箕面山 聖天宮 西江寺参拝【1/4】箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだという心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。

[第992回]
  大阪府箕面市の「箕面山 聖天宮 西江寺(みのおさん しょうてんぐう さいこうじ) 」に参拝してきました。
  1960年代終わり頃、私が小学生の頃、同級生に誘ってもらってここの「お祭り」に行ったことがあるのですが、その時は「しょうてんさん」と言っていて、昭文社から発行されている箕面市の地図には「西江寺」と書かれていたのですが、「さいこうじ」とか「にしえでら」とか言う人はあまりなくて、たいていの人が「しょうてんさん」と言っており、「しょうてんさん」てどういう意味なのだろうなあ・・と小学生から中学生にかけての頃、ずっと思ってきたのでした・・が、「しょうてんさん」は「聖天さん」と書き、インドの神の「大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)」の略のようです。
  大聖歓喜天は頭は象で身体は人間という2体が抱き合った姿をしている像で、大変なパワーがある神だとされているそうですが、実際問題として「観音さま」とか「お地蔵さま」などと違ってありがたみを感じる見た目ではない・・なんて言うと聖天さんに失礼かもしれないけれども、そういう姿だからということもあるのか、「聖天さん」・大聖歓喜天を祀る寺ではたいてい秘仏となっていて像の姿は見えないようになっています。私がこれまでに訪ねた寺で大聖歓喜天(聖天さん)を祀る寺としては、この大阪府箕面市の西江寺、それに神奈川県平塚市南金目の光明寺、岐阜県高山市の飛騨国分寺がありますが、いずれも秘仏として像の姿は見えないようになっていました。箕面市の西江寺は日本で一番最初に「聖天さん」(大聖歓喜天)が出現した地ということで「聖天さん」(大聖歓喜天)が本尊ですが、神奈川県平塚市南金目の光明寺は聖天堂が本堂の西側にありますが本堂で祀られているのは観音さまで平塚市南金目の光明寺(金目山 光明寺)は坂東観音三十三カ所霊場の第7番となっています。岐阜県高山市の飛騨国分寺も本堂の一角に「聖天さん」(大聖歓喜天)がおられる区画があるというもので本尊ではありません。
  箕面市の西江寺の境内では一番上のあたり、高い所に聖天堂(本堂)がありますが、西江寺は「(阪急宝塚線沿線)西国七福神めぐり」の大黒天の札所にもなっており、聖天堂よりも少し低い位置、寺務所の隣に大黒堂があってそこに大黒天が祀られています。私は子供の頃、「西国七福神」の大黒天の札所になっているので「聖天さん」が大黒天なのか? なんて思ったことがありましたが違います。「聖天さん」と大黒天は別のお堂で祀られています。
  箕面山 瀧安寺は何年か前までは天台宗に属していたと思ったのですが今は「本山修験宗」のようですが、箕面山 聖天宮 西江寺(みのおさん しょうてんぐう さいこうじ)は今も高野山真言宗に属しているようです。

  さて、箕面市の「聖天さん」(箕面山 聖天宮 西江寺)の最寄駅は阪急箕面線「箕面(みのお)」駅です。箕面駅の改札口を出てすぐ右のあたりに、↓
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↑ 左の案内地図の看板の後ろの建物は箕面駅前交番で、右の公衆電話ボックスの右の平屋の建物はバス停の前の公衆便所です。交番と公衆便所は似ていると言う人がいますが、言われてみると似ているかもしれませんが、交番は独立した建物の場合は2階建てが多く、公衆便所は平屋建てが多い。又、窓は公衆便所は外から見られないように上の方についていることが多いのに対して交番はそうではないことが多く、よく見ると違う所もあります。
  公衆電話ボックスの左に立っている石碑が、↓
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「元神宮寺 西江寺
日本最初 大聖歓喜天 出現霊場」

