平野神社(京都市北区)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃんー北野天満宮参拝3【8/11】
[第2039回]
北野天満宮の北門を出た所の東西の道を西に直進すると平野神社 があります。↓
↑ 北野天満宮 北門を出てすぐの所から西を見たものです。写真はクリックすると大きくなるので大きくして見ていただければ、向こうの方に平野神社の鳥居が見えます。
北野天満宮は京都市上京区御前今小路上ル馬喰町、平野神社は京都市北区平野宮本町。すぐ近くなのですが、北野天満宮は上京区、平野神社は北区で、このあたりに境目があるのでしょう。地図を見ると、北野天満宮の西側を北から南へ流れる紙屋川より東が上京区・紙屋川より西が北区ですが、北野天満宮より北側は紙屋川の東側も少しだけ北区で、南北方向では北野天満宮の北側は少しだけ上京区が出っ張っているようです。
北野天満宮の北側の東西の道を西に進みます。
平野神社は東側から入るようになっています。平野神社の東側の南北の通りを平野通り と言うようで、裏手(西側)の南北の通りが西大路通(にしおおじどおり)で西側の南北の通りの方が広い通りですが、西側にも門はあるようですが、東側の方が正門のようです。
鳥居の額には「平野皇大神」、右の石柱には「◇◇大社 平野神社」と書かれています。「◇◇」のところはどうもよく読めません。次回、行けたらよく見てきたいと思います。
↑ 平野通り。 平野神社の前(東側)から北を見たもの。
平野神社とは、『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 平野神社
平野造と呼ばれる本殿は重要文化財に指定されている。伊勢神宮と並ぶ格式の高い神社で、延暦13年(794)の平安遷都の際にこの地に遷座したとされる。現在の社殿は1624~1644年に造営された。》
と出ており、『改訂版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック』(2005.初版。 2007.8版。淡交社)には、
《 平野神社(北区平野宮本町)
祭神は今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)。 相殿に比売神(ひめのかみ)。 平城京の田村後宮(たむらこうきゅう)から長岡京を経て、平安遷都の時にの時にこの地に移されたといわれる。朝廷に崇敬され、源氏・平氏をはじめ諸氏の氏神としてもあがめられた。本殿は寛永年間(1624~44)の建築で、比翼春日造、あるいは平野造とも呼ばれる。 境内の桜が有名で、その種類は数十種に及び、平野の夜桜として親しまれている。》
と書かれている。4月10日に桜花祭があるらしい。
『歩く地図 京都散歩 2024』(2023.4.20.成美堂出版)には、
《 国家鎮護を司ってきた桜の社
平野神社
平安遷都の際に平城京からこの地に鎮座して以来、御所と都の平安を守護してきた神社。境内には約60種・400本の桜があり、3月中旬から4月下旬までさまざまな桜を楽しめる。とりわけ夜桜が美しく、櫻のシーズンにはライトアップも実施される。》
《 平野造と呼ばれる、独特の屋根を持つ本殿(重要文化財)。江戸初期の再建。》
と出ている。「平野神社の桜と菜の花」で《桜と菜の花のコーポレーションが楽しめる夜桜の名所》らしい。
京都観光文化検定試験 : 公式テキストブック
歩く地図 京都散歩 2024 (SEIBIDO MOOK) - 成美堂出版編集部
平野神社は北野天満宮のすぐ近くにあり、北野天満宮の方が有名ですが、平野神社は《平安遷都の際に平城京からこの地に鎮座》したということですから、平野神社の方が北野天満宮より前から存在しているようです。
鳥居をくぐって西に直進すると、↓
↑ 神門。
↑ 門の右手(北側)に授与所があります。
門の手前左右に紋が入った提灯がかかっています。北野天満宮の梅鉢の紋と一見、似ていますがよく見ると違います。こちらは桜なのでしょうか。
《 中門(京都府登録有形文化財) - 社記によると承応2年(1653年)頃の造営で、1937年(昭和12年)に改造を受けている。・・》(ウィキペディアー平野神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE )
神門をくぐると、正面に舞台がある建物があり、その向こうの社殿を見ようとするとさえぎるような位置にあります。↓
↓ 私は、これは神楽殿かと思ったのですが、神楽殿は社殿のすぐ前ではなく、どちらかの側に設けられることが多いように思ったのですが、この平野神社では門と社殿のちょうど中間の位置に神楽殿を設けるのか、そういう神社の方式もあるということか・・・と思って帰ってきたのでした・・が、インターネット上で検索し、「Mamichi's Rom 平野神社」http://mamichi43.web.fc2.com/travel/kyoto/hirano/index.html に収録されている「平野神社境内図」http://mamichi43.web.fc2.com/travel/kyoto/hirano/keidaiL.jpg を見ると、↑ これは神楽殿ではなく「拝殿」と書かれています。 拝殿ならば本殿の手前、門と本殿のちょうど真ん中の位置にあっておかしくありません・・が、拝殿というよりも神楽殿のような建物です・・が、拝殿なのでしょうか。
ウィキペディアー平野神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE には、
《 拝殿(京都府指定有形文化財) - 中門前に建てられている。社記によると江戸時代前期の慶安3年(1650年)に東福門院(徳川和子)によって寄進されたものといい、「接木の拝殿」の呼称で知られる。・・・》
と書かれている。
↑ この正面が《重要文化財に指定されている》《平野造と呼ばれる本殿》(『週刊日本の神社6 北野天満宮』)・《寛永年間(1624~44)の建築で、比翼春日造、あるいは平野造とも呼ばれる》本殿 (『改訂版 京都観光文化検定 公式ガイドブック』)でしょうか。
《 本殿第一・第二殿(重要文化財) - 寛永3年(1626年)建立。
本殿第三・第四殿(重要文化財) - 寛永9年(1632年)建立。》(ウィキペディアー平野神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE )
南門も京都府指定有形文化財で《 社記によると慶安4年(1651年)に御所の旧門を下賜されたものという》(ウィキペディアー平野神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE )が、どこなのかよくわからなかった。
摂社として、天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る《 縣神社(あがたじんじゃ、県神社。京都府登録有形文化財)》があるらしいが、よくわからなかった。
↑ 平野神社境内、クスノキ。
1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいた木南さん(男。当時、40代)が「〇〇さんが契約とってくるもので、私が契約とってないのが目立ってしまうじゃないですか。迷惑です。ちょっとは反省してださい」などと言うのだったが、それは「迷惑です」とか文句言われんきゃならんものなのか。まあ、これは木南さん自身、半分冗談で言っていたことだし、自分の倍以上の契約をとってきたということでそういう言い方で3分の1か4分の1くらいはほめてくれていたようなところもあったのかもしれないからいいことにするとして。
その頃、(株)一条工務店は日曜祝日は住宅展示場の入口にアルバイトというのかパートというのかで女性に受けつけの業務で来てもらっていたのだったが、木南んは写真が趣味で、受付のアルバイトというのかパートというのかに来ていた女性に写真を撮らせてくれと言って、モデルさんやってもらっていたのだが、私が「だめだ。そんなことしちゃ」と言っても、「いいじゃないですか。別に嫌だという人に強制して無理に撮らせてもらってるのじゃないですよ」などと言うのだったが、それはわかっているが、また、撮られている側は自分が魅力的だから撮らせてほしいと言われていると思っていたみたいだったが、実はそうではなくて「女性の写真もハタチくらいのぴちぴちしておねーちゃんだといいかげんなカメラでいいかげんに撮っても、それなりにきれいに写ったりするんですけども、30くらいの女性になると撮り方によってきれいに写ったりきれいに写らなかったりしますから、そのくらいの年齢の人の写真を撮るのが、それがなんと言ってもおもしろいおもしろい、ものすごくおもしろい♪ 一番おもしろい♪」などと言っていたのでしたが(^^)/、「だから、何も本人が嫌だというものを無理に撮ってるとかは思ってませんよ。しかし、正社員の人間なら『モデルさん』やったとしても、別にそれで働かなくなるなんてことはないのですけれども、アルバイトとかパートの人の場合は、モデルさんをさせるとそれで仕事をしたみたいな気持ちになってしまって、その分、働かなくなってしまうんです。だから、モデルさん、やらせてはだめだと言ってるんです」と私は話したのだった・・・が、「いいじゃないですか。そんなにお客さんを呼び込まなくたって。客みたいなもの来るから契約取らなきゃならないんでしょ。契約取るから仕事が増えるのでしょ。客みたいなもの、来ない方がいいでしょ」などと言うのです。「違うでしょ。同じだけの棟数の契約を取るにしても、有望な見込客が多く来場すれば、有望な見込客の中から契約をあげればいいことになりますが、有望見込客がほとんど来なければ、契約してもらうのは難しいような来場客から苦労して契約をあげないといけないことになりますでしょ。すべての見込客は契約してもらえるまでの労力は同じではないわけで、契約してもらえやすい人が多く来場してもらえた方が、一定の契約数をあげるためには楽になるはずなのです。モデルさんさせた結果、それで仕事したみたいに思われて、受付の席からいなくなって展示場の屋内のそのへんの椅子に転がって時間つぶされたのでは何のために来させているかわからなくなるでしょ。現実に、私、時々、見に行って、受付の席から離れて展示場の室内で、それも2階の部屋のソファに座ってくつろいでいるのを見て、それでは困りますと私が言ってるんですよ」と言ってのですが、木南さんは私が言ってもきかないおっさんやった・・・( 一一)
又、「お客さんなんか来るから契約とらなきゃならなくなって仕事が増えるんですよ。お客さんなんか来ない方がいいの」などと言うおっさんを見て、間違いなくそのアルバイトかパートで来ていたおねーちゃんはバカにして見ていた。木南さんがバカにされても自業自得だけれども、そのおかげで私らまでその同類に見られてしまうおそれがあり、迷惑だからやめてちょうだいと言っても言ってもきかない困ったおっさんやった。
そして、私に「まったく、〇〇さんはオプションがいっぱいついた家の契約とってきてからに、大工さんが迷惑してます。よく気をつけてください。迷惑ですから」と文句を言うのだった。「その点、私の契約なんか、オプションはまったくありませんからね。よく見習ってください」などと言うのだった。
小堀住研(株)は営業社員に対しての歩合給の計算を「粗利益(あらり)」の何パーセントという計算法をとっていた。「粗利益(あらり)」と単なる「利益」はどう違うのかというと、「粗利益(あらり)」というのは人件費を引く前の金額らしい。しかし、ともかくも慶應大学商学部卒で入社した者なので、そう言われると、その「粗利益(あらり)」てどうやって計算するのだろうと疑問を感じた。ともかくも「会計学総論」「会計学」「会計制度論」「財務諸表論」といった講義に出席してきた者は考えるのだ。「先入れ先出し法」によって計算するのと「後入れ先出し法」によって計算するのとでも「粗利益(あらり)」の金額は変わるのではないのか。それをどう計算しているのか・・と。ところが、小堀住研(株)の千葉支店・東京支店で営業や工務課などやっている人間でこれに気づく人間は私ひとりだけだったようだった。・・そういうことはあったけれども、ともかくも、小堀住研(株)では契約金額3億円の契約も契約金額1500万円の契約も営業の評価は同じ・・なんてことにはしなかった。契約金額1500万円の契約を20棟契約した場合と契約金額3億円の契約を1棟契約した場合とでは、総契約金額は同じだけれども、総粗利益額はどちらが大きいかというと、間違いなく契約金額3億円の家の契約1棟の方が多いのであり、小堀住研(株)では契約金額3億円の家を1棟契約した方が契約金額1500万円の家の契約を20棟契約した場合よりも営業社員の評価は上だったのです。小堀住研(株)は高額物件の契約を取ろうとしていたということもあって、「粗利益額」の何パーセントというようにしていたので3億円の契約を年に3棟契約してもらった営業は「売れる営業」「貢献者」としてふんぞりかえっておれたのに対して、、もしも「粗利益額」ではなく「棟数」だけで評価したならば、3億円の契約を年に3棟契約した営業は「売れない営業」と評価され、1200万円の契約を年に60棟契約してもらった営業は「売れる営業」「トップセールス」と評価されることになったでしょう。1200万円/棟×60棟=72000万円、3億円×3棟=9億円、同じ契約金額なら高額物件の方が利益額は大きく、なおかつ9億円>7億2000万円 ですから本来なら3億円の契約を3棟獲得した人の方が「売れる営業」のはずなのですが、「棟数」だけで評価すると逆になってしまうのです。
ところが、(株)一条工務店は「粗利益」で考えるのではなく、ともかく何棟かという棟数で営業社員の評価を決めていたのです。そのため、「20坪キラー」と言われて小さいやっすい家の契約ばっかり取ってくる木南さんの契約も1棟は1棟と計算され評価され、私は会社員として自分が勤めている会社のためを思って、できるだけ多くの利益を会社にもたらすのが営業の仕事と考えて、できるだけ高い金額の契約を取得しようと考えたのでしたが、そうすると、楠さんから「〇〇さんは、またオプションのついた契約を取ったでしょ。迷惑だからそういう契約は取らないでと言ってるのがわからないのですか。私の担当の契約なんかちっともオプションありませんよ。よく見習ってください」などと言うのだったが、楠さんの担当の契約というのは半分くらいは延べ床面積20坪の契約であり、オプションなんてつけたくてもつけようがない家の契約ばっかり取ってくるから、だから、木南さんの担当の家の契約は「オプションなんか何もありませんよ」ということになるのだった。「オプションなんか何もない」のではなくて延べ床面積20坪の契約ばっかり取るからオプションなんて取付けようと思ってもやりようなかったのです。この人、小さいやっすい家の契約ばっかり取ってきて、何をそんなものを自慢しているんだ・・? と思ったのだが、そういうのを自慢する人だった。
(株)一条工務店の大工さんと話をすると、これは半分冗談なのだが「〇〇さん、面積が広くてオプションのない家の契約を取ってきて俺にまわしてね」とか言う人が多かったのだが、面積が広くて契約金額が大きい家でも面積が小さくても契約金額が大きい家でも(株)一条工務店は会社として高い利益をお客さんからもらうわけだから、会社にとっては「面積が大きくて契約金額が大きい利益が大きい家」でも「面積は大きくないが契約金額は大きくて利益が大きい家」でもどちらでも大きい利益がでて得するはずで、そうであるからにはその家の仕事をする大工にも「面積は大きくないが契約金額は大きくて利益が大きい家」であっても報酬は多くて良さそうに思えたのだが、大工さんに「大工さんはみんな、面積が大きくてオプション工事がない家がいいと言われるのですが、オプション工事がある家というのは、一条工務店はただでつけているわけではなくてオプション工事についての費用をお客さんからもらっているはずなのですが、大工さんにはオプションについての報酬は払われないのですか」と尋ねてみたことがあったのだが、そうすると「それが面積が広いとそれに応じて払われるのだけれども、オプションは報酬がついているのかついていないのか、よくわからないんだ」ということでした。だから「まあ、オプションがある家でも小さい家でもやるけれども、大工としては、できれば面積が広くてオプションがない家がいい」ということだったようです。小さい家でも少々オプションが多い家でもやってくれるけれども、大工としては生活のための仕事としてやっているのだから実際問題としては「面積は広くてオプションはほとんどない」という家がよかったらしい。
それで、楠さんが「〇〇さんの担当の家はオプションがいっぱいつているでしょ。大工さんが迷惑してます。迷惑だからよく気をつけてください。反省してください。その点、私の担当の家なんて、オプション工事なんかな~んにもないですよお~お」と言うので、これも大工さんに「私の担当のお客さんの家というのはオプション工事があって迷惑ですか?」と尋ねたことがあったのだが、そうすると「いや、そんなこと、ちっともないよ。だいたい、このくらいの広さの家を建てるのにこの程度のオプション工事もしてはいけないなんて、そんなこと言ったら家は建たないよ。いいよ、このくらい。ちっとも悪くないよ」と言ってくれたのでした。「広い家でオプション工事がある程度あるのは当たり前だよ。かなわんのは木南さんの担当の家だよ。木南さんて、あの人、変わってるよね。あの人、東京あたりの街中の狭い敷地の家が建ってるような所で営業やってるならともかく、こんな いわきみたいな一反部歩(いったんぶ)(300坪)の敷地に建てるような人がいっぱいあるような所で営業やっていて、いったいどうやってあんな20坪の契約捜してくるのお? 不思議でしようがないよ。 あの人の契約はかなわんねえ」と言うのだった。木南さんは「私の担当の家なんて、オプションはまったくありませんよ」と自慢するのだったが、延べ床面積20坪の家でオプション工事なんかやる余裕はないっての。自慢することと違うでしょって。 その何人もの大工さんから「木南さんの担当の家はかなわんねえ」と言われているその「20坪キラーが」私に「私の担当の(延べ床面積20坪の)家なんてオプションはまったくないのにからに、〇〇さんの担当の(延べ床面積60坪の)家はオプション工事が相当あるでしょ。大工さんが迷惑してますからやめてください。オプションのない家を契約とるようにしてください」と契約棟数で見て私の半分未満、「粗利益」額で見ると私の4分の1未満の人、(株)一条工務店で仕事をしている大工さんから「あの人の担当の契約はかなわんねえ」と一番嫌がられていた人が文句言うのだった。いったい、あの人は何なのだろう・・と思ったものだった。まず、木南さんが得意とする「延べ床面積20坪の家」というのは、床面積は狭いけれども、延べ床面積が狭い家というのは、床面積は狭くても壁面積はけっこう広いのだ。全体の面積が狭い家でも一通り生活ができるように作ると、どうしても狭い部屋が多くなり、トイレも風呂もキッチンも玄関も一通りは必要であることを考えると、床面積が狭いわりに壁面積は広くて、床面積に応じて報酬が決められていたらしい大工さんにとっては床面積は狭いが壁面積は広い木南さんが担当の家というのは「かなわん」ようだったが、その「かなわん」と何人もの大工さんが言っていた「20坪の家」を得意としていた木南さんはそれを自慢していたのだった。かつ、これは「半分冗談」ではなく本気で自慢していたのだった( 一一)
(株)一条工務店が営業の評価を「粗利益」で決めるのではなく「棟数」で決めていたのは、理由はひとつではないと思われた。
(1) 1つは、1990年頃までの小堀住研(株)はけっこう広い価格帯で建てていた会社であったので、片方で契約金額2億円・3億円という家もあったが、他方で契約金額1200万円・1300万円という家もあったわけで、さすがに、それだけ金額に差があるものを「棟数」だけで評価するわけにもいかないし、「棟数」だけで評価したならば契約金額が大きい家の契約を取ろうとしなくなって安物会社になってしまう危険があったということがある。それに対して、(株)一条工務店はそれほど広い価格帯のものを建てていない会社で、小堀住研(株)はクルマにたとえればカローラも建てればクラウンもセンチュリーも建てる会社だったのに対して、(株)一条工務店はカローラは苦手でセンチュリーも苦手で、クラウンくらいのもののみを得意としていた会社だったので、建てるものに価格帯の差が比較的小さかったから、だから、「棟数」だけで評価してよいだろうという考え方が出たようだ。
(2) かつ、これは「あとづけの理由」というのか結論として嘘だと思うが「経理が大変」という言い訳もあったが、経理の能力が劣っているのなら経理の能力を上げればいいことで、経理のスタッフが少ないなら会社の規模は大きくなっているのだから、それに合わせて経理のスタッフも増やせばよいだけのことだったはずだ。
(3) もうひとつの理由として、これが大きかったと思うのだが、従業員、特に営業社員に(株)一条工務店の一族経営者はその契約で会社はどのくらいの利益をあげているのか知られたくなかった・・ということがあったと思われる。総務部長の天野雅弘が「不動産屋の仲介手数料でも3%プラス6万円までと決まっているように、仮に2000万円の契約をもらったとして3%プラス6万円の利益だとすると、66万円の利益しか会社は得られてないわけだから、それから考えると年に5棟の契約とってもらってやっと300万ちょっとの利益になって、営業社員に300万円払ったらもうないことになるんだ」などとヌケヌケと言うのだったが、アホか! 戸建住宅建築業の会社が「3%プラス6万円」しか1棟あたりの利益を得ていないわけないだろうが! 1棟あたり66万円しか利益を得ていないわけないだろうが! まったくつくづく、よく言うわ! バカいってんじゃないわ♪ ⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 「よく言うわ! バカ言ってんじゃないわ♪ 私が何にも知らないとでも思っているのね~え♪」 ・・・それにしても、「3%プラス6万円」て、よく言うわ・・とあきれる( 一一) 不動産の仲介手数料と戸建住宅建築業の利益は全然別のものなんだよ( 一一) ほんと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪
天野雅弘のようにそのように従業員に嘘を言ってだましてやろうという人間にとっては「粗利益」の何パーセントという払い方をすると、その「粗利益」はいくらなのかというものを、ともかく数字を出さないといけないことになり、どう考えても「3%プラス6万円」であるわけないだろうが、「ち~が~う~だ~ろ、このハゲ~え!!!」ということになる。⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4
(株)一条工務店のオーナー経営者一族による一般従業員に対する秘密主義はこれはどうしようもないとしても、やっぱり、「棟数」だけで営業社員の評価をするというのは良くないと私は思うようになりました。「経理が対応できない」とか「言い訳トーク」しているみたいでしたが、それなら対応できる経理にすればいい、対応できる経理のスタッフを用意すればいいことであり理由にならない。
「棟数」だけで評価するのが良くない理由の1つとして、自分が客の側だったとして考えてみるべきですが、高い金額を払った人はその金額に対応するだけのことをしてもらう権利があるわけで、安い金額しか払わない人はその金額に対応することしかしてもらえなくてもしかたがないのです。 ところが、営業社員の評価が高い契約でも安い契約でも同じだとなると、やっすい契約しかしていないくせして「お客さま」だ「お客様は神さま」だと言いたい人をつけあがらせてしまうことにつながります。1993年5月に松戸営業所で契約してもらった松戸市のKさんなどもそうなってしまった傾向があったと私は思っています。やっぱり、安い金額しか払わない人はその金額に応じたことしかしてもらえない・営業は安い金額しか払ってくれない人にはその金額に応じたことしかやりようがないというのはしかたがないことであり、そのくらいは理解してもらわなければ困ります。
そして、もう1つは、(株)一条工務店という会社はクルマにたとえれば「クラウンくらい」の価格帯のものを得意として、カローラは苦手でセンチュリーも苦手という会社でしたが、しかし、「クラウン」であっても、やっぱり、楠さんが得意とする延べ床面積20坪のクラウンと私が担当で契約してもらった延べ床面積50坪台・60坪台の「クラウン」とでは大きさも違えば契約金額も違い「粗利益額」も大きく違うのです。 それを20坪の契約ばっかり取りやがってからに、何が「私の契約なんかオプションまったくありませんよ」だ、何を勝手なこと言ってるんだ、てものだった。20坪の契約4棟と50坪の契約3棟となら、間違いなく「粗利益」、会社にどれだけ利益をもたらせたかで見ると50坪の契約を3棟の方が多いはずなのですが、ところが(株)一条工務店の営業社員に対しての評価のしかただと20坪の契約4棟の人の方が「売れる営業」と評価されてしまうのです。おかしいでしょ、いくらなんでも。
そして、「そんなもの、20坪の契約なんて、そんなにしょっちゅうあるわけではないから」とか天野雅弘とかは言い出すかもしれないようだが・・というより、天野雅弘は「一条工務店の契約は大きい家でも小さい家でもそんなに違いはないから」と私に言いよったことがあったと思うのだが、違うのです。(株)一条工務店でもけっこう違うのです。 (株)一条工務店の営業でも「20坪の家の契約なんてそんなにないから」と思っていた人はおり、口にだしてそう言っていた人もいたのですが、木南さんの場合はそうではなくて木南さんの担当の家においては「20坪の家の契約」が占める割合がものすごく大きいのです( 一一) そして、私の担当の契約には「20坪の家」なんてほとんどなかったのに対して、木南さんの契約は半分くらいは20坪の契約なのです。私の担当の契約には20坪程度の契約は1993年の松戸営業所の時の松戸市のKさん宅1棟だけで、その際に「ああ、もう、20坪のお客さんなんてまっぴらだ。もうやりたくない・・」という気持ちになったのでしたが、「20坪キラー」の人はそうは思わないで、むしろ、「鼻がきく」というのか20坪で建てる人があると追いかけていくのです。「20坪の契約なんてたいしてない」なんてことは楠さんの契約についてはちっともそんなことないのです。「20坪キラー」と呼ばれる楠さんの契約は半分は20坪ですからね。年間契約棟数全国1位か2位かという人が中に20坪の契約もあったというのとは違って、「(株)一条工務店にはノルマはないがガイドラインがある」とかなんとか詭弁を言いまくっていた会社でその「ガイドライン」なのか「ノルマ」なのかギリギリしか契約とらない人が半分は20坪のお客さんなんですからね。それでその「20坪キラーのおっさん」、契約棟数で私の半分未満の人、「粗利益額」だと私の4分の1未満の人が、「私の担当のお客さんの家なんてオプションなんてまったくないですよ。見習ってください」などと大きな口をききよるのです。(なんかむかつく・・)
だいたい、なんで私は前年で見ても、過去3年間で見ても、契約棟数で見て私の半分未満の人、「粗利益額」で見たならば私の4分の1未満の人に文句言われなきゃならんのだ。(株)一条工務店の管理者はそのあたりを指摘しないのか・・というと、しないのでした( 一一)
木南さんは「私は本当はもっと多く売れるんだけど、わざと売らないようにしてるの」などと言うのでしたが、「””本当はもっと多く””売れる」のなら””本当にもっと多く””売ればいいじゃないかよお・・・と私は思ったのだ。誤解せんといてほしいねんけども、わし、木南さんに「ノルマだかガイドラインだかぎりぎりの棟数だけ売って、それ以上は売らないようにしてください」なんてお願いしたことなんて、いっぺんもないでえ、ほんま・・。 「なんや、川村みたいやな」「『川村くん』とそっくりや」「『川村くん』と一緒や」「『川村くん』とあんまりかわらん」と思った。「川村くん」というのは1970年代後半、大阪府の北摂地区の我が家の近所に住んでいた私と同年齢の男で、私と同じ中学校から同じ北野高校に行って、阪大(大阪大学)の法学部に現役で行って普通は4年間の法学部に5年行って卒業しよった男やったが、その「川村くん」のお母さんが私が浪人中に、「これでもかあ!」というくらいに「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」と近所中にぎゃーすかギャースカぎゃーすかギャースカと言ってまわるおばさんだったのだ。まったくもう、うるさいおばはんやなあ、ほんまにもうほんまにい~い! 「京大でも通る」のなら、それなら阪大(大阪大学)ではなくて京大(京都大学)を受けて通って行けば良かったことだろうが。京大を受けずに阪大を受けて阪大に行ったのは自分だろうが! 違うのか。京大を受けようとしたものを俺が妨害でもしたのか? してないだろうが。自分が阪大を受けて阪大に行っておきながら、何をギャースカぎゃーすかギャースカ、近所中にわけのわからんこと言うてまわっておるんや。アホちゃうか・・・と思うのだったが、ところが、うちの親はそういう話を聞かされて、「川村くんは京大でも通ったのに」とか何とか反応するのだったが、困った親やった。だいたい、「北野高校の先生」は「阪大なら絶対に通ります」やなんて、そんなことは普通は言えへんで。北野高校で3年の担任を持っている先生でも「体育の先生」もおれば、大学入試にある科目を担当している先生でも、自分自身は京大とか阪大とか東大とかに行っていないだけでなく受けた経験もいないという人もいたと思うが、中に変なこと言う先生が絶対におらんかったという保証はないとしても、もしも、私が「北野高校の先生」であったなら「絶対に通ります」やなんて、そんなこと「絶対に」言えへんで。むしろ、私が「北野高校の先生」であったなら逆に「最後の最後まで何があるかわからん」と言いますね。もしも「絶対に通る」などと勝手なことを思っていたならば、それは1%でも2%でも落ちる側の要素があるということで、「最後の最後まで何があるかわからん」と認識して受けるなら、それは1%でも2%でも通る側の要素であると考えるからだ。 京大を受けることにしようか阪大を受けることにしようか迷った上で阪大を受けて阪大に通って阪大に行った人には、もしかすると入学後に「京大でも通ったのではないか。京大を受けておけば良かったか」とか考え出す者もおるかもしれんけれども、そう思う人がいたとしても、気持ちはわからんこともないけれども、しかし、京大を受けずに阪大を受けることにしたのは自分だろうが。違うのか。又、模擬試験の成績から考えて、京大でも合格できる可能性はあると思える成績を取っていた場合でも、実際に受けたら落ちることもあるし、「京大でも通る可能性はある」成績を模擬試験で取った者が阪大を受けたとしても、その阪大を落ちることだってあるわけで、実際のところ、阪大というのはあくまでも「同じ学部なら京大よりいくらか易しいかもしれない」というくらいのものであって、無茶苦茶易しいわけではないので、京大を目指していた人が受験先を阪大に変えたとしても「絶対に通る」などと言えるほど阪大は易しいわけではない。又、京大は「アカデミックな伝統」とか「反骨の学風」とか言ってそういうものにあこがれる人もいるけれども、人によってはそういうのが好きではない人もいるわけで、又、それぞれの大学には「けなし言葉」というのがあって、東大は「役人養成所」・慶應大は「サラリーマン養成所」・中央大は「資格試験予備校」とかいった「けなし言葉」があり、それらはそういう面もあるとも言えるのだが、京大については「教員養成所」といったことを言う人もあり、京大の卒業生は学校の先生になった人だけでなく、そうでない仕事についた人でも「学校の先生みたい」な人が多く、「アカデミックな伝統」というのは別の見方をすれば「教員養成所みたいな大学」で「必ずしも実務的ではない」ともとれるわけで、京大と阪大なら阪大の方がいいと思って「京大を受けても通る可能性がある」人で阪大を受けて阪大に行くという人がいても悪いことはない。だから、その「川村くん」が「京大を受けていても通ったかもしれない」のならそれでもいいけれども、ともかく、京大ではなく阪大を受けることにしたのは自分が判断して決めたことであって、私が「すんまへんけども、お願いですから京大には行かんといてもらえまへんかあ」とお願いして京大を受けないようにしてもらったわけでもないのであり、「京大でも通りました」だの「阪大なら絶対に通りますと北野高校の先生が言われました」だのとギャースカぎゃーすかギャースカ言われても、知らんがな、そんなもん。もうええかげんうるさいなあ、このおばはんはあ~あ・・と叫びまくる・・というのは、あんまりいいことではないと思うし、「京大でも通りました」というくらいの息子ならば、アホな母親に「アホなこと言ってまわるのはやめて」「もう、そのくらいにしておいて」と少しくらいは言うべきで、それを言えないなら「京大でも通りました」か何か知らんが、たいした息子やないなあ・・・てことになる。それと「そっくりやあ」てもので、「私は本当はもっと売れるんだけども、わざと売らないようにしてるの」なんて言われても、別に「わざと売らないようにしてください」やなんて、わし、頼んでへんでえ、ほんまに・・てものだった。
木南さんは私に「大阪は、あそこは日本ではないですから。大阪は韓国ですから」とか「大阪の人間は全員がチョーセンジンですから」と私が大阪の出身の人間だと知って、一生懸命、言うのだったが、「東京もんのおっさん」にはそういう人が多いのだが、木南さんもそういうところのある人でした。どうも、「東京もんのおっさん」には相手が大阪出身の人間だと知ると、そういうことを言わなきゃいか~んとスイッチが入る人というのがいるようなのですが、ひとつは、そういうことを言う人というのは教養水準が低い、知的水準が低い、勉強してないからということが言えると思いますが、実際問題として「東京もんのおっさん」にはそういう人が多い。
又、「東京もんのおっさん」がそういったことを言った時に関西人・大阪人は我慢して聞いているのだが、そうすると「東京もんのおっさん」は関西人は我慢して聞くのが当然だと認識するようになるらしく、木南さんもそういうところがあった・・が、関西人・大阪人はそういうものを我慢して聞かないといけないという義務などというものは本来ないのだ・・が木南さんや「東京もんのおっさん」はそれを理解できないようだった。
木南さんは、「大阪の人間はバカですから阪神を『大阪の球団』なんて言ってますが、阪神は兵庫県の球団であって大阪の球団じゃないんですよ。大阪の球団はオリックスであって阪神は兵庫県の球団で大阪にはセリーグには球団はないんですよ。それをわからない大阪の人間というのは本当にバカですよね」と相手が大阪出身の人間だと思うと精力的に言いまくるのだったが、それは関西地域を知らない人間が妄想で言うことで、そんな妄想を平気で口にする人の方がバカでしょう。 大阪府は「摂河泉」3国から成ると小学校の社会科で教えられたことがあるが、「摂河泉」というのは「摂津と河内と和泉の3国」ということだけれども、その3国のうち、摂津は「大阪府の摂津」と「兵庫県の摂津」に分かれてしまっており、「大阪府の摂津」と「兵庫県の摂津」は今は別の府県になっているけれども、かつての「国」だと「大阪府の摂津」は「兵庫県の摂津」と同じ「国」で「河内」「和泉」とは別の「国」だったわけで、大阪平野として見るならば、大阪平野は北西部の六甲山地・北部の老坂山地・東部の生駒山地・金剛山地・南部の和泉山脈と西側の大阪湾で囲まれた地域であり、今の行政区画がどうなっているかに関わらず、その地域は一続きの地域であり、阪神本線や阪急神戸線が走っている所はどこに府県境があるかにかかわらず、その地域は阪神沿線・阪急沿線だ。大阪の人間、もしくは京阪神地域の人間にとっては「大阪の球団」は「大阪府に本拠地の球場を置いている球団」のことではなく、「関西地域の球団」のことだ。だから、阪神の本拠地の甲子園球場がある西宮市が兵庫県に属しているか大阪府に属しているかはたいした問題ではないのだ。
「関西」とはどの地域を指すかの概念は、関西の人間は2通りあり、それと別に東京の人間の区分けがある。
(1) 一番狭い「関西」は京都市と滋賀県大津市の境目付近の大津市にあった逢坂の関より西を言い、ほぼ旧畿内地方、京都府南部・奈良県・大阪府と「兵庫県の摂津」をさすが、旧畿内地方でなくても最近は少し広げて、東側は滋賀県の西の方、南側は和歌山県の一番北のあたり、西側も山陽電鉄が走っている姫路あたりまで、北西側も福知山線の快速が走っている篠山口あたりまで入れる場合もある。淡路島も今では橋でつながったことであり、淡路島も最北端付近は関西に入れてもいいかもしれない。
(2)もうひとつは、鈴鹿の関・不和の関・愛発の関より西を言い、近畿地方に近いが近畿地方より全体的に西に寄っている。三重県でも名古屋に近い桑名とか四日市は「関西」ではなく「中京圏」だが三重県でも伊賀地方は関西に入る。鈴鹿の関より東でも亀山より南側の伊勢地方やかつては紀伊の国だった地域は関西に入れてもいいが「中京圏」と両属のような地域もある。不和の関は滋賀県と岐阜県の境目付近の岐阜県にあり、滋賀県より西は関西で岐阜県でも一番西の滋賀県と境目付近は関西に入る。愛発の関は福井県の越前と若狭の境目付近の越前にあったはずで、福井県でも若狭地方は関西に入り、越前に属した地域でも敦賀までは関西に入る。西側はどこまで関西とするかは不明確だが、おおむね兵庫県は全域が関西だが、兵庫県と岡山県の境目付近の岡山県になると「え~と、境目はどこだっけ」てなるので、新快速が走っている赤穂線の「播州赤穂」は「播州」と言うくらいだから関西として、そのすぐ西の日生(ひなせ)とかは岡山県でも関西に入れてもいいかもしれないし、北側の山陽本線の方も上郡(かみごおり)て兵庫県だっけ岡山県だっけというと兵庫県らしいが、上郡を関西にするならその西の吉永とかも関西に入れてもいいかも・・とすると、何がなんでも県境を境目にしなくても岡山県でも一番東のあたりは関西に入れてもいいかもしれない。だから、《鈴鹿の関・不和の関・愛発の関より西の「関西」》と「近畿」なら《鈴鹿の関・不和の関・愛発の関より西の「関西」》の方が全体的に少しだけ西に寄ってる感じだ。
(3)関西人が考える「関西」はこの(1)(2)のどちらかなのだが、東京人はそうではなくて「箱根の関より西を関西」とする人がいるのだ。関西人からすると「え?」と思うのだが、「箱根の関より西」を関西とすると浜松なんてのも関西になる。浜松を関西と考える関西人はあんまりないのだけれども、「東京もん」は「箱根の関より東を関東」「箱根の関より西を関西」と考える人がおり、長嶋茂雄が「箱根の関より西には行かない」とか言ったことがあったように「箱根の関より西」に対して相当の抵抗を持つ東京人がいる・・が、関西人は名古屋より東を「関西」と言われても違和感がある。
杉山英男『デザイナーのための木構造』(彰国社)にこの「関西」と「関東」の境をどこと考えるかの話が出ているのだが、畳のサイズについては 鈴鹿の関・不和の関・愛発の関が境目だったらしい。
デザイナーのための木構造 - 杉山 英男
それで、だ。阪神は甲子園球場の場所が「大阪府の摂津」ではなく「兵庫県の摂津」にあったとしても「摂河泉」(摂津・河内・和泉)地域のチームであり、(1)の意味もしくは(2)の意味による「関西」のチームであり、関西人が「大阪の球団」と言う時、これは「関西の球団」と言うのとほとんど同じであり、阪神は「関西の球団」であり、その本拠地とする球場の場所が「大阪府の摂津」か「兵庫県の摂津」かは大きな問題ではないのだ。むしろ、「関西の球団」だった阪急ブレーブスを買い取った上で「元巨人で長嶋の腰巾着の土井」とか「元西武の石毛」とかを監督にして「これでもかあ」というくらいに「関西人はオリックスのファンはやめろ」と執拗に要求してきたオリックスブルーウェーブなんて「どっちが苗字でどっちが名前なんか、はっきりせえ」て真弓明信か重信慎之介みたいな名前つけてるチームなんて、人にもよるかもしれないが、「関西の球団」ではないのだ。元阪急の人間を排斥して「長嶋の子分」を監督にする「東京オリックス大阪営業所みたいなチーム」が大阪の球場を使用していても、それは東京圏の球場に空きがないから仮に大阪の球場を使っとるだけのことで、球場借りたければ貸したるでえ~え・・くらいのものでしかない。
そのあたりを理解できない「東京もんのおっさん」が、東京ディズニーランドが千葉県浦安市にあり、東京ドイツ村が千葉県袖ケ浦市にあり、新東京国際空港が千葉県成田市にあり、ナベツネつねお さんは「読売ヴェルディ」を神奈川県川崎市の北の方にサッカー場があるからということで「ヴェルディ川崎」と言われるのを嫌がり「東京ヴェルディ」にしたがったという、そういうのはいっこうにかまわないくせしてからに、「阪神は兵庫県の球団であって大阪にはセリーグの球団はないんですよ。まったく、大阪の人間はそれくらいのこともわからないて、本当に大阪の人間はどうしようもないバカですね」と言いまくるのだが、あんたの認識の方がバカなんやろうが・・と思うが、そういう「東京もんのおっさん」は多く、木南さんもそのひとりで「阪神は大阪の球団じゃないって言っても大阪の人間はどうしようもないバカなものだから理解できないんですよね」と言いまくるのだった。特に相手が大阪出身の人間だと思うと、な~にがなんでも言わなきゃとスイッチ入って言いまくるのだった( 一一)
そういえば、1998年、(株)一条工務店 の栃木県地域の所長だった五十嵐さんが私に「巨人になれ」などと言ったことがあったのだが、おっさん、何言うとんねん・・と思ったものだった。なんで、そんなもんにならされんといかんのじゃ。なんで、そんな汚らわしいもんにならされんといかんのじゃ。人間、言っていいことと悪いことがある・・ということを理解できんのか・・・と思ったものだった。
※ 《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
《YouTube-大阪タイガースの歌 【六甲颪】》https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4
阪神タイガースはかつては「大阪タイガース」と言っていて、「六甲おろし」でも「阪神タイガース」ではなく「大阪タイガース」と歌われていた。「阪神」は会社名であるとともに地域名で、「大阪タイガース」と言っていた時から兵庫県西宮市の甲子園球場を本拠地としていた。
木南さんは「大阪の人間は、なんで『吹田』を『すいた』なんて読むんでしょうね。『吹田』なら『ふいた』でしょ、『すいた』と読んでほしければ『吸田』と書くべきでしょ。大阪の人間は『吹く』と『吸う』も読めないんでしょうかね」などと言うのだったが、それなら何かい? 東京もんは「吹奏楽」を「ふいそうがく」と読むんかい? 東京もんは「すいそうがく」は「吸奏楽」と書くのか? 「吸奏楽」なら「すうそうがく」と違うんかい? ・・てものだが、相手が大阪出身の人間だと思うと、一生懸命、そういうことを次から次へと言うおっさんやった( 一一)
なんで、これをそう読むのお・・と思う地名は全国に存在している。私が実際にその場所に行ったことがある所としては、2000年前後、(株)一条工務店 で栃木県佐野市の営業所に勤務していた時、小山市に「神鳥谷」と書いて「ひととのや」と読む交差点があった。佐野展示場に小山市から通っていた人がいたので、地元人なら知っているかと思って、「『神鳥谷』はどうして『神』と書いて『かみ』ではなく『ひと』と読むのでしょう?」と尋ねてみたが、「さあ、どうなんだろ。ぼくら、子供のころ、あれを『じんちょうだに』と読んでた」と言われたことがあったが、なぜか、栃木県小山市の「神鳥谷」は「かみとりや」ではなく「ひととのや」と読むらしい。
それに対して、「吹田」の「吹」という漢字は、小川環樹・西尾太一郎・赤塚忠 編『角川 新字源』(1968.初版。 1975.87版。角川書店)を引いてみると、
《 【 吹 】 スイ ふく 》
と訓読みは「ふく」だが、音読みは「スイ」と読むと漢和辞典にきっちりと記載されており、「吹田」「吹奏楽」を「すいた」「すいそうがく」と読むのは奇妙な読み方でもない。 「東京もん」の木南さんは、何をわけのわからんこと言うとんねん( 一一)
「東京もんのおっさん」は大阪の女性は誰もが「ひょう柄の服」を着ているということにしたいようだが、私の知っている「大阪の女性」で「ひょう柄の服」なんてそんなもの着ている人間なんかひとりもいない。
スサノオのみこと が、桧(ひのき)は宮殿に使え、槇(まき)は何々に使え、杉(すぎ)は何に使え、楠(くすのき)は何に使え・・と木の用途について命じられたという話が『日本書紀』にあるらしく、「適材適所」という言葉は木材の使い方からきた言葉だと言われるのだが、この話は何度も読んで確認するのだが「桧(ひのき)は宮殿に使え」という部分は覚えるのだが、杉と槇と楠については、え~と、何だっけ・・・と、どうも忘れてしまう。
西岡常一・小原次郎『法隆寺を支えた木』(1978.6.20. NHKブックス)の小原二郎「5ヒノキと日本人」に書かれている。
《 『古事記』および『日本書紀』の中にあらわれる樹木の種類を調べてみると、53種類もあり、27科40属に及んでいる。この中にはヒノキ、マツ、スギ、クスノキをはじめ、有用樹種といわれるものが十数種もある。その中で興味深いのは『日本書紀』の素戔嗚尊の説話である。それによると、
「日本は島国だから、舟がなければ困るだろうといわれて、ひげや胸の毛を抜いてまき散らしたところ、ヒノキとスギとクスノキとマキが生えた。そこで尊はそれぞれの用途を示して、ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺の材に使え」
と教えたことが書かれている。》
と出ている。クスノキはスギとともに「舟に」使えとスサノオのみこと は言われたそうだ。
法隆寺を支えた木 [改版] (NHKブックス 1257) - 西岡 常一, 小原 二郎
ウィキペディアークスノキ によると、クスノキは《クスノキ科ニッケイ属》だそうだ。
「適材適所」と言われると、うちの父親は「適材適所ちゅうことが大事なんや。わしいとかM川先生(うちの父親の「親友」の医者屋。1980年頃当時、50代。当時、大阪府豊中市在住)とかはドイツ人やねん。そんで、あんたあはチャンコロの民族。わしはドイツ人の民族で慶應の階級。M川先生はドイツ人の民族で医者の階級。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるなチャンコロ!」と毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして叫んでいた。「適材適所ということを決して忘れたはならんぞチャンコロろすけイタコ! わしとかM川先生とかは自分ではやらずに人に命令し人に号令かけるのが向いている民族で階級。おまえはチャンコロであるからして、常にひとから命令され号令かけられるのが向いている民族で号令かけられることに何よりも喜びを感じる民族。すなわちチャンコロである。チャンコロであ~る!」と毎日毎日言うておった。今でもその文句が耳元でわんわんうなっている。「号令かけられるということがチャンコロにとっては大好物。そやから、おまえは号令かけられると喜ぶねん。それ、チャンコロ喜べ、チャンコロ喜べ、チャンコロちゃんころチャンコロ喜べ、うれしいうれしいうれしいねえチャンコロ~お」と毎日毎日、おっさんは私に言うておった。
毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けて、そして、思うようになった。
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)
階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と。
又、「この民族の違い・階級の違いというものは『天の神さま』というお方がお決めになったことであって、人が変えようとしても決して変えることはできないし、神様が定められた民族の違い・階級の違いを変えようとする不心得者を『天の神さま』は決してお許しにはならぬぞチャンコロろすけイタコ!」とそう「ドイツ人で慶應のお方」はおっしゃるのだった。
毎日毎日、何度も何度もそう言われてきて、そして思うようになった。
「造反有理(造反には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)」
「革命無罪(革命は無罪である)」と。
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
木南さんの話はまだまだま~だまだあるのですが、今回は平野神社参拝ですからこの程度に置いておいて、木南さんのお話は別の機会に述べることにしたいと思います。
※ 平野神社HP https://www.hiranojinja.com/
ウィキペディアー平野神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
京都総合観光案内所 平野神社 https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=445
平野神社の東側の南北の通りを平野通りと言うそうです。平野通りを北に歩き、平野神社の北側の道を西に進むと西大路通りという路線バスも通る南北の広い通りにでます。
↑ 西大路通り。 平野神社の西側のすぐ北あたりから北を見て。
ここを北に歩いた西側に「わら天神」があるのです。 「わら天神」と言うからには祭神は菅原道真か・・と思って行ったのですが。名称は「わら天神」でも祭神は菅原道真ではなくコノハナサクヤヒメ らしく、正式名称は「敷地神社」と言うらしい。
西大路通りを少し北に歩くと、右手に「しまむら」があり、その向こう、東の方に寺院風の建物が見える。↓ あれは何だろう・・と思ったが、
↑ 「天理教 西陣大教会」だった。
さらに北に歩くと、左手、西大路通りの向こう側に「神社の杜」のようなものが見える。あれが「わら天神」だろうか?・・と思ったが、
↑ この杜は「わら天神」ではなくて、「わら天神」の少し南、「わら天神」交差点のすぐ南の「金撰八幡宮」のようです。
金撰八幡宮 の少し北、南北の西大路通り と「わら天神」交差点で交わる東西の通りは 蘆山寺通り と言うようです。蘆山寺通りと言うからにはその名前の寺がこの通り沿いにあるのか・・と思って地図を見ますが見当たりません。
「わら天神」交差点を過ぎて、北西に「神社の杜」らしきものが見えます。↓
↑ これこそ、「わら天神」(敷地神社)のようです。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html 、その「わら天神(敷地神社)を訪ねます。 西大路通りをさらに北に進むと「金閣寺前」という信号がある交差点があり、そこを西に入ると鹿苑寺(金閣寺)があるようで、「金閣寺前」交差点で西大路通りと交わる東西の道が「鞍馬口通り」、なんでそういう名前なのかわからないが「鞍馬口通り」で、東に進むと京都市地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅に行きますが「鞍馬口通り」は西から東まで「鞍馬口通り」であり、烏丸線「鞍馬口」駅は南北の烏丸通りと東西の鞍馬口通りとの交点の場所で、烏丸通りまでは距離はけっこうあります。
(2024.2.16.)
警察腐敗―警視庁警察官の告発 (講談社+α新書) - 黒木昭雄
「捏造」する検察 (宝島社新書) (宝島社新書 318) - 井上 薫
「困った」裁判官―独占公開!日弁連「問題裁判」実例アンケート (別冊宝島Real 6)
モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか (別冊宝島Real 28)
☆ 北野天満宮(京都市上京区)参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社。中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃん〔今回〕
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html
北野天満宮の北門を出た所の東西の道を西に直進すると平野神社 があります。↓
↑ 北野天満宮 北門を出てすぐの所から西を見たものです。写真はクリックすると大きくなるので大きくして見ていただければ、向こうの方に平野神社の鳥居が見えます。
北野天満宮は京都市上京区御前今小路上ル馬喰町、平野神社は京都市北区平野宮本町。すぐ近くなのですが、北野天満宮は上京区、平野神社は北区で、このあたりに境目があるのでしょう。地図を見ると、北野天満宮の西側を北から南へ流れる紙屋川より東が上京区・紙屋川より西が北区ですが、北野天満宮より北側は紙屋川の東側も少しだけ北区で、南北方向では北野天満宮の北側は少しだけ上京区が出っ張っているようです。
北野天満宮の北側の東西の道を西に進みます。
平野神社は東側から入るようになっています。平野神社の東側の南北の通りを平野通り と言うようで、裏手(西側)の南北の通りが西大路通(にしおおじどおり)で西側の南北の通りの方が広い通りですが、西側にも門はあるようですが、東側の方が正門のようです。
鳥居の額には「平野皇大神」、右の石柱には「◇◇大社 平野神社」と書かれています。「◇◇」のところはどうもよく読めません。次回、行けたらよく見てきたいと思います。
↑ 平野通り。 平野神社の前(東側)から北を見たもの。
平野神社とは、『週刊日本の神社6 北野天満宮』(2014.3.25.デアゴスティーニ)には、
《 平野神社
平野造と呼ばれる本殿は重要文化財に指定されている。伊勢神宮と並ぶ格式の高い神社で、延暦13年(794)の平安遷都の際にこの地に遷座したとされる。現在の社殿は1624~1644年に造営された。》
と出ており、『改訂版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック』(2005.初版。 2007.8版。淡交社)には、
《 平野神社(北区平野宮本町)
祭神は今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)。 相殿に比売神(ひめのかみ)。 平城京の田村後宮(たむらこうきゅう)から長岡京を経て、平安遷都の時にの時にこの地に移されたといわれる。朝廷に崇敬され、源氏・平氏をはじめ諸氏の氏神としてもあがめられた。本殿は寛永年間(1624~44)の建築で、比翼春日造、あるいは平野造とも呼ばれる。 境内の桜が有名で、その種類は数十種に及び、平野の夜桜として親しまれている。》
と書かれている。4月10日に桜花祭があるらしい。
『歩く地図 京都散歩 2024』(2023.4.20.成美堂出版)には、
《 国家鎮護を司ってきた桜の社
平野神社
平安遷都の際に平城京からこの地に鎮座して以来、御所と都の平安を守護してきた神社。境内には約60種・400本の桜があり、3月中旬から4月下旬までさまざまな桜を楽しめる。とりわけ夜桜が美しく、櫻のシーズンにはライトアップも実施される。》
《 平野造と呼ばれる、独特の屋根を持つ本殿(重要文化財)。江戸初期の再建。》
と出ている。「平野神社の桜と菜の花」で《桜と菜の花のコーポレーションが楽しめる夜桜の名所》らしい。
京都観光文化検定試験 : 公式テキストブック
歩く地図 京都散歩 2024 (SEIBIDO MOOK) - 成美堂出版編集部
平野神社は北野天満宮のすぐ近くにあり、北野天満宮の方が有名ですが、平野神社は《平安遷都の際に平城京からこの地に鎮座》したということですから、平野神社の方が北野天満宮より前から存在しているようです。
鳥居をくぐって西に直進すると、↓
↑ 神門。
↑ 門の右手(北側)に授与所があります。
門の手前左右に紋が入った提灯がかかっています。北野天満宮の梅鉢の紋と一見、似ていますがよく見ると違います。こちらは桜なのでしょうか。
《 中門(京都府登録有形文化財) - 社記によると承応2年(1653年)頃の造営で、1937年(昭和12年)に改造を受けている。・・》(ウィキペディアー平野神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE )
神門をくぐると、正面に舞台がある建物があり、その向こうの社殿を見ようとするとさえぎるような位置にあります。↓
↓ 私は、これは神楽殿かと思ったのですが、神楽殿は社殿のすぐ前ではなく、どちらかの側に設けられることが多いように思ったのですが、この平野神社では門と社殿のちょうど中間の位置に神楽殿を設けるのか、そういう神社の方式もあるということか・・・と思って帰ってきたのでした・・が、インターネット上で検索し、「Mamichi's Rom 平野神社」http://mamichi43.web.fc2.com/travel/kyoto/hirano/index.html に収録されている「平野神社境内図」http://mamichi43.web.fc2.com/travel/kyoto/hirano/keidaiL.jpg を見ると、↑ これは神楽殿ではなく「拝殿」と書かれています。 拝殿ならば本殿の手前、門と本殿のちょうど真ん中の位置にあっておかしくありません・・が、拝殿というよりも神楽殿のような建物です・・が、拝殿なのでしょうか。
ウィキペディアー平野神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE には、
《 拝殿(京都府指定有形文化財) - 中門前に建てられている。社記によると江戸時代前期の慶安3年(1650年)に東福門院(徳川和子)によって寄進されたものといい、「接木の拝殿」の呼称で知られる。・・・》
と書かれている。
↑ この正面が《重要文化財に指定されている》《平野造と呼ばれる本殿》(『週刊日本の神社6 北野天満宮』)・《寛永年間(1624~44)の建築で、比翼春日造、あるいは平野造とも呼ばれる》本殿 (『改訂版 京都観光文化検定 公式ガイドブック』)でしょうか。
《 本殿第一・第二殿(重要文化財) - 寛永3年(1626年)建立。
本殿第三・第四殿(重要文化財) - 寛永9年(1632年)建立。》(ウィキペディアー平野神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE )
南門も京都府指定有形文化財で《 社記によると慶安4年(1651年)に御所の旧門を下賜されたものという》(ウィキペディアー平野神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE )が、どこなのかよくわからなかった。
摂社として、天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る《 縣神社(あがたじんじゃ、県神社。京都府登録有形文化財)》があるらしいが、よくわからなかった。
↑ 平野神社境内、クスノキ。
1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいた木南さん(男。当時、40代)が「〇〇さんが契約とってくるもので、私が契約とってないのが目立ってしまうじゃないですか。迷惑です。ちょっとは反省してださい」などと言うのだったが、それは「迷惑です」とか文句言われんきゃならんものなのか。まあ、これは木南さん自身、半分冗談で言っていたことだし、自分の倍以上の契約をとってきたということでそういう言い方で3分の1か4分の1くらいはほめてくれていたようなところもあったのかもしれないからいいことにするとして。
その頃、(株)一条工務店は日曜祝日は住宅展示場の入口にアルバイトというのかパートというのかで女性に受けつけの業務で来てもらっていたのだったが、木南んは写真が趣味で、受付のアルバイトというのかパートというのかに来ていた女性に写真を撮らせてくれと言って、モデルさんやってもらっていたのだが、私が「だめだ。そんなことしちゃ」と言っても、「いいじゃないですか。別に嫌だという人に強制して無理に撮らせてもらってるのじゃないですよ」などと言うのだったが、それはわかっているが、また、撮られている側は自分が魅力的だから撮らせてほしいと言われていると思っていたみたいだったが、実はそうではなくて「女性の写真もハタチくらいのぴちぴちしておねーちゃんだといいかげんなカメラでいいかげんに撮っても、それなりにきれいに写ったりするんですけども、30くらいの女性になると撮り方によってきれいに写ったりきれいに写らなかったりしますから、そのくらいの年齢の人の写真を撮るのが、それがなんと言ってもおもしろいおもしろい、ものすごくおもしろい♪ 一番おもしろい♪」などと言っていたのでしたが(^^)/、「だから、何も本人が嫌だというものを無理に撮ってるとかは思ってませんよ。しかし、正社員の人間なら『モデルさん』やったとしても、別にそれで働かなくなるなんてことはないのですけれども、アルバイトとかパートの人の場合は、モデルさんをさせるとそれで仕事をしたみたいな気持ちになってしまって、その分、働かなくなってしまうんです。だから、モデルさん、やらせてはだめだと言ってるんです」と私は話したのだった・・・が、「いいじゃないですか。そんなにお客さんを呼び込まなくたって。客みたいなもの来るから契約取らなきゃならないんでしょ。契約取るから仕事が増えるのでしょ。客みたいなもの、来ない方がいいでしょ」などと言うのです。「違うでしょ。同じだけの棟数の契約を取るにしても、有望な見込客が多く来場すれば、有望な見込客の中から契約をあげればいいことになりますが、有望見込客がほとんど来なければ、契約してもらうのは難しいような来場客から苦労して契約をあげないといけないことになりますでしょ。すべての見込客は契約してもらえるまでの労力は同じではないわけで、契約してもらえやすい人が多く来場してもらえた方が、一定の契約数をあげるためには楽になるはずなのです。モデルさんさせた結果、それで仕事したみたいに思われて、受付の席からいなくなって展示場の屋内のそのへんの椅子に転がって時間つぶされたのでは何のために来させているかわからなくなるでしょ。現実に、私、時々、見に行って、受付の席から離れて展示場の室内で、それも2階の部屋のソファに座ってくつろいでいるのを見て、それでは困りますと私が言ってるんですよ」と言ってのですが、木南さんは私が言ってもきかないおっさんやった・・・( 一一)
又、「お客さんなんか来るから契約とらなきゃならなくなって仕事が増えるんですよ。お客さんなんか来ない方がいいの」などと言うおっさんを見て、間違いなくそのアルバイトかパートで来ていたおねーちゃんはバカにして見ていた。木南さんがバカにされても自業自得だけれども、そのおかげで私らまでその同類に見られてしまうおそれがあり、迷惑だからやめてちょうだいと言っても言ってもきかない困ったおっさんやった。
そして、私に「まったく、〇〇さんはオプションがいっぱいついた家の契約とってきてからに、大工さんが迷惑してます。よく気をつけてください。迷惑ですから」と文句を言うのだった。「その点、私の契約なんか、オプションはまったくありませんからね。よく見習ってください」などと言うのだった。
小堀住研(株)は営業社員に対しての歩合給の計算を「粗利益(あらり)」の何パーセントという計算法をとっていた。「粗利益(あらり)」と単なる「利益」はどう違うのかというと、「粗利益(あらり)」というのは人件費を引く前の金額らしい。しかし、ともかくも慶應大学商学部卒で入社した者なので、そう言われると、その「粗利益(あらり)」てどうやって計算するのだろうと疑問を感じた。ともかくも「会計学総論」「会計学」「会計制度論」「財務諸表論」といった講義に出席してきた者は考えるのだ。「先入れ先出し法」によって計算するのと「後入れ先出し法」によって計算するのとでも「粗利益(あらり)」の金額は変わるのではないのか。それをどう計算しているのか・・と。ところが、小堀住研(株)の千葉支店・東京支店で営業や工務課などやっている人間でこれに気づく人間は私ひとりだけだったようだった。・・そういうことはあったけれども、ともかくも、小堀住研(株)では契約金額3億円の契約も契約金額1500万円の契約も営業の評価は同じ・・なんてことにはしなかった。契約金額1500万円の契約を20棟契約した場合と契約金額3億円の契約を1棟契約した場合とでは、総契約金額は同じだけれども、総粗利益額はどちらが大きいかというと、間違いなく契約金額3億円の家の契約1棟の方が多いのであり、小堀住研(株)では契約金額3億円の家を1棟契約した方が契約金額1500万円の家の契約を20棟契約した場合よりも営業社員の評価は上だったのです。小堀住研(株)は高額物件の契約を取ろうとしていたということもあって、「粗利益額」の何パーセントというようにしていたので3億円の契約を年に3棟契約してもらった営業は「売れる営業」「貢献者」としてふんぞりかえっておれたのに対して、、もしも「粗利益額」ではなく「棟数」だけで評価したならば、3億円の契約を年に3棟契約した営業は「売れない営業」と評価され、1200万円の契約を年に60棟契約してもらった営業は「売れる営業」「トップセールス」と評価されることになったでしょう。1200万円/棟×60棟=72000万円、3億円×3棟=9億円、同じ契約金額なら高額物件の方が利益額は大きく、なおかつ9億円>7億2000万円 ですから本来なら3億円の契約を3棟獲得した人の方が「売れる営業」のはずなのですが、「棟数」だけで評価すると逆になってしまうのです。
ところが、(株)一条工務店は「粗利益」で考えるのではなく、ともかく何棟かという棟数で営業社員の評価を決めていたのです。そのため、「20坪キラー」と言われて小さいやっすい家の契約ばっかり取ってくる木南さんの契約も1棟は1棟と計算され評価され、私は会社員として自分が勤めている会社のためを思って、できるだけ多くの利益を会社にもたらすのが営業の仕事と考えて、できるだけ高い金額の契約を取得しようと考えたのでしたが、そうすると、楠さんから「〇〇さんは、またオプションのついた契約を取ったでしょ。迷惑だからそういう契約は取らないでと言ってるのがわからないのですか。私の担当の契約なんかちっともオプションありませんよ。よく見習ってください」などと言うのだったが、楠さんの担当の契約というのは半分くらいは延べ床面積20坪の契約であり、オプションなんてつけたくてもつけようがない家の契約ばっかり取ってくるから、だから、木南さんの担当の家の契約は「オプションなんか何もありませんよ」ということになるのだった。「オプションなんか何もない」のではなくて延べ床面積20坪の契約ばっかり取るからオプションなんて取付けようと思ってもやりようなかったのです。この人、小さいやっすい家の契約ばっかり取ってきて、何をそんなものを自慢しているんだ・・? と思ったのだが、そういうのを自慢する人だった。
(株)一条工務店の大工さんと話をすると、これは半分冗談なのだが「〇〇さん、面積が広くてオプションのない家の契約を取ってきて俺にまわしてね」とか言う人が多かったのだが、面積が広くて契約金額が大きい家でも面積が小さくても契約金額が大きい家でも(株)一条工務店は会社として高い利益をお客さんからもらうわけだから、会社にとっては「面積が大きくて契約金額が大きい利益が大きい家」でも「面積は大きくないが契約金額は大きくて利益が大きい家」でもどちらでも大きい利益がでて得するはずで、そうであるからにはその家の仕事をする大工にも「面積は大きくないが契約金額は大きくて利益が大きい家」であっても報酬は多くて良さそうに思えたのだが、大工さんに「大工さんはみんな、面積が大きくてオプション工事がない家がいいと言われるのですが、オプション工事がある家というのは、一条工務店はただでつけているわけではなくてオプション工事についての費用をお客さんからもらっているはずなのですが、大工さんにはオプションについての報酬は払われないのですか」と尋ねてみたことがあったのだが、そうすると「それが面積が広いとそれに応じて払われるのだけれども、オプションは報酬がついているのかついていないのか、よくわからないんだ」ということでした。だから「まあ、オプションがある家でも小さい家でもやるけれども、大工としては、できれば面積が広くてオプションがない家がいい」ということだったようです。小さい家でも少々オプションが多い家でもやってくれるけれども、大工としては生活のための仕事としてやっているのだから実際問題としては「面積は広くてオプションはほとんどない」という家がよかったらしい。
それで、楠さんが「〇〇さんの担当の家はオプションがいっぱいつているでしょ。大工さんが迷惑してます。迷惑だからよく気をつけてください。反省してください。その点、私の担当の家なんて、オプション工事なんかな~んにもないですよお~お」と言うので、これも大工さんに「私の担当のお客さんの家というのはオプション工事があって迷惑ですか?」と尋ねたことがあったのだが、そうすると「いや、そんなこと、ちっともないよ。だいたい、このくらいの広さの家を建てるのにこの程度のオプション工事もしてはいけないなんて、そんなこと言ったら家は建たないよ。いいよ、このくらい。ちっとも悪くないよ」と言ってくれたのでした。「広い家でオプション工事がある程度あるのは当たり前だよ。かなわんのは木南さんの担当の家だよ。木南さんて、あの人、変わってるよね。あの人、東京あたりの街中の狭い敷地の家が建ってるような所で営業やってるならともかく、こんな いわきみたいな一反部歩(いったんぶ)(300坪)の敷地に建てるような人がいっぱいあるような所で営業やっていて、いったいどうやってあんな20坪の契約捜してくるのお? 不思議でしようがないよ。 あの人の契約はかなわんねえ」と言うのだった。木南さんは「私の担当の家なんて、オプションはまったくありませんよ」と自慢するのだったが、延べ床面積20坪の家でオプション工事なんかやる余裕はないっての。自慢することと違うでしょって。 その何人もの大工さんから「木南さんの担当の家はかなわんねえ」と言われているその「20坪キラーが」私に「私の担当の(延べ床面積20坪の)家なんてオプションはまったくないのにからに、〇〇さんの担当の(延べ床面積60坪の)家はオプション工事が相当あるでしょ。大工さんが迷惑してますからやめてください。オプションのない家を契約とるようにしてください」と契約棟数で見て私の半分未満、「粗利益」額で見ると私の4分の1未満の人、(株)一条工務店で仕事をしている大工さんから「あの人の担当の契約はかなわんねえ」と一番嫌がられていた人が文句言うのだった。いったい、あの人は何なのだろう・・と思ったものだった。まず、木南さんが得意とする「延べ床面積20坪の家」というのは、床面積は狭いけれども、延べ床面積が狭い家というのは、床面積は狭くても壁面積はけっこう広いのだ。全体の面積が狭い家でも一通り生活ができるように作ると、どうしても狭い部屋が多くなり、トイレも風呂もキッチンも玄関も一通りは必要であることを考えると、床面積が狭いわりに壁面積は広くて、床面積に応じて報酬が決められていたらしい大工さんにとっては床面積は狭いが壁面積は広い木南さんが担当の家というのは「かなわん」ようだったが、その「かなわん」と何人もの大工さんが言っていた「20坪の家」を得意としていた木南さんはそれを自慢していたのだった。かつ、これは「半分冗談」ではなく本気で自慢していたのだった( 一一)
(株)一条工務店が営業の評価を「粗利益」で決めるのではなく「棟数」で決めていたのは、理由はひとつではないと思われた。
(1) 1つは、1990年頃までの小堀住研(株)はけっこう広い価格帯で建てていた会社であったので、片方で契約金額2億円・3億円という家もあったが、他方で契約金額1200万円・1300万円という家もあったわけで、さすがに、それだけ金額に差があるものを「棟数」だけで評価するわけにもいかないし、「棟数」だけで評価したならば契約金額が大きい家の契約を取ろうとしなくなって安物会社になってしまう危険があったということがある。それに対して、(株)一条工務店はそれほど広い価格帯のものを建てていない会社で、小堀住研(株)はクルマにたとえればカローラも建てればクラウンもセンチュリーも建てる会社だったのに対して、(株)一条工務店はカローラは苦手でセンチュリーも苦手で、クラウンくらいのもののみを得意としていた会社だったので、建てるものに価格帯の差が比較的小さかったから、だから、「棟数」だけで評価してよいだろうという考え方が出たようだ。
(2) かつ、これは「あとづけの理由」というのか結論として嘘だと思うが「経理が大変」という言い訳もあったが、経理の能力が劣っているのなら経理の能力を上げればいいことで、経理のスタッフが少ないなら会社の規模は大きくなっているのだから、それに合わせて経理のスタッフも増やせばよいだけのことだったはずだ。
(3) もうひとつの理由として、これが大きかったと思うのだが、従業員、特に営業社員に(株)一条工務店の一族経営者はその契約で会社はどのくらいの利益をあげているのか知られたくなかった・・ということがあったと思われる。総務部長の天野雅弘が「不動産屋の仲介手数料でも3%プラス6万円までと決まっているように、仮に2000万円の契約をもらったとして3%プラス6万円の利益だとすると、66万円の利益しか会社は得られてないわけだから、それから考えると年に5棟の契約とってもらってやっと300万ちょっとの利益になって、営業社員に300万円払ったらもうないことになるんだ」などとヌケヌケと言うのだったが、アホか! 戸建住宅建築業の会社が「3%プラス6万円」しか1棟あたりの利益を得ていないわけないだろうが! 1棟あたり66万円しか利益を得ていないわけないだろうが! まったくつくづく、よく言うわ! バカいってんじゃないわ♪ ⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 「よく言うわ! バカ言ってんじゃないわ♪ 私が何にも知らないとでも思っているのね~え♪」 ・・・それにしても、「3%プラス6万円」て、よく言うわ・・とあきれる( 一一) 不動産の仲介手数料と戸建住宅建築業の利益は全然別のものなんだよ( 一一) ほんと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪
天野雅弘のようにそのように従業員に嘘を言ってだましてやろうという人間にとっては「粗利益」の何パーセントという払い方をすると、その「粗利益」はいくらなのかというものを、ともかく数字を出さないといけないことになり、どう考えても「3%プラス6万円」であるわけないだろうが、「ち~が~う~だ~ろ、このハゲ~え!!!」ということになる。⇒《YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4
(株)一条工務店のオーナー経営者一族による一般従業員に対する秘密主義はこれはどうしようもないとしても、やっぱり、「棟数」だけで営業社員の評価をするというのは良くないと私は思うようになりました。「経理が対応できない」とか「言い訳トーク」しているみたいでしたが、それなら対応できる経理にすればいい、対応できる経理のスタッフを用意すればいいことであり理由にならない。
「棟数」だけで評価するのが良くない理由の1つとして、自分が客の側だったとして考えてみるべきですが、高い金額を払った人はその金額に対応するだけのことをしてもらう権利があるわけで、安い金額しか払わない人はその金額に対応することしかしてもらえなくてもしかたがないのです。 ところが、営業社員の評価が高い契約でも安い契約でも同じだとなると、やっすい契約しかしていないくせして「お客さま」だ「お客様は神さま」だと言いたい人をつけあがらせてしまうことにつながります。1993年5月に松戸営業所で契約してもらった松戸市のKさんなどもそうなってしまった傾向があったと私は思っています。やっぱり、安い金額しか払わない人はその金額に応じたことしかしてもらえない・営業は安い金額しか払ってくれない人にはその金額に応じたことしかやりようがないというのはしかたがないことであり、そのくらいは理解してもらわなければ困ります。
そして、もう1つは、(株)一条工務店という会社はクルマにたとえれば「クラウンくらい」の価格帯のものを得意として、カローラは苦手でセンチュリーも苦手という会社でしたが、しかし、「クラウン」であっても、やっぱり、楠さんが得意とする延べ床面積20坪のクラウンと私が担当で契約してもらった延べ床面積50坪台・60坪台の「クラウン」とでは大きさも違えば契約金額も違い「粗利益額」も大きく違うのです。 それを20坪の契約ばっかり取りやがってからに、何が「私の契約なんかオプションまったくありませんよ」だ、何を勝手なこと言ってるんだ、てものだった。20坪の契約4棟と50坪の契約3棟となら、間違いなく「粗利益」、会社にどれだけ利益をもたらせたかで見ると50坪の契約を3棟の方が多いはずなのですが、ところが(株)一条工務店の営業社員に対しての評価のしかただと20坪の契約4棟の人の方が「売れる営業」と評価されてしまうのです。おかしいでしょ、いくらなんでも。
そして、「そんなもの、20坪の契約なんて、そんなにしょっちゅうあるわけではないから」とか天野雅弘とかは言い出すかもしれないようだが・・というより、天野雅弘は「一条工務店の契約は大きい家でも小さい家でもそんなに違いはないから」と私に言いよったことがあったと思うのだが、違うのです。(株)一条工務店でもけっこう違うのです。 (株)一条工務店の営業でも「20坪の家の契約なんてそんなにないから」と思っていた人はおり、口にだしてそう言っていた人もいたのですが、木南さんの場合はそうではなくて木南さんの担当の家においては「20坪の家の契約」が占める割合がものすごく大きいのです( 一一) そして、私の担当の契約には「20坪の家」なんてほとんどなかったのに対して、木南さんの契約は半分くらいは20坪の契約なのです。私の担当の契約には20坪程度の契約は1993年の松戸営業所の時の松戸市のKさん宅1棟だけで、その際に「ああ、もう、20坪のお客さんなんてまっぴらだ。もうやりたくない・・」という気持ちになったのでしたが、「20坪キラー」の人はそうは思わないで、むしろ、「鼻がきく」というのか20坪で建てる人があると追いかけていくのです。「20坪の契約なんてたいしてない」なんてことは楠さんの契約についてはちっともそんなことないのです。「20坪キラー」と呼ばれる楠さんの契約は半分は20坪ですからね。年間契約棟数全国1位か2位かという人が中に20坪の契約もあったというのとは違って、「(株)一条工務店にはノルマはないがガイドラインがある」とかなんとか詭弁を言いまくっていた会社でその「ガイドライン」なのか「ノルマ」なのかギリギリしか契約とらない人が半分は20坪のお客さんなんですからね。それでその「20坪キラーのおっさん」、契約棟数で私の半分未満の人、「粗利益額」だと私の4分の1未満の人が、「私の担当のお客さんの家なんてオプションなんてまったくないですよ。見習ってください」などと大きな口をききよるのです。(なんかむかつく・・)
だいたい、なんで私は前年で見ても、過去3年間で見ても、契約棟数で見て私の半分未満の人、「粗利益額」で見たならば私の4分の1未満の人に文句言われなきゃならんのだ。(株)一条工務店の管理者はそのあたりを指摘しないのか・・というと、しないのでした( 一一)
木南さんは「私は本当はもっと多く売れるんだけど、わざと売らないようにしてるの」などと言うのでしたが、「””本当はもっと多く””売れる」のなら””本当にもっと多く””売ればいいじゃないかよお・・・と私は思ったのだ。誤解せんといてほしいねんけども、わし、木南さんに「ノルマだかガイドラインだかぎりぎりの棟数だけ売って、それ以上は売らないようにしてください」なんてお願いしたことなんて、いっぺんもないでえ、ほんま・・。 「なんや、川村みたいやな」「『川村くん』とそっくりや」「『川村くん』と一緒や」「『川村くん』とあんまりかわらん」と思った。「川村くん」というのは1970年代後半、大阪府の北摂地区の我が家の近所に住んでいた私と同年齢の男で、私と同じ中学校から同じ北野高校に行って、阪大(大阪大学)の法学部に現役で行って普通は4年間の法学部に5年行って卒業しよった男やったが、その「川村くん」のお母さんが私が浪人中に、「これでもかあ!」というくらいに「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われました」と近所中にぎゃーすかギャースカぎゃーすかギャースカと言ってまわるおばさんだったのだ。まったくもう、うるさいおばはんやなあ、ほんまにもうほんまにい~い! 「京大でも通る」のなら、それなら阪大(大阪大学)ではなくて京大(京都大学)を受けて通って行けば良かったことだろうが。京大を受けずに阪大を受けて阪大に行ったのは自分だろうが! 違うのか。京大を受けようとしたものを俺が妨害でもしたのか? してないだろうが。自分が阪大を受けて阪大に行っておきながら、何をギャースカぎゃーすかギャースカ、近所中にわけのわからんこと言うてまわっておるんや。アホちゃうか・・・と思うのだったが、ところが、うちの親はそういう話を聞かされて、「川村くんは京大でも通ったのに」とか何とか反応するのだったが、困った親やった。だいたい、「北野高校の先生」は「阪大なら絶対に通ります」やなんて、そんなことは普通は言えへんで。北野高校で3年の担任を持っている先生でも「体育の先生」もおれば、大学入試にある科目を担当している先生でも、自分自身は京大とか阪大とか東大とかに行っていないだけでなく受けた経験もいないという人もいたと思うが、中に変なこと言う先生が絶対におらんかったという保証はないとしても、もしも、私が「北野高校の先生」であったなら「絶対に通ります」やなんて、そんなこと「絶対に」言えへんで。むしろ、私が「北野高校の先生」であったなら逆に「最後の最後まで何があるかわからん」と言いますね。もしも「絶対に通る」などと勝手なことを思っていたならば、それは1%でも2%でも落ちる側の要素があるということで、「最後の最後まで何があるかわからん」と認識して受けるなら、それは1%でも2%でも通る側の要素であると考えるからだ。 京大を受けることにしようか阪大を受けることにしようか迷った上で阪大を受けて阪大に通って阪大に行った人には、もしかすると入学後に「京大でも通ったのではないか。京大を受けておけば良かったか」とか考え出す者もおるかもしれんけれども、そう思う人がいたとしても、気持ちはわからんこともないけれども、しかし、京大を受けずに阪大を受けることにしたのは自分だろうが。違うのか。又、模擬試験の成績から考えて、京大でも合格できる可能性はあると思える成績を取っていた場合でも、実際に受けたら落ちることもあるし、「京大でも通る可能性はある」成績を模擬試験で取った者が阪大を受けたとしても、その阪大を落ちることだってあるわけで、実際のところ、阪大というのはあくまでも「同じ学部なら京大よりいくらか易しいかもしれない」というくらいのものであって、無茶苦茶易しいわけではないので、京大を目指していた人が受験先を阪大に変えたとしても「絶対に通る」などと言えるほど阪大は易しいわけではない。又、京大は「アカデミックな伝統」とか「反骨の学風」とか言ってそういうものにあこがれる人もいるけれども、人によってはそういうのが好きではない人もいるわけで、又、それぞれの大学には「けなし言葉」というのがあって、東大は「役人養成所」・慶應大は「サラリーマン養成所」・中央大は「資格試験予備校」とかいった「けなし言葉」があり、それらはそういう面もあるとも言えるのだが、京大については「教員養成所」といったことを言う人もあり、京大の卒業生は学校の先生になった人だけでなく、そうでない仕事についた人でも「学校の先生みたい」な人が多く、「アカデミックな伝統」というのは別の見方をすれば「教員養成所みたいな大学」で「必ずしも実務的ではない」ともとれるわけで、京大と阪大なら阪大の方がいいと思って「京大を受けても通る可能性がある」人で阪大を受けて阪大に行くという人がいても悪いことはない。だから、その「川村くん」が「京大を受けていても通ったかもしれない」のならそれでもいいけれども、ともかく、京大ではなく阪大を受けることにしたのは自分が判断して決めたことであって、私が「すんまへんけども、お願いですから京大には行かんといてもらえまへんかあ」とお願いして京大を受けないようにしてもらったわけでもないのであり、「京大でも通りました」だの「阪大なら絶対に通りますと北野高校の先生が言われました」だのとギャースカぎゃーすかギャースカ言われても、知らんがな、そんなもん。もうええかげんうるさいなあ、このおばはんはあ~あ・・と叫びまくる・・というのは、あんまりいいことではないと思うし、「京大でも通りました」というくらいの息子ならば、アホな母親に「アホなこと言ってまわるのはやめて」「もう、そのくらいにしておいて」と少しくらいは言うべきで、それを言えないなら「京大でも通りました」か何か知らんが、たいした息子やないなあ・・・てことになる。それと「そっくりやあ」てもので、「私は本当はもっと売れるんだけども、わざと売らないようにしてるの」なんて言われても、別に「わざと売らないようにしてください」やなんて、わし、頼んでへんでえ、ほんまに・・てものだった。
木南さんは私に「大阪は、あそこは日本ではないですから。大阪は韓国ですから」とか「大阪の人間は全員がチョーセンジンですから」と私が大阪の出身の人間だと知って、一生懸命、言うのだったが、「東京もんのおっさん」にはそういう人が多いのだが、木南さんもそういうところのある人でした。どうも、「東京もんのおっさん」には相手が大阪出身の人間だと知ると、そういうことを言わなきゃいか~んとスイッチが入る人というのがいるようなのですが、ひとつは、そういうことを言う人というのは教養水準が低い、知的水準が低い、勉強してないからということが言えると思いますが、実際問題として「東京もんのおっさん」にはそういう人が多い。
又、「東京もんのおっさん」がそういったことを言った時に関西人・大阪人は我慢して聞いているのだが、そうすると「東京もんのおっさん」は関西人は我慢して聞くのが当然だと認識するようになるらしく、木南さんもそういうところがあった・・が、関西人・大阪人はそういうものを我慢して聞かないといけないという義務などというものは本来ないのだ・・が木南さんや「東京もんのおっさん」はそれを理解できないようだった。
木南さんは、「大阪の人間はバカですから阪神を『大阪の球団』なんて言ってますが、阪神は兵庫県の球団であって大阪の球団じゃないんですよ。大阪の球団はオリックスであって阪神は兵庫県の球団で大阪にはセリーグには球団はないんですよ。それをわからない大阪の人間というのは本当にバカですよね」と相手が大阪出身の人間だと思うと精力的に言いまくるのだったが、それは関西地域を知らない人間が妄想で言うことで、そんな妄想を平気で口にする人の方がバカでしょう。 大阪府は「摂河泉」3国から成ると小学校の社会科で教えられたことがあるが、「摂河泉」というのは「摂津と河内と和泉の3国」ということだけれども、その3国のうち、摂津は「大阪府の摂津」と「兵庫県の摂津」に分かれてしまっており、「大阪府の摂津」と「兵庫県の摂津」は今は別の府県になっているけれども、かつての「国」だと「大阪府の摂津」は「兵庫県の摂津」と同じ「国」で「河内」「和泉」とは別の「国」だったわけで、大阪平野として見るならば、大阪平野は北西部の六甲山地・北部の老坂山地・東部の生駒山地・金剛山地・南部の和泉山脈と西側の大阪湾で囲まれた地域であり、今の行政区画がどうなっているかに関わらず、その地域は一続きの地域であり、阪神本線や阪急神戸線が走っている所はどこに府県境があるかにかかわらず、その地域は阪神沿線・阪急沿線だ。大阪の人間、もしくは京阪神地域の人間にとっては「大阪の球団」は「大阪府に本拠地の球場を置いている球団」のことではなく、「関西地域の球団」のことだ。だから、阪神の本拠地の甲子園球場がある西宮市が兵庫県に属しているか大阪府に属しているかはたいした問題ではないのだ。
「関西」とはどの地域を指すかの概念は、関西の人間は2通りあり、それと別に東京の人間の区分けがある。
(1) 一番狭い「関西」は京都市と滋賀県大津市の境目付近の大津市にあった逢坂の関より西を言い、ほぼ旧畿内地方、京都府南部・奈良県・大阪府と「兵庫県の摂津」をさすが、旧畿内地方でなくても最近は少し広げて、東側は滋賀県の西の方、南側は和歌山県の一番北のあたり、西側も山陽電鉄が走っている姫路あたりまで、北西側も福知山線の快速が走っている篠山口あたりまで入れる場合もある。淡路島も今では橋でつながったことであり、淡路島も最北端付近は関西に入れてもいいかもしれない。
(2)もうひとつは、鈴鹿の関・不和の関・愛発の関より西を言い、近畿地方に近いが近畿地方より全体的に西に寄っている。三重県でも名古屋に近い桑名とか四日市は「関西」ではなく「中京圏」だが三重県でも伊賀地方は関西に入る。鈴鹿の関より東でも亀山より南側の伊勢地方やかつては紀伊の国だった地域は関西に入れてもいいが「中京圏」と両属のような地域もある。不和の関は滋賀県と岐阜県の境目付近の岐阜県にあり、滋賀県より西は関西で岐阜県でも一番西の滋賀県と境目付近は関西に入る。愛発の関は福井県の越前と若狭の境目付近の越前にあったはずで、福井県でも若狭地方は関西に入り、越前に属した地域でも敦賀までは関西に入る。西側はどこまで関西とするかは不明確だが、おおむね兵庫県は全域が関西だが、兵庫県と岡山県の境目付近の岡山県になると「え~と、境目はどこだっけ」てなるので、新快速が走っている赤穂線の「播州赤穂」は「播州」と言うくらいだから関西として、そのすぐ西の日生(ひなせ)とかは岡山県でも関西に入れてもいいかもしれないし、北側の山陽本線の方も上郡(かみごおり)て兵庫県だっけ岡山県だっけというと兵庫県らしいが、上郡を関西にするならその西の吉永とかも関西に入れてもいいかも・・とすると、何がなんでも県境を境目にしなくても岡山県でも一番東のあたりは関西に入れてもいいかもしれない。だから、《鈴鹿の関・不和の関・愛発の関より西の「関西」》と「近畿」なら《鈴鹿の関・不和の関・愛発の関より西の「関西」》の方が全体的に少しだけ西に寄ってる感じだ。
(3)関西人が考える「関西」はこの(1)(2)のどちらかなのだが、東京人はそうではなくて「箱根の関より西を関西」とする人がいるのだ。関西人からすると「え?」と思うのだが、「箱根の関より西」を関西とすると浜松なんてのも関西になる。浜松を関西と考える関西人はあんまりないのだけれども、「東京もん」は「箱根の関より東を関東」「箱根の関より西を関西」と考える人がおり、長嶋茂雄が「箱根の関より西には行かない」とか言ったことがあったように「箱根の関より西」に対して相当の抵抗を持つ東京人がいる・・が、関西人は名古屋より東を「関西」と言われても違和感がある。
杉山英男『デザイナーのための木構造』(彰国社)にこの「関西」と「関東」の境をどこと考えるかの話が出ているのだが、畳のサイズについては 鈴鹿の関・不和の関・愛発の関が境目だったらしい。
デザイナーのための木構造 - 杉山 英男
それで、だ。阪神は甲子園球場の場所が「大阪府の摂津」ではなく「兵庫県の摂津」にあったとしても「摂河泉」(摂津・河内・和泉)地域のチームであり、(1)の意味もしくは(2)の意味による「関西」のチームであり、関西人が「大阪の球団」と言う時、これは「関西の球団」と言うのとほとんど同じであり、阪神は「関西の球団」であり、その本拠地とする球場の場所が「大阪府の摂津」か「兵庫県の摂津」かは大きな問題ではないのだ。むしろ、「関西の球団」だった阪急ブレーブスを買い取った上で「元巨人で長嶋の腰巾着の土井」とか「元西武の石毛」とかを監督にして「これでもかあ」というくらいに「関西人はオリックスのファンはやめろ」と執拗に要求してきたオリックスブルーウェーブなんて「どっちが苗字でどっちが名前なんか、はっきりせえ」て真弓明信か重信慎之介みたいな名前つけてるチームなんて、人にもよるかもしれないが、「関西の球団」ではないのだ。元阪急の人間を排斥して「長嶋の子分」を監督にする「東京オリックス大阪営業所みたいなチーム」が大阪の球場を使用していても、それは東京圏の球場に空きがないから仮に大阪の球場を使っとるだけのことで、球場借りたければ貸したるでえ~え・・くらいのものでしかない。
そのあたりを理解できない「東京もんのおっさん」が、東京ディズニーランドが千葉県浦安市にあり、東京ドイツ村が千葉県袖ケ浦市にあり、新東京国際空港が千葉県成田市にあり、ナベツネつねお さんは「読売ヴェルディ」を神奈川県川崎市の北の方にサッカー場があるからということで「ヴェルディ川崎」と言われるのを嫌がり「東京ヴェルディ」にしたがったという、そういうのはいっこうにかまわないくせしてからに、「阪神は兵庫県の球団であって大阪にはセリーグの球団はないんですよ。まったく、大阪の人間はそれくらいのこともわからないて、本当に大阪の人間はどうしようもないバカですね」と言いまくるのだが、あんたの認識の方がバカなんやろうが・・と思うが、そういう「東京もんのおっさん」は多く、木南さんもそのひとりで「阪神は大阪の球団じゃないって言っても大阪の人間はどうしようもないバカなものだから理解できないんですよね」と言いまくるのだった。特に相手が大阪出身の人間だと思うと、な~にがなんでも言わなきゃとスイッチ入って言いまくるのだった( 一一)
そういえば、1998年、(株)一条工務店 の栃木県地域の所長だった五十嵐さんが私に「巨人になれ」などと言ったことがあったのだが、おっさん、何言うとんねん・・と思ったものだった。なんで、そんなもんにならされんといかんのじゃ。なんで、そんな汚らわしいもんにならされんといかんのじゃ。人間、言っていいことと悪いことがある・・ということを理解できんのか・・・と思ったものだった。
※ 《YouTube-六甲おろし 唄:立川清登》https://www.youtube.com/watch?v=yV814_p2fxE
《YouTube-大阪タイガースの歌 【六甲颪】》https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4
阪神タイガースはかつては「大阪タイガース」と言っていて、「六甲おろし」でも「阪神タイガース」ではなく「大阪タイガース」と歌われていた。「阪神」は会社名であるとともに地域名で、「大阪タイガース」と言っていた時から兵庫県西宮市の甲子園球場を本拠地としていた。
木南さんは「大阪の人間は、なんで『吹田』を『すいた』なんて読むんでしょうね。『吹田』なら『ふいた』でしょ、『すいた』と読んでほしければ『吸田』と書くべきでしょ。大阪の人間は『吹く』と『吸う』も読めないんでしょうかね」などと言うのだったが、それなら何かい? 東京もんは「吹奏楽」を「ふいそうがく」と読むんかい? 東京もんは「すいそうがく」は「吸奏楽」と書くのか? 「吸奏楽」なら「すうそうがく」と違うんかい? ・・てものだが、相手が大阪出身の人間だと思うと、一生懸命、そういうことを次から次へと言うおっさんやった( 一一)
なんで、これをそう読むのお・・と思う地名は全国に存在している。私が実際にその場所に行ったことがある所としては、2000年前後、(株)一条工務店 で栃木県佐野市の営業所に勤務していた時、小山市に「神鳥谷」と書いて「ひととのや」と読む交差点があった。佐野展示場に小山市から通っていた人がいたので、地元人なら知っているかと思って、「『神鳥谷』はどうして『神』と書いて『かみ』ではなく『ひと』と読むのでしょう?」と尋ねてみたが、「さあ、どうなんだろ。ぼくら、子供のころ、あれを『じんちょうだに』と読んでた」と言われたことがあったが、なぜか、栃木県小山市の「神鳥谷」は「かみとりや」ではなく「ひととのや」と読むらしい。
それに対して、「吹田」の「吹」という漢字は、小川環樹・西尾太一郎・赤塚忠 編『角川 新字源』(1968.初版。 1975.87版。角川書店)を引いてみると、
《 【 吹 】 スイ ふく 》
と訓読みは「ふく」だが、音読みは「スイ」と読むと漢和辞典にきっちりと記載されており、「吹田」「吹奏楽」を「すいた」「すいそうがく」と読むのは奇妙な読み方でもない。 「東京もん」の木南さんは、何をわけのわからんこと言うとんねん( 一一)
「東京もんのおっさん」は大阪の女性は誰もが「ひょう柄の服」を着ているということにしたいようだが、私の知っている「大阪の女性」で「ひょう柄の服」なんてそんなもの着ている人間なんかひとりもいない。
スサノオのみこと が、桧(ひのき)は宮殿に使え、槇(まき)は何々に使え、杉(すぎ)は何に使え、楠(くすのき)は何に使え・・と木の用途について命じられたという話が『日本書紀』にあるらしく、「適材適所」という言葉は木材の使い方からきた言葉だと言われるのだが、この話は何度も読んで確認するのだが「桧(ひのき)は宮殿に使え」という部分は覚えるのだが、杉と槇と楠については、え~と、何だっけ・・・と、どうも忘れてしまう。
西岡常一・小原次郎『法隆寺を支えた木』(1978.6.20. NHKブックス)の小原二郎「5ヒノキと日本人」に書かれている。
《 『古事記』および『日本書紀』の中にあらわれる樹木の種類を調べてみると、53種類もあり、27科40属に及んでいる。この中にはヒノキ、マツ、スギ、クスノキをはじめ、有用樹種といわれるものが十数種もある。その中で興味深いのは『日本書紀』の素戔嗚尊の説話である。それによると、
「日本は島国だから、舟がなければ困るだろうといわれて、ひげや胸の毛を抜いてまき散らしたところ、ヒノキとスギとクスノキとマキが生えた。そこで尊はそれぞれの用途を示して、ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺の材に使え」
と教えたことが書かれている。》
と出ている。クスノキはスギとともに「舟に」使えとスサノオのみこと は言われたそうだ。
法隆寺を支えた木 [改版] (NHKブックス 1257) - 西岡 常一, 小原 二郎
ウィキペディアークスノキ によると、クスノキは《クスノキ科ニッケイ属》だそうだ。
「適材適所」と言われると、うちの父親は「適材適所ちゅうことが大事なんや。わしいとかM川先生(うちの父親の「親友」の医者屋。1980年頃当時、50代。当時、大阪府豊中市在住)とかはドイツ人やねん。そんで、あんたあはチャンコロの民族。わしはドイツ人の民族で慶應の階級。M川先生はドイツ人の民族で医者の階級。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるなチャンコロ!」と毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして叫んでいた。「適材適所ということを決して忘れたはならんぞチャンコロろすけイタコ! わしとかM川先生とかは自分ではやらずに人に命令し人に号令かけるのが向いている民族で階級。おまえはチャンコロであるからして、常にひとから命令され号令かけられるのが向いている民族で号令かけられることに何よりも喜びを感じる民族。すなわちチャンコロである。チャンコロであ~る!」と毎日毎日言うておった。今でもその文句が耳元でわんわんうなっている。「号令かけられるということがチャンコロにとっては大好物。そやから、おまえは号令かけられると喜ぶねん。それ、チャンコロ喜べ、チャンコロ喜べ、チャンコロちゃんころチャンコロ喜べ、うれしいうれしいうれしいねえチャンコロ~お」と毎日毎日、おっさんは私に言うておった。
毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けて、そして、思うようになった。
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)
階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と。
又、「この民族の違い・階級の違いというものは『天の神さま』というお方がお決めになったことであって、人が変えようとしても決して変えることはできないし、神様が定められた民族の違い・階級の違いを変えようとする不心得者を『天の神さま』は決してお許しにはならぬぞチャンコロろすけイタコ!」とそう「ドイツ人で慶應のお方」はおっしゃるのだった。
毎日毎日、何度も何度もそう言われてきて、そして思うようになった。
「造反有理(造反には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)」
「革命無罪(革命は無罪である)」と。
反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル
反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
木南さんの話はまだまだま~だまだあるのですが、今回は平野神社参拝ですからこの程度に置いておいて、木南さんのお話は別の機会に述べることにしたいと思います。
※ 平野神社HP https://www.hiranojinja.com/
ウィキペディアー平野神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
京都総合観光案内所 平野神社 https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=445
平野神社の東側の南北の通りを平野通りと言うそうです。平野通りを北に歩き、平野神社の北側の道を西に進むと西大路通りという路線バスも通る南北の広い通りにでます。
↑ 西大路通り。 平野神社の西側のすぐ北あたりから北を見て。
ここを北に歩いた西側に「わら天神」があるのです。 「わら天神」と言うからには祭神は菅原道真か・・と思って行ったのですが。名称は「わら天神」でも祭神は菅原道真ではなくコノハナサクヤヒメ らしく、正式名称は「敷地神社」と言うらしい。
西大路通りを少し北に歩くと、右手に「しまむら」があり、その向こう、東の方に寺院風の建物が見える。↓ あれは何だろう・・と思ったが、
↑ 「天理教 西陣大教会」だった。
さらに北に歩くと、左手、西大路通りの向こう側に「神社の杜」のようなものが見える。あれが「わら天神」だろうか?・・と思ったが、
↑ この杜は「わら天神」ではなくて、「わら天神」の少し南、「わら天神」交差点のすぐ南の「金撰八幡宮」のようです。
金撰八幡宮 の少し北、南北の西大路通り と「わら天神」交差点で交わる東西の通りは 蘆山寺通り と言うようです。蘆山寺通りと言うからにはその名前の寺がこの通り沿いにあるのか・・と思って地図を見ますが見当たりません。
「わら天神」交差点を過ぎて、北西に「神社の杜」らしきものが見えます。↓
↑ これこそ、「わら天神」(敷地神社)のようです。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html 、その「わら天神(敷地神社)を訪ねます。 西大路通りをさらに北に進むと「金閣寺前」という信号がある交差点があり、そこを西に入ると鹿苑寺(金閣寺)があるようで、「金閣寺前」交差点で西大路通りと交わる東西の道が「鞍馬口通り」、なんでそういう名前なのかわからないが「鞍馬口通り」で、東に進むと京都市地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅に行きますが「鞍馬口通り」は西から東まで「鞍馬口通り」であり、烏丸線「鞍馬口」駅は南北の烏丸通りと東西の鞍馬口通りとの交点の場所で、烏丸通りまでは距離はけっこうあります。
(2024.2.16.)
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「捏造」する検察 (宝島社新書) (宝島社新書 318) - 井上 薫
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モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか (別冊宝島Real 28)
☆ 北野天満宮(京都市上京区)参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点。わかりにくい京都市地下鉄烏丸線の駅名。京都で下宿すると安いと曲解している連中。「女性社員の尻を『次はこういう撫で方したらどないでっか』と言いなさい」と言う父親は「いいお父さん」か? そういう父親を「ものすごいすばらしいお父さん」と称賛する高校教諭は「ええ先生」か? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。「アタマが浜松」的一条工務店東京展示場は厳しかった。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門。「伴」「大伴」氏が藤原に斥けられた後に菅原道真の件が。藤原色がいくらか薄い天皇は「反藤原」ではなく「いくらか非藤原」を目指したか。藤原氏傍流は藤原北家に常に加担していなかったか。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。秀頼による北野天満宮造営は豊臣の財力を消費させるためだったのか。「学業成就・合格祈願の神様」は「あとづけ」で冤罪を晴らす神・怨念を晴らす神が本来であろう。模擬試験の「判定」に「人事を尽くして天命を待て」という文言は余計。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。「闘うきみの歌を闘わないやつが笑うだろう」の中島みゆき はいいとして、自分は人生・生活において犠牲になってないのに「犠牲の精神を教えたい」とぬかす川相は許せん。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。社殿の東面には思い入れ。「京のぶぶづけ」の話を「大阪の人間は」と言うアホ慶大生。「ぶぶづけでもどないだすう」と言われても帰らないであろうバカ慶大生。管理費は入居者を管理するための費用と考えていた日吉台学生ハイツの管理者。元自衛隊は「企業からの問い合わせ」に何言いよるやらわからん。自衛隊に武器を持たせて大丈夫か? 母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」にされた息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。崇徳院が白峰神宮で早良親王が崇道神社。上御霊神社・下御霊神社の祭神と「十二社」の祭神で共通する人が何人か。狭山事件に関して署名を求める人は強制はしないでもらいたい。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。自分がやったことを相手がやるだろうという思考を持つ場合はある。自分も黄色人種なのにアメリカ合衆国に行ってワスプになったつもりで「けったいなやつが多い」とか言うおっさん。「心理学」は怖い。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社。中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。クスノキは舟に使え。「本当はもっと売れるのだけれど、わざと売らないようにしてるの」という営業は「本当にもっと」売ればいいじゃん〔今回〕
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。ブス建築は耐久性があると奇妙なことを教える営業本部長 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。高耐久性ブス建築は魅力的か?「言い方にもよる」ということを理解できない一条浜松流本舗。勝ちは静岡県愛知県の者の勝ち・負けは東京都神奈川県の者の負けとしたがる一条オリジナル遠州人。木質系建築業の不良経営者を懲らしめる神・大山祇神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社。他社と他社従業員との労働契約に不当な口出し介入する現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング。後進国の外資系企業 (株)一条工務店。父親がある人間は「父親がいなかった」娘より得しているとは限らない、ということも理解できないアホ高校教諭。無駄になった京都の街を歩いた子供の頃の経験https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html
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