パソコン使えない店長、おばさんと一緒に原稿作りたがる店長。二色刷りで印刷するものをカラーで原稿を作りたがる男。指摘すべきなのに指摘しない事務職員。ちっとも変わらないのに自分がやると「うん。これでよくなった」と宣言して「言った者勝ち」やるおばさん。「ドラフターがあったら書けるんだけど」と建築会社にはもうドラフターはないのに言いまくるおっさん( 一一)
[第978回]
パソコンについての動画をYouTube で見つけた。「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA の「【アニメ】PCをまともに使えない上司→言われた通り、社内のデータを全削除してやった結果w【スカッと】【スカッとする話】【漫画】」https://www.youtube.com/watch?v=LtKY3ijD1sQ だ。パソコンを使えない上役が勝手なことを言いまくり、苦労する話だ。「サムネ」に「昭和上司」などと書かれているが、これはやめてほしい。「昭和」の元号の時代に産まれた人間でも誰もがこの登場人物みたいなものではないし、「平成」生まれの人間でもこんな人間はいる。又、「昭和」の元号は64年間あり、「戦前の昭和」と「戦後の昭和」は全然違うし、「戦後の昭和」も「戦後すぐの昭和」と「ほとんど平成の昭和」は違う。
パソコンの能力がどのくらい必要か・・といっても、その仕事でどのくらいパソコンを使うかにもよるし、又、パソコン学校の講師のような仕事とか、パソコンの特定の技能を使って何かを作成すること自体の仕事と、そうではなく一般的な営業や事務でパソコンも使うという仕事では同じではない。
2000年代のことだが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職支援セミナー」の講師の女性が「今の時代はパソコンが使えないようではだめで、就職したいと思ったら最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできない」と発言した。これはえらいこっちゃ・・・と思ったが、ここで大きな問題がある。「ワード・エクセルくらいは完璧に使えないと」と思って学習するのはいいけれども、「なんとか一通り使える」くらいではなくて「完璧に使える」というレベルにまで習得しようとすると、ワードにしてもエクセルにしてもそうたやすいものではない。
パソコンのワード・エクセルというのは、建築図面における色鉛筆とか音楽における声楽に似ていると思うのだ。建築図面を著色する際に、マーカーとか一般の人間誰でもが使う用具でない特殊なものを使う場合であれば「ともかく使える」くらいのレベルでも、一般の人間が使わないものを使用して作成されたということでそれなりに評価されるものでも、色鉛筆というのは、それ自体は小学生でも使うわけで、それを使って作成するからには一般の人間にはできないレベルのものを作る必要があるし、そうなると色鉛筆は必ずしも簡単とは言えないことになる。音楽においても、バイオリンとかチェロとかの演奏だと誰もが弾けるわけではないが、ともかく一通り弾けるようになれば、「一通り弾ける」というだけでも評価されるが、それに対して声楽、人間の声というものは「一通り歌える」ということなら多くの人間が歌えるわけで、それを評価してもらおうとすると「一通り歌える」ではだめで、そうではなく「その人でないとそれだけ歌えない」というくらいのものでないといけないことになる。ルチアーノ=パバロッティが他界した時に新聞のコラムに載っていた話だが、すでに亡くなった父親が「パバロッティのように歌えたらどんなにいいだろうなあ。あのように歌えたら、世界一の金持ちになるよりよっぽどいい」と話していたというが、そう思われるくらいに歌えてこそ声楽は価値があるわけで、その点において声楽は決してバイオリンやチェロより簡単ということではない。〔⇒《YouTube-Luciano Pavarotti(ルチアーノ=パバロッティ) sings "Nessun dorma(誰も寝てはならぬ)" from Turandot(トゥーランドット) (The Three Tenors in Concert 1994)》https://www.youtube.com/watch?v=cWc7vYjgnTs 〕
しかし、もしも、声楽家として生きていきたいと思うならば、ルチアーノ=パバロッティのレベルで歌えるように努力する必要があるのかもしれないが、そうではなくて「普通の仕事」につくのであればパバロッティと同じレベルで歌えなくてもいいのではないか。同様に、パソコン学校の講師とかの仕事につきたいというのならば「最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないといけない」ということもあるかもしれないけれども、そうではなくて一般の事務とか営業の仕事であれば「完璧に」ではなくて「一通りは使える」くらいでいいのではないか・・と思うのだ。
2004年だったと思うが、ある人材紹介会社の方の所に履歴書・職務経歴書を書いて持って行ったところ、担当の方がそれを見て、「『パソコンは得意ではありませんが現在、学習中です』と書いていますけれども、どう得意ではないのですか」と言われ、私が「厚生労働省委託の求職支援セミナーの方が『最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできない』と言われたのですが、ワード・エクセルともに完璧にというところまで使えませんので」と話したところ、「あなた、真面目だねえ。『得意ではない』と言っても、ワードでこの履歴書を作って、エクセルでこの職務経歴書を作ったのでしょ」と言われるので「なんとか、そこまで作りました」と言うと、「『なんとか』でもここまで作れたのでしょ。パソコン学校の講師とかの仕事に応募するのならともかく、一般の営業とか事務とかの仕事に応募する場合は、これだけできたら『できます』でよろしい、『できます』で。そんなもの、『完璧に』なんて言ったらワードにしてもエクセルにしても『完璧に』使える人なんてどれだけいるかということになりますよ」と言われた。又、その時には「健康状態」の欄に「普通」と書いていたのだが、「これ、『良』ではなくて『普通』にしているのは、どこか身体に悪いところがあるのですか」と言われ、「健康診断で中性脂肪値が高い、尿酸値が高いと言われまして。それから眼が近視で」と言うと「近視と言ってもコンタクトレンズを入れて普通に生活できるのでしょ。そんなもの、あなたくらいの年齢になって中性脂肪値が高いとか尿酸値が高いとか、そういうのが全然ない人なんて珍しいくらいですよ。あなた、本当に真面目な人だねえ。そんなの、よろしい、そんなの。そのくらいなら『良』でいいです、『良』で」と言われた。そういうものらしい。
私の場合は、1990年代から2000年代初めにかけて勤めていた(株)一条工務店 は住宅建築業の会社の中ではパソコンを導入するのが遅かったということがあり、又、住宅建築業の仕事においては、お客様宅にパソコンを持参して、もったいつけて「ちんちろりん♪」とか言わせてパソコンを立ち上げた上でパソコンで説明をするけれども、内容はたいしたことないという人も中におれば、広告の紙の裏でもコピー用紙にでも、ボールペンででもちょこちょこっと書いてわかるように十分に内容あることを説明できる人もおり、そして、建築現場で見ていると、大工には木切れとか梱包用に使われていた段ボールとかに鉛筆でちょろちょろっと走り書きして「こうなんだよ」と説明して見せる人とかがいて、どっちがかっこいいかというと、木切れとか段ボールとかに鉛筆でちょろちょろっと走り書きする方がなんともかっこいい♪ ・・ように思えたものだ。業者でも「うちにCADありますから」とか「CADで作りますから」とか言う人がいたが、CADとかパソコンというのは結論として文房具であり、CAD使わなくても広告の紙に裏にボールペンで走り書きしてでも内容あるものを書けるし、CAD使っても内容のないものがすばらしい内容に変わるわけではないのであり、広告の紙の裏にちょろちょろっと走り書きして「これでどうです」と言う方がかっこいい♪・・ように思えたということもあった。それとともにワードの学習書など見ると「読めない汚い字で書いたものは上司は読んでくれませんからワードは必要です」などと書いてあったのだが、私は「読める字」を書く自信があったし、人から「あなたの字は読みやすい字ですね」と言われたが、それは最初からではなくて相当練習して「読みやすい字」を書けるようにしたのだ。だから、「本人以外は読めない字」しか書けない人、弁護士なんかやってる人間にはそういう字を書く人間がいて、何十万円と受け取って依頼を受けた相手にその「本人以外は読めない字」で書いたものを渡して「これで」とか平気で言うが、「ふざけんな!」てもので、読めるわけないだろうが・・というものだが、私は「誰もが読める字」を間違いなく書く自信があり、かつ、それは何の努力もしないで身に着けたのではなく相当の努力の結果として「誰もが間違いなく読める読みやすい字」を書けるようになったのだという自負があり、それなのに、なんで「読めない字」しか書けない人に必須のワードなど学習しなければならないのか・・という気持がした。福沢諭吉が『福翁自伝』(岩波文庫)で、幕末から明治初期にかけて、福沢諭吉らはオランダ語が必要だと一生懸命努力してオランダ語を学んだが、ところが明治初期になると、これからはオランダ語ではなくイギリス語の時代だい言われてきて、せっかく大変な努力をしてオランダ語を学んだのに・・・と多くの者が思った、と書いていたが、そんな気持ちだった。「読めない字」しか書かない「ええ根性している」弁護士みたいなやつは、ワードでも学習して読めるようにしやがれ・・てものだが、私の場合は努力して「誰もが読める字」を書けるようにしたのであり、「誰もが間違いなく読める字」を手書きで書く練習をした者にとっては、「せっかく努力して練習してここまでできるようになったのに」という気持があった。
・・福沢諭吉の場合は、オランダ語を学んだ者には2通りの対応をする者がおり、ある者は、これからはイギリス語の時代だといっても日本語に翻訳されたイギリス語の本は(その時代においては)ほとんどないがオランダ語に翻訳されたものは多いので、これからはイギリス語の時代であったとしてもオランダ語を学んだ者はオランダ語に翻訳されたイギリス語の書物を読めばいいのだから、これからはイギリス語の時代であったとしてもオランダ語は役に立つから、だから、新たにイギリス語も学び直さなくてもオランダ語で対応すればいいという考え方で、それも一理あるけれども、福沢諭吉はそうではなくて、せっかくオランダ語を努力して学んだけれども、これからはイギリス語の時代だというのならイギリス語も新たに学ぼうと考えてイギリス語を学ぶことにしたそうで、それでイギリス語を学習してみると、オランダ語をある程度以上学んだ者にとってはイギリス語を学ぶのは思っていたよりも学びやすかったということだった。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
福沢諭吉のことはさておき、私は「読めない字しか書けない人」ならワードを学ぶ必要はあるだろうけれども、私は「読めない字しか書けない」という人間ではないから、だから「読めない字しか書けない人」と同様にワードを学ぶ必要はないのではないのか・・・と思ったりもしたのだが、ところが、そうも言ってられない世の中になってきたので、しかたなしに学習した。
今現在では、パソコンに関係する能力認定資格では、
ワード3級・2級(サーティファイ)、
エクセル3級(サーティファイ)、
建築CAD検定3級・2級(AutoCADで受験)(建築CAD連盟)
に合格したので、これだけ合格すれば、まあ悪くない方ではないか・・・と思うが、ところが、それ以外にもパソコン関係ではさまざまなものがあるので、すべてを完璧になんてできるわけないとしても、もうこのくらいでいいにしてよ・・という感じがしてくる。エクセル2級は学習うぃおやり始めたからエクセル2級は合格までたどりつきたいと思うが、もう若くもなくなったことだし、それ以上はいいかなという気がしている。
まず、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職支援セミナー」の講師の話というのは、必ずしも適切ではないものが少なからずあったように思う。「完璧に」なんて言ったら、ワードにしてもエクセルにしても、相当いろいろな機能があるわけで「完璧に」使える人なんて、上記の人材紹介会社の人が言われたように、いったい何人いるんだ・・ということになる。
愛知産業大学の建築学科の通信課程で、CAD1というスクーリングによる講座では、講師の方はAutoCAD の学習書の著者でもある方だったが、「AutoCAD の機能は相当いろいろな機能がありますから、私だってすべての機能を完璧に使えるわけではありません」と言われたのだが、実際そうだろう。学習書を執筆しているような人だって「完璧に」なんて使えてないのだ。
そもそも、一番の問題として、ワードにしてもエクセルにしても「完璧に」というくらいマスターしようと努力して学習するのはいいとして、「完璧に」マスターできるようになるまで、いったい、どうやって食べていくのか・・ということがある。「完璧に使えないと就職はできない」なんて言われたら、「完璧に」マスターする前に食べていけなくなって死んでまうわ・・・ということになる。
