多賀大社参拝[4/9]鳥居・太鼓橋・愛宕神社・秋葉神社・御神門(表門)・手水舎・神馬舎。最近、本物の馬がいない神馬舎が多い。愛宕と秋葉の両方の防火の神さんが鎮座。「国営裏口入学」「副検事」は害がある。

[第962回]
  滋賀県犬神郡多賀町 の 多賀大社参拝の4回目です。
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  この鳥居をくぐると正面に太鼓橋があります。↓
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↑ 骨組みは石で組まれていて、橋の床板は木でできています。 実際に渡ることも認められていますが、渡りにくそうで、横に普通の橋があることから普通の橋を通りました。
  現地の説明書きには、この太鼓橋・「そり橋」は豊臣秀吉が多賀大社に信仰を寄せたことから「太閤橋」とも呼ばれているらしいが
《 ・・築造は江戸初期 寛永15年(1638年)に徳川幕府の助成もあって、大僧正 慈性によって本殿以下諸堂社の造営が行われた「寛永年間多賀大社絵図井指地図」に「そり橋」も記載されていることから、この大造営の際に築造されたものである。
  この「そり橋」は神橋であって、例祭の時はお神輿が渡られる。昭和7年(1932年)の造営には、「そり橋」の附近が改修され、現在に至っている。・・・
  平成3年(1991年)11月吉日
    多賀町教育委員会 》
と書かれている。この記述によると、太鼓橋は豊臣秀吉が他界後に徳川幕府の助成もあって造られたもののようだ。1932年(昭和7年)というと「人、苦しみ苛む(1931)満州事変」の満州事変の翌年、改修工事がおこなわれたらしい。
  しかし、・・そう簡単に決着はつかないみたいで、滋賀県歴史散歩編集委員会編『滋賀県の歴史散歩 (下)彦根・湖東・湖北・湖西』(2015.5.25.山川出版社)には、
《 ・・織田信長・武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康ら、戦国武将の崇敬も集めた。とくに秀吉は、母の病気平癒のため、1588年(天正16)年に米1万石を寄進しており、これによって社殿整備がなされ、参道に太閤橋(太鼓橋)が架けられたという。橋を渡ると築地塀(ついじべい)に挟まれた神門(じんもん)があり、門をくぐると拝殿と幣殿、本殿が雄大に広がる。・・》
と書かれている。どっちやねん? ・・てことになるが、両説があるのかもしれない。
滋賀県の歴史散歩〈下〉彦根・湖東・湖北・湖西 - 滋賀県歴史散歩編集委員会
滋賀県の歴史散歩〈下〉彦根・湖東・湖北・湖西 - 滋賀県歴史散歩編集委員会
  
  現地に多賀町教育委員会が建てている案内板によると、多賀大社の建物では、拝殿・拝殿袖回廊・幣殿・回廊・本殿・表門(神門)・手水舎・神馬舎・裏門が、多賀町指定文化財に指定されていると書かれている。
  《ウィキペディアー多賀大社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%A4%A7%E7%A4%BE を見ると、多賀大社の建物で文化財としての指定を受けているものは、その他にこの太鼓橋・そり橋も多賀町指定有形文化財の指定を受けていると書かれている
  他に、奥書院が滋賀県指定有形文化財の指定、庭園が国の名勝、鐘楼の梵鐘が滋賀県指定有形文化財の指定を受けているらしい。

