塩田天満宮(千葉市中央区)【2/7】社殿、牛の像、梅鉢の紋の入った水槽、鬼瓦。「天満宮」と書かれた灯籠。本殿は拝殿の後ろの部分かその後ろの別棟か。天満宮は背後にまわるのをとがめる神社は少ない。広陵高校は反社会的勢力の監督を副校長に昇進させて「野球部の問題」を「学校の問題」に拡大したか。「進学校の運動部」型でなく「不良高校の運動部」型を主張する慶應大学体育会と教授。体育会は嗜虐性変態性欲による反社会的勢力か。序列主義による言論抑圧の慶應大学は学問する所としては環境が悪い。

[第1062回]冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り(We want justice.)第68念‐2
  塩田天満宮(千葉県千葉市中央区塩田町207。 JR内房線と京葉臨海鉄道貨物線にはさまれた内側、鉄道の駅だと外房線・内房線・京葉線「蘇我」と内房線「浜野」の真ん中より「浜野」に近い場所。)参拝の2回目です。
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けっこう立派な社殿があります。

  社殿の左手前に牛の像。その右の雨水槽? にも梅鉢の紋が入っています。↓
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↑ 鈴の後ろに「天満宮」と書かれた額がかかっています。
(写真はクリックして大きくすることができます。)
 撮ってきた写真を見て気づいたのですが、この「天満宮」と書かれた額の下の彫刻ですが、もしかして、松と梅なのでしょうか。 断定はできませんが、その可能性はありそうです。

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↑ 灯籠にも「天満宮」と「竿」の部分に彫られています。
 ウィキペディアー灯籠 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AF%E7%B1%A0 によると、灯籠は、
一番上の丸いのが、「宝珠」
その下の屋根が、「笠」
その下の火を灯す所が「火袋」
「火袋」をささえるのが「中台」
その下の長い部分が「竿」
一番下の基礎が、文字通り「基礎」
と言うらしい。

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↑ 社殿の上の唐破風の所にも梅鉢の紋が入っています。

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↑ 下り棟の先端の鬼瓦にも梅鉢の紋があります。
  下り棟の先端の鬼瓦に3本、ひゅっと飛び出したのがついています。 1995年に佐渡島に行った時、佐渡の家屋では、ほぼすべての家屋の屋根で、こういう3本、ひゅっと飛び出したのが鬼瓦についていて、あれは何だろうと思ったことがあったのでしたが、その地域の特徴なのかもわかりませんが、この千葉市中央区の塩田天満宮でもその3本、ひゅっと飛び出したのが鬼瓦にありました。

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↑ 社殿。西側から見たもの。 右側が拝殿と思われます。幣殿はなくて、左側の拝殿より少し小さくなった部分が本殿でしょうか。

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↑ 社殿の右後ろ(北東側)から見たもの。
神社の場合、拝殿は人がそこから拝む場所で、本殿は神さまがおられる場所ですから、本殿の方が小さいのが普通ですが、この塩田天満宮の場合、このさらに後ろにもう一つ建物があるのです。
  それが・・↓
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↑ まさか、これが本殿で、拝殿の後ろの拝殿より小さい部分が幣殿?・・てことは、ないよなあ。 もしも、これが本殿なら、たとえ、小さくても拝殿と同等くらいの造りにはするよなあ・・・、これは物置か何かだよなあ、これが本殿てことは・・ないよなあ。・・しかし、それにしては社殿の真後ろの位置に設けられている。 物置なら拝殿‐本殿‐・・・ のライン上には設置しないのではないか・・となると、これが本殿なのかあ???

  どちらが本殿なのか。 私は現地では拝殿とつながっている拝殿のすぐ後ろの拝殿より少し小さくなった部分が本殿なのだろう・・と思って参拝して帰ってきたのでしたが、しかし、今、写真を見ながら考えてみると、少し離れた場所の別棟が本殿・・ということも可能性としてはないとは言えないような・・・。

 
  神社で社殿の後ろにまわっていいのかまわるべきではないのか、これは神社によって違うみたいで、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)などは拝殿はあって本殿はなく拝殿の後ろの山が御神体ということですから、拝殿から拝むもので拝殿の後ろ、ご神体の山と拝殿の間の位置に行くべきではないのでしょう。 逆に後ろに行くことになっているらしいのが大阪市浪速区の今宮戎神社で、正面から拝んだ後、社殿の後ろにまわって、後ろからも「えべっさん、お願いしまっせ」と念を押して頼むという話だ。何しろ、「えべっさん」というのは大変庶民的な神さんで、「えべっさんはしょっちゅう居眠りしている」「えべっさんは耳が遠い」というお話があり、「えべっさん」のお願いしても、お願いはきいてもらえなかった、願いはかなわなかった・・としてもあきらめるのはまだ早い。なにしろ、「えべっさん」はしょっちゅう居眠りする神さんなので、前回、お願いした時、「えべっさん」はどこかの国会議員みたいに居眠りしていたのかもしれないのだ。そうであれば、あきらめずに、もう一度、お願いすれば今度こそ「えべっさん」はお願いをきいてくれるかもしれない。又、「えべっさん」は「耳が遠い」という話もあるので、前からお願いしただけではなく、前から参拝した後、社殿の後ろにまわって後ろからも「えべっさん。よろしゅうお願いしまっせ」と頼むものだ・・・とかいう話があるらしいのだ。「えべっさん」にお願いしてもだめだった・・としても、あきらめることはない、単に「えべっさん」が居眠りしていただけかもしれないし「耳が遠い」からよく聞こえてなかったのかもしれないのだから、もう一度「えべっさん」にお願いすれば、今度こそきいてもらえるかもしれない・・という考え方だそうな。

