墨田区立花の白髭神社。自分が店員に腹立つことがあっても、会社が提携している店と勝手に喧嘩していいものではないであろう。いったん、もめても修復すべく働きかけるのが「営業力」、往復40分歩かせて交通費をけちる会社の判断は間違い。小村井交差点ー燈明寺(平井聖天)・平井諏訪神社【9/10】

[第2015回]会社と営業の話。
  「旧中川」にかかる平井橋を渡った「平井橋西」交差点を直進して少し行くと右手にお地蔵さんがおられます。『街の達人 東京23区 便利情報地図』(2022.3月2版7刷 昭文社)を見ると、「北向地蔵尊」と書かれています。
  ここを右折して進み、しばらく行ってまた右折すると、左側に白髭神社がありました。↓
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↑ 鳥居の右手前の石柱に「白髭神社」と書かれています。
鳥居には「奉献」と書かれています。 こういった所には「奉納」と書かれている場合と「奉献」と書かれている場合があり、どちらでも悪くはないみたいです。
  1980年代、小堀住研(株)で千葉県茂原市の契約客のお宅の地鎮祭に出る際に、松戸展示場の近くの酒屋で一升瓶入りの日本酒を買って熨斗に「奉献」と書いてもらって持っていけと課長から言われ、「『奉納』じゃなくて『奉献』なのですか」と尋ねると「奉献だ」と言われ、「奉献」と酒屋で書いてもらって持参しました。理由はよくわかりませんが、地鎮祭に持っていく日本酒の場合、「奉献」と書くことが多いみたいです。

   鳥居の左手前にこの白髭神社の由緒が書かれた掲示板が立っています。祭神は猿田彦大神
《 猿田彦大神、またの御名を大地御祖(おゝつちのみおや)神と申し上げ、天孫「ニニギノ尊」が我が國土におくだりになった際、天の八街(やちまた)にお出むかえ申し上げ、天孫を高千穂の峯に道案内申し上げ、この大任を果たされてから伊勢の五十鈴の川上に宮居を定められ、こゝを中心に広く國土開拓の指導にあたられました。》
とある。千葉県の佐倉市と山武市の間に落花生のブランド の八街(やちまた)市がありますが、「八街(やちまた)」とは「天の八街(やちまた)」からきた名前だったのでしょうか。

《 御神徳高い大神は白髭大神・佐田大神(伏見稲荷大社 御祭神)道祖神(道しるべ)庚申(長命)さまとして全國津々浦々にお祀りされております。》
《 大神は古くより物事の始めに災いを袚い給い 最も善き方へお導き下さいます御神徳をおもちになり、海陸の交通の安全を護り商工業の繁栄田畑、山林、宅地の凶を払い、土の御祖神としてあまねく万人万事に尊い御神恵を垂れさせ給う大恩神でございます。》
と書かれている。

《 当社は古来より南葛飾郡葛西川村の鎮守神であり、新編武蔵風土記に「村の鎮守とす」と記されている。
  葛西誌によると創立は霊元天皇の御代 天和2年、徳川綱吉将軍(五代)の時代で、当時の庄屋 鹿倉吉兵衛、関口一郎治 両氏が幕府に許しを受け、現在地の中川のほとりに社地を定め里人を導きて当社を勧進した。》
  霊元天皇とは《 霊元天皇(れいげんてんのう、1654年7月9日〈承応3年5月25日〉- 1732年9月24日〈享保17年8月6日〉)は、日本の第112代天皇(在位: 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉- 1687年5月2日〈貞享4年3月21日〉)。》( ウィキペディアー霊元天皇 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%85%83%E5%A4%A9%E7%9A%87 )。
1600年 関ヶ原の戦
1614~1615年 大坂冬の陣・夏の陣
1637~1638年 島原の乱
1663~1687年 霊元天皇 在位
1680~1709年 徳川綱吉 在職

1687年? 生類憐みの令 
1689年 「権利のいろはく(1689)」権利章典、ネルチンスク条約。
1716年~  享保の改革
1727年 「人、何なすぞ(1727)、キャフタ条約」キャフタ条約。
  江戸時代の前半、元禄の頃に創立された神社らしい。

《現在の本殿は大正12年(1923年)の御造営にして、幣殿 拝殿は昭和46年(1971年) 氏子崇敬者の熱誠溢れる努力により御造営された。》
本殿は「幾人、見つかる(1923)、関東大震災」関東大震災の年(1923年、大正12年)の造営。
幣殿・拝殿は「せんきゅう~ひゃく~ななじゅう~うねんの こ~んに~ち~わ~♪」の大阪万博の1970年(昭和45年)、三島由紀夫が市谷駐屯地に乗り込んで割腹自殺の1970年(昭和45年)の翌年。 

  鳥居をくぐって直進すると、↓
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↑ 拝殿。 1971年(昭和46年)造営。
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↑ 額には「白髭神社」と書かれています。

  『日本の神様がわかる本』(2005.1.5.PHP研究所)には、
《 サルタヒコ命は、天孫降臨神話の故事から導きの神とされ、この神を祭神とする神社では、方向、方針、目的遂行などに霊験ありとされ、家屋の新築、移住、転居、旅行、就職、結婚などの際に守護を願って参拝する人が多い。
  また、この神は、各地の塞の神・道祖神・金精様としても祀られているほか、蹴鞠の神(椿大神社)として野球、ゴルフなど運動全般の守護神とされている場合もある。
  とにかく、サルタヒコ命の最大の特徴は、道祖神などのような民族的な神様と深く結びついていることにある。それだけに、庶民的で日常生活のさまざまな悩みに対応する霊力を発揮する神様である。》
《 道の神・行路の神という基本的な性格から、民俗信仰の塞(境)の神や道祖神と結び付けられ、道祖神信仰の性神である金精様としての顔ももつようになった。 また、江戸時代中期には、猿と申(さる)の共通性から庚申様とも習合した。
  サルタヒコ命を祭神とする神社は、全国に二千余社を数える。その一般的な神徳は、延命長寿、災難・方位除け、厄除け開運、縁結び、安産守護、商工業隆昌、進学・就職守護などである。》
と書かれている。
  同書の「神社ガイド」には、サルタヒコを祀る神社として滋賀県高島郡高島町(現 高島市)の白髭神社があげられており、「全国の白髭神社の本源」だそうだ。
※ 白髭神社(滋賀県高島市)HP http://shirahigejinja.com/
ウィキペディアー白髭神社(滋賀県高島市の白髭神社)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AC%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
[完全保存版]日本の神様がわかる本あの神様の性格・あの神社のご利益が一目瞭然 - 戸部 民夫
[完全保存版]日本の神様がわかる本あの神様の性格・あの神社のご利益が一目瞭然 - 戸部 民夫

