者は忘れても、殴られた者は決して忘れはしない」という言葉があるが、「子供がいるんだから」と勝手なことした人間はさっさと忘れているかもしれないが、勝手なことされた側の人間は忘れることはない。
なお、「小腸イレウス」の「イレウス」とは、《ウィキペディアーイレウス》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B9 によると、
《 イレウス(ileus)とは、腸管内容物の肛門側への移動が障害される病態で、腸蠕動が一時的に停止した状態である。腸閉塞(ちょうへいそく、intestinal obstruction)を含むより広い概念。・・》だそうで、
《 JST科学技術用語日英対訳辞書での「ileus」の意味
ileus イレウス; 腸閉塞; 腸閉塞症 》
《 日本語WordNet(英和)での「ileus」の意味
ileus 名詞 1 腸の内容物が腸の下部に移動できなくなる、腸(特に回腸)の閉塞 》
《 Weblio専門用語対訳辞書での「ileus」の意味
ileus 腸閉塞症;イレウス
カテゴリ 医療用語 》
( 《Weblio 英和辞典・和英辞典 ileus 》https://ejje.weblio.jp/content/ileus )
と、結局、腸閉塞・腸閉塞症しか日本語は出てこないようだった。
世の中には、「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ親に孝に親に孝に親に孝に、親に感謝、親に感謝、親に感謝、感謝、感謝・・」とか言いたがる人というのがいますが、あれは間違いです。勝手なこと言うんじゃない! 滝口の子供は「親に感謝」するのではなく私に感謝しなさい。私や新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパンん(株)の滝口以外の従業員に感謝しなさい! 滝口の子供は親にではなく私に孝行しなさい! 滝口の子供は親にではなく私や新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の滝口以外の従業員に孝行しなさい!!! 「親に孝に親に孝に、親に感謝、親に感謝・・」とか言いたがる人というのは実態を理解できていない。滝口の子供は私などに世話になったおかげで成長することができたのであり、特に3番目の子供は私などに迷惑をかけたおかげで産まれることができたのであって、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の他の従業員に迷惑をかけて「妊活」(性交)やって孕んで産んだ女と孕ませた男のおかげで産まれることができたのではない。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ親に孝に親に感謝、感謝、感謝・・」などと言いたがる人というのは孝行するべき相手・感謝するべき相手を根本的に間違えている。
そういえば、1970年代の終わり、うちの父親の親友の医者屋M川(男。当時、50代前半)が勤めていた「病院」(大阪府豊中市)の「看護婦」で、たしか、その時、30歳だったと聞いたが、子供を3人も産んでいて、それを「病院」が設けた保育所にあずけて働いていた女性N原がいました。勤務場所と保育所が同じ場所なので出勤するのと子供を保育所に連れていくのと同じ移動でできたので便利といえば便利だったが、「病院」の経営者にすべて管理されているような感じで、又、もしも、転職して他の場所に勤めるとなると子供を預けている保育所はどうなるのかという問題もあったでしょう。
その「看護婦」の N原さんを見て、うちの父親は「子供を3人もあずけて働いて大変やなな。子供を3人も産んで育てて大変やなあ」と言うので、この人も変なこと言う人やなあ、と思ったものでした。まず第一に、その子供というのが私が孕ませて産ませた子供ならば、私が孕ませた子供をその女が働いて育てているということならば「大変やなあ」と言うのはわかります。孕ませるだけ孕ませて働いて生活費を稼ぐのも育てるのも女にさせて「えらい、申し訳ありませんなあ」とでも言えばいいでしょうけれども、俺が孕ませた子供と違うだろうが。俺が孕ませた子供でもないのに、そんなもん、知るか!
「3人も子供を育ててからに、大変やなあ」などとうちの父親は言うのでしたが、そんなに大変なら3人ではなく2人にしておけばいいだろうが。誤解せんといてほしいねんけども、私が3人産んでくれと頼んだのではないやろうが。その女と夫が子供を3人作ったのであって、私が孕ませて産ませたわけではないし、私が3人産んでくれと頼んだわけでもないのであり、3人育てるのが大変ならば、1人か2人にしておけばいいことだろう。3人産んだのは産んだ者が3人産むことにしたのだろうが。違うのか?
