通天閣(大阪市)【1/2】松屋町筋から見た通天閣。北から・南から見た通天閣。「日立」のネーム入り。「うちは日立ですからねえ」の会社は「うちは一部上場ですから」の会社とともに「三流以下企業」か。 「滅びよ、日立金属(株)」と思っても個人が購入する商品でない者は「買わない」もできない・・と思ったら「日立」でなくなり「上場企業」でもなくなった( 一一) 駅弁大卒の人事部長は思いあがるな。個人・一般人が買う商品でないからやりたい放題・・と思っている会社は「長い目で見るならばハリコの虎」
[第1088回]
大阪市浪速区恵美須町 の通天閣に行ってきました。 通天閣に行くには、電車の駅としては、
阪堺電気軌道 阪堺線「恵美須町」
大阪メトロ堺筋線「恵美須町」
大阪メトロ御堂筋線「動物園前」
JR大阪環状線「新今宮」
のいずれかからが近く、阪堺電気軌道「恵美須町」が一番近くだけれども、私のように大阪府でも大阪市より北側から行く者にとっては、大阪メトロ堺筋線「恵美須町」で降りて北側から歩くか、御堂筋線・堺筋線「動物園前」で降りて南側から歩くか・・だが、今回は、北側の松屋町筋の方に用事があった際に寄ったので、北側の松屋町筋の方から行きました。
京都は南北の道も東西の道も「・・通り」だが「四条通り」「五条通り」「七条通り」など「◇条通り」はすべて東西の通りだけれども、東西の通りでも「◇条通り」ではない通りもある。その点、大阪は東西の道は「長堀通り」「千日前通り」など「・・通り」で、南北の道は「御堂筋」「堺筋」「松屋町筋」「谷町筋」「上町筋」と「・・筋」と呼ぶので、東西の通りか南北の通りかわかりやすい。
通天閣は南北の通りとしては、堺筋と松屋町筋の間の位置にあるが、松屋町筋は通天閣より北、天王寺公園の所で止まる。
松屋町筋を南下すると、左前方に アベノハルカス が見え、↓

右前方に 通天閣 が見える。↓

通天閣の北側は、通天閣から真北に進む道と通天閣から北西に進む道と北東に進む道とがある。
北東側の道から通天閣に近づくと、↓

1960年代、私が子供の頃から通天閣に上から下に書かれているのは「日立」ですが、ずっと同じ文言ではなく、私が子供の頃は「日立キドカラー」と書かれていたように思うが、今は、
「社会に貢献する日立」
「H I T A C H I 」
日立て、「社会に貢献」してるのか?
「社会に貢献する」という文句を聞くと、どうも胡散臭い印象を受ける。「将来、社会に貢献する子供を育てているんだから」と主張して「子供がある者」の特権を主張するバカ女症候群、および、そういうバカ女は「女だからしかたがない」とあきらめて見られていたこともかつてはあったが、最近では男なのにそれと何ら変わらない あほ男症候群が大量に出てきている・・が、「将来、社会に貢献する子供を育てているんだから」とか、そういう文句は実際に社会に貢献してから言ってもらいたいものだ。その子供が将来、「社会に貢献する」か社会に迷惑かけるかなんて、わからんだろうが。 貢献するかもしれないが、貢献しないかもしれないだろうが。 そもそも、その態度が周囲に迷惑かけているとわからんバカ女・あほ男症候群にはロボトミーとか電気ショックとかやって「治療」してやった方が「社会に貢献する」ことにならないか。
南側から通天閣を見ると、↓

↑ 「Welcome to Osaka. TSUTENKAKU!」
と書かれています。外国人の観光客が多くなったことから、「Welcome to Osaka. TSUTENKAKU!」という英語での表記ができた、ということでしょうか。私が子供だった頃、1960年代にはこの文句のものはなかったはずです。
※ 通天閣HP https://www.tsutenkaku.co.jp/
日立というと・・・、必ずしも良い印象はない。
かつて、日立金属(株)という会社があったのだが、今も相当頭にきている。
今となっては35年以上前になるが、私は人より年齢をいって大学を卒業したことから就職は不利だったが、慶應大学の就職部に行って、どういう所なら採用してもらえる可能性があるでしょうか、と尋ねたところ、「けっこう有名だけれどもあまり大きくない所」か「けっこう大きいけれども無名な所」なら可能性があるかもしれないと言われ、会社名の一部に三井・三菱・住友・安田という名前が入っている所は厳しいのではないか、と言われた。
(1) その基準「けっこう有名だけれどもあまり大きくない所」か「けっこう大きいけれどもあまり有名でない所」
(2) 採用実績を見て、東大・京大や慶應・早稲田といった大学の出身者はあまり採用できていない、というくらいの所
という基準で考えて、日立グループでも親亀の日立製作所は厳しいだろうと考えたが、日立グループの子亀・孫亀の会社、「日立◇◇」という名前の会社なら、採用実績を見ても、東大・京大や旧帝大系国立大学および早慶は少なく、地方国立大学か私立なら早慶より下くらいの私立大学卒の人が多かったので、そういう所ならどうかと思って、それで日立金属(株)に応募したのだ。
1990年だったと思うが、その頃、日立金属(株)は東京駅の八重洲口側のビルに本社があった〔その後、別の所に転居したようだ〕。あらかじめ、電話を入れて、「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と尋ねたのだ。そうすると、電話に出た人事部の従業員が「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言い、「履歴書と卒業見込証明書を持参して、本社の方まで来社いただきたいのですが、◇日の☆時はいかがでしょうか」と言われ、「ぜひ、うかがわせていただきたいと思います」と答えて、指定された日時に履歴書と卒業見込証明書を持参して訪問したのだった。・・ところが・・・
どういう対応をされたと思いますか?
東京駅の八重洲口側の日立金属(株)の本社に指定された日の指定された時刻より「少し早い時刻」にその前まで行って待った上で、「少しだけ早い時刻」に受付に行きました。
通された部屋で待つと、日立金属(株)の人事部長という男が出てきて、そして、私が用意した履歴書と卒業見込証明書を見ようともしないで、こう言ったのです。
「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。お帰りください」と。はあ? 私は電話ではっきりと「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と日立金属(株)の人事部の担当者に質問して、それに対して「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言われて、「履歴書と卒業見込証明書を持参して、本社の方まで来社いただきたいのですが、◇日の☆時はいかがでしょうか」と言われたから、その日時に労力と時間をかけて訪問したのだ。決して「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません」と言われたのに訪問したのではないのです。
私は日立金属(株)が3年以上遅れの人の採用をすべきとかすべきでないとかはまったく言っていないのです。日立金属(株)の人事部の担当者が「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言ったから、その碑、その時刻に日立金属(株)の本社に訪ねたのです。もしも、電話に出た人事部の担当者が対応を間違えたということならば、私が訪問するよりも前、電話で日時を約束してから訪問の予定の日まで間があったわけですから、日立金属(株)の人事部の方から私に電話を入れて「先日は◇日の☆時に来社いただきたいとお話いたしましたが、誠に申し訳ありませんが、その年齢の方に応募していただくことはできないということになってしまいまして、一度、年齢制限はありませんとお話し、来社いただきたいと申して予定を入れていただいたのに、申し訳ございませんが、今回は応募は辞退させていただきたいと思いましてお電話させていただきました。申し訳ありません」と非礼をわびるものではないのか。
それを「◇日の☆時に来社いただけますか」と言って来させておいて、
(1)「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と電話で言っておいて、それで来社させた上で「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。」と言い出すという非礼を詫びることもなく、
(2)いったん、「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と電話で言ったが、その後になって断りたいと思ったのなら、来社させるのではなく、それまでに日立金属(株)の方から電話を入れて「先日は◇日の☆時に来社いただきたいとお話いたしましたが、誠に申し訳ありませんが、その年齢の方に応募していただくことはできないということになってしまいまして、一度、年齢制限はありませんとお話し、来社いただきたいと申して予定を入れていただいたのに、申し訳ございませんが、今回は応募は辞退させていただきたいと思いましてお電話させていただきました。申し訳ありません」と言うべきものを電話を入れずに来社させたということを詫びることもなく、「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。お帰りください」と、そう言ったのです。
それはないだろう、私は電話で日立金属(株)の人事部の担当者に「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と尋ね、「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言われて「◇日の☆時に来社いただけますか」と言われたから、その日時に訪問したのであり、日立金属(株)の方が「ぜひ応募してきただきたい」と言って来させておいて、人事部長という男が一言の謝罪もすることなく「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。お帰りください」とは、その発言はないだろう。いくらなんでも、その対応はまともな会社の対応ではないだろう、と思い、「私は御社の人事部の担当者が『弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います』と言われ、きょうのこの時刻に来てくださいと言われたので来させていただいたのですが」と言いかけたところ、その人事部長だと称する男は「エレベーター、あっちです」と言ってエレベーターホールの方を指さすのです。 そして、さらに追い打ちをかけるように「もっと下の会社をねらわれた方がいいと思います。なにしろ、うちは日立ですからねえ」と、そう言ったのだ。
私は、会社に応募する者は、どのようなことでも我慢しなければならないものなのか、と思って我慢して帰ったが、それから何十年か経って、あれは我慢すべきではなかった、と思うようになった。無礼な態度をとったのは私ではなく日立金属(株)の方だったのだから、それについて、一言の謝罪もないというのは絶対におかしいのだ。
それから、「もっと下の会社を応募された方がいいと思います」などとは大きなお世話だ。不採用にする相手に余計なこと言うものではない。ほかの会社がどう判断するかにまで口出すべきではない。求人求職は大学入試や資格試験よりも思い合いに似ている。この相手は断りたいと思ったとしても、「あんたのどこそこが気に食わない」などと言うものではない。採用したい相手に「この点は困ります」といった指摘をするのはいいが、断る相手に「もっと下の相手とお見合いした方がいいと思います」などと、「おまえこそ『下の相手』だろうが」という者が言うべきではない。
私は実際の所、日立製作所は応募しても難しいだろうと考えたが、日立グループの会社でも「日立◇◇」といった会社名の子亀会社なら、採用実績校を見ても東大・京大などの旧帝大系国立大学や早慶は少なく、それより下の大学の名前が多い会社だったので、採用の可能性もあるかもしれないと考えたが、まず電話で「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と尋ね、それに対して日立金属(株)の人事部の担当者から「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言われて何日の何時に来社してくださいと言われたから、その日時に訪問したのだった。
私は日立金属(株)は「日立金属(株)」であって「日立製作所(株)」ではないと認識して、親亀会社なら厳しいとしても子亀会社なら可能性はあるかと考えたのだったが、子亀会社でも採用したくないならないでしかたがないが、こういう対応をしなければならない理由が何かあるのだろうか。それが「日立金属(株)」の対応ではなく、それが「日立」の対応なのか??? それが「日立」なのか???
ヒラの従業員でなってないやつがいたとしても、それはどこでもであろうけれども、その男は自分は人事部長だと名乗ったのだ。人事部長と名乗る男がそういうことをしてよいのだろうか???
その時、私は会社と従業員の関係は「ぺこぺこ関係」とでもいうもので、会社に応募する者は何を言われても何をされても、「雨にも負けず、風にも負けず」「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「韓信の股くぐり」「臥薪嘗胆」「堪忍は無事長久のもと、怒りは敵と思え」と我慢しなければならないものか・・と思っていて、それで大変なショックを受けたものの、それでも我慢して帰ったのだった・・・が、それから何年か経って、そうではなく、あれは我慢する必要はなかったのではないか。間違ったことをしているのは「日立金属(株)と人事部長のあの男」であり、「うちは日立ですからねえ」と言ったその発言をもとにするなら「日立とその人事部長の男」であり、我慢するべきではなかったのではないか、と思うようになった。むしろ、「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」と、何ら苦情を言うこともなく帰ってしまったのは間違っていたのではないか、と思うようになったのだ。

