瀧安寺と鳳凰閣【11/13】屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ着色が周囲と調和。西・南・東より見て。「バカでも入れる建築学科」卒と「女」を増長させるのが趣味の営業本部長。おばはん帝国主義の職場侵略を「女性の社会進出」などと言うな! 「設計」はシャープペンシルより重い物は持ってはならないか、建築現場では持つべきか。「何の努力もしてないのに通る」わけないだろうが、「天才とは努力の代名詞」。

[第989回]
  さて、いよいよ、「武田五一設計の鳳凰閣(国登録有形文化財)」 に進みます。鳳凰閣は2019年(令和1年)9月の台風21号で背後の山林から倒木の被害を受けて損傷したらしいのですが、京都の鹿苑寺の金閣は放火されて炎上して再建すると再建したものは国宝には指定されないみたいですが、鳳凰閣の場合は元からそんなに「昔昔その昔、お婆さんが川で洗濯をしていたところ、川の上流から大き桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきた。『じいさん、ありぁ何だろう』『ありぁ桃だろう』というところから『桃太郎』と名づけられましたあ」というような頃の昔の建物ではないので、完全に倒壊して再建したとしても、建築年がそれほど大きく変わるわけではないわけで、又、薬師寺でも東大寺でも昔からのものがそのまんまあるわけではなくて、相当補修工事はおこなってきているわけですが、台風による被害を受けた後、補修工事をおこなって修復した鳳凰閣はどうなるのだろうと思ったのですが、インターネットで検索すると、今でも、文化庁の「文化遺産オンライン」に「瀧安寺鳳凰閣」https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/114714/1 は出ており、「国指定文化財等データベース」にも「瀧安寺鳳凰閣」https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001834 は出ていますので、補修後も国登録有形文化財の指定は失っていないのでしょう。
※ 瀧安寺HPhttps://www.ryuanji.org/
滝安寺HP「境内案内図」https://www.ryuanji.org/map
瀧安寺HP「特別拝観」https://www.ryuanji.org/haikan
  誰が設計した建物であれ、いいものはいいのであり、どんなに有名人が設計したものでも良くないと思ったら良くないと言っていいはずなのですが、「建築家」業界の人たちの間では最近の建物については、先に「名建築家」「世界的建築家」というものが指定されていて、それに指定されている人が設計したものなら竣工時から雨漏れする建物でも、周囲の景観と調和しない建物でもおかまいなしに「名建築」とされてしまう傾向があります。 「建築家」と称する人たちというのは、いったいどんなけ権威主義なのかと思います。
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36) - なだ いなだ
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  何年か前、東京の六本木にある国立新美術館で安藤忠雄展が開催された時に見に行ったのですが、服飾デザイナーのコシノジュンコだったかの家を安藤忠雄が設計したとして出ていたのでしたが、お互いに、片方は《「有名建築家安藤忠雄設計の家」に住んでます》というのを「売り」にして、他方は《「有名服飾デザイナーのコシノジュンコさんの家を設計しました》というのを「売り」にして、互いに権威主義を高め合っていたようで、なんだか、うんざりして帰ってきました。
  安藤忠雄って、学歴としては大阪府立の無名の工業高校卒で、大阪芸大に行ったとか行かないとか中退とかいう話があるけれども、そのこと自体はどっちでもいいけれども、世界中の建築を見てまわって、そこから「建築家」になりたいと思ったというのですが、私なんかそういうことをやりたいと思っても、世界中の建築を見て回るお金なんかないし、やりたいと思ってもできない「高卒で東大の教授になった」というのをエライと言いたい人もあるらしいが、普通、そんなもん、なられへんのにからに、いったいどんなコネあってなって~ん・・て感じがする。 何よりも、「水の教会・光の教会」というのを安藤忠雄の代表作として「建築家」と称する人はありがたがっているが、「水の教会」というのは星野リゾートというリゾート開発屋さんが北海道のトマムという所に造った結婚式場専用教会で、他方、「光の教会」というのは大阪府茨木市の日本キリスト教団春日丘教会というプロテスタントの教会の教会堂であり、片方で日本キリスト教団の教会の教会堂の設計をして他方で結婚式場専用教会などという「なんちゃって教会」の設計をやるというその節操のなさというのは、この男の人間としての程度の低さを示している・・・と私は思うようになった。思いませんか。私なら・・と言うと「おまえにそんな設計の仕事なんか頼まん」とか言われるかもしれんが、頼まれるか頼まれないかに関わらず、私なら日本キリスト教団の教会の教会堂の設計とキリスト教徒でもない人が結婚式だけ「キリスト教式」であげるための結婚式場専用教会などという「なんちゃって教会」の建物の設計と両方を引き受けるなどという節操のないことはしない。それを平気でやるのが安藤忠雄なのだ。それは『聖書』の精神に反するものではないだろうか。ウィリアム=メレル=ヴォーリズは「教会堂の建物というのは特別の建物である必要はない」と語ったというが、その通りで、神と『聖書』の信仰を持つ者が結婚式をあげたならば、どんな建物であげてもキリスト教の結婚式であり、『聖書』なんて1ページも読んだことがないというにーちゃんねーちゃんが「名建築家安藤忠雄設計の結婚式場専用教会」などというもので結婚式をあげても、そんなものはキリスト教ではないのである。
ヴォーリズ建築の100年: 恵みの居場所をつくる - 政昭, 山形
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  又、「世界の丹下健三」をありがたがって称賛する人というのが「建築家」ぶりっこぶりっこに多いのだが、そういう連中の「ほとんどビョーキ」の態度にはうんざりするが、「世界の丹下健三」をヨイショして持ち上げることで ””「世界の丹下健三」のエピゴウネンになりたいなりたい症候群"" の自分も評価してもらおうというあさましい根性が見えてうんざりする。 ””なにかと「いっきゅうけんちくしい~い」と言いたい言いたいシンドローム””・””「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば人は評価すると決めつけて譲らない「バカでも入れる私大の建築学科」卒もしくは試験なんか最初からない「建築専門学校卒」のおっさん症候群”” で「そのへんの設計事務所」やってる男は「世界の丹下健三」が大好きというのが多いが、あほくさいだけだ。あんな「ひょっとこ」みたいな建物をありがたがるというのは、それはハートがなってないからではないのか・・という感じがするが、それを話してわからせようとしても、””「世界の丹下健三」を持ち上げることで自分も「世界の丹下健三のエピゴウネン」として評価されたい症候群””の設計事務所のおっさんのそのビョーキは簡単には治らない。「病識がない」という点も難儀だ。「作業療法」として強制労働で肉体労働につかせるとかすると、いくらかなりとも「真人間になることができる」かもしれんか・・。
※ 「作業療法」⇒《YouTube- 流刑人 - アレクサンドル・スヴェシニコフ指揮ソ連国立アカデミー・ロシア合唱団》https://www.youtube.com/watch?v=B7drh7esOiE
  法隆寺宮大工の西岡常一さんの『木に学べ』(小学館)だったかで「法隆寺宮大工口伝」として「おのれの手を動かして作業せざる者、建築について語るべからず」というものが書かれていたと記憶しているのだが、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「設計」担当などは「(バカでも入れる建築学科卒の)設計はシャープペンシルより重いものは持ってはならない」という戒律を持っていて、建築現場に行って周囲の従業員がひいひい言って重い物を運んでいてもポケットに手をつっこんで見物するのが「設計」の役目であると思いこんでいる。1990年代、福島県いわき市の営業所にいた設計担当の春田靖(男。当時、20代)も建築現場に行くと、大工や工事担当が重い物を運ぼうと苦労していると私などはどれだけ役に立つかにかかわらず協力しようとしたものだが、お客さんではなく建築会社の従業員ならばそれが当然と思っていたが、春田靖は「東京大学の東大」ではなくて「東洋大学の東大」しか出てないくせしてからに・静岡県の人間が東洋大みたいなもんしか行けないくせしてからにわざわざカネのかかる「私立大学の工学部」みたいなものにわざわざ下宿してまで行ってからに、(株)一条工務店という会社では ””「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は新卒入社したその日からお殿様””と認識していて、ほかの従業員が目の前でどんなに苦労して重い物を運んでいても、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は新卒入社したその日から「設計士さま」で「設計士さま」は建築会社では特権階級であり、ぽかんと見物するものと認識してその認識を常に実行していた。営業本部長の天野隆夫は「営業本部長」でありながら「バカでも入れる私大の建築学科」卒の「設計」のテカであり、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間が増長するのに常に加担していた。
