箕面滝道、「わしは親孝行やねんぞお」「わしのように親孝行せえよお」という悪趣味な石像までつくった親不孝者の像についてー箕面山瀧安寺と鳳凰閣【2/13】

[第980回] 大阪府箕面市の阪急「箕面」駅から瀧安寺や箕面大滝の方に進む道沿いに船舶振興会会長で元A級戦犯の笹川良一がお母さんをおぶった姿の石像がある。↓
DSC01708.JPG
DSC01569.JPG
↑《 わが母への讃歌(さんか)
      笹川良一作
 母背おい宮の
 きざはし数えても
 かぞえつくせぬ
 母の恩愛 》
と書かれている。
  後ろには横書きで
「世界一家 人類兄弟
  主唱者 笹川良一」
と書かれているが、これは戦中に言われた「八紘一宇(はっこういちう)」「八紘為宇(はっこういう)」と同じこと。「八紘(はっこう)」の「八」は四方八方の八で、「八紘(はっこう)」とは世界中の意味、「一宇」の「一」は数字の一で「宇」は家のことで、世界中を天皇を家長とするひとつの家にするという主張であり、それが大東亜共栄圏の主張に重なったが結果は共貧圏になったというものだ。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
  日中戦争がおこると、政府は37年9月から国民精神総動員運動をはじめた。「八紘一宇」「挙国一致」「堅忍持久」などのスローガンのもとに、消費節約、貯蓄奨励、勤労奉仕、生活改善を説教した。古手の軍人・官僚を幹部にし、「興亜奉公日」(39年9月1日より実施、毎月1日)を設定して、梅干し一つの「日の丸弁当」を強制したり、あるいはパーマネントをやめさせ、国民服やモンペ姿を男女の制服としておしつけたりした教化運動は、国民の心をひきつける点では、力あるものではなかった。しかし「ぜいたくは敵だ」というスローガンで、国民ひとりひとりの私生活までお互に監視しあう風潮をつくり出し、また貧しい人々が常日頃いだいていた富者への反感を、耐乏生活への率先協力という形に流しこんで階級意識をねむらせるなど、国民統制に大きな役割をはたした。
・・・
  遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史 新版』(1959.8.31.岩波新書)
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
DSC01570.JPG
↑ 台座が二重にあり、下の台座の正面には先の「わが母への讃歌(さんか) 笹川良一作
 母背おい宮の きざはし数えても かぞえつくせぬ 母の恩愛」が書かれていて、その上の台座には「孝養の像」と書かれ、左側面には ↓
DSC01572.JPG
↑ 《 笹川が59歳のとき、82歳の母親テルを背負って金毘羅参りのため、785段の石段を登っている様子を表している 》と書かれている。

  まず第一に、この像が建っている場所ってどこの所有地なんだ? ・・と思いませんか? 箕面市の市道の一部ならば、市道の一部にこんなものを作っていいわけないですよね。石像が建っている部分は笹川良一氏の子孫の所有地なのか? そう思って境界杭・鋲がないか見てまわったが見つからない。

 《ウィキペディアー笹川良一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E8%89%AF%E4%B8%80 によると、笹川良一は箕面町・萱野村・豊川村・止々呂美村が合併して箕面市になる前、三島郡豊川村現在の箕面市小野原 ・現 箕面市小野原 に庄屋の子として生まれたそうで、こういう「孝養の像」というのは箕面市の滝道だけではなくて、
《 笹川記念会館、船の科学館、箕面市の箕面の滝に向かう道(通称「滝道(たきみち)」)および全国の競艇場などの競艇関係の施設(日本財団ビルにはない)に笹川良一の孝子像(こうしぞう)が存在する。これは、笹川が59歳のとき、82歳の母親テルを背負って金毘羅参りのため、785段の石段を登っている様子を表しているとされる。
「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛」
「世界は一家、人類は皆兄弟」
との碑文が刻まれている。なお同銅像は、笹川の生前に建立され開示されたものである。》
そうだ。
  船の科学館というと、船の科学館HP https://funenokagakukan.or.jp/ を見ると東京都品川区東八潮 にあり、「ゆりかもめ」の「東京国際クルーズターミナル」駅のすぐ前にあるようだが、「孝養の像」というのは「その他、全国の競艇場などの競艇関係の施設」にあるそうだ。
  「わしはこんなに親孝行やねんぞお。わしを『親孝行なお方』と言ってほめろよ、わかっとんのか、こら。わしみたいに親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞお、まんまんまんまんまんま~ん」という像のようだが、その像を造る費用はどこから出たのか? 競艇ですって首くくって母親を泣かせた男のカネでできたのか?・・・ということだ。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
笹川良一 平和を私物化するドン
  競艇屋さん、つまりバクチの元締めにすぎないにもかかわらず世界的名士という不思議な人物である。菅原通済が死に、児玉誉士夫が再起不能の今では、田中清玄と並んでこのタイプの黒幕の一人と言えよう。感心するのは公営であるはずの競艇を堂々と私物化し、徹底した売名にはげんでいることだ。ときにはその子供のような自己顕示欲に苦笑させられる。しかし、ドン笹川の名は海外ではきわめて評判がよい。WHO(
(世界保健機関)にもアフガン難民にも多額の寄付を惜しまないからだ。彼らは当然笹川が自分の金をくれるのだと思っており、競艇ですって首を吊った男の金が混じっているとは夢想だにしない。すでにあの東京大空襲をやったカール・ルメイ将軍と同じ勲一等を手に入れた笹川の次の目標はノーベル平和賞であろう。本人は「200歳まで生きる」と豪語しているそうだから、いくらなんでもそのあいだにはもらえるだろう。そのころまだ日本で競艇をやっていればの話だがね。
 魯句践《「おなじみさん」のエクボとアバタ考》(「朝日ジャーナル」1984.1月6日号。朝日新聞社)
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
競艇ですって首くくって母親を泣かせた男が払ったカネがこの「孝養の像」の建立費用に混じっているということは十分考えられることではないか。そう思いませんか?

  東京都港区三田の慶応大学の三田キャンパスに福沢諭吉の胸像があった。1980年前後は槙文彦設計の三田新図書館の北側、誰もがすぐそばまで行ける場所にあったのだが、何年か前に慶應大学の三田キャンパスに行くと、曽根中条設計事務所設計で重要文化財に指定されている三田旧図書館の前、生垣の向こう側、ひとが通行する所から生垣で隔てられた場所、少し高い場所に移動されていた。
  台座の上に胸から上の像が載っていたが、大きさは「普通の人と同じ大きさで」造られたものだった。1970年代後半、大学を受ける際に見た慶應義塾について説明された文章によると、それは「天は人の上に人を作らずと言えり」と『学問のすすめ』の冒頭で述べた福沢諭吉の像だから、だから、「普通の人と同じ大きさで」「普通の人と同じ高さに設置されて」「誰もがすぐそばまで行くことができる場所に」設置されている・・ということだったが、ところが、2000年代後半に三田キャンパスに行ってみると、大きさはそのままだが、「普通の人が通行する場所から生垣で隔てられた、誰もがすぐそばまで行くことができない場所に」「普通の人が通行する場所よりも高い場所に」移動されてしまっていた。おそらく、自分で福沢諭吉の著作や伝記を読むことはしないで、それでいて「我々は福沢精神を身に着けている」と叫びまくる人間症候群の人が移動させたのでしょう。
  一般に人間の像というものは、首が痛くなるほど見あげないといけないような高い台座の上に載っている像を造られる人、「わしはエライねんぞお」と言いたい言いたい症候群のためにでっかい像を造られる人と、「普通の人と同じ大きさで」「普通の人と同じ高さで」「誰もがすぐそばまで行くことができる場所に」像を設けられる人とであれば、一般に「普通の人と同じ大きさで」「普通の人と同じ高さで」「誰もがすぐそばまで行くことができる場所に」像を設けられる人の方が値打ちのある人であることが多い。
  私がこれまでに見た像では、1980年代の東京都港区三田の慶應大学の三田キャンパスの福沢諭吉像のほかには、栃木県佐野市の佐野市郷土博物館の玄関前の「義人 田中正造翁の像」は普通の人と同じ地面の上に全身像が立っていた。又、2000年にロシア連邦のイルクーツク市に行った時、イルクーツク市の公園で見たカール=マルクスの胸像も、かつての福沢諭吉の胸像と同じく「普通の人と同じ大きさで」「普通の人と同じ高さに」「誰もがすぐそばまで行くことができる場所に」設けられていた。
・・・で、↑ の笹川良一の《「わしは親孝行やねんぞお」「わしのように親孝行せえよお」の像》はというと、でっかい台座の上にもうひとつ「孝養の像」と彫られた台座が載っていて、二重の台座の上に・普通の人の目の高さよりも高い位置に笹川親子の像が載っている。・・そういう人なのだろう、「わしは親孝行やねんぞお」「わしはエライねんぞお」「わしをえらいえらいと言えよお」という像を造るような人だから、その程度の人なのだろう( 一一)

※ 金毘羅宮 https://www.konpira.or.jp/

  箕面山瀧安寺 の「境内案内図」https://www.ryuanji.org/map によると、瀧安寺の 鳳凰閣と客殿(圓満殿)と庫裏は、《平成30(2018年)9月の台風21号により、倒木の被害を受け》て、鳳凰閣と客殿(圓満殿)は補修工事をおこなって復興したけれども、庫裏は《その後修繕叶わず、解体撤去されました》ということだった。
※ 箕面山瀧安寺HP https://www.ryuanji.org/
DSC01644.JPG
( ↑ 箕面山瀧安寺 鳳凰閣と瑞雲橋。)
DSC01594.JPG
( ↑ 箕面山瀧安寺 客殿(圓満殿)。)
DSC01649.JPG
( ↑ 箕面山瀧安寺 庫裏跡。)
  瀧安寺の鳳凰閣・客殿(圓満殿)・庫裏が台風の時に倒木により被害を受けたのは、かつては木材を槇にして使用していたのが今は使用しなくなったということがあるが、それとともにこの地域は「箕面公園」として国定公園・国名勝に指定される地域であることから、樹木の伐採ができないことから、鳳凰閣・客殿(圓満殿)・庫裏の周囲の樹木も伐採するのが難しかったことから、鳳凰閣・客殿(圓満殿)・庫裏の周囲の樹木をある程度伐採しておれば台風が来ても倒木によって被害を受けることはなかったものが、伐採できないことから台風によって被害を受けることになった、ということがあったようだそれは国定公園・国名勝などに指定されると、国有地である場合だけではなくたとえ私有地である場合でも自由に伐採したりすることはできなくなる。
  それから考えるならば、

DSC01569.JPG
↑ このような山ののり面を削って平にして、そこにこのような像を設置するなどということをしていいのか?・・と疑問に思うのだが、そう思いませんか?