権利のための闘争 (岩波文庫 白 13-1) - イェーリング,R. von, 村上 淳一
日立金属(株)の人事部長だという男は「もっと下の会社をねらわれた方がいいと思います」と不採用にする会社の人事担当者として言うべきではない発言をしたのだが、私は日立金属(株)という会社を「上の会社」とは思っていない。むしろ、日立金属(株)、「なにしろ、うちは日立ですからねえ」という日立金属(株)の人事部長だというあの男の発言をもととするなら、「日立」というものを「上の会社」とは私は思っていないし、「一流企業」とも思っていない。
私は、特に大企業ではない会社で人事総務部に勤務して採用の仕事についたことが1年だけあるのだが、くそfラン大学の学生を相手にしてでも、日立金属(株)の人事部長だと称する男のような口をきいたことはないし、日立金属(株)〔「うちは日立ですからねえ」という文句をもとにするなら「日立」〕のような非常識な態度・対応・発言をしたことは一度もない。 むしろ、私は「日立」はこの点において「三流以下企業」だと思って軽蔑している。
世の中には「うちは一部上場ですからねえ」と言いたがる会社というのがある。「だから、何なの?」と言いたくなるが、「うちは一部上場ですからねえ」と言えば高く評価されるだろうと思い込んで言っているのだろうけれども、「さすがは一部上場だけのことある」という態度をとった上で言うのなら悪くはないが、「それが一部上場なの?」「おもろい一部上場もあったもんだね」という態度・対応の会社の人間が「うちは一部上場ですからねえ」という文句を口にすることが多い。
「なにしろ、うちは日立ですからねえ」と日立金属(株)のヒラではなく人事部長だという男がそう言ったのだから、「日立」というのはそういう会社なのだ。「日立」というのはそういう程度の低い会社だ、ということだ。そういうことになるはずだ。違うか?
世の中には「採用すべき人を不採用にして、不採用にすべき人を採用する会社」というのは存在する。
「一部上場」というのは株式を上場していて、その上場している市場が一部(今は表現が変わったが)だということで、そのこと自体、いい会社であるとか悪い会社であるとか示すものではないが、上場すると『有価証券報告書』というものを作って公開しないといけないし、監査を公認会計士による監査をしないといけないことになっていたと思うので、その分、上場していない会社よりはいくらか、会社の内容がわかる、ということがある。 又、「会社を設立するための基準」より「会社を上場するための基準」はひと回り厳しいようなので、その分、上場している会社の方がいい面はあるかもしれないが、前につきあっていた証券会社の担当者が「マザーズ・ヘラクレス上場会社なんて、実際のところ、なんでもありですから」と言っていたことがあったが、「上場している」会社は上場していない場合よりもいい場合もあるが、「上場している」から内容がいいとは決まっていない。又、「上場している」会社でも上場閉鎖になる場合もある。小堀住研(株)では「うちは一部上場ですからね」と仮想競合三井ホームとして、1990年頃は三井ホームは未上場だったことから言っていたが、小堀住研(株)が名称を変更したエスバイエル(株)は上場閉鎖になり、そのうち倒産した。〔倒産した会社をヤマダ電機が「いぬき」で買い取ってヤマダホームズという名前の会社を作ってやっているが、いったん、倒産している。〕
今は昔、1970年だったか、読売テレビ・日本テレビで放映されていた『細腕繁盛記』(原作は花登筐〔はなと こばこ〕『銭の花』)で、子供の頃の「加代ちゃん」に祖母の「ゆう」が団扇(うちわ)を見ながら「『うちわ を見れば骨がある』と言うが、ほんまやなあ」と語る場面があったが、祖母の「ゆう」がそう言ったのに対して加代が「おばあちゃん、そんなん、当たり前やんか」と言うと、祖母の「ゆう」は「違うんや、加代ちゃん。どこの家でもどこの店でも外から見たら、ええ~えように見えても、内輪(うちわ)に入って見ると、ぎすぎすしてたり、なんか問題をかかえてたり、『骨がある』ものなんや」と、そう教えるのだった。 だから、どんなにいいように見える会社でも「内輪(うちわ)」に入って見ると「骨がある」ということは特別のことではないかもしれない。
※ YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館 https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U
しかし、だ。 あの日立金属(株)の態度〔「うちは日立ですからねえ」という発言からするなら「日立の態度」〕はひどすぎるのではないか。 「うちは日立ですから」許されるんだ、と日立金属(株)の人事部長の男は思っていたのかもしれないが、それは違うのではないか。
中には怒って、入口付近に置いてあるようなものを蹴り飛ばして帰る人もあるかもしれないが、蹴り飛ばして帰る人間がいたなら、蹴り飛ばした者が悪いのではなく「日立」が悪い。 それから何年か後、「今からでも、日立金属(株)の本社に行って、入口あたりに置いてある何か、蹴っ飛ばしてきてこましたろか」とか思ったりもしたが、後からもう一度行ってそれをするのは大人げないか・・と思った・・こともあるが、そのために時間をとるのはめんどくさかった・・ことからやらなかったが、入口あたりに置いてある物を何か、蹴り飛ばしてくる者がいたとしても、それは蹴られる「日立」の方が悪いはずだ。そう思わないか?
実際のところ、「日立の子亀会社」の人事部長というのは、茨城大卒の人間が多く、茨城大卒でなくても、同様の地方国立大学卒の男が多い。 私は浪人中、うちの父親の「親友の親友は親友だ」という医者屋の勝田(かつた)という女(1980年頃当時、50くらい?)から、「義務教育は小学校と中学校であって、高校は義務教育とは違うのだから、あんたが北野高校に行ったのは余計なはずや。本来、あんたは高校尾には行ってはいかんのや。そやのにからに、あんたが北野高校に行ったというのは、それはあんたが思いあがっているからであって、つけあがっているからであって、素直さがないからであって、甘ったれているからなんや。あんたは高校になんか行ってはいかん人間のはずなんや。ましてや、あんたは大学に行くなんてもってのほかや。あんたは大学には行ってはいけない人間のはずや」と言われた。それでいて、勝田のバカ息子はバカ大学に2つも行っていたのだった。
私には、その地域で一番の公立高校に行ったのを「高校は義務教育ではないんやから、あんたは北野高校には行ってはいけないはずや」と言っておいて、勝田はおのれのバカ息子はバカ大学に2つも行かせるというのは、それはおかしいではないか、と私は思ったし理屈からいけばおかしいはずだったが、ところが医者屋の勝田は「その点、うちの息子なんかは大学を2つも行ってるんやから、一生懸命勉強せんとあかんし、一生懸命勉強するようにさせてやらんといかんということやなあ」と勝手なことを言うのだった。「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではない。ましてや大学は義務教育ではない」というものを大前提として、結論として私には「あんたが北野高校に行ったのは余計や。あんたは高校には行ってはいかん人間のはずやのに北野高校に行ったというのは、あんたが思いあがっているからで、あんたがつけあがっているからで、あんたが甘ったれているからなんや。ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいかんはずや」という所に持っていき、勝田のバカ息子については「その点、うちの息子は大学(バカ大学)を2つも行ってるんやから、一生懸命勉強せんといかんし、一生懸命勉強させてやらんといかんと、そういうことやな」と正反対の結論に持って行くのだった。それが「医者屋の民族・階級」の人間のする理屈・理論だった。 普通の人間はよその親からそういうことを言われると怒るのだが、ところがどっこい、うちの父親はよその親からそういうことを言われると喜ぶのだった( 一一) ( 一一) 父親というものは「そういうもの」かどうかというと、よその父親は違うように思えたが、うちの父親は、よその人間からそういうことを言われると喜ぶ男だった。「ええ~えこと、言いはるっ♪ その通りや。 おまえは高校には行ってはいかんのじゃこのチャンコロろすけイタコ浪商めがこのチャンコロ! おまえが北野高校に行ったのはおまえが甘ったれておるからやねんぞ。勝田先生はほんまにええ~えこと言いはるっ♪」と言って喜んだのだ。そして、「勝田先生の息子さんは大学に2つも行ってはるそうやで。えらいなあ、えらいなあ。ものごっついえらいなあ」と言いまくるのだった( 一一) ( 一一) だいたい、「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないから、行ってはいけないはずや」という勝田が私に適用しようとした理屈からいけば、義務教育だという小学校・中学校というのは、あくまでも公立の小学校・中学校のことであって、慶應幼稚舎なんて義務教育であるわけないのだから、小此木啓吾なんかは「小学校に行ったのは余計なはずや」「小此木啓吾は小学校に行ってはいかんはずや」ということになるはずだった・・・が、なじかは知らねど小此木啓吾はでかいツラして小学校:慶應幼稚舎⇒中学校:慶應中等部⇒高校:慶應義塾高校⇒大学:慶應大学医学部⇒勤務先:慶應大学医学部および慶應病院と、まさに「揺り籠から墓場まで慶應(from cradle to tomb.)」、サラブレッド的慶應・・というのか「ほとんどビョーキ」というのかで、どう考えても「小学校行ったのは余計や」ということになるはずなのに、当たり前みたいに行っておったのだった( 一一) ( 一一)
だいたい、日立金属(株)の人事部長の男、応募する者の履歴書は見てもおのれの経歴は言わない・・というのが卑怯なところなのだが、「日立の子亀会社」の人事部長で多いのが茨城大卒で、そうでなくても地方国立大学卒が多い。それが「日立」なのだ。単に「日立」と言うと日立製作所(株)のことと思っていたが、日立金属(株)の茨城大卒か同程度の駅弁卒の「うちは日立」しかとりえがない人事部長にとっては「日立の子亀会社・孫亀会社」が「日立」らしく、それだと「日立」というのは、ずいぶんとレベルの低い会社だ。
日立の子亀会社の人事部長やっているやつが行く茨城大みたいなもんに行くやつなんて、高校は義務教育ではないのだから高校には行ってはいかんだろうが。義務教育であっても茨城大みたいなもん、行くやつなんか中学校行く必要ないだろうが。
かつては通天閣に「日立キドカラー」と出ていた「日立」だ。 日立グループの会社の人間から「東芝とかNECとかそういった会社のグループ会社の『東芝◇◇』『NEC▽▽』という名前の会社と比べて、『日立△△』という会社は独立性が強い」という話を聞いたことがあったのだが、「だから『東芝◇◇』『NEC▽▽』より『日立△△』の方がその点でいい」とその人は言うのだったが、そうであるのかないのかは、どちらにも勤めたことはないからわからない。
慶應大学の就職部の方から「『日立△△』『東芝◇◇』『NEC▽▽』といった会社というのは、たとえ、日立製作所・東芝・NECでなくても、そのグループ会社だから悪くないのではないかと思って勤めても、せっかく努力して苦労して昇進しても、本体の日立製作所・東芝・NECに入社した自分より年下の人間がやってきて自分より上の役職についてしまう、ということがある」と言われたことがあった。日立グループの会社の人から「東芝とかNECとかそういった会社のグループ会社の『東芝◇◇』『NEC▽▽』という名前の会社と比べて、『日立△△』という会社は独立性が強い」から日立はいい、と言われたのは、そういうものが「日立△△』は『東芝◇◇』『NEC▽▽』に比べて少ない、ということを言っていたようだった。しかし、「少ない」としてもそれでもあるはずで、本体・親亀から出向で子亀会社に来た人間の場合は東大卒とかの人がいるのではないかと思われた・・が、日立金属(株)の人事部長の男は、「茨城大かそうでなくても地方国立大卒」の方だったのか、「親亀で競走に敗れた旧帝大系国立大卒」の方だったのか、どちらだったのか、これは本人がひとの経歴は聞いてもおのれのことは言わない卑怯者なので、わからない。・・しかし、だ。この際、言ってしまえば、「えらそうな態度とっとるけども、駅弁大卒か、もしくは親亀会社での競争に敗れた落ちこぼれやないけえ~え」というものだ。 向こうが生意気な口をきいたのだから、こちらだって少しくらい言ってやっても悪くはあるまい。・・「ふ~みん」なら「駅弁大卒のしょぼい人事管理です」とでも言うところだろうか・・。
うちの父親の「親友の親友は親友だ」の勝田が言った「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないのやから、高校には行ってはいかん」という基準から考えるなら、茨城大だのそうでなくても駅弁大学に行くようなやつなんか、生意気に高校行くのが間違っているのである。 駅弁大学みたいなもん、行くようなやつなんて義務教育であろうがなかろうが中学校行くのが余計なんじゃい!!! 日立金属(株)の人事部長なんぞになっているような男は中学校行ったのが余計なのだ!!!
日立金属(株)の人事部長の男は、私が大学を卒業するのが遅かったのが気に食わないらしかったが、この際、日立金属(株)およびその人事部長に行ってやりたいのだが、「俺はおまえが行った駅弁大学になんぞ行くために浪人したんじゃねえぞ! 俺はおまえが行った駅弁大学なら高校2年の終わりでも通ったかもしれんぞ。おまえなんぞと一緒にすんな!」と、これはその場で言ってやるべきだった。我慢して帰ったのは間違っていた。
「おまえなんぞ、高校どころか義務教育であろうがなかろうが中学校行ったのは間違いなく余計だったはずなのに、なんで、あんた、中学校に行ったのお? なんでか教えてくれ」とその場で言ってやるべきだった。
それから、日立金属(株)の人事部長の男は「うちは日立ですからねえ」と発言し、「日立」だからこういう態度・対応をとってもいいんだ・・と言いたいらしかったが、それは違うだろ。 アーキマインド(株)という建設業の現場労働者の派遣を「工事管理」という名目で派遣するという脱法行為をはたらいてきた会社の社長の鈴木さん(男。私と同年齢らしい)は清水建設(株)で工事現場の監督をやっていたらしいが、ゼネコン大手5社といわれる会社の1社の清水建設(株)で工事現場の監督をしていた時、労働基準監督署の労働基準監督官から「あなたたち(大手五社と言われるような会社の人)こそ、きっちりと(労働基準法・労働安全衛生法などを守って)きっちりとやっていただかないと困ります」と言われたそうなのだ。大手の会社だからいいかげんなことしても、労働基準監督署・労働基準監督官は大手の会社には「よう言わんだろう」などと考えてもらっては困る。そうではなく、「大手の会社だからこそ、きっちりとやってもらわないと困ります」と、「大手の会社だからいいかげんなことしてもまかり通るだろう」と考えてもらっては困ると、そういうことを言われたらしいのだ。
これと同じ理屈を適用するならば、「うちは日立ですから」だから ↑ のような態度・対応をしても「さすがは日立♪」「よっ、さすがは日立だけに優良企業♪」とほめてもらって当然という意識、駅弁大学卒なのか「東大でてもその程度か」の方なのかの人事部長の態度・対応というのは、それは間違いであり、それが「うちは日立ですから」であるということは、その「うちは日立ですから」てやつ、「たいした会社じゃねえなあ」となる。何だったか週刊誌に載っていたのだが、東芝が会社の状態がぐだぐだになってきた際、「今でも東芝の従業員には『東芝は絶対につぶれない』という信仰を持っている人がいます」と出ていたのだが、「なにしろ、うちは日立ですから」も同じではないか?
大企業の従業員には、そうでない会社に比べて「一流大学」卒の者が多く、社員教育が充実していることから優秀な対応をすることができる者がいるという場合もあるが、そうではなくて、「会社の名前で勝負できる」ことから、その「会社の名前」がなければ何もできない人間、「会社の名前」で勝負するのではなく自分自身の力でなんとかするということができない人間、というのもいるように思う。 いわば「温室育ち」( 一一) ( 一一)
日立金属(株)は「うちは日立ですからねえ」で何でもまかり通ると思っているのか? ・・・と思ったら、今、「日立金属(株)」と入れて「検索」をクリックすると、ありぁ?
日立金属(株)という会社は存在しないのだ!
ウィキペディアープロテリアル https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB には、
《 株式会社プロテリアル(英: Proterial, Ltd.)は、東京都江東区豊洲に本社を置く、日本の大手鉄鋼メーカーである。2023年に日立金属株式会社(ひたちきんぞく)から社名変更した。》
《 1956年に日立製作所が鉄鋼業・金属部門を分社化し、全額出資して設立した会社である。2023年に日米ファンド連合に株式が売却され、これに伴い日立グループを離脱。同年、社名を株式会社プロテリアルに変更した。》
《 1961年(昭和36年)熊谷工場新設。東京および大阪証券取引所第二部上場。
1962年(昭和37年)東京、大阪証券取引所一部上場。
・・・・
2022年(令和4年)日米ファンド連合が出資する株式会社BCJ-52が株式公開買付けにより当社の全株式を取得[11]。
2022年(令和4年)東京証券取引所プライム市場上場廃止。
2023年(令和5年)商号を株式会社プロテリアル(Proterial, Ltd.)に変更。 》
↑ なんだあ、これはあ。 「うちは日立ですから」と言うておったはずだが、「日立」ですらなくなったんじゃないか。
それだけでなく、上場企業ですらなくなったんじゃないかあ!!! 「うちは日立ですから」だから、どんなに無礼な対応をしても、それでもほめてもらえる会社なんだ、という自信あふれる態度(?)は、どうなったんだあ?
「うちは日立ですからねえ」と言うておったはずなのに「日立グループを離脱」とは何だあ~あ!!!
駅弁大卒の日立金属(株)の人事部長の男も「温室育ち」で、「日立ですからねえ」がなければ「ただのあほ」と思われたが、日立金属(株)は「日米ファンド連合が出資する株式会社BCJ-52」に買い取られて「日立製作所」の子亀会社でなくなり「うちは日立ですからねえ」と言えなくなった。あの男、それまでに退職しているだろうけれども、その点で幸せな男だったかもしれない。 もしも、あの男が今も日立金属(株)が「外資とのファンド連合」に買い取られた会社にいたなら、「うちは日立ですからねえ」と言えなくて困っていることだろうなあ。
私なら、仮に日立製作所に入社しても日立の子亀会社に入社しても「うちは日立ですからねえ」などと、「だから、何なの?」と言われそうなことは言わない・・が言わなきゃおれない・それしかとりえがない男シンドローム が日立の子亀会社にはあの男だけでなく、けっこういたのかもしれない。 小此木啓吾と似たタイプかもしれない。小此木啓吾は「小学校:慶應幼稚舎⇒中学校:慶應中等部⇒高校:慶應義塾高校⇒大学:慶應大学医学部⇒勤務先:慶應大学および慶應病院」とサラブレッド的慶應・・というのか「ほとんどビョーキ」というのか、それでインターネット上に出ていた話によると慶應大学を定年になった後、慶應大学より定年の年齢が高い私立大学の講師になったらしいのだが、評判悪かったそうで、どう評判悪いかというと、(1)慶應大より学力水準が低い私立大学の学生をいじめる・・というのがあり、そして、(2)何かと慶應に帰りたがる! と書かれていた。なるほどなあ~あ・・・「揺り籠から墓場まで」小此木啓吾症候群の重症患者だったのだ・・。ロボトミーとか電気ショックとか、もしくは「入院療法」(=逮捕監禁)・「薬物療法」(=薬漬け・毒盛り)・「作業療法」(=強制労働・無賃労働)とか緊縛療法(ベッドにくくりつける)とか、そういうのをやってやれば小此木啓吾でも「ちょっとはよくなるかもしれん」と思われたが、「揺り籠から墓場まで慶應」症候群の小此木啓吾にとっては「慶應的精神空間」から外に出ると窒息しそうな状態になり、3分以内に戻らないとカラータイマーが点滅し、黄色の点滅が赤に変わると、小此木啓吾はもはや立ち上がれなくなってしまうのだ・・、ピコ~ン、ピコ~ン、ピコ~ン、ピコ~ン・・と、「うちは日立ですから」があってこその男はそれと似ている。「うちは日立ですから」で何でも通じると思っていた男、まともなことをやっているから評価されていいはずという姿勢ではなく、「うちは日立ですから」と言えば人は言うことをきく・・と思って生きてきた駅弁大学卒の男・・・、結局、「日立」の従業員というのは、たいして有能ではなかった、ということみたいだ。「慶應的精神空間」から外に出ると3分以内に戻らないと立ち上がれなくなってしまう小此木啓吾症候群とたいして変わらん「うちは日立ですから」シンドローム( 一一) ( 一一) ・・⇒が、「日立」でなくなって生きていけるのか??? 昔、子供の頃、住んでいた所の近くの駅の脇に「日立信販」という会社の看板が出ていたのを見たが日立製作所とは関係ないみたいだった。ほかにも、「日立☆☆」という名前で日立製作所と全然関係ない会社というのはあるから、あの人事部長の男と似たようなタイプの日立金属(株)の従業員はそういう会社で雇ってもらえばいいかもしれない。そうすれば「うちは日立ですから」と言えていいのではないか。
※ YouTube-Ultraman vs Zetton(ウルトラマン対ゼットン) [1966]https://www.youtube.com/watch?v=S0Wa9hYx0Oo
その会社が一般消費者を相手として商売する会社ならば、↑ のような態度・対応をとられたならば、「そんな会社の商品なんぞ、二度と買うか」とすることもできる。 実際、私はここ何十年間と江崎グリコの商品は買わない・買ったことないし、食べない・食べたことない。今後とも江崎グリコの商品は買わないし食べない。
しかし、日立金属(株)の場合は販売先が一般消費者ではないから、買わない・食べないことにすることもできないし、「日立金属の電線に青酸カリ入れた。金塊千キロよこせ」と言うわけにもいかない。 まあ、「江崎グリコの商品に青酸カリ入れた。金塊千キロよこせ」というのも怪人21面相だからできたことで、私らはできないけれども・・江崎グリコの商品は買わない・食べない・・ということならできるが、日立金属(株)の商品は最初から買ってないし、食べるものではない。だから、日立金属(株)の人事部長は応募者にどんなにひどい態度を取っても怖いものなし♪ と思っていたのであろうけれども、・・こういうのをどう言うかというと、「長い目で見るならば、ハリコの虎」と言うのです。
「日立」は《日米ファンド連合が出資する株式会社BCJ-52が株式公開買付けにより当社の全株式を取得》により、日立金属(株)を失ったわけだが、「日立」から離れた(株)プロテリアルという会社が今後、よくなるのか悪くなるのかはそれはわからない。
しかし、ともかくも、「うちは日立ですからねえ」という会社は、「東芝は何があっても絶対につぶれることはない」と東芝の従業員は今も信仰もってるらしいが、「日立は何があっても絶対につぶれることはない」と日立金属(株)の人事部長の男は信仰もっていて、「うちは日立ですからねえ」という態度をとっておればいいと信じていたようだが、そのわりに「日立」は日立金属(株)を失った。 やはり、「日立」にとっては、この部分において「ハリコの虎」だったのではないか。態度でかくて「見かけは恐ろしいが、その実力はたかがしれている」というものだったようだ。
山一證券なんて会社はそう簡単につぶれないだろう・・と私は思っていた。「(ローマの)コロッセオが滅ぶ時には、その時、ローマの街も滅び、世界も滅ぶ」とか「(ナポリの)カステルテツロ―ヴォの基礎の下には卵が入っていて、その卵が割れる時にはカステルデツロ―ヴォは破壊されナポリの街も破壊される」といったお話があるようだけれども、山一證券なんて会社がつぶれる時には、当然、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ なんて会社はつぶれており、日本の多くの会社はつぶれていることであろう・・・と思っていたら、何とも不思議なことに山一證券は倒産してなくなったのに(株)一条工務店つぶれてないやんけ!!! こりぁまた不思議なこともあるもんだな・・・と思ったが、山一證券は倒産しても従業員には再就職先を紹介してくれたのに対して、(株)一条工務店は会社はつぶれずに存続していて、「初代社長」の大澄賢二郎は従業員に払うべきカネ払わずにため込んだカネの一部を浜松市に寄付して「また、ええかっこしいやったろ思うてはるう」てのをやりよった( 一一) ( 一一) ・・が、従業員はちっとも無事ではない。それだけではなく、関連業者に「うちの会社をやめた人間を採用したら仕事をまわさないぞ」などと言って就業妨害までしている
・・が、ともかくも、野村・日興・大和と山一で四大証券と言っていた山一證券なんて会社がつぶれるなんて、おそらくないだろ・・と思っていたら、あったんだわ。そして、「うちは日立ですからね」とでかい態度で言っていた日立金属(株)は後進会社はあるとしても、「日立」でなくなり上場企業でもなくなったのだ。やっぱり、何であれ「うちは日立ですからねえ」だのとえらそうな態度はとるべきではないと思うがな・・・。
「秋の日はつるべ落とし」という言葉がある。ソビエト連邦なんて簡単になくならんだろう・・と思っていたら、なくなる時はあっさりとなくなった。 阪急ブレーブスなんてのも、日本社会党も簡単になくなった。 日立金属(株)は「なくなった」と考えるべきか、(株)プロテリアルという会社として存続していると考えるべきか。いずれにしても、「うちは日立ですからねえ」と言えなくなってしまった。切り札うしなったやんけ!!!( 一一) ( 一一)

