受験生を応援する。できが悪かった時こそのっしのっしと。合格発表は友だちと一緒に見に行くな。入試にはポケットティッシュを持参せよ。予備校職員と高校教諭に警戒せよ。エスカミリオ症候群は治らない。またつまらぬ者を切ってしまった。学歴詐称はゴマンといる。息子の名前を天津丼に変えないで。妻の名前を本人が嫌がる名前に変えないで。電卓で浪人したことによる費用を計算するのは大学に合格して入学した後にしてほしい。合格体験記は、読んだ人からバカにされてるかもしれない。ーー新井薬師(新井山梅照院)【7/7】

[第1055回]
  東京都中野区新井5丁目 の新井薬師(新井山 梅照院 薬王寺)(真言宗豊山派)参拝 の7回目です。
  梅照院 薬王寺 を出て、帰りは少しだけ直進して左折して帰りました。どちらの道を通っても五差路まで遠くありません。 五差路から西武新宿線「新井薬師前」駅の所まで行きに通った道を逆向きに歩きます。道の北側、「新井薬師前」駅に向かって左側に「福しん」という中華料理屋が開いていたので、そこで食事をしました。↓
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↑ 「福しん」
豚キムチ定食 1140円 (餃子240円含)
  まあまあ、おいしかった。

  西武新宿線「新井薬師前」駅に入り、陸橋で逆側、西武新宿行きのホームに移動します。
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↑  「西武新宿」行きのホームの壁に「新井山 梅照院」のでっかいパネルが出ています。

  「新井薬師前」駅から東に3つめが「高田馬場(たかだのばば)」駅です。 高田さんのう〇こ ではない。
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↑ 西武新宿線「高田馬場」駅の自動改札。
「全ての受験生を応援しています。 嘉悦大学」と書かれています。
  嘉悦女子短大というのがあったような気がしたのだが、「嘉悦大学」と書いてあるということは、4年制になって共学になったのだろうか・・と思って、ウィキペディアー嘉悦大学 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%82%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6 を見ると、2001年に嘉悦大学 開学で、《 嘉悦女子短期大学は嘉悦大学短期大学部に改組 》したらしい。 「嘉悦」てどういう意味なんだろうと思っていたが、創立者の名前が嘉悦 孝(かえつ たか)という女性で、創立者の苗字を大学の名前としたものらしい。

  ちなみに、五千円札の顔になった津田梅子さんは津田塾大学の創立者として知られるが、私は子供の頃、津田塾大というのは津田沼にあるものだとばっかり思っていたが、津田塾大は津田沼にはない。 どこにあるのかと思って、ウィキペディアー津田塾大学 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E5%A1%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6 を見ると、東京都小平市津田町 にあるらしい。
津田塾大学HPの「アクセス」https://www.tsuda.ac.jp/access.html を見ると、小平キャンパスと千駄ヶ谷キャンパスがあって、小平キャンパスは西武国分寺線「鷹の台」もしくはJR武蔵野線「新小平」駅が最寄駅、千駄ヶ谷キャンパスはJR中央線「千駄ヶ谷」が最寄り駅らしい。
  御茶ノ水女子大も御茶ノ水にあるものかと思って御茶ノ水あたりを見回したのだが、御茶ノ水女子大は最寄駅だと東京メトロ丸の内線「茗荷谷」にある。 元々はJR中央線・総武線「御茶ノ水」駅の北側の東京医科歯科大の所にあったらしく、それが移転して茗荷谷に移ったらしく、御茶ノ水女子大は御茶ノ水にはない。
  ついでに、ティファニーというのはモーニングサービスやってる喫茶店かそれとも朝から営業している吉野家かすき家か松屋かみたいな牛丼屋の名前かと私は10代から20代にかけて思っていたが・・・、
ティファニーは牛丼屋ではない。
ティファニーで朝食を(新潮文庫) - トルーマン・カポーティ, 村上春樹
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※ YouTube-ムーン・リバー by オードリー・ヘップバーン https://www.youtube.com/watch?v=vnoPke8tlAs
  「全ての受験生を応援します 嘉悦大学」と書かれたシールが西武新宿線「高田馬場」駅の自動改札に貼ってある。そろそろ、受験シーズンなんだな。かつては、自然と受験の日程が頭の中にあったものだが、いつしか、こういったものを見て知るようになった。
「高田馬場」駅にこういったものが貼られているということは、嘉悦大学てのは「高田馬場」駅が最寄駅なの? ・・と思うとそうではないらしく、嘉悦大学は小平市花小金井 という所、嘉悦大学HP の「アクセス」https://www.kaetsu.ac.jp/access/ によりますと、西武新宿線「花小金井」駅で南口に下車して徒歩10分だそうだ。「高田馬場」駅で下車するのではなく、「高田馬場」駅から乗車して「花小金井」駅で下車するということのようだ。 もっとも、「全ての受験生を応援します」ということだから、嘉悦大学以外を受ける受験生も「応援」してくれるのだろう。

  嘉悦大学が「全ての受験生を応援する」そうなので、私もここで、いくらか「受験生を応援」しよう。
先にその「目次」を掲載する。
[1] 入学試験や模擬試験であまりできがよくなかったと思った時こそ、胸を張ってのっしのっしと帰らんといかん。
[2] 人からできをきかれたら実際にどうであっても「ぼちぼちですね」「まあまあですね」で十分。
[3] 「合格発表ちゅうもんは友だちと一緒に見にいくもんやないで」
[4] Sunday is not Today.(駿台は東大ではない)という認識。
[5] 合格体験記は要注意。名文かいたつもりでバカにされている場合がある。
[6] これまでから行こうと思っていた学部学科の隣りくらいの学部学科に行くのはいいが、正反対の所に行く・行かせるというのはやめたほうがいいのではないか。
[7] 現役で合格しようとしている高校3年生に「あんた、浪人しなさい」と言い、浪人すると「あんたが浪人したおかげで◇が〇円、▽が☆円かかった、電卓、電卓」と電卓で計算するのはやめた方がいい。逆に高校3年生には「できるだけ現役で通った方がいいよ」と言い、浪人した場合には「浪人して得るものだってあるかもしれないから」くらいに言い、浪人でいくらかかったといったことを言うのは大学に合格してからにした方がいい。
[8] 息子の名前を「天津丼」に変えるのはやめてほしい。浪人すると普段以上に、妖怪物の怪の類 が寄ってくるから要注意。
[9] 大学に合格したというのは「よかったね」「ありがとうございます」と言う性質のもので、どこに合格したということを人に威張ったり自慢したりするものではない。東大に合格しても京大に合格しても、どこかで誰かがその分、落ちただけのことで、合格したこと自体は何か社会に貢献したわけでも何でもない、ということを忘れるな。
[10] どこの高校でも一緒ということはない、どこの予備校でも一緒ということはない。どの大学に行くにはどの高校に行っておくのが行きやすいというものがある。その大学に対しての受験対策を最初からとる意志がない予備校、「看板に偽りあり」の予備校がある。
[11] 予備校職員に警戒せよ。高校教諭を過度に信頼するな。
[12] 大学入試の試験当日、下痢する人間が多く、トイレに紙があるという保証はない。「トイレに流せるポケットティッシュ」を1つ持参せよ。
[プラス1] 大学入試に際して、人間の違いというものを見ることがある。
[プラス2] 私立金権医大裏口入学卒のくせして「このぼくは東京大学理科三類現役合格なんだぞお~お」と叫ぶやつとかゴマンといると知れ。
セクハラおやじ が教養ではない。
[追加] 入学試験当日に大雪が降る、人身事故で電車が大幅に遅延する・・といったことがないとは言えない、過半数の受験生が大幅に遅刻するなら試験実施者が何らかの対応を取ってくれる可能性が考えられるが、自分とあと1人か2人だけが遅れたとかなると「自己責任」として処理される可能性があるので、普段なら電車・バスで行けるところでも大学のすぐ近くにビジネスホテル・旅館などあれば前日から宿泊する、という選択も考えられる。
親戚の家に泊めてもらって受けに行く・合格発表を見に行く、というのは推奨しない。
[追加2]「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」
「アリは勝てないと言った者ども。ひれ伏して謝れ!」


[1] ここぞの場面の代打で凡退した時と、入学試験や模擬試験であまりできがよくなかった時。
  元阪神タイガースの選手で野球解説者ということになっている川藤の解説・・て、あんなん、単なる阪神ファンの酔っ払いのおっさんと変わらんのとちゃうか・・・と思ってきたのだが、先日、浜田なんとかが司会して元運動選手が何人か出るバラエティーショーで川藤がなかなかのことを言っているのを聞き、やっぱり「単なる阪神ファンの酔っ払いのおっさん」ではなかったみたい、と知った。
  川藤は何を言っていたかというと、他の出場者の元選手が、どこそこの球場はバッターボックスからベンチまでが遠くて、凡退した時にベンチまで帰るのが長くてつらい・・と話した時、選手としての後半は代打ででていた川藤がこう言ったのだ。
「代打で出て、みんなが『ここで打ってくれ』と期待している時に凡退してしもうた・・という、そういう時にこそ、ベンチに帰る時には、顔をあげて・胸を張って・のっしのっしと・ゆっくりと帰ってやらんといかん。そういう時に、恥ずかしそうに・大急ぎでベンチに帰るようなことはしてはいかん」
川藤はそう言ったのだ。 これは受験生にもあてはまるということはないか、と思ったのだ。
本番の試験にしても、模擬試験にしても、受けた後、うまくいったと思える時もあれば、だめだあと思う時もあるのではないか、と思われるが、うまくいかなかったと思った時にこそ、そういう時に、恥ずかしそうに・つらそうに・大急ぎで帰ってはいかん。そうではなく、そういう時にこそ、胸を張って・顔をあげて・のっしのっしと・ゆっくりと歩いて帰ってやらんといかん。

  そういえば、1970年代の終わり、東大の駒場キャンパスで試験を受けた帰り、京王帝都電鉄井の頭線「駒場東大前」駅に入る陸橋の下で泣いていた女子受験生を見たが、「女は泣けていいなあ」とその時は思ったものだった。男は泣いたって誰も同情してくれないもんなあ。もっとも、女でも泣きたかったら東大なんか受けるな・・という考え方もあるかもしれない。泣きたいならトン女かポン女かでも受けておけば、アホな男がかわいそう、かわいそうとか言ってなぐさめてくれるかもしれない。東大を受けて行こうと考えた、ということは、そういう所で泣くのはやめる・・ということではないのか、とも言える。まあ、男でも泣きたい時はあるけどな。
  それよりも、入学試験というのは試験時間が終わったらそこで終わりではない。試験会場を出て帰るまでが入学試験だ。「他山の石」として考えるならば、試験でのできが悪かったと思ったとしても、そんな所で泣くものではない。できが悪かったと思ったならば、むしろ、そういう時こそ、顔を上げて・胸を張って・のっしのっしと帰ってやらんといかん。・・川藤はなかなかいいことを言うではないか。


[2] 「まあまあですね」「ぼちぼちですね」
   千代の富士は八百長が多い力士だったらしいが、「八百長が多い力士」というのは「弱い力士」とは違うそうで、本当に弱い力士というのは「来場所、負けますから今場所、負けてください」なんて頼んでも、普通にガチンコで相撲を取れば両方勝てるのに、なんで片方負けてやらんといかんねん・・ということになり、八百長は成立しない。それに対して、千代の富士は八百長やらなくても相当強かったから、だから、千代の富士から八百長で負けてくれと言われた力士は「どうせ、ガチンコでとっても勝てないのだから、八百長で負けてカネもらった方が得だ」と考えて八百長で負けることをを引き受ける、ということだったらしい。
  その千代の富士が「横綱、調子はどうですか」とか尋ねられると、「まあまあですね」と答えるか、「ぼちぼちですね」と答えるか、どちらかだったというのだ。なぜ、そんな答え方をするのかというと、自分の調子がいいとか悪いとか詳細に説明なんかして、対戦相手にそれを知られることがプラスになるかマイナスになるかというと、マイナスにしかならない。だから、実際に調子が良くても悪くても「ぼちぼちですね」「まあまあですね」と答えていた、というのだ。
  後から考えてみると、大学受験の頃の私はおぼこかった、と思う。大学入試は公平ではないと思うのだ。我が家の場合は、うちの母親の家系は学校の先生が多い家系で「勉強する人」が好きという家系だったので、小学校くらいの頃は勉強するのが普通という環境だった。だから、その点は私は比較的有利だったのではないか、と思う。母の叔母のだんなが私が行った大阪市立の小学校の隣りの区の小学校の教諭をしていて、うちの母が私の通知簿をその小学校の教諭をやっていた母の叔母のだんなに見せたところ、「えらいええ成績やなあ。ほとんど全部、5やないか」とびっくりした、と話していたが、小学生の頃はそんなものだった。 しかし、遠山啓が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で「父親とは息子に世間知というものを教えてくれる存在である」「父親とは息子を外敵から守ってくれる存在である」と書いていたが、それは正しくないと思うのだ。「世間知」というものを息子に教えてくれる父親というものも世の中にはあるのかもしれないし、「息子を外敵から守ってくれる」父親というものもあるのかもしれないが、すべての父親が「世間知」というものを持っているのではないし、すべての父親が「息子を外敵から守ってくれる」わけではない。「世間知」なんて持っていない父親もあるし、「外敵」を引っ張り込んでくる父親もある。うちの父親がどうだったか、ふりかえってみると、そんな「世間知」なんて「教えてくれる」ような父親ではなかった。だから、私も、あまり「世間知」とでもいったものがある方ではなかった。その結果、高校くらいに行ってから、あるいは卒業して、中間考査・期末考査なり模擬試験なりを受けた後でも、何も正直に何でも話さないといけないわけでもないものをけっこう正直に話してしまったことがあった。
そういう時には「ぼちぼちですね」「まあまあですね」で十分だった。
今から考えるとあほだった。


[3] 「合格発表ちゅうもんは友だちと一緒に見にいくもんやないで」
  「高田馬場」駅から近い大学というと、早稲田大学が思い浮かぶ。早稲田大学は「高田馬場」駅から東に歩いていっても行けるが、東京メトロ東西線「早稲田」駅からすぐで「高田馬場」駅から東西線に乗ると1駅目が「早稲田」駅だ。
  早稲田大学は、法学部・政治経済学部・商学部と今はなくなった社会科学部が早稲田地区の「本部」キャンパスにあり、そのはす向かいあたりの戸山キャンパスに文学部があって、理工学部だけが少し離れて「高田馬場」と山手線「新大久保」の真ん中あたりにある。
その早稲田大学の合格発表の時について、ひとつ、覚えているものがある。
  早稲田大学のある学部の合格発表の時、うちの下の姉が一緒に見に行ってあげると言ってくれて、東京メトロ東西線に乗って「早稲田」駅で降りて早稲田大学の本部キャンパスの方に向かって歩きかけたあたりだったが、同じ北野高校の同じ学年の男が向こうから来てすれちがい、どちらが先に気づいたか忘れたが、「よお」と言って手をあげてそのまま行った・・のだが、うちの下の姉が「あの子、知ってる子なの。話しなくていいの。友達でしょ」と言うので、「いいよ。あいつ、あんまり、仲よくないから、いいよ」と言ったのだが、「え、仲よさそうだったじゃない」と言うので、「なんで?」と言ったのだが、「仲よさそうにしてたでしょ」と言うので、そんなに見えたか?・・と思った、ということがあったのだ。
  ここで、うちの下の姉は2つの間違いをしている。
(1) 「よお」と声をかけて手をあげて合図した、として、それで「仲がいい」とは決まっていない。むしろ、あんまり、仲がいいわけでもない相手であっても、仲がよくないからといって常に殴り合いするわけでもない。 むしろ、その時については、「あまり長くかかわりたくなかった」くらいだったので、それで無難な挨拶として「よお」ですませたのだったが、「わからんかな」と思ったのだが、うちの下の姉はわからんかったようだった。
  人間の関係というものは、仲が良くても悪くなることもあり、仲が悪くても良くなることだってあるのだが、仮に仲があまり良くなくても、いちいち喧嘩している体力なんかないので、「よお」ですませて深入りしない、ということはあるはずなのだ。
(2)  そして、この時はそれほどはっきりと認識できていなかったのだが、
「合格発表ちゅうもんは、友達と一緒に見に行くもんやないで」という原則、というより鉄則を認識すべし。
この場合、「友達」ちゅうのは「相当仲がいい友達」であるか「知ってる相手だが特に仲がいいわけでもないが敬称として『友達』と言っている相手」であるかは関係ない。 なぜ、「合格発表ちゅうもんは友だちと一緒に見に行くもんやない」かというと、そいつも自分も通っておればいいのだけれども、常にそうとは決まっていないからだ。  自分が通っていてそいつが落ちていた、ということもある。そいつが通っていて自分が落ちていた、ということもある。そいつも自分も落ちていた、ということもある。 「俺が落ちてあんなやつが通るなんて、そんなことあるかい」なんて思っているなら、甘い。その「あんなやつ」が通って、その「あんなやつ」よりはできるはずだと思い込んでいる自分が落ちる、ということは「あること」である。
 

[4] Sunday is not Today.
  今は昔、1980年だったと思うのだが、「週刊読売」に「おもしろ英会話」というコラムが掲載されていて、そこに載っていたものに、
 Sunday is not Today.
というものがあった。 これはどういう意味かというと、
「スンダイ(駿台)はトーダイ(東大)ではない」と読むそうだ。
  高校卒業時に落ちてしまい、浪人する人もあるだろう。 東大の試験には落ちたが、駿台予備校の東大受験クラスには通ったから、だから、来年の今頃は東大に通っていることだろう・・なんて思い込むと、甘い。 そうとは決まってまへんでえ、また、来年も落ちるかもしれまへんでえ~え・・というのが、この言葉の意味だ。
  もちろん、来年、落ちると決まっているわけではなく、通ればいいのだけれども、認識として「来年は通って当たり前なんだ」と認識すると、浪人中に成績が思うように伸びない時に、必要以上にあせることになる。 そうではなくて、もともと、思い通りに成績が伸びることもあれば、そうでないこともある・・と認識しておいた方がいいと思う。そうすれば、必要以上にあせることもない、と思うのだ。


[5] 「怒った手紙は一晩寝かせろ」、合格体験記は要注意。 
  自民党の議員やってる松島みどり さんは北野高校で私より3年ほど上の学年で卒業した人だったのだが、なんとか大臣になった時、「フライデー」に過去に『東大入試合格作戦』(エール出版社)に「合格体験記」として書いたものが掲載されて、そこに「私は文教地区として知られる大阪府豊中市北部の中でも学力水準が高い何何小学校でオール5でした」とか、そのあたりはまだしも、「早稲田大学の合格発表で不合格だったのを見て、私は何がなんでも東大に合格してこの早稲田大学という大学を軽蔑してやるんだと心に誓った」とか書いておったようなのだが、そういうことを書くと、私なんかが何を書いても別にどうってことないのだけれども、将来、議員になったり大臣になったりするような人は、大臣とかになった時に「フライデー」に掲載されて、「この女、嫌なやっちゃな」と思われる・・ことになる。だから、合格してすぐの時というのは「気持ちがハイになっている」かもしれんしするが、あんまり、うかつなことを書くと、あとから「こんなこと書いとる。嫌なやつやな」とか思われる、ことになるから、書くなら落ち着いて慎重に書き、そして、『手紙の書き方』とかいうような題名の本に「怒った手紙は一晩、寝かせろ」と書かれていたのを読んだことがあるのだが、怒って書いた手紙はそのまま出さずに一晩おいて翌日に読み直した上で、出していいかどうか判断してから出せ、という意味だが、「合格体験記」もまた、一通り書いたら、「一晩、寝かせて」その後にもう一度、読んで、それでいいのか考えた上で掲載してもらうようにお願いするようにした方がいいと思う。 まあ、私なんかが何を書いていても別にどうってことないけれども、議員になったり大臣になったりする人は慎重にした方がいい・・と思う。
   議員になったり大臣になったりする人でなくても、私と小学校・中学校と同じ学校で高校も同じ北野高校に行ったS本という男が、現役で慶應大学経済学部に合格して、その時に『早慶入試合格作戦』(エール出版社)に「合格体験記」を書いておったのだが、私はその本を買わなかったけれども書店の棚にあるものでS本が書いていたところだけ、パラパラと見たのだが、「なんや、こいつ、恥ずかしいこと書いとるのお」と思ったのだった・・が、ところが本人は「あれ、ええ文章やと思えへん?」と言うので、あんな情けない・恥ずかしい文章をこの男は「ええ文章や」と思っておるのか、と思った。本人が「ええ文章や」と思っていても、ひとはそう思わないこともある、「なんや、恥ずかしいこと書いとるのお」と思われている場合もある、ということは認識しておいた方がいい、と思う。まあ、S本は、たぶん、こんなこと思ってないだろうけれども。おそらく、今でも「ええ文章やと思えへん?」とか思っておるだろうけれども。
  S本は国語、特に現代国語の成績が悪かったらしく、入試科目は「数学と英語のみ」の慶應大経済学部はそういう彼には受けやすかったのかもしれないが、慶應大学という大学は「強姦魔が多い大学」であるが、その理由として「入試に国語がない大学」だったという点が原因のひとつとしてあるのではないかと私は思っている。今はどうなっているか知らないが、1970年代後半から1980年代初めにかけて、慶應大学は法学部だけが「数学・英語・国語・社会科が日本史か世界史のどちらか」で国語があったが、経済学部・商学部・文学部と理工学部には国語が入試にない大学だった。大学の入試の科目と出題傾向をどうするか、という問題で、小学校から高校までで学習することになっているものを十分に学べているかを見る試験なのか、その大学のその学部でやっていけるかどうか、その学部を卒業した人がつく職業に適性がある人なのかを見る試験なのかという時に慶應大学は後者の比重が大きかったのではないかと思うのだが、それと「実学の勧め」として福沢諭吉が言っていたのは、それは「忠」だの「孝」だのと言っているような孔子の学問なんてものは虚学であって、そのような虚学ではなく実学である西洋近代思想を学ぶべきだということを言っていたはずなのだが、慶應の人の中には簿記や語学が実学で文学・哲学などは虚学だと言いたい人というのがけっこういるようで、その結果、「国語が入試にない大学」➡「強姦魔が多い大学」になっていたのではないか、と思うのだ。S本も「慶應の経済」に行きたかったらしく、強姦はしていないだろうけれども、そのタイプの人間だ。京大法学部卒の法学者の末川博が『法律』(岩波新書)で、《 大学の教養課程で「すべてについて何か」を学び、専門課程で「何かについてすべて」を学ぶ」》と述べているが、大学の教養課程の前に中学校から高校にかけて「すべてについて一通り」を学んで大学に入学すると考えるならば、中学校・高校から大学の教養課程にかけて「すべてについて一通り」と「すべてについて何か」を学び、その基礎の上に「何かについてすべて」を学ぶというものだ、という考え方だと思うのだ。それに対して、慶應の教授(内部進学)は「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ。我々内部進学の人間はそういうものはやってないんだ。我々は受験勉強はやってないが、塾風というものを身につけているんだ。わかってんのかあ」とおっしゃるのだが、「塾風」ていったいなんやねん・・というと「内部進学の人が持っている何か」だ。 数学者の遠山啓(ひらく)は『競争原理を超えてーひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」を学び、中学校から高校にかけてその「術」を使って「学」を学ぶ、その「学」を学んだ結果として「観」を身につける、といったことを述べており、絶対にやってはならないのは「『観』の注入教育」だ、と述べているのだが、その遠山啓が「絶対にやってはならない」と言っている「『観』の注入教育」をやっているのが慶應の内部進学の学校で、その「注入教育」された「観」のことを慶應の教授(内部進学)は「塾風」と言って自慢しているのだ。彼らは文学や哲学を自ら読んで考えることによって身につけたというものがない、ゆえに「強姦魔が多い大学」になっているのであり、大学から入る人間でもS本のようにそういうものがいいと思って入学した者はそれと似たタイプであり、ゆえに合格体験記にも「こいつ、なんや恥ずかしいこと書いとんのお」と思うようなことを書いて、それを自慢することになる。 当人がこれを読んだら怒ると思うが、怒る方が間違っているのだが、言ってやってもそういう人間は死ぬまで治らないから、言っても治らないやつに言うのはめんどくさい。
  1981年の1~3月の間だったと思うが、横浜市港北区箕輪町 の慶應大学日吉キャンパスのすぐ南にあった日吉台学生ハイツの食堂で、私が食事をしていた時、大阪市阿倍野区にある桃山学院高校卒の井上という男がその連れ2人と一緒に食堂で少し離れた席にいたのだが、井上はこういう口をきいたのだ。「女みたいなもん、慶應の大学の名前さえ出せばいくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を目の前につきつけて『この印籠が眼に入らぬかあ』とやってやろうか」とそう言い、井上の連れが「類は友を呼ぶ」「友達を見ればその人間がわかる」と言うように、連れの2人もそれに同意してあいづちを打っていたのだった。なんて、思いあがった人間なんだとあきれた。そういう男が多い大学というと、慶應大と早稲田大が双璧だと思う。 うちの母親は「こいつ、東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、絶対に落としてやるんだ、こいつう。と言って私が学習していると背後からホウキでボコボコ殴りつけたが、どう考えても、東大の学生と慶應大の学生ならば、慶應大の学生の方が思いあがった人間が多いように思った。むしろ、東大の学生や出身者と話をすると「男性を出身大学でしか見ないような女性は嫌なんだ」と言う人が多いのに対して、慶應大と早稲田大の学生には「アタマがスーパーフリー」みたいな人間が大変多い。遠山啓は『競争原理を超えて』(太郎次郎社)で「何かと大学の名前を出したがる人というのは、大学の名前以外に取り柄がない人間だ」と述べていたが、東大の学生や出身者と慶應大の学生では慶應大の学生の方が「大学の名前しか取り柄がない」人間が多いように思えた。 私はこの慶應大商学部の学生だった井上とその連れの発言をうちの母親に話し、やっぱり慶應大の学生の方が東大の学生よりも思いあがった人間が多いということを話したのだが、そうすると、うちの母親は私に「そ~お。わたし、そういう人、好きっ♪ わたし、そういう人、だ~い好き~い♪」と、そう言ったのだった。 「慶應の大学の名前さえ出せば女なんかいくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら慶應の学生証を目の前につきつけて『この印籠が眼に入らぬかあ』とやってやろうか」というそういう男が「だ~いすき~い」だったらしいのだ。そういう男を「東大じゃなくて慶應だから謙虚」とか言うらしいのだ。なんでやねん? と思ったが、「なんでやねん。どう考えても、阿部次郎『合本=三太郎の日記』とかの作者とかよりも慶應タイプの水戸黄門の印籠男の方が傲慢で思いあがっているだろうが」と思ったのだが、こういうことを言うと「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「慶應心理学」は「診断」するみたいだった。なんで、水戸黄門の印籠男が「謙虚」なんだ、ああいうのは「傲慢」と言うのではないのか、と思ったが「心理学」によると水戸黄門の印籠男のことを「謙虚」とか「思考が柔軟」とか「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか言うらしかった。なんでやねん? と今も思っているが、うかつに口に出して言うと「心理学」からどんな「診断」されるやらわからんから、怖い、こわい、怖い、こわい。


