北野天満宮参拝3【4/11】三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きたがともかく大宰府を目指して飛び立った松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相昌弘は許せん。
[第2035回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り 第67念-4
北野天満宮の 大鳥居ー鳥居ー鳥居ー楼門のラインを進んで楼門の中に入り直進すると正面にあるのは文子天満宮で、三光門ー拝殿・石の間・本殿はそれより左(西)にあります。
今回は、 その三光門(さんこうもん) ↓ から中に入ります。
『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 石畳の参道をこえたところに姿を現す中門。この門をくぐると拝殿にたどりつく。「天満宮」の勅額は後西(ごさい)天皇ご宸筆によるもの。重要文化財。》
《 梁間(はりま)に日・月・星が刻まれていることからこの名がついた 》
と書かれている。
↑ 楼門には「文道太祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」と書かれた額がかかっていますが、三光門には「天満宮」と書かれえた額がかかっている。 後西天皇とはウィキペディアー後西天皇 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%A5%BF%E5%A4%A9%E7%9A%87 によると、
《 後西天皇(ごさいてんのう、1638年1月1日〈寛永14年11月16日〉 - 1685年3月26日〈貞享2年2月22日〉)は、日本の第111代天皇(在位: 1655年1月5日〈承応3年11月28日〉- 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉)》と江戸時代初期の天皇らしい。
三光門の左手前に梅鉢の紋が入った提灯がかかっています。↓
三光門の右手前には、松が描かれた提灯がかかっています。↓
梅鉢の紋はあちらこちらの天神・天満・菅原・北野系神社で見かけるが、松は珍しい・・と思ったが、菅原道真が大宰府に流された後、道真の屋敷の庭の梅と松が道真を追って飛び立ち、梅は大宰府までたどりついたが松は摂津の国のあたりで力尽きた・・というお話から、梅と松なのでしょう。
「摂津の国のあたりで力尽きた」とはいえ、後を追って飛び立ったというだけでも、それは評価されるものではないか。中島みゆき「ファイト」というの歌で「闘うきみの歌を、闘わないやつが笑うだろうう」という歌詞がありますね。〔《YouTube-ファイト!》https://www.youtube.com/watch?v=WxV0KG2UPMA 〕 この歌は1980年代、川崎市のスーパーだったかそういう店でかかっていたのを聴き、特に「闘うきみの歌を、闘わないやつが笑うだろう」という歌詞について、この歌はどういう歌なのだろうとずっと思ってきて、そして、2014年、勤め先のクルマの中でラジオで流れていて同乗の女性社員にこの歌は中島みゆき の「ファイト」という歌だと教えてもらいました。「闘うきみの歌を 闘わないやつが笑う」という経験もしてけいたし、その「闘わないやつ」を「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」「賢いですわあ」とほめる人というのも世の中にはいるわけだ。
2010年から愛知産業大学の造形学部建築学科の通信課程に入学させてもらったのですが、仕事を持ちながら通信課程の学習をするのは大変で、又、入学した時点で50になっており、それまでに学んだものを「一回りふくらませる」「さらに深く掘り進める」という学習は50でも60でもできると思うのですが、ところが、その年齢になるとそれまでに吸収したものがあり、吸収したものを吐き出すことはできても、新たに吸収するというのは、年齢だけではなく吸収したものがない人と比べて不利、吐き出すものがある者は吐き出すものがない人よりも吸収しにくいという面があり、結局、在籍最大限の6年と休学1年の7年在籍してやめました。「再入学」という方法もあるのですが、やめました。「卒業」までたどりつけなかったとしても、そこで学んだものはありますが、「卒業」はできなかった。大学の建築学科の通信課程は愛知産業大学造形学部建築学科と、ほかに京都造形芸術大学が「京都芸術大学」と改名した大学で「建築学科」という名前ではないけれどもデザイン学科だったか卒業すると二級建築士の受験資格を得られる学科があり、大阪芸術大学にも通信課程の建築学科があって、この3つの私立大学に通信課程の建築学科がありましたが、大阪芸術大学は通学過程の方が主でスクーリングなども大阪府南部の大阪芸大のキャンパスまで行かないといけなかったはずで、それに対して愛知産業大学と京都造形芸術大学⇒京都芸術大学 は通学過程と通信課程の二本立てで通信課程は通学過程の下という扱いではなく、東京などでもスクーリングや試験がおこなわれていたので、そのどちらかに行くことを考えて2009年に東京でおこなわれた愛知産業大学と京都造形芸術大学の入学説明会に出席したのですが、京都造形芸術大学の説明会の時に学生部長さんだったかが「社会人として勤めて後に、さらに大学に行って学ぶことを考えられる方に対して、心から敬意を表したいと思います」と語られたのでしたが、今、私がその言葉の通りに思います。たとえ、「卒業」までたどりつけなかったとしても、ともかく、いったん勤めて仕事に就いて後に、さらに通信課程の大学に入学して学び卒業しようということを考えた・・というそれだけでも、たとえ、成功しなくてもその気持ちになる人というのは、それだけでも「心から敬意を表したい」という気持ちになります。1998年、ヤクルトスワローズの監督をやめた野村克也のじいさんが1999年から阪神タイガースの監督になって2001年まで3年間、阪神の監督やったが3年とも最下位だったが、それでも、ヤクルトの監督をあと3年間やればもう1回以上優勝できた可能性はあったと思われるのに、あと1回か2回優勝して監督をやめれば残りの人生は「名監督」と言ってもらって悠々自適の生活ができたのに、それをやめて、すでに監督としては高齢の方の監督の年齢になっていたのにあえて最下位のチームの監督になって最下位のチームを強くしようとして阪神の監督になったというその点において、たとえ阪神では成果を出せなかったとしても、それでも、ある程度以上の年齢になってでも最下位のチームを強くしようとして優勝できるチームの監督をやめて最下位のチームの監督になろうとした、というその点を評価したいと思う。理不尽なことがあっても、それを「闘う」ことはせずにうまく立ち回るやつというのもいるわけで、「闘うきみの歌を」その「闘わないやつ」が「笑う」ことがあり、その「闘わないやつ」が称賛されることがあるが、人間はそれぞれの生き方しかできないのだから、「闘わないやつ」がほめられても、それをまねて生きるということはしょせんはできないことなのだ。
「勝つか負けるかはわからない。それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめて」と聞いて感動する者もあれば「アホちゃうか」と思う人もいることだろう・・と思う。
ただし、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと書いた・・」については、定時制の高校が最近は少なくなり、大阪市淀川区の大阪府立北野高校にも定時制が1970年代後半に私が全日制に行っていた頃はあって午後5時頃に登校する定時制の人と校門付近ですれ違うことがありましたが、いつからだったか定時制はなくなってしまいましたが、かわりに通信制の高校とか単位制の高校いうものが増えてきているようですし、又、大検(大学入試資格検定)が2004年に廃止されて2005年から「高認」(高等学校卒業程度認定試験)に変ったようですが、「大検」は合格すると大学を受験する資格が得られるけれども大学か短大に行かないと「高卒」の扱いには認めてもらえないのではないかと思えたのですが「高等学校卒業程度認定試験」の場合は「高卒程度」と認定してもらえる試験なので、その高等学校卒業程度認定試験を受けて合格することで「中卒」ではなくて「高卒」になる方法もあります。比較的入学しやすい全日制の高校に新聞配達やって新聞奨学生やって行くという方法もあります。日本育英会奨学金は学業成績がある程度以上の場合でないと受給できませんでしたが、新聞屋の新聞奨学生は新聞配達の仕事をする人に対しての給与の一部分ですから成績なんか関係なく年齢も関係ありません。私はうちの親から「あんたは高校には行ってはならん人間やねんで。ましてや大学には行ってはいかん人間やねんで」と言うので、「それなら費用は出していりません。自分で稼いで行きたい大学の行きたい学部に行きますから」と言ったのですが、うちの親は「誰がそんなものさせるかあ。おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたおかげで、これまで育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。これまでにかかったカネを働いてまどてもらわんといかんのじゃ」とうちの父親から言われたものでした。私はそういったことも考えてきた者ですが、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと書いた・・」と言われると、たしかに学校でてなくても独学で相当勉強した人もあれば「大卒」であっても「これが大卒なの~お?」て人もいますし、私は職場でそういう人を相当見てきましたし私は戸建住宅建築業の会社に長く勤めてきた者ですが戸建住宅建築業の会社というのは社会科学系学部卒の人間が勤めると損で「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は右も左もわからないアホでもお殿様の扱いを受ける業界であり、特に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長の天野隆夫などは「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが””趣味””でしたし、その分野の学校は出ていなくても卒業した人に劣らないだけ学習したはずなのに認めてもらえないということは現実にありますが、それでも、もしも「中卒やから仕事をもらわれへん」のなら、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと書いた・・」とかぐじゃぐじゃ言ってないで、それなら定時制の高校か通信制の高校でも行くか、高等学校卒業程度認定試験(「高認」)を受けて通ることで「高卒」の資格を取得するか、新聞奨学生でもやって全日制の高校に行って卒業するか何なりしてはどうか・・と思いますね。違いますか。実際に私の知っている人でも
(1)中卒で勤めた後に定時制の高校に通って卒業して「高卒」になったという人もいます。
(2)「高等学校卒業程度認定試験」がまだ「大学入学資格検定(大検)」であった時代に、「大検」に合格した上で、どんな大学でもいいからともかく大学に入学して、それも卒業できなくても中退してもいいから、大学を中退すれば「学歴」は「大学中退」で高校は卒業していなくても「高卒以上」という応募条件のものにも「大学中退」ですということで応募できるだろうからと大検に合格することを考えていた人もいました。「大検」⇒「高等学校卒業程度認定試験」は科目が多くて合格するのはけっこう大変とも聞きますが、それでも、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと・・」とかぐじゃぐじゃ言ってるよりもそういう方法を考えた方がいいと思います。
(3)大卒だけれどもあまり評価が高くない大学卒の人で、それほど難易度が高くない国家資格の勉強をして、資格試験に合格することで「この人はあまりいい大学出てない人だけれども、こういう資格試験の勉強をして合格できる人なのだ」と評価してもらえるようにしようと学習していたという人もいました。学歴関係なく受けられる資格試験で、ある程度評価される試験に合格することで「この人は学歴はないけれども、そういう試験に合格できる能力がある人なんだ」と評価してもらおうとアピールする方法も考えられます。
(4)日本の職業には「学歴」が影響する度合いが大きい仕事とあまり関係ない仕事がありますから、あまり影響しない仕事で実績を残すという選択もあります。
「わたし中卒やから」不当な扱い受けてるんだとぐじゃぐじゃ言いまくってると、むしろ、そんな態度だからだめなんだと見られてしまうおそれもあるように思います。 「闘うきみの歌を 闘わないやつが笑うだろう」という歌詞と「勝つか負けるかはわからない。それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめて」という歌詞は好きですが、「わたし中卒やから仕事もらわれへん」ということが実際にあったのなら、もらえるように「高卒」の資格をとる方法を考えるか、学歴と関係なく評価してもらえるような資格を取得するか何か考えた方がいいはずで、それを考えずに「わたし中卒やから」なんじゃかんじゃぐじゃぐじゃ言うのがいいとは思えません。
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」なんて短歌を作った石川啄木は、実はたいして働いとれへんかった・・とかいう話があり、ヴォルガ川の船曳人夫の歌であるロシア民謡の「ヴォルガの舟歌」とかを得意としたロシアのバス歌手のフョードル=シャリアピンは〔⇒《YouTube- Feodor Chaliapin - Song of the Volga Boatman ヴォルガの舟歌 (1936)》https://www.youtube.com/watch?v=2HR6n9R2d30 〕日本に演奏に来た時には帝国ホテルなんて高級ホテルに泊まっておったとかいう話もあるが、さらに「シャリアピンステーキ」なる特注のステーキを帝国ホテルの食堂で作らせよった・・というのは、それはシャリアピンが歯の治療をしていたことから普通のステーキよりやわらかいステーキにしてもらうように頼んだということで、「ヴォルガの舟歌」歌いながら普通のステーキでは気に入らずに特注にしたということではなかったらしいが、私は帝国ホテルの1階のレストランの前まで行ってそのステーキの値段を見てきたがけっこう高くて私ら貧乏人は引いてしまうし、そもそも、帝国ホテルのレストランなんて私ら無産市民が入ろうとすると「出て行ってちょうだいんか」とか言ってつまみだされるとかいうことはないのか・・とか考えると、要らんな、そんなものという気にもなったが、帝国ホテルなんて金持ちと詐欺師向けのホテルなんて一般人民は泊まりたくもないとも思うが、今の帝国ホテルは特に泊りたいと思わないがシャリアピンが泊った帝国ホテルは愛知県犬山市の明治村に玄関ホール部分のみ保存されているフランク=ロイド=ライト設計の旧帝国ホテルであったはずで、フランク=ロイド=ライト設計の帝国ホテルの方ならたとえポリシーを曲げてでも泊ってみたいと私も思う。それで、石川啄木は「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」なんて短歌を作りながら、実はたいして働いとれへんかったとか、シャリアピンは「ヴォルガの舟歌」なんてヴォルガ川の船曳人夫の歌なんて歌いながら自分は帝国ホテルに泊まっておったとか、野村克也のじいさんは「わしぁ貧乏やからな」とかあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりしておったが、実際には田園調布の住人でロレックスの腕輪はめてヴェルサーチの服きて、阪神の監督やっておった時には阪神ホテルのスイートルームに住んでおったとか、それで「わしぁ貧乏やからな」とか本に書きまくり正真正銘貧乏な人間にその本を買わせて実際は金持ちのじいさんが印税で儲けてっておったとか、そういう話はあるが、中島みゆき は「わたし中卒やから仕事もらわれへん・・」とかいう歌詞の歌を作って歌っていたけれども、中島みゆき 自身は中卒だったのかというとウィキペディアー中島みゆきhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D を見ると《 祖父は帯広市議会議長などを務めた中島武市で、初代大蔵次官である郷純造男爵の甥。父・眞一郎は北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で中島産婦人科院長。》で中島みゆきは学歴は中卒ではなくて《藤女子大学文学部国文学科 卒業》らしい。まあ、いいけどね。
許せんのは元巨人の川相(かわい)昌弘で、引退後、「犠牲の精神を教えたい」とか言って講演とかして、それを聞いてうちの父親なんてのは「えらいなあ、川相はえらいなあ。犠牲の精神や、犠牲の精神。おまえも犠牲になれえ! わしのために、わしのために、犠牲になる、犠牲になる♪ いつでもいつでも犠牲になる♪ わしのために、わしのために犠牲の精神、犠牲の精神♪」とか言いまくっておったが、川相はあくまでもプロ野球選手として「犠牲バント」というのを得意としていただけのことで「犠牲バント」をプロ野球選手として得意としてやることでプロ野球選手として評価される道を選び、その結果、相当高い報酬を得ていたのであって、決して人生において犠牲になっていたわけではないのであり、そうであるにもかかわらず「犠牲の精神を教えたい」などと勝手なこと言いまくって、それでうちの父親などを感化して「犠牲の精神じゃ、犠牲の精神。わしのために犠牲に犠牲に犠牲にな~る! とってちってたあ~あ♪」とうちの父親は毎日私に叫びまくっていたのであり、自分は「犠牲バント」というものをプロ野球選手として得意技として評価されて相当の高給とっていたのであって決して人生・生活において犠牲になっていたわけでもないくせしてからに「犠牲の精神を教えたい」だのとまったく勝手なことばっかり言いまくりやがってからに、川相昌弘という男はつくづく勝手なつくづく迷惑な男やった。 陰気くさい顔しやがってからに、むかつく野郎だ。私は今でも「犠牲の精神じゃ、犠牲の精神。わしのために犠牲に犠牲に犠牲にな~る! 犠牲の精神、犠牲の精神、とってちってたあ~あ♪」とうちの父親が叫んでいた文句が耳元でわんわんうなっている。ほんま、迷惑な男や、ほんま・・・
菅原道真の後を追って梅と松が後を追って飛び立ったが、梅は大宰府までたどりついたが松は摂津の国のあたりで力尽きたというが、それでも後を追って飛び立ったらしい。
日本の神社 6号 (北野天満宮) [分冊百科]
野村克也解体新書 完全版 - 江本孟紀
権利のための闘争 (岩波文庫 白 13-1) - イェーリング,R. von, 村上 淳一
( ↑ イェーリング『Recht(権利=法)のための闘争』岩波文庫 )
うちの父親が好きだったプロ野球選手・元選手は何と言っても「犠牲の精神を教えたい」という川相昌弘で、嫌いなのが「ベンチがアホやから野球ができん」の江本孟紀だった。「甘ったれとるからじゃ。甘ったれとるからそういうことを言いよるんじゃ」と毎日のように叫んでいた。「服従、服従、なんでも服従、服従する、服従する、何でも何でも絶対服従♪」と、うちの父親はそう叫んでいた。
それを聞くたびに、
「造反有理(造反には理由がある、反逆は正しく、抑圧は間違っている)」
と思ったものだった。
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
何よりも、うちの父親は「そんなもん、『ベンチがアホや』とか言う甘ったれたやつはクビじゃ。クビが当然じゃ」とか言っていたのだったが、実は江本は直接の相手(監督の中西)に向かっては「ベンチがアホやから野球ができん」とは言っていないらしく、又、ロッカー室にひきあげる途中の廊下で「アホめが」とつぶやいたらしいが、記者を集めて公開インタビューとかで「ベンチがアホやから野球ができん」と言ったわけでもなく、さらに最近、江本がYouTube で話していたものによると、「ベンチがアホ」くらいは星野なんかはもっと言いまくっていたし、そして、江本は阪神の球団経営者とは仲は悪くなかったらしく、名古屋の中日新聞・中日スポーツは星野であれ誰であれ中日の選手を守るのに対して、関西のスポーツ新聞はネタが欲しいから実際以上に大きな話にして書いてしまうところから、「ベンチがアホやから野球ができん」という文句が広まり、それをどう収集するか球団経営者は考えて、「10日ほど(謹慎として)休むか」と江本に言ったが、それで終わらせようと球団経営者は考えていたのであって江本を解雇しようとは考えていなかったらしく、あくまで、江本が自分からやめたのであって、球団は江本を「クビ」にしておらず、むしろ、「やめることはない」とひきとめられたらしく、うちの父親はそのあたりからして事実を間違えて理解して「クビが当然じゃ。甘ったれるなあ~あ!」と毎日、私に向かって叫んでいた・・が、労働法としては「ベンチがアホやから野球ができん」と言ったとしても、それを理由としての解雇は法律論理としては、労働法の判例・学説としては「解雇権の濫用(らんよう)」としてそのような解雇は無効とされる可能性が大きいと思われるが、もとより、阪神球団は江本を解雇はしておらず、解雇していないだけでなく「やめますわ」と江本が言ったのに対して「やめることはない」とひきとめたらしい。うちの父親というのはそのあたりを理解できないおっさんやった( 一一) それでもって実際には人生・生活において犠牲になんてちっとも犠牲になっていない川相昌弘が「犠牲の精神を教えたい」などと勝手なことを言うと、「そうや、その通りや。犠牲の精神、犠牲の精神♪ わしのために犠牲になる、犠牲に犠牲に犠牲にな~る! とってちってたあ~あ♪」と言って喜ぶ・・というそういうおっさんやった。ほんま、疲れるおっさんやった( 一一)
ちなみに、野村克也のじいさんが選手だった時、(水原・三原とともに)「日本三大名監督」の一人と言われた南海の鶴岡監督が、野村が捕手をしていて投手が打たれた後、ベンチに戻ると「何を投げさせたんや?」と尋ね、「ストレートです」と答えると、「あの場面でストレートを投げさせる者があるか。バカたれ」と言われたそうで、それで、ああいう場面ではストレートを投げさせるものではないんだなと思い、そして、次に同じような場面があった時にカーブを投げさせたら打たれたということがあり、ベンチに戻ると鶴岡から「あの場面でカーブを投げさせる者があるか。バカたれ」と言われたので、ストレートを投げさせても「バカたれ」、カーブを投げさせても「バカたれ」と言われるということは、いったい何を投げさせればいいのかと思い、それで勇気を出して「三大名監督の一人」に質問したそうだ。「監督、ああいう場面では、どういう球を投げさせればいいのでしょうか」と。そうすると「三大名監督のひとり」鶴岡はこう言ったという。「勉強せえ、バカたれ」と。結局、何を投げさせても打たれれば「バカたれ」と言われると、そういうことだったらしい。
時は流れ、その野村じいさんも2020年2月に他界したが、その後、古田がYouTube で話していたのだが、入団1年目だったか2年目だったかに古田が捕手をしていて打たれたことがあり、ベンチに戻ると監督の野村から「なんで、あの場面でストレートを投げさせたんや。あの場面はスライダーやろ」とそう言って怒られた・・が、古田は立命館大学を卒業した後、社会人野球のトヨタ自動車に2年いてヤクルトに入ったが、トヨタ自動車の研修で教えられた文句が頭によみがえった。「決してイエスマンになるな。イエスマンだけの組織は必ず衰退する」と、トヨタ自動車ではそう教えられた。それで、古田は言ったらしい。「監督、さっき、打たれた球はスライダーでした」と。・・そうすると、野村はさらに激怒して古田の顔を指さして「おまえは何だあ」と叫んだそうだ。「おまえは何だ」て俺は何なんだろうと考えたが、「おまえは俺の部下だろう。部下なら上役の言うことには何でも『はい』と言っておればいいんだあ」と言って怒られたらしい。トヨタ自動車は嘘を教えていたということを古田は知った。それ以来、古田は野村に何を言われても「はい」とだけ言うようにして生き残った・・・らしい(^O^)
「ベンチがアホやから野球ができん」と江本は直接の相手に向かっては言っていなかったらしいし、「アホめが」と廊下だかロッカー室だかでつぶやいたということはあっても具体的に「誰が」とは言っていなかったらしく、星野なんか「ベンチがアホやから野球ができん」どころではなくもっとすごいこと叫びまくり荒れまくっていたが別にクビになってなかったが、スポーツ新聞などの記事をすぐに信じて「ベンチがアホやとか言うやつはクビじゃ。当然じゃ」とか叫びまくるのがうちの父親で、なんとも疲れるおっさんやった・・( 一一)
うちの父親は私が小学生だった頃、「インテリは根性がないから会社ちゅうところではあかんのや」と毎日のように言っていた。それを聞いて私は会社員にはなってはいけないんだなと小学生だった頃の私は思い、会社員以外の職業につくことを考えたのだったが、ところが私が大学に進学する頃になると、うちの父親は私に「会社という所に勤めるのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。小此木啓吾先生という慶應大学のエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる。会社ちゅうところに勤めるのを嫌がる人間は治療してやらんといかん。ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ 電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪」と言うようになった。それなら、小此木啓吾こそが「大学」という所と「病院」という所に勤めていた正真正銘・筋金入りの「モラトリアム人間病の重症患者」であろうが。小此木啓吾にこそロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ 小此木啓吾にこそ電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪・・てものだったはずだが、小此木啓吾はそういう場合に常に自分は「正常」「健常」「常識」「自我が確立されている」「スマート」「思考が柔軟」「独立自尊」だという側に自分とその取り巻きにより「診断」するのだった。小此木啓吾という男はつくづく勝手な男だった。
うちの父親の勤め先の部下では「1浪で国士館大卒」という人がいて、この人がうちの父親の一番のお気に入りだったらしかったが、実際問題として私自身が「会社ちゅうところ」に勤めて感じたことだが、高卒とか底辺の大学卒とかの人というのは、「上役の言うことに絶対服従」することの苦痛に耐える根性がある・・というのではなく、そんなことではなくても自分自身の考えを述べる能力がないので上役が無茶苦茶なことをやったり言ったりしてもそれを指摘できない認識できないから結果として「何でも服従、絶対服従」するという人が多く、それに対して「十大国立大学(旧帝大系7大学+東京工大+一橋大+神戸大)+早慶」くらいを卒業して会社に勤めた人間は「〇◇大学出ている人間だけのことはある」という言動をとらないとその大学を卒業した者としての価値がないことになってしまうので、高卒や五流大学卒のアホな上役の言うことやることに何でもはいはい言っているわけにはいかない・・のだが、そうすると高卒や五流大学卒の上役は気に食わない・・ということはよくあるようだった・・が、だからと言って、いくら何でもそんなものに同意するわけにはいかんだろう・・ということを高卒や五流大学卒のアホな上役はやったり言ったりしよるわけだ。会社という所においては「高卒のおっさん」が「雪は黒い」と言えば「はい、はい、雪は黒うございます」と言っておいた方が「高卒のおっさん」は喜ぶということはわかっているけれども、それでも、つい言いたくなってしまうのだ。「雪は白いですよ」と。そこが難しい・・のだが、そういうことを考えると、私が小学生だった頃にうちの父親がしばしば言っていた「インテリは会社ちゅうところではあかんのや」という説は一理あるようにも思えたし、うちの父親などにとっては「1浪で国士館大卒」くらいの人が「ちょうどいい」ということだったのかもしれない。
遠藤周作は「父親にとって息子とはどういうものか」という問題について、「父親にとって、息子とは自分の分身であり、自分の後継者であり、いつかは自分を乗り越えていく存在であり、しかし、そう簡単に乗り越えられてはならない相手であり、そういうものだ」といったことをどこでだったか書いていたが、そう考える父親もあるらしかった。又、「週刊現代」だか「週刊ポスト」だかに載っていた話だが、大王製紙の2代目社長は北野高校から東大を受けたが合格できず慶應大に行って卒業したが、息子には何がなんでも東大に行かせたいと思い、息子で3代目は筑波大付属駒場高校から東大に進学したが、ラスベガスのカジノで「しょーもないことしい」やりよったあ、あ~あ・・ということだったらしいが、大王製紙の2代目社長のおっさんにとっては「息子というもの」は「いつかは自分を乗り越えていくもの」で「自分ができなかったことをさせてやりたい存在」で「自分が合格できなかった大学に合格させて行かせてやりたい存在」だったようだが、「父親というもの」はそういうものだと思っている人も世の中にいるらしかったが、うちの父親などはそうは考えておらず、うちの父親にとって「息子というもの」はどういうものかというと、うちの父親にとっては息子は「会社の部下」であり、「賃金払わなくてもいい会社の部下」であり「労働基準法の適用されない会社の部下」で「こんな不良企業に勤めてられるかあと思っても絶対に転職できない会社の部下」であり、そして、うちの父親にとっては息子が自分より上の大学に行くということは精神的に耐えがたいことだったようだ。うちの父親にとっては「息子というもの」は「自分より上の大学には行かせたくない存在」で「よその息子」は自分より上の大学であれどこであれ行けるように協力して「いい顔」をしたいという立場だったが「息子というもの」は「自分より上の大学には行かせたくない存在」だった。父親にとって「息子というもの」はどういうものかはその父親によって違うのだ。それをある父親はこうだということから「父親というもの」はそういうものだと言いたがる人がいるが、その思考は間違っている。うちの父親にとって「息子というもの」は「給料払わなくてもいい、労働基準法は適用されない会社の部下」であり、それゆえ、我が家の常務さんには24時間365日「なんでも服従、絶対服従」しなければならないという存在であり、「なんでも服従、絶対服従」して自分自身の考えを述べたりはしない存在・・であるべきだった・・ということを考えると、あの人の息子には「1浪で国士館大卒」くらいの人間が「ちょうどいい」ということだったようだが、残念ながら私はそういうあの人にいい息子にはならなかったのだ。ストレートを投げさせて「バカたれ」と言われ、カーブを投げさせて「バカたれ」と言われても「はい」とだけ答える「上司にはなんでも服従、絶対服従」の人間がいい人には、「監督、ああいう場面は何を投げさせるべきなのでしょうか」と質問するようなやつは気に入らない人間だったようだ。この程度の父親にはその程度の息子・・として、そういう息子と親子縁組してくれればよかったのだが、そうしてくれなかったのがつくづく残念だった。
よそのお父さんを見て、息子を「給料払わなくていい会社の部下、労働基準法は適用されない会社の部下」と認識するお父さんではなく、息子を「自分の息子」と考えるお父さんを見て、「いいお父さんだなあ」「うらやましいなあ」と思うことが何度もあったが、その人はあくまでもよそのお父さんであってうちのお父さんではないから、どうしようもなかった。
三光門の手前左右に古田織部が創案したという「織部石灯籠」が並んでいると、『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には書かれていたが、確認してくるのを忘れた。
拝殿・本殿と三光門はいずれも豊臣秀頼の造営で1607年に造られたらしいが、拝殿・本殿は国宝だが三光門は重要文化財らしい。
1月末においては梅はまだ咲いてないかと思ったが北野天満宮では咲いていた。
楼門と三光門との間には紅梅が多かったように思ったのですが、本殿の後ろあたりには白梅も咲いていました。
↑ 本殿の後ろ、十二社の東のあたりの白梅。
島田事件と赤堀政夫 - 赤堀闘争全国活動者会議
冤罪の恐怖―無実の叫び (1975年) (現代教養文庫)
「ごめん」で済むなら警察はいらない―冤罪の「真犯人」は誰なのか? - 柳原 浩
インターネット上で見たが、それがどこだったのか、今、見つけることができないが、「氷見事件」もしくは「富山氷見事件」と言われるこの事件は、当時18歳だった女性がザバイバルナイフを突きつけられて強姦された強姦罪の事件と16歳だった女性が強姦されそうになった強姦未遂事件について、無実の柳原さんが逮捕されて有罪判決を受けて懲役刑になり刑期を終えた後に真犯人が他県で捕まり自白によって柳原さんは無実だということになった事件だったが、被害者の女性は無実の柳原さんの顔を指さして「絶対にこの男が犯人だ。わたしはこの男を殺してやりたい」・・とそう言ったという。これはインターネット上で見たはずだが、残念ながら、それを今、見つけることができない。
名張毒ブドウ酒殺人事件――六人目の犠牲者 (岩波現代文庫) - 江川 紹子
絶望の裁判所 (講談社現代新書) - 瀬木比呂志
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html は、三光門から中に入り、拝殿に参拝・・
(2024.2.11.)
☆ 北野天満宮(京都市上京区)参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。〔今回〕
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
北野天満宮参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。〔今回〕
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
赤根天満宮(長岡京市)
1.光明寺道から南、大峯山禊所、天神社鳥居へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500055705.html
2.鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500082490.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
北野天満宮の 大鳥居ー鳥居ー鳥居ー楼門のラインを進んで楼門の中に入り直進すると正面にあるのは文子天満宮で、三光門ー拝殿・石の間・本殿はそれより左(西)にあります。
今回は、 その三光門(さんこうもん) ↓ から中に入ります。
『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 石畳の参道をこえたところに姿を現す中門。この門をくぐると拝殿にたどりつく。「天満宮」の勅額は後西(ごさい)天皇ご宸筆によるもの。重要文化財。》
《 梁間(はりま)に日・月・星が刻まれていることからこの名がついた 》
と書かれている。
↑ 楼門には「文道太祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」と書かれた額がかかっていますが、三光門には「天満宮」と書かれえた額がかかっている。 後西天皇とはウィキペディアー後西天皇 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%A5%BF%E5%A4%A9%E7%9A%87 によると、
《 後西天皇(ごさいてんのう、1638年1月1日〈寛永14年11月16日〉 - 1685年3月26日〈貞享2年2月22日〉)は、日本の第111代天皇(在位: 1655年1月5日〈承応3年11月28日〉- 1663年3月5日〈寛文3年1月26日〉)》と江戸時代初期の天皇らしい。
三光門の左手前に梅鉢の紋が入った提灯がかかっています。↓
三光門の右手前には、松が描かれた提灯がかかっています。↓
梅鉢の紋はあちらこちらの天神・天満・菅原・北野系神社で見かけるが、松は珍しい・・と思ったが、菅原道真が大宰府に流された後、道真の屋敷の庭の梅と松が道真を追って飛び立ち、梅は大宰府までたどりついたが松は摂津の国のあたりで力尽きた・・というお話から、梅と松なのでしょう。
「摂津の国のあたりで力尽きた」とはいえ、後を追って飛び立ったというだけでも、それは評価されるものではないか。中島みゆき「ファイト」というの歌で「闘うきみの歌を、闘わないやつが笑うだろうう」という歌詞がありますね。〔《YouTube-ファイト!》https://www.youtube.com/watch?v=WxV0KG2UPMA 〕 この歌は1980年代、川崎市のスーパーだったかそういう店でかかっていたのを聴き、特に「闘うきみの歌を、闘わないやつが笑うだろう」という歌詞について、この歌はどういう歌なのだろうとずっと思ってきて、そして、2014年、勤め先のクルマの中でラジオで流れていて同乗の女性社員にこの歌は中島みゆき の「ファイト」という歌だと教えてもらいました。「闘うきみの歌を 闘わないやつが笑う」という経験もしてけいたし、その「闘わないやつ」を「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」「賢いですわあ」とほめる人というのも世の中にはいるわけだ。
2010年から愛知産業大学の造形学部建築学科の通信課程に入学させてもらったのですが、仕事を持ちながら通信課程の学習をするのは大変で、又、入学した時点で50になっており、それまでに学んだものを「一回りふくらませる」「さらに深く掘り進める」という学習は50でも60でもできると思うのですが、ところが、その年齢になるとそれまでに吸収したものがあり、吸収したものを吐き出すことはできても、新たに吸収するというのは、年齢だけではなく吸収したものがない人と比べて不利、吐き出すものがある者は吐き出すものがない人よりも吸収しにくいという面があり、結局、在籍最大限の6年と休学1年の7年在籍してやめました。「再入学」という方法もあるのですが、やめました。「卒業」までたどりつけなかったとしても、そこで学んだものはありますが、「卒業」はできなかった。大学の建築学科の通信課程は愛知産業大学造形学部建築学科と、ほかに京都造形芸術大学が「京都芸術大学」と改名した大学で「建築学科」という名前ではないけれどもデザイン学科だったか卒業すると二級建築士の受験資格を得られる学科があり、大阪芸術大学にも通信課程の建築学科があって、この3つの私立大学に通信課程の建築学科がありましたが、大阪芸術大学は通学過程の方が主でスクーリングなども大阪府南部の大阪芸大のキャンパスまで行かないといけなかったはずで、それに対して愛知産業大学と京都造形芸術大学⇒京都芸術大学 は通学過程と通信課程の二本立てで通信課程は通学過程の下という扱いではなく、東京などでもスクーリングや試験がおこなわれていたので、そのどちらかに行くことを考えて2009年に東京でおこなわれた愛知産業大学と京都造形芸術大学の入学説明会に出席したのですが、京都造形芸術大学の説明会の時に学生部長さんだったかが「社会人として勤めて後に、さらに大学に行って学ぶことを考えられる方に対して、心から敬意を表したいと思います」と語られたのでしたが、今、私がその言葉の通りに思います。たとえ、「卒業」までたどりつけなかったとしても、ともかく、いったん勤めて仕事に就いて後に、さらに通信課程の大学に入学して学び卒業しようということを考えた・・というそれだけでも、たとえ、成功しなくてもその気持ちになる人というのは、それだけでも「心から敬意を表したい」という気持ちになります。1998年、ヤクルトスワローズの監督をやめた野村克也のじいさんが1999年から阪神タイガースの監督になって2001年まで3年間、阪神の監督やったが3年とも最下位だったが、それでも、ヤクルトの監督をあと3年間やればもう1回以上優勝できた可能性はあったと思われるのに、あと1回か2回優勝して監督をやめれば残りの人生は「名監督」と言ってもらって悠々自適の生活ができたのに、それをやめて、すでに監督としては高齢の方の監督の年齢になっていたのにあえて最下位のチームの監督になって最下位のチームを強くしようとして阪神の監督になったというその点において、たとえ阪神では成果を出せなかったとしても、それでも、ある程度以上の年齢になってでも最下位のチームを強くしようとして優勝できるチームの監督をやめて最下位のチームの監督になろうとした、というその点を評価したいと思う。理不尽なことがあっても、それを「闘う」ことはせずにうまく立ち回るやつというのもいるわけで、「闘うきみの歌を」その「闘わないやつ」が「笑う」ことがあり、その「闘わないやつ」が称賛されることがあるが、人間はそれぞれの生き方しかできないのだから、「闘わないやつ」がほめられても、それをまねて生きるということはしょせんはできないことなのだ。
「勝つか負けるかはわからない。それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめて」と聞いて感動する者もあれば「アホちゃうか」と思う人もいることだろう・・と思う。
ただし、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと書いた・・」については、定時制の高校が最近は少なくなり、大阪市淀川区の大阪府立北野高校にも定時制が1970年代後半に私が全日制に行っていた頃はあって午後5時頃に登校する定時制の人と校門付近ですれ違うことがありましたが、いつからだったか定時制はなくなってしまいましたが、かわりに通信制の高校とか単位制の高校いうものが増えてきているようですし、又、大検(大学入試資格検定)が2004年に廃止されて2005年から「高認」(高等学校卒業程度認定試験)に変ったようですが、「大検」は合格すると大学を受験する資格が得られるけれども大学か短大に行かないと「高卒」の扱いには認めてもらえないのではないかと思えたのですが「高等学校卒業程度認定試験」の場合は「高卒程度」と認定してもらえる試験なので、その高等学校卒業程度認定試験を受けて合格することで「中卒」ではなくて「高卒」になる方法もあります。比較的入学しやすい全日制の高校に新聞配達やって新聞奨学生やって行くという方法もあります。日本育英会奨学金は学業成績がある程度以上の場合でないと受給できませんでしたが、新聞屋の新聞奨学生は新聞配達の仕事をする人に対しての給与の一部分ですから成績なんか関係なく年齢も関係ありません。私はうちの親から「あんたは高校には行ってはならん人間やねんで。ましてや大学には行ってはいかん人間やねんで」と言うので、「それなら費用は出していりません。自分で稼いで行きたい大学の行きたい学部に行きますから」と言ったのですが、うちの親は「誰がそんなものさせるかあ。おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたおかげで、これまで育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。これまでにかかったカネを働いてまどてもらわんといかんのじゃ」とうちの父親から言われたものでした。私はそういったことも考えてきた者ですが、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと書いた・・」と言われると、たしかに学校でてなくても独学で相当勉強した人もあれば「大卒」であっても「これが大卒なの~お?」て人もいますし、私は職場でそういう人を相当見てきましたし私は戸建住宅建築業の会社に長く勤めてきた者ですが戸建住宅建築業の会社というのは社会科学系学部卒の人間が勤めると損で「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間は右も左もわからないアホでもお殿様の扱いを受ける業界であり、特に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の営業本部長の天野隆夫などは「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間を増長させるのが””趣味””でしたし、その分野の学校は出ていなくても卒業した人に劣らないだけ学習したはずなのに認めてもらえないということは現実にありますが、それでも、もしも「中卒やから仕事をもらわれへん」のなら、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと書いた・・」とかぐじゃぐじゃ言ってないで、それなら定時制の高校か通信制の高校でも行くか、高等学校卒業程度認定試験(「高認」)を受けて通ることで「高卒」の資格を取得するか、新聞奨学生でもやって全日制の高校に行って卒業するか何なりしてはどうか・・と思いますね。違いますか。実際に私の知っている人でも
(1)中卒で勤めた後に定時制の高校に通って卒業して「高卒」になったという人もいます。
(2)「高等学校卒業程度認定試験」がまだ「大学入学資格検定(大検)」であった時代に、「大検」に合格した上で、どんな大学でもいいからともかく大学に入学して、それも卒業できなくても中退してもいいから、大学を中退すれば「学歴」は「大学中退」で高校は卒業していなくても「高卒以上」という応募条件のものにも「大学中退」ですということで応募できるだろうからと大検に合格することを考えていた人もいました。「大検」⇒「高等学校卒業程度認定試験」は科目が多くて合格するのはけっこう大変とも聞きますが、それでも、「わたし中卒やから仕事をもらわれへんのやと・・」とかぐじゃぐじゃ言ってるよりもそういう方法を考えた方がいいと思います。
(3)大卒だけれどもあまり評価が高くない大学卒の人で、それほど難易度が高くない国家資格の勉強をして、資格試験に合格することで「この人はあまりいい大学出てない人だけれども、こういう資格試験の勉強をして合格できる人なのだ」と評価してもらえるようにしようと学習していたという人もいました。学歴関係なく受けられる資格試験で、ある程度評価される試験に合格することで「この人は学歴はないけれども、そういう試験に合格できる能力がある人なんだ」と評価してもらおうとアピールする方法も考えられます。
(4)日本の職業には「学歴」が影響する度合いが大きい仕事とあまり関係ない仕事がありますから、あまり影響しない仕事で実績を残すという選択もあります。
「わたし中卒やから」不当な扱い受けてるんだとぐじゃぐじゃ言いまくってると、むしろ、そんな態度だからだめなんだと見られてしまうおそれもあるように思います。 「闘うきみの歌を 闘わないやつが笑うだろう」という歌詞と「勝つか負けるかはわからない。それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめて」という歌詞は好きですが、「わたし中卒やから仕事もらわれへん」ということが実際にあったのなら、もらえるように「高卒」の資格をとる方法を考えるか、学歴と関係なく評価してもらえるような資格を取得するか何か考えた方がいいはずで、それを考えずに「わたし中卒やから」なんじゃかんじゃぐじゃぐじゃ言うのがいいとは思えません。
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」なんて短歌を作った石川啄木は、実はたいして働いとれへんかった・・とかいう話があり、ヴォルガ川の船曳人夫の歌であるロシア民謡の「ヴォルガの舟歌」とかを得意としたロシアのバス歌手のフョードル=シャリアピンは〔⇒《YouTube- Feodor Chaliapin - Song of the Volga Boatman ヴォルガの舟歌 (1936)》https://www.youtube.com/watch?v=2HR6n9R2d30 〕日本に演奏に来た時には帝国ホテルなんて高級ホテルに泊まっておったとかいう話もあるが、さらに「シャリアピンステーキ」なる特注のステーキを帝国ホテルの食堂で作らせよった・・というのは、それはシャリアピンが歯の治療をしていたことから普通のステーキよりやわらかいステーキにしてもらうように頼んだということで、「ヴォルガの舟歌」歌いながら普通のステーキでは気に入らずに特注にしたということではなかったらしいが、私は帝国ホテルの1階のレストランの前まで行ってそのステーキの値段を見てきたがけっこう高くて私ら貧乏人は引いてしまうし、そもそも、帝国ホテルのレストランなんて私ら無産市民が入ろうとすると「出て行ってちょうだいんか」とか言ってつまみだされるとかいうことはないのか・・とか考えると、要らんな、そんなものという気にもなったが、帝国ホテルなんて金持ちと詐欺師向けのホテルなんて一般人民は泊まりたくもないとも思うが、今の帝国ホテルは特に泊りたいと思わないがシャリアピンが泊った帝国ホテルは愛知県犬山市の明治村に玄関ホール部分のみ保存されているフランク=ロイド=ライト設計の旧帝国ホテルであったはずで、フランク=ロイド=ライト設計の帝国ホテルの方ならたとえポリシーを曲げてでも泊ってみたいと私も思う。それで、石川啄木は「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」なんて短歌を作りながら、実はたいして働いとれへんかったとか、シャリアピンは「ヴォルガの舟歌」なんてヴォルガ川の船曳人夫の歌なんて歌いながら自分は帝国ホテルに泊まっておったとか、野村克也のじいさんは「わしぁ貧乏やからな」とかあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりしておったが、実際には田園調布の住人でロレックスの腕輪はめてヴェルサーチの服きて、阪神の監督やっておった時には阪神ホテルのスイートルームに住んでおったとか、それで「わしぁ貧乏やからな」とか本に書きまくり正真正銘貧乏な人間にその本を買わせて実際は金持ちのじいさんが印税で儲けてっておったとか、そういう話はあるが、中島みゆき は「わたし中卒やから仕事もらわれへん・・」とかいう歌詞の歌を作って歌っていたけれども、中島みゆき 自身は中卒だったのかというとウィキペディアー中島みゆきhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D を見ると《 祖父は帯広市議会議長などを務めた中島武市で、初代大蔵次官である郷純造男爵の甥。父・眞一郎は北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で中島産婦人科院長。》で中島みゆきは学歴は中卒ではなくて《藤女子大学文学部国文学科 卒業》らしい。まあ、いいけどね。
許せんのは元巨人の川相(かわい)昌弘で、引退後、「犠牲の精神を教えたい」とか言って講演とかして、それを聞いてうちの父親なんてのは「えらいなあ、川相はえらいなあ。犠牲の精神や、犠牲の精神。おまえも犠牲になれえ! わしのために、わしのために、犠牲になる、犠牲になる♪ いつでもいつでも犠牲になる♪ わしのために、わしのために犠牲の精神、犠牲の精神♪」とか言いまくっておったが、川相はあくまでもプロ野球選手として「犠牲バント」というのを得意としていただけのことで「犠牲バント」をプロ野球選手として得意としてやることでプロ野球選手として評価される道を選び、その結果、相当高い報酬を得ていたのであって、決して人生において犠牲になっていたわけではないのであり、そうであるにもかかわらず「犠牲の精神を教えたい」などと勝手なこと言いまくって、それでうちの父親などを感化して「犠牲の精神じゃ、犠牲の精神。わしのために犠牲に犠牲に犠牲にな~る! とってちってたあ~あ♪」とうちの父親は毎日私に叫びまくっていたのであり、自分は「犠牲バント」というものをプロ野球選手として得意技として評価されて相当の高給とっていたのであって決して人生・生活において犠牲になっていたわけでもないくせしてからに「犠牲の精神を教えたい」だのとまったく勝手なことばっかり言いまくりやがってからに、川相昌弘という男はつくづく勝手なつくづく迷惑な男やった。 陰気くさい顔しやがってからに、むかつく野郎だ。私は今でも「犠牲の精神じゃ、犠牲の精神。わしのために犠牲に犠牲に犠牲にな~る! 犠牲の精神、犠牲の精神、とってちってたあ~あ♪」とうちの父親が叫んでいた文句が耳元でわんわんうなっている。ほんま、迷惑な男や、ほんま・・・
菅原道真の後を追って梅と松が後を追って飛び立ったが、梅は大宰府までたどりついたが松は摂津の国のあたりで力尽きたというが、それでも後を追って飛び立ったらしい。
日本の神社 6号 (北野天満宮) [分冊百科]
野村克也解体新書 完全版 - 江本孟紀
権利のための闘争 (岩波文庫 白 13-1) - イェーリング,R. von, 村上 淳一
( ↑ イェーリング『Recht(権利=法)のための闘争』岩波文庫 )
うちの父親が好きだったプロ野球選手・元選手は何と言っても「犠牲の精神を教えたい」という川相昌弘で、嫌いなのが「ベンチがアホやから野球ができん」の江本孟紀だった。「甘ったれとるからじゃ。甘ったれとるからそういうことを言いよるんじゃ」と毎日のように叫んでいた。「服従、服従、なんでも服従、服従する、服従する、何でも何でも絶対服従♪」と、うちの父親はそう叫んでいた。
それを聞くたびに、
「造反有理(造反には理由がある、反逆は正しく、抑圧は間違っている)」
と思ったものだった。
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
何よりも、うちの父親は「そんなもん、『ベンチがアホや』とか言う甘ったれたやつはクビじゃ。クビが当然じゃ」とか言っていたのだったが、実は江本は直接の相手(監督の中西)に向かっては「ベンチがアホやから野球ができん」とは言っていないらしく、又、ロッカー室にひきあげる途中の廊下で「アホめが」とつぶやいたらしいが、記者を集めて公開インタビューとかで「ベンチがアホやから野球ができん」と言ったわけでもなく、さらに最近、江本がYouTube で話していたものによると、「ベンチがアホ」くらいは星野なんかはもっと言いまくっていたし、そして、江本は阪神の球団経営者とは仲は悪くなかったらしく、名古屋の中日新聞・中日スポーツは星野であれ誰であれ中日の選手を守るのに対して、関西のスポーツ新聞はネタが欲しいから実際以上に大きな話にして書いてしまうところから、「ベンチがアホやから野球ができん」という文句が広まり、それをどう収集するか球団経営者は考えて、「10日ほど(謹慎として)休むか」と江本に言ったが、それで終わらせようと球団経営者は考えていたのであって江本を解雇しようとは考えていなかったらしく、あくまで、江本が自分からやめたのであって、球団は江本を「クビ」にしておらず、むしろ、「やめることはない」とひきとめられたらしく、うちの父親はそのあたりからして事実を間違えて理解して「クビが当然じゃ。甘ったれるなあ~あ!」と毎日、私に向かって叫んでいた・・が、労働法としては「ベンチがアホやから野球ができん」と言ったとしても、それを理由としての解雇は法律論理としては、労働法の判例・学説としては「解雇権の濫用(らんよう)」としてそのような解雇は無効とされる可能性が大きいと思われるが、もとより、阪神球団は江本を解雇はしておらず、解雇していないだけでなく「やめますわ」と江本が言ったのに対して「やめることはない」とひきとめたらしい。うちの父親というのはそのあたりを理解できないおっさんやった( 一一) それでもって実際には人生・生活において犠牲になんてちっとも犠牲になっていない川相昌弘が「犠牲の精神を教えたい」などと勝手なことを言うと、「そうや、その通りや。犠牲の精神、犠牲の精神♪ わしのために犠牲になる、犠牲に犠牲に犠牲にな~る! とってちってたあ~あ♪」と言って喜ぶ・・というそういうおっさんやった。ほんま、疲れるおっさんやった( 一一)
ちなみに、野村克也のじいさんが選手だった時、(水原・三原とともに)「日本三大名監督」の一人と言われた南海の鶴岡監督が、野村が捕手をしていて投手が打たれた後、ベンチに戻ると「何を投げさせたんや?」と尋ね、「ストレートです」と答えると、「あの場面でストレートを投げさせる者があるか。バカたれ」と言われたそうで、それで、ああいう場面ではストレートを投げさせるものではないんだなと思い、そして、次に同じような場面があった時にカーブを投げさせたら打たれたということがあり、ベンチに戻ると鶴岡から「あの場面でカーブを投げさせる者があるか。バカたれ」と言われたので、ストレートを投げさせても「バカたれ」、カーブを投げさせても「バカたれ」と言われるということは、いったい何を投げさせればいいのかと思い、それで勇気を出して「三大名監督の一人」に質問したそうだ。「監督、ああいう場面では、どういう球を投げさせればいいのでしょうか」と。そうすると「三大名監督のひとり」鶴岡はこう言ったという。「勉強せえ、バカたれ」と。結局、何を投げさせても打たれれば「バカたれ」と言われると、そういうことだったらしい。
時は流れ、その野村じいさんも2020年2月に他界したが、その後、古田がYouTube で話していたのだが、入団1年目だったか2年目だったかに古田が捕手をしていて打たれたことがあり、ベンチに戻ると監督の野村から「なんで、あの場面でストレートを投げさせたんや。あの場面はスライダーやろ」とそう言って怒られた・・が、古田は立命館大学を卒業した後、社会人野球のトヨタ自動車に2年いてヤクルトに入ったが、トヨタ自動車の研修で教えられた文句が頭によみがえった。「決してイエスマンになるな。イエスマンだけの組織は必ず衰退する」と、トヨタ自動車ではそう教えられた。それで、古田は言ったらしい。「監督、さっき、打たれた球はスライダーでした」と。・・そうすると、野村はさらに激怒して古田の顔を指さして「おまえは何だあ」と叫んだそうだ。「おまえは何だ」て俺は何なんだろうと考えたが、「おまえは俺の部下だろう。部下なら上役の言うことには何でも『はい』と言っておればいいんだあ」と言って怒られたらしい。トヨタ自動車は嘘を教えていたということを古田は知った。それ以来、古田は野村に何を言われても「はい」とだけ言うようにして生き残った・・・らしい(^O^)
「ベンチがアホやから野球ができん」と江本は直接の相手に向かっては言っていなかったらしいし、「アホめが」と廊下だかロッカー室だかでつぶやいたということはあっても具体的に「誰が」とは言っていなかったらしく、星野なんか「ベンチがアホやから野球ができん」どころではなくもっとすごいこと叫びまくり荒れまくっていたが別にクビになってなかったが、スポーツ新聞などの記事をすぐに信じて「ベンチがアホやとか言うやつはクビじゃ。当然じゃ」とか叫びまくるのがうちの父親で、なんとも疲れるおっさんやった・・( 一一)
うちの父親は私が小学生だった頃、「インテリは根性がないから会社ちゅうところではあかんのや」と毎日のように言っていた。それを聞いて私は会社員にはなってはいけないんだなと小学生だった頃の私は思い、会社員以外の職業につくことを考えたのだったが、ところが私が大学に進学する頃になると、うちの父親は私に「会社という所に勤めるのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。小此木啓吾先生という慶應大学のエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる。会社ちゅうところに勤めるのを嫌がる人間は治療してやらんといかん。ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ 電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪」と言うようになった。それなら、小此木啓吾こそが「大学」という所と「病院」という所に勤めていた正真正銘・筋金入りの「モラトリアム人間病の重症患者」であろうが。小此木啓吾にこそロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ 小此木啓吾にこそ電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪・・てものだったはずだが、小此木啓吾はそういう場合に常に自分は「正常」「健常」「常識」「自我が確立されている」「スマート」「思考が柔軟」「独立自尊」だという側に自分とその取り巻きにより「診断」するのだった。小此木啓吾という男はつくづく勝手な男だった。
うちの父親の勤め先の部下では「1浪で国士館大卒」という人がいて、この人がうちの父親の一番のお気に入りだったらしかったが、実際問題として私自身が「会社ちゅうところ」に勤めて感じたことだが、高卒とか底辺の大学卒とかの人というのは、「上役の言うことに絶対服従」することの苦痛に耐える根性がある・・というのではなく、そんなことではなくても自分自身の考えを述べる能力がないので上役が無茶苦茶なことをやったり言ったりしてもそれを指摘できない認識できないから結果として「何でも服従、絶対服従」するという人が多く、それに対して「十大国立大学(旧帝大系7大学+東京工大+一橋大+神戸大)+早慶」くらいを卒業して会社に勤めた人間は「〇◇大学出ている人間だけのことはある」という言動をとらないとその大学を卒業した者としての価値がないことになってしまうので、高卒や五流大学卒のアホな上役の言うことやることに何でもはいはい言っているわけにはいかない・・のだが、そうすると高卒や五流大学卒の上役は気に食わない・・ということはよくあるようだった・・が、だからと言って、いくら何でもそんなものに同意するわけにはいかんだろう・・ということを高卒や五流大学卒のアホな上役はやったり言ったりしよるわけだ。会社という所においては「高卒のおっさん」が「雪は黒い」と言えば「はい、はい、雪は黒うございます」と言っておいた方が「高卒のおっさん」は喜ぶということはわかっているけれども、それでも、つい言いたくなってしまうのだ。「雪は白いですよ」と。そこが難しい・・のだが、そういうことを考えると、私が小学生だった頃にうちの父親がしばしば言っていた「インテリは会社ちゅうところではあかんのや」という説は一理あるようにも思えたし、うちの父親などにとっては「1浪で国士館大卒」くらいの人が「ちょうどいい」ということだったのかもしれない。
遠藤周作は「父親にとって息子とはどういうものか」という問題について、「父親にとって、息子とは自分の分身であり、自分の後継者であり、いつかは自分を乗り越えていく存在であり、しかし、そう簡単に乗り越えられてはならない相手であり、そういうものだ」といったことをどこでだったか書いていたが、そう考える父親もあるらしかった。又、「週刊現代」だか「週刊ポスト」だかに載っていた話だが、大王製紙の2代目社長は北野高校から東大を受けたが合格できず慶應大に行って卒業したが、息子には何がなんでも東大に行かせたいと思い、息子で3代目は筑波大付属駒場高校から東大に進学したが、ラスベガスのカジノで「しょーもないことしい」やりよったあ、あ~あ・・ということだったらしいが、大王製紙の2代目社長のおっさんにとっては「息子というもの」は「いつかは自分を乗り越えていくもの」で「自分ができなかったことをさせてやりたい存在」で「自分が合格できなかった大学に合格させて行かせてやりたい存在」だったようだが、「父親というもの」はそういうものだと思っている人も世の中にいるらしかったが、うちの父親などはそうは考えておらず、うちの父親にとって「息子というもの」はどういうものかというと、うちの父親にとっては息子は「会社の部下」であり、「賃金払わなくてもいい会社の部下」であり「労働基準法の適用されない会社の部下」で「こんな不良企業に勤めてられるかあと思っても絶対に転職できない会社の部下」であり、そして、うちの父親にとっては息子が自分より上の大学に行くということは精神的に耐えがたいことだったようだ。うちの父親にとっては「息子というもの」は「自分より上の大学には行かせたくない存在」で「よその息子」は自分より上の大学であれどこであれ行けるように協力して「いい顔」をしたいという立場だったが「息子というもの」は「自分より上の大学には行かせたくない存在」だった。父親にとって「息子というもの」はどういうものかはその父親によって違うのだ。それをある父親はこうだということから「父親というもの」はそういうものだと言いたがる人がいるが、その思考は間違っている。うちの父親にとって「息子というもの」は「給料払わなくてもいい、労働基準法は適用されない会社の部下」であり、それゆえ、我が家の常務さんには24時間365日「なんでも服従、絶対服従」しなければならないという存在であり、「なんでも服従、絶対服従」して自分自身の考えを述べたりはしない存在・・であるべきだった・・ということを考えると、あの人の息子には「1浪で国士館大卒」くらいの人間が「ちょうどいい」ということだったようだが、残念ながら私はそういうあの人にいい息子にはならなかったのだ。ストレートを投げさせて「バカたれ」と言われ、カーブを投げさせて「バカたれ」と言われても「はい」とだけ答える「上司にはなんでも服従、絶対服従」の人間がいい人には、「監督、ああいう場面は何を投げさせるべきなのでしょうか」と質問するようなやつは気に入らない人間だったようだ。この程度の父親にはその程度の息子・・として、そういう息子と親子縁組してくれればよかったのだが、そうしてくれなかったのがつくづく残念だった。
よそのお父さんを見て、息子を「給料払わなくていい会社の部下、労働基準法は適用されない会社の部下」と認識するお父さんではなく、息子を「自分の息子」と考えるお父さんを見て、「いいお父さんだなあ」「うらやましいなあ」と思うことが何度もあったが、その人はあくまでもよそのお父さんであってうちのお父さんではないから、どうしようもなかった。
三光門の手前左右に古田織部が創案したという「織部石灯籠」が並んでいると、『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には書かれていたが、確認してくるのを忘れた。
拝殿・本殿と三光門はいずれも豊臣秀頼の造営で1607年に造られたらしいが、拝殿・本殿は国宝だが三光門は重要文化財らしい。
1月末においては梅はまだ咲いてないかと思ったが北野天満宮では咲いていた。
楼門と三光門との間には紅梅が多かったように思ったのですが、本殿の後ろあたりには白梅も咲いていました。
↑ 本殿の後ろ、十二社の東のあたりの白梅。
島田事件と赤堀政夫 - 赤堀闘争全国活動者会議
冤罪の恐怖―無実の叫び (1975年) (現代教養文庫)
「ごめん」で済むなら警察はいらない―冤罪の「真犯人」は誰なのか? - 柳原 浩
インターネット上で見たが、それがどこだったのか、今、見つけることができないが、「氷見事件」もしくは「富山氷見事件」と言われるこの事件は、当時18歳だった女性がザバイバルナイフを突きつけられて強姦された強姦罪の事件と16歳だった女性が強姦されそうになった強姦未遂事件について、無実の柳原さんが逮捕されて有罪判決を受けて懲役刑になり刑期を終えた後に真犯人が他県で捕まり自白によって柳原さんは無実だということになった事件だったが、被害者の女性は無実の柳原さんの顔を指さして「絶対にこの男が犯人だ。わたしはこの男を殺してやりたい」・・とそう言ったという。これはインターネット上で見たはずだが、残念ながら、それを今、見つけることができない。
名張毒ブドウ酒殺人事件――六人目の犠牲者 (岩波現代文庫) - 江川 紹子
絶望の裁判所 (講談社現代新書) - 瀬木比呂志
