キーウ他の歴史的建造物を大事にする心と人命を尊重する心は相反するものか共通するものか。湿地帯だったサンクトペテルブルクの建築、及、地盤調査と地盤補強を「要らない」と言ったり必要と言ったりする会社。イルクーツクのペリメニはおいしかった、マクドナルドなど「西側」のチェーン店が撤退してもロシア連邦の飲食店は存続するだろう。ユダヤ自治州の「ユダヤ人」は『聖書』の時代にユダヤ・イスラエル地区に住んでいた人の子孫ではなさそうーロシア軍のウクライナ侵攻に際してB【2/2】
[第2018回]
【4】 レニングラード(サンクトペテルブルク)
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)に掲載されているのは、モスクワと「黄金の環」と言われるコロメンスコエ・ザゴルスク・ペレスラブリザレッキ・ウラディーミル・スーズダリ・ヤロスラブリ・ロストフベリキーと、キエフ、それにレニングラードと日本の豊橋ハリストス正教会・函館ハリストス正教会。
豊橋ハリストス正教会 については、
哲建ルンバ [第264回]《豊橋ハリストス正教会・聖使徒福音記者マトフェイ聖堂(愛知県豊橋市) 訪問―日本の教会建築(15)》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201609article_1.html
で述べましたので、よろしければ見てください。
それで、レニングラードですが、ロシア語で「ゴーラト」は都市という意味で、「レニングラード」は「レーニンの都市」という意味だったのですが、1917年のロシア革命の後、それまではペトログラードと言っていた市を「レニングラード」と改名したものを、さらに1991年にソビエト連邦が解消された際に「サンクトペテルブルク」と改称されたわけですが、一番最初は「ペテルブルク」で「ピョートル大帝の都市」という意味だったはずで、「ブルク」はドイツ語でピョートル大帝は西ヨーロッパの文物をロシアに取り入れようとしてバルト海に面した所に都市を人工的に造って「ピョートル大帝の都市」という意味でドイツ語で「ペテルブルク」という名前にしたが、後に第一次世界大戦でロシアがドイツと戦争することになった際にロシア語読みの「ペトログラード」に変更していたものを、1917年のロシア革命の後に「レーニンの都市」という意味の「レニングラード」と改名したという市だったはずだ。
「レーニンの都市」をまたもや「ピョートル大帝の都市」に戻すのか? ・・とも思ったが「サンクトペテルブルク」と「サンクト(聖なる)」とついているということは「聖なるペテロの都市」という方の意味なのでしょう。英語のピーターはロシア語ではピョートルで、『新約聖書』に登場するキリストの12弟子のひとり、ペテロの名前は、英語のピーター・ロシア語のピョートルで、ロシア人の名前のつけ方は日本人の名前のつけ方とは違っては産まれた月日によって、その期間に産まれた子供はこの聖人の名前と決められた聖人があるらしく、そこからかどうかわからないが、ピョートル大帝の「ピョートル」は12弟子のひとりのペテロから名づけられた名前なので、「サンクトペテルブルク」は「ピョートル大帝の都市」に逆戻りしたのではなく「聖なるペテロの都市」という意味の名前にした、ということなのでしょう。
ロストルナドヌーの北東、アストラハンの北西にヴォルガ川に沿ってヴォルゴグラードという都市があり、第二次世界大戦の時にドイツ軍がこのあたりまで攻めたとされるスターリングラードとかつては言われていた都市が今はヴォルゴグラードという名前になっており、スターリングラードという名前になる前はツアーリチ(ツアー〔皇帝〕の街)という名前だったらしいが、
ツアーリチ⇒スターリングラード⇒ヴオルゴグラード
と変わったごとく、
ペテルブルク⇒ペトログラード⇒レニングラード⇒サンクトペテルブルク
と名前が変遷したようだ。よくわからないのは、ヴォルゴグラードはロシア語の「ゴーラト」を名乗る「・・グラード」だが、サンクトペテルブルクはなんでまたドイツ語の表現の「ブルク」なんだ? てところだが、なんでだろうな。
ヨーロッパ各地に住んでいたユダヤ人は、かつてはパレスチナ地方にいたというお話からイスラエルという国が作られたが、かつてはどうだったという話というのは、いったい、どこまで遡るべきなのか。かつては・・というと、ロシア連邦でモスクワに次ぐ都市であるサンクトペテルブルク(←レニングラード←ペトログラード←ペテルブルク)はロシアがスウェーデンとの戦争に勝ってぶんどった所に人工的に造った都市だったはずだ。ロシア連邦はサンクトペテルブルクを返すのか?
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)によると、
《 レニングラードの町はヨーロッパの都市の中でも指折りの美しい町であると思う。その美しさは、無数に張り巡らされた運河とそれにかかる橋、十八世紀から十九世紀にかけて造られたバロック様式の建築群、ペテロ・パブロフスク要塞の塔、ネバ川と冬の宮殿と広場、などのつくりだす風景であり、これらは絵になる景観である。更にこれらの風景の背景には、多くの歴史や物語がかくされている。ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくるラスコリーニコフの下宿、日露戦争前夜の広瀬武夫とアリアズナ・コパレフスカヤとの恋の物語などは、なんとなく暗いが甘酸っぱいロマンの香りがする。・・・ 》
と書かれている。ドストエフスキー『罪と罰』はともかく、「広瀬武夫とアリアズナ・コパレフスカヤとの恋の物語」て何だあ? ・・ウィキペディアー広瀬武夫 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%AD%A6%E5%A4%AB#%E6%A0%84%E5%85%B8
《 広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫、1868年7月16日(慶応4年5月27日) - 1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍人、柔道家。日露戦争でのエピソード(後述)で知られており、特に戦前は軍神として神格化された。・・・
ロシア駐在中に社交界ではロシア海軍省海事技術委員会であり、機雷敷設の専門家であったアナトリー・コワリスキー大佐の娘・アリアズナ・アナトーリエヴナ・コワリスカヤと知り合い、文通などを通じた交友があったことも知られている[4]。武夫の戦死を聞いた彼女は喪に服したといわれる。・・・
生涯独身であり、女性関係はあったものの極めて真面目で、遊廓に出入りすることも社交界で交際することも皆無だった。唯一の女性との関係はアリアズナとの文通であったという。・・・
長い間、アリアズナの父親はロシア海軍のコヴァレフスキー少将とされてきたが、2010年になって日露の研究者により、実際の父親は別の人物であったことが明らかとなった。》
と出ている。
《 1904年(明治37年)より始まった日露戦争において旅順港閉塞作戦に従事する。3月27日、第2回の閉塞作戦において閉塞船福井丸を指揮していたが、敵駆逐艦の魚雷を受けた。撤退時に広瀬は、自爆用の爆薬に点火するため船倉に行った部下の杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)がそのまま戻ってこないことに気付いた。広瀬は杉野を助けるため一人沈み行く福井丸に戻り、船内を3度も捜索したが、彼の姿は見つからなかった。やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。35歳だった。・・》
と日露戦争中に戦死した人らしいが、『ロシアビザンチンー黄金の環をたずねて』(1991.丸善)の著者の内井昭蔵さんという人は、1933年、満州事変の1931年の2年後に東京で生まれた人で、ウィキペディアー内井昭蔵https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E4%BA%95%E6%98%AD%E8%94%B5 によると、2002年8月3日に69歳で亡くなったらしく、『ロシアビザンチンー黄金の環をたずねて』(1991.丸善)は58歳の時に発行された本で「終戦」か「敗戦」かの1945年においては12歳、戦前生まれの人であり、戦前に育った人にとっては戦前「軍神」として神格化された人の広瀬武夫という人の話が《なんとなく暗いが甘酸っぱいロマンの香りがする》かもしれないが、申し訳ないが、戦後世代の者としては、実際のところ、それ誰なの? ・・て感じがする。
ドストエフスキー『罪と罰』は北野高校の2年の時に、「倫理社会」のA教諭が「ドストエフスキーの『罪と罰』とか、こういう本も読んだことがない高校生というのは高校生として欠陥があるのじゃないかと思いますね」とか「倫理社会」の授業中に話していたが、そうなのだろうか・・と思ったが、高校卒業してから20年以上経ってから読んだが、悪いとは言わんが「そこまでのものかな」という感じがした。それよりも、このドストエフスキーという人は、なんで、こんなにぐだぐだと長ったらしい文章を書かなきゃ気がすまないのか、もうちょっとゴーリキーの『どん底』くらいの長さで書けないものか・・と思ったが、ドストエフスキーという人の作品というのは一般的に「長い」みたいだ。長編と名作は同じではない。長ければいいというものでもない。もうちょっと短く要領よくかけないものかと思ったが、それがドストエフスキーという人の””芸風”” なのかもしれない。「矢鱈と長い」ので読むのに疲れるということもあるが、それは我慢するとしても、最後の「エピローグ」は余計だと思うのだ。井桁貞義『人と思想 ドストエフスキー』(清水書院 センチュリーブックス)によると、ドストエフスキーはこの小説の結末のつけ方に苦労して、それで、何番目かの妻のなんとかさんの意見を取り入れて「エピローグ」を作ったらしいが、どうも「エピローグ」によって、この小説はそれまでのものがだめにされてしまっているように思える。ソ連映画の『罪と罰』は、そのあたりを映画製作者は考えたのか、「エピローグ」は削除して、その前、ラスコリニコフが警察に自首するところで終わりにしているが、私はそれよりまだ前、スビドリガイロフが自殺したことを聞いてラスコリニコフがショックを受けるというそこで終わりにしてよかったのではないかと思っている。・・それで、どうも、このドストエフスキー『罪と罰』という小説を「進歩派」のような雰囲気をかもしだしている人が「愛読書」としてあげることが多いようなのだが、何を「愛読書」だと言っても悪いとは言わんが、「そこまでのものか」という気がするのだが、こういうことを言うと怒られるかもしれんので、このあたりにとどめよう。悪いとは言わん。あくまで「そこまで特別に言うほどのものか」ということで、悪いとは言わん。ソ連映画の『罪と罰』のDVDを買ってきてロシア語の学習のつもりで何度も視聴したのだが、その結果、最初はまったく聞き取れなかったものが何度も聞いているうちに聞き取れる部分が出てきて、そして、そこで話される会話が頭に残り、中に自分が話そうと思えば話せるものも出てきたのだが、「ドラーク!(馬鹿ものめ!)」なんて覚えても、そんなもの、ロシアに旅行に行って誰かに言うわけにもいかないから使えない・・と思っていたら、ロシアに旅行すること自体が難しくなってきてしまった。
ロシアビザンチン―黄金の環を訪ねて (建築巡礼) - 内井 昭蔵
人と思想 82 ドストエフスキィ - 井桁 貞義
サンクトペテルブルク(レニングラード)の建築としては、イサク大聖堂・冬宮 エルミタージュ・スモールヌイ女子修道院・アレクサンドルの円柱と宮殿広場 の写真が内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)には掲載されており、魅力的な美術品を所蔵するエルミタージュ美術館はサンクトペテルブルクにあります。ウィキペディアーエルミタージュ美術館https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8#%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2 によると、《 1990年に世界遺産(サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群)に包括登録されてそうで、《 小エルミタージュ(Малый Эрмитаж)、旧エルミタージュ(Старый Эрмитаж)、新エルミタージュ(Новый Эрмитаж)、エルミタージュ劇場(Эрмитажный театр)、冬宮殿(Зимний дворец)の5つの建物が一体となって構成されており、現在本館となっている冬宮殿はロマノフ朝時代の王宮である。》らしい。
イサク大聖堂は、これはアブラハムの子 イサクの名前にちなんで命名されたのではないかと思われるが、一度、見学に行ってみたい・・と思いながら何十年か経ってしまい、ますます行きにくくなってきてしまいました。
サンクトペテルブルク の場合、個々の建物にも魅力は感じるのですが、ネバ川というバルト海にそそぐ川の下流の湿地帯に人工的に造られた街ということで、慶應大学でロシア語の授業の時に助教授から「もともと、湿地でいい場所だったわけではない」という話を聞いていたこともあり、建築屋としては、そういう所にどのように建物を建てたのだろうかという関心もあって、それで、イタリアのピサの斜塔とか、それから中国にも射塔があるらしいので、そういう所とともに、サンクトペテルブルクには一度、足を運んでみたいと思ったものでした・・が、訪ねることができずに何十年か経ち、今日に至ってしまった。ロシア軍のウクライナ侵攻からロシア連邦へは行きにくくなってしまい、もう、訪ねることはないかもしれませんね。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は、言うことがコロコロ変わる会社で、1992年に私が(株)一条工務店に入社した頃は、多くのハウスメーカーはスウェーデン式サウンディング試験をおこなう地盤調査をやって地盤の強度をしらべた上で地盤補強が必要なら地盤補強をおこなって建てていたのですが、1992年の時点では(株)一条工務店では私が「地盤調査やらなくて大丈夫なのですか?」と尋ねても、東京営業所の「リーダー」だった「一級建築士の宮崎さん」は「そ~んなの、地盤調査なんて、要らない要らない。ちょっと地盤が弱そうと思ったらべた基礎にでもしておけば、だ~いじょうぶ、だ~いじょうぶ♪」と言っていたので、大丈夫なんかい・・? と思ったものの、勤めた会社がそういうのならと思っていたのでした。
(株)一条工務店の前に勤めた小堀住研(株)では地盤調査とそれに基づく地盤補強は絶対に必要なのだと教えられたのでしたが、私は最初に住宅建築業の会社に勤める時点で建築学科とか土木学科とか卒ではなかったので、2つの会社から正反対のことを言われると、どちらの言っていることが正しいのか、よくわからなかった。あえて言うならば、小堀住研(株)で聞いた話の方が科学的・論理的で(株)一条工務店は「質問するとよくない会社」で質問すると怒られるし、どうも話に論理的でない・科学的でないものが多い会社だったので、その点から(株)一条工務店の方が「怪しい」印象を受けることが多かった。どうも、(株)一条工務店の「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」が同業他社に在籍したことがある人間を憎むのは、(株)一条工務店だけしか戸建住宅建築業の会社の経験がない人間には(株)一条工務店で教えることが正しくても嘘であってもそのまま信じる人間、もしくは信じているか否かにかかわらずそのまま平気で話す人間が少なくなからずいたのに対して、同業他社に少しでも在籍したことがある人間というのは、2社で異なることを言われると自分を頂点にした三角形ができて、どちらの言うことが正しいのだろうか・・と考えることになるので〔そういう場合、(株)一条工務店でない方が言うことが正しい場合が多かったのだが〕、そこから(株)一条工務店が従業員に教える嘘に気づく者が多いことから同業他社に在籍したことがある人間を憎む者が(株)一条工務店の「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」には多かったようだ。 「同業他社にいた人は一条ではだめな人がけっこう多いです」とか私も最初の研修の時に誰だったか講師役の男からいきなり言われたことがあったが、なんで、入社早々そういうことを言うのかな・・と思ったし、そんなこと思うなら採用しなければいいし、採用したならば採用して入社した人間に入社早々そのようなことを言うというのは無礼であろうし、言うべきものではないであろうとも思ったが、そうではなくて、その男が同業他社に在籍した人間に対して敵意のようなものを持っていた、ということだったようだった。営業の場合、嘘を教えられても、それを平気で話せば、嘘でも心の底から信じて話すことによって、見込み客もまた信じてしまって契約につながる・・ということが現実にあるのだが、同業他社にいた者は「え? それって違うのじゃないか」とか感づくことがあり、それが営業上マイナスになる場合も初期においてはあるかもしれない。しかし、軽佻浮薄な人間であるから教えられた嘘を平気でそのまま話したことによって契約があがったとしても、そんな営業は「その程度の営業」であり、長い目で見るならば、それではだめだ。むしろ、営業という仕事は「自分自身のやり方」を確立するべき職種であり、そのためには、むしろ、比較的早期に2社で経験するか同じ会社でも異なる地域での経験をするかした方がいい面もあるくらいだ。実際、同業他社の経験がある人間は(株)一条工務店にはけっこういて、決して「同業他社にいた人はだめな人が多い」などということはない。認識しておかないといけないのは、(株)一条工務店には同業他社にいたことがある人間に対して敵意を持っている「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」がけっこういる! という点で、「同業他社に在籍したことがある従業員に敵意を持っているオリジナル従業員が多い会社」であり、そいつらが卑しい攻撃を加えてくることがあっても、そんなものにしてやられることがないようにすることだ。
(株)一条工務店は「中卒高卒優先主義」の会社であり、「遠州人中心主義」「浜松中心主義」「遠州人独善主義」「遠州人特権主義」の会社であり、「同業他社に在籍したことがある従業員に敵意を持っている『一条オリジナル』が決して少なくない会社」であり、「質問するとよくない会社」であり、「静岡県・愛知県を『本国』とする後進国の外資系企業」という性格を持つ会社である、ということをこの会社で勤めていくには決して忘れてはならない・・と認識するようになった、それから「保護義務違反の会社」で「公平性の欠如が頻繁である会社」である、それから「『労働基準法は守らない』というのが会社の方針だ」と営業本部長が公言する会社(法敵企業)(反社会的勢力)である・・・が、「中卒高卒の人」が「雪は黒い」とおっしゃったなら、「なんででんねん。雪ちゅうもんは白いもんとちゃいまんのか」なんて言ってはならないのだ。「中卒高卒の人」が「雪は黒い」とおっしゃったなら「雪は黒い」のだ。「一条オリジナル遠州人」が「空の広さは浜松の広さと同じだ」とおっしゃったなら、「なんででんねん。『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのなら正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのなら、それは間違っている」なんてことは口にしてはならないのだ。「誠に誠に、空の広さは浜松の広さと同じだ」と言わないと「うるさい」のだ。
私はこれと似た経験を慶應大学でしたことがある。「ゆりかごから墓場まで慶應」タイプの人(from cradle to tomb)〔小学校:慶應幼稚舎⇒中学校:慶應中等部⇒高校:慶應義塾高校⇒大学:慶應大学⇒大学院:慶應大学大学院 と進まれたお方〕が「きのう、テレビ見てたら、進学塾で小学生で『東大に行くんだあ』とか言ってるやつが映ってたんだけども、俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」と、そうおっしゃったということがあったのだ。私は今なら、そういう人には逆らったらいかん! という知恵を身につけたので心の中で何を思おうが逆らわないが、1980年代のその頃はまだそういった知恵が身についていなかったので、つい、思った通り、口にしてしまったのだった。「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」・・・と。言ってから「しまった」と思ったのだ。慶應の内部進学の人間にはこういうことを言うのはタブーなのだ。大阪でこういうことを言っても「そうだよなあ。小学校の時から『東大に行くんだ』とか言う小学生がいいかどうかは別として、『小学生の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつて気色悪いよ』て、小学校:公立・中学校:公立・高校:公立で国立大学に進学したとかいう人間が言うならともかく、小学校:慶應・中学校:慶應・高校:慶應・大学:慶應・大学院:慶應なんて、そんな『ほとんどビョーキ』みたいな人間に言われたのでは、その人間の方こそ『気色悪い』よなあ」ということになるところだが、東京圏では慶應内部進学の人間がところどころに棲息しているので要注意である。彼らの前で「小学校の時から『東大に行くんだ』とか言う小学生がいいかどうかは別として、『小学生の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつて気色悪いよ』て、小学校:公立・中学校:公立・高校:公立で国立大学に進学したとかいう人間が言うならともかく、小学校:慶應・中学校:慶應・高校:慶應・大学:慶應・大学院:慶應なんて、そんな『ほとんどビョーキ』みたいな人間に言われたのでは、その人間の方こそ『気色悪い』よなあ」なんて言おうものなら、彼らは「愛国心」「愛塾心」から即座に飛びかかってきて殴りかかってくるものだ。「なんで、怒るねん。あんたが『俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよ』と言うたんやろが。それなら『小学生の時から慶應行ってるやつ』なんて、もっと気色悪いやろうが。違うんかい? 違うのならどう違うのか説明してみい」と言いたいところだが、そういう理屈は彼ら「愛塾主義者」には通じない。彼らは「小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」というのが「常識」「正常」「健常」「自我が確立されている」であり、「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」なんて見解・思考はこれは「思考の堅さが気にかかります」「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」「受験勉強の悪影響ですね」「アイデンティティーを持っていないからそういうことを言うということですね」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか何とかかんとか「診断」されることになり、「診断」されると次に「治療」される危険が出てくる。ロボトミーとか電気ショック療法とかされる危険があるからもう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・・。それで、私が「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」と思った通り口に出してしまって、口にしてから「しまった。内部進学の人間にはこういうことは言ってはいけなかったんだ」と気づいたその相手は、慶應の内部進学の人にしてはもんのすごい寛容な人で、決して怒らず「うん。それ、一番気持ち悪い」と言ってくれたので、その時はまだよかったのだが、普通はそうはならないものだ。いやあ、その時、「『俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよ』」とおっしゃったOさんは本当に寛容で人間できてたと思う、内部進学の人にしては。普通、内部進学の人間が「『俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよ』」とおっしゃったのに対して「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」なんて口にしたらただではすまんぞ、慶應では。まず、この大学は何かと「僭越」という言葉が飛び交う塾風「僭越」主義の大学であり、「(慶應義塾の)外部の者」が内部進学の方にそのような口をきくなどという「僭越」なことは許されないものだったのだ。私は最初、そんなこと知らないものだから、「なんでやねん。同じ大学生なら権利も義務も権限も一緒のはずやろうが」とか思っていたのだが、そうではないのだ。今は昔、「朝日新聞」に載っていた話だが、王貞治は台湾人で、王貞治の父親は息子に「我々はここでは外国人なんだ。だから、我々は周囲の人に好かれないといけないんだ。決して嫌われてはならないんだ」と教えたというのだが、そんな感じなのだ。「大学だけ慶應に行った人間」というのは慶應義塾においては外国人みたいなものなのだ。慶應は「最低でも高校から慶應に行った人間が本物の慶大生」と言う大学であり、そういう所では内部進学独善主義には決して逆らってはならないのだ。それに気づかずに「なんでやねん。同じ立場と違うんかい」とか思ってしまうと「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」とか「独立自尊の精神がないからそういうことを言うということです」とか「思考の堅さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病だからそういうことを言うということですね」とか「慶應心理学」から「診断」されることになるし、内部進学の人間は、agriculture をagriculture と発音せず、agriculture と発音する人・種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって自分の口に入れて食べるのではなくひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人(「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」やる人)・女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返している人 から「外部の者を教育してやらんといかんからなあ」とか言って殴りかかってきます。