赤根天神社(長岡京市)【2/2】鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。梅鉢の紋の入った覆い屋の屋根。浪人した人間に「通った人間⇒ええもん、落ちた人間⇒悪もん」と決めつける高校教諭とその男に送別会をやろうとする人としたくない人間。「大学はどこでも一緒」であるかどうか、実際に自分が経験して話すのではなく、根拠なく決めつけて言いまくる高校教諭。
[第997回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第65念-2
京都府長岡京市今里4丁目 の赤根天神社参拝の2回目です。

↑ 右の石柱には「赤根天神社」と彫られています。
鳥居には、↓

↑ 「奉寄進 石鳥居 天満天神宮」
と彫られています。
鳥居をくぐって左側、注連縄が張られた太い木が立っています。↓

↑ 注連縄が張られているということは、御神木なのでしょう。長岡市指定保存樹木 との説明書きが書かれた札が立っています・・が、何の木だったかは忘れてしまった。

↓ ↓ ↓ ↓

↑ 鳥居をくぐり、社殿に向って参道を北に直進します。

↑ 社殿に向って左側(西側)にある 手水舎・・だが、水は出ていない。


↑ けっこう大きな社殿があるように見えるが、これは覆い屋であり、その中に、ひとまわり小さい建物の社殿がある。↓



↑ 横から(西から)見た写真によると、中の社殿は流造の屋根になっているようだ。
覆い屋 の屋根を見ると、↓

千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)は、どっちがどっちだっけ? ・・と間違えやすいのだが、
《 千木は屋根の両端で交叉させた部材であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材である。》
( ウィキペディアー千木・鰹木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9C%A8%E3%83%BB%E9%B0%B9%E6%9C%A8 )
ここでは、千木の先端は地面と水平で千木に穴は開いていない。 鰹木は5本と奇数・・と現地で見て思ったのだけれども、写真をよくよく見ると、この覆い屋の屋根って、両端に千木があって、その内側に鰹木が並んでいるのではなくて、千木が5組あるのじゃないか?
鰹木はなくて千木が何組か並んでいるというのは初めて見た・・がそうなのか・・?
千木の先端は地面と垂直の場合と比べて地面と水平にすると上から雨水を浴びた時に木口から雨水が浸透して傷みやすいのではないか・・と思えたのだが、ここではそういったことも考えてか、地面と水平に施工された千木の先端に金属がかぶせてあるようだ。
ウィキペディアー千木・鰹木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9C%A8%E3%83%BB%E9%B0%B9%E6%9C%A8 によると、
《 千木は古代、屋根を建造する際に木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残りと見られる。千木・鰹木ともに本来は建物の補強が目的だったと考えられるが、後に装飾として発展し、現在では神社の聖性を象徴するものとなっている。なお、日吉造のように千木等を屋根に設けない社殿形式もある。》
と書かれている。

宮大工と歩く千年の古寺―ここだけは見ておきたい古建築の美と技 - 松浦 昭次
現地の説明書きによると、赤根天神社の「本殿・拝所 附本殿覆屋1棟 附瓦製狛犬1対」は長岡市指定有形文化財に指定されているらしい。《18世紀前期(江戸時代)》のものらしい。
赤根天神社は名称は「天神社」で、入口の石鳥居の柱には「天満天神宮」と彫られているのだが、現地の説明書きには、
《 赤根天神社は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする。もとは井ノ口の旧石田家が奉祀する神社で、応仁の乱で焼失したが、それまでは、この地に石田家の屋敷があり、屋敷内に立つ鎮守社だったという。現在、赤根天神社は今里区民の鎮守として祀られている。
・・・
本殿は正徳3(1713)年10月の造営と伝えられるが、蟇股(かえるまた)・虹梁絵様(こうりょう えよう)などの細部意匠は18世紀のもので、正徳3年造営の可能性は大きい。
・・・・・
平成12年(2000年)3月
長岡京市教育委員会 》
と書かれている。
京都ガイド 赤根神社・赤根天神社 https://kyototravel.info/akanejinjya には、
《 赤根神社は井ノ内にあった旧石田家の石田家屋敷に祀られていた邸内社(鎮守社)だったと言われています。
また赤根神社は赤根天神社とも言われ、その社名からかつて天神(てんじん・火雷神(ほのいかづちのかみ))を祭神として祀っていたとも言われています。
その後室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって石田家屋敷が焼失するとこの地の鎮守になったと言われています。江戸時代中期の宝永年間(1704年~1711年)に石田瀬兵衛政永が石灯籠・石鳥居を寄進し、1713年(正徳3年)に本殿が建立されました。
赤根神社は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)を祀っています。赤根神社は家内安全・五穀豊饒に信仰されています。
赤根神社は近隣二十一社からなる乙訓鎮座神社巡りの一社になっています。赤根神社では元旦祭・節会祭などの行事も行われています。なお赤根神社にはかつて神輿1基があり、京都府向日市向日町北山65に祀られている向日神社(むこうじんじゃ)の御旅所(おたびしょ)だったと言われています。》
と書かれており、
1.石田家屋敷の邸内社(鎮守社)
2.この地の鎮守社
3.天神・火雷神(ほのいかづちのかみ)
4.伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)
5.向日(むこう)神社の御旅所
という性質がある神社らしいが、長岡京市 有形文化財に指定されているという覆い屋の屋根を見ると、↓


↑ 覆い屋の屋根には梅鉢の紋が入っています・・ということは、天神つながりで菅原道真もまた縁があるのでしょう。
「覆い屋」とはいえ、この覆い屋もまた長岡京市 有形文化財の指定を受けているものですから、ごく最近に誰かがよく考えずに建てたというものではないでしょうから、ある程度以上の期間、梅鉢の紋が入った屋根の覆い屋でこの神社は過ごしてきたと思われますから、菅原道真も縁はあると考えてよいのではないでしょうか。
北側の東西の道である光明寺道(府道209号)に面して↓があります。↓

↑ 赤根天神公園から赤根天神社へ入る通路、もしくは赤根天神社から赤根天神公園へ入る通路があるようです・・↓

↑ 2回目以降に訪問する場合は、こちらから入ってもいいとは思いますが、初回の参拝は、やはり、ガチンコ民族としては正門から入って参拝したいと思いますので、南側の鳥居から参道を進んで参拝してきました。 八百長医者屋裏口民族は裏口から入るのがふさわしいでしょう。

