瀧安寺と鳳凰閣【12/13】東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。「集成材はムク材の1.5倍強い」は都市伝説で、「接着剤による接合だと合板の厚みそのままが耐力壁として役立つのに対して釘による合板の接合は釘の頭より下の部分のみが耐力壁として役立つ」は都市伝説ではない。自分の会社はムク材を使っているのに「集成材はムク材の1.5倍強い」という都市伝説を広めたがる男。役立つ話をできる者の発言を封じたがる営業本部長。

[第990回]
  大阪府箕面市の箕面山瀧安寺鳳凰閣 見学です。
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  鳳凰閣は、赤と白とに着色されているのは2階のみで1階は着色されていないのがいい、1階は着色されている2階によって映え、2階は着色されていない1階によって映える・・というところがある。

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  鳳凰閣の1階部分にあがらせてもらうことができます。↓
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↑ 二間続き・・というより、三間続きの和室ですね。けっこう、「あかぬけている」でしょ。1990年代初め頃の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「いなかくさあ~あ」て二間続きを見ると、東京展示場に来場した来場客は「うわあ、田舎の家みたい」「浜松て感じ」「浜松で建てるのならこれでいいのかもしれないけれども、東京で建てるにはなあ~あ」と言われたような「二間続き」とは違って、「あかぬけた二間続き」です。こういう二間続きなら自分の家にも作れたら作ってみたいように思えてきます。
  その《「うわあ、田舎くせえ」て二間続き》と、《「あかぬけた」二間続き》とは、どこが違うのだろう。ひとつは、福沢諭吉が「『いなかもの』という言葉には二通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎の出身とかいう意味の『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と語ったというのですが、浜松で建てる人のために浜松向けの家を建てるというのは、これは悪くないのですが、「浜松でいいものは日本国中、どこでもいいんだ。浜松でいいものは東京でも大阪でもいいに決まってるんだ。東京でも大阪でも敷地面積20坪の家でも延べ床面積30坪の家でも二間続きの和室は絶対にいいんだ。こんな常識もわからんのかあ」と、1993年5月、(株)一条工務店 の浜松での「研修」で名古屋南営業所の「所長」だった近藤ローオさんという男性がおっしゃったのでしたが、「わからんのかあ~あ」と言われても、わからんねえ、そんなもの。むしろ、「一条工務店は、こんなおかしな人を『所長』にならせているのか」と驚いたし、慶應大学の商学部の教授で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者がいっぱいいるという会社に勤めるよりも、慶應あたりの出身の人間をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が活躍する場があっていい」と話される方が複数あったのですが、たしかに、こんな人との比較・競争なら、負けるわけないわなあ・・と思いました・・が、こんなのと競争させられたり比較されたりするのでは、あまりにも人を馬鹿にしているのではないかとも思いました。あんなものは研修ではないですね。(株)一条工務店は営業の職種の従業員には時間外手当・休日出勤手当を出していませんでしたが、それは契約があがれば歩合給を出すからということで払わなくていいとしていたようですが(労基法から考えるならそれは通じませんが)、仮に営業活動は本人の考えでおこなうことになっており、契約に対して歩合給を支給しているからという理由で時間外手当・休日出勤手当を払わないという理由が成り立つとしても、近藤路夫の寝言を聞かされるために東京から浜松まで往復させられたというのは、これは営業活動ではないので、これに対しては時間外手当・休日出勤手当は(株)一条工務店は支払うべきです。近藤路夫のおかげで害はあっても益にならない話を聞かされたのですから、迷惑な話です。「研修」の講師役なのか議長役なのかを担当する従業員の人選が(株)一条工務店は間違っています。まず、私が入社した1992年頃は浜松で研修をやるからということで、静岡県中西部・愛知県地域の人間ばっかりが講師役なのか議長役なのかに来ていたが、「浜松流はここには合わない」という地域の人間にとって役に立たないようなことばっかりしか言えない人間を講師役に来させてもしかたがない、もっと全国的視野・総合的視野で考えることができる人間を来させるべきだったはずですが、ところが「東海を制する者は天下を制する」などと会社案内に書いていた浜松独善主義の会社では「浜松で通じるものは日本国中、どこでも通じるに決まってるんだ。東京でも大阪でも敷地面積20坪の家でも延べ床面積30坪の家でも二間続きは絶対に必要なんだ。こんな常識もわからんのかあ」と大声で叫ぶようなアホが(株)一条工務店のオーナー経営者にとってはうれしいようです。オーナー経営者からしてアホだったのでしょう。「ベンチがアホやから野球ができん」という「歴史的名文句」が該当する会社というのはけっこうあるようですが、(株)一条工務店もその類の会社だったようです。そのうち、研修の講師役には浜松近辺からだけではなく、けっこう離れた地域からも講師役に呼ぶようになったようで、福島県いわき市の営業所のKさんも講師役に浜松まで来てくれと頼まれて行ったと聞いたのでしたが、Kさんはいいとして、2000年代初め、さらに栃木県小山市の展示場にいた鈴木(男。当時、30代)なんてのまで講師役に呼んだと聞き、「え? あんなのを講師役に呼ぶのお? あんなのを」と思ったことがありました。私に頼めばけっこういい話をしてあげることができると思ったのでしたが私には声はかかりませんでした。頼まれないならば、別にいいけれども、片方で鈴木なんてあんなのに頼むのか・・と思うと、だから(株)一条工務店の研修はだめなんだよ・・と思ったものでした。
  栃木県地域で営業の職種の従業員を集めた会が開催されたことがありましたが、たとえば、西那須野営業所という栃木県と福島県の境目付近の栃木県の営業所にいたAさん(当時、40代後半?)は社歴は長くないけれども入社以来多く契約を獲得してきた人でしたが、栃木県地域の営業所長の五十嵐さんが「Aさんは営業やるにおいて、こういう作戦でやるといったものはある?」と尋ねたところ、Aさんは「私は、意図的に一条工務店ともう1社、競合になった時に取りやすい相手の2社が残るように持って行って、競合で勝てる可能性が大きいもう1社との直接対決に持ち込むというようにしています」と話し、それに対して五十嵐さんが「Aさんは一条工務店の他にどこをもう1社として残すようにしているの?」と尋ねたところ、Aさんは「私は住友林業をもう1社として残すようにしています」と答え、それを聞いて五十嵐さんは「え? 住友林業を残すの?」と言ったものの、それで終わったということがありました。・・あ~あ、私ならその理屈を説明してあげることができるのになあ・・と思ったが、言うと営業本部長の天野隆夫から「おまえは口きくな」とか言って怒られるだろうなあ、怒られてまで教えることないわなあ・・と思って黙っていましたが、きっちりとからくりを説明してあげることができる人間がそこにいるのに、そういう人間には「おまえは口きくな」などと無礼な口をきいて黙らせて、アホにばっかり話させるという(株)一条工務店のオーナー経営者一族の態度というのは、このビョーキはどうしようもないなあ・・と絶望的な気持ちになりました。
  五十嵐さんがなぜ「え? 住友林業を残すの?」と言ったかというと、栃木県でも中南部においては(株)一条工務店にとって住友林業(株)は強敵だったのです。なんで、わざわざ、強敵を残すのか? 自分の所ともう1社残るようにするならば、直接対決で相性がいい相手を残すようにした方がいいはずで、わざわざ強敵を残すのはアホです。私がいた栃木県佐野市の展示場では、佐野市近辺においては住友林業は強敵で、東日本ハウス(現 日本ハウスホールディングス)や富士ハウス(現在は倒産してない)などの方が直接対決での相性は良かったのです。五十嵐さんは(株)一条工務店に長く勤めていた人で、「一条工務店の土台を築いてきた人たち」として「年誌」の一覧表にも写真を掲載してもらっていた人でしたが、栃木県で自分自身が長く営業をやってきた人でしたから、静岡県中西部・愛知県でしか仕事をしたことがない「浜松流」の人たちとは違って、「浜松でいいものは日本全国どこでもいいに決まってるんだ」とは言わない人で、「大澄社長の腰巾着」と言われていた福島県中通り地区の所長だった片山が五十嵐さんのことを「天野部長の腰巾着」とおのれのことを棚に上げて言いまくっていたことから、その話がけっこう広まっていましたが、実際にはそんなに「腰巾着」みたいな人でもなく、片山の方がよっぽど「腰巾着」であって、五十嵐さんは自分自身が非浜松の地域で営業の仕事をしてきただけに、そこから学んだものを持っている人で、私が「私は東京で入社して福島県で勤めてきて、そこから佐野に来たけれども、東京では住友林業と一条工務店なら住友林業の方が圧倒的に強かったけれども、福島県では逆で営業の能力・努力が五分と五分ならば一条工務店で契約してもらえる可能性が大きかったけれども、この栃木県南西部というのは地理的に東京と福島県の間くらいの場所なので、一条工務店と住友林業とで営業の能力・努力が五分と五分なら一条工務店の方が6対4くらいで強いかと思ったら、そうではないですね。むしろ、4対6くらいで住友林業の方が強いですね」と話したところ、「一条オリジナル」の古くからいる従業員には「そんなことあるか。一条工務店は絶対に強いに決まってるんだ」などと勝手なことを言って自分だけオーナー経営者一族にとりいろうとするようなヤカラが多いのですが五十嵐さんはそうではなく、「いや、4対6じゃなくて3対7じゃないかあ」と言ったのでした。五十嵐さんは自分自身が栃木県で営業をやった経験から、一条工務店対住友林業では住友林業は強敵で、感覚として4対6より不利と思ったということで、それを自分自身は直接営業をやらなくなったからということで「そんなことあるか。一条工務店は有利なんだ。不利だと思うならおまえが悪いんだ」とか勝手なことを言うやつがいるけれども、そういう態度を取るようなことはせず正直に自分の感想を述べるという人だったのです。私は五十嵐さんのそういう態度を見てきたので、「天野部長の腰巾着」と福島県中通り地区の所長で「大澄社長の腰巾着」と言われていた片山が言いまくっていたらしいけれども、そんな「腰巾着」というような人でもないようだと思うようになったのです。五十嵐さんが言ったように、栃木県では一条工務店対住友林業は営業の能力・努力が五分と五分であったなら4対6よりも住友林業の方が有利だったのですが、それなのに、なぜ、相当多くの契約をあげていた西那須野営業所のAさんは「住友林業と一条工務店の2社が残るように意図的に持って行く」などということをするのか・・と疑問に思って「え? 住友林業を残すの?」と五十嵐さんが口にしたのでした・・・が、私はその理屈・からくりがわかったけれども、その時、聞いていた大部分の栃木県の営業社員はわからなかった人の方が多いと思うのだ。私はそれを説明してあげたかった。説明しておかないと、栃木県地域において1・2の「売れる営業」だったAさんが「住友林業と一条工務店の2社が残るようにした上で、住友林業との一騎打ちで契約を取るようにしている」という話を聞いてそれを真似ようとする人が出てくる可能性があると思われたのでした。だから、私はそのからくりを私よりも社歴の浅い経験のない人に説明してあげたかった・・・が、私が説明すると、また営業本部長の天野隆夫から呼びつけにされた上で「おまえは口きくな」と怒鳴りつけられるでしょうから、怒られてまで教えてあげることないよなあ・・と思って黙っていたのでした・・が悲しい・哀しい会社ですね。せっかく、理屈が分かる人間がいるのに黙らせて、ろくでもないのにばっかり話させようとする営業本部長とその会社というのは・・
  阿久津さんがいた西那須野営業所(展示場)というのは栃木県とはいえ福島県との境目付近の栃木県であり、市場としては福島県に近い栃木県だったのです。その地域の状況として福島県中通り地区に近い場所であり、一条工務店と住友林業とでは営業の能力・努力が五分と五分なら一条工務店の方が強い、「好みの問題」となった時に一条工務店の建物の方を選ぶ人が多い地域だったのです。それに対して、栃木県でも中南部、宇都宮市以南においてはそうではなくて住友林業は一条工務店にとって相当の強敵であり、わざわざ強敵との一騎打ちにしなくても、もっと直接対決でとりいい相手を残すようにした方がいいに決まっているのでした。栃木県でも福島県に近い場所で営業やっている人に「直接対決でとりいい相手」を尋ねて「住友林業を残します」という発言を聞いたなら、所長の五十嵐さんは「え? 住友林業を残すの?」と、なぜ、わざわざ強敵を残すのか・・と気づいたけれども、社歴の浅い営業はわからないはずなのです。それを私ならばきっちりと論理的に説明してあげることができたのですが、私が説明すると「余計なことするなあ」とか「おまえは口きくなと言ってるだろうがあ」とか怒鳴りつけられますから、なんで、それが「余計なこと」なのかわからんし、ちっとも「余計なこと」ではないしね、「よく言ってくれた、ありがとう」くらい言ったらどうかと思うものだけれども、又、五十嵐さんの後で栃木県南部地域の所長になった木下(きした)からは「あんた、何も遠慮しなくても、あんただって入社して10年目の人間なんだから、もっと思ったことを言えばいいよ。なんで、そんなに遠慮するんだ」と言われたことがあったが、本来ならそうなのですが、木下は知らなかったらしいのでそう言ったのでしょうけれども、私が発言すると営業本部長の天野隆夫から「おまえは口きくなあ」だの「余計なことするなあ」だのと悪口雑言を浴びせられるので、天野隆夫は営業本部長はそういう悪態をつく権利があると思っていたようなので、そういう口をきかれてまで言うことないなあ・・と思うようになったのでしたが、ひとを呼びつけにして「余計なことするなあ」だの「おまえは口きくな」だのと平気で言う男が営業本部長になっている会社でしたので、どうしようもありませんでした。本当に悲しい・哀しい会社だと思います。西那須野営業所のAさんがこのあたりをわかっていたかどうかはわかりませんが、栃木県でも福島県に近いあたりの営業所ではそれで良かったのだと思いますが、栃木県でも中南部ではそれはだめです・・が、社歴の浅い人はわからんだろうなあ・・教えてあげた方が良心的だろうな~あ・・と思いながらも、私が言うと「余計な口きくな、おまえはあ」と怒鳴りつけられると思うと、あほくさい、なんで怒鳴りつけられてまでこちらが汗と涙とともに学んだものを・おのれの骨と肉のきしみとひきかえで学んだようなものを教えてやらんといかんのだ・・と思うようになった。天野隆夫のそういう態度がなければ教えてあげることができたのに・・というものを学べなかった新人はこの会社にはいっぱいいると思いますよ。
  今となっては何年か前、大相撲で大関だった豪栄道が10日過ぎまでトップを走り、2番手以下に3つ星の差をつけていて、久しぶりに豪栄道が優勝するか・・と思ったら10日過ぎに下位の力士に2連敗して、2位につけていた日馬富士に1差になった。千秋楽に日馬富士との対戦が残っている状態での1差、直接対決での相性が悪い相手との直接対決が残っている状態での1差リードというのは、差はないか、むしろ、「やや不利」というくらいで、これは豪栄道は苦しいな、2差あったら千秋楽に直接対決で負けても優勝だが1差なら千秋楽の直接対決で負けて優勝決定戦になったら日馬富士が勝つ可能性が大きいだろう・・と思ったら予想通り、本割・優勝決定戦と豪栄道は2連敗して日馬富士が11勝4敗で優勝した。たとえ1差でリードしていても直接対決で相性が悪い相手との対戦が残っているなら決して有利ではない。直接対決で不利な相手との対戦が終わっている状態での1差とは条件が違う。住宅建築業の営業においても直接対決で手ごわい相手は直接対決でではなくそれよりも前に消えてもらった方が営業としてはありがたいのだ。
  1973年、プロ野球のセリーグでは最後の最後、阪神が1位に立って残り2試合、中日戦と巨人戦の2試合のうちどっちか勝てば阪神が優勝、2連敗したら巨人が優勝という状況で、「2つのうちどっちか勝てばいい」阪神と「阪神が中日に負けた場合に阪神にかてば優勝」の巨人なら阪神の方が有利に見えたが、しかし、阪神はその年、20勝以上の勝ち星をあげた江夏と上田の2投手のうち、巨人戦はけっこう強かったが名古屋での中日戦は成績がよくなかった江夏を中日戦に先発させて負け、そして、甲子園球場での巨人戦ではその年は20勝あげていたものの巨人戦は相性が良くなかった上田を先発させて2連敗して巨人が優勝した。なんで相性の悪い投手を先発させたんだというと、ローテーションの順番からいくと中日戦が江夏で巨人戦が上田の順番になったということらしかったが、最後の最後なのだから、そこは多少の無理をしてでも中日戦に相性のいい上田、巨人戦に相性のいい江夏を先発させるべきではなかったのか・・とも思われた。まったくつくづく阪神にゃんこは2位争いには強いが優勝争いには弱いなあとファンは思ったが、最近、YouTube で動画を見ていたら、田淵だったか誰だったか、当時の阪神タイガースの選手が監督に「監督、これ、メンバー、間違えていませんか」と中日戦の試合前に言ったというのだ。選手でも先発投手が逆だと思った選手がいたらしい。他に江本が元巨人の柴田との対談の動画を公開していて、そこでは元巨人の柴田が1973年の最後、阪神が中日に江夏を先発させて負けた、巨人戦の先発は巨人にとっては相性がいい上田だらしいというのを聞いた時、「これは勝った」と思ったと話していた。なんで、相性の悪い投手をぶつけるんだよお・・と思った人間はけっこういたようだ・・・が、住宅建築会社にとって競合になることが多い会社でも、その相手が強敵であるか比較的とりいい相手かはその地域によって違うのだ。栃木県の場合、Aさんがいた最北部は福島県と状況は似ていて住友林業は「比較的とりいい相手」であったのに対して、中南部では相当の強敵であり、わざわざ強敵を残すならそれはアホだったのだ。その理屈がわかっている人間がそこにいるのに、「おまえは口きくな」だの「余計なことするな」だのと悪態ついて会社のためを思って滅私奉公を繰り返してきた人間に無礼千万な態度をとりまくる男が営業本部長だったのだ。(株)一条工務店というのは悲しい・哀しい・なんとも情けない会社である
  これはあくまでも一例であり、例示であって列挙ではありません。栃木県小山市の営業所にいた鈴木みたいなもんを浜松まで呼んで講師役をさせた・・て、あんなやつなんか呼ぶのか・・と思ったのは何もこの男に何か気に食わないところがあったからではなく、きっちりと理由があってのことだ・・が、私に話させてくれれば役に立つ話をできるのになあ・・と思っても排斥するような営業本部長の会社ではその会社は「ベンチがアホやから野球ができん」類の会社だったか・・・。
  慶應大学の商学部の教授で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生ばかりという会社に勤めるよりも、そういった大学の卒業生をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が経験を積む場もあり、活躍する場もあっていいところがある」と言われた方が複数あったのですが、しかし、「ある程度、大きくて知名度もそれなりにある会社でありながら東大・京大や慶応・早稲田といった大学の卒業生があまりいない会社」というのは、そういう大学の卒業生があほくさいから出て行く会社もしくは追い出す会社であるという場合もあるようです。小堀住研(株)でこの会社はそうかもしれないと私は感じたのでしたが、(株)一条工務店で、むしろ、理工系学部卒の人間、建築会社においては建築学科卒の人間の場合は「バカでも入れる私大の建築学科」卒でもバッカじゃなかろかルンバ♪ てくらい、もんのすごい持ち上げるけれども社会科学系学部卒の人間の場合は高卒・中卒と同じ扱いならまだしも、高卒優先主義の(株)一条工務店では「学歴で差別してはいかんだろうが」などと言って高卒・中卒より下の扱いにしてしまう面があると気づいた。日本の「会社」においては「学歴で差別してはいけない」という考え方があって、そのため、工学部など出身者はその分野を学んできた者として処遇されるが社会科学系学部卒の者は中卒以下の扱いにしなければならないという考えの会社があって、会社のその状態を改めさせようとしても極めて困難であるというケースが珍しくないようだと気づいた。しかし、実績を残せばいいのだろう・・とも思ったのだ。高卒や中卒の経営者がいかに高卒や中卒の人間を優遇しようとしても、実力に大きな差があるからにはそれは無視できないはずである。朝乃山が三段目まで落ちて三段目の力士と同じように取り組みを組まれても、ものすごいチョンボで1つ負けるなんてことは絶対にないとは言えないとしても、普通は負けないようだ。それと似たような状況になる。しかし、だいたい、私などなら会社というものを運営するには労働法・会社法といったものを踏まえて運営しないといけない・・と考えるわけで、そのためにはそういったものをある程度は学んできた者でないと会社を経営する立場は無理であろうと思うのだが、ところが(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が「一条工務店には『労働基準法は守らない』という会社の方針がある」などと言うのだったが、そういう「方針」がある会社においては、なまじ労働法や会社法を学んできた者というのは、それだけでも経営者にとって「むかつく」存在のようだった。しかし、心がけの問題というものもある。私などは「慶應義塾大学商学部卒」と記載した履歴書を提出して応募したからには、あるのは「全国社員」「総合職」として採用か不採用かのどちらかで、「地域限定社員」「一般職」としての採用は希望してもないと思っていたし、採用されたからには「全国社員」「総合職」としての採用であるはずなので、だから、「ビーイング」の求人広告には「転勤はありません」と記載していた会社で入社2年目に福島県いわき市に転勤してくれと言われても転勤したし、営業本部長からインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われれば、元々はインテリアコーディネーターは取得するつもりにしていなかった資格だったが営業本部長が取ってくれと言うのならば何が何でも取らなければと考えて大変な努力と工夫とによって合格・登録・取得した。その後、勤めた千葉県などでのリフォームの会社(株)ウッディホーム で入社後の研修期間に見せられた営業研修ビデオでは滋賀県の大店(おおだな)の息子に叔父が「おまえ、大店(おおだな)の後を継ぐということは、自分だけ楽してええ思いをする立場を継ぐのやないんやぞ。そうじゃなくて、他の人間がやらんような努力をして・他の人間がやらんような苦労をして・他の人間がやらんような我慢をするというそういう意味なんやぞ」と話す場面があったが、なんだか花登筺(はなと こばこ)のテレビドラマみたいな話だったが、これはうちの母親の親戚で自営業をやっていた人も似たことを言っていたらしく、会社の社長の息子というのは「自分だけ楽してええ思いをする立場を継ぐ」のではなく「ほかの人間がやらんような努力をして・ほかの人間がやらんような苦労をして・ほかの人間がやらんような我慢をするという立場を継ぐということ」だと考えるべきで、それから考えるならば、1996年8月、「初代社長」大澄賢次郎の息子で関連会社の(株)日信 の社長になっていた大澄隆史が、もうすぐ消費税が上がる、今、契約取らないと消費税が上がった後は取れなくなるという時、従業員、特に営業社員は必死になって働いていたまさにその時、過去に同棲していたこともある浜松市在住の女性を東京からクルマを高速道路をぶっ飛ばして行って刃物で刺し殺し、警察にはしらばっくれたものの高速道路のカメラにばっちし写っていたということで逮捕され懲役20年の刑を宣告された・・・なんてのは、人によっては「お父さん、気の毒にねえ」などとアホなことを言う人もいたが、そうではなく「親の教育が間違っていた」ということだ。だいたい、従業員には「そんなこと言うてもカネないのに払えんやないかあ」などと言ってやっすい給料しか払わないくせに、おのれは働いていない息子にフェラーリテスタロッサなどという高級外車を買って乗せたら、その高級外車が市街地を走っていたらエンジンが火を吹いて炎上したとか、そんなことを馬鹿息子にさせるから、だから女性を刺し殺したりするのであり、「親の因果が子に報いた」と考えるべきものであろう。私の場合は、高卒の人間が多い会社の(株)一条工務店に「慶應大学商学部卒」と記載した履歴書を提出して入社した以上、「全国社員」「総合職」として採用されたはずであり、そして、「ほかの人間がやらないような努力をして・ほかの人間がやらないような苦労をして・ほかの人間がやらないような我慢をして」勤めるものだと認識してそのように勤めてきたはずだった。大店(おおだな)の息子・社長の息子が「ほかの人間がやらないような努力をして・ほかの人間がやらないような苦労をして・ほかの人間がやらないような我慢をして」するものだとして、「それなら、ええこと何もないやないか」というものではなくて、いいことだってあるはずなのだ。社長というのは大変なこともあるとしても、いいことだってあるはずであり、又、会社というものは「ほかの人間がやらないような努力をして・ほかの人間がやらないような苦労をして・ほかの人間がやらないような我慢をして」勤めてきた者にはそれに見合った処遇にしないといけないはずだった・・・が、(株)一条工務店のオーナー経営者一族はそうではなくて、むしろ、私が「ほかの人間がやらないような我慢をしてきた」ことから、こいつはどんな我慢でもする人間だと思うようになったようだった。1993年前半、千葉県松戸市の営業所(展示場)にて、「〇〇さんは本当によく我慢しますね。天野部長はいくらなんでもひどすぎますよ。上役だからといってあそこまで我慢することないのではありませんか。言い返してもいいと思いますよ。上役だからといって何を言ってもいいてものではないでしょう」と言われたことがあったが、それはまったくその通りだったが、天野隆夫にしても、後からでも「悪かった」と心の中ででも思っているかと思ったが、そうではなかったようだ。幸福の科学の大川隆法の息子がYouTube で誰とだったかの対談に出ていて、幸福の科学とオウム真理教は似たところがあるが、幸福の科学はオウム真理教のように人を殺したりサリンを散布したりといったことまではせず、逮捕されたりはしないというのはどういう違いがあるのでしょうかという問いに、「それは大川隆法はなんだかんだ言っても東大でてますから、これ以上はやったらまずいとかいう判断ができるのでしょう」と息子が答えていたのを視聴したが、(株)一条工務店のオーナー経営者一族を見るとその大川隆法とは逆、「やっぱり、高卒・中卒のおっさんてのはこうか( 一一) 」と思わされることだらけだった。
  浜松で建てる人には浜松向けの家を建てるが、他の地域で建てる人には他の地域でも「浜松流」が共通して高く評価される部分は「浜松流」のものを建ててもいいし、それは「いなか」向けの建物である場合でも「精神面がいなかもの」ではないがその地域には「浜松流はここには合わない」という部分についてはその地域の流儀で建てるべきであり、それを「浜松でいいものは日本国中、どこでもいいに決まってるんだあ。こんな常識もわからんのかあ」と非常識を日本全国に押しつけようとする「浜松流」はそれは「精神面がいなかもの」の思考であり、そういう「精神面がいなかもの」の思考で作られたものというのは「(精神面が)いなかくせえ」というものになる、と考えていいと思います。