  この太鼓橋・そり橋が渡る川は「車戸川」という名前らしく、この川を渡った所の左側に天満神社、右側に奥に愛宕神社、手前に秋葉神社の祠がある。天満神社は後でふれるとして、右側の愛宕神社と秋葉神社だが、この2つの神社は防火・鎮火の神さんとして知られるが、その地域によってどちらか片方を祀っていることが多いように思う。
  愛宕神社は京都市の北西よりにある。秋葉神社については、静岡県の遠州地方、「平成の大合併」によりいくつもの町村が浜松市に併合されて今では浜松市に属するようになったようだが、いくらなんでも、こんな山地が浜松て「ちょっとやり過ぎやろう」て感じがするのだが、そういう所に秋葉神社があるが、《ウィキペディアー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E7%A7%8B%E8%91%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE を見ると、静岡県浜松市春野町領家の秋葉神社ともうひとつ、新潟県に《 日本二社(総本廟)秋葉大権現の越後栃尾秋葉山『古来の根本』秋葉三尺坊大権現》があるらしく、この2社が秋葉信仰の元らしい。御茶ノ水の東側ではないそうだ。
  岐阜県高山市に行くと、街のあちらこちらに秋葉神社の祠がある。高山の場合は愛宕派ではなく秋葉派のようで、秋葉神社の祠はあちらこちらにあったが愛宕神社の祠は見ることはなかった。防火・鎮火の神さんとしてはその地域によって愛宕神社か秋葉神社のどちらか片方を祀ることが多いように思ったのだが、多賀大社では太鼓橋・そり橋と御神門(表門)の間の右手(東側)に愛宕神社秋葉神社の両方の祠がある。↓
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  太鼓橋の向こうに「御神門」「表門」)↓
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↑ この「御神門」(「表門」)も多賀町指定有形文化財に指定されているらしい。
この「御神門」が「表門」であるということは、やはり、「八百長裏口派」ではなく「ガチンコ派」の者としてはこちらから入るべきものであろう。世の中、何が嫌いというて裏口入学ほど嫌いなものはない。
  大学の裏口入学も嫌いだが、検察官というのは小学校から高校まで勉強してきて一般教養を学んだ者が旧帝大系国立大学とかに行って司法試験という法律についての難関試験に合格してなるものと思っていたら、実は、旧帝大系国立大学なんて絶対に卒業してませんと顔に書いてあるような人が「検察官」として検察庁に勤めていたりするのだ。「ええ~え、いくらなんでも、こんなおっさん、旧帝大系国立大学なんて出てるわけないやろうし、司法試験なんて通らんやろう」と思ったら、そういうのは「副検事」と言って、司法試験に合格していないにもかかわらず、元検察事務官とか元警察官とかが裏口入学みたいに「検察官」になれるらしいのだ。当然、そういうヤカラは旧帝大系国立大学なんて出ていない。ズッコイやろうが! 汚いやろうが! 片方で司法試験に合格しようと真面目に努力している人間がいるのに、元警察官とかが裏口で「副検事」になれるなんて、なんじゃそりぁあ!! まるで「国営裏口入学」やないか。
  1990年代初め、アルバイトで霞が関の合同庁舎6号館で警備員をやったことがあったのだが、その時、公務員の守衛さんが「法務省の職員でも、ここにいる人間は司法試験に通って検事で入ったエリートばっかりだから。女の子はここのエライ人の娘とかがいて、そういうのは司法試験とか通ってないけれども、男はみんな司法試験合格のエリートで、そうじゃないのは法務省でもここではなくて他の法務局とかにいるから」と言っていたので、そうかいなあと思っていたが、「副検事さんが」などと言うので、霞が関の合同庁舎6号館の法務省にいる男性の法務省職員というのは「司法試験合格で検事で入ったエリート」かそうでなくても「国家公務員1種試験合格で入庁した人」だとすると、「副検事さん」というのは、東京地方検察庁・東京高等検察庁・最高検察庁のそれぞれの上から二番目の役職の検事のことを言うのかと思ったらそうではなくて、「検察官」の中には司法試験に合格していないのに検察官になっている「国営裏口入学」みたいなことした「副検事」というのがいるのだ。