刈谷P.A.・海老名S.A.・東京料金所P.A.?にて。「国民を守る」ではなく「国家を守る公務員」募集の自衛隊、今もって「ベトコン」などと蔑称を口にする自衛官の自衛隊は国民を守るか? 自衛隊の質の悪さ。問題多すぎる日吉台学生ハイツが閉鎖されたのは喜ばしい。観覧車・入浴施設があるのに「パーキングエリア」の刈谷P.A. 。

[第967回]
【1】彩色観覧車がある刈谷「パーキングエリア」(伊勢湾岸道)
  神社の「摂社」と「末社」というのはどこに違いがあるのか。何を基準として決まるのか。戸建の祠の神さんが「摂社」で長屋に入居している神さんが「末社」かというとそうでもないようで、けっこう大きな戸建に住んでいる神さんが「末社」だったりすることがあり、戸建とはいえ小さい祠の神さんが「摂社」の場合もある。これと同様に、どこに基準として用語が分けられているのかよくわからないのが「サービスエリア(S.A.)」と「パーキングエリア(P.A.)」だ。駐車スペースの他は「う〇こ する所」と清涼飲料水の自動販売機が1機あるだけというのは「パーキングエリア(P.A.)」だろう、商業施設がいっぱいあって、「食べる所」も大衆食堂風の所が1軒だけとかではなく、「高級レストラン風」の店があり、「フードコート」みたいのもあって、土産物売り場も広くて様々なものが売っているという所は「サービスエリア(S.A.)」の可能性大で、中央自動車道の「諏訪」サービスエリアみたいに入浴施設なんてものまである所は「サービスエリア(S.A.)」だろう、東名自動車道の「富士川」サービスエリアなんてのは観覧車まであるから、これも「サービスエリア(S.A.)」だろう・・と考えると、愛知県の伊勢湾岸自動車道の「刈谷」・・は商業施設も多いし食べ物屋も何店舗もあるし、なにしろ、これ ↓ がある。
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最近、「◇◇◇確定」という言葉が流行語になっているが、「刈谷」には「観覧車」がある♪ それも、日没後は ↑ のように光る観覧車がある・・ということは「サービスエリア確定」だろうと思ったら、「刈谷」は「サービスエリア」ではなくて「パーキングエリア」らしいのだ。な~んでだ?・・
  また、この観覧車が日没後、単に光るだけではなく何色もに変化するのだ↑ ↓
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↑ こうなると、もはや、「◇◇◇確定」てものか・・・と思いそうなのだが、ところが、なぜか「刈谷パーキングエリア(P.A.)」らしいのだ。 なんでか知らんけども。

( 愛知県刈谷市。 伊勢湾岸自動車道「刈谷」パーキングエリア。↑ )

  さらには、インターネットで検索したところ、刈谷パーキングエリアには観覧車だけでなく、入浴料900円で利用できる「天然温泉 かきつばた」http://www.kakitsubata-spa.com/ なんてのもあるようだ・・が、それでも「パーキングエリア」。 無茶苦茶でっかい社殿のある「末社」みたいなものか・・。

※ 刈谷ハイウェイオアシス(刈谷パーキングエリア)HP http://www.kariya-oasis.com/shop_bun_kanran.php


【2】「足柄」サービスエリア(東名高速道路) に掲示されている《「国民を守る公務員」ではなく「国家を守る公務員」たる自衛隊》募集ポスター。人間の質が悪い自衛隊・今も「ベトコン」と蔑称を口にする自衛隊に武器を持たせたなら、それは国民にプラスになるかマイナスになるか、どちらだろうか。
  静岡県の東名自動車道、東から西に行く場合なら御殿場ジャンクションで東名と新東名が分岐する少し東、西から東に来ると御殿場ジャンクションで合流してすぐの「足柄サービスエリア」で見たのが、↓
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↑ 「国家を守る、
  公務員
 陸海空自衛官
 防衛省静岡地方協力本部
 沼津地域事務所 」
と書いてある( 一一)
陸海空自衛隊というのは
 「国家を守る公務員」だそうだ( 一一)
〔 インターネットで検索すると、防衛省静岡地方協力本部沼津地域事務所 はJR東海道本線・御殿場線「沼津」駅の北東のあたりにあるようだ。〕
  なぜ「国民を守る公務員」ではないのだろうか? 国民を守る意思はないのだろうか?
せめて「を守る公務員」ではないのだろうか? 

自衛隊というものは「国を守る」ではなく「国家を守る」公務員だということにしたいということだろうか?

  この文言は、
「国家」と「国民」の利害が一致する時はいいが、もしも、「国家」と「国民」の利害が反することがあった場合には「国家を守る公務員」は「国家を守る」ために「国民」を攻撃しますよ! という意思表示なのだろうか。


  1980年代、横浜市港北区 の 東急東横線「日吉」駅の南東あたり、慶應大学日吉キャンパスのすぐ南にあった 日吉台学生ハイツ に住んでいた時があった。入居を決めた時点では知らなかったのだが日吉台学生ハイツは元防衛庁・元自衛隊の人間が運営する施設だった。 又、入居者が入居を決めるまでに運営者が元防衛庁・元自衛隊の右翼だということを開示せずに不動産賃貸契約を結ばせていたという時点で日吉台学生ハイツは良心的ではなかった
  元防衛庁(現防衛相)・元自衛隊出身者が運営するだけに、「ハイツだより」というものを入居者の親に定期的に送りつけて、その一面に館長の藤井さんが「親に感謝」などと記載し、「なんじゃ、こりぁ」と私などは不快感を覚えたものだったが、うちの父親などはそれを見て大喜びして、「そうや♪ ええ~えこと言いはる♪ 『親に感謝』じゃ『親に感謝』。わしに感謝、わしに感謝、わしに感謝、感謝、感謝、感謝!」と言いまくっていた。館長の藤井さんと言う男も迷惑な男である。
  そもそも、日本語として「親に感謝」という言葉はおかしいのだ。日本語で「感謝する」という動詞は行為に対して「感謝する」というものであり、親が子に何か子のためになる行為をおこなった時に、その行為に対して「感謝する」というのはもっともなことであるが、同時に、子が親のために何か役に立つことをやった場合には親もまたその行為に「感謝する」ということがあっていいはずなのだ。又、親が子のためになる行為をした場合にその行為に対して「感謝する」のはもっともなことだが、親が子のためになることをしていない時、親が子の為にならないことをした時に「親に感謝」しろなどと要求するというのは、それは筋違いも甚だしいものだ。
  かなり、激しい方のものとしては、尊属殺人被告事件という事件が栃木県で起こったことがあるが、実の父親が実の娘を強姦して子供を産ませた、その父親をその娘が殺害したという事件で、この事件が発生するまで日本の刑法には殺人罪と別に尊属殺人罪というものがあったのだが、尊属殺人罪は死刑か無期懲役かしか量刑がなかったはずで、無期懲役刑は執行猶予をつけることができなかったはずだ。この事件においては、被告人代理人弁護士から検察官から裁判官から誰もが被告人に同情して、たとえ、「人を殺した」としても被告人があまりにもかわいそうだと考えた。なんとか執行猶予をつけたいと考えたが尊属殺人罪を適用したのでは執行猶予をつけることができない。そこで、最高裁判所大法廷は、6対8対1 で尊属殺人罪は日本国憲法がすべての人間は平等であるとする規定に反し無効であるとした。 6対8対1 とはどういうことかというと、6が「尊属殺人罪は日本国憲法の平等の規定に反し違憲であり無効である」とする者、8は「尊属殺人罪の存在そのものがただちに違憲ではないが、この時点における尊属殺人罪が殺人罪と別に規定している内容は量刑が重すぎて程度として違憲であり無効である」とするもので、1が元プロ野球コミッショナーの下田さんで「尊属殺人罪は合憲だ」とする者だった。実の父親に強姦されて子供を産まされてもその娘は、日吉台学生ハイツ館長の藤井さんが主張するように「親に感謝」しなければならないのか? 「か~んしゃあ~あ、か~んしゃあ~あ♪ 朝にも感謝、昼にも感謝♪ か~んしゃあ~あ、か~んしゃあ~あ♪ 夜にも感謝~あ♪」という「クリスチャン」が好む「クリスチャンソング」のように「親に感謝」しなければならないというのか?
  日吉台学生ハイツの館長の藤井さんが無責任に「親に感謝」などと「あんた、他に書くものを知らんのか」て感じで書いていたのは、それは戦前戦中の「教育勅語」の思想を持ち込んだものである。日吉台学生ハイツ館長の藤井さんが主張していた「教育勅語」を引き継ぐ「親に感謝」という反動の主張、時代遅れの主張は、これは親は子に何か世話になることがあっても感謝するべきではないという主張である。それが「教育勅語」の思想であり、それをおかいしと思う能力が欠落している程度の低い人間が防衛省・自衛隊の人間だったのだ。
教育勅語 (朝日選書) - 山住 正己
教育勅語 (朝日選書) - 山住 正己
日本人の心理 (岩波新書) - 南 博
日本人の心理 (岩波新書) - 南 博

  入居手続きをすませた直後、「こちら、館長からの入学祝いでございます」と言って、高田好胤 著『父母恩重経を考える』(PHP研究所)などという本を渡されたのだが、「館長からの入学祝い」などと言っても実際には入居者が日吉台学生ハイツに支払ったカネから購入したものであり、何が「館長からの入学祝い」だ。
  どういう本かというと、「親の恩は海より深く、親の恩は山より高し。親に孝行せえよお、親に孝行せんとバチ当たるぞ、バチあたるぞ、まんまんまんまん」という、そんな内容の本だ。くっだらねえ。私はこの本を見て高田好胤という男を「胡散くさい人間」と思うようになったし、PHP研究所という出版社をろくな出版社じゃないと思うようになったし、又、そんな出版社を作って得意がっている松下幸之助という男もまたろくな人間じゃないと思うようになった。
松下幸之助を怒らせる本 (1981年) (三一新書) - 平沢 正夫
松下幸之助を怒らせる本 (1981年) (三一新書) - 平沢 正夫
  何よりも、日吉台学生ハイツの館長の藤井さんが「入学祝い」だと称して入居者に読ませようとした「父母恩重経」というものだが、インターネットで見ると、現在においては仏教界において、それは「偽経」という評価になっているもののようだ。そんなものをありがたがる人というのは、自分自身がありがたがるだけならば好きにすればいいが、日吉台学生ハイツの費用を使ってそれを大量に購入して入居者に渡して読ませようとするというあたりは、人間としてあまり立派な態度ではないであろう。

  日吉台学生ハイツは館内1階のロビーに、かなりどぎついエロ雑誌の自動販売機を設置していた。これは主として大学生が居住する住居施設、中には高校生も住んでいる住居施設において不適切なものであったはずだ。実際にそのエロ本自動販売機を設置していたのは山村書店という日吉の本屋だが、日吉台学生ハイツが設置してくれと頼んで設置させていたはずだ。東急東横線「日吉」駅の東側に慶應大学の日吉キャンパスがあり、東側は道路が放射線状に、線路沿いの2本と別に3本、線路とほぼ垂直の「中央通り」、駅から南西に進む「普通部通り」、駅から北西に行く「浜銀通り」が出ていた。「普通部通り」を真っ直ぐに行くと慶應の「普通部」という男子校の中学校があった。慶應の中学校は共学の「中等部」が三田にあって男子校の「普通部」が日吉にあったのだが、最初、「普通部」て何だろうと思ったが、慶應の男子校の中学校で、駅から南西に進みその普通部の方に行く通りが「普通部通り」、「浜銀通り」はその通り沿いに横浜銀行の日吉支店があったことから「浜銀通り」という名前になっていた。横浜銀行だけでなくスルガ銀行と富士銀行もあったが、なぜか「駿銀通り」とか「富士銀通り」ではなく「浜銀通り」だった。

