燈明寺(平井聖天)参拝【2/10】門をくぐり正面に聖天堂、右手に金堂。門の内側右に弘法大師像? 左に水子地蔵。「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると考える「子供」帝国主義の女とその夫に殺されたわが子の恨みをはらしていただくよう、水子地蔵様に祈願してきました。反社会的勢力雇用均等室を叩き潰せ!

[第2008回]燈明寺(平井聖天)〔東京都江戸川区〕参拝
  JR総部本線「平井」駅から北西に向かう2本の道の南側を進むと、蔵前橋通りと交差する「平井駅出口」交差点と「旧中川」にかかる平井橋までの間に比較的大きな交差点が2つあり、平井橋に近い側の交差点に信号がある。 信号がある交差点を北東方向に進むと、正面に諏訪神社の屋根が見えてくる。そのまま進むと、平井橋から遠い側の交差点から来た道と合流し、合流したあたりの北側に諏訪神社がある。
  諏訪神社の前を北東方向に進むと、大きなお堂が見えてくるが、これが燈明寺。↓
DSC03053.JPG
↑ 燈明寺は、ウィキペディアー燈明寺(江戸川区)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%88%E6%98%8E%E5%AF%BA_(%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%8C%BA) によると、正式名は 明雅山 明王院 燈明寺 と言うらしい。「別称」として「平井聖天」と言われ、大聖歓喜天(聖天、歓喜天)を祀るが、真言宗の寺で ↑ の写真に写っているのが金堂(本堂)で本尊の不動明王を祀っているらしい。

  この道をさらに進むと 燈明寺の正面に出る。平井駅から北西に進む道の北側を歩いてくると、ここに出る。↓
DSC03054.JPG
燈明寺は、どのくらいの「位置づけ」のお寺かというと、
(1)総本山とか大本山とかではない、
(2)ウィキペディア -歓喜天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 の「歓喜天を祀る日本各地の主な寺院」に東京都では5寺が掲載されているうちの1寺として掲載されている。
(3)ウィキペディアには、ウィキペディアー燈明寺(江戸川区)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%88%E6%98%8E%E5%AF%BA_(%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%8C%BA) として掲載されている。
(4)江戸川区指定史跡に指定されている。
(5)草創は平安時代と言われ、江戸時代中期に再興されたらしい。
(6)江戸時代に聖天を勧請して信仰を集めた。日本の三聖天としては、妻沼聖天(群馬県)・待乳山聖天(東京都・浅草)・生駒聖天(宝山寺。奈良県生駒市)の3つを言う説、桑名聖天(三重県桑名市)・栃木県那須町の三光寺を入れる説などあるらしいが、平井聖天は日本三大聖天には入らないが、妻沼聖天・浅草待乳山聖天とともに関東三聖天のひとつとされるらしい。
※ ニッポン旅マガジン 三大聖天とは https://tabi-mag.jp/ganesa/
  総本山・大本山などではなく、観光名所として有名というわけでもないが、ウィキペディア -歓喜天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 の「歓喜天を祀る日本各地の主な寺院」に東京都では5寺が掲載されているうちの1寺としてに掲載されているのなら参拝させてもらっていいだろう・・くらいに思って来たら、思いのほか、大きなお堂が正面に見える。
  門の後ろに見えるお堂は2つお堂があるのか?・・というようにも見えるが、これは1つのお堂で金堂(本堂)で不動明王を祀るお堂だが、鉄筋コンクリート造の1階の上に木造の2階建てのものが載っている混構造。 歓喜堂(大聖歓喜天を祀る)はこの左にあるが、これも鉄筋コンクリート造の1階の上に木造の建物が載る混構造で、木造の部分が地面の上に建っていたならば、ここまで巨大な印象を受けるものではないと思う・・が木造部分だけで見ても、なかなか立派なお堂であると思う。

DSC03055.JPG
↑ この門から入ります。
DSC03058.JPG
↑ 「聖天宮」と書かれています。本尊は金堂の不動明王だけれども、門をくぐって正面にあるお堂は大聖歓喜天を祀る歓喜堂で、門にかかっている額も「聖天宮」と書かれた額がかかっています。
DSC03057.JPG
↑ いつの頃からか、門を額縁にして撮る額縁撮りがけっこう気に入っているのですが、門の向こう、正面に見えるお堂は、不動明王を祀る金堂ではなく、大聖歓喜天を祀る歓喜堂