  御本社の左側(西側)に摂社がありますが、どなたを祀る神社かはわかりません。↓
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  「大正民家園 小山家住宅」は地図によると、白髭神社より南東にあるようですが、今回は行けませんでしたが、機会があれば訪ねてみたいように思います・・。

  地図によると、平井橋から直進する通りを「平井街道」と言うそうです。平井街道を北西の方に進みます。右手に立花図書館がある前を通って進むと、私にとってはなつかしい所、丸八通り(都道476号) と 明治通り(都道306号)が合わさる交差点、「小村井(おむらい)」交差点の手前で丸八通りに出ます。↓
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 ↑ 「小村井(おむらい)」交差点。 手前が丸八通り(都道476号)、向こう側が明治通り(都道306号)。

  「小村井」交差点から北側を見ると、明治通りの東側に窓が十字架になった建物が見えます。↓
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↑ キリスト教系の学校か、学校でなくてもキリスト教系の施設かと思ったのですが、帰って地図を見るなりインターネットを検索するなりすればわかるかと思いましたが、わかりません。

  この「小村井」交差点は(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場(江東区潮見)に勤務していた時に、左側(西側)の明治通り、あるいは右側(東側)の丸八通りをクルマで走ってきて、ここから北側の明治通りを通って北に進んだりしたことが何度もありました。松戸方面に行く場合にも、ここを北に進んで東武伊勢崎線の「東向島」駅の近くの「東向島」交差点で右折して水戸街道(国道6号)を進んで行ったことが何度もあったと記憶しています。なつかしい場所ではあるのですが、クルマで通る場合と歩いてそこに来て立った場合とで見えるものは全然違うので、印象も違います。その頃、東京では無名で評価は無茶苦茶低い会社で、それを何とかしようと、一生懸命、努力したものでしたが、そういった従業員の努力と苦心・苦労を感じない一族経営者の会社だったようです。「君、君足りて、臣、臣たり」とかいう言葉があります。『史記』では、韓信は最初、項羽に仕えたが、項羽は物惜しみする性格で部下に報酬を十分に与えず、又、項羽は個人としては優秀な人間だったが部下を信じてまかせるということができない人間で、韓信は項羽のもとを去った。韓信は次に劉邦に仕えるが、韓信は劉邦のもとも去ろうとしたが、その際、観の三傑のひとりとされ、劉邦が最も信頼していたとされる蕭 何 (しょう か)が韓信の後を追いかけて連れ戻した。劉邦は自分が最も信頼していた蕭 何 (しょう か)が自分のもとを逃げていったことを悲しんだが、しばらくすると戻ってきたことを大いに喜び、そして、なぜ去ったのか問いただしたところ、蕭 何 は自分は逃げ去ったのではない、逃げていった者を追いかけて連れ戻したのだと言う。劉邦は、そんなはずはない、これまでにも逃げ去った者は何人もいたが蕭 何 は連れ戻そうと追いかけていったことは一度もなかったではないか、と言う。蕭 何 は言う、これまでに逃げ去った者はほかにいくらでもいる人間だ。それに対して韓信は国士無双である。韓信のような者はほかにいない、と。劉邦はそれなら韓信を召し抱えようとするが、蕭 何 は韓信ほどの者を召し抱えようとするならば、大王もまた、斎戒沐浴した上で会うべきで、下っ端の者と会うような態度では韓信は喜ばないと言う。劉邦は蕭 何 の進言を取り入れて斎戒沐浴して韓信と会う。韓信は韓の三傑のひとりとして、行政の蕭 何 ・外交の張良とともに軍事の韓信として大活躍をする・・・というが、そういった扱いをしようとしないような経営者のために自分を犠牲にして尽くしても、恩を仇で返すような対応をされるだけだったようだ。
  江本は法政大学を卒業した後、熊谷組に1年いて東映にドラフト外で入ったが、高知商業の3年の時には他の部員の暴力事件で夏の大会に出場できず、法政では4年の時に主将などが1年生にしごきのようなことをしたということで問題になって監督が長時間に渡ってその4年生を責め続けたのを見て、その監督だって自分たちにそういうことをやってきたのに、むしろ、その主将らがかわいそうだと思い、「もう、そのくらいでいいじゃないですか」と言ってしまったことから、大学4年の秋の東京六大学野球のリーグ戦では「ユニフォームがなかった」、試合に出してもらえずドラフトでも指名してもらえなかった。熊谷組から東映に入団したが、入団1年目は0勝だったが、2年目に南海にトレードされた時、南海の監督の野村から「おれが捕手として捕ればおまえは最低でも10勝以上できる。おまえは南海のエースになる投手やから最初からエースの番号をつけろ」と言って、それまでプロで0勝の投手に16番の背番号を渡された。開幕2戦目に先発した江本は阪急の山田と投げ合って9回まで0点に抑えるが、山田も0点に抑え、延長の末、0-1で敗れる。帰りのバスの中で野村はマイクを取り、先発の野手の名前を読み上げて「おまえら、情けない。江本があれだけ頑張っているのに1点も取ってやれないとは。我々は江本に借りができた。次の試合では必ず借りを返さないといかん」と語った。次に江本が先発した試合では、江本が先に失点するが、野村はベンチ前で円陣を組んで「前の試合では我々は江本に借りがある。この試合では必ず借りを返さないといかん」と言い、その後、江本は立ち直って抑えると南海は逆転に成功して、先発2戦目で前年0勝の投手は勝ち星をあげた。意気に感じた江本はその年、前年0勝だった投手が背番号と同じ16勝をあげた。・・やっぱり、そういう経営者の所で働かないと、(株)一条工務店のような「勝ちに不思議の勝ちあり」の浜松工務店で自分を犠牲にして尽くしても、アホの経営者は恩を仇で返す、努力・尽力したものを仇で返されることになるようだ。
史記列伝 三 (岩波文庫) - 司馬 遷, 小川 環樹, 今鷹 真, 福島 吉彦
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野村克也解体新書 完全版 ノムさんは本当にスゴイのか? - 江本孟紀
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  孟嘗君の「食客」となった馮 驩(ふうけん、ふうかん)は孟嘗君が一番下の食客としたことに対して、玄関前で長剣を横において、
「長鋏(ちょうきょう)よ、帰らんか。食に魚なし」
「長鋏(ちょうきょう)よ、帰らんか。食に肉なし」
「長鋏(ちょうきょう)よ、帰らんか。出かけるに馬車なし」

と歌ったというが、そのように歌ってやった方がいいのかも・・と(株)一条工務店ではそのうち思うようになった。自分を犠牲にして会社のために尽くしても、その会社の経営者は、誠に会社のためを思って尽力している人間と人間のカスとを見分ける能力がないのならば、そういう会社は韓信が項羽のもとを去ったように、もっと早めに去った方がよかったのかもしれない・・・か。

  丸八通りを南に行くと、東武亀戸線の東側を東武亀戸線に沿うように丸八通りは走り、「東あずま」駅・「亀戸水神」駅の東・「亀戸中央公園」の西を南下してJR総武線の下をくぐり、京葉道路を横切った後、新大橋通りと交差する「大島6丁目」交差点に至る。新大橋通りは西に行くと、新大橋で隅田川を渡るが、新大橋通りの下を都営新宿線が走っていて、「大島6丁目」交差点の下に「大島」駅がある。 都営新宿線「大島」駅の近くの変電所に、1980年代後半、新帝国警備保障から交通誘導のガードマンに行ったことがあった。目の前に電車の駅があり、私がその時、住んでいたアパートの最寄り駅の常磐線「南柏」駅からだと、常磐線~東京メトロ千代田線で「新御茶ノ水」~「小川町」乗り換えで都営新宿線に乗って「大島」下車というルートが妥当と思われたが、新帝国警備保障の正社員の者から、「そうじゃなくて」と、南柏から北千住まで常磐線で行って、北千住から東武伊勢崎線で「曳舟」まで行き、「曳舟」で東武亀戸線に乗り換えて「亀戸水神」駅まで行って、「亀戸水神」駅から丸八通りを南に歩いて行ってくれと言われた。使用者からそう言われるのならしかたがないと思って「亀戸水神」駅からえんえんと歩いたが、所要時間は、南柏ー(常磐線・千代田線)ー新御茶ノ水・小川町ー(新宿線)ー大島 と 南柏ー(常磐線)ー北千住ー(伊勢崎線)曳舟ー(亀戸線)ー亀戸水神ー(徒歩)ー大島 とでだいたい同じくらいで、電車賃は北千住と曳舟で乗り換えて亀戸水神から歩いた方が安かった。 新帝国警備保障の正社員のにいちゃんは、私に亀戸水神駅からえんえんと歩かせることで、元受けのゼネコンが払う電車賃を節約したかったらしいが、最初、言われた通り、亀戸水神駅からえんえんと歩いていたところ、2名勤務の場所に私と同じように常磐線沿線に住んでいる者が新御茶ノ水・小川町乗り換えで来て、帰りもそのルートで帰ろうとして、私が亀戸水神まで歩こうとするのを見て、「なんで、そんなことするんですか。目の前に駅があるんだから、これに乗って帰ればいいでしょ。どうせ、電車賃は自分で出すのではなくて『交通費支給』なのだから」と言うので、そうなのかな・・と思った、ということがあった。どうも、我が家はうちの父親が「会社のために、会社のために」と毎日、私が子供のころから耳鳴りがするくらいにそういうことを叫んできたために、「会社のために」そうしなければならないのかと思ってしまうことがあり、ふと気づくとそんなことしているのは自分だけだったということが何度もあった。1回くらい経験で歩いてみるのなら、やってみてもいいが、普通に考えて、都営新宿線「大島」駅の目の前の所に常磐線沿線の駅から行くのに、北千住と曳舟で乗り換えて亀戸水神からえっちらおっちら歩いて行く人間はあんまりないと思う。自分で交通費出して行くなら新御茶ノ水・小川町で乗り換えて千代田線・新宿線で行くだろう。新帝国警備保障に依頼していた郡リース という会社は、そんなところで普通ならやらないようなルートでえっちらおっちら歩かせるのではなく、一般的なルートでの交通費を払うべきであった、と思う。
  今、地図で東武亀戸線「亀戸水神」駅から都営新宿線「大島」駅(の前の変電所)までの距離を測ると、約1.6㎞ある。国土交通省の見解では、不動産屋が物件案内書には1分80m歩けるという前提で計算した所要時間を書いてよいとしているようで、「徒歩圏」と記載してよいのは1分80m歩けるという前提で計算して、徒歩20分までとしているようだが、20代だった時の私が「亀戸水神」駅からせっせと歩いて「大島」駅まで20分くらいだったと記憶している。たしかに「ぎりぎり徒歩圏」なのかもしれないが、国土交通省は「1分80m歩けるという前提で計算して所要時間20分までを『徒歩圏』と記載してよい」としているかもしれないが、実際に自分が住居を探す場合には、土地を購入して家屋を新築するにしても、アパートを借りる場合にしても、実際には駅から徒歩20分というのはけっこうきつい。勤務先、東京都内に勤務先があるなら電車に乗っている時間が短い、最寄り駅まで職場からの所要時間が短い場合なら、最寄り駅から自宅まである程度歩いてもいいかもしれないが、最寄り駅まで職場からすでにけっこうかかっている場合には、そこからさらに20分歩かないといけないというのは、これはきつい。又、電車に乗っている時間は同じでも1つの電車にずっと乗っている場合と乗り換えを何度かする場合では同じではない。
  新大橋通りとJR総武線の間は、四ツ目通りでは東京メトロ半蔵門線で「住吉」駅から「錦糸町」駅まで1駅分、清澄通りでは都営大江戸線で「森下」駅から「両国」駅まで1駅分で、東武亀戸線で「亀戸」駅から「亀戸水神」駅まで1駅。だから、私は東武亀戸線「亀戸水神」駅から都営新宿線「大島」駅まで歩かされたことで、郡リースが私に払う交通費を節約させられたのは、1駅半の距離を電車に乗らずに歩いたことで郡リースが払う交通費を節約した、ということになる。
  勤務地の目の前に都営新宿線「大島」駅があるのに、わざわざ、乗り換えを2回させて、駅から20分も歩かせるなどということをさせなくても、都営新宿線経由の運賃を「交通費支給」と言っている以上は郡リースは出すべきであったと思われるし、新帝国警備保障の正社員はそういうところで交通費をアルバイトの従業員に節約させて、お客さん(ゼネコンさん)の機嫌をとってもしかたがない、そのくらい出してあげてください、とむしろ言うべきであったであろう。 

  「新大橋通り」は西の方に行って隅田川を渡る橋が新大橋だから新大橋通りと名づけられているが、「丸八通り」はどういうことで丸八通りなのだろうかと思ったのだが、「大島」駅の所を南下すると、小名木川を丸八橋という橋で渡るからのようだ。 しかし、それなら、その橋は、なぜ「丸八橋」と言うのだろうか。丸八真綿でも近くにあるのだろうか・・と思ったが、そうでもないようだ。
「トリップアドバイザー 丸八橋」https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1066449-d9979263-r757190450-Maruhachi_Bridge-Koto_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html に、
《 丸八橋の架橋が昭和2年(1927年)との事ですが、明治42年(1909年)の地図には登場します。昭和7年(1932年)発刊の「大島町誌」には『明治に架換になり。木橋にして経間の総長60尺(約18m)、幅10尺(約3m)有り、砂町持である。始め丸八某と云う人がこの橋を掛けたるにより、その名と採って「丸八橋」と呼ぶと言い伝えられる。』と記されております》
と書かれている。丸八真綿ではないようだ。

  明治通りを南下すると、JR総武線「亀戸」駅の東口の高架の下をくぐり、さらに南下すると新大橋通りでは都営新宿線「西大島」駅の所に至る。そこからさらに南下すると、新砂2丁目 では東側に日本郵便の新東京局という大きな局がある。そこをさらに南に行くと左右に夢の島公園があり、JR京葉線・東京メトロ有楽町線「新木場」駅に至る。京葉線の高架をくぐると、「もくもく」という木材屋 兼 ホームセンターがあって何度も利用したが、今はホームセンターはない。
  それより手前、「新砂2丁目」交差点を西に曲がり、砂潮橋と言うらしい橋を渡ると、そこが江東区潮見で、元々は「8号地」という埋め立て地だった所で、江東区潮見の東よりに京葉線「潮見」駅がある。東京駅から3つ目の駅だが、房総方面への特急や蘇我行きの快速・武蔵野線への快速は潮見駅は通貨し、各停しか停まらないので、停車する電車は1時間に3本で、かつ、ちょうど20分ごとに来るわけではないので、間隔が広い時には東京駅から3つ目の駅でありながらずいぶんと待ったものだった。
  潮見駅の北東のあたりに 林野庁が運営する「国産材の利用促進をはかる、木材の展示施設」としてのウッディランド東京 があったが、いつからだかなくなり、西側、駅の側から行くと手前はヤマダ電機 の潮見店になり、奥はマンションになっていたが、その後、ヤマダ電機もなくなり、地図を見ると、東京ベイ潮見プリンスホテル というホテルが建っているらしい。1992~1993年、その手前にファミリーマートがあり、江東区潮見は元々は埋め立て地で元は「8号地」と言っていた所でな~にもない所だったという所に、唯一あったコンビニだったが、そこの女性の店員3人のうちの2人がもんのすごく感じが悪く、俺、気づかないうちに何かこの人に嫌われるようなことやったかなあ・・とか思ったのだが、ウッディランド東京 に出展していた(株)一条工務店の同僚にそれを話したところ、「違います。俺にもそう。誰にでもそうです」ということだった。地図を見ると、今もそこにファミリーマートはあるようだが人は変わっているだろう。

  「新砂2丁目」交差点で明治通りから潮見の方に曲がってすぐの南側に、秋谷商事というガソリンスタンドがあった。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、営業用に使用する乗用車は営業社員が所有しているものを(株)一条工務店と賃貸契約を結んで借りた上で営業の仕事をするために所有者の従業員に貸している、という扱いにしていて、任意保険代の一部を会社が出し、ガソリン代と月に1回のオイル交換代を会社が負担していたが、利用するガソリンスタンドを指定していて、江東区潮見の東京営業所(展示場)の場合は「新砂2丁目」交差点から西に少し行った南側、住居表示としては江東区新砂1丁目にあった秋谷商事に頼んでいた。秋谷商事は、ここの他に船橋市の湾岸道路の下道(国道357号)沿いの北側にもあって、私は船橋市の家に帰る途中でそちらの店を利用したこともあった。
  ところが、ある時、東京営業所にいた服部(男。当時、20代後半。入社1年目)が何が理由だったか、新砂1丁目の秋谷商事の従業員と喧嘩したらしく、それで「リーダー」の宮崎さんが「喧嘩しちゃったから、もう、あそこは使えないよ」と言って、秋谷商事は利用できなくなってしまった。「しかし、『喧嘩した』のは服部さんであって、私は別に喧嘩してませんから、服部さん以外の従業員は使って悪いことないでしょう」と言ったのだが、それでも「リーダー」の宮崎さんは「あれだけ、喧嘩してしまったらもう、他の人間も使えないよ」と言うのだった。何があったと言ったか忘れてしまったが、何があったとしても、もしも、店員の対応によくないところがあったのなら苦情を言ってもいいけれども、その後、そこを利用できなくなるような喧嘩のしかたはしてはいけないだろう。自分だけが使っている店ならば、もう、そこは使わないというのもいいけれども、会社としてその営業所の人間全員が利用している店なのに、服部がひとりで喧嘩して他の従業員まで使えなくしてしまう権利などというものが服部にあるのかというと・・そんなものはないはずだ。実際、私だって(株)一条工務店が関わっている業者の人で気分を害することだってあったけれども、だからといって、私ひとりで、会社がその相手とつきあいを断つようなことをしてはいけないと思って我慢もしたものだ。仮にその時、秋谷商事の店員の対応がよくなかったとしても、所長でも店長でも何でもないのに服部だけがそのような行為が認められるというのは、それはおかしい。営業本部長の天野隆夫は東京営業所長を兼任していたのだが、所長ならばこういったことを注意していいはずだが、注意しない人間だったようだ。
  「しかし、『喧嘩した』のは服部さんであって、私は別に喧嘩してませんから、服部さん以外の従業員は使って悪いことないでしょう」とは言ったが、それでも「リーダー」の宮崎さんが「あれだけ、喧嘩してしまったらもう、他の人間も使えないよ」と言うので、「リーダー」がそう言うのならそうなのか・・とその時は考えた。しかし、宮崎さんは自分自身でも、「俺の経験なんて・・そんなもの」と言って、「リーダー」になっているけれども、それほどものすごい営業経験があるわけではないんだと正直に話していたが、今から考えてみると、実際、そうだったのかもしれない。 営業の仕事をすると、こちらが特に悪いわけでもないのに、お客さんから怒られたりすることもある。俺は悪くないのに・・と思っても、それでも、その人との関係が悪くなってしまっては困る・・と思うと何とかしようと考えるものだ。そうでしょ。 たとえば、福島県いわき市で勤務していた時には、契約前に地盤調査をとりあえずさせてもらうという約束をしてきたところ、お母さんが怒って電話してこられたことがあったが、しばらく、「はい、はい」と言って聞いて、決しておかしなことするわけではないし、契約して建て替えるかどうかといったことは、これから話をすることなのだということをきっちりと話したところ、理解してもらえて、むしろ、怒って悪かったというくらいに思ってもらえたということがあった。栃木県佐野市では契約客の男性が、少々プライドがあって、電話で怒ってしまったのだが、怒られても困るよなあ・・と思い、たしか「もう電話してくるなあ」みたいな感じで電話を切られてしまったことがあったが、そう言われても電話しないわけにいかないので、しばら~く待って気持ちがおさまった頃に何もなかったみたいに電話をかけたら、向こうも何もなかったみたいに応じてくれたということがあった。一方的に電話を切られたとしても、だからといって電話してこられなかったら向こうも困るのだから「電話してくるなと言ったのにかけてきやがって」などとはまったく言われなかった。営業ならば、こういったことを考え、こういうことをするものではないのか。そういう対応をできるのが「営業」であり、それが「営業力」ではないのか。失敗したものもある。福島県いわき市の営業所にいた時、ほかの営業が担当の契約客のお父さんが、工事中の現場に行って中を見ようと思って歩いたら、床の根太の間にはさんで入れてあった床用グラスウールの上を踏んでべた基礎の上まで足を落としてしまい、「床の断熱材の下に何も入ってないじゃないか。手抜きだべえ」と思って怒って電話してこられたということがあったのだが、私は、ここはどんなに怒られても穏やかに説明してわかってもらうようにするべきだと判断して、「床用の断熱材は根太の間に挟むように入れるのが正しい施工で、床用断熱材の下には板は入らないものなのです。むしろ、床用断熱材の外側をおおってしまうと断熱材から湿気がぬけなくなってしまい、断熱材が湿気ると断熱性能も低下してしまってかえって良くないのです」といったことを穏やかな口調で説明してわかってもらおうとしたが、「そんなことあるけえ」と言われて理解してもらえず困ったことがあった。そのお宅は担当営業が営業所に戻ってきた時に、それを話し、お施主さんと人間関係ができている担当営業から話をしてもらってわかってもらえたのだったが、私が失敗したのは、「手抜き工事だべえ」と思われたのは誤解なので、その誤解をきっちりと穏やかに説明してわかってもらおうとしたが、その前に、床用断熱材の上に足を置いたら体重がかかってべた基礎の上まで落ちたということがあったわけだから、「大丈夫でしたか。怪我されませんでしたか」という一言をその前に言うべきだった。私はひととおり穏やかに噛んで含めるように説明をした上で「怪我されたりはしませんでしたか」と言うつもりでいたが、順番が逆だった。人間というのは、そんなに理屈の通り動く動物ではなく、「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」とか言ったプラグマティズムの哲学者、たしか、ジェイムズだったと思うのだがもいるように、「文句を言う理由があるから怒るのではなく、腹が立っているから文句を言っている」ということは実際にあるわけで、電話で言われたのは「手抜き工事だべえ」と言ってこられたのだったが、その前に床用断熱材の上に足を置いたらドスンとべた基礎のベースの上まで落ちたということが、それがまずショックだった、それが頭にきたということがあったのだから、床用断熱材は根太の間で挟んで大引きの上を渡して、継ぐのは大引きの上で継ぐことで下に落ちないようにしているもので、床用断熱材の下に下地の板がないというのは手抜き工事とかではなく、それが正解なのだということは「そうでしたか。お怪我されませんでしたか」と先に言えば、たとえ少し擦りむいたとかあったとしても「いや、それは大丈夫だ」とか言ってもらえた可能性が大きいから、その一言を言ってから、それから説明をするべきだった。
  私は(株)一条工務店で営業の仕事をしながら、そういったものを少しずつ学んでいったが、自分の会社の営業所から一番近い一番便利な場所にあるガソリンスタンドの店員と喧嘩するやつというのは、たとえ、その時の対応については店員の方がに良くない点があったとしても、その後、その店を利用できなくなってしまうとなると、店も客を失うかもしれないが、こちらも不便になるのであり、所長でも店長でも何でもない入社1年目の従業員が自分が腹立ったからといって、その後、その店を自分だけでなく営業所の従業員全員が使えなくしてしまうというのは、それは営業としておかしな態度であり、「営業力がない」と評価されるものであり、又、所長でも店長でも何でもないのに営業所全体のことまで事実上勝手に決めてしまったのであるから越権行為でもあるわけで、服部という男も困った男だった。
  しかし、それだけではなくて、そういうことがあったからといって、「リーダー」は即座に「喧嘩しちゃったからもう使えないでしょ」などと言うのではなくて、「リーダー」としてその店に行って、「なんだか、うちの営業所の者がこちらでもめてしまったようなのですが」と話して関係修復をはかり、「どうぞ、今後ともよろしくお願いします」ということにしてくればいいのです。それをやるのが「営業」であり、それをやる能力が「営業力」でしょう。違いますか? 違わないでしょ。それで、喧嘩した当事者の服部が気まずかったとしても、喧嘩してもその後もつきあっていかないといけない相手と喧嘩する者が悪いのだから、それは服部が個人として苦労すればいいだけのことだ。もしくは、それでもだめなら、服部だけ、オイル交換はオートバックスでやるとかすればいいことで、他の従業員まで営業所から一番近い場所のガソリンスタンドを使えなくされる筋合いはないことだった。そのあたりの判断は、宮崎さんはその時に東京営業所の「リーダー」だったけれども自分でも「ぼくの営業経験なんて・・そんなもの」と自分でも話していて、それほどものすごい経験があるわけではないと自分で言っていたように、そのあたりについては「営業としての判断」が適切ではなかったのではないか・・と思う。
   小堀住研(株)では「社内営業」という言葉が言われていたが、それについては賛否があった。営業社員は自分が担当の契約客の仕事をきっちりとやってもらうために、設計課・工務課(積算)・インテリア担当・工事課・アフターサービス課の従業員に「社内営業」するべきだという意見だが、他方で、給料もらっている会社の仕事をするのに、いちいち、営業担当から機嫌とってもらわないと仕事しないというのはおかしな話ではないか、とも言われ、松戸の営業課長だった某さんは工事課の誰だったかが「俺たち工事課が工事管理してやらなきゃ営業は契約とれないんだから」と言ったというので、「何を言ってやがる。俺たち営業が契約とってやらなきゃ、あいつら、仕事なくなるんじゃないか。何を言うか」と言っていたことがあったが、実際そうで、営業だから他の部署の機嫌をとらなきゃならないというのはおかしい・・とも言われていたが、社内でも「仕事なんだからやって当然だろうが」と言うのではなくお互いに気を使って気持ちよくやってもらえるようにしましょうということで、特に営業の職種の人間は人の気持ちを考えるのが仕事の人間なのだから技術系の部署の人間以上にそういうことには気を使うようにしましょう・・ということなら間違いではないだろう。そういうこともあって、小堀住研(株)の場合は営業はほかの部署の従業員より少し高めに給料の金額が設定されていたという話もあった。 それに対して、(株)一条工務店の場合は、オーナー経営者一族に「バカでも入れる私大の建築学科」というものに対して事大主義の意識・観念があり、《「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は新卒入社したその日からお殿様》と新卒入社の「バカでも入れる私大の建築学科」卒で「設計課」に配属されたアホは心の底から思っていた。なおかつ、営業本部長の天野隆夫が「営業は設計にはどんなことでも服従しろ」と言うので、営業本部長がそう言うならしかたがないか・・と屈従したが、しかし、今から考えてみても、たとえば、1993年4月に私より1年後に入社した「バカでも入れる私大の建築学科」卒で「設計」として入社してミスをけっこうやった堤が「ちょっと、クルマでそこ行って」と言うから私のクルマに乗せて堤が指示する方に行くと、どこに行かされたかというと・・・⇒パチンコ屋 ・・だった。「ここで待ってて」などと堤は言い、勤務時間中にパチンコに行くやつのためにクルマで送り迎えさせられて、パチンコ屋の前の道にクルマを停めて堤がパチンコやっている間、待たされたのだったが、営業本部長の天野隆夫の指示だからしかたがないと思って我慢して待って、送り迎えしたけれども、やっぱり、あれはおかしいと思うのだ。なんで、勤務時間中にパチンコやりに行くやつをクルマで送り迎えさせられなければならないんだ。どうも、戸建住宅建築業の会社で「設計課」に所属している「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間というのは、自分を「設計士(さま)」とか勝手に思っていて、「設計士(さま)」だから新卒入社したその日からお殿様という扱いが当然とか思っているようだったが、本来、営業本部長とかそういう役職の人間は「そういうものではないんだぞ」とアホに教えてやらなければならない立場のはずだった・・が、営業本部長の天野隆夫はアホを増長させるのが趣味だった( 一一)
   営業本部長の天野隆夫は「(バカでも入れる私大の建築学科卒の)設計にはどんなことでも服従しろ!」とか言うのだったが、そういうのが「営業力」ではなくて、むしろ、「そういうものではないんだぞ」とわからせてあげるということの方が「営業力」のはずだ。元プロ野球選手でプロ野球ニュースの「解説者」やっていた高木豊・田尾・里崎の3人がYouTubeチャンネルを開設していて、その3人が3人とも「若手選手で『勘違い』してしまう人がいる」と話していた。田尾が新人だった時は、新人の選手はグローブとかは自腹だったが、今の新人は一軍で1試合も出ていないような選手でもメーカーが費用を負担して用意してくれるらしく、選手にとってはありがたいけれども、「そういうことがあるから『勘違い』してしまう人が出る」と話していた。里崎は「ドラフトで指名してもらった、うれしいと喜ぶのは喜んでいいけれども、これがゴールじゃないんだから、ここから始まるんだから。喜ぶのはドラフト会議の日だけにして、翌日からは、そこからが大変なんだと認識して」と話していたが、よっぽどエライ人間になったみたいに「勘違い」してしまい、その結果、成果を出すことなくやめていくことになる選手がいる・・ということを言いたいみたいだったが、(株)一条工務店の「バカでも入れる私大の建築学科」卒の「設計」の人間というのも営業本部長の天野隆夫が増長させることで「勘違い」するに至っていた者が複数いた。「複数いた」という表現は、これは誰か1人、そういう人間がいたとかそういうことではないという意味だが、すべての人間がとまでは言わない、という意味である。
