瀧安寺と鳳凰閣【7/13】弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。地名はそれぞれの地域の地元の人の呼び方・発音が標準語だという常識を理解できない鉄坊主さんを軽蔑する。相手が関西出身だと思うと一生懸命、大阪と阪神タイガースの悪口を言う「東京もん」、埼玉県人は東京人・神奈川県人の下で栃木県民・茨城県民・群馬県民より上で、大阪の人間は栃木県民・茨城県民より下の静岡県民より下のドジンだと思っているちっぽけな「東京人・神奈川県人より自分たちは下だと規定している埼玉県人」。

[第985回]
  箕面山 瀧安寺 の観音堂と大護摩道場との間を山側に(西に)登る石段がある。↓
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  この石段を登っていくと、石段の上の方の左手に、↓
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↑ 左から2番目の石塔には、「奉修 役ノ行者 一千三百年忌」と彫られていますが、他の4つは何と書いてあるのかよく読めません。 「奉修 役ノ行者 一千三百年忌」については、役行者(えんのぎょうじゃ。役小角 えんのおづぬ)は伝説上の人物という性格があるので、実際に1300年なのかどうかという点についてははっきりとはしません。「伝説上の人物という性格があるので」というのは別に役行者をけなしているわけではありません。だって、箕面の山には「天上か」と言って、そこから役行者が雲に乗って中国まで飛んで行ったという伝説がある場所とかもあるわけで、ナザレのイエスは実在した人間であっても実際に存在した「歴史的イエス」と違って水を葡萄酒に変えたとかいった「宗教的イエス」は伝説としての存在であるのと似ているかと思いますが、役行者は箕面の山の「天井か」と言われる所から雲に乗って中国まで飛んで行ったとかそのあたりについては、やっぱり「伝説」だと思うのです。

  石段を登り切った所を右折すると、↓
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↑ ここを直進した先に弁天堂 があるのですが、11月下旬においては紅葉した樹木に囲まれた参道は、紅葉の季節において滝道とはまたちがった趣があります。
  
  参拝の順番に決まりがあるわけではないと思いますが、私は本堂をまず訪ねて、それから他のお堂に足を運ぶのがよいと思ってそうしましたので、ここではその順番で進みます。石段を登った所を右折して進むと、鳥居があり、鳥居の向こうに弁天堂が見えます。↓
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↑  鳥居の額には「辨財天」と書かれています。

  鳥居をくぐって直進すると、↓
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↑  弁天堂

  弁天堂の右側(東側)に行って見ると、↓
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↑ 正面から見える建物〔この東側から見た写真では左側の建物〕は拝殿で、その奥の建物〔東側から見たこの写真では右側の建物〕が本殿のようです。 しかし、「石の間造り」とされる北野天満宮・日光東照宮・上野東照宮などでは拝殿と本殿の間に幣殿・石の間という建物があって拝殿と幣殿をつないでいるのですが、箕面山 瀧安寺の弁天堂では拝殿と本殿は別々に独立した建物で、その間はつながっていないようです。
※ このあたりについては、[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html でも述べました。
  弁天堂の本殿の後ろは滝道に階段なしでつながっています。 瀧安寺は箕面駅の方から滝道を歩いてくると、滝道から鳥居を経て山門・観音堂に至るエリアに行きますが、滝道を瀧安寺に入らずに進むと、瀧安寺の観音堂の後ろから石段で登った上の弁天堂などがあるエリアの弁天堂の後ろの位置で滝道から階段なしで入ることができます。寺や神社の参拝は正門から入るのが王道かもしれませんが、もしも、高齢の人などで石段を登るのが大変だという人で弁天堂に参拝したいという人は弁天堂の後ろから入るということもできます。
※ 箕面山 瀧安寺HP https://www.ryuanji.org/
箕面山 瀧安寺HP 「境内案内図」https://www.ryuanji.org/map

  弁財天とは、《ウィキペディアー弁財天》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A9 を見ると、
《 弁才天(べんざいてん、梵、巴: Sarasvatī、巴: Sarassatī)は、仏教の守護神である天部の一つヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名である。神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた。》
《 日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることが多い。》
《 「サラスヴァティー」の漢訳は「弁才天」あるいは「辯才天」であるが、日本では財宝神としての側面に信仰が集まり、「弁財天」や「辨財天」と表記する場合も多い。》
と書かれている。


 弁天堂の左手、山側に4つの建物が見えます。↓
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 ↑ 一番左、幟が立っているのが「白龍大明神」