  天神・天満・菅原・北野系の神社は後ろにまわってはいけないという考え方はない神社が多いように思う。京都の北野天満宮は御本社の後ろに摂社・末社がずらずらと並んでおられるから、後ろの摂社・末社に参拝するためには御本社の後ろにいかないわけにはいかない・・し、御本社の後ろ側にも前ほどではないが拝む所が設けられている。これは菅原道真とは異なる祭神を後ろから拝むようになっているみたいだが、大阪市北区の大阪天満宮もまた同様に後ろからも拝むようになっているが、大阪天満宮の場合は後ろからも拝む対象は菅原道真だったように思う。 大阪府豊中市の服部天神宮も東側と西側とに参拝する場所があり、西側にある阪急宝塚線「服部天神」駅から東に行った場合は西側が近いが、服部天神宮の東に南から北への能勢街道というのか池田街道というのか昔からの街道が通っており、東からの方が本来の拝む場所かと思うが、東西に拝むようになった所がある。
☆ 北野天満宮(京都市上京区)
北野天満宮1(京都市上京区)
1 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_2.html
2 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_3.html
3  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_4.html 
4  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_5.html
5  https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_6.html
北野天満宮2
1.北野天満宮への経路https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_4.html
2.「嵐山」から「北野白梅町」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_5.html
3.「円町」から京都市営バスで「北野天満宮前」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_6.html
4.大鳥居から楼門、御本社、文子天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_7.html
5.東門、北門、地主社、伴氏社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_8.html
年中「緊急事態宣言」では緊急事態ではなく、それが普通になる。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_9.html
銀行から「融資」でなく「出資」を受けると会社はつぶれる例。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202105article_10.html
北野天満宮参拝3
1.烏丸線「今出川」駅より「千本今出川」交差点、浄土院、「上七軒」交差点 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502287883.html
2.「上七軒通」交差点より、ゼロホーム展示場。北野天満宮大鳥居、影向松、伴氏社、鳥居から楼門https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502306592.html
3.楼門の延長には文子天満宮。三光門。太鼓橋と紅梅殿。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502321338.html
4.三光門。大宰府にたどりついた梅に対し摂津で力尽きた松。紅梅と白梅。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502330050.html
5.三光門から拝殿・幣殿・本殿・西回廊・東回廊。本殿の背後の御后三柱。拝殿前の梅と松。母と一緒に巡った京都の社寺と「とってちってたあ」になった息子の末路。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502336739.html
6.本殿後ろの「十二社」の橘逸勢社・藤太夫社・文太夫社・淳仁天皇社。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502348932.html
7.本殿後ろの「十二社」の太宰少弐社・櫻葉社・吉備大臣社・崇道天皇社。長屋と戸建の老松社。地主神社相殿の敦美親王・齊世親王・源英明。北門と西陣名技碑・松本伍作氏顕彰碑。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502356418.html
8.平野神社(京都市北区平野宮本町)参拝ー中門・拝殿・本殿。平野通・西大路通。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502364358.html
9.わら天神(敷地神社)【上】鳥居から西進し北に曲がった正面に社殿。北山の神と穂穂手見命の母の木花佐久夜毘売。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502384324.html
10.わら天神・敷地神社【中】本殿、綾杉明神、大山祇神社。 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502460487.html
11.わら天神・敷地神社【下】六勝神社・八幡社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/502436497.html 

☆ 大阪天満宮(大阪市北区)
大阪天満宮(大阪市北区)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201403article_4.html

  どちらかといえば、関西の神社の方が東京圏の神社よりも後ろにまわっていい所が多いような感じがするが、東京圏の神社では「◇◇さま」という言い方をするのに対して、関西では「◇◇さん」と神さんの敬称は「さま」ではなく「えべっさん」「天神さん」と「さん」であることが多く、畏れ慎む相手という性格より、親しくつきあう相手という傾向が関西の方が強く、それからか、大神神社のように山が御神体といった神社は別として、後ろにまわって何が悪いねん・・みたいなところがあるのではないか。
・・・で、建築探偵団としては、そのどちらであっても、特に背後にまわってはいけませんとなっている所でなければ、前から参拝させていただいた後は四方から見学させていただきたいと考えている。

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/517919536.html  、もう少し、塩田天満宮について述べたい。

  広陵高校の暴力事件が世間で話題になっているが、はっきりと認めて謝罪した方がいいのに認めずにぐだぐだやってるのが広陵高校と伊東市の市長のおばさん。伊東市の市長のおばさんの方は、東洋大学卒か東洋大学中退か東洋大学除籍か、という点については、これは卒業でなく中退でも除籍でも、伊東市民としてはそれほど大きく変わらないと思うのだが、問題は日常会話でも出てもいない大学を出てます言うのは、私が勤めた会社にはそんな従業員はけっこういたけれどもいいとは言えないことだがそういう人はけっこういるが、市長とかの選挙に出る人の場合は卒業していない大学を卒業と言っては問題になる・・が、指摘された時にはすぐに認めて謝罪すれば、それほどおおごとにはならなかったのではないかと思われるのに、なんだかんだおかしなことするからややこしくなった。そのうち、「なんでもいいから、このおばさん、辞めてくれ」「どっちにしても、市長になるのがふさわしい人ではない」となったのではないか。
  広陵高校というと私が小学生から中学生くらいの頃、1970年代前半頃は広島商業とともに広島県では野球が強い2つの高校で、作新学院の江川が評判が高かった時に野球部員だったやつと一緒に甲子園球場に見に行った時に対戦した広島商業が江川の作新学院にあっさり勝っただけでなく、夏の大会でもツーランスクイズとかやって優勝して、広島商業はすごいなあ・・と思ったが、その頃は広陵高校は甲子園の全国大会にはよく出ていたが広島商業ほど勝ち進むことはあまりなかったが、最近は広陵高校の方が強くなった印象があったが、暴力運動部では存在すること自体が害がある。

