爺さんドライバーは自分が人に迷惑かけてることがあると自覚できない。「いなかもの」て「ひとがいい」か? 「僕は学校でてないから人柄がいいんだ」と主張する人・「俺はいなかものだからひとがいいんだ」と主張する人はどちらも性格が良くない。浜松は大都市だと片方で言い他方で日本一のどいなかだと主張する(株)一条工務店の浜松二刀流はズルイ!
[第2022回] 会社と営業の話
先日、近くのスーパーで駐車場に「入るのか入らんのか、入らんのか入るのか、入らんのんか~い」という爺さんドライバーと出くわした。その時に思い浮かんだことなどをいくつか述べる。
《1》 先日、2023年12月後半、近くのスーパーに自家用車で買い物に寄ったが、購入した物を持って自分のクルマに戻ろうとしたところ、爺さんが運転して隣に婆さんが乗っているクルマがスーパーとその駐車場との間に来たので、先に行ってもらおうとすると止まり、それならこちらが行かせてもらおうとすると進み、なんやねん、行くんかい・・と思うと行かない。いったい「行くのか行かんのか、行かんのか行くのか」「来るのかけえへんのか、けえへんのか来るのか、けえへんのんか~い」て動きで困った。
私はこの2023年の夏頃から左肘に激痛が起こり、整形外科に行ったものの整形外科でやることというと、一般の薬屋で販売されているものとそう変わらない湿布薬・貼り薬を出すのと「理学療法士」による「リハビリ」。 船橋整形外科は千葉県のバスケットボールチームの「千葉ジェッツ」だったかプロ野球の千葉ロッテマリーンズだったかの選手も来ているという話だが、それを聞いていいと思う人もいるようだが、20代や30代の運動選手と、もっと年齢をいった者とでは事情は違うのだが、若い「理学療法士」にはそのあたりは理解できないようで、実際のところ、「もう、いいかな」という年齢になってきた者としては20代・30代の運動選手がやるような「リハビリ」体操は実際のところ、「しんどい」。そんなことしなければならないなら、もう治らなくてもいいよ・・・という気持ちになるし、実際のところ、毎日の生活を送るにおいて、運動選手を職業としている人みたいに「リハビリ」体操に時間をとることはできない。だから、もう行くのはやめたのだが、治ったから整形外科に行くのをやめたのではなく、治ってないけれども「リハビリ」やるのがきついから行くのをやめた、「リハビリ」が大変なのでやめたので今でも左腕はあまり力が入らない。
なぜ、痛みが出てきたかというと、その時、特別に何かやったわけでもないが、会社員として「リゲインのように」働いてきたことのつけということはあるかもしれない。2002年から2003年にかけて、長年、滅私奉公を続けてきた(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で「いくらなんでも、そこまでやるか」という嫌がらせをされて、山梨県上野原市にある(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業 の工場(山梨県上野原市にあるにもかかわらず、山梨県上野原市の東隣りは東京都ではなくてその頃は神奈川県の津久井郡相模湖町、今では相模原市の一部で、東京都はそのさらに東側であるにもかかわらず「西東京工場」などと名づけていたが)で、連日、それまで重い物を運ぶような仕事をしていたわけでもない人間が30㎏以上あるタイルや御影石の束をを朝8時過ぎから夜の12時頃まで運ばされて、腰や肘を痛めて整形外科に通い、その際には医者から「そんなことしたら、当然、体を痛めますね」と言われたものだったが、「労災」というのはその時にすぐに申請しないとだめで、一時、おさまったからということで整形外科に通うのをやめて、その後、ぶり返したからとまた整形外科に行っても認められないらしい。何よりも、「それは労災なのか?」と言う人がいたが、(株)一条工務店はどう考えても、意図的に体を壊させようとしてやっていたのであり、「労災」というのは使用者の過失・不注意で労働者に体を痛めさせたものを言うのであり、こういうことをさせたら体を痛めるであろうと意図してやらせて怪我させたというものは、それは「労災」と言うのではなく「傷害罪」に該当する犯罪だと評価されるべきものだと思われる・・のだが、それがぶり返してきたものか、別の要因もあるのか、証明するのはけっこう難しそうであり、そもそも、人間が身体のどこかに不調が出たという場合、原因が2つ以上あることは少なくないし、今から、あの時に怪我させられたものがまた出てきたと言っても、認めさせるのは簡単ではないかもしれない。
それで、そういうことがあって、今現在、私は左手ではあまり重い物は持てないのだ・・が、「できるだけ右手で持つようにして」と整形外科の医者とか理学療法士は言うけれども、そう言われても、家の鍵を開けるにしても、左手で荷物を持って右手で鍵を開けるのであり、左手は右手の役割はできないし、今まで左手で持ってきた荷物は右手で持てるかというと同じだけは持てない。そういう状態で、けっこう苦労して買い物をしていたのだった。スーパーのレジから自分のクルマまでの間くらいなら痛いのを我慢してなんとか運べるかもしれないと思ってクルマに向かっている者の前に立ち塞がったのが「爺さんドライバー」だったのだ。道路からの進入路を進んできて、駐車場に入る位置まで来て、そこで「入るのか入らんのか、入らんのか入るのか、入らんのんか~い」という動きをするのだが、それ、やめてほしいのだ。「体はけっこう元気な年寄り」は自分は「年寄り」だから周囲から心配してもらって尊重してもらって当然で自分は周囲の人間から配慮してもらう側だと思うらしいが、周囲にも体の具合の悪い人間がいる可能性があるという意識が欠けている人が「爺さん」には多い。その状態になったら「爺さん」で「年寄り」なのだろうなあ・・と思うが、とりあえず、「行くのか行けへんのんか、行けへんのんか行くのか、行けへんのんか~い」ての、やめてほしいのだ。行くなら行く、行けへんなら行けへんとどっちかにしてほしいのだった。・・たぶん、爺さんとしては、駐車場に空車のスペースがあるかどうかわからないから、だから、「行くのか行けへんのか、行けへんのか行くのか、行けへんのんか~い」て態度をとったのだろう。若いドライバーというほど若くなくても、私ならある程度、入ってみて空車スペースを捜すところだが爺さんは、少しでも入って空きがなかった時に引き返すのが嫌で、又、自分が奥の方に入った時に手前の方のクルマが出てそこに後から入ってきたクルマに入られるのが嫌なものだから、それで、「行くのか行けへんのんか、行けへんのんか行くのか、行けへんのんか~い」て態度に出たのだろう。せめて、どっちかにしてくれれば、爺さんのクルマの前を通って私のクルマの所に行くか、爺さんのクルマの後ろを通って私のクルマの所に行くかできたし、そうすれば、私が買い物した荷物をクルマに置いて発進して出れば・・別に私が出なくても爺さんが認知できないだけですでに何台分も空車のスペースはあったのだが・・私のクルマが出たのを見れば爺さんは空車スペースがあると理解できてクルマを停められたはずだが、「行くのか行けへんのか、行けへんのか行くのか、行けへんのんか~い」という動きをするために、持てない左手で無理して持っている荷物に苦しみながらその場で長く立たされることになった。爺さんは自分がそうやって人に迷惑かけているなんて認識できていない、「病識がない」状態だった。
※ 「来るのかけえへんのか、けえへんのか来るのか、けえへんのんか~い」⇒《YouTube-乳首ドリルすな!》https://www.youtube.com/watch?v=IQBdf_QTfV4
いつか、自分もあんなになるのかなあ、なりたくないなあ・・・とか思ったものだったが、とりあえず、左肘に痛みがあってある程度の重さの物を長時間は持てない状態で無理して持って自分のクルマまで早く行きたい者を立ち止まらせているからには「行くのか行けへんのんか、行けへんのんか行くのか、行けへんのんか~い」という態度はやめてほしかった・・・がやめないのが「爺さん」なのか・・・。
《2》 クルマの運転については「おばさん」のドライバーは嫌い・・と思ったことがあった。千葉県船橋市の我が家の近所で幅4mの緩いカーブが長く続く道があって、1990年代、我が家に引っ越してそれほど経たない時期、その道を通っていこうとしたところ、向こうから「おばさん」の運転するクルマがやってきたのだが、「おばさん」は強いのだ。どこが「強い」かというと、自分がバックするよりも相手にバックさせた方が、相手がバックしてどこかにぶつけても相手の責任だが自分がバックしてぶつけたら自分の責任になるから相手にバックさせた方がいいとか言う人も世の中にはいるけれども、クルマを運転すると実際にはそうもいかないことが多い・・のだが「おばさん」はそれをやるのだ。
「おばさん」は2mかそこら下がればすれ違いできるはずなのだが、それに対してこちらがバックしてすれ違えるようにしようとすると相当の距離を下がらないといけないので、普通は少し下がればすれ違えるという場所にいる方が下がると思うのだが、ところが「おばさん」は下がらない。どうするかというと・・・、膝の上に両手を置いて、にやにやにやにやしているのだ・・。
しかたなしに、相当長い距離をこちらがバックで下がったが、それ以来、その道は通らないことにした。「おばさん」ドライバーは嫌いだ・・と言っても、中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)で、「オヤジ」とは「その年代のその性別の人」のことではなく「オヤジと言われるようなことをする人」のことで若い人にも「オヤジ」はいるし女性にも「オヤジ」はいると述べられているけれども、ここで「オバサン」と言うのも「その年代のその性別の人」のことではなくて、「おばさん」「おばはん」と言われるようなことをする人のことだ。
クルマを運転するようになってから、「おばさん」のドライバーは嫌いになったが、これもあくまで「おばさんドライバー」と言われるようなことをする人のことで、「その年代のその性別の人」のいことではない。
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
《3》 「じいさん」ドライバーについては、我が家から遠くない所に「船橋アリーナ」という市営の体育館と温水プールがあるのだが、駐車スペースの幅が狭く、一度、船橋アリーナの事務所の意見として、駐車可能台数を少し少なくしてでも、もう少し幅を広くしてもらうことはできないかと言ったことがあったが「ご意見として対応させてもらいます」と言っただけでその後もどうもならず、そのうち、コロナウイルスの問題で休館になった。
何年前だったか、そこで、隣りのスペースの爺さんが出ていく時に、隣に停めているこちらのクルマのドアミラーにゴンとあててそのまま出ていきよった。ドアミラーは折りたためるようになっていて、当てられても折れたりはしないが、当てれば当たった部分には傷はつく。まあ、他にも当てて傷がついている部分もあるし、ドアミラーの先端は塗料をイエローハットかオートバックスで買って塗ればわからなくなるだろうからいいか・・・と思わないこともなかったが、しかし、当てたのはわかっているはずなのに、止まることもなくそのまま行ってしまうこともないだろ・・・と思ったが、自分が当てたのはわかっていてもそのまま行くのが「爺さんドライバー」だった。
ドアミラーが使えなくなったわけでもなく、修理代に相当の金額がかかったわけでもないが、気分は悪かったが、そういう経験をしたくなければ「爺さん」がいない国に行くしかないが、「爺さん」も「爺さんドライバー」もいるのだ・・・。
《4》 自分が当てておいて「当てた」という自覚がない人というのはいる。1990年代、(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に勤務していた時、いわき市平尼子町 のJTいわきハウジングパークという総合住宅展示場(今はなくなって、スーパーの「マルト」になっている)の近くに新川という下流で夏井川に合流する川が流れていて、そこに、たしか尼子橋と言ったように思うのだが赤い橋がかかっていたのだが、この橋をクルマで渡ってくると下の道に出る時に、左折しようとすると大きく曲がらないといけないだけでなく右から何台もクルマが来るので「左折禁止」になっていたのだ・・・が、ところが、運転がヘタクソとはっきりわかるおばさんがそこを左折しようとして長く停車して、そのおかげで後ろで待たされたこちらが、進めずに困ったことがあった。
ひとなみの運転技術がある者でも左折は難しい所で、それゆえに「左折禁止」になって標識が立っているのだが、そこを明らかに運転がヘタクソのおばさんが無理して左折しようとするのだが、そのうち、あきらめて右折して進むだろうと思って待っていたが、おばさんはあきらめない。後から考えてみると、「見るからに運転がヘタクソ」からすると、私なら左に行きたいけれども左折はできないという所なら右折で進んでどこかで何回か曲がって左折して進む所に行こうと考えるところを、何が何でも左折しないと、右に行ったら戻ってこれないという恐怖感みたいなものがあったのかもしれない。
後から考えてみれば、その時点で自分のクルマにハザードランプをつけた上でクルマを降りておばさんの所に行って、「どこに行きたいのですか。左の方に行きたいとしても、ここは左折禁止ですよ。そこに左折禁止の標識が立っていますでしょ。ここは前の道に左側に鋭角に合流するので左折はしにくいし、それに右側からクルマがけっこう来ますから、相当の運転技術がある人なら左折禁止でも曲がって行く人もあるかもしれませんが、あなたの運転技術では無理です。ここは右折しかできませんから、右折で進んで、次の信号で左折すれば左の方に行けますから、そうしてください。ここは左折禁止の場所であるだけでなく、あなたの運転技術で左折するの無理ですし危険ですから右折で進んでください」と言ってあげるべきだった。
「情けは人のためならず」という言葉があるが、この言葉の意味を「ひとに情けをかけても、決してそれはその人のためにならない」という意味だと思っている人がおり、私も昔はそう思っていたのだが、実はこの言葉の意味はそうではなくて、「ひとに情けある態度をとれば、いつかはそれがわが身に帰ってくるもので、その逆の態度をとっておればそれもいつかはわが身に帰ってくるものであり、ひとに情けある態度をとるのはその相手のためではなく自分のためなのだ」という意味らしい・・のだが、この時はまさにそうだった。降りて教えてあげようかなとも思ったのだが、そのうち気づいてあきらめるだろう・・と思ったのだが、おばさんはあきらめなかった。あきらめずに、さらに、自分のクルマの位置を後ろに下げれば左折しやすいだろうと考えたようで、そして後ろに私のクルマが停車していることなどおかまいなしにバックしてドン! とぶつけたのだった。おいおい~、かなわんなあ・・・と思ったが、おばさんは降りて誤りもせずに左折をさらに試みる。私がその時点でクルマから降りて、おばさんの所に行って窓ガラスをコンコンと叩いても、左を指さして、自分は左折したいんだという意志表示をして窓も開けない。自分が私のクルマにぶつけたこと自体、わかっていないようだった。
せめて、運転席の窓を開けてくれたら、「あなた、今、バックして私のクルマにぶつけたのですよ。わかってませんか」と言うこともできたし、「いいですか。そこに標識が立っているのが見えますでしょ。ここは左折は禁止の場所ですよ。道のつながり方から考えても左折はしにくいけれども、それだけじゃなくて右からクルマがけっこう来ますでしょ。だから、ここは左折禁止になっているのです。それに、たとえ、左折禁止になっていなくても、あなたの運転技術ではここで左折するのは無理です。もしも、この左側に行きたいのいなら、右折で進めばすぐの所に信号がある交差点がありますから、そこで左折して進んでください。そこならあなたの運転技術でも左折できますから」と教えてあげることだってできたのだが、おばさんは運転席の窓も開けないのだ。もう、いったん、「な~にが何でもここを左折しなければ」という気持ちになったら、左折禁止の標識なんて目に入らないし、自分がバックしてひとのクルマにぶつけても気づかないし、「ここは左折禁止の場所ですよ。標識がそこに立ってますでしょ」「左折禁止でなくても、あなたの運転技術ではここを左折するのは無理ですから、右折で進んで次の信号を左折して進んでください」と言ってあげようとしても、もう聞く耳なんてないようで、頭も心も「何が何でも左折しなければ」という意識でいっぱいだったようだ。
おばさんにぶつけられて、まあ、猛スピードでぶつかったわけではないとしても、それでも、ぶつけられたのだが、おばさんは自分がぶつけたという自覚もないみたいで、困ったなあ・・と思っていたら、そのうち、右から来るクルマが途切れたところで、ついにおばさんは左折禁止の所を左折して行ってしまった。 結局、私はおばさんにぶつけられて、そのまま、謝罪もなく行かれてしまったのだった
「でも、『いわき のおばさん』だから、まあ、いいにしてあげるか」と、その時は思ったのだ。
「『いわきのおばさん』だから」というのは2通りの意味があります。中学校の同級生で愛媛大学に行った男が「松山に行ったら、松山では信号でも横断歩道でもない所でクルマが停まって渡らせてくれる。ここはいい所だなあ、松山の人っていい人たちだなあ・・と思ったけれども、そうじゃないとそのうち気づいた」と話していたことがあったのだが、いわき市に行った時にも似た経験をしたのだ。信号でも横断歩道でもない所で、信号はどこかにあるかなあと見まわしていたら、横断歩道でも何でもない所でクルマが停まって渡らせてくれたのだ。「ここはいい所だなあ」と思ったし、「いわき の人っていい人だなあ」とも思ったのだった・・・が、そういう問題ではないとそのうち、気づいた。そうではなくて、なにしろ、「いわきの爺さん」「いわきの婆さん」は信号なんかなくても、横断歩道なんかなくても、信号が赤でもおかまいなしに「歩行者優先」で渡るもんだから、ひき殺すわけにいかない以上、クルマのドライバーは止まるのだ。いわき市に住んで、そのうち、私もクルマを運転していて、信号でも横断歩道でもない所でも、渡りたいなあて感じの人がいたら停まるようになったが、特別に「人格者」になったわけでもなく「いい人」になったわけでもなく、ひき殺すわけにいかない以上、止まらなきゃしかたないじゃん・・てものだった。愛媛大に行った某くんの言った意味がわかった。だから、「『いわき のおばさん』も、信号が赤でも横断する民族だから、しかたがない(?)」みたいに一瞬、思ったのだった・・・が、それでも、ひとのクルマにぶつけておいて、そのまま、行ってしまう、クルマから降りもしないで、こちらが窓ガラスをコンコンと叩いてもそれでもクルマから降りもしないし運転席の窓も開けない・・というのは、たとえ、気づかなかったからであっても、それはひどいのではないか・・とも思ったが、そんなこと言っても「いわき のおばさん」というのは、東京や大阪の人間とは違ってそういう民族なんだから・・なんて気持ちになってしまったということがあった。
もうひとつは、最初にいわき市に行った時に「ここはいい所だなあ」と思い、「ここの人って、いい人たちだなあ」と思ったのは、それは最初に行った時の思い違いとかではなくて、やっぱり、東京なんかの人間と比べて、いい人が多かったと思うのだ。2011年3月に福島第一原発の事故があった後、避難したコンビニの店主が店に戻ったところ、店の物が持ち去られてATMはこじ開けられていたらしく、「そんなに悪い人が多い所ではないと思うのだけれどもねえ」と嘆いていたというのがヤフーニュースに掲載されていたが、私も同じ感覚、「そんなに悪い人が多い所ではない」と思っていた。戸建住宅建築業の営業がアポなし訪問なんてした場合、そこで建てることを検討している人なら、東京でもあがってくださいと言われることはあるとしても、頼む気がない場合に「こんな所までよく来てくれたねえ。まあ、あがってちょうだい」と言われて、「うちはもう建てる所が決まってるんだよ。こんな所まで来てもらってごめんねえ」と言いながら、なんだかんだ出してくれて、「まあ、食べてちょうだい。あんた、どのあたりに住んでるの」と言われて、どこそこですと言うと、「あ~あ、うちの親戚の何何ちゃんちの近くだあ~あ」と言われる・・というそういう土地柄の所だから、あのおばさんも、きっと、それまでに親切にしてくれた人の誰かの親戚かもしれないし、いいにしてあげようかなあ・・・という気持ちになったのだ・・けれども、それでも、ひとのクルマにぶつけておいて、黙ってそのまま行ってしまうてのは、たとえ、ぶつけたことにすら気づいていなかったとしても、それはないだろ・・・とも思ったが、なにしろ、いわき市というのは、その頃は人口36万人、福島第一原発事故があった2011年頃は34万人と出ていたが最近は減ってしまって33万人とかいうけれども、ともかく、「東北地方では仙台の次に人口が多い都市」であるはずなのだが、その割に「友達の友達は皆、友達だ」みたいに、なんだか、知ってる人とどこかでよく会う街で、また、たまたま会った相手が、誰の友達の親戚の職場の同僚の人の組内の人間だったとか、そういうことが多い所であり、あのおばさんだって、そのおばさんの親戚の友達の職場の同僚の組内とかいうのが誰それだった・・とか、なんかありそう・・だったし、もう、いいにしてあげようか・・とも思ったが、それにしても、黙って行ってしまうことないだろ・・・とも思ったけれども、「『いわきのおばさん』だから、しようがない」て気持ちにその時はなったのだった。
しかし、いわき市及び福島県浜通り地区は一般的には「決して悪い人が多い所ではない」と思ったし今も思っているけれども、それは、あくまでも「一般的には」であって、中には「困った人」もいたし、又、人間関係というのは、あらかじめ、どちらがいいとか悪いとか決まっているものではなく、時として、「東京ではそうかもしれないけれども、いわき では・・」とかいう言い回しを使って自分の勝手な言い分をひとに「言うことをきく」ようにさせようという卑怯者もいたのだ。
この「東京ではそうかもしれないけれども、いわき では・・」という言い回しは、これは卑怯なのだ。実際にそういうこともないわけではないだろう。しかし、よそから来た人間は、この言い回しを無制限・無条件に認めさせられたなら、どんな理不尽なことでも「言うことをきく」ようにされてしまうことになってしまうのだ。それをわかっていてこの言い回しを使う人間がいた。だから、一般的には「決して悪い人が多い所ではない」と私は思っていたし今も思っているのだけれども、個々の人間関係においてどちらがいいか悪いかということになると、そんなものは、あらかじめ決まっているものではない。
《5》 通じるわけないのに「俺はいなかものだから、ひとがいいんだ」などと言う者がいるんだ・・・とあきれた体験をしたのは、2010年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕(2013年11月に正式に倒産)でだった。なんで「いなかもの」だったら「ひとがいい」の? と思いませんか。
まず、ここで認識しておかないといけないのは、「いなかもの」という言葉には2通りの意味があるという点だ。福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもいの』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、「いなかもの」という言葉を使用する場合、どちらの意味での「いなかもの」なのか、ということを考える必要がある。
2010年だったか2011年になっていたか、2010年だったように思うのだが、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕(2013年11月に正式に倒産)で、S井(男。当時、40代前半)が「俺はいなかものだから、ひとがいいんだ」などと私に言うので、「はあ~あ?」と思ったということがあった。もうすでに何か月か同じ職場にいて、その反対の態度・行動を相当とってきた男が何を言うかというものだった。
それとともに、桜井は千葉県佐倉市の住人だから「いなかもの」だと主張したいようだったが、佐倉市は最近では分譲地もできてそれほど「いなか」でもなくなった。もっとも、佐倉市あたりの分譲地によそからやってきて住んだ「よそ者」というのはどこから来たのかというと、東京の街中から来た人というのもいないことないだろうけれども、「東京の街中」から千葉県に引っ越す人間の感覚からすると、総武線沿線なら千葉駅まで、常磐線なら千葉県内まで、京成本線なら八千代台・勝田台あたりまでで、佐倉市になると遠い、何もそこまで行かなくても・・という感覚がある人が多いと思われるし、又、都内まで通勤することを考えると、そこまで遠くに行かなくても・・という気持ちにもなる。佐倉市内の「農家の次男・三男」が佐倉市内の分譲地を買って住むということもあるだろうが、「佐倉市よりも東京から遠い側の千葉県」の住人が東京都内に通勤する仕事につくために、元々の郷里よりは東京に近い場所に買って住むという場合がある。だから、桜井は佐倉市の住人であるだけでなく「元からの佐倉市の住人」だから「いなかもの」で、「いなかもの だから、俺はひとがいいんだ」などと勝手なことを言ったようだったが、「元からの佐倉市の住人」でない佐倉市の住人でも「都会から引っ越してきた佐倉市の住人」ではなくて「佐倉市よりも東京から遠い側から佐倉市に転入してきた佐倉市の住人」が少なくないはずだ。
何より、私は福島県に5年・栃木県に3年半・山梨県に1年3か月住んできた人間であり、考えようによっては私の方が桜井よりもよっぽど「いなかものだから人がいい」かどうかはさておき、「いなか に住んできた暮らしてきた人間」だったのだ。福島県人からすれば千葉県佐倉市なんか「いなか」ではないのだ。何を「しょーもないこと言い」やってんだ、てものだ。
そして、何より「・・だからひとがいいんだ」だのという厚かましい主張する人間て、嫌いなんだよ。(株)一条工務店 の営業本部長の天野隆夫(男。私が同社に入社した1992年の頃、40くらいだったから、今は70代になったか)は「ぼくは学校でてない(最終学歴:中卒)から、だから、気さくで人間味があって、人柄がいいんだ」と言い、「はあ?」「なんで、『学校出てない』なら『気さく』で『人間味がある』で『人柄がいい』てことになるの?」「『ええ大学』出たら『人柄が悪い』てことになるの? はあ?」と思っていると、「おい、そう思うだろ。思わないのか。思うんだろって。おい、ぼくが『思うんだろ』って言ってるんだ。おい、『思います』と言えよ。言わないのか。『思います』と言え」と言って無理矢理「思います」と言わされた。そういう人のことを「学校でてないから気さくで人間味があって人柄がいい」と言うそうなのだ。(株)一条工務店では無理矢理、そう言わされるのだった・・・が、私は(株)一条工務店に11年余り勤めて、10年越え勤めた者には記念品として腕時計をもらえるというその腕時計をもらった者の1人で、これは入社しても半年程度で辞める・・もしくは辞めさせられるこの会社においては珍しい方の人間で、2001年栃木県の営業社員の集会があった時に入社の順番に席が決められていた時には、私は60人ほどいた中で「南部営業所副所長」「北部営業所副所長」になっていた2人を別にすれば古い方から5番目だった者だが、その私の倍ほど在籍した最終学歴は高卒の某さんにこの話をしたところ、「はあ~あ? はあ~あ? 誰だ、そんなわけのわからんことを言っているのは。天野部長のいったいどこが『気さく』で、いったいどこが『人間味がある』で、いったいどこが『人柄がいい』なんだ。あの人のいったいどこが『気さく』で、いったいどこが『人間味がある』で、いったいどこが『人柄がいい』なんだ。 いったい、どこの誰がそんなわけのわからん無茶苦茶なこと言ってるんだ、どこの誰があ???」と言うのだったが、「いったいどこの誰がそんなわけのわからん無茶苦茶なこと言っているのか」というと、ご本人だった。「そんなわけのわからん無茶苦茶なこと」言っていたのは、天野隆夫さんご本人であり、ご本人以外に「そんなわけのわからん無茶苦茶なこと」言っている人は(株)一条工務店にいなかった。むしろ、文学者だか哲学者だかいう肩書の人で「人間の性質がとことん悪くなると、人を精神的に傷つけることにしか喜びを感じなくなる」と述べていたのをどこでだか読んだのだが、この言葉は(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫にあてはまる言葉だ。
それと似たものとして、「俺はいなかもの だからひとがいいんだ」などと言う者というのは「はあ~あ?」「はあ~あ?」てものだ。特に、すでに何か月か同じ職場にいて、けっこう陰湿なところを見せてきた男がそんな寝言みたいなことを言っても「はあ~あ( 一一) 」てものだった。
そう思っていたら、この2023年12月、夏目漱石『こころ』(新潮文庫)を再読していたら、『こころ』に登場する「先生」がまさにこう述べていた。
《 「あなたの御父さんが亡くなられるのを、今から予想して掛るような言葉遣いをするのが気に触ったら許してくれたまえ。然し人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、何時死ぬか分からないものだからね」
先生の口気(こうき)は珍しく苦々しかった。
「そんな事ちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。
「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。
先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。
「みんな善(い)い人ですか」
「別に悪い人間という程のものもいないようです。大抵田舎者ですから」
「田舎者は何故(なぜ)悪くないんですか」
私はこの追窮に苦しんだ。然し先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
「田舎者は都会のものより、却って悪い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだと云いましたね。然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
先生のいう事は、此所で切れる様子もなかった。・・・ 》
( 夏目漱石『こころ』1914年、岩波書店より刊行。新潮文庫では1952年初版、2004年改版。「上 先生と私」「二十八」 )
こころ(新潮文庫) - 夏目漱石
福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもいの』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、「俺はいなかものだからひとがいいんだ」などと勝手なことを言う男というのは、むしろ、「精神面がいなかもの」の一種と見た方がいいのではないか。そういう厚かましい口をきく人間というのは、決して「ひとがいい」などということはない。
すでにその逆を相当やってきた男が、よく言うよな・・・てところもあったが、それとともに、千葉県佐倉市なんて今ではそれほど「いなか」でなくなってきた所、福島県人から見れば「都会」の住人が「何割か福島県人」に向かって何をぬかすか・・・とも思ったものだった。
私は大阪で生まれ育って東京圏の大学に行って、小堀住研(株)では千葉県と東京都で勤務し、(株)一条工務店では東京都の営業所に最初は勤務したが、その後、千葉県に半年勤めた後、福島県に5年・栃木県に3年半・山梨県に1年3か月勤務したが、「地方」で勤務すると「都市圏」では経験しないことを経験したりもします。私は元々、5年も10年も一線の営業をやる予定で(株)一条工務店に入社したわけではないので、経験として複数地域に勤務していいと思っていましたし、2年目にさしかかった時に営業本部長からインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われ、慶應大学商学部の卒業生として、大学在学中に学んだ経済学やマーケティングに、インテリアコーディネーター資格取得者としての住宅・建築・インテリアについての知識・認識、それに実際に複数地域で勤務した経験とを合わせて、商品開発であるとか新規出店計画であるとかそういった業務についてもらおうということなのであろうと思って福島県にも行き栃木県にも行きましたし、一般に和風外観の「百年」という名前をつけた建物の展示場は一般風の「セゾン」の展示場よりも契約棟数としては不利だと言われていたのですが、経験として勤務するのですから、そういう所に勤務する経験もあっていいと思って私は勤めました。そうやって「他の者がやらない努力をして・他の者がやらない苦労をして・他の者がやらない我慢をして」勤めた結果、(株)一条工務店の経営者から「やらずぶったくり」にされました。
それはそれとして、都市圏で育った者が「地方」で勤務すると、都市圏では経験しないことを経験します。最初に福島県いわき市の営業所に行った時、元から いわき市の営業所に勤務していた人から「いわき で背広着て営業しているのは銀行の営業と積水ハウスの営業とおまえだけだ」と言われたことがありましたが、服装については、ともかく、ぴしっとした格好をすればいいというものでもなく、「相手の服装に近い服装をした方が心を開いてもらえやすい」ということもあり、「その地域の住人がどういう服装をしているか」を考えて、「その地域の住人になじみやすい服装をした方がいい」という面があります。だから、東京や大阪の人間を相手にするのなら良くても、「地方」の人間・「東北」の人間を相手にするのなら、背広上下に革靴を履いてぴしっとした格好というのは、かえって「東京もんの営業が何を売りつけにきたのか」というように見られてしまって良くない場合があります。それを考えて、いわき市で勤務する時には服装を変えましたが、それを承知の上で、あえて「ジャンパー着てる営業とは違う、それより上の営業」という意味合いをかもし出すために(「かもし出す」だけではありません。実際、「ジャンパー着てるおっさん」より上の仕事を私はできたと思います。)、背広上下を着て行くと「東京もんの営業が何を売りつけに来たのか」と見られる危険もあることは承知の上で、意図的に「ジャンパー着て営業やってるおっさんとは違うんだ」という雰囲気にするために背広上下を着るようにしたこともあります。
同じ服装をしていても、そういったことを考えた上でやるのと考えずにやるのとは同じではありません。「ジャンパー着てるやつとは違うんだ」ということであえて意図的に背広上下を着るようにして動いていた時のことですが、背広上下を着て いわき市で物を買おうとすると苦労することがあって、いわき市四倉の法務局で登記簿謄本など取得しようとした際、今は収入印紙でいいことになったと思いますが、かつては法務局で登記簿謄本を取得するには登記印紙を貼る必要があったのですが、登記印紙は法務局では売っておらず、郵便局で購入するのでなければ、法務局の近くの店が「印紙売りさばき所」とかいうことで売っていたのです。ところが、「近くの店」というのは「普通の店」で、「普通の店」は現役世代のおっさんが常に店にいるわけではなくて、おばあちゃんが店番やってる時もあるのです・・が、いわき の ばっぱ さんから登記印紙を買うのは大変です。四倉の法務局のはす向かいあたりの八百屋だったか果物屋だったかで登記印紙を購入しようとすると、おばあちゃんは「なに~。何しに来たの、あんたあ」「何を買ってほしいのお」と言うのです。「何を買ってほしいの」て、そこで商売やってるのは私じゃなくてあんたやろうが。私は買う立場であって売ってるのはあんたやろうが。「ですから、登記印紙を買いたいのです」と言っても、「何を買ってほしいの」と言うのです。売ってるのはあんたやろうが、あんた。ここで店を出してるのは私じゃなくてあんたやろうが・・と思うのですが、それでも「何、買ってほしいの、何を。要らんよ。帰ってえ」と言うのですが、帰ってしまったのでは登記簿謄本を取得できないので帰るわけにはいきません。「だから、買ってほしいのではなくて売ってほしいのです。登記印紙を売ってほしいのです」と言っても言っても、「帰ってと言ってるでしょ。要らんから帰ってえ」と言ってきかない。この婆さんを相手にして、この婆さんから登記印紙を買うのは並大抵のことではないとあきらめて、クルマで近くの郵便局まで行って登記印紙を購入しましたが、自分が売ってるくせしてからに「何、買ってほしいの。要らんから帰ってえ」と言ってきかない婆さんには難儀しました・・けれども、今となってはいい経験したような気もするけれども、そうやって複数地域での経験を積んできた者を生かそうとしない経営者の会社では、そういった努力も苦労も経験もどぶに捨てさせられるようなものだったようです。いわき市の営業所にいた時には、法務局で登記簿謄本を取得するなどするための登記印紙を購入しようとして、いわき の ばっぱさんから上手く購入できず困った経験はいわき市四倉の法務局の前の店だけでなく、小名浜の法務局でも経験したような記憶があります。
新華ハウジング(有)の桜井さんは、そういう経験もしていないでしょ。千葉県佐倉市の住人で、かつ、元からの佐倉市の住人だから「いなかもの」で「いなかもの」だから「人がいいんだ」とかなり陰湿な方の人間が強引な三段論法を主張しますが、さすがに千葉県佐倉市の法務局の近くの「印紙売りさばき所」で登記印紙を購入しようとしたら、「何、買ってほしいの。要らんから帰ってえ」と婆さんに言われ、売ってるのは私やのうてあんたやろうが、私は買う側であんたが売ってるんやろうがと思っても「だから、帰って言うてるでしょ。要らんから帰ってえ」と言われて、そう言われても隣の店では登記印紙は売ってないし、困ったなあと思って、婆さんになんとかわかってもらおうと努力しても、努力は通じず、この店で登記印紙を購入するのは至難のこととあきらめて郵便局まで買いに行った・・なんて経験は千葉県佐倉市の住人でその付近でしか仕事をしたことがない人はないでしょ。そういう「いなか」での経験をしたことがない男が、何を「俺はいなかものだから」だ。桜井が「いなかもの」を名乗るのは百年早い!
