燈明寺(平井聖天)【4/10】RC造の1階の上の「歓喜堂」「聖天堂」。聖天堂から見た鐘楼・本堂。大聖歓喜天・ガネーシャとは。冠をつけている方が観音で足を踏まれている方が歓喜天なのか、両方が大聖歓喜天なのか。

[第2010回]
  東京都江戸川区平井 の 燈明寺(平井聖天)参拝の4回目です。
門をくぐり、右手の弘法大師像? の前を通り、左手の水子地蔵なのか子守地蔵なのかの前を通り、鐘楼の前を通り、右側に本堂がある所を進むと正面にあるのが大聖歓喜天を祀る「聖天堂」「歓喜堂」です。↓
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  正面の階段を登っていくと、
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  1階は鉄筋コンクリート造で、その上に木造の建物が載っているようです。お堂の左側に行ってみると、↓
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↑ 南西側に 平井諏訪神社 の建物が見えます。 燈明寺の後ろに明聖第一幼稚園という幼稚園があり、諏訪神社との間の更地は幼稚園の運動場かと思ったのですが、諏訪神社に近いあたりは駐車場かもしれません。燈明寺の駐車場なのか、諏訪神社の駐車場なのか、明聖第一幼稚園の駐車場なのか、それは確認せずに帰ってきたのでわかりません。
  明聖幼稚園のホームページhttp://meisei.main.jp/corner35/index.html には、燈明寺の本堂の写真が掲載されており、又、燈明寺の境内に明聖幼稚園と書かれた送迎バスが駐車していましたから燈明寺の系列の幼稚園なのでしょう。 燈明寺の後ろにあるのが明聖第一幼稚園で、明聖第二幼稚園は江戸川区松江、明聖第三幼稚園は江戸川区瑞江にあるらしい。

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↑ 左手前から見た「聖天堂」「歓喜堂」です。

  右側は、↓
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↑ 後ろに見えるのは、明聖第一幼稚園の建物です。

  1階部分は鉄筋コンクリート造か鉄骨造かというと、鉄筋コンクリート造の方かな。 その上の建物は木造です。言い切れるかというと、言いきれます。なんで、言いきれるかというと・・・、
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↑ 実際に柱にさわって確認してきましたから、間違いなく木造です。
そういうことをするのは、建築探偵団くらいのものかもしれません。

  門を入って左の江戸川区教育委員会による説明書きには、
《 草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し 享保年間(1716~35)に京都から赴任した恵祐法印(えゆうほういん)によって再興されました。》
《 その後、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあいましたが、当時の関 澄道(せき ちょうどう)貫主(かんす)(二十六世)によって京都宇治平等院風の三屋根造り(みつやねづくり)の優雅な本堂が建立されました。》
と書かれており、本堂は1923年「幾人、見つかる(1923)関東大震災」の関東大震災の後で建てられたものとわかりますが、「聖天堂」「歓喜堂」の方はいつ、建立された建物なのか、わかりません。「聖天堂」「歓喜堂」の左前に説明書きが立ってはいるのですが、陽に焼けて雨に打たれて、残念ながら読めません。

  木造のお堂の前から見ると、
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↑ 鐘楼
明聖幼稚園の送迎バスが鐘楼の手前に停まっており、燈明寺の系列の幼稚園なのでしょう。

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↑ 「聖天堂」「歓喜堂」の木造のお堂の前から見た本堂
《 京都宇治平等院風の三屋根造り(みつやねづくり)の優雅な本堂 》というものですが、1階の鉄筋コンクリート造かと思われる部分について工事しています。

  地盤面から鉄筋コンクリート造の建物の上、木造のお堂が建っている部分までは階段で登りますが、その階段の側面に↓
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↑ この紋は何だろう。 写真はクリックすると大きくなります。
左側は袋に「福」と書かれています。 右側は、大根? が2本。

  ふと、気づいたのですが、手水舎がなかったな・・・。
鉄筋コンクリート造の1階の部分には、左右に出入口の扉があるようですが、どちらも閉まっていますが、左側の扉の前あたりに、もしかして、これか? ↓
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↑ 右側の屋根のある建物は、手水舎なのか? とも思ったが蓋がされていて、水をすくえる状態ではない。
左側の仏さんは、どなたなのか、よくわからない。