  ↑ この笹川良一の「わしは親孝行やねんぞお」「わしを親孝行なお方やと言うてほめろよ、こら」「わしのように親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ、まんまんまんまんま~あん!」という像は、笹川良一が59歳の時に82歳のお母さんを背負って金毘羅宮の785段の階段を登った姿だというのだけれども、「だから、わしはエライじゃろう。エライと言わんか、コラ」と言いたいらしいが、エライとは思わんなあ・・・・。
  まず、年齢だが、「すでに59歳になった息子が母親をおぶって登った」というのがエライと言いたいらしいが、私が今よりも若い頃には、高齢の人がより高齢の母親をおぶって785段もの階段を登るなどという危険なことはしない方がいいだろう、転んで落ちたらどうするんだ? 59歳なら体力は衰えてくる年齢としても判断力はまだ衰えない年齢のはずだが、そんなこともわからんのか!?! と思ったものだ。
  しかし、自分自身がその笹川良一の59歳という年齢を越えた今、「59歳て、若いじゃないか」という印象を持つようになった。785段登るのはさておき、パフォーマンスのために母親をおぶるくらいのことは59歳なら簡単にできる年齢だろうが・・。何を馬鹿なこと言ってるんだ。ウルトラ甘ったれるな! と思うようになった。

  世の中には、この像を見て「親孝行せんといかんなあ」と思う人がいたり、息子に「親孝行せえよお、わしに親孝行せんといかんぞお、わしにじゃわしにじゃわしにじゃわしにい」と言いたがる親というのがいるようだけれども、これ、馬鹿げているとしか思えない。
  何が馬鹿げているかというと、第一に、こんなことする59歳の息子なんて決して親孝行ではないぞ! ということからだ。やらない方がいいよ、お婆さんをおぶって金毘羅宮の石段を登るなどという危険なことは。金毘羅宮には一度行ってみたいと思いながら行けずにいるけれども、785段もの石段を82歳の母親をおぶって登るなんて危ないことをしてパフォーマンスやろうという息子なんて、これ以上の親不孝者はないと思うぞ。違うか? 母親のためを思うならば、そんなアホなことはしない方が絶対にいいと思う。