と書かれています。

  その少し左(西)に瀧安寺や箕面大滝の方に進み滝道がありますが、滝道の右(東)に、かつては2階建ての建物があった所に今は↓
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↑ 5階建て+α 建物が建っています。
その3階に ↓
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↑ 「かべした心療内科クリニック 心療内科 精神科」と書かれたものが出ています。かつてはここは2階建ての土産物屋でこういうものはなかったのですがいつからかできたようです。
  私は「心療内科 精神科」と掲げている「医者」というものを信用していません、信用できません。どうしてか。私は高校生の頃、自分自身が大学は文学部心理学科・教育学部教育心理学科に行って心理学の学者になるか医学部に行って心療内科か精神科の医師になるということを考えていたのでしたが、その頃は「心理学」と「教育心理学」と「心身医学」「心療内科」と「精神医学」と「精神分析学」というものがどう違うのか、一緒なのか違うのか、違うならばどう違うのかよくわかっていなかったのです。それらは人間の心のあり方を考えるものですから、当然、文学部にあるものだろうと思いこんでいたら、心療内科・心身医学というのは医学部にあり「精神医学」も医学部にあるのです。
  岩波新書の『精神分析学入門』『心理学入門』などの著者の宮城音弥さんは京都大学の哲学科を卒業して「心理学者」になった人のようで、又、角川文庫から出ている『ニーチェ 若い人への言葉』に所収のニーチェの文章には心理学を学ばなければならない・・といった文言があったように思います。だから、心理学というものは小学校から高校まで文学や哲学を学んできた者が大学で専攻するものなのだろう・・と私は思ったのでした・・・が、
若き人々への言葉 (角川文庫) - ニーチェ
若き人々への言葉 (角川文庫) - ニーチェ
ところが、「治療」ということになると、文学部心理学科卒とか教育学部教育心理学科卒では東大卒でも京大卒でも「医師」の資格を取得しようとしても医師国家試験の受験資格はなくて医師の資格は取得できない。それに対して、医者屋の息子で父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやってたらふくカネをせしめたそのカネで寄付金払って「カネさえ払えばバカでも入れる私立金権医大」に行って卒業したやつが卒業後に内科医になったが内科医としてうまくいかないということで「精神科医」に転職するということはできるのです。そして、その時には東大でても京大でても心理学科卒・教育心理学科卒だと「バカでも入れる私立金権医学部」卒の医者の下働きの立場になってしまうのです。・・なんか、あほくさいなあ・・・と思いました。・・思いませんか?
  なぜ、「精神医学」に問題が発生するのか、その一つの原因として、「精神科医」というものは医者であり理工学系の思考の人間であるが、「精神医学」が扱っているものは人間関係であり人文科学・社会科学の分野のもので、そこにひとつの原因があるといった指摘をする人もいるようです。
  当然のことながら、「カネさえ払えばバカでも入れる私立金権医大」行ったやつなんて、京大・東大に合格できるかどうかというくらいの者が学んできたくらいに文学・哲学なんて学んできていません。彼らは自分たちが「常識」だと勝手に思っています。・・そうなると「カネさえ払えればバカでも入れる私立金権医大の婢」みたいな「心理学」なんて、そんなあほくさいものなんて、小学校の1年から真面目に努力して学んできたのに、なんでそんな学部学科に行かなきゃならんのだ・・・・と思えてくる。思えてきませんか? 思えてくるでしょ。
  なおかつ、「精神医学」というのは極めて胡散臭いものです。どこが胡散臭いかというと、一番に「患者」と指定・認定されてしまった者は何を言っても「きちがいの戯言」と「診断」されてしまい、何をされても文句は言えないことになってしまうのです。
  それで、どう違うかというと、「精神分析学」というのはシグモンド=フロイトが始めた人間の心・精神の分析で、これは「患者」を抑圧するものであった体制「精神医学」に対する反逆児としてヨーロッパで産まれたものでしたが、その後、大西洋を渡ってアメリカ合衆国に行った「精神分析学」は体制精神医学に対する反逆児としての性質を失い、体制精神医学に取り込まれたものになった、それを日本に輸入してさらに悪質なものにしたのが慶應大学医学部助教授の小此木啓吾だったようです。小此木啓吾は「揺り籠から墓場まで慶應」小学校:慶應・中学校:慶應・高校:慶應・大学:慶應・勤め先:慶應という「サラブレッド的慶應」もしくは「ほとんどビョーキ」の人で、「小此木精神医学精神分析学」というのはいかにも「体制側」えせ学問、いかにも内部進学という感じですね。フロイトとともにユングも「精神分析学」と似たことをやっていたようですが、ユングの場合はフロイトと一時期、交友を持っていたらしいけれども、途中から分かれたようで「精神分析学」という表現はしなかったらしい。
  「心身医学」「心療内科」と「精神医学」はどう違うかというと、「心身医学」「心療内科」は「心が強く影響する体の病」を治そうとするもので、それに対して「精神医学」は「異常」だ「ビョーキ」だと「医者」に認定されてしまった人に対して「人間による人間の加工」をおこなうというものです。「心身医学」「心療内科」と「精神医学」の違いとして最も大きな違いは、「心身医学」「心療内科」の場合は患者は「まともな人」とされており、医者が治療をおこなおうとしても患者が受け入れたくないならば断わることもできるのに対して、「精神医学」というのは「医者」と称するファシストが「患者」と認定した者を自由に「人間による人間の加工」をおこなうことができ、「患者」はそれを否定しようとしても極めて難しいというもの、というそこです。アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授のトマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)において、これまで、「精神医学の悪い治療」とか「精神医学の悪用」と言われてきたものは、実は「悪い治療」とか「悪用」とかではなく、それこそが「『精神医学』の本質」なのだと述べていますが、そうでしょう。まず、「精神医学」の大きな問題として「診断」する側と「診断」される側が分かれているという点、「診断」して「治療」する側・「医者」と称する者の世界観によって「患者」と認定された者を加工する権利があるとされているという点があります。本来、人間関係においては、「診断」する側・「診断」される側、「治療」する側・「治療」される側が分かれるというのはおかしいのです。互いに相手を判断しあうことができるはずであるものを「医者」と称する者が一方的に「診断」して一方的に相手を「人間による人間の加工」して「感謝せんといかん」とか言いまくるということが何よりもおかしいのです。
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫
↑ 森山公夫『現代精神医学解体の論理』岩崎学術研究社
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
↑ トマス=サズ『「精神医学」という神話』岩崎学術研究社
告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
↑ ロイ=メドヴェージェフ・ジョレス=メドヴェージェフ『告発する! 狂人は誰か』三一書房
ユングの生涯 - 河合隼雄
ユングの生涯 - 河合隼雄
精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書) - 小俣 和一郎
精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書) - 小俣 和一郎