  高校野球など高校のスポーツで「強い所」はかつては「進学校で強い高校」と「不良の学校で強い所」の2通りあった。普通に考えて、進学校の生徒というのは数学とか英語とか国語とかいった科目で全国の高校生でトップクラスの成績を取れる人間なのだから、数学や英語やそういったものに努力するその姿勢でスポーツをやれば、スポーツでもそれなりの結果を出せて悪くないはずだ、となるはずなのだ〔もっとも、それでも、運動選手の息子・娘が小さい子供の頃からスポーツを「家業」のようにやってきたという人にはさすがに勝てない・・という面もありそうだが〕。「文武両道」と言って「勉強も野球も負けへんぞ」という高校がかつてはあった。片方で「喧嘩と野球は負けへんぞお」という不良高校というのがあった。そういう高校の運動部と試合で対戦すると、「おい。俺らに勝ったら後でどうなるか、わかっとんるなあ」とか言って脅されると、北野高校のラグビー部の者が言っていたことがあった。
  ところで、慶應大学の体育会運動部というのは「不良の学校」の運動部の側なのか進学校の運動部の側なのか、どちらなのだろうか、と思ったことがあった。1970年代から1980年代にかけて、アメリカンフットボールが強い大学というと、関西では関学と京大だったが、北野高校のラグビー部の人間は「北野高校のラグビー部の人間が京大に行ってアメリカンフットボールをやるから京大のアメリカンフットボール部が強いんだ」とか言うておったが、そうであるのかどうかは知らんが、京大のアメリカンフットボール部は「進学校型の運動部」だと思った。あるいは「琵琶湖周航の歌」は旧制三高(今で言うところの、京都大学の教養課程)のボート部の部員が作詞した歌だが、京大のボート部も進学校型の運動部だろうと私は思っていた。自分がやるかどうかはさておき、いいなあと思っていた。東大の野球部は「1つ勝つだけでほめてもらえる野球部」だったが、考えてみると進学校で運動部にいたという程度の人間しかいないチームが高校卒業時にプロから誘われていたような人間だらけのチームに百回に一回でも勝つとはすごいな・・と思ったが、1980年前後頃は東京六大学野球は明治か法政のどちらかが1位で他方が2位、早稲田が3位で4位が立教、5位が慶應で6位が東大ということが多かったが、慶應大はその頃は、小泉信三が「学問をやって、その上でスポーツもやるなら大いにやっていいが、学問をやらずにスポーツをやるというのでは本末転倒だ」と言ったということでスポーツ入学では学生を採らなかったようで、そのため、毎度、東大と最下位争いをしていたが、それでいいと私などは思ったが、それでこそ慶應の価値が出るのではないかと思っていたが、そのうち、「推薦入学」と言って学力成績を無視するわけではないがスポーツが相当できる生徒は一般入試で入学するのは難しい生徒でも入学させるという制度を作り、その結果、東京六大学野球では強くなったが大学の価値は考えようによっては下がったかもしれない。
  1980年代、東大の野球部の監督に東大の医学部保健学科の大学院生だかがなり、法政や明治の野球部員のように長い練習時間は取れない東大野球部が強くなるためにはどうすればいいかを考え、たとえば、腕立て伏せなどの筋力の運動は毎日やるのと1日おきでやるのでは効果はそれほど大きくかわらず、1日おきにやるのと2日おきにやるのとでは大きく差がつくという検査結果が出たので、それなら1日おきにやるようにして、「走る」というのは野球においては短距離走は関係するが長距離走はそれほど関係しないので短距離走は練習としてやるが長距離走はそれほどやらないようにしたとか、そういった科学的な根拠をもって練習の内容を吟味して、一時、東大野球部が東京六大学野球で4位になったということがあった。うちの母親などは内村鑑三の息子の内村祐之(うちむら ゆうし)という人が東大医学部の学生の時に東大野球部でも活躍した人で、この人を高く評価していたが、内村祐之(うちむら ゆうし)なども「不良の学校」系の運動部の人ではなかったのではないか。あるいは、私は高校卒業する頃、心身医学に関心があり、自律訓練法だとか座禅、あるいは「気持ちが落ち着くツボ」を刺激するとか、そういったことによって、普段の練習の時には成果を出せても本番の試合になると成果を出せないというような選手に結果を出させることはできないか、とかそういったことに関心があった。
セルフ・コントロールと禅 (NHKブックス 399) - 池見 酉次郎, 弟子丸 泰仙
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又、「ホーソン工場の実験」なるものがあり、工場で女工さんが照明が暗いので変えてほしいと要望があったが、計測すると暗くなかった・・が、「暗くありませんよ」と言うのえはなく、要望に沿ってまったく同じ明るさのものに電球を交換したところ、要望がかなえられたという満足感がプラスになったのか、作業効率・生産性は上がった・・といった実験があったが〔もっとも、森 五郎『人事・労務管理の知識』(日経文庫)に書かれていたが、こういった理論には批判もあり、ひとつはマルクス経済学の方からの批判で、そういったことが実際にあったとしても、それは資本が労働者を搾取するための技術でしかないというもので、もうひとつの批判は、そういったことがまったくないわけではないとしても、それは実状を実際より大きく評価しすぎではないかというもの。なるほど。 アンドレ=ジッドが『ソビエト(連邦)紀行』(光文社古典新訳文庫)で述べているものでは、アンドレ=ジッドは元々は社会主義やソビエト連邦に好意的に見ていた人間で、それゆえにロシア革命の後、ソビエト連邦の文学界から招待されてロシア革命後のソビエト連邦に訪問したが、そこで見たものはアンドレ=ジッドがそれまでに思っていたものとは違った。しかし、ソビエト連邦の運営者が何の努力もしていないわけではないというのはわかったが、「我々は努力した結果、これまで8日かかっていたものを6時間でできるようにした」か「これまで6日かかっていたものを8時間でできるようにした」か、そういうことを言われたが、アンドレ=ジッドはつい思ったことを口にしてしまった。「それは『8日かかるものを6時間でできるようにした』のではなく『元々6時間でできるものを8日かけてやっていたのではないのですか』と。ジッドがそう口にした時、相手は明らかに不快そうな顔をした・・が実際そうではないのか、とジッドは思ったという。改善して効率を良くした・・という話があっても、効率を良くした結果なのか、前が時間をかけすぎていたのか、どちらなのかわからないケースは資本制経済をとる国においても社会主義経済の場合においてもどちらの場合においてもありうる。しかし、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ などに勤めてわかったが、たとえ、そういうことがあっても、最終学校卒業までにこういったことをある程度以上学んできた者とそうでない者とでは(特に管理する立場の役職についた場合に)大きく差が出る・・というのが実物を見てわかった〕、「人間関係論」とかそういった理論はスポーツの練習法にも関係するのではないか、とも思った。あるいは、人間関係に気を使わなくていい団体においては、人間関係に苦労する団体におけるよりものびのびと活動できる分だけ成果も出る、ということはないか、とか私はそういったことに関心があった。
