住宅建築契約時の親戚の対応の間違いを間違った相手にあたる者と、施主側もまた契約には責任があると理解できない施主とその甥の話。
[第1005回]会社と営業の話
1992年に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場(江東区潮見 にあったウッディランド東京 の中にあったが、今はウッディランド東京はもうない) でのことです。私は(株)一条工務店に入社するよりも前に、同社と同じ木質系の戸建住宅建築業の会社の小堀住研(株)に在籍したことがあったので、(株)一条工務店の営業社員で小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) について知りたいという人には自分が教えられることは教えてあげようと思って答えていたのでしたが、そのうち、あほくさい・・というよりも、真面目に質問している人になら真面目に返答すればいいが、そうではなくて、(株)一条工務店という会社は経営者が同業他社に在籍したことがある従業員に対して敵意を持っていて、たとえ過去に同業他社に在籍したことがある者でも今は自分の所の会社の従業員なのだということを理解せずに、敵対的態度をとりまくる会社であり、それに追随して、在籍したことがある会社に悪口雑言罵詈讒謗を浴びせてやろうという愚かというのか浅ましいというのかの従業員がおり、そういう態度をとると営業本部長から自分は好かれるとでも思っているのか、そういった愚かな態度をとる者なんぞに、そのようなものに真面目に取り合わない方がいいと思うようになったのです。
[第998回]《駐車場で停めた場所を忘れるのと、展示場で住宅営業が接客開始時刻を忘れるのは当然のこと。「覚えておけばいいだけのこと」とぬけぬけ言う男は真面目に接客してないのか、営業所をよくしようという意識が欠けているか。「ドクターイエロー」が近くを通っても、ネクストバッターズサークルにいる村上は「見てるわけない」のと同じく、一生懸命、接客すれば接客開始時刻なんて忘れる方が普通。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500330518.html の前半では、1992年8月に、1992年4月に新卒入社して静岡県浜松市の営業所に5か月弱在籍して契約棟数ゼロ棟だった小野田くんが本人の希望で東京展示場に転勤してきて、「俺、エス・バイ・エルの高級住宅なんてまったく聞いたことないですよ」と言い、又、「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけだから」と言い、「エス・バイ・エルは展示場での接客はいいかげんにして、住所と名前だけ聞き出して、しつこく訪問して契約にもっていく方法をとっている」と言いまくるので、「そんなことないよ」と親切心から教えてあげたのでしたが、ところが、こちらが親切心から教えてあげても、小野田くんは素直さがない男で、逆に「〇〇さん、そんなこと言うならエス・バイ・エルに行けばいいじゃないですか」などと言ってくるので、こいつはあかんわ( 一一) と思い、この男には教えようがないわ、こいつに教えるとかえってよくないわ( 一一) とがっかりもすれば、うんざりもしたのでした。小野田くんは「浜松では平松所長の隣の席に座ってました」と、浜松の展示場の事務所で「通算契約頭数全国2位の人の隣の席に座っていた」というのを自慢にしていたのでしたが、そして、「通算契約棟数全国2位の人の隣の席に座っていた」ということから、「営業のやり方を教えてや~る」という文句を何度も大きな声で通算契約棟数ゼロ棟の男が言いまくるのでしたが、「通算契約棟数全国2位の人」と「通算契約棟数全国2位の人の隣の席に座っていた通算契約棟数ゼロ棟の人」は違うんだよ・・ということを浜松の営業所の営業所長で通算契約棟数全国2位の平松さん(男。当時、40代)は小野田くんに教えてあげるべきだったはずで、営業所長ならば新卒入社新人に何よりも教えないといけないものはそれだったはずで、それをまったく教えていなかったという点で、平松さんは通算契約棟数全国2位であったとしても、その点においてはほめられたものではなかった・・と判断せざるをえない。
(1)小野田くんは「俺、エス・バイ・エルの高級住宅なんてまったく聞いたことないですよ」などと言いまくるのだったが、[第998回]《駐車場で停めた場所を忘れるのと、展示場で住宅営業が接客開始時刻を忘れるのは当然のこと。「覚えておけばいいだけのこと」とぬけぬけ言う男は真面目に接客してないのか、営業所をよくしようという意識が欠けているか。「ドクターイエロー」が近くを通っても、ネクストバッターズサークルにいる村上は「見てるわけない」のと同じく、一生懸命、接客すれば接客開始時刻なんて忘れる方が普通。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500330518.html でも述べたが、小野田くんは「聞いたことない」かもしれないが、それは小野田くんが不勉強だから「聞いたことない」だけのことであって、「俺、トヨタのクルマなんて、”リーズナブル”な価格帯のカローラしか聞いたことないですよ」なんて人がいても、それはその人が「聞いたことない」だけのことであって、トヨタはクラウンも売っておればセンチュリーも売っているのであって、もしも、一般消費者の多くが「聞いたことない」のなら、それは知られていない会社に問題があるかもしれないが、小野田くんが戸建て住宅建築業の会社の従業員である限りにおいて、「聞いたことない」不勉強な小野田くんが悪いはずだった。 戸建て住宅を建てる人の方は、高いものを建てる人と安いものを建てる人は、どちらが人間的に優れているとかいうようなことはないが、一般に、戸建て住宅建築業の会社に勤めている従業員でけっこう広い範囲の価格帯で建てている同業他社のものについて、安い価格帯のものしか知らないという人間というのは、その人間が精神的に貧困であることが多い。その人間が精神的に貧困だから、だから、その同業他社は高い価格帯のものも建てているにもかかわらず、その人間のレベルに合わせて低価格帯のものしか知らない、というケースが少なくない。小野田くんの場合はそれに間違いなくあてはまった。
(2)「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけだから」などと小野田くんは言いまくるのだったが、小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)ではそんなことやっていないし、特に、小堀住研(株)は木質パネル工法という独自の構法で建てていたことから、それはどういうもので、どのように在来木造やツーバイフォー工法よりも優れているのかといったことに力を注いで話をしていたのであり、小野田くんは自分が不勉強だから理解できていないのをいいことに「営業のやり方を教えてやる」と叫んで嘘ばっかり言いまくっていたのだった。 小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)に限ったことではなく、他社の競合になった際に、見込み客から「・・の人がこう言ったのですが」といった話を聞くと、同業他社で「間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話はまったくしない」なんて小野田くんが言うような会社はほとんどなかった。あるとすると、建売屋もしくは不動産屋ではないか。(株)一条工務店には同業他社に在籍したことがある人で転職して(株)一条工務店に中途入社で入ってきた人というのが少なからずいたのだが、そういう人に、「(その人が過去に在籍した)どこそこでは、『間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話はまったくしない』なんて、そんなことしていましたか。やってませんよね。構造についての話をしていますよね」と言ってみたところ、誰もが「構造についての話をしていますよ。『間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話はまったくしない』なんて、そんなことしてませんよ」と言うのだった。小野田くんは、新卒入社してまだ半年も経験のない通算契約棟数ゼロ棟の男が「営業のやり方を教えてやる」などと称して嘘ばっかり言いまくるのだったが、浜松の営業所長の平松さんは、「小野田くんよ。そういう態度はやめた方がいいよ」と教えてあげるべきであり、それができないならば、通算契約棟数全国2位というところは悪いわけではないが営業所長としては問題点がある人と見ざるをえない。
この点についてだが、1990年代半ば過ぎ、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所で、ベテランの「木南さん」(仮名)に小野田くんが発言した「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ」という発言について、「一条工務店でこれを言うと怒られるのですが、『ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ』なんて、そんなことないと思うのですけれどもね。ほかの会社も構造についての話をしていると思うのですけれどもね」と話したところ、「木南さん」(仮名)が「違いますよ、違いますよ。『ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ』なんてことないですよ。ほかの会社も構造についての話をしていますよ。そうじゃなくて、『構造についての話しかしないのは一条工務店だけ』なんですよ。『構造についての話をするのは一条工務店だけ』じゃないですよ。ほかの会社も構造についての話をやってますよ」と言うので・・・、「あ、そうか」と思ったのだ。小野田くんは「構造についての話しかしないのは一条工務店だけ」を「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ」と勝手に話を改変した上で「営業のやり方を教えてや~る」と入社して半年も経たない通算契約棟数ゼロ棟の男が叫びまくっていたということだったのだった。
(3)「エス・バイ・エルは展示場での接客はいいかげんにして、住所と名前だけ聞き出して、しつこく訪問して契約にもっていく方法をとっている」などと(株)一条工務店に入社して半年も経たない小野田くん(男。当時、20代)は言いまくるのだったが、小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)では、「展示場での接客はいいかげんにして、住所と名前だけ聞き出して、しつこく訪問して契約にもっていこうとするなんてことは絶対にやってはいかん」と研修で教えていた。まず、展示場での接客が大事だと教えていた。他社が教えていたことと正反対のことをでまかせの誹謗中傷をおこなうことが小野田くんは大好きだったのだが、それはいったい誰が小野田くんにそんなもの教えてんだ? (株)一条工務店の研修でも中途入社の新入社員対象の研修では講師役の誰もそんなことは教えなかったし、浜松所長の平松さんからは私は一度だけ、平松さんの「構造アプローチ」について実演して見せてもらったことがあったが平松さんも小野田くんが言っていたようなことは言わなかったのだが、小野田くんはいったい誰からそんな事実と逆のことを吹き込まれて、「営業のやり方を教えてやる」などと言ってその嘘をほか人間に必死になって教えようとしたのだろう。誰だ、新卒入社1年目のアホに無茶苦茶教えたやつは?
それで、今回の話は小野田くんと同期入社の橋本薫という日体大卒の「スポーツマン」の話だ。「スポーツマンだけあって『まっすぐな人間』」の話だ。
ちなみに、ヤフーニュースを見ていたところ、2023年8月下旬、北海道旭川市の入浴施設で、
《 8月下旬、北海道旭川市の入浴施設で、20代の女性の胸を触ったとして、私立高校の52歳の教諭の男が逮捕されました。
警察によりますと、現場は男女共用の休憩スペースで、当時、女性は仮眠中で、胸を触られていることに気づき、「やめてください」と声を上げると、佐藤容疑者は逃走。
女性はフロントに伝えた上で、防犯カメラのい映像などから佐藤容疑者を割り出し、事件発生から3週間ほどの21日午前、逮捕しました。
取り調べに対して佐藤容疑者は「間違いありません。女性に触れたいという気持ちがあった」などと話し、容疑を認めているということです。
2人に面識はなく、現場の休憩スペースには、他にも仮眠していた客がいました。
・・・
佐藤容疑者が勤務する私立高校は、取材に対し「責任者が不在で、詳しくはわからない」とした上で「逮捕されたことは聞いている。体育の教員で(事件後も)普通に出勤していた」とだけ話しています。》
( (ヤフーニュース)
入浴施設の休憩スペースで、仮眠中の20代の女性の胸を…気づいた女性が「やめてください」と叫ぶと逃走、52歳の私立高校の体育教諭を逮捕 北海道放送 9/21(木) 15:43配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f57c65f4c47222aa74039e0a9d8dbe2397136e9b )
なんて事件があったようだが、年齢としては橋本くんと同年代の男だが、「体育の教諭」だけあって「まっすぐな人間」だったようだ。私ならば、まず第一に、いい悪いとは別の問題として、《現場は男女共用の休憩スペースで》 《現場の休憩スペースには、他にも仮眠していた客がいました》なんて所でやったら、さすがにまずいやろ・・とか、まずそれを考えるし、最近はあっちやらこっちやらに防犯カメラがあるし、まず、そういうことを考えるな。その程度のことも考えずにやるやつて、そういう計画性のないのん、一番きらいやねん、ほんま。・・そのあたりが「体育会系」「スポーツマン」だけあって「まっすぐな人間」なので、「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」てもので、脳味噌がち〇ぽ でできてるやつというのは、「まっすぐな人間」だけに「まっすぐ」に突き進むみたいだ( 一一) 〔⇒《YouTube-巨人の星OP》https://music.youtube.com/watch?v=-10trdg06YI 〕
橋本薫や私が(株)一条工務店 に入社する少し前に、橋本薫の叔父が小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) で、「ハウス55」のシリーズの中でも一番安いやつを値切り倒して契約して建てたらしかった。
小堀住研(株)は、1960年代から1970年代は在来木造で建てていた会社で、関西方面を中心に「高級住宅の小堀」というのを「売り」にして、関西方面を中心にして「小堀で家を建てた」というのが「中の上」くらいのサラリーマンにとっては「ステータス」になっていた。うちの親が1969年竣工で小堀住研(株)で大阪府の北摂地区で家を建てたが、その少し前に、後に『日本沈没』で売れっ子になった作家の小松左京さんが我が家から遠くない所で小堀住研(株)で在来木造で小堀住研(株)で建てて住んでいたが、我が家の担当営業は「小松左京さんにも建てていただきました」とかいいうのも営業トークのつもりのようで言っていたが〔もっとも、小松邸は『日本沈没』がブレイクする前に建てられた家だったから、豪邸ではなく「普通の家」だったけれども〕、そういう会社だったが、1970年代後半から木質パネル工法で建てるようになり、1990年頃においては在来木造でも東京都と関西圏では建てていたが木質パネル工法の方に重心が移っていて、在来木造の時代からの「高級住宅の小堀」を引き継ぐものとして木質パネル工法による自由設計の「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」ということで名づけられた「新 桂」があり、それと別に建設省・通産省の「ハウス55計画」という「高品質な住宅を低価格で」という趣旨の提案競技に入選した「ハウス55」のシリーズがあった。高級志向の「新 桂」と「高品質低価格」の「ハウス55」のシリーズの2本立てになっていて、「ハウス55」のグレードアップ版がその価格帯の間を埋めるような感じになっていた。しかし、小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)は2本立てで商品を持つことで広い価格帯の客層に対応できるようにはなっていたが、営業担当者で両方に対応できる人と、たとえば1990年に東京都目黒区の自由が丘展示場で営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎(男。当時、30代半ば過ぎ)のように「高品質低価格」タイプしか対応できず、高価格帯の見込み客がいっぱい来場する展示場にいても「高品質低価格」の見込み客を一生懸命探すという男もいた。そうなると、2本立てにして広い価格帯で商品が用意されていても、低価格の方の商品しか扱えない営業がいて、なおかつ、東京支店長の高倉などにそういったことを見抜いて適材適所の人材配置をする能力がなかったことから、そこから、商品としてクルマに例えるならクラウンやセンチュリーの価格帯の商品も用意しているにもかかわらず、「カローラしか売れない営業」が営業課長になっていたことから、低価格帯商品(悪く言うと「安もん」)しか売れない地域も出ていた。そのあたりを小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) の経営者は考えないといけないはずで、私をもっと大事にしてくれていたら私が考えたところだったが、「メカケの子」と言われ「会社をつぶしたアホの二代目」と言われた2代目社長の中島昭午には人を見る眼がなかったようで大事にすべきでない人間を大事にしていたようで、そして、会社をつぶした。中島昭午の最終学歴校である滋賀県立長浜北高校の応援部のホームページのコメント欄に、中島昭午のことを「そうそうたるメンバー」などと寝ぼけたことを書いていた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止である( 一一)
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地震と建築 (岩波新書) - 大崎 順彦
小松左京『日本沈没』は、最初、SF小説と言われたので、ありえないような話を作って話題にしたものかと思ったのだが、大崎順彦『地震と建築』(岩波新書)によると、そうではないようで、小松左京『日本沈没』は地震について相当よく調べて書かれている小説で、地震によって山ができたり島が海に沈んだりすることがあるように、巨大地震が起こって日本列島全体が海に沈んでしまうことになったら・・という話を、地震について相当よく調べた上で書かれた小説らしい。また、もはや、日本列島が海に沈むことは避けられそうにないとなった時、政治家が国民を外国に避難させることよりも、奈良や京都の寺の仏像を外国に売り飛ばすことの方を考えたりとか・・、なんか、ありそう・・て感じもしないことない話が描かれているようだ。

日本沈没(上) (角川文庫) - 小松 左京

日本沈没(下) (角川文庫) - 小松 左京
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それで、1992年、橋本薫くんが(株)一条工務店に入社する少し前に、彼の叔父が 小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)で「高級住宅の新 桂」ではなくて「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の一番グレードが低いやつを建てたらしかったのだ。
それはそれでいいのだけれども、問題はその叔父が自分が納得して契約して建てたくせしてからに、入居後も、「玄関を移動しただけでものすごい値段があがった」などと文句を言いまくっていた、それも担当営業に文句を言うのではなく、関係のない相手に文句を言いまくっていたという点だ。
念のため、断っておくが「高品質低価格」タイプというのは、これは「その値段にしては高品質」「その内容にしては低価格」という意味で、「ともかく安い」というタイプとは別だ。「ともかく安い」というタイプのものは同業他社で別にあり、そういう「ともかく安い」タイプと比べると値段だけ見ると安くはない。安くはないが「ともかく安い」タイプよりは内容はずっといい・・というもので、「高品質低価格」という言葉はそういう意味だ。クルマにたとえるなら、カローラなんてのは「リーズナブル」な価格帯のものだが、決して悪くないと思うのだ。1993年、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が松戸展示場の事務所で入社1年目の新人に「ハウス55なんか建てたら地震が来たらひっくり返りますよと言ってやれ」などと教えるので、程度の低い男だなあ・・とあきれたものだった( 一一) なんだか、「カローラなんて買ったらハンドル右に切ったら左に曲がりますよ」とか「カローラなんて買ったら、ブレーキ踏んだら加速しますよ」とか言うようなものだ。(株)一条工務店の営業本部長というのは、なんとも愚かな・・、また、なんとも下品な営業であった。カローラは「ブレーキ踏んだら加速する」なんてことは、ありません! ブレーキ踏んだら加速するのは、プリウスであって、カローラとは違います!!! カローラはブレーキペダルを踏んだら減速します。
戸建て住宅建築業の会社の商品では、「自由設計」タイプ・「システムフリー」タイプ・企画住宅タイプの3種類があった。ただし、この表現は小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)での表現だ。 小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) では木質パネル工法による「新 桂(しん かつら)」は「完全自由設計」、まったく一からその施主の土地と要望に合わせて設計していくというもので、構造上、危険なものを作ってほしいとか言われない限り、お施主様の要望を完全に満たすものを作るというやり方のもので、それに対して「高品質低価格」タイプの「ハウス55」は「規格住宅」もしくは「企画住宅」だった。「きかく住宅」という音(おん)でも「規格住宅」は「規格に沿ったものを作る限りは低価格で」という意味だが、「企画住宅」は「このような住まい方はいかがですか」という企画・提案がある住宅という意味で、「小堀ハウス55」は「高品質低価格」タイプではあったが、「このような住まい方はいかがですか」という企画・提案があった。プランの決め方として、いくつかの名称がつけられたタイプがあって、寄棟屋根の「ブラウン」「グレイッシュ」、切妻屋根でアーリーアメリカンスタイルの外観の「ライブリー」があり、「ハウス55」シリーズで少々グレードが高いものに1階外壁をタイル貼りにした「ハウス55SX」があり、ソーラーシステムを取り入れた「ハウス55AL」〔「AL」は「Air and Light エアー アンド ライ」だったと思います。〕などがあったが、それぞれにプラン集があって、そのプラン集からお施主様の敷地と要望に合うものを選んだ上で、標準仕様のものを「オーダーエントリー」(オプション)に変更するか、新たに「オーダーエントリー」(オプション)のものを取りつけるかといったことができた。このやり方のものには、同業他社の商品はミサワホーム・ナショナル住宅産業(パナホーム、パナソニック)・積水ハウス・積水ツーユーホームなどにあったが、積水ツーユーホームはツーバイフォー工法によるもので、ツーバイフォー工法は構造上、1階の壁面線と2階の壁面線を一致させないといけない度合いが大きく、小堀住研(株)の木質パネル構法は壁面はツーバイフォー工法と似たところがあるが、床面を見ると1階と2階の間に在来木造と同じように太い梁があることから、ツーバイフォー工法よりも小堀住研(株)の木質パネル構法の方が構法上、間取りの自由度を取りやすいことがあり、積水ツーユーホームのものはプラン集からの変更がそれほど多くできないのに対して、小堀住研(株)の「ハウス55」はプラン集にあるものからできる変更の度合いがけっこう広いという長所があった。また、「ハウス55」のいい所として、同業他社のほかのプラン集から選んで建てるという「規格住宅」もしくは「企画住宅」と比べて、プラン集にあるプランの数が多く、施主の土地と要望に近いものが見つかりやすいという長所があった。
ただし、「ハウス55」は「90億円もの国家予算を使って考えだされた国家商品だから」割安なものができると言っていたが、しかし、内部の造作などで使っているものは高級志向の「新 桂」などで使うものと比べれば低価格のものを使っていたのは事実であり、それはやっぱり、カローラはなかなかよくできていても、クラウンやセンチュリーと比べて同じというわけにはいかないというのは、これはやむをえないものがあった。1993年、(株)一条工務店の松戸展示場の来場客で「エスバイエルの『ハウス55』というの、あれでいいと思っているんだよね」と接客したM田(男。入社1年目。当時、20代後半)に言われた方があったらしく、松田が私に「ハウス55て、どうしてあんなに安いんでしょうね」などと言ったことがあった。そりぁ、(株)一条工務店が持っていた商品「セゾン275S1」「百年275S1」というのは戸建て住宅としては価格帯として、クルマにたとえればクラウンの価格帯のものであり、「なんで、カローラはクラウンより安いのでしょうね」なんて言っても、そういうものなのだ。(株)一条工務店はクルマにたとえるならば、価格帯としてクラウンの価格帯のものしかない会社だったので、カローラの価格帯のものを建てようという人にクラウンの価格帯のものを建てさせようとしても厳しいところがあり、クラウンの価格帯で考えている人でも、(株)一条工務店の商品というのは「地方向き」の商品であることから東京圏の人が見ると「うわっ、いなかくせえ」というところがあり、又、施工体制が「クラウン」にしては拙劣であり、私の義兄と姉の夫婦に1993年に(株)一条工務店で契約してもらって千葉県市川市で建ててもらった家も(株)一条工務店は決して安くないカネとっておきながら無茶苦茶しやがった
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に1993年に中途入社して松戸営業課(展示場)に配属されていた松田(男。当時、20代後半)が私に「ハウス55て、どうしてあんなに安いのでしょうね」と言ったのだが、(株)一条工務店の従業員は高卒が多く、「大卒しかとらない会社」と言いまくっていたわりに高卒の人もけっこういた小堀住研(株)は「大卒」の人でも旧帝大系国立大学とか早慶とかいった大学ではなくて、実際問題として底辺の方の「大卒」の人が多かったのだが、それでも、さすがに「大卒」だけあって・・なのかどうか、自社の商品しか知らない人は少なく、同業他社の商品もある程度以上知っている人が多く、他社のものでも「いいものはいい」という思考ができる人が多かったのに対し、高卒中卒が多い(株)一条工務店では自社のものしか知らない人、もしくは自社の位置からしか戸建て住宅建築業の業界の商品を見ることができない人が多く、松田にしても、(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」いうものの位置から見るから、だから、「ハウス55て、どうしてあんなに安いのでしょうね」という言葉が出るのだった。そうではなくて、「ハウス55」はクルマにたとえればカローラみたいなものであり、クルマにたとえればカローラという商品は戸建て住宅建築業の業界の会社にはほかにもいくつもあり、(株)一条工務店が建てていたクラウンくらいの価格帯の商品もまた、同業他社にはあり、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は(株)一条工務店とは違ってけっこう広い価格帯で建てていた会社であり、カローラもあればクラウンもあり、センチュリーもあるという会社で〔そういう会社の商品を「カローラ」しか知らない、クラウンやセンチュリーは「見たことも聞いたこともない」と言って自慢する小野田くんというのは(飛行機の座席はエコノミークラスしか見たことも聞いたこともない、ファーストクラスとかビジネスクラスとかなんて「見たことも聞いたこともない」みたいな言い方を戸建て住宅についてする小野田くんというのは)「貧困なる精神」と言わざるをえなかったが〕、自分が勤めている会社の商品の価格帯がクルマにたとえればクラウンくらいだったとしても、クラウンが基準というわけではなくて、クルマにはカローラの価格帯のものもあればクラウンの価格帯のものもありセンチュリーの価格帯のものもあるのだが、「大卒しかとらない会社」と言いまくっていた小堀住研(株)の営業は底辺の方の「大卒」であっても大卒だけに、そのあたりについては理解できている人が大半だったのに対して、(株)一条工務店は「営業はアタマのない人間がええんや。頭のない人間がお客さんに喜ばれるんや。ぼくなんかも学校出てない(最終学歴:中卒)から、だからぼくは気さくで人間味があって人柄がいいから、だからぼくはお客さんからも誰からも好かれるんだ。そう思うだろ。『そう思います』と言え」と営業本部長の天野隆夫が言い、その話を聞いた古手の従業員は「誰だ、そんなわけのわからん、無茶苦茶なこと言うやつは! あの人のいったいどこが『気さく』で、いったいどこが『人間味がある』で、いったいどこが『人柄がいい』だ。いったいどこの誰がそんなわけのわからん無茶苦茶なこと言ってるんだ」と言っていたが、言っていたのはご本人であって、ご本人以外に言っていた人間はひとりもいなかったのだが、そのように営業本部長が「営業は学校でてないやつがええんや、営業はアタマのないやつが向いてる仕事なんや、営業は」と言いまくっていた高卒中卒優先主義・高卒中卒優遇主義の会社だったので、住宅建築業界についても「地動説的思考」ではなく「天動説的思考」の人が多く、請負で建てる戸建て住宅にはクルマにたとえるならばカローラの価格帯のものもあれば、クラウンの価格帯のものもセンチュリーの価格帯のものもあり、どれが中心というわけでもない・・ということを小堀住研(株)の営業はたいていの人間が理解していたのに対して(株)一条工務店の営業は理解していない・理解できない人が多かった。
松戸営業課の松田が私に「ハウス55というのは、どうしてあんなに安いのでしょうね」などと言うので、私は「『90億円もの国家予算を使って低価格で良質な住宅を作る研究をしたので』と言っていますけれども、しかし、実際には使っている物など見ると、やはり、一条工務店が標準仕様で使っているものなどと比べると、あるいはエスバイエルものもでも『新 桂』で使うものに比べると『ハウス55』で使っているものというのは安いものが多いですよ。その価格帯のものとしては、よくできているとは思いますけれども」と言おうとしたのだが、そうすると「『90億円もの国家予算を使って低価格で良質な住宅を作る研究をしたので』と言っていますけれども・・」まで言いかけたところで、松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫が「黙れ! おまえは口をきくな!」と言い、なんだ、それはと思うと、天野隆夫が松田に「ハウス55なんか建てたら、地震が来た時にひっくり返りますとこう言え!」と命令したのだった。「そんなこと言ったら・・・」と私が言おうとしたところ、天野隆夫が「黙れ! おまえは口きくな!」と言うのだった。その後、松戸営業所(展示場)のほかの従業員から「〇〇さんは本当によく我慢しますねえ。天野次長(その時点では「次長」だった)はひどすぎますよ。〇〇さん、ちょっとは言い返してもいいと思いますよ。いくら上役だといっても、言っていいことと悪いことがあるでしょう」と言われたものだったが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男はそういう男だった。そういう男のことを「学校でてないから人間性がよくて気さくで思いやりがあるから、だから、いつでも誰からも好かれるんだ」と言うそうで、誰がそういうことを言っているのかというと、ご本人のみだった。
天野隆夫は私が「『90億円もの国家予算を使って低価格で良質な住宅を作る研究をしたので』と言っていますけれども、しかし、実際には使っている物など見ると、やはり、一条工務店が標準仕様で使っているものなどと比べると、あるいはエスバイエルものもでも『新 桂』で使うものに比べると『ハウス55』で使っているものというのは安いものが多いですよ。その価格帯のものとしては、よくできているとは思いますけれども」と言った上で、「エスバイエルという会社は一条工務店とは違って、けっこう広い価格帯で建てている会社で、一条工務店よりもずっと高いものも同じくらいの価格のものも建てているけれども、ハウス55というのは、もともと、一条工務店の建物よりも安い価格帯のものなのです。クラウンとセドリックを比べたり、カローラとサニーを比べて高い安いというのではなくて、カローラがクラウンよりも安いとかセドリックより安いとかいっても、それは『そういうもの』なのです」と言って「だから、クラウンの価格帯の商品を売っている会社としては、クラウンがカローラよりいい所を説明して、一回り高い費用を出してもクラウンを建てるべきだと思ってもらえるようにすべきでではないでしょうか。ただし、カローラの予算は出せるけれどもクラウンの予算は出せないという人にクラウンを建てるように持っていくのはけっこう難しいとは思いますけれども」と言おうとしたものを「黙れ」「おまえは口きくな!」と言って黙らせ、しゃべらせないようにした上で、松田に「『エスバイエルで建てたら、地震が来た時にひっくり返りますよ』と言え!」と松田に命令したのだった。それで、私が「そんなこと言っちゃだめですよ」と言うと、「おまえは口きくなと言ってるだろ。おまえは一切、口きくなと命令しているのに俺の命令がきけんのか。おまえは一切口きくな!」と言うのだった。黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがってからに、いったい何なんだと思ったが、天野隆夫はさらに「おまえはエスバイエルに行け!」と言うのだった。なんで、そんな話になる?!?
まず、一番の問題として、(株)一条工務店は1990年頃、東京圏においては施工体制が低劣・劣悪で施工ミスが多く、「(株)一条工務店のクラウン」は「エスバイエルのカローラ」もしくは積水ハウスとかミサワホームとかパナソニックとかの「カローラ」と比べても施工はずいぶんと悪かったのだ。たとえば、1980年代後半、小堀住研(株)に入社してすぐの研修で「小堀の建築現場を見に行って問題点があったら、すぐに工事課に連絡する」と教えられたもので、小堀住研(株)の工事課の人間に話すと、その点について知らなかった場合は喜んでくれたし、すでにそれについて知っていた場合には「ああ、あれは・・・として対処する予定になっています」と対処するしかたとその予定を教えてくれたものだった。それに対して、たとえば、1992年の秋頃、川崎市の高津区だったか多摩区だったか、最寄駅はJR南武線の「久地(くじ)」だったか「津田山」だったかの建築中のお宅を見に行ったところ、基礎の床下換気口の真上に柱が立っていたし、それだけではなく、屋内では柱が上に載っている土台の下に基礎がなかった。「こりぁ、ひでえわ」と思い、又、(株)一条工務店が住宅展示場に置いている構造についてのアルバム帳で「施工ミス」として写真を掲載して、「こういう施工をされては困りますよね。こんな施工をする所に頼むことがないように、契約する前にその会社の建築現場を見に行って施工の内容を確認してから契約するようにしないといけませんね」と言えと研修で指導されてきた、まさにその「施工ミス」が(株)一条工務店の工事現場にあったのであり、それで私は(株)一条工務店の東京事務所(江東区木場)に電話を入れて工事課の「主任」の高須にその建築現場の実情を話した・・・・が、当然「そうですか。すぐに現地を見て、どう対処するか考えます。ありがとうございます」という言葉が返ってくるだろうと思っていたら、そうではなくて、高須はこう言ったのだ。「それが、どうしたんですか」と。はあ? はああ~あ??? 明らかに相当の施工ミスをしておきながら「それが、どうしたんですか」とは、その発言は何だろうか。
「もう、知っていたのですか」と言うと、「いや、だから、それがどうしたんですか」と高須は言うのです。何を言ってるのかなあ・・・と思ったのだが、その時点では私は工事課とかに勤務している人というのは、法学部・経済学部・文学部とか卒ではなくて、工学部建築学科卒か工学部土木学科卒の人で、営業の職種の人間よりも建築について、特に構造についてはよく知っているものだろうと思い込んでいたのでしたが、小堀住研(株)の場合は慶応大学に出していた求人票では「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理):4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」「技術系(設計・工務・工事・アフターサービス):4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人」というもので、実際には、短大は女性のものと思っていたら「建築の短大」には男の短大もあるらしくて、同じ時に小堀住研(株)に入社した人で「短大卒」の人もいたのだけれども、基本的には工事課の職種につく人は4年制大学の建築学科卒か土木学科卒の人だったのに対して、(株)一条工務店の場合はそうではなくて、単に「高卒」の人とかが工事課やってる場合があるみたいで、私は工務課の「主任」の高須が「だから、どうしたんですか」などと言うことについて、その言っている意味が理解できなかったのだが、今から考えてみると、高須は外回りについては、床下換気口の真上には柱は来ないようにしないといけない、柱が上に載っている所では柱の位置で上から下への力が加わり、基礎は床下換気口の部分は他よりも弱いので柱が上に載らない所に床下換気口は開けないといけない、又、建物の内部では柱が土台の上に載る部分というのは、やはり、柱の位置で上から下への力が加わるので、その場所では土台の下には必ず基礎がなければならない。床下を人が通れるように、又、床下の換気を図るために土台の下に基礎がない所を設ける場合、土台の上に柱が載っていない所で設けないといけない・・・というのは、杉山英男『デザイナーのために木構造』(彰国社)とかにも掲載されていることだが、「間違いのない家づくり」を「売り」にしていた(株)一条工務店では絶対にあってはならないことであったはず・・・だったが、工務課の「主任」の高須は「それがどうしたんですか」というものだった( 一一) ( 一一) ( 一一) その時だけではなくて、小堀住研(株)では小堀住研(株)の建築現場を見にいった際に、施工の内容に「これはどうなのか」と思うものがあった時に話すと、工事課の人間は喜んでくれたし、すでに把握して対処法も決まっている場合は「あれは・・・というようにやります」と教えてくれたものだったのに対して、(株)一条工務店では工事現場で問題点が、それも「こりぁ、ひでえわ( 一一) 」という問題点があった場合に、工務課に伝えると、いかにも面白くないという口のきき方で、「それがどうしたんですか」などと言われるのだった。

