金目山 光明寺(平塚市)参拝【4/4】文殊普賢堂・水琴窟・阿弥陀堂。光明寺から「平塚」I.C.より小田原厚木道路へ。自宅を出て戻るまでが巡礼。一日一寺もしくは一日一社が基本。「さんたんたる鮟鱇」になりたくない。
[第977回]
神奈川県平塚市南金目(みなみかなめ)の金目山光明寺(天台宗)(坂東33観音霊場第7番)参拝の4回目です。
仁王門をくぐり、正面に本尊の聖観音像を祀る観音堂(観世音本堂)があり、その左奥に大聖歓喜天を祀る歓喜堂があります。その歓喜堂に向って左手前に、↓


↑ 文殊 普賢堂。
現地の説明書きには、
《 文殊菩薩は正しくは文殊師利菩薩といい大乗仏教の菩薩の中で最も智慧の勝れた菩薩とされています。「三人寄れば文殊の智慧」というのはこのためです。非常に端麗な容顔をしておられるのは、童子のように清純で執着のない叡智をあらわしたもので、多くの場合普賢菩薩と共に釈迦如来の左側の脇侍となっています。
そして右手に智剣を持ち、左手に経巻をとり、蓮華上に座して、獅子に乗っておられます。これは獅子奮迅の徳をあらわしたものです。頭には五智の宝冠を戴き、さまざまな願いを聞き、特に智恵を願う者には智恵を授け、受験合格の願いをかなえて頂くことができます。
普賢菩薩は、文殊菩薩と共に釈迦如来の右脇侍となり、理・定・行の徳をつかさどるといわれています。また普賢菩薩は衆生の命を延ばす徳を持っているので延命菩薩ともいわれます。白象に乗り合掌して蓮華上に座し、女性のように優しく美しい顔立ちをしておいでになります。
普賢とは「仏の慈悲の極み」という意味で、観音様のようにさまざまな力を持っておられます。この菩薩の延命の徳を頼って、長命を願うものにはその願いがかなえられます。
なお特に文殊菩薩は卯年生まれの人、普賢菩薩は、辰年、巳年生まれの人の守り本尊として信仰されます。》
と書かれています。
受験合格の神さんは菅原道真=天神 かと思ったら文殊菩薩もそうだったらしい。模擬試験で「人事を尽くして天命を待て」なんていう文章があったが、あれは文殊菩薩にお願いしろという意味なのか。
福井県敦賀市 に「ふげん」という原子力発電所があった。《日本国産の炉形式で新型転換炉と呼ばれ、原型炉段階にある。世界初のプルトニウムを本格的に利用する炉であり、MOX燃料の燃料数も772本と世界最大である。》(《ウィキペディアーふげん》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%92%E3%82%93 )というものだったが、2022年8月に廃炉されたようだ。《ふげんの命名は仏教の普賢菩薩に由来する》ようだが、普賢菩薩からすれば迷惑な命名だったであろう。

原発のウソ (扶桑社新書) - 小出裕章

東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命 - 広瀬 隆
文殊普賢堂の右側(北側)は憩堂。
仁王門を入って右手、手水舎の手前の右に水琴窟 がある。↓