[6] こういう所に行こう・進もうと考えていた所と全然違う方向に行くのは。
  大学名オタクのコバショー(小林しょう)なる学習塾講師の男性がYouTube で話していたのだが、大学に進学する際に、こういう方面の学部学科に行こうと考えていたところに、行っている高校に、その人の学力では難しいだろうと思われる大学に行ける推薦入学の枠があった、というような場合だが、自分が行こうと思っていた方面の隣りくらいの学部学科なら行ってもいいと思うけれども、全然違う所の場合は、たとえ、自分の学力では難しそうな大学の学部に行けるという推薦入学の話であっても、それはやめた方がいいのではないか、と話していたが、私もそう思う。それまで行こうと考えていたところの隣りくらいの分野ならいいかもしれないが、全然違うところは行ってからうまくいかない可能性が考えられる。
   私がそれをされたからわかる。私は小学校から中学校にかけて、うちの母親から「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学学部に行けて、やりたい勉強をやってつきたい仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言われて、アホなことにそんな与太話を本気にして勉強した。その結果、努力の成果・果実をすべてまとめてドブ中にどぼ~んと捨てさせられた。
  大学入試・大学進学の難しいところは、カネを出す人間と実際に行く人間が別人だという点だ。 勤めてから何かを学ぶためのスクールに行くという場合は自分で出していくことになり、どこに行くかも行かないかも、独学でやるか何らかのスクールに行って学ぶかも自分で決めることができるのに対して、大学進学の際はそうはいかない、という点が難儀な点だ。
  うちの父親は私が大学に進学する頃になると「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に孝に孝に孝に。戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元、とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしのために、わしのために、わしのっために、ためにっ、ためにっ。捧げ尽くす、捧げ尽くす、わしのためにすべてをすべてを捧げ尽くす」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに叫び続けた。私が小学校から中学校にかけては「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学学部に行けて、やりたい勉強をやってつきたい仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていたうちの母親は私が大学に進学する時になると「なんでも、お金を出す者が決めるもんや。親がお金を出すからには親に決める権利がある」と言い出した。そのタイミングでそういうことを言い出すというのは卑怯だ、と思ったが、親というものはそういうものなのか・・どうか。親にも様々な親があるのかもしれないが、うちの親はそういう親だった。高校の先生というのは、そういう時に生徒の側に立って尽力してくれても良さそうに思ったが、北野高校というのは行きたいと思って行った高校だったので合格発表の時はうれしかったのだが、実際に行ってみると、北野高校の教諭というのはそういう能力のない連中だった。特に2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は生徒についた方が教諭の評価が上がるか親についた方が教諭の評価が上がるか、いわば、プーチン政権についてウクライナを攻撃した方が天然ガスとか安い価格で手に入る♪ みたいな・・そんな発想で親に加担する女だった。今、考えると、ろくな人間じゃない・・と思う。
  数学と近代経済学は似ているか正反対か。どう思うか? 結論として正反対だと思う。近代経済学は「数学を多用する」と言われ、実際にそうだと思うが、高校の数学の問題でも東大の二次試験や1998年までの京大の試験、それ以降の京大の二次試験の数学の問題みたいな、あのくらいの難しい問題というのは、やりだすと中毒になるというのか、その難問を解くことに快感覚えるようになったりするのだが、慶應大学の経済学部とか商学部とかで近代経済学を学びたいと思ったら、別にあそこまで難しい問題を解けなくても問題ないよ。逆に東大の二次試験・京大の二次試験の数学に出題されるくらいの数学の問題が解けたからといって「大学の経済学部・商学部の数学」とは内容が別で、東大の二次試験・京大の二次試験の数学の問題ができたからといって「大学の経済学部・商学部の数学」ができるというものでもないと思う。 だから、今はどうなっているかわからないが、1970年代後半から1980年代初めにかけて、慶應大の経済学部・商学部の入試の数学の問題は比較的すなおな問題で特に難問でもない問題が出てきたのだが、「比較的すなおな問題」で「特に難問でもない問題」が出るとなめてかかる受験生がいるので「なめられたらあかん」と意図的に難問を出す私立大学もあるみたいだが、「経済学部・商学部の数学」をやっていけるかどうかを見る試験だとするならば、1970年代後半から1980年代初めにかけての慶應大学の経済学部・商学部の数学の問題あたりはちょうどいい問題だったのかもしれない、と思っている。 それで、京大は法学部・経済学部・文学部・教育学部の4つでは教育学部だけが他の3つより少しだけ入試難易度が低くて、ほかの3つは同じくらいだったと思うのだが、東大の場合は文科は法学部に進学するコースの文科一類が一番難しく、経済学部に進学する文科二類がそれにつぎ、文学部などに進学する文科三類が文科一類・二類・三類の中では一番合格点は低かったのだが、一番難しい文科一類に合格するためには数学もある程度以上の点数を取らないと合格は難しいと思われるのだが、実際問題として法律の勉強するのに数学なんて、あんまり関係ないよ。 1970年代後半、代々木ゼミナールが発行していた無料の「新聞」形式の冊子に、「前年、代々木ゼミナールに通って東大に合格した皆さん」の座談会というのが載っていて、そこで東大の文科一類に通ったという人が、東大の文科一類に行くと「絶対、在学中に司法試験に合格するぞお」という人間だらけなので、自分もやらなきゃならないみたいな雰囲気になる、と話していたのだが、たしかに、慶應大なんかに行くと周囲から「しほうしけ~ん? やめろよお。暗い、くらい、暗い、くらい、暗い。やめろやめろやめろ」とか言われる・・のに対して、東大の文科一類に行くと「絶対、在学中に司法試験に合格するぞお」という人間だらけなので、自分もやらなきゃならないみたいな雰囲気になる・・てことは、そんなの関係ないとか言う人がいるけれども、よっぽど意志の強い人は別として、少なくとも過半数の人間は関係あると思うな。そういう点で東大の法学部に行くと司法試験に通りやすいかもしれないが、司法試験に出題される内容を考えると、数学なしでも合格できる早稲田大学の学生および卒業生でも司法試験に合格している人間はいるわけで、実際問題として司法試験の問題に合格するのに数学なんてあんまり関係ないよ。弁護士にでもなったとしても東大の二次試験や京大の二次試験の数学の問題なんて、まず仕事に関係ないよ。だから、「高校および大学入試の数学」が関係あるかどうかという点だと、法学部はほとんど関係なく、経済学部・商学部の方が「数学的思考」が関係する、と言える・・と思う・・が、その点では数学と近代経済学は関係するとして、ヴィルヘルム=ライヒは『階級意識とは何か』(三一新書)で「数学はその時代の社会の影響を最も受けにくい学問分野だ」と述べているのだが、ウィルヘルム=ライヒさんに言われなくても、実際に数学は資本制経済の国においても社会主義の国においても「権威主義国家」においても数学は数学なのだが、経済学はそうではない。経済学は政治学とともにその時代の社会の影響を最も受けやすい学問分野と思われる。だいたい、「慶應の経済」とか言ったやつというのは「俺は自由を尊重したい人間だから社会主義なんてものは賛成できないんだ」とか得意がって言いまくることで、それで「企業はそういう人間を喜ぶ」と思っているというそういうヤカラだが、なんで「自由を尊重したい」なら資本制経済がよくて社会主義は否定しないといけないのか・・ということをきっちりと述べることができるのか、というと、そういった思考は完全に欠落していて、ともかく「俺は自由を尊重したい人間だから社会主義なんてものは賛成できないんだ」とともかくワアワア言えば「企業はそういう人間を喜ぶ」と思っているというそういうヤカラが「慶應の経済」なのだ。なんとも程度の低いやつらだと思うのだが、いわば、程度の低いネトウヨと同類だ。だから、「慶應の経済」なんてのは、あんなものは学問ではないと思うのだ。それに対して、最も純粋に学問的な学問が数学だと思うのだ。その点で、数学と経済学は正反対のものだ。 『新約聖書』の「福音書」には、イエスが盲人に「どうしてほしいのだ」と尋ね、「見えるようになりたい」と盲人が言う場面があるが、学問とは何か、「見えるようになりたい」というのが学問だとすると、「慶應の経済」というのは反学問だ。「見えないようになりたい」というのが「慶應の経済」だ。 だから、私は経済学部には行きたくなかった。ところが、うちの父親は勝手に私が行く学部は経済学部だと決めてしまった。さらに北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子が「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言いまくって、私が首をもがれても行かされたくないと思っている所に無理矢理行かそうとした。私が嫌がる所に行かせることによって自分の評価を上げようとした。北野高校は行きたいと思って行った高校だったので合格発表の時はうれしかったけれども、卒業して十年以上経ってみると、あんまりいい学校ではなかったな、と思うようになった。特に2年の時に旧姓作野礼子に担任を持たれたのは災難やった。
  父親は百回に一回くらいは考えてみるべきだ。それまで、本人がこういう方面に行きたい、こういう勉強をやりたいと思って努力してきた方向と正反対の所に行かせて苦しめることに快感もつのは控えた方がいいということはないか、と。うちの父親というのは昔から「無理矢理やるのがええと思うねん、無理矢理、むりやり、無理矢理、むりやり」と言いまくる「無理矢理やるのが好きなタイプ」だった。下の姉が結婚するしないと言っていた時も、本人があの人は嫌だと言うと、俄然、スイッチが入るみたいで「無理矢理やるのがええと思うねん、無理矢理、むりやり、無理矢理、むりやり」と言いまくり、私が「だめです。嫌だという人と無理矢理、結婚させるなんてことは絶対にしてはいけません」と言っても「無理矢理やるのがええねん、無理矢理、むりやり、無理矢理、むりやり」と言いまくってきかなかった。そういう「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさんというのは、そういうお店にでも行って「無理矢理」やってくれた方が助かる。息子にとっては、そういう「無理矢理やるのが好きなタイプ」の父親というのは難儀だ。「あなたのお父さんほど、あ~んないいお父さんはめったにないわよ。私だったら、あなたのお父さんみたいなものすごいすばらしいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ」と旧姓作野礼子は言いまくり、そう言ってもらって「無理矢理やるのが好きなタイプ」のおっさんは「えええ~えこと言いはるっ♪ さすがは北野高校の先生や。作野先生はさすがや♪」などと言って喜んでいたのだった・・が、そういうやり方は成功しないと思う。 
  隣の分野とかいうならまだしも話はわかる。たとえば、前の放駒親方(元大関 魁傑)は日大の柔道部の選手だったらしく、同じ時期に相撲部にいたのが輪島で、日大では相撲の輪島・柔道の何何と言われていたらしいが、相撲にはプロがあるが柔道にはプロがないので、それで卒業後に相撲取りになったらしい。運動選手に限ったことではなく、学問としては価値があるものだがその学問で食べていくのは簡単ではないという場合があると思うのだが、そういう時に、その隣くらいの分野のものなら食べていけるということから「隣くらいの分野」に行くということなら、選択としてはありうることではないかと思う。しかし、「なんでも、わしが決めるものやねんでえ」と言って「無理矢理やるのがええねん、無理矢理、むりやり、無理矢理、むりやり」やるおっさん・・・というのは、そのやり方というのは息子・娘を不幸にする・・と思うし、うまくいかないと思う・・のだが、「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさん というのは、なかなかこのビョーキは治らないんだわ・・・。もしも、私が高校の教諭になっていたならば、そういう家庭に対しては親と息子・娘との間に入ってなんとか両方が納得いくところを捜す努力をすると思うのだが、ところが、母校の高校に教諭として就職した人で、しかも、20代くらいの若い教諭というのは、自分も少し前までは高校生だったのだから高校生の方、息子・娘の方の気持ちを理解できるのではないかと私は思ったのだったが、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は逆だった。「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさんに加担することで自分の評価を上げたいと考えるタイプの女だった( 一一) あんまりいい性格してないみたいだ・・・。
  このあたりを理解できる親かどうか、大学入試が成功するかどうかに影響する。
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
家族関係を考える (講談社現代新書) - 河合隼雄
家族関係を考える (講談社現代新書) - 河合隼雄
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇
↑ 桐蔭学園高校の校長の鵜川さんは、一流校合格のためには母親だけが息子の進学に関心があるということではだめで、社会経験がある父親が関心をもって協力しないとだめだということを述べているが、介入するとかえってよくない父親というものもある、ということを鵜川さんはわかっていたかどうか。
階級意識とは何か (1974年) (三一新書) - ヴィルヘルム・ライヒ, 久野 収
階級意識とは何か (1974年) (三一新書) - ヴィルヘルム・ライヒ, 久野 収


[7] 現役で合格したいと努力している高校3年生には「あんた、浪人しなさい」と言って、浪人すると「あんたが浪人したおかげで、予備校代が〇万円、落ちた大学の受験料が◇万円、交通費が☆千円、封筒代が〇百円、切手代が◇百円・・、電卓、電卓、でんたっく、でんたっく・・」というのは、やめた方がいいと思う。
   慶應大学に「愛塾」奨励空手会 という空手使いの右翼団体があり、私は右翼団体だと知らずに一時期、入ってしまった時があったのだが、そこに千葉クロマティ高校卒の富永という元不良がいて、私は小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、なんで、こんな不良と同じ大学になんか行かされなければならないのだろうか・・と思ったものだった。
  時々、「大学は浪人した方がいい」とか言う人があるのだが、現役で大学に合格して行こうと努力している息子に対してよくそういうことを言うと思う。千葉クロマティ高校卒の富永などは1浪して慶應大に入学したが、私が卒業した北野高校は現役で大学に行く人間と1浪で行く人間が半々よりも現役で行く人間の方がいくらか多く、2浪以上の人もいくらかはいる、という高校だったのが、1973年に高校に入学する年、私が入学した1975年より2年前に入学した人が卒業した1976年の大学入試から高校の学区が小さくなったことから、現役で大学に行く人と1浪の人では1浪の人の方がいくらか多い、という高校になっていたが、それでも多くの人間は現役で大学に行こうと努力していたし、1浪で大学に行った者は「恥ずかしながら、1年の笠張り(浪人)の生活の後、☆☆大学〇学部に入学しました」とか「恥ずかしながら」付きで挨拶していたものだった。それに対して、富永が卒業した千葉クロマティ高校の場合は現役で大学に行く人間なんかほとんどない高校で、富永も高校卒業時に行ける大学なんかほとんどなかったと自分で言っていたし、1年浪人して、浪人して行った予備校がうまく合って、それで「1浪で慶應の経済」に行ければラッキーだったがそれはさすがに無理で、「1浪で慶應の経済」と同じ試験科目で受けられる「1浪で慶應の文学部」に御の字で合格できて入学したそうだった。そして、富永は言うのだた。「俺なんかは、きっちりと1浪で合格した」と。「きっちりと1浪で合格した」などと、そういう日本語があるとは私は知らんかった。 「1浪で合格した」につく枕詞は「恥ずかしながら」だと思っていたし、北野高校卒で「1浪で大学に入学した」という者はたいてい「恥ずかしながら1浪で合格して☆☆大学〇学部に入学しました」と言っていたが、千葉クロマティ高校卒の富永の感覚では「1浪で合格した」というのは「きっちりと1浪で合格した」という日本語になるらしかった。卒業した高校によって「1浪で合格した」に付く枕詞が「恥ずかしながら」である場合と「きっちりと」である場合と正反対の場合があるらしかった。私は富永が「俺なんかはきっちりと1浪で合格した」とふんぞり返って言うのを聞いて激しくカルチャーショックを受けた。
   私が北野高校の3年の時、うちの父親は私に「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言うのだった。なんとか現役で大学に行こうと努力している息子にそんなこと言う父親なんてあるのか・・と思ったが、我が家にあったのだ。さらに、うちの母親は「現役で大学に行った人間は思いあがった人間になるから、失敗した経験のある浪人した人の方が絶対にいい。こいつ、現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、な~にがなんでもこいつ落としてやる。落ちろ、こいつう、落ちろ、落ちろ、落ちろお~お!」と言って、夜、私が家で学習していると、私の部屋の電気のブレーカーを落として照明がつかないようにしたり、ホウキで背後からボコボコ殴りつけて「落ちろ、落ちろ、落ちろお、こいつう~う!」とやったり、私が机に向かって座っているとうしろから服をつかんで背後にひっくり返して「落ちろ、こいつう~う」とやったり、高校から帰ってくると玄関・勝手口とも鍵をかけて閉めてインタホンのプラグも抜いて鳴らないようにして家に入れないようにして締め出して学習できないようにしたり、といったことをした。なんで、「浪人した人間は謙虚」で「現役で東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせる」のかよくわからなかった。
  「浪人した人間」にも2通りある。北野高校の卒業生で浪人した人間というのは、どこでも良かったら・・といってもどこでもいいわけないのだけれども、特にどこに行きたいと言わなければどこか現役で行ける所はあったはずなのだ。たとえ浪人してもどこそこに行きたいと思えばこそ浪人したのだ。それに対して、千葉クロマティ高校卒の富永とかは高校卒業時に行ける大学なんてろくなところはなかったという者で、「1年浪人して大学に行くのが普通」だった人で、私なんかは高齢になったうちの母親が老人ホームのワーカーさんから「慶應大学てどうやったら行けるんですか」と聞かれたらしいが、私自身、慶應大学に行こうとして行ったわけではなく、東大に行くつもりでいたものが合格できずに、行きたくないのに受けた慶應大の商学部になんか通ってしまって、いやいや行ったので、「受けたら通った」のであって努力して通ったわけではないので「慶應大学の合格法」なんか知らないのだが、富永の場合は高校卒業時に行ける大学なんかない男が、あつかましくも浪人なんてやって、その結果、「1浪で慶應の経済」に合格できればウルトララッキーだがそれは落ちて、「1浪で慶應の経済」と同じ入試科目の「1浪で慶應の文学部」には御の字で通って行ったという男であり、なんで、そんなやつが「謙虚」なんだ?  小学校の1年から真面目に努力して勉強してきて高校卒業時には現役で大学に合格できるかできないかという成績を取れるに至った者が「現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよる」ということになって、なんで不良の富永が高校卒業時には行ける大学なんかない男だったのにあつかましくも浪人みたいなもんしてからに「1浪で慶應の経済」に行けたらウルトララッキーだがそれはだめで「1浪で慶應の文学部」に御の字で通った、てそんなやつが、なんでそんなやつが「浪人したから謙虚」なんだ? おかしいだろう。
  「浪人の経験」に2通りあると言ったが、厳密には3通りあると思う。遠藤周作は『わが青春に悔いあり』(角川文庫)で、「浪人の経験」というものは2浪以上を言うのであり、1年浪人して大学に行ったようなテアイが高校生に「浪人の経験もいいものさ」とか言ったりしているのを見ると笑止である、と書いていたがそうだと思う。
わが青春に悔いあり: 狐狸庵閑話 (角川文庫 緑 245-12) - 遠藤 周作
わが青春に悔いあり: 狐狸庵閑話 (角川文庫 緑 245-12) - 遠藤 周作
遠藤周作は肺の手術で入院したが、日本で大変な手術と言われるのは肺の手術と脳の手術と心臓の手術の3つで、それから考えれば胃の手術なんてたいしたことない、ましてや盲腸の手術なんてもので入院している人間は肺の手術で入院している人間と出会うと将校に出会った初年兵みたいに挨拶していきよる・・と書いていたのだが、こういうことを自慢するのはあまり賢明な態度ではないであろうとも書いていたのだけれども、「2年以上の浪人」と「予定通りの1年の浪人」は意味が違うのだ。そして、「1年の浪人」でも私もそうだが北野高校などを卒業して「1年の浪人」している人間・した人間は現役で行けたかもしれないのに落ちてしまったという人間であり、どこでもいいわけではないとしても特にそこに行きたいと言わなければ世間一般から考えればそんなに下の方でない所に行けた人間なのだが、それに対して富永とかはそうではなくて高校卒業時に行ける大学なんかなくて大学は1年の浪人して大学に行くのが普通の高校卒で、「予定通り、見事、目標達成」の人だったのだ。だから、「1年の浪人」の場合でも私などとは「愛塾」奨励空手会にいた「予定通り『1浪して慶應の文学部』合格、見事目標達成」の富永とかステューデントカウンセラーズにいた「予定通り1浪で慶應の経済」の田名(たな)とかとはまったく「1年浪人した」の意味が違うのだ。 野村じいさんが「『失敗』と書いて『成長』と読む」と述べていたが、北野高校を卒業して現役で大学に行けばいいものを落ちてしまって浪人して行ったという場合でも、1年の浪人なんて「たいしたことない」わけで、遠藤周作が言うように「浪人の経験」というのは「2浪以上」を言うもので、2年以上浪人した人というのは「何かあった」場合が多く、なおかつ、それを人に言ってもどうもならない、という経験をしているはずなのだ。そういう経験が「いい経験」かというと、そんな経験しない方がいいと思うけれども、それでもそこで得るものはあるかもしれない。又、「1年の浪人」というのは意味がないかというと、そうでもなくて、私が1年目の浪人をしていた時、高校に行って3年の時の担任の大谷郁三と会うずいぶんと冷たい印象があったのだが、私は大谷に嫌われるようなことをしたかなあ・・と思うと、同じ予備校に行っていた人間で高校3年の時に同じクラスだった男が「最近、なんでか、大谷が冷たいねん」と言うので俺にだけではないんだなと思った、ということがあったのだが、ところが、2年浪人した後、高校2年の時のクラス会があって、その時、たまたま隣の席に座った女子卒業生が高校3年の時も同じクラスだった人だったのだが、浪人した者は卒業後も高校3年の担任の教諭と会うことがあるのに対して現役で大学に行った者は会わないことが多く、その女性が「大谷先生、元気にされてました?」と私にきうくので「え?」と思ったことがあった。あんなやつのことを「元気にされてました?」なんて言うのか? あの男が浪人した人間にどれだけ冷たかったか、あんた、知らんのか・・というと現役で大学に行った者は知らんかったみたいなのだ。浪人した者は高校の時に「学問というものは学問そのものに価値があるもので、大学によって人を序列づけするというのはおかしい」とかなんとかかんとか、けっこうなこと言いまくっていた男が、けっこうなこと言いまくるわりには浪人した人間に冷たい、というのを浪人した人間はたとえ1年の浪人でも知ったのに対して、高校卒業時に通った大学に行った者は知らずに前に進んだらしかった。だから、たとえ1年の浪人でも「浪人の経験」で得るものがないわけではない。たしかに「『失敗』と書いて『成長』と読む」ということは実際にあるとは思う・・が、それでも現役で大学に行った方がいいと思う。又、それは北野高校の卒業生で特にその大学学部にこだわらなければ行ける大学はあったが浪人したという者の場合のことであって、「クロマティ高校卒で最初から『1浪で慶應の経済』に行ければ超ラッキーだが落ちて、御の字で『1浪で慶應の文学部』に行った富永」とか「最初から『1浪で慶應の経済』を目指して、見事、目標達成の田名」とかのことではない。富永とか田名とかは「失敗の経験」なんかしていない。あいつらは1年浪人したといっても「成功の経験」しかしていない人間だ。 なんで、そういう人間が「失敗の経験をしているから人間が成長している」とかなんとかかんとか言われるんだ。おかしいだろうが。あいつらは「失敗の経験」なんかまったくしていない。
  私は大学入試は公平ではないと思っている。私は自分が大学に進学する際、お父さんが東大とか京大とか出ている人、もしくは東大とか京大とかに行きたかったけれども行けなかった人の息子というのは、本当にうらやましいと思った。何をやってくれるというよりも、まず、理解が違う。 自分が受ける時には東大とか京大とかを受けてすんなり合格して行けたのと落ちたのとではすんなり合格して行けた方がいいに決まっているが、息子が受ける時に理解力があるかどうかはどちらがいいかはいちがいに言えない。すんなり現役で通った人の中には「なんで通ったのかわからないうちに通ってしまった」みたいな人もいるようにも思う。大王製紙の2代目は北野高校を卒業して東大に行こうとしたけれども合格できず、慶應大に行ったが、息子は何としても東大に行かせたいと思い、3代目は筑波大付属駒場高校から東大に合格して行った・・ものの、ラスベガスのカジノで「しょーもないことしい」やりよったああ~あ、あ~あ・・・ということだったらしいが、やっぱり、「北野高校から東大に行きたいと思ったが落ちて行けず、慶應大に行ったけれども息子にはなんとしても東大に行かせたいと思った」というような父親とうちの父親のようなおっさんとでは、大学を受ける時の条件が全然違う。 だから、そういう父親の息子ですんなり通って行った人を見ても、うらやましいとは思ってもえらいとは別に思わない。
   それで、だ。これは父親と母親の方の問題だが、現役で大学に通って行きたいと思って努力している息子に「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」なんて、そんなアホなことは言わない方がいいと思う。浪人してしまった時に「浪人した経験のある者の方が帰って会社で役に立つ時もあるから、浪人してしまったと悲観することもないよ」と言うなら言ってもいいと思うが、高校3年生に「あんた、浪人しなさい」なんて言うものではないと思う。
   又、世の中には「浪人した男性の方がいいよお。現役で大学に行った人は思いあがってよくないよお」とか言う女性というのがいるらしいのだ。うちの母親は、どうも知り合いの奥さんでだんなが現役で一橋大に行って卒業したという人がいて、その人が「まったく、うちの人は現役で一橋に行ったものだからもう」と言って、「浪人した人の方がいいよお」と言われたらしいのだ。そう言われて本気にしたみたいだったが、もしかしてその人は「うちの人は一橋大卒なんですよ。それも現役で通ってるんですよ」と言いたかったのと違うんかいう、のろけとるだけやったのと違うんかい、という気もせんでもない。 そういう話を聞いて、それで高校3年の息子に「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、な~にがなんでも落としてやらんといかん。落ちろ、落ちろ、落ちろお~お!」というのは、できたらやらないでもらった方が息子としてはありがたい、と思う。
  そして、高校3年の時には「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと現役で合格しようと努力している息子に言っておいて、そして、浪人すると「「あんたが浪人したおかげで、予備校台が〇万円、落ちた大学の受験量が◇千円、交通費が☆千円、封筒代が〇百円、切手代が◇百円・・、電卓、電卓、でんたっく、でんたっく・・」というのは、できたらやめてもらった方が息子はありがたい。できたら、そういうことはやらないであげた方が受験生にとっては助かる、と思う。そういうことをするのが「親というもの」なのかどうか、うちの親はそういうことをする人だったが、そういうことはやらない親も世の中にはあるようだった。そういうことはやらない親の方が息子としては助かる。できたら、そういうことはしないでもらった方がありがたい。
  「クロマティ高校卒の富永」とか「予定通り1浪で慶應の経済の田名」とか、そういうヤカラが「俺も浪人の経験をした」とか勝手なことを言うが、そいつらは予定通り浪人したのであって「失敗の経験」なんかしていない。「1浪で慶應の経済」という人間は多くの人間が「俺も一橋の経済うけた」と言うのだが、そういう人間は大部分が「オリンピック」だ。「オリンピック」とは「参加することに意義がある」という意味、「受けることに意義がある」で経験として受けただけの人だ。「1浪で慶應の経済」「1浪で慶應の文学部」の科目だけしか学習していない富永とか田名とかが試験科目が多い一橋台の経済学部とかに通るわけないのだ。「参加することに意義がある」オリンピックの精神で受けただけの男が生意気な口きくんじゃないよ。


[8] 息子の名前を天津丼に変えるのは、できたらやめてほしい。
  遠山啓は『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、父親とは「息子を外敵から守ってくれる存在である」と書いているが、そういう父親もいるかもしれないが、外敵を引っ張り込んでくる父親もいる。大学受験において、浪人とかすると「あなたのこういう因果が息子さんの浪人を招いたのです」とかなんとかかんとか言ってくる霊能者とか拝み屋とか呪術者とか「先生」とか「医者」とかが寄ってくる場合がある。浪人しなくても世の中には妖怪物の怪の類みたいな人間はいっぱいいるのだが、特に浪人とかすると寄ってくる度合いが大きくなる。
  今は昔、『男ドアホウ甲子園』という漫画があって、兵庫県西宮市の甲子園球場に勤めているじいちゃんが孫の名前に「甲子園」と名前をつけたことから、孫が「どこのドアホウが孫の名前に『甲子園』なんてつけるんだ」とじいちゃんとしょっちゅう喧嘩するという話があった。
山岡荘八『織田信長(一)~(五)』によると、織田信長は長男の信忠が産まれたときには「こいつは奇妙な顔をしとるな。よし、こいつの名前は奇妙丸じゃ」と「奇妙丸」と名づけ、次に信雄(のぶかつ)が産まれた時には「こいつの頭は茶筅みたいじゃの。よし、名前は茶筅丸」と「茶筅丸」と名づけ、信孝が産まれた時には「きょうは何日じゃ」と尋ねて「3月7日です」と聞いて「よし、名前は三七丸」と「三七丸」と名づけたらしい。 さらに、『らーめん再遊記』に登場するらーめんチェーン店の経営者のおっさんは正妻の子には長男が麺太郎、次男が汁次郎、三男が具三郎で、別の女性に産ませた子には丼男(どんぶりおとこ)と名づけようとした、とか。
  織田信長の話は、戦国大名などは「幼名」はかなりいいかげんな名前をつけることが多く、元服する時に正式の名前、「信忠(のぶただ)」「信雄(のぶかつ)」「信孝(のぶたか)」という名前をつけるわけだから、織田信長はまあいいとして、麺太郎・汁次郎・具三郎にさらに丼男(どんぶりおとこ)は、そりぁ漫画の話・・として、現実に似たことをする人というのはいる。それも、息子がハタチになって「あんたの名前はきょうから変えることにするわあ」と言って変える人というのがいるのだ。
  どこにいるかというと、我が家にいたのだ。うちの父親の会社の部下の人が「拝み屋さん」の女性をうちの父親に紹介したらしく、わざわざ、大阪から金沢まで行ってきよったのだ。ご苦労さんなことだ。 そして、帰ってきて、こう言いよったのだ。
「きょうから、あんたの名前は天津丼(てんしんどん)に変えるわあ。感謝せえよ、天津丼(てんしんどん)。感謝せんとバチあたるぞ、天津丼(てんしんどん)」
( 一一)
ヒガシマル醤油 ちょっとどんぶり 天津飯2P×2個
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   「お名前を変えるといいですよ」といったことを言う「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」といった人は世の中にいるようなのだが、たとえば、遠藤周作『狐狸庵閑話』(講談社 遠藤周作文庫)には、遠藤周作が文化学院の講師をやっていた時、生徒だった藤田コト姫が講義に出席しないので、講師として今ひとつ講義に出席するようにと講師として藤田コト姫の家に言いにいったところ、取次の者が間違えて相談者としてコト姫の所に通してしまった、ということがあって、藤田コト姫は「お名前は?」と言うので遠藤周作は「遠藤周作」と答え、「ご職業は?」ときくので「作家で教師」と答えると、コト姫は遠藤周作の顔をまじまじと見て「作品が売れないのね。かわいそうに。お名前が悪いんですよ。お名前を変えるときっと売れますよ」と言ったというのだ・・が、遠藤周作は作品が売れているのか売れていないのかわからないが自分の名前は悪くないと思っているので変えるつもりはない、としてそのままにしたのだが、藤田コト姫が遠藤周作に言ったのは、あくまでも遠藤周作が相談者だと思ったから、相談者のお名前を変えるといいですよ、と言ったのであって、相談者の名前は悪くない、最高の名前です。悪いのはあなたの家族です。あなたの名前を変えなさい、なんて、そんなことはコト姫は言わなかった。 
   遠藤周作『おバカさん』には新橋だったかのガード下あたりで筮竹を使って占いをやっているおっさんに、いなくなってしまったガストン=ポナパルトがどこに行ったか、その筮竹で調べてくれと頼んだところ、「そんなもん。私自身がこんなもの、信じていませんよ」と占い師のおっさんが言いよったが、「しかし、私は悪いことをしているとは思っていませんよ。ここに相談に来る人は、私がその人の顔を見て『はい』『はい』と言って話を聞いていると、そのうち、自分で答えを見いだして帰っていくのです。私は相談者が自分で答えを見つける手助けをしているのです。決して悪いことはしていません」と言うのだった、という話が出ているが、「占い師」「霊能者」「拝み屋さん」でも、相談者の話を聞いて、相談者が自分で答えを見つける手助けをしているということなら、それは悪いことはないのかもしれない。
   しかし、うちの父親が相談した「金沢の拝み屋さん」の女性Tさんはどうしたのか。こう言ったというのだ。
「御主人の名前は大変すばらしい名前です。御主人の名前はそのままにするべきです。決して変えてはいけません」と。そして、
「長女さんの名前は『子』以外の部分を漢字をひらがなに変えてください。次女さんの名前は『子』以外の部分をカタカナに変えてください」と。そして「奥さん(私の母)の名前は、ひらがなではなく漢字に変えて『子』をつけてください」と。 そして、
「諸悪の根源は息子さん(私)ですから、この人の名前を根本的に変えないといけません。この人の名前を『天津丼(てんしんどん)』に変えてください。絶対に変えないといけません。絶対に変えないと不幸になります」と、そう言われておっさんは帰ってきよったのだ。
そして、帰ってくるなり、
「きょうから、あんたの名前は天津丼(てんしんどん)に変えるわあ。感謝せえよお、天津丼。て~んし~んどお~ん♪」と。「あんたが諸悪の根源やねんで、天津丼。天津丼に絶対に名前を変えんといかんねん、天津丼(てんしんどん)」と。
よくやってくれると思う。 そして「改名屈 天津丼」と紙に書いて「これを北野高校の事務室に持って行ってきなさい」と私に言うので、嫌だったけれども、しかたなしに北野高校の事務室に持っていったのだ。
そうすると、事務職員の方はこう言われたのだ。
「そういうものは、もしも持って行くのならば市役所とかそういう所に持って行ってください。卒業した高校に持ってこられてもどうしようもありません」と。「それから、これ、『改名届(かいめいとどけ)』と書いたつもりだと思いますけれども『改名屈(かいめいくつ)』になってます」と。
   「わしの名前は変える必要ないねん。わしはこれ以上ないほどすばらしいねん」とそう言われて有頂天になっておっさんは帰ってきよった。そして、私の名前を「天津丼(てんしんどん)」に変えよった( 一一)  その時は私が一番ひどいと思ったのだったが、何年か経って、実は一番ひどいのはうちの母の名前だと気づいた。
うちの母の名前は変体仮名で2文字だった。変体仮名だと普通のパソコンには文字がないし銀行のコンピュータにもないので普段はひらがなで代用しているのだが、「金沢の拝み屋さん」のおばさんは「名前を漢字に変えた上で『子』をつけてください」「そうしないといけません」と強迫的に言ったわけだ。そして、「絶対に変えんといかんねん」とうちの父親に言われて変えたのだった・・・が、それはうちの母親がいやがっていた名前だった。 女性の名前には「子」がつくものみたいに思われていた時期があったが、うちの母とその姉妹の名前はすべてひらがなか変体仮名2文字の名前で「子」はつかなかった。母の母(祖母)はカタカナ2文字で「子」はつかなかった。母の名前は後から「名前がいけません」と人から言われないように、命名を仕事にしている大家と言われる人に頼んでつけてもらった名前だったそうだ。ところが、うちの父親と結婚すると、姑さん(うちの父親の母親。私の父方の祖母)が「子」をつけて「◇◇子」と呼んでしかたがなかったそうで、「私の名前は◇◇子じゃないのに」と母は嫌がっていたのだ。自分の親が「命名の大家」と言われる人にお金を払って相談した上でつけてくれた名前を、結婚した相手の母親である姑に勝手に名前を変えられるということに屈辱を覚えていたようだった。 その母から見て姑さんである父親の母・私の父方の祖母は私が中学校1年の時に亡くなった。それ以来、7年間、母をその名前で呼ぶ人はなかった。ところが、うちの父親は「金沢の拝み屋さん」のおばさんのところに「こういう名前にするとどうかと思うんですけど」と相談に行ったらしく、「ぜひとも、その名前に変えるべきです。絶対に変えないといけません」と言って、うちの母親の名前を、姑さんが勝手に変えた名前に再度、変えろと指示したそうなのだ。その「拝み屋さん」のおばさんは、うちの父親が「こういう名前はどうでしょうか」と言って尋ねた名前が、それは姑さんが嫁の名前を勝手に変えて呼んだ名前で、呼ばれた方は「私はそんな名前じゃない」と嫌がっていた名前だと知ってそうしろと言ったのか、知らずにそうしろと言ったのか、どちらかはわからない。 しかし、どちらであっても、「天津丼(てんしんどん)」以上に、姑さんに変えられた嫌な呼び方に、すでにその姑さんが亡くなって7年経つのに再度、その名前で呼べと指示する「拝み屋」のおばさん・・・て、要するに、これはロナルド=レインなどが『家族の政治学』で家族で誰が権力もっているかから判断して、この人が喜ぶ内容を「ほとけさまが言われています」と言って言えばいいという判断だったようだ。ちなみに、その「ほとけさまが言われています」と言われて「絶対にきかんといかん」と言って、母が嫌がっていた姑さんがつけた名前にしろと言い、私には「あんたの名前はきょうから天津丼(てんしんどん)やで。あんたの知っている人の家をこれから一軒一軒まわって『これから私のことを天津丼と呼んでください』と言ってまわりなさい」と私に言ったおっさんは「クリスチャン」であり、「世の中は人に命令する人間ばっかしでもあかんし、人から命令されてせっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんねん。天の神さまというお方は大変賢明なお方で、世の中の人間を産まれる時点ではっきりと2つに分けてお造りになっておるねん。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人は人に命令する民族、チャンコロは常に人から命令されて支配されるための民族。わしいは常に人に号令かけなければならないと天の神さまから命じられて産まれてきた人間。あんたは人から号令かけられることを何よりもうれしいと感じる人間で、号令かけられることがあんたにとっては最高のごちそうやねん」と毎日言っていた「クリスチャン」だった。「わしは産まれる時には天の神さまが『ぜひとも産まれてもらいたい』とわしにお願いされて、そうやって産まれて、わしが産まれた時にはこの世の万民が『ハレルヤ、ハレルヤ』と歓喜の声をあげて喜んだんや〔⇒YouTube-Handel, Messiah - Hallelujah https://www.youtube.com/watch?v=1NNy289k6Oc〕。それに対して、おまえは天の神さまが『おまえは産まれてくるな』とおっしゃっておるのにからに、おまえは天の神さまの意志に反して、天の神さまにたてついて産まれてきた人間なんや。よくも産まれやがってからにチャンコロろすけイタコ!」と毎日私に言っていた、そういう「敬虔なクリスチャン」だった・・が、そのわりに「ほとけさまがこう言っておられます」と「金沢の拝み屋さん」から言われて「ほとけさんが言うてはるねんで。絶対に従わんとバチあたるねんで」と言って、そうやって私の名前を「天津丼(てんしんどん)」に変えて、母の名前を「私はそんな名前じゃない」と言って母が嫌がっていた姑さんが呼んだ呼び方に変えてしまった。
そして、おっさんは言うのだった。「わしの名前はこれ以上のものはないという最高の名前やね~ん♪」と。
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代)は「あなたのお父さんほど、もんのすごいいいお父さんはなかなかないわよ。私だったら、あ~んなものすごいいいお父さんがいたらうれしいわよ。私は父親がいなかったんだからねえ。私は両親が離婚したんだからねえ。あなたがお父さんのことをいいと思えないというのは、それはあなたが甘ったれているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたの性格が素直じゃないからよ。私は父親がいなかったんだからねえ」と言いまくるのだった・・が、それを聞いてうちの父親は「えええ~えこと言いはる♪ さすがは北野高校の先生や♪  こういうエライ先生のおっしゃることは何でも何でもきかんといかん。さすがは北野高校の先生だけのことあるっ♪」と言うのだった。「ええか、わかっとるか。作野先生は《『北野高校の先生』という学校の先生の中でも特にエライ先生》やねんで。作野先生は『普通の先生』とは違うねんで。わかってますのんかあ」と。
その「北野高校の先生という普通の先生よりもエライ先生」という旧姓作野礼子はそれからたいして経たないうちに、無名校の教諭に転任になり「北野高校の先生という普通よりもエライ先生」から「無名校の教諭という普通の先生」に格下げになりよった。ざまあ見ろ!
旧姓作野礼子は「私は父親がいなかったんだからねえ。私だったら、あなたのお父さんみたいなもんのすごい立派なもんのすごいいいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ」と言うのだったが、うちの父親のようなお父さんというのがいたならば、「きょうからあんたの名前は天津丼にするわあ」と20歳になるかどうかという頃に名前を天津丼(てんしんどん)に突然変えられることになるわけだ。
旧姓作野礼子は「あんたのお父さんのようなもんのすごいいいお父さんがいたら、私だったらものすごくうれしいわよ」と言ったのだから、旧姓作野礼子も「天津丼(てんしんどん)」に該当するような名前に名前を変えてやりたいと思うのだ。たとえば「作農蓮根寺朕根(さくのれんこんてらちんこん)」というのはどうだろうか。こういう名前に変えられると「もんのすごいうれしいわよ」と言ったのは旧姓作野礼子自身なのだから、何が何でも変えるべきだ。「作農蓮根寺朕根(さくのれんこんてらちんこん)」に。「あんた、これから、あんたの知ってる人の家を一軒一軒まわって『これからは私のことを《作農蓮根寺朕根(さくのれんこんてらちんこん)》と呼んでください』と言ってまわりなさい」と旧姓作野礼子に言ってやるべきだ。私はうちの父親から「これから、あんたの知ってる人の家を一軒一軒まわって『これからは私のことを天津丼(てんしんどん)と言ってください』と言ってまわりなさい」とうちの父親から言われたのであり、旧姓作野礼子はそのうちの父親を「あ~んなすばらしいお父さんはなかなかないわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたの性格がすなおじゃないからであって、あなたに甘えがあるからよ。私だったら、あなたのお父さんみたいなもんのすごいすばらしいお父さんがいたらものすごいうれしいわよ。私は父親がいなかったんだからねえ」とおっしゃったのだから、ご自分がそう言われたからには、うちの父親がいた場合にどうなるかということを旧姓作野礼子さん自身が受けてもらいたいと思う。まさか、嫌だとは言われないでしょうなあ。「作農蓮根寺朕根(さくのれんこんてらちんこん)」さんは。それが嫌なら、なんなら「かつ丼」でも「親子丼」でも「うな丼」でも「麻婆丼」でも、なんなら「ニシンそば」でも「天ぷらうどん」でも「チャーハンと餃子」でもええけどな。
  それで、「父親というもの」はそういうものなのかどうかはわからないが、うちの父親は「そういうもの」だった。そうでない父親もいるのではないかと思うが、息子の立場からすれば、できれば「天津丼(てんしんどん)」に名前を変えないでほしいと思う。