  ここをくぐって中に入りますが、その前に門の左に、↓
DSC03056.JPG
《 公告
宗教法人 燈明寺は 真義真言宗から真言宗豊山派に移ることを公告します。
  令和4年12月28日
   燈明寺 》
と書かれています。 ウィキペディアー灯明寺 には、《 この寺はかつては真言宗豊山派に属していたが、戦後に現在の新義真言宗に改められた。》と書かれているのだが、令和4年(2022年)に再度、狭い意味の「新義真言宗」から真言宗豊山派に復帰したということでしょうか。狭い意味の「新義真言宗」は和歌山県の根来寺を本山とする派で、真言宗豊山派は奈良県の長谷寺を本山とする派
  「真義真言宗」という言葉は2通りの意味があるという点がややこしい。真言宗は古義真言宗と新義真言宗の2つに分かれ、それぞれに派があるのですが、新義真言宗の方には《 広義では、根来寺を本山とする新義真言宗、智積院を本山とする真言宗智山派、長谷寺を本山とする真言宗豊山派、室生寺を本山とする真言宗室生寺派などを含むが、狭義では真言宗十八本山の一つで、根来寺を総本山とする『新義真言宗』を指す。》(ウィキペディアー新義真言宗https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%A9%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97
狭い意味の「新義真言宗」は和歌山県の根来寺を本山とする派で、真言宗豊山派は奈良県の長谷寺を本山とする派
   そういえば、ウクライナは「小ロシア」という言い方もしたらしく、ベラルーシを「白ロシア」と言い、ロシアを「大ロシア」と言ったらしいが、今ではウクライナは「小ロシア」という表現をしなくなったらしい。ヨーロッパ人はゲルマン・ラテン・スラブの3つに分かれるが、スラブ民族はさらに西スラブ(チェコ・スロバキア・ポーランドなど)と南スラブ(ルーマニア・セルビアなど)と東スラブ(ロシア・ベラルーシ・ウクライナ)に分かれるようだが、東スラブのベラルーシを「白ロシア」・ウクライナを「小ロシア」とも言っていたらしいが、スラブ人はロシア人であれウクライナ人であれ、白人なので日本人などより色は白いのだが、ベラルーシ人はその中でも色が白いのだろうか・・と思ったらそうではなくて、ウィキペディア=ベラルーシhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7 によると、《 ベラルーシの国名の由来である白ルーシ(英語版)の名前の由来をモンゴルに関連付ける説がいくつか挙げられている 。その際、モンゴル人が中国から学んだ文化である「方角を色で呼ぶ方法(五行思想)」をルーシに持ち込んだため、「赤ルーシ」(南部ルーシすなわち現在のウクライナ西部)、「白ルーシ」(西部ルーシすなわち現在のベラルーシ)、「黒ルーシ」(北部ルーシすなわち現在のモスクワ周辺)という名称が生まれ、そのうちの白ルーシ(ベラルーシ)が国名として残ったと言われている》という説があるらしく、この場合の「ルーシ」は現在のロシアのことではないということもあって、最近は「白ロシア」よりも「ベラルーシ」の方が使われるらしい。 ウクライナ人を「小ロシア人」、ロシア人を「大ロシア人」と言うのは、ウクライナ人の方がロシア人よりも背が低いのだろうか・・というと、これもそういう意味ではなく、ウィキペディアー小ロシアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2 によると、《 「小ロシア」(小ルーシ)の用語は、14世紀のギリシャの聖職者によって作り出されたとされる。