瀧安寺と鳳凰閣【9/13】圓満殿(客殿)。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷の踏込式・「敷込袋」の床脇。空の広さは浜松の広さと同じではない。

[第987回]
  箕面山 瀧安寺(大阪府箕面市)の圓満殿(客殿)を見学します。
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この玄関を入って左に行きます。 玄関が圓満殿の南側に独立してあるのは、2018年の台風の被害で庫裏(「岩本坊」?)が被害を受けて修復を断念するまでは、この玄関は圓満殿(客殿)と庫裏(「岩本坊」?)の両方への玄関だったということなのでしょうか。

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↑ 玄関の左側、畳の部屋が畳廊下を兼ねています。
これらの部屋には、台風で圓満殿や鳳凰閣が被害を受けた模様、修復の過程について写真入りで説明が展示されています。

  この突き当りの部屋には床の間があります。↓
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  木構造の住宅建築会社に勤めてきた者ですので、座敷・和室のつくり、床の間の造りは気になります。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は「浜松でいいものは日本全国いいに決まってるんだ」と主張する「遠州人」「一条オリジナル」の従業員が幅をきかせている会社で、「浜松よければすべてよし」という経営姿勢であり、和室や床の間の造りも「浜松流」でした。
  しかし、一般に都市圏と地方であれば、和室の造りとか床の間の造りとかそういったものについては都市圏よりも地方の方がその地域の流儀というものが「うるさい」のです。又、和風の住宅を造る人は「洋風」のものを造る人よりもその地域の流儀というものを重視する傾向があります。そういうものは、「遠州人」「一条オリジナル」に言うと意地になって「浜松流」を全国に押しつけたがりますから、彼らはそういった「ほとんどビョーキ」の人たちですから、「遠州人」「浜松流」「一条オリジナル」にはできる限り言わない方がよろしい。
  それで、床の間については、床の間があって、その右側に床脇棚があり、床の間の左手に付書院があるという配置が基本ですが、床脇棚の上まで長押をまわすべきなのか、床の間の上と床脇棚の上には「落しかけ」だけで長押は床の間と床脇棚の上にはまわさないものなのか。床の間の上にまで長押をまわしたものは見たことがありませんが、床脇棚の上にはどうかというと、歴史建造物とか国宝・重要文化財・国登録有形文化財とか史跡とかいった指定を受けた建物でも、最近のハウスメーカーの建物でも、床脇棚の上には落しかけだけで長押はその手前で止めているものと、床脇棚の上まで長押をまわしているものと両方があるようです。
  そして、床脇棚の上まで長押をまわした場合、床脇棚の上の長押と床柱がぶつかる箇所では長押を床柱の手前で止めるべきなのか、長押を床柱の前までまわすべきなのか。これも両方のやり方のものがあるようなのです。