このうちの父親が言った文句というのは、うちの母親が聞いたなら怒ったと思うのだ。私が産まれる前、子供は2人だったわけだが、うちの父親は「わしは働いてやってやってやってやったっとんねんぞお~お」と言い、「子供は女が育てるものやねんぞお」と言って、すべて、うちの母親にさせていたというのだ。あのおっさんは、そうだろうなあと思う。私が産まれた日にはうちの父親はゴルフに行っていたという。うちの母親が病院で出産した後、家に帰るのに、うちの母親の母(祖母)が来てくれて産まれたばかりの私を家に連れて帰ったら、家では「おばあさん」(うちの父親の母、祖母)がストーブもつけずに、寒い部屋でひとり火鉢にあたっていたそうで、病院から連れてかえってきた赤ん坊を寒い家の中に入れたら途端に赤ん坊の顔色が変色したといい、うちの母親はどうしたらいいかとひやっとしたが、祖母(母の母)が近所の馴染みの開業医の所に行って「お願いします。すぐに来てください」と頼んで来てもらったところ、部屋を暖めれば回復したそうで、それで私は今も生きているが、そういう時でもうちの父親はゴルフに行って家にいなかった・・というのだが、自分の妻が子供を出産した時には、せめて赤ん坊を家に連れ帰ってくる日くらいは病院に迎えに行くか、せめて家にいてストーブをつけて部屋を暖めておくか、そのくらいしても良さそうなものだがしないそのおっさんが、よその女には「3人も育てて大変やなあ」などと言って「聖人」「英雄」「思いやり深い人」を演じようとするのだった。そうやって「ええかっこしい」やらなきゃおれない男だったのだ。うちの父親というのは、そういう発言をして「わしは聖人やねん」「わしは英雄やねん」「わしは特別に思いやり深い人間やねん」とか言いたい言いたい症候群 の人間で、かつ自分がそういう人間だということについて「病識がない」人間でした。
それから、その「看護婦」の女性だが、「3人も子供を育てて大変やなあ」「3人も子供を育ててえらいなあ」とうちの父親は言うのだったが、たとえ「大変」であったとしても、私が孕ませた子供ではないし、私が産んでくれと頼んで産んでもらった子供でもないし、自分が選んで3人産んだのであって、自分がたとえ大変でも3人産みたいと思って産んだのであるから、たとえ大変でもその大変なことをやっていこうと決めたのはその人なのだから、他人がどうこう言う必要はないことでしょう。それでも大変かもしれないが、「えらい」かどうかというと、別に私のために産んで育ててくれているわけでもないのだから、「えらい」とか言う必要はないでしょう。そもそも、その女性が「看護婦」と称して勤めている「病院」ですが、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしてカネを得ている「病院」であり、そういう所から分け前を「院長」が一番多く盗り、「医者」はそれに次いで多く盗り、M川はそのカネでドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたのであり、それを自慢にしていたのであり、「看護婦」はそれよりは少ない額を「給料」と称して盗っていたのであり、そうやって3人も子供を育てていたのであり、「えらい」とか言うのは不適切であったはずなのだ。 大阪府豊中市のその「病院」の「院長」の息子は慶應大医学部に行ったと聞いたのだが、関西に国公立の大学の医学部はいくつもあり、私立の医大・医学部もあり、社会科学系学部卒で民間企業に勤める場合とは違って医学部を卒業して医者として病院に勤める場合には関西の病院は京大医学部・阪大医学部の系列下にあり、東京圏では千葉県限定で千葉大医学部の系列の病院があるが千葉県以外の東京圏の病院は東大医学部と慶應大医学部の系列下にあるとされ、関西で勤務するならば医者の場合は東大医学部・慶應大医学部よりも関西の大学の医学部卒の方が都合がいいことが多いと言われるにもかかわらずわざわざ慶應大の医学部に行ったというのだが、慶應大学は私立大学だが裏口入学の難易度はけっこう高いらしいが、もしかして「裏」か・・、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りなどして得たカネによる「裏」かという気がしないでもない。そういう「院長」や「医者」よりは少ない額を「看護婦」もまた分け前としてその「病院」から「給料」と称して受け取っていたのであり、その分け前として受け取ったカネで3人もの子供を育てていたのであり、3人もの子供を育てることができるカネを「給料」と称して受け取ることと保育所施設有の条件とからその女は「病院」の悪行に加担していたのであり、その3人の子供というのは「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りで苦しめられたことによって産まれ・育てられた子供だったのである。それを「エライなあ」などと言っていたおっさんというのは・・・「アホやなあ」と言うべきか。言っても理解しなかったであろうけれども。