ついでに「都市圏」というのも「東京圏」と「関西圏」では共通点もあるけれども異なるものもあり、「都市圏」ならすべて同じというわけでもありません。最近では大阪でも三井ホームで建てる人があるようですが、少し前に大阪で三井ホームで建てた家を見て、「あ、これは東京もんの好みだな」と感じたことがあったのです。「何をすかしとんねん」て雰囲気が出ていたのです。三井ホームは都市圏か「地方」かというと都市圏で建ててもらうことを想定した商品ですが、都市圏でも東京圏か関西圏かというと東京圏の方で建ててもらうことを想定した商品です。関西、特に大阪の人間なら「何、すかしとんねん」と感じる感覚が、どうも、東京の人間にはそれほどないみたいで、三井ホームはこの点で関西の人間ではなく東京圏の人間をターゲットとして考えた商品と売り方にしているように思えます。又、三井ホームは「医院併用住宅」をけっこう売り出していましたが、「成り上がりものの医者」にけっこう人気があり、「三井ホームで建てた」というのが「ステータス」になると考えている「成り上がり者の医者」が少なくないみたいです。「三井ホームの家」というのは外から見てもそういう雰囲気があります。単に医者の家ではなくて、あくまでも「成り上がり者の医者の家」です。
私は三井ホームの家というのは何も悪いところばかりとは思っていませんが、実際問題として東京もんが見るといいと思っても関西人が見ると「何をすかしとんねん」という印象を受けるという傾向のものがあり、「成り上がり者の医者」の好みに沿ったようなもの、千利休が好んだものを「利休好み」・古田織部が好んだものを「織部好み」・小堀遠州が好んだものを「遠州好み」と言ったようなそういう表現をするなら三井ホームの家というのは何かにつけて「成り上がり者好み」の傾向が現実にあります。又、「三井ホームの仕事やってた設計事務所のおっさん」にもそんな人が多い。三井ホームは「建築家とインテリアコーディネーターがつくる家」と書いた横断幕を展示場にかかげていましたが、「建築家」と言われると、フランクロイド=ライトとかル=コルビュジェとかそんな感じの人が自分の家を設計してくれるのか・・と思いそうになりますが、建築家と建築屋の違いは何かというと、私はかつては「京大工学部建築学科か東大工学部建築学科卒で菊川怜以外の人間が「建築家」で、ポン大の建築学科とか出たやつが「建築屋」かと思っていたら、定義はけっこう曖昧で「スタンドカラーシャツを着たら建築家」とか「ヒゲはやしたら建築家」とか「ともかく、名刺に『建築家 鷲野木造』とか書き込んで配って回ったら建築家」とか、難易度が高いのは「女優と結婚したら建築家」とか、もしくは「ルパシカとか着てベレー帽とかかぶり、真っ赤なスポーツカーに乗るとか大久保清みたいな格好すれば建築家」とか、かなり定義は曖昧ですが「嘘でも百回言えば真実」みたいなところがあって、三井ホームでは「『建築専門学校卒』とかで名刺に『一級建築士』と入れれば『建築家』と思ってもらえてそれで『ひとは言うことをきく』と思っておるらしい、””そのへんの設計事務所のおっさん””」のことを「建築家」と言うておるのです。
(株)一条工務店で栃木県の自治医大の近くの営業所(展示場)に勤務していた人に教えてもらった話ですが、自治医大の附属病院に勤めている比較的若い医者がよく展示場に来たらしいのですが、そういう医者は三井ホームで建てたがる者が多いらしいのだが、医者といっても病院勤めの雇われ医者で、なおかつ、自治医大というのは卒業後に出身地の都道府県が指定する「へき地」の病院に何年だったか勤務するという条件で学費はタダ・全寮制で寮費もタダという行く者には最高の条件の大学で、私も行きたかったのですが、そういう条件の大学ですから、親が医者屋で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやってガッポがっぽせしめたカネの一部を寄付金として払って行くような私立金権裏口医大卒のやつとかとは違って「貧乏人の息子」が多い大学なのです。私立金権裏口医大卒のやつより「貧乏人の息子」が多いのは間違いないとして、慶應大医学部なんてのよりも貧乏人の息子が多いはずです。慶應大医学部なんてのは寄付金払わなくても入試で合格最低点より高い点数取れば入れてもらえるらしいけれども、慶應大は昔から大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学で「早稲田大と慶應大なら同じ学部なら慶應大の方がかなり安い」という大学だけれども、それはあくまでも経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部のことであって、理工学部は経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部の5割増しくらいだったように思うが医学部になるともっと高くて経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部の倍ほどかかり、経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部は4年であるのに対して医学部は6年行かないといけないので、たとえ、慶應大は経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部は「私立大学の中では安い方の学費の大学」であっても医学部はその3倍の学費がかかることになりますから、私立金権医大の寄付金ほどはかからないかもしれないが決して安くはないのです。さらに慶應大の医学部は「内部進学が定員の4割」とあらかじめ決まっているらしく、慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学だけれども小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」らしく、そもそも、「先祖代々揺り籠から墓場まで慶應」の人(「サラブレッド的慶應」というのか「ほとんどビョーキ」というのかの人)か医者屋の息子・娘かプロ野球選手の息子か芸能人の息子・娘かヤクザの組長の息子か保守系政治家の息子とか右翼系企業のオーナー経営者の息子とかそういう人の行く特殊な学校に「プロレタリアートの息子」「人民大衆の息子」が学費を出せるか否かにかかわらずそんな所に行ってもしかたがない、それこそ『巨人の星』でブルジョワの息子・娘の行く高校・「最低でもお抱え運転手がクルマで送り迎えするくらいの家庭の息子・娘」の行く高校の青雲高校に「日雇い人夫の息子」の星飛雄馬が行くみたいなもので、行ってもあんまりいいことないと思われます。〔⇒《YouTube-Kyojin no Hoshi OP》https://www.youtube.com/watch?v=2FtfzXkxWKQ 〕この「内部進学が定員の4割」という4割の人というのは世間一般の基準からすればまちがいなく「富裕層」の人の息子・娘が多いはずでしたが、自治医大はその逆だったのです。貧乏たれの息子だけれども学校の勉強はよくできたという者が医者になりたいと思った場合は一般には学費が安い国立大学の医学部に行くものですが、自治医大は分類としては「私立」に分類されるけれども全国の都道府県が費用を出して設けた大学であって事実上、公営の性格の大学で、国立大学や各都道府県の県立大学・府立大学よりさらに「貧乏たれ」の息子が多い大学のはずです。だから、医者屋だからカネあるだろうと思うと、自治医大卒の医者というのはそうでもなかったりするようです。なおかつ、大学に行くより前の元々の立場よりも「ハイクラス」の層に入ったという意識を持っている人ですから、その結果、どうも「成り上がり者好み」になる傾向を持つ場合が少なくないらしい。だから、栃木県の石橋町だったか自治医大付属病院がある近くの展示場に来る自治医大付属病院に勤めている医者というのは三井ホームで建てたがる。そういう人が(株)一条工務店の展示場によく来たらしいのですが、そういう場合の対処のしかたとして「三井ホームをほめろ」というもの一択だったそうで、「ツーバイフォー工法で建てるなら三井ホームでないとだめですよ。それ以外では建てない方がいいですよ」と言ってあげるそうです。「三井ホームをほめろ」なんてそんなことしたら三井ホームで契約されてしまうじゃないか、同業他社の営業がそんなことしてどうするんだ・・というと、自治医大の附属病院に勤めているような自治医大卒の医者屋というのは貧乏垂れの息子がタダの大学に行って卒業して医者屋になったという元々は社会的に底辺の家庭の息子だったやつが多いので、なおかつ医者とはいえ病院長とかではなくて雇われのサラリーマンの医者であり、そういうやつは三井ホームにあこがれる傾向があるけれども三井ホームでは建てられないという人間が大変多いらしい。だから、求めてもかなわない恋をしている男だか女だかには、その相手をほめてやればアホは喜びよるわけで「三井ホームをほめろ」というのはそれみたいです。どうも、自分は資金的に三井ホームでは建てられないようだと思った「元は貧乏たれの息子の医者屋」「成り上がり者の医者」はその時に思い出すらしい。「そういえば、一条工務店という会社の人がけっこういい人だったな」と。なぜ「いい人」と思われるかというと、三井ホームというあこがれの相手でありながら手に入らない女か男かをほめてくれた人だから、「いい人」に思えるらしいのだ。それで、(株)一条工務店の展示場に帰ってきて契約してくれる、「いただき♪」となるらしい。「ぼく、それで何件も契約してもらったんですよ」と教えてくれたのだったが、ここで大事なのは「ツーバイフォー工法で建てるなら三井ホームでないとだめですよ」と言っておくという点らしい。もしも、(株)一条工務店の営業が「在来木造で建てるなら一条工務店で建てないとだめですよ」と言っても、自分の所で契約してほしいからそう言っているのだろうと思われるだけになることが多いのですが、他社のことを、この場合、(株)一条工務店の営業が実際は何も知らんやつであっても一般の人間よりも住宅・建築に詳しいだろうと思われる立場の住宅建築業の会社の従業員として「親切で」「ツーバイフォー工法の場合、三井ホームはいいですけれども、それ以外だとやめておいた方がいいと思います。ツーバイフォー工法で建てられるなら三井ホームでないとだめです」と強烈に三井ホームをいいと言いまくると、「そうなんだあ。一条工務店の人も三井ホームがいいと言うくらいなんだから、三井ホームでないとだめなんだだ」と思いよるらしいのだが、その三井ホームでは資金的に建てられない・・となったその時、「ツーバイフォー工法で建てるなら三井ホームでないとだめですよ」と言っておいたその言葉が脳裏に鳴り響く・・・結果、三井ホームでは建てられないとなった時に他のツーバイフォー工法の会社に行くのではなくて、「あこがれの三井ホーム」をほめてくれた「いい人」のところ、(株)一条工務店の営業の所にやってきて契約してくれる・・らしい(^^)/ そういう話をきくと、「貧乏たれの息子」はしょせん、貧乏たれの息子なのか、成り上がりはしょせん、成り上がりなのか・・とも思えてしまう、なんかわびしいのお~お・・とも思えるのですが、現実にそういうところがあるらしい。三井ホームで建ててはだめとまで言うつもりはないが、「そこまでいいかな」と私なら感じるところを、「東京もん」と「成り上がり者の医者」とは三井ホームをいいと思う人が多い・・というのは、それは、元々、三井ホームというのはそういう層をターゲットとした商品と売り方の会社だからでしょう・・と思うよ。
今回はこの件についてこれ以上述べると話がそれますのでこの程度にとどめますが、このあたりについても、別の機会にもう少し詳しく述べたいと思います。
とりあえず、佐倉市の住人で、佐倉市より東京に近い側から転入してきた佐倉市民ではなく、佐倉市より東京から遠い・佐倉市より「いなか」から佐倉市に転入した佐倉市民でなくて元からの佐倉市の住人だなどというようなその程度、佐倉市程度の「いなかもどき」の住人に「俺はいなかものだから」と言われても、千葉県佐倉市あたりの住人が「いなかもの」を名乗るのは百年早いわ・・と、「何割か福島県人」は思いますね。
むしろ、「俺はいなかものだから、ひとがいいんだ」などと言えば、すでに陰湿な態度を相当とってきている男が「ひとがいい」と思ってもらえると考えるあたりは、《「いなかの生まれ」とか「いなかの住人」とか「いなかの出身」という意味での「いなかもの」》ではなく「精神面がいなかもの」の方の「いなかもの」だという印象を受けます。「精神面がいなかもの」の方の「いなかもの」の精神構造でしょう。
(株)一条工務店には「遠州人」という民族が存在した。遠州人といっても、あくまでも「(株)一条工務店の遠州人」のことであって、遠州人一般と同じではないのだが、この「(株)一条工務店の遠州人」は大変ズルイという特色があった。
福島県人に「ここはいなかだから」と言うと、たいてい「そりぁいなかだっぺえ」と言い、「いなか」と言われたからと言って怒ったりしないのに対して、遠州人は「いなか」と言われると怒るのだ。
「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあって、政令指定都市で浜松駅には新幹線のひかり号が停車する大都市だ」と言って怒るのだ。さらに、
「静岡と浜松なら、静岡が県庁所在地だけれども、アメリカ合衆国でもワシントンとニューヨークではニューヨークの方が大都市になっているのと同じで政治都市と商工業都市では商工業都市の方が栄えるから、だから、静岡県でも浜松の方が静岡よりも栄えるんだ」
とおっしゃるのだ・・けれども、アメリカ合衆国の場合は、各州の州都でも意図的にその州で一番の大都市でない都市に州都を配置していることが多く、ワシントンはいずれの州にも属さない都市としているのも、アメリカ合衆国とは英語では The United States of America で、これを日本語に訳すなら「合衆国」ではなくて「合州国」の方が適しているようにも思えるのだが、「合衆国」と日本語では書いているのは、本多勝一『アメリカ合州国』(朝日文庫)によると、これは中国語で「衆」は共和国を意味するそうで、共和国が合わさったものという意味らしく、すべてのState は等しい権限があるという考え方から首都はいずれの州にも属さない市としたらしく、ニューヨークはニューヨーク州の州都ですらないのも、これも政治の中心地と経済の中心地は分けた方がいいという考え方があるから意図的にそうしているのではないかと思われ、浜松と静岡との関係とは話が別ではないかと思われるが、それよりも・・・、たとえ、「政治都市と商工業都市では商工業都市の方が栄える」という説が仮に正しかったとしても、それにしても・・浜松とニューヨークを一緒にされても、なんだかなあ・・・・・と思うのだが、これを言うと遠州人は怒るのだ。怒ることないのだけれども、怒るのだ。だから、遠州人にこれは言ってはいけないのだ。
福島県のいわき市の人間に「ここはいなかですから」と言っても誰も怒らないし、「そりぁ、いなかだ。正真正銘のいなか」とかいわき市生まれの人間が言って喜んでいた。実際は、買い物する所もあるし病院もあるし、「いなか」と言っても無医村とかいうような不便ないなかとは違うのだけれども、無理に「都会」だと言いたがらない土地柄だったのに対して、遠州人はそうではなくて、浜松は大都会だと言いたい症候群の人が多い地域だった。
実際は、実際にその土地に行ってみるとわかるのだが、浜松は福島県のいわき市とか郡山市とか福島市とかよりも街は大きいし、その点で「都会だ」と言いたいなら言いたい人は言ってもいいけれども、私なんかは「いなか」は決して嫌いではないので、「都会」見たければ東京でも大阪でも見れるわけで、浜松でも一生懸命、ビル作って都会ぶってる所なんかよりも、スイカ畑とかある所の方が好きだったりするのだけれども、遠州人全般は嫌いということでもないが、「都会ぶりたいところ」というのは、あんまり好きではないな・・・。むしろ、福沢諭吉が言ったところの「いなかの生まれ」「いなかの住人」「いなかの出身」という意味の「いなかもの」か、「精神面がいなかもの」かというと、「都会ぶりたがる」という面は後者の「精神面がいなかもの」という性質があると思う。こう言うと遠州人は怒るけれども、怒ったって、実際に都会であるかいなかであるかに関わらず、「都会ぶりたがる」という面は「精神面がいなかもの」だ。
そして、「(株)一条工務店の遠州人」がズルイのは、片方で「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあって、政令指定都市で浜松駅には新幹線のひかり号が停車する大都市だ」とか「静岡と浜松なら、静岡が県庁所在地だけれども、アメリカ合衆国でもワシントンとニューヨークではニューヨークの方が大都市になっているのと同じで政治都市と商工業都市では商工業都市の方が栄えるから、だから、静岡県でも浜松の方が静岡よりも栄えるんだ」とか、安倍川餅静岡よりもうなぎパイ浜松の方が上だあ・・みたいに、まるで「もみじ饅頭広島は吉備団子岡山より上だあ」みたいな感じで言いまくるくせして、他方において、1990年代、(株)一条工務店は「セゾン275S1」という同社の基本的な建物を、「施工面積」という延べ床面積よりも広くなるように設定した同社の独自の単位で〔延べ床面積より広くなるように設定した「施工面積」で「坪あたりいくら」という話をすると、実際より・延べ床面積の「坪当たり」で答える同業他社より安そうに見える〕、東京都・神奈川県では坪あたり55万円で売らされていたのに対して、浜松・掛川など静岡県西部では坪あたり48万円でダンピング販売、名古屋では坪あたり49万5千円でダンピング販売していたのだった。 その理由として「物価が違う」からだと遠州人〔あくまで、「(株)一条工務店の遠州人」〕は言うのだったが、そうか? 浜松とか掛川とかいう所は東京や横浜よりそんなに「物価が安い」か???
たとえば、
[トクホ] サントリー 黒烏龍茶 1.4L×8本
↑ これとか、
[トクホ] ヤクルト 蕃爽麗茶 500ml×24本
↑ これとかって、浜松や掛川では東京都や神奈川県で買うよりも1割以上安い値段で売ってるか??? 売ってないだろうが。アマゾンで注文したら、東京都・神奈川県でも浜松・掛川でも同じ値段やし。
「浜松って東京より物価安いですかあ?」なんて言う人がいると、「人件費が違う」と言うのだが、「バカ言ってんじゃないわ♪」。(株)一条工務店は東京都で勤務していた従業員にそんなに高い給料払ってたか? 払ってないだろうが。「よく言うわ」「バカ言ってんじゃないわ」てものだった。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
「(株)一条工務店の遠州人」というのは「ぼけっと聞いていると、はあん、そうかいなあと思いそうなこと」を言うのだが、落ち着いて考えてみると、「ち~が~う~だ~ろ。このボケ~え!」てものだったのだ。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
(株)一条工務店は工場見学会の際にバスの中でお客さんに見せていたビデオでは女性ナレーターが「一条工務店で使っているのは東濃桧」と言っていたのだが、その割に(株)一条工務店の工場に行くと「美作桧」「吉野桧」「博多桧」とスタンプが押された桧の柱が転がっていたのだった・・が、美作(岡山県北部)・吉野(奈良県南部)とか福岡県とかの桧は決して悪いわけではないのだけれども、「一条工務店で使っているのは東濃桧」と言われた直後に見ると「なんや、違うやんけ」と思ってしまうのだが、その東濃桧にしても吉野桧・美作桧・博多桧にしても、その桧の柱というのは、浜松・掛川とか名古屋で建てる人に使う時は物価が安くて東京都・神奈川県で建てる人に使う時は物価が高いのか? (株)一条工務店は梁桁材に使用する「べいまつ」(ダグラスファー)をアメリカ合衆国のポートランドに現地法人を作って直輸入している・・と言っていたけれども実際は直輸入していたものと商社を通じて買うものと両方を使用していたらしいが、それらは浜松・掛川や名古屋で建てる人用に使った場合は物価が安くて東京都・神奈川県で建てる人用に使った場合は物価が高いのか? (株)一条工務店は洗面台・ユニットバス・便器・ボイラーなどを住設機器メーカーから購入して各地域の工場の倉庫にストックした上で、そこから各地の建築地にトラックで配送していたのだが、浜松・掛川や名古屋で建てる人の建築地に送ったものは物価が安くて、東京都・神奈川県で建てる人の建築地に送ったものは物価が高いのか? ・・そんなわけないだろうが。よく言うわ! バカ言ってんじゃないわ!
あえて言うならば、「職人手間」は都会と地方となら「地方」の方がいくらか安いかもしれないが、そもそも、東京圏・関西圏に次ぐ三大都市圏の名古屋が日本列島の中でも「物価が安い」地域だという主張はいくらなんでもおかしいだろうが。
(株)一条工務店は「東海を制する者、天下を制する」などと言って静岡県中西部・愛知県を他の地域より優遇・優先する姿勢を貫いてきたが、同じ内容のものを坪55万円で売らされた者と、坪48万円だの坪49万5千円だのでテレビ広告つきでダンピング販売した者とでは、普通ならば坪55万円で売らされた者よりも、坪48万円だの坪49万5千円だのでダンピング販売した者は1棟あたりの評価は低いはずで、静岡県中西部・愛知県のようにテレビ広告をドカンと一発♪ やりまくって売った者と、東京圏などテレビ広告など一切なしで売らされた者とではテレビ広告なしで売った者の方が1棟あたりの評価は高くて当たり前・・のはずだが、ところがどっこい、「遠州人の陰謀」により(株)一条工務店では「ダンピング販売の浜松」「ダンピング販売の掛川」「ダンピング販売の名古屋」の1棟あたりの評価と東京都l・神奈川県での1棟あたりの評価は一緒だったのだ。これでは八百長だ。掛川営業所の所長の近藤正夫さんは「通算契約棟数全国1位」ということになっていたが、””八百長による通算全国1位”” だった。
(株)一条工務店では「東京は都会だから物価が高い。地方に行くと物価が安いから、だから、東京都で坪55万円のものが浜松では坪48万円、名古屋では坪49万5千円なんです」などと言うのだったが(なんで、三大都市圏の名古屋が「地方」の方になるのか摩訶不思議だったが)、片方で「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあって、政令指定都市で浜松駅には新幹線のひかり号が停車する大都市だ」だの、あるいは、安倍川餅静岡よりもうなぎパイ浜松の方が上だあと「もみじ饅頭~!」みたいに言いまくって浜松は大都会だと言いまくっておいて、他方において坪単価を設定する時になると、浜松・掛川は日本一のどいなかだと主張する・・・というダブルスタンダード、もしくは、必殺二刀流 を使うのだったが、いくらなんでもズッコイのとちゃうかあ?????
せめて、どっちか片方にしたらどないやあ? ・・てものだった。
それで、「大都会だと言いたいのか、『地方』だ『いなか』だと言いたいのかわけわからん浜松」「(株)一条工務店の浜松人」「(株)一条工務店の掛川人」「(株)一条工務店の名古屋人」が無茶苦茶ズッコイ のは、それは「いなかもの」だからズッコイのか、それとも「都会のもの」だからズッコイのか? どっちにしても(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業所の人間というのは無茶苦茶ズッコイ人間だった。
そして、再確認するが、「いなかもの」は常に「ひとがいい」などということはない。もしも、「ひとがいい」人がいたら、その人がそうなのだろう。
2023年の最後に、思ったことを述べた。来年2024年もよろしくお願いします。
〔 2023〔令和5〕.12.31.(日)〕
2024年1月2日(火)、千葉県いすみ市大原 の 浄土真宗 二十四輩 の1人の寺 照願寺 と、関東三十六不動霊場の35番、大聖寺・波切不動(天台宗)に参拝してきました。 総武線と京葉線があることから、外房線・内房線に行く電車は京葉線経由のものが多いことから総武線沿線住人が外房線・内房線沿線に行こうとすると乗り換え回数が多くなる不便さがありましたが、それとともに「普通」は上総一ノ宮駅でそれより北(蘇我・東京より)とそれより南(大原・安房鴨川の側)とで電車が分かれるのでそこで乗り換えないといけないという不便さがありました。電車の本数も上総一ノ宮より南は少なく、「普通」は2両連結の電車で、行ってみて、いすみ市の大原は「都会」か「いなか」かに無理矢理2分するなら「いなか」の方かな・・と思ったものの、それでも、「何割か福島県人」の目で見ると、まだまだ、「いなか」と認定してもらうには「修行が足らん!」て感じ、まだまだ、都会臭があると思えました。ましてや、佐倉なんて「いなか」には入らない。京成本線が走ってる所は東京圏のうちでしょ。JR総武本線・成田線でも、佐倉までは「都会」か「いなか」かのどっちかに無理に分けるなら「都会」の方で、無理矢理2分して総武本線で「いなか」の方に分類されるのは八街からではないか。成田線でも酒々井・成田が「微妙」で佐倉は無理矢理2分するなら「都会」の方でしょ。「何割か福島県人」の感覚では、あるいは「10割福島県人」がどう思うかという視点で考えるならば、佐倉は無理矢理2分するなら「都会」の方であって「いなか」に入れてもらおうというのは「考えが甘い!」。
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梅坪
↑ もみじ饅頭~♪
福島県は昔の「国」では磐城・岩代の2国に分かれますが、今現在は浜通り・中通り・会津地方に分けることが多く、浜通りと中通り・会津地方では違いがありますが、中通りの白河あたりと栃木県の那須地方ともつながっているようで県をまたぐと違いが出てくるように思えます。1989年、小堀住研(株)に在籍した時、栃木県の那須地方で社宅としての別荘を建てようという方があり、那須地方というのか、東北本線の「黒磯」から2駅ほど北に行った駅から東にクルマでけっこう走った山中に建てられたという方があったのですが、その土地を見にいくために足を運んだ時のことですが、国鉄がJRになってから普通列車が長距離ではなく「ぶつ切れ」になり東北本線では「黒磯」がそれより南側と北側の列車の「継ぎ目」の駅になっていたが新幹線の停車駅は「黒磯」ではなくてそれより南の「那須塩原」で、新幹線に乗って行くと「那須塩原」で降りて各停に乗り換えて、「黒磯」でまた乗り換えて行かなければならず、JRになって不便になったような感じがありました。又、東北新幹線が開通する前なら「黒磯」まで上野から来る急行があったように思うのですが、その点でも新幹線が通ってかえって不便になったような感じがありました。
建築地は山の中で、ある程度近い場所にバス停はあることはあったのですが便数が少なく、帰ろうとした時にはバスの便はなく、「流しのタクシー」なんてないし、しかたなしに公衆電話でタクシーを呼ぶと、行きに法務局から乗ったタクシーが来ました。「こんな所に流しのタクシーなんてないから」と運転手は言うのでしたが、東北本線の最寄りの駅まで行ってもらうように頼んだのでしたが、「新幹線に乗るんでしょ。それなら、那須塩原まで行ったらどうですか。すぐですよ」と親切そうに言うので、そうかなと思って頼んでしまったのでしたが、走っているうちに「しまった」と気づいた。最寄りの駅から「黒磯」までならまだしも、「那須塩原」までは相当あったのです。東北新幹線の駅は「宇都宮」と「新白河」の間の駅は一般的には「黒磯」が妥当なところではないかと思われるのですが、それを運転手が言うには「渡邊美智雄の地元だから」ということで「那須塩原」になったということでしたから、「黒磯」と「那須塩原」の間は千葉県の「津田沼」と「新津田沼」の距離とか「千葉」と「本千葉」・「千葉」と「新千葉」の距離より遠いかもしれないけれども、せいぜい「大阪」駅と「新大阪」駅くらいの距離だろう・・みたいな感覚になってしまったのでしたが、実際は相当あるのです。行きにその間、東北本線の各停に乗ったのだけれども、いなかの駅間距離というのは都市圏の駅間距離よりはるかに長い。タクシー代は相当高かったと記憶しています。所要時間については、「黒磯」で乗り換えた場合と比べてどうだったかわからないが、「黒磯」の2つほど北の最寄り駅から乗った場合と比べれば「黒磯」まで行った方が乗り換えの時間が省けたかもしれないが、「黒磯」から「那須塩原」までは電車に乗った方が速かった可能性がある。自動車で一般道を走る場合と電車に乗る場合なら、自動車は一般道では制限速度は国道・県道でも50㎞/時 とかの場合が多く、制限時速ぎりぎりで走っても50㎞/時でところどころに信号があって停車させられるのに対して、電車は各停でもそれよりは速い速度で走り、途中駅に停車することはあっても信号で停車することはほとんどない。だから、一般的には鉄道が走っている区間は鉄道に乗った方が速いことが多いのですが、後から考えてみると「ひっかかった」かな・・・と思えました。あの運転手のおっさん、あれを常習にしていたのではないか。東京から来た人間は新幹線に乗るのに「黒磯」で乗り換えるより「那須塩原」までタクシーでそのまま行った方が楽だ、少しくらいタクシー代が高くなってもその方がいいだろうと思うのではないか、東北本線の那須あたりの駅間距離は東京に近い付近の駅間距離とは大きく違うということに気づかずに相当長い距離だと気づかずに頼みよるだろう・・と思っていたのではないか。しかし、「黒磯」から「那須塩原」までは「少し」ではなく、又、距離が長くなるとタクシーで走るより「普通」でも電車に乗った方が一般に速く、乗り換えがなくなったとしてもタクシーで走ったからといって早く着くわけでもない。「やられた」・・かなと後から気づきました。那須地方といっても、「那須の別荘地」と言われる金持ちの別荘がある「那須」だけが那須であるわけではなく、そうではない「那須」もあるのですが、そこでそういう経験もしました。だから、「東京あたり」から来たその地域の地理について地元の人間ほどわかっていない者に、東京の駅間距離みたいな感覚で思わせてタクシーに長距離乗せるということをする人もあるということを実体験したのです。2010年、新華ハウジング(有)で桜井が「俺はいなかものだからひとがいいんだ」などとあほくさいことを言ってきた時は私はもう50代でした。すでに住宅建築業の会社でベテランの部類に入るだけの経験を踏んできた者であり、「俺はいなかものだからひとがいいんだ」などと言われてもそんなものを本気にするほどアホではないし、むしろ、「しょーもないこと言う男だな」と思うだけで、前から思ってきたけれども、この男は信用できん男だなと思いました。
1992年、「浜松発祥の(株)一条工務店」の東京営業所(江東区)には浜松出身の人が複数いました。又、同社に勤務すると遠州地方から離れた地域に勤務しても、遠州人優遇主義・浜松優先主義の(株)一条工務店では遠州人と何かと関わることになりました・・が、一般に佐倉と浜松、佐倉付近と遠州地方ならば、「いなかの生まれ・いなかの住人・いなかの出身という意味での『いなか』」という意味では遠州地方の方が「いなか」でしょうけれども、「いなかだからひとがいい」かというと、「(株)一条工務店の遠州人」については、「ひとがいい」などというところはちっともなかった。むしろ、
「(株)一条工務店の遠州人」は
ずるい!
きたない!
厚かましい! の三重苦!!!
奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫) - ヘレン ケラー, Keller,Helen, 慶郎, 小倉
さらに、ふてぶてしいし、何より、根性ババ! 「(株)一条工務店の遠州人」の根性はう〇こ でできている! 直接、関わった人間でも「精神面がいなかもの」という意味での「いなかもの」は少なくなかったが、だからといって「ひとがいい」などということはなく、むしろ、陰湿な人間が多かった。営業本部長の天野隆夫などは、文学者だったか哲学者だったかで「人間の質が悪くなると人を精神的に傷つけることにしか喜びを感じなくなる」と述べていた人がいたが、まさにそれがあてはまる男だった。桜井は「おれはいなかものだから、ひとがいいんだ」などと摩訶不思議なこと言って、「そうかあ、桜井さんはいなかものなんだあ、ということはひとがいいんだあ」などと誰か思うとでも思っていたのだろうか。
無茶苦茶ずっこい「(株)一条工務店の遠州人」と関わってきた者からすると、「いなかもの」が「ひとがいい」などとはとうてい思えない。
「建築専門学校卒」の人には、自分を高く評価してほしい時には「建築専門学校卒」は学歴で4年生大学の建築学科卒と同等の評価を受けて当然だと片方で主張しながら、責任ある対応を求められると「そんなこと言ったってぼくは高卒なんだからそんなものできるわけがない。そんなものわかるわけがない」と言ってふんぞりかえり、「建築専門学校」は学歴ではないから学歴は高卒なんだと主張するという、なんともズッコイ二刀流使い・「ふたなり」が大変多くて不快感を覚えるのだが、「ふたなり」浜松もまた、片方で「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあり、政令指定都市に指定されている新幹線『ひかり』号も停車する大都市だ」「浜松が日本の工業を支えてきた」とか主張しながら、他方で「坪単価」を設定する時になると、「いなか」は「都会」より物価が安いという怪しい理論を持ち出した上で浜松は日本一のどいなかだと主張するというダブルスタンダード・浜松「ふたなり」主義を主張する・・
という滅茶苦茶ズッコイ!!! そういうズッコイやつというのは、そういう人間なのだとマイナスの評価をすれば、こういう態度をとるとマイナスの評価になるのだなと学習するところだが、それがまかり通るとなるとその後もそのダブルスタンダード・二刀流・「ふたなり」を続ければいいのだなと学習して続けることになる。
2000年の夏、ロシア連邦のイルクーツク州のイルクーツク市からバイカル湖畔のリストビャンカ村にかけて建築などの見学に訪問したのだが、印象としてロシア連邦というのは全体が「ヨーロッパよりいなか」という面があるのではないかという印象があり、一般の人は都会人よりも純朴なところがあるかもしれない印象を受けた・・けれども、鉄道の料金などで「外国人料金」と言って日本人などはロシア人が乗るよりも高い料金を要求されることがあるらしかったが(この時は鉄道には乗らなかったのだが)、物価が全体として日本よりも安く、今はどうなっているかわからないが、その頃は為替レートを考えると、ロシア連邦より物価も高ければ給与水準も高い国の人間からはロシア人より高い料金を取りたいと考えるのもわからないこともなかった・・のだけれども、しかし、個人としてその「外国人料金」なのか「日本人料金」なのかを取ろうとする者がおり、バイカル湖畔で土産物を売っている人たちがいたのだが、その中のひとりのおっさんは私が日本人で日本人としては特別に金持ちでなくてもロシア連邦での物価の相場をわからんだろうと思って、普段、ロシア人の観光客に売る値段の倍ほどの値段を提示してきたことがあった。同じような店を出している人でも、そういうことはやりたくないと考える人もいたが、「外国人料金」と言うのか「日本人料金」と言うのか、普段、ロシア人に売っている値段の倍ほどの値段を提示する男がいた。決して「いなかもの」だから「ひとがいい」などということはなかった。桜井はイルクーツクにもリストビャンカ村にも行ったことはないだろうし、こういう経験もしていないだろう。「いなか」はすべて同じということでもないく、その場所にもよるだろうけれども、「いなかもの」は「ひとがいい」などということはない。ばかなことは言わない方がいい。
(2024.1.4.)
先日、近くのスーパーで駐車場に「入るのか入らんのか、入らんのか入るのか、入らんのんか~い」という爺さんドライバーと出くわした。その時に思い浮かんだことなどをいくつか述べる。
《1》 先日、2023年12月後半、近くのスーパーに自家用車で買い物に寄ったが、購入した物を持って自分のクルマに戻ろうとしたところ、爺さんが運転して隣に婆さんが乗っているクルマがスーパーとその駐車場との間に来たので、先に行ってもらおうとすると止まり、それならこちらが行かせてもらおうとすると進み、なんやねん、行くんかい・・と思うと行かない。いったい「行くのか行かんのか、行かんのか行くのか」「来るのかけえへんのか、けえへんのか来るのか、けえへんのんか~い」て動きで困った。
私はこの2023年の夏頃から左肘に激痛が起こり、整形外科に行ったものの整形外科でやることというと、一般の薬屋で販売されているものとそう変わらない湿布薬・貼り薬を出すのと「理学療法士」による「リハビリ」。 船橋整形外科は千葉県のバスケットボールチームの「千葉ジェッツ」だったかプロ野球の千葉ロッテマリーンズだったかの選手も来ているという話だが、それを聞いていいと思う人もいるようだが、20代や30代の運動選手と、もっと年齢をいった者とでは事情は違うのだが、若い「理学療法士」にはそのあたりは理解できないようで、実際のところ、「もう、いいかな」という年齢になってきた者としては20代・30代の運動選手がやるような「リハビリ」体操は実際のところ、「しんどい」。そんなことしなければならないなら、もう治らなくてもいいよ・・・という気持ちになるし、実際のところ、毎日の生活を送るにおいて、運動選手を職業としている人みたいに「リハビリ」体操に時間をとることはできない。だから、もう行くのはやめたのだが、治ったから整形外科に行くのをやめたのではなく、治ってないけれども「リハビリ」やるのがきついから行くのをやめた、「リハビリ」が大変なのでやめたので今でも左腕はあまり力が入らない。
なぜ、痛みが出てきたかというと、その時、特別に何かやったわけでもないが、会社員として「リゲインのように」働いてきたことのつけということはあるかもしれない。2002年から2003年にかけて、長年、滅私奉公を続けてきた(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で「いくらなんでも、そこまでやるか」という嫌がらせをされて、山梨県上野原市にある(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業 の工場(山梨県上野原市にあるにもかかわらず、山梨県上野原市の東隣りは東京都ではなくてその頃は神奈川県の津久井郡相模湖町、今では相模原市の一部で、東京都はそのさらに東側であるにもかかわらず「西東京工場」などと名づけていたが)で、連日、それまで重い物を運ぶような仕事をしていたわけでもない人間が30㎏以上あるタイルや御影石の束をを朝8時過ぎから夜の12時頃まで運ばされて、腰や肘を痛めて整形外科に通い、その際には医者から「そんなことしたら、当然、体を痛めますね」と言われたものだったが、「労災」というのはその時にすぐに申請しないとだめで、一時、おさまったからということで整形外科に通うのをやめて、その後、ぶり返したからとまた整形外科に行っても認められないらしい。何よりも、「それは労災なのか?」と言う人がいたが、(株)一条工務店はどう考えても、意図的に体を壊させようとしてやっていたのであり、「労災」というのは使用者の過失・不注意で労働者に体を痛めさせたものを言うのであり、こういうことをさせたら体を痛めるであろうと意図してやらせて怪我させたというものは、それは「労災」と言うのではなく「傷害罪」に該当する犯罪だと評価されるべきものだと思われる・・のだが、それがぶり返してきたものか、別の要因もあるのか、証明するのはけっこう難しそうであり、そもそも、人間が身体のどこかに不調が出たという場合、原因が2つ以上あることは少なくないし、今から、あの時に怪我させられたものがまた出てきたと言っても、認めさせるのは簡単ではないかもしれない。
それで、そういうことがあって、今現在、私は左手ではあまり重い物は持てないのだ・・が、「できるだけ右手で持つようにして」と整形外科の医者とか理学療法士は言うけれども、そう言われても、家の鍵を開けるにしても、左手で荷物を持って右手で鍵を開けるのであり、左手は右手の役割はできないし、今まで左手で持ってきた荷物は右手で持てるかというと同じだけは持てない。そういう状態で、けっこう苦労して買い物をしていたのだった。スーパーのレジから自分のクルマまでの間くらいなら痛いのを我慢してなんとか運べるかもしれないと思ってクルマに向かっている者の前に立ち塞がったのが「爺さんドライバー」だったのだ。道路からの進入路を進んできて、駐車場に入る位置まで来て、そこで「入るのか入らんのか、入らんのか入るのか、入らんのんか~い」という動きをするのだが、それ、やめてほしいのだ。「体はけっこう元気な年寄り」は自分は「年寄り」だから周囲から心配してもらって尊重してもらって当然で自分は周囲の人間から配慮してもらう側だと思うらしいが、周囲にも体の具合の悪い人間がいる可能性があるという意識が欠けている人が「爺さん」には多い。その状態になったら「爺さん」で「年寄り」なのだろうなあ・・と思うが、とりあえず、「行くのか行けへんのんか、行けへんのんか行くのか、行けへんのんか~い」ての、やめてほしいのだ。行くなら行く、行けへんなら行けへんとどっちかにしてほしいのだった。・・たぶん、爺さんとしては、駐車場に空車のスペースがあるかどうかわからないから、だから、「行くのか行けへんのか、行けへんのか行くのか、行けへんのんか~い」て態度をとったのだろう。若いドライバーというほど若くなくても、私ならある程度、入ってみて空車スペースを捜すところだが爺さんは、少しでも入って空きがなかった時に引き返すのが嫌で、又、自分が奥の方に入った時に手前の方のクルマが出てそこに後から入ってきたクルマに入られるのが嫌なものだから、それで、「行くのか行けへんのんか、行けへんのんか行くのか、行けへんのんか~い」て態度に出たのだろう。せめて、どっちかにしてくれれば、爺さんのクルマの前を通って私のクルマの所に行くか、爺さんのクルマの後ろを通って私のクルマの所に行くかできたし、そうすれば、私が買い物した荷物をクルマに置いて発進して出れば・・別に私が出なくても爺さんが認知できないだけですでに何台分も空車のスペースはあったのだが・・私のクルマが出たのを見れば爺さんは空車スペースがあると理解できてクルマを停められたはずだが、「行くのか行けへんのか、行けへんのか行くのか、行けへんのんか~い」という動きをするために、持てない左手で無理して持っている荷物に苦しみながらその場で長く立たされることになった。爺さんは自分がそうやって人に迷惑かけているなんて認識できていない、「病識がない」状態だった。
※ 「来るのかけえへんのか、けえへんのか来るのか、けえへんのんか~い」⇒《YouTube-乳首ドリルすな!》https://www.youtube.com/watch?v=IQBdf_QTfV4
いつか、自分もあんなになるのかなあ、なりたくないなあ・・・とか思ったものだったが、とりあえず、左肘に痛みがあってある程度の重さの物を長時間は持てない状態で無理して持って自分のクルマまで早く行きたい者を立ち止まらせているからには「行くのか行けへんのんか、行けへんのんか行くのか、行けへんのんか~い」という態度はやめてほしかった・・・がやめないのが「爺さん」なのか・・・。
《2》 クルマの運転については「おばさん」のドライバーは嫌い・・と思ったことがあった。千葉県船橋市の我が家の近所で幅4mの緩いカーブが長く続く道があって、1990年代、我が家に引っ越してそれほど経たない時期、その道を通っていこうとしたところ、向こうから「おばさん」の運転するクルマがやってきたのだが、「おばさん」は強いのだ。どこが「強い」かというと、自分がバックするよりも相手にバックさせた方が、相手がバックしてどこかにぶつけても相手の責任だが自分がバックしてぶつけたら自分の責任になるから相手にバックさせた方がいいとか言う人も世の中にはいるけれども、クルマを運転すると実際にはそうもいかないことが多い・・のだが「おばさん」はそれをやるのだ。
「おばさん」は2mかそこら下がればすれ違いできるはずなのだが、それに対してこちらがバックしてすれ違えるようにしようとすると相当の距離を下がらないといけないので、普通は少し下がればすれ違えるという場所にいる方が下がると思うのだが、ところが「おばさん」は下がらない。どうするかというと・・・、膝の上に両手を置いて、にやにやにやにやしているのだ・・。
しかたなしに、相当長い距離をこちらがバックで下がったが、それ以来、その道は通らないことにした。「おばさん」ドライバーは嫌いだ・・と言っても、中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)で、「オヤジ」とは「その年代のその性別の人」のことではなく「オヤジと言われるようなことをする人」のことで若い人にも「オヤジ」はいるし女性にも「オヤジ」はいると述べられているけれども、ここで「オバサン」と言うのも「その年代のその性別の人」のことではなくて、「おばさん」「おばはん」と言われるようなことをする人のことだ。
クルマを運転するようになってから、「おばさん」のドライバーは嫌いになったが、これもあくまで「おばさんドライバー」と言われるようなことをする人のことで、「その年代のその性別の人」のいことではない。
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
《3》 「じいさん」ドライバーについては、我が家から遠くない所に「船橋アリーナ」という市営の体育館と温水プールがあるのだが、駐車スペースの幅が狭く、一度、船橋アリーナの事務所の意見として、駐車可能台数を少し少なくしてでも、もう少し幅を広くしてもらうことはできないかと言ったことがあったが「ご意見として対応させてもらいます」と言っただけでその後もどうもならず、そのうち、コロナウイルスの問題で休館になった。
何年前だったか、そこで、隣りのスペースの爺さんが出ていく時に、隣に停めているこちらのクルマのドアミラーにゴンとあててそのまま出ていきよった。ドアミラーは折りたためるようになっていて、当てられても折れたりはしないが、当てれば当たった部分には傷はつく。まあ、他にも当てて傷がついている部分もあるし、ドアミラーの先端は塗料をイエローハットかオートバックスで買って塗ればわからなくなるだろうからいいか・・・と思わないこともなかったが、しかし、当てたのはわかっているはずなのに、止まることもなくそのまま行ってしまうこともないだろ・・・と思ったが、自分が当てたのはわかっていてもそのまま行くのが「爺さんドライバー」だった。
ドアミラーが使えなくなったわけでもなく、修理代に相当の金額がかかったわけでもないが、気分は悪かったが、そういう経験をしたくなければ「爺さん」がいない国に行くしかないが、「爺さん」も「爺さんドライバー」もいるのだ・・・。
《4》 自分が当てておいて「当てた」という自覚がない人というのはいる。1990年代、(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に勤務していた時、いわき市平尼子町 のJTいわきハウジングパークという総合住宅展示場(今はなくなって、スーパーの「マルト」になっている)の近くに新川という下流で夏井川に合流する川が流れていて、そこに、たしか尼子橋と言ったように思うのだが赤い橋がかかっていたのだが、この橋をクルマで渡ってくると下の道に出る時に、左折しようとすると大きく曲がらないといけないだけでなく右から何台もクルマが来るので「左折禁止」になっていたのだ・・・が、ところが、運転がヘタクソとはっきりわかるおばさんがそこを左折しようとして長く停車して、そのおかげで後ろで待たされたこちらが、進めずに困ったことがあった。
ひとなみの運転技術がある者でも左折は難しい所で、それゆえに「左折禁止」になって標識が立っているのだが、そこを明らかに運転がヘタクソのおばさんが無理して左折しようとするのだが、そのうち、あきらめて右折して進むだろうと思って待っていたが、おばさんはあきらめない。後から考えてみると、「見るからに運転がヘタクソ」からすると、私なら左に行きたいけれども左折はできないという所なら右折で進んでどこかで何回か曲がって左折して進む所に行こうと考えるところを、何が何でも左折しないと、右に行ったら戻ってこれないという恐怖感みたいなものがあったのかもしれない。
後から考えてみれば、その時点で自分のクルマにハザードランプをつけた上でクルマを降りておばさんの所に行って、「どこに行きたいのですか。左の方に行きたいとしても、ここは左折禁止ですよ。そこに左折禁止の標識が立っていますでしょ。ここは前の道に左側に鋭角に合流するので左折はしにくいし、それに右側からクルマがけっこう来ますから、相当の運転技術がある人なら左折禁止でも曲がって行く人もあるかもしれませんが、あなたの運転技術では無理です。ここは右折しかできませんから、右折で進んで、次の信号で左折すれば左の方に行けますから、そうしてください。ここは左折禁止の場所であるだけでなく、あなたの運転技術で左折するの無理ですし危険ですから右折で進んでください」と言ってあげるべきだった。
「情けは人のためならず」という言葉があるが、この言葉の意味を「ひとに情けをかけても、決してそれはその人のためにならない」という意味だと思っている人がおり、私も昔はそう思っていたのだが、実はこの言葉の意味はそうではなくて、「ひとに情けある態度をとれば、いつかはそれがわが身に帰ってくるもので、その逆の態度をとっておればそれもいつかはわが身に帰ってくるものであり、ひとに情けある態度をとるのはその相手のためではなく自分のためなのだ」という意味らしい・・のだが、この時はまさにそうだった。降りて教えてあげようかなとも思ったのだが、そのうち気づいてあきらめるだろう・・と思ったのだが、おばさんはあきらめなかった。あきらめずに、さらに、自分のクルマの位置を後ろに下げれば左折しやすいだろうと考えたようで、そして後ろに私のクルマが停車していることなどおかまいなしにバックしてドン! とぶつけたのだった。おいおい~、かなわんなあ・・・と思ったが、おばさんは降りて誤りもせずに左折をさらに試みる。私がその時点でクルマから降りて、おばさんの所に行って窓ガラスをコンコンと叩いても、左を指さして、自分は左折したいんだという意志表示をして窓も開けない。自分が私のクルマにぶつけたこと自体、わかっていないようだった。
せめて、運転席の窓を開けてくれたら、「あなた、今、バックして私のクルマにぶつけたのですよ。わかってませんか」と言うこともできたし、「いいですか。そこに標識が立っているのが見えますでしょ。ここは左折は禁止の場所ですよ。道のつながり方から考えても左折はしにくいけれども、それだけじゃなくて右からクルマがけっこう来ますでしょ。だから、ここは左折禁止になっているのです。それに、たとえ、左折禁止になっていなくても、あなたの運転技術ではここで左折するのは無理です。もしも、この左側に行きたいのいなら、右折で進めばすぐの所に信号がある交差点がありますから、そこで左折して進んでください。そこならあなたの運転技術でも左折できますから」と教えてあげることだってできたのだが、おばさんは運転席の窓も開けないのだ。もう、いったん、「な~にが何でもここを左折しなければ」という気持ちになったら、左折禁止の標識なんて目に入らないし、自分がバックしてひとのクルマにぶつけても気づかないし、「ここは左折禁止の場所ですよ。標識がそこに立ってますでしょ」「左折禁止でなくても、あなたの運転技術ではここを左折するのは無理ですから、右折で進んで次の信号を左折して進んでください」と言ってあげようとしても、もう聞く耳なんてないようで、頭も心も「何が何でも左折しなければ」という意識でいっぱいだったようだ。
おばさんにぶつけられて、まあ、猛スピードでぶつかったわけではないとしても、それでも、ぶつけられたのだが、おばさんは自分がぶつけたという自覚もないみたいで、困ったなあ・・と思っていたら、そのうち、右から来るクルマが途切れたところで、ついにおばさんは左折禁止の所を左折して行ってしまった。 結局、私はおばさんにぶつけられて、そのまま、謝罪もなく行かれてしまったのだった
「でも、『いわき のおばさん』だから、まあ、いいにしてあげるか」と、その時は思ったのだ。
「『いわきのおばさん』だから」というのは2通りの意味があります。中学校の同級生で愛媛大学に行った男が「松山に行ったら、松山では信号でも横断歩道でもない所でクルマが停まって渡らせてくれる。ここはいい所だなあ、松山の人っていい人たちだなあ・・と思ったけれども、そうじゃないとそのうち気づいた」と話していたことがあったのだが、いわき市に行った時にも似た経験をしたのだ。信号でも横断歩道でもない所で、信号はどこかにあるかなあと見まわしていたら、横断歩道でも何でもない所でクルマが停まって渡らせてくれたのだ。「ここはいい所だなあ」と思ったし、「いわき の人っていい人だなあ」とも思ったのだった・・・が、そういう問題ではないとそのうち、気づいた。そうではなくて、なにしろ、「いわきの爺さん」「いわきの婆さん」は信号なんかなくても、横断歩道なんかなくても、信号が赤でもおかまいなしに「歩行者優先」で渡るもんだから、ひき殺すわけにいかない以上、クルマのドライバーは止まるのだ。いわき市に住んで、そのうち、私もクルマを運転していて、信号でも横断歩道でもない所でも、渡りたいなあて感じの人がいたら停まるようになったが、特別に「人格者」になったわけでもなく「いい人」になったわけでもなく、ひき殺すわけにいかない以上、止まらなきゃしかたないじゃん・・てものだった。愛媛大に行った某くんの言った意味がわかった。だから、「『いわき のおばさん』も、信号が赤でも横断する民族だから、しかたがない(?)」みたいに一瞬、思ったのだった・・・が、それでも、ひとのクルマにぶつけておいて、そのまま、行ってしまう、クルマから降りもしないで、こちらが窓ガラスをコンコンと叩いてもそれでもクルマから降りもしないし運転席の窓も開けない・・というのは、たとえ、気づかなかったからであっても、それはひどいのではないか・・とも思ったが、そんなこと言っても「いわき のおばさん」というのは、東京や大阪の人間とは違ってそういう民族なんだから・・なんて気持ちになってしまったということがあった。
もうひとつは、最初にいわき市に行った時に「ここはいい所だなあ」と思い、「ここの人って、いい人たちだなあ」と思ったのは、それは最初に行った時の思い違いとかではなくて、やっぱり、東京なんかの人間と比べて、いい人が多かったと思うのだ。2011年3月に福島第一原発の事故があった後、避難したコンビニの店主が店に戻ったところ、店の物が持ち去られてATMはこじ開けられていたらしく、「そんなに悪い人が多い所ではないと思うのだけれどもねえ」と嘆いていたというのがヤフーニュースに掲載されていたが、私も同じ感覚、「そんなに悪い人が多い所ではない」と思っていた。戸建住宅建築業の営業がアポなし訪問なんてした場合、そこで建てることを検討している人なら、東京でもあがってくださいと言われることはあるとしても、頼む気がない場合に「こんな所までよく来てくれたねえ。まあ、あがってちょうだい」と言われて、「うちはもう建てる所が決まってるんだよ。こんな所まで来てもらってごめんねえ」と言いながら、なんだかんだ出してくれて、「まあ、食べてちょうだい。あんた、どのあたりに住んでるの」と言われて、どこそこですと言うと、「あ~あ、うちの親戚の何何ちゃんちの近くだあ~あ」と言われる・・というそういう土地柄の所だから、あのおばさんも、きっと、それまでに親切にしてくれた人の誰かの親戚かもしれないし、いいにしてあげようかなあ・・・という気持ちになったのだ・・けれども、それでも、ひとのクルマにぶつけておいて、黙ってそのまま行ってしまうてのは、たとえ、ぶつけたことにすら気づいていなかったとしても、それはないだろ・・・とも思ったが、なにしろ、いわき市というのは、その頃は人口36万人、福島第一原発事故があった2011年頃は34万人と出ていたが最近は減ってしまって33万人とかいうけれども、ともかく、「東北地方では仙台の次に人口が多い都市」であるはずなのだが、その割に「友達の友達は皆、友達だ」みたいに、なんだか、知ってる人とどこかでよく会う街で、また、たまたま会った相手が、誰の友達の親戚の職場の同僚の人の組内の人間だったとか、そういうことが多い所であり、あのおばさんだって、そのおばさんの親戚の友達の職場の同僚の組内とかいうのが誰それだった・・とか、なんかありそう・・だったし、もう、いいにしてあげようか・・とも思ったが、それにしても、黙って行ってしまうことないだろ・・・とも思ったけれども、「『いわきのおばさん』だから、しようがない」て気持ちにその時はなったのだった。
しかし、いわき市及び福島県浜通り地区は一般的には「決して悪い人が多い所ではない」と思ったし今も思っているけれども、それは、あくまでも「一般的には」であって、中には「困った人」もいたし、又、人間関係というのは、あらかじめ、どちらがいいとか悪いとか決まっているものではなく、時として、「東京ではそうかもしれないけれども、いわき では・・」とかいう言い回しを使って自分の勝手な言い分をひとに「言うことをきく」ようにさせようという卑怯者もいたのだ。
この「東京ではそうかもしれないけれども、いわき では・・」という言い回しは、これは卑怯なのだ。実際にそういうこともないわけではないだろう。しかし、よそから来た人間は、この言い回しを無制限・無条件に認めさせられたなら、どんな理不尽なことでも「言うことをきく」ようにされてしまうことになってしまうのだ。それをわかっていてこの言い回しを使う人間がいた。だから、一般的には「決して悪い人が多い所ではない」と私は思っていたし今も思っているのだけれども、個々の人間関係においてどちらがいいか悪いかということになると、そんなものは、あらかじめ決まっているものではない。
《5》 通じるわけないのに「俺はいなかものだから、ひとがいいんだ」などと言う者がいるんだ・・・とあきれた体験をしたのは、2010年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕(2013年11月に正式に倒産)でだった。なんで「いなかもの」だったら「ひとがいい」の? と思いませんか。
まず、ここで認識しておかないといけないのは、「いなかもの」という言葉には2通りの意味があるという点だ。福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもいの』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、「いなかもの」という言葉を使用する場合、どちらの意味での「いなかもの」なのか、ということを考える必要がある。
2010年だったか2011年になっていたか、2010年だったように思うのだが、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕(2013年11月に正式に倒産)で、S井(男。当時、40代前半)が「俺はいなかものだから、ひとがいいんだ」などと私に言うので、「はあ~あ?」と思ったということがあった。もうすでに何か月か同じ職場にいて、その反対の態度・行動を相当とってきた男が何を言うかというものだった。
それとともに、桜井は千葉県佐倉市の住人だから「いなかもの」だと主張したいようだったが、佐倉市は最近では分譲地もできてそれほど「いなか」でもなくなった。もっとも、佐倉市あたりの分譲地によそからやってきて住んだ「よそ者」というのはどこから来たのかというと、東京の街中から来た人というのもいないことないだろうけれども、「東京の街中」から千葉県に引っ越す人間の感覚からすると、総武線沿線なら千葉駅まで、常磐線なら千葉県内まで、京成本線なら八千代台・勝田台あたりまでで、佐倉市になると遠い、何もそこまで行かなくても・・という感覚がある人が多いと思われるし、又、都内まで通勤することを考えると、そこまで遠くに行かなくても・・という気持ちにもなる。佐倉市内の「農家の次男・三男」が佐倉市内の分譲地を買って住むということもあるだろうが、「佐倉市よりも東京から遠い側の千葉県」の住人が東京都内に通勤する仕事につくために、元々の郷里よりは東京に近い場所に買って住むという場合がある。だから、桜井は佐倉市の住人であるだけでなく「元からの佐倉市の住人」だから「いなかもの」で、「いなかもの だから、俺はひとがいいんだ」などと勝手なことを言ったようだったが、「元からの佐倉市の住人」でない佐倉市の住人でも「都会から引っ越してきた佐倉市の住人」ではなくて「佐倉市よりも東京から遠い側から佐倉市に転入してきた佐倉市の住人」が少なくないはずだ。
何より、私は福島県に5年・栃木県に3年半・山梨県に1年3か月住んできた人間であり、考えようによっては私の方が桜井よりもよっぽど「いなかものだから人がいい」かどうかはさておき、「いなか に住んできた暮らしてきた人間」だったのだ。福島県人からすれば千葉県佐倉市なんか「いなか」ではないのだ。何を「しょーもないこと言い」やってんだ、てものだ。
そして、何より「・・だからひとがいいんだ」だのという厚かましい主張する人間て、嫌いなんだよ。(株)一条工務店 の営業本部長の天野隆夫(男。私が同社に入社した1992年の頃、40くらいだったから、今は70代になったか)は「ぼくは学校でてない(最終学歴:中卒)から、だから、気さくで人間味があって、人柄がいいんだ」と言い、「はあ?」「なんで、『学校出てない』なら『気さく』で『人間味がある』で『人柄がいい』てことになるの?」「『ええ大学』出たら『人柄が悪い』てことになるの? はあ?」と思っていると、「おい、そう思うだろ。思わないのか。思うんだろって。おい、ぼくが『思うんだろ』って言ってるんだ。おい、『思います』と言えよ。言わないのか。『思います』と言え」と言って無理矢理「思います」と言わされた。そういう人のことを「学校でてないから気さくで人間味があって人柄がいい」と言うそうなのだ。(株)一条工務店では無理矢理、そう言わされるのだった・・・が、私は(株)一条工務店に11年余り勤めて、10年越え勤めた者には記念品として腕時計をもらえるというその腕時計をもらった者の1人で、これは入社しても半年程度で辞める・・もしくは辞めさせられるこの会社においては珍しい方の人間で、2001年栃木県の営業社員の集会があった時に入社の順番に席が決められていた時には、私は60人ほどいた中で「南部営業所副所長」「北部営業所副所長」になっていた2人を別にすれば古い方から5番目だった者だが、その私の倍ほど在籍した最終学歴は高卒の某さんにこの話をしたところ、「はあ~あ? はあ~あ? 誰だ、そんなわけのわからんことを言っているのは。天野部長のいったいどこが『気さく』で、いったいどこが『人間味がある』で、いったいどこが『人柄がいい』なんだ。あの人のいったいどこが『気さく』で、いったいどこが『人間味がある』で、いったいどこが『人柄がいい』なんだ。 いったい、どこの誰がそんなわけのわからん無茶苦茶なこと言ってるんだ、どこの誰があ???」と言うのだったが、「いったいどこの誰がそんなわけのわからん無茶苦茶なこと言っているのか」というと、ご本人だった。「そんなわけのわからん無茶苦茶なこと」言っていたのは、天野隆夫さんご本人であり、ご本人以外に「そんなわけのわからん無茶苦茶なこと」言っている人は(株)一条工務店にいなかった。むしろ、文学者だか哲学者だかいう肩書の人で「人間の性質がとことん悪くなると、人を精神的に傷つけることにしか喜びを感じなくなる」と述べていたのをどこでだか読んだのだが、この言葉は(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫にあてはまる言葉だ。
それと似たものとして、「俺はいなかもの だからひとがいいんだ」などと言う者というのは「はあ~あ?」「はあ~あ?」てものだ。特に、すでに何か月か同じ職場にいて、けっこう陰湿なところを見せてきた男がそんな寝言みたいなことを言っても「はあ~あ( 一一) 」てものだった。
そう思っていたら、この2023年12月、夏目漱石『こころ』(新潮文庫)を再読していたら、『こころ』に登場する「先生」がまさにこう述べていた。
《 「あなたの御父さんが亡くなられるのを、今から予想して掛るような言葉遣いをするのが気に触ったら許してくれたまえ。然し人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、何時死ぬか分からないものだからね」
先生の口気(こうき)は珍しく苦々しかった。
「そんな事ちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。
「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。
先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。
「みんな善(い)い人ですか」
「別に悪い人間という程のものもいないようです。大抵田舎者ですから」
「田舎者は何故(なぜ)悪くないんですか」
私はこの追窮に苦しんだ。然し先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
「田舎者は都会のものより、却って悪い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだと云いましたね。然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
先生のいう事は、此所で切れる様子もなかった。・・・ 》
( 夏目漱石『こころ』1914年、岩波書店より刊行。新潮文庫では1952年初版、2004年改版。「上 先生と私」「二十八」 )
こころ(新潮文庫) - 夏目漱石
福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもいの』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、「俺はいなかものだからひとがいいんだ」などと勝手なことを言う男というのは、むしろ、「精神面がいなかもの」の一種と見た方がいいのではないか。そういう厚かましい口をきく人間というのは、決して「ひとがいい」などということはない。
すでにその逆を相当やってきた男が、よく言うよな・・・てところもあったが、それとともに、千葉県佐倉市なんて今ではそれほど「いなか」でなくなってきた所、福島県人から見れば「都会」の住人が「何割か福島県人」に向かって何をぬかすか・・・とも思ったものだった。
私は大阪で生まれ育って東京圏の大学に行って、小堀住研(株)では千葉県と東京都で勤務し、(株)一条工務店では東京都の営業所に最初は勤務したが、その後、千葉県に半年勤めた後、福島県に5年・栃木県に3年半・山梨県に1年3か月勤務したが、「地方」で勤務すると「都市圏」では経験しないことを経験したりもします。私は元々、5年も10年も一線の営業をやる予定で(株)一条工務店に入社したわけではないので、経験として複数地域に勤務していいと思っていましたし、2年目にさしかかった時に営業本部長からインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言われ、慶應大学商学部の卒業生として、大学在学中に学んだ経済学やマーケティングに、インテリアコーディネーター資格取得者としての住宅・建築・インテリアについての知識・認識、それに実際に複数地域で勤務した経験とを合わせて、商品開発であるとか新規出店計画であるとかそういった業務についてもらおうということなのであろうと思って福島県にも行き栃木県にも行きましたし、一般に和風外観の「百年」という名前をつけた建物の展示場は一般風の「セゾン」の展示場よりも契約棟数としては不利だと言われていたのですが、経験として勤務するのですから、そういう所に勤務する経験もあっていいと思って私は勤めました。そうやって「他の者がやらない努力をして・他の者がやらない苦労をして・他の者がやらない我慢をして」勤めた結果、(株)一条工務店の経営者から「やらずぶったくり」にされました。
それはそれとして、都市圏で育った者が「地方」で勤務すると、都市圏では経験しないことを経験します。最初に福島県いわき市の営業所に行った時、元から いわき市の営業所に勤務していた人から「いわき で背広着て営業しているのは銀行の営業と積水ハウスの営業とおまえだけだ」と言われたことがありましたが、服装については、ともかく、ぴしっとした格好をすればいいというものでもなく、「相手の服装に近い服装をした方が心を開いてもらえやすい」ということもあり、「その地域の住人がどういう服装をしているか」を考えて、「その地域の住人になじみやすい服装をした方がいい」という面があります。だから、東京や大阪の人間を相手にするのなら良くても、「地方」の人間・「東北」の人間を相手にするのなら、背広上下に革靴を履いてぴしっとした格好というのは、かえって「東京もんの営業が何を売りつけにきたのか」というように見られてしまって良くない場合があります。それを考えて、いわき市で勤務する時には服装を変えましたが、それを承知の上で、あえて「ジャンパー着てる営業とは違う、それより上の営業」という意味合いをかもし出すために(「かもし出す」だけではありません。実際、「ジャンパー着てるおっさん」より上の仕事を私はできたと思います。)、背広上下を着て行くと「東京もんの営業が何を売りつけに来たのか」と見られる危険もあることは承知の上で、意図的に「ジャンパー着て営業やってるおっさんとは違うんだ」という雰囲気にするために背広上下を着るようにしたこともあります。
同じ服装をしていても、そういったことを考えた上でやるのと考えずにやるのとは同じではありません。「ジャンパー着てるやつとは違うんだ」ということであえて意図的に背広上下を着るようにして動いていた時のことですが、背広上下を着て いわき市で物を買おうとすると苦労することがあって、いわき市四倉の法務局で登記簿謄本など取得しようとした際、今は収入印紙でいいことになったと思いますが、かつては法務局で登記簿謄本を取得するには登記印紙を貼る必要があったのですが、登記印紙は法務局では売っておらず、郵便局で購入するのでなければ、法務局の近くの店が「印紙売りさばき所」とかいうことで売っていたのです。ところが、「近くの店」というのは「普通の店」で、「普通の店」は現役世代のおっさんが常に店にいるわけではなくて、おばあちゃんが店番やってる時もあるのです・・が、いわき の ばっぱ さんから登記印紙を買うのは大変です。四倉の法務局のはす向かいあたりの八百屋だったか果物屋だったかで登記印紙を購入しようとすると、おばあちゃんは「なに~。何しに来たの、あんたあ」「何を買ってほしいのお」と言うのです。「何を買ってほしいの」て、そこで商売やってるのは私じゃなくてあんたやろうが。私は買う立場であって売ってるのはあんたやろうが。「ですから、登記印紙を買いたいのです」と言っても、「何を買ってほしいの」と言うのです。売ってるのはあんたやろうが、あんた。ここで店を出してるのは私じゃなくてあんたやろうが・・と思うのですが、それでも「何、買ってほしいの、何を。要らんよ。帰ってえ」と言うのですが、帰ってしまったのでは登記簿謄本を取得できないので帰るわけにはいきません。「だから、買ってほしいのではなくて売ってほしいのです。登記印紙を売ってほしいのです」と言っても言っても、「帰ってと言ってるでしょ。要らんから帰ってえ」と言ってきかない。この婆さんを相手にして、この婆さんから登記印紙を買うのは並大抵のことではないとあきらめて、クルマで近くの郵便局まで行って登記印紙を購入しましたが、自分が売ってるくせしてからに「何、買ってほしいの。要らんから帰ってえ」と言ってきかない婆さんには難儀しました・・けれども、今となってはいい経験したような気もするけれども、そうやって複数地域での経験を積んできた者を生かそうとしない経営者の会社では、そういった努力も苦労も経験もどぶに捨てさせられるようなものだったようです。いわき市の営業所にいた時には、法務局で登記簿謄本を取得するなどするための登記印紙を購入しようとして、いわき の ばっぱさんから上手く購入できず困った経験はいわき市四倉の法務局の前の店だけでなく、小名浜の法務局でも経験したような記憶があります。
新華ハウジング(有)の桜井さんは、そういう経験もしていないでしょ。千葉県佐倉市の住人で、かつ、元からの佐倉市の住人だから「いなかもの」で「いなかもの」だから「人がいいんだ」とかなり陰湿な方の人間が強引な三段論法を主張しますが、さすがに千葉県佐倉市の法務局の近くの「印紙売りさばき所」で登記印紙を購入しようとしたら、「何、買ってほしいの。要らんから帰ってえ」と婆さんに言われ、売ってるのは私やのうてあんたやろうが、私は買う側であんたが売ってるんやろうがと思っても「だから、帰って言うてるでしょ。要らんから帰ってえ」と言われて、そう言われても隣の店では登記印紙は売ってないし、困ったなあと思って、婆さんになんとかわかってもらおうと努力しても、努力は通じず、この店で登記印紙を購入するのは至難のこととあきらめて郵便局まで買いに行った・・なんて経験は千葉県佐倉市の住人でその付近でしか仕事をしたことがない人はないでしょ。そういう「いなか」での経験をしたことがない男が、何を「俺はいなかものだから」だ。桜井が「いなかもの」を名乗るのは百年早い!
ついでに「都市圏」というのも「東京圏」と「関西圏」では共通点もあるけれども異なるものもあり、「都市圏」ならすべて同じというわけでもありません。最近では大阪でも三井ホームで建てる人があるようですが、少し前に大阪で三井ホームで建てた家を見て、「あ、これは東京もんの好みだな」と感じたことがあったのです。「何をすかしとんねん」て雰囲気が出ていたのです。三井ホームは都市圏か「地方」かというと都市圏で建ててもらうことを想定した商品ですが、都市圏でも東京圏か関西圏かというと東京圏の方で建ててもらうことを想定した商品です。関西、特に大阪の人間なら「何、すかしとんねん」と感じる感覚が、どうも、東京の人間にはそれほどないみたいで、三井ホームはこの点で関西の人間ではなく東京圏の人間をターゲットとして考えた商品と売り方にしているように思えます。又、三井ホームは「医院併用住宅」をけっこう売り出していましたが、「成り上がりものの医者」にけっこう人気があり、「三井ホームで建てた」というのが「ステータス」になると考えている「成り上がり者の医者」が少なくないみたいです。「三井ホームの家」というのは外から見てもそういう雰囲気があります。単に医者の家ではなくて、あくまでも「成り上がり者の医者の家」です。
私は三井ホームの家というのは何も悪いところばかりとは思っていませんが、実際問題として東京もんが見るといいと思っても関西人が見ると「何をすかしとんねん」という印象を受けるという傾向のものがあり、「成り上がり者の医者」の好みに沿ったようなもの、千利休が好んだものを「利休好み」・古田織部が好んだものを「織部好み」・小堀遠州が好んだものを「遠州好み」と言ったようなそういう表現をするなら三井ホームの家というのは何かにつけて「成り上がり者好み」の傾向が現実にあります。又、「三井ホームの仕事やってた設計事務所のおっさん」にもそんな人が多い。三井ホームは「建築家とインテリアコーディネーターがつくる家」と書いた横断幕を展示場にかかげていましたが、「建築家」と言われると、フランクロイド=ライトとかル=コルビュジェとかそんな感じの人が自分の家を設計してくれるのか・・と思いそうになりますが、建築家と建築屋の違いは何かというと、私はかつては「京大工学部建築学科か東大工学部建築学科卒で菊川怜以外の人間が「建築家」で、ポン大の建築学科とか出たやつが「建築屋」かと思っていたら、定義はけっこう曖昧で「スタンドカラーシャツを着たら建築家」とか「ヒゲはやしたら建築家」とか「ともかく、名刺に『建築家 鷲野木造』とか書き込んで配って回ったら建築家」とか、難易度が高いのは「女優と結婚したら建築家」とか、もしくは「ルパシカとか着てベレー帽とかかぶり、真っ赤なスポーツカーに乗るとか大久保清みたいな格好すれば建築家」とか、かなり定義は曖昧ですが「嘘でも百回言えば真実」みたいなところがあって、三井ホームでは「『建築専門学校卒』とかで名刺に『一級建築士』と入れれば『建築家』と思ってもらえてそれで『ひとは言うことをきく』と思っておるらしい、””そのへんの設計事務所のおっさん””」のことを「建築家」と言うておるのです。
(株)一条工務店で栃木県の自治医大の近くの営業所(展示場)に勤務していた人に教えてもらった話ですが、自治医大の附属病院に勤めている比較的若い医者がよく展示場に来たらしいのですが、そういう医者は三井ホームで建てたがる者が多いらしいのだが、医者といっても病院勤めの雇われ医者で、なおかつ、自治医大というのは卒業後に出身地の都道府県が指定する「へき地」の病院に何年だったか勤務するという条件で学費はタダ・全寮制で寮費もタダという行く者には最高の条件の大学で、私も行きたかったのですが、そういう条件の大学ですから、親が医者屋で「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやってガッポがっぽせしめたカネの一部を寄付金として払って行くような私立金権裏口医大卒のやつとかとは違って「貧乏人の息子」が多い大学なのです。私立金権裏口医大卒のやつより「貧乏人の息子」が多いのは間違いないとして、慶應大医学部なんてのよりも貧乏人の息子が多いはずです。慶應大医学部なんてのは寄付金払わなくても入試で合格最低点より高い点数取れば入れてもらえるらしいけれども、慶應大は昔から大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費の大学で「早稲田大と慶應大なら同じ学部なら慶應大の方がかなり安い」という大学だけれども、それはあくまでも経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部のことであって、理工学部は経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部の5割増しくらいだったように思うが医学部になるともっと高くて経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部の倍ほどかかり、経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部は4年であるのに対して医学部は6年行かないといけないので、たとえ、慶應大は経済学部・商学部・法律学部法律学科・法律学部政治学科・文学部は「私立大学の中では安い方の学費の大学」であっても医学部はその3倍の学費がかかることになりますから、私立金権医大の寄付金ほどはかからないかもしれないが決して安くはないのです。さらに慶應大の医学部は「内部進学が定員の4割」とあらかじめ決まっているらしく、慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学だけれども小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」らしく、そもそも、「先祖代々揺り籠から墓場まで慶應」の人(「サラブレッド的慶應」というのか「ほとんどビョーキ」というのかの人)か医者屋の息子・娘かプロ野球選手の息子か芸能人の息子・娘かヤクザの組長の息子か保守系政治家の息子とか右翼系企業のオーナー経営者の息子とかそういう人の行く特殊な学校に「プロレタリアートの息子」「人民大衆の息子」が学費を出せるか否かにかかわらずそんな所に行ってもしかたがない、それこそ『巨人の星』でブルジョワの息子・娘の行く高校・「最低でもお抱え運転手がクルマで送り迎えするくらいの家庭の息子・娘」の行く高校の青雲高校に「日雇い人夫の息子」の星飛雄馬が行くみたいなもので、行ってもあんまりいいことないと思われます。〔⇒《YouTube-Kyojin no Hoshi OP》https://www.youtube.com/watch?v=2FtfzXkxWKQ 〕この「内部進学が定員の4割」という4割の人というのは世間一般の基準からすればまちがいなく「富裕層」の人の息子・娘が多いはずでしたが、自治医大はその逆だったのです。貧乏たれの息子だけれども学校の勉強はよくできたという者が医者になりたいと思った場合は一般には学費が安い国立大学の医学部に行くものですが、自治医大は分類としては「私立」に分類されるけれども全国の都道府県が費用を出して設けた大学であって事実上、公営の性格の大学で、国立大学や各都道府県の県立大学・府立大学よりさらに「貧乏たれ」の息子が多い大学のはずです。だから、医者屋だからカネあるだろうと思うと、自治医大卒の医者というのはそうでもなかったりするようです。なおかつ、大学に行くより前の元々の立場よりも「ハイクラス」の層に入ったという意識を持っている人ですから、その結果、どうも「成り上がり者好み」になる傾向を持つ場合が少なくないらしい。だから、栃木県の石橋町だったか自治医大付属病院がある近くの展示場に来る自治医大付属病院に勤めている医者というのは三井ホームで建てたがる。そういう人が(株)一条工務店の展示場によく来たらしいのですが、そういう場合の対処のしかたとして「三井ホームをほめろ」というもの一択だったそうで、「ツーバイフォー工法で建てるなら三井ホームでないとだめですよ。それ以外では建てない方がいいですよ」と言ってあげるそうです。「三井ホームをほめろ」なんてそんなことしたら三井ホームで契約されてしまうじゃないか、同業他社の営業がそんなことしてどうするんだ・・というと、自治医大の附属病院に勤めているような自治医大卒の医者屋というのは貧乏垂れの息子がタダの大学に行って卒業して医者屋になったという元々は社会的に底辺の家庭の息子だったやつが多いので、なおかつ医者とはいえ病院長とかではなくて雇われのサラリーマンの医者であり、そういうやつは三井ホームにあこがれる傾向があるけれども三井ホームでは建てられないという人間が大変多いらしい。だから、求めてもかなわない恋をしている男だか女だかには、その相手をほめてやればアホは喜びよるわけで「三井ホームをほめろ」というのはそれみたいです。どうも、自分は資金的に三井ホームでは建てられないようだと思った「元は貧乏たれの息子の医者屋」「成り上がり者の医者」はその時に思い出すらしい。「そういえば、一条工務店という会社の人がけっこういい人だったな」と。なぜ「いい人」と思われるかというと、三井ホームというあこがれの相手でありながら手に入らない女か男かをほめてくれた人だから、「いい人」に思えるらしいのだ。それで、(株)一条工務店の展示場に帰ってきて契約してくれる、「いただき♪」となるらしい。「ぼく、それで何件も契約してもらったんですよ」と教えてくれたのだったが、ここで大事なのは「ツーバイフォー工法で建てるなら三井ホームでないとだめですよ」と言っておくという点らしい。もしも、(株)一条工務店の営業が「在来木造で建てるなら一条工務店で建てないとだめですよ」と言っても、自分の所で契約してほしいからそう言っているのだろうと思われるだけになることが多いのですが、他社のことを、この場合、(株)一条工務店の営業が実際は何も知らんやつであっても一般の人間よりも住宅・建築に詳しいだろうと思われる立場の住宅建築業の会社の従業員として「親切で」「ツーバイフォー工法の場合、三井ホームはいいですけれども、それ以外だとやめておいた方がいいと思います。ツーバイフォー工法で建てられるなら三井ホームでないとだめです」と強烈に三井ホームをいいと言いまくると、「そうなんだあ。一条工務店の人も三井ホームがいいと言うくらいなんだから、三井ホームでないとだめなんだだ」と思いよるらしいのだが、その三井ホームでは資金的に建てられない・・となったその時、「ツーバイフォー工法で建てるなら三井ホームでないとだめですよ」と言っておいたその言葉が脳裏に鳴り響く・・・結果、三井ホームでは建てられないとなった時に他のツーバイフォー工法の会社に行くのではなくて、「あこがれの三井ホーム」をほめてくれた「いい人」のところ、(株)一条工務店の営業の所にやってきて契約してくれる・・らしい(^^)/ そういう話をきくと、「貧乏たれの息子」はしょせん、貧乏たれの息子なのか、成り上がりはしょせん、成り上がりなのか・・とも思えてしまう、なんかわびしいのお~お・・とも思えるのですが、現実にそういうところがあるらしい。三井ホームで建ててはだめとまで言うつもりはないが、「そこまでいいかな」と私なら感じるところを、「東京もん」と「成り上がり者の医者」とは三井ホームをいいと思う人が多い・・というのは、それは、元々、三井ホームというのはそういう層をターゲットとした商品と売り方の会社だからでしょう・・と思うよ。
今回はこの件についてこれ以上述べると話がそれますのでこの程度にとどめますが、このあたりについても、別の機会にもう少し詳しく述べたいと思います。
とりあえず、佐倉市の住人で、佐倉市より東京に近い側から転入してきた佐倉市民ではなく、佐倉市より東京から遠い・佐倉市より「いなか」から佐倉市に転入した佐倉市民でなくて元からの佐倉市の住人だなどというようなその程度、佐倉市程度の「いなかもどき」の住人に「俺はいなかものだから」と言われても、千葉県佐倉市あたりの住人が「いなかもの」を名乗るのは百年早いわ・・と、「何割か福島県人」は思いますね。
むしろ、「俺はいなかものだから、ひとがいいんだ」などと言えば、すでに陰湿な態度を相当とってきている男が「ひとがいい」と思ってもらえると考えるあたりは、《「いなかの生まれ」とか「いなかの住人」とか「いなかの出身」という意味での「いなかもの」》ではなく「精神面がいなかもの」の方の「いなかもの」だという印象を受けます。「精神面がいなかもの」の方の「いなかもの」の精神構造でしょう。
(株)一条工務店には「遠州人」という民族が存在した。遠州人といっても、あくまでも「(株)一条工務店の遠州人」のことであって、遠州人一般と同じではないのだが、この「(株)一条工務店の遠州人」は大変ズルイという特色があった。
福島県人に「ここはいなかだから」と言うと、たいてい「そりぁいなかだっぺえ」と言い、「いなか」と言われたからと言って怒ったりしないのに対して、遠州人は「いなか」と言われると怒るのだ。
「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあって、政令指定都市で浜松駅には新幹線のひかり号が停車する大都市だ」と言って怒るのだ。さらに、
「静岡と浜松なら、静岡が県庁所在地だけれども、アメリカ合衆国でもワシントンとニューヨークではニューヨークの方が大都市になっているのと同じで政治都市と商工業都市では商工業都市の方が栄えるから、だから、静岡県でも浜松の方が静岡よりも栄えるんだ」
とおっしゃるのだ・・けれども、アメリカ合衆国の場合は、各州の州都でも意図的にその州で一番の大都市でない都市に州都を配置していることが多く、ワシントンはいずれの州にも属さない都市としているのも、アメリカ合衆国とは英語では The United States of America で、これを日本語に訳すなら「合衆国」ではなくて「合州国」の方が適しているようにも思えるのだが、「合衆国」と日本語では書いているのは、本多勝一『アメリカ合州国』(朝日文庫)によると、これは中国語で「衆」は共和国を意味するそうで、共和国が合わさったものという意味らしく、すべてのState は等しい権限があるという考え方から首都はいずれの州にも属さない市としたらしく、ニューヨークはニューヨーク州の州都ですらないのも、これも政治の中心地と経済の中心地は分けた方がいいという考え方があるから意図的にそうしているのではないかと思われ、浜松と静岡との関係とは話が別ではないかと思われるが、それよりも・・・、たとえ、「政治都市と商工業都市では商工業都市の方が栄える」という説が仮に正しかったとしても、それにしても・・浜松とニューヨークを一緒にされても、なんだかなあ・・・・・と思うのだが、これを言うと遠州人は怒るのだ。怒ることないのだけれども、怒るのだ。だから、遠州人にこれは言ってはいけないのだ。
福島県のいわき市の人間に「ここはいなかですから」と言っても誰も怒らないし、「そりぁ、いなかだ。正真正銘のいなか」とかいわき市生まれの人間が言って喜んでいた。実際は、買い物する所もあるし病院もあるし、「いなか」と言っても無医村とかいうような不便ないなかとは違うのだけれども、無理に「都会」だと言いたがらない土地柄だったのに対して、遠州人はそうではなくて、浜松は大都会だと言いたい症候群の人が多い地域だった。
実際は、実際にその土地に行ってみるとわかるのだが、浜松は福島県のいわき市とか郡山市とか福島市とかよりも街は大きいし、その点で「都会だ」と言いたいなら言いたい人は言ってもいいけれども、私なんかは「いなか」は決して嫌いではないので、「都会」見たければ東京でも大阪でも見れるわけで、浜松でも一生懸命、ビル作って都会ぶってる所なんかよりも、スイカ畑とかある所の方が好きだったりするのだけれども、遠州人全般は嫌いということでもないが、「都会ぶりたいところ」というのは、あんまり好きではないな・・・。むしろ、福沢諭吉が言ったところの「いなかの生まれ」「いなかの住人」「いなかの出身」という意味の「いなかもの」か、「精神面がいなかもの」かというと、「都会ぶりたがる」という面は後者の「精神面がいなかもの」という性質があると思う。こう言うと遠州人は怒るけれども、怒ったって、実際に都会であるかいなかであるかに関わらず、「都会ぶりたがる」という面は「精神面がいなかもの」だ。
そして、「(株)一条工務店の遠州人」がズルイのは、片方で「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあって、政令指定都市で浜松駅には新幹線のひかり号が停車する大都市だ」とか「静岡と浜松なら、静岡が県庁所在地だけれども、アメリカ合衆国でもワシントンとニューヨークではニューヨークの方が大都市になっているのと同じで政治都市と商工業都市では商工業都市の方が栄えるから、だから、静岡県でも浜松の方が静岡よりも栄えるんだ」とか、安倍川餅静岡よりもうなぎパイ浜松の方が上だあ・・みたいに、まるで「もみじ饅頭広島は吉備団子岡山より上だあ」みたいな感じで言いまくるくせして、他方において、1990年代、(株)一条工務店は「セゾン275S1」という同社の基本的な建物を、「施工面積」という延べ床面積よりも広くなるように設定した同社の独自の単位で〔延べ床面積より広くなるように設定した「施工面積」で「坪あたりいくら」という話をすると、実際より・延べ床面積の「坪当たり」で答える同業他社より安そうに見える〕、東京都・神奈川県では坪あたり55万円で売らされていたのに対して、浜松・掛川など静岡県西部では坪あたり48万円でダンピング販売、名古屋では坪あたり49万5千円でダンピング販売していたのだった。 その理由として「物価が違う」からだと遠州人〔あくまで、「(株)一条工務店の遠州人」〕は言うのだったが、そうか? 浜松とか掛川とかいう所は東京や横浜よりそんなに「物価が安い」か???
たとえば、
[トクホ] サントリー 黒烏龍茶 1.4L×8本
↑ これとか、
[トクホ] ヤクルト 蕃爽麗茶 500ml×24本
↑ これとかって、浜松や掛川では東京都や神奈川県で買うよりも1割以上安い値段で売ってるか??? 売ってないだろうが。アマゾンで注文したら、東京都・神奈川県でも浜松・掛川でも同じ値段やし。
「浜松って東京より物価安いですかあ?」なんて言う人がいると、「人件費が違う」と言うのだが、「バカ言ってんじゃないわ♪」。(株)一条工務店は東京都で勤務していた従業員にそんなに高い給料払ってたか? 払ってないだろうが。「よく言うわ」「バカ言ってんじゃないわ」てものだった。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
「(株)一条工務店の遠州人」というのは「ぼけっと聞いていると、はあん、そうかいなあと思いそうなこと」を言うのだが、落ち着いて考えてみると、「ち~が~う~だ~ろ。このボケ~え!」てものだったのだ。〔⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4 〕
(株)一条工務店は工場見学会の際にバスの中でお客さんに見せていたビデオでは女性ナレーターが「一条工務店で使っているのは東濃桧」と言っていたのだが、その割に(株)一条工務店の工場に行くと「美作桧」「吉野桧」「博多桧」とスタンプが押された桧の柱が転がっていたのだった・・が、美作(岡山県北部)・吉野(奈良県南部)とか福岡県とかの桧は決して悪いわけではないのだけれども、「一条工務店で使っているのは東濃桧」と言われた直後に見ると「なんや、違うやんけ」と思ってしまうのだが、その東濃桧にしても吉野桧・美作桧・博多桧にしても、その桧の柱というのは、浜松・掛川とか名古屋で建てる人に使う時は物価が安くて東京都・神奈川県で建てる人に使う時は物価が高いのか? (株)一条工務店は梁桁材に使用する「べいまつ」(ダグラスファー)をアメリカ合衆国のポートランドに現地法人を作って直輸入している・・と言っていたけれども実際は直輸入していたものと商社を通じて買うものと両方を使用していたらしいが、それらは浜松・掛川や名古屋で建てる人用に使った場合は物価が安くて東京都・神奈川県で建てる人用に使った場合は物価が高いのか? (株)一条工務店は洗面台・ユニットバス・便器・ボイラーなどを住設機器メーカーから購入して各地域の工場の倉庫にストックした上で、そこから各地の建築地にトラックで配送していたのだが、浜松・掛川や名古屋で建てる人の建築地に送ったものは物価が安くて、東京都・神奈川県で建てる人の建築地に送ったものは物価が高いのか? ・・そんなわけないだろうが。よく言うわ! バカ言ってんじゃないわ!
あえて言うならば、「職人手間」は都会と地方となら「地方」の方がいくらか安いかもしれないが、そもそも、東京圏・関西圏に次ぐ三大都市圏の名古屋が日本列島の中でも「物価が安い」地域だという主張はいくらなんでもおかしいだろうが。
(株)一条工務店は「東海を制する者、天下を制する」などと言って静岡県中西部・愛知県を他の地域より優遇・優先する姿勢を貫いてきたが、同じ内容のものを坪55万円で売らされた者と、坪48万円だの坪49万5千円だのでテレビ広告つきでダンピング販売した者とでは、普通ならば坪55万円で売らされた者よりも、坪48万円だの坪49万5千円だのでダンピング販売した者は1棟あたりの評価は低いはずで、静岡県中西部・愛知県のようにテレビ広告をドカンと一発♪ やりまくって売った者と、東京圏などテレビ広告など一切なしで売らされた者とではテレビ広告なしで売った者の方が1棟あたりの評価は高くて当たり前・・のはずだが、ところがどっこい、「遠州人の陰謀」により(株)一条工務店では「ダンピング販売の浜松」「ダンピング販売の掛川」「ダンピング販売の名古屋」の1棟あたりの評価と東京都l・神奈川県での1棟あたりの評価は一緒だったのだ。これでは八百長だ。掛川営業所の所長の近藤正夫さんは「通算契約棟数全国1位」ということになっていたが、””八百長による通算全国1位”” だった。
(株)一条工務店では「東京は都会だから物価が高い。地方に行くと物価が安いから、だから、東京都で坪55万円のものが浜松では坪48万円、名古屋では坪49万5千円なんです」などと言うのだったが(なんで、三大都市圏の名古屋が「地方」の方になるのか摩訶不思議だったが)、片方で「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあって、政令指定都市で浜松駅には新幹線のひかり号が停車する大都市だ」だの、あるいは、安倍川餅静岡よりもうなぎパイ浜松の方が上だあと「もみじ饅頭~!」みたいに言いまくって浜松は大都会だと言いまくっておいて、他方において坪単価を設定する時になると、浜松・掛川は日本一のどいなかだと主張する・・・というダブルスタンダード、もしくは、必殺二刀流 を使うのだったが、いくらなんでもズッコイのとちゃうかあ?????
せめて、どっちか片方にしたらどないやあ? ・・てものだった。
それで、「大都会だと言いたいのか、『地方』だ『いなか』だと言いたいのかわけわからん浜松」「(株)一条工務店の浜松人」「(株)一条工務店の掛川人」「(株)一条工務店の名古屋人」が無茶苦茶ズッコイ のは、それは「いなかもの」だからズッコイのか、それとも「都会のもの」だからズッコイのか? どっちにしても(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業所の人間というのは無茶苦茶ズッコイ人間だった。
そして、再確認するが、「いなかもの」は常に「ひとがいい」などということはない。もしも、「ひとがいい」人がいたら、その人がそうなのだろう。
2023年の最後に、思ったことを述べた。来年2024年もよろしくお願いします。
〔 2023〔令和5〕.12.31.(日)〕
2024年1月2日(火)、千葉県いすみ市大原 の 浄土真宗 二十四輩 の1人の寺 照願寺 と、関東三十六不動霊場の35番、大聖寺・波切不動(天台宗)に参拝してきました。 総武線と京葉線があることから、外房線・内房線に行く電車は京葉線経由のものが多いことから総武線沿線住人が外房線・内房線沿線に行こうとすると乗り換え回数が多くなる不便さがありましたが、それとともに「普通」は上総一ノ宮駅でそれより北(蘇我・東京より)とそれより南(大原・安房鴨川の側)とで電車が分かれるのでそこで乗り換えないといけないという不便さがありました。電車の本数も上総一ノ宮より南は少なく、「普通」は2両連結の電車で、行ってみて、いすみ市の大原は「都会」か「いなか」かに無理矢理2分するなら「いなか」の方かな・・と思ったものの、それでも、「何割か福島県人」の目で見ると、まだまだ、「いなか」と認定してもらうには「修行が足らん!」て感じ、まだまだ、都会臭があると思えました。ましてや、佐倉なんて「いなか」には入らない。京成本線が走ってる所は東京圏のうちでしょ。JR総武本線・成田線でも、佐倉までは「都会」か「いなか」かのどっちかに無理に分けるなら「都会」の方で、無理矢理2分して総武本線で「いなか」の方に分類されるのは八街からではないか。成田線でも酒々井・成田が「微妙」で佐倉は無理矢理2分するなら「都会」の方でしょ。「何割か福島県人」の感覚では、あるいは「10割福島県人」がどう思うかという視点で考えるならば、佐倉は無理矢理2分するなら「都会」の方であって「いなか」に入れてもらおうというのは「考えが甘い!」。
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福島県は昔の「国」では磐城・岩代の2国に分かれますが、今現在は浜通り・中通り・会津地方に分けることが多く、浜通りと中通り・会津地方では違いがありますが、中通りの白河あたりと栃木県の那須地方ともつながっているようで県をまたぐと違いが出てくるように思えます。1989年、小堀住研(株)に在籍した時、栃木県の那須地方で社宅としての別荘を建てようという方があり、那須地方というのか、東北本線の「黒磯」から2駅ほど北に行った駅から東にクルマでけっこう走った山中に建てられたという方があったのですが、その土地を見にいくために足を運んだ時のことですが、国鉄がJRになってから普通列車が長距離ではなく「ぶつ切れ」になり東北本線では「黒磯」がそれより南側と北側の列車の「継ぎ目」の駅になっていたが新幹線の停車駅は「黒磯」ではなくてそれより南の「那須塩原」で、新幹線に乗って行くと「那須塩原」で降りて各停に乗り換えて、「黒磯」でまた乗り換えて行かなければならず、JRになって不便になったような感じがありました。又、東北新幹線が開通する前なら「黒磯」まで上野から来る急行があったように思うのですが、その点でも新幹線が通ってかえって不便になったような感じがありました。
建築地は山の中で、ある程度近い場所にバス停はあることはあったのですが便数が少なく、帰ろうとした時にはバスの便はなく、「流しのタクシー」なんてないし、しかたなしに公衆電話でタクシーを呼ぶと、行きに法務局から乗ったタクシーが来ました。「こんな所に流しのタクシーなんてないから」と運転手は言うのでしたが、東北本線の最寄りの駅まで行ってもらうように頼んだのでしたが、「新幹線に乗るんでしょ。それなら、那須塩原まで行ったらどうですか。すぐですよ」と親切そうに言うので、そうかなと思って頼んでしまったのでしたが、走っているうちに「しまった」と気づいた。最寄りの駅から「黒磯」までならまだしも、「那須塩原」までは相当あったのです。東北新幹線の駅は「宇都宮」と「新白河」の間の駅は一般的には「黒磯」が妥当なところではないかと思われるのですが、それを運転手が言うには「渡邊美智雄の地元だから」ということで「那須塩原」になったということでしたから、「黒磯」と「那須塩原」の間は千葉県の「津田沼」と「新津田沼」の距離とか「千葉」と「本千葉」・「千葉」と「新千葉」の距離より遠いかもしれないけれども、せいぜい「大阪」駅と「新大阪」駅くらいの距離だろう・・みたいな感覚になってしまったのでしたが、実際は相当あるのです。行きにその間、東北本線の各停に乗ったのだけれども、いなかの駅間距離というのは都市圏の駅間距離よりはるかに長い。タクシー代は相当高かったと記憶しています。所要時間については、「黒磯」で乗り換えた場合と比べてどうだったかわからないが、「黒磯」の2つほど北の最寄り駅から乗った場合と比べれば「黒磯」まで行った方が乗り換えの時間が省けたかもしれないが、「黒磯」から「那須塩原」までは電車に乗った方が速かった可能性がある。自動車で一般道を走る場合と電車に乗る場合なら、自動車は一般道では制限速度は国道・県道でも50㎞/時 とかの場合が多く、制限時速ぎりぎりで走っても50㎞/時でところどころに信号があって停車させられるのに対して、電車は各停でもそれよりは速い速度で走り、途中駅に停車することはあっても信号で停車することはほとんどない。だから、一般的には鉄道が走っている区間は鉄道に乗った方が速いことが多いのですが、後から考えてみると「ひっかかった」かな・・・と思えました。あの運転手のおっさん、あれを常習にしていたのではないか。東京から来た人間は新幹線に乗るのに「黒磯」で乗り換えるより「那須塩原」までタクシーでそのまま行った方が楽だ、少しくらいタクシー代が高くなってもその方がいいだろうと思うのではないか、東北本線の那須あたりの駅間距離は東京に近い付近の駅間距離とは大きく違うということに気づかずに相当長い距離だと気づかずに頼みよるだろう・・と思っていたのではないか。しかし、「黒磯」から「那須塩原」までは「少し」ではなく、又、距離が長くなるとタクシーで走るより「普通」でも電車に乗った方が一般に速く、乗り換えがなくなったとしてもタクシーで走ったからといって早く着くわけでもない。「やられた」・・かなと後から気づきました。那須地方といっても、「那須の別荘地」と言われる金持ちの別荘がある「那須」だけが那須であるわけではなく、そうではない「那須」もあるのですが、そこでそういう経験もしました。だから、「東京あたり」から来たその地域の地理について地元の人間ほどわかっていない者に、東京の駅間距離みたいな感覚で思わせてタクシーに長距離乗せるということをする人もあるということを実体験したのです。2010年、新華ハウジング(有)で桜井が「俺はいなかものだからひとがいいんだ」などとあほくさいことを言ってきた時は私はもう50代でした。すでに住宅建築業の会社でベテランの部類に入るだけの経験を踏んできた者であり、「俺はいなかものだからひとがいいんだ」などと言われてもそんなものを本気にするほどアホではないし、むしろ、「しょーもないこと言う男だな」と思うだけで、前から思ってきたけれども、この男は信用できん男だなと思いました。
1992年、「浜松発祥の(株)一条工務店」の東京営業所(江東区)には浜松出身の人が複数いました。又、同社に勤務すると遠州地方から離れた地域に勤務しても、遠州人優遇主義・浜松優先主義の(株)一条工務店では遠州人と何かと関わることになりました・・が、一般に佐倉と浜松、佐倉付近と遠州地方ならば、「いなかの生まれ・いなかの住人・いなかの出身という意味での『いなか』」という意味では遠州地方の方が「いなか」でしょうけれども、「いなかだからひとがいい」かというと、「(株)一条工務店の遠州人」については、「ひとがいい」などというところはちっともなかった。むしろ、
「(株)一条工務店の遠州人」は
ずるい!
きたない!
厚かましい! の三重苦!!!
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さらに、ふてぶてしいし、何より、根性ババ! 「(株)一条工務店の遠州人」の根性はう〇こ でできている! 直接、関わった人間でも「精神面がいなかもの」という意味での「いなかもの」は少なくなかったが、だからといって「ひとがいい」などということはなく、むしろ、陰湿な人間が多かった。営業本部長の天野隆夫などは、文学者だったか哲学者だったかで「人間の質が悪くなると人を精神的に傷つけることにしか喜びを感じなくなる」と述べていた人がいたが、まさにそれがあてはまる男だった。桜井は「おれはいなかものだから、ひとがいいんだ」などと摩訶不思議なこと言って、「そうかあ、桜井さんはいなかものなんだあ、ということはひとがいいんだあ」などと誰か思うとでも思っていたのだろうか。
無茶苦茶ずっこい「(株)一条工務店の遠州人」と関わってきた者からすると、「いなかもの」が「ひとがいい」などとはとうてい思えない。
「建築専門学校卒」の人には、自分を高く評価してほしい時には「建築専門学校卒」は学歴で4年生大学の建築学科卒と同等の評価を受けて当然だと片方で主張しながら、責任ある対応を求められると「そんなこと言ったってぼくは高卒なんだからそんなものできるわけがない。そんなものわかるわけがない」と言ってふんぞりかえり、「建築専門学校」は学歴ではないから学歴は高卒なんだと主張するという、なんともズッコイ二刀流使い・「ふたなり」が大変多くて不快感を覚えるのだが、「ふたなり」浜松もまた、片方で「浜松はホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキ、それに何ちゃらエレクトロニクスがあり、政令指定都市に指定されている新幹線『ひかり』号も停車する大都市だ」「浜松が日本の工業を支えてきた」とか主張しながら、他方で「坪単価」を設定する時になると、「いなか」は「都会」より物価が安いという怪しい理論を持ち出した上で浜松は日本一のどいなかだと主張するというダブルスタンダード・浜松「ふたなり」主義を主張する・・
という滅茶苦茶ズッコイ!!! そういうズッコイやつというのは、そういう人間なのだとマイナスの評価をすれば、こういう態度をとるとマイナスの評価になるのだなと学習するところだが、それがまかり通るとなるとその後もそのダブルスタンダード・二刀流・「ふたなり」を続ければいいのだなと学習して続けることになる。
2000年の夏、ロシア連邦のイルクーツク州のイルクーツク市からバイカル湖畔のリストビャンカ村にかけて建築などの見学に訪問したのだが、印象としてロシア連邦というのは全体が「ヨーロッパよりいなか」という面があるのではないかという印象があり、一般の人は都会人よりも純朴なところがあるかもしれない印象を受けた・・けれども、鉄道の料金などで「外国人料金」と言って日本人などはロシア人が乗るよりも高い料金を要求されることがあるらしかったが(この時は鉄道には乗らなかったのだが)、物価が全体として日本よりも安く、今はどうなっているかわからないが、その頃は為替レートを考えると、ロシア連邦より物価も高ければ給与水準も高い国の人間からはロシア人より高い料金を取りたいと考えるのもわからないこともなかった・・のだけれども、しかし、個人としてその「外国人料金」なのか「日本人料金」なのかを取ろうとする者がおり、バイカル湖畔で土産物を売っている人たちがいたのだが、その中のひとりのおっさんは私が日本人で日本人としては特別に金持ちでなくてもロシア連邦での物価の相場をわからんだろうと思って、普段、ロシア人の観光客に売る値段の倍ほどの値段を提示してきたことがあった。同じような店を出している人でも、そういうことはやりたくないと考える人もいたが、「外国人料金」と言うのか「日本人料金」と言うのか、普段、ロシア人に売っている値段の倍ほどの値段を提示する男がいた。決して「いなかもの」だから「ひとがいい」などということはなかった。桜井はイルクーツクにもリストビャンカ村にも行ったことはないだろうし、こういう経験もしていないだろう。「いなか」はすべて同じということでもないく、その場所にもよるだろうけれども、「いなかもの」は「ひとがいい」などということはない。ばかなことは言わない方がいい。
(2024.1.4.)
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