( 東急東横線「日吉」駅付近。マーカーが日吉駅。)
山村書店の本店はその浜銀通りにあり、他に日吉駅の南南東の方に、その頃は「ユニー」、今でも経営する会社名はユニー(株)のようだが店舗名は「アピタ」になった店があり、その2階と、それに日吉駅の西側に階段を降りた正面、建物としては駅の建物の一部のような場所に駅前店と言っていたかどうかわからないが、駅前に本店より売り場面積が狭い店があった。その本店で、エロ本のような本を置いていたけれども、その横に
「学生さんへ。 学生さんには学生の時に読んでおくべき本というものがあると思います。学生の時に読んでおくべき本とそうでない本というものをよく考えていただくことを願います。 店主」
だったか、これは記憶によるものなので細部について表現が違う可能性もあるけれども、そういった貼り紙が出されていたものを見たことがあります。ひとつには、エロ本を買ってくれるのならともかく立ち読みされたくないということもあったかもしれませんが、それにしても、山村書店の店主はそのあたりについて良心的だと思いました。そういう本を売っていながらそういう文章を横に書くのは矛盾しているではないかという批判はあたらないでしょう。現在、煙草の箱には「煙草はあなたの健康を損ないます・・」とかそういう文章が記載されています。販売はするけれども、購入して吸う人はそういうものだということを認識した上のこととしてくださいというものであり、書店の店主が上記の文章を書店内に記載するのも同様のものと考えていいでしょう。
  しかし、片方でそのたりについては書店の経営者として良心的なところがありながら、他方において大学生・大学院生だけでなく高校生も入居している日吉台学生ハイツの館内にかなりどぎついエロ本の自動販売機を設置するというのは、それはやっていることに矛盾があります。ダブルスタンダードというものでしょうか。「学生さんへ。 学生さんには学生の時に読んでおくべき本というものがあると思います。学生の時に読んでおくべき本とそうでない本というものをよく考えていただくことを願います。 店主」という貼り紙については、これは立ち読み防止の目的もあったのでしょうけれども、それだけではなく、書籍を扱う店の経営者として、ともかく売れればいいというような姿勢ではなく、社会に役に立つ店としてやっていきたいという良心的な姿勢というものがその文章にはあったと私は思っています。それなのに、日吉台学生ハイツのエロ本自動販売機というものは、日吉台学生ハイツの元防衛省・元自衛隊の程度の低い連中から依頼されたことであっても、そのようなものの設置は良心的な書店であるならば断るべきだったと思います。
  どのような学問でも、これは革命理論のようなものについてではなく比較的保守的な学問についてであっても、その学問に真面目に取り組んだならば、現実の社会との間に「緊張関係」とでもいったものが発生してくる、ということが考えられます。それに対して、国民がエログロにはまってしまうならば、社会・政治への抵抗心といったものがなくなっていく傾向があります。ですから、ファッショ的な政権・反民主主義的な政権は国民の性道徳を退廃させようとする傾向があります。日吉台学生ハイツの元防衛省・元自衛隊の軍人経営者というものもまた、入居者の性道徳を退廃化させることで、日本の社会をファッショ化・反民主主義化させようという意図・意識があったはずです。
  1980年の後半、「教えて~ください・・海は死にますか、山は死にますか・・♪」という『二百三高地』という日露戦争を取り扱った映画〔⇒《YouTube-映画「二百三高地」劇場予告》https://www.youtube.com/watch?v=UdTze_0gXb4 〕を見たいと思ったものの、すでに公開の時期を過ぎていて、「ぴあ」という雑誌で調べたものの、近くの映画館ではやっておらず、横浜市の横浜地下鉄ブルーライン(1号線)の「阪東橋(ばんどうばし)」という駅の近くの映画館で『最後の特攻隊員』という映画と2本セットで放映されていたので、阪東橋まで見に行ったということがありました。行くと、阪東橋駅付近というのは「横浜」て感じではなく、そもそも、「横浜市」というのは無茶苦茶面積が広い市で、1960年代の終わり頃、横浜市が大阪市の人口を抜いて「日本で二番目の大都市」になったといったけれども、それは横浜市が周囲の市町村を合併して、その時点で大阪市の3倍以上の面積の市になったことから「人口では」大阪市を抜いたというもので、それだけに「ええ~え? ここが横浜なのお?」みたいな所もあるわけで、日吉なんて横浜だとは私は大阪にいた頃、思わなかったし、ましてや、多摩プラーザとか青葉台・長津田とか「こどもの国」なんて「こんな場所が横浜市~い?」て感じだし、金沢文庫は金沢市か横須賀市か? ・・と思ったら横浜市だし、上大岡なんてのも横浜市だし、大船て大船市か? 鎌倉市か? と思ったら大船駅の西半分は鎌倉市で東半分は横浜市!・・て、ひえええ~え! て感じ、そんな所まで横浜市なんかい・・てくらい横浜市は広くて、それだけに様々な場所がある。最近、「平成の大合併」で秋葉神社なんて山中にある神社のあたりまで浜松市になって「いくら何でもやり過ぎちゃうかあ~あ」て感じがしているのだが、浜松というのは「浜」という字が地名に入っているように海に近い場所につく地名のはずだが、それが秋葉神社があるあたりなんて山の中まで「『浜』松」になってしまったが、横浜もまた地名の由来としては横須賀が「横に広がったスカ(須賀)」であるのと同じく「横に広がった浜」からついた地名のはずで、神奈川駅付近から横浜駅付近を経て桜木町・関内(かんない)・石川町あたりにかけてが「横浜」と言われるならわかるが、内陸部の日吉が横浜と言われると違和感があるし、ましてや、東横線沿線のさらに内陸部の田園都市線の沿線が「横浜」と言われると相当違和感があるが、阪東橋付近というのは海からは少しだけ内側に入ったというくらいの場所だったが「港 横浜」というイメージとは違い、桜木町・関内・石川町とか「横浜中華街」・馬車道といったあたりとも雰囲気は違う、最近、YouTube で「横浜市で、昼間からおっさんがステテコはいて外にいておかしくない場所はどこですか」という質問の選択肢のひとつに「阪東橋」というのがあったのだが、要するに、そんな感じの場所だったのだ。大岡川という川が西から東に流れていまして、この大岡川の南側を横浜地下鉄ブルーラインが東西に走っていて、北側を京浜急行電鉄が東西に走っているのですが、駅名として、ブルーラインでは、吉野町・阪東橋・・、京浜急行では南太田・黄金町・日ノ出町・・というあたり・・というのは、その後、雑誌で見たものやインターネット上で見たものによると、この大岡川沿いの地域というのは、かつては「治外法権」地域だったとか、麻薬を扱う者がいたとか、黄金町というと東京の山谷・大阪の釜ヶ崎と並ぶ街だったとか、ガード下に売春婦がいる街だったとか、そういうことが言われる地域だったようで、最近でも、ブルーラインに乗っていたら、吉野町付近で近くの席に座っていたにーちゃんが携帯電話で「きのう、警察に泊められちゃってよう」とか話しているのが聞こえたことがあったけれども・・、そんな感じの地域だったみたいで、映画館も「横浜の映画館」て感じではなくて、やくざ映画とか普段は放映している映画館だったようで、それで、やくざ映画の仲間である戦中の軍国主義に憧憬を持つ人向けの映画として『最後の特攻隊』という「東映」というやくざ映画を作っていた映画会社が作製した映画と、その戦中軍国主義憧憬映画の仲間といえば仲間の『二百三高地』をセットにして、『二百三高地』が一通り放映期間が終わった後で放映していたようでした。だから、映画館も映画館でも『ナザレのイエス』を見に行った有楽町の「ロードショー」やってる映画館とか、『山猫』とか放映していた神田神保町の岩波ホールとか『ジプシーは空へ帰る』〔『ジプシーは空に消える』⇒《YouTube-Queen of the Gypsies》https://www.youtube.com/watch?v=JlhX6XQ5gPs  ゴーリキー『マカール=チュードラ』を基にした作品らしい〕とか「ソ連映画の夕べ」シリーズを見に行った今はなくなった文京区の千石(せんごく)にあった三百人劇場みたいな硬派の映画館とは違って、
山猫 (岩波文庫) - トマージ・ディ ランペドゥーサ, Lampedusa,Giuseppe Tomasi di, 惺, 小林
山猫 (岩波文庫) - トマージ・ディ ランペドゥーサ, Lampedusa,Giuseppe Tomasi di, 惺, 小林
やくざ映画かにっかつロマンポルノの映画館と似た感じの映画館の雰囲気だったようです。
  もしも『二百三高地』とセットでなかったら『最後の特攻隊』なんてそんな映画は見なかったのですが2本セットだったので見たのですが、そこで、翌日、特攻隊として出撃するという青年を上官が売春宿に連れて行くという場面があった。なんで、特攻隊として死なされる人間を、その前日に売春宿になんか連れていくのだろう、と思ったのだが、後から考えてみると、あれは日吉台学生ハイツの元防衛省・元自衛隊の人間と同じ思考・同じ発想で、20歳前後くらいの人間を性的に退廃化させることで体制に対する疑問など持つような感性を破壊しようという考えだったと気づきました。
  『らーめん再遊記』では「らーめんハゲ」芹沢が、かつて『わたし、プロレスの味方です』という本が出て「プロレスは二流だとか、純文学は高尚で漫画は低劣だとか、料理でもフレンチとか懐石料理は価値があってラーメンは低俗・低級だという考えはおかしい。漫画でも価値があるものはあるし、フレンチや懐石料理なら常にいいというものではなく、ラーメンもいいものはいいのだ」という認識を持つに至ったことを述べていたが、それはたしかにそうで、「純文学」とされているものでもくだらないものはある、もしくは「悪いとは言わないがそこまで高く評価するものではない」と思えるものがあり、「漫画」という表現手法によっているが「純文学」としての価値は十分にあると思われるものはある。白土三平『カムイ伝』『カムイ外伝』『ワタリ』なんてのはそこらの「純文学」より上だと私は思っている。水木しげる の「漫画」も初期の大人向け風刺漫画や風刺漫画と合体したおどろおどろしい妖怪漫画もまた「純文学」に劣らないものがあると私は思う。水木しげるの風刺漫画や「テレビアニメ向けにかなり人畜無害化されてしまった『ゲゲゲの鬼太郎』」ではなく、墓場の中から生まれた幽霊族最後の生き残り『墓場の鬼太郎』などおどろおどろしい妖怪漫画は「純文学」に劣らない価値があると私は思っている。水木しげるは手塚治虫より年上だが水木しげる の大人向け風刺漫画などは評価する人は評価するけれども、一般受けしにくいところがあり、『鉄腕アトム』とかの手塚治虫の漫画に比べて多くの人間から受け入れられるようになりにくいところがあり、『ゲゲゲの鬼太郎』がテレビアニメーションで放映されたことで水木しげる が世間に知られるようになった時、手塚治虫は自分より格下のように見ていたらしいが、私は子供の頃は『鉄腕アトム』など好きだったが20歳を過ぎてからは「漫画を媒体としての作家」として見るなら水木しげる の方手塚治虫より上だと思うようになった。
※ 《YouTube-『カムイ外伝』予告編》https://www.youtube.com/watch?v=qpxw5nkKCCc
《YouTube-ゲゲゲの鬼太郎(昭和46年10月/1971年)》https://www.youtube.com/watch?v=NeYQOpMCt2k
水木しげる の「漫画」に「へんらへらへら」という作品があった。医者屋と製薬会社から薬漬けにされて殺された親子が「へんらへらへら」という妖怪になって医者屋と製薬会社に復讐するというものだが、「お化け」に襲われた医者屋は警察に訴え、警察は当然のことながら「正義のため」に医者屋と製薬会社に殺された妖怪を退治しようと発砲するがお化けはもうすでに死んでおり警官から発砲されても「お化けは死な~ない~♪」「ビョーキも何にもない♪」。「ゲ、ゲッ、ゲゲゲのゲ~え。みんなで歌おう、ゲゲゲのゲ♪」
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康 
  「漫画」であっても「漫画を媒体とする文学」だと考えるなら純文学に劣らない作品もあるし、又、「推理小説作家」の内田康夫は推理小説は純文学に劣るという意識の人に「ぜひ、一度、読んでみてください」と自分の作品を勧めて読んでもらったところ、「推理小説でも、こういうものならいいと思います」と言われたことがあったらしい。だから、純文学で優れたものはあるけれども「漫画を媒体とした文学」や「推理小説である文学」でも純文学として見ても価値があるものはあると思う。
  しかし、他方でやはり、多くのピンク映画やエロ本が若い人から社会・政治へ疑問を感じたり、現実の社会との間に「緊張関係」を持ったりするのを破壊しようとする、そのための道具としての漫画というものも存在してきた。1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が私に「漫画を読みなさい」などと言ったのだったが、あの女はそうさせることで社会・現実との間の「緊張関係」を破壊し、体制への抵抗心を破壊しようとしていたのである。
  「思考が柔軟」とか言ってエロ本やピンク映画を奨励する人間がおり、そういう人は10代・20代の人間にそういうものを見せることで社会・政治への抵抗心や「緊張関係」というものを奪い破壊しようとしているのです。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子であったり、日吉台学生ハイツの運営者であったりはそれだったのです。『最後の特攻隊』という軍国主義への憧憬映画に出ていた、特攻隊として出撃する前日に売春婦の所に連れていく上官だか先輩だかいうのも、本人が自覚してやっていたかどうかはさておき、自覚してやっていたかそうでなかったかにかかわらず、その流れのものであり、日吉台学生ハイツの運営者の元防衛省・元自衛隊の程度の低いやつらがやっていたのもまた、その傾向のものです。