企業の人間的側面: 統合と自己統制による経営 - ダグラス マグレガー, 高橋 達男
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人事・労務管理の知識 (日経文庫 112) - 森 五郎
人事・労務管理の知識 (日経文庫 112) - 森 五郎
毛沢東は『体育の研究』〔『毛沢東の体育の研究』ベースボールマガジン社〕で「これまで中国では『頭のいい人は身体が弱い。身体が頑強な人は頭が悪い』と言われてきたが、これからの中国ではそうではいけない。そうではなく、すべての国民が自ら身体を鍛えるスポーツマンであるとともに、自ら考える哲学者であるべきだ」と述べ、その考え方に基づいて、特に中国の古来のものを活かして太極拳簡易化二十四動作というものが普及された、というが、「体育理論」というものはそういうものを言うと私は思い込んでいたら、慶應大学の「体育理論」はそうではなかった。その正反対を「体育理論」と慶應大学では言っていたのだ( 一一)
毛沢東の「体育研究」 (1964年) - 毛 沢東, 山村 治郎
毛沢東の「体育研究」 (1964年) - 毛 沢東, 山村 治郎
  それで、東大・京大の運動部は北野高校・天王寺高校など進学校の運動部と一緒で進学校型の運動部だと思ったのだが、慶應大は進学校の側なのか「不良の学校」の側なのか、どちらなのだろうなあ・・と思ったのだが、結論として、慶應は「不良の学校」タイプだった。
  慶應大学には「体育理論」という名前の必修科目があったが、そこでは慶應大学の体育会の教授が「スポーツで大事なことというと、何と言ってもまず第一に『殴る』ということだ。最近、『殴っちゃだめえ』とか言う頭のおかしなやつが出てきて困ったものだ。『殴ったから怪我したじゃないか』なんて言ってからに。殴ってんだから怪我するのは当たり前だろうが。バカか。そういう頭のおかしなやつは、一回、病院に入院しろお~お!」とお叫びあそばすのだった。「女子バレーが一番激しいんだけれども、女子バレーでは男性のコーチが女子選手の髪の毛をつかんでコートの中をひきずりまわすんだよ。それがいいんだよ♪ それがスポーツというものなんだよ。それをやってこそスポーツなんだ。それをやっちゃだめえ・・なんて言われたら、それをやらなきゃスポーツじゃないじゃないか」と、そうおっしゃるのだった・・が、もしかして慶應タイプのスポーツというのは、それは嗜虐性変態性欲のことなのか?  ・・そう思って、それから何十年か経ってスポーツ新聞の広告を見たところ、SMクラブなるものの広告が出ていてそこに「M女の☆☆さん。体育会で鍛えられましたから、どんな責めにも耐えられます」とそう書いてあったのだ。大学の体育会というのは「M女養成所」だったのか。「スポーツ」というのはサドマゾのことだったのか・・・( 一一) T.W=アドルノ(テオドール=ルートヴィヒ=ヴィーゼンクラント=アドルノ)らによる『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)では、権威主義的人格とサドマゾ性向とファシズム傾向との間に相関関係があることが指摘されているが、体育会のサドマゾ的性癖・嗜虐的変態性欲はファッショ的体質とつながっていると思われる。
現代社会学大系〈12〉権威主義的パーソナリティ (1980年)
現代社会学大系〈12〉権威主義的パーソナリティ (1980年)
  「『殴らないで指導しろ』などと言うやつがいるけれども、殴らないで指導なんかできるわけないじゃないか。殴ってこそ指導というものだ。殴るのがいいんじゃないか。高校でも強い所はどこでも殴ってるんだよ、強い所は」と慶應大学の体育会の教授(内部進学であろう)はそうおっしゃるのだった( 一一) ・・・が、要するに慶應大学の体育会の教授(内部進学)が言う「強い所」というのは「進学校で『文武両道』やってるスポーツもけっこう強い高校」のことではなくて「不良の学校」のことだったのだ。慶應の体育会の教授は「不良の学校」のことを「強い所」と言っていたのだった。それを得意がって「体育理論」という必修科目でマイク通して得意がってお叫びあそばしていたのだった。
  戦後すぐの頃に北野高校の野球部が選抜大会で全国優勝したとか、その後、大阪府の夏の大会の決勝戦で北野 対 天王寺 の進学校対決で天王寺高校が勝って全国大会に出たとか、そういった「進学校でスポーツも強い所」のことを「強い所」と言うのではなく、慶應大学の体育会の教授は「不良の学校」のこと、「喧嘩と野球は負けへんぞお」タイプの高校のことを「スポーツが強い所」と規定して、それで「高校でも強い所はどこでも殴ってるんだよ」と言い、だから、殴っていいと主張したいようだったのだ。
  慶應大学の体育会の教授が言うところの「高校でも強い所」ではどう言っていたか。私の親戚の人間で兵庫県の報徳学園のラグビー部にいた者がいたのだが、報徳学園のラグビー部では殴るなんて日常的なことで、監督に殴られて鼓膜が破れたとかいったこともしょっちゅうだったというのだ。北野高校のラグビー部ではそういうことはしていなかった。「おまえらは、殴られればできるが殴られなければできない犬コロとは違うだろ」とラグビー部の顧問でもあった「体育」の教諭だったN先生が話されていたことがあったが、それが「進学校の考え方」だったはずだが、ところが、報徳学園とかそういった高校の運動部では進学校の運動部に試合で負けると、監督が雨の中、長時間、外で立たせて雨に濡れながら「ほえろお」と言って吠えさせるというのだ。なんで、そんなアホなことするのお? ・・と思ったのだが、その「なんで、そんなアホなことするのお?」というのは「進学校の運動部」型の思考だったのだ。 「進学校の運動部」では、負けたなら、どこが悪かったのか、どうすれば勝てるのか・・といったことを考えて、その後の対策を練る。それに対して、「北野高校とか神戸高校とかの進学校の人間は頭で考えるけれども、俺らは頭がないから『殴ってわからせる』んだ」というのが報徳学園の監督の考え方だったそうな。 そして、報徳学園のラグビー部や野球部の人間は、金村が甲子園大会の決勝戦の前にインタビューできかれた時も「死んでも勝つ」と言いよったように、必ず「死んでも勝つ」と言いよる( 一一)  死ぬんかい? 「死ぬ」とか「死んでも」とかそういうことはむやみに言うものではないと思うがな。亀田(中)が「負けたら切腹する」とか言って切腹しよらんかっただろうが。
  その「進学校の人間は頭があるから頭で考えてやるけれども、俺たちはアホで頭がないから、だから『殴ってわからせる』んだ」という報徳学園のラグビー部の考え方は、それは進学校ではない方の高校の考え方かもしれないが、たとえ、学業成績が悪い方の高校であっても「アホだから殴ってわからせる」という考え方はするべきではない、と思うのだ。進学校の人間は殴ってはいかんが、アホ学校のやつは殴らんとわからんから殴ってわからせるんだ、というのは、たとえ、底辺の方の高校の生徒に対してでも、そういう考え方はやめるべきだと思うのだ。
『毛沢東語録』(河出書房新社)に「三大規律・八項注意」なるものが掲載されていたが、そこには、
「殴らない、怒鳴らない。
捕虜を虐待しない。
婦人をからかわない。