これまで、何か所かで水琴窟の音を聴いてきたが、「ああ、そんなもんか」みたいなものが多かったが、ここの水琴窟はなかなかいい音がする。
水琴窟の前を右(東)に進み、

↑ 「通用門」をくぐって左手に、↓

↑ 阿弥陀堂。
この阿弥陀堂の右(南)に寺務所があり、御朱印はそこでいただける。
光明寺の参詣者用駐車場から北に進み、信号がある「観音橋入口」交差点、山口屋の前の交差点を右折して東に行くと、左手にウェルシア薬局とセブンイレブンがあります。そのまま東に進むと、右側に金目川が見えてきます。さらに東に行くと、「吾妻橋」という交差点があり、南に金目川を渡る吾妻橋がありますが、そのまま直進すると前に小田原厚木道路の高架が見えてきます。小田原厚木道路の手前を左折すると小田原厚木道路の「平塚」インターチェンジに入れます。小田原厚木道路を北向きに進むと、厚木インターチェンジで東名高速道路に合流できます。もし小田原厚木道路の手前で左折せずに直進すると平塚市と大磯町の境目付近に出るようです。
今回は、「平塚」インターチェンジから「厚木」まで無茶苦茶時間がかかった。高速道路というのは、いったん事故があると、パトカーを通すのも大変だし、移動させなきゃ通れないし、移動させるためのクルマを通すのが大変だし、横道に入って別の所に行こうと思ってもインターチェンジまでは出れないしで、それらの点が一般道よりも負担があるようです。
今回は、東名高速道路の「秦野中井」インターチェンジから行き、帰りは小田原厚木道路の「平塚」インターチェンジから帰りましたが、最も近いインターチェンジから行こうとするならば、小田原厚木インターチェンジの「平塚」インターチェンジから行って往復するのが近いかと思います。今回は帰りは小田原厚木道路は無茶苦茶渋滞していましたが、いつもではないでしょうから。
山と渓谷社大阪支局編『坂東三十三カ所を歩く』(2003.5.山と渓谷社)に掲載の清水谷 孝尚(浅草寺 貫主)「観音巡礼のこころ」 には、
《 巡礼には、大きく分けてふたつの種類があります。ひとつは「聖地巡礼」。キリスト教やイスラム教は一神教ですから、信仰が始まった場所や昇天された場所など、聖地に向ってまっすぐ歩きます。もうひとつは、本尊さまをお参りする「本尊巡礼」。観音巡礼のように、円環型で何回まわってもよいものです。
座禅や写経などは座る形の信仰ですが、巡礼は歩く信仰です。自分の居場所を離れて旅をする。旅における宗教ともいえます。・・・》
と出ています。
《 観音巡礼は、どこから始めても構いません。札所の番号にこだわらず、行きやすい場所から始めればよいのです。昔のように徒歩巡礼をすすめる方もありますが、最近は交通量が多く危険も多い。そのため私は、心を徒歩において便利な方法でめぐられたらいいと思います。
どんな交通機関を使ってもよいのですが、「霊場に行くだけが巡礼ではない。霊場から霊場に行く間も霊場である」というのが私の主張です。巡礼とは、日常とは違った非日常の時間です。
「私は何のために生まれてきたのだろう」
「これから何をすればいいのだろう」
と、じっくり自分を見つめる時を得られるのです。せっかく与えられた命です。世のため人のために尽くすことはできないだろうか。歩きながら、車に乗りながら、自分について考え直すいい機会になるはずです。そういう意味でも、私はおおいにみなさんに巡礼をしていただきたいと思っています。》
と書かれている。
これはどの本で読んだのか見つけることができないのですが、「寺社の境内にいる間だけが巡礼ではなく、自分の家の門を出てから、自分の家に戻ってくるまでの間が巡礼である」と書かれたものを見たように思います。浅草寺 貫主の清水谷 孝尚さんは《旅行会社のツアーに参加するのもよいものです。》とも書かれていますが、私は「旅行会社のツアー」というのはあまり好きではありません。せっかく、足を運ぶのだから、すべて歩くというのではないとしても、公共交通機関を利用して最寄駅、もしくは最寄りバス停からくらいは歩くようにしたい。自動車で移動する場合でも、自分自身で道路地図を調べて自分で運転して行くのはいいけれども、ひとに乗せてもらって行ったら、どこを走っていったのかわからない。だから、公共交通機関を使って最寄駅から歩くか、最寄バス停からくらいは歩くか、自動車で行く場合は自分で運転して行くというようにしたいと思っています。
うちの母親は「息子が『勉強する子』だったから、息子と一緒にいろいろな所に行けてよかった」と言っていますが、私からすれば、むしろ、うちの母親が有名寺社や名所旧跡を訪ねるのが好きな人間だったので、そのために私もそういった有名寺社や名所旧跡に訪ねるのが普通のような人間になりました。1990年代終わり頃、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で栃木県佐野市の営業所にいた時、同じ営業所にいた男性Sさん(30代なかば)が私に「○○さんて、海外に旅行に行ったら教会とかお城とか見学に行くのですか」と言うので、「行きますよ」と言うと、「へえ。変わってますね」と言うのでした。「そうですか。行かないですか」と言うと、「普通はそんなもの行かないですよ。普通は海外に旅行に行ったらやることといったら女しかないですよ。