デザイナーのための木構造 - 杉山 英男

これだけは知っておきたい住宅の設計と施工の知識 - 高田 秀三
「それがどうしたんですか」とは、なんだ、その口のきき方は・・と思ったが、だからと言って、松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫にそういうことを言うと、「そんなこと言うなら、おまえはエスバイエルに行けえ」などと言われるのだった。どういうことなんだ?
それから、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の木質パネル構法というのは、これは在来木造とツーバイフォー工法(枠組壁構法)を参考にして作られた新しい構法・独自の構法であるから、だから、「・・・という理由で在来木造より優れている」「・・・という理由でツーバイフォー工法の欠点を克服したものです」といった理屈・理論があったのだ。だから、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業としては対在来木造では構造の話をしたいのだ。特に、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫のような理論的でない・論理的でない・科学的でない悪口雑言を浴びせてくれたならば、これは、いわば、ボクシングにたとえるならば、カウンターパンチを得意とするボクサーに対して、カウンターパンチを打ってくださいとおあつらえ向きの左ストレートを打つみたいなもので、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業としてはそれをやってくれるとものすごいうれしいのだ。「そうじゃないですよ。・・・なんですよ」と説明した上で「一条工務店の営業てのは、なんにもわかってないんですね」とやりたいと思って待っているのであり、相手が待っている所に相手が待っているものをやるというのは軍の骨頂と思えたが、それをやらなきゃおれない・それを新人営業にさせなきゃおれないのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫だったのだ( 一一) 『あしたのジョー』の矢吹丈はクロスカウンターを得意とするボクサーだったが、これは相手のボクサーが左ストレートを打ってきたときに、その左ストレートに右ストレートをクロスさせるようにして相手の顔面に打ち込むというもので、相手が左ストレートを打ってくれなければ、このクロスカウンターは打てない。矢吹丈はわざとガードを緩くして相手に打ちかからせて相手が左ストレート打ってきたなら、それに合わせて右ストレートをクロスカウンターで相手の顔面に打ち込むというのを「蟻地獄の罠」のように待っていたのだが、小堀住研(株)の営業からすれば、在来木造の会社の営業が小堀住研(株)の木質パネル構法について、天野隆夫がやれと命令したもののような論理的でない・理論的でない・科学的でない攻撃を加えてきたならば、まさに「もってこい」であり、「きたあ~あ! ラッキー♪」てもので、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業にとってはうれしくてたまらないというものだったはずだ。だから、私は「そんなこと言っちゃだめですよ」と言ったのだが、ところが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫にとっては同業他社の建物について論理的でない・理論的でない・科学的でない悪口雑言罵詈讒謗中傷を加えるのは三度の飯より大好き♪ というものだったようで〔なんとも、人間的に卑しい男だなあ・・と思った。そういう人間が「ぼくは学校でてないから、だから、人間性が優れてるんだ。そう思うだろ。おい、そう思うだろと言ってるんだ。『思います』と言え。ぼくが『思います』と言えと命令しているのにぼくの命令がきけんのか」などと言うのだった( 一一) 〕、理論的でない・論理的でない・科学的でない無茶苦茶な悪口雑言を浴びせたがるのだった。程度の低い営業だなあ・・とあきれた( 一一)
※ 《YouTube-あしたのジョー OP主題歌 尾崎イサオ》https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=YouTube%20%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%EF%BC%AF%EF%BC%B0&mid=CD8775AC103B35B83A19CD8775AC103B35B83A19&ajaxhist=0
また、小堀住研(株)の木質パネル構法の合板は「向きがない」「方向性がない」耐力壁であったのに対して、(株)一条工務店など在来木造で入れていた「筋交い(すじかい)」という耐力壁は「向きがある」「方向性がある」耐力壁なので、全体として両方の方向にバランスよく入れるようにしないといけないし、又、力が伝わって地面まで達するように筋交いの入れ方を考える必要があり、その点で向き・方向性を考える必要がないツーバイフォー構法の合板や木質パネル構法の木質パネルの入れ方よりも難しい点があったのだが、1992年に私が入社してすぐの新入社員研修に講師役で来た浜松の営業所の古橋という男が「木造の場合、筋交いには向きがありますが、ひとつの方向にばっかり入れるということはなく、両方の方向に入れますから問題はありません」と言ったので、そうかと思って(株)一条工務店の工事現場に見に行くと、片方の向きにばっかり筋交いが入っていた工事現場があり、東京営業所の「一級建築士の宮崎さん」に「筋交いの向きをどちら向きに入れるかというのは、あらかじめ決めて図面で指示しないのですか」と言うと、「一級建築士の宮崎さん」は「そんなの適当だよ、適当。現場で大工が適当に入れてるよ、適当、適当」と言うのだった。そのあたりを見ると、システム認定の過程で耐力壁の入れ方が厳しく決められている木質パネル構法に比べて、「そんなの、筋交いの入れ方なんか、現場で大工が適当に決めて入れてるよ、適当、適当」という在来木造というのは、いいかげんだなあ・・・という印象を受けたし、むしろ、「一条工務店で建てたら、地震が来た時にひっくり返る」てことないか? ・・と不安を感じた。
何で読んだか忘れてしまったが、営業のやり方として、相手の層によって受け入れられる話し方が違うという説があるらしい。相手が知識層・インテリ層である場合には、自分の所の物については、長所ばっかり話すのではなく、欠点は欠点として自分から述べて、こういう点はありますがということを述べた上で、長所を述べるというようにした方が受け入れられる。それに対して、相手がその逆である場合には、自分の所の物の欠点・短所については一切触れずに、いいよ、いいよ、いいですよとワアワア言うというやり方が受け入れられるという話でした。もしかすると、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、この相手が反インテリ層である場合を想定して、自分の所をいいんだいいんだと理屈もなしに言い、他社の物については非論理的・非科学的に悪口雑言罵詈讒謗を浴びせるという””手法””を奨励していたのか・・もしれんと思ったのだが、そうではなく、単に無茶苦茶言うとっただけとちゃうのか・・て感じもする。
小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)の序文で、小泉信三が、批判は論拠をあげて論理的におこなわないといけない、ということを述べ、小泉信三は社会主義に対しては否定的な側の人間であったけれども、保守政党の人間には耳を覆いたくなるような下品な悪口雑言を述べるものがおり、そういうものを聞くと、むしろ、革新政党の人間が持つ気概というものに魅力を感じ、資本制経済を否定する側に若者が魅力を感じることにも気持ちがわかるところがあるのだが、まず、社会主義やマルクス経済学について批判するなら、まず、マルクス経済学を学び、その上で、批判は論拠をあげて論理的におこなうようにするべきだ、と述べている・・・のだが、(株)一条工務店の営業本部長はそうではなく、同業他社に対して論理的でない・科学的でない耳を覆いたくなるような下品な悪口雑言を浴びせたがる人間で、新人にそれをさせたがる男だった( 一一)
小堀住研(株)で最初の営業系新入社員の研修において、「同業他社の悪口は言ってはいけない」と教えられたのですが、その逆をやりたがる、その逆を新人に教えたがるのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫でした( 一一) なぜ、同業他社の悪口を言ってはいけないかというと、
(1)他社や他社の商品の悪口を言うことによって、むしろ、悪口を言っている人間の方が卑しい人間のように見えてしまい、その人間とその人間の所属の会社の方の評価が下がってしまうということがあった。
(2)又、他社の悪口を言うということは、顧客が求めているものを実現しようという姿勢が欠落している、もしくは不足しているから、だから、他社の悪口を言うのだと思われてしまう。
かわぐち かいじ だったかいう漫画家がアメリカ合衆国の大統領選挙を題材にしたフィクションの漫画を描いていて、そこに「選挙参謀」という男が出て、競合候補に対するネガティブキャンペーンをやって優位に立つように持っていったが、それを見て、もっとやろうという者に「いや、ネガティブキャンペーンはひとつでいい」と言ってそれ以上はやるなと制止する場面があったが、選挙においても、競合候補に対してのネガティブキャンペーンは10回、口を開いたら、10回中1回くらいならいいが、毎度毎度、競合候補に対してのネガティブ発言ばっかりする人間というのは、たとえ、その指摘が競合候補に対してもっともな批判であっても、人の批判ばっかりしている人間として、その人間の評価の方が下がってしまう、ということがある。だから、競合相手に対してのネガティブキャンペーンは少しでいい、というのだった。
(3)ただし、見込み客の方から、同業他社や同業他社の建物についてきかれることがある。そういう場合でも答えるべきではないのか、きかれたからには答えるようにした方がいいのか、という問題がある。 私はケースバイケースで、きかれたことには、それに対しての答えをきっちりと、しつこくなりすぎないようにした場合と、「よそさまのことは、よそさまの営業に聞いてください」と言うようにした時とあった。
あまり、他社のことを詳しく言いすぎると、自分の所に長所がないのかと思われてしまう危険がある。
(4)それでも、言う場合には、「論拠をあげて、論理的・科学的に」述べるべきであり、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫のような非科学的・非論理的な卑しい耳をふさぎたくなるような悪口雑言、言っている人間の方の評価を下げる可能性が小さくないと思われるような言い方は避けるべきだ、と思ったし、今も思っている・・・のだけれども、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫のような それをやりたい人、やらなきゃおれない人というのは、これは””ほとんどビョーキ”” であり、それが営業活動に効果があるからやるのではなく、やらなきゃおれない症候群 という「(ほとんど)ビョーキ」だからやりたがるのだ( 一一)
もうひとつ、ガチガチの競合になる相手、はっきりとガチガチの競合になって自分の所かその相手かどちらかで契約しようということになっているような場合ならば、論拠をあげて論理的・科学的になら相手の物の批判をおこなうということもわかる。しかし、そうではなく、もとから競合にならない相手について、悪口雑言罵詈讒謗中傷を浴びせて自分の方だけが卑しいやつと思われるというのは、これはどう考えてもばかげている。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は新人にそれをさせたがるのだった。
小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) と(株)一条工務店というのは、どちらも木質系の戸建て住宅建築業の会社だったので、もっと競合になることが多いかと思ったのだが、ところが、(株)一条工務店に入社してみると、ほとんど競合にならなかったのだ。
それには理由がある。(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」というのは、クルマにたとえるならば、クラウンの価格帯のもので、戸建て住宅建築業の会社には広い幅の価格帯で建てる会社もあれば、そうでない会社もあり、(株)一条工務店の場合は価格帯としては、カローラの価格帯も苦手で、センチュリーの価格帯も得意ではないという会社だった。準センチュリー くらいなら、私が営業担当ならありえたが、無理な営業は少なくなかった。それに対して、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) はカローラからクラウン・センチュリーまで広い幅で建てる会社だったが、「ハウス55」という企画住宅は、これは東京都・神奈川県などではクラウンの価格帯のものである(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」とは価格帯がはっきりと異なるので、最初の最初に比較されることは可能性として絶対ないとまで言えないとしても、ガチガチの競合になることはなかった。クルマを買う場合でも、200万円くらい出してカローラの新車を買おうと考えた人にとっては、日産とかホンダとかに同じくらいの価格帯のクルマはあるはずで、そういうものが競合になることはあっても、ベンツとかが競合にはならないでしょ。ベンツでなくても、クラウンとかセドリックはカローラの競合にはならないでしょ。
小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の「新 桂(しん かつら)」はクラウンからセンチュリーにかけての商品だったが、(株)一条工務店の「セゾン275S」「百年275S1」とは明らかにタイプが違う。 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)のお客さんになる層と(株)一条工務店のお客さんになる層は違うのです。又、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)と(株)一条工務店は、どちらも住友林業(株)と競合になることが多い会社だったが、どちらも住友林業(株)と競合になることは多くても、 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) は住友林業(株)よりも都会的・斬新であるのに対して、(株)一条工務店は住友林業(株)よりも「地方」的な商品だったからだ。だから、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業なら、住友林業(株)と競合になったら都会的な側に引っ張ればよかったのだが、(株)一条工務店にいて住友林業(株)との競合で都会的な方に引っ張ったら向こうに行ってしまう。
ガチガチの競合になる相手ならば、あくまで論拠をあげて論理的・科学的に批判をおこなうことでこちらの方で契約してもらえるようにしようというのはわかるのですが、ガチガチの競合になることはまずない相手をけなす必要はなく、むしろ、何もそことお宅とのどちらかに決めるなんて言ってないのに、それなのにせっせと相手に対して悪口雑言罵詈讒謗中傷を浴びせる営業て、そいつ、いったい何なの?・・て感じで、印象を悪くするだけでしょう。
松戸展示場で新人の松田が接客した来場客が「エスバイエルのハウス55というの、あれでいいのじゃないかと思ってるんだ」と言われた・・ということから、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「ハウス55なんか、建てたら地震の時にひっくり返りますよ、と言ってやれ」などと言いだしたのでしたが、情けなくなってきた( 一一)
ハウス55と同じくらいの価格帯で、同じように企画プラン集があって、そこから施主の敷地と希望に近いものを選んで、部分的に修正を加えて施主のプランを作って建てるというシステムの商品が住宅建築業のいくつかの会社にあったわけで、そのくらいのものを建てようと思っていて、その中ではハウス55がいいのじゃないかと今は思っていて検討中だと、その来場客は正直に話されたわけです。(株)一条工務店の展示場は住宅展示場は入場して見せてもらうのはただであり、見せてもらったから契約しないといけないものではないので、それで、とりあえず、いろいろな所の展示場を見せてもらおうと思って、それで東京圏では無名な「浜松の工務店」の展示場にも入場したけれども、実際問題として(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」は、その方が建てようと検討されていたものとは価格帯も違えば志向も違ったのです。ところが、松田はそれがわからないから、「ハウス55て、どうしてあんなに安いのでしょうね」などと言うのだった。ハウス55の方を基準にすれば、(株)一条工務店の「セゾン275S1」の方が「どうしてあんなに高いのでしょうね」ということになる。チャイムが標準仕様でインタホンすらもオプションなのに( 一一)
天野隆夫がなんでハウス55の悪口を言いたがる・言わせたがるのかというと、ひとつは天野隆夫は東京営業所長・松戸営業所長を兼任していても「浜松・掛川・名古屋のまわしもの」であり、社長の義理の弟として自分自身は20代の若いころに浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけしか営業の経験がない人だったからということがあります。その頃、(株)一条工務店は東京都・神奈川県では「施工面積」という延べ床面積よりも広い面積になるように設定したもので坪55万円としていた「セゾン275S1」を浜松・掛川では坪48万円で、名古屋南営業所や名古屋市八事(やごと)営業所では坪49万5千円でウルトラのダンピング販売をして売っていたのです。それだけのダンピング販売をやると、東京都・神奈川県ではクラウンの価格帯の商品が、浜松・掛川や名古屋南営業所・名古屋市八事営業所ではカローラに価格帯として近づくのです。その結果、東京都・神奈川県ではクラウンの価格帯で売っていたものをカローラに近い価格でダンピング販売していた浜松・掛川・名古屋においてはカローラと競合になるときがあったのです。(株)一条工務店の「カローラに近い価格のクラウン」はそれでもカローラより高かったはずなので、本当はクラウンを建てたいけれども、カローラを建てた人というのも浜松などにおられたと思いますが、浜松あたりの営業は、(株)一条工務店にとっては市場性がよく、又、東京都・神奈川県では坪55万円のものを坪48万円でのダンピング販売をおこない、東京圏などではまったくおこなわないテレビ広告を静岡県中西部・愛知県ではドカンドカンとやりまくって、そういうやり口で売っていたので、その結果、浜松・掛川・名古屋あたりで営業やった人間は、私より棟数では多く売った人でも、このあたりについて理解できていなかった、今でも理解できていないでしょう。だから、20代のころに浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの営業経験しかない営業本部長の天野隆夫さんには当然、こういったことは理解できていなかったし、今も理解できないであろうし、だから、ガチガチの競合になっているわけでもない相手、自分の所がクラウンだとするなら、カローラをけなしてもしかたがないのにカローラに対して罵詈讒謗を浴びせたがるのでした。アホまるだし・・・( 一一) ですが、それが(株)一条工務店の営業本部長でした。苦労しますわ・・・
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) では木質パネル構法の「新 桂」と在来木造による「小堀の木造」は完全自由設計、構造上危険なことをやってほしいとかいう話でもない限り、施主の要望を満たすものを新たにプランニングしていき、使うものも施主の希望にそったものを使うというやり方のもので、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」は「規格住宅」もしくは「企画住宅」で使うものは「標準仕様」のものと「オーダーエントリー」(オプション)のものがあらかじめ決められていて、その中から選び、まったく別の部材を使うということはできないことになっており、デザインはあらかじめ決められたいくつかのタイプの中から選び、間取りはプラン集に掲載されているものの中から、営業担当者とお施主様とで、お施主様の敷地と希望に近いものを選び、その上で、部分的に変更してよいと決められているものについて変更を加えて決めるというやり方のものだった。
この変更を加えてよいとされるものには、玄関の位置は含まれなかった。ほかにトイレの位置・浴室の位置というのも変更できなかったように思う。それを変更してよいことにしたならば、「プラン売り」商品でなくなってしまう、プラン集に掲載されているプランの中からお施主様の敷地と希望に合うものを選び、部分的に変更してよいとされる部分を変更してそのお施主様の希望に沿うものにする・・というやり方だから、だから、プランニング・設計に手間が比較的かからないからということで、その分を低価格に設定した商品だったから、何でもかんでも変更できるということにはできないのだった。
しかし、使うものは「ハウス55」の標準仕様と「オーダーエントリー」のものを使った上で、プラン・間取りについてはプラン集にないようなもので建てたいという人もあるようで、そういう人のために「ハウス55 システムフリー」という商品を用意していた。「ハウス55」はプラン集の中から施主の敷地と要望に合うものを選ぶのに対して、「ハウス55 システムフリー」というのは「ハウス55」で使う部材を使うけれども、プランニングについては一からおこなうというもので、その分、プランニングに手間がかかるので《「ハウス55」ほどは割安ではない》、「ハウス55」の方を基準にすると「ハウス55」に比べると割高ということになった。
私が小堀住研(株)の松戸展示場にいたとき、松戸営業課の課長の I 井さんが「よその会社のものだと『自由設計』と言っていても、うちの『新 桂』みたいに何でも自由にできるのではなくて、『システムフリー』くらいのものを『自由設計』と言ってることが多い」と言ったことがあり、そうなのかどうか、その時点ではわからなかったのだが、たしかに、(株)一条工務店の「セゾン275S1]「百年275S1]などは、「自由設計」「注文住宅」と言っていたけれども、実際には間取りについては「プラン集に掲載されているものの中から選んで」というものではないが、使用する部材は巾木・廻り縁はどういうもの、屋内ドアはこれと決められていて、システムキッチンについては小堀住研(株)の「新 桂」は決められたものはなく、お施主様の奥さんに希望を聞いてこのキッチンメーカーのものなどどうでしょうかと話して、キッチンメーカーのショールームに見に行ってもらって決める、浴室も様々なメーカーのユニットバスから選ぶか、造成バスの場合は岩風呂でも檜風呂でも何でも作るし、1階の床下で錦鯉を飼いたいとかそういった要望もきく・・というものだが、(株)一条工務店ではシステムキッチンは「オリジナル」システムキッチンが決められていて、洗面台も「オリジナル」製品、浴室も「オリジナル」ユニットバスと決まっている。なおかつ、(株)一条工務店が決めている「オリジナル」システムキッチンは嫌だ、キッチンメーカーのシステムキッチンを入れたいということになった場合、「坪あたりいくら」と決められているものに坪数を掛け算したものにはシステムキッチンの費用は含まれているので、そこから減額して新たに入れるものをプラスすると言うのだが、その減額する金額が「(株)一条工務店がキッチンメーカーに払っている金額」すらも引かず、その何割か減額した金額しか引かない・・施主からすれば入れてもいない部材になんでカネ払わなきゃならんのだ・・というもので、使用する物については自由度が低いものだった。「システムフリー」という言葉は、「システムにのっとってフリー」という意味で小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)が作った用語で、他の会社は別の表現を使っていたのではないか・・というより、「システムフリー」くらいのものを「自由設計」とか言っていた会社がけっこうあったようだが、(株)一条工務店が同社の「セゾン275S1」「百年275S1」について「自由設計」とか「注文住宅」とか言っていたのは、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の用語では「自由設計」「システムフリー」「規格住宅もしくは企画住宅」のうちでは「システムフリー」くらいに該当するものだった。なおかつ、(株)一条工務店の設計は数で評価されたので、独創的なものを設計しようという気概に欠けていた。
2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://freedom.co.jp/ で、(株)一条工務店と競合になって、(株)一条工務店がなかなかプランを出さないとか言って不思議がっていたフリーダムアーキテクツデザイン(株)の担当がいたが、なんか知らんが他社も自分の所と同じようなやり方してると勝手に思い込むアホがここにもいるのかと思い、そうじゃないんだよ・・と教えてあげようかと思ったのだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間や「バカでも入れる・最初から試験なんてない無試験よーこーの建築専門学校卒」の人間のことを「設計士(さま)」などと言って持ち上げる会社、バカを「設計士(さま)」扱いする会社だったので、「設計士(さま)」ならば、何も「下々のもの」が「設計士(さま)」の「先生さま」に教えてあげることないだろ・・と思って黙っていたのだが、又、自分を「設計士(さま)」とか勝手に思っている若造に教えると怒りよる場合があるので、その類のアホに教えるほどお人よしではないわな・・と思って教えなかったが、「在来木造で3階建てを建てる所」という点では(株)一条工務店とフリーダムアーキテクツデザイン(株)は共通していたけれども、共通していたのはそのくらいのもので、それ以外については大きく違う会社であり、相手が自分の所とは性質が違うのだから、自分の所の有利な所をアピールして、相手が自分の所のようなことはできない部分に引きずり込むようにすればいいと思うのに、それがわからんアホ・・というのが自称「設計士(さま)」という「先生さま」の若造だったのだ( 一一)
〔 人間というものは、中学校の先生・高校の先生のように「先生」という職業についている人を先生と呼んだり呼ばれたりするのは特に悪くはないとしても、「先生」という職業でもない人間が「先生」と呼ばれたり「・・様」と呼ばれたりするようになったら、だんだんとその人はだめになっていく・・といったことが言われるようだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計士(さま)」と称する若造にはそんなところが感じられた。「先生」と呼ばれたい症候群の人間というのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)にいた「建築専門学校卒」の人間みたいに、その部分において精神的に未熟なものを感じます。〕
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) では、やり方としては「完全自由設計」(システムフリーではなく、完全に自由設計)のシステムの「新 桂」と「小堀の木造」があり、《「規格住宅」もしくは「企画住宅」》の「ハウス55」があり、システムとしては(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「セゾン275S1]「百年275S1]のやり方に近い「システムフリー」のやり方の「ハウス55 システムフリー」の3つがあったのだ。
1980年代後半、私が小堀住研(株)に入社してすぐの新卒社員向け・営業系合宿研修の際に、TQC推進本部営業部会課長のMさん(男。当時、30代後半?)が「『ハウス55』と『ハウス55 システムフリー』は完全に別の商品だと考えないとだめだよ。『ハウス55』で進めたら最後まで『ハウス55』でいく、『ハウス55 システムフリー』でいくなら最初から『ハウス55』ではなく『ハウス55 システムフリー』でいくというようにしないと、最初に『ハウス55』で進めて途中から『ハウス55 システムフリー』に変えて契約したら、お客さんとしてはものすごく高くなった、という印象になってしまうから、途中で『ハウス55』から『ハウス55 システムフリー』に変えるということはやってはあかんで」と話したのだった・・・が、そううまくいくものかなと、それを聞いたときは思った。
営業としては自分が担当するお客さんにはそのお客さんにとって最高のものを建てるようにしたいものだ。そうなると、「ハウス55」でプラン集の中から選んでそのお客さんの敷地と要望に合うプランを作ろうとしたが、その過程で、これは動かせないとなっている物を動かすと「ちょうどいい」プランができるということが出てくる場合があるのではないか。そういう場合でも変えてはいかんのだろうか。自分を担当で契約してくれるお施主のためなら、自社のもので対応できる最高のものを作りたいと考えるものではないか・・とか考えたのだった・・・が、「ハウス55」で進めて「ハウス55 システムフリー」に途中から変更して契約してもらって建てた結果、営業はお施主様のためと思ってやったにもかかわらず、「玄関ひとつ動かしただけで、〇十万円も高くなった」と文句言われることになった・・というそういう例があったのだ。どこにあったかというと、(株)一条工務店に1992年4月に入社して東京展示場の営業に配属された橋本薫の叔父がそれだったのだ。
当然のことながら、小堀住研(株)の営業は「『ハウス55』と『ハウス55 システムフリー』は別のものですから、《『ハウス55』で玄関だけ動かした》のではなくて、別のものに変えたから値段が変わったのですよ」ということを話しているはずであり、それを聞いていても理解しないような橋本薫の叔父みたいな人が相手の場合には、「ハウス55」から「ハウス55 システムフリー」に変えると、その施主の要望にぴったりのものとわかっても、それでも「ハウス55」でいったん始めたなら、「ハウス55 システムフリー」というものは「ないもの」として進めるべきだったのかもしれない・・・が、営業としては自分を担当として契約してくれるお施主様のためならできる限りのことをしたいと思いがちであり、そう思って営業担当者は対応したのに、それを理解しない施主というのも、施主として、あまり「客質」がいい方ではない施主だったようだ。
それで、だ。(株)一条工務店の東京展示場(江東区潮見)の営業だった橋本薫(男。当時、20代)は「玄関動かしただけなのに、〇十万円も高くなったと文句言ってましたよ」と私に文句言うのだったが、何よりも、文句を言う相手を間違えている!
これは、誰が悪いのかというと、4者に問題がある。あえて言えば、5者に問題があったかもしれない。まず、
[第1者] 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当者、および営業課長
1980年代後半、私が入社した年の新卒社員・営業系・合宿研修の際に、TQC推進本部営業部会課長のMさん(男。当時、30代後半)が「『ハウス55』と『ハウス55 システムフリー』は完全に別の商品だと考えないとだめだよ。『ハウス55』で進めたら最後まで『ハウス55』でいく、『ハウス55 システムフリー』でいくなら最初から『ハウス55』ではなく『ハウス55 システムフリー』でいくというようにしないと、最初に『ハウス55』で進めて途中から『ハウス55 システムフリー』に変えて契約したら、お客さんとしてはものすごく高くなった、という印象になってしまうから、途中で『ハウス55』から『ハウス55 システムフリー』に変えるということはやってはあかんで」と話したのだが、私と異なる年に入社した人にはこういう話を聞いていない人もいたかもしれないが、しかし、こういったことは営業として認識しておくべきものだったはずだが、橋本薫の叔父の家を担当した小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当者には、そのあたりについて、きっちりと認識していたように思えない。 また、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は営業課長1人と営業担当者2人の3人で1チームの営業課というのが基本で、時に営業担当者が2人ではなく3人の営業課があったり営業課長1人と営業担当者1人の2人の営業課があったりしたが、営業課長は自分自身の営業成績よりも営業課としての営業成績を重視され、営業担当者の営業活動を助けたり指導したりして営業課全体の営業成績を伸ばすことが求められる立場だったから、営業課長にもまた責任はあったはずだ。
最初は「ハウス55」で進めたけれども、どうも、そのお施主さんの土地とお施主さんの希望から考えて「ハウス55」ではなく「ハウス55 システムフリー」で契約してもらって建てた方がそのお施主さんの希望に沿うものができると思えた場合に、それでも「ハウス55」で進めたからには「ハウス55」で契約してもらって建ててもらうようにもっていくべきか、たとえ、いくらか割高になったようにお施主さんが思うことがあっても、お施主さんのために「ハウス55 システムフリー」に変えるべきか。
橋本薫の叔父の家を担当した営業と営業課長は「ハウス55」で進めてきたけれども「ハウス55 システムフリー」に変更するという選択をしたらしい。しかし、それはひとつの選択ではあるが、その場合にはお施主さんに「ハウス55 システムフリー」というのは「ハウス55」と似ているけれども別の商品であり、「ハウス55」が割安なのは、いくつかの理由があるがひとつはプラン集にあるプランの中から選んで建てるということで、新たに設計する手間がかからないということでその費用の分が安くなっているのであって、「ハウス55」で変更可能とされていないものを変更した場合は、「新たに設計した」という扱いになるので、設計の費用がかかっていないということで「ハウス55」が割安になっているのと同等に割安にはならないので、「ハウス55」から「ハウス55 システムフリー」に変えた場合には「ハウス55」の金額を基準にして考えていると割高感がありますよ・・ということについて、念を押すくらいに説明しておくべきだったはずだが、それを十分におこなっていたようには思えない。
施主の気持ちとして「割高になった」感があったとしても、営業担当者がきっちりと説明してくれた場合であって、なおかつ、それ以外の部分で営業担当者がそのお施主様のために尽力してきた場合であれば、お施主様も「〇〇さんを困らせてもしかたがないから」と言って納得してくれる場合が少なくないのであり、私も(株)一条工務店に在籍時、契約客から「〇〇さんを困らせてもしかたがないから、いいよ」と言ってもらったことがあったが、橋本薫の叔父の家の営業担当者は施主からそう思ってもらえる営業をしていなかったか。
(4) そして、「値引き」のやり方の問題というものもある。(株)一条工務店の上記 ↑ の小野田くん(男。当時、20代)は「エスバイエルは建物の値打ちはなくて、大幅な値引きをやることで売ってる」などと言いまくっていたが、嘘だ。 小野田くんというのは、よくまあ、そういう嘘八百を言ってまわるものだとあきれる。
まず、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の商品では高級住宅志向の木質パネル構法による「新 桂(しん かつら)」と在来木造による「小堀の木造」については、これは同業他社との「提案競技」に勝たないといけないので、魅力のあるプランニング・魅力的な提案をするためには、やはり、使うものもいいものを使うようにした方が魅力的なプランニング・魅力的な提案はできることになる。『美味しんぼ(おいしんぼ)』では、ある調理師学校の理事長だか校長だかが「板前などというものは、高い食材を使うことでしか能力を出せない連中だ」とか発言して、それで「美食倶楽部」の海原雄山の機嫌を損ねたということがあり、山岡士郎は「その理事長もばかなことを言ったものだ」と言い、「料理人は安い食材でもそれなりにいいものを作ろうとするものだが、いい料理を作ろうとすれば、やはり、いい食材を使いたいと思うものだ」と述べるのだったが、戸建て住宅においても、安い部材・住設を使ってでもいいものを作ろうというのは「ハウス55」計画の趣旨だが、「新 桂」や「小堀の木造」の場合には、やはり、使う部材・住設もいいものを使った方が魅力的なプランニングはできるものであり、同業他社とのプランニングの提案競技に勝って契約してもらうためには、後で大幅な値引きをできるほど安い部材を使ってのプランニングなんかできないのだ。
また、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の場合は「高品質で低価格」「低価格だけれども高品質」、「その価格にしては高品質」「その内容から考えるならば低価格」というのが「売り」であり、住宅メーカーによっては最初の見積もりは高めの金額を出して、そこからドカンと値引きをすることで「そんなに引いてもらったんだ」と感動してもらって契約してもらうというのを作戦にしているらしい会社もあるようで、そのころはダイワハウスなどは値引き幅が大きいと言われていて、木質系の会社でも住友林業などはけっこう値引きをすると言われていたが、「小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)〕はあんまり引いてくれない」と見込み客の間で言われていたのは、それは、高級住宅志向の「新 桂」と「小堀の木造」の場合は同業他社との提案競技に勝てるようにするにはそう安いものを使ってプランと見積もりを出すわけにはいかないということとともに、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の場合は「その価格にしては高品質」「その内容から考えるならば低価格」というのが「ハウス55」の「売り」であるから、あとでドカンと値引きができるように利益幅を大きくとった値段で見積もりを出しておくということができないのです。だから、あとでドカンと引くというのを作戦にしていた会社とは逆で、「高品質低価格」になるように最初から「値引き幅」を大きくとった見積もりは出していないのであり、だから、あまり大幅な値引きはやりようなかったのです。それにしても、(株)一条工務店の小野田くんは、次から次へとよくまあ、わかっている人間にはすぐにばれるデタラメを言ってまわれるものだとあきれます。
しかし、それでも何十万というくらい値引きをしていたが、それは「地方」中心の(株)一条工務店とは違って都市圏中心の会社で、それも東京圏ではなく関西圏発祥の会社であり「ビジネスであるからには価格交渉があるのは当たり前」という認識があったからではないか。その結果として、同業他社と比べると幅は小さいけれども、契約時にいくらかは値引きはしていた・・という結果になっていたと思われます。
こういったことを理解すれば、小野田くんが「エスバイエルは建物の値打ちはなくて、大幅な値引きをやることで売ってる」などと言いまくっていたのは嘘だとわかるはずです。むしろ、(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋地区、静岡県中西部・愛知県の方が、そのころ、「施工面積」という延べ床面積より大きい数値になるように設定されて、「坪当たり」で見ると延べ床面積の「坪あたり」よりも安めの金額になる(株)一条工務店が設定した単位で東京都・神奈川県では「坪55万円」としていた「セゾン275S1」を浜松・掛川では坪48万円、名古屋南営業所・名古屋市八事(やごと)営業所では坪49万5千円と大幅なダンピング販売をして売っていたのであり、小野田くんが言う「品質よりも大幅な値引きで売ってる」のは(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業の方だった( 一一)
それで、「ハウス55」で最初は進めていたものを「ハウス55 システムフリー」に変更したならば、「ハウス55」の坪単価と「ハウス55 システムフリー」の坪単価では「ハウス55 システムフリー」の坪単価の方が高いことから、「損した」感をお施主様が持ってしまうことが考えられるが、それを防ぐために、いくらか値引きをしてあげる際に、その理由・口実・大義名分として「『ハウス55』で進めていたものを『ハウス55 システムフリー』で契約いただいたことで、何何さんにはいくらか費用の負担をかけることになってしまいましたが、私どもの方でもいくらか負担させていただきたいと思い、〇〇万円、この見積もりから引かせていただきたいと思います」とでもいった「言い回し」をして値引きしてあげれば、施主もそれで納得した可能性が考えられるが、そういったこともしなかったか。・・そう考えると、橋本薫の叔父の家を担当した小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の担当営業と営業課長の2名は、あまり優秀な営業とは言えないような印象がある。
[第2者] 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の経営者
長浜北高校の応援部のホームページがインターネット上にあって、そこのコメント欄に 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の二代目社長で、初代社長小堀林衛の「甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午を「そうそうたるメンバー」などと書いていた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止である。
1989年に、その時点では「相談役」になっていた初代社長の小堀林衛が他界すると、中島はその翌年の1990年に会社名から初代の苗字である「小堀」を削り取って「エスバイエル」というツーバイフォー工法で建てている会社ではないのにツーバイフォー工法を思わせる名前に社名変更をしたが、「小堀」という名前は戸建て住宅建築業の会社で、「粋な和風住宅」などを得意とする会社が名前につけていると、何も言わなくても客の側で小堀遠州と関係があるのか・・と勝手に思ってくれる名前であり、実際はそうでなくても、客の側でそう思ってくれる名前は会社名から取り除くようなことはしない方がいいと思えたが、会社の利益よりもおのれと異なる苗字が会社名に入っているというのが嫌だったのか、奇妙な名前に社名変更してしまい、中島はその後、安物路線に突き進んで意図的に会社をつぶした。
慶応大学の商学部の教授で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばっかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が経験を積む場があり、実力を発揮する場があっていいところがある」と言われた方が複数あったのだが、そんなこと言われても、もしも「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばっかりという会社」に勤めてそういう相手との競争に勝っても負けても自分の責任だとして、「高卒か底辺の大学卒の人間ばっかりの会社」に勤めて、「高卒か底辺の大学卒の人間」に競争に勝っても当たり前で、負けたらどないしてくれんねん・・・てものと違うのか・・と思ったのだが、中小企業の役員になっていたうちの父親にそれを話したところ、「そんなもの、負けるなんてことは絶対にない。東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者同士の競争なら競争に勝つこともあれば負けることもあるだろうけれども、高卒や底辺の大学出身の人間と競争して競争に負けるなどということは百パーセント絶対にない」と言うのだったが、もしも、あったらどないしてくれんねん・・と思ったものだった・・が、小堀住研(株)・(株)一条工務店に勤めて、それはたしかにそうかもしれない・・と思うことが何度もあった。小学校から高校までで学んだものにしても、大学の専門科目にしても差が大きすぎるし、なによりも、仕事に対する姿勢が違う。「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」と高卒や底辺の大学の出身者との競争では「たしかに、話にならん」と思った・・けれども、(株)一条工務店のようにオーナー経営者が高卒だと、社長の周囲には「一族」を配置して、その周囲は高卒で固めて・・ということを経営者はやるし、「一流大学」出身者を親の仇みたいに思っているオーナー経営者の会社に勤めると、仕事についての競争ではなくて、それ以外で「一流大学」卒の人間を親の仇みたいに思っている「高卒のおっさん」との闘いに苦労させられることになり、そんなことなら「東大・京大・慶応・早稲田といった大学」の出身者ばかりの職場につとめてそういう人間との競争に苦労した方がよっぽどいい・・と思うようになった。
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は1960年代から「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていた会社だった・・がその割に入社してみると高卒の人がいる会社で、また、「高卒の人間がえらそうにしている」と言って大学新卒で入社した人間は多くの人間が怒っていた。また、仮に「大卒の人間と高卒の人間を同じに扱う」のならば、高卒5年目と大卒1年目が同じ扱いのはずだと私は思っていたし、YouTube で元プロ野球選手が話しているのを聞くと、プロ野球選手の世界でも高卒入団5年目と大卒入団1年目が同じだと誰だったか話しており、インターネットで検索して見ると、警察官は国家公務員1種試験合格で警察庁に入庁した人は大卒で高卒で巡査として入った人とは最初から扱いが違うが、最近は「大学」が増えてきて「大学」に行く人が多くなり、「大卒」で巡査になる人がけっこういるようで、そうなると、高卒で入った人と「大卒」で入った人が混在することになるようだったが、警察官の場合、昇進するのに試験を受けて通らないと昇進しないらしく、巡査部長の試験くらい合格しろよと思っても通らない人がいるらしく、そのために、警察官の「階級」は刑事訴訟法に規定されていたはずだが、刑事訴訟法の「階級」では巡査の上は巡査部長のはずなのだが、その間に法律の規定では存在しない「巡査長」なんてものを捏造してしまったが、ともかく、警察官は昇進するには試験を受けて合格しないといけないらしく、その試験を受けることができるかどうかというのを「学歴+勤務年数」で決められているらしく、大卒で入った人は高卒で入った人よりも短い勤務年数で受けることができるらしく、その結果、高卒5年目と大卒1年目が同じという扱いになるらしい。それに対して、三流企業にいる「高卒のおっさん」というのは、大卒1年目とか大学院卒1年目を高卒1年目と同じ扱いにしようとする者がけっこういるようで、それに頭にきてやめてしまう人というのもいるみたいだ。小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社なんですう」と長年にわたって言いまくってきた会社だったが、その割に高卒の人がいて、しかも、「高卒の人間がえらそうにしている」と大学新卒の人間が怒っている会社だった。
小堀住研(株)の初代社長などの年代の人にとっては、松下幸之助という人が英雄みたいに扱われていた時代だったはずだ。松下幸之助はどこがえらいのかというと、松下電器を大企業にしたということもあるが、「自分は小学校しか出てない人間でありながら、一流大学卒の人間を使って活用した」というのがえらいと言われていたのだが、私は最初、その話を聞いて、そんなの、当たり前でしょうが、自分が高卒であろうが中卒であろうが、自分の会社をよくしようとしたなら、一流大学卒の人間を採用して活かして実力を発揮させてこそ、会社はよくなるのであり、それができてこそ経営者というものでしょうが・・・と思ったのだった・・、が実際に自分が会社というところに勤めてみると、少なくない会社の社長は高卒であり、「高卒のおっさん」にとっては「一流大学」卒の人間というのは親の仇であり、親の仇を使いたくない、と考える方が普通だったみたいだ。(株)一条工務店で、1990年代、ベテランの何某さん(男。当時、40代)に「一条工務店の経営者は一流大学卒の人間を採用したがるわりに、いったん、入社したらそれを使おう活かそうとしませんが、一流大学卒の人間を採りたいのか採りたくないのかどっちなのでしょうね」と話したところ、某さんは「採りたいんですよ。入社させた上で塩漬けにして『あんな大学だめだ』と言いたいんですよ。高卒の社長が考えることなんて、そんなものでしょ。今までわからなかったんですか」と言われたのだったが、(株)一条工務店の社長とか営業本部長とか総務部長とかというのは「そんなもの」だったみたいだ。小堀住研(株)の場合は初代社長は松下幸之助のように「自分は高卒でも一流大学卒の人間を採って活用しよう」という姿勢がいくらかなりともあったのではないか・・という感じがするのだが、初代社長はそうでも、その周囲にいた「一族」の人間に高卒の人間が多く、それらの人は松下幸之助については「小学校しか出てない人間でも一流大学卒の人間に劣らない」という意味に解釈して「自分は小学校しか出ていなくても一流大学卒の人間を採用して使った」という人というようには解釈しないみたいで、その結果、「大卒しか採らない会社」と言いながら「高卒の人間がえらそうにしている会社」になってきていたようだった。そういう会社をよくしようとしても「だめなものはだめ」だったかもしれない。「沈む船」は早めに脱出した方がよいのかもしれないが、しかし、どこかに勤めないといけないと考えると、「沈む船」でも採用してくれる会社なら勤めるしかないかと思ったら、沈みよった・・・なんて会社もある。
それで・・・、三流以下企業にばっかり勤めてきたので、「だめだなあ」「あかんなあ」と思わされる経営者はゴマンと見せられてきたのだが、小堀住研(株)の場合、もうひとつの問題として「理工系の会社」とも言っていて、それは、設計とかは千葉支店の支店長だった I さんにしても「東海大学工学部建築学科卒」で、「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と言いまくってきた会社だったので、そこまで言いまくるからには、小堀住研(株)という会社は国立大学か関関同立くらいまでの私立大学卒の人の勤め先かと思い込んでいたら、「大卒」にしても国立大学卒だの関関同立卒だのの人間なんてほんのわずかしかおらず、「大卒」といっても「高卒と変わらんような大卒」の「大卒」が多い会社で、私は設計課長とかになる人というのは国立大学か早稲田大くらいの建築学科卒の人がなっているものだろうと思っていたら、千葉支店の設計課長の I さんは「東海大学工学部建築学科卒」だと聞いたので、I さんに書いてもらった図面はなかなかよくできていたと思うし、I さんはお客さんとの対応もよかったのだが、それにしても「東海大学工学部建築学科卒」の人が設計課長なのか・・・と思ったものだった。小堀住研(株)は「それにしても、見てくればっかりいい会社だなあ」と従業員の間で言われていた会社で、「見てくればっかりいい」が中に入ってみるとそうでもない・・という会社というのは、日本では珍しくもないのだけれども、「大卒」といっても「国立大学か早稲田大くらいの私立大学の建築学科卒の人」ではなくて「東海大学工学部建築学科卒の人」が設計課長になってる会社だったが、それでも、設計とかの職種の人は「大卒の従業員」という感じの会社だったが、「営業系」の方はそうでもなくて、慶応大学に小堀住研(株)が出していた求人票には「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理)・・4年生大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と書かれていたはずだったが入社してみると高卒の人がおり、そして、「4年生大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の能力を活かせていない会社だった。設計とかの職種の場合は、「大卒しか採らない会社なんて言っても、そんな大学の大卒かい」て大学卒の人が多かったのだけれども、それでも大学卒の人の能力を活かしていたところがある会社だったが、社会科学系学部卒の者の能力は活かせていない会社だった、という点が問題点としてあった。
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) で、木質パネル構法による自由設計の高級住宅「新 桂」と在来木造による「小堀の木造」があり、「高品質低価格」タイプの「規格住宅もしくは企画住宅」の「ハウス55」があって、「システムにのっとりフリー」、「ハウス55」で使う部材を使用するが間取りについては自由という「システムフリー」というシステムの「ハウス55 システムフリー」という商品があったのだが、自由設計の高級志向住宅「新 桂」および「小堀の木造」と「高品質低価格」タイプの「規格住宅もしくは企画住宅」の「ハウス55」の2本立てにすると、自由が丘展示場の営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎のような「規格住宅しか売れない営業」というのも出てきて、そういう人を営業課長にならせると、自分が「規格住宅しか売れない営業」であるのに、「ここの展示場はろくな客が来ない」とか言ったりするようになり、それが原因で高価格帯の住宅が売れなくなって安物会社に堕落していくことになるのだった。
だから、私は、小堀住研(株)は初代の苗字を削り取って会社名を変えることよりも、「ハウス55の営業」と「『新 桂』と『小堀の木造』の営業」とに営業をはっきりと分けるべきで、なんなら、形式上、会社名も2つ作って、「ハウス55」の会社と「『新 桂』と『小堀の木造』」の会社に形式上、別けてもよかったのではないかと思うのだ。そのあたりは、やっぱり、私のように「十大国立大学(旧帝大系国立大学+一橋大・東京工大・神戸大)か早慶」くらいの社会科学系学部卒の人間でないと考える能力はないみたいだ。森川英正『日本経営史』(日経文庫)で、「学識者」の活用が十分できたかどうかが、大企業になるか中小でどどまったかの差になったケースがあると述べられており、一線の仕事なら現場の仕事での努力だけでもできても、会社を管理して運営していく立場としては「学識者」とそうでない人の差は歴然としたものが出ると書かれているが、私は最初はそうであるのかないのかわからなかったのだが、小堀住研(株)や(株)一条工務店などで「あかんなあ~あ」という「高卒のおっさん」をゴマンと見せられて、森川英正『日本経営史』(日経文庫)に書かれているその通りのようだと実感した。

