多賀大社参拝[6/9]神輿庫・鐘楼・日向神社。瓊瓊杵尊と考える「天下り」、人は住宅に「美人薄命」と「スーパー高耐久性何何」のどちらを志向するか。神輿と鳳輦の違い。

[第964回]
  滋賀県犬神郡多賀町の多賀大社 参拝の6回目です。
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↑ 拝殿の左手前に授与所があります。御朱印はそこでいただけます。授与所の左が社務所になっており、その南側の向いの場所に参拝者用の食堂があります。こういった神社に参拝した時は、建築探偵団として建築をなめるように見てまわるというのも悪くはありませんが「そこで時間を過ごし雰囲気を味わう」ということも大事だと思っており、今回は、そこで甘酒を飲んできました。なかなかおいしかった。

  授与所・社務所の前を西に進むと左手(南側)に神輿庫があります。↓
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↑ 写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。現地で見た時は気づかなかったのですが、この写真を見ると、
左側には「御神輿 おみこし」と書かれ、
右側には「御鳳輦 ごほうれん」と書かれています。
「神輿 おみこし」と「鳳輦 ほうれん」はどう違うのでしょうか。
  《ウィキペディアー鳳輦(ほうれん)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B3%E8%BC%A6 におり、
《 鳳輦(ほうれん)は、「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」を意味する言葉で、日本においては、古くから、天皇の正式な乗り物を意味するほか、現代では神社の祭りなどに使われる、鳳凰の飾りがある神輿を意味する。》
《 神輿は、日本の神社の社殿を小型化したかたちであるのに対し、鳳輦は台の上に4本の柱と屋根があるかたちになっており、「人が乗って移動する車」という、もともとの用途に適した形態をとっている。》
と出ており、「神輿 みこし」と「鳳輦 ほうれん」は似ているけれども微妙に違いがあるようだ。

  神輿庫の西に「鐘楼」がある。↓
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( ↑ 鐘楼。向こう側に見える建物は神輿庫。)
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( ↑ 鐘楼。向こう側に見える建物は太閤蔵。)
↑ 鐘楼・・は多賀町指定有形文化財の指定は受けていないらしい。 鐘楼は指定を受けていないけれども、そこに吊られている梵鐘は滋賀県指定有形文化財の指定を受けているらしい。
  落ち着いて考えてみると、鐘楼て、どちらかというとお寺にあるものではなかったかいなあ・・と思いませんか。しかし、大阪市天王寺区の四天王寺では西門のあたりに鳥居があり、なんで、お寺なのに鳥居があるの?・・というと、今では鳥居というのは神社のものという認識が広まったけれども、四天王寺が建てられた頃においてはそうではなくて、神社でも寺でも神聖な場所に入る入口に鳥居は建てられたので寺の入口に鳥居があっても悪くないらしかった。鳥居はそうだとして、鐘楼はどうなのか。
  似たものとして、東京都府中市の大国魂神社には鐘楼と似た感じの建物で鼓楼があった。鐘ではなくて太鼓を叩く楼閣だ。ここも府中市の大国魂神社と同じく鼓楼か? ・・と思って見たがそうではなく鐘楼で鐘がぶら下がっていた。しかも、その鐘は滋賀県指定有形文化財に指定されている鐘だという。
《 室町時代、天文24(1555)年9月20日の刻印があり、初代別当 祐尊の勧進により鋳造、奉納された。 総高は2メートルを超この時代以前の梵鐘では全国で五指に入る大鐘である。
  陰刻される122名の奉賛者には、当社に関係が深い土豪達が名を連ね、佐々木賢誉(六角義賢 ろっかくよしかた)や、11歳の浅井猿夜叉(浅井長政の幼名)の名も見える。
  当社における神仏習合時代の数少ない遺構の一つ。》
と現地の説明書きに書かれている。
※ 《ウィキペディアー六角義賢(よしかた)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E8%A7%92%E7%BE%A9%E8%B3%A2
南近江の六角と北近江の浅井は支配地域によって住み分けていたのかと思ったら、最初は六角の方が優勢で六角が浅井を支配していたが、そのうち、浅井が力をつけて浅井の方が有力になってきたが、結局、織田信長の力が近江に及んで没落した、というものだったようだ。
  神社なので鼓楼かと思ったらそうではなくて「神仏習合」時代の遺構としての鐘楼らしいが、建物としては鐘楼よりも鼓楼みたいな感じの建物のようにも思える。