  「長押(なげし)」というのは何なのか・・というと、もともとのルーツとしては、これは装飾材ではなく構造材で、軸組構法の木造で柱を何本か建てたとして、そのままでは地震や台風の時、あるいは強風が吹くと柱だけでは倒れてしまいます。これを地震・台風・強風の時にも倒れないようにする方法としては、筋交い式木造では土台・柱・梁で囲まれた四角形の部分に斜め材の筋交い(すじかい)を入れて三角形にすることで倒れないようにしますが、貫式木造では柱に穴を開けて、そこに貫(ぬき)という木材を通して固定することで揺れにくくします。柱に穴を開けて木材を通すのが「貫(ぬき)」ですが、柱の外側から長い板状のものを打ちつけて動かないようにするのが「長押(なげし)」です。これは坂本功『木造建築を見直す』(岩波新書)で述べられていたものです。
木造建築を見直す (岩波新書) - 坂本 功
木造建築を見直す (岩波新書) - 坂本 功
これが「長押(なげし)」のルーツですが、その後、長押は構造材よりも装飾材となり、貫式木造ではなく筋交い式木造においても装飾として真壁和室に長押を設けるようになりました。あるいは木質パネル構法においても、あるいはツーバイフォー工法(枠組壁工法)の建物で和室を設ける場合においても真壁和室を設ける際に装飾材として長押を設けることがあります。
  ちなみに、1990年代、(株)一条工務店の名古屋南営業所の所長にならせてもらっていた「一条オリジナル」の近藤路夫さん(男。当時、50くらい?)は「何でも太いものがいいに決まってるんだ。そんなこともわからんのか」などとおっしゃっていたのですが・・・「それが一条」・・だったのですが、そうではありません。数寄屋建築と言われる建物では、費用がないからではなく、意匠としてあえて長押を省略したり、あるいは意図的に細いものを使用したりといったことをしたのです。1992年、(株)一条工務店の東京展示場(東京都江東区潮見)に配属された時、来場客から「何かと太いものがいいと言って、どてえ~っとしたのを自慢するあたり、一条工務店てのは、いかにもイナカ! て感じがする」と何人もの人から言われたものでした。細いものがいいということではありませんが、「何でも太いものがいいに決まってるんだ」というのは、これは実際問題として「イナカモンの発想」でした。それを理解できないあたりが近藤ローオさんは「一条オリジナル」の特徴を発揮しておられたのです。こんな人が所長にならせてもらってるのか・・とあきれました。彼は「研修」の時に「何か、質問してみたいことはあるか」と言うので、それで私が「一条工務店では何かと太いですよというのを売りにしますが、地方ではそれでいいのかもしれませんが、都市圏ではそうは思ってもらえないのですよ。『太いばっかり言うあたりがいかにもイナカて感じがする』とか言われるのですが、何かいい対応法はあるでしょうか」と言ったところ、近藤ローオは激怒して「そういうことを言うからいかんのだああ~あ! 何でも太いものがいいという常識がおまえはわからんのかあ~あ!」と叫んだのでした( 一一) ・・・・が、アホに真面目に話をした私がアホでした。
  「そういうことを言うからいかんのだあ」と近藤ローオさんはひきつけ起こして言われますが、そう言われましても、言ったのは私ではなくて東京展示場の来場客や見込客であり、「そういうことを言うからいかんのだああ~あ! 何でも太いものがいいという常識がおまえはわからんのかあ~あ!」と来場客や見込客にそんなこと言うわけにはいかないじゃないですか。あるいは、(株)一条工務店は「オール四寸角の柱」とか「八寸角の大黒柱」とかいうのを「売り」にしていたのですが、江東区の東京展示場に来場された方には「四寸の柱なんて使ったら家が狭くなりますねえ~え( 一一) 」と言われる方はけっこうありましたし、「八寸角の大黒柱」については「こんなの、要らないよね」と言われるだけでなく、「うわっ、田舎の家みたい!」と言われたりしました。東京展示場があった江東区潮見のウッディランド東京 はもともと住宅建築業の営業活動のための場所ではなくて、林野庁が国産材の使用促進のために木材の展示のために設けた施設でしたので、日曜日などは「舞浜のディズニーランドに行こうと思ったら混んでるみたいだったので、葛西の葛西臨海公園に行こうとしたらそこも混んでるみたいだったから、新木場の夢の島熱帯圓に行こうと思ったらそこも混んでるみたいだったから、それで潮見のウッディランド東京に来た」なんて家族連れの観光客も来られましたし、林野庁の施設だったので林野庁以外の省庁の国家公務員の人が見学に来られることもあり、そういった方からは「ほお~お、『浜松の家』というのは、こんな具合にできてるんですかあ」と、まるで登呂遺跡https://www.shizuoka-toromuseum.jp/toro-site/ とかそういうものを見学に来たみたいに言われたものでした。関東地方では、たとえば、千葉県なら「千葉県立 房総のむら」http://www2.chiba-muse.or.jp/MURA/index.html が、千葉県印旛郡栄町 にあり、神奈川県川崎市には「川崎市立日本民家園」https://www.nihonminkaen.jp/ があり、大阪ならば大阪府豊中市の服部緑地に「日本民家集落博物館ーむかしのおうちのはくぶつかん」https://www.occh.or.jp/minka/?s=use がありますが、(株)一条工務店の東京展示場に来場された方からは「浜松のおうちのはくぶつかん」に来たという印象を持った人が多く、「浜松の家て、こんな感じにできてるんですかあ。東京の家とは大分違いますねえ」とか「そう言えば、田舎のおばあちゃんち、こんな感じだったね♪」とか、よく言われたものでした。「そういうことを言うからいかんのだあ~あ!」と近藤ローオさんは身をぶるぶるふるわせて激怒されるのですが、そんなこと言われても、言ったのは私じゃなくて東京展示場の来場客や見込客なのですから、「そういうことを言うからいかんのだあ~あ!」と激怒なさるのなら、言われた人間に激怒するのではなく言った人に激怒してもらいたいものでした。近藤ローオさんは住宅展示場の来場客に向って「そんなこと言うからいかんのだあ~あ!」と怒鳴りつければいいのです。「行こ、行こ。相手にしない方がいいよ。なんか変な人いるから、相手にしない方がいいよ。行こ行こ」とか言って逃げられるのではないかと思いますが、そういう「ほとんどビョーキ」の人というのが「一条オリジナル」であり「一条工務店の遠州人」であり「一条工務店の土台を築いてきたと自称している人たち」だったのです。「一条工務店の遠州人」とつきあうのは疲れます( 一一) こういう「ほとんどビョーキ」の人というのは「精神安定剤」の大量投与による大脳破壊療法(「化学的ロボトミー」)でもやると「治る」のでしょうか。なんというのか、「座敷牢」に入れてやりたい!・・という気持になったものですが、そう思いながらも勤めていると、この(株)一条工務店にはほかにも「座敷牢に入れてやりたい」という人間が出てくるのです( 一一) 難儀ですわあ、ほんま・・・。マア、「座敷牢に入れてやりたい」と思う人間というのは(株)一条工務店だけではなく他の会社にもいましたけれどもね・・、特に私のように三流以下企業に勤めるといっぱいいました( 一一)
  「(株)一条工務店の遠州人」というのは、「『空の広さの一部分は浜松の広さと同じだ』と言うならそれは正しい、しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うならそれは間違っている」と言うと怒るのです。なんというのか、太陽・月・星といった天体は浜松を中心として回転しているみたいに思っている人たちですから、うるさいから逆らってはいかんのです・・・が、百回に一回くらいはつい「それでも地球はまわっている」とぼそっと口に出してしまったりしますともう、彼ら「浜松流本舗」にとってはもう、これは宗教的に許せない存在だと思うようです( 一一)  だから、「(株)一条工務店の遠州人」とはできる限り関わらない方がいいなあ・・と思うようになりました。福島県いわき市と茨城県北茨城市の境目に近いいわき市に「勿来の関」というのがありまして、「遠州人よ、これより北に来るなかれ」ということで設けられた関所なので「勿来の関」と言う・・・というのは違うかもしれんが、私などの意識としてはそうでした。「遠州人よ、これより北に来るなかれ」と。
※ いわき市 勿来の関公園 https://iwakicity-park.or.jp/nakosonoseki/