  浪人中とかは、そうでない時よりも「拝み屋さん」「霊能者」「占い師」「新興宗教の教祖」「医者の先生」とかそういった妖怪物の怪の類が寄ってきやすいから、そうでない時以上に用心した方がいい。


[9] 胴上げ なんてしない方がいいと思うな。
   東大の合格発表の時に胴上げする人がいるという話を聞いた。それがいいか悪いか、といったことが言われたこともあったと思う。 良くないという方の意見には「落ちた人間の気持ちも考えろ」というものがあったと思う。合格発表の会場に見に来た者には自分の受験番号があった人もあればなかった人もあるわけで、「落ちた人間の気持ちも考えろ」というのは、たしかにそういうこともありそうだけれども、私自身の経験を言えば、東大の合格発表を本郷キャンパスに見に行った時、自分のことだけでいっぱいで周囲の人間が「胴上げ」やっていてもいなくても、ほとんど気にならなかった。どのみち、その大学の学部は合格者が決まった人数、合格するのであり、それを超えた者は落ちるのだから、胴上げとかする者がいてもいなくても自分には関係なかった。別にどうでもよかった。

  しかし、落ちた人間の気持ちからすれば、周囲で何をやっていてもやっていなくても、どうでもよかったけれども、通った人間の立場に立ってみるとどうか、と考えるならば、胴上げなんかやらない方がいいと思う。「あんたは東大の入試に通って、それがゴールだとでも思っているのか」と私が親の立場なら言いたい。
  YouTube に元阪神の赤星選手が出ていて、阪神に入団した時のことを話していたが、赤星選手は亜細亜大学を卒業する時、自分はプロの野球選手になりたいと表明していたけれども、どこもドラフトで指名してくれなかった。それでJR東日本に入社して「駅員さん」をやりながら社会人野球をやっていたが、社会人野球の選手をプロ野球のチームに派遣して練習させるということがあった時に阪神に派遣され、その際にすばらしい脚力を野村じいさんが見て「プロでやりたいという気持ちはないのか」と野村じいさんから尋ねられて「やりたいです」と答え、野村じいさんが阪神のスカウトに「あの選手はうちのドラフトのリストには入ってないのか」と尋ね、プロの野球選手としてはカラダが小さく非力なのでプロでは難しいのではないかと考えてリストに入れていなかったらしいが、野村じいさんが「どうしてもだめなら、試合終盤での代走要員としてでも使えるじゃないか」と言、ぜひ採ってくれと言って阪神から指名されたらしいが、赤星選手はその時、もしも、プロ野球の球団に入団しても2年ほどで自由契約にされてしまう可能性だってあるわけで、そうなると、入団して2年ほどで自由契約にされたなら、せっかくいい会社に勤めているのにその勤め先を失うだけになってしまう・・と考え、はたして入団していいものかどうかと考えたらしい。その時、「親が」と赤星選手は言っていたが、どちらの親かわからないが「でも、やりたかったのでしょ」と言ってくれたというのだ。いい親だなと思う。うちの父親なら、そういう時に「そんなもん、せんでもええんじゃチャンコロろすけっ!」と言うところだ。「でも、やりたかったのでしょ」とはうちの父親なら言わない。 そうして赤星選手は阪神タイガースに入団したらしい・・が、さすがに大学卒業時にプロに行きたいと思いながらどこからも指名してもらえなかったという経験をしただけに、その後、社会人の会社に勤めて「駅員さん」やった経験があるだけに浮ついた姿勢はなかったようだった。さあ、これからやっていくぞという気持ちと、だめだったならばということを考える気持ちと両方を同時に考えるというのはできる人にはできるができない人には難しい。 高校野球で大活躍jしてドラフト1位で指名されたというような選手には、自分が世界で一番えらいみたいに勘違いしているみたいな人を見ることもある。某選手のお母さんが「浮ついてしまって、あんな状態ではうまくいくわけありません」と言ってプロの球団に入団することに反対したとかそういう話を聞いたものもある。 運動選手と一緒ということでもないかもしれないが、合格発表を見て自分の受験番号があったからといって、そこで胴上げなんてそんなことまでするとなると、なんか、浮ついたものを感じるのだ。東大あたりに行った人は少々浮ついてもそれで学習しなくなるということはないだろうけれども、それでも、私なら胴上げなんてしてもらいたくないな。
   ドラフト会議が終わった後、YouTube で里崎・田尾・高木豊の3人が「ドラフトで指名してもらってうれしいと思うのは気持ちはわかります。きょう1日は喜んでいいです。けれども、明日からは気持ちを切り替えないといけません。ここがゴールじゃないんです。ここから始まるんです」と3人ともが話していたのだが、東大の合格発表見て胴上げなんてやるやつされるやつというのは、もしかして、そこがゴールだとか思ってないか。 世の中には東大卒の人で「 初日に勝ったことで 残りの14日も勝ったみたいに勘違いしている相撲取り」みたいな人というのもいるのだ。人生は初日に勝ったからといって残りの14日も勝ったことにはならない。そういうことを考えるならば、私が親なら胴上げなんてしない方がいい、されない方がいい・・と思う。
   これは「朝日新聞」に載っていた話なのだが、王選手が高校生の時、試合に勝った後、勝ったとはしゃいでいたら、お兄さんから「負けた相手のチームの選手の気持ちも考えろ」と怒られたという。 私は東大の合格発表を本郷キャンパスに見に行った時、自分の受験番号がどんなに探してもなかったことは相当ダメージは受けたけれども、その時に周囲の人間が何をやっていてもほとんど気にならなかった。胴上げみたいなことをやっていた人間がいたような気がしないでもないが、よく覚えていない。どのみち、合格者が一定数いるのは最初からわかっていたことであり、通ったやつが何をやっていてもどうでもよかった。 しかし、自分が通った側だったなら、「落ちた人間の気持ち」というものは気になるな。「落ちた人間」がいる場で胴上げなんて無神経なことは私ならやりたくない、されたくない。
   自分が受験生の時は落ちた人間は落ちたやつが悪いんだ、と思っていた。しかし、それから何十年か経って自分に大学受験生の息子がいてもおかしくない年齢になってみると感じ方が変わった。 菊川怜て、あの女、「東大出の女」なんてへんてこりんな職業につくなら東大を受けないでほしい、と親の気持ちとしては思うようになった。「東大出の女」なんてへんてこりんな職業につくようなやつが受けないでくれたら、東大で学ぶ内容を卒業後も活かしたいと思う人間で落ちた人間がひとり合格できたんだ。親の立場ならば、「東大出の女」なんてへんてこりんな職業につくようなやつが受けないでくれたなら、うちの息子が通ったかもしれないじゃないか、という気持ちになるようになった。自分が落ちた時には周囲のやつが何をやっていてもどうでもよかったけれども、私が親の立場で息子が通った者の側だったならば、胴上げなんてやりたいされたいと言うなら「しょーもないことすんな」と言うと思う。「落ちた者の気持ちも考えろ」と親なら言うのではないか、と思う。

  胴上げなんかしない方がいい、というのは「落ちた人間の気持ちも考えろ」ということもあるが、ほかにインターネット上のコメント欄とかを見ると「何か勘違いしている人」というのを見受けられるからだ。東大であろうがどこであろうが大学に合格したとしても、それはあくまでも「よかったね」という性質のものであって、合格した者は「ありがとうございます」と言うべきものであって、合格した者が人に自慢する性質のものではないのだ。よく、子供のある者が子供ができない人に向かって「私たちは将来、社会に貢献する子供を育てているんだから」とか威張って言うことがあるが、心得違いも甚だしい。「将来、社会に貢献する」とかいった文句は実際に貢献してから言ってもらいたいものだ。その子供が「将来、社会に貢献する」か社会に迷惑かけるかなんて、まだわからないではないか大学入試に合格したとしても、それは「よかったね」というものであり「ありがとうございます」と言う性質のものであり、「将来、社会に貢献する」などと思いあがったことを思っていても、将来、社会に貢献するか社会に迷惑かけるかなんて、わからんだろうが。「将来、社会に貢献する」などという文句は貢献してから言ってくれ。


[10] 「どこの高校でも一緒」などということはない、「どこの予備校でも一緒」などということはない。
  世の中には「どこの高校に行ったかではなく、どれだけ勉強したかが大事」とか「どこの予備校に行ったかではなくどれだけ勉強したかが大事」とか言う人がいるが、嘘だからね。
  1980年代、宮崎みどり は「おやじ殺しのみどり」としてテレビに出ておっさんの人気を得ていた・・が、今はどうなっているかというとインターネットで検索すると写真も出てくるが今では完全におばさん、というよりおばあさんになってしまった。それだけ年月が経ったのだからしかたがないのかもしれない。宮崎みどり は私より少し年上で、神奈川県の県立湘南高校卒で東大を受けたけれども落ちて慶應大には通って慶應大に入学したらしい。遠藤周作が「夕刊フジ」で何人かと対談をした中で宮崎みどりと対談したものがあって、そこで宮崎みどり が東大を受けた時のことを話していたと思ったのだが、今、見返してみると見当たらないので他で述べていたのかもしれないが、宮崎みどり の弟は東大に通って行ったらしいのだが、県立湘南高校というと宮崎みどりが行っていた頃や私が高校生くらいの頃は、毎年、東大に何人も合格者を出していた高校だったと思ったのだが、宮崎みどり としては弟が行った高校と比較すると弟が行った高校の方が東大に進学するには有利だったと思ったらしい。「どの大学に行くにはどの高校に行っておくのが有利」というものがあり、それから考えれば県立湘南高校よりも弟が行った高校の方が東大に行くには有利だった、と宮崎みどりは感じたらしい。 そういうものはあると私も思う。東大合格者数が多い高校に行ったとしても、京大合格者数が多い高校に行ったとしても、内部進学で進級できるわけではないのだから、勉強しなかったら行けない・・というのはそれはそうだろうけれども、「東大に行くにはどこに行っておくのが有利」「京大に行くにはどこに行っておくのが有利」というものはある。私が行った北野高校は京大・阪大に行くなら悪くはないが東大に行こうとするならばカリキュラムの構成とか授業の内容とか、東大受験にはあまり有利ではなかった。逆に京大合格者数全国1位だが東大にはそれほど合格者を出していない北野高校に行ったのなら、別に東大に行かなくても京大か阪大かでいいじゃないかという考え方もある。
  1970年代、後半、大阪府高槻市にYMCA予備校高槻校というものができて、高槻校に京大東大文系クラスというものができた。ところが、実際に行ってみると、東大の文科の試験問題に対する対策といったものはまったくなかった。どこが「京大東大文系クラス」なんだ・・てものだった。母の叔母の息子、母のいとこ になる男性が大阪府立天王寺高校卒で1年浪人して東大の文科二類に進学して経済学部を卒業して、今はもう勤めた会社も引退されたのだが、母の叔母というと私からすると何になるのか、子供の頃から近くに住んでいたことから世話になってきたのだが、その母の叔母が「YMCAなんて東大に行かないでしょ」と母に話してくれたみたいだった。それはたしかにそうなのだが、1978年度から高槻市にできた高槻校に「京大東大文系クラス」というものができたので、それで東大の入試対策もやるのだろうと期待して行ったのだったが「看板に偽りあり」だった。
   私はインテリアコーディネーターの試験に1次試験(学科試験)は独学で合格したが、2次試験(製図と論文)の製図の方は製図の本を買ってきて自分なりに学習したがうまく描けなかった。それで、「資格試験・入学試験はカネをかけずにさっさと通る」というポリシーを曲げて、ハウジングエージェンシーのインテリアコーディネーター2次試験対策講座に出席して、こういう練習をしてくださいと講師の方が言われたことをやって、それで合格することができた。どうすれば点数をアップさせることができるか、自分なりにやってもうまくいかないという場合に、こういう練習をやってくださいといった指導をしてくれるスクールに行って講師の方から指導を受けてできるようになるということがある。ところが、YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスにはそういうものがなかった。「京大東大文系クラス」と言うからには、京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部の入試問題、東大の文科一類・二類・三類の入試問題に対しての対策をやってくれるもの、こうやれば点数をアップできるという指導をしてくれるものと思って行くと、それは受講生の側が考えたことであり、YMCA予備校の経営者はそういったことはまったく考えておらず、そうではなく「京大東大文系クラス」という名称をつけて受講生を募集すれば高校卒業時の学力がある生徒が集まり、そういう生徒に1年後に高校卒業時に受けた所よりも下の所を受けさせれば合格する可能性が大きいので、高校卒業時に受けたところより下のところ、そんな所に行かされるのなら浪人しなくても行けたのではないのかと思われるところ、あるいは、そんな所に行かされるのなら北野高校に行かなくても2つくらい下のランクの高校に行っていてもいけるではないか、そこは2まわりくらい下の高校の生徒の行く大学ではないか・・と思われるような所を受けさせれば合格する可能性が大きいから、そういう所を受けさせて合格させた上で「YMCA予備校から◇◇大学に合格」と言えばYMCA予備校の評価があがって商売上プラスになる・・というそういう考えだったようなのだ。そんなやり口で商売がうまくいくか・・というとうまくいかなかったみたいで、駿台・河合塾・代ゼミといった予備校が大阪に進出すると、一時は大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校、横浜市に菊名と関内の2校あったYMCA予備校はあっという間に淘汰された。あのような良心的でない予備呼応は淘汰されて当然だと思うし、淘汰されて良かったと思う。
  母のいとこ にあたる男性が東大に進学するために浪人した時の話を子供の頃から聞いていたのだが、駿台予備校の東大受験クラスというのは「東大の試験より難しい」と言われるくらい難関で、母のいとこ の人は東大に落ちてしまっただけでなく、駿台予備校の東大受験クラスも落ちてしまい、代々木ゼミナールの東大受験クラスには合格して代ゼミの東大受験クラスに1年間行って翌年、東大の文科二類に合格できたらしかったが、駿台予備校の東大受験クラスに行って学習するか、代々木ゼミナールの東大受験クラスに行って学習するかだと、一般には駿台の方が評価は高かったとはいえ、代々木ゼミナールの東大受験クラスでもそこで努力して東大に進学するということは可能だったと思うのだ。それに対して、YMCA予備校の京大東大文系クラスというのは、それもまた、駿台予備校の東大受験クラスよりいくらか劣るところがあるかもしれないが、それでも京大東大文系クラスなのだから対応できるであろう・・と思って私などはそこに行ったのだったが、YMCA予備校の京大東大文系クラスというのは、予備校の経営者としては京大東大の文系学部の入試対策なんかする気は最初からなく、そういうネーミングのクラスを作れば学力がある受験生があつまるから、そういう受験生に1年後に高校卒業時に受けた大学より下の所を受けさせて合格させればYMCA予備校の評価が上がるというあさはかな考えでそういう名前をつけていたというものであり、これは駿台予備校の東大受験クラスと代々木ゼミナールの東大受験クラスの違いとは意味が違って、YMCA予備校の京大東大文系クラスは東大受験を考えたクラスでは最初からなかったのであり、考えようによってはそんな予備校行かない方がかえっていいくらいだった。
  YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスで「古文」の講師だった山之内という自称「北野高校卒、京大文学部卒、元天王寺高校教諭」のおっさんが、「予備校は駿台とか代ゼミに行っておれば東大に通るというものやないの。どこに行っても一緒なの」などと授業中に言うのだったが、YMCA予備校は予備校の中では学費が高い方の予備校でYMCA予備校でも医進コースと京大東大文系クラスは単なる文系クラス・理系クラスより少し高かったのだが、予備校の中では学費が高めの予備校の講師から「予備校はどこに行っても一緒なの」などと言われたあかつきには「カネ返せ」と言いたくなるものだった。「予備校はどこに行っても一緒」であるのなら高めの学費のYMCA予備校に行かずに安めの学費の予備校に行った方がいいみたいな話だった。そうなるでしょ。 本人の話によると、山之内さんは北野高校から京大の文学部に進学した人らしかったが、どうも、ご本人が京大を受けて進学した時とか、京大を卒業して天王寺高校の教諭になった時とかと比べて「堕落している」印象を受けた。それだけ、年齢がいったということもあるだろうけれども、「北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教師」と言えば評価してもらえる・・というのだけでしばらく生きてきた人というのは、もうご自分が北野高校から京大に進学した頃や京大を卒業して天王寺高校の教諭に就任した頃の気概は失ってしまっていたのではないか、という印象を受けた。
  山之内さんは「最低で京大、うまくいけば東大。さらにうまくいけば亜細亜大だあ」などと授業中に言ったりしていたのだが、最後の「亜細亜大」は別として、京大と東大の入試の関係は「うまくいけば東大」というようなものではない。 今となっては10年くらい前だか、ラジオで野球中継を聞いていた時、解説者に落合が出ていて、横浜ベイスターズの投手に途中から横山投手だったと思うのだが登板してきた時に落合が「ぼくはこういう投手は大好きですね。この投手は球種はストレートとフォークボールの2つしかないけれども、その2つが相当いい、という大魔神佐々木の小型みたいな投手ですね。こういう投手を打つには、ストレートとフォークボールのどっちか片方、普通はストレートの方なのですが、片方に絞って狙うことですね。そんなもの、プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙ったって打てるわけないんですから、どちらか片方に絞って、それで狙っていた方と違う方の球がきた時には、その時にはごめんなさい、ということにするしかないですよ。それでだめだと言われても、両方同時に狙ったって打てるわけないんですから。それがだめだと言われるのなら、俺みたいな人間を打たせる者が間違っているんだ、とそう考えるしかないです」と話していたのを聞き、京大と東大の入試問題の関係というのはそれと似ているのではないかと思ったのだ。配点と出題傾向が違うものをどちらが上とか下とか簡単に言えるものではない。特に北野高校のような京大志向の高校を卒業した者が東大に進学しようと考えたならば、東大の入試問題の特徴を考えてその対策をとる必要がある。決して京大の問題をウルトラ高得点とれば東大に合格するというものではない。そういう考え方をすれば東大には永遠に通らない、と思う。山之内さんは北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教諭のわりに、こういうことがわからんのか・・と思ったが、わからんあたり、「この人は堕落している」という印象を受けた。
   京大と阪大ならば「最低で阪大、うまくいけば京大」という考え方でもいけるかもしれないが、それは京大と阪大の問題は完全に一致するわけではないが、京大と東大とは違って、試験科目も配点も出題傾向も差が小さいので、それで「最低で阪大、うまくいけば京大」という考え方もありうる。もっとも「最低で・・」なんて軽々しく口にすると、その「最低で・・」に合格する保証があるわけではないので、あまり「最低で・・」とかいう表現は口にしない方がいいとは思うが。プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールはまったく違う球なので「両方同時にねらったって打てるわけない」から片方に絞って狙うしかないらしいのだが(「らしい」というのは私は元野球選手でも何でもないので落合がそう言うのならそうなのだろうという前提で話している)、京大の問題と東大の問題は相当違いがあるけれども共通する部分もあるので、共通する部分について相当高得点を取れるようになった人には「狙っていた方」と違う方を受けても合格できる人というのもいるかもしれない。しかし、それでも「どっちか片方に絞って」やった方がうまくいく、と思う。念のため、断っておくが、この場合、東大の問題・京大の問題というのは私が大学を受けた1970年代後半の問題のことで今は変わっている部分があるのであてはまらない部分もあるかとは思うが、「最低で京大、うまくいけば東大」という考え方は間違いで「どちらか片方に絞って」やった方がうまくいく、というのは今も変わらないのではないかと思う。この点で山之内さんは長年、予備校の講師をやってきたわりにわかってない、というのは、京大志向の北野高校から京大文学部に合格して行った人だから、京大と東大の問題の違いというものについて、長年予備校の講師をやっても、おのれの骨と肉のきしみで理解していないからわからない、ということだったのかもしれなかった。
  YMCA予備校の「主事」と名乗る事務職員の藤井は1979年に共通一次試験が実施される前の1978年までの東大の試験と1979年に共通一次試験が実施されてから1979年からの東大の試験は違いはない、と軽々しく言うのだったが、違いはあった。1978年までの東大の試験は東大が一次試験と二次試験を実施していて、一次試験は通るか落ちるかであって、一次試験に通れば一次試験の成績は二次試験には影響せず、合否は二次試験の点数だけで判定されたのに対して、1979年に共通一次試験が実施されてからは東大の試験は東大の一次試験がなくなり、共通一次試験の点数に 110/1000をかけた数字を110点満点として、それを東大の二次試験、文科一類・二類・三類ならば英語120点・国語120点・社会科2科目で120点・数学80点に共通一次試験の点数を110点満点にして合計で判定するというものになったのだが、共通一次試験実施後は共通一次試験の点数があまりにも低いと二次試験を受けさせてもらえないが、それまでの東大の一次試験とは違って、それまでの東大の一次試験は通りさえすればよかったのが共通一次試験の場合は1000点満点のものを110点満点に換算して二次試験の点数に加算して合否を決めるというものになった。 これはYMCA予備校の事務職員の藤井が無責任に言うような同じものではない。
  共通一次試験の部分が110点で二次試験の英語が120点・国語が120点・社会科が日本史と世界史を選択したとすると日本史60点・世界史60点で数学が80点とすると、共通一次試験の部分がほかの科目と同程度の比重がある。だから、共通一次試験は東大の一次試験が通ればいいというものであったのに対して共通一次試験はそうではない。しかし、1000点満点のものを110点に換算するとなると、100点の差をライバルにつけてもつけられても、110/1000をかけると11点、200点の差をつけてもつけられても22点。この11点、22点というのを小さいと考えるか大きいと考えるか。一次で失敗しても二次で挽回すればいいというのは二次の受験者層の学力レベルが低い場合の話で、二次の受験者層の学力レベルが低いとそう簡単に「二次で挽回する」ということはできない。
  ここで、どこに力を入れて、どこにはそれほど力を入れないようにするか、ということを考える必要がある。京大は共通一次試験実施後は法学部・経済学部・文学部・教育学部の場合は理科、工学部・理学部・農学部・医学部・薬学部の場合は社会科は共通一次試験の点数をかなりの割合で二次試験に算入するかわりにその科目は二次試験ではおこなわないとしたと思うが、東大の場合は文科一類・二類・三類は二次試験では理科はなく、理科一類・二類・三類では二次試験には社会科はないが、共通一次試験にはあった。そこで、東大の文科の場合だが、ひとつの選択として理科については「やらない」という選択もあったと思うのだ。やらないとどうなるかというと、共通一次試験はマークシート方式なので適当に塗っても0点にはならないが、仮に適当に塗ったとして、4択なら100点満点で25点程度、5択なら20点程度とれることになるのだが、浪人生の場合は高校卒業までにすでにある程度は学習してきているので、浪人して「やらない」としても、あくまでも「それ以上はやらない」ということで実質「まったくやらない」わけではない。 相当必死でやったら何点くらい取れるか、「やらない」とすればどのくらいの点数になるか、ということを考えて、どう2科目選択するかということもあるが、1科目100点満点で「相当必死でやった」場合に90点とれて、「やらない」と60点だとすると、その差は30点、2科目合わせて60点だが、これに110/1000(=11/100)をかけると6.6点となる。 「物理と化学」なのか「化学と生物」なのか、どう選択するとしても、「必死でやった」として「やらない」場合と比べて6.6点多くとれた・・として、その6.6点というのは「コストと利益を比較考量して考えて」あんまり大きな点数ではない、あんまりわりのいい話ではない。 ひとつの選択肢として、東大の文科を受けて通ろうと考えた場合、理科2科目は「やらない」として、理科二科目を「必死でやった」場合にその理科二科目にかける時間・労力を英語とか国語とかにまわせば、そちらの方が全体の得点アップにつながる、ということはないか・・というとありそうなのだ。
  そして、京大は共通一次試験の点数での「足きり」は一律400点だったと思うのだが、これは、この点数より下の人は二次試験でどんなに頑張って高得点とっても挽回は無理です、という点数だ。東大の場合は「足切り」の点数は京大よりも高い点数だったが、京大の場合はできる限り「足切り」はしないで受けたい人はだめでも受けるのは受けさせてあげようとするものであったのに対して、東大の場合は700点くらいだったか、実質的に東大を受ける人なら、共通一次でこれより低い点数の人は二次試験を受けても驚異的な点数をとって挽回するのは無理でしょうという実質的な点数で「足きり」をしていたと思うのだが、二次で合格できる可能性がある者がそれで「足きり」される可能性は低く、「足切り」される可能性は低いものの、共通一次試験の点数があまりにも低いと、合格者最高得点答案書いたやつに差をつけられても痛くもかゆくもないが、合格最低点付近の者に差をつけられると挽回するのが難しいことになる。共通一次試験の前の東大の一次試験の場合は「ともかく通ればいい」試験で何点で通ったかは関係ない試験だったが、なめてかかれる試験ではなくて、実は東大の一次試験というのはけっこう落ちる人があった試験だった。建築士の試験は1次が学科で学科試験に通った人が二次(製図)の試験を受けることができるが学科は「足切り」というわけではない。インテリアコーディネーターの試験は1次は学科で2次は製図と論文だが、1次は10人中3人通って7人落ちる試験で、2次は1次合格者のうち10人中7人通って3人落ちる試験だった。1次は「受けるのが間違っている」という人を落とす試験ではない。同様に東大の一次試験というのもけっこう落ちる人はあった試験で「受けるのが間違っている人を落とす試験」ではなくて「2次と違った形式で学力を問う試験」だったから、なめてかかると落ちる危険があった。 共通一次試験以前の東大の一次試験は「なめてかかると落ちる可能性がある試験」だが「通れば何点で通ったかは関係ない試験」であったのに対して、共通一次試験実施後の東大の試験における共通一次試験は「足切にあう可能性は低い試験」だが「何点で通ったかは二次試験に影響し、あまり低い点数だと挽回するのが大変という試験」でこの点で1979年の共通一次試験実施の前と後とで違いがあったのだ。
  大学入試はこういったことも考えてやるべきだと思うのだ。「な~にがなんでも全科目満点とったる」とかアホなことは考えない方がいい。そうではなくて、「ともかく通ればええんや」と考えるべきだ。勝負する相手は隣の席のやつではないし、合格者最高得点答案書いたやつでもない。東大の入試なんかだと、たとえば英語なんかでも、私だってそれなりに学習したはずなのだけれども、バケモノみたいな点数をとるやつというのがいるのだが・・・、私は2年も浪人してしまったおかげで「真理を得た」。バケモノと勝負する必要はない、と。バケモノが何点とろうが俺には何の関係もない。合格者最高得点答案書いたやつなんて、知ったこっちゃない。関係あるのは合格最低点のみ。合格最低点付近のやつに負けない点数をとることができれば合格であり、バケモノとか合格者最高得点答案書いたやつとかが何点とっても俺には何の関係もない。そもそも、「1番で通る」なんてことしても、入学式に「総代」で出れるかもしれないが、「総代」で出たいか? 俺なら「総代」で入学式になんて出たくない。「総代」で出るやつというのは、おめかしして壇上に上がらないといけない。「総代」になんかならなきゃ、どうでもいいような服を着てともかく出ておけばいいのだ。そう考えれば「総代」なんかならない方がよっぽどいい。 
   大学入試はこういうことを考えてやるもんだ。 わかってない受講生には予備校はアドバイスしてあげるべきだ。ところが、YMCA予備校の「主事」と称する事務職員はまったく理解できておらず、YMCA予備校の講師も京大の大学院生とか京都や大阪の大学の講師・助手とかのアルバイトの講師が多くて、アルバイトの講師は事務職員から指示された「答え合わせ」みたいな授業を時間内やっているだけだった。
  「生物」の講師は京大の理学部の大学院生だったが、夏休みに講談社のブルーバックスの本を1冊読んで、その内容をまとめて提出とか言い出したので、少ない受講者では「あれ、本当にやる~?」と言う者が多かった。その講師は講談社のブルーバックスの本を読むことで自然科学分野に関心を持ってもらおうということで言いだしたようだったが、浪人までした京大・阪大・東大の文科の学部に進学することを考えている人間がやることではない。 ↑ に述べた、もしも、東大の文科に行くことを考えている浪人生ならば、理科2科目については「やらない」というのもひとつの選択・・とか、こういうことを考えるのが予備校の指導者ではないのか、宅地建物取引主任者(現在は宅地建物取引士)の試験に私は2回目の受験で1992年に通ったのだが、1回目に落ちたくらいの頃、東京リーガルマインドが無料でくれたカセットテープで講師が宅地建物取引主任者の試験というのは、例年、合格最低点は50点満点で30点から35点の間で、7割正解すれば合格できるという試験で、多く出題される分野は「権利の変動」(民法)と「法令上の制限」(法律としては都市計画法・建築基準法など)と「宅地建物取引業法」の3分野で、この3分野の出題だけで7割超えますから、この3分野だけ徹底してやれば他の分野は捨てても合格できる、という計算になります・・といった話を聞き、その3分野に力を入れてやって2回目の受験で合格したのだが、大学入試においても、こういったことを予備校ならば受講生に話していいはずであり、それができない予備校は予備校としては値打ちがないことになる。YMCA予備校はそれができない予備校だった。
  うちの母親にこういう話をすると、「それでも『野口くん』は通ったでしょうが」と言うのだった。「野口くん」というのは同じ中学校から同じ北野高校に行って同じYMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスK1クラスに行ったやつで、「こいつ、嫌なやつやな」というやつだったのだが、うちの親は私が嫌いで私が「こいつ、嫌なやつやな」と思うその「野口くん」が大好きだったのだ・・・が、元々、大学入試というのは、これは柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で述べていたことでもあるが、こうやれば合格しやすいというものをすべて実行できなければ絶対合格しないというものでもなく、こういうことはしない方がいいというものをひとつでもやれば必ず落ちるというものでもないのであり、私なんかは正直に思ったことを口にする方だったのに対して「野口くん」はなんかうまいこと切り抜けるようなやつだったということもあるが、もともと、こうやるべきだというようにやらなかったものが少しあっても、こうはやらない方がいいというものを少しやったとしても、それで落ちると決まっているわけではないので、通った者がいても、それは特におかしなことでもない・・が、ここで私が述べたことは間違っていないと認識している。 予備校というのは、こういったことを考えて指導するのが予備校であるはずで、「京大東大文系クラス」とか名前をつけたクラスを用意することで高校卒業時の学力が高い受講生を集めた上で1年後に高校卒業時に受けた所より下の所を受けさせて合格させて「YMCA予備校から合格」とやってやろうというような予備校は良心的ではない、と言ったとして何ら間違っていない。
東京大学機械的合格法 アップグレード版: 難関大学を突破する超合理的勉強術 - 柴田 孝之
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  この問題はもっと詳細に述べた方がいいのかもしれないが、今回は新井薬師参拝の帰り、「全ての受験生を応援する」と嘉悦大学がシールを貼っていたので私も応援しようとしてのものなので、[10]はこのくらいにする。
  

