質問するから親切に答えてあげようとすると「そういうところが嫌なんだ」と言う罠をかける陰湿新人。(株)一条工務店でやられた「F原の罠」。若手は陰湿ではないなどということはない。「子供のやることに間違いはないのだ」と言うアンパンマンが間違っているのと同様、10歳以上年下の人間だから陰湿な人間ではないなどと勘違いしてはならない。アホは純心 ではない。

[第1006回]営業と会社の話
  人に質問をするから親切に答えてあげようとすると「そういうところが嫌なんだ」と言うという陰湿な罠をかける新人。若手は陰湿ではないなどということはない。10歳以上年下の人間だから陰湿な人間ではないなどと勘違いしてはならない。
  1999年だったか、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で栃木県佐野市の営業所(展示場)に勤務していた時のことだ。佐野市の総合住宅展示場は、その頃は佐野市浅沼町、佐野郵便局の東側、はす向かいあたりの場所にあったが、今は移転して佐野市でももっと南部の方に移ったようだ。
  そこで総合住宅展示場のキャンペーンとして、アンパンマンのキャラクターショーがおこなわれたことがあり、どんなことをやっているのだろうと後ろの方から見てみたところ、アンパンマンてやつが登場して、こう叫んだのだ。「子供のやることに間違いはないのだあ~あ」と。はあ? はあ~あ?
  なんだ、こいつ!  何を無茶苦茶言うとんねん。たいがいにせえよ、この反社会的勢力!
「子供のやることに間違いはない」だと? はあ? 無茶苦茶言うな! 「子供のやること」に間違いはあるよ。そのアンパンマン「子供」独善主義、アンパンマン「子供」帝国主義は許しがたい。
  しかし、うかつに、「違うでしょ。子供のやることに間違いはあるでしょ」なんて言いうと、「ばい菌マンをやっつけろお! は~ひふからへほお~お!」とか言ってやっつけられそうで怖い。
  「大人のやることには、正しいこともあれば、間違いもある」のと同じく、「子供のやることには、正しいこともあれば、間違いもある」はずだが、それを「子供のやることには間違いはないのだ~あ! ソレ、ばい菌マンをやっつけろお~お! とってちってたあ~あ♪」というアンパンマン「子供」独善主義・アンパンマン「子供」帝国主義は許しがたい。

  私などは、自分で自立して生活できるようにして、それから結婚して子供を設けるものだ・・と思っていたのだが、ところが、最近、後先考えずに性交やって、できちゃった婚で結婚した者が勝つ! という世の中になってきた・・し、自民党のアホ政治家はそういう社会にしようと邁進している・・だけでなく、野党でもその類がいる。「子供手当の公明党」はけしからんが、「地域振興券」の民主党もまた許しがたい。まさに、アンパンマンみたいなやつ
  1998年だったか1999年だったか、(株)一条工務店の栃木県佐野市の展示場にいた時のことだが、佐藤(男。当時、30代。妻子有)が上岡(男。当時、40代前半。妻子有)に「(子供がいる家庭に渡される)地域振興券て、あれ、子供のための物を買う?」と尋ねたところ、上岡が「バカか。そんなもの、子供のための物なんか買うわけないだろ。俺のために使うよ。当たり前だろうが」と言うのだった。要するに私から所得税などで奪ったカネなどから上岡や佐藤にカネをくれてやるのが民主党の「地域振興券」だった。さらに佐藤は「地域振興券て、ピンサロで使えるのかなあ」などと言っていたが、要するに民主党の地域振興券というのは、私から強奪したカネから佐藤や上岡に「ピンサロで使えるのかなあ」という券をくれてやるという制度だった。

  2014年、アーキマインド(株)という建築業の派遣の会社から埼玉県川口市の川口土木建設工業(株)https://www.kawado.co.jp/ という会社が工事をおこなう埼玉県朝霞市のマンション工事の工事現場に行って、そこで右足の甲を骨折したということがあった。
  アーキマインド(株)はエン・ジャパンに求人広告を掲載していて、そこには建設業の許可を得ている会社で、佐藤秀工務店やダイワハウスの仕事をしていると記載していて、「施工管理」の職種の募集をしていた。だから、私はアーキマインド(株)は佐藤秀工務店の戸建住宅やダイワハウスの戸建住宅やアパートの工事の下請け工事をおこなっている会社なのだろうと思った。
  佐藤秀工務店は、東京圏において和風の高級戸建住宅において定評があったが、いつだったか倒産したか何かそういう記事をどこかで見たような気がしたが今もあるようだ。ダイワハウスは軽量鉄骨造の戸建住宅やアパートの会社だったが、当初は比較的低価格の住宅を建てていたが、中より上の価格帯のものも建てるようになり、又、ビル建築にも手を出すようになった。戸建住宅やアパートの建築の営業は「ともかく、すぐ行く」と私が1980年代の後半に小堀住研(株)に入社してすぐの時の研修では言われたものだったが、同業他社の営業ではダイワハウスの営業はこの「ともかく、すぐ行く」という点が徹底されている人が多いという印象を受けたが、片方でダイワハウスから転職してきた人とかを見ると、その人にもよるとはいえ、戸建住宅建築業の会社の中では「柄が悪い」人が多いという印象があった。日経新聞の「私の履歴書」というシリーズにダイワハウスの創業者が書いていたのを見たことがあったが、創業者は奈良県の出身とか出ていたように思う。奈良県⇒大和 やまと⇒大和ダイワ なのか・・どうか、そうかもしれないが、そうであるのかないのかわからない。
  私は、(株)一条工務店に在籍中に、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士・インテリアコーディネーター・二級建築施工管理技士・キッチンスペシャリスト の資格を苦労して取得したので、同社を退職後、せっかく、これらの資格を取得したのだから、特に、インテリアコーディネーターは(株)一条工務店の営業本部長がとってくれと言うから、だから、もともとは取得する予定にしていなかったものを苦労して取得したのであり、「慶応大学商学部卒+インテリアコーディネーターおよびキッチンスペシャリスト+複数都道府県で実際に戸建住宅建築業の営業の職種に従事した経験」を評価しれもらえる所はないかと思って求人情報を捜してみたが、特に、インテリア・キッチン関係の仕事となると東京都でも山手線の内側の西よりか山手線より西側に多いようで、千葉県船橋市の我が家から通勤するのは困難と思える場所の募集が多かった。
  そうした際に、佐藤秀工務店やダイワハウスの仕事をしているというアーキマインド(株)という会社が「施工管理」の職種の募集を出していた。二級建築施工管理技士の資格を取得していたことでもあり、そういった資格をマイナスに評価する会社ではなくプラスに評価してくれる会社・職場ということを考えると、戸建住宅建築業の会社でも営業の職種の場合は(株)一条工務店では営業本部長の天野隆夫が「営業は学校出てない頭のない人間が向いてるんだ、営業は。ぼくなんかも学校出てない(最終学歴:中卒)だから、だから、人間性が優れていてお客さんからも誰からも好かれるから営業にいいんだ」などと言っており、そんなことあるかい・・と思って努力して実績を残そうとしても、どう考えても条件が悪い所にばっかり配属されるし、悪い条件ででもなにくそおと思って成績を残しても、それでも評価してたまるかあという態度を経営者にとられることになり、そういう会社でむなしい努力をするよりも、こういう人を使いたい・活かしたいと思ってくれる会社・職場に勤めた方がいいと思うようになったのだが、それから考えると、ある程度以上の大学の出身者は営業の職種にはつかない方がいいのではないかと思うようになったのだが、営業でないなら、(株)一条工務店の設計の最低でも過半数よりは私は設計の仕事はできると思ったので設計の職種での募集にも応募したが採用してもらえず、それなら工事管理の方でもと思ったところにこのアーキマインド(株)の募集が目についた。
  私は、面接の際に、アーキマインド(株)の社長の鈴木に「月に1回とかならともかく、毎日、通うということを考えると、通勤時間は、クルマで通勤する場合で最大で片道1時間まで、電車・バスで通勤する場合で片道1時間20分、できれば1時間15分までにしたいところですが、1時間20分までが限度だと思います」と話し、アーキマインド(株)の社長の鈴木は「間違いなく片道1時間半までの所に行ってもらいます」と言って採用された・・のだったが、初日から片道1時間40分ほどかかる京浜東北線「西川口」駅から東に歩いた当たりの住友不動産のマンションの工事現場に行かされた。私は、面接の時にはっきりと鈴木に話したはずだ。「ここなどはどうかと思って見た所でも、山手線の向こう側とかになると、現在の住居から通勤するのは難しいと思うのです。1回だけとかなら相当無理をしてでも行くとしても、毎日、通勤するとなると、私の家からだと山手線の東側の秋葉原の駅を出た目の前にある所で片道1時間くらいなので、片道1時間以内となると勤められる所が限られてしまうので、片道1時間20分以内というくらいはやむをえないと思うのですが、山手線の向こう側となると、たとえ、やりたい仕事であっても通勤が難しいと思うので無理だと考えたのです。インテリアコーディネーターなどの資格を持っている者を評価してもらえる仕事となると山手線から東の千葉県方面や北側の埼玉県方面にはあまりなくて、山手線の西側の東京都内か神奈川県の方が多いのですが、今の住居からは神奈川県までは通えないと思ったのです。又、埼玉県にある仕事というのは千葉県とそれほど変わらないと思われますから、千葉県の船橋市に住んでいる者が山手線を超えて埼玉県まで勤めてに行く意味はないと思えます。」ともきっちりと話し、鈴木はそれを聞いて同意の意思表示をしたはずだった。ところが、初日から山手線を超えて向こう側の行政区画としては埼玉県蕨市、最寄り駅としては「西川口」駅の所に行かされた。
  「話が違うじゃないか」〔⇒《YouTube-勇気のしるし~リゲインのテーマ~/牛若丸三郎太》https://www.youtube.com/watch?v=MmHlyCaqLws 1:50~ 〕と思ったが、アーキマインド(株)という会社にも何か事情があったのだろう・・と好意的に解釈して、そのうち、善処されるだろうと思って勤務したが、それから3日くらい経つと、今度は埼玉県朝霞市の工事現場に行ってくれと鈴木は言ってきた。最初、鈴木が電話してきた時、「船橋からなら武蔵野線に乗ればすぐだから」などと言うので、朝霞を越谷と間違えた。越谷市は埼玉県にあってJR武蔵野線「南越谷」と東武伊勢崎線「新越谷」で乗り換えができる駅で埼玉県とはいえ船橋市からはそれほど遠いわけでもない。しかし、自宅に帰って地図を見返すと、朝霞は越谷ではない。朝霞市は埼玉県だが越谷市とは違って西の方で、JR武蔵野線「北朝霞」と東武東上線「朝霞台」で乗り換えができる駅で、どちらも埼玉県で、どちらもJR武蔵野線と東武で乗り換えができて、なおかつ、武蔵野線の駅名と東武の駅名が微妙に異なるという点で似ていたが、まったく別の場所で、越谷あたりならまだしも、普通の人間が船橋市の住人に朝霞まで勤めに行けと言わないはずだ。実際、川口土木建築工業株は自分の会社で直接「施工管理」として雇っていた従業員にはそのような非常識な遠方に通勤させるということはさせず、自宅から通勤できる範囲に通わせていた。
  そして、大きな問題として、「施工管理」とアーキマインド(株)の鈴木は言っておきながら、工事現場に行くと施工管理ではなく、仕事は雑役労務者だった。なぜ、そのようなことをするのか?  世の中には「建築現場の労務者」なんて誰でもできると思っている人がいるが、それは違う。若い頃から体を動かしてきた人でないと、ある程度以上の年齢になって、そういう仕事をやろうとしても体が動かない。アーキマインド(株)の社長の鈴木は、清水建設で現場監督をやっていたと自称していたが、現場監督をやっていたなら、そのくらいのことはわかるはずだが。 「体が動く」か動かないかということには2通りの意味がある。2010年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業。2013年11月に正式に倒産〕が千葉県東金市で建てた家の「現場見学会」を催した時、営業で入社したカジロ(男。当時、40代前半)が工事部の従業員や私などが準備のために、工事の資材を運んだりしていたのに、それを横でポケットに手をつっこんで何もしないで見物していたので、「この男は建築屋の経験者じゃないな」と思ったということがあった。建築屋に勤めてきた人間ならば、自分の職種が何であれ、建築現場でほかの従業員が物を運んだりしていたならば、お客さんじゃなくて従業員ならば自分も何なりとやるものだ。カジロみたいにポケットに手をつっこんで見物するやつというのは、それは建築屋の従業員ではない建築現場でほかの従業員が重い物を運んだりしていたら、お客さんじゃなくて従業員なら何なとやるものだろうというそういう意味で「自然と体が動く」か「体が動かない」かの違いというものがある。この意味では私はカジロなどと違って「体が動く」人間だ。しかし、営業とかそういった職種についてきた人間でそういう時に「体が動く」人間であっても、ビル建築の工事現場の労務者ができるかというと、それは違う。
  それまで、建築現場の労務者などやったことがない人間で、すでに50代になった者に突然、労務者させて体が動くかというと、それは無理です。実際、朝、筋肉が硬直して体が動かなくて、それで、ともかく電話を入れないとと思ったが、「寝返りも打てない」という日本語があるが、私はそれは「ひとつの言い回し」だと思っていたのだが、本当に「寝返りも打てない」状態で、携帯電話がある所まで移動することもできなかったのだ。「寝返りも打てない」というのは「多少誇張したひとつの言い回し」かと思っていたらそうではなくて、本当に体の向きを変えることすらもできない、ということがったのだ
  まず、アーキマインド(株)の募集のしかたがおかしい。エン・ジャパンに「施工管理」として募集するから、だから、私は大学卒業するまでに労働法や労務管理論・労働経済学などを学んできたもので、前職の建築会社に勤めている間に二級建築施工管理技士の資格を取得した者として施工管理の仕事をするつもりで応募したのだったが、そうではなくて、「建築現場の労務者」をさせる人をアーキマインド(株)は募集していたのだから、それなら、エン・ジャパンよりもスポーツ新聞とかに「建築現場 労務者」として募集すれば、そういう仕事をやりたい人、そういう仕事に経験がある人が応募したはずで、わざわざ、仕事の内容と違う人を募集していた、という点がアーキマインド(株)と社長の鈴木(男。当時、50代)の間違いだった。
  それなら、なんで、アーキマインド(株)の社長の鈴木は、「建築現場 労務者」の募集を「施工管理」などと表記して募集するのか、というと、それは「建築現場の従業員は、施工管理だけが派遣が認められていて、労務者は下請けは認められるが派遣は認められていない」から、脱法行為として、「施工管理」の募集ですと騙して「建築現場 労務者」を募集して派遣していたのだった。

