箕面山 聖天宮 西江寺 参拝【2/4】中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。

[第993回]
  阪急 箕面線「箕面(みのお)」駅の改札口を出て東に行くと、
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↑ 《 大井堰水路は、平尾・西小路・桜・牧落村により設置された大井堰から取水し、四か村の農業生産を支えてきた重要な用水路です。 又、この場所は大井堰水路の分水地であり、古くは種もみをつける場として利用され、現在も大切に保存しています。
    四大字水利組合 》
と書かれた説明書きが出ています。
  ここを左折して北に進みます。↓
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↑ この坂を登っていった右側(東側)に西江寺があるのですが、この坂を「中ノ坂」と言うらしい。
《 中ノ坂と道標
 中ノ坂は、古代から聖地視された箕面山と、そこに建立された瀧安寺(旧 箕面寺)の宗教世界の入り口にあたります。同寺の『縁起』にみえる「坂本」の地にあたり、ここで箕面山の地主神「白髪の老人」役行者が対面したとも語られています。こうした伝承地の一角に建立されている道標の一面には、江戸後期の著名な念仏聖(ひじり)「徳本上人」自筆の六字名号が刻まれており、この場所は古道の四ツ辻にあたります。
  また、用水路は、地域の人々の共同の洗い場として利用された、貴重な民俗資料です。
   箕面市教育委員会 》
と書かれた説明書きが建っています。
  その「箕面山の地主神 白髪の老人」が大聖歓喜天だったというお話で、その「箕面山の地主神 白髪の老人」で大聖歓喜天(聖天さん)を祀るのが西江寺のようです。

