瀧安寺と鳳凰閣【13/13】箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。浜口雄幸狙撃と安倍晋三銃撃は意味合いが違う。統一教会・倫理研究所などの迷惑な「宗教右翼」を何とかしてくれ。

[第991回]
  大阪府箕面市の箕面山瀧安寺 の鳳凰閣 の東側に「枯山水」があります。↓
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  瀧安寺HP 「特別拝観」https://www.ryuanji.org/haikan には、
《 枯山水
昭和初期、箕面山の龍神信仰に基づいて考案されました。》
と書かれています。「昭和初期」というと、
大正14年(1925年)
 「ひどく不合理(1925)、治安維持法」
昭和1年(1926年)
昭和4年(1929年)
 「ひどく 憎い(1929)、世界大恐慌」
昭和5~7年(1929~1931年)浜口雄幸内閣
昭和5年(1930年)
  浜口雄幸首相、東京駅にて右翼団体 愛国者 構成員により狙撃される。
昭和6年(1931年)
 「人、苦、災(1931)、満州事変」
・・といった時期になります。
  「枯山水」とはいっても、京都あたりのお寺で見る枯山水とは少し違い、箕面川の渓谷を石で表現したというものらしい。箕面川(みのおがわ)を龍にたとえて表現しているそうです。↓
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  よく見ると、これが何で、ここがどのあたり・・とわかります。
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↑  右は圓満殿。

  「箕面の滝」というと、多くの人が訪ねる「箕面大滝」を思い浮かべますが、係員のおじさんから聞いた話によると、あれは「雌滝(めだき)」だそうで、その少し上流にもうひとつ「雄滝(おだき)」があるらしい。京都の知恩院には西側の三門から御影堂・阿弥陀堂などがあるエリアへ登る石段に「男坂」と「女坂」があり、男坂は急な石段で女坂の方が緩やかでのぼり降りしやすい。〔知恩院HP「知恩院にお参りしよう」https://www.chion-in.or.jp/about/worship.php 「男坂・女坂」〕、東京の文京区の湯島天神の「男坂」「女坂」は降りる方向が違うが、男坂の方が段数が多く、女坂の方が少ない。〔湯島天神HP 「境内案内図」https://www.yushimatenjin.or.jp/pc/keidai/keidai.htm 〕 それに対して、「箕面の滝」の場合は「雌滝(めだき)」が大きく、「雄滝(おだき)」はそれよりも滝の規模は小さいようだ。 阪急「箕面」駅から「箕面大滝」に歩いていく人は、多くが「雌滝」の所までいって休憩して帰ることが多いようだが、一度、その少し上流にあるという「雄滝」にも行ってみたいと思う。


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  鳳凰閣・圓満殿のある箕面川東岸のエリアから坂道を下って瑞雲橋の方へ行きます。
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↑ 瑞雲橋の東側から見た 箕面川の西岸・観音堂付近です。 これまで、箕面川の西岸側から東岸側を見ることはあっても、東岸側から西岸側を見ることはできなかったのですが、東岸側から見た西岸側もなかなかいいと思います。又、西岸側にいると観音堂の南面はよく見えても、東面はあまり見る機会がないのに対して、瑞雲橋の東側から見ると観音堂の東面がよく見えます。

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↑ 一番低い所が箕面川、その左(西)が滝道、滝道の左側(西側)の石垣の上が瀧安寺の観音堂などがあるエリアで見えている建物が観音堂。右側の石垣の上が箕面川の東岸の鳳凰閣・圓満殿などがあるエリア。滝道は「緊急車両」(パトカー・消防車・救急車)以外は車輛通行禁止。
※ 瀧安寺HP https://www.ryuanji.org/
ウィキペディアー瀧安寺 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%AE%89%E5%AF%BA

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↑ 箕面川。
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↑ 箕面川と滝道。