  さらに、私は子供の頃から、うちの母親から「親というものは息子が大学に進学する時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けるようにと思えばこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言われて、それを本気にしてしまった小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのでしたが、実際に大学に進学する時になると、うちの父親から、
うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。
哲学科は頭のおかしな人が行く所だから行ってはいかん。
「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~る。ゆえに、宗教学科とか宗教哲学科とか史学科の宗教史専攻とかには行ってはいかん。宗教はアヘンじゃあ! 焼き討ちにしたらんといかん、焼き討ちに」
うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。
うちは司法試験なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。
うちは学校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。
学校の先生でも、特に数学か英語以外の科目の先生はなってはいけません。数学か英語でなかったら家庭教師のアルバイトができません。数学と英語以外の科目の先生は特になってはいけません。
学校の先生は全員、アカやからなってはいかん。
うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。
京大はアカやから行ってはいかん。
うちは医学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。医学部のような6年行かないといけない学部は行ってはいかん、4年で卒業できる学部にしなさい。
国家公務員は転勤が多いからいかん。
商社は海外勤務があるから勤めてはいけません。
マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん、毎日もアカやから勤めてはいかん。アカ、あか、アカ、あか!
と言われて、結局、いいものはほとんどないことになりました。
「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわ、し、にい~い。わしにじゃわしにじゃ、わしにわしに。すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために♪
てってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪
撃ちてしやまん、一億火の玉、
欲しがりません、勝つまでは! 贅沢は敵だあ!
木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ!
とってちってたあ~あ!
すべてをすべてをわしのために。
犠牲にする、犠牲にする、わしのために犠牲にする、すべてをすべてをわしのために犠牲にする。
犠牲になる、犠牲になる、わしのために犠牲になる!
会社のために、わしのために、会社のために、わしのために!
てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ!
とってちってたあ~あ!
ど~んが~んどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃああ~んじゃあ~あ!〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕
いっらいっらしてきたあ~あ、いっらいっらしてきたあ~あ。わしほど精神的に安定した気持ちの落ち着いた人間はおらんねんぞ、いっらいっらしてきたあ~あ!
ロスケどもをやっつけてや~る! 日教組は全員、刑務所に叩きこめえ~え!
共産党は死刑であ~る! 朝日新聞の記者は全員、刑務所に入れろ~お!
読売はけしから~ん!」
・・・と毎日毎日言われ続けて〔最後の「読売はけしからん」というのは「巨人はズルイ、読売は悪い」というところからきたもので他とはは理由は異なるけれども〕〔今もこの文句が耳元でわんわんうなっている〕、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も努力して勉強してきても、「わしに孝に、わしのために、わしに孝に、わしのために、いらいらいらいら」の為にその努力の果実は全部まとめてドブに捨てさせられることになりました。 うちの父親にとっては何がいいのかというと、「東京海上火災がええ、東京海上火災」と言い、もうひとつ、「阪急電鉄がええ」と言うので東京海上火災と阪急電鉄だけは首をもがれても勤めてはなるものかと思いました。さらにもうひとつ、「あんた、箕面市役所に勤めてくれたら一番ええんやけどな」などと言い出したので、いくらなんでもひどすぎるではないか・・・と思ったのでしたが、最終的に通るかどうかはともかく、旧帝大系国立大学に合格できておかしくないとうくらいまで学習してきて、それで「あんた、箕面市役所に勤めなさい」て、よくそういうことを言うと思いました。もっとも、箕面市役所は公務員ですから、不当解雇とかはないでしょうし、給与未払い不払いもないでしょうし、私が勤めてきた三流以下企業よりはよっぽど良かったでしょうけれども。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのが最大の自慢で、「私は家が貧乏だったから」とも言っていましたが「私は家が貧乏だったから」というのは、最初は「そうかいなあ」と思ったのでしたが、これは間違いなく嘘です。旧姓作野礼子は「父親がいなかった」としても相当金持ちだったはずです。私ならば、「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたものを旧姓作野礼子は当たり前みたいに神戸大の文学部になんか行かせてもらっていたのであり、私なら「うちは学校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。学校の先生でも、特に数学か英語以外の科目の先生はなってはいけません。数学か英語でなかったら家庭教師のアルバイトができません。数学と英語以外の科目の先生は特になってはいけません。学校の先生は全員、アカやからなってはいかん。」と言われたものを旧姓作野礼子は「私は家が貧乏だったから」などと言いながら、神戸大しか行かれへんくせしてからに、ふんぞりかえって文学部に行き、ふんぞりかえって高校の教諭、それも「数学か英語以外の科目」である国語科の教諭になっていたのであり、「私は家が貧乏だったから」という旧姓作野礼子ののたまう文句は大嘘であって実際は大金持ちだったようです。嘘つきは高校教諭の始まりです。
「私は父親がいなかったから。もし、あなたのお父さんみたいないいお父さんがいたらうらやましいわよ」などと旧姓作野礼子は言い、それを聞いてうちの父親は「えええ~えこと言いはる♪ さすがは北野高校でてるだけのことある。さすがは女でも神戸大でてることある。ええ先生やでえ、ええ先生。作野先生はほんまにええ先生やでえ」などと言い、旧姓作野礼子はうちの親からそのように言われてそんな気になっていたようだったが、勝手な女である。うちの父親みたいのがいたら「うらやましい」と言うのなら、それなら、「てってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪ すべてをすべてをわしのために。わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃわしにじゃわしになんじゃイライラ~あ! いっらいっらしてきた、いっらいっらしてきた。わしほど精神的に安定した気持ちの落ち着いた人間はおらんねんぞ、専門家の言うことや、専門家。いっらいっらしてきた、いっらいっらしてきた、イライラいらいらイライラいらいらいらコッコー! わし、これまでに、あんたに『わしに孝行でえ』なんてことは、たったの一言として口にしたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん。いっらいっらしてきたあ、わしほど精神的に安定した気持ちの落ち着いた人間はおらんねんぞ。いっらいっらしてきたあ~あ!」と毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われてみるといい〔⇒《YouTube-およげ!たいやきくん》https://www.youtube.com/watch?v=1uP9nw4S3Qc 〕。〔だいたい、「わし、これまでに、あんたに『わしに孝行でえ』なんてことは、たったの一言として口にしたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん。」などと言うのだが、あんた、今、言うたやろうが。今、言うたばっかりやろうが。今、言いまくっておったやろうが。あんた、毎日毎日、朝から晩までぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言いまくってきたやろうが。自分が言いまくってきたことを理解できないのか。「病識がない」のか。〕自分はそういうものはまったく引き受けずに私に押しつけておいて、「私は父親がいなかったから。もし、あなたのお父さんみたいないいお父さんがいたらうらやましいわよ」などと勝手なことを言いまくる旧姓作野礼子 バカ女症候群は電気ショック療法とかロボトミーとかやってやると「少しはましになる」だろうか。それとも、「シベリア送り」にして「作業療法」(強制無賃労働)させれば少しは「真人間になる」だろうか。柴田孝之は「能力的にも優秀で人間的にも優れた教師というのは多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で述べていたが、私も心の底からそう思う。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、しかし、卒業して10年以上経って冷静に考えることができるようになってみると、実際問題として、ろくな教師いなかったなあ・・という感じがする。高校の教師というのは、あいつら、いない方がいいのではないか・・と今、思ったりしている。