  「聖天堂」「歓喜堂」の1階の鉄筋コンクリート造の部分は左右に出入口の扉がありますが、どちらも閉まっていて、授与所などはありません。 インターネット上に、燈明寺の御朱印が出ていましたが、訪問したのが平日であったということもあるかもしれませんが、住職は外出中だそうで、御朱印は、運が良ければ・・というくらいみたいです。

   明雅山 明王院 燈明寺(とうみょうじ)は、
(1)「平井聖天」として「江戸川区指定史跡」に指定されており、
(2)妻沼聖天(埼玉県熊谷市)・待乳山聖天(東京都墨田区、浅草)とともに「関東三聖天」と言われ、
(3)「 南葛八十八ヶ所霊場」 51番・65番 となっているらしい。
   「南葛八十八ヵ所霊場」については、「猫のあしあと 東京都寺社案内 南葛八十八ヶ所霊場の案内」https://tesshow.jp/daishi_nankatsu.html にその寺が出ていますが、51番と65番と離れて2つ掲載されているので、本堂の不動明王と「聖天堂」「歓喜堂」の大聖歓喜天 が、どちらかがどちらかということか・・と思ったが、どっちがどっちなのかはよくわからない。

  大聖歓喜天とは何者なのか・・というと、ウィキペディアー歓喜天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 によると《 ヒンドゥー教のガネーシャに相当する尊格で、ガネーシャと同様に象の頭を持つ。》ということで、梵語では、ヴィーナヤカ もしくは ガナバティ と呼ばれるらしい。
《 象頭人身の単身像立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。稀に人頭人身の形像も見られる。》
とあり、実際、今まで訪ねたお寺では「秘仏」と明記されていなくても、参拝者から見える場所におられるのを見たことはない。

  4つの「説話」があるらしく、
(1) 《 摩醯首羅大自在天王の妻・烏摩女は3,000の子をもうけた。左から生まれた1,500の子は毘那夜迦王を長子とし、あらゆる悪事を働いた。いっぽう扇那夜迦持善天せんなやかじぜんてん、梵:Senanāyaka、セーナナーヤカ)を長とする右の1,500の子は善行を修めた。
  観音菩薩の化身であった扇那夜迦王は、毘那夜迦王の悪行を鎮めるために最初はその兄弟となり、そして次に女天として毘那夜迦王と夫婦となって、「相抱同体」の形を示現せしめたという。
(2) 《 摩羅醯羅(まらけいら)州という国には王がいた。大根と牛肉ばかり食していたため、やがて国中に牛がいなくなった。すると王は次に死人の肉を食べ始め、それも少なくなると生身の人間を食べるようになった。
  国の人々は王を討伐しようとしたところ、王は「大鬼王毘那夜迦」に変じて、眷属共々飛び去り、姿を消した。その後、王の呪いで国中に疫病が流行ったので、人々は十一面観音に助けを求めた。
  十一面観音は毘那夜迦女の姿を取って王の前に現れ、悪を捨てるよう説得した。心変わりした王は大いに歓喜して、疫病を終息させた。こうして国に平和が戻り、人々が安穏に暮らすようになったという。》
(3) 《 南天竺国に意蘇賀大臣(鼻長大臣とも)という大臣がいて、王妃と不倫の関係をもった。それを知り激怒した王は大臣を殺そうと図り、象の肉を混ぜた毒酒を大臣に飲ませた。
  王妃の助言を受けた大臣は鶏羅山(カイラス山)へ逃げ込み、そこで油を浴び羅蔔根(大根)を食した。すると毒は消えて大臣は命を取り留めることができた。
  怒りに満ちた大臣は「大障礙神」となろうと誓願し、大荒神毘那夜迦に身を変じて、五億八千那由他の眷属を率いて王宮に乱入した。
  大臣のもとに赴いた王妃は「悪の心を翻して大慈悲の心を生みなさい」と大臣に勧告したところ、大臣はそれに従い慈悲の心を生もうと誓った。王妃は大臣に身を任せると、大臣は歓喜の心を生じて王妃を抱いたという。》
(4) 《 「毘那夜迦」という山(象頭山、障礙山とも)に大勢の毘那夜迦が住んでいた。その長である歓喜王は、当時まだ仏法に帰依していなかった大自在天に衆生の精気を奪い、あらゆるさまたげをなすよう命じられた。
  その時、観自在菩薩が毘那夜迦婦女(障母女)の姿をとり、歓喜王のもとに赴いた。一目ぼれした歓喜王はこの美女を抱きたいと欲したが、障母女は私の教えに従って仏教を守護するように求めた。王はこの美女の要求を承諾し、そして美女を抱いて交わると歓喜を得た。これにより、歓喜王は仏法に信奉し、併せて仏教の護法神となったという。》
( ウィキペディアー歓喜天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 )
  (1)~(4)の話は、部分的に共通するものがありながら、それぞれ異なる話だけれども、いずれも、あんまり、感心する話ではない。(2)の「摩羅醯羅(まらけいら)州の王」は牛肉と大根ばっかり食っていた・・て、痛風になりそう・・・。
 (3)は、王妃と不倫の関係を結んだ大臣を王が成敗しようとしたものを逃げて復活して、王を倒そうとしたが、歓喜の心で王妃を抱いたとか、勝手な話とも思える。
 (4)は、結局、「悪もん」やめて「ええもん」になったら、ええ女を抱けるなら、それなら「ええもん」になるわあ・・となって美女を得て歓喜を得た・・て、なんか、単純というのか、あんまり立派なお方て感じでもない。
  まあ、仏教の神というのか、インドの神でも、如来・菩薩・明王まではともかく、「天部」の神さんというのは、元々は必ずしもご立派なお方だったわけでもない者が、何らかのきっかけで善神に変わるという話が多いみたいで、鬼子母神にしても、元々は自分の子は大事にするが人の子を殺して食う女だったのが〔「子供」を大義名分にかかげれば自分の我儘が通って当然みたいな日本的少子高齢化対策女みたいなやつ〕、釈迦からたしなめられて、自分の子もひとの子も守る神に変わったと、そういう元は善神だったわけではない者が善神に変わったという神が多いみたいだ。

  『古事記』『日本書紀』の神でも、スサノオなどは、片方でヤマタノオロチからクシナダヒメを体を張って守ったり、又、日本は島国だから木材が必要だろうと髭や胸毛を抜いて日本列島にまき、その結果、日本列島に有用樹木が生えるに至ったとか、世のため人のために貢献してくれる面がある一方で、けしからんこともやっているわけで、そのあたりがキリスト教の唯一神エホバ・ヤハウェなんかとは違うところだが、インドの神でも大聖歓喜天にしても鬼子母神にしても、元々はそんなに立派な存在だったわけでもない。

  困った暴れん坊の男に身を任せることで「ええもん」に変わらせるということをした女というのが、王妃である場合と観音菩薩である場合があり、(2)と(4)は観音菩薩で〔(2)では十一面観音〕、(3)は王妃だというが、「悪もん」やめて「ええもん」になったら、ええ女、抱けるなら「ええもん」になろか・・て、単純な男・・て感じがしないでもない。

  永久保貴一氏の『ほんとにあった怖い話 霊験修法曼荼羅』(朝日新聞出版)で密教僧の秋月慈童さんが、「何何観音さんは大聖歓喜天さんの奥さんですからね」と語る場面があったと思います。(それが、どこだったか、今、見つからないので、見つかったら、どこか表記したいと思います。)
 
  (2)(4)では、観音菩薩というのは、女の姿をとって王に心を入れ替えるように説得するようだが、観音さんというのは女性的な姿をしていることが多いが、実は観音さんは元々は男の神さんだったという話もある。そうなると、話の辻褄が合わなくなってくるのですが、まあ、そういうお話はあるのでしょう。

  『エソテリカ別冊 西国三十三所 観音巡礼の本』(2008.8.15.学習研究社)所収の白木利幸「観音とは」には、
《 ・・そもそも観音とはいかなる仏なのだろうか。まずその名称から考えてみると、観音菩薩には2種の梵名がある。
  梵名をアヴァローキテーシュヴァラととると
、「アヴァローキタ(所観・観察)+イーシュヴァラ(自由自在)=「観自在(かんじざい)」となる。唐代の玄奘も『般若心経』で「観自在菩薩」と訳している。
  一方、アヴァローキタシュヴァラとすると、「アヴァローキタ(所観・観察)+シュヴァラ(音)」であり、これが鳩摩羅什(くまらじゅう)(4世紀)訳の「観世音菩薩」である。なお、観世音が観音と略されるようになったのは唐代のことで、第2代皇帝太宗李世民の「世」の字を避けたためといわれる。》
《 観音はしばしば女性としてとらえられる。 たしかに、『観音経』の三十三身のうち7身は女身であり、女神化する要素を内在してはいた。 とくに中国では、媽祖(まそ)などの土着の女神と結びついて女性化が進んだ。 日本でも、近年は性別を超越した中性などと説明されることがある。 しかし、インドでの成立以来、観音は本来、男神の尊格なのである。
と書かれている。
観音巡礼の本―西国三十三所 日本最古の霊場1000年の聖域を歩く (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica エソテリ)
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  どっちにしても、「悪もん」やめて「ええもん」になったら、ええ女を抱けるのなら、それなら「悪もん」やめて「ええもん」になろかあ・・・とか、なんか、あんまりご立派な態度ではないし、それが神さんか~い・・・とも思えるのですが、「如来」「菩薩」「明王」まではともかく、「天部」の神さんというのは、なんか、そんな感じの神さんが多いみたい・・・。

  遠藤周作『沈黙』では、江戸時代初期に日本にやってきたヨーロッパ人のキリスト教の神父がキリスト教禁教の日本において役人につかまり、そして、自分は拷問にあっても耐えて信仰を捨てなかったが、すでに「転んだ」キリシタンが、その神父がキリスト教の信仰を捨てないことから逆さ吊るしの拷問に合わされて呻いている・・というのを知り、自分が転べばその元信徒が助かるというのならば・・ということで「転ぶ」・・という話で、遠藤周作の小説『沈黙』ではロドリゴという名前ですが、モデルになった神父はキャラという名前の人だったらしい。  
  遠藤周作『沈黙』は映画にもされたが、1981年、慶應大学の大学生協がこの映画の放映会と遠藤周作(慶應大学文学部卒でもある)の講演会を開催したのですが、私はそれを見に行けなかったのだけれども、大学生協が発行している「生協だより」だかそんな感じのもので遠藤周作が後援会で語ったものを読みましたが。
  まず、遠藤周作が言ったのは「疲れる映画でしたでしょ」というもので、「ぼくの小説の『沈黙』はそんなに疲れる話ではありませんから、ぜひ読んでください」というもので、遠藤周作が言うには、作家がその小説を映画にされるというのは、これは父親が大事に育てた娘を嫁にやるようなもので、嫁にやった家の家風に娘が染められてしまうというのは、これは娘を大事に育てた父親としては不愉快極まりないことだ・・が、まあ、嫁にやったからには、しかたがない・・という、そんなものだというのだ。 だから、小説『沈黙』は遠藤周作の作品だが、映画『沈黙』は、よその家の家風に染められてしまった娘みたいなもので、映画監督の篠田なんとかさんの家風に染められたものであって遠藤周作の作品そのものではない、というのだ。
  そして、遠藤周作が最も気に入らないところは、最後、自分が大事にしてきたキリスト教の信仰を、その信仰を広めるためにはるばる海を渡ってやってきた日本で、その信仰を捨てますと言って「転んだ」のち、許されて日本名を与えられて生活するに至った元神父ロドリゴが、妻としてあてがわれた日本の女性に抱かれるシーン。遠藤周作はそんな場面を小説に描いていないのに、篠田なんとかさんは、なんで、小説にないようなシーンを映画に描くのか・・と尋ねたところ、大事にしてきた信仰を捨てた精神的ショックがそこで癒されるということを描きたかったんだと映画監督の篠田くんは言ったというのだが、自分が大事にしてきた信仰を捨てるということは「女と抱き合ったとか、そんなことで癒されるようなものと違いますよ」と遠藤周作は言うのだった。
  そうすると、映画監督の篠田くんは、単に性的な満足で満たされるとかいうことではなく、温かくつつみ込まれるような愛情でとか言うので、「その女性は母親のようなものだと言いたいのか」と尋ねたら「そうだ」と言うのだったが、しかし、映画の中のその女優・岩下志麻の眼は、どう見ても「母親の眼」ではないですよ・・・と遠藤周作は語っていたのだった。
  自分が大事にしてきた信仰を捨てるということは、それは女をあてがわれて抱いたからといって、そんなことで癒されるなどというような、そんな軽いものとは違うというのだ。
  ・・・それで、遠藤周作さんの小説『沈黙』と映画監督の篠田なんとかさんの映画『沈黙』は、それは別のものだと考えてくださいと遠藤周作は述べていた。
  小説が映画になったりテレビドラマになったりアニメーションになったり、あるいは漫画・劇画になったりした場合に、原作の小説とあまりにも内容が変わってしまっていることから、原作の小説の作家が怒ったとかいった話はよくある。白土三平『カムイ外伝』を最初に映画化だったかテレビアニメだったかにした際に、内容の改変に白土三平は怒り、そのために、その後もテレビで白土三平の作品を放映しようとした際に白土三平は断り、かわりに人畜無害な横山光輝の『仮面の忍者 赤影』が放映されたとか。  内田康夫は映画やテレビドラマになった内田康夫の浅見光彦シリーズについて「小説の方がいいでしょう」とどこかで語っていた。 小松左京『日本沈没』は小説と映画で結末が異なるようだ。又、トルーマン=カポティー『ティファニーで朝食を』は小説の『ティファニーで朝食を』と映画の『ティファニーで朝食を』で結末が違い、まったく別の話になってしまっているが、映画の方の話はそれはそれでいいのかもしれない・・とも思える。
  遠藤周作『沈黙』については、高校1年の時に読んだのだが映画『沈黙』は見ていないが、遠藤周作の講演会での話で、だいたい、どんなものか、わかる。
沈黙(新潮文庫) - 遠藤周作
沈黙(新潮文庫) - 遠藤周作

  ・・それで、自分が大事にしてきた信仰を捨てるということは、それは女と抱き合ったとかそんなことで「救われる」とか「癒される」とかいうような、そんな軽いものではない、と遠藤周作は言うし、そうだと思う・・・のだが、ガネーシャ・ビーナヤカ・ガナバティ・大聖歓喜天さんの場合は、元々は「悪もん」やったのが、「ええもん」になったら魅力的な女を抱けるのなら、それなら「ええもん」になるわあ・・と「ええもん」になった・・て、なんというのかこう・・・という神さんらしいが、なんと言うべきか・・・。

  ウィキペディアー大聖歓喜天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%A4%A9 には、
《 象頭人身の単身像立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。稀に人頭人身の形像も見られる。》とあり、大聖歓喜天の像は、
1.象頭人身の単身像
2.立像で抱擁している象頭人身の双身像
3.人頭人身の形像
の3種類があるが、2の「立像で抱擁している象頭人身の双身像」が多いようで、
《 時間が経つにつれて、仏教のヴィナーヤカはヒンドゥー教のガネーシャと同様に最終的に悪神から障害を取り除く仏教に帰依した護法善神へと転じた。護法神であるヴィナーヤカ(毘那夜迦天、歓喜天)は、ヒマラヤ山脈のカイラス山(鶏羅山)で9千8百の諸眷属を率いて三千世界と仏法僧の三宝を守護するとされる。悪神が十一面観音菩薩によって善神に改宗し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神とされ、日本各地の寺院で祀られている。
  一般的な抱擁している象頭人身の双身像の場合、頭部に冠を付けている方が十一面観音で、その十一面観音に抱擁されながらも足を踏まれている方が毘那夜迦王とされる。》

《 東密・台密ともに、大日如来が方便のため、権現として毘那夜迦天になったと解釈されている。欲望を抑えきれない類の衆生に対して、まずは願望を成就させてあげることで心を静めさせて仏法へ心を向かわせる。》というものらしい。

 《 一般的な抱擁している象頭人身の双身像の場合、頭部に冠を付けている方が十一面観音で、その十一面観音に抱擁されながらも足を踏まれている方が毘那夜迦王とされる。》
ということは、この「立像で抱擁している象頭人身の双身像」の場合、《頭部に冠を付けている方》は大聖歓喜天ではなく十一面観音で、《その十一面観音に抱擁されながらも足を踏まれている方》の「毘那夜迦王」が大聖歓喜天なのか、それとも、二体両方で大聖歓喜天なのか。 
どちらなのだろうか・・とも思うが、いずれにしても、「18歳未満」に見せるような格好ではないからか秘仏になっているので、じっくりと見て、どちらなのか考えることもできないし、又、じっくりと見て検討すべきものでもないのだろう。