  インターネットを検索すると、「売春は売る者が悪いのか、買う者が悪いのか」なんてのが出ていたが、売る者がいて買う者がいるからには、両者に責任があるものではないか。
  違法な派遣については、これは派遣させた会社が悪いのか、派遣された会社が悪いのかというと、これも派遣する側と派遣される側があって成立することだから、両社に責任があるはずだが、ところが、アーキマインド(株)が「施工管理」として募集して採用し、「施工管理」として派遣して雑役労務者を川口土木建築工業(株)ではさせていた、という点については、当然のことながら、アーキマインド(株)と川口土木建築工業(株)の両社に責任があり、両社に問題があるはずだったが、ところが、実際にはアーキマインド(株)が川口土木建築工業(株)のダミーのような役割を果たしていた。川口土木建築工業(株)の工事部長の加賀美という男と会った時、「え? この程度の人が住友不動産とか三菱地所とかのマンションの工事をする会社の工事部長なの?」と思ったが、アーキマインド(株)の社長の鈴木は川口土木建築工業(株)の工事部長の加賀美のことを「加賀美さんは高卒のたたき上げで」などと言うのだった。最終学歴が高卒だと「たたき上げ」ということになるらしく、「一流大学」卒だとどんなに経験を積んでも「たたき上げ」にはならない。「たたき上げ」というのは、要するに最終学歴が高卒か中卒ですよおという意味だ。おもろい言葉もあったもんだ( 一一)

  「住友不動産のマンション」とか「三菱地所のマンション」とかて、住友建設とか三菱建設とかいった財閥系ゼネコンか、それとも、ゼネコン大手五社(竹中・大林・大成・清水・鹿島)とか、そうでなかったとしてもせめて戸田建設とか「中堅ゼネコン」くらいが建てているのではないか・・・と思いませんか?  実は私もそうではないかと思っていたのです・・が、実は川口土木建築工業(株)なんていいかげんな会社が建てていたのです。で、その会社の工事部長というのは「たたき上げ」・・要するに「高卒のおっさん」だった。「たたき上げ」⇒日本語に翻訳すると「高卒のおっさん」が工事部長のいいかげんな会社が建てていたのです。
  「住友のマンション」とか「三菱のマンション」とか言われると、いいのかと思いそうだが、そうでもないかもしれない( 一一)
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36) - なだ いなだ
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   私はビル建築の工事現場の労務者させてくれと頼んだことは一度もないし、また、すでに50代になってそういうことができるとも思っていなかったし、特に、千葉県に住んでいて山手線の内側を通り過ぎて「山手線の向こう側の埼玉県」まで労務者させられに行ったとしても、それは私にとってはまったく何のメリットもないことだったが、そして、それらはすべて、求人募集に記載されていた内容と面接の時にアーキマインド(株)の社長の鈴木が話した内容と異なるものだったが、-ともかく、会社員というものは「リゲインのごとく」どんなに無理してでも行くものだと私はうちの父親から教えられてきたので〔⇒《 YouTube-24時間戦えますか?》https://www.youtube.com/watch?v=VHYFDipo5Kc 〕、それで、川口土木建築工業(株)の朝霞市の工事現場にも、相当の無理をして行った・・・が、アーキマインド(株)の鈴木も川口土木建築工業(株)の加賀美も、無理してきてもらったという自覚はなかったようだ。私はアーキマインド(株)の面接の際に鈴木にきっちりと言ったはずだ。電車・バスでの通勤の場合、片道1時間以内で通勤できる場所が望ましいけれども、現在の住居からならば、電車・バスでの通勤なら片道1時間以内で行ける場所となると、山手線の一番東の東の秋葉原駅の改札口を出た正面にでもあるような所でちょうど片道1時間くらいなので、片道1時間以内としてしまうと勤めることができる所が本当に限られてしまうので、片道1時間20分以内というくらいはやむをえないと考えています。片道1時間20分以内だと、山手線内なら通勤できる場所がけっこうあります。山手線の向こう側の場合は、山手線の西側の東京都内か神奈川県方面には、私が取得したインテリアコーディネーター・キッチンスペシャリストなどの資格を持っている人を評価する勤め先があるようで、もちろん、応募して採用されるかどうかはわかりませんが、応募してみたいところでしたが、山手線の向こう側までは月に1回とかならともかく毎日通勤するのは不可能だと判断してあきらめました。「山手線の向こう側」でも東京都の西部か神奈川県なら、千葉県にはない勤務先・職種の募集がありますが、「山手線の向こう側」でも埼玉県の場合は千葉県と比べて、そこにある仕事の内容は特に違いはないと思われますから、千葉県に居住している人間が「山手線の向こう側」の埼玉県に勤めに行く意味はないでしょう」と、きっちりと話し、鈴木は「そうですね」と言って同意した上で、「間違いなく片道1時間半以内の所に行ってもらいます」と約束して採用したはずだった。仕事の内容は施工管理だとも鈴木ははっきりと発言した。そして、鈴木は「ダイワハウスの工事現場に行ってもらいます」と言うので、ダイワハウスの戸建住宅かアパートの工事現場の工事管理の仕事だろうと思って、それで、京浜東北線の「川口」駅で待ち合せたいと鈴木が言うので、変な駅で待ち合せするんだなと思って、川口駅に行くと、そこから東に歩いて行った所で鈴木が「この会社」と言うので見ると、「ダイワハウス」ではなくて「川口土木建築工業」と聞いたことない会社の名前がそこに出ていたのだった。それで、行ってくれと言われて行った先はダイワハウスの戸建住宅やアパートの工事現場ではなくて、川口土木建築工業が建てていたマンションの工事現場だったのだ。

   今から考えてみると、私は「リゲインのごとく」無理してでも行くという姿勢をとってきたことが災いしてしまったように思う。一般に、午前9時から始業時刻という会社が一番多いのではないかと思うが、戸建住宅建築業の会社の営業職の場合は午前10時からという会社が多い。それに対して、工事部の場合は戸建住宅建築業の場合は午前9時からという会社が多いが、ゼネコンの場合は午前8時からという会社が多い。それまでの仕事よりも2時間も早くに起きて出勤するというのは、それだけでも大変だが、我が家から朝霞市の川口土木建築工業(株)がやっていた大京の工事現場までは片道2時間半では行けないのだ。「船橋からなら武蔵野線を使えばすぐだから」などと鈴木は言うのだったが、どこが「すぐ」だ、どこが!  朝霞を越谷みたいに言うんじゃない!  朝霞は埼玉県でも浦和セブン(浦和・北浦和・南浦和・東浦和・西浦和・中浦和・武蔵浦和)よりもまだずっと西だ。所要時間は、武蔵野線経由で「北朝霞」「朝霞台」で乗り換えて「朝霞」に東武東上線に乗って言っても、JR総武線で「飯田橋」乗り換えで東京メトロ有楽町線~東武東上線で「朝霞」まで行っても所要時間は同じようなものだった。「『山手線の向こう側の埼玉県』に行っても意味はないし私にとってメリットは何もない」と私は面接で鈴木にはっきりと言ったし、鈴木はそれを聞いて「そうだね」とはっきりと言ったはずだったが、そこでの会話など「川口土木建設工業(株)のダミーのアーキマインド(株)の鈴木」は完全に無視した。川口土木建設工業(株)のホームページhttps://www.kawado.co.jp/ には「あたりまえを大切に」などという標語が書かれているが、こういう姿勢・こういう態度・こういう対応が川口土木建設工業(株)にとっての「あたりまえ」だったらしい。
  私は「建設現場の労務者」やらせてくださいなととはアーキマインド(株)の鈴木にも川口土木建設工業(株)の加賀美にも一言として言っていない。やつらは、それを承知の上で騙して私に労務者させたのだった。そして、ケガさせたのだった。

  それから、始業時刻というのは勤務場所についた時刻を言うのか、作業を始められる時刻を言うのかという問題が労働法の問題として論じられる。それは仕事を始めることができるという時刻だろうと経営者は言うことが多いのだが、通勤時と同じ服装で仕事を始められる仕事の場合はそれでいいだろうけれども、勤務場所で特殊な服装に着替える必要がある仕事の場合になると必ずしもそうではない。
  川口土木建設工業(株)の工事現場では、通勤時の服装から工事の作業員の服装に現地で着替えないといけない。川口土木建設工業(株)は着替える時間についての賃金を払っていなかったが、勤務する従業員としては、着替える時間の分だけ、そのままの服装で勤務できる仕事よりも早く出勤する必要があった。だから、千葉県から「山手線の向こう側の埼玉県」まで行く場合には「着替える時間」を営業や事務の仕事よりも通勤時間が長くかかると考える必要があった。
  それで、逆算して何時に我が家を出れば朝霞市の川口土木建設工業(株)の工事現場に着替える時間分だけ始業時刻より前につくことができるかと考えると、我が家の近くのバス停からJR総武線の駅まで行くバスに始発のバスに乗って行っても間に合わないのだった。それで、やむをえず、自分のクルマで最寄り駅まで行って、駅の近くの時間パーキングに駐車して、駐車代は私が負担して、駅から乗車して行った上で、アーキマインド(株)の社長の鈴木に、これは一時的に私が我慢してでも通勤することは不可能ですから、通勤できる場所に勤務できるようにするか、どうしても朝霞市の工事現場に勤務する必要があるなら川口土木建築工業(株)かアーキマインド(株)のどちらかの負担で朝霞市の工事現場の近くに私が宿泊できるアパートを借りてください、と話した。
  ところが、このあまりにも「あたりまえ」のことに対して、後にアーキマインド(株)の社長の鈴木は、こう言ったのだ。
「建築、アーキ(architecture)はマインド(mind)でやるもんだ。たとえ、始発のバスに乗っても行けない場所にでもマインドで行くもんだ。それがアーキのマインドだ」と( 一一)
  それで、私は言ったのだ。
「どうやって、アーキのマインドで始発のバスに乗っても行けない場所に行くのですか? どうやれば、その『アーキのマインド』で行けるのか教えていただけませんか」と。
「もしも、その『アーキのマインド』で始発のバスに乗っても間に合わない所に行けるのなら、どうやって行くのか教えていただけませんか。もしくは、社長がその『アーキのマインド』で始発のバスに乗っても間に合わない所に行って見せていただけませんか」と。
まったくつくづく、川口土木建設工業(株)とそのダミーとしてのアーキマインド(株)というのは、そういう程度の低い会社であり、運営者はそういう程度の低い男だった。「あたりまえを大切に」と川口土木建設工業(株)のホームページ には出ているが、こういうものを「あたりまえ」を「大切に」していると言えるのか? 言えないのではないか? それとも、川口土木建設工業(株)では、こういった非常識な行為が「あたりまえ」だと言いたいのか?