日本経営史 - 森川 英正
そして、「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」という2つの異なる商品を同じ商品であるかのように誤認される名称をつけていた、というのは、それはやはり、「ハウス55」で進めていて途中で「ハウス55 システムフリー」に変更して契約して建てたという施主から、橋本薫の叔父みたいに「玄関を移動しただけで、ものすごい高くなった」と言われることになるおそれが十分にあることだった。そうならないように、営業担当者とその営業の所属する営業課の営業課長は十分に気を配るべきなのだが、それができない人も間違いなくいるし、そうなると、契約はしてもらってそのお宅からは多いか少ないかはともかく利益をもらえたとしても、その後、「玄関を移動しただけで、ものすごい高くなった」だのなんだのと、ぶつくさブツクサと言いまくり、たとえ、そうであっても、それで契約したのは自分だろうが、脅迫されて契約させられたわけでもなんでもなく自分が自分の意志でそれで契約したんだろうが、それをいつまでもいつまでも、ブツクサぶつくさブツクサぶかつくブカツクと、大の大人が情けない・・ということを言いまくる人が出現することになり、そういうことをあっちやらこっちやらで言いまくられると、その後、商売がしにくくなる・・ということを考えると、「ハウス55」の一番安いのんを値切り倒して契約しやがってからに、文句ばっかり言うて・・という客は、むしろ、契約してもらわん方がええくらいと違うか・・ということもあるのだが、「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」という2つの「実際には異なる商品」に似た名前をつけているから、だから、「玄関を移動させただけなのに、ものすごい高くなった」などとアホな客から言われることになるのだった。私が経営者ならば、「ハウス55 システムフリー」の方には内容はそれまでと同じでも「ハウス55」とは完全に別の名前をつける。そうすれば、橋本薫の叔父みたいな人がいて、営業担当者もその営業課の営業課長も、プラン集から選ぶ方式の「ハウス55」で最初は検討していたけれども、「ハウス55のシステムにのっとって、間取りは自由」という「ハウス55 システムフリー」という実質別の商品で契約したという人は、「ハウス55」で検討していた時より少々高い値段で契約することになったとしても、「別の商品に変えたからしかたがない」という印象を持つはずだ。《プラン集から選ぶことで設計の費用が必要ないということでその分だけ安い「ハウス55」》から《「ハウス55の部材を使うけれども、間取りは自由で新たに設計する」という「ハウス55 システムフリー」》に変更したなら、それは新たに設計する手間がかかる分だけ高くなるということを見込み客・契約客に理解してもらうように営業が努力すればいいじゃないか・・なんて言っても、その努力ができる営業とできない営業がいるんだよ。もしくは、説明すればわかってくれる見込み客になら最初はプラン集から選ぶ「ハウス55」で検討していたものを「ハウス55の部材を使うけれども、間取りは新たに設計する」「ハウス55 システムフリー」に変えて契約しても、それは別の商品で契約したのだから「ハウス55」よりも高くなりますと「話せばわかる」顧客にならそういう対応をしてもいいけれども、「話せばわかる」人ではない橋本薫の叔父みたいな人には「ハウス55 システムフリー」の話はしない方がいいかもしれないと判断できる営業とそういう思考ができない営業とがいるんだよ。営業担当者はそうでも、そのために、そういう能力がある人に営業課長になってもらって指導してもらうようにしているとか言うかもしれないけれども、その営業課長にできる人とできない人がいるんだよ。だから、そのために、支店長ができる人を営業課長に選任しているはずだとか言うかもしれないけれども、東京支店長の高倉なんかは自分自身は営業として悪くない方の営業だったかもしれないけれども、支店長としてはそのあたりを見る能力がない男であり、小堀住研(株)の経営者はそんなこともわからんのか!?! ・・というと、「高卒のおっさん」「メカケの子」はわからんかったようだ( 一一)
実際のところ、メカケと「奥さん」は同じではない。社長というのは社長だからいい思いをする時はあるはずだが、片方で社長だから大変な時だってあるはずで、社長の「奥さん」というのもそれに似ているところがあると思うのだが、メカケというのは社長に媚びるのがメカケの仕事であり、社長の会社をよくしようというのはメカケの仕事ではなく、「メカケの子」もまた「奥さんの子」とは違ってメカケ的思考が身についている場合が少なくないのではないか。
1980年代、慶応大学の日吉新図書館で自習しようとして歩いていたら、『江川になれなかった男たち』という本が書棚にあるのに気づき、ふと手にとってパラパラと見ていると、そのうち、近くに椅子があるので椅子に座って机に置いて見ていると・・・、ふと気づくと自習しようとしていた時間が過ぎていた・・・なんてことがあったのだが、その『江川になれなかった男たち』に載っていた話だが、1960年代後半に西鉄ライオンズで「黒い霧事件」といって八百長をしたか、八百長はしていないがカネを預かっていたかということで何人もの選手、特に主力投手が何人も永久追放にされたことがあり、その時、二軍の投手だった東尾は「これはチャンスだ♪」と思ったそうな。「一軍の主力投手がこれだけごっそりといなくなったということは、野球は投手なしではできないのだから、一線級投手がこれだけいなくなったということは俺たち二線級の出番だ♪」と思ったという。そして、実際、監督の稲尾は東尾を先発で出してくれたが、なにしろ、本来なら一軍で先発する力なんかない投手が登板しているのだから、投げては打たれ、投げては打たれ、東尾は敗戦数パリーグワースト記録を打ち立てた・・が、「ちっともかまわん。それで経験を積ませてもらって、その結果、一線級投手の仲間入りをさせてもらったんだから」と東尾は言っていたというのだ。投げては打たれ投げては打たれしても、それでも稲尾監督は出してくれた・・というが、他にもっといい投手がいなかったから出さないわけにいかなかったようだが、そうやって投げては打たれ投げては打たれしているうちに、後半になるとある程度、勝てるようにもなってきたというのだ。慶応大学の商学部の教授が「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあって実力を発揮できる場もあっていいところがある」と言われた人が何人かおられたのだが、そういう面もないわけではないけれども、私が勤めたような「高卒のおっさん」が経営者の会社ではそうではなくて、「黒い霧事件」で一線級投手がごそっとやめた西鉄ライオンズのように、それなら二線級投手に登板させて経験を積ませて実力を身に着けさせて一線級投手にしようなどとは考えず、二線級投手や若手投手をマウンドにあげて投げさせるのではなくて、「便所掃除として入社した人」とかを支店長とか人事部長とかにならせる・・・ということをやる。「高卒のおっさん」がやることというのは「そんなもの」だ。それを松下幸之助は「自分は小学校しか出てない人間でも一流大学卒の人間を使って活かした」というので「えらい」と言われたのであり、東大・京大や慶応大・早稲田大あたり卒の人間からすると「当たり前のことと違うのか」と思えそうなのだが、これは「高卒のおっさん」にとっては画期的なことで、ものすごい勇気がいる行為で、普通は「高卒のおっさん」は松下幸之助を「大卒でなくても出世した人」として「松下幸之助さんのように小学校しか出てない人でも優秀な人はいるんだから、学歴によって人を差別してはいかんだろうがあ」という主張には使っても、「自分は高卒でも一流大学卒の人間を使って活かそう」とは、なかなか考えないのだ。「親の仇」に活躍されたくないのだ。かつ、使いたくないけれども採用して、自分は高卒だけれども一流大学卒の人間よりも上の役職なんだ!・・と言いたいのだ。そういうのを見ると、やっぱり「高卒のおっさん」が経営者の会社というのはあかんで・・・とずし~んと実感することになる。「ハウス55 システムフリー」には「ハウス55」とは別の名前をつけるようにした方がいいですよ・・というのも、私に意見をきいてくれたら言ったのだけれども、きかないものなあ・・・



江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 (1983年)
[第3者] 施主・橋下薫の叔父
1980年代後半、小堀住研(株)での新卒社員の営業系社員の合宿研修の時に、TQC推進本部営業部会部長のSさんが、「TQC推進本部で、各地域の営業所にケーススタディとして、『扱いに難しい我儘なお客様に対して営業はどう対処するべきでしょうか』というアンケートを出したら、『お客様の問題』などと答えたやつがいた。なんじゃ、その答えは。営業はどう対処すべきかという質問なのに、それを「お客さんの問題」と答えたのでは答えたことにならないわなあ・・と思ったのだった・・けれども、それから後、小堀住研(株)で実際に営業の仕事をして、(株)一条工務店でも営業の仕事を経験して考えてみると、たしかに、営業の対応によってお客さんの対応も変わることはあるのだけれども、「種にまじわれば赤くなる」というケースもあり、「類は友を呼ぶ」というケースもあり、「営業がお客さんを・・・にしている」というケースもあるだろうし、その2つ以上の融合型もあるだろうけれども、その一方で、その人はそれまで何十年間か生きてきているのであり、戸建て住宅建築業の会社の営業が少々対応を変えたくらいのことで、その人の性格なり生き方なりはそんなに簡単に変わらない、簡単に変わるとか思うなら、むしろ、その方が傲慢なのではないか、というケースもあるのではないかと思うのだ。
営業の努力でなんとかしようとしても、どうもならんケースというのもある、「お客さんの問題」だから営業がどうこうしてもどうもならないと諦めて、この人はそういう人なんだと思うしかない、という場合はあるのではないかと思うのだ。そういう意味で「お客さんの問題」と回答した人がいたならば、必ずしも間違いではない、必ずしも、「営業はどうすべきだったかという質問なのに『お客さんの問題』とは答えになってないじゃないか。とんでもない返答だ」ということでもないかもしれないと思うようになった。
あえて、言うならば、本当に困ったお客さんに対しての ””ウルトラC”” として、「ど真ん中のストレート」というのがある。これは、元ダイエーホークスの投手だった斎藤和巳投手が週刊誌のコラムに書いていたのだが、プロの投手が「ど真ん中のストレート」なんてものを意図的に投げるなんてことはないと思っている人が多いけれども、実は自分はその「ど真ん中のストレート」を意図的に投げたことが何度もある、というのだった。斉藤和巳投手は2003年に20勝、2006年に18勝で最多勝のタイトルを取った投手だけれども、肘だか肩だかに問題をかかえていて、あまり多くの球数を投げることができなかったらしい。それで、「ど真ん中のストレート」というのは、どういう相手に投げたかというと、誰だったか忘れてしまったが、たしかロッテの選手だったように思うのだが、プロ野球選手としては体が小さくてパワーはあまりないが、ストライクとボールの境目あたりの球をカットしてファウルにして粘るのがものすごくうまい・・という選手で、こういうタイプの選手にコーナーを狙って投げてもなかなか三振してくれない。肘だったか肩だったかに問題をかかえていない投手ならまだいいが、あまり多くの球数を投げることができない投手にとっては、ストライクとボールの境目当たりの球をことごとくファウルにして粘る打者にコーナーに投げて、結果として打ち取ることができたとしても、その打者だけで十数球も投げさせられたのではたまったものではない。もし、1人の打者に15球を費やしてアウトにできたとしても、3人アウトにするには、15球/人×3人=45球、1イニング投げるのに45球も投げさせられたのでは、9回まで1人もヒット打たれず四球・死球も出さなかったとしても、45球/イニング×9イニング=405球 も投げないといけないという計算になる。そこまでいかなくても、又、そんなタイプの打者ばかりではないとしても、1人打ち取るために十数球も投げさせられたのではたまったものではない・・ということで、そういう打者には「かまいませんから、どうぞ打ってください」と「ど真ん中のストレート」を意図的に投げるということをしたらしい。打たれてどうするんだ・・というと、その打者はストライクとボールの境目あたりの球をファウルにして粘るのはものすごくうまいけれども、パワーはなくて打っても長打になることは極めて少なく、シングルヒットならかまわないから「どうぞ、打ってください」と「ど真ん中のストレート」を意図的に投げてシングルヒットを打ってもらった方が十数球も粘られるよりもよっぽどいい、というのだ。なおかつ、プロ野球の打者は「ど真ん中のストレート」を打つ練習なんてしていないし、打席ではどういうコースに来るだろうかと予測する際に「ど真ん中のストレート」なんて予測していないから、だから、「ど真ん中のストレート」だから必ずヒットを打たれるとは決まっていない、「ど真ん中のストレート」を凡打してくれることだってある。そう考えて、意図的に「ど真ん中のストレート」を投げたことが何度もあるというのだ。
※ ウィキペディアー斎藤和巳 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89%E8%97%A4%E5%92%8C%E5%B7%B3
それで、(株)一条工務店は「構造の話しかしない会社」だったのだけれども、「地方」においては「家は木造で建てるものだ」「柱や梁はムク材で建てるものだ」「構造材はできる限り国産材で建てるものだ」という意識が強い人が多く、施主がそうでなくても周囲がそうであって、集成材の柱なんてもので建てたら「なんだべ、あれは」とか言われるという地域においては、在来木造で・構造材はすべてムク材で・柱はすべて国産材で・・という(株)一条工務店は非木造や集成材・輸入材を柱に使う会社と比べて相当強いところがあったのだが、東京圏ではそういう意識の人は少なく、浜松や掛川の営業みたいなわけにはいかなかったのだ。なおかつ、1990年代初めの東京圏においては(株)一条工務店は施工体制が悪く、施工ミスは多かったし、それを指摘して改善してもらおうとすると「エスバイエルに行け」と営業本部長の天野隆夫から言われる会社だったので、会社のためを思い、施工の問題点を改善してもらおうとしても言えない会社だった。それで、戸建て住宅を建てるにおいては、構造と機能とデザインと経済性の4つを満たしてこそ、住まいというものであり、構造の話ばっかりしていたのでは、これは片方の翼だけで飛ぶ飛行機のようなものだ。だから、「家を建てるには構造が大事なんですよ」というのは間違いではないが、他はどうでもいいとか言うなら、それは違う。1993年、松戸展示場の事務所で松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫が「デザインがいいということは構造がなってない、耐久性がないということだ。その点、うちは構造がよくて耐久性があるんだ」などと新人営業に言うので、変なこと言う人だなと思ったものだった。「デザインがいいということは構造がなってない、耐久性がないということ」で、「その点、うちは耐久性があるんだ」と言うということは、「いくら美人でも体が弱い人、美人薄命というのは困りますよね。やっぱり、お嫁さんにするには健康で耐久性がある人がいいですよね。その点、うちの娘はブスですから耐久性があるということなんです。もう、ブスもブスもブス、ブス、ブス、筋金入りのブス、スーパー高耐久性ブスですからね。結婚するなら、なんといってもスーパー高耐久性ブスに限りますね♪」なんて言われて、「そうだな。ブスと結婚したいな♪」なんて、思うか? ブスなんか、長生きするんじゃねえ!・・て気持ちになりませんか。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男は、そういう変なことを言うのが好きな男だった( 一一)
何にでも「野球のたとえ」もしくは「ゴルフのたとえ」をやりたがるようになったら「おっさん」だということから「野球のたとえ」はあまりやりたくなかったのだが、1990年代に野村克也『ノムダス2 弱者が勝者になるために』とか野村克也と筑紫哲也の対談『功なきものをいかす』(カッパブックス)とかを読み、これはなかなか面白いことを書いていると思ってはまってしまったところがあったのだが、戸建て住宅建築業の営業において、見込み客を打者で営業担当を投手と考えるならば、間違いのないものを施工していますという話を「ストレート」、間取りや使い勝手・デザインなどの話を「カーブ」とでもして、ストレートとカーブを適度に組み合わせることで営業を進めることができたのだが、その上で、「打者がつい振ってしまう」ものとして、見込み客が「契約しようという気持ちになる」ものを「フォークボール」と考え、もう、これ以上、ごねたりしたら知りませんよというような態度も時には必要と考えて、それを「打者の胸元に食い込むシュート」と考えるなら、この4つの組み合わせで営業はできる・・・として、もうひとつ、ウルトラC として「かまいませんから、どうぞ、打ってください」という「ど真ん中のストレート」というものがあったのではないか、と(株)一条工務店をやめてから気づいた。「かまいませんから、どうぞ、打ってください」という「ど真ん中のストレート」というのは、戸建て住宅建築業の営業の場合だと、「かまいませんから、どうぞ、解約してください」というものだ。具体的に、1993年に(株)一条工務店の松戸展示場にいたときに契約してくれた松戸市のKさんについて、そうだ、あの時、「ど真ん中のストレート」を投げればよかった・・と後から思うようになったのだ。「業者さん」の場合、やりたくない仕事について無理に見積もりを出してくれと言うと、無茶苦茶高い見積もりを出してくる人が時としているが、これは「その仕事はやりたくない。断ってください」という意味で、「ど真ん中のストレート」みたいなもんだ。営業は年に1件だけ契約してもらえばいいというものではなくて、何軒か契約してもらって建ててもらわないと仕事が成り立たないのだが、営業担当者を困らせるとおもしろいとか営業担当者を困らせると自分は得するみたいに思う人には、むしろ、「ど真ん中のストレート」を投げた方がいいかもしれないと思っている。案外、「ど真ん中のストレート」を投げると、ききわけのいい人に変わる場合もあるのではないか。
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) で「ハウス55」の一番安いやつを値切り倒して契約して建てたけれども、最初は「ハウス55」で検討していたが、「ハウス55 システムフリー」で建てた方が敷地の条件と施主の要望により合うものができるということで、自分が「ハウス55 システムフリー」で契約したのであって、脅迫されて契約したわけでも何でもないのに「玄関を移動させただけで何十万円も高くなった」とか契約後も入居後も何とかかんとかブツクサぶつくさ言いまくる人・・というのは営業担当者は「ど真ん中のストレート」を投げて、「いやならかまわないからよそで建ててください」という態度をとった方がよかったのかもしれない、と思う。そうすれば、少しは「ききわけのいい人」になってくれたかもしれないし、ならなかったかもしれないが、案外、「ど真ん中のストレート」は効果があったかもしれない、と思う。
小堀住研(株)のTQC推進本部営業部会が、各地域の営業に「こういう困ったお客さんに対して、営業担当者はどう対処すべきか」という
s質問を送ったところ、「お客さんの問題」と答えた営業がいたということで、TQC推進本部営業部会部長のSさんは「営業がどう対処すべきかときいているのに『お客さんの問題』と答えたのでは答えになっておらんだろうが」と言うのだったが、しかし、中には「お客さんの問題」して、その人はそういう人なんだとあきらめるしかない人というのが現実にいると思うのだ。野球のピッチングにたとえるならば、「かまいませんから、どうぞ、打ってください」ということで投げる「ど真ん中のストレート」、契約客なら「かまいませんから、解約してください」、見込み客なら「どうぞ、よそで契約してください」というもの、そのくらいしかないというケースはあると思うのだ。
そして、小堀住研(株)のTQC推進本部営業部会のアンケートは「営業はどう対処すべきか」という問いだったわけだが、一度、営業の立場を離れて考えてみる必要もある。自分自身が営業の仕事をしている人でも、自分が客の立場になる時もある。自分が客の立場の時には、「営業はどう対処すべきか」ばかり考えるのではなく、客の側はどう対処すべきかも考えるべきだ。 また、もしも、紛争として裁判所に持ち込まれたという場合に裁判官はどう考えて、どう対処すべきかという視点も必要だ。
私が(株)一条工務店で入社2棟目の契約をしてくれたUさんに、1993年9月、私が福島県いわき市の営業所に転勤することになった挨拶に顔を出して、「Uさんのお宅は最後の引き渡しまでさせていただきたかったのですが、申し訳ありません」と言ったところ、Uさんは「大丈夫です。間違いのない家を建ててもらいますから」とそう言われたのだった。契約してもらった営業担当として、着工前にほかの営業所に移動してしまうことを申し訳ないと思ってくれること、その後について心配してくれることについてはありがたいけれども、しかし、たとえ、ほかのどんな人が担当になっても、自分は施主として間違いのないものを作ってもらいますから、心配してもらわなくても大丈夫ですよ、と言われたのだ。この人はさすがだなあ・・と思った。
それに対して、橋本薫の叔父というのは、何をひとのせいにばっかりしてるんだよ( 一一)
裁判官を職業としていない人でも、もしも、自分が裁判官の立場ならどう考えるか、という視点で考えてみてください。橋本薫の叔父という人は、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業から脅されて契約したのですか? 違うでしょ。 橋本薫の叔父という人は詐欺にあったのですか? 違うでしょ。 「ハウス55」で建てたらこの値段ですが、「ハウス55 システムフリー」という商品にすればこの値段になりますよと説明を受けて、その上で、自分で「ハウス55 システムフリー」の方を選んで契約して建てて住んでいるのでしょ。脅迫されて契約したわけでもなく、だまされて契約したわけでもなく、自分がその「ハウス55 システムフリー」というものを選んで契約したのでしょ。違いますか? 違わないでしょ。大の大人が自分で決めて契約しておいて、何を後からわけのわからんこと言っているのですか。その態度は大人として情けないと思いませんか。
あるいは、橋本薫の叔父という人は、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)で契約した内容のものを建ててもらえなかったのですか? 違うでしょ。そうではなくて、契約の通りのものを小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)を建てて引き渡しを受けて住んでいながら、契約の内容の仕事を小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はしたはずで、そうであるから引き渡しを受けて住んでいるのに、それなのに「ハウス55」の場合に比べて「ハウス55 システムフリー」という商品にしたら「ハウス55」よりも高くなった、と「あさっての方向」めがけて文句たれまくっているのでしょ。その態度って恥ずかしいと思いませんか。
2000年頃、(株)一条工務店で栃木県佐野市の営業所にいた時のことですが、佐野市のある見込み客宅に行った際に、「あなたはどちらの出身なのですか」ときかれて、「大阪です」と答えると、「大阪の人というのはえらいなあと思います」と言われたことがありました。その理由はというと、「このあたり(栃木県南西部から群馬県南東部にかけて)は繊維産業を扱っていた所なので、昔から大阪の人とはつきあいがある地域なのですけれどもね。大阪というのは商人の街だけに大阪の人間は違いますよ」と言われ、「しかし、私などは商売人の息子ではなくサラリーマンの息子ですから」と言うと、「いや、商売人の息子でなくても、サラリーマンの息子であってもね。大阪の人間というのは、契約するまでは値切るんですよ。しかし、いったん、この値段で頼むと決めて契約したら、自分が買い手の側の時は、少々高い値段で契約してしまったかなと思っても自分がその金額で頼むと言って契約したからには、おのれの信用をかけて何としてもその金額を払おうとするんです。また、自分が売り手の側の場合は、少し安い金額で請けてしまったかなと思っても、自分がその金額でやると言って契約したからにはおのれの信用をかけてその金額で契約した内容をやろうとするんです。」と話され、私が「しかし、それは大阪の人間でなくても、どこの人間でもそうではないのですか」と言うと、「だから、それはあなたが大阪の人間だからそう思うのです。大阪の人間にとってはそれが普通のことなのですが、ところが、このへんの人間はね~え。自分がその金額で頼むと言って契約しておきながら、後になってから高いとか言ってみたり、自分がその金額でやると言って契約しておきながら、後からもっとくれと言ってみたりするんですよ。高かろうが安かろうが、その金額で頼むと言った契約したのは自分だろうが、その金額でやると言って契約したのは自分だろうが、てものなのだけれども、それを文句言ってみたりするんですよ」と言われたことがあった。栃木県南西部の人間がそうであるのかないのか、判断できるほどは佐野にいなかったが、どこの人間であれ、脅迫されて契約したとか詐欺にあったとかでない限り、自分がその金額で頼むと言って契約したらその金額は払うべきだし、自分がその金額でやると言って契約したならその金額でやるべきだと思うのだが、橋本薫の叔父という人はそのあたりの認識ができていない人だったのか。
「ハウス55」というのは通産省と建設省が共同でおこなった「昭和50年の物価で延床面積100平方メートルの家を500万円台で供給する」という「国家プロジェクト」で、「昭和50年の物価で」という「5」と「500万円台で」という「5」を合わせて「ハウス55」プロジェクトというのですが、木質系の小堀住研(株)と鉄骨系のナショナル住宅産業(パナソニック)・コンクリート系のミサワホームの3社が入選したというもので、ミサワホームは「ミサワ ハウス55」は早くにやめてしまったみたいでしたが、ナショナル住宅産業(パナソニック)は「ハウス55」は続けていたみたいで、「小堀ハウス55」だけが「ハウス55」ではなく、そして、実際には「500万円台で」は無理で、それはあくまでも趣旨というのか精神というのかであって、それ以上していたのですが、「高品質な住宅を低価格で提供する」ための工夫というものが相当されているものでしたが、どういう工夫があったかというと、まず、住設メーカーはシステムキッチン・洗面台・ユニットバス・トイレの便器といったものを購入する際にカタログに値段が掲載されていても、それは「メーカー希望価格」であって希望通りの値段で買ってもらえるとは考えておらず、「掛け率」というものがあって、カタログに掲載されている価格の何割掛けの値段というもので売っているのですが、その「掛け率」は常に一緒ではなくて「必ず、うちの会社のものを使ってもらえるなら」この掛け率にします・・といったことがあり、さらには「洗面台はこの商品かこちらの商品かのどちらかにします」といいうように決めてもらえば、さらに掛け率を下げますということがあるようなのです。それなら、決めてしまうことで安く入れてもらうようにすればいいじゃないかと思いそうですが、そうすると今度は自由度が下がってしまいます。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の場合は、完全自由設計の「新 桂(しん かつら)」と「小堀の木造」の場合は自由度の方を優先して、どんなものでもできるようにしていたもので、「うちはよそと比べて安くないですよ。安くないけれども、いいものを作りますよ」という商品だったのに対して、「ハウス55」は「高品質低価格」になるように、それぞれのタイプごとにシステムキッチンはこれ、洗面台はこれと決めて安く入れてもらうようにしていたのですが、それとともに、いくつかの規制のプランを作って、そのプラン集に掲載されているものから選んで建てるということで設計の手間がかからないようにすることで費用を節約するということをしていたのです。〔アイダ設計は、さらに壁のクロスは「おまかせ」とすることで、ある家で使ったクロスの残った分をその家のっ住人に引き渡しの際に渡すのではなく次に建てる人の家で使うなんてことまでして費用を安くする工夫をしているようで、上には上があるようですが〕、システムキッチン・洗面台・ユニットバス・便器などをこのメーカーのこれを使い、「オーダーエントリー」(オプション)としてグレードアップする場合はこれといくつか決めてそこから選ぶという方式をとっていたことで安くするという工夫は「ハウス55」の場合も「ハウス55 システムフリー」の場合も適用されたのですが、あらかじめいくつか決められたプランの中から選ぶことで設計の手間と費用を省くことで低価格化するというのは「ハウス55」では適用されても「ハウス55 システムフリー」では新たに設計してプランを作成するやり方なので適用されないわけで、そちらの方の「低価格化」が適用されない「ハウス55 システムフリー」が「ハウス55」と比べると高かったとしても、当たり前といえば当たり前なのです。橋本薫の叔父はそれを説明うけなかったというのなら、説明しなかった小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当と営業課長もよくないけれども、客の側もまた、納得いかないなら営業担当者にきっちりと説明してもらうように求めるべきで、それを質問して答えてもらうようにしなかったのなら、その点で客の側も良くない。 説明を受けて納得して契約して建てて住んでいるのに、ま~だ、ぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃら言いまくっているのならば、それは「勝手に言っとけ」とでも言うしかない。裁判所に訴えられても、そんなものは却下するしかない。インターネットで検索すると、「棄却」と「却下」の違いは、「棄却」は審議した上で否定するもので、「却下」は審議する以前の問題として否定するものらしいが、その区別からいくとこの場合は「却下」だろう。
自分は客だから、何をごねてもいいとか考える態度はやめた方がいいと思う。橋本薫の叔父という人は、なんだかんだ言っても、契約したのは自分でしょ。脅迫されて契約したわけでもなく、詐欺にあったわけでもなく、契約内容のものを作ってもらえなかったわけでもないのでしょ。それで、何を「あさっての方向」めがけて、なんじゃらかんじゃらくっちゃらもっちゃらぶかつくぶかつく言いまくってるんだ。アホだろ、それは。もしも、私が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の従業員ならば、そういうお客さんもあるもんだと思い、「アホだろ」とは言わないけれども、私は小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の従業員の立場でなく、私が客の立場になる可能性もある人間として考えるならば、脅迫されたわけでもなく詐欺にあったわけでもなく、自分自身がそれでいいと判断して契約しておきながら、引き渡しを受けて住んでから、なんだかんだくっちゃらもっちゃらぶかつくぶかつく「あさっての方向」めがけて言いまくるというのは、大の男として情けないだけ! ・・だから、やめた方がいいと思うよ・・・てものだ。
「ハウス55」から「ハウス55 システムフリー」に変えたことで「ハウス55」の場合よりも値段が高くなったのが「理屈はわかるが、なんか不満」だったのなら、それは私に言うのではなく小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当者に「ハウス55で考えていた時に比べて、ずいぶん高いように思うんだけど、その差額の分をサービスとして値引きしてもらうというわけにはいかないですか」と言ってみればよかったのではないか。何なら、営業担当者にケーキとコーヒーでも出すなり、夏ならスイカでも出すなりして、「何々さんの力でお願いします」とか言えば、その差額分までは無理でも、「本当はそういうのはできないのですが、▽▽さんだけ特別に」とか言って〔実際は特別でもなかったりするが〕いくらか引いてくれたかもしれない・・が、橋本薫の叔父はそれをやらなかった、できなかったのなら、やらなかった・できなかった自分が悪いのと違うのか!?! ・・というよりも、たぶん・・で推測するならば、黙っていても営業担当の方でいくらかは値引きしてくれていたのではないのか、それにもかかわらず、いったんはそれで納得して契約して引き渡しを受けて住んでいるにもかかわらず「〇十万円も高くなってしまった」などと「あさっての方向」めがけて文句たれまくり・・というのは、営業の立場からすれば「あんまり、いいお客さんじゃない」ことになるし、「完全に他人の立場」から見ると「あんまりつきあいたい相手じゃないな」ということになる。
[第4者] 橋本薫。施主の甥。
橋本徹は叔父からそういった見当違いなことを言われたならば、自分も(株)一条工務店という戸建て住宅建築業の会社に入社した戸建て住宅建築業の会社の従業員なのだから、言いなりになっているのではなく、「叔父さん、不満はあるのかもしれないけれども、それでも、自分で判断して契約したのと違うのですか。脅迫されて署名・捺印させられたのですか? 違いますでしょ。自分で、その内容とその値段で契約しようと判断して自分の意志で契約して建てたのでしょ。それなら、今になってそんなこと言ってもしかたがないでしょ。一条工務店ででも入居者から入居後にそんなこと言われてもどうしようもありませんよ」と言うべきもので、戸建て住宅建築業の会社の従業員なのに、何をわけのわからんこと言ってる人に言いなりになっているんだ?!?
また、橋本薫が私に「うちの叔父がエスバイエルでハウス55を建てたんですけども、玄関を動かしただけで〇十万円も高くなったと言ってましたよお」などと言うので、私は、なぜ、そうなったかということを説明してあげようと思って、↑ の[第1者][第2者]で述べたように、「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」は実質別の商品であり、別の商品に変えれば価格も変わるのは当然なのだけれども、「特定の部材を使うことで低価格化をはかる」という点では「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」は共通していて、これは(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」も共通しているものだが、「既成のプランをいくつかあらかじめつくって、そのプラン集から選んで建てることで設計の手間と費用を省くことで低価格化をはかる」というのは「ハウス55」には該当するけれども「ハウス55 システムフリー」には該当しないもので、それゆえに「ハウス55 システムフリー」は「ハウス55」とできあがったものは似ているけれども、値段は「ハウス55」より少し高い金額になるのだが、営業の対処のしかたが不適切だと、お客さんから橋本徹の叔父が言ったというように「玄関を動かしただけで〇十万円も高くなった」というように解釈されて不満を持たれてしまい、悪口を言われてしまうことになるので営業は気をつけないといけないし、会社の経営者はそのあたりも考えて「ハウス55 システムフリー」なんて「ハウス55」と変わらないみたいな名前ではなくて完全に別の名前をつけるようにした方がいいと私は思うのだが似たような名前をつけている・・といったことを話してどういうことなのか説明してあげたのだったが、ところが、橋本薫は私に「玄関を動かしただけで〇十万円も上がったと言ってましたよ」と文句を言い、私がそれはこうこういうことなのだと説明してあげても、頭が悪いのか根性が悪いのかどっちかわからないが理解せずに、その叔父の家の営業担当でもない私に文句を言いまくるのだったが、一番大きな問題として、「文句を言いたいなら、その家の営業担当者に言え。俺に言われても、それは文句を言う相手が違うだろ」というものだった。
[第5者] 私。
基本的には悪いのはこの第1者から第4者までなのだが、私の問題点として「人が良すぎた」ということがある。橋本徹が「叔父がエスバイエルでハウス55を建てたのですけども、玄関を動かしただけで〇十万円も上がったと言ってましたよ」と言うので、それは橋本薫の叔父の家の担当営業とその営業課の営業課長の進め方に問題がありそうだと思われ、どういうことなのか、(株)一条工務店には「××××」と「××××システムフリー」という関係の商品はその時点ではなかったけれども、営業として気をつけておかないといけないものを十分に気をつけることができなかった例のようだとして「他山の石」として我々も気をつけないといけないものとして説明してあげたのだったが、ところが、橋本徹は「体育会系だけあってまっすぐな性格」なのか何なのか、私から説明を聞いても、それでも「ハウス55は玄関動かすだけでものすごい高くなるんですね」と言って、おまえ、ひとに説明させておきながら、説明の内容をきかないで、その説明を真面目に聞いておればわかることを理解しないのか、それなら俺に質問するなよ!・・・てものだったのだが、そんな男に真面目に答えた私がアホだった。
真面目に質問していたわけでもない橋本薫みたいな人間に真面目に説明してあげた私が間違っていた。そうではなくて、「そんなもの、その叔父の家の営業担当に話すべきものだろ。俺に言うことと違うだろ」と言って、それでも何か言ってきたら無視するというようにすべきだった。真面目に説明してやる値打ちのない人間に真面目に懇切丁寧に説明してやった私がアホだった。
「聖なる物をイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを踏みつけにし、向き直ってあなたがたに嚙みついてくるであろうから」というイエスの言葉が『新約聖書』の「福音書」に書かれているが、その通りである。『新約聖書』を最初に読んだときは、そうなのかな・・くらいに思ったが、(株)一条工務店のおかげで、この言葉はまったくその通りであると「カラダでわからせてもらった」。
橋本薫は1992年の11月だったか12月だったかに相模原市のS野さん宅を入社1棟目の契約として契約してもらったが、その際に、契約してもらう時に1992年の2月に入社したらしい服部(男。当時、20代後半)に同行してもらったということで、服部に「服部さんのおかげで契約してもらえました。ありがとうございました」などと言っていたのだが、俺には言わんのんかい・・・てものだった( 一一) 喧嘩売っとんのんかい、てものやった( 一一)
こういうことをする人というのは時々いる。1990年代後半、福島県いわき市の営業所で、いわき市の住人であるK野T夫さん(男。当時、40代)が同じ展示場に営業の職種でいた楠さん(男。当時、40代)に「楠さんにはいつも世話になってるから」などと言って自分の家で栽培している梨をいくつか持ってきた渡していたのだが、「へえ、俺には世話になってないと言いたいんだな」と思った・・ものだった( 一一) 「わかった。そうか。おまえには世話になっとらんと私に言ったのだから、今後はそのように対応すればいいということだな」と思ったが、それでも冷たく突き放すことができないお人よしが私だったが、K野T夫さんみたいなことをする人というのは、時々いるものだ( 一一)
1992年の11月だったか12月だったかに橋本薫が営業担当で契約してもらった神奈川県相模原市のS野さんは最初に私が接触した見込み客だったのだ。住居と建築地は同じ場所で、(株)一条工務店の展示場としては、東京都江東区潮見の東京展示場と神奈川県藤沢市の藤沢展示場と神奈川県茅ケ崎市の茅ケ崎展示場の3展示場まで、クルマで行くにしても電車で行くにしても同じくらいの距離の所の人で、最初は東京展示場に電話をかけてきて問い合わせた人で、私がその電話に出て対応した人だったのだ。
戸建て住宅建築業の営業の世界においては、住宅展示場に問い合わせの電話があった場合、電話でカタログを欲しいと言われた場合、たいていの会社では電話をとった営業がその見込み客の担当営業になり、基本的にはどうしても来てもらっては困るということでない限り、「郵送でいいですから」と言われても営業担当者が持参して行くものだ。2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のアフター課の阿諏訪(男。当時、40代初め)が「そんなことして、留守だったらどうするんですか」などとトンチンカンなこと言うので、「ああ、この人は営業の経験がない人なんだな」と思ったものだった。持参して訪問して留守だったら、帰宅するまで待つだけのことで、夜まで待っても帰ってこなかったらまた行くだけのことだ。営業にとっては見込み客は「飯のタネ」なのだから、会えるまで何回でも行くのは当然だ。だから、神奈川県相模原市のS野さんは、その基準からいくと私が営業担当であり、私がカタログを持参して訪問して話を進めるものだったのだ。
ところが、1992年頃の(株)一条工務店は奇妙な会社で東京展示場では「電話問い合わせに対しては訪問禁止」とされていて、カタログ請求には郵送で送るということにされていて、郵送する際に送り状を書く場合も営業担当者の名前を記入するのは厳禁だとされていた。「ええ~え?」と驚いた。そんな住宅建築業の会社があるんかい、そんな営業あるんかい・・と思ったが、東京展示場の「リーダー」だった「主任」で「一級建築士の宮崎さん」がそう言うので、「リーダー」で「主任」がそう言うのならしかたがないと思い、それで、S野さんのお宅にも、しかたがないので、(株)一条工務店のカタログ一式と、それに茅ケ崎展示場や藤沢展示場に行かれないように、茅ケ崎展示場や藤沢展示場ではなくて東京展示場に来てもらえるように、東京展示場があるウッディランド東京の案内地図も同封して、「ぜひとも東京展示場にご来場いただきますよう、お待ちいたします」という文章を「(株)一条工務店 東京展示場」という表記で自分の氏名をそこに記入できないもどかしさを持ちながら書いて同封した上で郵送したのだった・・が、私の電話での対応が悪くなかったことと、郵送で送ったものの送り方が悪くなかったことから、S野さんは藤沢展示場や茅ケ崎展示場に行かずに東京都江東区潮見の東京展示場に来場されたのだったが、その際に接客したのが橋本薫だったのだ。(株)一条工務店は「地方」型の会社で、地方都市くらいで建てる人を得意とする会社で、東京の人間の感覚で「農家」、福島県あたりの人間の感覚で「サラリーマン」を得意とする会社だった。「東京の人間の感覚」と「福島県あたりの人間の感覚」はどう違うのかというと、「東京の人間」は兼業農家のことを「農家」と言うのに対して、福島県あたりの人間は兼業農家のことを「サラリーマン」と言うのだ。だから、実体は同じなのだ。実際問題として、「浜松の家」を得意とする会社で「百パーセント都会の人間」に建ててもらうのは厳しい。2001年に浜松の本社で、1990年に(株)一条工務店に入社して東京展示場に2年いて、その後、浜松の本社に勤務するようになった西尾(男。当時、20代)と会って話した際、「東京の展示場にいた時も、何らかの形で地方と縁がある人でないと契約してもらうのは厳しかったですね」と言うので、「おい~い、それを俺が入社した時に教えてくれよお~お」と思ったものだった。彼は私よりも年下で、戸建て住宅建築業の業界に入ったのは私より1年後だったが、(株)一条工務店には私より2年前に入社していた浜松出身の人間だったが、2001年の時点では私自身が東京都・千葉県だけでなく福島県・栃木県で営業の経験をしてきていたので、彼に言われなくても私自身が1992年頃の(株)一条工務店は、東京圏では「何らかの形で地方とつながりがある人」であるか、もしくは東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」であるか、そうでなかったら「江東区・墨田区あたりの準防火地域で敷地面積20坪くらいで建物も20坪ぎりぎりくらいで建てる人で木造で建てたいという人」かでないと契約は難しいと「体で理解していた」。 3番目の「江東区・墨田区あたりの準防火地域で敷地面積20坪くらいで建物も20坪ぎりぎりくらいで建てる人で木造で建てたいという人」については、これは江東区・墨田区あたりの準防火地域には20坪くらいの敷地の家というものがけっこうあって、20坪くらいの敷地に建てる家というのは、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の「ハウス55」もそうだが、ハウスメーカーの「規格住宅もしくは企画住宅」というのは延べ床面積100㎡くらいからしかプランがないのが普通で、そういう場所には対応できず、今ならアイダ設計とかそういう所の家をけっこう得意とする会社も存在しているけれども、1992年頃はなかったので、敷地面積20坪くらいの土地の人で、延べ床面積も20坪くらいになる人というのは(株)一条工務店のお客さんになりえた。「20坪キラー」と言われた、1992年には茅ケ崎の展示場にいた楠さんが東京展示場にいた時に契約とっていたのも、そういうお客さんだったはずだ。それで、江東区・墨田区・江戸川区あたりの20坪の人・・というのは別として、(株)一条工務店にとって契約してもらえる可能性が考えられたのは、東京圏では「何らかの形で地方とつながりがある人」と東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」の人だった。「何らかの形で地方とつながりがある人」の例としては、私が(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、横浜市に住んでいるけれども定年退職するので故郷のいわき市で建てたいと考えられた方と折衝させていただいたのだったが、結局、その方は息子さんがやはり横浜市に住まれていて、息子さんは親が故郷のいわき市に帰るとしても横浜市での仕事をやめて一緒にいわき市に帰るのではなく、そのまま横浜市に住んでそこでの仕事を続けたいと言われ、親としては親だけで福島県に帰るのか、故郷に帰ることができなくても息子の近くに住むのか・・ということで、息子の方を選ばれたのだったが、もしも、そういう方が故郷の福島県とか「地方」で建てるのではなく東京圏で建てて住もうということになった場合、建てるものは「地方」の住宅と東京圏の住宅の中間もしくは折衷様のようなものを建てることになることが多いと思うのだ。そういう人にとっては(株)一条工務店は候補になりえた。もうひとつの東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」の人というのは、1993年1月に私が担当で契約してもらって建ててもらった千葉県市原市のY様邸などが該当する。Y様宅は子息と子息の奥様が勤めておられたが、お父さんは農業をされていたという兼業農家だったが、上棟の時には餅まきする地域で、そういう所で建てられる方は(株)一条工務店で契約してもらえる可能性があった。落合が「『一流投手が投げる会心の球』なんて、そんなもの、誰だってヒット打てるわけないんだから打たなくていいんだよ。失投をどれだけのがさずにヒット打つかというのが問題なんだ」と話していたが、戸建て住宅建築業の営業においても、その会社においてはその人に契約してもらうというのは極めて難しいという人を営業が苦労して工夫して涙ぐましい努力をして契約にもっていこうとしても、これは簡単ではないのだ。いわば、「一流投手が投げる会心の球」をホームラン打ってやろうとしているみたいなものだ。そうではなくて、その会社にとって「打ちやすい球」「契約してもらえる可能性が考えられる見込み客」というのはどういう人なのか、ということを考えて、そういう人に契約してもらう努力をするべきで、江東区潮見のウッディランド東京に「舞浜のディズニーランドに行こうと思ったら混んでて、それなら葛西臨海公園に行こうとしたらそこも混んでて、新木場の夢の島熱帯園に行こうとしたらそこも混んでたから、だから、潮見のウッディランド東京に来た」なんて観光客に契約してもらおうとしても難しいし、ウッディランド東京に観光見物に来て「うわあ、田舎の家みだいですねえ。浜松の家というのは、こんな感じでできているのですかあ」とまるで登呂遺跡でも見物に来たみたいなこと言う人に契約してもらおうとしても難しい。私はその展示場に1年間、苦労して、その後、松戸展示場で半年苦労して、その後、福島県の営業所に勤務して、それでこういうことがわかったのだが、西尾はもう今さら教えてもらわんでもわかってるわという頃になって言うのではなく、わかっているのなら私が(株)一条工務店に入社1年目に教えてくれたっていいだろう、なんで今頃になって言うんだよお・・と思ったものだった。1992年、電話で東京展示場に問い合わせをされた神奈川県相模原市のS野さんは、その1992年頃の(株)一条工務店で契約してもらえる可能性が考えられる3つのタイプの人のうちの東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」の人で「兼業農家の人」だったのだ。「そんなもの、誰だって打てるわけがない一流投手が投げる会心の球」ではなく、「ヒット打てる可能性がある相手」「(株)一条工務店で契約してもらえる可能性がある相手」だったのだ。
そうであっても、電話での対応のしかたによって見込み客の態度は変わるし、郵送で送るとしてもその送り方によって見込み客の態度は変わる。「ともかく、郵送で送って来場したら来場した時に接客した営業が担当になる」という「リーダー」で「主任」だった「一級建築士の宮崎さん」が言っていたような対応をしたならば、S野さんはその時は「一番上に掲載されていた」東京展示場に電話されたが、実際にはS野さんの家からは藤沢展示場か茅ケ崎展示場の方が近かったし、藤沢展示場か茅ケ崎展示場に行かれてしまう可能性は十分にあった。それを東京展示場に来てもらえたというのは、私の電話での対応が悪くなくて、かつ、郵送で送ったものの送り方が悪くなかったからだ。
S野さんが来場されたとき、「良かった。茅ケ崎や藤沢展示場に行かれずに、ここに来てもらえたというのは、私の電話での対応が悪くなくて、郵送で送ったものの送り方も悪くなかったから、だから、ここに来てもらえたんだ」とその点はうれしかったのだが、私が細心の注意を払って電話で対応して、そして細心の注意を払って郵便物をこしらえて送って来てもらえたにもかかわらず、それなのに私が営業担当ではなくて橋本薫が営業担当になってしまうというのは、これはおかしいのではないか、「なんか、おもろないなあ」と思ったものだった。
それでも、それがその時期の(株)一条工務店の「会社のルール」であった以上はしかたがないかとは思ったが、「会社のルール」であるからには「来場してもらえるまでに何もしてない橋本薫」が営業担当やっても、それが「会社のルール」であるからには橋本薫は悪くはないのであろう・・・けれども、しかし、そうは言っても、私が電話をとって対応した対応のしかたが悪くなかったから来てもらえたのでもあり、私が郵送で送ったものの送り方が悪くなかったから来てもらえたのであり、藤沢展示場や茅ケ崎展示場に行かずに東京展示場に来てもらえたのも、私が「ぜひ、東京展示場に来場いただければと思います」と電話で話し、又、東京展示場があるウッディランド東京への案内図も同封して、電車で来られる場合には京葉線「潮見」駅で下車していただいて、こちらの方向に進んで・・・、クルマで来られる場合はここを曲がって・・という説明書きも書いて入れて、それを見て藤沢や茅ケ崎の展示場ではなく東京展示場に来られたのであり、そういう方が契約になったからには「〇〇さんが電話をとっていただき、カタログを送っていただいたS野さん、契約いただきました。どうも、ありがとうございました」という一言くらいあっていいはずなのだ。その一言を言うのが営業というものだろう。ところが、橋本薫は最後、契約書に署名してもらう時に同行してもらった服部には「服部さんのおかげで契約してもらえました。ありがとうございます」と言って私には断固として言わないのだ。ほほお~お、おまえはそういう人間なのか、ほほおお~お、おもろいもん、見せてもろうたな。おまえはそういう人間だということなんだな・・と思ったが、橋本薫という男は叔父が自分が納得して「ハウス55 システムフリー」を契約しておいて入居後になんだかんだかんだなんだと「あさっての方向」めがけて文句言う男だけに、服部には「服部さんのおかげで契約してもらえました。ありがとうございます」とは言っても、細心の注意を払って電話で対応して、細心の注意を払って最高の形でカタログなどを郵送して藤沢や茅ケ崎の展示場ではなく東京展示場に来場いただくように進めて来場してもらった私には「ありがとう」も「どうも、すいません」も一言として言わない、信念もって言わないというそういう男だった。そういう態度のことを「さわやかスポーツマンシップ」とか「体育会系の礼儀作法」とか「スポーツマンだけにまっすぐな性格の人間」とか言うらしい( 一一)
1990年代、ロッテオリオンズから巨人にヒルマンという投手が移籍したが、移籍すると同時に「故障」して長く休んだが、シーズン後半になってやっと先発した試合ではヤクルトのブロス投手と投げ合って負け投手になったが、その時、テレビ中継ではアナウンサーが「巨人の選手としては、ヒルマンの久しぶりの登板ですから『ヒルマン、がんばれ』『ヒルマン、大丈夫か』といった気持ちがあったでしょうから」などと言ったのに対して、解説者の江本孟紀が「はあ~あ? そんなこと思いますかねえ、そんなこと。そうじゃなくて、『たっかい給料とりやがってからに、こんな時期まで休みやがってからに、ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろかこんちくしょう!』とそう考えるもんと違うでしょうかね。『ヒルマン、がんばれ』『ヒルマン、大丈夫か』なんて、そんなアホなこと考えますかねえ」と言ったのだった。さすがは江本♪ いいこと言う♪ ・・そんなもので、だ。橋本薫の態度というのは、いわば「ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろか、こんちくしょう」と思われる態度だったのだ。
・・・私にもけっこう世話になってただろうと思われたのに、「楠さんにはいつも世話になってるから」と言って「豊水」だか「幸水」だかの梨を持ってきて楠さんにだけ渡したおっさんと同様に、「ほほお~お、俺には世話になってないと言いたいんだな」という態度だった。「豊水」「幸水」という梨、特にいわき産の梨はとてもおいしい・・が、別にもらわなくても俺は乞食じゃないから食べたかったらスーパーででも買って食うけれども、しかし、俺にもけっこう世話になってると思うのだけれども、「楠さんにはいつも世話になってるから」と言って楠さんにだけ梨をもってきたおっさんと同様の態度だった。こういうことを言うと営業本部長の天野隆夫は「おまえの電話とか郵便は役に立ってないということだ。反省しろ」とか言ってくることが考えられる。それならそれで、こちらは困らない。そこまで言われるのなら、こちらもそれに見合った対応をするべきだということだ。「ゴロでも飛んできたらヒットにしたろか、こんちくしょう」という態度・対応をしてくれと営業本部長がおっしゃっているということだから、会社員たるもの、上役の指示には従わないわけにはいかんだろう。営業本部長様が「ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろか、こんちくしょう」という態度・対応をとれと指示・命令されているのだから、橋本薫にはその後はそういう態度・対応をしないといけない、ということになるのだった。