  阪急 箕面線「箕面」駅と瀧安寺との間にある 「故森秀次君之像」↓
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↑ の字を書いたという浜口雄幸は、総理大臣として何をやったかよりも東京駅で右翼から狙撃されて死亡した人としての方が良く知られている。
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浜口雄幸 はまぐち おさち  1870~1931 大蔵省から政界に入り蔵相・内相をへて、1929年首相。1930年右翼の襲撃をうけ、負傷し間もなく死去。民政党総裁。
浜口内閣 1929~31 民政党内閣。財政緊縮・産業合理化、金解禁を実施。協調外交を方針とし、ロンドン海軍軍縮条約を調印。統帥権干犯問題で首相が右翼に狙撃され、負傷、総辞職。
(全国歴史教育研究協議会編『新版 日本史用語集』1975.2.28.山川出版社)
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《 1930年(昭和5年)11月14日、午前8時58分、・・・「燕」の1号車に向かって第4ホームを移動中、愛国社社員の佐郷屋留雄に至近距離から銃撃された。銃撃された濱口は周囲に大丈夫だと声を掛けるなど、気丈で意識ははっきりとしていたが、弾丸は骨盤を砕いていた。・・・・
濱口の死因に関しては、後日濱口が放線菌の保有者であり、その細菌が傷口に侵入して化膿したことによる症状の悪化であると判明したため、犯人である佐郷屋の裁判では、被告の罪状が殺人罪と殺人未遂罪のどちらが適用されるべきか大いに紛糾した。・・》
 ( ウィキペディアー浜口雄幸 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E9%9B%84%E5%B9%B8 )
  2022年7月8日に安倍晋三が奈良市の近鉄「西大寺」駅近くで銃殺された事件について、西大寺駅近くの事件現場に記念碑を建てようとしている人たちがいるとインターネット上でのニュースで見た。安倍晋三銃殺について、過去の総理大臣などの狙撃事件と同様のものとして記念碑を建てようとする人がいるようだが、その人たちの行動・態度は許すべきものではないであろう過去の総理大臣や政治家を狙撃したり刺殺したりした事件というのは、多くが右翼団体などにより政治家の命を狙うことによって政治を動かそうとするものであった。それに対して、安倍晋三が2022年7月に西大寺駅近くにて銃撃されたのは、そういう性質のものとは異なる。安倍晋三が総理大臣であった間におこなった政治の内容については、これは賛否両論あるとしても、銃撃した人は別に銃撃することによって政治を変えようとしていたのではない。そうではなく、統一教会による被害を受けていた人であり、《「統一教会と深い関わりがある人間」としての安倍晋三》を銃撃したのであって、元総理大臣・政治家としての安倍晋三を銃撃することで政治を動かそうとしたわけではない。だから、この安倍晋三が近鉄「西大寺」駅近くで銃殺された事件は過去の浜口雄幸が狙撃された事件などとは性質が異なるものであり、政治家を狙撃することで政治を動かそうとした過去の事件と同様のものであるかのように誤認させることを目的に大仰な記念碑を建てようとする人というのは、事実関係を誤認させようと考えていると考えるしかない。
  統一教会その他、「宗教右翼」と言われる団体との関わりがある議員・政治家は、おのれの態度がそれで良いのかどうか、再度、よく考えてみる必要がある
  安倍晋三は総理大臣を長く勤めた者であるから、統一教会によって苦しめられてきた人たち、その人たちが何とかしたいと思ってもどうもできずにきたということについては責任があるはずだ。だから、銃撃していいかどうかという問題はあるとしても、政治家として、統一教会その他の「宗教右翼」と言われる団体のおかげで困っている人間のために何ら対処しなかった、という点については総理大臣を勤めた者としては、その点についてはマイナスの評価を受けざるをえないものであろう。

