瀧安寺と鳳凰閣【8/13】瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。圓満殿(客殿)外観と「岩本坊跡」。
[第986回]
箕面山瀧安寺は、鳥居から山門・観音堂に至るエリアと、観音堂の後ろ、大護摩場の手前から石段を登っていった上の弁天堂などがあるエリア、それに、観音堂の前から瑞雲橋で箕面川を渡った川の左岸(東岸)のエリアの3カ所に分かれます。弁天堂のあるエリアから石段で降ります。

↓ ↓ ↓

観音堂の前あたりから滝道をまたぎ箕面川を渡る瑞雲橋となづけられた橋があり、この橋の向こう側、東側に ↓

↑ 手前の赤い橋が瑞雲橋、対岸の左側が鳳凰閣、右側が圓満殿(客殿)で、

↑ 鳳凰閣は、一般人は知らない人の方が多いでしょうけれども関西の建築家業界の人の間ではよく知られている武田五一という《 京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し向井寛三郎など多くの後進を育成した。また、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)の設立にも関与》し、《「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家》(《ウィキペディアー武田五一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80 )の設計による1917年の建物で国登録有形文化財に指定されているもので、前はこの橋より東側は非公開だったので、一度、見たいと思いながらも、この写真のように対岸から見るだけで我慢してきたのでしたが、今回、《平成30年(2018年)9月の台風21号により甚大な被害を受け》(瀧安寺HP 「境内案内図」 https://www.ryuanji.org/map )、その補修工事がおこなわれたことを機会に「特別拝観」として500円を納めることで見学させてもらえるということだったので、これは何が何でも見学させてもらわなきゃと思って行きました。
この鳳凰閣がいいと思うのは、この場所は明治の森箕面国定公園・国名勝箕面公園に指定される地域ですが、周囲の自然と調和していること、又、箕面川を渡る瑞雲橋とも調和していることで、「自分の建物に周囲が合わせろ」というような傲慢な建築ではなく周囲との調和をよく考えて作られているという点です。1917年、ロシア革命の年の建物ということですが、瀧安寺はそれよりずっと古くからある寺ですが、古くからある寺の一部としてもよく調和していると思います。2階部分のみ柱や欄干が朱色に塗られていますが、この付近は ↑ の写真を見ていただいてもわかるように秋には紅葉が美しい場所であり、1・2階全体に朱色を使うよりも2階のみにとどめた方が、むしろ、周囲の樹木が紅葉した時には調和して美しいと考えて、あえて朱色に塗るのは2階のみにとどめたのではないかと思われるのですが、そのあたりの判断も評価できると思います。
今回は2022年(令和4年)11月下旬に訪問しましたが、瑞雲橋より東側の「特別拝観」は常にということではないようで、瀧安寺HP の「特別拝観」https://www.ryuanji.org/haikan によると、次回は《 令和5年4月29日(土) 〜 5月6日(土) 》におこなわれるようです。
なお、「新建築」という建築業界の月刊の業界誌が発行されていて、最近では《「有名建築家」に「ヨイショ」ばっかりやってる雑誌》と言われたりもしているようですが、《ウィキペディアー武田五一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80 によると、武田五一は《 「新建築」創刊も指導した》らしい。
瑞雲橋は手前で滝道を越え、その向こうで箕面川を越えています。

↑ 鳳凰閣の右(南側)に見えるのが圓満殿(客殿)で、《西暦1699年(江戸期元禄12年)に行われた開祖役行者の1千年御遠忌に際し、全国から集まる修験者を迎えるため、本坊とともに建設されました。庫裏と合わせて円満殿とよばれています。》(瀧安寺HP境内案内図 https://www.ryuanji.org/map ) 圓満殿の方が鳳凰閣より前から建てられていた建物のようです。
※ 箕面山 瀧安寺HPhttps://www.ryuanji.org/
箕面山 瀧安寺HP 境内案内図 https://www.ryuanji.org/map
瑞雲橋を渡って見あげると、↓
↑ 瑞雲橋を箕面川の左岸(東岸)に渡ったあたりから見上げた鳳凰閣。
瑞雲橋を渡ったところから南へ坂道を登ります。

