「孔子で孟子で聖徳太子であって絶対にイライラしないお方」であるにもかかわらずいつでも「イライラしてきた」人のそばにいると「犯人」にされる。だから、息子は大変なんだよ。犯罪の現場など見に行ってはいけない、犯人にされるぞ――新井薬師(新井山梅照院薬王寺)参拝【5/7】16歳の聖徳太子像・新井薬師公園

[第1053回]
  新井山 梅照院 薬王寺(新井薬師)(真言宗豊山派)参拝の5回目です。
  本堂の後ろの方に行ってみると、「16歳の聖徳太子」像 が立っておられる。↓
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↑ うちの父親は聖徳太子が好きだったが、私は好きではなかった。
「あんたはわしのことを、もしかすると普通のお父さんやと思っておったかもしれんけれども、実は違ってんでえ」とおっしゃるのだった。
「『普通のお父さん』とは違って、実はわしはスーパーマンやってん」と言われるのだ。「女川(めがわ)先生がおっしゃるには、わしはスーパーマンらしいねん。知ってたかあ」と言われるのだった。「女川(めがわ)先生」というのは、うちの父親の「親友」で医者屋で新興宗教 女川(めがわ)教 の教祖の男(1980年頃当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが、おそらく嘘だろう。ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたというのを自慢にしていたので、女川自身も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなかったとしても「かわいいキンタマ」〔川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大=かわいいキンタマ〕あたりではないか。大阪の人間で大阪府で勤めていたにしては「金沢大医学部」と金沢の地名が出たということは「金沢大医学部」ではなく「金沢医大」か? )で、うちの父親のように、「お父さんはスーパーマンのような方ですから」と言われると喜ぶおっさんのまわりには、そういうことを言うアホが寄ってくるみたいだった。 その類のことを言われても「え? なんで、そんなこと言うんだ?」「何のつもりだ?」と反応すれば、その類の人間はそれほどは寄ってこないのだが、「お父さんはスーパーマン」だのとアホなこと言われて喜ぶ難儀なおっさん症候群の周りには寄ってくるのだ( 一一)
   世の中には学歴詐称する人というのも実はいっぱいいるのだが、これなども「学歴詐称する人」なんていっぱいいる・・と認識して世間とつきあうと、それほど「学歴詐称する人」は寄ってこない・・というのか「詐称しても効果はない」と思うと詐称しなくなるのかもしれない。 あほなおっさんの周りには寄ってくるみたいだった。 遠山啓は『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で「父親というものは息子を外敵から守ってくれる存在である」などと書いていたが、そういう父親も世の中にはいるのかもしれないが、そうでない父親もいると思うのだ。「外敵から息子を守ってくれる父親」というのもいるかもしれないが、外敵を引っ張り込んでくる父親というものもいると思うのだ。遠山啓はそのあたりを理解できていない人間症候群だったようだ。
「わしはスーパーマンやと知ってたかあ?」と言われるのだったが、知らんかった。パーマンかと思うとった。
※ YouTube-パーマン[OP/ED]https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3op&&mid=512336AEBD228DCF672A512336AEBD228DCF672A&&FORM=VRDGAR 
  少し話がそれるが住宅建築業界においては「『建築士』『いっきゅうけんちくしい~い』と言えばひとは言うことをきく」という信仰を持っている人間がおり、「一級建築士でもその分野についてよくわかっている人もおれば、そうでない人もいますからね」と言えば、「ああ、この人は『いっきゅうけんちくしい~い』と言うだけで『言うことをきく』人ではないんだな」とわかってくれるだろう・・と思ったら、いくらこちらが「そうじゃないんだよ」「一級建築士の資格試験に通ったというのは悪くはないけれども、『いっきゅうけんちくしい~い』と叫べばひとは言うことをきくというものではないんだよ」ということを説明しても絶対に理解しない症候群の人間というのが、住宅建築業の業界にはけっこう多くてうんざりするのだ。 先日も、依頼したリフォーム屋のおっさんが「うちの建築士が」と言うので、どんなに説明しても理解しない症候群のおっさんてのは困ったもんだなあ・・とうんざり、う〇こまみれのザリガニでうんざりした・・が、住宅建築業界におけるこの病巣はまったく難儀なもんだ。

