住宅営業において見込客・契約客に自分の家の話はしない方がいいと判断するようになった経緯。「真珠をブタに投げてやるな」という「福音書」の言葉は正しかった。担当営業のせいにして自分だけ「ええもん」になる卑怯者「一条オリジナル」

[第2021回] 会社と営業の話
  1980年代後半、小堀住研(株)に入社して1年目、営業課長の I さんに同行してもらって契約客宅にうかがい、プランについての話をしていた際に、何にであったかお客様の奥様から「そんなやり方の家ってありますか」と言われて、I さんが「私の実家がそういうやり方してます」と話し、「そうですか」ということになったことがありました。それを聞いていて、そういう話し方があるのかと思い、その後、自分の家の話をしたことがあったのですが、やめました。
  その理由なのですが、相手にもよるとは思うのですが、言わない方がいいと思える相手の方が多いと思えるようになったからです。ひとつは、その後、入社した(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の場合、東京圏の住人でも「いなかのおっさん」タイプの人が同社の見込み客に多く、むしろ、地方に行った方が「いなかのおっさん」タイプでない見込み客がいるという会社だった、ということがあります。この場合の「いなかのおっさん」という意味ですが、福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎の出身という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これは良くない」と述べたようなのですが、1992年に私が(株)一条工務店に入社した頃の(株)一条工務店の東京圏での見込客には「精神面がいなかのおっさん」というタイプの人が多かったということと、やはり、その地域における会社の評価が低いと見込み客からなめられてしまうということがあり、又、(株)一条工務店は東京圏の住人にとっては「トヨタ自動車でもないのに豊田商事などと名乗っている会社みたいに、西武でもないのに『セゾン』などと商品名を名乗っている胡散臭い会社」という印象があり、さらに「契約時にはどういうものを建てるかを決めないで坪いくらで契約して、契約後に図面の打ち合わせを進める」という客の側からすると不安が大きいことをやっていたこともあり、営業担当者が低く見られてしまう傾向があった、ということがあったと思われます。「この程度の国民にはこの程度の政治」と言って問題になった政治家がいたが、なんだか、「この程度の施主にはこの程度の家」を建ててやればいいのか・・と思うような人というのもいましたが、もしも、私が施主ならば担当者にそんな気持ちになられたのではいい家はできないと考えて、担当者の気持ちを考慮して気持ちよく仕事をしてもらうようにした方がいいと考えますが、1992~1993年の東京圏の(株)一条工務店ではそうではない見込客・契約客が少なくありませんでした。(株)一条工務店の場合、1展示場あたりの営業の数・一定地域あたりの営業の数が同業他社と比較して多いので、その結果、一定地域あたりで見るとある程度以上の契約をもらえて、ある程度以上、建ててもらえていても、営業1人あたりで見ると多くない結果になっており、又、「一条工務店は営業所(展示場)によって条件の差がはなはだしい」と言われる会社であったことから、条件が良くない方の展示場にいる人間は、条件がいい展示場に勤務する者ならば追わないような見込客を追客せざるをえない結果になっており、その結果、「客質が良くない」人に契約してもらおうと必死になって、その態度・その意識をその「客質が良くない見込客」に見抜かれてしまって、さらに増長されてしまう・・・ということがあったようでした。
〔実際のところ、1992年に1年間、(株)一条工務店の東京営業所に勤務して、「小堀住研(株)のお客さんと比べて、一条工務店という会社の(東京圏での)お客さんというのは『客質がよくない』なあ」という印象を受けました。(株)一条工務店で浜松とかでしか営業やったことがない人は東京圏でどうか知らずに勝手なことばかり言う人が多く、こういったことを体験していないので、こういうことを言うと怒りますが、怒ったって残念ながらこれは事実です。〕
  浜松の本社での研修では講師役の従業員が「一条工務店のお客さんというのは、みんな、『いい人』です」などとお気軽なことを言っていたが、それはどういうものを建てるかの打ち合わせすらも契約前におこなわずに「坪いくら」で契約してくれるような人というのは、その点において「お人よし」みたいな人が多いという点があり、地方で(株)一条工務店の評価が高い地域においては、そういう人があった、ということであり、1992~1993年の東京圏においては、ちっともそんなことはなく、研修に講師役で来るような遠州人というのは、そういったことをちっとも理解できていないお気軽な人間ばかりでした( 一一)

【1】 まず、私の方が言ったのではなく、我が家に飛び込みで来たリフォーム屋のにーちゃんの話をします。現在も住んでいる船橋市の家は本当に小さい家ですが、うちの父親が他界した後、うちの母親が「借家に住んで働いていたのでは、家主のために働いているみたいなところがあるから」と言って、それで、うちの父親から私が相続したもので、ゴルフ場の会員権というのは「40歳以上でないと持てない」という規定があるということで私が相続できなかったので売却して、そのお金と私のわずかな貯金とその他を合わせて買ったもので、無理に買ったみたいなものだったので、本当に小さい家で、「そのうち、買い替えればいい」とうちの母親は言っていたのでしたが、(株)一条工務店の給料は安くて買い替えることはできずに長くそこに住むことになってしまった、という家です・・・が、ところが、そこにやってきたリフォーム屋のにーちゃんが私に「私なんか、こんな家にはまず住めませんけれども」などと言うので、アホか・・と思ったということがありました。
  そのにーちゃんは、その時点で借家暮らしだったのかもしれませんが、もしも、こちらの住んでいる家が「豪邸」であったならば、たとえば、私が前まで行って見たことがある家ですと、渋谷の麻生邸とか、それから兵庫県西宮市のニテコ池の近くの松下邸とか、そういう家に飛び込み訪問で言って「私なんかはこんな家にはまず住めませんけれども」と言うのなら、言ってもいいでしょうけれども、ちっちゃい敷地面積20坪・延べ床面積20坪なんて家に飛び込み訪問で言って「私なんか絶対にこんな家に住めませんけれども」なんて言ったのでは・・「アホか。この程度の家にも住めなくてどうするんだ」と思われることになりますし、新築屋であれリフォーム屋であれ、まがりなりにも建築屋がそんなこと言っているようでは、「この人、何もわかってない人だな」という評価になってしまいます。ああいうことは言わない方がいい・・と思いましたが、あのリフォーム屋の上役はそのあたりを教えてあげた方がいいと思ったのですが、教える人がいなかったのかもしれません。