人民からは針1本・糸1本とらない。
敵から奪ったものは公共のものとするか分配する。
借りたものは必ず返す。
壊したものは必ず直すか弁償する。」
といったものが書かれている。「殴らない、怒鳴らない」というのが八路軍・新四軍の方針だったわけで、「殴る」の慶應的日本軍国主義を打ち破った。
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛沢東, 竹内 実
毛沢東語録 (平凡社ライブラリー) - 毛沢東, 竹内 実
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
  大学の「体育」は京大では1年の時に週に1コマ、2年の時に週に1コマらしいが、慶應大は週に1コマ、「基本体育」という授業があり、それと別に「選択体育」というものが夏休みなどに実施されたが、それは体育会の人間が「指導」していた。『らーめん才遊記』で らーめん禿の芹沢が「カネを払うということは責任を負わせるということで、カネをもらうということは責任を持つということだ」と述べていたが、慶應大学では体育の教員として報酬をもらっていない学生に「選択体育」の指導をさせて、負傷者が出た場合に誰がどう責任を取るのだろうか。極めて疑問だったが、おそらく、「体育会流」を体育会の「殴る」体質を好まない一般学生にも押しつけるべきだと考える人が「選択体育」という科目を作ったものと思われる。体育会に入る人間というのは、元々、そういう「体質」のものと了解して入る人が少なくないのだが、一般学生はそういうものを了承などしていないはずだが、了承などしていない一般学生にそれを押しつけようと考えるあたりが、体育会ファッショの特徴が出ていると言える。
  私は「選択体育」の「馬術」で馬術部員から突き飛ばされたが、「馬術部のOB」だという男性が来られたということで「OBの方が来られましたので、本日はスポーツについて講義をしていただきます」と言って聞かされたのは、「スポーツをやるといいことというと、まず第一に、飲み屋で喧嘩した時に勝つ、ということがある」・・と、そうお話になったのだった( 一一)   それが慶應大学の「選択体育」だったのだ( 一一) ( 一一) ( 一一) 「飲み屋で喧嘩した時に勝つ」というのが「スポーツをやっていいこと」だそうだ( 一一) ( 一一) ( 一一)
  慶應大学の体育会の人間を見ると、スポーツをやるとアホになるみたいで、なんかスポーツについての印象まで悪くなってしまう。
  1988年だったかそのくらいの年、橋下徹が北野高校の3年だった年、「殴らないラグビー部」の北野高校ラグビー部は大阪府から3校、全国大会に出場するうちの1校に選ばれ、全国大会でも2つ勝って3戦目に伏見工業に負けて敗退したが、たしか、その年は「殴るラグビー部」の報徳学園は全国大会に出場できていなかったように思う。慶應大学の体育会の教授は「殴る」のが好きなので「高校でも『強い所』は殴ってるんだよ」とおっしゃるのだったが、「殴るラグビー」の報徳学園が全国大会に出場できず、「殴らないラグビー」の北野高校のラグビー部は全国大会に出場して「殴るラグビー部」に勝った試合もあったみたいだった。慶應大学の体育会の教授は「殴る」のが大好きで、それを正当化するために「高校でも強い所は殴ってるんだ」と「体育理論」という必修科目で「それのどこが理論やねん」という話をなさるのだったが、慶應大の体育会の教授が言われるところの「強い所」(=不良の学校)は常に「殴らない運動部」(進学校の運動部)に勝つかというと、実はそうでもないのだ。それで、「殴る運動部」が「殴らない運動部」に負けると監督は怒るそうで、おのれの「殴る」指導法を反省すれば良さそうなものだがそうではなくて、雨の中、長時間、外で立たせて「吠えろお」と命令して「うえええ~え!」と叫ばされる・・そうだ( 一一) その雨の中、屋外で雨ざらしになりながら「うええ~え」と吠えるというのにいったい何の意味があるのか。身体を悪くするだけと違うのか。ラグビーは野球と違って雨天でもやるスポーツ・・とはいっても、雨の中で雨に打たれながら「うえええ~え」と吠える・・なんてことしても強くはならないだろう。むしろ、体を壊すだけではないか。むしろ、健康に気を配った上で、どこが悪かったのか分析して次回に備えるべきではないのか、と思うが、雨の中、吠えさせる・・というのをやりたがる人がいるらしい。慶應の教授は「””強い所””はみんなそうやってるんだよ」とかアホなことを言うみたいだが、そういうことを主張する人に、それは違うよと教えようとしても難しい。
そんなことさせる監督が無能なのじゃないのかあ・・と思うがな。何より、まだしも野球ならプロがあるからなんだが、プロはないラグビーでそんなことやらなくても・・とも思うがなあ。
  報徳学園のラグビー部とか野球部というのは、ラグビーとか野球をやっているつもりで、知らないうちに「天皇へーか の徳に報いるために『死んでも勝つ』」とかいう思想を観念的に注入されているみたいで、そのあたりも気色悪い。
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 20) - 菅 孝行, 貝原 浩
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  ただし、私はプロの運動選手になるような人間が卒業したような学校は大部分が「不良の学校」タイプの運動部で、プロの運動選手になっているような人間は「殴る」型の人間なのだろうと思っていた時期もあったのだが、プロの運動選手になった人でも「殴る」スポーツは良くないと思っている人はいたみたいなのだ。野村克也は「鉄拳制裁などというものは無能な指導者がやること」とどこかで書いていた。そして、日本のプロ野球の監督になった人で、鶴岡・西本・星野の3人には共通点がある、と書いていたが、どういう共通点かというと、
1.東京六大学野球出身。〔鶴岡は法政大出身、西本は立教大出身、星野は明治大出身〕
2.ある程度以上、監督として成果を出した。〔鶴岡は南海を何度も優勝させ、監督として驚異的な勝率をほこる。西本は大毎・阪急・近鉄とそれまで優勝したことがないチームの監督になって、ことごとく優勝させた。星野は中日で2回、阪神で1回、楽天で1回優勝した。〕
3.選手を「殴る」監督。
4.日本シリーズ・プレーオフなど短期決戦に弱い。〔鶴岡は南海で何度も優勝したが、日本シリーズでは弱く、特に巨人には杉浦の全盛期に杉浦の4連騰で1度勝っただけで、日本シリーズで優勝したのはスタンカの全盛期に阪神に勝った時と計2回だけ。西本は大毎・阪急・近鉄と優勝させたすばらしい監督だが日本シリーズには一度も勝てず、プレーオフも負けることが多かった。星野は中日2回・阪神1回の優勝時は日本シリーズでは勝てず、日本シリーズは楽天の監督の時に1度勝ったのみ。〕