  青木 慧『パソコン追跡 勝共連合』(1985.10.25.汐文社)には、勝共連合=国際統一神霊協会=原理研究会 と関係がある人名が何人も出ている。
《 これら自民党と中曽根首相や財界とも連動して、勝共連合とも連動して、勝共連合とアカデミーなどの関係者は、マスコミ各社で経営陣と組み、浸透を図っている。そして、かれらは《左翼偏向》どころか、香山健一流にいえば、政治権力の中曽根自民党政権と経済権力を握る財界などと一体で、《新聞権力》やマスコミ《権力》を構成しつつある。その核になっているのが、勝共連合などの関係者であり、新聞各社での彼らの浸透状況の一端をみておこう。
  《新聞権力》をめざすサンケイ新聞を率いてきたのは、鹿内信隆 前社長(取締役主幹)である。彼自身が「たたかう日経連」の専務理事としてならし、いまは「財界マスコミ将軍」の異名をもつ。彼は、社外のタカ派執筆陣を勝共連合関係者などで組織。サンケイ新聞社は、アカデミー学際研究会議の後援団体になった。社内でも論説委員と編集委員を中心に、13人が勝共連合とアカデミーなどの関係者である。・・・》
《  日本経済新聞の場合は、一般にはほとんどが知られていないが、サンケイにもひけをとらない。中曽根首相に近い中川順テレビ東京社長は、日経の編集局長・電波担当常務取締役などをつとめた。日経でも論説委員、編集委員を中心に13人が、勝共連合とアカデミーなどの関係者。・・・》
《  サンケイ、日経についでいるのが、《新聞権力》をめざして急旋回の読売新聞である。中曽根首相身辺の渡辺恒雄専務・論説委員長をはじめ、7人が勝共連合とアカデミーなどの関係者。編集局次長の山本和郎もFFツアーの夕食会に出席。元警視庁クラブのキャップで新聞監査委員の河村好市、外信部の浜崎紘一らがアカデミー機関紙執筆。調査研究本部の原孝文は80年代ビジョンの会にかかわる。・・》
( 「第3章 《スパイ》摘発・マスコミ攻撃の狂気」)
  青木 慧『パソコン追跡 勝共連合』(1985.10.25.汐文社)「DB1 130大学の関係教授一覧」には、慶應大学の教員では、
石川忠雄(学長・塾長)・加藤寛(教授)・気賀健三(名誉教授)・沢田充茂(名誉教授)・白井浩司(名誉教授・フランス文学)・中村勝範(法学部教授)・牧野融(理工学部助教授)など16名の名前が出ている。
  青木 慧『パソコン追跡 勝共連合』(1985.10.25.汐文社)「DB3 800人の関係者名簿ー所属組織と動向」には、
《 石川忠雄 慶應大学学長・塾長、臨教審会長代理、文化会議理事/勝共=『知識』84年夏季号「今の教育論議に欠けるもの」執筆/逆流=米日財団理事、平和・安保研究所理事、自由言論委員会委員、言論人懇話会同人、国策研究会会員。》
《 白井浩司 慶應大名誉教授。自由主義会議会員/勝共=スパイ防止法制定促進国民会議運営委員、アカデミー会員。『知識』に「改憲のすすめ」(26号)、「日本ペンの体質」(84年秋季号)、「『転落』の邦訳について」(85年2月号)など執筆。》
《 中村勝範 慶應大法学部教授。自由主義会議会員、民社研理事/勝共=『思想新聞』に「日共主催の『反核国際シンポ』を斬る」(85年7月28日、8月4日)執筆。》
《 牧野融 慶應大理工学部助教授/勝共=アカデミー理事。松下正寿『文鮮民』など出版記念会(84年5月16日)発起人。》
・・などが掲載されている。中村 勝範 法学部政治学科教授は慶應大学では「右翼教授」として有名で、1980年代、慶應大学の日吉キャンパスの第2校舎の壁には「中村勝範囲 死ね!」と書かれていたが、何年か前に行って見ると、第二校舎は内部の壁も塗装をやりなおしたようで消されていた。白井浩司教授はサルトルの翻訳者として知られるが、誤訳が多いとも言われるようで白井浩司訳のサルトルの著書を読むと「あれ?」というものがあったりする。政治学科の中村勝範教授などは課題だとして中村勝範『正論自由 赤い国の人々の呻き声を聞け』(扶桑社)などという本を読んで要約せよ・・などという課題を出し「要約が課題であって、批判や反論は一切述べてはならない」などと課題の掲示には書かれていたが、生協書籍部でその本が平積みされている前で「なんで、俺たち、こんな本なんか読まされなければならないんだよお」とつぶやいている男がいたのを見たことがあるが、私もそう思う。それに対して、牧野融助教授は日吉キャンパスでの一般教養の「地学」を担当していて〔「まきち(牧 地)」と言われていた〕、講義の内容は特に「右翼教授」という印象を受けることはなかった。
  これらの人は青木慧『タカ派知識人 組織と人脈500人』(1983.11.30.汐文社)の登場人物ともかなりの度合いで重複する。
《 平和問題研究会と同様に、いやそれよりも一歩早く、「土光臨調のような”天の声”がほしい」と動き出した、中曽根首相の”私的諮問機関”がある。83年6月14二値に発足した 文化と教育に関する懇談会である。文教懇とか教育懇などと略称され、教育臨調とも呼ばれている。
・・・
▷座長◁
井深大(ソニー名誉会長)・・・
▷座長代理◁
天城 勲(放送教育開発センター所長)