・・それにしても、私などは、東大の理科一類・理科二類に合格したか、京大の工学部建築学科に通ったかというと、それはわからないが、ともかく国立大学の建築学科でというくらいならば、どこか通る所はあったと思うのだが、それでも、うちの父親から「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたものだったし、そして日本で一番嫌いな大学の一番行きたくない学部に暴力と強制と脅迫で行かされたのだったが、「国立大学ならどの学部でも学費は一緒のはずです」と言っても、うちの母親は「百パーセント絶対に国立大学に通るとは限らんでしょうが。たとえ、0.1%でも落ちる可能性があったら国立大学でも工学部なんか受けてはいかんでしょうが」と言うのだったが、どうも、世間一般を見ると、必ずしも金持ちの息子でもなさそうな人間が工学部だの建築学科だのに行っているように見えてしかたがない。ウッディランド東京には東京の建築専門学校の講師がウッディランド東京を見学に行ってこいと言う人があったらしく、ウッディランド東京の中の(株)一条工務店の東京展示場(営業所)にも「建築専門学校」の生徒が来る(彼女と一緒に「デート」に来る)ことがあったが、来場時に「建築専門学校に行ってまして、そこの先生からここを見学してくるように言われてきました」と言ってくれればまだいいのだが、そうではなくて、彼女つれて夫婦みたいな格好で来場するものだから、そうなると、こちらはその後、その男の家に訪問しないといけないことになり、そして、訪問すると母親が出てきて「ああ、それ、うちの息子だけど、建築の専門学校に行ってるんだけど、なんか、先生から見に行ってこいと言われて見学に行ったみたいよ」とか言われる・・ということになるのだったが、私が訪問して母親からそう言われた家庭というのは、人間、貧相な家に住んでいても金持ちもあれば、けっこういい家に住んでいてもそうでもない人もあるだろうけれども、それにしても、なんか建売みたいな小さな貧相な家に住んでおって、そんな金持ちの息子にという感じではなかった。
  私などは「うちは工学部みたいなものに行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」とうちの父親から言われて、それで子供のころからうちの母親から「親というものは、息子が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思うからこそ、無理矢理にでも勉強させるものなんや」と言われて、そんな話を本気にしてしまって、それで小学校1年から同級生が遊んでいる時も勉強したものだったが、その結果、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の「設計」が勤務時間中にパチンコに行くのにクルマで送迎させられて、そいつがパチンコやっている間、パチンコ屋の店の前でクルマで待たされるという、そういう職種につくことになってしまった・・・・が、それにしても、勤務時間中にパチンコやるやつの送迎させられなきゃならんというのは、それはやっぱりおかしいように思う。たとえ、営業本部長が「服従しろ。営業は何でも服従しろ。営業は口きくな。営業は設計にはどんなことでも服従して従え」などと「命令」したとしても、むしろ、そういう「命令」をするということこそ人権侵害であり、それが「業務命令」だとしても、そんな「業務命令」は無効であると考えるべきであろう・・と思うようになった。
   うちの父親は「わしは会社では常務さまやねんぞお。常務さま。わかっとんのか」とか言っていたのだったが、他方で「うちの会社では常務は給料安いねん」と言い、うちの父親の部下で課長のMさんより常務は給料安いそうで、係長のKさんよりも給料安いそうで、ボイラーマンのNさんよりも「常務さま」は給料安いそうだった。なんか、あんまり値打ちのない「常務さま」やなあ・・と思うようになった。あの「建築専門学校に息子が言ってて」という家の父親の年収はたいして多くなさそうに見えたが、「常務さま」より給料が高いのか安いのか、どっちかわからんが、私の場合は「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います」と言われて行かせてもらえず、そして、たぶん、うちより裕福ではない家庭でありながら「バカでも入れる私大の建築学科」なんてものにふんぞり返って行ったやつが(株)一条工務店に入社して、そして営業本部長の天野隆夫が「おまえは設計にはどんなことでも服従しろ」「なんでもなんでも服従しろ。どんなことでも従え」などと言われることになったのだった・・・が、しかし、パチンコに勤務時間中に行くやつの送迎させられるというのは営業の仕事ではないと思うし、営業本部長だからそういうことに「服従しろ、おまえは何でも服従しろ」などと言う権利があるのか・・というと、ないと思う。
  「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を右も左もわからない人間を「入社したその日からお殿様」に仕立て上げて増長させるというのが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫の趣味! だったのだが、そういうのは良くない・・と思うが、うかつにこういうことを口にすると「おまえは口きくなと命令しただろ。ぼくの命令がきけんのか」と言われることになる。(株)一条工務店という会社はそういう会社だった( 一一)
   「おまえは何でも服従しろ」とか営業本部長の天野隆夫から「命令」されたのだったが、そういうのが「営業」とか「営業力」かというと、それは違うと思うのだが、他方で服部のように、自分が気に入らないことがあったからといって、自分だけが利用するわけでもないガソリンスタンドで喧嘩して営業所の従業員全員がそこを利用できなくしてしまうというのが「営業力」かというと、それも違うように思うのだ。むしろ、たとえ、そういうことがあったとしても、「リーダー」はその店に行って、「どうも、うちの従業員がこちらでもめてしまったようですが」と話をして、その上で関係修復をはかって「これからも、どうぞ、よろしくお願いしますね」ということに持っていく能力というものが「営業力」ではないのか・・・と私は思うが、(株)一条工務店の営業本部長はそう考えないみたいだった( 一一)
実際のところ、「ベンチがアホやから」という会社やった( 一一)
  江本が最近、YouTube で話していたものによると、プロ野球の投手で交代を命じられた時に激怒して監督やらコーチやらに悪態つく選手なんていっぱいいたそうで、江本なんておとなしい方で星野仙一なんか「ベンチがアホ」どころかもっとなんだかんだ叫びまくっておったらしい。又、江本が交替の時にベンチにグローブを投げつけたとかいうが、それも、星野なんかその程度ではなかったそうだ。ただ、中日ドラゴンズがある名古屋のスポーツ新聞は「選手を守る」のに対して、阪神タイガースがある関西のスポーツ新聞は「ネタが欲しいから実際以上にふくらませる」ところがあったらしく、江本は別に球団の経営者と仲が悪かったわけでもなく、監督だった中西のその時の対応については「アホめが」と実際に思っていたらしいが、全体としては特別仲が悪かったわけでもなかったが、なんか話が大きくなってしまったので、球団として「10日ほど休むというのでどうだ」ということにしようとしたらしいが、江本の方で、自分はマスコミに対して「ベンチがアホやから野球はできん」とは言っていないのに、本人の言うことをきかずにスポーツ新聞が「ベンチがアホやから野球ができん」と大きく書いたらそれで謹慎とか言われるのなら、それなら辞めるわと考えたらしく、別に球団は「ベンチがアホやから」と言っても言ってなくても解雇するつもりはなかったし、江本は別に解雇されておらず、自分から辞めたらしかった。
  (株)一条工務店は「ベンチがアホやから野球ができん」と言いたくなることが次々と起こる会社だったが、「ベンチがアホ」であるかないかにかかわらず従業員としてやるべきことをやるのだ・・という姿勢で「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「雨ニモ負ケス、風ニモ負ケス」我慢して努力して働いてきたが、「韓信の股くぐり」とも思って我慢して働いてきたが、そうやって我慢して努力して働く者に「仇で返す」会社だった。