女、買う以外にやることなんて何があるんですか」と言うのでした。Sさんとは仲が悪くはなかったのですが、Sさんはこの発言は冗談みたいな言い方をしていましたが、内容はまるまる冗談ではなかったと思います。なんだか、それでは人間ではないのではないか。村野四郎の詩で「さんたんたる鮟鱇」というものがあり、鮟鱇の吊るし切り を見て、少しずつ少しずつ心が切り取られていって、最後、人間の心をすべて奪い取られるような、もはや、それは人間ではないではないか・・という姿を思い浮かべるというものですが、そういう人が現実にあるように思います。この点で、子供の頃、有名寺社や名所旧跡を訪ねることが好きな母親の息子だったというのは良かったように思います・・・が、しかし、その母親はせっかくそういう息子に育てたにもかかわらず、大学に進学する頃になると「撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ~あ」の父親に息子を渡してしまい、そのため、息子は「わしのために、わしのために。すべてをすべてをわしのために」せっかく努力して身に着けてきたものを踏みつぶされることになりました。母親というのは、父親から息子を守るというのは役割のうちではないのかとも思いましたが、うちの母親はそうは思っていなかったようでした。
うちの母親は有名寺社や名所旧跡を訪ねるのが好きな人間ではあったのですが、思い返してみると、うちの母親と一緒に行った所には観光バスで行った所がけっこうあります。観光バスを絶対に否定まではしませんが、自分の家の門を出てから自分の家に戻ってくるまでが巡礼だと考えるならば、公共交通機関を利用して行った場合と観光バスのツアーに参加して行った場合であれば、観光バスで行った方が限られた時間で効率よく何か所も訪ねることができるという面がありますが、しかし、それがいいのかというと、私はあんまり良いとは思っていません。むしろ、「一日一寺」もしくは「一日一社」を原則とした方がいいのではないか、1日に何か所も行くと印象がぼやけたり混乱したりします。 自分の家を出てから戻って来るまでが巡礼だとするならば、たとえ、訪ねることができる所の数が少なくなっても、観光バスを利用するのではなくできるだけ公共交通機関を利用していくか、もしくは自家用車を自分で運転して行くか、どちらかにした方がいいように思います。
山と渓谷社大阪支局編『坂東三十三カ所を歩く』(2003.5.山と渓谷社)に掲載の清水谷 孝尚(浅草寺 貫主)「観音巡礼のこころ」では、巡礼には「聖地巡礼」と「本尊巡礼」の2つがあると書かれていますが、『西国三十三所観音巡礼の本』(2008.8.15.学習研究社)に掲載の白木利幸「観音と西国巡礼 札所めぐりの前に知っておきたい基礎知識」には、
《日本の巡礼には、本尊巡礼と祖師巡礼に大別できる。
本尊巡礼とは、観音・不動・地蔵・阿弥陀・薬師など、一定の尊格をを礼拝の対象とする巡礼である。観音巡礼がその代表で、その尊格ゆかりの札所数となる。
一方の祖師巡礼では、浄土宗の法然、真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮など、それぞれの宗派の開祖の遺跡をめぐる。宗祖の行動範囲が巡礼の範囲になるので大規模なものも多い。
ほかにも七福神巡拝や十三仏(じゅうさんぶつ)巡礼など、さまざまな巡礼が成立している。近年開創されたもののなかには、花の寺めぐりなど、遊び心をもった巡礼も少なくない。・・・》
と書かれており、巡礼には「聖地巡礼」と「本尊巡礼」があるとともに、「本尊巡礼」と「祖師巡礼」があるようだ。
『西国三十三所観音巡礼の本』(2008.8.15.学習研究社)に掲載の白木利幸「観音と西国巡礼 札所めぐりの前に知っておきたい基礎知識」によると、
《 まずその名称から考えてみると、観音菩薩には2種の梵名(ぼんめい)がある。》と書かれている。
《 梵名をアヴァローキテーシュヴァラととると、「アヴァローキタ(所感・観察)+イーシュヴァラ(自由自在)=観自在」となる。 唐代の玄奘も『般若心経』で「観自在菩薩」と訳している。
一方、アヴァローキタシュヴァラとすると、「アヴァローキタ(所感・観察)+シュヴァラ(音)」であり、これが鳩摩羅什(くまらじゅう)(4世紀)訳の「観世音菩薩」である。なお、観世音が観音と略されるようになったのは唐代のことで、第2代皇帝太宗李世民(たいそう りせいみん)の「世」の字を避けたためといわれる。・・・》
というものらしい。
観世音・観音菩薩という言い方と、観自在菩薩という言い方があるのは、元のルーツとなる梵名が2つあったことによるようです。
観音さん というのは女性なのか・・・と前々から思ってきたが、『西国三十三所観音巡礼の本』(2008.8.15.学習研究社)に掲載の白木利幸「観音と西国巡礼 札所めぐりの前に知っておきたい基礎知識」には、
《 観音はしばしば女性としてとらえられる。たしかに、『観音経』の三十三身のうち7身は女身であり、女神化する要素を内在してはいた。とくに中国では、媽祖(まそ)などの土着の女神と結びついて女性化が進んだ。日本でも、近年は性別を超越した中性などと説明されることがある。しかし、インドでの成立以来、観音は本来、男性の尊格なのである。》
と書かれている。