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1992年12月に契約いただいたU様は、契約の前に神奈川県の藤沢市の展示場を見に行かれた。その際、接客してくれた三浦さんという男性営業がUさんが来場されましたと電話をくれた。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の展示場はそれぞれの展示場が設計担当者の作品であり、それぞれが異なるものだったが、(株)一条工務店の展示場はどの展示場も似ていたのだが、それでも、自分が担当の契約客が見に行かれた展示場を営業担当の自分が見たことがないというのはいけないと思い、藤沢展示場まで見に行ったが、その際、藤沢展示場には所長の千葉さんがおられたが、そのうち、三浦さんが帰ってきたので、三浦さんに「先日はUさんの接客をしていただき、ありがとうございました。おかげさまでU様にご契約いただきました」とお礼を言ったところ、所長の千葉さんが「役に立ったか」と言うので、「役に立ちました。おかげさまで契約いただきました」と言ったところ、所長の千葉さんから「あなたは、自分が担当の契約客が見に行ったという他の展示場は営業担当の自分も見ておかないといけないと思って藤沢まで見に来たし、自分の担当の見込み客を接客してくれた他の展示場の営業にきっちりとお礼を言った。その姿勢が大事なんだ。今後もその姿勢をなくさないようにすれば、あなたは必ず売れるから心配しなくても大丈夫だ」と言ってくれた・・のだったが、その逆をやったのが「体育会系」「スポーツマンシップ」の橋本薫だった。「体育会系」だけに「まっすぐな人間」なので、服部にはお礼を言いたいと思ったら言うが、私には言いたくなかったらしく「まっすぐに」お礼を言わないという選択をしたわけだ。それならば、こちらも「相互主義の原則」として「まっすぐ」に今後は橋本薫の担当の客に対しては「ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろか、こんちくしょう」という態度・対応をしていいということになる・・・かな。
そう思っていたら、1993年5月、私が営業担当で追客中だった松戸市の某さんが江東区潮見の東京展示場(1993年1月に江東区亀戸に新しい展示場ができて、そちらを「東京展示場」と名付けたことで潮見の展示場は「東京東展示場」に改名されたが)に見に行かれたということがあったのだが、私は(株)一条工務店に入社以来、誰が追客中の見込み客であれ、自分がいる展示場に来場された方があった場合には自分が担当の見込み客に対する場合と変わらないだけ真面目に接客した上で、担当営業に即座に連絡してきてあげたはずだったが、私が担当の見込み客が江東区潮見の旧「東京展示場」、1993年1月から「東京東展示場」に見に行かれた際に、「東京東展示場」の営業、それが誰だったのかは不明だがは私に連絡してくれなかった。その方はもともとは在来木造で考えておられ、住友林業が第一候補だったが、対抗馬の位置に(株)一条工務店を入れてもらえるように私が努力して、そして、(株)一条工務店が「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」というのはやりだしたことで、契約前に住宅金融公庫申し込み代行をおこなったが、しかし、実際問題として建築する会社を住宅金融公庫の申し込みの後で変更することは可能ではあったけれども、そうは言っても住宅金融公庫としては「どういうものをどこで建てるか決めてから申し込んでください」と言っていたわけで、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」などと大きく記載したリーフレットまで作って配布してはまずいのではないか・・と思ったら、そのうち、住宅金融公庫から(株)一条工務店は苦情を言われることになり、他にもオーバーローンを相当やっていたことから、(株)一条工務店で建てる場合には住宅金融公庫は利用できなくなる「手前」までいくことになったが、そういうリーフレットを作るのではなくて、営業担当者が個人的に「今回の申し込み期間は金利が低いですから、契約前でも私が申し込みをやっておきますよ」と「個人的な親切」でやることは実際問題としてあったのだが、「営業担当者の個人的な親切」でやってもらったという場合は建築主も「親切でやってもらった」人に対して、いくらかなりとも、「やってもらったのだから」という気持ちを持つことが多く、契約してもらったわけではないとしても、申し込みを担当した会社というのはそうではない会社よりも、その点において一歩は前に出た、何パーセントか契約してもらえる可能性が大きい・・ということになったのだが、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」と会社としてリーフレットまで作ってしまうと、依頼する見込み客の側の意識として「キャンペーンなんだから、やってもらっていいんだ」という意識になることが少なくないようだった。その方については、住宅金融公庫の申し込み手続きに手間と労力と時間を取られている間に、住友林業の営業は営業活動をおこない、そして、どうなったかというと、親の方は(株)一条工務店で建てることも検討したからこそ、私がいた松戸展示場ではなく東京都江東区潮見の「東京東展示場」に娘を連れて行って、こういう建物を建てようかと思うという話をされたようだったが、ところが、江東区潮見の「東京東展示場」を娘が見て「こんな暗い色の家は嫌だ」と言い出し、そして、そこから娘と一緒に新たに住宅展示場を見てまわることになり、こちらはその方の住宅金融公庫の手続きに動くことでほかの動きができずにいる間に、なんと、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」により住宅金融公庫の申し込みの代行を依頼されるまでには名前も出ていなかったダイワハウスでさっさと契約をすまされてしまったのだった。
この件については、
(1) 戸建て住宅建築業の会社の営業が「営業担当者の個人的な親切として」ということで、まだ契約していない方の住宅金融公庫の申し込みを代行することは現実にあったと思うが、「営業担当者が個人的に親切として」やった場合には、見込み客の側では、この人が個人的に親切心からやってくれるんだからということで、契約したわけではないけれども、ある程度以上、契約する見込みがある相手に頼むのであって、まったく契約する気持ちがない所の人間には普通は頼まないし、住宅金融公庫の申し込みを頼んだからには頼んだ相手はその部分において、それ以外の会社の人間よりはいくらかなりとも優先的な位置にあるものだが、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」と大きく記載したリーフレットまで作って配布してしまったなら、「キャンペーンなのだから、やってもらっていいんだ」と見込み客の側が考えてしまい、申し込みをやってもらっている相手に対して、申し込みをやってもらっているのだからという優先的な対応というものはなくなってしまうことがあった。
(2) 最初、住友林業が競合相手として存在したが、契約してもらったわけではないとしても、住宅金融公庫の申し込みを住友林業の営業に頼むのではなく、(株)一条工務店の営業の私に頼んだということは、その分だけ、こちらで契約してもらえる可能性があるということだろうと思ったが、そうではなく、むしろ、こちらが住宅金融公庫の申し込みの作業のために動けないのをいいことに、その間に住友林業の営業に営業活動をされてしまった。
(3) また、夫婦でどこに頼むか決めるのならば、夫婦で検討すればいいのだが、(株)一条工務店の江東区潮見の展示場に娘(小学生の娘ではなくて二十歳を過ぎた娘)を連れていったら、娘が「こんな暗い家は嫌だ」と言い出し、そこから娘と一緒に何社かの住宅展示場を見て回り、あっという間に娘がいいと思ったというダイワハウスで契約してしまったというのだが、娘がいいと思う所で契約するのならば、最初から娘と一緒に見て回るべきもので、親だけで見て回って見積書も出してもらい、契約するかどうかという所まで行ってから、新たに娘と一緒にほかの会社の住宅展示場を見て回って、あっと言う間に最初はダイワハウスの「ダ」の字も出ていなかった会社で契約するて、それはないだろ・・と思ったが、あったのだ。もしも、娘を連れて展示場を見に行って娘が気に入った所に頼むのならば、娘が展示場を見にいってもいない段階で、親だけが見に行った会社の人間に見積書を作ってもらうように求めるというのはおかしいのではないか、私が見込み客の立場なら、そんなことはしない、と思ったが、そんなことをする人があったのだった。
(4) また、こちらに住宅金融公庫の申し込みの作業を1円として報酬を払わずにやってもらっていたのだから、いくらなんでも、その作業をしている間にほかの会社と契約してしまうなんて、そんなことする人なんて、あんまりないと思っていた、思い込んでいたのだが、私がその見込み客の立場であったなら、住宅金融公庫の申し込みを頼んだ営業がその作業がすませるより前に全然関係のない会社で契約してしまうなんてことはしない、私がその見込み客の立場なら、いくらなんでも、住宅金融公庫の申し込みを頼んだ営業がその作業を終えるまでは他社とは契約するようなことはせず、申し込みの作業が終わってから、今、どこそこの人とも折衝しているのですという話をして、どこで最終的に契約するにしても、それからのことであり、住宅金融公庫の申し込みの作業をある会社の営業にさせておいて、その間にほかの会社の営業と契約してしまうなんてことはしないし、いくらなんでも、それは無茶苦茶であり、そういうことはしないという契約を結んだわけではなくても、人間としてのマナーとしてそんなことするものではないと思っていたのだが、私が見込み客の立場ならやらないことでも、やる人はあったのだった。(株)一条工務店の研修で「一条工務店のお客さんというのは、人間的にいい人が多いです」と誰だったか講師役の従業員が話したことがあったが、どう考えてもそうは思えなかった。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)のお客さんと比べても、どう考えても「いい人が多い」などとは思えなかった。

新 お客様は悪魔です―100職種をこえる接客・販売業の日頃のウップン大爆発!! - 英昭, 萩原, 和子, 萩原
(5) そして、他の営業所の営業が追客中の見込み客が来場して接客したならば、その担当営業がいる展示場ではない展示場を見に行くということは検討中であり契約の可能性がある見込み客なのだから、接客した営業は即座にその見込み客の担当営業に来場を連絡するものであり、私は(株)一条工務店に入社して以来、誰が担当の見込み客であっても私が接客した場合にはそうしてきたはずで、私が担当の見込み客が私がかつて勤務していた東京都江東区潮見の展示場に見に行かれたのであれば、当然、江東区潮見の「東京東展示場」の営業は私に連絡してくれるはずであり、連絡しないような営業、「営業としての仁義に反する態度」をとるような営業は許されない、会社としても注意するものと思い込んでいたが、入社以来、誰の追客中の見込み客でも接客したなら即座に担当営業に連絡してきてあげた私が追客中の見込み客が私がかつて勤務していた場所であった江東区潮見の「東京東展示場」に見に行かれた・・ということは、当然、そこにいた営業というのは私とかつて一緒に仕事をした誰かのはずだったが、その人間は私に連絡すらも入れなかったのだ。そんなことする人間なんてないだろ・・と思っていたが、あったのだ。
「東京東展示場」を見にいかれたということは、その時点では検討されていたわけであり、その時の印象が悪かった、特に娘が嫌だと言ったということだったが、「東京東展示場」の営業がその時に私に連絡をくれていたならば、その時の印象が良かったとしても悪かったとしても、もう少し何か対応ができたのではないかと思えるが、連絡もくれなかった。
私は橋本薫に「文句言いたいなら、エスバイエルの担当営業に言え。俺に言うな。文句を言う相手が違うだろ」と言ってやったのだが、それでも、橋本薫は私に文句を言うのだった。橋本薫の叔父という男も迷惑な男だ。
(2023.9.28.)
法務局に行くと、土地・建物の登記簿について、かつては登記簿の閲覧か登記簿謄本の取得ができました。今は、登記事項証明書か登記事項要約書の取得ができ、閲覧はできなくなりました。 登記簿の閲覧ができた時代、新卒入社の人間に「法務局に行って登記簿とってこ~い」などと言うのは危険です。これは1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、東京都の営業所から転勤してきた人sから聞いた話ですが、大学新卒の営業社員に「法務局に行って登記簿とってこ~い」と言ったところ・・・、どうしたかというと・・⇒ほんまに、登記簿を盗ってきよった。登記簿の実物を持ち帰ってきよった( 一一) うわあ~あ~あ~あ~あ~、何すんねん、「早く、返してこい」と言って返しに行かせたらしいが、新卒入社のやつに「登記簿とってこい」と言うのは危険だ。「登記簿とってこい」という日本語は「法務局に行って、登記簿謄本を取得してこい」という意味であって、まさか、登記簿の原本を持ち帰ってくるとは夢にも思わなかったが、登記簿の原本を持って帰ってきよった・・ということがあったらしい。たしかに、慣れると特別難しいことでもないが、最初に法務局に行って登記簿を閲覧したり登記簿謄本を取得したりする場合、どうすればいいのか迷うことはあったと思います・・が、わからなかったら法務局の職員に尋ねればいいことだし、特に20代前半の新人は「すいません。わからないので教えてほしいのですが」と言えば、「ういういしくてよろしい♪」と思ってもらえるかもしれません・・が、それができない人というのがいるらしいので、うかつに「登記簿とってこい」というと本当に「盗ってくる」人がいるらしいので危険です。
それで、私が(株)一条工務店に入社した1992年、東京展示場(東京都江東区潮見)には、「リーダー」で「主任」の宮崎さんのほかは新卒入社3年目のH本、2年目のO田のほかは、2月に中途入社したHがいて、ほかは1992年になって入社した人間ばっかりだったので、「リーダー」の宮崎さんが前職として戸建住宅建築業の会社にいた私に ↑ の橋本薫に一緒に法務局に行って登記簿の閲覧のしかた、登記簿謄本の取得のしかた、公図の閲覧のしかた、土地測量図と建物図面の閲覧とそのコピーのしかたなど教えたのでしたが、「リーダー」から頼まれたから教えたことだし、勤務時間内にやっていることで、そのくらい教えたからといって特に恩を着せるようなことでもないと思っていたのでしたが、しかし、↑ のように相模原市のS野さんの契約の際に、最後に契約してもらう時に服部(男。当時、20代後半。1992年2月に中途入社)に同行してもらったと言って、「服部さん、どうもありがとうございました」と私の前で服部にだけ礼を言い、最初にS野さんからの問い合わせの電話をとり、S野さん宅にカタログなど郵送で送って東京展示場への来場を促した、それにより東京展示場に来ていただくことができて、橋本薫が接客して担当になることができた私には一言として「ありがとうございました」と言わなかった際に思い出したが、そういえば、この橋本薫という男は私に登記簿謄本の取り方とか教えてもらった時にも礼を言わなかったな・・ということに気づいた。特別に恩を着せるようなものではないとはいえ、服部になら礼を言うが私には礼を言わない男がその時も礼を言わなかった、という点については「あんまりおもろないな」てことになる。相模原市のS野さんの契約については、「野球のたとえ」をするならば、私が1~2イニングを投げて、そのまま3回以降も投げて勝利投手になりたいところだったが、3回から橋本薫に変わらされて進行して、最後、9回だけ服部が出てきてセーブをあげ、橋本薫が勝ち投手になりやがった。「服部さん、セーブしていただいて、ありがとうございました」と3回から8回まで6イニング投げて勝ち投手にならせてもらったやつが言いやがった。セーブあげたやつにお礼を言うなら「スターター」にもお礼を言ったらどうなんだ・・てものだが、言わないのが橋本薫という男で、そういうのを「体育会系の礼儀作法」とか「スポーツマンだけあってまっすぐな性格」とか言うみたいだ。そうか、この男はそういう人間なのか。そういうことならば、次、「俺の所にゴロでも飛んできたら、ヒットにしたろか、こんちくしょう」ということになる。そういう態度をとれと日体大で教えていたということか?
橋本薫と同じ1992年4月に(株)一条工務店に入社した小野田くんという男が、「俺と薫(橋本薫)とは二人とも母子家庭で似てるんですよ」と言っていたが、そう言われると、これは聞いた話だが、(株)一条工務店の場合、名刺の発注は自分で用紙に記載して本社の総務にファックスで送って注文すれば届くようになっていて、総務の人間は「役職」の欄と「資格」の欄に記載したものは実際にその人間がその役職であるか、実際にその人間がその資格を持っているかどうかは確認することなく印刷屋に発注して、そこに記載した内容のものが届くようになっていたので、それで、これは聞いたことであってその名刺を私は見せてもらっていないが、橋本薫は新卒入社したばかりで当然、役職などないにもかかわらず、「主任」と役職欄に記載した名刺を発注して持っていたらしい。小野田くんは小野田くんで、母子家庭で父親はいなかったと自分で言っていたにもかかわらず、「私は父親が大工でして」などと客に言うということをやっていたようで、どちらも母子家庭の息子だったからかどうかはわからないが、たしかに、そのあたり、似ているといえば似ている。
その時点では、法務局で登記簿を閲覧する方法・登記簿謄本を取得する方法など教えたなど、たいしたことではないと思ったし、いちいちお礼を言ってもらわなくてもいいと思っていたが、服部になら礼を言う男が私になら言わないというあたりを見ると、おまえはそういう人間か・・と思うようになった。又、(株)一条工務店の場合、「リーダー」から頼まれたから新人に何かを教えると、後から営業本部長の天野隆夫から「ありがとう」と言ってもらうのならわかるが、そうではなく「余計なことするなあ!」と怒鳴りつけられることがある会社なので、やはり、そういう会社においては、そういう状況下であるにもかかわらず教えてもらったという点については「ありがとうございます」でも「どうもすいません」でも言い方は何でもいいから言うべきもので、言ってもらいたかった。この会社は、そうでなかったら、営業本部長の天野隆夫から「宮崎くんの指示にしたがってやってもらう」と言われた「リーダー」の宮崎さんから頼まれたから教えたその結果、「余計なことすんなあ!」とか言ってその営業本部長から怒鳴りつけられる、さらに「申し訳ございませんと言ええ~え」とか言って「申し訳ございません」と言わされる・・ということになる可能性が十分あったわけである。(株)一条工務店という会社はそういう会社なのです。そういう会社で教えてもらったからには、「ありがとうございました」くらい言うべきで、服部になら礼を言うが私になら言わないやつというのは、それなら今後は何でも服部に世話になれよ、ということになる。
(2023.10.4.)
この稿を公開後、思い出したのだが、橋本薫は「(橋本の叔父が建てた)エスバイエルのハウス55の巾木なんてプラスチック(塩化ビニルの「ソフト巾木」)ですよ。安もんですよ」などと私に言うのだったが、「だから、それが嫌なら、もうちょっとお金だして高いものを建てればよかったのでしょ」と言って教えてあげたのだが、それでも橋本は「〇〇さん、エスバイエルは安もんですよ、安もん」と言ってきかないので、こいつ、精神的に貧困な人間だな・・と思ってあきれた。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はけっこう広い価格帯で建てていた会社であり、橋本薫の叔父が建てた「ハウス55」の一番安いやつというのはクルマにたとえるならば「カローラ」であり、もっと出してもらえば、いい木を巾木に使うこともできるし、私が小堀住研(株)に在籍した時に担当した方の家で「ソフト巾木」ではなくいい木製の巾木を使用して建てていただいた方もあった。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)が「安もん」であるかないかの問題ではなくて、橋本薫の叔父が安いカネしか出さずに安いタイプのものを建てたということだろうが。
「カローラ」の仕様が嫌ならば、「クラウン」か「センチュリー」のカネだして「クラウン」か「センチュリー」の仕様のものを建てればよかったのだ。自分が「カローラ」のカネしか出さないでおいて、「クラウン」や「センチュリー」の仕様じゃないと甥の橋本薫までが叫びまくるのだが、「クラウン」なり「センチュリー」なりが欲しかったら「クラウン」「センチュリー」のカネ払えてもんだろうが。わからんのか、その程度のことも。たとえば、ANAの飛行機のエコノミークラスの切符買って乗ってからに「ANAの座席は狭いですよ。安もんですよ」と言われても、広い座席に座りたかったらビジネスクラスかファーストクラスのカネ出して乗れよてものだ。おのれが「カローラ」のカネしか出さないくせに、「カローラ」のカネで「クラウン」の仕様のものじゃないと文句たれるのはみっともないからやめた方がいい、エコノミークラスのカネしか出してないのにANAの座席はビジネスクラスのように座席が広くないと文句を言っても文句を言う方が間違っている、広くないのは「ANAの座席」ではなくて「エコノミークラスの座席」だろうが。ビジネスクラスの座席に座りたければビジネスクラスのカネを払えてものだ。みっともないことは言わない方がいい・・・が、橋本薫という男は、いわば自分がビジネスクラスの切符を買わずにエコノミークラスの切符を買ったからビジネスクラスほど広くないのに「ANAの座席は狭いですよ」と言うようなことを言いまくる男で、それは違うよと言ってあげてもやめない男だった( 一一)
今は昔、読んだ漫画で、ラーメン屋で隣の客が食ってるラーメンの方がチャーシューが多いと文句を言ったら、「お客様が注文されたのは『ラーメン』ですが、お隣の方が注文されたのは『チャーシューメン』ですから」と言われて恥をかいたというものがあったが、橋本薫の叔父とその甥の橋本薫が言っていることは、「ラーメン」のカネしか払わんのに、なんでうちの「ラーメン」には隣の人間が注文した「チャーシューメン」よりチャーシューが少ないんだと文句言ってるようなものだ。みっともない限りである( 一一) (株)一条工務店の来場客でも、たいしたカネださずに高い仕様を要求する人がいたが、自分が安いカネしか出さずに高い仕様のものを入れろと言っても無理な話だ( 一一)
片方で(株)一条工務店の東京展示場・松戸展示場では来場客・見込み客から、何人もの人から「一条工務店はムクのいい木を使っていると言うけれども、そのわりに不細工」「いいものを使っているというわりにかっこよくない」と言われたもので、又、「ムクのものを使ってる、ムクだ、ムクだと言うあたりがいなかくさい」とも言われたもので、橋本薫はエスバイエル(株)の営業ではなくて(株)一条工務店の営業だったのだから、こちらの方の問題を考えた方がよかったのではないかと思えるが、言ってもきかない男だった。小堀住研(株)の「ハウス55」というのは、これは建設省・通産省の「高品質な住宅を低価格で」という趣旨の「ハウス55計画」で考え出されたもので、「内装部材については比較的安いものを使っても快適なデザインで」という趣旨でできているものだから、巾木を「ソフト巾木」という比較的安いものを使用しても、その上でできるだけ快適なデザインのものを作ろうという性質のものだったのであり、橋本薫の叔父はそれが嫌なら、そういうものを契約して建てるのではなくて、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)ででもそれ以外の会社ででも、それより高いカネを出して巾木に「ソフト巾木」よりも高いものを使用している家を建てればよかったのだ。なんで、高いカネを出して建てんかったんや?
(株)一条工務店は来場客・見込み客から、何人もの人から「一条工務店はムクのいい木を使っていると言うけれども、そのわりに不細工」「いいものを使っているというわりにかっこよくない」と言われたもので、又、「ムクのものを使ってる、ムクだ、ムクだと言うあたりがいなかくさい」とも言われたものだったが、ところがこういうことを言うと、(株)一条工務店の「東海地域の営業」「一条オリジナル営業」たとえば名古屋南営業所の近藤路夫から「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と怒られるのだが、その「ムクのものを使ってる、ムクだ、ムクだと言うあたりがいなかくさい」と東京圏の住人が感じるものを、それを静岡県から愛知県にかけての住人はそう感じず、むしろ、「いなかには、それがここちE♪」〔⇒《 ワコール ソフィブラここちE CM 80年代》https://www.youtube.com/watch?v=6olufVuCQgE 〕と感じるらしかったが、近藤路夫のようなその東京圏の住人からは「うわっ、いなかくさ」と言われるものが「ここちE♪」と思う人が多い地域でしか営業やったことがない甘ったれたやつは「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」などと言うのだが、私が「言った」のではなくて、私が来場客・見込み客から「言われた」のだから、「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と怒鳴りつけたかったら「言われた」人間に怒鳴りつけるのではなくて、「言った」人、東京展示場の来場客・見込み客に怒鳴りつけるようにしてほしいものだ。「そういうことを言うからいかんのだあ~あ!」と何なら、後を追いかけて行って怒鳴りつけるといい。「なんか、変な人、追いかけてきたよ。逃げよ、逃げよ。頭おかしいんだよ、あれは。逃げた方がいいよ」とか言われるだろう。もしくは110番通報とかされるかもしれない。(株)一条工務店の「オリジナル営業」・「(株)一条工務店の遠州人」・「『一条工務店の土台を築いてきた』と自称している人たち」というのは、そんな人間ばっかりであった( 一一)
・・まあ、だいたい、「(株)一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」という人たちというのは、浜松から新幹線で東京駅まで来ると、木場の東京事務所に行くのに新幹線の「東京」駅から東京メトロ東西線「大手町」駅までタクシーに乗るひとたちで、狛江市まで行くのに浜松から新幹線で東京駅まできて、東京駅から狛江までタクシーに乗る人たちだから、そういう「アタマが浜松」の人とまともに話をしようとしても無理というものだ( 一一) 「なんで、タクシーに乗ったらいかんら」と怒られるだけだ・・・
私は福島県いわき市の営業所で5年間、営業の仕事をしたが、いわき市付近の住人と浜松市付近の住人なら、間違いなく浜松の方が「いなかもん」は多いと思います。こういうことを言うと遠州人は怒るかもしれないが、事実だからしかたがない。
「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と福沢諭吉が語ったというのだが、浜松付近にはこの「精神面がいなかもの」が福島県の住人よりもはるかに多い。遠州人は怒るかもしれないが、これは事実だ。福島県の住人と話をすると、「そりぁ、ここはいなかですから」と言い、「ここはいなかだから、東京あたりとは違うので(東京あたりに合う家ではなくて、いなかに合う家を建てないといけない)」と言う。都会には都会に合うもの、いなかにはいなかに合うものを建てればよいのであり、「いなか」であることがいけないのではなくて、都会にいなか向けのものを押しつけようとする「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」の思考が「精神面がいなかもの」なのである。
(2023.10.7.)
1992年に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場(江東区潮見 にあったウッディランド東京 の中にあったが、今はウッディランド東京はもうない) でのことです。私は(株)一条工務店に入社するよりも前に、同社と同じ木質系の戸建住宅建築業の会社の小堀住研(株)に在籍したことがあったので、(株)一条工務店の営業社員で小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) について知りたいという人には自分が教えられることは教えてあげようと思って答えていたのでしたが、そのうち、あほくさい・・というよりも、真面目に質問している人になら真面目に返答すればいいが、そうではなくて、(株)一条工務店という会社は経営者が同業他社に在籍したことがある従業員に対して敵意を持っていて、たとえ過去に同業他社に在籍したことがある者でも今は自分の所の会社の従業員なのだということを理解せずに、敵対的態度をとりまくる会社であり、それに追随して、在籍したことがある会社に悪口雑言罵詈讒謗を浴びせてやろうという愚かというのか浅ましいというのかの従業員がおり、そういう態度をとると営業本部長から自分は好かれるとでも思っているのか、そういった愚かな態度をとる者なんぞに、そのようなものに真面目に取り合わない方がいいと思うようになったのです。
[第998回]《駐車場で停めた場所を忘れるのと、展示場で住宅営業が接客開始時刻を忘れるのは当然のこと。「覚えておけばいいだけのこと」とぬけぬけ言う男は真面目に接客してないのか、営業所をよくしようという意識が欠けているか。「ドクターイエロー」が近くを通っても、ネクストバッターズサークルにいる村上は「見てるわけない」のと同じく、一生懸命、接客すれば接客開始時刻なんて忘れる方が普通。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500330518.html の前半では、1992年8月に、1992年4月に新卒入社して静岡県浜松市の営業所に5か月弱在籍して契約棟数ゼロ棟だった小野田くんが本人の希望で東京展示場に転勤してきて、「俺、エス・バイ・エルの高級住宅なんてまったく聞いたことないですよ」と言い、又、「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけだから」と言い、「エス・バイ・エルは展示場での接客はいいかげんにして、住所と名前だけ聞き出して、しつこく訪問して契約にもっていく方法をとっている」と言いまくるので、「そんなことないよ」と親切心から教えてあげたのでしたが、ところが、こちらが親切心から教えてあげても、小野田くんは素直さがない男で、逆に「〇〇さん、そんなこと言うならエス・バイ・エルに行けばいいじゃないですか」などと言ってくるので、こいつはあかんわ( 一一) と思い、この男には教えようがないわ、こいつに教えるとかえってよくないわ( 一一) とがっかりもすれば、うんざりもしたのでした。小野田くんは「浜松では平松所長の隣の席に座ってました」と、浜松の展示場の事務所で「通算契約頭数全国2位の人の隣の席に座っていた」というのを自慢にしていたのでしたが、そして、「通算契約棟数全国2位の人の隣の席に座っていた」ということから、「営業のやり方を教えてや~る」という文句を何度も大きな声で通算契約棟数ゼロ棟の男が言いまくるのでしたが、「通算契約棟数全国2位の人」と「通算契約棟数全国2位の人の隣の席に座っていた通算契約棟数ゼロ棟の人」は違うんだよ・・ということを浜松の営業所の営業所長で通算契約棟数全国2位の平松さん(男。当時、40代)は小野田くんに教えてあげるべきだったはずで、営業所長ならば新卒入社新人に何よりも教えないといけないものはそれだったはずで、それをまったく教えていなかったという点で、平松さんは通算契約棟数全国2位であったとしても、その点においてはほめられたものではなかった・・と判断せざるをえない。
(1)小野田くんは「俺、エス・バイ・エルの高級住宅なんてまったく聞いたことないですよ」などと言いまくるのだったが、[第998回]《駐車場で停めた場所を忘れるのと、展示場で住宅営業が接客開始時刻を忘れるのは当然のこと。「覚えておけばいいだけのこと」とぬけぬけ言う男は真面目に接客してないのか、営業所をよくしようという意識が欠けているか。「ドクターイエロー」が近くを通っても、ネクストバッターズサークルにいる村上は「見てるわけない」のと同じく、一生懸命、接客すれば接客開始時刻なんて忘れる方が普通。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500330518.html でも述べたが、小野田くんは「聞いたことない」かもしれないが、それは小野田くんが不勉強だから「聞いたことない」だけのことであって、「俺、トヨタのクルマなんて、”リーズナブル”な価格帯のカローラしか聞いたことないですよ」なんて人がいても、それはその人が「聞いたことない」だけのことであって、トヨタはクラウンも売っておればセンチュリーも売っているのであって、もしも、一般消費者の多くが「聞いたことない」のなら、それは知られていない会社に問題があるかもしれないが、小野田くんが戸建て住宅建築業の会社の従業員である限りにおいて、「聞いたことない」不勉強な小野田くんが悪いはずだった。 戸建て住宅を建てる人の方は、高いものを建てる人と安いものを建てる人は、どちらが人間的に優れているとかいうようなことはないが、一般に、戸建て住宅建築業の会社に勤めている従業員でけっこう広い範囲の価格帯で建てている同業他社のものについて、安い価格帯のものしか知らないという人間というのは、その人間が精神的に貧困であることが多い。その人間が精神的に貧困だから、だから、その同業他社は高い価格帯のものも建てているにもかかわらず、その人間のレベルに合わせて低価格帯のものしか知らない、というケースが少なくない。小野田くんの場合はそれに間違いなくあてはまった。
(2)「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけだから」などと小野田くんは言いまくるのだったが、小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)ではそんなことやっていないし、特に、小堀住研(株)は木質パネル工法という独自の構法で建てていたことから、それはどういうもので、どのように在来木造やツーバイフォー工法よりも優れているのかといったことに力を注いで話をしていたのであり、小野田くんは自分が不勉強だから理解できていないのをいいことに「営業のやり方を教えてやる」と叫んで嘘ばっかり言いまくっていたのだった。 小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)に限ったことではなく、他社の競合になった際に、見込み客から「・・の人がこう言ったのですが」といった話を聞くと、同業他社で「間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話はまったくしない」なんて小野田くんが言うような会社はほとんどなかった。あるとすると、建売屋もしくは不動産屋ではないか。(株)一条工務店には同業他社に在籍したことがある人で転職して(株)一条工務店に中途入社で入ってきた人というのが少なからずいたのだが、そういう人に、「(その人が過去に在籍した)どこそこでは、『間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話はまったくしない』なんて、そんなことしていましたか。やってませんよね。構造についての話をしていますよね」と言ってみたところ、誰もが「構造についての話をしていますよ。『間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話はまったくしない』なんて、そんなことしてませんよ」と言うのだった。小野田くんは、新卒入社してまだ半年も経験のない通算契約棟数ゼロ棟の男が「営業のやり方を教えてやる」などと称して嘘ばっかり言いまくるのだったが、浜松の営業所長の平松さんは、「小野田くんよ。そういう態度はやめた方がいいよ」と教えてあげるべきであり、それができないならば、通算契約棟数全国2位というところは悪いわけではないが営業所長としては問題点がある人と見ざるをえない。
この点についてだが、1990年代半ば過ぎ、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所で、ベテランの「木南さん」(仮名)に小野田くんが発言した「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ」という発言について、「一条工務店でこれを言うと怒られるのですが、『ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ』なんて、そんなことないと思うのですけれどもね。ほかの会社も構造についての話をしていると思うのですけれどもね」と話したところ、「木南さん」(仮名)が「違いますよ、違いますよ。『ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ』なんてことないですよ。ほかの会社も構造についての話をしていますよ。そうじゃなくて、『構造についての話しかしないのは一条工務店だけ』なんですよ。『構造についての話をするのは一条工務店だけ』じゃないですよ。ほかの会社も構造についての話をやってますよ」と言うので・・・、「あ、そうか」と思ったのだ。小野田くんは「構造についての話しかしないのは一条工務店だけ」を「ほかの会社は間取りやデザインとか値段の話ばっかりやっていて、構造についての話をするのは一条工務店だけ」と勝手に話を改変した上で「営業のやり方を教えてや~る」と入社して半年も経たない通算契約棟数ゼロ棟の男が叫びまくっていたということだったのだった。
(3)「エス・バイ・エルは展示場での接客はいいかげんにして、住所と名前だけ聞き出して、しつこく訪問して契約にもっていく方法をとっている」などと(株)一条工務店に入社して半年も経たない小野田くん(男。当時、20代)は言いまくるのだったが、小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)では、「展示場での接客はいいかげんにして、住所と名前だけ聞き出して、しつこく訪問して契約にもっていこうとするなんてことは絶対にやってはいかん」と研修で教えていた。まず、展示場での接客が大事だと教えていた。他社が教えていたことと正反対のことをでまかせの誹謗中傷をおこなうことが小野田くんは大好きだったのだが、それはいったい誰が小野田くんにそんなもの教えてんだ? (株)一条工務店の研修でも中途入社の新入社員対象の研修では講師役の誰もそんなことは教えなかったし、浜松所長の平松さんからは私は一度だけ、平松さんの「構造アプローチ」について実演して見せてもらったことがあったが平松さんも小野田くんが言っていたようなことは言わなかったのだが、小野田くんはいったい誰からそんな事実と逆のことを吹き込まれて、「営業のやり方を教えてやる」などと言ってその嘘をほか人間に必死になって教えようとしたのだろう。誰だ、新卒入社1年目のアホに無茶苦茶教えたやつは?
それで、今回の話は小野田くんと同期入社の橋本薫という日体大卒の「スポーツマン」の話だ。「スポーツマンだけあって『まっすぐな人間』」の話だ。
ちなみに、ヤフーニュースを見ていたところ、2023年8月下旬、北海道旭川市の入浴施設で、
《 8月下旬、北海道旭川市の入浴施設で、20代の女性の胸を触ったとして、私立高校の52歳の教諭の男が逮捕されました。
警察によりますと、現場は男女共用の休憩スペースで、当時、女性は仮眠中で、胸を触られていることに気づき、「やめてください」と声を上げると、佐藤容疑者は逃走。
女性はフロントに伝えた上で、防犯カメラのい映像などから佐藤容疑者を割り出し、事件発生から3週間ほどの21日午前、逮捕しました。
取り調べに対して佐藤容疑者は「間違いありません。女性に触れたいという気持ちがあった」などと話し、容疑を認めているということです。
2人に面識はなく、現場の休憩スペースには、他にも仮眠していた客がいました。
・・・
佐藤容疑者が勤務する私立高校は、取材に対し「責任者が不在で、詳しくはわからない」とした上で「逮捕されたことは聞いている。体育の教員で(事件後も)普通に出勤していた」とだけ話しています。》
( (ヤフーニュース)
入浴施設の休憩スペースで、仮眠中の20代の女性の胸を…気づいた女性が「やめてください」と叫ぶと逃走、52歳の私立高校の体育教諭を逮捕 北海道放送 9/21(木) 15:43配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f57c65f4c47222aa74039e0a9d8dbe2397136e9b )
なんて事件があったようだが、年齢としては橋本くんと同年代の男だが、「体育の教諭」だけあって「まっすぐな人間」だったようだ。私ならば、まず第一に、いい悪いとは別の問題として、《現場は男女共用の休憩スペースで》 《現場の休憩スペースには、他にも仮眠していた客がいました》なんて所でやったら、さすがにまずいやろ・・とか、まずそれを考えるし、最近はあっちやらこっちやらに防犯カメラがあるし、まず、そういうことを考えるな。その程度のことも考えずにやるやつて、そういう計画性のないのん、一番きらいやねん、ほんま。・・そのあたりが「体育会系」「スポーツマン」だけあって「まっすぐな人間」なので、「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」てもので、脳味噌がち〇ぽ でできてるやつというのは、「まっすぐな人間」だけに「まっすぐ」に突き進むみたいだ( 一一) 〔⇒《YouTube-巨人の星OP》https://music.youtube.com/watch?v=-10trdg06YI 〕
橋本薫や私が(株)一条工務店 に入社する少し前に、橋本薫の叔父が小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) で、「ハウス55」のシリーズの中でも一番安いやつを値切り倒して契約して建てたらしかった。
小堀住研(株)は、1960年代から1970年代は在来木造で建てていた会社で、関西方面を中心に「高級住宅の小堀」というのを「売り」にして、関西方面を中心にして「小堀で家を建てた」というのが「中の上」くらいのサラリーマンにとっては「ステータス」になっていた。うちの親が1969年竣工で小堀住研(株)で大阪府の北摂地区で家を建てたが、その少し前に、後に『日本沈没』で売れっ子になった作家の小松左京さんが我が家から遠くない所で小堀住研(株)で在来木造で小堀住研(株)で建てて住んでいたが、我が家の担当営業は「小松左京さんにも建てていただきました」とかいいうのも営業トークのつもりのようで言っていたが〔もっとも、小松邸は『日本沈没』がブレイクする前に建てられた家だったから、豪邸ではなく「普通の家」だったけれども〕、そういう会社だったが、1970年代後半から木質パネル工法で建てるようになり、1990年頃においては在来木造でも東京都と関西圏では建てていたが木質パネル工法の方に重心が移っていて、在来木造の時代からの「高級住宅の小堀」を引き継ぐものとして木質パネル工法による自由設計の「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」ということで名づけられた「新 桂」があり、それと別に建設省・通産省の「ハウス55計画」という「高品質な住宅を低価格で」という趣旨の提案競技に入選した「ハウス55」のシリーズがあった。高級志向の「新 桂」と「高品質低価格」の「ハウス55」のシリーズの2本立てになっていて、「ハウス55」のグレードアップ版がその価格帯の間を埋めるような感じになっていた。しかし、小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)は2本立てで商品を持つことで広い価格帯の客層に対応できるようにはなっていたが、営業担当者で両方に対応できる人と、たとえば1990年に東京都目黒区の自由が丘展示場で営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎(男。当時、30代半ば過ぎ)のように「高品質低価格」タイプしか対応できず、高価格帯の見込み客がいっぱい来場する展示場にいても「高品質低価格」の見込み客を一生懸命探すという男もいた。そうなると、2本立てにして広い価格帯で商品が用意されていても、低価格の方の商品しか扱えない営業がいて、なおかつ、東京支店長の高倉などにそういったことを見抜いて適材適所の人材配置をする能力がなかったことから、そこから、商品としてクルマに例えるならクラウンやセンチュリーの価格帯の商品も用意しているにもかかわらず、「カローラしか売れない営業」が営業課長になっていたことから、低価格帯商品(悪く言うと「安もん」)しか売れない地域も出ていた。そのあたりを小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) の経営者は考えないといけないはずで、私をもっと大事にしてくれていたら私が考えたところだったが、「メカケの子」と言われ「会社をつぶしたアホの二代目」と言われた2代目社長の中島昭午には人を見る眼がなかったようで大事にすべきでない人間を大事にしていたようで、そして、会社をつぶした。中島昭午の最終学歴校である滋賀県立長浜北高校の応援部のホームページのコメント欄に、中島昭午のことを「そうそうたるメンバー」などと寝ぼけたことを書いていた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止である( 一一)
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地震と建築 (岩波新書) - 大崎 順彦
小松左京『日本沈没』は、最初、SF小説と言われたので、ありえないような話を作って話題にしたものかと思ったのだが、大崎順彦『地震と建築』(岩波新書)によると、そうではないようで、小松左京『日本沈没』は地震について相当よく調べて書かれている小説で、地震によって山ができたり島が海に沈んだりすることがあるように、巨大地震が起こって日本列島全体が海に沈んでしまうことになったら・・という話を、地震について相当よく調べた上で書かれた小説らしい。また、もはや、日本列島が海に沈むことは避けられそうにないとなった時、政治家が国民を外国に避難させることよりも、奈良や京都の寺の仏像を外国に売り飛ばすことの方を考えたりとか・・、なんか、ありそう・・て感じもしないことない話が描かれているようだ。