  「実はわしはスーパーマンらしいね~ん」と言われるので、
「空飛ぶのですか?」とお尋ねした。
「アホか。そんなもん、飛ぶわけないやろ」と言われるので、
「しかし、スーパーマンというのは空飛ぶのと違うのですか?」と言ったのだが、
「飛ぶか、そんなもん」と言われるのだ。
「空飛ばないスーパーマンなんですか?」と言うと、「飛ぶか、何を言うとんのんじゃ」とおっしゃるのだ。
「空飛ばないスーパーマン」なんてあるのか? アラレちゃんみたいなもんか。
※  Superman | The Amazing Story of Superman | Documentary | Warner Bros. Entertainment https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3&&mid=57271E5DBBBC7C5CB38357271E5DBBBC7C5CB383&&FORM=VRDGAR
※ YouTube-Dr スランプ アラレちゃん OP EDhttps://www.youtube.com/watch?v=oPYgijgqRGo  
  さらに、
「実はわしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタやってん。知ってたか」とおっしゃるのだったが、知らんかった。
「わしは孔子で孟子で聖徳太子やねん。『40にして惑わず』や」と言われるのだった。その上で「いらいらしてきた。いらいらしてきた」と言われるので、
「なんで、孔子で孟子で聖徳太子のお方がいつもいつも『いらいら、いらいら』されるのですか。『40にして惑わず』と違うのですか。もう、40過ぎてますでしょ」と言ったのだが、そうすると「とうに過ぎとるわ」と言われるのだ。
「それなら、いらいらすることないでしょ」と言ったのだが、そうすると
「『40にして惑わず』のお方であるこのわあしい~いがいらいらしているってことは、おまえのせいやっちゅうこっちゃ♪ ひとのせいにすんなあ!」と言われるのだった。
思いっきりひとのせいにしているのは、あんたと違うんかい、と思ったが、
「専門家のおっしゃることやねんでえ」と言われるのだった。
「専門家」とはうちの父親の「親友」で医者者で新興宗教 女川教教祖の「女川先生」のことだ。 
「40にして惑わず」といっても実際にはいつでも「いらいらしてきた」やっていて、それを「人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやねんぞお」と叫びながら、「わしは絶対にいらいらしない人間である、にもかかわらずいらいらしているっ! てことは、おまえのせいやっちゅうこっちゃ!」と毎度、私のせいになさるお方、そういう人を「孔子で孟子で聖徳太子」と言い、「聖人」と言い、「40にして惑わずのお方」と言うそうだった。それが「専門家の名医の先生のおっしゃること」だそうで、「医者というのは常に絶対に正しい人であって、いついかなる時も絶対服従せんといかんねんぞおお~お」というお方だそうだったのだ。
現代の医療被害 (1978年)
現代の医療被害 (1978年)
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
※ YouTube-ひげのお医者さん 都城少年少女合唱団 https://www.youtube.com/watch?v=X3N8zRVPoTM
  その「孔子で孟子で聖徳太子である『40にして惑わず』のお方」が「いらいらしてきた、いらいらしてきた、いらいらいらいらいらいらしてきた。すべておまえのせいやあいうて女川先生がそうおっしゃってくださってますねんでえ。聖人で神さまの先生がそうおっしゃってますねん。ひとのせいにすんなあ!」と言われるのだった。
「ええか、わかっとるか。人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやねんぞお。わしみたいな孔子で孟子で聖徳太子で『40にして惑わず』の絶対にいらいらしないお方がいらいらしているってことは、おまえのせいやのにからに、それを『なんで、そんなものが私のせいになるんですかあ』とおまえみたいなこと言うやつのことを心理学では『外罰的性格』ちゅうんじゃ。わかったか。専門家のおっしゃること!」とおっしゃるのだった。
その「女川先生」というのは医者屋としては何科なのかというと「専門は内科」と自称していたが、現在の日本においては「心理学は『精神医学』のハシタメ」であり、「精神医学」は誰が使うことを認められているかというと、獣医と歯医者以外のすべての「医者」が「精神医学」を使うことが認められているので、カネとコネさえあればバカでも入れる私立医大卒で内科医やったがうまくいかないので「精神科医」に転職してガッポガッポもうけるということも認められているし、「精神科医」を名乗らなくても「内科医」とか「眼科医」「耳鼻科医」「皮膚科医」と称しながら「精神医学」(=詭弁)を使うことも法的に認められている。
  「精神医学」「精神科医」というのは「八百長で相撲取りをやめさせられてプロレスラーに転職した元力士」みたいなものだ。八百長が発覚して何人もの力士がやめさせられたという時、あるプロレスラーに「八百長で辞めさせられた力士がプロレスラーに転職することについてどう思いますか」と尋ねたところ、「こちらとしてはウェルカムですね。なにしろ、こっちはそれ(八百長)が本業みたいなもんですからね」と答えた・・というのだ(笑)・・が、内科医とかやっていて治療の方の腕はいまひとつだが詭弁を弄して患者をたらしこむ技術は上手い! という医者屋がそっちの方を活かして本業とすることにしたのが「精神科医」・・て、まあ、そんなところだ。 反精神医学派の「精神科医」トマス=サズが、現在、「精神医学の悪い治療」とか「精神医学の悪用」とか言われているものというのは、実はそれは「悪い治療」とか「悪用」とかではなくそれこそが「精神医学の本質」なんだ、と述べていたが、その通りだ。