  役行者(えんのぎょうじゃ、役小角〔えんのおづぬ〕)とは修験道で開祖とされる伝説的な人物です。村上重良『日本の宗教』(1981.初版。2009.改版。岩波ジュニア新書)「3.中世の宗教」には、
《 原始社会以来の山岳信仰は、仏教、道鏡と結びついて発展し、中世には、山伏の宗教として修験道(しゅげんどう)が成立しました。平安時代には、僧や聖(ひじり)の山岳修行がさかんに行われ、密教では、山岳に籠って修行した僧の加持祈祷は、とくに効験があるとして重んじられました。山岳修行によって、効験をもたらす力を身につけることを修験といい、修行者を修験者(験者 げんざ)とよびました。修験者は、山中の大地に身を伏せて、山の霊力を直接、身に受けることから、山伏ともよばれました。
  修験道では、役(えん)の小角(おづぬ)を開祖として仰ぎ、南大和(みなみやまと)の大峰山系(おおみねさんけい)とよばれる吉野、金峰山(きんぶせん)、大峰から紀伊国の熊野にかけてのけわしい山岳地帯を最高の霊場としました。吉野、金峰山一帯は、原始神道の時代から、水の神、山の神が住む聖地とされ、やがて黄金が埋蔵されている仙郷、浄土として、ひろく信仰されるようになりました。平安前期の895年(寛平7)年、真言宗の聖宝(しょうぼう)は、金峰山にわけ入って修行し、山上に寺をつくり、このにちしだいに、この地で修行する者が増えました。金峰山は、山の神である金剛蔵王権現が住む密厳浄土(みつごんじょうど)とされ、また弥勒(みろく)の兜率天(とそつてん)浄土、法華経の霊山(りょうぜん)浄土ともされて信仰を集め、藤原道長をはじめ貴族たちは、金峰山に参詣して写経を埋納しました。金峰山を拠点とする山伏たちは、聖宝を中興の祖として真言宗の当山派をつくり、興福寺を本寺としましたが、のち室町末期から、聖宝がひらいた醍醐寺に本寺をうつしました。
  真言密教が吉野、金峰山一帯を霊場としたのにつづいて、天台密教は、熊野から大峰に進出しました。平安中期から霊場として栄えた熊野は、1090(寛治 かんじ 4)年、天台宗寺門派(じもんは)の増誉(ぞうよ)(1032ー1116)が熊野三山検校(けんぎょう)となって以後、天台宗寺門派の支配下に入り、熊野から大峰山中へ入る天台密教の修行者が増えました。熊野に拠る山伏たちは、増誉を中興の祖として、天台宗の本山派(ほんざんは)をつくりました。本山派では、増誉が朝廷からあたえられた京都の聖護院(しょうごいん)を本寺としました。ふるい歴史をもつ全国各地の山岳霊場のおおくは、中世末までに、当山派と本山派の系列にそれぞれ組みこまれましたが、特別の伝統をもつ九州の彦山(ひこさん)(英彦山)、備前(びぜん)国の児島五流(こじまごりゅう)などの山伏は、独立をつづけました。
・・・・ 》
と書かれている。
日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 重良, 村上
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「聖護院」というと、八ッ橋 つくっているお菓子の会社の名前か・・と思いそうだが、京都の東の方、知恩院より北、慈照寺より南 にあるお寺なのだ(^○^)
聖護院八ッ橋総本店 聖・抹茶詰合(10個入)京都 銘菓 お土産 生八ッ橋
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  伊矢野美峰(いやの びほう)『目からウロコの修験道』(2006.3.31.学習研究社。)には、
《 役行者は、俗姓は賀茂役君(かものえだちのきみ)で、大和の葛城、茅原(ちのはら)に御降臨されました。母の御名は白専女(しらもうめ)と申します。役行者が、母胎内に託胎したとき、金剛杵(こんごうしょ)(独鈷 とっこ)の形を示しました。七か月を経て誕生し、頭上に隆起があったので小角(おづぬ)と名づけられました
  この隆起を独一法身の徳の働きであるとします。幼年より敏く、七才のとき伯父の願行(がんぎょう)上人より不動明王の真言を受け、常に念誦(ねんじゅ)を怠ることがありませんでした。十七歳で葛城の峰に修行し、十九歳で大峯(おおみね)に入峰されたとも伝えられています。三十六歳のときに、箕面(みの)の龍窟にて龍樹菩薩が普賢色三昧(ふげんしきさんまい)という三昧(さんまい)の力で出現され、秘密灌頂を授けられました。・・・》
と書かれています。この「箕面(みの)の龍窟にて龍樹菩薩が普賢色三昧(ふげんしきさんまい)という三昧(さんまい)の力で出現され、秘密灌頂を授けられました」という「箕面(みの)」が大阪府箕面市の阪急「箕面(みのお)」駅から北側、箕面大滝にかけての地域らしい。
《 行者が六十歳のとき唐に渡り、北斗仙(ほくとせん)になったとも伝えられています。・・・》と書かれていますが、箕面の山には「天井か」と言って、役行者(役小角)がそこから雲に乗って中国に飛んで行ったというお話がある場所もあるようです。その「天井か」という場所に一度行ってみたいと思うのですが、行けずにいます。
目からウロコの修験道 (わたしの家の宗教シリーズ) - 美峰, 伊矢野
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  箕面山 瀧安寺(りゅうあんじ)は役行者(役小角)が箕面大滝の下で修行をして弁財天の助けを得て悟りを開いたという、その場所に設けられた庵がルーツで、その後、地震で箕面大滝の下のあたりが崩落したことがあって、それよりも下流の現在地に移転したというものらしいが、西江寺の方は、役行者(役小角)が白髪の老翁と出会ったが、その老翁が実は大聖歓喜天の化身であったというお話による寺らしい。
大阪府の歴史散歩編集委員会編『大阪府の歴史散歩 上 大阪市|豊能|三島』(2007.9.18.山川出版社)には、
《 箕面駅から北の滝道(自動車進入不可)へ入ると、そこは箕面山(さん)(国 名勝)である。古来、箕面山は箕面の滝を中心に、修験道(しゅげんどう)の中心地として宗派を超えた信仰を集めた。モミジの天ぷらを揚げるみやげ物屋が並ぶ滝道をのぼって行くと、右手に聖天宮(しょうてんぐう)西江寺(さいこうじ)(真言宗)への登り口がある。寺の縁起では、聖武天皇の勅願で建立されたと伝える。本堂(聖天堂)に役小角(えんのおづぬ)(役行者 えんのぎょうじゃ)作と伝える秘仏 大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)(聖天)をまつる
・・・》
と書かれている。
大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島 (歴史散歩 27) - 大阪府の歴史散歩編集委員会
大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島 (歴史散歩 27) - 大阪府の歴史散歩編集委員会