↑ 瑞雲橋を渡って、坂を南に登り切ったあたりから見た鳳凰閣。

↑ 圓満殿(客殿)。 2つ、建物があるかのように見えますが、右手前は圓満殿の玄関部分で、左奥が座敷が広がる部分です。

↑ 客殿の南側、かつて、庫裏があった場所。
↑ 写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。中央に「岩本坊跡」と書かれた札が立っています。
箕面山 瀧安寺HP 境内案内図 https://www.ryuanji.org/map には、
《 客殿と同様に御遠忌の際は本陣宿舎にあてられました。
平成30年(2018年)9月の台風21号により、倒木の被害を受けました。
その後修繕叶わず、解体撤去されました。》
と書かれています。鳳凰閣と圓満殿(客殿)は修復したものの、庫裏は修復を断念して解体されたらしい。
かつて、鳳凰閣・圓満殿のある箕面川の左岸(東岸)のエリアは非公開だった時には、このあたりはどうなっているのだろうと興味を持ったものでしたが、「特別拝観」として来させてもらうと、西岸から見て予想していたよりも箕面川の東岸のエリアは狭い。

↑ 圓満殿(客殿) 玄関部分。

↑ 圓満殿(客殿)、南西側から見て。

↑ これは何だろう? 小屋裏の換気口を意匠化したもの?

↑ 圓満殿(客殿)、南面。

↑ 圓満殿(客殿)、西面・北面。
薬師寺の東塔・西塔は、一見、六重の塔に見えるけれども、実際は三重塔だというのと同様というのか、この圓満殿(客殿)も屋根が二重になっていますが、2階建てではなく平屋建てだと思われます。

↑ 圓満殿(客殿)、西面。 縁側が設けられています。
庇の先からの縦樋を鎖にするということは和風の建物ではよくやりますが、鎖の場合、風が吹くと鎖が大きく風に揺れる・・という問題がありますが、ここでは鎖の下端を地面に埋めることで、風が吹きつけても鎖が風で大きく揺れないようにしています。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html は、圓満殿(客殿)の内部を見学します。
※ 箕面山 瀧安寺HP https://www.ryuanji.org/
ウィキペディアー瀧安寺 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%AE%89%E5%AF%BA
箕面公園公式サイト https://www.mino-park.jp/
箕面さんぽマップ(箕面市役所箕面営業室発行) https://minohkankou.net/pdf/pdf1.pdf
(2023.3.31.)
☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣 1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」〔今回〕
9.圓満殿(客殿)。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷の踏込式・「敷込袋」の床脇https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ着色が周囲と調和。西・南・東より見て https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。浜口雄幸狙撃と安倍晋三銃撃は意味合いが違う。統一教会・倫理研究所などの迷惑な「宗教右翼」を何とかしてくれ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html
☆ 箕面山 聖天宮 西江寺1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html
※ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html
※ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html

大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島 (歴史散歩 27) - 大阪府の歴史散歩編集委員会

目からウロコの修験道 (わたしの家の宗教シリーズ) - 美峰, 伊矢野

日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 重良, 村上
「推理小説」でも西村京太郎の「推理小説」は「時刻表を見ただけで作っただけの小説」が多いのに対して、内田康夫の「推理小説」は純文学に近いものが多い。内田康夫の推理小説ではどの小説でだったか記憶が曖昧になってしまったが、犯人が西村京太郎の推理小説みたいに「時刻表を見てのトリック」をしたのではないかと推理する若手刑事に浅見光彦が「もしも、何らかの理由で時刻表通りに電車が動かなかったらどうするんですか」と〔まさに西村京太郎の推理小説の大きな〕問題点を指摘する場面もあったように思う。その内田康夫の小説では修験道の寺社が場所として登場する小説として『熊野古道殺人事件』がある。熊野三所権現のうちの青岸渡寺だったかが登場したが、大阪府箕面市の瀧安寺が登場する内田の小説はない・・・が、箕面(みのお)が場所として登場する小説としては『白鳥殺人事件』がある。