 その右が、↓
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↑ 「箕面山神社」

 さらにその右の3軒長屋は ↓
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↑ 「熊野三所権現社」
  熊野三社について、伊矢野 美峰(いやの びほう)監修『目からウロコの修験道』(2006.3.31.学習研究社)には、
《 熊野  
 熊野本宮大社・那智大社・速玉大社を熊野三山といい、平安時代から熊野詣での聖地となってきた。那智大社と一緒に西国三十三観音の第1番、青岸渡寺がある。・・・
熊野本宮大社▼和歌山県田辺市本宮町 ・・・ 》
と書かれています。熊野三所権現の社が弁天堂の脇にあるあたりを見ても、修験道の寺という感じがします。
目からウロコの修験道 (わたしの家の宗教シリーズ) - 美峰, 伊矢野
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  久保田展弘(くぼた のぶひろ)『山岳霊場 御利益旅』1996.8.10.小学館)には、
 《 熊野三山は、いずれも海と川が山とセットになった霊場である。
 紀伊半島の南端に近い那智、熊野川の河口に聖域をもつ新宮、そして熊野川が内陸で音無川と合流する地にある本宮。 しかも三山はもともとそれぞれが独自の宗教世界であった。それが、仏教の仏・菩薩は、人々を救済するために、日本固有の民族神・在地の神の姿をとって現れたのだという「本地垂迹説」が広まってきた平安時代以降、三山は熊野という、一つのまとまった聖地意識の中で受けとめられることになる。
  食物神であり、穀霊神である家津御子(けつみこ)神をまつる本宮の本地仏は阿弥陀如来であり、速玉(はやたま)神をまつる新宮の本地仏は薬師如来だった。さらに夫須美(ふすみ)大神をまつる那智の本地仏は千手観音で、三山は同時に熊野三所権現の名でよばれたのである。
・・・ 》
と書かれている。
山岳霊場御利益旅 (ショトル・トラベル) - 久保田 展弘
山岳霊場御利益旅 (ショトル・トラベル) - 久保田 展弘
  熊野というと、内田康夫『熊野古道殺人事件』にも登場しますね。
熊野古道殺人事件 (光文社文庫) - 内田 康夫
熊野古道殺人事件 (光文社文庫) - 内田 康夫

  白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現 の左手前に ↓
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↑ 中央に「奉納 大黒天」、左手前の柱に「大黒天尊」、右手前の柱に「恵比寿天尊」と書かれています。箕面山 瀧安寺HP 「境内案内図」https://www.ryuanji.org/map には「大黒堂」《恵比寿、大黒の二尊天。商売繁盛で名高い。》と書かれています。元々は大黒天を祀っていたが後に恵比寿天もともに祀るようになったので、大黒堂だけれども手前左右の柱には「大黒天尊」「恵比寿天尊」と書かれている・・のかとも思いましたがそうであるのかどうかはわからない。
  瀧安寺では、石段を登った右側のエリアに、弁天堂で弁財天、その手前左の大黒堂で大黒天と恵比寿天を祀っており、又、《ウィキペディアー瀧安寺》 には《本堂(弁天堂):後水尾天皇の寄進で、奥殿と拝殿から成る神社形式になっている。本尊に弁財天像、脇尊に毘沙門天像と大黒天像を安置する。》と書かれており、弁天堂では弁財天とともに毘沙門天と大黒天も祀られているらしいので、「七福神」を参拝するのなら、他の福禄寿・寿老人・布袋の3神は他の寺社で参拝するとして、ここで七福神のうち弁財天・毘沙門天・大黒天・恵比寿天の4神を参拝することができるのですが、阪急電鉄と沿線の寺社が共同でやっている阪急宝塚線・箕面線沿線の「西国七福神」https://www.hankyu.co.jp/area_info/brochure/7ifuku/ は、
東光院・萩の寺(豊中市。最寄駅:宝塚線「曽根」もしくは「服部天神」)・・・毘沙門天
圓満寺(豊中市。最寄駅:宝塚線「蛍池」)・・・福禄寿
西江寺(箕面市。最寄駅:箕面線「箕面」)・・・大黒天
瀧安寺(箕面市。最寄駅:箕面線「箕面」)・・・弁財天
呉服神社(池田市。最寄駅:宝塚線「池田」)・・・恵比寿神
中山寺(宝塚市。最寄駅:宝塚線「中山観音」)・・・寿老人
清荒神・清澄寺(宝塚市。最寄駅:宝塚線「清荒神」)・・・布袋尊
・・・と、7寺社で分担しており、大黒天は同じ箕面市の西江寺、恵比寿神は池田市の呉服神社が担当になっています。
正月に一生懸命「七福神めぐり」として7カ所まわる人がいるのですが、私は東京都江東区・墨田区の深川七福神を正月に7カ所まわったことがあるのですが〔[第1回]《深川七福神~千葉・東京の建築(1)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201101article_1.html 〕、7カ所も1日にまわったら印象も薄らいでしまいますし、移動するだけで疲れてしまいます。やっぱり、寺社の参拝は「1日・1寺」「1日・1社」が原則だと思います。何か所も訪問するよりも1か所に時間をかけて気持ちを注いで訪問した方がいいように思いました。
  「西国七福神」については、そのうち、中山寺と清荒神は駅名にもなっており、宝塚線にはもう1社、売布神社(めふじんじゃ)が駅名になっています。〔最近では「服部」が「服部天神」に駅名がかわりましたので、服部天神も駅名になっている寺社ですね。〕私は「西国七福神」では東光院・萩の寺、西江寺、瀧安寺、中山寺、清荒神・清澄寺の4寺・1社に参拝したことがあります。できれば、圓満寺と呉服神社にも足を運んでみたいものだと思います。

