多賀大社参拝[8/9]多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアまで。「S本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスに~い♪」の思いの「多賀」サービスエリア。

[第966回]
  多賀大社参拝の8回目です。 多賀大社は境内に入るのに拝観料などは必要ありません。誰でも無料で境内に入らせてもらえます。但し、そうはいっても、そこを掃除している人だっているわけですし、施設の維持費用だってかかるでしょうし、僧侶にしても神職にしても「ボーズ丸儲け」みたいなものがいいとは思いませんが『新約聖書』の「福音書」にも「働き人がその生活の糧を得るのは当たり前ではないか」というイエスの言葉が書かれており、「職業としての宗教」に真面目に取り組む人がその生活の費用を得たとしても何ら悪いことではないでしょうから、入口で拝観料を求められる寺社の場合は指定された拝観料を払って入場したからにはお賽銭は入れても入れなくてもいいでしょうけれども、入口で拝観料を求められない寺社の場合は施設利用料のつもりでいくらかはお賽銭を入れていくか、もしくは授与所で何かを購入するか、その寺社の中の食堂を利用するなどして、何らかの形でお金をいくらかは納めていくようにした方がいいのではないかと私は考えており、ここしばらく、そのようにしてきたつもりですが、物事の基本的な考え方としては、お賽銭を入れなかったら拝んではいけないというものではないはずなのです。
  何年か前、大阪府高槻市の上宮天満宮に行った時、神社の「経営者」が変わったそうで、それで「正常化」として境内に防犯カメラがいっぱい設置されて、前はなかった授与所ができて、「順路」というものが設定されてその順路に従って歩いて一周したらさっさと帰ってちょうだいみたいになり、さらには石段の下に賽銭箱が設置されて、そこに「何段もの石段を登らなくてもお賽銭を入れることができるようにいたしました」だったか書かれていたのだったが、石段の下に賽銭箱を設けなくても、何段もの石段を登っていくことができない時は下で二礼二拍手一礼するだけでも、下でおじぎをするだけでもいいはずで、石段を登っていくことができた時にそうでない時の分もお賽銭を納めればいいことではないのか、石段の下に賽銭箱を設けたというのは、それが「正常化」ではないだろう、むしろ、「おカネちょうだい」と賽銭箱だけ入口に置くというのは下品であり、あんまり「正常化」ではないのではないか・・と思い、過去にその場所に来たことがある者としてはがっかりした、ということがありました。
★ 上宮天満宮(大阪府高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮へ。大きな一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿。セキュリティーの難しさ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社。神社の「経営」「経営者」とは。捨て猫はどう対処すべきか https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。反則相撲の野彌宿祢 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
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7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
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9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
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  2000年代、京都の大原の三千院に参拝した時、お坊さんが参拝者に「お賽銭を入れなければ拝んではいけないなんてことはないんですよ。お賽銭を入れなくても拝んでいいのです」と話しておられたのを横で聞いて、そうだよなあ・・と思い、「もし、遠方から来られた方が、後から、お賽銭を入れてくるのを忘れてしまったと思ったという場合は、近くのお寺に行ってお賽銭を入れてくればそれでいいのです」と話されていたので、なるほどと思ったことがありました。但し、三千院は、その時、たしか、拝観料として800円払って入場していたはずでしたので、寺社の拝観料としても比較的高めの拝観料を払って入場しているのですから、そりぁ、先にそれだけ払っているのだから、お賽銭を入れずに拝んだっていいよな・・とも思ったのでした。だから、入口で拝観料を求められない寺社の場合には、特にその寺社に信仰があるなしにかかわらず、施設利用料のつもりで賽銭箱にいくらか入れてくるか、そうでなければ、授与所で何か購入するか御朱印をいただいて御朱印料を払うか、いくらかは納めてくるようにした方がいいと考えています。ただし、近所に住んでいてしょっちゅう行く所の場合は毎回払わなくても、払わずに利用する時だってあってもいいかと思いますし、又、本当にその日の生活に困っている人が訪問した場合には「出世払い」ということで何も納めずに参拝させてもらってもいいでしょうし、比較的裕福な人はいくらか多めに納めるようにしても悪くないのではないでしょうか。
  これはなあ~あ・・・と思ったのは、たしか2000年代に行った京都の上加茂神社です。上加茂神社は境内に入ること自体には参拝料は求められないのですが、しかし、参拝料を払わなくても入場させてもらえる神社だということで拝殿の所で拝観料を求められる寺社よりも多めにお賽銭を入れて、その上で御朱印をいただいて御朱印料というのかお初穂料というのかを払い、さらに「特別拝観」として回廊の内側まで入らせてもらえるということがあったので、回廊の内側まで入らせてもらう「特別拝観料」として500円支払ったのです。ところが、そうやって回廊の内側の縁(濡れ縁)に行くと、ボーズではなくて若僧ではなくて若神職が「こちらに来てください。こちらへ。こちらへ」と執拗に特定の場所に来させようとするのです。いったい、そこに何があるのか・・と思って見たら、なんと、風呂桶みたいなバカでかいブリキの大きな箱を賽銭箱として置いてあったのです。私は建築探偵団ですし宗教建築研究家ですから、その坊主じゃなくて若僧じゃなくて若神職に「写真は撮らせていただいてもかまいませんか」と尋ねたのですが、そうすると「とんでもない! もんのすごい神聖な場所ですから、とんでもない」と礼儀を尽くして尋ねた者に対してずいぶんとえらそうな態度・横柄な態度・「おまえ、いったい何様じゃ」て態度で言うのでしたが、そこが「もんのすごい神聖な場所」であるのなら、おまえのとっている態度・おまえのやっていることこそ「とんでもない」態度であり、そもそも、そのバカでかいブリキ製の風呂桶みたいなでっかい賽銭箱こそ「神聖な場所」を汚す存在だったはずです。そして、何より、上加茂神社というのはいったい何回カネとったら気がすむのか。 最初、拝観料は必要ない神社だからということで、拝殿の場所で賽銭箱に拝観料を求められる寺社よりも多めにお賽銭を入れて、その上で御朱印料も支払い、その上で「特別拝観料」として500円払ってそこまで来たのです。ぼったくりバーじゃあろまいし、上加茂神社というのは、いったい、何回、賽銭とるつもりなのか。ええかげんにせんと、そのうち神罰くだるぞ、このぼったくり神社めが!! すでに拝殿の所でお賽銭を払った者に再度、賽銭払えと執拗に要求するその態度は何だ!?!  又、私は入場するのに拝観料を求められない寺社の場合はいくらかはお賽銭は入れてきた方がいいと思っていますが、入口で拝観料を求められて払った寺社の場合は三千院のお坊さんが言われていたように、お賽銭というものを入れなかったら拝んではいけないというものではなく、お賽銭を入れなくても拝んでいいはずなのです。ところが、上加茂神社の若神職というのは、カネ払わせることばっかり考えている。すでに「特別拝観料」として500円払ってそこまで入った者に何度も何度も賽銭払わせようとする。なんだ、この若造じゃなくて若神職は。これが神職の態度か! なんとも実に罰当たりな神社だった( 一一) 上加茂神社は、二度と来んわ、こんな所! と思って不快感を味わって帰りました。上加茂神社というのは、あんまり、商売上手ではありませんね。実際に会社という所に勤めてみると、そういうやり口が営業上手だ・営業力だと思っている人というのがいますが、私は違うと思うのです。そうではなくて、気持ちよく帰ってもらえば、「また、あそこに行きたいなあ」という気持になり、そういう気持になってくれた人は上加茂神社の神職のように下品に執拗に催促しなくても大喜びでお賽銭は入れてくれるはずなのです。まったくつくづく上加茂神社というのは、ろくな神社じゃねえなあ・・と思いました。
※ 上賀茂神社
1.楼門・透廊・棚尾社・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
2.ルーテル賀茂川教会・賀茂川・御土居・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
3.斎王桜・外弊殿・神馬舎・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_3.html
4.細殿・橋殿・片岡橋・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_4.html
5.弊殿・「特別拝観」・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_5.html
6.奈良神社・北神饌所・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_6.html
7.檜皮葺・大田神社・魯山人生誕地・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_7.html
8.深泥池・京都コンサートホール、摂社の構成・・ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_8.html
9.流造と切妻、建築見学をしない建築屋、不動産業の神「迦毛の大神」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_9.html

