亀戸線「小村井」~「亀戸」駅。自分が勤務する新展示場開設に尽力してくれた相手に「すいません」言わない営業・構造安全基準が甘い設計会社・気持ちが落ち着く方法20―灯明寺・諏訪神社【10/10】
[第2016回]
明治通りと丸八通りが合わさる「小村井」交差点から北を見ると、↓
↑ 明治通りと丸八通りが合わさった後、そこから北は明治通りとなりますが、北側の明治通りの右側(東側)に十字架の形をした窓の建物があって、キリスト教系の施設かと思ったのだが、何かわからない。 左上に「小村井」と交差点名が書かれた札が出ている。
↑ この写真の左下に「自転車は歩行者に注意しましょう」と書かれているが、かつては今よりも自動車の数が少なかったので、一般の道を自転車が走るのに特に困難はなかったが、今は自動車が多くなり、車道と歩道がある道では自転車は自動車と同じ車道を走るには自転車は危なく、自動車の運転者からすると自動車より速度が遅い自転車に前を走られるとそれに合わせて走らなければならなくなって苦労するが、歩道を走られると歩行者にとって危険だ。2014年、埼玉県の川口土木建築工業(株)の工事現場で右足の甲を骨折して3か月余り、松葉杖での生活をしたが、その際、近くのコンビニだったかヤマト運輸だったかに行った帰り、歩道を松葉杖をついて進んでいたところ、正面から歩道を自転車で相当の速さで突っ込んでこられて怖かったことがあった。相当広い歩道であれば、空いている所を通ればいいが、歩道といっても狭い歩道で、人が片方に寄ったとして、自転車とすれ違うことがやっとできるような幅しかない所に突っ込んでこられたのだが、松葉杖をついている者は方向を変えるのはそんなに速くできないということを歩道を自転車で走る人は理解してほしいし、もしも、歩道を自転車で走るのならば、せめて、松葉杖をついている人間とすれ違う時くらいは自転車を降りて押すようにしてほしかった・・が、わかる人はこういうことは言わなくてもわかるがわからない人はわからないのかもしれない・・・が、自転車は自動車と違って自分が人にけがさせる側になることはないと思っている人がいるようだが、そうでもないので気をつけてほしい。
( 「東京新聞」2023.9.25.<朝刊> ↑ )
明治通りを南側に見ると、↓
↑ 左上に指が写ってしまったようだが、時にはこれもご愛敬だ。
南下すると、↓
↑ 正面を横切っているのは東武亀戸線。 この踏切のすぐ右が「小村井(おむらい)」駅で、左の方に行くと「東あずま」駅。
この踏切を渡って直進すると、「亀戸4丁目」交差点で蔵前橋通りを通り、さらに直進するとJR総武線「亀戸」駅に至り、総武線の高架をくぐると京葉道路に出る。
総武線のすぐ北、亀戸駅とその西の錦糸町駅の中間のあたりに、かつて城東マイホームセンターという総合住宅展示場があり、1993年1月より、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ はそこに新展示場を開設したが、1992年、工事中には工事の手伝いに行き、日曜日には建築工事中の展示場建物の前に机を出して通りかかる人に話しかけて営業活動をおこなったが、そこは北側にフジコシという福島県に店舗を何店も持つスーパーがなぜか東京都内ではここにだけあって、近所に住んでいる人がマイホームセンターの中を通り抜けてフジコシに買い物に行くことが多く、買い物で通り抜ける人に話をしても、なかなか契約に結びつくことはなく、又、城東マイホームセンターに出展していた三井ホームhttps://www.mitsuihome.co.jp/ のおばさんからは帰りがけに前を通って、浜松出身でもない私に「浜松からこんな所まで来て大変ね。頑張ってね」などと格下の会社の従業員を憐れむみたいな調子で言って帰ったということもあった。そういう「ニュアンス」はわかる。失礼なおばさんだな・・と思ったものだった。「(株)一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」どもは東京の営業がそういった苦労をして奮闘しているということなんて、まったく知らない、自分たちの所にだけテレビ公告をドカンと一発♪ やりまくって、東京の営業がそういう苦労をしていることなんてまったく関知しないようだった。
建築工事を手伝いに行くのは、たとえ、職種が営業であっても悪いことではない。いつだったか、ラジオでプロ野球の中継を聞いていたら、ある解説者が「誰だれはどこを守れる とか、守れないとか言うのは、あくまで、プロのレベルの守備ができるかどうかという話であって、プロのレベルでなくていいなら、曲がりなりにもプロの運動選手ですからどこでも守れるんですよ」と話していたが、住宅建築業の会社の従業員でも、自分がついている職種以外の職種についても「プロのレベルでないなら」それなりにできていいはずであり、私などはそう思って従事したが、ところが、住宅建築業の会社に勤めてみると、自分が従事している職種以外の職種については、プロのレベルで見てではなく、しろうとのレベルで見ても、まったくだめという人と出会うことがある。
1980年代終わり、小堀住研(株)で、課長だった某さんが「誰誰は柱と梁の違いもわからずに売ってるような人間だから」と話し、「まあ、柱と梁の違いくらいはわかってるだろうけど」とそれは比喩としての表現だと話してくれたことがあったのだが、実際に「柱と梁の違いもわからずに売ってる」のではないかみたいな人というのが戸建て住宅建築業の会社にはいる。その表現は比喩であってさすがに柱と梁の違いくらいわかるだろうと思っていると必ずしもそうではなくて、1993年、(株)一条工務店 で浜松まで「研修」で行くと、名古屋南営業所の「所長」だという近藤路夫が「住友林業との競合なら、『住友林業はプレカットやってますかあ』『やってませんでしょ』で、それだけで契約とれる。ちょちょいのちょ~い てもんだ」などと発言したのだったが、住友林業(株)はその時点で機械プレカットで加工して建てており、特に千葉県では(株)一条工務店と共同出資会社として(株)一条工務店千葉 という会社を作っていて、(株)一条工務店千葉の親会社である(株)ひらい という材木会社のプレカット工場で加工したものを住友林業(株)は使って建てていた。近藤路夫はそんなことも知らずに契約とっていたのであり、近藤路夫は実際には住友林業(株)は機械プレカットをして建てていたにもかかわらず、「住友林業はプレカットやってますかあ」「やってませんでしょ」などと嘘を言って、それでも「ちょちょいのちょ~い」と契約してもらえるような、それだけ(株)一条工務店が住友林業(株)よりも有利な地域でばかり営業させてもらってきた人間だった。(株)一条工務店という会社はそんな人間ばっかりを本社の「研修」に講師役に来させる会社だった( 一一)
亀戸の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の展示場建物の工事を手伝いに行った時、自分が右手に持つ玄翁(げんのう)で自分の左手の親指を打ってしまったことがあった。一緒に作業をしていた大工さんから「軍手していたでしょう」と言われ、「軍手して玄翁で釘を打つと感覚が鈍くなるから自分の指を打ってしまう」ということを教えてもらった。物を運ぶ作業なら軍手をして運んだ方が怪我しにくいけれども、釘を打つ作業の場合は軍手をして作業をすると指先の感覚が鈍くなるので自分が右手に持つ玄翁で自分の左手の指を打ってしまったりしやすくなるようだ。2010年、千葉市中央区の新華ハウジング(有)にいたカジ〇やS井などはそういった建築現場の作業をした経験がない人間だなあと見ただけでわかったが、意図的に自分の指を玄翁で打つ必要はないけれども、そういった経験はするべきだと思う。 又、最近、女性で建築の仕事につきたがる人が増えてきているが、男性はそういった現場作業もやってみるべきだと経験させられても女性はやらなくていいということにされる場合があり、又、女性はやらなくていいのが当然でしょ・・とか思っている人がいるが、それはいかがなものかと思う。
1998年、福島県いわき市の営業所に1997年に新卒入社した長谷川恭子が設計担当をして、契約客との面談中に「私は、そういうのは感心しないですね」などと契約客に言いだすので、右も左もわかってないおまえが感心するかしないかなんて聞いてないんだよ・・と思い、こいつ、何様だと思っているのだと思って、その場ではお客さんがいるので言わなかったが、打ち合わせが終わった後で、これは指摘しないといけないと思っていたら、展示場の事務所に戻ると、設計部の春田靖(男。東洋大学工学部建築学科卒。当時、20代。入社7年目)が来ていて、私がせっかく言ってあげようと思っても長谷川恭子は春田靖の後ろに隠れてしまい、話すことができなかった。春田靖は私のような良心的な営業が新人の設計にそういったことをきっちりと指摘するのを妨害するために来ていたようだった。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はそういう春田靖のような男が大好きだった。本来、春田靖のような人間に注意しなければならない立場の人間が、逆にそういう人間を増長させていたのだった。
その後、1999年だったと思うが、栃木県佐野展示場にいた時、浜松の本社から佐野展示場在籍の設計担当あてにファックスで「『お客さまをうならせるトーク』を考えて〇日までに本社にファックスしてください」という「課題」が来ていた。あきれた。(株)一条工務店の浜松の本社の「第一設計部」(「第一設計部」と言うと「第二設計部」とか「第三設計部」とかあるのかあ? と思いそうだが、これは実際より会社を大きく見せようというこの会社がいつもやる毎度ばかばかしいお笑いであり、設計部は「第一設計部」しかない)は何をバカな「課題」を要求しているんだ。まがりなりにも「設計」ならば、考えるべきものは「客をうならせる図面」「客をうならせるプラン」であるはずで、客をあきれさせるヘボ図面・ヘボプランを「設計士」さまぶって「客をうならせるトーク」でごまかす技術を開発させようというのか( 一一) バッカじゃなかろかルンバ♪ てもんだ。設計なら「客をうならせるトーク」ではなく「客をうならせる図面」を考えるべきものだろう。
女性とともに、もう一者、「設計」というものもある。戸建住宅を建てようという人は、「地方」においては「大工さま」の評価が高く、都市圏においては「設計士さま」の評価が高く、ちょっとおだてれば喜んで働くだろと思ってそういう言い方をする人というのもあるのだけれども、大工には自分で自分のことを「大工さん」と「さん」づけで言う人があり、設計の仕事についている人間および、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者および「入試なんか最初からない建築専門学校卒」の人間には、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者と「入試なんか最初からない建築専門学校卒」の者は入社したその日から右も左もわからない者が「設計士さま」と他の職種の従業員やお客さんから読んでもらい、そうやって奉ってもらう権利があるみたいに思っている人間が大変多い。 設計事務所の場合は業者が設計事務所の従業員に対して「先生」と呼んだりするので、それで「勘違い」するやつが出てくるということもある。お客さんには住宅建築業の会社の従業員では「設計」が一番よく知っているだろうと思い込んでいる人がいるが、実はそうでもない。何よりも、春田靖などは建築現場に行くことがあっても、ほかの従業員が重い物を運んでいても「設計はシャープペンシルより重い物は持ってはならない」という戒律を持っていて、春田は常にその戒律を守って絶対に手伝わない。だから、持ってみればそれが重いかどうかもカラダで理解するものを「シャープペンシルより重い物は持ってはならない」という戒律を持っている男はそんなものまったく知らない。「俺は木造にうるせえんだ」とか言うお客さんというのは、そういうことを知らないで「設計士さま」はえらい、「設計士さま」はほかの従業員より何でもよく知っているという妄想を抱いているが、アホとちゃうか・・という気がしてならない。法隆寺宮大工だった西岡常一さんの本には法隆寺宮大工口伝に「体を動かして作業せざる者、建築について語るべからず」というものがあったが、それを語っているのが春田靖など(株)一条工務店の「設計」、法隆寺宮大工口伝でこういうことはやってはいけないということをやっていたのが春田靖など(株)一条工務店の「設計」であり、させていたのが営業本部長の天野隆夫だった。
1992年12月、城東マイホームセンター内の(株)一条工務店の新展示場が完成した時、最後、仕上げに何だったかやらないといけない作業が一つだけ残っていて、そのための物をホームセンターで買ってこないといけないということになったが、亀戸のあたりにはスーパーはあってもホームセンターはなくて、浜松の工事部から来ていた本社の工事部の男性社員と私は二人で私が運転するクルマでホームセンターがないか、江東区内をずいぶんと探して走ったものだった。最後、しかたなく、新木場の「もくもく」(今は「もくもく」はあってもホームセンターの「もくもく」はなくなった)まで行って購入したが、東京営業所の私以外の従業員が帰った後、私だけが本社から来ていた本社の工事部の男性従業員とホームセンターを捜しまわったのだったが、(株)一条工務店の経営者は私がそうやって所長でも店長でも「リーダー」でもないのに会社のためにほかの従業員が帰った後も遅くまで働いていたというようなことは「知ったことじゃない」ようだった。(株)一条工務店という会社はそういう会社だった。どうも、ホームセンターというのは郊外か「地方」かの多いもので、都市部の元から市街地には多くないようだ。『街の達人 東京23区 便利情報地図』(2022年3月2版7刷 昭文社)を見ると、今は、蔵前橋通りを江東新橋という橋で「旧中川」を江戸川区側に渡ってすぐ北側に「ホームズ」というホームセンターがあるようだ。
※ ホームズ 平井店 https://www.shimachu.co.jp/shop/tokyo/308.html
※ ウッドショップ もくもく https://www.mokumoku.co.jp/
新木場の「もくもく」は1990年代初めは「ウッドショップ」であるとともにホームセンターでもあったけれども、今は「ウッドショップ」専業でホームセンターではなくなったみたいだ。
(株)一条工務店 は、1993年1月より江東区亀戸2丁目、JR総武線の線路のすぐ北側、亀戸駅と錦糸町駅の中間付近の城東マイホームセンター に新展示場をオープンした。それまで江東区潮見の展示場を「東京展示場」と言っていたが、亀戸に新しく作った展示場を「東京展示場」と名づけて、潮見の展示場を「東京東展示場」と改名した。 江東区潮見を「東京東」と考える東京人はないだろう。あえて、東西南北のどれかを「東京」につけるなら「東京南」展示場だろう。又、亀戸の城東マイホームセンターは東京の都心より東側で、亀戸は東京の中心部というわけではなく、亀戸に設けた展示場に「東京展示場」と名づけたのでは、「この会社は東京にはここにしか展示場を持たない地方工務店なんだ」と思われてしまう危険があり、むしろ、亀戸の新展示場に「東京東」展示場となづけ、潮見を「東京南」展示場と名づければ、「東京西」「東京北」がなかったとしても、この会社は東京に何か所か展示場を持つ会社なんだと思われることになったのではないか。もしくは亀戸は「東京亀戸」展示場、潮見は「東京潮見」展示場とするか。ネーミングは大事である。1992年に浜松の展示場から本人の希望で潮見の東京展示場に転勤してきた小野田くんが営業本部長の天野隆夫から「潮見はどういう名前にすればいいかなあ」と相談されたと言うので、私が入社した時、天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるんだあと驚いた」と言って喜んでくれたので、そこまで喜んでくれるのならば、東京では無名の会社で、未上場の会社で、その時点では従業員数千人未満の会社で、地方に本社がある会社だったが、そこまで喜んでくれるのなら悪くないかもしれないと思い、そうやって喜んでくれる会社のために貢献したいと思ったものだったが、ところが、営業本部長の天野隆夫はそういう問題を慶應大学商学部卒の私には相談しないで小野田くんなんかに相談するのだった( 一一) なんで、私に相談しないで小野田くんになんか相談するのだろうなあ・・と思ったが、天野隆夫という男はそういう男だった。
又、私は(株)一条工務店に応募する時点で見た求人広告には「勤務地は希望がかないます」と書かれていて、東京圏の営業所は江東区の潮見と神奈川県茅ケ崎市に展示場がある旨が記載されていたので、その時の私の居住地だった大田区上池台からは江東区潮見までは自動車で通うのは厳しいが、茅ケ崎ならば、ほかの自動車で通勤する人とは通勤時の方向が逆で、都心部ではないから都心のような混雑渋滞はないと思われ、なんとか通えるのではないかと考えて応募したが入社すると江東区潮見に勤務してくれと言われた。江東区潮見にクルマで通うのはかなりきつかったが、特にその時点では自動車の運転に慣れていなかったので、それで「リーダー」の宮崎さんに、すでに通勤定期を1か月分のものを購入しているので、1か月は電車で通勤させてもらい、又、その間、定時に帰らせてもらって帰宅後に自宅周辺でクルマの運転の練習をして、入社1か月後くらいから通勤もクルマで通勤するというようにさせてもらえませんかと言ったのだったが、「運転できるかどうかなんかどうでもええ。すぐに運転してくればええよ」と言って、運転能力が未熟な者に大田区上池台から江東区潮見までクルマで通勤させられたが、そのうち、だんだんと慣れてはきたが、クルマの運転に慣れても、それでも大田区上池台から江東区潮見まではクルマで通勤するには遠く、うちの母が東京圏で家を購入するように言い出したが、その際だが、東京圏は土地の値段が高く、潮見にも亀戸にも通える所ということで探すのは困難で、それで10月頃だったか「リーダー」の宮崎さんに「ほかの人間に話していないのに私にだけ教えてくれというのは本来ではないかもしれませんが、潮見と亀戸の両方に通える場所で購入するというのは難しいので、どちらになるかわかればそこに通える所で探せるので、亀戸の展示場がオープンした場合に私は亀戸の勤務になるのか潮見の勤務になるのか、どちらかのか、次長(営業本部長で東京営業所長の天野隆夫)に電話をして尋ねたいと思いますがかまいませんか」と言ったところ、「リーダー」の宮崎さんは「いや、きかなくていい。絶対に亀戸」と言い、「しかし、宮崎さんが決めるわけではありませんでしょ。もし、違ったらせっかく購入した家から通えないということになって困りますから、次長(営業本部長で東京営業所長の天野隆夫)に確認しておきたいと思うのですが」と言ったが、「リーダー」の宮崎さんが「きかなくていい。きかなくても絶対に亀戸だから」と言うので、それで亀戸の展示場にはなんとか通勤できるが潮見には困難な場所である現住居を購入した・・・ところ、1993年1月になったら、亀戸の展示場には服部・橋本薫・土屋の3名だけが勤務することになり、それ以外の潮見の展示場にいた人間はそのまま外壁汚染床鳴り潮見展示場の勤務にされた。「リーダー」の宮崎さんに「宮崎さんが『絶対に亀戸だから次長にきかなくていい』と言われましたよね。どうして、私は潮見の勤務なのですか。潮見の勤務なのに、どうして『絶対に亀戸』と言われたのですか。購入した船橋市の家からは潮見には通えないのですがどうしたらいいですか」と言ったところ、「リーダー」の宮崎さんはどう言ったかというと・・⇒「そんなの、知らねえよお」と、そう言ったのだった。「そんなの、知らねえよお」とは何だ。それが「リーダー」なのか? 「知らない」のなら「きかなくていい。きかなくても絶対に亀戸だから」となぜ言ったのだ? 「知らねえ」ことを「きかなくていい。きかなくても絶対に亀戸だから」などと言っていいのか? (株)一条工務店の「リーダー」というのはそういうものだった。
私は亀戸の展示場の工事に手伝いに行き、自分の右手に持つ玄翁(げんのう)で左手の親指を打ったりもした。工事中の日曜日には工事中展示場の前に机を出して前を通る人に呼びかけ、夕方には三井ホームのおばさんから私は浜松出身でもないのに「浜松からこんな所まで来て大変ねえ。頑張ってね」などと格下の会社の人間に対するようなバカに下ような言い方で言われたりもした。そして、1992年12月の終わりには、新年早々にオープンする展示場を新年すぐにオープンできるように掃除をして、そして、最後、何だったか仕上げに必要なものがあったということで本社の工事部から来ていた人がホームセンターで買いたいと言うので、ホームセンターを捜して私のクルマで一緒に移動して、最後、新木場の「もくもく」で購入して戻って仕上げた。その時は東京営業所の従業員は私以外はすでに帰った後だったが、自分が勤める会社のためにと思って、他の人間が帰った後もひとりだけ遅くまで動き回ったものだった・・・が、結局、そうやって尽くした新展示場に勤務させてもらえなかった。
新展示場の勤務になった服部・橋本薫・土屋のうち、土屋はそれからたいして経たないうちに退職して鉄骨系の同業他社に転職したが、服部・橋本薫のほかには1993年1月から新たに募集して採用した人が配属されて、亀戸の展示場を作るために工事の手伝いにいった東京営業所の私などは配属してもらえずに古い外壁が汚れた床鳴りしまくりの潮見の展示場の配属にされた。亀戸の新しい展示場の配属にしてもらった服部や橋本薫は、私がその展示場をオープンさせるために、服部や橋本薫がすでに帰宅した後も遅くまで本社の工事部から来た人と一緒にクルマを走らせてホームセンターを捜して、最後は新木場の「もくもく」まで行って購入して亀戸に戻って仕上げたこと、そうやったことで服部や橋本薫が勤務させてもらった亀戸の新展示場はオープンできた・・ということについて、まったく理解していないようで、新展示場に勤務させてもらった服部や橋本薫はさっさと先に帰宅した後、その新展示場に勤務させてもらえなかった私が遅くまで努力して動き回って仕上げたと言うことに対して、「ありがとう」も「すいません」も「申し訳ありません」も一言としてなかった。橋本薫は日体大卒だそうだったが、こういう態度のことを「体育会系の礼儀作法」とか「さわやかスポーツマンシップ」とか言うみたいだ。もしくは「スポーツマンだけあって、まっすぐな人間」とか言うみたいだ。
12月の終わり、実際にその新展示場に勤務させてもらうことになる服部や橋本薫がさっさと帰宅した後、最後の仕上げに必要なものをホームセンターで買ってこなければいけないと本社の工事部から来ていた人に言われて、それでその新展示場に勤務させてもらえない私が本社の工事部から来ていた男性社員と一緒に遅くまで動き回って「もくもく」まで行って購入して亀戸まで戻ってなんとか仕上げた・・ということに、服部も橋本薫も「すいませんでした」の一言くらい言ってもバチ当たらんのではないかとも思ったが、服部も橋本薫も「すいませんでした」も「申し訳ありません」も一言として口にしないで、当たり前みたいにきれいな新しい展示場に自分たちだけ勤務していた( 一一) そういう態度を「スポーツマンシップ」とか「まっすぐな性格」とか言うみたいだった( 一一)
野村克也がどこでだったか「母子家庭の息子は精神的にしっかりしている」などと書いていた・・が、そういう人もいるかもしれないが、それはその人がそうなのであって、そうでない人もいるのではないか。野村じいさんはほかにも「捕手は高卒がいい」「4番バッターは右打者の方が向いている」「元捕手は監督に向いている」「裕福な家庭の息子は根性がない。(貧乏育ちの方が根性が座っている)」「母子家庭の息子は精神的にしっかりしている」「最初から一軍で活躍した選手よりも、最初は二軍で苦労した選手の方が指導者になった時に能力を発揮できる」・・等等と言っているが、ぼけっと聞いていると「そうかいなあ」と思いそうだが、落ち着いて考えてみると、要するに、全部自分やんけ・・(笑) 私がアルバイトに行った先にいた人で母子家庭の息子らしい人で、お母さんだけで育てられた人だけに「女性に優しい」という印象の人がいたが、それだって、あくまでも、その人がそうなのであって、そうでない人もいる。坂本勇人とか山川穂高とか、母子家庭の息子なら、もう少し、女性に対して良心的な態度をとれないものか・・と思うが、母子家庭の息子はどうというのではなく、それぞれ、人にもよるのだと思う。橋本薫は母子家庭の息子だったらしいがさすがは野村じいさんが「母子家庭の息子は精神的にしっかりしている」と言っているだけあって「ええ根性しとる」。
江東区潮見の東京営業所の従業員は、1か月くらい前には誰が亀戸の展示場の配属になるか発表されるだろうと思っていたが、いつまでたっても発表させず、結局、1月にオープンされる時になって発表されたが、営業本部長の天野隆夫は、最後の最後まで発表しないことで、実際には新展示場に勤務させてもらえない人間に、そこに勤務させてもらえるものだと思わせて労力を払わせることができる、うまいことやった、それが「営業力」だと思っていたフシがあるのだが、それは違うと思う。むしろ、実際にはそこに勤務させてもらえない人間に対して「自分たちが勤務する所なのだから」と言って開設のために労力を提供させて、その上でそこに勤務させず、労力を払っていない新規採用社員をそこに勤務させるというやり口は、そういう裏切りのような行為は逆に「営業力がない」と評価されるものであろう。
又、江東区潮見の東京営業所に勤務していた従業員のうち、3人だけが新展示場に勤務させてもらえたのだが、亀戸に移ってすぐに退職した土屋は別として、亀戸の新展示場に勤務させてもらったほかの2名、服部と橋本薫の2名、亀戸の新展示場開設に労力を払っておきながら、そこに勤務させてもらえるものだと思っていたにもかかわらず勤務させてもらえず、江東区潮見の外壁汚れまくり床鳴りしまくり展示場にその後も勤務させられることになった同僚に対して「どうも、すいませんでした」の一言くらい言って悪くないはずであり、それを言うのが「営業力」であるはずだが、服部と橋本薫の2名、一言としてそういった発言をしなかった。「殴った方は忘れるが殴られた側は忘れない」とかいう言葉があるが、こういうことは労力払わされただけでそこに勤務させてもらえなかった側の人間は怨念とともにいつまでも覚えているものだ。そこに怨念がいんねん。そこに因縁がおんねん。
↑ 東武亀戸線「小村井(おむらい)」駅。
北向き(「曳舟(ひきふね)」行き)の南側に改札口があるが、南向き(「亀戸」行き)の側には南側に改札口が見当たらないため、ぐるっとまわって北側に行ってみたが、北側には北向き(「曳舟(ひきふね)」行き)も南向き(「亀戸」行き)も改札口はなく、昔なら、片方の側から改札口を入ったら改札の内側で線路を横断するところだろうけれども、東武亀戸線「小村井」駅では南向き(「亀戸」行き)の電車に乗るには、北向き(「曳舟(ひきふね)」行き)の南側の改札口から入って、そこから階段を下りて地下道で線路をくぐって階段を登って南向き(「亀戸」行き)のプラットホームに行くしかないようだった。又、その地下道への階段にはどちらの側もエスカレーターもない。あまり便利ではない。歳いってきて、体のあちらこちらに不具合が出てきた者にはつらい。
↑ 東武亀戸線「小村井(おむらい)」駅の改札口に向かう所に出ていた。
「誰にも言えない気持ち 聞かせてください いのちの電話」
1980年代、横浜市港北区箕輪町 にあった日吉台学生ハイツ に住んでいた時、毎日毎日、朝から晩まで、うちの父親から「いらいらっとしたら、かけたんねん」と言って電話がかかってきた。そして、うちの父親は言うのだった。「わしはブッダやねんぞお。わしは修行を積んで悟りを開いたブッダ。わしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタやねん」と。そして、言うのだった。「わしは孔子で孟子。『四十にして惑わず』や」と。「わしは、何があっても絶対に惑うことはないという人間やねん。孔子で孟子やねんぞお~お」と。そして、言うのだった。「わしはキリストやぞお、わしはキリスト。わしが山に命じたなら山が空飛んで海に入るねんぞお~お。わしが命じたら水が葡萄酒に変わるねんぞお~お」と。そういうお方だったらしい。又、言うのだった。「あんたは、もしかすると、わしのことを『普通のお父さん』とか『普通の人間』とか思っておるかもしれんけれども、実は違ってんでえ」と。「何だったのですか?」と尋ねると、「実はわしはスーパーマンやってん」と言うのだった。「知ってたか?」と言うのだが、知らんかった。パーマンかと思うておった。「スーパーマンてことは、空を飛ぶのですか?」ときくと、「何を言うとんのんじゃ。アホぬかせ。そんなもん、飛ぶか!」とおっしゃるので「しかし、スーパーマンなら空を飛ぶのと違うのですか」と言うと、「飛ぶか、そんなもん」とおっしゃるのだった。「空は飛ばないスーパーマンてことは、アラレちゃんみたいなもんですか」と言うと、「何がアラレちゃんじゃ。スーパーマンなんじゃ、わしは。わからんのか、スーパーマンじゃ、スーパーマン」とおっしゃるのだった。「わしは超人やねんぞお」「わしは完璧超人やねん」とおっしゃるのだった。「わかっとるか。わしはおまえなんかとは民族と階級が違うねん。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。わしはドイツ人でアメリカ人の民族で慶應の階級の人間やねん」とおっしゃるのだった。たしかに、言われてみると「慶應みたい」なところがあるおっさんやった。慶應という学校はある意味で不思議な学校で、「大学だけ慶應」の人にはそれほど慶應慶應していない人というのもいるのだが、他方でうちの父親のように小学校・中学校・高校・大学・大学院のどれも慶應には行っていないにもかかわらず「人格が慶應」の人・「慶應の階級」の人というものがいるのだった。「わしはなあ。わしは完全無欠な人間で人格者であって、常に沈着冷静・百戦錬磨・海千山千・泰然自若の人間やねん。わかっとるかチャンコロ。わしはいかなる時も沈着冷静で泰然自若。雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが津波が来ようが台風が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようがゴジラが来ようが何が来ようがび~くともしない! というそういう人間やねん、わしはあ~あ」とおっしゃるのだった。「おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは民族と階級が違うねんぞ、おまえとは。民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな!」とおっしゃるのだった。そして言われるのだった、「イッライッラしてきたあ~あ♪ いっらイッラしてきたあ~あ♪ いらいらしてきた、いらいらしてきた、いらいらいらいらいらいらしてきた♪」と。毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに朝から晩まで電話がかかってきてそう言われるのだった。
それで、私は言ったのだ。「完璧超人のお方なんですよね。スーパーマンなんですよね」と。「そうじゃ、わしは完璧超人でスーパーマンやねんぞお」とおっしゃるのだった。私は言ったのだ。「修行を積んで悟りを開いたブッダ・ゴータマシッダールタで、『四十にして惑わず』の孔子様で孟子様なんですよね。もう、四十過ぎてますよね」と。「あたりまえじゃ、とうに過ぎとるわ」とおっしゃる。私は言ったのだ。「キリスト様なんですよね。水に命じると葡萄酒に変わる、山に命じると山が空を飛んで海に入るというお方なんですよね」「雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが津波が来ようが台風が来ようがび~くともしない。怪獣が来ようが恐竜が来ようがゴジラが来ようがび~くともしないというお方なんですよね」と。「そうじゃ、その通りじゃ。わしは雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが津波が来ようが台風が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようがゴジラが来ようがび~くともしない人間やねん。わしは常に沈着冷静、わしはいかなる時も何事があっても泰然自若の人間でドイツ人で慶應の人間やねん、わしはあ」とおっしゃるのだった。だから、私は言ったのだ。
「修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタならば、何もイライラすることないでしょ。修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタならば、何事があってもイライラしないで落ち着いておればいいでしょう。違いますか」と。「何を言うとるんじゃ、このチャンコロろすけイタコめが」と「ゴータマシッダールタのお方」はおっしゃる。
私は「『四十にして惑わず』の孔子様で孟子様であるなら、何もイライラしなくていいじゃないですか。なんで、『孔子で孟子のお方』が『イライラしてきた』『イライラしてきた』といつでもいつでもイライラいらいらイライラいらいらなさっておるのですか。「四十にして惑わず」ならイライラしなきゃいいじゃないですか」と。「そやからやなあ。ほんまは孔子で孟子であって、ほんまは『四十にして惑わず』なんじゃ」とおっしゃるので、「実際は違うのですか?」と尋ねると、「そやから、おまえが悪いんじゃ、おまえが」とおっしゃるのだった。