  大黒堂の手前(南側)に、↓
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↑ 額には「神変大菩薩」と書かれているようです。

  その後ろ、西側、山側に、↓
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↑ 右手前の石碑とお堂の入口の上の額には「神変大菩薩」と書かれています。
箕面山瀧安寺HP の 「境内案内図」https://www.ryuanji.org/map によると、手前が「行者堂 拝殿」、奥(山側)の手前のお堂より新しそうなお堂が「行者堂 奥殿(おくでん)」らしい。箕面山瀧安寺HP の 「境内案内図」https://www.ryuanji.org/map には、
《 行者堂は拝殿と奥殿の二棟からなり、拝殿では毎月7日に護摩供養を営んでおります。》 
《 開祖の役行者不動明王および蔵王権現(大峰山の主尊)を祭祀しています。》
と書かれています。
  行者堂の「行者」とは、行をする人全般のことではなく、役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづぬ)のことのようです。
  不動明王は修験道で特に祀る神仏らしく、伊矢野 美峰(いやの びほう)監修『目からウロコの修験道』(2006.3.31.学習研究社)には、
《 不動明王は、密教でも修験道でも、もっとも知られている明王です。修験者で不動明王を拝まない行者(ぎょうじゃ)は絶無でありましょう。この明王は、前にも述べましたように、十界具足(じっかいぐそく)の仏なのです。
  『聖不動経(しょうふどうきょう)』にありますように、大悲(だいひ)の徳ゆえに行者(ぎょうじゃ)に仕える奴僕(ぬぼく)として青黒(しょうこく)の身を現し、大禅定(だいぜんじょう)の徳ゆえに、金剛石(こんごうせき)(盤石 ばんじゃく)の上に坐り、大智徳のゆえに大火災を現し、その手に執(と)る利剣(りけん)は、貪瞋痴(とんじんち)の根本三毒無明(こんぽんさんどくむみょう)を切り、三昧(さんまい)の索(なわ)で調御(ちょうご)しがたき者や、散乱の心をしばります。 本来、無相(むそう)の法身(ほっしん)で形も住居もありませんが、衆生(しゅじょう)の心に住われ、衆生の心にしたがって利益(りやく)を施してくださるのです。・・・》
と書かれているのですが・・・、残念ながら一通り読んでも何がなんだか、どういう意味なのかよくわからん。不動明王は密教と修験道に関係が深い仏さんだということくらいはわかります。

  蔵王権現は、山形県の蔵王山の蔵王かと思ったら、かっこ( )の中に「大峯山の主尊」と書かれています。久保田展弘(くぼた のぶひろ)『山岳霊場 御利益旅』1996.8.10.小学館)の「久保田展弘(くぼた のぶひろ)が選ぶ百八霊山」のひとつに、「蔵王山(1840m) 山形県」があげられています。
  《ウィキペディアー蔵王権現》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE  には、
《 蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。》
《 蔵王権現は、役小角[5]が、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。》
とある。
《 宮城県と山形県との県境にある日本百名山の蔵王連峰(蔵王山)は、古くは刈田嶺(かったみね、かったね、かりだのみね)、または、不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていた山岳信仰および歌枕の山であったが、吉野から蔵王権現が勧請され、平安時代には修験者が修行するようになったため蔵王山とも呼ばれるようになったとされる。》
と書かれている。 山形県の蔵王山の神さんを吉野山の金峰山寺とか大峯山に勧請したのかと思ったらそうではなく逆で、吉野の金峰山寺本堂の本尊の蔵王権現を勧請したことから蔵王山と呼ばれるようになったということのようだ。

  大峯山については、伊矢野 美峰(いやの びほう)監修『目からウロコの修験道』(2006.3.31.学習研究社)の「各地の霊場と霊峰」に、
《 大峯七十五靡(おおみねななじゅうごなびき)
 大峯は奈良県吉野の大峰山脈の峰々の総称。役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた峰入り(みねいり)(入峰[にゅうぶ]修行)の霊域で、「靡」は奥駈道(おくがけみち)と呼ばれる修行のルートにある宿泊所のこと。七十五あるので「七十五」という。
【寺社】 大峯山寺▼奈良県吉野郡天川村 》
と書かれています。
  《ウィキペディアー大峰山寺 おおみねさんじ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA によると、《 大峯山寺(おおみねさんじ)は、奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院である。大峯山山上ヶ岳の山頂に建つ。》らしく、《平安時代初期から現在に至るまで女人禁制》だそうだ。
《 大峯山寺は、役小角(役行者神変大菩薩)を伝承的な開祖とする修験道の寺院で、大峯山系(大峰山脈)の中ほどに位置する山上ヶ岳(1719.2m)の山頂近くに本堂があり、蔵王権現像を祀っている。
  吉野山にある金峯山寺本堂(蔵王堂)を「山下(さんげ)の蔵王堂」と言うのに対し、大峯山寺本堂は「山上の蔵王堂」と呼ばれている。山上と山下の蔵王堂は20数キロメートル離れており、現在では別個の寺院になっているが、両者は元来「金峯山寺」という一つの修験寺院の一部であり、現在のように吉野山の金峯山寺と山上ヶ岳の大峯山寺とに分かれるのは近代以降のことである。》
とある。