  ↑ の写真で鐘楼の西に「太閤蔵」という名前の土蔵があるのが見える。御神門(表門)の前にある太鼓橋・そり橋を「太閤橋」とも言うらしいが、この太鼓橋が建てられたのは16世紀、豊臣秀吉が寄進したものによるのか、17世紀の「寛永の大造営」の時のものなのか、2通りの内容が書かれたものがあるのだが、「太閤橋 たいこうばし」は「太鼓橋 たいこばし」がなまったことによるものか・・とも思えたが、太鼓橋⇒太閤橋 だけならともかく、そうではなくて「太閤蔵」と名づけられた蔵もあるようで、これは「太鼓蔵」がなまったものではないだろうから、太閤、豊臣秀吉の影響はけっこうあったと考えていいのかもしれない。
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  神輿庫・鐘楼・太閤蔵の前を西に進んでいくと、
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日向(ひゅうが)神社・神明両宮・夷神社 がある。
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↑ これが、日向(ひゅうが)神社。 祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)だそうだ。

  瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)とはどういう神さんだったっけ? 『古事記』を読み直すと、
《 ここに天照大御神、高木の神の命もちて、太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝(まさかつあかつ)勝速日(かちはやひ)天の忍穂耳の(あめのおしほみみの)命に詔りたまひしく、「今、葦原の中つ国を平け(ことむけ)訖へぬ(をへぬ)と白せり。 故、言依(ことよ)さしたまひし隨に(まにまに)、降り(くだり)まして知らしめせ。」とのりたまひき。
  ここにその太子(ひつぎのみこ)正勝吾勝(まさかつあかつ)勝速日(かちはやひ)天の忍穂耳の(あめのおしほみみの)命、答へ白したまひしく、「僕(あ)は降らむ装束(よそひ)しつる間に、子生(あ)れ出でつ。名は天(あめの)邇岐志国(にきしくに)邇岐志(にきし)天津日高(あまつひこ)日子番能(ひこほの)邇邇芸(ににぎの)命ぞ。この子を降すべし。」とまをしたまひき。
  この御子は、高木の神の女(むすめ)、萬幡(よろずはた)豊秋津師(とよあきづし)比賣(ひめ)命に御合(みあひ)して、生みませる子、天 火明(あめのほあかりの)命。 次に 日子番能(ひこほの)邇邇芸(ににぎの)命 二柱なり。ここをもちて白したまひし隨に(まにまに)、日子番能(ひこほの)邇邇芸(ににぎの)命に詔科(みことおほ)せて、「この豊葦原の水穂の国は、汝(いまし)知らさむ国ぞと言依さしたまふ。故、命の隨に(まにまに)天降るべし。」とのりたまひき。・・》
という神さん。要するに「天下り(あまくだり)」の神さん・・?
古事記 (岩波文庫) - 倉野 憲司
古事記 (岩波文庫) - 倉野 憲司
  私は慶應大学の4年の時、就職部の方に話を聞いた際、日立製作所・東芝・NECといった会社の子供会社・孫会社として「日立◇◇」「東芝☆☆」「NEC▽▽」といった名前の会社があるが、そういう所はどうか、もちろん、応募して採用してもらえるかどうか、採用してもらえないかもしれないが、採用されるかどうかは別として、そういう所はどんなものかという話をしたところ、そういう会社に勤めると、せっかく努力して会社のために尽力しても、そのうち、親会社から自分よりも歳も下で入社も後の人間が「天下り」してきて自分より上の役職につく・・ということがある、という話を聞かせてもらったことがあった。 そうか、そういうことがあるのか・・と思ったのだが、1980年代後半、小堀住研(株)という、ともかくも一部上場の会社で、ともかくも従業員数千人以上の会社で、ともかくも知っている人は知っているという程度の知名度の会社で、沖縄県以外の全国で営業している会社で採用してもらったのだったが、日立製作所・東芝・NECといった会社の子供会社・孫会社ではなく、日立・東芝・NECなどよりは小さくても自分の所の会社が親の会社であって自分の会社の親にあたる会社はないはずなので、そこで努力して実績を残せば、親の会社から人がやってきて自分より上の役職についてしまうということはないだろう・・・と思ったのだった・・が、ところがどっこい、そうではなくて、小堀住研(株)は取締役の半分、監査役の半分が銀行から来た人間で、これは最初から小堀住研(株)に入社した従業員の間では評判悪かったのだが、最初、私は取締役の半分・監査役の半分だけなのだろうと思っていたのだが、実はそうではなくて、それより下の人間でも「銀行から来た人間」というのがこの会社にはいっぱいいたのだった。なおかつ、「見るからに役立たず」がその人間の身の程よりどう考えても高い役職をもらっていたのだった( 一一)  今から考えると、あの頃の小堀住研(株)はいくつもの銀行から役立たずの人間をゴミ箱かわりに送り込まれた状態、すでに「おまえは、もう、死んでいる」状態になっていた会社だったようだ。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕  「日立◇◇」「東芝☆☆」「NEC▽▽」といった名前の会社と比べて、従業員数は同じくらいだが「子供会社」「孫会社」ではなく「自分の所が親の会社」だから「親の会社」から人がやってきて自分の上の役職につくということはない会社だろう・・などと思ったら考えは甘かった。そうではなくて、銀行という所から役立たずが大量にやってきて小堀住研(株)では何も貢献してないのに、小堀住研(株)に最初から入社して努力した人間よりも上の役職についてしまった。最初から小堀住研(株)に入社した者としては、当然、面白くないが、「銀行から来た人間」は自分たちを特権階級と認識していたし、彼ら特権階級は会社から身の程より高い役職をもらい高い給料を盗るだけではなく、最初から小堀住研(株)に入社した一般従業員に対して自分たちの奴婢であるかのような態度を取ることを認められていると認識していた。2代目社長は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があったが、メカケの一族と「銀行から来た人間」とが横暴を働いていた会社はどうなったかというと・・⇒あっという間につぶれた( 一一)
「うちは一部上場ですから」と言っていたが、その「上場」も「一部」でなくなり、さらに上場廃止になり、そして、つぶれた。ヤマダ電機が「いぬき」で買い取って(株)ヤマダエスバイエルホームになり、さらにやはりヤマダ電機が買い取った「リフォームのナカヤマ」と合わせて(株)ヤマダホームズとなった会社は存在しているが、小堀住研(株)から初代の苗字を取り除いたエスバイエル(株)という会社はつぶれた。あっという間に( 一一)  それにしても、銀行というのは自分の所が融資したのか出資したのかの会社をつぶすための「人材」を送り込んで会社をつぶして、何か面白いのだろうか・・と思うが、その程度の人間が銀行やってる・・のかもしれん。

  「天下り(あまくだり)」というと、
(1)官庁・役所の公務員がその役所と関係がある民間企業へ「天下る」ということを考える人が多いのではないかと思うが、それだけではない。
(2)親会社から子供会社・孫会社への「天下り」もあり、そして、
(3)銀行から民間企業への「天下り」というものもあったようなのだ。
なんだか、銀行員というのはバカのくせしていい思いさせてもらえるけっこうな身分だなあ・・と思われる。
「天下り」ならまだいいのだが、”” 実質、「ゴミ箱」送り ”” の人が小堀住研(株)には何人も来ていたように思える。小堀住研(株)は銀行のゴミ箱じゃねえぞ!・・なんて、最初から小堀住研(株)に入社した従業員で思った人はいるはずだが、銀行から出向で小堀住研(株)に来た者どもには出向元の銀行に対しての愛社精神はあっても出向先の小堀住研(株)に対しての愛社精神も忠誠心もなく、「ええ思い」させてもらうためだけに来ていた( 一一) そいつらが小堀住研(株)のために働こうとして入社した者よりろくに働いていないにもかかわらず上の役職をもらっていたのだ。

  瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・邇邇芸(ににぎの)命 には「天下りの神さん」という特色ともうひとつ、《「健康なブス」と「美人薄明」となら「美人薄命」を選んだ神さん》という特色がある。
  1993年のことだが、(株)一条工務店 の千葉県松戸営業所(展示場)で、営業本部長兼松戸営業所長だった天野隆夫が入社1年目の営業社員Mに「デザインがいいということは構造が悪く耐久性がないということだ」などと教えていたので、それはちょっと違うんじゃないかあ・・と思ったことがあった。それはちょっと違うのではないかあと思ったが言うと怒るので言えなかった。(株)一条工務店という会社は、ちょっとしたことでも口にすると怒られる会社だった。「見ざる・聞かざる・言わざる」という言葉があるが、この会社で努力して、この会社のために尽くして、この会社を良くしていこうと思って入社した会社だったが、(株)一条工務店という会社はそう思って入社した従業員に、だんだんと口をきかない・口をきけないようにしていく会社だった。私より後から入社した人で「一条工務店という会社は、この会社のために定年まで尽くしてやっていこうとう気持で入社した従業員に、やる気をなくさせよう、やる気をなくさせようと必死になる会社ですねえ」と言って辞めていった人がいたが、実際、そうだったと思う。
  「高耐久性木造」という住宅金融公庫の分類があり、この基準自体はたいした基準ではなかったのだが、(株)一条工務店はこの基準を満たしている木造住宅だというのを「売り」にしていた。しかし、発祥の地の浜松などでは受け入れられても、都心部においては「何、これえ」「うわっ、いなかの家みたい」と言われるデザインと間取の展示場であり、「地方」の人には良くても東京圏の見込客からは評判悪かった。
  この点について、「一条オリジナル」従業員・「一条工務店の遠州人」は「浜松でいいものは日本全国どこだっていいに決まってるんだ」と叫びまくり、「『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのならそれは間違っている」と言うとひきつけ起こしてかんかんに怒るのだった( 一一)
てんかん発作こうすればだいじょうぶ 発作と介助[改訂新版] (てんかん入門シリーズ1) - 川崎 淳, 公益社団法人日本てんかん協会
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  但し、(株)一条工務店に比較的古くからいる人、「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」でも誰もが「浜松中心主義」だったか、誰もが「空の広さは浜松の広さと同じだ」と信じている人間だったか、誰もが「太陽・月・星といった宇宙の天体はすべて浜松を中心として回転している」と心の底から信じている人間ばかりだったか、というとそういうことでもなく、(株)一条工務店は神奈川県では茅ケ崎市に最初の展示場を作ったが、茅ケ崎展示場を作る時、同展示場に勤務する予定だった所長のT葉さんは「浜松ではこういうデザインでもいいけれども、神奈川県ではこんないなかくさいデザインではだめだ」と「言ってやった」と本人から聞かせてもらった。(株)一条工務店にもまともな人はいたのだ。ところが、そういう人は(株)一条工務店では少数派になってしまう。「浜松良ければすべてよし」という浜松独善主義・浜松帝国主義こそが(株)一条工務店の王道だったのだ( 一一)
  そもそも、「デザインがいい家」というのは、なぜ「構造が悪い」「耐久性がない」のか?  デザインについて有能な人間がいる会社は構造についても考える能力がある人間がいる会社ということは考えられないか?  実際には、デザインのために構造を無視したような建物というものもありうるし、あるかもしれない。しかし、(株)一条工務店の営業本部長 兼 松戸営業所長の天野隆夫が松戸展示場の事務所で言った「デザインがいいということは構造がなってないということだ。デザインがいいということは耐久性がないということだ。その点、うちは構造がいいということだ」などという発言は、その言い方では、まるで「結婚するにしても、どんなに美人の女の人でも美人薄明と言うような体が弱い人は困りますよねえ。その点、うちの娘はブスですからね。それも筋金入りのブスもブスもブス、ブス、ブス! スーパー高耐久性ブスですからね。やっぱり、結婚するならブスに限りますね♪」と言っているようなものであり、「要らんわい、ブスなんか」「ブスは長生きするんじゃねえ!」と言いたくなってくる、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫の発言はそういう発言だった( 一一)
  瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・邇邇芸命(ににぎのみこと)こそが「スーパー高耐久性ブス」よりも「美人薄明」の方がいい! と思った男だったのだ。
『古事記』(岩波文庫)より引用しよう。
《 ここに天津日高(あまつひこ)日子番能(ひこほの)邇邇芸(ににぎの)命、笠沙(かささ)の御前(みさき)に、麗しき美人(をとめ)に遇(あ)ひたまひき。ここに「誰(た)が女(むすめ)ぞ。」と問ひたまへば、答へ白ししく。「大山津見(おおやまつみの)神の女、名は神阿多都比賣(かむあたつひめ)、亦の名は木花(このはな)の佐久夜毘賣(さくやびめ)と謂ふ。」とまをしき。また「汝(いまし)の兄弟(はらから)ありや。」と問ひたまへば、「我が姉、石長比賣(いはながひめ)あり。」と答え白しき。ここに詔りたまひしく、「吾(あれ)汝(いまし)に目合(まぐはひ)せむと欲(おも)ふは奈何(いか)に。」と答へ白しき。故、その父 大山津見の神に、乞ひ遣はしたまひし時、大(いた)く歓喜(よろこ)びて、その姉 石長比賣を副(そ)え、百取(ももとり)の机代(つくゑしろ)の物を持たしめて、奉り(たてまつり)出(いだ)しき。故ここにその姉は甚凶醜(いとみにく)きによりて、見畏(みかしこ)みて返し送りて、ただその弟(おと)木花の佐久夜毘賣を留めて、一宿(ひとよ)婚(まぐはひ)したまひき。
  ここに大山津見の神、石長比賣を返したまひしによりて、大(いた)く恥ぢて、白し送りて言ひしく、「我が女二(ふ)たり並べて 立奉(たてまつ)り由(ゆえ)は、石長比賣を使はさば、天つ神の御子の命(いのち)は、雪零(ふ)り風吹くとも、恒に医師(いは)の如くに、常(とき)はに堅(かき)はに動かずまさむ。また木花の佐久夜毘賣を使はさば、木(こ)の花の栄ゆるが如(ごと)栄えまさむと誓(うけ)ひて貢進(たてまつ)りき。かくて石長比賣を返さしめて、ひとり木花の佐久夜毘賣を留めたまひき。故、天つ神の御子の御寿(みいのち)は、木の花のあまひのみまさむ。」といひき。故、ここをもちて今に至るまで、天皇命(すめらみこと)等(たち)の御命(みいのち)長くまさざるなり。・・・》
(『古事記』岩波文庫 )
《 神阿多都比賣(かむあたつひめ)・・薩摩の国阿多郡(鹿児島県日置郡)の阿多の地に因んだ名。神は美称。
木花(このはな)の佐久夜毘賣(さくやびめ)・・美人を木の花の美しさにたとえた名
石長比賣(いはながひめ)・・岩が長く変らないことにたとえた名
目合(まぐはひ)・・婚姻。
百取(ももとり)の机代(つくゑしろ)の物・・机の上に置く多くの品物の意で、聟取りの場合に女の方から男に与えるもの。
使はさば・・お側にお使いになるならば。
常(とき)はに堅(かさ)はに動かず・・いつまでも変らずに。
木の花のあまひのみまさむ・・木の花のように、ただもろくはかなくていらっしゃるでしょう。書紀の一書には「其生児、必如木華之移落。」とある。