  母親の年齢についても、かつては82歳というとけっこう高齢と思ったけれども、うちの母親なんて90代の後半ですから笹川良一のお母さんのこの時の年齢よりもずっと高齢です。母親に90代の後半になられると息子だってそれなりの年齢になります。それでも母親は「あんたは若いから」と言うのですが、「若くない」と言っても理解してくれません。
  「あんたが30代で産まれたおかげで迷惑や」と私はうちの母親から何百回と言われてきましたが、30代で産んだ息子がいるから、だから、母親が90代の後半になってもまだ60代の息子がいるのじゃないですか。20代前半で産んだ息子ならば、母親が90代の後半になったら息子も70代です
  母親はまだしも、うちの父親は毎日毎日、「よくも、産まれやがってからに。よくも、産まれてきやがってからに」と言い続けてきたものでした。「産まなかったらよかったのと違うのですか」と言うと、「人のせいにすんな。産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたのはおまえじゃろうが。おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきてわしは迷惑しとるんじゃ。産まれてこなかったらよかったのに産まれてきおってからに」と何度も何度も言うのでした。産まれてからのことはさておき、「産まれた」ということについては産まれた者の責任ではなくて産んだ者の方の問題だろうと思っていたのでしたが、そうではなく「産まれた」ということについては「産まれてこなかったら良かったのに産まれてきた」という者が悪いそうで、「『産まれた』ということについては『産んだ』者の方の問題と違うのですかあ」などと言うと「外罰的性格」と「心理学」によって「診断」されるようでした。「診断」されると次に「治療」される危険があります。「『産まれた』ということについては『産んだ』者の方の問題と違うのですかあ」などと口にするとロボトミーとか電気ショック(療法)とか「治療」される危険があります。怖いですよお~お、ほんとにい~い・・・。
  「産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたっ! ということを心の底から反省しろよ、このチャンコロろすけイタコ!」と毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいにうちの父親から言われ続けてきましたが、その文句が今も耳元でわんわんうなっていますが、「そんなに産まれてきたら迷惑な息子ならば産まなかったらよかったのと違うのですか」と私は言ったのだ。又、「私だって、あなた以外の父親の子になら産まれてもよかったけれども、あなたの息子になら産まれたくなかったのですけれども」と言ったのだが、そうするとうちの父親は「何を無茶苦茶言うとるんじゃ。産まれてこなかったら良かった人間を産んであげてやっていただいてもらってくださってあげてやってやってやあってもらっていただいてもらってくださってさしあげてもらっていただいたというわしの恩に報いるために、てってこっこ、テッテテッテ、らったらったらったら♪ てってこっこ、テッテテッテ、らったらったらったらあ~あ♪ 朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしにじゃ、わしになんじゃイライラア~あ! いっらいっらしてきた、いっらいっらしてきた、いっらいっらしてきたあ~あ! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために、捧げ尽くす、捧げ尽くす、わしのためにささげ尽くす、産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたという罪をつぐなうために、すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。犠牲になる、犠牲になる、わしのために犠牲になる。犠牲にする、犠牲にする、わしのためにすべてをすべてを犠牲にする! てってこっこテッテテッテらったらったらったら♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉! 欲しがりません、勝つまでは。とってちってたあ~あじゃああ~あ、イッライッラしてきたああ、イッライッラしてきたあ~あ! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために、捧げ尽く~す! とってちってたあじゃあ~あ、いっらいっらしてきた。沈着冷静・百戦錬磨・泰然自若のこのわしがイッライッラしてきたっ・・ということは、おまえが悪いということじゃ! ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ。ひとのせいにする人間は人間として最低やぞ。わかっとんのか、チャンコロろすけイタコ! わしは常に沈着冷静、わしはいかなることがあっても泰然示寂の人間やねん。そやのにからにイライラしているっということは、おまえのせいや! ちゅうことやねんぞ。ひとのせいにすんなよ、チャンコロろすけイタコ! おまえのせいやのにからに、それをおまえみたいに『そんなん、人間、誰しもイライラすることはあるやろうに、イライラしたら私のせいやとおっしゃる方が外罰的性格と違うんですかあ』などとのぼせあがった甘ったれ江つけあがった口をきく人間のことを心理学では『外罰的性格』と言うねんぞ、このチャンコロろすけイタコ! わ~しほど沈着冷静な人間はおらんねんぞ、わしほど~お。イッライッラしてきたっ、イッライッラしてきたっ、イッライッラいっらいっらイッライッラしてきたっ!」と叫ぶのだった。疲れるわあ・・・・・。そして、「『あなた以外の父親の子になら産まれてもよかったけれども、あなたの息子になら産まれたくなかったのですけれども』とはいったい何じゃあ! とっぴなことを言うてはならんぞ、とっぴなことを。突拍子もないことを口にしてはならぬぞ、チャンコロろすけ! わかっとんのか、このわしは世の中でめったにお目にかかることができない魅力たっぷり♪ 魅力たっぷり♪ 魅力たっぷりのお父さんやねん、このわしはあ!!! わかっとんのかチャンコロろすけイタコ浪商! わしは魅力たっぷり、魅力たっぷり、魅力たっぷりのお父さんやねん、わしは、わしは、わしはっ、わしはっ! M川先生がそうおっしゃってんねん。専門家のM川先生があ! もうイッライッラしてきたなあもう、いっらいっらしてきたっ! わしはいかなる時も沈着冷静、わしは常に泰然自若の人間や言うて専門家のM川先生が診断してくださっておるお方やねんぞ、このわしはあ、もうイライラしてきたっ!!! いらいらイライラしてきたっ! 絶対に沈着冷静であるとM川先生が診断してくださっておるこのわしがイライラしているっということは、おまえのせいやっちゅうことやっ! ひとのせいにしてはいかんぞ、こにチャンコロろすけイタコ! わしは絶対に絶対にいらいらせえへん人間やねん、わしは絶対に絶対に。そやのにからにイライラしているっということは、おまえのせいやということやねんぞ、おまえのせいなんじゃ。おまえのせい。わしは地震が来ようが台風が来ようが津波が来ようが竜巻が来ようがび~くともしない人間やねん、わしは。M川先生がそうおっしゃってんねん。神様である先生が。わかっとんのか、M川先生は神様やねんぞ、神様。神様であるお方がそうおっしゃってんねん。わしは常に沈着冷静、わしは常に泰然自若やねん、わしは、わしは、わしはあ~あ、いらいらイライラしてきたっ、イライラしてきたっ! いらいらイライラしてきたっ! いっらいっらしてきた~あ! イッライッラしてきたあ~あ! わしは修行を積んで悟りをひらいたブッダやねん、ブッダ。わしはゴータマシッダールタやねん、ゴータマシッダールタ。そんで、わしは孔子で孟子やねん、孔子で孟子。『四十にして惑わず』の人間やねん、イッライッラしてきたあ、いっらいっらしいてきたあ。イッライッラいっらいっらイッライッラしてきたあ。『四十にして惑わず』の孔子で孟子であるわしがイライラしているってことは、おまえが悪いということやっ♪ ひとのせいにすんなよ、このチャンコロろすけイタコ。ひとのせいにしてはいかんぞ、このチャンコロ浪商!!! わしがイライラしたらおまえのせいやのにからに、それを『そんなもん、誰しもイライラすることはあるでしょうし、イライラしないようにできないならイライラできないその人に問題があるのと違うのですかあ』などとおまえみたいなことを言うやつのことを心理学では『外罰的性格』と言うねんぞ。わかっとんのか。わしがイライラしたら悪いのはおまえやのにからに、『そんなん、誰しも生きていたらイライラすることあるわけで、イライラしないようにできない自分が悪いのと違うのですかあ』などとおまえみたいなことを言うてわしのせいにしようとする人間のことを心理学では『外罰的性格』と言うねんぞ。わかっとんのかチャンコロろすけイタコ浪商!!! わしは沈着冷静、わしは泰然自若、わしはブッダで孔子で孟子で聖徳太子でキリストでヒットラー総統やねんぞ、わしは。わかっとんのかチャンコロろすけ! わしはドイツ人なんじゃわしは。わしはドイツ人の民族で慶應の階級、おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。民族の違いを忘れるな、チャンコロ! 階級の違いを忘れるな、浪商!」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきた。〔↑《YouTube-およげ!たいやきくん》https://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=498624594&finished_from_edit=1&finished=1 〕
シッダールタ(新潮文庫) - ヘルマン・ヘッセ, 高橋 健二
シッダールタ(新潮文庫) - ヘルマン・ヘッセ, 高橋 健二
「わしはブッダやぞお、わしはあ。わしが口にすることは『ブッダの言葉』であってやなあ、みんなが何でも何でもみんなが言うことをきかんといかんねん。わしはブッダでわしの言うことは『ブッダの言葉』やねん、『ブッダの言葉』。あ~あイライラあ、あ~あイライラア~あ!」と何度も何度も耳鳴りがするくらいに聞かされてきた。
ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫) - 中村 元
ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫) - 中村 元
今になって思うのだが、あの時、言えばよかったと思うことがある。「修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタならば、なぜ、そのゴータマシッダールタがいつでもいつでもイライラいらいらしておられるんですか。修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタならば、イライラしなきゃいいでしょ」と、そう言えばよかった、しまった・・・と思うのだが、そう言ったならば、「そやからやなあ、悟りを開いたゴータマシッダールタであるにもかかわらずイライラしているってことは、おまえのせいやっ!ちゅうことなんじゃ。ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。おまえのせいやぞ、おまえのせい!」とその「悟りを開いたゴータマシッダールタ」から言われたことだろう。
  「孔子で孟子ならば、『四十にして惑わず』のお方の孔子様がなんでイライラされるんですか。『四十にして惑わず』のお方なのだからイライラしなきゃいいでしょう」と言えば良かったと思うのだが、「そやからやなあ。『四十にして惑わず』のお方がイライラしているっ♪ てことは、おまえのせいやっ! ちゅうことなんじゃ。おまえのせいやねんぞ、ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては」とおそらく、おっさんは言ったことだろう。
  「わしはキリストやねんぞお、わしはキリスト。わしは水を葡萄酒に変えたり、山に命じて空を飛んで海に入るようにさせることができるねんぞお」とおっしゃるのだったが、「それならば、自分自身に命じて『イライラするな。落ち着け』と言われればいいでしょう。山に命じて空を飛ばすよりも自分に命じて『イライラするな』と言う方が容易でしょう。そうすれば、たちどころに気持ちが落ち着くでしょう」と言えば良かったなあ、しまった・・と思ったのだが、そう言ったならばおそらく「そやからやなあ、キリストであるわしがイライラしているっということは、おまえのせいやっちゅうことなんじゃ! ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては!」「山に命じて空を飛ぶようにすることができるわしがイライラしているということは、おまえが悪いちゅうことなんや! 専門家のおっしゃること、専門家!」とおっさんは言ったことだろう。
  「おまえはわしのことを『普通のお父さん』やともしかすると思うてきたかもしれんけれども、実はわしは『普通のおとうさん』ではなかってんで。わかっとんのか」とうちの父親が言ったことがあったのだが、「実はM川先生がおっしゃるには、わしはスーパーマンやってん、わしはスーパーマン」と言うのだった。それで、この時は「スーパーマンてことは、空を飛ぶのですか?」と言ったのだが、「あほか。何を言うとんのんじゃ。そんなもん、飛ぶわけないじゃろうが」とおっさんが言うので、「しかし、スーパーマンなのでしょ。スーパーマンなら空を飛ぶのと違うのですか?」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、何を。そんなもん、飛ぶわけないじゃろうが」と言うので、「スーパーマンなのに空を飛ばないのですか? 空飛ばないスーパーマンなんてあるのですか?」と言ったのだが、あるそうだ。
  「わしはいついかなる時も沈着冷静、泰然自若の人間やねん。そやのにからにイライラしているってことは、おまえのせいやっ!ちゅうことやっ! ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ、おしまい。ひとのせいにする人間は人間として最低の人間やぞ。わかっとんのかチャンコロ! わしはいついかなる時も沈着冷静、わしは何があっても泰然示寂の人間やねん、わしは。そやのにからにイライラしているっということは、おまえのせいやということや! ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。おまえのせいやのにからに『なんで、私のせいなんですかあ』などとおまえみたいに言うやつのことを心理学では『外罰的性格』と言うねんぞ。おまえのせいやぞ、なんでもなんでもなんでもなんでも」とおっさんは言うのだったが、さっきから思いっきり「ひとのせいに」しているのは、あんたと違うのか? ・・と思ったが、うかつに口に出して言うと「外罰的性格」と「心理学」に「診断」されてロボトミーとか電気ショックとかされる危険があるのでもう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・・・・。
  「いわば、『UFOさえこなかったら沈着冷静なストレイカー最高司令官』みたいなものですか?」とか「ゼットンさえ来なかったら絶対に負けないウルトラマンみたいなものですかあ?」と言えば良かったなあ・・と思うのだが、おっさんがすでに他界してしまった今となっては言いようがない。「ストレイカー最高司令官」というのは、1970年頃、テレビ番組で放映されていた「謎の円盤 UFO」という番組で、最初のナレーションでUFO対策の機関シャドウは「ロンドンのとある映画会社の地下」だかに本部があって、「沈着冷静なストレイカー最高司令官」によって指揮されているということだったのだ。だから、うちの父親は常にイライラしていて、常に悪いのは私だそうだったが、私がもしもいなかったら誰が悪いことになるのかと思ったものだが、ストレイカー最高司令官というのはUFOが来た時にこそ沈着冷静であってこそ価値があるのであり、UFOが来ない時に沈着冷静であって、UFOが来ると「イライラしてきたっ♪ ほんまやったらわしはイライラせえへん人間やのんにからにイライラしてきたっ♪ UFOのおかげでイライラしてきたんや、悪いのんはUFOやねん、わしは悪ないねん」と叫びまくるならば、そんな「最高司令官」なんて二束三文というのか、いない方がいい・・と思う。ウルトラマンの場合は、毎回毎回、怪獣や宇宙人を倒してくれたが、最終回だけはゼットンに負けるので「無敵のウルトラマン」と言うわけにはいかない・・・が、これも「悪いのんはゼットンやねん。わしは悪ないねん、わしは。ゼットンさえ来なかったら負けへんねん」と言うならば「無敵のウルトラマン」ということになる・・・けれども、残念ながら『ウルトラマン』は最終回にはゼットンが来るのだ。負け役のバルタン星人ばっかり来てくれたらいいけれども、そうはいかないのだ。
※ 《YouTube-謎の円盤UFO 日本版オープニング OP》https://www.youtube.com/watch?v=mJEkW2rnJQk
※ 《YouTube-ウルトラマンvsゼットン》https://www.youtube.com/watch?v=HwicfkCJz2g

  毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたものだ。
「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃわしにじゃ、わしになんじゃイライラ~あ。いっらいっらしてきたあ、いっらいっらしてきたあ。わしに孝行しよう! 戸締り用心火の用心、マッチ一本火事の元、いっらいっらイッラしてきたあ。木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ。撃ちてしやまん、一億火の玉、イライラいらいらイラこっこー、こっこー、こっこー、イラこっこー~お! イッライッラしてきたあ、イッライッラしてきたあ。わしは沈着冷静、わしは泰然自若。イライラいらいらイライラしてきた。戸締り用心火の用心、マッチ一本火事の元、わしに孝行せえよお、わしに、わしに、わ、し、にい~い! イッラいっらしてきたあ、イッラいっらイッラいっらしてきた、してきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた。いっらいっらしてきたっ。わしほど沈着冷静な人間はおらんねん。イッラいっらしてきたっ!」
と言われ続けてきた。耳鳴りがするほど言われてきて完璧に暗記した。
  実際のところ、この笹川良一という自分勝手な男、迷惑なんだよなあ、ほんと。