とんぼの本 ローマ古代散歩 - 小森谷 慶子, 小森谷 賢二
↑ コロッセオ

ローマの休日ひとり歩き (コロナ・ブックス 64) - 佐藤 幸三

ナポリと南イタリアを歩く (とんぼの本) - 小森谷 賢二, 小森谷 慶子
※ 「カステルデツロ―ヴォ」⇒カステル・デッローヴォ:ナポリの海に浮かぶ要塞 https://italytripper.com/ja/place/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A9-%E6%B5%B7%E3%81%AE%E8%A6%81%E5%A1%9E-%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA/
それで、だ。 これは私が我慢すればいいという問題ではない、と思ったのだ。日本にはなってない会社はいっぱいあるのだけれども、日立金属(株)は「うちは日立ですからね」と人事部長が言った、ということは、
(1) 日立金属(株)という子亀の対応ではなく「日立グループ」の対応ということで、
(2)「うちは日立ですからね」という発言は「日本という国を構成する重要部分であり、『日立に逆らう者は人にあらず』という態度をとった」ということだ。
それならば、だ。日本国民として、「単なる一企業ではなく日本という国の重要な一構成部分である『日立』」がやったことであるらしいから、それならば、日本国民として何もしないというわけにはいかない。何もしないのでは、それでは国民としての義務を怠ったことになる。そうであろう。これは私一人が我慢すればいいというものではない、ということだ。
もしも、その時においてであれば、入口付近にゴミ箱でも置いてあったならば、「不快感の表明」として蹴り飛ばして帰る、ということをしてもよかった。「うちは日立」はそのくらいされたとしても「なんか文句あるか?」 その時は、そのようなことはすべきではない、と思ったが、そうではなく、ともかく何かするのが日本国民としての義務だった。
もしも、器物損壊だとか言い出したなら、裁判ででもきっちりと動機を述べることで、日立金属(株)の人事部長が「うちは日立ですから」という「日立」がどれだけおかしな対応をしたかを国民に知らせるいい機会だ。
私の方は「日立」「日立製作所」ではなく、「その子亀の会社の日立金属(株)」に応募したつもりだったが、日立金属(株)が「うちは日立ですからね」と「日立の子亀会社」ではなく「日立」なのだと明言したのだから、「子亀会社」がやったことではなく「日立」がやったことだ。そうなると、「うちは日立ですからね」という日本国の重要な一部分を構成する機関がやったとなると国民として放置するのは国民の義務に反する、ということになるわけだ。そうだろ。違うか? 違わないはずだぞ。
とりあえず、思いついたものとして、日立金属(株)の株を1単位株、購入するということなら、できるわけだ。 役員人事を支配するとか、そこまでの株を持つのは簡単ではないかもしれないが、株主総会で発言するには1単位株、持てばいいわけだ。1単位株なら持てるだろう。
日立金属(株)の株を1単位株保有した上で、株主総会に参加して発言する。「日立金属(株)は販売先は企業であって個人・一般消費者ではないから、どんな無茶苦茶な対応をしてもいいというものではないはずです。応募者が「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」ときっちりと尋ねているのに、もしも「2年遅れまでというルールがありますから」と断りたいのなら、その時にそう言うべきもので、尋ねられた時には「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と答えて来社させておいて、その上で、来社した者に「弊社には2年遅れまでというルールがあります」と言い、それならば、「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言って時間をとらせて労力をかけさせて来社させたことを謝罪することもなく、そして、「エレベーター、あっちです」と人を馬鹿にした態度をとり、「もっと下の会社をねらわれた方がいいと思います」と悪態つく、という「下の会社の人事部長の態度」を日立金属(株)は「うちは日立ですから」と言ってとったわけですが、それが「日立ですから」という会社の態度ですか。自分の会社が一流企業だと思っているのなら、そういう非常識な態度・対応はおかしいのではありませんか」と発言して、返答を求める。
私は総会屋として会社を脅すのではないし、敵対的株主として発言するのでもない。その会社を良くするために、その会社がこれまでにとった態度・対応でどう考えても良くないと思うものを、会社のために是正してもらおうとして発言するのである。もしも、私の会社のためを思っての発言を会社がきくならば、それはその会社のためになるであろう。 私がせっかく会社のためを思って発言しているのに、それに対して恩を仇で返すような態度をとるならば、その「仇で返す」態度はブーメランとなってその会社に襲いかかるであろう。耳ある者は聞くべし・・であるが、もしも、まともに対応しなかったならば、とりあえず、このブログでは公開することとしよう。 ほかにも本として発行・発売するのもいいだろう。 YouTube 始めるのもいいかな。 ともかく、「黙っていてはなめられる」し、何も私はその会社をつぶそうとなどしていないし、その会社のためを思って発言するのであり、総会屋でも敵対的株主でもないのだ。 敵対的というなら、日立金属(株)の人事部長の態度こそ、日立金属(株)と「日立」に対して敵対的態度をとるものであったはずである。違うか? 違わないはずだぞ。
ところが・・である。日立金属(株)という会社の株を1単位株 買おうとしても、日立金属(株)という会社がないのだ。会社名が変わったのか、「日立◇◇」という他のどこかと合併したか、そういったことでもあったかと思ってインターネット上で検索すると・・・・、
なんと! 「何と言っても、うちは日立ですからね」が「日立」でなくなったのだ。なおかつ、上場企業ですらなくなったのだ。なんだ、そりぁ!!!
実に残念だ。日本国と日本国民のために、「日立」という三流以下企業を是正しようと思ったのに、できなくなってしまった。
私が小学校の低学年の時にカラーテレビというものが出現した。カラーテレビを売り込むために、各電気器具メーカーは愛称をつけた。
日立 キドカラー
松下 パナカラー は覚えているが、ほかは忘れてしまった。
三菱は何カラーだか忘れたが「高雄」という愛称をつけて、これは東京の高尾か京都の高雄かというと、京都の高雄の方の名前だったようで、この影響で京都の高雄神護寺と「三尾」と言われる、栂尾高山寺・槇尾西明寺は来訪者が一時的に増えたらしい。その頃、通天閣には「日立キドカラー」と上から書かれたものがあったように記憶している。
日本の電気器具メーカーでは「重電」の会社と「弱電」の会社があり、重電の会社、日立・東芝・三菱はでっかい物を作る会社だけに家電製品を作る場合も頑丈に作る傾向があるのに対して、弱電の会社、松下・サンヨー・シャープは「家庭の主婦」が使いやすいようにと配慮したものを作る傾向があって、洗濯機など重電メーカーは頑丈に作るのはいいが女性が使うには重くて使いにくいものであったのに対して、弱電メーカーの松下などは主婦が使いやすいように、という配慮がなされたものだったとか。 ベトナム戦争の時には重電メーカーは軍需製品を作る会社で、重電のメーカーに勤めると結果としてベトナム戦争に加担することになる、「アメリカ帝国主義によるベトナム侵略」に加担することになる・・ということから、「一流大学」の学生が弱電の方の会社の松下電器(現 パナソニック)とかソニーの人気が上がったとか言われた。実際には松下・ソニーもトランジスタラジオとかトランシーバーとかを米軍に売って利益をあげていたらしいが、重電の会社ならレーダーとかそういうのを売るのに対して松下・ソニーはそういうのはないので、学生に人気があった時期があったらしい。
弱電の方の会社は軍需物資を売って戦争に加担することにはつながりにくい・・ということがあったようだが、松下というと「PHP中毒」の会社であり、松下幸之助の神格化が限度を超えていて感じ悪かった。その後、京セラの稲森なんとかも似た路線を進んだ( 一一) ( 一一)

松下幸之助を怒らせる本 (1981年) (三一新書) - 平沢 正夫
『C級サラリーマン講座』では、ある日、突然、社長が「わしは出家することに決めた」と言い出したので、従業員全員が「やったあ♪」と大喜び、戦国武将が出家して高野山に配流みたいに引退するのだろう・・と思って喜ぶと、翌朝、坊主の格好して会社に出社してきよった( 一一) ( 一一) ちっとも「出家」してないやんけ! 坊主のコスプレしてるだけやんけ・・・と、そのモデルが稲盛なんとかだったのではないか。

C級さらりーまん講座・改 第1集 (ビッグコミックススペシャル) - 山科けいすけ
松下は日立・東芝・三菱に比べると後発の電気器具メーカーで、最初の頃は松下の電球はよく切れたらしい・・が、その後、逆に高級ブランド化しようとして、松下は値引きをしない会社として高級品路線に進み、特に地元の関西では松下の電気製品は電気製品の中で一番のブランドになったことから、うちの姉が東京の男性と結婚する際に、うちの父親は「嫁入り道具」なのだからと、一番高い松下の製品でそろえて送った・・・ところ、そういうことを知らない東京のいなかもん、夫になる男性の親戚のおばさんが、「松下の電気器具なんか持って来られたの」と言ったそうで、せっかく一番高いメーカーの物を用意したうちの父親は気分を害していたようだった・・が、結婚相手の親が言うのではなく「親戚のおばさん」は余計なこと口出すんじゃない! というものだが口出すうるさいおばはん症候群・・にそのあたりで気づくべきだが、気づけなかったうちの父親はめでたかったのかもしれない。「うちが何も言ってないのに、余計なこと言わないでください」と言えない姉の義父も、けっこう大企業の役員だったわりに、そのあたりは情けない。
アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(角川文庫)には、
「首都・・いなか根性の砦」というものがあります。
福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』とかいう意味での『いなかもの』は何も悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これは良くない」と語ったそうで、東京にも「いなかもの」はいます。東京に「精神面がいなかもの」という意味での「いなかもの」がいます。
こちらが、嫁入り道具だからと、わざわざ、一番高い松下の電気器具を買って送っているのに、それを「あら、松下の電気器具なんか持ってこられたの」などと自分がわかってないくせして言うおばさん、というのは「精神面がいなかもの」なのです。

悪魔の辞典 (角川文庫) - アンブローズ・ビアス, 奥田 俊介, 倉本 護, 猪狩 博
松下というと、なんだか、小学校しか出てないおっさんのくせして日本国民に戦前回帰の「教育」をしてやろうという思いあがった態度の会社であり、三菱というと「三菱ってのが作ったんだぜ」の軍需産業の会社。 日立は消去法からいくと残る方だったのだが、日立金属(株)の人事部長の男の態度は、あれは日本国と日本国民に対して敵対的態度で反社会的であろう。 そう思うと、その「日立」の名前をつけている通天閣に訪問するのも今回限りでいいかな・・とか思ったりもした。
今回は、松屋町筋の南の方に用事があって行った際に、歩いていける所として通天閣に行ったのですが、松屋町筋より西側の堺筋に大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅があり、「恵美須町」駅でも阪堺電気軌道阪堺線「恵美須町」駅の方が通天閣には近く、大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅は阪堺電気軌道阪堺線「恵美須町」駅より北にあるのですが、大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅と同じくらいの松屋町筋の南北の位置から通天閣まで歩いて行きましたが、十分歩ける距離でしたから、堺筋線「恵美須町」駅からでも普通の人間が歩いていけます。
こういうことを言うのはですね、今回はあらかじめ、地図で見て、歩いて行ける距離だと判断して行ったのですが、そうでない場合、塔・タワーといったものは、なんか近そうに見えるけれども、けっこう遠いという場合があるので要注意です。今は昔・・もう何十年か経ちましたが、東京都港区三田の慶應大学の三田キャンパスの東側の国道1号から北を見ると、東京タワーが見えて、「ちょっと行って見ようか」と、ふと思ったのです。それで、近そうに見えたので、何気なしに歩き出して・・そして、わかった。「俺は前からもしかしてあほと違うかいなあ、あほと違うかいなあ・・と思ってたけれども、やっぱり、あほやった。ようわかった」と。・・慶應大学の三田キャンパスの東側から東京タワーを見ると、なんか近そうに見えるけれども、歩いて行こうとすると、けっこう遠いのだ。・・その経験から、塔とかタワーとかいうものは近そうに見えても、歩いて行こうとするとけっこう距離がある場合がある、と理解したのだったが、通天閣は東京タワーほど高くないので、「近そうに見えてもけっこう遠い」という塔・タワーの問題点はそれほどはないみたい。 普通の体力の人間が大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅から十分歩いていけると思います。
円満字 洋介 編『京都・大阪・神戸 名建築 ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)には、
《 天王寺公園西、新世界の中心 通天閣の特徴は3つある。
まず広告があること。これは初代通天閣にも広告が付いていたことを踏襲している。(これがデフォだから)大阪人はこれが当たり前だと思っているわけだ。
ふたつめは手がついていること。これがなければすっとするが、物足りない。この通天閣のプロポーションに慣れていたため、大阪人は太陽の塔にもすぐになじめたのだろう。
3つ目は、この塔が何角形かわからないこと。下は四角形だが途中から八角形に変わる。頭の上には四角い台があって丸い帽子をちょこっと載せる。ちなみに帽子の色で天気がわかる。白は晴れ、曇りは橙、雨は青で大阪人ならみんな知っているらしい。こういう役にたつのかどうか微妙だけれどちょっとお得なところも大阪らしくて私は好きだ。》
と出ているのだが、《 頭の上には四角い台があって丸い帽子をちょこっと載せる。ちなみに帽子の色で天気がわかる。》というのは私は知らない。「頭の上」なんて下から見えない。《大阪人ならみんな知っているらしい》と《昭和35年(1960年)生まれ。京都工芸繊維大学建築学科卒。》で《 京都精華大学、摂南大学などの非常勤講師。》という、「あんたは大阪人と違うんかい?」という私より少し年下らしい円満字の狸林のおっさんは書いているが、どうも、この本の書き方はこういう調子のものが多い。大阪の生まれの人で知っている人はいるのだろうけれども、俺、大阪の生まれやけれども、知らんで。 自分が大阪府の生まれで京都の京都工芸繊維大学に行って、その後も京都精華大学・摂南大学と京都や大阪の大学の講師を勤め、関西を中心に仕事をしてきた人間が「大阪人ならみんな知っているらしい」などと、自分も大阪人のくせに、まるで自分は東京もんのおっさんみたいな態度・口調で言うというのは、どういうことなんや。「ふ~みん」なら「京都工芸繊維大学ならそんなもんか~あ。私は京都大学♪」とか言うかもしれんが、「わたしは建築家」と特権階級意識みたいな態度とともに、この自分自身が大阪府生まれで京都の大学を卒業して卒業後も京都精華大学・摂南大学と京都や大阪の大学の講師を勤め、関西を中心に仕事をしてきた人間でありながら「大阪人なら・・・らしい」とか自分は「東京もんのおっさん」みたいな書き方とか、この人の書き方というのは疑問を感じるものがある。「建築家」ぶりっこして特権階級になり、「東京もんのおっさん」口調で書いて「東京もん」に媚び売りたいのか、この裏切り者!・・というようなものが感じられる( 一一) ( 一一) そのあたり、「建築家」を名乗る人には精神的に貧困な人が多いが、円満字にもそういうところがあるのかもしれない。
「これがデフォだから」という表現も意味がよくわからない。要らんでしょ、「これがデフォだから」という部分。
ついでに、摂南大学というのは名前から判断すると「摂津の南のあたり」にありそうな名前だが、摂南大学のホームページhttps://www.setsunan.ac.jp/ を見ると、大阪府寝屋川市と枚方市にキャンパスがあるらしく、「摂津やのうて河内やんけ」ということになる。「南の方の摂津」という意味ではなく「摂津のすぐ南の河内」というつもり・・なのかもしれんけれども。「北河内」よりも「摂津の南」の方が東京もんには喜ばれると、ここでも東京もんに媚び売っとんかい! て感じがしないでもないが、そこまで円満字の狸林が決めたわけでもないのだろう。