「外部の者」でも内部進学のテカである者もおり、そいつらが殴りかかってくることもあります。考えようによっては、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、何もよりによってそんな「一木一草に塾風が宿る」「学問は塾風のはしため」「塾風栄えて学問滅ぶ」みたいな大学に行かなくてもいいのではないか、という考え方もありますが、「心理学」はそういうagriculture をagriculture と発音せず、agriculture と発音する人・種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって自分の口に入れて食べるのではなくひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人(「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」やる人)・女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返している人、及びそのテカ(手下)のことを「思考が柔軟」とか「スマート」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「常識を身につけている」とか「正常」とか「健常」とか「独立自尊の精神を身につけている」とか「自我が確立されている」「アイデンティティーを持っている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか「診断」するみたいです。なんか、アホくさいなあ・・という気持ちになります。「慶應心理学」によると女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返しているような連中が「正常」で「健常」で「常識」で「自我が確立されている」で「受験勉強の悪影響を受けていない」で「福沢精神を身につけている」で「独立自尊」なんですよ。おもろい独立自尊もあったもんだ( 一一) そういう「診断」をするのが「心理学」というものなのです。それが「心理学」なのですよ、「心理学」!!! そういう「診断」をする人のことを「心理学者」と言うのです。そういう人が「心理学者」になっているのです、慶應大学という大学では。なんで、こんな「大学」に行かされなきゃならんのか、という気持ちになります。「天地は広いというが私にとっては狭くなってしまったのか」(『貧窮問答歌』)とかいう気持ちになります。「天は我を見放したあ~あ」という気持ちになります。(⇒《YouTube-八甲田山 「天は・・・天は我々を見放したァァァ」 北大路欣也》https://www.youtube.com/watch?v=VHCTSmyJcNg )「小学校から慶應に行っていた人」が「俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」とかおっしゃったなら、「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部の人間」は「そうですよねえ」と言って合いの手を入れて差し上げないといけないのだ。慶應という学校では。慶應という学校では内部進学の人間と「外部の者」「外部の人間」とは身分と階級が違うのだ。特に公立高校出身者というのは慶應の教授(内部進学)からするとドジンなのだ。特に私が卒業した北野高校は慶應の教授から嫌われていた高校だった。「北野高校の人間というのはね。私学よりも国公立の方がいいと思っていませんか。北野高校の人間は『どうして、私学だったらいいのですか』なんて言うでしょ。バカか! 私学だってことはいいってことじゃないか。そんな常識すらもわからんのか、北野高校の人間はあ!!! 」と講義の最中にマイクに向かって叫ばれるのだ。「せ~んせえ~え。どうして『私学だってことは《いいってこと》』なんですかあ。せ~んせえ~え、わかりませ~ん」と言いたくなるところだが、たぶん、「だから、私学だからじゃないか。そんな常識すらもわからんのか」とか言われるのではないかと思うが、そういうことを口にしてしまうと「受験勉強の悪影響ですね」とか「思考の堅さが気にかかります」とか「未成熟だからそういうことを言うということですね」とか「自我が確立されていないからそういうことを言うということです」とか「自我が確立されていたらそういうことは言わないはずですね」とかなんとかかんとか「心理学」から「診断」されます。「なんでやねん!!!」と言いたくなりますが、「慶應心理学」は「慶應内部進学心理学」であり「慶應心理学」はagriculture をagriculture と発音せず、agriculture と発音する人・種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって自分の口に入れて食べるのではなくひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人(「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」やる人)・女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返している人のための「心理学」ですから、逆らっても勝ち目はありません。それが「心理学」なのですから( 一一)( 一一)( 一一)
「一木一草に塾風が宿る」大学で生きていくには「きのう、テレビ見てたら、進学塾で小学生で『東大に行くんだあ』とか言ってるやつが映ってたんだけども、俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」と「幼稚舎から慶應」のお方がおっしゃったなら、「誠に誠にそうでおじゃりまするな。その点、何々さまは小学校から慶應に行っていらっしゃいますから、すばらしいでおじゃりまする」と言わないといけないのだ。大学だけ慶應に行った人間と内部進学の人間とは慶應という大学では身分が違うのだ。1984年、慶應大学商学部の「会計学総論」という講義で、「中等部から慶應」の黒川行治先生様という助教授先生様が「このぼくは中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだあ! わかってんのかあ~あ!」と教壇でマイクに向かってお叫びあそばしたことがあったが、それが内部進学のお方たたちの本音であった。「おまえらは自分たちは偏差値が高いとか思ってるんだろ。そんなものは何の価値もないんだ。小学校から高校までの勉強は害があるんだ!!! その点、我々内部進学の人間は塾風というものを身につけているんだ。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだぞお。わかってんのかあ。その内部進学のこのぼくがおまえら外部の者に口をきいてやってるんだぞお。もっとありがたいと思って感謝の気持ちを持ちなさい! 経済学部なら内部進学の人間が多いから内部進学の人間から外部の者は教育してもらうことができるけれども、商学部は内部進学の人間が少ないから、だから、中等部から慶應のこのぼくがおまえら外部の者を教育してやってあげてやろうと言ってるんだ! わかってんのかあ~あ!」とお叫びあそばされたが、慶應の内部進学の教授の世界観というのはそういうものだ。なんだ、こいつ! なんだ、この野郎! と思った。ファーストベースがあったら投げてやりたかったが、残念なことに、あいにくファーストベースがなかったので投げられなかった。〔⇒《YouTube-プロ野球、退場集 #2】ブラウン監督退場集!ベースを投げちゃった!必ず何かやらかして球場を去る 先発の野村を擁護「野手が足を引っ張ってしまった」 広島は19日、マツダスタジアムで》https://www.youtube.com/watch?v=tR9XP-iL5xc 〕 戦中、「やまとだましい」とか言われたが、「やまとだましい」て何なんだ・・というと「子供だましい」だった・・と言われるが「我々内部進学の人間にはおまえら外部の者とは違って『塾風』というものがあるんだ」という「塾風」てそれはいったい何なんだ? というと「内部進学の人が持ってる何か」であり、ビョーキ持ちみたいに何かそういうものを持っておられるらしいのだが、「やまとだましい」と一緒で「子供だましい」みたいなものだ( 一一) 最近、「週刊現代」に「慶應幼稚舎特集」が掲載されていたが、そこで「幼稚舎から慶應」で慶應大卒の人が「慶應という学校は大学だけ行けばいい学校だ。小学校から高校は行く必要がない大学だ」と話しておられたが、なんだか私と逆のことを思う人がいるんだなと思った。私はそうではなくて「慶應という大学は最低でも高校から行くのでなかったら行く必要がない大学だ」と思うようになったのだった。特に、遠山啓(ひらく)は『競争原理を超えてーひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」的なものを学び、中学校から高校にかけて「学」を学び、その「学」から「観」を身につけると述べているが、その「術」⇒「学」⇒「観」というものを身につけてきた者は行かない方がいい大学だと思うに至ったが、「小学校から慶應」の人には逆のことを思う人もあったらしい。「作家で精神科医」の なだ いなだ が「抑圧的な社会では自我が確立された人間の方が生きていきにくい場合がある」とどこでだったか述べていたが、それは慶應にあてはまる。大学だけ慶應に行った人間でも「自我が確立」されていない方の人間、大学入試においてある程度の点数は取れたとしても、そのわりに内容がないタイプの人間の方が慶應という大学にはなじみやすいだろう、と思う。そういう人間のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」と言うのだが、アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授のトマス=サズが『(「精神医学」という)狂気の思想』(新泉社)で「大学の目的は、最高の自我とは自我を持たないことだと学生を騙して信じさせる昼間病院となることか」と述べているが、慶應大学には「学生相談室」というものがあったが「学生相談室」の「心理学者」「カウンセラー」という連中がやっていることが、まさにトマス=サズが言うところの「最高の自我とは自我を持たないことだと学生を騙して信じさせる」という行為だった。そういう自分自身の考えを持たない人間こそ、塾風「僭越」主義の空間で棲息しやすい。
私は慶應の内部進学の人間を見て、「こいつら、みんな、同じ顔してるな」と思ったことがあります。実際には同じ顔をしているわけではないのですが、似たような表情をしているのです。これは住友林業(株)の営業についても似たことを思ったことがあるのです。(株)一条工務店は求人広告には「研修制度が充実していますので、売れなくて困るということは絶対にありません」と嘘を書いて募集して入社させて、入社すると「6か月以内に2棟売れなかったらやめてもらうということだからな」と言われるのです。小堀住研(株)の新卒社員研修の際にTQC推進本部営業部会の課長のMさんが「営業知識・営業技術・営業意欲のこの3つともあるのが望ましいけれども、最低2つあったら売れる、1つでは売れない」と話したことがあったのですが、これは会社によって・扱う商品によって多少は違いがあるかもしれないけれども、基本的にはどこでも共通すると思うのですが、住宅・建築についての知識もない人で営業やったこともないという人、あるいは他の営業はやったことがあっても(株)一条工務店のような営業はやったことがないという人を採用して「なんで、売れんら」「なんで、売れんら」と言っても、あるいは「売れなかったら転勤だからな。転勤といってもこれはやめろという意味だからな」などと言って喉元に刃物突きつけるようなことをしても売れません。もしも、営業知識があって営業技術もあるけれども、やる気がないという人ならば、喉元に刃物をつきつけるようなことをするとやろうという気持ちになって売るということもあるかもしれないけれども、意欲はあるけれども知識・技術がない人は、その2つを身につけさせることなく、喉元に刃物を突き付けるようなことをしてもだめです。むしろ、そんな約束で入社していないのに、定年までその会社に勤めてその会社のために尽力したいと思って入社したのに、入社すると突然、喉元に刃物を突きつけるようなことをされて、多くの人間はその時点で(株)一条工務店の経営者に対して強く不信感を覚えます。そういう指導をできない所長というのは、自分自身が営業担当としていくら売っても、それは営業担当者としての能力であって指導者としての能力ではありません。(株)一条工務店はそういう会社でしたが、住友林業(株)は(株)一条工務店に比べてはるかに会社としての指導があったようです・・・が、その結果、(株)一条工務店の営業は人によって違いがあり、それぞれ、別の顔をしているのですが、住友林業(株)の営業はどいつもこいつも同じ顔をしている・・わけでもないのだろうけれども、な~んか同じ表情をしているように見えたことがあります。これは私が(株)一条工務店 をやめた後、自分が顧客の方の立場で住友林業(株)の営業と接することがあった時に感じたのです。(株)一条工務店は会社である以上は、会社としての指導というものがあっていいはずですが、住友林業(株)は(株)一条工務店に比べてずっと会社としての指導をしているようなのですが、その結果として、どいつもこいつも同じ顔している・・かのように見えるという結果にもなっていたように思います。慶應の内部進学の人というのが、それと似ていたのです。遠山啓(ひらく)は『競争原理を超えてーひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」的なものを学び、中学校から高校にかけて「学」を学び、その「学」から「観」といったものを身につけるようにするべきで、この際、絶対にやってはならないのは「観」の注入教育である・・と述べていたのですが、遠山啓が絶対にやってはならないと述べている「観」の注入教育というものをやっているのが慶應の内部進学の学校であり、その「塾風」とかいうやつを注入教育されてきた人たちがそういう状態のことを「思考が柔軟」だとか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか吹き込まれて、あるいはそんなものが「独立自尊」だとか「自我が確立されている」だとか注入されて、そんな気になって、そして、自分たちだけではなく「外部のやつら〔大学だけ慶應に行った人間のことを内部進学の人は「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部の人間」と言うのです〕を教育してやらんといかんからなあ」などと言って、大学だけ慶應に入った人間に精神面のそのビョーキを移そうとするのです。いやがると「協調性がない」とか「診断」される危険があります。「そんなことでは勤め先なくなるぞお」とか言って脅される場合もあります。そういう「塾風を身につけた」という状態、「自我なし人間」になった状態になると「ギャルにもてもて」とか甘言を弄して誘惑してくることもあります。あんな男をいいと思うような「ギャル」とかいうやつて、よっぽどバカじゃないかて感じがした、ああいう男がいいと思うような女にだけは好かれたくないと私などは思ったものでしたが、そういう「ギャル」とかいうのに「もてもて」になりたいとか思う「慶應タイプ」というのもいるみたいでした( 一一) そうやって、「もはや、我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」みたいになった人が、自分たちがそういう「自我なし人間」になったことを自慢にして、大学から入った人間にもその精神構造のビョーキを移そうとするのです。大学から入った人間でも、そういう状態を喜ぶ人というのもいます。私と同じ小学校・同じ中学校・同じ北野高校から慶應大学の経済学部に現役で通って行った阪本などはそのタイプです。S本 彰は北野高校を卒業はしましたが、人間のタイプとしては北野タイプではない男で、今から考えるとあの男は北野高校在学時からして慶應タイプだったと思うし、さらに考えると小学生の時から「慶應タイプ」の男だった、小学生の時から「中年おやじ」キャラだった、と言っていいでしょう。阪本のようにそういう「もはや、我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」という精神構造になることを嫌がるのではなく喜ぶ人というのもいるのです。『聖書』には「たとえ、全世界を手に入れたとしても、自分自身を失ってしまったなら、いったい何の価値があるでしょうか」と書かれているのですが、そういう感覚が最初から欠落している人というものがいて、そういう人間のことを「心理学者」とか大学の「学生相談室」とかの「カウンセラー」とかは「自我が確立されている」とか「診断」するのです。そういう「診断」をすることによって、「人間による人間の加工」をおこなうことでそういう「もはや我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」みたいな「自我なし人間」にならせることで、ファッショ的指導者・ファッショ的政治家にとって扱いやすい国民を増やそうと彼ら[心理学者は「自我なし人間」が「自我が確立されている」のだと騙し、そういう「自我なし人間」になることが「成長」で「成熟」であり、それに抵抗を感じるのは「未成熟」で「モラトリアム人間病」なのだと教えることで「人間による人間の加工」をおこない、ファッショ的指導者・ファッショ的政治家にとって扱いやすい人間にしようと「カウンセラー」等と称する連中・大学の「学生相談室」と称する機関はしているのです。大学の「学生相談室」という機関はそのための機関です。紛らわしい名前をしているので騙されやすいのですが、騙されてはいけません。「精神安定剤」「トランキライザー」という名前がつけられている化学物質がありますが、あれは(1)人間の思考力を衰えさせ、特に批判精神を鈍らせて「精神科医」と称するファシストに対して従順にならせるもので、(2)人間を太らせ、(3)インポテンツにする薬物であり、決して心配事があったりした時に精神を落ち着かせるのに役立つ薬ではないのですが、本当のことを言うとたいていの人間は飲みたくなくなりますから、だから、騙して飲ませるために「精神安定剤」とか「トランキライザー」とかナマ言っているのです。それと同様に大学の「学生相談室」というものも、20歳前後くらいのまだ世間に対する対応力が十分でない者がどうしたものか困った時に相談に乗りますよという機関を大学が設けているのだ・・と誤解させることで学生に訪ねさせて、そこで「人間による人間の加工」をおこなって、学生から批判精神を奪い、「もはや、我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」みたいな「自我なし人間」にならせよう、「自我なし人間」が「自我が確立されている」人間なのだと教えることで、ファッショ的政治家にとって扱いやすい国民を増やそうとしているのです。「学生相談室」に行って「カウンセラー」「心理学者」と称するイカサマと面談して、「なんか変だ」「どうも、思っていたものと違う」と感じた人は、その感想は正常なのです。彼ら「学生相談室」と称する機関・「心理学者」「カウンセラー」と称するイカサマの『「ごっこ」の構造』に気づいた・感づいたということは、その点において気づかない人・感づかない人よりも優秀なのです。 「なんか変だ」と感じた人の方が本来の正常で健常であるはずなのですが、そう感じた者は彼ら「心理学者」等の攻撃対象になることが少なくないので要注意です。『怖い話』とかの本とかYouTube の動画とか見ると、「感じる人」は妖怪・悪霊の存在に気づくことがあるが、気づかなければそのまますむものを、「気づく人」は妖怪・悪霊から攻撃を受ける・・なんて話がありますでしょ。それと似ています。というものは基本的にはあいつらはイカサマなのだと気づくことができる人というのは、彼らの攻撃対象になる可能性が十分にあると認識するべきです。気づかない「自我なし人間」は彼らから「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「成熟している」「成長した」「常識を心得ている」「思考が柔軟になった」等々とほめてもらえるでしょう。要するに、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」等は妖怪物の怪の類だと思っておいた方がよさそうですし、「学生相談室」などというものはカルト系宗教団体だと思っておいた方がよさそうです。どうしても、彼らと関わらないといけない時には、お守りでも持っていくか、それとも、いざという時に相手にふりかけるための粗塩を持参するか、あるいはあらかじめ毘沙門天さまか大聖歓喜天さまを拝んでいくか何かした方がいいかもしれません(笑)
慶應の内部進学の人間はそういう思考をしやすい人たちです。小学校から高校までの学習によって、そういったものに対しての批判精神がある程度は身に着くはずですが、それゆえ、彼らはそういう価値があるもののことを「受験勉強だ。害があるんだ」と言い、「小学校から高校までの勉強は害があるんだあ。わかってんのかあ」とお叫びあそばすのです。
札幌のススキノ首狩り事件で、犯人の娘の父親である「精神科医」が「精神鑑定」を受けるのを嫌がったというのですが、これは「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」といった連中の特徴です。フロイトやユングは精神分析は自分自身が受けてみるものだという認識で、ユングは自分自身が精神分析を受けていますし、カール=ロジャーズもカウンセラーは特別の人間ではなく、「特別の人間」になるべきではなく、カウンセリングは互いにおこなうもので、カウンセラーは自分自身がカウンセリングを受けるべきだと考えて述べていたはずですが、ところが実際に日本の「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」といった人間はそうではありません。そうではなくて、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」の側と「患者」「来談者」の側をはっきりと分けて、「心理学」おこなう人間と「心理学」受ける人間、「人間による人間の加工」をおこなう人間と「人間による人間の加工」をされる人間を分けるようにしており、自分たちは常に「人間による人間の加工」をおこなう人間の側で、「患者」「来談者」は「人間による人間の加工」をされる側の人間だというようにすることで、彼ら「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」という「職業」は成り立っているのです。フロイトやユングの精神分析・カール=ロジャーズのカウンセリングと現実に日本の「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」がやっていることは正反対のものです。
「きのう、テレビ見てたら、進学塾で小学生で『東大に行くんだあ』とか言ってるやつが映ってたんだけども、俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」と「幼稚舎から慶應」のお方がおっしゃったなら、「誠に誠にさようでおじゃりまする」と「外部の者」は常に同意し賛同してみせるというのが、それが「慶應心理学」によると「常識」で「正常」で「健常」で「成熟」で「スマート」で「自我が確立されている」だったのであり、「外部の者」はそういう「大学」で生きていくにはそうするしかなかったのだ。なんか、あの「大学」に行くと、日々、人間が卑屈になっていくようで嫌だった・・・が、百回に一回くらい、「なんで、『小学校から慶應行ってるやつ』が気色悪いことなくて『小学校の時から《東大行くんだ》と言ってるやつ』が気色悪いねん。『小学校から慶應行ってるやつ』の方がより気色悪いやろうが」と、言うたらいかん、言うたらいかん・・と思いつつ、つい口にぽろっと出てしまったり・・・とか・・・。やっぱり、人間できてなかったのか。北野高校で、修学旅行の時に部屋で酒を飲んだ者がいて、8人の部屋で7人が飲んでひとりだけ飲まなかったらしいのだが、体育のH教諭が「なんで、ひとりだけ飲まなかったんだと言う者がいるが、俺はそうではなく、なんで止めなかったんだと言いたい。そういう時に『おい、やめておけ』と止めることができるのが、それが北野高校の生徒というものだ」と言われたのだった。まあ、ある程度以上の年齢になったら、「飲んだだけやろうが」とかつい思ってしまうのだが、高校生にとっては飲酒というのは「大罪」だったのだが、それにしても、大量に飲んでアルコール中毒で病院に運ばれるほど飲んだわけでもなく、飲みたくないという者には意思を尊重して無理に飲ませたりはしなかったわけであり、「別にそのくらい、ええやんけ」とか思う人もあるかもしれないが、「修学旅行の時に部屋で酒を飲んだりしてはいけない」ことになっていたわけだから、その場合に「おい、やめておけ」と止めるべきものだということだったらしい。それで、だ。特に急性アルコール中毒になって病院に運ばれるほど大量に飲んだわけでもなく・飲酒した上で反社会的な行為をしたわけでもなく・飲みたくないという者には意思を尊重して決して飲むように強制したりはしなかったわけであるから、高校生としては良くなかったとしても無茶苦茶問題があったわけでもなかったとして、それに対して慶應大学の学生というのは内部進学の人間が中心になって女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を働いたりしている人間というのが少なくなかったのだが、そういう場に居合わせたとしても「おい、やめておけ」と一人で止めることができるか?・・というと、これは簡単ではない・・というよりも私は実際にそういう場に居合わせたことがあって、びっくりしたが止めることができなかったのだが、実際のところ、「そういう内部進学強制わいせつ犯の内部進学強制わいせつ犯による内部進学強制わいせつ犯のための慶應義塾」に行きたくなかったし、そんな「大学」に行かないなら大学という所に行かせてもらえないのならば、それなら大学に行かなくていいと思っていたのだったが、暴力と強制と脅迫で強制わいせつ犯の強制わいせつ犯による強制わいせつ犯のための慶應義塾という大学に行かされてしまった。・・今からふりかえってみると、あの時点で私の人生は終わったのかもしれない、とも思う。そういう場合に「おい、やめておけ」とひとりで止めるというのは簡単ではない。明石だったかで歩道橋の上で花火を見ていた集団が動き出した時に「危ない」と思った人はいたが、それを止めようと思っても何人もが動き出したものを一人で止めるということはできなかったのだが、それと似ている。強制わいせつ犯の大学になんか行きたくなかったし、「そういう人間を企業は喜ぶ」とか慶應人間は言うのだったが、日本の企業てアタマおかしいのじゃないか・・という感じがする。しかし、そういう場に居合わせて、たとえ止めることができなかったとしても、こういうことはいけないと認識して、その後、そいつらとは関わらないようにした者と、そうではなくそいつらに同調して、そいつらに同調するのが「協調性」だ「スマート」だ「自我が確立されている」だ「塾風」だ「福沢精神」だとか何とかかんとか言っている人間と、どちらが「自我が確立されている」でどっちが「自我が確立されていない」かというと、「慶應心理学」によるとそいつらに同調するのが「協調性」だ「スマート」だ「自我が確立されている」だ「塾風」だ「福沢精神」だとか何とかかんとか言っている人間の方が「自我が確立されている」で「思考が柔軟」で、そういう連中が「正常」で「常識」で「健常」という「診断」になるのです。そういう連中の態度が慶應タイプの「協調性」なのです。「慶應心理学」というのはそういう「心理学」なのです。