▷委員◁
石川忠雄(いしかわ ただお)(慶應大学塾長) 同学長、理事長でもある。日本私立大学連盟会長、大学設置審議会会長。猪木正道元防衛大学長、高坂正堯ら総合安保グループや元自衛隊高官らの平和・安保研究所の理事をつとめ、「戦没者追悼の日」懇談会座長でもある。マスコミの「偏向」なるものを攻撃して右傾化を仕掛ける言論人懇話会 同人、自由言論委員会 委員で、自らも「朝日新聞はアカだから読まない」と公言。財界文化人らの日本文化会議の理事で、中曽根政権がスタートしたとき、その機関紙『文化会議』
(83年1月)の巻頭言「中曽根内閣に『国民』が期待するもの」を書く。そこでもマスコミのロッキード事件・政治倫理問題の報道を《独善》《政治キャンペーンである》と攻撃し、自らは中曽根内閣の《政策的志向と実行力》に《期待》し、こんどは中曽根から《期待》され登用となった。
・・・・・ 》
《 日本自由主義会議の結成は、二階堂幹事長がいうように自民党にとって「画期的で、ありがたい」だけでなく、ある意味で国民にとっても「ありがたい」ことである。なぜなら、「国民の声」「天の声」を偽装している《侍女》たちが総結集したことで、その素性がわかってきたからだ。・・・
・・・
  だが、前記の役員、発起人らの組織と人脈を通じて、他の会員も組織されたのであり、その会員たちがまた《一人につき》何人といった《侍女》の組織化をすすめるであろう。ここでは、役員、発起人ではないが、有力メンバーを中心にその会員たちもみておく。
・・・
白井浩司(慶應大学教授) 世界平和教授アカデミー会員で機関紙『知識』(26号)に《改憲のすすめ》。スパイ防止法制定促進国民会議運営委員。
・・
中村勝範(慶應大学教授) 『自由新報』長期連載「策動する共産勢力」の執筆陣で、《偽善的で無力な反核運動》(83年7月12日)など反共デマづくり。民社研理事で《がんばれ! 民社党》の自民・民社両党支援。企業の偽装労組づくりの労務屋講師。》
この「日本自由主義会議」の《役員、発起人ではないが、有力メンバーを中心にその会員たち》の中には、慶應大学の三田での「憲法」の講師で、「憲法」という名前の講義を担当しながら、憲法についての基本的な内容を講義するのではなく、「憲法」という名称の講義で右翼からの改憲の「主張」を学生に聞かせようということをしていた、大学の「憲法」の講師といいながら実際は竹村健一と変わらんではないか、こんな人の「講義」など聞いても不快指数が上昇するだけと思われた 小林昭三(こばやし しょうぞう)講師の名前も出ている。
《 小林 昭三(こばやし しょうぞう)(早稲田大学教授) 臨調で参与を勤めた。《憲法の戦後役割は一段落した》(『改革者』82年1月)と改憲主張。》
憲法学についての話を一通りするのではなく竹村健一とたいして変わらん程度の低い「改憲」の主張を1年間通して聞かされそうで、こんな人の話なんか聞いても不快指数が上昇するだけで得るものは何もないと思えたので、慶應大学の商学部では「憲法」は選択科目だったが最初の1回目だけ話を聞いてこの人の「憲法」は履修するのはやめた。あんなものは「憲法」の講義ではない。早稲田大学教授で慶應大学では講師だったようだ。早稲田大学では「野人(やじん)」などと言っているが、こんなのが「野人」ならばおもろい野人もあったもんだ( 一一) ウィキペディアー小林昭三 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%98%AD%E4%B8%89 によると、早稲田大学の法学部ではなく政治経済学部卒で2020年1月24日に92歳で亡くなったらしい。
  白井浩司 教授は「自由人権委員会」常任委員・「自由言論委員会」委員・「日本自由主義会議」会員で「世界平和教授アカデミー」会員らしい。《 世界平和教授アカデミー(せかいへいわきょうじゅアカデミー、英語: Professors World Peace Academy; PWPA)は世界基督教統一神霊協会(統一教会)と人的・資金的につながりのある学者・文化人組織。1974年9月28日設立。初代会長は松下正寿。本部は東京都新宿区新宿。機関誌『世界平和研究』『知識』を発行。統一教会のダミー組織の1つと考えられている。》(ウィキペディアー世界平和教授アカデミー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%95%99%E6%8E%88%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC )
  愛知県の出身で京大卒の漫画家の何とかさんが書いていたが、その人の高校のある先生はエンゲルスの『空想から科学へ(の社会主義の発展)』が名著だと思っておられたそうで、それはいいが、「倫理社会」の先生なのか「政治経済」なのか「世界史」の先生なのかわからんが、1年間、最初から最後まで『空想から科学へ(の社会主義の発展)』ばかり話してその授業は終わった・・と書いておったが、その先生が名著だと思う本について話をするのは悪くないとは思うけれども、それはやりすぎだと思うのだ。「高校の先生」と「大学の先生」ならば「大学の先生」の方が許容されるところがあるとは思うが、しかし、中村勝範教授のように中村勝範著『正論自由 赤い国の人々の嘆き声を聞け』(扶桑社)なんておのれが書いた本を読んで要約せよ、批判や反論は一切述べてはならない・・て、それは勝手すぎると思うのだ。「学問の自由」と「教授の身勝手」は同じではないと思うのだ。社会科学の分野の古典と言われるような本を読んで「要約せよ。今回は要約が課題であって批判や反論は述べないこととする」というのは悪くないと思うが、時事問題について自分が書いて出版したばかりの本を読んで「要約せよ。批判や反論は一切述べてはならない」というのはいかんだろう。時事問題について自分が書いた本を読めと言うなら、当然のことながら批判や反論もまた述べよと言うべきであり、かつて、慶應大学の塾長だった小泉信三のゼミに後に日本共産党議長になる野坂参三がいたそうで、小泉信三に「あなたとは考えが違うのではありませんか」と言ったところ、「そんなことは何の関係もない。たとえ自分と考えが違う人でも優秀な者は優秀だと認めるべきだ」と語ったというのだが、たとえ、自分が述べた物に批判・反論を述べられても、その内容が優秀なものは高く評価するべきであろう。そういうことを考えると、たとえ、資本制経済を守る側の主張の人であっても小泉信三と中村勝範では性質・体質が大きく違う。小林昭三 講師(早稲田大教授)は結局、法学部卒ではない人が日本国憲法は改めるべきだとぐっちゃらぐっちゃら言いまくるというものを「憲法」の講義だと主張していたのだが、「倫理社会」なのか「政治経済」なのかの授業で1年間かけて『空想から科学への社会主義の発展』について話すよりもよっぽどたちが悪い。憲法学について一通りのことを講義として述べた上で、改憲問題についての自分の考えも時として述べるならともかく、1年間、日本国憲法は改めるべきだという竹村健一と変わらんような話を1年間、学生に聞かせるというのは、これも1年間、『空想から科学への社会主義の発展』についてばかり話をするよりも問題がありそうに思えるのだ。それは「憲法」の授業ではなくて、「法学部卒でもない人の勝手な講釈」と違うのだろうか。・・その点、「まきち」(牧野の地学)は地学についての「普通の講義」だった。すばらしい・・?
  青木慧『タカ派知識人 組織と人脈』(1983.11.30.汐文社)には、
《 気賀(健三)は、教科書キラーとして、その検定に当たっただけでなく、教育労働運動にもその手をつけ、さきにみた教科書正常化国民会議の会長ともなった。そして、ここにみられるように、マスコミ・キラーとして、言論人らのなかから彼のいう《自由》の敵を排除、撲滅するために、この言論軍団の中核的存在となっている。
  言論軍団の第二の代表的人物として、加藤寛をみる。彼は一覧にあげた七団体(「自由人権委員会」「自由言論委員会」「言論人懇話会」「日本自由主義会議」「日本文化会議」「世界平和教授アカデミー」「民主社会主義研究会議」)のうち(「自由言論委員会」以外の)六団体にかかわっている。彼は慶應大学経済学部に在学中、気賀の門下生で、今日まで恩師・気賀の教えどおりに活躍している。ついでにいえば、同門の原豊らもこの言論軍団に顔を並べている。また、学長の石川忠雄をはじめ、石川に買われて慶大教授になった神谷不二に親韓派の白井浩司、右翼の故中村菊男教授のまな弟子、中村勝範、国際勝共連合系の村松 暎(むらまつ えい)ら慶應大学のタカ派グループがここに顔をそろえている。慶應大学では、彼らタカ派グループが、良識派を排除し、いまや福沢諭吉の精神もどこへやら・・・という実状にある。ペンを型どった校章は、「ペンは剣よりも強し」のシンボルだが、剣がペンを制圧しつつある。・・》
と書かれているが、たしかに慶應はそんなところがあったと思う。《彼らタカ派グループが、良識派を排除し、・・》という「良識派」の方が「慶應リベラル」を名乗るのならまだいいのだが、「タカ派グループ」が「リベラル」を名乗って「良識派」を「ラディカル」と罵る・・というのが慶應では日常化しているように思えた。
  《 学長の石川忠雄をはじめ、石川に買われて慶大教授になった神谷不二に親韓派の白井浩司、右翼の故中村菊男教授のまな弟子、中村勝範、国際勝共連合系の村松 暎(むらまつ えい)ら慶應大学のタカ派グループがここに顔をそろえている。》として名前が出ている法学部政治学科の神谷不二 教授のゼミ出身が「夜の(報道)番組」に「オヤジ殺しの緑」と言われて登場していた宮崎緑。《ウィキペディアー宮崎緑》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E7%B7%91 にも《湘南白百合学園小学校、横浜国立大学教育学部附属鎌倉中学校、神奈川県立湘南高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院法学研究科修了(法学修士)。指導教員は神谷不二。》と出ている。ウィキペディアの写真を見ると、宮崎緑も歳いったな・・て感じがする。