  《ウィキペディアー役行者霊蹟札所》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E8%A1%8C%E8%80%85%E9%9C%8A%E8%B9%9F%E6%9C%AD%E6%89%80 を見ると、
金峰山寺(奈良県吉野郡吉野町)・大峰山寺(奈良県吉野郡天川村)・宝山寺(奈良県生駒市)・朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町信貴山)・室生寺(奈良県宇陀市)・聖護院(京都市左京区)・醍醐寺(京都市伏見区)・神峰山寺(大阪府高槻市)・法楽寺(大阪市東住吉区)・観心寺(大阪府河内長野市)・根来寺(和歌山県岩出市)・清荒神清澄寺(兵庫県宝塚市)・須磨寺(兵庫県神戸市須磨区)といった名前が見られる。 奈良県吉野郡吉野町の吉水神社は2019年に退会したらしい。
  奈良県生駒市の近鉄奈良線「生駒」駅から生駒山の山上にケーブルカーが走っていて、今は、奈良線「生駒」駅の前の「鳥居前」駅から「生駒山上」駅まで直通のケーブルカーが走っているらしいが、私が子供の頃、1960年代はそうではなくて、2つのケーブルカーに分かれていて、途中でいったん降りて少しだけ歩いて乗り換えて山上まで行った。生駒山の山上に遊園地と展望台があり、子供の頃、姉に連れてもらって何度も行ったことがある。
  その際、ケーブルカーの窓から外を見ていると、えっちらおっちら山を登っている人があり、ケーブルカーがあるのに、なんで、あの人たちはケーブルカーに乗らずに歩いて山を登っているのだろうと思ったものだったが、実は、ケーブルカーに乗って悪いとまでいうことはないが、この山は自分の足で登る方が本来のものだったみたいだ。
  生駒山ケーブルカーhttps://www.kintetsu.co.jp/senden/ikoma_cable/#info_area は、鳥居前⇔宝山寺⇔梅屋敷⇔霞ヶ丘⇔生駒山上 と途中に3駅あるが、鳥居前から1駅目に「宝山寺」駅があり、ここから役行者ゆかりの宝山寺に行けるみたいだ。