告発の行方 (字幕版) - ジョディ・フォスター, ケリー・マクギリス, バーニー・コールソン, レオ・ロッシ, アン・ハーン, カーメン・アルジェンツィアノ, スティーヴ・アンティン, トム・オブライエン, ピーター・ヴァン・ノーデン, ウディ・ブラウン, トム・トーパー, ジョナサン・カプラン, スタンリー・ジャッフェ, シェリー・ランシング
これと同様に、(株)一条工務店では、遠州人〔(株〕一条工務店の遠州人〕が「空の広さは浜松の広さと同じだ」とおっしゃったなら、「誠に誠に、空の広さは浜松の広さと同じでおじゃりまする」と言わないといけない。「太陽・月・星といった宇宙のすべての天体は浜松を中心として回転している」とおっしゃったなら、「誠に誠にその通りでおじゃりまする。太陽・月・星は浜松を中心として回転しておじゃりまする」と言わないといけない。決して、「ちゃいまっしゃろ。太陽のまわりを地球が回転していて、その地球のまわりを月が回転してまんねんがな。浜松はその地球の中の日本の中の一か所であって、浜松を含めた日本を含めた地球が太陽のまわりを回転してまんねんがな」・・なんてことは言ってはいけないのだ。小学校・中学校・高校と同じ学校に行って、1浪して京大の法学部に行った「野口くん」てやつなんかはこういう対応が上手いのだが、ところが、どうも私は人間ができていないのか、百回に一回くらいは「ちゃいまっしゃろ。太陽の周りを地球がまわっておるのであって、浜松はその地球の中の日本の中の中部地方の南の方にあるひとつの市でっしゃろが」とかつい言いたくなってしまうのだ。「修行が足らん」のかもしれん。「それでも地球はまわっている」とか、つい何かの拍子に言いそうになってしまって、危ない危ない・・と口を押えるのだった。(株)一条工務店というのはそういう会社だった( 一一)
もうひとつ、似た経験もある。1998年、栃木県佐野市の営業所に「リーダー」として赴任してもらいたいと営業本部長から頼まれて、営業本部長から頼まれるのならば会社のために協力しようと転勤したところ、「リーダー」ではなかった。話が違うではないか、そんなことなら転勤に応じるのではなかった・・ということがあったのだが、その時、栃木県地域の所長だった五十嵐(男。当時、50くらい?)が私に「巨人になれ」などと言うたのだ。はあ? はあ~あ? 後から思ったのだが、これは怒っていいところだったと思うのだ。イェーリングは『Rcht(権利=法)のための闘争』(岩波文庫)にカントの言葉「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」を引用して、闘うべきところでは人間は闘わないといけない、もしも、その権利=法が侵害されるなら、自分自身の人格までが否定されるということを理解できないような者は、自分を虫けらとすることに抵抗を感じない者に教えてやろうとしてもそれは不可能であると述べているのだが、まさに「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」である。「巨人になれ」やとお?!? なんで、そんなもんにならんといかんのんじゃい! なんで、そんな汚らわしいもんにならされんといかんのんじゃい。人間、言っていいことと悪いことがある。所長であろうが関係あるか! なんで、巨人みたいなもんにならされんといいかんのんじゃい!!! ・・会社という所においては我慢・辛抱・我慢・辛抱と(株)一条工務店という会社において我慢と辛抱を重ねてきたが、「臥薪嘗胆」とも思い「韓信の股くぐり」とも思い「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「雨ニモ負ケス、風ニモ負ケス」耐え忍んできたが、これは怒らなければならないところだった。間違えた。〔⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕
その後、1993年1月から地盤調査をした上で地盤補強が必要なら地盤補強をおこなって建てるということに変更し、さらにその後、スウェーデン式サウンディング試験を自社でおこなうようになりました。なんだ、「地盤調査なんて、そんなもの、要らない要らない。だ~いじょうぶ、だ~いじょうぶ♪」と言っていた会社が「家というものは地盤面の下と地面より上の両方がきっちりと建てられてこそ頑丈なものができるのであって、地面の下がいいかげんなのにそれを補強しないで建てるというのは、お豆腐かスポンジの上に家を建てるようなものです」とか言い出した( 一一) 少しの間に正反対のことを言う、なんというのか、節操がないというのか、そういう会社だった( 一一)
自社でスウェーデン式サウンディング試験をやりだした時には、最初はスウェーデン式サウンディング試験なんて専門でもない者ができるのかと思ったものでしたが、そんなに難しい作業でもなく、できましたが、なぜ自社で地盤調査をやるようにしたかというと、地盤調査を依頼されて有料でおこなう会社というのは、日本のそれぞれの地域に何社かあるのだけれども、かなりいいかげんな業者があり、それなら自社でやった方がいいと考えたようでしたが、営業社員に地盤調査をさせると、今度は、担当の営業社員によって作業に取り組む姿勢が違ったりするということも出たようでした。
たしかに地面の下が脆弱な場所の場合は補強をして建てるようにした方がいいと思われるのですが、他方で、そこまでやらないといけないものか・・と思えるケースもあります。総合住宅展示場の建物は地盤が弱い場合でも、べた基礎にするとか W背筋べた基礎にするとかはいいけれども、鋼管杭を入れるとか、セメント系固化材を柱状に入れることによって乾燥するとコンクリートのような柱が地面下にできるようにするとか、そういう補強はやめてくれということになっている所が多く、それは、永遠にその会社にその土地を貸すわけではないので、総合住宅展示場に貸すのをやめた時に他の用途に使用しようとする時のことを考えてのものだったようですが、戸建住宅にしても、何十年か後に建て替えることだってあるわけで、現在、建てる場所と異なる場所に建てて、現在、建てた所は庭にしたいということだってないとは言えない・・といったことを考えるなら、べた基礎とかW背筋べた基礎にするのはいいとして、鋼管杭とかセメント系固化材を入れることでの柱状地盤改良工事までやると、その後に建て替えたいとなった場合も同じ場所に建てるしかなくなるのではないか・・といったことを考えると、そこまでしないといけないものなのか・・と片方で思ってみたりもします。 又、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の場合は、基礎屋が「標準布基礎」での施工を嫌がっていたのですが、それはなぜかというと「割が合わない」からだったようで、(株)一条工務店は「標準坪単価」を安く見せるために、「標準仕様」での「標準布基礎」の値段を安く設定していて基礎屋に払う金額も安く、そのかわりに、「地盤調査の結果、べた基礎での施工となりました」「地盤調査の結果、W背筋べた基礎での施工となりました」ということで「べた基礎」もしくは「W背筋べた基礎」に「標準仕様」での「標準布基礎」から変更する際の差額がけっこう高めに設定されていて、基礎屋としては「べた基礎」「W背筋べた基礎」での仕事がけっこうもらえるならば、たまに「標準布基礎」を「割が合わない」値段でさせられても全体としては利益が出るということになっていたらしい。そうなると、その地盤調査というのは実際には「標準布基礎」でいいという「判定」なんて1割程度しかないのに、「少し地盤が弱いようでしたね」などと言って9割くらいの人には差額をとっていたわけで、安そうに見せて実際はそうでもないのをごまかすための道具にしていたようなところもあったわけで、そのあたりを見ると、「地面の上だけ考えて建てるのではなく、地面の下も考えて建ててこそ間違いのない家ができる」というのは間違いではないとしても、そうやって「地盤調査の結果、標準布基礎では心もとないという判定になりましたあ」と言って差額を出させるというやり方というのは、そういうやり方って、いいのかなあ・・とも思えたりもしたのでした。
サンクトペテルブルクは川の河口の湿地帯を埋めて人工的に造られた街だということでしたので、そこがどのようになっているのか、一度、足を運んで見に行ってみたいと長く思ってきましたが、どうも、行きにくくなってしまったようです。
地盤の科学―地面の下をのぞいてみると… (ブルーバックス) - 紀尚, 足立, 玲子, 阿部, 宏, 木村, 信晴, 阿部, 雅史, 嘉門, 土木学会関西支部
【5】 キーウ(キエフ)他歴史的建築物・文化遺産を尊重する心と人命を尊重する心は相反するか、共通するものか。
『地球紀行 世界遺産の旅』(1999.10.10.小学館)を見ると、「ロシアと周辺諸国」の所で、ウクライナでは「キエフの聖ソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」「リヴォフ歴史地区」がユネスコ世界遺産として指定された所として掲載されている。
「キエフの聖ソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」は「旧ソ連最古の国・キエフ公国が残した建築物群」として1990年にユネスコ世界遺産に指定されたようです。
《 ドニエプル川中流に位置するウクライナ共和国の首都キエフは9世紀末に成立し、旧ソ連邦の中でも古い歴史をもつ。ノルマン人が南方との交易を行う拠点として繁栄したが、その歴史は単純ではない。13世紀にモンゴル・タタール軍の侵略を受け、200年にわたって支配下におかれた後、リトアニア、ポーランドへ併合。ロシア革命後に独立したが、ソ連邦に加入し、第二次世界大戦時はナチス・ドイツによって占領された。それ故に、ウクライナ人の民族的伝統、文化への思いは高い。
キエフのシンボル、聖ソフィア大聖堂は11世紀に建てられ、ガラスのモザイク画「祈る聖母」や、フレスコ画が残っている。ちょっと離れた場所には、当時の寺院の広さを示す、黄金の門がある。一方、ペチェルスカヤ大修道院の名は、洞窟を意味する「ペチェル」からきており、洞窟の独居房で修道生活を送っていた僧に由来する。博物館もあるが、現在も修道僧が生活している。》
というものらしい。
「リヴォフ大修道院」の「リヴォフ」は、最近、ロシア軍のウクライナ攻撃についての報道番組や新聞記事においては「リヴィウ」と表現されることが多い。ウィキペディアーリヴィウ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A6 を見ると、
《 現在の公用語であるウクライナ語に準ずる表記としてはリヴィウ、リヴィヴもしくは新聞等でリビウと書かれる。そのほか、歴史的経緯からドイツ語からのレンベルク(Lemberg)、ポーランド語からのルヴフ(Lwów [lvuf] ( 音声ファイル))、ロシア語からのリボフ、リヴォフ(Львов)などの表記も一定の知名度がある。・・》
と書かれている。「リヴォフ」はロシア語表記のようだ。
「リヴォフ歴史地区」は「石畳と格調高い建築群が伝える歴史の美」として1998年にユネスコ世界遺産の指定を受けたが、
《 ウクライナ西部にあるリヴォフは、1349年にポーランドのガルチ公ダニイルによって建設された、宗教と商業の中心地として繁盛した。1722年のポーランド分割によって、オーストリア・ハプスブルク領となり、第一次世界大戦後にはソ連がウクライナに併合した。
石畳の街並みが独特の雰囲気を醸し出している。市庁舎広場には、ゴシック様式の商人宅だったコルニャークト家や、17世紀の宣教師が建てたボーイム家廟など、見事な建築物が残っている。ユダヤ人街の礼拝堂が爆撃されたまま残されていたり、ルネサンス期の薬局が復元されて営業していたりと、歴史的建造物が多い。》
という所らしい。
21世紀 世界遺産の旅 (小学館GREEN Mook)
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)には、日本の正教会の豊橋ハリストス正教会・函館ハリストス正教会、モスクワと「黄金の環」のコロメンスコエ・ザゴルスク・ペレスラブリザレッキ・ウラディーミル・スーズダリ・ヤロスラブリ・ロストフベリキーと、レニングラード(サンクトペテルブルク)、それにキエフが掲載されている。
「黄金の環」の都市では「コローメンスコエのヴォズネセーニエ聖堂」「ウラジーミルとスズダーリの白石の建造物」がユネスコ世界遺産の指定を受けている。
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)には、キエフの建築では、
聖ソフィア大聖堂
ペチェルスカヤ大修道院 聖門・トラベーズスカヤ聖堂・僧院・フセスビャータヤ聖堂
聖アンドレ不スカや大聖堂
の写真が掲載されている。
聖アンドレフスカヤ大聖堂は、
《 キエフにはこの他にドニエプル公園の丘陵部に十八世紀半ば、イタリーの建築家ラストレリーによってつくられた聖アンドレフスカヤ大聖堂がある。》が《ラストレリーはレニングラードの美しい女子修道院、スモールヌイの設計者としても知られているが、十八世紀ロシアで活躍した建築家であり、レニングラードには彼の設計による建築物も多い。アンドレフスカヤ大聖堂もスモールヌイと同様、バロックスタイルで装飾性が強い建築である。》そうだ。
《 キエフには郷土の英雄、詩人で民族運動家のタラス・シェフチェンコを記念したシェフチェンコオペラハウスや博物館がある。》
と出ている。
キーウ(キエフ)市は、1971年(昭和46年)9月7日に日本の京都市と姉妹都市を提携したらしい。
※ 京都市情報館 キーウ(キエフ)市 https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000067506.html
キーウ(キエフ)にしても、リヴィウ(リヴォフ)にしても、ロシア軍のウクライナ侵攻に際して爆撃を受けた。
ロシア軍のウクライナ侵攻の比較的早い時期にキーウ(キエフ)の北北東、ベラルーシに近い所のチェルニヒウという市が爆撃を受けた時、ウクライナ人のボグダンさん のYouTube https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9C%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%B3 で、「チェルニヒウというのは日本の京都のように歴史のある建物のある街なのですが」と話しているのを聞いたが、そういう街にも爆撃がされたようだ。
キリスト教にはカトリックとプロテスタントともうひとつ、正教がある。英語では
カトリックは catholic 普遍的な、広くて偏しない
プロテスタントは protest 反対する、反抗する、講義する。主張する、表明する。から来た言葉だが、
正教とは orthodox church らしく、
orthodox 昔から立派な習慣になっている、慣例の、伝統的、本格的な、本式の
という意味らしい。(英語の訳語は『新クラウン英和辞典 3版』三省堂 による)
ウィキペディアー正教会の歴史https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 によると、
《 1054年、コンスタンティノープル総主教(エキュメニカル総主教、全地総主教)ミハイル1世キルラリオスとロマ総主教座=ローマ教皇レオ9世は、ローマ教皇の権威・権限や、エキュメニカル総主教の称号が意味する権威についての理解の差が使節交換の際に顕現したことがきっかけになり、「相互破門」した。これを東西分裂、または大シスマなどと呼ぶ。・・》
と、その頃から、ローマとコンスタンティノープルにキリスト教の教会が分裂したようで、どちらも自分の側が正統だとして ローマの教会がカトリック、コンスタンティノープルの教会がオーソドックスを名乗ったようだ。
カトリックの教会は今日に至るまでローマのサンピエトロ寺院が「本山」とでもいった位置づけだが、オーソドックス(正教)は、「石ゴミ(1453)のごとく壊滅す」オスマン トルコによりコンスタンティノープル陥落で、コンスタンティノープル(イスタンブール)からキエフに移り、さらにモスクワに移った・・というのだけれども、日本では東京のJR「お茶の水」駅の南側のニコライ堂が日本における「本山」のような位置づけらしいが、ニコライ堂を見学に行った時に見た解説によると、カトリックの場合は世界のカトリックはローマのサンピエトロ寺院の元、ローマ法王の元にあるが、正教(オーソドックスチャーチ)の場合はそうではなく、各国の正教会は対等で、日本には正教はロシアから伝わったけれども、日本の正教会はロシアの正教会の下にあるのではなく横の位置づけで、ロシアの正教会と日本の正教会は兄弟・姉妹の関係であってどちらかが主たる立場ということではない、らしい。なるほど、正教会の場合はそれぞれの国の教会は対等の関係であって上下の関係ではないということは、外国の教会から支配されたり統制されたりすることもないので良さそうに思えたのですが、しかし、それはカトリックのように全世界のカトリックは一体という場合ならば、カトリックの教会は政治権力と互いに牽制しあう関係にもなるところが、それぞれの国ごとに正教の教会があるということはそれぞれの国の政権の支配を受けやすい状態でもあるようです。
日本では「宗教はアヘンであるとマルクスが言うてお~る」とか言いたがる人というのがいまして、うちの父親も「親友」の医者屋のM川(男。1980年頃当時50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたと自慢していたので、当人もまたその私立金権関西医大裏口入学卒か、そんなところではないか。1980年頃当時、大阪府豊中市在住)から「宗教はアヘンとマルクスは言うてお~る」と吹き込まれて、それで毎日のように私に「宗教はアヘンであるとマルクスが言うてお~る。焼き討ちじゃあ、焼き討ちじゃあ。焼き討ちじゃあ~あ。取ってちってたあ~あ♪」と言ってきました。疲れるおっさんやった( 一一) だいたい、そんなに「マルクス、マルクス」言うなら、とりあえず、その裏口入学やめて正規で入試を受けて通って行けよお・・・と思ったものでしたが、その裏口入学自慢人間が「マルクスが言うてお~る」とか言って、うちの父親はその影響を受けていたのでした。
カール=マルクスは「宗教はアヘン」と言ったことがあるのか。この問題について、蔵原惟人『宗教 その起源と役割』(新日本新書)でわかりやすく説明されているのですが、
(1)マルクスは「宗教はアヘン」という表現を『ヘーゲル法哲学批判序説』(『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫 所収)において、「(宗教は)民衆のアヘンである」という表現を一度だけ使っている。あちらこちらで何度も何度も使っているわけではないが、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で一度だけ、この表現を使用している。エンゲルスはこの表現を使ったことはない。レーニンもこの表現を使ったことはない。
(2)「宗教はアヘン」という表現はマルクスだけが使った表現かというと、そうではない。わかっているだけでも詩人のハイネ・哲学者のヘーゲルなどが「宗教はアヘン」という表現を使っている。
(3)「宗教はアヘン」という表現は誰が最初に使ったものか、というと誰が最初に使ったのかはよくわかっていないが、マルクスではない可能性が大きい。
(4)「アヘン」という言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味の2通りの意味がある。世の中の宗教には「毒薬」のような宗教もあるが、マルクスは「毒薬」のような宗教を批判する時にはこの「宗教はアヘン」という表現は使用しておらず、キリスト教やユダヤ教のような宗教について「なぐさめ」という意味でこの「アヘン」という表現を使っている。
だから、日本で多くの人間が「マルクスが宗教はアヘンであると言うてお~る」と「ほとんどビョーキ」みたいな感じの大喜びで言いまくっている意味とはずいぶんと違うのです。又、高神覚昇『般若心経講義』(角川文庫)では、
(5)マルクスが「宗教はアヘン」と言った時、マルクスが想定していた宗教とはキリスト教のような宗教のことで、仏教のような宗教を想定して言ったのではないのではないか、と述べているが、これもそうかもしれない。
だから、慶應タイプの右翼大好き人間とかが「マルクスが言ったように社会主義では宗教や思想が弾圧されるから」とか言いたがるのは、それは間違いなのです。「慶應タイプ」というのはほんとにまったくつくづくろくなもんじゃねえな・・と思えます。
マルクスは「(宗教は)民衆のアヘン」という表現を『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で一度だけ使っているけれども、レーニンはこの表現を使ったことはないのですが、しかし、レーニンはマルクスやエンゲルスよりも宗教批判が厳しかったらしいが、これはロシアでは他の国よりも宗教と政治の結びつきが強かったことによるらしい。 最初に正教がカトリックと分裂した時、皇帝教皇主義(セザロパピズム)と言って、皇帝が教皇を兼ねていた、正教の教皇は皇帝だったわけで、カトリックでは西ローマ帝国が比較的早くに滅んだこともあって、その後に誕生した西ヨーロッパの国の王とローマ教会の教皇とは時に協調も共同もするが時には牽制しあう関係であったのに対して、正教では教皇は皇帝だったので、それだけに政治と密な関係にあったわけです。
宮沢俊義『憲法講話』(岩波新書)によると、日本国憲法では「信教の自由は保証する」という文面になっているのに対して、「人、悔いなし(1917)、ロシア革命」1917年のロシア革命の後のソビエト連邦の憲法では「信教の自由は保証する」という文面はあるが、その後に「無神論は保護する」という文面があったらしい。「無神論は保護する」という文面が入ったのもロシアでは宗教と政治が結ぶつきが強かったことが理由のひとつとしてあるのではないでしょうか。
ソビエト連邦の時代においてはロシアにおける正教会はそれ以前のような状況ではなくなったが、1991年にソビエト連邦が崩壊した後、ロシア連邦における正教会は復活したらしいが、プーチン政権が正教会の復興に協力したことから、またもやロシアにおける正教会はプーチン政権との結びつきが強くなったらしい。そして、ロシア軍のウクライナ侵攻についてもロシア正教の何というのかトップの人はそれを正当化する発言をおこなってきたが、それに対してウクライナの正教はロシアの正教から離れて独自の姿勢をとるようになったところ、オデーサだったかヘルソンだったかの正教会の教会堂めがけてロシア軍がミサイルを撃ち込んだ・・が、これはウクライナの正教がロシア軍のウクライナ侵攻を支持してきたロシアの正教を離れたことからのものでしょうとボクダンさんはYouTube で話していたが、歴史的建築物である教会堂でも、自分たちの主張・利害に反すると思えばミサイルを撃ち込むようです。
ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説 (岩波文庫 白 124-1) - カール・マルクス, 城塚 登
宗教 その起源と役割 (新日本新書 250) - 蔵原 惟人
憲法講話 (岩波新書) - 宮沢 俊義
ところで、日本の京都と奈良は第二次世界大戦中も爆撃を受けず、そのために京都と奈良の歴史的建築物や文化的遺産は損傷を受けずにすんだのですが、これはアメリカ合衆国の誰だったか、京都と奈良には文化遺産が多いので爆撃しないでほしいと要望してくれた人がいて、そのおかげで京都や奈良の文化遺産は保護された・・・ということなのですが、しかし、これには問題点もあるのです。
ひとつは、文化遺産は京都と奈良にだけあったわけではなく、他の所にもあったのですが、たとえば、大阪市天王寺区の四天王寺では、「天王寺さんの亀の池」の後ろの六時礼賛堂は残り、重要文化財の指定を受けていますが、金堂や講堂、それに五重塔は室戸台風によって倒壊したが、それを総檜造りで復興したものは爆撃を受けて消失した。名古屋の名古屋城の天守閣も国宝の指定を受けていたものだったが爆撃を受けて消失し、現在のものは戦後に鉄筋コンクリート造で造られたものだ。京都と奈良だけでも保護されたのは悪くはないとしても、他の所の文化財は多くのものが破壊された。
そして、それより大きい問題として、これは本多勝一がどこでだったか述べていたのだが、京都や奈良に爆撃がされなかったのは、あくまでも京都や奈良の歴史的建造物や文化遺産を保護するためであって、そこにいる人間を守るためではなかった、という点だ。日本の誰だったか、大学教授という人がドレスデンの街に行ったら、ドレスデンという街は大変美しい街であるが、第二次世界大戦において爆撃を受けて相当の被害を受けたが、日本の京都や奈良を守ってくれたのに、どうしてドレスデンは守ってくれなかったのか・・と嘆息なさっておられた・・というのだが、アホか、日本の京都や奈良に爆撃を加えずに守ったのは、それは京都や奈良の文化財というものがアメリカ合衆国軍の人間にとって珍しい物だったからであって、ドレスデンは日本人からすると美しい街で珍しいものでも欧米の人間にとっては京都や奈良ほど珍しいものではなかったのであり、元々、そこにいる人間を守るために京都や奈良に爆撃しなかったのではなく、そこの建築や文化財が珍しいものだったから保護しただけのことで、その大学教授の先生様は「どうして、どうして」と嘆息なさっておるが、こんなこともわからんのか・・と書いていた。まあ、そんな感じの大学教授の先生というのはおられると思う。