  それで、私はアーキマインド(株)の社長の鈴木に、いくらなんでも朝霞市まで千葉県船橋市の我が家から通勤することは不可能ですから、通勤できる場所に行けるようにしてください、そうでなければ朝霞市の工事現場の近くでアーキマインド(株)か川口土木建築工業(株)が費用を負担してアパートを借りてくださいと言ったのだったが〔実際には、もしも、その気になれば、川口土木建築工業(株)は建築現場の道路を隔てた向かいのマンション、賃貸マンションの1室を借りていたのか、分譲マンションの住人から1室を借りていたのか、どちらかで現場事務所にしていたので、そこに宿泊するという方法もあることはあったが〕、アーキマインド(株)の鈴木と川口土木建設工業(株)の加賀美は3日ほど放置し、そして、4日目だったかに私は工事現場で転び、その際、普通は転んだくらいのことでは特に大きなけがをすることはないのだが、安全靴を履いていたことから、逆に鉄鋼で覆われた部分が固定されていることから、右足の甲を骨折することになった。
  「骨にひびが入った」という言葉と「陶器にひびが入った」という言葉は似ているので私も「骨にひびがはいった」というのは「陶器にひびが入った」というものと同じような状態かと思っていたのだが、実は違います。「陶器にひびが入った」というのは表面を見ると筋のようなものが見えるが割れていないという状態です。それに対して「骨にひびが入った」というのは、骨の一部分がはっきりと割れているのです。一部分がはっきりと割れているけれども、つながっている部分もあるという状態を「骨にひびが入った」と言うようです。だから、「陶器にひびが入った」というのは「陶器が割れた」わけではなく割れる前の段階ですが、足の甲の「骨にひびが入った」というのは、「ひびが入った」部分は割れているのです。ですから、「陶器にひびが入った」は「陶器が割れた」わけではなく「割れた」状態になる前の段階ですが、「骨にひびが入った」というのはすでに「折れた」「割れた」状態で骨折の一種です
  これをアーキマインド(株)の社長の鈴木は何と言ったと思いますか? 鈴木はこう言ったのです。
「現場でケガしやがって迷惑だ」
・・と、彼はそう言ったのです。普通は謝罪の言葉を言う、もしくは「すいません」と口にすると自分の側が責任をとらないといけないことになるから「謝罪の言葉」は口にしたくないということならば、それなら「お見舞いの言葉」か、もしくは「遺憾の言葉」を言いませんか? ところが、アーキマインド(株)の社長の鈴木は鈴木と同い年の私が足の甲の骨を骨折したことについて、謝罪の言葉を言わないだけでなく、「工事現場でケガされて迷惑だ」と、そう口にしたのです。それが鈴木が言うところの「アーキのマインド」というもののようです。
ユニークな「アーキのマインド」もあったものです( 一一)

  工事現場の管理者は、工事現場での事故・ケガを少しでもなくす努力をしないといけません。2014年に私が川口土木建設工業(株)の埼玉県朝霞市の大京のマンションの工事現場で足の甲を骨折した際は、「いちじるしい安全対策不備」といったものがあったわけではないでしょう。しかし、
(1) 転んだ後、右足の甲に痛みを覚えたものの、そのうちおさまるだろうと思って作業を続けた私にも責任はあったかもしれないが、その後、「痛みが治まりませんし、終業時刻後に整形外科医に行こうとしても閉まっていますから、今日、これから整形外科に行かせてもらえませんか」と工事現場責任者の「いわせ」だったかそんな感じの名前の男に行った後、自分で歩いて「朝霞」駅の北隣の「朝霞台」駅から西に歩いた所にある病院まで行ったのでしたが、歩いている間にも足の痛みが増してきて、最後、病院に近い付近では、はたして病院までたどりつけるかどうか不安で、やっとたどりついた所、整形外科医から「歩いてきたんですか」と言われ、「はい」と言うと、「だめですよ。骨折している足で歩いてきたりしては。骨がずれてしまいますよ」と言われたものでした。
  最初は痛みはそれほどではなかったのですが、工事現場から「朝霞」駅まで歩いているうちに痛みが増してきて、これ以上、歩くべきではないと思い、又、東武「朝霞」駅も階段を上らないといけないし、それまで行ったことがなかった「朝霞台」駅もどうなっているかわからない。「朝霞台」駅からタクシーに乗ることを考えたのでしたが、その日、なにしろ、始発のバスがまだ走っていない時刻に総武線の最寄り駅を出ましたから、総武線の最寄り駅近くの千葉銀行のATMでお金をおろそうとしたらATMがまだ閉まっていてだせなかったのです。それで、財布には千円札はなく1万円札か小銭しかなかったのでタクシーに乗りようがなく、どうしたものか思案したけれども、いい考えが思い浮かばず、ともかく病院に行くしかないと思って無理をして歩いて電車に1駅乗って行ったのでした。
  東武東上線「朝霞」駅の前に交番があったのですが、交番は救急とは別だから交番があってもしかたがないとその時は思ったのでしたが、しかし、今から考えてみると、「おまわりさん、すいません。足を怪我して病院に行きたいのですが、もう歩けなくなってしまったのですがタクシーに乗るには千円札を持っていないのですが、何かいい方法はないでしょうか」と「相談」しても悪いことはなかったのではないかと思います。警察と救急、110番と119番は別とはいえ、「それなら救急車を呼びましょう」と言ってくれたかもしれない。あるいは、これは最近になって思い出したのですが、私が小学校4年の時、1960年代の終わり、朝の掃除の時に、小学校の屋外の通路脇の樹木の脇に「きのこ」が生えていて、クラスに精神薄弱かと思われる生徒が一人いて、クラス担任のHの「おきにいり」だったMが「これ、食ってみろ」と言ってその精神薄弱かと思われる生徒に食わせたということがあり、クラス担任のHはそれを聞いて驚き119番に電話したが救急車が出払っているということで、それでパトカーが来て病院まで運んでくれたらしい・・ということがあったのです。だから、警察と救急・消防は別とはいえ、寝かさなくても運べる病人・けが人ならパトカーで病院に運んだということは過去にあるみたいなのです。〔もっとも、パトカーというのは警察の職員でもない者は前ではなく後ろの座席にはあまり乗りたくないものですけれども・・〕
  ともかく、「相談」してみて悪いということはなかったのではないかと思います・・が、その時はそれを思い浮かばなかった。電話で救急車を呼ぶことも考えたのですが、1989年のこと、千葉県流山市と柏市の境目あたりの流山市に住んでいた時、夜、ものすごい腹痛を感じて、翌朝に医院・病院に行こうと思ったものの耐えられず、119番に電話して「救急車に来てもらうほどではないと思うのですが、明日の朝まで耐えられないので、自分で行けると思うので、この時間でも見てもらえる救急病院を教えてください」と言って隣の駅から最寄りの病院を教えてもらい、自分の足で歩いて駅まで向かいかけたものの、途中でそれ以上歩くことができなくなり、道沿いにあったローソンの公衆電話から119番に再度電話をして、「さきほど、自分で行けると思ってこの時間でも見てもらえる救急病院を教えてもらったのですが、歩いているうちに苦しくなってきて、これ以上歩けなくなってしまったので、申し訳ありませんが救急車で来てもらえませんか」と言ったところ、なんと言われたかと言うと、「あなた、電話できるんでしょ。電話できるのに、どうして救急車が必要なんですか」と、そう言われたのでした。「ですから、これも公衆電話がある所まではうようにしてきて、ぎりぎりの力でやっと電話しているんです。お願いですから救急車で来てください」と言っても言っても、「そんなこと言っても、あなた、電話しているんでしょ。電話できる人がどうして救急車が必要なんですか」と突っぱねられ、その電話のやりとりに疲れてしまい、これは救急車は役に立たんわ・・とあきらめて、はうようにして進んだところ、信号待ちのタクシーがいて、「柏の岡田病院まで行ってもらえませんか」と言うと、「行くのは行ってもいいけれども、東京の葛飾区の方からこちらに来たタクシーなので柏のあたりの道を知らないので、道を教えてもらえるなら行きます」ということで乗せてもらったが、「このあたりの道を知らない」というだけに、運転手は途中で通行人に「岡田病院はどちらですか」と何度も聞いて運転してくれたけれども、柏駅の岡田病院とは逆側についてしまい、「どうしましょうか。ここから階段登って逆側に行けますか。逆側に運転して行ってもいいですけれども、このあたりの道をよく知らないので、逆側に行こうとするとまた迷ってしまうおそれありますが」と言われて、「ここでけっこうです」と言って、階段の手すりにしがみついて岡田病院まで行ったということがあり、救急車というのは家族と一緒に暮らしている人間で家族がクルマを運転して病院に連れていくことだってできる人間の所には来てくれるけれども、一人暮らしの人間とか一人で外出していた時に苦痛に見舞われたという時とかに最後の力を振り絞って119番に電話すると「あなた、電話できるのに、どうして救急車が要るんですか」と言って来てくれないものなんだな・・・とわかったので、そういう経験があったことから、一人で病院に行けるかと思って病院に向かった途中で、これは自分で歩いていくのは厳しい思って119番に電話しても、おそらく「あなた、電話できるのにどうして救急車がいるんですか」と怒られるだけだと思い、そういうやりとりをする力がもうないと思い、それなら無理してでも電車に乗っていった方がいいと判断して歩いて死ぬような思いで病院まで行ったのでしたが、病院で整形外科医に合うと、「骨が折れているののに骨折した足で歩いてきちゃだめですよ」と言われたのでした。それで、救急車は一人暮らしの人間とか一人で移動している人間が頼んでも来てくれないものだと思い込んでいた・・が、今から考えてみると、だめもとで119番にかけてみるか、もしくは、駅の前に交番があったのだから、交番の警察官に「相談」してみても悪くはなかったか、と思う。
  それから、警察は関係なかったかというと、そうでもない。この場合、転んでケガしたこと自体については、工事現場責任者はより安全を考えるべきで、とりあえず、できるものとしては、私が転んだ部分、階段があって段差が少々大きかったように思ったのだが、それをひとまわり小さくするとか、安全靴を履いて作業した経験が豊富であるわけではない人間に安全靴を履かせる場合には、安全靴が普通の靴よりも安全であるケースと、そうではなく逆に安全靴を履いているからケガにいたるケースがあることを、もっときっちりと説明するようにした方がよかったと思われる・・・が、重大な安全対策不備というほどのものではなかったであろう。
  しかし、ケガをした後の工事現場責任者の対応については、これは通常の工事現場責任者の対応ではなかった。
(ア) まず、川口土木建築工業(株)から「施工管理」の職種に直接雇われていた若い男性工事担当者が「足をねじって痛いのなら、しばらく、事務作業をしましょう」と言ったのだが、それを聞いて、この工事現場の「責任者」だった「いわせ」だったかそんな感じの名前の男が逆に「いいよ。そんなの。大丈夫だよ」とねじった部分を見もしないで言って、骨折した足で上り下りするような作業を続けさせた。工事現場の「責任者」として非常識と言わざるをえない。
(イ)
 腕をケガした者ならば自分で歩いて整形外科医に行ってもいいだろうけれども、足を怪我した者に歩いて病院に行かせたというのは、これは工事現場の責任者の態度としておかしい。 私が彼の立場であったなら、工事現場監督は何人かいたのだから、自分の次の人間に工事現場について頼んだ上で、本社に電話を入れて、工事現場で足を怪我したらしい者が出たので病院に連れていきますと言って自分のクルマで連れていくか、それともタクシーを呼んで自分が同乗して病院まで行くかする。もしくは、自分の次くらいの者に「一緒に病院まで行ってあげて」と言って同行してもらうようにして、「それで、どういう状態か俺に電話して教えて」と頼むし、曲がりなりにも工事現場の「責任者」ならそうすべきもののはずだが、その「いわせ」だったかそんな感じの名前だった男はそれもしなかった。
  そうでなくても、たとえ、本人が歩いて行くと言っても、それでも「腕の怪我なら歩いて行ってもいいけれども、足の怪我の場合は歩いて行くべきではない」と言ってタクシーを呼んでタクシーの乗って行ってもらうかする。その上で、診察が終わったら自分の所に電話してくれと言うか、診察が終わったころ、自分の方から怪我した者の携帯電話にかけるか、もしくは診療を受けた整形外科の病院に電話を入れて症状を確認するものだが、川口土木建設工業(株)の朝霞市の大京のマンションの工事現場の「責任者」の男はそういった態度・対応を怠った。。
  ところが、川口土木建設工業(株)の工事責任者の「いわせ」だったかそんな名前の男は、誰かクルマに乗せてくれるならありがたいがと思いながらも私が歩いて行くと言うと、「じゃあ、歩いて行って」と言って足を骨折している人間を歩いて病院にまで行かせた
  又、「朝霞」駅からタクシーに乗ろうかと考えたが、朝、千葉銀行のATMでお金をおろそうとしたらまだATMが開いていなかったのでおろすことができず、そのため、財布に1万円札か小銭しかなく、タクシーに乗った際に払えるお金がなかったが、私が工事現場責任者だったら、たとえ、自分が一緒に行かないにしても、「〇〇さん、タクシー代ありますか」と尋ねるということくらいは工事現場の責任者としてするし、するべきものだが、川口土木建設工業(株)の工事現場責任者はそれも怠った。
  又、マンション1軒の工事現場の作業ならば、あらかじめ、もしも、工事現場で怪我人が出た場合、この付近でかかれる病院というと、何かならどこかどこがあるといったことを調べておくべきであるはずだが、それをまったく調べておらず、私が自分でパソコンで調べて、その上で行った。若い工事担当者が協力してくれたが、「責任者」の「いわせ」だったかは何もしなかった。
  これらから考えて、怪我したこと自体は「特別に安全対策不備」ということではないとしても、その後の川口土木建設工業(株)の工事現場責任者の男の態度・対応はこれは業務上過失傷害罪に該当すると思われる。だから、交番にそれを訴えても何らおかしくなかった。