「わかってますよ。悪いのは私でしょ。悪いのは何でもいつでも、いつでも何でも、み~んな、私でしょ。T子さんが奈良女子大を落ちたのは私が落としたのでしょ」と言うと、「そうじゃ、その通りなんじゃ。T子さんはなあ、おまえとはちごうて優秀な優秀なドイツ人のお方であって、ほんまやったら絶対に絶対に奈良女子大にお通りになっているお方やのにからに、おまえが落としてんぞ、ひとのせいにしてはいかんぞ。おまえのせいで大事なT子さんが奈良女子大に落とされてんぞ。おまえがT子さんを落としたんやぞ。人間、ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにする人間はおしまいやぞ。T子さんが奈良女子大に落ちたのはすべておまえのせいやねんぞ。ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては」とおっしゃるのだった。私より11歳年上の姉のT子さんは私とは違って「優秀なドイツ人のT子さん」だったのだが、高校を卒業する年に奈良女子大を受けて落ちられたのだが、それは「ほんまやったら絶対にお通りあそばしているお方であるのに」私が落としたそうだった。「T子さんに『奈良女子大を落として申し訳ございませんでした』と言って地面に頭をすりつけて謝りなさい」とおっしゃるのだった・・が、そのT子さんが奈良女子大を受けた時には小学校の1年だった私はいったいT子さんに何をやったのか・・・というと「産まれてきた」のがいかんそうだった。私さえ産まれてこなかったら、そうすれば、もっと「応援してあげることができた」のでT子さんは奈良女子大に合格なさったのに、私が産まれたために「応援できなかった」ために落ちたそうなのだ。だから、「百パーセント、おまえのせいやねんぞ。よくも、産まれてきおったな、産まれてこなかったらよかったのに産まれてきおってからに、このチャンコロろすけイタコめがこの浪商!」とおっしゃるのだった。「『申し訳ございませんでした』と言いなさい」とおっしゃるので、それで「申し訳ございませんでした」と言ったのだが、しかし、もしも「応援」すればT子さんが奈良女子大に通ったのならば、それなら言ってくれれば、↓ みたいなのをやればT子さんは奈良女子大に通ったのなら、それならやってやったのに・・・。↓
※ YouTube-コンバットマーチ【6人】早稲田大学応援2013 https://www.youtube.com/watch?v=waiBBVjToXA
↑ こういう「応援」やったらT子さんは奈良女子大に通ったのなら、その時に言ってくれたらやったのに。なんで、言うてくれへんかってん。
〔 私なら ↑ こんな「応援」なんか、やっていらんけどな・・ 〕
又、「おまえさえ、産まれてこなかったら、おまえを育てる費用がかからんかったら、大事なT子さんにそのカネで毎日全科目家庭教師を頼んでつけてやることができて、そうやりさえすれば優秀な優秀なT子さんは絶対に奈良女子大に通ったのにからに、おまえが産まれたから、T子さんに毎日全科目家庭教師をつけてやることができんかったから、そやからT子さんは奈良女子大を落ちてんぞお。ひとのせいにすんなよ、おまえのせいやねんぞ、おまえのせい」とおっしゃるのだったが、私自身の経験から言わせていただくと、毎日全科目家庭教師をつけるなんて、そんなことしてもらっても成果は出ないと思うのだ。むしろ、その家庭教師のおっさんかおばはんが私よりも学習法をよくわかっているかどうかわからんわけで、かえって害がある人だっている。又、やはり、私自身の経験から言わせていただくと、大学入試というのは、ある程度以上の所を受けたならば、別に誰も悪くなくても、落ちることは「あること」だと思うのだ・・が、それでも「申し訳ございませんでしたと言いなさい」とおっしゃるので言ったのだ。「申し訳ございませんでした」と。
そして、「いらいらしてきたイライラしてきたイライラいらいらイライラしてきた」とおっしゃるので、「しかし、あなたさまはキリストなのでしょう」と言うと、「そうじゃ。わしはキリストじゃ」と言われるのだ。「わしが山に命じたら、山が空を飛んで海に入るんやぞ、海に」とおっしゃるので私は言ったのだ。「それならば、とりあえず自分自身に『イライラするな。落ち着け』と命じられたらいかがですか。山に命じて山に空を飛んで海に入るようにさせるよりも、自分自身に『イライラするな。落ち着け』と命じて落ち着かせる方が、はるかに容易いのではありませんか」と。ところが「何を言うとるんじゃ、何を。いらいらしとるんじゃ、イライラいらいらイライラいらいらいらコッコー!」と。
それで私は言ったのだ。「イライラするのが趣味なのですか?」と。「アホぬかせ。何を言うとんのんじゃ」と「釈迦で孔子で孟子でキリストで完璧超人でスーパーマンのお方」はおっしゃるのだった。「なんで趣味なんじゃもう、イライラしてきたなあもう、イライラしてきたなあもう」と。
「ですから、いつでも何でも、何でもいつでも悪いのは私。これはこの世界が開闢以来の真理であるとしてですよ。そうであっても、『釈迦で孔子で孟子でキリストで完璧超人でスーパーマンのお方』なのですから、何もイライラしなきゃいいじゃないですか。釈迦なのでしょ。ゴータマシッダールタなんでしょ」と言ったのだが、「イライラしとるんじゃあ、イライラいらいらイライラしとるんじゃあ」とおっしゃるのだった。
それで。「イライラしたいのか、イライラしたくないのか、どっちですか?」と尋ねたのだ。すると、「アホか。イライラしたいわけないだろうが」とおっしゃるので、「それなら、とりあえず、座禅でもしたらどうですか」と言ったのだ。
セルフ・コントロールと禅 (NHKブックス 399) - 池見 酉次郎, 弟子丸 泰仙
しかし、「釈迦で孔子で孟子でキリストで聖徳太子のお方」は「なんで、そんなもんせんといかんのじゃ。ええかげんにせんか」とおっしゃるのだった。それで、「座禅が嫌ならば、それなら、般若心経の写経をするというのはいかがでしょうか」と言ったのだ。
般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫 ま 1-3) - 松原 泰道
すると、「なんで、そんなもんせんといかんのじゃ」とおっしゃるので、「嫌なら別にやらなくてもいいですよ」と言った。そして、「それなら、『聖書』を読むというのはどうですか、『讃美歌』を歌うとかは」と言うと、
※ YouTube-やすかれわがこころよ 讃美歌298番https://www.youtube.com/watch?v=_zTZKoRwZAo
大型聖書 新共同訳 - 共同訳聖書実行委員会, 日本聖書協会
讃美歌21 A5判 - 日本基督教団
そうすると、「なんで、そんなもん読まんといかんのじゃ」とおっしゃるのです。
「それなら、竹刀か木刀の素振りをするというのはどうですか」と言ったのだが、これは、ツボ療法について書かれたもので、竹刀とか木刀の素振りをおこなうと、手のひらにある「気持ちが落ち着くツボ」を刺激して気持ちが落ち着くと言われていることによるものですが、
「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ」とおっしゃるのでした。
「それなら、野球のバットの素振りをするというのはいかがですか」と言ったのだ。「王貞治はスランプになると、毎日、何回もバットの素振りを繰り返して気持ちを落ち着けたと言いますでしょ」と。野球のバットの素振りにしても、竹刀・木刀の素振りにしても、素振りという同じ動作を繰り返すというのは気持ちが落ち着く方向に働くと言われているらしいので、それを言ったのだったが、ところがこれもまた、「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ。あ~あ、イライラしてきたイライラしてきた、してきたしてきたしてきたねえ」とおっしゃるのだった。
「竹刀・木刀の素振りはいや、野球のバットの素振りもいや ということなら、とりあえず、ゴルフの打ちっぱなしにでも行ってこられたらどうですか。ちゃーしゅーめ~ん♪ て感じで」と言ったのだが、「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ」と言われるのだった。
「困りましたねえ。とりあえず、深呼吸して屈伸運動でもしてみたらどうですか」と言ったのだったが、それも「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ」とおっしゃるのだった。
「そしたら、とりあえず、睡眠時間を多めにとって、よく寝るようにされたらどうですか」と言ったのだが、これはうちの父親および、その世代の人間には禁句だった。だめなんだわ、あの「戦中世代」、まったく何の関係もないことを話す場合にも「軍隊で鍛えられた」「満州で苦労した」というのをひとくさり言わないと何も話せない世代の人間には。これを言うとどうなるか・・というと、「寝る時間を減らして、睡眠時間を減らして!」と言い出すのだ。なんで、睡眠時間を減らせと言うのか・・と思うかもしれないが、この文句を言うと、うちの父親のことではなく、私のことになってしまい、「寝る時間を減らせよ、おまええ~え!」と言い出すのだ。「睡眠時間を減らして、睡眠時間を減らして、減らして」と言い出すのだった。「寝ずにや~る! 根性でや~る! 気合でや~る! 気合じゃ気合じゃ、気合、気合、気合、気合!」と言い出すのだ。そういう世代だったのだ( 一一) もう、なんと言うのか「ほとんどアニマル浜口」だったのだ、うちの父親の世代というのは。うちの父親というのは「撃ちてしやまん、一億火の玉ァ!」「欲しがりません、勝つまでは!」「ロスケどもをやっつけてや~る! とってちってたあ~あ!」「贅沢は敵だあ!」「木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ」「戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事のもと~お! わしに孝行せえよお」の世代だったのだ( 一一) ・・ほんま、疲れる世代やわあ・・・( 一一)
※ YouTube-アニマル浜口 気合64連発!! https://www.youtube.com/watch?v=ai_KePLfpcY
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日本はまたその勝利の望みを、アメリカで一般に考えられていたものとは異なった根底の上に置いていた。日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と叫んでいた。なるほどアメリカは大国である、軍備もまさっている、しかしそれがどうしたというのだ、そんなことは皆はじめから予想されていたことであり、われわれははじめから問題にしていないのだ、と彼らは言っていた。そのころ日本人は、日本の大新聞『毎日新聞』で、次のような記事を読んだ。「もしわれわれが数字を恐れていたならば、戦争は始まらなかったであろう、敵の豊富な資源はこの度の戦争によってはじめて作り出されたのではない」。
まだ日本が勝っていた時でさえ、日本の政治家も、大本営も、軍人たちも、くり返しくり返し、この戦争は軍備と軍備との戦いではない、アメリカの物に対する信仰と、日本人の精神に対する信仰との戦いだ、と言っていた。われわれの方が勝っていた時にも、彼らは幾度も幾度も、このような戦いにおいては、必ず物質力が負けるにきまっている、と言っていた。この信条はサイパンや硫黄島の敗北のころには、たしかに都合のよい言逃れになった。しかしそれは敗北の言逃れとして捏造されたものではない。それは日本軍が連戦連勝を誇っていた何か月間を通じて進軍ラッパの役割を演じたものであるし、真珠湾奇襲のずっと以前から公認されていたスローガンであった。1930年代に、狂信的軍国主義者であり、かつて陸軍大臣であった荒木大将は、『全日本民族に訴えう』というパンフレットの中で、日本の「真の使命は皇道を四海に遍く弘布し宣揚することである。力の不足はわれわれの意に介するところではない。何故に物質的な事柄に気を使う必要があろうか」と書いている。
( ルース=ベネディクト『定訳 菊と刀(全)』長谷川松治訳 1967.3.15.社会思想社 現代教養文庫)「第二章 戦争中の日本人」)
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一般人の生活においても、日本の当局者は物質的環境に対する精神の優位を文字通りに解していた。例えば、国民は工場での二十四時間労働と終夜の爆撃とで疲労その極に達していた。だが、「われわれのからだがつらければつらいほど、ますますわれわれの意志、われわれの精神は肉体を凌駕する」、「へとへとになればなるほど、よい訓練になる」のであった。国民はまた、冬、火の気のない防空壕の中でぶるぶるふるえていた。するとラジオで大日本体育会は、防寒体操をやるように命令した。この体操は暖房設備やふとんの代りになるばかりでなく、さらに結構なことには、もはや国民の普通の体力を維持してゆくことのできなくなった食糧の代りにもなる。「現在のような食糧不足な時に、体操をやれなんてとんでもない話だ、と言う人がむろん必ずあるだろう。だが決してそうではない。食糧が不足すればするほど、ますますわれわれはわれわれの体力を他の方法で向上させねばならない」。つまりわれわれはわれわれの体力を余計に消費することによって、それを増大させねばならない、と言うのである。アメリカ人の体力についての考え方はいつでも、前の日に八時間眠ったか、五時間眠ったか、平常通り食事をしたかどうか、寒かったかどうかによって、どれだけ体力を使ってさしつかえないかを計算するのであるが、この日本人の計算の仕方はそれとは正反対で、体力を蓄えることなんかは全然眼中においていない。それは物質主義的なやり方だ、と考えていたのである。
( ルース=ベネディクト『定訳 菊と刀(全)』長谷川松治訳 1967.3.15.社会思想社 現代教養文庫)「第二章 戦争中の日本人」)
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菊と刀 (光文社古典新訳文庫) - ベネディクト, 角田 安正
福沢諭吉は「精神の独立」といったことを言っていた。その時代の思潮の影響をまったく受けないということは難しいとしても、完全にその時代の思潮に精神を支配されてしまって自分自身の思想・世界観というものを失った人間というのは情けない。うちの父親は漫画家の水木しげる と1か月ほど誕生日が違うという年齢だったが、水木しげる はうちの父親とは違って「戦争中、『われわれの肉体が弱まれば弱まるほど精神は強度を増して敵に打ち勝つのである』と教えられたが、実際に敵と戦ってみると、十分に食ってるやつには勝てないということがよくわかった」と述べていたが、戦後においても、「撃ちてしやまん、一億火の玉」「欲しがりません、勝つまでは」「とってちってたあ~あ♪」と毎日叫んでいたうちの父親とはずいぶんと違ったようだった。
ともかく、「軍隊で鍛えられた」「満州で苦労した」と全然関係のないことを話す場合でも一通りそれを言わないと何も話せない世代のおっさんを相手にする場合には「睡眠時間をきっちりととって」という文句は禁句だったのだ。これを聞くと「パブロフの犬」のように条件反射して「寝る時間を減らして」「とってちってたあ~あ!」「根性で勝~つ、気合で勝~つ、とってちってたあ~あ♪」と叫びだす世代だということをうっかり忘れていた。決してこの文句はこの世代の人間には言ってはならないのだった。「会社のために、わしのために、会社のために、わしのために。とってちってたあ~あ♪」となってしまうのだった。
※ YouTue-リゲイン TVCM|2014 すみれ「どーなっとるんだ」篇 「3、4時間」篇 https://www.youtube.com/watch?v=1TbzRq6QmWE
ストレス解消には「クラシック音楽を聴く」のがいいと言う人がいるが、あれはだめだと思う。なぜなら、うちの父親は毎日のように
「ちゃんちゃんちゃん、ちゃちゃかちゃか、ちゃんちゃんちゃん、ちゃちゃかちゃか、ちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃか」と叫びながら「クラシック音楽を聴く」というのをやっておったが、どう見ても「クラシック音楽を聴くと気持ちが落ち着く」ようには見えなかった。むしろ、「クラシック音楽を聴く」と逆にイライラいらいらイライラしてくるように見えた。特に、ヨハン=シュトラウス2世の『こうもり』「序曲」はだめだ。あれは「イッライッラいっらいっら」する音楽だと思う。
※ YouTube-カラヤン指揮 J.シュトラウスⅡ世作曲 喜歌劇「こうもり」序曲 https://www.youtube.com/watch?v=vDbDutb7d4Y
「クラシック音楽」とひとくくりにするのは不適切で、大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)では、大塚久雄はバッハ『マタイ受難曲』を繰り返し聴くと述べていたが、それなどは効果はあるのだろうと思うが、うちの父親が聴いていたヨハン=シュトラウス2世の『こうもり』「序曲」はあれは逆にいらいらしてくる音楽だ。
※ 《YouTube-対訳「マタイ受難曲」 全曲 》https://www.youtube.com/watch?v=P3OcPLf7Kyo
「『気持ちの落ち着くツボを押す』というのはどうですか」とも言ったのだった。「わかりやすいツボとして、手の親指と人差し指の間の合わさったところから人差し指側に少しに登ったところにある『合谷(ごうこく)』というツボを押すというのはいかがですか」とも言ったのだが、「なんで、そんなものやらんといかんじゃ」とおっしゃるのだった。「嫌ならやらなくてもいいですよ」と言ったのだ。
三大特効ツボ健康法―このツボを押すだけでみるみるスタミナがつく (ゴマブックス 351) - 竹之内 診佐夫
「それなら、青竹踏みをするというのはどうですか」とも言ったのだが、それもやりたくないみたいだった。
それで、おっさんは言うのだった。「おまえの声をきくとイライラすんのんじゃ」と、それで電話を切ってやったのだが、そうするとまたかかってきて、「こらあ、何を勝手に切っとるんじゃあ」と怒るのだったが、「私の声を聴くとイライラするとおっしゃいましたので、それなら私の声を聞かない方がいいでしょう」と言ったのだが、「そうじゃ、おまえの声を聞くとイライラいらいらイライラすんのんじゃあ、イッライッラしてきたあ、イッライッラしてきたあ、イッライッラいっらいっらいらいらイライラしてきたしてきたしてきたねえ♪」とおっしゃるので、再度、電話を切ったのだったが、またかかってきて「こらあ。せっかく電話かけてやっておるのに、なんで切るんじゃあ」と怒られるのだったが、「ですから、私の声を聞くとイライラなさるのでしょ。それなら聞かない方がいいでしょ。違いますか」と言ったのだ。
そして、言ったのだ。「私の声をきくとイライラするけれども、誰かと電話でお話ししたいということならば、それなら、私以外の人と電話されたらどうですか。そうだ、『いのちの電話』に電話するというのはどうですか」と言ったのだ。「たしか、私の部屋に『いのちの電話』の電話番号を書いたものがあったと思います。すぐに見てきます」と言ったのだが、「なんで、そんなもんにかけんといかんのじゃあ」とおっしゃるのだった。
「困りましたねえ、座禅もいや、般若心経の写経もいや、聖書も讃美歌もいや、竹刀・木刀の素振りもいや、野球のバットのすぶりもいや、ゴルフの打ちっぱなしもいや、深呼吸も屈伸運動もいや、いのちの電話もいや・・・となったら、どうしたものでしょうねえ、そうだ、『いのちの電話』がいやなら、それなら電話局の104の番号案内にでもかけて、番号案内のおねえさんとでもお話なさったらどうですか」と言ったのだったが、「なんで、そんなもん、かけんといかんのじゃあ」とおっしゃるのだった。・・番号案内のおねえさんは、そんな電話かけてこられてもいやかもしれんが、そんなこと言うなら私だっていやだよ・・・
「そしたら、どこか、精神科に行って精神安定剤でももらってきて飲んだらどうですか」と言ったのだが、「ええかげんにせんかあ、このチャンコロろすけイタコ浪商めがあ、んが、んが、んがァ~あ! おまえが飲めえ! なんで、沈着冷静・泰然示寂・百戦錬磨・海千山千のスーパーマンで完璧超人で、ゴータマシッダールタで孔子で孟子で聖徳太子でキリストでメサイヤで英雄ヒットラー総統でドイツ人で慶應のこのわしがそんなもん、飲まんといかんのじゃあ。おまえが飲めえ」とおっしゃるのだったが、「しかし、今現在、イライラいらいらイライラなさっているのはあなた様でしょ。私ではなくてあなた様がイッライッラいっらいっらイッライッラいらいらいらいらイラこっこ、いらいらイライラいらコッコー♪ なさっておるのでしょ。それなら、イライラいらいらイライラこっこ、イラこっこ、いらいらいらいらイライラこっここイラいらコッコー、いらコッコーなさっているあなた様が飲むべきではありませんか」と言ったのだったが、「ええかげんにさらせよ、このチャンコロ。わしはスーパーマンなんや、わしは風が吹こうが嵐が来ようが怪獣が来ようが絶対にイライラせえへん人間なんやあいうて教えてやってやってあげてやってあげてあげてやってもらってくださってあげてやってやったのがわからんのかあ、このチャンコロお!」とおっしゃるのだった。実際には「精神安定剤」などというものは精神の安定には役に立たない。「精神安定剤」という名称がイカサマである。最近、クマが北海道や秋田県・富山県・島根県などの住宅地に出没しているようだが、クマに麻酔銃を撃ったりするようだが、その麻酔銃によってクマがおとなしくなったらそれは「精神安定剤」と言うべきか。「精神安定剤」と「精神科医」が呼んでいる「薬」は人間の精神能力を低下させ、特に批判能力をくじき従順にならせるものであり「精神科医」と称するファシストに服従する「精神科医」と称するファシストにとって都合がいい人間に人間を加工するものであるとともに、飲まされた者を太らせ、インポテンツにする薬物であって、「気持ちを落ち着ける薬」ではない。結論として、「精神安定剤」と「精神科医」と称するイカサマが呼んでいるこの化学物質は「薬」というよりも「毒」であると考えるべきであろう。そういうものを騙して飲ませるために考え出された美名が「精神安定剤」という名称である。あれは「人間による人間の加工」をおこなうものであり、それを国民に受け入れさせるために「精神安定剤」などという美名をつけたものであって、人間が本来的な生き方をするために役立つものではない。誤解を招く用語であるが、「精神科医」とか「心理学者」とか称するイカサマどもが意図的に誤解を招く命名をして誤解を招く用語を使用しているものである。
「『いらいらしてきた、いらいらしてきた』と唱えるよりも、『気持ちがとても落ち着いている』『気持ちがとても落ち着いている』と唱えた方がいいのではありませんか」とも言ったことがあるのだが、「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って電話攻撃してくる人に言っても無駄だった。 アインスリー=ミアース『自律訓練法ーリラックス訓練』(創元社)では、いくつかの文句を自分自身で心の中で唱えることで良好な状態にもっていくということをおこなっており、その最初の文句は「私はうまくリラックスできます。リラックスはとても自然なことです。気分が自然に落ち着いて、楽になっていきます」というものだった。それだけですべて解決するかどうかは別として、少なくとも「いらいらしてきた、いらいらしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」と呪文を唱えるのと、「私はうまくリラックスできます。リラックスはとても自然なことです。気分が自然に落ち着いて、楽になっていきます」と唱えた方がいいと思ったのだが、「いらいらしてきた、いらいらしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」と呪文もしくは、真言なのかマントラなのか知らんが、そういうものを唱えることに喜びを感じているらしい信者にそれを変えさせるのは困難だった。佐々木雄二『自律訓練法の実際』(創元社)には、自律訓練法を実行する方法が述べられているが、6段階の訓練の前段階のものとして「気持ちがとても落ちついている。気持ちがとても落ちついている」と心の中で唱えるというものがある。この場合、「気持ちがとても落ちついてきた」と唱えるよりも「気持ちがとても落ち着いている」と唱えた方が効果があるという。しかし、「『イライラしてきた、イライラしてきた』と唱えるよりも『気持ちがとても落ち着いている』と唱えた方がいいのと違いますか」とも言ったのだが、「イライラっとしたらかけたんねん」と言って電話してきて「イライラしてきた、イライラしてきた、いらいらイライラいらいらしてきた」と唱える人に言っても無駄だった。「千里の道も一歩から」というが、自律訓練法にしてもリラックス訓練にしても、それをやってみようという気持ちになる人と、「イライラしてきた、イライラしてきた、してきたしてきたしてきたねえ」と言って電話してくる人とでは、ともかくも、それをやってみようという気持ちになった人というのは、その「最初の一歩」を歩み始めた人であり、「イライラっとしたらかけたんねん♪」と言って四六時中電話攻撃してくる「聖人」に「気持ちがとても落ち着いている」とか「私はうまくリラックスできます。リラックスはとても自然なことです。気分が自然に落ち着いて、楽になっていきます。」とか唱えさせるというのは、これは極めて困難なことだった。又、デビッド=クーパーは『反精神医学』(岩崎学術研究社)で、「精神科医」が「精神医学の治療」と称している「理論」「技術」というものは、それは「セラピスト」を守るためのものでしかない、と述べているが、家族・身内の人間がなんとか落ち着かせてあげようと思って好意的に手を差し伸べるなどということをうかつにすると、「引きずり込まれる」危険が大いにあった。
自律訓練法―不安と痛みの自己コントロール - アインスリー ミアース, Meares,Ainslie, 酉次郎, 池見, 孝子, 鶴見
自律訓練法の実際:心身の健康のために - 佐々木 雄二
うちの父親は「下宿生活すると野菜をとることが少なくなるから、生野菜をとらんといかん」と私に言うてくるのだったが、それで私は言ったのだった。「生野菜よりも、もっとカルシウムをとるようにした方がええのとちゃいますか」と。しかし、「もっとカルシウムをとるようにした方がええのとちゃいますか」と言っても、とりよらんのだ。
最近になって思いだした。甲子園球場に行って「ボケ~え、アホ~お、カス~う、死んでまえ~え!」と叫ぶというのが残ってた、と。うっかり忘れてた。〔⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕
最近、ファウルグランドを狭くした方が客席で身近に「臨場感」を味わえるといったことを言ってファウルグランドを狭くした球場が出てきているが、あれはいかがなものかと思うのだ。ひとつは、ファウルグランドがある程度広くてこそ、ファウルフライを真剣に追いかける選手とそうでない選手の違いというものを見ることができるし、又、ノーアウトか1アウトで三塁にランナーがいるという場面でのファウルフライは、捕った方がいいか捕らない方がいいかという判断を野手が的確にできるかどうかというものを見る面白さというものもあるが、それよりもっと大きな点として、スタンドから「ボケ~え!」「アホ~お!」「カス~う!」「死んでまえ~え!」「いてもうたろかあ!」と大声で叫ばれたとしても、ある程度離れていたならば「また、何か言うとるわ」くらいで、マア、一軍で出ているような選手というのは一般のサラリーマンより高い給料もろとるんやから、ちょっとくらいボロクソに言われても我慢してええやろうが・・てものだが、さすがに至近距離で言われたら、「何を」て気持ちになるかもしれん。だから、ファウルグランドはある程度広い方がいいと思う・・(^^)/
それから、その時は私は20代初めの大学生だったので、スナックとかクラブとかそういう所に行ったことはなかったし、どういう所かもよく知らなかったのだが、どういう所か知ってから思い浮かんだものとして、「スナックに行って、スナックのホステスのねーちゃんに『イライラしてきた、イライラしてきた』とお話してくる」というのはどうか、と思いついた。そうすれば、有料で話を聞いてくれて、「そうよねえ、そうよねえ」とか適当に相槌うって、あくる日になったら忘れてくれる・・のではないか、と考えたのだ。・・ただし、「本当にあった笑える話」だかそんな感じの漫画雑誌に出ていたのだが、職場で「スナックに行かないか」と同僚に誘ったら、「絶対に行かない」という男がいて、なんでだというと、その男のお母さんとお姉さんがスナックをやっていたらしく、「あんな所で話したら、いったいどこで何を話されるやらわからんぞ」と言って行くのを嫌がった・・というので、スナックのホステスのおねえちゃんというのは「そうよね、そうよね」と相槌打って適当に話を聞いて、翌日になったら忘れてくれる・・かと思いきや、「いったい、どこで何を話されるやらわからん」という場合もあるらしい。
「いのちの電話」というものがあるのはずいぶんと前から知っていたが、私自身はかける方も受ける方もやったことはないが、「いのちの電話」というのを見ると思いだす。「いらいらっとしたらかけたんねん」というあの電話攻撃を。北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が「あなたのお父さんのようないいお父さんがいたらものすごくうらやましいわよ」などと言っていた。「私は両親が離婚したんだから」「私は父親がいなかったんだからねえ」とおっしゃるのだったが、そんなにいいと思うなら、旧姓作野礼子さんにあげるよ、あのおっさん。ほんと。なんか「私は父親がいなかったんだからねえ」と言って、「父親がいる」ということがもんのすごい得しているみたいにおっしゃるのだったが、「父親がいる」ということは私にとっては「イライラっとしたらかけたんねん」と言ってかかってくる電話攻撃が四六時中襲ってくるということを意味する。旧姓S野礼子さんは「あんたのお父さんのようないいお父さんがいたら私だったらものすごくうれしいわよ」などとおっしゃるのだったが、そういうことを言うのなら、まず、あの「イライラっとしたらかけたんねん」と言って四六時中かかってくる電話攻撃を旧姓作野礼子さんが引き受けてもらいたいものだ。その上で言ってもらいたい。自分はあの電話攻撃をまったく引き受けないで勝手なことを言うのはやめてもらいたい。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して10年以上経ってみると、どう考えてもいい学校ではなかったなと思うようになった。特に、2年の時にあのバカ女症候群に担任を持たれたのは災難やった。あのバカ女症候群に担任を持たれたという点において、最低・最悪・最凶の学校やった( 一一)
「私は父親がいなかったんだからねえ」と自慢たらしくおっしゃるのだったが、「父親がいなかった」というのは、そんなに自慢になるものなのか? 遠山啓(ひらく)は『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)において、父親とは外敵から息子を守ってくれる存在である、と述べ、又、父親というものは家族の中で最も「世間知」というものを持っている存在であり、息子に「世間知」というものを教えてくれる存在である、父親がない息子は父親から「世間知」を教えてもらえないから、だから、自分自身で何度も痛い目にあって「世間知」というものを学んで身に着けていくしかない・・・と述べていたが、ちょっと違うと思う。
遠山啓は「両親が離婚した」わけではなかったらしく、遠山啓が産まれた時点では「父親がいなかったんだからねえ」というわけでもなかったらしいが、産まれた時点では父親は生きていたが朝鮮にいたらしく、遠山啓が5歳の誕生日を迎える頃まで日本に帰ってくることがなく父親と会ったことがなかったらしいが、遠山啓が5歳の誕生日を迎える頃、その父親が日本に帰ってくるというので大喜びしていたら、その途中でその父親が病気で亡くなってしまったらしい。だから、遠山啓は「両親が離婚したんだから」というわけでもなく「(遠山啓が産まれた時点では)父親がいなかったんだからねえ」というわけでもなかったが、結局、遠山啓は父親とは一度も顔を合わすことがなかったらしく、その点で、父親がない子供だったらしい。それで、「父親がある人」というのがうらやましかったらしい。
しかし、それなら「父親がある息子」というのは、父親から「世間知」というものを教えてもらえるものかというと、そうとは限らない。「父親がある息子」は父親に「外敵から守ってもらう」ことができるかというと、そうとは限らない。すべての父親が息子を「外敵から守る」とは決まっておらず、すべての父親が「世間知」というものを持っているわけでもなく、すべての父親が息子に「世間知」というものを教えるとは限らない。旧姓作野礼子や遠山啓は「父親がなかった」だけにそのあたりについて、まったくわかっていない。
うちの父親なんか、「世間知」なんてものなんか持っていなかったし、息子が何度も痛い目にあって自分自身で学んで身につけた「世間知」を教えても理解しない男だった。うちの父親なんか、「外敵から息子を守ってくれる」などということはなく、むしろ、「外敵」を引っ張り込んでくるようなところがあった。何より、「イライラっとしたらかけたんねん。イライラっとしたら書いたんねん」と言って四六時中、電話攻撃が襲ってきて、一日最低2回は紙爆弾が届いた。旧姓作野礼子や遠山啓は「父親というものは」よっぽどいいもののように思っているようだったが、それは私だったらよそのお父さんでいいお父さんを見ると「いいなあ、うらやましいなあ。うちの父親もあんなお父さんだったらいいのになあ」と思うけれども、「その人はよそのお父さんでうちのお父さんではないのだから、しかたがないか」と思うところを、遠山啓や旧姓作野礼子のような「父親がない」息子・娘は、そういう「いいお父さん」を「父親というもの」と考えるみたいだった。そういう思考をしがちという点で「父親がいなかったんだから」という人には欠点がある人が少なくない・・・けれども、これもすべての人がそうだということでもなく、やはりこれも「人によって違う」ように思う。
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
うちの父親は「わしはほんまは沈着冷静、わしはほんまは泰然自若の人間やねん」とおっしゃるのだった。「そやからやなあ、わしがイライラっとしたら、おまえのせいやねんぞ。ひとのせいにすんなよ、人間ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ。ひとのせいにすんなよ。おまえのせいやぞ。ひとのせいにしてはいかんぞ、何でも何でもおまえのせいやぞ」とおっしゃるのだった。
それで、私は言ったのだ。「あなた様がイライラっとしたらわたしのせいだということは、私がイライラすることがあったら、それはあなた様のせいだということでいいですね」と。
すると、うちの父親は「何をぬかすか、このチャンコロ潮来ろすけ浪商!」とおっしゃるのだった。「おまえがイライラしたら、それはおまえのせいじゃろうが。何がわしのせいじゃ。ええかげんにさらさんかあ」と。
それで私は言ったのだ。「しかし、あなたがイライラっとしたら私のせいなのでしょ。それなら、私がイライラすることがあったら、その時はあなた様のせいではないのですか。私がイライラしたなら私自身のせいならば、それならば、あなた様がイライラっとされた時もまた、あなた様のせいではないのですか」と。
すると、うちの父親は言うのだった。「こいつ、ええかげんにせえよ、このチャンコロ浪商イタコろすけプエルトリコめが、このチャンコロ!」と。「おまえがイライラしたら、それはおまえ自身のせいじゃろうが。ひとのせいにすんな! わしがイライラしたらおまえのせいじゃろうが。わしは悪ないねん、わしはあ。わからんのか、このくらいの常識が」と。
私は言ったのだ。「『ひとの物は自分のもの、自分のものは自分のもの』て、それはずるいのと違いますか。あなたがイライラなさった時は私のせいなら、私がイライラすることがあったらあなたのせいであるべきで、私がイライラしたら私自身のせいなら、あなた様がイライラなさった時もあなた様のせいでしょ。違いますか」と言うと、「ええかげんにさらさんか、このチャンコロめが。わしは悪いということは絶対にありえないという人間やねんと言うて教えてやってやってあげてやっておるのがわからんのか、このチャンコロ。おまえのようなそういう態度のことを心理学では外罰的性格と言うんじゃ、外罰的性格と。ええかげんにせえよ、ええかげんに。わしがイライラしたらおまえのせいなんじゃ。そんでもっておまえがイライラしたら当然おまえのせいじゃろうが。ひとのせいにすんな、ひとのせいに。そういう外罰的性格の人間はロボトミーとか電気ショックとかやって治療してやらんといかん。ああもう、イッラいっらしてきた、イッライッラいっらいっらしてきたしてきたしてきた・・」とおっしゃるのだった。「そんな不平等条約あるかいや」と思った。「巨人みたいや」「長嶋みたいや」と思ったものだった。
北野高校の旧姓S野礼子は「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」と言って御自慢なさるのだったが、そういうのは自慢するもんかあ~あ? とも思ったが、「あなたのお父さんのようなすばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ」とうちの父親に言うのだったが、そう言われて「ほら、ほら、ほら、ほら。作野先生もおっしゃっておるように、わしは人並みはずれたものすごいエッライえっらいエッライえっらい、魅力たっぷり魅力たっぷりのお父さんやねん。わかっとんのかチャンコロろすけイタコ浪商プエルトリコ!」とおっしゃるのだったが、そんなにいいならあげえるから、引き取ってほしかった・・・が、旧姓S野礼子さんは決して引き取ってくれなかった。そして、勝手なことばっかり言うておっただけでなく、私が知らないうちに、私が北野高校を卒業して何年も経っていても、それでも私が知らない間に、うちの親と文通しとった。生徒が卒業後も、その生徒と親交があって、親とも家族ぐるみで親しくつきあっているというのなら悪くはないであろうけれども、生徒・卒業生がその教諭を嫌がっているのに、その生徒が知らない間に裏で親と文通しておった・・というのは、これはいかんのではないかと思うのだが、ところがどっこい、「作野先生はええ先生やでえ、あの先生はあ。さすがは北野高校の先生やでえ、あの先生はあ。女でも北野高校でてるだけのことあるでえ、作野先生はあ。女でも神戸大でてられるだけのことあるでえ、あの人はあ」と言ってうちの父親は称賛していて、旧姓作野礼子もそうやって称賛してもらって「その気」になっていた( 一一) 私には「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って四六時中、電話攻撃してくるおっさんは旧姓作野礼子先生様にはそういうことはしないようで、「いいお父さんだと思うわよお」などと旧姓作野礼子は言うておった。そういう女だったようだ。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、決していい学校ではなかったと思うようになった。北野高校がある大阪市淀川区、最寄り駅は阪急「十三(じゅうそう)」駅で、十三駅から西に進む商店街の出口付近に喜八州という和菓子屋があって酒饅頭が名物だ。喜八州は「酒饅頭家元」と言っているようだ。北野高校はあんまりいい学校ではなかったなあ・・と思うようになったが、喜八洲の酒饅頭はおいしいから好きだ。酒饅頭はほかほか湯気がでているところを買ってその日のうちに食べてこそのものらしく、賞味期限が「その日中」らしい。新大阪駅の在来線側の土産物店街とか十三駅のプラットホームでも今は売っているようだ。
※ 酒饅頭家元 喜八洲総本舗 http://www.kiyasu.jp/
私は「気持ちが落ち着く方法」をけっこういろいろと教えてさしあげたと思うのですが、猫に小判というのかブタに真珠というのか、それとも、もともと「イライラしてきた、イライラしてきた」と言うのが好きであって別に落ち着きたいわけではなかった人だったのかには役に立たないみたいでしたが、けっこういろいろと親切に教えたように思います。整理してみましょう。
1.座禅でもしたらどうですか
2.般若心経の写経をするというのはいかがでしょうか
3.『聖書』を読むというのはどうですか、『讃美歌』を歌うとかは
4.竹刀か木刀の素振りをするというのはどうですか
5.野球のバットの素振りをするというのはいかがですか
6.ゴルフの打ちっぱなしにでも行ってこられたらどうですか
7.深呼吸して屈伸運動でもしてみたらどうですか
8.睡眠時間を多めにとって、よく寝るようにされたらどうですか
9.(クラシック音楽を聴く)
10.『気持ちの落ち着くツボを押す』というのはどうですか。手の親指と人差し指の間の合わさったところから人差し指側に少しに登ったところにある『合谷(ごうこく)』というツボを押すというのはいかがですか。
11.青竹踏みをするというのはどうですか
12.「いのちの電話」に電話するというのはどうですか
13.電話局の104の番号案内にでもかけて、番号案内のおねえさんとでもお話なさったらどうですか
14.どこか、精神科に行って精神安定剤でももらってきて飲んだらどうですか
15.「いらいらしてきた、いらいらしてきた」と唱えるよりも、「気持ちがとても落ち着いている、気持ちがとても落ち着いている」と唱えた方がいいのではありませんか
16.もっとカルシウムをとるようにした方がええのとちゃいますか。
・・その時は言わなかったが、後から思いついたものとして、
17.甲子園球場に行って「ボケ~え、アホ~お、カス~う、死んでまえ~え!」と叫ぶ
18.スナックに行って、スナックのホステスのねーちゃんに『イライラしてきた』とお話してくる・・「そうよね」「そうよね」と適当に相槌打って聞いてくれて翌日になったら忘れてくれる・・と思いきや・・・
このうち、1はそれだけで完全に解決するかどうかはともかく、ある程度以上プラスにはなると思う。9は「クラシック音楽」なら何でもいいというものでもなく、クラシック音楽にもいろいろあるが、その人が聴きたいと思って聴くなら悪くなさそうな感じがしないでもないが、ヨハン=シュトラウス2世の『こうもり』「序曲」はだめだ。むしろ、ますますイライラいらいらイライラしてくるみたいだ。
14はむしろ害が出る可能性が大きい。むしろ、酒でも飲んだ方がいいかもしれない。私などは酒を飲もうと努力しても飲めない人間なので、そういう人間なら、「たまには、何かうまいものでも食うか」てところか。「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」などというものは、これは基本的には宗教であり、それも「カルトの宗教」「毒薬の宗教」であると私は考えている。カール=マルクスが「宗教はアヘン」という表現を使ったと言われているけれども、実際にはカール=マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』という本の中で一度だけ「(宗教は)民衆のアヘンだ」という表現を使っているというもので、何度も何度も使っているわけではなく、そして、何よりも「アヘン」という言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味があり、宗教の中には「毒薬のような宗教」もあるけれども、マルクスは毒薬のような宗教を批判する際には「宗教はアヘン」という表現は使っておらず、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中において「宗教は民衆のアヘンだ」という表現はキリスト教やユダヤ教のような宗教について「宗教は民衆のなぐさめだ」という意味で使っており、決してこの表現を「宗教は毒薬だ」という意味では使っていないと思われる。それで、「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」等等といったものだが、これらは「カルトの宗教」であり、キリスト教のような価値のある宗教ではなく「民衆のなぐさめ」としての宗教ではなく、「毒薬としての宗教」であると考えるべきものであり、「精神安定剤」といったものは、これは文字通り「毒薬」である。
・・17と18は話していないが、1~16 だけでも、けっこう色々と助言したものだと思うが、何の役にも立たなかった。
19.慶應大学で「近代思想史」の I 教授は大学生だった時に「日吉の教養課程の時に、サルトルの本を熟読して安心立命の境地を得た」と話しておられたが、「サルトルの本」なんぞ読むようなおっさんと違うしな・・・( 一一)
20.慶應義塾高校が甲子園の全国大会に出ると、慶應大学卒だが高校は慶應系の高校ではない、まったく慶應と関係ない高校卒なのに、慶應義塾高校の応援に行きたがるおっさんが職場にいて、早稲田実業高校が甲子園大会に出ても早稲田大卒だが高校は早稲田系でない高校卒の人とか、日大三高が甲子園大会に出ても日大卒だが高校は日大系の高校でない人の場合は「まあ、何かの縁だから、どっちかと言えば勝った方がいいかな」くらいのものなのに、自分が慶應大卒で高校は慶應義塾高校とか慶應系の高校とは全然違うおっさんが甲子園に行って慶應義塾高校の「応援」したがる・・というのを見て「この人、いったい何なのお」と不思議に思う人がいた・・とヤフーだかに出ていたが、そういうおっさんはいると思う。そういう人にとっては、スタンドで「ば~か~き血~に吠える者、びょーき持てるやつら~、低能~の、香~り、ぷんぷんとにおう~」「低能~、低能~、カネの亡者、慶應~♪」と歌えたら、グランドで野球やってるやつが慶應大体育会野球部の人間であるか慶應義塾高校の野球部の生徒であるかなんて、どうでもいいのだ(^^)/ だから、「イライラしてきた、イライラしてきた」とか言って四六時中電話してくる人というのも、慶應義塾高校が出てる試合に行って「低能~、低能~、カネの亡者、慶應~♪」と歌ってくるとストレス解消になるかもしれん・・・が高校生に「低能」と言ってはまずかもしれんから、それは大学生に言うてやった方がいいかもしれん・・か。
ただし、私はこの20については、現実にそれをやっている人はいると思うが、その仲間にはなりたくないと思ってきた。1980年代、東京都港区三田の慶應大学三田キャンパスの前を近くの慶應女子高の生徒が3人ほど連なって歩いていたのだが、私はたまたまその横を通り過ぎたのだが、「私たちの学年て、よくまとまってるわよね」などと話しておったが、その発言こそが慶應の内部進学の人間の特徴だったのだ。「なにかと、まとまったりまとめられたりするのが好き」という慶應の内部進学の人間の特徴だ。フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』において「一人でいることができて、二人以上でいることもできるという人間が友を持つことができる人間である」と述べているが、その逆。「二人以上でいることしかできない人間」と慶應内部進学的「まとまったりまとめられたりするのが好き」というのは相当の強度において重なる。なおかつ、そういう精神構造のことを彼らは「独立自尊の精神」とか言うておる。え~え、逆と違うの~ん・・と思ったりするが、そういう「なにかと、まとまったりまとめられたりするのが好き」という精神構造・《ニーチェが言う「一人でいることができて、二人以上でいることもできるという人間」》の逆の人間 というのを「慶應心理学」では「自我が確立されている」と「診断」される。慶應という大学は「最低でも高校から行った人間が本物の慶大生」と言う大学で、それから考えると私などは「筋金入りのにせもの」ということになるのだが、私は慶應大学に行って「慶應という大学は最低でも高校から行くのでなかったら行く必要のない大学だ」という印象を受けた・・のだが、ところが、何年か前「週刊現代」で「慶應幼稚舎」の特集号が出ていて、そこで「幼稚舎から慶應」の人が逆に「慶應は大学だけ行けばいい学校だ。小学校から高校までは行く必要のない学校だ」と述べていたのを見たので、そう感じる人もいるらしいと知った・・が、そういうことを感じる人というのは、慶應の内部進学でも内部進学のいやらしさというものを認識できている人で、そういう人は「(慶應義塾の)外部の者」と内部進学の人が呼ぶところの「大学だけ慶應に行った者」とでもつきあっていくことができる方の人かもしれない。私などは同じ高校の出身者とか同じ中学校の出身者とかに、その点でいくらか親しみを感じることもあるが、だからといって何でも賛成・同意するわけでもないし、まったく別の学校の出身の人でも交わることはできる。又、結婚相手として考える場合でも、別にどこの学校の出身の人がいいとか悪いというものはなく、いい人がいいと考えていたが、それに対して、慶應の内部進学の人間はそうではない。彼らは「内部⇔外部」という思考が常に頭の中にあり、決してその思考から離れることはない。慶應の内部進学の男というのは「お嬢様」とかいうのが好きで、かつ、どういうのを「お嬢様」と認定するかというと、その女子大に行ったら「お嬢様」と指定されている私立女子大があるらしいのだ。アホちゃうか・・と私などは思ったのだが、公立高校出身者はアホちゃうか・・と感じる者が多いのだが、そういう思考の人間というのは「お嬢様」およびその裏返しとしての「慶應ボーイ」とは対極にある人間であり、「慶應らしくない」と罵られることになる。なんか、この学校に行ったらビョーキ移りそうでいやだな・・と思ったものだっがが、そのビョーキの精神構造のことを「慶應心理学」は「独立自尊の精神を持っている」とか「自我が確立されている」とか「福沢精神がある」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「アイデンティティーを持っている」とか「スマート」とかなんとかかんとか「診断」するのだが、要するに「内部進学独善主義」のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とかなんとかかんとか「診断」しているだけであって、それって逆と違うのか・・とか思っても、もともと「慶應心理学」というのは「慶應内部進学心理学」であるから、逆らっても勝ち目はない。だから、そういう《「もはや、我生くるにあらず、塾風我が内にて生くるあり」みたいな状態の人・「自我を失った状態の人」・「私たちの学年て、よくまとまってるよね」と「まとまってる」のを喜ぶ人・「何かとまとまったりまとめられたりするのを好む人」》というのか「微妙に別の顔をしていても頭の中身はどいつもこいつも『塾風』であって、『塾風』を取り去れば何もない人」、《「慶應心理学」の「診断」によると「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」という人》の中に入ってその状態に快感を覚えるようになったなら、おそらく、その人たちに精神構造が近づいたということではないか、むしろ、そういう人たちの集団の中にいると違和感を覚えたり、不快感を感じたり、さらに嫌悪感を覚えたりするならば、それは「慶應心理学」からは「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」とか「独立自尊の精神がないからそういうことを言うのです」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「思考の堅さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病ということですね」とか何とかかんとかわんわんわんわん「診断」されることになるので、うかつに「慶應心理学」に関わらない・近づかない方が身のためだが、そういう「自我が確立されている」のか「自我が確立されていない」のか、「独立自尊の精神がある」のか「独立自尊の精神がない」のか、そのどっちかだ。どっちにしても、慶應義塾高校の野球部がグランドで野球やっとる時にスタンドに行ってその集団に入るか入らないかは別に強制ではないのだから、それを居心地がいいと思う人はその集団に入ればいいが、居心地の悪さを感じる人間は無理にその集団に入れないといけないという義務まではないから無理に入らなくてもよい。どっちが「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」でどっちが「自我が確立されていない」「独立自尊の精神がない」なのか、自分自身で考える姿勢というものを失う・・という点に慶應の内部進学の学校に行った人の特徴があるが、中に「幼稚舎から慶應」の人でも、そういった点に気づいているような人もいるらしい。うちの父親は「わしは慶應やねんぞお」と常々言っているだけあって、小学校・中学校・高校・大学・大学院のどれも慶應には行っていないが「人格が慶應」のお方だけあって私とは逆で、「塾風団結主義」に快感を覚える方のタイプの人間のようだった。「多様性の中から調和を見出していく」と「団結主義」とは相容れないものだが、「団結主義」の人・「慶應タイプの『自我が確立されている』人」はそのあたりを死ぬまで理解できない。
しかし、こういう「ストレス解消法」を教えても教えてもやらず、「イライラっとしたからかけたってん」と四六時中、電話攻撃してくる人というのは、それをやらずにおれない症候群だったみたいだ
「ラッコラッコしてきた、ラッコラッコしてきた、イライラいらいらイライラしてきた、してきた、してきた、してきた、してきた」と四六時中電話してくるおっさんを「いいお父さんじゃないのお。あんなにいいお父さんがいたら私だったらものすごくうれしいわよお。私は父親がいなかったんだからねえ。私は両親が離婚したんだからねえ」と言いまくるバカ女症候群。自分は「イライラっとしたからかけたんねん」という電話は1本として引き受けずに勝手なことばっかり言いやがってからに、親方日の丸のええ仕事につかせてもらってからに、あの女は、まったく、ブスのくせしてとことんズッコイやつだった。
2015年、東武亀戸線「曳舟」と「小村井」の間くらいの所で、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://freedom.co.jp/ が設計をしたお宅のアフターサービスに行ったことがある。3階建てで屋上をFRP防水にしていて、2階・3階にもFRP防水のバルコニーを取りつけた家だった。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「設計士(さま)」と自称するできそこないの「設計兼営業」が設計する会社だ。「できそこないの」と言われると怒る者がいるかもしれないが、「実際、できそこないじゃねえかよお」てものだ。ひとつには「設計事務所」を名乗ると、「業者さん」が従業員に対して「先生」と呼ぶので、それで「その気になってしまう」人がいて、単に「バカでも入れる私大の建築学科」卒だというだけ・「入試なんか最初からない建築専門学校卒」だというだけのにーちゃん・ねーちゃんが「先生さま」になったみたいに思ってしまう傾向があり、なおかつ、設計事務所の経営者というのは自分もその類であることから、私などは「そういうのは良くないなあ」と思うところのそういう状態を肯定しようとするところがある、というものがあった。
(株)一条工務店 は「間違いのない家づくり」というのを「売り」にしていたが、それなら「間違いのない家」を作っているかというと、そうでもないだろう・・・というものもあった。1993年5月に、浜松の「研修」で講師役で来た名古屋南営業所の所長らしい近藤路夫が私に「入社して一番最初に一条工務店の構造の段階の建物をぱっと見てどう思った?」ときくので、「『これなら悪くないのではないか』と思いました」と言ったところ、近藤路夫は怒りだして「『これなら悪くないのではないか』とは何だあ! 『この上もなくすばらしい』と、どうして言えんのだあ」と叫びだしたのだったが、なんか、危なそうな人だな・・・と思った。「一番最初に一条工務店の構造の段階の建物をぱっと見て」と近藤路夫が言うから、だから「これなら悪くないのではないかと思った」と言ったのであり、「この上もなくすばらしい」かどうかとなると、それは「一番最初に一条工務店の構造の段階の建物をぱっと見て」で判断できるものではなく、もっとじっくりと見て吟味しないと言えないことではないか。「それで、今は『この上もなくすばらしい』と思っているのか?」と近藤路夫が言うので、「いや、そうは思えません」と答えると、「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と怒りだしたのだった。「どうして、『この上もなくすばらしい』と言えんのだあ」と近藤路夫は言うのだったが、そんなこと言われても、現実に(株)一条工務店の工事現場を見てまわると、施工ミスや問題点がいっぱい見つかったのであり、(株)一条工務店が住宅展示場に置いている「構造」についてのアルバム帳に写真入りで記載されている「施工ミス」に該当するもの、たとえば、下に基礎がない土台の上に柱が載っているとか、換気扇の穴の所で筋交いを切断しているとか、そういうのは同業他社の工事現場ではなかなか見ることができず、(株)一条工務店の工事現場で見ることができたのだった。なおかつ、小堀住研(株)では新卒社員向け研修の際に「もしも、小堀住研の工事現場を見に行って、施工ミスなどあった場合には、できるだけ早く、工事課に伝えること」と教えられ、そして、小堀住研(株)の工事課は伝えると喜んでくれたもので、又、すでに知っている場合には「あれは、引き渡しまでに・・・として処理しますから心配要りません」と教えてくれたものだったが、ところが(株)一条工務店の場合はそうではなくて、たとえば、神奈川県川崎市多摩区の(株)一条工務店の工事現場で、下に基礎がない土台の上に柱が立っているところがあり、又、床下換気口の真上に柱が立っていた。(株)一条工務店のその頃の工事現場では床下にタバコの吸い殻がいっぱい転がっているのが普通だった。それらを工事担当〔小堀住研(株)では「工事課」と言っていたが、(株)一条工務店では「工務課」と言っていた〕に話すと、東京事務所の工務課の主任の高須は「それがどうしたんですか」と、そう言ったのだった。はあ? 「もう、知ってたのですか」と私は言ったのだ。すでに知っていたことなので、それでうるさがって「それがどうしたんですか」と高須は言ったのかと思ったのだった・・が、違ったみたいだった。「いや、知りませんけれども、それがどうしたんですか」と言うのだ。言っている意味がよくわからなかったが、後から考えてみると、私の方は工事課・工務課といったところに勤務している従業員というのは、たとえ「バカでも入れる私大」であっても建築学科か土木学科を卒業した人で、営業やっている人間よりも工事について、建物の構造についてよく知っている・よくわかっている人なのだろうと思い込んでいたので、それで、下に基礎がない土台の上に柱が立っているとか、基礎で床下換気口があいている所の真上の土台の上に柱が載っているとか、そういうのは「施工ミス」もしくは「設計ミス」だと気づくのは当然のことだと思い込んでいたのだったが、高須にとっては「それがどうしたんですか」というものだったようだ。又、松戸市の(株)一条工務店柏が施工していた工事現場を見ると、(株)一条工務店が「間違いのない家づくり」のアルバム帳に「施工ミス」ですとして写真を掲載していた、換気扇の穴の所で筋交いを完全に切断している( 一一) というところがあったのだが、「あれは困ったものですねえ」と展示場の事務所で話すと「おまえは口きくな」とか「エスバイエルに行け、おまえは」と営業本部長の天野隆夫から怒られるのだった。なぜ、他社の工事現場では換気扇の穴の所で筋交いを切断することは少なく、(株)一条工務店とその共同出資会社の工事現場では換気扇の穴で筋交いを切断することが多かったかというと、原因として考えられるものとして、「(株)一条工務店の設計担当は、立面図を考えずに平面図を書いている」という点がある。図面というものは、基本的には「平面図と立面図」「平面図と展開図」を同時に書いて作成するものだ。もしくは、平面図だけ書くにしても頭の中では立面図もしくは展開図を想定しながら平面図を書くものだ。そうしておれば、この間取りであると筋交いはこの位置にきて換気扇の穴はこの位置にくるからその2つがぶつかるのではないか・・とか図面を作成している時に気づくものであるが、それを平面図だけで書くから、だから、筋交いと換気扇の穴がぶつかるのだ。なおかつ、大工が換気扇の穴を設けようと考えた時に簡単に筋交いを切断してしまうというのも問題だ。切断する前に工事担当・営業担当・設計担当に連絡をしてどうしたものか協議するべきだ。結論としては
(1)その工事現場の営業担当はお施主様の所に行って頭を下げて「申し訳ございませんが、私どもの不注意で、筋交いと換気扇の穴がぶつかってしまいました。換気扇の穴をあけるために筋交いを切断してしまうと、その部分で耐力壁がないことになってしまいます。これは避けたいことですので、避けるために、この部分の換気扇を当初、予定していたプロペラファンのものではなく、シロッコファンのものに変更したいと思うのですが、誠に申し訳ございませんが、プロペラファンの換気扇よりもシロッコファンの換気扇のものの方が値段が高いのですが差額を出していただくようお願いできませんでしょうか」と話すべきです。シロッコファンの換気扇を取りつけることで、それで換気扇の穴のところで筋交いを切断するのを防ぐことができると思う。それを営業担当・工事担当・設計担当に連絡することもなく、当たり前みたいに筋交いを平気で切断している大工は問題があるし、又、大工がそういうことをやっていることについて何とも思っていない工務課の工事担当・工務課の責任者には問題があるし、当然、営業担当も設計担当も問題がある。
(2)もうひとつの方法としては、筋交いの場合は切断してしまうと何の意味もないことになるが、合板もしくはOSBの場合は「換気扇の穴程度のもの」は開けても耐力壁として指定されている壁倍率は発揮されると考えてよい、とされているのです。これは構造計算をおこなう場合に、指定されている壁倍率を発揮できるということにして計算してよいとされているということですが、実際には換気扇の穴でも、電気のコードを通す穴でも、水道管・ガス管を通すための穴でも、穴が開いている場合と開いていない場合ならば、開いていない場合の方が強く、開いている場合は開いていない場合よりいくらか弱いでしょうけれども、筋交いを切断した時とは違って、「換気扇の穴ていどのもの」を空けても耐力壁としてまったく役に立たなくなるわけではないのです。だから、プロペラファンの換気扇を取り付けるのならば、キッチンの場合は普通、壁の下地には「防水石膏ボード」をとりつけて、その上にタイルを貼るか、あるいはキッチンボートといったもの、あるいはタカラスタンダードのほうろう板とかを貼るかすると思いますが、石膏ボードを貼る前に、合板もしくはOSBを貼って耐力壁として、その上に石膏ボードを貼るという施工をすれば、筋交いは切断して役に立たなくなっても、合板もしくはOSBを耐力壁とすることができるでしょう。この場合、わずかといえども合板もしくはOSBの厚みの分だけ部屋が狭くなるので、これは営業担当者からお施主様にきっちりと説明をして了解を得るようにするべきでしょう。私が担当なら説明をして進めますが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫とかなら「そんなもん、黙ってやってしまえばいいら」とか言う可能性が高そうです。合板もしくはOSBの費用を出してもらうようお願いしてもいいですが、それほど高額でもないので、建築会社の方が筋交いと換気扇の穴がぶつかることに気づいていなかったという点にミスがあったのですから、合板もしくはOSBの費用は建築会社で負担するということも、ありかと思います・・が、そうしてしまうと(株)一条工務店みたいな会社は「それなら、入れなきゃいいら」とその合板もしくはOSBを入れたということにして入れない可能性が考えられますから、それを考えると施主の立場からすれば、たいした金額ではないと思われるので見積もりにきっちりと記載してもらった方がいいように思います。
もうひとつ、筋交いでも合板やOSBでも耐力壁として壁倍率は認められているのですが、筋交いは「線」で合板やOSBは「面」であり、どちらも耐力壁として役立つとしても、「線」のものと「面」のものとでは力の伝わり方が違う可能性が考えられ、それを考えるならば、ほかの部分の耐力壁が「線」の筋交いであるならば、換気扇の穴と筋交いがぶつかることになった場合は、その場所だけ「面」の合板やOSBを入れるよりも、「線」の筋交いを生かして換気扇の方をシロッコファンに変更するという方がいいということはないか、と思います。
(1)の方法にしろ、(2)の方法にしろ、そうやって対処する方法はあったはずですが、松戸市の(株)一条工務店柏 の建築現場ではそういった対処をすることなく、平気で換気扇の穴の所で筋交いを切断していたのです。
そういうものを私は見てきたので、だから、何も悪いものばっかりということではないが、問題点も見ているので、だから、「なんで、一条工務店の建物はこの上もなくすばらしいと言えんのだあ」と怒鳴りつけられても、そんなこと言うなら「この上もなくすばらしい」施工にしてもらえないものか・・と思ったものだった。
そうすると、近藤路夫はこう言ったのだ。⇒「だから、他社の工事現場に行ったなら、悪いところばっかり見る。一条工務店の工事現場に行ったなら、いいところばっかり見る。いいところばっかり見せる。もしも、一条工務店の工事現場に行って問題点があったなら、それは、なかったことにする。このように見ないといけない。このように見れば、そうすれば一条工務店の建物というのは『この上もなくすばらしい』ということになるんだ。どうだ、わかったかあ」とおっしゃるのだった( 一一)
そんな見方をしたならば、どこの建物でも「この上もなくすばらしい」ということになってしまうし、そもそも、それでは(株)一条工務店の建物というのはちっとも「この上もなくすばらしい」ことないということではないか。結局、近藤路夫は(株)一条工務店の建物はどういうところがいいのか、近藤路夫がわかっていなかったのだ。それで、よく売れたなあ・・と思うが、売れる場所にばっかり配属してもらっていたみたいだった( 一一) これは、この後、(株)一条工務店の比較的経験がある営業と話したものだが、(株)一条工務店の建物というのは「この上もなくすばらしい」とか「絶対的にいい」とか「問題点はまったくない」とか言ってしまうと、見込み客にでも契約客にでもそういうことを言ってしまうと、「この上もなくすばらしいか?」「絶対的にいいか?」「問題点はまったくないか?」という目で見られると問題点が見えてきてしまう建物であり、そういう言い方(近藤路夫みたいな言い方)をしてはだめなんだ、というのだ。そうではなくて、「悪くないよ」というくらいの言い方をして、「悪くないか?」という見方をすると、「悪くない」みたいに見えてくる建物なのだ。そうなのだよ。まず、在来木造というのはそんなにきちきちとした構法ではなくて、木という素材もそんなにきちきちとした素材ではなく、問題点を探し回ったらないわけではないとしても、結果として・全体として「悪くない」というものにもっていくというそういうものなのだ。だから、「全く問題がない」とか「この上もなくすばらしい」とか(近藤路夫が言うようなことは)言ってはいけないのだ。(株)一条工務店は自分自身がわかってない男に「研修」の講師役をさせていた。あのような「研修」は害がある。
そんなもので、(株)一条工務店の建物というのは問題点はなかったかというと、あったのだが、悪いところばっかりかというとそうでもなかったのだ。そういう物を「悪くない」というように解釈してもらって契約して建ててもらい住んでもらい、「悪くなかったかな」と思ってもらう・・というのが営業の職種の人間の仕事だった。近藤路夫の言うことなんかきいていてはだめなんだよ。
それで、だ。フリーダムアーキテクツデザイン(株)はどうかというと、「設計事務所」を名乗っていて、「世界でただひとつの家」とホームページに入れているのはいいが、普通ならそこに柱を入れるだろという所から柱を抜くとおもしろい・・とかそういうことを考えるヤカラが「設計士(さま)」を名乗って専門家ぶっているが、そんなの「おもしろい」か? 私はおもしろくないと思うのだ。建築というものは、構造と機能を考えて、その両方を満たした上で、なおかつデザインもまた優れたものを実現し、経済性も悪くないものにしてこそ「建築」だと思うのだ。構造上、普通ならそこに柱を入れるだろという所からわざわざ柱を抜いて「世界でただひとつの家」などと言われても、「そんなアホなことする人、あんまりないでえ」という「世界でただひとつの家」なんて、私はいいとは思わない・・・が、世の中にはそういうのが好きな人もいるらしいので「蓼食う虫も好き好き」というのをいかんと言うわけにもいかないのだろう・・が、万一、うちの隣に建てて地震の時に倒れ掛かってくるのはやめてほしいと希望する。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)にいた時、同社の「設計兼営業」が(株)一条工務店と競合になって「一条はまだ図面が出ないんだ。なんでだろうな」と首をかしげていた男がいたが、私はその理由を知っている。どこの会社も自分の所と同じやり方で進めていると勝手に信じている若造に、それは違うよ・・と教えてあげようかなとも思ったが、「設計士(さま)」とか自分を思っているやつというのは教えてあげてもきかないし、そもそも、自分を「設計士(さま)の先生様」だと思っている「バカでも入れる私大の建築学科」卒のやつとか「入試なんか最初からない建築専門学校卒」の若造とかは自分を「先生様」だと考えていて「先生様がなんで人の意見をきかなきゃならんのだ」とか思っているので、そんな人に教えてあげようとしても、無駄。 元中日ドラゴンズ・西武ライオンズ・阪神タイガースの田尾がYouTube 「田尾チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E5%B0%BE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB で西武にいた時、清原が入団してきて高卒1年目でありながらものすごい成績をあげたが、「そうなると、もう先輩選手の言うことなんか、ききませんね」と話していたが、なんだか「バカでも入れる私大の建築学科」卒のやつとか「入試なんか元から内建築専門学校卒」のやつとかみたいやな・・と思った。だいたい、日本の「建築専門学校」というのは全部、ぶっつぶした方が社会のためではないかと私は思っている。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)のいいところとしては「設計事務所」を名乗っていて、「世界でただひとつの家」を名乗っている会社なので、それだけに、細かいことでも独自のことでも、どこまでも嫌がらずにつきあうという点かと思う。(株)一条工務店みたいに、この部分は「オリジナル」のものを使うとか決まってないし、「間違いのない家づくり」と言う(株)一条工務店はその結果として「面白味のない家づくり」になりかねないところもあるのだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)なんぞはそういうことはない。しかし、アホが設計やってるから、「わざわざ、つまづきやすい段差を作ってみたら面白い」とか「必要のないクランクを廊下に作ったら面白い」とかそういう奇妙なことをやりたがる。『C級サラリーマン講座』に二階堂課長が好きなゲテモノの店というのがあって、「まずい。こんなまずいもの、食ったことねえ」とかいう店をおもしろがって入ったりするが、それと似ている。「世界でただひとつの家」というのは「世界でこれほど住みやすい・かつ、安全な構造で・デザインもよく経済性も優れている」という家ならいいのだが、「なんで、わざわざ、こんな使いにくい家にするの?」「なんで、わざわざ、構造上、問題が発生する可能性があることやるの?」というのを「世界でただ一つの家」としてやりたがるのだが、それは「設計力がある」のではなく「設計力がない」のであり、「独創性がある」のではなく「独創性がない」からそんなことするということのはずだが、そのあたりを理解できない人間がこの会社には多い。要するに未熟な人間が多いのだ。だから、(株)一条工務店も「この上もなくすばらしい」かというとそんなことない、問題点はいっぱいあるのだけれども、フリーダムアーキテクツデザイン(株)と比べると、「まだまし」な部分もある・・というより、構造・安全の基準については、比べる相手のレベルが低いからなのだが「ずっとまし」なところがある。
施工方法について、「このやり方でないとだめ」とか「このやり方はだめ」とか戸建住宅建築業の会社で言っているものは、それぞれの会社で異なる。バルコニーとベランダはどう違うか・・といっても、これは日本では人によって使い方が違い、戸建住宅建築業の会社によって使い方が違い、同じ意味で使う人もある。それで、下の階の上に載っているものをバルコニーと言い、アルミでできた足のついたやつをベランダと言う場合もあるが、それは会社によって異なる。
それで、小堀住研(株)ではバルコニーは下階の上に載せるものの場合はFRP防水によるものでないとだめ、ほかの防水方法はだめで、そうでなかったらアルミ製の足のついたベランダか、壁面にぶら下がる金属製のものかとしていた。(株)一条工務店では私が入社した1992年においては「(FRP防水ではなく)防水シートでシート防水をして下階から1尺5寸(455mm)必ず外に出して、外に出た所を雨水が流れるようにしないとだめ」と言っていたのだ。私は元々は建築学科卒とかではないので、小堀住研(株)ではFRP防水でないとだめと言われて、(株)一条工務店ではそうではなくてシート防水で人工芝で防水シートを保護しバルコニーを455mm下階の外壁ラインから外に出さないとだめと言われると、どっちの言うことが正しいのかわからないのだった。ところが、小堀住研(株)では最初に言われたのが「カタログを見たり、展示場を見たりして、意味がよくわからないものとかあったなら、すぐに課長か先輩社員か専門の部署に尋ねるか、もしくは自分で調べるかして、お客様から質問を受ける前に理解しておいて、お客様から質問されたら必ず答えられるようにしておく」と教えられたのだったが、私は会社によって異なるものもあれば、たいていの会社において共通するものもあると考えていて、これは小堀住研(株)においてだけではなく、(株)一条工務店においても共通してあてはまることであろうと思い、同社のカタログを見たり展示場の建物を見たり建築中の工事現場を見て、これはどういうことだろうかと思ったものは質問するようにしたのだったが、ところが(株)一条工務店では特に営業本部長の天野隆夫は東京営業所長・松戸営業所長を兼任していたので、来所した時に質問したことがあったのだが、質問するとたいてい「エスバイエルに行け、おまえはあ」と言われるのだった。どういう意味なのだろうか・・と意味がよくわからなかったのだが、お客さんから同じ質問をされたら「エスバイエルに行け、おまえはあ」と言えということなのだろうか。どうも、(株)一条工務店という会社は「質問するとよくない会社」だったようで、特に営業本部長の天野隆夫は質問されると自分が答えられないので、それで「エスバイエルに行け」と言うらしかった。だから、小堀住研(株)では「カタログを見たり、展示場を見たりして、意味がよくわからないものとかあったなら、すぐに課長か先輩社員か専門の部署に尋ねるか、もしくは自分で調べるかして、お客様から質問を受ける前に理解しておいて、お客様から質問されたら必ず答えられるようにしておく」という姿勢でよかったが、(株)一条工務店は「質問するとよくない会社」だということを認識しないとだめだったようだ。バルコニーの防水にしても、FRP防水とシート防水はどっちがいいのか・・なんて私はわからなかったので、質問すると答えてもらえるだろうと思って質問したのだが、(株)一条工務店はそういうことを言うと「エスバイエルに行け」と言われる会社だった。そのうち、(株)一条工務店もバルコニーの防水はシート防水ではなくFRP防水の方法をとるようになった。他の会社では、2010年、千葉市中央区の新華ハウジング(有)にいたS井さんが前にいた広島建設ではバルコニーの排水は下から取らないとだめで横からとってはだめと言っていたらしい。ところが、どうも、そういうあたりを「どうでもいい」みたいにしていたのがフリーダムアーキテクツデザイン(株)だった。「設計士(さま)」を名乗り「先生」を名乗る「バカでも入れる私大の建築学科」卒の若造は、「設計士(さま)」を名乗り「先生」を名乗るのならば、そう名乗らない者よりもそのあたりはきっちりと考えて施工法を決めればよさそうなものだったが、そうではなかった。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」というのは、何を構造の安全基準とするかというと建築基準法で、建築基準法を満たしている限り、「これはいけない」とかいうことは「絶対に行ってはいけない」とアフター課の山本大輔(男。当時、20代前半)が言っていたが、そんなもので、この会社では構造の基準がものすごく甘かったのだ。建築構造の教科書のようなものに、こういう施工はいけませんと書かれているようなものでも、「そういうことは絶対に言ってはいけませんからねえ」と山本大輔は主張し、無茶苦茶危険側の施工をやりたがるのだった。「いくらなんでも、普通、こんなことせんだろう」ということをフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計士(さま)」は次々やっていた。
それで、屋上の施工についてだが、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) も(株)一条工務店も「FRP防水による屋上の施工は不可」としていたのだったが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)はFRP防水の方法で屋上の施工をしていたのだった。大丈夫かいやあ・・と思いそうだが、はっきりと「施工ミス」とか「設計ミス」とか言う性質のものではない。これは安全基準を厳しめに考えるか甘めに考えるかの問題である。(株)一条工務店では「FRP防水で屋上を施工すると、必ず・すぐに雨漏れします」と先輩社員から教えられたが、それは嘘だ。「必ず・すぐに」は雨漏れしない。なぜかというと、この墨田区でフリーダムアーキテクツデザイン(株)で3階建てを建てて3階の上に屋上をFRP防水にして建てられた方のお宅に「1年点検」に私は行って見せてもらったが、入居1年後において、FRP防水の屋上は別に雨漏れしていなかったからだ。だから、(株)一条工務店の古手の従業員で「FRP防水で屋上を作ったら、必ず・即座に雨漏れする」と言いまくる人がいるが、「必ず・即座に」というのは嘘であって、そういう嘘はつかない方がいいと思うが、つきたがる人間シンドロームの人が(株)一条工務店には多かった。そういう人はきっちりとした論拠など特に調べたわけでもなく、「言い切ってしまえば、お客さんは納得する」という思想から「言い切る」ということをしていただけだったのだ。
しかし。実際問題として、屋上をFRP防水で加工した建物というものは、「ある」。小堀住研(株)はFRP防水による屋上施工は禁止と言っていたが、それは「社内ルール」であって日本国の法律で禁止されていたわけではない。(株)一条工務店でもFRP防水による屋上施工は禁止と言っていたが、これも「社内ルール」であって日本国の法律で禁止されていたわけではない。フリーダムアーキテクツデザイン(株)はFRP防水による屋上施工を、何ら問題とせず設計して、施工会社に依頼してFRP防水による屋上施工をおこなっていた。そして、(株)一条工務店の「オリジナル」従業員は「FRPで屋上の施工をしますと、間違いなく絶対にすぐに雨漏れおこします」と言っていたが、「すぐに」雨漏れ起こすというのは嘘だ。なぜなら、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が施工した墨田区の3階建てのお宅はFRP防水で屋上を施工していたが、入居後1年経っても雨漏れは起こしていなかったし、目視でも屋上のFRP防水の部分に問題は発生していなかった。しかし、問題は1年で雨漏れを起こすかどうかではないはずだ。(株)一条工務店の「オリジナル」営業が嘘を言うのは毎度のことであり、「すぐに」雨漏れ起こすわけではないものを「すぐに」絶対に雨漏れしますとかそういう問題について自分でよく調べたわけでもないのに、「言いきったら」お客さんは信じるという「営業力」から「言い切る」という人がいるのだが、そういうのはいかがなものか・・と思う。
それで、1年程度で「必ず」雨漏れを起こすということではない。(株)一条工務店のアホ「オリジナル」営業の言うことなんか信じる方がアホである。しかし、それなら、小堀住研(株)がFRP防水による屋上施工は禁止としていた、(株)一条工務店もFRP防水による屋上施工は禁止としていたというのは、それは荒唐無稽な判断だったのか・・というと、そういうことではないはずなのだ。どこだっけ、ステンレス鋼など金属防水による屋上施工をやっていた会社の人間が言うにはFRP防水でのバルコニー施工は何年か経ったらFRP防水をやりなおさないといけないが、金属防水の場合は半永久的なもので防水をやりなおす必要はないということだったが、それとともに、その会社でもFRP防水による屋上施工は推奨できないが、金属防水なら問題はない。金属防水であれば、費用はFRP防水の約3倍かかるが、その後、入居後にFRP防水のように塗装をやり直す必要はないので、長い目で見るならばそう高いわけではない。又、ステンレス鋼などによる金属防水の場合は、その上に少し土を入れて、そこで草花を栽培したり、それほど根を張らないそれのど高くならない木なら植えることも可能だがFRP防水の場合はそれは禁止・・ということだ。一般にフリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」というのか、たとえ「さま」までつけず「設計士」でも、よく自分で「設計士」などと言うものだと思う。フリーダムアーキテクツデザイン(株)のそれらの者の職種は「設計 兼 営業」のはずで、「設計 兼 営業」から「兼 営業」を取り除いて、「設計」に勝手に「士」をつけて呼ぶというあたりからして、意識がそんな意識だと言えるのだ。客・施主の側で少々おだてれば気をよくして働くだろうと思って「設計士さん」とか言う人がいるが、そもそも、日本には一級建築士・二級建築士・木造建築士・一級建築施工管理技士・二級建築施工管理技士といった国家資格はあっても「設計士」などという国家資格は存在しないし、フリーダムアーキテクツデザイン(株)でも「設計士」とは会社としては言っていないにもかかわらず、自分で勝手に「設計士」などと名乗りたがる症候群( 一一) というあたりからして人間的に程度が低いことが示されている。又、「設計 兼 営業」の仕事でありながら「兼 営業」の方を切り落とすというあたりは、営業の仕事がどれだけ大事かということが理解できていない。
もしも、私がフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」だったならば、屋上施工がふさわしいお宅の場合だったならば、FRP防水での屋上施工ではなくて、ステンレス鋼など金属防水による屋上施工を勧める。その方が良心的だ。FRP防水の方が安い・・としても、多くのハウスメーカーが「FRP防水による屋上施工は禁止」としているものを、それを単にひとりの「設計 兼 営業」・「バカでも入れる私大の建築学科」出ただけ、もしくは「入試なんか最初からない建築専門学校卒」が「設計士(さま)」ぶりっこぶりっこ やって、自分は「設計士(さま)」の「先生」なんだから多くのハウスメーカーが禁止だとしてやらないことでも自分がやったら大丈夫です・・みたいな言い方をしてそういう施工をして、それで大丈夫なのか? ・・・というと、おそらく、早いか遅いかの違いはあっても、いずれ、問題は出てくる・・と思う。その時、その「設計士(さま)」ぶりっこの若造は責任とれるのか? ・・というと、契約約款にはそういうものには責任は取りませんと書かれているはずだ。フリーダムアーキテクツデザイン(株)は何かと安全基準が一般的なハウスメーカーよりも甘い。そのあたりを良心的な「設計 兼 営業」ならば認識して、自分が担当のお宅に関しては、そんな甘い基準、要するに問題が出る可能性が大きい基準では設計しないんだという姿勢で取り組むべきだ。墨田区のお宅の「設計 兼 営業」の榎本は「お客さんとの約束に遅刻する」「業者との約束に何時間も連絡なく遅刻する」と悪評判が定着していた男だったが、そういうものに「業者」がかんかんに怒っていても平気な男だった。私も「業者」から、あいつのこと会社に言っておいてと頼まれたが、ひとと約束して連絡もなく何時間も近くするというのはいいことではないし、まったく懲りていないようで私と約束しても榎本は必ず遅刻してきたし、遅刻してきた男が言う文句は「すいません」であるはずだが榎本はそうではなく「どうもお」と毎度言っていた。私は榎本の所属する班の班長にこれはいけないと言おうとして、榎本の所属している班の班長は誰か調べてみたら、榎本の所属する班の班長は榎本だった( 一一) だめだ、こりぁ。 そんな態度だから、だから、「この設計では入居後、問題が出てくるのではないか」というものを無責任に設計して建てさせるに至るのだ。こんなこと言って、もしも、問題が出てきていなかったらどうなんだ? と言われるかもしれない。これは「あること」なんだ。(株)一条工務店で、2001年、栃木県佐野市の営業所にいた時、栃木県南部営業所の所長(役職名は「副所長」)にならせてもらって赴任した木下(男。当時、40代)が「一生懸命やったのに、しょーもない所で契約されてしまって、その後、地震があったりすると、あそこの家、つぶれただろ・・と思って見に行ったらなんともなかったりするんだ」と自嘲気味に話したことがあって、俺が思ったことがあることと同じことをこの人も思ったんだな・・と思ったことがあった。(株)一条工務店と同程度の会社との競合で取られたのなら取られた営業が悪いのかと思うところだが、な~んであんな所になんか頼むんだ・・という所に頼む人というのがいるのだが、それでも、一時は自分の所の会社で自分を営業担当として契約することを検討してくれた人なのだから、その後、地震があったとかいう時に「つぶれてしまえ」とか「ざまあみろ」とか考えるべきものではない、そのようなことを思うのは卑しい人間である・・と思いつつも、俺の言うこときかないでしょーもない所に頼んだからには、地震があったら問題出てるだろ・・なんて思うと、少なくとも外から見たらちっとも問題でてなかったり・・・ということは、これはよく「あること」なのだ。だから、FRP防水による屋上施工は禁止 と小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも言っていて、ほかのハウスメーカーでもそうしている所が多いにもかかわらず、フリーダムアーキテクツデザイン(株)ではそれを平気でやる・・ということは、これは大丈夫か? ・・という気持ちになるのだが、(株)一条工務店の「オリジナル」従業員は「言い切ってしまえば、お客さんは信じますから」と言って「言い切る」ということをする人がいて、そうやって「絶対にすぐに雨漏れ起こしますから」などと「言い切る」人がいるようなのだが、お客さんが信じても信じなくても、実際問題として墨田区のそのお宅は入居後1年では問題は発生していなかったのであり、「一条オリジナル」が「言い切ればお客さんは信じる」というその考え方は、私はいいとは思わない・・けれども、しかし、これは「程度の問題」であり、長い目で見るならば、私が「設計 兼 営業」であるならばFRP防水による屋上施工ではなくて、ステンレス鋼など金属防水による屋上施工の方を勧めますね。最初にかかる金額はFRP防水より高くても、その費用はかけてもらう価値があるはずだと思うからです。
そして、その墨田区のお宅は2階と3階にFRP防水によるバルコニーも設けておられたのだが、「これ、いいんですよ。ここでバーベキューやって楽しんでるんです」と言われたのだ。はあ? バーベキュ~う?
小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも、FRP防水のバルコニーで「これ、バーベキューでもできますねえ」という見込み客・契約客の方があったのですが、どちらの会社でも、そう言われた時に「バーベキューはやめておきましょうよ」と言っていたのです。
しかし、FRP防水のバルコニーでバーベキューはやってはいけないものなのか。だめならば、なぜ、だめなのか? この理由について、私は小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも何人か、自分より古くから在籍しているような人にきいてまわったのですが、誰も適格な返答はしてくれなかったのです。
最近の建物というのは昔の建物と違って住宅の建物でも防火性能が相当良くなってきています。特に、家の外側は、私が子供の頃、1960年代後半、小学校の4年の時に転居するまで住んでいた大阪市東住吉区の家では、我が家はモルタル壁で、東側の隣家もモルタル壁で、北側の向かいの家は鉄筋コンクリート造でしたが、西側の向かいの家は板壁で、ほかにも板壁の家がけっこうありました。板壁の家だと、もしも「燃やしてやる」とか考える人がいたならば燃えやすいのではないかという感じがしました。『がきデカ』で「こまわりくん」が、「かあちゃん」からおつかいに行って来いと言われて、言うことをきかないので思いっきり平手打ちされた、「思いっきり殴りやがったな」と、そして「燃やしてやる」とマッチをすって家に火をつけようという場面があったが、今の家というのは外壁はモルタル壁かサイディング壁が多く、サイディング壁は窯業系サイディングと金属系サイディングがあるが、いずれであっても、マッチで火をつけて近づけたとしても簡単には燃えないと思われます。だから、そのあたりを見ると、簡単に火事は発生しないみたいに思えて、それでいて現実には火事は起こっています。
バルコニーをFRP防水にした場合ですが、外壁については小堀住研(株)では「高品質低価格」タイプの「ハウス55」では窯業系サイディング壁を使っていて、高級住宅志向の「新 桂」の場合は「軽量プレミックスモルタル」という要するにモルタル壁の施工にしていて、(株)一条工務店は窯業系サイディング壁の施工にしていましたが、いずれも防火性能は悪くないはずです。問題はFRPですが、これはどういうものかというと、私は福島県いわき市でだったか栃木県佐野市でだったか、どっちでだったか展示場の来場客から「FRPて何?」と質問されて、「FRPは、英語でファイバー レインフォースト プラスチック(fiber reinforced plastic)の略で、日本語にするとガラス繊維強化プラスチックと言うのですが・・」と話し出すと、「わかんない。全然わかんない」と言われ、それならと「プラスチックの中にガラスの繊維を注入することで強度を増すようにしたもので、湾岸戦争の時にアメリカ合衆国軍が使用したスティルス戦闘機はFRPでできていたと言いますが」というと「まったくわからない」と言われて、しかたなしに(株)一条工務店の展示場の浴室に連れていって、ユニットバスの床を叩いて「これです」と言うと、「なんだ、それか」と言われたので、なんかあほくさいなあ・・と思ったことがありました。スティルス戦闘機の話は何に載っていたかというとネタ元は『ゴルゴ13』だし言っても受けないから一回話しただけで、その後は言わないことにしましたが、こうこうこういうものでと一生懸命説明しても「わからない」と言われて、「これです」とユニットバスで指すと「なんだ、それのことか」とか言われてしまうということは、よくあることでした。でも、スティルス戦闘機に使われているくらいで、又、FRPを筒に使った銃なんてものも『ゴルゴ13』には登場しますから、だから、FRPというのはけっこう強いのではないのか・・という感じがするのですが、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも、「バルコニーでバーベキューなんて、やめた方がいいですよ」と言われて、それでいて、なぜだめなのかという理由については、結局、誰もきっちりとは説明してくれなかったのです。
だから、なぜ、バルコニーでバーベキューをやってはだめなのか、私も理由はよくわからなかったし、建築の本を読んでも、こうだと書いてあるものを見つけることはできなかったのでしたが、他方でフリーダムアーキテクツデザイン(株)では「榎本さんがバーベキューでもできると言われてやってるんですけど、いいですよお」とか入居者から言われると、は? いいのか? 小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも「バルコニーでバーベキューはやめておきましょう」と言っていたのだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)では、いいのか?
図面の仕様書を見ると「防火FRP」と書かれていたのです。「防火FRP」とは「普通のFRP」と違うのか? バーベキューやっても大丈夫なようなFRPなのか?
それで、私がそのお宅の「設計 兼 営業」ではなかったので、その場では曖昧な態度ですませて、フリーダムアーキテクツデザイン(株)に戻ってから「設計 兼 営業」の榎本に「入居者の何何さんがバルコニーでバーベキューやっていると言われたのですが、この『防火FRP』というのは、『普通のFRP』と違って特に防火性能が優れたFRPなのですか?」と言ったのだが、榎本は「普通のFRPですよ」と言うのだった。「大丈夫ですか。バルコニーでバーベキューなんてやって」と私は言ったのだが、榎本もよくわかっていないみたいではっきりと返答しなかったが、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも推奨していないものをフリーダムアーキテクツデザイン(株)では入居者に平気でさせている・・て、大丈夫なのか? 今も疑問に残るのだが、小堀住研(株)および(株)一条工務店で、バルコニーでバーベキューをやることに対して「やめておきましょうよ」とお客さんに言っていた、その理由というのがはっきりとわからないので、今もこの問題について確固たることは言えない。
それはそれとして、私が入居者なら、バルコニーでバーベキューはやらない。なぜかというと、もしも、庭でバーベキュー、もしくはバーベキューではなくて芋煮会でも落ち葉を燃やしてサツマイモを焼くにしても、庭がある程度広い場合限定で、建物からある程度離した場所、かつ隣地境界からもある程度離れた場所でやりませんか。建物のすぐそばで火を燃やしたりしないでしょ。現在の家の外壁はモルタル壁にしても窯業系サイディング壁でも金属系サイディング壁でも、防火性能は相当優れているので板壁の家などと違ってちょっとくらいなら火があたっても燃えない可能性が大きいでしょうけれども、そうであっても、家の外壁のすぐそばで火を燃やしたりはしませんでしょ。やるとすると、ある程度以上、庭が広い家で家の外壁からある程度以上離れた場所で、隣地との境界線からもある程度離れた場所でやるでしょ。
それが、バルコニーとなると出幅が4尺5寸(1364mm)(1mと36センチ4ミリ)のものでも「広い」と感じて、そこでバーベキューやりたい気持ちになるようですが、バルコニーではなくて1階の庭だったら、外壁からその程度の範囲の場所でバーベキューなんて、普通はやらないのと違いますか。なぜか、バルコニーだと「広い」と思えてきてバーベキューやりたくなるみたいですが、そこが1階の庭だったら・・と考えると、1階ならそんな場所ではやらないように思うのです。又、2階や3階のバルコニーでバーベキューなんてやって、火が隣地に飛んだら・・とか考えると、FRPがどうかと別の問題として、やらない方がいいのではないか・・と思えてきます。
FRP防水の床面に火が落ちた場合にどうかという点については、はっきりとどうと書かれたものを私は見つけることができずにおります。だから、あまり断定的なことは言えないのですが、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも「バルコニーでバーベキューはやめておきましょうよ」と言っていたものを、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の榎本はそれを平気でお施主さんにバーベキューをさせている。大丈夫だという論拠があったのかというと、ないと思うのです。よくわかっていないまま、させていたと思うのです。
FRPというと、小堀住研(株)ではバルコニーの防水はFRP防水にしていて、(株)一条工務店では1992年の時点では「シート防水の方法で防水シートの上に人工芝をしいて防水シートを保護して、バルコニーの先を下階の外壁ラインから1尺5寸(455mm)外に出す」ということにしていたものを途中からFRP防水に変更したのでしたが、どちらの会社も屋上施工はFRP防水では不可としていたが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)はFRP防水による屋上施工をやっていて、そして、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも「バルコニーでのバーベキューはやめておきましょうよ」と言っていたものをフリーダムアーキテクツデザイン(株)ではさせていた。どうも、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は安全基準が小堀住研(株)や(株)一条工務店に比べてかなり緩いようだった。
2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」のにーちゃんが3階建ての住宅で(株)一条工務店と競合になっていたけれども、「なんでか、一条はまだ図面が出ないんだ」とか言っていたのを見ました。フリーダムアーキテクツデザイン(株)と(株)一条工務店では、相当タイプが違うはずで、普通、競合になるのは似たタイプの会社が競合になるもので、相当タイプが違う会社がなんで競合になってんの? と思ったのだったが、「在来木造で3階建てを建てる所」という点が共通点だったみたいです。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」の人間というのは自分を「設計士(さま)」とか「設計事務所の先生」とか「バカでも入れる私大の建築学科」卒のにーちゃん、「入試なんか最初からない建築専門学校卒」でたいしてわかってないのに自分は「先生」になったみたいな気持ちでいる人間というのは、自分を「設計士(さま)」で「先生」とか思っていて「営業」と思っていないので、どうすればこちらで契約してもらえるか、ということをあんまり真剣に考えていないみたいだった。もし、私がフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」で(株)一条工務店と競合になっていたら、フリーダムアーキテクツデザイン(株)というのは「設計事務所」ということであり、「世界でただひとつの家」と称している会社であるだけに、細かいこと・独自のことをやりたい人に対して、嫌がらずに対応するという特徴があるわけですから、そこに引っ張り込めば、(株)一条工務店はそのうちついて行けなくなるでしょう。
逆に(株)一条工務店の「営業」だったならば、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のいいかげんな安全基準、無責任な安全基準を指摘して、(株)一条工務店にまったく問題点がないということではなく、名古屋南営業所の近藤路夫が「一条工務店はすべての面にわたって完璧にすばらしい」とか言ったような発言は嘘であって問題点はあるのだけれども、少なくともフリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計した建物に比べたら、安全基準はよっぽどまとも・・だということを噛んで含めるように説明してあげれば、そうすれば(株)一条工務店の方に引っ張れるでしょう。
「どっちかに教えてあげたいなあ」と私はその時に思ったのでしたが、ひとがせっかく好意で教えてあげようとしても、どっちも言うことをききそうにない印象だったので、特に(株)一条工務店だと営業本部長の天野隆夫から「おまえは口きくな」とか言われそうで、「おまえは口きくな」などと言われてまで教えてやらなきゃならない筋合いはない! フリーダムアーキテクツデザイン(株)では「設計士(さま)なんだから」ということでアフター課の阿諏訪(男。当時、40代)とかが「設計士(さま)」のなさることには「下々の者」は何でも言うこときくべきで、決して「設計士(さま)」のなさることに意見を言うようなことはあってはならない・・みたいに思っているようでしたので、そんな「先生さま」らしい未熟な若造にこちらが何年も苦労して勤めてきて身につけたようなことを教えてやることないわなあ・・・と思うようになったのでした。
↑ 東武亀戸線「亀戸」駅と東武亀戸線の電車。 右側の少し高くなった土盛りされた所はJR総武本線「亀戸」駅。
JR総武線・東武亀戸線「亀戸」駅から明治通りを北に行って、「亀戸4丁目」交差点で蔵前橋通りに左折して西に進むと、北側に亀戸天神があります。亀戸天神の北西のあたりのマンションに住まれていた方のお宅に訪問したことがありましたが契約には至りませんでした。その際に、亀戸天神の塀が近くにあるのを見て、けっこう大きな神社のようだけれども・・とそこに亀戸天神があるのを知りました。山本有三『路傍の石』にも亀戸天神は登場します。
東武亀戸線には「亀戸」と「東あずま」の間に「亀戸水神」駅がありますが、亀戸水神と亀戸天神は別です。神社の境内の広さなどは亀戸天神の方がずっと広いのですが、東武亀戸線「亀戸水神」駅から西に200m弱歩いたあたりにあるのは「水神」の方です。亀戸水神は神職は常駐していません。
亀戸に本店があるのに「船橋屋」とはこれいかに・・の「葛餅の船橋屋」の亀戸天神本店は亀戸天神に入る参道の少し西に蔵前橋通りに面してある。 本店ではないが、千葉県船橋市にもJR・東武「船橋」駅近くの東武船橋店とシャポー船橋の中にも船橋屋の売店がある。なかなかおいしい。
※ 元祖くず餅 船橋屋 https://www.funabashiya.co.jp/
(2023.11.7.)
☆ 燈明寺(平井聖天)と平井諏訪神社〔東京都江戸川区平井〕
1.平井駅から蔵前橋通りを横断し、諏訪神社の前を通って燈明寺へ。計画性のないチムニー(株)「ファーストグルメ」平井店。「(一条工務店の某営業のように)郵便物を盗むことは犯罪行為です 小石川警察署・・」。「無責任の体系」のチムニー(株)の面接。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500980727.html
2.門をくぐり正面に聖天堂、右手に金堂。門の内側右に弘法大師像? 左に水子地蔵。「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると考える「子供」帝国主義の女とその夫に殺されたわが子の恨みをはらしていただくよう、水子地蔵様に祈願してきました。反社会的勢力雇用均等室を叩き潰せ! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501018586.html
3.門から入り、左に鐘楼、正面に聖天堂・右に本堂。「裏でなく 正門で入ろう 大学は」。八百長医者屋民族の嘘。この人間がこう言ったら実態はこんな感じかと推測するか、言った通りと推測するか。父親がなかったから父親がいるとどんなに大変か理解できないバカ女症候群。
4.「歓喜堂」「聖天堂」。RC造の1階の上の「歓喜堂」「聖天堂」。聖天堂から見た鐘楼・本堂。大聖歓喜天・ガネーシャとは。冠をつけている方が観音で足を踏まれている方が歓喜天なのか、両方が大聖歓喜天なのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501111583.html
5.不動明王を祀る本堂。不動明王とは。真言宗の新義と古義の経緯とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501141339.html
6.平井諏訪神社。江戸川区一の社殿、区登録有形文化財の稲荷社は彫刻がきれい。平井富士塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501193898.html
7.旧中川にかかる平井橋・荒川放水路で分断された中川・高校教諭は親に苦しむ生徒に助力するものと違うのか・「両親が離婚した」娘はみんなでほめなきゃならんのか・「両親が離婚した」らエライのか・「京大でも通りました」と母親が言ってまわる阪大生には何かしてあげるべきなのか・クロマティ高校卒の男は浪人する権利があるのか・あまりにも「一番」追いかける人は、結局、何がやりたいのか?・おばさんの似顔絵入りウチワと30代の女の「握手しましょ」はどっちが「利益供与」かhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501232436.html
8.同僚を営業本部長に讒言する男とそれをきく営業本部長、会社のルールを破って人の追客中客を強奪して放置する所長とそれに加担する営業本部長、自社が損する嘘をつきまくる営業、「研修」で得意がって嘘教える男、〇日に見積書を持って来てくれと頼んでその日はパジャマで奥にいる人、「下位互換」の会社は立場が弱い、「失投」が来る浜松・掛川・名古屋の営業と「一流投手の会心の球」しか来ない東京・松戸営業所。吾嬬町とは。大正民家園https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501276979.html
9. 墨田区立花の白髭神社。自分が店員に腹立つことがあっても、会社が提携している店と勝手に喧嘩していいものではないであろう。いったん、もめても修復すべく働きかけるのが「営業力」、往復40分歩かせて交通費をけちる会社の判断は間違い。小村井交差点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501343357.html
10.亀戸線「小村井」~「亀戸」駅。自分が勤務する新展示場開設に尽力してくれた相手に「すいません」言わない営業・構造安全基準が甘い設計会社・気持ちが落ち着く方法17〔今回〕
明治通りと丸八通りが合わさる「小村井」交差点から北を見ると、↓
↑ 明治通りと丸八通りが合わさった後、そこから北は明治通りとなりますが、北側の明治通りの右側(東側)に十字架の形をした窓の建物があって、キリスト教系の施設かと思ったのだが、何かわからない。 左上に「小村井」と交差点名が書かれた札が出ている。
↑ この写真の左下に「自転車は歩行者に注意しましょう」と書かれているが、かつては今よりも自動車の数が少なかったので、一般の道を自転車が走るのに特に困難はなかったが、今は自動車が多くなり、車道と歩道がある道では自転車は自動車と同じ車道を走るには自転車は危なく、自動車の運転者からすると自動車より速度が遅い自転車に前を走られるとそれに合わせて走らなければならなくなって苦労するが、歩道を走られると歩行者にとって危険だ。2014年、埼玉県の川口土木建築工業(株)の工事現場で右足の甲を骨折して3か月余り、松葉杖での生活をしたが、その際、近くのコンビニだったかヤマト運輸だったかに行った帰り、歩道を松葉杖をついて進んでいたところ、正面から歩道を自転車で相当の速さで突っ込んでこられて怖かったことがあった。相当広い歩道であれば、空いている所を通ればいいが、歩道といっても狭い歩道で、人が片方に寄ったとして、自転車とすれ違うことがやっとできるような幅しかない所に突っ込んでこられたのだが、松葉杖をついている者は方向を変えるのはそんなに速くできないということを歩道を自転車で走る人は理解してほしいし、もしも、歩道を自転車で走るのならば、せめて、松葉杖をついている人間とすれ違う時くらいは自転車を降りて押すようにしてほしかった・・が、わかる人はこういうことは言わなくてもわかるがわからない人はわからないのかもしれない・・・が、自転車は自動車と違って自分が人にけがさせる側になることはないと思っている人がいるようだが、そうでもないので気をつけてほしい。
( 「東京新聞」2023.9.25.<朝刊> ↑ )
明治通りを南側に見ると、↓
↑ 左上に指が写ってしまったようだが、時にはこれもご愛敬だ。
南下すると、↓
↑ 正面を横切っているのは東武亀戸線。 この踏切のすぐ右が「小村井(おむらい)」駅で、左の方に行くと「東あずま」駅。
この踏切を渡って直進すると、「亀戸4丁目」交差点で蔵前橋通りを通り、さらに直進するとJR総武線「亀戸」駅に至り、総武線の高架をくぐると京葉道路に出る。
総武線のすぐ北、亀戸駅とその西の錦糸町駅の中間のあたりに、かつて城東マイホームセンターという総合住宅展示場があり、1993年1月より、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ はそこに新展示場を開設したが、1992年、工事中には工事の手伝いに行き、日曜日には建築工事中の展示場建物の前に机を出して通りかかる人に話しかけて営業活動をおこなったが、そこは北側にフジコシという福島県に店舗を何店も持つスーパーがなぜか東京都内ではここにだけあって、近所に住んでいる人がマイホームセンターの中を通り抜けてフジコシに買い物に行くことが多く、買い物で通り抜ける人に話をしても、なかなか契約に結びつくことはなく、又、城東マイホームセンターに出展していた三井ホームhttps://www.mitsuihome.co.jp/ のおばさんからは帰りがけに前を通って、浜松出身でもない私に「浜松からこんな所まで来て大変ね。頑張ってね」などと格下の会社の従業員を憐れむみたいな調子で言って帰ったということもあった。そういう「ニュアンス」はわかる。失礼なおばさんだな・・と思ったものだった。「(株)一条工務店の遠州人」「一条オリジナル」どもは東京の営業がそういった苦労をして奮闘しているということなんて、まったく知らない、自分たちの所にだけテレビ公告をドカンと一発♪ やりまくって、東京の営業がそういう苦労をしていることなんてまったく関知しないようだった。
建築工事を手伝いに行くのは、たとえ、職種が営業であっても悪いことではない。いつだったか、ラジオでプロ野球の中継を聞いていたら、ある解説者が「誰だれはどこを守れる とか、守れないとか言うのは、あくまで、プロのレベルの守備ができるかどうかという話であって、プロのレベルでなくていいなら、曲がりなりにもプロの運動選手ですからどこでも守れるんですよ」と話していたが、住宅建築業の会社の従業員でも、自分がついている職種以外の職種についても「プロのレベルでないなら」それなりにできていいはずであり、私などはそう思って従事したが、ところが、住宅建築業の会社に勤めてみると、自分が従事している職種以外の職種については、プロのレベルで見てではなく、しろうとのレベルで見ても、まったくだめという人と出会うことがある。
1980年代終わり、小堀住研(株)で、課長だった某さんが「誰誰は柱と梁の違いもわからずに売ってるような人間だから」と話し、「まあ、柱と梁の違いくらいはわかってるだろうけど」とそれは比喩としての表現だと話してくれたことがあったのだが、実際に「柱と梁の違いもわからずに売ってる」のではないかみたいな人というのが戸建て住宅建築業の会社にはいる。その表現は比喩であってさすがに柱と梁の違いくらいわかるだろうと思っていると必ずしもそうではなくて、1993年、(株)一条工務店 で浜松まで「研修」で行くと、名古屋南営業所の「所長」だという近藤路夫が「住友林業との競合なら、『住友林業はプレカットやってますかあ』『やってませんでしょ』で、それだけで契約とれる。ちょちょいのちょ~い てもんだ」などと発言したのだったが、住友林業(株)はその時点で機械プレカットで加工して建てており、特に千葉県では(株)一条工務店と共同出資会社として(株)一条工務店千葉 という会社を作っていて、(株)一条工務店千葉の親会社である(株)ひらい という材木会社のプレカット工場で加工したものを住友林業(株)は使って建てていた。近藤路夫はそんなことも知らずに契約とっていたのであり、近藤路夫は実際には住友林業(株)は機械プレカットをして建てていたにもかかわらず、「住友林業はプレカットやってますかあ」「やってませんでしょ」などと嘘を言って、それでも「ちょちょいのちょ~い」と契約してもらえるような、それだけ(株)一条工務店が住友林業(株)よりも有利な地域でばかり営業させてもらってきた人間だった。(株)一条工務店という会社はそんな人間ばっかりを本社の「研修」に講師役に来させる会社だった( 一一)
亀戸の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の展示場建物の工事を手伝いに行った時、自分が右手に持つ玄翁(げんのう)で自分の左手の親指を打ってしまったことがあった。一緒に作業をしていた大工さんから「軍手していたでしょう」と言われ、「軍手して玄翁で釘を打つと感覚が鈍くなるから自分の指を打ってしまう」ということを教えてもらった。物を運ぶ作業なら軍手をして運んだ方が怪我しにくいけれども、釘を打つ作業の場合は軍手をして作業をすると指先の感覚が鈍くなるので自分が右手に持つ玄翁で自分の左手の指を打ってしまったりしやすくなるようだ。2010年、千葉市中央区の新華ハウジング(有)にいたカジ〇やS井などはそういった建築現場の作業をした経験がない人間だなあと見ただけでわかったが、意図的に自分の指を玄翁で打つ必要はないけれども、そういった経験はするべきだと思う。 又、最近、女性で建築の仕事につきたがる人が増えてきているが、男性はそういった現場作業もやってみるべきだと経験させられても女性はやらなくていいということにされる場合があり、又、女性はやらなくていいのが当然でしょ・・とか思っている人がいるが、それはいかがなものかと思う。
1998年、福島県いわき市の営業所に1997年に新卒入社した長谷川恭子が設計担当をして、契約客との面談中に「私は、そういうのは感心しないですね」などと契約客に言いだすので、右も左もわかってないおまえが感心するかしないかなんて聞いてないんだよ・・と思い、こいつ、何様だと思っているのだと思って、その場ではお客さんがいるので言わなかったが、打ち合わせが終わった後で、これは指摘しないといけないと思っていたら、展示場の事務所に戻ると、設計部の春田靖(男。東洋大学工学部建築学科卒。当時、20代。入社7年目)が来ていて、私がせっかく言ってあげようと思っても長谷川恭子は春田靖の後ろに隠れてしまい、話すことができなかった。春田靖は私のような良心的な営業が新人の設計にそういったことをきっちりと指摘するのを妨害するために来ていたようだった。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫はそういう春田靖のような男が大好きだった。本来、春田靖のような人間に注意しなければならない立場の人間が、逆にそういう人間を増長させていたのだった。
その後、1999年だったと思うが、栃木県佐野展示場にいた時、浜松の本社から佐野展示場在籍の設計担当あてにファックスで「『お客さまをうならせるトーク』を考えて〇日までに本社にファックスしてください」という「課題」が来ていた。あきれた。(株)一条工務店の浜松の本社の「第一設計部」(「第一設計部」と言うと「第二設計部」とか「第三設計部」とかあるのかあ? と思いそうだが、これは実際より会社を大きく見せようというこの会社がいつもやる毎度ばかばかしいお笑いであり、設計部は「第一設計部」しかない)は何をバカな「課題」を要求しているんだ。まがりなりにも「設計」ならば、考えるべきものは「客をうならせる図面」「客をうならせるプラン」であるはずで、客をあきれさせるヘボ図面・ヘボプランを「設計士」さまぶって「客をうならせるトーク」でごまかす技術を開発させようというのか( 一一) バッカじゃなかろかルンバ♪ てもんだ。設計なら「客をうならせるトーク」ではなく「客をうならせる図面」を考えるべきものだろう。
女性とともに、もう一者、「設計」というものもある。戸建住宅を建てようという人は、「地方」においては「大工さま」の評価が高く、都市圏においては「設計士さま」の評価が高く、ちょっとおだてれば喜んで働くだろと思ってそういう言い方をする人というのもあるのだけれども、大工には自分で自分のことを「大工さん」と「さん」づけで言う人があり、設計の仕事についている人間および、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者および「入試なんか最初からない建築専門学校卒」の人間には、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者と「入試なんか最初からない建築専門学校卒」の者は入社したその日から右も左もわからない者が「設計士さま」と他の職種の従業員やお客さんから読んでもらい、そうやって奉ってもらう権利があるみたいに思っている人間が大変多い。 設計事務所の場合は業者が設計事務所の従業員に対して「先生」と呼んだりするので、それで「勘違い」するやつが出てくるということもある。お客さんには住宅建築業の会社の従業員では「設計」が一番よく知っているだろうと思い込んでいる人がいるが、実はそうでもない。何よりも、春田靖などは建築現場に行くことがあっても、ほかの従業員が重い物を運んでいても「設計はシャープペンシルより重い物は持ってはならない」という戒律を持っていて、春田は常にその戒律を守って絶対に手伝わない。だから、持ってみればそれが重いかどうかもカラダで理解するものを「シャープペンシルより重い物は持ってはならない」という戒律を持っている男はそんなものまったく知らない。「俺は木造にうるせえんだ」とか言うお客さんというのは、そういうことを知らないで「設計士さま」はえらい、「設計士さま」はほかの従業員より何でもよく知っているという妄想を抱いているが、アホとちゃうか・・という気がしてならない。法隆寺宮大工だった西岡常一さんの本には法隆寺宮大工口伝に「体を動かして作業せざる者、建築について語るべからず」というものがあったが、それを語っているのが春田靖など(株)一条工務店の「設計」、法隆寺宮大工口伝でこういうことはやってはいけないということをやっていたのが春田靖など(株)一条工務店の「設計」であり、させていたのが営業本部長の天野隆夫だった。
1992年12月、城東マイホームセンター内の(株)一条工務店の新展示場が完成した時、最後、仕上げに何だったかやらないといけない作業が一つだけ残っていて、そのための物をホームセンターで買ってこないといけないということになったが、亀戸のあたりにはスーパーはあってもホームセンターはなくて、浜松の工事部から来ていた本社の工事部の男性社員と私は二人で私が運転するクルマでホームセンターがないか、江東区内をずいぶんと探して走ったものだった。最後、しかたなく、新木場の「もくもく」(今は「もくもく」はあってもホームセンターの「もくもく」はなくなった)まで行って購入したが、東京営業所の私以外の従業員が帰った後、私だけが本社から来ていた本社の工事部の男性従業員とホームセンターを捜しまわったのだったが、(株)一条工務店の経営者は私がそうやって所長でも店長でも「リーダー」でもないのに会社のためにほかの従業員が帰った後も遅くまで働いていたというようなことは「知ったことじゃない」ようだった。(株)一条工務店という会社はそういう会社だった。どうも、ホームセンターというのは郊外か「地方」かの多いもので、都市部の元から市街地には多くないようだ。『街の達人 東京23区 便利情報地図』(2022年3月2版7刷 昭文社)を見ると、今は、蔵前橋通りを江東新橋という橋で「旧中川」を江戸川区側に渡ってすぐ北側に「ホームズ」というホームセンターがあるようだ。
※ ホームズ 平井店 https://www.shimachu.co.jp/shop/tokyo/308.html
※ ウッドショップ もくもく https://www.mokumoku.co.jp/
新木場の「もくもく」は1990年代初めは「ウッドショップ」であるとともにホームセンターでもあったけれども、今は「ウッドショップ」専業でホームセンターではなくなったみたいだ。
(株)一条工務店 は、1993年1月より江東区亀戸2丁目、JR総武線の線路のすぐ北側、亀戸駅と錦糸町駅の中間付近の城東マイホームセンター に新展示場をオープンした。それまで江東区潮見の展示場を「東京展示場」と言っていたが、亀戸に新しく作った展示場を「東京展示場」と名づけて、潮見の展示場を「東京東展示場」と改名した。 江東区潮見を「東京東」と考える東京人はないだろう。あえて、東西南北のどれかを「東京」につけるなら「東京南」展示場だろう。又、亀戸の城東マイホームセンターは東京の都心より東側で、亀戸は東京の中心部というわけではなく、亀戸に設けた展示場に「東京展示場」と名づけたのでは、「この会社は東京にはここにしか展示場を持たない地方工務店なんだ」と思われてしまう危険があり、むしろ、亀戸の新展示場に「東京東」展示場となづけ、潮見を「東京南」展示場と名づければ、「東京西」「東京北」がなかったとしても、この会社は東京に何か所か展示場を持つ会社なんだと思われることになったのではないか。もしくは亀戸は「東京亀戸」展示場、潮見は「東京潮見」展示場とするか。ネーミングは大事である。1992年に浜松の展示場から本人の希望で潮見の東京展示場に転勤してきた小野田くんが営業本部長の天野隆夫から「潮見はどういう名前にすればいいかなあ」と相談されたと言うので、私が入社した時、天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるんだあと驚いた」と言って喜んでくれたので、そこまで喜んでくれるのならば、東京では無名の会社で、未上場の会社で、その時点では従業員数千人未満の会社で、地方に本社がある会社だったが、そこまで喜んでくれるのなら悪くないかもしれないと思い、そうやって喜んでくれる会社のために貢献したいと思ったものだったが、ところが、営業本部長の天野隆夫はそういう問題を慶應大学商学部卒の私には相談しないで小野田くんなんかに相談するのだった( 一一) なんで、私に相談しないで小野田くんになんか相談するのだろうなあ・・と思ったが、天野隆夫という男はそういう男だった。
又、私は(株)一条工務店に応募する時点で見た求人広告には「勤務地は希望がかないます」と書かれていて、東京圏の営業所は江東区の潮見と神奈川県茅ケ崎市に展示場がある旨が記載されていたので、その時の私の居住地だった大田区上池台からは江東区潮見までは自動車で通うのは厳しいが、茅ケ崎ならば、ほかの自動車で通勤する人とは通勤時の方向が逆で、都心部ではないから都心のような混雑渋滞はないと思われ、なんとか通えるのではないかと考えて応募したが入社すると江東区潮見に勤務してくれと言われた。江東区潮見にクルマで通うのはかなりきつかったが、特にその時点では自動車の運転に慣れていなかったので、それで「リーダー」の宮崎さんに、すでに通勤定期を1か月分のものを購入しているので、1か月は電車で通勤させてもらい、又、その間、定時に帰らせてもらって帰宅後に自宅周辺でクルマの運転の練習をして、入社1か月後くらいから通勤もクルマで通勤するというようにさせてもらえませんかと言ったのだったが、「運転できるかどうかなんかどうでもええ。すぐに運転してくればええよ」と言って、運転能力が未熟な者に大田区上池台から江東区潮見までクルマで通勤させられたが、そのうち、だんだんと慣れてはきたが、クルマの運転に慣れても、それでも大田区上池台から江東区潮見まではクルマで通勤するには遠く、うちの母が東京圏で家を購入するように言い出したが、その際だが、東京圏は土地の値段が高く、潮見にも亀戸にも通える所ということで探すのは困難で、それで10月頃だったか「リーダー」の宮崎さんに「ほかの人間に話していないのに私にだけ教えてくれというのは本来ではないかもしれませんが、潮見と亀戸の両方に通える場所で購入するというのは難しいので、どちらになるかわかればそこに通える所で探せるので、亀戸の展示場がオープンした場合に私は亀戸の勤務になるのか潮見の勤務になるのか、どちらかのか、次長(営業本部長で東京営業所長の天野隆夫)に電話をして尋ねたいと思いますがかまいませんか」と言ったところ、「リーダー」の宮崎さんは「いや、きかなくていい。絶対に亀戸」と言い、「しかし、宮崎さんが決めるわけではありませんでしょ。もし、違ったらせっかく購入した家から通えないということになって困りますから、次長(営業本部長で東京営業所長の天野隆夫)に確認しておきたいと思うのですが」と言ったが、「リーダー」の宮崎さんが「きかなくていい。きかなくても絶対に亀戸だから」と言うので、それで亀戸の展示場にはなんとか通勤できるが潮見には困難な場所である現住居を購入した・・・ところ、1993年1月になったら、亀戸の展示場には服部・橋本薫・土屋の3名だけが勤務することになり、それ以外の潮見の展示場にいた人間はそのまま外壁汚染床鳴り潮見展示場の勤務にされた。「リーダー」の宮崎さんに「宮崎さんが『絶対に亀戸だから次長にきかなくていい』と言われましたよね。どうして、私は潮見の勤務なのですか。潮見の勤務なのに、どうして『絶対に亀戸』と言われたのですか。購入した船橋市の家からは潮見には通えないのですがどうしたらいいですか」と言ったところ、「リーダー」の宮崎さんはどう言ったかというと・・⇒「そんなの、知らねえよお」と、そう言ったのだった。「そんなの、知らねえよお」とは何だ。それが「リーダー」なのか? 「知らない」のなら「きかなくていい。きかなくても絶対に亀戸だから」となぜ言ったのだ? 「知らねえ」ことを「きかなくていい。きかなくても絶対に亀戸だから」などと言っていいのか? (株)一条工務店の「リーダー」というのはそういうものだった。
私は亀戸の展示場の工事に手伝いに行き、自分の右手に持つ玄翁(げんのう)で左手の親指を打ったりもした。工事中の日曜日には工事中展示場の前に机を出して前を通る人に呼びかけ、夕方には三井ホームのおばさんから私は浜松出身でもないのに「浜松からこんな所まで来て大変ねえ。頑張ってね」などと格下の会社の人間に対するようなバカに下ような言い方で言われたりもした。そして、1992年12月の終わりには、新年早々にオープンする展示場を新年すぐにオープンできるように掃除をして、そして、最後、何だったか仕上げに必要なものがあったということで本社の工事部から来ていた人がホームセンターで買いたいと言うので、ホームセンターを捜して私のクルマで一緒に移動して、最後、新木場の「もくもく」で購入して戻って仕上げた。その時は東京営業所の従業員は私以外はすでに帰った後だったが、自分が勤める会社のためにと思って、他の人間が帰った後もひとりだけ遅くまで動き回ったものだった・・・が、結局、そうやって尽くした新展示場に勤務させてもらえなかった。
新展示場の勤務になった服部・橋本薫・土屋のうち、土屋はそれからたいして経たないうちに退職して鉄骨系の同業他社に転職したが、服部・橋本薫のほかには1993年1月から新たに募集して採用した人が配属されて、亀戸の展示場を作るために工事の手伝いにいった東京営業所の私などは配属してもらえずに古い外壁が汚れた床鳴りしまくりの潮見の展示場の配属にされた。亀戸の新しい展示場の配属にしてもらった服部や橋本薫は、私がその展示場をオープンさせるために、服部や橋本薫がすでに帰宅した後も遅くまで本社の工事部から来た人と一緒にクルマを走らせてホームセンターを捜して、最後は新木場の「もくもく」まで行って購入して亀戸に戻って仕上げたこと、そうやったことで服部や橋本薫が勤務させてもらった亀戸の新展示場はオープンできた・・ということについて、まったく理解していないようで、新展示場に勤務させてもらった服部や橋本薫はさっさと先に帰宅した後、その新展示場に勤務させてもらえなかった私が遅くまで努力して動き回って仕上げたと言うことに対して、「ありがとう」も「すいません」も「申し訳ありません」も一言としてなかった。橋本薫は日体大卒だそうだったが、こういう態度のことを「体育会系の礼儀作法」とか「さわやかスポーツマンシップ」とか言うみたいだ。もしくは「スポーツマンだけあって、まっすぐな人間」とか言うみたいだ。
12月の終わり、実際にその新展示場に勤務させてもらうことになる服部や橋本薫がさっさと帰宅した後、最後の仕上げに必要なものをホームセンターで買ってこなければいけないと本社の工事部から来ていた人に言われて、それでその新展示場に勤務させてもらえない私が本社の工事部から来ていた男性社員と一緒に遅くまで動き回って「もくもく」まで行って購入して亀戸まで戻ってなんとか仕上げた・・ということに、服部も橋本薫も「すいませんでした」の一言くらい言ってもバチ当たらんのではないかとも思ったが、服部も橋本薫も「すいませんでした」も「申し訳ありません」も一言として口にしないで、当たり前みたいにきれいな新しい展示場に自分たちだけ勤務していた( 一一) そういう態度を「スポーツマンシップ」とか「まっすぐな性格」とか言うみたいだった( 一一)
野村克也がどこでだったか「母子家庭の息子は精神的にしっかりしている」などと書いていた・・が、そういう人もいるかもしれないが、それはその人がそうなのであって、そうでない人もいるのではないか。野村じいさんはほかにも「捕手は高卒がいい」「4番バッターは右打者の方が向いている」「元捕手は監督に向いている」「裕福な家庭の息子は根性がない。(貧乏育ちの方が根性が座っている)」「母子家庭の息子は精神的にしっかりしている」「最初から一軍で活躍した選手よりも、最初は二軍で苦労した選手の方が指導者になった時に能力を発揮できる」・・等等と言っているが、ぼけっと聞いていると「そうかいなあ」と思いそうだが、落ち着いて考えてみると、要するに、全部自分やんけ・・(笑) 私がアルバイトに行った先にいた人で母子家庭の息子らしい人で、お母さんだけで育てられた人だけに「女性に優しい」という印象の人がいたが、それだって、あくまでも、その人がそうなのであって、そうでない人もいる。坂本勇人とか山川穂高とか、母子家庭の息子なら、もう少し、女性に対して良心的な態度をとれないものか・・と思うが、母子家庭の息子はどうというのではなく、それぞれ、人にもよるのだと思う。橋本薫は母子家庭の息子だったらしいがさすがは野村じいさんが「母子家庭の息子は精神的にしっかりしている」と言っているだけあって「ええ根性しとる」。
江東区潮見の東京営業所の従業員は、1か月くらい前には誰が亀戸の展示場の配属になるか発表されるだろうと思っていたが、いつまでたっても発表させず、結局、1月にオープンされる時になって発表されたが、営業本部長の天野隆夫は、最後の最後まで発表しないことで、実際には新展示場に勤務させてもらえない人間に、そこに勤務させてもらえるものだと思わせて労力を払わせることができる、うまいことやった、それが「営業力」だと思っていたフシがあるのだが、それは違うと思う。むしろ、実際にはそこに勤務させてもらえない人間に対して「自分たちが勤務する所なのだから」と言って開設のために労力を提供させて、その上でそこに勤務させず、労力を払っていない新規採用社員をそこに勤務させるというやり口は、そういう裏切りのような行為は逆に「営業力がない」と評価されるものであろう。
又、江東区潮見の東京営業所に勤務していた従業員のうち、3人だけが新展示場に勤務させてもらえたのだが、亀戸に移ってすぐに退職した土屋は別として、亀戸の新展示場に勤務させてもらったほかの2名、服部と橋本薫の2名、亀戸の新展示場開設に労力を払っておきながら、そこに勤務させてもらえるものだと思っていたにもかかわらず勤務させてもらえず、江東区潮見の外壁汚れまくり床鳴りしまくり展示場にその後も勤務させられることになった同僚に対して「どうも、すいませんでした」の一言くらい言って悪くないはずであり、それを言うのが「営業力」であるはずだが、服部と橋本薫の2名、一言としてそういった発言をしなかった。「殴った方は忘れるが殴られた側は忘れない」とかいう言葉があるが、こういうことは労力払わされただけでそこに勤務させてもらえなかった側の人間は怨念とともにいつまでも覚えているものだ。そこに怨念がいんねん。そこに因縁がおんねん。
↑ 東武亀戸線「小村井(おむらい)」駅。
北向き(「曳舟(ひきふね)」行き)の南側に改札口があるが、南向き(「亀戸」行き)の側には南側に改札口が見当たらないため、ぐるっとまわって北側に行ってみたが、北側には北向き(「曳舟(ひきふね)」行き)も南向き(「亀戸」行き)も改札口はなく、昔なら、片方の側から改札口を入ったら改札の内側で線路を横断するところだろうけれども、東武亀戸線「小村井」駅では南向き(「亀戸」行き)の電車に乗るには、北向き(「曳舟(ひきふね)」行き)の南側の改札口から入って、そこから階段を下りて地下道で線路をくぐって階段を登って南向き(「亀戸」行き)のプラットホームに行くしかないようだった。又、その地下道への階段にはどちらの側もエスカレーターもない。あまり便利ではない。歳いってきて、体のあちらこちらに不具合が出てきた者にはつらい。
↑ 東武亀戸線「小村井(おむらい)」駅の改札口に向かう所に出ていた。
「誰にも言えない気持ち 聞かせてください いのちの電話」
1980年代、横浜市港北区箕輪町 にあった日吉台学生ハイツ に住んでいた時、毎日毎日、朝から晩まで、うちの父親から「いらいらっとしたら、かけたんねん」と言って電話がかかってきた。そして、うちの父親は言うのだった。「わしはブッダやねんぞお。わしは修行を積んで悟りを開いたブッダ。わしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタやねん」と。そして、言うのだった。「わしは孔子で孟子。『四十にして惑わず』や」と。「わしは、何があっても絶対に惑うことはないという人間やねん。孔子で孟子やねんぞお~お」と。そして、言うのだった。「わしはキリストやぞお、わしはキリスト。わしが山に命じたなら山が空飛んで海に入るねんぞお~お。わしが命じたら水が葡萄酒に変わるねんぞお~お」と。そういうお方だったらしい。又、言うのだった。「あんたは、もしかすると、わしのことを『普通のお父さん』とか『普通の人間』とか思っておるかもしれんけれども、実は違ってんでえ」と。「何だったのですか?」と尋ねると、「実はわしはスーパーマンやってん」と言うのだった。「知ってたか?」と言うのだが、知らんかった。パーマンかと思うておった。「スーパーマンてことは、空を飛ぶのですか?」ときくと、「何を言うとんのんじゃ。アホぬかせ。そんなもん、飛ぶか!」とおっしゃるので「しかし、スーパーマンなら空を飛ぶのと違うのですか」と言うと、「飛ぶか、そんなもん」とおっしゃるのだった。「空は飛ばないスーパーマンてことは、アラレちゃんみたいなもんですか」と言うと、「何がアラレちゃんじゃ。スーパーマンなんじゃ、わしは。わからんのか、スーパーマンじゃ、スーパーマン」とおっしゃるのだった。「わしは超人やねんぞお」「わしは完璧超人やねん」とおっしゃるのだった。「わかっとるか。わしはおまえなんかとは民族と階級が違うねん。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。わしはドイツ人でアメリカ人の民族で慶應の階級の人間やねん」とおっしゃるのだった。たしかに、言われてみると「慶應みたい」なところがあるおっさんやった。慶應という学校はある意味で不思議な学校で、「大学だけ慶應」の人にはそれほど慶應慶應していない人というのもいるのだが、他方でうちの父親のように小学校・中学校・高校・大学・大学院のどれも慶應には行っていないにもかかわらず「人格が慶應」の人・「慶應の階級」の人というものがいるのだった。「わしはなあ。わしは完全無欠な人間で人格者であって、常に沈着冷静・百戦錬磨・海千山千・泰然自若の人間やねん。わかっとるかチャンコロ。わしはいかなる時も沈着冷静で泰然自若。雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが津波が来ようが台風が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようがゴジラが来ようが何が来ようがび~くともしない! というそういう人間やねん、わしはあ~あ」とおっしゃるのだった。「おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは民族と階級が違うねんぞ、おまえとは。民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな!」とおっしゃるのだった。そして言われるのだった、「イッライッラしてきたあ~あ♪ いっらイッラしてきたあ~あ♪ いらいらしてきた、いらいらしてきた、いらいらいらいらいらいらしてきた♪」と。毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに朝から晩まで電話がかかってきてそう言われるのだった。
それで、私は言ったのだ。「完璧超人のお方なんですよね。スーパーマンなんですよね」と。「そうじゃ、わしは完璧超人でスーパーマンやねんぞお」とおっしゃるのだった。私は言ったのだ。「修行を積んで悟りを開いたブッダ・ゴータマシッダールタで、『四十にして惑わず』の孔子様で孟子様なんですよね。もう、四十過ぎてますよね」と。「あたりまえじゃ、とうに過ぎとるわ」とおっしゃる。私は言ったのだ。「キリスト様なんですよね。水に命じると葡萄酒に変わる、山に命じると山が空を飛んで海に入るというお方なんですよね」「雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが津波が来ようが台風が来ようがび~くともしない。怪獣が来ようが恐竜が来ようがゴジラが来ようがび~くともしないというお方なんですよね」と。「そうじゃ、その通りじゃ。わしは雨が降ろうが風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが津波が来ようが台風が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようがゴジラが来ようがび~くともしない人間やねん。わしは常に沈着冷静、わしはいかなる時も何事があっても泰然自若の人間でドイツ人で慶應の人間やねん、わしはあ」とおっしゃるのだった。だから、私は言ったのだ。
「修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタならば、何もイライラすることないでしょ。修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタならば、何事があってもイライラしないで落ち着いておればいいでしょう。違いますか」と。「何を言うとるんじゃ、このチャンコロろすけイタコめが」と「ゴータマシッダールタのお方」はおっしゃる。
私は「『四十にして惑わず』の孔子様で孟子様であるなら、何もイライラしなくていいじゃないですか。なんで、『孔子で孟子のお方』が『イライラしてきた』『イライラしてきた』といつでもいつでもイライラいらいらイライラいらいらなさっておるのですか。「四十にして惑わず」ならイライラしなきゃいいじゃないですか」と。「そやからやなあ。ほんまは孔子で孟子であって、ほんまは『四十にして惑わず』なんじゃ」とおっしゃるので、「実際は違うのですか?」と尋ねると、「そやから、おまえが悪いんじゃ、おまえが」とおっしゃるのだった。
「わかってますよ。悪いのは私でしょ。悪いのは何でもいつでも、いつでも何でも、み~んな、私でしょ。T子さんが奈良女子大を落ちたのは私が落としたのでしょ」と言うと、「そうじゃ、その通りなんじゃ。T子さんはなあ、おまえとはちごうて優秀な優秀なドイツ人のお方であって、ほんまやったら絶対に絶対に奈良女子大にお通りになっているお方やのにからに、おまえが落としてんぞ、ひとのせいにしてはいかんぞ。おまえのせいで大事なT子さんが奈良女子大に落とされてんぞ。おまえがT子さんを落としたんやぞ。人間、ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにする人間はおしまいやぞ。T子さんが奈良女子大に落ちたのはすべておまえのせいやねんぞ。ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては」とおっしゃるのだった。私より11歳年上の姉のT子さんは私とは違って「優秀なドイツ人のT子さん」だったのだが、高校を卒業する年に奈良女子大を受けて落ちられたのだが、それは「ほんまやったら絶対にお通りあそばしているお方であるのに」私が落としたそうだった。「T子さんに『奈良女子大を落として申し訳ございませんでした』と言って地面に頭をすりつけて謝りなさい」とおっしゃるのだった・・が、そのT子さんが奈良女子大を受けた時には小学校の1年だった私はいったいT子さんに何をやったのか・・・というと「産まれてきた」のがいかんそうだった。私さえ産まれてこなかったら、そうすれば、もっと「応援してあげることができた」のでT子さんは奈良女子大に合格なさったのに、私が産まれたために「応援できなかった」ために落ちたそうなのだ。だから、「百パーセント、おまえのせいやねんぞ。よくも、産まれてきおったな、産まれてこなかったらよかったのに産まれてきおってからに、このチャンコロろすけイタコめがこの浪商!」とおっしゃるのだった。「『申し訳ございませんでした』と言いなさい」とおっしゃるので、それで「申し訳ございませんでした」と言ったのだが、しかし、もしも「応援」すればT子さんが奈良女子大に通ったのならば、それなら言ってくれれば、↓ みたいなのをやればT子さんは奈良女子大に通ったのなら、それならやってやったのに・・・。↓
※ YouTube-コンバットマーチ【6人】早稲田大学応援2013 https://www.youtube.com/watch?v=waiBBVjToXA
↑ こういう「応援」やったらT子さんは奈良女子大に通ったのなら、その時に言ってくれたらやったのに。なんで、言うてくれへんかってん。
〔 私なら ↑ こんな「応援」なんか、やっていらんけどな・・ 〕
又、「おまえさえ、産まれてこなかったら、おまえを育てる費用がかからんかったら、大事なT子さんにそのカネで毎日全科目家庭教師を頼んでつけてやることができて、そうやりさえすれば優秀な優秀なT子さんは絶対に奈良女子大に通ったのにからに、おまえが産まれたから、T子さんに毎日全科目家庭教師をつけてやることができんかったから、そやからT子さんは奈良女子大を落ちてんぞお。ひとのせいにすんなよ、おまえのせいやねんぞ、おまえのせい」とおっしゃるのだったが、私自身の経験から言わせていただくと、毎日全科目家庭教師をつけるなんて、そんなことしてもらっても成果は出ないと思うのだ。むしろ、その家庭教師のおっさんかおばはんが私よりも学習法をよくわかっているかどうかわからんわけで、かえって害がある人だっている。又、やはり、私自身の経験から言わせていただくと、大学入試というのは、ある程度以上の所を受けたならば、別に誰も悪くなくても、落ちることは「あること」だと思うのだ・・が、それでも「申し訳ございませんでしたと言いなさい」とおっしゃるので言ったのだ。「申し訳ございませんでした」と。
そして、「いらいらしてきたイライラしてきたイライラいらいらイライラしてきた」とおっしゃるので、「しかし、あなたさまはキリストなのでしょう」と言うと、「そうじゃ。わしはキリストじゃ」と言われるのだ。「わしが山に命じたら、山が空を飛んで海に入るんやぞ、海に」とおっしゃるので私は言ったのだ。「それならば、とりあえず自分自身に『イライラするな。落ち着け』と命じられたらいかがですか。山に命じて山に空を飛んで海に入るようにさせるよりも、自分自身に『イライラするな。落ち着け』と命じて落ち着かせる方が、はるかに容易いのではありませんか」と。ところが「何を言うとるんじゃ、何を。いらいらしとるんじゃ、イライラいらいらイライラいらいらいらコッコー!」と。
それで私は言ったのだ。「イライラするのが趣味なのですか?」と。「アホぬかせ。何を言うとんのんじゃ」と「釈迦で孔子で孟子でキリストで完璧超人でスーパーマンのお方」はおっしゃるのだった。「なんで趣味なんじゃもう、イライラしてきたなあもう、イライラしてきたなあもう」と。
「ですから、いつでも何でも、何でもいつでも悪いのは私。これはこの世界が開闢以来の真理であるとしてですよ。そうであっても、『釈迦で孔子で孟子でキリストで完璧超人でスーパーマンのお方』なのですから、何もイライラしなきゃいいじゃないですか。釈迦なのでしょ。ゴータマシッダールタなんでしょ」と言ったのだが、「イライラしとるんじゃあ、イライラいらいらイライラしとるんじゃあ」とおっしゃるのだった。
それで。「イライラしたいのか、イライラしたくないのか、どっちですか?」と尋ねたのだ。すると、「アホか。イライラしたいわけないだろうが」とおっしゃるので、「それなら、とりあえず、座禅でもしたらどうですか」と言ったのだ。
セルフ・コントロールと禅 (NHKブックス 399) - 池見 酉次郎, 弟子丸 泰仙
しかし、「釈迦で孔子で孟子でキリストで聖徳太子のお方」は「なんで、そんなもんせんといかんのじゃ。ええかげんにせんか」とおっしゃるのだった。それで、「座禅が嫌ならば、それなら、般若心経の写経をするというのはいかがでしょうか」と言ったのだ。
般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫 ま 1-3) - 松原 泰道
すると、「なんで、そんなもんせんといかんのじゃ」とおっしゃるので、「嫌なら別にやらなくてもいいですよ」と言った。そして、「それなら、『聖書』を読むというのはどうですか、『讃美歌』を歌うとかは」と言うと、
※ YouTube-やすかれわがこころよ 讃美歌298番https://www.youtube.com/watch?v=_zTZKoRwZAo
大型聖書 新共同訳 - 共同訳聖書実行委員会, 日本聖書協会
讃美歌21 A5判 - 日本基督教団
そうすると、「なんで、そんなもん読まんといかんのじゃ」とおっしゃるのです。
「それなら、竹刀か木刀の素振りをするというのはどうですか」と言ったのだが、これは、ツボ療法について書かれたもので、竹刀とか木刀の素振りをおこなうと、手のひらにある「気持ちが落ち着くツボ」を刺激して気持ちが落ち着くと言われていることによるものですが、
「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ」とおっしゃるのでした。
「それなら、野球のバットの素振りをするというのはいかがですか」と言ったのだ。「王貞治はスランプになると、毎日、何回もバットの素振りを繰り返して気持ちを落ち着けたと言いますでしょ」と。野球のバットの素振りにしても、竹刀・木刀の素振りにしても、素振りという同じ動作を繰り返すというのは気持ちが落ち着く方向に働くと言われているらしいので、それを言ったのだったが、ところがこれもまた、「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ。あ~あ、イライラしてきたイライラしてきた、してきたしてきたしてきたねえ」とおっしゃるのだった。
「竹刀・木刀の素振りはいや、野球のバットの素振りもいや ということなら、とりあえず、ゴルフの打ちっぱなしにでも行ってこられたらどうですか。ちゃーしゅーめ~ん♪ て感じで」と言ったのだが、「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ」と言われるのだった。
「困りましたねえ。とりあえず、深呼吸して屈伸運動でもしてみたらどうですか」と言ったのだったが、それも「なんで、そんなもん、せんといかんのじゃ」とおっしゃるのだった。
「そしたら、とりあえず、睡眠時間を多めにとって、よく寝るようにされたらどうですか」と言ったのだが、これはうちの父親および、その世代の人間には禁句だった。だめなんだわ、あの「戦中世代」、まったく何の関係もないことを話す場合にも「軍隊で鍛えられた」「満州で苦労した」というのをひとくさり言わないと何も話せない世代の人間には。これを言うとどうなるか・・というと、「寝る時間を減らして、睡眠時間を減らして!」と言い出すのだ。なんで、睡眠時間を減らせと言うのか・・と思うかもしれないが、この文句を言うと、うちの父親のことではなく、私のことになってしまい、「寝る時間を減らせよ、おまええ~え!」と言い出すのだ。「睡眠時間を減らして、睡眠時間を減らして、減らして」と言い出すのだった。「寝ずにや~る! 根性でや~る! 気合でや~る! 気合じゃ気合じゃ、気合、気合、気合、気合!」と言い出すのだ。そういう世代だったのだ( 一一) もう、なんと言うのか「ほとんどアニマル浜口」だったのだ、うちの父親の世代というのは。うちの父親というのは「撃ちてしやまん、一億火の玉ァ!」「欲しがりません、勝つまでは!」「ロスケどもをやっつけてや~る! とってちってたあ~あ!」「贅沢は敵だあ!」「木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ」「戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事のもと~お! わしに孝行せえよお」の世代だったのだ( 一一) ・・ほんま、疲れる世代やわあ・・・( 一一)
※ YouTube-アニマル浜口 気合64連発!! https://www.youtube.com/watch?v=ai_KePLfpcY
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日本はまたその勝利の望みを、アメリカで一般に考えられていたものとは異なった根底の上に置いていた。日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と叫んでいた。なるほどアメリカは大国である、軍備もまさっている、しかしそれがどうしたというのだ、そんなことは皆はじめから予想されていたことであり、われわれははじめから問題にしていないのだ、と彼らは言っていた。そのころ日本人は、日本の大新聞『毎日新聞』で、次のような記事を読んだ。「もしわれわれが数字を恐れていたならば、戦争は始まらなかったであろう、敵の豊富な資源はこの度の戦争によってはじめて作り出されたのではない」。
まだ日本が勝っていた時でさえ、日本の政治家も、大本営も、軍人たちも、くり返しくり返し、この戦争は軍備と軍備との戦いではない、アメリカの物に対する信仰と、日本人の精神に対する信仰との戦いだ、と言っていた。われわれの方が勝っていた時にも、彼らは幾度も幾度も、このような戦いにおいては、必ず物質力が負けるにきまっている、と言っていた。この信条はサイパンや硫黄島の敗北のころには、たしかに都合のよい言逃れになった。しかしそれは敗北の言逃れとして捏造されたものではない。それは日本軍が連戦連勝を誇っていた何か月間を通じて進軍ラッパの役割を演じたものであるし、真珠湾奇襲のずっと以前から公認されていたスローガンであった。1930年代に、狂信的軍国主義者であり、かつて陸軍大臣であった荒木大将は、『全日本民族に訴えう』というパンフレットの中で、日本の「真の使命は皇道を四海に遍く弘布し宣揚することである。力の不足はわれわれの意に介するところではない。何故に物質的な事柄に気を使う必要があろうか」と書いている。
( ルース=ベネディクト『定訳 菊と刀(全)』長谷川松治訳 1967.3.15.社会思想社 現代教養文庫)「第二章 戦争中の日本人」)
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一般人の生活においても、日本の当局者は物質的環境に対する精神の優位を文字通りに解していた。例えば、国民は工場での二十四時間労働と終夜の爆撃とで疲労その極に達していた。だが、「われわれのからだがつらければつらいほど、ますますわれわれの意志、われわれの精神は肉体を凌駕する」、「へとへとになればなるほど、よい訓練になる」のであった。国民はまた、冬、火の気のない防空壕の中でぶるぶるふるえていた。するとラジオで大日本体育会は、防寒体操をやるように命令した。この体操は暖房設備やふとんの代りになるばかりでなく、さらに結構なことには、もはや国民の普通の体力を維持してゆくことのできなくなった食糧の代りにもなる。「現在のような食糧不足な時に、体操をやれなんてとんでもない話だ、と言う人がむろん必ずあるだろう。だが決してそうではない。食糧が不足すればするほど、ますますわれわれはわれわれの体力を他の方法で向上させねばならない」。つまりわれわれはわれわれの体力を余計に消費することによって、それを増大させねばならない、と言うのである。アメリカ人の体力についての考え方はいつでも、前の日に八時間眠ったか、五時間眠ったか、平常通り食事をしたかどうか、寒かったかどうかによって、どれだけ体力を使ってさしつかえないかを計算するのであるが、この日本人の計算の仕方はそれとは正反対で、体力を蓄えることなんかは全然眼中においていない。それは物質主義的なやり方だ、と考えていたのである。
( ルース=ベネディクト『定訳 菊と刀(全)』長谷川松治訳 1967.3.15.社会思想社 現代教養文庫)「第二章 戦争中の日本人」)
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菊と刀 (光文社古典新訳文庫) - ベネディクト, 角田 安正
福沢諭吉は「精神の独立」といったことを言っていた。その時代の思潮の影響をまったく受けないということは難しいとしても、完全にその時代の思潮に精神を支配されてしまって自分自身の思想・世界観というものを失った人間というのは情けない。うちの父親は漫画家の水木しげる と1か月ほど誕生日が違うという年齢だったが、水木しげる はうちの父親とは違って「戦争中、『われわれの肉体が弱まれば弱まるほど精神は強度を増して敵に打ち勝つのである』と教えられたが、実際に敵と戦ってみると、十分に食ってるやつには勝てないということがよくわかった」と述べていたが、戦後においても、「撃ちてしやまん、一億火の玉」「欲しがりません、勝つまでは」「とってちってたあ~あ♪」と毎日叫んでいたうちの父親とはずいぶんと違ったようだった。
ともかく、「軍隊で鍛えられた」「満州で苦労した」と全然関係のないことを話す場合でも一通りそれを言わないと何も話せない世代のおっさんを相手にする場合には「睡眠時間をきっちりととって」という文句は禁句だったのだ。これを聞くと「パブロフの犬」のように条件反射して「寝る時間を減らして」「とってちってたあ~あ!」「根性で勝~つ、気合で勝~つ、とってちってたあ~あ♪」と叫びだす世代だということをうっかり忘れていた。決してこの文句はこの世代の人間には言ってはならないのだった。「会社のために、わしのために、会社のために、わしのために。とってちってたあ~あ♪」となってしまうのだった。
※ YouTue-リゲイン TVCM|2014 すみれ「どーなっとるんだ」篇 「3、4時間」篇 https://www.youtube.com/watch?v=1TbzRq6QmWE
ストレス解消には「クラシック音楽を聴く」のがいいと言う人がいるが、あれはだめだと思う。なぜなら、うちの父親は毎日のように
「ちゃんちゃんちゃん、ちゃちゃかちゃか、ちゃんちゃんちゃん、ちゃちゃかちゃか、ちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃかちゃんちゃか」と叫びながら「クラシック音楽を聴く」というのをやっておったが、どう見ても「クラシック音楽を聴くと気持ちが落ち着く」ようには見えなかった。むしろ、「クラシック音楽を聴く」と逆にイライラいらいらイライラしてくるように見えた。特に、ヨハン=シュトラウス2世の『こうもり』「序曲」はだめだ。あれは「イッライッラいっらいっら」する音楽だと思う。
※ YouTube-カラヤン指揮 J.シュトラウスⅡ世作曲 喜歌劇「こうもり」序曲 https://www.youtube.com/watch?v=vDbDutb7d4Y
「クラシック音楽」とひとくくりにするのは不適切で、大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)では、大塚久雄はバッハ『マタイ受難曲』を繰り返し聴くと述べていたが、それなどは効果はあるのだろうと思うが、うちの父親が聴いていたヨハン=シュトラウス2世の『こうもり』「序曲」はあれは逆にいらいらしてくる音楽だ。
※ 《YouTube-対訳「マタイ受難曲」 全曲 》https://www.youtube.com/watch?v=P3OcPLf7Kyo
「『気持ちの落ち着くツボを押す』というのはどうですか」とも言ったのだった。「わかりやすいツボとして、手の親指と人差し指の間の合わさったところから人差し指側に少しに登ったところにある『合谷(ごうこく)』というツボを押すというのはいかがですか」とも言ったのだが、「なんで、そんなものやらんといかんじゃ」とおっしゃるのだった。「嫌ならやらなくてもいいですよ」と言ったのだ。
三大特効ツボ健康法―このツボを押すだけでみるみるスタミナがつく (ゴマブックス 351) - 竹之内 診佐夫
「それなら、青竹踏みをするというのはどうですか」とも言ったのだが、それもやりたくないみたいだった。
それで、おっさんは言うのだった。「おまえの声をきくとイライラすんのんじゃ」と、それで電話を切ってやったのだが、そうするとまたかかってきて、「こらあ、何を勝手に切っとるんじゃあ」と怒るのだったが、「私の声を聴くとイライラするとおっしゃいましたので、それなら私の声を聞かない方がいいでしょう」と言ったのだが、「そうじゃ、おまえの声を聞くとイライラいらいらイライラすんのんじゃあ、イッライッラしてきたあ、イッライッラしてきたあ、イッライッラいっらいっらいらいらイライラしてきたしてきたしてきたねえ♪」とおっしゃるので、再度、電話を切ったのだったが、またかかってきて「こらあ。せっかく電話かけてやっておるのに、なんで切るんじゃあ」と怒られるのだったが、「ですから、私の声を聞くとイライラなさるのでしょ。それなら聞かない方がいいでしょ。違いますか」と言ったのだ。
そして、言ったのだ。「私の声をきくとイライラするけれども、誰かと電話でお話ししたいということならば、それなら、私以外の人と電話されたらどうですか。そうだ、『いのちの電話』に電話するというのはどうですか」と言ったのだ。「たしか、私の部屋に『いのちの電話』の電話番号を書いたものがあったと思います。すぐに見てきます」と言ったのだが、「なんで、そんなもんにかけんといかんのじゃあ」とおっしゃるのだった。
「困りましたねえ、座禅もいや、般若心経の写経もいや、聖書も讃美歌もいや、竹刀・木刀の素振りもいや、野球のバットのすぶりもいや、ゴルフの打ちっぱなしもいや、深呼吸も屈伸運動もいや、いのちの電話もいや・・・となったら、どうしたものでしょうねえ、そうだ、『いのちの電話』がいやなら、それなら電話局の104の番号案内にでもかけて、番号案内のおねえさんとでもお話なさったらどうですか」と言ったのだったが、「なんで、そんなもん、かけんといかんのじゃあ」とおっしゃるのだった。・・番号案内のおねえさんは、そんな電話かけてこられてもいやかもしれんが、そんなこと言うなら私だっていやだよ・・・
「そしたら、どこか、精神科に行って精神安定剤でももらってきて飲んだらどうですか」と言ったのだが、「ええかげんにせんかあ、このチャンコロろすけイタコ浪商めがあ、んが、んが、んがァ~あ! おまえが飲めえ! なんで、沈着冷静・泰然示寂・百戦錬磨・海千山千のスーパーマンで完璧超人で、ゴータマシッダールタで孔子で孟子で聖徳太子でキリストでメサイヤで英雄ヒットラー総統でドイツ人で慶應のこのわしがそんなもん、飲まんといかんのじゃあ。おまえが飲めえ」とおっしゃるのだったが、「しかし、今現在、イライラいらいらイライラなさっているのはあなた様でしょ。私ではなくてあなた様がイッライッラいっらいっらイッライッラいらいらいらいらイラこっこ、いらいらイライラいらコッコー♪ なさっておるのでしょ。それなら、イライラいらいらイライラこっこ、イラこっこ、いらいらいらいらイライラこっここイラいらコッコー、いらコッコーなさっているあなた様が飲むべきではありませんか」と言ったのだったが、「ええかげんにさらせよ、このチャンコロ。わしはスーパーマンなんや、わしは風が吹こうが嵐が来ようが怪獣が来ようが絶対にイライラせえへん人間なんやあいうて教えてやってやってあげてやってあげてあげてやってもらってくださってあげてやってやったのがわからんのかあ、このチャンコロお!」とおっしゃるのだった。実際には「精神安定剤」などというものは精神の安定には役に立たない。「精神安定剤」という名称がイカサマである。最近、クマが北海道や秋田県・富山県・島根県などの住宅地に出没しているようだが、クマに麻酔銃を撃ったりするようだが、その麻酔銃によってクマがおとなしくなったらそれは「精神安定剤」と言うべきか。「精神安定剤」と「精神科医」が呼んでいる「薬」は人間の精神能力を低下させ、特に批判能力をくじき従順にならせるものであり「精神科医」と称するファシストに服従する「精神科医」と称するファシストにとって都合がいい人間に人間を加工するものであるとともに、飲まされた者を太らせ、インポテンツにする薬物であって、「気持ちを落ち着ける薬」ではない。結論として、「精神安定剤」と「精神科医」と称するイカサマが呼んでいるこの化学物質は「薬」というよりも「毒」であると考えるべきであろう。そういうものを騙して飲ませるために考え出された美名が「精神安定剤」という名称である。あれは「人間による人間の加工」をおこなうものであり、それを国民に受け入れさせるために「精神安定剤」などという美名をつけたものであって、人間が本来的な生き方をするために役立つものではない。誤解を招く用語であるが、「精神科医」とか「心理学者」とか称するイカサマどもが意図的に誤解を招く命名をして誤解を招く用語を使用しているものである。
「『いらいらしてきた、いらいらしてきた』と唱えるよりも、『気持ちがとても落ち着いている』『気持ちがとても落ち着いている』と唱えた方がいいのではありませんか」とも言ったことがあるのだが、「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って電話攻撃してくる人に言っても無駄だった。 アインスリー=ミアース『自律訓練法ーリラックス訓練』(創元社)では、いくつかの文句を自分自身で心の中で唱えることで良好な状態にもっていくということをおこなっており、その最初の文句は「私はうまくリラックスできます。リラックスはとても自然なことです。気分が自然に落ち着いて、楽になっていきます」というものだった。それだけですべて解決するかどうかは別として、少なくとも「いらいらしてきた、いらいらしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」と呪文を唱えるのと、「私はうまくリラックスできます。リラックスはとても自然なことです。気分が自然に落ち着いて、楽になっていきます」と唱えた方がいいと思ったのだが、「いらいらしてきた、いらいらしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」と呪文もしくは、真言なのかマントラなのか知らんが、そういうものを唱えることに喜びを感じているらしい信者にそれを変えさせるのは困難だった。佐々木雄二『自律訓練法の実際』(創元社)には、自律訓練法を実行する方法が述べられているが、6段階の訓練の前段階のものとして「気持ちがとても落ちついている。気持ちがとても落ちついている」と心の中で唱えるというものがある。この場合、「気持ちがとても落ちついてきた」と唱えるよりも「気持ちがとても落ち着いている」と唱えた方が効果があるという。しかし、「『イライラしてきた、イライラしてきた』と唱えるよりも『気持ちがとても落ち着いている』と唱えた方がいいのと違いますか」とも言ったのだが、「イライラっとしたらかけたんねん」と言って電話してきて「イライラしてきた、イライラしてきた、いらいらイライラいらいらしてきた」と唱える人に言っても無駄だった。「千里の道も一歩から」というが、自律訓練法にしてもリラックス訓練にしても、それをやってみようという気持ちになる人と、「イライラしてきた、イライラしてきた、してきたしてきたしてきたねえ」と言って電話してくる人とでは、ともかくも、それをやってみようという気持ちになった人というのは、その「最初の一歩」を歩み始めた人であり、「イライラっとしたらかけたんねん♪」と言って四六時中電話攻撃してくる「聖人」に「気持ちがとても落ち着いている」とか「私はうまくリラックスできます。リラックスはとても自然なことです。気分が自然に落ち着いて、楽になっていきます。」とか唱えさせるというのは、これは極めて困難なことだった。又、デビッド=クーパーは『反精神医学』(岩崎学術研究社)で、「精神科医」が「精神医学の治療」と称している「理論」「技術」というものは、それは「セラピスト」を守るためのものでしかない、と述べているが、家族・身内の人間がなんとか落ち着かせてあげようと思って好意的に手を差し伸べるなどということをうかつにすると、「引きずり込まれる」危険が大いにあった。
自律訓練法―不安と痛みの自己コントロール - アインスリー ミアース, Meares,Ainslie, 酉次郎, 池見, 孝子, 鶴見
自律訓練法の実際:心身の健康のために - 佐々木 雄二
うちの父親は「下宿生活すると野菜をとることが少なくなるから、生野菜をとらんといかん」と私に言うてくるのだったが、それで私は言ったのだった。「生野菜よりも、もっとカルシウムをとるようにした方がええのとちゃいますか」と。しかし、「もっとカルシウムをとるようにした方がええのとちゃいますか」と言っても、とりよらんのだ。
最近になって思いだした。甲子園球場に行って「ボケ~え、アホ~お、カス~う、死んでまえ~え!」と叫ぶというのが残ってた、と。うっかり忘れてた。〔⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕
最近、ファウルグランドを狭くした方が客席で身近に「臨場感」を味わえるといったことを言ってファウルグランドを狭くした球場が出てきているが、あれはいかがなものかと思うのだ。ひとつは、ファウルグランドがある程度広くてこそ、ファウルフライを真剣に追いかける選手とそうでない選手の違いというものを見ることができるし、又、ノーアウトか1アウトで三塁にランナーがいるという場面でのファウルフライは、捕った方がいいか捕らない方がいいかという判断を野手が的確にできるかどうかというものを見る面白さというものもあるが、それよりもっと大きな点として、スタンドから「ボケ~え!」「アホ~お!」「カス~う!」「死んでまえ~え!」「いてもうたろかあ!」と大声で叫ばれたとしても、ある程度離れていたならば「また、何か言うとるわ」くらいで、マア、一軍で出ているような選手というのは一般のサラリーマンより高い給料もろとるんやから、ちょっとくらいボロクソに言われても我慢してええやろうが・・てものだが、さすがに至近距離で言われたら、「何を」て気持ちになるかもしれん。だから、ファウルグランドはある程度広い方がいいと思う・・(^^)/
それから、その時は私は20代初めの大学生だったので、スナックとかクラブとかそういう所に行ったことはなかったし、どういう所かもよく知らなかったのだが、どういう所か知ってから思い浮かんだものとして、「スナックに行って、スナックのホステスのねーちゃんに『イライラしてきた、イライラしてきた』とお話してくる」というのはどうか、と思いついた。そうすれば、有料で話を聞いてくれて、「そうよねえ、そうよねえ」とか適当に相槌うって、あくる日になったら忘れてくれる・・のではないか、と考えたのだ。・・ただし、「本当にあった笑える話」だかそんな感じの漫画雑誌に出ていたのだが、職場で「スナックに行かないか」と同僚に誘ったら、「絶対に行かない」という男がいて、なんでだというと、その男のお母さんとお姉さんがスナックをやっていたらしく、「あんな所で話したら、いったいどこで何を話されるやらわからんぞ」と言って行くのを嫌がった・・というので、スナックのホステスのおねえちゃんというのは「そうよね、そうよね」と相槌打って適当に話を聞いて、翌日になったら忘れてくれる・・かと思いきや、「いったい、どこで何を話されるやらわからん」という場合もあるらしい。
「いのちの電話」というものがあるのはずいぶんと前から知っていたが、私自身はかける方も受ける方もやったことはないが、「いのちの電話」というのを見ると思いだす。「いらいらっとしたらかけたんねん」というあの電話攻撃を。北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が「あなたのお父さんのようないいお父さんがいたらものすごくうらやましいわよ」などと言っていた。「私は両親が離婚したんだから」「私は父親がいなかったんだからねえ」とおっしゃるのだったが、そんなにいいと思うなら、旧姓作野礼子さんにあげるよ、あのおっさん。ほんと。なんか「私は父親がいなかったんだからねえ」と言って、「父親がいる」ということがもんのすごい得しているみたいにおっしゃるのだったが、「父親がいる」ということは私にとっては「イライラっとしたらかけたんねん」と言ってかかってくる電話攻撃が四六時中襲ってくるということを意味する。旧姓S野礼子さんは「あんたのお父さんのようないいお父さんがいたら私だったらものすごくうれしいわよ」などとおっしゃるのだったが、そういうことを言うのなら、まず、あの「イライラっとしたらかけたんねん」と言って四六時中かかってくる電話攻撃を旧姓作野礼子さんが引き受けてもらいたいものだ。その上で言ってもらいたい。自分はあの電話攻撃をまったく引き受けないで勝手なことを言うのはやめてもらいたい。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して10年以上経ってみると、どう考えてもいい学校ではなかったなと思うようになった。特に、2年の時にあのバカ女症候群に担任を持たれたのは災難やった。あのバカ女症候群に担任を持たれたという点において、最低・最悪・最凶の学校やった( 一一)
「私は父親がいなかったんだからねえ」と自慢たらしくおっしゃるのだったが、「父親がいなかった」というのは、そんなに自慢になるものなのか? 遠山啓(ひらく)は『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)において、父親とは外敵から息子を守ってくれる存在である、と述べ、又、父親というものは家族の中で最も「世間知」というものを持っている存在であり、息子に「世間知」というものを教えてくれる存在である、父親がない息子は父親から「世間知」を教えてもらえないから、だから、自分自身で何度も痛い目にあって「世間知」というものを学んで身に着けていくしかない・・・と述べていたが、ちょっと違うと思う。
遠山啓は「両親が離婚した」わけではなかったらしく、遠山啓が産まれた時点では「父親がいなかったんだからねえ」というわけでもなかったらしいが、産まれた時点では父親は生きていたが朝鮮にいたらしく、遠山啓が5歳の誕生日を迎える頃まで日本に帰ってくることがなく父親と会ったことがなかったらしいが、遠山啓が5歳の誕生日を迎える頃、その父親が日本に帰ってくるというので大喜びしていたら、その途中でその父親が病気で亡くなってしまったらしい。だから、遠山啓は「両親が離婚したんだから」というわけでもなく「(遠山啓が産まれた時点では)父親がいなかったんだからねえ」というわけでもなかったが、結局、遠山啓は父親とは一度も顔を合わすことがなかったらしく、その点で、父親がない子供だったらしい。それで、「父親がある人」というのがうらやましかったらしい。
しかし、それなら「父親がある息子」というのは、父親から「世間知」というものを教えてもらえるものかというと、そうとは限らない。「父親がある息子」は父親に「外敵から守ってもらう」ことができるかというと、そうとは限らない。すべての父親が息子を「外敵から守る」とは決まっておらず、すべての父親が「世間知」というものを持っているわけでもなく、すべての父親が息子に「世間知」というものを教えるとは限らない。旧姓作野礼子や遠山啓は「父親がなかった」だけにそのあたりについて、まったくわかっていない。
うちの父親なんか、「世間知」なんてものなんか持っていなかったし、息子が何度も痛い目にあって自分自身で学んで身につけた「世間知」を教えても理解しない男だった。うちの父親なんか、「外敵から息子を守ってくれる」などということはなく、むしろ、「外敵」を引っ張り込んでくるようなところがあった。何より、「イライラっとしたらかけたんねん。イライラっとしたら書いたんねん」と言って四六時中、電話攻撃が襲ってきて、一日最低2回は紙爆弾が届いた。旧姓作野礼子や遠山啓は「父親というものは」よっぽどいいもののように思っているようだったが、それは私だったらよそのお父さんでいいお父さんを見ると「いいなあ、うらやましいなあ。うちの父親もあんなお父さんだったらいいのになあ」と思うけれども、「その人はよそのお父さんでうちのお父さんではないのだから、しかたがないか」と思うところを、遠山啓や旧姓作野礼子のような「父親がない」息子・娘は、そういう「いいお父さん」を「父親というもの」と考えるみたいだった。そういう思考をしがちという点で「父親がいなかったんだから」という人には欠点がある人が少なくない・・・けれども、これもすべての人がそうだということでもなく、やはりこれも「人によって違う」ように思う。
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
うちの父親は「わしはほんまは沈着冷静、わしはほんまは泰然自若の人間やねん」とおっしゃるのだった。「そやからやなあ、わしがイライラっとしたら、おまえのせいやねんぞ。ひとのせいにすんなよ、人間ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ。ひとのせいにすんなよ。おまえのせいやぞ。ひとのせいにしてはいかんぞ、何でも何でもおまえのせいやぞ」とおっしゃるのだった。
それで、私は言ったのだ。「あなた様がイライラっとしたらわたしのせいだということは、私がイライラすることがあったら、それはあなた様のせいだということでいいですね」と。
すると、うちの父親は「何をぬかすか、このチャンコロ潮来ろすけ浪商!」とおっしゃるのだった。「おまえがイライラしたら、それはおまえのせいじゃろうが。何がわしのせいじゃ。ええかげんにさらさんかあ」と。
それで私は言ったのだ。「しかし、あなたがイライラっとしたら私のせいなのでしょ。それなら、私がイライラすることがあったら、その時はあなた様のせいではないのですか。私がイライラしたなら私自身のせいならば、それならば、あなた様がイライラっとされた時もまた、あなた様のせいではないのですか」と。
すると、うちの父親は言うのだった。「こいつ、ええかげんにせえよ、このチャンコロ浪商イタコろすけプエルトリコめが、このチャンコロ!」と。「おまえがイライラしたら、それはおまえ自身のせいじゃろうが。ひとのせいにすんな! わしがイライラしたらおまえのせいじゃろうが。わしは悪ないねん、わしはあ。わからんのか、このくらいの常識が」と。
私は言ったのだ。「『ひとの物は自分のもの、自分のものは自分のもの』て、それはずるいのと違いますか。あなたがイライラなさった時は私のせいなら、私がイライラすることがあったらあなたのせいであるべきで、私がイライラしたら私自身のせいなら、あなた様がイライラなさった時もあなた様のせいでしょ。違いますか」と言うと、「ええかげんにさらさんか、このチャンコロめが。わしは悪いということは絶対にありえないという人間やねんと言うて教えてやってやってあげてやっておるのがわからんのか、このチャンコロ。おまえのようなそういう態度のことを心理学では外罰的性格と言うんじゃ、外罰的性格と。ええかげんにせえよ、ええかげんに。わしがイライラしたらおまえのせいなんじゃ。そんでもっておまえがイライラしたら当然おまえのせいじゃろうが。ひとのせいにすんな、ひとのせいに。そういう外罰的性格の人間はロボトミーとか電気ショックとかやって治療してやらんといかん。ああもう、イッラいっらしてきた、イッライッラいっらいっらしてきたしてきたしてきた・・」とおっしゃるのだった。「そんな不平等条約あるかいや」と思った。「巨人みたいや」「長嶋みたいや」と思ったものだった。
北野高校の旧姓S野礼子は「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」と言って御自慢なさるのだったが、そういうのは自慢するもんかあ~あ? とも思ったが、「あなたのお父さんのようなすばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ」とうちの父親に言うのだったが、そう言われて「ほら、ほら、ほら、ほら。作野先生もおっしゃっておるように、わしは人並みはずれたものすごいエッライえっらいエッライえっらい、魅力たっぷり魅力たっぷりのお父さんやねん。わかっとんのかチャンコロろすけイタコ浪商プエルトリコ!」とおっしゃるのだったが、そんなにいいならあげえるから、引き取ってほしかった・・・が、旧姓S野礼子さんは決して引き取ってくれなかった。そして、勝手なことばっかり言うておっただけでなく、私が知らないうちに、私が北野高校を卒業して何年も経っていても、それでも私が知らない間に、うちの親と文通しとった。生徒が卒業後も、その生徒と親交があって、親とも家族ぐるみで親しくつきあっているというのなら悪くはないであろうけれども、生徒・卒業生がその教諭を嫌がっているのに、その生徒が知らない間に裏で親と文通しておった・・というのは、これはいかんのではないかと思うのだが、ところがどっこい、「作野先生はええ先生やでえ、あの先生はあ。さすがは北野高校の先生やでえ、あの先生はあ。女でも北野高校でてるだけのことあるでえ、作野先生はあ。女でも神戸大でてられるだけのことあるでえ、あの人はあ」と言ってうちの父親は称賛していて、旧姓作野礼子もそうやって称賛してもらって「その気」になっていた( 一一) 私には「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って四六時中、電話攻撃してくるおっさんは旧姓作野礼子先生様にはそういうことはしないようで、「いいお父さんだと思うわよお」などと旧姓作野礼子は言うておった。そういう女だったようだ。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、決していい学校ではなかったと思うようになった。北野高校がある大阪市淀川区、最寄り駅は阪急「十三(じゅうそう)」駅で、十三駅から西に進む商店街の出口付近に喜八州という和菓子屋があって酒饅頭が名物だ。喜八州は「酒饅頭家元」と言っているようだ。北野高校はあんまりいい学校ではなかったなあ・・と思うようになったが、喜八洲の酒饅頭はおいしいから好きだ。酒饅頭はほかほか湯気がでているところを買ってその日のうちに食べてこそのものらしく、賞味期限が「その日中」らしい。新大阪駅の在来線側の土産物店街とか十三駅のプラットホームでも今は売っているようだ。
※ 酒饅頭家元 喜八洲総本舗 http://www.kiyasu.jp/
私は「気持ちが落ち着く方法」をけっこういろいろと教えてさしあげたと思うのですが、猫に小判というのかブタに真珠というのか、それとも、もともと「イライラしてきた、イライラしてきた」と言うのが好きであって別に落ち着きたいわけではなかった人だったのかには役に立たないみたいでしたが、けっこういろいろと親切に教えたように思います。整理してみましょう。
1.座禅でもしたらどうですか
2.般若心経の写経をするというのはいかがでしょうか
3.『聖書』を読むというのはどうですか、『讃美歌』を歌うとかは
4.竹刀か木刀の素振りをするというのはどうですか
5.野球のバットの素振りをするというのはいかがですか
6.ゴルフの打ちっぱなしにでも行ってこられたらどうですか
7.深呼吸して屈伸運動でもしてみたらどうですか
8.睡眠時間を多めにとって、よく寝るようにされたらどうですか
9.(クラシック音楽を聴く)
10.『気持ちの落ち着くツボを押す』というのはどうですか。手の親指と人差し指の間の合わさったところから人差し指側に少しに登ったところにある『合谷(ごうこく)』というツボを押すというのはいかがですか。
11.青竹踏みをするというのはどうですか
12.「いのちの電話」に電話するというのはどうですか
13.電話局の104の番号案内にでもかけて、番号案内のおねえさんとでもお話なさったらどうですか
14.どこか、精神科に行って精神安定剤でももらってきて飲んだらどうですか
15.「いらいらしてきた、いらいらしてきた」と唱えるよりも、「気持ちがとても落ち着いている、気持ちがとても落ち着いている」と唱えた方がいいのではありませんか
16.もっとカルシウムをとるようにした方がええのとちゃいますか。
・・その時は言わなかったが、後から思いついたものとして、
17.甲子園球場に行って「ボケ~え、アホ~お、カス~う、死んでまえ~え!」と叫ぶ
18.スナックに行って、スナックのホステスのねーちゃんに『イライラしてきた』とお話してくる・・「そうよね」「そうよね」と適当に相槌打って聞いてくれて翌日になったら忘れてくれる・・と思いきや・・・
このうち、1はそれだけで完全に解決するかどうかはともかく、ある程度以上プラスにはなると思う。9は「クラシック音楽」なら何でもいいというものでもなく、クラシック音楽にもいろいろあるが、その人が聴きたいと思って聴くなら悪くなさそうな感じがしないでもないが、ヨハン=シュトラウス2世の『こうもり』「序曲」はだめだ。むしろ、ますますイライラいらいらイライラしてくるみたいだ。
14はむしろ害が出る可能性が大きい。むしろ、酒でも飲んだ方がいいかもしれない。私などは酒を飲もうと努力しても飲めない人間なので、そういう人間なら、「たまには、何かうまいものでも食うか」てところか。「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」などというものは、これは基本的には宗教であり、それも「カルトの宗教」「毒薬の宗教」であると私は考えている。カール=マルクスが「宗教はアヘン」という表現を使ったと言われているけれども、実際にはカール=マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』という本の中で一度だけ「(宗教は)民衆のアヘンだ」という表現を使っているというもので、何度も何度も使っているわけではなく、そして、何よりも「アヘン」という言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味があり、宗教の中には「毒薬のような宗教」もあるけれども、マルクスは毒薬のような宗教を批判する際には「宗教はアヘン」という表現は使っておらず、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中において「宗教は民衆のアヘンだ」という表現はキリスト教やユダヤ教のような宗教について「宗教は民衆のなぐさめだ」という意味で使っており、決してこの表現を「宗教は毒薬だ」という意味では使っていないと思われる。それで、「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」等等といったものだが、これらは「カルトの宗教」であり、キリスト教のような価値のある宗教ではなく「民衆のなぐさめ」としての宗教ではなく、「毒薬としての宗教」であると考えるべきものであり、「精神安定剤」といったものは、これは文字通り「毒薬」である。
・・17と18は話していないが、1~16 だけでも、けっこう色々と助言したものだと思うが、何の役にも立たなかった。
19.慶應大学で「近代思想史」の I 教授は大学生だった時に「日吉の教養課程の時に、サルトルの本を熟読して安心立命の境地を得た」と話しておられたが、「サルトルの本」なんぞ読むようなおっさんと違うしな・・・( 一一)
20.慶應義塾高校が甲子園の全国大会に出ると、慶應大学卒だが高校は慶應系の高校ではない、まったく慶應と関係ない高校卒なのに、慶應義塾高校の応援に行きたがるおっさんが職場にいて、早稲田実業高校が甲子園大会に出ても早稲田大卒だが高校は早稲田系でない高校卒の人とか、日大三高が甲子園大会に出ても日大卒だが高校は日大系の高校でない人の場合は「まあ、何かの縁だから、どっちかと言えば勝った方がいいかな」くらいのものなのに、自分が慶應大卒で高校は慶應義塾高校とか慶應系の高校とは全然違うおっさんが甲子園に行って慶應義塾高校の「応援」したがる・・というのを見て「この人、いったい何なのお」と不思議に思う人がいた・・とヤフーだかに出ていたが、そういうおっさんはいると思う。そういう人にとっては、スタンドで「ば~か~き血~に吠える者、びょーき持てるやつら~、低能~の、香~り、ぷんぷんとにおう~」「低能~、低能~、カネの亡者、慶應~♪」と歌えたら、グランドで野球やってるやつが慶應大体育会野球部の人間であるか慶應義塾高校の野球部の生徒であるかなんて、どうでもいいのだ(^^)/ だから、「イライラしてきた、イライラしてきた」とか言って四六時中電話してくる人というのも、慶應義塾高校が出てる試合に行って「低能~、低能~、カネの亡者、慶應~♪」と歌ってくるとストレス解消になるかもしれん・・・が高校生に「低能」と言ってはまずかもしれんから、それは大学生に言うてやった方がいいかもしれん・・か。
ただし、私はこの20については、現実にそれをやっている人はいると思うが、その仲間にはなりたくないと思ってきた。1980年代、東京都港区三田の慶應大学三田キャンパスの前を近くの慶應女子高の生徒が3人ほど連なって歩いていたのだが、私はたまたまその横を通り過ぎたのだが、「私たちの学年て、よくまとまってるわよね」などと話しておったが、その発言こそが慶應の内部進学の人間の特徴だったのだ。「なにかと、まとまったりまとめられたりするのが好き」という慶應の内部進学の人間の特徴だ。フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』において「一人でいることができて、二人以上でいることもできるという人間が友を持つことができる人間である」と述べているが、その逆。「二人以上でいることしかできない人間」と慶應内部進学的「まとまったりまとめられたりするのが好き」というのは相当の強度において重なる。なおかつ、そういう精神構造のことを彼らは「独立自尊の精神」とか言うておる。え~え、逆と違うの~ん・・と思ったりするが、そういう「なにかと、まとまったりまとめられたりするのが好き」という精神構造・《ニーチェが言う「一人でいることができて、二人以上でいることもできるという人間」》の逆の人間 というのを「慶應心理学」では「自我が確立されている」と「診断」される。慶應という大学は「最低でも高校から行った人間が本物の慶大生」と言う大学で、それから考えると私などは「筋金入りのにせもの」ということになるのだが、私は慶應大学に行って「慶應という大学は最低でも高校から行くのでなかったら行く必要のない大学だ」という印象を受けた・・のだが、ところが、何年か前「週刊現代」で「慶應幼稚舎」の特集号が出ていて、そこで「幼稚舎から慶應」の人が逆に「慶應は大学だけ行けばいい学校だ。小学校から高校までは行く必要のない学校だ」と述べていたのを見たので、そう感じる人もいるらしいと知った・・が、そういうことを感じる人というのは、慶應の内部進学でも内部進学のいやらしさというものを認識できている人で、そういう人は「(慶應義塾の)外部の者」と内部進学の人が呼ぶところの「大学だけ慶應に行った者」とでもつきあっていくことができる方の人かもしれない。私などは同じ高校の出身者とか同じ中学校の出身者とかに、その点でいくらか親しみを感じることもあるが、だからといって何でも賛成・同意するわけでもないし、まったく別の学校の出身の人でも交わることはできる。又、結婚相手として考える場合でも、別にどこの学校の出身の人がいいとか悪いというものはなく、いい人がいいと考えていたが、それに対して、慶應の内部進学の人間はそうではない。彼らは「内部⇔外部」という思考が常に頭の中にあり、決してその思考から離れることはない。慶應の内部進学の男というのは「お嬢様」とかいうのが好きで、かつ、どういうのを「お嬢様」と認定するかというと、その女子大に行ったら「お嬢様」と指定されている私立女子大があるらしいのだ。アホちゃうか・・と私などは思ったのだが、公立高校出身者はアホちゃうか・・と感じる者が多いのだが、そういう思考の人間というのは「お嬢様」およびその裏返しとしての「慶應ボーイ」とは対極にある人間であり、「慶應らしくない」と罵られることになる。なんか、この学校に行ったらビョーキ移りそうでいやだな・・と思ったものだっがが、そのビョーキの精神構造のことを「慶應心理学」は「独立自尊の精神を持っている」とか「自我が確立されている」とか「福沢精神がある」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「アイデンティティーを持っている」とか「スマート」とかなんとかかんとか「診断」するのだが、要するに「内部進学独善主義」のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とかなんとかかんとか「診断」しているだけであって、それって逆と違うのか・・とか思っても、もともと「慶應心理学」というのは「慶應内部進学心理学」であるから、逆らっても勝ち目はない。だから、そういう《「もはや、我生くるにあらず、塾風我が内にて生くるあり」みたいな状態の人・「自我を失った状態の人」・「私たちの学年て、よくまとまってるよね」と「まとまってる」のを喜ぶ人・「何かとまとまったりまとめられたりするのを好む人」》というのか「微妙に別の顔をしていても頭の中身はどいつもこいつも『塾風』であって、『塾風』を取り去れば何もない人」、《「慶應心理学」の「診断」によると「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」という人》の中に入ってその状態に快感を覚えるようになったなら、おそらく、その人たちに精神構造が近づいたということではないか、むしろ、そういう人たちの集団の中にいると違和感を覚えたり、不快感を感じたり、さらに嫌悪感を覚えたりするならば、それは「慶應心理学」からは「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」とか「独立自尊の精神がないからそういうことを言うのです」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「思考の堅さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病ということですね」とか何とかかんとかわんわんわんわん「診断」されることになるので、うかつに「慶應心理学」に関わらない・近づかない方が身のためだが、そういう「自我が確立されている」のか「自我が確立されていない」のか、「独立自尊の精神がある」のか「独立自尊の精神がない」のか、そのどっちかだ。どっちにしても、慶應義塾高校の野球部がグランドで野球やっとる時にスタンドに行ってその集団に入るか入らないかは別に強制ではないのだから、それを居心地がいいと思う人はその集団に入ればいいが、居心地の悪さを感じる人間は無理にその集団に入れないといけないという義務まではないから無理に入らなくてもよい。どっちが「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」でどっちが「自我が確立されていない」「独立自尊の精神がない」なのか、自分自身で考える姿勢というものを失う・・という点に慶應の内部進学の学校に行った人の特徴があるが、中に「幼稚舎から慶應」の人でも、そういった点に気づいているような人もいるらしい。うちの父親は「わしは慶應やねんぞお」と常々言っているだけあって、小学校・中学校・高校・大学・大学院のどれも慶應には行っていないが「人格が慶應」のお方だけあって私とは逆で、「塾風団結主義」に快感を覚える方のタイプの人間のようだった。「多様性の中から調和を見出していく」と「団結主義」とは相容れないものだが、「団結主義」の人・「慶應タイプの『自我が確立されている』人」はそのあたりを死ぬまで理解できない。
しかし、こういう「ストレス解消法」を教えても教えてもやらず、「イライラっとしたからかけたってん」と四六時中、電話攻撃してくる人というのは、それをやらずにおれない症候群だったみたいだ
「ラッコラッコしてきた、ラッコラッコしてきた、イライラいらいらイライラしてきた、してきた、してきた、してきた、してきた」と四六時中電話してくるおっさんを「いいお父さんじゃないのお。あんなにいいお父さんがいたら私だったらものすごくうれしいわよお。私は父親がいなかったんだからねえ。私は両親が離婚したんだからねえ」と言いまくるバカ女症候群。自分は「イライラっとしたからかけたんねん」という電話は1本として引き受けずに勝手なことばっかり言いやがってからに、親方日の丸のええ仕事につかせてもらってからに、あの女は、まったく、ブスのくせしてとことんズッコイやつだった。
2015年、東武亀戸線「曳舟」と「小村井」の間くらいの所で、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://freedom.co.jp/ が設計をしたお宅のアフターサービスに行ったことがある。3階建てで屋上をFRP防水にしていて、2階・3階にもFRP防水のバルコニーを取りつけた家だった。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「設計士(さま)」と自称するできそこないの「設計兼営業」が設計する会社だ。「できそこないの」と言われると怒る者がいるかもしれないが、「実際、できそこないじゃねえかよお」てものだ。ひとつには「設計事務所」を名乗ると、「業者さん」が従業員に対して「先生」と呼ぶので、それで「その気になってしまう」人がいて、単に「バカでも入れる私大の建築学科」卒だというだけ・「入試なんか最初からない建築専門学校卒」だというだけのにーちゃん・ねーちゃんが「先生さま」になったみたいに思ってしまう傾向があり、なおかつ、設計事務所の経営者というのは自分もその類であることから、私などは「そういうのは良くないなあ」と思うところのそういう状態を肯定しようとするところがある、というものがあった。
(株)一条工務店 は「間違いのない家づくり」というのを「売り」にしていたが、それなら「間違いのない家」を作っているかというと、そうでもないだろう・・・というものもあった。1993年5月に、浜松の「研修」で講師役で来た名古屋南営業所の所長らしい近藤路夫が私に「入社して一番最初に一条工務店の構造の段階の建物をぱっと見てどう思った?」ときくので、「『これなら悪くないのではないか』と思いました」と言ったところ、近藤路夫は怒りだして「『これなら悪くないのではないか』とは何だあ! 『この上もなくすばらしい』と、どうして言えんのだあ」と叫びだしたのだったが、なんか、危なそうな人だな・・・と思った。「一番最初に一条工務店の構造の段階の建物をぱっと見て」と近藤路夫が言うから、だから「これなら悪くないのではないかと思った」と言ったのであり、「この上もなくすばらしい」かどうかとなると、それは「一番最初に一条工務店の構造の段階の建物をぱっと見て」で判断できるものではなく、もっとじっくりと見て吟味しないと言えないことではないか。「それで、今は『この上もなくすばらしい』と思っているのか?」と近藤路夫が言うので、「いや、そうは思えません」と答えると、「そういうことを言うからいかんのだあ~あ」と怒りだしたのだった。「どうして、『この上もなくすばらしい』と言えんのだあ」と近藤路夫は言うのだったが、そんなこと言われても、現実に(株)一条工務店の工事現場を見てまわると、施工ミスや問題点がいっぱい見つかったのであり、(株)一条工務店が住宅展示場に置いている「構造」についてのアルバム帳に写真入りで記載されている「施工ミス」に該当するもの、たとえば、下に基礎がない土台の上に柱が載っているとか、換気扇の穴の所で筋交いを切断しているとか、そういうのは同業他社の工事現場ではなかなか見ることができず、(株)一条工務店の工事現場で見ることができたのだった。なおかつ、小堀住研(株)では新卒社員向け研修の際に「もしも、小堀住研の工事現場を見に行って、施工ミスなどあった場合には、できるだけ早く、工事課に伝えること」と教えられ、そして、小堀住研(株)の工事課は伝えると喜んでくれたもので、又、すでに知っている場合には「あれは、引き渡しまでに・・・として処理しますから心配要りません」と教えてくれたものだったが、ところが(株)一条工務店の場合はそうではなくて、たとえば、神奈川県川崎市多摩区の(株)一条工務店の工事現場で、下に基礎がない土台の上に柱が立っているところがあり、又、床下換気口の真上に柱が立っていた。(株)一条工務店のその頃の工事現場では床下にタバコの吸い殻がいっぱい転がっているのが普通だった。それらを工事担当〔小堀住研(株)では「工事課」と言っていたが、(株)一条工務店では「工務課」と言っていた〕に話すと、東京事務所の工務課の主任の高須は「それがどうしたんですか」と、そう言ったのだった。はあ? 「もう、知ってたのですか」と私は言ったのだ。すでに知っていたことなので、それでうるさがって「それがどうしたんですか」と高須は言ったのかと思ったのだった・・が、違ったみたいだった。「いや、知りませんけれども、それがどうしたんですか」と言うのだ。言っている意味がよくわからなかったが、後から考えてみると、私の方は工事課・工務課といったところに勤務している従業員というのは、たとえ「バカでも入れる私大」であっても建築学科か土木学科を卒業した人で、営業やっている人間よりも工事について、建物の構造についてよく知っている・よくわかっている人なのだろうと思い込んでいたので、それで、下に基礎がない土台の上に柱が立っているとか、基礎で床下換気口があいている所の真上の土台の上に柱が載っているとか、そういうのは「施工ミス」もしくは「設計ミス」だと気づくのは当然のことだと思い込んでいたのだったが、高須にとっては「それがどうしたんですか」というものだったようだ。又、松戸市の(株)一条工務店柏が施工していた工事現場を見ると、(株)一条工務店が「間違いのない家づくり」のアルバム帳に「施工ミス」ですとして写真を掲載していた、換気扇の穴の所で筋交いを完全に切断している( 一一) というところがあったのだが、「あれは困ったものですねえ」と展示場の事務所で話すと「おまえは口きくな」とか「エスバイエルに行け、おまえは」と営業本部長の天野隆夫から怒られるのだった。なぜ、他社の工事現場では換気扇の穴の所で筋交いを切断することは少なく、(株)一条工務店とその共同出資会社の工事現場では換気扇の穴で筋交いを切断することが多かったかというと、原因として考えられるものとして、「(株)一条工務店の設計担当は、立面図を考えずに平面図を書いている」という点がある。図面というものは、基本的には「平面図と立面図」「平面図と展開図」を同時に書いて作成するものだ。もしくは、平面図だけ書くにしても頭の中では立面図もしくは展開図を想定しながら平面図を書くものだ。そうしておれば、この間取りであると筋交いはこの位置にきて換気扇の穴はこの位置にくるからその2つがぶつかるのではないか・・とか図面を作成している時に気づくものであるが、それを平面図だけで書くから、だから、筋交いと換気扇の穴がぶつかるのだ。なおかつ、大工が換気扇の穴を設けようと考えた時に簡単に筋交いを切断してしまうというのも問題だ。切断する前に工事担当・営業担当・設計担当に連絡をしてどうしたものか協議するべきだ。結論としては
(1)その工事現場の営業担当はお施主様の所に行って頭を下げて「申し訳ございませんが、私どもの不注意で、筋交いと換気扇の穴がぶつかってしまいました。換気扇の穴をあけるために筋交いを切断してしまうと、その部分で耐力壁がないことになってしまいます。これは避けたいことですので、避けるために、この部分の換気扇を当初、予定していたプロペラファンのものではなく、シロッコファンのものに変更したいと思うのですが、誠に申し訳ございませんが、プロペラファンの換気扇よりもシロッコファンの換気扇のものの方が値段が高いのですが差額を出していただくようお願いできませんでしょうか」と話すべきです。シロッコファンの換気扇を取りつけることで、それで換気扇の穴のところで筋交いを切断するのを防ぐことができると思う。それを営業担当・工事担当・設計担当に連絡することもなく、当たり前みたいに筋交いを平気で切断している大工は問題があるし、又、大工がそういうことをやっていることについて何とも思っていない工務課の工事担当・工務課の責任者には問題があるし、当然、営業担当も設計担当も問題がある。
(2)もうひとつの方法としては、筋交いの場合は切断してしまうと何の意味もないことになるが、合板もしくはOSBの場合は「換気扇の穴程度のもの」は開けても耐力壁として指定されている壁倍率は発揮されると考えてよい、とされているのです。これは構造計算をおこなう場合に、指定されている壁倍率を発揮できるということにして計算してよいとされているということですが、実際には換気扇の穴でも、電気のコードを通す穴でも、水道管・ガス管を通すための穴でも、穴が開いている場合と開いていない場合ならば、開いていない場合の方が強く、開いている場合は開いていない場合よりいくらか弱いでしょうけれども、筋交いを切断した時とは違って、「換気扇の穴ていどのもの」を空けても耐力壁としてまったく役に立たなくなるわけではないのです。だから、プロペラファンの換気扇を取り付けるのならば、キッチンの場合は普通、壁の下地には「防水石膏ボード」をとりつけて、その上にタイルを貼るか、あるいはキッチンボートといったもの、あるいはタカラスタンダードのほうろう板とかを貼るかすると思いますが、石膏ボードを貼る前に、合板もしくはOSBを貼って耐力壁として、その上に石膏ボードを貼るという施工をすれば、筋交いは切断して役に立たなくなっても、合板もしくはOSBを耐力壁とすることができるでしょう。この場合、わずかといえども合板もしくはOSBの厚みの分だけ部屋が狭くなるので、これは営業担当者からお施主様にきっちりと説明をして了解を得るようにするべきでしょう。私が担当なら説明をして進めますが、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫とかなら「そんなもん、黙ってやってしまえばいいら」とか言う可能性が高そうです。合板もしくはOSBの費用を出してもらうようお願いしてもいいですが、それほど高額でもないので、建築会社の方が筋交いと換気扇の穴がぶつかることに気づいていなかったという点にミスがあったのですから、合板もしくはOSBの費用は建築会社で負担するということも、ありかと思います・・が、そうしてしまうと(株)一条工務店みたいな会社は「それなら、入れなきゃいいら」とその合板もしくはOSBを入れたということにして入れない可能性が考えられますから、それを考えると施主の立場からすれば、たいした金額ではないと思われるので見積もりにきっちりと記載してもらった方がいいように思います。
もうひとつ、筋交いでも合板やOSBでも耐力壁として壁倍率は認められているのですが、筋交いは「線」で合板やOSBは「面」であり、どちらも耐力壁として役立つとしても、「線」のものと「面」のものとでは力の伝わり方が違う可能性が考えられ、それを考えるならば、ほかの部分の耐力壁が「線」の筋交いであるならば、換気扇の穴と筋交いがぶつかることになった場合は、その場所だけ「面」の合板やOSBを入れるよりも、「線」の筋交いを生かして換気扇の方をシロッコファンに変更するという方がいいということはないか、と思います。
(1)の方法にしろ、(2)の方法にしろ、そうやって対処する方法はあったはずですが、松戸市の(株)一条工務店柏 の建築現場ではそういった対処をすることなく、平気で換気扇の穴の所で筋交いを切断していたのです。
そういうものを私は見てきたので、だから、何も悪いものばっかりということではないが、問題点も見ているので、だから、「なんで、一条工務店の建物はこの上もなくすばらしいと言えんのだあ」と怒鳴りつけられても、そんなこと言うなら「この上もなくすばらしい」施工にしてもらえないものか・・と思ったものだった。
そうすると、近藤路夫はこう言ったのだ。⇒「だから、他社の工事現場に行ったなら、悪いところばっかり見る。一条工務店の工事現場に行ったなら、いいところばっかり見る。いいところばっかり見せる。もしも、一条工務店の工事現場に行って問題点があったなら、それは、なかったことにする。このように見ないといけない。このように見れば、そうすれば一条工務店の建物というのは『この上もなくすばらしい』ということになるんだ。どうだ、わかったかあ」とおっしゃるのだった( 一一)
そんな見方をしたならば、どこの建物でも「この上もなくすばらしい」ということになってしまうし、そもそも、それでは(株)一条工務店の建物というのはちっとも「この上もなくすばらしい」ことないということではないか。結局、近藤路夫は(株)一条工務店の建物はどういうところがいいのか、近藤路夫がわかっていなかったのだ。それで、よく売れたなあ・・と思うが、売れる場所にばっかり配属してもらっていたみたいだった( 一一) これは、この後、(株)一条工務店の比較的経験がある営業と話したものだが、(株)一条工務店の建物というのは「この上もなくすばらしい」とか「絶対的にいい」とか「問題点はまったくない」とか言ってしまうと、見込み客にでも契約客にでもそういうことを言ってしまうと、「この上もなくすばらしいか?」「絶対的にいいか?」「問題点はまったくないか?」という目で見られると問題点が見えてきてしまう建物であり、そういう言い方(近藤路夫みたいな言い方)をしてはだめなんだ、というのだ。そうではなくて、「悪くないよ」というくらいの言い方をして、「悪くないか?」という見方をすると、「悪くない」みたいに見えてくる建物なのだ。そうなのだよ。まず、在来木造というのはそんなにきちきちとした構法ではなくて、木という素材もそんなにきちきちとした素材ではなく、問題点を探し回ったらないわけではないとしても、結果として・全体として「悪くない」というものにもっていくというそういうものなのだ。だから、「全く問題がない」とか「この上もなくすばらしい」とか(近藤路夫が言うようなことは)言ってはいけないのだ。(株)一条工務店は自分自身がわかってない男に「研修」の講師役をさせていた。あのような「研修」は害がある。
そんなもので、(株)一条工務店の建物というのは問題点はなかったかというと、あったのだが、悪いところばっかりかというとそうでもなかったのだ。そういう物を「悪くない」というように解釈してもらって契約して建ててもらい住んでもらい、「悪くなかったかな」と思ってもらう・・というのが営業の職種の人間の仕事だった。近藤路夫の言うことなんかきいていてはだめなんだよ。
それで、だ。フリーダムアーキテクツデザイン(株)はどうかというと、「設計事務所」を名乗っていて、「世界でただひとつの家」とホームページに入れているのはいいが、普通ならそこに柱を入れるだろという所から柱を抜くとおもしろい・・とかそういうことを考えるヤカラが「設計士(さま)」を名乗って専門家ぶっているが、そんなの「おもしろい」か? 私はおもしろくないと思うのだ。建築というものは、構造と機能を考えて、その両方を満たした上で、なおかつデザインもまた優れたものを実現し、経済性も悪くないものにしてこそ「建築」だと思うのだ。構造上、普通ならそこに柱を入れるだろという所からわざわざ柱を抜いて「世界でただひとつの家」などと言われても、「そんなアホなことする人、あんまりないでえ」という「世界でただひとつの家」なんて、私はいいとは思わない・・・が、世の中にはそういうのが好きな人もいるらしいので「蓼食う虫も好き好き」というのをいかんと言うわけにもいかないのだろう・・が、万一、うちの隣に建てて地震の時に倒れ掛かってくるのはやめてほしいと希望する。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)にいた時、同社の「設計兼営業」が(株)一条工務店と競合になって「一条はまだ図面が出ないんだ。なんでだろうな」と首をかしげていた男がいたが、私はその理由を知っている。どこの会社も自分の所と同じやり方で進めていると勝手に信じている若造に、それは違うよ・・と教えてあげようかなとも思ったが、「設計士(さま)」とか自分を思っているやつというのは教えてあげてもきかないし、そもそも、自分を「設計士(さま)の先生様」だと思っている「バカでも入れる私大の建築学科」卒のやつとか「入試なんか最初からない建築専門学校卒」の若造とかは自分を「先生様」だと考えていて「先生様がなんで人の意見をきかなきゃならんのだ」とか思っているので、そんな人に教えてあげようとしても、無駄。 元中日ドラゴンズ・西武ライオンズ・阪神タイガースの田尾がYouTube 「田尾チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E5%B0%BE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB で西武にいた時、清原が入団してきて高卒1年目でありながらものすごい成績をあげたが、「そうなると、もう先輩選手の言うことなんか、ききませんね」と話していたが、なんだか「バカでも入れる私大の建築学科」卒のやつとか「入試なんか元から内建築専門学校卒」のやつとかみたいやな・・と思った。だいたい、日本の「建築専門学校」というのは全部、ぶっつぶした方が社会のためではないかと私は思っている。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)のいいところとしては「設計事務所」を名乗っていて、「世界でただひとつの家」を名乗っている会社なので、それだけに、細かいことでも独自のことでも、どこまでも嫌がらずにつきあうという点かと思う。(株)一条工務店みたいに、この部分は「オリジナル」のものを使うとか決まってないし、「間違いのない家づくり」と言う(株)一条工務店はその結果として「面白味のない家づくり」になりかねないところもあるのだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)なんぞはそういうことはない。しかし、アホが設計やってるから、「わざわざ、つまづきやすい段差を作ってみたら面白い」とか「必要のないクランクを廊下に作ったら面白い」とかそういう奇妙なことをやりたがる。『C級サラリーマン講座』に二階堂課長が好きなゲテモノの店というのがあって、「まずい。こんなまずいもの、食ったことねえ」とかいう店をおもしろがって入ったりするが、それと似ている。「世界でただひとつの家」というのは「世界でこれほど住みやすい・かつ、安全な構造で・デザインもよく経済性も優れている」という家ならいいのだが、「なんで、わざわざ、こんな使いにくい家にするの?」「なんで、わざわざ、構造上、問題が発生する可能性があることやるの?」というのを「世界でただ一つの家」としてやりたがるのだが、それは「設計力がある」のではなく「設計力がない」のであり、「独創性がある」のではなく「独創性がない」からそんなことするということのはずだが、そのあたりを理解できない人間がこの会社には多い。要するに未熟な人間が多いのだ。だから、(株)一条工務店も「この上もなくすばらしい」かというとそんなことない、問題点はいっぱいあるのだけれども、フリーダムアーキテクツデザイン(株)と比べると、「まだまし」な部分もある・・というより、構造・安全の基準については、比べる相手のレベルが低いからなのだが「ずっとまし」なところがある。