  私は、中学生から高校生にかけての頃、心理学というものは文学・哲学のより科学的・実証的なものを言うのかと思っていたのだが、又、小学校から中学校・高校とかけて文学や哲学・宗教学・社会学といったものを学んできた東大文学部・京大文学部・京大教育学部とかの心理学科・教育心理学科に行って卒業して大学院にも行った人が「心理学者」になるものかと思っていたが、実はそうではなくて現在の日本においては「心理学は精神医学のハシタメ」であり、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権医大に裏口入学して卒業して内科医とかなったけれどもうまくいかないので3日前に「精神科医」に転職したというやつの下働きが「心理学者」だったのだ。 日本においては、3日前まで肛門科で痔疾の治療を専門としてやってきて、おっさんのケツの穴ばっかり見てきた「医者」とか、産婦人科で妊婦さんの お〇んこ ばっかり見てきた医者屋のおっさんとかがデューダして「精神科医」になって「医は仁術」「心のケアこそ大事」とかなんとかかんとか勝手なことぬかしているというのが「精神科」「精神医学」で、その下働きが「心理学者」なのだ。 1980年代後半、「新人類」とか言って若い世代の革新的な姿勢を抑え込むための用語が広められたが、その類で「モラトリアム人間」とか「青い鳥症候群」とかなんとかかんとか「精神分析学」と称して革新的な姿勢を抑え込み、「自我を持たないことが最高の自我」であるように国民を騙して支配されやすい人間に加工しようとする反民主主義の側の手先として「慶應大学医学部助教授」の小此木啓吾が「医学」「精神医学」「精神分析学」と称して体制側にとって都合がいい人間に国民を加工しようとする小此木啓吾のビョーキ本シリーズがヒットした。三笠書房は小此木啓吾のビョーキ本シリーズで相当もうけたのではないか。

  もともとは、「精神医学」「精神科」は本人の意志に反して「治療」と称して「人間による人間の加工」をおこなうものであるのに対して「心身医学」「心療内科」はあくまでも本人の意志でより好ましい状態にしようとするものであったはずであるのだが、「精神科」にはかかるのを嫌がる人がいるので、最近では「精神科」と言わずに「心療内科」と称して「精神医学」(いかさま)を使う「医者」も出現してきているようだ。1980年だったか、羽田空港でパイロットが不適切なタイミングで「逆噴射」をおこない、「機長、何をするんですか」という言葉が流行語みたいになり、その時の機長を「心身症」などと言って新聞などに掲載されたが、そんな「心身症」はない。
  最近、うちの親戚で「心療内科」に言ったら「雅子さんの病気」という「病名」つけられたやつがいたのだが、変な””病名””が創作されたもんだ( 一一) 「雅子さん」というのは、あれはだんながいい仕事についてるから、あんなことやってられるんだよ。 私も女だったら浩宮さんみたいなええ仕事についてるだんなと結婚したいわあ・・・・。少なくとも私なんかと結婚するよりも浩宮さんと結婚する方が絶対いいと思う。この点については絶対の自信がある。
  1980年代においては、慶應内部進学小此木啓吾が「精神分析学」と称して「モラトリアム人間」だの「ピーターパンシンドローム」だの「ウェンディジレンマ」だのなんだのかんだのと、慶應の内部進学の人のいびつな世界観をもとになんだかんだ勝手な「病名」「準病名」を捏造して気に食わないやつに、ぺったんこぺったんことその「病名」シールを貼りつけたものだった。 小此木啓吾こそ ””ひとに貼りつける「病名」シールを捏造してぺったんこぺったんこと貼らなきゃおれないシンドローム”” という変なビョーキ持ってる男・ビョーキ持ちの男のようだった。2003年9月にやっと死んでくれた。相当しぶとかった。死んでくれてすっとした。「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」というのはつくづく害が多いと思われたが、最近は「心身医学」「心療内科」までがその仲間になりかけている。