(2) 2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業。2013年11月に正式に倒産〕では、2011年4月に社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だということで縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)が自分が担当の仕事を残して毎日定時に退社して、滝口が担当の仕事を担当外の従業員に労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせたので、私は自称「工事担当者」の植草(男。当時、30代なかば)に「あれはいけませんよ」と言ったのだ。
  まず、会社は報酬は実際にその仕事をした者に払うべきであって、滝口恵にはこういう仕事をしてもらうとして給与を決めておきながら、滝口がその仕事をこなさずに定時に退社して、その滝口が担当の仕事を毎度毎度、担当外の従業員が労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせられているというのは、これはいけませんと私は「工事責任者」の植草に言ったのだ。
  特に、昼間、大工仕事をしている人に、夕食時間後の勤務時間外に本来は滝口が担当の仕事を労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせて、実際にその作業をした人間にその作業の報酬を払わず、その作業に対する報酬を「縁故の滝口」に払っていたのであり、「あれはいけませんよ」と言ったのだが、報酬はその仕事を実際にした人間に払うべきもので、その仕事をしていない滝口に払っているというのは、たとえ縁故入社であっても、それはいけない。それとともに、昼間、大工仕事をした人にとっては夕食時間後は休憩をとる時間であり、労基法が労働時間制限を定めているのは、長時間労働が労働者の注力を散漫にさせるなどして怪我しやすい状況を作ることがあるからということがある。だから、昼間、大工仕事をしてきた人に、夕食時間後に「縁故の滝口」の担当の仕事を労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせるようなことは「それはいけませんよ」と私は植草に言ったのだ。
  ところが、自称「工事責任者」の植草は私にこう言ったのだ。「大丈夫ですよ。あいつら、大工なんて中卒でバカですから。あいつら、中卒のバカですから、時間外労働させられて時間外賃金もらってないなんて、そんなの、気づいてないですから大丈夫です」などと言うのだった・・が、そういうものとは違うだろ。中卒であろうが何であろうが、バカであろうがなかろうが、会社は報酬は実際にその仕事をした者に払うべきもので、その仕事をした者に払わずに、その仕事をせずに定時に帰った滝口に払うというのは、たとえ滝口が縁故入社であってもそれはおかしいだろ。
  そして、労働基準法が労働時間制限を設けているというのは、あまりにも長時間働かせることによって注意力が散漫になったりして怪我をしやすくなるといったことがないように制限を設けていたのであり、昼間、本来の労働時間に大工の仕事をした人間に、夕食時間後に労基法違反で担当外の仕事、本来、滝口の仕事をさせたのでは、その結果として昼間の仕事でミスが発生しやすくなり、怪我が発生しやすくなるということは十分考えられたことであり、たとえ、労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で本来は滝口の仕事を時間外にさせられているということに「バカだから気づいてない」としても、だから、「かまわないですよ、そんなの」なんてことはないはずだった。
   それと同様に、もともと、工事現場の労務者をやるなんて一言も言っていない人間に労務者させた上で、「片道1時間20分までが通勤の所要時間の限度です」とはっきりと言った人間に「間違いなく片道1時間半までの所に行ってもらいます」と言った上で、片道2時間半以上かかる所に行かせた・・ということは、それだけ、往復に労力がかかっていて、帰宅後の休養が十分に取れないということを意味しており、そういう状況は作業中に事故を起こしやすいものであることを意味したはずである。
  私は、もともと「間違いなく片道1時間半以内の所に行ってもらいます」とアーキマインド(株)の社長の鈴木が言ったにもかかわらず、片道1時間40分ほどかかる最寄り駅:西川口、行政区画では埼玉県蕨市の工事現場に行かされた上で、「武蔵野線に乗ったら船橋からすぐだから」と鈴木が言うので、埼玉県だが武蔵野線に乗ったら船橋からそう遠くない所というと・・と思って、東武線と武蔵野線が交差する所として北越谷・新越谷で乗り換えできる越谷市のことかと勘違いしたが、実際には朝霞市なんてのが「船橋からすぐ」なんて考える人間も言う人間もアーキマインド(株)の鈴木以外にはいないのであり、又、川口土木建設工業(株)の経営者もそれは理解しているので、自分の会社が直接に「施工管理」として直接に採用した従業員にはそのような通勤はさせていなかったのであり、そういうことをすると結果として工事現場での事故が起こり怪我をする可能性も大きくなるということは十分考えられたのであり、だからこそ、私は1日目に無理をして時間パーキングに自分のクルマを駐車して自腹で駐車代を払って朝霞まで行った上で、「朝霞まで通勤するのは、これは無理です」と言っているのに、毎日、言っても「加賀美さんと相談してみる」と言うばっかりで誠実な返事をしなかったアーキマインド(株)の社長の鈴木と川口土木建設(株)の工事部長の「たたき上げ」とかいう加賀美には責任がある。業務上過失傷害罪として罪に問うことができるかは微妙かもしれないが、影響していることは間違いない。

(3) 怪我で朝霞市の病院の整形外科にかかった後、工事現場責任者の「いわせ」だったか、そんな感じの名前の男から見舞いの電話もなかったが、おかしいのではないか。
  まず、私が工事現場責任者であるならば、まず第一に、自分が業務上過失傷害罪で書類送検・・とかされたら嫌だな・・と思えば、「どういう状況ですか」と尋ねる電話くらいはするものだ。それすれもしないこの男。川口土木建設工業(株)の朝霞市の大京のマンションの工事現場の「責任者」という男は、そいつは本当に「工事監督」なのか? そいつは本当に「責任者」なのか?

  労災の申請は大変でした。怪我をした工事現場は埼玉県朝霞市で、工事現場の請負業者の川口土木建設工業(株)の本社・本店が所在するのは埼玉県川口市で、派遣元のアーキマインド(株)の本社・本店があるのは東京都北区の西が丘。
  北区西が丘というと、内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦が住んでいる所だっけ?・・とふと思ったが、浅見光彦の住所は北区西ヶ原。似た名称だが別の所。地名が似ているだけではなく、アーキマインド(株)の本社がある北区西が丘は、京浜東北線の「王子」と「赤羽」の間の「東十条」から西に歩いた所で、浅見光彦の住所の北区西ヶ原は京浜東北線の「田端」と「王子」の間の「上中里」から西に歩いた所と、なんか似た感じの駅から西に歩いた所だ。
佐渡伝説殺人事件 「浅見光彦」シリーズ (角川文庫) - 内田 康夫
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金沢殺人事件 新装版 (祥伝社文庫) - 内田 康夫
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  それで、川口土木建設工業(株)の工事現場での事故で、川口土木建設工業(株)の工事現場責任者の対応は明らかに不適切なものであり、そういったことを考えても担当の労基署は工事現場の朝霞市の労基署か川口土木建設工業(株)の本店がある川口市の労基署かどちらかになるのが妥当であろう・・と思ったのだが、ところが、アーキマインド(株)の本店がある東京都北区の赤羽の労基署が担当だというのだった。・・なんか、それでは川口土木建設工業(株)はズッコイのと違うか・・・・。

  ともかく、労災の申請をしなければならなかったのだが、そのためには骨折した足で船橋市から赤羽の労基署まで行かなければならなかった。「誰か、家族で行ってくれる人はありませんか」など言われたが、ないものはしかたがない。労災の申請手続きくらい、腕を怪我した人間なら船橋から赤羽まで行ってもいいだろうけれども、足を骨折している人間に船橋から赤羽まで行かさなくても、船橋に住んでいる人間なら船橋の労基署で申請できるようにできないものだろうか。

  実際に足を骨折して松葉杖をつく生活を3か月余経験して知ったのだが、
(1) 松葉杖をついて階段を登り降りするというのは、これは思っていたより難しくなかった。松葉杖で進むのは、階段よりも、むしろ、坂道の方が大変だった
(2) もうひとつ、大変というより、本当に怖かったのは、歩道を松葉杖をついて進んでいる時に、自転車で歩道を走ってこられた時だ。
自転車は歩道を走るべきか車道を走るべきか、自動車と違って自転車の運転には免許はないので、教習所に通って学習したりしないから、そのあたりについての認識がない人が多い。 我が家の近くのコンビニだったかヤマト運輸だったかに行った帰り、歩道を松葉杖で進んでいた時、向こうから自転車で歩道を相当速いスピードで走ってこられて、本当に怖かった。自転車を運転していた人からすれば、向きを変えれば自転車が通る場所を空けることができるだろうと思ったのだろうけれども、松葉杖をついている者はそんなに簡単に向きを変えることはできないのだ。かろうじてよけたが本当に怖かった。自転車で歩道を走る人は松葉杖をついている人がいたら、せめて、松葉杖をついている人の横を通る時くらいは自転車から降りて進んでほしい。
(3) 車椅子で移動する場合、自分で輪をまわして進む場合と誰か人に押してもらう場合が考えられるが、気をつけないといけないのはスロープを登ったり降りたりする時だ。車椅子というのはスロープを登る時、案外簡単に後ろにひっくり返る。 だから、自分が人の車椅子を押してあげる場合には、登りは車椅子を前進させるように後ろから押すが、スロープを降りる場合は車椅子の後ろに立って、後ろに下がるようにして降りる。
私は建築屋だったから、スロープを作るという人の家の工事も担当したのだが、このくらい登れるだろうと思っても、実は車椅子というのは、けっこう簡単に後ろにひっくり返ってしまうのだ。スロープの勾配はどのくらいまでと書かれたものを見て、そこまで緩やかにしなければいけないものなのだろうかと思ったことがあったが、車椅子はスロープを登る時にけっこう簡単に後ろにひっくり返るということを考えると、車椅子で自分で輪をまわして登り降りできるようにとするなら、かなり緩やかな勾配にしなければならない。又、日本の街中にある施設で車椅子の人が通れるようにとスロープが設けられている所があるが、そのスロープを設けた人は車椅子というのはけっこう簡単に後ろにひっくり返るということをわかっていない人が多いので、スロープが設けられていても勾配はけっこう急であることが少なくない。だから、車椅子でスロープを登ろうと考えた人は、プロの建築屋が作ったからには車椅子で登れるようにできていると決めつけない方がいい。後ろから誰かに押してもらうか、たとえ、自分で輪をまわして進むにしても、後ろにひっくり返らないように、後ろに誰かにいてもらうことができるなら、それほど緩やかでなくてもいいが、自分だけで輪を回して進む場合は、かなり緩やかな勾配でなかったら登る時に背後にひっくり返ってしまう。 実際、私は朝霞台の病院の向いの薬局に行った際に薬局の入口のスロープを登ろうとして背後にひっくり返った。幸い、場所が病院の前、薬局の入口だったので、近くにいた看護婦さんが起こしてくれて助かったが、実際のところ、スロープを設けることはできても、車椅子で自力で輪をまわして登る時に背後にひっくり返らない程度の勾配のスロープを設けようとしても、それだけのスペースが取れない場合があって、人に押してもらってなら登れるが自力で輪を回して登ろうとすると背後にひっくり返ってしまうスロープがけっこうあると思うので注意した方がいい
(4) 松葉杖をつきながら買い物をするのはけっこう大変だ。何が大変かというと、セルフサービスの店が最近は多いが、松葉杖をついて前進するには、健康な状態の時に買い物かごを持って前に進むよりも広い幅が必要であるが、スーパーでもコンビニでも、松葉杖をつきながら進めるだけの幅が取られている店ばかりではない
  スーパーやコンビニの狭い通りを松葉杖をつきながら苦労して進めたとしても、両腕は松葉杖をついているので、買い物籠を片腕で持ちながら松葉杖をつくというのが大変だ。
  それができたとしても、両腕は松葉杖を支えながら棚に載っている物を籠に入れるという作業が難しいまだ、腰くらいの高さの棚にあるものは苦労してなんとか籠に入れられるが、高い位置や低い位置のものを籠に入れるのは本当に大変だった。
(5) そして、移動手段だが、もしも、左足を骨折した場合ならば、オートマのクルマならば、アクセルペダルとブレーキペダルは右足で操作するので、運転できる。しかし、右足を骨折した場合はアクセルペダルとブレーキペダルを踏むことができないのでオートマのクルマでも運転できない。私が骨折して石膏を巻いたのは右足であったから、オートマのクルマでも運転できなかった。
(6) 駅の階段はラッシュ時、ものすごく混んでいて人が大量に駆け上がったり、駆け下りたりするときは怖い。しかし、昼間、それほど人が多くない時間帯を選べば、階段の登り降りはそれほど大変ではなかった。
(7) しかし、電車に乗車する場合に、始発駅から乗る場合は新たに電車が到着するまで待って乗れば座れるが、常に始発駅から乗れるわけではなく、途中駅から乗車する場合に立った状態で電車に乗るのは危ない。だから、私は途中駅からは電車に乗らないようにした。
(8) 松葉杖をついていると実状以上に身障者のように思って心配してくださる方があるのですが、私の場合は右足の甲を骨折して石膏で右足の下の方を固めて、松葉杖をついていたとはいえ、もしも、本当によろけて松葉杖を離してしまったというようなことがあったなら、一時的になら石膏で固めた方の足ともう片方の足で立つことだって立とうと思えば立てたのです。骨折した方の足に荷重をかけてしまうと骨がくっつく際に不適切にくっついてしまう可能性があるので、できる限り、骨折した方の足に荷重をかけないようにしないといけなかったので、それで松葉杖をついていましたが、ものすごい身障者だったわけではないので、本当に転んでしまったなら自力で起き上がることもできたし、そこまでものすごい身障者のように配慮してもらう必要は私の場合はなかったのですが、どうも、松葉杖をついて外を歩くとものすごい身障者のように見えてしまうことがあったようです。
  逆に、3か月ほど経った頃、石膏をはずしたのち、自分の足で歩く練習をしましょうということになったのですが、3か月も片方の足を石膏で固めて松葉杖で動いていると、普通に歩くだけでもものすごい不安です。 最初は、松葉杖の片方だけを持って骨折していた方の足の側を支えながら歩き、次に松葉杖の片方ではなくて、お年寄りが持つような杖を持って支えながら歩き、次いで、杖ではなくて傘、折り畳みでない傘を持って杖のようにしようと思えばできる状態で歩き、その後、何も持たないで歩く練習をしましたが、その状態の時は松葉杖など持っていませんから、世間の人からは普通の健常者のように見えたようですが、そうではありません。3か月も普通に歩いていない者にとっては、単に歩くだけでも相当不安なのです。
  松葉杖をついて外を歩いていた時、最も怖いと思ったのは松葉杖をなんとかつける程度の幅の歩道を進んでいたら正面から自転車が歩道をかなりの速さでこちらに向かってきた、ということがあって、こちらは松葉杖をついているのだから減速してくれるだろうと期待したらちっとも減速してくれず、自転車で歩道を走っている人からすれば、「歩行者」が体の向きを変えて自転車が通る場所を空ければいいだろうと思っていたのでしょうけれども、「松葉杖の歩行者」は単なる「歩行者」とは違って簡単に体の向きを変えることはできないので、かつ、自転車を運転している人はそういうことを理解できないらしく、本当に怖かった。
  石膏をはずして松葉杖をつかずに歩く練習をしましょうとなった時、松葉杖をついていると「身障者マーク」をつけて歩行しているみたいなものでしたが、今度はそういったものがないことから、まだ完全に回復したわけではないにもかかわらず完全に健常者と見られてしまうことの不安と危険がありました。特に、「サイレン鳴らしてないパトカー」、整形外科の病院の敷地内を必要もないのに通り抜けるのはやめてほしい。 もしも、そこが整形外科でない病院ならまだいいのですが、整形外科に来院する患者でも腕を骨折した人とかは足は悪いわけではないので横を「サイレン鳴らしてないパトカー」に通られても平気かもしれませんが、松葉杖をついていないから健常者だろうとけーさつ缶は思うのかもしれませんが、そうではありません。松葉杖をついていなくても整形外科の病院に通院している者には足が悪い者がいるのです。少し前まで松葉杖で移動していたが、ある程度以上、固まってきたと思われるので、石膏をはずして、そろそろ、自分の足で歩く練習をしましょう・・となった段階の者というのは、松葉杖とか特別なものを持っていませんが、松葉杖をついていないからといって完全に回復したわけではなく、まだまだ歩行するのに不安があるのです。だから、整形外科の病院に来たわけでもないクルマ、「サイレン鳴らしてないパトカー」は整形外科の敷地を通り抜けるのはやめてほしいのです。足が悪くて通院している者からすれば、近くを通り抜けられるのはものすごく不安なのです・・といっても、けーさつ缶には一般人がどうかなんて知ったことではないかもしれませんが、できたら、特に整形外科の病院で事件があってサイレン鳴らしてやってきたとかいうことではなく、普通に街中の道を走っているだけなら、整形外科の病院の敷地を通り抜けるのは避けてほしいと思います・・・が、けーさつ缶にそんなこと言ったら、「なにい~い」とか言ってすごまれそうで怖いので直接言えませんから、だから、とりあえず、ここで言っておきましょう。