坂東三十三カ所を歩く (歩く旅シリーズ 古寺巡礼) - 順一, 峰, 織美, 入江, 武仁, 芦沢

観音巡礼の本―西国三十三所 日本最古の霊場1000年の聖域を歩く (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica エソテリ)
これまで、坂東33観音霊場はどこに行ったか振り返ってみると、
東京都
第13番 浅草寺・・東京都台東区浅草
神奈川県
第14番 弘明寺(ぐみょうじ)・・横浜市南区弘明寺
栃木県
第17番 出流山(いずるさん)満願寺・・栃木市出流町
第19番 大谷寺(おおやじ)・・宇都宮市大谷町
千葉県
第29番 千葉寺(せんようじ)・・千葉市中央区
それに、今回の
神奈川県
第7番 金目山 光明寺・・平塚市南金目
で6カ所目の訪問ということになります。
千葉寺は駅名は「ちばでら」ですが寺の名前は「せんようじ」なのか? と思ったのですが、インターネットで検索すると「せんようじ、ちばでら」と書かれたものもあります。

仏教 第2版 (岩波新書) - 渡辺 照宏

日本の仏教 (岩波新書) - 渡辺 照宏

お経の話 (岩波新書) - 渡辺 照宏
(2023.3.4.)
☆ 坂東33観音霊場第7番 金目山光明寺(かなめざん こうみょうじ)
1.「秦野中井」I.C.より金目山光明寺へ。仁王門・摩尼車、金目川と観音堂。観音橋手前より見える富士山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498350921.html
2.仁王門から手水舎・鐘楼・大イチョウ・観世音本堂・観音像と「つりがね最中」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498394165.html
3.大聖歓喜天を祀る歓喜堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498407897.html
4.文殊普賢堂・水琴窟・阿弥陀堂。光明寺から「平塚」I.C.より小田原厚木道路へ。自宅を出て戻るまでが巡礼。一日一寺もしくは一日一社が基本。「さんたんたる鮟鱇」になりたくない。〔今回〕
● [第969回]SeeSaaブログへの移行の御挨拶と平塚市南金目より見た富士山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/495645900.html
神奈川県平塚市南金目(みなみかなめ)の金目山光明寺(天台宗)(坂東33観音霊場第7番)参拝の4回目です。
仁王門をくぐり、正面に本尊の聖観音像を祀る観音堂(観世音本堂)があり、その左奥に大聖歓喜天を祀る歓喜堂があります。その歓喜堂に向って左手前に、↓
↑ 文殊 普賢堂。
現地の説明書きには、
《 文殊菩薩は正しくは文殊師利菩薩といい大乗仏教の菩薩の中で最も智慧の勝れた菩薩とされています。「三人寄れば文殊の智慧」というのはこのためです。非常に端麗な容顔をしておられるのは、童子のように清純で執着のない叡智をあらわしたもので、多くの場合普賢菩薩と共に釈迦如来の左側の脇侍となっています。
そして右手に智剣を持ち、左手に経巻をとり、蓮華上に座して、獅子に乗っておられます。これは獅子奮迅の徳をあらわしたものです。頭には五智の宝冠を戴き、さまざまな願いを聞き、特に智恵を願う者には智恵を授け、受験合格の願いをかなえて頂くことができます。
普賢菩薩は、文殊菩薩と共に釈迦如来の右脇侍となり、理・定・行の徳をつかさどるといわれています。また普賢菩薩は衆生の命を延ばす徳を持っているので延命菩薩ともいわれます。白象に乗り合掌して蓮華上に座し、女性のように優しく美しい顔立ちをしておいでになります。
普賢とは「仏の慈悲の極み」という意味で、観音様のようにさまざまな力を持っておられます。この菩薩の延命の徳を頼って、長命を願うものにはその願いがかなえられます。
なお特に文殊菩薩は卯年生まれの人、普賢菩薩は、辰年、巳年生まれの人の守り本尊として信仰されます。》
と書かれています。
受験合格の神さんは菅原道真=天神 かと思ったら文殊菩薩もそうだったらしい。模擬試験で「人事を尽くして天命を待て」なんていう文章があったが、あれは文殊菩薩にお願いしろという意味なのか。
福井県敦賀市 に「ふげん」という原子力発電所があった。《日本国産の炉形式で新型転換炉と呼ばれ、原型炉段階にある。世界初のプルトニウムを本格的に利用する炉であり、MOX燃料の燃料数も772本と世界最大である。》(《ウィキペディアーふげん》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%92%E3%82%93 )というものだったが、2022年8月に廃炉されたようだ。《ふげんの命名は仏教の普賢菩薩に由来する》ようだが、普賢菩薩からすれば迷惑な命名だったであろう。

原発のウソ (扶桑社新書) - 小出裕章

東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命 - 広瀬 隆
文殊普賢堂の右側(北側)は憩堂。
仁王門を入って右手、手水舎の手前の右に水琴窟 がある。↓
これまで、何か所かで水琴窟の音を聴いてきたが、「ああ、そんなもんか」みたいなものが多かったが、ここの水琴窟はなかなかいい音がする。
水琴窟の前を右(東)に進み、
↑ 「通用門」をくぐって左手に、↓
↑ 阿弥陀堂。
この阿弥陀堂の右(南)に寺務所があり、御朱印はそこでいただける。
光明寺の参詣者用駐車場から北に進み、信号がある「観音橋入口」交差点、山口屋の前の交差点を右折して東に行くと、左手にウェルシア薬局とセブンイレブンがあります。そのまま東に進むと、右側に金目川が見えてきます。さらに東に行くと、「吾妻橋」という交差点があり、南に金目川を渡る吾妻橋がありますが、そのまま直進すると前に小田原厚木道路の高架が見えてきます。小田原厚木道路の手前を左折すると小田原厚木道路の「平塚」インターチェンジに入れます。小田原厚木道路を北向きに進むと、厚木インターチェンジで東名高速道路に合流できます。もし小田原厚木道路の手前で左折せずに直進すると平塚市と大磯町の境目付近に出るようです。
今回は、「平塚」インターチェンジから「厚木」まで無茶苦茶時間がかかった。高速道路というのは、いったん事故があると、パトカーを通すのも大変だし、移動させなきゃ通れないし、移動させるためのクルマを通すのが大変だし、横道に入って別の所に行こうと思ってもインターチェンジまでは出れないしで、それらの点が一般道よりも負担があるようです。
今回は、東名高速道路の「秦野中井」インターチェンジから行き、帰りは小田原厚木道路の「平塚」インターチェンジから帰りましたが、最も近いインターチェンジから行こうとするならば、小田原厚木インターチェンジの「平塚」インターチェンジから行って往復するのが近いかと思います。今回は帰りは小田原厚木道路は無茶苦茶渋滞していましたが、いつもではないでしょうから。
山と渓谷社大阪支局編『坂東三十三カ所を歩く』(2003.5.山と渓谷社)に掲載の清水谷 孝尚(浅草寺 貫主)「観音巡礼のこころ」 には、
《 巡礼には、大きく分けてふたつの種類があります。ひとつは「聖地巡礼」。キリスト教やイスラム教は一神教ですから、信仰が始まった場所や昇天された場所など、聖地に向ってまっすぐ歩きます。もうひとつは、本尊さまをお参りする「本尊巡礼」。観音巡礼のように、円環型で何回まわってもよいものです。
座禅や写経などは座る形の信仰ですが、巡礼は歩く信仰です。自分の居場所を離れて旅をする。旅における宗教ともいえます。・・・》
と出ています。
《 観音巡礼は、どこから始めても構いません。札所の番号にこだわらず、行きやすい場所から始めればよいのです。昔のように徒歩巡礼をすすめる方もありますが、最近は交通量が多く危険も多い。そのため私は、心を徒歩において便利な方法でめぐられたらいいと思います。
どんな交通機関を使ってもよいのですが、「霊場に行くだけが巡礼ではない。霊場から霊場に行く間も霊場である」というのが私の主張です。巡礼とは、日常とは違った非日常の時間です。
「私は何のために生まれてきたのだろう」
「これから何をすればいいのだろう」
と、じっくり自分を見つめる時を得られるのです。せっかく与えられた命です。世のため人のために尽くすことはできないだろうか。歩きながら、車に乗りながら、自分について考え直すいい機会になるはずです。そういう意味でも、私はおおいにみなさんに巡礼をしていただきたいと思っています。》