  江東区新砂1丁目の秋谷商事のガソリンスタンドは、『街の達人 東京23区 便利情報地図』(2022.3月2版7刷 昭文社)の地図を見ると、その場所にガソリンスタンドは書かれていないので、今はなくなったのかもしれない。

  次回 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501359257.html  、東武亀戸線「小村井(おむらい)」駅から「亀戸」駅へ。

  (2023.11.5.)
人間性の心理学 (岩波新書 青版 670) - 宮城 音弥
人間性の心理学 (岩波新書 青版 670) - 宮城 音弥
人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ - A.H. マズロー, 小口 忠彦
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プラグマティズム (岩波文庫) - W.ジェイムズ, 桝田 啓三郎
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☆ 燈明寺(平井聖天)と平井諏訪神社〔東京都江戸川区平井〕
1.平井駅から蔵前橋通りを横断し、諏訪神社の前を通って燈明寺へ。計画性のないチムニー(株)「ファーストグルメ」平井店。「(一条工務店の某営業のように)郵便物を盗むことは犯罪行為です 小石川警察署・・」。「無責任の体系」のチムニー(株)の面接。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500980727.html
2.門をくぐり正面に聖天堂、右手に金堂。門の内側右に弘法大師像? 左に水子地蔵。「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると考える「子供」帝国主義の女とその夫に殺されたわが子の恨みをはらしていただくよう、水子地蔵様に祈願してきました。反社会的勢力雇用均等室を叩き潰せ! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501018586.html
3.門から入り、左に鐘楼、正面に聖天堂・右に本堂。「裏でなく 正門で入ろう 大学は」。八百長医者屋民族の嘘。この人間がこう言ったら実態はこんな感じかと推測するか、言った通りと推測するか。父親がなかったから父親がいるとどんなに大変か理解できないバカ女症候群。 
4.「歓喜堂」「聖天堂」。RC造の1階の上の「歓喜堂」「聖天堂」。聖天堂から見た鐘楼・本堂。大聖歓喜天・ガネーシャとは。冠をつけている方が観音で足を踏まれている方が歓喜天なのか、両方が大聖歓喜天なのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501111583.html
5.不動明王を祀る本堂。不動明王とは。真言宗の新義と古義の経緯とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501141339.html
6.平井諏訪神社。江戸川区一の社殿、区登録有形文化財の稲荷社は彫刻がきれい。平井富士塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501193898.html
7.旧中川にかかる平井橋・荒川放水路で分断された中川・高校教諭は親に苦しむ生徒に助力するものと違うのか・「両親が離婚した」娘はみんなでほめなきゃならんのか・「両親が離婚した」らエライのか・「京大でも通りました」と母親が言ってまわる阪大生には何かしてあげるべきなのか・クロマティ高校卒の男は浪人する権利があるのか・あまりにも「一番」追いかける人は、結局、何がやりたいのか?・おばさんの似顔絵入りウチワと30代の女の「握手しましょ」はどっちが「利益供与」かhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501232436.html
8.同僚を営業本部長に讒言する男とそれをきく営業本部長、会社のルールを破って人の追客中客を強奪して放置する所長とそれに加担する営業本部長、自社が損する嘘をつきまくる営業、「研修」で得意がって嘘教える男、〇日に見積書を持って来てくれと頼んでその日はパジャマで奥にいる人、「下位互換」の会社は立場が弱い、「失投」が来る浜松・掛川・名古屋の営業と「一流投手の会心の球」しか来ない東京・松戸営業所。吾嬬町とは。大正民家園https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501276979.html
9.墨田区立花の白髭神社。自分が店員に腹立つことがあっても、会社が提携している店と勝手に喧嘩していいものではないであろう。いったん、もめても修復すべく働きかけるのが「営業力」、往復40分歩かせて交通費をけちる会社の判断は間違い。小村井交差点 〔今回〕
10.亀戸線「小村井」~「亀戸」駅。自分が勤務する新展示場開設に尽力してくれた相手に「すいません」言わない営業・構造安全基準が甘い設計会社・気持ちが落ち着く方法17 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501359257.html 

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