[11] 予備校職員に警戒せよ。高校教諭に警戒せよ。
(ア)予備校職員に警戒せよ。

  世の中には「先生」と名乗る者をアブノーマルに信用する人間というのがいる。それを理解して、本来は「先生」でもないのに「先生」を名乗ろうとする者・「先生」と呼ばれようとする者という者もいる。又、どっちが「上司」なのか、「会社っちゅう所では上役には絶対服従」とかうちの父親は言いまくっていたのだが、そういう意識の人がいることで、「上司」でもないのに「上司」になろうとする者というのがいる。又、よくわからん肩書を捏造して「ひとに言うことをきかせる」ということをしようとする者というのがいる。
1970年代終わり、大阪府高槻市のYMCA予備校高槻校 の事務職員の藤井という男がまさにその典型だった。
  まず、学校という所においては「先生」というのは何かを教える仕事をしている人が「先生」なのだ。ところが、YMCA予備校の場合、事務職員の男性が「先生」と呼ばれたがったのだ。私は最初、「先生」と言ってあげれば喜ぶのならそう呼んであげればいいと思って呼んだのだが、そうすると「先生」でもない者がつけあがってしまってどうしようもなかった。
  高校の場合、高校教諭になるには大学で教員養成課程を履修して高校教諭の資格を取得すれが高校教諭という資格を取得することができ、その上で高校教諭として勤務したいという希望を出して採用されれば「高校の先生」になる。 この場合だが、高校の教諭という国家資格を取得するのは、言っちゃなんだが「あんな高校の出身のやつが先生になんのお~お」「あんな大学しか行ってないやつが高校の先生になんのお~お」という人でも制度上、なれるし、なっている人がいる。それに対して、東大でても京大でても高校教諭の国家資格を取得しなければ高校教諭にはなれない。戦前は「大学」というものと「大学卒」の人が少なかったので、教諭の国家資格というものはあったらしいが、ともかく大学卒なら学校の先生にはなれたらしいが、今はなれない。「大学の先生」の場合は「高校の先生」とは異なり、桂文珍だって《 1988年より関西大学の文学部非常勤講師を務め(2003年まで)》(ウィキペディアー桂文珍https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%96%87%E7%8F%8D )ているし、らーめん評論家 有栖涼だって「大学の先生」やっているし、「高卒の安藤忠雄」だって東大の特別栄誉教諭とかいうものになっているが、「高校の先生」はだめだ。 しかし、たとえば、司法試験の受験スクールの講師やる人というのは、たいてい司法試験に合格して弁護士の登録している人で伊藤塾の塾長だって東大法学部卒で司法試験合格しており、五流大学の法学部でただけという人が司法試験受験スクールの講師なんてものはしない。 大学生に高校生の家庭教師を頼む場合は、普通は旧帝大系国立大学とかの大学生に頼むもので底辺の大学の大学生には頼まないのだが、ところが「高校の先生」は東大でようが京大でようが教員養成課程を履修して高校教諭の資格試験に合格しないと「高校の先生」にはなれず、それに対して「あんな高校の卒業生が」というような高校卒で「あんな大学しか出てない人が」というような大学卒でもその大学で教員養成課程を履修して高校教諭の国家資格を取得すれば「高校の先生」にはなることができる。そういう人は「人を出身大学で差別してはならない」とか言いまくってヒューマニストぶりっこするが、要するに底辺の大学しか出てないくせに「高校の先生」になった自分を旧帝大系国立大学とか出た人間と同じに扱えという主張だ。
  予備校の講師の場合は「高校教諭」の国家資格を保有していなくてもなることはできる。柴田孝之は河合塾の講師をやりたいと思ったが河合塾は授業の進め方について講師の自由度が小さいらしいと知ってやめたと書いていたと思うのだが、そういう予備校の講師をやりたいという人も世の中にいないわけではないが、普通は「高校の教諭」と「予備校の講師」なら「高校の教諭」の方がになりたい人が多いのではないかと思うが、「高校の教諭」は「一流大学」卒でも教員の国家資格を持っていなければならず、五流大学卒でも教員の資格を取得しておればなれるのに対して、「予備校の講師」は教員の国家資格を持っていなくてもなってかまわないはずなので、旧帝大系国立大学とかを卒業したが大学卒業までに教員の国家資格を取得せず、就職に失敗したというような人につくチャンスがある仕事でもある。
  YMCA予備校の場合、講師は専任講師が何人かいたようだが、アルバイトの講師が多く、「生物」の講師は京大の大学院の院生で、「現代国語」の講師は京都の女子大の教授だったそうで、ほかの人もどこと言わない人でもそういう人が多く、YMCA予備校の事務職員から「業務命令」された内容の答え合わせみたいな授業をしていた。学校という所には教職員と事務職員がおり、本来は役割を分担しているのであってどちらが上とか下とかいうことはないのだけれども、病院という所では医師の立場が強いのと同様に学校という所では教職員の方がどうしても主となっている場合が多いのではないかと思われるが、それは高校とか大学とかの場合で、YMCA予備校の場合は事務職員の命令に従ってアルバイトの講師が答え合わせみたいな授業をしていたのだった。言っちゃなんだが亜拓大東帝国あたりしか出てないような事務職員に命令されて時間内、そこで事務職員から命じられた通りのことやってる京大の大学院生とかの授業なんて、たいして価値はない。
  YMCA予備校の事務職員は自分たちを権威づけるために様々な工夫をしていた。
  日本の会社には、「従業員全員が部長か課長」なんて会社があるが、YMCA予備校では男性事務職員を全員を「主事」と呼んで権威づけしていた。 YMCA予備校では「主事」というのは男性事務職員の中で経験を積んだ人に付与する職名ではなく男性事務職員は全員が「主事」だった。そういうあほくさい名称だった。2000年前後、栃木県佐野市で住んでいた時、付近の読売新聞と日経新聞を扱っていた新聞販売店では「従業員全員が店長」だったらしいし、そういう会社はけっこうある。(株)一条工務店は名刺を作成するのに営業所にある用紙に本人が記入した通りに総務で印刷屋に発注して営業所に送ってくるので、新卒入社したばかりの新人が主任でもないのに「主任」と名刺に入れてお客さんに渡していたと聞いたことがある。 YMCA予備校於では、関関同立か甲南大あたり卒か? て感じの新卒入社したばかりというにーちゃんに「主事」と名乗らせて権威づけするのだが、なんか、あほくさいことしよるのお、と「社会の醜さ」を高校でてすぐに見ることになった。当然のことながら、甲南か京産か卒業したばかりという感じのにーちゃんに京大東大文系クラスの対応なんかできるわけがない。
  YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスのその「主事」の藤井(男。1970年代末当時、40代後半か50くらい? )は「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低3度は言わないとおれないシンドロームの男だった。私は一度目に聞いた時は自己紹介として言ったものと思ったが、そのうち、その「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」という「もう、それは聞いたよ」ということをあまりにも何度も何度も言うし、藤井という男の言うことの内容が程度が低いので「早稲田大学というのはくだらない大学なんだなあ~」と思うようになった・・が、自分自身が東京圏に住んで早稲田大学の学生と接する機会があったり本当に早稲田大学卒の人と会ったりする機会を経験してみると、あの藤井の「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」というのは、あれは早稲田大学という大学がいい大学かしょーもない大学かという問題ではなく、藤井が学歴詐称なんだ、と認識するようになった。あんな早稲田ないって( 一一)  そもそも、早稲田大学でも「早稲田の政経」というのは学歴詐称の定番だ。 建築業界限定では「早稲田の建築」というのが学歴詐称の定番だが、「早稲田の政経」てのは学歴詐称でよく登場する大学学部だ。 なんでも、北野高校の英語の教諭だった田中博先生は「京都大学文学部英文科卒」と言われていたが、お父さんが京大卒の男が京大の卒業生名簿を調べてみたところ、京大の卒業生名簿には「田中博」という名前はなかったそうだが、別に興信所とかに頼んで藤井の経歴を調べたわけでもないが、まあ、あんな早稲田ないって。何なら、貧乏人のことゆえあまり高いものは無理だが、牛丼なりかつ丼なり天津丼なりなら賭けてもいい。あんな早稲田は、ない! もしも、本当に早稲田大卒であったとしても、だいたい、早稲田大学というのは私立なので、旧帝大系国立大学なんかとは違って、内部進学もあればスポーツ入学もあるし裏口入学だっていくらかはあるだろうしするから、変な人だっていておかしくないが、まあ、あんな早稲田ないわ。 万一あったとしても、「ぼくは早稲田の政経でてえるんだけどな」と「もう、それは聞いたよ」という文句を一日最低三度は言わなきゃおれない症候群の学歴詐称であるか「あんな早稲田ないわ」という早稲田大卒か、どっちかという問題であって、どっちであっても、つまんない野郎であることに違いはないのだ。
  藤井は「ぼくはクリスチャンだから」というのも言いまくるのだったが、この文句を言うと、うちの母親みたいな人間は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人ではない」としょーもない信頼をするのだ。そして、藤井は言いまくるのだ。「『聖書』みたいなもん、あんなもん、何ひとつとしていいことなんか書いてないんだから。あんなもん、絶対に読んではいかん。『聖書』みたいなもん、読まんでも洗礼うけて献金はらっておけば、それでええんや。『聖書』みたいなもん、絶対に読んではいかん。『聖書』なんてあんなもん、ろくなこと書いてないんだから、あんなもん。絶対に読んではいかん。特に若いころに読んではいかん。たとえ、読むにしても歳いってから読んで「はあん、そんなもんか」と思えばいいことであって、若い頃に読んでは絶対にいかん。洗礼うけて日曜ごとに教会に行って献金はらっておけば、それでええんや」と毎日のように””伝道””しまくっていた。藤井にとっては洗礼と礼拝と献金は””「敬虔なクリスチャン」の免罪符3種の神器””だった。YMCA予備校の「主事」と称する藤井は「『聖書』なんて絶対に読んではいかん」と日々””伝道””するそういうタイプの「敬虔なクリスチャン」だった。
  YMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」はそういう名称をつけて受講生を集めておきながら、特に東大の入試問題に対しての対策はまったくおこなわなかった。「看板に偽りあり」だった。「古文」の講師の山之内のおっさんは「予備校はどこに行ったかは関係ないの」などと授業中に言っていたが、予備校の中では高めの学費の予備校のYMCA予備校の講師にそういう口をきかれたのでは「カネ返せ」と言いたくなるものだったが、「あれだけ、出すのにどれだけ、きついかきついかきついか~あ♪」と言ってやりたかった。〔⇒YouTube-ヤーレンソーラン北海道 https://www.youtube.com/watch?v=uVxPg9Q6rHU 〕
  YMCA予備校高槻校の藤井が言うことは嘘だらけだった。嘘を言うことで受講生を混乱させたかったのか。 たとえば、「和歌山県立医大は和歌山県出身でない者が受けても通らないから受けてはいかん」とYMCA予備校の藤井は言うのだった、「そうですかあ?」と私は言ったのだが、それだけでも藤井は「上司に逆らう人間だ」と私を認定するのだった。いつから、藤井は私の「上司」になったんだ。YMCA予備校にカネ払っているのは受講生の側であって、受講生はYMCA予備校からも藤井からも1円としてもらってないはずだ。
  私が「そうですかあ?」と言ったのは、大阪府の府立高校である北野高校の卒業生で和歌山県立医大に合格した人もあれば合格して行った人もあったからだ。藤井は「奈良県立医大は他県出身者でも合格できるけれども、和歌山県立医大は他府県出身者は絶対に通らないから受けてはいかん」と言うのだったが、そんなこと言っても大阪府立の高校である北野高校の出身者で和歌山県立医大に合格した人も合格して行った人も直近でも複数人あったのだ。結論として、藤井は和歌山県立医大と奈良県立医大を間違えていた、と思われる。その後、私は駿台予備校の人から聞いたのだが、駿台予備校の人が言うには、奈良県立医大は「受けた人」では県内受験者と県外からの受験者との割合が1:2だが、合格者では県内受験者と県外受験者の割合が2:1と逆になっていて、どう考えても県内の高校卒の人が合格しやすいように合格最低点を県内受験者と県外主権者とで変えているとしか思えない、ということだった。実際問題として県立医大というのはその県で医者をやる人を養成するための学校だから奈良県と大阪府・奈良県と和歌山県・奈良県と京都府・奈良県と三重県の境目付近の人間とかならまだしも、全然関係のない遠方の人間に合格されて卒業後は相当遠くの県で医者をやられたのでは県としては何の為に費用をかけて県立医大を設けたのかわからないことになるわけで、他県の受験生としては八百長やないかと思うかもしれないが、県の事情というものもあるだろう。和歌山県立医大の場合は他府県の高校出身者でも大丈夫です、というとだった。YMCA予備校の藤井は自分が間違えて理解しておきながら、そのデタラメ・デマカセ・無茶苦茶を得意がって言いまくって、「そうですかあ?」と言っただけで「きみは上司に逆らう人間だから会社という所に勤めたら絶対にうまくいかないから経済学部には絶対に行ってはいけない」と「進路指導」するのだった。 なんでも、野村克也が書いていたが、野村克也が南海ホークスの捕手だった時に、ピンチで打たれて失点してベンチに変えると監督の鶴岡から「何を投げさせたんや?」ときかれて「ストレートです」と言うと、「あの場面でストレートを投げさせる者があるか。バカタレ!」と怒られたという。次に似た場面で、こういう場面ではストレートを投げさせてはならないんだと鶴岡監督の指導を参考にしてカーブを投げさせたらそれを打たれて失点した。ベンチに変えると「何を投げさせたんや」と監督の鶴岡から言われ、「カーブです」と言うと「あの場面でカーブを投げさせるバカがあるか。バカタレ」と怒られた。ここできかないと悔いが残ると思い、勇気を出して質問した。「監督、ああいう場面では何を投げさせるべきなのでしょうか」と。そうすると鶴岡は「勉強せえ。バカタレ」とそう言ったというのだ。結局、打たれたら「バカタレ」と言われるということだった。時は流れ、ヤクルトスワローズの監督に野村克也が就任し、社会人野球のトヨタ自動車から捕手の古田が入団した。大事な場面で打たれて負けた後、古田は野村から「あの場面でストレートを投げさせるバカがあるか。あの場面はスライダーだろうが」と言われたが、打たれた球はスライダーだった。古田はトヨタ自動車で言われたことを思い出した。トヨタ自動車で「決してイエスマンになるな。イエスマンばかりの組織は必ず衰退する」とそう教えられた。それを思い出した古田は「監督。打たれた球はスライダーでした」と、そう話した・・ところ、野村はさらに激怒して「おまえはなんだあ」と言ったというのだ。何なのだろう・・と思ったところ、野村は「おまえは俺の部下だろうがあ。部下は何でも『はい』と言っておけばいいんだあ」とそう言われた・・というのだ。それ以来、古田は「何でも『はい』と言う」ようにして生き延びた・・とYouTubeで古田が話していた・・が、YMCA予備校の受講生というのはYMCA予備校の事務職員の「部下」ではないのだ。会社に勤めていた場合、「上司」が無茶苦茶なことを指示したとしても、その結果、無茶苦茶な結果が出たとしても、その結果は会社がこうむるのであって従業員がこうむるのではないはずなのだ。会社によっては経営者が無茶苦茶やった結果を従業員に押しつける会社もあるが、基本的には会社が責任をとることになる理屈だ。それに対して、予備校では事務職員が「上司」だと称して受講生に無茶苦茶言ってそれに従えとして、その結果、誰がその無茶苦茶の結果を受けるのかというとYMCA予備校でもなく「主事」と称する事務職員でもなく受講生なのだ。
  ほかには、「過去にいた女子生徒なんだけれども、模擬試験の成績はものすごくいいのだけれども、文学的素養がなくて人間性が良くない人間だったので、それで京大の文学部を受けたけれども、2浪までしても落ちて、結局、宮崎医大に行ったんだ。模擬試験でどんなにいい成績をとっていても文学的素養がない人間は京大の文学部は落ちるんだ。大学入試は人間性が悪いやつは落ちるようになっているんだ」などと言うので、私は「それは、YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとっていたけれども京大の文学部の試験には落ちたということは、YMCA予備校の模擬試験は京大の文学部の本番の試験とそこまでの相関性はなかった、ということではないのですか」と言ったのだが、すると藤井は「いや、YMCA予備校の模擬試験は京大の文学部の本番の試験と絶対の相関性がある。YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとっていたら京大の試験には絶対に通る。YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとれなかったら京大の試験には絶対に落ちる」と言うので、「もしも、YMCA予備校の模擬試験と京大の試験との間に絶対の相関関係があるのなら、その女子生徒は京大の文学部の試験に通ったでしょう。落ちたということは、YMCA予備校の模擬試験と京大の試験との間の相関関係がないということではないとしても、YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとれば絶対に通って、いい成績をとれなかったら絶対に落ちるというような、そこまでの相関関係はない、ということでしょう」と言うと、藤井は「いや。そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとった者は絶対に通る、YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとれなかった者は絶対に落ちる」と言ってきかないのだった。そして、「YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとっていたのに京大の文学部の試験で落ちたというのは、文学的素養がない人間だったからだ」と藤井は言うので、「文学的素養がなくても京大の文学部に通ることはあるでしょう。京大の試験というのは文学部の問題も法学部の問題も経済学部の問題も教育学部の問題も同じ問題なのだから、法学部や経済学部なら文学的素養がなくても通るけれども文学部は落ちるなんてことはないでしょう」と私が言うと、「いや。法学部や経済学部は文学的素養がなくても通るけれども文学部は文学的素養がない人間は落ちるんだ」と言ってきかないのだ。 京大の文学部というのは英文科・独文科・仏文科・国文科もあるが、文学以外の学科もあるわけで、文学的素養がない人でも文学以外の学科に行けばいいだろうし、合否に文学的素養は関係ないはずだし、又、北野高校で同じ学年だった人間で京大の文学部に通って行った人間を見ると、誰もが「文学的素養」があったとは考えにくい。 京大の数学科の教授だった森 毅が『数学受験術指南』『元気が出る教育の話』(いずれも中公新書)のどっちかだったと思うが、京大の場合、全科目総合点で合否を判定する試験なので、過去に1科目0点で合格した人というのもおり、又、文学部なのに数学ができる受験生もいて、文学部で数学ができてもしかたがないじゃないかと言う人がいるが、文学部なんてものはちょっと変わったやつの方が向いている学部だから文学部なのに数学ができるというやつは大いに合格にするべきだという考え方もある、と述べていたが、本当に模擬試験でいい成績を取っているのなら、文学的素養がないから「国語」の成績がよくなかったとしても他の科目で高得点を取れば文学部でも合格できるはずであり、「文学的素養がないから落ちたんだ」という藤井の主張はおかしい。 そもそも、「文学的素養」て何なんだ? という問題もある。「詩人」として評価される人には「詩人」として評価されるから「詩人」「文学者」であって、評価されなかったら「ただのプータロー」という人もいるわけだが、「ただのプータロー」になれば「文学的素養がある」とされるのだろうか。要するに、YMCA予備校の藤井という男は自分が気に入らない人間は誰でも「文学的素養がない」「人間性に問題がある」と「診断」する男だった。そういう「診断」をする藤井こそ「人間性に問題がある」のではないのか、「文学的素養がない」人間ではないのか。
   この話を私が浪人中にうちの母親にした時、うちの母親は「藤井さんはクリスチャンだからあの人は絶対に悪い人ではない」と言ってきかなかったのだが、それから何十年か経ち、母が90代になった時に同じ話をするとマインドコントロールが解けたのか、「かわいそうに。なんで、そんなこと言わないといけないの」と言うように変わった。私もそう思う。その人が実際にどういう人間性の人であるかにかかわらず、文学的素養があるのかないのかに関わらず「なんで、そんなこと言わないといけないの」と思う。 私はその女子生徒と会ったことはないので、どういう人なのか知らないが、たとえ、本当に藤井が言うような「文学的素養がない」人で「人間性に問題がある」人であったとしても、それでもYMCA予備校にお金を払って来てくれた「お客さん」じゃないか。その人などが払ってくれた受講料から藤井は給料もらっているのじゃないかそれも、当人に言うのならまだしも、当人はもうYMCA予備校は終了して宮崎医大の学生になっていてそこにいないのに、翌年以降の受講生に何度も何度も、教室で全体に対しても、1対1で個人に対しても「これでもかあ」というくらいに執拗に「文学的素養がないやつだから落ちたんだ」「人間性に問題があるやつは大学受験は失敗するんだ」と何度も何度も言いまくる・・という藤井の方こそ「人間性に問題がある」のではないのか、「文学的素養がない」のではないのか、と思われた。そういう人をキリスト教では「敬虔なクリスチャン」と言うみたいだ。
  私は藤井に「大学の試験に通るかどうかは人間性や文学的素養は関係ないでしょ。もしも、面接が試験にある大学学部ならば、『人間性』で落とされるということもあるかもしれませんが、京大の場合は学科試験のみで合否を決めていますから人間性は関係ないでしょ。どんなに人間性が優れた人でも合格最低点を上回る点数を取れなければ不合格、人間性がなってない人でも合格最低点を上回れば合格でしょう」と言ったのだが、そう言われると藤井はむかつくらしく、「きみも文学的素養がないから文学部は受けても落ちるから文学部は絶対に受けてはいかん」と言い、さらに「きみも人間性に問題があるから大学受験は失敗する」と、そう呪いの言葉を私に浴びせたのだった。毛沢東は「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない。なぜなら、敵によって称賛されるなら、それは我々の行動が敵と同様に腐敗していることを意味し、敵からありとあらゆる悪口雑言をあびせられるなら、それは我々の行動が敵とは一線を画していることを意味するからである。だから、敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない」と述べているのだが、藤井によってありとあらゆる悪口雑言を浴びせられるなら、むしろ、それは大変けっこうだと考えるべきだ・・と理解するべきかもしれない。
   
その藤井が称賛していたのが私と小学校・中学校・高校と同じ高校に行っていた「野口くん」てやつだったのだ。その「野口くん」てやつは、小学生の時からこういう類の人間に好かれる男だった。要するに「敵によって称賛される」タイプの男だった。最近、インターネット上で「小学校の時に学級委員やってた人間にろくな人間いない説」というものがあると出ていたのだが「野口くん」なんかはそれにあてはまるかもしれない。藤井からありとあらゆる悪口雑言を浴びせられるなら、それは大変けっこうだと考えるべきかもしれないが、そういう予備校に通う場合には「野口くん」タイプの方が藤井のような人間とはつきあいやすいようで、「野口くん」の場合は私のように藤井などとつきあうことに苦痛を感じなかったようだった。
  (1)「野口くん」は藤井みたいな人間とつきあいやすい人間だった〔けっこう、「野口くん」は藤井と似たところもあったように思う〕、ということがあり、
(2)合格のためにはこうするべきだというものをひとつでもやらなかったら落ちるというものではないし、合格のためにこういうことはしない方がいいということをひとつでもやってしまったら必ず落ちるというものでもない、ということがあるが、
(3)もうひとつ、「野口くん」が1浪で合格したのは京大の法学部であり、東大ではなかった。どう違うかというと、学習塾講師のコバショー(小林しょう)なる男がYouTube で「自分で学習できるものと、人から指導してもらわないとできるようにならない問題がある」と話していたが、「人から指導してもらわないとできるように””ならない””」とまでいかないとしても、独学で学べるものと、指導してもらった方が習得しやすいもの・独学で学ぶのは少々きついというのがあると思うのだ。私が受けた資格試験では、宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)の試験は私は独学で通った。インテリアこでぃネーターの1次試験(学科試験)・キッチンスペシャリストの学科試験も独学で通った。しかし、インテリアコーディネーター試験の2次試験(製図と論文)とキッチンスペシャリストの製図試験はハウジングエージェンシーの講座に通ってこういう練習をしてくださいと言われたことを言われたようにやったことで合格できた。サーティファいのワード3級・2級とエクセル3級も独学で通ったが、CADは独学だとなかなか進まず、Winスクールの建築CAD検定対策講座に出て指導してもらって3級と2級に合格できた。その試験問題によって独学でも十分学べるものと独学では厳しいものとがあるように思うのだ。私の経験からいって、京大・阪大の問題は自分で学習できる問題だったと思うのだが、東大の問題の場合、特に社会科(日本史と世界史を私は選択したが人によっては政治経済を選択する人もある)の「・・について700字以内で述べよ」とかいった問題はどう学習していいかわからず、そういった問題に対しての問題集とかも出版されていなかったのだ。だから、私は「京大東大文系クラス」という名前の所ならそういう対策をやってくれるのだろうと期待して行ったら、藤井が「社会科は教科書を読めばできます」などと勝手なことを言ったが私は日本史・世界史の教科書なんか何回も何回も読んだしそれ以上のことをやってきたが、それでも東大の二次試験の「社会科」(日本史・世界史)の問題はうまく書けずに困っていたのだ。「教科書を読めばできます」などと「東大を受けたこともない藤井」はあつかましくもデタラメ・デマカセ言うのだが私は教科書は何回も何回も読んだできずに困っていたのだ。さらに藤井は「社会科は授業は日本史か世界史のどちらか片方だけです」として、その「世界史」の授業も東大の「世界史」の問題を書けるようにするための授業ではなかったのだ。又、東大の場合、文科は「理科」2科目についてどれだけやるべきか、やらないですますかといった「作戦」も関係するが京大の問題はそれほど「作戦」は関係なかったと思われる。「野口くん」が「通った」といっても東大ではなく京大だ。YMCA予備校高槻校は「京大東大文系クラス」という名前をつけておきながら、京大ならまだ対応できるかもしれないが東大はここではきつい・・というような授業をやっていたのだ。YMCA予備校高槻校が「京大東大文系クラス」ではなく「京大阪大文系クラス」という名前をつけていたのなら、まだしも「そんなによくはない」程度だったが「京大東大文系クラス」と名前をつけていたのだから、これでは「看板に偽りあり」だったのであり、京大の問題は特に指導してもらわなくても自分で学べる問題だったから「野口くん」は通ったと思われる。だから、「野口くん」が京大の法学部に通ったとしてもそれは関係ないことだ。 そういえば、あの男は小学生の時から嫌な男だったなあ・・と小学生の時のことを思い出した。

  藤井が「前にいた女子生徒で文学的素養がない生徒がいて、模擬試験では相当いい成績をとっていたのだけれども文学的素養がないものだから2浪しても京大の文学部に落ちて二期校の宮崎医大に行ったんだ。文学的素養がないやつは京大の文学部は模擬試験でどんなにいい成績をとっていても落ちるんだ。人間性が悪いやつは大学受験は失敗するようにできているんだ」と何度も何度も「これでもかあ」というくらいに執拗に言いまくるのだったが、それを聞いて「そんな文学的素養がない人間性に問題があるやつがいたのか。俺は人間性がいいから問題はない」とか思う人間もいたみたいだった・・が、私はそうは思わなかった。そうではなく、「もしかして、この藤井という男は、来年・再来年は俺のことをこんな感じで言いまくるということなのか?」とそう思った。  ビゼーのオペラ『カルメン』はメリメの小説『カルメン』を基にして作られたと言われているが、メリメの小説『カルメン』とビゼーのオペラ『カルメン』は話の内容が全然違う。メリメの小説『カルメン』を読むとビゼーのオペラ『カルメン』の話の内容がどんなけ薄っぺらいあほくさい話かと思えてくる。 オペラ『カルメン』の主要登場人物はホセ(男性)とカルメン(女性)と闘牛士エスカミリオ(男性)の3人、小説『カルメン』ではホセとカルメンは共通するがエス
カミリオという名前の人間は最後まで登場せず、端役として闘牛士ルーカスというのが最後の最後にちょろっと登場する。 小説『カルメン』ではジプシーというのかロマというのかの女性のカルメンは犯罪者で、カルメンが財産のある男をたらしこみ、財産のありかや運ぶ経路を聞き出した上で、強盗団の男どもに「つなぎ」の者を通じて知らせ、その財産家の男を襲って殺して財産を奪うという、そういうことをやって生活していた集団の主要人物の女だった。ホセはカルメンが逮捕された時に送致する際に担当して、そして、カルメンから頼まれてカルメンを逃がしてしまった。ホセは降格され、カルメンはホセに礼をしたが、ホセはこの時、カルメンを追いかけるべきではなかった・・が追いかけてしまった。ホセはカルメンと仲良くなっって強盗団の仲間になるが、カルメンの夫が出所して来ると聞き、カルメンに夫があると知って驚く。カルメンはイギリス人の資産家を襲う際に、そのイギリス人はけっこう腕が建つのでカルメンの夫に先にひとりで襲わせてそこで命を落とさせるようにしようとホセにささやき、ホセは「この女は悪魔だ」と思うようになるが、カルメンを失いたくないホセは、そのイギリス人の資産家を襲撃する際に、カルメンの夫の男より先にホセが一人で襲って倒し、その後、カルメンの夫の男に1対1で勝負をいどんで倒し、正式にカルメンの夫になるが、正式に夫になったホセに対してカルメンは「以前ほど魅力を感じなくなった」。そこに登場したのが闘牛士のルーカスで、カルメンにとっては「どうでもいい男」だったが、ホセに以前ほど魅力を感じなくなったカルメンはそのルーカスにちょっかいを出す。元軍人のホセは闘牛士のルーカスを殺すことだってできたが、前々から強盗団をやっていたカルメンとは違うホセは「なんだってあいつを殺さなければならないんだ」と言い、カルメンに「どうか、人を殺して財産を奪う生活はやめて、ここ(スペイン)におれば顔が知れてしまっているから新大陸(アメリカ)に渡って一緒に正業についてやっていこう」と提案するが、カルメンは「あんたは無理な相談をしているよ」とそういう生活は自分にはできないと断る。オペラ『カルメン』ではホセは自分から心が離れてエスカミリオが好きになったカルメンに自分に気持ちを戻してくれと懇願し哀願し、カルメンがそれを断ってホセが送った婚約指輪をホセに投げつけ、怒ったホセがカルメンを激情にかられて殺すことになっているが、小説『カルメン』ではそうではなく、闘牛士ルーカスは端役でしかなく、ホセがどうこうする前に牛に踏み倒されて重傷を負う。ホセがカルメンに懇願し哀願したのはエスカミリオに移ったカルメンの気持ちを自分に戻してくれということではなく、財産のある者を殺して財産を奪うという生活をやめてくれ、自分と一緒に新大陸(アメリカ)に移住して自分たちの顔が知られていない世界で正業についていこうと懇願し哀願したのであり、もしもそうしないで今後も人を殺して財産を奪う生活をするのなら俺がお前を殺すとホセはカルメンに言い、カルメンは「こうなるだろうと思っていた」「やっぱり鳩とカラスは一緒に暮らせないんだ」と言い、さあ、殺しておくれとホセからもらった指輪をホセに投げつける。ホセは絶望とともにカルメンを刺し殺し、カルメンの遺体を土に埋めた上で近くに住む修道者に「かわいそうな女が死にました。どうか、その女のために祈ってください」とお願いした上で、みずから縛り首になるために出頭する。留置されている所で、この小説の語り手と出会い、ホセの出身地にホセの母親が住んでいるので「もしも、その近くに行かれることがあれば、あなたの息子は死にましたとどうかお伝えください」と述べる・・という話であって、オペラ『カルメン』のような男をたらしこむのが得意のはすっぱな女 カルメンにほれこんだホセが、カルメンがほかの男 闘牛士エスカミリオの方がええわあ・・と言いだしたのに怒って、エスカミリオへの気持ちを自分に戻してくれと懇願し哀願するがカルメンが断ってホセからもらった指輪をホセに投げつけたことに怒ってカルメンを刺し殺した・・なんて、なんか、10代くらいのにーちゃんがやるならまだしも、オペラの場合はおっさんとおばさんが演じるから余計にこっけい、というそんな話とは小説『カルメン』は違うのだ。それで、話がほかの方に行ってしまったが、オペラ『カルメン』では闘牛士エス上リオが歌うアリア「闘牛士の歌」というのがあって、私なんかも中学生くらいの頃はその「闘牛士の歌」というのがかっこいいと思ったのだが、歳をいくとともにだんだんとかっこいいと思わなくなった。オペラの方の『カルメン』の話だと、ホセはちっぽけな男だからカルメンから見捨てられたが、エスカミリオは自分は優秀でかっこいいからカルメンから好かれるのだ・・みたいに思って得意がっている、ということなのだが・・、ある程度、人生を生きてくると、「そのうち、おまえもホセになるぞ」という気がしてくるのだ。そのみじめなホセの姿は何か月か後のおまえの姿だぞ、と。 それをわからずに得意がって「闘牛士の歌」なんて歌ってるエスカミリオてやつ・・て、一番アホちゃうか・・・。そういうエス上リオみたいなやつ、というのを私は「エスカミリオ症候群」と呼んでいる。こういうやつを「治療」しようとしても、そう簡単ではない。
   YMCA予備校の事務職員の藤井が過去に在籍した女子生徒が「文学的素養がないから京大の文学部は落ちたんだ」だの「人間性に問題があるやつだから受験は失敗するんだ」とかなんだのかんだのと悪口雑言を浴びせまくるのを聞いて、私は「もしかして、この藤井という男は来年、再来年は俺のことをこんな感じで予備校の受講生に言いまくるのだろうか」と思ったのだが、ところが誰もがそう思ったわけではなく、「なるほど、文学的素養がない人間は京大の文学部は模擬試験でどんなにいい成績をとっていても落ちるのか。人間性が悪いやつは大学受験は失敗するのか。俺は人間性は悪くないから大学受験は失敗しないだろう」とか思うやつがいたみたいなのだ。そういう「エスカミリオみたいなやつ」がいたのだ。愚かな・・と思うが、そういうやつは一定数以上間違いなくいるものだ。北野高校の1学年下で同じクラブに入っていた男でYMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスに私が行った翌年に行った男がいたが、その男も「エスカミリオみたいなやつ」だった。そんなことだから比較的学力水準が高い方の中学校から京大合格者数全国1位の北野高校に行ったのに一期校二期校の制度がなくなった後の元二期校の滋賀大の経済学部みたいなものに行かされることになるのだ。藤井の言動を見て「なんだ、こいつ」と思った私は、もうちょっとマシな予備校に行っておれば東大に通った可能性があるところを、結果として2年も浪人して慶應大に行かされるはめになったが、ともかくも慶應大に行ったのに対して、エスカミリオ症候群のMは滋賀大の経済なんぞの行くことになった・・というのは、言っちゃなんだが、「先生」ぶりっこの藤井なんかの言うことをきいて自分はホセではないと思うような卑しい男だから、だから、滋賀大の経済になんか行かされるはめになったのだ。そう私は思う。彼はその後も、エスカミリオ症候群の患者として人生を生きたのではないかと思う。このビョーキは簡単には治らない。
※ エスカミリオ症候群が歌う「闘牛士の歌」⇒YouTube-ビゼー 《カルメン》「闘牛士の歌」フィッシャー=ディースカウ https://www.youtube.com/watch?v=wHmN47vJEIA
ビゼーのオペラ『カルメン』は音楽的にはすばらしいものがあるが話の内容はメリメの小説『カルメン』にはるかに劣る。

   YMCA予備校の事務職員の藤井は、共通一次試験の後、「地方の国立大学はYMCA予備校の判定よりも厳しめの判定を出しているんだ」とまたもや嘘をついて「下めの大学を受けさせよう」ということをやった。またか( 一一) とあきれたが、藤井という男はそういう男だった。まったくつくづく、なんで、この男は次から次へと嘘ばっかりつかないと気がすまないのか、とあきれたが、それがその藤井という男であり、それが藤井の「キリスト教精神」だったのだ。
   共通一次試験というもの(その後、「センター試験」とか「共通テスト」と名前を変えた)が実施されるのがいいのか悪いのか、良くないという側の理由としては、それまで、各大学で異なる問題を出題して試験をおこなっていたやり方だと、実際にはどこの大学とどこの大学ならどちらが上か下かなんて、難易度がどちらが上か下かはだいたいわかることはわかるのだけれども、それでも問題が異なる以上ははっきりとどちらが上とか下とか断定できないのが、共通の試験を実施することで、「どっちが上か下か」という思考をしやすくしてしまう、という点があり、もうひとう良くないと言われたのが、そういった全国的試験を実施して、二次試験とドッキングして合否の判定をすることになると、各高校だけでは判断できなくなり、全国的なネットワークのある予備校・受験企業が幅をきかすようになる、という点があげられた。予備校でも一時は大阪北予備校とかも頑張っていたが、全国ネットを構築した駿台・代ゼミ・河合塾などに勝てずに衰退して廃校したが、全国ネットのある予備校の能力がないと対応できなくなる、という点があった。「地方の進学校」なんてのが藤井が言うように独自に共通一次試験の点数と二次試験受験の際の「合格突入圏」「合格へ挽回可能圏」とかの判定を独自に出せるわけないのだ。北野高校の先生にきいても、北野高校では共通一次試験実施前には北野高校の模擬試験というものが京大・阪大・神戸大に対してけっこう相関関係があったが、共通一次試験に関しては公立高校が独自に判定はだせず、どんな進学校でも全国ネットのある予備校や受験企業の情報を利用するしかなかったのだ。YMCA予備校の藤井が言う「地方の進学校では」というのは「関西圏の進学校では」と言ってしまうと出身高校に問い合わせられて嘘だとわかるから、だから「地方の進学校では」と藤井は言ったということだ。 「地方の進学校」が全国ネットの予備校や受験産業と別に判定なんかしないし、できない。嘘ばっかり言いまくる男だった。そして、予備校や受験産業で共通一次試験の判定をそこの受講生でなくても無料で出してくれるという所が何社かあって私はYMCA予備校のほかにどこだったか忘れてしまったが3社にお願いして出してもらったが、YMCA予備校の「判定」と比べると、3社のどこと比較してもYMCA予備校の判定の方が厳しめだったのだ。藤井はまたもや「すぐばれる嘘」をついたのだった( 一一)

  YMCA予備校と藤井の問題点はま~だまだいっぱいあるのだが、今回はこの3点にとどめるが、私はうちの母親に具体的に藤井が言っていることがどれだけ嘘かということをうちの母親に話して「あいつは大学受験について何もわかっていない人間で、嘘ばっかりつく人間だから、藤井の言うことはきかないで」と言ったのだが、ところがうちの母親は「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人ではない」と言ってきかなかったのだ。そして、私がうちの母親に話した翌日の昼には私がうちの母親にそう話したということが藤井に伝わっていたのだ。藤井という男はまるで諜報機関みたいなやつだった。
  私はYMCA予備校、特に事務職員の藤井は嘘ばっかり言いまくる男で良心的でない人間だから、あいつの言うことはきかないでとうちの父親にも母親にも言ったのだが、母親は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人ではない」と言いまくり、そして、うちの父親は「専門家やがな、専門家。専門家です、専門家」と言い、私が「あの男は専門家と違います。藤井なんぞが専門家ならば、私の方がよっぽど専門家です」と言ったのだが、うちの父親は「専門家、せんもんか、専門家、せんもんか、せえ~んもお~んくわああ~あ!」と言ってきかず、うちの母親は私が「あの男は先生と違いますよ。あの男は事務職員であって先生じゃないですよ」と言っても言っても、「こいつ、先生に逆らいよる。こいつ、不良や、こいつ、不良や!」と言ってきかなかったのだ。 大学受験における「親の違い」というものを痛感した。
『毛沢東語録』に「『専門家』に警戒せよ」(「専門家」と称する者・「専門家」と称して「言うこと」をきかそうとする者・「専門家」ぶることで「言うこと」をきかそうとする者に警戒せよ)という言葉があるが、うちの父親というのは「専門家ですがな、専門家。せえ~んもお~んくわあ~あ」と言ってきかない症候群の男だった。藤井タイプの人間にとっては「ええかも」だったようだ。実際には専門家でもないのに「専門家」を名乗る者を信仰する「専門家」信仰の人間と権威主義的パーソナリティーファシズム傾向と相関性があるもので、民主主義に逆行するものだ。
  片方で、そのような良心的でない予備校というのは「ハリコの虎」だったのか、一時は大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校、横浜市に菊名と関内の2校あったYMCA予備校は駿台・代ゼミ・河合塾が大阪に進出するとあっという間に淘汰された。
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 竹内 実
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛 沢東, 竹内 実
権威主義的人間 - 曽良中 清司
権威主義的人間 - 曽良中 清司
  駿台予備校の東大受験クラスと代々木ゼミナールの東大受験クラスはどちらも東大受験クラスで、東京圏の人で代ゼミや河合塾の方が駿台より自宅に近いから駿台でない方に行くという人もいるかもしれないが、関西圏の高校卒で東京で下宿して予備校に行って東大に行こうとする人の場合、駿台予備校の東大受験クラスに落ちてしまい、代々木ゼミナールの東大受験クラスには通って代ゼミの東大受験クラスに1年通って東大に合格した、という人がいたようだが、駿台予備校の東大受験クラスも代々木ゼミナールの東大受験クラスもどちらも東大受験クラスだけれども、YMCA予備校の京大東大受験クラスというのは、それはそういう名前をつければ学力のある受講生が集まり、1年後に高校卒業時に受けた所より難易度が低い大学を受けさせれば合格して「YMCA予備校から合格」と言えると考えてそういう名前をつけていただけであって実質的に東大受験クラスではなかったわけで、駿台予備校の東大受験クラスに落ちてしまって代ゼミの東大受験クラスに行っても1年後に東大の試験に合格できる可能性は十分あって合格した人もいくらでもあったのと違ってYMCA予備校の京大東大文系クラスは東大受験クラスなのかと見れば「看板に偽りあり」の偽物であり、「駿台や代ゼミに行っておれば東大に通るというものではないの。予備校はどこでも一緒なの」などというYMCA予備校の講師の山之内さんが言っていたことは間違いだ。まがりなりにも北野高校卒・京大文学部卒・元天王寺高校教師としての矜持があるならば、そういうデタラメは言うべきではない・・が、山之内さんはもうそういう矜持を失ってしまっているのか・・という印象を受けた。
  
(イ)高校教諭に警戒せよ。
  1970年代末、私が1浪の時に卒業した高校である北野高校に行った時に2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)と会った。 そのあたりが高校生および高校卒業してすぐの頃の私は無警戒だった。あの女はもっと警戒しないといけない女だったのに、それに気づいていなかった。
  この女は私を見つけると「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」と言いたいらしかった・・・が、「知らんがな」。 旧姓作野礼子さんの「両親が離婚した」私が離婚させたのなら、「父親がいなかった」というのが私が離婚する原因を作ったことによるものならば、それならば「どうも、えらいすんまへんでしたなあ」くらい言った方がいいだろうけれども、「ち~が~う~だ~ろ。違うだろ」。
※ 「知らんがな」⇒ 管理人ちいvol.459「知らんがな」https://www.youtube.com/shorts/jeqO1jXlgKQ
  管理人ちいVol,464「知らんがな」https://www.youtube.com/shorts/CKarX9fFr40
  管理人ちいvol.502 「知らんがな」 https://www.youtube.com/shorts/PMMeFyY1e40
  管理にちいvol.401「知らんがな」https://www.youtube.com/shorts/4ZDMc2iFmlc
 「違うだろ」⇒YouTube-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ! https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4
   旧姓作野礼子は私に「私なんかは家が貧乏だったし父親がいなかったから、ろう~おにん、なんて絶対にさせてもらえなかったわよ」と言うのだったが、「家が貧乏だったから」というのは違うと思う。私は小学生の頃、うちの母親から「戦前は学校の先生になる師範学校というのは無料で行けたから、だから、家が貧乏だったけれども勉強はできるという人が行くものやった」と聞き、又、うちの母親の家系は学校の先生が多い家系で、母の兄(伯父)は早稲田大学を卒業して大阪府の公立高校の教諭になっていたし、母の弟(叔父)は日体大を出て大阪府の私立大学の体育の教師になっていたし、母の叔母のだんなは大阪市立の小学校の教諭になっていて、それらの人の家と我が家は住んでいる家も収入も我が家と同じくらいかと思われたし、又、我が家の近所に住んでいる人で私と同年代の息子がいる人の父親は大阪府立池田高校の数学の教諭をされていてその人の家は我が家より少し小さい家だったし、小学校の5~6年の担任の教諭は大阪府立池田高校卒で大阪教育大卒、中学校の1~2年の時の担任の教諭も府立池田高校卒で大阪教育大卒で、ものすごい金持ちではないのかもしれないが「普通の家庭」の人のように思えたので、私も池田高校よりも上の北野高校に行ったからには高校の先生とか中学校の先生とかになりたいと思ってなっても別に悪くはないのだろうと思っていた・・のだが、私が高校を卒業する頃になり、大学に進学する頃になると、うちの父親は「うちは学校の先生になんか、ならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うようになった。国立大学で教員養成課程を履修して高校なり中学校なりの先生になるのにそんなにお金がかかるとも思えなかったのだが、うちの父親は「うちは学校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのだった。
  ひとつには、我が家と同じ「◇◇〇丁目」に北野高校の「地理」の先生だった長谷川先生が住んでおられ、うちの父親の知り合いが長谷川先生の知り合いの知り合いみたいな関係だったみたいで、その知り合いの知り合いから「長谷川先生の家は金持ちだ」というどれだけ確かかわからない情報をうちの父親は耳にしたみたいで、「うちは長谷川先生の家みたいな金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うようになった、ということがあったが、それならば、母の兄とか弟とか母の叔母のだんなとかはものすごい金持ちなのか。我が家の近所で私と同年代の息子がいる人で池田高校の先生やっていた人はものすごい金持ちだったのか。どうもよくわからなかったが、うちの父親が言うには「学校の先生は金持ちがなる仕事です。甘ったれなさんな」ということで、小学校の時から「親というものは、息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思うからこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言われて、それを本気にして同級生が遊んでいる時もずっと勉強してきたのだったが、とりあえず、ここで「学校の先生」という選択肢は否定されたのだった。「学校の先生でも、特に英語と数学以外の科目の先生はなってはいけません」ということで、なぜかというと「英語か数学でないと家庭教師のアルバイトはできません。だから、特に英語と数学以外の科目の学校の先生はなってはいけません」と言われたのだった。
   もうひとつ、「学校の先生はなってはいけません」という理由があって、「学校の先生は全員、アカです。アカの仕事にはついてはいけません」と言われたのだ。「特に、国語と社会科の先生は全員、アカです。国語と社会科の先生は絶対になってはいけません」と否定されてしまったのだ。
   ・・・それなのに、なんで「私は家が貧乏だったんだからねえ」と何度も何度も執拗に言いまくる女症候群の旧姓作野礼子さんは「学校の先生は金持ちのなる仕事です」という高校の教諭になり、それも「英語と数学以外の科目では家庭教師のアルバイトはできませんから特になってはいかん」という国語の教諭になり、さらに「国語と社会科の先生は全員がアカです。アカの仕事にはついてはいけません。甘ったれるなあ~あ!」という「国語」の先生に、旧姓作野礼子はなんで「うちは家が貧乏だったから」とか言いながらなっているんだ? 甘ったれるなあ~あ! てものではないのか?
   なんで、その「家が貧乏だったから」とか嘘を言いながら、「学校の先生は金持がなる仕事です」「特に数学と英語以外の先生は家庭教師のアルバイトができないからなってはいけません」「国語と社会科の先生はアカですから、なってはいけません」というそういう仕事に、なんで旧姓作野礼子はなった上で私に「私は家が貧乏だったんだからねえ」と威張って言いまくるのだ?

  私が北野高校の3年の時、うちの母親が「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、絶対に浪人させてやらんといかん。な~にがなんでも落としてやらんといかん。落ちろ、落ちろ、落ちろお~お!」と言って、私が家で学習していると背後からホウキでボコボコ殴りつけたのだが、又、「こいつ、勉強させてなるものかあ~あ」と言って私が、夜、家で学習していると私が学習している部屋の電気を洗面所にあった電気のブレーカーを落として照明がつかないようにして学習を妨害したものだったし、又、私が高校から家に帰ると玄関・勝手口とも鍵をかけ全ての雨戸を閉めてインタホンのプラグをぬいて鳴らないようにして締め出した上で、北野高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん」と言うといったことをやったのだが、そういう時に旧姓作野礼子さんは「そういうことはやめてあげてもらえませんか」と高校の教諭ならば一言くらい言ってくれてもいいのではないのかと思ったが、旧姓作野礼子さんは北野高校の教諭でそれも2年の時の担任だったにもかかわらず、一言として言ってくれなかった。
  又、うちの父親は私が高校3年の時、突然、「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」となんとか現役で大学に通りたいと思って努力している息子に言ったのだが、旧姓作野礼子さんは北野高校の教諭であるならば、特に2年の時の担任であったのならば、そういう時にこそ、「そういうものとは違うと思いますよ。現役で大学に通って行った方がいいですよ」とうちの父親にも母親にも一言くらい言ってくれてもいいのではないかと思ったが、一言として絶対に言ってくれなかった。

  そして、浪人してしまうと、今度は「浪人した人間の方が、会社に勤めた時にかえって役に立つ時もあるから、浪人してしまったということをそう悲観しないで頑張って来年通ればいいから」とでも言えばよさそうなものだが、ところが浪人すると、うちの父親は今度は「浪人した人間の方が社会で役に立つ」とは言わずに、うちの父親は「あんたが浪人したおかげで、予備校代が〇万円、落ちた大学の受験料が◇万円、交通費が☆千円、封筒代が〇百円、切手代が◇百円・・、電卓、電卓、でんたっく、でんたっく・・」と毎日やりだした。
  私が親ならそういうことはしない。逆だ。高校生の時には「浪人すると得るものがあるとか言う人も世の中にはあるけれども、現役で大学に行った方が絶対にいいよ」と言ってあげる。 そして、もしも浪人してしまったならば「『失敗』と書いて『成長』と読む、と野村じいさんも言っているように失敗の経験が後に生きる場合もあるし、浪人した者がその経験からかえって現役で通った人間よりも役に立つ場合だってあるだろうから、浪人してしまったということを悲観しないで来年通ればいいよ」とでも言うだろう。どうも、うちの父親は逆だったのだ。
  そして、旧姓作野礼子さんもまた、私が高校生の時には、うちの母親が「現役で大学に通った人間は思いあがった人間で女を泣かせるから、浪人した方がいい。こいつ、絶対に浪人させてやる」と言ってボコボコ殴りつけるのに対して「そんなことないと思いますよ。現役で通った人がみんな、女を泣かせるなんてことないと思います。浪人した人で女たらしはいますよ」とでも言ってくれて良さそうに思うが旧姓作野礼子は絶対に一言として言ってくれず、私が高校3年の時にうちの父親が「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」と私に言って浪人させようとした時に「そんなことないと思いますよ。現役で大学を卒業して勤めた人は22歳で浪人して大学卒で勤めた人は23歳ですから、この1歳の違いというのはそのくらいの年齢ではけっこう大きいですから1歳年上の人が役に立つ度合いがその分大きいとかいうことはもしかするとあるかもしれませんがせっかくここまで小学校から真面目に勉強してきたのに、わざと浪人する理由なんかありませんでしょ。現役で大学に通っておけば、大学に行ってから1年間、外国にホームステイするとかしても1浪した人と卒業時の年齢は同じですし、民間企業に勤めるなら2年遅れまではいいけれども3年以上遅れになるとマイナスになると言われますが、現役で大学に行っておけば学士入学で別の学部に言っても2年遅れですから、2年遅れまでで2つの学部なり学科なりを卒業するということだってできます。浪人してしまったなら、その時はそれで経験になるものもあるかもしれませんが、現役で行った方がメリットはあると思いますよ」とでも言ってくれても良さそうなものだったが、旧姓作野礼子さんはまったく一言も言ってくれなかった。
  そして、浪人してしまった時点になって、「ろう~おにんなんて、私だったら絶対にさせてもらえなかったわよ。あなたが浪人しているのは、それはあなたが甘ったれているからよ。あなたが甘ったれているからで、あなたが思いあがっているからよ」と言って責めるのだった。もしも、在学中に中間考査・期末考査で悪い成績をとった時に「なんじゃ、この成績は」と言って「次はもっといい成績をとれ」と言うのならば、頑張って次回はいい成績をとるということだって考えられるだろう。 しかし、もう浪人してしまった人間に「浪人したなんて、それはあなたが甘ったれているからであって・・なんたらかんたら」言いまくるというのは、それは、もう今更浪人しなかったことにしようとしてもできない、もうどうしようもないことをぎゃあぎゃあ言って苛めているだけなのだ。 そういうことをするのが旧姓作野礼子だった。
   あの時、旧姓作野礼子と会ったのは不幸だったか・・と思ったのだが、そういう問題ではなく、むしろ、旧姓作野礼子の方としては私と会ったら言ってやろうと待ち構えていたのだ。

   私が高校の教諭になっていたならば、そういうことは言わない。 高校生には「世の中には浪人した人間の方が役に立つとかなんとか言う人がいたり、自分が浪人して大学に行ったものだから『1年の浪人はいいぞお~お』と現役で行ける可能性がある高校生に行って浪人させてやろうとするようなやつとかがいますけれども、まあ、浪人した時の経験が生きる時というのがないことはないかもしれないけれども、浪人して失うものもありますよ。どちらがいいかと言えば現役で通って行った方が絶対にいいよ」と言ってあげます。
  そして、浪人してしまった者には、今更、浪人したということを責めても、責められても今さらどうしようもないことですから、浪人したじゃないかと責めるようなことはしません。むしろ、浪人した者には「後になってみれば、浪人中に経験したことで人生に生きるものもあるかもしれないし、又、現役で通った人間は浪人した人間の気持ちがわからないかもしれないところが、浪人した人間は現役で通った人間の気持ちも浪人した人間の気持ちも両方わかるようなところがあるかもしれません。なにより、そんなに何でも常にうまくいくというものでもないでしょう。うまくいかない時もあり、失敗する時もあるのが人生じゃないですか。とりあえず、来年、通りましょう」とでも言ってあげるでしょう。

  よく、殺人事件とかあると新聞に「被害者は人から恨まれるような人間ではなかった」とか書かれているのを見ることがあるのですが、どうも、その記者は勘違いしているように思うのだ。人間は恨まれるようなことをしたから恨まれるわけではなく、恨まれるようなことをしていなくても恨まれることはあるのだ。 私はこのことを高校卒業した年くらいにおいては理解できていなかった。だから、私は旧姓作野礼子さんに恨まれるようなことはしていないから恨まれていないと思い込んでいたが、違ったのだ。人間は恨まれるようなことをしたから恨まれるのではなく、恨まれるようなことをしていなくても恨まれることはあるのだ。

   それにしても、高校生には「大学は浪人はしないで現役で合格して行った方がいいよ」と言い、浪人してしまった者には「浪人してしまった経験が後で生きる時だってあるかもしれないし、何より、人間、いつでもうまくいくものではないし、失敗することだってあるから、浪人したことを悲観しないで来年通ろう」と言うのではなく、高校生の時には親が「あんた、浪人しなさい」とか言うのに「そういう考え方は違うと思いますよ」とでも言ってくれればいいのにと思っても言わず、浪人すると「あんたが浪人したのは甘ったれてるからよ」だの何だのかんだの大量に言いまくって責めまくる・・・というのは、旧姓作野礼子はそれをやって快感を覚えていたのかもしれないが、あんまりいい性格していないと思う。 あんなやつ、高校の教諭にならなければいいのに・・と思う。

  あの時、旧姓作野礼子に会ったのは不幸だった・・と考えるべきではなく、あのバカ女症候群と会わないようにもっときっちりと配慮するべきだったのに、それをできていなかったというのは「ガードが甘い」「脇が甘かった」と考えるべきものだ、と後に理解した。こういったことを理解するようになった、というのは私が「浪人で得たもの」だ。