 1980年代、怪人21面相による江崎グリコ(株)への事件がありましたが、その際、「子供たちのために、グリコ・森永を脅迫するのはやめてほしい」とか言った「文化人」(エセ文化人)がいました。「グリコ、つぶしたる」という者と「グリコを守れ」と言う者とどちらが正義だと思いますか。当然、「グリコ、つぶしたる」と言う者の方でしょ。私が子供の頃、海苔がついたおかきというのは「精薄(精神薄弱)の子がハナ垂らしながら海苔をつけてる」というお話があって、「ほんまかあ」なんて思ったものでしたが、あながち嘘とも言えません。江崎グリコ(株)の「グリコのおまけ」というのは「内職」で作られているのですが、今時、そんな「内職」なんてやる人、あまりないでしょ。「家庭の主婦」がいくらかカネ稼ごうと思ったら、今では家で内職するのではなくパートに行ったりしますでしょ。それなら、「グリコのおまけ」はどこの誰がその「内職」やっているのか。・・⇒(答え)「精神病院」の「患者」が「作業療法」だと言って無賃労働・強制労働で作らされているのです。「入院費は払っているのに、なんで、そんなもの作らされなければならないんだ」と「患者」が言うと、「あんたは払ってないでしょ。入院費を払ってるのは、あんたの家族でしょ。あんたは1円も払ってないでしょ。何を甘ったれてますの~ん!」とか「看護婦」から言われ、「作業を嫌がるということは病気が重いということじゃな。クスリを増やさんといかんな」とか「医者」から脅されて「作業療法」として無賃労働で「グリコのおまけ」を作らされているのです。
  「患者」は内職代はもらっておらず、江崎グリコ(株)が払った内職代は「病院」の収入になっており、同時に「患者」(もしくは「患者」の家族、もしくは国)から「作業療法代」を「病院」は受け取っています。「一粒で二度おいしい♪」とはこのことです。「医者」とか「看護婦」はそこから分け前を「給料」と称して受け取っており、「医者」のドバカ息子は父親・母親がそうやって得たカネで私立金権医大に裏口入学して「医者」になります。これを「医は仁術」と言います。「病院」は江崎グリコ(株)が払う内職代が安くても、どうせ、労働力はタダですから、「病院」としてはタダの労働力で得た内職代を「病院」が得ることができるのですから安くてもいいのです。江崎グリコ(株)はそういう「内職」で「グリコのおまけ」を作って売って伸びた会社だったのです。 1980年代、怪人21面相の事件があった時、「社会正義のためにグリコを守れ」などという(エセ)「文化人」がいたので、これはひどい と思い、慶應大学の教室の壁に「江崎グリコ(株)は超低賃金の内職でグリコのおまけを作らせて大きくなった反社会的な会社だ。グリコをつぶせ!」と書いたことがあったのですが、そうすると、しばらくして、「慶應タイプ」(「思考が柔軟な慶大生」「自我が確立されている」)で「おまえはバカか! 低賃金であってもそれで生活している従業員はグリコがつぶれたら生活に困るだろうが。おまえはそんなこともわからんのか」と横に書いたやつがいたのです。慶應だなあ~あ、慶應の学生らしいな~あ( 一一)・・・と思いました。アホはそれを書いた者の方でしょ。たしかに、低賃金の会社でも、そこに勤めて給料を得て生活している従業員としては、経営者だけ儲けやがってからにけしからん経営者だと思ったとしても、そこがつぶれて勤め先がなくなったら、それはそれで困る・・ということはあるでしょう。しかし、「精神病院」で「作業療法」と称して強制無賃労働させられて、強制無賃労働させられたことに対しては「きみの病気の治療のために作業療法させてもろうたんじゃろう。感謝せんといかん」だの「自分から喜んで『もっと作業させてください、お願いします♪』と言って率先して作業するようにならんと退院は遠いな」などと「医者」から言われ、「あんたのために作業させてもらっているのでしょうがあ。感謝しなさいねえ! それを、あんた、ここに入れてもらっていて、作業させてもらったからお金ちょうだいて、あんた、いったいどんなけあつかましいのん。いいかげんにしなさいんかあ!」などと「看護婦」から怒鳴りつけられて「病院」から「作業療法代」としてカネを盗られて、江崎グリコ(株)が払ったその内職代は病院の収入にされている「患者」にとっては、江崎グリコ(株)がつぶれても困ることなんてまったく何もないのです。「慶應タイプ」はいったい何をバカなことを言っておるか! さすがは慶應やな。そういう人間のことを「思考が柔軟な慶大生」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「慶應心理学」は言って称賛するのです。逆にこういうことを言うと「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」「自我が確立されておれば、そういうことは言わないはずです」とか「慶應心理学」から「診断」されます。「慶應心理学」とはそういうものです。又、「自我」理論というのも「そういうもの」です・・というのか、どっちが「自我が確立されている」かというものを「心理学者」とか「精神科医」とか「カウンセラー」とかそういった名称を名乗っているヤカラが勝手に自分たちに都合がいいようにその時その時で決めて勝手なこと言っている、というのが「自我が確立されている」という”理論”なのです。「違う」と言い出す「専門家」と称する者が出てくるかもしれませんが、アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)で「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用して述べていますが、この「彼らがやっていることを見るべきだ」という姿勢で見るならば、「自我が確立されている」「自我が確立されていないから・・・」というのは、「心理学者」「精神科医」「カウンセラー」等等と称するヤカラが人を誘導するために使う小道具であって、それ以外の何物でもない、ということがわかります。大学には「学生相談室」などと称する胡散臭い機関がありますが、トマス=サズは『「精神医学」という狂気の思想』(新泉社)で「大学の目的は『最高の自我とは自我を持たぬことだ』と学生を騙して信じされる昼間病院になることか」と述べていますが、現在の日本においてもそれを実行しているのが大学の「学生相談室」という機関とそこにいる「カウンセラー」「心理学者」という連中です。「患者」を監禁して、そこで強制無賃労働を「作業療法」と称してさせて儲ける「病院」と江崎グリコ(株)を擁護する態度の人間を「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか「慶應タイプ」は言うのですが、その「ギャル」とかいうやつ、よっぽどバカじゃないかて感じがします。日本の企業の経営者というのは、そんなのを「喜ぶ」のでしょうか。大丈夫か、その会社? 私はこういうことを知っていますから、だから、江崎グリコ(株)の製品は買いません・食べません。こういったことに何も思わない「医者」というのがいます。そういう人というのは、「作業療法」させる側の人間、「患者」に「作業療法」と称して強制無賃労働させる側の人間だ、と考えるべきではないか。「(反社会的勢力の)グリコ、つぶしたる」という人と、「(「作業療法」と称して「患者」に強制無賃労働で「グリコのおまけ」を作らせて儲けて来た反社会的勢力の)江崎グリコ(株)を守れ」と言う人と、どちらが正義か。よく考えてみるべきです。
  1980年代前半、東京の「クール プリエール」というアマチュア合唱団に少しの間だけ在籍したことがあったのですが、今となっては「なんで、あんなもの入ってしまったのだろう」と後悔しているのですが、そこに「山口くん」という千葉大しか行けないくせしやがってからに医学部に行って内科の医者になっていた当時30歳の男がいたのでしたが、彼は音楽についての認識も愚かでしたが、それよりも、こんなやつでも千葉大の医学部しか合格できないくせしやがってからに医学部に行かせてもらえるのだなあ・・、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ、山口くんは・・・と心の底から思いました。
  私にとっては「医者」というのはそういうものです。「ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ」という対象です。
  ・・・で、ニーチェその他が学ぶべきだと主張したような「心理学」については今も価値があると思っているのですが、ファシズムの技術「精神医学」とその婢である「心理学」については害こそあれ益になるものはないと思っています。アンドレ=ジッドは最初、社会主義について好意的に考えていたけれども、ロシア革命によって誕生したソビエト連邦に招かれて訪問して、「どうも、考えていたものと違うようだ」と思うようになり、『ソビエト紀行』(光文社文庫)を発行して述べ、そして、「私が転向したのだろうか。そうではあるまい。転向したのは私ではないはずだ」と述べていますが、私が「心理学」「精神医学」「精神分析学」に対して幻滅したのは、それは私が「転向した」のではなく、「転向した」ような「心理学」「精神医学」「精神分析学」が多すぎるからであるはずです。
ソヴィエト旅行記 (光文社古典新訳文庫) - Gide,Andr´e, ジッド,アンドレ, 俊宏, 國分
ソヴィエト旅行記 (光文社古典新訳文庫) - Gide,Andr´e, ジッド,アンドレ, 俊宏, 國分
  その点、「心身医学」「心療内科」というものは「精神医学」とは異なり、あくまでも本人の意思により「受診」することも拒否することもできるものであり、実際、自律訓練法であったり坐禅であったりは価値がある、有益であると私は思っているのです・・・が、しかし、本来、「本人の意志を尊重して、本人が望んでこそ対応する」というもののはずの「心身医学」「心療内科」と「本人の意志に反して『人間による人間の加工』をおこなうもの」である「精神医学」はその点において正反対のものであるはずなのに、ところが、最近、街角で「心療内科 精神科」とその正反対の性質を持つものを並べて記載した「クリニック」が存在しているのです。その節操のない態度は何だろうか。
  「建築家 安藤忠雄」の「代表作」に「光の教会 水の教会」と称するものがあるのですが、私はこの2作品において安藤忠雄という男を軽蔑しています。「光の教会」というのは大阪府茨木市の日本キリスト教団春日丘教会の教会堂で、「水の教会」というのは北海道のトマムという所に星野リゾートという会社から依頼されて設計した結婚式場専用教会、「なんちゃって教会」であり、日本キリスト教団の教会の教会堂の設計をおこない、他方において結婚式場専用教会という『聖書』なんて1ページも読んだことがない、教会という所にも行ったことがないという人が結婚式だけ「キリスト教式」でやりたいというそのための「なんちゃって教会」の設計も同時におこなうという節操のなさ、私ならばどちらか片方ならやってもその両方は引き受けませんが、それを「建築家 安藤忠雄」という人は平気でその両方の設計を引き受けている、というその点について、私は安藤忠雄という人がいかに「有名建築家」であっても、その点において評価できません。それと似たところもあるかと思いますが、「本人の意志を尊重して、本人が望んでこそ対応する」というもののはずの「心身医学」「心療内科」と「本人の意志に反して『人間による人間の加工』をおこなうもの」である「精神医学」を「心療内科 精神科」と並べて掲げて営業している「クリニック」というのは「節操がない」というのか、誠実さが欠けると評価せざるをえません。こういう看板を掲げているクリニックというのは「『心療内科』だと言って騙して連れていって『精神科』に入院させることができる」という「クリニック」であり、その点において心療内科としては二束三文、価値がない心療内科だと断定していいはずです。少なくとも、私がここで述べたような内容について、その「クリニック」の「医者」は真摯に考えたことがないと思われます。〔もしも、私と同程度に考えたことがある人ならば、日本キリスト教団の教会と結婚式場専用教会などという「なんちゃって教会」の設計を両方引き受ける人みたいに、心療内科と「精神科」を両方同時に掲げるということはしていないはずです。〕
  「精神医学」は何故に「患者」に「作業療法」と称して「グリコのおまけ」を作らせるなどの内職をさせて、その労賃を「病院」が盗って「医者」や「看護婦」「看護士」(現在では「看護師」)が「給料」と称してそれを分け前として取得することが認められるのでしょうか。「精神医学」は何故に、事実ではないものをもとに人を「患者」だ「病人」だと「診断」して、「入院療法」と称して逮捕監禁して、さらに「薬物療法」と称して毒物を強制的に飲ませ「作業療法」と称して強制労働・無賃労働につかせることが認められるのでしょうか。そして、「心理療法」「カウンセリング」と称して洗脳・精神支配(マインドコントロール)をおこなうのです。「医者」は「それは、おまえが・・ということをやったからじゃ」などと主張し、「看護婦」は「あんたが・・・なんてことしたからでしょうがあ」と怒鳴りつけるのですが、そのような行為をしていないから「そのようなことはしていません」とはっきりと述べても、それでも「それは病気じゃから忘れておるんじゃ。自分で認めるようになって、そこから治療が始まるということじゃ」と「医者」から言われることになります。警察・検察と似ていて、無実だから「それは事実と違う」と言うと、余計に有罪にしようと必死になり、警察・検察は「罪が重くなる」ように持っていくのと同じく、「病気が重いから、だから、自分がやったことに自覚がないんじゃ」と「病識がない」と「診断」されることになります・・が、実際には自分がやっていることについて自覚できていない「病識がない」人間は「医者」と称している人間の方でしょう。「看護婦」「看護士」(現在は「看護師」)と称する者どもはその仲間です。さらにその仲間が江崎グリコ(株)の経営者であり、江崎グリコ(株)はそういう「作業療法」によって「利益」を得てきた会社なのです「社会正義のためにグリコを守れ」などと発言した「正義派」の「文化人」がけっこういましたが、その連中(「慶應タイプ」の文化人)(「自我が確立されている」文化人・「思考が柔軟」「ギャルにもてもて」「企業はそういう人間を喜ぶ」「福沢精神」)こそ、反社会的勢力と言うべきでしょう。