  で、「空は飛ばないスーパーマン」であるだけでなく「修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタ」であって「孔子で孟子で聖徳太子で『40にして惑わず』のお方」のうちの父親は
「わしはキリストやねんぞお~お」とおっしゃるのだった。
「わしはキリストであって、わしが命じると水が葡萄酒に変わり、山が空とんで海に入るねん」とそうおっしゃるのだった。それも「名医中の名医であらせられる女川先生」がおっしゃった「診断」だったらしいのだ。
それで、私は言ったのだ。「キリストなんですか?」と。
「そうやねん。実はわしはキリストらしいねん」とおっしゃるのだ。「女川先生がそうおっしゃってん」ということだった。
それで、私は言ったのだ。「キリストがなんで、そんなにいつでもイライラいらいらイライラなさってるんですか」と。
「キリストならイライラしなきゃいいでしょ」と。
「キリストがなんでそんなにイライラするのですか? キリストていつでもイライラしているお方なんですか?」と。
そうすると、「そやから、キリストであらせられるわしい~いがイライラしているっ・・てことは、おまえが悪いっちゅうこっちゃ」とおっしゃるのだった。
  私は「心理学」に「外罰的性格」という用語があることは知っていたが、それは「わしがイライラしたらおまえが悪いんじゃ」と言ってひとのせいにするような人のことを「外罰的性格」と言うのかと思っていたのだが、実は「心理学」によると違うらしいのだ。そうではなくて、「わしがイライラしたらおまえのせいやねんで。それを、『なんで、そんなものが私のせいになるんですかあ』とおまえみたいなこと言うやつのことを、心理学では『外罰的性格』ちゅうんじゃ」とそういうことらしいのだ。だから、「イライラしてきたあ、イライラしてきたあ。わしは孔子で孟子で聖徳太子でゴータマシッダールタでキリストでメサイヤやのにからにイライラしてきたってことはっ、おまえのせいやのにからに、それを『なんで、それが私のせいになるんですかあ』と言うおまえみたいな人間を外罰的性格と心理学では言うねん」ということだった。なんか、心理学てあほくさい「学問」やなあ・と思うようになった。
  それで、私は言ったのだ。「キリストなんですか?」と。
「そやねん。わしはキリストやねん。女川先生がそうおっしゃってんねん」とそうおっしゃるのだった。
それで、私は言ったのだ。「なんで、キリストがいつでもいつでもイライラいらいらイライラされているんですか?」と。
「そやから、おまえが悪いちゅうこっちゃ」とそうおっしゃるのだ。
それで、私は言ったのだ。「ですから、何でも私が悪い、ということですね」と。
そうすると、うちの父親は「そうじゃ。なんでもなんでも、すべて悪いのんはおまえやねん。産まれなかったらよかったのに産まれおってからにこのチャンコロろすけイタコ浪商プエルトリコめがこのチャンコロ!」とおっしゃるのだった。「『産まれなかったらよかったのに産まれてきて申し訳ありません』と言いなさい」とおっしゃるのだった。
それで「産まれなかったらよかったのに産まれてきて申し訳ありません」と私は言ったのだ。
そして、「何でも私が悪いということはわかりましたけれども、しかし、そうであっても、あなたさまはキリストなのでしょ」と言った。
そうすると「そうや。わしはキリストや」と言われるのだった。
それで私は「あなたがキリストであるならば、とりあえず、自分自身に『落ち着け。イライラするな』と命じられてはどうですか。たちどころに気持ちが落ち着くのではありませんか。山に命じて海に飛び込ませるよりもはるかに容易いであろう」と、そう私は言ったのだった。
ところが、「何、言うとんのんじゃ。イライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」とキリストで釈迦で孔子で孟子で聖徳太子はおっしゃるのだった。
  「世の中の人間はなあ。わあしい~いのように『天の神さま』というお方から、『どうか、産まれてほしい』とお願いされて産まれてきた人間と、あんたあ~あのように『天の神さま』がこの人間は産まれてもらいたくないとおっしゃっておるのに、神にたてついて、神の意志に反して産まれてきた神にあだなす人間もおんねんでえ。わかってますのんかあ」とおっしゃるのだった。
「わしがこの世に産まれてきた時には、この世の万民が『ハレルヤ、ハレルヤ』と歓喜の声をあげて出迎えた、というわしはそういう人間やねん、わかっとんのんかあ!」とおっしゃるのだった。➡YouTube-ヘンデル:オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤ・コーラス” https://www.youtube.com/watch?v=15zcY3r7BYk
そして「それに対して、おまえは『天の神さま』が『産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに』と言われ、その神の意志にたてついて生まれてきた神にあだなす人間なんじゃ。よくも産まれやがったなこのチャンコロろすけっ!
 わかとんのか。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の人間、それに対しておまえはロスケでイタコでチャンコロで浪商の人間。チャンコロで浪商のくせしやがってからにドイツ人で慶應のわしと一緒やと思ってはいかんぞ、このチャンコロろすけイタコっ!」と言われるのだった。
「民族の違いを忘れるな!」「階級の違いを忘れるな!」と、毎日毎日、耳鳴りがするほど言われ続けて、そして、「ドイツ人」と「慶應」と「孔子で孟子で聖徳太子」が嫌いになった。なにしろ、私は「ロスケでイタコでチャンコロで浪商」だそうだから「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と毎日毎日耳鳴りするほど言われてきて、そして、
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」
「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」

と思うようになった。
  その「聖徳太子」の像が ↑ だ。
  「わしは孔子で孟子で聖徳太子やねんぞお。ラッコラッコしてきたあ、イラッコラッコしてきたあ、イラッコラッコ、ラッコラッコしてきたしてきたしてきたしてきた。わしほど精神的に安定した人間はないねんぞお。わしほど沈着冷静・泰然自若な人間はないねんぞお。わしは聖徳太子やねん、わしは聖徳太子。イラッコラッコしてきたあ、イラッコラッコしてきたあ♪」というのが聖徳太子である。
くだらね・・・

  最近、『聖徳太子はいなかった』とかいう本を出したりする人がいて、学校の教科書でも「聖徳太子」と書かずに「厩戸皇子」と書いたりしているとかいうのだが、今さらそんなこと言われてもなあ~あ・・て気もせんでもない。
うちの父親は「わしはドイツ人でアメリカ人で慶應で聖徳太子やねんで。あんたはチャンコロでロスケでイタコで浪商で拓殖やねんで。民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」と毎日そうおっしゃっておったのだが、聖徳太子というのは日本人かと思っていたら「ドイツ人でアメリカ人」だったらしい。「聖徳太子はいなかった」という説に従うならば、「ドイツ人でアメリカ人」らしい聖徳太子という人は「いなかった」みたい。 
聖徳太子はいなかった: 古代日本史の謎を解く (三一新書 1053) - 石渡 信一郎
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聖徳太子は蘇我入鹿である (ワニ文庫 P- 11) - 関 裕二
聖徳太子は蘇我入鹿である (ワニ文庫 P- 11) - 関 裕二