  59歳という、まだ若い年齢の男が「自分も高齢であるにもかかわらず」ということにして80代前半の母親をおぶってみせるというパフォーマンスをやって、その姿を競艇で稼いだカネで石造に掘らせて全国に設置して「わしは親孝行な人間なんじゃ。わしを親孝行なお方やと言うてほめんかい、コラ」「わしのように親孝行せえよお。わしのように親孝行せんと、バチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞお~お・・」と言ってまわるという勝手なやつというのは、実は最も親不孝な人間だと言うべきだと思う。
  母親が90代後半まで生きてくれたおかげで、人間というのは歳をいくとどう変化するかということを知ることができて、また、年寄はどういうことを思うかといったことも知ることができた。はっきり言うが、高齢になって体重が軽くなったお婆さんをおぶるというのは、実はそんなに大変ではないのだ。それに対して、外出する際に歩けなくなったお婆さんのために車椅子を用意して、自動車のトランクに車椅子をたたんで載せて、又、トランクから車椅子を降ろして組み立ててお婆さんを載せて押してするのとでは、車椅子を自動車のトランクに載せておろして、お婆さんを乗せて押してという方が大変なのだ
  お婆さんをレストランにでも食事に連れていこうとしたならば、体重が軽くなったお婆さんをおぶって自動車の座席からレストランの席まで連れていくのと、車椅子をトランクから降ろして組み立ててお婆さんを乗せて押して、又、車椅子を押して自動車の座席まで連れてきて座席に乗せて、車椅子をたたんでトランクに載せてということをするのならば、笹川良一のようにお婆さんをおぶる方がよっぽど楽なのだ。私は今、↑の写真の笹川良一の年齢の59歳よりも年上になりましたけれども、お婆さんはおぶられてくれるなら、その方が軽くて楽なくらいなのです。しかし、年寄はおぶられるのを嫌がるのです。おぶられたくないお婆さんを外出させるには、車椅子に乗せて押してあげるしかないのです。笹川良一は自分が楽な方をやっているという自覚がない、認識できていないのです。
  おぶって連れていった方が楽でも、人前でおぶられたくないというお婆さんを無理におぶるわけにはいかないでしょ。それを、笹川良一という親不孝者はおのれが「わしは親孝行やねんぞお。わしを親孝行なお方やと言うてほめろよ、コラ。わしみたいに親孝行せえよお」というパフォーマンスをやるために、82歳の自分の母親を利用したのです。笹川良一という男はそういう親不孝者なのです。そういう像が大阪府箕面市の箕面滝道や東京都品川区の船の科学館その他全国にいくつも設置されているのです( 一一)

  世の中には、《自分が「親孝行」をしようとする人》と、そうではなくて《ひとに「親孝行せえよお」「親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ」と言いまくりたい人》とがいる。笹川良一とか倫理研究所(=倫理法人会)の理事長の丸山なんとか とかは後者、《ひとに「親孝行せえよお」「親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ」と言いまくりたい人》の方の人間だ。
  まず、親のために何かやろうとしても、カネがなかったり仕事が忙しくて時間を取れなかったりでできない場合がある。あるいは自分自身の体調が良くないという場合もある。せっかく、親のために何かしても喜んでもらえないという場合もある。 そういう経験を自分自身でやったならば、笹川良一や丸山なんとかのように《ひとに「親孝行せえよお」「親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ」と言いまくりたい人》の行為はやらないものだ・・が、それをやる人というのは、自分自身が自分の親のために何かやろうとした経験がそれほどない人ではないか、と思う。おのれの母親をパフォーマンスに使う笹川良一という男は、おのれのパフォーマンスのために母親を使う男なんぞは親不孝者と言うべき人間であろう。 などという白痴は、そういう人間こそ、ロボトミーとか電気ショックとかいった「心理学」「精神医学」による処方をしてやった方が本人のためかと思える。《ひとに「親孝行せえよお」「親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ」と言いまくりたい人》の笹川とか丸山とかは実際のところ「座敷牢」に入れてやりたい。

  そういえば、2006年だが、うちの母親が脳出血で入院した時、下着の洗濯は病院でしてもらえたのだが、私が病院に行くと「病院の洗濯は乾燥機でまわして乾燥させるからあかん。家で選択して天日で干してきて」と言うのだったが、6月の梅雨時で毎日雨が降っていて、私自身の下着をかわかすことができずに困っていたくらいだったので、「今、毎日、雨が降っていて外に干せないんや。病院で洗濯して乾燥させてもらえるのだから、病院でやってもらって」と言っても、「あかん! 天日で干さんとあかん。甘ったれなさんな、あんたはあ。雨が降ってきたらすぐといれたらええことや」と言うのだったが、「専業主婦なら、雨が降ってきたらすぐといれたらいいかもしれないけれども、私は仕事に出てるから雨が降ってきた時にすぐといれるということはできないんや」と言うと、「そんなもん、雨が降ってきたと思ったら家に帰ってといれたらええことやないか。甘ったれなさんな」と言うのだったが、「甘ったれなさんな、あんたはあ」と言われても勤務中に雨が降ってきたので洗濯物をといれるために家に帰るということは会社員としてできなかった。
  うちの父親は「世の中の人間は、自分ではやらずに人に号令かけるのが向いてる人間と、人から号令かけられるのが向いてる人間との2つに分かれるんや。これは『天の神さま』というお方がお決めになったことであって、ひとがそれを変えることは絶対にでけへんねん。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかは『ひとを支配するための民族』で『ひとに号令かけるための民族』、チャンコロは『常にひとから命令されるための民族』『ひとから号令かけられるのがふさわしい民族』として神さまから造られた人間なんや。わしとかM川先生とかはドイツ人やねん。わしはドイツ人の民族で慶應の階級、M川先生はドイツ人の民族で医者の階級や。そんで、おまえはチャンコロの民族で浪商の階級の人間として、これは産まれる時点で『天の神さま』というお方がお決めになって産まれてきたんや。絶対にひとが変えることはできないし、変えようとするような不届き者を『天の神さま』は決してお許しにはならんのや」と言っていた。そして、私に「同時にやる、同時にやる。7つも8つも同時にやる♪ てってこっこテッテテッテらったらったラッタラ♪ 同時に同時に七つも八つも同時に同時に!」と言うのだったが、「そんなもの、7つも8つも同時になんてできません」と言うと、「できんのか、このチャンコロ! できんのかチャンコロ! わしとかM川先生(うちの父親の親友の医者屋)とかM尾さん(うちの父親に気に入られて出世したらしいうちの父親の部下の人)とかT子さん(うちの父親から一番気に入られていた上の姉)のようなドイツ人なら、そんなもん、ちょちょいのちょいやぞ、ちょちょいのちょい♪」と言うので、「それなら、ドイツ人がやってもらえませんか。チョチョイノチョイとやってくださいよ」と言ったところ、「ええかげんにせえよ、このチャンコロろすけイタコ! なんで、ドイツ人がそんなもんやらんといかんのじゃ。ええかげんにせんか、このチャンコロ! チャンコロがやりなさいんかチャンコロが。ええかげんにせんか、このチャンコロ!」と言うのだった。「不可能を可能にする! 不可能を可能にする! 不可能を可能に可能に可能に可能に!」とも言うのだったが、「不可能というのは可能にできないから不可能と言うのです」と言うと、「できんのかチャンコロ。チャンコロはできんのか。そんなもん、ドイツ人やったらちょちょいのちょいやぞ、ドイツ人やったら」と言うので、「それなら、ドイツ人の方にやっていただくわけにはいきませんか」と言ったところ、「何をのぼせあがったことを言うておるんじゃ。甘ったれるなア~あ! チャンコロがやらんか、チャンコロが。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな、チャンコロめがこのチャンコロ!」と言うのだった。

  2005年、千葉県などでリフォーム業をおこなう(株)ウッディホーム https://www.woodyhome.com/ で、社長の細木が「倫理研究所に行って丸山先生から親孝行を教えてもらいなさいと言ってるんだあ」などと言い、週休日に倫理研究所の「研修会」に参加しろと言うので、それは当然のことながら労働基準法で定められている週休の規定に違反するものですが、それとともに、倫理研究所=倫理法人会は「宗教ではないんです。あくまでも倫理の団体なんです」などと言ってカマトトやっているけれども、「太陽を拝みなさい」とか強制する実質的に神道系の新興宗教の団体であり、又、首相の靖国神社公式参拝を求めたり、又、「つくる会」作成の右翼系日本史教科書の採択を求める活動をおこなっている右翼系政治団体でもあり、そのような団体への参加は丁重にお断りさせていただいた。 「丸山先生に親孝行を教えてもらいなさいと社長が言ってるんだあ」と社長の細木が言うので、「私には高齢の母親がありまして、週休日は母親のためにやらないといけないことがありますので、そのようなものに参加する時間は取れません。親孝行のためには丸山なんとかさんのお話など聞いてあげる時間は取れないのです。その丸山なんとかさんという人は根本的に認識を間違えておられます。親孝行を教えてあげようなどと丸山なんとかさんに教えられる筋合いはありません。丸山なんとかさんの認識が間違っているということを私がその丸山さんに教えてさしあげましょうか」と話したのだ。
  《ウィキペディアー丸山敏秋》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E6%95%8F%E7%A7%8B 、《ウィキペディアー丸山敏雄》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E6%95%8F%E9%9B%84 によると、現在の倫理研究所=倫理法人会 の理事長の「丸山せんせい」というのは丸山敏秋という人で1953年生まれ、倫理研究所の創設者の丸山敏雄の孫、2代目理事長の丸山竹秋の息子らしい。 又、倫理研究所=倫理法人会というのは、戦前の「ひとのみち」が戦中に教育勅語に間違った解釈を加えたとして戦中に解散させられた後、戦後、復活して、PL教団・実践倫理宏生会と倫理研究所=倫理法人会の3つに分かれたうちの1つだ。戦中の「ひとのみち」が自営業者に「信者」が多かったらしいが、今も倫理研究所=倫理法人会は自営業の経営者に取り込み、その上で「宗教ではないんです。宗教なら強制してはいけませんが、倫理を教えてあげようという団体なんです」と言って従業員に強制的に「研修会」に参加させるということで会員を増やすということをしている、存在自体が反社会的な団体で、片方で右翼的な活動をおこなっている政治団体でもあります。
  そんな男に「親孝行を教えてあげようと言ってるんだ」などと言われる筋合いはない。いったい何様だと思ってるんだ! ・・というものだが、そういうものにはまってしまった社長というのは難儀やった・・( 一一)
  だいたい、丸山敏秋という男だが、ひとに「親孝行を教えてあげよう」などと思い上がった文句を言うのならば、とりあえず、ひとが高齢の母親のために動かないといけない予定になっている週休日をつぶそうとするようなことはやめるべきだ・・・が、それをやりたがるのが倫理研究所=倫理法人会の丸山敏秋という男だったようだ( 一一) 迷惑な男だ。