この3人はこの4点で共通点があるが、野村が言うには、どうも東京六大学野球出身の人間(厳密には「東大以外の」だろうけれども)には「殴る」のが好きな人間が多い伝統がある、というのだ。「殴る」「殴られる」で上達したような選手は、たとえ上達しても、日本シリーズなど短期決戦で自分で考えて動かないといけない時に、「自分で判断して動く」ということができない人間になってしまうのではないか、と野村は述べている。
短期決戦の勝ち方 (祥伝社新書) - 野村克也
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  野村は、どうも右利きの選手は理論派が多く、左利きの選手は感覚派が多い印象があり、右利きの理論派の代表が野村・落合で、左利きの感覚派の代表が門田・張本だというのだが、その野村とともに「理論派」の落合が中日に移籍した時、開幕からしばらく成績があがらない落合が公衆電話で嫁さんに電話をかけていた時、星野が来て「そんなにちょくちょく電話しとるから、だから成績があがらんのだあ」と言って落合がかけていた公衆電話を持ち上げて床に叩きつけて電話機を破壊してしまった・・・、公衆電話というのは電話局の物であり器物損壊罪に該当する犯罪であるが、警察は星野仙一とか有名人が相手だと取り締まらないからいいことになったみたいだが、落合はそれを見て「うわあ~あ~」とあきれた・・・とか。そういう「選手を殴る」とか「物を壊す」とか、おそらく慶應大学の教授なら「それがスポーツなんだよ」「それをやってこそスポーツなんだよ」とおっしゃるのだろうけれども、そうだとすると、なんか「スポーツ」て野蛮人がやることみたいだな・・。
  「殴る」のがいかんなら「殴る」以外でそれに匹敵することをやったら・・とか考える人がいるみたいなのだが、元運動選手でもそういうのは良くないと考える人はいるらしく、元中日・西武・阪神の田尾が楽天の監督をやっていた時に、選手に正座しろといったことを言ってさせるコーチがいたので、「選手とはいっても、もう結婚して子供もあるような人間にそういうことをさせるようなことはやめてください。いや、たとえ子供がなくても、たとえ結婚していない独身の人間に対してでも、もう成人したいい大人にそのようなことをさせないでください。もし、そういうことをさせないとおれないのならコーチを辞めてください」と言ったというのだ。そうやって、この人は自分を人間として扱ってくれる人なのだ、この人は自分の人格を尊重してくれる人なんだと思ってその人のもとで力を発揮したいと思って努力するのか、「殴る」「殴られる」で動くのか、この人は自分を人間として扱ってくれる人なのだ、この人は自分の人格を尊重してくれる人なんだと思ってその人のもとで力を発揮したいと思って努力する方がいいのではないのか。それは進学校の運動部だからということではなく、たとえ底辺の方の学校であっても、だから「殴る」ことでわからせるんだ、という考え方は間違っているのではないか。
  そして、慶應大学の体育会の教授がずるいのは、彼らの多くは内部進学で、慶應大学という大学では内部進学の人間は特権階級であり、彼らが「『殴る』ということが何よりも大事なんだ」と主張する時、彼ら内部進学の人間はあくまでも「殴る」側であって「殴られる」側ではない、という点がある。彼らは自分たちはあくまでも「殴る」側だという前提で「スポーツにとって一番大事なものは、何と言っても『殴る』ということだ」と言いまくっていたのだった。まったくつくづくズルイやつらである。彼らはそういう態度のことを「福沢精神」と言うが、福沢諭吉がそういう人だったかというと違うと思うのだ。『福翁自伝』(岩波文庫)では、福沢諭吉は大学になる前の慶應義塾で、夜、飲み歩いて遅い時刻に帰ってきた者がいて、おまえはけしからん、そこで正座しておれと命じたものの、しばらくして行ってみると、そこでうたた寝をしておる。こいつめ、と思いポカンと一発殴りつけたということがあったが、これまでひとに手をあげたのはその時、一回だけだが、たとえ、けしからんやつに対してであってもポカンと一発殴ったというのはそれは良くなかった、申し訳ない、と福沢諭吉は述べていたように、福沢諭吉は「殴る」などというものを肯定する人ではなかったはずだが、ところが慶應大学の体育会の教授は「『殴る』ということが一番大事なことなんだ」などと必修科目の時間にマイクに向かって叫び、それを「福沢精神」などと言っている。 慶應心理学はそういう態度のことを「独立自尊の精神」とか「自我が確立されている」とか言い、こういう批判をすると「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」などと「診断」するが、慶應心理学は慶應内部進学心理学であり、内部進学の人のいびつな世界観を「心理学用語」と称するデタラメ・デマカセで表現したものが慶應心理学という「心理学」である。
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
週刊文春 2025年8月28日号[雑誌] - 週刊文春編集部
週刊文春 2025年8月28日号[雑誌] - 週刊文春編集部
《 Aさんの告発に戻る。上級生から激しい集団暴行を受けたのは、三年生が引退し、新チームが始動して間もない2015年9月18日のことだった。
「夕食の時に、ある先輩から『グレープフルーツの皮を絞って、汁をあいつ(別の先輩)の目に入れろ』と指示されたんです。『できません』と答えると、その先輩から『なんや、歯向かうんか?』『後で部室に来い』と言われました」
 ・・・夕食後、覚悟を決めて部室を訪れた。
「真っ暗にした部室の中に三、四人の二年生が待ち受けていました。僕は正座させられ、手を後ろに回して抵抗できない姿勢になるよう命じられた。そこから集団暴行でした。・・・・ 中にはスパイクを履いている先輩もいました。顔は避けられていましたが、蹴りの一発がこめかみ付近に命中して、僕は意識を失いました」(同前)
・・・
  思いを巡らせるうち、Aさんはようやく体の異変に気付く、右半身が思うように動かせないのだ。
「右手は上下させられるんですが、握ることができなかった。右足は全く動きません。右半身が痺れて動かせない症状、右半身不全とのことでした」(同前)
・・・ 》
( 『広陵元野球部員が告発「私は先輩の暴行で右半身麻痺になった」』
「週刊文春」2025.8.28.号 所収 )