木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫) - 西岡常一
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  又、最近では女性で「設計」の仕事をしたがる人間が出てきて、そういう女は「女は建築現場でも物を持ったりしないのが常識」と思っており、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫がそれを全面的に支持していた。天野隆夫は「バカでも入れる私大の建築学科卒」を増長させるのが趣味の男だったが心得違いも甚だしいであろう。あの男がいる限り、この会社は良くならないであろう。
  女性でも、たとえば1980年代終わりに小堀住研(株)の松戸展示場に「営業補助」の職種できてくれたMさんなどは、展示場で男性が重いものを運んでいたら何も言わなくても自分も女性でも持てそうなものを持ったり、まわりの物を動かして運びやすくするなどしたものだが、そうではなくて、たとえば、2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市 〕https://www.10kai.co.jp/ の千葉市花見川区の花見川ショールームの店長になっていた大友さん(女性。当時、50代なかば)は「男がやるのが当たり前でしょお」と言い、お客さんにお茶を出したりするのは「男も女も関係ないでしょ」と言いながら、他方において、2月、雪が積もった時には「雪かきは男がやるのが当たり前でしょお」と言うので私がやったら、おのれはどうしたかというと・・⇒おのれは部屋中に入って座ってコーヒー入れて飲みよった( 一一)  私は男も女も関係ないであろうから、お茶を入れてお客さんに出したりするのも男も女も関係なくやっていいと思ってきたのだが、雪かきとかを「男がやるのが当たり前でしょお」とおばさんが言っておのれは部屋中に入って座ってコーヒー飲むというのは、それは「当たり前」ではないと思うのだお茶を入れてお客さんに出したりするのは「男も女も関係ない」と主張して、「雪かきは男がやるのが当たり前でしょお」と主張して、男性が雪かきするとおばはんは部屋中に入って座ってコーヒー入れて飲むというのが、そういうものを「女性の社会進出」などと言うのだけれども、違うのではないか。 それは「進出」ではなく「侵略」と呼ぶべきではないか。そういうのは「オバハン帝国主義の職場侵略」と表現すべきではないだろうか。かつて、毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派はハリコの虎である。見かけは恐ろしいがその実力はたかがしれている。ヒトラーはハリコの虎ではなかったか、日本軍国主義はハリコの虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し、原子爆弾という恐ろしい武器をもっているがこれもまたハリコの虎であってやがて打倒される」と語ったが、唯一、「オバハン帝国主義」という帝国主義だけは、これはハリコの虎ではなく、牙を持った恐ろしい本物の虎であり、これは永遠に不滅であり、原子爆弾も人民義勇軍も歯が立たない( 一一)  O友ゆうこりん(仮名)は「夫が小堀住研で設計課長やってましたから」と「もう、それは聞いたよ」ということを何度も何度も言うのだったが、小堀住研(株)で設計課長をやっていたのは夫であって「ゆうこりん」ではなく、そのオットもまた、もしも本当に「小堀住研で設計課長をやっていた」のならば、「男が大変な思いをして雪かきやってるのなら、女もお客さんではなく従業員ならば、おのれは部屋中に入って座ってコーヒー飲むのではなく、何なとやれよお」と言うべきものであり、もしも、その程度のことすらも言えない男であったのなら、そのオットは「小堀住研で設計課長やってました」としても、たいした設計課長ではなかった・・と考えるべきであろう。

  そういう「バカでも入れる私大の建築学科卒の『設計』はシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはならない」という戒律を持っている(株)一条工務店の「第一設計部」「第二設計部」があるわけではないのだが、この会社は昔から実際よりも会社が大きいように見せようとして「設計部」でいいものを「第一設計部」などと名づけていた。)のバカどもにそのビョーキを治療してあげようと思っても、それは相当重症であるし「病識がない」というのが難儀な点だ。また、「バカでも入れる私大の建築学科」とか建築専門学校とかで教えている人間自体が「ほとんどビョーキ」の人間が多いようだ。日本の建築専門学校というのは全部、ぶっ壊した方が世のため人のためではないかと私は思っている。
  また、(株)一条工務店の場合はそういう態度・姿勢を本来なら注意しなければならない立場の人間である営業本部長の天野隆夫が全面的に支持しているので、どうしようもない。私はジェットコースターのペンキ塗装の仕事の手伝いのアルバイトでジェットコースターの一番高い所に登ったことがあるが、本当に怖かった。「世界の丹下健三」はそういう経験はないだろう。「世界の丹下健三」でなくても(株)一条工務店の営業本部長が大好きな「バカでも入れる私大の建築学科」卒の男および女というのもそういう経験はないだろうし、「設計」はそういうことをしてはならないという戒律を彼らは持っている。「設計」というのはそういう連中である。実際におのれの手で作業してみればわかることを彼らはやらないから知らない。お客さんには建築会社では「設計」という職種の人間が一番何でも知っているだろうと勝手に思っている人がいるが、実は一番何も知りよれへん・・という場合がある。
  なんで、住宅建築業の会社の経営者というのは「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間をありがたがるのか、バッカじゃなかろかルンバ♪ と思ったのだが・・〔⇒《YouTube-バッカじゃなかろかルンバ!》https://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM 〕、ひとつには住宅建築業の会社の経営者というのはたいてい高卒か中卒だという点が原因にあるのではないか。そういう会社においては「学歴で人を差別してはいかんだろう」と高卒の経営者・中卒の経営者は言うのです・・が、その場合、どういう「差別」をいかんと言うのかというと、経済学部・商学部・経営学部といった学部卒の人間と高卒・中卒の人間を「差別」してはいかんと言うのです。「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間とは「差別」してもいいみたいです。なんでか? ・・というと、建築学科でやっているものというのは高卒・中卒の経営者にとってはありがたいのですが、《 高卒・中卒の人間が大卒の人間と「差別」されないように・しないように》するには、高卒・中卒の人間は大卒でも経済学部・商学部・経営学部卒の人間と「平等」の扱いにしないといけないことになるのです。森川英正『日本経営史』(日経文庫)には、日本の会社において「学卒者」の導入は理工学分野でまずおこなわれ、社会科学系学部出身者の導入はそれより後でおこなわれたと書かれているのだが、今現在においても理工学系分野においては「学卒者」を導入しても社会科学系学部卒の人間については高卒・中卒の人間の引き立て役として使ってやろうと高卒の社長・中卒の営業本部長が考える(株)一条工務店のような「江戸時代みたいな会社」というのが少なからず存在している。そういう高卒の社長・中卒の営業本部長にとっては「バカでも入れる私大の建築学科」卒がよっぽどありがたいみたい( 一一)で、そういう人間を増長させるようです。ちっぽけな野郎だなあ( 一一)・・と思いますが、(株)一条工務店などはそういう連中の経営する会社なのです。
日本経営史 - 森川 英正
日本経営史 - 森川 英正

  それで、鳳凰閣は大阪府の歴史散歩編集委員会編『大阪府の歴史散歩 (上)大阪市/豊能/三島』(2007.9.18.山川出版社)には《滝道に面した鳳凰閣(国登録有形文化財)は昭和初期に建てられた重厚な建物である。》とのみ書かれていて設計者の名前は記載されていないのですが、この鳳凰閣の設計者が京都大学の建築学科や京都工芸繊維大学図案科を創設し、神戸大学工学部の設立にも関与した人らしい武田五一先生らしいのです。