  この鳳凰閣の床の間は北面の中央部が床の間か? ・・と思ったら、そうではなく北面のすべてが床の間になっていて床脇はなく、床の間の中央に大きな額が置かれていたようだ。

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↑ 棹縁天井で「棹」が「床刺し」にならないように床の間と並行の設けられている・・のを撮影したつもりでしたが、帰ってから写真をよく見て気づいたのですが、床の間がある部屋より手前の部屋は棹縁天井ですが、床の間のある部屋・北側の部屋は格天井になっています。圓満殿の「上段の間」のように床の高さが違うわけではなく、床の高さは同じですが床の間のある部屋の方が格が上ということで、床の間のある部屋・北側の部屋は格天井、その手前の部屋は棹縁天井という造りになっているようです。
  瀧安寺HP の「特別拝観」https://www.ryuanji.org/haikan には、
《 鳳凰閣 
「関西建築界の父」ともいわれる日本を代表する建築家 武田五一の建築。国登録有形文化財。
内部には修験道の開祖、役行者尊の御影をお披露目しています。
鳳凰閣から見る箕面川の渓流や景観は格別です。》
と書かれています。床の間の額は「役行者の御影」らしい。

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  ↑ これは床の間の右寄り(東より)に展示されていたパネルです。「特別拝観」として鳳凰閣と圓満殿、それに鳳凰閣の東側の枯山水を見学させてもらうことができたのですが、鳳凰閣の室内は1階には入らせてもらうことができましたが、2階はどこから入ることになっているのか、出入口はあるはずですが「非公開」で、広さも狭くて、無制限に人を入れたのでは安全上の問題もあり、傷められてしまう危険もあるということで1階のみ上がらせてもらえることになっているのでしょう。 その2階の写真がこのパネルの右側のもののようです。写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。 ・・どうしても、2階部分を直接見たいと思っても、「☆☆大学建築学科教授」とか「世界的建築家 隈碕忠彦」とかそういう人がお願いすれば見せてもらえるかもしれませんが、「インテリアコーディネーター 兼 キッチンスペシャリスト 兼 二級建築施工管理技士」なんてのではだめでしょう。慶應大学の三田キャンパスの重要文化財に指定されている曾根中条設計事務所設計の三田旧図書館てのも外見は誰もが見ることができるのですが内部は入らせてもらえないので、いったい中はどうなっているのやら・・一度、入ってみたいなんて思ったりもしたものですが、あれも「☆☆大学建築学科教授」とか「世界的建築家 隈碕忠彦」ならお願いすれば見せてもらえるかもしれんが「インテリアコーディネーター 兼 キッチンスペシャリスト 兼 二級建築施工管理技士」なんてのではだめでしょう。
  もっとも、有名建築物でも「一般には非公開・立入禁止」のところを、実は係員の人の好意でちょっとだけ見せてもらった・ちょっとだけ入らせてもらったなんて所も私はあるのです。私の場合、「あなたは学校の先生なのでしょ」と言われたことがありましたが、もともと「高校までエリート」で、もともとは大学に残って研究者になりたいと思っていた人間でしたから、建築屋に勤めても、もしかすると大学の先生か高校・中学校の先生かはともかく「学校の先生」のような雰囲気があって、そこから、この人には見せてあげようと思ってもらえたということがあったかもしれません。ここはちょっと難しそうですが、真面目な態度で見学すれば、一般にはだめということになっているけれども「ちょっとだけ」見せてあげようなんて思ってもらえることも実際問題としてあるようです・・・・が、こういうことを話してしまうと、(株)一条工務店の営業本部長とか総務部長とかにはなおさら「そういうところがおまえはむかつくんじゃ」とか言われることになるかもしれません。
・・なお、「隈碕忠彦」てのは隈研吾+磯崎新+安藤忠雄+槙文彦 で「隈碕忠彦」です。「インテリアコーディネーター 兼 キッチンスペシャリスト 兼 二級建築施工管理技士」が「☆☆大学建築学科教授」とか「世界的建築家 隈碕忠彦」より評価が低いのはしかたがないとしても、2003年だったか2004年だったか、ポリテクセンター千葉 の「就職コンサルタント」のおっさん、自称「石川慎太郎都知事の知り合い」というおっさんが「インテリアコーディネーターだのキッチンスペシャリストだの宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)だのなんて、誰でも受けさえすれば通る資格だ。そんなもの、ともかく試験会場まで行って氏名と受験番号さえ書けば誰でも通るう。建築業界で勤めたいと思ったら『いっきゅうけんちくしい』てないとお」と言うので、「そんな、誰でも受けさえすれば通るなんて試験ではありませんよ」と言ったのだが、そうすると、「いい~んや、誰でも受けさえすれば間違いなく絶対に通るう~う。甘ったれるな! いいですか。私はあなたのためを思って言ってるんですからねえ」と言われたのだったが、「あなたのためを思って言って」くださるのはいいのですが、インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 にしても、いずれも決して「誰でも受けさえすれば間違いなく通る」試験ではないし、「試験会場まで行って氏名と受験番号さえ書けば間違いなく通る」試験ではなく、何よりも私自身が何度か落ちた上でやっと通った試験・資格であり、もしも、「試験会場まで行って氏名と受験番号さえ書けば間違いなく通る」試験であったなら、私自身がいずれも1回目の受験で通ったはずでしたが通ってないのです。むしろ、ポリテクセンター千葉の「就職コンサルタント」こそ「石原慎太郎都知事の知り合い」でさえあれば「誰でも間違いなく」なれる仕事だったのではないか。・・但し、私が誰か国会議員なり知事なりの知り合いがあってその紹介で何らかの仕事にありつけたならば〔そんな知り合いないけれども〕、初対面の相手にきかれもしないのに「私は△△知事の知り合いなんだけれども」なんて言わない。それをきかれもしないのにべらべらとそういうことを言うておるというあたりを見ると、そのおっさんは「石原慎太郎の知り合い」であったとしても、たいした知り合いではないのかもしれない( 一一) ポリテクセンター千葉にはその後、建築CAD科に半年、通わせてもらい学ばせてもらったのだが、建築CAD科の内容は悪くなかったと思っているけれども、私が建築CAD科に通った時点ではその「石原慎太郎の知り合い」のおっさんはもういなかったが、「就職コンサルタント」になっていた人を見ると、この人、何なの・・て感じのことがほかにもあった。ポリテクセンター千葉には建築CAD科があったのだから、そこの「就職コンサルタント」に「石原慎太郎の知り合い」ということでならせてもらった人というのは、もうちょっと、建築関係の資格についてはどういう資格なのか調べておいてもよさそうなものだったが、ろくに知らないようで、ろくに知らないで「甘ったれるな!」とか言って「あなたのためを思って言ってるんですからね」などと厚かましい口をきくようだった。かつ、「いっきゅうけんちくしいでないとお~お」となぜか一級建築士という資格について憧憬のようなものを持っているようだったが、バッカじゃなかろかルンバ♪ て感じがした。
  鳳凰閣の2階部分は、上の方の写真が「極彩色を施した格天井」で、下の方の写真は「楼閣部(2階)修繕前の屋根に飾られていた宝珠が置かれている。」ものらしい。