医学部・金、権力の腐蝕構造―大学の有名病院支配図 (1985年) - 和田 努

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康

口笛をふく時 (講談社文庫) - 遠藤周作
今回は阪急京都線「長岡天神」駅から歩きましたが、「西向日(にしむこう)」駅からの方が「駅から歩く」場合には距離が短いようですので、次回、訪問する時は「西向日(にしむこう)」駅から歩いてみたいと思います。
そういえば、1970年代後半、北野高校の3年の時の担任だった大谷郁三(男。当時、40代)が「学校はどこでも一緒や」と言ってしかたがなかったが、結論として、それは嘘です。
「この学校でもそうでしょ。京大に合格者が多かったとしても誰でも京大に通るわけではないでしょ」と大谷は言うのでしたが、この男が卑怯なところは人が高校卒業時に大学入試に落ちて浪人したと思うと、途端に「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」と決めつけて発言するという点です。大学入試はさっさと現役で通った方がいいか落ちた方がいいかというと、さっさと現役で通った方がいいに決まっていますが、しかし、落ちた者といえども人を殺したわけでもないのです・・が、この大谷郁三という男は「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」という態度を取りだすのです。あの男はそういう人間だったんだなあ・・・と浪人したことで気づきました。2年浪人した後、高校2年の時のクラス会があって、その時、たまたま、隣にいた3年の時も同じクラスだった女性が私が2年浪人したので3年の担任だった大谷と浪人中につきあいがあっただろうと思って「大谷先生、どうしてられますか」などと言ってきたので、え? あんなやつのことをそんなこと思っているの? ・・え? と思ったことがあったが、現役で大学に進学した者には大谷という男がそういう男だということに気づくことなくその後の人生に進んだ人がいたようだった。あいつは、高校生には「学問というものは競争でやるものではない」とか「学問によって人に序列ができるというようなことはよくない」とか「けっこうなお話」をしまくっていたので、そういう「少々人格者」みたいな人間かと勘違いした生徒がいたようだったが、およそ、そんな人間ではないのだ。「学問というものは競争でやるものではない」とか「学問によって人に序列ができるというようなことはよくない」とか「けっこうなお話」をしまくっていたのは、それは大谷が自分があんまりいい大学でてないから、だから、そんなこと言いまくっていただけで、浪人してしまった人間に対して、「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」と決めつけた態度をとる、そういう男だったのだ。思い出したのだ。私が高校に入学した年だったかに大谷は大手前高校から転任してきたのだが、その年、北野高校に赴任した先生が3人あったのだが、その3人を校長先生が紹介する時、「S田先生は北野高校を卒業された後、大阪大学理学部数学科に進学され、大阪大学理学部数学科の大学院修士課程をこの春に終えられて母校の教員として赴任していただくことになりました」「M本先生は奈良女子大学理学部化学科を卒業されて大手前高校に『化学』の教員として勤務してこられましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」とこの2人は出身大学と学部の名前があったのだが、大谷だけは「大谷先生は大手前高校で日本史を教えてこられましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」と、なぜか出身大学名がないのだ・・・てことは、ははあ~ん、そうか♪ 会社が株主宛てに送る「株主の皆様へ」とか応募を考える大学生向けの会社案内に「役員紹介」という欄があって、そこに役員の学歴が記載されていたのに、ある年から学歴の欄がなくなった・・てことは、なるほど、社長のバカ息子が役員に就任しよったんか~い・・てのと同じ類のもんか。大谷はあんまりええ大学でとれへんというこっちゃなあ~あ。な~るほど~お・・・と。他の職業ならば、「あんまりええ大学でとれへん」としても、「学校ではあまりよい成績ではありませんでしたが、職場では一生懸命努力してこのような成果を出しました」ということもあるかもしれないが、進学校の教諭で「あんまりええ大学でとれへん」というのはどうなのか。徳川家康公遺訓には「勝つことばかり知りて負くること知らざれば害その身に及ぶ」なんて文句もあるし、野村じいさんは「『失敗』と書いて『成長』と読む」とか言うておったし、大学入試においてうまくいかなかった経験というものが、かえってそれがその人の能力になる場合といういものもあるかもしれない。しかし、それは「ある程度の大学」を受けてうまくいったりいかなかったりという経験のことであって、最初からあんまりええ大学に行ける感じやなかった・・という人の場合はどうか。そういう人が高校の教諭になる場合は、進学校の教諭になるよりも逆の方の高校の教諭になった方がいいということはないか。 大谷が高校生には「学問というものは競争でやるものではない」とか「学問によって人に序列ができるというようなことはよくない」とか「けっこうなお話」とか何とか「けっこうなお話」をしまくっていたが、浪人した人間には「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」という態度をとり、浪人中の卒業生には極めて冷たい態度をとりまくった・・・ということをすんなりと現役で大学に行った人間は知らないようだった。私もあの男が高校生に話していた「けっこうなお話」とのギャップに驚いたのだから、知らない人・気づかない人がいてもわからないでもないが、現役で大学に進学した者にはそのあたりを知らないで人生を進んだ人、大谷を誤解している人がいたけれども、あの男はそんなけっこうな人間とは違うぞ・・ それを私は浪人したことで学んだ。そんなもの、学びたくはなかったけれどもね。
北野高校では3年の担任を持った教諭は翌年は担任はもたず、1年置いてその次の年にまた担任を持つということにしていたようで、結果として2浪してしまいましたので、私は卒業した翌翌年に「調査書」(内申書)をもらいに大谷郁三の所に行ったりしました・・が、その際、その年に大谷に担任を持たれていたらしい一人の女子生徒が大谷の所に来て進学について相談にのってもらおうと来ていたのを見たのですが、へえ~え、こんなやつに相談に乗ってもらおうなんて考えるのか、こんなやつ、役に立たんと思うがなあ・・・と私は思ったのでした・・が、そのあたりが「2浪の功」とでもいうものかもしれません。2000年代、北野高校で大谷郁三が退職するというので「送別会をやりましょう」などとの誘いを出していた人があったようで驚いたということがありました。へえ~え、あの男に送別会やってあげようという人がいるのお? へえ~え・・と驚きました。大谷は私が浪人中にこう言ったのです。「進学の指導は高校の教師の仕事とは違う」と。大谷は遠山啓『競争原理を超えて』(太郎次郎社)などを推薦し、「序列主義とは嫌な言葉ですね」「学問はどこに行ってやるかではなく、どれだけやるかが大事」とかそういうことを言いまくる男だったので、高校の目的は高校生として学んでおくべきものを学び、人間として立派な人間となり、卒業後、納得のいく人生を送ることができるように協力するのが高校の教師の仕事であって、どこの大学に合格させるといったことは二番目以降の問題であって決してそれが第一番ではない・・と言いたいということなのだろうと思い込んでいたのでしたが、そうではなかった。大谷はそうではなくて、進学校の高校の教諭になって大学入試にある科目を担当して高校3年のクラスの担任をもっておきながら、本当に「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」と思っていたようで、「まあ、お好きなように」とかそういう口をきいたのです。だから、私は大谷に対してはずっと思ってきたのです。
「送別会は卒業生の仕事とは違う」と。
大谷は浪人中の私に何度も言ったのです。「受験の指導は高校の教師の仕事とは違う」と。それは勝手すぎるでしょう。もしも、高校の目的はどこの大学に合格するということではなく、「高校の勉強」は高校の勉強として価値があるものだと言うのならそれは間違っていないでしょう。しかし、高校を卒業したなら、就職するのでなければ大学に進学するのであり、「そんなものは高校の教師の仕事とは違う」と本気で言いまくる教師というのは、それは良心的と言えるのか?
私の母方の伯父が大阪府立の進学校ではない方の高校の教諭をしていたのですが、「北野高校の先生はうらやましい」と言っていました。「教えていたらいいのだから」と言うのです。伯父の高校では「教えていたらいい」ということはないのかというと、なかったらしい。「勉強なんてしよれへんもん」と言うのです。「夏休みでも、喧嘩して警察につかまったとかで警察から呼ばれたり、女の子が妊娠したとかいって病院から呼ばれたりなあ」と。「こんなん、高校の教師の仕事と違うでえと思う」と話していたらしい・・・けれども、そんなものは高校の教師の仕事とは違うと思いながらもそれでも警察や病院に行ってあげていたらしい。「行ってやらなきゃ、誰も行かないのではかわいそうだろう」と言っていたらしい。大谷郁三は私の伯父が「うらやましい」と言っていた北野高校の教諭になって、そして「大学受験の指導は高校の教師の仕事とは違う」などと本気で言っていたのです。そもそも、目の前にいる「進学校の生徒」というものに敵意を持っているような男は、何も「進学校の教師」をやらなくても、高校の教諭をやるにしても進学校ではない学校の教諭になった方が良かったのではないのか。そういう男に対しては「相互主義の原則」として、
「送別会は卒業生の仕事とは違う」
とはっきりと言ってやりたい。「浪人の功と罰」「2浪の功と罰」といったことが言われることがあります。浪人した方がいいのか現役で大学に通った方がいいのかというと、さっさと現役で通った方がいいと思いますが、2浪もしてしまったおかげであの男の正体がわかりました。あんな男に送別会をやってあげようと考えるような人間というのは、もしかすると私よりも高校の時の成績が良かった人かもしれないし、私が行けなかった大学に現役で通って行った人かもしれませんが、そうであったとしても、大谷に送別会をやってあげようなどと考えるということは、私に見えたものがいまだに見えていない人だということのようです。
大学進学に関しては、慶應義塾高校とか慶應女子高校とかに行っておけば慶應大学に進学するのであれば内部進学で進学できるので一般入試で慶應大学に行くよりも行きやすいのは間違いないでしょう。それに対して、北野高校から京都大学に何人通ったといっても、一般入試で合格最低点を上回る点数をとらないと入れてもらえないわけです・・・が、そこから大谷は「学校はどこでも一緒や」などと言うのですが、そのあたりが間違っているのです。やっぱり、京大に何人も合格者を出している高校には京大に合格しやすい要素がある。東大に何人も合格者を出している高校には東大に合格しやすい要素があるのです。何の本で読んだかわからなくなってしまったが、遠藤周作が「夕刊フジ」で何人かと対談をしたものをまとめた本が出ていて、そこで宮崎みどりと対談をしたもので宮崎みどりが話していたのだが、宮崎みどり は東大を受けたけれども落ちてしまい、慶應大には合格して慶應大に入学して卒業したらしい。遠藤周作との対談で述べていたが、宮崎みどりは神奈川県の湘南高校卒で、湘南高校は神奈川県立の高校で東大に合格者を多く出して受験を見た上で思ったようですが、自分は「どの大学に行くにはどの高校に行っておくのが有利」ということを考えられなかったと述べていたのです。どれだけ努力して学習したかだけで大学入試の合否は決まるわけではなく、やはり、「どの大学に行くにはどの高校に行っておいた方が有利」というものがあると言い、弟の行っていた高校の方が東大に行くには有利だったように感じたらしい。宮崎みどり は私より少しだけ年上だったはずで、宮崎みどり や私が高校を卒業した頃の時代においては湘南高校は東大にけっこう合格者を出していた高校だったので比較的東大に合格しやすい方の高校なのかと私は思っていたのですが、宮崎みどり は弟が行った高校と比較するとそうではないように感じたらしく、そのあたりについては私はよくわからないけれども、「どの大学に行くにはどの高校に行っておくのが有利」というものはある、高校によって進学しやすい大学とそうではない大学というものはあるとは、私もそういうことはあると思います。「学校はどこに行っても一緒や」などという大谷の発言は無責任です。
司法試験は4年制大学の2年を修了すると1次試験免除で2次試験から受けることができましたが、「だから、大学はどこでも一緒や」といったことを大谷は言うのですが、違うと思います。慶應大学には司法研究室といって司法試験受験のための講座がありましたが、私が高校を卒業した1970年代後半くらいにおいては、司法試験合格者数はその年によって1位が東大か中央大で2位がその1位でなかた方、3位が京大か早稲田大で4位がその3位でなかった方で5位が慶應大というものでした。その5つくらいならば大学に司法試験受験の講座といったものがあるのではないかと思うのですが、司法試験合格者なんていない大学では司法試験受験対策のそういう講座がないのではないか。又、今はどうか知りませんが、かつては司法試験の2次試験の論述試験では東大法学部の4年の後半に配置されているものは試験に出ないと言われていたのです。代々木ゼミナールの模擬試験と東京の代々木ゼミナール本校で受けたことがあるのですが、その際に、「代ゼミ通信」だったか代々木ゼミナールが発行しているものをもらったのですが、そこに「代々木ゼミナールで浪人生活を送って東大に合格した皆さん」の座談会が掲載されていて、そこに文科一類に合格した人が「東大の文科一類に入ると、まわりが『絶対に大学4年間のうちに現役で司法試験に合格するぞ』という人間ばっかりなので、そこにいると自然と自分も司法試験を目指して勉強しなきゃならないみたいな雰囲気になります」と述べていたのだが、それに対して、慶應大学になんか入ると「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と四方八方から言われることになる。それでも、「暗さ、大好き♪」と居直ってやればいいのかもしれないけれども〔トラブルバスターズ に登場するミドリコさんみたいに「私はミドリコ。性格はと言いますと、根暗でオタクで陰キャなのでありまする。ドゥフフのフ~ウ♪」とやればいいのかもしれませんが(^^)/ 《YouTube-【アニメ】義兄「お2人は床と段ボールでいいですよね」私&母「え?」義妹「これ使って下さい」→義弟宅のお祝いの席で私と母の席》https://www.youtube.com/watch?v=ZYxUF6bxSFE 〕、やっぱり、「まわりが『絶対に大学4年間のうちに現役で司法試験に合格するぞ』という人間ばっかりなので、そこにいると自然と自分も司法試験を目指して勉強しなきゃならないみたいな雰囲気になります」という大学に行った場合と、「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と四方八方から言われることになる大学に行った場合とでは、前者の大学に行っておいた方が司法試験には合格しやすいのではないか・・・という感じがしました。これは実際に「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と四方八方から言われる大学に行った経験をした上で私は言っていることです。「人間が強かったらそんなものは関係ないはずだ」とかおっしゃる人がいますが、私なんかあんまり強くないので関係ないことはありません。
慶應人間は司法試験を目指して学習する人間がいると「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」とか四方八方から言いまくってやめさせようとするのを「協調性」と言っていたのですが、私の認識では司法試験なんて受けるよりも民間企業に勤めた方がいいと思う人がそうするのは自由ですが司法試験を目指して学習する人もまた自由であり、自分とは異なる方も認めるというのが「協調性」ではないのか、自分が司法試験なんて目指そうとは考えていないからといって人に「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」などと言わなきゃ気がすまないという慶應的態度というのは、そういうのは「協調性がない」と言うべきではないのか・・と思ったのでしたが、こういうことを言うと「協調性がないなあ」などと慶應人間≒「ギャルにもてもて」から言われることになります。その「ギャル」とかいうやつ、よっぽどバカじゃないか・・と思うのですが「慶應タイプ」はそういう女が好きで、そういう女は「慶應タイプ」が好きなのです( 一一) 慶應人間は私などが「あんな女のいったいどこがええねん・・」と思うような女が好きで、そういう女もまた「あんな男のどこがええねん・・」て男が好きで、似た者同士のようです( 一一)
弁護士の岡野たけし 氏のYouTubehttps://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B2%A1%E9%87%8E%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97 には毎度、コメント欄に司法試験受験者が世界で一番えらいみたいな変な思想・世界観を持っている人が大量におり、ちょっと物の考え方を間違えているのではないかと思い、おそらく私よりもずっと若い人と思われるので老婆心から、それは違いますよという内容のコメントを入れると激怒されてしまい、「おまえは何か試験に通ったのか」とか「返信」されたりするのですが、そういう試験という結局のところ、どこかの誰かが設けた基準を満たすことができるかどうかというものを追いかけるしか能がない人というのは、それは何らかの試験に合格できたなら「まったく無能ということではない」と言えても、常にそういうどこかの誰かが決めた基準である試験に通るかどうかでしか人間を考えることができないという精神構造というのは、あまり立派な精神構造ではなく、私が親ならば「その考え方はやめた方がいいよ」と一言は言ってあげるところですし、又、親でなくても「おせっかい」というのか「お人よし」というのかでコメント欄に一言入れてあげたりもしたのですが、そうすると「逆ギレ」というのかされてしまうのでした・・が、たとえ、司法試験に合格して裁判官なり弁護士なりになるとしても、「親から生活費を出してもらって生活して司法試験をめざす人間」が世界で一番えらいという思想・世界観、難易度が高いとされる試験に通った人間がえらいというそういういびつな思想・世界観に囚われてしまった精神的なカタワでは、たとえ試験に合格できて裁判官になっても弁護士になっても、あんまりいい裁判官・弁護士にはなれないのではないのか、世の中、裁判官・検察官・弁護士が一番えらいなんて誰が決めたんだ? そもそも、弁護士というのは相当の高額を払って依頼してくれたお客様に対して、おのれはろくにまともに働かずにいてえらそうな態度をとる権利があるというその思想は誰が教えたんだ? 人からカネを受け取って仕事を依頼されて請けたならば、その仕事にまともに取り組むべきではないのか、人と約束したら約束した時刻には約束の場所に行くべきであり、遅れた時には「弁護士は忙しいですから」などと言うのではなく言うべき文句は「すいません」「申し訳ありません」ではないのか・・と思うのですが、そんな人間だらけの業界であることから、そんな人間でも食っていけている業界・・というその点において弁護士屋業界というのはレベルの低い業界なのです。国民にとっては、その状況は好ましいものではないはずなので、そのためには「司法試験に通ったら食っていける」という状態ではなくて、たとえば一級建築士のことを「足の裏についてご飯粒」なんて言い、それは「(建築学科を卒業した者にとっては)取らなきゃ気持ち悪いけれども、取ったからといって食えるものでもない」という意味だそうで、弁護士の資格というものを「取れば食っていける」という状態ではなくて、「取ったからと言って食っていけるとは限らない」という状態にして、ろくでもないやつは淘汰されるようにしてやるべきではないか・・とも思えるのですが、その考え方によって司法試験の合格難易度を少し下げた時期があって、合格者を多くすることで、「合格までは難しいが資格を取得すれば食っていける」というものではなく「合格までもある程度難しい試験であるが、合格後も競争があり淘汰されることがある」というようにした方がいい、アメリカ合衆国の弁護士というのは日本よりも合格難易度は易しいらしく、弁護士の数も多いけれども、「取ったら食える」というものではなくて弁護士になってからの競争で働きが悪い弁護士は淘汰されるようになっているらしく、日本もそのようにした方がいいのではないか・・実際には役に立たないようなことばっかり相当ハイレベルに勉強して依頼者のために役に立たないくせに自分はえらいと勝手に思っているバケモンを養成するような試験制度はやめるべきだ・・と考えた人がいたらしいが、やってみると、他方において「やっぱり、易しい試験にしか通ってない人はあかんわ」という面もあるとか聞きます・・しそういう人はいると思います。そういうこともあるかもしれません。実際、検察官には司法試験に合格してなった「検事」と司法試験に合格していないのに、なじかは知らねど「検察官」になっている国営裏口入学みたいな「副検事」がいるのですが、「副検事」を見ると「やっぱり、試験に通ってないやつはあかんな」と強く感じます。