   江川が慶應大学を受けた時、「数学と英語は比較的自信があります」とか言ったけれども実際はぼろぼろだったらしいが、まあ、プロから指名されるくらいに野球やっていた人間だからしかたがないのかもしれないが、慶應大学の教授はその頃から「スポーツができる生徒を学業成績を無視して入れるのはいけないかもしれないが、スポーツが相当できる生徒はある程度の学業成績の者なら一般入試で入る者よりも学業成績が下でも入れていいのではないか」という考えをする人が出てきたみたいで、その少し後にスポーツでの「推薦入学」という制度ができて、そのあたりから東京六大学野球での慶應大学野球部の成績がその前よりずっと良くなった・・が、東京六大学野球での順位なんか下の方でもその方がまだましだったのではないか。
  慶應大学の良くないところは法政や明治の運動部と同じようにやる体育会があるという点で、なおかつ内部進学が幅をきかせているという点だ。 慶應の内部進学の教授は自分たちはあくまでも「殴る側」だと心から思っている。心から自分たちはあくまでも「殴る側」だと思った上で「スポーツにとって一番大事なものというと、何と言っても『殴る』ということだ」とか「体育理論」と称する必修科目で得意がって話している。そこが彼ら体育会内部進学の教授の大変ずるいところだ。 彼らは自分たちが『殺す側の論理』ならぬ「殴る側の論理」を言いまくっているという自覚、実状を認識する謙虚さに欠けている〔「精神医学」用語で表現するなら「病識がない」状態にある〕。慶應の内部進学の人間は、「教育されなきゃならんのは、おまえだろうが」という者どもが「『(慶應義塾の)外部のやつら』(大学だけ慶應大学に行った人間を内部進学の人間は「(慶應義塾の)外部のやつら」「(慶應義塾の)外部の人間」と慶應の内部進学の学生や教授は言う)を教育してやらんといかんからなあ」などとぬけぬけと言いまくるが、彼らのその「『教育』する側の論理」「殴る側の論理」は公立高校卒の人間はドジンであるから植民地の白人支配者のような立場である慶應内部進学はドジンには何をしてもいいという意識と、ドジンには植民地の白人支配者である慶應内部進学はドジンとは民族・階級が違うということを「教育してやらんといかんからなあ」という意識、「強姦する側の論理」「強制猥褻する側の論理」はその内部進学独善主義は一貫したものだ。
殺す側の論理 (朝日文庫 ほ) - 本多 勝一
殺す側の論理 (朝日文庫 ほ) - 本多 勝一
彼ら体育会の人間だけでそれをやっているのなら、いわば、暴力団と言われる人たちがその世界の人たちだけの中でやっているようなもので問題は少ないのだが、慶應大学の場合、体育会があるために、それが体育会以外のスポーツ系サークルにも影響を及ぼし、スポーツ系以外のサークルにも影響を及ぼしている、という点だ。
  遠山啓(ひらく)『競争原理を超えて――ひとりひとりを生かす教育』(太郎次郎社)に書かれているものは、たしかにそうだと思うものと、これは違うと思うものがあるのだが、「序列主義」の弊害として、人間は序列化されると物が言えなくなる、序列化されると自分で物事を考えにくくなり、発言できなくなる。「序列主義」は反民主主義・ファッショ的な政治家が好むものだ、と述べられているが、これは私もそう思う。 慶應大学では体育会流の「上下関係」とかを持ち上げ、塾風「僭越」主義がはびこり、「せんえつ~う!」とか言って自ら考えて自分の意見を述べる姿勢を押しつぶそうとする傾向がある。慶應大学は塾風「僭越」主義によって事実上、学問の自由が踏みつぶされている大学だ。塾風「僭越」主義・塾風序列主義は学問の自由・民主主義を押しつぶしたい慶應タイプに相性がいいもののようだ。それを推し進めている中心的な位置に体育会と内部進学が存在しており、小此木啓吾内部進学流「精神分析」もまた、反民主主義の側としての存在だ。森山公夫『現代精神医学解体の論理』(岩崎学術出版社)によると、フロイトらの精神分析は体制精神医学の反逆児としてヨーロッパで生まれたが、大西洋を渡ってアメリカ合衆国に行くとともに飼いならされて体制側のものになった、というのだが、その体制側のアメリカ合衆国タイプの「精神分析学」を小此木啓吾内部進学塾風体制側迎合主義と合体させたのが小此木啓吾の「精神分析学」もしくは精神分析学もどき ・・であろう。小此木啓吾の「精神分析学」というのは、渡部昇一とか山本七平などいわゆる「右翼文化人」のさらに悪質なもの、「精神分析学」だ「精神医学」だと言い、自然科学で自分は「医者」だから医者の「診断」が正しいのだと主張するところにより悪質なところがある。自分は「医者」だから医者の「診断」が正しい、ひとは医者の「診断」に従えと主張するその姿勢はまさにファシズムである。
現代精神医学解体の論理 (1975年)
現代精神医学解体の論理 (1975年)
  広陵高校は野球部の監督を「解任」したのか「辞任した」ことにしたのか、その元野球部監督をあろうことか「副校長」にならせたようだが、野球部の監督でいつづけるか解任か辞任かするかだけなら「野球部の問題」とすることもできたかもしれないが、「副校長」にならせたことによって「高校の問題」になった。悪手ではないか、と広陵高校の運営者は考えなかったのだろうか。何年間か野球部を休部させれば、高校は存続できたかもしれないものを、「副校長」にならせたことによって「野球部の問題」ではなく「高校の問題」になった。反社会的勢力である広陵高校は存続させてはならないのではないか。そういう方向に広陵高校みずからが進めた・・と見るべきではないか。
学校そのものが反社会的勢力の高校は廃校になった方が世のため人のためではないかな。