  実際のところ、倫理研究所=倫理法人会の丸山敏秋にしても、「戸締り用心、火の用心。わしに孝行しよう」のおっさん(=笹川良一)にしても、はた迷惑な話だ。親孝行すべきだと思ったならば、自分自身がやればいいことだ。自分が親孝行やるのではなく、ひとに「親孝行を教えてやってあげようと言ってあげているんだあ」などとくそど厚かましい文句を叫びまくるというのは、まったくつくづく迷惑千万である。
日本会議とは何か: 「憲法改正」に突き進むカルト集団 (合同ブックレット) - 聰, 上杉
日本会議とは何か: 「憲法改正」に突き進むカルト集団 (合同ブックレット) - 聰, 上杉
日本会議の正体 (平凡社新書818) - 青木 理
日本会議の正体 (平凡社新書818) - 青木 理
新宗教教団・人物事典 - 順孝, 井上, 路人, 対馬, 茂, 西山, 貢, 孝本, 弘允, 中牧
新宗教教団・人物事典 - 順孝, 井上, 路人, 対馬, 茂, 西山, 貢, 孝本, 弘允, 中牧
実際のところ、「わしに孝行しよう。戸締り用心、火の用心。わしに孝行、わしに孝行、わしにじゃわしにじゃわしにじゃイライラ」とうちの父親から毎日毎日耳鳴りがするほど言われ続けてきて、もう耳にタコできた。もううんざり。うん○まみれのザリガニでうんざり。

  《ウィキペディアー笹川良一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E8%89%AF%E4%B8%80 には、《笹川堯(次男 - 自由民主党の衆議院議員、全日本空手道連盟会長らを歴任)》という記載がある。空手をやる人には右翼が多いと言われている。私はそれをよく知らないで、慶應大学で「昭霊空手会」という団体に一時入ってしまって、「なんだ、この団体の人間は」とびっくりしてやめたのだが、昭和の「昭」と霊魂の「霊」で「昭霊(しょうれい)」と書いて「昭霊空手会」として届け出ていたが、それはごまかすための偽名であり、実際は「愛塾」奨励空手会 と言い、自分たちが主張する「愛塾」が愛塾であり、それとは異なる愛塾のあり方は認めないとする空手使いの右翼団体であり、合宿においては「天皇陛下ばんざ~い」と叫ぶなどしていた、「空手使いの右翼団体」だった。笹川良一の次男の笹川堯が「全日本空手道連盟」の会長を務めたというあたりを見ても、慶應の「愛塾」奨励空手会の右翼どもの態度とつながりを感じることができる。
  戦後、GHQが日本の学校教育において日本の格闘技(柔道・剣道・合気道・空手道)を体育の授業でおこなうことを禁止したというが、それは理由がないことではない。それらの格闘技を教えているということにして、その実、右翼思想を吹き込むということが現実におこなわれてきたと認識するべきだろう。

  慶應大学の「愛塾」奨励空手会の創業の時からのメンバーだった辰巳という男(幼稚舎から慶應)が卒業後も「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などと傲慢な文句を口にしていたが、教育されなきゃならんのはおまえだろうが・・と私などは思ったが、この大学のみ慶應大学に行った人間を「(慶應義塾の)外部のやつら」「(慶應義塾の)外部の人間」と失礼な口のきき方をした上で「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などと思い上がった口をきくというのは慶應義塾の内部進学の人間の特徴なのだがその慶應の内部進学の人間が共通してもつ自分たちは「教育する側だ」という思い上がった思想・意識というものは笹川良一だの丸山敏秋だのといった右翼の人間が、自分は教育する側、「親孝行を教えてあげよう」などと言う側だと信念もっている態度と共通するものであり、民主主義に敵対する態度である。 慶應の内部進学の教授や学生が「(慶應義塾の)外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」といった傲慢な文句をしばしば口にするのは、人間は誰もが平等で互いに批判・自己批判・説得・討論・学習といった民主的な方法で国民の間の問題を解決していこうという民主主義の考え方とは正反対のものであり、慶應の内部進学の学校というものは意図的にそういう反民主主義の教育を観念的におおこなっているのであり、その点で慶應の内部進学の学校というのは反社会的勢力と言うべきであろう。
  《ウィキペディアー笹川良一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E8%89%AF%E4%B8%80 には《左右二元論に対して、(笹川)良一は自身を「右翼でも左翼でもない。飛行機に例えれば正翼である」と答えていた。》と書かれているが、慶應大学の「愛塾」奨励空手会の連中は「天皇陛下ばんざ~い」などと合宿で叫んだりしている右翼団体でありながら、「俺たちのことを右翼だとか思うのはやめてもらいたいなあ」などと言っていたのだが、実際には右翼でありながら《自身を「右翼でも左翼でもない。飛行機に例えれば正翼である」と答えていた。》という笹川良一の態度と共通している慶應大学の""「愛塾」奨励空手会""の人間は「笹川先生」と笹川良一を「先生」づけで呼んでいたが、そういう連中が「俺たちのことを右翼だとか思うのはやめてもらいたいなあ」などと言っていたのだったが、《左右二元論に対して、(笹川)良一は自身を「右翼でも左翼でもない。飛行機に例えれば正翼である」と答えていた。》という笹川良一と似ている。( 一一)

  本多勝一『増補 NHK受信料拒否の論理』(1977.3.27.未来社)に掲載の「NHKの労働組合との討論会」には、
《 すでに書いたように、NHKの労働組合としての日放労は、基本的には受信料支払い拒否に反対――すなわち受信料を支払え、という態度である。しかし個人的には、この日放労の方針に疑問を抱く組合員も、もちろんいる。さて、その日放労の中の「教育第五分会」から、ある日 私に討論参加を呼びかけてきた。担当者の誠意はよくわかったし、組合の考えをよく知りたいとも思っていたので、応じることにした。今年(1972年)の4月18日夜、久しぶりにあの渋谷の「放送センター」を訪ねた。・・・
・・・
[組合員] 僕らは100パーセント自分のしたい仕事をしているわけではないけれども、そこには何らかの意義を見出してやっていると思うんです。その限りは対価を要求しなくてもいいと考えられるかどうか。不払い運動にも、納得いくような論理であれば賛成するわけです。納得したいわけです。しかし、不払い運動は右翼もやっていますね。日本空手道連盟という、空手イコール右翼というわけではないですが、そうすると、中で仕事をしている僕自身分からなくなる。不払い運動が広がる方がいいのかどうか。それに我々も連帯するのが本当にいいのかどうか・・・・。
・・・ 》
という日放労組合員の発言が掲載されている。
笹川良一の次男の笹川堯が会長になっていたのは「全日本空手道連盟」で、NHK受信料の不払い運動をやっていたのは「日本空手道連盟」で別の団体だったようだ・・けれども、本来、空手というのは格闘技のひとつであるはずなのだが、どうも、空手と右翼とのつながりというものは否定しがたいものがあると考えざるをえない。パソコン教室からオウム真理教に入った人とかヨガからオウム真理教に入った人がいたのと同様に、空手から右翼に入ったという人もいるのではないか。