  瀧安寺HP の「境内案内図」https://www.ryuanji.org/map には、
《 鳳凰閣は国の有形文化財に登録されており、著名な建築家、武田五一氏によって設計されました。平成30年9月の台風21号により甚大な被害を受けました。》
と書かれていますが、鳳凰閣の床の間の右側にあるパネルの説明書きには、
《 瀧安寺 鳳凰閣
建立:1917年(大正6年)
登録:2000年(平成12年) 国登録有形文化財
設計:武田五一
施工:高橋組
構造:木造平屋建、瓦一部銅板葺、建築面積130㎡、塔屋付、1棟
評価:切妻造・桟瓦葺・平屋建。その北端に宝形造の楼閣をあげた形態で、平等院鳳凰堂 翼廊の気分が表現されている。箕面山の中腹に位置し、石垣を高く築いた敷地に建ち、箕面川の渓流とともに優れた景観をつくりだしている。(文化庁より)》
と書かれています。京都府宇治市の平等院鳳凰堂は何年か前に一度見にいきましたが、《平等院鳳凰堂 翼廊の気分が表現されている》と改めて言われると、「え? どうだっけな」て思えてきます。2階建てかと思ってきたのですが、2階と見える部分はここでは「塔屋」「楼閣」と考えているようです。
  設計者の武田五一については、
《 設計者 武田五一
明治5年(1872年)~昭和13年(1938年)
明治後期から昭和初期にかけて活躍し、「関西建築界の父」とも言われる日本を代表する建築家。
東京帝国大学を卒業し、ヨーロッパへの留学で影響を受けたアール・ヌーヴォー、セセッションをいち早く日本に紹介した。また、教育者として多くの建築かを輩出し、伝統的な日本建築にも関心を寄せ、法隆寺や平等院の修復等、多くの文化財保護に貢献した。
NHKテレビ小説『ごちそうさん』(平成25年 2013年)では、武田五一をモデルとした建築学者が登場した。武田博士が当時鳳凰閣の設計に携わられた経緯は定かではないが、一説には、住職である石田密道師(明治末~昭和6年 1931年)を支援する伏見酒造の旦那衆が、博士を推薦したと伝わる。
 主な作品
国会議事堂、同志社女子大学ジェームズ館、京都市役所、桜宮橋、大阪朝日新聞社、平安神宮大鳥居、高野山大学図書館、大阪市交通局ロゴマーク、山口県旧県庁舎、等。
(現在、重要文化財2件、登録有形文化財19件、登録記念物1件。) 》
と書かれている。
 《ウィキペディアー武田五一》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80 に「主な作品」として掲載されている一覧を見ると、重要文化財に指定されているものは山口県庁舎及県会議事堂の1件、国登録有形文化財は瀧安寺鳳凰閣・同志社女子大学ジェームズ館・同志社女子大学栄光館など11件。鳳凰閣の床の間のパネルの説明書きが正しいなら、重要文化財1件・国登録有形文化財8件がほかにあることになる。
  国会議事堂て、武田五一設計だっけ? あれ、「エンデとベックマン」じゃなかったっけ? ・・なんて思って、インターネットで検索すると、《ウィキペディアー国会議事堂》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E5%A0%82 を見ると、
《 設計者  大蔵省臨時議院建築局 》
と書いてある。
武田五一は関係ないのか? 「エンデとベックマン」は関係なかったのか?・・というと、「国会議事堂と建築家」という欄に、
《 ヘルマン・エンデヴィルヘルム・ベックマン - ドイツの建築家。官庁集中計画の一環で議事堂の設計を行ったが実施されなかった。》
《 武田五一 - 東京帝国大学助教授、京都帝国大学教授などを歴任。1908年(明治41年)、議院建築研究のため、矢橋賢吉とともに欧米を視察。嘱託として議事堂の設計に関わった。建築史家・鈴木博之は武田が設計した伊藤博文公銅像台座(神戸市)と議事堂ドームのデザインの関連を論じている(講談社現代新書『日本の地霊』など)。》
と書かれている。武田五一も国会議事堂の設計に関わっているけれども、武田五一ひとりではなく関わった建築家は何人もいるということらしい。

DSC01674.JPG  
  ↑ 鳳凰閣の和室から見た箕面川の対岸・西岸の観音堂と受付所のあたり。
紅葉の向こうに建物が見えるのが観音堂〔平成十四年度(2002年度)再建。主尊は如意輪観音。回向壇には阿弥陀如来を、祖師壇には平安期に当寺でご修行された空海、圓珍、千観の三上人を安置しています。(瀧安寺HP「境内地図」https://www.ryuanji.org/map 〕で、左側に見える建物が受付所〔​納経、各種お守、護摩木、おみくじ等を扱っています。・お札(弁財天、如意輪観音、不動明王)・お守り…財運向上、芸能上達、各種あります 〕。
  撮影は2022年11月27日午後、西日があたった紅葉を経て、箕面川の東岸側の鳳凰閣から見る箕面川の西岸側というのも、なかなかいいですね。 こういうのを見ると、「日本で紅葉の名所というと、京都の高雄と大阪の箕面」というのも、なるほど・・と思えます。その「日本の紅葉の名所というと、京都の高雄と大阪の箕面」というのは誰が言ったのか。
  「日本三景」てのは国立公園・国定公園みたいに国が決めていたのかと思ったら、《 江戸時代前期の儒学者・林春斎が、寛永20年8月13日(1643年9月25日)に執筆した著書『日本国事跡考』の陸奥国のくだりにおいて、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立・安藝嚴嶋爲三處奇觀(句読点等は筆者付記)と書き記した。これを端緒に「日本三景」という括りが始まったとされる。・・》(ウィキペディアー日本三景 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E6%99%AF#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%B0%E4%B8%89%E6%99%AF )だそうで、林というと林羅山が有名だが、林春斎てのも名字が林で「儒学者」てことは林家の系統の人か? ・・
  で、「日本三名園」はというと、ウィキペディアー日本三名園 に《「日本三名園」もしくは「三名園」という言葉がいつ頃から使われ始めたのかは不明であるが、文献上では1899年(明治32年)発行の「日本三名園之一 後楽園新圖」に既にこの言葉が使用されている。また 1904年(明治37年)に外国人向けに発行された写真集にもこの言葉が使われている。》と書かれているが、誰が言いだしたのかはよくわからないみたいだ。
  福島県いわき市の いわき湯本温泉では「日本三名湯」というのを、道後温泉・有馬温泉と いわき湯本温泉だとしているが、宮城県出身の人に聞いた話では宮城県の鳴子温泉でも似たようなことを言っているらしい。又、岐阜県の下呂温泉では有馬温泉・草津温泉とともに下呂温泉を「日本三名泉」のひとつと言っているらしく、これは いわき湯本温泉とは違って「昔の人」でこの人が言ったというものがあるらしいが、しかし、その「昔の人」て誰やねん? というと《 下呂温泉(げろおんせん)は、岐阜県下呂市(旧飛騨国、岐阜県益田郡下呂町)にある温泉。室町時代には万里集九が有馬温泉や草津温泉とともに「三名泉」とし、江戸時代には林羅山もこれらの三温泉を「天下の三名泉」と記した(日本三名泉)(ただし、当時は下呂ではなく湯島と表記)。》〔ウィキペディアー下呂温泉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%91%82%E6%B8%A9%E6%B3%89 〕というのだが、林羅山は名前くらいは知っているとしても、万里集九て誰それ? 知らんぞ。
  で、「日本で紅葉の名所というと、京都の高雄と大阪の箕面」てのは誰が言ったのか・・。落ち着いて考えてみると、誰が言ったのかよくわからんな・・・と思ったが我が家では昔からそう言っていたので、今、90代のうちの母親にそれを話してみたところ、「うちのお父さんや」ということだった。そうか、あのおっさんが言うておったのか、それを信じていたのか・・・と思うと、なんかあほくさいような気がしてきたのだが、しかし、↑ の写真など見ると、「日本で紅葉の名所というと、京都の高雄大阪の箕面(みのお)というのは、それについては決して間違っていないように思える。・・思いませんか。
  ついでに、栃木県佐野市には「関東三大みやげ品」と称している「佐野生ラーメン」が売られていたが、あと2つが何なのかはよくわからない。ともかく、自分の所のものと他2つで「三大なんとか」てのはよくあることだ。佐野ラーメンはけっこうおいしく、『らーめん発見伝』にも加水率が高めのラーメンなので、食べるのに時間がかかる人でもあまり「伸びない」のでいいラーメンのひとつとして登場していた。「三大みやげ品」であってもなくても悪くはないのだが、但し、それはたまに佐野に行く人にとっての場合であり、佐野市に住むと「町中、ラーメン屋だらけ」であって、ここに住んで外食すると「ラーメン係数」(食事回数のうちラーメンを食った割合のこと)が矢鱈と多くなって、「洋食とラーメン」「かつ丼とラーメン」とかいった看板の出た店がいっぱいあって、中には「スナックとラーメン」なんて店もあったが、ともかく、佐野に住むと最初は佐野のラーメンておいしいなあと思ったとしても、そのうち、ラーメン見るのも嫌になってくる・・。

  「誰が言いだしたかよくわからん話」としては、住宅建築業界においては「集成材はムク材の1.5倍強い」というのがある。最初に誰が言いだしたのか・・というと、おそらく「住友林業の営業」で、この話を広めたのは「住友林業の営業と一条工務店の営業」だと思う。
  1992年、東京都江東区潮見 の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場に、新卒入社1年目で浜松の営業所(展示場)に配属されて浜松に5カ月間いて契約棟数ゼロ棟だった小野田くん(男。当時、20代前半)が本人の希望をきいてもらって東京展示場に転勤してきたが、小野田くんは「集成材はムク材の1.5倍強いんですよ。知らないんですか、そんなことも」と私に言ったのだが、知らんよ、そんなの。住友林業の営業がそういうことを言っているということは知っている。1993年、松戸展示場では向かいに住友林業の展示場があったので、住友林業の展示場で住友林業の営業の話を聞いた人が次に(株)一条工務店の展示場に入ってきて、「集成材の方がムク材よりも強いんでしょ。住友林業の人が言ってたよ。あんた、そんなことも知らないの」などと言うことがあったのだが、住友林業の営業がそういうことを言っているらしいことは知っているのだが、実際にムク材と集成材を比較して「集成材はムク材の1.5倍強い」というのは本当なのかどうか、知らんのだった。
  話としては、
(1)ムク材と集成材はどちらが強いのか
(2)ムク材と集成材はどちらが高級品なのか、
(3)ムク材と集成材はどちらが自然環境にやさしいのか、
この3点があるのだが、それらのどれについて述べているのかも曖昧にして、「ムク材は集成材の1.5倍強い」という話が広まっていた。
それで、私はいいかげんなことをお客さんに話したくないので、「集成材はムク材の1.5倍強い」と言う人に「どうして、集成材はムク材の1.5倍強いのですか」と質問したことがあったのだが、誰もそれに納得のいく理由を述べてくれなかったのだ。小野田くんにも、小野田くんが「集成材はムク材の1.5倍強いんですよ。知らないんですか、そんなことも」などと住宅建築業界での経験は小野田くんよりも長く、年齢は10歳以上も年上の私にそういう口をきくので、「どうして、集成材はムク材の1.5倍強いのですか」と、自信もって「集成材はムク材の1.5倍強いんですよ」と集成材を通し柱に使っている住友林業(株)の営業ではなくムク材を使っている(株)一条工務店の営業なのに言いまくる小野田くんに尋ねてみたこともあったのですが、小野田くんは「だから、集成材はムク材の1.5倍強いんですよ。知らんのですか、そんなことも」と言うばかりで、なぜ、集成材はムク材の1.5倍強いのか、その「なぜなのか」という点についてまったく述べてくれなかったのだ。
  2008年、千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の花見川ショールームの店長の「人相が悪く目つきがわるい田中」「当時、常務取締役で後に社長になった大澤とともに、ヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)は自称「建築についてわかっている営業」だったが、東海住宅(株)の建売住宅の工事現場で、ホワイトスプルースの集成材を指さして、「お客さん、これは集成材でムク材の1.5倍強いんですよ」などとヌケヌケと言うので、この男「ヤクザ顔の田中」「人相と目つきが悪い田中」もいいかげんな男だなあ・・とあきれた。普通に考えて、だ。ホワイトスプルースの集成材が桧のムク材の1.5倍強いわけないだろうが。アホか( 一一) ( 一一) ( 一一)
  1992年、私が(株)一条工務店に入社した年、中途入社の新入社員の研修で、たしか、静岡県地域の課長だった石橋さんだったと思うのだが、「集成材はムク材の1.5倍強いけれども、ムク材は年が経てば強度が増していくけれども、集成材の接着力は年が経つと弱くなっていく」といったことを話したことがあったと記憶している。ムク材は年が経てば強度が増すというのは、これは西岡常一・小原次郎『法隆寺を支えた木』(NHKブックス)に出ていた。広葉樹の場合は生えていた木を切ってから年とともに強度は少しずつ弱くなっていくのだけれども、針葉樹の場合は年とともに少しずつ強くなっていき、千年くらいまでは強くなるがそこからは徐々に弱くなっていくらしく、法隆寺で使われていた桧を調べてみると、新しい桧と同等の強度があったらしく、それは切り出してからだんだんと強度が増して、最大の強度になってから弱くなってきて最初の状態と同じ強度になったものだったと推測されるらしかった。
法隆寺を支えた木 [改版] (NHK BOOKS) - 常一, 西岡, 二郎, 小原
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それに対して、集成材というのは接着剤で何枚かの木を貼り合わせたもので、その接着剤の接着力は接着したばかりの時が強くて徐々に弱くなっていくはずだというのが石橋さんの話だった。それはわかるけれども、実際には、法隆寺ではあるまいし、(株)一条工務店で戸建住宅を建てる人にとっては千年後のことなんてどうでもいいし、集成材の接着力が徐々に弱くなっていくといっても何十年かのうちのはがれてしまうわけでもなく、どちらも戸建住宅をこれから建てようという人にとってはそれほど関係のない話だった。・・で、石橋さんはその「集成材はムク材の1.5倍強い」という話をどこから仕入れたのか・・というと、どうも論拠不明だったのだ。世の中には真偽不明・論拠不詳の「都市伝説」みたいな話もあり、最近では「ネット情報」として不確かな話が横行している場合もある。石橋さんはどこで「集成材はムク材の1.5倍強い」という話を仕入れたのか、それを聞きたかったのだが教えてもらえなかった。私は入社時は東京営業所(展示場)(東京都江東区潮見)に入り、次いで松戸営業所(展示場)(千葉県松戸市岩瀬)に配属されたが、どちらも営業所長は営業本部長兼任の天野隆夫だったが、天野隆夫に質問すると何を質問しても「そんなこと言うならエスバイエルに行けえ」と言われるばかりであり、「集成材はムク材の1.5倍強い」なんてことはエスバイエル(株)は言っていないのに、なんでそんな話になる? と思うのだったが、「なんで、そんな話になるのですか」と言うと、なおさら「エスバイエルに行けよお」と言われるので何も言えなかった。自分自身でけっこういろいろな本を読んで調べてみたのだが、多くの人間が「常識」のように信じている話ならば、小野田くんなどは「集成材はムク材の1.5倍強いんですよ。そんな常識も知らないんですか」などと言うのだったが、「そんな常識」ならば木構造について書かれた本を何冊か読めば、その理由について出ているはずだったが、「◇◇大学建築学科教授 何野誰兵衛著」とかいうような本で一般の出版社が発行して旭屋書店とか三省堂書店とか東京堂書店とか紀伊国屋書店とかいった書店で売られているような本で「集成材はムク材の1.5倍強い」と書かれたものはどこにも見つからなかった。小野田くんはその「常識ですよ」と小野田くんが主張する「常識」をいったいどこで仕入れたのか?

  まず、高田秀三編『これだけは知っておきたい 住宅の設計と施工の知識』(鹿島出版会)には、集成材とムク材はどちらが使用できる状態になるまでに費用がかかるかという問題について述べられていた。一定量の丸太から使用できる状態の材木にできる量は集成材の方が多い。同じだけの材木を作るには集成材よりもムク材の方が必要とする丸太の量は多いので、材料代はムク材の方がかかる。しかし、集成材は切って貼ってという作業をしなければならないので手間代がかかる。その結果として、同じくらいになる、というのだ。
これだけは知っておきたい住宅の設計と施工の知識 - 高田 秀三
これだけは知っておきたい住宅の設計と施工の知識 - 高田 秀三
  だから、どちらが高級品かといっても、原材料の費用はムク材の方がかかるけれども、切って貼ってという手間代が集成材はかかるので、結果として「同じくらい」だそうだ。
  但し、集成材にも、在来木造の戸建住宅で真壁和室で使われる「桧の柱」については、これは「ムクの桧」の場合は全体が桧だけれども、「集成材の桧」というのは表面の皮みたいな部分だけが桧であって内部は桧よりも安い木が貼りあわされているはずであり、又、床柱に使われる木も「集成材の黒檀」とかいうのは黒檀は表面の部分だけで内部は黒檀ではないので、値段は集成材の方が安い。〔但し、「集成材の黒檀」は表面は本物の黒檀であり、別に欠陥品とか不良品という意味ではありません。〕

  どちらが「自然環境にやさしい」かというと、実際問題としてこれから住宅を建てようという人にこの話をしても、あまり関心がないというのか、自分のふところに影響しない限り、「自然環境にやさしい」かどうかは関心がない、どっちかといえば「自然環境にやさしい」にこしたことはないという程度の関心しかないというのが実状なのですが、実際には将来解体して別の建物を建てようということになった時に、自然環境に負担がかかるような部材を使用していたならば、解体後、廃棄物の処理に費用が多くかかるということもありうるので全く関係ないとまでいうことはないはずですが、結論を言うとムク材と集成材はどちらが自然環境にやさしいかというのは、これは「いちがいにどちらと言えない」ということになると思います。なぜなら、天然林の自然木を伐採するなら自然破壊とかいうこともあるとして、人工林の造林木を使う限り、これは畑の野菜と同じ性質のものであり、大根・人参・白菜・キャベツ・ほうれん草といったものに比べると植えてから使えるようになるまでの期間が長いので計画的に使う必要がありますが、人工林の木というのは適度に使ってこそ林業が維持されて人工林が存続するのであって、使わなければ自然が守られるというものではないのです。使っていいのです。しかし、野菜だって果物だって無駄遣いはするべきではありませんよね。収穫した野菜は食べられるものはすべて利用すべきですよね。それと同じく、木もまた、使えるものはできる限り使用するという観点からいくと、一定の丸太からどれだけのものを使うことができるかというと、集成材の方が効率的に使っているはずなのです。しかし、それなら集成材を使った方が「自然環境にやさしい」かというとそうでもなくて、廃材となった時に焼却しようとする場合、ムク材・ムク板というのは全体が木であるのに対して、集成材・合板というのは接着剤で貼り合わせていますから、接着剤の部分というのは化学物質であり、2000年代あたりはダイオキシンの発生というものが相当言われたものでしたが、最近ではダイオキシンはその頃に言われたほどは有害ではないのではないかと言われるようになったとかいうのですが、それにしても、木そのものであるムク材と接着剤という化学物質を含む集成材・合板とでは、集成材・合板の方が焼却した場合に有害物質が発生する可能性は大きそうに思えます。実際、(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の工場には、かつて小学校・中学校にあったのと似たような焼却炉があったのですが、ムク材はそこで燃やしてよいけれども、集成材・合板はその焼却炉で燃やしてはいけないということになっていたのです。だから、その点では集成材・合板よりもムク材・ムク板の方が「自然環境にやさしい」と思えないこともありません・・・が、しかし、ムクの柱でも知らない人もいるようでしたが(株)一条工務店で使用していた大黒柱は木口(こぐち)面に表面塗布でけっこう毒性が強そうな薬液を塗布していましたから、塗布する方法でも毒性のあるものを塗った木を燃やしたならば、やっぱり化学物質を発生するということはないのか・・とも思えてきます。

