新井薬師(新井山梅照院薬王寺)参拝【4/7】本堂・鐘楼。警察官は人を射殺する権利があるのか。並ぶのんめんどくさい派。水曜休みの会社は日曜休みの会社より祝日の分だけ休みが少ない。「会社のために犠牲になる」はよその息子のために人生を犠牲にすることを意味する。「受験のためには眼なんかつぶしてもええ」と言われて眼だけ奪われた。2人でやって1人でやった時の倍できたと言う男。工場長は従業員の健康を守るのが仕事か健康を破壊するのが仕事か。
[第1052回]
新井薬師(新井山 梅照院 薬王寺)参拝の4回目です。
山門をくぐり、左に修行大師像・聖観音像・霊堂を見て、右に水子地蔵・お願い地蔵と不動堂を見て進むと右手に「水屋」があり、そのあたりに警察官が何人もいらっしゃるのが見える。お~こわ~あ・・・↓

↑ 「最後尾」と書いた札を持っている人は警備員で民間人ですが、その後ろあたりに何人かいらっしゃるのは警察官のようで、警棒をお持ちのっようです。 インターネット上のニュース記事だったかYouTube だったかに、カッターナイフ1本持っていたという「犯人」を警察官が4人だか5人だかで取り囲んだ上で射殺した、というものが出ていたが、怖いですねえ。まず、この人たちて、何のために警棒もっているのでしょうね。 「カッターナイフを持っていた」という程度の人間1人なら、警察官なら素手ででも抑えられるのではないのか、何のために警察署には柔道場があるんだ。何のために警察官は柔道や剣道の練習しているんだ。・・もっとも、小堀住研(株)にいた時に契約してもらった警察官をやっていた方から聞いた話では、けっこう仕事が忙しくて柔道や剣道の練習する時間をなかなかとれない、というのだけれども、そういうことはあるのかもしれないけれども、それでも一般人よりは対応できてよさそうに思えるが、「しろうと以下や」みたいな人間がいる。たかだかカッターナイフ1本持ってるだけの人間を射殺しなければおれないシンドローム というのは””病気””ではないか。素手では難しいのならば、警棒でそのカッターナイフを叩き落せばいいのではないのか。それをしないで射殺するなら、何のために警棒もっているんだ。警棒では防ぎにくいのならば、どこかから椅子でも机でも持ってきてそれで防ぎながら他の者が抑えるとかできそうなものだ。「刃物をもっていたのだから」とかコメント欄に出ていたが、「刃物」と言ってもたかだかカッターナイフ1本持っていたという程度の人間を警察官が4人も5人もいて射殺しなければおれないというのは異常だ。「しろうと」でもそんなことしない、というよりも、もしも、「しろうと」の私が本当に襲われて防ぐために「正当防衛」で相手を押さえつけたとして、その「押さえつけた」という行為を「正当防衛」と認めてもらえるかどうかはわからない。それに対して、警察官というのは、たかだかカッターナイフ1本持っていたという程度の人間を射殺しても「正当な業務」と主張できる、というのは怖いねえ・・。それ以上に怖いのは、コメント欄にその射殺した警察官を「よくやった」「もっとやれ」とかコメント入れてる人が大量にいた、ということだ。ほんと、恐ろしい。そのカッターナイフ1本もっていたという「犯人」よりも、射殺した警察官を「よくやった」「もっとやれ」等等とコメント入れていた人たちの方が怖ろしい。
「最後尾」というのは本堂の前、賽銭箱の前まで行って拝むための列の最後尾です。ここに並べば本堂の前まで行って賽銭箱にお賽銭を入れることができる、ということのようですが、


↑ 新井薬師 本堂。 手前の小さい屋根は、新井薬師HP の「境内を巡る」https://araiyakushi.or.jp/map/ によると「大香炉」だそうです。
それで、こういう行列があると並ばなきゃ・・と思う人もいるようですが、私はそう思わなくなった。 仏さまを拝むのに、別に行列に並んで前に進んでお賽銭箱の前まで行って拝まなくても、斜め前の位置から手を合わせて拝んだってかまわんじゃないですか。 そう思いませんか。お賽銭を入れなきゃ拝んではならないというものではないし、今回の場合は、水子地蔵さん・お願い地蔵さんの所と聖観音さんの所にけっこうお賽銭は入れましたし、御朱印を書いていただくのに授与所で500円払いましたし、御守りも購入しましたし、それでいいでしょ。
まあ、「せっかくここまで来たのだから、少しくらいなら並んでも正面まで行って拝んでいこう」と考える派の人もいるのだろうけれども、「並ぶのんめんどくさい」派もいるわけだ・・。
何年か前、京都の大原の三千院に参拝した時、三千院のお坊さんが来られている人に「お賽銭を入れないと拝んではいけないなんてことないんですよ。お賽銭を入れなくても拝んでいいんです。遠くから来た人が、後から、お賽銭を入れてくるんだった、しまった と思った時には、近くのお寺に行ってお賽銭を入れてくればそれでいいんです」と話しておられたのを聞いたことがあります。 ・・たしかにそうだよなあと思いました。まあ、三千院の場合は入口で拝観料として800円払いましたから、拝観料をある程度以上払って入場するお寺の場合は、お賽銭は入れても入れなくてもいいと思いますが、拝観料を払わなくても入場させてもらえるお寺の場合は、施設利用料の意味合いでいくらかは何らかの方法で納めてきた方がいいのではないかと思うのですが、今回は私は水子地蔵さん・お願い地蔵さんの所と聖観音さんの所にけっこう納めてきましたし、御朱印を書いていただくのに500円納めましたし、御守りも購入して代金を払いましたから、それでいいにしていただいてもいいのではないかと思います。
何年か前、京都の上賀茂神社に参拝した時には、特別拝観として、たしか500円納めることによって回廊の中に入れてもらって回廊の内側から社殿の方を見せていただくことができたのですが、そこで「神職」のボーズじゃなくて若僧ではなく若僧が「こちらに来て参拝してください、こちらに、ぜひ」と言って一定の場所に行かそうとするので、そこにいったい何があるのか・・と思って見たら、なんと、そこには風呂桶みたいなでっかい賽銭入れの箱があったのです。 なんだ、こいつは・・と思いました。 私はその若造に「写真は撮らせていただいてもよろしいでしょうか」と言ってみたところ、「とんでもない。ものすごい神聖な場所ですから、とんでもない、とんでもない」と言うのでしたが、あんまり神聖な場所には見えなかったですね。そのでっかい風呂桶みたいな賽銭箱が何より大事という若造が言う「神聖」というのはおよそ神聖には思えませんでした。 その前に、上賀茂神社というのはいったい何回、賽銭払わせれば気がすむのか・・とあきれた。「えらいぼりよんのお」 「もう、さっき、払ったやろうが・・」と。 まず、すでに拝殿の位置で一度、お賽銭は払っているのです。 すでに払った後に「特別拝観」として拝観料も納めてそこに来ているのです。 すでに拝殿の位置で一度、お賽銭を払い、その後に特別拝観料という名目で二度目のお賽銭を払い、又、御朱印を書いていただくことで御朱印料もすでに納めてきている者に向かって、「さあ、こちらに来て。さあ、ぜひ、こちらに来て」と執拗に言ってでっかい風呂桶賽銭箱の方に無理矢理誘導しようとするのでしたが、上賀茂神社の神職にとっては風呂桶賽銭箱の所に来てカネ払ってもらうことが一番大事のようでしたが、「これは払っちゃいかんな」と思い、その風呂桶賽銭箱には断固としてカネは入れませんでした。あんな下品な賽銭箱にカネ入れたあかつきには、むしろ、神罰が下るのではないか・・とそう思えた。
どうせ、薬師如来さんはお堂の奥の方におられるわけですから、行列に並んで賽銭箱の前まで行ってもお姿をとっくりと見ることができるわけでもないでしょうし、正面から拝まなくても斜め前の位置から手を合わせたっていいわけですから今回は行列に並びませんでしたが、もうひとつ、行列に並びたくない理由として、なんか、最近、ラーメン屋で「行列ができる」とかいうのを自慢にする店ができているのではないかと思うのだが、せっかく自分の店に食べに来てくれた人を「待たせる」、それも「行列までして待たせる」というのは、それは行列までして待たせて申し訳ないと考えるべきもののはずなのに自慢にする店があるらしい、「たかがラーメン屋が」。 「たかがラーメン屋」と言うことはないのだけれども、人を行列させて、それを自慢にするようなやつというのは「たかがラーメン屋が」と言ってやっていいと思うのだ。 2024年末に亡くなったナベツネ恒雄さんが「たかが選手が」とおっしゃったが、まあ、そういうことを言わなきゃおれない症候群の人だった。 選手会がストをやって団体交渉に社長ではなくオーナーに来てもらってオーナーと話をしたいと選手会長の古田が言ったのは、それは、団体交渉というものには使用者側・経営者側は必ず社長が出ないといけないということはないが、副社長とか専務取締役とか人事部長とかある程度以上は権限を持っている者が出ないと団体交渉に応じたことにはならないものであり、たとえば人事部の入社して1年目のヒラ社員に団体交渉に出席させて「団体交渉に応じた」と主張しても、それは団体交渉に応じたことにはならない、それでは「断交拒否」として労働組合法第7条に違反する不当労働行為と評価されることになる。 プロ野球の選手会との団体交渉には経営者側は社長が出ていたわけだから断交拒否にはならないようにも思えるけれども、古田が「社長ではなくオーナーと話をしたい」と言ったのは、プロ野球の球団の場合は「社長」が一番上ではなく「社長」の上に「オーナー」がおり、球団の数を削減するとかしないとかいう話については「社長」ではなく「オーナー」と話をしないとどうもならないと考えて言った発言であるから、「オーナーと話をしたいとは。何様のつもりだ。たかが選手が」などと言ったのでは、それでは「断交拒否」「不当労働行為」ということになる。 たかが、この程度のことも理解できない男が何を「たかが選手が」などと言っているのか( 一一)
しかし、ナベツネ恒雄さんが「たかが選手が」と言った発言にも、「俺よりも高い給料とりやがってからに。たかが選手が」と発言した方の「たかが選手が」については、たしかにそう思うところもある。 たかが野球ができるというだけのくせしやがってからに、いったい、いくらカネもらえば気がすむんだ・・・というところは、これは間違いない。 それと感覚が似ているのだが「たかがラーメン屋が」人を行列させて、それを自慢にするとは、「何様だと思ってるんだ」てものだ。 ・・・お寺の薬師如来さんの場合はそれと同じということはないとしても、行列して列の前まで行ったらご利益があるわけでもないだろうし、並ぶ気にはならなかった。
もうひとつ。住宅建築業の会社に長く勤めてきて、水曜休みに慣れてしまって、そうなると、日曜日に出かけると、なんでこんなに混んでるんだ・・という感覚になってしまうのだ。 今は昔、中条きよし という歌手が「あなたが私につ~けた~くせ・・♪」という歌を歌っていた。(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に5年間勤務して、そこで 福島県浜通り地方の生活が「くせ」をつけたようなところがあったのだが、「鍵をかけずに眠るくせ。ねむ~るうく~せ~え♪」・・と、どうも、平和な福島県浜通り地方の「くせ」がついてしまい、東京圏に戻ってきても鍵をかけずに眠りそうになって、こりぁいかんいかん・・とあせることがあったのだ。
※ YouTube-うそ - 中条きよし(Kiyoshi Nakajyo)【1974年】#うそ #中条きよし https://www.youtube.com/watch?v=sXjw49f3sD4
「あなたが残した悪いくせ。・・鍵をかけずに眠るくせ、ねむ~る~く~せ~え・・♪」
いやあ、福島県で5年も暮らすと危ないわあ、東京に戻っても福島県の時のくせがなかなか抜けないわあ・・・
そして、土日休みではなく水曜休みの仕事である住宅建築業の営業の仕事を十年以上勤めたおかげでついたくせとして・・・➡どこにおいてであれ、ともかく、「並ぶ」というのが嫌になった。
ウィキペディアー梅照院 によると、
《 本尊は空海作の伝承を有する薬師如来と如意輪観音像である。本尊は表を薬師如来、裏を如意輪観音とする二仏一体の像であるとされ、秘仏であるが、12年に一度、寅年のみに開帳される。》
ということらしい。
だから、行列に並んで賽銭箱の正面まで行けてもご本尊のお顔は拝めない、ということだから、並ぶことなかった。まあ、並びたい人は並べばいいが、「あなたが私につけた~くせ」と水曜休みの住宅建築業に長く勤めたことから、「並ぶ」のんがともかく嫌になった。
水曜休みの会社というのは、日曜休みの会社と違って、休みの日にどこかに行こうとした時に「すいてていい」と思うかもしれないがどこに行っても人はいないわけだから「出会いもない」。
そして何より、独身者には、銀行とか市役所とかに行かなきゃならない用事がある時には水曜休みの会社に勤めていると日曜休みの会社に勤めている場合とは違って、休みの水曜日に銀行とか市役所とかに行くことができる・・・というメリットはあるものの、大きな問題として、日曜休みの会社というのは「国民の祝日に関する法律」で休みとされている日は休みなのだが、水曜休みの会社というのは「国民の祝日に関する法律」で「国民の祝日」とされている日は仕事日なのだ。その分だけ、仕事日が多い、休みが少ないのだ。 それでいて、その分だけ、給料は高いかというと、高くないのだ。
そういえば、(株)一条工務店で営業本部長の天野隆夫にフィリピンパブに連れていってもらったことがあったのだが、そういう店ではホステスのねーちゃんと店の開店前に会って一緒に出勤する「同伴」とか、店が終わった後にどこかに一緒に行く「アフター」というものをやる人がおり、営業本部長の天野隆夫さんはフィリピーナのねーちゃんを焼肉屋とかに連れていってやり、私も一緒に焼肉食わせてもらったのだった・・・が、しばらくして、気づいた。 あのフィリピーナのねーちゃんの食ってた焼肉というものは、あれは(株)一条工務店が俺の給料へつったカネが化けたものじゃないか、ということに。 (株)一条工務店が労基法違反で本来なら従業員に払うべきものを払わずにおいたカネの一部が化けたものじゃないか、ということに。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の後、(株)一条工務店の「初代社長」というありもしない役職の大澄賢二郎が言い出したとして、「お世話になった浜松市に恩返しをしたい」と、その言い方だと浜松市以外の都道府県・市町村には世話になってないと言いたいんかい・・て感じのことを言い出して、「防潮堤の費用」と称して浜松市に300億円の寄付をした、「大澄賢二郎は男でござる」などとインターネットに出ていたが、おそらく自分で入れたコメントであろう・・と思われるが、気づいている人は気づいていると思うのだが、そのカネって本来、従業員に払っておくべきカネを払わずにため込んだカネの一部であろうが( 一一)
(株)一条工務店にいた時、同じ営業所にいたおじさんと話したことがあるのだ。「一条工務店の展示場が増えて、全国に営業所ができていく・・というのは会社が大きくなっていいように一見思えますけれどもね・・・、落ち着いて考えてみると、要するにそれは、私たち従業員に払っておくべきカネを払わずにちょろまかしたものが化けたものだ、ということですよね」と。 「御名答~!」と。
まさに、そうなんだよ。 慶應大学の商学部の「会計学総論」という講義で、内部進学の黒川行治 先生という助教授(後に教授になって今は名誉教授らしい)が「皆さん、利益は労働が生み出したものだと思いますか、それとも資本が生み出したものだと思いますか。労働が生み出したと考えるのがマル経(マルクス経済学)の立場、資本が生み出したと考えるのが近経(近代経済学)の立場ですね」とおっしゃった・・のだったが、な~にをナマ言うとんねん。 そんなもん、冷暖房のきいた部屋で椅子に座って『マルクス経済学を学ぶ』とか『近代経済学』とかいう題名の本を読んで考えるから、「さあ、どちらだと思いますか」などと口にするようになるのだ。 アホか。そんなもん、利益を生み出したのは労働なのか資本なのか、なんて、そんなもの、(株)一条工務店に勤めれば、そんなもん、たちどころにわかる。利益を生み出したのはマル経の立場に立とうが近経の立場に立とうが、労働だ。利益は労働が生み出したに決まっておるだろうが。労働が。アホか。我々が契約になるかならないかにかかわらず、夜遅くまでかけずりまわって営業活動をやっていたまさにその時に、アルコール付きでフィリピン人女性ネイティブスピーカーと対面でタガログ語講座うけてたおっさんが生み出したわけないだろうが。何をアホなこと言うとんねん。たとえ、近代経済学の立場に立とうが利益を生み出したのは労働だ! 労働が生み出したに決まっとるだろうが。
何でも「できる」ということはできないよりもいいことだとは思うのだが、日本では「英語ができる」とか「フランス語ができる」となんか人間の値打ちまで高く評価されてしまうようなところがあり、それはどうかとも思うのだが、それでも「英語ができる」「フランス語ができる」「イタリア語ができる」はいいとは思うのだが、「タガログ語ができる」「タガログ語が話せる」というおっさん・・というのを見ると、なんか、かえって軽蔑したくなってくる。特に(株)一条工務店にいる「遠州弁とタガログ語のバイリンガル」ておっさん、なんだかなあ~あ・・・て感じがしてくる。・・せえへんか? するやろ。なんだかなあ~あ・・て感じが。
そういえば、2010年だったか2011年だったか、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二が会社で『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)を見ながら「従業員に、いったいどういう遊びをさせてやろうかなあ」などと口にしていたのだったが、なんだかなあ・・・、社長以外の従業員誰もが必死で働いている最中に、ひとりだけ会社で『地球の歩き方』見ながら「遊びの研究」やってる社長て、なんだかなあ~あ・・・と思っていたら、倒産した。 「そんなもん」なのか?
野村じいさんは「ろくでもない投手の球ばっかり受けてきた気がする」とか書いておったが(例外が杉浦らしいが)、・・なんだか、ろくでもない会社にばっかり勤めてきた感じがする。
新井薬師・新井山梅照院薬王寺の本尊は薬師如来と如意輪観音で、ご利益としては病気平癒、特に眼病平癒らしい。授与所では「メグスリの木」も売っていた。
考えてみれば、私は産まれた時は五体満足で産まれたのに、だんだんと悪い所ができてきてしまって、今では悪い所がけっこうある体になってしまった。
中学生から高校生くらいの時には、「睡眠時間を十分にとって眼を休めて視力が悪くならないように」と言うと、うちの母親から「眼えみたいなもん、つぶれてもかまわん。受験がすべてや」と言われた。 そんなこと言うかなあ・・・、そんなこと、親が言うかなあ・・とも思ったが、うちの親は言うのだった。そして、そう言って勉強させたからには大学に進学する時には行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をさせてもらえるのだろう・・・と思っていたらそうではなかった。 うちの父親は私に「そんなもん、せんでもええんじゃチャンコロろすけイタコ!」と言って、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に暴力と強制で行かされた。しまった、こんなことになるなら勉強なんかするんじゃなかった・・とまではいかないが、少なくとも眼が悪くならないようにしておけば、今頃、「老眼と近視」に苦しむことなく、せめて「老眼だけ」ですんだのだった。
うちの父親は毎日毎日、私に「会社のために滅私奉公」「会社のために犠牲になる、犠牲の精神、犠牲の精神」と言いまくり、「会社員というものは、どんなに大風が吹こうが大地震が来ようが、たとえ通勤手段がなくても会社に出勤するもんじゃ」と耳元で言いまくってきた。その結果、ふと気づくと、その思考が身についてしまい、たとえば1994年、(株)一条工務店で福島県いわき市で勤務していた時、台風と大雨で道が冠水して川は濁流が流れてあふれそうになっていた日、「それでもどんなにしても出勤するもんや」とうちの父親から教えられてきたアホはそれを実行した。まさに「二十四時間戦えますか」て感じのことをしたのだった。
※ YouTube-24時間戦えますか? https://www.youtube.com/watch?v=VHYFDipo5Kc
完全に冠水した道路を走って、もしかして俺はこの川みたいな道で命をなくしてしまうのではないだろうか・・と思いながら水の中をクルマで走って会社の近くになんとかたどりついた時、とりあえず、会社に電話しておいた方がいいと思い、住宅展示場に電話すると、佐藤賢二という40代のおっさんが電話に出て、水がクルマのタイヤの真ん中より上まで来ている川みたいな道を走って来た者に向かって「こらあ。速くこんかあ」と怒鳴りつけた。 その後、その展示場まで行って知った。私に怒鳴りつけた佐藤賢二さんは展示場のはす向かいのアパートに住んでいるおっさんだった・・ということに。おのれはクルマを運転することなく、まったく冠水していない道を向かいまで普通に歩いて来ればいいだけだったことから、完全に冠水して川みたいになった道を苦労して走ってきた者に向かってそういう口をききよった、ということを。
そして、翌日、その展示場の「リーダー」で副所長になっていたK井(男。当時、30代なかば)から「おまえ、昨日、ここまで来たのか? バカでねえの」と、そう言われた。「命あってのものだろうが」と。 所長の草野次男さん(男。当時、50代)からも「おめえ、昨日、あの大水の中をクルマでここまで来たのか。バカと違うか」と。 しかし、草野次男さんは所長なのだから、そういう時こそ、従業員の家に電話を入れて、「今日の状態はおよそ、通勤できる状態ではないから自宅で待機しておいてくれ」と伝えるべきもののはずで、それが所長の仕事ではないか、それをしなかったというのは所長として職務怠慢ではないのか、と思う。所長の役職手当をもらっていたはずなのだ。 しかし、総務部長の天野雅弘(男。当時、40歳くらい)は「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違いますから」と言うのだったが、しかし、「管理したり指導したりするのは所長の仕事と違う」のなら、それなら誰の仕事なんだよ??? 「所長の仕事とは違う」のならば、所長以外でこの人の仕事と会社が決めてその役割を果たさせるべきものであろう。それを実行していないということは(株)一条工務店という会社は「保護義務違反の会社」ということにうなる・・が、実際、保護義務違反の会社だった。(株)一条工務店は「保護義務違反の(株)一条工務店」だった。
私はそういう「保護義務違反の(株)一条工務店」に11年余りも勤めた。よく頑張った・・とも言えるが、アホと違うか・・とも言える。「アホと違うか」という方が正しい解釈かもしれないが、それでも「よく頑張った」と思う。
私が冠水してクルマのタイヤの真ん中より上まで水がきている川みたいな道を長々と走って出勤した時、テレビのニュースで見たものによると、いわき市内で「川みたいな道」をクルマで走ってその結果、クルマが水に浮き、水に浮いたクルマが流されて正真正銘本物の川まで流され、さらに「本物の川」から太平洋にまで流されて命を失った人が一人いた、と報道されていた。私ももう少し条件が変わっていたらその人のようになって「川みたいな道」から「正真正銘の川」に流されてさらに川から太平洋まで流されていたかもしれない。(株)一条工務店はそうやって会社のために尽くした従業員に対して恩を仇で返す態度をとった。

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2001年、(株)一条工務店は栃木県の小山市の営業所に勤務していた営業の縁故入社で小嶋という男(当時、40代前半)を採用して私が勤務していた栃木県佐野市の営業所に配属したが、この40代で高校生の娘がいるというおっさんは、入社早々、会社が仕事を覚えられるようにと配慮して佐野営業所で社歴が一番古い「高木のおっさん」(男。当時、50代なかば)の隣りに配置したのだったが、ところが勝手に女性社員のY川(女。当時、30歳)の隣りに移動して、横から手を伸ばして尻を撫でる。 Y川が日曜日に展示場の入口で受付をしているとちょっかい出しに行って営業中の展示場の入口で大声ださせる。営業妨害も甚だしい。
日曜日、住宅展示場の来場客が最も多い午後、(株)一条工務店の佐野展示場の玄関の目の前の駐車スペースに自分のクルマをわざわざ斜め止めして2台分を占拠して来場客のクルマを停められないようにする。私が「小嶋さん、そこは来客用の駐車スペースなので、向こう側に移動させてください」と言うと「なんでえ~え」と言う。「なんでえ~え」と言われても、そんなことすらもいちいち教えないとわからない40代のおっさんなんて、採用すんなよ・・と思うのだがそれを採用したがる症候群が(株)一条工務店の所長だったのだ。
さらに、住宅展示場の見込客が来るスペースとガラス扉1枚しか間にない事務所内で展示場の営業時間中にパソコンのDVDでアダルトビデオを大音量で見て、女性の喘ぎ声が展示場の事務所にとどろき渡る。私が「小嶋さん、もうそのくらいにして」と言ってもきかない。
私は、所長の木下(きした)は(株)一条工務店の経営者からこんなアホを採用したということでマイナスの評価を受けてしまうぞと思い、親切で木下にこれらを話してあげたところ、木下は「あんた、注意しろ」と私に言うのだった・・が私は「嫌です」と言ったのだ。「もしも、私に注意させたいのならば私を所長にならせてください。私を所長にならさずに私以外の人が所長になっているのならば、所長になっている人が注意してください」と、そう言ったのだ。
木下は「まあ、ぼくが言うけれども。しかし、あんただってもう入社して10年も経つんだから、そんなに遠慮しないで思ったことを言っていいよ」と言うのだった。そのすぐ後のことだが、小嶋はまたしても、もうひとりの女性社員の旧姓須藤(女。当時、20代後半)に事務所内で尻を撫でて、旧姓須藤が「いやあ~。お尻さわったああ~あ」と大声をあげた。 もはや、これでは職場ではないぞ。
後に、総務部長の天野雅弘が「そんなやつ、どうせ、半年でいなくなるやつなんだから、放っておけばいいじゃないか。なんで、そんなやつに言うんだ」などと私に言ったのだが、私に「注意しろ」と言ったのは所長(役職名は「副所長」だが、役割は所長)の木下(きした)(男。当時、40代)であり、木下は個人として私に言ったのではなく、(株)一条工務店の職制上の立場で指示したのだ。 それでも私はそんなアホに注意する役なんかやりたくなかったから、だから「嫌です」と「私に言わせたいなら私を所長にならせてください。私を所長にならさないなら、所長になっている人が注意してください」と言ったのだったが、その後も小嶋の態度・行状は変わらず、天野雅弘は「そんなやつの成績なんかどうでもいいだろうが」と言うのだったが、私は「そんなやつの成績」の心配なんかしていない。そうではなくて、そいつのおかげで佐野展示場の営業の「芯」であった私の営業活動が妨害されていたのであり、小嶋の営業成績の心配なんかすることないが私の営業に支障が出ていたので、それであのアホを何とかしてくださいと所長の木下に言ったのだった。会社は自分の展示場の玄関の目の前に日曜日の午後におのれのクルマを斜め止めにして来客がクルマを停められないようにするようなアホは採用するべきではないし、採用してしまったのならきっちりと所長が注意して指導するべきものだ。総務部長の天野雅弘は「指導したり管理したりするのは所長の仕事とは違います」と言うのだが、それなら、いったい誰の仕事なんだよ、誰の仕事???
それで、小嶋が展示場の事務所内で女性社員の旧姓須藤M美の尻をさわり、「いやあ~、お尻さわったああ~あ」と大声をあげさせて営業妨害・業務妨害を働いたので、私は言いたくなかったがしかたなしに「小嶋さん、あなた、そういうことをやっていると、そのうち会社におれなくなるよ」と言って注意したのだ。ところが、そうすると、入社したばかりの小嶋は入社10年目の副店長の私に「なにおお、こいつう。このお」と言ってすごんできたのだった。
所長の木下(男。当時、40代。最終学歴:高卒)は地方証券会社の水戸証券というものになぜか事大意識を持っていて「小嶋さんは水戸証券にいた人なんだ。優秀なんだ」などと「アホちゃうか」ということを言っていたのだが、なんで、地方証券会社・二流証券会社がそんなにありがたいのかよくわからんが、その「優秀なんだ」という水戸証券https://www.mito.co.jp/ というのは、そんなものだったのだ( 一一)
総務部長の天野雅弘は「そんなやつ、どうせ半年でいなくなるやつなんだから、放っておけばいいだろ。女にええかっこしようと思ったんだろう」などと言うのだったが、そんなアホなこと思うわけないだろうが。旧姓須藤雅美(女。2001年当時、20代後半)は(株)一条工務店に入社する前はネッツトヨタ栃木(株)https://www.netztochigi.co.jp/ に勤めていた女で、ネッツトヨタ栃木(株)という会社はどういう会社か、ネッツトヨタ栃木(株)にいた女というのはどういう女なのかというと「私が勤めていたんネッツトヨタなんて、朝来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい~い、というそんな会社でしたよお。同意の上だからいいんですけどお。私もさわりにいってましたしい」などと言うそういう会社でそういう女だったのだ。だから、私は旧姓須藤が(株)一条工務店に応募してきてその時の所長の五十嵐(男。当時、50歳くらい)が「あれはいいわあ~あ」などと変に感心していたのだったが「そうかあ~あ」と思い、むしろ、そういう「朝来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい~いという会社」なんて所に勤めてきた人で「それが会社の常識よお、会社の常識~い」と言いまくる女なんか採用しない方がいい、そういう女を採用すると会社の風紀が乱れる・・と思い、いいと思わなかったし、私が所長なら旧姓須藤は採用しなかった可能性が大きい。元から旧姓須藤はそういう女であり、そんな女に「ええかっこしようとしたんだろう」などと言われることこそ心外であり私に対する侮辱である。 旧姓須藤はすでに20代も後半、四捨五入すると30の年齢であり、なんであれ自分で対応すべき年齢であり、なんで私が須藤のために何かやらんといかんのだ。私が心配していたのは私の営業成績であり、小嶋によって営業妨害・業務妨害されることで私の営業成績がマイナスになってしまうことだった。小山営業所の某さんは、そういう業務妨害するやつを縁故入社させて、自分がいる営業所に配属にならなかったのは小山営業所の営業の数が多かったかららしいが、私がいる営業所に実際問題として押しつけて迷惑なことだった。私は私の営業活動の妨害をされることをなんとかしないといけなかったのであって、小嶋の営業成績みたいなもの心配するわけないし、ましてや「朝来て『おはよう』と言うと同時のおっぱいもみもみい~い♪ て、会社である以上はそれが常識よお。会社の常識~い♪」などと言いまくるバカ女症候群の心配なんか、なんで俺がするんだよ。アホか・・てものだった。

セクシュアル・ハラスメント 新版 (有斐閣選書 156) - 福島 瑞穂
そういう、おのれのクルマを日曜日の午後、住宅展示場の来場客が最も多い時間帯にわざわざ展示場jの玄関の目の前に斜め止めにして2台分占拠して来場客に停めさせないようにして、先輩社員の私から注意されても「なんでえ~え」と言ってすごみ、展示場の営業時間中に来客が来る可能性がある展示スペースとガラス扉1枚へだてただけの事務所内でとどろき渡る大音量でアダルトビデオを見る男、かつ私が「もう、そのくらいにして」と注意してもきかない男、展示場の事務所内で女性社員の尻を撫でて大声あげさせるアホ・・そういうのを採用して、なおかつ、そういうアホに佐野営業所の営業の「芯」である私が営業妨害うけて困っているのに対処しない保護義務違反の(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫が私が結局、しかたなしに小嶋に注意した・・というのが気に入らなかったらしいのだ。しかし、どんなに気に入らなかったとしても、私は職制上の立場で所長の立場である木下から「あんた、注意しろ」と言われて、それでいやいや注意したのであり、木下から指示命令されてやったことが気に入らないならば、指示命令した木下に責任があることのはずだった。ところが、総務部長の天野雅弘はこう言うのだった。「木下は高卒だからしかたがない。おまえが慶應大学でてるんだから慶應大学でてるおまえが責任とるのが常識だろうが」と。それで私は言ったのだ。「ですから、私に責任とらせたいのなら私を所長にならせてくださいよ。どうして私を所長にならせてくれないのですか。私を所長にならせてくれれば、私は所長として責任ある対応をしますよ。私ではなく私以外の人を所長にならせているのなら、所長になっていうる人が責任とるものでしょ。小嶋のアホに注意したのがいかんというのなら、注意しろと言ったのは所長の木下さんなんだから木下さんに責任とれと言えばいいでしょ」と。