「親から生活費を出してもらって生活して司法試験をめざす人間」が世界で一番えらいという思想・世界観、難易度が高いとされる試験に通った人間がえらいというそういういびつな思想・世界観に囚われてしまった精神的なカタワでは、たとえ試験に合格できて裁判官になっても弁護士になっても、あんまりいい裁判官・弁護士にはなれないのではないのか・・というよりも、そういう類の人の合格者が少なくないから、だから、裁判官にしても弁護士にしても「ろくなのいない」のではないか・・とも思えます・・・けれども、他方において、大学卒業後は民間企業に勤めようという人もいてかまわないでしょうけれども、司法試験合格をめざす人がいてもかまわないと思うのです・・が、慶應人間にそれを理解させようと思っても極めて難しい( 一一)
だから、自分とは異なる考えの人の存在もまた認めるのが「協調性」であり「明るい」態度ではないのかと思うのですが、「慶應タイプ」はそうではなく、自分とは異なる人に対して「暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、そんなもの」とか言ってしかたがないのであり、自分たちのそういう態度を「協調性がある」と言い、「独立自尊」とか「福沢精神を身に着けている」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか何とかかんとか「診断」するのです。うかつに逆らうと「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「心理学者」「カウンセラー」とかそういう類から「診断」される危険があってもう怖いこわい怖い怖い怖いこわいこわい怖い・・。「慶應タイプ」に「あなたのそういう態度は『協調性がある』のではなく『協調性がない』と言うべきではないのですか」と言ってわからせてあげようと思っても絶対無理です。実際、私は報われない努力を過去にやったのです。その上で、あの人たちにわからせようと思っても絶対に無理だな、むしろ、かかわらないように気をつけるべきだったな・・・と何年も経って気づいたのです。 慶應人間にとっては「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と言って努力している人間を妨害するのが「協調性」であり「独立自尊」であり「塾風」で「福沢精神」で「ギャルにもてもて」で、「慶應心理学」によるとそれが「自我が確立されている」「アイデンティティーを持っている」で、なんでやねん? と言うと「自我が確立されていないから、だから、そういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「未成熟だと思います」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか「診断」されることになります。だから、そういう大学に行って司法試験の学習をするのは「周囲が絶対に大学在学中に司法試験に現役で通るぞという人間ばかり」という大学学部に行った場合に比べるとその学習以外のことで気を使うことになり、やりにくい・・・というのは事実なのです。
関西の大学では京大は東大・中央大に次いで3位か早稲田大が3位で京大が4位かでしたが、阪大・神戸大になると合格者はわずかで、むしろ、関西大・立命館大の方が合格者は多かった。だから、YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスに来ていた人でも「司法試験を受けようという考えがなかったら阪大でもいいのだけれども、司法試験をめざしたいからどうしても京大の法学部に行きたいんだ」と言っていた人がいました・・・が、司法試験に合格するのが目的ならば、大学入試はほどほどで終わりにして司法試験受験の方に早く行った方がいいのではないかという面もあったのではないかと思いますが、同時に司法試験にある程度以上の人数通っている大学に行かないと合格しにくいということはないか・・という不安もあったのです。
実際には司法試験合格者数についてはそれほど多く通っていない大学に行っても自分が試験で合格できる答案を書けばいいという面はあったとしても、実際問題として、ある程度の合格者数を出している大学に行っておかないと、「そんな大学にしか行けない人間が司法試験なんて通るわけないだろうが」という「圧力」がかかってしまって、それが原因で司法試験受験が困難になるということは実際問題としてあると思いますし、私はそういう「圧力」を強く感じていました。最近、YouTube でホリエモンが大学進学の時、田舎では「地元に残って家を継がないと」とか言われることが多く、「家を継ぐ」といってもある程度の会社を経営していてその後を継ぐとかならまだしも、そういうものがあるわけでもないのに「地元に残って家を継がないと」と言われ、出ていってはいけないという圧力が加わるが、ホリエモンの場合は「東大に通ったんだから」ということで出ていかせてもらえるようにもっていったらしいが、私なども「どこそこにまで通ったんだから本人の考えに沿ってさせてやってもいいのではないか」となるようにと思えば、東大なら〇? 京大で△で、阪大・神戸大では✗だった。大学進学もそういうことも考えてやるべきもので、それを「大学はどこでも一緒や」などと人の家庭事情なんか考えもしないで勝手なこと言いまくる男というのは、進学校の教諭で3年で担任を持つには不適と言わざるをえない・・・が、今から考えてみると北野高校の教諭というのは、どいつもこいつも「不適」な人間だらけだったような気がする。
そして、弁護士ならばどの大学卒でもいいのかもしれませんが、私は1990年代初めに法務省で警備員の仕事をアルバイトでやったことがあるのですが、その際に守衛さんから聞いた話では、霞が関の官庁でも財務省などは東大法学部卒で国家公務員1種試験合格でないとだめだが、法務省は東大法学部ではなく「東大法学部卒か京大法学部卒」で国家公務員1種試験合格ではなくて司法試験合格で入らないとだめだというのです。私は司法試験合格者の進路というのは裁判所に裁判官として勤める人・検察庁に検事として勤める人と、弁護士になって法律事務所に勤務して弁護士の業務をおこなう人の3種類だと若い頃は思っていたのですが、法務省で警備員のアルバイトをした時に知ったのですが、法務省の役人というのは国家公務員1種試験合格者で勤務している人もいることはいるけれども、法務省の場合は「キャリア」と言われる人は司法試験合格で検事のコースに進んだ人が法務省の役人になっているらしいのです。刑事事件においては、検察が被告人を訴えて被告人を弁護士が弁護 し、それを裁判官が判決を出すというものですから、検察・弁護士と裁判官の3者がいるわけで、法務省という役所はその3者に対して中立であるべきではないのか、検察と法務省がくっついているというのは不適切ではないのか・・と思いましたが、現実問題として法務省の「キャリア」の役人というのは司法試験合格で検事のコースに進んだ人がなっているらしい。霞が関の合同庁舎6号館も外から見ると法務省の部分と検察庁の部分に境目みたいのがありますが中では廊下はつながっていて、境目に守衛さんはいて一般人は通れませんが職員は通っていますしね。
守衛さんから聞いたのは「ここでは、九州大だの東北大だの慶應だの早稲田だの中央大だの卒で入った人間なんて犬か猫みたいなものだからね」ということでした。もっとも、守衛さんから聞いた話であり、法務省のキャリアの人から直接聞いた話ではないので、その通りなのかどうかは知りませんが、霞が関の官庁は財務省などは「東大法学部卒で国家公務員1種試験合格」でないとだめだと言われるのに対して法務省は「東大法学部卒か京大法学部卒で司法試験合格」でないとだめだと言われるらしい。「言われる」というのはどこまで真実なのかはわからない。時々、その条件を満たしていない人で、ある程度の役割を果たしている人が登場することがあるが、それは特別なのか、もしかして「強いコネ」でも持ってる人なのか、そのあたりはよくわからないが、しかし、そういう「話がある」というのは事実だ。その話がどの程度の真実性があるのか、マイナスの条件の所でも「少々不利」という程度でやっていけるものなのか、相当不利なのか。よくわからないところもあるが、そういう「話」はある。 そして、私立大学卒で検事になった人の話として 佐賀潜『華やかな死体』(『江戸川乱歩賞全集(4) 戸川昌子『大いなる幻影』・佐賀潜『華やかな死体』』講談社文庫 所収)があります。慶應大学の「刑法」の先生から聞いた話ですが、法律の勉強をするためと思って推理小説を読む人がいるのだけれども、多くの推理小説作家は法律についてしろうとで、実際にはありえないような話を小説に書いていることがあり、推理小説としては面白くても刑法の勉強としてはかえって害があるような小説が少なくないというのですが、推理小説でも佐賀潜の場合は元検事であり、そのため、佐賀潜の推理小説は法律を学んだ人で検事の仕事をしたことがある人が書いている推理小説なので刑法などの学習においてもマイナスにならないと思うということでしたが、佐賀潜は中央大学法学部卒で司法試験に合格して検事になった人らしいが、『華やかな死体』においては「私立大学卒」の検事が、東大卒ならば少しくらいは成果がでなくてもチャンスがあるが、私立大学卒の自分はここで成果を出さないとと悩む場面が描かれている。大谷はデマカセで無神経・無責任なことを言い過ぎ。
一般に職場という所では少数派になると不利・・というところがある。慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者だらけという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者があまりいないという会社に勤めた方が実力を発揮する場があっていい」と話す人が複数いたけれども、その先生の言われたことは間違いということでもなくて、野村じいさんでもプロ野球選手のテストを受ける際に「レギュラー捕手が30代でそれにかわる若手捕手がいないチーム」として南海と広島がそれにあてはまったので南海を受けた、巨人は自分より少し年上の藤尾という有力若手捕手がいたので厳しいと思ったとか言うておったように・・又、南海に入団してきた柴田捕手に「なんで、監督が捕手やってるチームになんか入るんや」と言ったというが、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学出身の人間をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が経験を積む機会があり活躍する場がある」というケースはあるのかもしれませんが、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ みたいな高卒中卒優先主義の会社なんぞに勤めると、そういう所には「一流大学」卒で入るとかえってよくないところがある。私が「これでもかあ」というくらいに体験させられた。総務部長の天野雅弘から「何が気に食わんというて、おまえが慶應大学でてるというのが、それが何より一番気に食わんのじゃ、この野郎。おれらは高卒なんじゃ、どんなにしても慶應大学みたいなもん、行けんのじゃ。俺は正直に言う人間やからこういうことを言うけれども、黙ってる人間でもみんなそう思ってるんやからな。そう考えるのが常識じゃ」と言われたのだが、それはヒラの従業員で高卒の人がそう思うのなら、思う人がいてもわからないこともないが、総務部長とかそういった役職を持っている人がそれではいかんだろう・・と思ったのだが、そもそも、人事部長とか総務部長とかいう役職は法学部で労働法・会社法などを学んできた者か商学部・経営学部で労務管理論などを学んできた者か、文学部・教育学部で心理学・教育心理学やカウンセリングなどを学んできた者、卒業した学部がそのどこであるかにかかわらず、それらを学んできた私のような者が一線の経験を積んだ上で就任すべき役職であって学歴としては高卒の人がそういう役職についているということは、その人は学歴は高卒であっても労働法・会社法や労務管理論、心理学・教育心理学・カウンセリングといったものについて「一流大学」卒の者に劣らぬ能力があり、一般教養についても「一流大学」卒の者に劣らぬ能力と認識がある人であるからその役職についているはずであるから、又、その人の学歴が高卒であったとしても「一流大学」卒の者がつくべき役職についているからには「おれらは高卒なんじゃい」だの何だの言うのはおかしいではないか、「おれらは高卒なんじゃい」と「高卒の権利」みたいなものを主張するならその役職につくのはふさわしくないはずであろう・・・と思ったのだが、もともと、その人は《学歴は高卒であっても労働法・会社法や労務管理論、心理学・教育心理学・カウンセリングといったものについて「一流大学」卒の者に劣らぬ能力があり、一般教養についても「一流大学」卒の者に劣らぬ能力と認識がある人であるからその役職についている人》ではなくて、《「一族」だからその役職についている能力も「高卒のおっさん」なれば人格も正真正銘の「高卒のおっさん」》であり、もとより、《学歴は高卒であっても労働法・会社法や労務管理論、心理学・教育心理学・カウンセリングといったものについて「一流大学」卒の者に劣らぬ能力があり、一般教養についても「一流大学」卒の者に劣らぬ能力と認識がある人であるからその役職についている人》とは違うのだ( 一一)
(株)一条工務店のように「商業登記簿に記載されている役員の大部分は(私が在籍した期間においては、全員が)高卒か中卒という会社」に勤めると、松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人であっても「一流大学」卒の人を使いこなした・・というようなわけにはいかないらしく、「何が気に食わんというて、おまえが慶應大学でてるというのが、それが何より一番気に食わんのじゃ、この野郎・・」というのが「常識」になってしまうらしい。なんで、そんなもんが常識やねん!?!・・なんて言ってもその人にとってはそれが「常識」なのだ( 一一)
会社の規模や位置づけから考えて、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいていいはず、いないとその会社は動かないのではないのかと思えるくらいの規模・位置づけの会社なのにそういう大学の出身者がいない会社・・・というのは、そういう会社はねらい目で、そういう所に勤めると経験を積む機会があり活躍する場がある・・ということならいいのですが、そうではなくて、《会社の規模・位置づけから考えて「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいないといけないはずなのにいない会社》・・というのは、実はそういう大学の出身者を追い出す会社、もしくはそういう大学の出身者が出て行く会社〔この場合、「追い出された」か「出ていった」かは必ずしも重要ではない。自分から「出て行った」方が「プライドが保てる」かもしれないが、落ち着いて考えてみると、それでも「追い出された」みたいな面があるはずだ〕である場合がある。それから考えるならば、《会社の規模・位置づけから考えて「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいないといけないはずなのにいない会社》というのは、「高卒か五流大学卒の人が勤めるのが向いている会社」なのかもしれない・・のです。だから、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者だらけという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者があまりいないという会社に勤めた方が実力を発揮する場があっていい」という慶應大学の商学部の先生が言われた発言は、絶対にそういうことがないということではないけれども、それはあてはまらないケースというものもある。あてはまらない会社に勤めて滅私奉公しまくって恩を仇で返されるような経験をした者が言っていることだから間違いない。「松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人だけれども、一流大学卒の人間を使った」というのがエライ・・と言われるのだけれども、私はその話を聞いた時には、そんなものは当たり前のことではないのかと思ったのでしたが、ところが、「高卒のおっさん」「中卒のおっさん」にとっては決して当たり前ではないのです。「高卒のおっさん」「中卒のおっさん」は「一流大学卒の人間」というのは使いたくないみたいなのです。使いたくないなら採用しなければよさそうなものですが、そうではなくて採用した上で塩漬けにして「中卒・高卒の人間」を優遇したいみたいなのです。そういう会社が何らかの事情で社会的地位が上がったというような場合に《会社の規模・位置づけから考えて「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいないといけないはずなのにいない会社》に見えたとして、そういう所に勤めると「一流大学」卒の人間に敵意を持っているオーナー経営者およびその取り巻きとのつきあいに苦労することになります。
宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 という資格は宅地建物取引業を営む事業所には従業員5人に1人以上、この資格を持っている者がいないといけないということに宅地建物取引業法でなっているのだけれども、「不動産屋のおっさん」はこの規定を「本来、宅地建物取引士くらいは不動産業の会社の従業員は誰もが取得しておくべきもので5人に1人というのは最低の数字」とは理解しないで「宅地建物取引士は従業員5人に1人おればいいということだ」と解釈する。だから、「不動産屋」といっても会社名に「三井」「三菱」「住友」「野村」といった名前が入っているような「不動産屋」の場合は持っている方がいいだろうけれども、そうではない「そのへんの不動産屋」だと、その結果として、宅地建物取引士の資格を持って入社すると、1対5 の少数派になってしまうことになり、持っているということがかえってよくない結果になることが少なくない。国家公務員にしても司法試験受験にしても、実際にその道を進んだ人で、自分の場合はどうだったという経験談を聞かせてもらえるのならば、それはこれから人生を歩む人にとって参考にできるだろうけれども、大谷の場合はそうではなくて自分がそれを経験したわけでもないのに「どこでも一緒や」「どこでも一緒や」言いまくるのだった( 一一) 無責任極まりない。
『華やかな死体』では最後の最後、犯人に起訴の起源までにうまく逃げられてしまい、あの人間が間違いなく犯人なのに・・と悔しい思いをする検事が描かれている・・・が、それにしても、「進学校の生徒」に敵意持っているような高校教諭を何も進学校の教諭に採用しなくても、逆の方の高校の教諭にならせてあげた方がその人に向いているのではないか・・と思ったのだが、その後も大谷は定年まで進学校の教諭を続けたらしい( 一一)