  《ウィキペディアー武田五一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80 によると、《1872年12月15日(明治5年11月15日) - 1938年(昭和13年)2月5日)》で、重要文化財に指定されているものとして山口県庁舎及び県会議事堂があり、国登録有形文化財に指定されているものは大阪府箕面市の瀧安寺の鳳凰閣のほか、同志社女子大学ジェームス館・同志社女子大学栄光館など11あり、ほかに、東京都指定有形文化財に指定される求道会館(文京区)、富山県の高岡市指定有形文化財に指定される 有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)青銅随神像 があるらしい。私は同志社女子大学ジェームズ館・栄光館は足を運んで外見を見た。女子大てのは男性が入るのは難しいが、同志社女子大の場合は同志社大学に隣接していて、同志社大学と同志社女子大学の間を行き来できる出入口みたいのもあって同志社大学の敷地を歩いているつもりで、ふと気づくと同志社女子大の敷地に入ってしまっていた・・なんてことがあったのだが、南側の今出川通りからも見えるので敷地内に立ち入らなくても外観は見える。大阪市の肥後橋・渡辺橋なんてのは通ったことはあるが、用事で通ったので、どんな橋だったか記憶は曖昧だ。
  『京都/大阪/神戸 名建築ガイドマップ』(2011.10.31.エクスナレッジ)の著者の円満寺の狸ばやし ・・ではなくて、円満字洋介さんという方は京都工芸繊維大学建築学科卒で円満字建築事務所 代表であるとともに、京都精華大学・摂南大学などの非常勤講師を勤めた人で私より少しだけ年下らしいのだが、私などは小学生・中学生の頃はうちの母親から「親というものは息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けるようにと思えばこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言われて、愚かなことにそんなヨタ話を本気にしてしまったのだったが、実際に大学に行く時になると「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「医学部のような6年間、行かないといけない学部はいけません。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは学校の先生みたいなものにならせるような金持ちとは違います。甘ったれんさんな。特に学校の先生でも数学か英語以外の科目の先生は家庭教師のアルバイトができないから、数学と英語以外の科目の先生には特になってはいけません」「学校の先生は全員、アカやからなってはいけません」「うちは司法試験なんてものを受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「国家公務員は転勤が多いからなってはいけません」「商社は海外勤務があるからいけません」「京大はアカやから行ってはいかん」「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん。マスコミは産経かNHKでなかったら勤めてはいかん」・・とうちの父親は言うのだった。それでは、いいものはほとんどないではないか。何ならいいというのかというと、「東京海上火災、東京海上火災、東京海上火災」とそれから「阪急電鉄がええ、阪急電鉄が」と言うので、東京海上火災と阪急電鉄だけは首をもがれても勤めてなるものか・・と思った。同じ小学校・中学校・高校から慶應大学の経済学部に行った阪本という男はそういう私が絶対に行かされたくないと思った会社に勤めたいと思っていたらしく、「勤め先、富士銀行に決まりましたとかいったらかっこええやろ」とか言うのだったが、私は富士銀行なんて少しもいいとは思わなかった。又、横浜市港北区の日吉台学生ハイツが伊藤忠と関係あるという話を聞いていて、伊藤忠に社員だという人間と話をしたこともあって、「なんだ、こいつ、この下品で程度の低い人間は」と思い、伊藤忠という会社自体を軽蔑していた。富士銀行もまた東京海上火災とともにその会社もそういう所に勤めたいと思う人間も軽蔑していた。小堀住研(株)に勤めた時、入社時には気づいていなかったのだが、同社は銀行に対して相当負い目がある会社だったようで取締役の半分・監査役の半分が銀行出身で、それだけかと思っていたらそうではなくて、総務などには銀行から出向できたという人が何人もいた。なおかつ、それらの人は、そのままその銀行にいた場合の役職、もしくは最初から小堀住研(株)にその人が入社した場合の役職よりも一回りではなく二回りか三回りほど上の役職についていて、最初から小堀住研(株)に入社した従業員の間では評判が悪かった。富士銀行で2年ほど支店長をやっただけという増田という男が常務取締役にならせてもらっていたが、結論としてアホやった。富士銀行の支店長てのはこんなのかあ・・と思っていた以上にアホだとあきれた。但し、「銀行の人間」もすべての人間が同じということではなく、「銀行から他の会社に出向した人」でも「出向する先の会社から頼まれて出向した人」と「出向先の会社が銀行に対して弱みがあることから、銀行からゴミ箱かわりにして銀行が要らない従業員をゴミ箱かわりの会社に出向させた人」とがいるようで、慶應大学の4年の時にその頃は東京駅の前の丸ビルに東京支店があった中国銀行(岡山の中国銀行ではなく北京の中国銀行)に会社訪問で行ったのだが、その時に会ってもらったMさんは三井銀行から中国銀行の東京支店に「顧問」として出向していた人で外資系の銀行が日本で運営していくために日本の銀行に頼んで出向してもらっていたという人だったらしいが、慶應大学経済学部卒だそうで同じ大学の人間だということでその会社と特に関係のない話も聞かせてもらったのだが、「この人、歳いってるけれどもしっかりしてるなあ」と思い、又、「こういう人の下で働いたら働きやすいだろうなあ」とも思ったのだったが、富士銀行から「要らない人」としてゴミ箱かわりにされた小堀住研(株)に常務取締役・東部営業本部長という肩書をもらって出向していた増田和二なんかとは「銀行から来た人」でも全然違った。「銀行から出向で来た人」でも「出向する先の会社から頼まれて出向した人」と「その銀行では要らないからゴミ箱かわりの会社に出向した人」とでは人間の内容が違うということがあるようだ・・が、もともと、富士銀行なんていいと思っていなかったが、実際、富士銀行の従業員なんて、中には優秀な人もいるのかもしれないが、「富士銀行て、あんなのか・・( 一一) 」て感じやった。そんなものをありがたがって崇拝していた阪本という男も「そんなもの」だったのだろう・・。それでも私より出世したかもしれないが、それでも阪本は「なまたまご」を「なまなまこ」と発音するが、私は「なまたまご」は「なまたまご」と発音する。
  夏目漱石『吾輩は猫である』に登場する「くしゃみ先生」は夏目漱石自身がモデルと言われていて、「くしゃみ先生」は「実業家」というものを馬鹿にしていて《「実業家」よりも中学校の先生の方がえらいと思っている人》で、近所に「うちの主人は実業家ですの」と自慢にする奥さんがいたが、その奥さんの態度を「くしゃみ先生」は馬鹿にしていたと載っているが、私は自分自身がそういう方向に行きたいと思っていなかったので、「富士銀行に就職先決まったとなったら誰もに自慢できるだろ」などという阪本から言われても「へえ、そんなこと思う人があるのか」と思っただけだった。むしろ、ニーチェやキルケゴール、あるいは中原中也であったり、内村鑑三であったり、そういったものを「そんなもの、何の価値があるんだ」と言う阪本のような人間・「慶應タイプ」を軽蔑していたしていた。
  うちの父親は、さらに「あんた、箕面市役所に勤めてくれたら一番ええんやけどな」などと言うのだった。箕面市役所みたいなものに勤めるために、あそこまで勉強しなければならなかったのかと思うと、生きている意味がないと思われた。中央公論社の「世界の名著」シリーズの『世界の名著 聖書』(中公バックス)の編集者で『新約聖書』の部分の訳者である前田護郎さんは大学に進学する時、『聖書』の研究をやりたいと思って文学部に行きたいと思ったが家族の理解を得ることができず、入学試験では白紙で答案を出してきたが、行きたい方向に進学させてもらえる者がうらやましかったが、翌年は文学部を受けさせてもらって『聖書』の研究をさせてもらったらしいが、似たことをしても、ますます「だれがそんなもん、文学部みたいなもん行かすかあ」となるのが我が家だった。京都工芸繊維大学しか行けないくせしやがってからに工学部建築学科なんて行かせてもろうてからに、「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ。・・わしぁ日陰の月見草やあ」て気持になる。