日本沈没(上) (角川文庫) - 小松 左京

日本沈没(下) (角川文庫) - 小松 左京
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それで、1992年、橋本薫くんが(株)一条工務店に入社する少し前に、彼の叔父が 小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)で「高級住宅の新 桂」ではなくて「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の一番グレードが低いやつを建てたらしかったのだ。
それはそれでいいのだけれども、問題はその叔父が自分が納得して契約して建てたくせしてからに、入居後も、「玄関を移動しただけでものすごい値段があがった」などと文句を言いまくっていた、それも担当営業に文句を言うのではなく、関係のない相手に文句を言いまくっていたという点だ。
念のため、断っておくが「高品質低価格」タイプというのは、これは「その値段にしては高品質」「その内容にしては低価格」という意味で、「ともかく安い」というタイプとは別だ。「ともかく安い」というタイプのものは同業他社で別にあり、そういう「ともかく安い」タイプと比べると値段だけ見ると安くはない。安くはないが「ともかく安い」タイプよりは内容はずっといい・・というもので、「高品質低価格」という言葉はそういう意味だ。クルマにたとえるなら、カローラなんてのは「リーズナブル」な価格帯のものだが、決して悪くないと思うのだ。1993年、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が松戸展示場の事務所で入社1年目の新人に「ハウス55なんか建てたら地震が来たらひっくり返りますよと言ってやれ」などと教えるので、程度の低い男だなあ・・とあきれたものだった( 一一) なんだか、「カローラなんて買ったらハンドル右に切ったら左に曲がりますよ」とか「カローラなんて買ったら、ブレーキ踏んだら加速しますよ」とか言うようなものだ。(株)一条工務店の営業本部長というのは、なんとも愚かな・・、また、なんとも下品な営業であった。カローラは「ブレーキ踏んだら加速する」なんてことは、ありません! ブレーキ踏んだら加速するのは、プリウスであって、カローラとは違います!!! カローラはブレーキペダルを踏んだら減速します。
戸建て住宅建築業の会社の商品では、「自由設計」タイプ・「システムフリー」タイプ・企画住宅タイプの3種類があった。ただし、この表現は小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株)での表現だ。 小堀住研(株)⇒エス・バイ・エル(株) では木質パネル工法による「新 桂(しん かつら)」は「完全自由設計」、まったく一からその施主の土地と要望に合わせて設計していくというもので、構造上、危険なものを作ってほしいとか言われない限り、お施主様の要望を完全に満たすものを作るというやり方のもので、それに対して「高品質低価格」タイプの「ハウス55」は「規格住宅」もしくは「企画住宅」だった。「きかく住宅」という音(おん)でも「規格住宅」は「規格に沿ったものを作る限りは低価格で」という意味だが、「企画住宅」は「このような住まい方はいかがですか」という企画・提案がある住宅という意味で、「小堀ハウス55」は「高品質低価格」タイプではあったが、「このような住まい方はいかがですか」という企画・提案があった。プランの決め方として、いくつかの名称がつけられたタイプがあって、寄棟屋根の「ブラウン」「グレイッシュ」、切妻屋根でアーリーアメリカンスタイルの外観の「ライブリー」があり、「ハウス55」シリーズで少々グレードが高いものに1階外壁をタイル貼りにした「ハウス55SX」があり、ソーラーシステムを取り入れた「ハウス55AL」〔「AL」は「Air and Light エアー アンド ライ」だったと思います。〕などがあったが、それぞれにプラン集があって、そのプラン集からお施主様の敷地と要望に合うものを選んだ上で、標準仕様のものを「オーダーエントリー」(オプション)に変更するか、新たに「オーダーエントリー」(オプション)のものを取りつけるかといったことができた。このやり方のものには、同業他社の商品はミサワホーム・ナショナル住宅産業(パナホーム、パナソニック)・積水ハウス・積水ツーユーホームなどにあったが、積水ツーユーホームはツーバイフォー工法によるもので、ツーバイフォー工法は構造上、1階の壁面線と2階の壁面線を一致させないといけない度合いが大きく、小堀住研(株)の木質パネル構法は壁面はツーバイフォー工法と似たところがあるが、床面を見ると1階と2階の間に在来木造と同じように太い梁があることから、ツーバイフォー工法よりも小堀住研(株)の木質パネル構法の方が構法上、間取りの自由度を取りやすいことがあり、積水ツーユーホームのものはプラン集からの変更がそれほど多くできないのに対して、小堀住研(株)の「ハウス55」はプラン集にあるものからできる変更の度合いがけっこう広いという長所があった。また、「ハウス55」のいい所として、同業他社のほかのプラン集から選んで建てるという「規格住宅」もしくは「企画住宅」と比べて、プラン集にあるプランの数が多く、施主の土地と要望に近いものが見つかりやすいという長所があった。
ただし、「ハウス55」は「90億円もの国家予算を使って考えだされた国家商品だから」割安なものができると言っていたが、しかし、内部の造作などで使っているものは高級志向の「新 桂」などで使うものと比べれば低価格のものを使っていたのは事実であり、それはやっぱり、カローラはなかなかよくできていても、クラウンやセンチュリーと比べて同じというわけにはいかないというのは、これはやむをえないものがあった。1993年、(株)一条工務店の松戸展示場の来場客で「エスバイエルの『ハウス55』というの、あれでいいと思っているんだよね」と接客したM田(男。入社1年目。当時、20代後半)に言われた方があったらしく、松田が私に「ハウス55て、どうしてあんなに安いんでしょうね」などと言ったことがあった。そりぁ、(株)一条工務店が持っていた商品「セゾン275S1」「百年275S1」というのは戸建て住宅としては価格帯として、クルマにたとえればクラウンの価格帯のものであり、「なんで、カローラはクラウンより安いのでしょうね」なんて言っても、そういうものなのだ。(株)一条工務店はクルマにたとえるならば、価格帯としてクラウンの価格帯のものしかない会社だったので、カローラの価格帯のものを建てようという人にクラウンの価格帯のものを建てさせようとしても厳しいところがあり、クラウンの価格帯で考えている人でも、(株)一条工務店の商品というのは「地方向き」の商品であることから東京圏の人が見ると「うわっ、いなかくせえ」というところがあり、又、施工体制が「クラウン」にしては拙劣であり、私の義兄と姉の夫婦に1993年に(株)一条工務店で契約してもらって千葉県市川市で建ててもらった家も(株)一条工務店は決して安くないカネとっておきながら無茶苦茶しやがった

(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に1993年に中途入社して松戸営業課(展示場)に配属されていた松田(男。当時、20代後半)が私に「ハウス55て、どうしてあんなに安いのでしょうね」と言ったのだが、(株)一条工務店の従業員は高卒が多く、「大卒しかとらない会社」と言いまくっていたわりに高卒の人もけっこういた小堀住研(株)は「大卒」の人でも旧帝大系国立大学とか早慶とかいった大学ではなくて、実際問題として底辺の方の「大卒」の人が多かったのだが、それでも、さすがに「大卒」だけあって・・なのかどうか、自社の商品しか知らない人は少なく、同業他社の商品もある程度以上知っている人が多く、他社のものでも「いいものはいい」という思考ができる人が多かったのに対し、高卒中卒が多い(株)一条工務店では自社のものしか知らない人、もしくは自社の位置からしか戸建て住宅建築業の業界の商品を見ることができない人が多く、松田にしても、(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」いうものの位置から見るから、だから、「ハウス55て、どうしてあんなに安いのでしょうね」という言葉が出るのだった。そうではなくて、「ハウス55」はクルマにたとえればカローラみたいなものであり、クルマにたとえればカローラという商品は戸建て住宅建築業の業界の会社にはほかにもいくつもあり、(株)一条工務店が建てていたクラウンくらいの価格帯の商品もまた、同業他社にはあり、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は(株)一条工務店とは違ってけっこう広い価格帯で建てていた会社であり、カローラもあればクラウンもあり、センチュリーもあるという会社で〔そういう会社の商品を「カローラ」しか知らない、クラウンやセンチュリーは「見たことも聞いたこともない」と言って自慢する小野田くんというのは(飛行機の座席はエコノミークラスしか見たことも聞いたこともない、ファーストクラスとかビジネスクラスとかなんて「見たことも聞いたこともない」みたいな言い方を戸建て住宅についてする小野田くんというのは)「貧困なる精神」と言わざるをえなかったが〕、自分が勤めている会社の商品の価格帯がクルマにたとえればクラウンくらいだったとしても、クラウンが基準というわけではなくて、クルマにはカローラの価格帯のものもあればクラウンの価格帯のものもありセンチュリーの価格帯のものもあるのだが、「大卒しかとらない会社」と言いまくっていた小堀住研(株)の営業は底辺の方の「大卒」であっても大卒だけに、そのあたりについては理解できている人が大半だったのに対して、(株)一条工務店は「営業はアタマのない人間がええんや。頭のない人間がお客さんに喜ばれるんや。ぼくなんかも学校出てない(最終学歴:中卒)から、だからぼくは気さくで人間味があって人柄がいいから、だからぼくはお客さんからも誰からも好かれるんだ。そう思うだろ。『そう思います』と言え」と営業本部長の天野隆夫が言い、その話を聞いた古手の従業員は「誰だ、そんなわけのわからん、無茶苦茶なこと言うやつは! あの人のいったいどこが『気さく』で、いったいどこが『人間味がある』で、いったいどこが『人柄がいい』だ。いったいどこの誰がそんなわけのわからん無茶苦茶なこと言ってるんだ」と言っていたが、言っていたのはご本人であって、ご本人以外に言っていた人間はひとりもいなかったのだが、そのように営業本部長が「営業は学校でてないやつがええんや、営業はアタマのないやつが向いてる仕事なんや、営業は」と言いまくっていた高卒中卒優先主義・高卒中卒優遇主義の会社だったので、住宅建築業界についても「地動説的思考」ではなく「天動説的思考」の人が多く、請負で建てる戸建て住宅にはクルマにたとえるならばカローラの価格帯のものもあれば、クラウンの価格帯のものもセンチュリーの価格帯のものもあり、どれが中心というわけでもない・・ということを小堀住研(株)の営業はたいていの人間が理解していたのに対して(株)一条工務店の営業は理解していない・理解できない人が多かった。
松戸営業課の松田が私に「ハウス55というのは、どうしてあんなに安いのでしょうね」などと言うので、私は「『90億円もの国家予算を使って低価格で良質な住宅を作る研究をしたので』と言っていますけれども、しかし、実際には使っている物など見ると、やはり、一条工務店が標準仕様で使っているものなどと比べると、あるいはエスバイエルものもでも『新 桂』で使うものに比べると『ハウス55』で使っているものというのは安いものが多いですよ。その価格帯のものとしては、よくできているとは思いますけれども」と言おうとしたのだが、そうすると「『90億円もの国家予算を使って低価格で良質な住宅を作る研究をしたので』と言っていますけれども・・」まで言いかけたところで、松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫が「黙れ! おまえは口をきくな!」と言い、なんだ、それはと思うと、天野隆夫が松田に「ハウス55なんか建てたら、地震が来た時にひっくり返りますとこう言え!」と命令したのだった。「そんなこと言ったら・・・」と私が言おうとしたところ、天野隆夫が「黙れ! おまえは口きくな!」と言うのだった。その後、松戸営業所(展示場)のほかの従業員から「〇〇さんは本当によく我慢しますねえ。天野次長(その時点では「次長」だった)はひどすぎますよ。〇〇さん、ちょっとは言い返してもいいと思いますよ。いくら上役だといっても、言っていいことと悪いことがあるでしょう」と言われたものだったが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男はそういう男だった。そういう男のことを「学校でてないから人間性がよくて気さくで思いやりがあるから、だから、いつでも誰からも好かれるんだ」と言うそうで、誰がそういうことを言っているのかというと、ご本人のみだった。
天野隆夫は私が「『90億円もの国家予算を使って低価格で良質な住宅を作る研究をしたので』と言っていますけれども、しかし、実際には使っている物など見ると、やはり、一条工務店が標準仕様で使っているものなどと比べると、あるいはエスバイエルものもでも『新 桂』で使うものに比べると『ハウス55』で使っているものというのは安いものが多いですよ。その価格帯のものとしては、よくできているとは思いますけれども」と言った上で、「エスバイエルという会社は一条工務店とは違って、けっこう広い価格帯で建てている会社で、一条工務店よりもずっと高いものも同じくらいの価格のものも建てているけれども、ハウス55というのは、もともと、一条工務店の建物よりも安い価格帯のものなのです。クラウンとセドリックを比べたり、カローラとサニーを比べて高い安いというのではなくて、カローラがクラウンよりも安いとかセドリックより安いとかいっても、それは『そういうもの』なのです」と言って「だから、クラウンの価格帯の商品を売っている会社としては、クラウンがカローラよりいい所を説明して、一回り高い費用を出してもクラウンを建てるべきだと思ってもらえるようにすべきでではないでしょうか。ただし、カローラの予算は出せるけれどもクラウンの予算は出せないという人にクラウンを建てるように持っていくのはけっこう難しいとは思いますけれども」と言おうとしたものを「黙れ」「おまえは口きくな!」と言って黙らせ、しゃべらせないようにした上で、松田に「『エスバイエルで建てたら、地震が来た時にひっくり返りますよ』と言え!」と松田に命令したのだった。それで、私が「そんなこと言っちゃだめですよ」と言うと、「おまえは口きくなと言ってるだろ。おまえは一切、口きくなと命令しているのに俺の命令がきけんのか。おまえは一切口きくな!」と言うのだった。黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがってからに、いったい何なんだと思ったが、天野隆夫はさらに「おまえはエスバイエルに行け!」と言うのだった。なんで、そんな話になる?!?
まず、一番の問題として、(株)一条工務店は1990年頃、東京圏においては施工体制が低劣・劣悪で施工ミスが多く、「(株)一条工務店のクラウン」は「エスバイエルのカローラ」もしくは積水ハウスとかミサワホームとかパナソニックとかの「カローラ」と比べても施工はずいぶんと悪かったのだ。たとえば、1980年代後半、小堀住研(株)に入社してすぐの研修で「小堀の建築現場を見に行って問題点があったら、すぐに工事課に連絡する」と教えられたもので、小堀住研(株)の工事課の人間に話すと、その点について知らなかった場合は喜んでくれたし、すでにそれについて知っていた場合には「ああ、あれは・・・として対処する予定になっています」と対処するしかたとその予定を教えてくれたものだった。それに対して、たとえば、1992年の秋頃、川崎市の高津区だったか多摩区だったか、最寄駅はJR南武線の「久地(くじ)」だったか「津田山」だったかの建築中のお宅を見に行ったところ、基礎の床下換気口の真上に柱が立っていたし、それだけではなく、屋内では柱が上に載っている土台の下に基礎がなかった。「こりぁ、ひでえわ」と思い、又、(株)一条工務店が住宅展示場に置いている構造についてのアルバム帳で「施工ミス」として写真を掲載して、「こういう施工をされては困りますよね。こんな施工をする所に頼むことがないように、契約する前にその会社の建築現場を見に行って施工の内容を確認してから契約するようにしないといけませんね」と言えと研修で指導されてきた、まさにその「施工ミス」が(株)一条工務店の工事現場にあったのであり、それで私は(株)一条工務店の東京事務所(江東区木場)に電話を入れて工事課の「主任」の高須にその建築現場の実情を話した・・・・が、当然「そうですか。すぐに現地を見て、どう対処するか考えます。ありがとうございます」という言葉が返ってくるだろうと思っていたら、そうではなくて、高須はこう言ったのだ。「それが、どうしたんですか」と。はあ? はああ~あ??? 明らかに相当の施工ミスをしておきながら「それが、どうしたんですか」とは、その発言は何だろうか。
「もう、知っていたのですか」と言うと、「いや、だから、それがどうしたんですか」と高須は言うのです。何を言ってるのかなあ・・・と思ったのだが、その時点では私は工事課とかに勤務している人というのは、法学部・経済学部・文学部とか卒ではなくて、工学部建築学科卒か工学部土木学科卒の人で、営業の職種の人間よりも建築について、特に構造についてはよく知っているものだろうと思い込んでいたのでしたが、小堀住研(株)の場合は慶応大学に出していた求人票では「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理):4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」「技術系(設計・工務・工事・アフターサービス):4年制大学の建築学科もしくは土木学科卒の人」というもので、実際には、短大は女性のものと思っていたら「建築の短大」には男の短大もあるらしくて、同じ時に小堀住研(株)に入社した人で「短大卒」の人もいたのだけれども、基本的には工事課の職種につく人は4年制大学の建築学科卒か土木学科卒の人だったのに対して、(株)一条工務店の場合はそうではなくて、単に「高卒」の人とかが工事課やってる場合があるみたいで、私は工務課の「主任」の高須が「だから、どうしたんですか」などと言うことについて、その言っている意味が理解できなかったのだが、今から考えてみると、高須は外回りについては、床下換気口の真上には柱は来ないようにしないといけない、柱が上に載っている所では柱の位置で上から下への力が加わり、基礎は床下換気口の部分は他よりも弱いので柱が上に載らない所に床下換気口は開けないといけない、又、建物の内部では柱が土台の上に載る部分というのは、やはり、柱の位置で上から下への力が加わるので、その場所では土台の下には必ず基礎がなければならない。床下を人が通れるように、又、床下の換気を図るために土台の下に基礎がない所を設ける場合、土台の上に柱が載っていない所で設けないといけない・・・というのは、杉山英男『デザイナーのために木構造』(彰国社)とかにも掲載されていることだが、「間違いのない家づくり」を「売り」にしていた(株)一条工務店では絶対にあってはならないことであったはず・・・だったが、工務課の「主任」の高須は「それがどうしたんですか」というものだった( 一一) ( 一一) ( 一一) その時だけではなくて、小堀住研(株)では小堀住研(株)の建築現場を見にいった際に、施工の内容に「これはどうなのか」と思うものがあった時に話すと、工事課の人間は喜んでくれたし、すでに把握して対処法も決まっている場合は「あれは・・・というようにやります」と教えてくれたものだったのに対して、(株)一条工務店では工事現場で問題点が、それも「こりぁ、ひでえわ( 一一) 」という問題点があった場合に、工務課に伝えると、いかにも面白くないという口のきき方で、「それがどうしたんですか」などと言われるのだった。