  内田康夫『熊野古道殺人事件』(1995年、中公文庫。2010。4.15.角川文庫)では、「第6章 棺の船」に、
《 昨夜は船と並んで地上にあった屋形は、すでに船に載せられていた。
  船べりと屋形の周囲には、真新しい注連縄(しめなわ)をめぐらせ、学生たちは全員、何やら行者ふうの白装束に身を包んでいる。
  奇妙なもので、日頃はけっこう罰当たりなことをやっている連中が、そういう装束を身につけただけでも、なんとなくそれらしく見える。》
という文章があるが、
熊野古道殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫
熊野古道殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫
たしかに、「馬子にも衣裳」という言葉があるように、神職とか坊さんには《日頃はけっこう罰当たりなことをやっている連中》である場合も含めて、《そういう装束を身につけただけでも、なんとなくそれらしく見える。》というところがある・・が、どんな衣装を身に着けていても「なんだ、こいつ」と感じる場合もある。
  医者屋もまた《日頃はけっこう罰当たりなことをやっている連中が、そういう装束を身につけただけでも、なんとなくそれらしく見える》ように白衣を着ているという人間がいる。医者の白衣というのは衛生面から着用しているのだと思っていたのだが、ところが、1980年前後、うちの父親の親友だった医者屋のM川〔 男。当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。息子を「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢していたので、実際は自分もまた私立金権関西医大裏口入学卒かもしれない。そうでない場合でも「かわいいキンタマ」(川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大=かわいいキンタマ)くらいか。当時、大阪府豊中市在住。〕は、朝、外来の診察時間は午前9時00分からで「予約制」で最初の「患者」には「午前9時00分から」と予約させておいて、さらn「何しろ、医者は忙しいもんじゃからな」などと言って予約時刻よりも前に来るように要求して午前9時からの予約の「患者」には午前8時30分には来るように要求しておいて、それでいて自分は午前9時から診察時間というからには少なくともそれより前には出勤していなければ遅刻のはずだが、それを常に午前9時40分とかに出勤してきていた。その上で「何と言っても医者じゃからな。医者の先生というのは忙しいからな。特にわしのような名医は人よりも忙しいんじゃ」とか言いまくっていて、そして、家から「病院」まで自家用車で来ていたが、すでに白衣を着用して自動車を運転してきていたのだが、病院について診察する前に白衣に着替えるのでなく自宅を出る時にすでに白衣を着ていたのでは、それでは衛生面を考慮して白衣を着ていることにならず、白衣を着ている意味がないのではないのか・・と思えたが、それが「医者」だった。
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
  弁護士もまた、似た感じで「えらそうな態度をとったら依頼者はありがたがる」みたいに思っている若造が多い。「弁護士は忙しいですから」と言って毎度毎度、約束の時刻に遅刻するのだが、そもそも、法廷に遅刻してくる弁護士というのはいったい何に忙しいのか?!? 「弁護士は忙しいですから」と言って遅刻してきたことに「すいません」し言わない言えない弁護士というのは、いったいどういう親の教育うけてきたのか、と思える。 約束の時刻に遅刻した上で相当多額のカネを払って依頼した依頼者に対して「すいません」も言わずに「弁護士というのは忙しいですから」などという口をきくというのは、それは依頼者は暇人だと言いたいということなのか?!? ということになる。
  「本当にあった愉快な話」2022年12月号 vol.306号(2022年10月30日発行。竹書房)に掲載されている 一之瀬はち という漫画家の『刑務官が明かす死刑の話』に「弁護士が来ない!?」という話で、
《 「これは死刑判決が出るような重大犯罪の裁判時の話
通常 裁判は裁判官・裁判員・被告(人)・検察・弁護士が揃い次第開始となる
ところが 定刻が来ても弁護士がこない」
弁護士や検察官てのはかなりスケジュールがきつくて 遅刻することは結構あるんだ(分刻みのスケジュールってことも)」
「10分 15分 30分 40分・・徐々にイライラしだす裁判官たち
そして1時間が経過 廷内が思い空気になり始めたそのとき」
「いや~! 遅れました ハア ハア」
「遅い・・!!(全員の声)」
「流石にその時は被告人も『人の命を何だと思っている』『オレの死刑がかかってるのに!』ってイラついていたな」
「弁護士も忙しいんだろうけど 被告人に言われるほどってよほどだね・・・」》
と書かれているのだが、漫画家の 一之瀬はち さんという人 自身が刑務官なのか刑務官だったのか、それとも、刑務官の人に取材して書いているのかどちらなのか明確ではないが、どちらであっても、この刑務官の「弁護士や検察官てのはかなりスケジュールがきつくて、遅刻することは結構あるんだ」と、まるで、弁護士や検察官は遅刻して当たり前、遅刻しても弁護士や検察官は悪くないみたいな発言・認識はおかしい。他のことならまだしも、「法廷には遅刻しないで来る」というのは弁護士や検察官を職業とする者なら当然、守るべきものであろう。弁護士というのは依頼者から相当高い金額を受け取って仕事を引き受けているのであり、その請負契約には「弁護士は法廷には最低でも遅刻しないで来る」というものも含まれているはずであり、遅刻してくる弁護士というのは請負契約を守っていないことになるはずだ。債務不履行であるからには損害賠償責任が生じるはずであり「かなりスケジュールがきつくて」であろうがなかろうが、そんなものは関係ない。 