と書かれている。
これはどの本で読んだのか見つけることができないのですが、「寺社の境内にいる間だけが巡礼ではなく、自分の家の門を出てから、自分の家に戻ってくるまでの間が巡礼である」と書かれたものを見たように思います。浅草寺 貫主の清水谷 孝尚さんは《旅行会社のツアーに参加するのもよいものです。》とも書かれていますが、私は「旅行会社のツアー」というのはあまり好きではありません。せっかく、足を運ぶのだから、すべて歩くというのではないとしても、公共交通機関を利用して最寄駅、もしくは最寄りバス停からくらいは歩くようにしたい。自動車で移動する場合でも、自分自身で道路地図を調べて自分で運転して行くのはいいけれども、ひとに乗せてもらって行ったら、どこを走っていったのかわからない。だから、公共交通機関を使って最寄駅から歩くか、最寄バス停からくらいは歩くか、自動車で行く場合は自分で運転して行くというようにしたいと思っています。
うちの母親は「息子が『勉強する子』だったから、息子と一緒にいろいろな所に行けてよかった」と言っていますが、私からすれば、むしろ、うちの母親が有名寺社や名所旧跡を訪ねるのが好きな人間だったので、そのために私もそういった有名寺社や名所旧跡に訪ねるのが普通のような人間になりました。1990年代終わり頃、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で栃木県佐野市の営業所にいた時、同じ営業所にいた男性Sさん(30代なかば)が私に「○○さんて、海外に旅行に行ったら教会とかお城とか見学に行くのですか」と言うので、「行きますよ」と言うと、「へえ。変わってますね」と言うのでした。「そうですか。行かないですか」と言うと、「普通はそんなもの行かないですよ。普通は海外に旅行に行ったらやることといったら女しかないですよ。女、買う以外にやることなんて何があるんですか」と言うのでした。Sさんとは仲が悪くはなかったのですが、Sさんはこの発言は冗談みたいな言い方をしていましたが、内容はまるまる冗談ではなかったと思います。なんだか、それでは人間ではないのではないか。村野四郎の詩で「さんたんたる鮟鱇」というものがあり、鮟鱇の吊るし切り を見て、少しずつ少しずつ心が切り取られていって、最後、人間の心をすべて奪い取られるような、もはや、それは人間ではないではないか・・という姿を思い浮かべるというものですが、そういう人が現実にあるように思います。この点で、子供の頃、有名寺社や名所旧跡を訪ねることが好きな母親の息子だったというのは良かったように思います・・・が、しかし、その母親はせっかくそういう息子に育てたにもかかわらず、大学に進学する頃になると「撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ~あ」の父親に息子を渡してしまい、そのため、息子は「わしのために、わしのために。すべてをすべてをわしのために」せっかく努力して身に着けてきたものを踏みつぶされることになりました。母親というのは、父親から息子を守るというのは役割のうちではないのかとも思いましたが、うちの母親はそうは思っていなかったようでした。