  《ウィキペディアー笹川良一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E8%89%AF%E4%B8%80 には、
《本人(笹川良一)はよく冗談めかして、自身が空手の団体や詩吟の団体に寄付をしているから、自身が一声かければ空手家や刀を持った人間が集まると称することもあったが、》と書かれているが、慶應大学の「愛塾」奨励空手会 の人間は昭和天皇・裕仁(ひろひと)さんを「天皇陛下」と「陛下(へいか)」づけで呼び、笹川良一を「笹川良一先生」と「先生」づけで呼んでいた。 どこで読んだか原点が見つからないが、安保闘争の時に警察が笹川邸の警護を申し出たが笹川良一は自分で守るから必要ないと言って断ったらしく、空手使いの右翼学生を笹川邸に配備して「左翼」学生が笹川邸に乱入することがあったならば返り討ちにする準備をしていたが乱入してくる「左翼」学生はなかった・・とどこかに書かれていたのを見た記憶がある。大学の空手会と右翼・笹川良一との関わりは要注意のようだ。 そういう笹川邸の警護に入るような空手使いの大学生というのは、たとえ、空手という格闘技をやっても、大学は大学でも「下の方の大学」の大学生がやることで、「ある程度以上の大学」の学生というのは小学校から高校までのお勉強をしてきた人間であるから、笹川良一ら右翼の手下として「左翼」学生を返り討ちにするための武装勢力としての役割なんかしないだろう、そういうことをするのは亜細亜大か拓殖大かそういう「右翼怖そう系」の私立大学の学生だろうと思っていたのだが、慶應大学というのは「東大京大の方の大学」の側なのか「拓殖亜細亜大国士館大の方の大学」の側なのか、どちらなのだろうかと思ったのだが、慶應大学の「愛塾」奨励空手会の人間を見て、その部分においては慶應は「東大京大の側の大学」ではなく「拓殖亜細亜大国士館大の側の大学」なんだな・・と実感した( 一一) 
  慶應大学で「体育理論」という講義体型の必修科目があって、そこで慶應の体育会の教授が「スポーツというのは殴るから強くなるんであって『殴らないスポーツ』なんてものはスポーツじゃないんだよ。高校の運動部でも『強い所』はどこでも殴ってるんだ。」などと「講義」なさるので、慶應の体育会の教授というのは「程度低いな( 一一) 」と軽蔑した。 まず、高校の運動部で「強い所」とその慶應の体育会の教授が言っている所というのは、それは強いか弱いかの問題ではなく「野球と喧嘩は負けへんぞお」というタイプの不良高校のことを言っている。公立進学校というのは、もともとは運動部も決して弱くなかった。北野高校の野球部は戦後すぐの時代、1949年にセンバツ大会で全国優勝している。〔選抜大会トーナメント勝敗表 https://mainichi.jp/graphs/20170209/hpj/00m/050/001000g/20170209hpj00m050021000q 〕その時、決勝戦では多湖と山本という2人の選手が投手として投げたらしいが、山本さんは4番打者でもあったらしく、1970年代後半、私が北野高校の生徒だった時、2年の時だったか3年の時だったかに文化祭に講演に来てくれたが、北野高校で野球部にいて選抜大会優勝チームで4番打って投手もやった上で京都大学法学部に合格して弁護士になったらしい。夏の大会でも北野高校の前身の北野中学校は戦前、1927年に夏の大阪府大会で優勝している。1948年の夏の大阪府大会の決勝戦は北野高校 対 天王寺高校の進学校対決で天王寺高校が勝って優勝している。〔夏の甲子園 大阪府大会 https://hsbb.jp/osaka/senshuken/ 〕。最近では、大阪桐蔭高校なんてのは片方で野球部は毎年のように甲子園大会に出場して今やPL学園に変って全国一の野球の名門になったがそれはスポーツクラスの野球部のことで、インターネットで大阪桐蔭高校のホームページを見ると他方で進学コースの生徒用に進学コースの野球部というのがあるらしく、「進学コースの野球部」は毎日練習は2時間のみと限定して2時間を過ぎると必ず野球の練習はやめるということが厳守されていて「スポーツクラスの野球部」とはまったく別らしく、大阪桐蔭高校からはここしばらく京大や阪大に何十人か合格者を出しているけれども、北野高校・天王寺高校のような「文武両道」ではなくて甲子園大会に出場してプロ野球選手になる人間と京大や阪大に合格する人間は別人・別コースの人間で「文武分業」らしい。そういう「文武分業」タイプの私立高校がいくつかできてくると、さすがに「文武両道」型公立進学校はそう簡単には勝てないみたいだが、北野高校のラグビー部は1980年代、橋下徹が3年の時、大阪府から全国の大会に出場した3校の中に入り、全国大会でも2つ勝って、3試合目にラグビーの名門中の名門・伏見工業と花園ラグビー場で対戦して負けたが、決してぼろ負けではなくけっこう善戦したようだ。但し、うちの父親などは「進学校の生徒やのにからに、伏見工業とラグビーやってエライなあ、エライなあ」などと言っていたが、「えらい」かどうかはよくわからない。伏見工業高校のラグビー部のやつというのは大学に進学するにしても就職するにしてもラグビーで進学したり就職したりするのであり、自分らはスポーツ入学で大学に行くわけでもなく一般入試で京大とか東大とかに行こうという人間なのに、そういう高校の人間と高校3年の1月になってまで花園ラグビー場でラグビーやってるやつて、それで現役で東大とか京大とかに通ればいいけれども落ちるやつて・・・、もしかしてアホちゃう~う? て気もしないことないのだが、えらいかアホかはさておき、公立進学校の運動部というのは決して弱いということはないのだ。野球については、戦後すぐの頃までは大阪府の高校野球でも、北野・天王寺のような「勉強もスポーツも負けへんぞお」タイプの高校があり、他方で、固有名詞をあげなくても知っている人は知っているだろうけれども「ケンカと野球は負けへんぞお」タイプの「不良の高校」があって、慶應の体育会の教授が「体育理論」という必修科目の講義でのたまわれた「高校の運動部でも強い所」というのは「ケンカと野球は負けへんぞお」タイプの「不良の学校」のことだそういうものを肯定したがる人間に「体育理論」という必修科目の講義を担当させている慶應大学という大学は、スポーツに関しては「学業もスポーツも負けへんぞお」という「文武両道」型進学校タイプの学校ではなく「ケンカと野球は負けへんぞお」タイプの「不良の学校」タイプの学校だと判断せざるをえない( 一一)  まあ、内部進学の体育の教授なんて、もともと「その程度の人」なのだろうけれども( 一一)

  《 1914年(大正3年)3月、豊川村尋常高等小学校(のちの茨木市立豊川小学校)高等科卒業。作家の川端康成とは小学校の同級で、祖父同士が囲碁仲間であった。》と《ウィキペディアー笹川良一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%B7%9D%E8%89%AF%E4%B8%80 には書かれているが、実際のところ、たいした小説でもないように思える『雪国』なんてもので川端康成がノーベル文学賞を受賞したというのは、もしかして、笹川良一が川端康成と小学校の同級生だったとかいうのが関係しているのだろうか・・・などと思えてこないこともない。
  戦後、日本が「アメリカ(合衆国)のメカケ」としての位置づけが定着したことから、日本の国際的地位を上げようとダンナが思われて、それで、日本人からボクサーの世界チャンピオンとミスユニバースとノーベル賞受賞者を出そうとダンナがお考えになって、ミスユニバースなんてものの選考基準なんてあってないようなものだし、ボクシングのチャンピオンは力が落ちてきたチャンピオンと全盛期に対戦できるかどうかが大きく影響するし、そして、ノーベル賞でも平和賞と文学賞は特に選考がいいかげんと見られている。そもそも、ノーベル文学賞で日本人の作家の作品を選んだ選考委員というのは日本語を読めるのか? ・・という疑問がある。
  「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と書いていたが、それはたしかにそうだ。「へえ~え。そうかあ、それで、パパはノーベル賞をもらわないんだな。なるほど~」と娘から言われたと なだ いなだ は書いていたが。
  アメリカ合衆国さんが日本人から誰かノーベル文学賞を受賞させようとお考えになって、その候補者として川端康成のほか、三島由紀夫・志賀直哉・井上靖と誰だっけ、何人かが候補者に名前が出たが、志賀直哉というのはノーベル賞を胡散臭いものと見ていたことから、志賀直哉に授賞させるとサルトルみたいに辞退しよる可能性があり、せっかく授賞させたのに辞退されてはかなわんとして志賀直哉は忌避。三島由紀夫は逆に欲しがりであったが、なにしろ、日本刀持って自衛隊の駐屯地に乗り込んだりやりかねない人なので「ノーベル賞作家」にそういうことをされてはかなわんのでこれも忌避。その点、井上靖は穏健派で、左翼でもなく「リベラル」な人であり良さそうだが、『天平の甍』『敦煌』『蒼き狼』など中国を舞台とする小説を書いており、中国人の作家ともつきあいがあるようで、社会主義の国である中華人民共和国の作家とつながりがある作家は避けた方が良さそうとして忌避した?  ・・で残ったのが、「たいしたことない作家」だけれども人畜無害な川端康成だった・・・・て、なんかありそうな話で、「笹川良一と小学校の同級生」というのも関係したのか? とか考えそうになるのだが、そうなのかどうかはわからない。

  大阪府茨木市宿久庄(旧:三島郡豊川村宿久庄)に川端康成旧邸があるが、あくまで、ここですよおということであって内部を見学できるわけではないようだ。 笹川良一と川端康成は豊川小学校の同級生だったらしいが、笹川良一の生誕地の箕面市小野原と川端康成旧邸のある茨木市宿久庄とはけっこう離れている。 旧豊川村は西側が箕面市、東側が茨木市と合併して2つに分かれたのだが、笹川良一の生誕地の小野原は箕面市の側、川端康成の旧邸のある宿久庄は茨木市の側になったようだ。