天皇命(すめらみこと)等(たち)の御命(みいのち)長くまさざるなり。・・書紀の一書には、
「磐長姫、恥恨而唾泣之曰、顕見蒼生(ウツシキアオヒトクサ)者、如木華之俄遷転、当衰去矣。此世人短折(イノチミジカキ)之縁也。」とある。》
( 倉野憲司 校注。)
   瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・邇邇芸命(ににぎのみこと)ですらも、「スーパー高耐久性ブス」は要りませんと返品してきたのだ。だから、「デザインがいいということは耐久性がないということだ。その点、うちはスーパー高耐久性ブスだから耐久性があるということだ」なんて言って、それがセールストークになると考える(株)一条工務店の営業本部長 兼 「東京都・千葉県で自分自身は営業やったことまったくない松戸営業所長」の天野隆夫の認識はおかしいのだ。
  まず、第一の問題として、建築において・住宅において、構造と機能(使い勝手)とデザイン(美しさ)と経済性の4つはともに必要とされるものであり、どれか1つだけでいいというものではないのだ。 構造とデザイン(美しさ)とを両立させるのが相当難しいという場面があった時に構造の方を優先しましょうと言うのならおかしなことではないが、「うちの娘はブスでしょ~お。それも人並みはずれたスーパー高耐久性ブスでしょお~お♪ ブスてことは耐久性があるということです。美人薄命よりもスーパー高耐久性ブスの方がいいでしょお~お♪」なんて言われて、「そうでんなあ」なんて思うか? ・・というと、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・邇邇芸命(ににぎのみこと)はそうは考えなかったのだ。「スーパー高耐久性ブス」の方は要りませんと返品したのだった。
  なおかつ、1990年代前半、私は(株)一条工務店の工事現場と他社の工事現場を見てまわったが、(株)一条工務店の施工は決して他社と比べていいものではなかったのだ。たとえば、
(1)柱が上に載っている土台の下に基礎がない・・という工事現場は他社の工事現場にはなく、(株)一条工務店の工事現場にはあったのだ。かつ、東京事務所工務課主任だった高須にそれを対処してもらうように言ったところ、「それがどうしたんですか」などと言う口をきかれたのだ。「それがどうしたんですか」とは施工ミスやってる「工事責任者」が口にすることか! と思うが、(株)一条工務店の「工事責任者」は口にしたのだ。
(2)床下換気口の真上に柱が載っているという工事現場は他社の工事現場で見ることはなかったが、(株)一条工務店の工事現場にはあったのだ。
これだけは知っておきたい住宅の設計と施工の知識 - 高田 秀三
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(3)筋交いというものは切断しては意味がない、削ったなら削ることで細くなった部分の強度しかないことになるので、筋交いは切断してはいけないのは当然のこと、削ってもいけないのだが、ところが、換気扇の穴を開けるために筋交いを切断したという工事現場というものが他社の工事現場にはなくて、「一条工務店」の工事現場にあったのだ。
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(4)耐力壁としての筋交いというものは合板とは違って方向性があり、両方向のものをバランスよく入れる必要があるのだが、ところが、片方の向きのものばっかり入っている工事現場というものは他社の工事現場にはなくて、(株)一条工務店の工事現場にあったのだ。なおかつ、浜松での研修の時に、浜松の営業所の古橋という男が講師役に来て「ツーバイフォー工法の合板には方向性がありませんが、在来木造の筋交いには方向性がありますが、片方の向きのものばっかり入れるなんてことはしませんから、どちらの向きにも強度を発揮できます」などと教えていたのだが、「おまえ、一条工務店の工事現場を見てないだろ、このアンポンタン!」と思ったものだった。