京都・大阪・神戸【名建築】ガイドマップ - 円満字 洋介
円満字 洋介 編『京都・大阪・神戸 名建築 ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)に掲載されている通天閣の写真では、通天閣の側面の広告は、
「2012年は新世界誕生100周年」
「H I TACH I 」
と書かれている。 2025年11月終わりの時点での ↑ の写真の広告に書かれているのは
「社会に貢献する日立」
「H I T A C H I 」
「Welcome to Osaka. TSUTENKAKU!」
で、「H I T A C H I 」の文字の色も違います。
ウィキペディアー新世界(大阪)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) に載っている写真では「社会イノベーションの日立」と書かれており、これも文面が違います。
私が子供の頃から広告主は日立でしたが、「日立キドカラー」と書かれていたような気がします。これ、つけかえるの、けっこう大変じゃないのかな・・と思いますが、どうやって変えているのでしょうか。・・まあ、なにしろ、「うちは日立ですからねえ」という会社が広告主ですから「カネだけはあり余ってる」のでしょう。
ウィキペディアー新世界(大阪)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) には、
《 新世界(しんせかい)は、大阪府大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁がある。 地元では、初代通天閣と遊園地ルナパークが開業した1912年(明治45年)7月3日を、まち開きの日としている。》と出ています。
大阪市北区には「曽根崎新地」という地名があり、JR東西線が開通して駅ができた時、最初は「大阪桜橋」でどうかという案があったみたいですが「北新地」という「なんか、バーのママさんみたいな名前」の駅名になってしまいましたが〔私などは、そんな「バーのママさんみたいな名前」にしなくても、「大阪桜橋」か、そうでなければ「大阪南梅田」でいいのではないかと思いましたが〕、「曽根崎新地」「北新地」の「新地」は、淀川(旧 淀川)、今は地図には「大川」と書かれている川が、今は中之島の所で北側の堂島川と南側の土佐堀川に分かれて流れていて、堂島川の北側を「堂島」と言いますが、かつてはその堂島の北側にもうひとつ、川の流れがあって、そこを埋め立ててできた土地が「北新地」「曽根崎新地」らしい。 神戸には神戸高速鉄道が東側の阪急・阪神、西側の山陽電鉄が走る東西の路線と北側の神戸電鉄の路線の乗り換え駅の「新開地」駅がある「新開地」という所がありますが、ウィキペディアー新開地(神戸)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%96%8B%E5%9C%B0 には《 湊川が現河道に付け替えられた4年後、旧河川敷に新開地本通りが整備された。》と出ています。「新・・」という地名の所には、そういった経緯の土地が多いのですが、「新世界」はどうかというと、ウィキペディアー新世界(大阪)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) には、
《 1897年(明治30年)に大阪市へ編入される以前は西成郡今宮村の一部で、畑地や荒地が広がっていた。市街化のきっかけとなったのが、1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会で、東に隣接する旧東成郡天王寺村の一部とともに会場敷地となった。「内国」とあるが、国内外からの最新技術が披露された点では「万博」に近いものがあり、博覧会は5ヶ月間で入場者530万人という大盛況の内に幕を閉じた。
博覧会に合わせて日本橋筋の3丁目以南(現:でんでんタウン)が整備された。会場の西縁には既に1885年(明治18年)12月に南海鉄道(現;南海本線)が、南縁には1889年(明治22年)5月に大阪鉄道(初代。関西鉄道を経て現:JR関西本線)が通じていたが、会期中は南海鉄道が今宮戎駅南側に「博覧会会場門」駅を、関西鉄道が天王寺駅西側に「博覧会」駅をそれぞれ開設。来場者の利便性を図った(博覧会終了後は両駅とも廃止)。
1907年(明治40年)には片岡直輝ら大阪財界有志が恵美須町から浜寺までの鉄道敷設を申請。1910年に「阪堺電気軌道」(旧)が設立され、翌1911年に恵美須町から市之町までが開業した。大阪財界は恵美須町がターミナル駅として発展することを見越して、博覧会跡地を一大娯楽センターとする計画を立案する。》
《 博覧会跡地は日露戦争中に陸軍が使用したのち、1909年(明治42年)に東側の約5万坪が大阪市によって天王寺公園となった。西側の約2万8千坪は大阪財界出資の大阪土地建物会社に払い下げられ、1912年(明治45年)7月3日、「大阪の新名所」というふれこみで「新世界」が誕生。通天閣とルナパークが開業した。開発当初は「新巴里」「第二千日」と仮称されていたが、開業の際、「新世界」と改められた。》 と出ている。
《 この時の通天閣は凱旋門の上にエッフェル塔を載せた様子を模したもので、現在とは外見が異なり、また、現在のものよりも南側にあった。》 《 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)1月、通天閣が脚下の大橋座の火災に巻き込まれて損傷。同年2月、敵軍による空襲の標的にされやすいことに加えて金属類回収令による鉄材供出のために解体された。大戦末期の1945年(昭和20年)3月13日の第1回大阪大空襲では新世界も被災・壊滅した。》 《 1956年(昭和31年)10月28日には現在の二代目通天閣が開業した。なお、二代目通天閣は初代通天閣のあった場所より少し北側の場所に建設された。》というものらしい。 「凱旋門の上にエッフェル塔を載せた」て、どんなんやねん・・とも思えるが、もしかすると、現在の通天閣のデザインも、それを改良したようなデザインなのかもしれない。
ウィキペディアー通天閣 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%A4%A9%E9%96%A3 によると、
《 2018年9月に大阪市内を通過した台風21号では、市内で最大瞬間風速 47.4 m/sを記録した4日に、飛来物によってネオン管が破損。雨水によって機器が故障したことも重なって、日立製作所のネオン広告の一部や天気予報(後述)を表示できなくなったため、翌5日からライトアップを見合わせていた。災害によるライトアップの休止は、1957年の開始以来初めてで、休止中には住民や観光客などから「街が暗い」などの苦情が寄せられていた。しかし、破損・故障個所の修復を急いだ結果、同年11月1日からライトアップの再開に至った。》
《 なお、塔頂上には1979年4月28日から天気予報用のネオンサイン(翌日の天気予報を4色<晴=白、曇=橙、雨=青、雪=ピンク>のネオンで示す装置)が設置されていた。この装置は日立製作所製で、日本気象協会関西支社と専用回線[98]で接続。気象協会職員の遠隔操作によって予報を表示していた。朝日放送テレビ(当時の社名は朝日放送)が関西ローカルで深夜帯に放送している『お天気のお知らせ』では、日立製作所が当時単独でスポンサーに付いていたことから、この装置を天気予報字幕の背景映像やCMで紹介。その一方で、例年は大阪で降雪が観測されることが少ないため、ピンク色のネオンが点灯される頻度が他の色のネオンより極めて低かった。
もっとも、塔頂上からの天気予報サービスの提供は、2022年7月31日(日曜日)の22時で終了。通天閣観光によれば、「インターネットを通じて(外出中にもモバイル端末を通じて)簡単に天気予報が分かる時代に入ったことで、(ネオンのLED化以降もネオンを一晩中点灯させるだけで莫大な経費を要していた)天気予報サービスの役目は終わった」とのことで、同日には「晴れのち曇」の予報に合わせて上段に白色・下段に橙色のネオンを点灯させた。2022年8月から2023年9月までのリニューアル工事では、天気予報用のネオンに代わって、イルミネーション用のトップライトを塔頂部に設置。さらに、東側から南西側へ移設した大時計用のLEDビジョンに、現在の温度・湿度のデータを大時計の映像(アナログとデジタルの2パターン)と交互に映し出すようになった。》
とあり、天気予報サービスは円満字 洋介 編『京都・大阪・神戸 名建築 ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)が発行された10年少し後の2022年7月31日で終了したらしい。《 通天閣観光によれば、「インターネットを通じて(外出中にもモバイル端末を通じて)簡単に天気予報が分かる時代に入ったことで、(ネオンのLED化以降もネオンを一晩中点灯させるだけで莫大な経費を要していた)天気予報サービスの役目は終わった」とのことで 》天気予報サービスはやめたらしく、円満字は《 こういう役にたつのかどうか微妙だけれどちょっとお得なところも大阪らしくて私は好きだ》などと書いているが、かつては「役に立つ」ものと考えて始めたものだったようで「役に立つかどうか微妙だけれどちょっとお得なところ」が「大阪らしく」と「大阪と大阪人を馬鹿にするのが大好きな東京もんのおっさん」みたいな書き方を大阪府生まれで京都の大学に行って卒業後も関西で仕事をしてきた人間のくせしてやる円満字の書いているものは、それは当たらないみたいである。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/519757904.html 、通天閣の展望台に登る。
自分の会社の商品の販売先は企業であって、一般消費者・個人が買う商品ではないから、一般国民にどんなに嫌われても、だ~いじょうぶ、だ~いじょうぶ・・とか思っている会社というのは、それは「長い目で見るならば、ハリコの虎」だと思うぞ。どんな会社であれ。
(2026.1.17.)
☆ 通天閣(大阪市浪速区)
1.松屋町筋から見た通天閣。北から・南から見た通天閣。「日立」のネーム入り。「うちは日立ですからねえ」の会社は「うちは一部上場ですから」の会社とともに「三流以下企業」か。 「滅びよ、日立金属(株)」と思っても個人が購入する商品でない者は「買わない」もできない・・と思ったら「日立」でなくなり「上場企業」でもなくなった( 一一) 駅弁大卒の人事部長は思いあがるな。個人・一般人が買う商品でないからやりたい放題・・と思っている会社は「長い目で見るならばハリコの虎」〔今回〕
2.展望室から見えるアベノハルカス・天王寺公園・市立美術館。展望室から見える釣鐘屋本舗。ビリケンさん。「グリコ、つぶしたる」のグリコと森永がある地下。「大阪は何もない」などと「大阪嫌いの東京もんのおっさん」が言うような文句は言ってもらいたくない。通天閣の設計者 内藤多仲 は東京タワーの設計者でもある。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/519757904.html
大阪市浪速区恵美須町 の通天閣に行ってきました。 通天閣に行くには、電車の駅としては、
阪堺電気軌道 阪堺線「恵美須町」
大阪メトロ堺筋線「恵美須町」
大阪メトロ御堂筋線「動物園前」
JR大阪環状線「新今宮」
のいずれかからが近く、阪堺電気軌道「恵美須町」が一番近くだけれども、私のように大阪府でも大阪市より北側から行く者にとっては、大阪メトロ堺筋線「恵美須町」で降りて北側から歩くか、御堂筋線・堺筋線「動物園前」で降りて南側から歩くか・・だが、今回は、北側の松屋町筋の方に用事があった際に寄ったので、北側の松屋町筋の方から行きました。
京都は南北の道も東西の道も「・・通り」だが「四条通り」「五条通り」「七条通り」など「◇条通り」はすべて東西の通りだけれども、東西の通りでも「◇条通り」ではない通りもある。その点、大阪は東西の道は「長堀通り」「千日前通り」など「・・通り」で、南北の道は「御堂筋」「堺筋」「松屋町筋」「谷町筋」「上町筋」と「・・筋」と呼ぶので、東西の通りか南北の通りかわかりやすい。
通天閣は南北の通りとしては、堺筋と松屋町筋の間の位置にあるが、松屋町筋は通天閣より北、天王寺公園の所で止まる。
松屋町筋を南下すると、左前方に アベノハルカス が見え、↓
右前方に 通天閣 が見える。↓
通天閣の北側は、通天閣から真北に進む道と通天閣から北西に進む道と北東に進む道とがある。
北東側の道から通天閣に近づくと、↓
1960年代、私が子供の頃から通天閣に上から下に書かれているのは「日立」ですが、ずっと同じ文言ではなく、私が子供の頃は「日立キドカラー」と書かれていたように思うが、今は、
「社会に貢献する日立」
「H I T A C H I 」
日立て、「社会に貢献」してるのか?
「社会に貢献する」という文句を聞くと、どうも胡散臭い印象を受ける。「将来、社会に貢献する子供を育てているんだから」と主張して「子供がある者」の特権を主張するバカ女症候群、および、そういうバカ女は「女だからしかたがない」とあきらめて見られていたこともかつてはあったが、最近では男なのにそれと何ら変わらない あほ男症候群が大量に出てきている・・が、「将来、社会に貢献する子供を育てているんだから」とか、そういう文句は実際に社会に貢献してから言ってもらいたいものだ。その子供が将来、「社会に貢献する」か社会に迷惑かけるかなんて、わからんだろうが。 貢献するかもしれないが、貢献しないかもしれないだろうが。 そもそも、その態度が周囲に迷惑かけているとわからんバカ女・あほ男症候群にはロボトミーとか電気ショックとかやって「治療」してやった方が「社会に貢献する」ことにならないか。
南側から通天閣を見ると、↓
↑ 「Welcome to Osaka. TSUTENKAKU!」
と書かれています。外国人の観光客が多くなったことから、「Welcome to Osaka. TSUTENKAKU!」という英語での表記ができた、ということでしょうか。私が子供だった頃、1960年代にはこの文句のものはなかったはずです。
※ 通天閣HP https://www.tsutenkaku.co.jp/
日立というと・・・、必ずしも良い印象はない。
かつて、日立金属(株)という会社があったのだが、今も相当頭にきている。
今となっては35年以上前になるが、私は人より年齢をいって大学を卒業したことから就職は不利だったが、慶應大学の就職部に行って、どういう所なら採用してもらえる可能性があるでしょうか、と尋ねたところ、「けっこう有名だけれどもあまり大きくない所」か「けっこう大きいけれども無名な所」なら可能性があるかもしれないと言われ、会社名の一部に三井・三菱・住友・安田という名前が入っている所は厳しいのではないか、と言われた。
(1) その基準「けっこう有名だけれどもあまり大きくない所」か「けっこう大きいけれどもあまり有名でない所」
(2) 採用実績を見て、東大・京大や慶應・早稲田といった大学の出身者はあまり採用できていない、というくらいの所
という基準で考えて、日立グループでも親亀の日立製作所は厳しいだろうと考えたが、日立グループの子亀・孫亀の会社、「日立◇◇」という名前の会社なら、採用実績を見ても、東大・京大や旧帝大系国立大学および早慶は少なく、地方国立大学か私立なら早慶より下くらいの私立大学卒の人が多かったので、そういう所ならどうかと思って、それで日立金属(株)に応募したのだ。
1990年だったと思うが、その頃、日立金属(株)は東京駅の八重洲口側のビルに本社があった〔その後、別の所に転居したようだ〕。あらかじめ、電話を入れて、「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と尋ねたのだ。そうすると、電話に出た人事部の従業員が「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言い、「履歴書と卒業見込証明書を持参して、本社の方まで来社いただきたいのですが、◇日の☆時はいかがでしょうか」と言われ、「ぜひ、うかがわせていただきたいと思います」と答えて、指定された日時に履歴書と卒業見込証明書を持参して訪問したのだった。・・ところが・・・
どういう対応をされたと思いますか?
東京駅の八重洲口側の日立金属(株)の本社に指定された日の指定された時刻より「少し早い時刻」にその前まで行って待った上で、「少しだけ早い時刻」に受付に行きました。
通された部屋で待つと、日立金属(株)の人事部長という男が出てきて、そして、私が用意した履歴書と卒業見込証明書を見ようともしないで、こう言ったのです。
「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。お帰りください」と。はあ? 私は電話ではっきりと「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と日立金属(株)の人事部の担当者に質問して、それに対して「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言われて、「履歴書と卒業見込証明書を持参して、本社の方まで来社いただきたいのですが、◇日の☆時はいかがでしょうか」と言われたから、その日時に労力と時間をかけて訪問したのだ。決して「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません」と言われたのに訪問したのではないのです。
私は日立金属(株)が3年以上遅れの人の採用をすべきとかすべきでないとかはまったく言っていないのです。日立金属(株)の人事部の担当者が「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言ったから、その碑、その時刻に日立金属(株)の本社に訪ねたのです。もしも、電話に出た人事部の担当者が対応を間違えたということならば、私が訪問するよりも前、電話で日時を約束してから訪問の予定の日まで間があったわけですから、日立金属(株)の人事部の方から私に電話を入れて「先日は◇日の☆時に来社いただきたいとお話いたしましたが、誠に申し訳ありませんが、その年齢の方に応募していただくことはできないということになってしまいまして、一度、年齢制限はありませんとお話し、来社いただきたいと申して予定を入れていただいたのに、申し訳ございませんが、今回は応募は辞退させていただきたいと思いましてお電話させていただきました。申し訳ありません」と非礼をわびるものではないのか。
それを「◇日の☆時に来社いただけますか」と言って来させておいて、
(1)「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と電話で言っておいて、それで来社させた上で「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。」と言い出すという非礼を詫びることもなく、
(2)いったん、「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と電話で言ったが、その後になって断りたいと思ったのなら、来社させるのではなく、それまでに日立金属(株)の方から電話を入れて「先日は◇日の☆時に来社いただきたいとお話いたしましたが、誠に申し訳ありませんが、その年齢の方に応募していただくことはできないということになってしまいまして、一度、年齢制限はありませんとお話し、来社いただきたいと申して予定を入れていただいたのに、申し訳ございませんが、今回は応募は辞退させていただきたいと思いましてお電話させていただきました。申し訳ありません」と言うべきものを電話を入れずに来社させたということを詫びることもなく、「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。お帰りください」と、そう言ったのです。
それはないだろう、私は電話で日立金属(株)の人事部の担当者に「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と尋ね、「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言われて「◇日の☆時に来社いただけますか」と言われたから、その日時に訪問したのであり、日立金属(株)の方が「ぜひ応募してきただきたい」と言って来させておいて、人事部長という男が一言の謝罪もすることなく「弊社では、応募は2年遅れまでというルールがありますので、応募していただくことはできません。お帰りください」とは、その発言はないだろう。いくらなんでも、その対応はまともな会社の対応ではないだろう、と思い、「私は御社の人事部の担当者が『弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います』と言われ、きょうのこの時刻に来てくださいと言われたので来させていただいたのですが」と言いかけたところ、その人事部長だと称する男は「エレベーター、あっちです」と言ってエレベーターホールの方を指さすのです。 そして、さらに追い打ちをかけるように「もっと下の会社をねらわれた方がいいと思います。なにしろ、うちは日立ですからねえ」と、そう言ったのだ。
私は、会社に応募する者は、どのようなことでも我慢しなければならないものなのか、と思って我慢して帰ったが、それから何十年か経って、あれは我慢すべきではなかった、と思うようになった。無礼な態度をとったのは私ではなく日立金属(株)の方だったのだから、それについて、一言の謝罪もないというのは絶対におかしいのだ。
それから、「もっと下の会社を応募された方がいいと思います」などとは大きなお世話だ。不採用にする相手に余計なこと言うものではない。ほかの会社がどう判断するかにまで口出すべきではない。求人求職は大学入試や資格試験よりも思い合いに似ている。この相手は断りたいと思ったとしても、「あんたのどこそこが気に食わない」などと言うものではない。採用したい相手に「この点は困ります」といった指摘をするのはいいが、断る相手に「もっと下の相手とお見合いした方がいいと思います」などと、「おまえこそ『下の相手』だろうが」という者が言うべきではない。
私は実際の所、日立製作所は応募しても難しいだろうと考えたが、日立グループの会社でも「日立◇◇」といった会社名の子亀会社なら、採用実績校を見ても東大・京大などの旧帝大系国立大学や早慶は少なく、それより下の大学の名前が多い会社だったので、採用の可能性もあるかもしれないと考えたが、まず電話で「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」と尋ね、それに対して日立金属(株)の人事部の担当者から「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言われて何日の何時に来社してくださいと言われたから、その日時に訪問したのだった。
私は日立金属(株)は「日立金属(株)」であって「日立製作所(株)」ではないと認識して、親亀会社なら厳しいとしても子亀会社なら可能性はあるかと考えたのだったが、子亀会社でも採用したくないならないでしかたがないが、こういう対応をしなければならない理由が何かあるのだろうか。それが「日立金属(株)」の対応ではなく、それが「日立」の対応なのか??? それが「日立」なのか???
ヒラの従業員でなってないやつがいたとしても、それはどこでもであろうけれども、その男は自分は人事部長だと名乗ったのだ。人事部長と名乗る男がそういうことをしてよいのだろうか???
その時、私は会社と従業員の関係は「ぺこぺこ関係」とでもいうもので、会社に応募する者は何を言われても何をされても、「雨にも負けず、風にも負けず」「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「韓信の股くぐり」「臥薪嘗胆」「堪忍は無事長久のもと、怒りは敵と思え」と我慢しなければならないものか・・と思っていて、それで大変なショックを受けたものの、それでも我慢して帰ったのだった・・・が、それから何年か経って、そうではなく、あれは我慢する必要はなかったのではないか。間違ったことをしているのは「日立金属(株)と人事部長のあの男」であり、「うちは日立ですからねえ」と言ったその発言をもとにするなら「日立とその人事部長の男」であり、我慢するべきではなかったのではないか、と思うようになった。むしろ、「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」と、何ら苦情を言うこともなく帰ってしまったのは間違っていたのではないか、と思うようになったのだ。

権利のための闘争 (岩波文庫 白 13-1) - イェーリング,R. von, 村上 淳一
日立金属(株)の人事部長だという男は「もっと下の会社をねらわれた方がいいと思います」と不採用にする会社の人事担当者として言うべきではない発言をしたのだが、私は日立金属(株)という会社を「上の会社」とは思っていない。むしろ、日立金属(株)、「なにしろ、うちは日立ですからねえ」という日立金属(株)の人事部長だというあの男の発言をもととするなら、「日立」というものを「上の会社」とは私は思っていないし、「一流企業」とも思っていない。
私は、特に大企業ではない会社で人事総務部に勤務して採用の仕事についたことが1年だけあるのだが、くそfラン大学の学生を相手にしてでも、日立金属(株)の人事部長だと称する男のような口をきいたことはないし、日立金属(株)〔「うちは日立ですからねえ」という文句をもとにするなら「日立」〕のような非常識な態度・対応・発言をしたことは一度もない。 むしろ、私は「日立」はこの点において「三流以下企業」だと思って軽蔑している。
世の中には「うちは一部上場ですからねえ」と言いたがる会社というのがある。「だから、何なの?」と言いたくなるが、「うちは一部上場ですからねえ」と言えば高く評価されるだろうと思い込んで言っているのだろうけれども、「さすがは一部上場だけのことある」という態度をとった上で言うのなら悪くはないが、「それが一部上場なの?」「おもろい一部上場もあったもんだね」という態度・対応の会社の人間が「うちは一部上場ですからねえ」という文句を口にすることが多い。
「なにしろ、うちは日立ですからねえ」と日立金属(株)のヒラではなく人事部長だという男がそう言ったのだから、「日立」というのはそういう会社なのだ。「日立」というのはそういう程度の低い会社だ、ということだ。そういうことになるはずだ。違うか?
世の中には「採用すべき人を不採用にして、不採用にすべき人を採用する会社」というのは存在する。
「一部上場」というのは株式を上場していて、その上場している市場が一部(今は表現が変わったが)だということで、そのこと自体、いい会社であるとか悪い会社であるとか示すものではないが、上場すると『有価証券報告書』というものを作って公開しないといけないし、監査を公認会計士による監査をしないといけないことになっていたと思うので、その分、上場していない会社よりはいくらか、会社の内容がわかる、ということがある。 又、「会社を設立するための基準」より「会社を上場するための基準」はひと回り厳しいようなので、その分、上場している会社の方がいい面はあるかもしれないが、前につきあっていた証券会社の担当者が「マザーズ・ヘラクレス上場会社なんて、実際のところ、なんでもありですから」と言っていたことがあったが、「上場している」会社は上場していない場合よりもいい場合もあるが、「上場している」から内容がいいとは決まっていない。又、「上場している」会社でも上場閉鎖になる場合もある。小堀住研(株)では「うちは一部上場ですからね」と仮想競合三井ホームとして、1990年頃は三井ホームは未上場だったことから言っていたが、小堀住研(株)が名称を変更したエスバイエル(株)は上場閉鎖になり、そのうち倒産した。〔倒産した会社をヤマダ電機が「いぬき」で買い取ってヤマダホームズという名前の会社を作ってやっているが、いったん、倒産している。〕
今は昔、1970年だったか、読売テレビ・日本テレビで放映されていた『細腕繁盛記』(原作は花登筐〔はなと こばこ〕『銭の花』)で、子供の頃の「加代ちゃん」に祖母の「ゆう」が団扇(うちわ)を見ながら「『うちわ を見れば骨がある』と言うが、ほんまやなあ」と語る場面があったが、祖母の「ゆう」がそう言ったのに対して加代が「おばあちゃん、そんなん、当たり前やんか」と言うと、祖母の「ゆう」は「違うんや、加代ちゃん。どこの家でもどこの店でも外から見たら、ええ~えように見えても、内輪(うちわ)に入って見ると、ぎすぎすしてたり、なんか問題をかかえてたり、『骨がある』ものなんや」と、そう教えるのだった。 だから、どんなにいいように見える会社でも「内輪(うちわ)」に入って見ると「骨がある」ということは特別のことではないかもしれない。
※ YouTube-銭の花 細うで繁盛記 旅館山水館 https://www.youtube.com/watch?v=jlipoy1IH4U
しかし、だ。 あの日立金属(株)の態度〔「うちは日立ですからねえ」という発言からするなら「日立の態度」〕はひどすぎるのではないか。 「うちは日立ですから」許されるんだ、と日立金属(株)の人事部長の男は思っていたのかもしれないが、それは違うのではないか。
中には怒って、入口付近に置いてあるようなものを蹴り飛ばして帰る人もあるかもしれないが、蹴り飛ばして帰る人間がいたなら、蹴り飛ばした者が悪いのではなく「日立」が悪い。 それから何年か後、「今からでも、日立金属(株)の本社に行って、入口あたりに置いてある何か、蹴っ飛ばしてきてこましたろか」とか思ったりもしたが、後からもう一度行ってそれをするのは大人げないか・・と思った・・こともあるが、そのために時間をとるのはめんどくさかった・・ことからやらなかったが、入口あたりに置いてある物を何か、蹴り飛ばしてくる者がいたとしても、それは蹴られる「日立」の方が悪いはずだ。そう思わないか?
実際のところ、「日立の子亀会社」の人事部長というのは、茨城大卒の人間が多く、茨城大卒でなくても、同様の地方国立大学卒の男が多い。 私は浪人中、うちの父親の「親友の親友は親友だ」という医者屋の勝田(かつた)という女(1980年頃当時、50くらい?)から、「義務教育は小学校と中学校であって、高校は義務教育とは違うのだから、あんたが北野高校に行ったのは余計なはずや。本来、あんたは高校尾には行ってはいかんのや。そやのにからに、あんたが北野高校に行ったというのは、それはあんたが思いあがっているからであって、つけあがっているからであって、素直さがないからであって、甘ったれているからなんや。あんたは高校になんか行ってはいかん人間のはずなんや。ましてや、あんたは大学に行くなんてもってのほかや。あんたは大学には行ってはいけない人間のはずや」と言われた。それでいて、勝田のバカ息子はバカ大学に2つも行っていたのだった。
私には、その地域で一番の公立高校に行ったのを「高校は義務教育ではないんやから、あんたは北野高校には行ってはいけないはずや」と言っておいて、勝田はおのれのバカ息子はバカ大学に2つも行かせるというのは、それはおかしいではないか、と私は思ったし理屈からいけばおかしいはずだったが、ところが医者屋の勝田は「その点、うちの息子なんかは大学を2つも行ってるんやから、一生懸命勉強せんとあかんし、一生懸命勉強するようにさせてやらんといかんということやなあ」と勝手なことを言うのだった。「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではない。ましてや大学は義務教育ではない」というものを大前提として、結論として私には「あんたが北野高校に行ったのは余計や。あんたは高校には行ってはいかん人間のはずやのに北野高校に行ったというのは、あんたが思いあがっているからで、あんたがつけあがっているからで、あんたが甘ったれているからなんや。ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいかんはずや」という所に持っていき、勝田のバカ息子については「その点、うちの息子は大学(バカ大学)を2つも行ってるんやから、一生懸命勉強せんといかんし、一生懸命勉強させてやらんといかんと、そういうことやな」と正反対の結論に持って行くのだった。それが「医者屋の民族・階級」の人間のする理屈・理論だった。 普通の人間はよその親からそういうことを言われると怒るのだが、ところがどっこい、うちの父親はよその親からそういうことを言われると喜ぶのだった( 一一) ( 一一) 父親というものは「そういうもの」かどうかというと、よその父親は違うように思えたが、うちの父親は、よその人間からそういうことを言われると喜ぶ男だった。「ええ~えこと、言いはるっ♪ その通りや。 おまえは高校には行ってはいかんのじゃこのチャンコロろすけイタコ浪商めがこのチャンコロ! おまえが北野高校に行ったのはおまえが甘ったれておるからやねんぞ。勝田先生はほんまにええ~えこと言いはるっ♪」と言って喜んだのだ。そして、「勝田先生の息子さんは大学に2つも行ってはるそうやで。えらいなあ、えらいなあ。ものごっついえらいなあ」と言いまくるのだった( 一一) ( 一一) だいたい、「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないから、行ってはいけないはずや」という勝田が私に適用しようとした理屈からいけば、義務教育だという小学校・中学校というのは、あくまでも公立の小学校・中学校のことであって、慶應幼稚舎なんて義務教育であるわけないのだから、小此木啓吾なんかは「小学校に行ったのは余計なはずや」「小此木啓吾は小学校に行ってはいかんはずや」ということになるはずだった・・・が、なじかは知らねど小此木啓吾はでかいツラして小学校:慶應幼稚舎⇒中学校:慶應中等部⇒高校:慶應義塾高校⇒大学:慶應大学医学部⇒勤務先:慶應大学医学部および慶應病院と、まさに「揺り籠から墓場まで慶應(from cradle to tomb.)」、サラブレッド的慶應・・というのか「ほとんどビョーキ」というのかで、どう考えても「小学校行ったのは余計や」ということになるはずなのに、当たり前みたいに行っておったのだった( 一一) ( 一一)
だいたい、日立金属(株)の人事部長の男、応募する者の履歴書は見てもおのれの経歴は言わない・・というのが卑怯なところなのだが、「日立の子亀会社」の人事部長で多いのが茨城大卒で、そうでなくても地方国立大学卒が多い。それが「日立」なのだ。単に「日立」と言うと日立製作所(株)のことと思っていたが、日立金属(株)の茨城大卒か同程度の駅弁卒の「うちは日立」しかとりえがない人事部長にとっては「日立の子亀会社・孫亀会社」が「日立」らしく、それだと「日立」というのは、ずいぶんとレベルの低い会社だ。
日立の子亀会社の人事部長やっているやつが行く茨城大みたいなもんに行くやつなんて、高校は義務教育ではないのだから高校には行ってはいかんだろうが。義務教育であっても茨城大みたいなもん、行くやつなんか中学校行く必要ないだろうが。
かつては通天閣に「日立キドカラー」と出ていた「日立」だ。 日立グループの会社の人間から「東芝とかNECとかそういった会社のグループ会社の『東芝◇◇』『NEC▽▽』という名前の会社と比べて、『日立△△』という会社は独立性が強い」という話を聞いたことがあったのだが、「だから『東芝◇◇』『NEC▽▽』より『日立△△』の方がその点でいい」とその人は言うのだったが、そうであるのかないのかは、どちらにも勤めたことはないからわからない。
慶應大学の就職部の方から「『日立△△』『東芝◇◇』『NEC▽▽』といった会社というのは、たとえ、日立製作所・東芝・NECでなくても、そのグループ会社だから悪くないのではないかと思って勤めても、せっかく努力して苦労して昇進しても、本体の日立製作所・東芝・NECに入社した自分より年下の人間がやってきて自分より上の役職についてしまう、ということがある」と言われたことがあった。日立グループの会社の人から「東芝とかNECとかそういった会社のグループ会社の『東芝◇◇』『NEC▽▽』という名前の会社と比べて、『日立△△』という会社は独立性が強い」から日立はいい、と言われたのは、そういうものが「日立△△』は『東芝◇◇』『NEC▽▽』に比べて少ない、ということを言っていたようだった。しかし、「少ない」としてもそれでもあるはずで、本体・親亀から出向で子亀会社に来た人間の場合は東大卒とかの人がいるのではないかと思われた・・が、日立金属(株)の人事部長の男は、「茨城大かそうでなくても地方国立大卒」の方だったのか、「親亀で競走に敗れた旧帝大系国立大卒」の方だったのか、どちらだったのか、これは本人がひとの経歴は聞いてもおのれのことは言わない卑怯者なので、わからない。・・しかし、だ。この際、言ってしまえば、「えらそうな態度とっとるけども、駅弁大卒か、もしくは親亀会社での競争に敗れた落ちこぼれやないけえ~え」というものだ。 向こうが生意気な口をきいたのだから、こちらだって少しくらい言ってやっても悪くはあるまい。・・「ふ~みん」なら「駅弁大卒のしょぼい人事管理です」とでも言うところだろうか・・。
うちの父親の「親友の親友は親友だ」の勝田が言った「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないのやから、高校には行ってはいかん」という基準から考えるなら、茨城大だのそうでなくても駅弁大学に行くようなやつなんか、生意気に高校行くのが間違っているのである。 駅弁大学みたいなもん、行くようなやつなんて義務教育であろうがなかろうが中学校行くのが余計なんじゃい!!! 日立金属(株)の人事部長なんぞになっているような男は中学校行ったのが余計なのだ!!!
日立金属(株)の人事部長の男は、私が大学を卒業するのが遅かったのが気に食わないらしかったが、この際、日立金属(株)およびその人事部長に行ってやりたいのだが、「俺はおまえが行った駅弁大学になんぞ行くために浪人したんじゃねえぞ! 俺はおまえが行った駅弁大学なら高校2年の終わりでも通ったかもしれんぞ。おまえなんぞと一緒にすんな!」と、これはその場で言ってやるべきだった。我慢して帰ったのは間違っていた。
「おまえなんぞ、高校どころか義務教育であろうがなかろうが中学校行ったのは間違いなく余計だったはずなのに、なんで、あんた、中学校に行ったのお? なんでか教えてくれ」とその場で言ってやるべきだった。
それから、日立金属(株)の人事部長の男は「うちは日立ですからねえ」と発言し、「日立」だからこういう態度・対応をとってもいいんだ・・と言いたいらしかったが、それは違うだろ。 アーキマインド(株)という建設業の現場労働者の派遣を「工事管理」という名目で派遣するという脱法行為をはたらいてきた会社の社長の鈴木さん(男。私と同年齢らしい)は清水建設(株)で工事現場の監督をやっていたらしいが、ゼネコン大手5社といわれる会社の1社の清水建設(株)で工事現場の監督をしていた時、労働基準監督署の労働基準監督官から「あなたたち(大手五社と言われるような会社の人)こそ、きっちりと(労働基準法・労働安全衛生法などを守って)きっちりとやっていただかないと困ります」と言われたそうなのだ。大手の会社だからいいかげんなことしても、労働基準監督署・労働基準監督官は大手の会社には「よう言わんだろう」などと考えてもらっては困る。そうではなく、「大手の会社だからこそ、きっちりとやってもらわないと困ります」と、「大手の会社だからいいかげんなことしてもまかり通るだろう」と考えてもらっては困ると、そういうことを言われたらしいのだ。
これと同じ理屈を適用するならば、「うちは日立ですから」だから ↑ のような態度・対応をしても「さすがは日立♪」「よっ、さすがは日立だけに優良企業♪」とほめてもらって当然という意識、駅弁大学卒なのか「東大でてもその程度か」の方なのかの人事部長の態度・対応というのは、それは間違いであり、それが「うちは日立ですから」であるということは、その「うちは日立ですから」てやつ、「たいした会社じゃねえなあ」となる。何だったか週刊誌に載っていたのだが、東芝が会社の状態がぐだぐだになってきた際、「今でも東芝の従業員には『東芝は絶対につぶれない』という信仰を持っている人がいます」と出ていたのだが、「なにしろ、うちは日立ですから」も同じではないか?
大企業の従業員には、そうでない会社に比べて「一流大学」卒の者が多く、社員教育が充実していることから優秀な対応をすることができる者がいるという場合もあるが、そうではなくて、「会社の名前で勝負できる」ことから、その「会社の名前」がなければ何もできない人間、「会社の名前」で勝負するのではなく自分自身の力でなんとかするということができない人間、というのもいるように思う。 いわば「温室育ち」( 一一) ( 一一)
日立金属(株)は「うちは日立ですからねえ」で何でもまかり通ると思っているのか? ・・・と思ったら、今、「日立金属(株)」と入れて「検索」をクリックすると、ありぁ?
日立金属(株)という会社は存在しないのだ!
ウィキペディアープロテリアル https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB には、
《 株式会社プロテリアル(英: Proterial, Ltd.)は、東京都江東区豊洲に本社を置く、日本の大手鉄鋼メーカーである。2023年に日立金属株式会社(ひたちきんぞく)から社名変更した。》
《 1956年に日立製作所が鉄鋼業・金属部門を分社化し、全額出資して設立した会社である。2023年に日米ファンド連合に株式が売却され、これに伴い日立グループを離脱。同年、社名を株式会社プロテリアルに変更した。》
《 1961年(昭和36年)熊谷工場新設。東京および大阪証券取引所第二部上場。
1962年(昭和37年)東京、大阪証券取引所一部上場。
・・・・
2022年(令和4年)日米ファンド連合が出資する株式会社BCJ-52が株式公開買付けにより当社の全株式を取得[11]。
2022年(令和4年)東京証券取引所プライム市場上場廃止。
2023年(令和5年)商号を株式会社プロテリアル(Proterial, Ltd.)に変更。 》
↑ なんだあ、これはあ。 「うちは日立ですから」と言うておったはずだが、「日立」ですらなくなったんじゃないか。
それだけでなく、上場企業ですらなくなったんじゃないかあ!!! 「うちは日立ですから」だから、どんなに無礼な対応をしても、それでもほめてもらえる会社なんだ、という自信あふれる態度(?)は、どうなったんだあ?
「うちは日立ですからねえ」と言うておったはずなのに「日立グループを離脱」とは何だあ~あ!!!
駅弁大卒の日立金属(株)の人事部長の男も「温室育ち」で、「日立ですからねえ」がなければ「ただのあほ」と思われたが、日立金属(株)は「日米ファンド連合が出資する株式会社BCJ-52」に買い取られて「日立製作所」の子亀会社でなくなり「うちは日立ですからねえ」と言えなくなった。あの男、それまでに退職しているだろうけれども、その点で幸せな男だったかもしれない。 もしも、あの男が今も日立金属(株)が「外資とのファンド連合」に買い取られた会社にいたなら、「うちは日立ですからねえ」と言えなくて困っていることだろうなあ。
私なら、仮に日立製作所に入社しても日立の子亀会社に入社しても「うちは日立ですからねえ」などと、「だから、何なの?」と言われそうなことは言わない・・が言わなきゃおれない・それしかとりえがない男シンドローム が日立の子亀会社にはあの男だけでなく、けっこういたのかもしれない。 小此木啓吾と似たタイプかもしれない。小此木啓吾は「小学校:慶應幼稚舎⇒中学校:慶應中等部⇒高校:慶應義塾高校⇒大学:慶應大学医学部⇒勤務先:慶應大学および慶應病院」とサラブレッド的慶應・・というのか「ほとんどビョーキ」というのか、それでインターネット上に出ていた話によると慶應大学を定年になった後、慶應大学より定年の年齢が高い私立大学の講師になったらしいのだが、評判悪かったそうで、どう評判悪いかというと、(1)慶應大より学力水準が低い私立大学の学生をいじめる・・というのがあり、そして、(2)何かと慶應に帰りたがる! と書かれていた。なるほどなあ~あ・・・「揺り籠から墓場まで」小此木啓吾症候群の重症患者だったのだ・・。ロボトミーとか電気ショックとか、もしくは「入院療法」(=逮捕監禁)・「薬物療法」(=薬漬け・毒盛り)・「作業療法」(=強制労働・無賃労働)とか緊縛療法(ベッドにくくりつける)とか、そういうのをやってやれば小此木啓吾でも「ちょっとはよくなるかもしれん」と思われたが、「揺り籠から墓場まで慶應」症候群の小此木啓吾にとっては「慶應的精神空間」から外に出ると窒息しそうな状態になり、3分以内に戻らないとカラータイマーが点滅し、黄色の点滅が赤に変わると、小此木啓吾はもはや立ち上がれなくなってしまうのだ・・、ピコ~ン、ピコ~ン、ピコ~ン、ピコ~ン・・と、「うちは日立ですから」があってこその男はそれと似ている。「うちは日立ですから」で何でも通じると思っていた男、まともなことをやっているから評価されていいはずという姿勢ではなく、「うちは日立ですから」と言えば人は言うことをきく・・と思って生きてきた駅弁大学卒の男・・・、結局、「日立」の従業員というのは、たいして有能ではなかった、ということみたいだ。「慶應的精神空間」から外に出ると3分以内に戻らないと立ち上がれなくなってしまう小此木啓吾症候群とたいして変わらん「うちは日立ですから」シンドローム( 一一) ( 一一) ・・⇒が、「日立」でなくなって生きていけるのか??? 昔、子供の頃、住んでいた所の近くの駅の脇に「日立信販」という会社の看板が出ていたのを見たが日立製作所とは関係ないみたいだった。ほかにも、「日立☆☆」という名前で日立製作所と全然関係ない会社というのはあるから、あの人事部長の男と似たようなタイプの日立金属(株)の従業員はそういう会社で雇ってもらえばいいかもしれない。そうすれば「うちは日立ですから」と言えていいのではないか。
※ YouTube-Ultraman vs Zetton(ウルトラマン対ゼットン) [1966]https://www.youtube.com/watch?v=S0Wa9hYx0Oo
その会社が一般消費者を相手として商売する会社ならば、↑ のような態度・対応をとられたならば、「そんな会社の商品なんぞ、二度と買うか」とすることもできる。 実際、私はここ何十年間と江崎グリコの商品は買わない・買ったことないし、食べない・食べたことない。今後とも江崎グリコの商品は買わないし食べない。
しかし、日立金属(株)の場合は販売先が一般消費者ではないから、買わない・食べないことにすることもできないし、「日立金属の電線に青酸カリ入れた。金塊千キロよこせ」と言うわけにもいかない。 まあ、「江崎グリコの商品に青酸カリ入れた。金塊千キロよこせ」というのも怪人21面相だからできたことで、私らはできないけれども・・江崎グリコの商品は買わない・食べない・・ということならできるが、日立金属(株)の商品は最初から買ってないし、食べるものではない。だから、日立金属(株)の人事部長は応募者にどんなにひどい態度を取っても怖いものなし♪ と思っていたのであろうけれども、・・こういうのをどう言うかというと、「長い目で見るならば、ハリコの虎」と言うのです。
「日立」は《日米ファンド連合が出資する株式会社BCJ-52が株式公開買付けにより当社の全株式を取得》により、日立金属(株)を失ったわけだが、「日立」から離れた(株)プロテリアルという会社が今後、よくなるのか悪くなるのかはそれはわからない。
しかし、ともかくも、「うちは日立ですからねえ」という会社は、「東芝は何があっても絶対につぶれることはない」と東芝の従業員は今も信仰もってるらしいが、「日立は何があっても絶対につぶれることはない」と日立金属(株)の人事部長の男は信仰もっていて、「うちは日立ですからねえ」という態度をとっておればいいと信じていたようだが、そのわりに「日立」は日立金属(株)を失った。 やはり、「日立」にとっては、この部分において「ハリコの虎」だったのではないか。態度でかくて「見かけは恐ろしいが、その実力はたかがしれている」というものだったようだ。
山一證券なんて会社はそう簡単につぶれないだろう・・と私は思っていた。「(ローマの)コロッセオが滅ぶ時には、その時、ローマの街も滅び、世界も滅ぶ」とか「(ナポリの)カステルテツロ―ヴォの基礎の下には卵が入っていて、その卵が割れる時にはカステルデツロ―ヴォは破壊されナポリの街も破壊される」といったお話があるようだけれども、山一證券なんて会社がつぶれる時には、当然、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ なんて会社はつぶれており、日本の多くの会社はつぶれていることであろう・・・と思っていたら、何とも不思議なことに山一證券は倒産してなくなったのに(株)一条工務店つぶれてないやんけ!!! こりぁまた不思議なこともあるもんだな・・・と思ったが、山一證券は倒産しても従業員には再就職先を紹介してくれたのに対して、(株)一条工務店は会社はつぶれずに存続していて、「初代社長」の大澄賢二郎は従業員に払うべきカネ払わずにため込んだカネの一部を浜松市に寄付して「また、ええかっこしいやったろ思うてはるう」てのをやりよった( 一一) ( 一一) ・・が、従業員はちっとも無事ではない。それだけではなく、関連業者に「うちの会社をやめた人間を採用したら仕事をまわさないぞ」などと言って就業妨害までしている
「秋の日はつるべ落とし」という言葉がある。ソビエト連邦なんて簡単になくならんだろう・・と思っていたら、なくなる時はあっさりとなくなった。 阪急ブレーブスなんてのも、日本社会党も簡単になくなった。 日立金属(株)は「なくなった」と考えるべきか、(株)プロテリアルという会社として存続していると考えるべきか。いずれにしても、「うちは日立ですからねえ」と言えなくなってしまった。切り札うしなったやんけ!!!( 一一) ( 一一)

とんぼの本 ローマ古代散歩 - 小森谷 慶子, 小森谷 賢二
↑ コロッセオ

ローマの休日ひとり歩き (コロナ・ブックス 64) - 佐藤 幸三

ナポリと南イタリアを歩く (とんぼの本) - 小森谷 賢二, 小森谷 慶子
※ 「カステルデツロ―ヴォ」⇒カステル・デッローヴォ:ナポリの海に浮かぶ要塞 https://italytripper.com/ja/place/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A9-%E6%B5%B7%E3%81%AE%E8%A6%81%E5%A1%9E-%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA/
それで、だ。 これは私が我慢すればいいという問題ではない、と思ったのだ。日本にはなってない会社はいっぱいあるのだけれども、日立金属(株)は「うちは日立ですからね」と人事部長が言った、ということは、
(1) 日立金属(株)という子亀の対応ではなく「日立グループ」の対応ということで、
(2)「うちは日立ですからね」という発言は「日本という国を構成する重要部分であり、『日立に逆らう者は人にあらず』という態度をとった」ということだ。
それならば、だ。日本国民として、「単なる一企業ではなく日本という国の重要な一構成部分である『日立』」がやったことであるらしいから、それならば、日本国民として何もしないというわけにはいかない。何もしないのでは、それでは国民としての義務を怠ったことになる。そうであろう。これは私一人が我慢すればいいというものではない、ということだ。
もしも、その時においてであれば、入口付近にゴミ箱でも置いてあったならば、「不快感の表明」として蹴り飛ばして帰る、ということをしてもよかった。「うちは日立」はそのくらいされたとしても「なんか文句あるか?」 その時は、そのようなことはすべきではない、と思ったが、そうではなく、ともかく何かするのが日本国民としての義務だった。
もしも、器物損壊だとか言い出したなら、裁判ででもきっちりと動機を述べることで、日立金属(株)の人事部長が「うちは日立ですから」という「日立」がどれだけおかしな対応をしたかを国民に知らせるいい機会だ。
私の方は「日立」「日立製作所」ではなく、「その子亀の会社の日立金属(株)」に応募したつもりだったが、日立金属(株)が「うちは日立ですからね」と「日立の子亀会社」ではなく「日立」なのだと明言したのだから、「子亀会社」がやったことではなく「日立」がやったことだ。そうなると、「うちは日立ですからね」という日本国の重要な一部分を構成する機関がやったとなると国民として放置するのは国民の義務に反する、ということになるわけだ。そうだろ。違うか? 違わないはずだぞ。
とりあえず、思いついたものとして、日立金属(株)の株を1単位株、購入するということなら、できるわけだ。 役員人事を支配するとか、そこまでの株を持つのは簡単ではないかもしれないが、株主総会で発言するには1単位株、持てばいいわけだ。1単位株なら持てるだろう。
日立金属(株)の株を1単位株保有した上で、株主総会に参加して発言する。「日立金属(株)は販売先は企業であって個人・一般消費者ではないから、どんな無茶苦茶な対応をしてもいいというものではないはずです。応募者が「私は今、慶應大学の商学部の4年ですが、年齢が〇歳で人より歳をいっているのですが、御社に応募させていただいてもかまいませんでしょうか」ときっちりと尋ねているのに、もしも「2年遅れまでというルールがありますから」と断りたいのなら、その時にそう言うべきもので、尋ねられた時には「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と答えて来社させておいて、その上で、来社した者に「弊社には2年遅れまでというルールがあります」と言い、それならば、「弊社では応募される方に年齢制限というものは設けておりませんので、ぜひ応募していただきたいと思います」と言って時間をとらせて労力をかけさせて来社させたことを謝罪することもなく、そして、「エレベーター、あっちです」と人を馬鹿にした態度をとり、「もっと下の会社をねらわれた方がいいと思います」と悪態つく、という「下の会社の人事部長の態度」を日立金属(株)は「うちは日立ですから」と言ってとったわけですが、それが「日立ですから」という会社の態度ですか。自分の会社が一流企業だと思っているのなら、そういう非常識な態度・対応はおかしいのではありませんか」と発言して、返答を求める。
私は総会屋として会社を脅すのではないし、敵対的株主として発言するのでもない。その会社を良くするために、その会社がこれまでにとった態度・対応でどう考えても良くないと思うものを、会社のために是正してもらおうとして発言するのである。もしも、私の会社のためを思っての発言を会社がきくならば、それはその会社のためになるであろう。 私がせっかく会社のためを思って発言しているのに、それに対して恩を仇で返すような態度をとるならば、その「仇で返す」態度はブーメランとなってその会社に襲いかかるであろう。耳ある者は聞くべし・・であるが、もしも、まともに対応しなかったならば、とりあえず、このブログでは公開することとしよう。 ほかにも本として発行・発売するのもいいだろう。 YouTube 始めるのもいいかな。 ともかく、「黙っていてはなめられる」し、何も私はその会社をつぶそうとなどしていないし、その会社のためを思って発言するのであり、総会屋でも敵対的株主でもないのだ。 敵対的というなら、日立金属(株)の人事部長の態度こそ、日立金属(株)と「日立」に対して敵対的態度をとるものであったはずである。違うか? 違わないはずだぞ。
ところが・・である。日立金属(株)という会社の株を1単位株 買おうとしても、日立金属(株)という会社がないのだ。会社名が変わったのか、「日立◇◇」という他のどこかと合併したか、そういったことでもあったかと思ってインターネット上で検索すると・・・・、
なんと! 「何と言っても、うちは日立ですからね」が「日立」でなくなったのだ。なおかつ、上場企業ですらなくなったのだ。なんだ、そりぁ!!!
実に残念だ。日本国と日本国民のために、「日立」という三流以下企業を是正しようと思ったのに、できなくなってしまった。
私が小学校の低学年の時にカラーテレビというものが出現した。カラーテレビを売り込むために、各電気器具メーカーは愛称をつけた。
日立 キドカラー
松下 パナカラー は覚えているが、ほかは忘れてしまった。
三菱は何カラーだか忘れたが「高雄」という愛称をつけて、これは東京の高尾か京都の高雄かというと、京都の高雄の方の名前だったようで、この影響で京都の高雄神護寺と「三尾」と言われる、栂尾高山寺・槇尾西明寺は来訪者が一時的に増えたらしい。その頃、通天閣には「日立キドカラー」と上から書かれたものがあったように記憶している。
日本の電気器具メーカーでは「重電」の会社と「弱電」の会社があり、重電の会社、日立・東芝・三菱はでっかい物を作る会社だけに家電製品を作る場合も頑丈に作る傾向があるのに対して、弱電の会社、松下・サンヨー・シャープは「家庭の主婦」が使いやすいようにと配慮したものを作る傾向があって、洗濯機など重電メーカーは頑丈に作るのはいいが女性が使うには重くて使いにくいものであったのに対して、弱電メーカーの松下などは主婦が使いやすいように、という配慮がなされたものだったとか。 ベトナム戦争の時には重電メーカーは軍需製品を作る会社で、重電のメーカーに勤めると結果としてベトナム戦争に加担することになる、「アメリカ帝国主義によるベトナム侵略」に加担することになる・・ということから、「一流大学」の学生が弱電の方の会社の松下電器(現 パナソニック)とかソニーの人気が上がったとか言われた。実際には松下・ソニーもトランジスタラジオとかトランシーバーとかを米軍に売って利益をあげていたらしいが、重電の会社ならレーダーとかそういうのを売るのに対して松下・ソニーはそういうのはないので、学生に人気があった時期があったらしい。
弱電の方の会社は軍需物資を売って戦争に加担することにはつながりにくい・・ということがあったようだが、松下というと「PHP中毒」の会社であり、松下幸之助の神格化が限度を超えていて感じ悪かった。その後、京セラの稲森なんとかも似た路線を進んだ( 一一) ( 一一)

松下幸之助を怒らせる本 (1981年) (三一新書) - 平沢 正夫
『C級サラリーマン講座』では、ある日、突然、社長が「わしは出家することに決めた」と言い出したので、従業員全員が「やったあ♪」と大喜び、戦国武将が出家して高野山に配流みたいに引退するのだろう・・と思って喜ぶと、翌朝、坊主の格好して会社に出社してきよった( 一一) ( 一一) ちっとも「出家」してないやんけ! 坊主のコスプレしてるだけやんけ・・・と、そのモデルが稲盛なんとかだったのではないか。

C級さらりーまん講座・改 第1集 (ビッグコミックススペシャル) - 山科けいすけ
松下は日立・東芝・三菱に比べると後発の電気器具メーカーで、最初の頃は松下の電球はよく切れたらしい・・が、その後、逆に高級ブランド化しようとして、松下は値引きをしない会社として高級品路線に進み、特に地元の関西では松下の電気製品は電気製品の中で一番のブランドになったことから、うちの姉が東京の男性と結婚する際に、うちの父親は「嫁入り道具」なのだからと、一番高い松下の製品でそろえて送った・・・ところ、そういうことを知らない東京のいなかもん、夫になる男性の親戚のおばさんが、「松下の電気器具なんか持って来られたの」と言ったそうで、せっかく一番高いメーカーの物を用意したうちの父親は気分を害していたようだった・・が、結婚相手の親が言うのではなく「親戚のおばさん」は余計なこと口出すんじゃない! というものだが口出すうるさいおばはん症候群・・にそのあたりで気づくべきだが、気づけなかったうちの父親はめでたかったのかもしれない。「うちが何も言ってないのに、余計なこと言わないでください」と言えない姉の義父も、けっこう大企業の役員だったわりに、そのあたりは情けない。
アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(角川文庫)には、
「首都・・いなか根性の砦」というものがあります。
福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『いなかの生まれ』とか『いなかの住人』とか『いなかの出身』とかいう意味での『いなかもの』は何も悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これは良くない」と語ったそうで、東京にも「いなかもの」はいます。東京に「精神面がいなかもの」という意味での「いなかもの」がいます。
こちらが、嫁入り道具だからと、わざわざ、一番高い松下の電気器具を買って送っているのに、それを「あら、松下の電気器具なんか持ってこられたの」などと自分がわかってないくせして言うおばさん、というのは「精神面がいなかもの」なのです。