13世紀半ばにキエフ大公国(ルーシ)がモンゴル帝国に滅ぼされ、その大公国の後継者としてハールィチ・ヴォルィーニ大公国(南西ルーシ)とウラジーミル・スーズダリ大公国(北東ルーシ)が誕生すると、コンスタンディヌーポリ総主教庁に属した従来のキエフ府主教区を分割するための前提が成立した。ギリシャの聖職者は、2つの大公国を区分する必要性があったため、古代ギリシャの「小ヘラス」と「大ヘラス」の地域的区分を応用し、南西ルーシを「小ロシア」、北東ルーシを「大ロシア」と呼んだ。》のが始まりらしいが、《 19世紀後半より、ウクライナの知識人・啓蒙家はウクライナ民族運動を起こし、「小ロシア」のかわりに民間に親しまれていた「ウクライナ」という用語を頻繁に使用しはじめた。その理由は「小ロシア」の意味の変化にあったと考えられる。本来の「小ロシア」は「ルーシの本土」を意味していたが、18世紀末以降ロシア帝国の辺境地としてウクライナの地方性を強調する「小さなロシア」という意味に変わった。20世紀初頭に「小ロシア」はウクライナの知識人によって蔑称として認識されるようになり、マスコミ・文学・学問・政治などにおいて「ウクライナ」に改変された。20世紀に存在したウクライナ人民共和国ならびにウクライナ・ソビエト社会主義共和国において「小ロシア」は否定的な意味を持つ用語として公式な使用から削除された。現在のウクライナでも「小ロシア」は否定語の色合いを維持している。》
本来、「小ロシア」は「東スラブ」の中でも「ルーシの本土」を意味する言葉だったが、いつしか、元々は「分家筋」のモスクワを中心とするロシアを「大ロシア」、モスクワを中心とする「ロシア」から下に見たような意味合いで「小ロシア」という言葉が使われるようになり、「小ロシア」に対して「ロシア」を「大ロシア」と表現すると、「大ロシア」に対して「小ロシア」の方が下のような印象を受ける言葉ということでウクライナでは使用しないようにした、ということらしい。ウィキペディアー谷崎潤一郎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B4%8E%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E によると、谷崎潤一郎を「大谷崎(おおたにざき)」と」呼ぶ人がいたらしいが、変態の小説みたいのを書いていたおっさんがそこまで偉大なのか・・というと、そういう意味ではなくて、弟が早大教授だったらしいが、その弟も小説を書いていたことから、兄を大谷崎、弟を小谷崎と呼んで区別したらしい。
  ・・それで、元々は「小ロシア」は「ルーシ」の地でも本来の地域という意味だったらしいが、「新義真言宗」も広い意味の「新義真言宗」に対して狭い意味の「新義真言宗」は、なぜ「真言宗根来派」を名乗らないのかというと、
《 豊臣秀吉の宗教政策は総本山根来寺を智山派・豊山派に二分し、勢力を分散させ一大宗教都市根来を衰退させることとなった。江戸時代には復興が許されたものの分散させられた僧侶は根来に戻ることは少なかった。》
《 明治政府の宗教政策により、他の真言宗宗派と1879年(明治12年)に合同する。1886年(明治19)には根来寺を新義派の根本道場として選定した。
  1900年(明治33年)9月、新義真言宗智山派(智積院)・新義真言宗豊山派(長谷寺)が真言宗より独立し、新義真言宗智山派及び新義真言宗豊山派の能化が3年交代により大伝法院座主を勤めることとなった。智豊交互に勤める風習は、戦国時代、玄誉 - 日秀 - 頼玄 - 玄宥 - 専誉あたりから見られるものである。
  第二次大戦後、1953年(昭和28年)、宗教法人法の改正により根来寺を総本山とする新義真言宗が創設されるにいたり現在に至っている。》
という経緯があったことから、根来寺を総本山とする派は「真言宗根来派」ではなく「新義真言宗」を名乗っているらしい。