  私は自分自身が高校時代にめざしていたものは「心身医学」「心療内科」の方に近く、「精神医学」とは正反対のものであり、「精神分析学」についてはフロイト・ライヒ・フロムらの「精神分析学」は今も価値があると考えているが小此木啓吾の「精神分析学」は「慶應タイプ」の人は喜ぶようですが、愚か者が喜ぶエセ学問だと認識していますが、「心療内科 精神科」とその2つを並べて看板を出しているような「医者」というのは「究極的には」「精神科」の側の人間、「人間による人間の加工」の側の人間だと考えるべきであり、「かかわらない方がいい人」であろうと認識しています。
  ・・・これらについては、また、別の稿でもう少し詳しく述べていきたいと思いますが、とりあえず、阪急箕面線「箕面」駅前のビルの3階に見える「心療内科 精神科」と記載した「クリニック」については、あまり良心的とは言えない「医者」がやってるのかな・・? という印象を受けました。実際に受診した経験はないし、どういう人がやっているのか、やっている人と会ったこともないので断定しすぎない方がいいかもしれませんが、「心療内科」と「精神科」という本来は根本的に正反対の性質のものを並べて記載して「クリニック」を経営しているということに、なんら抵抗を感じていない・・ということは「そういう人」なのか・・と思えてきます。
  「かべした心療内科クリニック」のホームページhttps://kabeshita-clinic.net/staff-neu/ を見ると、「院長」は壁下康信さんという人で《大阪府にうまれる 大阪府立四条畷高等学校卒 滋賀医科大学医学部医学科卒 》だそうです。四条畷高校しか行かれへんくせしてからに滋賀医大なんて行かせてもろうてからに、「心療内科」の「医者」になんかならせてもろうてからに、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・・て感じがします。「この長嶋みたいなやつ」て感じがします。〔⇒《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA 〕似顔絵見ると禿げてるみたいだが・・まあ、それは、いいか・・・。
このビルは「箕面駅前ビルディング」と言うらしい。