慶應は小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」と聞くが大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学で「早稲田大と慶應大なら同じ学部なら慶應大の方が安い」という学費の大学だが、それはあくまでも経済学部・商学部・法学部法律学科・法学部政治学科・文学部についての話であり、国立大学の場合はどの学部でも学費は同じだが、私立大学である慶應大は工学部は経・商・法・政・文より5割ほど高かったはずで、医学部になると経・商・法・政・文の倍くらいの金額の学費で、かつ、経・商・法・政・文は4年間であるものが医学部は6年行く必要があった。慶應大の医学部はM川がドバカ息子を行かせた私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ のような多額の寄付金は払わなくても正規入学の場合は規定の学費を払えば入学できるようだが、正規の学費の場合でも経・商・法・政・文の倍ほどの学費で、かつ1.5倍の期間行く必要があり〔ということは、2×1.5=3 学費だけで経・商・法・政・文の3倍の費用が必要ということで〕、医者屋の息子の場合は私などとは違って相当いい所に住んでいたであろうから住居費もそれなりにかかったであろうから、たとえ裏口ではなく正規に入学していたとしても、けっこう費用はかかったと思われる。実際、私なども慶應大医学部は、もしも受けたならどうなったかにかかわらず、「検討対象外」だった。 あの「病院」の「院長」は「医は仁術」とかなんとかかんとか言い、「『患者』ではなく『病客』」などと言って「ええかっこしい」やりながら、実際には薬漬け・検査漬け・毒盛りやって得たカネで息子を慶應大の医学部に行かせていたのであり、それに準ずるカネを得ていたのが「医者」で、そのさらに小型が「看護婦」で子供を3人も産んで育てるカネになっていたのだった。こういう構造を理解しない人間、こういう構図に気づかない人間というのは、「心理学」は「自我が確立されている」とか言ってほめてくれるかもしれないが、「アホちゃうか」という人間である。「わしは世の中のことは何でも何でも知ってる人間やねん」などとうちの父親は言っていたのだが、そのわりに何もわかっていない。何もわかっていない人間だからM川から「お父さんは世の中のことは何でも何でも知っておられるお方」などと言われて「そうや♪ その通りや♪」などと言って舞い上がるということだったのだろう。私なら「何でも何でも知っておられるお方」などと誰かから言われたなら、「はあ?」と思うだろう。何を言うとんねん・・と思うだろう。そこを「この人は何を考えて、そんなこと言っているんだあ?」と疑問を感じることなく舞い上がるというのは、やっぱりあのおっさんは「アホちゃうか」というおっさんだった、ということか。

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康

医学部・金、権力の腐蝕構造―大学の有名病院支配図 (1985年) - 和田 努
子供が欲しいと思ってもできずにいる夫婦もおれば、産まれるとしても3人も育てることは困難と考えて2人までにしている夫婦もあり、1人できたがそれ以上は産まずにいる夫婦だっているわけだ。ふさわしい相手と巡り合うことができずにいる男女だっているわけだ。なんで、結婚できて子供もできた人間が「大変」で「えらい」のか? 思考がおかしい。