  それで、赤羽の労基署に行った時だが、JR総武線は津田沼駅始発の電車があるので、船橋市の自宅からタクシーで「津田沼」駅まで行き、津田沼駅始発の総武線各停に乗って「秋葉原」駅まで行き、秋葉原駅の前からタクシーに乗って赤羽まで行った。帰りは、タクシーで京成電鉄の「上野」駅まで行き、始発駅である京成電鉄「上野」駅から京成電鉄の特急に乗って「船橋」駅で下車して、京成「船橋」駅からタクシーに乗って自宅まで帰った。
  この際、赤羽から上野まで乗ったタクシーの運転手が、上野公園のあたりで同じところをぐるぐるまわり、なんで、そっちに行くんだという方向に行って戻ってということをやったが、体が不自由だということからなめられて、必要がない所をぐるぐるまわられた可能性が小さくないと思う。乗っていてそう思ったのだが、どうも、体が不自由な時というのは気が弱くなってしまって、情けないことに言えなかった。
  
  さて、今回は「子供のやることに間違いはないのだあ」というアンパンマン「子供」帝国主義の間違いについてに続いて、「アホは純心ではない」という話です。
  アーキマインド(株)の「本社」は、本社とか本店とかいった感じの建物ではなくて、東京都北区の住宅地の3つ並んだ3階建ての建売分譲かと思われる建物のひとつでしたが、そこに普段は社長の鈴木ともうひとり、若い頼りなさそうなにーちゃんがいたのです。 いかにも、頼りないという感じのにーちゃんでしたので、社長の親戚の息子を頼まれて採用して使っているのかと思って、社長の鈴木さんに「◇◇さんは社長の親戚の人なんですか」と尋ねてみたところ、「いや、そうじゃない」ということで、「彼は東海大学を出て、『トライアル雇用』というのでうちに来て、そのままうちに勤めているんだ」ということでした。「トライアル雇用」なんてのがあるようです。
  (株)一条工務店 に1992年に私が入社した時、(株)一条工務店は「女性は結婚するとパートタイマー扱い」ということになっていたのですが、それは日本の法令からすると違法のはずで、女性だから結婚したら正社員でなくなるなんて話が今の日本で通じるわけないだろ、そんな会社が今の日本にあるわけないだろ・・と思ったら、あったのです。 ところが、女性社員でも「社長の義理の弟の営業本部長の天野隆夫の嫁の天野順子」さんは営業本部長の天野隆夫さんと結婚していたはずで、(株)一条工務店が住宅展示場に置いていたアルバム帳面には、その娘が来客の娘みたいな感じで写っていました・・が、夫持ち・既婚者のわりに天野順子さんは正社員で、なおかつ、「総務の責任者」だったのです。なんか変なの・・。
  「総務の責任者」なら役職は部長か次長か課長か何なのか・・というと、役職はヒラだったようですが、ヒラでも「総務の責任者」だったのです。それでいて、「総務の山本」というヌケタみたいな男が総務にいて、ヌケタの山本は特にヒラから主任に昇進するような功績なんか残していないし、むしろ、ヒラからその下に降格になるようなことをしていたにもかかわらず「主任」でした。ヌケタの山本が「主任」で天野順子さんはヒラだったけれども、「総務の責任者」は主任の山本ではなくてヒラの天野順子さんだった。なんか変なの・・・て感じでしたが、それが(株)一条工務店でした。
  なんで、山本みたいな脳なしが「主任」なんだ・・とも思いましたが、おそらく、「一族」か「一族の縁故」かだったのでしょう・・けれども、「浜松の工務店」であれば「一族」か「一族の縁故」が総務とか人事とかでもいいかもしれないけれども、そうではなくて全国企業になっていこうということならば、それではだめで、私のような「旧帝大系国立大学もしくは早慶の社会科学系学部卒の者」と総務や人事に配置した上で、「アホはアホなりに使ってやらんといかん」ということで私のような者を責任者にならせた上で山本みたいのも使ってあげるというようにするべきで、総務の責任者は「『初代社長』の義理の弟の営業本部長の嫁」で役職はヒラで、「一族」か「一族の縁故」らしいヌケタみたいな男が、ヒラから主任に昇進するような功績など何も残していない、むしろ、ヒラからその下に降格した方がいいようなことをやっているにもかかわらず「主任」て、それでは全国企業としてはだめだろう・・・と私は思ったし、ほかにもそのように思った人はいるはずですが、「一族経営者」としては、その状態を断固として変えたくなかったみたいです( 一一)
  それで、アーキマインド(株)の「本社」に社長のほかにもうひとりいた従業員の20代の若いにーちゃんというのは、(株)一条工務店の「総務の山本」みたいに「一族」なのかと思ったら、そうではなかったみたいでした。山本よりは人間性は悪くない人みたいでした。

  どういう順番でやったか、もう細かいことは忘れてしまったのですが、労災保険の支給を受けるためには、又、治療費の支給を受けるためには事業主に書いてもらわないといけない書類があったのですが、それをな~かなか書いてくれず、困ったのですが、アーキマインド(株)の社長の鈴木が電話してきて「きょう、送りましたから、明日くらいにでもつくと思います」と言ってきたので、まあ、「蕎麦屋の出前」みたいなもので「きょう、送りました」と言って、それからポストに入れるなんてこともあるかもしれないとしても、たとえ、「きょう、送りました」と言って、実際には翌日にポストに投函なんてこともないとは言えないと思ったけれども、東京都北区から千葉県船橋市には1日あればつきますから、「きょう、送りました」と電話で言って、それから投函するのではなく、その翌日にポストに投函したとしても翌々日にはつくはずが、何日も経ってもつかないのです。結局、5日後くらいについたのではなかったでしょうか。
  何度も社長の鈴木さんに「出していただけましたか」と電話で問い合わせても「出したけれども」と言うばかりでした・・・が、その後、さらに社長の鈴木さんに「ご自分で出されましたか」ときくと、「いや、◇◇くんに出しておいてくれと頼んだんだが」ということでした。
・・・わかりました。社長の鈴木さんは「きょう、送りましたから」と言ってそれから、その東海大卒の◇◇くんに「これ、郵便で出しておいて」と頼んだわけです。普通に考えたら、そう言われたらその日のうちには出しますよね。私ならその日のうちには出します。しかし、そうでない人もいるのです。
  「これ、郵便で出しておいて」と言われたら、とりあえず、自分のカバンの中に入れて帰りがけでも翌日でも翌々日でも出せばいい・・くらいに◇◇くんは思ったのではないか。