   私は旧姓作野礼子に「浪人したこと」「浪人していること」を責められて、それを何とかしようと考えたが、どんなに無理しても「浪人しなかったこと」にする方法が思い浮かばなかった。それで、それなら「次は1番で通ってやる」「浪人はしたが1番で通ればそれで埋め合わせできるのではないか」とか、そんなことを考えてしまった。しかし、そういうことを考えるのは間違いだった、と後に認識した。
   YMCA予備校の事務職員の藤井は「現役の時だったら模擬試験で『通った人5人・落ちた人5人』くらいの成績で受けていいけれども、浪人したら『通った人8人・落ちた人2人』というくらいの成績でなかったら受けてはいかん」と私に言ったのだが、聞いた時はそうかいなあ・・と一瞬思ったのだが、その藤井の主張は間違っている。なぜかというと、普通に考えて、京大とか東大とかを受けて通って行こうとするのに、京大とか東大とかを模擬試験で「通った人8人・落ちた人2人」の成績て、それはものすごい成績やで。そんな成績、そんなに簡単に取れると思うか? 取らんでよろしい。大学入試というものは、合格最低点を1点でも上回ったら合格なんや。
   1989年、藤田元司が巨人の監督に2回目になった時、「読売新聞」のスポーツ欄で「ボロ勝ち・競り負けは弱いチームのやること」と述べていたが、大学入試にもこれはあてはまる。大学入試というものは「ともかく通ればいい」のだ。「ボロ勝ち」する必要はないのだ。むしろ、「ボロ勝ち」しなきゃいかんとか考えるのは「勝負弱さ」でしかない。「模擬試験で『通った人8人・落ちた人2人』以上の成績を取れないなら受けてはいかん」などとアホなこと考えていたら永遠に通らないぞ。それは「ボロ勝ちできる状態でないなら試合に出てはいかん」と言っているようなものだ。「ボロ勝ち」しなくても「ともかく勝てばええんや」と考えるのが「勝負強さ」だ。「1番で通る」などとアホなこと考えると通るものも落ちるぞ。

  1970年代末、YMCA予備校高槻校の人間はこう言ったのだ。
(1)藤井「浪人したならば、模擬試験で通った人5人・落ちた人5人なんて成績では受けてはいけない。最低でも通った人8人・落ちた人2人くらいの成績でなかったら受けてはいかん」
(2)藤井「YMCA予備校の模擬試験はすべての大学のすべての学部に絶対の相関関係がある。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取った人間は絶対にとおる。YMCA予備校の模擬試験でいい成績をとれなかった人間は絶対に落ちる」
(3)山之内「最低で京大、うまくいけば東大」
(4)藤井「東大に行こうとすれば京大を受ける場合以上の成績を模擬試験で取らないといけない」
   これ、4つとも間違いだからね。
(1)普通に考えて、京大とか東大とかを受ける場合に模擬試験で「通った人8人・落ちた人2人」の成績て、もんのすごい成績だからね。そんなもの、簡単に取れるわけないだろうが。 ただし、本番の試験で「もしも、その試験が本番の試験ではなく模擬試験だったとすれば、通った人8人・落ちた人2人というくらいの点数」というものを取る人というのは中にいるかもしれない。しかし、それはあくまでも「結果として」だからね。 私は1992年に宅地建物取引主任者(現・宅地建物取引士)の資格試験に合格したが、例年、50点満点で30点から35点が合格最低点と言われていて、年によって合格最低点が異なるのはその年によって出題された問題が難しめの年と易しめの年があるので、難しめだった年は30点、易しめだった年は35点、中間の年はその間という具合だったので、50点満点で35点以上、7割以上正解ならばまず合格だろうと考えられていた。私はそれを前提に7割以上取れればと考えて学習し、試験が終わった後の自己採点では35点だったか36点だったかの点数で、試験を受けた感想としては過去何年かの問題と比較して易しい問題とは思えなかったので、合格最低点は35点より低い可能性が高いので、おそらく合格だろうと思った。そして、実際に東京都庁に合格者の受験番号が発表された時に見に行くと私の受験番号があった。その年の合格最低点は30点だったと後から聞いた。その宅地建物取引主任者の本番の試験がもしも模擬試験だったとするならば「通った人8人・落ちた人2人」くらいの成績になるのではないかと思うが、これはあくまでも「結果として」であって私は「その本番の試験が本番の試験ではなく模擬試験だったら通った人8人・落ちた人2人という成績以上の点数をとらなきゃいかん」なんてことを思って学習したのではない。そうではなく「ともかく、合格最低点を1点でも上回ればいい」と考えてやって、結果として「通った人8人・落ちた人2人」くらいの成績を取れた、ということだ。 大学入試においても「あくまで結果として」「本番の試験でもしもその試験が模擬試験だったら、通った人8人・落ちた人2人と言うくらいの成績」を取る人がいるかもしれないが、それはあくまでも「結果として」であり、最初から「その本番の試験が模擬試験だったら通った人8人・落ちた人2人の成績を取らなきゃいかん」と思ってやったのではないはずで、そういう考えでやるとうまくいかないと思う。 「模擬試験で最低でも通った人8人・落ちた人2人」以上の成績を取らんと受けてはいかんなどと藤井みたいなこと言っていたら、受けられる人間は本当に限られる。 試験に通るには「ともかく通ればええんや」と思って合格最低点を上回ることだけを考えるべきだ。 な~んも考えずにやって模擬試験で京大なり東大なりに「通った人8人・落ちた人2人」以上の成績を取れる人というのがいるのかいないのか知らんが、もしもいたとしても、そんな「長嶋みたいなやつ」のことなんか知らん。なにしろ「わしぁ日陰の月見草や」。
(2)「すべての大学のすべての学部に絶対の相関関係がある」模擬試験などというものは存在しない。1979年、私が河合塾の東大オープンを受けた時、河合塾では「昨年、この模擬試験を受けた人で、模擬試験を受ける際に受験予定科類を理科〇類(文科◇類)とした人が☆人いて、A判定の人が〇人・B判定の人が◇人・C判定の人が☆人・D判定の人が△人で、追跡調査をおこなったところ、A判定の人で合格した人が◇人で落ちた人が☆人、B判定の人で通った人が〇人・落ちた人が△人・・・で、それをパーセントで表示するとA判定の人の合格率は☆%・B判定の人は・・D判定の人は▽% と言う書き方がされていました。A判定の人はすべての人が合格したわけではなく落ちた人もあり、D判定の人でも通った人がある程度以上ありましたが、A判定の人の方がD判定の人よりも合格率は高かった。模擬試験というものはそういうものなのです。 大学入試の際の模擬試験はその大学学部の問題に即した問題を出題する河合塾の東大オープンのような模擬試験型模擬試験と、特定の大学学部の問題に即さない学力試験型模擬試験があり、一般に模擬試験型模擬試験の方が学力試験型模擬試験よりも実際の試験の合否に相関関係が大きいことが多いのですが、河合塾の東大オープンのような模擬試験型模擬試験であっても、それでもA判定の人はすべて合格するわけでもなくD判定の人はすべて落ちるわけでもないのです。こういったことを頭に入れて対処するべきですが、YMCA予備校の模擬試験というものは模擬試験型模擬試験ではなく学力試験型模擬試験であり、一般に模擬試験型模擬試験に比べて相関関係は低いと考えられますが、学力試験型模擬試験であっても相関関係が比較的大きい大学学部とそれほど大きくない大学学部があります。それを「YMCAの模擬試験はすべての大学学部に完全に相関関係がある」などと嘘を言わなきゃおれないほとんどビョーキ症候群の藤井という男は困ったものです。
(3)「古文」の講師の山之内のおっさんは「最低で京大、うまくいけば東大」などと言ったのですが、まがりなりにも北野高校卒で京都大学文学部卒で元天王寺高校教師だと言うわりには大学入試というものをわかっていません。 京大の問題と東大の問題を比較すると、京大の問題は高校でやっている科目の内容を理解できているかどうかを見る試験という傾向が強く、東大はそれ以外の要素がありました。東大の二次試験の社会科は「・・について800字以内で述べよ」とか司法試験の二次試験の論述式試験に出題されるような試験形式であり、共通一次試験前から一次試験と二次試験がおこなわれていて、一次試験は必ず通るわけでもなく、一次試験は選択式の試験で二次試験は論述せよという問題が社会科では出題されるという司法試験の二次試験や国家公務員1種試験の問題を想定したような問題形式になっていました。東大出身者に司法試験や国家公務員1種試験合格者が多いのは東大は入学試験からして司法試験や国家公務員1種試験を想定したような出題形式の試験を出しているので東大の試験に合格した人は入学時から司法試験や国家公務員1種試験対策をいくらか終えているからということがあるかと思います。 だから、京大の試験は高校でやっている内容をどれだけ理解できているかという視点で、東大の問題はそれよりも東大の問題の出題形式に対しての対策をきっちりと取れているかどうかで得点は変わると思われました。京大の出題形式の試験で京大の合格最低点よりも一回り高得点を取れれば東大に通るというものではないのです。この点で山之内のおっさんは認識を間違えていますし、まがりなりにも北野高校卒で京都大学文学部卒で元天王寺高校教師にしてはなんとも情けない。
(4)藤井は「東大に行こうとするならば京大を受ける場合以上の高得点を取らないといけないう」と言ったのですが、それだと、模擬試験で京大を受ける場合に「通った人8人・落ちた人2人」の成績が必要だったのが、東大だと「通った人9人・落ちた人1人」という驚異的なの成績を取らないと「東大は受けてはいかん」ということになってしまいます。そんなもの、取れる人間なんてあんまりいません。
藤井が言っていたことは「場外ホームランを毎打席打てないなら打席に入ってはいけない」と言っているようなものです。
こんなおかしなことを受講生に吹きこまないとおれない予備校というのは、言いきってしまえば「害がある」。藤井は「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と毎日最低3回以上言いまくれば人は自分を評価してくれる、評価する義務があると思っていたようですが、そんなアホなこと言いまくってもだめです。駿台や河合塾・代ゼミが大阪に進出するとあっという間にYMCA予備校は淘汰されてかつては大阪府内に5校あったものが今では1校もなくなったのは道理であり、そのような良心的でない予備校はなくなってよかったと思います。

  私が1浪した時、考えてみれば不幸な環境があったという面もあります。 片方で予備校は↑のようなもので、そして、高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子から「ろうおに~んなんて、私だったら絶対にさせてもらえなかったわよ」と執拗に責められたことから、浪人してしまったということをなんとか補わないといけないと考えてしまい、「次は1番で通るようにすれば、浪人してしまったことを補えるのではないか」とかアホなことを考えてみたりした、というのはマイナスになりました。 そんなアホなことは考えるべきではありません。大学入試というものは「1番で通ってやる」とか考えるべきものではなく「ともかく通ればええんや」と考えるべきです。大学入試は「走り高跳び」ではなく「ハードル」みたいなものです。高く飛ぶことに意義があるのではなく、ともかくひっかからずに超えることができればいいのです。
  「1番で通る」というのと「ともかく通ればええんや」というのとでは取らないといけない点数が変わってくるのです。2024年、ヤクルトスワローズが「1死3塁で3塁走者が俊足の並木選手」という場面で外野フライを打って打点をあげた選手、誰だったかが試合後のインタビューで「ワンアウトで三塁に並木でしたから、外野フライでも内野ゴロでも、ともかくバットにボールをあてさえすれば並木はホームまで帰ってきますから楽でした」と話していたのですが、そういう場面で「場外ホームランを打てないなら打席に入ってはいかん」みたいなことを言うのがYMCA予備校の藤井です。そうではないのです。1アウトで1点取ったら勝てるという場面で三塁ランナーは超俊足選手となると、外野フライでも内野ゴロでも「ともかくバットにあてれば」いいのですから、「場外ホームランを打たなきゃいかん」というのと「ともかくバットにあてればいい」というのとでは条件が全然違うのであり、そういう場面でわざわざ「場外ホームランを打たなきゃいかん」みたいに条件を厳しくしたのでは自分から落ちるようにもっていっているようなものです。 
  場外ホームランを打てば浪人したことをいいことにしてもらえるのではないか・・みたいなことを考えてしまった、なんともアホなことを考えたというのは、高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子から今さらもう責められてもどうしようもないことを責められたことに原因があります。進学校の教諭のわりにろくでもない教師だと思います。 柴田孝之が「能力的にも人間的にも本当に優秀な教師というのは、実は多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で述べていましたが、私もそう思います。
  旧姓作野礼子先生は北野高校の教諭なのだからおかしなことは言わないだろう、良心的でない態度は取らないだろう・・と変な間違った信頼をしていた私はその点において愚かでした。 そして、あれは愚かだった、と認識できるまでいくらかかかりましたが、それを認識できるようになったというのは「2浪以上した」ことの引き換えとして得たものだったかもしれません・・が、失ったものも多かった。

「チャート式」本日のチャート:高校の教諭を信頼しすぎてはいけない。

  今、思い返してもあの女はいったい私に何の怨みがあったのかと思います。
  私は、高校卒業時、どこでもよかったら・・なんて言ってもどこでもいいわけないのですが、東大の試験には落ちてしまいましたが、世間一般から考えればそんなに悪くない所に合格できたのです。
  それに対して、たとえば、慶應大学に「愛塾」奨励空手会という空手使いの右翼団体があったのですが、1980年代、そこにいた千葉クロマティ高校卒の富永(男。当時、20代)なんかは本人も「俺が高校卒業する時点では合格できる所なんかたいした所はなかった」と言っていたように、高校卒業時に現役で大学に合格できる所なんてたいした所はない、というそういう人間でも浪人させてもらって1浪で慶應大に進学しているのです。富永は「俺なんかはきちりと1浪で大学に通った」などと私に言うので、世の中、変わった日本語があるもんだな・・と思ったものでしたが、北野高校の卒業生ならば「現役で大学に進学するのが基本」であり、「1浪で大学に通って行った」という場合は、クラブのOBの人などでも「恥ずかしながら1年間笠張り(浪人)をいたしまして、この春、◇大学の☆学部に合格して入学いたしました」とか「恥ずかしながら」付きで言うものでしたが、それに対して「千葉クロマティ高校卒の富永」の場合は「俺なんかはきっちりと1浪で通った」などと「きっちりと」なんて言うのです。富永の感覚、千葉クロマティ高校の人間の感覚では「1浪で大学に通った」というのは「きっちりと」だったのです。うちの父親が「浪人した人間の方が社会で役に立つ」とか言うのは「クロマティ高校卒の富永みたいなやつ」の方がうちの父親の勤め先の会社なんかにおいては、北野高校卒で現役で京大とか東大とかに行った人間よりもその職場には向いている・・ということだったのかもしれませんが、富永みたいなクロマティ高校卒で高校卒業時に行ける大学なんかたいしたとこないというやつですら浪人させてもらっていたのです。
   1980年代、慶應大学の商学部の「商業学」のS教授が三田キャンパスでの講義の時に「考えてみたら、きみたちがこういう校舎で勉強しているというのは、かわいそうだね」と言われたことがあった。それは、最近の新設の受ければ誰でも通るみたいなわけのわからん私立大学というのは、新しいきれいな校舎で冷暖房完備の教室で机も椅子もきれいなものである場合が多いらしく、もしかするとS教授も非常勤の講師としてそういう私立大学でも講義をされていたのかもしれませんが、受けさえすれば通るよう新設の無名私立大学の学生が新しいきれいな校舎で冷暖房完備の所で講義を受けていて、慶應大学の学生は昔からの古い建物で冷房なんかない、暖房は「昔ながらの」スチーム暖房だったりするそういう教室で講義を受けているというのは、逆ならわかるけれども、その状態を考えれば慶應大学の学生は「かわいそうだね」ということだった。 それと似ていると言えば似ている。北野高校の卒業生で、どうしても東大に行きたいというのでなければ合格できたであろう所はあった者が「浪人なんて私なら絶対にさせてもらえなかったわよ。あなたが浪人したのは、それはあなたが甘ったれているからであって、あなたが思いあがっているからであってつけあがっているからであってなんたらかんたらくんたらそわか・・」とかそこまで言いまくられて責めまくられて、それでいて旧姓作野礼子は「クロマティ高校卒の不良の富永」にはそういうことをまったく言わない。 なんなんだ、それは。これでは北野高校に行ったら損みたいだ。旧姓作野礼子は不良が好きなのか?
   慶應大学の学生には「1浪で慶應の経済」というやつがけっこういたのだが、慶應大学のステューデントカウンセラーズにいた田名(たな)という男などは最初から「1浪で慶應の経済」を目指していた人間で、最初から現役で大学に行くことなんか考えていなかった人間だ。そういう最初から「1浪で慶應の経済」を目標としていて現役で大学に進学することなんか考えていなかった田名みたいな人間でもあたりまえみたいに浪人していたのだ。それから考えれば私なんか2浪でも3浪でもふんぞり返ってやったってまったく悪くないはずだ。ところが、旧姓作野礼子は最初から現役で大学に進学することなんか考えていなくて目標通り「1浪で慶應の経済」に行った田名には「浪人なんて私なら絶対にさせてもらえなかったわよ。あなたが浪人したのはそれはなんたらかんたらくんたらそわか・・」とかなんとかかんとか絶対に言わないのだ。 なぜ、旧姓作野礼子は私に言って田名には言わないのだ? これでは北野高校に行ったのでは損みたいだ。
  「愛塾」奨励空手会に大木という静岡県の高校卒の私と同年齢・同じ年に高校を卒業した男がいたが、大木は高校卒業時に明治大学しか通らなかったそうで、明治大にしか通らないやつが大きな顔して私立大学に進学して、さらに明治大学にしか行けないやつが明治大に在学しながら浪人して慶應大に合格して慶應大に入ったというのだ。なんで、明治大にしか行けないようなやつがそんなあつかましいことするのだ。なんで、旧姓作野礼子は東大には落ちてしまったけれども高校卒業時に旧帝大系国立大学に十分合格できたであろう私には「あなたが浪人したのは、それはあなたが甘ったれているからよ。あなたが甘ったれているからで思いあがっているからでつけあがっているからで性格にすなおさがないからでなんたらかんたらくんたらそわか・・」とかなんとかかんとか言って私は責めまくって苛めておきながら、明治大にしか行けない人間なのにくそどあつかましくも明治大になんか行きやがってからに、その上でさらに明治大に在籍しながら浪人して慶應大になんか1浪で行くようなそんなやつには言わないのだ? どう考えてもおかしいだろ。そういう男には北野高校教諭の旧姓作野礼子は「あなたが明治大みたいなもんしか行けないくせして大学に行こうと考えるのは、それはあなたが思いあがっているからであってつけあがっているからであって甘ったれているからであってなんたらかんたらくんたらそわかであって・・」とか言わないというのは、これは絶対におかしい。なんで、旧姓作野礼子はアホ高校卒でバカ大学にしか行けないくせして浪人するような大木とか富永とかには言わないで、北野高校卒で旧帝大系国立大学に十分現役で行けたと思われる私に、高校3年の時にはうちの父親は私に「東大に行くためなら1年くらいの浪人はしてでも行くべきやで。浪人は嫌やなどと甘ったれたこと言うておってはいかん。下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言っておってはいかん」と言っていたのに、旧姓作野礼子は私にはなんたらかんたらくんたらそわか・・となんとかかんとか言いまくって苛めるのだったが、クロマティ高校のやつとかそういうのには絶対に言わない、というのはこれはどういうことなんだ。

  1980年、横浜市港北区箕輪町 、東急東横線「日吉」駅の南、慶應大学日吉キャンパスのすぐ南に日吉台学生ハイツという宿舎があって、その7階に私は住んでいたのだが、同じ7階にいた男で大阪府立天王寺高校卒で2浪で東大を受けても落ちて慶應大の商学部に入学したが慶應大の商学部に在籍しながら浪人をして、結局、3浪で東大の文科1類に合格して行ったという私と同年齢の男がいた。私もそいつと同じようんじもう一度受けさせてもらえば東大に通ったと思う。「思う」といっても、ある程度以上の難易度の所を受けるからには「絶対に」などというものは、ない。これは反比例のグラフみたいなもので、反比例のグラフというものはX軸の数値が大きくなればY軸の数値はゼロに近づくがどこまでいってもゼロにはならない。Y軸の数値が大きくなればX軸の数値はゼロに近づくがどこまでいってもゼロにはならない。これと似ているように思う。「絶対に」などというものは、ある程度以上の難易度のところを受ける場合には、ない。しかし、それでも、私もそいつとい同じようにもう一度うけさせてもらえれば通った・・ように思う。

  大阪府北部の我が家の向かいの病院勤めの医者屋のおっさんの家の三男は北野高校を卒業した後、3年浪人して東大の理科三類に合格して行きよった。お母さんは息子がかわいいのか「京大の医学部に通った人はあるけれども東大の理科三類に通った人はここしばらくありませんと言われてました」と「ちょっと自慢」みたいに言われるのだったが、さすがに3年も浪人したなら最難関東大理科三類に通っても自慢はできんだろ・・とは思ったが、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・と思ったものだ。私だって、もう一回、受ければ通った。そうすれば「富永の行く大学」みたいなもんに行かされなくてすんだ。小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時もひたすら勉強してきたのに、なんで「富永の行く大学」みたいなもんに行かされなきゃならんのだ。ふざけんな!

  私が2浪で共通一次試験を受けた1980年1月の共通一次試験の時、大阪大学の豊中キャンパス(大阪府北部の豊中市・池田市・箕面市の境目付近の豊中市にあるが、最寄駅は大阪府池田市にある「石橋」駅だったが少し前に「石橋阪大前」駅に駅名が改称された)に行くと、あれ・・・。なんか、見たことのある顔の人間がいる。北野高校で私と同じクラブにいた私より1学年上の愛称「タニシ」さんだった。こちらが2浪てことはそれに1をたすと、3浪・・・てことか。なんで、3浪でそこにいるんだ? あんた、1浪でどこかに行ったのじゃなかったのか・・と思ったが、本人に聞いた話では、1浪して大阪大工学部を落ちて、早稲田大理工学部も落ちて、「慶應大工学部(現 理工学部)なんか行ってもしかたがない」〔日本語に翻訳すると「慶應大工学部も落ちてもうたあ~あ(泣)・・てことやろ〕で二期校の静岡大工学部には通って、それで浜松市にある静岡大工学部に行ったらしいのだが・・、ところが、一期校二期校の制度があった時代の静岡大工学部というのは、京大の工学部・阪大の工学部・東大の理科一類・理科二類を受けて落ちて早稲田大理工学部も落ちて、「慶應の工学部なんか行ってもしかたがない」(日本語に翻訳すると・・)で二期校の静岡大工学部には通ったということで静岡大工学部に入学したという人がわんさといて、そういう人は入学しても、1週間経ち、2週間経ち、1カ月経ち2か月経ちするうちに、「なんで、俺がこんな所にいなきゃならんのだあ。なにがうなぎパイじゃこんちくしょう」「ふざけんなあ。何で、俺が静岡大卒なんてケモノの印みたいなレッテル貼られなきゃならんのだあ」「2浪しようが3浪しようが4浪しようが関係あるかあ。誰がこんな大学みたいなもんに行くもんかあ」・・という気持ちになり、1人減り、2人減り、3人減り・・していって夏休み頃になると半分はいなくなる・・そうだった。・・まあ、そういう気持ちになるのだろうなあ・・・。
  その浜松市にある静岡大工学部というのは遠州人にとっては自慢の大学・誇りとする大学なので、「なんで、こんな大学みたいなもんに俺が行かされなきゃならんのだあ」「なんで俺が浜松みたいなもんにいなきゃならんのだあ」とか言うと遠州人は怒りよるのだが、「こんな大学とは何だあ」「浜松を『こんな所』とは何だあ」と遠州人は怒りよるのだけれども、もしも、就職して勤務先の会社から転勤して浜松に勤務してくれと言われて浜松に行ったとかなら「ここはなかなかいい所だなあ」とか思うものでも、浪人しても京大の工学部なり阪大の工学部なり東大の理科一類か理科二類かを落ちて早稲田大の理工学部も落ちて、「慶應の工学部なんか行ってもしかたがない」〔・・てことは日本語に翻訳すると「慶應大の工学部も落ちてもうたあ~あ」(泣)・・てことだろな〕で二期校の静岡大工学部には通ってうなぎパイ浜松に住んで静岡大工学部に嫌々入学した・・・という者にとっては「浜松になんか」「静岡大みたいなもん」となるのだ・・がこれを言うと遠州人は怒りよるのだが、別に浜松をけなしたいわけではないし、何よりそれは私じゃないって・・と言ってもいったん怒り出した遠州人はどうにも止まらない・・が、一期校二期校の制度があった時代の静岡大工学部はそんな感じだったそうだ。
   で、愛称「タニシ」さんもその1人として再受験することにしたらしい・・のだが、年数が合わんようにも思える。1浪で静岡大工学部に入ったが、やっぱりこんな大学になんか行けるかあ・・と思って再受験するいことにしたのならば、2浪で受けることになるはずなのだが、「タニシ」さんは3浪での受験・・てことは1年、どこかで費やしているが、どこで費やしたんだあ・・・といったことは当人が詳しくは言いたくないみたいであるからには明確にはわからんが、ともかく、「タニシ」さんも静岡大工学部卒になるのは嫌だと思うに至り、荷物まとめて大阪に帰ってきたらしく、そして、工学部卒だと2年遅れまではいいが3年遅れになると不利ではないかと考えて、医学部歯学部なら2年遅れと3年遅れの差は小さいのではないかと考えて大阪大歯学部を受けることにしたそうで、それで共通一次試験を受けるために大阪大の豊中キャンパスに来ていたらしい。模擬試験なら、知ってる人間と会わないようにと少し離れた場所で受験することもできるのだが、共通一次試験というのは住所からどこで受けてくれと受験場所を指定されるので、「知ってる人間」と会いたくないと思ってもそうはいかないので、それで「知ってる人間」の私やそれ以外の「知ってる人間」と会った、ということだったようだ。そういう経緯で3年遅れで大阪大歯学部を受けて合格して行ったようだ。ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・・と思う。日吉台学生ハイツの同じ階にいた天王寺高校卒のやつも、「タニシ」さんも大阪府の家の向かいのボーズもそうやって何年か費やしても最終的には自分で納得できる所に行かせてもろうて、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・・と思う。私だけが「富永の行く大学」みたいなもんに暴力で行かされてしまった。小学校の1年から同級生が遊んでいる時も只管勉強してきたのに不良の行く大学に行かされてしまった。強姦摩の大学に行かされてしまった。そんな所に行くのなら浪人しなくても高校卒業時に通ったと思われる所に行かされてしまった。高校1年に入った時に野球部に入ったが、うちの父親が「野球部の監督に怒鳴り込んだる」と言い、そんなことされてはかなわんと思ってやめたが、慶應大みたいなもんに行かされるのなら野球でもやっておけばよかった。努力の果実をすべてドブ中にどぼ~んと捨てさせられた。「タニシ」さんはええなあ、うらやましいなあ。日吉台学生ハイツの同じ階にいた天王寺高校卒のやつはええなあ、うらやましいなあ。大阪府の向かいの家にいた3浪で理科三類に行ったやつはええなあ、うらやましいなあ・・と思う。慶應みたいなもんに行かされるのならあんなに勉強することなかった。
   
   ・・と思ったら、慶應大学のステューデントカウンセラーズにいた高木という男だが、こいつは東京のあんまり進学校でない方の高校卒なのに1年浪人して東大を受けて、浪人しても落ちて慶應大に入学したが、そのうち再受験すると言っていなくなった。あんまり進学校でもない高校の出身でたいして勉強してきてないようだったが、それでも東大を受け直して2年遅れで行ったみたいやった。あんなやつでも再受験させてもらえるのに、私だけが「富永の行く大学」みたいなもんに行かされてしまった。何のために小学校の1年から努力してきたのかわからん。
  それで、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は、なんで私にだけ「浪人なんて私だったら絶対にさせてもらえなかったわよ」と言って責めるのだ?  ひとつには、うちの父親でも母親でも「女の子は浪人なんかしない方がいい」と言っていたし、うちの下の姉と旧姓作野礼子さんは同じ年齢だったはずだが、下の姉が進学する時にはうちの父親も母親も「女の子は浪人なんかしたらいかん」と言っていたが、旧姓作野礼子さんはそういう感覚はないみたいだった。
  私は高校1年の時に野球部に入った時、1年の時の担任だったO田先生が「北野高校の場合は運動部に在籍した生徒とそうでない生徒で進学成績に違いはない」と聞き、また、野球部をその年に卒業した人でも現役で京大や阪大に何人も通っていることを確認した上で入部したのだったが、ところがうちの父親は「そんなもん、野球部にいて京大や阪大に行った人間なんてものは、みんな浪人です。うちは浪人なんかさせる金持ちとは違います」と言うのだったが、「富永の行く大学」みたいなもんに行かされるくらいなら野球でも何でもやっておくんだった。
  そして、高校3年になると、高校1年の時には「野球部にいて京大や阪大に行った人間というのは、それはみんな浪人です」と言って私が「そうじゃないようですよ」といくら言ってもきかなかったうちの父親は、私が高校3年になると「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言いだした。普通、現役で大学に通ろうと努力している息子に父親がそんなこと言うかなあ~あ・・と思ったが、言うのがうちの父親だった。
  そして、高校3年の時には「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと私に言ったうちの父親は「あんたが浪人したおかげで、予備校代が〇万円、落ちた大学の受験料が◇万円、交通費が☆千円、封筒代が〇百円、切手代が◇百円・・、電卓、電卓、でんたっく、でんたっく・・」と毎日、言いまくった。この人、いったい何なの・・と思ったが、うちの父親はそういう人だった。それがうちの父親だった。旧姓作野礼子は「私は父親がいなかったんだからねえ」と言いまくり、「父親がいる」というのはものすごい得しているみたいに思っておられるようだったが、「父親がいる」ということは、我が家の場合はこういうことをする人がいるということを意味する。「富永の行く大学」みたいなもんに行かされるくらいなら、あんなに勉強することなかった。

  そういえば、日吉台学生ハイツには「カウンセラー」という肩書で新倉(にいくら)という元自衛隊の男がいて、24時間勤務して翌日は24時間休みでまた次の日は24時間勤務・・という勤務形式で勤めていた。何をやっていたかというと、夕食時に相当量の酒を飲んでべろんべろんになり、べろんべろんに酔っぱらった状態で日吉台学生ハイツのロビーを徘徊して、帰宅してきた入居者の学生に「よお、〇〇く~ん」と話しかけ、「いいかねえ。日本という国は単一民族の国でねえ、ソ連が北から喉から手がでるほど欲しがっている国なんだよお。その日本を守らないといけないからねえ。そのためにはねえ、労働組合の人間とか共産党や社会党の人間とか、日教組の人間とか朝日新聞の人間は生かしておいてはいけないんだよお。あいつらは全員、死刑にしないといけないんだよ。わかるかねえ。日本を守るためには労働基準法を守れなどと言うものは死刑にしないといけないんだよお」などと毎日、べろんべろんの状態で言い、逃げても「待ちたまええ」と追いかけてくる。「労働基準法を守れと言うような甘ったれたやつは死刑にするべきなんだよ」などと言うわりには、新倉自身は日吉台学生ハイツにいる時は24時間勤務なので夕食後も勤務時間のはずなのだが、新倉は夕食時に大酒のんで夕食後の時間べろんべろんに酔っぱらった状態になっていた。新倉の理屈からいけば新倉こそ「死刑にしないといけないんだよ」ということになるはずだが、おのれは対象外だったようだ。
  日吉台学生ハイツは2棟あって中央部が1階と地下1階でつながっていてつながっている部分の1階に入口があったのだが、外から見て1階のロビーに新倉がいるなと思って、それで1階の入口から入って自分の部屋がある棟の方に進まず、逆側から地下1階に行って地下1階を移動して自分の部屋のある棟の下まで行ってエレベーターで部屋まで帰るとかしていたのだが、ところが、そうやってもストーカーなって部屋まで押しかけてきて、「〇〇く~ん。日本という国はねえ、天皇へーかの国なんだよお・・」とかやりだし、「すいません。今、やっていることありますので」と言っても、「いいんだよ、そんなものは」と言って帰らない・・というそういう難儀な元自衛隊を日吉台学生ハイツは置いていて、その肩書が「カウンセラー」だったのだ。新倉は亜細亜大卒らしく新倉の息子も亜細亜大に行っていたらしいのだが、あんなやつとかあんなやつの息子があつかましくも「大学」に行くのならば、私なんかは2浪でも3浪でも4浪でも必要ならやっても悪くないと思う。旧姓作野礼子さんは、なぜ、新倉や新倉の息子に「私だったら亜細亜大なんてぜ~ったいに行かせてもらえなかったわよお」と言って責めないんだ? 旧姓作野礼子さんはなんで私にだけ責めて新倉や新倉の息子は責めないんだ?  なんか、そのあたりを考えると、北野高校に行くと損みたいだ。
  うちの父親も私が高校生の時には「そんなもん、東大にでも行くのなら下宿してでも行けばいいし行くべきやけれども、又、東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行けばいいと思うけれども、法政やたら明治やたら専修やたらポン大やたら亜細亜大やたら拓殖やたら、そんな大学に行くようなやつ、下宿してまで行く必要あらへん。アホ大学は大阪にもあるんや。アホ大学に行くやつなんか、家から通える大学に行けばええ。その前に、法政やたら専修やたら亜細亜大やたら拓殖やたら、そんなアホ大学に行くやつなんか大学に行くことあらへん。自衛隊に入れろ、自衛隊に。亜細亜大やたら拓殖やたらに行くようなやつは大学に行くな。甘ったれるなあ!」と言っていたのだが、日吉台学生ハイツの元自衛隊のおっさんが「親に感謝」とか書いてくると、「ええ~えこと言いはるっ♪ そうや、『親に感謝』や。わしに感謝!」と言うのだった。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に孝に孝に。わしのために、わしのために、わしのためにためにために。すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために、捧げ尽くす、捧げ尽くす、わしのために捧げ尽くす、犠牲になる、犠牲になる、わしのために犠牲になる、戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元。とてっちってたあ~あ♪」と叫びまくっておった。そして、「わし、今まであんたに、わしに孝行せえよなんてことは、たったの一言として言うたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」とおっしゃるのだった。あんた、今、言うたやろうが。あんた、今、言うたばっかりやろうが。あんた、さっきから言いまくっておったやろうが、と思うのだが、「わしは、今まであんたに、わしに孝行せえよなんてことは、たったの一言として言うたことはないはずや。わからんかあ。わからんのんか~あ」とおっしゃるのだった。「さあ~あ」と言うと、「わからんのか、こいつ。難儀なやっちゃな。こいつ、ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー。こいつ、わしはこれまでこいつに『わしに孝行せえ』なんてたったの一言として口にしたことないのにからに、わかりよれへん。これはロボトミーやって治療してやらんといかん。ロボトミー、ロボトミー、ロボトミー、ロボトミー♪」とおっしゃるのだった。ロボトミーされないためには「はい。今まであなたさまは『わしに孝行せえ』などとは一言として言われたことはありません」と毎日毎日「わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に孝に孝に」と朝から晩まで叫びまくっているおっさんに言わないといけないのだった。そういうおっさんを北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子が「あんたのお父さんみたいなもんのすごいすばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごくうれしいわよ。あなたがそれをそう思えないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたが甘ったれているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからよ。私だったら、あんなものすごいすばらしいお父さんがいたらもんのすごくうれしいわよ」と言われ、そう言ってもらって、うちの父親は「さすがは作野先生は北野高校の先生やなあ。さすがやでえ。ものすごいええ先生やでえ。こういう先生の言うことはきかんといかんでえ」と言って称賛するのだった( 一一) 旧姓作野礼子はそうやって称賛してもらおうと、またもや、「あなたのお父さんほどもんのすごいすばらしい人はなかなかないわよお」と言いまくるのだった。疲れる2人やった。・・この2人には疲れた。あ~しんど・・・

  私が行った頃、1970年代後半の北野高校の良くない所として「小学校型の男女共学」があったと思う。男子生徒は大阪府では最難関の高校だったが、「小学校型の男女共学」、男女比がそう大きく変わらないようにするために、女子生徒は受ければ通る高校だったのだ。そういう「受ければ通る高校」「女子生徒は受験番号と名前さえ書けば合格の高校」に入学して、男子生徒は大阪府で最難関の高校でうまくいくのか、というと中にうまく合って結果として神戸大くらいに行く女性がいたみたいなのだ。旧姓作野礼子さんはそのタイプだと思う。
(1)「受ければ通る高校」に入学した女子生徒が神戸大あたりに行く学習法と、
(2)「(私のような)高校の入試の成績の学年順位からすれば京大に行ける成績」の人間がきっちりと京大に行く学習法と
(3)そういう者が東大に行く学習法
というのは違うと思うのだ。たとえ北野高校卒でも(1)の人は(2)や(3)のことはわからないみたいなのだ。だから、私に平気で「富永の行く大学」みたいなもんに行かそうとしたりするのだ。
  もうひとつ、1970年代後半の北野高校の良くなかった所として、1973年の高校入試から、それまでは北野高校の学区が豊能地区・三島地区・淀川地区の3地区からだったのが、三島地区は別の学区になり、豊能地区と淀川地区が北野高校の学区になったのだが、その地域の体質としては豊能地区と三島地区の方が比較的似ていて、淀川地区は豊能地区とは体質が違ったのだ。体質の異なる2つの地区が北野高校の学区になったのだが、どうも、淀川地区出身者の豊能地区の人間に対する敵意は相当のもので、もしも、「敵意」がそれほどではなければ慶應の内部進学の学校などは「特定の層の人の子弟ばかりが集まる」学校でそこに行くと「内と外」という思考ができて「内」の人間は「外部のやつら」を「教育してやらんといかんからなあ」という思想・観念を注入されることになるのに対して、北野高校のような高校は「さまざまな人と出会えて視野が広がっていい」という面があるのだけれども、淀川地区出身者の豊能地区の人間に対しての敵意は相当のものであったことを考えると、この2つの地区を一緒にして「豊能地区と淀川地区」が第1学区で「三島地区」が第2学区とするのではなく「豊能地区と三島地区」が第1学区で「淀川地区」が第2学区とした方がよかったのではないかとも思えるのだが、そうすると北野高校は豊能地区に属するのではなく淀川地区に属することになってしまうので学力水準が高い地域を北野高校にくっつけておくにはそうはできなかったのだろうけれども、実際問題として豊能地区の人間に対して相当の敵意を持っている人というのが淀川地区出身者にはいた。旧姓作野礼子さんもそのタイプと思われるのだ。
  そして、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という人に高校の先生になってもらうのがいいのかどうか。 旧姓作野礼子さんは「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」とそれを最大の自慢にされるのだったが、そんなもん、自慢されても「知らんがな」。 「父親がいなかった」人といってもひとりひとり違うと思うのだが、旧姓作野礼子さんの場合は、「両親が離婚していない」「父親がいる」という生徒に対して敵意を持っていた人であり、敵意を持っている相手の担任はやらない方がお互いのためだと思うのだ。

   私の場合は、高校2年の時に旧姓作野礼子さんが担任になってしまった、という点が運が悪かったということがあり、浪人中に卒業した北野高校に行く用事があった時に旧姓作野礼子さんと顔を合わせてしまった、というのが不幸だった・・ということもあったが、不幸だったと考えるべきではなく、そうではなく、そういう人に対しての対処法、結論として極力かかわらないようにする・・という対処を私はできていなかった、という点を反省する必要があった。その点で私は「ガードが甘かった」「脇が甘かった」。 浪人して痛い目にあって、おのれの骨と肉のきしみで、これに気づいた・・が、そういうことを学ぶことができたものの、失ったものは多かった。
   柴田孝之は「能力的にも人間的にも優秀な教師というのは、実は多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で書いていたが、そうだと私も思う。

    旧姓作野礼子さんは「私だったら、浪人なんて絶対にさせてもらえなかったわよお」と「不良の富永」とか「最初から1浪で慶應の経済」を目指して行った田名とか明治大しか行けないくせして浪人した大木とかには絶対に言わずに私にだけ言って責めるのだったが、 これだと北野高校に行くとどう考えても損みたいで富永みたいにクロマティ高校に行ったやつの方が得みたいなのだが、私だったら神戸大の文学部なんか絶対に受けさせてもらえなかったし、私だったら高校の先生にはならせてもらえなかった、特に国語の先生にはならせてもらえなかった。
  旧姓作野礼子さんは「私だったら、浪人なんて絶対にさせてもらえなかったわよお」とおっしゃるのだったが、そうならば私みたいに高校3年の時になんとか現役で通りたいと思って努力しているのに父親から「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」なんて言われることはなかったであろうし、母親から「現役で通った男は思いあがった人間になって女を泣かせるから、こいつ絶対に現役で合格させてはいかん。な~にがなんでも浪人させたらんといかん。落ちろ、こいつう。落ちろ、落ちろ、落ちろ~お」と言ってボコボコ殴られたりもしなかったであろうし、そのあたりはうらやましい限りである。

  又、「私は家が貧乏だったんだからねえ」とこれも自慢されるのだが、嘘だろ。私は「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言って行かせてもらえなかった文学部にそれも神戸大の文学部にしか行けないくせして文学部に行かせてもらったのだから旧姓作野礼子の親は金持ちだろうが。嘘つくな。
  又、「うちは高校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われて高校の先生にはならせてもらえなかったものを旧姓作野礼子さんは高校の先生になっていたのだから、金持ちだろうが。「特に国語と社会科の先生には絶対になってはいけません。国語と社会科の先生はアカです。アカの仕事にはついてはいけません。甘ったれるな」と言われたものだが、旧姓作野礼子先生は「国語」の教諭になっていたわけだから、旧姓作野礼子さんの「両親が離婚した」かもしれないが母親はもんのすごい大金持ちだったはずだ。
   又、「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」と自慢されるのだったが、「父親がいなかった」ということは「何でもわしに絶対服従、服従、服従、絶対服従♪」と言う父親がいなかったということだから、うらやましい限りである。大学進学においても父親に妨害されることなく行きたいと思う大学学部に行けるわけだし、就職するにおいても「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います」「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います」「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います」「医学部は行ってはいけません。うちは医学部になんか行かすような金持ちとは違います。6年行かないといけない学部は行ってはいけません。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持ちとは違います」「国家公務員は転勤が多いからなってはいけません」「京大はアカやから受けてはいかん」「商社は海外勤務があるから勤めてはいけません」「出版社はアカですから勤めてはいけません」「朝日新聞社はアカやから勤めてはいかん。毎日新聞社もアカやから勤めてはいかん。マスコミに勤めるなら産経がええ、産経がものごっついええ。朝日新聞の記者は全員、死刑にしろお~お。とってちってたあ~あ♪」と、いいものというものはほとんどないことになったのだが、旧姓作野礼子さんは「父親がいなかった」わけだから、こういったことを言われることもなかったはずで、実際にその時における状況において行ける所で行きたい所に行くことができたはずで、うらやましい限りだった。
  「もしも、女とつきあいたいと思うなら、つきあう前にわしに女をつれてきて、『この女とつきあったらええかと思うんやけど、どうでしょうか』とおうかがいをたてなさい。そうしたらわしと女川先生(うちの父親の「親友」の「医者」で新興宗教の教祖)とでええかどうか決めたるわあ。それよりも、とりあえず、わしと女川先生がお好みあそばす女を10人ほど用意してわしと女川先生の所に連れてこい。そうしたら、その中から『こいつがええ』いうてわしと女川先生とで決めたるわあ。そうやって決めたらええ」とおっしゃるので、「それならお嫁さんなんか要りません」と言ったところ、「そうかあ。そしたらおまえは一生、結婚すんな。せっかくわしと女川先生とで決めたろと言うてあげてやってやってあげてやってやろうと言ってあげておるのにお嫁さんは要りませんと言うなら結婚せんでもええでえ。なにしろ、わしは聖人で英雄でスーパーマンでキリストで釈迦で孔子で孟子で聖徳太子で英雄ヒットラー総統なもんやからな。おまえは一生、結婚するな」と言われることもなかったであろう。うらやましい限りである。
  又、夫が嫌いな妻からは息子というのは「夫の子供」と見えるらしく、あんたの子供とは違うんかい・・と思っても「夫の子供」と見えてしかたがないみたいで、私が高校3年の時、うちの母親から「こいつはお父さんの子やから、やっつけてやらんといか~ん」と言って、ホウキで背後からボコボコ殴られたり、机に向かって学習していると服をつかんで背後にひっくりかえされたりしたものだったが、旧姓作野礼子さんのお母さんはすでに夫とは離婚していたわけだし、旧姓作野礼子さんはお母さんの息子ではないから「こいつ、お父さんの息子やからやっつけてやらんといか~ん」と言ってボコボコ殴られることもなかっただろう。うらやましい限りである。
  うちの母親は「母親には息子に対して所有権という権利がある」と言うのだったが、それで「親権は20歳までのもので、20歳を過ぎた親権は関係ないはずや」と言ったのだが、そうするとうちの母親は「それは親権やろ。所有権は永遠にある。あんたの身体はあんたが産んだんか? 違うやろ。あんたの所有権は永遠に産んだ者にあるんや」とうちの母親は言うのだった。父親はその点についての見解が違った。「母親に産んでもらったと心得違いを起こしてはならぬぞチャンコロろすけっ!」とおっしゃるのだ。「女は単なる畑じゃ。その畑に種を植えてやってやっていただいてもらってくださってあげていただいてもらってあげてくださった方のおかげで種が芽を出したんじゃ。畑が芽を出したのとは違うんじゃ。種が芽を出したんじゃ。そんでもって種が芽を出したら育てるのは畑の役目じゃあ。甘ったれるなあ! そんで、畑が育てて大きくなって実がなるようになったらその権利は種を植えた者にあるんじゃ。所有権は種を植えた者にあるんじゃ、畑にあるのとは違うねん。ましてや茄子や胡瓜にあるのとは違うねん。茄子でも胡瓜でもそうやろ。わかったかチャンコロろすけっ! そやから息子の所有権は種を植えた者にあるんじゃ。心得違いを起こすなよ、茄子。わかったか胡瓜!」とそうおっしゃるのだった。旧姓作野礼子さんは「私は父親がなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」とおっしゃるのだったが、うらやましい。自分に対して所有権を主張する人間が2人ではなく1人というのは、本当にうらやましかった。
  旧姓作野礼子さんは「うちは家が貧乏だったから」と自慢なさるのだったが、↑ のように嘘だろう。私は大学に進学する時、「家が貧乏だった」という人がうらやましかった。「家が貧乏だった」なら日本育英会奨学金を受給して自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に進学することができた。それに対して、我が家はうちの父親の年収が日本育英会奨学金を受給できる基準より多かったので受給できなかった。そのため、「なんでもカネ出す者に決める権利があるんや」とうちの親は言い、私は結果として日本で一番嫌いな大学で首をもがれても行かされたくないと小学生の頃からずう~っと思い続けてきた学部に暴力で行かされた。私は「家が貧乏だった」人で日本育英会奨学金を受給できる金額よりも親の年収が少ない人がうらやましかった。親は「なんでもカネを出す者に決める権利がある」と言うが日本育英会奨学金はそういうことは一切言わないので、日本育英会奨学金から学費を出してもらえる基準より親の年収が少ない人が本当にうらやましかった。
  北野高校は行きたいと思って行った高校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して10年以上経って落ち着いて考えてみると、そんなにいい学校ではなかった。特に旧姓作野礼子に2年の時に担任もたれたのは災難やった。あの女、いったい何様やと思うとんねん・・と思う。「わたしは浪人なんかさせてもらえなかったんだからねえ」と言って責められるのだったが、私だったら神戸大の文学部なんかたとえ行きたいと思ってたとしても言ったとしても絶対に行かせてもらえなかったし、私は高校の先生、特に「国語」の先生にはならせてもらえなかったし、つくづくうらやましい限りである。


[12] 「紙に見放されたら、おのれの手でうんをつかめ」
  知ってますか。大学入試の日の休憩時間というのは、男便所は大便用が混むのだ。 コンサート(音楽会)の休憩時間のトイレは女便所hが混むが男便所はそれほどではない。 これには理由がある。音楽会は演奏中に席を立って出ることができないので、休憩時間にトイレに行っておこうと多くの人が行くが、男性が小便をする時間と女性が小便をするのに要する時間とでは男性の方が所要時間は短く、男便所の小便器の方が数も多いのではないかと思われる。それに対して女便所の数は男便所の小便器よりは少ないのではないかと思うのだ。だから、そう長くない休憩時間に多くの人が集中すると音楽会の会場のトイレは女便所が混むことになる。
  ちなみに、高速道路のサービスエリアのトイレはけっこう数があってそんなに無茶苦茶、女便所が混んでるわけでもなさそうなのに、なぜか、男便所を使いたがるおばさんがいるのだが、それはおばさんの特徴だから、しかたがない・・か。
  それで、なぜ、大学入試の日に男便所の大便用が混むかというと、試験の科目が何科目かあるとその間の休憩時間にトイレに行く人間が集中するからということもあるが、それ以上に大きな理由として、大学入試の日に下痢をする者が多いのだ。 それが、女便所の場合は小便用も大便用も一緒だから、大便をする者がいくらか増えたとしても、元々の数が多いからまだいいのだが、男便所の大便用トイレは女便所と比べて数が少ないので、それで試験の日の男便所は混むのだ。

  そして、ここが問題だ。最近では「備え付けの紙以外は流さないでください」と書かれたトイレを見ることがあるが、そのトイレの「備え付けの紙」というのが必ずあるという保証はない。
  今、思い出すと、私は2浪の時に、共通一次試験の直前、何日か連続で下痢したのだが、なぜか共通一次試験の日から治まった。それに対して、1980年1月、大阪大学豊中キャンパスに共通一次試験を受けに行った時、共通一次試験の日に下痢したと思われる者が何人も男便所の大便用に並んでいたが、そのひとりが大便用のトイレの扉を開けて中を見て「ないのかあ」とつぶやくのを見た。そういう場合、どうしたものだろうか。昔から言われるのは、
「紙に見放されたら、おのれの手でうんをつかめ」
という言葉だが、下痢をした時にはどうつかめばいいのか。
  そういう時のために、「トイレに流せるティッシュ」のポケットティッシュを1つは試験を受けに行く時に持って行くべきだ。


  「試験だからと下痢するやつなんて情けないやつだなあ。俺は大丈夫だ」とか思わない方がいいよ。そうなった時、「紙に見放された時には、おのれの手でうんをつかめ」て、冗談じゃなくて本当にそういう境遇になるよ。
・・・で、大阪大学豊中キャンパスで共通一次試験の時に男便所の大便用の扉を開けて中を見て「ないんかあ」とつぶやいた男は、だからといってやらないですますことはできなかったので中に入っていったが、終わった後、彼がどうしたのか・・・それは本人以外は誰もしらない・・。


[プラス1] 怒りの右ストレート
   1980年の3月、東大の駒場キャンパスにそこはそれまでに何度か行ったことがある場所だけれども、それでも試験日の前日に試験会場の場所に行っておいた方がいいと思って行き、駒場キャンパスの最寄駅の京王帝都電鉄井の頭線「駒場東大前」駅から電車に乗って「渋谷」駅で降りようとした時、扉の前あたりに私より1つ年下で私と同じ中学校から同じ北野高校に行って東大の文科三類に現役で行ったUくんがいるのに出会った。
  Uくんは私に「来てもらえたらうれしいです。ぜひ頑張って通ってください」と、そう言ってくれたけれども、それでも私は落ちてしまった。
  それに対して、2浪もして慶應大学の商学部に入学することになってしまい、横浜市港北区の日吉台学生ハイツに住むと、そこに同じ小学校・同じ中学校から同じ北野高校に行って現役で慶應大経済学部に入って日吉台学生ハイツに住んでいたS本 彰 と出会った。阪本は私にこう言ったのだ。「小学校の時も、中学校の時も、高校の時もおまえの方がおれよりも成績が良かったかもしれないけれども、これで俺の方がおまえよりもえらいんだからな。俺はこれからおまえが死ぬまで、いつでも好きな時に好きなだけ、おまえに『3べんまわってワン』と言わせる権利があるんだ」と。
「隠れてうどんを食ってた男」が私にそう言ったのだ。〔⇒YouTube-【PS2】あしたのジョー 「西、うどんを食べる」https://www.youtube.com/watch?v=HdIbe1p6Zxc 〕
その「隠れてうどんを食ってた男」が私にそう言ったのだ。それにしても、小学校の時の同級生に向かって、小学校の時からの同級生に向かって、よくそういう口をきくなあ、と思ったが、阪本という男はそういう人間だったようだ。考えてみれば、阪本という男は小学生の時からそんな男だったような気がする。
  元外務省の佐藤優が拘置所に入れられた時、刑務官から「あなたなら大丈夫だと思うのでお願いしたいのだが」と頼まれ、「隣り、少し難しい人なんだけど、いいかな」と言われ、「難しい人ってどう難しいのですか」ときくと「確定者。これ以上は言えないけど、あなたならわかるでしょ」と言われた。「確定者」とは死刑が確定した人のことで、死刑囚は死刑という判決は受けても懲役や禁固の刑は受けていないので刑務所に入れるわけにはいかないので拘置所にいるらしいのだが、死刑を宣告された人というのは精神的に不安定になりやすいらしい。「別にかまいませんよ」と佐藤優は返事したが、夜になると片側の部屋の「確定者」がうめきだした。「死にたくないよお」「どうして死ななきゃいけないんだよお」と。大丈夫ではなかった。その時、もう片方の部屋の「確定者」が「今は夜で、みんな寝ているんだから静かにしなさい」「不服があるなら裁判で言えばいいでしょう」とたしなめた、という。翌朝、刑務官がたしなめた側の「確定者」の所に行って「昨日はありがとうございました」とお礼を言っている。見ていると、その「確定者」は刑務官からもほかの入所者からも何か尊敬されているかのように見える。いったい、この人は誰なんだ、と思ったが刑務官に尋ねてもそんなことは教えてくれない。廊下から見ると部屋のすりガラスの向こうに新聞をファイルして並べてあるのが見える。ゴミを出す日に廊下に段ボール箱に新聞紙を貼ったものに燃えるゴミを入れて出してあるが、そこに貼られている新聞を見ると「朝日新聞」を読んでいる。⇒インテリなんだな、と思った。髭剃りをおこなう際に、その隣人の髭剃り器が間違えて佐藤優の所に届けられたことがあり、そこに名前が書いてあった。隣人の名前は「坂口弘」。日本赤軍のあさま山荘事件の坂口弘だった。
刑務官が「こういうことを言うのは何なんだけれども、こういう所に入っても、いや、こういう所に入った時にこそ、その人の人間の違いというものが出るように思うんだ」と話した、らしい。 なるほど、そういう時に人間の違いというものが出るわけだ。小学校の時からの同級生と会って「小学校の時も、中学校の時も、高校の時もおまえの方がおれよりも成績が良かったかもしれないけれども、これで俺の方がおまえよりもえらいんだからな。俺はこれからおまえが死ぬまで、いつでも好きな時に好きなだけ、おまえに『3べんまわってワン』と言わせる権利があるんだ」と、そういう口をきく男というのは、自分はそういう人間なんだと自分で表明してくれたわけだ。
誰がこんなやつの行く大学になんか行くかあ・・と思ったが、私の周囲の人間は再受験させてもらって納得のいく大学に行かせてもらう者が多かったが、私だけは「阪本の行く大学」みたいなものに行かされてしまった。
今でも「誰が阪本の行く大学みたいなものに行くかあ」という気持ちは変わらない。〔⇒YoiuTube-明日への叫び~あしたのジョー2のテーマ https://www.youtube.com/watch?v=YM-9qTdaS8c 〕
私が高校3年の時、うちの母親が「東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、絶対に合格させてなるものかあ」と言って、夜、私が家で学習していると背後からホウキでボコボコ殴りつけたものだったが、どう考えても、このような阪本タイプは東大の学生よりも慶應大の学生の方が多いと思われる。「隠れてうどん食ってた男」が。
  その時は、そんなやつに腹を立てるのは大人げないと思って我慢したが、今になって考えてみると、我慢しないで「たっぷりとウエイトの載った右ストレート」でもお見舞いしてやればよかったかな・・と思ったりもする。ホセ=メンドーサのコークスクリューパンチでもお見舞いしてやればよかったか。 もっとも、『ルパン三世』に登場する石川五右衛門は名刀流れ星で切った後、「また、つまらぬものを切ってしまった」とつぶやくのだが、あんなつまらぬやつに右ストレートなんてお見舞いしても、「また、つまらぬやつに」ということになったかもしれない・・か。
※ YouTube-またつまらぬものをhttps://www.youtube.com/watch?v=auWUCyFnU88

[プラス2] いかにも私立金権医学部裏口入学卒らしい男
  東京都文京区本郷の東大本郷キャンパスの中に東大病院(正式名称は「東大医学部付属病院」)というのがあって、1981年、そこに勤めていたF山という男(当時、30歳)が私に「このぼくは東京大学理科三類現役合格なんだぞお。それもぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。ゆうゆうと高得点で理科三類に通った秀才なんだぞお。わかってんのかあ。それに対して、きみは2浪もしても文科三類すらも通れないで慶應にしか行けない人間のクズだろうが。わからないのか。このぼくは天才で人格者なんだ。それに対して、きみは浪人しても慶應にしか行けない人間のカスだろうが」と何度も何度も言ったものだった。
  なんで、こいつにそういう口をきかれなければならないのか、と思ったが、それよりも、最初、F山は東大本郷キャンパスの中の東大病院に勤めていて「このぼくは東京大学理科三類現役合格の人間なんだ」と言うから、本人がそう言うからにはそうなのだろう、と思ったのだが、何か変だな・・と感じたのだ。 どこが変かというと、
《1》  北野高校の卒業生には京大医学部とか阪大医学部とかに行く人は毎年あったが東大の理科三類に行く人はあまりなかったのだが、東大に行く人はあって、そういう人の知り合いで正真正銘、東大の理科三類現役合格という人はいて、そういう人と会ったこともあったのだが、なんかF山はそういう人とは感じが違う印象を受けたのだ。
《2》 そして、私は高校卒業時に東大を受けて落ちて、1浪の時に高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子から「浪人したこと」を責められたことからそれを挽回するためにはと考えて「次は1番で通る」とか考えてしまって失敗したが、その失敗の経験から2浪目にはそうではなく、「ともかく通ればええんや」と認識するようになった。大学入試は「走り高跳び」のようなものか「ハードル」かというと「ハードル」であり、「高く跳ぶ」必要はなく「ぎりぎりでもいいから確実に」「速く跳ぶ」ことが大事なものなのだ、と認識した。そんなことは最初からわかってると言う人もあるかもしれないが、これは「おのれの骨と肉のきしみで学んだ」ものであり、理屈としてわかっているのとは意味が違う。
  山田久志『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)によると、1971年の日本シリーズの第3戦、阪急が1-0でリードした9回の裏、王に逆転サヨナラスリーランホームランを打たれて負けた阪急の山田は、銀座だったかに飲みに行って帰り、タクシーに乗ると、タクシーの運転手は巨人ファンのようで「お客さん、きょうの日本シリーズはすごかったねえ。さすがは王だねえ」と語り続けたらしい。「でも、阪急のあの山田って若い投手も良く投げたねえ」と運転手は言ったらしい。降り際、山田は「運転手さん。山田はぼくです。ぼくがその山田です」と、そう話して降りたそうだ。その後、なんで、あの球を打たれたのかわからない。王が苦手とする内角低めぎりぎりのコースで球威も十分。失投を打たれたのならともかく、そうではない。あの球を打たれるのなら、もう王に投げる球はない。王は人間じゃない、とまで思ったそうだ。日本シリーズから日が経って、先輩投手の米田から「あの球はやっぱり少し高いで」と言われた。「もしも、ヤマが最初からあのコースをねらって投げたのなら高い球ではない。しかし、ほんの少しでも下を狙って投げたのなら、やっぱり高いで」と。そう言われて考えてみると、最後、王に打たれた球は「この1級で終わりじゃあ」と思って「内角低めぎりぎりのストライク」をねらって投げたが、そうではなくて「内角低めぎりぎりのボール」を投げておけば、さすがにいかに王といえどもボールの球をホームランは打てなかったのではないか。 8回に代打に出た上田にヒットを打たれたが、そこを抑えておけば9回に際強打者の王に打順がまわらなかったはずだ。柴田にフォアボールを出したが、そのボールと判定された4球のうち2球はストライクがあったように思うと山田は言うのだが、野村じいさんが書いていたものによると「日本シリーズで巨人が負けそうになると審判が必ず何かする」と言われていたらしく、江本は「巨人との試合で巨人がリードされていると試合の終盤に近づくとストライクゾーンが狭くなっていく」とYouTube で話していたが、そうであるのかないのか、ともかく、そういったことがあるかもしれないという認識ができていなかった。そして、王の前の3番打者の長嶋の二遊間への打球、ショートゴロでアウトだと思ったら遊撃手が捕れなかった。捕れたと思うがなあと山田は思ったらしいが、監督の西本も思ったらしく「打率ゼロでも動きのいいショートが欲しい」とその日本シリーズの後、東映と「阪本・岡村⇔大橋・種茂」の遊撃手・捕手交換のトレードをおこなった。
(1)「内角低めぎりぎりのストライク」ではなく「内角低めぎりぎりのボール」を投げるべきだった。
(2)8回にヒットを打たれなければ、9回にセリーグ最強打者の王に打順はまわらなかった。
(3)ストライクと思う球を審判がボールと判定してフォアボールにされる可能性もある、という認識。
(4)ショートゴロと思ったものをショートが捕れない、ということがある。
そして、何よりも、
(5)あの場面、空いている塁があった。野球は「ともかく勝てばええんや」と考えると、あの場面、「セリーグ最強打者の王と勝負する必要はなかった」と。
山田が書いていたが、こういったことを日本シリーズでサヨナラスリーランホームランを王に打たれたことで学んだそうだ。特に、「男と男の勝負じゃあ」とか言う者がいると「青いやっちゃな」と思うようになった、と。 最近、YouTube で山田が話していたが、今でもその時のサヨナラスリーランホームランについて人から言われるというのだが、王から「山田くん、それは山田くんがホームランを打たれたから言われるのじゃないよ。山田くんがその時の経験を活かしてその後、活躍して実績を残したから、だから言われるんだよ」と言われたそうな。
※ YouTube-1971年日本シリーズ第3戦 王、逆転サヨナラホームラン ~ラジオ関東https://www.youtube.com/watch?v=N7ENSAssLcg
入学試験・資格試験というものは、試験によって高得点で通った方が評価が高い試験というものもあるようだけれども、基本的には「ともかく通ればええんや」というものであり、入学試験とか資格試験とかは「走り高跳び」か「ハードル」かというと「ハードル」なのだから、そうなると「このぼくはぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。このぼくはゆうゆうと高い点数で通ったんだぞお」と言われても、「それがいったいなんぼのもんや」てものだ。 入学試験・資格試験というものは「ともかく、通ればええんや」と考えるべきもので、「ものすごい高得点で通ったんだぞお」と言われても、「それがどうした」てものだ。 もしも、東京大学理科三類合格なら、こういったことを理解できていてよさそうなものだが・・と私は思ったのだ。
  そして、もうひとつ、おかしいと気づいたものがあった。
《3》 合格発表の会場で発表されるのは、合格者の受験番号だけだ。 京大・阪大・神戸大は合格発表会場では何点だったかは発表しないが、通った場合も落ちた場合も、卒業した高校に何点だったか通知するらしく、高校3年の担任の教諭の所にききにいけば自分が何点で通ったか、何点で落ちたかということを教えてくれたのだが、東大は合格発表会場で見て合格か不合格かわかるだけで、卒業した高校にも何点だったかは通知しなかったのだ。だから、F山が「このぼくは理科三類に現役でものすごい高い点数で通ったんだぞお。ぎりぎり通ったんじゃないんだぞお」と言ったとしても、東大は合格した場合も落ちた場合も何点だったかは教えないのでF山は何点だったかわかったはずがないのであり、「このぼくは、ぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。ものすごい高得点で通ったんだぞお。そのものすごい高得点で通った秀才のこのぼくが言うことがわからないのかあ」とか言いまくるのだったが、それはF山が「ものすごい高得点で通った」と勝手に思っていただけのことで、実際に何点だったかはわからないはずなのだ。
  この《1》~《3》の3点で「なんか、おかしい」と感じたのだ。
・・・・そして、わかった。藤山が東京大学理科三類現役合格というのは、嘘だった。 藤山はT京大学医学部卒ではあったが「東京大学医学部卒」ではなく「帝京大学医学部卒」だった。藤山が「このぼくは東京大学理科三類に現役で、ぎりぎりではなくゆうゆうと高得点で通ったんだぞお」と言ったのは、東大を受けたことがないから京大・阪大・神戸大と違って東大は入学試験での点数が何点だったか受験者および出身高校に通知しない、ということを知らなかったのだ。
考えてみれば「いかにも、私立金権ドバカ医学部裏口入学卒のやつが言いそうなことだった( 一一)
  私は、世の中、学歴詐称するやつというのはゴマンといる・・・ということを知らなかった。学歴詐称する人はいるだろうけれども、そんなにいっぱいいるとは思ってなかったが、そうではなかった。ゴマンといるのだ。
  さらに、藤山は「ぼくは貧乏だったから」などと私に言ったことがあったのだが、よく言うわ♪ と思う。私立金権医学部裏口入学卒のやつが貧乏なわけないだろうが( 一一)  よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ 〔⇒YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー https://www.youtube.com/watch?v=Xx47Nv4ndKA  〕 東京都文京区本郷 の東大本郷キャンパスの中の東大病院(東京大学医学部付属病院)というのは東大医学部卒の医者が見ているのだろうから、カネとコネがあればバカでも入れる私立金権医学部卒の医者とは違って東大医学部卒の医者が診る病院はいいのではないか・・と考える人がいるようだが、実は、日本の医学部と病院というのは系列があって、関西では京大医学部と阪大医学部を頂点としてその系列・配下・植民地の大学・病院があり、関東では東大医学部と慶應医学部を頂点としてその系列・配下・植民地の医学部・病院があって関東でも千葉県限定では千葉大医学部を頂点とする病院があるらしく、東大本郷キャンパスの中にある東大病院(東大医学部付属病院)というのは実は東大医学部卒の医者ばかりが診察しているわけではなく、東大医学部帝国主義の配下の植民地医学部卒の医者が勤めているらしいのだ。かつ、東大病院に医師として勤めていると東大医学部卒なのか? ・・みたいに見えるところが現実にあるので、実際には「T京大学医学部卒」でも「東京大学医学部卒」ではなく「帝京大学医学部裏口入学卒」の医者が「このぼくは東京大学理科三類現役合格なんだぞお~お。わかってんのかあ~あ。このぼくは能力が優秀で人格がすぐれている人間なんだ。わかってんのかあ~あ」と叫ぶ・・ということがあるようだ。うちの母親は私が高校3年の時に「東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、何が何でも落としてやらんといかん。何が何でも落としたるう」と言って私が学習していると背後からボコボコとホウキで殴ったりしたものだったが、東大に実際に行った人間と東大に行きもしないで「このぼくは東京大学理科三類現役合格なんだぞお~お」と叫んでいるやつなら、どちらが思いあがっているかというと後者の方ではないか、と思うな。
そういえば、1980年代後半、小堀住研(株)の千葉支店にいた犀川(男。当時、30代なかば)は「わたし、早稲田の建築でてますから」とお客さんに言うておったらしい、日大芸術学部卒のくせに( 一一) おまえ、「早稲田の建築」でてるみたいな顔してないだろうが・・と思ったが、世間一般に「早稲田の政経」は学歴詐称の定番だが建築業界では「早稲田の建築」は学歴詐称の定番でそういうことを言うのが「営業力」とか思ってる人というのがいるみたいだ( 一一)  東京都文京区本郷の東大病院勤務の医者においては「東京大学理科三類現役合格なんだぞお」という詐称が「定番」かどうかはわからんがあるようだ 世の中、そういうやつはいっぱいいるみたいだ( 一一)
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康

  東京都文京区本郷の東大病院(東京大学医学部付属病院)に「医師」として勤務している男で「このぼくは東京大学理科三類現役合格なんだぞお~お。わかってんのかあ~あ」と叫ぶ男がいたら「ほんまかあ~あ」と思った方が良さそうだ。 予備校の事務職員でろくなこと言えない人間で亜拓大東帝国みたいな顔して「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と1日に最低3回は言わないとおれない症候群 の男がいたら「嘘やろお~お」と思った方が良さそうだ。日本という国においては「早稲田の政経」は学歴詐称の定番である。建築業界限定においては「早稲田の建築」は学歴詐称の定番である。
  ついでに、北野高校で「漢文」を教えておられた藤尾先生は「お母さんと懇談なんかしますとね。私の顔を見て『東大でたって出世するとは限りませんからね』なんて言われるんですよね。そう言われるもんだから『そうですね』なんて言っちゃいましてね」と授業中におっしゃるのだったが、藤尾先生は東大の文学部の中国文学科を卒業し在学中に教員養成課程を履修して「国語」科の教員の資格を取得して卒業後に北野高校の教諭になって「国語」の「漢文」と「現代国語」を教えて、1970年代後半において40代で学年主任になっておられたわけで、東大の文学部を卒業して「国語」の教諭の資格を取得した人の就職先としては高校の「国語」の先生というのは悪くないはずで、もしも、国家公務員として出世したいのならば東大でも文学部ではなく法学部に行って国家公務員1種試験を受けて国家公務員になる道に進むべきだし、商社とかで出世したいのならば東大でもそれ以外の大学でも経済学部とかに行くべきだし、東大でも文学部に行って中国文学科を卒業した人の勤め先としては大学院に進んで大学の研究者になるのでなければ高校か中学校の先生か、そうでなければ新聞社とか出版社とかそういった所が考えられる勤め先であり、高校の「国語」の先生というのは東大の文学部中国文学科卒の人の勤め先としては悪くないはずで、何も「お母さんと懇談なんかしますとね。私の顔を見て『東大でたって出世するとは限りませんからね』なんて言われるんですよね。そう言われるもんだから『そうですね』なんて言っちゃいましてね」なんて言わなくてもいいのじゃないか、と思ったのだが、これをクラブのOBに話したところ、「違うねん、違うねん。あれは藤尾はそういうことを言うことで『自分は東大出なんだ』と言いたいねん。だから、あいつがそういうことを言いだした時には無視してやらんとあかんねん。相手にしたらあかんねん。無視したらんとあかんねん。無視、無視。そういうことを言い出した時は」と言うので、そうなのかな・・とその時は思ったのだが、それから何年か経って、なるほど、そうだなと思うようになった。なんというのか、別に東大が悪いわけではなく東大出たというのも悪いことはないのだが、””そういうことを言って「自分は東大出なんだ」と言わなきゃおれないシンドローム””のおっさん・・て、なんだかなあ~あ・・・と思うようになった( 一一)  なんだかなあ~あ( 一一)
ついでに、藤尾先生は遅刻してきた女子生徒がいると「今後は遅刻しませんと指切りしよ」と言って「指切り」を強制していたが、藤尾先生は「セーフ」だと思ってやっていたようだが、あれは「アウト」です。 藤尾先生には「セクハラ 藤尾」の名称、もしくは「東大出のセクハラ 藤尾」のニックネームを贈呈しよう。
「東大出のセクハラ 藤尾」と。
  北野高校の「漢文」の教諭だった藤尾 先生は「私なんかは教養がにじみ出てますもんでね」と、半分冗談言ってるような調子の表現で実際は「そう思ってくれ」と圧力加える発言を授業中になさるのだったが、「教養」て何だろうか? 「教養」というのは「京都大学の吉川幸次郎先生が・・」とかそういうのが「教養」ではなく、遠山啓(ひらく)は『競争原理を超えて』(太郎次郎社)で、小学校から中学校にかけて「術」を学び、その「術」を使って中学校から高校にかけて「学」を学び、そうやって学んだ「学」から「観」を身につける、そういう学問的努力によって身につけた「観」により、女子生徒に「指切りしよ」などとアホなことは言わない、やらない、ものすごい努力によって言わない・やらないのではなく、自然と言わない・やらない・・というようになるのが「教養を身につけている」、そういった認識が常に発揮されるというのが「教養がにじみ出ている」と言うのではないのか。遅刻してきた女子生徒に「指切りしよ」などという しょーもないことしいのセクハラおやじ に「私なんかは教養がにじみ出てるもんですからね」などと言われても・・⇒「東大でても、これか」・・となる。
人間詩話 (岩波新書 青版 278) - 吉川 幸次郎
人間詩話 (岩波新書 青版 278) - 吉川 幸次郎
↑ これが「京都大学の吉川幸次郎先生」の『人間詩話』(岩波新書)だが、読んで悪い本ではないが、「セクハラおやじ」に「京都大学の吉川幸次郎先生が・・」と言われても、これを読んだから「だから、何なんだ」となる。 「漢文」の先生が中国文学に関する大学の先生の著書を多く読んでいたとしても、それは他の人間よりもそういった本を読む時間を多く持っている、というだけのことだ。これは、かつて1980年代に、慶應大学の「学生相談室」に行った時、私は自分自身が心理学・精神医学・精神分析学・心身医学・カウンセリングとかそういったものの研究者になりたいと思っていて、フロイトとかユングの本を読むとフロイトやユングは自分自身が精神分析を受けることが精神分析家には必要と考えていて自分自身が精神分析を受けていて、カール=ロジャーズは自分自身がカウンセリングを受ける体験が必要だと考えていたといったものを本で読んでいたので、そのために一般の学生よりも「学生相談室」といったものに好意的に考えていたことから「相談」に行ったことがあり、その結果、慶應大学の「学生相談室」というのは内部進学の人のいびつな世界観を基にした有害無益なものだと実感したのだったが、その際に慶應大学文学部心理学科講師で「カウンセラー」のT橋たまき さんが「精神分析教 教祖」小此木啓吾のことを「小此木啓吾先生は精神分析について、大変、博学なんですよ」と言って称賛したのを聞き、それはなんか違うのではないか・・と思った。それは要するに、小此木啓吾という人は他の人間よりも精神分析学関係の本を読む時間を多く持っている・・というだけのこと! 大工がほかの職人よりも大工仕事についてよく知っている、左官屋が左官仕事についてほかの職人よりもよく知っている、という類のことでしかない、むしろ、大工は自分が施工した家の工事の結果がよくなければ苦情を受けるのに対して小此木啓吾はおのれが「治療」した「患者」がよくならなければ「患者」が悪い、「重症」「病気が重い」と「診断」して「患者」のせいにするのであり、そういういつでも「患者」のせいにする者が「外罰的性格」と考えずに「医者」の「治療」が間違っている、「医者」の「治療」が悪いと言う者を「外罰的性格」と「診断」して「治療」と称して「人間による人間の加工」をおこなうのであり、慶應大学医学部助教授の内部進学小此木啓吾が精神分析学関係の本をほかの人間より多く読んでいたとしても、「だから、何やねん」てものであろうが・・と思ったのだった。「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」等については特に顕著であるが他の分野においてもそれと同様の人はいると思うのだ。北野高校で「漢文」を教えておられたセクハラ藤尾先生にしても「京都大学の吉川幸次郎先生が・・」というそういう中国文学についての大学の先生の著書を多く読んでいたとしても、それはセクハラおやじが他の人間よりもそういった方面の本を読む時間を多く持っていた、というだけのことだ! 小此木啓吾みたいや。 つまんねえ、野郎だなあ・・てものだ。
・・・ちなみに、現役で京大だけ受けて通って行ったという人や東大だけ受けて通って行ったという人は京大の問題を1回受けただけ、東大の問題を1回うけただけだろうが、私は何の因果か2年も浪人するはめになってしまったおかげで国立大学の問題も何回か受けたし私立大学の問題も何校も受けたし共通一次試験も複数回うけたが「京都大学の吉川幸次郎先生」の著書からの出題はどこの大学でも1回もなかったからね。「京都大学の吉川幸次郎先生」の本が悪いわけではなく、読みたきゃ読んでもいいけれども、大学入試には出ないから。(今後、全国のどこかの大学の入試の「国語」の問題で絶対に出ないかどうかはしらんけども、優先的に読まなきゃならんというほどは出ないと思う。別に読みたい人は読んでいかんことはないけれども、それを読んだらセクハラおやじが「教養がにじみ出てる」ということになるわけではない・・と思うよ( 一一)  )
「東大でたってセクハラなんですよね・・なんちゃいましてね」 ・・・・


「全ての受験生を応援する」
少しは役に立つものがあると思う。
フリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』の冒頭に、
「万人に与える書、何人にも与えぬ書」
と書かれている。役に立つ人はいると思う。役に立たないと思うなら、それならそれでしかたがない。

※ 新井薬師HP https://araiyakushi.or.jp/ 
ウィキペディアー梅照院 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%85%A7%E9%99%A2 

 (2025.1.12.)

[追加]  柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)に、入学試験の日に大雪が降るといったことも可能性としてはあるので、そういうことを考えて、たとえば東大を受けるのならば東京圏の住人なら自宅から受けにいけばいいと考えずに、試験会場が東大の本郷キャンパスの場合、本郷キャンパスの西側には旅館が何軒かあるので、そういう所に前日から宿泊すれば、たとえ、大雪で電車が止まったという場合でも歩いて受けに行くことができるので、本命の大学の受験の日は前日からそういう旅館やビジネスホテルに泊まるのがいい、と述べていたが、なるほど、そういうこともあると思う。 大学受験の難しい所は、就職してから資格試験を受けるとかの場合とは違って、そういう費用を受験生が出すのではなく親が出すという点があり、うちの父親などは「しぶちん」「しみったれ」だったので、そういう費用を出してくれともしも言っても出してくれなかったであろうし、まず言えなかった。大学入試は公平ではない、と思う。
  ちなみに、東大の本郷キャンパスの西側には、旅館街というほどではないがなぜか旅館が何軒かあるのだが、南側には湯島天神があり「文京区」なんて区の名前をつけていて天神さんがあるくらいだから文京地区かと思いがちだが、夏目漱石『坊ちゃん』には「湯島の陰間」なんて言葉が出てくるのだが、かつては湯島には「陰間茶屋」なんてのがあった所だけに今でもラブホテルがあり、東大の本郷キャンパスの東側、不忍池の南のあたりは池波正太郎『鬼平犯科帳』とかに「池之端の出会い茶屋」なんてのが出てくるくらいで今もラブホテルなんてのがあるみたい・・だが、大学受験時には大学に近いとはいえ、そういうのは・・やめた方がいい・・と思う。
  東大の本郷キャンパスは西側に旅館があるが、すべての大学学部にすぐ近くにホテル・旅館があるわけではないので、電車が止まっても歩いていける場所に宿泊したいと思っても無理な場合もあるが、地方から受けに行く場合には「いいホテル」ではなく「受験会場に近いホテル」を考えるべきで、又、普段なら電車・バスで行ける場所の場合でも試験の日については、たとえ、当日に大雪が降る、あるいは人身事故で電車が大幅に遅延するといったことがあった場合のことを考えて、前日から「比較的近いホテル」に宿泊する、ということは考えていいのではないかと思う。受験生の過半数が試験開始時刻を大幅に遅刻してくるようなら試験実施者も何らかの対応を取る可能性が考えられるが、自分とあと数人というくらいなら無視して進められる可能性が考えられる。 今は昔、慶應大学の日吉キャンパスで慶應大の法学部の試験を受けるために、千葉県市川市のうちの姉が結婚した夫婦の家に泊めてもらって受けにいったが、JR総武線「本八幡」からいくつも乗り変えて日吉まで行くのは遠かった。親戚の家に泊めてもらっても、何もお礼しないわけにもいかないだろうから、それを考えればビジネスホテルに1泊しても5千円前後だと思うので、比較的近い場所のビジネスホテルに泊まるようにした方がいいと思う・・が「しぶちん」「しみったれ」の父親の息子はこの点で不利だ。
  もう、大学を受ける年齢でなくなった時に、2月だったか3月だったか、大阪府豊中市の阪急宝塚線「蛍池」駅の近くのビジネスホテルに泊まった時に、阪大を受ける受験生が宿泊していたようだったが、大阪大学の豊中キャンパス(大阪府豊中市と池田市と箕面市の境目付近の豊中市にある)は阪急宝塚線・箕面線「石橋」駅(今は「石橋阪大前」駅になった)と宝塚線「蛍池」駅の間の位置にあるが、最寄駅「石橋」の場所にビジネスホテルが2軒、最寄駅「蛍池」にも2軒ほどあったが、地方から受験に行く人はそういう近い場所で泊るようにするのがいいと思う。 親戚の家に泊めてもらうと、ビジネスホテルに泊まる場合の宿泊料がかからないといっても何もお礼しないわけにもいかないだろうからビジネスホテルに約5千円払う方がいい・・ということがあるし、それより何より、通ればいいが、大学受験というのは・・絶対通るとは決まっていない・・ということを考えると、親戚の家に泊めてもらって受けに行くというのは、私はあまりお勧めしない。同じ理由で合格発表を見に行くのも親戚の家に泊めてもらって見に行くのは避けた方がいい。
そのあたりを理解できている親の息子がうらやましかった。
  大学に入学してから下宿する場所を選ぶ場合と、大学を受ける時に停まるホテルを選ぶ場合は同じではない。下宿する場合は、大学と最寄駅が同じ所で住むと、まわりも同じ大学の生徒だらけで帰っても家に帰った気持ちになれない・・ということがあり、私も、1980年代、東急東横線「日吉」駅のすぐ南にあった日吉台学生ハイツにいた時、慶應大学のステューデントカウンセラーズにいたNとTがアポなしで来て「入れて」と言うので入れるといつまで経っても帰らず、「いくらなんでも、もう帰れよ」と思っても帰らず、こちらの予定も都合も考えずに帰らず、「ぶぶづけでもどないだすう」と言えばよかったのかもしれないが、困ったことがあった。
〔このような、相手が「もう帰ってくれよ」と思っても理解しない無神経な人間のことを「慶應心理学」では「人間を知っている」とか「塾風を身につけている」とか「独立自尊の精神がある」とか言うみたいで、慶應大学の「学生相談室」の「カウンセラー」はこういう人間を「自我が確立されている」とか「カウンセリングマインドを持っている」とか「診断」するらしいが・・なんでやねん、なんで、そんなんが「自我が確立されている」やねん、なんでそんなんが「カウンセリングマインド」やねん、逆と違うんかいと言うと「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らってそう言うということですね」とか「診断」されるから怖いから逆らわない方がよさそう・・ほんとに怖いこわい怖いこわい、「学生相談室」とか「カウンセラー」とか「心理学者」とかにはかかわらないのが一番。
「こういう人が部屋に来てなかなか帰らない時にはどうすればいいでしょうか」と慶應大学のステューデントカウンセラーズに行って相談すればよかったかとか思ったりもしたが、そういうことを考えると、下宿する場合には大学まで徒歩で行ける場所よりも2駅か3駅くらい電車に乗ったくらいの場所の方がむしろいいかもしれないとも思うようになった。それに対して、大学を受けに行く日は違う。大学を受けに行く日は、大雪が降った場合など天候が悪い時でも歩いてでも行ける所にビジネスホテルがあればその方がいいし、ない場合でも大学まで「ほどよく離れた所」ではなく「近い所」がいい。
         (2025.1.18.)

[追加2] 大学受験に際して、「おまえなんか通るわけないだろう」みたいなことを、それこそ「おまえなんかに言われとうないわ」というやつから言われたりといったこともあるのではないか、と思うのだ。いろんなことを言うやからがおり、いちいち、そんなのにまともに対応してやる必要はないのだが。 かつて、ベトナム戦争の時、カシアス=クレイ(モハメド=アリ)は「この戦争(ベトナム戦争)はアメリカ合衆国の白人が始めた侵略戦争であり、黒人がそれに協力する筋合いはない」と言って従軍を拒否し、その結果、世界チャンピオンのタイトルを剥奪され、アリがボクシングのリングに戻ってきた時、アリはボクサーとしては全盛期を過ぎてしまっていると見られ、ヘビー級のチャンピオンには全盛期で圧倒的に強いフォアマンが君臨しており、アリはフォアマンに挑戦したが「アリはまず勝てない」と言われた。・・しかし、「ロシアの重戦車戦法」「蝶のように舞って蜂のように刺す」という作戦で、「キンシャサの奇跡」と言われる対戦において、アリは勝った。試合後、アリはカメラに向かって叫ぶ。「アリは勝てないと言ったマスコミども。ひれ伏して謝れ! 嘘ばっかり書きやがって」と。
※ YouTube-Mandrill & Michael Masser - ALI BOM-BA-YE(「アリ、ボンバイエ!」) https://www.youtube.com/watch?v=2hNb2ZpYLuY 
※ YouTube-ジョージ・フォアマン VS モハメッド・アリ https://www.youtube.com/watch?v=kANNhbDt-fQ
  サッカーの監督の誰だったかが言ったという言葉。
「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」と。
もしも、「おまえなんか通るわけないだろうが」とまさに「おまえなんかに言われとうないわ」というやつで言う者がいた時には、「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」という認識を忘れず、その理屈で勝って見せて(通ってみせて)、そして言ってやればいい。「ひれ伏して謝れ」と。 通ったあかつきには、そんなちっぽけなやつに言う必要もないだろうけれども。どうせ、そいつは一生、そういう人生を生きていくやつなのだから。そいつは「自分自身が一番になろうという意識のないような人間」であり、その程度の人間なのだ。「闘うきみの歌を、闘わないやつが笑うだろう」という中島みゆき の「ファイト」という歌があったが、まさにその「闘わないやつ」でなんだかんだ言うやつが出てくるだろう。「闘わないやつ」「自分が一番になろうという意識のない人間」・・というのが北野高校の同級生にもいた。くだらない野郎だ、ちっぽけな野郎だ・・と思ったが、おそらくその男はその後もそういう人生を送ってきたことだろう。
※ YouTube- 中島みゆき【ファイト!】https://www.youtube.com/watch?v=a5u6RZkPlyI
1:06~ 「闘うきみの歌を、闘わないやつが笑うだろう」 
  (2025.1.30.)

  慶應の教授(内部進学)は「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ」と言い、「その点、我々内部進学の人間は受験勉強はやってないが塾風というものを身につけているんだ」とのたまわれるのだが、遠山啓(ひらく)『競争原理を超えて』(太郎次郎社)で遠山啓は小学校から中学校にかけて「術」を学び、中学校から高校にかけてその「術」を使って「学」を学び、そうやって学んだ「学」から「観」を身につける、ここで絶対にやってはならないのが「観」の注入教育である・・と述べているのだが、慶應の内部進学の教授が得意がって言うところの「我々内部進学の人間はおまえら(慶應義塾の)外部の者とは違って受験勉強の悪影響を受けていないからな。そのかわりに塾風というものを身につけているんだ」とおっしゃるのだが、内部進学の教授先生がおっしゃるところの「塾風」「福沢精神」とは遠山啓が「決しておこなってはならない」と述べているところの「『観』の注入教育」というもののことだ。そんなものが福沢諭吉の精神であるわけないだろうが・・と思うのだが、彼らは自分たちが受けてきた「『観』の注入教育」のことを「福沢精神」と主張して譲らない。彼ら慶應の内部進学の人間は「もはや我いくるにあらず。塾風わが内にて生くるあり」という状態のことを「福沢精神」と主張し「慶應心理学」はそんな状態の人間を「自我が確立されている」と主張して譲らない。逆と違うんかい、と思うのだが、彼らに言っても決してきかない。あれはビョーキであって、治してあげようなどと思っても無理だから、できるだけかかわらない方がいい。
  何年か前にヤフーだかに出ていたのだが、元横浜ベイスターズの内野手でどこかのコーチやっていた石井琢朗選手の娘はカエルの子はカエルなのかスポーツがけっこうよくできたらしいのだが、小学校から大学までエスカレーター式で内部進学で行ける学校に行っていたそうで、石井選手の奥さん(娘の母親)はせっかく大学までエスカレーター式で行ける学校に行っているのだからそのまま大学まで行くべきだと主張したそうだが、石井琢朗は「スポーツ選手として成功しようと思うなら小学校から大学までエスカレーター式で行ける学校になんか行っていてはだめだ。高校に行く時、大学に行く時に、そこに行きたいと思って努力してその結果、行きたいと思った所に行けたり行けなかったりするという経験をしないとだめだ」と主張して夫婦で意見が一致しない・・といったことが出ていた。実際には絶対にどちらが正しいとは言い切れないだろうけれども、慶應の内部進学の教授は「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだあ!。わかってんのかあ~あ!」と講義の最中にマイクに向かって叫ばれるのだが、別に害はないと思うのだが・・と言おうものならますます激怒なさるので、「はれものにさわる」のはやめた方がよさそうだから「逆らわん方がええ」ので黙ってると、彼ら内部進学の人の耳にはだんだんとそういった話は入らなくなり彼らの耳にここちE~ものだけが入るようになるみたいだ〔「ここちE]⇒YouTube-ワコール ソフィブラ ここちE https://www.youtube.com/watch?v=avFUOarguL4 〕。
私はやっぱり、「女の子なら別に苦労して受験しなくても」という考えもあるかもしれないが、男ならば「小学校から大学までエスカレーター式で行ける学校になんか行っていてはだめだ。高校に行く時、大学に行く時に、そこに行きたいと思って努力してその結果、行きたいと思った所に行けたり行けなかったりするという経験をしないとだめだ」という方の考え方の方がいいと思うのだが・・・うかつにそれを口に出して言うと「慶應心理学」から「受験勉強の悪影響ですね」とかなんとかかんとか言われるからうるさいうるさい、「慶應心理学」はまさに「うっせえ、うっせえ、うっせえわ♪」てものだが( YouTube-【Ado】うっせぇわ https://www.youtube.com/watch?v=Qp3b-RXtz4w 0:40~ )「慶應心理学」はなぜそういう対応をするのか・・というと、「慶應心理学」というものは元から慶應内部進学の人のいびつな世界観を「心理学用語」と称する寝言たわごとでねりあげられたものであり、元々「慶應心理学者」というのはたいてい内部進学の人たちなのだから。彼らにそれは違うと思いますよと言っても言うだけ無駄だ。彼ら「慶應心理学」者は「うっせえ、うっせえ、うっせえわ♪」てものだ。「受験勉強」がどうかよりも彼ら「慶應心理学」者こそ「害がある」。
  私は「小学校から大学までエスカレーター式で行ける学校になんか行っていてはだめだ。高校に行く時、大学に行く時に、そこに行きたいと思って努力してその結果、行きたいと思った所に行けたり行けなかったりするという経験をしないとだめだ」という方を思うし、大学から慶應大学に行った人間はたいていの人間が「受験はあった方がいいなあ」と口にする・・・が、うかつに内部進学の人間に口にしてしまうと「受験勉強の悪影響だ」とか「外部のやつらを教育してやらんといかん」とか言い出すので「うっせえ、うっせえ、うっせえわ♪」ので内部進学の教授や学生にはこういうことは言わないように気をつけないといけない。彼らには彼らの耳に聞こえがいいことだけ入れてやれば十分だ。彼らはそれを望んでいるのだから・・。
    (2025.2.18.)

☆ 新井山梅照院薬王寺(新井薬師)(東京都中野区)参拝
1.西新井大師と新井薬師は別。西武新宿線「高田馬場」から「新井薬師前」駅。新井薬師前駅前。MIND THE GAP. https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508121327.html
2.新井薬師前駅から新井薬師(梅照院)へ。「読売の拡張員」とはどういうものか。「クリーン船橋の日」に現役世代の人間は参加せずに年寄りだけ参加させてよその家の現役世代の人間に世話させる「ふてえ野郎」。我が家の敷地に不法侵入して玄関扉を破壊して侵入しようとする向かいのじいさんと読売の拡張員は我慢するしかないのか。窓を開けて「巨人ーどこそこ」を見て巨人が得点すると大きな音を立てて手を叩く巨人ファンはどう考えても阪神ファンよりもマナーが悪い!https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508124371.html 
3.門・修行大師・聖観音・霊堂・水子地蔵・お願い地蔵・不動堂・水屋。 99匹の羊が牧場におれば1匹迷いだして不幸になってよいというものではない、先に性交やって子供つくった者のためにふさわしい相手と巡り合えない者から「婚活」の時間を奪い、結婚はできたが子供に恵まれない者から「妊活」の時間を奪うのは「当たり前じゃないかよお」ではない。お地蔵様・観音さま、おのれの子供のためにひとの子を食い殺す女とその夫と子供に対して、恨み晴らしてくださいhttps://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508213520.html
4.本堂・鐘楼。警察官は人を射殺する権利があるのか。並ぶのんめんどくさい派。水曜休みの会社は日曜休みの会社より祝日の分だけ休みが少ない。「会社のために犠牲になる」はよその息子のために人生を犠牲にすることを意味する。「受験のためには眼なんかつぶしてもええ」と言われて眼だけ奪われた。2人でやって1人でやった時の倍できたと言う男。工場長は従業員の健康を守るのが仕事か健康を破壊するのが仕事か。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508235787.html 
5.16歳の聖徳太子像・新井薬師公園。「孔子で孟子で聖徳太子であって絶対にイライラしないお方」であるにもかかわらずいつでも「イライラしてきた」人のそばにいると「犯人」にされる。だから、息子は大変なんだよ。犯罪の現場など見に行ってはいけない、犯人にされるぞ。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/508338677.html
6.警察の恐怖【1】歩行者をいきなり突き飛ばして 【2】加害者と結託して被害者に恫喝 【3】「ぼく、一条工務店が好きなんです。一条工務店のこと悪く言わないでください」 【4】不法侵入と公務執行妨害。施設管理者から警告されて「なにい~い」
.受験生を応援する。できが悪かった時こそのっしのっしと。合格発表は友だちと一緒に見に行くな。入試にはポケットティッシュを持参せよ。予備校職員と高校教諭に警戒せよ。エスカミリオ症候群は治らない。またつまらぬ者を切ってしまった。学歴詐称はゴマンといる。息子の名前を天津丼に変えないで。妻の名前を本人が嫌がる名前に変えないで。電卓で浪人したことによる費用を計算するのは大学に合格して入学した後にしてほしい。合格体験記は、読んだ人からバカにされてるかもしれない。 〔今回〕 

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