  国際統一神霊協会=勝共連合=原理研究会 は警察ともつながりがあるようで、青木 慧『パソコン追跡 勝共連合』(1985.10.25.汐文社)「DB2 関係者が中心の団体ー関係役員一覧」には、
《 警察官友の会 《勝共連合》と《文鮮民様の使徒》を名乗る人物が、《警察はおれたちの味方だ》といっていたが、その友の会である。《国民と警察官の理解・親睦を深める》ことをうたい、防犯運動や警察署、派出所の慰問などを行っている。会長以下、役員の中心は、勝共連合などとの関係者が大半を占める。そのインチキ商売も安泰というわけか。
・・・岸信介(会長)、・・・細川隆元(常任理事)。 
 新日本協議会  《協力なる自衛琿の建設》や《教育とマスコミの偏向是正》、《靖国神社国家護持》などをうたう、右翼団体の連合組織。彼らは《大韓民国との友好連帯》をも掲げ、日本を《吸収融合》する勝共連合などとの関係者とも一体化しているその役員の中心にその関係者がずらりと顔をそろえている。・・・ 》
パソコン追跡勝共連合 (1985年)
パソコン追跡勝共連合 (1985年)
タカ派知識人―組織と人脈500人 (1984年) (同時代叢書) - 青木 慧
タカ派知識人―組織と人脈500人 (1984年) (同時代叢書) - 青木 慧
政労使秘団―組織と人脈 (1983年) (同時代叢書) - 青木 慧
政労使秘団―組織と人脈 (1983年) (同時代叢書) - 青木 慧
  青木 慧『パソコン追跡 勝共連合』(1985.10.25.汐文社)「DB3 800人の関係者名簿ー所属組織と動向」には、安倍晋三の祖父の岸信介の名前もある。
《 岸信介 自民党最高顧問。元首相/勝共=第七回世界言論人会議名誉議長。世界勝共大会名誉顧問(72年)、「希望の日」晩さん会名誉会長。勝共連合結成発起人(68年)、スパイ防止法制定議員有識者懇会長/逆流=自主憲法期成議員同盟会長、自主憲法制定国民会議会長。》
  1959年(昭和34年)、東京都杉並区の善福寺川で20代の女性の他殺体が発見された、英国航空ステュワーデス殺人事件〔BOACスチュワーデス殺人事件(ビーオーエーシースチュワーデスさつじんじけん)〕という事件があり、サレジオ会というカトリック系の修道会の30代の神父が最有力容疑者として「極めて黒に近い灰色」と考えられたが警察の本格的な捜査が入る一歩手前でサレジオ会は当該神父を国外脱出させて捜査を妨害した。その際、総理大臣であったのが安倍晋三の祖父の岸信介だったが、岸信介は「たかが女の一人、殺されたくらいのことで」と発言したというのだ。・・もし、その発言を2022年の安倍晋三殺害事件に適用するならば「たかが安倍晋三の一人、殺されたくらいのことで」ということになるであろう。奈良市の近鉄「西大寺」駅近くの事件現場に大仰な記念碑を建てようという人たちは、このBOACスチュワーデス殺人事件で殺された女性のことを考えたことがあるか? この女性の遺体が発見された場所なり最寄駅駅前なりに、この事件についての記念碑が立っているか?  安倍晋三の命と単に元保育士で英国航空のステュワーデスになっていた女性の命とでは命の価値が違うと言うのか? そのあたりのことも考えてみる必要があるはずだ。
※ 《ウィキペディアーBOACスチュワーデス殺人事件》https://ja.wikipedia.org/wiki/BOAC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%B9%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
  最有力容疑者・極めて黒に近い灰色と見られた神父の所属したサレジオ会はカトリック系の修道会で今も存在し、東京都のJR中央線・東京メトロ丸の内線「四谷」駅の少し北には「ドン・ボスコ社」という系列のサレジオ会の系統の売店が営業しており、サレジオ会の系統の学校は日本にいくつもあって、たとえば最近進学成績を伸ばしている大阪市天王寺区の大阪星光学院高校・中学校はサレジオ会の経営で、被害者の女性が保育士として勤めていた保育園は今も杉並区にあるようだ。安倍晋三なら殺されたら大ごとだが元保育士でステュワーデスの女性が殺されても「たかが女が一人殺されたくらいのことで」ということになるのか? 
松本清張は『黒い福音』(新潮文庫)でこの事件を名称を変えて「小説」という形で描いているが、事実関係は小説で描かれている内容に近いのではないか。
黒い福音 (新潮文庫) - 清張, 松本
黒い福音 (新潮文庫) - 清張, 松本
  青木 慧『パソコン追跡 勝共連合』(1985.10.25.汐文社)「DB3 800人の関係者名簿ー所属組織と動向」には、安倍晋三が所属する「派」の議員としては、福田赳夫の名前も出ている。
《 福田赳夫 自民党衆院議員。元首相/勝共=第七回世界言論人会議(84年11月19~23日)メッセージ「平和への良識の声を世界に」。スパイ防止法制定議員有識者顧問。「希望の日」晩餐会(74年5月7日)参加。》