  「心理学」でもニーチェやショウペンハウエルが「学ぶべきである」と主張する心理学と、内部進学小此木啓吾やその亜流が主張するカッコつきの「心理学」もしくは心理学もどきとは別物であり、後者に幻滅して後者の「心理学」を否定するようになったとしても、何も「転向した」わけではなく、むしろ、前者の心理学に価値を感じ魅力を感じてその道に進もうとしたにもかかわらず、後者の方に取り込まれた者こそ「転向した」と評価されるべきであろう。

  このビルの前を東に進みますと、↓
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↑ この左の建物が平尾会館、向こうの白い建物が「新田美容室 」。
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↑ 平尾会館
インターネットで検索しても出てこないのですが、たしか、公民館だったように思うのです。かつてはこういう建物ではなくて木造の建物だったように思うのですが、いつしか建てかえられたようです。
「平尾」というのは、今はこの付近は「箕面市箕面〇丁目」という住居表示になっていますが、かつては「平尾」という地名だったことによります。現在の箕面市は、1948年(昭和23年)に箕面町(みのおちょう)・萱野村・止々呂美村が合併して新たな箕面町になり、その後、1956年(昭和31年)に豊能郡豊川村も合併して箕面市となり、さらにその後、旧豊川村だった所の一部が茨木市に移り、逆に茨木市だった所から箕面市に編入された所もでて今日の箕面市になったようですが〔《ウィキペディアー箕面市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82 〕萱野村・止々呂美村と合併する前の箕面町もまた、元は《 1889年(明治22年)〔「一躍、清(1894)を攻撃す」日清戦争の5年〕〕4月1日 - 町村制の施行により、豊島郡西小路村・牧落村・半町村・瀬川村・新稲村・平尾村・桜村の区域をもって箕面村が発足。大字西小路に村役場を設置。》して、それまでの西小路(にししょうじ)村・牧落(まきおち)村・半町(はんじょう)村・瀬川村・新稲(にいな)村・平尾村・桜村の7村が合併して箕面町(みのおちょう)になったというもので、今は「箕面市箕面〇丁目」という地名になっているけれども、かつては平尾会館がある箕面駅の北東のあたりは「平尾村」だったわけで、それで、この建物も平尾会館という名称になっているはずです。
  今度、北大阪急行電鉄が北進して「箕面萱野」駅ができる箕面市中部は1948年(昭和23年)に箕面町(みのおちょう)・萱野村・止々呂美村が合併して新たな箕面町になる前は萱野村だったのですが、その萱野村も《1889年4月1日〔日清戦争の5年前〕 - 町村制施行により、豊島郡外院村、石丸村、白島村、如意谷村、東坊島村、西坊島村、今宮村、西宿村、芝村、稲村が合併して、豊島郡萱野村が発足。》(《ウィキペディアー萱野村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%B1%E9%87%8E%E6%9D%91_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C) )したもので、1889年より前は白島(はくのしま)村・如意谷(にょいだに)村・西坊島(ぼうのしま)村・今宮村・西宿(にしじゅく)村・芝村・稲(いな)村の7村に分かれていたわけで、最近、如意谷に新しくできた小学校を「萱野北小学校」と名づけ、西宿に新しくできた小学校を「萱野東小学校」となづけ、そして、「箕面市萱野」と「箕面市西宿」の境目の「箕面市西宿」に新しくできる北大阪急行電鉄の駅名を「萱野中央」にしようと主張する人がいて、1889年から1948年までの間の49年間の村名だった「萱野」という名称を現在の「箕面市萱野」の地域だけではなくそれよりも広い範囲、かつて、1889年に7村が合併して萱野村ができる以前は萱野村ではなかった地域にまでつけようとする人がいるらしいのですが、箕面町・萱野村・豊川村(の西部)・止々呂美村の4町村が合併して「箕面市」としてやっていきましょうと1956年に箕面市が成立してからすでに65年以上経つのに、なんで今また「萱野」を広い範囲に復活させて旧箕面町・旧萱野村・旧豊川村・旧止々呂美村を分離させようとするのか疑問を感じます。