当然、そんなやつ、旧帝大系国立大学なんて通っているわけない。「副検事」になってる人間というのは「私は旧帝大系国立大学なんて絶対に出てません」と顔に書いてある。 「検察官」=「検事」ではなくて、「検察官」には司法試験に合格してなった「検事」と司法試験に最初から合格なんてしていないのに、なじかは知らねど検察官になっている裏口入学みたいな「副検事」というのがいて、その司法試験に合格していないのに、なじかは知らねど検察官になっている裏口入学みたいなやつのことを「副検事」と言うらしかった。〔⇒《YouTube-ローレライ (歌詞つき) 鮫島有美子 Die Loreley sung by Yumiko Samejima》https://www.youtube.com/watch?v=zbJy_EuY-mE 〕
  なんじゃ、ちっとも「エリート」じゃないじゃないか。だいたい、検察庁に行って、「検事というものは旧帝大系国立大学などを卒業した人間で司法試験という法律の難関の試験に合格してなった人なのんだろう」という先入観で見ると、「ええ~え? このおっさんが旧帝大系国立大学なんて出てるのお? 嘘やろ、いくらなんでも、こんなアホみたいな顔したおっさんが司法試験なんて通るわけないやろお~お」て顔した人、「私は旧帝大系国立大学なんて天地がひっくり返っても絶対に出てません」と顔に書いてある人というのがいるのだが、それが「副検事」だ。な~んじゃ、そりぁ。
  弁護士もろくなのいねえな・・と思うのだが、なぜ、弁護士にろくなのいないのかというと、ひとつには司法試験という難しい試験に合格したという時点で燃え尽きてしまったような人が多いということがあり、そして、いったん、司法試験に合格して司法修習を終えて弁護士になったら「食べていける」ことから、弁護士になってからの競争に負けて食べていけなくなることがないので、それで殿様商売になってしまう。役立たずのくせしてえらそうにして、「振込め、振込めと言って着手金を振り込ませたが最後、働かない」という「振込め詐欺」弁護士「着手金とったら弁護士のもん」という「着手金泥棒」弁護士「困っている人間の弱みにつけこんで、さらに身ぐるみはいでやろうとする」という「火事場泥棒」弁護士だらけになっている、又、刑事被告人は悪いやつだという先入観を持って「悪人の弁護をしてあげるのだから感謝しなさい」みたいな意識で有罪にもっていく手続きをやるのが被告人弁護士と認識しているが、他方で冤罪だと認定されるとううわあ~っと「冤罪被害者」に味方して「人権派」ぶりっこぶりっ子やろうと必死になるという節操のないやつの集団。そういう弁護士業界をなんとかするにはどうすればいいか、司法試験の難易度をひと回り易しくして合格者を増やして、いったん弁護士になったら食っていけるという状態ではなく、弁護士になってから競争しないと食っていけないようにして、質が悪い弁護士は淘汰されるようにすべきではないか、と考えた人がいたらしい。それは一理あると思うのだ・・が、片方でその資格を取得したならともかく食っていけるということでは良くない、その資格を取得して仕事についてからも誠実に仕事に取り組まない人は淘汰されるようでないといけないということがある反面、司法試験の合格難易度を易しくした年度に合格した人を見ると「やっぱり、易しい試験にしか合格していない人はあかん」と見る人も出てきたらしい。難しいところが。・・で、「副検事」なんて「国営裏口入学」なんてものでエセ「検察官」たる「副検事」なんてなったようなそんなやつはあかん・・と私は思う。「人にもよる」ということもあるだろうけれども、そんなに検察官の仕事をしたいのならば、司法試験に合格して「検事」になるべきだろう。元警察官とかで見るからに品性が悪そうなのが「副検事」などと称して「国営裏口入学」で検察官になるというのは、どう考えてもおかしい。
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↑ 御神門(表門)より境内を見る。