(5)壁体内結露を防止・解消するためには室内側から壁体内への湿気の侵入を防ぎ、かつ、断熱材の外側に通気層を設けることが必要だが、ところが、(株)一条工務店の工事現場では、どの工事現場に行っても「こちらの側が室内側です。室内側防湿層を破らないように気をつけてください」と(株)一条工務店が使用していた壁用断熱材グラスウールのメーカー 旭ファイバーグラスが印刷したまさにそこに筋交いとか巾木とか廻り縁とか脚立とかを突き刺して、室内側防湿層を必ず破っていたのだった。かつ、営業本部長の天野隆夫から「なんで、室内側防湿層を破ったらいかんのじゃあ。室内側防湿層なんて破ってもいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ!」と怒鳴りつけられたのだ。「何、考えてんだ、おまえはあ!」と言われなければならないのは天野隆夫の方ではないのか。又、どうしても、「なんで、室内側防湿層を破ったらいかんのじゃあ。室内側防湿層なんて破ってもいいだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ!」と怒鳴りつけたいならば、私に怒鳴りつけるのではなく、「こちらの側が室内側です。室内側防湿層を破らないように気をつけてください」と印刷した旭ファイバーグラスの社長か担当者に怒鳴りつけるべきではないのか。
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(6)(株)一条工務店の大工は室内側防湿層をどの工事現場でも必ず破っていて、かつ、(株)一条工務店の工事担当者はその点について気をつけてもらうよう指摘するということを絶対にしなかったが、それだけではなく、1990年代前半においては(株)一条工務店は防火サイディング(サイディング壁)を柱・土台・梁の外側に「防水透湿シート」を貼ったすぐ外側に「直貼り」していたことから屋外側の通気層が存在していなかった。
(7)「建築現場の三大事故」として、墜落・落下物・重機事故という3つがあげられ、ゼネコンの工事現場では、朝、向かい合って「ヘルメットは良いか」「よ~し」とかやっていたが、ところが1990年代前半の(株)一条工務店の上棟現場ではヘルメットをしていない人が多かったのだ。かつ、私がそれを指摘すると「そ~んなの、工事現場で怪我するなんて当たり前じゃ~ん。怪我しちゃだめなんて言ってたら工事なんてで~きないよお~お」などと””一級建築士””に言われた。又、新帝国警備保障では「レッカー車で荷物を吊っている時は、吊荷の真下に入ってはだめというだけでなく、作業半径内立入禁止です」と言われたし、ゼネコンの工事現場には「作業半径内立入禁止」と大きく書かれた看板が貼られていたものだったが、(株)一条工務店ではレッカー車が荷物を吊っている吊荷の真下で作業させられた。かつ、せめて、吊荷が真上を通っている時くらいは吊荷の状況を確認しておいて、いざという時には最悪の事態だけは避けられるようにと思って真上を通過する時だけ見ていたところ、先輩社員から「こらあ。吊荷なんか見るなあ。吊荷が上から落ちてきたとしても、おまえが死ぬか半身不随になるだけのことじゃあ。一条工務店にとってはおまえが死んでも半身不随になってもいっこうにかまわんのじゃあ!」と言われた。こんな安全対策不備の工事をしていたのでは、遠からず重大事故が発生するのではないか・・と思っていたら、1993年9月に福島県いわき市草木台のK様邸において、屋根屋が墜落して頭部を打撲して死亡する事故が発生した。かつ、その事故の件でいわき労働基準監督署に初代社長の大澄賢次郎が呼ばれた後、大澄賢次郎は「安全対策を怠って申し訳なかった」と言うのではなく「なんで俺が労基署から呼ばれなきゃならんのだあ」と怒ったというのだから、そんな「初代社長」だったようだ。かつ、その事故の後、「本社のエライ人」だという大川(男。当時、20代)がいわき市の展示場にやってきてどう言ったかというと、「これからは高い所に登る時にはヘルメットをやらないといけないということだ」とそう言ったのだったが、ヘルメットというものは墜落した場合を考えて着用するだけではなく落下物に対してのものでもあり、「高い所に登る時」にするものではなく建築現場に立ち入る時にするものであるはずで、それを死亡事故が発生してもなお「本社のエライ人」が「これからは高い所に登る時にはヘルメットをやらないといけないということだ」などと言っていたのだった。
・・これらはあくまでも一例であり、まだまだあるのだが、例示はできても列挙なんてしようと思えばきりがないので、ここではここまでに留めることにするが、1990年代前半の時点において(株)一条工務店の施工の状態は他社と比べて、実際問題として、そんなにいいものではなかったのだ。