  「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしのためにっ、わしのためにっ、わしのためにっ、ためにっためにっ。すべてをすべてをわしのために。てってこっこてっててって、らったらったらったら♪ てってこっこてっててってらったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん! 一億火の玉! すべてをすべてをわしのために犠牲にする、犠牲にする! 犠牲の精神、犠牲の精神、わしのために、わしのために、わしのために犠牲になる、犠牲になる! てってこっこてっててってらったらったらったらあ、とってちってたあ~あ!」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきた。「わしのために、わしのために、わしのために犠牲になる、犠牲になる」というそういう「目的」のために東京海上火災だの阪急電鉄だのに勤めさせられるために、そんなくだらないことのために小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのではないはずだった・・が、そう思う人間・そう感じる人間のことを慶應大学医学部助教授の小此木啓吾が「モラトリアム人間病」と「診断」するそうで、小此木啓吾はそういう人間を「治療」することで「お国のために、会社のために、わしのために」のためにすべてをすべてをささげ尽くす、すべてをすべてを犠牲にする、とってちってたあ~あ♪ という人間に「人間による人間の加工」をおこなうことが「精神分析学」であり「心理学」で「精神医学」だと考えていたようだった。それが慶應内部進学独善祝儀小此木啓吾だった。何年か前、奈良県の樫原市と高市郡明日香村との境目付近の明日香村にある「飛鳥資料館」https://www.nabunken.go.jp/asuka/ に行った時、関西大学の学生が高松塚古墳の発掘作業をおこなっている録画が放映されているのを見たが、「こいつら、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ。関大しかよう行かんくせしてからに、考古学の研究なんてさせてもらってからに。ええなあ、うらやましいなあ」と心の底から思ったもので、そして、「なんで、こいつら、モラトリアム人間病ではないんだ」とも思った。私が彼らのようなことをしたならば絶対に「こいつ、モラトリアム人間病や。間違いないわ。会社という所に勤めるのを嫌がる人間はモラトリアム人間病です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる」と言われて、ロボトミーとか電気ショックとかされる危険があったのだが、なぜ、そいつらは関西大学しかよう行かん落ちこぼれのくせしてからに高松塚古墳の発掘作業なんてさせてもらっているんだ。なぜ、彼らは「高松塚みたいなもん、な~んの価値もあらへん。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。とってちってたあ~あ!」と、なぜ彼らは言われないんだ。おかしいだろうが。そもそも、小此木啓吾こそ「会社という所に勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病」の重症患者であるから、だから、慶應病院と慶應大学という「病院」と大学とに勤めていたのではないのか小此木啓吾こそ「モラトリアム人間病」であろうが。小此木啓吾こそ、ロボトミーとか電気ショックとかの「治療」を強制的に受けさせなければならない「病識がない」重症の「患者」であったはずだ。
  うちの父方のイトコで私より1歳年下の男が京都工芸製に大学の工学部土木学科に進学しよった。けっこう「ええ勤め先」に就職したみたいや。その男の父親である叔父は30代で脳卒中になって働けなくなってしまったという家庭だった。私が幼稚園の年長組だった時、12月のクリスマスに「15ゲーム」という4×4=16マス に1~15までの数字の正方形が入っていて、正方形が入っていない1マスを使って並べ替えるというゲームを幼稚園でもらったのだ。ところが、そのすぐ後の1月、正月にその叔父夫婦とイトコ2人、私より1歳年上の女と1歳年下の男とがうちの家に来た時、帰る時に、うちの母親が私が12月のクリスマスに幼稚園でもらったばかりの「15ゲーム」を「これをあの子らにあげなさい」と言うのだった。びっくりした。どこの世界に子供が12月のクリスマスに幼稚園でもらったばかりのものを、それから1週間経つか経たないかの正月によその子に「それをあげなさい」などという親があるか・・と驚いた。しかし、それがうちの親だった。
ハナヤマ かつのう 15ゲーム
ハナヤマ かつのう 15ゲーム
( ↑ 「15ゲーム」)
  私は3人兄弟の一番下だったが、我が家には上の姉がやはり幼稚園でもらったらしい「15ゲーム」が置いてあった。母親としては、我が家には同じもの(色が違って外見が少し違うが)が2つあるから、だから、片方をイトコにやれと言うのだったが、「どっちをあげることにするか」とうちの母親が言うので、姉が幼稚園でもらったものは私の物ではないので「それはお姉ちゃんのものだから、お姉ちゃんにきいて」と言ったのだ。そうすると、うちの母親は「そうか。そしたら、こっちをあげるということでええな」と言って私が1週間前のクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物をイトコにあげると言って持っていこうとするのだった。私は信じられなかった。自分の子供が12月のクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物をよその子にあげようと考える親というのがこの世の中にいるとは思えなかったが、いたのだった。我が家にいたのだ。「それ、幼稚園でもらったばかりの物やで」と私は言ったのだが、うちの母親は「そしたら、こっちをあげるんやな」と言って姉が幼稚園でもらった物の方を持って行こうとするので、「それはお姉ちゃんのやから、あかん」と私は言ったのだ。「そしたら、こっちをあげるということやな」と言って私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を持って行こうとする。「それは、幼稚園でもらったばっかりの物やでえ」と言ったのだ。こんな親があるかと驚いたが、それがうちの親だった。「そしたら、こっちをあげるねんな」と言って姉が幼稚園でもらった物の方を持っていこうとするので、「あかん。それはお姉ちゃんのや。あかん」と言ってすがりついたのだったが、結局、うちの母親は姉が幼稚園でもらった物の方をイトコにあげてしまった。なぜ、そんなことをしなければならないのか。
  私は幼稚園の同級生や近所の子供と比較すると、欲しいと思う物があっても、なかなか買ってもらえない方だった。まったく何も買ってもらえないということではなかったが、幼稚園の同級生や近所の子供が買ってもらっているものを私は買ってもらえないということが多かった。ところが、うちの母親は「あの子らは、あんたとは違って、こういうのを買ってもらえない子らしいから」と言うのだったが、だからと言って、幼稚園児がクリスマスにもらったばかりの物を正月にとりあげてよその子にあげるなどということをするべきものではないはずだ。又、姉がもらってきた物をよその子にあげるのならば、私に「これをあげるということでええな」などと言うのではなく、その時、幼稚園児だった私が言ったように姉に言うべきものだ。イトコは、幼稚園の同級生や近所の子供と比較すると、どう考えてもよその子よりも子供が欲しいと思うおもちゃなど買ってもらえないことが多い私よりも、まだ買ってもらえない家庭の子供だと聞き、又、我が家は特に豪邸ではなかったが戸建住宅に住んでいたのに対して、叔父夫婦は「公団住宅」に住んでいて、叔父は30代で脳卒中になって働けなくなったと聞いたので、叔父夫婦の家庭・イトコというのは、この世でもっとも貧困で気の毒・かわいそうな家庭なんだと思ったものだった。・・しかし、後から聞いてびっくりしたのだが、「公団住宅」には「賃貸の公団」と「売買の公団」があって、叔父夫婦が住んでいたのは「売買の公団」の方で、集合住宅とはいえ「持ち家」に住んでいて、又、叔父が脳卒中になったのはその時、私が幼稚園の年長組だった時よりも後、私が小学校3年の時で、その時はまだ元気で、しかも、うちの父親と同じく親戚が社長をやっている会社に勤めて、営業の職種でけっこうはぶりが良かった時だったらしい。住んでいる家が粗末な家であったとしても、だから、子供は何も買ってもらえないとは決まっていない。私が小学校1年の時、担任の先生が「算数」で足し算・引き算・掛け算・割り算を学ぶ際、クラスでトーナメント大会を実施して、隣の席の人間と2人に先生が足し算・引き算・掛け算・割り算の問題を出して先に正解を言った方が勝ちで、トーナメント方式で優勝・準優勝の生徒には「連絡帳」に「よくできました」と書いてくれた、ということがあったのだが、うちの父親が私に「次の大会で優勝したらプラモデルをこうたる」と言い、そして、次のトーナメント大会で優勝したのだったが、うちの父親が「あんた、プラモデル、どういうのが欲しいか?」