江戸川乱歩賞全集(4)大いなる幻影 華やかな死体 (講談社文庫) - 戸川 昌子, 佐賀 潜, 日本推理作家協会
片方で「副検事」などと言って司法試験にぎりぎり合格もしていないのに〔又、司法試験なんて合格するような人間の行く大学にはおよそ行っていない人間なのに〕「検察官」やっている国営裏口入学がいる( 一一)
「副検事」というのは、やっぱり(国営)裏口入学 のやつはその程度だなあ・・という人間的に・人格的に程度の低い人間が多い。検察官なんて職業は小学校から高校まで真面目に努力して勉強してきた者がつく仕事だろうなどと思って見ると、「副検事」になっている人間というのは、およそ正反対の顔をしている。試験に通ってつくべき検察官という職種に試験に通らずに「国営裏口入学」でなってやろうと考えるだけに、顔を見ても精神的に卑しい顔をしている・・・者が多い。「者が多い」とつけておかないと、そうでない人がどこにいるとか言われる可能性もあるから「者が多い」とつけておくが、そうでない人がいたとしても、それは少数派であるのは間違いないことである。それは断言できる。
※ トラブルバスターズ 【スカッと】電車で疑いをかけられたので義手だと言うと、女「悔しかったら右手持って来いよw」→お望み通り「右手だったもの」を持って https://www.youtube.com/watch?v=xMrCdUmlLMg
(2023.7.20.)

暴走する「検察」 (宝島SUGOI文庫) - 別冊宝島編集部

絶望の裁判所 (講談社現代新書) - 瀬木比呂志

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫) - 小林篤

殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―(新潮文庫) - 清水 潔
☆ 赤根天神社(京都府長岡京市今里)
1.光明寺道から南、大峯山禊所、天神社鳥居へ。怠け者を戒める「なまめはぎ」を改悪した子供を苛める「なまはげ」・子供を脅して「親孝行します」と無理に言わせる大峯山は愚劣。ガチンコ民族は正門から入る・八百長医者屋民族は裏口から入れ。裏口入学した人て何かえらいのか? 両親が離婚したら何かえらいのか? ガチンコ民族は八百長裏口民族に警戒せよ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500055705.html
2.鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。梅鉢の紋の入った覆い屋の屋根。浪人した人間に「通った人間⇒ええもん、落ちた人間⇒悪もん」と決めつける高校教諭とその男に送別会をやろうとする人としたくない人間。「大学はどこでも一緒」であるかどうか、実際に自分が経験して話すのではなく、根拠なく決めつけて言いまくる高校教諭。 〔今回〕
☆長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
☆西山浄土宗総本山 光明寺(長岡京市)
[哲建ルンバ]
1.西山浄土宗の総本山、長岡京市粟生にある光明寺、法然が最初に念仏を説いた地、熊谷直実が念仏三昧院を開いたのが始まり、法然の遺骨を荼毘にふして御本廟に祀る、「京都西山三山」、阪急「長岡天神」駅とJR「長岡京」駅。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499936472.html
2.長岡天神駅よりアゼリア通り・セブン通り・長法寺道を経て「早良親王ゆかり」の乙訓寺近くの「今里」交差点を経て今里大通りより「更ノ町」交差点を左折して光明寺道に。菅原道真・早良親王・明智光秀と恨みをのんで死去した者のゆかりの地。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499948381.html
3.更の町交差点より、赤根公園・赤根天神・大峰山禊所・赤根幼稚園・蓮が糸・光明寺道・光明寺前へ。崖から吊るして「親に孝行するかあ」と脅して言わせるのは愚か、精神的貧困。「わしはあんたに何一つやってもらったことはない」と息子に無理矢理言わそうとする父親、「あんたに世話になることは一切ない」と言って息子の結婚式に出てくれという「さわやかスポーツマン」。高校教師は害がある。「両親が離婚した」は自慢することとは違うやろ( 一一)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499962295.html
4.光明寺前・浄土門根元地・熊谷直実の念仏三昧院・法然の遺骨を荼毘にふして分骨。西谷流から西山浄土宗。総門は1845年、『死に至る病』の4年前、『共産党宣言』の3年前。おまけ「クロちゃん」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499970352.html
5.表参道(女人坂)から鐘楼・立教開宗の像・手水舎・御影堂。「えらい人」の像は高い台座に載せないといけないのか? 「普通の人と同じ高さで誰もがそばまで行くことができる福沢諭吉像」を「普通の人より高い場所で普通の人間はそばに行けない場所」に移す「自我が確立されている」「福沢精神」とそれに疑問を感じる「自我が確立されていないからわざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」と「心理学」から「診断」される「受験勉強の悪影響」「思考の硬さが気にかかります」「未成熟」。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499986510.html
6.御影堂・阿弥陀堂。熊谷直実は念仏の信者になったわりにその後も過激? トロッコ列車は警察手帳で乗れるのか? 『観無量寿経』に登場するビンビサーラ王とアジャンタシャトルとヴァイデーヒーの話。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500006097.html
7.保存樹木モミ。「モミの木の歌」は人畜無害化で作成された歌ではなかった。猪・「野生の猿」出没。善良な市民は、「野生の猿」と警察官は眼を見てはいけない。音楽・声楽とコーラスは別物、プロ合唱団と「学校のコーラス部」・「アマチュア合唱団」はレスリングとプロレスの違い以上の違いがある。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500030938.html
8.御影堂から観音堂脇を通り退出。丹波街道の「光明寺」バス停から長岡京駅へ。「わしに孝に、わしに孝に」を説くくだらない『観無量寿経』、森鴎外『青年』『舞姫』を「受験勉強だ。害があるんだ」と否定する慶應内部進学心理学、「何でも日本に持ってくると矮小化される」ことを危惧する者を病気・症候群と「診断」して「治療」しようとする小此木啓吾内部進学精神医学・精神分析学。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500042314.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
静岡県
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
京都府長岡京市今里4丁目 の赤根天神社参拝の2回目です。
↑ 右の石柱には「赤根天神社」と彫られています。
鳥居には、↓
↑ 「奉寄進 石鳥居 天満天神宮」
と彫られています。
鳥居をくぐって左側、注連縄が張られた太い木が立っています。↓
↑ 注連縄が張られているということは、御神木なのでしょう。長岡市指定保存樹木 との説明書きが書かれた札が立っています・・が、何の木だったかは忘れてしまった。
↓ ↓ ↓ ↓
↑ 鳥居をくぐり、社殿に向って参道を北に直進します。
↑ 社殿に向って左側(西側)にある 手水舎・・だが、水は出ていない。
↑ けっこう大きな社殿があるように見えるが、これは覆い屋であり、その中に、ひとまわり小さい建物の社殿がある。↓
↑ 横から(西から)見た写真によると、中の社殿は流造の屋根になっているようだ。
覆い屋 の屋根を見ると、↓
千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)は、どっちがどっちだっけ? ・・と間違えやすいのだが、
《 千木は屋根の両端で交叉させた部材であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材である。》
( ウィキペディアー千木・鰹木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9C%A8%E3%83%BB%E9%B0%B9%E6%9C%A8 )
ここでは、千木の先端は地面と水平で千木に穴は開いていない。 鰹木は5本と奇数・・と現地で見て思ったのだけれども、写真をよくよく見ると、この覆い屋の屋根って、両端に千木があって、その内側に鰹木が並んでいるのではなくて、千木が5組あるのじゃないか?
鰹木はなくて千木が何組か並んでいるというのは初めて見た・・がそうなのか・・?
千木の先端は地面と垂直の場合と比べて地面と水平にすると上から雨水を浴びた時に木口から雨水が浸透して傷みやすいのではないか・・と思えたのだが、ここではそういったことも考えてか、地面と水平に施工された千木の先端に金属がかぶせてあるようだ。
ウィキペディアー千木・鰹木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9C%A8%E3%83%BB%E9%B0%B9%E6%9C%A8 によると、
《 千木は古代、屋根を建造する際に木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残りと見られる。千木・鰹木ともに本来は建物の補強が目的だったと考えられるが、後に装飾として発展し、現在では神社の聖性を象徴するものとなっている。なお、日吉造のように千木等を屋根に設けない社殿形式もある。》
と書かれている。