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↑ 右の白い建物は「新田(にった)美容室」で、たしか、何十年か前、うちの母親もこの美容室に行ったことがあったような気がしますが、もちろん、実際に勤めている人はその当時とは変わっているでしょう。
  この道は昔からある道ですが、箕面駅の東側のロータリーはかつては今ほど広くなくて、この道は裏道のような道で、この南側に民家があって、それより南側にロータリーがあって箕面大滝に行く馬車が停まっていたのを覚えていますが、馬車が見られなくなってからすでに何十年か経ちます。

  「新田美容室」の北側の少し狭い道を東に行きます。↓
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ここを左折して北に進むと右手(東側)に「日本最初 大聖歓喜天出現霊場」という箕面山 聖天宮 西江寺(みのおさん しょうてんぐう さいこうじ)があります。
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↑ 《平尾・西小路・桜・牧落村により設置された大井堰から取水し、四か村の農業・・を支えてきた重要な用水路です。・・》と「四大字水利組合」によるらしい現地の説明書きに書かれています。
最初にここを見た時、「うわあ、家の下から水が流れだしてる♪」と感動したものでした。

  ここを北に坂を登って進むと↓ 右手(東側)に箕面山聖天宮 西江寺があります。
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  南側は ↓
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↑ 南側に見えるビルは「サンプラザ1号館」で、サンプラザ1号館ができた時は地下に「エース」というスーパーマーケットがありましたが、いつしかなくなり、今は地下には 箕面市立郷土資料館https://www.city.minoh.lg.jp/kyoudo/home.html があります。
  サンプラザ1号館の西側の道を南に行ったあたりに、1970年からいつまでだったか、2階建てのダイエーがあって1階に食料品売り場・2階に日用品売り場があったのですが、いつしか、サンプラザ1号館の地下の「エース」がなくなった後、ダイエーもなくなってしまい、今ではそこにはマンションが建っていて、ダイエーができる時にミスタードーナツの「日本最初の店」ができたミスタードーナツの店は今もマンションの建物の1階にあるけれどもスーパーはエースもダイエーもなくなってしまいました。それより駅から遠いあたりに「コーヨー」というイオンの系列かと思われるスーパーと「いかり」が昔からある「モンキーヒル」というレストランをはさんでできましたが、「コーヨー」「いかり」ともに食料品のスーパーであり、日用品を扱うスーパーが箕面駅付近にはなくなってしまい、かつては「いなか」だった萱野地区に「カルフール」なんて商業施設ができて、「箕面市萱野」と「箕面市西宿」の境目付近にできる「箕面萱野」駅付近の方がいろいろな商業施設ができて「開けた街」て感じになってきました・・・が、ある不動産屋の人に聞いた話では「昔からの旧箕面町地区の住人(阪急箕面線沿線の住人)は引越すとしても中西部には行かない人が多い」らしい。
  インターネットで検索すると、サンプラザ1号館は2027年に建て替えが計画されているというのですが https://shutten-watch.com/kansai/30184 すぐ北側の山は明治の森箕面国定公園・名勝 箕面公園であり、「日本最初 大聖歓喜天出現霊場」の西江寺がある所であり、この付近の景観を考えるならば、あまり背の高いもの、今のサンプラザ1号館の建物より背の高いものは建ててもらいたくないように私は思いますこの場所にあえて「分譲マンション」を作らないといけない理由があるとも思えません。
  2000年代に住友不動産(株)の人から聞いたのですが、東京都内、千代田区とか都心部ではオフィスや商業施設はあるが人口は流出していく傾向があるのを留めたいと「区」が考えるらしく、そのため、都心部にオフィスビル・商業ビルを建てるならば、その何割か住居のスペースを作ってくださいという条例を作る区があるらしいそういうビルでは上の方の階が住居としてのマンションになり、下の方の階がオフィスや商業施設になっていて、そうやって人口を確保しているらしい。東京都だけではなく大阪市内でもそういうビルはあるかもしれない。しかし、それに対して、箕面市の箕面駅の東のあたりというのは、そのような場所ではなく、もともと住宅地である。
  かつてはサンプラザ1号館が建っている「さくら通り」に面した場所は個人商店が「さくら通り」の側を向いて並んでいた地域だったのがサンプラザ1号館は「さくら通り」の側を塞いでしまい、「さくら通り」の側はサンプラザ1号館の中に入って内側から店に入るようになり、今ではサンプラザ1号館の前を通り過ぎてそれより南側(駅から遠い側)にある「いかり」「コーヨー」などに買い物に行くことが多く、「いかり」「コーヨー」でなくても、人の流れがサンプラザ1号館の中に入るよりも、その西側の道を南に歩いていくことが多くなっており、サンプラザ1号館の中に必ずしも人を呼び込めていないという点、又、サンプラザ1号館が建っている「さくら通り」に面した場所は、かつては個人商店が「さくら通り」の側を向いて並んでいた地域だったのが、「さくら通り」の側の人の通りがなくなったことを考えても、それが良かったのかどうか、サンプラザ1号館のあり方は再検討していいかもしれないけれども。

  内田康夫『鏡の女』(内田康夫『鏡の女』角川文庫 、もしくは、内田康夫『龍神の女(ひと) 内田康夫と5人の名探偵』祥伝社文庫 所収)には、「精神科医」の男に殺される妻とその復讐の話が描かれています。
《  浅見は帰りがけにもういちど文瀬家の前を通った。いかめしい鉄格子の門がこっちの憶測をも拒否するように聳えている。ポーチの軒下に監視用のテレビカメラが設置されているのが見えた。
 そのまま通過して帰路についたが、浅見は何か忘れ物をしたような気分だった。いま見たばかりの鉄の門扉がいやに気になった。あれは外側から見ると、他人を寄せつけない冷酷な感じがするけれど、逆に内側から見るとどうなのだろう? 浅見の感覚からすると、たとえ内部の人間が見ても、その冷たさに変わりはないような気がする。
  ああいう門塀に囲まれている人間は、浅見はどうにも好意的になれそうにない、第一、自ら囚われびとのような環境にいるようなものではないか――。
(囚われびと、か――)