   似たものとしては、2000年代、輸入車を扱っている店に見に行った時のことがあります。私は元々が「電車派」で、クルマに乗るか電車・バスで行くかだと電車・バスの方が好きというタイプの人間だったのですが、小堀住研(株)に入社して営業は個人のクルマを持ち込みで仕事をすることになっていたことから、自家用車を持つようになったのでしたが、「高級車」といったものに特に乗りたいとか考えたことはあまりなかった。その理由として、「高級車に乗る男」というのは「高級車に乗ると女にもてるだろうと思って高級車を買って乗って、ちっとももてない男」だという説がある・・ということもあるが、それとともに「高級車に乗る男」というのは教養水準が低い「高卒のおっさん」が多いということもありました。江本孟紀が『野村克也 解体新書』(清談社)で、江本が南海ホークスに移籍してそれほど経たない頃、野村はリンカーンなどという高級車に乗り、高級腕時計をはめて宝石を指にはめていて「趣味悪いなあ~あ」て感じがしたが、江本がそう感じたようだと野村は感じ取ったらしく、「おまえは、こんなことはせんやろ。長嶋もやらん。おまえや長嶋のような大卒の人間はやらんのや。こういうことは、俺とか江夏とか張本とか高卒の人間がやるんや。高卒の人間は自分に自信がないから、だから、こういうものをつけたがるんや」と言ったというのだが、言われた江本は「大卒の人間」なんて言われても、野球選手がスポーツ入学で大学に入って卒業したもんは勉強なんか何もやってないがなと思ったらしいが、それでも「大卒の人間」は、高級腕時計はめて指輪はめて外車に乗ってというのをやりたがることは少なく、そういう高級腕時計はめて指輪はめて外車に乗ってということは「高卒の人間」がやりたがるものだと野村は言っていたらしい。そのくらいならまだしも、その後、野村がヤクルトの監督とかやっていた際に「茶髪・長髪・ヒゲはいかん」と言ったというのも、高卒でプロ野球選手になった野村としては特に「高卒の人間」にそういったことをやりたがる人間が多く、それは人から見られていいようには思われないから、やらない方がいいよと監督として教えてあげるべきだと考えたのではないか。
  しかし、それならば、最も低価格なクルマに乗らないといけないのかというと、そうではなくて、特に高くないクルマでも、その人にとっていいクルマというものがあるのではないか。これは「茶室」と似たところがあるのではないか、と思うのだ。「茶道」とは何か。「有閑階級の暇つぶし」「女か年寄りがやるもの」と私は元々思っていた。あるいは「茶道」(「おちゃ」)とは『あしたのジョー』での「あしたのために、その1 ジャブ」「あしたのために、その2 右ストレート」「あしたのために、その3 クロスカウンター」て感じで「玉の輿のために。その1・その2・その3の秘法」・・というのか、華道(「おはな」)・着付け・フランス文学科とともに「女性版俗物4種の神器」のひとつ、《「不良企業の社長の嫁の座 ゲットのために」「ブタ人間経営者の嫁の座 ゲットのために」「毒盛り医者の嫁の座 ゲットのために」その1 ジャブ。左ひじを脇から離さぬよう心掛け、えぐりこむようにして、打つべし、打つべし、打つべ~し! 》が茶道(「おちゃ」)であろうと思って心の中で軽蔑していたのだが〔 ⇒《YouTube-あしたのジョー OP主題歌 尾崎イサオ》https://www.youtube.com/watch?v=HmbG85pw8qM 〕、「有閑階級の暇つぶし」というのは家永三郎『日本文化史』(岩波新書)に書かれていたもので、「女か年寄りがやるもの」というのは遠藤周作がどこでだか書いていたのだが、これは実際にそういう面があると私は思っているのだけれども、しかし、それだけかというとそうでもなくて、中村昌生(まさお)『茶室を読む――茶匠の工夫と創造』(2002.10.26.)を見ると、「茶室」「茶道」とは何かというと、「茶室」の主(あるじ)は「隠者(いんじゃ)」であり、隠者とは権力者でもなければ経済力がある者でもない、しかし、志は高い、というそういう者である、という。フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』で「精神の貴族」という表現で、精神的にけだかい人間ということを述べていたが、それと共通するものがあるかもしれない。そういう権力者でもなく経済力が特に人よりあるわけではないが費用はかけないが志は高い者が建てた建築が「茶室」であり、権力者でもなく経済力があるわけでもないが志は高いという者が、せいいっぱいのおもてなしをしようというものが、それが「茶道」である、というのだ。なるほど。しかし、それならば、現在の「茶道」というものは「有閑階級の暇つぶし」ではないのか? 「女か年寄りがやるもの」ではないのか? というと、やっぱり「有閑階級の暇つぶし」みたいなところはあるし、「女か年寄りがやるもの」みたいなところはある・・・のだが、又、茶道(「おちゃ」)・華道(「おはな」)・着付けとフランス文学科とで「女性版俗物4種の神器」といった面は間違いなくあるのだが、本来の「茶道」「茶室」というものは、権力者でもなく経済力が特にあるわけでもないが、志は決して低くないという者ができる限りのおもてなしをしようというものが「茶道」であって「茶室」なのだ、というその考え方は、わかる。 群馬県高崎市に達磨寺という寺があって、そこに「洗心亭」という粗末な2間の平屋の和風建築があるが、かつて、ドイツ人の建築家ブルーノ=タウトが住んだ家らしいのだが、「タウト好み」のものだと思った。・・それで、自分が乗るクルマを選ぶにおいても、こういった考え方から選んでもいいのではないか、と思うようになった。
※ 少林山 達磨寺(高崎市)HP https://daruma.or.jp/
少林山 達磨寺HP 「達磨寺とブルーノ・タウト」https://www.daruma.or.jp/%e9%81%94%e7%a3%a8%e5%af%ba%e3%81%a8%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%8e%e3%83%bb%e3%82%bf%e3%82%a6%e3%83%88/
高崎市HP 洗心亭 https://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121700122/
  もうひとつ、1980年代後半、小堀住研(株)に新卒入社した時に、新卒社員研修において、どういうクルマに乗るかという点について、「外車は不可」「ツードアのクルマは不可」「オープンカーは不可」と言われた。「オープンカー」「ツードアのクルマ」については、過去に、お客様宅の敷地調査にツードアのオープンカーに彼女乗せて行ったやつがいて「ふざけるな」「帰ってくれ」「人の家を何だと思ってるんだ」と言われて話がつぶれたケースがあったと聞いた。
  「お客さんよりも高いクルマに乗らない」とも言われたのだったが、しかし、このうち「お客さんよりも高いクルマに乗らない」という点については大学新卒で入社したばかりの20代前半の人間についての話で、20代前半の若造がたっかいクルマに乗ってお客様宅に行ったら、「なんだ、こいつ」と思われる・・・ということがあったと思うのだが〔私の友人で医者の息子は大学生の時からベンツに乗っていたが「親のクルマ」でその男の家にはそのベンツしかなかったからそのベンツに乗っていたのだし、そういうケースもあるとは思うけれども〕、それはあくまでも20代の人間の話であって、30代後半くらいから上の年齢になると、むしろ、多少いいクルマに乗った方が「できる男」に見えていいかもしれない。・・但し、「できる男」に見えるクルマてどんなクルマだろうと思って考えたが、「ウィンダム」なんてのは「何々の監督の誰それの乗っているクルマ」とか広告を出して「できる男」のクルマみたいにアピールしていたと思ったが、実際、ウィンダムはカタログを取り寄せて調べてみたのだけれども、カローラなんかより高いだけでなくて、でかいのだ。一般には「高級車」というのはカローラとか「リーズナブル」なクルマに比べてでかい。でかいクルマの方がたとえ1人だけ乗る場合でも長距離を走る場合は乗り心地がよくて体力的に楽だと言う人もあるけれども、でかい!・・てことは駐車場も広い駐車場が必要で、我が家の車庫に入らない。又、住宅建築業の会社になんか勤めて仕事で使う場合には「でかいクルマ」というのは不便なのだ。狭い道だって走らないわけにいかない仕事だし、お客様宅に行って停めようと思っても、「でかいクルマ」は不便なのだ。そして、大きな問題として、「ウィンダム」なんてのは「ハイオクガソリン」入れる必要があるらしい、という点がある。(株)一条工務店とかは営業社員はガソリン代を会社が負担していたが、レギュラーガソリンであって、「ハイオクガソリン」なんてものを入れるなら自費で払えということになってしまうのだった。かつて、ガソリンスタンドに行くと「ハイオクガソリンおためしセール」なんて書かれていたのを見たことがあって、ハイオクガソリンというのはレギュラーガソリンよりよく走るということかと思ったら、そういうことではなくて、クルマによってレギュラーガソリンを入れろというクルマとハイオクガソリンを入れろというクルマがあるらしいのだ。・・そうなると、やっぱり、プロレタリアートはレギュラーガソリンを入れて乗るクルマでないといけないことになってくるのだ。
  外車はどうかというと、1980年代後半に小堀住研(株)に入社した頃は、「外車に乗る人」というのは「わけありの人」というように見られていた。不動産屋の経営者か、プロ野球選手か芸能人かヤクザさんか・・・。それで、他の業界でならまだしも、建築業の業界においては「ヤクザさんみたいなクルマ」と少しでも思われたなら営業上マイナスになってしまうので、それで、小堀住研(株)では「外車は不可」としていたようだった、2010年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕〔2013年11月に正式に倒産〕の社長の長谷川新二(男。当時、40代前半)が「黒のベンツ」に乗って自社の建築現場説明会の会場に昼過ぎにやってくるので、困った男だなあと思ったことがあったが、実際問題として長谷川は「黒のハリアー」も持っていたのだから、建築現場に来る時にはせめて「ベンツでない方」に乗ってくるというくらいの配慮はあって良さそうにも思えたが、それができない人だったようだった・・・が、外車というものはヤクザさんかヤクザっぽい職業の人かそういう「わけありの人」が乗るものという感覚は1980年代後半の時点でのことで、その後、一般の人間でも外車をけっこう乗るようになり、外車でも高級車ばかりではなく、たとえば、「オペル」とかはカローラなどと比べても特に高いわけでもないみたいだし、時代の変化とともに必ずしも「ヤクザっぽい人の乗るクルマ」ではなくなってきた。
  それで、私が考えたのは、イタリアの「フィアット」という大衆車だ。「外車に乗りたがる人」でも日本においては今もって「世界に冠たるドイツ」といったナチズムのような思想のもとでのドイツ好きがいて気色悪いのだが、イタリアは第二次世界大戦においてはドイツ・日本とともに枢軸国を構成していたけれども、戦後の日本においては、うちの父親なども私の眼を指さして「このチャンコロめが」「このロスケめが」「このイタコめが」と毎日言っていたように、「イタコ」というのは「根性なし」を意味するそうで戦前回帰を夢見るネオナチみたいな人にとっては「ドイツ」はあこがれの言葉であるのに対して「イタコ」というのは蔑称であり嫌う言葉で、イタリアおよびイタリア人というのは、うちの父親みたいなそういう「日本的なおっさん」の間ではナチズム・ファシズム回帰の思考には合わないらしいのだ。実際、イタリアに行ってみても、ドイツと一緒になってナチズムかファシズムかやろうというようなそんな国という印象はないし。それで、イタリアのクルマというと「フェラーリ テスタロッサ」なんてのを清原とかは乗っているらしいが、そういうのは清原とか(株)一条工務店の初代社長のドバカ息子とかそういうのが乗るクルマであり、むしろ、「趣味悪いな~あ( 一一) 」て感じがする。それに対して、1998年1月、ナポリやソレントの街を歩いていると、あちらこちらで見かけたのが「フィアットのチンクエチェント」という500CC のクルマだった。「あれ、ええなあ」と思ったのだ。ただし、小堀住研(株)でも(株)一条工務店でも「軽自動車は不可」だったし、都市圏のリフォーム屋の営業やる人は軽自動車に乗る人が多いけれども、新築屋の場合はお客さんを乗せることがあると軽自動車は不向きであり、「チンクエチェント」は向かない。それで、イタリアのクルマでも「フェラーリ」というのは超高級車であるのに対して「フィアット」は大衆車の会社であり、「フィアット」のクルマで「カローラくらいのもの」というのはないかな・・とか考えたのだ。アリタリア航空のキャッチフレーズに「乗った時から気分はイタリア」というものがあったが、日本航空とか全日空とかに乗ってイタリアに行くと飛行機に乗っている間は日本でミラノとかローマとかの空港に降りてからがイタリアであるのに対して、アリタリア航空に乗って行くと成田とかで「乗った時から気分はイタリア」であるというのだ。それと同様に、フィアットのクルマなんてのに乗ると「日本にいても気分はイタリア」・・と思って、2000年代、それで千葉県内で外車を扱う店に見にい行ったことがあったのだ。
  ところが、フィアットはイタリアでは大衆車の会社なのだが、日本に輸入して販売しているものとなると、けっこう高級車の方のものになるようだったのだ。なおかつ、イタリアの道ではチンクエチェントという小さいクルマをよく見たのだが、日本で売ってるクルマはでっかいのばっかりだったのだ。それで、「うちは無理ですね」とそこで口にしたところ、店員が「いや。お似合いだと思いますよ」とか言うのだったが、店員は私が謙遜して言っていると思ったようだったが、そういう問題ではなくて、でっかいクルマは我が家の車庫には入らないから無理なのだった。ひとつは「私なんかは高級車というガラではないですから」とか言ったような気がしたのだが、「そんなことないですよ」とか言って持ち上げようとするのだったが、どうも、貧乏人にでも買ってもらおうという姿勢を発揮したらしかったが、特別金持ちと言うつもりはなかったが、私はどこでも誰にでも「私なんかは高級車というガラではないですから」と言っているのであって、カネがあるかないかの問題とは違ったのだが、どうも、関西人の店員・営業と違って「東京もん」の店員・営業はこちらが言うことを言葉の通りに解釈する者が多いみたいで、「私なんかは高級車というガラではないですから」と言えば、それを聞いただけで、この人は貧乏人なんだなと解釈するみたいで、「え? そんな解釈すんのお?」と驚いた・・が、どうも、「東京もん」の店員・営業は、こちらは誰にでもいつでも「私なんかは高級車というガラではないですから」と言っているけれども、別にそれは実際にカネがあるかないかとは関係ないことであるのだがそれをわからない人が多いという印象がある。
  小さい家に住んでいてもカネはある人はあるし、比較的大きな家に住んでいても懐は苦しい場合もあり、あまり決めつけない方がいいはずだが、決めつける人間がおり、なおかつ、小さい家に住んでいる者に向かって「私なんかはこんな立派な家にはまず住めませんけれども」などと、アホなこと言う者というのがいるが、そういうアホなこと言うのはやめた方がいいと思う。
野村克也解体新書 完全版 - 江本孟紀
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〔 なお、最近、スーパーの駐車場で「フィアット」のクルマで「カローラくらいの大きさ」のクルマを停めている人を見かけたことがあり、又、インターネットで検索しても、フィアットのクルマでも「でっかい」「けっこう高い」クルマばかりではなく、日本の一般車くらいの大きさで、日本の一般車より少しだけ高いくらいの値段で売られているものも出てきたみたいだ。〕


【2】 1992~1993年頃の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は東京圏では「西武でもないのに『セゾン』などという商品名をつけている、トヨタ自動車と関係ないのに豊田商事などという名前をつけている会社のごとき、胡散臭い会社」と見られていたところがあり、又、施工体制も浜松などに比べて実際問題としてずっと劣っており、会社のイメージとして「住友林業の下位互換」のように見られていたところがあったことから、営業社員も低く見られてしまうところがありました。なんか、「下の会社」に勤めると情けない思いをさせられることになるなあ・・と思ったものでしたが、浜松・掛川あたりで営業させてもらっていた者・名古屋南営業所で営業させてもらっていた者はそういった経験をすることはなかったようで、勝手な口ばっかりきいていたようでした。
  それで、1993年4月、千葉県松戸市岩瀬 という国道6号と松戸駅付近から東に行く道との「岩瀬」交差点の北東側にハウジングギャラリー松戸 という総合住宅展示場があって、そこに(株)一条工務店柏 という共同出資会社がその前はパナホームが出展していた所に1989年に出展したが、(株)一条工務店柏 が柏市十余二(とよふた)に新展示場を設けて松戸展示場を手放す際に、浜松の(株)一条工務店が「いぬき」で買い取って松戸展示場としたのでしたが、そこに5月前半に来場されて契約された、松戸駅と松戸市岩瀬の松戸展示場の間あたりで建てようというKさんが契約されたのでしたが、「大急ぎで建てたい」と言いながら、そのために、こちらは大急ぎで仕事をこなし、私個人も相当の無理をして私生活を犠牲にしてKさんのために尽くしたのでしたが、そうでありながら、打ち合わせをしたいというと「その日は都合が悪い」「いつと言われても都合はつかない」と言いまくって打ち合わせをできず、「それなら、これから図面を持っていきますから、とりあえず、図面を渡しておきますから、それを見ておいてください。見られたころにまた電話をして打ち合わせの日を決めましょう」と言っても「来られても困る」と言い、そうやって施主の側が時間を取らないことで日にちが過ぎたにもかかわらず、「一条工務店なんかに頼んだから、一条工務店のおかげで、ちっとも進まない」と勝手なことを言いまくる人で、最初は、我儘な人であっても、それでもお客さんなんだからと思い、なんだかんだ言ってもこの人が契約金100万円振り込んでくれたおかげで私に契約1棟の評価がついているのだからとも思って我慢してきたけれども、いくらなんでも、これ以上は我慢していてはかえってよくない、前に進まないのは施主が進めないのであって(株)一条工務店の側の問題ではないし、特に営業担当の私は他の者ならやらないような無理をしてKさんのために尽くしてきたのであり、それは事実を事実として話さないといけない・・・と思うようになったのでした。ところが、そこに名古屋の八事(やごと)営業所という最近では六代目山口組組長が住んでいる所として全国に知られてきた地域の営業所から、東京圏で「セゾン275S1」というタイプを「施工面積」という(株)一条工務店で独自に設定した延べ床面積より広めになるように設定した単位で坪55万円としているものを坪49万5千円でダンピング販売、しかもテレビ広告付きでダンピング販売していて地域で営業成績があがっていなくて松戸展示場に転勤してきた松下という男(当時、30代前半)が「一緒に行く」と言い出し、そして、行くと「すべて、〇〇が悪いんです。申し訳ありませんでした」などと言いだして、何も悪くない私が悪いと言って自分だけ「ええもん」になるという行為をおこなった。私は営業本部長で松戸営業所長だった天野隆夫が松下のことを「10年選手だぞお」と言うので、その「10年選手」が「一緒に行く」と言うからには、言って我儘なお客さんにきっちりと話をしてくれるのかと思って連れていったら、そうではなくて、何ら悪くない、Kさんのために私生活も相当犠牲にして尽くしてきた私が悪いと勝手に言い出して「自分だけいい顔する」という行為をおこなった。後から考えてみると、松下という男はそういうやり口を得意としていた男であり、そういうやり口を「10年」やってきた「10年選手」だったようだった( 一一) やられた。 松下が松戸展示場に来る少し前に三重県の営業所から松戸展示場に来た工事部の神堂(じんどう)(男。当時、20代後半)が、なぜか、松下をヨイショよいしょヨイショしていたのだが、なぜか、今も不明である。
   「施主ともめた」ような場合に、「工事担当者が転勤でほかの場所に行った」とか「営業担当者が転勤してほかの場所に行った」とか「営業担当者がやめた」とかそういうことがあった時、「やめた人間・ほかの場所に移った人間を悪者にして切り抜ける」ということをする人があるようだ。あまり、理想的な対応法ではないけれども、どうもできない場合に「いなくなった者が悪いんだ」ということにして、それで施主の「留飲を下げる」ようにして「解決」するという方法があるというのだが、しかし、この場合は私はやめたわけでもなく、ほかの場所に転勤したわけでもなく、その後も私が担当でやっていかないといけないのに、それなのに松下は私は何も悪くないのに「すべて〇〇が悪いんです」などと言って悪くもない私のせいにして、それで自分だけ「ええもん」になって、「ほら。あれで、納得してくれただろ」などと勝手なことを言うのだったが、Kさんは納得なんかちっともしていなかったのだ。むしろ、何ら私は悪いわけでもないのに松下が「すべて〇〇が悪いんです」などと言ったことから、今後もこの手で何でも私のせいにすればいいと余計に思うようになってしまって収集つかなくされてしまったのだった。松下という男はそういう男であり、天野隆夫が言う「10年選手だぞお」はそういう男だった。

   そのKさんですが、母屋の前に、1階を車庫にして2階に居室を設けた家を建てたいという計画で、母屋はそのままにして、新築した2階を息子の部屋にしようというものだったのですが、その面積から考えて2階は2部屋とトイレと浴室とキッチンを設ければ、それでおしまいにするしかない広さだったのです。それとさらに別に洗面所も設けたいと言われたのでしたが、広さから考えて困難であり、私がそれより前、1990年代初めに東京都大田区で住んでいたアパートは、2間と浴室とトイレからなっていて、その片方の部屋にキッチンがあって、1人用のアパートであったことでもあり、洗面・歯磨きはキッチンでおこなっていたのでしたが、Kさんが建てようとしていた建物は1階は車庫と2階への階段を設けて、2階は私がかつて220代の終わりから30代初めにかけて大田区で住んでいたアパートの間取りくらいのものができるだろうという広さでしたので、「私が前に東京都内で住んでいたましたアパートの間取りが、2間と浴室とトイレで、その片方にキッチンがあって、洗面・歯磨きもキッチンの流しでやっていましたが、そこのアパートは同じ棟はすべて同じ間取りで、そこの住人は誰もがキッチンの流しを洗面台を兼ねて使っていました。ご子息がとりあえず、個人用の部屋として使われるということなら、洗面台を無理に設けなくても、私が大田区で住んでいたアパートの間取りと同様にキッチンと兼用でいいのではないでしょうか」と話したのです。
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↑ 1990年代初め、東京都大田区で私が住んだアパートの間取りは、だいたい、こんな感じでした。
Kさんが建てようとしていた土地は、1階に車庫を設けたとすると、それ以外の1階の部分に玄関というのか入口を設けて、三和土(たたき)を入ったところに階段の登り口を設置して階段を登ったとすると、↑ のアパートの間取りでは屋外に洗濯機置き場を設けていたけれども、洗濯機は屋内の北側、階段を上がってすぐの方の部屋に設置するようにして、それ以外はほぼこのアパートの間取りと同じくらいのものができると思われ、又、それ以上のものを作るだけの広さはなかったのです。これで、トイレと浴室(ユニットバス)と居室2部屋(ダイニングキッチンと居室)を設けることができて、20代の男性がひとり住むのならば、キッチンと洗面は共通のものを使うということにすればいいでしょう、と考えた。「20代の男性が」といっても、この大田区のアパートはひとつの敷地に2棟建っていて、私が住んでいた棟は1階4室・2階4室の8室あって、この8室は同じ間取りで、東隣りは20代の女性がひとりで住んでいたから、男性でなくて女性でもひとりで住むならそのくらいの間取りでいいのではないか。もう1棟の方はそれぞれ、1室ずつ多かったらしく、複数で住んでいる人が多かったようだが、1人で住むなら男でも女でもこのくらいの間取りで住めるのではないかと思う。これに全体の面積が変わらないで専用の洗面所を設けたならば、仮に1坪(2畳)の洗面所を設けたとすると、ダイニングキッチンの部屋が2畳狭くなるか、居室の方が2畳狭くなるかで、たしか、このアパートはダイニングキッチンの部屋が三和土の部分も含めて8畳だったか6畳だったかで、居室は物入を別として6畳だったので、ダイニングキッチンが6畳になって、その6畳の中に三和土があってキッチンがあるという、ダイニングキッチンというよりも「広めのキッチン」になり、居室の方を2畳減らすと居室が4畳しかないことになるのだった。Kさんの予定していた家もまた、取れる面積から考えてそんなもので、専用の洗面所をあえて設けて居室を狭くするか、居室を2室ではなく1室にするかするくらいならば、キッチンを洗面と兼用にするか、それでもあえて洗面をキッチンと別にしたいということならば、ダイニングキッチンの一角に「洗面台」ではなくて洗面としてのボウルだけが壁についたようなものを設けるか、そのくらいにした方がいいと思われた。
  ところが、Kさんのおばさんは「そんなの、あんたしかそんな変な部屋住まないわ。あんただからそんな部屋になんか住むのよ。今時の家はねえ。トイレ使ったら洗面所で鏡で顔を見ながら手をあらって、ぺっぺっぺえ~っとやるのが常識でしょ。あんたの住んできた家は古い家でしょ。今、住んでる家だって相当古い家でしょ」などと言うので、「今、住んでいる家は築2年ですから、新築したばかりではありませんね」と言うと、「ほら、ふる~い家でしょ。うちはあんたなんかの住む家とは違うんだからねえ。トイレで用を足した後は洗面台の鏡で顔みながら手を洗ってぺっぺっぺえ~っとやるのが常識なのよ」などと言うのでした( 一一)  その「ぺっぺっぺえ」て何なんだて感じがするが、Kさんのおばさんが、いつも、トイレを使用した後、前に鏡がある洗面台で手を洗いながら前の鏡をみながら、洗った手を「ぺっぺっぺえ」とやるらしいのです。その人がやってるだけでしかないことで、あまり上品な行為ではないものだったのですが、その人にとってはそれがその人の「今どきの常識」だったようです。その人は「今どき」でなくても昔からそういうことをやっていたようですし、ほかの人間は「今どき」でもそんなことしませんけれどもね。又、「あんたしかそんな変な部屋住まないわ」とおっしゃいますが、その大田区のアパートには1階4室・2階4室の8軒の人がそこに住んでいましたしね。
   私だって、Kさんが2部屋とトイレと風呂を設けた上で、片方の部屋にキッチンを設けて、さらに別室で洗面所を設けることができる広さの家を建てることができるのならそうすればいいと思いますよ。「トイレで用を足した後は洗面台の鏡で顔みながら手を洗ってぺっぺっぺえ~っとやるのが常識」というのは、その「いなかもん」のおばさんの「常識」であって、世間一般ではそんなことしませんけれども、おばさんがそれを「常識」と思っているのならばそれでもかまいませんけれども、しかし、面積から考えて、私が大田区で住んでいたことがあるアパートの間取りくらいのものはできるだろうけれども、それ以上の広さのものはKさんが計画していた家では無理であり、その「ぺっぺっぺえ~え」とやるという洗面所を設けたならば、浴室と洗面所とトイレでけっこうの面積をとるので、あと1室と物入くらいになってしまうのでした。だから、私はそれだけの広さの部屋しか設けられない以上は、男が1人で住むのに無理に豪勢なキッチンと洗面所を作らなくても、実際問題として若い男が1人で住むのに所帯持ちが完成品としての家を建てる時のような間取りにしなくても、「洗面兼キッチン」でいいでしょと提案したのでした。 大学生だった時は、川崎市幸区で6畳の1部屋に1間幅の押入が2つついていて、1間幅の所にシンクがあってカウンターの上に1口のコンロを置いて、そのシンクを調理用と洗面・歯磨き用とに兼用して使っていました。Kさんの息子というのは、契約してもらった時の私よりいくつか年下で、私が大田区のアパートに住んでいた時の私よりも少し年下で独身でしたから、私が大田区のアパートに住んでいた時のアパートの間取りくらいの部屋でいいのではないか、独身の男が1人住むのに、たいそうなキッチンと洗面所を別に設けて、その結果として部屋を狭くしてしまってもしかたがないはずで、それゆえ、私は大田区で私が住んでいたアパートの間取りに近いものを2階に設けることを勧めたのでした。
  ところが、「そんな変な家になんか、あんたくらいしか住まないわ。あんた、そんな貧相な家にばっかり住んできた人間でしょ」などと言いうのです。申し訳ないけれども、私が子供の頃から住んできた家はKさんの母屋よりいい家だと思います。子供の頃に住んでいた家は、うちの父親は中古で買った家でしたが、近くに住んでいた自営業の某さんが建てた家で、某さんはけっこう「やりて」の自営業者だったようで、その後、うちの向かいの土地を買ってそこに一回り広い家を建てて、それまで住んでいた家を売りに出したものをうちの父親が買ったようでしたが、その後、うちの父親が分譲地を買って小堀住研(株)で在来木造で建てた家よりも間取りはよく考えて造られていましたし、もちろん、Kさんの家よりも都会的で、よく考えて造られていた家でした。
  Kさんの夫婦は勘違いされていたところがあるのですが、住宅建築業の会社の営業というのは、どんな我儘言っても我慢して聞いてくれるとKさん夫婦は思っていたようで、契約金として100万円振り込んだからには我儘言わなきゃ損だと思っていたようでしたが、それは違います。契約書をよく読むべきですが、営業担当者はどんな我儘を言ってもどんな勝手なふるまいをしても我慢しますなどとはどこにも書いてないのです。
  又、特別の豪邸を建てるのならば、建築会社にはそれに該当するだけの利益が入るわけですから、少しくらいの我儘はきく場合があるとしても、Kさんの契約の場合のように、せっまい土地にちっさい家をやっすいカネで値切り倒して建てるような人の場合は豪邸建てる人と同じだけの手間はかけられないのが普通であり、3億円の家を契約する人は3億円の家に見合う労力をかけさせていいとしても、その20分の1未満の家しか建てない人が3億円の家を超える手間をかけさせて、それ以上の我儘を言いまくっていいというものではないのです。それをKさんは理解できていなかった。実際のところ、Kさんの家のために3軒分くらい以上の労力と時間は十分かけさせられていたのであり、営業は年に1軒だけ契約してもらえばいいわけではないので、そうなると、Kさんに契約してもらうよりも、Kさんには契約してもらわないで、もしくはKさんには解約してもらって、他の人、何軒かに契約してもらった方がよっぽどいい・・ということになってくるのでした
  何より、実際問題として「たいていのハウスメーカーが断るようなちっさい家を、安いカネしか出さずにけちりまくって契約して、建てる土地も狭い場所しかないのに、物理的に無理なことを、あれやれこれやれ贅沢ぬかすな、アホンダラ!」というものだったのですが、それは心の中では思うようになっても、それでも契約客ですから口に出しては言いませんが、実際のところ、こちらはやることやっているのに「100万円振り込んだからには、ごねなきゃ損」みたいな意識の人で、一生懸命、ごねられるのでしたが、そういうことをしていいとは契約書には書かれていないし、「これ以上、ごねるなら、解約してもらってもいいよ」となる直前だったのでした。そこに松下が言って「悪いのはすべて〇〇なんです。〇〇がすべて悪いんです」などと言いだしてKさんの機嫌をとって収集つかなくしてしまったのでした。

  Kさんのおばさんは「一条工務店なんかで契約したからこうなったんだ。住友林業で契約すればよかったんだ」などと言いだしたことがあったのでしたが、「それなら、解約して、今から住友林業で契約されたらどうですか」と言えば良かったと今は思っています。「一条工務店で契約されたのはKさんでしょ。何か脅迫されて契約したのでも何でもありませんでしょ。ご自分が一条工務店で契約されたのでしょ。私は住友林業の営業の誰よりもKさんのお宅のために尽力してきた自信がありますが、それでも住友林業で契約すれば良かったと言われるのなら、今から解約して住友林業で契約されたらどうですか。一条工務店は契約に反することはしていませんから、解約についてはすべてKさんの側に責任があることですから振り込まれた契約金の100万円はすべて(株)一条工務店でいただくことになりますけれども、住友林業の営業に『一条工務店で契約したものを解約して住友林業で契約したい』と言えば、住友林業(株)で一条工務店に払われた100万円の分を値引きしてくれるでしょうから、そうされたらどうですか」と言ってやるべきだったと後悔しています。住友林業(株)の営業からすれば、(株)一条工務店に払った契約金の100万円の分を負担してくれと言われるならば、「はい、わかりました」と言って、その100万円の分だけ「上乗せした」「オンした」見積書を作って、その「オンした」見積金額から「オンした」分の100万円を引いてあげて契約すればいいだけのことで、そうやれば喜ぶ人なのだから、「その程度に人にはその程度の対応」をすればいいわけであり、そんな「100万円の値引き」なんてやっても痛くもかゆくもない。
  こういう場合ですが、野球のピッチングのたとえで「ど真ん中のストレート」というやつがあるのです。もうひとつ、「内角に食い込むシュート」というのもありますが。
  営業は「何でも言いなりになる」のが営業ではありません。そうではなくて、「あなた、これ以上、ごねるのなら、もう知らんよ」というような姿勢を見せる・・というのが、それが「内角に食い込むシュート」です。「ど真ん中のストレート」というのは何かというと、これは週刊誌に元ダイエーホークスの斉藤和巳投手がコラムに書いていたのですが、プロ野球の投手が意図的に「ど真ん中のストレート」なんて投げることはないだろうと思っている人がいるけれども、実は自分は意図的に「ど真ん中のストレート」というものを投げたことがけっこうあると言うのです。どういう場合かというと、斎藤和巳投手は肩だったか肘だったかに問題を抱えていて、それほど多い球を1試合で投げることができなかったらしく、そういう投手にとっては「ストライクとボールの境目あたりの球をうまくファウルしてねばる」タイプの打者というのが苦手だったそうで、誰だったか、その「ストライクとボールの境目当たりの球をファウルしてねばる」というのがもんのすごく上手いという打者がいて、そういう打者をその「ストライクとボールの境目あたりの球」で三振とろうとしても容易ではなく、たとえ打ち取れても1人の打者に十数球投げさせられたのでは、それこそ、三振とれたとしても1人の打者に15球投げたとすると、1イニング抑えるのに3者凡退にしても45球投げないといけないことになり、9イニング投げるには45球/回×9回=405球 も投げないといけないことになり、肩や肘に問題がない投手ならまだしも、肩や肘に問題をかかえていてそれほど球数を投げられない投手としてはたまったものではない。そういう打者に対して「ど真ん中のストレート」というのを意図的に投げた、というのです。その打者は「ストライクとボールの境目付近の球をファウルしてねばる」のはものすごく上手いけれどもパワーはない打者で打たれてもシングルヒットであって長打はない打者であり、そうなると、「かまいませんから、どうぞ打ってください」と投げるのが「ど真ん中のストレート」で、1人の打者に十数球も投げさせられて1アウトとるよりも、「かまいませんから、どうぞ打ってください」とシングルヒット打たれた方がよっぽどいい・・というものだったらしい。なおかつ、「かまいませんから、どうぞ打ってください」と「ど真ん中のストレート」を投げたとしても、プロの打者は「ど真ん中のストレート」を打つ練習なんてしていないし予想していないから、「ど真ん中のストレート」を投げたからといって必ずヒットを打たれると決まっているわけでもない、というのです。「ストライクとボールの境目あたりの球をファウルでねばるのはものすごく上手いが、パワーはなくて長打はない」という打者には十数球も投げさせられて1アウトとるよりも「かまいませんから打ってください」と「ど真ん中のストレート」投げてシングルヒット打たれた方がよっぽどいい・・・と。戸建住宅建築業の営業においてこの「ど真ん中のストレート」に該当するのが「かまいませんから、どうぞ解約してください」というものです。「狭い土地にちっさい家を相当無理して建てるのに、豪邸たてるカネ払うならまだしも、そうではなくてやっすいカネしか出さない者が値切り倒して契約しやがってからに、こちらは他の契約客よりもずっと手間もかけて、又、個人の生活も犠牲にして尽くしてきたのに、それを『住友林業で契約すればよかった』だのと勝手なこと言うなら、解約して住友林業で契約しなおしなさい。これは一条工務店の側に非があることではないので一条工務店は契約金は返しませんが住友林業がその金額の分だけ値引きしてくれるでしょうけれども、住友林業の営業はまず私と同じくらいのことはしてくれないと思われますけれども、そんなやつに担当してもらうのがいいと思うなら、かまわんから解約しなさい。やっすいカネしか出さないでちっさい家を無理して建てさせようとする者が、我儘ばっかり言いまくってからに、物理的に不可能なものをあれやれこれやれ贅沢ぬかすな、アホンダラ!」と口に出しては言わないけれども、心の中では思うに至ったのであり、野球にたとえるなら「打つのか打たんのかはっきりしろ。ファウルでねばるばっかりするくらいなら、かまわんからヒット打ってくれ(解約してくれ)」てものだったのだ。 実際問題として、戸建住宅建築業の営業というのは年に1軒だけ契約してもらえばいいというものではなく、それも相当の豪邸ならともかく、小さい安い家しか建てない人の家1件のために、無茶苦茶手間かけさせられたのでは、これは職業として成り立たないのであり、営業は年に何軒か契約してもらわないと仕事として成り立たないということを考えるならば、Kさんのようにやっすいカネしか出さないでちっさい家しか建てないのにひとの十倍以上も手間かけさせよう、それも必要があることに手間をかけるのではなく、施主が協力すればいいものを協力しないことで手間かけさせようという人というのは、それは「お客さんと違う」のであり、「かまいませんから解約してください」ということになる人だった。だから、そのあたりをわかるように説明して、それでも理解してもらえないなら「かまいませんから解約してください」という対応をするしかない(「ど真ん中のストレート」を投げるしかない)状況だったが、そこに名古屋の八事営業所で営業成績不振で松戸展示場に転勤してきた松下がやってきて「すべて〇〇が悪いんです」などと言ってKさんを喜ばせて、収集つかなくしてしまったのだった。
  ここで「内角に食い込むシュート」とか「ど真ん中のストレート」とか野球のピッチングの比喩を述べたが〔ほかにも「会心のストレート」とか「絶妙なカープ」とか「ここぞという場面でのフォークボール」とかもあります〕、私がこういった判断をできるようになったのは(株)一条工務店でも入社して5年後くらいからである。経験を積んで、こういう思考もできるようになったのであり、最初はできなかった。松下は営業本部長の天野隆夫から優遇されていた特権従業員のひとりだったが、「10年選手だぞお」と言うのならば、こういった判断力を発揮できて、そして、年齢は松下の方が私より1歳年下だったが(株)一条工務店では松下の方が先に入社していたのだから、こういった判断を社歴が浅い営業社員に教えてくれるのならば、それならば「10年選手だぞお」という価値があることになるのだったが、ところがそうではなく、松下という男は「〇〇がすべて悪いんです」などと言って担当営業のせいにすることで自分だけ「ええもん」になるというのを得意技にする男であり、そういうやり口を「10年」やってきたという「10年選手」だった。
そんな「10年選手」はこれは「害がある」。


  Kさんの家はともかくも建ったが、それは何人もの努力によるものだが特に私の努力は大きかったはずで決して松下の努力で建ったのではない。松下は私はまったく悪くないのに「〇〇がすべて悪いんです」などと言って自分だけ「ええもん」になるという卑怯な態度をとったのだが、今日に至るまでその点について松下から謝罪の言葉がない・・が、この男はそういう男で、営業本部長の天野隆夫はそういう男が好きだったようだ( 一一)

  私がここで述べていることは戸建住宅建築業の営業の仕事をする人にとってはけっこう役に立つ話だと思うのだが、(株)一条工務店の研修はなぜ役に立たないか・・というと、役に立つことを話せる人間というのは、自分自身がそれなりに苦労して判断力と技術を身につけた人間であり、そういう苦労をしないで勝手なことばっかりやってきた人間ばっかり講師役に呼んで話させても、あまり役に立つことは話せないというのは当然のことである。松下の寝言なんぞ、聞いても害があるだけ・・・というのを理解できない男が営業本部長の天野隆夫だった( 一一)

  そういえば、1993年4月に「設計」で入社した堤(男。当時、20代なかば。明治大工学部建築学科卒)は、こったことをしたがるけれども、住宅・建築について何か変な感覚もってる男だな・・・と思ったが、今から考えると「マンション住まいの人間」だったと思う。どうも、自分自身はマンション住まいのくせして戸建住宅の設計やりたがる男および女というのがいてそういう「マンション住まいの人間」に戸建住宅の設計をさせると「マンションみたいな間取りにする」と言われ、「マンションに住んだこともあるけれども戸建住宅に住んだこともある」という人間ならば、その違いもわかっていいかもしれないが「マンションにしか住んだことがない」という人間に戸建住宅の設計させると、「何か変なことする」ということがあった。堤にはそんなところがあった。
  又、私は高校生の時、「建築学科に行きたがる男」というのは「精神的にパッパした人間」が多いという印象があって好きではなかったのだが、私自身は高校生の時には建築学科に行きたいとはあまり思わなかったのだが、京大の工学部建築学科に通ったか、東大の理科一類に通ったか理科二類に通ったかというとそれはわからないが、明治大の工学部建築学科みたいなもんなら、もしも受けたいなんて言っても我が家は受けさせてもらえなかったしそんなこと言い出せなかったけれども、受けたらまず通っただろうし、「どこそこなんて落ちたら眼かんで死なんといかん」とかいうようなことはうかつに言うべきではないとは思うけれども、それでも、明治大の工学部みたいなもん落ちたら眼かんで死なんておいかんと思っていたし今も思っている。そんなアホ大学なんか落ちるかい! 私は高校の時には建築学科に行きたいとは思わなかったが、建築には子供の頃から関心があって、母親と一緒に京都の金閣・広隆寺・仁和寺・妙心寺とか北野天満宮とか三十三間堂とか八坂神社とか、あるいは兵庫県の姫路城とか書写山円教寺とか、大阪府では阪急宝塚線沿線の中山寺・売布神社・清荒神とか能勢電鉄沿線の妙見さんとか、あるいは大阪市内の四天王寺とか大阪城とか見学に行ったものだった。そういった見学をいろいろと経験してきた者として、そして「高校までエリート」として「国語」や「歴史」についても高得点をとってきた者としては、和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫)とか亀井勝一郎『大和古寺風物誌』(新潮文庫)とかを読み、あるいは芸術論としてはロマン=ロラン『ジャン・クリストフ』などを読んできた者としては、自分がそれらから学んだものというのは「建築学科に行きたがる男」症候群の「パッパしたやつ」とは相容れないものだったのだが、今から考えてみると、「建築学科に行きたがる男」症候群が「精神的にパッパしたやつ」というのは、ひとつは「マンション住まいで自分がある程度の戸建て住宅に住んでいない」という点が原因にあり、和辻哲郎『古寺巡礼』とか亀井勝一郎『大和古寺風物詩』とかを建築の本だと思っていない、という点が考えられる。堤にもそういうところが感じられたのだが、ところが、Kさんは「『設計』と聞くとありがたがる人」症候群でもあった( 一一)  「設計」やってる人間というのはどういう人間かというと、私のように和辻哲郎『古寺巡礼』・亀井勝一郎『大和古寺風物詩』とかロマン=ロラン『ジャン・クリストフ』とか読んできた人間ではなくて、私のようにある程度以上の戸建住宅に住んできた人間ではなくて、マンション住まいで「精神的にパッパしたやつ」だから、だから「バカでも入れる私大の建築学科」に行ったのであり、だから設計やりたがるのであり、なんで、そんな人間をありがたがるかなあ~あ・・・と思うのだったが、Kさんも””「設計」と聞くとありがたがる人間症候群””の人間だった( 一一)  ””「設計」と聞くとありがたがる人間症候群””の人間というのは教養水準が低いからそういう思考になるという面があるのだ・・・・が、別にそんな人に無理して契約してもらわなくても良かったかなと後になって思うようになったが、その後、福島県いわき市の営業所においては、1990年代、私と同じ時期にいわき市の営業所に転勤した「木南さん」(男。当時、40代)は「20坪キラー」と言われて、「いったんぶ」(300坪)くらいの敷地に建てる人がいっぱいあるような場所で営業やっても延べ床面積20坪のお客さん(粗利 あらり の小さいお客さん)を探してきて契約する営業だったのに対して、私の場合は「広い家の契約が多い」と工務課の人間や大工さんは喜んでいたのだが、ひとつは、松戸展示場にいた時のKさんの経験があって、それで「やっすいカネしか出さないで、ちっさい家を値切り倒して建てるくせして、物理的に不可能なことをあれやれこれやれ贅沢ぬかす」という人はもう嫌になった・・・ということがあった。Kさんより少し前に、市原市で300坪くらいの土地に延べ床面積90坪くらいの家を建ててくれた方に契約してもらったが、絶対にそっちの方がいいと思うようになったのだ。小堀住研(株)は粗利益に対していくらという評価だった、契約金額3億円の契約1棟と契約金額1500万円の契約を20棟とならば3億円の契約1棟の方が評価が高かった、1992年に東京営業所にいた橋本薫の叔父が小堀住研⇒エスバイエル(株)で「ハウス55」の一番安いやつを値切り倒して契約したというそういう契約20棟よりも3億円の契約1棟の方が営業の評価は高かったが、それに対して、(株)一条工務店は1棟に対していくらという営業の評価だったが、たとえそうであっても、「ちっさい家をせっまい土地にやっすいカネしか出さずに値切り倒して、物理的に不可能なことをあれやれこれやれ贅沢ぬかすなアホンダラ!」という相手よりも、広い土地に大きな家を建ってくれる人を相手にした方がやりがいもあるし、そっちの方が手間もかからないし、お客さんの人間性もずっといいということがわかったのだ。「20坪キラーの木南さん(仮名)」の場合は「20坪の家」を建てる「ノウハウ」を身につけているみたいで、それゆえ、「20坪のお客さん」が大好きだったらしいが、私は「20坪の家」建てる人よりも「90坪の家」建ててくれる人の方がずっと良かった。
古寺巡礼 (岩波文庫) - 和辻 哲郎
古寺巡礼 (岩波文庫) - 和辻 哲郎
大和古寺風物誌 (新潮文庫) - 勝一郎, 亀井
大和古寺風物誌 (新潮文庫) - 勝一郎, 亀井
ジャン・クリストフ 1 (岩波文庫 赤 555-1) - ロマン・ロラン, 豊島 与志雄
ジャン・クリストフ 1 (岩波文庫 赤 555-1) - ロマン・ロラン, 豊島 与志雄

  堤もそうだが、「建築学科に行きたがる症候群の精神的にパッパしたやつ」というのは「丹下健三型パッパした建築」の本を読むよりも、むしろ、ロマン=ロラン『ジャン・クリストフ』とかフリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』とか、そういう本で述べられている芸術論について学んだ方がいいのではないのか・・と思うが、「パッパしたやつ」は言ってもきかんだろうし、言ってやるだけ無駄で、「バカでも入れる私大の建築学科卒」だということで建築業界では評価されてしまうし、「バカでも入れる私大の建築学科卒」は「新卒入社と同時にお殿様」という扱いを(株)一条工務店はしてしまうからもう、どうしようもない( 一一)
※ 《YouTube-Beethoven(ベートーベン) Symphony No.6(交響曲第6番) "Pastorale" Karl Böhm(カール=ベーム), V.P.O. 2.3.1977 Tokyo Live ベートーヴェン-田園 カール・ベーム VPO 》https://www.youtube.com/watch?v=l31CvUbg95Q
「マンション住まいのくせに戸建住宅の設計やりたがるバカでも入れる私大の建築学科卒のパッパしたやつ」には、とりあえず、ベートーベン『交響曲第6番「田園」』でも聴かせてやりたいところだが・・・・、この感覚がわかるようになったら少しは進歩であろうけれども、「マンション住まいのくせに戸建住宅の設計やりたがるバカでも入れる私大の建築学科卒のパッパしたやつ」は理解しないだろう・・・と思う( 一一)

  『ゴルゴ13』の話で、カネさえ払えば職業スナイパーは何でも言うことをきくであろうという態度をとる政治家に対して、ゴルゴ13が「おまえは俺の客になるに値しない」と言う場面があったが、「ちっさい家をせっまい土地にやっすいカネしか出さずに値切り倒して、急ぎで建てたいと言いながら施主の方が打ち合わせの時間をとらないで困らせるばかりで、物理的に不可能なことをあれやれこれやれ贅沢ぬかすなアホンダラ!」というような人は「おまえは俺の客になるにふさわしくない」と言って「20坪キラーの木南さん(仮名)」にでも見込客の段階で渡せばよかったか・・・と思ったりもする。


【3】 2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ にいた時のことだが、けっこう予算は厳しかったたが、東京都内まで通える所でなんとか戸建住宅を建てたいという方だったのだが、予算に制約があり、なおかつ、東京都内(文京区)まで通わないといけないという条件から考えて、通勤できる範囲で、なおかつ、一通り住める家にしないといけないということから、船橋市の我が家の話をしたのでした。土地20坪の所に延べ床面積20坪のほぼ総2階の家を建てて、掘り込みの車庫を作って1台分の駐車スペースを設ければ、狭い庭が少しだけ残ってそれほど背が高くない樹木を何本か植えることができる・・・という、この条件でなんとか一通りのものはできます、もう少し広めの土地を購入して、もう少し広めの家にすることができれば、その分だけもう少し使いやすい家にできるでしょう・・ということで我が家の話をしてあげたのでした・・・・が、そうすると、その男性、私と同じくらいの年齢だったか私よし少し下だったかの男は何と言ったかというと・・・
⇒こう言いよったのです。「かわいそうにい」と。
  自分はもっといい家を購入して住めると思っていたようです。だから、20坪の土地に建つ20坪の家に住んでいる者に対して、「かわいそうにい」と言いよったようなのです・・・が、私も購入時は、あくまでも仮のものであって、いずれは一回り広い家に買い替えることを考えていたのでしたが、そこにそのままけっこう長く住むことになってしまった、というものだったのですが、しかし、そんなことよりも、その人は、その人の年収と年齢・勤続年数と手持ち資金から考えて、我が家と同じくらいの場所で我が家と同じくらいの家を購入することはできない人だったのです。それなのに、勝手に自分はもっといい家を購入できるものだと勘違いして、そして、「かわいそうにい」などと言いよったのでした。
  それで、「しまった」言うべきじゃなかった、と思うようになったのです。自分の身の程がわかっていない人というのは、自分はもっといい家に住めると勝手に思っているようなのですが、たとえ、よその家を見て、「ちっぽけな家だなあ」と思うことがあったとしても、都市圏において、ともかくも、一軒家に住んでいるということは、それは誰でも間違いなく住めるというものではないのであり、ちっとも「かわいそう」ではないし、それを「かわいそうにい」などと思いあがった文句を口にする人というのは自分はもっといい家を買って住めると根拠もなく勝手に思い込んでいる人だったようですが、そうではないのです。その人はその人が「かわいそうにいい」と言ったような家を購入することができない人だったのです。・・・・これをわからせようとしても困難なので、それで、ともかく、自分の家の話とか自分自身の経験談というのは見込客に話すのはやめました。せっかく、経験者として、本来ならひとに話さないようなことを話してあげているのに、いわば「ブタに真珠」というのか「猫に小判」というのかでしかなく、益にならないということがよくわかったからです。

  2008年、東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ にいた時、佐倉市上志津の分譲地に来られた方が家相の話をされた時に、それに応対していたところ、「よく知ってられますねえ」と言われたことがあったのですが、その頃になって私は家相の話については自信をもって話せるようになっていました。「自信をもって話せるようになった」というのは、家相について何でもわかっているという意味ではありません。1980年代後半、小堀住研(株)に入社して直後の新卒社員研修の際に、営業は営業知識・営業技術・営業意欲の3つのうち、3つあるのが望ましいけれども最低2つあったら何とか売れる、1つでは売れないと言われたのでしたが、そして、まず営業知識を身につけてもらいたいと言われたものでしたが、この「営業知識」というものですが、その分野によって、一生懸命勉強して勉強して学んだものをそのままお客さんに話したとして、マイナスにはならないというものと、そうではなくて一生懸命勉強するのはいいけれども、学んだものをそのままお客さんに話してはいけない、学んだものがあっても、「それをどう話すか」「何を話して何は話さないか」といったことを考えた上で話したり話さなかったりという判断をしないと、学んだものをそのままべらべら話したのでは、悪くするとむしろマイナスになる場合もある、と気づいたのです。
  その「それをどう話すか」「何を話して何は話さないか」といったことを考えた上で話したり話さなかったりという判断をしないと、学んだものをそのままべらべら話したのでは、悪くするとむしろマイナスになることもあるというものに家相の話があります。(株)一条工務店に入社した1992年、新卒入社1年目の藤原(男。当時、20代前半。明治大卒)が「家相を考えたら家は建ちませんよと、(見込客に)はっきりと言ってありますから」などと言うので、こいつ、いいかげんな男だなと私は思ったし、見込客でもひとにもよるとはいえ、「いいかげんな男だな」と思う人は間違いなくあったはずです。(株)一条工務店は在来木造の会社であり、在来木造の会社で建てる人というのはそれ以外の構法で建てる人よりも家相は重視する人が多く、それを「家相を気にしたら家は建ちません」などとその時の藤原のような若造に言われたなら、「生意気な小僧だな」と藤原が思われるだけでなく、(株)一条工務店という会社も「いいかげんな会社だな」と思われるに至り、ほかで契約して建てた方が良さそうだなと思われることになった可能性は決して小さくありません。家相というものは大事な問題であり、最初から無視してかかったのでは人間が歴史とともに蓄積してきた住まいについての知恵を捨てることになりますが、同時に、無茶苦茶家相に固執してしまうと使いにくい家になってしまう可能性があるものであり、「家相を気にしたら家は建ちません」などと藤原みたいに無茶苦茶なことを言ったらいい家はできませんが、問題は、どの程度重視するのか、どれは尊重するとして、どれは割り切っていいことにするのか、といった判断ができるかどうかが重要であり、家相について話をするのならば、単に家相について書かれた本を読んで学習したというだけではだめで、実際に見込客・契約客と接して話を進めて何軒かの家を建てた経験があってこそ、そういった判断をしながら話をすることができるのです。だから、2008年に佐倉市上志津の分譲地で私に「よく知ってられますねえ」と言われた方があったのは、単に家相についての知識が一般的な営業よりあるというだけではなく、そうではなく、何を話して何は話さないかといったことを考えながら話していたので、そして、それは何軒ものお客様の家を建ててきた過程で身につけたものであり、そういう対応ができるということを感じ取っていただけたようでした。
  同様に、「自分自身の体験談」「自分自身が住んでいる家の話」「自分自身が過去に住んでいた家の話」といったものは、これは本来は貴重な話であり、聞かせてもらえれば役に立つことがけっこうあるはずでしたが、しかし、これも家相の話と一緒で、話した方がいい相手と話さない方がいい相手というものがあり、「話した方がいい相手」というのは決して多くないようだな・・・・と思うようになったのです。「猫に小判」「ブタに真珠」である場合というのがけっこう多いみたいだ、と認識するようになりました。

  うちの姪・・・ではなくて、姪の娘が高校生なのですが、このようにやれば成績は伸びるぞ・・という話をしてあげようとしたことがあるのですが、ところが、私がせっかく話してあげようとしても、いやがって逃げよるのです。だめだ、これは・・・と思うようになりました。俺の言うこときいたら「勉強のできる子」になるのになあ・・・と思っても、逃げるやつはどうしようもない。それでいて、「しょーもない塾の先生」の言うことはきくみたいでしたから、あかんわ・・と思いました。
  「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。おそらく、彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろうから」というイエスの言葉が『新約聖書』の「福音書」には載せられていますが、その通りです。「自分自身の体験談」「自分自身が住んでいる家の話」「自分自身が過去に住んでいた家の話」というのは、けっこう役に立つものがあるはずなのですが、うかつに言わない方がいいようだなと思うようになったのです。家相の話は単にすればいいというものではなくて、何を話すべきで何は話さない方がいいか、どの程度話すべきか、といったことを考えながら話さないといけませんが、「自分自身の体験談」「自分自身が住んでいる家の話」「自分自身が過去に住んでいた家の話」はそれ以上だな・・・と思うようになりました。
新約聖書 福音書 (岩波文庫) - 塚本 虎二
新約聖書 福音書 (岩波文庫) - 塚本 虎二

 (2023.12.10.)

  1980年代後半、小堀住研(株)に入社してすぐの営業系(4年生大学の法学部・経済学部・商学部卒の人)新卒社員向け合宿研修において、「会社説明・自分自身の説明と商品説明」ということを言われた。この3つのうち、「自分自身の説明」というのは、私はこういう人間なのですと自己紹介することにより、見込客に親しみと安心感を覚えてもらい、その「人間関係の中で売る」といったことを言われたのでした。「会社説明」というのは宣伝広告があまり得意ではない会社で施工棟数とかのわりに知名度が必ずしも高くないことから「会社説明」が必要になっていたのであって、もっと知名度が高ければ必要ないものだという意見もあることはありましたが、知名度がもっと高かった場合でも「会社説明」はあっていいでしょう。 その時だけではなく、千葉県の松戸展示場に配属された後、松戸営業一課に所属していた新卒入社7年目のAさんが「中堅営業社員向け研修」に参加した際に、外部講師の人が来て、その「自分自身の説明」というものの話をして「さらけ出せ」と教えられたと話していたことがありました。ただし、自分自身を「さらけ出せ」とはいっても、「離婚歴がある」とかそういうのは言わない方がいいとも言われたそうでしたが。
  この自分自身について個人的な経歴とかを顧客に話すのがいいという説は営業の世界にあるようで、又、経歴を「『漫画チック』に自分の似顔絵を描いた上でそこに書き込む方式」のものと、就職の際に会社に応募する時に提出する履歴書と同じものを印刷して顧客に渡すのがいいという説を私も小堀住研(株)の新卒社員研修の時に教えられたことがありましたし、又、これは戸建住宅建築業の業界に限ったことではなくて、他の業界においても、そういったことをするのがいいと教えている人がいるようです。
  しかし、こういうのはどうかなあ・・・と思ったこともあります。我が家から近い比較的大きな電車の駅というと船橋駅と津田沼駅があるのですが、何年前だったか、津田沼駅近くの日興コーディアル証券の新人らしい人がその「履歴書形式」のものを各戸にポスティングしていたのでしたが、しかし、「東京大学経済学部卒」なんて、そんな「かさばる」学歴を記載した履歴書を郵便受けにポスティングされても・・・、むしろ、そういうことはしない方がいいと思うがなあ・・と思いました。学歴をきかれもしないのに自分から言う場合、言いやすい学歴というと、東京圏ならばMARCH(明治・青山・立教・中央)・関西なら関関同立(関学・関大・同志社・立命)くらい卒の場合が言いやすいかと思います。「とーだい出てます」なんて書いた履歴書をポスティングされても、「ああ、そうですか」というのか、「えらい、えらい。あんた、えらい」と言ってもらえるかもしれないけれども、それだけです。「とーだい出てます」とかいうような人はきかれた時に正直に答えるのは言っていいでしょうけれども、きかれもしないのに「とーだい出てます」なんて言わない方がむしろいいのではないか、と思います。もうひとつ、一般には「早稲田の政経」・建築業界限定においては「早稲田の建築」というのは「学歴詐称の定番」ですから、言うと、「ほほお~お」「ははあ~ん」と実際に出ている人も含めて学歴詐称と違うかあ~あ・・と見られる危険があります。もうひとつ、在来木造の会社の従業員の場合は「父親が大工でして」というのは「嘘やろ( 一一) 」と思われる危険があるというのか、私も最初は本気にしましたが(株)一条工務店で「父親が大工でして」と実際は違うのに言うやつというのを見て、この文句を言ったなら「父親の職歴詐称」の仲間になってしまうと思い、これだけは絶対に言うてはいかんと思うようになりました。
  まだしも、「漫画チック型」の方が、「履歴書型」に比べて記載するものを選べるところがあり、書くのに「手頃」な学歴の人はそのまま書くとして、「とーだい出てます」とかいうような人は大学名は書かないで学部名だけ記載するとか、卒業した大学については書かないで、趣味だとか生誕地とか心がけていることとか失敗談とか好きな言葉とかそういったことのみを書くとか選べるので、その方がいいかもしれません。たしかに、担当者の個人的なことを知ると、その分だけ親しみを感じてそうでない人よりもその人に頼もうという気持ちになりやすいということはありますが、それにしても「私、とーだい出てます」とか履歴書形式のものに記載してポスティングするとかいうのは、そういうのはやめた方がいいと思うよお。逆に「この野郎」と思う人もいるかもしれないし、「俺、落ちたのにい」とか思う人もあるかもしれませんしね。
  そういうことはあるとしても、やっぱり、個人的なこをも話すことで親しみを感じてもらえて契約してもらえやすくなるというケースというのはあるのではないかとは思います。しかし、他方において、それは仕事としてやっていること・それはビジネスとしてやっていることであり、個人の生活とは別だという意識もまた、きっちりと持つようにした方がいいという面もまたあるのではないか。これは、どちらが正しく、どちらは間違っているということではなく、どちらも一理はあるものの、他方の面もあるということは認識した方がいいのではないか、と思うに至りました。【2】で述べた(株)一条工務店での松戸市のKさんや、【3】で述べた東海住宅(株)での某さんなどは、話さない方がいいケースにおいて言わない方がいいことを言ってしまった、という例ではないかと思います。松戸市のKさんとか、東海住宅(株)での某さんには役に立つ話であり、受け入れてくれる人にとっては有益なことを私は話したはずなのですけれども、その人は話していい人かどうかということを考えると、むしろ、あくまでビジネスとして接しているのであって担当者個人がどういう人間かはそこでは関係ないことだ、という面の方を優先して考えるべきケースでした。・・反省。
  (2023.12.14.) 

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