宮大工と歩く千年の古寺―ここだけは見ておきたい古建築の美と技 - 松浦 昭次
現地の説明書きによると、赤根天神社の「本殿・拝所 附本殿覆屋1棟 附瓦製狛犬1対」は長岡市指定有形文化財に指定されているらしい。《18世紀前期(江戸時代)》のものらしい。
赤根天神社は名称は「天神社」で、入口の石鳥居の柱には「天満天神宮」と彫られているのだが、現地の説明書きには、
《 赤根天神社は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする。もとは井ノ口の旧石田家が奉祀する神社で、応仁の乱で焼失したが、それまでは、この地に石田家の屋敷があり、屋敷内に立つ鎮守社だったという。現在、赤根天神社は今里区民の鎮守として祀られている。
・・・
本殿は正徳3(1713)年10月の造営と伝えられるが、蟇股(かえるまた)・虹梁絵様(こうりょう えよう)などの細部意匠は18世紀のもので、正徳3年造営の可能性は大きい。
・・・・・
平成12年(2000年)3月
長岡京市教育委員会 》
と書かれている。
京都ガイド 赤根神社・赤根天神社 https://kyototravel.info/akanejinjya には、
《 赤根神社は井ノ内にあった旧石田家の石田家屋敷に祀られていた邸内社(鎮守社)だったと言われています。
また赤根神社は赤根天神社とも言われ、その社名からかつて天神(てんじん・火雷神(ほのいかづちのかみ))を祭神として祀っていたとも言われています。
その後室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって石田家屋敷が焼失するとこの地の鎮守になったと言われています。江戸時代中期の宝永年間(1704年~1711年)に石田瀬兵衛政永が石灯籠・石鳥居を寄進し、1713年(正徳3年)に本殿が建立されました。
赤根神社は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)を祀っています。赤根神社は家内安全・五穀豊饒に信仰されています。
赤根神社は近隣二十一社からなる乙訓鎮座神社巡りの一社になっています。赤根神社では元旦祭・節会祭などの行事も行われています。なお赤根神社にはかつて神輿1基があり、京都府向日市向日町北山65に祀られている向日神社(むこうじんじゃ)の御旅所(おたびしょ)だったと言われています。》
と書かれており、
1.石田家屋敷の邸内社(鎮守社)
2.この地の鎮守社
3.天神・火雷神(ほのいかづちのかみ)
4.伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)
5.向日(むこう)神社の御旅所
という性質がある神社らしいが、長岡京市 有形文化財に指定されているという覆い屋の屋根を見ると、↓
↑ 覆い屋の屋根には梅鉢の紋が入っています・・ということは、天神つながりで菅原道真もまた縁があるのでしょう。
「覆い屋」とはいえ、この覆い屋もまた長岡京市 有形文化財の指定を受けているものですから、ごく最近に誰かがよく考えずに建てたというものではないでしょうから、ある程度以上の期間、梅鉢の紋が入った屋根の覆い屋でこの神社は過ごしてきたと思われますから、菅原道真も縁はあると考えてよいのではないでしょうか。
北側の東西の道である光明寺道(府道209号)に面して↓があります。↓
↑ 赤根天神公園から赤根天神社へ入る通路、もしくは赤根天神社から赤根天神公園へ入る通路があるようです・・↓
↑ 2回目以降に訪問する場合は、こちらから入ってもいいとは思いますが、初回の参拝は、やはり、ガチンコ民族としては正門から入って参拝したいと思いますので、南側の鳥居から参道を進んで参拝してきました。 八百長医者屋裏口民族は裏口から入るのがふさわしいでしょう。