  ・・なお、「東京もんのおっさん」は大阪と阪神タイガースをけなすのが生き甲斐の人が多く、通天閣のことを東京タワーとか名古屋タワーとか比べて「ちっさ♪」と言って馬鹿にして喜ぶ人がいるのだが、東京タワーとか名古屋タワーというのは展望室もあるけれども基本的には電波塔であるのに対して、通天閣は娯楽目的専門であって電波塔ではないので東京タワーや名古屋タワーのような高さにする必要がないから娯楽目的として最適な高さにしているのであり、そして、大阪のテレビはどこから電波が飛んでいるかというと生駒山の山上からなのだ。何かと大阪のものをけなしたがる「東京もんのおっさん」というのは、最初は相手にしても、そのうち、面倒くさくなってきて、好きに言ってろという気持になってくる。
  1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所にいた時に同じ営業所にいた「木南さん(仮名)」(男、当時40代前半)も、たとえば、「日本で2番目に人口が多い市は横浜市なんですよ。大阪みたいなもん、3番目でしかないんですよ。それなのに大阪の人間はバカだから2番目だと思ってるんですよ」とか、特に相手が大阪出身だと思うと言いたがるのだったが、1960年代に横浜市の人口が大阪市の人口を抜いて日本で東京都23区に次いで2番目になったのは、横浜市が周囲をいっぱい合併した時だったはずで、その頃、横浜市の面積は大阪市の面積の3倍ほどあったはずで、いくらなんでも3倍もの面積を持つくらいに周囲の市町村を合併したら、そりぁ人口で見たら多くなるわ( 一一)  「平成の大合併」で「そこまでやるか」てくらいに滅茶苦茶いっぱい合併した市が全国にいくつもできたが、岐阜県高山市が今では全国で1番面積が広い市になったらしいが、高山市の場合は乗鞍岳の西半分まで合併したとしても、そもそも、乗鞍岳の山頂に何人人が住んでいるかというと・・たいして住んでいないはずだから、香川県や大阪府よりも広い面積の市になっても人口は10万人未満だが、横浜市の場合は周囲をいっぱい併合すれば周囲の市町村もそれなりに人は住んでいるから、だから、大阪市の3倍ほどもの面積の市になったら、そりぁ人口で見たら大阪市を抜いて2位になってもおかしくないわ( 一一)  今では、大阪市は海側にいっぱい埋立地を造ったことからか、横浜市の面積は大阪市の面積の3倍まではないけれども、それでも横浜市の面積は大阪市の面積よりずっと広いのであり、もしも、大阪市に面している周囲の市の人口を横浜市と同じ面になるまで大阪市の人口に合算したならば、「大阪市と周囲の市連合」の人口は横浜市の人口よりもはるかに多いのだ。そんなことよりも、横浜市という市は千葉市と同じだが「連邦制」のような市であり、「横に広がった浜」という名称に該当するような、横浜・高島町・桜木町・関内・石川町・・といったあたりを中心としてその周囲に市街地が広がっていったということでもなく、東急東横線の日吉とか東急田園都市線の多摩プラーザ・青葉台・長津田なんて、その付近の住人の多くは横浜・高島町・桜木町・関内・石川町・・の方に通勤しているのではなく東京都内に通勤しているのであり、横浜市の少なくない部分は「東京の補完都市」であり、関西地域の中心都市である大阪市と「東京の補完都市」の横浜市を比べて「日本で2番目は横浜市であって、大阪みたいなもん、3番目のイナカなのに大阪の人間はバカですから2番目だと言い張ってしかたないんですよ。やっぱり大阪の人間てのはアホですね」とか「木南さん」(仮名)も言わなきゃおれない、特に相手が大阪出身の人間だと思うと何としても言わなきゃという気持になるみたいで、そういう病癖がある人でした・・が、そういうことを言わなきゃおれないシンドローム・・てのは、なんというのか「いなかもんくせえ」て感じがします。福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の出身とか、田舎の住人とかいう意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これは良くない」と語ったというが、この場合の「いなかもんくせえ」の「いなかもん」とは、後者の方、「精神面がいなかもの」の方の「いなかもの」です。アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(角川文庫)には「首都・・・いなか根性の砦」と書かれたものがありましたが、「東京もんのおっさん」と「慶應タイプ」にはそれにあてはまる人が少なくないように思います。
  フランツ=ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房)にも、「首都の精神的いやらしさ」が述べられていますが、アンブローズ=ビアスが『悪魔の辞典』で《いなか根性の砦》と述べたものと共通する認識があるようです。
悪魔の辞典 (角川文庫) - アンブローズ・ビアス, 奥田 俊介, 倉本 護, 猪狩 博
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地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子
地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子
  フランツ=ファノンは『地に呪われたる者』(みすず書房)で「首都の精神的いやらしさ」というものを指摘していますが、これはファノンだけが思ったことではなく、実際に、それゆえに首都を移転したり新しく首都を人工的に造ってはどうかと考えた国もあったわけで、人工的に新首都を造った例として、ブラジリア(ブラジル)・キャンベラ(オーストラリア)などがあったが、それらの人工的に造った新首都は新たに「首都のもつ精神的いやらしさ」を持つに至ってしまったとファノンは指摘している。