その「看護婦」やっていた人の場合は、まだしも、自分が働きながら子供を保育所にあずけて育てていたのであるが、それに対して、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)にいた滝口恵の場合は、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の担当外の従業員に負担をかけ迷惑をかけることで2人の子供を育て、すでに2人でも人に迷惑を相当かけていたにもかかわらず、さらに3人目を孕んで出産したのであり、その態度というのは「人の迷惑というものをまったく考えていない」という態度であったのだ。又、滝口恵の夫という男もまた社会人として明らかに非常識な人間であり、自分の嫁が子供を産んだなら夫は生活費を稼ぐことと育てることとに協力しておこなう義務があるはずであり、それができないならば2人も子供を産ませるべきではなく、すでに2人の子供のために嫁が勤めた新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員に相当の迷惑をかけていたのであるのに、さらにまた、滝口恵が滝口が担当で滝口が報酬を受け取っている仕事を残して定時に帰り、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で時間外に働かせて、そして、まさにその時間にさっさと帰宅した滝口とその夫は「妊活」(性交)やってさらに3人目を孕んで出産したのである。いくらなんでも、滝口とその夫はよくやるとあきれる。特に滝口の夫、おまえ、しまいに殴られるぞ! それも1発や2発殴られてすむ問題じゃないぞ。最近、日本の社会が「後先考えずに性交やって子供を産む人間」を優遇する社会になってきてしまったが、本来、子供というものは産んで育てていけるかどうか考えて産むものであり、産むだけ産んで、「私は子供があるんですからねえ」と他人に自分の世話をするように強要するというのは、それは親になるような人間の態度ではない。そういう人間が「少子高齢化対策に貢献している」とか主張するのだが、そういう身勝手・我儘な人間のクローンを拡大再生産されても、そんなものは決して「お国のため」になんかならないので、そんな子供は産まないでもらいたいのだ。そんな子供とそんな子供が成人した大人を増やされたのでは迷惑なのだ。
又、最近、巨人の坂本勇人・広島の中村将成が女性に孕ませておきながら人工中絶するように強要したということについて、一生懸命、それを擁護する人が出てきているが理解に苦しむ。まず、人工中絶で女性の胎の中の子供を殺しても、刑法上は胎の中の子供は「人」という扱いになっていないので殺人罪は適用されないから、だから人工中絶は問題ないのだと同様のことをした相撲取りの竜電が言っていたというのだが、その認識がおかしい。刑法上、どう扱うかという問題で胎児は「人」としては扱っていないというだけのことで、だから胎児は殺しても問題ないという思考はおかしな思考である。又、女性の胎内の子供が独立した人ではないとするならば、女性の身体の一部分だということになるわけだから、本人が承諾していない人工中絶を強要するというのは、胎児は「人」ではないから殺人罪にならないというのなら傷害罪に該当する可能性が考えられる。妊娠中の女性が承諾しているのだからかまわないのだ、というのは、それは刑法上、傷害罪にはならないということであって、「かまわない」という認識はおかしい。自分の意思を表明することができない胎児は殺してもいいという認識もおかしい。《ウィキペディアー竜電剛至》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%9B%BB%E5%89%9B%E8%87%B3 を見ると、《柔道での高校進学の誘いもあったが、親方の「男の中の男になれ」という言葉に胸を打たれ、中学3年の夏に入門を決意した。》などと書かれているが、それが「男の中の男」の態度かどうか、よく考えてみた方がいいだろう。
芥川龍之介『河童』では、河童の出産は人間よりも合理的で、河童の雌の子宮に向って「おまえは産まれたいか」と尋ねて、子供が産まれたいと言えば産み、産まれたくないと言えば産まないようにするというものだ。「河童」は胎児に産まれたいか産まれたくないか問うて、本人の意思で出産するか人工中絶するか決めていたのだが、人間には「河童」よりも野蛮で残酷な者がいて「産まれたくない」と意思表示をしていない者を平気で殺しておいて、そして、「巨人軍ファン感謝デー」とかにいけしゃあしゃあと出ている男というのがいるのだ。

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫) - 芥川 龍之介