  阪急「箕面」駅の北東のあたりに笹川良一邸があるという話を聞いたが、それがどこなのか、よくわからない。

  磯田 道史(いそだ みちふみ)『天才から日本史を読みなおすー先人に学ぶ防災』(2014.11.25.中央公論新社 中公新書)には次のような話が出ている。
《 1734年(享保19年)、土佐藩主が、参勤交代のため高知城を出発し、藩のお歴々とともに御座船に乗って、浦戸港まできた。江戸までの船路は遠い。武士たちは、めいめいに自分の昔語りをはじめた。その時、柏井 貞明(かしわい さだあき)という武士が、「自分の家族は、この浦戸港のとなりの種﨑で(27年前の)宝永大地震の津波にあい、自分は津波のなかから、稀有にして、命難をのがれた」と語りはじめた。その場にいた武士たちは、一同、驚き、「その次第をつぶさに語れ」といった。そして、その証言は貴重とされ、詳細に書とめられて、今日に残された。
  それが「柏井氏難行録(かしわいしなんぎょうろく)」である。江戸時代の武士家族が巨大津波に襲われ、避難するさまを生々しく述べた稀有な記録で、最近研究も出た(西尾和美「宝永4年地震の中の家族とその資料」『災害・復興と資料』第4号)
  種﨑は、海に長くのびた砂嘴(さし)の先端にできた集落であり、津波から逃げようにも、周囲に高いところがない。よくぞ、そこに生存者がいた、と、御座船に同乗した武士一同が思ったのは不思議ではなかった。
・・・・・
  語り部となった柏井貞明はこの時、数えで九歳。家族は祖母、父・実慎、母、兄(数え12歳)、妹(同5歳)、弟(同2歳)の七人。このほかに奉公人がいたから、家内は八人をこえる大所帯であった。
  1707年の宝永津波がきた時、この一家は、不幸なことに、津波から逃げにくい場所にいた。高知市の「種﨑」である。ここは特殊な地形だ。山から海に向かって、鳥のくちばしのような砂浜の岬が海へと延びている。2キロほど延びたその岬の突端に住んでいたのである。・・・・
  いきなり、家族は地震に襲われた。家が倒れると思い、全員が庭に走り出た。九歳の貞明は父とともに、南の庭に出て、さらに門外に出た。そこには信じられない光景がひろがっていた。海が干上がっていたのである。九歳の貞明も、父も、その時は、これが津波の引き潮だとは気付かなかった。・・・
  この時代、「孝」が重要であった。揺れがおさまってくると、貞明の父は必死で自分の母である祖母の安否を心配した。ようやく裏庭で祖母を発見。家族七人と奉公人の全員が無事合流できた。
  祖母がいった。「これは『なや』(地震)というものだ。こういう時は藪に入るものだ」。それで一家は家の北にある藪に入った。この時代、年長者の知恵と発言は重い。揺れに備えるには藪の中がよい、という昔からの言い伝えに従ったのだが、この判断は誤りであった。種﨑のような海辺の低地では、一刻もはやく、高台へ移動しなければならない。この一家は祖母の一言で、貴重な避難時間を空費してしまったのである。
  だが、その時、この一家の運命を決める幸運な情報が耳に飛び込んできた。東の海辺の町のほうから、こう呼ばわる声が聞こえてきた。「大浪が市中に入るぞ。みな、山に入れ」。その声で一家は、津波の危機に気付いた。山へ向かって、逃げることにしたのである。
・・・・
  しかし、ここで、またもや、この武士の一家は時間を無駄にする。避難にあたり、先祖代々の刀を倒れた家から取り出そうとしたのである。・・・
  「柏井氏難行録」には教訓が詰まっている。
  人間は制度や思想から自由ではなく、しばしば、災害避難もまたそれに妨げられる。すぐに逃げるべきところ、貞明の家族は身分に避難を邪魔された。武士であったので、先祖伝来の刀を倒壊した屋敷から取り出すのに、時間をかけてしまった。それでも家族七人と奉公人は急いで高台への批難を開始した。
  貞明の一家は種﨑(高知市)という海抜2メートルの砂の岬の先端にいた。約2キロ先に仁井田(にいだ)という村があり、そこまで歩けば、山がある。約1.5キロ歩けば、二本松という小高い場所があり、そこは海抜11メートル(間城龍男『宝永大地震ー土佐最大の被害地震』)で、最高所は13メートルある。だから、大人の足で歩けば、その安全地帯に逃げ込めるはずであった。
  しかし、違った。江戸時代は孝(親孝行)が何よりも重視される。父は老いた祖母の手を引き、歩くのが一番遅い老婆の歩みにあわせて、避難をはじめた。かわいそうだったのは、12歳の兄であった。江戸時代の子どもは12歳でもしっかりしている。背中に先祖伝来の重たい刀を背負い、幼い貞明にも、やや軽い脇差しがわたされた。兄は母を守る役目となり、ちいさいのに、奉公人に二歳になる弟を抱くよう指示して逃げはじめた。
  仁井田の山をめざして、およそ「十余町(1キロあまり)」北に歩いたところで、異変を感じた。逃げ行く群衆が、なんだか、わからないが、かなしい声を出して、わめきはじめた。振り返ると、「1町(109メートル)」ばかり後ろに、真っ黒な煤(すす)のような津波がみえ、人々の足元にあふれてきた。その水先は電光のように、たちまち、あふれてきた。
  逃げていく、数千の人の声が「わあ、わあ」と、蚊やアブのように聞こえてきた。
  この時、種﨑を襲った津波の高さには諸説あるが、近年の研究によれば、11メートルとされる(間城前掲書)。貞明の一家は海抜10メートルほどの地点まで逃げていたが、あっという間に、津波が頭上まできて、みんな溺れた。貞明は必死に、前方、左の生け垣の木にしがみつき、水に耐えた。流れてくる板戸に乗ろうとしたが、乗りそこなって、たちまち黒い波のなかに沈んだ。そこへ、誰かは知らぬが、人が流されてきたので、その人の脇差しをつかんだ。はなれまいと、帯にしっかり取りついた。波の中なので、誰かわからなかったが、みれば、自分の父であった。
  父は背中に幼い妹を背負っていた。しばらくして、津波は父の肩をひたすばかりの深さになった。かえりみると、なんと祖母が津波に流され破壊された家屋のそばで危うくなっていた。父は驚いた。そこに助けにいこうとするが、背中に子を背負っている。行かなければ、祖母は死んでしまう。
  ここで、この父は現代社会では考えられない挙に出た。「しかたなく、背負った女子を波中に投げ捨て、波をしのぎ、かろうじて、母(祖母)のもとにいたる」。数え5歳の娘を波に投げ捨て、老母を助けにいったのである。江戸時代、孝はそれほど重かった。
  災害時には、平時の慣習や規則が、人命を損ないかねない場合がある。現代人も心すべきだ。
・・・・  》
うちの父親はこういう話が大好きだった。「親孝行のために、親孝行のために、ためにっ、ためにっ、ためにっためにっ! わしのためにじゃ、わしのために。わしのっためにっ、わしのっために。すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。捧げ尽くす、捧げ尽くす、わしのためにすべてをすべてを捧げ尽くす。犠牲になる、犠牲になる、わしのために犠牲になる。犠牲にする、犠牲にする、すべてをすべてをわしのために犠牲にする! 犠牲の精神、犠牲の精神、わしのために犠牲になる犠牲になる! てってこっこテッテテッテらったらったらったら、テッテコッコてっててってラッタラッタらったらああ~あ! わしのために、わしのために。すべてをすべてをわしのために。あ~いっらいっらしてきた。いっらいっらしてきた」と言うのだった。《数え歳5歳の妹を波に投げ捨て》「わしのために尽く~す」というのが大好きなおっさんだった。おそらく、笹川良一とか丸山敏秋とかいった人間もこういうお話が大好きではないか。
  但し、まず認識しておかないといけないことは、こういった「お話」というのはすべてが本当の話とは限らない、ということだ。 そして、年寄と子供とどちらか片方は助けることができても両方を助けることはできないという状況になった時、その時、たまたま、年寄の方を助けて子供を犠牲にしてしまったという親があったとして、それを「美談」にして広める人がいたとしても、それを美談と考えるべきものなのかという問題があり、又、その人はその状況でその判断を取ったかもしれないが、人によっては別の判断をした場合もあるかもしれない、ということも頭に入れるべきではないか。・・東日本大震災の時、津波から逃げようとした際に、老母を連れて逃げようとしたら、老母が自分を置いていけと言ってきかず、自分を置いて一人で逃げろと怖い顔をして命じ、しかたなしに母を見捨てたという人の話を読んだが、その人だって何も見捨てたくて見捨てたのではないだろう。それを、おのれは自分自身がそういう立場に立ったわけでもないのに、「親こっこっこ、親こっこっこ、おやおやコッココ、おやコッココ♪」などと言って、子供を犠牲にして親を守れと「親孝行を教えてあげようと言ってるんだ」とか言うヤカラというのは、そのヤカラこそけしからん人間だと言うべきであろう。
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書) - 磯田 道史
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書) - 磯田 道史
「おやおやコッココ、おやコッココ♪ 朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃわしにじゃわしになんじゃいらいらあ。すべてをすべてをわしのために。わしのためにささげ尽くす。わしのために犠牲になる。犠牲になる。犠牲になる。犠牲の精神、犠牲の精神。わしのために、すべてをすべてを犠牲にする! わしのために犠牲になって捧げ尽くす。すべてをすべてをわしのために犠牲にする! てってこっこテッテてって、ラッタラッタらったら♪ てってこっこ、テッテテッテらったらったラッタラ♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは! いっらいっらしてきたあ、いっらいっらしてきたあ! 木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ! 贅沢は敵だあ! とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために、ためにっためにっためにっためにっ!」と言われ続けてきた、毎日毎日、耳元で言われ続けてきて、その文句は今も耳元でわんわん唸っている・・・が、そういう考え方を取るとどうなるかというと・・・⇒子孫をなくすことになる・・・
  そんなこと言っても、この磯田 道史(いそだ みちふみ)『天才から日本史を読みなおすー先人に学ぶ防災』(2014.11.25.中央公論新社 中公新書)に登場する柏井 貞明(かしわい さだあき)の父親は子供の方を波に投げ捨てて老母を助けに行ったではないか・・と言う人が出てくるのではないかと思うが、その頃は子供の数が今よりも多かったはずだ。子供がいっぱいいる家族においては子供を見捨てて親を助けたとしても子孫を無くすということにはならないが、今のような子供の数がそれほど多くない時代においてそれをやると、子孫を無くすことになる。うちの父親がやったのはそれだった。年齢が高い者が年齢が低い者の犠牲になって年齢が低い者を守ったならば、年齢が低い者が守られて子孫が続くということはあるが、うちの父親のように「わしのために、犠牲になる、犠牲になる。いつでも何でも犠牲になる。わしのために犠牲になる」といって自分の犠牲にしようとするならば、年齢の低い者の方が犠牲にされた結果はどうなるかというと、子孫をなくすことにつながる。そんなこともわからんのか、とも思ったがわからん男だった。又、なにゆえ、「犠牲になる」ための子供を産むのかとも思ったが、「女が産みやがったんじゃ、女が。産まんかったらよかったのに。産まなかったらよかった人間を女が産みやがったんじゃ」とおっさんは言うのだった。私はおっさんにとって「産まれてこなかったら良かったのに産まれてきやがったんじゃ」という人間だったそうだ。そんな子供なら産まなかったらよかったのにね。うちの母親が言うにはうちの姉と私との間で何人も子供を人工中絶で流したそうだが、うちの父親は「おまえさえ産まれてこなかったらみんなが幸せになってんぞお」と毎日叫んでいたのだが、私も人工中絶で流しておけば、そうすれば「みんなが幸せになった」のではないのかと思う。90代のうちの母親にそう言ったところ、「あんたが産まれた時はうれしかったんや」と言うので、「そんなはずないでしょ。『よくも産まれやがったな、このチャンコロめがあ』とおじいさん、毎日毎日、言ってたでしょう。私も流せば良かったのに」と言うと、うちの母親は「あんたが産まれた時はものすごくうれしかったんや」と言って泣くのだが、「もう、90代も後半になってまで嘘言わなくてもいいでしょう。『産まれてこなかったら良かったのに、よくも産まれやがったなあ』とおじいさん、毎日毎日、朝から晩まで言ってたでしょう。『おまえさえ産まれてこなかったらT子さんは奈良女子大に通ったのに、よくもT子さんを奈良女子大に落しやがったな』『おまえさえ産まれてこなかったらA子さんは離婚しなかったのに、よくもA子さんを離婚させやがったなあ』と、おじいさん、毎日毎日、朝から晩まで叫んでたでしょう。どうして私を人工中絶で流さなかったの。私も人工中絶で流しておけば、そうすればみんなが幸せになったのに、なんで私を流さなかったの」と言ったのだが、「あんたが産まれた時は本当にうれしかったんや」と言い続けて認めないのだった。
  「親のために犠牲になる」といった「道徳」を教えたがる人というのがいるが、そういう「道徳」を広めるというのは、かつて「間引き」といったことがおこなわれたような時代、産まれてくる子供は多いけれども育てることができる子供は必ずしも多くないという時代に、何人かいる子供の中の一部の子供を犠牲にして、残った子供を育てる労働力でもある親を守ることで残りの子供も守るという「智慧」だったのではないか。それを産まれる子供の数はそう多くないが、産まれてきた子供のうち成人まで育つ子供は比較的多いという現代においては、「親のために犠牲になる。犠牲に犠牲に犠牲に犠牲に」とうちの父親のようなことを叫びまくっていたならば・・⇒子孫をなくす・・という結果になるのではないか。おっさんは、その程度のこともわからんのか・・とも思ったが、わからんおっさんやった。「わしのために。わしのために。わしのために犠牲になる。いつでもいつでもわしのために犠牲になる。犠牲の精神、犠牲の精神。犠牲に犠牲に犠牲に犠牲に」と叫びまくっておった。
「わしはブッダ、ぶっだ、ブッダ、ぶっだ~あ! わしはブッダやぞお、わしはゴータマシッダールタ! わしはキリストやねん、わしはキリスト。わかっとんのか、わしはスーパーマンで完璧超人やねんぞお。わしは完璧超人。そやのんにからにイライラしているっ! ブッダでキリストで孔子で孟子で聖徳太子でヒットラー総統でスーパーマンで完璧超人やのんにからにイライラしているってことは・・、即ちおまえが悪いちゅうことや! ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。ひとのせいにするような人間は人間として最低の人間やぞ、最低の人間。何でも悪いのんはおまえやのにからにおまえみたいに『なんで、それが私のせいなんですかあ』と言うやつのことを心理学では『外罰的性格』と言うねん。『外罰的性格』やぞ、覚えておけよチャンコロろすけイタコ! わしは絶対にイライラせえへんねん。そやのんにからにイライラしているってことは、おまえのせいやっちゅうことなんじゃ。イッライッラしてきたあ、イッライッラしてきたあ~あ! イッラいっらイッラいっらしてきたしてきたしてきたしてきた♪」と毎日毎日、四六時中、おっさんは叫んでいたが、毎日毎日、四六時中、聞かされてもう疲れた・・・。実際のところ、””完璧超人””とつきあうのは疲れるわ・・・。「おまえはこのわしのことをもしかすると『普通のお父さん』と勘違いしてるかもしれんけれどもなあ、実は違うねんぞ、実は。実はわしは完璧超人のお父さんやってん、知ってたか」と言うのだったが、知らんかった。それよりも「普通のお父さん」の方がええわあ・・と何度も何度も思ったものだった。「わしは『完璧超人のお父さん』やねん、わしはあ」とおっさんは言うのだったが「完璧超人のお父さん」とつきあうのは本当に疲れる・・・。