  埼玉県の狭山市で起った狭山事件 で犯人だとされた石川さんは、なぜ犯人ではないのに犯人にされてしまったのか、というと、石川さんがとった行動でよくなかったものとして、石川さんが住んでいた所の近くで誘拐されていた女子高校生の遺体が見つかったというのを聞いて、「つい見に行ってしまった」ということがあったようだ。 そういうものは犯人でもないのに見に行かない方がよさそうだ。ただし、狭山事件が起こった時は私はまだ幼稚園児にもなっていなかったし埼玉県という所に一歩たりとも足を踏み入れたことはなかったので狭山事件については大丈夫だが、足利事件になると、足利事件が起こった時点においては私は足利市内に一歩たりとも立ち入ったことはなかったものの、年齢としては成人していたし、それよりも困ったことに、足利事件が起こった年よりも後で、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で足利市の東隣りの佐野市に勤務してくれと言われて佐野展示場(営業所)に勤務したのだが、佐野展示場からほかに移った後で知ったのだが、足利事件の被害者の女の子の遺体が発見された渡良瀬川の河川敷というのは、足利市の田中橋という橋のすぐ東、橋から見えるのではないかと思われるくらいの所だったというのだが、私は住宅建築業の営業の仕事をしていて、その田中橋をクルマで通ったこともあれば歩いて通ったこともあったのだ。だいたいだな。その田中橋というのは渡良瀬川の北側にあるJR両毛線「足利」駅と渡良瀬川の南側にある東武伊勢崎線「足利市」駅を結ぶ足利市では一番のメインの通りが渡良瀬川を渡る通りであり、足利市・佐野市あたりでクルマで営業の仕事をしている人間なら一度くらいは通ったことがある方が普通で、ましてや、その田中橋のすぐ近くに見込客があると田中橋を歩いて渡るなんてこともあるわけだ。 私はその時に足利事件の被害者の女の子の遺体が見つかった場所が田中橋のすぐ東側の河川敷だということを知らずに通ったのだったが、もしも、先に足利事件についての本を読んでいたならば、田中橋を通った時に、あのあたりで遺体が発見されたのか、かわいそうになあ・・と思ったのではないかと思うし、もしかすると、その方向に向かって手を合わせるとかした・・なんてこともないとは言えない。そうすると、その近くにけーさつ漢なんてのがいたとすると、「何やってんですか」と「職務質問」とかされた可能性がある。となると、インネンつけるのん大好き人間症候群に「〇時〇分、逮捕」とかされて送検されて有罪判決うけて「犯人」だとされる危険はあるわけだ。 だから、どいつを犯人にしてやろうかな~あ・・と考えているやつ(警察官)の近くにはうかつに近づかない方がいい、ということだ。うかつに近づいて、警察官の頭の中の「この中」に入ってしまうと、「じいちゃんの名にかけて」「謎はすべて解けた」「犯人はこの中にいる!」と言い出しよった時に、「この中」にいると「犯人はあんただよお!」と言われて、「えええ~え」なんてことになる危険がある狭山事件の時は私はまだ幼稚園児にもなってなかったから犯人にされる危険は低いと思うが、足利事件の時は成人していたから、たとえ、足利事件が起こった時までに足利市内には一歩たりとも立ち入ったことはありません~と言ったとしても、いったん、「謎はすべて解けた」「犯人はあんただよお」と言われてしまうと、狭山事件の石川さん・足利事件の菅谷さんが受けた扱いを考えても、無実だという主張は相当大変だ・・・となると、「じいちゃんの名にかけて」「謎はすべて解けた」「犯人はあんただよお」とやりたいやつの近くには寄らないことだ。
  それと「精神医学」は似たところがある。「わしは修行を積んだゴータマシッダールタ」「わしは孔子で孟子で聖徳太子で40にして惑わずの人間」「わしはキリストであって、わしが命ずれば山が空を飛んで海にはいるという人間」「わしはメサイヤであって、わしが産まれた時はこの世の万民が『ハレルヤ』『ハレルヤ』と歓喜の声をあげて迎えたという人間」であるにもかかわらず、毎日毎日朝から晩まで「イライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」している人には、うかつに近づくと「わしはキリストで釈迦で孔子で孟子で聖徳太子であって、イライラすることは絶対にありえない人間である、にもかかわらずイライラしているってことは、あんたのせいやっちゅうこっちゃ!」と「犯人」にされてしまうことになる可能性が大きいことになる。
  「来談者中心療法」のカール=ロジャーズは「自己一致」「自己不一致」といったことを言っているのだが、性格・人間性にしても能力的なものにしても自分はこういう者だと自分で思っているものと実際の自分が一致している状態が「自己一致」で一致していない状態が「自己不一致」と言うが、なかなか百パーセント一致するわけにはいかないとしても、自己一致している度合いが大きい人と自己不一揆の度合いが大きい人がおり、自己一致の度合いが大きい方が本来的な生き方をできて成果も発揮できる・・とロジャーズは考えるのだが、「わしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタ」「わしは孔子で孟子で聖徳太子」「わしはキリストでメサイヤ」「わしはスーパーマン」「わしは英雄で聖人」というのが御本人が考えている自分で、実際は「イライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」というお方の場合は、自己不一致の度合いが大きい・・と考えざるをえないように思うのだが、ところが「専門家」と称して「お父さんは英雄で聖人でスーパーマンのお方。お父さんは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタで、孔子で孟子で聖徳太子のお方。お父さんはキリストでメサイヤのお方。百戦錬磨・沈着冷静・泰然自若のお方」と「診断」する「医者屋」がいると、ますます自己不一致の度合いが大きくなる。 「一将功なりて万骨死す」てもので、そのギャップを埋めるために、いつでも「イライラしてきた」のおっさんが英雄・聖人になるためには誰かが「悪いやつ」の役を引き受けないといけないことになる。かなわんなあ・・と思うが、その度合いが小さければ我慢もできるかもしれないが、度合いが大きいと世界中の罪を背負ったあかつきにはイエス=キリストでさえ命を失うことになる。
 デビッド=クーパーは『反精神医学』(岩崎学術出版社)で「精神医学の理論・治療法というものは、セラピストを守るためのテクニックでしかない」と述べているが、「イライラしてきた」の人の原因は人間関係に原因があるとすると、近くにいる人間が「あんたが悪いちゅうこっちゃで」と「診断」されることになるわけだから、セラピスト(「精神科医」「心理学者」「カウンセラー」等)もまた「近くにいる人」であってダメージを与えるような行為をするわけであり、「カウンセリング」とか「心理療法」とか称して精神攻撃をおこなうわけであるから、「イライラしてきた」人の原因、「犯人」である可能性が考えられるはずなのだが、それを防ぎ、「セラピスト」以外の誰かが「悪人」「犯人」だと「診断」して「治療」する技術が「精神医学」なのである。 それを考えると「イライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた」と毎日言ってる人であって、なおかつ「専門家」と称する者から「お父さんは沈着冷静・泰然自若・百戦錬磨。お父さんは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタ。お父さんは孔子で孟子で聖徳太子『40にして惑わず』のお方。お父さんはキリストでメサイヤ」と「診断」してもらって「そうや♪ その通りや♪ ええ~えこと言いはる♪ 女川先生は名医やでえ、ほんま、最高のお方やでえ♪」と思うようになったおっさんの近くにはいたくなかった・・のだが、他人ならそういう人の近くにはいないようにするのだが、そのおっさんが自分の親だと離れたいと思っても離れられないのだ。夫婦なら離婚もできるのだが、親子は離婚できない、というのが難儀なところだった。
ほんま、「孔子で孟子で聖徳太子」というのは難儀やった・・・。

  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当科目「国語」)は「私は両親が離婚したんだからねえ」「私は父親がいなかったんだからねえ」というのを最大の自慢にしている女だった。「父親がいなかった」とか「両親が離婚した」とかいうのは、その人にはその人の事情があったのだろうけれども、しかし、そんなもの、自慢するもんかあ~あ? と思うのだが「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」というのを自慢しまくる女だった。
  どうも、「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんんだからねえ」と言いまくると、「作野先生はご両親が離婚されただけあって苦労してこられているから、だから、それだけしっかりしておられるわあ~あ」とか言ってほめる人、もしくは「おじょうず言う人」があるようで、旧姓作野礼子はこの文句を言うと人がそう言ってくれるということを知っていて味を占めていたようなところがあったように思う。しかし、「私は父親がいなかったんだからねえ」とか「私は両親が離婚しいたんだからねえ」とか何度も何度もおっしゃるのだったが、しかし、「父親がいた」「両親が離婚していない」という人間は何か罪を犯したのか? あるいは旧姓作野礼子さんの「両親が離婚した」というのは私が離婚する原因を作ったのか? 違うだろ。旧姓作野礼子さんの「両親が離婚した」原因を作ったのならば「どうも、えらいすんまへんでしたなあ」くらい言った方がいいと思うが、違うだろ。
※ 「違うだろ、このボケ~」⇒YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ! https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4
  私が旧姓作野礼子の両親が離婚する原因を作ったわけでもないのに「私は両親が離婚したんだからねえ」などと言われても「知らんがな」
※ 「知らんがな」⇒YouTube-管理人ちい No.459 https://www.youtube.com/shorts/jeqO1jXlgKQ
  また、「両親が離婚した」娘=旧姓作野礼子は、母親が何度も「離婚する」と言いながら離婚できず、「あんたのおかげで離婚できなかったんや」と言われる息子の大変さなんて知らんだろ。「あんたのおかげで」と何度も何度も言われる者の大変さなんて知らんだろ。
  そして、「父親がいなかった」ということは、「わしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタやねんぞお。わしは沈着冷静・百戦錬磨・泰然自若の人間で絶対にイライラしない人間である、にもかかわらずイライラしているってことは、おまえのせいやっちゅうこっちゃ」「わしは孔子で孟子で聖徳太子であって40にして惑わずの人間であるっにもかかわらずイライラしているってことは、おまえのせいやっちゅうこっちゃ」「わしはキリストでメサイヤであってわしが産まれる時にはこの世の万民がハレルヤ、ハレルヤと叫んで歓迎したという人間やのにからにイライラしているってことは、おまえのせいやっちゅうこっちゃ」といつでもいつでも「せいにされる」息子の大変さなんて、知らんやろ。
  「父親がいる」ということがどんなに大変かということを理解できない症候群の「両親が離婚した」「父親がいなかった」を自慢しなければおれないバカ女症候群の女が教諭やってる高校というのは、北野高校は行きたいと思って行った学校だったから合格発表の時はうれしかったが、卒業して何年かたって冷静に考えることができるようになると、マインドコントロールが解けてみると、あんまりいい学校ではなかったなと思う。それなら、どこに行けば良かったかというとどこがいいとはっきりと思える所は特にないし、いいところがなかったというわけではないのだけれども、あの女に2年の時に担任持たれたというのは災難やった。

  聖徳太子像の前をさらに奥に進むと、「中野区立新井薬師公園」https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/kanko/machiaruki/maruttooasisu.html がある。 トイレを使う必要がある人は中野区立新井薬師公園の新井薬師に近い場所に公衆便所がある。
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↑ 中野区立 新井薬師公園。 左の建物が公衆便所。

中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
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南京への道 (朝日文庫 ほ 1-22) - 本多 勝一
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中国の日本軍 (1972年)
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沖縄の日本軍―久米島虐殺の記録 (1975年)
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シンガポールの日本軍 日本人の東南アジア観にふれながら 小林正弘 汐文社
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精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
( ↑ トマス=サズ『「精神医学」という神話』岩崎学術出版社 )
狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
( ↑ トマス=サズ『「精神医学」という狂気の思想』新泉社 )
反精神医学 - 野口昌也, デーヴィッド・グラハム・クーパー
反精神医学 - 野口昌也, デーヴィッド・グラハム・クーパー
( ↑ デビッド=クーパー『反精神医学』岩崎学術出版社 )
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫
( ↑ 森山 公夫『現代精神医学解体の論理』岩崎学術出版者 )
精神科は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話 (PHP文庫) - 内海 聡
精神科は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話 (PHP文庫) - 内海 聡
( ↑ 内海 聡『精神科は今日もやりたい放題』PHP文庫 )

※ 新井薬師HPhttps://araiyakushi.or.jp/
 ウィキペディアー梅照院 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%85%A7%E9%99%A2

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508376779.html 、新井薬師(新井山 梅照院 薬王寺)入口と 警察・警察官とはどういうものか。

 (2025.1.7.)

☆ 新井山梅照院薬王寺(新井薬師)(東京都中野区)参拝
1.西新井大師と新井薬師は別。西武新宿線「高田馬場」から「新井薬師前」駅。新井薬師前駅前。MIND THE GAP. https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508121327.html
2.新井薬師前駅から新井薬師(梅照院)へ。「読売の拡張員」とはどういうものか。「クリーン船橋の日」に現役世代の人間は参加せずに年寄りだけ参加させてよその家の現役世代の人間に世話させる「ふてえ野郎」。我が家の敷地に不法侵入して玄関扉を破壊して侵入しようとする向かいのじいさんと読売の拡張員は我慢するしかないのか。窓を開けて「巨人ーどこそこ」を見て巨人が得点すると大きな音を立てて手を叩く巨人ファンはどう考えても阪神ファンよりもマナーが悪い!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508124371.html 
3.門・修行大師・聖観音・霊堂・水子地蔵・お願い地蔵・不動堂・水屋。 99匹の羊が牧場におれば1匹迷いだして不幸になってよいというものではない、先に性交やって子供つくった者のためにふさわしい相手と巡り合えない者から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供に恵まれない者から「妊活」の時間を奪うのは「当たり前じゃないかよお」ではない。お地蔵様・観音さま、おのれの子供のためにひとの子を食い殺す女とその夫と子供に対して、恨み晴らしてくださいhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508213520.html
4.本堂・鐘楼。警察官は人を射殺する権利があるのか。並ぶのんめんどくさい派。水曜休みの会社は日曜休みの会社より祝日の分だけ休みが少ない。「会社のために犠牲になる」はよその息子のために人生を犠牲にすることを意味する。「受験のためには眼なんかつぶしてもええ」と言われて眼だけ奪われた。2人でやって1人でやった時の倍できたと言う男。工場長は従業員の健康を守るのが仕事か健康を破壊するのが仕事か。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508235787.html 
5.16歳の聖徳太子像・新井薬師公園。「孔子で孟子で聖徳太子であって絶対にイライラしないお方」であるにもかかわらずいつでも「イライラしてきた」人のそばにいると「犯人」にされる。だから、息子は大変なんだよ。犯罪の現場など見に行ってはいけない、犯人にされるぞ。〔今回〕
6.警察の恐怖【1】歩行者をいきなり突き飛ばして 【2】加害者と結託して被害者に恫喝 【3】「ぼく、一条工務店が好きなんです。一条工務店のこと悪く言わないでください」 【4】不法侵入と公務執行妨害。施設管理者から警告されて「なにい~い」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508376779.html
7.受験生を応援する。できが悪かった時こそのっしのっしと。合格発表は友だちと一緒に見に行くな。入試にはポケットティッシュを持参せよ。予備校職員と高校教諭に警戒せよ。エスカミリオ症候群は治らない。またつまらぬ者を切ってしまった。学歴詐称はゴマンといる。息子の名前を天津丼に変えないで。妻の名前を本人が嫌がる名前に変えないで。電卓で浪人したことによる費用を計算するのは大学に合格して入学した後にしてほしい。合格体験記は、読んだ人からバカにされてるかもしれない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508553760.html 

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