浅見はふと夏子の置かれている状況を思いやった。・・・・》
  「病院」で「患者」を逮捕監禁している「医者」はその精神構造を家庭にも持込み、妻をも監禁する・・ということは、小説の世界だけではなく現実にもありそうであり、又、「人間による人間の加工」をしてカネをせしめている者は、そういった行為について抵抗感も持たなくなるのではないか。
《 浅見はついに最後の手段に出た。付き合いのある出版社の名前を使って、文瀬聖一にインタビューを求めることにした。「精神病理学のホープに聞く」という企画はどうだろうと持ち掛けると、編集者は浅見のほうが驚くほど乗り気になった。
「それいいですよ。ちょうど、昨日の新聞で医者の所得の記事が出ていましてね。なんでもふつうの医者は、一般給与所得者の七倍程度だが、精神科の医師はその二倍もあるらしい。なぜいま精神科の医者なのか――ってテーマでね」
 浅見はそんな事情はちっとも知らなかったのだが、それはタイムリーだった。・・・》
といった文章が見られる。
鏡の女 「浅見光彦」シリーズ (角川文庫) - 内田 康夫
鏡の女 「浅見光彦」シリーズ (角川文庫) - 内田 康夫
  内田康夫の小説では『箱庭』(講談社文庫)でも「精神科医」が「精神医学」によって人を精神的に「病気」にならせるという話が出ている。内田康夫は2018年3月に83歳で他界したが、まさか、こういった問題をとりあげたことから殺された・・・なんて・・ないだろうな・・・
箱庭 (講談社文庫) - 内田康夫
箱庭 (講談社文庫) - 内田康夫

  大聖歓喜天 は頭が象で身体が人間の2体が抱き合った姿をしている像らしいが、たいてい、秘仏として見れないようになっており、私も大聖歓喜天の像を見たことはないが、どういう姿かを知りたい人は、永久保貴一・秋月慈童著『HONKOWA ほん怖 2023年6月号 【新装版】密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 特集(1)』(2023.6.20.発行  朝日新聞出版。)にその絵が出ています。↓
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↑ の漫画家で登場人物の永久保貴一さんの発言によると、
祈願すればかなわぬ願いはないとまで言われる神様です」
「そのかわり祀るのが難しくて 行の過ちを許しません」
という神様だそうです。
同書の登場人物の発言によると、「変だの いやらしいだの」と「聖天さまが怒るようなこと」を言うといけないそうで、「聖天様は聖天供養を授かった聖天行者以外は厨子を開けてはいけない」そうです。
「聖天様は誰でも第一回目の願いは叶えてくれる。
問題はその後 私利私欲に突っ走るともってかれます。

我利我利が破滅するんです。
そうならないためには・・
御利益をいただいたことに自分でできる感謝をすることです。
で それをきっかけに 自分を存在させてくれている すべてのものに
感謝できるようになれば それでいいんです」
とこの本の中で秋月慈童さんは語っています。
「聖天さん」大聖歓喜天とはそういう神さんらしい・・が、大阪府箕面市の西江寺には、大聖歓喜天は老翁の姿で現れたとか述べられているみたいです。聖天堂には役行者の作だという聖天像が祀られているということですが、秘仏らしく参拝者が姿を見ることはできません。
【新装版】密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 特集号 (1) (ASスペシャル) - 永久保 貴一, 秋月 慈童
【新装版】密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 特集号 (1) (ASスペシャル) - 永久保 貴一, 秋月 慈童
  大聖歓喜天(聖天さん)は頭が象で身体が人間の2体が抱き合った姿のものかと思っていたのですが、《高野山秘宝館 仏に関する基礎知識:歓喜天(かんぎてん)》https://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/ten/kangiten.html を見ると、
《 歓喜天の姿は、頭部が象の形であらわされ、いわゆる象頭(ぞうとう)人身の姿をしています。その姿には大きく分けて単身像のものと、双身歓喜天として二尊(にそん)が抱きあう姿のものがあります
  単身像には、手の数が二臂、四臂、六臂、八臂、十二臂の五種類があります。代表的なものとしては、胎蔵曼荼羅最外院の北方に配されている歓喜天(毘那夜迦)で、左手に大根を持ち、右手に斧の様な法具を持って座っています。
  次に双身像ですが、種々の異形像がみられますが、その代表的な姿を紹介しますと、象頭人身の二天が互いに相手の右肩に面を載せて相抱き正立する姿を示すもので、女天は頭に天華冠(てんかかん)を付けて男天(だんてん)との区別がなされています。この女天は観音の化身と説かれるのが一般的で、毘那夜迦(びなやか)の王である歓喜王が衆生に害を及ぼそうとした時、観音菩薩が大慈悲心をおこして毘那夜迦(びなやか)婦女の身となり、歓喜王の欲望をおこさせ、毘那夜迦婦女の身体に触れるためには、未来の世が尽きるまで仏法を守護すること、修行者達を守護すること、今後衆生に対して悪事を働かないこと等の約束を取り付けたうえで抱きあったとの物語が伝えられています。》
と書かれています。

※ 聖天宮 西江寺HP https://www.saikouji-minoh.com/
ウィキペディアー西江寺(箕面市)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82)
ウィキペディアー歓喜天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9

  次回、用水路の所から坂道を北に登ります。

  (2023.5.29.)

☆ 箕面山 聖天宮 西江寺 1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだと言う心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。〔今回〕
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣 1~13
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷きの踏込式・「敷込袋」・落とし掛けのみの床脇 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ著色が周囲と調和。西・南・東より見て。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html

※ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html

※ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

※ 金目山 光明寺(神奈川県平塚市) の歓喜堂については、
⇒[第976回]《金目山 光明寺(平塚市)参拝【3/4】大聖歓喜天を祀る歓喜堂。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498407897.html
※ 飛騨国分寺(岐阜県高山市)については、
⇒[第360回]《飛騨国分寺と三重塔、「和風ドーマー」、ホテルの二重サッシ、飛騨牛中華そば―高山シリーズ第3回(9)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html 

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