・・だから、結論として就職支援セミナーの講師の言うことなんて、ほどほどに聞いておくようにした方が良さそうだ・・ということのようだ。しかし、パソコンはできた方がいいし、ワード・エクセルくらいは「完璧に」までは必要ないとしても「一通りは」くらいは使えるようでないと職場で嫌がられることになる可能性が考えられる。この場合、「一通りは」というのがどのくらいなのか、という問題が出てくるが、それはケースバイケースで考えるしかないかと思う。
私は、基本的な考え方として、パソコンはできた方がいいけれども、パソコンというものは文房具であり、文房具を使う能力がどのくらいかということを第一に人を評価するのはおかしいと思っていたし、今も思っている。
森川英正『日本経営史』(1981.1.13.日経文庫)には、
《 (「学卒」者の管理者的人材の充足として)三菱会社と三井物産に次いでは、明治11年(1878年)暮に慶應義塾を卒業した村井保固を、翌年(1879年)5月に森村組が採用し、ただちにニューヨークに派遣したのが早い事例です。森村組は、森村市左衛門が、明治9年(1876年)、特産工芸品の直輸出を目的として設立した商社です。森村は、福沢諭吉に慶應義塾卒業生の推薦を依頼し、福沢が村井を送り込んだのです。
森村組の条件は、「第一健康、第二英語が達者なこと、第三簿記が出来ること」の三つでした。村井は、「語学と簿記は不得手の方です」と言って、福沢から「馬鹿野郎、実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と大喝され、悄然とします。当時、慶應義塾、商業講習所、三菱商業学校は企業からの求人を争う関係にあり、村井が条件にあてはまらぬとなると、せっかくの求人を他校卒業生に奪われます。福沢は、それが残念で叱ったのでしょう。
村井は、あらためて福沢を訪ね、「森村さんは偉い人と聞くが、英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論します。福沢も村井の意気込みを評価し、あらためて森村と交渉した結果、村井の森村組入社が決まったのでした。》
といった話が掲載されています。

日本経営史 - 森川 英正
ほかに、石ノ森章太郎の『ホテル』というシェラトンホテルかヒルトンホテルがモデルかと思われるホテル業について描いた漫画で、松田さんというベテランのホテルマンが、パソコンが導入されて対応できず悪戦苦闘する姿を見て、あれでは・・と思う人も出るけれども、ホテルマンとして熱心に働いてきた松田さんの勤務姿勢を考えるならば、パソコンというのはしょせんは文房具であり、新しい文房具が出てその使い方をなかなか習得できない人がいても、その仕事に対しての熱意があり、その仕事に尽力してきた人は、新しい文房具の使い方を習得するのに時間がかかったとしても、それはしょせんは文房具なのだから少しずつできるようになっていけばいいではないかといった話が出ています。
また、『ホテル』には、ホテルの繁忙期に東郷ゼネラルマネージャーの頼みで引退していた元ホテルマンのじいさんたちに来てもらうと、パソコンはわからないし、ボールペンではなくて短い鉛筆がいいというしで、こんなじいさん、役に立つわけないだろうと思っていたら、何十年間、ホテルマンとして勤務し続けてきた人の能力というのはそうではなかった、という話が出ています。外国人宿泊客には「サンキ べリマ」と言うが、それは本で学習したのではなく、何十年間とホテルの入口に立ち続けて、ホテルに来場する外国人が口にする文句を耳で覚えたものを口にすると「サンキューベリーマッチ」ではなく「サンキ べリマ」になり、それが通じる。若手ホテルマンの赤沢は感心するという場面があります。
そんなもので、パソコンが使えなくても、その仕事に経験と熱意がある人は十分に貢献できる・・・ということはあるでしょうけれども、しかし、それでもパソコンはできた方がいい。・・・先の森川英正『日本経営史』(1981.日経文庫)に掲載の村井保固さんの話にしても、私は自分自身が今はパソコン関連の資格として、先に述べたように、ワード3級・2級、エクセル3級(サーティファイ)、建築CAD検定3級・2級 に合格した上で言っていますから、このくらいパソコン関連の資格試験に合格した上で言うならば、「それはそうだろう」と思ってもらえるのではないかと思うのですが、そうでない状況でうかつに言うと「パソコンが使えないからそんなこと言っているのか?」と受け取られかねず、その発言がマイナスの評価を受けることにつながりかねません。
それで・・・、結論として、「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」という考え方は基本的な考え方として間違っていないと思いますが、「英語はどのくらいできますか」ときかれて「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と言ってしまうと、「要するに英語はできないのだね」と受け取られてしまう危険があるのでうかつにこの文句は言えないのですが、しかし、基本的な物事の考え方としては間違いではないと思うし、又、パソコンについては「しょせんは文房具」であり、文房具は使えた方がいいけれども、文房具を使う能力だけが大事ということではなくて文房具を使う能力以外にも大事なものはあるというのも間違いではないはずだと思います。
しかし・・・・。
● パソコン学校の講師のような職業の募集である場合は別として、パソコンの能力を第一に人を評価するべきではない。
● パソコンはしょせんは文房具であり、文房具を使う能力以外にも大事な能力はあるはずだ。
・・というのは間違いではないのですが、しかし、それはそうだとしても、その文房具を使う能力において、「かんべんしてくれよお」と言いたくなるケースというのもまた、現実にあるのです。
【1】 2008年、千葉県八千代市に本社がある、「建築もやるけれども売買の不動産業が中心」という東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の千葉市花見川区の花見川店にてのこと。
店長の田中(男。当時、60歳)はパソコンをまったく使わない・使えないということではなかったのですが、得意でもなかった。
同社は従業員1人に1台のパソコンは用意していなかったので、何人かで1台のパソコンを使うしかなかったのですが、私ならば自分がパソコンで作業していて他の作業をやりたいという場合は作業中のものを「保存」した上で「閉じる」という措置をした上で他の作業をしますし、していたのですが、田中はそうではなくて自分がパソコンで何かの作業をしていると、作業途中で画面をそのままにした上で他の作業をやります。
そのため、少しくらいなら待つのですが、相当長きに渡って他の作業をやるので、田中が作業中のものを閉じていいのか、「田中さん、これは『保存』して『閉じる』にしていいのですか」と言っても返事しない。それでは「保存」した上で「閉じる」べきか、「保存しない」で「閉じる」べきかわからない。それで、しかたなしに「最小化」して、その上で私がやらなければならないパソコンでの作業をすると、田中は戻ってくると、「おい。こらあ! おれのがないじゃないかあ。いったい、どうしやがった。どこにやりやがった、この野郎! 何しやがる。いったい、何てことするんだ、この野郎!」と叫びまくるのです( 一一)
「そこにあるでしょう」と言っても、「ないじゃないか。どこにあるんだ。何しやがる、この野郎! いったいどうしてくれるんだあ!」と叫びまくるのです( 一一)
・・・それを見て、たしかに、パソコンは「しょせんは文房具」であり文房具の使い方が優秀かどうかを第一に人を評価すべきではないとは思うけれども、
「最小化」⇔「元に戻す」
もできない人というのは困りもの・・であり、かんべんしてくれよお・・・・と思いました、ほんと( 一一)
【2】 そのくらいならまだいいのですが、田中は新聞に折り込みで入れるチラシの原稿を、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の輪転機で二色刷りに刷るチラシの原稿をパソコンでカラーで作成するのです。「カラーで印刷するチラシの原稿ならカラーで作った方がいいでしょうけれども、二色刷りで印刷するチラシの原稿なら原稿も二色で作成するようにした方がいいと思いますよ」と私が言って教えてあげても「うるせえ! この野郎」と言ってきかないのです。
なおかつ、誰と一緒に作るのかというと、住宅建築業の経験があり慶應大学商学部卒で商業学・マーケティングなど学んできた私と一緒に作ろうとは絶対にしないで、井上さんという事務のおばさん(女。当時、40代)と一緒に作りたがるのです。なんで、そんな人と一緒に作りたがるの? と思うのですが、”” おばさんと一緒に作りたがるバカバカしいおっさん”” というのは会社という所にはいるのです( 一一) ( 一一) ( 一一)
又、営業の場合は、実際問題としてパソコンはあまり得意ではないけれども営業として動き回るのは嫌いではないというタイプの人というのが現実にいるのですが、そういうパソコンは得意ではないという営業の人がいても何とかやっていけるようにということもあって事務の人が各店にいるという意味合いもありますから、ですから、東海住宅(株)のような会社の店においては事務の人というのは営業の職種の人間以上にパソコンの能力は強く求めらる立場です。だから、井上は田中が二色刷りで印刷する予定のチラシの原稿をカラーで作成したがっているのを見れば、私が田中に指摘したのと同じように、「田中さん、カラーで印刷するものの原稿ならカラーで作成するべきですが、二色刷りで印刷するものの原稿は原稿も印刷する予定の色2色で作成するべきですよ。そうでないと、カラーで作成した原稿を2色で印刷するときれいに印刷されないことが少なくありませんよ」と言うべきですが、ところがその事務の職種の人間として言うべきことを言わないでそれを言えないで、「おばさんと一緒に作りたがるおっさん」の相手をしておっさんを喜ばせている。 それでは事務の職種の人間としての役割を果たしていることになりませんが良心的ではない態度です。東海住宅(株)での田中の上役はその頃は常務取締役でその後、社長になった「人相と眼つきが悪いい大澤」でしたが、大澤は建設部担当の取締役であったのなら、田中と井上がそういうおかしなことをしていることを見ていないといけないし、見て状況を把握して注意しないといけないはずでした・・・が、「人相と目つきが悪い大澤」はそれができない( 一一) それをできない・できていないということは、大澤は職務怠慢もしくは無能のどちらかと言わざるをえません・・が、その「職務怠慢もしくは無能のどちらか」の人がそれから少しして社長になりました。
それで、田中は一緒に営業をしている私と一緒に作成するのではなく、私が何を言っても「うるせえ。この野郎」と言ってきかず、あくまでも、おばさんと一緒にカラーで作成した「二色刷りで印刷するチラシの原稿」を私に渡して、「これを輪転機で印刷してこい」と言うので、「印刷しますけれども、カラーで作ったものの原稿を二色刷りにすると、うまく印刷できない可能性がありますよ」と言っても、「うるせえ」と言ってきかないのです。
東海住宅(株)では、花見川店と同じ千葉市花見川区ですが別の場所の建物に輪転機を置いていましたので、その別の場所に行って輪転機でカラー刷りの原稿を二色刷りにしてみましたが、やっぱり、うまく印刷できません。当たり前です。輪転機の機能で出来る限りのことはやってみましたが、無理なものは無理です。
それで、田中に電話を入れて、「やってみましたけれども、カラーで作成した原稿を二色刷りできれいに印刷しようとしても、どんなにしてもきれいに印刷はできませんから、パソコンで原稿を作り直さないといけませんから、一度、花見川店に戻ってパソコンで原稿を作り直したいと思います」と言いました。田中はどう言ってもどうしても二色刷りで印刷するものの原稿をカラーでおばさんと一緒に作りたがる、要するにおばさんと一緒に遊びたかったのですから、その人が造ったカラーのものを基にして私が二色刷りの原稿を作り直すしかありません。二度手間・・というよりも、最初から私が二色刷りで原稿を作っておけばよかったのであり、その分の田中とおばさんとの給料は無駄な支払いでしかありません。
ところが、田中は「うるせえ、この野郎。輪転機でなんとかしろ、この野郎」と言うので、「輪転機の機能でなんとかできる内容とは違います。輪転機というのは、元の原稿が全体が薄めのものを濃くしたり、全体が濃いめのものを薄くしたりすることはできますが、濃い部分を薄くして薄い部分を濃くしたりすることはできません。原稿が輪転機で二色刷りするのに適したものになっていませんから、私が作り直して、それから輪転機で印刷するようにしたいと思います」と話したのですが、ところが田中は「うるせえ。輪転機でなんとかしろと言ってるだろう。おまえはその程度のこともできないのか、この野郎。いいかげんにしろお! このあほんだら! この能無し!」と言ってきかないのです。だから、そう言うならしかたがないので「ですから、頭が悪いもんで、できないんですよ。田中さんならできるのならやってみてください」と言ったところ、「なんだと、この野郎! なんだ、その言い草はあ」と言って怒るのです。今から考えてみると、この人のこの病的な態度・対応の相手をするのは私の仕事ではなかったなと思います。
私が「ここにはパソコンがありませんから原稿を作り直すことはできません。花見川店に戻って私が二色刷りに合うように原稿を作り直しますから」と言っても「戻ってくるな、この野郎! いいかげんにしろお! そこで輪転機でなんとかしろと言ってるのがわからねえのか。この野郎!」と叫びまくるのでした。片方でおばさんには「井上さん、申し訳なかったにぇえ~え」とか気色の悪いネコナデ声だして、それでいて、私にそう言って怒鳴りまくるのでしたが、そういう相手をしてあげることに対しての給料は私が東海住宅(株)からもらっていた給料のうちには入ってなかったと今は思っています。