  「うちの娘はブスでしょ~お。それも人並みはずればスーパー高耐久性ブスでしょお~お♪ ブスてことは耐久性があるということです。美人薄命よりもスーパー高耐久性ブスの方がいいでしょお~お♪」などという文句がセールストークとして通じると考える(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫の思想・世界観というのは、やっぱり、ちょっとおかしいだろ・・。そう思わないか?

  現地の説明書きには、
《 日向神社(ひゅうがじんじゃ)
御祭神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
御神徳 結婚成就 家内安全
御祭神の瓊々杵尊(ににぎのみこと)は天照大神(あまてらすおおみかみ)より神勅をうけられ、三種の神器を奉じ、日向高千穂に御降臨された神である。
当社は古来より、この地域の氏神様として崇敬されている。また、天上よりこの地に恵みをもたらし、日本文化を開いた神様として、日々の生活を守り育む、高い御神徳を有している。》
と書かれている。 《日向高千穂に御降臨された神》というところから「日向(ひゅうが)神社」ということか。


  次回は、摂社 天満神社。

  (2022.11.16.)

☆ 多賀大社(滋賀県犬神郡多賀町多賀)参拝。
1.名神高速道路「多賀」サービスエリア。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
2.「多賀」S. A.より近江鉄道「多賀」駅へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_2.html
3.「多賀大社前」駅から絵馬通りを経て多賀大社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
4.鳥居・太鼓橋・愛宕神社・秋葉神社・御神門(表門)・手水舎・神馬舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
5.拝殿・本殿。旧中山道から多賀道に入る場所に一の鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_5.html
6.神輿庫・鐘楼・日向神社。「高耐久性ブス」より「美人薄明」を選んだ瓊瓊杵尊〔今回〕
7.天満神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html
8.多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアへhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_8.html
9.刈谷P.A.・足柄S.A.・東京料金所P.A.? 「国民を」でなく「国家を守る公務員」自衛隊。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_9.html 

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滋賀県の歴史散歩〈下〉彦根・湖東・湖北・湖西 - 滋賀県歴史散歩編集委員会
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