デザイナーのための木構造 - 杉山 英男

これだけは知っておきたい住宅の設計と施工の知識 - 高田 秀三
「それがどうしたんですか」とは、なんだ、その口のきき方は・・と思ったが、だからと言って、松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫にそういうことを言うと、「そんなこと言うなら、おまえはエスバイエルに行けえ」などと言われるのだった。どういうことなんだ?
それから、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の木質パネル構法というのは、これは在来木造とツーバイフォー工法(枠組壁構法)を参考にして作られた新しい構法・独自の構法であるから、だから、「・・・という理由で在来木造より優れている」「・・・という理由でツーバイフォー工法の欠点を克服したものです」といった理屈・理論があったのだ。だから、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業としては対在来木造では構造の話をしたいのだ。特に、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫のような理論的でない・論理的でない・科学的でない悪口雑言を浴びせてくれたならば、これは、いわば、ボクシングにたとえるならば、カウンターパンチを得意とするボクサーに対して、カウンターパンチを打ってくださいとおあつらえ向きの左ストレートを打つみたいなもので、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業としてはそれをやってくれるとものすごいうれしいのだ。「そうじゃないですよ。・・・なんですよ」と説明した上で「一条工務店の営業てのは、なんにもわかってないんですね」とやりたいと思って待っているのであり、相手が待っている所に相手が待っているものをやるというのは軍の骨頂と思えたが、それをやらなきゃおれない・それを新人営業にさせなきゃおれないのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫だったのだ( 一一) 『あしたのジョー』の矢吹丈はクロスカウンターを得意とするボクサーだったが、これは相手のボクサーが左ストレートを打ってきたときに、その左ストレートに右ストレートをクロスさせるようにして相手の顔面に打ち込むというもので、相手が左ストレートを打ってくれなければ、このクロスカウンターは打てない。矢吹丈はわざとガードを緩くして相手に打ちかからせて相手が左ストレート打ってきたなら、それに合わせて右ストレートをクロスカウンターで相手の顔面に打ち込むというのを「蟻地獄の罠」のように待っていたのだが、小堀住研(株)の営業からすれば、在来木造の会社の営業が小堀住研(株)の木質パネル構法について、天野隆夫がやれと命令したもののような論理的でない・理論的でない・科学的でない攻撃を加えてきたならば、まさに「もってこい」であり、「きたあ~あ! ラッキー♪」てもので、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業にとってはうれしくてたまらないというものだったはずだ。だから、私は「そんなこと言っちゃだめですよ」と言ったのだが、ところが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫にとっては同業他社の建物について論理的でない・理論的でない・科学的でない悪口雑言罵詈讒謗中傷を加えるのは三度の飯より大好き♪ というものだったようで〔なんとも、人間的に卑しい男だなあ・・と思った。そういう人間が「ぼくは学校でてないから、だから、人間性が優れてるんだ。そう思うだろ。おい、そう思うだろと言ってるんだ。『思います』と言え。ぼくが『思います』と言えと命令しているのにぼくの命令がきけんのか」などと言うのだった( 一一) 〕、理論的でない・論理的でない・科学的でない無茶苦茶な悪口雑言を浴びせたがるのだった。程度の低い営業だなあ・・とあきれた( 一一)
※ 《YouTube-あしたのジョー OP主題歌 尾崎イサオ》https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=YouTube%20%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%EF%BC%AF%EF%BC%B0&mid=CD8775AC103B35B83A19CD8775AC103B35B83A19&ajaxhist=0
また、小堀住研(株)の木質パネル構法の合板は「向きがない」「方向性がない」耐力壁であったのに対して、(株)一条工務店など在来木造で入れていた「筋交い(すじかい)」という耐力壁は「向きがある」「方向性がある」耐力壁なので、全体として両方の方向にバランスよく入れるようにしないといけないし、又、力が伝わって地面まで達するように筋交いの入れ方を考える必要があり、その点で向き・方向性を考える必要がないツーバイフォー構法の合板や木質パネル構法の木質パネルの入れ方よりも難しい点があったのだが、1992年に私が入社してすぐの新入社員研修に講師役で来た浜松の営業所の古橋という男が「木造の場合、筋交いには向きがありますが、ひとつの方向にばっかり入れるということはなく、両方の方向に入れますから問題はありません」と言ったので、そうかと思って(株)一条工務店の工事現場に見に行くと、片方の向きにばっかり筋交いが入っていた工事現場があり、東京営業所の「一級建築士の宮崎さん」に「筋交いの向きをどちら向きに入れるかというのは、あらかじめ決めて図面で指示しないのですか」と言うと、「一級建築士の宮崎さん」は「そんなの適当だよ、適当。現場で大工が適当に入れてるよ、適当、適当」と言うのだった。そのあたりを見ると、システム認定の過程で耐力壁の入れ方が厳しく決められている木質パネル構法に比べて、「そんなの、筋交いの入れ方なんか、現場で大工が適当に決めて入れてるよ、適当、適当」という在来木造というのは、いいかげんだなあ・・・という印象を受けたし、むしろ、「一条工務店で建てたら、地震が来た時にひっくり返る」てことないか? ・・と不安を感じた。
何で読んだか忘れてしまったが、営業のやり方として、相手の層によって受け入れられる話し方が違うという説があるらしい。相手が知識層・インテリ層である場合には、自分の所の物については、長所ばっかり話すのではなく、欠点は欠点として自分から述べて、こういう点はありますがということを述べた上で、長所を述べるというようにした方が受け入れられる。それに対して、相手がその逆である場合には、自分の所の物の欠点・短所については一切触れずに、いいよ、いいよ、いいですよとワアワア言うというやり方が受け入れられるという話でした。もしかすると、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、この相手が反インテリ層である場合を想定して、自分の所をいいんだいいんだと理屈もなしに言い、他社の物については非論理的・非科学的に悪口雑言罵詈讒謗を浴びせるという””手法””を奨励していたのか・・もしれんと思ったのだが、そうではなく、単に無茶苦茶言うとっただけとちゃうのか・・て感じもする。
小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)の序文で、小泉信三が、批判は論拠をあげて論理的におこなわないといけない、ということを述べ、小泉信三は社会主義に対しては否定的な側の人間であったけれども、保守政党の人間には耳を覆いたくなるような下品な悪口雑言を述べるものがおり、そういうものを聞くと、むしろ、革新政党の人間が持つ気概というものに魅力を感じ、資本制経済を否定する側に若者が魅力を感じることにも気持ちがわかるところがあるのだが、まず、社会主義やマルクス経済学について批判するなら、まず、マルクス経済学を学び、その上で、批判は論拠をあげて論理的におこなうようにするべきだ、と述べている・・・のだが、(株)一条工務店の営業本部長はそうではなく、同業他社に対して論理的でない・科学的でない耳を覆いたくなるような下品な悪口雑言を浴びせたがる人間で、新人にそれをさせたがる男だった( 一一)
小堀住研(株)で最初の営業系新入社員の研修において、「同業他社の悪口は言ってはいけない」と教えられたのですが、その逆をやりたがる、その逆を新人に教えたがるのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫でした( 一一) なぜ、同業他社の悪口を言ってはいけないかというと、
(1)他社や他社の商品の悪口を言うことによって、むしろ、悪口を言っている人間の方が卑しい人間のように見えてしまい、その人間とその人間の所属の会社の方の評価が下がってしまうということがあった。
(2)又、他社の悪口を言うということは、顧客が求めているものを実現しようという姿勢が欠落している、もしくは不足しているから、だから、他社の悪口を言うのだと思われてしまう。
かわぐち かいじ だったかいう漫画家がアメリカ合衆国の大統領選挙を題材にしたフィクションの漫画を描いていて、そこに「選挙参謀」という男が出て、競合候補に対するネガティブキャンペーンをやって優位に立つように持っていったが、それを見て、もっとやろうという者に「いや、ネガティブキャンペーンはひとつでいい」と言ってそれ以上はやるなと制止する場面があったが、選挙においても、競合候補に対してのネガティブキャンペーンは10回、口を開いたら、10回中1回くらいならいいが、毎度毎度、競合候補に対してのネガティブ発言ばっかりする人間というのは、たとえ、その指摘が競合候補に対してもっともな批判であっても、人の批判ばっかりしている人間として、その人間の評価の方が下がってしまう、ということがある。だから、競合相手に対してのネガティブキャンペーンは少しでいい、というのだった。
(3)ただし、見込み客の方から、同業他社や同業他社の建物についてきかれることがある。そういう場合でも答えるべきではないのか、きかれたからには答えるようにした方がいいのか、という問題がある。 私はケースバイケースで、きかれたことには、それに対しての答えをきっちりと、しつこくなりすぎないようにした場合と、「よそさまのことは、よそさまの営業に聞いてください」と言うようにした時とあった。
あまり、他社のことを詳しく言いすぎると、自分の所に長所がないのかと思われてしまう危険がある。
(4)それでも、言う場合には、「論拠をあげて、論理的・科学的に」述べるべきであり、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫のような非科学的・非論理的な卑しい耳をふさぎたくなるような悪口雑言、言っている人間の方の評価を下げる可能性が小さくないと思われるような言い方は避けるべきだ、と思ったし、今も思っている・・・のだけれども、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫のような それをやりたい人、やらなきゃおれない人というのは、これは””ほとんどビョーキ”” であり、それが営業活動に効果があるからやるのではなく、やらなきゃおれない症候群 という「(ほとんど)ビョーキ」だからやりたがるのだ( 一一)
もうひとつ、ガチガチの競合になる相手、はっきりとガチガチの競合になって自分の所かその相手かどちらかで契約しようということになっているような場合ならば、論拠をあげて論理的・科学的になら相手の物の批判をおこなうということもわかる。しかし、そうではなく、もとから競合にならない相手について、悪口雑言罵詈讒謗中傷を浴びせて自分の方だけが卑しいやつと思われるというのは、これはどう考えてもばかげている。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は新人にそれをさせたがるのだった。
小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) と(株)一条工務店というのは、どちらも木質系の戸建て住宅建築業の会社だったので、もっと競合になることが多いかと思ったのだが、ところが、(株)一条工務店に入社してみると、ほとんど競合にならなかったのだ。
それには理由がある。(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」というのは、クルマにたとえるならば、クラウンの価格帯のもので、戸建て住宅建築業の会社には広い幅の価格帯で建てる会社もあれば、そうでない会社もあり、(株)一条工務店の場合は価格帯としては、カローラの価格帯も苦手で、センチュリーの価格帯も得意ではないという会社だった。準センチュリー くらいなら、私が営業担当ならありえたが、無理な営業は少なくなかった。それに対して、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) はカローラからクラウン・センチュリーまで広い幅で建てる会社だったが、「ハウス55」という企画住宅は、これは東京都・神奈川県などではクラウンの価格帯のものである(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」とは価格帯がはっきりと異なるので、最初の最初に比較されることは可能性として絶対ないとまで言えないとしても、ガチガチの競合になることはなかった。クルマを買う場合でも、200万円くらい出してカローラの新車を買おうと考えた人にとっては、日産とかホンダとかに同じくらいの価格帯のクルマはあるはずで、そういうものが競合になることはあっても、ベンツとかが競合にはならないでしょ。ベンツでなくても、クラウンとかセドリックはカローラの競合にはならないでしょ。
小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の「新 桂(しん かつら)」はクラウンからセンチュリーにかけての商品だったが、(株)一条工務店の「セゾン275S」「百年275S1」とは明らかにタイプが違う。 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)のお客さんになる層と(株)一条工務店のお客さんになる層は違うのです。又、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)と(株)一条工務店は、どちらも住友林業(株)と競合になることが多い会社だったが、どちらも住友林業(株)と競合になることは多くても、 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) は住友林業(株)よりも都会的・斬新であるのに対して、(株)一条工務店は住友林業(株)よりも「地方」的な商品だったからだ。だから、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業なら、住友林業(株)と競合になったら都会的な側に引っ張ればよかったのだが、(株)一条工務店にいて住友林業(株)との競合で都会的な方に引っ張ったら向こうに行ってしまう。
ガチガチの競合になる相手ならば、あくまで論拠をあげて論理的・科学的に批判をおこなうことでこちらの方で契約してもらえるようにしようというのはわかるのですが、ガチガチの競合になることはまずない相手をけなす必要はなく、むしろ、何もそことお宅とのどちらかに決めるなんて言ってないのに、それなのにせっせと相手に対して悪口雑言罵詈讒謗中傷を浴びせる営業て、そいつ、いったい何なの?・・て感じで、印象を悪くするだけでしょう。
松戸展示場で新人の松田が接客した来場客が「エスバイエルのハウス55というの、あれでいいのじゃないかと思ってるんだ」と言われた・・ということから、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「ハウス55なんか、建てたら地震の時にひっくり返りますよ、と言ってやれ」などと言いだしたのでしたが、情けなくなってきた( 一一)
ハウス55と同じくらいの価格帯で、同じように企画プラン集があって、そこから施主の敷地と希望に近いものを選んで、部分的に修正を加えて施主のプランを作って建てるというシステムの商品が住宅建築業のいくつかの会社にあったわけで、そのくらいのものを建てようと思っていて、その中ではハウス55がいいのじゃないかと今は思っていて検討中だと、その来場客は正直に話されたわけです。(株)一条工務店の展示場は住宅展示場は入場して見せてもらうのはただであり、見せてもらったから契約しないといけないものではないので、それで、とりあえず、いろいろな所の展示場を見せてもらおうと思って、それで東京圏では無名な「浜松の工務店」の展示場にも入場したけれども、実際問題として(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」は、その方が建てようと検討されていたものとは価格帯も違えば志向も違ったのです。ところが、松田はそれがわからないから、「ハウス55て、どうしてあんなに安いのでしょうね」などと言うのだった。ハウス55の方を基準にすれば、(株)一条工務店の「セゾン275S1」の方が「どうしてあんなに高いのでしょうね」ということになる。チャイムが標準仕様でインタホンすらもオプションなのに( 一一)
天野隆夫がなんでハウス55の悪口を言いたがる・言わせたがるのかというと、ひとつは天野隆夫は東京営業所長・松戸営業所長を兼任していても「浜松・掛川・名古屋のまわしもの」であり、社長の義理の弟として自分自身は20代の若いころに浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけしか営業の経験がない人だったからということがあります。その頃、(株)一条工務店は東京都・神奈川県では「施工面積」という延べ床面積よりも広い面積になるように設定したもので坪55万円としていた「セゾン275S1」を浜松・掛川では坪48万円で、名古屋南営業所や名古屋市八事(やごと)営業所では坪49万5千円でウルトラのダンピング販売をして売っていたのです。それだけのダンピング販売をやると、東京都・神奈川県ではクラウンの価格帯の商品が、浜松・掛川や名古屋南営業所・名古屋市八事営業所ではカローラに価格帯として近づくのです。その結果、東京都・神奈川県ではクラウンの価格帯で売っていたものをカローラに近い価格でダンピング販売していた浜松・掛川・名古屋においてはカローラと競合になるときがあったのです。(株)一条工務店の「カローラに近い価格のクラウン」はそれでもカローラより高かったはずなので、本当はクラウンを建てたいけれども、カローラを建てた人というのも浜松などにおられたと思いますが、浜松あたりの営業は、(株)一条工務店にとっては市場性がよく、又、東京都・神奈川県では坪55万円のものを坪48万円でのダンピング販売をおこない、東京圏などではまったくおこなわないテレビ広告を静岡県中西部・愛知県ではドカンドカンとやりまくって、そういうやり口で売っていたので、その結果、浜松・掛川・名古屋あたりで営業やった人間は、私より棟数では多く売った人でも、このあたりについて理解できていなかった、今でも理解できていないでしょう。だから、20代のころに浜松で「特別扱いの営業」をちょろっとやっただけの営業経験しかない営業本部長の天野隆夫さんには当然、こういったことは理解できていなかったし、今も理解できないであろうし、だから、ガチガチの競合になっているわけでもない相手、自分の所がクラウンだとするなら、カローラをけなしてもしかたがないのにカローラに対して罵詈讒謗を浴びせたがるのでした。アホまるだし・・・( 一一) ですが、それが(株)一条工務店の営業本部長でした。苦労しますわ・・・
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) では木質パネル構法の「新 桂」と在来木造による「小堀の木造」は完全自由設計、構造上危険なことをやってほしいとかいう話でもない限り、施主の要望を満たすものを新たにプランニングしていき、使うものも施主の希望にそったものを使うというやり方のもので、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」は「規格住宅」もしくは「企画住宅」で使うものは「標準仕様」のものと「オーダーエントリー」(オプション)のものがあらかじめ決められていて、その中から選び、まったく別の部材を使うということはできないことになっており、デザインはあらかじめ決められたいくつかのタイプの中から選び、間取りはプラン集に掲載されているものの中から、営業担当者とお施主様とで、お施主様の敷地と希望に近いものを選び、その上で、部分的に変更してよいと決められているものについて変更を加えて決めるというやり方のものだった。
この変更を加えてよいとされるものには、玄関の位置は含まれなかった。ほかにトイレの位置・浴室の位置というのも変更できなかったように思う。それを変更してよいことにしたならば、「プラン売り」商品でなくなってしまう、プラン集に掲載されているプランの中からお施主様の敷地と希望に合うものを選び、部分的に変更してよいとされる部分を変更してそのお施主様の希望に沿うものにする・・というやり方だから、だから、プランニング・設計に手間が比較的かからないからということで、その分を低価格に設定した商品だったから、何でもかんでも変更できるということにはできないのだった。
しかし、使うものは「ハウス55」の標準仕様と「オーダーエントリー」のものを使った上で、プラン・間取りについてはプラン集にないようなもので建てたいという人もあるようで、そういう人のために「ハウス55 システムフリー」という商品を用意していた。「ハウス55」はプラン集の中から施主の敷地と要望に合うものを選ぶのに対して、「ハウス55 システムフリー」というのは「ハウス55」で使う部材を使うけれども、プランニングについては一からおこなうというもので、その分、プランニングに手間がかかるので《「ハウス55」ほどは割安ではない》、「ハウス55」の方を基準にすると「ハウス55」に比べると割高ということになった。
私が小堀住研(株)の松戸展示場にいたとき、松戸営業課の課長の I 井さんが「よその会社のものだと『自由設計』と言っていても、うちの『新 桂』みたいに何でも自由にできるのではなくて、『システムフリー』くらいのものを『自由設計』と言ってることが多い」と言ったことがあり、そうなのかどうか、その時点ではわからなかったのだが、たしかに、(株)一条工務店の「セゾン275S1]「百年275S1]などは、「自由設計」「注文住宅」と言っていたけれども、実際には間取りについては「プラン集に掲載されているものの中から選んで」というものではないが、使用する部材は巾木・廻り縁はどういうもの、屋内ドアはこれと決められていて、システムキッチンについては小堀住研(株)の「新 桂」は決められたものはなく、お施主様の奥さんに希望を聞いてこのキッチンメーカーのものなどどうでしょうかと話して、キッチンメーカーのショールームに見に行ってもらって決める、浴室も様々なメーカーのユニットバスから選ぶか、造成バスの場合は岩風呂でも檜風呂でも何でも作るし、1階の床下で錦鯉を飼いたいとかそういった要望もきく・・というものだが、(株)一条工務店ではシステムキッチンは「オリジナル」システムキッチンが決められていて、洗面台も「オリジナル」製品、浴室も「オリジナル」ユニットバスと決まっている。なおかつ、(株)一条工務店が決めている「オリジナル」システムキッチンは嫌だ、キッチンメーカーのシステムキッチンを入れたいということになった場合、「坪あたりいくら」と決められているものに坪数を掛け算したものにはシステムキッチンの費用は含まれているので、そこから減額して新たに入れるものをプラスすると言うのだが、その減額する金額が「(株)一条工務店がキッチンメーカーに払っている金額」すらも引かず、その何割か減額した金額しか引かない・・施主からすれば入れてもいない部材になんでカネ払わなきゃならんのだ・・というもので、使用する物については自由度が低いものだった。「システムフリー」という言葉は、「システムにのっとってフリー」という意味で小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)が作った用語で、他の会社は別の表現を使っていたのではないか・・というより、「システムフリー」くらいのものを「自由設計」とか言っていた会社がけっこうあったようだが、(株)一条工務店が同社の「セゾン275S1」「百年275S1」について「自由設計」とか「注文住宅」とか言っていたのは、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の用語では「自由設計」「システムフリー」「規格住宅もしくは企画住宅」のうちでは「システムフリー」くらいに該当するものだった。なおかつ、(株)一条工務店の設計は数で評価されたので、独創的なものを設計しようという気概に欠けていた。
2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://freedom.co.jp/ で、(株)一条工務店と競合になって、(株)一条工務店がなかなかプランを出さないとか言って不思議がっていたフリーダムアーキテクツデザイン(株)の担当がいたが、なんか知らんが他社も自分の所と同じようなやり方してると勝手に思い込むアホがここにもいるのかと思い、そうじゃないんだよ・・と教えてあげようかと思ったのだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間や「バカでも入れる・最初から試験なんてない無試験よーこーの建築専門学校卒」の人間のことを「設計士(さま)」などと言って持ち上げる会社、バカを「設計士(さま)」扱いする会社だったので、「設計士(さま)」ならば、何も「下々のもの」が「設計士(さま)」の「先生さま」に教えてあげることないだろ・・と思って黙っていたのだが、又、自分を「設計士(さま)」とか勝手に思っている若造に教えると怒りよる場合があるので、その類のアホに教えるほどお人よしではないわな・・と思って教えなかったが、「在来木造で3階建てを建てる所」という点では(株)一条工務店とフリーダムアーキテクツデザイン(株)は共通していたけれども、共通していたのはそのくらいのもので、それ以外については大きく違う会社であり、相手が自分の所とは性質が違うのだから、自分の所の有利な所をアピールして、相手が自分の所のようなことはできない部分に引きずり込むようにすればいいと思うのに、それがわからんアホ・・というのが自称「設計士(さま)」という「先生さま」の若造だったのだ( 一一)
〔 人間というものは、中学校の先生・高校の先生のように「先生」という職業についている人を先生と呼んだり呼ばれたりするのは特に悪くはないとしても、「先生」という職業でもない人間が「先生」と呼ばれたり「・・様」と呼ばれたりするようになったら、だんだんとその人はだめになっていく・・といったことが言われるようだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計士(さま)」と称する若造にはそんなところが感じられた。「先生」と呼ばれたい症候群の人間というのは、フリーダムアーキテクツデザイン(株)にいた「建築専門学校卒」の人間みたいに、その部分において精神的に未熟なものを感じます。〕
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) では、やり方としては「完全自由設計」(システムフリーではなく、完全に自由設計)のシステムの「新 桂」と「小堀の木造」があり、《「規格住宅」もしくは「企画住宅」》の「ハウス55」があり、システムとしては(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「セゾン275S1]「百年275S1]のやり方に近い「システムフリー」のやり方の「ハウス55 システムフリー」の3つがあったのだ。
1980年代後半、私が小堀住研(株)に入社してすぐの新卒社員向け・営業系合宿研修の際に、TQC推進本部営業部会課長のMさん(男。当時、30代後半?)が「『ハウス55』と『ハウス55 システムフリー』は完全に別の商品だと考えないとだめだよ。『ハウス55』で進めたら最後まで『ハウス55』でいく、『ハウス55 システムフリー』でいくなら最初から『ハウス55』ではなく『ハウス55 システムフリー』でいくというようにしないと、最初に『ハウス55』で進めて途中から『ハウス55 システムフリー』に変えて契約したら、お客さんとしてはものすごく高くなった、という印象になってしまうから、途中で『ハウス55』から『ハウス55 システムフリー』に変えるということはやってはあかんで」と話したのだった・・・が、そううまくいくものかなと、それを聞いたときは思った。
営業としては自分が担当するお客さんにはそのお客さんにとって最高のものを建てるようにしたいものだ。そうなると、「ハウス55」でプラン集の中から選んでそのお客さんの敷地と要望に合うプランを作ろうとしたが、その過程で、これは動かせないとなっている物を動かすと「ちょうどいい」プランができるということが出てくる場合があるのではないか。そういう場合でも変えてはいかんのだろうか。自分を担当で契約してくれるお施主のためなら、自社のもので対応できる最高のものを作りたいと考えるものではないか・・とか考えたのだった・・・が、「ハウス55」で進めて「ハウス55 システムフリー」に途中から変更して契約してもらって建てた結果、営業はお施主様のためと思ってやったにもかかわらず、「玄関ひとつ動かしただけで、〇十万円も高くなった」と文句言われることになった・・というそういう例があったのだ。どこにあったかというと、(株)一条工務店に1992年4月に入社して東京展示場の営業に配属された橋本薫の叔父がそれだったのだ。
当然のことながら、小堀住研(株)の営業は「『ハウス55』と『ハウス55 システムフリー』は別のものですから、《『ハウス55』で玄関だけ動かした》のではなくて、別のものに変えたから値段が変わったのですよ」ということを話しているはずであり、それを聞いていても理解しないような橋本薫の叔父みたいな人が相手の場合には、「ハウス55」から「ハウス55 システムフリー」に変えると、その施主の要望にぴったりのものとわかっても、それでも「ハウス55」でいったん始めたなら、「ハウス55 システムフリー」というものは「ないもの」として進めるべきだったのかもしれない・・・が、営業としては自分を担当として契約してくれるお施主様のためならできる限りのことをしたいと思いがちであり、そう思って営業担当者は対応したのに、それを理解しない施主というのも、施主として、あまり「客質」がいい方ではない施主だったようだ。
それで、だ。(株)一条工務店の東京展示場(江東区潮見)の営業だった橋本薫(男。当時、20代)は「玄関動かしただけなのに、〇十万円も高くなったと文句言ってましたよ」と私に文句言うのだったが、何よりも、文句を言う相手を間違えている!
これは、誰が悪いのかというと、4者に問題がある。あえて言えば、5者に問題があったかもしれない。まず、
[第1者] 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当者、および営業課長
1980年代後半、私が入社した年の新卒社員・営業系・合宿研修の際に、TQC推進本部営業部会課長のMさん(男。当時、30代後半)が「『ハウス55』と『ハウス55 システムフリー』は完全に別の商品だと考えないとだめだよ。『ハウス55』で進めたら最後まで『ハウス55』でいく、『ハウス55 システムフリー』でいくなら最初から『ハウス55』ではなく『ハウス55 システムフリー』でいくというようにしないと、最初に『ハウス55』で進めて途中から『ハウス55 システムフリー』に変えて契約したら、お客さんとしてはものすごく高くなった、という印象になってしまうから、途中で『ハウス55』から『ハウス55 システムフリー』に変えるということはやってはあかんで」と話したのだが、私と異なる年に入社した人にはこういう話を聞いていない人もいたかもしれないが、しかし、こういったことは営業として認識しておくべきものだったはずだが、橋本薫の叔父の家を担当した小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当者には、そのあたりについて、きっちりと認識していたように思えない。 また、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は営業課長1人と営業担当者2人の3人で1チームの営業課というのが基本で、時に営業担当者が2人ではなく3人の営業課があったり営業課長1人と営業担当者1人の2人の営業課があったりしたが、営業課長は自分自身の営業成績よりも営業課としての営業成績を重視され、営業担当者の営業活動を助けたり指導したりして営業課全体の営業成績を伸ばすことが求められる立場だったから、営業課長にもまた責任はあったはずだ。
最初は「ハウス55」で進めたけれども、どうも、そのお施主さんの土地とお施主さんの希望から考えて「ハウス55」ではなく「ハウス55 システムフリー」で契約してもらって建てた方がそのお施主さんの希望に沿うものができると思えた場合に、それでも「ハウス55」で進めたからには「ハウス55」で契約してもらって建ててもらうようにもっていくべきか、たとえ、いくらか割高になったようにお施主さんが思うことがあっても、お施主さんのために「ハウス55 システムフリー」に変えるべきか。
橋本薫の叔父の家を担当した営業と営業課長は「ハウス55」で進めてきたけれども「ハウス55 システムフリー」に変更するという選択をしたらしい。しかし、それはひとつの選択ではあるが、その場合にはお施主さんに「ハウス55 システムフリー」というのは「ハウス55」と似ているけれども別の商品であり、「ハウス55」が割安なのは、いくつかの理由があるがひとつはプラン集にあるプランの中から選んで建てるということで、新たに設計する手間がかからないということでその費用の分が安くなっているのであって、「ハウス55」で変更可能とされていないものを変更した場合は、「新たに設計した」という扱いになるので、設計の費用がかかっていないということで「ハウス55」が割安になっているのと同等に割安にはならないので、「ハウス55」から「ハウス55 システムフリー」に変えた場合には「ハウス55」の金額を基準にして考えていると割高感がありますよ・・ということについて、念を押すくらいに説明しておくべきだったはずだが、それを十分におこなっていたようには思えない。
施主の気持ちとして「割高になった」感があったとしても、営業担当者がきっちりと説明してくれた場合であって、なおかつ、それ以外の部分で営業担当者がそのお施主様のために尽力してきた場合であれば、お施主様も「〇〇さんを困らせてもしかたがないから」と言って納得してくれる場合が少なくないのであり、私も(株)一条工務店に在籍時、契約客から「〇〇さんを困らせてもしかたがないから、いいよ」と言ってもらったことがあったが、橋本薫の叔父の家の営業担当者は施主からそう思ってもらえる営業をしていなかったか。
(4) そして、「値引き」のやり方の問題というものもある。(株)一条工務店の上記 ↑ の小野田くん(男。当時、20代)は「エスバイエルは建物の値打ちはなくて、大幅な値引きをやることで売ってる」などと言いまくっていたが、嘘だ。 小野田くんというのは、よくまあ、そういう嘘八百を言ってまわるものだとあきれる。
まず、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の商品では高級住宅志向の木質パネル構法による「新 桂(しん かつら)」と在来木造による「小堀の木造」については、これは同業他社との「提案競技」に勝たないといけないので、魅力のあるプランニング・魅力的な提案をするためには、やはり、使うものもいいものを使うようにした方が魅力的なプランニング・魅力的な提案はできることになる。『美味しんぼ(おいしんぼ)』では、ある調理師学校の理事長だか校長だかが「板前などというものは、高い食材を使うことでしか能力を出せない連中だ」とか発言して、それで「美食倶楽部」の海原雄山の機嫌を損ねたということがあり、山岡士郎は「その理事長もばかなことを言ったものだ」と言い、「料理人は安い食材でもそれなりにいいものを作ろうとするものだが、いい料理を作ろうとすれば、やはり、いい食材を使いたいと思うものだ」と述べるのだったが、戸建て住宅においても、安い部材・住設を使ってでもいいものを作ろうというのは「ハウス55」計画の趣旨だが、「新 桂」や「小堀の木造」の場合には、やはり、使う部材・住設もいいものを使った方が魅力的なプランニングはできるものであり、同業他社とのプランニングの提案競技に勝って契約してもらうためには、後で大幅な値引きをできるほど安い部材を使ってのプランニングなんかできないのだ。
また、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の場合は「高品質で低価格」「低価格だけれども高品質」、「その価格にしては高品質」「その内容から考えるならば低価格」というのが「売り」であり、住宅メーカーによっては最初の見積もりは高めの金額を出して、そこからドカンと値引きをすることで「そんなに引いてもらったんだ」と感動してもらって契約してもらうというのを作戦にしているらしい会社もあるようで、そのころはダイワハウスなどは値引き幅が大きいと言われていて、木質系の会社でも住友林業などはけっこう値引きをすると言われていたが、「小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)〕はあんまり引いてくれない」と見込み客の間で言われていたのは、それは、高級住宅志向の「新 桂」と「小堀の木造」の場合は同業他社との提案競技に勝てるようにするにはそう安いものを使ってプランと見積もりを出すわけにはいかないということとともに、「高品質低価格」タイプの「ハウス55」の場合は「その価格にしては高品質」「その内容から考えるならば低価格」というのが「ハウス55」の「売り」であるから、あとでドカンと値引きができるように利益幅を大きくとった値段で見積もりを出しておくということができないのです。だから、あとでドカンと引くというのを作戦にしていた会社とは逆で、「高品質低価格」になるように最初から「値引き幅」を大きくとった見積もりは出していないのであり、だから、あまり大幅な値引きはやりようなかったのです。それにしても、(株)一条工務店の小野田くんは、次から次へとよくまあ、わかっている人間にはすぐにばれるデタラメを言ってまわれるものだとあきれます。
しかし、それでも何十万というくらい値引きをしていたが、それは「地方」中心の(株)一条工務店とは違って都市圏中心の会社で、それも東京圏ではなく関西圏発祥の会社であり「ビジネスであるからには価格交渉があるのは当たり前」という認識があったからではないか。その結果として、同業他社と比べると幅は小さいけれども、契約時にいくらかは値引きはしていた・・という結果になっていたと思われます。
こういったことを理解すれば、小野田くんが「エスバイエルは建物の値打ちはなくて、大幅な値引きをやることで売ってる」などと言いまくっていたのは嘘だとわかるはずです。むしろ、(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋地区、静岡県中西部・愛知県の方が、そのころ、「施工面積」という延べ床面積より大きい数値になるように設定されて、「坪当たり」で見ると延べ床面積の「坪あたり」よりも安めの金額になる(株)一条工務店が設定した単位で東京都・神奈川県では「坪55万円」としていた「セゾン275S1」を浜松・掛川では坪48万円、名古屋南営業所・名古屋市八事(やごと)営業所では坪49万5千円と大幅なダンピング販売をして売っていたのであり、小野田くんが言う「品質よりも大幅な値引きで売ってる」のは(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業の方だった( 一一)
それで、「ハウス55」で最初は進めていたものを「ハウス55 システムフリー」に変更したならば、「ハウス55」の坪単価と「ハウス55 システムフリー」の坪単価では「ハウス55 システムフリー」の坪単価の方が高いことから、「損した」感をお施主様が持ってしまうことが考えられるが、それを防ぐために、いくらか値引きをしてあげる際に、その理由・口実・大義名分として「『ハウス55』で進めていたものを『ハウス55 システムフリー』で契約いただいたことで、何何さんにはいくらか費用の負担をかけることになってしまいましたが、私どもの方でもいくらか負担させていただきたいと思い、〇〇万円、この見積もりから引かせていただきたいと思います」とでもいった「言い回し」をして値引きしてあげれば、施主もそれで納得した可能性が考えられるが、そういったこともしなかったか。・・そう考えると、橋本薫の叔父の家を担当した小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の担当営業と営業課長の2名は、あまり優秀な営業とは言えないような印象がある。
[第2者] 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の経営者
長浜北高校の応援部のホームページがインターネット上にあって、そこのコメント欄に 小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の二代目社長で、初代社長小堀林衛の「甥っ子」と言っていたが実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午を「そうそうたるメンバー」などと書いていた人がいたが、「会社をつぶしたアホの二代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止である。
1989年に、その時点では「相談役」になっていた初代社長の小堀林衛が他界すると、中島はその翌年の1990年に会社名から初代の苗字である「小堀」を削り取って「エスバイエル」というツーバイフォー工法で建てている会社ではないのにツーバイフォー工法を思わせる名前に社名変更をしたが、「小堀」という名前は戸建て住宅建築業の会社で、「粋な和風住宅」などを得意とする会社が名前につけていると、何も言わなくても客の側で小堀遠州と関係があるのか・・と勝手に思ってくれる名前であり、実際はそうでなくても、客の側でそう思ってくれる名前は会社名から取り除くようなことはしない方がいいと思えたが、会社の利益よりもおのれと異なる苗字が会社名に入っているというのが嫌だったのか、奇妙な名前に社名変更してしまい、中島はその後、安物路線に突き進んで意図的に会社をつぶした。
慶応大学の商学部の教授で「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばっかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が経験を積む場があり、実力を発揮する場があっていいところがある」と言われた方が複数あったのだが、そんなこと言われても、もしも「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばっかりという会社」に勤めてそういう相手との競争に勝っても負けても自分の責任だとして、「高卒か底辺の大学卒の人間ばっかりの会社」に勤めて、「高卒か底辺の大学卒の人間」に競争に勝っても当たり前で、負けたらどないしてくれんねん・・・てものと違うのか・・と思ったのだが、中小企業の役員になっていたうちの父親にそれを話したところ、「そんなもの、負けるなんてことは絶対にない。東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者同士の競争なら競争に勝つこともあれば負けることもあるだろうけれども、高卒や底辺の大学出身の人間と競争して競争に負けるなどということは百パーセント絶対にない」と言うのだったが、もしも、あったらどないしてくれんねん・・と思ったものだった・・が、小堀住研(株)・(株)一条工務店に勤めて、それはたしかにそうかもしれない・・と思うことが何度もあった。小学校から高校までで学んだものにしても、大学の専門科目にしても差が大きすぎるし、なによりも、仕事に対する姿勢が違う。「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者」と高卒や底辺の大学の出身者との競争では「たしかに、話にならん」と思った・・けれども、(株)一条工務店のようにオーナー経営者が高卒だと、社長の周囲には「一族」を配置して、その周囲は高卒で固めて・・ということを経営者はやるし、「一流大学」出身者を親の仇みたいに思っているオーナー経営者の会社に勤めると、仕事についての競争ではなくて、それ以外で「一流大学」卒の人間を親の仇みたいに思っている「高卒のおっさん」との闘いに苦労させられることになり、そんなことなら「東大・京大・慶応・早稲田といった大学」の出身者ばかりの職場につとめてそういう人間との競争に苦労した方がよっぽどいい・・と思うようになった。
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)は1960年代から「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていた会社だった・・がその割に入社してみると高卒の人がいる会社で、また、「高卒の人間がえらそうにしている」と言って大学新卒で入社した人間は多くの人間が怒っていた。また、仮に「大卒の人間と高卒の人間を同じに扱う」のならば、高卒5年目と大卒1年目が同じ扱いのはずだと私は思っていたし、YouTube で元プロ野球選手が話しているのを聞くと、プロ野球選手の世界でも高卒入団5年目と大卒入団1年目が同じだと誰だったか話しており、インターネットで検索して見ると、警察官は国家公務員1種試験合格で警察庁に入庁した人は大卒で高卒で巡査として入った人とは最初から扱いが違うが、最近は「大学」が増えてきて「大学」に行く人が多くなり、「大卒」で巡査になる人がけっこういるようで、そうなると、高卒で入った人と「大卒」で入った人が混在することになるようだったが、警察官の場合、昇進するのに試験を受けて通らないと昇進しないらしく、巡査部長の試験くらい合格しろよと思っても通らない人がいるらしく、そのために、警察官の「階級」は刑事訴訟法に規定されていたはずだが、刑事訴訟法の「階級」では巡査の上は巡査部長のはずなのだが、その間に法律の規定では存在しない「巡査長」なんてものを捏造してしまったが、ともかく、警察官は昇進するには試験を受けて合格しないといけないらしく、その試験を受けることができるかどうかというのを「学歴+勤務年数」で決められているらしく、大卒で入った人は高卒で入った人よりも短い勤務年数で受けることができるらしく、その結果、高卒5年目と大卒1年目が同じという扱いになるらしい。それに対して、三流企業にいる「高卒のおっさん」というのは、大卒1年目とか大学院卒1年目を高卒1年目と同じ扱いにしようとする者がけっこういるようで、それに頭にきてやめてしまう人というのもいるみたいだ。小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社なんですう」と長年にわたって言いまくってきた会社だったが、その割に高卒の人がいて、しかも、「高卒の人間がえらそうにしている」と大学新卒の人間が怒っている会社だった。
小堀住研(株)の初代社長などの年代の人にとっては、松下幸之助という人が英雄みたいに扱われていた時代だったはずだ。松下幸之助はどこがえらいのかというと、松下電器を大企業にしたということもあるが、「自分は小学校しか出てない人間でありながら、一流大学卒の人間を使って活用した」というのがえらいと言われていたのだが、私は最初、その話を聞いて、そんなの、当たり前でしょうが、自分が高卒であろうが中卒であろうが、自分の会社をよくしようとしたなら、一流大学卒の人間を採用して活かして実力を発揮させてこそ、会社はよくなるのであり、それができてこそ経営者というものでしょうが・・・と思ったのだった・・、が実際に自分が会社というところに勤めてみると、少なくない会社の社長は高卒であり、「高卒のおっさん」にとっては「一流大学」卒の人間というのは親の仇であり、親の仇を使いたくない、と考える方が普通だったみたいだ。(株)一条工務店で、1990年代、ベテランの何某さん(男。当時、40代)に「一条工務店の経営者は一流大学卒の人間を採用したがるわりに、いったん、入社したらそれを使おう活かそうとしませんが、一流大学卒の人間を採りたいのか採りたくないのかどっちなのでしょうね」と話したところ、某さんは「採りたいんですよ。入社させた上で塩漬けにして『あんな大学だめだ』と言いたいんですよ。高卒の社長が考えることなんて、そんなものでしょ。今までわからなかったんですか」と言われたのだったが、(株)一条工務店の社長とか営業本部長とか総務部長とかというのは「そんなもの」だったみたいだ。小堀住研(株)の場合は初代社長は松下幸之助のように「自分は高卒でも一流大学卒の人間を採って活用しよう」という姿勢がいくらかなりともあったのではないか・・という感じがするのだが、初代社長はそうでも、その周囲にいた「一族」の人間に高卒の人間が多く、それらの人は松下幸之助については「小学校しか出てない人間でも一流大学卒の人間に劣らない」という意味に解釈して「自分は小学校しか出ていなくても一流大学卒の人間を採用して使った」という人というようには解釈しないみたいで、その結果、「大卒しか採らない会社」と言いながら「高卒の人間がえらそうにしている会社」になってきていたようだった。そういう会社をよくしようとしても「だめなものはだめ」だったかもしれない。「沈む船」は早めに脱出した方がよいのかもしれないが、しかし、どこかに勤めないといけないと考えると、「沈む船」でも採用してくれる会社なら勤めるしかないかと思ったら、沈みよった・・・なんて会社もある。
それで・・・、三流以下企業にばっかり勤めてきたので、「だめだなあ」「あかんなあ」と思わされる経営者はゴマンと見せられてきたのだが、小堀住研(株)の場合、もうひとつの問題として「理工系の会社」とも言っていて、それは、設計とかは千葉支店の支店長だった I さんにしても「東海大学工学部建築学科卒」で、「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と言いまくってきた会社だったので、そこまで言いまくるからには、小堀住研(株)という会社は国立大学か関関同立くらいまでの私立大学卒の人の勤め先かと思い込んでいたら、「大卒」にしても国立大学卒だの関関同立卒だのの人間なんてほんのわずかしかおらず、「大卒」といっても「高卒と変わらんような大卒」の「大卒」が多い会社で、私は設計課長とかになる人というのは国立大学か早稲田大くらいの建築学科卒の人がなっているものだろうと思っていたら、千葉支店の設計課長の I さんは「東海大学工学部建築学科卒」だと聞いたので、I さんに書いてもらった図面はなかなかよくできていたと思うし、I さんはお客さんとの対応もよかったのだが、それにしても「東海大学工学部建築学科卒」の人が設計課長なのか・・・と思ったものだった。小堀住研(株)は「それにしても、見てくればっかりいい会社だなあ」と従業員の間で言われていた会社で、「見てくればっかりいい」が中に入ってみるとそうでもない・・という会社というのは、日本では珍しくもないのだけれども、「大卒」といっても「国立大学か早稲田大くらいの私立大学の建築学科卒の人」ではなくて「東海大学工学部建築学科卒の人」が設計課長になってる会社だったが、それでも、設計とかの職種の人は「大卒の従業員」という感じの会社だったが、「営業系」の方はそうでもなくて、慶応大学に小堀住研(株)が出していた求人票には「応募資格」として「営業系(営業・人事・総務・経理)・・4年生大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と書かれていたはずだったが入社してみると高卒の人がおり、そして、「4年生大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」の能力を活かせていない会社だった。設計とかの職種の場合は、「大卒しか採らない会社なんて言っても、そんな大学の大卒かい」て大学卒の人が多かったのだけれども、それでも大学卒の人の能力を活かしていたところがある会社だったが、社会科学系学部卒の者の能力は活かせていない会社だった、という点が問題点としてあった。
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) で、木質パネル構法による自由設計の高級住宅「新 桂」と在来木造による「小堀の木造」があり、「高品質低価格」タイプの「規格住宅もしくは企画住宅」の「ハウス55」があって、「システムにのっとりフリー」、「ハウス55」で使う部材を使用するが間取りについては自由という「システムフリー」というシステムの「ハウス55 システムフリー」という商品があったのだが、自由設計の高級志向住宅「新 桂」および「小堀の木造」と「高品質低価格」タイプの「規格住宅もしくは企画住宅」の「ハウス55」の2本立てにすると、自由が丘展示場の営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎のような「規格住宅しか売れない営業」というのも出てきて、そういう人を営業課長にならせると、自分が「規格住宅しか売れない営業」であるのに、「ここの展示場はろくな客が来ない」とか言ったりするようになり、それが原因で高価格帯の住宅が売れなくなって安物会社に堕落していくことになるのだった。
だから、私は、小堀住研(株)は初代の苗字を削り取って会社名を変えることよりも、「ハウス55の営業」と「『新 桂』と『小堀の木造』の営業」とに営業をはっきりと分けるべきで、なんなら、形式上、会社名も2つ作って、「ハウス55」の会社と「『新 桂』と『小堀の木造』」の会社に形式上、別けてもよかったのではないかと思うのだ。そのあたりは、やっぱり、私のように「十大国立大学(旧帝大系国立大学+一橋大・東京工大・神戸大)か早慶」くらいの社会科学系学部卒の人間でないと考える能力はないみたいだ。森川英正『日本経営史』(日経文庫)で、「学識者」の活用が十分できたかどうかが、大企業になるか中小でどどまったかの差になったケースがあると述べられており、一線の仕事なら現場の仕事での努力だけでもできても、会社を管理して運営していく立場としては「学識者」とそうでない人の差は歴然としたものが出ると書かれているが、私は最初はそうであるのかないのかわからなかったのだが、小堀住研(株)や(株)一条工務店などで「あかんなあ~あ」という「高卒のおっさん」をゴマンと見せられて、森川英正『日本経営史』(日経文庫)に書かれているその通りのようだと実感した。

日本経営史 - 森川 英正
そして、「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」という2つの異なる商品を同じ商品であるかのように誤認される名称をつけていた、というのは、それはやはり、「ハウス55」で進めていて途中で「ハウス55 システムフリー」に変更して契約して建てたという施主から、橋本薫の叔父みたいに「玄関を移動しただけで、ものすごい高くなった」と言われることになるおそれが十分にあることだった。そうならないように、営業担当者とその営業の所属する営業課の営業課長は十分に気を配るべきなのだが、それができない人も間違いなくいるし、そうなると、契約はしてもらってそのお宅からは多いか少ないかはともかく利益をもらえたとしても、その後、「玄関を移動しただけで、ものすごい高くなった」だのなんだのと、ぶつくさブツクサと言いまくり、たとえ、そうであっても、それで契約したのは自分だろうが、脅迫されて契約させられたわけでもなんでもなく自分が自分の意志でそれで契約したんだろうが、それをいつまでもいつまでも、ブツクサぶつくさブツクサぶかつくブカツクと、大の大人が情けない・・ということを言いまくる人が出現することになり、そういうことをあっちやらこっちやらで言いまくられると、その後、商売がしにくくなる・・ということを考えると、「ハウス55」の一番安いのんを値切り倒して契約しやがってからに、文句ばっかり言うて・・という客は、むしろ、契約してもらわん方がええくらいと違うか・・ということもあるのだが、「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」という2つの「実際には異なる商品」に似た名前をつけているから、だから、「玄関を移動させただけなのに、ものすごい高くなった」などとアホな客から言われることになるのだった。私が経営者ならば、「ハウス55 システムフリー」の方には内容はそれまでと同じでも「ハウス55」とは完全に別の名前をつける。そうすれば、橋本薫の叔父みたいな人がいて、営業担当者もその営業課の営業課長も、プラン集から選ぶ方式の「ハウス55」で最初は検討していたけれども、「ハウス55のシステムにのっとって、間取りは自由」という「ハウス55 システムフリー」という実質別の商品で契約したという人は、「ハウス55」で検討していた時より少々高い値段で契約することになったとしても、「別の商品に変えたからしかたがない」という印象を持つはずだ。《プラン集から選ぶことで設計の費用が必要ないということでその分だけ安い「ハウス55」》から《「ハウス55の部材を使うけれども、間取りは自由で新たに設計する」という「ハウス55 システムフリー」》に変更したなら、それは新たに設計する手間がかかる分だけ高くなるということを見込み客・契約客に理解してもらうように営業が努力すればいいじゃないか・・なんて言っても、その努力ができる営業とできない営業がいるんだよ。もしくは、説明すればわかってくれる見込み客になら最初はプラン集から選ぶ「ハウス55」で検討していたものを「ハウス55の部材を使うけれども、間取りは新たに設計する」「ハウス55 システムフリー」に変えて契約しても、それは別の商品で契約したのだから「ハウス55」よりも高くなりますと「話せばわかる」顧客にならそういう対応をしてもいいけれども、「話せばわかる」人ではない橋本薫の叔父みたいな人には「ハウス55 システムフリー」の話はしない方がいいかもしれないと判断できる営業とそういう思考ができない営業とがいるんだよ。営業担当者はそうでも、そのために、そういう能力がある人に営業課長になってもらって指導してもらうようにしているとか言うかもしれないけれども、その営業課長にできる人とできない人がいるんだよ。だから、そのために、支店長ができる人を営業課長に選任しているはずだとか言うかもしれないけれども、東京支店長の高倉なんかは自分自身は営業として悪くない方の営業だったかもしれないけれども、支店長としてはそのあたりを見る能力がない男であり、小堀住研(株)の経営者はそんなこともわからんのか!?! ・・というと、「高卒のおっさん」「メカケの子」はわからんかったようだ( 一一)
実際のところ、メカケと「奥さん」は同じではない。社長というのは社長だからいい思いをする時はあるはずだが、片方で社長だから大変な時だってあるはずで、社長の「奥さん」というのもそれに似ているところがあると思うのだが、メカケというのは社長に媚びるのがメカケの仕事であり、社長の会社をよくしようというのはメカケの仕事ではなく、「メカケの子」もまた「奥さんの子」とは違ってメカケ的思考が身についている場合が少なくないのではないか。
1980年代、慶応大学の日吉新図書館で自習しようとして歩いていたら、『江川になれなかった男たち』という本が書棚にあるのに気づき、ふと手にとってパラパラと見ていると、そのうち、近くに椅子があるので椅子に座って机に置いて見ていると・・・、ふと気づくと自習しようとしていた時間が過ぎていた・・・なんてことがあったのだが、その『江川になれなかった男たち』に載っていた話だが、1960年代後半に西鉄ライオンズで「黒い霧事件」といって八百長をしたか、八百長はしていないがカネを預かっていたかということで何人もの選手、特に主力投手が何人も永久追放にされたことがあり、その時、二軍の投手だった東尾は「これはチャンスだ♪」と思ったそうな。「一軍の主力投手がこれだけごっそりといなくなったということは、野球は投手なしではできないのだから、一線級投手がこれだけいなくなったということは俺たち二線級の出番だ♪」と思ったという。そして、実際、監督の稲尾は東尾を先発で出してくれたが、なにしろ、本来なら一軍で先発する力なんかない投手が登板しているのだから、投げては打たれ、投げては打たれ、東尾は敗戦数パリーグワースト記録を打ち立てた・・が、「ちっともかまわん。それで経験を積ませてもらって、その結果、一線級投手の仲間入りをさせてもらったんだから」と東尾は言っていたというのだ。投げては打たれ投げては打たれしても、それでも稲尾監督は出してくれた・・というが、他にもっといい投手がいなかったから出さないわけにいかなかったようだが、そうやって投げては打たれ投げては打たれしているうちに、後半になるとある程度、勝てるようにもなってきたというのだ。慶応大学の商学部の教授が「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者をなかなか採用できないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあって実力を発揮できる場もあっていいところがある」と言われた人が何人かおられたのだが、そういう面もないわけではないけれども、私が勤めたような「高卒のおっさん」が経営者の会社ではそうではなくて、「黒い霧事件」で一線級投手がごそっとやめた西鉄ライオンズのように、それなら二線級投手に登板させて経験を積ませて実力を身に着けさせて一線級投手にしようなどとは考えず、二線級投手や若手投手をマウンドにあげて投げさせるのではなくて、「便所掃除として入社した人」とかを支店長とか人事部長とかにならせる・・・ということをやる。「高卒のおっさん」がやることというのは「そんなもの」だ。それを松下幸之助は「自分は小学校しか出てない人間でも一流大学卒の人間を使って活かした」というので「えらい」と言われたのであり、東大・京大や慶応大・早稲田大あたり卒の人間からすると「当たり前のことと違うのか」と思えそうなのだが、これは「高卒のおっさん」にとっては画期的なことで、ものすごい勇気がいる行為で、普通は「高卒のおっさん」は松下幸之助を「大卒でなくても出世した人」として「松下幸之助さんのように小学校しか出てない人でも優秀な人はいるんだから、学歴によって人を差別してはいかんだろうがあ」という主張には使っても、「自分は高卒でも一流大学卒の人間を使って活かそう」とは、なかなか考えないのだ。「親の仇」に活躍されたくないのだ。かつ、使いたくないけれども採用して、自分は高卒だけれども一流大学卒の人間よりも上の役職なんだ!・・と言いたいのだ。そういうのを見ると、やっぱり「高卒のおっさん」が経営者の会社というのはあかんで・・・とずし~んと実感することになる。「ハウス55 システムフリー」には「ハウス55」とは別の名前をつけるようにした方がいいですよ・・というのも、私に意見をきいてくれたら言ったのだけれども、きかないものなあ・・・




江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 (1983年)
[第3者] 施主・橋下薫の叔父
1980年代後半、小堀住研(株)での新卒社員の営業系社員の合宿研修の時に、TQC推進本部営業部会部長のSさんが、「TQC推進本部で、各地域の営業所にケーススタディとして、『扱いに難しい我儘なお客様に対して営業はどう対処するべきでしょうか』というアンケートを出したら、『お客様の問題』などと答えたやつがいた。なんじゃ、その答えは。営業はどう対処すべきかという質問なのに、それを「お客さんの問題」と答えたのでは答えたことにならないわなあ・・と思ったのだった・・けれども、それから後、小堀住研(株)で実際に営業の仕事をして、(株)一条工務店でも営業の仕事を経験して考えてみると、たしかに、営業の対応によってお客さんの対応も変わることはあるのだけれども、「種にまじわれば赤くなる」というケースもあり、「類は友を呼ぶ」というケースもあり、「営業がお客さんを・・・にしている」というケースもあるだろうし、その2つ以上の融合型もあるだろうけれども、その一方で、その人はそれまで何十年間か生きてきているのであり、戸建て住宅建築業の会社の営業が少々対応を変えたくらいのことで、その人の性格なり生き方なりはそんなに簡単に変わらない、簡単に変わるとか思うなら、むしろ、その方が傲慢なのではないか、というケースもあるのではないかと思うのだ。
営業の努力でなんとかしようとしても、どうもならんケースというのもある、「お客さんの問題」だから営業がどうこうしてもどうもならないと諦めて、この人はそういう人なんだと思うしかない、という場合はあるのではないかと思うのだ。そういう意味で「お客さんの問題」と回答した人がいたならば、必ずしも間違いではない、必ずしも、「営業はどうすべきだったかという質問なのに『お客さんの問題』とは答えになってないじゃないか。とんでもない返答だ」ということでもないかもしれないと思うようになった。
あえて、言うならば、本当に困ったお客さんに対しての ””ウルトラC”” として、「ど真ん中のストレート」というのがある。これは、元ダイエーホークスの投手だった斎藤和巳投手が週刊誌のコラムに書いていたのだが、プロの投手が「ど真ん中のストレート」なんてものを意図的に投げるなんてことはないと思っている人が多いけれども、実は自分はその「ど真ん中のストレート」を意図的に投げたことが何度もある、というのだった。斉藤和巳投手は2003年に20勝、2006年に18勝で最多勝のタイトルを取った投手だけれども、肘だか肩だかに問題をかかえていて、あまり多くの球数を投げることができなかったらしい。それで、「ど真ん中のストレート」というのは、どういう相手に投げたかというと、誰だったか忘れてしまったが、たしかロッテの選手だったように思うのだが、プロ野球選手としては体が小さくてパワーはあまりないが、ストライクとボールの境目あたりの球をカットしてファウルにして粘るのがものすごくうまい・・という選手で、こういうタイプの選手にコーナーを狙って投げてもなかなか三振してくれない。肘だったか肩だったかに問題をかかえていない投手ならまだいいが、あまり多くの球数を投げることができない投手にとっては、ストライクとボールの境目当たりの球をことごとくファウルにして粘る打者にコーナーに投げて、結果として打ち取ることができたとしても、その打者だけで十数球も投げさせられたのではたまったものではない。もし、1人の打者に15球を費やしてアウトにできたとしても、3人アウトにするには、15球/人×3人=45球、1イニング投げるのに45球も投げさせられたのでは、9回まで1人もヒット打たれず四球・死球も出さなかったとしても、45球/イニング×9イニング=405球 も投げないといけないという計算になる。そこまでいかなくても、又、そんなタイプの打者ばかりではないとしても、1人打ち取るために十数球も投げさせられたのではたまったものではない・・ということで、そういう打者には「かまいませんから、どうぞ打ってください」と「ど真ん中のストレート」を意図的に投げるということをしたらしい。打たれてどうするんだ・・というと、その打者はストライクとボールの境目あたりの球をファウルにして粘るのはものすごくうまいけれども、パワーはなくて打っても長打になることは極めて少なく、シングルヒットならかまわないから「どうぞ、打ってください」と「ど真ん中のストレート」を意図的に投げてシングルヒットを打ってもらった方が十数球も粘られるよりもよっぽどいい、というのだ。なおかつ、プロ野球の打者は「ど真ん中のストレート」を打つ練習なんてしていないし、打席ではどういうコースに来るだろうかと予測する際に「ど真ん中のストレート」なんて予測していないから、だから、「ど真ん中のストレート」だから必ずヒットを打たれるとは決まっていない、「ど真ん中のストレート」を凡打してくれることだってある。そう考えて、意図的に「ど真ん中のストレート」を投げたことが何度もあるというのだ。
※ ウィキペディアー斎藤和巳 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89%E8%97%A4%E5%92%8C%E5%B7%B3
それで、(株)一条工務店は「構造の話しかしない会社」だったのだけれども、「地方」においては「家は木造で建てるものだ」「柱や梁はムク材で建てるものだ」「構造材はできる限り国産材で建てるものだ」という意識が強い人が多く、施主がそうでなくても周囲がそうであって、集成材の柱なんてもので建てたら「なんだべ、あれは」とか言われるという地域においては、在来木造で・構造材はすべてムク材で・柱はすべて国産材で・・という(株)一条工務店は非木造や集成材・輸入材を柱に使う会社と比べて相当強いところがあったのだが、東京圏ではそういう意識の人は少なく、浜松や掛川の営業みたいなわけにはいかなかったのだ。なおかつ、1990年代初めの東京圏においては(株)一条工務店は施工体制が悪く、施工ミスは多かったし、それを指摘して改善してもらおうとすると「エスバイエルに行け」と営業本部長の天野隆夫から言われる会社だったので、会社のためを思い、施工の問題点を改善してもらおうとしても言えない会社だった。それで、戸建て住宅を建てるにおいては、構造と機能とデザインと経済性の4つを満たしてこそ、住まいというものであり、構造の話ばっかりしていたのでは、これは片方の翼だけで飛ぶ飛行機のようなものだ。だから、「家を建てるには構造が大事なんですよ」というのは間違いではないが、他はどうでもいいとか言うなら、それは違う。1993年、松戸展示場の事務所で松戸営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫が「デザインがいいということは構造がなってない、耐久性がないということだ。その点、うちは構造がよくて耐久性があるんだ」などと新人営業に言うので、変なこと言う人だなと思ったものだった。「デザインがいいということは構造がなってない、耐久性がないということ」で、「その点、うちは耐久性があるんだ」と言うということは、「いくら美人でも体が弱い人、美人薄命というのは困りますよね。やっぱり、お嫁さんにするには健康で耐久性がある人がいいですよね。その点、うちの娘はブスですから耐久性があるということなんです。もう、ブスもブスもブス、ブス、ブス、筋金入りのブス、スーパー高耐久性ブスですからね。結婚するなら、なんといってもスーパー高耐久性ブスに限りますね♪」なんて言われて、「そうだな。ブスと結婚したいな♪」なんて、思うか? ブスなんか、長生きするんじゃねえ!・・て気持ちになりませんか。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫という男は、そういう変なことを言うのが好きな男だった( 一一)
何にでも「野球のたとえ」もしくは「ゴルフのたとえ」をやりたがるようになったら「おっさん」だということから「野球のたとえ」はあまりやりたくなかったのだが、1990年代に野村克也『ノムダス2 弱者が勝者になるために』とか野村克也と筑紫哲也の対談『功なきものをいかす』(カッパブックス)とかを読み、これはなかなか面白いことを書いていると思ってはまってしまったところがあったのだが、戸建て住宅建築業の営業において、見込み客を打者で営業担当を投手と考えるならば、間違いのないものを施工していますという話を「ストレート」、間取りや使い勝手・デザインなどの話を「カーブ」とでもして、ストレートとカーブを適度に組み合わせることで営業を進めることができたのだが、その上で、「打者がつい振ってしまう」ものとして、見込み客が「契約しようという気持ちになる」ものを「フォークボール」と考え、もう、これ以上、ごねたりしたら知りませんよというような態度も時には必要と考えて、それを「打者の胸元に食い込むシュート」と考えるなら、この4つの組み合わせで営業はできる・・・として、もうひとつ、ウルトラC として「かまいませんから、どうぞ、打ってください」という「ど真ん中のストレート」というものがあったのではないか、と(株)一条工務店をやめてから気づいた。「かまいませんから、どうぞ、打ってください」という「ど真ん中のストレート」というのは、戸建て住宅建築業の営業の場合だと、「かまいませんから、どうぞ、解約してください」というものだ。具体的に、1993年に(株)一条工務店の松戸展示場にいたときに契約してくれた松戸市のKさんについて、そうだ、あの時、「ど真ん中のストレート」を投げればよかった・・と後から思うようになったのだ。「業者さん」の場合、やりたくない仕事について無理に見積もりを出してくれと言うと、無茶苦茶高い見積もりを出してくる人が時としているが、これは「その仕事はやりたくない。断ってください」という意味で、「ど真ん中のストレート」みたいなもんだ。営業は年に1件だけ契約してもらえばいいというものではなくて、何軒か契約してもらって建ててもらわないと仕事が成り立たないのだが、営業担当者を困らせるとおもしろいとか営業担当者を困らせると自分は得するみたいに思う人には、むしろ、「ど真ん中のストレート」を投げた方がいいかもしれないと思っている。案外、「ど真ん中のストレート」を投げると、ききわけのいい人に変わる場合もあるのではないか。
それで、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) で「ハウス55」の一番安いやつを値切り倒して契約して建てたけれども、最初は「ハウス55」で検討していたが、「ハウス55 システムフリー」で建てた方が敷地の条件と施主の要望により合うものができるということで、自分が「ハウス55 システムフリー」で契約したのであって、脅迫されて契約したわけでも何でもないのに「玄関を移動させただけで何十万円も高くなった」とか契約後も入居後も何とかかんとかブツクサぶつくさ言いまくる人・・というのは営業担当者は「ど真ん中のストレート」を投げて、「いやならかまわないからよそで建ててください」という態度をとった方がよかったのかもしれない、と思う。そうすれば、少しは「ききわけのいい人」になってくれたかもしれないし、ならなかったかもしれないが、案外、「ど真ん中のストレート」は効果があったかもしれない、と思う。
小堀住研(株)のTQC推進本部営業部会が、各地域の営業に「こういう困ったお客さんに対して、営業担当者はどう対処すべきか」という
s質問を送ったところ、「お客さんの問題」と答えた営業がいたということで、TQC推進本部営業部会部長のSさんは「営業がどう対処すべきかときいているのに『お客さんの問題』と答えたのでは答えになっておらんだろうが」と言うのだったが、しかし、中には「お客さんの問題」して、その人はそういう人なんだとあきらめるしかない人というのが現実にいると思うのだ。野球のピッチングにたとえるならば、「かまいませんから、どうぞ、打ってください」ということで投げる「ど真ん中のストレート」、契約客なら「かまいませんから、解約してください」、見込み客なら「どうぞ、よそで契約してください」というもの、そのくらいしかないというケースはあると思うのだ。
そして、小堀住研(株)のTQC推進本部営業部会のアンケートは「営業はどう対処すべきか」という問いだったわけだが、一度、営業の立場を離れて考えてみる必要もある。自分自身が営業の仕事をしている人でも、自分が客の立場になる時もある。自分が客の立場の時には、「営業はどう対処すべきか」ばかり考えるのではなく、客の側はどう対処すべきかも考えるべきだ。 また、もしも、紛争として裁判所に持ち込まれたという場合に裁判官はどう考えて、どう対処すべきかという視点も必要だ。
私が(株)一条工務店で入社2棟目の契約をしてくれたUさんに、1993年9月、私が福島県いわき市の営業所に転勤することになった挨拶に顔を出して、「Uさんのお宅は最後の引き渡しまでさせていただきたかったのですが、申し訳ありません」と言ったところ、Uさんは「大丈夫です。間違いのない家を建ててもらいますから」とそう言われたのだった。契約してもらった営業担当として、着工前にほかの営業所に移動してしまうことを申し訳ないと思ってくれること、その後について心配してくれることについてはありがたいけれども、しかし、たとえ、ほかのどんな人が担当になっても、自分は施主として間違いのないものを作ってもらいますから、心配してもらわなくても大丈夫ですよ、と言われたのだ。この人はさすがだなあ・・と思った。
それに対して、橋本薫の叔父というのは、何をひとのせいにばっかりしてるんだよ( 一一)
裁判官を職業としていない人でも、もしも、自分が裁判官の立場ならどう考えるか、という視点で考えてみてください。橋本薫の叔父という人は、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業から脅されて契約したのですか? 違うでしょ。 橋本薫の叔父という人は詐欺にあったのですか? 違うでしょ。 「ハウス55」で建てたらこの値段ですが、「ハウス55 システムフリー」という商品にすればこの値段になりますよと説明を受けて、その上で、自分で「ハウス55 システムフリー」の方を選んで契約して建てて住んでいるのでしょ。脅迫されて契約したわけでもなく、だまされて契約したわけでもなく、自分がその「ハウス55 システムフリー」というものを選んで契約したのでしょ。違いますか? 違わないでしょ。大の大人が自分で決めて契約しておいて、何を後からわけのわからんこと言っているのですか。その態度は大人として情けないと思いませんか。
あるいは、橋本薫の叔父という人は、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)で契約した内容のものを建ててもらえなかったのですか? 違うでしょ。そうではなくて、契約の通りのものを小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)を建てて引き渡しを受けて住んでいながら、契約の内容の仕事を小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はしたはずで、そうであるから引き渡しを受けて住んでいるのに、それなのに「ハウス55」の場合に比べて「ハウス55 システムフリー」という商品にしたら「ハウス55」よりも高くなった、と「あさっての方向」めがけて文句たれまくっているのでしょ。その態度って恥ずかしいと思いませんか。
2000年頃、(株)一条工務店で栃木県佐野市の営業所にいた時のことですが、佐野市のある見込み客宅に行った際に、「あなたはどちらの出身なのですか」ときかれて、「大阪です」と答えると、「大阪の人というのはえらいなあと思います」と言われたことがありました。その理由はというと、「このあたり(栃木県南西部から群馬県南東部にかけて)は繊維産業を扱っていた所なので、昔から大阪の人とはつきあいがある地域なのですけれどもね。大阪というのは商人の街だけに大阪の人間は違いますよ」と言われ、「しかし、私などは商売人の息子ではなくサラリーマンの息子ですから」と言うと、「いや、商売人の息子でなくても、サラリーマンの息子であってもね。大阪の人間というのは、契約するまでは値切るんですよ。しかし、いったん、この値段で頼むと決めて契約したら、自分が買い手の側の時は、少々高い値段で契約してしまったかなと思っても自分がその金額で頼むと言って契約したからには、おのれの信用をかけて何としてもその金額を払おうとするんです。また、自分が売り手の側の場合は、少し安い金額で請けてしまったかなと思っても、自分がその金額でやると言って契約したからにはおのれの信用をかけてその金額で契約した内容をやろうとするんです。」と話され、私が「しかし、それは大阪の人間でなくても、どこの人間でもそうではないのですか」と言うと、「だから、それはあなたが大阪の人間だからそう思うのです。大阪の人間にとってはそれが普通のことなのですが、ところが、このへんの人間はね~え。自分がその金額で頼むと言って契約しておきながら、後になってから高いとか言ってみたり、自分がその金額でやると言って契約しておきながら、後からもっとくれと言ってみたりするんですよ。高かろうが安かろうが、その金額で頼むと言った契約したのは自分だろうが、その金額でやると言って契約したのは自分だろうが、てものなのだけれども、それを文句言ってみたりするんですよ」と言われたことがあった。栃木県南西部の人間がそうであるのかないのか、判断できるほどは佐野にいなかったが、どこの人間であれ、脅迫されて契約したとか詐欺にあったとかでない限り、自分がその金額で頼むと言って契約したらその金額は払うべきだし、自分がその金額でやると言って契約したならその金額でやるべきだと思うのだが、橋本薫の叔父という人はそのあたりの認識ができていない人だったのか。
「ハウス55」というのは通産省と建設省が共同でおこなった「昭和50年の物価で延床面積100平方メートルの家を500万円台で供給する」という「国家プロジェクト」で、「昭和50年の物価で」という「5」と「500万円台で」という「5」を合わせて「ハウス55」プロジェクトというのですが、木質系の小堀住研(株)と鉄骨系のナショナル住宅産業(パナソニック)・コンクリート系のミサワホームの3社が入選したというもので、ミサワホームは「ミサワ ハウス55」は早くにやめてしまったみたいでしたが、ナショナル住宅産業(パナソニック)は「ハウス55」は続けていたみたいで、「小堀ハウス55」だけが「ハウス55」ではなく、そして、実際には「500万円台で」は無理で、それはあくまでも趣旨というのか精神というのかであって、それ以上していたのですが、「高品質な住宅を低価格で提供する」ための工夫というものが相当されているものでしたが、どういう工夫があったかというと、まず、住設メーカーはシステムキッチン・洗面台・ユニットバス・トイレの便器といったものを購入する際にカタログに値段が掲載されていても、それは「メーカー希望価格」であって希望通りの値段で買ってもらえるとは考えておらず、「掛け率」というものがあって、カタログに掲載されている価格の何割掛けの値段というもので売っているのですが、その「掛け率」は常に一緒ではなくて「必ず、うちの会社のものを使ってもらえるなら」この掛け率にします・・といったことがあり、さらには「洗面台はこの商品かこちらの商品かのどちらかにします」といいうように決めてもらえば、さらに掛け率を下げますということがあるようなのです。それなら、決めてしまうことで安く入れてもらうようにすればいいじゃないかと思いそうですが、そうすると今度は自由度が下がってしまいます。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の場合は、完全自由設計の「新 桂(しん かつら)」と「小堀の木造」の場合は自由度の方を優先して、どんなものでもできるようにしていたもので、「うちはよそと比べて安くないですよ。安くないけれども、いいものを作りますよ」という商品だったのに対して、「ハウス55」は「高品質低価格」になるように、それぞれのタイプごとにシステムキッチンはこれ、洗面台はこれと決めて安く入れてもらうようにしていたのですが、それとともに、いくつかの規制のプランを作って、そのプラン集に掲載されているものから選んで建てるということで設計の手間がかからないようにすることで費用を節約するということをしていたのです。〔アイダ設計は、さらに壁のクロスは「おまかせ」とすることで、ある家で使ったクロスの残った分をその家のっ住人に引き渡しの際に渡すのではなく次に建てる人の家で使うなんてことまでして費用を安くする工夫をしているようで、上には上があるようですが〕、システムキッチン・洗面台・ユニットバス・便器などをこのメーカーのこれを使い、「オーダーエントリー」(オプション)としてグレードアップする場合はこれといくつか決めてそこから選ぶという方式をとっていたことで安くするという工夫は「ハウス55」の場合も「ハウス55 システムフリー」の場合も適用されたのですが、あらかじめいくつか決められたプランの中から選ぶことで設計の手間と費用を省くことで低価格化するというのは「ハウス55」では適用されても「ハウス55 システムフリー」では新たに設計してプランを作成するやり方なので適用されないわけで、そちらの方の「低価格化」が適用されない「ハウス55 システムフリー」が「ハウス55」と比べると高かったとしても、当たり前といえば当たり前なのです。橋本薫の叔父はそれを説明うけなかったというのなら、説明しなかった小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当と営業課長もよくないけれども、客の側もまた、納得いかないなら営業担当者にきっちりと説明してもらうように求めるべきで、それを質問して答えてもらうようにしなかったのなら、その点で客の側も良くない。 説明を受けて納得して契約して建てて住んでいるのに、ま~だ、ぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃら言いまくっているのならば、それは「勝手に言っとけ」とでも言うしかない。裁判所に訴えられても、そんなものは却下するしかない。インターネットで検索すると、「棄却」と「却下」の違いは、「棄却」は審議した上で否定するもので、「却下」は審議する以前の問題として否定するものらしいが、その区別からいくとこの場合は「却下」だろう。
自分は客だから、何をごねてもいいとか考える態度はやめた方がいいと思う。橋本薫の叔父という人は、なんだかんだ言っても、契約したのは自分でしょ。脅迫されて契約したわけでもなく、詐欺にあったわけでもなく、契約内容のものを作ってもらえなかったわけでもないのでしょ。それで、何を「あさっての方向」めがけて、なんじゃらかんじゃらくっちゃらもっちゃらぶかつくぶかつく言いまくってるんだ。アホだろ、それは。もしも、私が小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の従業員ならば、そういうお客さんもあるもんだと思い、「アホだろ」とは言わないけれども、私は小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の従業員の立場でなく、私が客の立場になる可能性もある人間として考えるならば、脅迫されたわけでもなく詐欺にあったわけでもなく、自分自身がそれでいいと判断して契約しておきながら、引き渡しを受けて住んでから、なんだかんだくっちゃらもっちゃらぶかつくぶかつく「あさっての方向」めがけて言いまくるというのは、大の男として情けないだけ! ・・だから、やめた方がいいと思うよ・・・てものだ。
「ハウス55」から「ハウス55 システムフリー」に変えたことで「ハウス55」の場合よりも値段が高くなったのが「理屈はわかるが、なんか不満」だったのなら、それは私に言うのではなく小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の営業担当者に「ハウス55で考えていた時に比べて、ずいぶん高いように思うんだけど、その差額の分をサービスとして値引きしてもらうというわけにはいかないですか」と言ってみればよかったのではないか。何なら、営業担当者にケーキとコーヒーでも出すなり、夏ならスイカでも出すなりして、「何々さんの力でお願いします」とか言えば、その差額分までは無理でも、「本当はそういうのはできないのですが、▽▽さんだけ特別に」とか言って〔実際は特別でもなかったりするが〕いくらか引いてくれたかもしれない・・が、橋本薫の叔父はそれをやらなかった、できなかったのなら、やらなかった・できなかった自分が悪いのと違うのか!?! ・・というよりも、たぶん・・で推測するならば、黙っていても営業担当の方でいくらかは値引きしてくれていたのではないのか、それにもかかわらず、いったんはそれで納得して契約して引き渡しを受けて住んでいるにもかかわらず「〇十万円も高くなってしまった」などと「あさっての方向」めがけて文句たれまくり・・というのは、営業の立場からすれば「あんまり、いいお客さんじゃない」ことになるし、「完全に他人の立場」から見ると「あんまりつきあいたい相手じゃないな」ということになる。
[第4者] 橋本薫。施主の甥。
橋本徹は叔父からそういった見当違いなことを言われたならば、自分も(株)一条工務店という戸建て住宅建築業の会社に入社した戸建て住宅建築業の会社の従業員なのだから、言いなりになっているのではなく、「叔父さん、不満はあるのかもしれないけれども、それでも、自分で判断して契約したのと違うのですか。脅迫されて署名・捺印させられたのですか? 違いますでしょ。自分で、その内容とその値段で契約しようと判断して自分の意志で契約して建てたのでしょ。それなら、今になってそんなこと言ってもしかたがないでしょ。一条工務店ででも入居者から入居後にそんなこと言われてもどうしようもありませんよ」と言うべきもので、戸建て住宅建築業の会社の従業員なのに、何をわけのわからんこと言ってる人に言いなりになっているんだ?!?
また、橋本薫が私に「うちの叔父がエスバイエルでハウス55を建てたんですけども、玄関を動かしただけで〇十万円も高くなったと言ってましたよお」などと言うので、私は、なぜ、そうなったかということを説明してあげようと思って、↑ の[第1者][第2者]で述べたように、「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」は実質別の商品であり、別の商品に変えれば価格も変わるのは当然なのだけれども、「特定の部材を使うことで低価格化をはかる」という点では「ハウス55」と「ハウス55 システムフリー」は共通していて、これは(株)一条工務店の「セゾン275S1」「百年275S1」も共通しているものだが、「既成のプランをいくつかあらかじめつくって、そのプラン集から選んで建てることで設計の手間と費用を省くことで低価格化をはかる」というのは「ハウス55」には該当するけれども「ハウス55 システムフリー」には該当しないもので、それゆえに「ハウス55 システムフリー」は「ハウス55」とできあがったものは似ているけれども、値段は「ハウス55」より少し高い金額になるのだが、営業の対処のしかたが不適切だと、お客さんから橋本徹の叔父が言ったというように「玄関を動かしただけで〇十万円も高くなった」というように解釈されて不満を持たれてしまい、悪口を言われてしまうことになるので営業は気をつけないといけないし、会社の経営者はそのあたりも考えて「ハウス55 システムフリー」なんて「ハウス55」と変わらないみたいな名前ではなくて完全に別の名前をつけるようにした方がいいと私は思うのだが似たような名前をつけている・・といったことを話してどういうことなのか説明してあげたのだったが、ところが、橋本薫は私に「玄関を動かしただけで〇十万円も上がったと言ってましたよ」と文句を言い、私がそれはこうこういうことなのだと説明してあげても、頭が悪いのか根性が悪いのかどっちかわからないが理解せずに、その叔父の家の営業担当でもない私に文句を言いまくるのだったが、一番大きな問題として、「文句を言いたいなら、その家の営業担当者に言え。俺に言われても、それは文句を言う相手が違うだろ」というものだった。
[第5者] 私。
基本的には悪いのはこの第1者から第4者までなのだが、私の問題点として「人が良すぎた」ということがある。橋本徹が「叔父がエスバイエルでハウス55を建てたのですけども、玄関を動かしただけで〇十万円も上がったと言ってましたよ」と言うので、それは橋本薫の叔父の家の担当営業とその営業課の営業課長の進め方に問題がありそうだと思われ、どういうことなのか、(株)一条工務店には「××××」と「××××システムフリー」という関係の商品はその時点ではなかったけれども、営業として気をつけておかないといけないものを十分に気をつけることができなかった例のようだとして「他山の石」として我々も気をつけないといけないものとして説明してあげたのだったが、ところが、橋本徹は「体育会系だけあってまっすぐな性格」なのか何なのか、私から説明を聞いても、それでも「ハウス55は玄関動かすだけでものすごい高くなるんですね」と言って、おまえ、ひとに説明させておきながら、説明の内容をきかないで、その説明を真面目に聞いておればわかることを理解しないのか、それなら俺に質問するなよ!・・・てものだったのだが、そんな男に真面目に答えた私がアホだった。
真面目に質問していたわけでもない橋本薫みたいな人間に真面目に説明してあげた私が間違っていた。そうではなくて、「そんなもの、その叔父の家の営業担当に話すべきものだろ。俺に言うことと違うだろ」と言って、それでも何か言ってきたら無視するというようにすべきだった。真面目に説明してやる値打ちのない人間に真面目に懇切丁寧に説明してやった私がアホだった。
「聖なる物をイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを踏みつけにし、向き直ってあなたがたに嚙みついてくるであろうから」というイエスの言葉が『新約聖書』の「福音書」に書かれているが、その通りである。『新約聖書』を最初に読んだときは、そうなのかな・・くらいに思ったが、(株)一条工務店のおかげで、この言葉はまったくその通りであると「カラダでわからせてもらった」。
橋本薫は1992年の11月だったか12月だったかに相模原市のS野さん宅を入社1棟目の契約として契約してもらったが、その際に、契約してもらう時に1992年の2月に入社したらしい服部(男。当時、20代後半)に同行してもらったということで、服部に「服部さんのおかげで契約してもらえました。ありがとうございました」などと言っていたのだが、俺には言わんのんかい・・・てものだった( 一一) 喧嘩売っとんのんかい、てものやった( 一一)
こういうことをする人というのは時々いる。1990年代後半、福島県いわき市の営業所で、いわき市の住人であるK野T夫さん(男。当時、40代)が同じ展示場に営業の職種でいた楠さん(男。当時、40代)に「楠さんにはいつも世話になってるから」などと言って自分の家で栽培している梨をいくつか持ってきた渡していたのだが、「へえ、俺には世話になってないと言いたいんだな」と思った・・ものだった( 一一) 「わかった。そうか。おまえには世話になっとらんと私に言ったのだから、今後はそのように対応すればいいということだな」と思ったが、それでも冷たく突き放すことができないお人よしが私だったが、K野T夫さんみたいなことをする人というのは、時々いるものだ( 一一)
1992年の11月だったか12月だったかに橋本薫が営業担当で契約してもらった神奈川県相模原市のS野さんは最初に私が接触した見込み客だったのだ。住居と建築地は同じ場所で、(株)一条工務店の展示場としては、東京都江東区潮見の東京展示場と神奈川県藤沢市の藤沢展示場と神奈川県茅ケ崎市の茅ケ崎展示場の3展示場まで、クルマで行くにしても電車で行くにしても同じくらいの距離の所の人で、最初は東京展示場に電話をかけてきて問い合わせた人で、私がその電話に出て対応した人だったのだ。
戸建て住宅建築業の営業の世界においては、住宅展示場に問い合わせの電話があった場合、電話でカタログを欲しいと言われた場合、たいていの会社では電話をとった営業がその見込み客の担当営業になり、基本的にはどうしても来てもらっては困るということでない限り、「郵送でいいですから」と言われても営業担当者が持参して行くものだ。2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のアフター課の阿諏訪(男。当時、40代初め)が「そんなことして、留守だったらどうするんですか」などとトンチンカンなこと言うので、「ああ、この人は営業の経験がない人なんだな」と思ったものだった。持参して訪問して留守だったら、帰宅するまで待つだけのことで、夜まで待っても帰ってこなかったらまた行くだけのことだ。営業にとっては見込み客は「飯のタネ」なのだから、会えるまで何回でも行くのは当然だ。だから、神奈川県相模原市のS野さんは、その基準からいくと私が営業担当であり、私がカタログを持参して訪問して話を進めるものだったのだ。
ところが、1992年頃の(株)一条工務店は奇妙な会社で東京展示場では「電話問い合わせに対しては訪問禁止」とされていて、カタログ請求には郵送で送るということにされていて、郵送する際に送り状を書く場合も営業担当者の名前を記入するのは厳禁だとされていた。「ええ~え?」と驚いた。そんな住宅建築業の会社があるんかい、そんな営業あるんかい・・と思ったが、東京展示場の「リーダー」だった「主任」で「一級建築士の宮崎さん」がそう言うので、「リーダー」で「主任」がそう言うのならしかたがないと思い、それで、S野さんのお宅にも、しかたがないので、(株)一条工務店のカタログ一式と、それに茅ケ崎展示場や藤沢展示場に行かれないように、茅ケ崎展示場や藤沢展示場ではなくて東京展示場に来てもらえるように、東京展示場があるウッディランド東京の案内地図も同封して、「ぜひとも東京展示場にご来場いただきますよう、お待ちいたします」という文章を「(株)一条工務店 東京展示場」という表記で自分の氏名をそこに記入できないもどかしさを持ちながら書いて同封した上で郵送したのだった・・が、私の電話での対応が悪くなかったことと、郵送で送ったものの送り方が悪くなかったことから、S野さんは藤沢展示場や茅ケ崎展示場に行かずに東京都江東区潮見の東京展示場に来場されたのだったが、その際に接客したのが橋本薫だったのだ。(株)一条工務店は「地方」型の会社で、地方都市くらいで建てる人を得意とする会社で、東京の人間の感覚で「農家」、福島県あたりの人間の感覚で「サラリーマン」を得意とする会社だった。「東京の人間の感覚」と「福島県あたりの人間の感覚」はどう違うのかというと、「東京の人間」は兼業農家のことを「農家」と言うのに対して、福島県あたりの人間は兼業農家のことを「サラリーマン」と言うのだ。だから、実体は同じなのだ。実際問題として、「浜松の家」を得意とする会社で「百パーセント都会の人間」に建ててもらうのは厳しい。2001年に浜松の本社で、1990年に(株)一条工務店に入社して東京展示場に2年いて、その後、浜松の本社に勤務するようになった西尾(男。当時、20代)と会って話した際、「東京の展示場にいた時も、何らかの形で地方と縁がある人でないと契約してもらうのは厳しかったですね」と言うので、「おい~い、それを俺が入社した時に教えてくれよお~お」と思ったものだった。彼は私よりも年下で、戸建て住宅建築業の業界に入ったのは私より1年後だったが、(株)一条工務店には私より2年前に入社していた浜松出身の人間だったが、2001年の時点では私自身が東京都・千葉県だけでなく福島県・栃木県で営業の経験をしてきていたので、彼に言われなくても私自身が1992年頃の(株)一条工務店は、東京圏では「何らかの形で地方とつながりがある人」であるか、もしくは東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」であるか、そうでなかったら「江東区・墨田区あたりの準防火地域で敷地面積20坪くらいで建物も20坪ぎりぎりくらいで建てる人で木造で建てたいという人」かでないと契約は難しいと「体で理解していた」。 3番目の「江東区・墨田区あたりの準防火地域で敷地面積20坪くらいで建物も20坪ぎりぎりくらいで建てる人で木造で建てたいという人」については、これは江東区・墨田区あたりの準防火地域には20坪くらいの敷地の家というものがけっこうあって、20坪くらいの敷地に建てる家というのは、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の「ハウス55」もそうだが、ハウスメーカーの「規格住宅もしくは企画住宅」というのは延べ床面積100㎡くらいからしかプランがないのが普通で、そういう場所には対応できず、今ならアイダ設計とかそういう所の家をけっこう得意とする会社も存在しているけれども、1992年頃はなかったので、敷地面積20坪くらいの土地の人で、延べ床面積も20坪くらいになる人というのは(株)一条工務店のお客さんになりえた。「20坪キラー」と言われた、1992年には茅ケ崎の展示場にいた楠さんが東京展示場にいた時に契約とっていたのも、そういうお客さんだったはずだ。それで、江東区・墨田区・江戸川区あたりの20坪の人・・というのは別として、(株)一条工務店にとって契約してもらえる可能性が考えられたのは、東京圏では「何らかの形で地方とつながりがある人」と東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」の人だった。「何らかの形で地方とつながりがある人」の例としては、私が(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、横浜市に住んでいるけれども定年退職するので故郷のいわき市で建てたいと考えられた方と折衝させていただいたのだったが、結局、その方は息子さんがやはり横浜市に住まれていて、息子さんは親が故郷のいわき市に帰るとしても横浜市での仕事をやめて一緒にいわき市に帰るのではなく、そのまま横浜市に住んでそこでの仕事を続けたいと言われ、親としては親だけで福島県に帰るのか、故郷に帰ることができなくても息子の近くに住むのか・・ということで、息子の方を選ばれたのだったが、もしも、そういう方が故郷の福島県とか「地方」で建てるのではなく東京圏で建てて住もうということになった場合、建てるものは「地方」の住宅と東京圏の住宅の中間もしくは折衷様のようなものを建てることになることが多いと思うのだ。そういう人にとっては(株)一条工務店は候補になりえた。もうひとつの東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」の人というのは、1993年1月に私が担当で契約してもらって建ててもらった千葉県市原市のY様邸などが該当する。Y様宅は子息と子息の奥様が勤めておられたが、お父さんは農業をされていたという兼業農家だったが、上棟の時には餅まきする地域で、そういう所で建てられる方は(株)一条工務店で契約してもらえる可能性があった。落合が「『一流投手が投げる会心の球』なんて、そんなもの、誰だってヒット打てるわけないんだから打たなくていいんだよ。失投をどれだけのがさずにヒット打つかというのが問題なんだ」と話していたが、戸建て住宅建築業の営業においても、その会社においてはその人に契約してもらうというのは極めて難しいという人を営業が苦労して工夫して涙ぐましい努力をして契約にもっていこうとしても、これは簡単ではないのだ。いわば、「一流投手が投げる会心の球」をホームラン打ってやろうとしているみたいなものだ。そうではなくて、その会社にとって「打ちやすい球」「契約してもらえる可能性が考えられる見込み客」というのはどういう人なのか、ということを考えて、そういう人に契約してもらう努力をするべきで、江東区潮見のウッディランド東京に「舞浜のディズニーランドに行こうと思ったら混んでて、それなら葛西臨海公園に行こうとしたらそこも混んでて、新木場の夢の島熱帯園に行こうとしたらそこも混んでたから、だから、潮見のウッディランド東京に来た」なんて観光客に契約してもらおうとしても難しいし、ウッディランド東京に観光見物に来て「うわあ、田舎の家みだいですねえ。浜松の家というのは、こんな感じでできているのですかあ」とまるで登呂遺跡でも見物に来たみたいなこと言う人に契約してもらおうとしても難しい。私はその展示場に1年間、苦労して、その後、松戸展示場で半年苦労して、その後、福島県の営業所に勤務して、それでこういうことがわかったのだが、西尾はもう今さら教えてもらわんでもわかってるわという頃になって言うのではなく、わかっているのなら私が(株)一条工務店に入社1年目に教えてくれたっていいだろう、なんで今頃になって言うんだよお・・と思ったものだった。1992年、電話で東京展示場に問い合わせをされた神奈川県相模原市のS野さんは、その1992年頃の(株)一条工務店で契約してもらえる可能性が考えられる3つのタイプの人のうちの東京圏でも「千葉市より東・南、もしくは、さいたま市より北・西、もしくは横浜市より西の人、東京圏であって『地方』の要素が残っている地域」の人で「兼業農家の人」だったのだ。「そんなもの、誰だって打てるわけがない一流投手が投げる会心の球」ではなく、「ヒット打てる可能性がある相手」「(株)一条工務店で契約してもらえる可能性がある相手」だったのだ。
そうであっても、電話での対応のしかたによって見込み客の態度は変わるし、郵送で送るとしてもその送り方によって見込み客の態度は変わる。「ともかく、郵送で送って来場したら来場した時に接客した営業が担当になる」という「リーダー」で「主任」だった「一級建築士の宮崎さん」が言っていたような対応をしたならば、S野さんはその時は「一番上に掲載されていた」東京展示場に電話されたが、実際にはS野さんの家からは藤沢展示場か茅ケ崎展示場の方が近かったし、藤沢展示場か茅ケ崎展示場に行かれてしまう可能性は十分にあった。それを東京展示場に来てもらえたというのは、私の電話での対応が悪くなくて、かつ、郵送で送ったものの送り方が悪くなかったからだ。
S野さんが来場されたとき、「良かった。茅ケ崎や藤沢展示場に行かれずに、ここに来てもらえたというのは、私の電話での対応が悪くなくて、郵送で送ったものの送り方も悪くなかったから、だから、ここに来てもらえたんだ」とその点はうれしかったのだが、私が細心の注意を払って電話で対応して、そして細心の注意を払って郵便物をこしらえて送って来てもらえたにもかかわらず、それなのに私が営業担当ではなくて橋本薫が営業担当になってしまうというのは、これはおかしいのではないか、「なんか、おもろないなあ」と思ったものだった。
それでも、それがその時期の(株)一条工務店の「会社のルール」であった以上はしかたがないかとは思ったが、「会社のルール」であるからには「来場してもらえるまでに何もしてない橋本薫」が営業担当やっても、それが「会社のルール」であるからには橋本薫は悪くはないのであろう・・・けれども、しかし、そうは言っても、私が電話をとって対応した対応のしかたが悪くなかったから来てもらえたのでもあり、私が郵送で送ったものの送り方が悪くなかったから来てもらえたのであり、藤沢展示場や茅ケ崎展示場に行かずに東京展示場に来てもらえたのも、私が「ぜひ、東京展示場に来場いただければと思います」と電話で話し、又、東京展示場があるウッディランド東京への案内図も同封して、電車で来られる場合には京葉線「潮見」駅で下車していただいて、こちらの方向に進んで・・・、クルマで来られる場合はここを曲がって・・という説明書きも書いて入れて、それを見て藤沢や茅ケ崎の展示場ではなく東京展示場に来られたのであり、そういう方が契約になったからには「〇〇さんが電話をとっていただき、カタログを送っていただいたS野さん、契約いただきました。どうも、ありがとうございました」という一言くらいあっていいはずなのだ。その一言を言うのが営業というものだろう。ところが、橋本薫は最後、契約書に署名してもらう時に同行してもらった服部には「服部さんのおかげで契約してもらえました。ありがとうございます」と言って私には断固として言わないのだ。ほほお~お、おまえはそういう人間なのか、ほほおお~お、おもろいもん、見せてもろうたな。おまえはそういう人間だということなんだな・・と思ったが、橋本薫という男は叔父が自分が納得して「ハウス55 システムフリー」を契約しておいて入居後になんだかんだかんだなんだと「あさっての方向」めがけて文句言う男だけに、服部には「服部さんのおかげで契約してもらえました。ありがとうございます」とは言っても、細心の注意を払って電話で対応して、細心の注意を払って最高の形でカタログなどを郵送して藤沢や茅ケ崎の展示場ではなく東京展示場に来場いただくように進めて来場してもらった私には「ありがとう」も「どうも、すいません」も一言として言わない、信念もって言わないというそういう男だった。そういう態度のことを「さわやかスポーツマンシップ」とか「体育会系の礼儀作法」とか「スポーツマンだけにまっすぐな性格の人間」とか言うらしい( 一一)
1990年代、ロッテオリオンズから巨人にヒルマンという投手が移籍したが、移籍すると同時に「故障」して長く休んだが、シーズン後半になってやっと先発した試合ではヤクルトのブロス投手と投げ合って負け投手になったが、その時、テレビ中継ではアナウンサーが「巨人の選手としては、ヒルマンの久しぶりの登板ですから『ヒルマン、がんばれ』『ヒルマン、大丈夫か』といった気持ちがあったでしょうから」などと言ったのに対して、解説者の江本孟紀が「はあ~あ? そんなこと思いますかねえ、そんなこと。そうじゃなくて、『たっかい給料とりやがってからに、こんな時期まで休みやがってからに、ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろかこんちくしょう!』とそう考えるもんと違うでしょうかね。『ヒルマン、がんばれ』『ヒルマン、大丈夫か』なんて、そんなアホなこと考えますかねえ」と言ったのだった。さすがは江本♪ いいこと言う♪ ・・そんなもので、だ。橋本薫の態度というのは、いわば「ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろか、こんちくしょう」と思われる態度だったのだ。
・・・私にもけっこう世話になってただろうと思われたのに、「楠さんにはいつも世話になってるから」と言って「豊水」だか「幸水」だかの梨を持ってきて楠さんにだけ渡したおっさんと同様に、「ほほお~お、俺には世話になってないと言いたいんだな」という態度だった。「豊水」「幸水」という梨、特にいわき産の梨はとてもおいしい・・が、別にもらわなくても俺は乞食じゃないから食べたかったらスーパーででも買って食うけれども、しかし、俺にもけっこう世話になってると思うのだけれども、「楠さんにはいつも世話になってるから」と言って楠さんにだけ梨をもってきたおっさんと同様の態度だった。こういうことを言うと営業本部長の天野隆夫は「おまえの電話とか郵便は役に立ってないということだ。反省しろ」とか言ってくることが考えられる。それならそれで、こちらは困らない。そこまで言われるのなら、こちらもそれに見合った対応をするべきだということだ。「ゴロでも飛んできたらヒットにしたろか、こんちくしょう」という態度・対応をしてくれと営業本部長がおっしゃっているということだから、会社員たるもの、上役の指示には従わないわけにはいかんだろう。営業本部長様が「ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろか、こんちくしょう」という態度・対応をとれと指示・命令されているのだから、橋本薫にはその後はそういう態度・対応をしないといけない、ということになるのだった。

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1992年12月に契約いただいたU様は、契約の前に神奈川県の藤沢市の展示場を見に行かれた。その際、接客してくれた三浦さんという男性営業がUさんが来場されましたと電話をくれた。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)の展示場はそれぞれの展示場が設計担当者の作品であり、それぞれが異なるものだったが、(株)一条工務店の展示場はどの展示場も似ていたのだが、それでも、自分が担当の契約客が見に行かれた展示場を営業担当の自分が見たことがないというのはいけないと思い、藤沢展示場まで見に行ったが、その際、藤沢展示場には所長の千葉さんがおられたが、そのうち、三浦さんが帰ってきたので、三浦さんに「先日はUさんの接客をしていただき、ありがとうございました。おかげさまでU様にご契約いただきました」とお礼を言ったところ、所長の千葉さんが「役に立ったか」と言うので、「役に立ちました。おかげさまで契約いただきました」と言ったところ、所長の千葉さんから「あなたは、自分が担当の契約客が見に行ったという他の展示場は営業担当の自分も見ておかないといけないと思って藤沢まで見に来たし、自分の担当の見込み客を接客してくれた他の展示場の営業にきっちりとお礼を言った。その姿勢が大事なんだ。今後もその姿勢をなくさないようにすれば、あなたは必ず売れるから心配しなくても大丈夫だ」と言ってくれた・・のだったが、その逆をやったのが「体育会系」「スポーツマンシップ」の橋本薫だった。「体育会系」だけに「まっすぐな人間」なので、服部にはお礼を言いたいと思ったら言うが、私には言いたくなかったらしく「まっすぐに」お礼を言わないという選択をしたわけだ。それならば、こちらも「相互主義の原則」として「まっすぐ」に今後は橋本薫の担当の客に対しては「ゴロでも飛んで来たらヒットにしたろか、こんちくしょう」という態度・対応をしていいということになる・・・かな。
そう思っていたら、1993年5月、私が営業担当で追客中だった松戸市の某さんが江東区潮見の東京展示場(1993年1月に江東区亀戸に新しい展示場ができて、そちらを「東京展示場」と名付けたことで潮見の展示場は「東京東展示場」に改名されたが)に見に行かれたということがあったのだが、私は(株)一条工務店に入社以来、誰が追客中の見込み客であれ、自分がいる展示場に来場された方があった場合には自分が担当の見込み客に対する場合と変わらないだけ真面目に接客した上で、担当営業に即座に連絡してきてあげたはずだったが、私が担当の見込み客が江東区潮見の旧「東京展示場」、1993年1月から「東京東展示場」に見に行かれた際に、「東京東展示場」の営業、それが誰だったのかは不明だがは私に連絡してくれなかった。その方はもともとは在来木造で考えておられ、住友林業が第一候補だったが、対抗馬の位置に(株)一条工務店を入れてもらえるように私が努力して、そして、(株)一条工務店が「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」というのはやりだしたことで、契約前に住宅金融公庫申し込み代行をおこなったが、しかし、実際問題として建築する会社を住宅金融公庫の申し込みの後で変更することは可能ではあったけれども、そうは言っても住宅金融公庫としては「どういうものをどこで建てるか決めてから申し込んでください」と言っていたわけで、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」などと大きく記載したリーフレットまで作って配布してはまずいのではないか・・と思ったら、そのうち、住宅金融公庫から(株)一条工務店は苦情を言われることになり、他にもオーバーローンを相当やっていたことから、(株)一条工務店で建てる場合には住宅金融公庫は利用できなくなる「手前」までいくことになったが、そういうリーフレットを作るのではなくて、営業担当者が個人的に「今回の申し込み期間は金利が低いですから、契約前でも私が申し込みをやっておきますよ」と「個人的な親切」でやることは実際問題としてあったのだが、「営業担当者の個人的な親切」でやってもらったという場合は建築主も「親切でやってもらった」人に対して、いくらかなりとも、「やってもらったのだから」という気持ちを持つことが多く、契約してもらったわけではないとしても、申し込みを担当した会社というのはそうではない会社よりも、その点において一歩は前に出た、何パーセントか契約してもらえる可能性が大きい・・ということになったのだが、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」と会社としてリーフレットまで作ってしまうと、依頼する見込み客の側の意識として「キャンペーンなんだから、やってもらっていいんだ」という意識になることが少なくないようだった。その方については、住宅金融公庫の申し込み手続きに手間と労力と時間を取られている間に、住友林業の営業は営業活動をおこない、そして、どうなったかというと、親の方は(株)一条工務店で建てることも検討したからこそ、私がいた松戸展示場ではなく東京都江東区潮見の「東京東展示場」に娘を連れて行って、こういう建物を建てようかと思うという話をされたようだったが、ところが、江東区潮見の「東京東展示場」を娘が見て「こんな暗い色の家は嫌だ」と言い出し、そして、そこから娘と一緒に新たに住宅展示場を見てまわることになり、こちらはその方の住宅金融公庫の手続きに動くことでほかの動きができずにいる間に、なんと、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」により住宅金融公庫の申し込みの代行を依頼されるまでには名前も出ていなかったダイワハウスでさっさと契約をすまされてしまったのだった。
この件については、
(1) 戸建て住宅建築業の会社の営業が「営業担当者の個人的な親切として」ということで、まだ契約していない方の住宅金融公庫の申し込みを代行することは現実にあったと思うが、「営業担当者が個人的に親切として」やった場合には、見込み客の側では、この人が個人的に親切心からやってくれるんだからということで、契約したわけではないけれども、ある程度以上、契約する見込みがある相手に頼むのであって、まったく契約する気持ちがない所の人間には普通は頼まないし、住宅金融公庫の申し込みを頼んだからには頼んだ相手はその部分において、それ以外の会社の人間よりはいくらかなりとも優先的な位置にあるものだが、「住宅金融公庫申し込み代行キャンペーン」と大きく記載したリーフレットまで作って配布してしまったなら、「キャンペーンなのだから、やってもらっていいんだ」と見込み客の側が考えてしまい、申し込みをやってもらっている相手に対して、申し込みをやってもらっているのだからという優先的な対応というものはなくなってしまうことがあった。
(2) 最初、住友林業が競合相手として存在したが、契約してもらったわけではないとしても、住宅金融公庫の申し込みを住友林業の営業に頼むのではなく、(株)一条工務店の営業の私に頼んだということは、その分だけ、こちらで契約してもらえる可能性があるということだろうと思ったが、そうではなく、むしろ、こちらが住宅金融公庫の申し込みの作業のために動けないのをいいことに、その間に住友林業の営業に営業活動をされてしまった。
(3) また、夫婦でどこに頼むか決めるのならば、夫婦で検討すればいいのだが、(株)一条工務店の江東区潮見の展示場に娘(小学生の娘ではなくて二十歳を過ぎた娘)を連れていったら、娘が「こんな暗い家は嫌だ」と言い出し、そこから娘と一緒に何社かの住宅展示場を見て回り、あっという間に娘がいいと思ったというダイワハウスで契約してしまったというのだが、娘がいいと思う所で契約するのならば、最初から娘と一緒に見て回るべきもので、親だけで見て回って見積書も出してもらい、契約するかどうかという所まで行ってから、新たに娘と一緒にほかの会社の住宅展示場を見て回って、あっと言う間に最初はダイワハウスの「ダ」の字も出ていなかった会社で契約するて、それはないだろ・・と思ったが、あったのだ。もしも、娘を連れて展示場を見に行って娘が気に入った所に頼むのならば、娘が展示場を見にいってもいない段階で、親だけが見に行った会社の人間に見積書を作ってもらうように求めるというのはおかしいのではないか、私が見込み客の立場なら、そんなことはしない、と思ったが、そんなことをする人があったのだった。
(4) また、こちらに住宅金融公庫の申し込みの作業を1円として報酬を払わずにやってもらっていたのだから、いくらなんでも、その作業をしている間にほかの会社と契約してしまうなんて、そんなことする人なんて、あんまりないと思っていた、思い込んでいたのだが、私がその見込み客の立場であったなら、住宅金融公庫の申し込みを頼んだ営業がその作業がすませるより前に全然関係のない会社で契約してしまうなんてことはしない、私がその見込み客の立場なら、いくらなんでも、住宅金融公庫の申し込みを頼んだ営業がその作業を終えるまでは他社とは契約するようなことはせず、申し込みの作業が終わってから、今、どこそこの人とも折衝しているのですという話をして、どこで最終的に契約するにしても、それからのことであり、住宅金融公庫の申し込みの作業をある会社の営業にさせておいて、その間にほかの会社の営業と契約してしまうなんてことはしないし、いくらなんでも、それは無茶苦茶であり、そういうことはしないという契約を結んだわけではなくても、人間としてのマナーとしてそんなことするものではないと思っていたのだが、私が見込み客の立場ならやらないことでも、やる人はあったのだった。(株)一条工務店の研修で「一条工務店のお客さんというのは、人間的にいい人が多いです」と誰だったか講師役の従業員が話したことがあったが、どう考えてもそうは思えなかった。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)のお客さんと比べても、どう考えても「いい人が多い」などとは思えなかった。

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(5) そして、他の営業所の営業が追客中の見込み客が来場して接客したならば、その担当営業がいる展示場ではない展示場を見に行くということは検討中であり契約の可能性がある見込み客なのだから、接客した営業は即座にその見込み客の担当営業に来場を連絡するものであり、私は(株)一条工務店に入社して以来、誰が担当の見込み客であっても私が接客した場合にはそうしてきたはずで、私が担当の見込み客が私がかつて勤務していた東京都江東区潮見の展示場に見に行かれたのであれば、当然、江東区潮見の「東京東展示場」の営業は私に連絡してくれるはずであり、連絡しないような営業、「営業としての仁義に反する態度」をとるような営業は許されない、会社としても注意するものと思い込んでいたが、入社以来、誰の追客中の見込み客でも接客したなら即座に担当営業に連絡してきてあげた私が追客中の見込み客が私がかつて勤務していた場所であった江東区潮見の「東京東展示場」に見に行かれた・・ということは、当然、そこにいた営業というのは私とかつて一緒に仕事をした誰かのはずだったが、その人間は私に連絡すらも入れなかったのだ。そんなことする人間なんてないだろ・・と思っていたが、あったのだ。
「東京東展示場」を見にいかれたということは、その時点では検討されていたわけであり、その時の印象が悪かった、特に娘が嫌だと言ったということだったが、「東京東展示場」の営業がその時に私に連絡をくれていたならば、その時の印象が良かったとしても悪かったとしても、もう少し何か対応ができたのではないかと思えるが、連絡もくれなかった。
私は橋本薫に「文句言いたいなら、エスバイエルの担当営業に言え。俺に言うな。文句を言う相手が違うだろ」と言ってやったのだが、それでも、橋本薫は私に文句を言うのだった。橋本薫の叔父という男も迷惑な男だ。
(2023.9.28.)
法務局に行くと、土地・建物の登記簿について、かつては登記簿の閲覧か登記簿謄本の取得ができました。今は、登記事項証明書か登記事項要約書の取得ができ、閲覧はできなくなりました。 登記簿の閲覧ができた時代、新卒入社の人間に「法務局に行って登記簿とってこ~い」などと言うのは危険です。これは1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、東京都の営業所から転勤してきた人sから聞いた話ですが、大学新卒の営業社員に「法務局に行って登記簿とってこ~い」と言ったところ・・・、どうしたかというと・・⇒ほんまに、登記簿を盗ってきよった。登記簿の実物を持ち帰ってきよった( 一一) うわあ~あ~あ~あ~あ~、何すんねん、「早く、返してこい」と言って返しに行かせたらしいが、新卒入社のやつに「登記簿とってこい」と言うのは危険だ。「登記簿とってこい」という日本語は「法務局に行って、登記簿謄本を取得してこい」という意味であって、まさか、登記簿の原本を持ち帰ってくるとは夢にも思わなかったが、登記簿の原本を持って帰ってきよった・・ということがあったらしい。たしかに、慣れると特別難しいことでもないが、最初に法務局に行って登記簿を閲覧したり登記簿謄本を取得したりする場合、どうすればいいのか迷うことはあったと思います・・が、わからなかったら法務局の職員に尋ねればいいことだし、特に20代前半の新人は「すいません。わからないので教えてほしいのですが」と言えば、「ういういしくてよろしい♪」と思ってもらえるかもしれません・・が、それができない人というのがいるらしいので、うかつに「登記簿とってこい」というと本当に「盗ってくる」人がいるらしいので危険です。
それで、私が(株)一条工務店に入社した1992年、東京展示場(東京都江東区潮見)には、「リーダー」で「主任」の宮崎さんのほかは新卒入社3年目のH本、2年目のO田のほかは、2月に中途入社したHがいて、ほかは1992年になって入社した人間ばっかりだったので、「リーダー」の宮崎さんが前職として戸建住宅建築業の会社にいた私に ↑ の橋本薫に一緒に法務局に行って登記簿の閲覧のしかた、登記簿謄本の取得のしかた、公図の閲覧のしかた、土地測量図と建物図面の閲覧とそのコピーのしかたなど教えたのでしたが、「リーダー」から頼まれたから教えたことだし、勤務時間内にやっていることで、そのくらい教えたからといって特に恩を着せるようなことでもないと思っていたのでしたが、しかし、↑ のように相模原市のS野さんの契約の際に、最後に契約してもらう時に服部(男。当時、20代後半。1992年2月に中途入社)に同行してもらったと言って、「服部さん、どうもありがとうございました」と私の前で服部にだけ礼を言い、最初にS野さんからの問い合わせの電話をとり、S野さん宅にカタログなど郵送で送って東京展示場への来場を促した、それにより東京展示場に来ていただくことができて、橋本薫が接客して担当になることができた私には一言として「ありがとうございました」と言わなかった際に思い出したが、そういえば、この橋本薫という男は私に登記簿謄本の取り方とか教えてもらった時にも礼を言わなかったな・・ということに気づいた。特別に恩を着せるようなものではないとはいえ、服部になら礼を言うが私には礼を言わない男がその時も礼を言わなかった、という点については「あんまりおもろないな」てことになる。相模原市のS野さんの契約については、「野球のたとえ」をするならば、私が1~2イニングを投げて、そのまま3回以降も投げて勝利投手になりたいところだったが、3回から橋本薫に変わらされて進行して、最後、9回だけ服部が出てきてセーブをあげ、橋本薫が勝ち投手になりやがった。「服部さん、セーブしていただいて、ありがとうございました」と3回から8回まで6イニング投げて勝ち投手にならせてもらったやつが言いやがった。セーブあげたやつにお礼を言うなら「スターター」にもお礼を言ったらどうなんだ・・てものだが、言わないのが橋本薫という男で、そういうのを「体育会系の礼儀作法」とか「スポーツマンだけあってまっすぐな性格」とか言うみたいだ。そうか、この男はそういう人間なのか。そういうことならば、次、「俺の所にゴロでも飛んできたら、ヒットにしたろか、こんちくしょう」ということになる。そういう態度をとれと日体大で教えていたということか?
橋本薫と同じ1992年4月に(株)一条工務店に入社した小野田くんという男が、「俺と薫(橋本薫)とは二人とも母子家庭で似てるんですよ」と言っていたが、そう言われると、これは聞いた話だが、(株)一条工務店の場合、名刺の発注は自分で用紙に記載して本社の総務にファックスで送って注文すれば届くようになっていて、総務の人間は「役職」の欄と「資格」の欄に記載したものは実際にその人間がその役職であるか、実際にその人間がその資格を持っているかどうかは確認することなく印刷屋に発注して、そこに記載した内容のものが届くようになっていたので、それで、これは聞いたことであってその名刺を私は見せてもらっていないが、橋本薫は新卒入社したばかりで当然、役職などないにもかかわらず、「主任」と役職欄に記載した名刺を発注して持っていたらしい。小野田くんは小野田くんで、母子家庭で父親はいなかったと自分で言っていたにもかかわらず、「私は父親が大工でして」などと客に言うということをやっていたようで、どちらも母子家庭の息子だったからかどうかはわからないが、たしかに、そのあたり、似ているといえば似ている。
その時点では、法務局で登記簿を閲覧する方法・登記簿謄本を取得する方法など教えたなど、たいしたことではないと思ったし、いちいちお礼を言ってもらわなくてもいいと思っていたが、服部になら礼を言う男が私になら言わないというあたりを見ると、おまえはそういう人間か・・と思うようになった。又、(株)一条工務店の場合、「リーダー」から頼まれたから新人に何かを教えると、後から営業本部長の天野隆夫から「ありがとう」と言ってもらうのならわかるが、そうではなく「余計なことするなあ!」と怒鳴りつけられることがある会社なので、やはり、そういう会社においては、そういう状況下であるにもかかわらず教えてもらったという点については「ありがとうございます」でも「どうもすいません」でも言い方は何でもいいから言うべきもので、言ってもらいたかった。この会社は、そうでなかったら、営業本部長の天野隆夫から「宮崎くんの指示にしたがってやってもらう」と言われた「リーダー」の宮崎さんから頼まれたから教えたその結果、「余計なことすんなあ!」とか言ってその営業本部長から怒鳴りつけられる、さらに「申し訳ございませんと言ええ~え」とか言って「申し訳ございません」と言わされる・・ということになる可能性が十分あったわけである。(株)一条工務店という会社はそういう会社なのです。そういう会社で教えてもらったからには、「ありがとうございました」くらい言うべきで、服部になら礼を言うが私になら言わないやつというのは、それなら今後は何でも服部に世話になれよ、ということになる。
(2023.10.4.)
この稿を公開後、思い出したのだが、橋本薫は「(橋本の叔父が建てた)エスバイエルのハウス55の巾木なんてプラスチック(塩化ビニルの「ソフト巾木」)ですよ。安もんですよ」などと私に言うのだったが、「だから、それが嫌なら、もうちょっとお金だして高いものを建てればよかったのでしょ」と言って教えてあげたのだが、それでも橋本は「〇〇さん、エスバイエルは安もんですよ、安もん」と言ってきかないので、こいつ、精神的に貧困な人間だな・・と思ってあきれた。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はけっこう広い価格帯で建てていた会社であり、橋本薫の叔父が建てた「ハウス55」の一番安いやつというのはクルマにたとえるならば「カローラ」であり、もっと出してもらえば、いい木を巾木に使うこともできるし、私が小堀住研(株)に在籍した時に担当した方の家で「ソフト巾木」ではなくいい木製の巾木を使用して建てていただいた方もあった。小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)が「安もん」であるかないかの問題ではなくて、橋本薫の叔父が安いカネしか出さずに安いタイプのものを建てたということだろうが。
「カローラ」の仕様が嫌ならば、「クラウン」か「センチュリー」のカネだして「クラウン」か「センチュリー」の仕様のものを建てればよかったのだ。自分が「カローラ」のカネしか出さないでおいて、「クラウン」や「センチュリー」の仕様じゃないと甥の橋本薫までが叫びまくるのだが、「クラウン」なり「センチュリー」なりが欲しかったら「クラウン」「センチュリー」のカネ払えてもんだろうが。わからんのか、その程度のことも。たとえば、ANAの飛行機のエコノミークラスの切符買って乗ってからに「ANAの座席は狭いですよ。安もんですよ」と言われても、広い座席に座りたかったらビジネスクラスかファーストクラスのカネ出して乗れよてものだ。おのれが「カローラ」のカネしか出さないくせに、「カローラ」のカネで「クラウン」の仕様のものじゃないと文句たれるのはみっともないからやめた方がいい、エコノミークラスのカネしか出してないのにANAの座席はビジネスクラスのように座席が広くないと文句を言っても文句を言う方が間違っている、広くないのは「ANAの座席」ではなくて「エコノミークラスの座席」だろうが。ビジネスクラスの座席に座りたければビジネスクラスのカネを払えてものだ。みっともないことは言わない方がいい・・・が、橋本薫という男は、いわば自分がビジネスクラスの切符を買わずにエコノミークラスの切符を買ったからビジネスクラスほど広くないのに「ANAの座席は狭いですよ」と言うようなことを言いまくる男で、それは違うよと言ってあげてもやめない男だった( 一一)
今は昔、読んだ漫画で、ラーメン屋で隣の客が食ってるラーメンの方がチャーシューが多いと文句を言ったら、「お客様が注文されたのは『ラーメン』ですが、お隣の方が注文されたのは『チャーシューメン』ですから」と言われて恥をかいたというものがあったが、橋本薫の叔父とその甥の橋本薫が言っていることは、「ラーメン」のカネしか払わんのに、なんでうちの「ラーメン」には隣の人間が注文した「チャーシューメン」よりチャーシューが少ないんだと文句言ってるようなものだ。みっともない限りである( 一一) (株)一条工務店の来場客でも、たいしたカネださずに高い仕様を要求する人がいたが、自分が安いカネしか出さずに高い仕様のものを入れろと言っても無理な話だ( 一一)
片方で(株)一条工務店の東京展示場・松戸展示場では来場客・見込み客から、何人もの人から「一条工務店はムクのいい木を使っていると言うけれども、そのわりに不細工」「いいものを使っているというわりにかっこよくない」と言われたもので、又、「ムクのものを使ってる、ムクだ、ムクだと言うあたりがいなかくさい」とも言われたもので、橋本薫はエスバイエル(株)の営業ではなくて(株)一条工務店の営業だったのだから、こちらの方の問題を考えた方がよかったのではないかと思えるが、言ってもきかない男だった。小堀住研(株)の「ハウス55」というのは、これは建設省・通産省の「高品質な住宅を低価格で」という趣旨の「ハウス55計画」で考え出されたもので、「内装部材については比較的安いものを使っても快適なデザインで」という趣旨でできているものだから、巾木を「ソフト巾木」という比較的安いものを使用しても、その上でできるだけ快適なデザインのものを作ろうという性質のものだったのであり、橋本薫の叔父はそれが嫌なら、そういうものを契約して建てるのではなくて、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)ででもそれ以外の会社ででも、それより高いカネを出して巾木に「ソフト巾木」よりも高いものを使用している家を建てればよかったのだ。なんで、高いカネを出して建てんかったんや?
(株)一条工務店は来場客・見込み客から、何人もの人から「一条工務店はムクのいい木を使っていると言うけれども、そのわりに不細工」「いいものを使っているというわりにかっこよくない」と言われたもので、又、「ムクのものを使ってる、ムクだ、ムクだと言うあたりがいなかくさい」とも言われたものだったが、ところがこういうことを言うと、(株)一条工務店の「東海地域の営業」「一条オリジナル営業」たとえば名古屋南営業所の近藤路夫から「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と怒られるのだが、その「ムクのものを使ってる、ムクだ、ムクだと言うあたりがいなかくさい」と東京圏の住人が感じるものを、それを静岡県から愛知県にかけての住人はそう感じず、むしろ、「いなかには、それがここちE♪」〔⇒《 ワコール ソフィブラここちE CM 80年代》https://www.youtube.com/watch?v=6olufVuCQgE 〕と感じるらしかったが、近藤路夫のようなその東京圏の住人からは「うわっ、いなかくさ」と言われるものが「ここちE♪」と思う人が多い地域でしか営業やったことがない甘ったれたやつは「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」などと言うのだが、私が「言った」のではなくて、私が来場客・見込み客から「言われた」のだから、「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と怒鳴りつけたかったら「言われた」人間に怒鳴りつけるのではなくて、「言った」人、東京展示場の来場客・見込み客に怒鳴りつけるようにしてほしいものだ。「そういうことを言うからいかんのだあ~あ!」と何なら、後を追いかけて行って怒鳴りつけるといい。「なんか、変な人、追いかけてきたよ。逃げよ、逃げよ。頭おかしいんだよ、あれは。逃げた方がいいよ」とか言われるだろう。もしくは110番通報とかされるかもしれない。(株)一条工務店の「オリジナル営業」・「(株)一条工務店の遠州人」・「『一条工務店の土台を築いてきた』と自称している人たち」というのは、そんな人間ばっかりであった( 一一)
・・まあ、だいたい、「(株)一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」という人たちというのは、浜松から新幹線で東京駅まで来ると、木場の東京事務所に行くのに新幹線の「東京」駅から東京メトロ東西線「大手町」駅までタクシーに乗るひとたちで、狛江市まで行くのに浜松から新幹線で東京駅まできて、東京駅から狛江までタクシーに乗る人たちだから、そういう「アタマが浜松」の人とまともに話をしようとしても無理というものだ( 一一) 「なんで、タクシーに乗ったらいかんら」と怒られるだけだ・・・
私は福島県いわき市の営業所で5年間、営業の仕事をしたが、いわき市付近の住人と浜松市付近の住人なら、間違いなく浜松の方が「いなかもん」は多いと思います。こういうことを言うと遠州人は怒るかもしれないが、事実だからしかたがない。
「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と福沢諭吉が語ったというのだが、浜松付近にはこの「精神面がいなかもの」が福島県の住人よりもはるかに多い。遠州人は怒るかもしれないが、これは事実だ。福島県の住人と話をすると、「そりぁ、ここはいなかですから」と言い、「ここはいなかだから、東京あたりとは違うので(東京あたりに合う家ではなくて、いなかに合う家を建てないといけない)」と言う。都会には都会に合うもの、いなかにはいなかに合うものを建てればよいのであり、「いなか」であることがいけないのではなくて、都会にいなか向けのものを押しつけようとする「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」の思考が「精神面がいなかもの」なのである。
(2023.10.7.)
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