仮に弁護士が忙しかったとしても忙しい職業は弁護士だけではなく、私だって「かなりスケジュールがきつくて」という仕事をしてきたが、遅刻して当たり前というような態度は取らなかったし、忙しいから遅刻してよいなどという認識は社会人として通じないと認識していた忙しいからその時刻に来れないのならば、あらかじめ、来れる時刻で約束しておくべきものであり、刑務官というような立場の人間が「弁護士や検察官てのはかなりスケジュールがきつくて 遅刻することは結構あるんだ」などと言って、国民はそれを認めるべきだというような発言をしてもらっては困る。又、その刑務官の上役はこの不適切な認識の刑務官に対して、「あなたのその認識は間違っていますよ」ときっちりと指導しないといけない。漫画家の一之瀬はち さん自身が刑務官なのか刑務官だったのならこの認識は改めてもらいたいし、一之瀬はち さんは漫画家であって刑務官ではなく、刑務官から取材して書いているのであれば、その刑務官に対して「その認識はおかしいのではありませんか」と指摘するべきで、おかしな発言を刑務官がしているのに国民としてそれをそのまま認めたような漫画にしてしまうのは好ましくない。
  そもそも、仮に弁護士が「忙しい」としても、それなら依頼者は暇人なのか。そうではあるまい。人を馬鹿にするのもたいがいにするべきだ。大工だって左官屋だって基礎屋だってクロスやだって忙しいわ。「家庭の主婦だって忙しいわよ」てものだ。「忙しい」から弁護士としてのまともな仕事ができないなら引き受けるな! 引き受けたからには「忙しい」かどうかにかかわらずまともに仕事しろ・・というものだが、ところがどっこい、司法試験に合格して弁護士として登録すると、まともに働いていない不逞のヤカラが高級盗る権利を得たと思い込んでいる弁護士というのが大変多い。
  多額のカネを払ってくれた依頼者にえらそうな態度をとるだけで、法廷で相手方に目配せする役立たず弁護士が役に立つか・・というと、役に立たない。弁護士と話をすると「民事裁判は本人訴訟でやってもいいことになっていますけれども、無理だと思います。弁護士を立てておけばいいものを本人訴訟でやるからうまくいかないことになります」と言うのですが、実際には本人訴訟よりも役に立つ弁護士なんて、いったいどれだけいるのか、あんまりいないのではないのか、かえって害がある弁護士が多いのではないのか、という感じである。ハンマーパンチの嵐をお見舞いした上で、植木の剪定ハサミでち〇ぽ切断して水洗トイレに流してやりたいくらいの弁護士というのが多いのではないか。
モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))
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暴走する「検察」 (宝島SUGOI文庫) - 別冊宝島編集部
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   最近、千葉県船橋市の某医療センターでは「看護師」が聴診器を持って医者のようなふりをしているが、それなら医者と同じだけのことがわかるのかというとそうではなくて、人の痛いところをポンポン叩いた上で「私はわかりませんから」と言ってみたりしている。わからないなら、痛いところをポンポン叩くな!・・てものだが、そういう「看護師」が最近、いる。かつては看護婦さんというのは看護学校を卒業してなるものだったが、ところが最近は「大学」の看護学部というものができて「大卒」の「看護師」が増えてきたが、その結果として、医者みたいな格好をして聴診器持って、痛いところをポンポン叩いて「私はわかりませんから」と当たり前みたいに言うやつが出てきた
  「そういう装束を身につけた」ことで人にありがたがらせようとする人間というのは、医者屋とか宗教家・拝み屋さんといった人には少なくないのだが、そういうものにはまってしまう人というのは、T=W=アドルノらが『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)で「権威主義的パーソナリティー」≒ファシズム人格≒サドマゾ性向 と指摘した精神構造の人間と言えるかもしれない。うちの父親なんか、医者屋とかのそういう態度にイチコロにやられる人間だったので難儀した。
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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  それで、多賀大社は境内に入るのは無料で入らせてもらえるのですが、『マニマニ 滋賀・びわ湖・長浜・近江八幡』(2019.1.1.JTBパブリッシング)には、「料金 境内自由(奥書院庭園拝観は300円)」と書かれています。
滋賀 琵琶湖 長浜 近江八幡 (マニマニ)
滋賀 琵琶湖 長浜 近江八幡 (マニマニ)
今回は「多賀」サービスエリアから近江鉄道多賀線「多賀大社前」駅を経由して多賀大社まで来るだけでけっこう大変だったし、似た距離を歩いて「多賀」サービスエリアまで戻らないといけないし、何より「多賀」サービスエリアからクルマを運転して千葉県まで帰らないといけなかったので、《ウィキペディアー多賀大社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%A4%A7%E7%A4%BE によると、奥書院滋賀県指定有形文化財の指定を受け、「奥書院庭園」国の名勝の指定を受けているものらしく、多賀町指定有形文化財よりも滋賀県指定有形文化財とか「国の名勝」の方が上なら建築探偵団としては訪問すべきかもしれん・・としても、どこから行くのかよくわからなかったし、早くサービスエリアに戻らないと千葉県まで生きて戻れない可能性が考えられたので、今回はやめにした。
  又、「御本社」の右手(東側)に摂社・末社がいくつもあるようだったが、そちらの訪問も次回の訪問時にすることにした。



  行きは「多賀」サービスエリアから高宮池などがある地域の西側をまわる「西ルート」で多賀大社まで来ましたが、帰りはその東側をまわる「東ルート」で戻りました。
DSC01509.JPG
↑  多賀大社の南側付近から東を見たものです。 この写真で見える交差点を右折して南に進みます。↑ の交差点より左(北)が国道306号、交差点より右(南)が国道307号になるようです。
  国道307号を南に進むと左手(東側)に多賀町役場があります。↓
DSC01510.JPG

  さらに南に進むとすぐ右手(西側)にけっこう広い多賀大社参拝者用駐車場があります。↓
DSC01511.JPG
名神高速道路を自家用車で走ってきたならば、「多賀」サービスエリアから歩くのではなく、「多賀」サービスエリアの少し北側の「彦根」インターチェンジで降りるか、南側の「湖東三山」スマートインターチェンジで降りてこの駐車場に停めて参拝した方が良さそうです。『県別マップル 滋賀県道路地図』(昭文社)の3万分の1地図で見ると「多賀」サービスエリアから近そうに見えますがけっこうあります。

  国道307号をさらに南下すると、右に行く道がある交差点 ↓
DSC01512.JPG
↑ 写真はクリックすると大きくなります。
「EXPASA
 ここ右折
  ⇒
 多賀大社前駅
  ⇒  」
「多賀小学校⇒」
「⇦胡宮神社」
と書かれた看板が出ています。
EXPASA とは、「多賀」サービスエリアのことで、サービスエリアの外側からも利用できて、外側にも一般道から来た人用の駐車場があります。
  この交差点を右(北)に行くと、「多賀」サービスエリアの西行き に行きます。
  今回は行けませんでしたが、胡宮(このみや)神社は、この左(南)あたりにあるようです。


  かつて、この交差点の右手前(北西)のあたりに「多賀SLパーク」というものがあったらしいが、今は前を通ってもよくわからなかった。
※ 《ウィキペディアー多賀SLパーク》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80SL%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

  胡宮(このみや)神社 について、滋賀県歴史散歩編集委員会『滋賀県の歴史散歩 (下)』(2008.5.25.山川出版社)には、
《 多賀大社前駅から名神高速道路沿いに南へ1㎞ほど行くと、敏満寺山(青竜山 せいりゅうざん)麓に胡宮神社(祭神 伊邪那伎[いざなぎ]命、伊邪那美[いざなみ]命、事勝(ことかつ)国勝(くにかつ)長狭(ながさ)命 )がある。祭神からもわかるように、多賀大社とのつながりも深く、(多賀)大社の別宮とされていた。》
と出ている。
滋賀県の歴史散歩〈下〉彦根・湖東・湖北・湖西 - 滋賀県歴史散歩編集委員会
滋賀県の歴史散歩〈下〉彦根・湖東・湖北・湖西 - 滋賀県歴史散歩編集委員会
  伊邪那伎[いざなぎ]命、伊邪那美[いざなみ]命は多賀大社と同じ祭神だが、事勝(ことかつ)国勝(くにかつ)長狭(ながさ)命 とはいったい何者だ?
  インターネットで検索すると、《ウィキペディアーシオツチノオジ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%82%B8 には、
《 シオツチノオジ(シホツチノヲヂ)は、日本神話に登場する神であり塩竈明神とも言う。『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)、『日本書紀』では塩土老翁・塩筒老翁、『先代旧事本紀』では塩土老翁と表記する。別名、事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさ)。》
と出ている。
  塩椎神(しおつちのかみ)というと、『古事記』のどこに登場したっけ? ・・と思って読み返してみると、山幸彦(やまさちひこ)〔後に神武天皇のお父ちゃんになる人〕と海幸彦が道具を取り替えて山幸彦が海に釣りに行ったところ、海幸彦が大事にしている釣り針をなくしてしまい、返せと求められて困っているところに登場して山幸彦を助けるのが塩椎神(しおつちのかみ)だった。
《 ここにその弟、泣き患(うれ)ひて海辺に居ましし時に、塩椎(しおつちの)神 来て、問ひて曰(い)ひしく、「何(いか)にぞ 虚空津日高(そらつひこ)の泣き患ひたまふ所由(ゆゑ)は。」といへば、答へて言(の)りたまひしく、「我と兄と鉤を易へて、その鉤を失ひつ。ここにその鉤を乞ふ故に、多くの鉤を償へども受けずて、『なほその本(もと)の鉤を得む』と云ひき。故、泣き患ふぞ。」とのりたまひき。
  ここに塩椎の神、「我(あれ)、汝命(いましみこと)の為に善き議(ことはかり)をなさむ。」と云ひて、すなわち无間勝間(まなしかつま)の小船(をぶね)を造り、その船に載せて、教へて曰ひしく、「我(あれ)その船を押し流さば、差暫(ややしま)し往(い)でませ。味(うま)し御路(みち)あらむ。すなはちその道に乗りて往でまさば、魚鱗(いろこ)の如(ごと)造れる宮室(みや)、それ綿津見(わたつみの)神の宮ぞ。その神の御門(みかど)に到りましなば、傍(かたへ)の井(ゐ)の上(へ)に湯津香木(ゆつかつら)あらむ。故、その木の上に坐さば、その海(わたの)神の女(むすめ)、見て相議(あいはか)らむぞ。」といひき。
故、教への臨(まにま)に少し行きまししに、備(つぶ)さにその言(こと)の如くなりしかば、・・・ 》
( 『古事記』岩波文庫 )
《 塩椎神・・塩路を掌る神の意であろう。書紀には塩土老翁とある。
 虚空津日高(そらつひこ)・・皇太子に相当する日の御子の尊称。
 善き議(ことはかり)をなさむ・・よい工夫をしてあげよう。
 无間勝間(まなしかつま)の小船(をぶね)・・目が堅くつまった竹籠の小舟。書紀には無目籠とある。今もヴェトナムでは細い竹で編んだお椀型の小舟が用いられている。
 味(うま)し御路(みち)・・よい潮路。書紀には可怜小汀(ウマシオバマ)とある。
 魚鱗(いろこ)の如(ごと)造れる宮室(みや)・・魚の鱗のように屋根をふいた宮殿。楚辞の九歌、可伯篇に「魚鱗屋兮竜堂」とあり、その注に「河伯所居、以魚鱗蓋屋、堂画蛟竜文」とある。
 井(ゐ)の上(へ)に湯津香木(ゆつかつら)あらむ
 木の上に坐さば・・井のほとりの樹木に神が降臨するという信仰に基づいている。》
( 倉野憲司 校注。)
古事記 (岩波文庫) - 倉野 憲司
古事記 (岩波文庫) - 倉野 憲司
  「事勝(ことかつ)国勝(くにかつ)長狭(ながさ)」は『古事記』の塩土神だというが、倉野憲司校注では《塩路を掌る神》であろうとされているのだが、ここは海辺ではなく琵琶湖という淡水湖が滋賀県にはあるとはいえ、湖畔ではなく湖岸から内陸にある程度入った所で、背後に青竜山という山がある所で、《塩路を掌る神》を祀るのがふさわしい場所という感じではない。
  宮城県塩釜市の塩釜神社は塩土神を祀る神社らしく、海に近い場所なので《塩路を掌る神》が祀られるのももっともそうだし、『これだけは知っておきたい神社入門』(2007.7.27.洋泉社MOOK)によると製塩を教えた神だとされているらしいが、塩土神を祀る神社は海に近い所にある神社ばかりではなく山の中にある神社もあり、兵庫県西宮市山口町 の 木の神 の久久能智神を祀る公智神社には摂社として、滋賀県の近江塩津の塩津神社から塩土神を勧請した塩津神社があるが、近江塩津の塩津神社は琵琶湖には近いようだが海からは遠い。西宮市は大阪湾に面した市だけれども公智神社がある西宮市山口町は西宮市に属していても海に近い所ではなく山の中で《塩路を掌る神》など関係なく、公智神社がある付近というのは、かつて竹籠などを特産としていた地域であったことから、「无間勝間(まなしかつま)の小船(をぶね)」という《目が堅くつまった竹籠の小舟》に山幸彦を乗せて海に出した神として、竹籠など竹に関わる産業の神として椎尾椎神が祀られるらしい。もしかすると、この滋賀県多賀町満願寺の胡宮神社が塩椎神〔 事勝(ことかつ)国勝(くにかつ)長狭(ながさ)命 〕を祀っているというのも、この付近で竹を扱う産業がおこなわれていた時期があった、という可能性がありそうにも思えるのだが、どうだろう。
※ [第780回]《「木の神様」公智神社(兵庫県西宮市山口町)参拝【1/2】ククノチノカミ とは。公智神社の由来。公智神社への道。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_5.html
[第781回]《「木の神」公智神社(西宮市山口町)参拝【2/2】社殿、室町期の建物らしい神輿殿(旧釈迦堂)、竹籠業者守護・塩津神社、境内摂社末社。神社はそこで時間を過ごしてこそ。森林が少なくなってしまった公智神社の周辺。「子供」帝国主義女とその擁護者は反社会的勢力。「子供」を大義名分にする我儘女は子供の為にならない。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202007article_6.html
  竹を扱う産業がおこなわれていた場所に竹籠など竹に関する産業の神として塩椎神(事勝国勝長狭)が祀られ、近くの多賀大社の神である伊邪那岐・伊邪那美も合祀して、3柱が祭神になった、もしくは、竹産業の神の塩椎神を祀る神社であったが、この付近の豪族の犬神氏の祖先神を祀る多賀神社の影響を受けて別宮になり、多賀大社が伊邪那岐・伊邪那美を祀るようになったことから、胡宮神社でも伊邪那岐・伊邪那美を祀るようになり、結果として、伊邪那岐・伊邪那美と塩椎神の3柱を祭神とする神社になった・・・というのはどうだろうか。ありそうに思えるのだが。
  滋賀県歴史散歩編集委員会『滋賀県の歴史散歩 (下)』(2008.5.25.山川出版社)によると、《 本殿(県指定有形文化財)は三間社流造・桧皮葺きで、1638(寛永15)年に建造されたものである。》そうだが、今回は胡宮神社には立ち寄ることはできなかった。

  この交差点を北に行くと、↓
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↑ EXPASA 「多賀」サービスエリア 西行き の一般道側からの入口です。左上に見えているのが、一般道側からの駐車場です。
  この道を隔てた向かいが ↓
DSC01451.JPG 
↑ 歩行者専用の階段が見えます。ヤフー地図で見ると「赤坂公園」という公園になっているらしい。
  インターネットで検索すると、赤坂公園の入口は ↑ の「多賀」サービスエリア 西行きの向かいが出ているのだが、多賀大社の向かいの家屋の後ろあたりまで赤坂公園の敷地は広がっているようで、もしも、遊歩道のようなものがあって多賀大社や多賀小学校の側にからも出入りできるのならば、赤坂公園の中を歩いて行けば、「西ルート」よりは距離が短い「東ルート」よりさらに短い距離で「多賀」サービスエリアから多賀大社まで行けるかもしれない・・・が、インターネットで検索しても赤坂公園の出入口が「多賀」サービスエリア 西行きの向かい以外にあるのかどうかは出ていないので、赤坂公園の中を通って向こう側まで行けるものかどうかはわからない。

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↑ 「多賀」サービスエリア 西行きエリアと東行きエリアを結ぶ陸橋上から 琵琶湖側を見たもの。

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↑ 「多賀」サービスエリア 東行きエリア。 西行きエリアと東行きエリアを結ぶ陸橋上から見たもの。

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↑ 「多賀」サービスエリア 東行きエリア の建物。 [第959回]《多賀大社参拝[1/ ]「多賀」サービスエリア・敏満寺遺跡・東京ー大阪間の自動車の経路について。「Sは新幹線に乗るぞ我らは夜行バスに」の多賀サービスエリア+「千葉工大は新幹線に乗るぞ我らは大垣行普通に」。私立バカ大学の工学部に下宿して行かせてもらう人と国立大学でも工学部には行かせてもらえない者。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_1.html に掲載した行きの時の写真と見比べると、行きと比べてかなり暗くなってきているのがわかる。

  この後、名神高速道路を自家用車で走って千葉県まで帰ってきたのだが、途中、腹痛に襲われ、名古屋付近の「守山」パーキングエリアで一晩、車中で休憩し、翌朝から1日かけて、最後はすべてのパーキングエリアに立ち寄って帰ってきた。帰宅後、自宅で安静にしていても回復しないので医院にかかったところ、「小腸イレウス」という診断で数日、病院に入院することになった。この件については別稿で述べることにする。
  名神・東名高速道路のサービスエリア・パーキングエリアでのことについて、特に今回は、海老名・刈谷・用賀の3か所について述べたいと思ったが、これも別稿にしたいと思う。

  [第959回]《多賀大社参拝[1/ ]「多賀」サービスエリア・敏満寺遺跡・東京ー大阪間の自動車の経路について。「Sは新幹線に乗るぞ我らは夜行バスに」の多賀サービスエリア+「千葉工大は新幹線に乗るぞ我らは大垣行普通に」。私立バカ大学の工学部に下宿して行かせてもらう人と国立大学でも工学部には行かせてもらえない者。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_1.html でも述べたが私にとって名神高速道路の「多賀」サービスエリアは思い入れのある場所だ。 大学生だった時、同じように大阪の人間で慶應大学に行っていた人間が東京と大阪の間を行き来する時には、多くの人間が新幹線を利用していたが、私は多くの場合、新幹線に乗ったことがまったくなかったわけではないが、国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」を利用するか、東京駅を午後11時半くらいに出ていた「快速」というのか「普通」というのかの大垣行に乗って大垣駅で「快速」というのか「普通」というのかの西明石行に乗り換えて大阪駅まで行くか、そのどちらかが多かった。うちの父親は私に毎日のように「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言い続けたが、そのあたりもまた「民族の違い」「階級の違い」というものだったのだろう。
  1980年代後半、小堀住研(株)に入社してすぐの大阪駅の前の本社で実施された「新卒社員研修」に参加するために、東京から大阪まで行くのに私は「大垣行夜行」に乗って大垣駅で西明石行に乗り換えて行ったのだったが、ところが、千葉工大のやつは新幹線に乗って行っていた。そして、会社は従業員に対して公平であるべきであり会社は従業員に公平でないといけないはずであるが、ところが小堀住研(株)は千葉工大のやつには新幹線代を支給し、私には普通運賃しか払ってくれなかった。ドイツ民謡だという「モミの木の歌」に歌詞をつけた「赤旗の歌」というのがあって、インターネットで見るとその「赤旗の歌」の替え歌というものもあるようで「民衆の旗、赤旗は~♪」という部分を「民衆の足、国鉄は~♪」として、その後に「金持ちは~飛行機に~乗るぞ、我らは国鉄に~♪」となるらしい。「千葉工大は~新幹線に~乗るぞ、我らは在来線夜行普通に~♪」てものだった。3月下旬の大垣行夜行は通勤ラッシュなみに混んでいて、吊皮もない電車に荷物をいっぱい持って立ちっぱなしで一晩乗るのは無茶苦茶大変だった。
  1980年代、同じ小学校・中学校・高校から慶應大学の経済学部に進学したS本 彰という「なまたまご」を「なまなまこ」と発音する ””中年おやじキャラ””の男 がいて、阪本はアルバイトなんて何もしないで東京と大阪の間を移動する時は常に新幹線を使っていた。私はアルバイト漬けにされて、その上で東京と大阪の間を移動する時は国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」を利用するか、東京駅を夜11時半くらいに出る大垣行に乗って大垣で西明石行に乗り換えて大阪駅まで行くという方法かどちらかが多かった。国鉄の夜行バス「ドリーム号」は夜中に3回、サービスエリアで停まり、休憩を取ったがその西側の1か所が「多賀」サービスエリアだった。滋賀県の「多賀」というと小学校4年の時に多賀大社に来たことがある馴染みの地名だったが、夜中の「多賀」サービスエリアは真暗で何も見えなかった。「阪本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスに~い♪」というものだった。「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言われ続けて、そのうち「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思うようになった。S本 は兵庫県庁に就職したと聞いたが、きっと私より高い給料をとって私よりいい生活を送ったことだろう。
  2年浪人した年、東大の試験の前日、すでに何度か来た所だったけれども、それでも試験の前日に一度行っておこうと思って東京都目黒区の東大駒場キャンパスに行き、京王帝都電鉄井の頭線「駒場東大前」駅から井の頭線に乗って「渋谷」駅で降りようとした時、車内で同じ中学校・同じ高校から東大に現役で進学した私より1歳年下のUくんと会った。Uくんは「頑張ってぜひ合格してください。来てもらえたらうれしいです」と言ってくれたが、しかし、それでも私は合格できなかった。それに対して、慶應大学では、同じ小学校・同じ中学校・同じ高校から慶應大学の経済学部に行った阪本という男が私にどう言ったかというと「小学校の時も中学校の時も高校の時もおまえの方が成績は良かったかもしれないけれども、これからは死ぬまで永遠に俺の方がえらいんだからな。俺は今後、おまえが死ぬまで、いつでも好きな時に好きなだけ、おまえに、三べんまわってワンと言わす権利があるんだ」とそう言ったのだった。大学の体質の違いというものがそこにはっきりと出ていた、と言えるだろう。それにしても、小学校からの同級生に向って、よくそういう口をきくと驚いたが阪本彰という男はそういう人間だった。「隠れてうどん食ってた男」がよくそういう口をきくとあきれたが、この男はそういう人間だった。〔「隠れてうどん食ってた男」とは、『あしたのジョー』に登場するマンモス=西 がボクサーとしての減量に耐えかねて、夜、隠れて屋台のうどんを食いに行ったのを矢吹丈が見かけた話によるものだ。私にとってはこの男はその時のマンモス=西のような男だったのだ。⇒《YouTube-【PS2】あしたのジョー 「西、うどんを食べる」》https://www.youtube.com/watch?v=HdIbe1p6Zxc  《YouTube-力石、水》https://www.youtube.com/watch?v=k2QzShfqWhw 私にとってはこの男は「隠れてうどんを食ってた男」マンモス=西 のような人間だった。慶應という学校はどういう学校かというと、その「隠れてうどんを食ってた男」がこういう口をきく学校だった。〕この男がそういう人間だということは、その時まで気づいていなかったが、気づいていなかったのは愚かだったが、この頃から気づいた。
  同じ小学校・中学校・高校に行った人間でも同じクラスになることが多かった人間と同じクラスになることはあまりなかった人間がいて、阪本は小学校4~6年・中学校・高校と9年間、同じ学校に行き、何の因果か大学まで同じ所に行くはめになってしまったが、同じクラスになったのは小学校4年の時、1年だけだったが、今から考えてみると、あの男は小学校4年の時からそういう人間だった。要するに小学校4年の時から「慶應タイプ」だった。 中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)で、著者は「オヤジ」というのはその年代のその性別の人のことを言うのではなく、「オヤジ」と言われるような行為をする人のことを言うのであり、若い人にも「オヤジ」はおり、女性にも「オヤジ」はいると述べているが、もっともなことだと思う。