医学部・金、権力の腐蝕構造―大学の有名病院支配図 (1985年) - 和田 努

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康

口笛をふく時 (講談社文庫) - 遠藤周作
今回は阪急京都線「長岡天神」駅から歩きましたが、「西向日(にしむこう)」駅からの方が「駅から歩く」場合には距離が短いようですので、次回、訪問する時は「西向日(にしむこう)」駅から歩いてみたいと思います。
そういえば、1970年代後半、北野高校の3年の時の担任だった大谷郁三(男。当時、40代)が「学校はどこでも一緒や」と言ってしかたがなかったが、結論として、それは嘘です。
「この学校でもそうでしょ。京大に合格者が多かったとしても誰でも京大に通るわけではないでしょ」と大谷は言うのでしたが、この男が卑怯なところは人が高校卒業時に大学入試に落ちて浪人したと思うと、途端に「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」と決めつけて発言するという点です。大学入試はさっさと現役で通った方がいいか落ちた方がいいかというと、さっさと現役で通った方がいいに決まっていますが、しかし、落ちた者といえども人を殺したわけでもないのです・・が、この大谷郁三という男は「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」という態度を取りだすのです。あの男はそういう人間だったんだなあ・・・と浪人したことで気づきました。2年浪人した後、高校2年の時のクラス会があって、その時、たまたま、隣にいた3年の時も同じクラスだった女性が私が2年浪人したので3年の担任だった大谷と浪人中につきあいがあっただろうと思って「大谷先生、どうしてられますか」などと言ってきたので、え? あんなやつのことをそんなこと思っているの? ・・え? と思ったことがあったが、現役で大学に進学した者には大谷という男がそういう男だということに気づくことなくその後の人生に進んだ人がいたようだった。あいつは、高校生には「学問というものは競争でやるものではない」とか「学問によって人に序列ができるというようなことはよくない」とか「けっこうなお話」をしまくっていたので、そういう「少々人格者」みたいな人間かと勘違いした生徒がいたようだったが、およそ、そんな人間ではないのだ。「学問というものは競争でやるものではない」とか「学問によって人に序列ができるというようなことはよくない」とか「けっこうなお話」をしまくっていたのは、それは大谷が自分があんまりいい大学でてないから、だから、そんなこと言いまくっていただけで、浪人してしまった人間に対して、「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」と決めつけた態度をとる、そういう男だったのだ。思い出したのだ。私が高校に入学した年だったかに大谷は大手前高校から転任してきたのだが、その年、北野高校に赴任した先生が3人あったのだが、その3人を校長先生が紹介する時、「S田先生は北野高校を卒業された後、大阪大学理学部数学科に進学され、大阪大学理学部数学科の大学院修士課程をこの春に終えられて母校の教員として赴任していただくことになりました」「M本先生は奈良女子大学理学部化学科を卒業されて大手前高校に『化学』の教員として勤務してこられましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」とこの2人は出身大学と学部の名前があったのだが、大谷だけは「大谷先生は大手前高校で日本史を教えてこられましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」と、なぜか出身大学名がないのだ・・・てことは、ははあ~ん、そうか♪ 会社が株主宛てに送る「株主の皆様へ」とか応募を考える大学生向けの会社案内に「役員紹介」という欄があって、そこに役員の学歴が記載されていたのに、ある年から学歴の欄がなくなった・・てことは、なるほど、社長のバカ息子が役員に就任しよったんか~い・・てのと同じ類のもんか。大谷はあんまりええ大学でとれへんというこっちゃなあ~あ。な~るほど~お・・・と。他の職業ならば、「あんまりええ大学でとれへん」としても、「学校ではあまりよい成績ではありませんでしたが、職場では一生懸命努力してこのような成果を出しました」ということもあるかもしれないが、進学校の教諭で「あんまりええ大学でとれへん」というのはどうなのか。徳川家康公遺訓には「勝つことばかり知りて負くること知らざれば害その身に及ぶ」なんて文句もあるし、野村じいさんは「『失敗』と書いて『成長』と読む」とか言うておったし、大学入試においてうまくいかなかった経験というものが、かえってそれがその人の能力になる場合といういものもあるかもしれない。しかし、それは「ある程度の大学」を受けてうまくいったりいかなかったりという経験のことであって、最初からあんまりええ大学に行ける感じやなかった・・という人の場合はどうか。そういう人が高校の教諭になる場合は、進学校の教諭になるよりも逆の方の高校の教諭になった方がいいということはないか。 大谷が高校生には「学問というものは競争でやるものではない」とか「学問によって人に序列ができるというようなことはよくない」とか「けっこうなお話」とか何とか「けっこうなお話」をしまくっていたが、浪人した人間には「通った人間⇒ええもん。 落ちた人間⇒悪もん」という態度をとり、浪人中の卒業生には極めて冷たい態度をとりまくった・・・ということをすんなりと現役で大学に行った人間は知らないようだった。私もあの男が高校生に話していた「けっこうなお話」とのギャップに驚いたのだから、知らない人・気づかない人がいてもわからないでもないが、現役で大学に進学した者にはそのあたりを知らないで人生を進んだ人、大谷を誤解している人がいたけれども、あの男はそんなけっこうな人間とは違うぞ・・ それを私は浪人したことで学んだ。そんなもの、学びたくはなかったけれどもね。
北野高校では3年の担任を持った教諭は翌年は担任はもたず、1年置いてその次の年にまた担任を持つということにしていたようで、結果として2浪してしまいましたので、私は卒業した翌翌年に「調査書」(内申書)をもらいに大谷郁三の所に行ったりしました・・が、その際、その年に大谷に担任を持たれていたらしい一人の女子生徒が大谷の所に来て進学について相談にのってもらおうと来ていたのを見たのですが、へえ~え、こんなやつに相談に乗ってもらおうなんて考えるのか、こんなやつ、役に立たんと思うがなあ・・・と私は思ったのでした・・が、そのあたりが「2浪の功」とでもいうものかもしれません。2000年代、北野高校で大谷郁三が退職するというので「送別会をやりましょう」などとの誘いを出していた人があったようで驚いたということがありました。へえ~え、あの男に送別会やってあげようという人がいるのお? へえ~え・・と驚きました。大谷は私が浪人中にこう言ったのです。「進学の指導は高校の教師の仕事とは違う」と。大谷は遠山啓『競争原理を超えて』(太郎次郎社)などを推薦し、「序列主義とは嫌な言葉ですね」「学問はどこに行ってやるかではなく、どれだけやるかが大事」とかそういうことを言いまくる男だったので、高校の目的は高校生として学んでおくべきものを学び、人間として立派な人間となり、卒業後、納得のいく人生を送ることができるように協力するのが高校の教師の仕事であって、どこの大学に合格させるといったことは二番目以降の問題であって決してそれが第一番ではない・・と言いたいということなのだろうと思い込んでいたのでしたが、そうではなかった。大谷はそうではなくて、進学校の高校の教諭になって大学入試にある科目を担当して高校3年のクラスの担任をもっておきながら、本当に「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」と思っていたようで、「まあ、お好きなように」とかそういう口をきいたのです。だから、私は大谷に対してはずっと思ってきたのです。
「送別会は卒業生の仕事とは違う」と。
大谷は浪人中の私に何度も言ったのです。「受験の指導は高校の教師の仕事とは違う」と。それは勝手すぎるでしょう。もしも、高校の目的はどこの大学に合格するということではなく、「高校の勉強」は高校の勉強として価値があるものだと言うのならそれは間違っていないでしょう。しかし、高校を卒業したなら、就職するのでなければ大学に進学するのであり、「そんなものは高校の教師の仕事とは違う」と本気で言いまくる教師というのは、それは良心的と言えるのか?
私の母方の伯父が大阪府立の進学校ではない方の高校の教諭をしていたのですが、「北野高校の先生はうらやましい」と言っていました。「教えていたらいいのだから」と言うのです。伯父の高校では「教えていたらいい」ということはないのかというと、なかったらしい。「勉強なんてしよれへんもん」と言うのです。「夏休みでも、喧嘩して警察につかまったとかで警察から呼ばれたり、女の子が妊娠したとかいって病院から呼ばれたりなあ」と。「こんなん、高校の教師の仕事と違うでえと思う」と話していたらしい・・・けれども、そんなものは高校の教師の仕事とは違うと思いながらもそれでも警察や病院に行ってあげていたらしい。「行ってやらなきゃ、誰も行かないのではかわいそうだろう」と言っていたらしい。大谷郁三は私の伯父が「うらやましい」と言っていた北野高校の教諭になって、そして「大学受験の指導は高校の教師の仕事とは違う」などと本気で言っていたのです。そもそも、目の前にいる「進学校の生徒」というものに敵意を持っているような男は、何も「進学校の教師」をやらなくても、高校の教諭をやるにしても進学校ではない学校の教諭になった方が良かったのではないのか。そういう男に対しては「相互主義の原則」として、
「送別会は卒業生の仕事とは違う」
とはっきりと言ってやりたい。「浪人の功と罰」「2浪の功と罰」といったことが言われることがあります。浪人した方がいいのか現役で大学に通った方がいいのかというと、さっさと現役で通った方がいいと思いますが、2浪もしてしまったおかげであの男の正体がわかりました。あんな男に送別会をやってあげようと考えるような人間というのは、もしかすると私よりも高校の時の成績が良かった人かもしれないし、私が行けなかった大学に現役で通って行った人かもしれませんが、そうであったとしても、大谷に送別会をやってあげようなどと考えるということは、私に見えたものがいまだに見えていない人だということのようです。
大学進学に関しては、慶應義塾高校とか慶應女子高校とかに行っておけば慶應大学に進学するのであれば内部進学で進学できるので一般入試で慶應大学に行くよりも行きやすいのは間違いないでしょう。それに対して、北野高校から京都大学に何人通ったといっても、一般入試で合格最低点を上回る点数をとらないと入れてもらえないわけです・・・が、そこから大谷は「学校はどこでも一緒や」などと言うのですが、そのあたりが間違っているのです。やっぱり、京大に何人も合格者を出している高校には京大に合格しやすい要素がある。東大に何人も合格者を出している高校には東大に合格しやすい要素があるのです。何の本で読んだかわからなくなってしまったが、遠藤周作が「夕刊フジ」で何人かと対談をしたものをまとめた本が出ていて、そこで宮崎みどりと対談をしたもので宮崎みどりが話していたのだが、宮崎みどり は東大を受けたけれども落ちてしまい、慶應大には合格して慶應大に入学して卒業したらしい。遠藤周作との対談で述べていたが、宮崎みどりは神奈川県の湘南高校卒で、湘南高校は神奈川県立の高校で東大に合格者を多く出して受験を見た上で思ったようですが、自分は「どの大学に行くにはどの高校に行っておくのが有利」ということを考えられなかったと述べていたのです。どれだけ努力して学習したかだけで大学入試の合否は決まるわけではなく、やはり、「どの大学に行くにはどの高校に行っておいた方が有利」というものがあると言い、弟の行っていた高校の方が東大に行くには有利だったように感じたらしい。宮崎みどり は私より少しだけ年上だったはずで、宮崎みどり や私が高校を卒業した頃の時代においては湘南高校は東大にけっこう合格者を出していた高校だったので比較的東大に合格しやすい方の高校なのかと私は思っていたのですが、宮崎みどり は弟が行った高校と比較するとそうではないように感じたらしく、そのあたりについては私はよくわからないけれども、「どの大学に行くにはどの高校に行っておくのが有利」というものはある、高校によって進学しやすい大学とそうではない大学というものはあるとは、私もそういうことはあると思います。「学校はどこに行っても一緒や」などという大谷の発言は無責任です。
司法試験は4年制大学の2年を修了すると1次試験免除で2次試験から受けることができましたが、「だから、大学はどこでも一緒や」といったことを大谷は言うのですが、違うと思います。慶應大学には司法研究室といって司法試験受験のための講座がありましたが、私が高校を卒業した1970年代後半くらいにおいては、司法試験合格者数はその年によって1位が東大か中央大で2位がその1位でなかた方、3位が京大か早稲田大で4位がその3位でなかった方で5位が慶應大というものでした。その5つくらいならば大学に司法試験受験の講座といったものがあるのではないかと思うのですが、司法試験合格者なんていない大学では司法試験受験対策のそういう講座がないのではないか。又、今はどうか知りませんが、かつては司法試験の2次試験の論述試験では東大法学部の4年の後半に配置されているものは試験に出ないと言われていたのです。代々木ゼミナールの模擬試験と東京の代々木ゼミナール本校で受けたことがあるのですが、その際に、「代ゼミ通信」だったか代々木ゼミナールが発行しているものをもらったのですが、そこに「代々木ゼミナールで浪人生活を送って東大に合格した皆さん」の座談会が掲載されていて、そこに文科一類に合格した人が「東大の文科一類に入ると、まわりが『絶対に大学4年間のうちに現役で司法試験に合格するぞ』という人間ばっかりなので、そこにいると自然と自分も司法試験を目指して勉強しなきゃならないみたいな雰囲気になります」と述べていたのだが、それに対して、慶應大学になんか入ると「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と四方八方から言われることになる。それでも、「暗さ、大好き♪」と居直ってやればいいのかもしれないけれども〔トラブルバスターズ に登場するミドリコさんみたいに「私はミドリコ。性格はと言いますと、根暗でオタクで陰キャなのでありまする。ドゥフフのフ~ウ♪」とやればいいのかもしれませんが(^^)/ 《YouTube-【アニメ】義兄「お2人は床と段ボールでいいですよね」私&母「え?」義妹「これ使って下さい」→義弟宅のお祝いの席で私と母の席》https://www.youtube.com/watch?v=ZYxUF6bxSFE 〕、やっぱり、「まわりが『絶対に大学4年間のうちに現役で司法試験に合格するぞ』という人間ばっかりなので、そこにいると自然と自分も司法試験を目指して勉強しなきゃならないみたいな雰囲気になります」という大学に行った場合と、「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と四方八方から言われることになる大学に行った場合とでは、前者の大学に行っておいた方が司法試験には合格しやすいのではないか・・・という感じがしました。これは実際に「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と四方八方から言われる大学に行った経験をした上で私は言っていることです。「人間が強かったらそんなものは関係ないはずだ」とかおっしゃる人がいますが、私なんかあんまり強くないので関係ないことはありません。
慶應人間は司法試験を目指して学習する人間がいると「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」とか四方八方から言いまくってやめさせようとするのを「協調性」と言っていたのですが、私の認識では司法試験なんて受けるよりも民間企業に勤めた方がいいと思う人がそうするのは自由ですが司法試験を目指して学習する人もまた自由であり、自分とは異なる方も認めるというのが「協調性」ではないのか、自分が司法試験なんて目指そうとは考えていないからといって人に「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」などと言わなきゃ気がすまないという慶應的態度というのは、そういうのは「協調性がない」と言うべきではないのか・・と思ったのでしたが、こういうことを言うと「協調性がないなあ」などと慶應人間≒「ギャルにもてもて」から言われることになります。その「ギャル」とかいうやつ、よっぽどバカじゃないか・・と思うのですが「慶應タイプ」はそういう女が好きで、そういう女は「慶應タイプ」が好きなのです( 一一) 慶應人間は私などが「あんな女のいったいどこがええねん・・」と思うような女が好きで、そういう女もまた「あんな男のどこがええねん・・」て男が好きで、似た者同士のようです( 一一)
弁護士の岡野たけし 氏のYouTubehttps://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B2%A1%E9%87%8E%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97 には毎度、コメント欄に司法試験受験者が世界で一番えらいみたいな変な思想・世界観を持っている人が大量におり、ちょっと物の考え方を間違えているのではないかと思い、おそらく私よりもずっと若い人と思われるので老婆心から、それは違いますよという内容のコメントを入れると激怒されてしまい、「おまえは何か試験に通ったのか」とか「返信」されたりするのですが、そういう試験という結局のところ、どこかの誰かが設けた基準を満たすことができるかどうかというものを追いかけるしか能がない人というのは、それは何らかの試験に合格できたなら「まったく無能ということではない」と言えても、常にそういうどこかの誰かが決めた基準である試験に通るかどうかでしか人間を考えることができないという精神構造というのは、あまり立派な精神構造ではなく、私が親ならば「その考え方はやめた方がいいよ」と一言は言ってあげるところですし、又、親でなくても「おせっかい」というのか「お人よし」というのかでコメント欄に一言入れてあげたりもしたのですが、そうすると「逆ギレ」というのかされてしまうのでした・・が、たとえ、司法試験に合格して裁判官なり弁護士なりになるとしても、「親から生活費を出してもらって生活して司法試験をめざす人間」が世界で一番えらいという思想・世界観、難易度が高いとされる試験に通った人間がえらいというそういういびつな思想・世界観に囚われてしまった精神的なカタワでは、たとえ試験に合格できて裁判官になっても弁護士になっても、あんまりいい裁判官・弁護士にはなれないのではないのか、世の中、裁判官・検察官・弁護士が一番えらいなんて誰が決めたんだ? そもそも、弁護士というのは相当の高額を払って依頼してくれたお客様に対して、おのれはろくにまともに働かずにいてえらそうな態度をとる権利があるというその思想は誰が教えたんだ? 人からカネを受け取って仕事を依頼されて請けたならば、その仕事にまともに取り組むべきではないのか、人と約束したら約束した時刻には約束の場所に行くべきであり、遅れた時には「弁護士は忙しいですから」などと言うのではなく言うべき文句は「すいません」「申し訳ありません」ではないのか・・と思うのですが、そんな人間だらけの業界であることから、そんな人間でも食っていけている業界・・というその点において弁護士屋業界というのはレベルの低い業界なのです。国民にとっては、その状況は好ましいものではないはずなので、そのためには「司法試験に通ったら食っていける」という状態ではなくて、たとえば一級建築士のことを「足の裏についてご飯粒」なんて言い、それは「(建築学科を卒業した者にとっては)取らなきゃ気持ち悪いけれども、取ったからといって食えるものでもない」という意味だそうで、弁護士の資格というものを「取れば食っていける」という状態ではなくて、「取ったからと言って食っていけるとは限らない」という状態にして、ろくでもないやつは淘汰されるようにしてやるべきではないか・・とも思えるのですが、その考え方によって司法試験の合格難易度を少し下げた時期があって、合格者を多くすることで、「合格までは難しいが資格を取得すれば食っていける」というものではなく「合格までもある程度難しい試験であるが、合格後も競争があり淘汰されることがある」というようにした方がいい、アメリカ合衆国の弁護士というのは日本よりも合格難易度は易しいらしく、弁護士の数も多いけれども、「取ったら食える」というものではなくて弁護士になってからの競争で働きが悪い弁護士は淘汰されるようになっているらしく、日本もそのようにした方がいいのではないか・・実際には役に立たないようなことばっかり相当ハイレベルに勉強して依頼者のために役に立たないくせに自分はえらいと勝手に思っているバケモンを養成するような試験制度はやめるべきだ・・と考えた人がいたらしいが、やってみると、他方において「やっぱり、易しい試験にしか通ってない人はあかんわ」という面もあるとか聞きます・・しそういう人はいると思います。そういうこともあるかもしれません。実際、検察官には司法試験に合格してなった「検事」と司法試験に合格していないのに、なじかは知らねど「検察官」になっている国営裏口入学みたいな「副検事」がいるのですが、「副検事」を見ると「やっぱり、試験に通ってないやつはあかんな」と強く感じます。