  1992年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京営業所にいた時、浜松出身のO田さん(男。当時、20代)が「浜松と静岡なら駅前のあたりを見ても浜松の方が発展している。ニューヨークとワシントンでもニューヨークの方が栄えているのと同じで政治都市よりも商工業都市の方が発展するんだ」と言うので〔この言い方はO田さんだけではなく浜松の人はこの言い方をする人があるようです〕、「政治都市よりも商工業都市の方が発展するんだ」というケースというのもあるのかもしれませんが、それにしても、ニューヨークと浜松を一緒にされてもなんだか・・・・と思ったことがありましたが、アメリカ合衆国の場合は、ファノンが指摘している「首都のもつ精神的いやらしさ」といったものを考慮して、それで首都のワシントンは意図的にそこの州にも属さない都市として、各州の州都もあえて大都市でない市に配置していることが多く〔ニューヨーク市もニューヨーク州の州都ではないし、カリフォルニア州の州都もロスアンゼルスでもなければサンフランシスコでもない。ワシントン州の州都もシアトルではないし、オレゴン州の州都もオレゴン州で最大の年のポートランドではない。〕、日本では県庁所在地は明治維新の後、城下町がなることが多く、候補となる城下町が複数あってなかなか決まらない時に城下町でない街がなったケースとして長野県では松本・諏訪・上田などの城下町がいくつかあって決まらないことから善光寺の門前町だった長野が県庁所在地になった例などあるが、城下町が県庁所在地になることが多かったこともあり、その都道府県では中心地で大きな都市が県庁所在地になっていることが多いが、アメリカ合衆国では州都はその州の年の中では大きな都市ではない市に設定されていることが多いというのも、「首都のもつ精神的いやらしさ」といったものを考えたことからか? ・・とも思えます。だから、「ニューヨークとワシントンならニューヨークの方が栄えているのと同じで・・」という浜松の人がよく言う言い回しの例は(「浜松とニューヨークを一緒にされてもなんだかなあ・・」ということとともに)それは少々意味合いが違うかもしれません。
  「鉄坊主」https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%89%84%E5%9D%8A%E4%B8%BB という鉄道系ユーチューバーをやっている関東人の人がいますが、この人は動画の中で「姫路は標準語では『ひめじ(⤵)』と発音するのですが、関西の人は標準語と違って『ひめじ(→→)』と発音するみたいで、『そういう発音ではありませんよ』と言われたりするんですけれども、関西の人は『姫路』を標準語とは違う言い方をするみたいです」などと傲慢な発言をしていましたが、兵庫県の「姫路」は関西の一都市であり、地元の人間の発音が標準語であり、「東京もん」の発音が標準語ではないのです。 最近では、世界の地名も、できるだけ地元の人の呼び名・発音で呼ぶようにしようという流れがあり、かつてはエベレストと言っていた山は最近ではチョモランマという言い方をすることの方が多くなってきました。ロシア連邦軍のウクライナ侵攻の後、日本ではそれまで「キエフ」と言っていた地名を「キエフ」はロシア語・ロシア人の言い方であり、ウクライナの人は「キーウ」と発音しているということから「キーウ」と言うことが多くなってきました。かつて、「グルジア」と言っていた国を「ジョージア」と言うようになりましたが、「ジョージア」と言われると日本人はアメリカ合衆国のジョージア州を思い浮かべるので紛らわしいのですが、「グルジア」はロシア語読みで、「グルジア」⇔「ジョルジア」⇔「ジョージア」で、「ジョージア」は英語読みらしい。「グルジア」「ジョージア」の地元の言葉では「サカルトヴェロ」と言うらしいが、ロシア読みではなく英語読みで呼んでもらいたいと「グルジア」「ジョージア」政府が言ったことから「ジョージア」と言うようになったらしいが、これは地元の言葉ではなく英語読みでというのはいいのかどうかよくわからない。ともかく、地元の人間が呼んでいる言葉・発音が標準語であり、「東京もん」が呼んだ言葉・発音が標準語ではないのに、それを「標準語では『ひめじ(⤵→)』と発音するのですが、関西の人は標準語と違って『ひめじ(→→)』と発音する」などと傲慢な発言を平気でして抵抗を感じない鉄坊主さんに対しては、その無神経な態度に不快感を覚えたことから、私は「鉄道好き」なので暇なときに鉄道系ユーチューバ―の人の動画を見ることがあるのですが、この人の動画は「あまり見たくないな」と思うようになりました。
  「東京もん」というのはね、関西人が東京に行って「それまで話してきた日本語」を話すと、「おい~い、ここは東京なんだから標準語で話せよお。イナカの言葉で話すなよお」と言って怒るのですが、そして「大阪は田舎じゃないですよ」と言っても「田舎だろうが、大阪は田舎だろうが」と執拗に言ってきかず、関西人に対してはそういう態度をとりながらそれでいて、アメリカ合衆国人が東京で「アメリカ合衆国弁」(アメリカ合衆国英語)を話すと、「おい~い、ここは東京なんだから標準語で話せよお」とは天地がひっくり返ってもいわず、卑屈に一生懸命、アメリカ合衆国弁を真似ようとするのです。「ヴィッキーさんのワンポイント英会話」みたいな連中です( 一一) これを「イナカ根性」と言わずして何と言うか。まさに「イナカ根性の砦」です。まさに福沢諭吉が言った「精神面がいなかもの」というものだ。私は鉄坊主さんの日本のそれぞれの地域の地名を「東京もん」がこう発音するものだと勝手に勘違いしたもの「東京もん」的発音を「標準語」だとして改変させようとする傲慢な態度・姿勢に強く不快感を覚えるし、こういう人は、もしも、直接会う機会があって、それは違いますよと教えてあげても絶対に理解しない人のようだなと思いました。
  東京に来て「東京もん」の傲慢さを体験した関西人は、関西に住んでいた時は別段、阪神ファンでもなかった人間が、突如、愛国心に目覚め、熱烈な阪神ファンになる・・という人がいるようです。もしくは、「燕虎系」になる人もいるみたいですが。〔⇒《YouTube- 六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 、《YouTube-大阪タイガースの歌 【六甲颪】 》https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4〕 そうなると、今度は「木南さん」(仮名)と「東京もん」は阪神タイガースを一生懸命けなそうとしだすのです。さらにそうなると、関西人はさらに愛国心にめざめるのだ。1980年代、阪神タイガースがCクラスを何年も続けた頃、中山ラマダという漫画家が描いていた漫画で、「東京もん」のアナウンサーがプロ野球公式戦後半に「今年のセリーグの優勝チームを街の人たちに予想してもらいました」という番組で、「セリーグの優勝はどこだと思いますか?」と尋ねられた関西人がズバリひとこと、「阪神!」と答えると、「東京もん」のアナウンサーは「はあ~あ、なんで阪神なんですかああ~あ♪ 阪神は残り全勝したって最下位ですよお。なんで、残り全勝しても最下位の阪神が優勝するんですかあ~あ?」といかにもうれしいという態度で言う。それに対して関西人は言うのだ。「じゃかましわあ!」と。「阪神はなあ、阪神は、たとえ最下位でも優勝するんじゃあ。阪神は、たとえ全敗したって、それでもそれでも阪神は優勝するんじゃあ、このあほんだらあ!」