  聖天宮 西江寺(しょうてんぐう さいこうじ)HP の「聖天宮 西江寺」https://www.saikouji-minoh.com/temple には、
《 箕面山は古来より瀧を中心に山林の修行道場として発展し、日本でもっとも古い修行地の一つ。658年飛鳥時代、役行者(えんのぎょうじゃ)により開山されました。
 役行者が箕面大瀧で苦行を重ねていたある日に山獄鳴動して光明が輝き光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、この山を日本最初の歓喜天霊場として万民の諸願成就のため未来永劫ここに鎮座すると申されました
 本堂には役行者作日本最初の大聖歓喜天が祀られ1300年余の歴史があります。現在も地元の氏神として「聖天さん」と呼ばれ信仰を集めています。》
と書かれています。

  中ノ坂 を登って行きましょう。
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  ↓ ↓ ↓ ↓
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〔左の電柱には「西江寺 Pあり。西国七福神 大黒天 ↑」と書かれた掲示が出ています。〕
  ↓ ↓ ↓ ↓
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  ↓ ↓ ↓ ↓
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↑ この右奥の一角が西江寺の境内です。
「西江寺参拝者 駐車場⇒」
という看板が出ているのが見えます。
この看板の手前を右に行くと西江寺参拝者用駐車場に行くようですが、徒歩での来訪者はこの北側に鳥居がある入口が2か所あるので、そのどちらかから入った方がいいと思います。
  南側の鳥居は ↓
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↑ 南側の鳥居には「聖天宮」と書かれた額がかかっています。

  このすぐ北側には、↓
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↑ 赤い幟 には「出世 開運 大黒天尊 西江寺」と書かれています。
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↑ 石段の両側に石柱が建っていますが、左側(北側)の石柱には、↓
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↑ 「日本最初 歓喜天出現 霊場 聖天宮」と書かれています。
  右側の石柱は ↓
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↑ 「聖武天皇勅願所 元摂津国神宮寺 真言宗 西江寺」と書かれています。
  そして、北側の鳥居は、↓
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↑ こちらの鳥居には「歓喜天」と書かれた額がかかっています。
鳥居の左右の石柱にも文字が書かれていますが、残念ながら私には何と書いてあるのかわからない。

  次回、この鳥居をくぐって石段を登っていきたいと思います。

  中ノ坂 は西江寺の前をそのまま北に進むと、↓
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箕面駅から左右に土産物屋が並ぶ滝道に一の橋の手前、橋本亭の手前で合流します。左右に土産物屋が並ぶ滝道も悪くありませんが、こちらの中の坂もまた、静かで人の通りは左右に土産物屋が並ぶ滝道よりずっと少なく、又、坂を登るだけに帰りには少し高い位置からの眺望も楽しめ、↓
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私はこちらの道も好きです。
  西江寺に参拝者用駐車場があるようですが、それでも、特に高齢の人や足が悪いという人でなければ、できれば、中ノ坂を自分の足で登って西江寺まで行くようにしたい。この付近で箕面山の地主神だという白髪の翁と役行者(えんのぎょうじゃ。役小角 えんのおづぬ)が対面した、その翁が大聖歓喜天の化身だったといったお話がある地域で、歩いて気持ちのいい道ですから歩ける人は歩いて登った方がいいと思います。