 御神門(表門)をくぐって境内に入ると正面に拝殿が見える。↓
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↑ 拝殿も、多賀町指定有形文化財 に指定されている。

  御神門(表門)をくぐって入ってすぐ左側に、↓
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↑ 手水舎。 けっこう立派な手水舎だと思ったら、多賀町指定有形文化財に指定されているらしい。

  右側には、↓
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↑ 神馬舎。 これも、多賀町指定有形文化財 に指定されているらしい。
  神馬舎というからには本来は中に馬がいるはずだが、現在は本物の馬ではなく馬の模型がいる。 1960年代後半、私が小学生だった時、うちの母親と一緒に大阪市天王寺区の四天王寺に行ったところ、神馬舎に本物の馬がいたので、うちの母親に「なんで、馬がいるの?」と尋ねたのだが、うちの母親は的確に答えることができなかったようで「お寺には馬がいるもんや」とか、なんか、ごまかすようなことを言われた記憶がある。「お寺には馬がいるもの」なのか? しかし、それならば、うちの母方の実家が檀家になっていたお寺とか、うちの父親の方のお寺とかには馬はいなかったし、西本願寺にも東本願寺にも馬はいなかったし、東大寺にも馬はいなかったと思ったのだ。なんで、四天王寺には馬がいるのだろう・・と思ったが、それから40年ほど経ってその四天王寺に行ってみると、本物の馬はいなくて馬の模型がかわりにいた。生きた馬の世話をするのが大変なので模型に変えたのだろうか。 その後、2010年代だったか、兵庫県西宮市の西宮戎神社に行った時も、神馬舎なのかの建物の中に本物の馬ではなく馬の模型がいた。 1960年代の終わり、私が小学生だった時に多賀大社に来た時に、本物の馬がいたか馬の模型だったか、そもそも、観光バスで移動するとガイドさんが説明してくれてその説明を聞けるという長所はあるけれども、ガイドさんに「こちらですよお」と連れて行かれると、なんだか、そこに行ったような行ってないようなで、神馬舎を見た記憶もない。

  伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)とは、日本の神様を考える会編『日本の神々のすべてがわかる』(2008.3.30. 日本文芸社)には、
《 天と地がはじめて分かれるとき、高天原と呼ばれる天上界に別天神(ことあまつかみ)と呼ばれる尊い五柱の神が現れ、続いて十二柱の神々が現れた。その最後に現れたのが、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の夫婦の神である。二神は、別天神から「地上はまだ漂うばかりだ。これを固めて国をつくりあげよ」と命じられた。
  命を授かった二神は天と地に架けられた天浮橋(あまのうきはし)に立ち、矛で海水を掻き回すと先から落ちた雫が淤能碁呂島(おのごろじま)となった。それから、その島に降りて宮殿を建てて結婚し、日本列島を生み出す。まず、淡路島が、続いて四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島が誕生した。
  国土を生み終えた二神は、次に海や山、野や川、石や水など、人間に必要なものを司る神々を次々と生み出す。しかし、火の神(迦具土神 かぐつちのかみ)を生むとき伊邪那美命は火傷を負い、この世を去って黄泉国(よもつくに)へ旅立った。
  最愛の妻を失った伊邪那岐命は嘆き悲しみ、あきらめきれずに黄泉国へ出掛けて妻を取り戻そうとする。しかし、そこには妻の変わり果てた姿があった。・・・
  黄泉国から戻った伊邪那岐命は、黄泉国の穢れを清めようと禊をした。このとき身に着けていた装飾品から十二神が生まれ、さらに水の中に入って洗うと、綿津見神三神、住吉三神など十一の神々が生まれた。最後に左の目を洗い清めたときに天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右の目を洗うと月読命(つきよみのみこと)、鼻を洗うと建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれた。・・》
と書かれている。そういう神さんだ。
  同書には、「天神さま」「エビスさま」とか、「木の神ー久久能智神」とかは、どこのどの神社がその神さんを祀っているか記載しているのだが、伊邪那岐・伊邪那美などの神さんはどこの神社が祀っているか記載していない。
日本の神々のすべてがわかる―八百万の神や神道からみる日本人の精神と原点 (日文新書) - 日本の神様を考える会
日本の神々のすべてがわかる―八百万の神や神道からみる日本人の精神と原点 (日文新書) - 日本の神様を考える会


( ↑ 多賀大社。)
※ 多賀大社HP http://www.tagataisya.or.jp/

  次回は、多賀大社の拝殿に向います。

  (2022.11.14.)

☆ 多賀大社(滋賀県犬神郡多賀町多賀)参拝。
1.名神高速道路「多賀」サービスエリア。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
2.「多賀」S. A.より近江鉄道「多賀大社前」駅へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_2.html
3.「多賀大社前」駅から絵馬通りを経て多賀大社へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
4.鳥居・太鼓橋・愛宕神社・秋葉神社・御神門(表門)・手水舎・神馬舎。〔今回〕
5.拝殿・本殿。旧中山道から多賀道に入る場所に一の鳥居があるらしい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_5.html
6.神輿庫・鐘楼・日向神社。「美人薄命」と「スーパー高耐久性何何」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_6.html
7.天満神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html
8.多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアへhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_8.html 
9.刈谷P.A.・足柄S.A.・東京料金所P.A.? 「国民を」でなく「国家を守る公務員」自衛隊。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_9.html 

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