と。〔⇒《YouTube- 六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 、《YouTube-大阪タイガースの歌 【六甲颪】 》https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4〕 ・・どうも、関西人が東京圏で暮らすと阪神ファン、もしくは「燕虎系」になるようだ。「この長嶋みたいなやつ」をID野球でコテンパンにやっつけてやりたい・・という気持になるのだ(^○^) 〔⇒《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA 〕 最近、阪神は「優勝はしないけれどもそんなに弱くはない」という1960年代から1970年代頃の阪神に戻ったみたいな感じですが、むしろ、1980年代の毎年Cクラスだった時期の方が、「東京もん」は相手が関西人だと思うと大喜びして阪神の悪口を言いまくりましたので、なおさら愛国心に燃えたものでした。〔⇒《YouTube- 六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 、《YouTube-大阪タイガースの歌 【六甲颪】 》https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4
[ニューエラ] キャップ NPB 9FIFTY 阪神タイガース グレー/ブラック Free
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  私なども大阪にいた時はこういうの ↑ をかぶりたいとは別に思わなかったけれども、東京圏で暮らして「東京もん」の無礼な態度をカラダで体験して、それから東京圏でこういうの ↑ をかぶって歩いてやろうかという気持になるようになった。「愛国心」にめざめたのである。
  標準語というのは日本全国で共通して通じるような言葉のことを言うのであり、「東京もん」が使っている「かったるい」とか「・・じゃねえかよお」とかいうような言葉は標準語ではないのです・・が、ところが「東京もん」はそれを標準語だと言い張り、「東京弁」と言うと怒るのです。「東京圏でしか通じない言葉は東京弁であって標準語とは違うでしょ」と言うと「東京もん」は怒るのです。地名の場合は、東京圏の地名については東京圏の人間が普段呼んでいる発音のものがその地名の標準的な呼び方ですが、東京圏以外の地名についてはそれぞれの地域の地元の人が呼んでいる呼び方が標準的な呼び方であって標準語であり、「東京もん」が呼んだ発音が標準語ではないのです・・が「鉄坊主」さんもそうですが「東京もん」や「慶應タイプ」は絶対に理解しません。「慶應タイプ」と「東京もん」というのはよっぽどバカじゃないのかという気がしてきます。
  エスペラントはポーランド人のザメンホフという人がロシア人とドイツ人がどちらもロシア語とドイツ語を話させようとするのを見て、万国の人が共通して話せる言葉があるといいと思って考えた言葉で、どこか1国の言葉を「共通語」「標準語」にしたのでは、それぞれの人に有利不利ができるし、1国に他国を支配させることにつながるので、どこか1国の言語を「標準語」にしてはいけないと考えて、それでどこか特定の国の言葉ではない言葉で、なおかつ習得が容易な言語としてエスペラントを考えたというもので、実際にはそれでもヨーロッパ系の言語に近いところがあるらしいけれども、ともかくも、特定の国の言葉を「標準語」にしてはいけないという考え方を踏まえて考えられた言葉であり、日本の「標準語」はそこまでのものではないけれども、特定の地方の言葉を「標準語」にするのは適切ではないということで、東京の山手地方の言葉を基本にして「標準語」を考えたというもので、「東京の山手地方の言葉を基本にして考えられた」としても「東京の山手地方の言葉」そのものではないはずなのですがところが東京でも「山手地方の言葉」でもないものを「東京もんのおっさん」「東京もんのにーちゃん」は「だから、標準語だろうが。東京の言葉が標準語だろうが」と言って本来は「標準語」でない東京弁を標準語だと言い張って認めないのです( 一一) そういうタイプの東京人に「それは違いますよ」と教えてあげようと思っても無理で、それらの人の「病的」な精神構造は「簡単には治らない」し、又、「病識がない」人が多く、鉄坊主さんもその類と思われ、おそらく「簡単には治らない」と思われます。
  それから、埼玉県人には、東京都⇒神奈川県⇒埼玉県・千葉県⇒栃木県・茨城県・群馬県 という序列があり、地方の都道府県は 東京都⇒神奈川県⇒埼玉県・千葉県⇒栃木県・茨城県・群馬県のまだ下だという意識の人がおり、大阪府は東京都⇒神奈川県⇒埼玉県・千葉県⇒栃木県・茨城県・群馬県の下の静岡県よりも遠方だから大阪府は東京都⇒神奈川県⇒埼玉県・千葉県⇒栃木県・茨城県・群馬県の下の静岡県よりも田舎・・と思っている人間、埼玉県人は「東京都民より下の神奈川県民より下だが、栃木県民・茨城県民・群馬県民よりも上」で大阪府は栃木県・茨城県・群馬県よりも格下と思っている者、格下の相手と話をしてあげてるのよみたいに思っている人間、慶應大学の内部進学の教授が「このぼくは中等部から慶應に行ってるんだぞお。おまえら(慶應義塾の)外部の者とは我々内部進学の人間は違うんだ。わかってんのかあ! 中等部から慶應に行っている内部進学のこの僕がおまえら外部の者に話をしてやってあげているんだぞ。もっとありがたいと思って感謝しなさい」などと講義の最中に教壇でマイクに向かって叫ばれるのと似たような意識の人がけっこうおり、「私、関西のイナカの言葉、けっこう好きなの。ちょっと話してみて」などと関西人を侮辱する発言を、なんだかお愛想いっているみたいな調子で言う者がいるのですが、誇り高き関西人は「『東京人の下の神奈川県人の下の埼玉県人』と自分を規定している埼玉県人」からそう言われてドジンやったりはしません。まったくつくづく、「東京もんのおっさん」と「埼玉県人のねーちゃん」というのは失礼無礼・無神経な人間が多いと思います。
  どちらが上とか下とかいった序列主義的な精神構造というのは、これは文化的にレベルが低い、教養水準が低い人の思考であり、その点で、「東京もんのおっさん」「埼玉県人のねーちゃん」や《慶応内部進学の教授や学生》の思考形態・精神構造というのは文化的水準が低い・教養水準が低いと考えるべきだと私は思っています。又、そういう文化的水準が低い・教養水準が低い人が多い地域というのは、その地域の住人は自分たちは首都圏住人だからエライみたいに思っていても、実際は文化的水準が低い・教養水準が低い地域の人間だと考えざるをえない。

  大黒堂・行者堂よりも手前(南側)、鳥居よりも手前(南側)、弁天堂の方を向いて右側、大黒堂・行者堂とは逆の側に ↓
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↑ 最初、「観音さん」かと思ったのだが台座を見ると「妙音天」と書かれており、楽器を持っておられます。
「妙音天」とは、インターネットで検索すると《コトバンク 妙音天》https://kotobank.jp/word/%E5%A6%99%E9%9F%B3%E5%A4%A9-640155 の《妙音天(読み)みょうおんてん 精選版 日本国語大辞典 「妙音天」の意味・読み・例文・類語》には《仏語。弁才天の異称。美しい音楽を奏するところからいう。妙音楽天。妙音天女。》と出ています。 弁財天と表記せず妙音天と表記しているというのは、弁財天であるが特に《美しい音楽を奏する》という音楽の神さんというところに重心を置いて造られた像なのかもしれませんね。

  最初に大護摩道場の手前で登った石段を上から下に見ると、↓
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  大護摩道場の手前の石段を登った上のエリアは、11月下旬頃は紅葉が美しいですが、そうでない時期は人出が少なく、むしろ、落ち着いた雰囲気を味わえるところもあります。

  大峯山・・というと、子供の体にロープをくくりつけて山の絶壁のような所から身を乗り出させて、「親孝行するかあ~あ?」とか言って脅すという、そういうことをやって喜ぶという、そういう品がないというのか、精神的に貧困というのかという印象があって好きではありませんでした。うちの母親はそういうものをどこで見たのかで、大峰山はいいとは思わないというようになったのですが私もそういうものはいいと思いません。それよりも、それは役行者(えんのぎょうじゃ。役小角 えんのおづぬ)が始めた修験道とは別物、修験道でも邪道の修験道ではないのか・・という気がします。日本の法律では「脅迫による意思表示は無効」とされていますから、体にロープをまきつけて山の絶壁から前に乗り出させて「親に孝行するかあ~あ?」などと言われて、「親孝行します、親孝行しますから許してください」などと言っても、そのような意思表示は少なくとも法的には無効です。秋田県の男鹿半島で「親に孝行するかあ?」とか言って子供に包丁のはりぼてをつきつけて「なまはげ」やってる人とともに、子供の体にロープをまきつけて山の絶壁から乗り出させて「親に孝行するかあ~あ?」などと脅して喜んでいるエセ修験道の人というのは、おのれの精神がどれだけ卑しいか考えてみた方がいいと思います。

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html は、鳳凰閣・圓満殿の方へ行きます。

  (2023.3.29.)


☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。〔今回〕
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿(客殿)のエリアへ。圓満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿(客殿)。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷の踏込式・「敷込袋」の床脇https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ着色が周囲と調和。西・南・東より見て https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。浜口雄幸狙撃と安倍晋三銃撃は意味合いが違う。統一教会・倫理研究所などの迷惑な「宗教右翼」を何とかしてくれ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html

☆ 箕面山 聖天宮 西江寺1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html 

☆ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html
日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 重良, 村上
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