施工方法について、「このやり方でないとだめ」とか「このやり方はだめ」とか戸建住宅建築業の会社で言っているものは、それぞれの会社で異なる。バルコニーとベランダはどう違うか・・といっても、これは日本では人によって使い方が違い、戸建住宅建築業の会社によって使い方が違い、同じ意味で使う人もある。それで、下の階の上に載っているものをバルコニーと言い、アルミでできた足のついたやつをベランダと言う場合もあるが、それは会社によって異なる。
それで、小堀住研(株)ではバルコニーは下階の上に載せるものの場合はFRP防水によるものでないとだめ、ほかの防水方法はだめで、そうでなかったらアルミ製の足のついたベランダか、壁面にぶら下がる金属製のものかとしていた。(株)一条工務店では私が入社した1992年においては「(FRP防水ではなく)防水シートでシート防水をして下階から1尺5寸(455mm)必ず外に出して、外に出た所を雨水が流れるようにしないとだめ」と言っていたのだ。私は元々は建築学科卒とかではないので、小堀住研(株)ではFRP防水でないとだめと言われて、(株)一条工務店ではそうではなくてシート防水で人工芝で防水シートを保護しバルコニーを455mm下階の外壁ラインから外に出さないとだめと言われると、どっちの言うことが正しいのかわからないのだった。ところが、小堀住研(株)では最初に言われたのが「カタログを見たり、展示場を見たりして、意味がよくわからないものとかあったなら、すぐに課長か先輩社員か専門の部署に尋ねるか、もしくは自分で調べるかして、お客様から質問を受ける前に理解しておいて、お客様から質問されたら必ず答えられるようにしておく」と教えられたのだったが、私は会社によって異なるものもあれば、たいていの会社において共通するものもあると考えていて、これは小堀住研(株)においてだけではなく、(株)一条工務店においても共通してあてはまることであろうと思い、同社のカタログを見たり展示場の建物を見たり建築中の工事現場を見て、これはどういうことだろうかと思ったものは質問するようにしたのだったが、ところが(株)一条工務店では特に営業本部長の天野隆夫は東京営業所長・松戸営業所長を兼任していたので、来所した時に質問したことがあったのだが、質問するとたいてい「エスバイエルに行け、おまえはあ」と言われるのだった。どういう意味なのだろうか・・と意味がよくわからなかったのだが、お客さんから同じ質問をされたら「エスバイエルに行け、おまえはあ」と言えということなのだろうか。どうも、(株)一条工務店という会社は「質問するとよくない会社」だったようで、特に営業本部長の天野隆夫は質問されると自分が答えられないので、それで「エスバイエルに行け」と言うらしかった。だから、小堀住研(株)では「カタログを見たり、展示場を見たりして、意味がよくわからないものとかあったなら、すぐに課長か先輩社員か専門の部署に尋ねるか、もしくは自分で調べるかして、お客様から質問を受ける前に理解しておいて、お客様から質問されたら必ず答えられるようにしておく」という姿勢でよかったが、(株)一条工務店は「質問するとよくない会社」だということを認識しないとだめだったようだ。バルコニーの防水にしても、FRP防水とシート防水はどっちがいいのか・・なんて私はわからなかったので、質問すると答えてもらえるだろうと思って質問したのだが、(株)一条工務店はそういうことを言うと「エスバイエルに行け」と言われる会社だった。そのうち、(株)一条工務店もバルコニーの防水はシート防水ではなくFRP防水の方法をとるようになった。他の会社では、2010年、千葉市中央区の新華ハウジング(有)にいたS井さんが前にいた広島建設ではバルコニーの排水は下から取らないとだめで横からとってはだめと言っていたらしい。ところが、どうも、そういうあたりを「どうでもいい」みたいにしていたのがフリーダムアーキテクツデザイン(株)だった。「設計士(さま)」を名乗り「先生」を名乗る「バカでも入れる私大の建築学科」卒の若造は、「設計士(さま)」を名乗り「先生」を名乗るのならば、そう名乗らない者よりもそのあたりはきっちりと考えて施工法を決めればよさそうなものだったが、そうではなかった。フリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」というのは、何を構造の安全基準とするかというと建築基準法で、建築基準法を満たしている限り、「これはいけない」とかいうことは「絶対に行ってはいけない」とアフター課の山本大輔(男。当時、20代前半)が言っていたが、そんなもので、この会社では構造の基準がものすごく甘かったのだ。建築構造の教科書のようなものに、こういう施工はいけませんと書かれているようなものでも、「そういうことは絶対に言ってはいけませんからねえ」と山本大輔は主張し、無茶苦茶危険側の施工をやりたがるのだった。「いくらなんでも、普通、こんなことせんだろう」ということをフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計士(さま)」は次々やっていた。
それで、屋上の施工についてだが、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) も(株)一条工務店も「FRP防水による屋上の施工は不可」としていたのだったが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)はFRP防水の方法で屋上の施工をしていたのだった。大丈夫かいやあ・・と思いそうだが、はっきりと「施工ミス」とか「設計ミス」とか言う性質のものではない。これは安全基準を厳しめに考えるか甘めに考えるかの問題である。(株)一条工務店では「FRP防水で屋上を施工すると、必ず・すぐに雨漏れします」と先輩社員から教えられたが、それは嘘だ。「必ず・すぐに」は雨漏れしない。なぜかというと、この墨田区でフリーダムアーキテクツデザイン(株)で3階建てを建てて3階の上に屋上をFRP防水にして建てられた方のお宅に「1年点検」に私は行って見せてもらったが、入居1年後において、FRP防水の屋上は別に雨漏れしていなかったからだ。だから、(株)一条工務店の古手の従業員で「FRP防水で屋上を作ったら、必ず・即座に雨漏れする」と言いまくる人がいるが、「必ず・即座に」というのは嘘であって、そういう嘘はつかない方がいいと思うが、つきたがる人間シンドロームの人が(株)一条工務店には多かった。そういう人はきっちりとした論拠など特に調べたわけでもなく、「言い切ってしまえば、お客さんは納得する」という思想から「言い切る」ということをしていただけだったのだ。
しかし。実際問題として、屋上をFRP防水で加工した建物というものは、「ある」。小堀住研(株)はFRP防水による屋上施工は禁止と言っていたが、それは「社内ルール」であって日本国の法律で禁止されていたわけではない。(株)一条工務店でもFRP防水による屋上施工は禁止と言っていたが、これも「社内ルール」であって日本国の法律で禁止されていたわけではない。フリーダムアーキテクツデザイン(株)はFRP防水による屋上施工を、何ら問題とせず設計して、施工会社に依頼してFRP防水による屋上施工をおこなっていた。そして、(株)一条工務店の「オリジナル」従業員は「FRPで屋上の施工をしますと、間違いなく絶対にすぐに雨漏れおこします」と言っていたが、「すぐに」雨漏れ起こすというのは嘘だ。なぜなら、フリーダムアーキテクツデザイン(株)が施工した墨田区の3階建てのお宅はFRP防水で屋上を施工していたが、入居後1年経っても雨漏れは起こしていなかったし、目視でも屋上のFRP防水の部分に問題は発生していなかった。しかし、問題は1年で雨漏れを起こすかどうかではないはずだ。(株)一条工務店の「オリジナル」営業が嘘を言うのは毎度のことであり、「すぐに」雨漏れ起こすわけではないものを「すぐに」絶対に雨漏れしますとかそういう問題について自分でよく調べたわけでもないのに、「言いきったら」お客さんは信じるという「営業力」から「言い切る」という人がいるのだが、そういうのはいかがなものか・・と思う。
それで、1年程度で「必ず」雨漏れを起こすということではない。(株)一条工務店のアホ「オリジナル」営業の言うことなんか信じる方がアホである。しかし、それなら、小堀住研(株)がFRP防水による屋上施工は禁止としていた、(株)一条工務店もFRP防水による屋上施工は禁止としていたというのは、それは荒唐無稽な判断だったのか・・というと、そういうことではないはずなのだ。どこだっけ、ステンレス鋼など金属防水による屋上施工をやっていた会社の人間が言うにはFRP防水でのバルコニー施工は何年か経ったらFRP防水をやりなおさないといけないが、金属防水の場合は半永久的なもので防水をやりなおす必要はないということだったが、それとともに、その会社でもFRP防水による屋上施工は推奨できないが、金属防水なら問題はない。金属防水であれば、費用はFRP防水の約3倍かかるが、その後、入居後にFRP防水のように塗装をやり直す必要はないので、長い目で見るならばそう高いわけではない。又、ステンレス鋼などによる金属防水の場合は、その上に少し土を入れて、そこで草花を栽培したり、それほど根を張らないそれのど高くならない木なら植えることも可能だがFRP防水の場合はそれは禁止・・ということだ。一般にフリーダムアーキテクツデザイン(株)の自称「設計士(さま)」というのか、たとえ「さま」までつけず「設計士」でも、よく自分で「設計士」などと言うものだと思う。フリーダムアーキテクツデザイン(株)のそれらの者の職種は「設計 兼 営業」のはずで、「設計 兼 営業」から「兼 営業」を取り除いて、「設計」に勝手に「士」をつけて呼ぶというあたりからして、意識がそんな意識だと言えるのだ。客・施主の側で少々おだてれば気をよくして働くだろうと思って「設計士さん」とか言う人がいるが、そもそも、日本には一級建築士・二級建築士・木造建築士・一級建築施工管理技士・二級建築施工管理技士といった国家資格はあっても「設計士」などという国家資格は存在しないし、フリーダムアーキテクツデザイン(株)でも「設計士」とは会社としては言っていないにもかかわらず、自分で勝手に「設計士」などと名乗りたがる症候群( 一一) というあたりからして人間的に程度が低いことが示されている。又、「設計 兼 営業」の仕事でありながら「兼 営業」の方を切り落とすというあたりは、営業の仕事がどれだけ大事かということが理解できていない。
もしも、私がフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」だったならば、屋上施工がふさわしいお宅の場合だったならば、FRP防水での屋上施工ではなくて、ステンレス鋼など金属防水による屋上施工を勧める。その方が良心的だ。FRP防水の方が安い・・としても、多くのハウスメーカーが「FRP防水による屋上施工は禁止」としているものを、それを単にひとりの「設計 兼 営業」・「バカでも入れる私大の建築学科」出ただけ、もしくは「入試なんか最初からない建築専門学校卒」が「設計士(さま)」ぶりっこぶりっこ やって、自分は「設計士(さま)」の「先生」なんだから多くのハウスメーカーが禁止だとしてやらないことでも自分がやったら大丈夫です・・みたいな言い方をしてそういう施工をして、それで大丈夫なのか? ・・・というと、おそらく、早いか遅いかの違いはあっても、いずれ、問題は出てくる・・と思う。その時、その「設計士(さま)」ぶりっこの若造は責任とれるのか? ・・というと、契約約款にはそういうものには責任は取りませんと書かれているはずだ。フリーダムアーキテクツデザイン(株)は何かと安全基準が一般的なハウスメーカーよりも甘い。そのあたりを良心的な「設計 兼 営業」ならば認識して、自分が担当のお宅に関しては、そんな甘い基準、要するに問題が出る可能性が大きい基準では設計しないんだという姿勢で取り組むべきだ。墨田区のお宅の「設計 兼 営業」の榎本は「お客さんとの約束に遅刻する」「業者との約束に何時間も連絡なく遅刻する」と悪評判が定着していた男だったが、そういうものに「業者」がかんかんに怒っていても平気な男だった。私も「業者」から、あいつのこと会社に言っておいてと頼まれたが、ひとと約束して連絡もなく何時間も近くするというのはいいことではないし、まったく懲りていないようで私と約束しても榎本は必ず遅刻してきたし、遅刻してきた男が言う文句は「すいません」であるはずだが榎本はそうではなく「どうもお」と毎度言っていた。私は榎本の所属する班の班長にこれはいけないと言おうとして、榎本の所属している班の班長は誰か調べてみたら、榎本の所属する班の班長は榎本だった( 一一) だめだ、こりぁ。 そんな態度だから、だから、「この設計では入居後、問題が出てくるのではないか」というものを無責任に設計して建てさせるに至るのだ。こんなこと言って、もしも、問題が出てきていなかったらどうなんだ? と言われるかもしれない。これは「あること」なんだ。(株)一条工務店で、2001年、栃木県佐野市の営業所にいた時、栃木県南部営業所の所長(役職名は「副所長」)にならせてもらって赴任した木下(男。当時、40代)が「一生懸命やったのに、しょーもない所で契約されてしまって、その後、地震があったりすると、あそこの家、つぶれただろ・・と思って見に行ったらなんともなかったりするんだ」と自嘲気味に話したことがあって、俺が思ったことがあることと同じことをこの人も思ったんだな・・と思ったことがあった。(株)一条工務店と同程度の会社との競合で取られたのなら取られた営業が悪いのかと思うところだが、な~んであんな所になんか頼むんだ・・という所に頼む人というのがいるのだが、それでも、一時は自分の所の会社で自分を営業担当として契約することを検討してくれた人なのだから、その後、地震があったとかいう時に「つぶれてしまえ」とか「ざまあみろ」とか考えるべきものではない、そのようなことを思うのは卑しい人間である・・と思いつつも、俺の言うこときかないでしょーもない所に頼んだからには、地震があったら問題出てるだろ・・なんて思うと、少なくとも外から見たらちっとも問題でてなかったり・・・ということは、これはよく「あること」なのだ。だから、FRP防水による屋上施工は禁止 と小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも言っていて、ほかのハウスメーカーでもそうしている所が多いにもかかわらず、フリーダムアーキテクツデザイン(株)ではそれを平気でやる・・ということは、これは大丈夫か? ・・という気持ちになるのだが、(株)一条工務店の「オリジナル」従業員は「言い切ってしまえば、お客さんは信じますから」と言って「言い切る」ということをする人がいて、そうやって「絶対にすぐに雨漏れ起こしますから」などと「言い切る」人がいるようなのだが、お客さんが信じても信じなくても、実際問題として墨田区のそのお宅は入居後1年では問題は発生していなかったのであり、「一条オリジナル」が「言い切ればお客さんは信じる」というその考え方は、私はいいとは思わない・・けれども、しかし、これは「程度の問題」であり、長い目で見るならば、私が「設計 兼 営業」であるならばFRP防水による屋上施工ではなくて、ステンレス鋼など金属防水による屋上施工の方を勧めますね。最初にかかる金額はFRP防水より高くても、その費用はかけてもらう価値があるはずだと思うからです。
そして、その墨田区のお宅は2階と3階にFRP防水によるバルコニーも設けておられたのだが、「これ、いいんですよ。ここでバーベキューやって楽しんでるんです」と言われたのだ。はあ? バーベキュ~う?
小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも、FRP防水のバルコニーで「これ、バーベキューでもできますねえ」という見込み客・契約客の方があったのですが、どちらの会社でも、そう言われた時に「バーベキューはやめておきましょうよ」と言っていたのです。
しかし、FRP防水のバルコニーでバーベキューはやってはいけないものなのか。だめならば、なぜ、だめなのか? この理由について、私は小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも何人か、自分より古くから在籍しているような人にきいてまわったのですが、誰も適格な返答はしてくれなかったのです。
最近の建物というのは昔の建物と違って住宅の建物でも防火性能が相当良くなってきています。特に、家の外側は、私が子供の頃、1960年代後半、小学校の4年の時に転居するまで住んでいた大阪市東住吉区の家では、我が家はモルタル壁で、東側の隣家もモルタル壁で、北側の向かいの家は鉄筋コンクリート造でしたが、西側の向かいの家は板壁で、ほかにも板壁の家がけっこうありました。板壁の家だと、もしも「燃やしてやる」とか考える人がいたならば燃えやすいのではないかという感じがしました。『がきデカ』で「こまわりくん」が、「かあちゃん」からおつかいに行って来いと言われて、言うことをきかないので思いっきり平手打ちされた、「思いっきり殴りやがったな」と、そして「燃やしてやる」とマッチをすって家に火をつけようという場面があったが、今の家というのは外壁はモルタル壁かサイディング壁が多く、サイディング壁は窯業系サイディングと金属系サイディングがあるが、いずれであっても、マッチで火をつけて近づけたとしても簡単には燃えないと思われます。だから、そのあたりを見ると、簡単に火事は発生しないみたいに思えて、それでいて現実には火事は起こっています。
バルコニーをFRP防水にした場合ですが、外壁については小堀住研(株)では「高品質低価格」タイプの「ハウス55」では窯業系サイディング壁を使っていて、高級住宅志向の「新 桂」の場合は「軽量プレミックスモルタル」という要するにモルタル壁の施工にしていて、(株)一条工務店は窯業系サイディング壁の施工にしていましたが、いずれも防火性能は悪くないはずです。問題はFRPですが、これはどういうものかというと、私は福島県いわき市でだったか栃木県佐野市でだったか、どっちでだったか展示場の来場客から「FRPて何?」と質問されて、「FRPは、英語でファイバー レインフォースト プラスチック(fiber reinforced plastic)の略で、日本語にするとガラス繊維強化プラスチックと言うのですが・・」と話し出すと、「わかんない。全然わかんない」と言われ、それならと「プラスチックの中にガラスの繊維を注入することで強度を増すようにしたもので、湾岸戦争の時にアメリカ合衆国軍が使用したスティルス戦闘機はFRPでできていたと言いますが」というと「まったくわからない」と言われて、しかたなしに(株)一条工務店の展示場の浴室に連れていって、ユニットバスの床を叩いて「これです」と言うと、「なんだ、それか」と言われたので、なんかあほくさいなあ・・と思ったことがありました。スティルス戦闘機の話は何に載っていたかというとネタ元は『ゴルゴ13』だし言っても受けないから一回話しただけで、その後は言わないことにしましたが、こうこうこういうものでと一生懸命説明しても「わからない」と言われて、「これです」とユニットバスで指すと「なんだ、それのことか」とか言われてしまうということは、よくあることでした。でも、スティルス戦闘機に使われているくらいで、又、FRPを筒に使った銃なんてものも『ゴルゴ13』には登場しますから、だから、FRPというのはけっこう強いのではないのか・・という感じがするのですが、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも、「バルコニーでバーベキューなんて、やめた方がいいですよ」と言われて、それでいて、なぜだめなのかという理由については、結局、誰もきっちりとは説明してくれなかったのです。
だから、なぜ、バルコニーでバーベキューをやってはだめなのか、私も理由はよくわからなかったし、建築の本を読んでも、こうだと書いてあるものを見つけることはできなかったのでしたが、他方でフリーダムアーキテクツデザイン(株)では「榎本さんがバーベキューでもできると言われてやってるんですけど、いいですよお」とか入居者から言われると、は? いいのか? 小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも「バルコニーでバーベキューはやめておきましょう」と言っていたのだが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)では、いいのか?
図面の仕様書を見ると「防火FRP」と書かれていたのです。「防火FRP」とは「普通のFRP」と違うのか? バーベキューやっても大丈夫なようなFRPなのか?
それで、私がそのお宅の「設計 兼 営業」ではなかったので、その場では曖昧な態度ですませて、フリーダムアーキテクツデザイン(株)に戻ってから「設計 兼 営業」の榎本に「入居者の何何さんがバルコニーでバーベキューやっていると言われたのですが、この『防火FRP』というのは、『普通のFRP』と違って特に防火性能が優れたFRPなのですか?」と言ったのだが、榎本は「普通のFRPですよ」と言うのだった。「大丈夫ですか。バルコニーでバーベキューなんてやって」と私は言ったのだが、榎本もよくわかっていないみたいではっきりと返答しなかったが、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも推奨していないものをフリーダムアーキテクツデザイン(株)では入居者に平気でさせている・・て、大丈夫なのか? 今も疑問に残るのだが、小堀住研(株)および(株)一条工務店で、バルコニーでバーベキューをやることに対して「やめておきましょうよ」とお客さんに言っていた、その理由というのがはっきりとわからないので、今もこの問題について確固たることは言えない。
それはそれとして、私が入居者なら、バルコニーでバーベキューはやらない。なぜかというと、もしも、庭でバーベキュー、もしくはバーベキューではなくて芋煮会でも落ち葉を燃やしてサツマイモを焼くにしても、庭がある程度広い場合限定で、建物からある程度離した場所、かつ隣地境界からもある程度離れた場所でやりませんか。建物のすぐそばで火を燃やしたりしないでしょ。現在の家の外壁はモルタル壁にしても窯業系サイディング壁でも金属系サイディング壁でも、防火性能は相当優れているので板壁の家などと違ってちょっとくらいなら火があたっても燃えない可能性が大きいでしょうけれども、そうであっても、家の外壁のすぐそばで火を燃やしたりはしませんでしょ。やるとすると、ある程度以上、庭が広い家で家の外壁からある程度以上離れた場所で、隣地との境界線からもある程度離れた場所でやるでしょ。
それが、バルコニーとなると出幅が4尺5寸(1364mm)(1mと36センチ4ミリ)のものでも「広い」と感じて、そこでバーベキューやりたい気持ちになるようですが、バルコニーではなくて1階の庭だったら、外壁からその程度の範囲の場所でバーベキューなんて、普通はやらないのと違いますか。なぜか、バルコニーだと「広い」と思えてきてバーベキューやりたくなるみたいですが、そこが1階の庭だったら・・と考えると、1階ならそんな場所ではやらないように思うのです。又、2階や3階のバルコニーでバーベキューなんてやって、火が隣地に飛んだら・・とか考えると、FRPがどうかと別の問題として、やらない方がいいのではないか・・と思えてきます。
FRP防水の床面に火が落ちた場合にどうかという点については、はっきりとどうと書かれたものを私は見つけることができずにおります。だから、あまり断定的なことは言えないのですが、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも「バルコニーでバーベキューはやめておきましょうよ」と言っていたものを、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の榎本はそれを平気でお施主さんにバーベキューをさせている。大丈夫だという論拠があったのかというと、ないと思うのです。よくわかっていないまま、させていたと思うのです。
FRPというと、小堀住研(株)ではバルコニーの防水はFRP防水にしていて、(株)一条工務店では1992年の時点では「シート防水の方法で防水シートの上に人工芝をしいて防水シートを保護して、バルコニーの先を下階の外壁ラインから1尺5寸(455mm)外に出す」ということにしていたものを途中からFRP防水に変更したのでしたが、どちらの会社も屋上施工はFRP防水では不可としていたが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)はFRP防水による屋上施工をやっていて、そして、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも「バルコニーでのバーベキューはやめておきましょうよ」と言っていたものをフリーダムアーキテクツデザイン(株)ではさせていた。どうも、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は安全基準が小堀住研(株)や(株)一条工務店に比べてかなり緩いようだった。
2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」のにーちゃんが3階建ての住宅で(株)一条工務店と競合になっていたけれども、「なんでか、一条はまだ図面が出ないんだ」とか言っていたのを見ました。フリーダムアーキテクツデザイン(株)と(株)一条工務店では、相当タイプが違うはずで、普通、競合になるのは似たタイプの会社が競合になるもので、相当タイプが違う会社がなんで競合になってんの? と思ったのだったが、「在来木造で3階建てを建てる所」という点が共通点だったみたいです。
フリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」の人間というのは自分を「設計士(さま)」とか「設計事務所の先生」とか「バカでも入れる私大の建築学科」卒のにーちゃん、「入試なんか最初からない建築専門学校卒」でたいしてわかってないのに自分は「先生」になったみたいな気持ちでいる人間というのは、自分を「設計士(さま)」で「先生」とか思っていて「営業」と思っていないので、どうすればこちらで契約してもらえるか、ということをあんまり真剣に考えていないみたいだった。もし、私がフリーダムアーキテクツデザイン(株)の「設計 兼 営業」で(株)一条工務店と競合になっていたら、フリーダムアーキテクツデザイン(株)というのは「設計事務所」ということであり、「世界でただひとつの家」と称している会社であるだけに、細かいこと・独自のことをやりたい人に対して、嫌がらずに対応するという特徴があるわけですから、そこに引っ張り込めば、(株)一条工務店はそのうちついて行けなくなるでしょう。
逆に(株)一条工務店の「営業」だったならば、フリーダムアーキテクツデザイン(株)のいいかげんな安全基準、無責任な安全基準を指摘して、(株)一条工務店にまったく問題点がないということではなく、名古屋南営業所の近藤路夫が「一条工務店はすべての面にわたって完璧にすばらしい」とか言ったような発言は嘘であって問題点はあるのだけれども、少なくともフリーダムアーキテクツデザイン(株)が設計した建物に比べたら、安全基準はよっぽどまとも・・だということを噛んで含めるように説明してあげれば、そうすれば(株)一条工務店の方に引っ張れるでしょう。
「どっちかに教えてあげたいなあ」と私はその時に思ったのでしたが、ひとがせっかく好意で教えてあげようとしても、どっちも言うことをききそうにない印象だったので、特に(株)一条工務店だと営業本部長の天野隆夫から「おまえは口きくな」とか言われそうで、「おまえは口きくな」などと言われてまで教えてやらなきゃならない筋合いはない! フリーダムアーキテクツデザイン(株)では「設計士(さま)なんだから」ということでアフター課の阿諏訪(男。当時、40代)とかが「設計士(さま)」のなさることには「下々の者」は何でも言うこときくべきで、決して「設計士(さま)」のなさることに意見を言うようなことはあってはならない・・みたいに思っているようでしたので、そんな「先生さま」らしい未熟な若造にこちらが何年も苦労して勤めてきて身につけたようなことを教えてやることないわなあ・・・と思うようになったのでした。
↑ 東武亀戸線「亀戸」駅と東武亀戸線の電車。 右側の少し高くなった土盛りされた所はJR総武本線「亀戸」駅。
JR総武線・東武亀戸線「亀戸」駅から明治通りを北に行って、「亀戸4丁目」交差点で蔵前橋通りに左折して西に進むと、北側に亀戸天神があります。亀戸天神の北西のあたりのマンションに住まれていた方のお宅に訪問したことがありましたが契約には至りませんでした。その際に、亀戸天神の塀が近くにあるのを見て、けっこう大きな神社のようだけれども・・とそこに亀戸天神があるのを知りました。山本有三『路傍の石』にも亀戸天神は登場します。
東武亀戸線には「亀戸」と「東あずま」の間に「亀戸水神」駅がありますが、亀戸水神と亀戸天神は別です。神社の境内の広さなどは亀戸天神の方がずっと広いのですが、東武亀戸線「亀戸水神」駅から西に200m弱歩いたあたりにあるのは「水神」の方です。亀戸水神は神職は常駐していません。
亀戸に本店があるのに「船橋屋」とはこれいかに・・の「葛餅の船橋屋」の亀戸天神本店は亀戸天神に入る参道の少し西に蔵前橋通りに面してある。 本店ではないが、千葉県船橋市にもJR・東武「船橋」駅近くの東武船橋店とシャポー船橋の中にも船橋屋の売店がある。なかなかおいしい。
※ 元祖くず餅 船橋屋 https://www.funabashiya.co.jp/
(2023.11.7.)
☆ 燈明寺(平井聖天)と平井諏訪神社〔東京都江戸川区平井〕
1.平井駅から蔵前橋通りを横断し、諏訪神社の前を通って燈明寺へ。計画性のないチムニー(株)「ファーストグルメ」平井店。「(一条工務店の某営業のように)郵便物を盗むことは犯罪行為です 小石川警察署・・」。「無責任の体系」のチムニー(株)の面接。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500980727.html
2.門をくぐり正面に聖天堂、右手に金堂。門の内側右に弘法大師像? 左に水子地蔵。「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると考える「子供」帝国主義の女とその夫に殺されたわが子の恨みをはらしていただくよう、水子地蔵様に祈願してきました。反社会的勢力雇用均等室を叩き潰せ! https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501018586.html
3.門から入り、左に鐘楼、正面に聖天堂・右に本堂。「裏でなく 正門で入ろう 大学は」。八百長医者屋民族の嘘。この人間がこう言ったら実態はこんな感じかと推測するか、言った通りと推測するか。父親がなかったから父親がいるとどんなに大変か理解できないバカ女症候群。
4.「歓喜堂」「聖天堂」。RC造の1階の上の「歓喜堂」「聖天堂」。聖天堂から見た鐘楼・本堂。大聖歓喜天・ガネーシャとは。冠をつけている方が観音で足を踏まれている方が歓喜天なのか、両方が大聖歓喜天なのか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501111583.html
5.不動明王を祀る本堂。不動明王とは。真言宗の新義と古義の経緯とは。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501141339.html
6.平井諏訪神社。江戸川区一の社殿、区登録有形文化財の稲荷社は彫刻がきれい。平井富士塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501193898.html
7.旧中川にかかる平井橋・荒川放水路で分断された中川・高校教諭は親に苦しむ生徒に助力するものと違うのか・「両親が離婚した」娘はみんなでほめなきゃならんのか・「両親が離婚した」らエライのか・「京大でも通りました」と母親が言ってまわる阪大生には何かしてあげるべきなのか・クロマティ高校卒の男は浪人する権利があるのか・あまりにも「一番」追いかける人は、結局、何がやりたいのか?・おばさんの似顔絵入りウチワと30代の女の「握手しましょ」はどっちが「利益供与」かhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501232436.html
8.同僚を営業本部長に讒言する男とそれをきく営業本部長、会社のルールを破って人の追客中客を強奪して放置する所長とそれに加担する営業本部長、自社が損する嘘をつきまくる営業、「研修」で得意がって嘘教える男、〇日に見積書を持って来てくれと頼んでその日はパジャマで奥にいる人、「下位互換」の会社は立場が弱い、「失投」が来る浜松・掛川・名古屋の営業と「一流投手の会心の球」しか来ない東京・松戸営業所。吾嬬町とは。大正民家園https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501276979.html
9. 墨田区立花の白髭神社。自分が店員に腹立つことがあっても、会社が提携している店と勝手に喧嘩していいものではないであろう。いったん、もめても修復すべく働きかけるのが「営業力」、往復40分歩かせて交通費をけちる会社の判断は間違い。小村井交差点https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501343357.html
10.亀戸線「小村井」~「亀戸」駅。自分が勤務する新展示場開設に尽力してくれた相手に「すいません」言わない営業・構造安全基準が甘い設計会社・気持ちが落ち着く方法17〔今回〕
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