熊野古道殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫

白鳥殺人事件 (祥伝社文庫) - 内田 康夫
箕面山瀧安寺は、鳥居から山門・観音堂に至るエリアと、観音堂の後ろ、大護摩場の手前から石段を登っていった上の弁天堂などがあるエリア、それに、観音堂の前から瑞雲橋で箕面川を渡った川の左岸(東岸)のエリアの3カ所に分かれます。弁天堂のあるエリアから石段で降ります。
↓ ↓ ↓
観音堂の前あたりから滝道をまたぎ箕面川を渡る瑞雲橋となづけられた橋があり、この橋の向こう側、東側に ↓
↑ 手前の赤い橋が瑞雲橋、対岸の左側が鳳凰閣、右側が圓満殿(客殿)で、
↑ 鳳凰閣は、一般人は知らない人の方が多いでしょうけれども関西の建築家業界の人の間ではよく知られている武田五一という《 京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し向井寛三郎など多くの後進を育成した。また、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)の設立にも関与》し、《「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家》(《ウィキペディアー武田五一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80 )の設計による1917年の建物で国登録有形文化財に指定されているもので、前はこの橋より東側は非公開だったので、一度、見たいと思いながらも、この写真のように対岸から見るだけで我慢してきたのでしたが、今回、《平成30年(2018年)9月の台風21号により甚大な被害を受け》(瀧安寺HP 「境内案内図」 https://www.ryuanji.org/map )、その補修工事がおこなわれたことを機会に「特別拝観」として500円を納めることで見学させてもらえるということだったので、これは何が何でも見学させてもらわなきゃと思って行きました。
この鳳凰閣がいいと思うのは、この場所は明治の森箕面国定公園・国名勝箕面公園に指定される地域ですが、周囲の自然と調和していること、又、箕面川を渡る瑞雲橋とも調和していることで、「自分の建物に周囲が合わせろ」というような傲慢な建築ではなく周囲との調和をよく考えて作られているという点です。1917年、ロシア革命の年の建物ということですが、瀧安寺はそれよりずっと古くからある寺ですが、古くからある寺の一部としてもよく調和していると思います。2階部分のみ柱や欄干が朱色に塗られていますが、この付近は ↑ の写真を見ていただいてもわかるように秋には紅葉が美しい場所であり、1・2階全体に朱色を使うよりも2階のみにとどめた方が、むしろ、周囲の樹木が紅葉した時には調和して美しいと考えて、あえて朱色に塗るのは2階のみにとどめたのではないかと思われるのですが、そのあたりの判断も評価できると思います。
今回は2022年(令和4年)11月下旬に訪問しましたが、瑞雲橋より東側の「特別拝観」は常にということではないようで、瀧安寺HP の「特別拝観」https://www.ryuanji.org/haikan によると、次回は《 令和5年4月29日(土) 〜 5月6日(土) 》におこなわれるようです。
なお、「新建築」という建築業界の月刊の業界誌が発行されていて、最近では《「有名建築家」に「ヨイショ」ばっかりやってる雑誌》と言われたりもしているようですが、《ウィキペディアー武田五一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80 によると、武田五一は《 「新建築」創刊も指導した》らしい。
瑞雲橋は手前で滝道を越え、その向こうで箕面川を越えています。
↑ 鳳凰閣の右(南側)に見えるのが圓満殿(客殿)で、《西暦1699年(江戸期元禄12年)に行われた開祖役行者の1千年御遠忌に際し、全国から集まる修験者を迎えるため、本坊とともに建設されました。庫裏と合わせて円満殿とよばれています。》(瀧安寺HP境内案内図 https://www.ryuanji.org/map ) 圓満殿の方が鳳凰閣より前から建てられていた建物のようです。
※ 箕面山 瀧安寺HPhttps://www.ryuanji.org/
箕面山 瀧安寺HP 境内案内図 https://www.ryuanji.org/map
瑞雲橋を渡って見あげると、↓
↑ 瑞雲橋を箕面川の左岸(東岸)に渡ったあたりから見上げた鳳凰閣。
瑞雲橋を渡ったところから南へ坂道を登ります。
↑ 瑞雲橋を渡って、坂を南に登り切ったあたりから見た鳳凰閣。
↑ 圓満殿(客殿)。 2つ、建物があるかのように見えますが、右手前は圓満殿の玄関部分で、左奥が座敷が広がる部分です。
↑ 客殿の南側、かつて、庫裏があった場所。
