北野天満宮参拝3【1/11】烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か?

[第1032回]冤罪を晴らす神・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第67念ー1
  京都市上京区の北野天満宮に参拝してきました。北野天満宮参拝は4度目ですが、このブログで公開するのは3度目です。北野天満宮の「最寄駅」というと京福電鉄北野線「北野白梅町」駅となりますが、「北野白梅町」駅からはすぐなのですが、その「北野白梅町」駅まで行くのが大阪から行く場合でも東京から行く場合でも便利ではありません。かつては、大阪から、特に阪急沿線から行く場合は阪急京都線の特急の停車駅だった「大宮」で降りて、京福電鉄嵐山線「大宮」駅から京福電鉄に乗って「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅で北野線に乗り換えて「北野白梅町」駅まで行くという方法があったのですが、今では阪急京都線の駅と京福電鉄の駅で乗り換えができる駅である阪急「西院(さいいん)」と京福電鉄「西院(さい)」、阪急「大宮」と京福電鉄「大宮」では、どちらも阪急京都線は特急・急行は停車しない駅になってしまい、各停と「高槻市」から東は各停になる準急・・てほどんど各停やんけ・・て電車しか昼間は停まらない駅になってしまい、阪急京都線から京福電鉄への乗り換えがしにくくなりました。
  東京から新幹線で「京都」駅まで行った場合ですと、かつてはディーゼルカーがのどかに走っていた山陰線がいまでは電車が走る通勤通学路線になり、風情はなくなったけれども便利になり、「京都」駅から山陰線に乗って「太秦(うずまさ)」駅で降りると、京福電鉄北野線「撮影所前」駅のすぐそばらしく、そこで京福電鉄北野線に乗り換えて「北野白梅町」駅まで行くという方法があります・・けれども、「北野白梅町」駅は「鉄道の最寄駅」と言いましても、普通は電車というのはバスより速いものなのだけれども、京福電鉄というのは嵐山線も北野線もバスと比べても速くない。  だから、阪急沿線から北野天満宮に行くには、「桂(かつら)」駅で特急から各停に乗り換えて「西院(さいいん)」で降りて、付近の「西大路四条」バス停から「北野天満宮前」の方面に行くバスに乗るというのが最短で、「京都」駅からなら京都駅から北野天満宮付近に行くバスに乗るのが最短ではないかな。
  阪急 京都線「烏丸(からすま)」駅と京都市地下鉄烏丸線「四条」駅は同じ場所、東西の 四条通り・南北の烏丸通りの交差点付近にある駅で、乗り換え駅なのだから同じ名前、両方が「四条烏丸」駅にすればいいと思うのだが別の駅名になっているが同じ場所なので、そこで乗り換えて、北野天満宮の南側の東西の通りは今出川通りで北野天満宮の前の今出川通りを東に行くと、同志社大学今出川キャンパス南西、京都御苑の北西にできた地下鉄烏丸線「今出川」駅に至るので、「烏丸」~「四条」で乗り換えて「今出川」駅まで烏丸線で行って「今出川」駅から西に歩くとどうか・・・とも考えたが、若ければ「今出川」駅から北野天満宮まで歩く気持ちにもなるかもしれんが、だんだんと気力がなくなってきた・・が、「今出川」駅から「北野天満宮前」までバスは走っているのではないかと考えた。
  阪急からだけでなく、JRの東海道線の新快速で「京都」駅まで行った場合や東京から新幹線で「京都」駅まで来た場合も、「京都」駅で地下鉄烏丸線に乗って「今出川」で降りて、その付近のバス停から西向きのバスに乗って「北野天満宮前」まで行けばいいのではないか。

  それで、今回は阪急京都線「烏丸」~地下鉄烏丸線「四条」で乗り換えて烏丸線「今出川」で降りて行った。
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↑  京都市地下鉄烏丸線「四条」駅、国際会館前行き(北行き)ホーム。
  私は、どうも京都市地下鉄の駅の駅名、特に烏丸線の駅名はわかりにくいと思うのだ。京阪本線の方が先にあって京阪本線に「五条」駅があるのに同じ東西の五条通りで京阪本線よりずっと西の烏丸通りに「五条」駅を作り、京阪本線の方が「清水五条」駅に駅名変更し、京阪本線に前から「四条」駅があったのに京都市地下鉄烏丸線に「四条」駅を作り、京阪本線の方が「祇園四条」駅に駅名変更・・て、なんかえらそうにしとるという印象がある。 これはJRもそうで、京福電鉄嵐山線に広隆寺の目の前に「太秦(うずまさ)」駅があったのに京福電鉄の駅なら嵐山線と北野線が合わさる「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅に近い場所にJR山陰本線(嵯峨野線)「太秦(うずまさ)」駅を作り、前から「太秦(うずまさ)」駅を名乗っていた京福電鉄の駅の方が「太秦広隆寺」に駅名変更・・・て、なんか、JRと京都市地下鉄は「えらそうにしとる」印象がある。 もっとも、京阪としては単に「五条」「四条」「丸太町」を名乗るよりも「清水五条」(清水寺に行くにはこちらから)・「祇園四条」(祇園の近くでっせ)・「神宮丸太町」(平安神宮へはこの駅から)と、「清水五条」「祇園四条」「神宮丸太町」の方がいいし、京福電鉄も「太秦広隆寺」(広隆寺に行くならこの駅から)と「太秦広隆寺」の方がいい・・と考えたという面もあるかもしれない。
  しかし、京都市地下鉄烏丸線は、「五条」とか「四条」とか言われても、その駅がある所の東西の通りはずうう~っと五条通り・四条通りで、地下鉄烏丸線「四条」駅は阪急「烏丸」駅と同じ場所で乗り換えのできる駅だが駅名が違うので京都の住人や京都でなくても大阪とかの住人でしばしば京都に行く人間なら知っているとしても外国人や日本でも相当遠い都道府県から来る人にはわからないと思われるので、阪急・京都市地下鉄の両方とも「四条烏丸」にした方がいいのではないか。 
  「丸太町」とか「今出川」はその場所の東西の通りはずうう~っと丸太町通り・今出川通りで、「丸太町」は「丸太町通り京都御苑南」とか「丸太町通り大丸ヴィラ前」とか、「今出川」は「今出川通同志社前」「今出川通相国寺」「今出川通京都御苑北」とかにした方がいいのではないか。その北の「鞍馬口」駅なんて、駅名からすると鞍馬に近いのか・・て感じだがちっとも近くなくて、鞍馬口通りという東西の通りにあるからのようだが、わかりにくい。叡山電鉄鞍馬線の終点の駅は「鞍馬」でその手前は「貴船口」だが、「口」がつかない「鞍馬」駅は鞍馬寺のすぐ前だが、「貴船口」駅は「貴船口」駅から歩いて行くと貴船神社のあたりに行くという場所で、貴船に行く入口のような場所にある駅という意味だが、京都市地下鉄烏丸線の「鞍馬口」はそういう場所ではない。少なくとも、東西の鞍馬口通りと南北の烏丸通りの交差した付近ということなら「鞍馬口」ではなく「鞍馬口通り」くらいにはするべきで、そうでないと鞍馬の近くか? と誤解してしまう。たとえば「鞍馬口通り上御霊神社」とかにした方がいいのではないか。  その北の「北大路」も東西の北大路通りにあるということだが、「北大路」ではなく、少なくとも「北大路通り」くらいにはすべきで「北大路通り京都植物園南」とか、その次の「北山」は東西の北山通りにあるかららしいが「北山通り植物園北」か「北山通り深泥池南」とか、次の「松ヶ崎」は「松ヶ崎京都工芸繊維大」とか、もうちょっとその名前を聞いた人が「ああ、あのあたりか」と思い浮かぶような駅名にすべきではないだろうか・・と思うのだが、どうだろうか。

   1980年代、私が高校生だった頃や高校卒業してすぐの頃、1970年代後半は同志社大学というと京都に住んでいる人間はいいが、大阪府の住人が行くには大変だったけれども、今では地下鉄烏丸線「今出川」駅の目の前・・というのか同志社の敷地内に出る出口もあるくらいで、阪急京都線「烏丸」・JR東海道本線「京都」駅で地下鉄烏丸線に乗り換えればすぐだし、京阪も「三条」から「出町柳」まで延伸して、「出町柳」からなら今出川通りを西に少し歩けば同志社大今出川キャンパスで、相当行きやすくなった。アルバイト先に来ていた同志社大の学生が「もし、烏丸通りに地下鉄作ってくれるなら同志社の学生で工事現場の作業を協力するというやつ、いると思う」とか言っていたが、彼が同志社大に在学中にはできなかったが、彼が卒業後に同志社大の目の前に「今出川」駅ができた。
  私が「大学生」だった時、夏休みにうちの父親の勤め先の会社の工場にアルバイトに行かされたことがあり、その時、工場長だったMさんはうちの父親の部下の立場だったらしいが息子が立命館大学の高校から同志社大学に行ったそうで、「自分の所の高校に系列の大学があるんだからそこに行けば良さそうなものだが、自分の行ってる高校と同じ大学は嫌らしい」とその父親のMさんは言っていた。私立大学の系列の高校というのはいいような悪いようなで、内部進学で進学する場合、慶應義塾高校とかは医学部に行きたいとか言わなければ基本的には全員が慶應大学に進学できるらしいが、そこは嫌だ、絶対嫌だ・・とかなった場合に難儀で、慶應義塾高校から慶應大学には一般入試で行くよりも進学しやすいけれども、慶應義塾高校に3年間行った人・慶應中等部から慶應義塾高校と6年間行った人というのは、その高校・その中学校に入学時はけっこうお勉強ができた人らしいのだが、ところがそこに3年間もしくは6年間行くと卒業時には一般入試で他の大学を受けて行こうとすると慶應大学よりもかなり「下の大学」しか受からないという状態になってしまうようだ。その結果、「誰が慶應大学なんか行くもんか」とか言っていた人でも、もしも自分が一般入試で他大学を受けたならどこに行けるか考えた時に行ける可能性がある大学の名前を聞くと、そんな所にしか行けないなら慶應大学に内部進学で行った方がいい・・かなと嫌々内部進学で行く・・ということになる人もいるみたいだった。立命館の高校がどうだったのかは知らないが、ある程度勉強した人からすると内部進学で行くのは嫌だと思う人がいて、Mさんの息子は同志社大学に行ったらしかった。・・なんでも、私は最初、慶應義塾高校というのは金持ちの息子だけれども勉強はできない人が行く学校でその地域では一番成績が悪い人が行く学校なのかと思っていたのだったが、東京都・神奈川県の住人に聞いた話では神奈川県の私立高校で難易度の高い高校というと桐蔭学園と慶應義塾高校だそうで、「ええ~え、嘘やろお~お。まさかあ」と言うと、「そうなんだよ。入学時はその地域の高校で一番難易度が高い高校なのだけれども、そこに入って3年間経つと、あんなになってしまうんだから、考えてみると慶應義塾高校というのは恐ろしい学校だよ」と言うのだった( 一一)  ほんと、恐ろしい学校・・かもしれない・・が、こういうことを内部進学の人間にうかつに話すと、彼らは「愛塾心」から飛びかかってきて殴りかかってくるから口に出して言わない方がいい。危ない危ない。なにしろ、建築屋は「安全第一」である。

  その工場長だったMさんが私に「うちの息子は同志社(大学)に行くのに京都で下宿しとるんやけど、月6万何千円かかりよるねん。『風呂つきの所でないと嫌じゃい』言いよってな」と言い、「あんたなんか、東京で下宿したら月10万円以上の所に住んでおるんやろ」などと言うので、「そんなわけないでしょ」と言うと、「それなら、いくらの所に住んどんねん」と言うので、「月1万2千円のアパートです」と言うと、「あほぬかせ。そんなもん、東京でそんな値段の所があるわけないだろ。嘘つくな」などと言うのです。「嘘なんかついてませんよ。本当に月1万2千円のアパートですよ」と言うと、「嘘つくな。わかってるんだからな」などと言うのです。「何をわかってるんですか。本当に私が住んでるアパートは月1万2千円ですから」と言っても「嘘つくな」と言ってきかなかった、ということがあった。
   その時、私が住んでいた川崎市幸区のアパートは6畳の和室に1間幅の押入があって、それと別に1畳分の板敷のスペースがあって、そこに流しとコンロ台があってガス栓が1つあった。靴を脱ぐ場所が自分の部屋の中にはなかったので部屋の外で靴を脱いで部屋中に靴置きを置いていた。トイレは共用で、風呂は近くの銭湯を利用し銭湯に附属のコインランドリーがあって洗濯はそこでやっていた。「電話だって部屋にあるんだろ」とMさんは言うのだったが、私は電話は要らないと言ったのだが、私の部屋は2階にあったが1階に住んでいた大家さんが電話は取り次いでくれたので緊急に連絡が必要な時は大家さんに伝えてもらって、こちらから公衆電話でかけるということができたのだが、「いらいらっとしたらかけたんねん」といううちの父親は「大家さんに取り次いでもらうのは気にかかる」と言って部屋につけてしまった。「いらいらっとしたらかけたんねん」という電話攻撃を始終やる男がいる家庭においては電話はない方が良かったのだが、つけられてしまったのだが、それを持って「電話だって部屋にもっておるんだろ」などと言われたのでは心外だった。Mさんは「あほぬかすなよ。あんたなんかが月1万2千円やなんて、そんな所に住んどるわけないやろが。当然、トイレも風呂もある所に住んどるんやろ」などと言うので、「トイレは共同で風呂は銭湯利用です。大家さんだって風呂は銭湯に行ってますし。慶應の内部進学の人間でもあろまいし、大学生が風呂までついてる部屋に住んでるわけないでしょう」と言ったのだった。もっとも、その頃は、特に川崎市幸区あたりでは風呂がない家は珍しくもなく銭湯はあちらこちらにあったが、最近は家に風呂はあるのが普通になってきて、その結果、銭湯というものが本当に少なくなり、さらにその結果、アパートは特に豪勢なアパートではなく安めのアパートでもたとえ小さくても浴室はついているのが普通になってきたが、大学の近くの「下宿屋」とかアパートでも大学の近くで大学生が住むようなアパートとか、もしくはその頃、私が住んでいた川崎市幸区とかで風呂のないアパートに住んでいる人が多い地域とかには今も風呂のないアパートはあると思う。「大学生」だった時に銭湯をよく利用したので、私は銭湯というものがけっこう好きだ。最近は「スーパー銭湯」とか「健康センター」とかいうものもできてきているが、「昔ながらの銭湯」というのは「スーパー銭湯」「健康センター」とは違う趣があり、むしろ、下宿して大学に行っている大学生で「風呂付の月6万何千円もするアパート」なんぞに住んで銭湯を知らない人、銭湯もコインランドリーを使ったことがないような人というのはかわいそうに思うくらいのものだ。

   似たことを言う人間として、私と同じ中学校から同じ北野高校に行って「浪人して京大に行って京都で下宿して京大に行って、毎週、大阪府の実家まで週末に帰っていた野口くん」という、「こいつ、嫌なやつやなあ」と私は思ったがうちの親が大好きだった男がいたのだが、この男は自分も浪人して京大に行って京都で下宿していたくせして、それでいて私と会うと私に「2年も浪人して東京で下宿みたいなもんして大学に行って、カネかかって大変やなあ」などと言ってきたのだが、その「野口くん」には1円でもカネ払ってもらってないのに何を言うとんねん・・てものだったが、それにしてもわけわからんこと言う男やった。
  もしも、「野口くん」が現役で京大に行ったのなら「俺は現役で大学に行った」と自慢したくなったとしても、少しくらいはわからんこともないが、「野口くん」もまた浪人して大学に行っていたのだ。おのれも浪人して大学に行っておいて、何をわけのわからんこと言うとんねん、てものだった。
  又、「カネかかってしかたないなあ」などと私に言ってきたのだが、私と「野口くん」とどちらがカネかかっていたかというと、結論として「野口くん」の方だったはずだ。誤解している人がいるが、大阪に住んでいる人間が「京都で下宿して、京都大学もしくは京都の大学に行った場合」と「東京圏で下宿して、東京大学もしくは東京の大学に行った場合」とでは、実は「京都で下宿して、京都大学もしくは京都の大学に行った場合」の方がカネかかるのだ。 その理由については、
「哲建ルンバ」
[第295回]《自分も浪人した・自分も下宿しているという自覚がない大学生1-東京で下宿して大学に行くとカネがかかるか》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201705article_3.html
[第296回]《自分も浪人した・自分も下宿しているという自覚がない大学生2―浪人・2浪して大学に行くとカネがかかるか》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201705article_4.html
[第300回]《「東京で下宿して」大学に行くと費用がかかると思っている「自宅から歩いて行ける大学」の女》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201706article_4.html
で、わかりやすく述べたので、そちらを見ていただきたい。
  大隈重信は「地方の若い人で大学に行こうという人は、そのまま地元の大学に行って地元で就職して生まれてからずっと地元で暮らすというのは良くない。大学は東京か関西の大学に行って生まれ育った所とは異なる所で暮らす経験を持つべきだ」と言って早稲田大学を設立したらしく、それゆえ、早稲田大学は慶應大などに比べて地方出身者が多い大学らしいが、自宅から通える大学に行った方が費用はかからないので東京の早稲田大に行くよりも地元の国立大学に行くという人はおり、実際にどちらがいいかはいちがいに言えないが、生まれ育った所と異なる所で大学の4年間を過ごすというのは、大学で何を学ぶかと別に生まれ育った所とは異なる所で過ごすことが経験として身に着くものがある・・ということは考えられることだ。しかし、他方で、大学を卒業して就職した勤め先で、生まれ育った所と異なる所に転勤して勤務してくれと言われて経験するのはいいとしても、18歳から22歳くらいの時期に自宅から遠く離れて下宿生活を送るというのは、それは良くないと考える親もある。「大阪の人間が京都大学もしくは京都の大学に行って京都で下宿する」のはいいが「大阪の人間が東京大学もしくは東京の大学に行って東京圏で下宿する」というのは、それは良くない・・と考える親もあり、大隈重信が言うのも一理あるとして、その両方を考えると大阪の人間にとっては「京都大学もしくは京都の大学」くらいが一番いいのではないかと考える人もいるようだった。 だから、どちらがカネがかかるかという問題ではなく、生まれ育った所しか知らないということでは良くない、という大隈重信の考え方、あるいは福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』という意味での『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これは良くない」と語ったというのだが、田舎であるか都会であるかにかかわらず、自分が生まれ育った所でしか生活した経験がないというのは、それはいいとは言えないところがあり、それを考えるならば、大学に4年間、行くならば費用がかかるかどうかとは別の問題として、いくらか離れた所で生活する経験というものを持つというのは意味があるようにも思える。・・・そういうことはあると思われるけれども、それはそれとして、「大阪の人間が京都大学もしくは京都の大学に京都で下宿して行く場合」と「大阪の人間が東京大学もしくは東京の大学に東京圏で下宿して行く場合」とでは、実は「大阪の人間が京都大学もしくは京都の大学に京都で下宿して行く場合」の方がカネかかるのだ。
  「浪人して大学に行った野口くん」はそのあたりについて理解した上で言っていたのか、理解せずに言っていたのか。「浪人して大学に行った野口くん」のお母さんというのは超ド級のスピーカーであり、「うちの息子はしっかりしてますわあ」「うちの息子は大人ですわあ」等等と叫びまくらずにおれないシンドロームの重症患者だった。私が《「野口くん」の母親》の息子であったなら、「もう、そのくらいでやめておいて」とか「もう、ほどほどにして」とか一言くらいは母親に言うものだが、「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」と母親から言われまくっていた「野口くん」は、アホな母親からそう言われて母親に「もう、そのくらいにしておいて」とか「ほどほどにしておいて」とかは一切言わず、逆に自分でもその気になっていたみたいだった( 一一)  ・・ということは、実際には「浪人したとはいえ京大に行ったとしても、たいした京大やないみたいやなあ」「京大に行っても、そんな人間か」という男であり、実際には「しっかりしてますわあ」なんてことはなく、実際には「大人ですわあ」なんてことはない男だった。むしろ、大人げない男だった( 一一)  うちの親はそのシェイクハンドラケットか水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる「ぬりかべ」か「一反木綿」みたいな凹凸のないぺったんこの顔した男が大好きだったが、その頃のうちの親より年上の年齢になった今、なんで、あんな男がいいのか、摩訶不思議である。 うちの母親は「親というものは、自分の息子のことをいいようにいいように思うもんやから」と私に何度も何度も言ったものだったが、たしかに世の中には「自分の息子のことをいいようにいいように思う」親というものもいるだろうし、「野口くん」のお母さんみたいに、「いいようにいいように思う」のとは別で「いいようにいいように」叫んでまわらないとおれない「ほとんどビョーキ」症候群みたいな親というものもいた・・けれども、うちの母親はどうだったかというと、「『自分も息子のことをいいようにいいように思うもん』という、そういう親もいるかもしれないけれども、あんた、ちっともそんなことないやないか。あんた、いつでも、よその息子をいいようにいいように思っておるやないか」てものだった。「親というものは自分の息子のことをいいようにいいように思うもんやから」というのは「心理学の学説」らしかったが、マア、私も高校生くらいまでは「学説」とか言われると、「学説」として定着しているものならそうなのか? ・・とか思うこともあったが、そのうち、それは違うと思うようになった。「心理学の学説」ほどいいかげんなものはない。「心理学の学説」なんてデタラメ・デマカセでしかない。『新約聖書』の「福音書」には「預言者、故郷に入れられず」というイエスの言葉が載っている。又、英語の諺には、
The grass is always greener on the other side of the fence.
( 隣の芝生は緑に見える。⇒よその息子はいいように思える。)

というものもある。
「心理学の学説」は害がある。
実際のところ、うちの親が「野口くん」の母親に感化されて、「野口くん」がいいと言いまくっていたそのうちの親のその頃の年齢を上回る年齢に私がなってみると、あんな男をいいと思うようではうちの親もアホやな・・・と思うようになった。マア、「この程度の国民にはこの程度の政治」と言って顰蹙を買った自民党の政治家がいたが、「この程度の親にはこの程度の息子」と考えるならば、うちの父親などには「野口くん」程度の息子が良かったのかもしれない( 一一)

   最近、YouTube で見たのだが、日本ハムファイターズの監督になった新庄は阪神タイガースに入団する直前、高校3年の時、高校の試験の時に少し前の女子生徒が試験の問題用紙の裏に漫画を描いていたものを試験監督の教諭がとがめ、「おまえ、今、何の時間だ?」と言い、「試験の時間です」とその女子生徒が答えると、試験監督の教諭が「それなのに何やってるんだ」と言ったところ、「でも、もう終わりましたから」とその女子生徒が答え、それを聞くと同時にその教諭はその女子生徒の頭を思いっきり殴りつけ、その上で再度、「今は何の時間だ?」と問い、それに対してその女子生徒は「試験時間です。でも、もう終わりましたから」と言い、それを聞いてその教諭はさらにその女子生徒の頭を思いっきり殴りつけた。それを見た新庄は右のこぶしを握り締め、その教諭に「おい、次、やったら行くからなあ」と言ったところ、それを聞くと同時にその教諭はさらにその女子生徒の頭を思いっきり殴りつけ、それを見ると同時に新庄は飛びかかって、その教諭を組みしき、ボコボコに殴りつけた。しばらくして、首根っこをつかまれて引き離されて、ふと見ると野球部の顧問がいて「おまえ、いったい、なんてことするんだ。おまえ、プロ入りが決まってたんだぞお」と言い、それを聞いて「しまったあ~あ」と思った、そうだ。
   校長は「このまま、プロ野球の球団(阪神)に入団させるわけにもいかない」と言って新庄の父親を学校に呼んだところ、父親は学校にきて、「おまえ、いったい、なんてことするんだ。おまえがプロ野球の選手になるのが俺の夢だったんだぞお」と言ったが、その女子生徒が「お父さん、違うんです。新庄くんは私のために・・」と言ってくれたところ、新庄の父親はそれを聞いて「つよし、おまえは間違ってない。プロ野球の選手になれなくてもいい」と言ってくれたそうだ。・・結局、新庄は阪神タイガースに入団して、そして、活躍したのかしてないのかわからないが、今は日本ハムの監督になっている。「父親が亡くなった時、プロ野球の試合でずっと使ったグローブを棺に入れされてもらいました」と新庄が語っているのがYouTube の動画に出ていた。
  それに対して「野口くん」てのは、その時の新庄みたいなことは絶対にしない。そういう時、あの男はいつもうまく立ち回る男だった。それを「あの子は本当にしっかりしてますわあ」「あの子は本当に大人ですわあ」と「野口くん」の母親は自慢してまわるのだった。「野口くん」という男は政治的には「真ん中より右、1m」という位置を常にキープする男で、常に絶対に突出しない、常に絶対に「端っこ」に行かないという男だった。それを「大人ですわあ」「ほんとにしっかりしてますわあ」と「野口くん」の母親は自慢してまわるのだった・・が、そういうのは自慢するべきものなのだろうか。
  旧ソ連の詩人で音楽家のブラト=オクジャワの歌に「紙の兵隊」という歌がある。「ひとりの兵隊が住んでいました。美しく勇ましい紙の兵隊が。この世を正しくしたいと思って、彼は進んだ。炎に向かって。すっかり忘れてた、自分は紙だと。彼は焼かれた、紙の兵隊、後には灰さえ残りはしなかった」という。オクジャワの父親はグルジア人(ジョージア人、サカルトヴェロ人)で母親はアルメニア人だったらしく、この「紙の兵隊」という歌は、第二次世界大戦の時、独ソ戦の最中にグルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソビエト連邦からの離脱・独立の運動をおこない「人民の敵」として銃殺されたオクジャワの父親のことを思って歌われたものだったらしい。自分が紙だということをすっかり忘れて炎に向かって突き進み、焼かれて灰さえ残らなくなってしまった紙の兵隊とは、オクジャワの父親のことだったらしい。
  「野口くん」は新庄みたいに高校3年の時にプロ野球の球団に入団することが決まっていたにもかかわらず、それはひどいと義憤にかられて暴力教諭を組み敷いてボコボコに殴りつける・・といったことはしないし、自分が紙だということを忘れて炎に向かって突き進むということもしないし、そして、独ソ戦のさなか、グルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソ連からの離脱運動をおこなって「人民の敵」として銃殺されるということも絶対にしない。「野口くん」はそういう男だった。それを「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」「ほんとにしっかりしたいい息子ですわあ」と「野口くん」の母親は叫びまわり、それを聞いてうちの親は「なんで、あんたは野口くんみたいにしっかりしませんのん」と怒るのだったが、「野口くん」のその態度というのはほめるべきものなのだろうか。自慢するべきものなのだろうか。
  新庄は時々、バカなことするみたいだが、それでもけっこう人気があるのは、彼にプロ野球の球団に入団する話がもう決まっているにもかかわらず、「これはひどい」と思ったら暴力教諭につかみかかってしまい、「なんてことするんだ」と言われて「しまったあ~あ」と思ったという、そういったところがあるからではないのだろうか。その頃のうちの親より上の年齢になった今、思うことだが、私が親だったら「しっかりしてますわあ」だか「大人ですわあ」だかなんか知らんが「野口くん」なんてあんなのがいいとはまったく思わない。むしろ、その頃の私のような息子がいたらどんなにいいだろうなあ・・と思う。
※ 《YouTube-【ロシア語】紙の兵隊 (Бумажный солдатик) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=J3Sh6XY63UU 

  新庄が暴力教師が女子生徒の頭を殴りつけた時、右のこぶしを握り締めて「おい、次、やったら行くからな」と言い、新庄がそう言うと同時にその教師がその女子生徒の頭を殴りつけるのを見ると同時に新庄はつかみかかり、その教師を組み敷いてボコボコに殴りつけた・・ということがあってお父さんが学校に呼ばれ、その女子生徒が「新庄くんは私のために・・」と話してくれたのを聞いて、新庄のお父さんは「つよし、おまえは間違ってない。プロ野球の選手になれなくてもいい」と言ってくれたらしいが、そういう話を聞くと「親というものは」と、「親というもの」はそういうものだと言いたがる人というのが出てくる。しかし、そういう親も世の中にはいるだろうけれども、そうではない親というのもいる。
  1980年代後半、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)〕の千葉支店に7月1日から支店長になることになった渡邊士直(男。当時、40代。最終学歴:熊本県の底辺の高校卒)は7月1日からという辞令であったにもかかわらず、なかなか千葉支店に赴任せず、千葉支店の課長とかになっていた人は「支店長はいったいいつになったら来るんだ」と口にしていたが、7月の下旬の半ばくらいになってやっと千葉支店に赴任したと思ったら、最初にやったのはある女性社員の尻をなでまわし「男性がさわりたいと思うお尻をしているというのは、大変いいことだねえ」と発言した・・( 一一) ( 一一) ( 一一) そういうことだった( 一一)
  私は眼の前で見ていてびっくりした。世の中には「こそっと」女性の尻をさわる人とかはいるのではないかと思うが、何人もが見ている前で堂々と「なでまわした」のであった。そういう人を小堀住研(株)が支店長にならせているということが第一におかしい。私はうちの父親の勤め先の会社にアルバイトに何度か行ったことがあったが、うちの父親の勤め先と小堀住研(株)とは従業員数はどちらも千何百人、本社はどちらも大阪駅から徒歩圏にあり、社長はどちらも2代目で、知名度は「知っている人は知っているが知らない人もある」というくらいの知名度で、違うのはうちの父親の勤め先の2代目社長は東大卒だったが小堀住研(株)の2代目は高卒だったことと、うちの父親の勤め先は「上場してもうまみがない」と社長が思っておったのか「未上場」だったが小堀住研(株)はともかくも「一部上場」で、小堀住研(株)の従業員でも「そんなにいいことばっかりでもないけれども、ともかくも『一部上場の会社』だからと思って勤めてきた」と言っていた人もいた。その「ともかくも一部上場」という分だけ、小堀住研(株)の方がいくらか上か・・と私は応募した時点・入社した時点では思っていたのだったが、入社してみると思っていたよりも程度の低い会社だった。うちの父親の勤め先の会社より「少しだけ上」かと思って入社したが、むしろ「小堀の方が下」ではないかと思うようになった。
  渡邊士直が支店長になっていたというのは、それは間違っている。その前に「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と1960年代から小堀住研(株)は言いまくり叫びまくってきた会社であり、私が入社した時に見た小堀住研(株)が慶應大学に提出していた求人票にも「応募資格 営業系(営業・人事・総務・経理):4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人、要普通自動車第一種免許。 技術系(設計・工務・工事・アフターサービス):4年生大学の建築学科・土木学科卒の人、要普通自動車第一種免許。」と書かれていたはずでであり、女性社員には短大卒の人もいたが入社後の扱いが違った。それに対して、渡邊士直は底辺の高校卒であるにもかかわらず、なぜか、そこにいたのだ。小堀住研(株)は求人票には「応募資格」として「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」「4年生大学の建築学科・土木学科卒の人」と記載していて、そういうコースに応募して採用されたと思って入社してみると、なぜか高卒の人間がけっこういて、しかも「高卒の人間がえらそうにしている」と新卒入社で入った人間は誰もが「なんで、あいつ、いるんだ」と言って誰もが怒っていた。「最終学歴が高卒の人」でも、「それぞれの地域の伝統進学校を卒業したが何らかの理由で大学に進学しなかったという人」とかは大卒ではないとしても、「しょーもない大学」卒の人よりも学識・教養・学力はあるくらいであり、小堀住研(株)が客層としていた都市圏のインテリ層・中より上の会社員や医師・弁護士・公認会計士などそういう人間を相手にするには営業社員もある程度以上の大学卒の人間の方がいいという考え方からいけば「しょーもない大学卒の人間」よりも「それぞれの地域の伝統進学校を卒業したが何らかの理由で大学に進学しなかったという人」の方がいいくらいという面はあったし、又、小堀住研(株)より前に勤めた会社でも東大中退の人がいて、その会社においては「大卒に準ずる」という扱いにしていたが、入社するまでに身につけた教養・学識という点では「しょーもない私立大学」卒の人と東大中退の人とでは東大中退の人の方が普通に考えれば上ですから、そういうケースというのも日本の会社にはそういう扱いにすることもあるようだったが、小堀住研(株)の渡邊士直はそのどちらでもなかった。「ただの底辺の高校卒の痴漢人間」だった。なんで、その人がそこにいるの? 又、会社で転勤の辞令を受けたならさっさと転勤するべきもので、それを渡邊士直さんは何を1か月近くも転勤せずにいたの? その間も給料もらっていたと思われるのだけれども、何に対して給料もらっていたの?
  それで、痴漢人間の渡邊士直さんに副社長のKさんが注意したらしいのだが、ところが、渡邊は私が副社長に言ったと思ったらしく、又、渡邊が「女性社員の尻をさわったのがいかんと言うやつは許せん」と言いまくったことに同調した勢力が小堀住研(株)には出現したらしく、
人事部長の高田は「なんで、支店長が女性社員の尻をさわったらいうかんねん。支店長である以上、女性社員の尻をさわる権利があるはずや。それをいかんと言う者こそ、会社として許すわけにいかん」と言い、富士銀行から出向で来ていた常務取締役・東部営業本部長にならせてもらっていたが営業本部長の能力などまるでなかった増田和二は「支店長が女性社員の尻をさわったなんて、どうってことない」などと暴言を吐いた。渡邊士直は「俺は女性社員の尻をなでまわしたし、今後も間違いなく絶対に女性社員に尻をなでまわすが、これは中島(昭午)社長から俺が認められた俺の大事な人権なんじゃ。社長から認められた俺の大事な人権は絶対に譲るわけにはいかん。人権侵害は許すわけにいかんのじゃ。今後も俺は絶対に間違いなく女性社員の尻をなでまわすが、これは社長から認められた大事な人権なんじゃ」と言うのだった( 一一)・・がそんな「人権」はありませんし、二代目社長の中島昭午(初代社長 小堀林衛の「おい」と言っていたが、実際は「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があり、どちらかだったようだ。最終学歴:滋賀県立長浜北高校卒)に「女性社員の尻をなでまわす権利」などというものを「人権」だとして渡邊士直に「認めていただいた」などというそういうことをする権利はありません。 法律論理としては、民法第90条、公序良俗違反の法律行為は無効・・として中島昭午が「女性社員の尻をなでまわす権利」というものを渡邊士直に「人権」として認めたとしても、そのような法律行為は「ただちに無効」である・・とも言えますが、そもそも、中島昭午が代表取締役になっていても、小堀住研(株)の従業員と使用者である小堀住研(株)との間で従業員の側は「代表取締役の中島が指定する従業員が女性社員の尻をなでまわす権利」などというものを使用者側に認めていませんから、そもそも、中島昭午にそのような「人権」を渡邊士直に認める権利は存在していないのです。もしも、中島昭午がそのような権利が社長にあると思っていたならば、明らかに社長として認識を間違えていると言わざるをえません。むしろ、従業員と使用者は労働契約を結んで従業員は勤務しており、その労働契約において使用者には安全衛生保護義務というものが存在し、使用者の代表者である「代表者 代表取締役 中島昭午」には渡邊士直が女性社員の尻を撫でまわすとか、人事部長の高田が「なんで女性社員の尻を撫でたらいかんねん。支店長である以上、女性社員の尻を撫でまわすのは当然の権利のはずや」などとわけのわからん主張をすることに対して、きっちりと注意してそのような行為・言動はやめさせる義務があります。その義務を果たさず、「信念もってやってる」痴漢人間の渡邊士直に「社長がお認めになっておるんや」だの、「俺は中島社長から『渡邊(士直)は、ともかく会社の女性社員である限り、いつでも・誰でも・好きな時に好きなだけ尻を撫でまわしてよい』と『人権』を認められたんじゃ」と渡邊が言っていたようなことを認めるなどとそういう行為をはたらいたならば、それは代表取締役としての義務に反する行為をおこなっているということになります。中島昭午の態度・言動は「保護義務違反」と評価されるものです。
・・・1989年に初代社長で相談役だった小堀林衛が他界すると翌年の1990年に中島は小堀住研(株)という会社名から初代の苗字である「小堀」を取り去り「エスバイエル」というよくわからない・・というのか、「名前つけ屋」に命名を頼んだらしいのだが、「名前つけ屋」というのはその会社の従業員ほど会社の内容についてよくわかっておらず、小堀住研(株)は最初は在来木造の会社として始まった会社だったが、その後、在来木造とツーバイフォー工法を参考にして考えられた木質パネル構法によるものの比率が増えたという会社でツーバイフォー工法での建築は少なかったにもかかわらず、「名前つけ屋」はそのあたりについて理解できていないことから「ツーバイフォー工法の会社みたいな名前」として「ツーバイフォー」を思わせる「エスバイエル」という名前を提案して中島はそれを採用して、そして現代和風の建物を得意とする木質系の住宅建築会社ならば「小堀・・」と名前をつけておけば、黙っていても客の側で「小堀遠州と関係あるのか」と勝手に考えてくれる名前であるのにそれを会社名から取り除き、
小堀遠州 綺麗さびの極み (とんぼの本) - 小堀 宗実, 熊倉 功夫, 磯崎 新
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さらに中島は財界誌とかに出まくって「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかわけのわからんことを言いまくり、社長にそんなこと言われたら「安物会社ですよお」と言いまくっているようなもので、その結果、もともとの値段より利益が薄い安い値段でしか売れなくなり、かつ、高額物件の契約は取れなくなり、そして・・⇒つぶれた。最後、中島がやったことというと、会社の費用で「中島昭午が歌う演歌集」などというわけのわからんCDを出した・・・て、なんというのか「私は今までこの人のことを『特別に賢い』とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」ということをやって、その上でつぶしよった( 一一)  滋賀県立長浜北高校の応援部のホームページに、そのコメント欄に中島昭午のことを「錚々たるメンバー」などと書いていた人がいたが「会社をつぶしたアホの二代目」を「錚々たるメンバー」とはチャンチャラおかしい・・というのか笑止である。
※ [第540回]《小堀住研(エスバイエル)社長中島昭午が作ったお笑いCD-「バッカじゃなかろかルンバ」+「私バカよね」》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_6.html
  ・・やっぱり、「俺は中島社長から『渡邊(士直)はいつでも・どこででも・ともかく会社の女性社員である限り・誰にでも・好きなだけ尻を撫でまわしてよろしい』と『人権』として認められておるんじゃ。わかったかあ」と渡邊が私に言ったようなそんなものを「認める」ような男が社長になっているようでは、そんなことでは会社はつぶれる方向に進む・・ということだったようだ。「秋の日はつるべ落とし」「おごる平家は久しからず」「強大さを誇るすべての帝国主義と反動派は張り子の虎」であり、一時は調子よさそうに見えても、社長がそんなものを「お認めになっておるんじゃ」とかいうようなことでは、「長い目で見るならば張り子の虎」というよりも、思いのほか早い時期にさっさとつぶれた。私が入社した1980年代後半の時点で、すでに「おまえは、もう、死んでいる」という状態の会社だったのかもしれない・・か。「大卒しか採らない会社」と言いまくり、採用時においては「応募資格」は「4年生大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」「4年生大学の建築学科・土木学科卒の人」としておきながら、高卒の人を採用するならば、採用後、どういう扱いにするのかといったことも考えないといけないはずで、インターネットで見ると、警察の場合は「大卒」でも東大とか旧帝大系国立大学など卒で国家公務員1種試験合格の「キャリア」で入った「大卒」と神奈川大とかそういう私立大学卒で国家公務員1種試験なんて通ってない通るわけない「ノンキャリア」の「大卒」と高卒で入る人では、「キャリア」ははっきりと別の扱いだが、「大卒」の「ノンキャリア」と高卒の「ノンキャリア」では昇進の際に試験を受けて昇進するらしいが入って何年目から受けられるかという点で「大卒」の人間の方が早くから受けられるようにしていて、その結果、「大卒で入った1年目」と「高卒で入った5年目」が同じ扱いになるようにしているみたいだ。ところが、そういったことを何ら配慮しない小堀住研株では大卒で入った人間は高卒の人間がいて、しかもえらそうにしているのを見て強く不快感を持つとともに、たとえ、大卒の人間と高卒の人間を同じ扱いにされるとしても、「大卒で1年目と高卒で5年目」を同じ扱いというのが「大卒と高卒を同じ扱いにする」ということのはずだと考えるのだが、ところが小堀住研(株)の高田のように高卒の男が人事部長になっていたりすると、「高卒の人事部長」は高卒の1年目と大卒の1年目が同じ扱いのはずだと考えるみたいで、そうなると大卒で「伝統として大卒しか採らない会社」入った人間は「いいかげんにしろよ」となるようだったが、「高卒の人事部長」は「なんでやねん。高卒1年目と大卒1年目が同じ扱いで当然だろ」と考えるようだった。小堀住研(株)より前に勤務した某社では、東大の大学院まで出てきた人間が入社すると高卒の人間の下に配属されたとして、怒って2週間で辞めてしまったということがあったようだが、会社の人事部というのは、そういうものをどう対処すべきかということを考える部署のはずだったが、ところが小堀住研(株)の「高卒の人事部長」は「なんで、支店長が女性社員の尻を撫でまわしたらいかんねん。支店長である以上、当然、女性社員の尻は撫でまわしてええはずや。それをいかんと言う者こそ会社として絶対にゆるせ~ん! 支店長が女性社員の尻を撫でまわすのがいかんなどと言うやつというのは、これは中島社長が最もお嫌いになる人間や。絶対に許すわけにいか~ん!」と体をぶるぶるふるわせて顔を紅潮させて言うのだった・・・が、そんなのが人事部長になっているということからして、「おまえは、もう、死んでいる」という会社だったのかもしれない。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕 だいたい、人事部長というのは大学の法学部で労働法・会社法などを学んできた人間か、商学部・経営学部で労務管理論などを学んできた人間か、文学部心理学科・教育学部教育心理学科で心理学・人間関係論などを学んできた人間か、そういう人間が会社で経験を積んだ上でなるものであろうと学生の時の私は思っていたのだったが、それから考えて、なんで、小堀住研(株)では高田みたいな「高卒でも程度の低い高卒」が人事部長になんてなっているんだ?・・と思ったが、それは「一族」だったのではないかと思うが、そのあたりから考えると小堀・中島の「一族」てのはもしかして「アホばっかりの一族」だったのか? ・・て感じだったが、その結果、倒産して、今ではヤマダ電機に「いぬき」で買い取られて、そして、やはり「いぬき」で買い取られたらしい「リフォームのナカヤマ」とともに「ヤマダホームズ」という名前で「小堀の家」としてかつての芦屋の展示場の写真をヤマダ電機の店では出している。大塚家具が親子で分かれて父親の方は「匠大塚」という名前の店を出したが、娘が引き継いだ「大塚家具」の方は苦戦して、インターネット上のものによると従業員は「おまえはどっちの側なんだ」とか言われて、そんなこと言われても知らんがな・・てことだったが、ついに「大塚家具」はヤマダ電機に買収されたが、それで従業員はどうかというと「もう、ヤマダ電機、最高♪」・・なんて出ていたのを記事で見たかYouTube で見たかどっちか。だから、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) を「いぬき」で買い取ったヤマダ電機が「ヤマダホームズ」として会社は今後よくなる可能性もあるかもしれんが、それはまだわからない。
  それにしても、小堀住研(株)の2代目社長の中島昭午については「私は今までからこの人のことを『特別に賢い』とは思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」てものだった。「中島昭午が歌う演歌集」CDなんて、ようそんなもの会社のカネで出そうと考えるなあ・・・、又、「社長、それはやめておいた方がいいと思いますよ」と言う人間はいなかったのか、私が社長のそばにいたならば一言は言ったと思うのだが、「そういうことを言うやつというのは社長が最もお嫌いになる人間だ」とかいうことになったのかもしれない。まわりに「アホばっかり」集めたか・・( 一一)
  それで、「信念もってやってる」痴漢人間の渡邊士直が、私が副社長に渡邊士直の行状について報告したと思っていたらしいのだが、実際は人事部から従業員へのアンケートとして「今、職場で困っていることは何かありますか」というものがあったので、そこに「こういうことはやめてもらいたい」と書いたという、そのくらいのことであって、実際にはそれほど勇ましいことをしたわけでもなかったのだが、ところが、それでも人事部長の高田とかは「絶対に許せ~ん! 支店長が女性社員の尻を撫でまわしてなんでいかんのや。そういうことをいかんというやつは会社として絶対に許すわけにはいか~ん!」とか言い出したのだった。
  そういう時、新庄のお父さんならどう考えただろうか。うちの父親は私にこう言ったのだ。「支店長が女性社員の尻を撫でたということなら、こう言いなさい。『もっと撫ではったらどうでっか』『次はこういう撫で方をしたらどないでっか』と」と、うちの父親は私にそう言ったのだ。「甘ったれるな~あ! 支店長が女性社員の尻を撫でてはいかんとか言うやつというのは、それは甘ったれとるからじゃ。それは甘ったれとるからであって、思いあがっておるからであって、つけあがっておるから、だから、そういうことを言うんじゃ。つけあがるなあ、チャンコロ~お!」とうちの父親はそう言うのだった。
  もしも、職場に自分の嫁がいたらどうか? もしも、職場に自分の婚約者がいたらどうか? そうでなくても、それに準ずる女性がいたらどうか?  そうでなかったとしても同じ時期に入社した人というのは仲間ではないのか? たとえ、同じ時期に入社した人でなくても、同じ職場で働く者は仲間ではないのか? 
※ 《YouTube-モーツァルト《フィガロの結婚》序曲/第1幕(全曲)クライバー指揮》https://www.youtube.com/watch?v=VpJbjzE491o
モーツァルト フィガロの結婚 改訂新版 (オペラ対訳ライブラリー) - 小瀬村 幸子
モーツァルト フィガロの結婚 改訂新版 (オペラ対訳ライブラリー) - 小瀬村 幸子
  うちの父親は「『次はこういう撫で方してみたら、どないでっか』と言いなさい」と言って撫でるかっこして見せよったのだが、うちの父親というのは、そういうおっさんやった( 一一)  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。神戸大文学部卒。担当科目「国語」)が「あなたのお父さんほどいいお父さんはなかなかないわよ。あなたのお父さんのようなもんのすごいいいお父さんがいたら私だったらものすごくうれしいわよ」と言い、「私は両親が離婚したんだからねえ」「私は父親がいなかったんだからねえ」と自慢なさるのだったが、そう言われてうちの父親は「北野高校のエライえらいエライえら~い先生であらせられる作野礼子先生もおっしゃっておるように、わし~いほどエッライえっらいエッライえっらいものすごい立派な立派なお父さんというのは、この世にめったにおりませんねんでえ」と言いまくるのだった・・・が、その「えっらいエッライえっらいエッライ」「ものごっついものごっついエライえらいエライお父さん」というのがいると、「『次はこういう撫で方してみたら、どないでっか』と言いなさい」と言って撫でるかっこして見せられるのだ。「父親がいなかった」ならば、「『次はこういう撫で方してみたら、どないでっか』と言いなさい」と言って撫でるかっこして見せよるおっさんはいないということだ。その点で「父親がいなかったんだからねえ」という娘がうらやましかった。
  新庄のお父さんは新庄が試験監督の教諭を組み敷いてボコボコに殴りつけたという話を聞いて「おまえ、いったい、なんてことするんだ。おまえがプロ野球の選手になることが、それが俺の夢だったんだぞ」と言ったけれども、女子生徒から「お父さん、違うんです。新庄くんは私のために・・」と説明を聞いて、「つよし、おまえは間違ってない。プロの野球選手になれなくたっていい」と言ってくれたというのだが、そういう「お父さん」も世の中にあれば、「『次はこういう撫で方してみたら、どないでっか』と言いなさい」と言って撫でるかっこして見せよる「お父さん」も世の中にはいるわけだ。
  うちの父親が大好きだった「野口くん」とかは、そういう時にうまく切り抜けるのかもしれないし、そういう点では「野口くん」は私などよりも「野口くん」のお母さんが言いまくるように「大人ですわあ」「賢いですわあ」「人間できてますわあ」「しっかりしてますわあ」なのかもしれない・・・が、おそらく「野口くん」は死ぬまでそういう人間としての人生を送ることだろう。オクジャワの父親のように第二次世界大戦の独ソ戦の最中にグルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソ連からの離脱の運動をして「人民の敵」として銃殺されることもないであろうし、そういう男と結婚する女は「女の幸せ」をつかむことができるのかもしれない・・・。オクジャワの「紙の兵隊」の歌なんてものに感動することもないだろう。「百万本のバラ」とかにもおそらくなんとも思わないのではないかな。うちの父親は私が嫌いでそういう「野口くん」が大好きだった。
※ 《YouTube-百万本のバラ / アーラ・プガチョワ》https://www.youtube.com/watch?v=dPZdC792zo0
黒い瞳から百万本のバラまで―ロシア愛唱歌集 (ユーラシア・ブックレット No. 31) - 山之内 重美
黒い瞳から百万本のバラまで―ロシア愛唱歌集 (ユーラシア・ブックレット No. 31) - 山之内 重美
( ↑「紙の兵隊」「百万本のバラ」が掲載されています。)
  新庄のお父さんていいお父さんだなあ・・と思っても、その人はよそのお父さんであってうちのお父さんではないのだからしかたがない・・と思っても、「『次はこういう撫で方してみたら、どないでっか』と言いなさい」と言って撫でるかっこして見せよるおっさんのことを北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代)から「あなたのお父さんほどいいお父さんはなかなかないわよ」と言われると、なんか違うように思ったし、北野高校というのは行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して何年か経ってみると、どう考えてもあんまりいい学校ではなかったというように思えてきた。

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↑ 京都市地下鉄烏丸線の電車。たしか、この写真は「今出川」駅にて撮影したように思う。

  地下鉄から地上に出ると、どっちがどっちの方角か混乱することがよくある。「今出川」駅は東西の今出川通りと南北の烏丸通りの交点にあるのだが、今回も「あれ~え」という体験をした。
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↑ この通りが今出川通りだとすると、この左側は何だ? 
この通りは今出川通りではなくて烏丸通りで南側を見たもので、左側は京都御苑だった。ひとつ南の「丸太町」駅の上の「烏丸丸太町」交差点まで東側には京都御苑が続き、西側には護王神社があり、菅原院天満宮があり大丸ヴィラがある。
逆側の北側を見ると、↓
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↑ この交差点の左右(東西)の通りが今出川通りで、手前から向こうへの通り(南北の通り)が烏丸通りで、右向こうの建物群が同志社大学の今出川キャンパスだった。

  この交差点を西に行くと北野天満宮の南側に行くはずだが、この交差点から北野天満宮までは歩くとけっこう距離があるのでバスに乗ることにしたが、バス停は交差点の左右にあるが「烏丸今出川」バス停はこの交差点の東側にあったようで、西側に行った所にあった交差点は「上京区総合庁舎前」バス停だった。
  この途中、南側に食べ物屋があって入ろうか迷ったのだが、そこで何を食べるかと考えて陳列棚というのかショーウインドーというのかを見たところ、「ニシンそば」があった・・のだが、京都で「ニシンそば」は食いたくないなあ・・といつの頃からか思うようになっていた。なぜかというと、「京都のニシンそば」というと期待してしまうのだが、期待が裏切られることが多いからだ。
  私は「ニシンそば」というのは「おかめそば」とかと同じように全国にあるものかと思っていたら、東京圏では「ニシンそば」はメニューにない店が多い。「ニシンそば」は大阪のものかと思ったら、そうではなくて「ニシンそば」は京都が発祥だったらしい。京都が発祥だけれども大阪でもたいていの蕎麦屋では「ニシンそば」はあるのだ。それに対して東京圏の蕎麦屋では「ニシンそば」がメニューにある店はたまにあることはあるがない店の方が多い。だから、大阪に行って蕎麦屋に入ると私は必ず「ニシンそば」を注文して食べる。「ニシンそば」は大変おいしい♪
  ところが、だ。「阪急そば」という阪急電鉄のプラットホームにあったり、阪急の駅のすぐ外にあったりする店があって立ち食いの店と一応椅子がある店があるのだが、「パートのおばちゃん」みたいな店員が作っている店なのだが、決して「阪急そば」はばかにしたものではなくて阪急そばの「ニシンそば」はけっこうおいしいのだ。 それを食した後、京都に行って「料亭風」の店で「ニシンそば」がメニューにあるのを見ると、「ニシンそば」は「京都が発祥」だというくらいで、しかも「駅の立ち食いそば」ではなくて「料亭風」の構えの食べ物屋の「ニシンそば」となると、これは相当おいしいのではないか・・と期待する・・のだが、そう思って注文して食うと、「なんや、阪急そば のニシンそばの方がおいしいやんけ」という体験をするのだ。そういう体験を複数回すると、もう、京都では「ニシンそば」は食わんわ・・という気持ちになる、なったのだ。
  それで、その店で食うのはやめてバスに乗った。ついでに、船橋市の我が家からそう遠くない所の蕎麦屋に「ニシンそば」のメニューがあって、何度か注文して食ったが、最近、東京圏のスーパーでも「ニシンの甘煮」を売っていることがあり、そこの「ニシンそば」は結局のところ、「たいしておいしくない蕎麦の上に買ってきた『ニシンの甘煮』を乗せただけ」のもので、「こんなの、ニシンそばじゃない」と思うようになって、その店ではニシンそばは注文しないようになった。
  ついでに、「東京もんのおっさん」には相手が関西人だと思うと、糸ひき納豆を無理矢理食わせてやろうとする人が大変多い。「納豆はものすごく健康にいいんですよ」とか言って嫌がる関西人に食わせるのが楽しくてうれしくてたまんな~い♪ ておっさんが多いのだが、在東京圏関西人(日本とは東京のことだと主張する東京もんのおっさんからすると「在日関西人」)にも「糸引きなっとう食べない関西人」と私のように「糸引き納豆食べる関西人」がおり、前者の「糸引きなっとう食べない関西人」は私のような「糸引き納豆食べる関西人」と出会うと、「なんで、そんなもの、食べるの! あんた、関西人でしょ。関西人なのにどうしてそんなもの、食べるのよ」と、まるで宗教の戒律を破ったかのように攻める。「民族の誇りを捨てるのか」みたいな言い方をするのだ。別にそういう問題とちゃうんやけどもお・・、ともかく、私は「糸引き納豆食べる関西人」なのだが、片方で「糸引き納豆を嫌がる関西人に無理矢理食わせたがる東京もんのおっさん」は私のような「糸引き納豆食べる関西人」と出会うと、「ええ~え? なんで食べるんですかあ~あ? 関西人なんでしょお~お!」と言って、無理矢理食わせてやろうとしたのにすでに食うとは実に残念無念! と残念がるのだが・・・、なんかその「無理矢理食わせる」ということに快感でも持ってるのだろうか? その「無理矢理やるのが好きなタイプ」て、あんまりいいとは思わんのだが、どうだろうか。

  「上京区総合庁舎前」バス停には、けっこう多くのバスが来るようだ。↓ こんな感じ。
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  「上京区総合庁舎前」バス停から西に行くバスはいっぱいあるのだけれども、難しいのは北野天満宮の南側に行く前に途中で曲がって南に行くバスとか、途中で曲がって北に行くバスとかもけっこうあるという点だ。
  「上京区総合庁舎前」バス停から「北野天満宮前」までの間にはバスが通る南北の広い通りとして、堀川通り〔南に行くと、東側に堀川高校があり、さらに南では西本願寺の東側に行く〕と千本通り〔南に行くと、JR山陰線「二条」駅前に行き、その南も千本通りはあるが狭い通りになり、広い通りは別の通りになって南東に行き、阪急「大宮」駅のところから南は大宮通りとなって西本願寺の西側に行く。〕の2つあるが、堀川通りを南に曲がるバスがあり、千本通りを北に曲がるバスがある。
  用心して堀川通りを南に行くバスには乗らないようにしたのだったが、ところが、次に来たバスは「金閣寺道」という金閣寺の方に行くという表示があったので北野白梅町で北に曲がって金閣寺に行くのだろうと思って乗ったらそうではなくて、千本通りを北に曲がって、北側の北大路通りを西に行って「金閣寺道」の方に行くバスだった。
  あわてて「千本今出川」バス停で降りたのだったが、「烏丸今出川」バス停からとか「上京区総合庁舎前」バス停から北野天満宮までは歩くとけっこうあるが、「千本今出川」バス停から北野天満宮までなら歩いてもそれほど遠いわけではない。京福電鉄「北野白梅町」から北野天満宮の前の「北野天満宮前」バス停まではバス停1つ分だが、「千本今出川」バス停から「北野天満宮前」バス停までは途中に「上七軒」バス停があるだけ、バス停2つ分なので、バス停2つ分くらいなら歩いても悪くない距離だった。

  南北の千本通りと東西の今出川通りの交点の「千本今出川」交差点から「北野天満宮前」バス停までの間には北に行く七本松通りと北西に行く上七軒通りが分岐する「上七軒」交差点があるが、「千本今出川」交差点から「上七軒」交差点までの間に、北側にあるのが、↓
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↑ 浄土院
右の石柱には
「豊公遺跡 湯だくさん茶くれん寺 浄土院」
と書かれています。左の方に掲げられている木製の説明書きには、
《 浄土院(湯たくさん茶くれん寺) 浄土宗
 天台宗の般舟院(はんじゃいん)の隠居所として宗印が開基したとされる。 本堂に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は永長元年(1096)の銘をもつ木彫漆箔で僧・寂能の作である。
 豊臣秀吉が天正十五年(1587)に開いた北野の大茶会の途中に立ち寄り、庵主に茶を所望したところ、二杯目も所望されたため、庵主は自分の未熟なお茶を出し続けるのは失礼と考え、この寺に湧き出る銀水の白湯を出し続けた。秀吉は庵主の思いを悟り、「お茶を頼んでいるのに白湯ばかりだし、お茶くれん」と笑ったといわれており、その後「湯たく山 茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝えられている
 本堂屋根には、安土桃山時代の陶工で楽家初代の長次郎の寒山・拾得像の焼物が据えられている。
    京都市 》
と書かれている。拝観は予約が必要らしい。『歩く地図 京都散歩 2024』(2023.4.20. 成美堂出版)には、
《 「茶くれん寺」の通称がある浄土院。 北野大茶会の途中で立ち寄った豊臣秀吉が「湯たくさ山(さん) 茶くれん寺」と言ったことから》
と出ている。
歩く地図 京都散歩 2024 (SEIBIDO MOOK) - 成美堂出版編集部
歩く地図 京都散歩 2024 (SEIBIDO MOOK) - 成美堂出版編集部

  浄土院の前をさらに西に行くと「上七軒」交差点で、北に行く通りが「七本松通」で北西に伸びる通りが「上七軒通り」
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写真はクリックすると大きくなります。右の石柱には「上七軒」と書かれています。

  「上七軒通(かみしちけんどおり)」は、『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ・ジャパン)には、
《 京都らしさが残る通りで、ティータイムも楽しい。古い家並みは風情がある。》
《 上七軒の町並みと舞妓
京都にある最古の花街で五花街の一つ。夕方になると10軒ほどある茶屋からお座敷に向かう舞妓さんに出会える。》
と書かれている。 舞妓さんが「お座敷に向かう」なんて、そんな場所は私のような無産市民にはあまり縁はない所・・かな。
日本の神社 6号 (北野天満宮) [分冊百科]
日本の神社 6号 (北野天満宮) [分冊百科]
  1980年代、うちの父親の勤め先の工場のMさんが「うちの息子、京都で下宿しとるんやけど、京都でも月6万円以上しとるで。それを、あんたなんか、東京で住んで月1万2千円やなんて、そんな所あるわけないやろ。嘘ついたらいかん。あんたなんか月10万円以上の所に住んどるんやろ」などと言うのだったが、「嘘なんかついてませんよ」「そんなことあるわけないでしょ」と言っても「わかってるんやからなあ」などと言い、「何をわかってるんですか」と言ってもきかなかったのだが。「京都でも」というその言い回しからしておかしい。そんなもの、普通に考えて「舞妓さんがこっぽりはいてお座敷に向かう」なんてそんな所が安いわけないだろうが。私がその頃に住んでいた川崎市幸区の屋上にレーダーが乗っかってる東芝小向工場の近所、かつては川崎ぜんそく でその付近は洗濯物を干したら真っ黒になったとかいうような所、最寄り駅からも遠い所よりも「おこしやすう」とか舞妓さんが言って悪いことして金儲けした旦那に媚び売るようなそんな所が安いわけないだろうが。アホか・・てもんだ。
  「浪人して大学に行った野口くん」てのもまた、私に「東京で下宿して私立の大学に言ったらカネかかってしゃあないなあ」などと言ってきたのだが、上記のようにそういう口をきく「野口くん」の方がカネかかることやっているのであり、「東京で」と言っても東京圏はけっこう様々な所があるわけで東芝小向工場の近所なんてのは家賃が高い地域ではないし、それに対して「野口くん」みたいに「京都で」下宿する人間というのは京都市内で住んでいたはずなのだが、舞妓さんがこっぽりはいて「おこしやすう」とか悪いことして金儲けして女を呼ぶ旦那におべっか使うような街が東芝小向工場の近所より安いわけないだろうが。まったくつくづく「野口くん」て男はよく言うわ・・と思う。 「うちの息子はほんとにしっかりしてますわあ」「うちの息子は大人ですわあ」「うちの息子は賢いですわあ」と母親に言われまくって、もしも私が「野口くん」の立場なら「もう、そのくらいにしておいて」「もう、ほどほどにして」と母親に言うところだが、「野口くん」は言わないだけでなくアホな母親からそういうことを言われてその気になっていた・・・ということは、「かしこいですわあ」「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」とアホな母親が叫んでまわっていたわりに、京大に行ってもたいした京大ではない、京大に行ってもあんまり賢くないなあ、大人じゃないなあ、京大に行ってもその部分についてはあんまりしっかりしてないなあ・・・という男だった、と判断せざるをえない。
「野口くん」というのは政治的には””「真ん中より右、1m」という位置を常にキープする男”” で、たとえ「真ん中より右、1m」の位置にいたとしても世間一般が右に移動することもあり、そうすると「真ん中より右、1m」にいたつもりでふと気づくと「真ん中より左」にいた・・なんてこともありうるし、「真ん中より右、1m」の位置にいたつもりでも、世間一般が左に移動したならば、ふと気づくと「かなり右の方」にいた・・なんてこともありうるはずなのだが、ところが、「野口くん」というのは「真ん中より右1m」の位置にいるだけではなく、世間が右に1m移動すると「野口くん」も右に1m移動する、世間が左に1m移動すると「野口くん」も左に1m移動する、そして常に「真ん中より右1m」という位置を確保する・・・というそういう男だった( 一一)  そういう「節操のない男」というのを「野口くん」の母親は「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」「賢いですわあ」と言って自慢しまくるのだった・・・が、そういうのを「しっかりしてます」とか「大人」とか言うべきなのか・・と疑問を感じるあたりは、私なんかは「野口くんのお母さん」からすると「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」「かしこいですわあ」と評価されるかどうかの判断では「問題外」だったのかもしれない。結婚するならそういう男と結婚するよりも女性にとっては私なんかと結婚するよりもずっとええかもしれんけどな・・。
うちの親、特にうちの父親はそういう「野口くん」、ぺったんこのシェイクハンドラケットみたいな顔した「野口くん」が大好きだった( 一一)
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   『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ・ジャパン)には、「今出川通(いまでがわどおり)」
《 かつて鴨川の支流、今出川が流れていたことから通りの名がつけられた
北野天満宮に詣でた際は、この道を歩けば土産物や食事処に事欠かない。沿線には京都大学、同志社大学、京都府立医科大学などがある。》
と書かれているが、それほど土産物屋や食べ物屋があったようにも思えない。

  「烏丸今出川」交差点から今出川通りを西に進み、南北の堀川通りと交わる「堀川今出川」交差点の少し東のあたりに「白峰神宮」があるらしいが、「白峰」というと香川県の白峰宮 は日本三大怨霊の一、崇徳院を祀る所であるが、京都の白峰神宮も崇徳院を祀る神社であったはず・・・なのだが、京都の白峰神宮の方は
《 慶應4年(1868)、蹴鞠の宗家・飛鳥井家の邸宅跡に創建。崇徳天皇と淳仁天皇を御祭神としてまつる。摂社の精大明神は鞠の守護神として崇められ、サッカーなどスポーツの上達を願う人のお参りが多い。毎年4月14日と7月7日には蹴鞠が奉納される。》
と書かれており、香川県の白峰宮は「日本三大怨霊の一 崇徳院」を祀る所だけにそういう雰囲気があると聞くが、それに対して京都の白峰宮の方は、どうも「日本三大怨霊の一 崇徳院」よりも ホームページとか見ても「サッカーの神さん」の神社になってしまっているような印象がある。 「日本三大怨霊 崇徳院」を祀る神社ならば一度、足を運んでみたいとも思ったが、今回は気づかないうちにバスで前を通過してしまったようだった。
※ 香川県神社庁 白峰宮(香川県)https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%e7%99%bd%e5%b3%b0%e5%ae%ae/

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html は、北野天満宮の大鳥居から影向松・伴氏社とゼロホーム展示場など。
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菅原道真 (人物叢書 新装版) - 坂本 太郎
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  (2024.2.8.)

☆ 北野天満宮参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと勝手に勘違いしている連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? 〔今回〕
2.「上七軒通」交差点よりゼロホーム展示場。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html 


☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り シリーズ
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html 
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
北野天満宮3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと勝手に勘違いしている連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か?〔今回〕
2.「上七軒通」交差点よりゼロホーム展示場。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html 

高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
赤根天満宮(長岡京市)
1.光明寺道から南、大峯山禊所、天神社鳥居へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500055705.html
2.鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500082490.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 

兵庫県
多田院天満宮(川西市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502254600.html

滋賀県
多賀大社摂社天満神社(犬神郡多賀町)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html 

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.htm 

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