  とりあえず、生稲晃子は次回の選挙では絶対に落選させないとだめだ。

  阪急「箕面」駅から滝道を箕面大滝や瀧安寺の方へ向かい、スパーガーデンのエレベーターがある所や取水場を過ぎて、一の橋の手前、聖天宮西江寺の方からの道が合流する手前の所に「わしは親孝行やねんぞお」「わしを親孝行な方やと言うてほめろよ、わかっとんのんか」「わしのように親孝行せえよお、親孝行、親孝行、親孝行」という像が建っている元A級戦犯・船舶振興会会長の笹川良一もまた、青木 慧『パソコン追跡 勝共連合』(1985.10.25.汐文社)の「DB3 800人の関係者名簿ー所属組織と動向」に名前があがっている。
《 笹川良一 日本船舶振興会会長、元国粋大衆党総裁・A級戦犯/勝共=勝共連合結成発起人・結成時名誉会長。
「勝共連合結成発起人・結成時名誉会長」だそうだ。
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( ↑ 大阪府箕面市 箕面滝道の 元A級戦犯・元船舶振興会会長 笹川良一《「わしは親孝行やねんぞお」「わしを親孝行なお方と言うてほめろよ」「わしのように親孝行せえよお」の像》 )

  統一教会もそうだが、倫理研究所=倫理法人会 をあれを何とかしてほしい。倫理研究所(=倫理法人会)は戦前戦中の「ひとのみち」の後身で、戦後、「ひとのみち」がPL教団と実践倫理宏正会と倫理研究所(=倫理法人会)の3つに分かれたうちの1つだ。PL教団・実践倫理宏正会は宗教法人になっているのに対して、倫理研究所(=倫理法人会)はあえて宗教法人にならないで、「倫理研究所は宗教ではないんです。倫理の団体なんです。宗教ならば強制してはいけませんが、倫理を教えてあげてやってあげようと言っているんです。宗教ではなく倫理の団体ですから社長の命令で強制していいんです」などという詭弁で従業員に週休日に「社長が倫理研究所の丸山敏秋先生に親孝行を教えてもらいなさいと命令しているんだあ。社長の命令をきけんのかあ」などと言って「研修会」に参加させるという手口を使っている団体である・・が「太陽を拝みなさい」とかいうのが「宗教であるわけないじゃないですか」などと言うのだが、きっちり宗教であろう。よく言うわ、バカ言ってんじゃないわ♪
  2011年~2013年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも2013年11月に正式に倒産〕の社長の長谷川新二が倫理研究所(=倫理法人会)にはまり、すでにシャッター閉めの状態の会社の郵便受けに、田沼たかし (千葉県議会議員)から郵便が来ていた。又、長谷川の机の上には倫理研究所(=倫理法人会)から推薦された右翼議員として民主党内右翼で「民主党をぶっ壊す」と本当にぶっ壊した前原誠司のチラシが乗っていた。倫理研究所(=倫理法人会)の集会には、当時、千葉市長で現在、千葉県知事の熊谷俊人が参加していた。熊谷俊人は前回の千葉県知事選挙においては圧勝したが、私に給与未払いで踏み倒して倒産した会社からカネをもらっていた倫理研究所(=倫理法人会)に顔を出していた・・ということは倫理研究所(=倫理法人会)からカネをもらっていたということか? 給与未払いの会社・労基法違反の会社・私の私物まで持ち去った窃盗罪犯人の会社からカネをもらっていた可能性が考えられるのが千葉県知事の熊谷俊人である。少し前、船橋市議会議員選挙の際には、「無所属」だという神田広栄という市会議員が熊谷俊人のポスターを選挙事務所に貼っていて今も同ビルには熊谷俊人のポスターが複数枚貼られているのだが、私に払うべき給与未払いの上、私の私物まで持ち去った泥棒の会社からカネをもらっていた倫理研究所(=倫理法人会)からカネをもらっていた可能性が十分に考えられる、カネをもらっていたという証拠を握っているわけではないが、千葉県知事の熊谷俊人は現実に倫理研究所(=倫理法人会)の集会に顔を出していたのであり、その熊谷俊人と関係があるとアピールしたいということで選挙事務所に熊谷俊人のポスターを貼っていたのが船橋市議会議員の神田広栄(ひろえい)である。神田広栄は警察とのつながりがあることを自身のホームページで公開しており、靖国神社へ一緒に行きましょうと住人に誘いかけている男であり、そのあたりに関連がありそうなニオイがしている。神田広栄の選挙事務所の壁・窓には神田広栄は立憲民主党の公認をもらっていないはずなのに「立憲民主党 野田佳彦」「素志貫徹 立憲民主党 野田佳彦」と書かれたポスターが何枚も貼られていたし今も貼られているのだが、立憲民主党は公認を与えていない人間で、かつ立憲民主党の姿勢と相入れないと思われる者が選挙事務所に「立憲民主党 野田佳彦」「素志貫徹 立憲民主党 野田佳彦」と書かれたポスターを貼っているのを容認していてよいのだろうか。極めて疑問に思う。
日本会議とは何か: 「憲法改正」に突き進むカルト集団 (合同ブックレット) - 聰, 上杉
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日本会議の正体 (平凡社新書) - 青木理
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  倫理研究所(=倫理法人会)は右翼議員を「推薦」して、その議員に投票してくださいと指示をするが、普通に考えてある程度以上の年齢になった者は、誰に投票するかは自分自身で考えて決めるものであり、誰に投票するかを誰かに決めてもらおうと思う人というのは、その点において精神的に未成熟な人と考えるべきであろう。もっとも、「心理学」は逆を言う可能性が大きいだろうけれども、私は誰がいいか悪いか、それは投票する人が自分自身で考えて決めるべきものであり、誰か人から決められることを好む人格というのは、それは人間として本来的ではないと言うべきであろう。倫理研究所(=倫理法人会)はその本来的でないことを中小零細企業のオーナー経営者を通じて従業員にさせようとする団体であり、その点において反社会的勢力と言うべきものであろう。
  宗教にも、「価値がある宗教」と「カルトの宗教」があり、その違いはどこにあるかというと、何年か前、ある新聞に書かれていた見解として、「価値がある宗教」はたとえばキリスト教では「モーセの十戒」とか「山上に垂訓」であるとか、基本的な物事の考え方について、「汝殺すなかれ」「汝、姦淫するなかれ」といったことを、こうあるべきだと述べることはあっても、その上で、それぞれの人が人生を生きるにおいて、それぞれの問題をどう判断するかはそれぞれの個人が自分自身で考えて決めることであるのに対して、「カルトの宗教」はそうではなく個々の問題をどうしろと指示し命令するという点が違うというのです。「価値がある宗教」と「カルトの宗教」との違いについてのひとつの見解として考えることができるかもしれません。倫理研究所(=倫理法人会)は「太陽を(アマテラスオオミカミだとして)拝みなさい」と教えて、かつ、それを「社長が太陽を拝みなさいと命令してるんだあ。社長の命令がきけんのかあ」と「業務命令」だとして命令するのですが、当然、そんなものは「業務」ではないから「業務命令」ではありませんが、「太陽を拝みなさい」というのが宗教でないわけないのですが、同時に倫理研究所(=倫理法人会)は「宗教を強制したならば信教の自由の侵害になりますが、倫理研究所はあくまでも倫理・道徳の団体であって宗教ではないんです。ですから、信教の自由の侵害ではないのです」などとカマトト言って従業員に強制するというのを常套手段としている団体、そういう反倫理的な行動を日常にしている団体ですが、「宗教の団体」にせよ「倫理の団体」にせよ、たとえば、政治家には自分自身の考えをきっちりと持っている人になってもらうべきだとか、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)とまでいかなくても、ある程度以上倫理的で清廉な人になってもらうべきだとかいった意見を述べるならば、それは「宗教の団体」「倫理の団体」としてわからないこともないのですが、そうではなく、この人に投票してくださいとはっきりと固有名詞を出して投票すべき人というのを指定してきますから、ですから、その点において倫理研究所(=倫理法人会)は「価値がある宗教」の方の傾向を持つ団体ではなくカルトの方の傾向を持つ団体だと考えるべきではないでしょうか。・・こういうことは、ちょっと言っただけでも、わかる人はすぐにわかるのですが、わからん人は相当言ってあげてもわからんみたいで、そういう人をわからせようとしても簡単ではなさそうですけれどもね・・・。

  箕面川にかかる橋は、夫婦橋・一の橋から、浄水場の所の橋、スパーガーデンに登るエレベーターの所の橋の下流に、かつては「つるや」という観光旅館に至る橋があったが、何年前からか「観光旅館 つるや」はなくなって「ネバーランド 箕面潤水館」というマンションになった。その下流側の橋が中衛橋(なかゑはし)で、↓
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↑ このあたりの紅葉もきれい・・だが、これは一般の民家の樹木であり、箕面川もこのあたりから下流は「普通の川」になる。
  景観法第19条に基づく「景観重要建造物」に箕面市で河鹿荘・橋本亭とともに指定されているらしい高橋家住宅 は中衛橋の南の徳尾橋から南に箕面川の西岸を徳尾橋の南側の仰箕橋〔水色で、鉄人28号みたいにピベットがいくつもついている鉄骨の橋。現地には橋の名前が見当たらないが地図には「仰箕橋」と書かれている。〕まで歩くと箕面川の対岸(東岸)に見える。南面は仰箕橋から箕面駅の方に向かう道から見える。河鹿荘や橋本亭とは違って一般の民家で今も住まれているのではないかと思うので、あまりじろじろ見るべきものではないと思うが、徳尾橋から仰箕橋までの間の箕面川の対岸(西岸)の道、及び仰箕橋から箕面駅への間の道を歩けば普通に視野に入るから、我が家だって我が家の前の道を歩いている人から見えるのだからそれと同様に普通に視野の中に入って見えるものは見えて悪いということはないだろう・・と思う・・。
※ 箕面市HP 景観重要建造物について https://www.city.minoh.lg.jp/machi/keikan/jyuuyoukennzoubutu.html
  (2023.5.3.)

  仰箕橋は「鉄人28号」で見られたポツポツ、「リベット」というのが見られる鉄骨の橋 ↓
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最近の建築では鉄人28号で見られる「リベット」はあまり見られず、かわりに「ハイテンションボルト」(高力ボルト)というものが使われることが多いようだ。
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↑ は北大阪急行電鉄の「箕面萱野」駅(予定)のすぐ南あたり。これは「ハイテンションボルト」(高力ボルト)と考えていいのではないか。
東京の近代建築―建築構造入門 - 江口 敏彦
東京の近代建築―建築構造入門 - 江口 敏彦
※ ネジタイムズーハイテンションボルトとは。https://e-neji.info/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88
ウィキペディアーリベット https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88
ウィキペディアー鉄人28号 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E4%BA%BA28%E5%8F%B7
 (2023.5.16.)

☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷きの踏込式・「敷込袋」・落とし掛けのみの床脇 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ著色が周囲と調和。西・南・東より見て。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。〔今回〕

※ 箕面山 聖天宮 西江寺 1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

※ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html 

※ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html

「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

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