うちの母親は有名寺社や名所旧跡を訪ねるのが好きな人間ではあったのですが、思い返してみると、うちの母親と一緒に行った所には観光バスで行った所がけっこうあります。観光バスを絶対に否定まではしませんが、自分の家の門を出てから自分の家に戻ってくるまでが巡礼だと考えるならば、公共交通機関を利用して行った場合と観光バスのツアーに参加して行った場合であれば、観光バスで行った方が限られた時間で効率よく何か所も訪ねることができるという面がありますが、しかし、それがいいのかというと、私はあんまり良いとは思っていません。むしろ、「一日一寺」もしくは「一日一社」を原則とした方がいいのではないか、1日に何か所も行くと印象がぼやけたり混乱したりします。 自分の家を出てから戻って来るまでが巡礼だとするならば、たとえ、訪ねることができる所の数が少なくなっても、観光バスを利用するのではなくできるだけ公共交通機関を利用していくか、もしくは自家用車を自分で運転して行くか、どちらかにした方がいいように思います。
山と渓谷社大阪支局編『坂東三十三カ所を歩く』(2003.5.山と渓谷社)に掲載の清水谷 孝尚(浅草寺 貫主)「観音巡礼のこころ」では、巡礼には「聖地巡礼」と「本尊巡礼」の2つがあると書かれていますが、『西国三十三所観音巡礼の本』(2008.8.15.学習研究社)に掲載の白木利幸「観音と西国巡礼 札所めぐりの前に知っておきたい基礎知識」には、
《日本の巡礼には、本尊巡礼と祖師巡礼に大別できる。
本尊巡礼とは、観音・不動・地蔵・阿弥陀・薬師など、一定の尊格をを礼拝の対象とする巡礼である。観音巡礼がその代表で、その尊格ゆかりの札所数となる。
一方の祖師巡礼では、浄土宗の法然、真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮など、それぞれの宗派の開祖の遺跡をめぐる。宗祖の行動範囲が巡礼の範囲になるので大規模なものも多い。
ほかにも七福神巡拝や十三仏(じゅうさんぶつ)巡礼など、さまざまな巡礼が成立している。近年開創されたもののなかには、花の寺めぐりなど、遊び心をもった巡礼も少なくない。・・・》
と書かれており、巡礼には「聖地巡礼」と「本尊巡礼」があるとともに、「本尊巡礼」と「祖師巡礼」があるようだ。
『西国三十三所観音巡礼の本』(2008.8.15.学習研究社)に掲載の白木利幸「観音と西国巡礼 札所めぐりの前に知っておきたい基礎知識」によると、
《 まずその名称から考えてみると、観音菩薩には2種の梵名(ぼんめい)がある。》と書かれている。
《 梵名をアヴァローキテーシュヴァラととると、「アヴァローキタ(所感・観察)+イーシュヴァラ(自由自在)=観自在」となる。 唐代の玄奘も『般若心経』で「観自在菩薩」と訳している。
一方、アヴァローキタシュヴァラとすると、「アヴァローキタ(所感・観察)+シュヴァラ(音)」であり、これが鳩摩羅什(くまらじゅう)(4世紀)訳の「観世音菩薩」である。なお、観世音が観音と略されるようになったのは唐代のことで、第2代皇帝太宗李世民(たいそう りせいみん)の「世」の字を避けたためといわれる。・・・》
というものらしい。
観世音・観音菩薩という言い方と、観自在菩薩という言い方があるのは、元のルーツとなる梵名が2つあったことによるようです。
観音さん というのは女性なのか・・・と前々から思ってきたが、『西国三十三所観音巡礼の本』(2008.8.15.学習研究社)に掲載の白木利幸「観音と西国巡礼 札所めぐりの前に知っておきたい基礎知識」には、
《 観音はしばしば女性としてとらえられる。たしかに、『観音経』の三十三身のうち7身は女身であり、女神化する要素を内在してはいた。とくに中国では、媽祖(まそ)などの土着の女神と結びついて女性化が進んだ。日本でも、近年は性別を超越した中性などと説明されることがある。しかし、インドでの成立以来、観音は本来、男性の尊格なのである。》
と書かれている。