まず、刑法上は胎児を殺しても殺人罪にはならないとしても、それは法律家がそういう扱いにしているというだけのことで、胎児を殺すという行為は決して倫理的にかまわないというわけではないのだ。それを、「愛し合っていない二人が性欲から性交して妊娠した場合には産まない方が倫理的だ」とか屁理屈をこねて擁護しようというような人が最近いるようだが、孕んだ時に産んで育てるつもりがないなら性交するな! という話だ。 そういう「だらしない」人間が増えるのは日本の社会にとっても好ましいことではない。
まず、基本的には性交というのは結婚してからするものだ。但し、結婚式というものは必ず実施しないといけないものではないし、婚姻したという届を役所にだして夫婦になったということにしておいた方が日本の国においては様々な点で有利であるから婚姻届けは出した方がいいであろうけれども、何らかの理由で婚姻届けを出したくないという人がいるならば、内縁関係で出産してもそれはその人の事情というものだろう。しかし、結婚する前に性交するならば、孕んだ時には出産して結婚するのか、出産前に結婚して出産するのか、結婚せずに出産するのか、どうするのか考えた上でやることだ。それを考えることができないような大人と言えないに生殖機能だけ発達した子供が性交しているのが間違っているのだ。そんな人間を擁護する発言をする者というのは、おのれの非常識を恥じるべきだ。
滝口の場合は人工中絶せずに3人も子供を大量生産したわけだが、人工中絶せずに産んだからエライなどというものではない。子供を産むなら自分たち夫婦で育てていくことを覚悟して産むべきであり、最初から他人に迷惑かけることを前提に産むなら、そんな子供なら産むな!!! 最初から他人に迷惑かけることを前提にして産むのが当たり前みたいな認識のバカ女症候群とその夫の非常識人間シンドロームは、まず、そのビョーキの「治療」を受けることが子供を作ることよりも先だ。 滝口恵の夫からは迷惑かけてきた私など新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の従業員に対して今日に至るまで謝罪の言葉がまったくないのだが、精神的に異常者ではないか。
それ以上に「滝口さんは子供があるんだから、子供がない人に何でもやってもらうのが当たり前でしょおおおおおお!!!」などと暴言を吐いた大竹加代子、「滝口さんは子供があるんだから、子供がない人間は滝口さんのために何でも尽くすのが当然じゃないかあ!!!」と暴言を吐いた長谷川新二、及び、そういう発言をしておきながら「滝口さんのために何でも尽くす」と自分はやらずに私などにさせようとした長谷川新二の発言・態度というものは、これは反社会的であり、大竹加代子・長谷川新二は反社会的勢力と言わざるをえない。
性交は基本的には結婚してからするものであり、孕んだ時に産む意思もない者が結婚前に性交するな! 自分達で育てることができるかどうか考えてから子供は産め! 最初から人に迷惑かける前提で産む子供なら産むな! 考えようによっては、最初から人に迷惑かけることを前提に子供を産んでいる滝口恵とその夫の方が、人工中絶で胎児を殺している者より悪質かもしれない。
日本国民はこういったことをよく考えてみるべきです。後先考えずに性交やって孕んで産めば、周囲の人間、特に「ふさわしい結婚相手と巡り合えずにいる男女」「結婚はできたが子供はできずにいる男女」に迷惑かけるのが「当たり前でしょおおおおおおお!!!」などという主張をぬけしゃあしゃあとする反社会的勢力 の主張を支持するようなことは決してしてはいけない。
(2022.11.22.)
[第965回]多賀大社 摂社 天満神社参拝ー多賀大社[7/9] 近江の地の「学者商人」の神か。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html

消された政治家・菅原道真 (文春新書) - 平田 耿二
● 長く、BIGLOBEブログにて公開してまいりましたが、2023年1月31日にてBIGLOBEブログが閉鎖されることになったようですので、これまでに公開したものをSeeSaaブログに移行した上で、今後はSeeSaaブログにて公開を続けたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。 (2023.1.31.)
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