私は「もし何なら、一色刷りにしてはどうですか。カラーの原稿を2色刷りにすることはできないけれども、カラーの原稿をモノクロにするのなら、まだできるでしょうから、一色刷りにするということでいいですか」と言ったのですが、「うるせえ、二色で刷れえ! その程度のこともできねえのか、この能無し野郎!」と怒鳴りつけるのです。しかし、東海住宅(株)の輪転機にはカラーの原稿を二色刷りに変換する機能はない、輪転機にカラーの原稿を二色刷りにする「能」があると田中が思っていたのなら、東海住宅(株)の輪転機は「能無し野郎」であり、私に「この能無し野郎!」などと怒鳴りつけても、輪転機の方がカラーの原稿を二色刷りに変換する能力はない「能無し」である以上は私にどうもできません。 このブログでも、本に製本するということができるのですが、私はBIG LOBE ブログからSEA SAA ブログへ移行する際に、万一、うまく移行できなかった場合も考えて、それまでのものを本に製本しましたが、Mybook.JP ではカラーのものをカラーで製本する方法とカラーのものをモノクロにして製本する方法があり、せっかくカラーで撮ってきた写真が含まれる原稿はカラーで製本したかったのですが、カラーで製本するとけっこう値段がかかるのでモノクロで製本しましたが、カラーの原稿をモノクロにすると必ずしもきれいに写らない場合がありますと断り書きがありましたが、できたものを見るときれいに写っていました。カラーの原稿はカラーで、白黒で印刷するものは白黒で原稿を作成した方がきれいに写るとしても、カラーのものをモノクロで印刷するということは可能なのです。しかし、カラーのものを二色刷りにしようとすると、決してきれいに写らないのです。だから、私は田中に再三にわたって「二色刷りで印刷するチラシなら原稿もカラーではなく二色刷りで作成するべきですよ」と何度も言ったのでしたが、ところが田中は「うるせえ、この野郎」と言ってきかず、カラーで原稿を作ったのです。又、女性事務員の井上と一緒に作ってもしかたがないにもかかわらず、田中はおばさんと一緒に作りたがるのです。井上は井上で、東海住宅(株)では営業の職種の従業員と事務が職種の従業員を採用していますが、営業の職種の人は動くのはいとわないが事務仕事は苦手という人、パソコンはあまりできないという人もいるので、それで事務の職種の人はパソコンはある程度以上できる人ということを前提して採用していたはずですから、井上は事務の職種の人間として「二色刷りで作成するチラシの原稿なら、原稿も二色刷りで作るべきで、原稿をカラーで作って、それを二色刷りにしようとしてもうまくいきませんよ」と、そのくらいのことは言うべきであり、言わずにじいさんの相手をしていたのでは井上はじいさんのお相手をしたことになっても事務員の仕事を人並みに勤めたことになりません。井上は本来なら事務の職種の者は「二色刷りで印刷するチラシの原稿なら原稿もカラーではなく二色刷りで作成しないときれいに印刷できませんよ」と田中に言うのが井上の仕事のはずなのに、それを言わずにじいさんのお相手をして喜ばせて、その結果、私が苦労させられた・・ということについて、今日に至るまで「すいませんでした」の一言がないのですが、この女も変った女ですが、この女の夫も今日に至るまで私に「うちのが迷惑かけましてすいません」の一言がないのですが、この女の夫も社会人としていかがなものかと思います。
結局、ずいぶんと経ってから田中は輪転機が置いてあった所に自分が来て、そして、田中自身がやってみたら、やっぱりだめだったのです。私が言った通りだったのです。そして、何度かやってみて、結局、田中はカラーで作成した二色刷りで印刷するものの原稿を二色刷りで印刷した、どう見ても不自然な、印刷ミスであろうと大半の人間が思うようなチラシを新聞折込で入れることにしたのでした( 一一)
・・・あの ””おばさんと一緒に作りたがるおっさん症候群”” は「精神安定剤」の大量投与(「薬漬け療法」)とかでもすれば治るのだろうか。それとも、電気ショックとかやると「少しはましになる」のだろうか? ・・どちらにしても、ああいうのを相手にするのは私の仕事ではないはずだし、又、井上に東海住宅(株)が払っていた給料というのは、それは””おばさんと一緒に作りたがるおっさん症候群”” の相手をして二色刷りで印刷するチラシの原稿をカラーで作成させるためのものではなくて、「カラーで印刷するものの原稿ならカラーで作成するべきですが、二色刷りで印刷するものの原稿なら最初から原稿も二色刷りで作成するべきですよ」と言うのが事務の職種の人の仕事のはずだったのでしたが、井上は「その程度の人」だったのです。私はしばらく同じ店にいて、この人はそういう人だな・・とわかりましたが、田中は店長でありながら””おばさんと一緒に作りたがるおっさん症候群”” であり、田中の上役にあたる常務取締役の「人相と目つきが悪い大澤」はその状況を把握できておらず、何ら注意もしませんでした( 一一) その大澤がそのうち社長になりました( 一一)
【3】 田中の前に花見川店の店長になっていた大友(女。当時、50代なかば)は「土日祝日は女性は遅刻してきていいと会長が言っている」と言って、土日祝日は始業時刻午前10時の会社で毎度、午前10時40分頃に出勤していました。もしも、「その事業所の従業員全員が同じ条件で土日祝日は始業時刻は午前10時40分」ならばまだいいのですが、男性は始業時刻は午前10時00分で、それより前に出勤して掃除とか準備をしろと「大友ゆうこりん」(仮名)は言うのです。ということは、どういうことかというと、私は午前10時00分が始業時刻とはいえ、「建築の住宅」の会社でも「不動産の住宅」の会社でも、「オープンハウス」といったものを開催するのであれば、午前10時より前から掃除したり準備したりして、そこにおばさんがやってくるということを意味します。
私が午前9時30分前後に出勤して、普段、閉め切っている建売住宅の建物の窓を開けて換気をして、掃除をして、石油ストーブに灯油を入れて点火をして、前に万国旗をかけて、前の道も掃除をして、幟を建てるなどして、駐車場にしていた前の更地の販売区画の雑草を抜いて・・といった作業を一通り終えた頃、1時間以上も私より後から出勤してきた女がやってきて、そして、雑巾を持ち出して玄関の下駄箱の上を「あ、ここ埃が残ってる」と言って雑巾でひと拭きして、そして、「私がここまでやった」と高らかに宣言する( 一一) ・・ということを毎度やるのでした。おまえ、ええかげんにせえよ、ほんまに。ええかげんにせんと、しまいに殴られるぞ・・ということを平気でやるのでした。最初、私が1時間以上かけて一人で掃除して準備してそこまでやったところに、1時間以上遅刻してきた女が雑巾で下駄箱の上をひと拭きしただけで「私がここまでやった」などと宣言するのを見て、「何の冗談や?」と思ったのでしたが、それが大友優子のやり口だったようです。大友優子は「オットが小堀住研で設計課長をやってましたから」というのが「売り」でしたが、最初は自己紹介のひとつとして言っているのかと思ったのですが、あまりにも何度も何度も「もう、それ聞いたよ」ということを言いまくるので、ああ、この人はそれを言うことで自分を高く評価してほしいという人なんだな・・とわかりましたが、「オットがヤクルトスワローズの監督やってました」とか「オットがインドネシアの大統領やってました」とか言ってテレビに出ていたおばさんと一緒で、「『オットが』でしょ。あなたがじゃないでしょ」というものでした。小堀住研(株)では、「大友ゆうこりん」(仮名)がやっていたようなことをやる営業なんて、少なくとも私がいた時に私の周囲には一人もいませんでしたね。そんなことやって通じるわけないだろうが。女は「男なら殴られるぞ」と思われることをやる権利があると心の底から信じている女性というのがいますが大友優子もそれでした。実際、「おまえ、男なら殴られるぞ」と何度も思いました。最近、「女性の社会進出」とか言う人がいるのですが、「女性の社会進出」ではなくて「おばはん帝国主義の侵略」と表現するべきではないのか? ・・という感じの人が少なくありません。「進出」ではなく「侵略」と事実に適した表現をするべきです。ほんと、世の中、何が強いかといって、おばはんほど強いものはないのではないか・・という感じがします。
そして、オープンハウスなんて開催しても1日に1件か2件くらいしか来場はないのが普通なのですが、「大友ゆうこりん」は私が掃除して準備したところに私より1時間以上あとから出勤してやってきて、そして、自分は店長だということで1件目の来場客を接客します。その間、私はその来客の子供の相手をするなどしてあげます。自分がそうしてもらったら、次に来客があった時には自分がしてもらったことを相手にするべきだ・・と思いませんか。ところが、「大友ゆうこりん」はそうではなくて、私が掃除と準備をしたところに遅刻してやってきて1件目の来場客の接客をすると、「それじゃ、私は出かけてくるからね」と言って出かけるのです。それが、一度、そういうことがあったということではなく、「大友ゆうこりん」は毎度毎度それをやるのです。「会長が認めてるから」と言うのです。80代のもうろくした会長にとっては下品なおばはんが「女」に見えるらしく、会長は「おばはん帝国主義」の同盟者だったようです。東海住宅(株)は男性社員の離職者が多く、「レディース営業の店」(その店の従業員全員がおばさんという店。決して「契約者には素敵なおねえさまがピンクサービスやってくれる特典つき」とかではない)だらけになっていましたが、あれでは男は逃げ出します( 一一) あほくさいですからね。会長がそうしていたのです。
さらに、朝、自分が他の従業員よりも後から出勤して、掃除や準備を他の従業員にさせたのならば、夕方、片付ける時は自分はほかの従業員以上に働くべきだと思いませんか。ところが、「大友ゆうこりん」はそうではなくて、夕方、午後5時半頃、東海住宅(株)の勤務時間ではまだ終業時刻よりも前に私に電話してきて、「それじゃ、私は先に帰るから、あと、片付けやっておいてよお」と言うのです。何人もでやっているものなら1人くらい片付けに参加しなくてもできるでしょうけれども、2人でやっても多い量のものを1人で片づけて車に載せて持ち帰れと言われても、とうていできるような量ではないのですが、「大友ゆうこりん」はそれを平気で言うのです。しかし、「大友ゆうこりん」は東海住宅(株)の従業員ですから終業時刻より前に退社していいはずはないのですが、「ゆうこりん」が言うには「会長が女性は土日祝日は遅刻して早退してもいいと言っている」と言うのです。本当に会長がそう言っていたのでしょうか。そして、「大友ゆうこりん」は「女が働くのは大変なんだからねえ」と言うのでしたが、もしも、私が「大友ゆうこりん」が働いてもらった給料で食べさせてもらっていたのなら、そう言われたとしても「どうも、すいませんねえ」くらい言うべきだったでしょうけれども、違うでしょう。そもそも、なぜ「女が働くのは大変」なのか? 「ゆうこりん」よりも若い世代で、結婚して子供があるという女性が片方で「子育て」をしながら働くというのは大変だと主張するのなら、とりあえず、そういう主張は職場の他人の男性に言うのではなくて、おのれのオットに言うべきことでしょう。他人に言われても「知らんがな、そんなもん」てものです。何より、「大友ゆうこりん」に子供はあったのかというと、子供はあったけれども「手がかかる子供」があったのではなくて、「すでに結婚して子供がある子供」があった、「『手がかかる子供』ではなくて『役に立ってくれる子供』」があったのです。「小堀住研で設計課長をやってました」という夫はというとすでに定年退職して年金もらっていたようでしたから、夫が日曜休みで妻が水曜日とか平日に休みだと日曜日の朝早くに出勤しにくいということもあるかもしれませんが、「ゆうこりん」の場合はそうでもなかったようで、それにもかかわらず「女が働くのは大変なんだからねえ」と主張して、土日祝日は遅刻してきて早退して、準備を片付けの両方を私にさせるのでした。大威張りで( 一一) 大友優子は「女が働くのは大変なんだからねえ」と叫ぶのでしたが、そんなに大変なら働いてもらわなくてもいいのだけれどもねえ。そう思いませんか? 私が会長ならそう言いますよ。「そんなに大変なら、別に無理に働いてもらわなくても辞めてもらってもかまいませんよ」と。それを言えない会長というのは、若い頃にどうだったかはわかりませんが、80代だったその頃においては、あんまり賢くなかったようです。だから、男性社員はあほくさいから辞めていき、結果として「レディース営業の店」だらけになるのでした( 一一) 〔しつこいようですが、「レディース営業の店」というのは決して「今、契約された方には、すてきなおねえさまによるピンクサービスがつきます」というお店の意味ではなくて、その店の従業員は全員がおばさんという店のことです。勘違いして「そこで契約しよっかなあ」なんて思ったらあほくさいですよ(笑)〕「オットが小堀住研で設計課長やってましたから」と「ゆうこりん」は言うのでしたが、もしも、自分自身が小堀住研(株)に勤めていたならば、「準備と片付けをしない者、接客するべからず」という原則を理解できるのではないのか・・とも思うのですが、おばさん帝国主義はそれでも理解しないかもしれませんね・・( 一一)