  「ごく簡単な仕事、単純な仕事だから、誰にやらせても一緒」なんてことないですからね。
  2010年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業。2013年11月に正式に倒産〕で、返信用ハガキをポスティングしたことがあったのですが、地域を分けて同じようにポスティングをしても、私がポスティングをした所からは投函されたものが返ってきたのに対して、S井さん(男。当時、40代前半)が担当した区域からはほとんど返信されてこなかったということがあったのです・・が、S井さんと一緒に動いてみて理由がわかった。まず、S井さんは休憩が多すぎる。朝、午前9時から始業の会社で9時までに出勤しても、それから1時間くらい、パソコンでヤフーニュースを見ている。10時くらいから出かけても11時くらいになったらもうファミレスに入っている。ファミレスで食事をしても、食事を終えた後、少し休憩をとるくらいならわかるが、S井さんの場合は「少し」ではなく2時間くらいファミレスにいる。そして、私ならその日はポスティングをするとしたならば、その日いっぱいやって事務所に戻ってくるところが、S井さんは午後4時くらいにはもう戻っている。
  又、集合住宅にポスティングをする際にはS井さんは私などよりもずいぶんと速い。なぜ、あのものぐさな人がそんなに速いんだ・・というと、私は階段をかけあがって上からドアポストに投函しているのに対して、S井さんは「集合ポストではなくドアポストに入れてください」と言われても「はい」と言って集合ポストに入れる。
  そういう人には集合ポストがある集合住宅へのポスティングは向かないと考えて戸建住宅ばかりの地域を担当にしたらどうか・・というと、そういう場合にはコンビニのごみ箱とかにまとめてポスティングするみたい・・です。
だから、ポスティングなんて中学生でもできる作業だから誰がやっても一緒だろうと思うと、そうではありません。違います。
  1980年代、「大学生」だった時に郵便局の窓口の仕事をアルバイトでやったことがありましたが、最後のころ、隣で仕事をしていたおねえさんから、「さすがねえ」と言ってほめてもらったことがありました。「朝、お金がどれだけあって、切手とかハガキがどれだけあるかを確認して、夕方にお金がどれだけあって切手やはがきがどれだけ残っているか計算するのだけれども、正規の局員として勤めている者はそんなに間違えないのだけれども、アルバイトの人が来ると、どうしても、お釣りを多く渡してしまったり、渡すべきものを渡さなかったりして、いくらか合わないことが多いのだけれども、あなたは全然間違えないね」と、言ってほめてもらったことがありました。郵便局の窓口というのは(株)一条工務店の営業みたいに、どれだけ契約してもらえるかなんて苦心苦労しなくても、そこに来てくれた人に言われたものを売ればいいだけですし、なにしろ、会社名は「郵便局」という信用ある会社ですから間違いなく「お客さん」は来てくれます。でも、それでも、お釣りを多く渡してしまったり、逆に渡す額が少ないか私忘れたりして、夕方になって、そこにある切手やはがきなどの数を数えて、お金を計算した時に「合わない」ということが、アルバイトの人が来るとよくあるらしいのでしたが、それが人によって違うのでした。
  小学校の1~2年の時、担任の先生が「算数」で足し算・引き算・掛け算・割り算をやった時、トーナメント大会として、先生が問題を出して隣の生徒とどちらが先に正解を言えるかという勝負をして、勝ち抜き戦で優勝者と準優勝者には「連絡帳」に「よくできました」と先生が書いてくれるということをやったことがありましたが、私は何度も優勝や準優勝をしました。うちの父親は「あくまでも、わしがえらいからであって、おまえはまったく何の努力もしとらんねんぞ。心得違いをおこすなよ」などと言っていましたが、そんなことありません。何の努力もしないで優勝するわけないじゃないですか。相当の努力をした結果です。遠山啓(ひらく)が『競争原理を超えてーひとりひとりをいかす教育』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」的なものを学び、中学校から高校にかけて「学」的なものを学び、その「学」的なものから「観」とでもいったものを身に着ける・・といったことを書いていましたが、その「術」的なものを小学校から中学校にかけて相当学んできた者とそうでない者とでは違いがでます。それだけの努力をしたのに一緒だったら泣きます。
  それから、姿勢の違いというものもあります。世の中には「しょーもないもの」をくすねる人なんてのもいますが、私はそんなことしません。北野高校で「体育」の授業で「剣道」をやった時に体育の先生が「昔、北野高校の生徒で熱田神宮に草薙剣を盗みに行ったやつがおった」という話を聞かせてくれたことがありました。「本校の卒業生には連合赤軍もおれば大泥棒もおる」と。その話を聞いた時には、なるほど、たとえ、泥棒をするにしても、そのへんで「しょーもないもん」万引きするよりは、熱田神宮にあるという草薙剣ちゅうやつを、いっちょ盗み出して見分してこましたろか・・という方がロマンがあるな・・とか思った・・のでしたが、そうは言っても窃盗は犯罪ですから、成功しても失敗してもほめるものではないわな・・と思ったら、1980年代、新聞によると、慶応義塾高校の生徒が東京都内の女子高に忍びこんで高校生の女の子のブルマーを盗もうとして掴ましよった( 一一)  ・・・なんかもう、聞いてるだけであほくそなってくるやろ。別に熱田神宮に草薙剣を盗みに行けとは言いませんが、しかし、女子高にブルマー盗みに行くやつと熱田神宮に草薙剣を盗みに行く豪傑とでは、やっぱり、熱田神宮に草薙剣の方がええと思えへんか・・。だいたい、ルパン三世なら熱田神宮に草薙剣を盗みに行くというならありうるかもしれんが、ルパン三世が女子高にブルマー盗みに行くかあ? 行かんだろ。もしも、そんなもん、盗みに行ったら、その時点で放映終わりになってまうわ。だから、もしも、何かを盗みに行くなら「熱田神宮に草薙剣」がいいか、「女子高にブルマ」がいいか・・、どっちか選べと言われたら「北野タイプ」人間は「熱田神宮に草薙剣」の方を選ぶと思うのだが、「慶応タイプ」はためらうことなく「女子高にブルマ」を選びよるのだ。そういう思考を「慶応心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「思考が柔軟」とか「スマート」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ。・・日本の企業て、大丈夫か・・?
〔 なお、「北野タイプ」「慶応タイプ」というのは、あくまで一般的傾向のことで、北野高校の卒業生にも「慶応タイプ」はいるし、北野高校の在校生にもいるのではないか、と思う。私と同じ小学校・中学校で同じ北野高校に行って慶応大経済学部に行って、たしか、兵庫県庁に勤めたらしいS本彰なんかは北野高校卒だがこの点においては間違いなく「慶応タイプ」だったと思う。「ギャルにもてもて」てやつだ。〕
冒険と日本人 (集英社文庫) - 本多 勝一
冒険と日本人 (集英社文庫) - 本多 勝一
  うちの父親の勤め先の工場にアルバイトに行かされた時のことだ。正社員の男性から指示されて仕事をしていたのだが、時間が空いたので、渡されていたウエスでそのあたりの棚とかを拭いていたところ、戻ってきた正社員の男性から「これまで、アルバイトに何人も来たけれども、何も言わないのに、そのあたりを拭いていたのはあんただけや。正社員の人間はやるけれども、アルバイトのやつは、たいてい、言われたことはするけれども、言わなかったらそんなことしないよ」と言ってほめてもらったことがあった。能力の違いというよりも、姿勢の違いというものもあるようだ。
  ・・そういう例はいくらでもあるのだが、列挙してもしかたがないのでこのあたりでとどめるとして、アーキマインド(株)から労災保険の申請と治療費の請求に必要な使用者からの書類が、アーキマインド(株)の社長の鈴木が「きょう、出しました」と言ってから4日も5日も経っても届かない、電話を入れて「間違いなく出してもらいましたか」と言っても社長の鈴木は「出した、出した」と言うのだが、いくらなんでも、東京都北区から千葉県船橋市までそんなに何日もかかるわけがない。
  後に、その理由はわかった。骨折が一応治った後、直接、社長の鈴木と会って話をした際、「ご自分で出されたのですか」ときくと、「いや、あなたに電話した後、すぐに◇◇くんに出しておいてもらうように頼んだ」と言うので、それだな・・とわかった。
  最終的には私の所に届いたのだが、普通郵便で来たか、簡易書留で来たかゆうパックだったかヤマト運輸か佐川急便の宅急便だったか忘れてしまったが、ともかく、最終的には来たのだが、社長が「きょう、出しました」と言ってからずいぶんと日数がかかったわけだ。出してから電話をかけて「きょう、出しました」と言うのではなく、電話で「きょう、出しました」と言ってから郵便を出すということは私もやったことはあるし、それはたいした問題ではないが、「きょう、出しました」と言ったからには「きょう」出さないといけない・・が、社長の鈴木さんが自分で出すなら「きょう、出しました」と言ったからには「きょう」のうちには出しただろう・・けれども、あの人はいくらか精神薄弱ではないか・・という感じの◇◇くんに頼んだということだから、そうなると「これ、出しておいて」と頼んでも、最終的には出すだろうけれども、それが1週間後になるか10日後になるかはわからない。・・そういう人なのです。簡易書留で出すかゆうパックで出すか、ヤマト運輸か佐川急便の宅急便で出すか、どれで出すかにしろ、そういうものを郵送する作業なんて、たいして難しい作業ではない・・はずですけれども、「間違いなく、遅くともその日のうちに出す」「基本的には、その日でもすぐに出す」ということが求められるものの場合は、その◇◇くんに頼んではだめです。最終的には出すとしても10日後になるか1か月後になるかわかりません。その人はそういう人なのですから。社長の鈴木さんは、その人はそういう人だと承知で雇っているのでしょ。それならば、労災保険の書類なんて大事で急ぐものはその人に「出しておいて」なんて頼むのではなく自分で出さなきゃだめです。
   それは、簡易書留で出すにしても・ゆうパックで出すにしても・ヤマト運輸の宅急便で出すにしても・佐川急便で出すにしても、発送する作業自体は難しい行為ではないけれども、「早く発送する」必要があり、「間違いなく発送する」必要があるものであり、難しい作業ではないが、大事な作業である。「野球のたとえ」を矢鱈とやりだすとおっさんだから、あまりやりたくないけれどもやると、僅差でリードした試合の9回の守備で、得点圏にランナーがいて、野球選手にとっては簡単な内野ゴロが飛んできた・・という場合、それを処理するのは「難しい作業」ではないとしても、「間違いなく処理しないといけない作業」であり「ミスすると大きな影響がでる作業」であるわけです。長嶋一茂が槇原のユーチューブにでて、槇原が完全試合をした時にサードを守っていた時の気持ちを話していたが、最後、自分の所に飛んでこなかったらいいのになあと思った、というのだが、どんなに上手い人間だってミスすることはあるわけで、そこでミスしたために完全試合が消えるとなったら嫌だなあ・・・と思うと、自分の所に飛んでこないで誰かほかの人の所に飛んでくれという気持ちに野手はなったらしい・・が、労災保険の申請・治療費の申請に必要な書類を送付するというのは、これはどうでもいいDMの発送とは違うのであり、「きっちりと・間違いなく送る」必要があり、「早く送る」必要があるもので、「送り忘れた」ということがあってはいけないのです。
  だから、もしも、私がその◇◇くんのような「社長付きの事務員」みたいな仕事をしていたならば、社長から「これ、出しておいて」と言われて頼まれたならば、私ならば、
(1)それは急ぎのものですから、ほかにもやることがあっても、まず第一にそれを発送する作業をやります。ほかの作業をしているうちに、それを発送することを忘れてしまうなんてこともないとは言えませんから、その意味でも、それを発送する作業を第一にやります。
(2)もしも、自分が外出する時に発送するか、自分が自宅に帰る時に発送しようと考えたとしても、その場合、自分のカバンの中に入れて移動すると、入れていることを忘れて自宅まで帰ってしまうという可能性だってないとは言えませんから、それは自分のカバンの中に入れないで別に持って郵便局なりヤマト運輸の配送所なりに行きます。
(3)もしも、昼食をとりに外に出る時に配送しようと考えたならば、昼食をとってから出しに行くのではなく、先に郵便局なりヤマト運輸の配送所なりに行って出して、それから昼食をとります。
  1990年代、(株)一条工務店 の福島県いわき市の営業所にいた「佐藤のじいさん」(男。当時、40代)は平均的な人間よりも忘れやすい人でしたから、他の営業に電話がかかってきて伝言を頼まれた場合、即座にメモを書いて担当営業の机の上にメモを貼りつけて、それから何かほかのことをやればいいはず・・でしたが、ところがそういう人に限って、他の営業に見込み客・契約客などから電話がかかってきて伝言を頼まれると、とりあえず、「どおれ、トイレでも行ってくるべえ」とトイレに行くのです。そして、展示場の事務所に帰ってきた時には自分が電話で伝言を頼まれたことは完全に忘れているのです。お客さんは電話をかけた時に担当営業がいなかっただけでなく伝言を頼んだのに担当営業が対応してくれないからかんかんに怒ります。担当営業は聞いていないから対処できなかったわけで、「佐藤さん、どうして、何何さんからの伝言を伝えてくれないの」と苦情を言うと、「佐藤のじいさん」は謝るのではなく「おら、知らね。おめえがきかないのが悪いんだ。おめえが悪い」とか言って居直ります。いわき地区の営業社員は私を含めて何人もが「佐藤のじいさん」にそれをされているので、「このアルツハイマーの糞じじいがあ」「このニワトリめがあ」と言って怒るのです。〔「ニワトリ」というのは「三歩あるくと前のことを忘れる」という意味です。〕 せめて、「ごめん」でも「申し訳ない」でも言えば良さそうなものですが「佐藤のじいさん」は絶対に言いません。2001年、総務部長の天野雅弘から「アルツハイマーとは何だ」と私は文句を言われたのですが、「『アルツハイマーとは何だ』とは何だ」と言いたい。私も「佐藤のじいさん」には何度も被害にあっているのです。何度も被害にあって、それを「申し訳ない」も「すまない」もこの人は絶対に言わないのです。それでも、いわき地区の従業員は、こんな人、追い出してもここよりいい就職先があるわけでもないだろうし、みんなで我慢してあげないとしかたがない、ということで何人もの人間が「このアルツハイマーの糞じじいがあ」「このニワトリめがあ」と言って我慢して許してあげてきたのです。1990年代、いわき地区にいたベテランの楠さん(男。当時、40代)は「佐藤さんも困ったもんだが、気持ちは悪くないんですけどね」などとお気軽なことを私に言ったのでしたが、楠さんはいわき地区にいても「佐藤のじいさん」と同じ展示場の配属になることはなかったので「佐藤のじいさん」の被害にあうことは少なかったはずで、だから「気持ちは悪くないんですけどね」などと言えるのです。同じ展示場に配属されて痛い目に何度もあわされてきた私からすれば「気持ちは悪くない」などと言えるものではなかったのです。どこが「気持ちは悪くない」ですか、「頭が悪いのであって気持ちは悪くない」ではなくて「頭もいいことないだろうけれども、気持ちも、十分悪い」じゃないですか。いわき地区の従業員の中で「佐藤のじいさん」の被害に一番あっていて、なおかつ、その人を一番めんどう見てきてあげたのが私だったのです。なおかつ、この人はめんどう見てあげると必ず「恩を仇で返す」ということをします。そういう人を、実際にアルツハイマーであるのかないのかわからないが「この人はアルツハイマーか何かなんだ。だから、我慢してあげなきゃしかたがないんだ」と思って耐えてきた、「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」してきた者に対して、「佐藤のじいさん」の被害にまったくあっていない総務部長の天野雅弘が「アルツハイマーとは何だあ」とは何だあ!!!
   アーキマインド(株)の東海大学卒の何何くんもまた、人よりもしっかりしていないというのは自分でもわかっているはずなのだから、「これ、出しておいて」と言われたら、普通の人間以上に、即座に・第一に発送するようにすべきだったはず・・なのですが、そういう人に限ってそういう対応をしない・・・ことから、たかが東京都北区から千葉県船橋市まで5日くらいかかったわけです( 一一)
  まず、そういう大事な書類を精神薄弱の人に「これ、出しておいて」と頼んだ社長の鈴木が間違っています。この人は大事なものは頼めない人なんだと、雇った時からわかっているはずなのです。うちの父親の勤め先の社長が「アホはアホなりに使ったらええがな」とよく言っていたというのですが、その人は大事なものは頼めない人なんだ・・とわかるはずなのです。YouTube を見ると、「バレンティンの超トリックプレー」なんてのが出ていたが、巨人とヤクルトの試合で、巨人の選手がありきたりのレフトフライを打ったところ、バレンティンはまったく動かず、バレンティンのすぐ右(センターより)にポトンとフライが落ちたが、ボールが落ちて後ろに転がって行ってもバレンティンはまったく動かず、ボールは後ろに点々と転がる、巨人の一塁走者は「いただきっ♪」て感じで二塁を回って三塁に進むと、「センター 上田」が後ろに転がったボールを捕ると即座に三塁に送球すると、巨人の走者は三塁でタッチアウト! これを動画の公開主は「バレンティンの超トリックプレー」と題名をつけて公開していたが・・、あれって「超トリックプレー」なのか??? 単に何もしないでつったってただけと違うのか? もうけっこう前、投手のバーネットが怒ってベンチでバレンティンとつかみ合いしたということがあったが、ありぁ怒るわ・・(^^)/  それで、この場面はレフトフライを打たれた時にミスされたら困る・・と思ったら守備固めの選手を出せよお・・てもので、それと似た感じ。労災保険の申請・治療費の申請に必要な書類というのは、ゆうパックであれ簡易書留で送るにしてもヤマト運輸で送るにしても発送する作業は特別難しい作業でも何でもないのだけれども、ありきたりのレフトフライを補給するというのはプロの野球選手なら難しくない行為のはずだが、バレンティンに頼んだら捕らずにつったってるだけの可能性は十分あるのだから、だから、そういう大事な書類の発送はその人に頼まずに、頼りになる人がいたら頼りになる方の人に頼む〔私が事務員でいたら間違いなく発送している〕ようにすべきだが、頼りになる人がいないなら社長が自分で出すようにすべきで、バレンティンがきっちりとレフトフライを捕るだろうなんて考える方が間違っているのだ。相撲の中継見ていて、「なんだ、この情けない相撲は。こんな相撲なら俺でも勝てる」なんて思う時があっても、実際には幕内力士に勝てるなんてことはないし、プロ野球の中継を見ていて「あんなの守備なら俺の方がうまい」なんて思う人がいても、実際はプロの選手の方がやっぱり上手い場合が多い・・のだけれども、バレンティンの守備に関しては、捕らないだけでなく、後ろに転がっていった球を追いかけないのだから、俺だって、もしも捕れなかったなら自分で追いかけるから、その点では俺の方がマシかもしれん・・が、「バレンティンの守備」みたいな人というのが会社という所にはいるのだ。そういう人には「簡単な仕事でも大事な仕事」は頼んではだめなんだ、と社長なら認識しろよ、アーキマインド(株)の社長の鈴木さんよ( 一一)
   
  それで、長々と書いてきたのは、この処理の問題を言いたかったのだ。アーキマインド(株)の「本社」にいた東海大学卒の何何くんだが、もしも私が彼の立場ならば、社長から「これ、出しておいて」と頼まれたにもかかわらず、それを帰りがけに郵便局なりヤマト運輸の発送所なりコンビニなりに立ち寄って発送しようと自分のカバンの中に入れてそのまま4~5日置いていたとか、自分の会社の机の横にとりあえず置いたところ、4~5日、置きっぱなしにしていた・・とかそういったことがあった場合、「あ~れえ~え」と思ったとして、これはいかんと思って即座に「社長、申し訳ありません。先日、出しておいてくれと言われた郵便、うっかり発送するのを忘れてしまって、まだ手元に置いていました。本当に申し訳ございません。」と謝った上で、「今からすぐに出しに行ってきます。それとも、私がこれから電車に乗って〇〇さんのお宅に持っていきましょうか。その方が1日でも早く届けることができますが、どちらにしましょう」と言うでしょう。その上で、「私、〇〇さんの所に電話入れて謝ろうと思うのですが、私が電話して謝ってよろしいでしょうか」とも言うでしょう。
  失敗したなら、失敗したことこそ即座に報告しなければならない。ところが、その何何くんはそれができない・・のか、それとも、ハナから「これ、出しておいてくれ」と言われたなら、1週間後でも10日後でも1年後でも出せばいいと思っていたか、どちらかでしょう。
  (株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた「佐藤のじいさん」は「気持ちは悪くねえんだ」と自分で言うのです。もしも、それを周囲の人間が「佐藤さんも困ったものだけれども、あの人はああいう人なんだ。気持ちは悪くないから、どうか、許してあげて」と言うのならわからないこともないのですが、そうではなく、「佐藤のじいさん」は自分で「気持ちは悪くねえんだ」と言ってふんぞり返るのです。だから、言われた者は「佐藤のじいさん」に、「気持ちは悪くないの。そう、そう。頭が悪いの。狂牛病のおかげで脳味噌が海綿状のスカスカになってるの」と言うのです・・が、そう言われると「佐藤のじいさん」は怒るのですが、怒る方が間違っていますでしょ。自分が人に迷惑かけておいて、それで一言として謝らずに「気持ちは悪くねえんだ」と言ってふんぞり返ったのですから、「気持ちは悪くない」ということは「頭が悪い」ということでしょ。「狂牛病のおかげで脳味噌が海綿状のスカスカになってる」のでしょう。
  アーキマインド(株)のその東海大学卒の何何くんというのは、「気持ちは悪くねえんだ」と言うならば、それなら「頭が悪いの。狂牛病のおかげで脳味噌が海綿状のスカスカになってるの」ということになるでしょうけれども、アーキマインド(株)の社長の鈴木さんもまた、その何何くんが次に私と会った時に、「〇〇さんに一言、謝っておいた方がいいよ」と指導するべきですが、そういう指導をしない。私は我慢する人間だと思われていた・・ということは、なめられていた、ということになります。
  それで、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた「佐藤のじいさん」にしても、アーキマインド(株)の東海大学卒の何何くんにしても、それは「気持ちは悪くない」というものなのかどうか。「気持ちは悪くない」ですまないでしょう。「気持ちは悪くない」なら、それならそれで、ミスをした時に「すいませんでした」「申し訳ありませんでした」と言うものでしょう。それを言わずにすませて当たり前という態度をとっているということは、「気持ちは悪くねえんだ。頭が悪いんだ」ですむ問題ではなくて、頭もあんまりいいことないかもしれないけれども、気持ちだって、いいとは言えないでしょう。

 「アホは純心」なんて思っている人が時々いますが、そんなことありませんからね。



  そして、とうとう、今回の本題。「自分より10歳以上若い者は純心ということはない」「自分より10歳以上若い者は素直などということはない」という話です。
   私は、自分が小学生の時、同級生が誰もが純心だとか、誰もが素直だとかなんて思っていなかった。同級生でも近所の同年代の子供でも、「嫌なやつやなあ」というやつはいた。 中学生の時もそうだった。高校生の時も、「こいつ、本当に嫌なやつだな」というやつはいた。うちの親はそういう人間が好きだったが、私は嫌いだった。そういえば、中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)という本では、オヤジとはその年代のその性別の人のことではなくて、オヤジと言われるようなことをする人のことを言うのであり、若い人にもオヤジはおり、女性にもオヤジはいると書かれていて、それは大いにその通りだと思ったものだったが、その見方からいくと、オバハン・オバタリアンというのも、その年代のその性別の人のことではなく、オバハンと言われるようなことをする人がオバハン、オバタリアンと言われるようなことをする人がオバタリアンだとすると、「高校生の時からオバタリアン女子」みたいな人もいた。
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)
大学生の時、自分のまわりにいる大学生が「純心」だの「素直」だのとは思わなかったし、思えなかった。
   ところが、自分が30を過ぎて、会社員として勤めていると、新卒入社で入ってくる人間とか、20代前半くらいの人間というのは、そうでない会社員一般よりも「純心」ではないのかとか「素直」ではないのかとか、つい考えがちだった・・・・が、それは違うとわからせてくれた人間が何人かいたのだが、その典型的なひとりが(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場(江東区潮見)にいた新卒入社1年の藤原(男。当時、20代。明治大学卒。浜松出身。)だった。
   前回、[第2005回]《住宅建築契約時の親戚の対応の間違いを間違った相手にあたる者と、施主側もまた契約には責任があると理解できない施主とその甥の話。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500893566.html でも述べたが、私が戸建て住宅建築業界に入ったのは1980年代後半で、(株)一条工務店 に入社したのは1992年4月だったが、(株)一条工務店の従業員で前職の小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)とその建物について尋ねる人がいたので、同じ職場の人が質問することには答えられることには親切に答えてあげるのがいいだろうと思って誰にでも親切に答えるようにした・・が、それが間違っていたと今は思っている。
  本当に知りたいと思って質問する人ならば教えていいのだけれども、(株)一条工務店にはそうではない人がけっこういたのだ。特に、この会社は経営者が同業他社に在籍したことがある従業員に対して敵意を持っている経営者の会社で、たとえ、過去に同業他社に在籍したことがある従業員でも今は自分のところの会社の従業員なんだということを認識できない精神的に欠陥があるとしか思えない人が経営者だったから、そういう会社においては、過去に在籍したことがある会社の内容や建物の内容について職場で話すのは要注意だった。
  1992年、(株)一条工務店 の東京営業所(東京展示場)(江東区潮見)には、浜松出身の人間が新卒入社2年目のO田(男)と新卒入社1年目の藤原とがいて、そこの従業員13人のうち、浜松出身の人間が2人もいるというあたりは「浜松の工務店」なんだなと思えた。「・・だら」とか「・・なもんで」とかいった言葉が何かと耳に入る会社だった。私が小学生だった1970年、花登筐(こばこ)『銭の花』を原作とする『細腕繁盛記』というドラマが関西の読売テレビ・東京の日本テレビで放映されたが、そこでの伊豆熱川の温泉旅館「山水館」の話では伊豆地方の人の言葉、「・・ずら」という言葉が話されたが、伊豆では「・・ずら」が遠州弁では「・・だら」になるらしかった。
  それで、だ。1992年、東京展示場で藤原が私に何だったか、エスバイエル(株)〔←小堀住研(株)〕の何だったか質問するので、それで私は親切に丁寧に話し出したのだった・・が、すると、藤原がその場にいた人間に「こうやって、エスバイエルのことを話すというあたりが嫌いだ」とか言い出したので、話すのをやめた、ということがあった。要するに、私は「藤原の罠」にかかったのだった。
  聞きたくなかったら、自分が質問しなければよかったわけだ。それをあえて質問して、質問されたからには親切に答えてあげた方がいい。「情けは人のためならず」という言葉があり、これは「人に情けをかけるのは、決してその人のためにならない」という意味だと思っている人がいるが、そうではなくて「人に情けある態度をとるのは、めぐりめぐっては自分のためなのだ」という意味らしい。住宅建築業の仕事をするにおいて知らないといけないものはいっぱいあるし、私が質問して教えてもらうことだってあるのだから、もし、私が知っていることで人から尋ねられた場合には、私が答えることができるものについては親切に教えてあげれば、めぐりめぐっては、こちらが同じように教えてもらえる時もあるかもしれない・・と考えたのだったが、その気持ちが原因で「藤原の罠」にかかることになった

  聞きたくなかったら自分が質問しなければよかったわけであり、それをわざわざ自分が質問したことで相手に話させて、それで「こうやって、エスバイエルのことを話すというあたりが嫌いだ」と周囲の人間に言い出すという、質問されたから教えてあげようと親切心から話しだした者に対して、そこまで陰湿なことをする人間が職場にいるとは思わなかった・・が、(株)一条工務店の東京展示場にはいたのだ。
  又、いくらなんでも、20代前半の大学でたばかりの人間にそういう人間がいるとは思わなかったが・・いたのだった。考えてみると、私が大学生の時に、大学生で陰湿な性格の人間はいなかったかというと、そんなことはない。私が大学生の時、陰湿な性格の人間はいた。それから考えると、私が30を過ぎた1992年においても大学新卒の人間で極めて陰湿な性格の人間が職場にいたとしても、それほど不思議なことではなかったが、ところが、自分が20代前半の時には大学生で陰湿な性格の人間がいたとしても不思議はまったくない、「こいつ、本当に嫌なやつだな」と思う人間はいたし、20代前半くらいの人間は誰もが素直だなどとは思っていなかったし、20代前半くらいの人間は誰もが純心だなんてまったく思っていなかったのだが、ところが、自分が30代前半になると、どうも、相手が大卒1年目とかだと油断してしまったり、気を許してしまったりすることがあったのだが、(株)一条工務店 の東京営業所(展示場)(江東区潮見)にいた藤原(男。1992年当時、20代。明治大卒。浜松出身)は、私にそうではない、20代前半の人間にも極めて陰湿な人間はいる、20代前半の人間でも自分より年上の人間を罠にかけてやろうと画策している人間はいる、自分より10歳以上年下の人間でも自分などの世代の多くの人間よりもはるかに陰湿な性格の人間はいる、遠州人には相当陰湿な人間がいる、ということを懇切丁寧に教えてくれた、カラダでわからせてくれたのだった。
  その時は、こいつ、ひどいやつだなと強く不快感を持ったが、しかし、今では藤原は私に
「自分より10歳以上年下の人間だから純心だとか素直だとかいうことはない。自分よりも10歳以上年下の人間でも極めて陰湿な人間はいる。」
「人に親切にすれば、相手は喜んでくれて自分にお返しに親切にしてくれるだろうなどと思ったら甘い。そうではなく、恩を仇で返す人間がいる。自分より10歳以上年下の人間でも、恩を仇で返す者がいる。」
「遠州人には、ひとに質問をして、質問するのだから親切に答えてあげようと思って答えると『そうやって話すところが嫌いだ』とか言い出す陰湿な性格の人間がいるから要注意だ」
「遠州人は人柄がカラッとしていて裏がないなどと勝手なことを言う遠州人がいるが、嘘である。そうではなく、極めて陰湿な性格の人間がいるから要注意であり、心を許してはならない。」