「親から生活費を出してもらって生活して司法試験をめざす人間」が世界で一番えらいという思想・世界観、難易度が高いとされる試験に通った人間がえらいというそういういびつな思想・世界観に囚われてしまった精神的なカタワでは、たとえ試験に合格できて裁判官になっても弁護士になっても、あんまりいい裁判官・弁護士にはなれないのではないのか・・というよりも、そういう類の人の合格者が少なくないから、だから、裁判官にしても弁護士にしても「ろくなのいない」のではないか・・とも思えます・・・けれども、他方において、大学卒業後は民間企業に勤めようという人もいてかまわないでしょうけれども、司法試験合格をめざす人がいてもかまわないと思うのです・・が、慶應人間にそれを理解させようと思っても極めて難しい( 一一)
だから、自分とは異なる考えの人の存在もまた認めるのが「協調性」であり「明るい」態度ではないのかと思うのですが、「慶應タイプ」はそうではなく、自分とは異なる人に対して「暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、そんなもの」とか言ってしかたがないのであり、自分たちのそういう態度を「協調性がある」と言い、「独立自尊」とか「福沢精神を身に着けている」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか何とかかんとか「診断」するのです。うかつに逆らうと「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「心理学者」「カウンセラー」とかそういう類から「診断」される危険があってもう怖いこわい怖い怖い怖いこわいこわい怖い・・。「慶應タイプ」に「あなたのそういう態度は『協調性がある』のではなく『協調性がない』と言うべきではないのですか」と言ってわからせてあげようと思っても絶対無理です。実際、私は報われない努力を過去にやったのです。その上で、あの人たちにわからせようと思っても絶対に無理だな、むしろ、かかわらないように気をつけるべきだったな・・・と何年も経って気づいたのです。 慶應人間にとっては「司法しけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い。やめろよ、司法試験みたいなも~ん。暗い、暗い、暗い、暗い!」と言って努力している人間を妨害するのが「協調性」であり「独立自尊」であり「塾風」で「福沢精神」で「ギャルにもてもて」で、「慶應心理学」によるとそれが「自我が確立されている」「アイデンティティーを持っている」で、なんでやねん? と言うと「自我が確立されていないから、だから、そういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「未成熟だと思います」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか「診断」されることになります。だから、そういう大学に行って司法試験の学習をするのは「周囲が絶対に大学在学中に司法試験に現役で通るぞという人間ばかり」という大学学部に行った場合に比べるとその学習以外のことで気を使うことになり、やりにくい・・・というのは事実なのです。
関西の大学では京大は東大・中央大に次いで3位か早稲田大が3位で京大が4位かでしたが、阪大・神戸大になると合格者はわずかで、むしろ、関西大・立命館大の方が合格者は多かった。だから、YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスに来ていた人でも「司法試験を受けようという考えがなかったら阪大でもいいのだけれども、司法試験をめざしたいからどうしても京大の法学部に行きたいんだ」と言っていた人がいました・・・が、司法試験に合格するのが目的ならば、大学入試はほどほどで終わりにして司法試験受験の方に早く行った方がいいのではないかという面もあったのではないかと思いますが、同時に司法試験にある程度以上の人数通っている大学に行かないと合格しにくいということはないか・・という不安もあったのです。
実際には司法試験合格者数についてはそれほど多く通っていない大学に行っても自分が試験で合格できる答案を書けばいいという面はあったとしても、実際問題として、ある程度の合格者数を出している大学に行っておかないと、「そんな大学にしか行けない人間が司法試験なんて通るわけないだろうが」という「圧力」がかかってしまって、それが原因で司法試験受験が困難になるということは実際問題としてあると思いますし、私はそういう「圧力」を強く感じていました。最近、YouTube でホリエモンが大学進学の時、田舎では「地元に残って家を継がないと」とか言われることが多く、「家を継ぐ」といってもある程度の会社を経営していてその後を継ぐとかならまだしも、そういうものがあるわけでもないのに「地元に残って家を継がないと」と言われ、出ていってはいけないという圧力が加わるが、ホリエモンの場合は「東大に通ったんだから」ということで出ていかせてもらえるようにもっていったらしいが、私なども「どこそこにまで通ったんだから本人の考えに沿ってさせてやってもいいのではないか」となるようにと思えば、東大なら〇? 京大で△で、阪大・神戸大では✗だった。大学進学もそういうことも考えてやるべきもので、それを「大学はどこでも一緒や」などと人の家庭事情なんか考えもしないで勝手なこと言いまくる男というのは、進学校の教諭で3年で担任を持つには不適と言わざるをえない・・・が、今から考えてみると北野高校の教諭というのは、どいつもこいつも「不適」な人間だらけだったような気がする。
そして、弁護士ならばどの大学卒でもいいのかもしれませんが、私は1990年代初めに法務省で警備員の仕事をアルバイトでやったことがあるのですが、その際に守衛さんから聞いた話では、霞が関の官庁でも財務省などは東大法学部卒で国家公務員1種試験合格でないとだめだが、法務省は東大法学部ではなく「東大法学部卒か京大法学部卒」で国家公務員1種試験合格ではなくて司法試験合格で入らないとだめだというのです。私は司法試験合格者の進路というのは裁判所に裁判官として勤める人・検察庁に検事として勤める人と、弁護士になって法律事務所に勤務して弁護士の業務をおこなう人の3種類だと若い頃は思っていたのですが、法務省で警備員のアルバイトをした時に知ったのですが、法務省の役人というのは国家公務員1種試験合格者で勤務している人もいることはいるけれども、法務省の場合は「キャリア」と言われる人は司法試験合格で検事のコースに進んだ人が法務省の役人になっているらしいのです。刑事事件においては、検察が被告人を訴えて被告人を弁護士が弁護 し、それを裁判官が判決を出すというものですから、検察・弁護士と裁判官の3者がいるわけで、法務省という役所はその3者に対して中立であるべきではないのか、検察と法務省がくっついているというのは不適切ではないのか・・と思いましたが、現実問題として法務省の「キャリア」の役人というのは司法試験合格で検事のコースに進んだ人がなっているらしい。霞が関の合同庁舎6号館も外から見ると法務省の部分と検察庁の部分に境目みたいのがありますが中では廊下はつながっていて、境目に守衛さんはいて一般人は通れませんが職員は通っていますしね。
守衛さんから聞いたのは「ここでは、九州大だの東北大だの慶應だの早稲田だの中央大だの卒で入った人間なんて犬か猫みたいなものだからね」ということでした。もっとも、守衛さんから聞いた話であり、法務省のキャリアの人から直接聞いた話ではないので、その通りなのかどうかは知りませんが、霞が関の官庁は財務省などは「東大法学部卒で国家公務員1種試験合格」でないとだめだと言われるのに対して法務省は「東大法学部卒か京大法学部卒で司法試験合格」でないとだめだと言われるらしい。「言われる」というのはどこまで真実なのかはわからない。時々、その条件を満たしていない人で、ある程度の役割を果たしている人が登場することがあるが、それは特別なのか、もしかして「強いコネ」でも持ってる人なのか、そのあたりはよくわからないが、しかし、そういう「話がある」というのは事実だ。その話がどの程度の真実性があるのか、マイナスの条件の所でも「少々不利」という程度でやっていけるものなのか、相当不利なのか。よくわからないところもあるが、そういう「話」はある。 そして、私立大学卒で検事になった人の話として 佐賀潜『華やかな死体』(『江戸川乱歩賞全集(4) 戸川昌子『大いなる幻影』・佐賀潜『華やかな死体』』講談社文庫 所収)があります。慶應大学の「刑法」の先生から聞いた話ですが、法律の勉強をするためと思って推理小説を読む人がいるのだけれども、多くの推理小説作家は法律についてしろうとで、実際にはありえないような話を小説に書いていることがあり、推理小説としては面白くても刑法の勉強としてはかえって害があるような小説が少なくないというのですが、推理小説でも佐賀潜の場合は元検事であり、そのため、佐賀潜の推理小説は法律を学んだ人で検事の仕事をしたことがある人が書いている推理小説なので刑法などの学習においてもマイナスにならないと思うということでしたが、佐賀潜は中央大学法学部卒で司法試験に合格して検事になった人らしいが、『華やかな死体』においては「私立大学卒」の検事が、東大卒ならば少しくらいは成果がでなくてもチャンスがあるが、私立大学卒の自分はここで成果を出さないとと悩む場面が描かれている。大谷はデマカセで無神経・無責任なことを言い過ぎ。
一般に職場という所では少数派になると不利・・というところがある。慶應大学の商学部の先生で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者だらけという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者があまりいないという会社に勤めた方が実力を発揮する場があっていい」と話す人が複数いたけれども、その先生の言われたことは間違いということでもなくて、野村じいさんでもプロ野球選手のテストを受ける際に「レギュラー捕手が30代でそれにかわる若手捕手がいないチーム」として南海と広島がそれにあてはまったので南海を受けた、巨人は自分より少し年上の藤尾という有力若手捕手がいたので厳しいと思ったとか言うておったように・・又、南海に入団してきた柴田捕手に「なんで、監督が捕手やってるチームになんか入るんや」と言ったというが、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学出身の人間をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が経験を積む機会があり活躍する場がある」というケースはあるのかもしれませんが、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ みたいな高卒中卒優先主義の会社なんぞに勤めると、そういう所には「一流大学」卒で入るとかえってよくないところがある。私が「これでもかあ」というくらいに体験させられた。総務部長の天野雅弘から「何が気に食わんというて、おまえが慶應大学でてるというのが、それが何より一番気に食わんのじゃ、この野郎。おれらは高卒なんじゃ、どんなにしても慶應大学みたいなもん、行けんのじゃ。俺は正直に言う人間やからこういうことを言うけれども、黙ってる人間でもみんなそう思ってるんやからな。そう考えるのが常識じゃ」と言われたのだが、それはヒラの従業員で高卒の人がそう思うのなら、思う人がいてもわからないこともないが、総務部長とかそういった役職を持っている人がそれではいかんだろう・・と思ったのだが、そもそも、人事部長とか総務部長とかいう役職は法学部で労働法・会社法などを学んできた者か商学部・経営学部で労務管理論などを学んできた者か、文学部・教育学部で心理学・教育心理学やカウンセリングなどを学んできた者、卒業した学部がそのどこであるかにかかわらず、それらを学んできた私のような者が一線の経験を積んだ上で就任すべき役職であって学歴としては高卒の人がそういう役職についているということは、その人は学歴は高卒であっても労働法・会社法や労務管理論、心理学・教育心理学・カウンセリングといったものについて「一流大学」卒の者に劣らぬ能力があり、一般教養についても「一流大学」卒の者に劣らぬ能力と認識がある人であるからその役職についているはずであるから、又、その人の学歴が高卒であったとしても「一流大学」卒の者がつくべき役職についているからには「おれらは高卒なんじゃい」だの何だの言うのはおかしいではないか、「おれらは高卒なんじゃい」と「高卒の権利」みたいなものを主張するならその役職につくのはふさわしくないはずであろう・・・と思ったのだが、もともと、その人は《学歴は高卒であっても労働法・会社法や労務管理論、心理学・教育心理学・カウンセリングといったものについて「一流大学」卒の者に劣らぬ能力があり、一般教養についても「一流大学」卒の者に劣らぬ能力と認識がある人であるからその役職についている人》ではなくて、《「一族」だからその役職についている能力も「高卒のおっさん」なれば人格も正真正銘の「高卒のおっさん」》であり、もとより、《学歴は高卒であっても労働法・会社法や労務管理論、心理学・教育心理学・カウンセリングといったものについて「一流大学」卒の者に劣らぬ能力があり、一般教養についても「一流大学」卒の者に劣らぬ能力と認識がある人であるからその役職についている人》とは違うのだ( 一一)
(株)一条工務店のように「商業登記簿に記載されている役員の大部分は(私が在籍した期間においては、全員が)高卒か中卒という会社」に勤めると、松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人であっても「一流大学」卒の人を使いこなした・・というようなわけにはいかないらしく、「何が気に食わんというて、おまえが慶應大学でてるというのが、それが何より一番気に食わんのじゃ、この野郎・・」というのが「常識」になってしまうらしい。なんで、そんなもんが常識やねん!?!・・なんて言ってもその人にとってはそれが「常識」なのだ( 一一)
会社の規模や位置づけから考えて、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいていいはず、いないとその会社は動かないのではないのかと思えるくらいの規模・位置づけの会社なのにそういう大学の出身者がいない会社・・・というのは、そういう会社はねらい目で、そういう所に勤めると経験を積む機会があり活躍する場がある・・ということならいいのですが、そうではなくて、《会社の規模・位置づけから考えて「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいないといけないはずなのにいない会社》・・というのは、実はそういう大学の出身者を追い出す会社、もしくはそういう大学の出身者が出て行く会社〔この場合、「追い出された」か「出ていった」かは必ずしも重要ではない。自分から「出て行った」方が「プライドが保てる」かもしれないが、落ち着いて考えてみると、それでも「追い出された」みたいな面があるはずだ〕である場合がある。それから考えるならば、《会社の規模・位置づけから考えて「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいないといけないはずなのにいない会社》というのは、「高卒か五流大学卒の人が勤めるのが向いている会社」なのかもしれない・・のです。だから、「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者だらけという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者があまりいないという会社に勤めた方が実力を発揮する場があっていい」という慶應大学の商学部の先生が言われた発言は、絶対にそういうことがないということではないけれども、それはあてはまらないケースというものもある。あてはまらない会社に勤めて滅私奉公しまくって恩を仇で返されるような経験をした者が言っていることだから間違いない。「松下幸之助は自分は小学校しか出ていない人だけれども、一流大学卒の人間を使った」というのがエライ・・と言われるのだけれども、私はその話を聞いた時には、そんなものは当たり前のことではないのかと思ったのでしたが、ところが、「高卒のおっさん」「中卒のおっさん」にとっては決して当たり前ではないのです。「高卒のおっさん」「中卒のおっさん」は「一流大学卒の人間」というのは使いたくないみたいなのです。使いたくないなら採用しなければよさそうなものですが、そうではなくて採用した上で塩漬けにして「中卒・高卒の人間」を優遇したいみたいなのです。そういう会社が何らかの事情で社会的地位が上がったというような場合に《会社の規模・位置づけから考えて「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」がいないといけないはずなのにいない会社》に見えたとして、そういう所に勤めると「一流大学」卒の人間に敵意を持っているオーナー経営者およびその取り巻きとのつきあいに苦労することになります。
宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 という資格は宅地建物取引業を営む事業所には従業員5人に1人以上、この資格を持っている者がいないといけないということに宅地建物取引業法でなっているのだけれども、「不動産屋のおっさん」はこの規定を「本来、宅地建物取引士くらいは不動産業の会社の従業員は誰もが取得しておくべきもので5人に1人というのは最低の数字」とは理解しないで「宅地建物取引士は従業員5人に1人おればいいということだ」と解釈する。だから、「不動産屋」といっても会社名に「三井」「三菱」「住友」「野村」といった名前が入っているような「不動産屋」の場合は持っている方がいいだろうけれども、そうではない「そのへんの不動産屋」だと、その結果として、宅地建物取引士の資格を持って入社すると、1対5 の少数派になってしまうことになり、持っているということがかえってよくない結果になることが少なくない。国家公務員にしても司法試験受験にしても、実際にその道を進んだ人で、自分の場合はどうだったという経験談を聞かせてもらえるのならば、それはこれから人生を歩む人にとって参考にできるだろうけれども、大谷の場合はそうではなくて自分がそれを経験したわけでもないのに「どこでも一緒や」「どこでも一緒や」言いまくるのだった( 一一) 無責任極まりない。
『華やかな死体』では最後の最後、犯人に起訴の起源までにうまく逃げられてしまい、あの人間が間違いなく犯人なのに・・と悔しい思いをする検事が描かれている・・・が、それにしても、「進学校の生徒」に敵意持っているような高校教諭を何も進学校の教諭に採用しなくても、逆の方の高校の教諭にならせてあげた方がその人に向いているのではないか・・と思ったのだが、その後も大谷は定年まで進学校の教諭を続けたらしい( 一一)