それで・・・・。 「ゆうこりん」はチラシの印刷においても態度は似たものだったのだ( 一一) 「女性は土日祝日は遅刻してきていいと会長が言っている」と言って土日祝日は始業時刻:午前10時00分の会社で業務に特に重要な土日祝日は午前10時40分くらいに出勤し、午前9時30分頃に出勤した私が掃除して準備した所にあとからやってきた上で、おもむろに雑巾1枚持ち出して下駄箱の上をひと拭きして、「あ、ここに埃が残ってた」と言い、おまえ、自分は掃除も準備もしていない者が1人で1時間以上かけて掃除と準備した者にそういう口をきくかあ・・とあきれると、「私がここまでやった」と宣言する( 一一) というそういう女でしたが、「小堀住研で設計課長やってた」というおっさんも、よくあんなのと結婚するなあ・・という気がしないこともないが、チラシの印刷でも同様の態度を取るのだった。
輪転機というのは、印刷の位置の「微調整」というのができることになっているのですが、「微調整」ができるとはいっても完璧にできるわけではないのです。それで、私がやってみて、これが限度かと思って、「少しだけいがんでいますが、何度もやりなおしてみましたけれども、輪転機の性能からしてこれが限度のようですから、これでいいですか」と言うと、「何、言ってんのよお。なんで、そんなものできないのよお」と言うのです。それで、「大友ゆうこりん」がやると、すでに私が何度も何度もやったものは「ゆうこりん」がやっても同じだったのですが、ところが、それで「ゆうこりん」はどうしたかというと・・・。 「うん。これでうまくいった」と宣言したのです。変わらんやろうが、ちっとも。すでに私が何度も何度もやってみてもどうもならなかったものは「ゆうこりん」がやっても当然、結果は同じだったのですが、自分がやったところ、結果はちっとも変っていないか私がやったものより悪いくらいだったのですが、「これでうまくいった」と宣言したのです( 一一) ・・なんだか「言った者勝ち」みたいでした( 一一) 「小堀住研の設計課長」でも私が知っている「小堀住研の設計課長」はそんなことはしなかったのですが、「ゆうこりん」と結婚した「小堀住研の設計課長」の男性はそういうことをする人だったのか、自分はやらないが嫁がそういうことをしても「おめえ、そういうことはやめろよ」と言えない人だったのか・・・。
【4】 2005年のこと。千葉市稲毛区に本社があるリフォームの建築業のウッディホーム(株)https://www.woodyhome.com/ の船橋店にて。 同社には「女性のインテリアプランナー」だかいう人がいたのですが、どうも、最近、住宅建築業ではこういうところで「女性の」というのを「売り」にする人がいて、男性は「男性の」を「売り」にしたりはしないのに、なんで女性は「女性の」というのを「売り」にするのだろうと思うのですが、住宅建築業全般にそんなところがあります。
それで、ある見込客に対して、その女性がある提案図面を作成したのでしたが、ところが船橋店にいた古田部(男。当時、50代なかば)が「ドラフターがないからできないけど、俺だったらドラフターがあったらもっといいものが書ける」と言ってそれにケチをつけるので、ドラフターがなくても書いたらどうなんだ・・と思ったけれども、この人は「ドラフターがあったら書けるんだけど」という条件をつけて、もしも、ドラフターがあったらその時には「☆☆があったら書けるんだけど」と別のものがないからできないと言いだす人なんだろうなあ( 一一) と思いました。「ここがロドスだ。ここで飛べ」てものです。
※ ここがロドスだ、ここで跳べ・・なによりも実際にやって見せよということ。イソップ物語にある寓話で、五種競技の選手が、外国に遠征して帰ってきてから「ロドス島に行ったときには、オリンピックの優勝者でもかなわないほどの幅跳びのレコードをたてた。うそだと思ったら聞いてみてよ」と吹きまくった。すると、ひとりの男が「それが真実なら何も聞いてみる必要はないさ。ここがロドスだ、ここで跳んでみたまえ」といった。大ほらを吹く人間は、人にたずねたり見たりして確かめられないようなことだと、自分のことをひどく自慢するものだ。そんなとき、このことばによってひやかす。
( 折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』1970.4.15.集英社)
だいたいなあ・・・、「ドラフターがあったら」などと言っても、今は多くの建築会社において「ドラフター」てのはもうないのだ。1980年代後半、私が小堀住研(株)に入社した頃は、設計担当者は手書きで図面を作成して、それをCADの担当者がCAD図面に作り直していたし、その後、(株)一条工務店に勤めた時も同様だったが、今では世間一般に、設計担当者自身がCADで図面を作成するのが普通になってきて、多くの建築会社には「ドラフター」というのは、もうないのだ。ないものを「ドラフターがあったらもっといいものを俺は作れるんだけど」と言っても、ないのだ、建築会社にはもうドラフターは。

武藤工業 ドラフター LAJ-1000 A1サイズ
( ↑ 「ドラフター」)
但し、今ではCADで設計する方が普通になってきたけれども、AutoCAD というのは値段が高くて、60万円くらいしたと思う。いわば、悪くない中古の軽自動車くらい帰る値段がするのだ。だから、会社のパソコンには特定の人のパソコンにしかAutoCAD は入っていないということならば、それならば「無料のCAD」であるJw cad で作図するとか、やってみるとういう方法もある。〔私は最初にCADの学習を始めた時、AutoCAD とJw cad の値段の違いにびっくりしたものだ。〕結論として、古田部はCADを使う能力がない人だったわけで、そこで「ドラフターがあったら」と言うようだったが、それならそれで、自分で足付きの「ドラフター」ではなくて持ち運びができる製図版を持参してそれで書けばいいのではないのか・・てものだ。T定規と製図版がくっついたやつ「平行定規」が二級建築士の製図試験で使用することになっていたはずで、私でも持っている。古田部は二級建築士の資格を持っていると何かにつけて主張するおっさんだったから、古田部のようなすでに50代なかばにまでなったおっさんに「二級建築士」と矢鱈と言われると、「なんだ、二級か」と言いたくなる人が少なくないのではないかと思うがそれはそれとして、二級建築士の試験に合格したというのは嘘ではないようだから、自宅にT定規がくっついた製図版、「平行定規」(足つきのものだけでなくて、これも「ドラフター」と言う人もあるみたいだ)を自分のクルマに乗せて持参して書けばいいはずだ。なんで、私でも持ってるもの、私でも使うことがあるものを ””「二級建築士」と何かと言いたがる症候群”” の古田部は持ってきて書かないのだ?

武藤工業 平行定規 ライナーボード UM-06N8 A2
( ↑「平行定規」)
それよりも・・だ。1980年代後半、私が小堀住研(株)に入社して松戸展示場に配属された時、松戸営業課にいた「一級建築士」の石井さん(男。当時、30代)は「ドラフターがないから書けないけど」などとは言わないで、コピー用紙をセロテープで事務机の上にとめて、三角定規を使って普通に図面を書いていたし、私はそのやり方を教えてもらってというのか、そうするものかと思ってそのやり方をマスターしたのだった。石井さんは「ドラフターがあったらもっときれいに書けるんだけどな」くらいは言ったことは一度くらいはあったかもしれないけれども、なかったらなかったで、ケント紙ではなくてコピー用紙でも、ドラフトテープがなければセロテープでとめてでも、製図用シャープペンシルがなければ「普通のシャープペンシル」ででも書いてみせたし、営業の仕事をしていたらお客様宅に行ったらお客様宅には「ドラフター」なんてものはない方が普通なのだ。同業他社の営業はお客様宅で「このようにしてみたらどうでしょうか」と普通にレポート用紙にでも方眼紙にでもシャープペンシルで書いて説明して、「なるほど。そうすればいいんですね」とか納得してもらって契約へ進めるところを「俺はドラフターがあったらいい図面を書けるんだけど、ドラフターがないから」などと古田部みたいなことを言っていたら、契約してもらえるものも失うことになる。

3M スコッチ マスキングテープ ドラフティングテープ カッター付 紙箱入り 12mm×30m 230-3-12
( ↑ 「ドラフトテープ」)
(株)ウッディホーム のインテリアプランナーの何とかさんという女性は、最高かどうかはともかく、1つ、提案の図面を作ったのじゃないですか。その人は曲がりなりにもひとつ作ってみせたわけでしょ。それに対して、ドラフターででも平行定規ででも、もしくは「製図版+T定規」ででも、

ウェーブ HG ステンレスT定規 L HT384
( ↑ 「T定規」)
製図用三角定規ででも、

ステッドラー 三角定規 製図 セット マルス 30cm 964 30
( ↑ 製図用三角定規。)
もしくは「小学校の子が使うような三角定規」ででも、フリーハンドででもいいから、ひとつ、提案図面を作ってみせて、それで「どうだい。俺の作ったものの方がいいのじゃない?」と言うのなら言っても悪くないし、そのインテリアプランナーの何とかさんに、「俺はこういうものを作ったんだけれども、この方がいいてことないですか」と言って伝えるなら、何とかさんにとってもプラスになることだろうけれども、おのれは何ひとつ作らないで「ドラフターがないからできないけど」「ドラフターが・・・」と何度も言いまくる・・・ということは、結局、この人はできないけれども人にできると思ってほしい人なんだな・・・ということになる。私はそれを船橋店にいた事務の某さんに話したところ、「そう思った? 私も『自分は何も作らないで、この人、《ドラフターがあったらできるんだけど》て何を言ってるの』と思った」と言うので、みんな、同じようなことを思うものなんだなあ・・と思った。
最近ではCADで図面を作成する方が普通になってきたけれども、CADを使いながらも、特定のものについては「手書き」で書いた方が見込客・契約客に喜ばれるという場合もあるとは思うし、CADがない場所では「CADがあったら書けるんだけど、CADがないから」と「ドラフターがあったら書けるんだけどドラフターがないから」みたいに言うのもアホだから、そういう場合は手書きで書くべきで、そのドラフターを使って書くのか・平行定規を使って書くのか・「製図板+T定規」で書くのか・製図用三角定規で書くのか・フリーハンドで書くのか、そのあたりはその人のやり方というものがあるだろうから、その人のやりやすい方法でもいいだろう・・としても、ともかくも、何か作成してみせて、その上で「ドラフターがあったらもっときれいに書けるところだけれども、ドラフターがないからこの程度のものだけれども、この方がいいでしょ」と言うのならわかるが、何も自分は作らないで、それでいて「ドラフターがあったらできるんだけど、ドラフターがないから」と何度も何度も言いまくるおっさんシンドローム を見ると、「ああ、この人は実際は書けない・作れない人なんだけれども、できるように人から思われたいから、だから『ドラフターさえあったら』と言いまくる二級建築士症候群の人なんだな( 一一) 」と思うだけだ。だから、そういう「ドラフターがあったら書けるんだけど」と実際には作成しないで言いまくる・・などというあほくさい真似はしない方がいい・・と思うのだが、古田部ののような ””「ドラフターがあったら書けるんだけどドラフターがないから」とそれをやらなきゃおれない二級建築士症候群のおっさん”” てのは建築会社には他にもいるかもしれない( 一一)
「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA の「【アニメ】PCをまともに使えない上司→言われた通り、社内のデータを全削除してやった結果w【スカッと】【スカッとする話】【漫画】」https://www.youtube.com/watch?v=LtKY3ijD1sQ を見て、
そういえば、私が勤めた会社にも【1】~【4】の人がいたなあ~あ・・( 一一)
私が言われたようなことを言われる人が他にもいるんだなあ、
私がされたようなことをされる人が他にもいるんだなあ・・・
と思ったものだ。
そういうのとつきあうと、疲れるわ・・・ほんと。
なお、「トラブルバスターズ」は、
たとえば、
(A)戦前の昭和・・・「ひと、苦しみ苛む(1931)満州事変」(昭和6年)とか「ひどく寒い(1936)2・26事件」(昭和11年)とか「戦さ長引く(1937)日中戦争開始」(昭和12年)とか「行くよ勇んで(1941)真珠湾。太平洋戦争開始」(昭和16年)といった「戦前の昭和」と、
(B)戦後すぐの昭和・・・1948年(昭和23年)帝銀事件とか1949年(昭和24年)下山事件とか、1952年(昭和27年)頃からの内灘紛争とかそういうものがあった「戦後すぐの昭和」と、
(C)「高度成長期以降の昭和」・・・1964年(昭和59年)東京オリンピック・東海道新幹線開通・名神高速道路開通、1970年(昭和45年)大阪万博(大阪万国博覧会)開催の頃の昭和と、
(D)「平成に近い昭和」・・・1989年(昭和64年・平成1年)、「昭和」から「平成」に変るころの昭和と
それら「戦前の昭和」「戦後すぐの昭和」「高度成長期以降の昭和」「平成に近い昭和」を裕仁(ひろひと)さんが天皇であった時代だからと一緒くたにして「昭和」と言うのはやめてもらいたい。世の中の物事は何でも天皇を中心に動いているわけではないのであり、「昭和上司」というようなとらえ方は不適切であろう。
なにより、「昭和」の元号の時代の生まれの人間でも、このような問題で「トラブル」起こすおっさん・おばさんもおれば、被害にあって「トラブルバスター」やりたい気持ちになる方の人間もいるのだから、「昭和上司」などという表現は不適切なのでやめてもらいたいと思う。

天皇制 (東大新書 (6)) - 清, 井上
(2023.3.10.)