  《 真言宗が広がり、天台宗の密教化が進むとともに、密教の神々は、現世利益のねがいに応える神として、広く信仰されるようになりました。密教では、インドの古来の神々を仏教の守護神としてとりいれ、不動明王などの明王部の神々や帝釈天、弁財天(弁天)、大黒天、水天、聖天、荼枳尼天(だきにてん)(稲荷)などの天部の神々としました。これらの神々は、密教の普及とともに、民衆の信仰を集め、さかんに祀られるようになりました。》
( 村上重良『日本の宗教』1981.第1刷。 2009.改版。岩波ジュニア新書。「2.古代の宗教」 )
  《 インド教起源の福の神であるガネーシャ Ganesa は、仏教にとりいれられて歓喜天(かんぎてん)とよばれ、わが国では一般に聖天(しょうてん)として知られている。インドでは今日でも、智慧と幸福とをつかさどる神として広く信仰されている。一本の牙を持った象の頭をした人間の姿であるが、男女抱擁した形の双身歓喜天の像が多い。奈良生駒山の宝山寺の聖天は関西の商人たちの信仰の対象となっている。》
( 渡辺照宏『日本の仏教』1958.1.25. 岩波新書。 「2.日本仏教の実態」 )
という。
日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 重良, 村上
日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 重良, 村上
日本の仏教 (岩波新書) - 渡辺 照宏
日本の仏教 (岩波新書) - 渡辺 照宏
  「聖天堂」「歓喜堂」に上がる階段の外側に、左側に袋に「福」と書いた絵が描かれていたのは「福の神」ということからで、右側には大根の絵が描かれていたのは、ガネーシャの「説話」に牛肉と大根ばかり食べていたという話があったことからだったのでしょうか。↓
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  鬼子母神も天部の神だが、
《 民衆の呪術的信仰の対象として鬼子母神も広く知られている。これは梵語でハリティー Hariti といい、鬼神の妻で、人の子供をとって食うのを常としていたが、釈尊が彼女の末子を隠して教化したので、人の子を殺さないことを誓って、我が子を返してもらったという説話がいろいろの経典に出ている。インドでは古くから産生神として信仰され、現にガンダーラ地方で美しい彫刻が発見された。中国では九子母神として信仰され、日本に伝えられた像も中国風なものが多い。・・・・
  ・・・日蓮宗寺院にまつられ、特に幼児の守り神として呪術の本尊になっているが、千葉中山の法華経寺が特に有名である。》
( 渡辺照宏『日本の仏教』1958.1.25. 岩波新書。 「2.日本仏教の実態」 )
改心前の鬼子母神「人の子供をとって食うのを常としていた」ような女というのも、現在の日本にはいるし、その女のオットでそれと同等の男というのもいる。反社会的勢力の夫婦と言うしかない。

  鉄筋コンクリート造の1階の上に木造のお堂が載っており、そのため、木造のお堂の前まで行くには階段を登らなければならないのだが、ここは東京都江戸川区平井で、少し東には荒川(荒川放水路)が北から南に流れており、すぐ北西には「旧中川」(荒川放水路が開通したことで、「中川」が東西に分断され、上流から流れてきた「中川」は途中で「新中川」と分かれたのち、荒川放水路とぶつかる所で、荒川放水路とのあいだに堤を設けて荒川放水路と並行して海に流れていくが、中川の下流側は荒川放水路から木下川水門から水を分けてもらって「旧中川」として穏やかな川として流れている)が流れているが、江戸川区の過半数の場所は荒川放水路の水面よりも地盤面は低いのであり、江戸川区役所は「ここにいてはだめ」と言って、もしも、大地震が発生して津波が押し寄せてきたというようなことがあった場合には、自分はマンションの中より上の階に住んでいるから津波に飲まれることはないと思う人もいるかもしれないが、ライフラインが寸断されたならば、「救援は来ない」と考えるべきで、被害にあい地上が水に覆われることがあっても、その範囲が狭ければ、行政も救援することができるとしても、江戸川区は海水面よりも低い地域が多く、救援する側と救援される側で救援される側の方が圧倒的に多い状況になる可能性は小さくないのであり、その場合には、津波自体には吞まれなかったとしても、救援はこない・・ということから考えると「そこにいてはだめ」と言うらしかったが、「そこにいてはだめ」かどうかはさておき、もしも、荒川(放水路)の堤防が決壊するようなことがあったなら・・とか、海水が流入してくることがあったならば、1階部分を鉄筋コンクリート造で設けておいて、その上に木造のお堂を載せるように作っておけば、1階部分が水につかっても、その上の木造のお堂は助かる・・ということはあるかもしれないので、この造り方 ↓ はその点ではいいのかもしれない。
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  燈明寺の南西側の隣に隣接して 諏訪神社(平井 諏訪神社)があるが、そのさらに南西に少しだけ間に人家が合って、妙高寺という日蓮宗の寺があるのだが、江戸川区には妙高寺という名前の寺が江戸川区江戸川 と江戸川区平井 にあって平井の方の妙高寺だが、ウィキペディアー妙高寺(江戸川区平井)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E5%85%89%E5%AF%BA_(%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%8C%BA%E5%B9%B3%E4%BA%95) には、《 1598年 (慶長3年)、安立院日饒によって開山された。その後、1703年(元禄16年)の元禄地震の津波で堂宇もろとも流失したが、日信が再興した。現在の本堂は水害を防ぐために底上げしており、1966年(昭和41年)に新築されている 》と出ており、すぐ近くの妙高寺の本堂が水害の被害に合わないように《底上げして》いるということは、燈明寺の聖天堂・歓喜堂および本堂も津波など水害の被害に合わないようにということで、1階部分を重い鉄筋コンクリート造で作って、1階分の巨大な基礎の上に木造のお堂を建てた・・ということは考えられるのではないか。
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↑ 燈明寺 本堂。
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↑ そう思って見ると、鐘楼も高い台座の上に載っているが、これも水害の被害に合いにくいようにということでのものかもしれない。