と言うので、小学生の子供が通学する経路のプラモデル屋や文房具やのショーウインドウにはゴジラ・バラゴンという怪獣のプラモデルが飾ってあり、前を通るたびに「ええなあ」と思って見ていたのだったが、ゴジラ・バラモンともに買ってもらって持っていた同級生に「いくらしたの?」と尋ねたところ、「4000円」ということだったので、そいつの親は子供に4000円のゴジラとバラゴンを買うけれども、うちの親は4000円のものはまず買ってくれないと思ってあきらめていた。しかし、うちの父親が「あんた、プラモデル、どういうのが欲しいか?」ときくので、それで「ゴジラが欲しいけれども、4000円もするから無理やと思う」と言ったのだ。そう言えば、おそらく「そりぁ、4000円もするものは無理やな。もうちょっと安いものはないのか。一緒にプラモデル屋に行って、もう少し安いものはないのか、きいてみようや。何百円というくらいのものがあったら買ってやるから」とでも言うかと思って言ったのだった。ところが、予想外にうちの父親は「なんで、4000円したらあかんねん。ええがな、4000円したって。な~にをわけのわからん心配しとんねん。ほかでもないこのわしが『こうたる』と言うておるんやないか。誰が言うとると思うとんねん、ほかでもないこのわしが『こうたる』言うとんねんぞ。わけのわからん心配すな。そんなもん、4000円しようがいくらしようが、こうたるがな。ほかでもないこのわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには天地がひっくり返ってもこうたるがな。いったい何をわけのわからん心配しとんじゃ。絶対にこうたる。このわしが『こうたる』といったん口にしたからには何があってもこうたるがな」と言うのだった。へえ、買ってもらえるんだ・・とびっくりした。びっくりしたが、ものすごくうれしかった。うちもよその家と変わらないように買ってもらえるんだ・・と思い、そして、うちの父親と一緒に近くのプラモデル屋へ行ったのだ。プラモデル屋に入って、プラモデル屋の奥さんにうちの父親が「そこに出てますゴジラ言うのん、あれ、なんぼしますのん?」と尋ねると、プラモデル屋の奥さんは「ゴジラは4000円です」と同じクラスの同級生から私が聞いていたのと同じ値段を言ったのだ・・・が、ところが、「そんなもん、4000円しようがいくらしようが、こうたるがな。ほかでもないこのわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには天地がひっくり返ってもこうたるがな」と何度も何度も言っていたおっさんは「へえ? 怪獣のプラモデルみたいなもんが4000円もしまんのか。ふええ~え。ひいえええ~え。ぎょおえええ~え。かなんなもう、かなんな。冗談やないで、ほんま。冗談やない。絶対にそんなもん、こうたらいかん! あかん、絶対にこうたらいかん。怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円なんて絶対に出したらいかん」と言いだしたのだ。「たとえ、4000円したって絶対にこうたげますがな」と言いまくったのはどこの誰やねん?!? あんたと違うのか?・・と思ったのだったが、うちの父親は私に「あんた、何がなんでもゴジラでないといかんのか」と言うので、「バラゴンでもいい」と言ったのだが、プラモデル屋の奥さんは「バラゴンはもっと高いです。バラゴンは4200円です」だったか言ったところ、うちの父親は「え? 何? バルゴン?」と言うので、私は「バルゴンじゃない。バラゴン」と言うと、プラモデル屋の奥さんが「バルゴンやったら安いです。バルゴンは200円です」と言うのを聞いて、うちの父親は「うん。それがええ。あんたが欲しいと言うバルゴンを買ってやろう」と言うので、無茶苦茶やんけ と思い、「バルゴンじゃない。バラゴン」「バルゴンじゃないって、バラゴンだって」と何度も言って訴えたのだったが、うちの父親は私が「バルゴンじゃない、バラゴン」と言っていることを承知の上で、バルゴンとバラゴンは違うということを承知の上で「わかってるがな。そやから、あんたが欲しいのはバルゴンや、バルゴン。よっしゃ、あんたが欲しい欲しいと言うバルゴンを買ってやろう」と言い、「違う! バルゴンじゃない。バラゴンだって。バルゴンじゃないって。バルゴンじゃないって」と言っても言っても、「わかっとるがな。そやから、おまえが欲しい欲しいと思っているのはバルゴンや、バルゴン。あんたが前々から欲しい欲しいと思っていたバルゴンをこうてやろう」と言い、「違うって、バルゴンじゃないって」と言っても「わかっとるがな。そやから、あんたが欲しいのはバルゴンや、バルゴン♪」と言い、プラモデル屋の奥さんに「その200円のバルゴンをください」と言って「200円のバルゴン」を買ってしまったのだ。そして、プラモデル屋から家までの帰りみちみち、「よかったねえ~え、あんた~あ、欲しい欲しいと思っていたバルゴンをお父ちゃんに買ってもらった。あんた、幸せやねえ~え、あんた~あ、欲しいと前々から思ってたバルゴンを買ってもらった。あんた、うれしいねえ~え。あんた、幸せやねえ~え。あんた、ものごっつい恵まれてるねえ~え、あんたあ~あ、よかったね、よかったね、よかったよかったよかったね♪」と言いまくるのだった。その態度が嫌だった。「200円のバルゴン」がどうかよりも、おっさんのその態度が嫌だった。最初から「4000円のゴジラは買ってやれないけれども、200円くらいのものなら買ってやれるけども、そのくらいのものはないのか、一度、プラモデル屋に一緒に行ってきいてみようや」と言ってプラモデル屋に行き、「バルゴンなら200円で安いです」と言われて「200円のバルゴン」を買われたのならば、よその子供は「4000円のゴジラ」とか「4200円のバラモン」を買ってもらっているところを私は「200円のバルゴン」しか買ってもらえなかったとしても、それでも買ってもらえたということで喜べただろうけれども、「そんなもん、4000円しようがいくらしようが、こうたるがな。ほかでもないこのわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには天地がひっくり返ってもこうたるがな」と何度も何度も言われたあげく、プラモデル屋に行ってプラモデル屋の奥さんから「ゴジラは4000円です」と言われると「ふえええ~え」「ぎょえええ~え」「ひいいえええ~え」「冗談やないで、ほんまあ」などと言われたのでは、「ふえええ~え」「ぎょええ~え」「ひいえええ~え」「冗談やないで、ほんま」と言いたいのはこっちの方だった。うちの父親というのは毎度そういうことをする男だった。そして、その頃、住んでいた家の近くにYアパートというみすぼらしい賃貸アパートがあって、そこはトイレ・洗面所も共同だったが、そこに住んでいた同級生がいたのだが、そいつの所に遊びに行った時、見せてもらったが、うちの親が「Yアパートの子とは遊んではいけません」と言っていたそのYアパートのやつもまた、「4000円のゴジラ」を買ってもらって持っていたのだった。我が家は特別の豪邸ではないが「一応戸建住宅」に住んでいたので、そいつの家よりはずっといい家に住んでいたし、そいつの親がどういう仕事をしていてどのくらいの年収かなんて知らないけれども、たぶん、うちの親の方が年収は多いのではないのかな・・と思ったが、それでもそいつは足し算・引き算・掛け算・割り算のトーナメント大会で優勝も準優勝もしなくても「4000円のゴジラ」を買ってもらっていたのに対して、私はトーナメント大会で優勝したのに「ふえええ~え」「ぎょええ~え」「ひいえええ~え」「冗談やないで、ほんまあ」⇒「よかったねえ、よかったねえ、よかったよかったよかったね」なんてことをされたのだった。私は毎回のように・毎年のようにそれをされてきた。この話を下の姉にしたところ、「あんた、私とよく似た経験してるねえ」と言うのだった。下の姉が経験したのは、「4000円のゴジラ」をお人形さん、「200円のバルゴン」をチョコレートに入れ替えたら、そのまんまという経験をしたらしかった。そういうおっさんやった( 一一)
※ ゴジラ⇒YouTube-『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』 | 予告編 | ゴジラシリーズ 第7作目 https://www.youtube.com/watch?v=9_auhaD26WY
バラゴン⇒YouTube-フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン 予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=UzELuT8i7HA
バルゴン⇒YouTube-7/16(金)公開『妖怪・特撮映画祭』上映告知~『大怪獣決闘ガメラ対バルゴン』予告篇~ https://www.youtube.com/watch?v=QEb49B9Nf8U

  その私よりも買ってもらえない家庭だという話を聞いて、私はイトコというのはものすごい貧乏でものすごいかわいそうな家庭、Yアパートのやつよりも貧乏でこの世で一二の気の毒な家庭なんだ・・と思ったものだった・・が、実際は住んでいたのは「売買の公団」で「持ち家」であり、叔父はまだ脳卒中になっていなかった時期で、営業の職種でけっこうはぶりがいい時期だったらしく、幼稚園や小学校の同級生や近所の子供と比較して誰よりも買ってもらえない方の子供だった私よりも買ってもらえないという家庭ではなかったらしいのだ。「15ゲーム」を「持っていない」といっても、我が家の兄弟でも上の姉と私は幼稚園でもらったから持っていたが、下の姉は幼稚園では「15ゲーム」はもらわなかったので持っていなかった。イトコは上の女も下の男も幼稚園には行っていたのであり、クリスマスには「15ゲーム」はもらわなかったらしいが他の物をもらっていたらしい。それにもかかわらず、私がクリスマスにもらったものをとりあげてイトコにくれてやりたいと思ったのはなぜか? ・・それはうちの父親が「ええかっこしい」だったからだ。「わし~いは、そんなもん、子供にはいつでもいっくらでもこうてやってやってやったっとんねんから、そやから、それをその子ら(イトコ2人)にあげなさい」と言うことで自分はカイショのある人間で子供(私)には「いつでも何でも、何でもいつでも」こうてやってやってやったっとんねん・・と事実と正反対のことを言って自慢したかったのだ。そういうことをすると、された者はどう思うか。イトコの立場からすると、実際にはよその子より買ってもらっていない私をうちの父親が言ったように「いつでも何でも何でもいつでも買ってもらってる人間」と思い込み、そして、うちの父親に対しては、自分の父親(叔父)を自分のように子供におもちゃを買ってやることができないカイショ無しのように言われたといい気持ちがしないのだった。そういうことをやらなきゃおれない症候群がうちの父親だった。
  そして、高校に進学する時、私は第1学区の一番手校の北野高校に進学したが、イトコ2人は北野高校と同格の天王寺高校に行くことはできず、天王寺高校の下の住吉高校に行きよった。そして、私の1歳下の男のイトコは高校を卒業すると、「もんのすごい貧乏で、もんのすごいかわいそうな家庭の子」だったはずなのに、京都工芸繊維大学しか行かれへんくせしやがってからに、京都工芸繊維大学の工学部土木学科なんて行きよった。なんでやねん
  私には「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言っておきながら、「もんのすごい貧乏で、もんのすごいかわいそうな家庭の子」のはずのイトコは京都工芸繊維大学みたいなもんしか行かれへんのにからに工学部に行かせてもらえるんや? おかしいじゃないか!・・と思ったのだったが、私が「国立大学なら工学部でも何学部でも学費は一緒のはずや」と言っても「何を甘ったれてますのん、あんたはあ。百パーセント絶対に国立大学に通るとは限りませんでしょうがあ。たとえ、0.1%でも落ちる可能性がある限り、国立大学でも工学部なんか受けてはいかんでしょうがあ」とうちの母親は言うのだった。「それなら、長居の子(叔父夫婦とイトコは大阪市住吉区の長居に住んでいた)は、なんで工学部に行かせてもらえるの? なんで、うちよりも貧乏なはずやのに、長居の子は京都工芸繊維大学しか行かれへんのにからに工学部に行かせてもらえるの?」と言ったところ、うちの母親は「それは、あの子らはあんたとは違って小さい頃から家が貧乏で苦労してきたから、だから、大学は行きたいと思う学部に行かせてもらえるんや。あんたは子供の頃から恵まれてきたんでしょうがあ」と言うのだった・・・が、落ち着いて考えてみると「子供の頃から」、クリスマスに幼稚園でもらったばかりの物をとりあげられたのは私であり、私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物をとりあげて持ち帰ったのはイトコだったのだ。決して逆ではないのだ。「小さい頃から」とりあげられてきたのが私であって、決して逆ではなかったのだ。『聖書』には「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪い取られるであろう」と書かれているが、まさにその通りだった。子供の頃に私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物を正月にとりあげて持ち帰ったやつは京都工芸繊維大学しか行かれへんくせしやがってからに工学部に行きよった。私は京都工芸繊維大学よりも上の大学に行けそうな感じがしたが〔もちろん、受けていない以上は実際に受けた場合に通ったかどうかはわからないし、東大・京大でなくても「ある程度以上の難易度の所」を受ける限り「絶対に」などというものはないが〕、「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われるのだった。うちの母親は「幼稚園があんたに何かを渡したとしても、それは親が幼稚園にカネを払っているから幼稚園はくれるのであって、あんたがもらった物とは違うんや。幼稚園はあくまでも親にくれてるんや」と言うのだったが、それならば幼稚園の先生の渡し方が間違っている。「幼稚園から皆さんにクリスマスプレゼントがあります」と言って渡すから子供は自分がもらったものだと勘違いしてしまったのだ。そうではなく「幼稚園から皆さんの親に渡してもらいたいものがあります。皆さんへのプレゼントではありませんから間違えないでください」と言って渡せば、子供はそういうものだと思ってそのまま親に渡したはずで、それを親がイトコにくれてやったとしても子供は別にどうも思わない。「幼稚園から皆さんにクリスマスプレゼントがあります」などと言った幼稚園の先生が間違っていたのだ。そして、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代)が親の機嫌をとろうとして「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言って私に首をもがれても行かされたくないと思っていた学部に何が何でも行かそうとするのだったが、北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して10年以上経って冷静に考えることができるようになってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。特に2年の時に旧姓作野礼子に担任を持たれたのは災難やった。あの女は「私は家が貧乏だったから」「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを自慢・「売り」にしていたのだったが、「家が貧乏だったから」と言いまくるわりには神戸大の文学部みたいなものに行って、そして私なら「うちは学校の先生みたいなもんにならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたものを「家が貧乏だったから」と言うわりにはその「学校の先生みたいなもん」になっており、さらに私は「数学か英語以外の科目の先生は特になってはいかん」と言われた「数学と英語以外の科目」の「国語科」の教諭になっていたのであった。私ならば神戸大の文学部なんて、たとえ行きたいと口にしたとしても「ふざけなさんな」と言われて受けさせてもらえなかったが、旧姓作野礼子はそういう私なら絶対に受けさせてもらえない所を受けて行ったのだった。その上で「私は家が貧乏だったから」だの「私は父親がいなかったから」だのと叫びまくり、そして、「あなたのお父さんほどいいお父さんはいないわよ」などと言うのだった。そんなにいいと思うなら、「そんなもん、4000円しようがいくらしようが、こうたるがな。ほかでもないこのわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには天地がひっくり返ってもこうたるがな」と言われてプラモデル屋に行って、プラモデル屋の奥さんから「4000円です」と聞くと「ふええ~え」「ぎょえええ~え」「ひいいえええ~え」「冗談やないで、ほんまあ」などと言われて「バルゴンじゃない。バラモンだって」と必死で訴えても聞いてもらえず「わかっとるがな。あんたが欲しいのはバルゴンや。あんたが欲しい欲しいと前から思うてきたバルゴンを買ってやろう、バルゴン♪ バルゴン♪ バルゴン♪」と言われて「200円のバルゴン」買われて、帰り道々、「よかったねえ、よかったねえ、よかったよかったよかったね。あんた、ものごっつい幸せ、幸せ。うれしい、うれしいうれしいね♪」と言われ続けて、そして、12月のクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物をそれから1週間経つかどうかの正月に取り上げられて「うちはこんなもん、いっくらでもこうてやってやってやってやったっとんねんから」と嘘を言われてよその子にくれてやられる・・という経験を少しでもしてみたらいいと思うのだ。旧姓作野礼子は「私は父親がいなかったから」というのを自慢しまくるのだったが、父親というものがいるとどういう経験をするのか、一度、経験させてやりたかった。