  性能については、構造材の場合と装飾材の場合で違いがあり、構造材でも柱材と梁桁材でも違う。装飾材の場合は、ムクのものでは見た目は美しいが大変「あばれやすい」「狂いやすい」木材を集成材として他の木材の表面に貼りつけることで、「あばれない」「狂わない」ものにして使用するというケースがある。
  構造材の場合だが、梁桁材の場合は柱材よりも上下に厚いものを使うことになり、それだけ厚いものというのはムク材は乾燥させにくいのに対して、集成材は何枚かの薄い状態に切ったものを乾燥させて、乾燥させたものを貼ることができるという長所がある。又、ムク材は芯材側と辺材側とでは辺材側の方が収縮しやすいのことからどちらかにそりやすいのに対して、集成材は木の目が交互になるように貼ることでそりにくい梁桁材を作ることができる。しかし、もともと、木造建築というものはそれほどかっちりしたものではなく、西岡常一さんの本を見ても、法隆寺宮大工口伝には「木は寸法で組まず、くせで組め」というものがあるように、ムク材は多かれ少なかれそるものだということを前提として、そういう素材である木を使って建てるのが木造建築であり、梁桁材にしても、芯材側と辺材側とでは辺材側の方が収縮する度合いが大きいことから、家屋を建ててからも芯材側が凸、辺材側が凹になるように曲がりやすいということから、辺材側を下、芯材側を上にして使うようにすれば、特に梁桁材の途中に上階の柱が載っているというようなケースでは上から下へ荷重がかかって押さえつけることから下が凸になりやすいところを、ムクの梁桁材で芯材側を上・辺材側を下にして施工すると上が凸になろうとする結構が梁桁材にあるので上から下に押さえつける力に対抗することになり梁桁材が下がりにくくなるので、むしろ、ムクの梁桁材の方が合理的とも言える。さらにしかし、かつては大工の仕事というのは切ること・刻むことだったのが今では切ること・刻むことはほとんど機械プレカットでおこない、大工は現場で組み立てることが主たる仕事になってきており、「切る」「刻む」は「工場」という所で機械でおこなう方が普通のようになってきたのだが、その「工場」で作業をしている人というのは基本的には「工場労働者」であって大工でもなければ建築技術者でもないので、梁桁材を加工する場合は芯材側が上で辺材側が下になるように加工する・・なんてことを知らない人が多い。「建築専門学校卒」とか「高卒の大工」とかの人には「プレカット工場が大丈夫と言ってますから絶対に大丈夫です」と言ってきかない人が多いのだが、「プレカット工場が大丈夫ですと言ってます」と言っても、わかってないやつが「大丈夫です」と言っているのであるから、ちっとも大丈夫ではないのだ。
  小堀住研(株)ではPBDM と言って日本語では「コンピュータを使った設計手法」ということらしいのだが、それでもよく意味がわからんが、PBDMの梁桁材というのは単なる集成材の梁とは違うそうで、どこが違うのかというと「コンピュータを使った集成梁の設計手法」だと言うのだがコンピュータというのは結論として言えば文房具であり優秀な文房具を使ったら集成梁が強度を持つというのも変な話なのだが、梁桁材というのは特に一番上の部分と一番下の部分に強い力が加わることが多いので、何枚かのものを接着剤で貼り合わせて梁桁材を作る時に一番上と一番下に特に強度が強いものが来るように貼った集成材ということらしい。なるほど・・と思いそうになるが、その強度が一番強いものというのをどうやって調べるのか?・・というと、どうもよくわからんようなところもある。
  そういうこともあるとしても、梁桁材の場合は、集成材の方が乾燥させやすいという長所はある。集成材の方が割れにくい、ムクの梁桁材は少々のクラックはあって当たり前といっても、実際に(株)一条工務店の工事現場で見ると「少々の」ではない場合がけっこうあるのに対して、集成材の梁桁材はクラックはない。ムク材と違って集成材の梁はそりにくい・・というのは長所と考えるべきか、むしろ、芯材側に凸・辺材側が凹になるように曲がる梁桁材の性質を利用して建てることこそ木造建築の特徴ではないのかという面もあるけれども、プレカット工場にそのあたりを理解できている人間がいるのかどうかという点など考えると集成材の梁桁材を使っておいた方が失敗が出にくいという点はありそうだ。実際、(株)一条工務店の工事現場には本来ならば上になる側が芯材側・下になる側が辺材側になるように加工するべきものを逆に、上になる側が辺材側・下になる側が芯材側を加工した梁が届き、大工が「なんで逆に加工するんだろうなあ」と口にしていたことがあり、工場に長くいる人にその話をすると、「そんなの、どっちを上に加工するかなんてわかってる人間なんて、工場にはひとりもいないよ」と言い、「よく知ってるねえ」と言ってくれたのでしたが、たしか、(株)一条工務店は私が入社した1992年から工場見学会では鈴木室長がハンドマイクを持って来場者に「一条工務店ではベテランの大工さんに一人、工場に勤務してもらって、どこにどういう木を使うべきかといったことを見てもらうようにしています」といったことを毎回話していたはずでしたが、「ベテランの大工さんが工場で見ているというのは違ったのですか」と言うと、「そんなの、昔から『ベテランの大工さん』なんて一条工務店の工場にいたことなんて一度もないよ」ということで、またやられた、また騙された・・とがっかりしたものでした。
  それで、1992年、(株)一条工務店の小野田くんは「集成材の柱はムク材の柱の1.5倍強いんですよ。知らないのですか、そんなことも」とえらそうな口をきくのだったが、知らんよ、そんなもの。住友林業の営業がそんなことを言っているらしいということは知っているけれども、なんで、「集成材の柱はムク材の柱の1.5倍強い」のか、誰に尋ねても誰も納得がいく理屈を答えてくれないのであり、そうである以上、知らんよ、そんなもの。
  普通に考えてみてくださいよ。ムクの桧、あるいはムクの杉の四寸角なり三寸五分角なりの柱があったとして、それを5枚にスライスした上で、スライスした5枚のものを、フエキ糊ででも、セメダインでも、木工用ボンドででも、アロンアルファででも、あるいはツバででも鼻くそででももう一度くっつけたとして、それで元のものの「1.5倍強い」ものになると思いますか? なるわけないだろうが。なったらおもろいわ(笑) 実際には、《ウィキペディアー集成材》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E6%88%90%E6%9D%90 を見ても、集成材というのは単に何枚かにスライスして再度貼りつけるというだけのものとか、木の目が逆になるように再度貼りつけるというだけではなく、長所を発揮できるようにそれ以外に工夫をこらした集成材もあるわけですが、「集成材はムク材の1.5倍強い」というお話にどういう論拠があるのかというと、言っている人がその理由をよくわかった上で話しているのかというと違うようで、又、特に長所を発揮できるように特別の工夫をこらした集成材のことではなく、単に何枚かのものを貼りつけただけのものを「1.5倍強い」とか言っていることが多いのです。
  ツバとか鼻くそはさておいて、十分に強度を発揮する接着剤、たとえば、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の木質パネル構法で使用していた木質パネルは小堀住研(株)のグループ会社の小堀住工(株)の工場で作っていたが、枠材(ツーバイフォー材)と合板を工場で接着剤で接合していたが、時々、「抜き打ち検査」をおこなって正しく接着されているか調べるようにしていたらしいのだが、どういう検査をしていたかというと、木質パネルが破壊されるところまで力を加えていって、接着剤で接合した部分がはがれるのではなくそれ以外の木の部分が破壊されれば合格というもの、もとから木だった部分よりも接着剤で接合した部分の方が強かったら合格というものだったそうだ。接着剤での接合は一般に釘での接合よりも強度があると言われるけれども、それは正しく接着された場合のことであり、だから、小堀住研(株)の木質パネル構法は木質パネルの枠材と合板の接着は現場ではおこなわずにすべて工場でおこなっていた、ということだった。江口俊彦『東京の近代建築ー建築構造入門』(理工学社)によると、鉄骨の溶接と似ているかとも思った。鉄骨の溶接というのは弱そうな印象を受けるのだが、溶接部分の強度はもとからの鉄の部分よりも強い強度になるように溶接するというのだ。
東京の近代建築―建築構造入門 - 江口 敏彦
東京の近代建築―建築構造入門 - 江口 敏彦
それくらいの強度、接着部分はもとからの木の部分の強度より強い強度になるように接着したとしても、もとからの木の部分が1.5倍になるわけではありませんから、だから、やっぱり、「1.5倍の強さになる」というのは理屈としておかしいのです。さらに、柱材の場合は、ムク材で芯持ち材を使った場合なら、柱の中心付近に木の中心があって四方に年輪が広がっているわけですから、上から見ると正方形の形をしている柱材というのは四方にそれほど違いがない強度があると考えられるのに対して、集成材は何枚かの板状にスライスしたものを貼り合わせるわけですから、強い方向・それほど強くない方向というものが出てくるはずなのです。それで、なんで「ムク材の1.5倍の強度がある」ことになるの? なんか変だな・・と思いませんか。

  又、小野田くんは「一条工務店は構造材はムク材を使っているから、だから通し柱と1階の真壁和室以外の管柱と1階部分から下の構造材すべてを加圧注入の方法で防腐防蟻処理ができるけれども、住友林業(株)は集成材を通し柱に使っているから、集成材は加圧注入しようとしても接着部分で止まってしまうから加圧注入できないから、だから住友林業(株)は表面塗布処理にしているんだ」などと言っていましたが、嘘ですからね。アイダ設計(株)は集成材でも加圧注入していましたからね。小野田くんは新卒入社して5か月の間に浜松でずいぶんといろいろな嘘を学んできたものだなあ・・と感心します。
  小野田くんは「一条では和室に石膏ボードに木目をプリントしたものを貼った『不燃天上板』を使っているけれども、本物の板を使ったら防火の上で対策がないから火事に弱い家になる」などと言っていたが、これも正しくない。1960年代、私が小学生の時にうちの親が小堀住研(株)で建てた家は1階の天井裏点検口から天井裏を見ることができるのですが、天井板の上にロックウール(なのかグラスウールなのか)を敷き詰めて、その上の梁や小屋束には石綿(か?)を吹きつけて、野地板の下にも石綿なのか不燃材が敷かれていた。入居後、電気工事に来た人が「ていねいな施工」だと言って感心していたそうでしたが、今では石綿は飛散すると肺がん・肺気腫の原因になるとして使用禁止になっていますが、本物の板を和室の天井に使った場合、石綿でなくても他の防火剤・耐火材をその上に敷くなり吹きつけるなりすれば本物の木を和室の天井に使っても耐火性能の高い家にすることはできるはずなのです。小野田くんというのは本当に嘘を言うのが好きな男だなあ・・と感心しました( 一一)
  1992年後半、東京展示場(江東区潮見)で営業会議の際に、営業個人個人が見込客を構造現場見学に案内するのではなく、東京営業所として何件かの見込客を一緒に構造現場に案内してはどうかという話が出て、服部(男。当時、20代後半。中途入社1年目)が「小野田くん(男。当時、20代前半。新卒入社1年目)が構造について一番わかっているから構造の説明は小野田くんに担当してしてもらうといい」などと言い出したので、それはやめてもらいたいなあ・・と思ったのだが、服部は言ってもきかないので、それでいて1992年は東京展示場では服部が一番多く契約を獲得していたこともあって、なおさら服部は言ってもきかないのだったが、小野田くんにいいかげんなことを言われたのでは、その後、「実はあれは違うんですよね」と見込客に話すと「それなら、なんであの小野田さんという人は嘘を言うのですか」ということになってしまうし、かなわんな~あ・・と思ったものでした。実際にはその東京営業所としての構造現場見学会というのはおこなわれなかったので助かったのでしたが、服部は1992年において東京展示場に在籍の営業の中で一番多く契約を獲得していましたが、このあたりについて理解できていない男でだった。服部は中途入社1年目で1992年は東京展示場在籍の営業の中で一番多く契約を獲得していたけれども、たとえそうであっても「社会人の常識」として「会社員の心得」として自分が担当の見込客に対しての営業活動をどう進めるかについては自分が決めていいとしても、東京営業所としてどうするかについては服部ひとりの主張を押し通してよいというものではなく、他の従業員の見解もまた尊重する必要があったはずだが、そういう姿勢がない男だった。営業本部長の天野隆夫は東京営業所長を兼任していたのですから、本来、このあたりを把握して適切な対応をするべきものですが、そういう対応をできる人ではなかったようです。
  ・・小野田くんはお客さんに「父親が大工でして」などと言っていたことがあったように思うのだが、(株)一条工務店の営業では1993年6月に名古屋の八事営業所で営業成績があがっていなくて千葉県の松戸営業所に転勤してきた松下という男(当時、30代前半)もまた、お客様宅に行って「私は父親が大工でして」と話すのでそうなのかと思ったら実はそうではなくて松下は「下駄屋の息子」であって「大工の息子」というのは嘘だったらしいが、小野田くんもまた、母子家庭の息子だったそうで、いない父親が大工のわけないのであり、よく言うよなあ・・・とあきれました・・が、どうも(株)一条工務店の営業本部長というのはそういう嘘つきが好きな人間のようです( 一一)  ・・小堀住研(株)でも1990年、東京都目黒区の自由が丘営業課の近藤寿一(男。当時、20代前半。近畿大学経済学部卒)は「ぼく、宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)もってますから」とお客様宅で大きな声で叫んでいましたが実際には宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)の資格試験を「受けた」ことはあっても「通った」ことは一度もないそうで、千葉県柏市の千葉支店柏展示場にいた犀川(男。当時、30代なかば)はお客様宅で「私、早稲田の建築でてますから」などと言うらしかったが、実際は「ニチゲー」(日大芸術学部卒)だそうで、後から考えてみると、あんなやつ、どう見ても「早稲田でてる」て顔してないだろうが・・ということをよく言うよなあ・・とあきれました・・が、世の中、そういう人はゴマンといるみたいですが、それにしても、「下駄屋の息子」のくせして「私は実は父親が大工でして」だの母子家庭の息子のくせに「父親が大工でして」などと、まったく、よく言うよなあ・・とあきれます( 一一) それから、昔から「早稲田の政経」は学歴詐称の定番ですが、建築業界限定では「早稲田の建築」は学歴詐称の定番で、私などは「早稲田の政経」と「早稲田の建築」と聞くと、「ほお~お・・」「ははあ~ん・・」と思うものですが、学歴詐称は口で言う限りは犯罪ではないかもしれないが、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 はこれは国家資格ですから、(通称)近藤すしいち は不動産業の会社で宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士の資格を持っていないのに「持ってます」と言うと宅建業法(宅地建物取引業法)違反になる可能性が考えられるが、建築業の会社に勤めていて詐称しても問題ないと思っていたのでしょうけれども、国家資格の詐称は軽犯罪法第1条違反のはずです。
  小野田くんは来場客・見込客と話をする際に、時々、「ふふん、ふん」と鼻をならしてみせることがあったが、これについては服部も「ああいうのは平松所長のような年齢(当時、40代)の人はよくても、小野田くんのような若い者(当時、20代前半)がやったら、えらそうにしているように見えてかえってよくないかもしれない」と言っていたのだが、私が客の立場なら40代の人間がやっても特にいいとは思わないけれども、小野田くんとしては「平松所長」の物真似をしていたから正しい・・と思っていたかもしれないが、・・もしかして、その当の「平松所長」は意図的にそれをやっているつもりはなくて、その時、蓄膿症か何か鼻が悪かったので「ふふん、ふん」と鼻をならしていただけでしかなかったのものを「隣りの席に座っていた通算契約棟数ゼロ棟の小野田くん」が「なるほど、そうやるとお客さんから信頼を得られるのかあ」と思って「ふふん、ふん」と真似てみせただけ?・・・だったかもしれない( 一一) 小野田くんはそうやって鼻をならしてみせてえらそうな態度を取ることで見込客に「この人はえらい人なのだろうか」「この人はよく知っている人なのだろうか」と一瞬思わせて、そのうち、「あれ」「なんだ、新卒1年目の新人がかっこつけてえらそうにしていただけだったのか。な~んだ」と思わせるというのが作戦だったようだが、私は本家の平松さんに「構造アプローチ」を自分はこのようにやるというものを実演して見せてもらったことが一度だけあるのだが、その時には本家の平松さんは小野田くんのように「ふふん、ふん」と鼻を鳴らしてみせるとかいうことしなかった。又、「私は父親が大工でして」と実際は違うのに言うとか、そういうことも平松さんはやらなかった。服部は「ふふん、ふん」と鼻を鳴らしてみせるというのは平松さんがやっていることを小野田くんが真似ていると思っていたようだが、そうではなくて、それは小野田くんが平松さんの横で見た時に平松さんがたまたまその時、鼻が悪かったことから「ふふん、ふん」と鼻を鳴らしてことがあったのを小野田くんが勘違いしたのか、それとも、それはもともと小野田くんのオリジナルなのかどちらかだろう。平松さんは自分の隣の席に座っている「新卒入社1年目の通算契約棟数ゼロ棟の男」が自分を見て何を思っているか、という点についてもう少し関心を持って間違えて解釈していないか確認するようにした方が良心的だったかもしれない。
  小野田くんは「図面を1枚書くと20万円から30万円かかるんですよ」などと来場客に話していたが、それも結論として嘘だ。これについては、すでに[第724回]《「図面を1枚書くと20万円から30万円かかるんですよ」という「一条浜松流」の嘘八百はどこから出てきたのか。「押し相撲」の会社と「四つ相撲」の会社 ー 一条工務店の家は完璧にすばらしいの反証》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201910article_1.html で述べているので、そちらを見ていただきたい。それにしても、まあ、よく嘘をつく男だとあきれる( 一一)

  それで、結局、「集成材はムク材の1.5倍強い」という話はどこからきたものなのか。 私は今、その理由を知っている。
上村武『棟梁も学ぶ木材のはなし」(丸善)に「許容応力度」というものがでていたのだ。これだ!
棟梁も学ぶ木材のはなし - 上村 武
棟梁も学ぶ木材のはなし - 上村 武
野菜とか果物というのは、官庁としては農林水産省の管轄ですね。木材はどうかというと、これがどうも、ムク材・ムク板の場合は農林水産省だけれども、集成材・合板になると経済産業省になるらしいのです。管轄する役所が違ってくるらしいのです。
  そして、3階建て以上の建物の場合は木構造でも「構造計算」というものをやって建てないといけないことになっているのですが、その場合、それぞれの素材ごとにその太さ・その厚さのものならどれだけの強度だと考えて計算してよいと決められているものがあるのです。しかし、鉄とかだと強度をどのくらいにするというのは決めやすいのですが、木の場合は木の種類によっても強度は違うし、個体ごとに一本一本強度は異なるところが難しい点なのです。
  それで、ムク材の場合は「その数値よりも弱いものは全体の5%以下」という数値を構造計算をおこなう場合の「許容応力度」とするということになっているらしいのです。だから、大部分のムクの木材は「許容応力度」としてその樹種の木の強度として定められている数値よりも強いのですが、実際の強度よりも小さい数値をもとに構造計算をしないといけないことになっているのです。 それに対して、集成材・合板というのは、これは工業製品だと考えられており、実際の強度に近い数値を「許容応力度」としてよいことになっているようなのです。
  その結果、「集成材はムク材の1.5倍強い」というお話ができたみたいです。決して、ムクの桧なり杉なりの四寸角なり三寸五分角成りの柱を5枚にスライスして、もう一度、フエキ糊なりセメダインなりアロンアルファなりツバなり鼻くそなりで再度くっつけたら1.5倍の強度になるという話ではないのです。そのあたりのからくりを言わずに「集成材はムク材の1.5倍強い」と言いまくる住友林業(株)の営業というのは、あんまり良心的ではないように思うし、それ以上に、自分の所の会社はムク材を使用して建てているのに「集成材はムク材の1.5倍強いんですよ」と言いまくっていた(株)一条工務店の営業の小野田くんというのは、あれはいったい何なのだ? なんで、自分の所が有利にならないような話なのに、そんなことを言いまくるのだ? ・・と思うのだった。小野田くんは入社して約5か月、浜松にいて、本人が言うには浜松営業所の所長で「通算契約棟数全国2位」の平松さんの隣の席に座っていたらしく、本人の希望で東京展示場に転勤させてもらうと、「営業のやり方を教えてやる」と言いまくったのでしたが、「通算契約棟数ゼロ棟」の男が言う「営業のやり方を教えてやる」という文句をずいぶんと何度も耳にしたように思うのですが、平松さんは所長としてまず、「通算契約棟数全国2位の人間」と「通算契約棟数全国2位の人間の隣の席に座っていた通算契約棟数ゼロ棟の男」というのは別なんだ、ということを小野田くんにきっちりと教えてあげるというのが所長という役職についていた人の仕事だったのではないのか、それをできていなかったという点においては「通算契約棟数全国2位」であったとしても、その点においてはほめられたものではなかったのではないか・・・と思うが、そう思わないか?
  さらに、2008年、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の花見川ショールームの店長だった「人相と目つきが悪い田中」(男。当時、60歳)は東海住宅(株)が建てた建売住宅のホワイトスプルースの集成材の柱を指さして、「奥さん、この柱は集成材でムクの柱の1.5倍強いんですよ」などと大きな声で自信もって言っていたのだが、アホか、ホワイトスプルースの集成材の柱が桧のムク材の1.5倍強いわけないだろうが。よく言うわ( 一一)  ・・とあきれた。
  私は「集成材はムク材の1.5倍強い」と書かれたような建築構造・建築素材について研究しているような「学者」が書いた本があるのかと思って何冊もの本を読んだけれども、結局、そんなこと書いたものは見つからなかった。おそらく、誰が言いだしたのか、話の震源はというと「住友林業の営業」だと思う。震源は「住友林業の営業」で、その話を広めたのは「住友林業の営業と一条工務店の営業」でしょう。よくわからんのは、「住友林業の営業」が「集成材はムク材の1.5倍強い」という話を広めれば通し柱に集成材を使用している住友林業(株)は営業しやすくなるとして、構造材はすべてムク材を使用している(株)一条工務店の営業が小野田くんのように「集成材はムク材の1.5倍強いんですよ」と「嘘でも百回言えば真実」みたいに広めたとして、それが(株)一条工務店と(株)一条工務店の営業にとって、いったい何の利益があるのか、さっぱりわからんのだが、さっぱりわからんことを小野田くんなどはやっていたのだった( 一一)  (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はそういう「さっぱりわからん」ことする営業が大好きだった。

  三井ホーム・三菱地所ホームなどのツーバイフォー工法(枠組壁工法)では枠材(ツーバイフォー材)に合板を釘で接合して作ります。小堀住研(株)の木質パネル構法 で使用する木質パネル は工場であらかじめ枠材(ツーバイフォー材)と合板を接着剤で接合して木質パネルとして工事現場に運んでいました。いずれも、使用していたのは「合板」であってムク板ではありません。1980年代まではラワン合板を使っていることが多かったのですが、最近では北米針葉樹合板を使うのが普通になってきたようです。なぜ、ムク板ではなく合板なのか? 1990年、小堀住研(株)の東京支店の支店長の高倉さんが「ムク板ではだめなんだ」と教えてくれたのですが、最初、ムク板よりも合板の方が強いのかと思ったのですが、これもムク材と集成材の関係と似たところがあって、合板というのは「ベニヤ」と呼ばれる薄い板を何枚か貼り合わせた板であり、ムク板を何枚かにスライスして、再度、接着剤で貼りつけたからといって「1.5倍の強度になる」なんてことはないはずなのです。それなら、合板にはどういう長所があるのかというと、構造用の合板は「ベニヤ」と呼ばれる薄い板を木の目が交互になるように何枚か貼って「合板」にするので、ムク板の場合は方向性がある、力が加わった時に強い方向・弱い方向があるのに対して、合板は方向性がない、どちらの方向にも強度があって柔軟性があるという特徴があり、だから、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)や木質パネル構法で使用する構造用の板はムク板ではなく合板を使っているということらしい。

  (株)一条工務店の小野田くんなどの営業がさかんに言っていた「集成材はムク材の1.5倍強い」というお話は、建築の構造について書かれた本をどんなに読んでも、そういう話は見つからず、要するに「許容応力度」というものを考える際に、ムク材の場合は「その数値よりも弱いものは全体の5%以下」という数値を「許容応力度」とすることになっているのに対して、集成材は工業製品であることから実際の数値に近い数値を「許容応力度」とされるので、「許容応力度」で比較すると「集成材はムク材の1.5倍強い」ということになってしまうということであって、実際に使用される集成材と実際に使用されるムク材の強度を比較すると「集成材はムク材の1.5倍強い」というわけではないということであり、住友林業(株)の営業はそれを承知の上で、なんだか、実際に使用される集成材が実際に使用されるムク材の1.5倍の強度があるかのように誤解される言い方を意図的にしていて、それを真似ていたのが小野田くんら(株)一条工務店の「浜松流」営業だった、ということのようです。通し柱に集成材を使用している住友林業(株)の営業がそういう話を広めるのはまだしもわからないこともないのですが、なんで、自分の所は通し柱にも管柱にもムク材を使っている(株)一条工務店の営業の小野田くんなどが「集成材はムク材の1.5倍強いんですよ、知らないんですか、そんなことも」などと言ってそういう話を広めようとするのか、この点が摩訶不思議です。  

   私は最初に小堀住研(株)に入社して、その後、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に勤めましたが、どちらも建てている建物については、いいところはある会社だったけれども、しかし、オーナー経営者一族の姿勢というものには大いに問題があると考えざるをえない会社でした。その点で共通するものがある会社だった。1980年代後半、小堀住研(株)の新卒社員研修の際に副社長のKさんが講師役に来て話したものに「住宅建築業界は、業界は成熟している、会社は未成熟な業界だ」という話があったのですが、これはどういうことかというと、戸建住宅というものは、ひとりで何軒も建てるというものではなく、需要は急激に増えるということはなく、又、急激になくなることもなく、又、供給する会社の側もすでに相当のものが存在していて、その点で「業界は成熟している」のだが、「会社は未成熟」というのは未成熟な会社が多い業界だということだったようです。「会社は未成熟」の方の意味がその話を聞いた時はよくわからなかったのですが、住宅建築業界の会社に何社か勤めて、たしかに「未成熟な会社が多い業界」だと実感しました。なおかつ、「未成熟な会社が多い業界」であったとしても、未成熟な会社があっても比較的成熟した会社もあって良さそうに思うのですが、そうではなく全体的に未成熟な会社が多いという業界のようです。かつ、私が最初に住宅建築業の業界に入ってから何十年か経ったなら、その何十年か経ったことによって、その年数の分だけ成熟してもよさそうに思えるのですが、何十年か経ってもそれでもやっぱり「未成熟な会社が多い」業界なのです。
   しかし、それでも、「会社による違い」というものはあった。(株)一条工務店に入社して思ったのは「嘘が多い会社だなあ」ということだ。だいたい、ね。私が応募した時に見た「ビーイング」の求人広告にも、1990年代前半の(株)一条工務店のお客様に渡していたカタログにも、「関連会社:(株)一条U.S.A.(アメリカ合衆国 ポートランド)、(株)一条ヨーロッパ(スペイン バルセロナ)」と書いてあったのです。「ほ~お、東京では無名の浜松の工務店にしては、アメリカ合衆国のポートランドやスペインのバルセロナに会社を持っているのか、それだけ、進取な気質のある会社か」という印象を受けたのです・・・が、(株)一条U.S.A. というのは、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドに現地でダグラスファー(米松)を購入して現地で加工して日本に送る材木会社を持っている・・という話でしたので、そりぁたいしたもんだな・・と一瞬思ったのでした・・が、(株)一条工務店は「パブリシティー広告」集という、広告そのものではないけれども、「業界紙」などに掲載された話で(株)一条工務店について述べられたものを集めたものを印刷してお客様に配っていたのでしたが、1996年8月に「初代社長」大澄賢次郎の息子で関連会社の(株)日信の社長になっていた大澄隆史(男。当時、20代)が過去に同棲していたこともある浜松市在住の女性を刃物で刺し殺して懲役20年の刑を宣告されたという事件があった際に、「なんで、その事件を掲載した『週刊朝日』とか『アサヒ芸能』とかの記事は掲載しないの? 都合がいい記事だけ載せて都合が悪い記事は載せないてことなの?」と言われそうだと思ったからなのか、「パブリシティー広告集」の発行はやめたのですが、私は入社直後、自分の勤めている会社が出しているカタログはすべて内容を理解しておかないといけないと思って「パブリシティー広告集」も端から端まで読破したのでしたが、そこに、(株)一条工務店はアメリカ合衆国で第2位の材木会社のエビソンランバー社から梁桁材を購入していると掲載されていたのです。あれ?・・  小堀住研(株)はアメリカ合衆国で第1位の材木会社のウェアハウザー社から木質パネルの枠材(ツーバイフォー材)などを購入していると言っていたのですが、第1位の会社にしても第2位の会社にしても、アメリカ合衆国で大手の会社ですからそこから購入するのはいいでしょう。「パブリシティー広告集」では、工務店が大きくなって年間施工棟数が多くなることによるメリットとして、それまでは日本で商社を通じて購入するしかなかったものを、アメリカ合衆国の現地で現地の材木会社から直接購入できるようになった、という話で掲載されていたと思います。(株)一条工務店の工場から機械プレカットされた材木や住設機器を積んだトラックが各地の(株)一条工務店の工事現場に毎日走っていますが、そのトラックの横には「一条工務店」とでっかく書かれていますが、そのトラックを運転している運転手は(株)一条工務店の従業員ではなくて運送会社の従業員でトラックも運送会社のトラックのはずですが、運送会社は毎日、(株)一条工務店のものを運んでいるトラックにはサービスで宣伝のために横腹に「一条工務店」と書いてくれるみたいです。同様に、(株)一条工務店で使用している梁桁材には緑色のスプレーを金属製の枠の上から吹きつけて「一条工務店」と記載されているのですが、それだって、別に自分の会社でアメリカ合衆国に材木会社を持っていなくても材木会社は継続的に一定以上の量を購入してくれる相手の会社名をスプレーで吹きつけてくれるのではないか・・と考えた時、「会社」というものを造るというのはそんなに難しいわけではなくて、難しいのはそれを利益がきっちりと出るように運営していけるかどうかの問題ですから、アメリカ合衆国のポートランドに「(株)一条U.S.A.」なんて名前の会社を設立するというのは特別難しいわけでもないてことないか・・てことは、もしかして、その「(株)一条U.S.A.」てのは、アメリカ合衆国第2位の材木会社のエビソンランバー社の社屋の中に(株)一条U.S.A.の部屋が1室あるだけ・・・なんてこと、ないか・・なんかありそうな・・・。そう思って、2001年、栃木県佐野市の営業所でその話を口にしたところ、営業所長の木下(きした)が「違う、違う~う。そんなもん、1部屋なんてあるわけない~い。あっても机1つか電話1本くらいのもんだ、1部屋なんて絶対あるわけない~い♪」と言うので、この男も正直な男やなあ・・「正直でよろしい」と思ったものでした・・が、(株)一条U.S.A. なんて「そんなもの」のようです。
  (株)一条U.S.A. はまだいいとして、(株)一条ヨーロッパというのは「スペインのバルセロナに(株)一条ヨーロッパという会社を設立しまして、ヨーロッパの現地でヨーロッパ製の家具やタイルなどを購入して(株)一条工務店で建てていただくお客様向けに直輸入しています」と言っていたのです。浜松工場での工場見学会では、(株)一条工務店では大澄「初代社長」の次の役職だという業務室長の山本さん・営業本部長(その時点では「次長」)の天野隆夫さん・企画室長の鈴木さんの3人のうちの1人の鈴木室長がハンドマイク持ってお客さんにそう話していたのです。中途入社の新入社員研修でもそう教えられたのです。だから、私はてっきりそうなのだと思ってしまった。私がうかつだったのか? そうではなくて、普通、「工場見学会」で何人もの人に対して「社長の次の立場の3人のうちの1人」だという人がハンドマイク持って話せば、その話の通りだと思いませんか?  私は(株)一条工務店という会社は「高卒ばっかりの会社」でしたから、「慶應大学商学部卒」の履歴書を出して入社した私に「(株)一条ヨーロッパのバルセロナの駐在所に赴任してもらえないか」とかいうような話でもあるかと思ったりもしたのでしたが、そんな話はまったくありません。それだけではなく、その「(株)一条ヨーロッパ」という会社に誰が行ったとか誰が帰ってきたとか、そういう話もまったく聞かないのです。1990年代なかば頃、ベテランのKさんに「一条ヨーロッパという会社をバルセロナに持っていると言うけれども、バルセロナに誰が行ったとか、誰が帰ってきたとかいった話はまったく聞きませんね」と話したところ、Kさんはこう言ったのだ。「そんなもの、バルセロナに(株)一条ヨーロッパなんて会社は最初からありません」と。はあ?・・・
  「でも、『ヨーロッパ製の家具やタイルなどを直輸入するための会社として(株)一条ヨーロッパという会社を設立して駐在所をスペインのバルセロナに持っています』と言ってませんでしたか。工場見学会で鈴木室長がお客さんにハンドマイクで話していましたよね。研修でもそう教えられましたよね」と言うと、「言ってましたけれども、そんなもの、最初からありません」と言うのです。はあ~あ?
  「もしも、ないなら、そのバルセロナという地名はどこから出てきたのですか」と言うと、「だから、それは『会社を実際よりも大きく見せるために、ヨーロッパに会社を持ってることにするといいと思うが駐在所はどこにあることにするか』という話が出た時に『オリンピックがバルセロナであったからバルセロナがいいだろ』てことでバルセロナ」て、はあ~あ、何それ~え?
  「しかし、いくらなんでも、普通、そこまでやりますかあ? 実際よりもちょっとふくらませた表現をするとかならわからないこともありませんが、まったくないものを『(株)一条ヨーロッパというヨーロッパ製の家具やタイルなどを直輸入するための会社をバルセロナに持っています』なんて言いまくりますかあ? いくらなんでも、普通、そこまでやりますかあ?」と言ったところ、Kさんからこう言われたのだ。「だから、普通じゃないでしょ、この会社は。〇〇さんは(株)一条工務店に入社して何年になるんですか。まだ、普通の会社だなんて思ってたんですか?」と言われたのだ。そうか、「普通の会社」ではなかったのか・・・・(泣)
  そういえば、「ビーイング」の求人広告には「一条工務店では売れて売れて困っています。売れなくて困るなんてことは一条工務店の営業には縁がありません」だったか書いてあったと記憶しているのだが、どこがやねん、どこが!!! 「一条工務店の来場者数は他社と比べても群を抜いています」などとも書いてあったはずだが、(株)一条工務店は同業他社と比較して1展示場あたりの営業の数が多いので、π(パイ)を多くの人数で分けることになり、その労働集約型の営業体制の結果、営業1人あたりの見込客は他社よりも少ないことになっていた。さらに「一条工務店にはノルマは一切ありません」と書いてあったが、入社すると「ノルマはないがガイドラインがある」などと言われたのだ。なんじゃ、そりぁ・・・。
   (株)一条工務店の工場見学会では、「一条工務店が機械の会社と共同で開発した音の伝わり方から梁桁材の強度を調べる機械を開発し、すべての梁桁材を木口面を叩いて音の伝わり方から調べるということをやっています」と鈴木室長がハンドマイクでお客さんに話していたのだった・・・・が、そのわりに工事現場に真っ二つに割れた梁桁材が運ばれてきたりすることがあった。な~んでだ? その「音の伝わり方から強度をしらべる」というものが本当に有効であるか否かにかかわらず、そうやって検査した上で工事現場に送っていたならば、最初から完全にまっぷたつに割れたような梁を工事現場に送ったりはしないはずだと思われるのに、なんで、完全に真っ二つに割れた梁桁材が工事現場に送られてくるんだ? ・・(答え)「木口面を叩いて音の伝わり方から梁桁材の強度をしらべる」なんてのをやっているのは工場見学会の時だけの大道芸であり、普段はそんなもの、やってないから・・です。2002年、山梨県上野原市の「西東京工場」に行ってわかりました。やってないのです、そんなもの。やっていないものを、工場見学会の時限定で何十人ものお客さんの前でやって見せて、「一条工務店ではこうやって、目視以外にも機械で梁桁材の強度を調べて材木を選定しています」などと嘘を言うておったのです( 一一)
こういうものは、いい~っぱいある。これらはごくごく一部の例示であり列挙しようとするときりがない。
  2社を比べて絶対にどちらがいいか・・なんてことは簡単には言えないのですが、(株)一条工務店が小堀住研(株)と比べて良くない点としては、(株)一条工務店は「質問すると怒られる会社」という点があります。小堀住研(株)では新卒社員研修の時に講師役だったTQC推進本部営業部会の課長のMさんから
「小堀住研のカタログに書いてあることや、小堀住研の展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。
自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる」