実際、京都や奈良は欧米人にとって珍しい歴史的建造物や文化財があるから守らないといけないが、広島なら京都や奈良ほどは文化財がないからそこにいる人間は殺してもいいという理屈は、それは肯定できかねるが、しかし、そうはいっても、京都や奈良の文化財が守られたというのは、守られないよりは良かったかもしれない。
日本だけではなく、第二次世界大戦の時にイタリアのフィレンツェでは、ウフィツィ美術館に逃げ込めば爆撃されないのではないかと逃げ込んだ人がいたが、そこにも爆撃されたとかいう話があるらしい。
本多勝一が述べていたように、京都・奈良に爆撃を加えないでほしいと言った人の進言が採用されてアメリカ合衆国軍は第二次世界大戦の時に京都と奈良には爆撃を加えることを控えて、そのおかげで京都と奈良の歴史的建造物や文化財は守られたけれども、それはそこにいる人間を守ってほしいということではなく、欧米人にとって珍しい文物を守ってほしいということであって、人間の命を守ろうという趣旨のものではなかった、というのはたしかにそういう面はあると思ったのです。
しかし、今回のロシア軍のウクライナの都市への爆撃を考えてみると、歴史的建造物や文化遺産を損傷しないようにしたいという気持ちと、できるだけ人の命を奪わないようにしたいという気持ちは、それは共通するところがある、という面もあるのではないか。片方で、そこにいる人間の命はどうでもいいけれども歴史的建造物や文化遺産は守れと言う場合もあるかもしれないけれども、そうではなくて、歴史的建造物や文化遺産を損傷しないでほしいという意識と人の命はできる限り守ってほしいという意識は共通するもので、歴史的建造物や文化遺産を粗末にする精神というのは人の命もまた軽く見る精神ではないか、とも思えたのです。
【6】 イルクーツクのフードコートのペリメニはおいしかった。 欧米・「西側」のマクドナルドなどのチェーン店がロシア連邦から撤退しても、ロシア連邦の飲食店は質の悪くない状態で存続するのではないか。
ロシア軍のウクライナ侵攻にともない、欧米の飲食店のチェーン店、マクドナルドなどがロシアから撤退して、その後、ロシアで同様のものをおこなったが、どうも、うまくいかないという報道があった。
ロシア軍によるウクライナ侵攻以来、一躍有名人になった中村逸郎先生が、報道番組で、マクドナルドが撤退した後、かわりに「おいしい、ただ、それだけ」というロシア語での名前で同様の店が営業したが、ロシアに住んでいる友人に聞いたら「まずい、ただ、それだけ」だったと中村逸郎先生は話していたのだけが、他方で、東京大学なんとか研究所の小泉悠先生は、ロシアによるクリミア半島占領の後、ウクライナ侵攻より前にモスクワにいたことがあるらしいが、ロシアの酒というとウオツカという印象があるが「最近、ロシア人はウオツカはあんまり飲まないみたいで、ワインとかの方がよく飲むみたい」ということだったが、クリミア半島占領からヨーロッパの国からのワインの輸入が止まって、そして、どうなったかというと、ロシア産のワインの品質が格段に良くなった・・らしい。「なんだ、あんたたち、やればできるんじゃないか」と思ったという。「考えてみれば、ロシアには農地はあって農夫はいて、教育水準だって低くないのだから、できておかしくない」と話していた・・・が、マクドナルドが撤退した後の店が「まずい、ただ、それだけ」になってしまったという方が正しいのか、西側からワインが輸入されなくなったら、ロシア産のワインの品質が格段と上がったという方が正しいのか。
もしかすると、ロシア連邦の人間というのはマクドナルドのようなチェーン店でのやり方というものに、それほど慣れていないのかもしれない。だから、マクドナルドが撤退した後、同じようにやろうとしてもうまくいかなかった、ということはあるのかもしれない。しかし、たとえ、欧米・「西側」のチェーン店がロシア連邦から撤退したとしても、ロシア連邦での食事を提供する店・飲食店が無茶苦茶なものになるかというと、そうでもないのではないかと私は思ったのだ。なぜかというと、ロシア連邦には、欧米・「西側」のチェーン店の飲食店が進出する前から、ロシア連邦自身での飲食店が存在していたし、ロシア料理というのは決して品質が悪いものではなく、けっこうおいしいし、それは「レストラン」のような店でもけっこうおいしいし、そうではなくて、フードコートみたいな所の店でもけっこうおいしかったからだ。だから、欧米・「西側」のチェーン店のようなものも最近のロシア人は好んで食べていたかもしれないが、そういうものがなくなったとしても、元からのロシア連邦の飲食店だって、なかなかのものだったから、だから、飲食店については、欧米・「西側」のチェーン店がロシア連邦から撤退したとしても、この点についてはロシア連邦の人間はそれほどは困らないのではないか、と思う。
2000年の8月に、ロシア連邦のシベリア中部のイルクーツク州のイルクーツク市とバイカル湖畔のリストビャンカ村に訪問したが、そこで「レストラン」のような店でも、日本で言うところの「喫茶・軽食」のような店でも、ショッピングセンター内のフードコートのような所でも食事をとったが、なかなかおいしかった。全般的に物価が日本よりも安かったので、その結果、食事も比較的安い金額で取れたが、「西側」と比べて劣るようなことはなかった。イルクーツク市のショッピングセンターの中にフードコートのような所があって、「レストラン」のような店よりも利用しやすかったので何度かそこで食事をとったが、そこのペリメニがなかなかおいしかったのを覚えている。
ロシア人はアイスクリームが好きで冬でも夏でもアイスクリームをよく食べると『地球の歩き方・ロシア』だったか『地球の歩き方・シベリア』(ダイヤモンド社)だったかに載っていたのだが、イルクーツクの街にも道のあちらこちらに、日本のパチンコ屋の景品交換所みたいな建物があって、そこでアイスクリームを売っていた。なんで、パチンコ屋の景品交換所みたいな建物なのだろう・・と思ったが、私は8月に行ったのだが、夏はいいが冬になると平均気温がマイナス15度という所なので、それで「パチンコ屋の景品交換所みたい」な窓が小さい建物だったのではないかと思う。ロシア連邦のアイスクリームについては、『地球の歩き方』にはロシアのアイスクリームは大変おいしいと書かれていたが、他方で、ハウジングエージェンシーが出していた「インテリア情報」に載っていた話では、日本人のおばさんたちがロシアに旅行に行った際に、アイスクリームが店で出てきた時に、ジャパニーズおばさんたちが「甘~い」「甘いわ」とロシアのアイスクリームが甘いとバカにしたようにみんなで言い、おばさんたちが去った後、そこにいた日本人並みに日本語を理解できるロシア人の男性ガイドさんが「日本のアイスクリームはからいのですか」と甘いアイスクリームを喜ぶ国の人間をバカにしたように言う無礼な日本おばさんに不快感を口にした話が出ていた。それで、実際にどうなのか、私はロシア連邦でもヨーロッパの方のロシアには行ったことはなくて、シベリアのイルクーツクとバイカル湖畔のリストビャンカ村にしか行ったことはないので、モスクワとかサンクトペテルブルクでどうなのかは知らないが、イルクーツクとリストビャンカにおいては、街中の道にある「パチンコ屋の景品交換所みたいな建物」で売っているアイスクリームは、「ロシア人はアイスクリームが大好き」と『地球の歩き方』に出ていたので何度も買って食べたが、悪いということはないが、日本でコンビニやスーパーで売っているアイスクリームと比べても、特にどっちの方がいい悪いということはないと思った。ロシア人のガイドさんに案内してもらってバイカル湖畔の「喫茶・軽食の店」のような所に入って食べたアイスクリームは、これは本当においしかった。たしかに、『地球の歩き方』に「ロシアのアイスクリームは本当においしい」と書かれていたが、実際、本当に 」おいしかった。
だから、マクドナルドが撤退した後、店の名称を「おいしい、ただそれだけ」というロシア名に名前を変えた店があまりおいしくなかったとしても、それは欧米・「西側」のチェーン店方式でのマクドナルドなどのようなやり方が得意ではないか、もしくは、欧米・「西側」の物の真似をしようとした時にうまく真似られなかったかであった、もしも、うまく真似られなかったとしても、元からロシアにある料理は欧米・「西側」の物と比較しても決して劣るものではないから、だから、欧米・「西側」から輸入された物を好む人は、それを口にできなくなって残念かもしれないが、一般の食事については、欧米・「西側」の物が入らなくなってもおそらく悪くない物があるのではないかと思う。
マクドナルドなんてファーストフードがそんなにいいか? コカ・コーラなんてものがそんなにいいか? ということもあるのだが、ロシア連邦でなくても日本においても、マクドナルドなんて、あったらあったでいいけれども、なくなったらなくなったで特別に困らないのではないかという気もする。スターバックスコーヒーだってそうだ。佐賀県には「スタバは、ない」と歌を歌っていた人がいたが、インターネットで検索するとスターバックスコーヒーは実は佐賀県にも何店かあるようなのだが、元々、スターバックスコーヒーは東京とか都市圏向けの店で地方向けの店ではないから、佐賀県になかったらなかったで別にいいのだけれども、実際は何店かあるらしい・・が、あったらあったでいいけれども、もしも、なくなったとしても、その時はその時で特別に困るものでもないと思うのだ。だから、マクドナルドとか欧米・「西側」のチェーン店はロシア連邦から撤退したとしても、ロシア連邦の人間はこれについては特別に困ることもないと私は思う・・けどね。
YouTube で 佐藤優が「プーチンと同じように考える必要はないけれども、プーチンが何を考えているのかは考えてみるべきだ」と話していたが、それはたしかにそうだと思う・・・が、「プーチンが何を考えているのか」考えてみても、いったい、プーチンは何考えてんだろうな・・と思えてくる。ロシアの軍事が専門だという東京大学なんとか研究所の小泉悠さんが「ロシア文学とか専門にしている人には、このロシア軍のウクライナ侵攻について、なんで、ロシア人がこんなことをとか言う人がいるのですが、ロシア文学とか専門の人はそう思うかもしれませんが、ロシアの軍事を専門にしている者からすると、ロシアという国は時々、変なことするし、こういうことはありそうな国だという感じです」とか話していたが、「プーチンが何を考えているのか」考えても、「変なこと」やってるとしか思えない。
ウクライナはいくつかの異なる特色がある地域から構成されていて、
1. 西部の《 リヴィウは、ハルィチナー地方(ポーランド語: Galicja - ガリツィア)の中心都市である。人口は約83万人。ポーランド、ハンガリー、オーストリアなどの領土になっていた時代が長いため、ウクライナの中では最もヨーロッパ的な都市である。歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されている。》(ウィキペディアーリヴィウ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A6#%E6%96%87%E5%8C%96 )、
2. 南西部はカルパチア山脈が国境ではなく、カルパチア山脈の向こう側(西側)(スロバキア・ハンガリーの側)までウクライナ領になっている。太田邦夫『ヨーロッパの民家(建築巡礼)』(丸善)で述べられているが、これはウクライナがソビエト連邦に属していた時期、ウクライナとではなく、ソビエト連邦とスロバキア、ソビエト連邦とハンガリーとの政治的・軍事的力関係がソビエト連邦の方が強かったことから、カルパチア山脈が国境とされるのではなく、カルパチア山脈を越えてスロバキア・ハンガリーの側までソビエト連邦の領土になったのではないか、と指摘されている。ハンガリーの政治家でウクライナはロシア連邦に領土を割譲した上で停戦してはどうかと言った人がいたらしいが、もしかすると、ハンガリーとウクライナの間での国境についても、ウクライナの方に有利な位置に国境があることを踏まえての発言か。
南西部、カルパチア山脈より西側のウクライナ領では、『グローバルマップ 世界地図帳』(2023.9.1.昭文社)掲載の地図を見ると、イヴァノフランキシクという人口10~50万人の都市・フストという10万人未満の都市があり、「カルパチア山脈およびヨーロッパ各地の原生林」がユネスコ世界遺産に指定されている。
ヨーロッパの民家 (建築巡礼) - 太田 邦夫
3. クリミア半島については、ソビエト連邦が成立した時点では15の連邦共和国の中ではウクライナ社会主義共和国ではなく、ロシア社会主義共和国に属していたらしく、フルシチョフが書記長の際にウクライナに所属を移されたらしい。そういう経緯があることから、ロシア連邦の人間にはクリミア半島はロシア連邦領だという意識の人がいるのかもしれない。佐藤優が話していたものによると、元々はロシア人でもウクライナ人でもなく「クリミアタタール」と言われる人たちが多く住んでいる地域らしい。
4. この1~3以外の地域でも、西側はウクライナ語を話す人が多く、東側はロシア語を話す人が多いらしい。かつてのキエフ公国は「公国」と言うには面積も広く力も強く、「公国」ではなく「王国」と言ってもいいくらいだったが、現在のウクライナの西よりの地域を南北に長い領土だったはずで、現在のウクライナで「ウクライナ語を話すウクライナ人」が多い西部がそれにあたるらしい。
5. 現在のウクライナは第二次世界大戦の時にナチスドイツが攻めてきて、この地域にドイツの傀儡国家としてのウクライナという国を設けたが、その際にソビエト連邦との国境はかなり東によった位置に設けられて、それがソビエト連邦におけるウクライナ社会主義共和国とロシア社会主義共和国との国境になったらしく、それゆえにロシア連邦の人間やウクライナ東部の「ロシア系住民」の中には国境はもう少し西だと思っている人がいるのかもしれない。
もっとも、ロシア連邦の場合は、ロシア連邦の領土内においても、ソビエト連邦があった時代からそれぞれの民族が住んでいる地域を「自治共和国」「自治州」「民族管区」として、それ以外は全部ロシア領・・としてしまっているようなところがあるので、その基準でロシア連邦の領土だと主張されるのを無条件に認めるわけにもいかないのではないか。
問題は、この5についてだが、ドネツク州・ルハンスク州にはキーウ(キエフ)のウクライナ西部を中心とする地域の人たちと一緒にやるよりも別の国になりたいと考える人もいたのかもしれない。別の国になることができないなら、ロシア連邦内の「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」となる方がいいと考えた人も中にはいるのかもしれない。そういう人の中にはキーウ(キエフ)の政権とその協力者を「ネオナチ」と罵った人というのもいたということはあるかもしれない。実際に「ネオナチ」でなくても、悪口・けなし言葉として比較的軽い使い方で「ネオナチ」と罵ったものが、プーチンの所には相当深刻な意味合いでの「ネオナチ」として伝わったという可能性なら、ありえないことはなさそうにも思える。
キーウ(キエフ)のウクライナ政府としては、ドネツク州・ルガンスク州もクリミア半島もウクライナ領であり、ロシア連邦に奪われる筋合いはないというものだが、キーウの政権に同調したくないという「新露派」の人からするとキーウの政権とその協力者は「ネオナチ」と悪口を言いたい相手だったのかもしれない。
そういうことがあったとしても、だからといって他国の領土に軍隊を派遣して侵略していいというものではないはずだが、佐藤優が話していたものによると、ゼレンスキー政権が「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」とロシア連邦がした「新露派」が占拠している地域に自爆型ドローンで攻撃を加えたということがあったらしく、だから、「どっちが先に攻撃したんだ」というと、ゼレンスキー政権の方が先に攻撃したという理屈も出てくるらしいが、しかし、その攻撃先は、あくまでもウクライナの領土が「親露派」なのか実際はロシア軍なのかに占領されている地域であってロシア連邦領ではないのであり、ロシア連邦軍がその地域を占領していることの方が先にあるということになったのではないか。
しかし、「ウクライナ東部における『ロシア系住民』を保護するために」という大義名分でなれば、その「ウクライナ東部における『ロシア語を話すウクライナ人』」が住む地域へミサイル攻撃を加えて何人もの住民を殺すというのは、やっていることが筋が通らないことになる。「プーチンが何を考えているかを考えるべきだ」と佐藤優が言うのはわかるが、いったい何考えてんねん? てことになる。
フルシチョフとゴルバチョフの「2人のチョフ」はソビエト連邦の書記長の中では「融和的な書記長」であったと考えられていて、フルシチョフは現在、ロシア連邦領になっているカリーニングラード(ケーニヒスベルク)付近は、かつて、ブランデンブルク=プロイセン の「東プロイセン」と言われた所、ドイツ領だった所で、ドイツ騎士団領に由来するが、ドイツ騎士団が領有した時点ではスラブ人が住んでいた地域に西からゲルマン人がやってきて占領してドイツ騎士団領にしたというもので、昔々はスラブ人が住んでいた所をゲルマン人に侵略された所だという理屈らしいが、しかし、その場合の「スラブ人」はロシア人ではないはずで、そういうこともあって、このカリーニングラード(ケーニヒスベルク」付近をリトアニアに所属を移すことを検討したともいうが、もしも、その時にリトアニアに所属が移っていたならば、クリミア半島と同じようにリトアニアに攻撃が加えられたということも可能性としてあったかもしれない。
かつて、ソビエト連邦が存在した時代においては、「ハンガリー動乱」(1956年)・「プラハの春」(1968年)と、ソ連軍はハンガリー・チェコスロバキアに軍隊を派遣してソ連寄りの政権を打ち立てたが、今回も戦車をキーウ(キエフ)に向けて派遣すればウクライナの政権をロシア寄りの政権、ベラルーシのルカシェンコ政権のような政権に変えることができると考えて、予想通りにいかなかった、ということなのか。
将棋でも、こちらがこの手を打てば相手はこう出て、それに対してこちらがこう出ると相手はこうきて・・と考えるもので、「プーチンと同じように考える必要はないが、プーチンが何を考えているのかは考える必要がある」という佐藤優の発言は間違いではないだろうけれども、「プーチンが何を考えているのか」というと、いったい何考えとんねん? ・・てもので、鈴木宗男は「ロシアが負けることはない」と、なんだか東芝の従業員で今でも「東芝はつぶれることはない」と信じている者が少なくないみたいなことを言っているが、「ロシアが負けることはない」からロシア軍が攻めてきたら何でも言うこときくしかないということなら、今も「ロシアは日本の北海道に対して権利がある」とか言っているロシアの政治家がいるらしく、「アイヌ人はロシア人の支族で、アイヌ人の土地である北海道はロシア人の土地だ」とかわけのわからん妄想みたいなこと言っている政治家もロシア連邦にいるそうで、ウクライナにやったことと同じことを日本に対してやってくる可能性だってないわけではないのであり、さらに「日本が言うこときかないなら原爆落としてやれ」とか言っているロシア連邦の政治家もいるらしいのであり、そのあたりを考えると「日本にとってはウクライナと仲が悪くなっても日本は困らないが、ロシアと仲が悪くなったら日本は困る」とかそういうことは言ってられないのではないか。
『地球紀行 世界遺産の旅』(1999.10.10. 小学館)ではウクライナでユネスコ世界遺産の指定を受けているものは「キエフの聖ソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」「リヴォフ歴史地区」の2か所だが、『グローバルマップル 世界地図帳』(2023.9.1.3版 昭文社)に掲載の地図を見ると、ウクライナでユネスコ世界遺産に指定されているものは、この2つ以外に、
カルパティア山脈およびヨーロッパ各地のブナ原生林
ブコヴィナとダルマチアの首都大司教の宮殿
カルパティア地方の木造教会
・・・がユネスコ世界遺産の指定を受けていて、ウクライナに近い場所では、モルドバ北部の
シュトルーヴェの観測点
があるようだ。
【7】 ユダヤ自治州の「ユダヤ人」は、『聖書』の時代にパレスチナ・イスラエル・ユダヤ地方に住んでいた人の子孫ではない可能性が大きい。
アムール川の上流、中国の「東北地方」(「旧満州」)の東、ウスリー川とアムール川が合流する地点、ハバロフスクより西のあたりに「ユダヤ自治州」という州があり、ピロビジャンという市が州都になっているのだが、「ユダヤ人」とロシア人による州だというのだが、ロシア連邦にまでユダヤ人はやってきていたのか・・・というと、実は「ユダヤ人」の場合は「日本人」とか「朝鮮人」とか「ベトナム人」とか「フランス人」とか「イタリア人」とかいう場合とは違って、『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ地方に住んでいたユダヤ人の子孫という意味と、もうひとつ「ユダヤ教徒」という意味があって、又、ユダヤ教はキリスト教・イスラム教・仏教のような世界宗教とは違ってユダヤ人だけに広まった民族宗教だというように、日本の中学校の「歴史」では教えているけれども、それは必ずしも正しくなくて、かつて、ロシア南部というのか、ロシアからウクライナにかけての地域ではないかと思われるのだが、その地域の王国の王さんが、ユダヤ人の商人が持つ先進文化を取り入れたいと思い、ユダヤ教に自分自身が入信するとともに領民にもユダヤ教を広めたことがあり、その結果として、「ロシア系ユダヤ人」という人たちが出現したらしいのだ。「ロシア系ユダヤ人」はユダヤ教徒ではあっても、血筋をいくら先祖に遡っても『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ・パレスチナ地方に住んでいたユダヤ人にはたどりつかない。アムール川の上流、ハバロフスクの西のあたりの「ユダヤ自治州」の「ユダヤ人」もおそらく大部分は先祖をどこまで遡っても『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ・パレスチナ地方に住んでいた人という意味でのユダヤ人ではなく、ユダヤ教徒という意味での「ロシア系ユダヤ人」ではないか。
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ユダヤ人とはなにか。『西洋史辞典』(創元社)の「ユダヤ人」の項には次のように書いてある。「前15世紀頃メソポタミヤ地方からパレスティナに移住したヘブライ人の一部族。旧約聖書のヤコブの第4子ユダにちなんでいわれる。広義にはヘブライ人の別名ともなっている。(以下略)」このユダヤ人がローマに征服されてから各地に散らばり、世界のユダヤ人になったとされている。
この考えによれば、今日一千万をこえる世界のユダヤ人には共通の血が流れ、先祖をたずねていくとかならずパレスティナに行きつく、ということになる。普通の日本人の「ユダヤ人」観はそうなっている。はたしてこれは正しいか。
《 つくられたユダヤ人 このような見かたにとって、実は具合の悪い材料がいろいろとある。その中でとくに興味深いのはハザル(カザル)の歴史である。ハザルの国は8~11世紀、南ロシアを支配したが、この国の王がユダヤ教に改宗し、これを国教にしたため、南のビザンツ帝国やアッバース朝国家と対抗するユダヤ教国として知られた。ハザルの人びとはトルコ系とみられたことにより、ウィグル人ともいわれるが、こうしてユダヤ教徒とされ、まさにそのために、ヨーロッパの社会のつねとして、ユダヤ人とされていくのである。・・・・東欧に多数存在したといわれる「セム人種」の一部分は、このようにしてつくりだされたのであった。
(板垣雄三「アラブとイスラエル」東書高校通信世界史。 No.13) 》
(学習資料「世界史」編集委員会 編集『学習資料「世界史」』1978.4.1.第5版。 ほるぷ総連合。)
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イスラエルの「ロシア系ユダヤ人」は先祖をどれだけ遡っても『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ・パレスチナ地方に住んでいた人にはたどりつかないにもかかわらず、先祖の土地ということで、それまでにそこに住んでいたアラブ系の人を追い出してイスラエルは建国された。アムール川流域の「ユダヤ自治州」に住んでいる「ユダヤ人」も先祖をどこまで遡っても先祖はアムール川流域には住んではいないはずだ。
「パレスチナ自治区」の「ガザ地区」からハマスによるイスラエルへの攻撃がおこなわれて、それをはるかに上回る攻撃をイスラエル軍がおこなったが、ロシア連邦というのは、どっちの側なのだろうか? イスラエルの「ユダヤ人」はその20%が「ロシア系」だというのだが、それから考えると、ロシア連邦はイスラエルの方に加担しそうにも思えるのだが、ソビエト連邦の時代においては、ソ連国内においては問題点はあっても国際的にはソ連は「抑圧される側」に加担することが多かったことから「西側」の知識人はソ連に好意的態度をとる人がけっこういたのだが、ロシア連邦がソビエト連邦の後継国家だとするならば、その流れからいくと「パレスチナ自治区」の側についても良さそうにも思えてくるのだが。今回は、ハマスはなぜ、このタイミングでイスラエルに攻撃を加えたのか。ロシア連邦としてはハマスによるイスラエル攻撃はロシア連邦軍によるウクライナ侵攻に対して、アメリカ合衆国などの対応をウクライナからそらせる効果を持つことになり、ロシア連邦にとってはハマスによるイスラエル攻撃は有利に働いたが、ロシア連邦はハマスとつながりがあったのか。イランはハマスとつながりがあると言われているらしいが、イランはロシア連邦のウクライナ侵攻にはロシア連邦の側に立っていることを考えると、イランを間にはさんでロシア連邦はハマスのイスラエル攻撃とつながりがあったのだろうか?
非ユダヤ的ユダヤ人 (岩波新書 青版 752) - I.ドイッチャー, 鈴木 一郎
ペリメニはロシア風の水餃子 とも言えるが、私は水餃子も好きだが、餃子だと焼餃子の方が水餃子より好きで、水餃子ならペリメニの方が好きだ・・が、ロシア連邦ではペリメニは「普通の料理」だと思うが、日本でペリメニは「ロシア料理店」とか少々格式ばった店に行かないと「そのへんの大衆料理店」ではお目にかからない。
(2023.11.17.)
☆ ロシア軍のウクライナ侵攻に際し建築屋的感想B
1.ロストフナドヌーとロストフベリキー、グムと赤の広場、ドン川・ドニプロ川・ドニステル川・ドナウ川の違い―ロシア軍によるウクライナ侵攻に際し建築屋的感想B【1/2】
2.キーウ他の歴史的建造物を大事にする心と人命を尊重する心は相反するものか共通するものか。湿地帯だったサンクトペテルブルクの建築、及、地盤調査と地盤補強を「要らない」と言ったり必要と言ったりする会社。イルクーツクのペリメニはおいしかった、マクドナルドなど「西側」のチェーン店が撤退してもロシア連邦の飲食店は存続するだろう。ユダヤ自治州の「ユダヤ人」は『聖書』の時代にユダヤ・イスラエル地区に住んでいた人の子孫ではなさそうーロシア軍のウクライナ侵攻に際してB【2/2】〔今回〕
☆ ロシア軍のウクライナ侵攻に際して建築屋的感想A
[第912回]《 ロシア軍のウクライナ侵攻に際して建築屋的感想【1】ポーランド色が強いリヴィウ、カルパチア山脈よりハンガリー側に国境があるウクライナとハンガリーの国境。【2】ドイツ人建築家ブルーノ=タウトの生誕地のケーニヒスベルク(カリーニングラード)はロシア連邦領になっている。アール=ヌーボーの画家ミュシャはポーランド人で「スラブ人」の意識がある。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_1.html
[第913回]《ロシア軍のウクライナ侵攻に際して建築屋的感想【3】ロシア連邦から日本へ輸入される木材。【4】自然保護されるか。【5】ロシアの建築は魅力的だが行けなくなってしまった。天然木と造林木では事情が違うことすら理解できない国産材使用木造住宅建築会社の従業員。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_2.html
[第918回]《 ロシア軍ウクライナ侵攻により採用取消された在日ロシア人と「リフォームのナカヤマ」に採用取消された何年か前の私の話。後の就職席にまで誹謗中傷を加える卑劣な者。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_9.html
【4】 レニングラード(サンクトペテルブルク)
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)に掲載されているのは、モスクワと「黄金の環」と言われるコロメンスコエ・ザゴルスク・ペレスラブリザレッキ・ウラディーミル・スーズダリ・ヤロスラブリ・ロストフベリキーと、キエフ、それにレニングラードと日本の豊橋ハリストス正教会・函館ハリストス正教会。
豊橋ハリストス正教会 については、
哲建ルンバ [第264回]《豊橋ハリストス正教会・聖使徒福音記者マトフェイ聖堂(愛知県豊橋市) 訪問―日本の教会建築(15)》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201609article_1.html
で述べましたので、よろしければ見てください。
それで、レニングラードですが、ロシア語で「ゴーラト」は都市という意味で、「レニングラード」は「レーニンの都市」という意味だったのですが、1917年のロシア革命の後、それまではペトログラードと言っていた市を「レニングラード」と改名したものを、さらに1991年にソビエト連邦が解消された際に「サンクトペテルブルク」と改称されたわけですが、一番最初は「ペテルブルク」で「ピョートル大帝の都市」という意味だったはずで、「ブルク」はドイツ語でピョートル大帝は西ヨーロッパの文物をロシアに取り入れようとしてバルト海に面した所に都市を人工的に造って「ピョートル大帝の都市」という意味でドイツ語で「ペテルブルク」という名前にしたが、後に第一次世界大戦でロシアがドイツと戦争することになった際にロシア語読みの「ペトログラード」に変更していたものを、1917年のロシア革命の後に「レーニンの都市」という意味の「レニングラード」と改名したという市だったはずだ。
「レーニンの都市」をまたもや「ピョートル大帝の都市」に戻すのか? ・・とも思ったが「サンクトペテルブルク」と「サンクト(聖なる)」とついているということは「聖なるペテロの都市」という方の意味なのでしょう。英語のピーターはロシア語ではピョートルで、『新約聖書』に登場するキリストの12弟子のひとり、ペテロの名前は、英語のピーター・ロシア語のピョートルで、ロシア人の名前のつけ方は日本人の名前のつけ方とは違っては産まれた月日によって、その期間に産まれた子供はこの聖人の名前と決められた聖人があるらしく、そこからかどうかわからないが、ピョートル大帝の「ピョートル」は12弟子のひとりのペテロから名づけられた名前なので、「サンクトペテルブルク」は「ピョートル大帝の都市」に逆戻りしたのではなく「聖なるペテロの都市」という意味の名前にした、ということなのでしょう。
ロストルナドヌーの北東、アストラハンの北西にヴォルガ川に沿ってヴォルゴグラードという都市があり、第二次世界大戦の時にドイツ軍がこのあたりまで攻めたとされるスターリングラードとかつては言われていた都市が今はヴォルゴグラードという名前になっており、スターリングラードという名前になる前はツアーリチ(ツアー〔皇帝〕の街)という名前だったらしいが、
ツアーリチ⇒スターリングラード⇒ヴオルゴグラード
と変わったごとく、
ペテルブルク⇒ペトログラード⇒レニングラード⇒サンクトペテルブルク
と名前が変遷したようだ。よくわからないのは、ヴォルゴグラードはロシア語の「ゴーラト」を名乗る「・・グラード」だが、サンクトペテルブルクはなんでまたドイツ語の表現の「ブルク」なんだ? てところだが、なんでだろうな。
ヨーロッパ各地に住んでいたユダヤ人は、かつてはパレスチナ地方にいたというお話からイスラエルという国が作られたが、かつてはどうだったという話というのは、いったい、どこまで遡るべきなのか。かつては・・というと、ロシア連邦でモスクワに次ぐ都市であるサンクトペテルブルク(←レニングラード←ペトログラード←ペテルブルク)はロシアがスウェーデンとの戦争に勝ってぶんどった所に人工的に造った都市だったはずだ。ロシア連邦はサンクトペテルブルクを返すのか?
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)によると、
《 レニングラードの町はヨーロッパの都市の中でも指折りの美しい町であると思う。その美しさは、無数に張り巡らされた運河とそれにかかる橋、十八世紀から十九世紀にかけて造られたバロック様式の建築群、ペテロ・パブロフスク要塞の塔、ネバ川と冬の宮殿と広場、などのつくりだす風景であり、これらは絵になる景観である。更にこれらの風景の背景には、多くの歴史や物語がかくされている。ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくるラスコリーニコフの下宿、日露戦争前夜の広瀬武夫とアリアズナ・コパレフスカヤとの恋の物語などは、なんとなく暗いが甘酸っぱいロマンの香りがする。・・・ 》
と書かれている。ドストエフスキー『罪と罰』はともかく、「広瀬武夫とアリアズナ・コパレフスカヤとの恋の物語」て何だあ? ・・ウィキペディアー広瀬武夫 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%AD%A6%E5%A4%AB#%E6%A0%84%E5%85%B8
《 広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫、1868年7月16日(慶応4年5月27日) - 1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍人、柔道家。日露戦争でのエピソード(後述)で知られており、特に戦前は軍神として神格化された。・・・
ロシア駐在中に社交界ではロシア海軍省海事技術委員会であり、機雷敷設の専門家であったアナトリー・コワリスキー大佐の娘・アリアズナ・アナトーリエヴナ・コワリスカヤと知り合い、文通などを通じた交友があったことも知られている[4]。武夫の戦死を聞いた彼女は喪に服したといわれる。・・・
生涯独身であり、女性関係はあったものの極めて真面目で、遊廓に出入りすることも社交界で交際することも皆無だった。唯一の女性との関係はアリアズナとの文通であったという。・・・
長い間、アリアズナの父親はロシア海軍のコヴァレフスキー少将とされてきたが、2010年になって日露の研究者により、実際の父親は別の人物であったことが明らかとなった。》
と出ている。
《 1904年(明治37年)より始まった日露戦争において旅順港閉塞作戦に従事する。3月27日、第2回の閉塞作戦において閉塞船福井丸を指揮していたが、敵駆逐艦の魚雷を受けた。撤退時に広瀬は、自爆用の爆薬に点火するため船倉に行った部下の杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)がそのまま戻ってこないことに気付いた。広瀬は杉野を助けるため一人沈み行く福井丸に戻り、船内を3度も捜索したが、彼の姿は見つからなかった。やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。35歳だった。・・》
と日露戦争中に戦死した人らしいが、『ロシアビザンチンー黄金の環をたずねて』(1991.丸善)の著者の内井昭蔵さんという人は、1933年、満州事変の1931年の2年後に東京で生まれた人で、ウィキペディアー内井昭蔵https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E4%BA%95%E6%98%AD%E8%94%B5 によると、2002年8月3日に69歳で亡くなったらしく、『ロシアビザンチンー黄金の環をたずねて』(1991.丸善)は58歳の時に発行された本で「終戦」か「敗戦」かの1945年においては12歳、戦前生まれの人であり、戦前に育った人にとっては戦前「軍神」として神格化された人の広瀬武夫という人の話が《なんとなく暗いが甘酸っぱいロマンの香りがする》かもしれないが、申し訳ないが、戦後世代の者としては、実際のところ、それ誰なの? ・・て感じがする。
ドストエフスキー『罪と罰』は北野高校の2年の時に、「倫理社会」のA教諭が「ドストエフスキーの『罪と罰』とか、こういう本も読んだことがない高校生というのは高校生として欠陥があるのじゃないかと思いますね」とか「倫理社会」の授業中に話していたが、そうなのだろうか・・と思ったが、高校卒業してから20年以上経ってから読んだが、悪いとは言わんが「そこまでのものかな」という感じがした。それよりも、このドストエフスキーという人は、なんで、こんなにぐだぐだと長ったらしい文章を書かなきゃ気がすまないのか、もうちょっとゴーリキーの『どん底』くらいの長さで書けないものか・・と思ったが、ドストエフスキーという人の作品というのは一般的に「長い」みたいだ。長編と名作は同じではない。長ければいいというものでもない。もうちょっと短く要領よくかけないものかと思ったが、それがドストエフスキーという人の””芸風”” なのかもしれない。「矢鱈と長い」ので読むのに疲れるということもあるが、それは我慢するとしても、最後の「エピローグ」は余計だと思うのだ。井桁貞義『人と思想 ドストエフスキー』(清水書院 センチュリーブックス)によると、ドストエフスキーはこの小説の結末のつけ方に苦労して、それで、何番目かの妻のなんとかさんの意見を取り入れて「エピローグ」を作ったらしいが、どうも「エピローグ」によって、この小説はそれまでのものがだめにされてしまっているように思える。ソ連映画の『罪と罰』は、そのあたりを映画製作者は考えたのか、「エピローグ」は削除して、その前、ラスコリニコフが警察に自首するところで終わりにしているが、私はそれよりまだ前、スビドリガイロフが自殺したことを聞いてラスコリニコフがショックを受けるというそこで終わりにしてよかったのではないかと思っている。・・それで、どうも、このドストエフスキー『罪と罰』という小説を「進歩派」のような雰囲気をかもしだしている人が「愛読書」としてあげることが多いようなのだが、何を「愛読書」だと言っても悪いとは言わんが、「そこまでのものか」という気がするのだが、こういうことを言うと怒られるかもしれんので、このあたりにとどめよう。悪いとは言わん。あくまで「そこまで特別に言うほどのものか」ということで、悪いとは言わん。ソ連映画の『罪と罰』のDVDを買ってきてロシア語の学習のつもりで何度も視聴したのだが、その結果、最初はまったく聞き取れなかったものが何度も聞いているうちに聞き取れる部分が出てきて、そして、そこで話される会話が頭に残り、中に自分が話そうと思えば話せるものも出てきたのだが、「ドラーク!(馬鹿ものめ!)」なんて覚えても、そんなもの、ロシアに旅行に行って誰かに言うわけにもいかないから使えない・・と思っていたら、ロシアに旅行すること自体が難しくなってきてしまった。
ロシアビザンチン―黄金の環を訪ねて (建築巡礼) - 内井 昭蔵
人と思想 82 ドストエフスキィ - 井桁 貞義
サンクトペテルブルク(レニングラード)の建築としては、イサク大聖堂・冬宮 エルミタージュ・スモールヌイ女子修道院・アレクサンドルの円柱と宮殿広場 の写真が内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)には掲載されており、魅力的な美術品を所蔵するエルミタージュ美術館はサンクトペテルブルクにあります。ウィキペディアーエルミタージュ美術館https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8#%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2 によると、《 1990年に世界遺産(サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群)に包括登録されてそうで、《 小エルミタージュ(Малый Эрмитаж)、旧エルミタージュ(Старый Эрмитаж)、新エルミタージュ(Новый Эрмитаж)、エルミタージュ劇場(Эрмитажный театр)、冬宮殿(Зимний дворец)の5つの建物が一体となって構成されており、現在本館となっている冬宮殿はロマノフ朝時代の王宮である。》らしい。
イサク大聖堂は、これはアブラハムの子 イサクの名前にちなんで命名されたのではないかと思われるが、一度、見学に行ってみたい・・と思いながら何十年か経ってしまい、ますます行きにくくなってきてしまいました。
サンクトペテルブルク の場合、個々の建物にも魅力は感じるのですが、ネバ川というバルト海にそそぐ川の下流の湿地帯に人工的に造られた街ということで、慶應大学でロシア語の授業の時に助教授から「もともと、湿地でいい場所だったわけではない」という話を聞いていたこともあり、建築屋としては、そういう所にどのように建物を建てたのだろうかという関心もあって、それで、イタリアのピサの斜塔とか、それから中国にも射塔があるらしいので、そういう所とともに、サンクトペテルブルクには一度、足を運んでみたいと思ったものでした・・が、訪ねることができずに何十年か経ち、今日に至ってしまった。ロシア軍のウクライナ侵攻からロシア連邦へは行きにくくなってしまい、もう、訪ねることはないかもしれませんね。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ という会社は、言うことがコロコロ変わる会社で、1992年に私が(株)一条工務店に入社した頃は、多くのハウスメーカーはスウェーデン式サウンディング試験をおこなう地盤調査をやって地盤の強度をしらべた上で地盤補強が必要なら地盤補強をおこなって建てていたのですが、1992年の時点では(株)一条工務店では私が「地盤調査やらなくて大丈夫なのですか?」と尋ねても、東京営業所の「リーダー」だった「一級建築士の宮崎さん」は「そ~んなの、地盤調査なんて、要らない要らない。ちょっと地盤が弱そうと思ったらべた基礎にでもしておけば、だ~いじょうぶ、だ~いじょうぶ♪」と言っていたので、大丈夫なんかい・・? と思ったものの、勤めた会社がそういうのならと思っていたのでした。
(株)一条工務店の前に勤めた小堀住研(株)では地盤調査とそれに基づく地盤補強は絶対に必要なのだと教えられたのでしたが、私は最初に住宅建築業の会社に勤める時点で建築学科とか土木学科とか卒ではなかったので、2つの会社から正反対のことを言われると、どちらの言っていることが正しいのか、よくわからなかった。あえて言うならば、小堀住研(株)で聞いた話の方が科学的・論理的で(株)一条工務店は「質問するとよくない会社」で質問すると怒られるし、どうも話に論理的でない・科学的でないものが多い会社だったので、その点から(株)一条工務店の方が「怪しい」印象を受けることが多かった。どうも、(株)一条工務店の「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」が同業他社に在籍したことがある人間を憎むのは、(株)一条工務店だけしか戸建住宅建築業の会社の経験がない人間には(株)一条工務店で教えることが正しくても嘘であってもそのまま信じる人間、もしくは信じているか否かにかかわらずそのまま平気で話す人間が少なくなからずいたのに対して、同業他社に少しでも在籍したことがある人間というのは、2社で異なることを言われると自分を頂点にした三角形ができて、どちらの言うことが正しいのだろうか・・と考えることになるので〔そういう場合、(株)一条工務店でない方が言うことが正しい場合が多かったのだが〕、そこから(株)一条工務店が従業員に教える嘘に気づく者が多いことから同業他社に在籍したことがある人間を憎む者が(株)一条工務店の「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」には多かったようだ。 「同業他社にいた人は一条ではだめな人がけっこう多いです」とか私も最初の研修の時に誰だったか講師役の男からいきなり言われたことがあったが、なんで、入社早々そういうことを言うのかな・・と思ったし、そんなこと思うなら採用しなければいいし、採用したならば採用して入社した人間に入社早々そのようなことを言うというのは無礼であろうし、言うべきものではないであろうとも思ったが、そうではなくて、その男が同業他社に在籍した人間に対して敵意のようなものを持っていた、ということだったようだった。営業の場合、嘘を教えられても、それを平気で話せば、嘘でも心の底から信じて話すことによって、見込み客もまた信じてしまって契約につながる・・ということが現実にあるのだが、同業他社にいた者は「え? それって違うのじゃないか」とか感づくことがあり、それが営業上マイナスになる場合も初期においてはあるかもしれない。しかし、軽佻浮薄な人間であるから教えられた嘘を平気でそのまま話したことによって契約があがったとしても、そんな営業は「その程度の営業」であり、長い目で見るならば、それではだめだ。むしろ、営業という仕事は「自分自身のやり方」を確立するべき職種であり、そのためには、むしろ、比較的早期に2社で経験するか同じ会社でも異なる地域での経験をするかした方がいい面もあるくらいだ。実際、同業他社の経験がある人間は(株)一条工務店にはけっこういて、決して「同業他社にいた人はだめな人が多い」などということはない。認識しておかないといけないのは、(株)一条工務店には同業他社にいたことがある人間に対して敵意を持っている「一条オリジナル」「(株)一条工務店の遠州人」がけっこういる! という点で、「同業他社に在籍したことがある従業員に敵意を持っているオリジナル従業員が多い会社」であり、そいつらが卑しい攻撃を加えてくることがあっても、そんなものにしてやられることがないようにすることだ。
(株)一条工務店は「中卒高卒優先主義」の会社であり、「遠州人中心主義」「浜松中心主義」「遠州人独善主義」「遠州人特権主義」の会社であり、「同業他社に在籍したことがある従業員に敵意を持っている『一条オリジナル』が決して少なくない会社」であり、「質問するとよくない会社」であり、「静岡県・愛知県を『本国』とする後進国の外資系企業」という性格を持つ会社である、ということをこの会社で勤めていくには決して忘れてはならない・・と認識するようになった、それから「保護義務違反の会社」で「公平性の欠如が頻繁である会社」である、それから「『労働基準法は守らない』というのが会社の方針だ」と営業本部長が公言する会社(法敵企業)(反社会的勢力)である・・・が、「中卒高卒の人」が「雪は黒い」とおっしゃったなら、「なんででんねん。雪ちゅうもんは白いもんとちゃいまんのか」なんて言ってはならないのだ。「中卒高卒の人」が「雪は黒い」とおっしゃったなら「雪は黒い」のだ。「一条オリジナル遠州人」が「空の広さは浜松の広さと同じだ」とおっしゃったなら、「なんででんねん。『空の一部分の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのなら正しい。しかし、『空の広さは浜松の広さと同じだ』と言うのなら、それは間違っている」なんてことは口にしてはならないのだ。「誠に誠に、空の広さは浜松の広さと同じだ」と言わないと「うるさい」のだ。
私はこれと似た経験を慶應大学でしたことがある。「ゆりかごから墓場まで慶應」タイプの人(from cradle to tomb)〔小学校:慶應幼稚舎⇒中学校:慶應中等部⇒高校:慶應義塾高校⇒大学:慶應大学⇒大学院:慶應大学大学院 と進まれたお方〕が「きのう、テレビ見てたら、進学塾で小学生で『東大に行くんだあ』とか言ってるやつが映ってたんだけども、俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」と、そうおっしゃったということがあったのだ。私は今なら、そういう人には逆らったらいかん! という知恵を身につけたので心の中で何を思おうが逆らわないが、1980年代のその頃はまだそういった知恵が身についていなかったので、つい、思った通り、口にしてしまったのだった。「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」・・・と。言ってから「しまった」と思ったのだ。慶應の内部進学の人間にはこういうことを言うのはタブーなのだ。大阪でこういうことを言っても「そうだよなあ。小学校の時から『東大に行くんだ』とか言う小学生がいいかどうかは別として、『小学生の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつて気色悪いよ』て、小学校:公立・中学校:公立・高校:公立で国立大学に進学したとかいう人間が言うならともかく、小学校:慶應・中学校:慶應・高校:慶應・大学:慶應・大学院:慶應なんて、そんな『ほとんどビョーキ』みたいな人間に言われたのでは、その人間の方こそ『気色悪い』よなあ」ということになるところだが、東京圏では慶應内部進学の人間がところどころに棲息しているので要注意である。彼らの前で「小学校の時から『東大に行くんだ』とか言う小学生がいいかどうかは別として、『小学生の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつて気色悪いよ』て、小学校:公立・中学校:公立・高校:公立で国立大学に進学したとかいう人間が言うならともかく、小学校:慶應・中学校:慶應・高校:慶應・大学:慶應・大学院:慶應なんて、そんな『ほとんどビョーキ』みたいな人間に言われたのでは、その人間の方こそ『気色悪い』よなあ」なんて言おうものなら、彼らは「愛国心」「愛塾心」から即座に飛びかかってきて殴りかかってくるものだ。「なんで、怒るねん。あんたが『俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよ』と言うたんやろが。それなら『小学生の時から慶應行ってるやつ』なんて、もっと気色悪いやろうが。違うんかい? 違うのならどう違うのか説明してみい」と言いたいところだが、そういう理屈は彼ら「愛塾主義者」には通じない。彼らは「小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」というのが「常識」「正常」「健常」「自我が確立されている」であり、「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」なんて見解・思考はこれは「思考の堅さが気にかかります」「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」「受験勉強の悪影響ですね」「アイデンティティーを持っていないからそういうことを言うということですね」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか何とかかんとか「診断」されることになり、「診断」されると次に「治療」される危険が出てくる。ロボトミーとか電気ショック療法とかされる危険があるからもう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・・。それで、私が「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」と思った通り口に出してしまって、口にしてから「しまった。内部進学の人間にはこういうことは言ってはいけなかったんだ」と気づいたその相手は、慶應の内部進学の人にしてはもんのすごい寛容な人で、決して怒らず「うん。それ、一番気持ち悪い」と言ってくれたので、その時はまだよかったのだが、普通はそうはならないものだ。いやあ、その時、「『俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよ』」とおっしゃったOさんは本当に寛容で人間できてたと思う、内部進学の人にしては。普通、内部進学の人間が「『俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよ』」とおっしゃったのに対して「何を言うてんねん。『小学校の時から《東大に行くんだ》とか言ってるやつなんて気色悪い』なんてそんなこと言うなら、『小学校の時から慶應に行ってるやつ』なんてもう、気色悪くてしかたがない」なんて口にしたらただではすまんぞ、慶應では。まず、この大学は何かと「僭越」という言葉が飛び交う塾風「僭越」主義の大学であり、「(慶應義塾の)外部の者」が内部進学の方にそのような口をきくなどという「僭越」なことは許されないものだったのだ。私は最初、そんなこと知らないものだから、「なんでやねん。同じ大学生なら権利も義務も権限も一緒のはずやろうが」とか思っていたのだが、そうではないのだ。今は昔、「朝日新聞」に載っていた話だが、王貞治は台湾人で、王貞治の父親は息子に「我々はここでは外国人なんだ。だから、我々は周囲の人に好かれないといけないんだ。決して嫌われてはならないんだ」と教えたというのだが、そんな感じなのだ。「大学だけ慶應に行った人間」というのは慶應義塾においては外国人みたいなものなのだ。慶應は「最低でも高校から慶應に行った人間が本物の慶大生」と言う大学であり、そういう所では内部進学独善主義には決して逆らってはならないのだ。それに気づかずに「なんでやねん。同じ立場と違うんかい」とか思ってしまうと「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」とか「独立自尊の精神がないからそういうことを言うということです」とか「思考の堅さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病だからそういうことを言うということですね」とか「慶應心理学」から「診断」されることになるし、内部進学の人間は、agriculture をagriculture と発音せず、agriculture と発音する人・種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって自分の口に入れて食べるのではなくひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人(「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」やる人)・女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返している人 から「外部の者を教育してやらんといかんからなあ」とか言って殴りかかってきます。「外部の者」でも内部進学のテカである者もおり、そいつらが殴りかかってくることもあります。考えようによっては、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、何もよりによってそんな「一木一草に塾風が宿る」「学問は塾風のはしため」「塾風栄えて学問滅ぶ」みたいな大学に行かなくてもいいのではないか、という考え方もありますが、「心理学」はそういうagriculture をagriculture と発音せず、agriculture と発音する人・種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって自分の口に入れて食べるのではなくひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人(「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」やる人)・女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返している人、及びそのテカ(手下)のことを「思考が柔軟」とか「スマート」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「常識を身につけている」とか「正常」とか「健常」とか「独立自尊の精神を身につけている」とか「自我が確立されている」「アイデンティティーを持っている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか「診断」するみたいです。なんか、アホくさいなあ・・という気持ちになります。「慶應心理学」によると女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返しているような連中が「正常」で「健常」で「常識」で「自我が確立されている」で「受験勉強の悪影響を受けていない」で「福沢精神を身につけている」で「独立自尊」なんですよ。おもろい独立自尊もあったもんだ( 一一) そういう「診断」をするのが「心理学」というものなのです。それが「心理学」なのですよ、「心理学」!!! そういう「診断」をする人のことを「心理学者」と言うのです。そういう人が「心理学者」になっているのです、慶應大学という大学では。なんで、こんな「大学」に行かされなきゃならんのか、という気持ちになります。「天地は広いというが私にとっては狭くなってしまったのか」(『貧窮問答歌』)とかいう気持ちになります。「天は我を見放したあ~あ」という気持ちになります。(⇒《YouTube-八甲田山 「天は・・・天は我々を見放したァァァ」 北大路欣也》https://www.youtube.com/watch?v=VHCTSmyJcNg )「小学校から慶應に行っていた人」が「俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」とかおっしゃったなら、「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部の人間」は「そうですよねえ」と言って合いの手を入れて差し上げないといけないのだ。慶應という学校では。慶應という学校では内部進学の人間と「外部の者」「外部の人間」とは身分と階級が違うのだ。特に公立高校出身者というのは慶應の教授(内部進学)からするとドジンなのだ。特に私が卒業した北野高校は慶應の教授から嫌われていた高校だった。「北野高校の人間というのはね。私学よりも国公立の方がいいと思っていませんか。北野高校の人間は『どうして、私学だったらいいのですか』なんて言うでしょ。バカか! 私学だってことはいいってことじゃないか。そんな常識すらもわからんのか、北野高校の人間はあ!!! 」と講義の最中にマイクに向かって叫ばれるのだ。「せ~んせえ~え。どうして『私学だってことは《いいってこと》』なんですかあ。せ~んせえ~え、わかりませ~ん」と言いたくなるところだが、たぶん、「だから、私学だからじゃないか。そんな常識すらもわからんのか」とか言われるのではないかと思うが、そういうことを口にしてしまうと「受験勉強の悪影響ですね」とか「思考の堅さが気にかかります」とか「未成熟だからそういうことを言うということですね」とか「自我が確立されていないからそういうことを言うということです」とか「自我が確立されていたらそういうことは言わないはずですね」とかなんとかかんとか「心理学」から「診断」されます。「なんでやねん!!!」と言いたくなりますが、「慶應心理学」は「慶應内部進学心理学」であり「慶應心理学」はagriculture をagriculture と発音せず、agriculture と発音する人・種無しブドウ(デラウエア)は自分で房からちぎって自分の口に入れて食べるのではなくひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人(「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」やる人)・女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返している人のための「心理学」ですから、逆らっても勝ち目はありません。それが「心理学」なのですから( 一一)( 一一)( 一一)
「一木一草に塾風が宿る」大学で生きていくには「きのう、テレビ見てたら、進学塾で小学生で『東大に行くんだあ』とか言ってるやつが映ってたんだけども、俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」と「幼稚舎から慶應」のお方がおっしゃったなら、「誠に誠にそうでおじゃりまするな。その点、何々さまは小学校から慶應に行っていらっしゃいますから、すばらしいでおじゃりまする」と言わないといけないのだ。大学だけ慶應に行った人間と内部進学の人間とは慶應という大学では身分が違うのだ。1984年、慶應大学商学部の「会計学総論」という講義で、「中等部から慶應」の黒川行治先生様という助教授先生様が「このぼくは中等部から慶應に行ってるんだぞお。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだあ! わかってんのかあ~あ!」と教壇でマイクに向かってお叫びあそばしたことがあったが、それが内部進学のお方たたちの本音であった。「おまえらは自分たちは偏差値が高いとか思ってるんだろ。そんなものは何の価値もないんだ。小学校から高校までの勉強は害があるんだ!!! その点、我々内部進学の人間は塾風というものを身につけているんだ。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだぞお。わかってんのかあ。その内部進学のこのぼくがおまえら外部の者に口をきいてやってるんだぞお。もっとありがたいと思って感謝の気持ちを持ちなさい! 経済学部なら内部進学の人間が多いから内部進学の人間から外部の者は教育してもらうことができるけれども、商学部は内部進学の人間が少ないから、だから、中等部から慶應のこのぼくがおまえら外部の者を教育してやってあげてやろうと言ってるんだ! わかってんのかあ~あ!」とお叫びあそばされたが、慶應の内部進学の教授の世界観というのはそういうものだ。なんだ、こいつ! なんだ、この野郎! と思った。ファーストベースがあったら投げてやりたかったが、残念なことに、あいにくファーストベースがなかったので投げられなかった。〔⇒《YouTube-プロ野球、退場集 #2】ブラウン監督退場集!ベースを投げちゃった!必ず何かやらかして球場を去る 先発の野村を擁護「野手が足を引っ張ってしまった」 広島は19日、マツダスタジアムで》https://www.youtube.com/watch?v=tR9XP-iL5xc 〕 戦中、「やまとだましい」とか言われたが、「やまとだましい」て何なんだ・・というと「子供だましい」だった・・と言われるが「我々内部進学の人間にはおまえら外部の者とは違って『塾風』というものがあるんだ」という「塾風」てそれはいったい何なんだ? というと「内部進学の人が持ってる何か」であり、ビョーキ持ちみたいに何かそういうものを持っておられるらしいのだが、「やまとだましい」と一緒で「子供だましい」みたいなものだ( 一一) 最近、「週刊現代」に「慶應幼稚舎特集」が掲載されていたが、そこで「幼稚舎から慶應」で慶應大卒の人が「慶應という学校は大学だけ行けばいい学校だ。小学校から高校は行く必要がない大学だ」と話しておられたが、なんだか私と逆のことを思う人がいるんだなと思った。私はそうではなくて「慶應という大学は最低でも高校から行くのでなかったら行く必要がない大学だ」と思うようになったのだった。特に、遠山啓(ひらく)は『競争原理を超えてーひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」的なものを学び、中学校から高校にかけて「学」を学び、その「学」から「観」を身につけると述べているが、その「術」⇒「学」⇒「観」というものを身につけてきた者は行かない方がいい大学だと思うに至ったが、「小学校から慶應」の人には逆のことを思う人もあったらしい。「作家で精神科医」の なだ いなだ が「抑圧的な社会では自我が確立された人間の方が生きていきにくい場合がある」とどこでだったか述べていたが、それは慶應にあてはまる。大学だけ慶應に行った人間でも「自我が確立」されていない方の人間、大学入試においてある程度の点数は取れたとしても、そのわりに内容がないタイプの人間の方が慶應という大学にはなじみやすいだろう、と思う。そういう人間のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」と言うのだが、アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授のトマス=サズが『(「精神医学」という)狂気の思想』(新泉社)で「大学の目的は、最高の自我とは自我を持たないことだと学生を騙して信じさせる昼間病院となることか」と述べているが、慶應大学には「学生相談室」というものがあったが「学生相談室」の「心理学者」「カウンセラー」という連中がやっていることが、まさにトマス=サズが言うところの「最高の自我とは自我を持たないことだと学生を騙して信じさせる」という行為だった。そういう自分自身の考えを持たない人間こそ、塾風「僭越」主義の空間で棲息しやすい。
私は慶應の内部進学の人間を見て、「こいつら、みんな、同じ顔してるな」と思ったことがあります。実際には同じ顔をしているわけではないのですが、似たような表情をしているのです。これは住友林業(株)の営業についても似たことを思ったことがあるのです。(株)一条工務店は求人広告には「研修制度が充実していますので、売れなくて困るということは絶対にありません」と嘘を書いて募集して入社させて、入社すると「6か月以内に2棟売れなかったらやめてもらうということだからな」と言われるのです。小堀住研(株)の新卒社員研修の際にTQC推進本部営業部会の課長のMさんが「営業知識・営業技術・営業意欲のこの3つともあるのが望ましいけれども、最低2つあったら売れる、1つでは売れない」と話したことがあったのですが、これは会社によって・扱う商品によって多少は違いがあるかもしれないけれども、基本的にはどこでも共通すると思うのですが、住宅・建築についての知識もない人で営業やったこともないという人、あるいは他の営業はやったことがあっても(株)一条工務店のような営業はやったことがないという人を採用して「なんで、売れんら」「なんで、売れんら」と言っても、あるいは「売れなかったら転勤だからな。転勤といってもこれはやめろという意味だからな」などと言って喉元に刃物突きつけるようなことをしても売れません。もしも、営業知識があって営業技術もあるけれども、やる気がないという人ならば、喉元に刃物をつきつけるようなことをするとやろうという気持ちになって売るということもあるかもしれないけれども、意欲はあるけれども知識・技術がない人は、その2つを身につけさせることなく、喉元に刃物を突き付けるようなことをしてもだめです。むしろ、そんな約束で入社していないのに、定年までその会社に勤めてその会社のために尽力したいと思って入社したのに、入社すると突然、喉元に刃物を突きつけるようなことをされて、多くの人間はその時点で(株)一条工務店の経営者に対して強く不信感を覚えます。そういう指導をできない所長というのは、自分自身が営業担当としていくら売っても、それは営業担当者としての能力であって指導者としての能力ではありません。(株)一条工務店はそういう会社でしたが、住友林業(株)は(株)一条工務店に比べてはるかに会社としての指導があったようです・・・が、その結果、(株)一条工務店の営業は人によって違いがあり、それぞれ、別の顔をしているのですが、住友林業(株)の営業はどいつもこいつも同じ顔をしている・・わけでもないのだろうけれども、な~んか同じ表情をしているように見えたことがあります。これは私が(株)一条工務店 をやめた後、自分が顧客の方の立場で住友林業(株)の営業と接することがあった時に感じたのです。(株)一条工務店は会社である以上は、会社としての指導というものがあっていいはずですが、住友林業(株)は(株)一条工務店に比べてずっと会社としての指導をしているようなのですが、その結果として、どいつもこいつも同じ顔している・・かのように見えるという結果にもなっていたように思います。慶應の内部進学の人というのが、それと似ていたのです。遠山啓(ひらく)は『競争原理を超えてーひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」的なものを学び、中学校から高校にかけて「学」を学び、その「学」から「観」といったものを身につけるようにするべきで、この際、絶対にやってはならないのは「観」の注入教育である・・と述べていたのですが、遠山啓が絶対にやってはならないと述べている「観」の注入教育というものをやっているのが慶應の内部進学の学校であり、その「塾風」とかいうやつを注入教育されてきた人たちがそういう状態のことを「思考が柔軟」だとか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか吹き込まれて、あるいはそんなものが「独立自尊」だとか「自我が確立されている」だとか注入されて、そんな気になって、そして、自分たちだけではなく「外部のやつら〔大学だけ慶應に行った人間のことを内部進学の人は「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部の人間」と言うのです〕を教育してやらんといかんからなあ」などと言って、大学だけ慶應に入った人間に精神面のそのビョーキを移そうとするのです。いやがると「協調性がない」とか「診断」される危険があります。「そんなことでは勤め先なくなるぞお」とか言って脅される場合もあります。そういう「塾風を身につけた」という状態、「自我なし人間」になった状態になると「ギャルにもてもて」とか甘言を弄して誘惑してくることもあります。あんな男をいいと思うような「ギャル」とかいうやつて、よっぽどバカじゃないかて感じがした、ああいう男がいいと思うような女にだけは好かれたくないと私などは思ったものでしたが、そういう「ギャル」とかいうのに「もてもて」になりたいとか思う「慶應タイプ」というのもいるみたいでした( 一一) そうやって、「もはや、我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」みたいになった人が、自分たちがそういう「自我なし人間」になったことを自慢にして、大学から入った人間にもその精神構造のビョーキを移そうとするのです。大学から入った人間でも、そういう状態を喜ぶ人というのもいます。私と同じ小学校・同じ中学校・同じ北野高校から慶應大学の経済学部に現役で通って行った阪本などはそのタイプです。S本 彰は北野高校を卒業はしましたが、人間のタイプとしては北野タイプではない男で、今から考えるとあの男は北野高校在学時からして慶應タイプだったと思うし、さらに考えると小学生の時から「慶應タイプ」の男だった、小学生の時から「中年おやじ」キャラだった、と言っていいでしょう。阪本のようにそういう「もはや、我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」という精神構造になることを嫌がるのではなく喜ぶ人というのもいるのです。『聖書』には「たとえ、全世界を手に入れたとしても、自分自身を失ってしまったなら、いったい何の価値があるでしょうか」と書かれているのですが、そういう感覚が最初から欠落している人というものがいて、そういう人間のことを「心理学者」とか大学の「学生相談室」とかの「カウンセラー」とかは「自我が確立されている」とか「診断」するのです。そういう「診断」をすることによって、「人間による人間の加工」をおこなうことでそういう「もはや我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」みたいな「自我なし人間」にならせることで、ファッショ的指導者・ファッショ的政治家にとって扱いやすい国民を増やそうと彼ら[心理学者は「自我なし人間」が「自我が確立されている」のだと騙し、そういう「自我なし人間」になることが「成長」で「成熟」であり、それに抵抗を感じるのは「未成熟」で「モラトリアム人間病」なのだと教えることで「人間による人間の加工」をおこない、ファッショ的指導者・ファッショ的政治家にとって扱いやすい人間にしようと「カウンセラー」等と称する連中・大学の「学生相談室」と称する機関はしているのです。大学の「学生相談室」という機関はそのための機関です。紛らわしい名前をしているので騙されやすいのですが、騙されてはいけません。「精神安定剤」「トランキライザー」という名前がつけられている化学物質がありますが、あれは(1)人間の思考力を衰えさせ、特に批判精神を鈍らせて「精神科医」と称するファシストに対して従順にならせるもので、(2)人間を太らせ、(3)インポテンツにする薬物であり、決して心配事があったりした時に精神を落ち着かせるのに役立つ薬ではないのですが、本当のことを言うとたいていの人間は飲みたくなくなりますから、だから、騙して飲ませるために「精神安定剤」とか「トランキライザー」とかナマ言っているのです。それと同様に大学の「学生相談室」というものも、20歳前後くらいのまだ世間に対する対応力が十分でない者がどうしたものか困った時に相談に乗りますよという機関を大学が設けているのだ・・と誤解させることで学生に訪ねさせて、そこで「人間による人間の加工」をおこなって、学生から批判精神を奪い、「もはや、我、生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」みたいな「自我なし人間」にならせよう、「自我なし人間」が「自我が確立されている」人間なのだと教えることで、ファッショ的政治家にとって扱いやすい国民を増やそうとしているのです。「学生相談室」に行って「カウンセラー」「心理学者」と称するイカサマと面談して、「なんか変だ」「どうも、思っていたものと違う」と感じた人は、その感想は正常なのです。彼ら「学生相談室」と称する機関・「心理学者」「カウンセラー」と称するイカサマの『「ごっこ」の構造』に気づいた・感づいたということは、その点において気づかない人・感づかない人よりも優秀なのです。 「なんか変だ」と感じた人の方が本来の正常で健常であるはずなのですが、そう感じた者は彼ら「心理学者」等の攻撃対象になることが少なくないので要注意です。『怖い話』とかの本とかYouTube の動画とか見ると、「感じる人」は妖怪・悪霊の存在に気づくことがあるが、気づかなければそのまますむものを、「気づく人」は妖怪・悪霊から攻撃を受ける・・なんて話がありますでしょ。それと似ています。というものは基本的にはあいつらはイカサマなのだと気づくことができる人というのは、彼らの攻撃対象になる可能性が十分にあると認識するべきです。気づかない「自我なし人間」は彼らから「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「成熟している」「成長した」「常識を心得ている」「思考が柔軟になった」等々とほめてもらえるでしょう。要するに、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」等は妖怪物の怪の類だと思っておいた方がよさそうですし、「学生相談室」などというものはカルト系宗教団体だと思っておいた方がよさそうです。どうしても、彼らと関わらないといけない時には、お守りでも持っていくか、それとも、いざという時に相手にふりかけるための粗塩を持参するか、あるいはあらかじめ毘沙門天さまか大聖歓喜天さまを拝んでいくか何かした方がいいかもしれません(笑)
慶應の内部進学の人間はそういう思考をしやすい人たちです。小学校から高校までの学習によって、そういったものに対しての批判精神がある程度は身に着くはずですが、それゆえ、彼らはそういう価値があるもののことを「受験勉強だ。害があるんだ」と言い、「小学校から高校までの勉強は害があるんだあ。わかってんのかあ」とお叫びあそばすのです。
札幌のススキノ首狩り事件で、犯人の娘の父親である「精神科医」が「精神鑑定」を受けるのを嫌がったというのですが、これは「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」といった連中の特徴です。フロイトやユングは精神分析は自分自身が受けてみるものだという認識で、ユングは自分自身が精神分析を受けていますし、カール=ロジャーズもカウンセラーは特別の人間ではなく、「特別の人間」になるべきではなく、カウンセリングは互いにおこなうもので、カウンセラーは自分自身がカウンセリングを受けるべきだと考えて述べていたはずですが、ところが実際に日本の「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」といった人間はそうではありません。そうではなくて、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」の側と「患者」「来談者」の側をはっきりと分けて、「心理学」おこなう人間と「心理学」受ける人間、「人間による人間の加工」をおこなう人間と「人間による人間の加工」をされる人間を分けるようにしており、自分たちは常に「人間による人間の加工」をおこなう人間の側で、「患者」「来談者」は「人間による人間の加工」をされる側の人間だというようにすることで、彼ら「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」という「職業」は成り立っているのです。フロイトやユングの精神分析・カール=ロジャーズのカウンセリングと現実に日本の「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」がやっていることは正反対のものです。
「きのう、テレビ見てたら、進学塾で小学生で『東大に行くんだあ』とか言ってるやつが映ってたんだけども、俺、小学生の時から『東大、行くんだ』とか言ってるやつって、気色悪いよお」と「幼稚舎から慶應」のお方がおっしゃったなら、「誠に誠にさようでおじゃりまする」と「外部の者」は常に同意し賛同してみせるというのが、それが「慶應心理学」によると「常識」で「正常」で「健常」で「成熟」で「スマート」で「自我が確立されている」だったのであり、「外部の者」はそういう「大学」で生きていくにはそうするしかなかったのだ。なんか、あの「大学」に行くと、日々、人間が卑屈になっていくようで嫌だった・・・が、百回に一回くらい、「なんで、『小学校から慶應行ってるやつ』が気色悪いことなくて『小学校の時から《東大行くんだ》と言ってるやつ』が気色悪いねん。『小学校から慶應行ってるやつ』の方がより気色悪いやろうが」と、言うたらいかん、言うたらいかん・・と思いつつ、つい口にぽろっと出てしまったり・・・とか・・・。やっぱり、人間できてなかったのか。北野高校で、修学旅行の時に部屋で酒を飲んだ者がいて、8人の部屋で7人が飲んでひとりだけ飲まなかったらしいのだが、体育のH教諭が「なんで、ひとりだけ飲まなかったんだと言う者がいるが、俺はそうではなく、なんで止めなかったんだと言いたい。そういう時に『おい、やめておけ』と止めることができるのが、それが北野高校の生徒というものだ」と言われたのだった。まあ、ある程度以上の年齢になったら、「飲んだだけやろうが」とかつい思ってしまうのだが、高校生にとっては飲酒というのは「大罪」だったのだが、それにしても、大量に飲んでアルコール中毒で病院に運ばれるほど飲んだわけでもなく、飲みたくないという者には意思を尊重して無理に飲ませたりはしなかったわけであり、「別にそのくらい、ええやんけ」とか思う人もあるかもしれないが、「修学旅行の時に部屋で酒を飲んだりしてはいけない」ことになっていたわけだから、その場合に「おい、やめておけ」と止めるべきものだということだったらしい。それで、だ。特に急性アルコール中毒になって病院に運ばれるほど大量に飲んだわけでもなく・飲酒した上で反社会的な行為をしたわけでもなく・飲みたくないという者には意思を尊重して決して飲むように強制したりはしなかったわけであるから、高校生としては良くなかったとしても無茶苦茶問題があったわけでもなかったとして、それに対して慶應大学の学生というのは内部進学の人間が中心になって女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を働いたりしている人間というのが少なくなかったのだが、そういう場に居合わせたとしても「おい、やめておけ」と一人で止めることができるか?・・というと、これは簡単ではない・・というよりも私は実際にそういう場に居合わせたことがあって、びっくりしたが止めることができなかったのだが、実際のところ、「そういう内部進学強制わいせつ犯の内部進学強制わいせつ犯による内部進学強制わいせつ犯のための慶應義塾」に行きたくなかったし、そんな「大学」に行かないなら大学という所に行かせてもらえないのならば、それなら大学に行かなくていいと思っていたのだったが、暴力と強制と脅迫で強制わいせつ犯の強制わいせつ犯による強制わいせつ犯のための慶應義塾という大学に行かされてしまった。・・今からふりかえってみると、あの時点で私の人生は終わったのかもしれない、とも思う。そういう場合に「おい、やめておけ」とひとりで止めるというのは簡単ではない。明石だったかで歩道橋の上で花火を見ていた集団が動き出した時に「危ない」と思った人はいたが、それを止めようと思っても何人もが動き出したものを一人で止めるということはできなかったのだが、それと似ている。強制わいせつ犯の大学になんか行きたくなかったし、「そういう人間を企業は喜ぶ」とか慶應人間は言うのだったが、日本の企業てアタマおかしいのじゃないか・・という感じがする。しかし、そういう場に居合わせて、たとえ止めることができなかったとしても、こういうことはいけないと認識して、その後、そいつらとは関わらないようにした者と、そうではなくそいつらに同調して、そいつらに同調するのが「協調性」だ「スマート」だ「自我が確立されている」だ「塾風」だ「福沢精神」だとか何とかかんとか言っている人間と、どちらが「自我が確立されている」でどっちが「自我が確立されていない」かというと、「慶應心理学」によるとそいつらに同調するのが「協調性」だ「スマート」だ「自我が確立されている」だ「塾風」だ「福沢精神」だとか何とかかんとか言っている人間の方が「自我が確立されている」で「思考が柔軟」で、そういう連中が「正常」で「常識」で「健常」という「診断」になるのです。そういう連中の態度が慶應タイプの「協調性」なのです。「慶應心理学」というのはそういう「心理学」なのです。
告発の行方 (字幕版) - ジョディ・フォスター, ケリー・マクギリス, バーニー・コールソン, レオ・ロッシ, アン・ハーン, カーメン・アルジェンツィアノ, スティーヴ・アンティン, トム・オブライエン, ピーター・ヴァン・ノーデン, ウディ・ブラウン, トム・トーパー, ジョナサン・カプラン, スタンリー・ジャッフェ, シェリー・ランシング
これと同様に、(株)一条工務店では、遠州人〔(株〕一条工務店の遠州人〕が「空の広さは浜松の広さと同じだ」とおっしゃったなら、「誠に誠に、空の広さは浜松の広さと同じでおじゃりまする」と言わないといけない。「太陽・月・星といった宇宙のすべての天体は浜松を中心として回転している」とおっしゃったなら、「誠に誠にその通りでおじゃりまする。太陽・月・星は浜松を中心として回転しておじゃりまする」と言わないといけない。決して、「ちゃいまっしゃろ。太陽のまわりを地球が回転していて、その地球のまわりを月が回転してまんねんがな。浜松はその地球の中の日本の中の一か所であって、浜松を含めた日本を含めた地球が太陽のまわりを回転してまんねんがな」・・なんてことは言ってはいけないのだ。小学校・中学校・高校と同じ学校に行って、1浪して京大の法学部に行った「野口くん」てやつなんかはこういう対応が上手いのだが、ところが、どうも私は人間ができていないのか、百回に一回くらいは「ちゃいまっしゃろ。太陽の周りを地球がまわっておるのであって、浜松はその地球の中の日本の中の中部地方の南の方にあるひとつの市でっしゃろが」とかつい言いたくなってしまうのだ。「修行が足らん」のかもしれん。「それでも地球はまわっている」とか、つい何かの拍子に言いそうになってしまって、危ない危ない・・と口を押えるのだった。(株)一条工務店というのはそういう会社だった( 一一)
もうひとつ、似た経験もある。1998年、栃木県佐野市の営業所に「リーダー」として赴任してもらいたいと営業本部長から頼まれて、営業本部長から頼まれるのならば会社のために協力しようと転勤したところ、「リーダー」ではなかった。話が違うではないか、そんなことなら転勤に応じるのではなかった・・ということがあったのだが、その時、栃木県地域の所長だった五十嵐(男。当時、50くらい?)が私に「巨人になれ」などと言うたのだ。はあ? はあ~あ? 後から思ったのだが、これは怒っていいところだったと思うのだ。イェーリングは『Rcht(権利=法)のための闘争』(岩波文庫)にカントの言葉「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」を引用して、闘うべきところでは人間は闘わないといけない、もしも、その権利=法が侵害されるなら、自分自身の人格までが否定されるということを理解できないような者は、自分を虫けらとすることに抵抗を感じない者に教えてやろうとしてもそれは不可能であると述べているのだが、まさに「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」である。「巨人になれ」やとお?!? なんで、そんなもんにならんといかんのんじゃい! なんで、そんな汚らわしいもんにならされんといかんのんじゃい。人間、言っていいことと悪いことがある。所長であろうが関係あるか! なんで、巨人みたいなもんにならされんといいかんのんじゃい!!! ・・会社という所においては我慢・辛抱・我慢・辛抱と(株)一条工務店という会社において我慢と辛抱を重ねてきたが、「臥薪嘗胆」とも思い「韓信の股くぐり」とも思い「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「雨ニモ負ケス、風ニモ負ケス」耐え忍んできたが、これは怒らなければならないところだった。間違えた。〔⇒《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE 〕
その後、1993年1月から地盤調査をした上で地盤補強が必要なら地盤補強をおこなって建てるということに変更し、さらにその後、スウェーデン式サウンディング試験を自社でおこなうようになりました。なんだ、「地盤調査なんて、そんなもの、要らない要らない。だ~いじょうぶ、だ~いじょうぶ♪」と言っていた会社が「家というものは地盤面の下と地面より上の両方がきっちりと建てられてこそ頑丈なものができるのであって、地面の下がいいかげんなのにそれを補強しないで建てるというのは、お豆腐かスポンジの上に家を建てるようなものです」とか言い出した( 一一) 少しの間に正反対のことを言う、なんというのか、節操がないというのか、そういう会社だった( 一一)
自社でスウェーデン式サウンディング試験をやりだした時には、最初はスウェーデン式サウンディング試験なんて専門でもない者ができるのかと思ったものでしたが、そんなに難しい作業でもなく、できましたが、なぜ自社で地盤調査をやるようにしたかというと、地盤調査を依頼されて有料でおこなう会社というのは、日本のそれぞれの地域に何社かあるのだけれども、かなりいいかげんな業者があり、それなら自社でやった方がいいと考えたようでしたが、営業社員に地盤調査をさせると、今度は、担当の営業社員によって作業に取り組む姿勢が違ったりするということも出たようでした。
たしかに地面の下が脆弱な場所の場合は補強をして建てるようにした方がいいと思われるのですが、他方で、そこまでやらないといけないものか・・と思えるケースもあります。総合住宅展示場の建物は地盤が弱い場合でも、べた基礎にするとか W背筋べた基礎にするとかはいいけれども、鋼管杭を入れるとか、セメント系固化材を柱状に入れることによって乾燥するとコンクリートのような柱が地面下にできるようにするとか、そういう補強はやめてくれということになっている所が多く、それは、永遠にその会社にその土地を貸すわけではないので、総合住宅展示場に貸すのをやめた時に他の用途に使用しようとする時のことを考えてのものだったようですが、戸建住宅にしても、何十年か後に建て替えることだってあるわけで、現在、建てる場所と異なる場所に建てて、現在、建てた所は庭にしたいということだってないとは言えない・・といったことを考えるなら、べた基礎とかW背筋べた基礎にするのはいいとして、鋼管杭とかセメント系固化材を入れることでの柱状地盤改良工事までやると、その後に建て替えたいとなった場合も同じ場所に建てるしかなくなるのではないか・・といったことを考えると、そこまでしないといけないものなのか・・と片方で思ってみたりもします。 又、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の場合は、基礎屋が「標準布基礎」での施工を嫌がっていたのですが、それはなぜかというと「割が合わない」からだったようで、(株)一条工務店は「標準坪単価」を安く見せるために、「標準仕様」での「標準布基礎」の値段を安く設定していて基礎屋に払う金額も安く、そのかわりに、「地盤調査の結果、べた基礎での施工となりました」「地盤調査の結果、W背筋べた基礎での施工となりました」ということで「べた基礎」もしくは「W背筋べた基礎」に「標準仕様」での「標準布基礎」から変更する際の差額がけっこう高めに設定されていて、基礎屋としては「べた基礎」「W背筋べた基礎」での仕事がけっこうもらえるならば、たまに「標準布基礎」を「割が合わない」値段でさせられても全体としては利益が出るということになっていたらしい。そうなると、その地盤調査というのは実際には「標準布基礎」でいいという「判定」なんて1割程度しかないのに、「少し地盤が弱いようでしたね」などと言って9割くらいの人には差額をとっていたわけで、安そうに見せて実際はそうでもないのをごまかすための道具にしていたようなところもあったわけで、そのあたりを見ると、「地面の上だけ考えて建てるのではなく、地面の下も考えて建ててこそ間違いのない家ができる」というのは間違いではないとしても、そうやって「地盤調査の結果、標準布基礎では心もとないという判定になりましたあ」と言って差額を出させるというやり方というのは、そういうやり方って、いいのかなあ・・とも思えたりもしたのでした。
サンクトペテルブルクは川の河口の湿地帯を埋めて人工的に造られた街だということでしたので、そこがどのようになっているのか、一度、足を運んで見に行ってみたいと長く思ってきましたが、どうも、行きにくくなってしまったようです。
地盤の科学―地面の下をのぞいてみると… (ブルーバックス) - 紀尚, 足立, 玲子, 阿部, 宏, 木村, 信晴, 阿部, 雅史, 嘉門, 土木学会関西支部
【5】 キーウ(キエフ)他歴史的建築物・文化遺産を尊重する心と人命を尊重する心は相反するか、共通するものか。
『地球紀行 世界遺産の旅』(1999.10.10.小学館)を見ると、「ロシアと周辺諸国」の所で、ウクライナでは「キエフの聖ソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」「リヴォフ歴史地区」がユネスコ世界遺産として指定された所として掲載されている。
「キエフの聖ソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」は「旧ソ連最古の国・キエフ公国が残した建築物群」として1990年にユネスコ世界遺産に指定されたようです。
《 ドニエプル川中流に位置するウクライナ共和国の首都キエフは9世紀末に成立し、旧ソ連邦の中でも古い歴史をもつ。ノルマン人が南方との交易を行う拠点として繁栄したが、その歴史は単純ではない。13世紀にモンゴル・タタール軍の侵略を受け、200年にわたって支配下におかれた後、リトアニア、ポーランドへ併合。ロシア革命後に独立したが、ソ連邦に加入し、第二次世界大戦時はナチス・ドイツによって占領された。それ故に、ウクライナ人の民族的伝統、文化への思いは高い。
キエフのシンボル、聖ソフィア大聖堂は11世紀に建てられ、ガラスのモザイク画「祈る聖母」や、フレスコ画が残っている。ちょっと離れた場所には、当時の寺院の広さを示す、黄金の門がある。一方、ペチェルスカヤ大修道院の名は、洞窟を意味する「ペチェル」からきており、洞窟の独居房で修道生活を送っていた僧に由来する。博物館もあるが、現在も修道僧が生活している。》
というものらしい。
「リヴォフ大修道院」の「リヴォフ」は、最近、ロシア軍のウクライナ攻撃についての報道番組や新聞記事においては「リヴィウ」と表現されることが多い。ウィキペディアーリヴィウ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A6 を見ると、
《 現在の公用語であるウクライナ語に準ずる表記としてはリヴィウ、リヴィヴもしくは新聞等でリビウと書かれる。そのほか、歴史的経緯からドイツ語からのレンベルク(Lemberg)、ポーランド語からのルヴフ(Lwów [lvuf] ( 音声ファイル))、ロシア語からのリボフ、リヴォフ(Львов)などの表記も一定の知名度がある。・・》
と書かれている。「リヴォフ」はロシア語表記のようだ。
「リヴォフ歴史地区」は「石畳と格調高い建築群が伝える歴史の美」として1998年にユネスコ世界遺産の指定を受けたが、
《 ウクライナ西部にあるリヴォフは、1349年にポーランドのガルチ公ダニイルによって建設された、宗教と商業の中心地として繁盛した。1722年のポーランド分割によって、オーストリア・ハプスブルク領となり、第一次世界大戦後にはソ連がウクライナに併合した。
石畳の街並みが独特の雰囲気を醸し出している。市庁舎広場には、ゴシック様式の商人宅だったコルニャークト家や、17世紀の宣教師が建てたボーイム家廟など、見事な建築物が残っている。ユダヤ人街の礼拝堂が爆撃されたまま残されていたり、ルネサンス期の薬局が復元されて営業していたりと、歴史的建造物が多い。》
という所らしい。
21世紀 世界遺産の旅 (小学館GREEN Mook)
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)には、日本の正教会の豊橋ハリストス正教会・函館ハリストス正教会、モスクワと「黄金の環」のコロメンスコエ・ザゴルスク・ペレスラブリザレッキ・ウラディーミル・スーズダリ・ヤロスラブリ・ロストフベリキーと、レニングラード(サンクトペテルブルク)、それにキエフが掲載されている。
「黄金の環」の都市では「コローメンスコエのヴォズネセーニエ聖堂」「ウラジーミルとスズダーリの白石の建造物」がユネスコ世界遺産の指定を受けている。
内田昭蔵『ロシアビザンチンー黄金の環を訪ねて(建築巡礼19)』(1991.1.30.丸善)には、キエフの建築では、
聖ソフィア大聖堂
ペチェルスカヤ大修道院 聖門・トラベーズスカヤ聖堂・僧院・フセスビャータヤ聖堂
聖アンドレ不スカや大聖堂
の写真が掲載されている。
聖アンドレフスカヤ大聖堂は、
《 キエフにはこの他にドニエプル公園の丘陵部に十八世紀半ば、イタリーの建築家ラストレリーによってつくられた聖アンドレフスカヤ大聖堂がある。》が《ラストレリーはレニングラードの美しい女子修道院、スモールヌイの設計者としても知られているが、十八世紀ロシアで活躍した建築家であり、レニングラードには彼の設計による建築物も多い。アンドレフスカヤ大聖堂もスモールヌイと同様、バロックスタイルで装飾性が強い建築である。》そうだ。
《 キエフには郷土の英雄、詩人で民族運動家のタラス・シェフチェンコを記念したシェフチェンコオペラハウスや博物館がある。》
と出ている。
キーウ(キエフ)市は、1971年(昭和46年)9月7日に日本の京都市と姉妹都市を提携したらしい。
※ 京都市情報館 キーウ(キエフ)市 https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000067506.html
キーウ(キエフ)にしても、リヴィウ(リヴォフ)にしても、ロシア軍のウクライナ侵攻に際して爆撃を受けた。
ロシア軍のウクライナ侵攻の比較的早い時期にキーウ(キエフ)の北北東、ベラルーシに近い所のチェルニヒウという市が爆撃を受けた時、ウクライナ人のボグダンさん のYouTube https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9C%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%B3 で、「チェルニヒウというのは日本の京都のように歴史のある建物のある街なのですが」と話しているのを聞いたが、そういう街にも爆撃がされたようだ。
キリスト教にはカトリックとプロテスタントともうひとつ、正教がある。英語では
カトリックは catholic 普遍的な、広くて偏しない
プロテスタントは protest 反対する、反抗する、講義する。主張する、表明する。から来た言葉だが、
正教とは orthodox church らしく、
orthodox 昔から立派な習慣になっている、慣例の、伝統的、本格的な、本式の
という意味らしい。(英語の訳語は『新クラウン英和辞典 3版』三省堂 による)
ウィキペディアー正教会の歴史https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 によると、
《 1054年、コンスタンティノープル総主教(エキュメニカル総主教、全地総主教)ミハイル1世キルラリオスとロマ総主教座=ローマ教皇レオ9世は、ローマ教皇の権威・権限や、エキュメニカル総主教の称号が意味する権威についての理解の差が使節交換の際に顕現したことがきっかけになり、「相互破門」した。これを東西分裂、または大シスマなどと呼ぶ。・・》
と、その頃から、ローマとコンスタンティノープルにキリスト教の教会が分裂したようで、どちらも自分の側が正統だとして ローマの教会がカトリック、コンスタンティノープルの教会がオーソドックスを名乗ったようだ。
カトリックの教会は今日に至るまでローマのサンピエトロ寺院が「本山」とでもいった位置づけだが、オーソドックス(正教)は、「石ゴミ(1453)のごとく壊滅す」オスマン トルコによりコンスタンティノープル陥落で、コンスタンティノープル(イスタンブール)からキエフに移り、さらにモスクワに移った・・というのだけれども、日本では東京のJR「お茶の水」駅の南側のニコライ堂が日本における「本山」のような位置づけらしいが、ニコライ堂を見学に行った時に見た解説によると、カトリックの場合は世界のカトリックはローマのサンピエトロ寺院の元、ローマ法王の元にあるが、正教(オーソドックスチャーチ)の場合はそうではなく、各国の正教会は対等で、日本には正教はロシアから伝わったけれども、日本の正教会はロシアの正教会の下にあるのではなく横の位置づけで、ロシアの正教会と日本の正教会は兄弟・姉妹の関係であってどちらかが主たる立場ということではない、らしい。なるほど、正教会の場合はそれぞれの国の教会は対等の関係であって上下の関係ではないということは、外国の教会から支配されたり統制されたりすることもないので良さそうに思えたのですが、しかし、それはカトリックのように全世界のカトリックは一体という場合ならば、カトリックの教会は政治権力と互いに牽制しあう関係にもなるところが、それぞれの国ごとに正教の教会があるということはそれぞれの国の政権の支配を受けやすい状態でもあるようです。
日本では「宗教はアヘンであるとマルクスが言うてお~る」とか言いたがる人というのがいまして、うちの父親も「親友」の医者屋のM川(男。1980年頃当時50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたと自慢していたので、当人もまたその私立金権関西医大裏口入学卒か、そんなところではないか。1980年頃当時、大阪府豊中市在住)から「宗教はアヘンとマルクスは言うてお~る」と吹き込まれて、それで毎日のように私に「宗教はアヘンであるとマルクスが言うてお~る。焼き討ちじゃあ、焼き討ちじゃあ。焼き討ちじゃあ~あ。取ってちってたあ~あ♪」と言ってきました。疲れるおっさんやった( 一一) だいたい、そんなに「マルクス、マルクス」言うなら、とりあえず、その裏口入学やめて正規で入試を受けて通って行けよお・・・と思ったものでしたが、その裏口入学自慢人間が「マルクスが言うてお~る」とか言って、うちの父親はその影響を受けていたのでした。
カール=マルクスは「宗教はアヘン」と言ったことがあるのか。この問題について、蔵原惟人『宗教 その起源と役割』(新日本新書)でわかりやすく説明されているのですが、
(1)マルクスは「宗教はアヘン」という表現を『ヘーゲル法哲学批判序説』(『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫 所収)において、「(宗教は)民衆のアヘンである」という表現を一度だけ使っている。あちらこちらで何度も何度も使っているわけではないが、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で一度だけ、この表現を使用している。エンゲルスはこの表現を使ったことはない。レーニンもこの表現を使ったことはない。
(2)「宗教はアヘン」という表現はマルクスだけが使った表現かというと、そうではない。わかっているだけでも詩人のハイネ・哲学者のヘーゲルなどが「宗教はアヘン」という表現を使っている。
(3)「宗教はアヘン」という表現は誰が最初に使ったものか、というと誰が最初に使ったのかはよくわかっていないが、マルクスではない可能性が大きい。
(4)「アヘン」という言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味の2通りの意味がある。世の中の宗教には「毒薬」のような宗教もあるが、マルクスは「毒薬」のような宗教を批判する時にはこの「宗教はアヘン」という表現は使用しておらず、キリスト教やユダヤ教のような宗教について「なぐさめ」という意味でこの「アヘン」という表現を使っている。
だから、日本で多くの人間が「マルクスが宗教はアヘンであると言うてお~る」と「ほとんどビョーキ」みたいな感じの大喜びで言いまくっている意味とはずいぶんと違うのです。又、高神覚昇『般若心経講義』(角川文庫)では、
(5)マルクスが「宗教はアヘン」と言った時、マルクスが想定していた宗教とはキリスト教のような宗教のことで、仏教のような宗教を想定して言ったのではないのではないか、と述べているが、これもそうかもしれない。
だから、慶應タイプの右翼大好き人間とかが「マルクスが言ったように社会主義では宗教や思想が弾圧されるから」とか言いたがるのは、それは間違いなのです。「慶應タイプ」というのはほんとにまったくつくづくろくなもんじゃねえな・・と思えます。
マルクスは「(宗教は)民衆のアヘン」という表現を『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で一度だけ使っているけれども、レーニンはこの表現を使ったことはないのですが、しかし、レーニンはマルクスやエンゲルスよりも宗教批判が厳しかったらしいが、これはロシアでは他の国よりも宗教と政治の結びつきが強かったことによるらしい。 最初に正教がカトリックと分裂した時、皇帝教皇主義(セザロパピズム)と言って、皇帝が教皇を兼ねていた、正教の教皇は皇帝だったわけで、カトリックでは西ローマ帝国が比較的早くに滅んだこともあって、その後に誕生した西ヨーロッパの国の王とローマ教会の教皇とは時に協調も共同もするが時には牽制しあう関係であったのに対して、正教では教皇は皇帝だったので、それだけに政治と密な関係にあったわけです。
宮沢俊義『憲法講話』(岩波新書)によると、日本国憲法では「信教の自由は保証する」という文面になっているのに対して、「人、悔いなし(1917)、ロシア革命」1917年のロシア革命の後のソビエト連邦の憲法では「信教の自由は保証する」という文面はあるが、その後に「無神論は保護する」という文面があったらしい。「無神論は保護する」という文面が入ったのもロシアでは宗教と政治が結ぶつきが強かったことが理由のひとつとしてあるのではないでしょうか。
ソビエト連邦の時代においてはロシアにおける正教会はそれ以前のような状況ではなくなったが、1991年にソビエト連邦が崩壊した後、ロシア連邦における正教会は復活したらしいが、プーチン政権が正教会の復興に協力したことから、またもやロシアにおける正教会はプーチン政権との結びつきが強くなったらしい。そして、ロシア軍のウクライナ侵攻についてもロシア正教の何というのかトップの人はそれを正当化する発言をおこなってきたが、それに対してウクライナの正教はロシアの正教から離れて独自の姿勢をとるようになったところ、オデーサだったかヘルソンだったかの正教会の教会堂めがけてロシア軍がミサイルを撃ち込んだ・・が、これはウクライナの正教がロシア軍のウクライナ侵攻を支持してきたロシアの正教を離れたことからのものでしょうとボクダンさんはYouTube で話していたが、歴史的建築物である教会堂でも、自分たちの主張・利害に反すると思えばミサイルを撃ち込むようです。
ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説 (岩波文庫 白 124-1) - カール・マルクス, 城塚 登
宗教 その起源と役割 (新日本新書 250) - 蔵原 惟人
憲法講話 (岩波新書) - 宮沢 俊義
ところで、日本の京都と奈良は第二次世界大戦中も爆撃を受けず、そのために京都と奈良の歴史的建築物や文化的遺産は損傷を受けずにすんだのですが、これはアメリカ合衆国の誰だったか、京都と奈良には文化遺産が多いので爆撃しないでほしいと要望してくれた人がいて、そのおかげで京都や奈良の文化遺産は保護された・・・ということなのですが、しかし、これには問題点もあるのです。
ひとつは、文化遺産は京都と奈良にだけあったわけではなく、他の所にもあったのですが、たとえば、大阪市天王寺区の四天王寺では、「天王寺さんの亀の池」の後ろの六時礼賛堂は残り、重要文化財の指定を受けていますが、金堂や講堂、それに五重塔は室戸台風によって倒壊したが、それを総檜造りで復興したものは爆撃を受けて消失した。名古屋の名古屋城の天守閣も国宝の指定を受けていたものだったが爆撃を受けて消失し、現在のものは戦後に鉄筋コンクリート造で造られたものだ。京都と奈良だけでも保護されたのは悪くはないとしても、他の所の文化財は多くのものが破壊された。
そして、それより大きい問題として、これは本多勝一がどこでだったか述べていたのだが、京都や奈良に爆撃がされなかったのは、あくまでも京都や奈良の歴史的建造物や文化遺産を保護するためであって、そこにいる人間を守るためではなかった、という点だ。日本の誰だったか、大学教授という人がドレスデンの街に行ったら、ドレスデンという街は大変美しい街であるが、第二次世界大戦において爆撃を受けて相当の被害を受けたが、日本の京都や奈良を守ってくれたのに、どうしてドレスデンは守ってくれなかったのか・・と嘆息なさっておられた・・というのだが、アホか、日本の京都や奈良に爆撃を加えずに守ったのは、それは京都や奈良の文化財というものがアメリカ合衆国軍の人間にとって珍しい物だったからであって、ドレスデンは日本人からすると美しい街で珍しいものでも欧米の人間にとっては京都や奈良ほど珍しいものではなかったのであり、元々、そこにいる人間を守るために京都や奈良に爆撃しなかったのではなく、そこの建築や文化財が珍しいものだったから保護しただけのことで、その大学教授の先生様は「どうして、どうして」と嘆息なさっておるが、こんなこともわからんのか・・と書いていた。まあ、そんな感じの大学教授の先生というのはおられると思う。
実際、京都や奈良は欧米人にとって珍しい歴史的建造物や文化財があるから守らないといけないが、広島なら京都や奈良ほどは文化財がないからそこにいる人間は殺してもいいという理屈は、それは肯定できかねるが、しかし、そうはいっても、京都や奈良の文化財が守られたというのは、守られないよりは良かったかもしれない。
日本だけではなく、第二次世界大戦の時にイタリアのフィレンツェでは、ウフィツィ美術館に逃げ込めば爆撃されないのではないかと逃げ込んだ人がいたが、そこにも爆撃されたとかいう話があるらしい。
本多勝一が述べていたように、京都・奈良に爆撃を加えないでほしいと言った人の進言が採用されてアメリカ合衆国軍は第二次世界大戦の時に京都と奈良には爆撃を加えることを控えて、そのおかげで京都と奈良の歴史的建造物や文化財は守られたけれども、それはそこにいる人間を守ってほしいということではなく、欧米人にとって珍しい文物を守ってほしいということであって、人間の命を守ろうという趣旨のものではなかった、というのはたしかにそういう面はあると思ったのです。
しかし、今回のロシア軍のウクライナの都市への爆撃を考えてみると、歴史的建造物や文化遺産を損傷しないようにしたいという気持ちと、できるだけ人の命を奪わないようにしたいという気持ちは、それは共通するところがある、という面もあるのではないか。片方で、そこにいる人間の命はどうでもいいけれども歴史的建造物や文化遺産は守れと言う場合もあるかもしれないけれども、そうではなくて、歴史的建造物や文化遺産を損傷しないでほしいという意識と人の命はできる限り守ってほしいという意識は共通するもので、歴史的建造物や文化遺産を粗末にする精神というのは人の命もまた軽く見る精神ではないか、とも思えたのです。
【6】 イルクーツクのフードコートのペリメニはおいしかった。 欧米・「西側」のマクドナルドなどのチェーン店がロシア連邦から撤退しても、ロシア連邦の飲食店は質の悪くない状態で存続するのではないか。
ロシア軍のウクライナ侵攻にともない、欧米の飲食店のチェーン店、マクドナルドなどがロシアから撤退して、その後、ロシアで同様のものをおこなったが、どうも、うまくいかないという報道があった。
ロシア軍によるウクライナ侵攻以来、一躍有名人になった中村逸郎先生が、報道番組で、マクドナルドが撤退した後、かわりに「おいしい、ただ、それだけ」というロシア語での名前で同様の店が営業したが、ロシアに住んでいる友人に聞いたら「まずい、ただ、それだけ」だったと中村逸郎先生は話していたのだけが、他方で、東京大学なんとか研究所の小泉悠先生は、ロシアによるクリミア半島占領の後、ウクライナ侵攻より前にモスクワにいたことがあるらしいが、ロシアの酒というとウオツカという印象があるが「最近、ロシア人はウオツカはあんまり飲まないみたいで、ワインとかの方がよく飲むみたい」ということだったが、クリミア半島占領からヨーロッパの国からのワインの輸入が止まって、そして、どうなったかというと、ロシア産のワインの品質が格段に良くなった・・らしい。「なんだ、あんたたち、やればできるんじゃないか」と思ったという。「考えてみれば、ロシアには農地はあって農夫はいて、教育水準だって低くないのだから、できておかしくない」と話していた・・・が、マクドナルドが撤退した後の店が「まずい、ただ、それだけ」になってしまったという方が正しいのか、西側からワインが輸入されなくなったら、ロシア産のワインの品質が格段と上がったという方が正しいのか。
もしかすると、ロシア連邦の人間というのはマクドナルドのようなチェーン店でのやり方というものに、それほど慣れていないのかもしれない。だから、マクドナルドが撤退した後、同じようにやろうとしてもうまくいかなかった、ということはあるのかもしれない。しかし、たとえ、欧米・「西側」のチェーン店がロシア連邦から撤退したとしても、ロシア連邦での食事を提供する店・飲食店が無茶苦茶なものになるかというと、そうでもないのではないかと私は思ったのだ。なぜかというと、ロシア連邦には、欧米・「西側」のチェーン店の飲食店が進出する前から、ロシア連邦自身での飲食店が存在していたし、ロシア料理というのは決して品質が悪いものではなく、けっこうおいしいし、それは「レストラン」のような店でもけっこうおいしいし、そうではなくて、フードコートみたいな所の店でもけっこうおいしかったからだ。だから、欧米・「西側」のチェーン店のようなものも最近のロシア人は好んで食べていたかもしれないが、そういうものがなくなったとしても、元からのロシア連邦の飲食店だって、なかなかのものだったから、だから、飲食店については、欧米・「西側」のチェーン店がロシア連邦から撤退したとしても、この点についてはロシア連邦の人間はそれほどは困らないのではないか、と思う。
2000年の8月に、ロシア連邦のシベリア中部のイルクーツク州のイルクーツク市とバイカル湖畔のリストビャンカ村に訪問したが、そこで「レストラン」のような店でも、日本で言うところの「喫茶・軽食」のような店でも、ショッピングセンター内のフードコートのような所でも食事をとったが、なかなかおいしかった。全般的に物価が日本よりも安かったので、その結果、食事も比較的安い金額で取れたが、「西側」と比べて劣るようなことはなかった。イルクーツク市のショッピングセンターの中にフードコートのような所があって、「レストラン」のような店よりも利用しやすかったので何度かそこで食事をとったが、そこのペリメニがなかなかおいしかったのを覚えている。
ロシア人はアイスクリームが好きで冬でも夏でもアイスクリームをよく食べると『地球の歩き方・ロシア』だったか『地球の歩き方・シベリア』(ダイヤモンド社)だったかに載っていたのだが、イルクーツクの街にも道のあちらこちらに、日本のパチンコ屋の景品交換所みたいな建物があって、そこでアイスクリームを売っていた。なんで、パチンコ屋の景品交換所みたいな建物なのだろう・・と思ったが、私は8月に行ったのだが、夏はいいが冬になると平均気温がマイナス15度という所なので、それで「パチンコ屋の景品交換所みたい」な窓が小さい建物だったのではないかと思う。ロシア連邦のアイスクリームについては、『地球の歩き方』にはロシアのアイスクリームは大変おいしいと書かれていたが、他方で、ハウジングエージェンシーが出していた「インテリア情報」に載っていた話では、日本人のおばさんたちがロシアに旅行に行った際に、アイスクリームが店で出てきた時に、ジャパニーズおばさんたちが「甘~い」「甘いわ」とロシアのアイスクリームが甘いとバカにしたようにみんなで言い、おばさんたちが去った後、そこにいた日本人並みに日本語を理解できるロシア人の男性ガイドさんが「日本のアイスクリームはからいのですか」と甘いアイスクリームを喜ぶ国の人間をバカにしたように言う無礼な日本おばさんに不快感を口にした話が出ていた。それで、実際にどうなのか、私はロシア連邦でもヨーロッパの方のロシアには行ったことはなくて、シベリアのイルクーツクとバイカル湖畔のリストビャンカ村にしか行ったことはないので、モスクワとかサンクトペテルブルクでどうなのかは知らないが、イルクーツクとリストビャンカにおいては、街中の道にある「パチンコ屋の景品交換所みたいな建物」で売っているアイスクリームは、「ロシア人はアイスクリームが大好き」と『地球の歩き方』に出ていたので何度も買って食べたが、悪いということはないが、日本でコンビニやスーパーで売っているアイスクリームと比べても、特にどっちの方がいい悪いということはないと思った。ロシア人のガイドさんに案内してもらってバイカル湖畔の「喫茶・軽食の店」のような所に入って食べたアイスクリームは、これは本当においしかった。たしかに、『地球の歩き方』に「ロシアのアイスクリームは本当においしい」と書かれていたが、実際、本当に 」おいしかった。
だから、マクドナルドが撤退した後、店の名称を「おいしい、ただそれだけ」というロシア名に名前を変えた店があまりおいしくなかったとしても、それは欧米・「西側」のチェーン店方式でのマクドナルドなどのようなやり方が得意ではないか、もしくは、欧米・「西側」の物の真似をしようとした時にうまく真似られなかったかであった、もしも、うまく真似られなかったとしても、元からロシアにある料理は欧米・「西側」の物と比較しても決して劣るものではないから、だから、欧米・「西側」から輸入された物を好む人は、それを口にできなくなって残念かもしれないが、一般の食事については、欧米・「西側」の物が入らなくなってもおそらく悪くない物があるのではないかと思う。
マクドナルドなんてファーストフードがそんなにいいか? コカ・コーラなんてものがそんなにいいか? ということもあるのだが、ロシア連邦でなくても日本においても、マクドナルドなんて、あったらあったでいいけれども、なくなったらなくなったで特別に困らないのではないかという気もする。スターバックスコーヒーだってそうだ。佐賀県には「スタバは、ない」と歌を歌っていた人がいたが、インターネットで検索するとスターバックスコーヒーは実は佐賀県にも何店かあるようなのだが、元々、スターバックスコーヒーは東京とか都市圏向けの店で地方向けの店ではないから、佐賀県になかったらなかったで別にいいのだけれども、実際は何店かあるらしい・・が、あったらあったでいいけれども、もしも、なくなったとしても、その時はその時で特別に困るものでもないと思うのだ。だから、マクドナルドとか欧米・「西側」のチェーン店はロシア連邦から撤退したとしても、ロシア連邦の人間はこれについては特別に困ることもないと私は思う・・けどね。
YouTube で 佐藤優が「プーチンと同じように考える必要はないけれども、プーチンが何を考えているのかは考えてみるべきだ」と話していたが、それはたしかにそうだと思う・・・が、「プーチンが何を考えているのか」考えてみても、いったい、プーチンは何考えてんだろうな・・と思えてくる。ロシアの軍事が専門だという東京大学なんとか研究所の小泉悠さんが「ロシア文学とか専門にしている人には、このロシア軍のウクライナ侵攻について、なんで、ロシア人がこんなことをとか言う人がいるのですが、ロシア文学とか専門の人はそう思うかもしれませんが、ロシアの軍事を専門にしている者からすると、ロシアという国は時々、変なことするし、こういうことはありそうな国だという感じです」とか話していたが、「プーチンが何を考えているのか」考えても、「変なこと」やってるとしか思えない。
ウクライナはいくつかの異なる特色がある地域から構成されていて、
1. 西部の《 リヴィウは、ハルィチナー地方(ポーランド語: Galicja - ガリツィア)の中心都市である。人口は約83万人。ポーランド、ハンガリー、オーストリアなどの領土になっていた時代が長いため、ウクライナの中では最もヨーロッパ的な都市である。歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されている。》(ウィキペディアーリヴィウ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A6#%E6%96%87%E5%8C%96 )、
2. 南西部はカルパチア山脈が国境ではなく、カルパチア山脈の向こう側(西側)(スロバキア・ハンガリーの側)までウクライナ領になっている。太田邦夫『ヨーロッパの民家(建築巡礼)』(丸善)で述べられているが、これはウクライナがソビエト連邦に属していた時期、ウクライナとではなく、ソビエト連邦とスロバキア、ソビエト連邦とハンガリーとの政治的・軍事的力関係がソビエト連邦の方が強かったことから、カルパチア山脈が国境とされるのではなく、カルパチア山脈を越えてスロバキア・ハンガリーの側までソビエト連邦の領土になったのではないか、と指摘されている。ハンガリーの政治家でウクライナはロシア連邦に領土を割譲した上で停戦してはどうかと言った人がいたらしいが、もしかすると、ハンガリーとウクライナの間での国境についても、ウクライナの方に有利な位置に国境があることを踏まえての発言か。
南西部、カルパチア山脈より西側のウクライナ領では、『グローバルマップ 世界地図帳』(2023.9.1.昭文社)掲載の地図を見ると、イヴァノフランキシクという人口10~50万人の都市・フストという10万人未満の都市があり、「カルパチア山脈およびヨーロッパ各地の原生林」がユネスコ世界遺産に指定されている。
ヨーロッパの民家 (建築巡礼) - 太田 邦夫
3. クリミア半島については、ソビエト連邦が成立した時点では15の連邦共和国の中ではウクライナ社会主義共和国ではなく、ロシア社会主義共和国に属していたらしく、フルシチョフが書記長の際にウクライナに所属を移されたらしい。そういう経緯があることから、ロシア連邦の人間にはクリミア半島はロシア連邦領だという意識の人がいるのかもしれない。佐藤優が話していたものによると、元々はロシア人でもウクライナ人でもなく「クリミアタタール」と言われる人たちが多く住んでいる地域らしい。
4. この1~3以外の地域でも、西側はウクライナ語を話す人が多く、東側はロシア語を話す人が多いらしい。かつてのキエフ公国は「公国」と言うには面積も広く力も強く、「公国」ではなく「王国」と言ってもいいくらいだったが、現在のウクライナの西よりの地域を南北に長い領土だったはずで、現在のウクライナで「ウクライナ語を話すウクライナ人」が多い西部がそれにあたるらしい。
5. 現在のウクライナは第二次世界大戦の時にナチスドイツが攻めてきて、この地域にドイツの傀儡国家としてのウクライナという国を設けたが、その際にソビエト連邦との国境はかなり東によった位置に設けられて、それがソビエト連邦におけるウクライナ社会主義共和国とロシア社会主義共和国との国境になったらしく、それゆえにロシア連邦の人間やウクライナ東部の「ロシア系住民」の中には国境はもう少し西だと思っている人がいるのかもしれない。
もっとも、ロシア連邦の場合は、ロシア連邦の領土内においても、ソビエト連邦があった時代からそれぞれの民族が住んでいる地域を「自治共和国」「自治州」「民族管区」として、それ以外は全部ロシア領・・としてしまっているようなところがあるので、その基準でロシア連邦の領土だと主張されるのを無条件に認めるわけにもいかないのではないか。
問題は、この5についてだが、ドネツク州・ルハンスク州にはキーウ(キエフ)のウクライナ西部を中心とする地域の人たちと一緒にやるよりも別の国になりたいと考える人もいたのかもしれない。別の国になることができないなら、ロシア連邦内の「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」となる方がいいと考えた人も中にはいるのかもしれない。そういう人の中にはキーウ(キエフ)の政権とその協力者を「ネオナチ」と罵った人というのもいたということはあるかもしれない。実際に「ネオナチ」でなくても、悪口・けなし言葉として比較的軽い使い方で「ネオナチ」と罵ったものが、プーチンの所には相当深刻な意味合いでの「ネオナチ」として伝わったという可能性なら、ありえないことはなさそうにも思える。
キーウ(キエフ)のウクライナ政府としては、ドネツク州・ルガンスク州もクリミア半島もウクライナ領であり、ロシア連邦に奪われる筋合いはないというものだが、キーウの政権に同調したくないという「新露派」の人からするとキーウの政権とその協力者は「ネオナチ」と悪口を言いたい相手だったのかもしれない。
そういうことがあったとしても、だからといって他国の領土に軍隊を派遣して侵略していいというものではないはずだが、佐藤優が話していたものによると、ゼレンスキー政権が「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」とロシア連邦がした「新露派」が占拠している地域に自爆型ドローンで攻撃を加えたということがあったらしく、だから、「どっちが先に攻撃したんだ」というと、ゼレンスキー政権の方が先に攻撃したという理屈も出てくるらしいが、しかし、その攻撃先は、あくまでもウクライナの領土が「親露派」なのか実際はロシア軍なのかに占領されている地域であってロシア連邦領ではないのであり、ロシア連邦軍がその地域を占領していることの方が先にあるということになったのではないか。
しかし、「ウクライナ東部における『ロシア系住民』を保護するために」という大義名分でなれば、その「ウクライナ東部における『ロシア語を話すウクライナ人』」が住む地域へミサイル攻撃を加えて何人もの住民を殺すというのは、やっていることが筋が通らないことになる。「プーチンが何を考えているかを考えるべきだ」と佐藤優が言うのはわかるが、いったい何考えてんねん? てことになる。
フルシチョフとゴルバチョフの「2人のチョフ」はソビエト連邦の書記長の中では「融和的な書記長」であったと考えられていて、フルシチョフは現在、ロシア連邦領になっているカリーニングラード(ケーニヒスベルク)付近は、かつて、ブランデンブルク=プロイセン の「東プロイセン」と言われた所、ドイツ領だった所で、ドイツ騎士団領に由来するが、ドイツ騎士団が領有した時点ではスラブ人が住んでいた地域に西からゲルマン人がやってきて占領してドイツ騎士団領にしたというもので、昔々はスラブ人が住んでいた所をゲルマン人に侵略された所だという理屈らしいが、しかし、その場合の「スラブ人」はロシア人ではないはずで、そういうこともあって、このカリーニングラード(ケーニヒスベルク」付近をリトアニアに所属を移すことを検討したともいうが、もしも、その時にリトアニアに所属が移っていたならば、クリミア半島と同じようにリトアニアに攻撃が加えられたということも可能性としてあったかもしれない。
かつて、ソビエト連邦が存在した時代においては、「ハンガリー動乱」(1956年)・「プラハの春」(1968年)と、ソ連軍はハンガリー・チェコスロバキアに軍隊を派遣してソ連寄りの政権を打ち立てたが、今回も戦車をキーウ(キエフ)に向けて派遣すればウクライナの政権をロシア寄りの政権、ベラルーシのルカシェンコ政権のような政権に変えることができると考えて、予想通りにいかなかった、ということなのか。
将棋でも、こちらがこの手を打てば相手はこう出て、それに対してこちらがこう出ると相手はこうきて・・と考えるもので、「プーチンと同じように考える必要はないが、プーチンが何を考えているのかは考える必要がある」という佐藤優の発言は間違いではないだろうけれども、「プーチンが何を考えているのか」というと、いったい何考えとんねん? ・・てもので、鈴木宗男は「ロシアが負けることはない」と、なんだか東芝の従業員で今でも「東芝はつぶれることはない」と信じている者が少なくないみたいなことを言っているが、「ロシアが負けることはない」からロシア軍が攻めてきたら何でも言うこときくしかないということなら、今も「ロシアは日本の北海道に対して権利がある」とか言っているロシアの政治家がいるらしく、「アイヌ人はロシア人の支族で、アイヌ人の土地である北海道はロシア人の土地だ」とかわけのわからん妄想みたいなこと言っている政治家もロシア連邦にいるそうで、ウクライナにやったことと同じことを日本に対してやってくる可能性だってないわけではないのであり、さらに「日本が言うこときかないなら原爆落としてやれ」とか言っているロシア連邦の政治家もいるらしいのであり、そのあたりを考えると「日本にとってはウクライナと仲が悪くなっても日本は困らないが、ロシアと仲が悪くなったら日本は困る」とかそういうことは言ってられないのではないか。
『地球紀行 世界遺産の旅』(1999.10.10. 小学館)ではウクライナでユネスコ世界遺産の指定を受けているものは「キエフの聖ソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」「リヴォフ歴史地区」の2か所だが、『グローバルマップル 世界地図帳』(2023.9.1.3版 昭文社)に掲載の地図を見ると、ウクライナでユネスコ世界遺産に指定されているものは、この2つ以外に、
カルパティア山脈およびヨーロッパ各地のブナ原生林
ブコヴィナとダルマチアの首都大司教の宮殿
カルパティア地方の木造教会
・・・がユネスコ世界遺産の指定を受けていて、ウクライナに近い場所では、モルドバ北部の
シュトルーヴェの観測点
があるようだ。
【7】 ユダヤ自治州の「ユダヤ人」は、『聖書』の時代にパレスチナ・イスラエル・ユダヤ地方に住んでいた人の子孫ではない可能性が大きい。
アムール川の上流、中国の「東北地方」(「旧満州」)の東、ウスリー川とアムール川が合流する地点、ハバロフスクより西のあたりに「ユダヤ自治州」という州があり、ピロビジャンという市が州都になっているのだが、「ユダヤ人」とロシア人による州だというのだが、ロシア連邦にまでユダヤ人はやってきていたのか・・・というと、実は「ユダヤ人」の場合は「日本人」とか「朝鮮人」とか「ベトナム人」とか「フランス人」とか「イタリア人」とかいう場合とは違って、『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ地方に住んでいたユダヤ人の子孫という意味と、もうひとつ「ユダヤ教徒」という意味があって、又、ユダヤ教はキリスト教・イスラム教・仏教のような世界宗教とは違ってユダヤ人だけに広まった民族宗教だというように、日本の中学校の「歴史」では教えているけれども、それは必ずしも正しくなくて、かつて、ロシア南部というのか、ロシアからウクライナにかけての地域ではないかと思われるのだが、その地域の王国の王さんが、ユダヤ人の商人が持つ先進文化を取り入れたいと思い、ユダヤ教に自分自身が入信するとともに領民にもユダヤ教を広めたことがあり、その結果として、「ロシア系ユダヤ人」という人たちが出現したらしいのだ。「ロシア系ユダヤ人」はユダヤ教徒ではあっても、血筋をいくら先祖に遡っても『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ・パレスチナ地方に住んでいたユダヤ人にはたどりつかない。アムール川の上流、ハバロフスクの西のあたりの「ユダヤ自治州」の「ユダヤ人」もおそらく大部分は先祖をどこまで遡っても『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ・パレスチナ地方に住んでいた人という意味でのユダヤ人ではなく、ユダヤ教徒という意味での「ロシア系ユダヤ人」ではないか。
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ユダヤ人とはなにか。『西洋史辞典』(創元社)の「ユダヤ人」の項には次のように書いてある。「前15世紀頃メソポタミヤ地方からパレスティナに移住したヘブライ人の一部族。旧約聖書のヤコブの第4子ユダにちなんでいわれる。広義にはヘブライ人の別名ともなっている。(以下略)」このユダヤ人がローマに征服されてから各地に散らばり、世界のユダヤ人になったとされている。
この考えによれば、今日一千万をこえる世界のユダヤ人には共通の血が流れ、先祖をたずねていくとかならずパレスティナに行きつく、ということになる。普通の日本人の「ユダヤ人」観はそうなっている。はたしてこれは正しいか。
《 つくられたユダヤ人 このような見かたにとって、実は具合の悪い材料がいろいろとある。その中でとくに興味深いのはハザル(カザル)の歴史である。ハザルの国は8~11世紀、南ロシアを支配したが、この国の王がユダヤ教に改宗し、これを国教にしたため、南のビザンツ帝国やアッバース朝国家と対抗するユダヤ教国として知られた。ハザルの人びとはトルコ系とみられたことにより、ウィグル人ともいわれるが、こうしてユダヤ教徒とされ、まさにそのために、ヨーロッパの社会のつねとして、ユダヤ人とされていくのである。・・・・東欧に多数存在したといわれる「セム人種」の一部分は、このようにしてつくりだされたのであった。
(板垣雄三「アラブとイスラエル」東書高校通信世界史。 No.13) 》
(学習資料「世界史」編集委員会 編集『学習資料「世界史」』1978.4.1.第5版。 ほるぷ総連合。)
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イスラエルの「ロシア系ユダヤ人」は先祖をどれだけ遡っても『聖書』の時代にイスラエル・ユダヤ・パレスチナ地方に住んでいた人にはたどりつかないにもかかわらず、先祖の土地ということで、それまでにそこに住んでいたアラブ系の人を追い出してイスラエルは建国された。アムール川流域の「ユダヤ自治州」に住んでいる「ユダヤ人」も先祖をどこまで遡っても先祖はアムール川流域には住んではいないはずだ。
「パレスチナ自治区」の「ガザ地区」からハマスによるイスラエルへの攻撃がおこなわれて、それをはるかに上回る攻撃をイスラエル軍がおこなったが、ロシア連邦というのは、どっちの側なのだろうか? イスラエルの「ユダヤ人」はその20%が「ロシア系」だというのだが、それから考えると、ロシア連邦はイスラエルの方に加担しそうにも思えるのだが、ソビエト連邦の時代においては、ソ連国内においては問題点はあっても国際的にはソ連は「抑圧される側」に加担することが多かったことから「西側」の知識人はソ連に好意的態度をとる人がけっこういたのだが、ロシア連邦がソビエト連邦の後継国家だとするならば、その流れからいくと「パレスチナ自治区」の側についても良さそうにも思えてくるのだが。今回は、ハマスはなぜ、このタイミングでイスラエルに攻撃を加えたのか。ロシア連邦としてはハマスによるイスラエル攻撃はロシア連邦軍によるウクライナ侵攻に対して、アメリカ合衆国などの対応をウクライナからそらせる効果を持つことになり、ロシア連邦にとってはハマスによるイスラエル攻撃は有利に働いたが、ロシア連邦はハマスとつながりがあったのか。イランはハマスとつながりがあると言われているらしいが、イランはロシア連邦のウクライナ侵攻にはロシア連邦の側に立っていることを考えると、イランを間にはさんでロシア連邦はハマスのイスラエル攻撃とつながりがあったのだろうか?
非ユダヤ的ユダヤ人 (岩波新書 青版 752) - I.ドイッチャー, 鈴木 一郎
ペリメニはロシア風の水餃子 とも言えるが、私は水餃子も好きだが、餃子だと焼餃子の方が水餃子より好きで、水餃子ならペリメニの方が好きだ・・が、ロシア連邦ではペリメニは「普通の料理」だと思うが、日本でペリメニは「ロシア料理店」とか少々格式ばった店に行かないと「そのへんの大衆料理店」ではお目にかからない。
(2023.11.17.)
☆ ロシア軍のウクライナ侵攻に際し建築屋的感想B
1.ロストフナドヌーとロストフベリキー、グムと赤の広場、ドン川・ドニプロ川・ドニステル川・ドナウ川の違い―ロシア軍によるウクライナ侵攻に際し建築屋的感想B【1/2】
2.キーウ他の歴史的建造物を大事にする心と人命を尊重する心は相反するものか共通するものか。湿地帯だったサンクトペテルブルクの建築、及、地盤調査と地盤補強を「要らない」と言ったり必要と言ったりする会社。イルクーツクのペリメニはおいしかった、マクドナルドなど「西側」のチェーン店が撤退してもロシア連邦の飲食店は存続するだろう。ユダヤ自治州の「ユダヤ人」は『聖書』の時代にユダヤ・イスラエル地区に住んでいた人の子孫ではなさそうーロシア軍のウクライナ侵攻に際してB【2/2】〔今回〕
☆ ロシア軍のウクライナ侵攻に際して建築屋的感想A
[第912回]《 ロシア軍のウクライナ侵攻に際して建築屋的感想【1】ポーランド色が強いリヴィウ、カルパチア山脈よりハンガリー側に国境があるウクライナとハンガリーの国境。【2】ドイツ人建築家ブルーノ=タウトの生誕地のケーニヒスベルク(カリーニングラード)はロシア連邦領になっている。アール=ヌーボーの画家ミュシャはポーランド人で「スラブ人」の意識がある。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_1.html
[第913回]《ロシア軍のウクライナ侵攻に際して建築屋的感想【3】ロシア連邦から日本へ輸入される木材。【4】自然保護されるか。【5】ロシアの建築は魅力的だが行けなくなってしまった。天然木と造林木では事情が違うことすら理解できない国産材使用木造住宅建築会社の従業員。 》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_2.html
[第918回]《 ロシア軍ウクライナ侵攻により採用取消された在日ロシア人と「リフォームのナカヤマ」に採用取消された何年か前の私の話。後の就職席にまで誹謗中傷を加える卑劣な者。》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202204article_9.html
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