  日吉台学生ハイツのエロ本自動販売機には「少年ジャンプ」も売っていたと思う。「少年ジャンプ」くらいいいだろうと思うかもしれないが、別に学生の住む宿舎のロビーに自販機を設置して売らなきゃならないものでもないだろう。「週刊プレイボーイ」なんてのも売っていたのだが、日吉台学生ハイツの男性職員が「週刊プレイボーイ」を日吉台学生ハイツの自動販売機で購入するのを目撃したことがあった。 私は20歳前後くらいのことは、大学生が「週刊プレイボーイ」だの「平凡パンチ」だのを読む(見る)などとはとんでもない・けしからんことだと思っていて、慶應大学の商学部の同じクラスの生徒でそういうものを平気で見ていたものがいて「こんなやつでも『大学』に行くのか」と思ったことがあったが、しかし、社会全体として見るならば「週刊プレイボーイ」とか今は廃刊になった「平凡パンチ」とかそういうものを見る人というのは、実際問題としていくらでもいるわけです。だから、日吉台学生ハイツの男性職員が「週刊プレイボーイ」を買っても別にいいじゃないか・・とも思えるかもしれませんが、しかし、他のものならさておき、「週刊プレイボーイ」を何も職場で買うことないと思いませんか?
  高校の先生とか中学校の先生とかが「週刊プレイボーイ」を買ったとしても別に違法なものを購入しているわけではない・・としても、何も高校の先生とか中学校の先生とかが自分が勤めている学校のはす向かいとかにある書店で「週刊プレイボーイ」を買うことないと思いませんか。買うにしても自分が勤めている学校から離れた場所で買うようにした方がいいと思いませんか?  日吉台学生ハイツの男性職員というのは「学校の先生」ではないかもしれないけれども、「会社」という所に勤めている「普通の仕事」やっている人間でも、「週刊プレイボーイ」とか購入するのであれば、自分の勤め先で買うのではなくて、自分の勤め先から多少は離れた所で買いませんか? 私ならそうしますよ。日吉台学生ハイツの職員というのは、防衛省・自衛隊の人間がやってるだけあって、そのあたりの感覚が麻痺しているのです。

  こういうことを言うと「おまえはそんなに品行方正な人間なのか」とか「おまえはそんなに聖人君子なのか」とか言う人が出てくる可能性がありますが、別に私は自分を「特別に品行方正」とは思っていないし、「聖人君子」などとは思っていないが、「特別に品行方正」とか「聖人君子」とかでなかったらこういうことを言ってはいけないのか、というとそうではないはずなのだ。 相撲の若ノ鵬が「週刊現代」で述べていたが、十両以上になった相撲取りは八百長の誘いを受けるようになり、それを断るのは難しいというのだが、ある30代の半ばになった力士が若ノ鵬に言ってくれたことがあったというのだが、「若ちゃん。八百長はやらない方がいいよ。俺はもう歳をいって力がなくなってしまって八百長をやらないと勝てなくなってしまったからやっているけれども、若いうちは八百長は絶対にやらない方がいいよ。八百長をやる側に行こうと思えば、それはいつだって行けるんだから。だから、若いうちはやらない方がいいよ」と言ってくれたことがあった、というのだ。それこそ、日吉台学生ハイツが自動販売機でおいていたエロ本なんてものは、「そちらの側に行こうと思えば、いつだって行けるんだから」「だから、若いうちはやめた方がいいよ」と「特に品行方正」でも「聖人君子」でもない者が若い人にアドバイスして何が悪いか。

  日吉台学生ハイツ では「フロアリーダー」という人を日吉台学生ハイツが決めていたのですが、「・・号室・・・号室・・号室の人がフロアリーダーです」とか日吉台学生ハイツが勝手に「リーダー」とかいう人間を入居者に相談することなく決めていたのですが、入居者からすれば、入居者に何ら意見をきくこともなく立候補者の募集をするわけでもなく選挙するわけでもなく日吉台学生ハイツの経営者に「この人がリーダーです」などと決められる筋合いはないし、その「リーダー」になってくれと言われた人にしても良心的な人間であったなら、まず第一に「立候補者を募集するわけでもなく選挙するわけでもなく、日吉台学生ハイツの経営者が自分たちの縁故の人間をリーダーだと決めてしまうという決め方は不適切ではありませんか」と言うこともなく「リーダー」になっていたというのは良心的な態度ではありません。そのような反民主主義的な方法で「リーダー」を選出しようという姿勢もまた、戦中、軍国主義の時代の「翼賛選挙」と同様の手口です。自分たちがやっていたことは戦中の「翼賛選挙」と同じことだということを認識できず、ぬけしゃあしゃあと「フロアリーダー」などというものになっていた者というのは、そんな人間でも大学を卒業すると「大卒」になったのですが、こういった認識も持てないような、いわば「病識がない」状態であった人間がいたのです。
  
  日吉台学生ハイツ の難儀なところは、新倉という「カウンセラー」と称する男がいた、という点もあります。新倉は「カウンセラー」と称して、毎日、日吉台学生ハイツの1階のロビーをうろつき、入居者をつかまえて「おい~、◇◇く~ん」と話しかけてからむというのを習慣にしていたのです。「いいかねえ、日本という国は狭い国土に人間がひしめき合っている国だからねえ。戦前は朝鮮もあったし台湾もあったし千島もあったし樺太もあったし満洲もあったんだけれどもねえ、それを取られてしまったからねえ。だから、大変なんだよお」と言い、「いいかねえ。日本は単一民族の国なんだよ」と中曽根康弘みたいなことを言うのでした。「はい、はい」と言って逃げようとしても「待ちたまえ~え」と言ってなかなか逃がしてくれないのです。
  「いいかねえ。日本はねえ、単一民族の国でねえ、ソ連が北から喉から手が出るほど欲しがっている国なんだよお」と言って、自分ののどのあたりから手を前に出してみせるのです。「日本は単一民族の国でソ連が北から喉が出るほど欲しがっている国だからねえ、だから、労働組合の人間とか、日教組の人間とか、共産党の人間とかは生かしておくわけにはいかないんだよお。わかるかねえ」と言うのだった。
  「日本はねえ、狭い国土に人間がひしめき合っている国でねえ、単一民族の国でソ連がのどから手がでるほど欲しがっている国だからねえ、この日本を守るためには、労働基準法を守れなどと言うような甘ったれたことを言うやつは刑務所に入れてやる必要があるんだよ、わかるかねえ」と言うのです。「わかりません」と言いたかったのですが、言うとうるさいので黙っていたのですが、黙っているとますます調子に乗って続けます。
  「いいかねえ、労働基準法を守れなどという甘ったれたやつは全員、刑務所に叩き込む必要があるんだよ。共産党は全員、死刑にしなきゃだめなんだよ。朝日新聞の記者は全員、刑務所に入れてやる必要があるんだよ。日教組は全員死刑にするか刑務所に叩き込む必要があるんだよ、わかるかねえ」と言うのでしたが、「わかりません」と言いたかったのですが、逆らうとうるさいので黙っていると、どこまでも続けるのです。
  何よりも・・・、新倉の勤務時間というのは24時間勤務で翌日は24時間休み、その翌日は24時間勤務でその次の日は24時間休みというもので、警察官とか消防士でそういう勤務の人がいると思いますが、新倉もそういう勤務形態だったはずなのです。そうであるにもかかわらず、新倉は勤務日の夕食時に酒を飲むのです。それも、酒好きの人が「つい、1杯、飲んじゃった」とかいう程度のものではなく、ベッロンベッロンになるほど飲んで、そして、午後6時台とか7時台とかになると、日吉台学生ハイツの1階のロビーでベロンベロンに酔っぱらったヨッパラー新倉は帰宅して部屋に戻ろうとする入居者にストーカーとなってまとわりつき、「◇◇く~ん、日本はねえ、ソ連が喉から手がでるほど欲しがっている国なんだよお」と話しかけて離さないのです。「はい、はい、はい」と言って振り切ろうとしてもしつこい。まさに「ストーカー」です。
  日吉台学生ハイツは上から見て十字型の建物が2棟建っていて、1階と地階でその2つが結ばれていて1階に出入口があったのですが、1階のロビーは外との間は透明なはめ殺しのガラスでできていたので、帰ってきた時に「あそこに新倉がいるな」と思った時には、自分が住んでいる棟とは逆側にあえて行き、地階に降りて地階を移動して自分が居住している棟の下からエレベーターに乗って部屋に戻るということをしたこともありました。
  ところが難儀なことに、日吉台学生ハイツの1階のロビーと外との間が透明なガラスのはめ殺し窓になっているということは帰ってきた入居者が外から中を見ることができるだけではなく、ロビーにいる新倉から外も見えるのです。日没後は外から照明がついている中は見えやすくても照明がついている中から外は見えにくいのですが、外から中も中から外も見えるという程度の明るさの時に帰ってくると要注意でした。新倉からも見えるのです。そうすると、日吉台学生ハイツの入口は1か所でしたので、その入口の付近にすばやくやってきてつかまえられるということがあるのです。
  さらには部屋まで押しかけてくることもあります。部屋まで来て「ソ連がだなあ・・」と始めるのですが、「すいません。今、やっていることありますので」と言ってお帰りいただこうとしても、「いいんだよ、そんなものは」と言って帰らないのです。・・・今から考えてみると、「ぶぶづけでもどないだすう」と言ってやれば良かったかとも思いますが、「ぶぶづけでもどないだすう」と言ったならば、おそらく「東京もん」の新倉は「それなら、そのぶぶづけというものを御馳走になってあげようではないか」とでも言って居座ったでしょう( 一一)
  「京のぶぶづけ」という話があり、「東京もん」は京都の人間が熱心に「ぶぶづけでもどないだすう」と言うものだから、それならごちそうになっていこうとすると「厚かましい」と言われるという、京都の人間というのは何を考えてるのかわからん・・というお話ですが、しかし、たとえば、慶應大学のステューデントカウンセラーズにいた日野高校出身の西だったか、西高校出身の日野だったかいう男がこういうことを言って「だから、関西は嫌いなんだ」などと言っていたのですが、大阪で育ち京都には何度も行ったことがあり京都に住んでいる親戚などもある私が京都の人から「ぶぶづけでもどないだすう」なんて言われたことなんて一度もないのに、なんで、日野高校出身の西だったか西高校出身の日野だったかは「東京もん」なのに、「ぶぶづけでもどないだすう」などと言われたことがあるのだろうか?・・と思ったものでしたが、日野高校出身の西だったか西高校出身の日野だったかは、実際に「ぶぶづけでもどないだすう」などと京都で言われた経験もないにもかかわらず、そして、「関西」でも京都と大阪は違うところがあるし、大阪でも摂津と河内で違ったり、街中と郊外で違いがあったりもするのですが、それらを完全に無視して「関西は」と自信もって断定するという非科学的態度・非学問的態度を断固たる自信を持った態度で主張するのでしたが、「こいつ、勉強してないなあ」「こんな学問的態度ができていない男が、くそどあつかましくも『大学』に行くのか」とあきれたものでしがが、「東京もん」が勘違いしているのは京都人が「ぶぶづけでもどないだすう」と言うのは、うちで食事して行ってくださいと勧めているのではなく、食事していってくれと勧めるのなら「ぶぶづけ」(お茶漬け)なんて勧めるのではなくもうちょっといいものを勧めるわけで、「ぶぶづけでもどないだすう」というのは、あまりにも長く居座って帰らない人間に「もう、いくらなんでも、きょうはお帰りになってはどうですか。うちの家の貧相なぶぶづけでも食べていかれますかあ。いくらなんでも、そこまで厚かましくはありませんでしょ」という意味であり、そう言われても、その文句を大変熱心に言われても、それでも「それなら、そのぶぶづけというものをごちそうになっていこうか」と言うやつというのは、こいつ、頭おかしいのじゃないか・・ということになるようです・・が、他方で大阪の人間でも「京都の人間て、ちょっとそんなところあるよなあ」と言う人間もおり、「たいしたものはありませんが、うちで食事していってください」と勧められてるのか、帰ってくれと言われているのかわかりにくいという面もあるようなのですが、大阪の人間なら「京都の人間てちょっとそんなところあるよなあ」ですむものを「東京もん」の日野高校出身の西だったか西高校出身の日野だったかは「関西はそういうところがきらいなんだ」などとその「ぶぶづけでもどないだすう」という言葉の意味も理解しないで非科学的に決めつけるというそのあたりの大阪人と「東京もん」の違いというのは、それは大阪人には京都人と同じく関西人としての「婉曲話法」というものがあるのに対して「東京もん」にはそれがない、という伝統の違いというものもあるでしょう。私も(株)一条工務店 で福島県いわき市に勤務していた時、会津出身の人に「それは難しいですね」と言っても言ってもわかってもらえず、「難しいと言わないできいてくださいよ」と言われて「いったい誰にきくのですか」と言ったことがあったのですが、会津の人間もそうかもしれませんが、東京圏の人間というのは関西の人間なら大阪の人間でも京都の人間でも「それは難しいですね」と言われたら「だめです」の婉曲話法だ、「ずえったいにだめえ~え」と言わずに「難しいですね」という表現をしているから何とかなるというものでもないとわかるものを絶対に理解しないらしい・・と後から気づいたということがありました。日吉台学生ハイツの「カウンセラー」でヨッパラーの新倉が部屋まで押しかけてきて「ソ連がだなあ・・」「日教組に人間は刑務所に入れてやる必要があるんだよお」とか「労働基準法を守れなどと言う甘ったれたやつは死刑にしなきゃだめなんだよ」などと言ってきた時に「ぶぶづけでもどないだすう」と言ってあげたとしても・・・、まず理解しなかったでしょう。
  それで、「カウンセラー」の新倉は「労働基準法を守れなどと言う甘ったれたやつは、全員、死刑にしなきゃだめなんだよ」と何度も言うのでしたが、それならば、そういう基準を適用するのであれば、新倉こそ勤務時間中に何度もベッロンベッロンになるまで酒飲んでいたのであり、午前9時から午後5時までが勤務時間という仕事の人にとっては夕食時は勤務時間外であっても新倉は24時間勤務で次の24時間は休みでその次の24時間は勤務という勤務形態であり、勤務日の夕食時間帯以後というのも勤務時間であり、新倉は勤務日の夕食時に酒を飲んではいけないはずであったのですが、ところが新倉はしばしばその勤務時間中に酒をベロンベロンになるまで飲んでへべれけになった状態で「〇〇く~ん、ソ連が日本を北から手が出るほど狙ってるんだからねえ・・」と言ってからんできていたのであり、新倉こそ「死刑にしなきゃだめなんだ」ということになるはずだったのだ。
  そういえば、慶應大学の商学部で「経済史」を担当されていたU教授が「慶應のOBの集まりに行くと『最近の若い者は』などと言う者がいるが、『おまえ、自分が若い頃、何やってた』『おまえ、親からの仕送りのカネで赤線に行っておっただろうが。そんな者に若い者を批判する資格なんか、あるか!』」と話されたことがあったのだが、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」は、おのれは勤務時間中にベッロンベッロンになるまで飲酒している男が「労働基準法を守れなどと言う者は死刑にする必要があるんだよ。わかるかねえ」などと言っていたのであり、そういう法敵「カウンセラー」が常にロビーを徘徊しているのが日吉台学生ハイツでした。

  さらに、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉は「体調が悪いとか言って休学するような学生というのはねえ、そういう人間は殺さないといけないんだよ。殺さないと。日本はねえ、体調が悪いとかいって休学するような人間を生かしておいてやるほど甘い国じゃないんだよ。殺すべきなんだよ、絶対に殺さないといけないんだよ」と言うのだった、怖ろしいことを言う人間、怖ろしい思想・認識の男だ・・が、それならば、勤務時間中に酒飲んでベロンベロンになってそれで給料を盗っている新倉は殺さなくてもいいのか? ・・ということになるのだったが、「カウンセラー」新倉によると、それはいいらしかった。
夜と霧 新版 - ヴィクトール・E・フランクル, 池田香代子
夜と霧 新版 - ヴィクトール・E・フランクル, 池田香代子
  うちの父親は私が高校3年の時、「東大に行くのなら東京で下宿してでも行ったらいいし行くべきやし、下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行く値打ちがあるけれども、そんなもん、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたら、そんなアホ大学に行くのに東京で下宿してまで行く必要あらへん。そもそも、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらに行くようなやつが大学に行くのが間違っている。そんなやつは全員、自衛隊に入れたるべきや、自衛隊に。甘ったれるなあ!」と言っていたものだった。「自衛隊に入れたるべきや」というのは、それは戦中の「学徒動員」の考え方から来ていたのではないかと思うが、うちの父親は私が高校3年の時にはそう言っていたのだった。だから、その基準で考えるならば、新倉の息子というのは亜細亜大だったかに行っていたらしいので、新倉の息子こそ「そんなやつ、『大学』に行くのが間違ってる。そんなやつ、自衛隊に入れたるべき」であり、それが嫌だと言うのならば新倉が言うように「そういう人間は殺さないといけないんだよ」ということになるはずだったのだ。何より、新倉の息子だけではなく新倉自身もまた亜細亜大だったか拓殖大だったかの出身だと本人から聞いたので、そんな「大学」に行くような「甘ったれたやつ」というのは新倉自身の発言を基準に考えるならば「そういう人間は絶対に殺さないといけないんだ」ということになるはずだった。東大・京大や早慶あたりに行った人間が1年や2年留年しようが休学しようが、新倉の息子が行った「大学」だの新倉自身が卒業した「大学」だのに行った人間がくそどあつかましくも「大学」に行くことを考えるならば、東大京大や早慶に行った人間が1年や2年、あるいは3年や4年、もしくは5年や6年、留年しようが休学しようがどうってことないはずだ・・が、新倉自身の基準を適用するならば間違いなく「殺さないといけない」人間のはずの新倉は生きていて日吉台学生ハイツでベロンベロンに酔っ払いながら「ソ連がだなあ」などと言って入居者にからむという「仕事」をして「カウンセラー」として給料を盗っていたのだった( 一一)
  私にしても、浪人してしまった時、「浪人してしまった」ということがショックだったが、しかし、新倉の息子の話を聞き、新倉や新倉の息子が亜細亜大だかに大きな顔して当たり前みたいに行っているということを知ると、東大・京大などに行った人間でなくても目指した人間が10年浪人しようが20年留年しようが30年休学しようが〔実際はそんなにしない方がいいけれども。又、留年については、慶應大は1学年1年までで計4年まで、東大は教養課程2年・学部2年までで計4年まで、京大・関学・早稲田大は全体で4年までという制限があったので、留年は4年を超えては制度上、できなかったが〕、新倉や新倉の息子に比べればよっぽど優秀であり、そんなもの、いちいち気にするようなものではないと実感した。

  さらに。日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉は、「いいかねえ。男は女よりもエライんだよ。どうしてか、わかるかねえ」と私に言うのだった。ま~たまた、変なこと言いだしやがった・・とうんざりしていると、「いいかねえ、男はねえ、女とは違って強姦することができるんだよ。強姦することが。女には強姦するということができないんだよ。男は女と違って強姦することができるという点で女よりもエライんだ。これは精神分析学者の何たらの学説なんだ。わかったかねえ」と言うのだった( 一一)
  マア、「精神分析学者」なんてものは、そんなもんだ。小此木啓吾の同類がアホなこと言うておったのだろう。そもそも、日吉台学生ハイツの入居者というのは、なんで、こういうヨッパラーの寝言を聞いてあげなければならないのだろうか。疲れるわあ・・・

  そして、さらに。ある日曜日、私が東京都内の日本キリスト教団のある教会に行って帰ってきたところ、日吉台学生ハイツのロビーに「カウンセラー」の新倉がいたのだ。新倉が「〇〇く~ん。どこに行ってきたんだねえ」と言うので、今から考えてみると、その頃の私は実に無防備で・実におぼこく・実に馬鹿正直だったのだが、「◇◇にあるキリスト教の教会に行ってきました」とそのまま言ってしまったのだ。大学生というものは内村鑑三とか矢内原忠雄とかそういった人のように、また、そういう人の集会に参加した学生のようにキリスト教を学んだりするものだと私は思っていたので、だから、普通のことで特別のことではないと思い込んでいたということもあった。
  ところが、「カウンセラー」の新倉は私に「それは、いかんな、それは」と言うのだ。「それは、やめた方がいいな」と言うのだ。「どうしてですか」と言うと、「どうしてか、そんなこともわからんのかあ」と言うのです。「わからん」から「どうしてですか」と尋ねたところ、「カウンセラー」の新倉は「原理研・統一協会とか大変なんだよ。そういうものに入った人間はあ」と言うので、「原理研とか統一協会ではありませんよ」と言ったのだ。ところが、そう言うと新倉は「わかっとるわあ!!」と言うのです。わかっていたらいいのではないのかあ?
   「そんなことくらい、わかっとるわあ! わかっておるけれどもだなあ。日本という国は天皇へーかの国なんだよ、天皇へーかの国。天皇へーかの国において、キリスト教の教会に行くなどということが非常識なことだと、おまえはそんなことすらもわからんのかあ~あ!!」と怒鳴りつけられたのだ。
   「賃貸住宅の管理者が入居者に向って、そういう口をきくということこそ非常識だということを、おまえはそんなことすらもわからんのかあ~あ!」と こちらこそ言ってやりたかった・・のですが、「逆らうとうるさい」ので黙っていましたが、日吉台学生ハイツというのはそういう所でした。

  日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉は「我々はねえ、きみたちの親からきみたちを預かっているのだからねえ、だから、きみたちが間違った方向に行かないようにきっちりと管理してやらないといけないんだ」と言うのでしたが、あんたが一番ややこしいんだよお!!! てものでした。
  なんで、おまえに「管理」されなきゃいかんのじゃ・・てものでしたが、ところが、うちの父親は「そうや、その通りや♪」と言って喜び、うちの母親は「管理費を払って飼い犬を預けてるんやから、よお~お管理してもらわんといかん」などと言っていたのでした。日吉台学生ハイツの費用は「部屋代」と「管理費」からなっていましたが、一般の「下宿」とか「アパート」と違って、この「管理費」の部分が高かったのですが、「管理費」というのはエレベーターの運行管理費用とか、トイレやロビー・廊下など共有部分の清掃の費用とか、電話のとりつぎの費用とか、受付・警備の費用とかそういうものを言うと私は認識していたのでしたが、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉はそうではなくて、日吉台学生ハイツの職員が「入居者を管理する」という費用を「入居者から」ではなく「親から」受け取っていると認識していたのでした。
  さらに、「ハイツだより」に、「何何くんがどこそこに就職が決まった、『企業から問い合わせがあった場合にはよろしく』と言われ、快諾した」などと書いていたのだが、「快く快諾した」というのが、そもそも、おかしいのだ。実際に、どういう人間か調べるようなことをする会社というものもあるかもしれないけれども、賃貸住宅の管理者というものは入居者について、この人はこういう人ですよ・・といったことを無暗に人に話していいものではないはずなのだ。
  その頃と今とでは法令は同じではないけれども、不動産屋にしても自分の所が所有している物件でも管理している物件でも仲介しただけの物件でも、たとえ、警察からでも法令により規定されている場合や正当な業務によるものでなければ入居者についての情報を提供してはいけない、それは宅地建物取引業法違反になるものだ。警察官で情報を教えてほしいという人が不動産屋に来ることもある。そういう場合、警察官は警察手帳を見せて自分は警察官だと言うのだけれども、それだけでは情報を教えるわけにはいかない。たとえば、(株)エイブル https://www.able.co.jp/ では、警察手帳を見せてもらったとしても、それはその人が警察官だということを証明するものではあっても、入居者についての情報を教える必要があることを示すものではないので、警察手帳を見せられてもそれだけで開示することはできないし、してはいけないとしていた。警察手帳でその人が警察官だということを証明してもらうとともに、もうひとつ、捜査令状・・でなくても何か、警察の捜査の上で必要としているということを示すものを見せてもらいたいと言い、何かそういうものを見せてもらった場合にのみ情報を提供するというようにしていた。それなら合法であるが、警察手帳だけ見せられても、すべての警察官がなってないということではないとしても、中には警察官だということから情報を獲得して犯罪行為をおこなう警察官だっていないわけではないのであり、警察官だというだけで情報を提供することはできないし、提供したのでは宅地建物取引業法違反になる。日吉台学生ハイツは何を「快諾」しているんだ? 「快諾」してはいかんだろうが。
  そして、「日吉台学生ハイツ」に書かれていたその人については「快諾した」と書いていたように、尋ねられた時に比較的いいように答えそうな感じだったけれども、もしも、日吉台学生ハイツの職員にいいように思われていなかったとしたならば、その場合には「いったい、何を言いよるやらわからん」ということだ。そういうことになる。

  日吉台学生ハイツの費用は「部屋代」と「管理費」からなっていて、「部屋代」の部分で見ると一般の「下宿」とか「アパート」と比較して特に高くはなかったのだが、「管理費」が一般の「下宿」や「アパート」より高かった。日吉台学生ハイツはうちの父親が「学生ハイツがいいと思うわ」と言って決めたのだが、入居後、「学生ハイツは高くてかなわん」と言うようになったこともあり、それよりも、右翼・反動・軍国主義復活を画策する防衛省・自衛隊の程度の低い人間が運営する施設であり、そこにいると悪影響受ける可能性が考えられるし、それこそ、就職の際にどこかの企業の人間から問い合わせで設けた時には「何を言いよるやらわからん」施設であり、入居者自身が右翼・反動・軍国主義復活論者である人間である場合以外は、そういう所は早めに出た方がいいと考えて、また、日吉台学生ハイツの元防衛省・元自衛隊の程度の低い連中は極力「相手にしない」方がいいと判断して、それでうちの親に「日吉台学生ハイツは金額は安くなくて、あまりいいことないのでもう少し安い所に転居したい」と言ったのだったが、うちの母親は「飼い犬のくせして、飼主が入れている所に文句を言う」と言って日吉台学生ハイツからの転居を認めてくれなかったのだ。

  日吉台学生ハイツには、モルモン教の人とかが「布教」に来たりすることがあったのだが、マンションなどに戸別に訪問するのと同様に中に入って部屋を訪ねる人があって私の部屋に来た人もあったのだが、日吉台学生ハイツではそういう人を入れないようにして、館内放送で「・・の人は出てください。館生の人は相手にしないでください」と言ったりしていた。片方で勧誘されたくないものをしつこく勧誘されるのはうれしくはないが、他方で日吉台学生ハイツの職員に、どういう人に関わっていい、どういう人には関わるなと判別されるというのは、それもおかしいように思えた。
  日吉台学生ハイツでは郵便物は集合ポストがあって、そこに投函されるようになっていたが、元防衛省・元自衛隊の日吉台学生ハイツ運営者は社会党・共産党や民青同盟の人がチラシなど投函するとそれをやめさせようとしたのだった。それでいて、自民党の衆議院議員だった船田元〔船田中の息子。「船田中」は自民党田中派で、「田中派の船田中」というのは《「船」が接頭語としてついている「田中」》かと最初思ったらそうではなくて、「船田」が名字で「中」が名前で、その息子が「船田元」で、「元国会議員のただの人」という意味ではなく「船田」が名字で「元」が名前だった。「慶應大学経済学部卒」だというので「自民党の国会議員の息子で『慶應の経済』卒」てことは内部進学だな・・と思ったら違ったらしく、出身高校は「ウダカ」。栃木県では足利市にある足利高校の略称を「あしたか」と言い、なんで「あしこう」ではなく「あしたか」なんだ? と思ったら足利工業高校というのもあるので「あしこう」と言ったのではどちらか紛らわしいので足利高校の方は「あしたか」と言っていたらしく、宇都宮高校もまた「うこう」ではなく「ウダカ」と言っているようで、その「ウダカ」県立宇都宮高校というのが栃木県の宇都宮地域においては進学校として評価される高校らしいのだが、そこの出身だった。・・で、「日刊ゲンダイ」だったか何だったか忘れてしまったがに掲載されていた「統一協会と関係のある自民党議員一覧」にも名前が出ていた議員だった。〕を日吉台学生ハイツにわざわざ呼んできて日吉台学生ハイツの「会議室」という名称をつけていたと思う部屋で「講演会」を実施し、日吉台学生ハイツは単に住居であり、そこでそんな後援会はしないでほしいと貼り紙を出した人もいたが、そういう反対があってもおかまいなしに自民党の船田元の講演会を館内で実施し、館内放送で「船田元先生の講演会を実施いたします。館生の人は他に用事がない人は会議室の方に行って先生のお話を聞いてください」などと何度も行っていた( 一一)  片方で社会党・共産党・民青同盟の人には郵便箱にチラシを入れさせないようにして、片方で自民党船田元の講演会を館内で実施して、館内放送で「会議室の方に行って船田先生の講演を聞くようにしてください」と何度も何度も言うというのは、それは賃貸集合住宅のあり方としておかしいはずだ。最近、マンションの管理人が集合ポストへのチラシの投函を妨げ、又、集合ポストの所まで行ったということを「不法侵入罪」だなどと警察が主張したりするが、それはこの時の日吉台学生ハイツが社会党・共産党・民青同盟の人のチラシは入れさせないようにして、他方で自民党の船田元の講演会を館内で実施したというものと同じ系列の考え方によるものである。それをわかっていない人は愚かであり、「管理人」はおのれが反民主主義の側に立つ行為をおこなっていることを認識するべきである。
  こういうことを言うと、たとえば、同じ小学校・中学校・高校から「慶應の経済」に行って、その後、兵庫県庁に勤めたらしいS本 彰などは「おまえ、共産党みたいなこと言うなあ」とか言うのだが、自民党というのはこういうやり口をやる政党だということなのか? 「保守」と「反動」は同じではない。こういったことをきっちりと認識して資本制という経済体制のもとで問題点を解決していこうという「保守」ならば保守政党として支持することができても、この程度のことを「共産党か」などと悪口雑言を浴びせるような程度の低い者は「保守」ではなく「反動」であり、何より「慶應タイプの白痴」であり、そのような者とそのような政党というものは支持するわけにはいかない。 自民党というのはこういうやり口が正しいと認識している政党なのか? こういうやり口はいかんのではないかと言うと「おまえは共産党か」と人に言う政党であるのならば、自民党という政党こそ反社会的勢力と言うべきであろう。自民党こそ民主主義に敵だと言うべきであろう。船田元は、このような不当・反民主主義的な講演会にやってきて「講演」した、ということは、その点において反民主主義の側の人間だった、ということになるであろう。違うか?

  日吉台学生ハイツの「カウンセラー」は私には、原理研究会=国際勝共連合=日本統一神霊教会とは何の関係もない日本キリスト教団の教会に行くことを「原理研なんか入った人間は大変なんだ。そういうことはやってはいかんなあ」と言って文句をつけておきながら、おのれはその原理研究会=国際勝共連合=日本統一神霊教会 と関係がある可能性が高いと見られている自民党国会議員船田元を日吉台学生ハイツに呼んで「講演会」をおこない、館内放送で「船田元先生の講演会が始まります。特に用事がない人は会議室に来て講演を聞いてください」と何度も何度も言っていたのだった( 一一)

  日吉台学生ハイツというのは「そういうもの」で、それが防衛省・自衛隊というものだった。

  その後、(株)一条工務店 https://www.ichijo.co.jp/ に勤めた時、同社には「元自衛隊のおっさん」というのがけっこういたのだが、人にもよるけれども「自衛隊の人間てのは程度低いなあ~あ」と思わされる人が多かった。
  1990年代、福島県いわき市の営業所にいた通称「佐藤のじいさん」(愛称「アルツハイマー」「狂牛病」「ウーパールーパー」「ホーリーネーム ジーバカ」)(当時、40代。最終学歴:高卒。元自衛隊員。元不動産屋。霊友会構成員。)は元自衛隊員で、正月になると「俺の息子はまだ10代なのに結婚して子供を作っている。これは少子高齢化対策に貢献してお国のために尽くしているということだ。それに対して、おまえは30代になっているのにまだ独身でいる非国民だ。非国民は少子高齢化対策に貢献してお国のために尽くしている俺に年玉よこせ!」と言い、「待て、コラア! 年玉よこせえ! カネよこせえ。こら待てえ非国民! 非国民はカネよこせえ!」と言ってストーカーとなって追いかけてきた( 一一) 「保護義務違反の一条工務店」は何ら対処してくれなかった。「佐藤のじいさん」の場合は「宗教右翼」と言われる団体の霊友会構成員だったということもあるが、元自衛隊員という点も「非国民はカネよこせえ!」と言った発言、「俺はお国のために貢献しているんだあ」といった発言に影響を与えている。「少子高齢化対策」と称して「佐藤のじいさん」のクローンを拡大再生産されても、はた迷惑なだけである。
  2000年代初め、(株)栃木県佐野市の営業所にいた通称「高木のおっさん」(当時、50代。元自衛隊員。元トヨタカローラ。創価学会員。)も元自衛隊員だったが、「高木のおっさん」は「俺なんか、トヨタカローラにいた時には、会社に出勤すると会社中の女の子の尻を撫でまわしていたぞ。おれは女の尻を撫でまわさないことには会社に出勤したという気持になれねえんだ。俺はそういう人間なんだ」と公言していた( 一一) 
セクシュアル・ハラスメント (有斐閣選書 156) - 瑞穂, 福島, 裕子, 中下, まり子, 鈴木, 雅臣, 金子, 理知子, 池田
セクシュアル・ハラスメント (有斐閣選書 156) - 瑞穂, 福島, 裕子, 中下, まり子, 鈴木, 雅臣, 金子, 理知子, 池田
  そして、「高木のおっさん」は職場において「待て、コラア! 聖教新聞を購読しろお~お! こら、待てえ~え!」と叫びストーカーとなってはてしなく追いかけてきた。「保護義務違反の一条工務店」はこのストーカーをどうも対処してくれなかった。
  「佐藤のじいさん」と「高木のおっさん」は、どちらも「元自衛隊員」で「新興宗教の構成員」で「高卒」であるという共通点があり、雰囲気が似ているのだったが、「カネよこせ、非国民~!」と言って追いかけてくる人、「こら待てえ、聖教新聞を購読しろお~お!」と叫んで追いかけてくる人・・というのは、どっちも疲れる( 一一)  かんべんしてほしいわ、ほんま・・
  「元自衛隊」という人というのは、「人によっても違いはある」けれども、「人によっても違いはある」ということは否定しないけれども、しかし、現実にこんな感じの人が多い! というのは事実だ。

   最近、ロシア軍によるウクライナ侵攻に関して、テレビやYouTube に「元自衛隊」の何何さん・・という人が出て発言しているのを見ると、自衛隊だというわりにけっこうしっかりしていると思える人がいるのですが、それらの人は「佐藤のじいさん」とか「高木のおっさん」とかとは違って、防衛大卒で入隊した幹部自衛官の人だということもあるかもしれませんが、自衛隊の人間でもある程度まともなことを言える人もいるのかもしれません。
  日吉台学生ハイツの職員、「カウンセラー」の新倉など見て、こういう人間が自衛隊ならば、自衛隊という軍隊は存在することで日本国民を守るなどということはまったくなく、むしろ、自衛隊を守るために国民を攻撃するためだけに役立つ存在であり、あっても国民にとってはマイナスはあってもプラスになるものは何もないと、はっきりとわかったのだった。
  しかし、それにしても、やっぱり、自衛隊の募集ポスターを見ると、
「国民を守る」ではなく「国を守る」でもなく、
国家を守る、公務員」と書かれている、
と言うあたりを見ると、
やっぱり、自衛隊というのは戦前戦中の軍隊の良くない部分を今も継続している軍隊なんだ、と思えます。

  ロシア軍によるウクライナ侵攻に関して登場して発言していた「元自衛隊の何何さん」の陸海空3人はけっこうしっかりした発言をしていると思う発言があったのだが、しかし、その一人が「ベトコンの場合は・・」という発言を口にしたのを聞いて、「やっぱり、自衛隊だなあ( 一一) 」と思えた。
  「ベトコン」という言葉はベトナム戦争の時にアメリカ合衆国軍が「ベトナムのコミュニスト(共産党員)」という意味で呼んだ蔑称であり、アメリカ合衆国軍から「ベトコン」と蔑称で呼ばれていた人たちの正式名称は「ベトナム南部開放民族戦線」だったはずで、フランスに植民地とされてきて、戦後、アメリカ合衆国軍がやってきて支配しようとしたベトナムに独立を実現しようとしていた団体であって、中には「コミュニスト」の人もいたかもしれないが、すべての人が「コミュニスト」だったわけではなく、それをアメリカ合衆国軍が「ベトコン」と「ベトナムのコミュニスト」だと蔑称で呼んだ言葉であり、それをベトナム民主共和国とアメリカ合衆国の間でも「関係修復」がおこなわれてきている今日において、なお「ベトコン」という蔑称で呼ぶ、それも、「日本はアメリカ(合衆国)のメカケだからダンナの機嫌をとるのは当たり前」であったとしても、それでも日本は独立国であって、ベトナム戦争はアメリカ合衆国がやっていたのであって日本の企業の工場はアメリカ合衆国軍が使用する兵器やトランシーバーなどを現実に供給していたとしても、それでも韓国軍のように日本の軍隊そのものがベトナムに行って戦争をしていたわけではなかったはずであるにもかかわらず、アメリカ合衆国軍の側に完全に立って「ベトコンは・・」という表現で発言するというあたりは、「やっぱり自衛隊だなあ( 一一) 」という印象を受けた。
戦場の村 (朝日文庫) - 本多 勝一
戦場の村 (朝日文庫) - 本多 勝一
   「日本が言うこときかないなら原爆おとしてやれ」と言う人間が政治家やってる国が隣にあるという事実を踏まえるなら、日本も軍備を備えるべきではないのか、と思えないこともないのだが、それでもやっぱり、実際に自衛隊やってる人間の人間としての程度の低さというものを考えると、自衛隊に武器を持たせると、その武器は敵国にではなく日本国民に向けられるのではないのか?  自衛隊の人間に武器を持たせることこそ日本国民にとって危険ではないのかと不安を覚える。

  最近、YouTube を見ると、自衛隊の音楽隊が「宇宙戦艦ヤマト」の音楽を演奏して、自衛隊が出かける時の音楽だと主張しているが・・、これもまた、『宇宙戦艦ヤマト』をそういう具合に解釈してもらいたくないなあ・・と思うし、そういう解釈の『宇宙戦艦ヤマト』なら、あまり支持したくないなあ・・という気がします。

( ↑ 東名高速道路「足柄」サービスエリア。↑ )
※ 足柄サービスエリア(上り)https://www.driveplaza.com/sapa/1010/1010056/1/
足柄サービスエリア(下り)https://www.driveplaza.com/sapa/1010/1010056/2/

  鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)の「1.火器・弾薬メーカー」「豊和工業・名古屋工場<小銃>」に、
《 その工場からすこしはなれたところにある試射場をみた。写真撮影は禁止だそうである。防音のために、コンクリートに覆われたトーチカ状の建物が百メートルほどつづいている。なかにはいると、小部屋に完成したばかりの小銃が油をよく塗られて数十丁立て架けられていた。その奥が試射場で、ガラスの窓のむこうに、暗い射場がしいーんと横たわり、その突きあたりにライトを浴びて標的が浮かびあがっていた。その日はすでに射撃テストは済んでいたのだった。
「どんな弾を撃つのですか」
  係員が掌に載せてみせてくれた。鋭角状に削られた弾帯はギラッと光った。痛みのようなものが身体を走った。わたしはどうしてか、弾丸の先端は丸いものとばかり思いこんでいたのである。「これじゃたまらない」声にださなかったが、咄嗟にわたしはそうさけんでいた。被害妄想というのかもしれないが、自衛隊の銃や弾丸をみても、撃つことよりも撃たれることを想像している自分に気づくのである。何故なのだろうか。》
と書かれているのだが、日吉台学生ハイツの職員を見て強く不快感を覚えていた私は、この鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)のこの部分の文章を読んで、特に《自衛隊の銃や弾丸をみても、撃つことよりも撃たれることを想像している自分に気づくのである。》という部分について、まさにその通りだと実感した。あいつらに兵器を持たせたのでは、その兵器は「敵軍」に向けられるのではなく「国家」を大義名分にして国民に向けられる可能性は決して小さくない、と日吉台学生ハイツの元防衛省・元自衛隊の連中を見て実感した。

  2年ほど前に日吉台学生ハイツは閉鎖されたようだが、最後の頃、伊藤忠商事の名前がはっきりと書かれていたように思うが、記憶が間違っていなければ、1980年代においても、日吉台学生ハイツは表向きの名称は「日吉台学生ハイツ」であって、元防衛省・元自衛隊の程度の低い人間が運営しているということは入居してから知ったのであり、入居前には「隠していた」のかどうかはわからないが表には出していなかったが、それとともに名称には入れていなかったが、たしか、その頃から伊藤忠商事が経営にかかわっていたような気がする。伊藤忠商事というと、私などは「ロッキード事件の・・」という印象が強く、あまりいい印象はなかった。今、90代になったうちの母親は「息子が『勉強する子』だったから、息子と一緒にずいぶんといろいろな所に行けた」と言ってその点は喜んでいるのだが、夏目漱石『吾輩は猫である』に登場する「くしゃみ先生」は夏目漱石自身がモデルらしい「くしゃみ先生」は「『実業家』よりも中学校の先生の方がえらいと思っている人」で「実業家」というものを「胡散臭い存在」と見ていたようで、私も「勉強する子」だったので夏目漱石といくらか似たような意識でいた。特に「商社」というのは私が中学生から高校生くらいの時期にかけてロッキード事件があったことから「胡散臭い存在」という印象があり、中学校や高校で一緒だった人で商社に就職したがる人というのがいたが、私は逆だった。ところが、うちの父親などはそういうのは気に入らないようで「会社という所に勤めるのを嫌がる人間というのは『モラトリアム人間病』という病気です。病気は治療してやらんといかん、病気は治療してやらんと」と言い、「ロボトミーやったるべきや、ロボトミー♪ 電気ショックやったるべきや、電気ショック♪」とか言って喜んでいました。もしも、「会社という所に勤めるのを嫌がる人間というのは『モラトリアム人間病』という病気」であるのならば、内部進学小此木啓吾こそ、慶應大学医学部助教授という職業について「病院」と「大学」という所に勤めていたのであり、小此木啓吾こそ「会社という所に勤めるのを嫌がる人間」であり「モラトリアム人間病」と「診断」されてロボトミーとか電気ショックとかで「治療」される必要があったはずです・・が、なぜか小此木啓吾は自分については「正常」「健常」「常識」だと「診断」していたのです。勝手な男です。私はそのように「勉強する子」だったので、又、うちの母方の家系は学校の先生が多い家系で母方の祖母なども「勉強する人」が好きという人でしたので、私も商社とかそういう所に勤めるよりも大学の先生か高校の先生か中学校の先生の方がいいと思っていた人間でしたし、そうでなくても、そういった方面の所に勤めたいと長く思ってきた人間で、ロッキード事件があったことからも伊藤忠・丸紅といった会社にはあまりいい印象は持っていなかったのですが、日吉台学生ハイツの運営状況と職員の態度・言動を見て、余計に伊藤忠商事という会社にはマイナスの印象を持ちました。
  鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)では「プロローグー「むつ」佐世保入港の朝」に、
《 (佐世保重工の)坪内新社長の特訓は、つぶれかかった企業の社員の根性を叩き直すことにある。企業をおなじ精神をもった集団に統一する。そんな精神運動が「企業再建のために」おおっぴらにおこなわれだしたのである。》
《 マスコミでも話題を呼んだD2P(ダイナミック・パワーアップ・プログラム)訓練は、対象者を軟禁状態にしての精神改造実習で、それを受けたあと、ある係長が自殺するという悲劇も産みだしている。・・》
と書かれているが、私は高校生の時から心理学・カウンセリングなどに関心を持っていた人間でしたが、慶應大学で「ステューデントカウンセラーズ」というサークルに入ったところ、「なんだ、こいつ」「なぜ、こんな人間がカウンセリングのサークルになんか入っているんだ?!?」と驚くような学生・部員がいました。まがりなりにも、心理学・カウンセリングといったものに関心をもち、そういうサークルに加入しようという人間ならば、人間が自主的に判断して生きることができるように、人から精神支配を受けて動かされるのではなく、自主性と自主権に基づいて動くことができるように考えるものであり、その逆の人間が心理学・カウンセリングのサークルに入っているというのはおかしいであろうと思えたのでした。私はこの鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)で書かれているような《企業をおなじ精神をもった集団に統一する。そんな精神運動》だのといったものには、心理学・カウンセリングを価値があるものと考える人間は当然のことながら反対の立場を取るべきものであり、それがカウンセリングマインドであり、そのようなものに加担したのでは心理学・カウンセリングを土足で踏みにじる行為であろうと思い込んでいたのでした。ジャン=ポール=サルトルは「自己飼育に基づく社会ではなく、自主権に基づく社会」ということを言っており、ジョレス=メドヴェージェフ・ロイ=メドヴェージェフ『告発する! 狂人は誰か』(三一書房)では「精神適応よりも民主主義だ」と語られており、心理学・カウンセリングといったものを志す者ならば、当然、こういう認識を持つものだと私は思い込んでいたのでした。ところが、実は慶應大学のステューデントカウンセラーズの部員には正反対の人間が少なからずいたのでした。
  ステューデントカウンセラーズの「合宿」に行くと、「幼稚舎から慶應」の和田という見るからに軽薄そうな顔をした男が「企業の研修みたいや♪」と言って、カウンセリングなどについてもまともに学んでいない和田らだが下級生を洗脳するためのものが「洗脳型の企業の合宿研修」の類の「合宿」だと主張するので、慶應の内部進学の人間というのは程度低いなあ( 一一) ( 一一) ( 一一) ・・とあきれた、それでは「カウンセリング」のサークルとしては自殺行為ではないか・・と思ったということがありましたが、そのうち、ステューデントカウンセラーズの部員には和田だけではなく、和田と同類が相当多いということに気づいたのでした。彼らは心理学・カウンセリングといったものについて私とは正反対の認識でいたのです。彼らは鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)で書かれている《企業をおなじ精神をもった集団に統一する。そんな精神運動》を「心理学」で「カウンセリング」と考えていたのです。ステューデントカウンセラーズは慶應大学の学生の間で「原理研みたい」と言う人もいたようでしたが、和田らのそのような態度、「洗脳型の企業の合宿研修」のようなものを頻繁におこなっている反民主的な側の「心理学」「カウンセリング」サークル(「心理学」「カウンセリング」のサークルと称して実はその反対のことをやっていたサークル)だったから、そう見られていたのかもしれません。 私が考えていた人間が自主権をもって行動できるための心理学・カウンセリングと彼らステューデントカウンセラーズの少なくない部員の頭と心の中にあった企業が従業員を洗脳して思うままに動かすための精神支配(マインドコントロール)の道具としての心理学・カウンセリングとは「心理学は心理学でも心理学が違う」ものであり、正反対の性質のものだったのです。
  井上清『現代日本女性史』(1962.5.21.三一新書)には、
《 女子労働者が、久しきにわたる人権じゅうりんをはねのけた、大争議として、1954年(昭和29)の近江絹糸紡績労働組合員やく1万人の闘争は、とくに有名である。この会社は十大紡績会社につぐ二流の代会社で、社長夏川喜久次の一門で支配されていたが、時間外労働の強制、その賃金の不払いなど、せんい産業の中小企業によくある封建的な収奪があるばかりでなく、女子労働者の結婚をさまたげる。毎週1回全工員を「仏間」と名づけた広間に集めて、「正信念念仏偈」というお経を読ませ、信仰の自由をうばう。寄宿舎では、工員あての手紙を、会社の労務係がかってに開封する。私物をかってに検査する。工員がおたがいにスパイしあって会社がわに密告すれば、ほうびの金を出す。このようなおそるべき人権じゅうりんがおこなわれていた。
・・・
  近江絹糸とそっくり、あるいはそれ以上の女子労働者の人権じゅうりんは、中小の製糸や紡績・織布会社には、ざらにあった。近江絹糸よりも前、1952年(昭和27)にも、日清紡績の岡崎工場で、手紙の検閲をやめよ、貯金の出し入れの自由、親元に、給料のじっさいをごまかした明細書を送るな、という要求をかかげた争議がおこっている。十大紡のような大資本でも、近江絹糸みたいな封建的な形式はすくなくても、寄宿舎では、「自治会」の幹部を会社がわがだきこみ、舎生の思想・行動をたえず監視し圧迫するということは、どこでも多かれ少なかれ行われている。近江絹糸のたたかいは、このような条件下の女子労働者に、またすべての労働者に、大きなしげきをあたえた。・・・・
・・》
といった話が掲載されている。
  すべての人間が個人としての自由を確立していこうとするものであるカウンセリングといったものを学ぼう・研究しようというサークルであったステューデントカウンセラーズでは、当然のことながら、このような信教の自由を奪い、国民・従業員の個人の精神的自由を剥奪しようとするような動きに対しては反対の立場をとるのが当然のことであるはずであったが、ところが「幼稚舎から慶應」の和田のような内部進学の人間を中心として、その正反対の精神構造の人間というのがステューデントカウンセラーズの部員には少なくなかったのであった彼らはいったい何のためにカウンセリングのサークルに入ったのか。そのような精神構造の人間ならばカウンセリングのサークルになんぞ入らなければいいのではないのか・・と思ったのだったが、そうではなくて、「信仰の自由」というものを個人・労働者・従業員が持つのではなく企業が従業員の思想を指定する自由があるとしようとするようなヤカラ、企業が従業員・労働者・国民を精神支配する道具として「カウンセリング」・「心理学」というものを認識している反民主主義の人間というのが慶應大学には特に内部進学の人間を中心として存在しており、その反民主主義の思想・世界観に基づいて「カウンセリング」もどきをカウンセリングだ心理学だとして広めようとする部員が多く存在していたのだった。企業が従業員・労働者・国民を精神支配する道具として「カウンセリング」・「心理学」というものを位置づけるなら、カウンセリングも心理学もそのようなものは二束三文であり何の価値もない。まがりなりにもカウンセリングを学ぼうという者ならば、そのような動きには反対の立場を取らざるをえないはずであり、それが独立自尊の精神というものではないのかと思うのだが、ところが彼ら「慶應タイプ」はその逆、企業が従業員・労働者・国民を精神支配する道具として「カウンセリング」・「心理学」を考える、そういう姿勢を「独立自尊」などと言っていたのだった。なんともおかしな独立自尊である。
  1980年代、慶應大学ステューデントカウンセラーズでは合宿において「寸劇」と称するエロ劇をおこなわせ、特に二瓶(にへい)という法学部生の男は「寸劇」を利用して新入生の女子生徒の尻を撫でたという。そもそも、なぜ、二瓶のような不良学生が大学に行くのか摩訶不思議である。そんな人間、大学に行く必要ないであろうが。「慶應心理学」と「慶應カウンセラー」はそういう人間を「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか「思考が柔軟」と言って称賛し、それはおかしいではないか、そのような行為は認められてはならないではないかと言うと「受験勉強の悪影響ですね」「思考の硬さが気にかかります」とか「独立自尊の精神があればそのようなことは言わないはずです」とか「自我が確立されていないからそのようなことを言うということですね」とか何とかかんとかくんとかすんとか言いまくるのであるが、彼ら「慶應心理学」と「慶應カウンセリング」は害がある。彼ら「慶應心理学者」「慶應カウンセラー」は反社会的勢力である。「慶應カウンセラー」は、「寸劇」と称して女子生徒の尻を撫でるような上級学年の不心得者の学生のような人間を「アイデンティティーを持っているということですね」と「診断」するのであるが、「慶應義塾のアイデンティティー」とはそういうものを言うらしい。彼らはそういうものを「福沢精神」と言うのであるが、それは実際の福沢諭吉という人が著作で述べたものや生き様とは正反対のものであり、彼らは福沢諭吉の思想と正反対のものを「福沢精神」と叫びまくっている。本来、カウンセリングというものは職場や学校において上級生だといった傲慢な態度で下級生の女子生徒の尻を撫でる権利があると主張する二瓶のような男の被害に会う人間ーこの場合、直接に撫でられた女性だけが被害者ではなく、そのような場に遭遇させられた男女もまた被害者であるのは当然のことであるーの精神的救済のために存在するはずのものであり、カウンセリングとはそのためのものであるはずで、それを自分自身が加害者になる権利があると認識していた二瓶とその追随者はカウンセリングとステューデントカウンセラーズを脱会するべきものであったはずだが、そうではなく、彼らは大きな顔をして存在していた。
  日吉台学生ハイツで「フロアリーダー」というものを何ら選挙をするわけでもなく、立候補者を募集することもなく日吉台学生ハイツの右翼経営者が指定した上で、「フロアリーダー会」というものを月に1回、食堂で食事つきで実施していたが、これは《十大紡のような大資本でも、近江絹糸みたいな封建的な形式はすくなくても、寄宿舎では、「自治会」の幹部を会社がわにだきこみ、舎生の思想・行動をたえず監視し圧迫するということは、どこでも多かれ少なかれ行われている。》というものと同一の傾向のものである。一般に会社の寄宿舎というのは一般のアパートなどに比べて家賃は安いものだが、それに対して日吉台学生ハイツは一般の下宿・アパートに比べて安いというわけでもなく、むしろ、これは証拠までつかんでいるわけでもなく、あくまでも「言われていた」というものだが「フロアリーダー」に選ばれるような防衛省・自衛隊に勤務している人の息子とかは一般の入居者よりも安い金額で入居できていたと言われていた。一般に会社という所においては「企業提携」とか言って、特定の会社に勤務している人には何割引とかいったことは「あること」であり、日吉台学生ハイツが防衛省・自衛隊関係者の息子には一般の入居者よりいくらか安い金額で入居させたということは「ありそうな話」であり、その一般の入居者より安い金額で入居している者などが「フロアリーダー」とされ、「〇◇▽号室の人がフロアリーダーです」などと勝手に決められてしまっていたのだった。「フロアリーダー」に決められていた人というのは防衛省・自衛隊関係者の息子以外にもあったかもしれないが、一般入居者の立場からすれば。そいつに「リーダー」になられる筋合いはないのであり、そのあたりについて日吉台学生ハイツの経営者と「フロアリーダー」になっていた者は認識を間違えていたと言わざるをえない。
  企業の「寄宿舎」の場合は、そこに入居せざるをえない条件がある場合があり、そうでなくても「社宅」「寮」などは一般の賃貸住宅よりも安い場合が多く、寮・寄宿舎は住居費は無料である場合があり、無料であっても実質、先に給与からその分を引いたような金額が給与の金額にされている場合もあるだろうが、いずれにしても、企業の寄宿舎・寮というのは全体としてはそこの会社に勤めていることによって給与を得ているから「寄宿舎」に住んでいるのに対して、日吉台学生ハイツは入居者は日吉台学生ハイツの経営者から給料もらっているわけではなく、日吉台学生ハイツが入居者からカネをもらっているのであり、そうであるにもかかわらず、不良企業の不良寄宿舎のようなことを日吉台学生ハイツはやっていたのであった。
  その際だが、「カウンセラー」の新倉(にいくら)は「我々はきみたちの親御さんから費用を出してもらっているのだから」と言い、「だから、親御さんのためにきみたちを指導しないといけないから」とか言って、そのような大義名分のもとにおかしな「指導」をしようとするのだったが、そいつのその「指導」が一番問題があったのだ。 この日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉の言い分というのはYMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」の「主事」の藤井(男。1970年代後半当時、40代後半か50代前半くらい?)の言い草と共通するものがあった。藤井は「俺たちはあくまでもきみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてもらってないんやからな。心得違いを起こしてはいかんぞ。我々はきみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんだからな」とクラス全員の前で公言したのだったが、たとえ予備校の費用を親が出していたとしても、親は息子・娘の役に立ってもらうために予備校の費用を出しているのであり、それを予備校の職員に「俺たちはあくまでもきみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてもらってないんやからな。我々はきみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんだからな」などと言われたのでは、それならばYMCA予備校というのは予備校としての価値はないことになるではないか。〔だから、そんな予備校は、大阪に駿台・代ゼミ・河合塾といった予備校が進出してくるとあっという間に淘汰されて、その頃は大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校、横浜市に関内と菊名の2校あったものが今では1校もなくなったようだが。〕ところが、うちの父親は藤井がそのような勝手な文句を言ったことに対して、「そうや♪ その通りや♪ ええ~えこと言いはる。さすがはクリスチャンや♪」などと言い、「YMCA予備校にカネ払っているのはあくまでも親であって、予備校は親のために働くものであって、生徒のために働く筋合いはないんや♪ 予備校は生徒のために働く筋合いはないんや♪」などと言って喜んでいた。アホや! 日吉台学生ハイツもまた同様で、たとえ日吉台学生ハイツの部屋代・管理費を親が出していたとしても、親はあくまでも賃貸住宅としての費用を出しているのであり、新倉に「カウンセラー」と称しておかしな「指導」をされるために費用を払っているのではないのだ。ところが、うちの父親は「日吉台学生ハイツの館長さんがおっしゃるように、『親に感謝』じゃ、『親に感謝』。わしに感謝、わしに感謝、わしに感謝、感謝、感謝」と言って右翼反動日吉台学生ハイツ館長を称賛していた。かつ、うちの母親は「管理費はらって飼い犬を預けているんやから、よお~お、管理してもらわんといかん」と言ったのだった( 一一) よくそういうことを言うと思ったが、うちの親というのはそういう親だった( 一一) 日吉台学生ハイツの「管理費」というのは共用部分、廊下・トイレ・共同浴場・エレベーターなどの清掃費用、エレベーターの運行費用、部屋の水道代、空調費用、電話の交換業務の費用、集合ポストの費用などのことを言うもので、日吉台学生ハイツの職員が入居者を「管理」する費用ではないはずだったが、ところが「カウンセラー」の新倉(にいくら)は日吉台学生ハイツの職員が入居者を管理する費用だと認識して管理しようとしていたのだった。ひとを「管理」しようなどと考えるあたりは人間として品性下劣であるからそのようなことを考えるのであるが、右翼・自衛隊・防衛省のヤカラというのはそのような品性下劣な人間の集団である。なんで、俺たちはこんな程度の低いヤカラに「管理」されなきゃならんのだ、と入居者は思い、強く不快感を持つのだったが、ところがうちの親は「管理費払って飼い犬を預けてるんやから、よお~お、管理してもらわんんといかん」などと言うのだった( 一一) そう思っている親がいると思うからこそ余計に新倉らはズに乗るのだった( 一一)