江戸川乱歩賞全集(4)大いなる幻影 華やかな死体 (講談社文庫) - 戸川 昌子, 佐賀 潜, 日本推理作家協会
片方で「副検事」などと言って司法試験にぎりぎり合格もしていないのに〔又、司法試験なんて合格するような人間の行く大学にはおよそ行っていない人間なのに〕「検察官」やっている国営裏口入学がいる( 一一)
「副検事」というのは、やっぱり(国営)裏口入学 のやつはその程度だなあ・・という人間的に・人格的に程度の低い人間が多い。検察官なんて職業は小学校から高校まで真面目に努力して勉強してきた者がつく仕事だろうなどと思って見ると、「副検事」になっている人間というのは、およそ正反対の顔をしている。試験に通ってつくべき検察官という職種に試験に通らずに「国営裏口入学」でなってやろうと考えるだけに、顔を見ても精神的に卑しい顔をしている・・・者が多い。「者が多い」とつけておかないと、そうでない人がどこにいるとか言われる可能性もあるから「者が多い」とつけておくが、そうでない人がいたとしても、それは少数派であるのは間違いないことである。それは断言できる。
※ トラブルバスターズ 【スカッと】電車で疑いをかけられたので義手だと言うと、女「悔しかったら右手持って来いよw」→お望み通り「右手だったもの」を持って https://www.youtube.com/watch?v=xMrCdUmlLMg
(2023.7.20.)

暴走する「検察」 (宝島SUGOI文庫) - 別冊宝島編集部

絶望の裁判所 (講談社現代新書) - 瀬木比呂志

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫) - 小林篤

殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―(新潮文庫) - 清水 潔
☆ 赤根天神社(京都府長岡京市今里)
1.光明寺道から南、大峯山禊所、天神社鳥居へ。怠け者を戒める「なまめはぎ」を改悪した子供を苛める「なまはげ」・子供を脅して「親孝行します」と無理に言わせる大峯山は愚劣。ガチンコ民族は正門から入る・八百長医者屋民族は裏口から入れ。裏口入学した人て何かえらいのか? 両親が離婚したら何かえらいのか? ガチンコ民族は八百長裏口民族に警戒せよ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500055705.html
2.鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。梅鉢の紋の入った覆い屋の屋根。浪人した人間に「通った人間⇒ええもん、落ちた人間⇒悪もん」と決めつける高校教諭とその男に送別会をやろうとする人としたくない人間。「大学はどこでも一緒」であるかどうか、実際に自分が経験して話すのではなく、根拠なく決めつけて言いまくる高校教諭。 〔今回〕
☆長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
☆西山浄土宗総本山 光明寺(長岡京市)
[哲建ルンバ]
1.西山浄土宗の総本山、長岡京市粟生にある光明寺、法然が最初に念仏を説いた地、熊谷直実が念仏三昧院を開いたのが始まり、法然の遺骨を荼毘にふして御本廟に祀る、「京都西山三山」、阪急「長岡天神」駅とJR「長岡京」駅。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499936472.html
2.長岡天神駅よりアゼリア通り・セブン通り・長法寺道を経て「早良親王ゆかり」の乙訓寺近くの「今里」交差点を経て今里大通りより「更ノ町」交差点を左折して光明寺道に。菅原道真・早良親王・明智光秀と恨みをのんで死去した者のゆかりの地。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499948381.html
3.更の町交差点より、赤根公園・赤根天神・大峰山禊所・赤根幼稚園・蓮が糸・光明寺道・光明寺前へ。崖から吊るして「親に孝行するかあ」と脅して言わせるのは愚か、精神的貧困。「わしはあんたに何一つやってもらったことはない」と息子に無理矢理言わそうとする父親、「あんたに世話になることは一切ない」と言って息子の結婚式に出てくれという「さわやかスポーツマン」。高校教師は害がある。「両親が離婚した」は自慢することとは違うやろ( 一一)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499962295.html
4.光明寺前・浄土門根元地・熊谷直実の念仏三昧院・法然の遺骨を荼毘にふして分骨。西谷流から西山浄土宗。総門は1845年、『死に至る病』の4年前、『共産党宣言』の3年前。おまけ「クロちゃん」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499970352.html
5.表参道(女人坂)から鐘楼・立教開宗の像・手水舎・御影堂。「えらい人」の像は高い台座に載せないといけないのか? 「普通の人と同じ高さで誰もがそばまで行くことができる福沢諭吉像」を「普通の人より高い場所で普通の人間はそばに行けない場所」に移す「自我が確立されている」「福沢精神」とそれに疑問を感じる「自我が確立されていないからわざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」と「心理学」から「診断」される「受験勉強の悪影響」「思考の硬さが気にかかります」「未成熟」。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499986510.html
6.御影堂・阿弥陀堂。熊谷直実は念仏の信者になったわりにその後も過激? トロッコ列車は警察手帳で乗れるのか? 『観無量寿経』に登場するビンビサーラ王とアジャンタシャトルとヴァイデーヒーの話。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500006097.html
7.保存樹木モミ。「モミの木の歌」は人畜無害化で作成された歌ではなかった。猪・「野生の猿」出没。善良な市民は、「野生の猿」と警察官は眼を見てはいけない。音楽・声楽とコーラスは別物、プロ合唱団と「学校のコーラス部」・「アマチュア合唱団」はレスリングとプロレスの違い以上の違いがある。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500030938.html
8.御影堂から観音堂脇を通り退出。丹波街道の「光明寺」バス停から長岡京駅へ。「わしに孝に、わしに孝に」を説くくだらない『観無量寿経』、森鴎外『青年』『舞姫』を「受験勉強だ。害があるんだ」と否定する慶應内部進学心理学、「何でも日本に持ってくると矮小化される」ことを危惧する者を病気・症候群と「診断」して「治療」しようとする小此木啓吾内部進学精神医学・精神分析学。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500042314.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
静岡県
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
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