  「聖天宮」と書かれた門をくぐると、正面に歓喜堂が見えます。↓
DSC03061.JPG
  左向こうに東京スカイツリーが見えますが、景観を悪くする邪魔なものが見えると思うか、背後にスカイツリーが見えていいと思うか、どう思うかは人それぞれか。東京都港区の増上寺は背後に東京タワーが見えますが、今ではそこに東京タワーがあることに慣れましたが、あれも景観としてはいいのか悪いのか、どうなのでしょうか。
  鉄筋コンクリート造の1階の上に木造のお堂が載っている混構造ですが、鉄筋コンクリート造の1階の上にお堂が載っていることから巨大なお堂のように見えますが、地面の上に木造のお堂が建っている方がいいか、この方がいいか、私はどちらがいいとは一概には言えないと思って帰ってきたのですが、どうでしょうか。
  その右手前に、金堂 がある。↓
DSC03060.JPG

  「聖天宮」という額がかかった門をくぐるとすぐ右手に、↓
DSC03062.JPG
↑ 右の石柱に「・・・大師一千年忌・・・」と彫られている・・ということは、左の像は弘法大師(空海)なのでしょうか。

  その左あたりに、江戸川区教育委員会による説明書きが出ています。
《 新義真言宗で明雅山 明王院(みょうがさん みょうおういん)と号します。》
と書かれていますが、入口の「公告」によると、「新義真言宗」(総本山は和歌山県の根来寺)から真言宗豊山派(総本山は奈良県の長谷寺。東京の護国寺が大本山らしい)に戻ったらしい。
《 山門を入った正面に見える聖天堂は燈明寺の別堂で、妻沼(めぬま)聖天、浅草待乳山(まっちやま)聖天とならぶ関東三聖天のひとつとして知られています。》
《 草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し 享保年間(1716~35)に京都から赴任した恵祐法印(えゆうほういん)によって再興されました。》
《 歴代将軍が鷹狩りの時に御膳所(ごぜんしょ)に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。》
《 その後、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあいましたが、当時の関 澄道(せき ちょうどう)貫主(かんす)(二十六世)によって京都宇治平等院風の三屋根造り(みつやねづくり)の優雅な本堂が建立されました。》
とある。訪問時、金堂の工事をおこなっていたが、その現在の金堂はこれのことか。しかし、その時点から、鉄筋コンクリート造の1階部分はあったのか、それとも、後に解体修理をおこない、1階部分の鉄筋コンクリート造の部分を作ってその上に木造のお堂を構築したのか、どちらでしょうね。
《 澄道 貫主は文人としても知られ、正岡子規伊藤佐千夫らと親交が深く、境内の茶室は佐千夫の設計によるものです。
    平成五年(1993年)3月  江戸川区教育委員会 》
と書かれています。伊藤佐千夫は千葉県の成東、今現在は山武市に所属するJR総部本線と東金線が分岐する成東駅の東のあたりの生まれの人で、最も有名な作品である『野菊の墓』は千葉県松戸市と市川市の境目あたりの松戸市の下矢切での話で、伊藤佐千夫は成東を出て東京の錦糸町のあたりにいたということなので、錦糸町の東の亀戸の東の平井あたりも行動範囲だったということは考えられるでしょう。
  その「境内の茶室」というのがどこにあるのか、よくわからずに帰ってきてしまったが、どこかにあるのだろう。
野菊の墓 他四篇 (岩波文庫 緑 9-1) - 伊藤 左千夫
野菊の墓 他四篇 (岩波文庫 緑 9-1) - 伊藤 左千夫
人と作品 正岡子規 (Century Books―人と作品) - 前田 登美, 福田 清人
人と作品 正岡子規 (Century Books―人と作品) - 前田 登美, 福田 清人
  正面の聖天堂・歓喜堂の左手前にお堂の説明書きがあって、陽に当たり雨に打たれてかすれて読めなくなってしまった部分が多いけれども、そこには「歓喜堂」と書かれていて、門を入ってすぐ左の江戸川区教育委員会の説明書きには「聖天堂」と書かれているのですが、大聖歓喜天(聖天、歓喜天)を祀るお堂ということで、「聖天堂」と言っても「歓喜堂」と言っても別にどちらでもいいのでしょう。

  左手に、子守地蔵なのか水子地蔵さまなのでしょうか、小さい子供を手に抱いたお地蔵様がおられます。↓
DSC03064.JPG
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の従業員には女性に孕ませるだけ孕ませて人工中絶させたとかいう男、孕ませるだけ孕ませて逃げる男が複数いましたが、私はそんな誠意のない無責任なことをしたことはない。そんな人とは違う。だから、水子地蔵さんは私には関係ないと思ってきたが、そうではないと思うようになった。
  そうではなく、「子供」を大義名分にかかげると何やってもいいと思っているバカ女症候群やそのオットのアホ男シンドロームの重症患者のおかげで、婚活・妊活の時間を奪われて、その結果として、そうでなかったなら産まれていたかもしれない私の子供が奪われたのであり、産まれていたかもしれないのに、「子供」独善主義・「子供」帝国主義のくそど厚かましいバカ女症候群・アホ男シンドロームに殺されたわが子の悔しい思いを何とかしてもらいたいとお地蔵さんにお願いしてきました。
  2011年4月、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に正式に倒産〕に社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人だということで縁故入社した滝口恵(女。当時、30代前半)は、その時点ですでに2人の子供を授かっていた女だったが、「子供があるんだから」と「子供」を大義名分にかかげて終業時刻ぴったりに退社して帰宅し、結婚したいと思いながらもふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらもできずにいる担当外の人間に、滝口が担当の仕事を労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働でさせて、そうやって帰宅した上で、結婚したいと思いながらもふさわしい相手とめぐりあうことができずにいる人間、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらもできずにいる担当外の人間が労基法違反の時間外労働・労基法違反の無賃労働で滝口が担当の仕事をしているまさにその最中に、オットと「妊活」(性交)やって3番目の子供を孕んで出産した。鬼の所業である。滝口の子供、特にその3番目の子供はひとの子を苦殺し・ひとの親を食い殺して産まれてきた子供であり、決して幸せになってはならない子供である。もしも、その子供の幸せを願う者がいたならば、その者は滝口とそのオットと子供が、結婚したいと思いながらもふさわしい相手とめぐりあうことができずにいた人間、結婚はできたが子供が欲しいと思いながらもできずにいた人間にできていたかもしれない子供を殺した倫理的殺人の実質共犯者であり、反社会的勢力である。
労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一
労働法入門 第7版 (有斐閣双書) - 外尾 健一
労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
労働法〈1〉 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
労働法〈2〉労働者保護法 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
労働法〈2〉労働者保護法 (有斐閣双書) - 片岡 昇, 孝史, 村中
  最近、バカ女症候群を応援し、「子供」を大義名分にかかげる女のために男性従業員の人権を侵害する目的で雇用均等室https://jsite.mhlw.go.jp/chiba-roudoukyoku/roudoukyoku/gyoumu_naiyou/kintou.html という役所の部署が創設されているが、「子供」や「女」を大義名分にかかげれば男性労働者に労基法違反の労働をさせるのが当然という雇用均等室の主張は許しがたいものであり、雇用均等室のその主張は日本国の法律に違反するものであり、「日本国の男性労働者、団結せよ」というもので、オバハン帝国主義とオバハン帝国主義の走狗としての雇用均等室の横暴を叩き潰すべく闘う必要がある。
〔 わからない人のために解説すると、「日本国の男性労働者、団結せよ」という文句は、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』の「万国の労働者、団結せよ」をもじったものである。〕
共産党宣言 (岩波文庫) - マルクス, エンゲルス, 大内 兵衛, 向坂 逸郎
共産党宣言 (岩波文庫) - マルクス, エンゲルス, 大内 兵衛, 向坂 逸郎
  「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」という文句もマルクス・エンゲルス『共産党宣言』にあるが、現在の日本においては、
「日本の職場に凶悪怪獣が出る―‐オバハン帝国主義という怪獣である」とでもいった状況である。
  そもそも、雇用均等室こそが職場における従業員・労働者の均等を阻害している存在だろうが・・。「雇用均等室」とはよくまあ、勝手な名前をつけたものだ( 一一)

  反社会的勢力 雇用均等室を叩き潰せ!

  かつて、中国の毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派は張り子の虎である。ヒトラーは張り子の虎ではなかったか、日本軍国主義は張り子の虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という恐ろしい武器を持っているが、これもまた張り子の虎であって、やがて打倒される」と述べたのだが、ところが、「子供」を大義名分に掲げれば何でもまかり通ると信じているオバハン帝国主義という帝国主義だけは、これは張り子の虎ではなく牙を持った恐ろしい本物の虎であり、今も存在してその勢力はますます増大しており、原子爆弾も人民義勇軍もオバハンには勝てない。
「オバハン通れば道理ひっこむ」
「泣く子もオバハンには勝てない」
「そこのけ、そこのけ、オバハン通る」
といった状況が職場ではしばしば見られる。
新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二はたとえ嫁の友人だということでの縁故従業員であっても、注意すべきものは注意すべきであり、それをできない怠る長谷川新二は使用者として「保護義務違反」としての責任が問われるものであるはずである。

  水子地蔵さま、オバハン帝国主義・「子供」帝国主義とその協力者によって殺されたわが子の恨みをはらしてください。どうぞ、お願いいたします。

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501088420.html は、さらに前に進み、鐘楼の横を通って歓喜堂・聖天堂に向かいます。