  そして、私が20歳になる年、うちの父親は「あんたには、小さい頃から、よその子とはちごうて、欲しいというものは、どんなものでも何でも何でも、ええもんばっかし、何でも何でも、こうてきてやあってやってやあってやってやあってやってきたからっ♪」と、「そんなもん、4000円しようがいくらしようが、こうたるがな。ほかでもないこのわしが、いったん、『こうたる』と口にしたからには天地がひっくり返ってもこうたるがな」と言ってプラモデル屋に行ったあげくに「ふええ~え」「ぎょええ~え」「ひいええ~え」と言い、「200円のバルゴン」買って帰り道々「よかったね、よかったね。よかったよかったよかったね♪ うれしい、うれしいうれしいね♪ あんた、ものごっつい幸せ。お父ちゃんにバルゴン買ってもらった。よかったねえ~え、あんたあ~あ! うれしいねえ~え、あんたあ~あ!」とやった男が、私が12月のクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物を1週間経つかどうかの正月にとりあげて「うちはこんなもん、いっくらでもこうてやってやってやってるんやから」と事実と正反対のことを言ってよその子にくれてやった男が言うのだった。さすがに、それには「違う! 絶対に違う! そんなことない。絶対にそんなことない!」と私は言ったのだが、そうすると、うちの父親は言うのだった。「こいつ、こんなこと言いよる。これは病気やわ、これは絶対に病気や。病気がこいつにこういう口をきかせよるんや。クスリ飲ませたらんといかん、クスリ。それもちょっとではいかん。大量にクスリ飲ませてやらんといかん。いや、クスリではいかん。電気ショックかロボトミーやったるべきや、ロボトミー。こいつにロボトミーやって、こいつがこういう口を二度ときけんようにしてやらんといかん。ロボトミーか電気ショックやったらんとかん。ロボトミー、ロボトミー。電気ショック、電気ショック♪ な~にがなんでもこいつに電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪」と言うのだった。
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( ↑ 「電気ショック療法」
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」、別名「スタンガン」
それに加担していたのが北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)だった。あの女だけは殺しても殺したりない・・が、思い返してみると「殺しても殺したりない」やつというのは、数えてみると最低でも20人以上はいる。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
願わくばわが言葉の書き記されるように。
願わくば銅板にほり刻まれるように。

鉄の筆をもって鉛板に刻まれ、
証拠として岩にほりつけられるように。

しかり、わたしは知る、わが贖い主は生きたもう。
最後に彼は塵の上に立たれるだろう。
(『旧約聖書 ヨブ記』関根正雄訳。岩波文庫。第19章23ー25節)
旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫) - 関根 正雄
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  「電気ショックされようがロボトミーされようが絶対に違う。ロボトミーされようが電気ショックされようが絶対にそんなことない」と私は言ったのだ。するとうちの父親は「これはこいつ相当病気が重いでえ、わしい~いのようなエッライえっらいエッライえっらい神のようなお父さんから、いついかなる時もものごっつい恵まれてきたのんにからに、それをわかりよれへん。これは間違いなくものすごい病気や。間違いあらへん。な~にがなんでもこいつにロボトミーやったらんといかん、ロボトミー。何が何でも電気ショックやったらんといかん、電気ショック」と言うのだった。フィデル=カストロはキューバ革命の際にバチスタ政権から捕らわれて裁判にかけられ、弁護士でもあったカストロは自ら自分自身の弁護をおこない、「私に死刑を宣告せよ。そんなことは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する」と語ったというが、それと同じだ。私にロボトミーでも電気ショックでもやって殺せばよい。そんなことは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する。
わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
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  2021年、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県南部営業所「副所長」の木下(きした)(男。当時、40代前半)が「あんたはインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者〔現 宅地建物取引士〕も、何の努力もしないのに簡単に通る。ずるい! ぼくらはどんなに努力しても通らないのにあんたは何の努力もしないのに簡単に通るのは、ズルイ!」などと言ってきたのだが、さらに総務部長の天野雅弘が「その通りや、木下(きした)の言うことがもっともだ。おまえは何の努力もしないのにインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも宅地建物取引主任者も通るだろうが。ズルイと考えるのが当然だ。俺らは高卒なんじゃい。どんなにしても、そんな資格試験みたいなもん、絶対に通らんのんじゃ」などと言ったのだが、アホぬかせ、「何の努力もしてないのに」通るわけないだろうが。(株)一条工務店の過酷な業務をこなしながら必死でやってやっと通ったんだろうが。無茶苦茶言うな! まず、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 の試験というのは多くは法律の問題であり、多く出題される分野は「法令上の制限(法律としては都市計画法・建築基準法など)」「権利の変動(法律としては民法など)」「宅地建物取引業法」の3分野が多く出題されたが、建築学科卒の者は建築基準法についていくらか大学で学んできているであろうけれども、民法については法学部やそうでなくても商学部など社会科学系学部卒の者がある程度以上学んできており、それらを学んできた者がまったく新たに学習する者よりも合格まで早かったとしても当たり前であり、又、遠山啓(ひらく)は『競争原理を越えて』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」的なものを学び、中学校から高校にかけて「学」的なものを学び、その「術」によって学んだ「学」から「観」を身に着ける・・といったことを述べているが、その「術」的なものを「アリとキリギリス」のアリのようにせっせと学んできた者が、キリギリスのように遊んでいた者よりも成人してから資格試験を受けようとなった場合にも通りやすかったとしても当たり前のことだろうが、同級生が遊んでいる時もせっせと只管学習してきたアリが、アリが勉強している時に遊んでいたキリギリスよりも学習能力が身についていても当たり前だろうがなんで、ズルイなどと言われなければならんのだ。私はずるくない。ズルイのはむしろ、一回戦負けのくせして、キリギリスのくせしてゴジラやバラゴンを買ってもらっていたやつの方だ。
競争原理を超えて : ひとりひとりを生かす教育 - 遠山啓
競争原理を超えて : ひとりひとりを生かす教育 - 遠山啓
  私が12月のクリスマスに幼稚園でもらったものを正月にとりあげて持ち帰ったイトコは、私なら受けさせてもらえない京都工芸繊維大学なんてものの工学部土木学科みたいなものに合格して行きよった( 一一)  ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ、わしぁ日陰の月見草やあ~あ・・・と思ったものだった。「ほんまにええなあ、長嶋はあ」と思った。〔⇒《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA 〕〕
  「インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者〔⇒宅地建物取引士〕にしても、あんたはまったく何の努力もしていないのに簡単に通る」とはよく言ってくれものだとあきれる。「まったく何の努力もしていないのに」通るわけないだろうが。2002年、ラジオの野球中継をクルマの中で聞いていたところ、解説者の豊田泰光さんが「高橋由伸(巨人)に、この間、手に平を見せてもらったのですが、ものすごいタコを作っていました。彼のことを『天才』なんて言う人がいますが、違いますよ。努力していますよ。『天才とは努力の代名詞』と言いますが、その言葉の通りですよ」と言っていたのだが、特にインテリアコーディネーターについては(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が取ってくれと言うから、だから、もともとはインテリアコーディネーターは取得するつもりにしていなかった資格だったが、自分が勤める会社の上役が取ってくれと言うものなら取らないわけにはいかないと思って大変な努力と工夫をしてやっと通ったのだ。「あんたはまったく何の努力もしないのに簡単に通る」とは、よくもまあ、そこまで無礼な口をきけたものだとあきれる。