  浜松の人間というのは「浜松は、ホンダ・スズキ・ヤマハ・カワイ、それに、何ちゃらエレクトロニクスがあって、新幹線『ひかり』号も停車する政令都市に指定された大都市だ!」とか何かと言いたがるのですが、しかし、「(株)一条工務店の遠州人」の言うことを聞くと、どう考えても日本一のイナカ・・というよりも、日本一のイナカモン( 一一) という感じがします。この場合、「いなか」「いなかもの」という言葉ですが、福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。いなかの生まれとか、いなかの住人とか、いなかの出身という意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これはいけない」と語ったというのですが、どうも、「(株)一条工務店の遠州人」のおっしゃることを聞くと「精神面がイナカモノ」と判断せざるをえない方が多いように思えます。言うと彼らは怒りますから、ですから、だんだんと「見ても見ざる、聞こえても聞かざる、言うべきことでも言わざる」になっていき、せっかく、この会社のために尽力したいと思って入社したのに、そう思って入社して毎年毎年毎日毎日、自分を犠牲にして会社に尽くしてきた人間にそのような気持ちにならせてしまう会社というのは、悲しい・哀しい会社だなあ・・と思うようになりました。私だけではない、「この会社は言ってもだめな会社だから、この会社で生きていくには常に『目立たず騒がず』で」とか、「目をつけられないように山のかげに隠れて」といったことを言う人は何人もありました。
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ほんと、悲しい・哀しい会社だと思います。最近、調子がいいみたいですが、そのような状態の会社というのは一時的に調子が良くても《「長い目で見るならばハリコの虎」であってその実力はたかがしれている》である場合は少なくありません。もっとも、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と野村じいさんも言うておったように、相手チームがエラーしまくったことから負けておかしくない試合に勝つということはプロ野球の試合でもあるように、会社においても同業他社のレベルが低いと結果として「勝ち組」に入るということはあります。1980年代、後半、小堀住研(株)に入社した直後の本社での研修で、副社長のKさんが講師役で「戸建住宅建築業界というのは、業界は成熟している、会社は未成熟という業界」だと話されたことがあったのですが、この意味を聞いた時はよくわからなかったのですが、住宅建築業の会社に長く勤めているうちにわかってきました。「業界は成熟している」というのは戸建住宅建築業の業界については需要も供給もある程度以上のものが存在して、それ以上、無茶苦茶大きくならないしなくなりもしない、という意味で、「会社は未成熟」というのは、これは、どこの会社がということではなく、小堀住研(株)も含めて全般的に未成熟な会社が多い業界だということです。私が子供の頃、1960年代、「今の使い方をしていくと石油は後30年でなくなる」と言われていたのですが、「だから、原子力発電を考えないといけないんだ」とも言われて、それなら原子力発電の原料のウランはいっぱいあるのかというとウランは石油に負けず劣らずたいしてないということでしたが、それから15年ほど経った1980年頃、私が20歳過ぎた頃、慶應大学の「物理学」という講義で「昔、『石油はあと30年でなくなる』と言われただろ。それが今でも『石油はあと30年でなくなる』と言われているんだ。不思議だと思わないか。30から15を引いたら30なのか。30から15を引いたら15と違うのか」と教授が話されたことがありました。今、その時から15年以上すでに経っていますから、私が子供の頃、「石油はあと30年でなくなる」という話が本当だったのなら今はもう石油はないはずなのですが、依然としてあるのです。不思議ですね。それと似ているといえば似ているのですが、「戸建住宅建築業の業界の会社というのは未成熟な会社が多い」というのは事実だったのですが、それから30年経てば、全体に30年分、成熟してよさそうに思いませんか? ・・ところが、30年経っても依然として「未成熟な会社が多い業界」なのです。10年経てば全体的に10年成熟してよさそうで10年経っても10年分成熟しないし、20年経っても20年分成熟しないのです。30年経っても依然として「未成熟な会社が多い業界」なのです。だから、(株)一条工務店が「何年経っても未成熟な会社」であっても、その業界全体が「何年経っても未成熟な会社が多い業界」である限り、(株)一条工務店も「結果として『勝ち組』」になる可能性は今後もあるかもしれませんけれども・・それでも時々思うのです。「それでも地球はまわっている」と。
※ それでも地球は動いている。・・・たとえどのような圧迫をうけてもそれは真理だというときにいうことば。ドイツの劇作家ベルト・ブレヒトの戯曲によると、ガリレオは地動説をとなえたため捕らえられて宗教裁判にかけられた。拷問にかけられ、もし地動説を撤回しなければ死刑に処するぞといわれて、ついに公衆の面前でその誤りであることを誓言したが、そのとき彼のくちびるはかすかに動いて「それでも地球は動いている」といったという。
( 折井英治編『暮らしの中の故事名言辞典』1970.4.15.集英社)
暮らしの中の故事名言辞典 (1967年)
暮らしの中の故事名言辞典 (1967年)

  「(株)一条工務店の遠州人」がズルイのは、片方で「浜松は、ホンダ・スズキ・ヤマハ・カワイ、それに、何ちゃらエレクトロニクスがあって、新幹線『ひかり』号も停車する政令都市に指定された大都市だ!」と主張しながら、他方において、住宅を建てる際の「坪単価」については、「施工面積」という延べ床面積よりも広い面積・大きな数字になるように設定された(株)一条工務店の独自の単位で東京都では「セゾン275S1」という1990年代前半においての(株)一条工務店の主たるタイプを坪55万円で売らされていたのに対して、浜松・掛川では坪48万円でウルトラのダンピング、東京圏・関西圏に継ぐ都市圏である名古屋では坪49万5千円でのウルトラのダンピング販売をおこなっており、なぜ、同じものなのに値段が違うんだ? ・・と言うと「物価が違う」などと「一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」は言うのでした。浜松・掛川・名古屋は地方・イナカだから大都市の東京圏とは違って物価が安いのだと、なんだかそういう所ではイナカになるというダブルスタンダードというのか二刀流というのか「ふたなり」というのかの態度をとるのでした・・が、そもそも、東京圏・関西圏に次ぐ三大都市圏の名古屋がなんで坪単価を設定する時になったらイナカなんだ? と誰もが思うのでしたが、私は浜松で買い物をしたことは何度もあるし、浜松の食堂で食事をしたこともありますが、浜松が東京よりも物価が安いか、浜松が日本一物価が安いかというと別に安くないし、むしろ、(株)一条工務店は静岡県中西部・愛知県のみテレビ広告をやりテレビ番組のスポンサーもやっていたのであり、そのあたりを考えると浜松・掛川・名古屋の方がよっぽど物価は高いはずなのです。それを言うと「人件費が違う」などと「一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」は言うのですが、ぼけっと聞いていると「そうかいなあ」と思いそうですが、バカ言ってんじゃないわ♪ (株)一条工務店は東京圏の従業員に静岡県・愛知県の従業員よりもそんなに高い給料払ってくれていたか?・・というと払ってないだろうが! ふざけんな! てものでした。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕 むしろ、賃金を設定する際に「地方の会社」「地方に本社がある会社」「地方中心の会社」というのは東京の会社・関西の会社に比べて安めであることがあり、(株)一条工務店は同業他社と比べて安めだったはずです。同業他社と比べてどうかはさておき、営業の報酬は歩合の部分が多く占めますから、安めの価格で売る地域と高めの価格で売らされる地域とでは安めの価格で売っている地域の方が売れて当たり前であり、安め・・どころか「ウルトラのダンピング」を続けてきた浜松・掛川・名古屋の連中は1棟あたりの報酬は静岡県中西部・愛知県に比べてはるかに割高の価格で売らされていた東京圏の営業よりも安くていいはずでしたが、1棟あたり同じ報酬を盗っていました。「(株)一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」の人間というのは盗っ人みたいな連中でした。
  「政令都市」というのも、私が子供の頃、1960年代は東京都23区・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸の6つが人口100万人を超える「政令都市」で「六大都市」と言っていて、そのうち、門司・小倉・八幡・戸畑・若松の6市が合併した北九州市が百万人を超えて加わって七大都市になりましたが、六大都市とか七大都市とか言っていた時代の「政令都市」とは違って、日本の人口は増えていないのに今では「政令都市」は全国に20もあるわけで、「浜松は政令都市だ」とか「遠州人」は何かと言いたがりますが、マア、言いたきゃ言ってもいいけれども、なんだか、幕内の枚数を増やしたことで十両まで幕内になったみたいな「政令都市」です。もしくは、アメリカ合衆国の人口は増えていないのにアメリカ合衆国のプロ野球のメジャーリーグのチームはずいぶんと増えたようで、そのため、トップのメジャーリーグプレーヤーのレベルは下がっていないけれども、「メジャーリーガー」だといっても今の「メジャーリーガー」はかつてに比べると「それほどでもない」人も「メジャーリーガー」になっているとかいう話があったりもしますが、「浜松が政令都市だなんて言ってもそんなもの」・・なんて言うと「遠州人」は激怒しますから、うるさいから逆らわない方がよさそうですが、口に出して言わない方がいいかもしれないが「そんなもの」です。
私は田舎は嫌いではないし、浜松ももともとは嫌いではなかったのですが、むしろ、(株)一条工務店に入社する前、最初に面接で浜松に行った時なんかは「ここはいい所だなあ」と思ったくらいだったのですが、「一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」から身勝手な言動を「これでもかあ」というくらいに受けてきて、「遠州人」にも浜松にもうんざりしてきました。・・「う○こ まみれのザリガニ」で「うんざり」・・。
  ち○ぽ じゃあろまいし、「なんでも太いものがいいと決まってる」なんてことありませんよ。太いものがいい場合もあればそうでない場合もありますよ・・・と言うと「遠州人」は激怒するので、逆らうとうるさいからこれは「遠州人」には言わない方がいいけれども、実際、「何でも太いものがいい」なんて決まってはいません。・・ついでに言うと、真壁和室で使用する「集成材の桧の柱」というのは、桧は表面の皮みたいな部分だけで内部は桧ではないわけですが、これも近藤ローオさんとかは「なんでも、ムクがいいに決まってるんだ」とおっしゃるのですが、桜木さゆみ さんの漫画によると、最近では ””皮をかぶった「仮性包茎」は「ち○こ風船」やって楽しめる♪・・てことで女性に大人気♪””だそうですから、「なんでも、太いのがいい」「なんでも皮かぶったようなのよりもムクがいい」とは決まってないみたいです。「仮性包茎が女性に大人気」なのかどうかは桜木さゆみ さんの漫画での話ですから真偽のほどはよく知りませんけどもね・・(^○^)
  「ち○こ風船」はともかく、数寄屋建築などでは、あえて長押を省略したり、あえて細いものを使ったり・・といった手法を使いますから、だから、「何でも太いものがいいに決まってるんだ。こんなこともわからんのか」とか言う人というのは、それは言っている人が間違っているのですが、何と言っても(株)一条工務店においては「逆らうとうるさい」ですから逆らわない方がよさそうです・・・が、世間一般においては(特に装飾材については)「何でも太い方がいいに決まってる」ということはありません。
  『エスキモーに氷を売る』なんて本が出ており、私も読みましたが、「エスキモーに氷を売る」ような営業させられていた東京展示場の営業と「浜松の人間に浜松向けの家を売る」営業をさせてもらっていた浜松・掛川の人間とでは浜松・掛川の人間の方が有利であったのは間違いないことでしたが、ところが、彼らは大変ずるいので、わかっていないはずはないのですが、決してそれを認めようとはしませんでした。まったくつくづくズルイ連中でした。
エスキモーに氷を売る ポケット版 - ジョン・スポールストラ, 中道暁子
エスキモーに氷を売る ポケット版 - ジョン・スポールストラ, 中道暁子

  それで、「ち○こ風船」の話はちょっと横に置いといて・・・。 床柱のところの長押ですが、1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所にいた時、契約客で(株)一条工務店の展示場の床の間を見て「これは変だよ。これはいくらなんでも床柱がかわいそうだよ」と言われた方があり、その時から、長押を床脇の上までまわした場合に、床柱の所で長押を床柱の前まで持ってくるべきなのか、床柱の手前で止めるべきなのか、という問題があるのを知りました。(株)一条工務店では長押を床柱の前まで持ってきていて、「浜松流」はそういうやり方らしいのですが、福島県や茨城県北部では床柱は下から上まで見せるものだという施工で、長押を床脇の上まで回した場合は床柱の手前で止める施工にするものだったようです。この時に、いわき市の営業所の私より古くから在籍していた人にきいてみたところ、福島県および茨城県北部では床柱は下から上まで見せるように施工して、長押は床柱の手前で止めるものだということをきき、(株)一条工務店としてはどちらの施工も技術的に可能であるが、床柱の加工を機械プレカットでおこなっているので、あらかじめ、栃木県のプレカット工場に床柱を加工する際に長押とかみあわせる部分の穴をあけないようにしておくように依頼しておく必要があるということをきき、それ以来、私が担当の契約客には床柱と長押は長押を床柱の前まで持ってくるようにした方がいいのか、長押は床柱の手前で止めて床柱を下から上まで見せるように施工した方がいいのか、必ず確認するようにして、そして、図面を作成する際に、設計担当者に念を押して言い、色合わせの際にも「コーディネーター」に念を押して言うようにして、工事担当者にも確認するというようにしました。だから、私が担当の契約客では福島県および茨城県北部で建てられた方には「浜松流」ではなく「福島県および茨城県北部流」の床柱と長押の施工になりました。
  どういう床柱を使用するかによってもかわってきます。(株)一条工務店では、花梨(かりん)・黒檀・紫檀・鉄刀木(たがやさん)・・といった角材の床柱を使うことが多かったのですが、円柱であれば長押を前までもってきて長押と床柱をかみ合わせようとしても難しいので床柱の手前で止めようという気持になりがちですが、角柱の場合は長押は床柱の前まで持ってこようという気持になりがちです。
  部屋の構造材の柱と同材を床柱に使用する場合もありますが、同材を床柱に使った場合には部屋の構造材の柱よりも太いものを使うことが多く、部屋の構造材の柱よりも相当太い柱を床柱に使ったならば床柱の所では長押は柱の側面にぶつかることになりますから床柱の手前で止めたくなります。
  茶室などの床柱は「ひょろひょろひょろお~お」て感じでまがりくねった木を立てている場合が少なくありませんが、ああいうものの前まで床柱を持ってきてつなごうとするとかえって不自然ですから、そういう場合は床柱の手前で長押は止めることになるでしょう。
  坂本功『木造建築を見直す』(岩波新書)で書かれていたように、ルーツとしては長押は構造材で柱をつなぐものでしたから、そのルーツに随えば床柱の前まで持ってきてつなぐべきだという理屈になりそうですが、現在の床柱は一般に構造材ではなく飾りなので、ルーツからくる理屈は無理にあてはめる必要はないでしょう。
  床柱として、必ずその部屋の一般の柱と異なるものを使わないといけないという気まりがあるわけではなく、その部屋の一般の柱と同材で、かつ同じ寸法の木を床の間の柱に使っているケースもあります。これまで見たものでは岐阜県高山市の陣屋の床の間はそうなっていました。この箕面山瀧安寺の圓満殿の床の間もその部屋の柱と同材で同寸法のものを使っていますね。

  歴史的建造物とかの床の間を見てまわって気づいたのは、もうひとつ、床の間の上は「落しかけ」は設けるけれども長押は床の間の上にはまわしませんが、床脇の上には長押をまわすべきなのか、床脇の上には長押はまわさないものなのか、という問題です。いろいろな所を見てまわると、床の間の上に長押がきていたものはありませんが、床脇の上に長押がきていた建物と床脇の上には長押はまわさないようにしていたものと両方ありました。「浜松流」は床脇の上に長押をまわすようですが、歴史的建造物・有名建造物の和室を見てまわると、床脇の上に長押がきているものと床脇の上には長押はきていないものがあり、どちらかというと、床脇の上には長押はまわさない造りのものの方が多いように思えました。この箕面山瀧安寺の圓満殿の床の間でも、床脇の上には落しかけのみで長押はまわっていません。
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  床脇の棚の造りですが、『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)の小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」には、
《 普通は「違い棚」の形でつくられ、上の戸棚を「天袋」、下の戸棚を「地袋」といいます。棚の先には筆返し(ふでかえし)を取り付けるのが習慣で、形によって、都鳥・立つ波・若菜など、いろいろの名が付けられています。
  なお、違い棚・天袋・地袋などの変化によって、多種多様なおもしろい意匠が考えられています。》
と述べられていますが、(株)一条工務店は「注文住宅ですから何でもできます」と口先で言いながら、床脇棚については一番基本的な、上に天袋、下に地袋があって、中間に違い棚があるというものしかできなかったようです。それなら最初からそう言えば良さそうなものですが、「会社として、このやり方以外はやらないとか、できないとかいったものはあるのですか」と尋ねると、「そんなことはない。何でもできる」と言うのですが、それなら施主の好みのようにと対応すると、営業本部長の天野隆夫から「余計なことするなあ」と怒鳴りつけられるのです。お客様の希望を実現するための努力をするのがなぜ「余計なこと」なのでしょう。精神的に卑しい人間にとっては「余計なこと」のように思えるということなのでしょうね。
  『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」には「床脇棚のいろいろ」として60種類の形態が図示されていますが、箕面山瀧安寺の圓満殿の床脇は、その60の形態の中では、上に天袋があるだけで棚はないという「敷込袋(しきこみふくろ)」というものになるでしょうか。
新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社
新感覚の和風住宅 (Home life) - 講談社

  床の間の造りについては、『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」には本床(框床)・蹴込み床・踏み込み床・塗り回し床(洞床)・袋床・釣り床(壁床)・織部床・置き床(付け床)といった種類についての説明が述べられています。「蹴込み床」と「踏み込み床」はどう違うのか、「蹴込む」のと「踏み込む」のはどう違うのだろうか・・なんて思いませんか。
  新村出編『広辞苑 第二版』(1969年 第二版 岩波書店)には、
蹴込む・・1.蹴ってうちへ入れる。 2.損失となる。くいこむ。
蹴込(けこみ)・・1.階段の踏板の間、また蹴込床の下の垂直の部分。 2.人力車で乗客の足を休めおく所。 3.劇場の大道具で、二重舞台の前側面。縁の下にあたる部分。・・
踏み込む・・1.ふんで落ちこむ。ふんで深入りする。 2.無断で入りこむ。案内なく、無理に入りこむ。 3.気張っている。思いきってする。
踏込(ふみこみ)・・1.ふみこむこと。 2.歌舞伎舞踊で、左右の足をトントンと拍子をとって踏みつづけること。 3.家の玄関などで履物をぬいでおく所。
・・と書かれています。なるほど、「蹴込む」と「踏み込む」のニュアンスの違いはわかりました。「警察官が踏み込んだ」とは言っても「警察官が蹴込んだ」とはあまり言わないですね。しかし、これでは「蹴込床」と「踏込床」の違いはわかりません。
  『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」には、
蹴込(けこ)み床  畳を敷かない一枚板の床の間で、床框がなく、床板と畳寄せとの間に蹴込み板のあるもの。
踏み込み床  床板と畳を平らにした床の間で、板にするのが普通ですが、畳を敷くこともあります。
・・と出ています。 「蹴込み床」は本床(框床)を板張りにしたものか?・・と思うと、本床(框床)については、
本床(框床) もっとも本格的な床の間です。角材の床柱を使用し、床框を取り付け、一段高くした床表面に畳を敷き、板は蝋色(ろいろ)(黒色)の漆塗りにします。畳の代わりに薄べりを敷いたり、板を張ったものもあります。落とし掛けは長押より一段高く、柱と同材を用いるのが本式です。
・・と書かれているのです。(株)一条工務店では畳床では畳ではなく見た感じは畳と似ているけれども畳といくらか違う「薄べり」を敷いていました。畳と板の違いは誰でもわかりますが畳と「薄べり」がどう違うかは知らない人の方が多いと思います。(株)一条工務店にいた時も、たいていの契約客・見込客は「薄べり」というのは床の間用の畳だと思っておられたようで、実は私もそう思っていたのですが、『新感覚の和風住宅』(1985.2.1.講談社)小林盛太「和風住宅の構成とディテール 和風のよさを見直そう」の文章によると厳密には畳と「薄べり」は同じではないみたいです・・が、見た目は特に違うわけでもないので、畳と「薄べり」はどちらも畳の仲間だとして、《板を張ったものもあります》となると、板を張った「本床(框床)」と「蹴込み床」はどう違うんだ? となってきます。
  畳寄せと床板との間、高さが異なる部分の側面に蹴込み板があるのが蹴込み床で、蹴込み板ではなくて床框があるのが本床(框床)なのでしょうか。しかし、用語の使い方は法律用語で法律の条文で「この法律において◇◇とは・・・のことを言う」という条文があるとかいう場合は別として、そうでない場合には多くの人が使えば多くの人の使い方がその言葉の意味になることがあり、現実に畳床のことを「本床」と言っていることもあるし、框がある板敷の床の間は部屋の畳面と同じ高さの床の間とともに「板床」と言っていることも現実にあると思います。
  ともかく、「本床」というのは名前からして本式の床の間みたいな名称で、床框があって畳・薄べり・板のいずれかが敷かれている床の間で、蹴込み床は蹴込み板がある板床で本床のように部屋の畳面より框・蹴込み板の分だけ高くなっている床の間を言うようですが、踏み込み床はというと《床板と畳を平らにした床の間》ですから蹴込み板も床框もないわけです。部屋の畳の面と同じ高さで、それで部屋と同じ畳が敷かれているものかというと《板にするのが普通ですが、畳を敷くこともあります。》ということで部屋と同じように畳を敷く「踏み込み床」と板敷きの「踏み込み床」もあるということです。「蹴込み床」と「踏み込み床」では、蹴込み板があるのが「蹴込み床」で、部屋の畳の面と同じ高さで踏み込めるのが「踏み込み床」のようです。
  箕面山瀧安寺の圓満殿の床の間は、この名称では「本床(框床)」になりますが、床脇は地袋を設けず、板敷にせず、その部屋の畳を床脇の部分まで敷くというやり方、床脇の部分については、「畳を敷いた踏み込み床」のような造りの床脇になっています。
床の間と床脇との間に「狆(ちん)くぐり」があります。