そうすると総務部長の天野雅弘は「なんでやねん」と言うのだった。「なんで、高卒の木下が責任とらんといかんのじゃ。おまえが慶應大学でてるんだから責任とるのはおまえだろうが」と、そう言うのだった。それで私は「それならどうして私を所長にならせてくれないのですか。木下さんは高卒だから一線の営業はできても所長は無理だと判断されて所長にならなかった人ではなくて、高卒だけれども所長にならせてよいと判断して所長になった人でしょ。そうである以上、高卒であろうが何であろうが所長になっているからには所長になった人が責任とるしかないでしょう」と、そう言ったのだが、天野雅弘は「無茶苦茶言うな。なんで高卒の木下が責任とらんといかんのじゃ。木下は高卒なんじゃ。おまえは慶應大学卒だろうが。おまえは慶應大学卒なんだから、なんでも責任とるのはおまえに決まっとるだろうが」と、そう言うのだった。 ついでに天野雅弘が言うにはカーネギーというおっさんが「清濁併せのむ」ということを言っていて、その内容はというと「おまえが職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でないということを認めてほしかったら、小嶋のように職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でるという者もまた認めないといけない。自分の希望だけ主張してはいけない。おまえが職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でないということだけ認めさせようというそういう勝手な主張はだめで、小嶋が職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でるということもまた認めないといけない。これがカーネギーが言うところの『清濁併せのむ』という考え方だ。カーネギーの本を買って読め」とおっしゃるのだったが、別に買って読まなくても、もうこれだけでそのカーネギーとかいうやつが言っている内容はわかったから買う必要も読む必要もない。 アナトール=フランスが「人生は短い。くだらない本なんか読んで時間をつぶしたくない」と述べたというのだが、これは「本を読む」という行為が「くだらない」と言っているのではなく、本には「くだらない本」と価値がある本があり、「くだらない本」の方の本なんか読んで時間をつぶしたくない、という意味だ。その意味でカーネギーなどというちっぽけな野郎の本なんか読んで時間をつぶしたくない。
そして、嫌がらせで山梨県上野原市の「西東京工場」に勤務させられて、朝8時15分から午後11時・12時、遅い時は午前1時まで30キロ・40キロするタイルや御影石を運ばさせられ、そして腰と肘を傷めた。今も治らない。整形外科医にかかると「そういうことをすれば、当然、腰や肘をいためますね」と言われた。
さらに。整形外科医から「せめて、そういうものを持つ時には、腕だけで持とうとしないで腹にかかえるようにして持つ方が腰や肘を傷めにくいですから、腕だけで持たないで腹にかかえるようにして持つようにしてください」と言われたのだが、上野原市の「西東京工場」の「工場長」の渡邊(男。2001年当時、30代前半)は「腹にかかえて持つと作業服が汚れますから腹でかかえて持たないで腕だけで持つようにしてください」と私に言ってきたので、「作業服というのは作業するための服装であり、汚れても体を傷めないようにするために、汚れてもいい服を作業服として着ているものですから、作業服が汚れないように腕だけで持つというのは作業服というものの意味合いから考えておかしいでしょ」と教えてあげたのだったが、渡邊は「生産事業部」の高橋か石川から「従業員が身体を悪くしても体を悪くしたやつが困るだけで会社は困るわけではないから、作業服が汚れないように腕だけで持つように言え」と言われたらしく、もしも私が工場長ならば、高橋なり石川なりがそういうおかしなことを言ってきたならば、工場長として「それは違いますでしょ。作業服を汚さないようにするために身体を悪くしろと言うのなら本末転倒でしょ。作業服というのはたとえ汚れてもいいように着ている服で、腹に抱えて持った方が身体を悪くしにくいものを作業服を汚さないように腕だけで持てというのは工場の作業をわかってない者が言うことでしょ」と言ってやるところだが、「ぼくは高卒なんだから、そんなこと言われてもわかるわ~けがない」と胸張って言う渡邊はアホの高橋や石川に反論できないらしかった。渡邊は私と最初に会った時に「建築専門学校を出て入社した」と自分で言い「二級建築士」と書いた名刺を私に渡して自分は「建築専門学校卒で二級建築士」だと名乗ったはずだったが、ところがそういうところになると今度は「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、わかるわ~けがない」「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、できるわ~けがない」と言って胸を張るのだったが、いったい「建築専門学校卒」だと言いたいのか「高卒なんだから」と言いたいのか、せめて、どっちか片方にしろよ・・と言いたくなる男だったが、どうも、(株)一条工務店の経営者がそういうダブルスタンダードをとるように指導していたようだった( 一一)
そうやって、「そんなことしたら、そりぁ腰や肘を傷めますね」と整形外科医が言うようなことを(株)一条工務店の経営者から意図的にされて私は産まれる時点では五体満足で産まれたのに腰や肘を傷めさせられて今も治らない。 (株)一条工務店で営業担当として契約してもらったある人と会った時にこれらについて話したところ、「それは労災じゃないのではないかあ」と言われたが私もそう思う。労災(労働災害)というのは、使用者・経営者が不注意はあったとしても、それで怪我したりはしないだろうと思ってさせたにもかかわらず怪我をするなどして身体を傷めたものを言うのであり、(株)一条工務店の経営者はこういうことをさせれば身体を傷めるであろうとわかっていることを意図的に私にさせて予定通り身体を傷めたのであり、これは労災と考える性質のものではなく傷害罪に該当する犯罪行為と考えるべきものであるはずである。
私が(株)一条工務店に入社した1992年頃は(株)一条工務店は東京圏では無名の会社で見込客の評価は低く苦労したが、最近では何年か前に我が家に来たリフォーム屋のおっさんが「天下の一条さん」なんて言うので、そりぁいくらなんでも言い過ぎやろ・・とは思ったが、私が入社した1992年に比べればはるかに評価は上がり営業もしやすくなったのではないかと思うのだが、実体はそういう会社だった。会社のために滅私奉公して尽くした従業員に恩を仇で返す会社、会社のために自分を犠牲にして尽くした従業員にそのようなことをして意図的に体を悪くさせてやろうとする会社、経営者が傷害罪の犯人である会社だった。
私は産まれる時点では五体満足な体で産まれたにもかかわらず、眼だけとられた。 せめて、眼が見えれば、老眼はしかたがないとしても、せめて「近視と老眼」ではなく「老眼だけ」だったらどんなにいいだろう・・と思う。 (株)一条工務店のアホ経営者は会社のために只管尽くした私に、なんで、そこまでやらなきゃ気がすまないのかと思う。
元中日ドラゴンズほかの田尾安志がYouTube で中日ドラゴンズから西武ライオンズにトレードに出された時のことを語っていたが、「もしも、今、もう亡くなっていない人とでも誰かと話ができるなら、その時のオーナーと会ってきいてみたい」と話していた。「『なんで、私はあそこまで嫌われなければならないのですか』と」と。 田尾は中日で選手会長になっていて「選手から球団に言ってほしいと言われたことを選手会長として言わないわけにいかないから言っただけだったのに」「選手会長なんかやるもんじゃないなあと思った」と。選手から球団に言ってほしいと言われたものというのは、たとえば、すべての試合を勝つことができるわけではなく、負ける試合もあるわけで、負けた試合の後もお客さんがいる前を通らないと帰れないように球場がなっているけれども、負ける試合だって何試合かはあるわけだから、試合の後、お客さんの前を通らないで帰れるようにしてもらえませんか、とかそういうことを選手会長として話しただけなのに、なんで、あそこまで嫌われなければならないのか、と。
田尾が西武にトレードで移籍した時、あれは両方にとってプラスになる話だったのではないのかと思ったが、最初、西武は中日は田尾は出さないだろうと考えて大島をもらえないかと話をしたところ、中日の方が大島は出せない、田尾ならどうだと話して西武に行かされたらしい。
・・・で、私はYouTube の田尾チャンネルhttps://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E5%B0%BE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB を見て、ふと思ったのだが、その頃の中日のオーナーというのは、たしか90台の老人だったはずなのだが、田尾は選手会長の立場だったから、選手会長として球団に言わないわけにいかないと思って言ったわけだが、90台のお爺さんのオーナーは、もしかして田尾が選手会長だというのを知らなかった・・てこと、ないか・・。ありそうにも思うのだ。それで、こいつ、なんで、こんなことを俺に言ってくるんだ、「たかが選手が」とか思ったのではないか・・。 たとえ90台の老人でもオーナーになってる人なら、選手会長になっている人間が選手会長として話をしているということがわからんわけないだろう・・と思うと案外違うかもしれない。

「涙もろい常務」
「鼻水もろい専務」
「よだれもろい副社長」
「そして社長は尿もろいんだ」「嫌だこんな会社」
あ~社長 オムツ忘れたー
( 「ビッグコミック」2025.1.10.号掲載、
山科けいすけ『C級サラリーマン講座』第819回 )
・・て、実はこれとたいして変わらんことが実際の会社であったり・・・・
〔 どうも、安もののデジカメはきれいに写らないみたいで、ぼやけるのは情けないが、もう少し良いものを買うか、前のものを修理するかするので、それまで我慢していただきたい。〕
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もしくは、ある部分では「さすがはオーナー」というものがあっても、他方で「え? 田尾って選手会長だったの? それでなんだかんだ言ってたの? なんだ、言ってくれよな。あいつ、まだベテランでもないのになんでなんだかんだ俺に言うのかと思った」「言いましたでしょ、田尾が選手会長だって」「え? 知らないよ」「言いましたって」「忘れたのかな・・」なんて、なんかありそうな・・・
田尾が中日の選手だった頃、中日のオーナーは相当高齢の人だったと思ったが、(株)一条工務店の経営者はそんなに高齢ではなかったと思うのだが、ひとつ、私が勘違いしていたかと思うものがある。 小堀住研(株)に入社した時も(株)一条工務店に入社した時も、高卒の人が社長の会社だったが、たとえ「高卒の人」であっても「社長になってる人」なのだから「旧帝大系国立大学の社会科学系学部卒の社長と変わらない能力があるから社長になっている人」か、「旧帝大系国立大学の社会科学系学部卒の人と変わらない能力」はないとしても「社長であるからには高卒であっても旧帝大系国立大学卒の者と変わらない役割を果たさないといけないという覚悟と矜持と気概がある人」であろうと勝手に思い込んでいたところがあったが、それが間違っていたのではないかと今、思っている。そうではなく、「単なる高卒のおっさん」だったのではないか。 自分を高く評価してもらいたい時には「学歴で人を差別してはいかんだろうがあ」と言いながら、責任ある態度・対応を求められると「そんなこと言われても、ぼくは高卒なんだから、そんなものできるわ~けがない。そんなものわかるわ~けがない」と言えばそれで通じると思ってるようなおっさん・・・でしかない単にずるいだけの人・・だったてことないか。 その程度の人を買いかぶっていたのではないか。「ブタもおだてりゃ木に登る」と勘違いしたけれども、ブタはしょせんブタであっておだてたってブタは木には登れない・・のに登れるかのように誤解してしまっていたのかもしれない。
(株)一条工務店の山梨県上野原市の「西東京工場」で「工場長」になっていた渡邊は工場の「安全衛生管理者」にもなっていたが、「安全衛生管理者」ならば工場の従業員が身体を悪くしないように配慮しないといけないはずであるが、「そんなもの、ぼくは高卒なんだから、わかるわ~けがない」などと言っていた。 「そんなもの、ぼくは高卒なんだから、わかるわ~けがない」のならば安全衛生管理者にはならない方が渡邊のためだったのではないか。たとえ「高卒なんだから、わかるわ~けがない」人でも「安全衛生管理者」になっている以上は「安全衛生管理者」としての責任を問われることになるはずだ。具体的には、もしもその工場で死人が出たとか重傷者が出たとかいったことがあった場合、「悪いのはこいつですよお」と会社経営者が言うのがその「安全衛生管理者」として名前が掲載されている人間のはずなのだ。(株)一条工務店の経営者は逃げるぞ! 下っ端に責任押しつけて経営者は逃げるぞ! そういう経営者だぞ・・と思えばこそ、私は渡邊に教えてあげたりもしたのだが、ところが渡邊は私がせっかく教えてあげても「そんなもの、ぼくは高卒なんだから、わかるわ~けがない」と言ってきかなかったのだ。こういう人は実際に責任押しつけられて痛い目に合わないことには理解しないのかもしれない。
私が(株)一条工務店に入社した時、営業本部長の天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるのかと思ってびっくりした」と言って喜んでくれた、と思ったのだったが、たとえその時は喜んでも、高卒の社長・中卒の営業本部長にはそういう人間を活かす能力はなかったということか。 私に工場長にならせてくれれば、渡邊みたいに「作業服を汚さないように体から離して腕だけで持つようにしてください」などとは言わない、そうではなく「腰や肘を傷めないようにするには、腕だけで持つのではなく腹から抱えて持つという持ち方をするようにしてください。作業服は作業するための服ですから、作業をすることによっていくらか汚れてもそれでいいのです。そのための服装が作業服なのですから」と言うところだ。 2001年に「生産事業部の責任者」になった高橋は「今年の目標は経費節減ではなくコストダウンだ」などとわけのわからんことを言った。「コストダウン」を日本語にすれば「経費節減」だろうが。何をアホなこと言うとんねん。 その上で高橋が「コストダウン」としてやったのは工場で作業するための道具を購入しない、というものだった( 一一) その道具があれば作業がはかどって「コストダウン」がはかれるのに、逆に生産性の低下を招く行為を働いた。(株)一条工務店の経営者はそういう人が好きなのだ。 私が上野原市の工場で考えたのは「工業団地の隣の敷地が空いているから買いませんか」と経営者に言うことだ。土地を買ったとしても、土地は買った金額を失うわけではない。 隣の土地を購入して雑草の伐根伐採をやった上で砂利敷きくらいした状態で、そこに(株)一条工務店・(株)日本産業に来て(株)一条工務店の建築現場に物を運ぶトラックを待機させる。 上野原市の工業団地ではほかの会社はトラックの待機場所も確保しているのに(株)一条工務店だけが待機場所を確保せず、道路上に待機させていたが、上野原市の工業団地の道路は駐車禁止の札は立っていなかったけれども、それでも道路は駐車場ではないのだから、何より自社の工場の前の道路に停めるのはまだしも他社の工場の前に「一条工務店」とでっかく書かれたトラックが何台もずらずら並んでいるというのはマナーに反するものであろう。 又、上下二段にうなって移動式の棚に住設機器を置いていたが、それだと落として壊すことがありロスが出るし、移動式だと一人が棚から出そうとしているか棚に収納しようとしていると、ほかに出したい者・入れたい者がいても待たないといけないし、棚を移動させる時間が無駄になる。 上下二段にせずに、かつ、移動しなくても出し入れできるような棚にすればその分だけ効率があがる。もとより、上下二段の移動式棚というのは遠州人のいなかもんはものすごい近代的なすぐれものと感動したかもしれないが、それは間違いで、都市圏の狭小地の工場・倉庫などで収納量を増やしたいが敷地はもういっぱいで隣地を買いたいと思っても売ってくれないというような場所の場合にやむなく収納量を増やすための道具であり、上野原市の工業団地のように隣地が空いていて、なおかつ土地の値段があまり高くないという所であれば、上下二段式の移動棚なんかにカネだすくらいなら、地べたを買うのにカネかけた方が利口というものだ。 私なら「コストダウン」のためにということならば、こういったことを提案する、土地は買っても必要なくなった時にまた売ることだってできるから土地を購入した費用は売る時の値段が買った時より安かった場合の差額であって購入した金額全額がかかった費用ではない・・・のだが、こういう思考ができないあんぽんたん症候群の高橋とか石川とかが(株)一条工務店の経営者は好きだったのだ( 一一) その結果、私は肘や腰を意図的に傷めさせられた。「労災」と評価すべきではなく傷害罪に該当する犯罪と評価すべきものであるはずだ。
それこそ、プリゴジンのおっさんが「ショイグ~、ゲラシモフ~。砲弾はどこだあ」と叫んでいたように、「高橋~、石川~。道具はどこだあ」と道具を用意する費用を「コストダウン」するとかしか「コストダウン」のために思い浮かばないアホを大事に大事にする会社・経営者が(株)一条工務店・(株)日本産業だったのだ( 一一)
※ YouTube-要衝バフムト「10日に離脱」ワグネル創設者が表明 弾薬供給せず「数万人の死傷者出した」 ロシア国防相ら名指しで激しく批判|TBS NEWS DIG https://www.youtube.com/watch?v=nMmSs0zabco
0:37~「ショイグ~、ゲラシモフ! ・・・」
(株)一条井工務店の生産事業部である(株)日本産業 で、2001年において間違いなく「コストダウン」をはかる方法がひとつあった。それは、生産事業部の「責任者」になった高橋から役職手当を剥奪することだ。一番、必要ないものであったはずだ。必要ないものに払っている経費を省けばその分だけ「コストダウン」をはかることができたはずであり、高橋の役職手当を剥奪すれば間違いなくその分だけ「コストダウン」をはかれたはずだった。
新井薬師の本堂の薬師如来さまにお願いすれば、小学校3年の時の健康診断では両眼とも1.5見えたのに、「眼みたいなもん、つぶれたってかまわん。受験がすべてや」などと親に言われて、両眼とも0.1見えるか見えないかになってしまったものを回復してもらえるのなら、それこそ、相当の額のお賽銭入れたってかまわない。
「会社のために滅私奉公」「会社のために犠牲になる」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けて、そんな気になってしまって会社の為に自分を犠牲にして尽くした会社に恩を仇で返されて、肘や腰を痛めさせられた。 「会社のために犠牲になる」というのは、「大手」「一流」「財閥系」「有名」「一部上場」企業に勤めてきた人とか、親戚が社長やってる会社に特別扱い従業員として勤めてきた人とかは理解しにくいかもしれないが、私のように三流以下企業に勤めてきた者にとってはわかりやすい。「会社のために犠牲になる」というのは、それは即ち「よその息子のために犠牲になる」ということと何ら変わらない。うちの父親は私によその息子の犠牲になって自分の人生を踏みつぶせと言った、ということだ。 私が給料変わらないのに余計に働いてその分、(株)一条工務店の収入が増えたなら、結果はオーナー経営者の財布を経由してフィリピーナのねーちゃんが食う焼肉が増えるだけのことだろうが。違うか? 違わんだろう。」
(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の「西東京工場」で「工場長」になっていた渡邊は、私がタイルや御影石の梱包作業をしていた時、手伝いに来てしばらく一緒にやったのはいいが、「ほら、ぼくがやったら〇〇さんがやる時の倍の速さでできるじゃないですか。〇〇さんがやる時もこの速さでやってください」などと言うので、あきれた。 渡邊が「ぼく(渡邊)がやったら」という時というのは「ぼく」(渡邊)が1人でやったのではなく「ぼく」(渡邊)と私と2人でやったわけだ。私がやった時というのは私が1人でやったわけだ。2人でやったら1人でやった時の倍の速さでできたとして、当たり前のことであろうが。 渡邊という男は、私なら安全対策のためにこうする、というものをやらない。又、私なら生産性向上のためにこうする、というものをやらない。それを「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、できるわ~けがない」と言ってふんぞり返るのだが、その片方で、2人でやった時に1人でやった時の倍の速さでできたというものを「ほら、ぼくがやったら〇〇さんがやった時の倍の速さでできるじゃないですか」などと、あほくさいことを言ってみたりするという、そういうあほくさいことを言う知恵は働く男だった。今は昔、うちの父親が「高卒のやつというのはずるいやつが多い」とぼやいていたことがあったのだが(あんたの方がおぼこいのと違うんかい、とも思ったが)、実際に「高卒のやつ」で「ずるいやつ」は間違いなくいるけれども、それは人にもよるかとも思うが、渡邊の場合、一番ずるいのは、その時によって自分を高く評価してほしいと思うと「建築専門学校卒で、二級建築士」と主張するかと思えば、責任ある態度を求められると「ぼくは高卒なんだから。高卒なんだからそんなものできるわけがない、そんなものわかるわけがない」と言ってふんぞり返るというダブルスタンダード、””必殺二刀流”” を使う、という点だ。
もうひとつ、彼が「ずるい」のは「二級建築士」てやつで、彼は「建築専門学校卒」だと言っていたのだが、二級建築士の受験資格は「学歴なし」だと「実務経験7年」、「4年制大学の建築学科卒」だと「実務経験なし」で受験することができたが、「建築専門学校卒」だとその専門学校のカリキュラムにもよるのだが、「学歴なし」の場合の7年よりは短いが何年かは実務経験が必要だったはずで、渡邊はその「建築専門学校」出た後すぐに(株)一条工務店に就職して入社以来一貫して工場勤務だというのだが、在来木造のプレカット工場であっても工場勤務だと二級建築士受験の際の「実務経験」には該当しないはずで、それでいて二級建築士の試験を受けて資格を取得した・・て、なんか、あれ? ・・となるが、こういう「二級建築士」は世の中にけっこういるみたいで、私みたいに王道でインテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストとって登録しても、あれ? てルートで「二級建築士」の方が高く評価されたりして、なんかあほくさいなあ・・と思うことがある。千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の千葉市花見川区の花見川ショールームの店長になっていたO友優子さん(女。2008年当時、50代)は「二級建築士」と言いながらあんまりわかってない人だったが、「夫が小堀住研で設計課長やってました」「夫が設計事務所やってました」と何度も何度も言いまくるので、最初は自己紹介のひとつとして言っているのかと思ったが、そのうち、ああ、この人は「夫が・・」と言うことで自分を高く評価してもらおうとして言っている人、「夫がヤクルトスワローズの監督やってました」とか「夫がインドネシアの大統領やってました」とか言ってテレビに出てたおばさんと同類てことかとわかったのだが、「夫が設計事務所やってました」という人というのは、自営業の人というのは実際に仕事をしていなくても家族を従業員ですということにして給料払っていることにしている人が多く、「夫が設計事務所やってました」というおばさんというのは、「設計事務所の〇年勤めていた」という記録があるわけで、実際には何もやってなくても「実務経験7年以上」になってしまい二級建築士の受験資格があることになってしまうのだ。受験のための勉強がある程度以上できる人ならそれで試験に通ってしまい「二級建築士」と言い張れることになってしまうのだ。そういう人を見ると「なんだ、一級じゃないのか」とでも言ってやりたい気持ちになるのだが、「いっきゅうけんちくしい~い」と言いたくて言いたくてしかたがない症候群のおっさん・・てのも世の中にはいて、そういう人はたいてい「バカでも入れる私大の建築学科卒」か「建築専門学校卒」で、かつては建築学科のある大学が少なかったから「4年制大学の建築学科卒で卒業後に2年の実務経験」で受験資格を得ることができる「一級建築士」を取得した人というのは東大の建築学科卒とか京大の建築学科卒とかそういう大学卒の人であることが多かったが、「そ~れが今では♪」「バカでも入れる私大の建築学科」というのが全国に大量にあって、卒業すると二級建築士の受験資格を得ることができて卒業後に実務経験2年で一級建築士の受験資格を得ることができる(この点では4年制大学の建築学科と同じ条件)の「建築専門学校」というものもけっこうあるので、逆に「いっきゅうけんちくしい~い」と言いまくらないとおれないほとんどビョーキ症候群のおっさん・・てのは「あんまりええ大学でとれへん」という場合が多いのだ。普通に考えて「肩書で自分を評価してほしいほしい症候群」のおっさんにとっては「東大工学部建築学科卒」とか「京大工学部建築学科卒」と「一級建築士」とでは肩書としてどっちが上の肩書かというと「東大工学部建築学科卒」とか「京大工学部建築学科卒」の方だろうが。だから、「東大工学部建築学科卒」とか「京大工学部建築学科卒」の人間はあんまり「いっきゅうけんちくしい~い」と言いまくらないわけだ。それに対して、「うるさいやっちゃなあ」てくらいに「いっきゅうけんちくしい~い」と言いまくらないとおれないシンドロームのおっさん てのは、たいてい「バカでも入れる私大の建築学科卒」か試験なんか最初からない「建築専門学校卒」かどっちか、「建築専門学校卒」の人が多いかな・・・。「建築専門学校卒」のおっさんにとっては「いっきゅうけんちくしい~い」というのがものすごくうれしいのかもしれないけれどもね。そのわりに内容がない場合が多い。「建築専門学校」には卒業すると二級建築士の受験資格を得られる「建築専門学校」もあるけれども実務経験が何年か要る「建築専門学校」も多いのだ。だから、渡邊も実務経験が何年か必要な方の「建築専門学校卒」ではないのか、て感じがする。その場合、二級建築士の受験には「実務経験」が何年か必要のはずなのだが、たとえ在来木造のプレカット工場であっても工場勤務は二級建築士の試験の受験のための「実務経験」にはならないはずなのだが、実務経験があるかないか誰が証明するのかというと最後に勤めていた会社が証明することになっているから、(株)一条工務店と系列の(株)日本産業なんていいかげんな会社の証明なんて、「そのへんの設計事務所のおっさん」の証明と同様にいいかげんなものだ。
まあ、渡邊の「二級建築士」はそんなものだろうとは思うが、「そんなもの」の二級建築士は世間にゴマンといる。2010年、千葉市中央区鵜の森町の工務店 新華ハウジング(有)に勤めていた時、千葉市内の不動産屋をまわった際、ある不動産屋のおばさんが自分は二級建築士だと言い、なんか「そのへんの不動産屋」とは違うんだみたいな態度をとったことがあったが、その不動産屋のホームページによると、そのおばさんはポン大の建築学科卒で二級建築士を取得したそうだったが、ポン大建築学科卒なんだよ・・と威張られてもなんだかなあ・・・( 一一) て、建築業界にはそんな二級建築士・一級建築士が多い( 一一) だから、渡邊だけのことではなく「二級建築士」とか「一級建築士」とかいうのが「そんなもん」みたいなところがあるのだが、渡邊がずるいのは自分を高く評価してもらおうとすると「建築専門学校卒で二級建築士」と主張し、責任ある対応を求められると「ぼくは高卒なんだから」と「高卒」になるという、そっちだ( 一一)
私が滅私奉公して会社のために身体を壊して尽くしても、そうやってため込んだカネを浜松市に寄付したとして、浜松市長と浜松商工会議所は誰にお礼を言うのだ? 身体を壊して尽くして会社に利益をもたらした者にではなく「初代社長」にだろうが。
うちの父親というのは、よっぽどバカじゃないかと今さらながら思う。「鹿取のように滅私奉公、川相のように犠牲の精神」と耳鳴りするほど言われたものだが、「鹿取はどんなに疲れていても嫌な顔しないで投げるらしいで。サラリーマンのかがみというものや」だの「川相は自分がめだとうとしないで犠牲バントを嫌がらずにやる。えらいやっちゃ。あんたも川相のように犠牲になれえ」などとずいぶんと言われたものだったが、鹿取は江川と同年齢だったが江川は雨が降りそうだと力を抜いていいかげんな投球をするとか言われたのに対して、鹿取は「どんなに疲れていても嫌そうな顔ひとつしないで投げる。えらい男や」などとうちの父親は言うのだったが、鹿取に尋ねたところ、鹿取は「ぼくが江川みたいなことやったとして通じると思う?」とそう言ったというのだ。江川は作新学院高校の時から「怪物」と言われて特別扱いだった。鹿取はそうではない。鹿取がどんなに疲れていても「ピッチャー、鹿取」と監督から鹿取を指名された時にうれしそうにした、というのは、監督からほかの投手を指名されたくなかったから、どんなに疲れていてもほかの投手に仕事を奪われるくらいなら自分がその仕事をやりたいというものだったみたいだ。「サラリーマンのかがみ」ではなく「自営業の人の発想」ではないか、と思う。 川相は引退後、「犠牲の精神を教えたい」などと勝手なこと言って講演しまくっていたが、川相はあくまでも「犠牲バント」「送りバント」というものを得意技として野球界でおのれの出番を確保した選手で、それをやることによって高給を得てきた男であり、決して犠牲になんかなっていない。おのれはまったく犠牲になんかなっていないくせして「犠牲の精神を教えたい」だの勝手なこといいくさってからに、野球選手・元野球選手で一番気に入らない男というと元巨人の川相である。何が「犠牲の精神を教えたい」だ、何が! 勝手なこと言うなちゅうんじゃい!
※ ウィキペディアー鹿取義隆 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%8F%96%E7%BE%A9%E9%9A%86
ウィキペディアー川相昌弘 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%9B%B8%E6%98%8C%E5%BC%98
数学者で教育論者の遠山啓が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、父親とは家族の中で最も「世間知」というものを持っている人間で、息子に「世間知」を教えてくれる存在であるだの、父親は息子を外敵から守ってくれる存在であるだのと述べているが、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪〔⇒YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー https://www.youtube.com/watch?v=Xx47Nv4ndKA 〕 家族の中で最も「世間知」というものを持っている父親というものも世の中にはいるのかもしれないが、すべての父親が「世間知」を持っているわけではないし、すべての父親が息子を外敵から守ってくれるわけでもない。外敵を引っ張り込んでくる父親もいる。遠山啓は産まれた時、父親は朝鮮にいて5歳の時に日本に帰ってくるというので喜んだものの、帰ってくる途中に病死してしまい、父親というものを知らずに育った人間だったというだけに、「父親というもの」を実際よりもいいものに思っている、もしくはよそのお父さんのうちで比較的いいお父さんを「父親というもの」と考えているフシがある。遠山啓の『競争原理を超えてーひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)が北野高校の3年の時の担任だった大谷郁三の推薦だったが、大谷もわかってなかったのではないか、と思う。よその息子に言うならまだしも、おのれの息子に「会社のために犠牲になれえ」だのと吹き込んでえらい目に合わせる父親・・て、そういうアホな父親だったということなのだろう。
・・・今、思う。恩を仇で返す会社のために滅私奉公した私はつくづくアホだった、と。
そして、思う。「二十四時間戦うのは・・➡しんどい」と。
※ YouTube-【CM】3、4時間戦えますか? リゲインhttps://www.youtube.com/watch?v=2PAAKpzB8Mo
山門をくぐって「水屋」付近に来ると「最後尾」がそこにあるから、本堂の方に向かってしまうが、「水屋」の右手に鐘楼がある。↓

↑ 鐘楼。
本来なら本堂よりこちらの方が先だろう。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508338677.html 、本堂の後ろの16歳の聖徳太子像など・・
※ 新井薬師HPhttps://araiyakushi.or.jp/
ウィキペディアー梅照院 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%85%A7%E9%99%A2

東京人 no.185 2002年12月号【雑誌】 特集:「寺見物」近ごろはやりの散歩術 小特集:ラーメン、恐るべし

住宅業界残酷物語 (YELL books) - グループQ

労働法入門 第7版 (有斐閣双書 6) - 外尾 健一
(2025.1.5.)
☆ 新井山梅照院薬王寺(新井薬師)(東京都中野区)参拝
1.西新井大師と新井薬師は別。西武新宿線「高田馬場」から「新井薬師前」駅。新井薬師前駅前。MIND THE GAP. https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508121327.html
2.新井薬師前駅から新井薬師(梅照院)へ。「読売の拡張員」とはどういうものか。「クリーン船橋の日」に現役世代の人間は参加せずに年寄りだけ参加させてよその家の現役世代の人間に世話させる「ふてえ野郎」。我が家の敷地に不法侵入して玄関扉を破壊して侵入しようとする向かいのじいさんと読売の拡張員は我慢するしかないのか。窓を開けて「巨人ーどこそこ」を見て巨人が得点すると大きな音を立てて手を叩く巨人ファンはどう考えても阪神ファンよりもマナーが悪い!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508124371.html
3.門・修行大師・聖観音・霊堂・水子地蔵・お願い地蔵・不動堂・水屋。 99匹の羊が牧場におれば1匹迷いだして不幸になってよいというものではない、先に性交やって子供つくった者のためにふさわしい相手と巡り合えない者から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供に恵まれない者から「妊活」の時間を奪うのは「当たり前じゃないかよお」ではない。お地蔵様・観音さま、おのれの子供のためにひとの子を食い殺す女とその夫と子供に対して、恨み晴らしてくださいhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508213520.html
4.本堂・鐘楼。警察官は人を射殺する権利があるのか。並ぶのんめんどくさい派。水曜休みの会社は日曜休みの会社より祝日の分だけ休みが少ない。「会社のために犠牲になる」はよその息子のために人生を犠牲にすることを意味する。「受験のためには眼なんかつぶしてもええ」と言われて眼だけ奪われた。2人でやって1人でやった時の倍できたと言う男。工場長は従業員の健康を守るのが仕事か健康を破壊するのが仕事か。 〔今回〕
5.16歳の聖徳太子像・新井薬師公園。「孔子で孟子で聖徳太子であって絶対にイライラしないお方」であるにもかかわらずいつでも「イライラしてきた」人のそばにいると「犯人」にされる。だから、息子は大変なんだよ。犯罪の現場など見に行ってはいけない、犯人にされるぞ。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508338677.html
6.警察の恐怖【1】歩行者をいきなり突き飛ばして 【2】加害者と結託して被害者に恫喝 【3】「ぼく、一条工務店が好きなんです。一条工務店のこと悪く言わないでください」 【4】不法侵入と公務執行妨害。施設管理者から警告されて「なにい~い」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508376779.html
7.受験生を応援する。できが悪かった時こそのっしのっしと。合格発表は友だちと一緒に見に行くな。入試にはポケットティッシュを持参せよ。予備校職員と高校教諭に警戒せよ。エスカミリオ症候群は治らない。またつまらぬ者を切ってしまった。学歴詐称はゴマンといる。息子の名前を天津丼に変えないで。妻の名前を本人が嫌がる名前に変えないで。電卓で浪人したことによる費用を計算するのは大学に合格して入学した後にしてほしい。合格体験記は、読んだ人からバカにされてるかもしれない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508553760.html
新井薬師(新井山 梅照院 薬王寺)参拝の4回目です。
山門をくぐり、左に修行大師像・聖観音像・霊堂を見て、右に水子地蔵・お願い地蔵と不動堂を見て進むと右手に「水屋」があり、そのあたりに警察官が何人もいらっしゃるのが見える。お~こわ~あ・・・↓
↑ 「最後尾」と書いた札を持っている人は警備員で民間人ですが、その後ろあたりに何人かいらっしゃるのは警察官のようで、警棒をお持ちのっようです。 インターネット上のニュース記事だったかYouTube だったかに、カッターナイフ1本持っていたという「犯人」を警察官が4人だか5人だかで取り囲んだ上で射殺した、というものが出ていたが、怖いですねえ。まず、この人たちて、何のために警棒もっているのでしょうね。 「カッターナイフを持っていた」という程度の人間1人なら、警察官なら素手ででも抑えられるのではないのか、何のために警察署には柔道場があるんだ。何のために警察官は柔道や剣道の練習しているんだ。・・もっとも、小堀住研(株)にいた時に契約してもらった警察官をやっていた方から聞いた話では、けっこう仕事が忙しくて柔道や剣道の練習する時間をなかなかとれない、というのだけれども、そういうことはあるのかもしれないけれども、それでも一般人よりは対応できてよさそうに思えるが、「しろうと以下や」みたいな人間がいる。たかだかカッターナイフ1本持ってるだけの人間を射殺しなければおれないシンドローム というのは””病気””ではないか。素手では難しいのならば、警棒でそのカッターナイフを叩き落せばいいのではないのか。それをしないで射殺するなら、何のために警棒もっているんだ。警棒では防ぎにくいのならば、どこかから椅子でも机でも持ってきてそれで防ぎながら他の者が抑えるとかできそうなものだ。「刃物をもっていたのだから」とかコメント欄に出ていたが、「刃物」と言ってもたかだかカッターナイフ1本持っていたという程度の人間を警察官が4人も5人もいて射殺しなければおれないというのは異常だ。「しろうと」でもそんなことしない、というよりも、もしも、「しろうと」の私が本当に襲われて防ぐために「正当防衛」で相手を押さえつけたとして、その「押さえつけた」という行為を「正当防衛」と認めてもらえるかどうかはわからない。それに対して、警察官というのは、たかだかカッターナイフ1本持っていたという程度の人間を射殺しても「正当な業務」と主張できる、というのは怖いねえ・・。それ以上に怖いのは、コメント欄にその射殺した警察官を「よくやった」「もっとやれ」とかコメント入れてる人が大量にいた、ということだ。ほんと、恐ろしい。そのカッターナイフ1本もっていたという「犯人」よりも、射殺した警察官を「よくやった」「もっとやれ」等等とコメント入れていた人たちの方が怖ろしい。
「最後尾」というのは本堂の前、賽銭箱の前まで行って拝むための列の最後尾です。ここに並べば本堂の前まで行って賽銭箱にお賽銭を入れることができる、ということのようですが、
↑ 新井薬師 本堂。 手前の小さい屋根は、新井薬師HP の「境内を巡る」https://araiyakushi.or.jp/map/ によると「大香炉」だそうです。
それで、こういう行列があると並ばなきゃ・・と思う人もいるようですが、私はそう思わなくなった。 仏さまを拝むのに、別に行列に並んで前に進んでお賽銭箱の前まで行って拝まなくても、斜め前の位置から手を合わせて拝んだってかまわんじゃないですか。 そう思いませんか。お賽銭を入れなきゃ拝んではならないというものではないし、今回の場合は、水子地蔵さん・お願い地蔵さんの所と聖観音さんの所にけっこうお賽銭は入れましたし、御朱印を書いていただくのに授与所で500円払いましたし、御守りも購入しましたし、それでいいでしょ。
まあ、「せっかくここまで来たのだから、少しくらいなら並んでも正面まで行って拝んでいこう」と考える派の人もいるのだろうけれども、「並ぶのんめんどくさい」派もいるわけだ・・。
何年か前、京都の大原の三千院に参拝した時、三千院のお坊さんが来られている人に「お賽銭を入れないと拝んではいけないなんてことないんですよ。お賽銭を入れなくても拝んでいいんです。遠くから来た人が、後から、お賽銭を入れてくるんだった、しまった と思った時には、近くのお寺に行ってお賽銭を入れてくればそれでいいんです」と話しておられたのを聞いたことがあります。 ・・たしかにそうだよなあと思いました。まあ、三千院の場合は入口で拝観料として800円払いましたから、拝観料をある程度以上払って入場するお寺の場合は、お賽銭は入れても入れなくてもいいと思いますが、拝観料を払わなくても入場させてもらえるお寺の場合は、施設利用料の意味合いでいくらかは何らかの方法で納めてきた方がいいのではないかと思うのですが、今回は私は水子地蔵さん・お願い地蔵さんの所と聖観音さんの所にけっこう納めてきましたし、御朱印を書いていただくのに500円納めましたし、御守りも購入して代金を払いましたから、それでいいにしていただいてもいいのではないかと思います。
何年か前、京都の上賀茂神社に参拝した時には、特別拝観として、たしか500円納めることによって回廊の中に入れてもらって回廊の内側から社殿の方を見せていただくことができたのですが、そこで「神職」のボーズじゃなくて若僧ではなく若僧が「こちらに来て参拝してください、こちらに、ぜひ」と言って一定の場所に行かそうとするので、そこにいったい何があるのか・・と思って見たら、なんと、そこには風呂桶みたいなでっかい賽銭入れの箱があったのです。 なんだ、こいつは・・と思いました。 私はその若造に「写真は撮らせていただいてもよろしいでしょうか」と言ってみたところ、「とんでもない。ものすごい神聖な場所ですから、とんでもない、とんでもない」と言うのでしたが、あんまり神聖な場所には見えなかったですね。そのでっかい風呂桶みたいな賽銭箱が何より大事という若造が言う「神聖」というのはおよそ神聖には思えませんでした。 その前に、上賀茂神社というのはいったい何回、賽銭払わせれば気がすむのか・・とあきれた。「えらいぼりよんのお」 「もう、さっき、払ったやろうが・・」と。 まず、すでに拝殿の位置で一度、お賽銭は払っているのです。 すでに払った後に「特別拝観」として拝観料も納めてそこに来ているのです。 すでに拝殿の位置で一度、お賽銭を払い、その後に特別拝観料という名目で二度目のお賽銭を払い、又、御朱印を書いていただくことで御朱印料もすでに納めてきている者に向かって、「さあ、こちらに来て。さあ、ぜひ、こちらに来て」と執拗に言ってでっかい風呂桶賽銭箱の方に無理矢理誘導しようとするのでしたが、上賀茂神社の神職にとっては風呂桶賽銭箱の所に来てカネ払ってもらうことが一番大事のようでしたが、「これは払っちゃいかんな」と思い、その風呂桶賽銭箱には断固としてカネは入れませんでした。あんな下品な賽銭箱にカネ入れたあかつきには、むしろ、神罰が下るのではないか・・とそう思えた。
どうせ、薬師如来さんはお堂の奥の方におられるわけですから、行列に並んで賽銭箱の前まで行ってもお姿をとっくりと見ることができるわけでもないでしょうし、正面から拝まなくても斜め前の位置から手を合わせたっていいわけですから今回は行列に並びませんでしたが、もうひとつ、行列に並びたくない理由として、なんか、最近、ラーメン屋で「行列ができる」とかいうのを自慢にする店ができているのではないかと思うのだが、せっかく自分の店に食べに来てくれた人を「待たせる」、それも「行列までして待たせる」というのは、それは行列までして待たせて申し訳ないと考えるべきもののはずなのに自慢にする店があるらしい、「たかがラーメン屋が」。 「たかがラーメン屋」と言うことはないのだけれども、人を行列させて、それを自慢にするようなやつというのは「たかがラーメン屋が」と言ってやっていいと思うのだ。 2024年末に亡くなったナベツネ恒雄さんが「たかが選手が」とおっしゃったが、まあ、そういうことを言わなきゃおれない症候群の人だった。 選手会がストをやって団体交渉に社長ではなくオーナーに来てもらってオーナーと話をしたいと選手会長の古田が言ったのは、それは、団体交渉というものには使用者側・経営者側は必ず社長が出ないといけないということはないが、副社長とか専務取締役とか人事部長とかある程度以上は権限を持っている者が出ないと団体交渉に応じたことにはならないものであり、たとえば人事部の入社して1年目のヒラ社員に団体交渉に出席させて「団体交渉に応じた」と主張しても、それは団体交渉に応じたことにはならない、それでは「断交拒否」として労働組合法第7条に違反する不当労働行為と評価されることになる。 プロ野球の選手会との団体交渉には経営者側は社長が出ていたわけだから断交拒否にはならないようにも思えるけれども、古田が「社長ではなくオーナーと話をしたい」と言ったのは、プロ野球の球団の場合は「社長」が一番上ではなく「社長」の上に「オーナー」がおり、球団の数を削減するとかしないとかいう話については「社長」ではなく「オーナー」と話をしないとどうもならないと考えて言った発言であるから、「オーナーと話をしたいとは。何様のつもりだ。たかが選手が」などと言ったのでは、それでは「断交拒否」「不当労働行為」ということになる。 たかが、この程度のことも理解できない男が何を「たかが選手が」などと言っているのか( 一一)
しかし、ナベツネ恒雄さんが「たかが選手が」と言った発言にも、「俺よりも高い給料とりやがってからに。たかが選手が」と発言した方の「たかが選手が」については、たしかにそう思うところもある。 たかが野球ができるというだけのくせしやがってからに、いったい、いくらカネもらえば気がすむんだ・・・というところは、これは間違いない。 それと感覚が似ているのだが「たかがラーメン屋が」人を行列させて、それを自慢にするとは、「何様だと思ってるんだ」てものだ。 ・・・お寺の薬師如来さんの場合はそれと同じということはないとしても、行列して列の前まで行ったらご利益があるわけでもないだろうし、並ぶ気にはならなかった。
もうひとつ。住宅建築業の会社に長く勤めてきて、水曜休みに慣れてしまって、そうなると、日曜日に出かけると、なんでこんなに混んでるんだ・・という感覚になってしまうのだ。 今は昔、中条きよし という歌手が「あなたが私につ~けた~くせ・・♪」という歌を歌っていた。(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に5年間勤務して、そこで 福島県浜通り地方の生活が「くせ」をつけたようなところがあったのだが、「鍵をかけずに眠るくせ。ねむ~るうく~せ~え♪」・・と、どうも、平和な福島県浜通り地方の「くせ」がついてしまい、東京圏に戻ってきても鍵をかけずに眠りそうになって、こりぁいかんいかん・・とあせることがあったのだ。
※ YouTube-うそ - 中条きよし(Kiyoshi Nakajyo)【1974年】#うそ #中条きよし https://www.youtube.com/watch?v=sXjw49f3sD4
「あなたが残した悪いくせ。・・鍵をかけずに眠るくせ、ねむ~る~く~せ~え・・♪」
いやあ、福島県で5年も暮らすと危ないわあ、東京に戻っても福島県の時のくせがなかなか抜けないわあ・・・
そして、土日休みではなく水曜休みの仕事である住宅建築業の営業の仕事を十年以上勤めたおかげでついたくせとして・・・➡どこにおいてであれ、ともかく、「並ぶ」というのが嫌になった。
ウィキペディアー梅照院 によると、
《 本尊は空海作の伝承を有する薬師如来と如意輪観音像である。本尊は表を薬師如来、裏を如意輪観音とする二仏一体の像であるとされ、秘仏であるが、12年に一度、寅年のみに開帳される。》
ということらしい。
だから、行列に並んで賽銭箱の正面まで行けてもご本尊のお顔は拝めない、ということだから、並ぶことなかった。まあ、並びたい人は並べばいいが、「あなたが私につけた~くせ」と水曜休みの住宅建築業に長く勤めたことから、「並ぶ」のんがともかく嫌になった。
水曜休みの会社というのは、日曜休みの会社と違って、休みの日にどこかに行こうとした時に「すいてていい」と思うかもしれないがどこに行っても人はいないわけだから「出会いもない」。
そして何より、独身者には、銀行とか市役所とかに行かなきゃならない用事がある時には水曜休みの会社に勤めていると日曜休みの会社に勤めている場合とは違って、休みの水曜日に銀行とか市役所とかに行くことができる・・・というメリットはあるものの、大きな問題として、日曜休みの会社というのは「国民の祝日に関する法律」で休みとされている日は休みなのだが、水曜休みの会社というのは「国民の祝日に関する法律」で「国民の祝日」とされている日は仕事日なのだ。その分だけ、仕事日が多い、休みが少ないのだ。 それでいて、その分だけ、給料は高いかというと、高くないのだ。
そういえば、(株)一条工務店で営業本部長の天野隆夫にフィリピンパブに連れていってもらったことがあったのだが、そういう店ではホステスのねーちゃんと店の開店前に会って一緒に出勤する「同伴」とか、店が終わった後にどこかに一緒に行く「アフター」というものをやる人がおり、営業本部長の天野隆夫さんはフィリピーナのねーちゃんを焼肉屋とかに連れていってやり、私も一緒に焼肉食わせてもらったのだった・・・が、しばらくして、気づいた。 あのフィリピーナのねーちゃんの食ってた焼肉というものは、あれは(株)一条工務店が俺の給料へつったカネが化けたものじゃないか、ということに。 (株)一条工務店が労基法違反で本来なら従業員に払うべきものを払わずにおいたカネの一部が化けたものじゃないか、ということに。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の後、(株)一条工務店の「初代社長」というありもしない役職の大澄賢二郎が言い出したとして、「お世話になった浜松市に恩返しをしたい」と、その言い方だと浜松市以外の都道府県・市町村には世話になってないと言いたいんかい・・て感じのことを言い出して、「防潮堤の費用」と称して浜松市に300億円の寄付をした、「大澄賢二郎は男でござる」などとインターネットに出ていたが、おそらく自分で入れたコメントであろう・・と思われるが、気づいている人は気づいていると思うのだが、そのカネって本来、従業員に払っておくべきカネを払わずにため込んだカネの一部であろうが( 一一)
(株)一条工務店にいた時、同じ営業所にいたおじさんと話したことがあるのだ。「一条工務店の展示場が増えて、全国に営業所ができていく・・というのは会社が大きくなっていいように一見思えますけれどもね・・・、落ち着いて考えてみると、要するにそれは、私たち従業員に払っておくべきカネを払わずにちょろまかしたものが化けたものだ、ということですよね」と。 「御名答~!」と。
まさに、そうなんだよ。 慶應大学の商学部の「会計学総論」という講義で、内部進学の黒川行治 先生という助教授(後に教授になって今は名誉教授らしい)が「皆さん、利益は労働が生み出したものだと思いますか、それとも資本が生み出したものだと思いますか。労働が生み出したと考えるのがマル経(マルクス経済学)の立場、資本が生み出したと考えるのが近経(近代経済学)の立場ですね」とおっしゃった・・のだったが、な~にをナマ言うとんねん。 そんなもん、冷暖房のきいた部屋で椅子に座って『マルクス経済学を学ぶ』とか『近代経済学』とかいう題名の本を読んで考えるから、「さあ、どちらだと思いますか」などと口にするようになるのだ。 アホか。そんなもん、利益を生み出したのは労働なのか資本なのか、なんて、そんなもの、(株)一条工務店に勤めれば、そんなもん、たちどころにわかる。利益を生み出したのはマル経の立場に立とうが近経の立場に立とうが、労働だ。利益は労働が生み出したに決まっておるだろうが。労働が。アホか。我々が契約になるかならないかにかかわらず、夜遅くまでかけずりまわって営業活動をやっていたまさにその時に、アルコール付きでフィリピン人女性ネイティブスピーカーと対面でタガログ語講座うけてたおっさんが生み出したわけないだろうが。何をアホなこと言うとんねん。たとえ、近代経済学の立場に立とうが利益を生み出したのは労働だ! 労働が生み出したに決まっとるだろうが。
何でも「できる」ということはできないよりもいいことだとは思うのだが、日本では「英語ができる」とか「フランス語ができる」となんか人間の値打ちまで高く評価されてしまうようなところがあり、それはどうかとも思うのだが、それでも「英語ができる」「フランス語ができる」「イタリア語ができる」はいいとは思うのだが、「タガログ語ができる」「タガログ語が話せる」というおっさん・・というのを見ると、なんか、かえって軽蔑したくなってくる。特に(株)一条工務店にいる「遠州弁とタガログ語のバイリンガル」ておっさん、なんだかなあ~あ・・・て感じがしてくる。・・せえへんか? するやろ。なんだかなあ~あ・・て感じが。
そういえば、2010年だったか2011年だったか、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二が会社で『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)を見ながら「従業員に、いったいどういう遊びをさせてやろうかなあ」などと口にしていたのだったが、なんだかなあ・・・、社長以外の従業員誰もが必死で働いている最中に、ひとりだけ会社で『地球の歩き方』見ながら「遊びの研究」やってる社長て、なんだかなあ~あ・・・と思っていたら、倒産した。 「そんなもん」なのか?
野村じいさんは「ろくでもない投手の球ばっかり受けてきた気がする」とか書いておったが(例外が杉浦らしいが)、・・なんだか、ろくでもない会社にばっかり勤めてきた感じがする。
新井薬師・新井山梅照院薬王寺の本尊は薬師如来と如意輪観音で、ご利益としては病気平癒、特に眼病平癒らしい。授与所では「メグスリの木」も売っていた。
考えてみれば、私は産まれた時は五体満足で産まれたのに、だんだんと悪い所ができてきてしまって、今では悪い所がけっこうある体になってしまった。
中学生から高校生くらいの時には、「睡眠時間を十分にとって眼を休めて視力が悪くならないように」と言うと、うちの母親から「眼えみたいなもん、つぶれてもかまわん。受験がすべてや」と言われた。 そんなこと言うかなあ・・・、そんなこと、親が言うかなあ・・とも思ったが、うちの親は言うのだった。そして、そう言って勉強させたからには大学に進学する時には行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をさせてもらえるのだろう・・・と思っていたらそうではなかった。 うちの父親は私に「そんなもん、せんでもええんじゃチャンコロろすけイタコ!」と言って、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に暴力と強制で行かされた。しまった、こんなことになるなら勉強なんかするんじゃなかった・・とまではいかないが、少なくとも眼が悪くならないようにしておけば、今頃、「老眼と近視」に苦しむことなく、せめて「老眼だけ」ですんだのだった。
うちの父親は毎日毎日、私に「会社のために滅私奉公」「会社のために犠牲になる、犠牲の精神、犠牲の精神」と言いまくり、「会社員というものは、どんなに大風が吹こうが大地震が来ようが、たとえ通勤手段がなくても会社に出勤するもんじゃ」と耳元で言いまくってきた。その結果、ふと気づくと、その思考が身についてしまい、たとえば1994年、(株)一条工務店で福島県いわき市で勤務していた時、台風と大雨で道が冠水して川は濁流が流れてあふれそうになっていた日、「それでもどんなにしても出勤するもんや」とうちの父親から教えられてきたアホはそれを実行した。まさに「二十四時間戦えますか」て感じのことをしたのだった。
※ YouTube-24時間戦えますか? https://www.youtube.com/watch?v=VHYFDipo5Kc
完全に冠水した道路を走って、もしかして俺はこの川みたいな道で命をなくしてしまうのではないだろうか・・と思いながら水の中をクルマで走って会社の近くになんとかたどりついた時、とりあえず、会社に電話しておいた方がいいと思い、住宅展示場に電話すると、佐藤賢二という40代のおっさんが電話に出て、水がクルマのタイヤの真ん中より上まで来ている川みたいな道を走って来た者に向かって「こらあ。速くこんかあ」と怒鳴りつけた。 その後、その展示場まで行って知った。私に怒鳴りつけた佐藤賢二さんは展示場のはす向かいのアパートに住んでいるおっさんだった・・ということに。おのれはクルマを運転することなく、まったく冠水していない道を向かいまで普通に歩いて来ればいいだけだったことから、完全に冠水して川みたいになった道を苦労して走ってきた者に向かってそういう口をききよった、ということを。
そして、翌日、その展示場の「リーダー」で副所長になっていたK井(男。当時、30代なかば)から「おまえ、昨日、ここまで来たのか? バカでねえの」と、そう言われた。「命あってのものだろうが」と。 所長の草野次男さん(男。当時、50代)からも「おめえ、昨日、あの大水の中をクルマでここまで来たのか。バカと違うか」と。 しかし、草野次男さんは所長なのだから、そういう時こそ、従業員の家に電話を入れて、「今日の状態はおよそ、通勤できる状態ではないから自宅で待機しておいてくれ」と伝えるべきもののはずで、それが所長の仕事ではないか、それをしなかったというのは所長として職務怠慢ではないのか、と思う。所長の役職手当をもらっていたはずなのだ。 しかし、総務部長の天野雅弘(男。当時、40歳くらい)は「管理したり指導したりするのは所長の仕事とは違いますから」と言うのだったが、しかし、「管理したり指導したりするのは所長の仕事と違う」のなら、それなら誰の仕事なんだよ??? 「所長の仕事とは違う」のならば、所長以外でこの人の仕事と会社が決めてその役割を果たさせるべきものであろう。それを実行していないということは(株)一条工務店という会社は「保護義務違反の会社」ということにうなる・・が、実際、保護義務違反の会社だった。(株)一条工務店は「保護義務違反の(株)一条工務店」だった。
私はそういう「保護義務違反の(株)一条工務店」に11年余りも勤めた。よく頑張った・・とも言えるが、アホと違うか・・とも言える。「アホと違うか」という方が正しい解釈かもしれないが、それでも「よく頑張った」と思う。
私が冠水してクルマのタイヤの真ん中より上まで水がきている川みたいな道を長々と走って出勤した時、テレビのニュースで見たものによると、いわき市内で「川みたいな道」をクルマで走ってその結果、クルマが水に浮き、水に浮いたクルマが流されて正真正銘本物の川まで流され、さらに「本物の川」から太平洋にまで流されて命を失った人が一人いた、と報道されていた。私ももう少し条件が変わっていたらその人のようになって「川みたいな道」から「正真正銘の川」に流されてさらに川から太平洋まで流されていたかもしれない。(株)一条工務店はそうやって会社のために尽くした従業員に対して恩を仇で返す態度をとった。

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2001年、(株)一条工務店は栃木県の小山市の営業所に勤務していた営業の縁故入社で小嶋という男(当時、40代前半)を採用して私が勤務していた栃木県佐野市の営業所に配属したが、この40代で高校生の娘がいるというおっさんは、入社早々、会社が仕事を覚えられるようにと配慮して佐野営業所で社歴が一番古い「高木のおっさん」(男。当時、50代なかば)の隣りに配置したのだったが、ところが勝手に女性社員のY川(女。当時、30歳)の隣りに移動して、横から手を伸ばして尻を撫でる。 Y川が日曜日に展示場の入口で受付をしているとちょっかい出しに行って営業中の展示場の入口で大声ださせる。営業妨害も甚だしい。
日曜日、住宅展示場の来場客が最も多い午後、(株)一条工務店の佐野展示場の玄関の目の前の駐車スペースに自分のクルマをわざわざ斜め止めして2台分を占拠して来場客のクルマを停められないようにする。私が「小嶋さん、そこは来客用の駐車スペースなので、向こう側に移動させてください」と言うと「なんでえ~え」と言う。「なんでえ~え」と言われても、そんなことすらもいちいち教えないとわからない40代のおっさんなんて、採用すんなよ・・と思うのだがそれを採用したがる症候群が(株)一条工務店の所長だったのだ。
さらに、住宅展示場の見込客が来るスペースとガラス扉1枚しか間にない事務所内で展示場の営業時間中にパソコンのDVDでアダルトビデオを大音量で見て、女性の喘ぎ声が展示場の事務所にとどろき渡る。私が「小嶋さん、もうそのくらいにして」と言ってもきかない。
私は、所長の木下(きした)は(株)一条工務店の経営者からこんなアホを採用したということでマイナスの評価を受けてしまうぞと思い、親切で木下にこれらを話してあげたところ、木下は「あんた、注意しろ」と私に言うのだった・・が私は「嫌です」と言ったのだ。「もしも、私に注意させたいのならば私を所長にならせてください。私を所長にならさずに私以外の人が所長になっているのならば、所長になっている人が注意してください」と、そう言ったのだ。
木下は「まあ、ぼくが言うけれども。しかし、あんただってもう入社して10年も経つんだから、そんなに遠慮しないで思ったことを言っていいよ」と言うのだった。そのすぐ後のことだが、小嶋はまたしても、もうひとりの女性社員の旧姓須藤(女。当時、20代後半)に事務所内で尻を撫でて、旧姓須藤が「いやあ~。お尻さわったああ~あ」と大声をあげた。 もはや、これでは職場ではないぞ。
後に、総務部長の天野雅弘が「そんなやつ、どうせ、半年でいなくなるやつなんだから、放っておけばいいじゃないか。なんで、そんなやつに言うんだ」などと私に言ったのだが、私に「注意しろ」と言ったのは所長(役職名は「副所長」だが、役割は所長)の木下(きした)(男。当時、40代)であり、木下は個人として私に言ったのではなく、(株)一条工務店の職制上の立場で指示したのだ。 それでも私はそんなアホに注意する役なんかやりたくなかったから、だから「嫌です」と「私に言わせたいなら私を所長にならせてください。私を所長にならさないなら、所長になっている人が注意してください」と言ったのだったが、その後も小嶋の態度・行状は変わらず、天野雅弘は「そんなやつの成績なんかどうでもいいだろうが」と言うのだったが、私は「そんなやつの成績」の心配なんかしていない。そうではなくて、そいつのおかげで佐野展示場の営業の「芯」であった私の営業活動が妨害されていたのであり、小嶋の営業成績の心配なんかすることないが私の営業に支障が出ていたので、それであのアホを何とかしてくださいと所長の木下に言ったのだった。会社は自分の展示場の玄関の目の前に日曜日の午後におのれのクルマを斜め止めにして来客がクルマを停められないようにするようなアホは採用するべきではないし、採用してしまったのならきっちりと所長が注意して指導するべきものだ。総務部長の天野雅弘は「指導したり管理したりするのは所長の仕事とは違います」と言うのだが、それなら、いったい誰の仕事なんだよ、誰の仕事???
それで、小嶋が展示場の事務所内で女性社員の旧姓須藤M美の尻をさわり、「いやあ~、お尻さわったああ~あ」と大声をあげさせて営業妨害・業務妨害を働いたので、私は言いたくなかったがしかたなしに「小嶋さん、あなた、そういうことをやっていると、そのうち会社におれなくなるよ」と言って注意したのだ。ところが、そうすると、入社したばかりの小嶋は入社10年目の副店長の私に「なにおお、こいつう。このお」と言ってすごんできたのだった。
所長の木下(男。当時、40代。最終学歴:高卒)は地方証券会社の水戸証券というものになぜか事大意識を持っていて「小嶋さんは水戸証券にいた人なんだ。優秀なんだ」などと「アホちゃうか」ということを言っていたのだが、なんで、地方証券会社・二流証券会社がそんなにありがたいのかよくわからんが、その「優秀なんだ」という水戸証券https://www.mito.co.jp/ というのは、そんなものだったのだ( 一一)
総務部長の天野雅弘は「そんなやつ、どうせ半年でいなくなるやつなんだから、放っておけばいいだろ。女にええかっこしようと思ったんだろう」などと言うのだったが、そんなアホなこと思うわけないだろうが。旧姓須藤雅美(女。2001年当時、20代後半)は(株)一条工務店に入社する前はネッツトヨタ栃木(株)https://www.netztochigi.co.jp/ に勤めていた女で、ネッツトヨタ栃木(株)という会社はどういう会社か、ネッツトヨタ栃木(株)にいた女というのはどういう女なのかというと「私が勤めていたんネッツトヨタなんて、朝来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい~い、というそんな会社でしたよお。同意の上だからいいんですけどお。私もさわりにいってましたしい」などと言うそういう会社でそういう女だったのだ。だから、私は旧姓須藤が(株)一条工務店に応募してきてその時の所長の五十嵐(男。当時、50歳くらい)が「あれはいいわあ~あ」などと変に感心していたのだったが「そうかあ~あ」と思い、むしろ、そういう「朝来て『おはよう』と言うと同時におっぱいもみもみい~いという会社」なんて所に勤めてきた人で「それが会社の常識よお、会社の常識~い」と言いまくる女なんか採用しない方がいい、そういう女を採用すると会社の風紀が乱れる・・と思い、いいと思わなかったし、私が所長なら旧姓須藤は採用しなかった可能性が大きい。元から旧姓須藤はそういう女であり、そんな女に「ええかっこしようとしたんだろう」などと言われることこそ心外であり私に対する侮辱である。 旧姓須藤はすでに20代も後半、四捨五入すると30の年齢であり、なんであれ自分で対応すべき年齢であり、なんで私が須藤のために何かやらんといかんのだ。私が心配していたのは私の営業成績であり、小嶋によって営業妨害・業務妨害されることで私の営業成績がマイナスになってしまうことだった。小山営業所の某さんは、そういう業務妨害するやつを縁故入社させて、自分がいる営業所に配属にならなかったのは小山営業所の営業の数が多かったかららしいが、私がいる営業所に実際問題として押しつけて迷惑なことだった。私は私の営業活動の妨害をされることをなんとかしないといけなかったのであって、小嶋の営業成績みたいなもの心配するわけないし、ましてや「朝来て『おはよう』と言うと同時のおっぱいもみもみい~い♪ て、会社である以上はそれが常識よお。会社の常識~い♪」などと言いまくるバカ女症候群の心配なんか、なんで俺がするんだよ。アホか・・てものだった。

セクシュアル・ハラスメント 新版 (有斐閣選書 156) - 福島 瑞穂
そういう、おのれのクルマを日曜日の午後、住宅展示場の来場客が最も多い時間帯にわざわざ展示場jの玄関の目の前に斜め止めにして2台分占拠して来場客に停めさせないようにして、先輩社員の私から注意されても「なんでえ~え」と言ってすごみ、展示場の営業時間中に来客が来る可能性がある展示スペースとガラス扉1枚へだてただけの事務所内でとどろき渡る大音量でアダルトビデオを見る男、かつ私が「もう、そのくらいにして」と注意してもきかない男、展示場の事務所内で女性社員の尻を撫でて大声あげさせるアホ・・そういうのを採用して、なおかつ、そういうアホに佐野営業所の営業の「芯」である私が営業妨害うけて困っているのに対処しない保護義務違反の(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫が私が結局、しかたなしに小嶋に注意した・・というのが気に入らなかったらしいのだ。しかし、どんなに気に入らなかったとしても、私は職制上の立場で所長の立場である木下から「あんた、注意しろ」と言われて、それでいやいや注意したのであり、木下から指示命令されてやったことが気に入らないならば、指示命令した木下に責任があることのはずだった。ところが、総務部長の天野雅弘はこう言うのだった。「木下は高卒だからしかたがない。おまえが慶應大学でてるんだから慶應大学でてるおまえが責任とるのが常識だろうが」と。それで私は言ったのだ。「ですから、私に責任とらせたいのなら私を所長にならせてくださいよ。どうして私を所長にならせてくれないのですか。私を所長にならせてくれれば、私は所長として責任ある対応をしますよ。私ではなく私以外の人を所長にならせているのなら、所長になっていうる人が責任とるものでしょ。小嶋のアホに注意したのがいかんというのなら、注意しろと言ったのは所長の木下さんなんだから木下さんに責任とれと言えばいいでしょ」と。
そうすると総務部長の天野雅弘は「なんでやねん」と言うのだった。「なんで、高卒の木下が責任とらんといかんのじゃ。おまえが慶應大学でてるんだから責任とるのはおまえだろうが」と、そう言うのだった。それで私は「それならどうして私を所長にならせてくれないのですか。木下さんは高卒だから一線の営業はできても所長は無理だと判断されて所長にならなかった人ではなくて、高卒だけれども所長にならせてよいと判断して所長になった人でしょ。そうである以上、高卒であろうが何であろうが所長になっているからには所長になった人が責任とるしかないでしょう」と、そう言ったのだが、天野雅弘は「無茶苦茶言うな。なんで高卒の木下が責任とらんといかんのじゃ。木下は高卒なんじゃ。おまえは慶應大学卒だろうが。おまえは慶應大学卒なんだから、なんでも責任とるのはおまえに決まっとるだろうが」と、そう言うのだった。 ついでに天野雅弘が言うにはカーネギーというおっさんが「清濁併せのむ」ということを言っていて、その内容はというと「おまえが職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でないということを認めてほしかったら、小嶋のように職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でるという者もまた認めないといけない。自分の希望だけ主張してはいけない。おまえが職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でないということだけ認めさせようというそういう勝手な主張はだめで、小嶋が職場内勤務時間内に女性社員の尻を撫でるということもまた認めないといけない。これがカーネギーが言うところの『清濁併せのむ』という考え方だ。カーネギーの本を買って読め」とおっしゃるのだったが、別に買って読まなくても、もうこれだけでそのカーネギーとかいうやつが言っている内容はわかったから買う必要も読む必要もない。 アナトール=フランスが「人生は短い。くだらない本なんか読んで時間をつぶしたくない」と述べたというのだが、これは「本を読む」という行為が「くだらない」と言っているのではなく、本には「くだらない本」と価値がある本があり、「くだらない本」の方の本なんか読んで時間をつぶしたくない、という意味だ。その意味でカーネギーなどというちっぽけな野郎の本なんか読んで時間をつぶしたくない。
そして、嫌がらせで山梨県上野原市の「西東京工場」に勤務させられて、朝8時15分から午後11時・12時、遅い時は午前1時まで30キロ・40キロするタイルや御影石を運ばさせられ、そして腰と肘を傷めた。今も治らない。整形外科医にかかると「そういうことをすれば、当然、腰や肘をいためますね」と言われた。
さらに。整形外科医から「せめて、そういうものを持つ時には、腕だけで持とうとしないで腹にかかえるようにして持つ方が腰や肘を傷めにくいですから、腕だけで持たないで腹にかかえるようにして持つようにしてください」と言われたのだが、上野原市の「西東京工場」の「工場長」の渡邊(男。2001年当時、30代前半)は「腹にかかえて持つと作業服が汚れますから腹でかかえて持たないで腕だけで持つようにしてください」と私に言ってきたので、「作業服というのは作業するための服装であり、汚れても体を傷めないようにするために、汚れてもいい服を作業服として着ているものですから、作業服が汚れないように腕だけで持つというのは作業服というものの意味合いから考えておかしいでしょ」と教えてあげたのだったが、渡邊は「生産事業部」の高橋か石川から「従業員が身体を悪くしても体を悪くしたやつが困るだけで会社は困るわけではないから、作業服が汚れないように腕だけで持つように言え」と言われたらしく、もしも私が工場長ならば、高橋なり石川なりがそういうおかしなことを言ってきたならば、工場長として「それは違いますでしょ。作業服を汚さないようにするために身体を悪くしろと言うのなら本末転倒でしょ。作業服というのはたとえ汚れてもいいように着ている服で、腹に抱えて持った方が身体を悪くしにくいものを作業服を汚さないように腕だけで持てというのは工場の作業をわかってない者が言うことでしょ」と言ってやるところだが、「ぼくは高卒なんだから、そんなこと言われてもわかるわ~けがない」と胸張って言う渡邊はアホの高橋や石川に反論できないらしかった。渡邊は私と最初に会った時に「建築専門学校を出て入社した」と自分で言い「二級建築士」と書いた名刺を私に渡して自分は「建築専門学校卒で二級建築士」だと名乗ったはずだったが、ところがそういうところになると今度は「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、わかるわ~けがない」「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、できるわ~けがない」と言って胸を張るのだったが、いったい「建築専門学校卒」だと言いたいのか「高卒なんだから」と言いたいのか、せめて、どっちか片方にしろよ・・と言いたくなる男だったが、どうも、(株)一条工務店の経営者がそういうダブルスタンダードをとるように指導していたようだった( 一一)
そうやって、「そんなことしたら、そりぁ腰や肘を傷めますね」と整形外科医が言うようなことを(株)一条工務店の経営者から意図的にされて私は産まれる時点では五体満足で産まれたのに腰や肘を傷めさせられて今も治らない。 (株)一条工務店で営業担当として契約してもらったある人と会った時にこれらについて話したところ、「それは労災じゃないのではないかあ」と言われたが私もそう思う。労災(労働災害)というのは、使用者・経営者が不注意はあったとしても、それで怪我したりはしないだろうと思ってさせたにもかかわらず怪我をするなどして身体を傷めたものを言うのであり、(株)一条工務店の経営者はこういうことをさせれば身体を傷めるであろうとわかっていることを意図的に私にさせて予定通り身体を傷めたのであり、これは労災と考える性質のものではなく傷害罪に該当する犯罪行為と考えるべきものであるはずである。
私が(株)一条工務店に入社した1992年頃は(株)一条工務店は東京圏では無名の会社で見込客の評価は低く苦労したが、最近では何年か前に我が家に来たリフォーム屋のおっさんが「天下の一条さん」なんて言うので、そりぁいくらなんでも言い過ぎやろ・・とは思ったが、私が入社した1992年に比べればはるかに評価は上がり営業もしやすくなったのではないかと思うのだが、実体はそういう会社だった。会社のために滅私奉公して尽くした従業員に恩を仇で返す会社、会社のために自分を犠牲にして尽くした従業員にそのようなことをして意図的に体を悪くさせてやろうとする会社、経営者が傷害罪の犯人である会社だった。
私は産まれる時点では五体満足な体で産まれたにもかかわらず、眼だけとられた。 せめて、眼が見えれば、老眼はしかたがないとしても、せめて「近視と老眼」ではなく「老眼だけ」だったらどんなにいいだろう・・と思う。 (株)一条工務店のアホ経営者は会社のために只管尽くした私に、なんで、そこまでやらなきゃ気がすまないのかと思う。
元中日ドラゴンズほかの田尾安志がYouTube で中日ドラゴンズから西武ライオンズにトレードに出された時のことを語っていたが、「もしも、今、もう亡くなっていない人とでも誰かと話ができるなら、その時のオーナーと会ってきいてみたい」と話していた。「『なんで、私はあそこまで嫌われなければならないのですか』と」と。 田尾は中日で選手会長になっていて「選手から球団に言ってほしいと言われたことを選手会長として言わないわけにいかないから言っただけだったのに」「選手会長なんかやるもんじゃないなあと思った」と。選手から球団に言ってほしいと言われたものというのは、たとえば、すべての試合を勝つことができるわけではなく、負ける試合もあるわけで、負けた試合の後もお客さんがいる前を通らないと帰れないように球場がなっているけれども、負ける試合だって何試合かはあるわけだから、試合の後、お客さんの前を通らないで帰れるようにしてもらえませんか、とかそういうことを選手会長として話しただけなのに、なんで、あそこまで嫌われなければならないのか、と。
田尾が西武にトレードで移籍した時、あれは両方にとってプラスになる話だったのではないのかと思ったが、最初、西武は中日は田尾は出さないだろうと考えて大島をもらえないかと話をしたところ、中日の方が大島は出せない、田尾ならどうだと話して西武に行かされたらしい。
・・・で、私はYouTube の田尾チャンネルhttps://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E5%B0%BE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB を見て、ふと思ったのだが、その頃の中日のオーナーというのは、たしか90台の老人だったはずなのだが、田尾は選手会長の立場だったから、選手会長として球団に言わないわけにいかないと思って言ったわけだが、90台のお爺さんのオーナーは、もしかして田尾が選手会長だというのを知らなかった・・てこと、ないか・・。ありそうにも思うのだ。それで、こいつ、なんで、こんなことを俺に言ってくるんだ、「たかが選手が」とか思ったのではないか・・。 たとえ90台の老人でもオーナーになってる人なら、選手会長になっている人間が選手会長として話をしているということがわからんわけないだろう・・と思うと案外違うかもしれない。
「涙もろい常務」
「鼻水もろい専務」
「よだれもろい副社長」
「そして社長は尿もろいんだ」「嫌だこんな会社」
あ~社長 オムツ忘れたー
( 「ビッグコミック」2025.1.10.号掲載、
山科けいすけ『C級サラリーマン講座』第819回 )
・・て、実はこれとたいして変わらんことが実際の会社であったり・・・・
〔 どうも、安もののデジカメはきれいに写らないみたいで、ぼやけるのは情けないが、もう少し良いものを買うか、前のものを修理するかするので、それまで我慢していただきたい。〕
![ビッグコミック 2025年1号(2024年12月25日発売) [雑誌] - ビッグコミック編集部, ちばてつや, 保松侘助, 達磨かえる元帥, 石塚真一, NUMBER8, 大谷アキラ, 夏原武, 水野光博, 藤原鳴呼子, なかいま強, 新海つかさ, かわぐちかいじ, 八木勝大, 潮匡人, 惠谷治, 佐藤さつき, 高橋ツトム, 山科けいすけ, 向井沙子, 細野不二彦, 小山ゆう, さいとう・たかを, さいとう・プロ作品, 永井豪とダイナミックプロ](https://m.media-amazon.com/images/I/51FjEQSo76L._SL500_.jpg)
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もしくは、ある部分では「さすがはオーナー」というものがあっても、他方で「え? 田尾って選手会長だったの? それでなんだかんだ言ってたの? なんだ、言ってくれよな。あいつ、まだベテランでもないのになんでなんだかんだ俺に言うのかと思った」「言いましたでしょ、田尾が選手会長だって」「え? 知らないよ」「言いましたって」「忘れたのかな・・」なんて、なんかありそうな・・・
田尾が中日の選手だった頃、中日のオーナーは相当高齢の人だったと思ったが、(株)一条工務店の経営者はそんなに高齢ではなかったと思うのだが、ひとつ、私が勘違いしていたかと思うものがある。 小堀住研(株)に入社した時も(株)一条工務店に入社した時も、高卒の人が社長の会社だったが、たとえ「高卒の人」であっても「社長になってる人」なのだから「旧帝大系国立大学の社会科学系学部卒の社長と変わらない能力があるから社長になっている人」か、「旧帝大系国立大学の社会科学系学部卒の人と変わらない能力」はないとしても「社長であるからには高卒であっても旧帝大系国立大学卒の者と変わらない役割を果たさないといけないという覚悟と矜持と気概がある人」であろうと勝手に思い込んでいたところがあったが、それが間違っていたのではないかと今、思っている。そうではなく、「単なる高卒のおっさん」だったのではないか。 自分を高く評価してもらいたい時には「学歴で人を差別してはいかんだろうがあ」と言いながら、責任ある態度・対応を求められると「そんなこと言われても、ぼくは高卒なんだから、そんなものできるわ~けがない。そんなものわかるわ~けがない」と言えばそれで通じると思ってるようなおっさん・・・でしかない単にずるいだけの人・・だったてことないか。 その程度の人を買いかぶっていたのではないか。「ブタもおだてりゃ木に登る」と勘違いしたけれども、ブタはしょせんブタであっておだてたってブタは木には登れない・・のに登れるかのように誤解してしまっていたのかもしれない。
(株)一条工務店の山梨県上野原市の「西東京工場」で「工場長」になっていた渡邊は工場の「安全衛生管理者」にもなっていたが、「安全衛生管理者」ならば工場の従業員が身体を悪くしないように配慮しないといけないはずであるが、「そんなもの、ぼくは高卒なんだから、わかるわ~けがない」などと言っていた。 「そんなもの、ぼくは高卒なんだから、わかるわ~けがない」のならば安全衛生管理者にはならない方が渡邊のためだったのではないか。たとえ「高卒なんだから、わかるわ~けがない」人でも「安全衛生管理者」になっている以上は「安全衛生管理者」としての責任を問われることになるはずだ。具体的には、もしもその工場で死人が出たとか重傷者が出たとかいったことがあった場合、「悪いのはこいつですよお」と会社経営者が言うのがその「安全衛生管理者」として名前が掲載されている人間のはずなのだ。(株)一条工務店の経営者は逃げるぞ! 下っ端に責任押しつけて経営者は逃げるぞ! そういう経営者だぞ・・と思えばこそ、私は渡邊に教えてあげたりもしたのだが、ところが渡邊は私がせっかく教えてあげても「そんなもの、ぼくは高卒なんだから、わかるわ~けがない」と言ってきかなかったのだ。こういう人は実際に責任押しつけられて痛い目に合わないことには理解しないのかもしれない。
私が(株)一条工務店に入社した時、営業本部長の天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に来てくれるのかと思ってびっくりした」と言って喜んでくれた、と思ったのだったが、たとえその時は喜んでも、高卒の社長・中卒の営業本部長にはそういう人間を活かす能力はなかったということか。 私に工場長にならせてくれれば、渡邊みたいに「作業服を汚さないように体から離して腕だけで持つようにしてください」などとは言わない、そうではなく「腰や肘を傷めないようにするには、腕だけで持つのではなく腹から抱えて持つという持ち方をするようにしてください。作業服は作業するための服ですから、作業をすることによっていくらか汚れてもそれでいいのです。そのための服装が作業服なのですから」と言うところだ。 2001年に「生産事業部の責任者」になった高橋は「今年の目標は経費節減ではなくコストダウンだ」などとわけのわからんことを言った。「コストダウン」を日本語にすれば「経費節減」だろうが。何をアホなこと言うとんねん。 その上で高橋が「コストダウン」としてやったのは工場で作業するための道具を購入しない、というものだった( 一一) その道具があれば作業がはかどって「コストダウン」がはかれるのに、逆に生産性の低下を招く行為を働いた。(株)一条工務店の経営者はそういう人が好きなのだ。 私が上野原市の工場で考えたのは「工業団地の隣の敷地が空いているから買いませんか」と経営者に言うことだ。土地を買ったとしても、土地は買った金額を失うわけではない。 隣の土地を購入して雑草の伐根伐採をやった上で砂利敷きくらいした状態で、そこに(株)一条工務店・(株)日本産業に来て(株)一条工務店の建築現場に物を運ぶトラックを待機させる。 上野原市の工業団地ではほかの会社はトラックの待機場所も確保しているのに(株)一条工務店だけが待機場所を確保せず、道路上に待機させていたが、上野原市の工業団地の道路は駐車禁止の札は立っていなかったけれども、それでも道路は駐車場ではないのだから、何より自社の工場の前の道路に停めるのはまだしも他社の工場の前に「一条工務店」とでっかく書かれたトラックが何台もずらずら並んでいるというのはマナーに反するものであろう。 又、上下二段にうなって移動式の棚に住設機器を置いていたが、それだと落として壊すことがありロスが出るし、移動式だと一人が棚から出そうとしているか棚に収納しようとしていると、ほかに出したい者・入れたい者がいても待たないといけないし、棚を移動させる時間が無駄になる。 上下二段にせずに、かつ、移動しなくても出し入れできるような棚にすればその分だけ効率があがる。もとより、上下二段の移動式棚というのは遠州人のいなかもんはものすごい近代的なすぐれものと感動したかもしれないが、それは間違いで、都市圏の狭小地の工場・倉庫などで収納量を増やしたいが敷地はもういっぱいで隣地を買いたいと思っても売ってくれないというような場所の場合にやむなく収納量を増やすための道具であり、上野原市の工業団地のように隣地が空いていて、なおかつ土地の値段があまり高くないという所であれば、上下二段式の移動棚なんかにカネだすくらいなら、地べたを買うのにカネかけた方が利口というものだ。 私なら「コストダウン」のためにということならば、こういったことを提案する、土地は買っても必要なくなった時にまた売ることだってできるから土地を購入した費用は売る時の値段が買った時より安かった場合の差額であって購入した金額全額がかかった費用ではない・・・のだが、こういう思考ができないあんぽんたん症候群の高橋とか石川とかが(株)一条工務店の経営者は好きだったのだ( 一一) その結果、私は肘や腰を意図的に傷めさせられた。「労災」と評価すべきではなく傷害罪に該当する犯罪と評価すべきものであるはずだ。
それこそ、プリゴジンのおっさんが「ショイグ~、ゲラシモフ~。砲弾はどこだあ」と叫んでいたように、「高橋~、石川~。道具はどこだあ」と道具を用意する費用を「コストダウン」するとかしか「コストダウン」のために思い浮かばないアホを大事に大事にする会社・経営者が(株)一条工務店・(株)日本産業だったのだ( 一一)
※ YouTube-要衝バフムト「10日に離脱」ワグネル創設者が表明 弾薬供給せず「数万人の死傷者出した」 ロシア国防相ら名指しで激しく批判|TBS NEWS DIG https://www.youtube.com/watch?v=nMmSs0zabco
0:37~「ショイグ~、ゲラシモフ! ・・・」
(株)一条井工務店の生産事業部である(株)日本産業 で、2001年において間違いなく「コストダウン」をはかる方法がひとつあった。それは、生産事業部の「責任者」になった高橋から役職手当を剥奪することだ。一番、必要ないものであったはずだ。必要ないものに払っている経費を省けばその分だけ「コストダウン」をはかることができたはずであり、高橋の役職手当を剥奪すれば間違いなくその分だけ「コストダウン」をはかれたはずだった。
新井薬師の本堂の薬師如来さまにお願いすれば、小学校3年の時の健康診断では両眼とも1.5見えたのに、「眼みたいなもん、つぶれたってかまわん。受験がすべてや」などと親に言われて、両眼とも0.1見えるか見えないかになってしまったものを回復してもらえるのなら、それこそ、相当の額のお賽銭入れたってかまわない。
「会社のために滅私奉公」「会社のために犠牲になる」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けて、そんな気になってしまって会社の為に自分を犠牲にして尽くした会社に恩を仇で返されて、肘や腰を痛めさせられた。 「会社のために犠牲になる」というのは、「大手」「一流」「財閥系」「有名」「一部上場」企業に勤めてきた人とか、親戚が社長やってる会社に特別扱い従業員として勤めてきた人とかは理解しにくいかもしれないが、私のように三流以下企業に勤めてきた者にとってはわかりやすい。「会社のために犠牲になる」というのは、それは即ち「よその息子のために犠牲になる」ということと何ら変わらない。うちの父親は私によその息子の犠牲になって自分の人生を踏みつぶせと言った、ということだ。 私が給料変わらないのに余計に働いてその分、(株)一条工務店の収入が増えたなら、結果はオーナー経営者の財布を経由してフィリピーナのねーちゃんが食う焼肉が増えるだけのことだろうが。違うか? 違わんだろう。」
(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業の山梨県上野原市の「西東京工場」で「工場長」になっていた渡邊は、私がタイルや御影石の梱包作業をしていた時、手伝いに来てしばらく一緒にやったのはいいが、「ほら、ぼくがやったら〇〇さんがやる時の倍の速さでできるじゃないですか。〇〇さんがやる時もこの速さでやってください」などと言うので、あきれた。 渡邊が「ぼく(渡邊)がやったら」という時というのは「ぼく」(渡邊)が1人でやったのではなく「ぼく」(渡邊)と私と2人でやったわけだ。私がやった時というのは私が1人でやったわけだ。2人でやったら1人でやった時の倍の速さでできたとして、当たり前のことであろうが。 渡邊という男は、私なら安全対策のためにこうする、というものをやらない。又、私なら生産性向上のためにこうする、というものをやらない。それを「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、できるわ~けがない」と言ってふんぞり返るのだが、その片方で、2人でやった時に1人でやった時の倍の速さでできたというものを「ほら、ぼくがやったら〇〇さんがやった時の倍の速さでできるじゃないですか」などと、あほくさいことを言ってみたりするという、そういうあほくさいことを言う知恵は働く男だった。今は昔、うちの父親が「高卒のやつというのはずるいやつが多い」とぼやいていたことがあったのだが(あんたの方がおぼこいのと違うんかい、とも思ったが)、実際に「高卒のやつ」で「ずるいやつ」は間違いなくいるけれども、それは人にもよるかとも思うが、渡邊の場合、一番ずるいのは、その時によって自分を高く評価してほしいと思うと「建築専門学校卒で、二級建築士」と主張するかと思えば、責任ある態度を求められると「ぼくは高卒なんだから。高卒なんだからそんなものできるわけがない、そんなものわかるわけがない」と言ってふんぞり返るというダブルスタンダード、””必殺二刀流”” を使う、という点だ。
もうひとつ、彼が「ずるい」のは「二級建築士」てやつで、彼は「建築専門学校卒」だと言っていたのだが、二級建築士の受験資格は「学歴なし」だと「実務経験7年」、「4年制大学の建築学科卒」だと「実務経験なし」で受験することができたが、「建築専門学校卒」だとその専門学校のカリキュラムにもよるのだが、「学歴なし」の場合の7年よりは短いが何年かは実務経験が必要だったはずで、渡邊はその「建築専門学校」出た後すぐに(株)一条工務店に就職して入社以来一貫して工場勤務だというのだが、在来木造のプレカット工場であっても工場勤務だと二級建築士受験の際の「実務経験」には該当しないはずで、それでいて二級建築士の試験を受けて資格を取得した・・て、なんか、あれ? ・・となるが、こういう「二級建築士」は世の中にけっこういるみたいで、私みたいに王道でインテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストとって登録しても、あれ? てルートで「二級建築士」の方が高く評価されたりして、なんかあほくさいなあ・・と思うことがある。千葉県八千代市に本社がある東海住宅(株)https://www.10kai.co.jp/ の千葉市花見川区の花見川ショールームの店長になっていたO友優子さん(女。2008年当時、50代)は「二級建築士」と言いながらあんまりわかってない人だったが、「夫が小堀住研で設計課長やってました」「夫が設計事務所やってました」と何度も何度も言いまくるので、最初は自己紹介のひとつとして言っているのかと思ったが、そのうち、ああ、この人は「夫が・・」と言うことで自分を高く評価してもらおうとして言っている人、「夫がヤクルトスワローズの監督やってました」とか「夫がインドネシアの大統領やってました」とか言ってテレビに出てたおばさんと同類てことかとわかったのだが、「夫が設計事務所やってました」という人というのは、自営業の人というのは実際に仕事をしていなくても家族を従業員ですということにして給料払っていることにしている人が多く、「夫が設計事務所やってました」というおばさんというのは、「設計事務所の〇年勤めていた」という記録があるわけで、実際には何もやってなくても「実務経験7年以上」になってしまい二級建築士の受験資格があることになってしまうのだ。受験のための勉強がある程度以上できる人ならそれで試験に通ってしまい「二級建築士」と言い張れることになってしまうのだ。そういう人を見ると「なんだ、一級じゃないのか」とでも言ってやりたい気持ちになるのだが、「いっきゅうけんちくしい~い」と言いたくて言いたくてしかたがない症候群のおっさん・・てのも世の中にはいて、そういう人はたいてい「バカでも入れる私大の建築学科卒」か「建築専門学校卒」で、かつては建築学科のある大学が少なかったから「4年制大学の建築学科卒で卒業後に2年の実務経験」で受験資格を得ることができる「一級建築士」を取得した人というのは東大の建築学科卒とか京大の建築学科卒とかそういう大学卒の人であることが多かったが、「そ~れが今では♪」「バカでも入れる私大の建築学科」というのが全国に大量にあって、卒業すると二級建築士の受験資格を得ることができて卒業後に実務経験2年で一級建築士の受験資格を得ることができる(この点では4年制大学の建築学科と同じ条件)の「建築専門学校」というものもけっこうあるので、逆に「いっきゅうけんちくしい~い」と言いまくらないとおれないほとんどビョーキ症候群のおっさん・・てのは「あんまりええ大学でとれへん」という場合が多いのだ。普通に考えて「肩書で自分を評価してほしいほしい症候群」のおっさんにとっては「東大工学部建築学科卒」とか「京大工学部建築学科卒」と「一級建築士」とでは肩書としてどっちが上の肩書かというと「東大工学部建築学科卒」とか「京大工学部建築学科卒」の方だろうが。だから、「東大工学部建築学科卒」とか「京大工学部建築学科卒」の人間はあんまり「いっきゅうけんちくしい~い」と言いまくらないわけだ。それに対して、「うるさいやっちゃなあ」てくらいに「いっきゅうけんちくしい~い」と言いまくらないとおれないシンドロームのおっさん てのは、たいてい「バカでも入れる私大の建築学科卒」か試験なんか最初からない「建築専門学校卒」かどっちか、「建築専門学校卒」の人が多いかな・・・。「建築専門学校卒」のおっさんにとっては「いっきゅうけんちくしい~い」というのがものすごくうれしいのかもしれないけれどもね。そのわりに内容がない場合が多い。「建築専門学校」には卒業すると二級建築士の受験資格を得られる「建築専門学校」もあるけれども実務経験が何年か要る「建築専門学校」も多いのだ。だから、渡邊も実務経験が何年か必要な方の「建築専門学校卒」ではないのか、て感じがする。その場合、二級建築士の受験には「実務経験」が何年か必要のはずなのだが、たとえ在来木造のプレカット工場であっても工場勤務は二級建築士の試験の受験のための「実務経験」にはならないはずなのだが、実務経験があるかないか誰が証明するのかというと最後に勤めていた会社が証明することになっているから、(株)一条工務店と系列の(株)日本産業なんていいかげんな会社の証明なんて、「そのへんの設計事務所のおっさん」の証明と同様にいいかげんなものだ。
まあ、渡邊の「二級建築士」はそんなものだろうとは思うが、「そんなもの」の二級建築士は世間にゴマンといる。2010年、千葉市中央区鵜の森町の工務店 新華ハウジング(有)に勤めていた時、千葉市内の不動産屋をまわった際、ある不動産屋のおばさんが自分は二級建築士だと言い、なんか「そのへんの不動産屋」とは違うんだみたいな態度をとったことがあったが、その不動産屋のホームページによると、そのおばさんはポン大の建築学科卒で二級建築士を取得したそうだったが、ポン大建築学科卒なんだよ・・と威張られてもなんだかなあ・・・( 一一) て、建築業界にはそんな二級建築士・一級建築士が多い( 一一) だから、渡邊だけのことではなく「二級建築士」とか「一級建築士」とかいうのが「そんなもん」みたいなところがあるのだが、渡邊がずるいのは自分を高く評価してもらおうとすると「建築専門学校卒で二級建築士」と主張し、責任ある対応を求められると「ぼくは高卒なんだから」と「高卒」になるという、そっちだ( 一一)
私が滅私奉公して会社のために身体を壊して尽くしても、そうやってため込んだカネを浜松市に寄付したとして、浜松市長と浜松商工会議所は誰にお礼を言うのだ? 身体を壊して尽くして会社に利益をもたらした者にではなく「初代社長」にだろうが。
うちの父親というのは、よっぽどバカじゃないかと今さらながら思う。「鹿取のように滅私奉公、川相のように犠牲の精神」と耳鳴りするほど言われたものだが、「鹿取はどんなに疲れていても嫌な顔しないで投げるらしいで。サラリーマンのかがみというものや」だの「川相は自分がめだとうとしないで犠牲バントを嫌がらずにやる。えらいやっちゃ。あんたも川相のように犠牲になれえ」などとずいぶんと言われたものだったが、鹿取は江川と同年齢だったが江川は雨が降りそうだと力を抜いていいかげんな投球をするとか言われたのに対して、鹿取は「どんなに疲れていても嫌そうな顔ひとつしないで投げる。えらい男や」などとうちの父親は言うのだったが、鹿取に尋ねたところ、鹿取は「ぼくが江川みたいなことやったとして通じると思う?」とそう言ったというのだ。江川は作新学院高校の時から「怪物」と言われて特別扱いだった。鹿取はそうではない。鹿取がどんなに疲れていても「ピッチャー、鹿取」と監督から鹿取を指名された時にうれしそうにした、というのは、監督からほかの投手を指名されたくなかったから、どんなに疲れていてもほかの投手に仕事を奪われるくらいなら自分がその仕事をやりたいというものだったみたいだ。「サラリーマンのかがみ」ではなく「自営業の人の発想」ではないか、と思う。 川相は引退後、「犠牲の精神を教えたい」などと勝手なこと言って講演しまくっていたが、川相はあくまでも「犠牲バント」「送りバント」というものを得意技として野球界でおのれの出番を確保した選手で、それをやることによって高給を得てきた男であり、決して犠牲になんかなっていない。おのれはまったく犠牲になんかなっていないくせして「犠牲の精神を教えたい」だの勝手なこといいくさってからに、野球選手・元野球選手で一番気に入らない男というと元巨人の川相である。何が「犠牲の精神を教えたい」だ、何が! 勝手なこと言うなちゅうんじゃい!
※ ウィキペディアー鹿取義隆 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%8F%96%E7%BE%A9%E9%9A%86
ウィキペディアー川相昌弘 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%9B%B8%E6%98%8C%E5%BC%98
数学者で教育論者の遠山啓が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、父親とは家族の中で最も「世間知」というものを持っている人間で、息子に「世間知」を教えてくれる存在であるだの、父親は息子を外敵から守ってくれる存在であるだのと述べているが、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪〔⇒YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー https://www.youtube.com/watch?v=Xx47Nv4ndKA 〕 家族の中で最も「世間知」というものを持っている父親というものも世の中にはいるのかもしれないが、すべての父親が「世間知」を持っているわけではないし、すべての父親が息子を外敵から守ってくれるわけでもない。外敵を引っ張り込んでくる父親もいる。遠山啓は産まれた時、父親は朝鮮にいて5歳の時に日本に帰ってくるというので喜んだものの、帰ってくる途中に病死してしまい、父親というものを知らずに育った人間だったというだけに、「父親というもの」を実際よりもいいものに思っている、もしくはよそのお父さんのうちで比較的いいお父さんを「父親というもの」と考えているフシがある。遠山啓の『競争原理を超えてーひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)が北野高校の3年の時の担任だった大谷郁三の推薦だったが、大谷もわかってなかったのではないか、と思う。よその息子に言うならまだしも、おのれの息子に「会社のために犠牲になれえ」だのと吹き込んでえらい目に合わせる父親・・て、そういうアホな父親だったということなのだろう。
・・・今、思う。恩を仇で返す会社のために滅私奉公した私はつくづくアホだった、と。
そして、思う。「二十四時間戦うのは・・➡しんどい」と。
※ YouTube-【CM】3、4時間戦えますか? リゲインhttps://www.youtube.com/watch?v=2PAAKpzB8Mo
山門をくぐって「水屋」付近に来ると「最後尾」がそこにあるから、本堂の方に向かってしまうが、「水屋」の右手に鐘楼がある。↓
↑ 鐘楼。
本来なら本堂よりこちらの方が先だろう。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508338677.html 、本堂の後ろの16歳の聖徳太子像など・・
※ 新井薬師HPhttps://araiyakushi.or.jp/
ウィキペディアー梅照院 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%85%A7%E9%99%A2

東京人 no.185 2002年12月号【雑誌】 特集:「寺見物」近ごろはやりの散歩術 小特集:ラーメン、恐るべし

住宅業界残酷物語 (YELL books) - グループQ

労働法入門 第7版 (有斐閣双書 6) - 外尾 健一
(2025.1.5.)
☆ 新井山梅照院薬王寺(新井薬師)(東京都中野区)参拝
1.西新井大師と新井薬師は別。西武新宿線「高田馬場」から「新井薬師前」駅。新井薬師前駅前。MIND THE GAP. https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508121327.html
2.新井薬師前駅から新井薬師(梅照院)へ。「読売の拡張員」とはどういうものか。「クリーン船橋の日」に現役世代の人間は参加せずに年寄りだけ参加させてよその家の現役世代の人間に世話させる「ふてえ野郎」。我が家の敷地に不法侵入して玄関扉を破壊して侵入しようとする向かいのじいさんと読売の拡張員は我慢するしかないのか。窓を開けて「巨人ーどこそこ」を見て巨人が得点すると大きな音を立てて手を叩く巨人ファンはどう考えても阪神ファンよりもマナーが悪い!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508124371.html
3.門・修行大師・聖観音・霊堂・水子地蔵・お願い地蔵・不動堂・水屋。 99匹の羊が牧場におれば1匹迷いだして不幸になってよいというものではない、先に性交やって子供つくった者のためにふさわしい相手と巡り合えない者から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供に恵まれない者から「妊活」の時間を奪うのは「当たり前じゃないかよお」ではない。お地蔵様・観音さま、おのれの子供のためにひとの子を食い殺す女とその夫と子供に対して、恨み晴らしてくださいhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508213520.html
4.本堂・鐘楼。警察官は人を射殺する権利があるのか。並ぶのんめんどくさい派。水曜休みの会社は日曜休みの会社より祝日の分だけ休みが少ない。「会社のために犠牲になる」はよその息子のために人生を犠牲にすることを意味する。「受験のためには眼なんかつぶしてもええ」と言われて眼だけ奪われた。2人でやって1人でやった時の倍できたと言う男。工場長は従業員の健康を守るのが仕事か健康を破壊するのが仕事か。 〔今回〕
5.16歳の聖徳太子像・新井薬師公園。「孔子で孟子で聖徳太子であって絶対にイライラしないお方」であるにもかかわらずいつでも「イライラしてきた」人のそばにいると「犯人」にされる。だから、息子は大変なんだよ。犯罪の現場など見に行ってはいけない、犯人にされるぞ。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508338677.html
6.警察の恐怖【1】歩行者をいきなり突き飛ばして 【2】加害者と結託して被害者に恫喝 【3】「ぼく、一条工務店が好きなんです。一条工務店のこと悪く言わないでください」 【4】不法侵入と公務執行妨害。施設管理者から警告されて「なにい~い」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508376779.html
7.受験生を応援する。できが悪かった時こそのっしのっしと。合格発表は友だちと一緒に見に行くな。入試にはポケットティッシュを持参せよ。予備校職員と高校教諭に警戒せよ。エスカミリオ症候群は治らない。またつまらぬ者を切ってしまった。学歴詐称はゴマンといる。息子の名前を天津丼に変えないで。妻の名前を本人が嫌がる名前に変えないで。電卓で浪人したことによる費用を計算するのは大学に合格して入学した後にしてほしい。合格体験記は、読んだ人からバカにされてるかもしれない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508553760.html
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