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501141339.html 、不動明王を祀る本堂の方へ行きます。

※ ウィキペディアー燈明寺(江戸川区)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%88%E6%98%8E%E5%AF%BA_(%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%8C%BA)

 (2023.10.17.)

  あるっく社編集部 編集『歩く地図 17 奈良・大和路』(1996.5.改定第6版 山と渓谷社)に掲載の「お寺ものしりミニ事典」「仏像のいろいろ」を見ると、
《 寺院にはさまざまな仏像が安置されているが、一般的には以下に説明する如来・菩薩・明王・天・羅漢の5種類に分けられている。
如来 修行を終えて悟りを開いた人のことで、仏陀(釈迦)を指していたが、のちに「真理の世界から衆生済度に来た人」と解され、いろいろな如来が出現するようになった。・・・
菩薩 菩提薩埵の略で、悟りを求める人という意味である。釈迦が出現する前の王子の姿をモデルにしているので、如来よりも華やかな像になっている。・・・
明王 如来の命令に従って悪を打ち破る使者とされるが、密教の大日如来の化身ともいわれている。孔雀明王以外はすべて忿怒の形相を示し、髪は怒髪、何本もの腕に宝剣や弓などの武具を持っている。服装は菩薩と同じだが、宝冠と天衣は着けていない。
・・・
 ヒンズー教の神々が仏教に帰依して姿をかえたもので、本来は天界に住むので ”天” と呼ばれている。各像のモデルは釈迦の王子時代の家来たちだといわれ、仏敵と闘う男性は甲冑をつけた忿怒武装形、吉祥天・弁才天・伎芸天などの女性の天はやさしい顔で、長い袂の上衣で着飾っている。
・・・
 歓喜天 大聖歓喜天を略したもので、聖天とも呼ばれる。もとは鬼神だったが、仏教に帰依してからは魔を除く神となった。日本では富貴財福を授かる神として信仰されている。象頭人身の姿で、単身と双身が造られ、双身の場合は男女が抱き合っている。
羅漢 阿羅漢の略で、悟りを得た聖者たちのこと。釈迦の十大弟子や十六羅漢、五百羅漢などがある。また各宗派の祖師像も羅漢部に含まれる。》
と書かれている。
  (2023.11.10.)


☆ 燈明寺(平井聖天)〔東京都江戸川区平井〕参拝
1.平井駅から蔵前橋通りを横断し、諏訪神社の前を通って燈明寺へ。計画性のないチムニー(株)「ファーストグルメ」平井店。「(一条工務店の某営業のように)郵便物を盗むことは犯罪行為です 小石川警察署・・」。「無責任の体系」のチムニー(株)の面接。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500980727.html
2.門をくぐり正面に聖天堂、右手に金堂。門の内側右に弘法大師像? 左に水子地蔵。「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると考える「子供」帝国主義の女とその夫に殺されたわが子の恨みをはらしていただくよう、水子地蔵様に祈願してきました。反社会的勢力雇用均等室を叩き潰せ! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501018586.html
3.門から入り、左に鐘楼、正面に聖天堂・右に本堂。「裏でなく 正門で入ろう 大学は」。八百長医者屋民族の嘘。この人間がこう言ったら実態はこんな感じかと推測するか、言った通りと推測するか。父親がなかったから父親がいるとどんなに大変か理解できないバカ女症候群。 
4.「歓喜堂」「聖天堂」。〔今回〕
5.不動明王を祀る本堂。不動明王とは。真言宗の新義と古義の経緯とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501141339.html
6.平井諏訪神社。江戸川区一の社殿、区登録有形文化財の稲荷社は彫刻がきれい。平井富士塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501193898.html
7.旧中川にかかる平井橋・荒川放水路で分断された中川・高校教諭は親に苦しむ生徒に助力するものと違うのか・「両親が離婚した」娘はみんなでほめなきゃならんのか・「両親が離婚した」らエライのか・「京大でも通りました」と母親が言ってまわる阪大生には何かしてあげるべきなのか・クロマティ高校卒の男は浪人する権利があるのか・あまりにも「一番」追いかける人は、結局、何がやりたいのか?・おばさんの似顔絵入りウチワと30代の女の「握手しましょ」はどっちが「利益供与」か https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501232436.html
8.同僚を営業本部長に讒言する男とそれをきく営業本部長、会社のルールを破って人の追客中客を強奪して放置する所長とそれに加担する営業本部長、自社が損する嘘をつきまくる営業、「研修」で得意がって嘘教える男、〇日に見積書を持って来てくれと頼んでその日はパジャマで奥にいる人、「下位互換」の会社は立場が弱い、「失投」が来る浜松・掛川・名古屋の営業と「一流投手の会心の球」しか来ない東京・松戸営業所。吾嬬町とは。大正民家園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501276979.html
9.墨田区立花の白髭神社。自分が店員に腹立つことがあっても、会社が提携している店と勝手に喧嘩していいものではないであろう。いったん、もめても修復すべく働きかけるのが「営業力」、往復40分歩かせて交通費をけちる会社の判断は間違い。小村井交差点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501343357.html
10.亀戸線「小村井」~「亀戸」駅。自分が勤務する新展示場開設に尽力してくれた相手に「すいません」言わない営業・構造安全基準が甘い設計会社・気持ちが落ち着く方法17 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501359257.html 

★ 大聖歓喜天を祀る寺とお堂。
☆ 箕面山 聖天宮 西江寺(大阪府箕面市)参拝 1~4
1.箕面駅前、「日本最初大聖歓喜天出現霊場」碑から西江寺の西側の坂道まで。正反対の性質の心療内科と「精神科」を同時に掲げる「クリニック」の矛盾。ニーチェなどが学ぶべきだと言う心理学と小此木啓吾らのエセ心理学とは別物。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499514748.html
2.中ノ坂 を登り西江寺まで。箕面の山の地主神の白髪の翁・大聖歓喜天と役行者との出会い。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499547852.html
3.石段を登り、右手に天満天神・吉野・吉竹・金毘羅の祠。登り切った正面に大黒堂。「摂津国神宮寺」が神仏分離で西江寺に名称変更。豊島郡片手村から簑面村へ。外界世俗から密教的世界への障害を守護する威力神として大聖歓喜天が祀られる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499567214.html
4.大黒堂前から聖天堂。箕面山荘前への山道。弁財天堂。白龍歓喜天。中ノ坂からの眺望。強制労働の「患者」の労働を搾取して、他方で江崎グリコ(株)から内職代を取得する「医者」「病院」は「一粒で二度おいしい」、そんな「江崎グリコを守れ」と主張する者は正義なのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/499590837.html

☆ 聖天宮 西江寺(大阪府箕面市)について
⇒[第476回]《紅葉の箕面 西江寺(さいこうじ)(箕面聖天) と 摂社 天満大自在天神(大阪府箕面市)参拝》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
「哲建ルンバ」《箕面山聖天宮西江寺へ行ってきました。~建築探訪・建築巡礼第4回〔引越掲載〕》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_29.html 

☆ 金目山 光明寺(神奈川県平塚市) の歓喜堂については、
⇒[第976回]《金目山 光明寺(平塚市)参拝【3/4】大聖歓喜天を祀る歓喜堂。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/498407897.html
☆ 飛騨国分寺(岐阜県高山市)については、
⇒[第360回]《飛騨国分寺と三重塔、「和風ドーマー」、ホテルの二重サッシ、飛騨牛中華そば―高山シリーズ第3回(9)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_10.html 
飛騨国分寺では本堂の中の「一室」で大聖歓喜天が祀られています。 

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