↑ 写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。中央に「岩本坊跡」と書かれた札が立っています。
箕面山 瀧安寺HP 境内案内図 https://www.ryuanji.org/map には、
《 客殿と同様に御遠忌の際は本陣宿舎にあてられました。
平成30年(2018年)9月の台風21号により、倒木の被害を受けました。
その後修繕叶わず、解体撤去されました。》
と書かれています。鳳凰閣と圓満殿(客殿)は修復したものの、庫裏は修復を断念して解体されたらしい。
かつて、鳳凰閣・圓満殿のある箕面川の左岸(東岸)のエリアは非公開だった時には、このあたりはどうなっているのだろうと興味を持ったものでしたが、「特別拝観」として来させてもらうと、西岸から見て予想していたよりも箕面川の東岸のエリアは狭い。
↑ 圓満殿(客殿) 玄関部分。
↑ 圓満殿(客殿)、南西側から見て。
↑ これは何だろう? 小屋裏の換気口を意匠化したもの?
↑ 圓満殿(客殿)、南面。
↑ 圓満殿(客殿)、西面・北面。
薬師寺の東塔・西塔は、一見、六重の塔に見えるけれども、実際は三重塔だというのと同様というのか、この圓満殿(客殿)も屋根が二重になっていますが、2階建てではなく平屋建てだと思われます。
↑ 圓満殿(客殿)、西面。 縁側が設けられています。
庇の先からの縦樋を鎖にするということは和風の建物ではよくやりますが、鎖の場合、風が吹くと鎖が大きく風に揺れる・・という問題がありますが、ここでは鎖の下端を地面に埋めることで、風が吹きつけても鎖が風で大きく揺れないようにしています。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html は、圓満殿(客殿)の内部を見学します。
※ 箕面山 瀧安寺HP https://www.ryuanji.org/
ウィキペディアー瀧安寺 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%AE%89%E5%AF%BA
箕面公園公式サイト https://www.mino-park.jp/
箕面さんぽマップ(箕面市役所箕面営業室発行) https://minohkankou.net/pdf/pdf1.pdf
(2023.3.31.)
☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣 1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」〔今回〕
9.圓満殿(客殿)。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷の踏込式・「敷込袋」の床脇https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ着色が周囲と調和。西・南・東より見て https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。浜口雄幸狙撃と安倍晋三銃撃は意味合いが違う。統一教会・倫理研究所などの迷惑な「宗教右翼」を何とかしてくれ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html
☆ 箕面山 聖天宮 西江寺1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html
※ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html
※ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html

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「推理小説」でも西村京太郎の「推理小説」は「時刻表を見ただけで作っただけの小説」が多いのに対して、内田康夫の「推理小説」は純文学に近いものが多い。内田康夫の推理小説ではどの小説でだったか記憶が曖昧になってしまったが、犯人が西村京太郎の推理小説みたいに「時刻表を見てのトリック」をしたのではないかと推理する若手刑事に浅見光彦が「もしも、何らかの理由で時刻表通りに電車が動かなかったらどうするんですか」と〔まさに西村京太郎の推理小説の大きな〕問題点を指摘する場面もあったように思う。その内田康夫の小説では修験道の寺社が場所として登場する小説として『熊野古道殺人事件』がある。熊野三所権現のうちの青岸渡寺だったかが登場したが、大阪府箕面市の瀧安寺が登場する内田の小説はない・・・が、箕面(みのお)が場所として登場する小説としては『白鳥殺人事件』がある。

熊野古道殺人事件 (角川文庫) - 内田 康夫

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