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html は、三光門から中に入り、拝殿に参拝・・
(2024.2.11.)
☆ 北野天満宮(京都市上京区)参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。〔今回〕
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html
★ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html
4 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
北野天満宮参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。〔今回〕
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html
高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
赤根天満宮(長岡京市)
1.光明寺道から南、大峯山禊所、天神社鳥居へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500055705.html
2.鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500082490.html
埼玉県
さいたま市岩槻区本宿の「天神宮」「北野天満神社」
1.本宿の天神宮まで。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_7.html
2.鳥居から拝殿、本殿。摂社、本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_8.html
3.「幟竿」と記念碑https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_9.html
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html
白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html
市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html
千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html
北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html
新町天満宮(千葉市中央区)
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html
大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html
平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html
東京都
亀戸天神社(江東区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_7.html
亀戸天神社 2回目 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201505article_1.html
湯島天神社(文京区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_10.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_11.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201602article_12.html
北野神社(文京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_2.html
平河天満宮(千代田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201210article_3.html
西向天神社(新宿区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201502article_1.html
根津美術館 庭園内 渡唐天神祠(「飛梅祠」)(港区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201603article_3.html
若林天満宮・若林北野神社(世田谷区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201312article_5.html
平塚神社 摂社菅原神社〔平塚天神社〕(北区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201807article_10.html
谷保天満宮(国立市)
1.谷保駅から鳥居。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
2.鳥居から坂を下り、拝殿・本殿と鶏https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
3.五社、三郎殿、厳島神社、左右に2体ずついる狛犬、座牛 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
4.神楽殿・筆塚https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
5.梅林、稲荷社、第六天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
本町田 菅原神社(町田市本町田)
上 赤い鳥居・井手の澤の谷地・弁天社・御本社・牛の絵。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_2.html
中 御本社・参集殿・神楽殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_4.html
下 愛宕社・藤木稲荷・井手の澤古戦場碑。枝が垂れ下がる梅の木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_5.html
町田天満宮(町田市原町田)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202102article_1.html
神奈川県
下平間天満天神社(川崎市幸区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_14.html
幸区東古市場の天満天神社(川崎市幸区)と御幸公園
1.下平間交差点・古市場交差点を経て天満天神社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_15.html
2.二度の移転で現在地に来た天満天神社と入口脇の梅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_16.html
3.御幸公園。植樹された梅林。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202003article_17.html
三渓園天満宮(横浜市中区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_8.html
岡村天満宮(横浜市磯子区)
1.蒔田駅付近から岡村天満宮前交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_5.html
2.鳥居から石段を登り「壁画」前まで。梅の花 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_6.html
3.牛の像。梅の花。社殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202202article_7.html
4.拝殿・幣殿・本殿。本殿裏の梅、本殿東側の道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_1.html
5.神輿庫・神楽殿・幼稚園・幻の新社殿計画地。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_2.html
6.白笹稲荷社・針塚 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_3.html
7.岡村公園梅園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202203article_4.html
永谷天満宮(横浜市港南区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
荏柄天神社(鎌倉市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201401article_7.html
北野神社(鎌倉市山崎)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201504article_2.html
静岡県
(旧駿河地域)
富士市岩淵の天満天神宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202110article_6.html
(旧遠江地域)
谷崎天神社(静岡県周智郡森町)
1.遠州森町スマートインターチェンジから谷崎公民館。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_1.html
2.鳥居・手水・牛の像・拝殿・幣殿・本殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_2.html
3.拝殿内の牛の像。鷽、亀石。梅園。三末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_3.html
4.天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202112article_4.html
深奥山 方広寺 七尊堂(浜松市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201707article_13.html
浜松市西区雄踏町宇布見 の 中村家住宅北側の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202104article_7.html
この記事へのコメント