  「自我」とか「アイデンティティー」という用語もまた、極めていいかげんな使い方がされています。アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で、「何でも専門用語で述べれば一般用語で述べる場合よりも話の内容までも高級になるわけではない」と述べているがその通りであり、むしろ、「心理学」「精神医学」「精神分析学」といったものにおいては「専門用語」を使用することで、「専門用語」を使う者が無茶苦茶言っても正しいかのようにまかり通ってしまうところがある。又、「専門家」とか「セラピスト」「心理学者」「精神科医」と称するイカサマがそれらの者の言い分が常に正しく、それらの者は常に「正常」「健常」「常識」「成熟者」であり、「患者」「来談者」「クライアント」「相談者」は常に「病人」「異常」「未成熟」「不適応」の側だと勝手に決めつけるのに便利になる。裁判でも本人訴訟をやっている人間には本人訴訟をやっている者を困らせようとして、裁判官が一般用語で十分表現できるものをあえて専門用語で話し「法律用語」のジャルゴンの森に引きずり込むことで負けさせようとすることがありますが、同様に「心理学者」「精神科医」「カウンセラー」「精神分析家」「セラピスト」等等を名乗る者どもまた、「専門用語」と称する寝言を使用することで「言うことをきかす」ようにしようとする、そのために「専門用語」というものが存在するという面が間違いなくあります
  私はもっともっと警戒心を持たないといけなかったところが、今から考えると実におぼこかったようで、もっと良心的なものかと勘違いして、1980年代、慶應大学の「学生相談室」という所に行ったこともあったのですが、その時に、「カウンセラー」と称する慶應大学文学部講師のおばさんTさんの言うことが、どうも、おかしい・・と思うようになったのでしたが、Tさんの言う「自我が確立されている」という概念というのは、私が考えていた「自我が確立されている」とは正反対のように思えたのです。慶應という大学は「一木一草に塾風が宿る」みたいな(気色悪い)大学で、今から考えてみると、慶應という大学の教員には大学だけ行った人間が入学前に思っていたよりはるかに大きい割合で内部進学の人が占めており、Tさんも内部進学だったようで「(慶應の)内部進学の『心理学者』」なんて『そんなもの』」だったようで、そのあたりについての警戒心が私は不足しすぎていたのですが、アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズは『(「精神医学」という)狂気の思想』(新泉社)で「大学の使命は『最高の自我とは自我を持たぬことだ』と学生を騙して信じされる昼間病院になることか」と述べていますが、慶應大学の「学生相談室」とその「カウンセラー」「心理学者」がやっていることというのは、まさにそれです。慶應大学の「学生相談室」もまた、「自己飼育に基づく社会」を奨励するのか「自主権に基づく社会」を目指すのか、「精神適応」を要求するのか「精神適応よりも民主主義」を目指すのかという時、「自己飼育に基づく社会」「精神適応を要求する社会」に加担するための「心理学」であり「カウンセリング」もしくは、カウンセリングもどき をやっていたのです。国民にとって、彼ら「学生相談室」と「心理学者」「カウンセラー」は害があると判断せざるをえません。
  日吉台学生ハイツのロビーにかなりどぎついエロ本の自動販売機が設置されていたのも、若い人にそういうものを読ませることで、自ら考える精神態度を奪い、社会に対して批判的な視点で考える思考力を奪い取ることが目的であったと思われます。又、「カウンセラー」という名称をつけて、その人こそが問題があると思われる人を勤務させていた、というのもまた、入居者から独立心・真の意味での独立自尊の精神を剥奪しようということでのものだったと思われます。

  鎌田慧『日本の兵器工場』(1983.10.15.講談社文庫)では「プロローグー「むつ」佐世保入港の朝」には、
《 工場から外へむかっての監視態勢の強化は、当然、内側の管理強化をもたらす。「秘密の厳守」は、コンピュータ・センター内部の限界に通じているし、「危険の防御」は原子力発電所の秘密性と結びついている。そこで働く人びとの思想は点検され、労働運動は解体される。まして、経済的な危機にともなって企業防衛が強く打ちだされると、なおさらのことである。佐世保重工の労働組合「労愛会」は、それまでも労使協調の模範的な組合だったが、坪内体制がはじまったあとでの執行部選挙では、職場で、現場長、工長などの職制が、
「会社と対立する者が組合に出ると銀行が融資しなくなる」
「反執行部が通れば再建できない」
などと露骨な宣伝をおこなった。
候補者の写真入りの選挙公報には、現職執行部のうえに〇印をつけ、「これが正解」と赤マジックで添書して、投票所付近に貼りだされたりした。》
と出ている。日吉台学生ハイツでは「フロアリーダー」と称する者を何ら選挙などすることなく立候補したい人の募集もおこなうことなく、日吉台学生ハイツの運営者が一方的に選任して「この部屋の人がフロアリーダーです」などと日吉台学生ハイツの運営者が宣言し、私などは「なんだ、これは??」と思い、又、「フロアリーダー会」などというものを日吉台学生ハイツの地下1階の食堂で開催して、お食事を提供してもらっていた連中を見て、「おまえら、それで大学生なのか?!?」「おまえら、そんなものを受け入れて、それで大学生として恥ずかしくないのか」とも思ったが、元防衛省・元自衛隊の日吉台学生ハイツ運営者がやっていた「フロアリーダー」の一方的専任もまた、戦前戦中・軍国主義の時代の「翼賛選挙」や佐世保重工が労働組合の執行部選挙に際して《候補者の写真入りの選挙公報には、現職執行部のうえに〇印をつけ、「これが正解」と赤マジックで添書して、投票所付近に貼りだされたりした》のと同系統のものでしょう( 一一)
  たしかに、「日本が言うこときかないなら日本に原爆落としてやれ」とか言っている人間が政治家やってる国が隣にいるということを考えるならば、日本もまた軍備を整えないと、いつ攻めてくるかわからない、領土についても「日本は返してもらう方だけだから」などと甘いことを考えていてはだめで、ロシア連邦という国は「ロシアには北海道に権利がある」とか言っている人間が政治家やってる国で、「固有の領土」を基準に国境を考えようなどとはロシアに言ってもだめで、ロシアにとってはウラル山脈より東はすべて侵略戦争で奪い取った領土であって「固有の領土」ではないのであり、常に拡大しようとしているということを考えるならば、平和主義とか言ってられない・・という面もないとは言えないのだろうけれども、他方において日吉台学生ハイツの運営者だった元防衛省・元自衛隊の連中などを考えるならば、彼ら防衛省・自衛隊の人間に武器を持たせたとしても、彼らはそれを「国民を守る」ために使うのではなく、「国家を守る」という大義名分のために国民にその武器をむけるのではないのか? ・・という疑問・恐怖を強く感じるのだ。
日本の兵器工場 (講談社文庫) - 鎌田慧
日本の兵器工場 (講談社文庫) - 鎌田慧
  実際のところ、日吉台学生ハイツの新倉(にいくら)ら職員を見ると、彼ら防衛省・自衛隊の人間に武器を持たせるというのは国民にとって危険であるのは明らかであり、まさに「きちがいに刃物」である
※ 「きちがい(気違)に刃物」危険の極めて多いことのたとえ。(新村出編『広辞苑 第二版』岩波書店)
「気違(きちがい)に刃物」たいそう危いことのたとえ。気ちがいに刃物を持たせたのではなにをしでかすかわからない。なんのかかわりもない人を襲って殺傷するのは気ちがいのすることだが、そのような気ちがいは必ず刃物をもっている。気ちがいは刃物をほしがるが、刃物が人を気ちがいにかりたてることもある。(折井英治編『暮らしの中の ことわざ辞典』1962.9.20.集英社)
・・実際、防衛省・自衛隊の人間には《気ちがいは刃物をほしがる》という言葉がまさに当てはまるような人間がいる。
  また、武器というものは、その人間の身の程・その人間の実力に合った武器を持つのがふさわしく、最近でもニュースを見ていたところ、単にカッターナイフを持っていただけの人間に何人もの警察官がいたにもかかわらず、拳銃で銃撃を加えて重傷を負わせたというような記事があったが、警察官というのはカッターナイフ程度のものしか持っていない人間が相手ならば、室内ならば椅子・机など、屋外なら看板など、それもなければ警棒で防いで、その間に他の警察官が取り押さえるということくらいはできないとおかしいはずなのだ。警察官が拳銃をもっていてもそれを使用していい場合と使用してはいけない場合というのは法律で決められていたはずで、単にカッターナイフ程度のものしか持っていない人間1人を相手に警察官が5人だったかもいて、警察官の方は警棒も持っているはずで、何よりも警察官というのは剣道・柔道のどちらかについて初段以上は取得することが義務づけられていたはずであり、その点で世間平均の人間よりは格闘技だってできるはずであり、それをカッターナイフ程度のものしか持っていない人間に何発も銃を発射して重傷を負わせたというのは、それは傷害罪に該当する行為であろう。なぜ、そういう行為を警察官がおこなったかというと、ひとつにはその人の身の程以上の武器を持っていたということが原因としてあると思われる。簡単に拳銃を発射するような男に警察官だからと拳銃を持たせるのが間違っている。沖縄県でバイクで普通に道路を走っていた青年の眼を警棒で殴って片目を失明させた警察官がいたというあたりを見ると、警棒を持たせることすらも危ないくらいの警察官がいる。武器というものは、その人間の身の程に合ったものを持つようにするべきで、それから考えると拳銃を持たせるのは危険と思われる警察官がいるし、日本の防衛省・自衛隊の人間というのは、↑ の日吉台学生ハイツの右翼反動のバカどもを見ても、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた「佐藤のじいさん」を見ても栃木県の佐野営業所にいた「高木のおっさん」を見ても、あいつらに武器を持たせるのは危なっかしくてたまらない。


【3】東名高速道路「東京料金所」のパーキングエリア?
  首都高速道路渋谷線と東名高速道路の境目は「用賀」だと思っていて、それは間違いではないのだけれども、東京都世田谷区用賀 の「用賀」料金所で首都高速道路渋谷線と東名高速道路が接続されるものの、もうひとつ、神奈川県川崎市宮前区南平台 というあたりに「東京料金所」というものがあって、この「用賀料金所」と「東京料金所」が紛らわしいのだ。
  紛らわしくても、その付近で一般道に降りたり乗ったりしなければ大した問題でもなさそうなのだけれども、「用賀料金所」と「東京料金所」が同じものみたいに思っていたものにとっては、↓
DSC01407.JPG
はて、これ ↑ はどっちだっけ? ・・と思ったりする。
  写真はクリックすると拡大されるので拡大して見ていただくとわかるが、「東京料金所」と書かれているから、川崎市宮前区の「東京料金所」の方みたいだ。
「東京料金所 Tokyo TOLL GATE 」と書かれている。
英和辞典をひくと、
toll (名詞)使用税、料金《 通行税・橋銭・渡船賃、高速道路通行料、;市または縁日の地代・場代;港湾の荷積料・荷揚料;鉄道運賃・運河運賃など。》(『新英和中辞典』研究社。)と出ている。 
  念のため、誤解されないようにきっちりとお断りしておくが、↑ の写真は決して運転中に撮影したものではなく、駐車して車外に出た上で撮影したものだ。どこに駐車したかというと、↓
DSC01406.JPG
↑ 左の白い箱状の建物はトイレだ。 その右のあたりに駐車スペースがいくつかある。これはミニパーキングエリアなのだろう・・と思って駐車させてもらってトイレを使わせてもらったのだ。
  しかし、『県別マップル 神奈川県道路地図』(2019. 6版。昭文社)を見ても、『街の達人 首都圏 便利情報地図』(2018. 2版 昭文社)を見ても、「東京料金所」の場所に「パーキングエリア」とか「P.A.」という表示はないのだ。な~んでだ?
  駐車スペースは狭く駐車可能台数は少ないけれども、現実にここに駐車してトイレを利用している人はいるのだ。だから、ミニパーキングエリアだとばっかり思って、前にトイレを使わせてもらおうと思って来た時には駐車スペースがすべて埋まっていて停める場所がなかったのでやむなく「港北」パーキングエリアまで走って「う〇こ」したのだったが、危なかった。やっぱり、高速道路利用者の緊急事態のためにパーキングエリアと「う〇こどころ」は設置されているのだから、「東京料金所」パーキングエリアはもうちょっと駐車可能台数を多くしてもらえないものだろうか・・・なんて思ったものだった。

  しかし、はたして、ここは「パーキングエリア」なのだろうか?  そうじゃないと言われても、「出もの腫物、所かまわず」と言う言葉があるように、「う〇こ 出る~う 」という時に、「次のパーキングエリアをご利用ください」なんて言われても、そこまでもたない状況においては、やはり、運転者の緊急事態においては、そんなこと言ってられないのだ。普通自動車第一種免許を日吉自動車学校に通って取得した際にも学科教習で「危険を避けるためなら何をやってもいい」と教えられたのだ。だから、緊急事態においては「何をやってもいい」という基準から考えるならば、「なぜ、そこのトイレを使用するのか?」と尋ねられても、ヒラリーというチョモランマ(エベレスト)に登頂したイギリス人だったかが言ったように、「それは、そこにあるからだ」ということになる。教習所でも「危険回避のためなら何をやってもいい」と教えられたのだから。
  ・・・だが、やっぱり、ここって「パーキングエリア」なのだろうか? 違うのなら何だろう。

  このトイレの後ろあたりに小道があって、そこを登っていくと、↓
DSC01408.JPG
↑ 「トイレのご利用は8㎞先 港北P.A.で!」
なんて書いてあるけれども、こんな歩行者しか通れない小道の出入口にそんな看板を設置されても、歩行者に8㎞も走っていけというのか? 8㎞も走っていかなきゃ使えないトイレまでもつわけないだろうが。それなら、そのへんで、しょんべん でも う〇こでもやるぞお~お・・となるのではないか。 そうじゃなくて、この小道の下に先ほどのトイレがあるのだから、そこを使えばいいだろうが。
  もしも、「トイレのご利用は8㎞先、港北P.A.で!」と「東京料金所」のどちらかの側に看板を立てるのならわからないこともないが、この位置に立ててもしかたないだろう・・と思う。思いませんか?
  ここを出ると外はどんな所なのだろう? と思ったが、まだまだ走って行かなきゃならないので、ここで外を見学している時間はなかったので、ここより外には行かなかったが、地図を見ると、少し南に「東名川崎」インターチェンジがあり、電車の駅では東急田園都市線「宮前平」駅が南東方向に直線距離で見て1㎞少々の場所にある、その中間あたりに宮前区役所があるという所だ。
  この小道は何のためにあるのか・・という問題だが、ここを降りていくと、下の ↑ のトイレの横あたりに「東名向ヶ丘」という高速バスの停留所があるのだ。 その高速バスに乗るための人の出入口のようだ。だが、それならば、「トイレのご利用は8㎞先、港北P.A. で!」なんて掲示をされても、乗った高速バスが港北パーキングエリアで停車しなければ意味ないではないか。その前に、バス停のすぐ脇にトイレがあるからには、普通はそこを使うだろう。

  どうも、よくわからない・・・が、使っちゃだめだあなんて言われても、もう使っちゃったもん。
このトイレは高速バス利用者と「東京料金所」の職員のためのものだったのだろうか。そうは言っても、現実に多くのドライバーがここにクルマを駐車させてトイレを使っている。トイレの他には何もない「パーキングエリア」だけれども、それでもやっぱり、ドライバーにとって緊急事態宣言が発令された時には「う〇こ もらす」ことを回避するためには停めて使うよ。
  道路地図には掲載されていないけれども、インターネットで検索すると「用賀パーキングエリア」というのはあるみたいなのだ。
※ 用賀パーキングエリア https://www.shutoko-sv.jp/parking_area/pa/?id=1427363541-984763

  ・・今もよくわからないのだが、東名高速道路(下り)の「東京料金所」のすぐ西の ↑ は何人もが現実に駐車してトイレを使っているのだけれども、あれはパーキングエリアではないのだろうか。

( ↑ 東名高速道路 「東京料金所」 )

  今回、多賀大社(滋賀県)参拝と特に関係があるわけでもないが、その往路・復路でのことなので、多賀大社参拝の[9/9]ということにもしておこう。
  (2022.11.21.)

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
(YAHOO! ニュース)https://news.yahoo.co.jp/articles/fa7158d2903e2c9dba0e89a9e8f03a78fcc20af7
【速報】千葉の強盗致傷 自衛官逮捕 狛江女性殺害きっかけ
1/20(金) 19:12配信
FNNプライムオンライン(フジテレビ系)
千葉・大網白里市で起きたリサイクルショップの強盗致傷事件で、逮捕された運転手役の男は、23歳の自衛官だったことがわかった。
捜査関係者によると、1月12日に、大網白里市で起きたリサイクルショップの3人組による強盗致傷事件で、逮捕された運転手役の男は、陸上自衛隊に所属する自衛官(23)だったことがわかった。
千葉県警は、この自衛官の男の携帯電話を解析したところ、東京・狛江市の強盗殺人事件の被害者・大塩衣与さん(90)の住所と、強盗に入るという旨の情報があったことがわかっている。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
怖いわあ、自衛官てのはほんまに怖いわあ。日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉(にいくら)を見て、こんなやつが自衛隊だとしていても国民にとってはマイナスになることはあってもプラスになることは絶対にないと確信したが、↑ の事件を見ても、自衛官なんてのに武器を持たせると、まさに「きちがいに刃物」というのか「強盗に武器」というのかになってしまう危険が小さくない。
  (2022.1.20.)

☆ 多賀大社(滋賀県犬神郡多賀町多賀)参拝。
1.名神高速道路「多賀」サービスエリア。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
2.「多賀」S. A.より近江鉄道「多賀」駅へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_2.html
3.「多賀大社前」駅から絵馬通りを経て多賀大社へ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
4.鳥居・太鼓橋・愛宕神社・秋葉神社・御神門(表門)・手水舎・神馬舎。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
5.拝殿・本殿。旧中山道から多賀道に入る場所に一の鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_5.html
6.神輿庫・鐘楼・日向神社。「高耐久性ブス」より「美人薄明」を選んだ瓊瓊杵尊 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_6.html
7.天満神社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html
8.多賀大社から多賀町役場前・胡宮神社前を通り「多賀」サービスエリアへ https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_8.html
9.観覧車と入浴施設がある刈谷パーキングエリア・パーキングエリアなのかよくわからない東京料金所パーキングエリア・「国家主義を守る自衛隊」募集のポスターのある足柄サービスエリア。〔今回〕 

昭和史 新版 (岩波新書) - 茂樹, 遠山, 彰, 藤原, 清一, 今井
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