悪魔の辞典 (角川文庫) - アンブローズ・ビアス, 奥田 俊介, 倉本 護, 猪狩 博
松下というと、なんだか、小学校しか出てないおっさんのくせして日本国民に戦前回帰の「教育」をしてやろうという思いあがった態度の会社であり、三菱というと「三菱ってのが作ったんだぜ」の軍需産業の会社。 日立は消去法からいくと残る方だったのだが、日立金属(株)の人事部長の男の態度は、あれは日本国と日本国民に対して敵対的態度で反社会的であろう。 そう思うと、その「日立」の名前をつけている通天閣に訪問するのも今回限りでいいかな・・とか思ったりもした。
今回は、松屋町筋の南の方に用事があって行った際に、歩いていける所として通天閣に行ったのですが、松屋町筋より西側の堺筋に大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅があり、「恵美須町」駅でも阪堺電気軌道阪堺線「恵美須町」駅の方が通天閣には近く、大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅は阪堺電気軌道阪堺線「恵美須町」駅より北にあるのですが、大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅と同じくらいの松屋町筋の南北の位置から通天閣まで歩いて行きましたが、十分歩ける距離でしたから、堺筋線「恵美須町」駅からでも普通の人間が歩いていけます。
こういうことを言うのはですね、今回はあらかじめ、地図で見て、歩いて行ける距離だと判断して行ったのですが、そうでない場合、塔・タワーといったものは、なんか近そうに見えるけれども、けっこう遠いという場合があるので要注意です。今は昔・・もう何十年か経ちましたが、東京都港区三田の慶應大学の三田キャンパスの東側の国道1号から北を見ると、東京タワーが見えて、「ちょっと行って見ようか」と、ふと思ったのです。それで、近そうに見えたので、何気なしに歩き出して・・そして、わかった。「俺は前からもしかしてあほと違うかいなあ、あほと違うかいなあ・・と思ってたけれども、やっぱり、あほやった。ようわかった」と。・・慶應大学の三田キャンパスの東側から東京タワーを見ると、なんか近そうに見えるけれども、歩いて行こうとすると、けっこう遠いのだ。・・その経験から、塔とかタワーとかいうものは近そうに見えても、歩いて行こうとするとけっこう距離がある場合がある、と理解したのだったが、通天閣は東京タワーほど高くないので、「近そうに見えてもけっこう遠い」という塔・タワーの問題点はそれほどはないみたい。 普通の体力の人間が大阪メトロ堺筋線「恵美須町」駅から十分歩いていけると思います。
円満字 洋介 編『京都・大阪・神戸 名建築 ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)には、
《 天王寺公園西、新世界の中心 通天閣の特徴は3つある。
まず広告があること。これは初代通天閣にも広告が付いていたことを踏襲している。(これがデフォだから)大阪人はこれが当たり前だと思っているわけだ。
ふたつめは手がついていること。これがなければすっとするが、物足りない。この通天閣のプロポーションに慣れていたため、大阪人は太陽の塔にもすぐになじめたのだろう。
3つ目は、この塔が何角形かわからないこと。下は四角形だが途中から八角形に変わる。頭の上には四角い台があって丸い帽子をちょこっと載せる。ちなみに帽子の色で天気がわかる。白は晴れ、曇りは橙、雨は青で大阪人ならみんな知っているらしい。こういう役にたつのかどうか微妙だけれどちょっとお得なところも大阪らしくて私は好きだ。》
と出ているのだが、《 頭の上には四角い台があって丸い帽子をちょこっと載せる。ちなみに帽子の色で天気がわかる。》というのは私は知らない。「頭の上」なんて下から見えない。《大阪人ならみんな知っているらしい》と《昭和35年(1960年)生まれ。京都工芸繊維大学建築学科卒。》で《 京都精華大学、摂南大学などの非常勤講師。》という、「あんたは大阪人と違うんかい?」という私より少し年下らしい円満字の狸林のおっさんは書いているが、どうも、この本の書き方はこういう調子のものが多い。大阪の生まれの人で知っている人はいるのだろうけれども、俺、大阪の生まれやけれども、知らんで。 自分が大阪府の生まれで京都の京都工芸繊維大学に行って、その後も京都精華大学・摂南大学と京都や大阪の大学の講師を勤め、関西を中心に仕事をしてきた人間が「大阪人ならみんな知っているらしい」などと、自分も大阪人のくせに、まるで自分は東京もんのおっさんみたいな態度・口調で言うというのは、どういうことなんや。「ふ~みん」なら「京都工芸繊維大学ならそんなもんか~あ。私は京都大学♪」とか言うかもしれんが、「わたしは建築家」と特権階級意識みたいな態度とともに、この自分自身が大阪府生まれで京都の大学を卒業して卒業後も京都精華大学・摂南大学と京都や大阪の大学の講師を勤め、関西を中心に仕事をしてきた人間でありながら「大阪人なら・・・らしい」とか自分は「東京もんのおっさん」みたいな書き方とか、この人の書き方というのは疑問を感じるものがある。「建築家」ぶりっこして特権階級になり、「東京もんのおっさん」口調で書いて「東京もん」に媚び売りたいのか、この裏切り者!・・というようなものが感じられる( 一一) ( 一一) そのあたり、「建築家」を名乗る人には精神的に貧困な人が多いが、円満字にもそういうところがあるのかもしれない。
「これがデフォだから」という表現も意味がよくわからない。要らんでしょ、「これがデフォだから」という部分。
ついでに、摂南大学というのは名前から判断すると「摂津の南のあたり」にありそうな名前だが、摂南大学のホームページhttps://www.setsunan.ac.jp/ を見ると、大阪府寝屋川市と枚方市にキャンパスがあるらしく、「摂津やのうて河内やんけ」ということになる。「南の方の摂津」という意味ではなく「摂津のすぐ南の河内」というつもり・・なのかもしれんけれども。「北河内」よりも「摂津の南」の方が東京もんには喜ばれると、ここでも東京もんに媚び売っとんかい! て感じがしないでもないが、そこまで円満字の狸林が決めたわけでもないのだろう。

京都・大阪・神戸【名建築】ガイドマップ - 円満字 洋介
円満字 洋介 編『京都・大阪・神戸 名建築 ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)に掲載されている通天閣の写真では、通天閣の側面の広告は、
「2012年は新世界誕生100周年」
「H I TACH I 」
と書かれている。 2025年11月終わりの時点での ↑ の写真の広告に書かれているのは
「社会に貢献する日立」
「H I T A C H I 」
「Welcome to Osaka. TSUTENKAKU!」
で、「H I T A C H I 」の文字の色も違います。
ウィキペディアー新世界(大阪)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) に載っている写真では「社会イノベーションの日立」と書かれており、これも文面が違います。
私が子供の頃から広告主は日立でしたが、「日立キドカラー」と書かれていたような気がします。これ、つけかえるの、けっこう大変じゃないのかな・・と思いますが、どうやって変えているのでしょうか。・・まあ、なにしろ、「うちは日立ですからねえ」という会社が広告主ですから「カネだけはあり余ってる」のでしょう。
ウィキペディアー新世界(大阪)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) には、
《 新世界(しんせかい)は、大阪府大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁がある。 地元では、初代通天閣と遊園地ルナパークが開業した1912年(明治45年)7月3日を、まち開きの日としている。》と出ています。
大阪市北区には「曽根崎新地」という地名があり、JR東西線が開通して駅ができた時、最初は「大阪桜橋」でどうかという案があったみたいですが「北新地」という「なんか、バーのママさんみたいな名前」の駅名になってしまいましたが〔私などは、そんな「バーのママさんみたいな名前」にしなくても、「大阪桜橋」か、そうでなければ「大阪南梅田」でいいのではないかと思いましたが〕、「曽根崎新地」「北新地」の「新地」は、淀川(旧 淀川)、今は地図には「大川」と書かれている川が、今は中之島の所で北側の堂島川と南側の土佐堀川に分かれて流れていて、堂島川の北側を「堂島」と言いますが、かつてはその堂島の北側にもうひとつ、川の流れがあって、そこを埋め立ててできた土地が「北新地」「曽根崎新地」らしい。 神戸には神戸高速鉄道が東側の阪急・阪神、西側の山陽電鉄が走る東西の路線と北側の神戸電鉄の路線の乗り換え駅の「新開地」駅がある「新開地」という所がありますが、ウィキペディアー新開地(神戸)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%96%8B%E5%9C%B0 には《 湊川が現河道に付け替えられた4年後、旧河川敷に新開地本通りが整備された。》と出ています。「新・・」という地名の所には、そういった経緯の土地が多いのですが、「新世界」はどうかというと、ウィキペディアー新世界(大阪)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) には、
《 1897年(明治30年)に大阪市へ編入される以前は西成郡今宮村の一部で、畑地や荒地が広がっていた。市街化のきっかけとなったのが、1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会で、東に隣接する旧東成郡天王寺村の一部とともに会場敷地となった。「内国」とあるが、国内外からの最新技術が披露された点では「万博」に近いものがあり、博覧会は5ヶ月間で入場者530万人という大盛況の内に幕を閉じた。
博覧会に合わせて日本橋筋の3丁目以南(現:でんでんタウン)が整備された。会場の西縁には既に1885年(明治18年)12月に南海鉄道(現;南海本線)が、南縁には1889年(明治22年)5月に大阪鉄道(初代。関西鉄道を経て現:JR関西本線)が通じていたが、会期中は南海鉄道が今宮戎駅南側に「博覧会会場門」駅を、関西鉄道が天王寺駅西側に「博覧会」駅をそれぞれ開設。来場者の利便性を図った(博覧会終了後は両駅とも廃止)。
1907年(明治40年)には片岡直輝ら大阪財界有志が恵美須町から浜寺までの鉄道敷設を申請。1910年に「阪堺電気軌道」(旧)が設立され、翌1911年に恵美須町から市之町までが開業した。大阪財界は恵美須町がターミナル駅として発展することを見越して、博覧会跡地を一大娯楽センターとする計画を立案する。》
《 博覧会跡地は日露戦争中に陸軍が使用したのち、1909年(明治42年)に東側の約5万坪が大阪市によって天王寺公園となった。西側の約2万8千坪は大阪財界出資の大阪土地建物会社に払い下げられ、1912年(明治45年)7月3日、「大阪の新名所」というふれこみで「新世界」が誕生。通天閣とルナパークが開業した。開発当初は「新巴里」「第二千日」と仮称されていたが、開業の際、「新世界」と改められた。》 と出ている。
《 この時の通天閣は凱旋門の上にエッフェル塔を載せた様子を模したもので、現在とは外見が異なり、また、現在のものよりも南側にあった。》 《 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)1月、通天閣が脚下の大橋座の火災に巻き込まれて損傷。同年2月、敵軍による空襲の標的にされやすいことに加えて金属類回収令による鉄材供出のために解体された。大戦末期の1945年(昭和20年)3月13日の第1回大阪大空襲では新世界も被災・壊滅した。》 《 1956年(昭和31年)10月28日には現在の二代目通天閣が開業した。なお、二代目通天閣は初代通天閣のあった場所より少し北側の場所に建設された。》というものらしい。 「凱旋門の上にエッフェル塔を載せた」て、どんなんやねん・・とも思えるが、もしかすると、現在の通天閣のデザインも、それを改良したようなデザインなのかもしれない。
ウィキペディアー通天閣 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%A4%A9%E9%96%A3 によると、
《 2018年9月に大阪市内を通過した台風21号では、市内で最大瞬間風速 47.4 m/sを記録した4日に、飛来物によってネオン管が破損。雨水によって機器が故障したことも重なって、日立製作所のネオン広告の一部や天気予報(後述)を表示できなくなったため、翌5日からライトアップを見合わせていた。災害によるライトアップの休止は、1957年の開始以来初めてで、休止中には住民や観光客などから「街が暗い」などの苦情が寄せられていた。しかし、破損・故障個所の修復を急いだ結果、同年11月1日からライトアップの再開に至った。》
《 なお、塔頂上には1979年4月28日から天気予報用のネオンサイン(翌日の天気予報を4色<晴=白、曇=橙、雨=青、雪=ピンク>のネオンで示す装置)が設置されていた。この装置は日立製作所製で、日本気象協会関西支社と専用回線[98]で接続。気象協会職員の遠隔操作によって予報を表示していた。朝日放送テレビ(当時の社名は朝日放送)が関西ローカルで深夜帯に放送している『お天気のお知らせ』では、日立製作所が当時単独でスポンサーに付いていたことから、この装置を天気予報字幕の背景映像やCMで紹介。その一方で、例年は大阪で降雪が観測されることが少ないため、ピンク色のネオンが点灯される頻度が他の色のネオンより極めて低かった。
もっとも、塔頂上からの天気予報サービスの提供は、2022年7月31日(日曜日)の22時で終了。通天閣観光によれば、「インターネットを通じて(外出中にもモバイル端末を通じて)簡単に天気予報が分かる時代に入ったことで、(ネオンのLED化以降もネオンを一晩中点灯させるだけで莫大な経費を要していた)天気予報サービスの役目は終わった」とのことで、同日には「晴れのち曇」の予報に合わせて上段に白色・下段に橙色のネオンを点灯させた。2022年8月から2023年9月までのリニューアル工事では、天気予報用のネオンに代わって、イルミネーション用のトップライトを塔頂部に設置。さらに、東側から南西側へ移設した大時計用のLEDビジョンに、現在の温度・湿度のデータを大時計の映像(アナログとデジタルの2パターン)と交互に映し出すようになった。》
とあり、天気予報サービスは円満字 洋介 編『京都・大阪・神戸 名建築 ガイドブック』(2011.10.31.エクスナレッジ)が発行された10年少し後の2022年7月31日で終了したらしい。《 通天閣観光によれば、「インターネットを通じて(外出中にもモバイル端末を通じて)簡単に天気予報が分かる時代に入ったことで、(ネオンのLED化以降もネオンを一晩中点灯させるだけで莫大な経費を要していた)天気予報サービスの役目は終わった」とのことで 》天気予報サービスはやめたらしく、円満字は《 こういう役にたつのかどうか微妙だけれどちょっとお得なところも大阪らしくて私は好きだ》などと書いているが、かつては「役に立つ」ものと考えて始めたものだったようで「役に立つかどうか微妙だけれどちょっとお得なところ」が「大阪らしく」と「大阪と大阪人を馬鹿にするのが大好きな東京もんのおっさん」みたいな書き方を大阪府生まれで京都の大学に行って卒業後も関西で仕事をしてきた人間のくせしてやる円満字の書いているものは、それは当たらないみたいである。
次回https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/519757904.html 、通天閣の展望台に登る。
自分の会社の商品の販売先は企業であって、一般消費者・個人が買う商品ではないから、一般国民にどんなに嫌われても、だ~いじょうぶ、だ~いじょうぶ・・とか思っている会社というのは、それは「長い目で見るならば、ハリコの虎」だと思うぞ。どんな会社であれ。
(2026.1.17.)
☆ 通天閣(大阪市浪速区)
1.松屋町筋から見た通天閣。北から・南から見た通天閣。「日立」のネーム入り。「うちは日立ですからねえ」の会社は「うちは一部上場ですから」の会社とともに「三流以下企業」か。 「滅びよ、日立金属(株)」と思っても個人が購入する商品でない者は「買わない」もできない・・と思ったら「日立」でなくなり「上場企業」でもなくなった( 一一) 駅弁大卒の人事部長は思いあがるな。個人・一般人が買う商品でないからやりたい放題・・と思っている会社は「長い目で見るならばハリコの虎」〔今回〕
2.展望室から見えるアベノハルカス・天王寺公園・市立美術館。展望室から見える釣鐘屋本舗。ビリケンさん。「グリコ、つぶしたる」のグリコと森永がある地下。「大阪は何もない」などと「大阪嫌いの東京もんのおっさん」が言うような文句は言ってもらいたくない。通天閣の設計者 内藤多仲 は東京タワーの設計者でもある。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/519757904.html
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