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 - 中谷 彰宏
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 - 中谷 彰宏
  これは「オヤジ」だけではなく「オバハン」とか「オバタリアン」とかも同様だと思う。そう考えた時、1970年代後半、私が高校生だった時、北野高校の生徒で ””高校生の時から「オバタリアン」”” だった女生徒というのもいたな~あ( 一一) ・・なんて思ったりもした。慶應大学に「経済新人会」という「中年オヤジの交友会」みたいなサークルがあって、「うわあ~あ」と私などは思ったのだったが、阪本はそれに入学早々、入部したらしかった。マア、””There is no accounting for tastes.””(「蓼食う虫も好き好き」)と高梨健吉『基礎からの英語』(美誠社)にも出ていたことだし、そういうのが好きな人もいるのかもしれないから、私があまりそういうのは好きでなかったとしても、ひとのことをどうこう言わなくてもいいのかもしれないが。 考えてみると、あの男は小学校4年の時から「中年オヤジ」みたいなキャラだったし、小学校4年の時から「経済新人会」みたいなキャラだった。だから、あの男は自分と似合いの大学の似合いの学部に行き、似合いのサークルに入ったのであり、その点で当人にとって幸せだったのではないか、という感じもしないでもない。
  「慶應心理学」ではこの阪本のような男のことを「アイデンティティーを持っている」と「診断」するらしいが、ちっぽけな「アイデンティティー」である。そもそも、「自我」とか「アイデンティティー」とかいった ””専門用語”” があって、そういうものを「心理学者」とか「カウンセラー」とか「精神科医」とか「精神分析学者」とか称するイカサマがそれらの者の側だけが使用できて、「患者」とか「来談者」とか「クライアント」とか、あるいは一般国民という立場の人間はそれらの用語で「診断」される側・「””治療””される側」であって「診断」してはならないとする「心理学」「精神医学」の構造が反社会的・反民主主義的である。それらファッショ「精神医学」・ファッショ「心理学」は民主主義の敵である。 そういう「心理学」「カウンセリング」「精神医学」「精神分析学」といったものの存在が反社会的であり、反民主主義的である。それらの存在が民主主義の敵である小此木啓吾内部進学独善主義の「精神医学」的レッテル製造症候群を「正常」と「診断」していることこそ、おかしい。小此木啓吾の思想・世界観こそ異常であろう。改めるべきは「患者」「来談者」「クライアント」ではなく小此木啓吾内部進学独善主義の方であろう。常に自分たちの側が「精神医学」的レッテル・「心理学」的レッテルを製造して気に食わない人間に貼り付ける権利があると考える内部進学小此木啓吾一派は反社会的勢力と言うべきであろう。
  私にとっては「中年おやじキャラの阪本」が新幹線に乗って東京から大阪、大阪から東京に移動していた時に私が乗った国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」が停車して休憩をとった場所が名神高速道路「多賀」サービスエリアであり、「多賀」サービスエリアは、しみじみとその頃を思い出す場所だった。但し、昼間の顔と夜の顔は全然違う。国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」がサービスエリアで停車するのは真夜中であり、店舗はすべて閉まっている。使用できるのはトイレと清涼飲料水の自動販売機くらいのもので、同様に停まっている他の路線バスに乗り間違えないように戻ってくるだけの場所だった。それでも、「阪本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスに~い♪」という文句が頭に鳴りひびく。
  そういえば、東急東横線「日吉」駅の慶應大学とは逆側にあった大衆食堂で、東京駅八重洲口発の夜行バス「ドリーム号」に乗る予定の日の昼食をとったが、オムライスを食べたかったのだけれどもオムライスの値段を払うお金がなくてオムライスより安いチキンライスにして夕食と翌朝の朝食はとらなかったのだが、その時のチキンライスは本当においしかった。それから何十年か経った2000年代のある時、日吉に行くことがあり、日吉の郵便局のはす向かいあたりにあったその店でもう一度、そのチキンライスを食べてみたいと思って行ってみたのだったが、残念ながらその店はもうなかった。いつも新幹線に乗っていつも満腹だった阪本は私が感じたその時のチキンライスのおいしさというものを感じることもなかったであろう。そういう男のことを「心理学」では「アイデンティティーを持っている」と言うのである。かつ、こういうことを言うと「心理学」から「アイデンティティーを持てえ」と言われるのである。お~こわ

「千葉工大は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行普通に~♪」
「阪本は~新幹線に~乗るぞ、我らは夜行バスドリーム号に~♪」
「阪本は~たらふく食うぞ~、我らは昼のみ夜朝ぬくぞ~♪」


  (2022.11.18.)

☆ 多賀大社(滋賀県犬神郡多賀町多賀)参拝。
1.名神高速道路「多賀」サービスエリア。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
2.「多賀」S. A.より近江鉄道「多賀」駅へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_2.html
3.「多賀大社前」駅から絵馬通りを経て多賀大社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
4.鳥居・太鼓橋・愛宕神社・秋葉神社・御神門(表門)・手水舎・神馬舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
5.拝殿・本殿。旧中山道から多賀道に入る場所に一の鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_5.html
6.神輿庫・鐘楼・日向神社。「高耐久性ブス」より「美人薄明」を選んだ瓊瓊杵尊 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_6.html
7.天満神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html
8.多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアへ〔今回〕
9.刈谷P.A.・足柄S.A.・東京料金所P.A.? 「国民を」でなく「国家を守る公務員」自衛隊。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_9.html 

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