と教えられたのです。Mさんは他の会社ではあてはまらないが小堀住研(株)ではあてはまるものとして話したのではなく、又、他の商品ならあてはまらないが小堀住研(株)のあるタイプの商品ならあてはまる話として話したのではなく、これはたいていの会社でたいていの商品についてあてはまることとして話したことで、聞いていた者もたいていの会社でたいていの商品においてあてはまる話として聞いていました。
又、「絶対にお客さんに嘘を話してはいけない。できるものはできる、できないものはできないと言わないといけない」「実際とは違うように話すようなことはしてはいけない」とも教えられたのでしたが、ところが、(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が嘘をつくのが大好きという男であり、そして、私は会社によって異なるものもあれば、たいていの会社において共通するものもあるだろうと思っていましたが、「カタログに書いてあることや、展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる」「絶対にお客さんに嘘を話してはいけない。できるものはできる、できないものはできないと言わないといけない」「実際とは違うように話すようなことはしてはいけない」というのは、これは小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも共通するものであろうと思っていたのでした・・・が、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はその逆を思っていたようでした。
  カタログに書いてあることや、展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。
自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる

というのは、これは小堀住研(株)でも(株)一条工務店においても他の会社においても共通することだと私は思っていて、この認識ができている者はこういった認識ができていない者よりも営業としてはその分だけ優れた営業であると考えるべきであるし、この認識ができていてその姿勢で取り組む者はそうでない者よりもその点において営業として優れた者だと見られるであろうと思っていたのでした・・・が、そう認識する人間というのは(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫からすると「そんなこと思うならエスバイエルに行け、おまえはあ」ということになるようだったのです。なんでやねん・・と思うのですが、その「なんでやねん」というのがそれが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男でした
  それなら、(株)一条工務店においては「カタログに書いてあることや、展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる」という認識はあてはまらないのか・・というとそうではありません。これは私が実際に(株)一条工務店の営業を約10年やって実感したものです。2001年、栃木県地域の営業社員の集まりがあり、その際、栃木県地域の営業社員は60人少々いたのですが、その時、入社の順番に座席を座らされたのでしたが私は古い方から5番目、私よりも先に入社した4人のうちの1人は工場に長くいて営業に移動した人でしたので、栃木県の営業社員の中では営業の経験年数としては私は古い方から4番目の人間でしたが、それだけの経験を踏まえた上で言わせてもらうならば、「カタログに書いてあることや、展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる」という認識はこれは(株)一条工務店においてもあてはまることです。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫さんは20代の頃に浜松で「初代社長の義理の弟」としての「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの人として、自分が「一条工務店のやり方」「一条工務店の営業」だと決めつけて、自分が「カタログに書いてあることや、展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる」と認識せずに、デタラメを来場客・見込客・契約客に話すのが好きだから、「それが一条のやり方」「それが一条工務店の営業のやり方」なんだと主張するのでした・・が、申し訳ないけれども、天野隆夫さんと私ならば私の方が「一条工務店の営業」の経験年数はずっと長いし、私は「特別扱いの営業」ではなく、その逆、「これでもかあ」というくらいに条件が悪い方の展示場でばっかり営業させられてきて「条件が悪い場所」での営業を経験して「条件がいい場所での営業」に劣らないだけの成果を石にかじりつくようにして残してきた人間なのです。その上で言います。条件のいい場所でばっかり営業させてもらってきた人は、いいかげんなことを言ってもそれでも契約してくれるようなお客さんばっかり相手にしてきたかもしれませんが、条件がいい場所でなんて(株)一条工務店では一度も営業させてもらったことがない者として言わせていただくならば、「カタログに書いてあることや、展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる」という認識は小堀住研(株)においてあてはまるだけではなく(株)一条工務店の営業においてもあてはまる指針です。私より経験のない営業本部長がデマカセで逆を言うでしょうけれども、デマカセ・デタラメはしょせんデマカセ・デタラメです。
  (株)一条工務店でカタログに書いてあるものを見て、あるいは(株)一条工務店の工事現場を見て、これはどういうことだろう・・と思うものがあった時に質問すると、
(1)「そんなこと言うならエスバイエルに行けえ!」と怒鳴りつけられ、怒られる。
(2)話をそらされて、はぐらかされる。
(3)嘘を教えられる。
この3通りでした。
(2)の例としては、1992年に(株)一条工務店に入社した年、(株)一条工務店の一番メインのカタログに「エアーフローシステム(壁体内換気)」と書いてあって、床下から壁体内を空気が通って屋根裏から出るように空気の流れができるように施工されているという図が記載されていたのです。小堀住研(株)では壁体内の結露を解消するための工夫として「壁体内換気システム」というものを特許をとっているとして「売り」にしていて、ツーバイフォー工法の建物や木質パネル構法でもミサワホームの木質パネル構法の建物や、在来木造の建物と比較して、この点で小堀住研(株)の木質パネル構法は優れているのだと言っていたのでしたが、(株)一条工務店のカタログを見ると、同様の図が描いてあったのです。一条工務店でも同様のことをやっているのか・・・と思って(株)一条工務店の工事現場に行って見たのですが、どんなに見ても、「エアーフローシステム」とか「壁体内換気」とかいったような施工がされているようには見えなかったのです。それで、東京都江東区潮見の東京展示場の《「リーダー」で主任で一級建築士の宮崎さん》(男。当時、30代前半)にそれを質問したのです。ところが「一級建築士の宮崎さん」は「お客さんに説明する時は、根太の間から空気が通って・・・」とか言うのでしたが、「お客さんに説明する時にどう話すかは自分で考えます。お客さんに説明する時にどうかではなくて、実際にどうなのでしょうか」と言ったのだが、そう言っても「一級建築士の宮崎さん」は「だから、お客さんに説明する時には」と言って、答えてくれないのでした。・・そのうち、カタログからその「エアーフローシステム(壁体内換気)」という文言と図は消え、その時になって「一級建築士の宮崎さん」はこう言ったのです。「やってないもんをカタログに乗載せてもしゃあないからな」と。結局、「やってないもん」をカタログに図を描いて「エアーフローシステム(壁体内換気)」などと書いて載せていたため、だから、「お客さんに説明する時には」ばっかり言って実際にどうなのか答えてくれなかったのでした。
(3)の例としては、1993年、松戸展示場の事務所において、営業本部長で松戸営業所長を兼任していた天野隆夫が中途入社してまだ2か月経ってない従業員に「住友林業の工事現場のゴミ箱からコンパネを拾ってきて水かぬるま湯につけてお客さんに見せるといいよ。簡単にはがれるから」と教えていたのでしたが、しかし、コンパネて水かぬるま湯につけたら簡単にはがれるかあ~あ? ・・とそれを聞いて思ったのでしたが、天野隆夫は言うと怒りますから黙っていたのでした・・が、コンパネて水かぬるま湯につけたら簡単にはがれると思いますか?
   この話を1990年代なかば、福島県いわき市の営業所にいた時に同僚に話してみたことがあったのですが、この話をしたところ、前職が「建材屋」だという人が「そんなもの、はがれるわけないじゃないですか」と言うのでした。「だいたい、コンパネて何の略か考えてみてくださいよ」と。それを聞いてベテランのKさんが「そうだ。コンパネが水やぬるま湯につけたら簡単にはがれるのなら、コンパネにならないよ」と言うのでした。「コンパネ」とは何の略かというと、「コンクリート型枠用合板」のこと、「コンクリート」の「コン」と「型枠(パネル)」の「パネル」の「パネ」をくっつけて略称として「コンパネ」と言うので、戸建住宅の基礎工事の際に枠をつくってそこにどろどろとした状態のコンクリートを流し込んで乾燥して固まったらはずす、鉄筋コンクリート造の建物で枠を作ってそこにどろどろした状態のコンクリートを流し込んで乾燥して固まったら枠をはずすというその枠が「型枠(かたわく)」であり、型枠は鉄でできて再利用するものもあるけれども、合板を使う場合もあり、その型枠に使われる合板が「コンクリート型枠用合板」で略称が「コンパネ」なのです。実際にはホームセンターなどで「コンパネ」と書かれて売られているものは、必ずしも「コンクリート型枠用」ではなくてそれ以外の用途に使われたりもしていますが、「コンパネ」はもともとの言葉の意味としては「コンクリート型枠用合板」ですから、「水かぬるま湯につけたら簡単にはがれる」ようでは水分を含んだどろどろしたコンクリートを流し込んで乾燥して固まったらはずすための「型枠」には使えないではありませんか。構造用ではなく室内で雨や水がかからない所で使用する合板には比較的簡単にはがれるようなものもあるかもしれませんが、「水かぬるま湯につけたら簡単にはがれる」ような合板ならそんなものは「コンクリート型枠用」には使えないし、そんなものを「コンパネ」とは言わないのです。よく言うよなあ・・というよりも、天野隆夫という人は、なんで、新人に嘘を教えるのかと思いました。ある程度の年数在籍している従業員に話すのなら、「この人はまったくしかたがないなあ( 一一) 」と思われるだけですむかもしれませんが、新人にそんな嘘を教えたら「この会社は嘘を従業員に教える会社なんだ」と入社1年目の従業員が会社に対して、又、その会社の仕事に対して不安を感じてしまうではありませんか。
  そして、ベテランのKさんは言うのでした。「だから、天野部長の言うことなんて聞いたらだめでしょうよ。あの人の言うことなんて聞いたらだめてわからないんですか。なにしろ、あれはアホですから。なにしろ、あれは頭が薄いんですから」と。なるほど、そういうことか・・。(株)一条工務店には「初代社長」の親戚・一族らしい従業員で「天野」という苗字の男性が2人いて、総務部長の天野雅弘を「髪が薄い天野」、営業本部長の天野隆夫を「頭が薄い天野」と従業員の間で分別されたりしていたが、そうか、「頭が薄い」からそういういいかげんなことを言うのか・・・なるほど、なるほど・・・としても、仮に「頭が薄い」としても、だからといって嘘を新人に教えなくてもいいではないかと思ったのだったが、これは「頭が薄い」かどうかとは別の問題、むしろ、相当ずるいので、「頭が薄い」どころか学歴は中卒でもその点では私なんかよりもはるかに「頭がいい」。頭ではなく心の問題・性格の問題、人柄が悪い、人間性が悪いのではないのか、「虚言癖」というのとも少し違うか、「嘘をつくのが大好き」症候群の人だった、ということでしょう。そういう人っていますね。嘘をつくのが営業上、有効だから嘘をつくのではなく、嘘をつくよりも本当のことを話した方がよっぽど営業上いいと思われるところで嘘をつかなきゃおれない症候群の人っていますでしょ。そういう人みたいです。
(1)の例としては、たとえば、(株)一条工務店では1990年代、土台材には商品名として「ボリデン」と言う「べいつが」に防腐防蟻剤を加圧注入した木材を使用していたのですが、これを研修では静岡県地域の課長だった石橋さんだったように思うのだが、「土台に関しては住友林業とか他社でも加圧注入したものを使っているけれども、一条工務店は自分の会社の工場に機械プレカットの機械と加圧注入するタンクを持っているから、だから、継手・仕口といったところを先に加工して、それから加圧注入するということができる。だから、一条工務店の場合は一番表面に一番よく注入された部分がくるのに対して、加圧注入された土台材を買ってきて使っている会社の場合は、せっかく加圧注入しても加圧注入してからプレカットするから、一番よく注入できた部分を切り落としてしまうことになる。それでは腐り・白アリの被害がでる。これをお客さんに話してください」と中途入社社員に「研修」したのです。だから、私はその話を聞いて、そうか、「加圧注入してから加工するのでは腐り・白アリにやられてしまうのか」と思い、石橋さんから言われたように見込客に話したのでした・・・・が、ところが(株)一条工務店の工事現場で見てみると、土台材に「三井木材工業」と書かれたスタンプが押されているのです。あれ?  自社で機械プレカットしてから加圧注入しているのではなかったのか? 三井木材工業が土台材として販売しているものを買って加工したものが(株)一条工務店の工事現場で土台として据えられているのか? なんで? ・・と思ったのです。そして、「研修」で「必ず、加工してから注入するという順番でないと、注入してから加工するという順番では腐り・白アリの被害に必ずやられます。お客さんにこの点を必ず話してください」と教えられたのでしたが、よく見ると、アンカーボルトの穴は加圧注入した土台材に後から工事現場で大工さんが開けているのです。「必ず、加工してから注入するという順番でないと、注入してから加工するという順番では腐り・白アリの被害に必ずやられます」と研修で「必ずお客さんに話してください」と言われたからには従業員たるもの、会社の研修で指示されたことは守らないといけませんから見込客・契約客に話します。話せば、その話を聞いた人は(株)一条工務店の建築現場を見て、気づかない人も中にはあるかもしれないけれども、「あれ、アンカーボルトの穴は注入してから開けるというのでもいいのか。腐り・白アリの被害にあうてことないのか」と思う人もいて、それを営業社員に質問する人だって出てくる可能性があるではありませんか。又、これも気づかない人もあるかもしれないけれども、「土台は他社でも加圧注入材を使っている所はありますが、それは注入した土台材を買ってきて、それから加工するのに対して、一条工務店では自社にプレカットの機械と加圧注入の設備を持っているので加工してから注入することができるという違いがあります。加工してから注入するという順番でないと必ず腐り・白アリにやられます」とお客さんに話してくださいと研修で言われたからには従業員たるもの指示に従わないと業務命令違反になってしまいますから、話します。そうすると、「〇〇さ~ん。一条工務店では加工してから注入するということでしたよねえ。土台のここに『三井木材工業』と書かれたスタンプが押されているんですけども、これって三井木材工業が加圧注入した土台材を買ってきて加工しているのと違うのですかあ。話が違うのではありませんか」と言われる危険があります。そうした時にどうしたものでしょうか? やっぱり、これは営業の職種の従業員ならば上役にあらかじめ聞いておくべきですよね。そうでないと、聞いておかずに、見込客・契約客から指摘されて「はあ」「ええ~っと」「ええ、その、あの・・」とか口ごもるわけにもいきませんよね。そうでしょ。違いますか。
  それで、私は1992年だったか1993年だったか、東京展示場(江東区潮見)に在籍していた時だったか、松戸展示場(千葉県松戸市岩瀬)に在籍していた時だったか、東京営業所長・松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫さんにこれを質問したのです。そうすると、何と言われたかというと、
「そんなこと言うなら、エスバイエルに行け、おまえはあ!」
と、そう言われたのです。・・ということは、見込客・契約客からこのような質問・指摘を受けることがあったなら、その時には
「そんなこと言うなら、エスバイエルに行け、おまえはあ!」と言えということでしょうか。そう考えるべきでしょうか。
あるいは、
「そんなこと言うなら、エスバイエルで契約しろ、おまえはあ!」と見込客に言えということと考えるべきなのでしょうか。
そうは言いましても、自分が勤めている会社が(株)一条工務店であってエスバイエル(株)ではない以上、「そんなこと言うなら、エスバイエルで契約しろ、おまえはあ!」と見込客に言うわけにはいきませんでしょ。だから、私は困ったのです。本当に困りました。
・・・(1)(2)(3)について、それぞれに例を述べましたが、これはあくまでも例示、一例でしかなく、この(1)~(3)は(株)一条工務店においては、もう本当にわんさかあった、うんとこさあったのです。
  (株)一条工務店の建物というのは決して問題点ばっかりの建物ということではなく、いいものはあるのですが、しかし、この質問すると(1)「そんなこと言うならエスバイエルに行けえ!」と怒鳴りつけられて怒ららる。(2)話をそらされて、はぐらかされる。(3)嘘を教えられる。・・この3つのどれかというのは、これは、こう言うと天野隆夫さんから怒鳴りつけられることになりますが、(株)一条工務店という会社の良くない所だと思いましたし、今もこれは良くないところだと思っています。

  その点、1980年代後半、小堀住研(株)は新卒社員研修の時に「お客さんには決して嘘を話してはいけません」と教えられたし〔(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫さんみたいなことをしてはいけません・・てことだ〕、又、「小堀住研のカタログに書いてあることや、小堀住研の展示場や工事現場を見て、これはどういうことだろうと思ったものがあったら、必ず、営業課長に質問するか、もしくは専門の担当の部署に問い合わせるか、あるいは自分自身で調べるかして、お客さんから質問される前にどういうことなのか理解しておくようにして、お客さんから質問されたら必ず答えられるようにしておかないといけない。自分がわからないことがあった時にそのままにしておいて、お客さんから質問された時に答えられなかったり、いいかげんなことを言ったりしたのでは信頼を失うことになる」という見解については、それは小堀住研(株)のいいところだったと今も思っています。
  私の場合は、もともと、「学者」になるつもりだった人間なので、他の人間よりも、いいかげんなことを教えられたくないという意識が強かったかもしれません。だから、小堀住研(株)で従業員に配布された「営業知識マニュアル」「営業トークマニュアル」といった冊子にしてもカタログにしても、そこに書かれているものについて、自分自身でその理屈を考えて納得いくものかどうか考えた上でお客様にも話していました。1980年代終わり頃から1990年頃にかけてまでの小堀住研(株)はカタログに書かれているものや営業社員に配布された「営業知識マニュアル」「営業トークマニュアル」に書かれた内容は、いくらかなりとも自分のところのものをいいように言いたいという傾向はあったとしても、決して嘘八百述べているというものはなく、その点では(株)一条工務店よりもずっと良心的だったと思われますし、私が最初に配属された松戸営業一課の課長のUさんにしても、次の松戸営業課の課長のIさんにしても質問すると嫌がらずに答えてくれましたし、決して(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫みたいに嘘を教えたり、「そんなこと言うなら××に行けえ」などと言ったりすることはありませんでした。但し、それは私が「質問すれば答えてくれる人」が課長になっている営業課に入社直後に配属されたということもあったかもしれません。同じ年に入社した松田という男は船橋展示場に配属されたけれども、船橋営業課の課長だった福沢というおっさんに『営業知識マニュアル』に書かれているものについて「これはどういう意味ですか」と質問したところ、「おまえ~え。そんな難しいこときくなあ~あ!」と言われた・・らしい(笑) だから、私がたまたま「質問すると答えてくれる人」が課長だった営業課に配属されたという面もあったかもしれない。
  それで・・・、小堀住研(株)のカタログに書かれていたものや『営業知識マニュアル』『営業セールストークマニュアル』に書かれていた内容は、科学的・論理的におかしなものというのはなく、その点では(株)一条工務店よりもずっと良心的だったのですが、ひとつだけ、そうなのだろうか? ・・と思うものがあったのです。それは、『営業セールストークマニュアル』に書かれていたもので、特に「三井ホームと競合の場合」に「三井ホームでは9mmの合板を使っているのに、小堀住研ではどうして6mmの合板を使っているのですか」と質問された場合についての文章でした。
  2つのことが書かれていたのです。
[1] ひとつは、「合板の厚さだけで強度が決まるわけではありません。ツーバイフォー工法(枠組壁工法)では、枠材(ツーバイフォー材)と合板を釘で接合しますが、釘による接合の場合、接合する力は釘の付近に集中するのに対して、小堀住研の木質パネルは枠材(ツーバイフォー材)と合板を工場で接着剤で接合しており、接着剤による接合の方が釘による接合よりも密に接着することができるだけでなく、接着剤による接合では、釘による接合の場合には釘の周囲に力が集中するのとは違って、枠材と合板の接合面全体に力が加わる、接合面全体で接合することができるという長所があるのです」というものでした。↓ これはわかります。
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↑ 私なども「接着剤による接合」というと子供の頃プラモデルを作るのにセメダインでくっつけた時、なかなか思うようにくっつかず、それに対して木工で釘で打つと頑丈にくっついた記憶があるので、どうも、接着剤よりも釘の方が接合が強そうな印象があったのですが、接着剤にもいろいろなものがあり、小堀住研(株)の木質パネルは工場で枠材と合板を温度などを管理した上で接合していたということでした。そして、釘による接合は釘の周囲に力が集中するのに対して、接着剤による接合は接合面全体で接合することになるというのもわかります。だから、三井ホームは9mmの合板を使っていて、小堀住研(株)の木質パネル構法では6mmの合板を使っていたとしても、合板と枠材との接合力という点では小堀住研(株)のものの方が強力で、かつ、枠組壁工法(ツーバイフォー工法)の釘による接合は工事現場での施工であるのに対して、小堀住研(株)の木質パネルの枠材と合板の接合は工場で接合しているので作業にバラツキがないという長所がある、ということでした。
[2] 私が、これはどうなのだろうと思ったのは、接着剤で接合した場合、6mmの厚さの合板を枠材(ツーバイフォー材)に接合すると、合板は耐力壁として6mmの厚さそのものが威力を発揮するのに対して、釘による接合の場合はそうではなく、釘の頭よりも下の部分の合板しか耐力壁としては力を発揮しない、たとえ、9mmの合板を使用してもツーバイフォー工法(枠組壁工法)では釘による接合なので実際に耐力壁としては9mm分の力は発揮しないため、だから、6mmの合板そのものが力を発揮する接着剤で接合している小堀住研(株)の木質パネル構法に比べて、三井ホームなどツーバイフォー工法(枠組壁工法)の建物というのはそれよりも厚い合板を使用しないと同じだけの力は期待できないのだ、だから、小堀住研の木質パネル構法では合板に6mmのものを使っていて三井ホームのツーバイフォー工法(枠組壁工法)では9mmの合板を使っていても決して6mmの合板を接着剤で接合している小堀住研の建物は9mmの合板を釘で打ちつけている三井ホームの建物よりも弱いということはない、というのです。↓
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この点についてだけは、どうなのだろうなあ・・・と思ったのです。
[3] 小堀住研(株)の木質パネル構法では6mmの合板を使っていて、三井ホームのツーバイフォー工法(枠組壁工法)では9mmの合板を使っているけれども、6mmの合板を使っていても小堀住研の木質パネル構法は9mmの合板を使っている三井ホームのツーバイフォー工法(枠組壁工法)よりも弱いということはない、という理由はもうひとつあって、それは松戸営業課の課長だったUさんが教えてくれた話ですが、かつて、多摩川の洪水があって多くの家が流されたのだけれども、その際に高い場所からそれを見ていた人がいて、最初に在来木造(軸組構法)の家がバラバラッと柱・梁が分かれて流されていった。次にツーバイフォー工法(枠踏壁工法)の家が面ごとに解体されて流されていった。その後、ミサワホームの木質パネル構法の家が箱の状態でサイコロが転がるように流されていった。結局、どれも流されてしまったのだけれども、ミサワホームの木質パネル構法の家は「箱」の状態で転がっていった。最終的には流されてしまったのだけれども、「箱」の状態で転がったのであり、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)の建物は「面」の状態に解体されたのに対して、木質パネル構法の家は「箱」の状態でとどまったのであり、ミサワホームの木質パネル構法の家にしても小堀住研(株)の木質パネル構法の家にしても「箱」の状態になるように作られていて、その多摩川の洪水の際にもツーバイフォー工法(枠組壁工法)の家が「面」に解体されたのに対して木質パネル構法の家は「箱」の状態にとどまったというように、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)のものよりもより堅固な「箱」なのだ、というのです。だから、小堀住研(株)の木質パネル構法の家は壁面についてはツーバイフォー工法(枠組壁工法)と似たところがあるけれども、まったく同じではなくツーバイフォー工法(枠組壁工法)のものよりも堅固に「箱」になっているもので、小堀住研の木質パネル構法と三井ホームのツーバイフォー工法(枠組壁工法)とは単に枠材(ツーバイフォー材)と合板の接合を釘ではなく接着剤でおこなっているという違いだけではなく、部屋ごとに「箱」にして家全体を「箱」にすることで全体として力を発揮できるようにするという構法であって、小堀住研の木質パネル構法と三井ホームのツーバイフォー工法は壁面を見ると似た部分もあっても異なる構法であり、異なる構法のものをある部分だけ比較してどちらが厚いものを使っているかを見て論じてもあまり意味はない、使用する合板はともかく厚ければ厚い方がいいというものでもなく、6mmの合板というのは、この構法にとって最適な厚さと考えて使っているのだ、というのです。・・まあ、厚ければ厚いほどいいというものではないということもあるのでしょうけれども、必要ないところでより厚いものを使えば、そこで不必要な経費をかけては経済性が悪くなるということもあるかもしれませんね。
   それで、この「接着剤で接合した場合、6mmの厚さの合板を枠材(ツーバイフォー材)に接合すると、合板は耐力壁として6mmの厚さそのものが威力を発揮するのに対して、釘による接合の場合はそうではなく、釘の頭よりも下の部分の合板しか耐力壁としては力を発揮しない」という理論については、私はそうであるのかないのか、どうもよくわからなかったのです。なんか、ありそうななさそうな話のように思えたのです。
   建築の構造について書かれた本を読んでも、この点について書かれたものを見つけることができず、誰かに尋ねても的確に答えてくれる人に出会えず、どうなのだろうとずっと考え続けてきたのでしたが、1992年、(株)一条工務店に入社して1年目、私より何か月か後で入社してきた「工務店の息子」で前職に 大成パルコン(大成建設のコンクリート造の戸建住宅)に勤めていた「建築専門学校卒」だという土屋(男。当時、20代前半)が、この「接着剤で接合した場合、6mmの厚さの合板を枠材(ツーバイフォー材)に接合すると、合板は耐力壁として6mmの厚さそのものが威力を発揮するのに対して、釘による接合の場合はそうではなく、釘の頭よりも下の部分の合板しか耐力壁としては力を発揮しない」という理屈について、「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないなんて、ふざけたこと言いよるのお。ははは~あ」と言って笑うので、「建築専門学校卒」の人間がそう言うのなら、その「建築専門学校」でそうではないと教えられてきたのかと思ったのでした・・・が、どうやら、そうではなく、土屋も「接着剤で接合した場合、6mmの厚さの合板を枠材(ツーバイフォー材)に接合すると、合板は耐力壁として6mmの厚さそのものが威力を発揮するのに対して、釘による接合の場合はそうではなく、釘の頭よりも下の部分の合板しか耐力壁としては力を発揮しない」のかどうか、まったく知らないにもかかわらず、「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないなんて、ふざけたこと言いよるのお。ははは~あ」などと言っていたようでした( 一一)  ・・誤解している人がいますが「建築専門学校卒」なんて「そんなもの」ですからね。「建築専門学校卒」なんて「そんなもの」で、「工務店の息子」てのも「そんなもの」だったのだ。
  私は専門学校というのは学歴ではないと思っていたのです。私も住宅建築業の業界に勤めて(株)一条工務店の営業本部長からインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われて上役から取ってくれと言われたなら取らなきゃならないと思って大変な努力と工夫をしてやっと通ったのでしたが、その際にハウジングエージェンシーのインテリアコーディネーター試験対策の講座に出たりしました。自己啓発として「フリーハンドパース講習会」なんてのにも出ました。「専門学校」というのはそういうものなのだろうと思っていたのです。もしくは大学受験の際、予備校というのは行かなきゃならないものではなく「宅浪」という方法もあるのですが予備校に行く人もいます。「予備校」というのは「専門学校」の一種だと思っている人がいますが私もそう思っていたのです・・がそういうものとは少し違うみたいなのです。少し違うのはいいとしても、住宅建築業の会社に勤めると自称「建築専門学校卒」の人間というのが「学校でてますから」とか主張し、自分たちは「大卒」と同じ処遇を受ける権利があると主張するのです・・が、同時に都合が悪くなると「ぼくは高卒なんだから、そんなこと言われてもわかるわけがない」とか言いだします。いったい、「建築専門学校」というのは「学歴」だと言いたいのか「学歴」ではないと言いたいのか、自分を高く評価してもらおうとする時には「建築専門学校卒」だと言い、かつ、「建築専門学校卒」は「4年制大学の建築学科卒」と同等だと主張し、片方で都合が悪くなると「建築専門学校」は学歴ではないので自分は「高卒」だ、「ぼくは高卒なんだから、そんなものわかるわけがない」といって責任を免除されて当然だという主張をする・・という人が「建築専門学校卒」の人には大変多い。
  私は(株)一条工務店を離れた後、2010年代、愛知産業大学の通信課程の建築学科に入学させてもらったのですが、愛知産業大学の建築学科は「造形学部建築学科」で、日本の大学の建築学科には「理工学部系の建築学科」と「美術学部・芸術学部系の建築学科」があり、どちらの学部にあっても建築学科なのだから一緒かというとそうではなく、「工学部・理工学部にある建築学科」はデザイン・意匠についてもやるけれども理工学分野の比重が大きく、「美術学部・芸術学部にある建築学科」は理工学分野もやるけれどもデザイン・意匠についての比重が大きいらしく〔慶應大の経済学部と商学部との違いとして、経済学部は商業学・経営学・会計学なども扱うが経済学の比重が大きく、商学部は経済学も扱うが商業学・経営学・会計学などの方の比重が大きい、というのと似ているか・・〕、愛知産業大学の建築学科は「造形学部建築学科」で「美術学部・芸術学部系の建築学科」なのでデザイン・意匠の方の比重が大きくて理工学分野は比較的比重が小さい方の建築学科で、「建築構造学1」とか「建築構造力学1」といった科目のテキストというのは工業高校の建築学科のテキストと同じものでした。その「建築構造力学1」という科目では「力のモーメント」なんてものを扱っていたのですが、こういうものは普通科の高校では扱わないのかというとそうではなくて、普通科の高校では「物理1」「物理2」という科目で「力のモーメント」というものは扱っていたのです。そして、早稲田大の理工学部の入試は「数学1~3・物理1~2・化学1~2・英語」で早稲田大の法学部・政治経済学部・商学部・文学部の入試は「英語・国語と社会科が1科目(日本史か世界史のどちらかだったか、地理A・地理B・政治経済もあったか)」で、早稲田大の法学部・政治経済学部・商学部・文学部は数学・理科の勉強をまったくしていない人でも受けて合格できたのですが、旧帝大系国立大学の法学部・経済学部・商学部・文学部といった学部に進学したいという場合、入学試験には「英語・国語・社会科2科目だけでなく、数学1~2B・理科が物理1・化学1・生物1・地学1から2科目」と学習して受けないと合格させてもらえませんし、私が卒業した北野高校では入試にどの科目を選択するかにかかわらず、物理・化学・生物・地学の4科目とも学習していましたから、物理についても工業高校の建築学科卒の人間なんかよりも、「物理1・物理2」はよっぽど熱心に学習していたのです。それにもかかわらず、住宅建築業の会社においては「力のモーメント」についてにしても、「物理1・物理2」で学んだ普通科の高校を卒業して旧帝大系国立大学に行ったか行けずに早慶あたりに行ったかの人間に対しては「学歴なし」の評価にして、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間とか「入試なんか最初からない建築専門学校卒」の人間には「学校でてるから」という評価にしてしまうということがあり、これはどう考えてもおかしい・・とずっと思ってきたのですが、建築業界においてはこの状況は簡単には変わらないようです。そして、同時に「建築専門学校卒」の人間が片方で自分を高く評価してもらおうという時には「建築専門学校卒」は「4年制大学の建築学科卒」と同等だと主張し、他方で都合が悪くなると「ぼくは高卒なんだから、そんなものわかるわけがない」と「建築専門学校」は学歴ではないから「高卒」で「高卒」は何事であれ責任免除される当然の権利があるという主張をするのです。「建築専門学校卒」の人間というのは、どう考えても ずっこいと思いませんか?・・「建築専門学校」なんて「そんなもの」なのです・・・が、1992年、(株)一条工務店の東京展示場(江東区潮見)において、「建築専門学校卒」だという土屋(男。当時、20代前半)があまりにも自信持った口のきき方で「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないなんて、ふざけたこと言いよるのお。笑わせよるのお。ははは~あ」と言うので、それで、そうなのか、「建築専門学校」でそう教えられたのか・・と一時は思ってしまったのでした。
   しかし、違ったようです。ついに見つけたのです。「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないので、接着剤の接合の場合は合板の耐力壁は合板の厚さそのものを強度として考えることができるが、釘による接合の場合は釘の頭よりも下の部分のみしか強度を考えることはできない」と書かれたものを。
  2010年代、愛知産業大学の通信課程の造形学部建築学科に入学させってもらい、「建築構造力学1」だったか「建築構造学1」だったかのスクーリングの際に構造計算をする時のためという内容のテキスト、一般に市販されている本だけれども、その本すべてを読破するところまでは求めないというところから、一部分をコピーしてもらったのだが、そこにあったのです。「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分の厚みだけしか耐力壁として役立たないので、耐力壁の壁倍率を考える際には、接着剤による接合の場合は合板の耐力壁は合板の厚さそのものを強度として考えることができるが、釘による接合の場合は釘の頭よりも下の部分の厚みのみしか強度を考えることはできない」というのは、これは小堀住研(株)の誰かがセールストークとしてデマカセ言っていたのではなく、又、特定のハウスメーカー・工務店が自社のものをアピールするためにカタログに書いたようなものではなく、☆☆大学建築学科教授 とかそういう肩書の人が一般向けに出版している建築構造学の本に書かれているもので、建築の構造について学んでいる人の間で一般に言われているものだったのです。土屋くんが「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないなんて、ふざけたこと言いよるのお。おもろいこと言いよるのお。ははは~あ」と言って大笑いしていたその態度こそが「ふざけたこと」だったのです。「建築専門学校卒」というのは「そんなもの」で、「工務店の息子」てのも「そんなもの」だと十分に認識できていなかったというのは愚かでした。
  但し、ホームセンターの釘の売り場で売られている釘を見ると、↓
DSC02245.JPG
↑ 釘には打ちこむ下側が斜めになっていて上側が平らで、打ちこむと表面が打ちこんだ側の木材の表面とツライチになるようになっている釘(上図の左)と、釘の上側が丸みを帯びていて、釘の下側の方が平らで、打ち込むと打ち込む側の木材の表面の上に釘の頭が位置するようになっている釘(上図の右)があるよう見えます。「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないので、接着剤の接合の場合は合板の耐力壁は合板の厚さそのものを強度として考えることができるが、釘による接合の場合は釘の頭よりも下の部分のみしか強度を考えることはできない」というのは、これは理屈からいって上図の左、打ち込んだ時に釘の頭の上側が打ちこんだ木材の表面とツライチになるようにできた釘の場合(上図の左)の話で、釘の頭が打ちこむ木材の表面より上に残るようにできている釘の場合(上図の右)には、このような釘を使用した場合には合板の厚さの分だけが耐力壁としての力を持つのではないでしょうか。
  しかし、ツーバイフォー工法(枠組壁工法)においては合板の外側に「防水透湿シート」(外側からの雨水の内部への侵入は防ぎ、内部の湿気が外に流れるのは通すという意味のシート)を貼り、さらにその外側にサイディング壁を貼るなりしますから、合板の外側はツライチになっている方が施工はしやすいはずで、合板と枠材は合板の表面にツライチになるように釘は打ち込むように(上図の左側のように)なっていたのではないか。
  いずれにしても、「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないので、接着剤の接合の場合は合板の耐力壁は合板の厚さそのものを強度として考えることができるが、釘による接合の場合は釘の頭よりも下の部分のみしか強度を考えることはできない」という理屈を、自分自身が「建築専門学校」の授業でそれは違うと教えられたわけでもないのに「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないなんて、ふざけたこと言いよるのお。笑わせよるのお。ははは~あ」などと言うようないいかげんな人間の言うことを「建築専門学校卒」で「工務店の息子」の言うことだから、彼はそういう問題について知っていて言っているのか?・・などとアホなことを考えた私が愚かだった。・・要反省。
  (株)一条工務店の浜松の営業所(展示場)で「通算契約棟数全国2位」だった浜松営業所長の平松さんの隣の席に座っていたという「通算契約棟数ゼロ棟」の小野田くん(男。当時、20代前半)は、自分の希望をきいてもらって1992年8月に東京展示場に転勤してきたのでしたが、さすがに私などは10歳以上、小野田くんよりも年上でしたから「営業のやり方を教えてやる」とはそれほど言いませんでしたが、土屋くんは「建築専門学校卒」で大成パルコンに入社して、その後に(株)一条工務店に転職してきた人で、たしか小野田くんと同年齢だったと思うのですが、自分と同年齢だと思うからか、土屋くんには「通算契約棟数ゼロ棟の小野田くん」は「営業のやり方を教えてやる」と大きな声で何度も言っていて、土屋くんの方は不快感を感じているような顔をしていたのを覚えています。不快感を覚えて当然ですし、営業というのは「人の気持ちを理解すること」であると考えるなら、当然のことながら小野田くんの態度というのは反営業的態度であるとも言えます。私は浜松営業所長だった平松さんには平松さんがやっている「構造アプローチ」はどういうものか実演して見せてもらって教えてもらったことが一度だけあり、親切に教えてもらったと思っており、又、「一条オリジナル」の営業でも名古屋南営業所の近藤ローオさんなどは「一条工務店の工事現場に行ったら、いい所ばっかり見る。同業他社の工事現場に行ったら、悪い所ばっかり見る。そういうように見ないといけない。もしも、一条工務店の工事現場で問題点があったら、その時はなかったことにする。そのように見ると、一条工務店の建物はすばらしいということになる。そうしないといけない」などと「研修」で教えるので、「なんだ、こいつ」とも思ったし、そもそも、そんな見方をするなら、どんな会社のどんな建物だって「すばらしい」ということになってしまうではないか。何より、近藤ローオさんが「一条工務店の工事現場で問題点があったら、なかったことにする」なんてことをしても、見込客・契約客は「なかったことに」してくれないと思いますよ。むしろ、(株)一条工務店のその営業担当者が「問題点があるのに『なかったことにする』という態度をとった」という事実を見込客・契約客は認識して、「なんだ、こいつ」と思うでしょう。
  それに対して、「一条オリジナル」の営業でも平松さんの場合は近藤ローオさんとは違って、「一条工務店の建物というのは、何も『胡散臭い工務店』『技術力の劣る零細工務店』とか『建売の木造住宅』とかとの比較でではなくて、住友林業と比較しても、東日本ハウスと比較しても、一条よりも大手で知名度があって年間施工棟数が多い会社との比較でも決して劣るものではないから。それは俺に尋ねるのではなくて、自分自身でそうであるかないか、実際に一条の建物の建築現場と他社の建物の建築現場に自分で行って見比べてみるんだ。そうして、実際に一条の建物が他社の建物と比べてどうなのか、自分自身で見て考えるんだ」と言ってくれたのだが、そのあたりは近藤ローオさんなどとは雲泥の違いで良心的なものだった・・と思うのだが、しかし、小野田くんに対しては「『通算契約棟数全国2位の人間』の隣の席に座っていたとしても、『通算契約棟数全国2位の人間』と『通算契約棟数全国2位の人間の隣りの席に座っていた通算契約棟数ゼロ棟の人間』は違うんだよ」ということを、もっときっちりと教えてあげないといけない。それを教えることができなかったという点においては営業所長として高い評価はできない。野村克也じいさんは森 祇晶(もり まさあき)に「清原をあんなにしたのは、おまえやぞお」と言ってやったというのだが、「小野田くんをあんなにしたのは、おまえやぞお」と平松さんは言われてもその部分については文句は言えないのではないかな。野村が「清原をあんなにしたのはおまえやぞ」と言ったら、森が「俺じゃないよ」と言ったそうで、「それじゃ、誰なんだ」と野村は言ったとどこやらで書いておったが、もしかすると平松さんも「俺じゃないよ」と言うかもしれないが、「それじゃ、誰なんだ」ということになる。
  私が(株)一条工務店に応募した時に見た「ビーイング」の求人広告には「転勤はありません」と書かれていたが、私は「慶應大学商学部卒」と記載した履歴書を提出して入社するからには「総合職」「全国社員」として採用されるか不採用にされるかであって、「一般職」「地域限定社員」としての採用は希望しても存在しないと考えていたので、当然、「総合職」「全国社員」として採用されたと認識していた。それゆえに「一般職」で入社した人よりも大変な思いをすることがあってもしかたがないし、「全国社員」として入社したからには転勤もしかたがないと考えていた。それに対して、「通算契約棟数ゼロ棟の小野田くん」はどういう理由で1992年8月に浜松の営業所から東京営業所に転勤してきたかというと、新卒入社で入社したけれども、元々から浜松の人間だったわけではなくて東京の人間だったらしく、「彼女」が浜松では嫌だと言うので会社を辞めようとしたところ(おいおい、新卒入社で入ってそんなに簡単に辞めるのかよお・・( 一一) )、営業本部長の天野隆夫が「それなら東京展示場に転勤させてあげよう」と言って小野田くんと「彼女」の事情のために東京展示場に転勤させた・・ということだった・・ということは、小野田くんは「地域限定社員」ということだ。そうなりますでしょ。普通に考えて、新卒入社して何か月かで、それまで育った所と違った所に勤務してくれと言われたからといって、そんなことで辞めるかあ~あ・・、そんな「大卒」があるかあ~あ・・と思ったのだが、今は「そんな大卒」があるのだ。そんなのを「大卒」と言うのかあ?・・と思ったが、そんなのを「大卒」と言う「大卒」があるのだ。その「地域限定社員の小野田くん」が東京展示場の事務所で「俺は新卒入社だから、成績残さなくても出世させてもらえるんだあ」と口にするのを何度も聞いたが、小野田くんがどうかはさておき、(株)一条工務店という会社は新卒入社の人間を中途入社の人間と差別する会社であり、成績残していないのに、なぜか優遇されている新卒入社従業員というのが現実にいた。(株)一条工務店の「初代社長」の大澄賢次郎が「新卒入社の人間は、会社での扱いが良くないと大学の後輩に話が伝わるから、だから、大事にしないといけない。その点、中途入社の人間はそんなことないから、だから、求人広告はどんどんだして中途入社の人間は片っ端から辞めさせろお!」と叫んでいたというのだが、そうなのか? 中途入社で入った人間というのは、そんなものを承諾して入社したのではないはずだぞ。又、そういうことならば、だ。新卒入社で配属したやつには、それに見合った対応をしてやった方がよかったということにもなる。
  まず、とりあえず、私は「総合職」「全国社員」として入社したと認識していたので、そのため、入社2年目に福島県いわき市の営業所に赴任してくれと言われれば転勤に応じて行ったし、入社7年目に栃木県佐野市の営業所に行ってくれと言われれば赴任したのだが、会社というものは「全国社員」として勤務してきた者はそれだけ負担をかぶってきているのだから、小野田くんのような「地域限定社員」よりも優遇されるのは当然のことだ。いわき市の営業所に勤務していた時に来場した方で三菱樹脂だったか三菱系の会社に勤めていた人から聞いた話では、そこの会社では「全国社員」と「地域限定社員」を入社時に希望を出せるそうで、入社後1度だけ他に変更したいという希望をきいてもらえるらしいが、「全国社員」は全国どこにでも転勤は断れないのに対し、「地域限定社員」は転勤はないことはないが一定の地域内での転勤に限られるということで、そのかわり、昇進は「全国社員」は「地域限定社員」の倍で給与もそれに見合って倍くらいのものが支払われると言う話だった。これは「十大国立大学(旧帝大系国立大学+東京工大・一橋大・神戸大)+早慶」卒の人は「全国社員」で「高卒か五流大学卒の人は地域限定社員」といったことではなく、それまでの経歴・学歴とは別に本人の希望で「全国社員」か「地域限定社員」を選べるという話だった。「倍」なら「全国社員」の方が良さそうにも聞こえるが、福島県などでは家に田畑がある人があり、そういう人にとっては「地域限定社員」ならその会社に勤めながら兼業農家を続けられるというメリットがあった。そうしたもので、会社のために負担を払って転勤する者はそれに応じた処遇を受けるのが当然であるはずだったが、ところが、私は逆にそういった(株)一条工務店の会社の側の要望をきいてきたことから「こいつは何でも言うことをきく人間だ」と(株)一条工務店のオーナー経営者一族から思われてしまった、なめられてしまったようだ。そういうものではないのだが、(株)一条工務店のオーナー経営者というのはその程度のことも理解できない能タリン・脳タリンの経営者だったようだ。(株)一条工務店は小野田くんには「地域限定社員」としての勤務を認めておいて、その「地域限定社員」で新卒入社1年目の小野田くんが「俺は新卒入社だから、成績あげなくても昇進させてもらえるんだあ」などと叫んでいたのだったが、営業本部長で東京営業所長を兼任していた天野隆夫は「そういうことを言ってもらっては困ります」と注意するべきものではないかと思ったのだが、この男にはそういう能力は欠落していたようだ。
  ・・又、新卒入社従業員には自分たちは中途入社従業員に対して特権的立場にあると理由のない特権意識を持っている従業員がいたようだが、そのあたりを考えるならば、そういう意識を持っているらしい新卒入社従業員、特に設計部配属の従業員に対しては「相互主義の原則」で対応するようにした方が良かったかもしれないと今になって思ったりしている。会社の仲間だと勘違いして好意的な態度をとってしまった。失敗した。

  さて、それで。 「集成材はムク材の1.5倍の強度がある」というお話は、これは「住友林業の営業が作って、住友林業の営業と一条工務店の営業が広めた””都市伝説”” 」であって正しくない話であったが、「釘を使って接合したら釘の頭より下の部分だけしか耐力壁として役立たないので、接着剤の接合の場合は合板の耐力壁は合板の厚さそのものを強度として考えることができるが、釘による接合の場合は釘の頭よりも下の部分のみしか強度を考えることはできない」というのは、これは特定のハウスメーカーとか工務店が自社の建物をいいように言うために作り上げた話ではなく、「☆☆大学建築学科教授」とかいうような肩書の人が一般の書物として出版社から発行している本に書かれている話であり、これは「都市伝説」というようなものではなく、ともかくも、そういうものだと考えていい話だったようです。
  大阪府箕面市の箕面山瀧安寺https://www.ryuanji.org/ と 広島県の宮島の厳島神社https://www.itsukushimajinja.jp/index.html 、滋賀県の琵琶湖の竹生島の竹生島神社http://www.chikubusima.or.jp/ 、神奈川県藤沢市の江ノ島神社http://enoshimajinja.or.jp/ の4つで「日本四弁天」と言う・・・というのは誰が言った話かというと、瀧安寺で言っているのだと思いますが、全国的知名度としては一番有名な寺社は広島県の厳島神社で、次に有名なのは関西では竹生島神社、東京圏では江ノ島神社で、箕面山瀧安寺は他の3つに比べると全国的知名度は低いでしょうけれども、しかし、弁財天の由来については箕面山瀧安寺の方がほかの3社よりも本来的・正統的なくらいであり、その点で「日本四弁天のひとつ」と言っておかしなことはない、と思います。
  「日本で紅葉の名所というと、京都の高雄(たかお)と大阪の箕面(みのお)」というのは、これは誰が言ったのか・・というと、どうも、うちの父親だったらしい・・( 一一)  あのおっさんやったんか・・・・と思ったが、しかし、
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↑ この写真など見ても、「大阪の箕面(みのお)」を「紅葉の名所」というのは何らおかしなことではなく、誰が言ったかはこの際、関係なく「日本で」まではともかく、「関西で紅葉の名所というと、京都の高雄(たかお)と大阪の箕面(みのお)」と言っていいと思います。まあ、ほかにも「紅葉の名所」はあるけれどもね・・。
   ついでに、「日本の会社で、上場してない三大いい会社」というのは竹中工務店とヤンマーディーゼルとうちの父親の勤め先の会社だ・・・とうちの父親は言うておったのだけれども、それは誰が言った話なのか・・・というと、社長だそうだった。「ああ、そうですか」・・・と心の中で言っておこう。まあ、私はその会社からおっさんがもらった給料で食べさせてもらって成人したんだけれどもね。

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↑ 箕面川の東岸側の境内地から瑞雲橋の方に降りる坂の向こうに見える鳳凰閣。 この角度で見る鳳凰閣も周囲の紅葉と調和してなかなかきれい。

  ・・ということで、次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html は、鳳凰閣の東側の枯山水などについて述べることにしたいと思います。

  瀧安寺HP の「特別拝観」https://www.ryuanji.org/haikan によると、2023年(令和5年)4~5月のゴールデンウイークでは、
4月29日(土) 〜 5月6日(土) 
の期間、「特別拝観」させてもらえるようです。

  大阪府箕面市の 箕面山(みのおさん) 瀧安寺(りゅうあんじ) は、
本山修験宗〔何年か前は天台宗に属していたと思ったが、今は本山修験宗らしい。〕
「日本四弁天のひとつ」
「(阪急宝塚線)西国七福神 の 弁財天」(弁天堂)で、
「紅葉の名所というと、京都の高雄(たかお)と 大阪の箕面(みのお)」
付近は「名勝 箕面公園」
「明治の森箕面国定公園」・・・
武田五一設計の鳳凰閣は国登録有形文化財、
と思っていたが、《ウィキペディアー瀧安寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%AE%89%E5%AF%BA を見ると、
摂津国八十八箇所第55番(観音堂)
摂津国三十三箇所第21番(観音堂)
でもあるらしい。
  瀧安寺は役行者(えんのぎょうじゃ)〔役小角(えんのおづぬ)〕が箕面の滝で修行をして弁財天の助けを得て悟りを開いたという箕面の滝の近くの施設が発祥で、瀧安寺の近くの箕面の山には役行者(役小角)がそこから雲に乗って中国まで飛んでいったという「天上か(てんじょうか)」という場所があるという所で、役行者(えんのぎょうじゃ)(役小角 えんのおづぬ)と関係のある寺だが、「役行者霊蹟札所(えんのぎょうじゃれいせきふだしょ)」には入っているかと思ったが、《ウィキペディアー役行者霊蹟札所(えんのぎょうじゃれいせきふだしょ)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E8%A1%8C%E8%80%85%E9%9C%8A%E8%B9%9F%E6%9C%AD%E6%89%80 を見ると、瀧安寺はこれには入っていないらしい。

  (2023.5.1.)

☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷きの踏込式・「敷込袋」・落とし掛けのみの床脇 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ著色が周囲と調和。西・南・東より見て。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。〔今回〕
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html

☆ 箕面山 聖天宮 西江寺1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

※ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html

※ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html

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