  ・・ともかく、こんな「孝養の像」などというものは実にくだらん。つくづく、ちっぽけな像である。実際のところ、カケヤ持って行ってぶっ壊してやりたい気持ちである。時々、この石像の横に立って記念撮影しているおばさんを見るが、何がいいのかよくわからん。

  次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html は、一の橋から瀧安寺へ。

  (2023.3.18.)


S&B ミル付き岩塩とブラックペッパー 32g×5個
S&B ミル付き岩塩とブラックペッパー 32g×5個
ところで、ヌートバーが好きな「ペッパーミル」て、これ ↑ かあ?
  YouTube の動画にもヌートバーのプレーが出ているが、手を抜かない真面目な姿勢のプレーには好感を持つ。1987年、ボブ=ホーナーというアメリカ合衆国のメジャーリーグの選手がヤクルトスワローズに来たのはいいが、矢鱈とえらそうな態度で、結果としては 打率327. 本塁打31本、打点73打点と悪くはないが日本人選手でもそのくらいの成績を残す選手はいるのではないかというくらいの成績で〔《ウィキペディアーボブ・ホーナー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC 〕、かつ、高い年棒とってるわりに、なにかと腰が痛いわどこが痛いわ言いまくって休みまくって1年でアメリカ合衆国に帰り、あげくのはてに『地球の向こう側に別のベースボールがあった』などという本まで出した。そんなに日本と日本人と日本のプロ野球が嫌いなら来るなよて感じがした。彼がアメリカ合衆国でどんなに優秀な選手であったとしても、日本では「腰がいたいわ」どこが痛いわ言いまくって休みまくり、勝手なことばっかり言いまくったやつ・・というもので感じわるかった。元阪急ブレーブスの山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で、「メジャーリーガー」と鳴り物入りで来日するような選手というのは、プライドばっかり高くて日本と日本のプロ野球を見下していて、そのわりにたいしたことない選手が多いと思っていたと書いていたが私もそういう印象を受けていた。しかし、オグリビーという選手が近鉄に来た時、山田は印象が変わったという。元メジャーリーガーでもプロ野球の選手としては高齢の方の年齢のオグリビーは来日すると、いついかなる時も全力疾走・全力プレー、「全力疾走・全力プレーこそ一流の証」という姿勢だった。その姿を見てオグリビーはかっこいいと思ったと山田は書いていた。そして、近鉄が西武と優勝を争って最後の最後、ロッテとの2連戦を連勝すれば近鉄の優勝というところで1勝1引き分けに終わって優勝を逃したあと、残宴会の席をオグリビーはこっそりと抜け出し、トイレで一人泣いていたという話を聞き、なおさらオグリビーはかっこいいと思った、と山田は書いていた。ヌートバーのプレーを見ると、日本と日本のプロ野球を馬鹿にするホーナーのような態度か、そうではなく「全力疾走・全力プレーこそ一流の証」という姿勢かというと動画を見ると後者の方の姿勢のように思え、その点に好感を持つ。・・しかし。
  しかし、その片方で「君が代を大きな声をあげて一生懸命歌っていた」というが、天皇制の歌である「君が代」といったものを日本の国籍でもない者が大きな声で一生懸命歌うということで天皇制と「君が代」を日本国民に押しつけようというのでは、それでは笹川良一の指示にしたがって「戸締り用心、火の用心♪」とかやっていた高見山と変わらないではないか・・と思うと、ヌートバーもなんだかなあ・・・という感じがする。
天皇制 (東大新書 (6)) - 清, 井上
天皇制 (東大新書 (6)) - 清, 井上
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行
  (2023.3.21.)

☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。〔今回〕
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿(客殿)のエリアへ。圓満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿(客殿)。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷の踏込式・「敷込袋」の床脇https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ着色が周囲と調和。西・南・東より見て https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。浜口雄幸狙撃と安倍晋三銃撃は意味合いが違う。統一教会・倫理研究所などの迷惑な「宗教右翼」を何とかしてくれ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html

☆ 箕面山 聖天宮 西江寺1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html 

☆ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック