燈明寺(平井聖天)【3/10】門から入り、左に鐘楼、正面に聖天堂・右に本堂。「裏でなく 正門入ろう 大学は」。八百長医者屋民族の嘘。この人間がこう言ったら実態はこんな感じかと推測するか、言った通りと推測するか。父親がなかったから父親がいるとどんなに大変か理解できないバカ女症候群。

[第1009回]
  東京都江戸川区平井 の 燈明寺参拝の3回目です。
  お寺・神社の参拝は「初回は正門から」というのを基本としてきました。「基本と」というのは、道を歩いているうちに気づかないうちに敷地内に入ってしまっているということもあり、又、お寺や神社の敷地というのは、今は登記簿でどこからどこまでがどこの敷地というものが記載されていますが、江戸時代以前についてはそういうものはありませんし、周囲の自然環境や周囲の住人とともに存在した寺や神社というのは、ここまでというものがはっきりしていない場合があったはずです。又、クルマで訪問した場合、寺社に参拝者用駐車場がある場合、すでに門や鳥居の内側に参拝者用駐車場がある場合もあります。そこが正門だろうと思って入ったら他に「正門」があったという場合とか、2つ以上、入口があって、どちらが正門なのかはっきりしないケースとかもあると思います。だから、あくまで「基本としては」です。大事なのは気持ちの方の問題です。
  今回も、正門と言うのかどうかわからんが、正面の門から入りました。
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  だいたい、世の中、何が嫌いというて裏口入学ほど嫌いなものはない。1970年代終わり、私が浪人中に、うちの父親の親友だという医者屋のM川〔男。当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。私より少し年上の息子を私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢にしていたので、M川自身も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなかったとしても「かわいいキンタマ」(崎医大+知医大+沢医大+埼医大=かわいいキンタマ)とか卒とか、そんなところではないか。当時、大阪府豊中市在住〕から、ドバカ息子を私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に「患者」を適切でない薬漬け・必要のない検査漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学させた、というのを「これでもかあ!」というほど自慢された時から、裏口入学というのが嫌いになった・・というよりも、それより前から嫌いだったが、骨の髄から嫌いになった。
  うちの父親というのは、そういう人から感化されやすい男で、私はうちの父親から何度も何度も言われたものだった。うちの父親は私の眼を指で突き刺すようにして言うのだった。
「M川先生の息子さんは、おまえとは違って裏口入学やねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ、わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロ! 裏口入学なさったお方の爪の垢を飲みなさい」と。
  それで、私は言ったのだ。 
「裏口入学した人って・・、何かエライのですか?」と。
  すると、うちの父親は言うのだった。
「わからんかあ。おまえは、そんなことすらもわからんのんかあ」と。
  私は言った。
「はあ、どうも、ぼく、頭が悪いからなんか、ようわからんのですが、裏口入学した人って、何かエライのですかあ?」と。
  うちの父親は言うのだった。
「わからんのか、このチャンコロろすけイタコ浪商!」
「裏口入学なさった、ということは思考が柔軟やちゅうことなんじゃ。わからんのか、こんなことすらも」と言うのだった。
  それで、私は言ったのだ。
「はあ、ぼく、頭が悪いからなんか、どうも、ようわかりまへんなあ。
そんなに思考が柔軟ならば、その柔軟な思考力を活かして、狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でも、さっさと実力で現役で通って行かれたらいいのと違うのですかあ?
なんで、そんなに柔軟な思考力をお持ちの方が、私立金権関西医大やなんて、いったいどこの馬の骨かわからんような所に、裏口入学やなんて、そんな汚らわしいことやって行かなきゃならんのですかあ?
 それだけおっしゃるだけ、柔軟な思考力をお持ちのお方ならば、狂大医学部でも犯大医学部でもちょちょいのちょい♪ でお通りあそばすのとちゃいますの~ん? なんで、頭狂大学とか狂大とか犯大とかの医学部に実力で現役でお行きにならなかったんでっかあ~あ?
 な~んでえ~え?  なんでですのお~ん?

ぼく、頭悪いからなんか、なんでなんか、さっぱりわからへん」と。
  そうすると、うちの父親は言うのだった。
「そやから、そういうことを言うというあたりが、おまえは思考が硬いんじゃ。わからんのか、このチャンコロめが、このロスケ! このイタコ! この浪商!!!」と。
「わし~いとかM川先生とかはおまえとは違って思考が柔軟な人間やねんぞお~お。おまえとは違うねんぞ、この浪商チャンコロ! わかっとんのか、このチャンコロろすけイタコ!」とおっしゃるのだった。
 「世の中の人間はなあ、わしとかM川先生とかのように常に人に命令しなければならない、常に人に号令かけなければならないという人種・民族と、おまえのように常に服従しなければならないという人種・民族に天の神さまというお方は分けてお造りになっておるんや。民族でもそうやろ。チャンコロとかロスケとかは服従するための民族、ドイツ人とアメリカ人とかは人に命令し号令かけるための民族。わしとかM川先生とかは典型的なドイツ人でアメリカ人やねん。それに対して、おまえはチャンコロ人なんじゃ。どうじゃ、わかったかあ。チャンコロの分際でドイツ人と一緒やなんぞと思いあがってはならんぞ、このチャンコロめが、産まれてこなかったらよかったのに産まれてきおってからにこのチャンコロ! 謙虚になれチャンコロ! わしとかM川先生とかはドイツ人として、謙虚にドイツ人の使命として常にひとに命令し号令かけなければならない人間やねんぞお~お!!!〔⇒《YouTube-ワーグナー:ワルキューレの騎行 / カラヤン/ ベルリンフィル Wagner: Ride of The Valkyrie / Karajan /Bph》https://www.youtube.com/watch?v=ZOTdIhaGEuw 〕 そんでもっておまえはチャンコロとして産まれてきた人間として謙虚にいつでも服従・絶対服従・常に服従するのが世の中のためであって、あんたは号令かけられて服従することを喜ぶ民族やねん。喜べよ、チャンコロお! 号令かけられるとおまえは喜ぶもんやから、そやから、チャンコロのおまえを喜ばせてやってやってあげてやろうという優しいやさしいお気持ちから、わしはおまえに号令かけてやってあげてやってやってあげてやったっとんねんぞお。喜ばんとバチあたるぞ、このチャンコロめがこのチャンコロ、とってちってたあ~あ!♪!♪!
 わしはドイツ人で慶應やねんぞお~お。わしとおまえとは民族と階級が違うんじゃ。専門家に言うことなんじゃ、専門家の言うこと! チャンコロの分際でドイツ人のわしとかM川先生と一緒やなんぞと思いあがって心得違いを起こしてはならんぞ、このチャンコロめがこのチャンコロろすけイタコめがあ!!! ちゃんこ~ろ、ちゃんこ~ろ、ちゃんころチャンコロちゃんころチャンコロ、ちゃっちゃっちゃ♪
M川先生はドイツ人で医者やねんぞお~お。わかっとんのか、チャンコロ! 医者というのは普通の人間とは違うねんぞ、このチャンコロ! 医者というのは普通の人間とは違う特別に特別にエライお方やねんぞ、なんでもなんでも言うことをきかんといかんなねんぞ。なんでも何でもやぞ、なんでも何でも! わかっとんのか、このチャンコロろすけ! わしは慶応やぞお、わしはあ。わしはドイツ人で天高で慶應、M川先生はドイツ人で医者やねんぞ。医者というのは普通の人間とは違うねんぞ、医者というのは普通の人間とは違う特別の能力をお持ちの特別の特別の人間やねんぞ。わしとM川先生はおまえとは民族と階級が違うねんぞ、おまえとは。特にM川先生の息子さんは医者は医者でも裏口入学やねんぞお~お。おまえはチャンコロで浪商で亜細亜大なんじゃ。一緒にすんなよ、浪商、なみしょう、浪商、なみしょう♪ 一緒にすんなよ、チャンコロちゃんころチャンコロちゃんころ♪」と、耳鳴りがするほど言われてきた。今でも、この文句が、耳元でわんわんうなっている。 その「ドイツ人で慶應」のおっさんと「ドイツ人で医者」のおっさんとは「チャンコロ人で浪商」らしい私とは「民族と階級が違う」そうなのだ。それで、裏口入学したM川の息子というのは「裏口入学なさった、ということは思考が柔軟やということなんや!」ということらしかった・・・が、ぼく、頭が悪いからなんか、
(1)なんで、裏口入学したら「思考が柔軟」なのか。
(2)なんで、「思考が柔軟」なら裏口入学しなきゃならんのか。
今もってよくわからん。

医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
  又、毎日毎日、「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言われ続けてきて、そして、
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」
「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」

と思うようになった。
「起て! 奴隷となるな、わが人民。
我らの血肉で築こう、
新たなる万里の長城を。
お叫びあげて、いざ闘わん。
起て、起て、起て!」
とも。〔⇒《YouTube-中華人民共和国国歌「義勇軍行進曲(March of the Volunteers)」》https://www.youtube.com/watch?v=7wvyITD2stg 〕

  それに、一般入試については国立大学は郵送で求めると入学要綱というものが返送されてきたし、私立大学の場合は紀伊国屋書店とか大規模書店で入試要項が販売されていたが、裏口入学の入学要綱なんてどこでも販売されていないのだ。  裏口入学すれば「思考が柔軟」と認定してもらえるとしても、「思考が柔軟」とM川先生から認定してもらうために裏口入学しようと仮に考えたとしても、「そうかあ。一般入試で合格最低点を上回る点数をとって合格して大学に入学する人間というのは『思考が硬い』『甘ったれておる』ということで、裏口入学なさる人というのは『思考が柔軟なお方』だということなのかあ。医者という普通の人間とは違う特別にえらい専門家がそうおっしゃるのなら、それなら私もその裏口入学というもので大学に入学するようにしようか~あ♪」とか考えたとしても、その裏口入学というルートの募集はどこでやってるのかわからんのだ。そんなに裏口入学した人がエライと言うのならば、裏口入学募集要項とか販売して、もっとオープンに裏口入学の募集やってもらいたいものだ。たとえば、大阪桐蔭高校のホームページを見ると、同校では「進学クラス」と「スポーツクラス」というのが、はっきりと別口で募集している。ずっとお勉強してきた者からすると「進学クラス」の方が普通だが、プロの運動選手になろうというような人にとっては「スポーツクラス」の方が普通なのだろう。大阪桐蔭高校がはっきりと「進学コース」と「スポーツコース」を併記して募集しているのと同様に、裏口入学という「思考が柔軟」でエライお方なのだから、「医者の先生」というエライえらいエライお方のおっしゃることを聞いて、裏口入学なさったエライお方を見習って自分も裏口入学で入ろうと思う人のために、「正門入学コース」「裏口入学コース」と併記して募集するとかしてくれたら、それなら、うちの父親が「M川先生の息子さんは裏口入学なさるくらいに思考が柔軟やねんぞお」「M川先生の息子さんはおまえみたいに甘ったれてないから裏口入学やねんぞお」というお方みたいに「裏口コース」に応募するということも可能かもしれないけれども、「裏口入学コース」なんて正規に募集してないもん、応募のしようがない。 ・・というよりも、正規に募集していたら「裏口」と違うかもしれんけれども・・・・( 一一)
  裏口入学というのは、カネだけあってもできるものではなく、カネとコネとがあって成り立つものみたいなのだ。もっとも、私立金権医学部の場合、大学によっては学科試験のあと、親子がともに会う面接というのがあって、「いくら寄付金を出せますか?」と質問されて、「入試の成績+寄付金」で採点化されて、その「入試の点数+寄付金」で合否が決まることになっている私立大学というのもあるとかいう話を聞くが。スポーツ入学でも、スポーツが相当できれば学力は関係なく入れてもらえるというスポーツ入学もあれば、「スポーツの成績+学力試験の成績」で見て、スポーツが相当できる人は学力試験の成績が一般入試の合格最低点より少し低くても入学させてもらえるが、箸にも棒にもかからんという場合はスポーツができても不合格というスポーツ入学もあるらしいが、「スポーツの成績+学業成績」で合否を判断するスポーツ入学と似ているのか、「寄付金の額+学業成績」で合否が決まるという大学があるらしい( 一一)
  だいたい、そういう類の私立金権医学部なんてものは「全体が裏口入学」みたいなものだから、一般入試の入試要項というものが裏口入学の入試要項みたいなものなのかもしれない・・・が、どっちにしても、我が家の場合は、そんなコネなんかないし、うちの父親みたいな「しみったれ」がそんなカネ出すわけないのだから、私にとっては関係ないし、結局、私の場合はM川先生様から「思考が柔軟」と認定してもらうことは不可能だったのだ。
アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
  まったく、つくづく、迷惑な医者屋である・・が、うちの父親というのは、そういう類の人間を集める体質を持つ男だったようなのだ。霊能者のお話の劇画とかYouTube を見ると、「霊を集めやすい体質」の人とかいうのが登場するが、うちの父親の場合は、「わしなんかは、なんちゅうても、きみなんかとはちごうて思考が柔軟なもんじゃから、だから、うちの息子はきみとは違って裏口入学なんじゃ。そのくらい思考が柔軟なんじゃ。どうじゃ、わかったかあ。『わかりました』と言わんかあ!」とおっしゃるお方とかを集める体質の男だったようなのだ。

  だいたい、なんで、裏口入学で大学に行く者が「思考が柔軟なもんやから裏口入学なんじゃ」とか「甘ったれてないから裏口入学ということなんじゃ」とかいうことになって、ガチンコで大学に進学しようと努力する者が「おまえが裏口と違うということは、甘ったれておるということなんじゃ」とか言われなきゃならんのか。どう考えても逆やろ・・と思うのだが、「医者の先生のおっしゃることやねんぞお~お。専門家の先生のおっしゃることやねんぞお、わからんのかわからんのかわからんのかチャンコロめが、このチャンコロ浪商めが~あ!」とうちの父親は言うのだった。
   特に、浪人なんてする人間は今では特別に珍しいわけでもないのだけれども、うかつに浪人すると「息子さんが浪人したのは、それは先祖の・・が原因なんですよ」とかそういう類のことを言ってくる人というのが寄ってくる・・が、「ああ、そうですか」くらいに対処しておければ、それほど寄ってこなくなるのだが、うちの父親というのはそういうことを言ってくる人を喜んで招き入れる体質があったので、変なのがいっぱい寄ってきた。
  ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたというのを「思考が柔軟なもんじゃから、だから、裏口入学なんじゃ」と言って自慢しまくっていた ↑ の医者屋のM川(男。1970年代末現在、50代前半)はうちの父親と「親友」になったのだが、どこで知り合って「親友」になったのかというと、大阪市北区の扇町のあたりに北野病院https://parkinson-smile.net/facilities_search/detail/831?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=dsa&yclid=YSS.1001049181.EAIaIQobChMIiZ-07LX0gQMV8G8PAh18EA37EAAYASAAEgIwlPD_BwE というろくでもない病院があるのだが〔ホームページによると、「公益財団法人田附興風会医学研究所 北野病院」と言うらしい。うかつにかかると「医学研究」されそうで怖いこわい怖いこわい・・〕、そこの院長だか副院長だかに田附(たづけ)という男がいて、その田附から紹介されて親友になりよったらしいのだ( 一一)

  さらに、うちの父親の部下のM尾さんから金沢の拝み屋さんを紹介されて、大阪から金沢まではるばる行きよった。まったくつくづく、次から次へとややこしいのを紹介されて、そして、そのややこしいのを訪ねていく男やった( 一一)
うちの父親の部下のM尾さんも、「普通、会社の上役に””拝み屋さん”” なんて、そんなもん、紹介するかあ~あ」と思うのだが、そういうものを紹介する人で、その点は困った人やった。 そして、
「お父さんのお名前はこれ以上ないというくらい、すばらしい名前です。悪いのはご家族の名前です。奥さん(うちの母親)の名前には下に『子』をつけてください。上の娘さんの名前はひらがなに変えてください。下の娘さんの名前はカタカナに変えてください。一番悪いのは息子さんです。この人が諸悪の根源です。息子さんの名前を今すぐ『天津丼(てんしんどん)』に変えてください。これは絶対に変えないといけません。変えないとご家族全体に不幸がのしかかってきます。絶対に変えないといけません。大阪に帰られたら即座に息子さんの名前を絶対に『天津丼(てんしんどん)』にしてください」
と、そう言われて帰ってきよった。そのおかげで、
「きょうから、あんたの名前は『天津丼(てんしんどん)』に変えることにするわあ~あ♪ あんたの名前は、て~んし~んどお~ん♪ これが強運の名前やなん、これが。感謝しろお~お、てんしんど~ん!!! これから、あんたの知っている人の家を一軒一軒、訪ねてまわって『これからは私のことを《天津丼(てんしんどん)》と呼んでください』と言ってまわりなさい」
とおっしゃるのだった( 一一)  「て~んし~んどお~おん♪」と。
どんぶり職人 天津飯の素 1食 220g 12693
どんぶり職人 天津飯の素 1食 220g 12693
↑ 「天津丼(てんしんどん」
  それにしても、うちの父親というのは私が言うことは絶対にきかない男だったが、よその人間の言うことはよくきく男で、特に「医者屋」とか「拝み屋」とかそういったヤヤコシイ妖怪物の怪の類の言うことは本当によくきく男やった( 一一)

  東京に文化学院という学校があって、作家の遠藤周作は一時、その文化学院の講師をやっていたことがあったらしい。遠藤周作『狐狸庵閑話』(講談社 遠藤周作文庫)に載っていた話だが、その文化学院に占い師の藤田コト姫が生徒として来ていたことがあったが、藤田コト姫が講義に出席しないので、講師として藤田コト姫の家に「いまひとつ、講義に出席するよう」勧告に行ったことがあったらしいのだが、ところが、案内の人間が間違えて藤田コト姫に占ってもらいに来る人の待合室に遠藤周作を通してしまったらしい。順番が来て呼ばれて行くと、さすがに遠藤周作の顔を見て、「あら、先生でしたの」と言われるかと思ったらそうではなく、コト姫は「お名前は?」と命令口調で言う。「遠藤周作」と答えても、「あ、先生でしたか」とも言わず、「ご職業は?」と命令口調できいてくる。「作家で教師」と答えたところ、コト姫は遠藤周作の顔をまじまじと見て、そして憐れむように「作品が売れないのね。かわいそうに」と言い、「お名前が悪いのですよ。お名前を変えると、きっと売れるようになりますよ」と言ったというのだ。
狐狸庵閑話 - 遠藤周作
狐狸庵閑話 - 遠藤周作
遠藤周作は自分の作品は売れているのか売れてないのかわからないが、自分の名前は悪くないと思っているので今後とも変えるつもりはない、と書いていた。
   遠藤周作『おバカさん』には、電車の高架、ガード下に机を置いて筮竹で占いをやっているおっさんに、どこかに行ってしまったガストン=ポナパルトさんがどこに行ったか占ってくれと言ったところ、「そんなこと、私にはわかりません」と言い、あんた、わからんのにこれまで人に占いやってきたんかと言うと、「しかし、私は悪いことしているとは思ってませんよ。人生に何か迷った人が私の所に来て相談された時、その人の顔を見ながら『はい』『はい』と言って話を聞いていると、そのうち、その人は自分で結論を出して帰って行かれるのです。私はその人が答えを出すためのお手伝いをしているのです」と、そう答えたというのだ。
おバカさん (角川文庫) - 周作, 遠藤
おバカさん (角川文庫) - 周作, 遠藤
  同様に、「お名前が悪いのですよ。お名前を変えるときっといいことがありますよ」と言う「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」といった人というのも、絶対に悪いとは私は思わない。しかし、それはあくまでも相談者の名前を変えろという場合のことだ。人生において、何かうまくいかないということがあった人が、藁をもつかむ思いで「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」といった人に相談した場合に、実際に名前が悪かったわけでなくても、「お名前が悪いのですよ。お名前を変えれば、きっといいことがありますよ」と言われて、自分の名前を変える(通称として本名と別の名前を名乗る)ことで、「きっといいことがあるだろう」と思ってそれからの人生を生きるのなら、もしかして、そこで気持ちが変わることで本当に「いいことがある」かもしれない。たとえ、なくても、本人が自分の名前を変えてやっていこうと思うのなら、それはそれでいいのかもしれない。
  ・・しかし、だ。「お父さんの名前はものすごいいい名前です。絶対に変えてはいけません」と言って、相談者の名前は変えなくていい、周囲の家族の名前を「変えてもらってください」と言って相談者でない者に名前を変えさせろというのは、それは「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」といった類の人としてはやってはならないことだ。そういうものは、あくまでも、本人が自分の問題として相談し、「お名前を変えてください」と言われても、あくまで自分の名前を変えてやっていこうと思うならそうすればいいし、言われても変えたくないと思うならそれも本人の判断だ。相談してもいない人間に名前を変えさせろというのは、それは「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」といった類の人の行為として邪道であり外道である。それは「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」といった類の人の行為として「仁義に反する」ものである。
  その「金沢の拝み屋」のおばさん、「T原先生」とかいうのからもらったという「お守り」を「これを持っておけ」と言って無理矢理持たされたが、「逆らうとうるさい」のでしばらく持っていたが、そのうち、なんで、こんなもの、持たされなければならないんだと思い、丸めてゴミ箱に廃棄した・・が、あれは間違っていた。そうではなくて、五寸釘でも打ち込んだ上で焼き討ちにしてやるべきだった。「怨霊退散、なんたらかんたらくんたらそわか~あ」とか言って真言かマントラか唱えた上で怒りの火で焼きつくしてやるべきだった。〔⇒《YouTube-モーツァルト:レクイエム 怒りの日 (Requiem Dies irae)》https://www.youtube.com/watch?v=dHsyNRgBojw 〕
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626(SHM-CD) - カール・ベーム
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626(SHM-CD) - カール・ベーム
  「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」が「お名前を変えてください」と言ってよいのは、あくまでも藤田コト姫が言った時のように相談者に「相談者の名前を」である。その「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」に相談していない人間に「名前を変えろ」とか言うのは、それはやるべきことではないはずで、それがわからん「拝み屋さん」というのは反社会的勢力である・・が、そういうおばさんをはるばる金沢まで訪ねていくおっさんであり、私の言うことは絶対にきかないくせして、そういうややこしいおばさんの言うことはよくきくおっさんやった( 一一)

  北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかった・・が、卒業して10年以上経って冷静に考えることができるようになってみると・・もしくは「マインドコントロールが解けてみると」・・、あんまりいい学校ではなかったなあ・・と思うようになった。
  特に、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。担当科目「国語」。神戸大文学部卒)がうちの親に加担して「あなたのお父さんほど、いいお父さんはないわよ」などと言いまくり、その結果、そう言ってもらったうちの父親は「ええこと言う人やあ。あの先生はすばらしい人やあ。さすがは北野高校の先生だけあるでえ~え。さすがは女でも北野高校でてるだけあるでえ。さすがは女でも神戸大でてるだけのことある。ええ先生やで、あの人はあ」などと言い〔「女でも北野高校でてるだけあるでえ」については、最近は女性でも東大とか京大とかに行く人が増えてきたので私が高校生だった1970年代後半とかその前の旧姓作野礼子が高校生だった1960年代後半とかとは違ってきているかもしれないが、北野高校は男女共学で、男でも女でも関係なく合格最低点より上の者は合格という「大学型の共学」ではなく男女比がそれほど大きく変わらないように男子の合格者・女子の合格者を別に決めるという「小学校型の共学」だったことから、私が行った頃の北野高校は男子は大阪府で最難関の高校だったが、女子は氏名と受験番号さえ書けば誰でも通る学校で、旧姓作野礼子が行った頃の北野高校は、男子についてはその頃は天王寺高校の方が大阪府で最難関の高校で北野高校はその次くらいだったはずだが、女子についてはやっぱり「受けさえすれば誰でも通る学校」だったわけで、入学すると卒業はできるだけさせてあげようという姿勢だったから、進級できずに途中で転校する人がまったくなかったわけではないとしても、卒業はできる場合が多かったのであり、女性の場合は「北野高校でてる」はたいして意味なかった・・が、うちの父親というのはそういう「あんまり意味ない」ことを喜ぶおっさんやった( 一一) 〕、そう言ってもらって旧姓作野礼子はいい気になっていた・・が、つくづく迷惑な女やった( 一一)  旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのが最大の自慢だったのだが、そんなに「いいお父さんよ」と思うなら、あげるよ、旧姓作野礼子さんに、あのおっさん。そんなにいいならあげるよ、ほんと・・と思うようになった。そんなに「いいお父さんよお」などと思うなら、とりあえず、旧姓作野礼子さんも名前を「麻婆丼(まあぼうどん)」に変えたらどうか?  私に「いいお父さんよお。私だったら、あなたのお父さんみたいないいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ」などと言うのだったが、そういう文句はとりあえず、自分の名前を「麻婆丼」に変えてからにしてもらいたいものだ、と思う。↓
丸美屋 うまいどんぶり 麻婆丼(豆腐・ひき肉・筍・きくらげ入り) 210g ×5個
丸美屋 うまいどんぶり 麻婆丼(豆腐・ひき肉・筍・きくらげ入り) 210g ×5個
自分は名前を「天津丼」にも「麻婆丼」にも変えずに、勝手なこと言うんじゃねえよ、ブスぅ~う!!! あの女、刺し殺してやりたい、絞め殺してやりたい、打ち殺してやりたい!!!
〔⇒《YouTube-ヴェルディ《レクイエム》「怒りの日」ライナー指揮/ウィーン・フィル》https://www.youtube.com/watch?v=Glim_Q2Ni2A 〕
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
  私は「父親がいなかった娘」が学校の教諭になってはいけないとは思っていないが、「父親がいなかった」ことから父親がいる人間というのは常にもんのすごい得している、父親がいることがどれだけ大変かなんてわかってたまるか!・・と思っている女というのは学校の教諭にならないでほしいと思う。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-
(本日の英会話)
Bus Stop.
「ブス乗るな!」⇒バス停、バス停留所。
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  「聖天宮」と書かれた額がかかっている門をくぐってすぐ右に、弘法大師像かと思われる像があり、↓
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  もう少し進んだ左側に 子守地蔵なのか水子地蔵なのか がおられ、その後ろに鐘楼がある。↓
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燈明寺は総本山とか大本山とかではないが、立派な鐘楼がある。↑

  その前を進むと、正面と右側とに大きなお堂がある。「平井聖天」というように、大聖歓喜天を祀っている寺だが、真言宗の寺であって本尊は不動明王のはずなので、どちらかがどちらかなのだろうけれども、一般の門を入って直進してつきあたりあたりにあるお堂が本堂であることが多いと思うが、ここがそうであるのかないのかわからないが、とりあえず、正面のお堂の方に行って、それから右側のお堂に参拝することにした・・・が、正面のお堂の方が「歓喜堂」「聖天堂」大聖歓喜天を祀るお党で、↓
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  「聖天堂」「歓喜堂」の右手前のお堂 ↓
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「本堂」で「本尊」の不動明王を祀っているらしい。

  永久保貴一『本当にあった怖い話 密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 』(朝日新聞出版)に、「天部の神様」という言葉が出てくるのですが、「天部」て何だろう・・と思っていたら、YouTube に公開していた人があって、仏教の神というのか仏というのかには、「如来」「菩薩」「明王」「天部」という区別があるらしい。
如来は、釈迦如来・阿弥陀如来など・・
菩薩は、観自在菩薩(観音菩薩)・地蔵菩薩など・・
明王は、不動明王・愛染明王など・・
そして、
天部は、大聖歓喜天などが天部で、毘沙門天・梵天など「◇◇天」とつく神さんが多いが、鬼子母神は「天」とつかないけれども「天部」の神らしい。
  明王は怒った顔をしていることが多いらしい。愛染なんとかいうポルノ女優がいたから、愛染明王というのは妖艶な姿の女の神さんかと思いそうだが、おっさんだ。

  インターネットで検索して見ていると、一般に、お寺は本尊が祀られている本堂から拝むべきだが、大聖歓喜天が祀られているお寺の場合は聖天堂に先に参拝するべきだという説があるとか書いていた人があったが、お寺によるとも書かれていた。そんな難しいこと言われたら、参拝できなくなってしまう。永久保貴一『本当にあった怖い話 密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 』(朝日新聞出版)では登場人物の秋月慈童さんが、出家と在家とで違うと延べ、出家でない人はそんなに難しく考えなくてもいいが、出家の者はきっちりと作法を学んでやらないといけない、在家の人はそんなに難しく考えなくてもいいけれども、出家の者と同じだけのことができるわけでもないのに出家の真似などはしてはいけない・・というようなことを話していた・・ように思う。
  そうだと思う。お坊さんでもない者が、そんなに難しいことを言われたらお寺に参拝できなくなってしまう。


  ↑ に述べたうちの父親の親友の医者屋のM川だが、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させた・・というのを自慢していたのだが、M川が言うには「2年浪人した上で、裏口入学」だというので、最初は裏口入学ではなくて正規の入学をしたいとドバカ息子も思っていたのかもしれない。
  M川はそのドバカ息子が「灘高校卒」だと言うのだったが、私はそれを聞いて即座に「ははあ~ん。関西医大だけじゃなくて、その『灘高校』も裏口やな」と思った。どうも、世の中には、学歴とかを嘘つき・詐称する人間というのがゴマンといて、私は高校卒業するくらいまでは、そういう人は世の中にはいるけれども、そんなにいっぱいはいないのだろうと思い込んでいたが、決してそうではない。そのへんにいっぱいいる。ゴマンといる( 一一)
  M川も、最初は自分で「金沢大医学部卒」と言うから、最初はそうなのかと思ったが、違うと思う。そういった自称の学歴というのは、あくまでも、「そうであるかもしれないが、違うかもしれない」と考えるべきだが、M川は違う可能性の方が大きいと考えるべきだ。
  ドバカ息子の方がだが、「私がなんにも知らない・・とでも、思っているのね~え♪ よく言うわ!」て人というのが、世の中にはけっこういるのだが〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕、M川も「私が何にも知らない・・とでも思っているのね♪」と思って「灘高を出て2浪したけれども、東京の駿台予備校に2年行かせたけれども通らんで、わしが裏口入学で関西医大に入れてやってやってやってやったったんじゃ」などと言うのだったが、おそらく、その「東京の駿台予備校に2年行かせた」というのも嘘で、「灘高校卒」というのも嘘の可能性が大きいと思う。
  最初は、「東京の駿台予備校に2年行った」というのはそうなのかと思ったが、「灘高校卒」というのは、「ああ、裏口やな」と思ったのだ。私は、北野高校という高校に入学して卒業して、すでに大学入試を1回以上経験した人間だったのだ。灘高校卒の人で知っている人もいたのだ。M川は私をなめてかかっていたようで、だから、嘘ついてもばれないと思ったようだが、ばれる。
  灘高校卒で東大の文科二類⇒経済学部に行って卒業した人に聞いたのだが、灘高校というのは今では東大とかに何人も通る受験校になったけれども、私立なので、毎年、明らかに裏口とわかる生徒がいるらしいのだ。そういう人は、灘高校から東大に何人通ろうが東大とかには行けない。「青山とかそういう所に行くみたいです」と聞いた・・が、そんなものだろう。
  M川のドバカ息子もまた、灘高校卒で2年浪人したが実力で合格できる所がなくて、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやって得たカネで私立金権関西医大に裏口入学で行かせた・・ということは、「ははあ~ん。『灘高校卒』というのも、それも裏口やな」と私は即座に思ったのだった。
  しかし、・・・それから10年以上たって、いや、それだけではないな・・・と思うようになったのだ。
  私立金権関西医大裏口入学の方は、医者つながりでコネクションがあったのかもしれない。M川自身が関西医大裏口入学卒だったのかもしれない。もしくは、M川に直接にコネクションがなかったとしても、勤務している「病院」のツテで裏口入学のコネクションをつかんだのかもしれない。
  M川が勤めていた「病院」の院長の息子S も「慶應大学医学部卒」ということになっていたが、あれも裏口の可能性は考えられる。慶應は裏口入学がないわけではないが難易度がけっこう高いらしい。「朝日新聞」に載っていた話だが、「代議士秘書の裏話」というようなコラムだったが、「代議士秘書をやって何が嫌といって裏口入学の世話を頼まれることほど嫌なものはない」というのだ。「後援会の会長から『息子を慶應大学に裏口入学させたい』と頼まれた」。うんざりした。できることなら断りたいが、後援会会長の頼みとなると、むげに断ることもできない。知っている慶應大学の学生部長に相談したところ、「親の顔が見たい」と言われた。・・「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がある。実物を見せることにした。学生部長は親(後援会会長)と会って、「今年は無理だけれども、有力教授を紹介するから、その教授に家庭教師についたということにして一千万円渡してください。そうすれば、1年浪人した上で来年、通ることができるでしょう」と、そう言われた。後援会会長には「教授に一千万円払うだけではだめですよ。嫌な思いをして教授に話をしていただいた学生部長さんにも同じだけ渡してくださいよ」と話した。1年後、バカ息子は慶應大学に裏口入学で入学したが、「教授に一千万円渡すだけでなく、学生部長さんにも同じだけ渡していただけましたか」と念を押したところ、「いや。それは、もったいないからやめました。そんなカネを渡すくらいなら他のものに使った方がいいですから、そのカネで息子に海外旅行に行かせてやることにしました」と、そう言われた。のど元過ぎれば熱さ忘れるとはこのことか! ひとがいっったいどれだけ嫌な思いをして頭さげて頼んだと思ってるんだ・・・と、書かれていた・・が、M川の勤め先の「病院」(大阪府豊中市)の院長の息子S が慶應大学医学部に行ったというのも、その類と違うのか?
  江川が慶應大学を受けて落ちた時、「数学と英語は比較的自信があります」とか言いよったらしいが、実際はまったくだめだったらしい。慶應の商学部の先生が「数学と英語は自信があるのなら、入試科目は数学と英語だけの経済学部を受ければいいのに、経済学部は受けずに、法学部・商学部・文学部を受けて落ちたんだから」と話しておられたが、ひとつの可能性として、「慶應の経済」と「慶應の医学部」は慶應大学では看板学部だから裏口入学は難しいから、それ以外の学部でならなんとか・・と考えたか? 裏口でなくても「江川を入学させれば、六大学野球で慶應が強くなるから入れるべきだ」とか言い出す教授がおるかもしれん・・と考えたか?
  それぞれの大学に「看板学部」というものがあり、又、大学についてそれぞれけなし言葉みたいのがあって、中央大学は「資格試験予備校みたいな大学」と慶應の先生は言われるのだが、たしかに「資格試験予備校みたいな大学」かもしれないが、それだけに中央大学は司法試験や公認会計士試験の合格者を多く出してきた大学で、法学部が看板学部だ。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「初代社長」の大澄賢二郎にバカ息子が2人いて、その片方が1986年8月に過去につきあっていて同棲していたこともある女性を刃物で刺し殺して殺人罪で有罪判決を受けて懲役20年の刑を宣告されよった・・・が、中央大学商学部に入学して行っておったという。公認会計士試験1次試験には通って、2次試験を目指して学習中とか出ていたのだが、普通、公認会計士試験は4年生大学の2年を修了すると1次試験は受けなくても2次試験から受けることができるはずで、それを「1次試験に合格して2次試験を目指して学習中」ということは中央大学の商学部を卒業できなかったのか? ・・
  それで、なんで商学部なんだ? ・・と疑問を感じるわけだ。「高卒のおっさん」である(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の「初代社長」というのは、「学歴コンプレックスの塊」とも言われていて、そういうおっさんが考えることというと、東大でも行かせたいところだが、バカ息子は行けない・・となると、慶應大あたりに裏口入学で行かせて卒業させたい・・てところだ・・が、慶應は裏口入学も難易度がけっこう高い。裏口入学というのはカネだけではだめで、カネとコネとが要るみたいだが、成り上がりものの(株)一条工務店の「初代社長」にはカネは「あり余ってる」し、もしも不足したなら従業員の給料へつれば、いっくらでもできるから、それは大丈夫としても、成り上がりものの弱いところとしてコネの方がない。慶應よりも裏口入学の難易度が低い所というと・・ということで出てきたのが中央大学で、できれば法学部に入れたかったところだが、中央大学では法学部は看板学部だから無理・・・ということで、商学部なら・・ということで中央大学の商学部に裏口入学しよった・・が卒業できんかった・・とか、「そんなところ」かな? ・・て感じがするのだが、実際にそうであるのかないのかは、それはわからん・・が、その通りではない可能性もあるとしても「そんなところ」じゃないかて感じがする。
  江川の慶應にしても、(株)一条工務店の「初代社長」のドバカ息子にしても、その大学の看板学部は断念して、それ以外の学部で・・という考えが出たのではないのか?・・・なんて思ったりもするが、そうであるのかないのかはわからん・・が、慶應大学でも裏口入学の難易度は慶應の中でも医学部は相当難易度が高いはずなのだ。しかし、医者屋は医者屋でもオーナー病院長の医者屋にとっては、裏口入学させるための「コネ」の方は医者屋つながりであるとして、カネの方はこれは「患者」に薬漬け・検査漬け・毒盛りやれば、いっくらでも湧いてくる、不足ならば「患者」に薬漬け・毒盛りする量を増やせばいいだけのことであり、医者屋にとって、特にオーナー院長にとっては「患者」はカネのなる木であり、「きょうも飲め飲め、薬づけ! よその倍、飲め、高い薬♪」てものだ。〔⇒《YouTube-懐かしCM 1990年深夜のCMまとめて10本》https://www.youtube.com/watch?v=Y0yaBkjYpVY 1:28~〕
そうやって、慶應大医学部に裏口入学させたか、それとも、慶應義塾高校から裏口入学させて慶應大学医学部に内部進学させたか・・、その可能性は・・なんかありそう・・て感じがしてくる。〔実際にそうかどうかは知らんけどんあ。知らんけども、「なんかありそう」て感じ( 一一) 〕
  慶應大学医学部に裏口入学させたのならば、おそらく、そのために要したカネは私立金権関西医大なんて、どこの馬の骨かわからん私立医大に裏口入学させるためのカネよりずっと高い金額だったのではないか。〔実際に裏口だったのかどうかは知らんけども、大阪の人間が東京の慶応大医学部に行くこと自体が不自然だし、オーナー病院長の息子が私立大学の医学部と聞くと「なんか、ありそう」て感じ・・〕
  「院長の息子」の慶応大医学部の方がはよくわからんところもあるが、M川のドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたというのは、これはM川自身が自慢しまくって言っていたことだから間違いない・・のだが、片方で「灘高校卒」というのは、これは怪しい。
  だって、灘高校というのは、最近は国立大学の医学部に合格者を多く出しているらしいけれども、私立医大の系列高校ではない。もともと、神戸市の灘地区の造り酒屋が集まって、造り酒屋というかつては「地主より上」だった金持ちが息子を行かすための学校として作ったもので、かつては神戸高校などを落ちた者を入れてくれる学校で、遠藤周作さんが行った頃はそうだったらしいが、いつしか、東大合格者数で日比谷高校と並び、そして抜いて1位になって有名になり、最近は東大ではなく、それ以外の国立大学の医学部や京大に行く人も出てきた学校だけれども、医者が作った学校ではないし、私立医大の系列の学校でもない。M川は病院長のSほどではないとしても、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネを相当蓄えて持っているとしても、カネはあっても灘中学校・灘高校にコネはないだろ。裏口入学にはカネだけではだめで、カネとコネと「口の堅さ」が必要であるはずなのだ。灘中学校・灘高校にコネなんてM川にあったのか?

  それで、「たぶん、嘘やろ」、特にあの男のことだから「たぶん、嘘やろ」と思うようになった。あの男のことだから、「灘高校でて、東京の駿台予備校に2年行って浪人した」というのは「灘高校でて」の方も「東京の駿台予備校に2年行って浪人した」というのも、たぶん、両方、嘘やろ・・と思うようになった。
  灘高校ではなくて、ほかの私立高校だろ・・たぶん。

  世の中には、進学についての志向について、「国公立型人間」と「私立型人間」というものが存在している。私などは「基本的には国公立型人間」だが、あくまで「基本的には」であり、どういう意味かというと、国公立でいい所があれば国公立の学校に行けばいいではないかと考えているが、しかし、それは絶対ということではなく、「コストと利益を比較考量して」考えて、国公立でいい所がなくて私立でいい所があるのならば私立を選択するということも、絶対ないということではない、という意味だ。 慶應大学の教授なんかには「絶対私立型人間」が多いが、こういう人は、たとえば、講義の最中に「北野高校の人間というのは私学よりも国公立の方がいいと思っていませんか」とおっしゃる・・くらいはいい。実際、そうだから。しかし、それですまずに、「北野高校の人間というのは『どうして私学だったらいいんですかあ』なんて言いうでしょ。バカか、 私学だってことはいいってことじゃないか。そんな常識もわからんのかあ~あ!」とお叫びあそばすのだが、「せ~んせえ~え。どうして『私学だってことはいいってこと』というのが常識なんですかあ~あ?」と質問したくなるのだが・・・、私も最初は無警戒に思ったことをそのまま口にしていたのだったが、言わない方がいい。なんせ、「逆らうとうるさい」から。慶應の内部進学の教授、「ゆりかごから墓場まで慶應」というタイプの人というのは「慶應的精神空間」から外に出れない人なんです。そして、公立高校出身の人間というのが彼らは「ドジン」に見えて恐ろしいのです。だから、彼らにとって怖くない相手というのは「慶應内部進学」⇒「私立大学系私立高校卒」⇒「私立高校卒」⇒「公立高校卒だが小学校・中学校のどちらかは私立」⇒「公立高校卒だが慶応大卒の人間が親戚にいる」⇒「小学校から高校まで公立で親戚捜しても国公立大卒ばっかり」・・という順番になって、最後の「小学校から高校まで公立で親戚捜しても国公立大卒ばっかり」の人間なんてのは彼らからすると「異民族」みたいなものなのです。小此木圭吾が晩年、慶應大よりも定年の年齢が高い私立大学に講師として勤めたら、「慶應大よりも学力水準が低い私立大学の生徒をいじめる」と言われ、何より「何かと慶應に帰りたがる」と評判悪かった・・とインターネット上に出ていたが、そうだろうなあと思います。彼らは「慶應的精神空間」から外に出ると3分以内には「慶應的精神空間」に戻らないとカラータイマーが点滅して、カラータイマーの色が青から黄色、黄色の点滅から赤に変わると、もはや、立ち上がれなくなるウルトラマンなのですから。
  私立志向の人には、慶應の教授みたいな「ほとんどビョーキ」というのか「精神的カタワ」というのか小此木圭吾みたいな人というのもいますが、それとは別に「庶民とは自分たちは違う」みたいな意識を持っている医者屋民族てのもいます。医者屋というのは一般的に私立の学校が好きですよね( 一一)
  1992年、(株)一条工務店 に入社した時、「営業マニュアル」という冊子をもらったのだが、そこに「ツーバイフォー工法と競合になったら三井ホームをほめろ」と書かれたものがあって、「なんじゃこりぁ( 一一) 」と思ったものでした。「ツーバイフォー工法と競合になったら三井ホームをほめ」たら三井ホームで契約されてしまうではないか。アホちゃうか・・・( 一一)  よその会社とよその会社の建物に悪口雑言罵詈讒謗を浴びせる営業というのは「感じ悪い」と思われてしまうのでそういうことはあまりやらない方がいいと思いますが、他方で「ツーバイフォー工法と競合になったら三井ホームをほめる」なんてことしたら、「やる気ないんかい」「そんなによそで建ててほしいんかい。自分の所で契約してもらおうという意欲がないやる気のない営業」というように受け取られてしまい、特に東京圏では「三井ホームをほめろ」とほめた三井ホームで契約されてしまうことになる可能性が高い。しかし、(株)一条工務店では新入営業社員向け通達に「入社してしばらくは、すべて命令に従う」と書かれていたので、この「ツーバイフォー工法と競合になったら三井ホームをほめろ」も、どう考えてもおかしいと思いながらも、その通りほめなきゃならんのだろうか、なんかいややなあ・・と思ったものでしたが、(株)一条工務店のその頃の「営業マニュアル」というのは、「このようにすれば売れます」というマニュアルではなくて、全国の営業に自分はどうしているかをアンケートをとったものを、そのまま掲載していたというもので、ある特定の地域においてはそれが有効だというものだった。
  この「ツーバイフォー工法と競合になったら三井ホームをほめろ」というやつのからくりについては、同じ時期に栃木県の宇都宮あたりの営業所に入社した人が教えてくれたので、私は意味がわかった。なんでも、栃木県の石橋町に(株)一条工務店は栃木工場を持っていたのだが、その近く、下都賀郡国分寺町、現在は町村合併で下野市になった所に自治医大と自治医大付属病院があって、そこに勤務する医者というのに三井ホームで建てたがるやつが多かったらしいのだ。私と(株)一条工務店に同じころに入社した某くんが言うには、自治医大の附属病院に勤める医者というのは医者でも勤務医なので年収はそんなに無茶苦茶多いわけではなく、三井ホームで建てたいみたいなやつが(株)一条工務店の展示場に来たときには、せっせと三井ホームをほめてやるらしいのだ。そうすると、自分がいいと思っている所をほめてくれるので、「いい人だな」とか思ってくれるらしく、その足で三井ホームの展示場に行って契約しようとするらしいのだが、ところが、医者とはいえ勤務医でそれほど年収が多いわけでもない人間なので三井ホームで建てられない。残念・・と思った時、自分がいいと思った三井ホームをせっせとほめてくれた一条工務店という会社の営業のことが思い浮かぶらしく、(株)一条工務店の展示場に戻ってきて契約してくれるということがけっこう多いらしいのだ。「俺、それで何軒も契約してもらいましたよ」と教えてくれたのだが、どうも、医者というのはそういうやつが多いみたい・・だけれども、某くんは自治医大を自分が受けることは考えたことがなかったから気づいていないが、私はもうひとつ、知っている。日本の医大・医学部でも金持ちの息子・娘の多い大学と貧乏人の息子・娘の多い大学とがあるのだ。私立金権関西医大とかは、これは学費も高ければ裏口入学の寄付金を払わないといけないし、もしも、サラリーマンの息子が無理して行ったとしても、卒業後、勤め先があるのかないのかもわからないから、だから、たいてい、医者屋の息子・娘で品性は下劣だがカネだけはあり余ってるみたいな人間が行く所だ。慶応大医学部は、これは内部進学の人間が4割と決まっているらしく、慶應という学校は大学だけ行く人は金持ちの息子もおれば無産市民の息子もいるのだけれども、内部進学の人間というのは社長の息子か医者屋の息子か芸能人とか運動選手とかの息子・娘か「わけあり」みたいな人ばっかりだから基本的には誰もが金持ちだが、慶應は大学については「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」の学費の大学であるのだけれども、それは経済学部・商学部・法学部法律学科・法学部政治学科・文学部についての話であって、国立大学は何学部でも学費は一緒だけれども私立大学は学部によって学費は異なり、慶應大学でも理工学部は経済学部・商学部・法学部法律学科・法学部政治学科・文学部よりも高くて、医学部になると倍ほどかかったはずで、なおかつ経済学部・商学部・法学部法律学科・法学部政治学科・文学部は4年であるのに対して医学部は6年行かないといけないことから、やっぱり、慶應の医学部というのは大学から入る人間でも国立大学の医学部に行く人間と比べると比較的裕福な家庭の息子・娘が多いみたいなのだ。それに対して、自治医大というのは卒業後、何年だったか出身地の都道府県の僻地の病院に医師として勤務するという条件で学費がタダ・全寮制で寮費もタダというもんのすごいありがたい大学なのだ。私も自治医大に行くことを考えたことがあったが、うちの親はそれでも「いけません」と言って受けさせてくれなかったが、受けさせてもらえる家庭の息子にとってはありがたい大学だ。卒業後に勤める病院を指定されるといっても、逆に就職活動をしなくても、ここに勤めてくださいと勤め先を用意してもらえるのだから、悪い話ではない。そういう学校なので、医大・医学部の学生の親の年収はというと、基本的には、
私立金権医大⇒慶應大医学部⇒国立大学医学部⇒自治医大
という序列があって、自治医大卒の人間というのは全般的傾向として「貧乏人の息子」が多いのだ。小学校から高校まででも、私立の学校に行きたがる人間・行かせたがる人間というのは「品性は悪いがカネだけはあり余ってる」という人が多いでしょ。それと一緒。
  だから、栃木県で入社して宇都宮あたりの営業所に配属された某くんは、自治医大の附属病院に勤務する医者で家を建てたいという人間というのは「医者といっても開業医じゃなくて勤務医だから、それほど年収が多くないから」と言っていたが、それだけではなくて、「自治医大卒の医者というのは、元々、私立金権医大卒の医者と比較してだけでなく、慶應大医学部卒の医者と比べて貧乏人の息子が多いだけでなく、一般の国立大学卒の医者と比べても貧乏人の息子が多いから」ということもあるはずだったのだ。「ツーバイフォー工法と競合になったら三井ホームをほめろ」という(株)一条工務店の「営業マニュアル」に書かれていた文句はそういうケースにあてはまる話だったのだ。東京圏で「三井ホームと競合になったら三井ホームをほめろ」なんて実行したら三井ホームで契約されてしまうだけで、アホ丸出しだったのだ。
   それで、医者というのは「国公立志向」か「私立志向」かというと、「人にもよる」という面がまったくないわけでもないけれども、一般に「私立志向」の人間が多いでしょ。 北野高校の卒業生と私立受験校の卒業生だと、仮に京大・阪大の工学部・理学部と地方国立大学の医学部とが入試の難易度が同じくらいだと考えるならば、どちらに進学することを志向するかというと、私立受験校出身者の方が医学部を志向する人が多いはずだ。私だって、医学部に行けばよかったなあと思ったりする。経済学部・商学部・経営学部なんて卒業したって、卒業したら「高卒と一緒」にされてしまうのに対して、医学部卒で「医者」として病院に勤めると、看護師として勤めた人とか何何療法士とか何何技師とかで勤めた人とか、清掃係として勤めた人とか守衛として勤めた人とかと競争させられて、競争に勝ったら医者させてもらえるかもしれないなんてものではない。だから、経済学部・商学部・経営学部なんか行くやつはアホや・・と私は思っていたし、その点で医者は絶対にいい。
そういうことはあるけれども、工学部・理学部だって大事なことをやっているのであって、医学部だけが必要な学問というわけではないはずなのだが、私立受験校の場合は公立進学校と比べると医学部志向の人間が多いし、又、医者の息子の占める割合が公立進学校よりも大きいはずだ。
  なんで、医者の息子は私立の学校に行きたがる・行かせたがるのか。 医者の息子でも公立進学校から国立大学の医学部に行けばいいではないか・・とか思うのは「国公立族」の志向である。「私立族」の場合、慶應の教授なんかは「私学だってことは、いいってことじゃないか。北野高校の人間はそんな常識すらもわからんのかあ~あ!」と教壇の上で絶叫されるが、「せ~んせえ~え。どうして『私学だってことは、いいってこと』というのが常識なんですかあ~あ? せ~んせえ、わかりませ~ん」と言いたくなるが、言ってはいけない。「ほとんどビョーキ」の人には「逆らうとうるさい」から、逆らわない方がいい。私などは「基本的には国公立族」だから、基本的には国公立の学校でいいではないかと考えているが、もしも国公立の学校よりも私立の学校でいい所があったなら、「コストと利益を比較考量して」利益がコストを上回ると考えられたならば、私立の学校に行ったっていいではないか、と考える者だが、そういう思考ではなくて「私学だってことは、いいってことじゃないか。こんなことすらもわからんのかあ~あ!」と痙攣おこして絶叫するタイプの人というのが世の中にはいるのだ。そういう人というのは、「なんで、私立がいいのか」と言っても、そもそも、そういう人にとっては公立の学校に行っている人間というのは「ドジン」であり、植民地の白人支配者みたいな人間である慶應内部進学の人たちからすると、ドジンの集団の中にひとりだけ入っていくなどというのは、これはものすごい恐怖なのだ。だから、彼らは、慶應内部進学系私立の学校⇒私立大学系私立の学校⇒私立の学校⇒公立の学校 という序列が頭の中にあって、彼らに許容できるのは「慶應内部進学系私立の学校⇒私立大学系私立の学校⇒私立の学校」までであって、「ドジンの学校」の人間というのは彼らには許容対象外なのだ。
   医者屋というのは「慶應の教授」と似たところがあって、公立の学校(ドジンの学校)ではなくて私立の学校に息子・娘を行かせたがる傾向がある。これは私のような「基本的には国公立族」が「基本的には国公立の学校でいいと思うが、もしも、国公立の学校でいい所がなくて、私立の学校でいい所があり、費用を出せるのであれば私立の学校に行く・行かせるということもあっていい」と考えるのではなくて、「私学だってことは、いいってことじゃないか」という「慶應の教授」と同系列の思考であり、「ドジンと一緒になりたくない」という思考なのだ( 一一)
  医者が私立の学校に息子を行かせたがるというのは、医者が三井ホームで建てたがるというのと、共通する傾向のものだ( 一一)

   灘高校というのは、元々は造り酒屋の経営者が集まって、造り酒屋の息子を行かすために作られた学校だったから、「造り酒屋」というのはかつては「地主より上」で富裕層だったが、その後、別に造り酒屋の息子でなくても行くようになり、東大合格者数を「売り」にするようになり、その結果、東京もんで関西に転勤で来た会社役員か「中より上」の会社員で将来は東京に帰ることを考えている者が「阪神間の兵庫県側」に住んで灘高校とかに行くようになったのではないか。しかし、誰もが間違いなく試験に通るわけではないから、甲陽学院なんてのが灘高校に行けない人が行く学校になったみたいだ。 1970年代なかば、私が北野高校に入学したころ、その頃においては灘高校と北野高校では灘高校の方が一般的には入試難難易度は難しかったようだが、甲陽学院は北野高校より明らかに下だったはずだが、東大・京大・阪大の合格者合計とかで見ると甲陽学院は北野高校よりずっと下だったが、東大合格者数だけで見ると甲陽学院の方が多かった。
  それで、灘高校というのは、私が高校に進学する頃は私の周囲では「変な学校」とか「受験のためだけの学校」とか「予備校みたいな学校」とか言われていて、「あそこの学校に行くと東大には通りやすいけれども離婚率が高い」とかいう本当かどうかわからん話もあって、又、「関西の学校なのに顔が東京の方を向いている学校」とか言われていた。だから、北野高校・天王寺高校とか公立進学校の方がいいんだと言う人もいたが、これは「好みの問題」もあるかもしれない・・・が、誰がどういう「好み」を持つかというのが問題だ。
   医者屋というのは、「変な学校」とか「受験のためだけの学校」とか「予備校みたいな学校」とか「あそこの学校に行くと東大には通りやすいけれども離婚率が高い」とか言われる学校であっても、そういう所に行くというのが「ステータス」みたいに思う人間が多いのだ。「慶應の教授」と共通するところがある。
  「週刊 東洋経済 2016.10.15号 大学より濃い校風と人脈 高校力 公立の逆襲」(東洋経済新報社)に掲載の溝上憲文(みぞうえ のりふみ)「人事部は出身高校もチェックしている」には、
《 加えて人事担当者によって出身大学だけではなく、出身高校も指標の一つにしている。ある総合商社の人事担当者はこう説明する。
「名門高校を出ている学生であれば、二流といわれる大学であっても、MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)クラスの中堅大学より底力は上と見ますね。当社は地方の伝統ある高校の出身者をわりあい多く採用していますが、いい意味でのプライドをもっているし、会社に入ってからも、頑張って結果を出している人が多い」 》
《 一口に名門校といっても、公立の伝統校もあれば有名大学への進学率が高い私立高校もある。IT関連メーカーの人事担当者は同じ有名高校でも違った見方をしている。
 「同じ東京大学や早稲田大学、慶應義塾大学の学生の中でも、どちらかといえば地方の公立伝統校出身者のほうが使える人材は多い。一方で東京の有名私立高校の一部は一流大学に合格するための受験予備校的な勉学システムが確立しており、ある程度のポテンシャルがあれば、そこに乗るだけで結果が出やすい面がある。私から見ればセルフマネジメントを発揮せずに大学に入った人で、受け身の学習能力だ。そういう意味では同じ有名大学でも公立の伝統校を出た学生の方が活躍してくれるのではという期待感があります」》
《 どんな高校を出たのかチェックすることは、採用したい人物についてより深堀りし、多角的な視点で観察しようという意欲の表れともいえるが、裏を返すと大学名だけではその人を十分評価しきれないという人事部の苦悩が読み取れる。・・・》
といったことが書かれているのだが、ここで述べられていることは私が周囲にいた人を見て感じたものとかなり共通したところがある。
もちろん、「ひとによっても違う」ということはある。又、私は自分は「公立伝統校」出身だけれども、私立受験校がやっていることが何から何までだめだと思っているというわけでもない。
高校力―週刊東洋経済eビジネス新書No.196 - 週刊東洋経済編集部
高校力―週刊東洋経済eビジネス新書No.196 - 週刊東洋経済編集部
  しかし、現実に「私立受験校」には東大などに通ればいい、という思考で、「高校の勉強は高校の勉強だ」という認識は完全に欠落している所が多く、その点で、「高校の勉強の結果が大学の入試で、高校の勉強の延長が大学の勉強だ」という意識の公立進学校とは異なって、私立受験校の出身の人というのは、高校の勉強というものを大学入試のための道具としか考えていない人が多く、その点で「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ」とおっしゃる慶應大の内部進学の教授と似ている。
  それで、「東京の有名私立高校の一部は一流大学に合格するための受験予備校的な勉学システムが確立しており、ある程度のポテンシャルがあれば、そこに乗るだけで結果が出やすい面がある。」というのは事実で、開成高校とか卒の人間には、東大に進学できず、浪人して慶應大に行ったような「落ちこぼれ」であっても、それでも自分は開成高校卒だということでプライドを持っている人というのもいるのだが、この本に書かれているように、大学入試においてはある程度の点数を取れていても高校に「一流大学に合格するための受験予備校的な勉学システムが確立して」いることからその点数がとれただけであって、「セルフマネジメントを発揮せずに大学に入った人で、受け身の学習能力」の人というのが少なくない印象があるのは事実で、大学入試においては東大にさっさと通った人間にしても、浪人して慶応大に行ったような「落ちこぼれ」にしても、ある程度の点数は取ったようだけれども、そのわりに内容がないという人が「多い」という印象がある。あくまで「多い」であって、ひとによっても違うのだろうけれども、やっぱり「多い」印象があり、そこの学校に行くと東大には通りやすいかもしれないが、そんな人間になってしまうのではないか、と思えるような面というのは事実としてある。・・ただし、片方で私が北野高校を卒業して感じたものとして、「親方日の丸」みたいなところは北野高校の教諭にあったと思っており、私立の学校で、東大合格者数とか野球部が甲子園大会に出場とかを「売り」にするために、いびつな高校教育がおこなわれているといった批判があったけれども、そういう面はあったとしても、片方で自分が進学指導をする能力がないものだから「大学はどこでも一緒や」とか無責任なことを言う教諭というのがいいのかというと、そうではないと私は思う。なんだかんだ言っても、大学入試というのは通るために受けるのであって落ちるために受けるのではないのだから、「東京の有名私立高校の一部は一流大学に合格するための受験予備校的な勉学システムが確立しており、ある程度のポテンシャルがあれば、そこに乗るだけで結果が出やすい面がある。私から見ればセルフマネジメントを発揮せずに大学に入った人で、受け身の学習能力だ」とか、そういうことがあったとしても、なんだかんだ言っても大学入試は通らなきゃ話にならんのだから、そういう「システム」があるということはいかんことではないだろうが、何も考えずに、大学入試にでないようなことばっかり大量にやらせて「大学はどこでも一緒や」とか言うような教諭が良心的かというと違うと思うのだ。
  そんなもので、実際には、公立伝統校と私立受験校というのは、どちらがいいのか、というのは結論として「いちがいに言えない」と私は思うが、それでもどっちがいいかというと、「基本的には国公立の学校でいいと思うが、その地域に国公立でいい学校がなくて、私立でいい学校があるのなら、『コストと利益を比較考量して』私立の学校の方がいいと判断されるなら、私立の学校に行って悪いということはない」と考えている。「私学だということは、いいってことじゃないか。こんな常識もわからんのか」とかおっしゃる「慶應タイプ」の教授先生みたいな「ほとんどビョーキ」とは意味が違うが、私は「基本的には国公立型」だが、私立の学校を絶対に否定はしていない。

   それから、私立受験校でも灘高校とか開成高校とかは灘中学校から入る方法と高校から入る方法とがあるが、「私立受験校に中学校から入った人間は、6年間、受験がないのでだれてしまって、高校から入った人間の方が成績がいい」という話があったし、今もあるのではないかと思う。それはたしかにそういう面はあるだろう。しかし、他方において、小学校はその地域の人間だれもがそこに行く公立の小学校に行った方が「公立小学校は社会の縮図」であり、そこでさまざまな家庭の息子・娘と出会うことができて視野が広がるのであり、小学校から慶應幼稚舎みたいな所に行ってしまうと、特定の層の息子・娘としかつきあうことなく成長することになる・・と言う人があり、慶應の教授は逆に「内部進学の人間は、おまえら(慶應義塾の)外部の者とは違ってさまざまな人とつきあうことができる」とかおっしゃるのだが、なんで、特定の層の息子・娘ばっかりの学校に行くと「さまざまな人とつきあうことができる」ということになるのか摩訶不思議なのだが、そういうことを言う人もいる。それで、私はやっぱり、小学校はその地域の人間は誰もがそこに行く公立の小学校に行った方がさまざまな家庭の息子・娘とそこで出会うことができていいと思うのだが、中学校になると、その地域の一番の進学校に進学する生徒も、一番底辺の高校に行く生徒も同じ教室で同じ授業を受けて学習するというのは、実際のところ「少々厳しい」というところがあったようにも思う。
   又、私立6年生受験校の場合、中学生・高校生にとって6年間というのは、ものすごい長いので、「6年間、受験がないというのは、そこでだれてしまう」とか、そういったことはありうることだが、他方で、中学校・高校の6年間のの中間に高校入試がある公立伝統校の場合は、高校入試がすんだあと、高校入試がすんだから学習しないというわけではないけれども、中学校1年の時から次の入試は大学入試だという私立6年生受験校の人間に比べて、大学入試について本格的に考えるのがワンテンポ遅れる・・という面もあるかもしれない、と思っている。

  一般に、大学入試でどのくらいの点数を取れるかというのは、それぞれの科目について、どれだけ学習したかという点と、出題される問題についての対策をどれだけ的確にとったかの両方によって決まりますが、科目によって、又、問題によって、どちらに比重が大きいかは違います。1979年の入試から共通一次試験が始まり、共通一次試験の問題を見て、どうも、それまでの国立大学の入試の問題と比べて、試験問題に対しての対策をどれだけやったかの方の比重が大きいように思えて、あまりいい試験ではないように思えた、ということがありました。又、京大・阪大の二次試験の問題と比べて東大の二次試験の問題の方が試験問題に対しての対策をどれだけとったかによる獲得点数への影響が大きいと思えました。大学入試の問題は、高校までに学習するということになっているものをどれだけ学べているかを見るのが目的なのか、その大学の学部に行ってやっていけるか、卒業後にやっていける素養があるかというのを見るのが目的なのか、両方の面があると思えますが、京大・阪大などは小学校から高校までに学ぶことになっているものは価値があるのだと認識していて、そちらを見る方に比重があるのに対して、東大は国家公務員1種試験や司法試験を受ける人が多いということもあり、東大は共通一次試験が実施されるよりも前から、一次試験・二次試験を実施していたけれども、あれは司法試験の短答式試験と論述式試験を想定したものではなかったか。慶応大の問題と早稲田大の問題なら、早稲田大の問題の方が「少々くせがある」印象がありましたが、おそらく、それは意図的にそうしていたのではないか、東大など旧帝大系国立大学などを受けて落ちた人で早稲田大学には合格したという人にも来てもらっていいけれども、早稲田大に行きたいと思って行く人にも来てもらいたいという考えがあって、旧帝大系国立大学と入試科目を変えて「少々くせがある」問題にすれば、旧帝大系国立大学などを目指す者は早稲田大の試験問題に対しての対策は早稲田大を目指す人に比べてそれほどできないので、合格者における早稲田大に行こうとして受ける人の比率が大きくなることが考えられ、そういったことを考えていたのではないか。
  こういったことを考えると、「高校は大学受験のためだけにあるのではない」というのはそうだと思いますが、しかし、片方で「大学入試というのは通るために受けるのであって落ちるために受けるのではない」のですから、通るためのことをしないといけないわけで、そうなると、その科目の内容そのものだけではなく、試験問題に対しての対策というものもやらないわけにはいきません。こういったことを考えた時、私立受験校の方が試験問題に対しての対策に力を入れているようなところがあるのではないか・・と思えるというよりも、元々はどこでも公立高校の方が進学校だったわけですが、私立高校で進学実績を伸ばした高校というのは、入試問題に対しての対策に力を入れることで合格者を増やしたようなところがあるかと思います。
  しかし、他方において「入試問題に対しての対策ばっかりやって、入試ではそれなりの点数を取れたとしても高校で学ぶべきものを学べていないで卒業したような人がいいのか」ということがあるとともに、それより大きな問題として「純粋に大学入試の問題において高得点を取るという目的で考えて、『その科目の内容そのもの』について学ぶことに力を入れず、『入試の問題に対しての対策』ばっかりやるのが、入試問題で高得点を取ることにつながるのか」という問題もあるのです。森 毅『数学受験術指南』(中公新書)では、数学のような科目の場合、「大学入試の数学」の前に「高校の数学」があるのではないか、「高校の数学」をやらずに「大学入試の数学」ばっかりやるのが純粋に大学入試対策としていいのかというと、そうではないと思うといったことが述べられていますが、そういうことはあると思います。『Z会旬報』に掲載されていた「各科目学習法」の「数学」で、「数学そのもの」について書かれた本というのは読むべきかということについて、具体的には、遠山啓『数学対話』(岩波新書)とほかに何だったかがあげられていたのですが、そういった本を読むことが入試の点数アップに直接つながるわけではないとしても、やはり、そういった「数学そのもの」の本を読んだりしている者の方がいい成績を取っていることが多いと思われる、といったことが述べられていた。もっとも、私みたいに数学の中間考査・期末考査の前日にそういう「数学そのもの」の本を読むとかいったことはしない方がいいとは思いますが。これは科目にもよるし、出題される問題にもよると思うのですが、「入試対策ばっかりやる」のと「入試対策もある程度はやるけれども、その科目そのものの学習にも力を入れておこなう」のとでは、「入試対策もある程度はやるけれども、その科目そのものの学習にも力を入れておこなう」という場合もあると思うのです。
  こういったことを考えた時、私立受験校と公立伝統校とでは私立受験校の方が「入試対策に力を入れる」傾向強く、公立伝統校の方が「その科目そのもの」の学習についての比重が重いように思えるのですが、大学入試に対して、どちらが効果があるかというと、私立受験校卒の人には「その科目そのものについての学習」を「そんなもの、何の価値があるんだ」という思想をそこで植えつけられている人というのが少なからずいるのですが、それで入試に高得点が取れているのかというと、そうでもないということがけっこうあります。しかし、他方で「大学はどこでも一緒や」とか勝手なこと言って入試に出ないようなものばっかり大量に学習させるような教諭というのが良心的なのかというと、違うようにも思いますし、やっぱり、入試対策をやって合格しようとするのと、その科目そのものについての学習だけで合格しようとするのとでは、その科目の学習だけで合格しようとするというのは「効率が悪い」と言えます。
  YouTube で安芸乃島が やく みつる との対談で、現役時代、「対戦相手がどういう力士でどういう相撲をとるから自分はどう出るとかそういったことを全然考えなかった、ともかく自分が最強になればいいと思ってやっていた」と言い、「今から考えると、アホですね」と言い、「そのあたりをもうちょっと考えてやっていたら大関になれたかもしれない」と話していたが、私も大学入試において、入試問題に対しての対策ということを考えなかったわけではないけれども、後から考えてみると不足していたように思う。そのあたりをもうちょっと考えていたら通ったかもしれない。ひとつは、お父さんが京大とか東大とか出たような人というのは、親に理解があるし、大王製紙の二代目の社長は北野高校から東大を受けたけれども合格することができずに慶応大に行ったが、息子には東大に行かせたいと思い、三代目は筑波大付属駒場高校から東大に合格して卒業した・・けれどもラスベガスのカジノで「しょーもないことしい」やりよったあ・・・とかいうが、父親が、「通って行った人」でなくても、「自分が受けて合格できずに悔しい思いをした人」である息子と我が家のような親の息子とでは、条件が全然違った。うらやましいなあと思うことは何度もあったが、どうもならない。安芸乃島の話は、これは似たことが大学入試においてもあてはまるところはあると思うのですが、「相手がどういう特徴のある力士で、どういう相撲をとるから、自分はそれに対してどうやって」といったことを考えることもした方がよかったでしょうけれども「自分自身が最強になればいい」と思って努力したというその努力がいかんということではなくて、そういう努力もまた必要だったわけで、高校の学習においても、「大学入試の試験問題に対しての対策」はやるべきだけれども「その科目そのものについての学習」と両方が必要であるはずです。
  こういったことを考えると、結局、どっちがいいのか、というのは絶対にどっちということは言えないと私は思っています。

  ところが、どうも、医者屋というのは「私立志向型」人間が多い。慶應の教授が「私学だってことは、いいってことじゃないか。こんな常識もわからんのか」とおっしゃる、「どうして、それが『常識』なんですか?」とか、うかつに質問なんてすると激怒して荒れ狂う・・・というそういう人と思考が似ている。「どうして」ではなくて、「私学だってことは、いいってことじゃないか」というそういう観念を持っている人が多いのだ。 これは、自治医大の附属病院勤務の医者(成り上がり者の医者)が三井ホームで建てたがる傾向というのか、ビョーキというのかを持っているのと似ている。
  うちの父親の親友の医者屋のM川(男。1980年頃当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だったが嘘の可能性が大きい。当時、大阪府豊中市在住)もまた、公立進学校と私立受験校だと私立受験校に行った人間がエライ♪・・という観念を持つ人間だったわけで、それで、「変な学校」とか「受験のためだけの学校」とか「予備校みたいな学校」とか言われていて、「あそこの学校に行くと東大には通りやすいけれども離婚率が高い」という話があっても(実際に離婚率が高いのかどうかは知らん)、あるいは「セルフマネジメントを発揮せずに大学に入った人で、受け身の学習能力だ」という面があっても、むしろ、それがいい♪ とか思うみたいで、たぶん、灘高校とかに息子を行かせたかったのではないか。
  でもね。YouTube に灘高校卒で、高校時代はあまり成績はよくなかったが、1浪で東大の文科三類に合格して行ったという人が出て話していたのを見たが、大学進学において公立伝統校と私立受験校とどっちがいいか、といったことはちょっと置いておいて、公立伝統校でも私立受験校でも、裏口ではなく正規に入学した人の場合は、在学中、少々、成績が悪かったとしても、入学時にある程度以上の成績で入った者は、卒業後も、私立金権関西医大とか裏口で行かなくても、ある程度の所には行けますよ。それを私立金権関西医大に裏口入学で行った・・ということは、「灘高校卒」であっても、それは、灘中学校・灘高校に裏口入学で入った人ではないのか・・ということが私が19歳の時にそれを聞いた時には推測したのだった。
  しかし、それも違うのではないか・・と、そのうち、思えてきた。全体が嘘と違うか。私は高校卒業したころまでは、世の中には学歴とかを詐称する人というのはいるらしいけれども、そんなにいっぱいはいないだろうと思っていたし、又、「実際よりちょっといいくらいに言う人」はいても、「全体が嘘」の話をでっちあげて話す人なんて、そんなにいないだろうと思っていたのだったが、そんなことはない。実際に会社という所に勤めてみると、学歴詐称する人・資格を詐称する人というのはいっぱい、「おまえら、よく言うよなあ」とあきれるような人間がいっぱいいるのだ( 一一)
  「何何という資格をもってます」と持ってもいない通ってもいない資格を「持ってます」と詐称する人もいて、それも弁護士とか公認会計士とかいうような資格なら通るのはそれなりに難しいので詐称したがる人がいてもわからんこともないが、そんな資格を「持ってます」と言いたいならば、実際には持っていないのに「持ってます」と詐称してばれないようにするためにものすごい工夫と努力をしている人を見ると、あんた、そこまでものすごい努力と工夫をして詐称するならば、その努力と工夫でその試験に通った方がええのとちゃうのか・・と言いたくなる人というのがいるのですが、試験に通るための努力はしたくないが、持っていない資格を「持ってます」と言ってばれないようにするための努力と工夫ならものすごい努力と工夫を平気でするという人がいるのだ( 一一)
   うちの父親の親友の医者屋のM川(男。1980年頃当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住)は「うちのバカ息子は灘高校でたけれども、東京の駿台予備校に2年行ったけれども、関西医大裏口入学なんじゃ。どうじゃ、わかったかあ」と自慢なさっていたのだったが、
まず第一に裏口入学というのは、やるとしても・やったとしても、「こそっと」「恥ずかしそうに」やるものと違うのか、そんなもん、自慢するもんなのか? と私などは思うのだったが、それはガチンコ族が考えることであって、八百長・裏口・医者屋民族の思考はそうではなくて「裏口入学やった」というのは「思考が柔軟やちゅうことなんじゃ」と自慢のタネだったのであり、「裏口入学やった」というのが医者屋としての「ステータス」みたいなものでもあったみたいだ。医者屋八百長裏口民族というのはガチンコ族とは思考が相当異なるのだ。
  貴闘力がYouTube で話していたが、「ここで負け越したら・・」とか思うことはあるだろうけれども、そこで八百長で星を買って勝ってしまうと、蟻地獄の穴のようなもので、ひとつ、八百長で勝ってしまうと、そこから抜けられなくなってしまう。「たとえ、ほかの者が八百長やっても俺は絶対にやらないんだ」という姿勢、大学入試で裏口で入れてくれるという話がたとえあっても、俺は絶対にそんなことはしないんだ・・というその姿勢を貫くことができる者は、成功しても失敗しても、そういう人生を送ることができるのであり、八百長・裏口・医者屋民族は「裏口入学ということは、きみなんかとはちごうて、思考が柔軟ちゅうことなんじゃ」とか勝手なこと言いまくって裏口入学すると、その後もそういう人間として人生を送ることになるだろう。M川の息子はM川に「あんた」と呼ぶと言っていたが、それは「あんた」のおかげで、俺もこんな人生を送るようになってしまった、「あんた」が父親でなかったら、俺も八百長・裏口の人生ではなく通っても落ちてもガチンコの人生を生きることができたかもしれないのに・・・という思いがあって「あんた」と呼んでいたかもしれない・・とも思えた。

  それで、灘高校卒で東大に行った人から聞いた話だが、灘高校というのは私立なので、毎年、「この人は裏口やな」とはっきりわかる人がいるというのだ。灘高校から東大に何人通っても、国立大学の医学部に何人通っても、そういう人は合格できない。M川のドバカ息子もそういうケースかと、最初にM川から話を聞いた時には思ったのだった・・が、違うのではないか、と後に思うようになったのだ。
  そうではなくて、M川のドバカ息子が「灘高校卒」という話自体がもとから嘘だろう・・と思えるようになったのだ。そうではなくて、どこか、大阪府か兵庫県の大阪府よりかの私立高校裏口入学卒だが、M川が灘高校に息子を行かすことができたらええなあ・・と思っていた人間だったので、それで、うちの父親が「わしは慶應やぞお」とか実際には小学校も中学校も高校も大学も大学院も慶應に行っていないのに言いまくっていたように、「うちの息子は高校は灘高なんじゃが」と言いまくっていたのではないか。そっちの可能性の方が大きいと思われる。
  そもそも、裏口入学というのは、裏口入学入学要綱なんてものが販売されているわけではない。一般入試だと合格最低点を上回り、規定の学費を払えば入れてもらえるだろうと思われる。面接がある学校だと、面接で「変なこと」やったり言ったりしないように考えないといけないが、「変なこと」て何かと考えるとますますわからなくなってくるが、私が高校に進学した時、金襴千里高校に併願で受けて、金襴千里高校には面接があったけれども、特別にものすごいことはしていないけれども通ったから、あれで悪くなかったのではないか。
  スポーツ入学する人というのは、一般入試で入る者からすると裏口入学みたいに見えるのだけれども、最近、元プロ野球選手でYouTube をやっている人の動画を見ると、スポーツ入学というのは「セレクション」というのがあって、それを受けて通ったりだめだったりするらしい。江本は立教大学にスポーツ入学で行きたかったけれども、立教大学は野球だけできてもだめで、野球がある程度以上できる人は一般入試より学力は劣っていてもいいけれども、ある程度の学力はないとだめだったらしく、その点、法政は野球だけで入れたらしく、それで江本は法政に行ったらしい。元阪神の投手の池田は同じ高校から「セレクション」を受けに3人行ったら、ひとつの高校からは2人までですと言われ、他の2人はレギュラーだったが池田は控え選手だったことから、「それなら、あなたはだめですね」と言われて落とされたらしく、スポーツ入学の人というのは京大とか東大とかに一般入試で行く者からすれば裏口入学みたいに見えるかもしれないけれども、裏口入学とは別で「セレクション」というのを受けて合格したり不合格になったりするらしい。高校のスポーツ入学は大学のスポーツ入学と同じではないとしても、そんな感じなのか。だから、「スポーツ入学」は「裏口入学」とはまた別のようだ
  一般入試を受けようとすると、入試要項は販売されているし、どうすれば受けることができるかという方法は開示されているのに対して、裏口入学の入試要項なんてどこに行っても売っていないし、どうすれば裏口入学できるのか・・・というと、何らかのコネクションがないとだめということだろう。「朝日新聞」に「代議士秘書の話」として掲載されていた「慶應大学に息子を裏口入学で入れたい」と代議士秘書に言ってきた後援会会長というのは、後援会会長自身は特に慶應大学とコネクションは持っていなかったが、コネクションを持っている代議士秘書とコネクションを持っていたわけだ。M川の場合は、関西医大にドバカ息子を裏口入学させた際には、医者屋のつながりで関西医大とコネクションがあったのだろう。しかし、灘中学校・灘高校は私立の学校とはいえ、私立医大の系列高校ではない。灘高校は、最近、大学の医学部に合格者を多くだしていると言っても、それは国立の大学の医学部に一般入試で合格しているということであって、私立医大とコネクションがあって入っているという話ではないから、M川が医者屋つながりでどこかの私立医大とコネクションがあっても、だからといって灘高校とコネクションはつながらない。こういったことを考えると、M川のドバカ息子が「灘高に行っておったんやけど」という話は嘘の可能性が大きそうだ。

  それなら、実際にはM川のドバカ息子が卒業した高校てどこなのだろう・・と考えた時、ここかな・・と思い浮かぶところがなかなか思い浮かばなかった。関西大倉高校とか、早稲田大と提携して早稲田摂稜高校になる前の摂稜高校とかでもないだろうし、関学の高等部とかでもないだろうし、明星とか桃山学院とかでもなさそうだし、どこだろうな・・・と思ったが、これだろと思い浮かぶものがなかった。公立高校に行くようなタイプでもないし。
  ・・で、長年、ここだろうと思い浮かぶものがなかったのだが、比較的最近になって、これじゃないか・・と思えるものが見つかった。「高槻中学校・高槻高校裏口入学卒」ではないか。そんなところだろう。
  高槻中学校・高槻高校て、それはなんだ? ・・というと、東京の人は知らないだろうし、大阪の人間でも私はもともとは知らなかった。私は北野高校に入学するまで、高槻中学校・高槻高校なんて学校があること自体、知らなかった。聞いたことなかった。
  北野高校のよくない所として、中に灘高校とか私立受験校を受けて落ちて北野高校には通って入学したという人がいて、そういう人には私立受験校に対して事大主義のような意識を持っている人がいたという点だ。私などはちっともそんなこと思っていなかったし、高校受験の時、もしも、北野高校と灘高校と両方受けて両方通ったとしたならば、当然のことながら北野高校に行くつもりでいた・・が、そうでない人も来ていたのだった。又、受けて落ちたのではなくて、受けたら落ちるだろうと思って受けずに北野高校は受けて通って入学したという人もいて、そういう人には私立受験校というものに対して事大主義のような意識を持っている人がいた。
  1970年代なかば、私が北野高校に入学した時は、少し前に学区が小さくなって、それまでは豊能地区・三島地区・淀川地区の3地域から北野高校には行けたのが、北野高校に行けるのは豊能地区と淀川地区からになり、三島地区からは行けなくなったのだが、その三島地区の高槻市に高槻中学校・高槻高校はあった。公立の高校みたいな名前だが私立の中学校・高校だ。
  北野高校に入学して半年ほど経った時に、「☆☆は高槻中学校だぞお」とか言う者がいて、「高槻中学校て何?」と言ったら、「おまえ、高槻中学校を知らんのか」と言われたのだが、知らんかったから正直に「知らん」と言ったら、「知らんのか、おまえは。高槻中学校を」と言って怒られたのだったが、灘中学校・灘高校みたいにしたいと思いながらもできない私立の中学校・高校で、私が卒業した中学校は公立の中学校だったけれども、豊能地区の中学校の中では学力水準が高い方の中学校で、「普通の公立中学校でない中学校」としては比較的近い所に大阪教育大付属中学校池田校舎というのがあったが、高槻中学校なんてものはあること自体、「知らん」かったのだ。灘中学校は特に行きたいとも思っていなかったが、あることは「知っていた」が、高槻中学校なんてあること自体「知らん」かったし、実際のところ、「どうでもよかった」が、《「私立志向」の人間だったが公立の北野高校に入学したという人》には「私学だってことは、いいってことじゃないか。そんな常識もわからんのか」と慶應の教授みたいな意識を持っている人もいて、そういう人には「☆☆は高槻中学校だぞお」とその人間と同じ高校に入学しても私立の中学校卒の人間というのはエライと事大主義・事大意識を持っている者がいて、又、すでに高校に行っても北野高校よりも進学成績はずっと下の私立高校の高槻高校に対して事大主義のような意識を持っていて、そういうことを言って私立中学校卒の人間はエライみたいに言う者、私立の高校に行った者はエライみたいに言う者がいたが、なんか、よくわからんことを言う男だなあと思ったものだった。
  それで、高槻市というと大阪医大という私立医大がある所で、大阪府の大阪市より南側、松原市に大阪薬大という大阪の私立の薬大では比較的評価が高い大学があったのだが、その大阪薬大が松原市から北摂地区の高槻市に引っ越して、さらに最近、大阪医大と大阪薬大が合併して大阪医科薬科大学になったらしい。その大阪医大が高槻市にあったので、もしかして、大阪医大と高槻中学校・高槻高校はなんか関係あんのか? と思ったら、関係あったみたいだ。
  大阪医大は、関西の私立の医大の中では評価が高い方の医大で、北野高校の同級生でも京大医学部とか阪大医学部とかを受ける人が併願で受けた人があり、一般的には関西医大よりも評価は高く、北野高校の生徒で関西医大なんて受けた人はいなかったが、大阪医大は京大医学部とか阪大医学部とかを受ける人が併願で受けることがよくあったみたいだ。その大阪医大と高槻中学校・高槻高校は、どちらも高槻市にあるというだけではなくて、「何らかの関係」があったみたいなのだ。
  ウィキペディアー高槻中学校・高槻高校https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A7%BB%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 によると、
《 大阪府高槻市には、戦前公立旧制中学校がなく、住民の熱意に応える形で、大阪高等医学専門学校(現:大阪医科薬科大学)理事長の藤堂献三が、京阪電気鉄道有田邦敬社長、高槻町礒村弥右衛門町長の出資を元に(旧制)高槻中学校を設立。1951年にようやく府立高校(大阪府立島上高等学校、現在は統合により大阪府立槻の木高等学校)が設立される際は、市から何度も改称を要請され丁重に断ったという。》
《 大阪の北東部に位置する高槻市は、島上郡の中心であり、江戸時代には高槻藩3万6千石の城下町が置かれ、藩校「菁莪堂」も設けられていた。しかし、明治以降、三島郡への統合以前から島下郡の茨木にその中心性が移った。同郡西部の吹田や豊能郡の豊中・池田にも市制施行で先を越され、大阪府立中学校(旧制中学校は義務教育でない上級学校(修業5年制))の誘致合戦では池田市に軍配が上がった(1940年(昭和15年)4月、大阪府立第十六中学校(現:大阪府立池田高等学校)創立)。
戦前、当時の高槻町にはすでに東海道線と新京阪線(現:阪急京都本線)が通り、ホワイトカラーが多く住んでいた住宅地である[2]。
中学校設置を求める島上地域の父母からの強い教育要望を受け、大阪高等医学専門学校(現:大阪医科薬科大学)理事長藤堂献三は1940年10月、京阪電気鉄道や地元の名士など多数の有志の協力を得て、三島郡高槻町大字西天川(現在地)に(旧制)「高槻中学校」を創設した。
創立の1940年(昭和15年)当時、初代校長には当時灘中学校教頭であった吉川昇を迎え、翌年4月、磐手尋常小学校(現:高槻市立磐手小学校)の校舎の一部を借用し、学舎として歩み始めた。吉川は、校訓として「真面目に、強く、上品に」を提唱し、旧制中学校時代からの進学校の良さと個性重視の教育を伝統として受け継ぎ、私立進学校としてその地歩を固めてきた。》
という学校らしいが、今では、高槻中学校・高槻高校のホームページhttps://www.takatsuki.ed.jp/ を見ると、「学校法人大阪医科薬科大学 高槻中学校 高槻高校」と書いてある。大阪医大に内部進学で行けるのかどうかは知らんが、同じ学校法人の経営らしい。
  これだろ、たぶん。 灘中学校・灘高校に裏口入学で行かせたいけれども、カネはあっても灘中学校・灘高校にはコネクションがないが、高槻中学校・高槻高校になら医者屋つながりでコネクションがあったのではないか。それで、灘中学校・灘高校の下位互換の私立中学校・私立高校である高槻中学校・高槻高校に裏口入学させたのだろう。そんなとこ・・だと思うな。
  「私立志向」であるとともに「裏口志向」の人間がやりそうなことだ( 一一)  おそらく、M川はドバカ息子を高槻中学校に裏口入学させたが、しょせんは裏口入学で入った人間であり、しょせんは灘中学校・灘高校の下位互換の私立中学校・私立高校であり、東大に行きたいから灘高校に行きたかったけれども灘高校には通りそうにないから、灘中学校・灘高校の下位互換の甲陽学院中学校・甲陽学院高校に行ったという人がいるが、その灘中学校・灘高校の下位互換の私立の中学校・高校である甲陽学院中学校・甲陽学院高校よりもまだまだ下位互換の私立中学校・私立高校である高槻中学校・高槻高校の裏口入学卒だから、だから、2年浪人しても実力で行ける大学がなかったのだ。だから、やはり、医者屋つながりで私立金権関西医大に裏口入学させたのだろう。そんなとこだろう( 一一)
  「東京の駿台予備校に2年行っていた」というのも嘘だと思う。実際は駿台予備校よりも学力水準が低い予備校に2年行ったのではないか。そんなとこだろ。
  「私立志向」で「裏口志向」の人間が父親だと、そういう所に裏口で行く人生を送ることになるのだろう・・と思う。
M川の息子がM川に「あんた」と呼ぶというのは、それは「あんた」の息子でなかったなら、俺も裏口で生きる人生ではなくて正門から入学する人生を送ることができたのではないか・・・という気持ちをこめて「あんた」だったのではないかな。

   これは、あくまでも私の「推測」であって証拠をつかんだわけでもないが、又、証拠をつかむところまで手間暇かけて調査するほどM川やM川の息子に値打ちなんかないけれども、「そんなところ」だろう。たとえ、すべてがこの「推測」の通りでなかったとしても、「そんなところ」だ。
  アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授のトマス=サズが『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)で、「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用して述べているのだが、
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
( ↑ トマス=サズ『「精神医学」という神話』岩崎学術研究社 )
誰かが何かを言ったなら「この人間がこういうことを言ったとしたならば、実際はこんなところかな」と推測する姿勢というものが必要だ。少なくとも、M川が「うちの息子は灘高校でたんですけども、東京の駿台の予備校に行って2年浪人して、関西医大に裏口入学しましてん。裏口入学したということは思考が柔軟やということなんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」と言ったという時に、実際はその言葉の通りだろうと「推測」するのと、M川が「うちの息子は灘高校でたんですけども、東京の駿台の予備校に行って2年浪人して、関西医大に裏口入学しましてん。裏口入学したということは思考が柔軟やということなんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」と言ったということは、実際は「高槻中学校・高槻高校裏口入学卒で、2年浪人したのは東京の予備校に行ったかどうかはわからないが駿台予備校ではなくてもっと学力水準が低い予備校、たとえば、大阪だと大阪予備校とかECC予備校とか豊中予備校とかそんな感じの予備校に2年行って、それから金権関西医大に『患者』を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学させよった」と、そんなところかな・・と「推測」するのと、どちらの「推測」が事実を見通している可能性が高いかというと、後者のはずだ。
  1浪の時、大阪府高槻市のYMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」という所に行ったが、そこの「主事」というよくわからん職種の藤井という男は「ぼくは早稲田の政経(政治経済学部)出てるんだけどな」と一日に最低三度は言わないとおれない症候群の男で、「もう、それ聞いたよ」と思ったものだったが、藤井が言う「ぼくは早稲田の政経(政治経済学部)出てるんだけどな」を聞いて、早稲田大学というのはくだらん大学なんだなあ・・と思ったのだったが、後にそうではなくて、あれは学歴詐称だろうと思うようになった。東京で早稲田大学の学生と会い、会社に勤めてから早稲田大学卒の人と会ってみて思ったのだ。「いくらなんでも、あんな早稲田ないわ」と。 そういうのでも、うちの親、特に父親は、まがりなりにも会社つとめを何年かやってきたのならば、「学歴詐称するやつなんか、いっぱいおる」という認識と、「この男がこう言っているということは、実際はこんなところかな」と推測するという思考力くらい持っていていいはずなのだ。実際と近い内容で話す人もいるけれども、そうでない人は多いのだ。
  藤井が「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と毎日毎日、「もう、それ聞いたよ」とあきれるほど言いまくるというのを見聞したならば、実際はどうなのだろう・・と考えるべきで、M川が「うちの息子は灘高校でたんですけども、東京の駿台の予備校に行って2年浪人して、関西医大に裏口入学しましてん。裏口入学したということは思考が柔軟やということなんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」と言ったとすると、実際は「うちの息子は灘高校でたんですけども、東京の駿台の予備校に行って2年浪人して、関西医大に裏口入学しましてん。裏口入学したということは思考が柔軟やということなんじゃ」と推測するのが正しい推測なのか、すべてその通りかどうかまではわからんが、たぶん、実際は「高槻中学校・高槻高校裏口入学卒で、2年浪人したのは東京の予備校に行ったかどうかはわからないが駿台予備校ではなくてもっと学力水準が低い予備校、たとえば、大阪だと大阪予備校とかECC予備校とか豊中予備校とかそんな感じの予備校に2年行って、それから金権関西医大に『患者』を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学させよった」と、そんなところかな・・と推測する方が適切な推測かというと、後者の推測の方が正しい推測のしかただと思うのだ。
  1980年代、慶應大学の「近代思想史」という講義で I 教授が「ルソーが『エミール』で言っているのは、『自分は自分で守らないと、誰も守ってなんかくれないぞ』ということを教えることができれば、その教育は正しい教育だ、とそういうことのようですね」と話されたのだったが、それを聞いて、そうかとその時は思ったのだったが、実際にそれ以降の人生を生きて、違うのではないかと思うようになった。ルソーの『エミール』というのは岩波文庫で何冊もに分かれている大部な書物で、また、読み進めてもおもしろくもない本で私も1冊目を読み始めて挫折したが、ルソーがそういうことを述べているのかどうかという点については慶應大学の「近代思想史」の教授先生がそう言われているのだから、嘘を教えたりはされていないと思うのでそうなのだろうけれども、「『自分は自分で守らないと、誰も守ってなんかくれないぞ』ということを教えることができれば、その教育は正しい教育だ」という点については、そんなことは学校とか教室とかで講義形式で教えることではないだろう、たとえ、教えたとしても、それは理屈・理論としてのもので、実感として理解するのは自分自身で人生を生きて学ぶしかないだろう・・と思うようになったのだ。それで、「大学の先生」というのは、学問について学生の中でもよくできた方の優秀な人がなっているのかと高校生くらいの頃は思っていたのだが、そうであるのかないのかはわからないが、大学を卒業した後、大学院に進んで学業を職業とした人と、大学を卒業したあと、「普通の仕事」についた人とでは「普通の仕事」についた者の方が「『自分は自分で守らないと、誰も守ってなんかくれないぞ』ということ」とかを学ぶことは多いのではないか、とも思ったのだ。そして、「この人がこういうことを言ったのならば、実際はこんなとこかな」という推測をできる能力というのも、これも教室で講義形式で学んだり、本を読んで学んだりするものではなくて、会社とかそういう所につとめて人間とかかわって、それも不愉快な方の体験・経験をすることで学ぶものではないか、と思うのだ。そういうことを考えると、うちの父親というのは「会社ちゅうところでは、わしほどえらい人間はおらんねんぞお」とか言いまくり、「わしは、『世の中のこと』というのは、何でも何でも知ってる人間やねん」とか言いまくるのだったが、そのわりに「世の中のこと」を知らん男やったなあ・・とあきれる。・・ソクラテスの「無知の知」みたいなもので、多少なりとも知っている人間なら「わしは世の中のことは何でも何でも知ってる人間やねんぞお」などと言わないかもしれないけれども。実際、「何でも何でも」はともかく、会社員として何十年か勤めてきた人間なら知ってるかなと思って尋ねてみると、うちの父親というのは、何をきいても「知ら~ん、わから~ん。甘ったれるな!」と言うおっさんやった( 一一) なんや、「世の中のことは何でも何でも知ってる人間」と言いまくるから、ちょっとは知ってるのかと思ったら何も知りよれへんがな・・と思った。
   今から考えると、私にしても、もうちょっと「世間知」のある男の息子だったなら、大学入試ももうちょっとうまくいったのではないか・・とも思うが、そして、そういうお父さんの息子というのがうらやましかったが、そういう所で痛い目にあうことで、痛い目にあうことと引き換えに私も少しは賢くなったかもしれん・・かな。少なくとも、その後の会社員としての経験とともに、「学歴詐称する人間なんて、世の中にはゴマンといる。そのへんにいっぱいいる」ということ、それも末端的なところで実際よりちょっといいように言うのではなく、全体が嘘、根も葉もないようなことを言う人というのがいるということを学んだし、「誰それが何何と言ったならば、実際はどういうものなのか」ということを考える思考というものが身についた。痛い目にあう経験と引き換えにそういう思考が身についた・・・が、そういう思考がまったくないおっさんて、そのおっさんはいったい何なんだ・・・とも思うが、それがうちの父親だったのだ。

  数学者で教育論者の遠山啓(ひらく)の『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)には、
(1) 父親というものは家族の中で最も「世間知」というものを持っている存在であり、息子は父親から「世間知」を教えてもらうことができるが、父親がない子はそれを父親から教えてもらうことができないから、自分自身で何度も痛い目にあって少しずつ学んでいくしかない。
(2) 父親というものは、息子を外敵から守ってくれる存在である。
などと書かれているのだが、遠山啓は自分のことを「父なし子」と言っていたように、遠山啓が産まれた時点では父親は生きていて、母親は父親と離婚したわけでもないのだが、遠山啓が産まれた時点では父親は朝鮮にいて遠山啓が5歳の時に日本に帰ってくるということで、5歳の時の遠山啓は父親と会えると思って喜んでいたら、帰国直前にその父親が病気で他界してしまったらしく、5歳以降は父親は死亡していた子供で、それまでは父親は生きていたけれども会ったことがないというそういう育ちの人だったらしく、それだけに、遠山啓はどうも「父親」というものを実際よりもいいものと考えているように思える。
  実際には、
(1) すべての父親が「世間知」というものを持っているわけではない。息子が何度も痛い目にあってやっと学んだ「世間知」を父親に教えても理解しない父親というものもいる。

(2) 外敵から息子を守ってくれる父親ばっかりではない。外敵を引っ張り込んでくる父親というものもいる。
・・のだが、遠山啓はそのあたりがわかっていない。

  私だって、子供のころからよそのお父さんを見て「いいお父さんだなあ」とか「うらやましいなあ」と思ったことは何度もあったが、しょせんは、よそのお父さんはよそのお父さんであって、うちの父親ではないのだから、しかたがない・・と思ったが、そういう時に父親がない息子・父親がない娘というのは「父親というのはそういうもの」と思ってしまうことがあるみたいだ。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野玲子もまた遠山啓と同じで、「父親というもの」をよっぽどいいいものと思っていたみたいで、世の中にいる「父親」というもののうち、かなりいい方の「父親」を「父親というもの」と思い込んでいたみたいなところがあった。その部分の認識・思考については「人間として欠陥がある」とでも言ってやりたいものだった。
  ↑ で述べたように、うちの父親は息子を外敵から守ってくれるのではなくて、医者屋とか拝み屋とか、そういった妖怪物の怪の類を引っ張り込んできた。私が撃退しようとしても、うちの父親は妖怪物の怪の類の味方だった。
  うちの父親は、私に「世間知」など教えてくれる存在ではなかった。本人が「世間知」というものを持たない男であり、息子が痛い目にあっていくらか学んだ「世間知」を教えても理解しない父親だった。
  「父親」というものは常に「家族の誰よりも『世間知』を持っている者で、息子に『世間知』を教えてくれる者」で、「息子を外敵から守ってくれる存在」だという遠山啓の認識は、私ならば、よそのお父さんで比較的いいお父さんを見て「いいお父さんだなあ」と思った時、「それでも、その人はうちのお父さんではないのだから、しかたがない」と思った時に、遠山啓や旧姓作野礼子はそうではなくて、よそのお父さんで比較的いいお父さんを見て「父親というものはそういうもの」と決めつけて、そして、旧姓作野玲子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」だから、両親が離婚していない・父親がいた者よりもえらいんだ、「作野先生はお父さんがいなかっただけに苦労してこられたから、人間的ににしっかりしておられて、えらいわあ~あ」と誰もが自分を称賛する義務があると勝手に思い込んでいたみたいだったが、そんな「称賛」などしてあげないといけない義務なんか、ない!!! ・・し、むしろ、実際の父親というのは、そんなにいいものではない、ということを認識できていないという点において「人間として欠陥がある」と言わざるをえない。ただし、私は小学校の時から同じクラスで、お父さんがいなかった人というのもいたけれども、そういう人が誰もが旧姓作野礼子みたいな人間だったかというと、そんなことはない。父親がいなくても、
(1)父親というものは誰もが「世間知」を持っているというわけでもない、
(2)外敵から息子を守ってくれる父親というのもいるかもしれないが、すべての父親が外敵から息子を守ってくれるわけではなく、むしろ、外敵を引っ張り込んでくる父親というものもいる、
ということを理解できている人もいたはずだ。

  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんには、とりあえず、名前を「麻婆丼」に変えてもらいたいと思う。「麻婆丼」が嫌なら、「作野半ちゃんラーメン」でもいいし、「作野ハムエッグ定食」でもいい。何なら、「作野バカ女症候群」でもいいから、それらに名前を変えてほしいと思う。
  うちの父親は「金沢の拝み屋さん」から「息子さんの名前を『天津丼』に変えてください」と言われて大阪に帰ってきて、「あんたの名前はきょうから『天津丼』に変えることにするわあ」と言って、そして紙に「改名 天津丼」と書いて壁に貼りよったのだ。そして、「改名屈 天津丼」と書いて「これを北野高校の事務室に持っていって名前を変えてもらうように言いなさい」と言うので、本当に嫌やったけれども、北野高校の事務室にその紙を持っていったのだが、北野高校の事務職員の方は「そういうものを卒業した高校に持ってこられても困ります。もしも、持っていくのなら市役所とかに持っていってもらわないと、卒業した高校に持ってこられても対処できません」と言われ、さらに「それから、これ、『改名届(かいめいとどけ)』と書いているつもりだと思いますが、『改名屈(かいめいくつ)』になってます」と言われたものだった。旧姓作野玲子は「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ。あなたのお父さんのようなお父さんがいたら、私だったらうれしいわよ。わたしは父親がなかったんだからねえ」とおっしゃるのだったが、そんなにいいなら、あげるよ、あのおっさん。とりあえず、そんなにいいと思っておられるのだから、旧姓作野礼子さんも名前を「麻婆丼」に変えるか、そうでなかったら「天ぷらうどん」にでも「ハムエッグ定食」にでも変えてもらいたいものだ。「改名屈 作野天ぷらうどん」とか「改名屈 作野ハムエッグ定食」とかいうように紙に書いて持たせてあげるから、ぜひとも北野高校の事務室に持っていってもらいたいものだ。自分ではそういう経験することなく、勝手な口きくんじゃねえよ、ブス女めが!!!  そもそも、「両親が離婚した」とか「父親がいなかった」とかなんて、自慢することと違うだろうが・・ということを自慢しまくるということが第一におかしい・・が、それをおかしいと認識できないという点で高校の教諭として適性がない、と判断するしかないだろう。
「わが生は下手な植木師らによりて
あまりにはやく手を入れられた悲しさよ
由来、わが血のおおかたは
頭にのぼり 煮え返り
たぎり泡立つ」

これは、中原中也の「つみびとの歌」という詩の一節だが、父親に人生をねじまげられた中原中也の恨みの言葉であるのだが、旧姓作野玲子は「サラリーマン教師」であり、いいかげんに授業やっておけば給料もらえて、高校の教諭は一般の会社員よりも休みが多いし、それと別に有給休暇とって海外旅行とか行けるし、雇い主は大阪府であって「親方日の丸」でつぶれないし、私が勤めた不良企業みたいに給与遅払いとか、あるいは給料は払わずに社長が逃げよった・・とか、そういうこともないし、そのために高校の教諭やっているだけで、中原中也の詩の意味なんか真剣に考えたこともなければ考えたいという気持ちもない女だった。それが「国語」の教諭であり、神戸大の文学部はそんな人間でも卒業できたのだった。

  それにしても、「私は両親が離婚したから」だの「私は父親がいなかったから」だのということを自慢しまくる女、
「うちの息子なんか、思考が柔軟なもんじゃからきみなんかとは違って裏口入学なんじゃ。どうじゃ」とか言って自慢する男。
世の中、変なものを自慢するやつというのがいるもんだ( 一一)

  一句できた。
「裏でなく 正門入ろう 大学は」


  ・・次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501111583.html 、歓喜堂・聖天堂にお参りします。

  (2023.10.14.)


  私はかつて、大学入試について、ガチンコの人間が裏口八百長の人間をいいように思わないのは当然だが、裏口八百長の人間というのは自分の方がおかしなことをしているのだから、裏口八百長の人間は自分を恥ずかしいと思うことはあってもガチンコの人間をいいように思わないということはないはずだ・・と思い込んでいたのです。しかし、違います。若い人でガチンコの人はこれは認識しておいた方がいいと思います。
  2019年10月に金田正一が他界し、2020年2月に野村克也が他界し、長嶋茂雄も体調があまりよくないようですが、まだ、それらの人が元気だった頃、「週刊ポスト」に金田・長嶋と王の3人の鼎談が毎号、掲載されていたのですが、そこでは、ほとんど毎回、金田と長嶋が野村と森の悪口を言いまくっていたので、へ~え、「月見草」は「ひまわり」が嫌いなのかと思ったら、「ひまわり」も「月見草」が嫌いなんだな・・と認識を新たにした・・ということがあった。〔まあ、あんなけ、「長嶋~、長嶋~」とボロクソに言われたら、いいかげん、嫌いになるかもしれんけども(笑)〕〔王は王は賢いのか、そういう場にいても同調しない姿勢をとるようでした・・が、ひとつは王は巨人にいたという点では「ひまわり」型かもしれないが、人間のタイプとしてはむしろ「月見草型」だったのかもしれません。〕
  これと似ているといえば似ているのです。ガチンコ族は八百長裏口族をいいように思わないのですが、八百長裏口族はガチンコ族から八百長させられているわけでもなく、ガチンコで入試は受けるべきものなのに裏口八百長やっているのですから、八百長裏口族の問題であって八百長裏口族がガチンコ族をいいように思わない理由はないはず・・と私は思っていたのでしたが、それはあくまでもガチンコ族の方の意識なのです。そうではなく、「月見草」が「ひまわり」をいいように思わないのと同じく、「ひまわり」も「月見草」をいいように思っていなかったらしいのと同様に、八百長裏口民族もまたガチンコ民族をいいように思っておらんのです。
  だから、ガチンコ族からすると「裏口入学なんてものは、たとえ、やるとしても『はずかしそうに』『こそっと』やるものであって、自慢するものとちゃうやろ」と思うところですが、裏口八百長民族からすると、むしろ、「裏口入学した」というのは医者屋民族としての「ステータス」みたいなものであり、医者屋八百長裏口民族からすると、本来、医者屋八百長裏口民族の世界というのは裏口八百長で入るべき世界であり、そこに裏口八百長でなく入ってやろうなどと考える者こそ不心得者なのです。
  ですから、ガチンコ民族からすると、自分たちは何も悪いことしていないのだし、同時に八百長裏口医者屋民族に対して特に何もしていないのだから攻撃を受けることはないだろう・・などと考えがちですが、違います。彼ら八百長裏口医者屋民族からすると、ガチンコ民族という者の存在が許しがたいものであり、八百長裏口医者屋民族はガチンコ民族のことを反社会的勢力と思っているのです。
  貴闘力がYouTube で話していたが、貴闘力が現役の力士だった時、ガチンコ力士だった貴闘力に、八百長力士が「貴闘力の野郎、今度、組んだら、腕、へし折ってやる」とか言っていたとか言っていたというのですが、それなど見ても、ガチンコ力士が八百長力士をいいように思わないだけでなく、八百長力士もガチンコ力士をいいように思っていなかったらしい。これと同様に、大学入試においても、八百長裏口医者屋民族はガチンコ民族をいいように思ってないのです。「今度、組んだら、腕、へし折ってやる」みたいに八百長裏口医者屋民族は思っておる、と考えた方がいいと思います。10代から20代の頃の私はそのあたりの認識が甘かった。
 (2023.10.15.)

☆ 燈明寺(平井聖天)〔東京都江戸川区平井〕参拝
1.平井駅から蔵前橋通りを横断し、諏訪神社の前を通って燈明寺へ。計画性のないチムニー(株)「ファーストグルメ」平井店。「(一条工務店の某営業のように)郵便物を盗むことは犯罪行為です 小石川警察署・・」。「無責任の体系」のチムニー(株)の面接。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500980727.html
2.門をくぐり正面に聖天堂、右手に金堂。門の内側右に弘法大師像? 左に水子地蔵。「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると考える「子供」帝国主義の女とその夫に殺されたわが子の恨みをはらしていただくよう、水子地蔵様に祈願してきました。反社会的勢力雇用均等室を叩き潰せ! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501018586.html
3.門から入り、左に鐘楼、正面に聖天堂・右に本堂。「裏でなく 正門で入ろう 大学は」。八百長医者屋民族の嘘。この人間がこう言ったら実態はこんな感じかと推測するか、言った通りと推測するか。父親がなかったから父親がいるとどんなに大変か理解できないバカ女症候群。 〔今回〕
4.RC造の1階の上の「歓喜堂」「聖天堂」。聖天堂から見た鐘楼・本堂。大聖歓喜天・ガネーシャとは。冠をつけている方が観音で足を踏まれている方が歓喜天なのか、両方が大聖歓喜天なのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501111583.html
5.不動明王を祀る本堂。不動明王とは。真言宗の新義と古義の経緯とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501141339.html
6.平井諏訪神社。江戸川区一の社殿、区登録有形文化財の稲荷社は彫刻がきれい。平井富士塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501193898.html
7.旧中川にかかる平井橋・荒川放水路で分断された中川・高校教諭は親に苦しむ生徒に助力するものと違うのか・「両親が離婚した」娘はみんなでほめなきゃならんのか・「両親が離婚した」らエライのか・「京大でも通りました」と母親が言ってまわる阪大生には何かしてあげるべきなのか・クロマティ高校卒の男は浪人する権利があるのか・あまりにも「一番」追いかける人は、結局、何がやりたいのか?・おばさんの似顔絵入りウチワと30代の女の「握手しましょ」はどっちが「利益供与」か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501232436.html
8.同僚を営業本部長に讒言する男とそれをきく営業本部長、会社のルールを破って人の追客中客を強奪して放置する所長とそれに加担する営業本部長、自社が損する嘘をつきまくる営業、「研修」で得意がって嘘教える男、〇日に見積書を持って来てくれと頼んでその日はパジャマで奥にいる人、「下位互換」の会社は立場が弱い、「失投」が来る浜松・掛川・名古屋の営業と「一流投手の会心の球」しか来ない東京・松戸営業所。吾嬬町とは。大正民家園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501276979.html
9.墨田区立花の白髭神社。自分が店員に腹立つことがあっても、会社が提携している店と勝手に喧嘩していいものではないであろう。いったん、もめても修復すべく働きかけるのが「営業力」、往復40分歩かせて交通費をけちる会社の判断は間違い。小村井交差点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501343357.html
10.亀戸線「小村井」~「亀戸」駅。自分が勤務する新展示場開設に尽力してくれた相手に「すいません」言わない営業・構造安全基準が甘い設計会社・気持ちが落ち着く方法17 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501359257.html 


★ 大聖歓喜天を祀る寺とお堂。
☆ 箕面山 聖天宮 西江寺参拝 1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだと言う心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から簑面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 聖天宮 西江寺について
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

☆ 金目山 光明寺(神奈川県平塚市) の歓喜堂については、
⇒[第976回]《金目山 光明寺(平塚市)参拝【3/4】大聖歓喜天を祀る歓喜堂。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498407897.html
☆ 飛騨国分寺(岐阜県高山市)については、
⇒[第360回]《飛騨国分寺と三重塔、「和風ドーマー」、ホテルの二重サッシ、飛騨牛中華そば―高山シリーズ第3回(9)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html 
飛騨国分寺では本堂の中の「一室」で大聖歓喜天が祀られています。 

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