ということを私に実地でカラダで教えてくれたのが藤原であり、この点で藤原は私の師匠であり、こういったことを懇切丁寧に私に教えてくれた人だと思って感謝の気持ちでいっぱいです。
  水木しげる の『ゲゲゲの鬼太郎』には「子泣きじじい」なる妖怪が登場するが、元の「子泣きじじい」は夜道を歩いていると、道端で泣きわめく赤子がおり、かわいそうにと思って情けをかけて抱き上げると突然重くなってのしかかってくるという技を使う、いわば、藤原みたいなやつ、藤原のように人の情け・人の親切を罠にかけるという妖怪だ。まさに、「子泣きじじい」は「藤原みたいなやつ」だと言うべきか、藤原が「子泣きじじい」みたいなやつだ、と言うべきか。両方か。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-
児啼爺(こなきじじい)
 人のあまり足を踏み入れないような深山で、ときどき、赤ん坊の泣き声が聞こえることがある。
 なんだろうと思って近づくと、たしかに赤ん坊の泣き声である。
 赤ん坊だろうと思って、
「オギャー、オギャー」
 と泣く者を抱くと、赤ん坊はいきなりしがみついてきて、はなれない。
 逃げ出そうとすると、重さが五十貫にも百貫にもなり、抱いた者は動けなくなってしまう。そして、ついには命をうばわれるといわれ、昔、阿波(徳島県)の山奥などにいた。
 これは「ごぎゃ啼き」とも呼ばれ、
「ゴギャー、ゴギャー」
 と泣いて、山中をうろつく。一説には一本足だともいい、この怪物が泣くと、地震が起こる。
 また、「児啼婆(こなきばばあ)」というのもおり、姿は赤ん坊だが、顔だけは老婆で、やはり抱こうとすると重い。
 ある老人が、ヒョイとつまみあげて家に持って帰り、釜の中に入れて火を焚きつけた。しばらく釜の中で赤ん坊の泣き声が聞こえていたが、釜のふたをとってみると、カボチャであった。
 若い者が、
「これはカボチャでしょうか」
 と聞くと、
「これは、児啼婆だ」
 と言ったという話が残っている。
 こういう、山で赤ん坊の泣き声がするというのは、案外宇和島あたりでいう「のつご」、すなわち、山に捨てられた赤ん坊が妖怪になるという言い伝えと関係があるのかもしれない。
 ( 水木しげる『水木しげる の妖怪文庫(一)』1984.7.4.河出文庫 )
水木しげるの妖怪文庫〈1〉 (河出文庫) - 水木 しげる
水木しげるの妖怪文庫〈1〉 (河出文庫) - 水木 しげる
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  1992年、東京展示場(江東区潮見)にいた藤原ともうひとりの遠州人の沖田(男。当時、20代。早稲田大卒らしい。浜松出身)が、「浜松と静岡なら、静岡の方が県庁所在地だけれども、浜松の方が商工業都市で駅前のあたりを見ても浜松の方が栄えている。アメリカ合衆国でもニューヨークとワシントンではニューヨークの方が栄えているように、政治都市よりも商工業都市の方が栄えるんだ」などと言ったことがあり、そうかな? ・・と思ったことがあった。
  かつては、東京都(区部)より大阪市の方が人口が多かった時代もあったが、今では東京の方が間違いなく人口も多く、かつ差が開き、又、私が子供のころ、1960年代後半くらいに比べて、その差はどんどん開き、母の知り合いで東京と大阪と香川県を行き来する仕事についている人から「かつては、大阪は東京と香川県なら東京の方に近い存在だったけれども、なんだか、年々、大阪が香川県の方に寄っていっているような気がする」と言われたことがあったが、そのあたりを考えると、日本では、東京はやはり首都だという点が大きいのではないかと思え、政治都市より商工業都市の方が栄えるとも言えないように思う。
  日本に限ったことではなく、首都というものが強く影響することはほかの国でもあることで、「首都のいやらしさ」を解消するために、ブラジルは人工的にブラジリアという都市を作ってリオデジャネイロから首都を移し、オーストラリアはシドニーからキャンベラに首都を移したが、フランツ=ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房)によると、新たに首都になった都市がまたもや「首都のいやらしさ」を発揮している、という。
地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子
地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子
「首都のいやらしさ」を指摘するのはフランツ=ファノンだけではなく、アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(角川文庫)では、「首都・・いなか根性の砦」などと書かれているが、これは日本の東京にも当てはまるのではないか。「東京もん」はアメリカ合衆国人が東京で「アメリカ合衆国弁」(アメリカ合衆国型英語)を離すと一生懸命真似ようとするのに対して、関西人が東京で「大阪弁」を話すと「おい~い、ここは東京なんだからイナカの言葉を話すのはやめろよお」などと言うが、魯迅『阿Q正伝』の世界、「東京もん」は『阿Q正伝』に登場する阿Qみたいだ。又、1980年代、東急東横線「日吉」駅の西側、慶応大学と逆側に山村書店という本屋があって、そこに慶應大学鉄道研究会編『シティ電車』なんて本が平積みで置かれていたのを見て、気色わる・・と思ったことがあったが、何かと「シティ」と言わなきゃおれない症候群というのはアンブローズ=ビアスが『悪魔の辞典』(角川文庫)で「首都・・いなか根性の砦」と述べたように「いなかも~ん!」て感じがする。福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。いなかの生まれとか、いなかの住人とか、いなかの出身という意味の『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、福沢諭吉が言うところの「精神面がいなかもの」という意味での「いなかもの」が「東京もん」と慶應の学生には多いように思える。その「(精神面が)いなかも~ん」て感じの首都東京が政治都市であるとともに商工業都市としても巨大化して、純粋商工業都市大阪は年々、東京に差をつけられている。
  アメリカ合衆国の場合は、ニューヨークに限らず、州都はそれほど大都市でない市に設けていることが多く、ニューヨーク州の州都は巨大都市ニューヨークではなくて日本人には知名度は低いオールバニ、ウィキペディアによるとニューヨーク市の人口は都市圏人口は2000万人を超えるのに対してオールバニの人口は約117万人、(株)一条工務店が(株)一条U.S.A.という「現地法人」を作っていると言っているオレゴン州のポートランドもオレゴン州では最大の都市で人口は約65万人であるが州都ではなく、州都はセイラムで人口は約17万人。カリフォルニア州の州都も巨大都市のロスアンゼルスではなく、日本人にはなじみがあるサンフランシスコでもなく、サクラメント。ニューヨークとオールバニ、ポートランドとセイラム、ロスアンゼルスとサクラメントではニューヨーク・ポートランド・ロスアンゼルスの方がオールバニ・セイラム・サクラメントよりも大都市だというのは、これは「政治都市よりも商工業都市の方が栄える」かどうかという問題とは別で、意図的に大都市でない市に州都をもっていっているものと思われ、ニューヨークとワシントンも「政治都市と商工業都市なら商工業都市の方が栄える」のかどうかと言った問題とは別ではないか。 アメリカ合衆国はThe United States of America を「アメリカ合衆国」と訳しているが、この表記は誤解を招きやすい表記で、英語の国名から考えると、States は「州」であって「衆」ではなく、「アメリカ合州国」と表記せずに「アメリカ合衆国」としているのは誤訳か・・と思いそうだが、本多勝一『アメリカ合州国』(朝日文庫)によると、「衆」とは中国語で共和国を意味するらしく、「アメリカ合衆国」とは「アメリカ合『共和国』国」という意味らしいが、アメリカ合衆国では首都のワシントンはどの州にも所属していない特別行政区となっているのも、首都を特定の州に置かない、各州は平等な立場であるとするためのものらしく、ニューヨークとワシントンでは人口で見てもニューヨークの方が多く、巨大な商工業都市のニューヨークではなくワシントンに首都を置いているのは、それは意図的にそうしていると思われ、「政治都市よりも商工業都市の方が栄える」とかいった問題とは少々違うのではないか。
  かつて、ドイツが東西統一される前、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の「臨時首都」は人口も多くないボンだったが、ドイツの場合は各州の独立性が強く、フランクフルトが西ドイツでは優勢な都市で現在も日本からドイツへの飛行機はフランクフルトに飛んでいるが、各州の独立性が強く、国の名称も「連邦共和国」という名前のドイツの場合、東西統一前の西ドイツでは「臨時首都」を置くのに、各州の州都である有力都市を「臨時首都」にするのではなく、あえて、大都市でないボンを「臨時首都」にしたらしい。これも、「政治都市と商工業都市では」という問題とは別だ。
アメリカ合州国 (朝日文庫) - 本多 勝一
アメリカ合州国 (朝日文庫) - 本多 勝一
  日本では、静岡を「政治都市」、浜松を「商工業都市」と位置づけて、「商工業都市の浜松の方が政治都市の静岡よりも栄えるんだ」と(少なくとも遠州人は)思うかもしれないが、首都の東京は「政治都市」であるだけでなく「商工業都市」としても巨大化して純粋「商工業都市」の大阪は首都の「政治都市」東京に差をつけられている。
  この「ニューヨークとワシントンでもニューヨークの方が栄えるように、浜松と静岡なら政治都市の静岡よりも商工業都市の浜松の方が栄えるんだ」という表現は、沖田だけでなく遠州人でこの表現をする人はあるようだ。浜松と静岡を比べると、県庁所在地は静岡であっても、浜松は静岡に劣っているということはない・・と遠州人は言いたいみたいだし、駿河地方の中心都市の静岡と遠州地方(遠江地方)の中心都市の浜松として、浜松は静岡ほかの県庁所在地年に劣ってないんだ・・と言いたい気持ちもわからないことはない・・・・けれども、しかし・・・、一番の問題として、浜松とニューヨークを一緒にされても・・なんだかな・・・。
  井上靖『あすなろ物語』には、伊豆地方に生える「あすなろう」という木の話が出ていて、この木は「あすは桧になろう、あすは桧になろう」と思っているけれども、あすになっても桧になることはできない、それでも「あすは桧になろう、あすは桧になろう」と思っているというそういう木なんだ・・というのだ・・が、どうも、浜松という市は「あすは名古屋になろう、あすは大阪になろう」と思っているみたいなところがあるみたいだが・・・、まあ、なれない・・と思う。思うのは好きに思えばいいけど・・・。
安倍川もち(きな粉もち2個、あんこもち2個)×4パック 静岡土産 餅 お菓子 和菓子 お土産 個包装 詰め合わせ ギフト プチギフト もち お中元 御中元
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 ↑ 安倍川餅 静岡
春華堂 うなぎパイ 12本入り ウナギパイ お取り寄せ
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 ↑ うなぎパイ浜松
「安倍川餅 静岡」対「うなぎパイ 浜松」。
B&Bの「もみじ饅頭 広島」対「吉備団子 岡山」みたいなもんか・・・。
もしくは、U字工事の栃木県 対 茨城県 みたいなもんか・・・。

  もともとは浜松は嫌いではなかったのだが、むしろ、新幹線の窓から見て、一度、ここで降りてみたいなあと思った所だったし、1980年代、「大学生」だった時、国鉄夜行バス「ドリーム号」というのに乗ると、夜中、3度の「休憩」を取り、西は滋賀県の「多賀」、東は「箱根」だったと思うのだが(今は「箱根サービスエリア」が見当たらないが、「足柄」かどこかだったか)と中間で東名高速道路の「三ケ日サービスエリア」(今は見当たらないのだが、もしかすると今の「浜名湖サービスエリア」か)で駐車し、降りて真夜中・真っ暗なサービスエリアでトイレに行って、一度、昼間、このあたりに来てみたいものだと思ったものだったが、又、最初に(株)一条工務店の面接で浜松に行った時、駅の付近を見た印象では、むしろ、浜松っていい所だなあという印象を受けたのだったが、そして、(株)一条工務店に応募する際には「東日本ハウスの盛岡」と「一条工務店の浜松」なら盛岡は嫌いではないけれども浜松の方がいいかなと思ったものだったが、ところが、(株)一条工務店という会社に勤めると、だんだんと浜松が嫌いになってくる・・・
1990年代、福島県いわき市の営業所で「一条工務店という会社は、従業員にやる気をなくさせよう、なくさせようとする会社ですね」と言ってやめていった人がいたが、この会社に貢献してこの会社で定年ころまでやっていこうという気持ちで入社した人がそういう気持ちにならされてやめていくというのは悲しいことだ・・と私は思ったが、(株)一条工務店の一族経営者やその取り巻きどもは、ちっともそんなこと思わないようだった・・・自分たちが、この会社で貢献してやっていこうという気持ちで入社した従業員にそんな気持ちにならせている、その結果として浜松という街までもだんだんと嫌いにならせている、ということに彼らは少しも自覚がない(「病識がない」)という人たちだった・・・

  私は1992年4月に(株)一条工務店に入社した時点では、私が他の人より知っているものがあれば何でも教えてあげるようにした方がいいだろうと思っていた。こちらが教えてもらわないといけないものだってあるわけだから、私の方が知っているものは何でも親切に教えてあげるようにすれば、相手からも教えてもらえるようになり、お互いにプラスになると思ったのだ。しかし、東京営業所(展示場)(江東区潮見)で勤務して、頼まれたのでないなら、こちらから教えない方がいいかもしれないな・・と思うようになってきたのだったが、それだけではなく、はっきりと頼まれた場合でも、自分が相手よりよく知っているものを教えるということはしない方がいい場合がある、ということを藤原くん〔男。入社1年目。1992年当時、20代前半。浜松出身、明治大学卒らしい。明治大みたいなものしか行けないような者が、よくまあ、くそどあつかましくも東京で下宿までして「大学」に行ったもんだ( 一一) 〕が教えてくれた。藤原くんのおかげで、私は「親切のつもりでひとに物を教える」ということはやらない方がいい場合が少なくない、特に相手からはっきりと頼まれたという場合に、はっきりと頼まれたからには断らずに教えるようにした方がいいというのは間違いで、はっきりと頼まれた場合でも答えない方がいい場合がある、ということを学ばせてもらった。
  自分より10歳も若い者というと、若い者だから特別に純心かどうかはさておき、特に陰湿ということはないだろうと思い込んでいたが、決してそうではないということを藤原くんに教えてもらった、とともに、「親切のつもりでひとに物を教える」ということは、特にその相手からはっきりと頼まれた場合においてでも、やめた方がいい、仇で返されることがある、ということを藤原くんにが私に実地で教えてくれた。この2つを実地で学ばせてもらった、まさに「体でわからせてもらった」「骨身にしみて理解させてもらった」のはひとえに藤原くんのおかげであり、藤原くんには感謝の気持ちでいっぱいです。

  ( 2023.10.1.) 


☆ 会社と営業の話
[第2005回]住宅建築契約時の親戚の対応の間違いを間違った相手にあたる者と、施主側もまた契約には責任があると理解できない施主とその甥の話。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500893566.html

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