北野天満宮参拝3【5/11】三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。

[第1036回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り 第67念-5
  北野天満宮の三光門の右側(東側)に東回廊、左側(西側)には西回廊があり、三光門を入って正面に拝殿があります。
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↑ 三光門。
  三校門をくぐって正面に ↓
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↑ 北野天満宮 拝殿
  三光門の手前左側に梅鉢が描かれた提灯、右手前に松が描かれた提灯がかかっていましたが、拝殿の前には左に梅、右に松が植わっています・・が、拝殿の前の梅はまだ花が咲いておらず、逆に松は梅より大きくなっていて、ここでは松の方が目立っています。
『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 一重、入母屋造の建物。東西に「楽(がく)の間」をもつ。国宝。》
《 石の間で本殿とつながった国宝。左右に楽の間を備える。》
と出ています。

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↑ 西回廊
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↑ 東回廊
 東回廊に授与所があります。これまでに来た時には北野天満宮には御朱印はあるが北野天満宮の朱印帳はなかったのですが、インターネット上で見ると北野天満宮の朱印帳ができたと出ていて、北野天満宮の梅をあしらった表紙のものなどとともに表紙が木製のものがあると出ていたので、ぜひそれを購入したいと思ったのでしたが、今回、授与所では木製のものはなく、そうでないものを購入してきました。
※ 《京都まめ手帳 北野天満宮の御朱印や御朱印帳(刀剣・季節限定、授与所)について》https://kyoto-note.com/kitanotenmangu-goshuin/
 
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↑ 東門の側から見た 額の間・拝殿・石の間(幣殿)・本殿。
[第161回]《冤罪を晴らす神さま・菅原道真・北野天満宮・3―楼門・三光門・社殿(拝殿・弊殿・本殿・楽の間・脇殿)》https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html  でも、この角度からの写真を掲載しています。

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↑ 北西側から見て。左より本殿・拝殿・楽の間。
  『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 本殿
豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼が慶長12年(1607)に造営。「八棟造(やつむねづくり)」と称される檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根に破風を金物で飾った美しい造り。本殿と拝殿を「石の間」でつないでいる。国宝。》
《 本殿
石の間で拝殿とつながった国宝。西側に脇殿(わきでん)を備える。》
と出ています。

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↑ 本殿の北側ですが、北野天満宮は本殿の北側からも参拝するようになっていて、「御后三柱(ごこうのみはしら)」が祀られているそうです。『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 御后三柱(ごこうのみはしら)
ご祭神 天穂日命(あめのほひのみこと) 菅原清公卿(すがわらきよきみきょう) 菅原是善卿(すがわらこれよしきょう)
ご神徳 学業成就 》
と書かれています。 天穂日命(あめのほひのみこと)は『古事記』に登場する神で菅原氏の祖先とされており、菅原清公は道真の祖父、菅原是善は道真の父。
《 道真公がこの世に生を享けたのは、承和12年(845)6月25日のこと。祖父の清公も父の是善も優れた学者だったが、その血を継いでわずか5歳で和歌を詠むなど、早くから神童の名を欲しいままにしていたという。・・》
《 菅原是善(すがわら これよし) (道真の)父。文章博士(もんじょうはかせ)。息子同様、年少の頃から才気を放った。》(『週刊日本の神社6 北野天満宮』2014.3.25.デアゴスティーニ)
  菅原道真の父と祖父と先祖とされる『古事記』における神とが祀られているそうです。
  又、北野天満宮の本殿は菅原道真が祀られていると思っていたのですが、『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には
《 八棟造(やつむねづくり)(権現造)の本殿は桃山時代に建造された国宝。菅原道真公を主祭神とし、相殿(あいどの)に中将殿(ちゅうじょうどの)(長子の菅原高視 すがわらのたかみ)と吉祥女(きっしょうにょ)(正室の島田宣来子 しまだのぶきこ)を祀る。》
と出ており、正室と長子が相殿で祀られ、父と祖父と先祖とされる『古事記』における神とが御后三柱として背面に祀られているようです。

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  ↑ 社殿の東面。
  この面には思い入れがあります。今回、北野天満宮参拝は4回目ですが、最初に来たのは1960年代の終わり、私が小学校の4年だったかの年です。うちの母と一緒に来たのですが、その時は、阪急京都線でその頃は特急が停車していた「大宮」まで来て「大宮」で京福電鉄嵐山線に乗り換えて、今は「太秦広隆寺」駅に駅名が変わったその頃は「太秦(うずまさ)」駅で降りて目の前の広隆寺(こうりゅうじ)に行きました。広隆寺というと弥勒菩薩像が有名ですが、母は高齢になってから「息子が『勉強する子』だったから息子と一緒にずいぶんといろいろな所に行けた」と言って喜んでいました。「どこに行きたい?」と小学生だった私にきいたら「広隆寺」と答えたので、「この子は『勉強する子』だなあ」と思ったというのですが、うちの姪(めい)(上の姉の娘)が東京から大阪に来るというので「どこに行きたい?」と尋ねたら「食い倒れ」と言いやがった・・というので、がっかりしたと言っていました。「食い倒れ」が悪いということではないのですが、うちの母としては、大阪ならば住吉大社とか四天王寺とか、せめて大阪城とでも言ってほしかったようですが、「食い倒れ」と言われてがっかりしたようでした。
  その時は広隆寺に行った後、京福電鉄の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅で北野線に乗り換えて、京福電鉄北野線に沿って仁和寺・妙心寺・等持院に行き、最後に「北野白梅町」で降りて北野天満宮まで来たのですが、さすがにそれだけ何か所もまわってくると、北野天満宮に来た時には夕方、一般世間ではまだしばらく起きている時刻ですが神社や寺は一般世間よりも早寝早起きですから、社殿の東側までは来れたのですが、三光門も東門も閉まっていて、この位置から参拝して帰りました。 小学生の時に来た時に見た思い入れのある角度がこの写真の角度です。
  大阪と京都は一続きの地域であり、大阪府三島郡島本町と京都府乙訓郡大山崎街・京都府長岡京市とは大阪府と京都府の境を超えたから突然、「まるまる大阪」「まるまる京都」になるわけでもなく、阪急京都線に乗ると徐々に「京都度」が増していくみたいなもので、又、終点の阪急「京都河原町」駅まで行っても、そこは「マルーンの阪急」が走っている所、その電車に乗れば十三(じゅうそう)にも梅田にも行けて、十三で乗り換えると塚口にも西宮北口にも神戸三宮にも、豊中にも石橋にも池田にも宝塚にも行ける所・・であって、京大がある百万遍とか、慈照寺(銀閣)とかあるあたりになると「けっこうディープな京都」だけれども、「京都河原町」駅とか「マルーンの阪急」が走っている駅から近い場所はまだ「京都度」はそれほど強くない所で、私にとっては大阪も京都も関西圏というひとつの地域なのですが、大阪と京都の違いとしては、電車の乗り降りの時に、大阪では駅に着く前にドアの前に行って待っておかないと降ろしてもらえないのに対して、京都ではそれをやると「おまえは何をやっとるんや。みんな降りるんやないか」と言って怒らる、という違いがあります。1980年代の終わり、小堀住研(株)に入社して大阪駅の前の本社でおこなわれた新卒社員研修に参加するために京都の東海道本線「山科(やましな)」駅の近くの下宿屋に住んで通った時、山科は新快速も停車して大阪に行くにはけっこう便利なのですが、問題点として、そこは京都だということを大阪人や東京人は認識しないといけないという点があります。大阪駅から新快速に乗って、新快速にて山科(やましな)駅に到着時、私としては普通に降りようとした時、じいさんから言われたのです。「おまえは何をしとるんや。みんな、降りるんやないか。何をやっとるんや」と。しかし、叡山電鉄とか京福電鉄とかでやるならわかるけれども、新快速で「京都式」やるかあ~あ・・とも思ったのですが、それでも山科は京都ですから、まあ、「京都式」なんだなと思いました。それに慣れた人が大阪に行って「京都式」をやると降ろしてもらえませんけれども・・(^O^)
   京都に行った時、「ここは京都だから京都式」なんて思っていたら、いつしか「東京・大阪方式」が京都にも浸透してしまって「京都式」やってるのは自分だけで降ろしてもらえない・・なんてことになったなんてことも・・ありえないことないかもしれないが、又、京都は外国人の観光客も多いので京都のバスでは「京都式」もへていまもないが、それでも、京福電鉄とか叡山電鉄とかでは今はまだ「京都式」ではないのかな・・。
  うちの母は「息子が『勉強する子』だったから、ずいぶんといろいろな所に行けた」と言ってその点については喜んでいたが、しかし、息子の方では子供の頃から母親と一緒にそういう所に足を運んできたのだから、私がそういったものの研究者になるとかすればうちの親は喜んでくれるものだろうと思い込んでいたのだったが、ところが、私が大学に行く頃になると、うちの父親は「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に孝に孝に孝に、わしのためにためにために、すべてをすべてをわしのために。会社のために犠牲にな~る、わしのために犠牲にな~る、犠牲の精神、犠牲の精神、会社の為にわしのために会社の為にわしのために、すべてをすべてを犠牲にす~る、とってちってたあ~あ・・」と叫ぶようになった。慶應大学に最初に入った年、大学も1年・2年ではクラスの「担任」というものがあり、その担任の女性の助教授が私と話をした際に「お母さんは味方になってくれるかもしれないわよ」と言われたのだったが、それは見通しが甘すぎた。うちの母親はうちの父親のことを私にぼやきまくったが、そのわりに私に対してはうちの父親がやることに同調したし、自分をうちの父親から守るためのいけにえとして私をうちの父親に差し出した。そうして、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も只管努力して勉強してきた努力の成果は全部まとめてドブ中にどぼ~んとほらされた。何より「会社の為にわしのために犠牲にな~る、とってちってたあ~あ♪」とうちの父親は毎日言うのだったが、資本制社会においては「会社のために」というと、その「会社」は誰なのか、「大手」「財閥系」「上場」「大」企業においてはわかりにくいが、中小零細の三流企業、オーナーがいる企業においてはわかりやすい。要するに「会社の為に犠牲にな~る、とってちってたあ~あ♪」というのは、それは「よその息子のために犠牲になれえ」ということを意味している。うちの父親というのは、私を「よその息子」のために犠牲にならせたがる父親だった。父親なら自分の息子をよその息子の犠牲にされないようによその息子から守って良さそうにも思えたが、うちの父親はそういう父親ではなかった。

  慶應大学にステューデントカウンセラーズというサークルがあって、そこに日野高校卒の西だったか西高校卒の日野だったかいう男がいて、その男が「関西は『ぶぶづけでもどないだす』とか言って進められるから、それならごちそうになろうかと思ったら『あつかましい』と言われるとか、そういうところが大阪とか関西は嫌いなんだ」などと言うので、こいつ、程度の低い男だな、こんなアホでも「大学」という所にクソどあつかましくもいくのか・・とあきれたことがありました。まず第一に「ぶぶづけでもどないだす」という「京のぶぶづけ」の話というのは京都のことであって大阪の話ではないのですが、ところが日野高校卒の西だったか西高校卒の日野だったかは京都も大阪も一緒くたにしてしまっているのです。
  又、「ぶぶづけでもどないだす」という「京のぶぶづけ」の話というのは、私は西だか日野だかがそれを言った頃に、慶應大学の「英語(1)」という授業のテキストに出ていたものを見て初めて知ったことで、それまで知らなかったことで、大阪で生まれ育って京都には何度も行ったことがあり、京都に住んでいる親戚も知人もありますが、私はこれまでに京都の人間から「ぶぶづけでもどないだすう」なんて一回として言ってもらったことはない。それに対して東京もんの西だか日野だかは京都で言われたことがあるのか? ・・というと、実際に自分がそう言われた経験もなく、どこやらからそういう話を仕入れてきて、そしてその話を「京都は」ではなく「大阪とか関西は」という言い方で言うという、そういう反実証的・反科学的・反論理的な思考・・というのは、それは大学生として恥ずかしいものであり、そういうことを平気でぬけぬけと口にするというあたり、慶應の学生というのは程度低いなあ・・とその時は思ったのでしたが、慶應の学生が程度低いのか、西だか日野だかが程度低いのか、日野高校だか西高校だかが程度低いのか、そのいずれなのか決めかねるが、どっちにしても、自分が関西なり京都なりでそういうことを言われた経験があるわけでもないのに、「『ぶぶづけでもどないだすう』としつこく誘われるからごちそうになろうとすると『あつかましい』と言われるという、そういう所が大阪とか関西は嫌いなんだ」と、「京のぶぶづけ」の話を「大阪とか関西」に勝手に変更して、さらに相手が大阪出身の人間だと思うと余計に言うというあたり、まったくつくづく程度の低い男だなあ・・と思い、こんなアホが大学に行くのかとあきれたものでした。
  「東京もんのおっさん」には関西人に対して失礼な口をきく人間が大変多い。「東京もんのおっさん」が大阪に行ってきたという時、「大阪のどこに行ってきましたか?」ときくと出てくる地名で多いのは、ダントツ1位で飛田新地。「東京もんのおっさん」は飛田新地が大好きだ。 そして、言うのです。「大阪ってすごい所だねえ。大阪の人間てすごいねえ~え」と。この無礼者が。飛田新地に行ってきたのは「大阪の人間」ではなくて、あんたやろうが、あんた! 「すごい」のは「大阪の人間」ではなくて、それも、あんたやろ、あんた! 「大阪の人間」のせいにすんな、このクソ野郎! そういうおっさんは、住吉大社とか四天王寺とか北御堂・南御堂とか大阪天満宮とか難波の宮跡とか、大仙陵古墳とか、観心寺とか水無瀬神宮とか、そういう所には絶対に行かないのです。「東京もんのおっさん」の知能程度に合わせた所に行くと飛田新地になるのです。その上で「大阪ってすごい所だねえ」だの「大阪の人間てすごいねえ」だのと言うのです。
  「おっさん」だけではなく「東京もんのおばさん」も関西人、特に大阪人に対して失礼です。うちの下の姉の知り合いの「東京もんのおばさん」が大阪に行ってきたそうで、「大阪のどこに行きましたか」ときくと「鶴橋」と言ったそうです。鶴橋というと私などはJR大阪環状線「鶴橋」駅と近鉄奈良線・近鉄大阪線「鶴橋」駅で乗り換えに利用することはあっても、特に駅の東側にはあまり行きません・・・が、ところが「東京もんのおっさん」「東京もんのおばさん」は「大阪の人間」が行かないような所にピンポイントで行くようなのです。そして、「鶴橋って、ほんと、大阪って感じの所ね」と大阪出身の人間に向かって言うのです。そして、それが無礼だ失礼だと気づいていないのです。
  大阪で「東京もんのおっさん」「東京もんのおばさん」が行きたがる所というと、飛田新地・鶴橋のほかには新世界、それから西成の あいりん地区,、もうちょっと一般的なところでも「食い倒れ」とか吉本新喜劇とか串カツ屋とかたこ焼き屋とか。そういうおっさん・おばはんは住吉大社とか四天王寺とか北御堂・南御堂とか大阪天満宮とか大仙陵古墳とか水無瀬神宮とか難波の宮跡とかそういう所には絶対に行かず、飛田新地とか新世界・鶴橋在日韓国人街・西成あいりん地区とか、「大阪の人間」があまり行かないような所にピンポイントで行ってきて、そして、大阪出身の人間に向かって「いかにも大阪って所に行ってきた♪」とかぬかすのです。一回、殴られた方が本人のためと違うか・・て気になりますが、「東京もんのおっさん」「東京もんのおばはん」にはそういう人間が大変多い。
  先日、大阪府で食事をしようとして、ある串カツ屋に入ったのですが、そこではむいてもいないキャベツのかたまりを渡すので、「これは、どう食べればいいのですか」と私がきくと、若いにーちゃんとねーちゃんが「お好きなように食べてもらえばいいですよ」と言うのですが、剥いてもいないキャベツを渡されてどうしろと言うの? むいてもいないということは洗ってもいないということですね。むかない状態で水かけても洗ったことにならない。それをそのままかじれと言うの? 『美味しんぼ』にも出ていたが、キャベツというものは1枚1枚を別にした状態で水で洗って、その際に痛んでいたり虫がそこにいたりしないか調べて、それから包丁で切って包丁で切ったらその後に水につけると水にキャベツの旨味が流れ出してしまうから、いったん切ったら水にはつけない。そうして食べるもので、切らずに食べてもかまわないけれども、むかない塊の状態で客に出すバカがあるか・・と私は思ったので、それで言ったのだけれども、それでも「好きなように食べてもらえば」とにーちゃんは言うのでした。そういう「串カツ屋」に行った「東京もんのおっさん」「東京もんのおばさん」は「大阪らしい店に行ってきた」とか勝手なことをぬかすのですが、私が子供の頃にはそんなおかしな「串カツ屋」なんてなかったし、その店にしても最近できた店であって今後どうなるかわからない店だ。そういうものを「大阪の人間ていつもそういうものを食べてるのでしょ」とか「東京もん」は言うのだが、失礼だろうが、そんなもの、いつも食ってないわ!!! と思うのだが、大阪の人間が「いくらなんでも失礼だろうが」と思うと、日野高校の西だったか西高校の日野だったかのような類の人間は余計に言ってやろうという気持ちになるらしい。何より、串カツを出す店なんて大阪でなくても東京にもあるし、私が最初に外で串カツを食べたのは横浜市港北区の日吉の東急東横線「日吉」駅の慶應大学日吉キャンパスと逆側にあった店だった。
  そういえば、1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ にいた「木南さん(仮名)」(男。当時、40代)なんぞは「大阪は日本とは違いますから、あそこは」などと言っていたが、そういう無礼なことを平気で言う人だったが、「東京もんのおっさん」にはそういう無礼な人間が大変多い・・が、そういう人は教養水準が低い人に多く、「東京もん」でもある程度以上、学識がある人はその学識からそういう思考は改善されることがある・・と私は思っていたのだったが、ところがどっこい、慶應大学のステューデントカウンセラーズにいた日野高校卒の西だったか西高校卒の日野だったかはそうではなくて、「『ぶぶづけでもどないだすう』としつこく言われるからごちそうになろうかと思ったら『あつかましい』と言われるという、そういうところが大阪とか関西は嫌いなんだ」などと実際に「ぶぶづけでもどないだすう」なんて京都で言ってもらったこともなく、ましてや大阪の人間がそんなこと言うわけないのに言う、特に相手が関西出身の人間だと思うと必死になって言うというあたりは、慶應の学生て程度低いな、慶應の学生て知的水準が低いな、教養水準が低いな・・と思わざるをえないものだった。
  もうひとつ、「ぶぶづけでもどないだす」というお話を私は最初に読んだ時、なんで「ぶぶづけ」なのだろう、「ぶぶづけ」てお茶漬けのことだと思うのだが、もしも、食事していってくださいと勧めるのならばお茶漬けなんてものではなくて、もうちょっといいものを勧めないか・・と思ったのだった。「ぶぶづけでもどないだすう」という「京のぶぶづけ」の話は、もう、そろそろ帰ってもらってもいいと思われるのに、いつまで経っても帰ろうとしない来客に「もう、今日はそろそろお帰りになっていいのと違いますかあ。それとも、うちの貧相なぶぶづけでも食べていこうとでも言われますかあ。まさか、そこまでどあつかましいということはありませんでしょ」という意味で、それゆえに「ぶぶづけ」だということらしい。私は最初、「京のぶぶづけ」の話の意味を知らなかったが、それでも、なんで「ぶぶづけ」なのだろう・・とは思った。「なんで、『ぶぶづけ』なのだろう」⇒「もしも、食事を勧めるのなら『ぶぶづけ』ではなくて、もうちょっといいものを勧めるものと違うのか」と考えれば、そうすると、「いくらなんでも、うちの貧相なぶぶづけを食べていこうなんて、そこまでくそどあつかましいことは考えられませんでしょ」というところから「ぶぶづけ」なのだ、とわかる可能性があるのだが、ところがどっこい、日野高校卒の西だか西高校卒の日野だかは、そういうところにちっとも気づかないドンカンな人間だった。まがりなりにも「一流大学」の大学生ならば、そのあたりに気づく繊細さというものがあって良さそうなものだったが、ところが西だか日野だかはそういう繊細さがない筋金入りのドンカンな男だったのだ。
   「京のぶぶづけ」の話というのは、実は落語のネタであって実際に京都の人間がそういうことを言うわけではないという説があるが、そうであっても、「東京もん」からすると京都の人間というのはそう見えるのではないか。大阪の人間からはどうかというと、西高校卒の日野だったか日野高校卒の西だったかは「大阪とか関西の人間は『ぶぶづけでもどないだすう』と熱心に勧めるから、そこまで勧められるならごちそうになろうかとおもったら『あつかましい』と言われるという、そういうところが大阪とか関西は嫌いなんだ」と言うのだったが、「京のぶぶづけ」の話というのはお話であっても「京都の話」であって日野だか西だかが言うような「大阪とか関西の人間」の話ではなく、大阪の人間も「京都の人間て、ちょっとそんなところがあるよなあ」とか言ったりしているのだ。ただし、あくまで「京都の人間てちょっとそんなところあるよなあ」くらいのもので、それ以上ではないのだ。なぜ、それ以上ではないかというと、大阪と京都は一続きの地域であり、大阪の人間もまた、京都ほどではないけれども、いくらかそれに近いところもあるからだ。
  1990年代前半、(株)一条工務店 の福島県いわき市の営業所にいた時、福島県会津若松市で建てていただいた喜多方市出身のOさんから無理な値引きを求められて、「それは難しいですね」と何度も話したのだがわかってもらえずに苦労したということがあった。この人、こちらがこれだけ何度もはっきりと「難しいですね」と明言しているのに、なんでわかってくれないんだ・・・と思ったものでしたが、それから何十年か経ち、(株)一条工務店をやめてから気づいた。「難しいですね」と言えば関西の人間は断られていると理解するのだが、ところが「東京もん」とかは「難しいですね」では断られたとは理解しないのだ。「東京もん」が相手の場合は「だめです。絶対にだめ、だめなものはだめ、だめ、だめ! どうしたって絶対にだめえ~え!!!」と、そこまで言ってそれで理解してもらえるかどうかなのだ。福島県の人間というのはどうかというと、福島県の浜通り地区の所長だった草野次男さん(男。1990年代当時、50代)が「あんた、関西の人間はたいてい値引きの交渉をするだろ。それに対してここは東北だから、東北の人間はそうではなくて逆に遠慮するんだ」と私に話したことがあったが、そういう人、そういう場合もあるのかもしれないけれども、Oさんなどはそうではなく、むしろ、無理ですと何度言っても理解しないというところがあったが、後から気づいたのだが「難しいですね」という言い方は関西の人間にとってはお断りの意味だと当然のこととして理解するのだが、東京から東北の人間にとっては「難しいですね」では断られたとは理解できないみたいだったのだ。「難しいなんて言わないで・・」とかOさんは言うので、この人、何を言ってるんだ・・と思ったのだったが、東京から東北にかけての人間には「難しいですね」ではだめだったんだと後から気づいた。「京のぶぶづけ」の話にしても、「遠回しに」もしくは「婉曲話法」で促すというのは京都も大阪も共通するものがあり、その点で大阪と京都には共通の文化があり、京都の人間と大阪の人間には共通する思考があって、その上で表面の部分で大阪の人間が「京都の人間て、ちょっとそんなところあるよなあ」と感じるものがあるとしても、根底の部分においての思考経路は共通するものが多いのに対して、「東京もん」は表面の部分だけではなく、根底の部分も京都や大阪の人間とは異なる、大阪の人間も京都の人間も「それは難しいですね」と何度も何度も言われたら、さすがに断られていると理解するだろうと思われるものを東京から東北にかけての人間は「難しいなんて言わないでくださいよ」とか言ってみたりする・・という違いがあるようだった。実際、私はOさんから「難しいなんて言わないでくださいよ」と言われて、「それなら、どう言えばいいのですか」と言ったことがあったのだ。
  もうひとつ、大阪でなくても関西の人間は値引きを求める場合でも、このくらいの値引きは求めてもいいか、これは無理かとか考えて話をするのに対して、関東の人間にはそういうことを考えないで値引きを求める人というのがいる。その上で「大阪の人間はあつかましい」とか言うのだが、どう考えても無理なものを要求して断られたから「大阪の人間はあつかましい」とかなんとかかんとか言ってる関東人のあんたの方こそよっぽどあつかましいだろうが・・と思うのだった。1992年、(株)一条工務店の東京営業所(江東区潮見。今はなくなった)に勤務していた時に折衝した江戸川区のマンション在住で茨城県出身のあるおばさんも「住友林業て大阪の会社だけあってあつかましいわよねえ」などと私に言うのだったが、話を聞いてみると「あつかましいのは、あんたの方やろ。あんた」と思えた・・ということがあった。 関西人からすれば、それはいくらなんでも無理だろ、そのくらいのことはわかるだろ・・というものが関東人はわからないという場合があるようだ。「京のぶぶづけ」の話というのも、表面だけ見ると、京都の人間に表裏があるみたいな話だけれども、そういうところがないことはないかもしれないが、根底の部分においては、はっきりと噛んで含めるような言い方をしなくても、このくらいは理解しろよお~お・・というものが京都の人間と大阪の人間には共通してあって、東京から関東の人間にはそれを理解しない人がいるように思う。
  慶應大学の教養課程の日吉キャンパスがある横浜市港北区の東急東横線「日吉」駅から近い場所に日吉台学生ハイツというのがかつてあってそこに住んでいた時があったのだが、ステューデントカウンセラーズの人間で那覇銀行だか琉球銀行だか沖縄銀行だかの頭取の息子で「1浪で慶應の経済」の田名という男が名嶋という男を連れて私の部屋にアポなしで来たことがあり、来て悪いということはなかったが、いつまで経っても帰らず、こちらも予定があったので、私の方では「もう、きょうはそろそろ帰っていただいた方がよろしいのではないか」という意志表示をしたつもりだったが、田名も名嶋もまったく気づかず無神経に長々と居続けた・・ということがあり、これからは誰かわからないのに扉を開けるわけにはいかないと思った。 北野高校のクラブのOB で東大の文学部に行った人から、大学の寮というのは「学生運動の拠点」とか見られている場合があるようだけれども、東大の寮は別に「学生運動の拠点」とかいうことはないのだけれども、「学生のたまり場」になるので、それで「大学の寮」には入らないことにしたと聞いたことがあったのだが、聞いた時には「学生のたまり場」て別にいいじゃないか、同年代の人間と接する場があればいいのではないか・・と思ったのだったが、そうではなくて、自分がこの勉強をしたいと思って予定している時でも部屋に押しかけてきてひとの都合も予定も考えずに傍若無人なふるまいをとる名嶋とか田名のような人間がいるということを言っていたのではないか、とわかった。日吉台学生ハイツの問題点として、入居者に慶應大学の学生が多く、慶應大学の日吉キャンパスに近く、「帰っても大学から帰ったという感じがしない」という点があったが、それだけではなく、名嶋とか田名のようにアポなしで押しかけてきて「入れて」と言って強引に部屋中に入り込み、そして、「もう、そろそろ帰ってもらえないか」という意志表示をしても無視して居座るマナーの悪い人間が押しかけてくるという問題点があった。日吉台学生ハイツというのは、そこにいるとアポなしで来て「入れて」と要求して部屋に入って、その上で「もう、きょうはそろそろ帰ってもらっていいですか」という意志表示をしてもそれでもいつまでも帰らないというクソどあつかましい男がやってくる・・ということを知り、日吉台学生ハイツは出た方がいいなあ・・と思うようになった、ということがあった。
  相手から「きょうは、もう、そろそろ帰っていただけませんか」という意志表示をされたなら、それほど嫌がられないうちにそれを感知して退去するというのはマナーであり、曲がりなりにも「一流大学」の学生なら理解し認識していいもののはずだったが、田名にしても名嶋にしても理解しない認識しない男であり、それが慶應大学の学生であるということなら慶應大学の学生というのは一流大学の学生ではない、慶應大学は一流大学とは言えない・・と思ったものだった。こういうことを言うと「慶應タイプ」は「おまえは慶應の学生のくせに東大をいいように思ってるんだろ」とか言い出すのだが、そういう口をきく前におのれの無神経な態度・マナーに反する態度を反省するべきであろう・・と思うのだったが、ところがどっこい、慶應の学生にはそのあたりを反省しない人間というのが多かった。慶應はそういう学校だった。

  「ぶぶづけでもどないだすう」と言われなくても、相手が迷惑がっていると気づけば早めに退去するというのは礼儀であろうと思うのだが、ところが、どうも田名とか名嶋とかを見ているとそういう自覚・認識は完全に欠落していたようだった。そうではなく、相手がどう思っていようがおかまいなしに居座るというそういう名嶋や田名の態度こそが「カウンセリングマインド」で、そういう態度・姿勢が「塾風」で「福沢精神」で「独立自尊」で「自我が確立されている」で「スマートな慶大生」とか思っているみたいだった( 一一)  そういうのは「カウンセリングマインド」とは違うのではないか、むしろ、逆ではないのか・・と私はずっと思っていたが、「心理学」に逆らうと怖い。「心理学」がどっちの側についているか、常に考えないといけない。「心理学」は田名や名嶋のような傍若無人な人間の側を「カウンセリングマインド」で「自我が確立されている」で「スマート」「思考が柔軟」で「企業はそういう人間を喜ぶ」と「診断」する可能性が大きいのでそれに逆らうと危ない。ロボトミーとか電気ショック・・とかされる危険があるからもう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい。「心理学」特に「慶應心理学」とは関わらない方がいい。「慶應心理学」は実質「慶應内部進学心理学」であり、内部進学の人のいびつな観念・世界観をもとにできている。彼らに「それは違うと思いますよ」「それはおかしいのではありませんか」と言ってわからせようとしても無理。関わらない方がいい。慶應大学の「ステューデントカウンセラーズ」にしても、あんなもの、入るのじゃなかった・・と今は後悔している。
  私の感覚からするならば、「もう、いいかげん、帰ってもらえませんか」と相手が婉曲に意思表示しているにもかかわらず居座る男というのは「カウンセリングマインドがない」と考えるべきだと思えたのだったが、ところがどっこい、田名とか名嶋はそうは考えておらず、むしろ、相手がどう思っていようが居座るのが「カウンセリングマインド」と考えていたと思われる。だから、私が考えていた「カウンセリングマインド」と田名とか名嶋とかが考える「カウンセリングマインド」は正反対だったのだ。
頭脳支配 (1971年) (三一新書) - 高杉 晋吾
頭脳支配 (1971年) (三一新書) - 高杉 晋吾
  「慶應心理学」は実質「慶應内部進学心理学」であり、「外部の者」が内部進学者様に逆らっても慶應という学校では通じないということは骨身にしみてわかったが、それでも私は言うが、ひとの部屋にアポなしで来て「入れて」と言って入り込み、ひとの都合も予定も考えずにいつまでも居座るのが「カウンセリング」「カウンセリングマインド」ではなく、ひとの部屋にアポなしで行って「入れて」と要求して入り込み、もうそろそろ帰ってもらえませんかと相手が意思表示しているにも関わらず断固として居座るというのは、「ぶぶづけでもどないだすう」と言われてもおそらく帰らなかったであろうというのは、それは「カウンセリング」ではなく、それは「カウンセリングマインドがある」のではなく「カウンセリングマインドがない」と評価されるべきものである、と私は考える。「心理学」に逆らうと怖いのだが、たとえ、そうであっても、ひとの部屋にアポなしで行って「入れて」と要求して入り込み、もうそろそろ帰ってもらえませんかと相手が意思表示しているにも関わらず断固として居座るというのは、「ぶぶづけでもどないだすう」と言われてもおそらく帰らなかったであろうというのは、それは「カウンセリングマインド」ではなく「カウンセリングマインドがない」と評価すべきものである。ロボトミーされようが電気ショックされようが、この認識は決して変わらない。

  慶應大学の内部進学の教授は「我々内部進学の人間はおまえら外部の者〔慶應の内部進学の教授は大学だけ慶應に行った人間を「(慶應義塾の)外部の者」と言う〕と違って福沢精神というものを持っている」とかおっしゃるのです。あるいは、1990年代だったかと思うのですが「慶大生のAV女優」なる人がいて、片方でアダルトビデオに出演して、他方で慶應大学の入学案内に「独立自尊を実行しようとしている人がいます」というフレーズとともに「文学部の何何さん」として入学案内だかに写真入りで掲載されていたそうで、どちらか片方であったなら特にどうもならなかったのかもしれないが、その両方に出てしまったことから、慶應大学はAV女優を入学案内に載せている・・と言われ、たしか、その人は退学したように思います。せめて、どちらか片方にしておけばよかったのにね・・。その際ですが「独立自尊を実行しようとしている人がいます」というフレーズだけれども、たとえ、どんなにいい学校であっても、その学校に行ったら独立自尊とか、その学校を卒業したら独立自尊とか、そんな安っぽい独立自尊なんてあるわけない・・と思いませんか?  特に慶應の内部進学の教授先生は「我々には独立自尊の精神というものがある」とか「我々には福沢精神というものがある」とかおっしゃるのですが、慶應の内部進学の人を見ると福沢諭吉の墓参りには行っても福沢諭吉の著書や伝記は読まないという人が多いですね。福沢諭吉の墓参りに入っても福沢諭吉の著書や伝記は読まないという人の精神構造を「福沢精神」とか慶應の内部進学の教授は考えておられるみたいですが、その人にとっての「福沢精神」はそういうものなのでしょう。私の考える福沢精神とは別物ですね。ある学校に行ったら独立自尊とか、ある学校を卒業したら独立自尊とか、そんなおかしな独立自尊がありますかいね。むしろ、自分自身というものがある人間はその学校の思想というのかとの間に「緊張関係」とでもいったものができておかしくないのであり、そういうものを持つ人の方こそ「独立自尊」ではないのか・・と思うのですが、内部進学の教授にこういうことを言っても怒られるだけかもしれません。「受験勉強の悪影響だあ」とか言われるかもしれませんね。慶應の内部進学の教授は受験と関係ないものでも自分が知らないもの学んでいないものできないものは何でも「受験勉強だ」とされますし、たとえ受験の過程で学んだものでも役に立つものはあると思うのですが「悪影響だ」と決めつけられますよね。そういうのを「独立自尊の精神」とか「福沢精神」とかおっしゃるのですが、福沢諭吉という人はそういう人だったかというと違うようにも思うのですが、「せ~んせえ~え、それってちょっと違うのではありませんか~あ」と最初は言いたいと思った時もあったのですが、そのうち、この人たちに言ってもだめなんだ、この人たちの「ビョーキ」は簡単には治らないんだ・・とわかりました。
  「カウンセリングマインド」というのも似たところがあるのです。ステューデントカウンセラーズの部員には「カウンセリングマインドがあるから」と厚かましいことを言う人がいたのですが、「え~え? あんたがあ~あ?」と思っても、逆らうとうるさいから黙ってましたが、そういう「あんたが『カウンセリングマインドがある』というのかあ?」という人で「逆らうとうるさそうだな」と思われる人というのが「カウンセリングマインドがある」のかというと、違うように思うのです。慶應大学のステューデントカウンセラーズは慶應大学の「学生相談室」の「カウンセラー」(慶應大の「心理学者」)と「提携」していた・・というのか、実際のところ、タダで下働きをさせられていたのです。「きみたちはカウンセリングマインドがあるから」などと「心理学者」の先生は言っておだてて、おだてて調子に乗せることでタダ働きをさせていたのです。せこいやり口です。ほんと、せこいやっちゃ( 一一) 下働きをさせるのであれば、きっちりと労働契約を結んで賃金を払ってさせるべきであり、「サークル活動」だということにしてタダ働きさせるというのは、それは「カウンセリングマインド」であるのかないのか。もしも、「カウンセリングマインドがある」のならせこいタダ働きさせるのではなく、きっちりと労働契約を結んで賃金を払って働かせるようにするべきです。・・で、どっちが「カウンセリングマインド」なのか、「きみたちはカウンセリングマインドがあるから」とかおだててタダ働きさせる根性が「カウンセリングマインド」なのか? 私は違うと思うがな。
  慶應大学のステューデントカウンセラーズの部員には部費は払っても、カウンセリングについて学びもせず研修会にも出席せず、会合・行事にもでず、それでいて上級生になったからと、「上級生なんだぞお」という態度を取ろうとする人というのがいたのですが、そういう態度というのは「カウンセリングマインド」なのか? 違うと思うのだけれども、それを「カウンセリングマインド」だと思っていた人がいました。1980年代、松本というかなりチャラそうな男が、前年、研修会にもまったく出席せず、ステューデントカウンセラーズとして何ら貢献することなく、行事に出席することもなく、部費は払っていても実質、幽霊部員だった男が、それでいて3年生が代表になることになっているからと3年になった時に代表に立候補したということがあり、はあ? ・・とあきれたことがありました。今でも、「ぶぶづけでもどないだすう」と言ってやれば良かったのではないのか・・と思うのです。カウンセリングのサークルでカウンセリングなどについて勉強もせず、部費は払っていたとしても、ステューデントカウンセラーズとしての活動に貢献することもなく、単に3年生になったからということで代表になろうとして立候補するというのは、厚かましいし非常識でしょう。その時、もう一人、↑ の田名が立候補したのでしたが、田名は特に優秀かどうかはさておき、ともかく、前年、ステューデントカウンセラーズの研修会や行事に参加していましたから、田名は代表としての候補として出て悪いということはなかったでしょう。1年生・2年生はほとんどの人間が田名に投票したと思われますが、その時の3年生には松本と同じような人というのもいて、部費は払っていても、カウンセリングについて学んでもいないし、ステューデントカウンセラーズの研修会に参加もしないし特に行事にも出てこないし、それでいて、たまに部室に顔だして「私は上級生様よ」という態度をとるという人・・というのがいたのです。そういう人は松本に投票したようでしたが、そもそも、「部費は払っていたけど在籍していただけ」というそういう人は代表の選挙において投票するべきなのかどうかも疑問に思うのですが、その結果、投票結果は同数になり、何度も決選投票をして、最後、誰かが投票先を田名に変更して田名が代表になったのですが、もしも、松本が代表になっていたならば、カウンセリングについて学習もしていない、研修会にも出ない、ステューデントカウンセラーズとしての作業に貢献もしない労力を負担していないという人が代表だとして口をきくということになったと思われます。そして、4年になって就職活動として会社に面接に行った時にはカウンセリングについて学習もしていない・研修会にも出ていない・ステューデントカウンセラーズの活動に労力負担を払っていないという人が「ステューデントカウンセラーズで代表を務めました」とか言って「プラス1」の評価を得る・・ということのようでした。私はカウンセリングなどについてもけっこう学習しましたし、ステューデントカウンセラーズの研修会にも出ましたし、役職も勤めましたし、相当の労力を負担しましたが、途中、愛想つかして辞めてしまいましたので、その結果、就職の際には「大学時のサークル活動:なし」になってしまいました。 慶應大学で言われていたのは、就職の際に有利なのは「Aの数は多い方がいい」「英検1級取得しているといい」「ゼミに入っていた」「サークルに入っていた」ということが言われていたのですが、その「サークルに入っていましたあ。代表やってましたあ」と松本は言いたかったみたいですが、カウンセリングのサークルでカウンセリングについて学習もしていない、研修会にも出ない、ステューデントカウンセラーズとして労力を取られる活動にも貢献していない、それでいて厚かましくも3年になったら代表になりますと厚かましくも言い出した・・というそういう「サークル活動やって代表つとめましたあ」なんて、そういうのを日本の企業は評価するのでしょうか、日本の企業の採用担当者てもしかしてアホちゃうか・・というと、評価するところもあるのかもしれませんが、なんか、あほくさいですね。松本が代表に立候補した時、「ぶぶづけでもどないだすう」と言えば良かったかな・・と思ったりもします。「いくらなんでも、厚かましいのと違いますかあ」と。慶應の人間には「慶大生らしい協調性」などと言って「売り」にしようとする人がいるのですが、部費は払っていてもカウンセリングのサークルでカウンセリングについて学習もしない研修会にも出てこないサークルの活動に貢献しない労力を払わない幽霊部員だったチャラ男が3年になったから代表になります・・てそういう厚かましいふてぶてしい主張をする男がもしも代表選で代表に選ばれていたならば「サークル活動やってまして代表つとめましたから協調性があります」とか就職活動で企業の面接に行くと慶應タイプの勝手な主張をするみたいですが、そういうのを「協調性がある」と言うのですか? なんとも奇妙な「協調性」であり奇妙な「カウンセリングマインド」です。それでも「心理学者」とか称する者が「協調性がある」とか「カウンセリングマインドがある」とか「診断」すると「協調性がある」「カウンセリングマインドがある」と認定され、それはおかしいではないかと言う者の方が「協調性がない」「カウンセリングマインドがない」と認定されてしまう危険があるのです。「心理学」(および「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」)というのは要するに「心理学者」(および「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」)と称するイカサマがおのれの間違った認識を「専門家の診断」と称して「心理学者」でない者に押しつけるもの、正しくても間違っていても一部の人間の判断を「専門家の診断」と称して国民全体に押しつけるもの・・ということのようです。そういうのを「心理学用語」とか「精神医学用語」とかではなく社会科学の用語では何と言うのかというと、ファシズムと言います。アメリカ合衆国ニューヨーク州のシラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」とアインシュタインの言葉を引用して述べていますが、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」等と称している人たちの「言っていること」を聞くよりも「やっていること」を見るべきであり、「彼らがやっていることを見る」ならば、要するに「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」等等と称している人たちというのが「やっていること」というのは、《「心理学者」(および「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」)と称するイカサマがおのれの間違った認識を「専門家の診断」と称して「心理学者」でない者に押しつけるもの、正しくても間違っていても一部の人間の判断を「専門家の診断」と称して国民全体に押しつけるもの》であり、彼らにその事実を認めさせようとしてもなかなか認めませんし、又、トマス=サズも「『精神科医』と称している者は彼らがやっていることを事実を事実として認める謙虚さに欠ける」と述べていますが、「精神科医」だけではなく「心理学者」「精神分析家」「カウンセラー」等等、その類の名称を名乗っている人たちは、自分たちがやっていることを事実を事実として認める謙虚さに欠けます。 ステューデントカウンセラーズで松本と同じ学年だった者で「松本は女にもてるから」などと言っていた男がいましたが、程度低いなあと思いました。チャラ男が好きなアホな女・・というのは昔からいます。「この程度の男にはこの程度の女」「この程度の女にはこの程度の男」と「似た者同士」で互いにそれを「もてる」とか思って自己満足しているバカ女症候群とアホ男シンドロームがこの世にはいるのです。そういう人というのは「治療」してあげようなんて思っても「この病気はそう簡単には治らない」、まず、そういう人は自分たちの方が正しい、自分たちの方が「正常」「健常」「常識」「自我が確立されている」「独立自尊」「アイデンティティーを持っている」「企業はそういう人間を喜ぶ」とか思っており、「病識がない」というあたりが大変で、いかつに近づくと「ビョーキ移りそう」(悪影響受けそう)ですから、別に治療費として大金払ってもらってるわけでもない以上は、そういう「ほとんどビョーキ」の人とはできるだけ関わらないようにした方が良さそうです。 ステューデントカウンセラーズも、いったん加入した以上は、我慢もしてつきあっていかざるをえないと相当我慢もしましたが、無理につきあわない方がよかったのではないか・・と今は思っています。「アホ移る」みたいな人の我儘を我慢するための「サークル」に存在価値があったかというと、私が「アホ移る」からつきあいたくないと思ってような人は、そういう人同士で集まっておけばいいのですが、慶應大学では内部進学の人間は「(慶應義塾の)外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」〔彼ら慶應の内部進学の人は自分たち内部進学の人間を「(慶應義塾の)内部の者」、大学から一般入試で慶應大学に入った者を「(慶應義塾の)外部の者」と言います〕などと言って大学から慶應大に入った人間を「教育」したがるのですが、チャラ男症候群 の人間もまた、自分たちが「正常」「健常」「常識」「塾風」とか思っていて、それが「常識ですね」とか考え、それを「教育してやらんといかんからなあ」などと考えている人間がいるのです。そもそも、「教育」する側と「教育」される側を分けて、「教育する側」は間違っていても「教育する側」なのだという慶應内部進学の人の認識、傲慢な認識というのを慶應の内部進学の人は「福沢精神」とか言うのですが、変わった福沢精神もあるもんだ( 一一)  「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」等等といった人たちには、自分たちが気に食わない人間に対して「なんちゃらシンドローム」「なんとか症候群」「なんだかんだ人間」といった「準病名」のレッテルを貼りつけて「治療」してやろうとする人がおり、その手法を考案して実行した小此木啓吾 内部進学(揺り籠から墓場まで慶應、from cradle to tomb 小学校:慶應・中学校:慶應・高校:慶應・大学:慶應・勤務先:慶應)こそ、その思考は「ほとんどビョーキ」と違うのか・・というのか、あんまりええ性格しとらんな、あんまりええ育ちしとらんな・・と思えましたが、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」等等に逆らうと、いったいどんな「病名」「準病名」つけられるやらわからんからもう怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・・。それで、こういうタイプのチャラ男が「慶大生らしい協調性」とか何とかかんとか勝手なことを言い、「企業はそういう人間を喜ぶ」だのと言う者もいるみたいなのですが、もしもそうだとすると、日本の企業の経営者・採用担当者・人事担当者というのはよっぽどバカじゃないのか・・という感じがしてきます。
  又、繁森という淡路島の津名高校だったか洲本高校だったか卒で理工学部にいた男がいて、繁森は2年から入部したのですが、ステューデントカウンセラーズはろくにカウンセリングについて学習・理解していない上級生が1年生に用事をさせようとする悪習があり、私などはそれを改めさせようとしたのでしたが、↑の松本のような人間の巣窟のようなサークルにおいては改善しようとしても無理があったように思います。改善しようとしても、学習しようともしない、研修会にも出ない、労力の負担もしないで上級生だからとえらそうな態度をとろうとする人間だらけのサークルには最初から近づかない方が良かったかと後悔していますし、又、私と同じ頃に入部しても、「悪影響受ける」と言って辞めた人というのもいました実際、「悪影響受ける」ような人がいましたし、そういう人は自分で自覚がない、「病識がない」ようでした。それで、たとえ2年から入部しても、そのサークルで1年目であったなら1年生が負担して労力と時間を払ってやっていたことについて、1年目の繁森は負担するべきであったはずでしたが、ところが何ら負担することなく、上級生なんだという態度だけとっていたのでした。この男も厚かましい非常識な男だなあ・・と思ったものでしたが、松本と同じく「ぶぶづけでもどないだすう」と言ってやれば良かったのかもしれません・・・が、いわれても理解しない男だったかもしれませんし、普通は私がここで述べたようなことくらいは言われなくても理解するものですが、理解しない男、「病識がない」男でした。そういう人が「ぶぶづけでもどないだすう」と言われたとして、言った者が悪いのか? そうではないだろ。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われる者の方に問題があるのではないのか。松本や繁森のように「ぶぶづけでもどないだすう」と言われなければわからない人間、言われてもわからない人間の方が問題があるのではないのか。そういう人は「カウンセリングマインドがある」のか「カウンセリングマインドがない」のか、どちらなのか。
ロジャーズクライエント中心療法 (有斐閣新書 古典入門) - 佐治 守夫, 飯長 喜一郎
ロジャーズクライエント中心療法 (有斐閣新書 古典入門) - 佐治 守夫, 飯長 喜一郎
  
  日吉台学生ハイツはうちの父親が「あそこがええと思う」と言って決めたが、しばらくすると「日吉台学生ハイツは高い。家賃と管理費があるけれども管理費が高い」と言い出した。日吉台学生ハイツは元自衛隊・元防衛庁(防衛省)の人間が運営していて、「カウンセラー」と称する亜細亜大学卒だという新倉(にいくら)は「我々はきみたちの御両親から管理費を払っていただいて、きみたちを預かっているんだから、責任をもってきみたちを管理しないといけないんだ」などと言っていた。「管理費」というのは廊下・トイレなど共用部分の清掃費とかエレベーターの運行・点検の費用とか、電話の取次ぎの費用とかそういうものを言うものと私は思っていたのだったが、「カウンセラー」の認識としてはそうではなくて、入居者を賃貸住宅の管理者が管理する費用と考えていたようだった。なんで、あんな程度の低い人間として質の悪い男に管理されなきゃならんのだと思ったが、のぼせ上るのもたいがいにせえと思ったが、新倉などは元自衛隊だけにそれが「常識」だと思っていたようだった。最近、ロシア連邦軍のウクライナ侵攻に際して、日本は大丈夫かと不安に思う人もあり、そして、実際にロシア連邦の政治家には「北海道にはロシアは権利がある」とか言っている者がおり、かつ、「日本が言うこときかないなら原爆落としてやれ」と言っている政治家もいるらしく、そういったことを考えると日本も軍備にもっと力を入れる必要があるのではないかと思えたりもするのだが、しかし、私は日吉台学生ハイツで元自衛隊・元防衛省の人間がどれだけ人間として程度が低いか、どれだけなってないか見てきているので、それを考えると自衛隊の人間に武器を持たせるのはそれは「きちがいに刃物」というもので、国民にとってはかえって害があるのではないか・・とも思えるのだ。
  それで、うちの親が自分が「日吉台学生ハイツがいいと思う」と言って決めておきながら、「日吉台学生ハイツは高い」と言い出したということもあり、新倉や日吉台学生ハイツを運営している元自衛隊・元防衛省の人格が卑しい反動のアホどもに入居者が管理されなきゃならない筋合いはないので、「日吉台学生ハイツはあまりいいと思えないので、もう少し家賃の安い所に変りたい」とうちの親に話したのだったが、そうすると、うちの母親から「飼い犬のくせして飼い主が入れている所に文句言う」と言われて日吉台学生ハイツから出ることができず、困った。その後に日吉台学生ハイツからは出たが、「飼い犬のくせして飼い主が入れている所に文句言う」という理屈でなかなか出れなかった。又、私が日吉台学生ハイツの元自衛隊・元防衛省の管理者ども、特に「カウンセラー」の新倉(男。1980年頃当時、50くらい? 亜細亜大卒らしく、息子も亜細亜大らしい)は管理費を受け取っていることから「我々は管理費を御両親から受け取っているんだから、きっちりときみたちを管理しないといけないんだ」などと傲慢な口をきいていたことを話したところ、うちの母親は「管理費払って飼い犬あずけてるんやから、よお~お管理してもらわんといかん」などと言うのだった( 一一) うちの親はそういう親だった。「飼い犬やでえ」と言っていた。「飼い犬」だそうだ( 一一)  いくらなんでも、そんなこと言うかあ~あ・・と思ったが、うちの親は言うのだった。

  日吉台学生ハイツは「ハイツだより」というものを作成して親にも送っていたが、そこには元自衛隊・元防衛省の館長の藤井さんが「親に感謝」などと書いて、それをうちの父親は見て「えええ~えこと言いはる。その通りや♪ わしに感謝、わしに感謝かんしゃ感謝かんしゃ♪」とか言っていた( 一一)  そこには「就職が決まった何何くん」という話も載っていて、「何何くんは☆☆株式会社で内定が決まった。『もし、会社から問い合わせがあったら、その時はよろしく』と言われたので快諾した」などと新倉(にいくら)が書いていたのだったが、そういうところに登場する人間は日吉台学生ハイツの管理者と仲がいい人間か、もしくは親が自衛隊・防衛省の関係の親の息子か、あるいは伊藤忠が経営に参加していたはずで伊藤忠の関係者か、何かそういう人が「ハイツだより」には登場することが多いようだったが、そういう人に「企業からの問い合わせ」があったなら、おそらく、新倉はいいように言うのだろうと思われたが、逆にあの男がいいように思っていなかったとしたら、「何を言いよるやらわからん」ということだった。そういうことになるはずだ。「ハイツだより」の文章はそのあたりを読まないといけない。それを考えると、日吉台学生ハイツなんて所は早めに出た方がいい・・と判断したのだったが、「飼い犬のくせに飼い主が入れてる所に文句言う」と言われたなかなか出れなかった。私が親だったら、元自衛隊・元防衛省で亜細亜大卒の新倉など程度の低い人間が「我々は管理費を親御さんからもらってきみたちをあずかっているんだから、我々はきみたちをきっちりと管理する義務があるんだ」などと思いあがった口をきいている、経営者がそれを何ら制止しないような賃貸住宅などというものは、「あそこは早めに出た方がいいと思うな」と親が息子に言うところだが、うちの親はそうではなくて、息子が「あそこは早めに出た方がいいと思う」と言っても「飼い犬の分際で飼い主が入れてる所に文句言う」と言い、又、「管理費払って飼い犬を預けてるんやから、よお~お管理してもらわんといかん」などと言うのだった( 一一) 疲れる親だった( 一一)
  伊藤忠という会社は大企業で、慶應大の学生とかで伊藤忠に就職が決まったという人間は「ちょっと自慢」みたいに思っている者がいたようだったが、私は日吉台学生ハイツを知っていたので、むしろ、伊藤忠という会社を軽蔑していた。新幹線で東京から新大阪だったかその逆だったかに乗った時、隣の席に座ったおっさんが伊藤忠の社員だと言って、やっぱり伊藤忠の社員の特徴として「ちょっと自慢」みたいな態度だったのだが、「女、知っとるのか」とか下品・下劣なことを話しかけてきて、約3時間、苦痛だった。だから、私は伊藤忠という会社とそこの従業員のおっさんについては、むしろ、軽蔑していた・・が給料は私が勤めた三流企業よりよっぽど高そうだから、勤めるにはいいのかもしれないし、女性にとっては結婚するには私なんかと結婚するよりも、下品で低俗でアホな伊藤忠の社員の方がいいかもしれない。パッパヤッパ、ぱっぱやっぱ、パッパッパ♪ 〔⇒《YouTube-シャインズ 「私の彼はサラリーマン」》https://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I 〕 伊藤忠の社員というのは給料高いのかもしれないが、もしも、そこから私にたとえ千円でも二千円でもくれるのならば「どうも、ありがっとさ~ん♪」と一言くらい礼を言うものだろうけれども、百円でもくれるわけでもないのに、なんか「伊藤忠の社員だ」とえらそうな態度ばっかりとる人が少なくないようで、そういう人が優秀かというと、私はそういう人が優秀だというようにはあまり思わない・・が、そういうのが優秀でエライとか思っている「慶應タイプ」はけっこういるようだった( 一一)

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html は、本殿の後ろの長屋の造りの「十二社」より・・

※ 北野天満宮HP https://kitanotenmangu.or.jp/
ウィキペディアー北野天満宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
警察腐敗―警視庁警察官の告発 (講談社+α新書) - 黒木昭雄
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ケーサツの横はドブ - 丸山 昇, 松本 均
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懲戒除名―“非行”弁護士を撃て - 内田 雅敏
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☆ 北野天満宮(京都市上京区)参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」になった息子の末路。〔今回〕
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html 


★  冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度参り
京都府
北野天満宮(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html 
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路。阪急西院ビルhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.阪急「嵐山」・京福「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.JR「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、三光門から御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。「緊急事態」「蔓延防止」とGoToトラベル・イートを交互に出したら、むしろ一時期に集中することになる。「不要不急の」という表現は戦中にも使われた表現。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
就業時間中に松戸新田駅から40分もハイキングやる「銀行から来た総務のおっさん」と銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
北野天満宮参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」になった息子の末路。〔今回〕
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html 

高台寺天満宮(京都市東山区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_7.html
曼殊院天満宮(京都市上京区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_4.html
長岡天満宮(長岡京市)
1.八条ヶ池 他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_10.html
2.拝殿・祝詞舎・本殿・手水舎他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_11.html
3.春日社八幡宮社・紅梅殿・白梅殿・社務所(連歌所) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_12.html
4.梅園、長岡稲荷、錦景園 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201704article_1.html
赤根天満宮(長岡京市)
1.光明寺道から南、大峯山禊所、天神社鳥居へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500055705.html
2.鳥居から北に歩み、覆い屋と社殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/500082490.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html

滋賀県
多賀大社摂社天満神社(犬神郡多賀町)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html

大阪府
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html
露の天神社(お初天神)(大阪市北区)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_5.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_6.html
綱敷天神社(大阪市北区)
1.綱敷天神とは。「北野」の由来。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_6.html
2.社殿と桜。堅魚木と千木。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_7.html
3.「戦災の狛犬」、筆塚。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_8.html
4.白龍社、歯神社。綱敷天神社の周囲https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201604article_9.html  
綱敷天神社 御旅社(大阪市北区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201405article_11.html
池田市天神1丁目・2丁目 http://shnkahousinght.at.webry.info/201405/article_10.html
西江寺 摂社天満大自在天神(箕面市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201611article_5.html
箕面市粟生間谷の天満宮
上 箕面市粟生間谷の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_14.html
下 粟生間谷の天満宮の周辺 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201709article_15.html
上新田天神社(豊中市)
1 千里中央駅からhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_15.html
2 鳥居から参道階段を経て拝殿へhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_16.html
3 拝殿・本殿・牛・屋根・稲荷社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_17.html
4 神社の社殿を背後から見下ろす下品な高層マンション https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201701article_18.html
上宮天満宮(高槻市)
1.JR「高槻」駅から上宮天満宮。一の鳥居をくぐり石段へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.絵馬堂・神輿庫・御霊屋・割拝殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
3.竹製の本殿。菅原道真と為理と孝標。山崎の戦い後に建てられた旧本殿 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.本殿裏末社https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.摂社野身神社、車塚古墳、鉄骨で支えた石の鳥居。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_6.html
6.天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_7.html
7.「不純異性交遊」の男の大学は「同じ大学なのに」と考えるべきか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_8.html
8.東大はスーパー京大ではない、厚い本を使えばいいというものではない。高槻駅前 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_9.html
9.和訳でない問題で日本語訳を書くな、親が組みしやすいと親に吹き込む予備校 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_10.html
10.北山本山寺の石碑、景観重点地区https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201811article_11.html 

兵庫県
多田院天満宮(川西市)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502254600.html

熊本県
山崎菅原神社(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_6.html
船場天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_7.html
手取天満宮(熊本市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201406article_8.html

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