パソコンについての動画をYouTube で見つけた。「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA の「【アニメ】PCをまともに使えない上司→言われた通り、社内のデータを全削除してやった結果w【スカッと】【スカッとする話】【漫画】」https://www.youtube.com/watch?v=LtKY3ijD1sQ だ。パソコンを使えない上役が勝手なことを言いまくり、苦労する話だ。「サムネ」に「昭和上司」などと書かれているが、これはやめてほしい。「昭和」の元号の時代に産まれた人間でも誰もがこの登場人物みたいなものではないし、「平成」生まれの人間でもこんな人間はいる。又、「昭和」の元号は64年間あり、「戦前の昭和」と「戦後の昭和」は全然違うし、「戦後の昭和」も「戦後すぐの昭和」と「ほとんど平成の昭和」は違う。
パソコンの能力がどのくらい必要か・・といっても、その仕事でどのくらいパソコンを使うかにもよるし、又、パソコン学校の講師のような仕事とか、パソコンの特定の技能を使って何かを作成すること自体の仕事と、そうではなく一般的な営業や事務でパソコンも使うという仕事では同じではない。
2000年代のことだが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職支援セミナー」の講師の女性が「今の時代はパソコンが使えないようではだめで、就職したいと思ったら最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできない」と発言した。これはえらいこっちゃ・・・と思ったが、ここで大きな問題がある。「ワード・エクセルくらいは完璧に使えないと」と思って学習するのはいいけれども、「なんとか一通り使える」くらいではなくて「完璧に使える」というレベルにまで習得しようとすると、ワードにしてもエクセルにしてもそうたやすいものではない。
パソコンのワード・エクセルというのは、建築図面における色鉛筆とか音楽における声楽に似ていると思うのだ。建築図面を著色する際に、マーカーとか一般の人間誰でもが使う用具でない特殊なものを使う場合であれば「ともかく使える」くらいのレベルでも、一般の人間が使わないものを使用して作成されたということでそれなりに評価されるものでも、色鉛筆というのは、それ自体は小学生でも使うわけで、それを使って作成するからには一般の人間にはできないレベルのものを作る必要があるし、そうなると色鉛筆は必ずしも簡単とは言えないことになる。音楽においても、バイオリンとかチェロとかの演奏だと誰もが弾けるわけではないが、ともかく一通り弾けるようになれば、「一通り弾ける」というだけでも評価されるが、それに対して声楽、人間の声というものは「一通り歌える」ということなら多くの人間が歌えるわけで、それを評価してもらおうとすると「一通り歌える」ではだめで、そうではなく「その人でないとそれだけ歌えない」というくらいのものでないといけないことになる。ルチアーノ=パバロッティが他界した時に新聞のコラムに載っていた話だが、すでに亡くなった父親が「パバロッティのように歌えたらどんなにいいだろうなあ。あのように歌えたら、世界一の金持ちになるよりよっぽどいい」と話していたというが、そう思われるくらいに歌えてこそ声楽は価値があるわけで、その点において声楽は決してバイオリンやチェロより簡単ということではない。〔⇒《YouTube-Luciano Pavarotti(ルチアーノ=パバロッティ) sings "Nessun dorma(誰も寝てはならぬ)" from Turandot(トゥーランドット) (The Three Tenors in Concert 1994)》https://www.youtube.com/watch?v=cWc7vYjgnTs 〕
しかし、もしも、声楽家として生きていきたいと思うならば、ルチアーノ=パバロッティのレベルで歌えるように努力する必要があるのかもしれないが、そうではなくて「普通の仕事」につくのであればパバロッティと同じレベルで歌えなくてもいいのではないか。同様に、パソコン学校の講師とかの仕事につきたいというのならば「最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないといけない」ということもあるかもしれないけれども、そうではなくて一般の事務とか営業の仕事であれば「完璧に」ではなくて「一通りは使える」くらいでいいのではないか・・と思うのだ。
2004年だったと思うが、ある人材紹介会社の方の所に履歴書・職務経歴書を書いて持って行ったところ、担当の方がそれを見て、「『パソコンは得意ではありませんが現在、学習中です』と書いていますけれども、どう得意ではないのですか」と言われ、私が「厚生労働省委託の求職支援セミナーの方が『最低でもワード・エクセルくらいは完璧に使えないと就職はできない』と言われたのですが、ワード・エクセルともに完璧にというところまで使えませんので」と話したところ、「あなた、真面目だねえ。『得意ではない』と言っても、ワードでこの履歴書を作って、エクセルでこの職務経歴書を作ったのでしょ」と言われるので「なんとか、そこまで作りました」と言うと、「『なんとか』でもここまで作れたのでしょ。パソコン学校の講師とかの仕事に応募するのならともかく、一般の営業とか事務とかの仕事に応募する場合は、これだけできたら『できます』でよろしい、『できます』で。そんなもの、『完璧に』なんて言ったらワードにしてもエクセルにしても『完璧に』使える人なんてどれだけいるかということになりますよ」と言われた。又、その時には「健康状態」の欄に「普通」と書いていたのだが、「これ、『良』ではなくて『普通』にしているのは、どこか身体に悪いところがあるのですか」と言われ、「健康診断で中性脂肪値が高い、尿酸値が高いと言われまして。それから眼が近視で」と言うと「近視と言ってもコンタクトレンズを入れて普通に生活できるのでしょ。そんなもの、あなたくらいの年齢になって中性脂肪値が高いとか尿酸値が高いとか、そういうのが全然ない人なんて珍しいくらいですよ。あなた、本当に真面目な人だねえ。そんなの、よろしい、そんなの。そのくらいなら『良』でいいです、『良』で」と言われた。そういうものらしい。
私の場合は、1990年代から2000年代初めにかけて勤めていた(株)一条工務店 は住宅建築業の会社の中ではパソコンを導入するのが遅かったということがあり、又、住宅建築業の仕事においては、お客様宅にパソコンを持参して、もったいつけて「ちんちろりん♪」とか言わせてパソコンを立ち上げた上でパソコンで説明をするけれども、内容はたいしたことないという人も中におれば、広告の紙の裏でもコピー用紙にでも、ボールペンででもちょこちょこっと書いてわかるように十分に内容あることを説明できる人もおり、そして、建築現場で見ていると、大工には木切れとか梱包用に使われていた段ボールとかに鉛筆でちょろちょろっと走り書きして「こうなんだよ」と説明して見せる人とかがいて、どっちがかっこいいかというと、木切れとか段ボールとかに鉛筆でちょろちょろっと走り書きする方がなんともかっこいい♪ ・・ように思えたものだ。業者でも「うちにCADありますから」とか「CADで作りますから」とか言う人がいたが、CADとかパソコンというのは結論として文房具であり、CAD使わなくても広告の紙に裏にボールペンで走り書きしてでも内容あるものを書けるし、CAD使っても内容のないものがすばらしい内容に変わるわけではないのであり、広告の紙の裏にちょろちょろっと走り書きして「これでどうです」と言う方がかっこいい♪・・ように思えたということもあった。それとともにワードの学習書など見ると「読めない汚い字で書いたものは上司は読んでくれませんからワードは必要です」などと書いてあったのだが、私は「読める字」を書く自信があったし、人から「あなたの字は読みやすい字ですね」と言われたが、それは最初からではなくて相当練習して「読みやすい字」を書けるようにしたのだ。だから、「本人以外は読めない字」しか書けない人、弁護士なんかやってる人間にはそういう字を書く人間がいて、何十万円と受け取って依頼を受けた相手にその「本人以外は読めない字」で書いたものを渡して「これで」とか平気で言うが、「ふざけんな!」てもので、読めるわけないだろうが・・というものだが、私は「誰もが読める字」を間違いなく書く自信があり、かつ、それは何の努力もしないで身に着けたのではなく相当の努力の結果として「誰もが間違いなく読める読みやすい字」を書けるようになったのだという自負があり、それなのに、なんで「読めない字」しか書けない人に必須のワードなど学習しなければならないのか・・という気持がした。福沢諭吉が『福翁自伝』(岩波文庫)で、幕末から明治初期にかけて、福沢諭吉らはオランダ語が必要だと一生懸命努力してオランダ語を学んだが、ところが明治初期になると、これからはオランダ語ではなくイギリス語の時代だい言われてきて、せっかく大変な努力をしてオランダ語を学んだのに・・・と多くの者が思った、と書いていたが、そんな気持ちだった。「読めない字」しか書かない「ええ根性している」弁護士みたいなやつは、ワードでも学習して読めるようにしやがれ・・てものだが、私の場合は努力して「誰もが読める字」を書けるようにしたのであり、「誰もが間違いなく読める字」を手書きで書く練習をした者にとっては、「せっかく努力して練習してここまでできるようになったのに」という気持があった。
・・福沢諭吉の場合は、オランダ語を学んだ者には2通りの対応をする者がおり、ある者は、これからはイギリス語の時代だといっても日本語に翻訳されたイギリス語の本は(その時代においては)ほとんどないがオランダ語に翻訳されたものは多いので、これからはイギリス語の時代であったとしてもオランダ語を学んだ者はオランダ語に翻訳されたイギリス語の書物を読めばいいのだから、これからはイギリス語の時代であったとしてもオランダ語は役に立つから、だから、新たにイギリス語も学び直さなくてもオランダ語で対応すればいいという考え方で、それも一理あるけれども、福沢諭吉はそうではなくて、せっかくオランダ語を努力して学んだけれども、これからはイギリス語の時代だというのならイギリス語も新たに学ぼうと考えてイギリス語を学ぶことにしたそうで、それでイギリス語を学習してみると、オランダ語をある程度以上学んだ者にとってはイギリス語を学ぶのは思っていたよりも学びやすかったということだった。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
福沢諭吉のことはさておき、私は「読めない字しか書けない人」ならワードを学ぶ必要はあるだろうけれども、私は「読めない字しか書けない」という人間ではないから、だから「読めない字しか書けない人」と同様にワードを学ぶ必要はないのではないのか・・・と思ったりもしたのだが、ところが、そうも言ってられない世の中になってきたので、しかたなしに学習した。
今現在では、パソコンに関係する能力認定資格では、
ワード3級・2級(サーティファイ)、
エクセル3級(サーティファイ)、
建築CAD検定3級・2級(AutoCADで受験)(建築CAD連盟)
に合格したので、これだけ合格すれば、まあ悪くない方ではないか・・・と思うが、ところが、それ以外にもパソコン関係ではさまざまなものがあるので、すべてを完璧になんてできるわけないとしても、もうこのくらいでいいにしてよ・・という感じがしてくる。エクセル2級は学習うぃおやり始めたからエクセル2級は合格までたどりつきたいと思うが、もう若くもなくなったことだし、それ以上はいいかなという気がしている。
まず、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職支援セミナー」の講師の話というのは、必ずしも適切ではないものが少なからずあったように思う。「完璧に」なんて言ったら、ワードにしてもエクセルにしても、相当いろいろな機能があるわけで「完璧に」使える人なんて、上記の人材紹介会社の人が言われたように、いったい何人いるんだ・・ということになる。
愛知産業大学の建築学科の通信課程で、CAD1というスクーリングによる講座では、講師の方はAutoCAD の学習書の著者でもある方だったが、「AutoCAD の機能は相当いろいろな機能がありますから、私だってすべての機能を完璧に使えるわけではありません」と言われたのだが、実際そうだろう。学習書を執筆しているような人だって「完璧に」なんて使えてないのだ。
そもそも、一番の問題として、ワードにしてもエクセルにしても「完璧に」というくらいマスターしようと努力して学習するのはいいとして、「完璧に」マスターできるようになるまで、いったい、どうやって食べていくのか・・ということがある。「完璧に使えないと就職はできない」なんて言われたら、「完璧に」マスターする前に食べていけなくなって死んでまうわ・・・ということになる。
・・だから、結論として就職支援セミナーの講師の言うことなんて、ほどほどに聞いておくようにした方が良さそうだ・・ということのようだ。しかし、パソコンはできた方がいいし、ワード・エクセルくらいは「完璧に」までは必要ないとしても「一通りは」くらいは使えるようでないと職場で嫌がられることになる可能性が考えられる。この場合、「一通りは」というのがどのくらいなのか、という問題が出てくるが、それはケースバイケースで考えるしかないかと思う。
私は、基本的な考え方として、パソコンはできた方がいいけれども、パソコンというものは文房具であり、文房具を使う能力がどのくらいかということを第一に人を評価するのはおかしいと思っていたし、今も思っている。
森川英正『日本経営史』(1981.1.13.日経文庫)には、
《 (「学卒」者の管理者的人材の充足として)三菱会社と三井物産に次いでは、明治11年(1878年)暮に慶應義塾を卒業した村井保固を、翌年(1879年)5月に森村組が採用し、ただちにニューヨークに派遣したのが早い事例です。森村組は、森村市左衛門が、明治9年(1876年)、特産工芸品の直輸出を目的として設立した商社です。森村は、福沢諭吉に慶應義塾卒業生の推薦を依頼し、福沢が村井を送り込んだのです。
森村組の条件は、「第一健康、第二英語が達者なこと、第三簿記が出来ること」の三つでした。村井は、「語学と簿記は不得手の方です」と言って、福沢から「馬鹿野郎、実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と大喝され、悄然とします。当時、慶應義塾、商業講習所、三菱商業学校は企業からの求人を争う関係にあり、村井が条件にあてはまらぬとなると、せっかくの求人を他校卒業生に奪われます。福沢は、それが残念で叱ったのでしょう。
村井は、あらためて福沢を訪ね、「森村さんは偉い人と聞くが、英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論します。福沢も村井の意気込みを評価し、あらためて森村と交渉した結果、村井の森村組入社が決まったのでした。》
といった話が掲載されています。

日本経営史 - 森川 英正
ほかに、石ノ森章太郎の『ホテル』というシェラトンホテルかヒルトンホテルがモデルかと思われるホテル業について描いた漫画で、松田さんというベテランのホテルマンが、パソコンが導入されて対応できず悪戦苦闘する姿を見て、あれでは・・と思う人も出るけれども、ホテルマンとして熱心に働いてきた松田さんの勤務姿勢を考えるならば、パソコンというのはしょせんは文房具であり、新しい文房具が出てその使い方をなかなか習得できない人がいても、その仕事に対しての熱意があり、その仕事に尽力してきた人は、新しい文房具の使い方を習得するのに時間がかかったとしても、それはしょせんは文房具なのだから少しずつできるようになっていけばいいではないかといった話が出ています。
また、『ホテル』には、ホテルの繁忙期に東郷ゼネラルマネージャーの頼みで引退していた元ホテルマンのじいさんたちに来てもらうと、パソコンはわからないし、ボールペンではなくて短い鉛筆がいいというしで、こんなじいさん、役に立つわけないだろうと思っていたら、何十年間、ホテルマンとして勤務し続けてきた人の能力というのはそうではなかった、という話が出ています。外国人宿泊客には「サンキ べリマ」と言うが、それは本で学習したのではなく、何十年間とホテルの入口に立ち続けて、ホテルに来場する外国人が口にする文句を耳で覚えたものを口にすると「サンキューベリーマッチ」ではなく「サンキ べリマ」になり、それが通じる。若手ホテルマンの赤沢は感心するという場面があります。
そんなもので、パソコンが使えなくても、その仕事に経験と熱意がある人は十分に貢献できる・・・ということはあるでしょうけれども、しかし、それでもパソコンはできた方がいい。・・・先の森川英正『日本経営史』(1981.日経文庫)に掲載の村井保固さんの話にしても、私は自分自身が今はパソコン関連の資格として、先に述べたように、ワード3級・2級、エクセル3級(サーティファイ)、建築CAD検定3級・2級 に合格した上で言っていますから、このくらいパソコン関連の資格試験に合格した上で言うならば、「それはそうだろう」と思ってもらえるのではないかと思うのですが、そうでない状況でうかつに言うと「パソコンが使えないからそんなこと言っているのか?」と受け取られかねず、その発言がマイナスの評価を受けることにつながりかねません。
それで・・・、結論として、「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」という考え方は基本的な考え方として間違っていないと思いますが、「英語はどのくらいできますか」ときかれて「英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい。小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と言ってしまうと、「要するに英語はできないのだね」と受け取られてしまう危険があるのでうかつにこの文句は言えないのですが、しかし、基本的な物事の考え方としては間違いではないと思うし、又、パソコンについては「しょせんは文房具」であり、文房具は使えた方がいいけれども、文房具を使う能力だけが大事ということではなくて文房具を使う能力以外にも大事なものはあるというのも間違いではないはずだと思います。
しかし・・・・。
● パソコン学校の講師のような職業の募集である場合は別として、パソコンの能力を第一に人を評価するべきではない。
● パソコンはしょせんは文房具であり、文房具を使う能力以外にも大事な能力はあるはずだ。
・・というのは間違いではないのですが、しかし、それはそうだとしても、その文房具を使う能力において、「かんべんしてくれよお」と言いたくなるケースというのもまた、現実にあるのです。
【1】 2008年、千葉県八千代市に本社がある、「建築もやるけれども売買の不動産業が中心」という東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の千葉市花見川区の花見川店にてのこと。
店長の田中(男。当時、60歳)はパソコンをまったく使わない・使えないということではなかったのですが、得意でもなかった。
同社は従業員1人に1台のパソコンは用意していなかったので、何人かで1台のパソコンを使うしかなかったのですが、私ならば自分がパソコンで作業していて他の作業をやりたいという場合は作業中のものを「保存」した上で「閉じる」という措置をした上で他の作業をしますし、していたのですが、田中はそうではなくて自分がパソコンで何かの作業をしていると、作業途中で画面をそのままにした上で他の作業をやります。
そのため、少しくらいなら待つのですが、相当長きに渡って他の作業をやるので、田中が作業中のものを閉じていいのか、「田中さん、これは『保存』して『閉じる』にしていいのですか」と言っても返事しない。それでは「保存」した上で「閉じる」べきか、「保存しない」で「閉じる」べきかわからない。それで、しかたなしに「最小化」して、その上で私がやらなければならないパソコンでの作業をすると、田中は戻ってくると、「おい。こらあ! おれのがないじゃないかあ。いったい、どうしやがった。どこにやりやがった、この野郎! 何しやがる。いったい、何てことするんだ、この野郎!」と叫びまくるのです( 一一)
「そこにあるでしょう」と言っても、「ないじゃないか。どこにあるんだ。何しやがる、この野郎! いったいどうしてくれるんだあ!」と叫びまくるのです( 一一)
・・・それを見て、たしかに、パソコンは「しょせんは文房具」であり文房具の使い方が優秀かどうかを第一に人を評価すべきではないとは思うけれども、
「最小化」⇔「元に戻す」
もできない人というのは困りもの・・であり、かんべんしてくれよお・・・・と思いました、ほんと( 一一)
【2】 そのくらいならまだいいのですが、田中は新聞に折り込みで入れるチラシの原稿を、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の輪転機で二色刷りに刷るチラシの原稿をパソコンでカラーで作成するのです。「カラーで印刷するチラシの原稿ならカラーで作った方がいいでしょうけれども、二色刷りで印刷するチラシの原稿なら原稿も二色で作成するようにした方がいいと思いますよ」と私が言って教えてあげても「うるせえ! この野郎」と言ってきかないのです。
なおかつ、誰と一緒に作るのかというと、住宅建築業の経験があり慶應大学商学部卒で商業学・マーケティングなど学んできた私と一緒に作ろうとは絶対にしないで、井上さんという事務のおばさん(女。当時、40代)と一緒に作りたがるのです。なんで、そんな人と一緒に作りたがるの? と思うのですが、”” おばさんと一緒に作りたがるバカバカしいおっさん”” というのは会社という所にはいるのです( 一一) ( 一一) ( 一一)
又、営業の場合は、実際問題としてパソコンはあまり得意ではないけれども営業として動き回るのは嫌いではないというタイプの人というのが現実にいるのですが、そういうパソコンは得意ではないという営業の人がいても何とかやっていけるようにということもあって事務の人が各店にいるという意味合いもありますから、ですから、東海住宅(株)のような会社の店においては事務の人というのは営業の職種の人間以上にパソコンの能力は強く求めらる立場です。だから、井上は田中が二色刷りで印刷する予定のチラシの原稿をカラーで作成したがっているのを見れば、私が田中に指摘したのと同じように、「田中さん、カラーで印刷するものの原稿ならカラーで作成するべきですが、二色刷りで印刷するものの原稿は原稿も印刷する予定の色2色で作成するべきですよ。そうでないと、カラーで作成した原稿を2色で印刷するときれいに印刷されないことが少なくありませんよ」と言うべきですが、ところがその事務の職種の人間として言うべきことを言わないでそれを言えないで、「おばさんと一緒に作りたがるおっさん」の相手をしておっさんを喜ばせている。 それでは事務の職種の人間としての役割を果たしていることになりませんが良心的ではない態度です。東海住宅(株)での田中の上役はその頃は常務取締役でその後、社長になった「人相と眼つきが悪いい大澤」でしたが、大澤は建設部担当の取締役であったのなら、田中と井上がそういうおかしなことをしていることを見ていないといけないし、見て状況を把握して注意しないといけないはずでした・・・が、「人相と目つきが悪い大澤」はそれができない( 一一) それをできない・できていないということは、大澤は職務怠慢もしくは無能のどちらかと言わざるをえません・・が、その「職務怠慢もしくは無能のどちらか」の人がそれから少しして社長になりました。
それで、田中は一緒に営業をしている私と一緒に作成するのではなく、私が何を言っても「うるせえ。この野郎」と言ってきかず、あくまでも、おばさんと一緒にカラーで作成した「二色刷りで印刷するチラシの原稿」を私に渡して、「これを輪転機で印刷してこい」と言うので、「印刷しますけれども、カラーで作ったものの原稿を二色刷りにすると、うまく印刷できない可能性がありますよ」と言っても、「うるせえ」と言ってきかないのです。
東海住宅(株)では、花見川店と同じ千葉市花見川区ですが別の場所の建物に輪転機を置いていましたので、その別の場所に行って輪転機でカラー刷りの原稿を二色刷りにしてみましたが、やっぱり、うまく印刷できません。当たり前です。輪転機の機能で出来る限りのことはやってみましたが、無理なものは無理です。
それで、田中に電話を入れて、「やってみましたけれども、カラーで作成した原稿を二色刷りできれいに印刷しようとしても、どんなにしてもきれいに印刷はできませんから、パソコンで原稿を作り直さないといけませんから、一度、花見川店に戻ってパソコンで原稿を作り直したいと思います」と言いました。田中はどう言ってもどうしても二色刷りで印刷するものの原稿をカラーでおばさんと一緒に作りたがる、要するにおばさんと一緒に遊びたかったのですから、その人が造ったカラーのものを基にして私が二色刷りの原稿を作り直すしかありません。二度手間・・というよりも、最初から私が二色刷りで原稿を作っておけばよかったのであり、その分の田中とおばさんとの給料は無駄な支払いでしかありません。
ところが、田中は「うるせえ、この野郎。輪転機でなんとかしろ、この野郎」と言うので、「輪転機の機能でなんとかできる内容とは違います。輪転機というのは、元の原稿が全体が薄めのものを濃くしたり、全体が濃いめのものを薄くしたりすることはできますが、濃い部分を薄くして薄い部分を濃くしたりすることはできません。原稿が輪転機で二色刷りするのに適したものになっていませんから、私が作り直して、それから輪転機で印刷するようにしたいと思います」と話したのですが、ところが田中は「うるせえ。輪転機でなんとかしろと言ってるだろう。おまえはその程度のこともできないのか、この野郎。いいかげんにしろお! このあほんだら! この能無し!」と言ってきかないのです。だから、そう言うならしかたがないので「ですから、頭が悪いもんで、できないんですよ。田中さんならできるのならやってみてください」と言ったところ、「なんだと、この野郎! なんだ、その言い草はあ」と言って怒るのです。今から考えてみると、この人のこの病的な態度・対応の相手をするのは私の仕事ではなかったなと思います。
私が「ここにはパソコンがありませんから原稿を作り直すことはできません。花見川店に戻って私が二色刷りに合うように原稿を作り直しますから」と言っても「戻ってくるな、この野郎! いいかげんにしろお! そこで輪転機でなんとかしろと言ってるのがわからねえのか。この野郎!」と叫びまくるのでした。片方でおばさんには「井上さん、申し訳なかったにぇえ~え」とか気色の悪いネコナデ声だして、それでいて、私にそう言って怒鳴りまくるのでしたが、そういう相手をしてあげることに対しての給料は私が東海住宅(株)からもらっていた給料のうちには入ってなかったと今は思っています。
私は「もし何なら、一色刷りにしてはどうですか。カラーの原稿を2色刷りにすることはできないけれども、カラーの原稿をモノクロにするのなら、まだできるでしょうから、一色刷りにするということでいいですか」と言ったのですが、「うるせえ、二色で刷れえ! その程度のこともできねえのか、この能無し野郎!」と怒鳴りつけるのです。しかし、東海住宅(株)の輪転機にはカラーの原稿を二色刷りに変換する機能はない、輪転機にカラーの原稿を二色刷りにする「能」があると田中が思っていたのなら、東海住宅(株)の輪転機は「能無し野郎」であり、私に「この能無し野郎!」などと怒鳴りつけても、輪転機の方がカラーの原稿を二色刷りに変換する能力はない「能無し」である以上は私にどうもできません。 このブログでも、本に製本するということができるのですが、私はBIG LOBE ブログからSEA SAA ブログへ移行する際に、万一、うまく移行できなかった場合も考えて、それまでのものを本に製本しましたが、Mybook.JP ではカラーのものをカラーで製本する方法とカラーのものをモノクロにして製本する方法があり、せっかくカラーで撮ってきた写真が含まれる原稿はカラーで製本したかったのですが、カラーで製本するとけっこう値段がかかるのでモノクロで製本しましたが、カラーの原稿をモノクロにすると必ずしもきれいに写らない場合がありますと断り書きがありましたが、できたものを見るときれいに写っていました。カラーの原稿はカラーで、白黒で印刷するものは白黒で原稿を作成した方がきれいに写るとしても、カラーのものをモノクロで印刷するということは可能なのです。しかし、カラーのものを二色刷りにしようとすると、決してきれいに写らないのです。だから、私は田中に再三にわたって「二色刷りで印刷するチラシなら原稿もカラーではなく二色刷りで作成するべきですよ」と何度も言ったのでしたが、ところが田中は「うるせえ、この野郎」と言ってきかず、カラーで原稿を作ったのです。又、女性事務員の井上と一緒に作ってもしかたがないにもかかわらず、田中はおばさんと一緒に作りたがるのです。井上は井上で、東海住宅(株)では営業の職種の従業員と事務が職種の従業員を採用していますが、営業の職種の人は動くのはいとわないが事務仕事は苦手という人、パソコンはあまりできないという人もいるので、それで事務の職種の人はパソコンはある程度以上できる人ということを前提して採用していたはずですから、井上は事務の職種の人間として「二色刷りで作成するチラシの原稿なら、原稿も二色刷りで作るべきで、原稿をカラーで作って、それを二色刷りにしようとしてもうまくいきませんよ」と、そのくらいのことは言うべきであり、言わずにじいさんの相手をしていたのでは井上はじいさんのお相手をしたことになっても事務員の仕事を人並みに勤めたことになりません。井上は本来なら事務の職種の者は「二色刷りで印刷するチラシの原稿なら原稿もカラーではなく二色刷りで作成しないときれいに印刷できませんよ」と田中に言うのが井上の仕事のはずなのに、それを言わずにじいさんのお相手をして喜ばせて、その結果、私が苦労させられた・・ということについて、今日に至るまで「すいませんでした」の一言がないのですが、この女も変った女ですが、この女の夫も今日に至るまで私に「うちのが迷惑かけましてすいません」の一言がないのですが、この女の夫も社会人としていかがなものかと思います。
結局、ずいぶんと経ってから田中は輪転機が置いてあった所に自分が来て、そして、田中自身がやってみたら、やっぱりだめだったのです。私が言った通りだったのです。そして、何度かやってみて、結局、田中はカラーで作成した二色刷りで印刷するものの原稿を二色刷りで印刷した、どう見ても不自然な、印刷ミスであろうと大半の人間が思うようなチラシを新聞折込で入れることにしたのでした( 一一)
・・・あの ””おばさんと一緒に作りたがるおっさん症候群”” は「精神安定剤」の大量投与(「薬漬け療法」)とかでもすれば治るのだろうか。それとも、電気ショックとかやると「少しはましになる」のだろうか? ・・どちらにしても、ああいうのを相手にするのは私の仕事ではないはずだし、又、井上に東海住宅(株)が払っていた給料というのは、それは””おばさんと一緒に作りたがるおっさん症候群”” の相手をして二色刷りで印刷するチラシの原稿をカラーで作成させるためのものではなくて、「カラーで印刷するものの原稿ならカラーで作成するべきですが、二色刷りで印刷するものの原稿なら最初から原稿も二色刷りで作成するべきですよ」と言うのが事務の職種の人の仕事のはずだったのでしたが、井上は「その程度の人」だったのです。私はしばらく同じ店にいて、この人はそういう人だな・・とわかりましたが、田中は店長でありながら””おばさんと一緒に作りたがるおっさん症候群”” であり、田中の上役にあたる常務取締役の「人相と目つきが悪い大澤」はその状況を把握できておらず、何ら注意もしませんでした( 一一) その大澤がそのうち社長になりました( 一一)
【3】 田中の前に花見川店の店長になっていた大友(女。当時、50代なかば)は「土日祝日は女性は遅刻してきていいと会長が言っている」と言って、土日祝日は始業時刻午前10時の会社で毎度、午前10時40分頃に出勤していました。もしも、「その事業所の従業員全員が同じ条件で土日祝日は始業時刻は午前10時40分」ならばまだいいのですが、男性は始業時刻は午前10時00分で、それより前に出勤して掃除とか準備をしろと「大友ゆうこりん」(仮名)は言うのです。ということは、どういうことかというと、私は午前10時00分が始業時刻とはいえ、「建築の住宅」の会社でも「不動産の住宅」の会社でも、「オープンハウス」といったものを開催するのであれば、午前10時より前から掃除したり準備したりして、そこにおばさんがやってくるということを意味します。
私が午前9時30分前後に出勤して、普段、閉め切っている建売住宅の建物の窓を開けて換気をして、掃除をして、石油ストーブに灯油を入れて点火をして、前に万国旗をかけて、前の道も掃除をして、幟を建てるなどして、駐車場にしていた前の更地の販売区画の雑草を抜いて・・といった作業を一通り終えた頃、1時間以上も私より後から出勤してきた女がやってきて、そして、雑巾を持ち出して玄関の下駄箱の上を「あ、ここ埃が残ってる」と言って雑巾でひと拭きして、そして、「私がここまでやった」と高らかに宣言する( 一一) ・・ということを毎度やるのでした。おまえ、ええかげんにせえよ、ほんまに。ええかげんにせんと、しまいに殴られるぞ・・ということを平気でやるのでした。最初、私が1時間以上かけて一人で掃除して準備してそこまでやったところに、1時間以上遅刻してきた女が雑巾で下駄箱の上をひと拭きしただけで「私がここまでやった」などと宣言するのを見て、「何の冗談や?」と思ったのでしたが、それが大友優子のやり口だったようです。大友優子は「オットが小堀住研で設計課長をやってましたから」というのが「売り」でしたが、最初は自己紹介のひとつとして言っているのかと思ったのですが、あまりにも何度も何度も「もう、それ聞いたよ」ということを言いまくるので、ああ、この人はそれを言うことで自分を高く評価してほしいという人なんだな・・とわかりましたが、「オットがヤクルトスワローズの監督やってました」とか「オットがインドネシアの大統領やってました」とか言ってテレビに出ていたおばさんと一緒で、「『オットが』でしょ。あなたがじゃないでしょ」というものでした。小堀住研(株)では、「大友ゆうこりん」(仮名)がやっていたようなことをやる営業なんて、少なくとも私がいた時に私の周囲には一人もいませんでしたね。そんなことやって通じるわけないだろうが。女は「男なら殴られるぞ」と思われることをやる権利があると心の底から信じている女性というのがいますが大友優子もそれでした。実際、「おまえ、男なら殴られるぞ」と何度も思いました。最近、「女性の社会進出」とか言う人がいるのですが、「女性の社会進出」ではなくて「おばはん帝国主義の侵略」と表現するべきではないのか? ・・という感じの人が少なくありません。「進出」ではなく「侵略」と事実に適した表現をするべきです。ほんと、世の中、何が強いかといって、おばはんほど強いものはないのではないか・・という感じがします。
そして、オープンハウスなんて開催しても1日に1件か2件くらいしか来場はないのが普通なのですが、「大友ゆうこりん」は私が掃除して準備したところに私より1時間以上あとから出勤してやってきて、そして、自分は店長だということで1件目の来場客を接客します。その間、私はその来客の子供の相手をするなどしてあげます。自分がそうしてもらったら、次に来客があった時には自分がしてもらったことを相手にするべきだ・・と思いませんか。ところが、「大友ゆうこりん」はそうではなくて、私が掃除と準備をしたところに遅刻してやってきて1件目の来場客の接客をすると、「それじゃ、私は出かけてくるからね」と言って出かけるのです。それが、一度、そういうことがあったということではなく、「大友ゆうこりん」は毎度毎度それをやるのです。「会長が認めてるから」と言うのです。80代のもうろくした会長にとっては下品なおばはんが「女」に見えるらしく、会長は「おばはん帝国主義」の同盟者だったようです。東海住宅(株)は男性社員の離職者が多く、「レディース営業の店」(その店の従業員全員がおばさんという店。決して「契約者には素敵なおねえさまがピンクサービスやってくれる特典つき」とかではない)だらけになっていましたが、あれでは男は逃げ出します( 一一) あほくさいですからね。会長がそうしていたのです。
さらに、朝、自分が他の従業員よりも後から出勤して、掃除や準備を他の従業員にさせたのならば、夕方、片付ける時は自分はほかの従業員以上に働くべきだと思いませんか。ところが、「大友ゆうこりん」はそうではなくて、夕方、午後5時半頃、東海住宅(株)の勤務時間ではまだ終業時刻よりも前に私に電話してきて、「それじゃ、私は先に帰るから、あと、片付けやっておいてよお」と言うのです。何人もでやっているものなら1人くらい片付けに参加しなくてもできるでしょうけれども、2人でやっても多い量のものを1人で片づけて車に載せて持ち帰れと言われても、とうていできるような量ではないのですが、「大友ゆうこりん」はそれを平気で言うのです。しかし、「大友ゆうこりん」は東海住宅(株)の従業員ですから終業時刻より前に退社していいはずはないのですが、「ゆうこりん」が言うには「会長が女性は土日祝日は遅刻して早退してもいいと言っている」と言うのです。本当に会長がそう言っていたのでしょうか。そして、「大友ゆうこりん」は「女が働くのは大変なんだからねえ」と言うのでしたが、もしも、私が「大友ゆうこりん」が働いてもらった給料で食べさせてもらっていたのなら、そう言われたとしても「どうも、すいませんねえ」くらい言うべきだったでしょうけれども、違うでしょう。そもそも、なぜ「女が働くのは大変」なのか? 「ゆうこりん」よりも若い世代で、結婚して子供があるという女性が片方で「子育て」をしながら働くというのは大変だと主張するのなら、とりあえず、そういう主張は職場の他人の男性に言うのではなくて、おのれのオットに言うべきことでしょう。他人に言われても「知らんがな、そんなもん」てものです。何より、「大友ゆうこりん」に子供はあったのかというと、子供はあったけれども「手がかかる子供」があったのではなくて、「すでに結婚して子供がある子供」があった、「『手がかかる子供』ではなくて『役に立ってくれる子供』」があったのです。「小堀住研で設計課長をやってました」という夫はというとすでに定年退職して年金もらっていたようでしたから、夫が日曜休みで妻が水曜日とか平日に休みだと日曜日の朝早くに出勤しにくいということもあるかもしれませんが、「ゆうこりん」の場合はそうでもなかったようで、それにもかかわらず「女が働くのは大変なんだからねえ」と主張して、土日祝日は遅刻してきて早退して、準備を片付けの両方を私にさせるのでした。大威張りで( 一一) 大友優子は「女が働くのは大変なんだからねえ」と叫ぶのでしたが、そんなに大変なら働いてもらわなくてもいいのだけれどもねえ。そう思いませんか? 私が会長ならそう言いますよ。「そんなに大変なら、別に無理に働いてもらわなくても辞めてもらってもかまいませんよ」と。それを言えない会長というのは、若い頃にどうだったかはわかりませんが、80代だったその頃においては、あんまり賢くなかったようです。だから、男性社員はあほくさいから辞めていき、結果として「レディース営業の店」だらけになるのでした( 一一) 〔しつこいようですが、「レディース営業の店」というのは決して「今、契約された方には、すてきなおねえさまによるピンクサービスがつきます」というお店の意味ではなくて、その店の従業員は全員がおばさんという店のことです。勘違いして「そこで契約しよっかなあ」なんて思ったらあほくさいですよ(笑)〕「オットが小堀住研で設計課長やってましたから」と「ゆうこりん」は言うのでしたが、もしも、自分自身が小堀住研(株)に勤めていたならば、「準備と片付けをしない者、接客するべからず」という原則を理解できるのではないのか・・とも思うのですが、おばさん帝国主義はそれでも理解しないかもしれませんね・・( 一一)
それで・・・・。 「ゆうこりん」はチラシの印刷においても態度は似たものだったのだ( 一一) 「女性は土日祝日は遅刻してきていいと会長が言っている」と言って土日祝日は始業時刻:午前10時00分の会社で業務に特に重要な土日祝日は午前10時40分くらいに出勤し、午前9時30分頃に出勤した私が掃除して準備した所にあとからやってきた上で、おもむろに雑巾1枚持ち出して下駄箱の上をひと拭きして、「あ、ここに埃が残ってた」と言い、おまえ、自分は掃除も準備もしていない者が1人で1時間以上かけて掃除と準備した者にそういう口をきくかあ・・とあきれると、「私がここまでやった」と宣言する( 一一) というそういう女でしたが、「小堀住研で設計課長やってた」というおっさんも、よくあんなのと結婚するなあ・・という気がしないこともないが、チラシの印刷でも同様の態度を取るのだった。
輪転機というのは、印刷の位置の「微調整」というのができることになっているのですが、「微調整」ができるとはいっても完璧にできるわけではないのです。それで、私がやってみて、これが限度かと思って、「少しだけいがんでいますが、何度もやりなおしてみましたけれども、輪転機の性能からしてこれが限度のようですから、これでいいですか」と言うと、「何、言ってんのよお。なんで、そんなものできないのよお」と言うのです。それで、「大友ゆうこりん」がやると、すでに私が何度も何度もやったものは「ゆうこりん」がやっても同じだったのですが、ところが、それで「ゆうこりん」はどうしたかというと・・・。 「うん。これでうまくいった」と宣言したのです。変わらんやろうが、ちっとも。すでに私が何度も何度もやってみてもどうもならなかったものは「ゆうこりん」がやっても当然、結果は同じだったのですが、自分がやったところ、結果はちっとも変っていないか私がやったものより悪いくらいだったのですが、「これでうまくいった」と宣言したのです( 一一) ・・なんだか「言った者勝ち」みたいでした( 一一) 「小堀住研の設計課長」でも私が知っている「小堀住研の設計課長」はそんなことはしなかったのですが、「ゆうこりん」と結婚した「小堀住研の設計課長」の男性はそういうことをする人だったのか、自分はやらないが嫁がそういうことをしても「おめえ、そういうことはやめろよ」と言えない人だったのか・・・。
【4】 2005年のこと。千葉市稲毛区に本社があるリフォームの建築業のウッディホーム(株)https://www.woodyhome.com/ の船橋店にて。 同社には「女性のインテリアプランナー」だかいう人がいたのですが、どうも、最近、住宅建築業ではこういうところで「女性の」というのを「売り」にする人がいて、男性は「男性の」を「売り」にしたりはしないのに、なんで女性は「女性の」というのを「売り」にするのだろうと思うのですが、住宅建築業全般にそんなところがあります。
それで、ある見込客に対して、その女性がある提案図面を作成したのでしたが、ところが船橋店にいた古田部(男。当時、50代なかば)が「ドラフターがないからできないけど、俺だったらドラフターがあったらもっといいものが書ける」と言ってそれにケチをつけるので、ドラフターがなくても書いたらどうなんだ・・と思ったけれども、この人は「ドラフターがあったら書けるんだけど」という条件をつけて、もしも、ドラフターがあったらその時には「☆☆があったら書けるんだけど」と別のものがないからできないと言いだす人なんだろうなあ( 一一) と思いました。「ここがロドスだ。ここで飛べ」てものです。
※ ここがロドスだ、ここで跳べ・・なによりも実際にやって見せよということ。イソップ物語にある寓話で、五種競技の選手が、外国に遠征して帰ってきてから「ロドス島に行ったときには、オリンピックの優勝者でもかなわないほどの幅跳びのレコードをたてた。うそだと思ったら聞いてみてよ」と吹きまくった。すると、ひとりの男が「それが真実なら何も聞いてみる必要はないさ。ここがロドスだ、ここで跳んでみたまえ」といった。大ほらを吹く人間は、人にたずねたり見たりして確かめられないようなことだと、自分のことをひどく自慢するものだ。そんなとき、このことばによってひやかす。
( 折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』1970.4.15.集英社)
だいたいなあ・・・、「ドラフターがあったら」などと言っても、今は多くの建築会社において「ドラフター」てのはもうないのだ。1980年代後半、私が小堀住研(株)に入社した頃は、設計担当者は手書きで図面を作成して、それをCADの担当者がCAD図面に作り直していたし、その後、(株)一条工務店に勤めた時も同様だったが、今では世間一般に、設計担当者自身がCADで図面を作成するのが普通になってきて、多くの建築会社には「ドラフター」というのは、もうないのだ。ないものを「ドラフターがあったらもっといいものを俺は作れるんだけど」と言っても、ないのだ、建築会社にはもうドラフターは。

武藤工業 ドラフター LAJ-1000 A1サイズ
( ↑ 「ドラフター」)
但し、今ではCADで設計する方が普通になってきたけれども、AutoCAD というのは値段が高くて、60万円くらいしたと思う。いわば、悪くない中古の軽自動車くらい帰る値段がするのだ。だから、会社のパソコンには特定の人のパソコンにしかAutoCAD は入っていないということならば、それならば「無料のCAD」であるJw cad で作図するとか、やってみるとういう方法もある。〔私は最初にCADの学習を始めた時、AutoCAD とJw cad の値段の違いにびっくりしたものだ。〕結論として、古田部はCADを使う能力がない人だったわけで、そこで「ドラフターがあったら」と言うようだったが、それならそれで、自分で足付きの「ドラフター」ではなくて持ち運びができる製図版を持参してそれで書けばいいのではないのか・・てものだ。T定規と製図版がくっついたやつ「平行定規」が二級建築士の製図試験で使用することになっていたはずで、私でも持っている。古田部は二級建築士の資格を持っていると何かにつけて主張するおっさんだったから、古田部のようなすでに50代なかばにまでなったおっさんに「二級建築士」と矢鱈と言われると、「なんだ、二級か」と言いたくなる人が少なくないのではないかと思うがそれはそれとして、二級建築士の試験に合格したというのは嘘ではないようだから、自宅にT定規がくっついた製図版、「平行定規」(足つきのものだけでなくて、これも「ドラフター」と言う人もあるみたいだ)を自分のクルマに乗せて持参して書けばいいはずだ。なんで、私でも持ってるもの、私でも使うことがあるものを ””「二級建築士」と何かと言いたがる症候群”” の古田部は持ってきて書かないのだ?

武藤工業 平行定規 ライナーボード UM-06N8 A2
( ↑「平行定規」)
それよりも・・だ。1980年代後半、私が小堀住研(株)に入社して松戸展示場に配属された時、松戸営業課にいた「一級建築士」の石井さん(男。当時、30代)は「ドラフターがないから書けないけど」などとは言わないで、コピー用紙をセロテープで事務机の上にとめて、三角定規を使って普通に図面を書いていたし、私はそのやり方を教えてもらってというのか、そうするものかと思ってそのやり方をマスターしたのだった。石井さんは「ドラフターがあったらもっときれいに書けるんだけどな」くらいは言ったことは一度くらいはあったかもしれないけれども、なかったらなかったで、ケント紙ではなくてコピー用紙でも、ドラフトテープがなければセロテープでとめてでも、製図用シャープペンシルがなければ「普通のシャープペンシル」ででも書いてみせたし、営業の仕事をしていたらお客様宅に行ったらお客様宅には「ドラフター」なんてものはない方が普通なのだ。同業他社の営業はお客様宅で「このようにしてみたらどうでしょうか」と普通にレポート用紙にでも方眼紙にでもシャープペンシルで書いて説明して、「なるほど。そうすればいいんですね」とか納得してもらって契約へ進めるところを「俺はドラフターがあったらいい図面を書けるんだけど、ドラフターがないから」などと古田部みたいなことを言っていたら、契約してもらえるものも失うことになる。

3M スコッチ マスキングテープ ドラフティングテープ カッター付 紙箱入り 12mm×30m 230-3-12
( ↑ 「ドラフトテープ」)
(株)ウッディホーム のインテリアプランナーの何とかさんという女性は、最高かどうかはともかく、1つ、提案の図面を作ったのじゃないですか。その人は曲がりなりにもひとつ作ってみせたわけでしょ。それに対して、ドラフターででも平行定規ででも、もしくは「製図版+T定規」ででも、

ウェーブ HG ステンレスT定規 L HT384
( ↑ 「T定規」)
製図用三角定規ででも、

ステッドラー 三角定規 製図 セット マルス 30cm 964 30
( ↑ 製図用三角定規。)
もしくは「小学校の子が使うような三角定規」ででも、フリーハンドででもいいから、ひとつ、提案図面を作ってみせて、それで「どうだい。俺の作ったものの方がいいのじゃない?」と言うのなら言っても悪くないし、そのインテリアプランナーの何とかさんに、「俺はこういうものを作ったんだけれども、この方がいいてことないですか」と言って伝えるなら、何とかさんにとってもプラスになることだろうけれども、おのれは何ひとつ作らないで「ドラフターがないからできないけど」「ドラフターが・・・」と何度も言いまくる・・・ということは、結局、この人はできないけれども人にできると思ってほしい人なんだな・・・ということになる。私はそれを船橋店にいた事務の某さんに話したところ、「そう思った? 私も『自分は何も作らないで、この人、《ドラフターがあったらできるんだけど》て何を言ってるの』と思った」と言うので、みんな、同じようなことを思うものなんだなあ・・と思った。
最近ではCADで図面を作成する方が普通になってきたけれども、CADを使いながらも、特定のものについては「手書き」で書いた方が見込客・契約客に喜ばれるという場合もあるとは思うし、CADがない場所では「CADがあったら書けるんだけど、CADがないから」と「ドラフターがあったら書けるんだけどドラフターがないから」みたいに言うのもアホだから、そういう場合は手書きで書くべきで、そのドラフターを使って書くのか・平行定規を使って書くのか・「製図板+T定規」で書くのか・製図用三角定規で書くのか・フリーハンドで書くのか、そのあたりはその人のやり方というものがあるだろうから、その人のやりやすい方法でもいいだろう・・としても、ともかくも、何か作成してみせて、その上で「ドラフターがあったらもっときれいに書けるところだけれども、ドラフターがないからこの程度のものだけれども、この方がいいでしょ」と言うのならわかるが、何も自分は作らないで、それでいて「ドラフターがあったらできるんだけど、ドラフターがないから」と何度も何度も言いまくるおっさんシンドローム を見ると、「ああ、この人は実際は書けない・作れない人なんだけれども、できるように人から思われたいから、だから『ドラフターさえあったら』と言いまくる二級建築士症候群の人なんだな( 一一) 」と思うだけだ。だから、そういう「ドラフターがあったら書けるんだけど」と実際には作成しないで言いまくる・・などというあほくさい真似はしない方がいい・・と思うのだが、古田部ののような ””「ドラフターがあったら書けるんだけどドラフターがないから」とそれをやらなきゃおれない二級建築士症候群のおっさん”” てのは建築会社には他にもいるかもしれない( 一一)
「トラブルバスターズ」https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA の「【アニメ】PCをまともに使えない上司→言われた通り、社内のデータを全削除してやった結果w【スカッと】【スカッとする話】【漫画】」https://www.youtube.com/watch?v=LtKY3ijD1sQ を見て、
そういえば、私が勤めた会社にも【1】~【4】の人がいたなあ~あ・・( 一一)
私が言われたようなことを言われる人が他にもいるんだなあ、
私がされたようなことをされる人が他にもいるんだなあ・・・
と思ったものだ。
そういうのとつきあうと、疲れるわ・・・ほんと。
なお、「トラブルバスターズ」は、
たとえば、
(A)戦前の昭和・・・「ひと、苦しみ苛む(1931)満州事変」(昭和6年)とか「ひどく寒い(1936)2・26事件」(昭和11年)とか「戦さ長引く(1937)日中戦争開始」(昭和12年)とか「行くよ勇んで(1941)真珠湾。太平洋戦争開始」(昭和16年)といった「戦前の昭和」と、
(B)戦後すぐの昭和・・・1948年(昭和23年)帝銀事件とか1949年(昭和24年)下山事件とか、1952年(昭和27年)頃からの内灘紛争とかそういうものがあった「戦後すぐの昭和」と、
(C)「高度成長期以降の昭和」・・・1964年(昭和59年)東京オリンピック・東海道新幹線開通・名神高速道路開通、1970年(昭和45年)大阪万博(大阪万国博覧会)開催の頃の昭和と、
(D)「平成に近い昭和」・・・1989年(昭和64年・平成1年)、「昭和」から「平成」に変るころの昭和と
それら「戦前の昭和」「戦後すぐの昭和」「高度成長期以降の昭和」「平成に近い昭和」を裕仁(ひろひと)さんが天皇であった時代だからと一緒くたにして「昭和」と言うのはやめてもらいたい。世の中の物事は何でも天皇を中心に動いているわけではないのであり、「昭和上司」というようなとらえ方は不適切であろう。
なにより、「昭和」の元号の時代の生まれの人間でも、このような問題で「トラブル」起こすおっさん・おばさんもおれば、被害にあって「トラブルバスター」やりたい気持ちになる方の人間もいるのだから、「昭和上司」などという表現は不適切なのでやめてもらいたいと思う。

天皇制 (東大新書 (6)) - 清, 井上
(2023.3.10.)
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