  円満字洋介さんは『京都/大阪/神戸 名建築ガイドマップ』(2011.10.31.エクスナレッジ)で「武田は」「武田の」と、武田五一という人は誰もが知っていて当たり前という調子で書いているのだが、関西系の「建築家」業界の人は少なくとも名前くらいは知っている方が普通の人かもしれないが、一般人には必ずしもそうではない。「建築家」業界の「常識」が世間一般にも通じて当たり前みたいな調子で書くのはいかがなものかと思う。
  何よりも、この人は私より少し年下で「京都工芸繊維大学しか行かれへんのんにからに、工学部建築学科みたいなもんに行かせてもろうた人」であり、「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」という人、「わしぁ日陰の月見草」からすれば「この長嶋みたいなやつ」もしくは福沢諭吉から見た「奥平壱岐みたいなやつ」である。「ID野球 弱者の戦術」でコテンパンにやっつけてやりたい気分だが、建築業界においては建築学科卒の人間というのは殿様みたいなところがあって、社会科学系学部卒の者は殿様(建築学科卒の者)とは「民族の違い」「階級の違い」を実感させられる。変な業界に勤めてしまったものだ・・と思ったものだ。「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪い取られるであろう」と『新約聖書』に書かれているが、私が幼稚園児だった時に、私が12月のクリスマスにもらった物を正月にとりあげて帰ったやつは大学に行く時もまた、私は受けさせてもらえない工学部を受けさせてもらって行きよった。「ほんまにええなあ、長嶋はあ」と「日陰の月見草」は心の底から思う。

  鳳凰閣は、
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↑ 円満字洋介 氏は「武田は」と言えば誰でも知っていて当たり前みたいな書き方をしているし、又、「武田五一」という名前を聞くと特別の名前としてありがたがらないといけないみたいな調子で書いているが、そういうのは私は好きではないし、いいとは思わないが、箕面山瀧安寺の鳳凰閣については、これは「なかなかいい」と思っている。
  瀧安寺の境内は箕面川の右岸(西岸)の側は誰でも入らせてもらえたのだが、箕面川の左岸(東岸)側、鳳凰閣などがある側はこれまで「非公開」で瑞雲橋より東には立ち入ることができず、一度、鳳凰閣の前まで行っていたい、鳳凰閣を南側からや東側からも見てみたい、鳳凰閣のすぐそばから見てみたい・・とずっと思ってきたので、今回、「特別拝観」として公開されて見学できてうれしかったのだが、係員のおじさんが「そうなんだけど、逆に、川の西側から見ていると、けっこう大きく見えるのが、こちらに来て見ると、思っていたよりも小さいと少しがっかりする人もいるみたいで」と言われたのだが、たしかに、箕面川の東岸に行って鳳凰閣のすぐそばから見ると、南側からや東側から見ると、西岸から見ていた時に思えたものと比べると小さく見える、というところはある。・・しかし、ブルーノ=タウトが『建築とは何か』(鹿島出版会)で述べていたが、「巨大さ」を第一とするような建築というのは建築としてあまり評価できるものではなく、建築は大きくても小さくても価値があるものは価値があるのだ。
  鳳凰閣のいいところは、周囲の景観と調和するデザインにできている点だ。白と赤の着色は2階部分のみだが、これは周囲の森林が紅葉した時に、むしろ、2階のみにした方が調和する。フランク=ロイド=ライトの「カウフマン邸」(落水荘)に、ライトは金箔を貼ることを考えたらしく、ライトは京都の金閣を見て、自分の建物にも金箔を貼ったものを造ってみたいと考えたらしく、施主は会社の社長でカネのある人だからいいだろうと思ったようだが、カウフマンさんは金箔を貼ることに反対したそうで、そして、実際、「カウフマン邸」(落水荘)は金箔なんか貼らないで良かったと思う。又、京都の銀閣は、最初、金閣にならって銀箔を貼ろうとしたが、室町幕府も3代将軍足利義満の頃は経済的に豊かだったが、6代足利義政の頃になると財政も厳しくなり、銀箔を貼ることができなかった・・とどこかで教えられたように思ったのだが、実際に慈照寺に行ってよく見て、銀閣は銀箔なんか貼らない方がいいと思うようになった。慈照寺の「参拝入口」を入ってすぐ右手に「なんや、汚らしい掘立小屋みたいの」があって、なんや、これ・・と思うと、それが銀閣なのだが、よくよく見るとその「なんや、汚らしい掘立小屋みたいの」がなんとも味があっていいのだ。銀閣は銀箔なんか貼らない方が絶対にいいと思う。さらに、2010年前後頃だったと思うのだが、東京の銀座の松屋で「小堀遠州展」が開催されて見に行ったのだが、その際、はす向かいあたりにある「仏壇のはせがわ」で「豊臣秀吉の金の茶室」にならった「プラチナ(白金)の茶室」を作ってみたということで、それが「仏壇のはせがわ」の建物の中に展示されているということだったので見にいったのだが、最初、「仏壇のはせがわ」は「プラチナ(白金)の茶室」ではなく「銀の茶室」を作ろうとしたらしいが、金は柔らかくて金箔のように薄く伸ばすことができるが、銀という素材は金のように銀箔として薄く伸ばすというのは難しいらしく、そのため、「銀の茶室」はあきらめて「プラチナ(白金)の茶室」にしたそうだった。現在の技術でも、銀を銀箔として薄く伸ばすのは技術的に難しかったらしいということを考えると、室町時代に銀閣に銀箔を貼ろうとしたとしても技術的に難しかったのではないか。銀閣は銀箔なんか貼らない方がいいと私は思う。銀閣は「なんや、汚らしい掘立小屋みたいの」がよくよく見ると実に味があっていいのだ。・・フランク=ロイド=ライトの「カウフマン邸」に金箔を貼った方がいいか貼らない方がいいか、慈照寺の銀閣に銀箔を貼った方がいいか貼らない方がいいかと共通するかもしれないと思ったのだが、この瀧安寺の鳳凰閣は2階のみに白と赤とで著色されていて1階は白と赤での著色はない・・というのが、それがいいと思うのだ。1階も白と赤での著色がされていたなら、くどいというのか、今ひとつで、又、紅葉の季節には周囲の紅葉との調和もしにくくなったのではないか、と思われる。
  2階の屋根の上に見えるのが「鳳凰」で、鳳凰が屋根の上にいることから「鳳凰閣」という名前がついているらしい。

  箕面川の西岸側から見た鳳凰閣と東岸に来て、鳳凰閣の東側のすぐそばから見た鳳凰閣だと、たしかに東側のすぐそばから見ると「もっと大きなものかと思っていたのに、思っていたよりも小さい」ということはあっても、小さいからだめということはないのだけれども、外観デザインについては、鳳凰閣は箕面川の対岸・西岸から後ろの山林を背景にした外観を最優先して、南側から見た外観・東側から見た外観はまったく考慮しなかったわけではないだろうけれども、最優先は箕面川の対岸側・西側から見たものだったので、東側に来てみると、「もっとすごいと思っていたのに」というような感覚を持つ人もあるかもしれない・・かな。

  今回、鳳凰閣について一通り述べるつもりだったが、その前段とも言える部分を述べているうちに字数が多くなったので、このあたりで一段落して、次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html 、鳳凰閣について、その内部や鳳凰閣から見た箕面川の対岸(西岸)などについて述べたいと思う。
  (2023.4.29.)

☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷きの踏込式・「敷込袋」・落とし掛けのみの床脇 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ著色が周囲と調和。西・南・東より見て。〔今回〕
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。浜口雄幸狙撃と安倍晋三銃撃は意味合いが違う。統一教会・倫理研究所などの迷惑な「宗教右翼」を何とかしてくれ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html

☆ 箕面山聖天宮西江寺1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html

☆ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

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