  (2023.10.8.)
街の達人 東京23区 便利情報地図 (でっか字 道路地図 | マップル) - 昭文社 地図 編集部
街の達人 東京23区 便利情報地図 (でっか字 道路地図 | マップル) - 昭文社 地図 編集部

☆ 燈明寺(平井聖天)〔東京都江戸川区平井〕参拝
1.平井駅から蔵前橋通りを横断し、諏訪神社の前を通って燈明寺へ。計画性のないチムニー(株)「ファーストグルメ」平井店。「(一条工務店の某営業のように)郵便物を盗むことは犯罪行為です 小石川警察署・・」。「無責任の体系」のチムニー(株)の面接。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500980727.html
2.門をくぐり正面に聖天堂、右手に金堂。門の内側右に弘法大師像? 左に水子地蔵。「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると考える「子供」帝国主義の女とその夫に殺されたわが子の恨みをはらしていただくよう、水子地蔵様に祈願してきました。反社会的勢力雇用均等室を叩き潰せ! 〔今回〕
3.門から入り、左に鐘楼、正面に聖天堂・右に本堂。「裏でなく 正門で入ろう 大学は」。八百長医者屋民族の嘘。この人間がこう言ったら実態はこんな感じかと推測するか、言った通りと推測するか。父親がなかったから父親がいるとどんなに大変か理解できないバカ女症候群。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501088420.html
4.RC造の1階の上の「歓喜堂」「聖天堂」。聖天堂から見た鐘楼・本堂。大聖歓喜天・ガネーシャとは。冠をつけている方が観音で足を踏まれている方が歓喜天なのか、両方が大聖歓喜天なのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501111583.html
5.不動明王を祀る本堂。不動明王とは。真言宗の新義と古義の経緯とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501141339.html
6.平井諏訪神社。江戸川区一の社殿、区登録有形文化財の稲荷社は彫刻がきれい。平井富士塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501193898.html
7.旧中川にかかる平井橋・荒川放水路で分断された中川・高校教諭は親に苦しむ生徒に助力するものと違うのか・「両親が離婚した」娘はみんなでほめなきゃならんのか・「両親が離婚した」らエライのか・「京大でも通りました」と母親が言ってまわる阪大生には何かしてあげるべきなのか・クロマティ高校卒の男は浪人する権利があるのか・あまりにも「一番」追いかける人は、結局、何がやりたいのか?・おばさんの似顔絵入りウチワと30代の女の「握手しましょ」はどっちが「利益供与」か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501232436.html
8.同僚を営業本部長に讒言する男とそれをきく営業本部長、会社のルールを破って人の追客中客を強奪して放置する所長とそれに加担する営業本部長、自社が損する嘘をつきまくる営業、「研修」で得意がって嘘教える男、〇日に見積書を持って来てくれと頼んでその日はパジャマで奥にいる人、「下位互換」の会社は立場が弱い、「失投」が来る浜松・掛川・名古屋の営業と「一流投手の会心の球」しか来ない東京・松戸営業所。吾嬬町とは。大正民家園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501276979.html
9.墨田区立花の白髭神社。自分が店員に腹立つことがあっても、会社が提携している店と勝手に喧嘩していいものではないであろう。いったん、もめても修復すべく働きかけるのが「営業力」、往復40分歩かせて交通費をけちる会社の判断は間違い。小村井交差点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501343357.html
10.亀戸線「小村井」~「亀戸」駅。自分が勤務する新展示場開設に尽力してくれた相手に「すいません」言わない営業・構造安全基準が甘い設計会社・気持ちが落ち着く方法17 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501359257.html 


★ 大聖歓喜天を祀る寺とお堂。
☆ 箕面山 聖天宮 西江寺参拝 1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだと言う心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から簑面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 聖天宮 西江寺について
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

☆ 金目山 光明寺(神奈川県平塚市) の歓喜堂については、
⇒[第976回]《金目山 光明寺(平塚市)参拝【3/4】大聖歓喜天を祀る歓喜堂。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498407897.html
☆ 飛騨国分寺(岐阜県高山市)については、
⇒[第360回]《飛騨国分寺と三重塔、「和風ドーマー」、ホテルの二重サッシ、飛騨牛中華そば―高山シリーズ第3回(9)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html 
飛騨国分寺では本堂の中の「一室」で大聖歓喜天が祀られています。 

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック