北野天満宮参拝3【3/11】楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。

[第2034回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第67念-3
  北野天満宮の大鳥居をくぐり、さらに鳥居を2つくぐって参道を進むと、そこに楼門 ↓ があります。
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↑ 北野天満宮 楼門
《 菅公を讃える「文道太祖(ぶんどうのたいそ) 風月本主(ふうげつのほんしゅ)」と書かれた額が掛かる。》
《 「文道太祖(ぶんどうのたいそ) 風月本主(ふうげつのほんしゅ)」と書かれた額がかけられている。この詞は平安時代の学者・大江匡衡(おおえのまさひら)の願文にもある。額の字は「北野天神縁起絵巻」承久本の詞書に基づくものである。》
( 『週刊日本の神社6 北野天満宮』2014.3.25.デアゴスティーニ)
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( ↑ 写真はクリックすると大きくなります。)
↑ 人が通る所と額との間にでっかい絵馬がかかっているが、
「 令和六年庚辰 開運 全国天満宮総本社 北野天満宮」
と書かれている。
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↑ 「文道太祖(ぶんどうのたいそ) 風月本主(ふうげつのほんしゅ)」
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↑ 内側から見た 楼門。

  大鳥居ー鳥居ー鳥居ー楼門ー 
・・と来て、そのまま直進すると、↓
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三光門ー拝殿ー本殿 ・・のラインは、大鳥居ー鳥居ー鳥居ー楼門ー ・・のラインより少し左(西)にずれており、大鳥居ー鳥居ー鳥居ー楼門ー と来てそのまま直進すると 東回廊の右側(東側)に来て、そのまま北に進むと 文子天満宮(あやこてんまんぐう)に至ります。
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 ↑ 末社 文子天満宮
  文子天満宮は、『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)では、
《 道真の乳母ともいわれる多治比文子(たじひのあやこ)が、天神として一番はじめに道真公を祀った場所。今は天満宮の末社だが前身となった神社。》
《 実在した人である道真公が神として祀られたきっかけは、京都を襲った災厄だった。道真公は延喜3年(903)に満57歳で薨去(貴人の死去の意)。 政敵・藤原時平に「謀反の疑いあり」とそしられ、太宰府に追われた2年目に現地で没した。依頼、京都では落雷などが多発。さらに時平のほか、道真公左遷の関係者が相次いで急死する。人々はこうした異変を道真公の怨霊の仕業と考え、彼を天神(雷神)と結びつけて恐れた。
 そうしたなか、天慶5年(942)に京都の童女・多治比文子(たじひのあやこ)が、社殿を望む道真公の声を聴く。貧しい文子はひとまず庭に小詞を建てて彼を祀ったが、天暦元年(947)に近江国の神職・神 良種(みわのよしたね)の子息・太郎丸も同じ託宣を受ける。良種は道真公が社殿を望んだ地にあった朝日寺の僧侶・最鎮(さいちん)と協力して北野社を創建し、文子の祠を移した。
 その後、同社は藤原氏の保護を受けることになり、永延元年(987)には一條天皇が道真公に「北野天満大自在天神」の神号を贈与。
 中世以降は武家の崇敬も集め、豊臣家などの信仰も篤かった。・・・・・》(「悲劇の文人・道真公を祀る名社」〔 『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)所収。〕
と書かれている・・・のだが、「多治比文子(たじひのあやこ)」なる女性は「京都の童女」だったのか「道真公の乳母」だったのか、2説あるのか?  菅原道真は《 承和12年6月25日〈845年8月1日〉- 延喜3年2月25日〈903年3月26日〉》(ウィキペディアー菅原道真https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F# )、他界した時点で57歳だったわけですから、乳母が道真の死後の942年に祠を建てたとなると、道真が生きていたならば97歳の年に建てたということになり、乳母は仮に道真より20歳年上だったとすると117歳だったことになり、その時代においても現在においても高齢で、平安時代にその年齢まで生きていたとしても、その年齢の人が今のものより小規模なものであったとしても、祠を建てるということができたのか。それとも、乳母だった女性の娘とか孫とか子孫とかそういう人だったのか。

  『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 (北野天満宮 本殿は)豊臣秀吉公の遺命により、豊臣秀頼が慶長12年(1607)に造営。「八棟造(やつむねづくり)」と称される檜皮葺(ひわだぶき)の屋根に破風を金物で飾った美しい造り。本殿と拝殿を「石の間」でつないでいる。国宝。》
《 北野天満宮は天暦元年(947)創建。千有余年の歴史のなかでは何度か火災に見舞われたが、現在の社殿は慶長12年(1607)に築かれたもの。太閤・秀吉の子である豊臣秀頼が、父の遺志を継いで造営に踏み切ったと伝えられている。・・・》(「石の間で本殿と拝殿をつないだ権現造の典型的な殿舎」〔『週刊日本の神社6 北野天満宮』2014.3.25.デアゴスティーニ 所収)
  ウィキペディアー北野天満宮https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE には、
 拝殿・本殿・石の間・楽の間 は《 慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、八幡造(権現造のもと)の社殿である。当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となる。その事から「八棟造」とも呼ばれる。屋根はすべて檜皮葺き。本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されている。》と書かれている。
  豊臣秀頼は1592年の生まれで関ケ原の戦いの時には8歳の子供でしかなかった。笠谷和比古『論争 関ヶ原合戦』(2022.7.22. 新潮社 新潮選書)によると、徳川家康としては、関ケ原の東軍には豊臣系武将が多く参加していたが、東軍の豊臣系武将は小山での話し合いでは石田三成や大谷吉継らと戦うつもりでいたが、その後、増田長盛・長束正家・前田玄以の三奉行の名により「内府ちがいのじょうじょう」なる文書が日本全国の大名に送られ、かつ、毛利輝元が大軍を率いて大阪城に入場して西軍の大将になり、秀頼は8歳の子供であったとしても淀殿もまた三奉行と毛利輝元の姿勢に同調していた・・となると、はたして、東軍の豊臣系武将はどこまで徳川に加担するか疑問があり、さらに、もしも毛利輝元が秀頼を連れて関ケ原に来たとすれば秀頼を相手として豊臣系武将は戦えるか? ・・と考えると、徳川家康としても不安があったらしい。しかし、秀頼は関ケ原には来ず、毛利輝元も関ケ原には来ず、輝元の代理のように関ケ原に毛利軍を率いて来た輝元の養子の秀元らの毛利軍と安国寺恵瓊・長束正家・長曾我部盛親の軍は南宮山で先鋒をやると言って一番前の位置に陣取った上で「通せんぼ」した徳川に内通していた吉川広家にさえぎられて参戦できず、関ケ原の戦いは東軍の勝利になった・・が、関ケ原で西軍と主として戦ったのは東軍に属した豊臣系大名であって、関ヶ原の戦いの後、西軍に属した者から奪った領地を配分した相手も多くは東軍に属した豊臣系大名であり、その後も徳川と豊臣が戦うとなった場合に、はたして「豊臣系大名」や戦国大名・守護大名系名門大名といったあたりは徳川の方につくとは限らないわけで、徳川家康としては不安があったらしい。
  方広寺の鐘の「国家安康」「君臣豊楽」の文字に徳川が因縁をつけて、その釈明に駿府まで出向いた片桐勝元が、徳川と豊臣の両家の関についてはっきりしておきたいと言われて、(1)秀頼が江戸に参勤する。(2)淀殿が(人質として)江戸に住まう。(3)秀頼と淀殿が大阪城を出て大和郡山などに移り、はっきりと徳川政権での一大名になる。この3つのどれかにさせてもらいたいと言って帰り、大阪城では淀殿や大野治長らは激怒し、片桐勝元は裏切り者・徳川の手先かと見られて大阪城を退去した・・というのだが、片桐勝元を追い出したことで徳川とのつなぎ役がいなくなったとか言う「歴史学者」とか「歴史小説家」とかがいるらしいが、ウィキペディアー方広寺鐘銘事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA%E9%90%98%E9%8A%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6 にも、
《 秀頼を江戸に参勤させる 淀殿を人質として江戸に置く 秀頼が国替えに応じ大坂城を退去する
この案は豊臣方にとって受け入れられるものではなく、且元は大野治房・渡辺糺・織田頼長・青木一重ら他の重臣からも家康との内通を疑われるようになった。》と書かれているように、片桐勝元の方から言いだしたというこの条件は豊臣がはっきりと徳川に臣従するという申し出であって、いくらなんでも豊臣としては受け入れられる話ではないものを豊臣の家臣が徳川に言いだしたというもので、片桐勝元というのは「賤ケ岳七本槍」の一人と言われたらしいが北野天満宮の社殿の造営に奉行として担当することはできても、片桐且元はたとえ「家康と内通」していたのでなかったとしても、豊臣の代表者として徳川家康と対峙してできる限り有利な条件を導き出す努力をする能力はない人間だったのか。その後、大野治長が弟の大野治房から徳川との姿勢が軟弱だと非難されたとかいうが、「歴史学者」のYouTube など見ると、大野治長や真田信繁は実は豊臣が徳川と戦ってもおそらく勝てないと見て、片桐勝元が言いだした条件は受け入れがたいが戦況を見て比較的良い条件で和平に持っていきたいと考えたのではないか、という見方をされているらしい。
1592年 豊臣秀頼生まれる。
1598年 豊臣秀吉死去(61歳)。秀頼6歳。
1599年 前田利家死去。
1600年 関ヶ原の戦い。秀頼8歳。
1607年 北野天満宮造営。秀頼15歳。
1614年 方広寺鐘楼完成。秀頼22歳。
1614年8月 片桐且元 方広寺鐘銘の釈明に駿府に行く。
1614年 大坂冬の陣 
1615年 大坂夏の陣 秀頼23歳。
1616年 徳川家康死去(74歳)。
  私が小学生の頃から学んだ「社会科」の「歴史」、中学生の時の「歴史」の本などでは、豊臣秀吉が大阪城に蓄えた金銀が相当あり、徳川家康はいずれ徳川と豊臣が戦う時が来るであろうと考え、それまでに大阪城内に豊臣が持っている財宝をできるだけ消費させようとして、それで関西の寺社の造営をやるように秀頼に奨励した・・と書かれていたが、北野天満宮の造営もそれか? ・・とも思えないこともないが、《豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼がっ慶長12年(1607)に造営》と秀吉が存命中から北野天満宮の造営をおこなうことを言っていたらしいし、また、関ヶ原の戦いの時点で豊臣秀頼は8歳の子供でしかなかったが、北野天満宮が造営された1607年においてもまだ15歳だったことになるが、もしも、秀頼がそういう造営をおこなわず、徳川がかわっておこなったなら、それこそ、もはや徳川の世か・・と世間が思うようになったかもしれない。
論争 関ヶ原合戦 (新潮選書) - 笠谷 和比古
論争 関ヶ原合戦 (新潮選書) - 笠谷 和比古

  大鳥居ー鳥居ー鳥居ー楼門ー・・・文子天満宮 のラインより西側に、三光門ー拝殿・石の間・本殿と東回廊・西回廊・楽の間 のラインがあるが、三光門の前の右手前に、
火之御子社・・祭神:火雷神
白太夫社・・祭神:渡会晴彦翁
左手前に、
老松社・・祭神:島田忠彦翁
福部社・・祭神:十川(そごう)能福
と、4つの摂社が建っている。
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  左奥の老松社 ↑ のご神徳は「植林・林業の神」らしい。
『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 老松社(おいまつしゃ) 摂社
ご祭神 島田忠興翁(しまだ ただおき おう) ご神徳 植林・林業の神 》
と出ています。
  老松社 は、三光門の前の4つの戸建の祠の左奥の摂社と別に、本殿の後ろの位置に、十二社の長屋の造りの神さんの左から5番目と、その右、地主神社との間の戸建の造りの祠の神さんと、北野天満宮の境内には3ヵ所で祀られているようです。三光門の前の4社の左奥は摂社、十二社の左から5番目とその右の老松社は「末社」とされているようですが、いずれも「ご祭神」は島田忠興翁で「ご神徳」は植林・林業の神 のようです。

  右に火之御子社と白太夫社、左に老松社と福部社の摂社4社の間を進むと、三光門 ↓ がある。
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↑ こちらは、額には「天満宮」と書かれている。
三光門とその左右につながる東回廊・西回廊の向こう側に拝殿があり、その後ろに石の間・本殿がある。
『歩く地図 京都散歩 2024』(2023.4.20.成美堂出版)には、
《 三光門(中門)は豊臣秀頼の寄進。》と書かれている。

  右に火之御子社・白太夫社、左に老松社・福部社の祠が並ぶその手前あたりから左(西)を見ると、
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↑ 太鼓橋があって、その下に現在は水は流れていないが、水があってもおかしくないような堀がある。
  その向こう、左の奥側に ↓
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↑ これは何の建物だろうか・・と思ったが、北野天満宮HP 境内のご案内 https://kitanotenmangu.or.jp/guidance/ を見ると、「紅梅殿」のようだ。

  『歩く地図 京都散歩 2024』( 2023.4.20.成美堂出版)には、
《 天神さまをまつる全国天満宮の総本社
北野天満宮 きたのてんまんぐう
 学問の神様・菅原道真公を祀り、全国に約1万2000社ある天満宮・天神社の総本社。 天歴元年(947)道真公の御神霊を北野の地に祀ったのが始まり。 学業成就・合格祈願に訪れる学生の参拝が絶えない。 毎月25日の御縁日の「天神さん」、梅と紅葉の時期は大勢の参拝者でにぎわう。
「八棟造」と呼ばれる華やかな御本殿(国宝)は慶長12年(1607)に豊臣秀頼公が造営したもの。
京都市上京区馬喰町 》
《 (社殿は)桃山建築の代表的な遺構で、華やかな装飾が施されている。》
と書かれている。
 「学業成就・合格祈願に訪れる学生の参拝が絶えない」と言っても、入学試験の日が近づいてきたということならば神社に参拝するよりも、1日でも1時間でも試験に出そうなものを学習するようにした方が良さそうにも思える。模擬試験の「判定」では一番下の評価には「人事を尽くして天命を待て」なんて文章がついていたが、いったいどういう意味やねん・・てもので、あんまり、ああいう文章はつけない方がいいと私は思う。 実際問題として、A・B・C・Dの4段階の「判定」もしくは、A・B・C・D・Eの5段階の「判定」がされても、A判定を受けても落ちる人はあるし、D判定・E判定を受けても通る人はあるわけであり、余計な文章を付け加えるのはむしろ良くないように私は思う。
「学業成就・合格祈願」の神さんというのは実は表向きで、最初は菅原道真は怨霊神であったわけであり、冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神 という方が本来の性質で、「学業成就・合格祈願」の方は「あとづけ」と考える方が妥当ではないか。
歩く地図 京都散歩 2024 (SEIBIDO MOOK) - 成美堂出版編集部
歩く地図 京都散歩 2024 (SEIBIDO MOOK) - 成美堂出版編集部

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html は、北野天満宮境内の梅を見ながら、三光門から回廊の中に入ります。

※ 北野天満宮HP https://kitanotenmangu.or.jp/
 北野天満宮HP 境内のご案内 https://kitanotenmangu.or.jp/guidance/
 ウィキペディアー北野天満宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE 

冤罪の証明 (1981年) (旺文社文庫) - 正木 ひろし
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冤罪の恐怖―無実の叫び (1975年) (現代教養文庫)
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足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫) - 小林篤
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫) - 清水 潔
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桶川ストーカー殺人事件―遺言―(新潮文庫) - 清水潔
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本当は怖い日本の怨霊 - 知的発見!探検隊
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「困った」裁判官―独占公開!日弁連「問題裁判」実例アンケート (別冊宝島Real 6)
「困った」裁判官―独占公開!日弁連「問題裁判」実例アンケート (別冊宝島Real 6) 

  今回、写りが良くない写真がありますが、これまで使用してきたデジカメが故障し、修理するには期間がかかり、とりあえず大急ぎで比較的安いデジカメを購入して撮影したことにより、比較的安いデジカメの使用であることとそのカメラにまだ慣れていないということから、必ずしも写りが良くない写真になったものが出ました。今後、できるだけ改善していきたいと思います。

 (2024.2.10.)

☆ 北野天満宮(京都市上京区)参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。〔今回〕
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html 


★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html 
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
北野天満宮参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。〔今回〕
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html 

高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
赤根天満宮(長岡京市)
1.光明寺道から南、大峯山禊所、天神社鳥居へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500055705.html
2.鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500082490.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html

滋賀県
多賀大社摂社天満神社(犬神郡多賀町)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 

兵庫県
多田院天満宮(川西市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502254600.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html

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