  又、「箕面の滝」とか瀧安寺・西江寺に行くには、今、北大阪急行電鉄が「千里中央」駅から北に2駅延伸する工事がおこなわれており、新たな終点になる「箕面萱野」駅まで北大阪急行電鉄で来て、そこから阪急バスに乗って「箕面駅」バス停まで行くというルートが便利になると書かれたものをインターネット上で見たりもするのですが、私は「箕面の滝」とか瀧安寺とか西江寺とかに行くのであれば、阪急 箕面線にかつての「石橋」駅、現在は「石橋阪大前」駅と言うようになったらしい駅から箕面線に乗って「箕面」駅まで来て、阪急「箕面」駅から行くのを勧めたいですね。
  参道ということではないのかもしれませんが、私の意識としては、阪急「石橋阪大前」駅からの箕面線というものもまた、箕面に行く場合の経路の一部分、箕面の一部分という感覚があります。箕面は阪急電鉄の前身の箕面有馬電気軌道(箕面電車)が最初に通った所であり、1960年代、私が子供の頃は箕面線というと阪急電鉄でも一番古い電車が走っていて、照明は蛍光灯ではなくて白熱灯、乗車口のステップは矢鱈と大きく、乗るだけで楽しいような電車が走っていました。今はそうではなくて「普通の電車」が走っていますが、それでも、阪急 箕面線は今も「箕面の滝」や瀧安寺・西江寺に行く場合の一部分という感覚が私などにはあります。・・まあ、「千里中央」駅付近とかに住んでいる人は、わざわざ、「石橋阪大前」駅まで行って箕面線に乗らなくても、「千里中央駅」から阪急バスで「箕面駅」行きに乗って終点で降りて行けばいいとは思いますけれども。
  又、私が子供の頃、1960年代においては、大阪市地下鉄(現 大阪メトロ)の御堂筋線は1964年に東海道新幹線が開通して「新大阪」駅ができるより前は「梅田(うめだ)」まで、1964年に東海道新幹線が開通して「新大阪」駅ができた時点で「新大阪」まででしたが、その後、1970年の大阪万国博覧会の時に「千里中央」駅まで開通し、阪急バスの「千里中央駅」から箕面線の「箕面駅」までの便も通って、私が子供の頃は御堂筋線沿線からでも箕面に行くには「梅田」で阪急に乗り換えて、「石橋」(現「石橋阪大前」)で箕面線に乗り換えて「箕面」駅まで行くしか電車でのルートがありませんでしたが、今では御堂筋線の沿線から箕面に行くには、御堂筋線にそのまま乗って北大阪急行電鉄「千里中央」駅まで行き、「千里中央駅」から阪急バスの「箕面駅」行きに乗って「箕面駅」バス停まで行くという方が乗換が1回少なくてすみ、さらに「箕面萱野」駅まで北大阪急行電鉄が延伸して、「箕面萱野」駅(現在は阪急バスのバス停としては「箕面駅」行きの場合は「白島(はくのしま)」バス停から、「箕面」駅から乗った場合は「萱野中央」バス停)から阪急バスに乗って「箕面駅」バス停まで乗る方が便利にはなってきましたが。それでも、阪急 箕面線というのは、今でも私はけっこう好きです。

※ 聖天宮 西江寺(しょうてんぐう さいこうじ)HP https://www.saikouji-minoh.com/
ウィキペディアー西江寺(箕面市) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82)

 ((2023.5.31.)

☆ 箕面山 聖天宮 西江寺
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだと言う心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。〔今回〕
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から箕面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 箕面山瀧安寺と鳳凰閣
1.箕面駅から一の橋まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498565198.html
2.笹川良一「孝養の像」のばかばかしさ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498624594.html
3.一の橋より梅屋敷。箕面川がカーブしている所(夫婦橋休憩所)まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498642163.html
4.「森秀次君之像」・野村泊月句碑・昆虫館・延命地蔵?より瀧安寺鳥居まで https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498667552.html
5.山門・手水舎・観音堂・法筺堂。山門の前から見える鳳凰閣・圓満殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498680952.html
6.大護摩道場・五所明神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498712914.html
7.弁天堂・大黒堂・行者堂・白龍大明神・箕面山神社・熊野三所権現・妙音天。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498747248.html
8.瑞雲橋を渡り、鳳凰閣・圓満殿のエリアへ。円満殿外観と「岩本坊跡」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498792510.html
9.圓満殿。松の間・鷲の間・貴人の間。畳敷きの踏込式・「敷込袋」・落とし掛けのみの床脇 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498821055.html
10.圓満殿。「玉座」のある間と床の間・床脇・付書院。龍虎の間。圓満殿から見た箕面川西岸地域 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498915742.html
11.屋根上に鳳凰がいる鳳凰閣、2階のみ著色が周囲と調和。西・南・東より見て。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498951322.html
12.東・南から見た鳳凰閣、鳳凰閣内部、三間続きの和室と格天井。北面全面の床の間。鳳凰閣和室から紅葉とともに見る箕面川西岸側はきれい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499187585.html
13.箕面川渓谷を表現した枯山水。箕面川と紅葉。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499217764.html

※ 箕面山 瀧安寺と箕面大滝について、
⇒[哲建ルンバ]《瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_25.html 
※ 聖天宮 西江寺については
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

※ 金目山 光明寺(神奈川県平塚市) の歓喜堂については、
⇒[第976回]《金目山 光明寺(平塚市)参拝【3/4】大聖歓喜天を祀る歓喜堂。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498407897.html
※ 飛騨国分寺(岐阜県高山市)については、
⇒[第360回]《飛騨国分寺と三重塔、「和風ドーマー」、ホテルの二重サッシ、飛騨牛中華そば―高山シリーズ第3回(9)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html 

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