  次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/517919536.html  、塩田天満宮の3回目、もう少し、塩田天満宮について見ます。

※ 天満宮巡拝 塩田天満宮 http://gozmez49.blog.fc2.com/blog-entry-108.html
八百万の神 塩田天満宮(しおだ てんまんぐう)https://yaokami.jp/1120024/ 
猫の足あと 天満宮(塩田町)https://tesshow.jp/chiba/chiba/shrine_chuo_shioda.html 
マピオン 天満宮 https://www.mapion.co.jp/phonebook/M06005/12101/ILSP0061186359_ipclm/ 

(2025.9.3.)

☆ 塩田天満宮(千葉市中央区塩田町)
1.国道357号から南へ、京葉貨物線踏切を超え、塩田天満宮へ。We want justice. https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/517835549.html
2.社殿、牛の像、梅鉢の紋の入った水槽、鬼瓦。「天満宮」と書かれた灯籠。本殿は拝殿の後ろの部分かその後ろの別棟か。天満宮は背後にまわるのをとがめる神社は少ない。広陵高校は反社会的勢力の監督を副校長に昇進させて「野球部の問題」を「学校の問題」に拡大したか。「進学校の運動部」型でなく「不良高校の運動部」型を主張する慶應大学体育会と教授。体育会は嗜虐性変態性欲による反社会的勢力か。序列主義による言論抑圧の慶應大学は学問する所としては環境が悪い。〔今回〕
3.梅鉢の紋の入った賽銭箱。不当に人を呪って利益を得ようとするなら「人を呪わば穴二つ」となる可能性があるが""We want justice."" 「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」の場合はそれとは異なる。疱瘡神社。浜野川沿いの公園。塩浜橋。「弁護士は役に立たない」。警察は市民の個人情報蒐集のためなら即座に飛んでくるが110番通報すると来ない。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/517919536.html 
4.鵜の森町の新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)跡地の現在(1)最低限の対価が払われない仕事をしても「働いた」にならない、「仕事が楽しかったら給料なんかいらな~い」と従業員に叫ばせる(株)フィットは半宗教団体、自分の時間外手当はつけて私の時間外手当はサービス残業にする女、「社長の嫁の母」として従業員に命令して会社が倒産すると「私は関係ない」と言う二刀流女、駅から会社の至近のバス停まで乗れない従業員、会社の業務と関連する資格試験を受けても落ちたら関係ない試験を落ちたのと同じ、火事場泥棒弁護士 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/518015314.html
5.千葉市中央区鵜の森町。新華ハウジング跡地(2)人面獣心なり、向こう3年のうちに祟りをなさん。その女が仕事で使う物をほかの従業員に立て替えさせようとする男。「大丈夫な人」と「大事にしないといけない人」に人間を2分する男。銀行から出向で来た人は出向先では「資本家のバカ息子」、1人を3人で取り囲んで大声あげて恫喝するのは暴行罪、土下座の強要は強要罪、土下座しなければ懲戒解雇だと脅すのは脅迫罪、「女性社員の尻を撫でまわす権利」などというものは社長が認定してもただちに無効 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/518091413.html 
6.千葉市中央区鵜の森町。新華ハウジング跡地(3)自社に来場した来場客を他の工務店に紹介させて契約させる(株)アイダ設計の部長様、その工務店が倒産してカネだけ払って家できない紹介された客あわれ(泣)。自社の来場客を他社で契約させるために他社に行ってわざわざその近くのサイゼリアで、わざわざ外からよく見える窓際の席で談笑する男。先輩社員と公的機関などにこちらがお願いする立場で訪問するのに遅刻してきてゆっくり歩いてきて「すいません」も言えないバカ女症候群。近くにあっても通報しても来ない白旗交番 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/518144244.html
7.法務局の人権相談はほとんど役に立たない・・だけならまだしも、「知ったことじゃない」と発言する法務局職員税金泥棒。終業時刻より前に帰り支度をする全法務労働組合給料泥棒。「ヤクザをかたって職場で暴力をふるいカネを要求する行為」は「特に違法なことはしていないヤクザ」よりよっぽど問題がある。職場の暴力を「梁山泊の精神」と言って肯定する(株)一条工務店。「ヤクザをかたる半ヤク」はカタギなのか?https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/518656889.html


☆ 冤罪を晴らす神さま・菅原道真・怨念を晴らすお百度詣り
千葉県
葛飾天満宮(市川市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201301article_4.html

白幡天神社(市川市)
1.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_1.html
2.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_2.html
3.https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201511article_3.html

市川市北方町4丁目の天神社 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201608article_2.html
意富比神社 末社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201302article_10.html
船橋市東船橋の「天神社」 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
下飯山満神明神社 摂社天神社(船橋市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201503article_4.html
白井市河原子の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201303article_5.html
子守神社 摂社天神社(千葉市花見川区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201605article_3.html

千葉神社 摂社千葉天神 と 鵜の森町の「神札」(千葉市中央区)
(上)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_2.html
(下)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201305article_3.html

北總天満宮(千葉市中央区)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201308article_1.html 

新町天満宮(千葉市中央区) 
【上】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_6.html
【下】 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201703article_7.html

大網白里市駒込の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_1.html
大網白里市大竹の天満宮 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202012article_2.html 

平群天神社(南房総市 平久里中)
1.富楽里、道の駅おおつの里。平群天神社への道。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
2.伊予ヶ岳・夫婦クスノキ・天神縁起絵巻・鳥居から拝殿へ。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_3.html
3.天神社社殿、木製打上花火筒、朝日山神照寺、民俗資料館跡? https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_4.html
岩井市部天満神社(南房総市市部)。拝殿・幣殿・本殿https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202101article_5.html

愛知県
熱田神宮内 菅原社(外天神)と内天神社(名古屋市熱田区) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201711article_10.html

岐阜県
飛騨天満宮(高山市)
上 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_7.html
中 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_8.html
下 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201309article_9.html
村山天神(高山市国府町)
1上枝駅から宮川沿い https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_2.html
2村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_3.html
3村山天神 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_4.html
4あじめ峡、他 https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201409article_5.html
桜山八幡宮 摂社天満神社(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201510article_7.html
日の出天満宮(高山市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_13.html

石川県
金沢神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_1.html
椿原天満宮(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_2.html
田井菅原神社(金沢市) https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_3.html

滋賀県
多賀大社摂社天満神社(犬神郡多賀町)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/202211article_7.html

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