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↑ 圓満殿の床の間がある部屋は棹縁天井になっていますが、棹縁の「棹」が床の間の方を向く「床刺し」にならないように、棹縁の「棹」は床の間と並行になるように施工されています。

  圓満殿(客殿)は玄関の西に、「松の間」「鷲の間」「貴人の間」という部屋の名前がつけられているようですが、床の間がある部屋は「貴人の間」のようです。

  圓満殿には、これより西に「玉座」がある部屋、上段の間があり、そちらにも床の間があり、付書院もあります。次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html 、そちらについて述べたいと思います。

※ 箕面山 瀧安寺HP https://www.ryuanji.org/
ウィキペディアー瀧安寺 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%AE%89%E5%AF%BA
箕面公園公式サイト https://www.mino-park.jp/
箕面さんぽマップ(箕面市役所箕面営業室発行) https://minohkankou.net/pdf/pdf1.pdf

  「(株)一条工務店の遠州人」は「遠州地方には『やらまいか精神』というものがある」と言うのですが、「やらまいか」というのは「やってみよう」という意味の遠州弁ですが、実際のところ、「(株)一条工務店の遠州人」の「遠州人がほかの地域の人間より得することなら、どんなことでも『やらまいか』」という「やらまいか精神」には閉口しました( 一一)

  (2023.4.6.)

☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷きの踏込式・「敷込袋」・落とし掛けのみの床脇〔今回〕
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ着色が周囲と調和。西・南・東より見て https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。浜口雄幸狙撃と安倍晋三銃撃は意味合いが違う。統一教会・倫理研究所などの迷惑な「宗教右翼」を何とかしてくれ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html

☆ 箕面山聖天宮西江寺1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html

☆ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

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