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観音巡礼の本―西国三十三所 日本最古の霊場1000年の聖域を歩く (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica エソテリ)
これまで、坂東33観音霊場はどこに行ったか振り返ってみると、
東京都
第13番 浅草寺・・東京都台東区浅草
神奈川県
第14番 弘明寺(ぐみょうじ)・・横浜市南区弘明寺
栃木県
第17番 出流山(いずるさん)満願寺・・栃木市出流町
第19番 大谷寺(おおやじ)・・宇都宮市大谷町
千葉県
第29番 千葉寺(せんようじ)・・千葉市中央区
それに、今回の
神奈川県
第7番 金目山 光明寺・・平塚市南金目
で6カ所目の訪問ということになります。
千葉寺は駅名は「ちばでら」ですが寺の名前は「せんようじ」なのか? と思ったのですが、インターネットで検索すると「せんようじ、ちばでら」と書かれたものもあります。

仏教 第2版 (岩波新書) - 渡辺 照宏

日本の仏教 (岩波新書) - 渡辺 照宏

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(2023.3.4.)
☆ 坂東33観音霊場第7番 金目山光明寺(かなめざん こうみょうじ)
1.「秦野中井」I.C.より金目山光明寺へ。仁王門・摩尼車、金目川と観音堂。観音橋手前より見える富士山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498350921.html
2.仁王門から手水舎・鐘楼・大イチョウ・観世音本堂・観音像と「つりがね最中」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498394165.html
3.大聖歓喜天を祀る歓喜堂 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498407897.html
4.文殊普賢堂・水琴窟・阿弥陀堂。光明寺から「平塚」I.C.より小田原厚木道路へ。自宅を出て戻るまでが巡礼。一日一寺もしくは一日一社が基本。「さんたんたる鮟鱇」になりたくない。〔今回〕
● [第969回]SeeSaaブログへの移行の御挨拶と平塚市南金目より見た富士山。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/495645900.html
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